「無双かわんご」に、暇空茜 参戦す‼️— 見えてきた“訴訟”と“本心”の深層 —
ネット空間の言論で、最も扱いが難しいテーマの一つが「訴訟」である。
そこに「かわんご」さんと小沢一仁弁護士、さらに暇空茜さんまで参戦したとなれば、
これはもはや“インターネット三国志”と言っていい。
今回の応酬には、実は単なる「スラップか否か」の議論を超えた、
言論と司法の本質に触れる問題が横たわっているように思う。
■1 「かわんご vs 小沢一仁」――実は近い二人の距離
まずは構図から整理しておきたい。
小沢弁護士は、日本保守党(以下、二チホ)を巡る裁判の代理人であると同時に、
暇空茜さんの代理人も務めている。
そこから議論が広がり、「かわんご」さんの批判が小沢弁護士にも向けられた……
というのが今回の経緯だ。
かわんごさんの立場は明快だ。
「訴訟そのものは否定しない。
しかし“勝ち負けに関係なく訴訟を乱発して相手を疲弊させる手法”は許容できない。」
これが彼のスラップ批判の核心である。
一方、小沢弁護士は、
「違法行為を繰り返す相手には司法を徹底的に使うしかない。
依頼者を守れない勝訴には意味がない。」
というスタンスだ。
つまり二人は、
“司法を活用する”という点では一致している。
ただし、小沢弁護士は“攻める側”の視点に立ち、
かわんごさんは“攻められる側の弱さ”に寄り添う。
目的は同じ、立場が違う。
私はそう見ている。
■2 暇空茜さん参戦。しかし事実認識に「おや?」と思う点がある
議論に新たな波紋を広げたのは、
暇空さんの次の投稿だった。
「日本保守党と飯山あかりの問題は、飯山さん側のスジが悪いと思う」
「百田尚樹の“子宮を取る”たとえ話を
“日本保守党支持者は子宮除去支持者だ!”と言ったかのように扱う飯山さんに非がある」
私はここに、はっきりとした違和感を抱いた。
というのも、
飯山さんは一度も「保守党支持者は子宮を取れ」などと言っていない。
彼女は百田氏の発言自体——その背後に漂う女性蔑視の気配——を問題視しているだけだ。
さらに暇空さんは、
「訴状を読んだ限り、飯山さんがおかしいと判断した」
と述べているが、これは根本的におかしい。
訴状とは、
**原告の言い分しか書かれていない“片側の物語”**である。
そのナラティブに沿えば、被告が悪く見えるのは当然だ。
暇空さんのように一次情報に厳しい方が、
そこを鵜呑みにしてしまったのは、少し意外であった。
■3 「子宮発言」は“冗談”で済む話なのか
ここが今回の議論の核心だと私は考えている。
暇空さんは、百田尚樹氏の“子宮を取る”発言について、
「失言のたとえ話。真に受ける方がおかしい」
という認識を示している。
だが、私はこの見方にどうしても賛同できない。
文芸批評家・小林秀雄の有名な洞察がある。
彼は徒然草を引きながら、
「冗談や芝居であっても、人の“現れた姿”こそが本心を最も雄弁に語る」
と述べている。
口が滑った一言、軽口、悪ノリ。
人はそうした“無意識の層”で、むしろ本性を露出させる。
百田氏は、この種の「女を軽く扱う発言」を何度も繰り返してきた。
それは単なる失言ではなく、
内面にある価値観が、ふとした拍子に表面化している
と見るべきだ。
だからこそ飯山さんは「これを見過ごせない」と訴え続けているのだろう。
■4 冗談を冗談で済ませてしまうと、見えなくなるもの
人間の無意識が、不意の言葉にこそ表れる。
この洞察を受け取らなければ、
今回の対立の“本当の焦点”は見えてこない。
「冗談なんだから気にするな」で片づけた瞬間、
飯山さんが訴えている“深い問題”は消えてしまう。
— 冗談に見えて冗談でない言葉がある。
その言葉の奥にこそ、その人の姿が立ち上がる —
私はそう考えている。
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