ドカッと、いつも愛用するソファに腰を落とす。我が家は壁が薄く、ちょっとした物音も家中に響く。だから少し慎重に動かなくては、2階で眠る妹の安眠を妨害しかねない危険があったが、そんなことも気が回らないほど、アキラは考えに耽っていた。頭の中をいろんなことが巡り巡る。そうして言葉として出力されるのは、ここ数時間にわたって一言だけであった。
「はぁ……」
まるで恋に悩む女子高生のような悩ましいため息だ。しかし、ため息に対して、アキラの心中は複雑だ。自分もプロキシとして、違法行為をしてきた。その中で残酷な現実に直面した事もある。決して今あるものがこれからもあると限らない、そう考えてきた。だが今回自身に齎された情報はあまりに劇薬だ。自分達が、この街で過ごしてきた日々の裏で、こんなにも残酷な事が行われていた事実に、少なからず罪悪感や、後悔のようなものがある。
「……わかってるさ」
自分が居れば何か変わったなんて驕りにすぎない。それでも、何かできたのではないかという、良心の呵責だ。この事を、妹にはまだ話していない。こんな重い物を、持たせたくないという兄としての矜持か、それとも意地か。なんにせよ、吐き出す先もなく、ただ悩むアキラの口から出るのはため息だけだった。ただ、劇薬だったこの情報は、ある一つの道も示していた。
へーリオス研究所。僕らの育った『家』だ。旧都陥落を経て、今は亡き我が家。そして、親であった『先生』
あの時、先生を連れ去ったモノ。それはこの情報と繋がっていると直感している。避けては通れない道だと。
『あー!また負けたんですけどー!』
『これでfairyの勝利数が二桁を突破しました、まだやりますか?』
『はぁ!?やってやりますよこの野郎!!!』
我が家のパソコンから聞こえてくる騒がしい会話に思考に耽っていた意識が現実へと戻ってくる。何事かと見てみれば、パソコンのディスプレイ上にふわふわと浮く少女の姿があった。
「えーっと、どちら様かな?」
思わずそんな風に尋ねてしまった。しまった、この場合はタチの悪いウィルスでも疑うべきだった。
『よくぞ尋ねてくれました!私、フィランソロピー所属の天才電脳少女エネちゃんと申します!エネと呼んでくださいね!』
『fairyにチェスで負け越して二桁を突破しました、とマスターにこっそり告げ口します。こんなので天才とは、と疑問を呈します』
いつになくfairyが毒舌である。こちらとしては突然の事に分かったフリをして愛想笑いをするしかない。
『はーっ!?適材適所って言葉を知らねーんですかこのAIは!私なら独立したネットワークだろうとハックできますしぃ?フィランソロピーのネットワークに侵入もままならなかった奴が何か言ってますねーっ!?』
ghostかyoukai、Jinniでも掛かってこーい!と喚く少女はディスプレイの中で手足をバタバタと動かしている。うーん、同じAIでもここまで違うのは、製作者による個性の違い、なのだろうか?
『異議あり、fairyと推定電子生命体と思われるエネとはアプローチが違うと申告します。具体的には、機械的か生体的か、その違いによる差違です』
「まった、電子生命体だって?」
サラッととんでもない情報を出さないでほしい。ただでさえあまりの情報量に悩んでいると言うのに。
『あぁ、私は元人間ですからねー。ま、肉体なんてそれこそ10年も前に亡くなってますが』
なんて事ないように話すエネは、ふわふわと浮いている。
『ってそんな事はどうでもいいんですよ!私がお邪魔したのはアキラさんがすんごーく、お悩みだと思ってですね?』
ハイテンションで話を続ける少女の表情はまるで百面相の如くコロコロと変わる。
「そうかい?そんな素ぶりを見せたつもりは無かったんだけどね……」
『マスターがソファに座って、既に2時間が経過しています。その言葉に信憑性は薄いです』
図星である。これにはあはは、と誤魔化して笑う他なかった。
『そうですねぇ……どんな悩みかはある程度推測できるんですけどね。アキラさん、貴方はいい人です』
