徳川慶喜が将軍として
鳥羽伏見より開陽丸に乗って江戸に入ったのちは
この混乱の責任を取り
自ら切腹覚悟で
寛永寺大慈院入ります。
朝廷(政府)の沙汰は
慶喜の身柄は
水戸弘道館へ
そして静岡宝台院(船で移動)へ
そして徳川慶喜には罪がないとされ
自由の身として、代官屋敷(現・浮月楼)で
隠居生活を過ごします。
慶喜は一旦でも朝敵の様な立場にさせられてしまった事で
一才の政治に関わらないよう、混乱の種にならぬ様
静岡で計30年に渡り、暮らす事に
なりました。
1、2枚目 弘道館
3枚目 宝台院
4枚目 浮月楼