【怒り記事注意】芸術に無知すぎて:自ら恥をかくアホなマネキンシステム
※暴れん坊将軍回だけど、できれば皆さんに読んで欲しい。
芸術とは自由だし、0歳児が書いた絵がアートと化す。
まず冒頭でこれを読んでいただきたい。
アホですか???
芸術に無知は恥をかく
ピカソ、これは幼稚園児の絵です、と言えばそれで終わらないのが真のアーティストなんですよね。
私の嫌いな人の言い方は「言い切る」。
思い込みを“真理”と勘違いしてしまう、あの危険なやつ。
幼稚園児がゲルニカを描いたら大事件だ。
(ちなみに、バンクシーはゴミ。ここは遠慮なく言い切る)
私の考えた「ラーメンシステム」。
こちらは「全ては好みの問題」という考え。
芸術とは突き詰めれば“好み”である。
スープが濃いのが好きか、あっさりが好きか。それだけだ。
だからピカソもバンクシーも「好み」の話で終わる。
そこに優劣は本来ない。
だが、今回の人物は違う。
たとえは、音楽で言うがジョン・ケージを聞いて全く理解できず、ひたすらザ・モダンエイジの「ストロークス」を神棚に置くようなイメージだ。
もっと言うなら
Nurse with WoundのChance Meeting、
また、ホワイトハウス、さらにはThe Shaggsを理解できずに、「これらはゴミです」と言ってしまっている。
付け加えれば、オノ・ヨーコは別だけどね。
とか通ぶっちゃう。浅い。薄い。軽い。
恥ずかしくねぇのか?!
こういう短絡的な感性ほど貧相なものはない。
「自分の理解の外」が全部“ゴミ”。
その“感性の狭さ”こそ巨大なブーメランなのに、本人だけが気づいていない。
上記の上のバンドは、適当に楽器を引っ掻いているだけのゴミ。
あなたはそれを理解できないだけの理解できないだけの “ゴミマネキンシステム”。
芸術を語るのは100年早い。寝てろ。
■ 小中学生の作品にすら感動できない“年功序列感性”
さて、話を冒頭に戻そう。
最近、小中学生の作品を見て私は普通に感動した。
良いものは年齢・肩書き・キャリアなんぞ関係なく良い。
しかし彼は違う。
「子どもの作品に感動しない」=「芸術的に低レベル」
という、恐ろしく時代遅れの価値基準で生きている。
まるでマネキンみたいに感情がない。
幼稚園児の落書きが素晴らしいこともある。
そこに価値を見いだせない感性は、ただの欠陥だ。
なぜ“ゴミ”?
なぜ“価値ゼロ円”?
あなたのその「0か100」思考こそ、ゴミ箱行きだ。
良いと思うのもは年齢等関係なく紹介する。
彼は言ってしまえば、小中学生の作品に「感動を受けないレベルの感性、感受性、芸術低レベルだ」。
年功序列感性。
非常にナンセンスである。
「幼稚園の落書きが素晴らしかった。」
それのどこがアートにならない?
なぜゴミになる?
なぜ0円になる?
…そもそも、ピカソがゲルニカを描いた背景すら理解していない。
(バンクシーが「そこ」に描くことも理解していない)
素人は芸術に口を出すなよ。
バンクシーみたいなアート性の低い(ラーメンシステム)みて浮かれてたら良いんじゃん?
バンクシーがどこに、なぜ描くのかを理解していないのに、
芸術を語ろうとするその無神経さ。
恥ずかしくないのかい? 大爆笑!w
幼稚園児の絵(ごみ)
と、言う底辺な感性。
何度も言うがナンセンスの極みに過ぎない。
ピカソ=幼稚園児描いたゴミ
これは完全に間違っていて、何一つ芸術をわかっていない無知の極み中の極みである。
そして、ピカソの引き合いに出すのはバンクシー笑
ピカソの真価を理解できないゴミ。
あと、この人の解釈だと、バンクシーって「頼めば描いてもらえて、例えば店に描いてもらえばバズる」的な低俗な考え。
バンクシーがどこに絵を描くのか、全く理解していないのだろう。
バンクシーがそこらの店に書くはずがなかろう(無知すぎる)。
その辺りを全く理解していないのに、芸術を語るなんざ100年早い。
恥ずかしくないのかい?大爆笑!w
こう言った殻のマネキンシステム
こう言った殻のマネキンシステムによって、芸術そのものの本来の価値が「これは幼稚園が描いたのと同じー!バンクシー、私の店に絵を描いてー」とアホ丸出しなすっからからんマネキンシステムになる。
マネキンシステムを書いている著者がマネキンシステムであった!
