《ベルーガ(シロイルカ)の飼育係兼トレーナーとして最初に相棒となったのは、入社する昭和52年4月の半年前から鴨川シーワールドにいたメスの「アマック」だった》
私が入社したころ、当館にはカナダから搬入した3頭のベルーガがいました。日本の水族館がベルーガを飼育するのは初めてのことです。3頭には名前が付けられていましたが、飼育現場では「イシマタ」「イカルク」「アマック」という搬入前に故郷で付けられた呼び名を使っていたため、私もそれにならいました。
イシマタはパフォーマンスで活躍するスターで、新人の私には近寄りがたい。イカルクは大人っぽくて、どこかよそよそしい感じ。その点、メスのアマックはいつも水面から顔を出しては「ピーピー」と鳴き、口にふくんだ水をピューッとかけてくる甘ったれないたずらっこで、すぐ大好きになりました。一緒に過ごす中、遊んでほしいしぐさや何だかつまらなそうな目、うれしくてたまらない目など、彼女の気持ちを少しずつ理解できていったように思います。
ベルーガのパフォーマンスは水中で行います。私は子供のころから水泳が得意だったので、ボンベを背負っての水中種目はお手のものでした。大学時代は馬術部だったので、大型動物という共通点からベルーガの扱いも慣れました。水の中で見るベルーガは本当に美しい。ウエットスーツにボンベを背負い、足ひれをつけないと水中では動けない人間はなんてぶざまなんだろうと思いました。
同時に鯨類は私たちと全く異なる、完全に水中に生きる動物だということをはっきりと思い知らされました。獣医師としてそうした動物たちを相手にしようとしているという覚悟を持たせてくれたのです。アマックは私の獣医師としての原点です。
《あるとき、アマックの様子がおかしくなった》
前日まで元気だったのに、うんちが白っぽくてプールの底に沈んでいました。鯨類のうんちが水に溶けないのは、おなかの不調のサインです。1日12キロほど食べていた餌も食べなくなり、予備プールに移して「落水」(プールの水を抜く)し、血液検査をすると、白血球の数が異常に少ない。このころはまだ獣医師らしい仕事をしていなかったため、原因も対応も全く分かりません。
当時の鳥羽山照夫館長は内科診断学の本をめくり、類似する人の病気を探し始めます。重い感染症を想定し、6時間ごとに抗生物質を注射し、チューブを胃に入れて水分を補給することになりました。イルカもアシカもお湯を与えると食欲が出ることがあります。鳥羽山館長が行う処置を見よう見まねで学びました。治療のかいがあり、アマックの血液検査の数値は次第に正常値に戻りました。
《しかし、餌を食べない》
鳴き声は小さく、かすれています。私はふと思い立ち、ボンベを背負ってアマックのいるプールに入りました。手の中に餌を隠し持ち、「あげよーか?」と少し見せると、アマックは「なんだろう?」「ちょうだーい!」という感じでついてきます。「まだあげなーいよ」とじらすと、「ちょうだいよー!」と、追いかけてきます。ようやくアマックの口の前で手を開いてみせると、じらされたアマックは私が握っていた小さな魚の切り身をヒョッと吸い込みました。追いかけっこをして遊んだら、何か刺激になるのではないかと思ったのです。
これ以降、彼女は少しずつ餌を食べるようになり、ついにうんちが出始めました。すると、うんちの中から良かれと思い与えた錠剤の薬がポロポロとこぼれてきたのです。「腸溶剤」という人の腸では溶ける錠剤ですが、ベルーガの腸では溶かすことができず、腸の中にとどまって便秘と食欲不振を招いていたのです。水中での追いかけっこで、アマックの不調の原因や食べさせる技も知ることができました。(聞き手 金谷かおり)