気付いたら五百年前のフォンテーヌに居たので、水神を救おうと頑張りたいのだが……脳内で語り掛けてくるナニカがうるさい 作:たゆな
イツキ達が珍妙な姿をした妖怪を追い続けて数分──さざ波の音が響く海岸へと到着した。砂浜には足跡が一つとして存在せず、人通りが少ないということが窺える。
「夜の海岸怖ぇ。暗すぎて何も見えん」
『月明かりで辛うじて夢喰い獏を視界に捉えることができる……という具合ね』
整備された道から外れているこの場所には、屋外灯の光がほとんど届かない。彼の眼前でフワフワと浮いている珍妙な妖怪との距離が少しでも遠ざかれば、瞬く間に姿を見失ってしまうだろう。
『綺麗な月……懐かしいわ』
「稲妻のどこを見ても懐かしいって言ってるな。仕舞いには月まで……」
『フォンテーヌから見える月と稲妻から見える月は同じ……でも、故郷の景色はしっかりと記憶に刻まれているものよ。もし私がスメールで月を見上げれば、きっと彼女と同じ言葉を口にすると思うわ』
「まぁ……確かに。それはそうか」
暫く波打ち際を進んでいると──突然、妖怪の動きが止まった。
「……ちゅんッ!?」
「あ、ごめん」
よそ見をしていた為に歩く勢いを殺すタイミングが少し遅れたイツキによって、軽く突き飛ばされる可哀想な獏。
「ん、誰か居るのか?」
つい先ほどからイツキの耳に聞こえている微かな呼吸音。妖怪の姿は見失ってしまったが、暗闇に響くその音を頼りに足を進める。すると、ちょうど人が座れる程度の大きさをした平らな小岩が現れ──、
「……だ、大丈夫かッ!?」
その陰には──呼吸を荒らげながら、苦しみに頭を抑える女性が倒れていた。
「尋常じゃないくらい苦しそうだ。急いで城下町に行って医者を探さないと……」
『ええ、そうね。幸いイツキの身体はスタミナ切れの心配がない……最速で運べば間に合うはずよ』
突き飛ばされて姿を消していたいたはずの妖怪がいつの間にか、苦しむ彼女の頭上で忙しなく動き回っている。
「こんな重そうな症状……めちゃめちゃヤバい病気だったらどうしよう。この時代で直せるヤツいんのかな?」
イツキは足元に横たわっている女性へと視線を向けた。背中にはリュックを背負っているため、仕方なく膝裏を抱え──薄い緑みを帯びた青髪、その後頭部へと手を添える。
「──んぅ」
瞬間、薄く開いた瞼から覗く瞳と──目が合ってしまった。
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***
幾千もの伝説に登場する妖狐や、凛々しい天狗、人々に恐れられる鬼族に比べれば『夢喰い獏』は名こそ聞くものの、有名だとは到底言えない。
『百物語大会』の席であっても、夢喰い獏たちは決して注目されるような存在ではなく──片隅で静かに茶を飲んだり、他の妖怪とともに強者の雄弁に耳を傾けたり、あるいは”
「……うぅ、すごいなぁ」
──まだ幼獣であった頃、夢見月瑞希が宴会に参加する一番の楽しみは、こちらも当時は子狐の姿である──友人の八重神子が才能を余すところなく発揮する場面を見物することだった。
「む……有楽斎は初めに言っていたではないか、英雄は光の神とやらに無能だという診断が下されたと! どうして隠された力が発現するのじゃ?」
ぴょんっと狐斎宮の肩から、胡座を書く有楽斎の前まで跳ねる神子。
「ふぉっふぉっ……あまりに特別な力故に、神には見つける事ができなかったのじゃよ」
「後に現れた邪神とやらは感知しておったぞ……これでは英雄よりも光の神の方がよっぽど無能じゃ!」
そして子狐はもう一度、狐斎宮の肩に飛び乗った。
「ふぉっふぉっふぉ! しかし、それはのう──」
神子が”狐斎宮のお姉さん”の肩に乗って、有楽斎と三百回にもわたる議論を交わすところを見ていると──瑞希はいつの間にかいつもの何倍もの菓子を平らげてしまう。
「……うんうん、やっぱり神子はすごい!」
酔いが回った妖怪達の自慢話はいつしか、創作した物語の披露会となっていたが──彼女は相手の話の矛盾を見事に見つけてみせる神子の凄まじい思考力に、思わずうんうんと頷きながら、神子の言葉を丸覚えしたりもした。
