気付いたら五百年前のフォンテーヌに居たので、水神を救おうと頑張りたいのだが……脳内で語り掛けてくるナニカがうるさい 作:たゆな
璃月”琉璃亭”──その店先では現在、一人の女性へ向けて情けなく土下座をしている男によって人集りが出来ている。
「──五十九万も肩代わりして頂いて、マジで助かりました! 後々、絶対にお返し致します!」
両手、両膝、額を地面に付けていた体勢から──四肢を伸ばし、うつ伏せ寝に移行するイツキ。
『……何をやっているの?』
(いいか眞……これは土下座をも超える究極奥義──土下寝だ。実際に使ったことはなかったが……凄まじく有用な技だと聞いてたから使ってみた!!)
『そう、なのね……良いんじゃない?』
──私が使う事は今後一切ないけど……と、心に秘める彼女を他所に、イツキはつま先をピンッと硬直させている。
「いえ、ですから……モラの返済に関してはもう──」
そんなイツキによる必死の申し出を、綺麗なセルリアンブルーの髪を持つ女性は慌てたように両手を振って断った。
「と、というか……公衆の面前でそのような格好──恥ずかしいのでやめてください!」
怒鳴り声が琉璃亭の店先に響く。しかし、鈴を転がすように透き通っているそれは”怒鳴り声”と表現するには美しすぎる女性の声だ。
『フォンテーヌで”土下寝”をやっていれば、かなり早くパレ・メルモニアへと行くことが出来たかもしれないわね』
(はぁ……マハちゃん。そうやって特巡隊に連行させるのが目的の行動を取らせようとするなよな)
『……自覚があるなら──まずその姿勢を止めなさいよ』
土下寝をやめて四つん這いの姿勢へと変わると、イツキの視界に──精巧に造られているのであろう女性物のヒールが映り込む。
「いやでも、それじゃ俺の気が収まらないんです……」
イツキの眼前に立つ女性──甘雨。彼女の髪は真ん中で自然に束ねられ、毛先が暗い色合いにフェードアウトしている。ヤギの角のような黒赤色の角が髪に沿って後ろに曲がっており、赤面しながらそう懇願する彼女と一緒にプルプルと震えていた。
「はぁ──いえ、本当に気にしないでください。帝君のお支払いを私が代わりにしただけですから」
「問題なのは……その
「──自身の心に燻る強い食欲に抗う、それが容易ではないということを私は知っています……同じ悩みを持つ者として手助けをさせてください」
『半……分?』
『イツキ? 貴方、さらりと嘘を……半分じゃなくて、七割よ』
(このくらい許してくれるだろ……
イツキは琉璃亭の入口扉へチラリと視線を向けた。彼の心情を汲みつつ、唯一この場を収めることが出来るはずの神は未だ、店内に居座っている。
──すまない、少し考えなければならない事が出来た。二人共、先に店を出ていてくれ。
会計後に彼がそんなことを言いながらイツキへと、何やら意味深なアイコンタクトをしてきた。状況を察したイツキは甘雨を連れて逸早く外へ出たのだ。
「それに……私の仕事は帝君との”契約”に従い──璃月の数多くの命に最大限の幸せをもたらすことですから」
「……俺、璃月の民じゃないですけど」
「ふふっ──それでも、ですよ」
ざわざわと煩い人集りをバックに、満面の笑みをイツキへと向ける甘雨。
(いや、良い人過ぎぃ。はぁ、どうせなら散々な罵詈雑言でも言われたかった! そうすりゃ大義名分を持ってして合法的にバックれられたのに、こんな対応をされたら……否が応でも邪なことを考えられなくなる)
『貴方……これだけのことをして貰っていて、まだそんな小狡いことを考えていたの?』
少し呆れたような魔神の指摘に、イツキは思わず一瞬だけ甘雨から目を逸らす。
(──さてと、鍾離が店の裏口から抜けるための交渉を終えるくらいの時間は稼げたかな)
『はぁ……ええ、十分だと思うわ』
『彼が私達と一緒に正面の入口から店を出ていたら……人集りのできた理由が”情けない男の土下寝”から”俗世に足を運んでくださった岩王帝君の優姿”に変わっていたでしょうね』
そんな事になれば、人集りの規模も──広場に少し集まる程度では済まなかっただろう……と、元草神の推論に同意を示すイツキ。
(仮に全員で裏口から出るとしても岩王帝君の姿のままでは璃月の民に見つかる。必然的に変身しないといけない訳だけど……あの場で鍾離の姿に戻るという選択は取れない)
『凡人とは違う時間を歩みながら、凡人と共に在り続けなければならない彼女にだけは──凡人として街を歩く時の姿を知られる訳にはいかないのね』
(ああ。鍾離という人間の正体が岩神モラクスであると知ってしまえば……その姿を見かける度に何かしら助けようとしちゃうし、反応も変わる。普通の人間ではなく”璃月七星の半仙秘書”とかいう大物が敬う人間を一般人だと認識できるやつはいるのかって話でもあるな。だからまぁ、変身する為には一度別れないと……ん?)
