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雷雨は戦いに影響したのか?桶狭間での今川義元の動向

山内琉夢歴史プレゼンター
『尾州桶狭間合戦』(public domain)

戦国時代の流れを大きく変えた「桶狭間の戦い」。永禄3年(1560年)、現在の愛知県名古屋市「桶狭間古戦場公園」一帯で織田信長と今川義元が激突した戦いです。

織田信長が劣勢から大軍を破ったこの合戦は広く知られていますが、その裏で今川義元はどのような状況にあり、なぜ敗北へと至ったのかはあまり知られていません。

今回は、実際に桶狭間の戦いが起きた「桶狭間古戦場公園」の案内板資料とともに合戦の行方を振り返ります。

開戦!桶狭間の戦い

桶狭間古戦場公園 織田信長と今川義元の像(後姿)
桶狭間古戦場公園 織田信長と今川義元の像(後姿)

5月18日、今川義元は25,000余りの大軍を引き連れて沓掛(くつかけ)城へ入城。

翌19日8時頃に大高城へ向けて出発した後、瀬名氏俊が設営した「おけはざま山」の陣地へ入り、今朝方落とした鷲津砦・丸根砦の戦果報告を聞きながら休息をとっていました。

しかし、昼頃に天候が雷雨へと急変。

高地に着陣していた今川軍本隊は落雷で混乱状態に陥ってしまいます。

桶狭間古戦場公園 織田信長と今川義元の像
桶狭間古戦場公園 織田信長と今川義元の像

一方、その頃の織田信長は午前4時頃に鷲津砦・丸根砦が今川軍に攻撃されているとの報告を受けて出陣を開始。

10時頃に善照寺砦に到着し、この場所に本陣を構えた“フリ(偽装)”をしました。

しかし織田信長は雷雨のなか、今川義元本陣近くの釜ヶ谷まで進軍していたのです。

そして雨が止んだタイミングで今川軍に突撃…今川義元を倒したのでした。

桶狭間古戦場公園

桶狭間古戦場公園 案内板
桶狭間古戦場公園 案内板

現在の桶狭間古戦場跡は「桶狭間古戦場公園」として整備され、今川義元最後之地碑、今川義元と織田信長の像、史跡をわかりやすく解説する案内板などが設置されています。

戦いの流れをたどりながら歴史を学べる散策スポットとなっているため、気になった方は足を運んでみてください。

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ありがとうございます。
歴史プレゼンター

歴史ライターとしての活動経験を持ち、今までに32都府県の歴史スポットを巡ってきました。実際に現地へ行くのが難しい方に向けて、取材した歴史スポットについて紹介します。また、歴史に興味をもったことがなかった方にも楽しんでいただけるよう、歴史偉人の意外な一面や好きな食事・おやつの紹介など、ワクワクするような内容をお届したいです。

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