「神子……おはよう!」
「ふわぁ……なんじゃ? このような朝っぱらから──瑞希か」
翌朝は決まってお隣の神子を訪ね、心を込めて用意した油揚げを軽くあくびをする神子の前に差し出す。昨晩、語り尽くせなかった話の続きをするために。
「う、あの……油揚げをどうぞ」
「……妾の好物まで用意して、また何か頼み事でもあるのか?」
「その……神子がとても素晴らしかったから、昨日の話の続きを……」
「ふむ……すぐに語ってやってもよいのじゃが、まずは──」
崇拝とも言えるその熱意に神子は内心引きながら、ふわふわの尻尾で優雅に顔の半分を隠し、話題を逸らした──『ラーメンでも食しにゆくか』と。
時には──烏大将の営むラーメン屋台の前で。
時には──影向山の南にある一番立派な櫻の木の枝の上で。
時には──夕日に照らされた浜辺で。
小さな狐と幼い夢喰い獏はいつも、一緒に色んなことを語り合い──夢の奥底に隠された秘密さえも、互いに分かち合う宝物となった。
しかし『
「神子、今日も油揚げを……」
いつものように油揚げを神子の前に差し出す──が、いつもとは違って神子は真剣な表情を浮かべている。
「瑞希……すまぬ、今日は──」
──神子様、狐斎宮様がお呼びです。
「ということじゃから……語り合うのはまた今度じゃ」
神子はそうやって少しの悲しみを孕ませながら──また……と、約束をする。瑞希とは違い、既に彼女が成長と共に背負わなければならなかったものは重すぎる任務だった。
神子と瑞希が相次いで術を会得し、人の姿に化けられるようになったばかりの頃。
「瑞希……おらぬか?」
「……あぁ、神子? おはよう、どうしたの?」
「ゆうべ見た夢の味が知りたいのじゃが……食べてみて妾に味を教えてくれぬか?」
今度は無邪気な神子が毎日のように瑞希の所へと訪ねていた。
「……ふふっ、今日も? いいよ」
だがそれも──凡人と同じように、生活の波に押し流され、二人の交流は次第に減っていった。
その後、神子は狐斎宮の指導の下──奥深い妖術の修行に身を投じた。鳴神大社の巫女たちに囲まれて宮司の八百八十条の規則を読み上げ、大妖怪の間を行き来しながら、白辰狐王の血統を継ぐ新星として、妖怪の世界における一族の地位を確固たるものにしたのである。
神子の世界は、いつか瑞希と共に眺めていた遠い海のように、波乱万丈で変化に満ちたものだった。危険と挑戦は至る所に潜み、変数とチャンスを待ち構えていた。
「瑞希ちゃん、少し手を貸しておくれ!」
「は〜い!」
一方、瑞希は静かで穏やかな生活を送っていた。一族と共に農業や織物によって生計を立て、決まった時間に外を巡回しては、助けを求める人々のために悪夢を喰う日々。
それは小川が流れ込む湖のように静かで、いささか味気のない日々であった。
やがて二人が外で戯れる時間は更に減り、月に一度共に過ごすという約束さえも叶えるのが難しくなる。それでも瑞希は残念だとは感じなかった。
「神子! その……今日も頑張って!」
「……ふふっ、汝こそ」
朝、共に出掛ける束の間の時間……瑞希が油揚げを差し出すと、神子は親友だけに見せる心からの笑顔をこちらに向けてくれるから。
瑞希は自覚している──神子が背負っている責任の十分の一も、自分には背負えないだろう。神子のそばに並んで歩いているだけで、周りからの視線に圧倒されてしまうほどなのだから。
──静かで目立たない脇役でいい。神子が必要な時に安らぎを与えられるなら、それで満足……そう思っていた。
だが、穏やかな日々は続かなかった。
──あの日、土砂崩れのごとく襲来した漆黒の災厄。妖怪も凡人も邪悪な力に呑み込まれ、島々には絶望の慟哭が響き渡っていた。
戦いが不得手な夢喰い獏たちは逃げる他なく、災厄の目が届かぬ隅へと慌てて身を隠した。
やがて将軍の手によって最後の脅威が斬り除かれた後、未だ冷めやらぬ恐怖を抱えながら戻ってきた瑞希達が見たのは──
「何……これ」
──廃墟へと変わり果てた故郷であった。
「神子……神子ッ!」