『……どうしたの?』
(鍾離って色んな姿になれるんだろ? 適当に姿が知られていない動物にでも変身して出ていってくれれば、甘雨に知られていても問題ないよな)
『たしかに』
深く思考すべく──人の店の前で、人通りの多い道のど真ん中で、目を瞑り腕を組み始めるイツキ。
「あ、あの……イツキさん?」
甘雨は話しかけても反応が無い彼の様子から──このままでは通行人の邪魔になってしまう……と、押せば勝手に足が出るイツキをそそくさと道の端に押し運ぶ。
(ふむ。俺はてっきり”少し考えなければならない事が出来た”ってのが甘雨の目から逃れる為の言い訳かと思ってたけど……本当に考え事をしに行った可能性が出てきたな)
『そうかしら? 他人と接するために必要な能力が乏しい者同士の甘雨ちゃんとイツキを二人きりにするという、ただのイタズラではなくて?』
(え、嘘だろ眞……俺ってわりと知ってるキャラに対してはコミュ強な雰囲気を醸し出せてると思ってたんだけど……バレてんの?)
『今回に関してで言えば……少なくとも、まともな人間の接し方では……ないんじゃないかしら?』
(眞が虐めてくる……マハちゃん助けて!)
『それは……そうね』
(マジかよ)
ショックから真顔になるイツキ。
「あ、あの〜……」
「あ、はい! 何でしょうか!」
「先ほどから話し掛けてはいたのですが、何やら考え事に忙しいようで……」
「あ〜……甘雨さんが良い人過ぎて、何としても恩を返したいなと思ってまして。その方法を……ね!」
そんな事を宣いながら、一見──心の底からの笑みと思えるような表情を彼女へ向ける。
『──どうせなら散々な罵詈雑言でも言われて、大義名分を持ってしてバックれたかった……だなんて言っていたのは何処の誰だったかしらね』
イツキは──脳内で響く眞の独り言によって、甘雨へ向けていたその笑顔を引き攣らせた。心の底からの笑みは、瞬く間に苦笑いへと変わる。
「それほどまでに恩を返したいと仰るのであれば、そうですね……」
甘雨は少し考え込むように視線を落とし、それから意を決したように口を開いた。
「イツキさん、貴方は……稲妻へ向かうご予定があるんですよね?」
「ありますけど……何処でそれを?」
「たしか──これでお前が稲妻へと渡る為の資金が尽きる心配はしなくてもいいだろう……と、琉璃亭で帝君がイツキさんへ向けて口にしていたのを耳にしました」
(あ〜、そんな事も言ってたかな)
『自己嫌悪で蹲っていたにも関わらず、しっかりと会話を聞いていたのかしら……凄いわね、彼女』
「そこで、もしよろしければお仕事をお願いしても……?」
「仕事?」
突然の話にイツキは首を傾げる。すると甘雨は少し申し訳なさそうな表情を浮かべながら話を続けた。
「……鳴神大社に、美味しい油揚げを作るための”大豆”を搬送して頂けませんか?」
「だ、大豆……」
(てか、美味しい油揚げて……表現がふわっとし過ぎ──油揚げだけにねッ!)
