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頭が良いと言われて 周りの推薦で将軍になった人が 何も考えずに家臣を置いて逃げるなんて事、普通ならしません。 そんな噂、おかしいと思いませんか? その短絡的な考えはどこから来たのでしょう。 いずれにしても慶喜は その1 相手に錦の旗が立った時点で、絶対に戦ってはいけないと悟る。 その2 好戦的な家臣を説得しきれなかった その3 戦いを仕掛けるつもりはなく 好戦的な家臣の暴走があった その4 慶喜が逃げたと吹聴し、悪者を作れば、日本統一しやすい その5 戦意のない慶喜を殺して、幕臣によるクーデター 薩長、幕府戦争の直前だった その6 イギリス、フランスが迫ってきていて、ここで日本が混乱となると、漁夫の利とした、どちらの国かが日本を植民地化できるチャンスを与えるのを避ける その7 戦争となるのを止めるため、その場を即座に離れて、幕府の負けとして、朝廷に恭順の意を示す。 勝つ事ばかり知りて、負くる事を知らざれば、害その身にいたる。 その8 松平容保は、そんな徳川慶喜の事をやはり尊敬していたので、徳川慶喜をまもりたかった。 また徳川慶喜は朝廷に、会津には、特別な配慮をするようにと伝えていたが、無視された。 などなど。。。