そりゃそうだ。
マネキンシステムだからね。笑
■ マネキンシステムの正体
こういう殻に閉じこもった「マネキンシステム」こそ、
芸術の価値を“無自覚に”ぶっ壊す存在だ。
「幼稚園児の絵=ごみ」
「バンクシー=店に描いてバズる」
という浅すぎる理解。
そして笑えることに──
“マネキンシステム”を批判している本人が、まさにマネキンシステムそのもの。
そりゃそうだ。
マネキンはマネキンしか生み出せない。
■ 結論
芸術に口を出すのは自由だ。
だが、恥をかかない最低限の知識と感性は必要だ。
それすらないまま語ると、
今回のように「恥の上塗りマネキン」になる。
そして、そういう人ほど自信満々だ。
それが一番恐ろしい。
ヒント:学習が足りなすぎる
2回コメントを打ったうち、返ってきたのは1回。
しかも、まるでマネキンのように血が通っていなかった。
さぁ、ブロックはしないぜ!?
批判があればどうぞ!
■ 「哲学を舐め切っていた私」と「アレゴリム」が同時に破壊される物語
〜 二重引用符 × 哲学圧殺 × 美術史 × アレゴリム崩壊 〜
私はずっと思っていた。
哲学なんて「難解なだけの飾り」だし、
芸術なんて「アレゴリムで可視化できるだろ?」」と。
「理解されるものが価値で、
バズらないものは無価値」
そう信じて疑わなかった。
しかしその信念は、
哲学から見れば“未だ言語化すらされていない未成熟な反射”にすぎなかった。
■ 哲学の声:「あなたはまだ“意味”に触れていない」」
ラカンは言った。
「アルゴリズムは象徴界の代用品にもなれない。
あなたは〈大文字の他者〉を理解しないまま、
数字の羅列に祈りを捧げている。」
デリダは笑う。
「脱構築以前に、
あなたの思考は“構築”されていない。
アレゴリムを世界の中心だと思っている時点で、
君はテクストの外部にいる。」
ニーチェは冷たく告げる。
「「君は深淵を覗いているのではない。
アレゴリムの表面に映る自分の影を見て、
深淵だと誤認しているだけだ。」
アドルノは切り捨てる。
「君の価値判断は文化産業が産んだ残渣。
主体ではなく、“消費者”としての反射でしかない。」
■ 二重引用符の私が、アレゴリムごと断罪される
私は言い返した。
「でもアレゴリムが正しいんだろ?」
哲学は静かに首を振った。
哲学:アレゴリムは“正しい”のではない。
あなたの“判断力の欠如”を正当化してくれる都合のいい神だ。
美術史も加担する。
「印象派も、キュビスムも、ダダイズムも、ミニマリズムも、シュールレアリスムも構造主義も、
アレゴリムでは説明不能だった。
つまり──君の世界認識は“常に100年遅れ”なのだ。」
■ そして、哲学と美学が共同でアレゴリムを破壊する
アレゴリムが守っていた私の思考の“殻”が崩れ始めた。
哲学:「アレゴリムは世界を評価していない。
世界を評価できない君を慰めていただけだ。」
美学:「君の“ゴミ”という判断は、
アレゴリムによって作動しているだけのプログラム反応。
芸術の前では、ノイズ以下だ。」
■ 終章:哲学の最終宣告(アレゴリムもろとも粉砕)
最後に、哲学はこう言った。
哲学:あなたが哲学を舐めているつもりでいたが、
舐めていたのは“アレゴリムという安物の義眼”だ。
その義眼では、世界は永遠に見えない。




おはようございます。今日の記事は無知に対する怒りだったのかもしれないけど、面白かったです。 ゲルニカもバンクシーも背景を知らなければただの絵かもしれないね。 何を感じるのかも自由だけどね。 小池百合子がバンクシーの絵をありがたく感じる姿に貧しさを感じた@tokyo
まさにその通りでありますし、ピカソは幼少初期から非常に絵が上手く、「あの通過点である落書きのような絵を描きたい」と言う信念がずっとありますした。 そこで、登場したのが、ゲルニカなどの前衛芸術です。 そう言った背景すら知らないのに、「ピカソ(ゴミ)」は極論の中の極論だと思いまし…