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所謂「同性婚訴訟」の東京高裁判決で、 「これまで極左LGBT活動家らが主張して来た『婚姻平等』の論拠が悉く否認された」 事に極左LGBT活動家らが怒り狂っている中、活動家の松岡宗嗣氏が、今般の判決についての見解を【書きました】として披露した。 その内容には「極左LGBT活動家らが『婚姻と同性婚』に対して、どの様に考えているか」が良く現れている。 先ず、彼らが最も「否定したい」のが「家族とは『子』も含めた関係性」だと言う所だが、今般判決では、 「『婚姻』は『子』も含めた家族の関係性を法的に保護する制度」 だと「彼らの主張に真っ向から反する事」を明確に言い切ってしまった。 そればかりか「子の立場からすると、嫡子(両親から生まれた子)がほぼ100%」とまで言及して「『同性カップルと異性カップルの違い』をダメ押し」までしている。 これに対して、真正面から反論が出来ないからと、 「判決では『お国のために子を産め』と言っており、戦前の家父長制を復活させようとしている」 などと言う頓珍漢な論を展開しているが、その様な趣旨の事が全く判決で言及されていないばかりか、家父長制については「戦後に否定された事も明記」されている。 彼らが、ここまで無理筋、と言うより出鱈目な論を丁稚上げてまで「家族とは『子』も含めた関係性」だと言う「事実」を否定したい理由は一体何なのか。 それは「同性カップルでは、自然に子を成しえない」からであり、家族を「子も含めた関係性」と定義される事は即ち、 「同性カップルど異性カップルに違いは無いと言う、所謂『婚姻平等の概念の基本論拠』を根本的に覆してしまう」 からである。 更に「具体的な生活の困難について、判決は詭弁で逃げている」と主張しているが、肝心の「具体的な生活の困難が一体何なのか」については、全く触れていない。 例えば、極左LGBT活動家らが良く言う「病院への見舞い」は、全く問題無く出来るし「葬儀への参列」については「相手方の親族との関係性の問題」である。 「婚姻しているから葬儀への参列が保障される」訳が無く、婚姻関係にあっても「配偶者親族との関係性が悪く、葬儀に参列出来ない事例」など幾らでもある。 所謂「選択的夫婦別姓」の問題でも同様だが、彼らの主張する「困難」は「為に創り出した問題」ばかりである。 「同性カップルが、婚姻制度を利用出来ない事で被る困難」など「異性婚と同じでは無い(から傷付いた)」などと言う「オキモチ」を除けば、ほぼ無いと言って差し支え無い。 敢えて言ったとしても「法律婚の様に、婚姻関係を結ぶだけで、様々な法益(当然負う義務もある)を『一括』で得られない」と言う事くらいだろう。 しかも、それについても現状でも「個別に手当する」事で十分にカバー可能であるし、今後何らかの、 「現行婚姻制度とは別建ての、法的効力のある同性パートナーシップ制度」 が創設される様な事があれば「必要とされる法制度」を、議論し纏めた上で「一括で得られるようにする」と言う方法で、何ら問題無い。 こうして見ると「大した法益がある訳でも無い」のに、 「異性カップルが出来る事が、同性カップルでは出来ないのは差別だ」 などと言う、ナイーブかつ駄々っ子の様な主張が「婚姻平等」である事は明らかだ。 そして、今般の判決では、その「急所を思い切り突かれた」格好になっているからこそ、極左LGBT活動家らは駄々っ子の様に「怒り狂っている」のである。 とは言え、今般判決は未だ最終審では無いので、2026年中と言われている「最高裁の統一見解」が「最終的な同性婚(婚姻平等)に対する司法判断」になる。 そして「高裁判決では、6判決中の5判決が『違憲』なのだから、最高裁判決も違憲になる」と言う「まじない」を唱える者が少なからずいる。 だが、裁判所の判断は「最新の判断が最も重い」のは常識であり「東京高裁」が下したと言う点も、最高裁での判断には「重要な判断材料」となる事は容易に想像出来る。 何れにしても、今般の所謂「同性婚訴訟」東京高裁判決は、極めて「常識的な視点」が盛り込まれた判断である事は確かだ。 それに対して極左LGBT活動家らが「怒り狂っている」と言う事自体が、 「彼らが如何に、社会の常識からズレているかを、社会に知らしめる」 事となったのもまた確かであろう。 #同性婚訴訟 #合憲
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松岡宗嗣
@ssimtok
【書きました】1日たって、改めて東京高裁判決を読んで、怒っています。「結婚とは国家のために子を産み育てるための制度で、それ以外は守らなくていい」かのような姿勢、「事実婚でいいでしょ」と生活の困難は無視し詭弁ばかり。東京高裁判決の問題点について書きました。 soshi-matsuoka.theletter.jp/posts/a7380080