瑞希は無我夢中で友人を探し回った。行く先々で絶望に満ちた別れの場面が目に入りつつも、彼女は止まることなく駆け抜ける。
やっとのことで、神子のお隣さんである狐斎宮のお姉さんの住み処にまで足を延ばし──そして遂に、友人を見つけた。
「よ、よかった! 神子、無事だったん──」
目に飛び込んできたのは青白い顔に微かに涙の痕を残した神子の姿だった。彼女は光を失った瞳で、枯れかけた神櫻に頭を下げ、祈りを捧げていた。
──そこに狐斎宮のお姉さんの姿はなかった。
その後、準備も整わないまま彼女はすべての責任をその身に背負うこととなり、瑞希がよく知っていた神子は──あちこちから尊敬を集める『八重宮司』となったのである。
そして毎朝共に出掛ける日々も、ついに終わりを迎えた。
──鳴神大社の復興作業は山積みで、神子は神社に缶詰状態となってしまったのだ。
一方、夢喰い獏たちも殺到する依頼に慌ただしい日々を過ごしていた。戦火が通り過ぎた稲妻は、心身ともに深く傷ついた者だらけだったからだ。
災厄は一時的に退けられたものの、恐怖の記憶は妖怪や人間の脳裏を離れず、夢の奥底にまで根を張った。その記憶は毎晩のように恐怖を呼び起こし、主の意志を蝕んだ。
それはあまりに強烈で、夢喰い獏の長老でさえ処理しきれないほどだった。何人かの幕府の兵士の悪夢を処理した後、長老はいよいよ倒れ、昏睡状態に陥ってしまった。
数か月もの時を経て、何とか長老は目を覚ましたが、過労がたたり、引退を余儀なくされる。
無名だった夢見月瑞希が、頭角を現しはじめたのはこの頃だ。被災者の意識の中から漆黒の猛毒を引きずり出すのは、刀に切り裂かれ、炎に焼かれるような痛みを伴う行為だが、幸い半年近くも昏睡し続けるような事態は免れた。
そんな瑞希の存在は、被災者にとっての希望だった。瑞希は皆の心から悪夢の苦しみを取り除き、ふらつく身体を支えて帰って来ては、静かな場所で独り苦痛を落ち着かせて過ごした。
あるいはこの頃が彼女にとって一番苦しい時期だったかもしれない。長らく被災者と苦痛をともにし、黒に紫が混じったような闇がいつまでも目の前に広がっていた。それはまるで傷口から流れ出す血のように、溢れて止まらなかった。
そんな時でさえ、瑞希は心の奥にいつも親友の姿を描いていた。もう耐えられないと感じても『あの櫻の色を想えば理性が呼び戻される』と。
「神子は宮司として将軍に協力し、現実の問題を解決する責任を負っている……なら、あたしはみんなの心を癒すという責任を果たそう!」
そうして自分を奮い立たせながら、仕事に没頭し続けた。
だが、人々の悪夢を処理する日々を過ごしていると──ふと精神がそれらに引き寄せられてしまう時がある。
──そして、思い出すのだ。
青白い顔で絶望の表情を浮かべるだけの神子が、ひたすらに神櫻へと祈りを捧げる姿。そしてそれをただ見つめることしか出来なかった自分──その
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(今のは──彼女の記憶……か?)
『やっと意識が……良かったわ』
『貴方が急に気を失うだなんて……一体、何があったの?』
(いや、俺にも何が何だか……)
いつの間にか失っていた意識を取り戻したイツキだが、何やら後頭部に感じる柔らかさが動こうとする彼の気力を奪う。
「えっと……こんばんは」
イツキが目を開けると、自身の顔を覗く女性が見えた。その顔には何処か見覚えがあり──夢で見た少女と同一人物であるということを理解する。
「ねぇ、もしかして……見ちゃったのかな?」
「見てません……そして、オヤスミナサイ」
どうやら膝枕をされているということを無視して、再び眠るように目を瞑るイツキ。
「──夢喰い獏の
その言葉に身体を硬直させ、イツキは観念したようにゆっくりと瞼を開く。
「えっと……ゴメンナサイ」
「ふふっ、冗談だよ。むしろ、あたしを抱えたまま眠っちゃったキミを思い切り押し潰しちゃったから……謝るべきは多分、あたしの方かな。その──」
──ごめんね?
と、先ほどの苦しそうな姿は無かったかのように──彼女は微笑みながらそう言った。