突然褒められてしまった。面と向かってそんな事を言われる事など無かったから、こそばゆいというか、なんというか。少々恥ずかしさがある。
『もしその場に自分がいたなら、と考えずにはいられない。そんな善性の人。ケルシー女史も言葉にはしないでしょうが、そう言う人だから話したんだと思いますよ?』
そうだろうか。たまたま、自分があの場に居て、そんな事実に触れる機会があっただけなんじゃないだろうか。
『これは知り合いの言葉ですが、人が人を助けられる範囲は決まってるんです。助けられるのは、直接手が届く範囲だけ』
それでも手をすり抜けていくものは多い。誰が悪いわけでもない、誰もが助けようとしても助けられないものがある。
『だから、私達は集まったんです。素性も何もかもバラバラだけど、何処までも届く手が欲しくて』
手が届くのに伸ばさなかったら、死ぬほど後悔する。だから手を伸ばすのだと。エネは言う。
『だから貴方は、思うがままに動けば良い。これから先、貴方は沢山の人と出会い、沢山のものを掬い上げるでしょう。当然、そこにはすり抜けるものもあるでしょう』
あの時出会えたなら、あの時助けられたなら、そんなただ間が悪かっただけの瞬間が。
『そんな時の為に私達がいます。誰1人置いて行かない。皆で前に進める様に』
だから、迷わないで。エネは神託を告げる聖者みたいな笑みで言った。
コンコン、と来訪を告げる軽いノックの音。返事を待たず入って来たのは、我が社の医療主任を務めているケルシーだ。
「報告があって来た」
彼女らしい、端的な言葉で渡されるのは、報告書だ。無愛想に見える無表情だが、その目の隈は酷く、向けられる目はそのまま眠りにつきそうなほど細い。苦笑しつつ、その報告書に目を落とす。これは……
「結論から話そう。サクリファイスを人間に戻すのは今の段階では不可能だ」
残酷な事実だ。少なからず計画として算段に入れていた安室は額を抑える。既に大幅な修正を求められている中で、この報告は痛かった。
「サクリファイスにされた人間の細胞は隅々までエーテルに侵され置換されている。そうだな、熱中症は知っているだろう?体内の水分が失われ、冷却機能を失った体に熱を溜め込み発症する……時に死亡のリスクもある普遍的な病状だな」
この世界はともかく、以前転生者達がいた世界ではよく聞かれた話だ。
「正確には、逃しきれない熱によって体内のタンパク質が変性し、脳など臓器不全を起こすわけだが」
サクリファイス化は、タンパク質の変性のそれとよく似ているとケルシーは説明する。
「もっとわかりやすい例を挙げるなら、ゆで卵を生卵に戻す事は出来ないだろう?」
生卵からゆで卵は出来ても、その逆は出来ない。サクリファイスもそれと同様に出来ないのだと言う。
「もっとも、雲嶽山の宗主やアキラやリンがしていたようなエーテルを吸収するようなアプローチなら話が変わる可能性はある。だから現段階では不可能と結論つけた。後は報告書を読めば良い」
「…………」
今、自分はちゃんと表情を作れているだろうか。自信がないが、こちらを見るケルシーの表情に心配するような色があるあたり、出来ていないかもしれない。
「……君が、私達転生者達を纏めている。計画も、君が発案だ」
「……ええ」
その過程で、幾人もの転生者が消えた。誰もが後悔はなかった。その最後には、後は頼むと我々に告げて消えていった。その重荷を背負うと決めたのは自分だ。
「その責任と向き合う君の重圧は私の仕事より遥かに重いものだ。気にするなとは言えない。だが……我々は仲間だ。君だけに重荷を背負わせるほど、人でなしな連中ではないぞ」
「そうですか……そうですね、もう少し、頼らせてもらいますよ」
これで全てに決着がつく、とは言えない。この計画が成功したところで、この世界に広がる悲しみを消す事はできない。それでも、この世界はまだまだやれるのだと証明する事はできる。世界に絶望するにはまだ早すぎて、急ぎすぎてもいけないのだから。
【ルール】
・自分の転生キャラになりきること(解釈違いを恐れるなかれ!)
