(真夜中の長文)
常に相手の機嫌を気にしなければならないような人とは、付き合わない方が賢明だと思います。なぜなら、本当に相手を大切に思う気持ちがあるなら、自分の負の感情をむやみに相手に背負わせたり、心配させたりしたいとは思わないはずだからです。喧嘩をする場合でも、お互いにとって最小限のストレスと時間で解決のための有意義な話し合いをするのではなく、ただその人の気分次第で変わる不満をぶつけてくるような人とは、自分のために関係を終わりにした方が良いと思います。自分が何を手放したくないのか、それはなぜかを自問自答してみて、それが単なる感情的な依存であるなら、物理的に距離を置き、自分の内面から生じる弱さの原因と向き合うことが大切だと思います。その上で、その状況に甘んじる選択をするのも一つの方法だと思います。 関係を維持したい(あるいは維持しなければならない)合理的な理由があるなら、守りたいものの優先順位を明確にし、自分の努力だけでどこまで環境を改善できるかを検討してみてはどうでしょうか。相手を変えることを期待するのは、結局のところ傲慢であり、現実逃避(自傷)に近い行為だと思います。自分が削られるまで根気強く接したところで、相手にはそんなことを求められていない場合が多いので、自分のことを大切にし、適切な距離感で温かく向き合ってくれる人に出会うために、無駄なものは手放した方が良いと思います。意外とすぐに忘れられるものですよ(笑) 友人やパートナーに求める距離感は、両親が友人、パートナーに求めた距離感が基準になりがちなのかなと最近思います。
いわゆる亭主関白や尻に敷かれる家庭なら自然とそういう力関係を求めるでしょうし、共働きなら自由なパートナー関係を求めるでしょう。刷り込みみたいなものですね。それが当たり前になる。一方で両親の関係を見て嫌だなと思えば両親の距離感から距離を取る(もっと自由な関係がいい等)
お互いの両親の家庭環境が似ているか基準からの距離が似ているとうまくいきやすいのかなと思っているのですが、大津さんはどう思いますか? そうですね、家族仲の良い環境で育った人は、他人との距離感を自然に習得している場合が多いように思いますが、機能不全家族で育った人は、愛着障害や何らかの不安定さを抱えていることが少なくないと感じます。私の場合、母親からの過度な執着や暴力に心底うんざりし、縁を切りました。本来、生まれながらに愛着を持つ親という存在から、物理的・心理的に距離を取ることに対して、罪悪感や共依存的な感覚を抱いていましたが、自分の身体的・精神的な安全を守るために、断ち切りました。最初は恋愛などにおいても共依存的な傾向がありましたが、多くの健全な愛情感覚を持つ人々から学び、癒されることで、自分や相手にとって適切な距離感を保てるようになったと思います。(少し距離を取りすぎる傾向にあることは自戒) Log in to see more replies. Log in or sign up for ThreadsSee what people are talking about and join the conversation.Continue with Instagram
Log in with username instead