×

“開拓魂”を後世に…戦後 原生林を開拓した地区の『栗駒小学校耕英分校』、閉校跡地に記念碑(宮城・栗駒山)

2025年11月29日 9:00
“開拓魂”を後世に…戦後 原生林を開拓した地区の『栗駒小学校耕英分校』、閉校跡地に記念碑(宮城・栗駒山)

宮城・栗駒山の中腹にあった分校について、お伝えします。
戦後まもなく原生林を開拓し学校や生業を築いた地区の歴史を後世に残そうと、11月に分校跡地に記念碑が建てられました。

栗駒山麓にひらかれた栗原市の耕英地区。
原生林を切り拓いた場所に建てられたのが、栗駒小学校耕英分校でした。
2011年に閉校し、建物は2024年に解体されました。

2025年11月17日、その跡地に集まったのは卒業生です。
分校の歴史を後世に伝える記念碑が建てられました。

刻まれたのは、校歌です。

菅原昭夫さん
「校歌をよむことが耕英の歴史の振り返りになる、戦後入植しての苦労の形が表れている」

”峰はうるわし 栗駒の山ふところに 新しく郷土 開いた 親たちの苦労 思えば いまさらに耕英 われら 目がうるむ”

終戦直後の1947年、耕英地区を拓いたのは旧満州からの引き揚げ者など28人でした。

宮城県政ニュース)ここ耕英開拓地は、栗駒山の中腹に1100ヘクタールにわたって点在しております

自然の厳しさと貧しさに耐え、耕英地区の礎を築きました。

入植から約20年で、ようやく電気も通り400人が暮らすようになりました。

分校が開校したのは1951年。
子どもたちのために住民の力で建設しました。
最も多い時で80人が通いました。

数又さん
「友達もみんな兄弟・親戚関係みたいな感じで、人数も少なかったんでみんな知っているんで、集まると懐かしい感じがする所ですね」

卒業生の数又貞男さんは、耕英地区で父親が始めたイワナ養殖を継いでいます。
両親は入植して最初の頃、炭焼きやナメコ栽培などで生計を立て、3人の子どもを育てたそうです。

数又さん
「原木にナメコを植えて、学校に行く前にバケツでナメコをとりにいくとかね、そういうのもありましたね。子どもなんですけど」

栗駒山に生業を築いた両親。
いま数又さんは特産のイワナを使った店を営み、観光客に料理を提供しています。

あなたにおすすめ