読み切りライトノベル
『東京地裁のベンチプレス台(法廷)で、俺の弁護士バッジが荷重(ウエイト)に耐えきれず粉砕骨折した件』
東京地方裁判所、民事第9部。
そこは、言葉という名の拳が飛び交うリングだ。だが今の俺、豪徳寺 "バルク" 剛にとって、ここは断頭台(ギロチン・プレス)にしか見えない。
「(……帰りたい。今すぐ帰って、上腕二頭筋に感謝の言葉を囁きたい)」
俺の鋼鉄の大胸筋が、法衣(ローブ)の下で怯えて震えている。小刻みなバイブレーションだ。
なぜなら、相手方――あの『意見書 Ver.7』を送りつけてきた「おきよ」側の代理人が、涼しい顔で核兵器級の証拠をプロジェクターに投影したからだ。
裁判官が、死んだ魚のような目で俺を見た。
「……えー、原告代理人(俺のことだ)。確認ですが」
裁判官が指し棒でスクリーンを叩く。そこには、俺の依頼人が作成した、あの悪夢のサムネイルが映し出されていた。
『豪徳寺弁護士から連絡あり。クレジットカード情報も開示請求を行うとのことです』
裁判官「……貴職は、発信者情報開示請求において、クレジットカード情報が開示されるという、独自の法解釈をお持ちなのですか?」
「(ちげぇぇぇぇぇ!! 冤罪だ! 俺はそんな『法学部の教科書を焚き火にくべた』ような解釈持ってねぇ!!)」
俺は心の中で絶叫し、有酸素運動(カーディオ)並みの脂汗を流しながら立ち上がった。
「い、いいえ裁判長! それは……その……依頼人の、いささか情熱的すぎる表現のあや(アーティスティック・ライセンス)であり……!!」
苦しい。スクワットで200kg担いだまま、足の小指をタンスの角にぶつけた時より苦しい。
相手方の代理人が、ここで追撃のジャブを放つ。
「裁判長。被告(回答者)が原告を『知識は幼稚園児レベル』と評した件ですが、このサムネイルを見る限り、幼稚園児に対する侮辱ではないかと懸念しております。幼稚園児でも、クレカ番号が魔法のように飛び出てくるとは考えません」
「ぶふっ!!」
俺は思わず吹き出した。
待て、笑うな。耐えろ腹直筋。確かにその通りだ。今の反論は、ロジックの切れ味が鋭すぎて、もはや感動すら覚える。
だが、地獄はここからが本番(メインセット)だった。
相手方「さらに、証拠甲3号を提出します」
スクリーンが切り替わる。映し出されたのは、黒背景に赤文字のテロップ。
『ももちゃんと同じように相手の本名と事件番号を公開します』
法廷の空気が、絶対零度まで凍りついた。
裁判官の眉間のシワが、グランドキャニオンのように深くなる。
裁判官「……原告代理人。これは、どういう意図ですか? 司法手続きによって得た情報を、私的制裁(リンチ)に用いるという、犯行予告に見えますが」
「(……終わった。俺のライフはもうゼロよ♡)」
俺は天井を仰いだ。
これ、弁護だなんてレベルじゃねえ。
俺は今、「全身に爆弾を巻き付けて『起爆スイッチ』を連打している依頼人」の隣で、必死に「彼は平和主義者です!」と叫んでいるピエロだ。
俺の脳内で、依頼人への怒りが筋肉痛のように遅れてやってくる。
お前な、「事件番号公開します」ってなんだよ!
それ、俺の名前もセットで晒されるってことじゃねーか! 俺のキャリアまで道連れにデッドリフトする気か!?
相手方「以上のように、本件請求は『権利の濫用』であり、司法制度を悪用したスラップ(恫喝)です。例えるなら、暴走ダンプカーがスプーン一杯の砂利に激突しているようなものです」
出た。「ダンプカー理論」。
あの意見書にあったキラーフレーズだ。
俺の依頼人はダンプカー。しかもブレーキが壊れていて、荷台には「違法性」という名の産業廃棄物が満載。
裁判官「……原告代理人、反論は?」
俺は立ち上がろうとした。
だが、膝が笑っていた。レッグ・プレスのやりすぎではない。「敗北」という重力が、俺を椅子に縫い付けているのだ。
反論? できるわけがない。
「はい、私の依頼人は嘘つきで、法律無視の暴走車で、ついでに私をダシにしてデマを拡散しましたが、名誉は守ってください」なんて言えるか!
そんなことを言ったら、弁護士会から除名処分(レッドカード)だ!
「……て、撤退……」
俺の口から、蚊の鳴くような声が漏れた。
裁判官「はい?」
「て、手続的な……検討を要するため……き、期日の延期を……!」
俺は逃げた。
法廷という名のジムから、無様なフォームで逃げ出した。
背後から、裁判官の「呆れ」と、相手方の「冷笑」が、バーベルプレートのように投げつけられるのを感じながら。
(……プロテインだ。事務所に帰ったら、ホエイプロテインを致死量飲む。そして記憶を筋肉に変換して忘れるんだ……!)
その日、東京地裁の廊下を、涙目で全力疾走するマッチョな弁護士の姿が目撃されたという。
彼の背中(広背筋)は、かつてないほど小さく萎んで見えた。