公演中止騒動が映し出した、中国社会の静かな変化
今回の記事では11月29日に発生した、日本人アーティストの公演が中止となったニュースについて、中国側の反応を掘り下げて解説します。
日本側では中国の強硬な措置ばかりが注目されがちですが、私にとって今回の出来事は、中国社会の変容を垣間見る意外な機会でもありました。
この様子を捉えたショート動画が中国の交流サイト(SNS)で拡散され、「非常に乱暴なやり方だ」「歌手に対して失礼だ」「やり方に批判が集まるのでは」などの反応がありました。これに対し、高市首相の発言を引き合いに「日本に教訓を与える必要がある」といった声もありました。
これらのコメントのうち、「日本に教訓を与える必要がある」といった意見は、いわゆる保守・愛国系アカウントであり、その反日的な立場を踏まえればごく自然な反応です。そのため、本稿では詳細に取り上げません。
ここで焦点を当てたいのは、「非常に乱暴なやり方だ」「歌手に対して失礼だ」「やり方に批判が集まるのでは」といったコメントの意味です。
この騒動で被害を受けたのは、アーティストや関係者だけではありません。そこには、大勢のファンも含まれていました。これは浜崎あゆみ上海公演中止に対するコメントです。
滨崎步明天的上海演唱会被取消……真•极限迷惑。滨崎步团队早已抵达上海,双方近200名工作人员,5天时间搭建舞台,1.4万观众除了上海人外所有人的机酒钱就这么给人扔了。… pic.twitter.com/4mgwC3f5Ns
— 作业本 (@zuoyeben) November 28, 2025
浜崎あゆみの明日の上海コンサートが中止になった...。まさに極限の迷惑。浜崎あゆみチームはすでに上海に到着、双方合わせて約200名のスタッフが、5日間かけてステージを組んだ。
上海人以外の1万4千人の観客は全員、飛行機代とホテル代を払って来ているのに、それ全部をドブに捨てさせられた。
中止するならもっと早く中止しろよ。明日開催だというのに今日になって中止?地方から来た観客はもう現地に到着してるのに、それを中止?ふざけんな、観客の航空券と宿泊費を補償しろよ?1円も出さないくせに、人に金を捨てさせ…これ何の極限迷惑ムーブ?
一般人が一方的に損させられて、しかも不可抗力扱い。
芸能界はあいつらのサンドバッグ。気分が良ければ気分が良いからビンタ、気分が悪ければ気分が悪いからビンタ。
絶句なのは、ネットで「飛行機代とホテル代は誰が賠償する?」と聞いた人に対して、何人かのバカが「高市のとこに請求しろよ」と答えていたこと。
日本側は何の損失も受けてないのに、自国民をまたボコボコにしてしまった。
このように、今回の措置に対する批判の声が上がっています。
今回の騒動をめぐる中国のコメントには、「日本に教訓を与える必要がある」といった、今回の問題を日本の首相発言に結びつける意見も多く見られます。これは中国のネットでは自然な反応と言えるでしょう。
しかし、その一方、冷静に状況を分析しようとする声も存在します。
1、高市早苗的言论是错的
— ⏰迷人の鴻 :)🕯️ (@suhong11300) November 29, 2025
2、清场演出是错的
3、1的理由不能为2的结果辩解
4、反对2不能是隐晦的支持1
5.、12下的缓冲区其实只是将来未来的一种一厢情愿
1、高市早苗の発言は間違っている
2、強制的な退場措置は間違っている
3、①を②の正当化に使うことはできない
4、②への反対は、①を暗に支持することではない
5、①と②のあいだの緩衝地帯は、実際には将来への一方的な願望にすぎない。(本来①と②は別問題として扱われるべきだが、人々はそのあいだに中立的立場があると錯覚している)
これはつまり政治(首相発言)と文化(公演取り消し)はそれぞれ独立に評価されるべきであり、一方が他方の正当化に使われるべきではない。という主張です。
