――今の話を聞いて、「生きづらい世の中になった」と嘆いていた友人男性を僕は理解がないように見ていたけど、自分も同じところでつまずいていたんだなと気づきました。

今この世の中で、すくすく健やかに生きられている人なんていないと思いますよ。性別や属性は関係なく、この社会で生きていればみんな何かしら口を塞がれることはあるし、理不尽な思いをしている。みんな怒っているんです。

そしてこれも大事なことですが、怒ることは悪いことじゃない。むしろ怒りきる必要があると思っていて。自分の場合は、ちゃんと怒りきることで、次のフェーズに進めたところはあります。

だから、男性だって怒っていい。ただし、その矛先を間違えてはいけない。怒るべきは女性ではなく、家父長制という社会構造です。

本にも書きましたが、よく男の子だけが体罰を受けたり、裸になって騎馬戦をするといった肉体的にしんどい思いをさせられます。そのときに女子だけ楽してズルいと矛先が女性に向かってもなんの解決にもならない。どうして男だからというだけで、こんな苦役を強いられなければいけないのか。それを良しとする社会に怒ることが大事なんです。フェミニズムは、そうした気づきを得るきっかけにもなるので、ぜひ興味を持って学んでもらえればと思います。

――その一方で、フェミニズムが男性を中心に否定的に見られるのも、怒りが原因のような気もします。男性からすると、常に自分たちが怒られているようで面白くないんだろうなと。

ずっと説教をされているような気持ちになるんですよね。それがしんどいことは、よくわかります。でも、こう考えてみてください。抑圧されてきた側は、それまでの人生の何十年間の間、ずっと苦しかったわけです。なんだったら、今だって苦しい。その苦しみを今ようやく吐き出すことができた。そう思ったら、話を聞いている数十分ぐらいは辛抱してもいいんじゃないかと。

このことはジェンダーだけの問題ではありません。沖縄、障害者、アイヌ、人種差別など、社会にはさまざまな不平等があり、それぞれに固有の背景や政治的文脈があります。それでも、共通して言えることがあります。マイノリティが怒りや悲しみの声をあげたとき、マジョリティ側が「耳が痛い」と聞こうとしなかったり、「もっと冷静に」とマイノリティの声の出し方をジャッジしたりしてしまうことです。でも本当に必要なのは、評価や反論よりも、まずはその人の生きづらさと背景に思いを馳せながら、黙って耳を傾けることだと思うんです。だからこそ、さまざまな領域でマジョリティである自分は、「耳が痛いからこそ聞く」姿勢を忘れずにいたいと思っています。

「男性だって怒っていい。ただし怒るべきは女性にではなく、家父長制という社会構造」フェミニズムに救われた元小学校教諭が、生きづらい世の中と嘆く男性たちに伝えたいこと_img0
 

星野俊樹 Toshiki Hoshino
1977年生まれ。ジェンダー教育実践家、元小学校教諭。慶應義塾大学総合政策学部卒、京都大学大学院教育学研究科修了。出版社勤務を経て小学校教員に転職。都内の公立小学校に勤務した後、私立小学校に着任。教員歴は20年、その中でジェンダー平等をを目指す教育実践に取り組む。2025年3月末に退職。現在は講演や執筆など多岐に活動の幅を広げている。

「男性だって怒っていい。ただし怒るべきは女性にではなく、家父長制という社会構造」フェミニズムに救われた元小学校教諭が、生きづらい世の中と嘆く男性たちに伝えたいこと_img1
 

『とびこえる教室―フェミニズムと出会った僕が子どもたちと考えた「ふつう」』
星野俊樹・著 1870円(税込) 時事通信社・刊

男子が散らかし、女子が片付ける。それが当たり前の風景として見過ごされていくーー。家父長制の強い家庭に育ち、生きづらさを抱えてきた著者が、学校の中のジェンダー規範に向き合い「ふつうとは何か?」を問い続けた実践の記録。


撮影/塚田亮平
取材・文/横川良明
構成/山崎 恵
 
「男性だって怒っていい。ただし怒るべきは女性にではなく、家父長制という社会構造」フェミニズムに救われた元小学校教諭が、生きづらい世の中と嘆く男性たちに伝えたいこと_img2