今日、1月23日は『陳情令』の含光君こと藍忘機・藍湛のお誕生日。
この役を Yiboくんが演じていなかったら、私は『陳情令』のファンになっていなかった。
琴の音とともに天から舞い降りた白い人に、一瞬で心を射貫かれました。

『陳情令』ファンの多くは、原作小説『魔道祖師』、そして、この作品を原作・原案として作成されたラジオドラマ、アニメ、漫画、ゲームなどのメディアミックス全般に愛をお持ちです。
日本で、日本人キャストによるミュージカルも上演されるそうで、こちらもチケット争奪戦と伺っています。

でも、私は、ドラマ『陳情令』以外には、そのような熱量で皆様と語ることができません。
このことは、いつも私を居心地悪くし、ファンのお仲間にも申し訳ない気持になります。


原作小説がある場合、私は映像作品よりも原作小説のほうに惹かれることが多いので、とてもめずらしいことです。
私にとっては、Zhan Zhan が演じる魏嬰と、Yiboくんが演じる藍湛の『陳情令』なのだと、つくづく思います。

「王一博の藍湛」の魅力は、藍湛の “心の傷” をきちんと演じているところ。
16年後の藍湛がスパダリ
(スーパーダーリン)と化す、その不動の強さは、この心の傷の修復によるもの。
そのことも、彼はしっかりと演じていました。

Yiboくんが、藍湛役の書類選考で2回落とされていることは、よく知られた事実です。
3回目は、タイトスケジュールの中、自らオーディションに赴き、この役を得ました。
そこまでした理由は、明らかになっていません。

本国でドラマ配信したばかりの頃、番宣中、「わざわざ飛行機に乗ってオーディションを受けに行ったのですよね?」と、それは何故なのか、理由を引き出そうという意図の質問がありました。


私も理由が知りたいと思ったのですが、「オーディションがあれば誰でも行くでしょう」と、彼はけんもほろろに答えました。


当時の Yiboくんは “酷蓋(クールガイ)” でしたから、こうした返事はめずらしいことではありませんでした。

のちに、Yiboくんは「大众电影 BIGSCREEN」のインタビューで、「今後も気に入った役に出会ったら挑戦なさいますか?」という質問に、「はい、します。まずは好きな役と脚本。それから、役を勝ち取りに行きます」と、答えました。


「金鶏賞にノミネートされた今でも、履歴書を配ってオーディションを受けていらっしゃるのですか?」と、驚くインタビュアー。
その問にも、「もちろん、当然です」と。

ですから
… これは私の想像になりますが … 『陳情令』の藍湛役も、彼が演じたいと思った役だったのでしょう。

 

* * *

 

藍湛の “心の傷”、最初の喪失は、母の死です。


藍氏の兄弟は非常に特殊な状況の親子関係で育ち、藍湛は幼くして母を亡くします。


母は自死だったのか、病死だったのか、このあたりのことは詳しくわからないのですが、いずれにしても、彼の心に深い傷を残したでしょう。
雪の中に座り込む幼い藍湛の姿は、せつなすぎます。

ごく一般的なこどもであれば、そうした経験をすると、「ぼくがよい子だったら、母上は今も生きていたのだろうか」と、自分を責めたかもしれません。


彼の理解者は兄、澤蕪君ですが、この人は弟の心を読むことに長けていたようでいて、実は、ほんとうのところは見えていない、ちょっとズレている感があります。

それがかえって、心の傷を抱える藍湛にはよかったのかもしれません。
よく理解して、同調してしまう繊細な相手であれば、藍湛に対して身構えてしまったかもしれないですし、まったく無理解で叱咤激励する相手
… 叔父上とか … であれば、よけい傷を広げたかもしれません。

 

そうした人の好い兄だから、「悩みでもあるのか」と問われ、藍湛は思わず吐露します。

「兄上、ある者を… 雲深不知処に連れて帰りたい」
「雲深不知処に連れて帰る?」
「連れて帰り、隠します」
「隠す? ただ、彼は望まぬだろうな」


兄様の存在は、癒しにはなったと思います。
けれど、傷が癒えることはなかった。

藍湛が無口なのは、この傷の痛みを言葉にすることができないからではないかと思うのです。
そもそも、そうした痛みは、簡単に言葉で表すことができないもの。

彼が藍氏の家訓で身を律して成長したのは、藍氏の第二公子である矜持から。
でも、心の傷に対する自己防衛でもあったのではないかしら。

ドラマから、藍湛のこのような内面を窺うことができるのは、Yiboくんの演技のおかげです。


エピソードとして描かれていることは、ごく僅かですから、彼の演技力がなければ、想像することはできません。
そのほとんどを、彼は “目” と “微笑み” で演じていました。