あくまで
「個別の問題は個別に評価すべき」
という理性ベースの立場であり、筆者の周囲もこういった立場の人が多いです。
日中の対立と緊張が報道されるなか「中国は安全なのか」と聞かれることが多いのですが、私もこの記事と似たような印象を抱いています。
筆者が取材した上海在住の日本人駐在員は、動向は注視しているとしつつも、冷静な見方をしている人がほとんどだと語る。 「今のところ特に影響はありません。ここ数年、半年おきぐらいに揉めているので、現地の中国人にとってはまたかという感じ」
このように「政治は政治、自分は自分」と切り分けて考える人は少なくありません。では、なぜそのような傾向が生まれたのでしょうか。私は、その背景の一つにはコロナ禍での集団的な経験があると考えています。
以下は、その傾向を象徴する投稿です。
涉日演出被集体封杀,即使是晚上开演的场次,也一并取消。还出现了歌手唱一半,就被带下台的情况。
— poppinzhang (@cn_LittleYu) November 28, 2025
我不是非在国内看日本艺人演出。政府要实施制裁,我大不了少看几场。
我难过的是这种毫无通知,不需要任何审议与发布,用「不可抗力」一刀切的暗黑手段。
我难过,因为疫情的时候他们就是这么做的。
日本に関わる公演が夜の公演まで含めすべてキャンセルされた。歌手が歌っている途中で、そのまま舞台から連れ去られたという事例まである。
私は国内でどうしても日本のアーティストを観たい、というわけではない。政府が制裁を実施するというのなら、数公演見られなくなるくらい我慢もできる。
つらいのは、何の告知もなく、審査も発表も必要としない。「不可抗力」の名のもとに全てを一刀両断にする暗黒の手法だ。
悲しいのは、コロナ禍のときも彼らがまったく同じやり方をしていたからだ。
私は今回の「人権」と「主権」をめぐる捉え方は、ゼロコロナ期の集団経験で増幅した可能性が高いと考えています。
中国の憲法は「人民主権」を掲げていますが、現実には主権は国家に集中しています。国家の役割は「管理・治安維持」に強く傾斜しており、国民もそれを受け入れてきました。
例えば「監視カメラ」を例にとると、中国でよく見る監視カメラは犯罪を監視するための管理資源であり、国家が社会秩序を維持する主体です。
また、国民の側も「国家が守ってくれる」という意識が強く、監視は「国家の保護」として受容されやすいのです。その結果、日本のような「監視=人権侵害」という発想が弱くなります。
コロナ禍の初期はゼロコロナ政策が完全に成功し、コロナを封じ込めることができました。この際には正に「国家が守ってくれる」という意識が体現しました。
しかし、2022年に入るとオミクロン株が繰り返し流行、厳格なロックダウンなどの制限によって多くの人が疲弊するようになりました。以下は当時のネットで流行したネタです。
左:「何故入れないんだ」
右:「PCR検査の24時間陰性証明が必要」
左:「いつものPCR検査場はどうした」
右:「全部閉まった!」
左:「どうやって検査を受けるんだ!!」
右:「病院へ行け!!」
左:「病院も24時間陰性証明が必要だ!!」
右:「だったらPCR検査に行け!!」
このように、当時の中国では理不尽な政策に翻弄される人が大勢いました。
そしてこの時期、「国家の主権」と「個人の人権」がどのような関係にあるのか、という問題が本格的に社会の議題として語られるようになりました。
こういった議論は中国国内で多く見られる安全検査でも語られています。
#知乎问答 pic.twitter.com/AjTNSjZllS
— William Long (@williamlong) September 1, 2025
【質問】日本の治安は結局のところ良いのか?