・キャラ達の原作でやらない行動はできるだけ避けること
── アナハイム社 社内極秘資料 ──
文書番号:ANH-MED/AE-Σ-021
分類:極秘/社外持ち出し厳禁
件名:サクリファイス残存体組織を用いたエーテリアス化細胞の可逆性評価および制御薬剤試験報告
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1. 目的
本プロジェクトは、サクリファイス個体より採取された残存体組織を用い、
1. 人体細胞がエーテリアス様細胞へと変異する過程の可逆性の有無を検証すること
2. 変異後の細胞群に対し、選択的な死滅誘導を行う薬剤候補の有効性と安全域を評価すること
を主たる目的とする。
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2. 実験対象および概要
• 対象サンプル
• サクリファイス個体から回収された残存体組織
• 変異前ヒト由来細胞(対照群)
• 変異途中と推定される混在組織(ヒト細胞+エーテリアス様細胞のモザイク)
• 主な観察項目
• 細胞構造の経時的変化
• エーテル応答性・エーテル依存性の発現
• 変異細胞の可逆性(ヒト細胞への再転換)の有無
• 候補薬剤AE-Ω系投与による細胞死の誘導パターン
本資料では特に「可逆性の有無」と、「薬剤AE-Ω03(暫定名:リバース・カット)」に関する評価を記載する。
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3. 観察結果:エーテリアス化細胞の不可逆性
サクリファイス残存体組織に含まれる細胞を詳細に解析した結果、以下が確認された。
1. 構造的不可逆性
• 変異した細胞は、細胞骨格・膜構造・核構造のいずれにおいても、ヒト標準細胞とは異なる安定構造を形成している。
• 通常のヒト細胞が持つ可塑性(分化・脱分化)は失われ、**“エーテリアスという別種の安定相”**へ移行していると解釈するのが妥当。
2. 機能的不可逆性
• ヒト細胞で観測される代謝経路の一部は完全に消失し、代わりにエーテル環境下でのみ成立する異常代謝系が顕在化している。
• エーテル供給を断った場合も、細胞は“壊れながら死ぬ”だけで、ヒト細胞へ回帰する様子は認められなかった。
3. 例え:生卵とゆで卵の関係
• 本変異は、
• 「生卵(ヒト細胞)を加熱し、ゆで卵(エーテリアス化細胞)になった状態」
に類似している。
• 一度ゆで卵になった蛋白構造は、常温でいかなる操作を行っても元の生卵には戻らない。
• 同様に、エーテリアス化した細胞も “変異前のヒト細胞” には戻り得ない と結論づけられる。
以上の結果から、サクリファイス化=ヒト細胞の構造的・機能的な片道変換であり、完全な治癒(元の細胞へ戻すこと)は不可能 であると判断した。
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4. 開発方針の転換
当初の研究目的は「変異細胞の“治療的な”逆転換」であったが、
上記の通り、構造レベルでの不可逆性が明確になったため、方針を下記のように修正した。
• 旧方針:
• エーテリアス化細胞 → ヒト細胞へ再変換(“ゆで卵を生卵に戻す”試み)
• 新方針:
• エーテリアス化細胞を選択的に死滅させることで、
• 変異領域の拡大を防止
• 残存する正常細胞の再生を促す
• すなわち、
「元に戻すのではなく、“異物として切り離すことで患者を救う”」
という外科的発想に近いアプローチへ転換。
この方針変更により、治療コンセプトは
「治す」のではなく「変異部を“正しく壊す” ことで、全体としての状態を改善する」
へと再定義された。
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5. 薬剤 AE-Ω03(暫定名:リバース・カット)の概要
• 目的:
• エーテリアス化細胞を選択的かつ集中的に死滅させることで、変異の進行を停止・縮小させる。
• 作用コンセプト(概念レベル):
• エーテリアス化細胞が獲得している異常なエーテル代謝経路に依存して、その細胞だけが暴走・自己崩壊を起こすよう誘導。
• 正常なヒト細胞が利用しない“エーテル特有のスイッチ”にのみ反応する設計思想。
• 結果として、
• 変異細胞は内部から自己崩壊
• 正常細胞は可能な限り温存
注意点
• “ゆで卵を生卵に戻す”ことはできない以上、失われた組織は戻らない。
• しかし、変異領域を削り取ることで 「これ以上の悪化を止める」 ことは可能。正常な細胞すらも巻き込んで破壊しかねない強力さ故にガン治療薬にも似た副作用が発生すると予想される。
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6. 結論
1. サクリファイス化に伴う細胞変異は「不可逆」である
• 生卵 → ゆで卵 の例えに近く、構造および機能レベルで元のヒト細胞には戻らない。
2. “治す”とは、元に戻すことではなく「正しく壊すこと」である
• 我々が到達し得たのは、“原状回復”ではなく “進行の停止と切除” という形での「治療」である。
3. 薬剤 AE-Ω03(リバース・カット)は、上記コンセプトを満たす初の実用段階候補である
• エーテリアス化細胞を選択的に死滅させる“制御用ハサミ”として機能しうる。
• 臨床応用には追加検証が必要だが、「サクリファイス=救いがない」という定義を修正し得る第一歩と位置付けられる。
──追記 現段階でもサクリファイスに対する特効薬として作用する為、救済ではなく殲滅目的であればすぐに兵装として配備する事を推奨する。今までネームドで無ければ被害も想定されていたが、一般兵も対処が容易になると推測される。
作成者:アナハイム社 医療開発部 第三研究セクション
監修:ケルシー(医療主任)
承認:安室透(代表取締役社長)
※本資料の内容は、社外への一切の開示を禁ずる。
無断持ち出し・漏洩はニネヴェ級の災害リスクを惹起しうるものと見なす。