『……イツキ、うるさいわよ』
「実は以前、鳴神大社の宮司である八重神子様に新鮮なウミレイシを送って頂いたことがあり……そのお礼にと、お揚げの生地を送ったのですが……」
何やら話しづらそうに視線を逸らしながら、チョンチョンと手の指を胸の前で合わせる仕草をする甘雨。
「もしかして、崩れちゃった……とか?」
「はい……お揚げの生地──揚げ地は、普通の豆腐よりも少し堅めに作られているので、長距離の輸送にも耐えられると思っていたのですが……どうやら考えが足りなかったようで。であれば、原料である大豆を送ればいいのではないか、と!」
「え、えーっと……?」
「稲妻へ向かう船に乗せても、崩れる心配はなく……そのまま食べても美味しい……これならば問題ありません」
(大豆をそのまま食べて美味しいとか言えるのは、菜食主義の貴女だけだと思うんですが)
『突然、大量の大豆を届けられるなんてことになれば……鳴神大社の者達の頭は困惑でいっぱいになるでしょうね』
イツキの脳裏に、不敵な笑みと桃色の髪が印象的なあの妖狐が浮かぶ。
稲妻にある鳴神大社の宮司であり、雷電将軍とも親しい存在。あの食えない性格といい、恐るべき観察眼といい、イツキからすれば──
(八重神子か……まぁ一旦大豆をまんま送ってみて、突き返されたら……死ぬ気で豆腐屋探して、揚げ地製造しまくるか。金払えばやってくれんのかな? 無理なら……弟子にでもなって学ぶしかねぇ)
『フォンテーヌでは特巡隊兼マレショーセ・ファントムを生業としているのに、稲妻では豆腐屋……笑えるわね』
(そんな事を言うなら、せめて笑いながらで頼む)
既に萎え気味のイツキを余計な一言でさらに萎えさせる元草神。
『……神子? 油揚げが大好きな、桃色の小さな狐だった……あの?』
(そうだぞ。その神子だ)
『驚いたわ。人の姿に化けられるようになってからの彼女が、私の
(その修行の結果、無事宮司になれたってことだな)
『前任の宮司だった狐斎宮──彼女はまだ、引退するほどの年齢ではなかったはずだけど……』
(妖怪の基準は分からないから判断できん……普通に神子の才能が開花しまくったとかじゃないか? 知らんけど)
『そう、なのかしら……』
あまり眞に
「つまり……甘雨さんがその大豆を用意してくれる代わりに、俺が運び屋をするってことですかね?」
「はい。お手数をおかけしますが……どうしても恩を返したい、というのであれば」
「まぁ、借金を抱えるよりは運び屋の方が気が楽かな……」
「では、お願いできますか?」
「……もちろん、喜んでやらせて頂きます」
「ありがとうございます!」
甘雨がホッとしたように微笑む。
──それを視界に映しながら、イツキはふと考える。
脳内の彼女に知られないように、まだ失われた旧友の事を知らない眞に知られないように。
このまま無事に稲妻へ到着したとして、大豆を届けに鳴神大社へと赴けば……眞は──狐斎宮が既に死んでしまっているという事に気が付いてしまう。
漆黒の災厄の直後は鳴神大社の復興作業が山積みで、八重神子は神社に缶詰状態になってしまうほどに忙しい状況となっていた。仕事に没頭することで、一時的には忘れることのできたかもしれない──
エピクレシス歌劇場にて、フリーナが神を演じているという実態へ気が付くほどに目聡い眞はイツキが何かを
しかし隠そうとしている事が、蓋をしようとしている理由が──”狐斎宮が死んでしまった”からだと気が付かせるにはまだ早い。
イツキには傷付いた彼女を癒せるだけの力も、慰めの言葉を思いつくだけの頭もないのだ。
人間も妖怪も神も、心があって感情がある。もしも眞が心の病を患ってしまったら──
『──イツキ、璃月七星の秘書が気まずそうな顔をしているわよ』
元草神の一声で、思考の負のループに陥りそうになっていたイツキの意識が帰る。
(……無駄な知識があるせいで余計な事を考えちゃうな。続きは稲妻に渡ってからにしよう)
『その余計な事というのが何の事かは分からないけど……そうね! はぁ……これで久しぶりに稲妻へ帰れるわ』
「……じゃ、じゃあ、まずは大豆を受け取らないとっすね。どこで受け取ればいいですか?」
「いえ! こちらで手配しておきますので、明日の朝……港にいる私の部下に自身の名前を言うのと一緒に、この書状を渡してください」
甘雨の手から、見るだけで頭が痛くなるほどの文章が書かれた紙を渡されるイツキ。直ぐに読むのをやめた
「あ、了解っす」
こうして、イツキの”借金返済”は璃月から稲妻への”運び屋業務”へと形を変えることとなった。