【回答】日本で地下鉄や新幹線に乗るとき、身分証は不要で、手荷物検査もありません。好きなときに切符を買って、そのまま駅に入り歩いて行けばいいのです。さらには、日本国内線の航空便でさえ身分証が不要で、保安検査も簡単でスムーズです。
では、日本は比類のないほど安全な国なのでしょうか?違います。日本は、莫大なお金を治安維持システムの構築に使うよりも、福祉、社会保障、国民医療、教育、環境・交通、食品安全といった分野に投じ、社会の公平性を守り、困窮者に目を向けることが最も優れた治安対策だと考えているのです。
これは主権が国家に集中する社会と、主権が市民の権利として機能する社会の違いを説明する、恰好の教材です。
私にとって今回の公演中止をめぐる反応は、単に日中関係の問題にとどまらないように見えます。なぜなら、コロナ禍で経験した「主権が人権を一方的に制限する」姿が再び市民の前に姿を現した、と考える人が少なくないからです。
この記憶が今回の「不可抗力による一斉中止」と重なり「またか」という感覚を強く抱いたのです。
スローガンのような大義名分より、個人にとって日々の自由や好きな文化を楽しむ権利のほうがずっと大事であり、誰であろうとも、それを奪われたくない。こういった純粋な欲求を表した投稿もありました。
不管是日本文化、中华文化或者什么文化,我就是要享受喜欢的东西,我的享受就是比你的主权或者政权都要重要。隔江犹唱后庭花又如何?那已经亡国的所谓正统也不对商女有恩,即使同文同种的统治者也不会因而仁慈于剥削,无论旧朝新朝都是日复一日卖唱罢了,如此的话天下兴亡哪有我能一朝唱得尽兴重要呢?
— 小虚空🍥 (@tokerumaisurii) November 29, 2025
日本文化や中国文化、どんな文化であれ、私はただ自分の好きなものを楽しみたい。私にとって楽しむことは、あなたの主権や政権よりもずっと重要。
「隔江犹唱后庭花」
芸妓は国が滅んだ恨みなど知る由もなく、川を隔てた向こう岸では滅亡の象徴となった宮廷曲《后庭花》を今もなお歌っている。だったら何?滅んだ王朝が芸妓に恩を与えたことなど一度もない。同じ言語や民族の支配者であっても、同族への搾取へ施しを与えるわけでもない。旧王朝でも新王朝でも、日々歌を売る生活は変わらない。
それなら、天下の興亡がどうこうより、今日一日、思いきり歌って楽しめることのほうがよほど大事でしょう。
この投稿は中国のネットに投稿したところ削除されたとのことです。
今日被和谐的想法。 pic.twitter.com/nRjSxpYhgl
— 曹哲 (@LightCavalryCZ) November 30, 2025
コンサートは開演前に「不可抗力」を理由に強行中止された。
無人の観客席を前に、浜崎あゆみの月下のソロダンスは、まるで嵐の中でひとり咲き続ける花のようだった。嵐はいつも必ず勝つ。だが人々の記憶に残るのは、その花だけだ。
筆者は2019年から現在までの
コロナ禍(ゼロコロナ後期の崩壊)
経済低迷(成長神話の終わり)
少子化と将来不安(個人負担への転嫁)
によって以前のような「国家が守ってくれるから安心」という意識は急激に委縮していると感じています。
その結果、国家主権の存在感は相対的に低下、生活や文化を楽しむ権利への志向が強まっています。今回のコメントの反応は、その価値観の変化を如実に示しているのではないでしょうか。
政治は政治、自分は自分。社会と個人との距離感が、中国社会の中で少しずつ変わり始めているように見えます。そしてその変化は生活や文化という、きわめて素朴で、人間らしい願いから生まれているのだと感じています。
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中国国民のお書きになっている変化に比べ、日本の首相等々の偏狭な中国敵視姿勢、マスコミ、メデイアの首相批判の意識的曖昧さ、一部国民の反中国感情の情けなさ。これは高市首相の国を戦争に駆り立てることを厭わないとする反憲法的国内問題なのだ。自衛隊員を台湾で死なせて良いのか。日本の基地と周…
「今日被和谐的想法」 というのはただの一言ですがかなり切れ味の良いコメントですね。わかる人にはわかります。
悲しいですが、これも中国特有の文化、という事が言えるでしょう
看来你的消息来源主要还是从推特等外网上收集的… 事实上国内网络绝大多数的用户正在狂欢般地嘲笑那些因此受到损失而表达不满的观众。其中一些人表示“那些隐藏的精神日本人终于露出了自己的真正面目,竟然不去批评作为源头的日本政府而去指责中国”,还有一些人则是单纯对二次元这一群体本身嘲笑。而…
コメントありがとうございました。記事にも書きましたが、従来の保守・愛国的な投稿には変化が無いので説明を省略しました。また記事の最後で紹介した投稿のように国内の世論は操作されている可能性を常に考慮する必要があります