藍湛には、魏嬰が屈託なく、シンプルで、きらきら明るく見えたことでしょう。
倖せの兆しのように。

この魏嬰も、肖战が演じる魏嬰だからこそ、そう見えたのだと思います。

実は、魏嬰も幼くして両親を亡くし、野良犬と食べ物を争うような路上生活をしていました。


両親の旧友である江楓眠に拾われ、息子同様に育てられますが、彼は傍若無人に見えて、実は、愛情深く、他者の心の機微に対して敏い。
江氏の跡取り息子である江澄と、孤児の自分は違うことをわきまえています。

ただ、それでも余りある才能ゆえに、逸脱し、厚顔無恥に見えてしまうだけ。
このように、彼の心も決して無傷ではないのです。

藍湛と違って魏嬰が性格的にオープンなのは、生まれ持ったものかもしれません。
それだけでなく、彼の両親は生前、たっぷりと息子に愛情を注いでいたのだと思います。

幼いこどもの成長期には、安心できるゆりかごのような場が必要です。
魏嬰にはこれがあり、江氏に引き取られたのちには、師姉、江厭離がいました。

魏嬰が夷陵老祖となっても、完璧な悪に染まることがなかったのは、そうした愛のおかげです。

一方、藍湛のゆりかごは、藍氏の家訓。
彼は心の傷を持て余す隙をつくらないように、自分を律することで、生き抜いてきたのです。

そして、また大切な存在を失います。
魏嬰の死。
心の傷は再びえぐられました。

ここからの藍湛の16年間は、ドラマでは僅かしか語られていません。
魏嬰の死後、彼が住んでいた乱葬崗の伏魔洞を守ろうとし、叔父、藍啓仁に戒鞭300回の罰を受けました。


そこで、なお、藍湛は叔父に問うのです。
「誰が正道で、誰が邪道ですか」と。


自分を律し、藍氏の見本のように生きてきた彼の自問自答だったのかもしれません。
激怒した叔父は、寒潭洞での3年間の面壁を言い渡します。

その後の13年間は、各地を遊歴していたことぐらいしか、登場人物たちの口の端にのぼりません。
けれど、彼の胸についた三角形の焼き鏝の跡が、その空白を語ります。

彼は禁酒の掟を破り、魏嬰が愛した天子笑を飲み、泥酔し、魏嬰が胸に受けた焼き鏝を自ら胸に当てたのです。
見えない心の傷が、見える形になりました。

それでも癒えることのない心の傷。
自分の選択という過去にもがき、魏嬰を救えなかった無力に絶望する藍湛。


彼は孤独な遊歴の、長い、長い日々、心の痛みに苦しみながらも、持ち前の忍耐で堪え、静かに、静かに、消しようのないその傷と折り合いをつけていったのでしょう。
 

その傷も自分の一部。

それもあっての自分であると。

問霊ができる藍湛は、魏嬰が死んでいないことを知っていたはず。
必ず、魏嬰と再会し、今度は決して失わない。
それが、変えられない絶望の過去の先にある、これから変えてゆけること、希望であると。

16年かけて、藍湛は本物の強さを得ていったのです。
心の傷があるから、強い。
心の傷の存在を認め、受け容れる強さ。

魏嬰の復活後のスパダリ含光君・藍湛の “絶対” は、この強さゆえのものです。

乗り越えたのではなく、受け容れた強さ。


魏嬰と再会したのちの藍湛 … Yiboくんのやさしい笑みは、そうした藍湛の物語、ドラマには描かれていない空白の日々を、すべてを演じきっていると思います。

王一博、弱冠
(20歳)
その足跡が、こうして作品として残るありがたさ。
今、あらためて、

蓝湛 生日快乐

 

 

 

 

ドラマ『陳情令』メイキング

役者特集・王一博

 

 

 

この作品を生み出した作家、墨香銅臭。

すごい方ですね。

 

 

 

AD

コメント(2)