和歌を知らない私が、和歌の文化のようだと思った話
今の世の中、メッセージを直接送りあうことは容易だし、何か紹介したいものをリンク貼って広めるとかも、めちゃくちゃ容易にできる。
けど、それを敢えてせず、直接的なやり取りはせず、自分の土俵で伝えたいことを表現する。
絵も、歌も、本も。そういう世界だと思う。
そしてnoteも、そういうところがあるよな。と思ったらなんか嬉しく感じた話。
伝わる人には伝わる、という世界
伝わったら良いな。と思いながら、表現する。
その世界観がnoteにはあるなーと今日、ふと感じた。
それってほら、あの、和歌の世界みたいじゃない?と思った。
私は和歌の文化をほとんど知らないから、見当違いのことを言ってるかも知れない。
和歌の文化とは
■ 和歌は「名指ししない手紙」でのやり取り
平安時代の和歌は、
・個人名をはっきり書かない
・匂わせる
・誰宛てかは関係者だけがわかる
という、とても「奥ゆかしいコミュニケーション」であり、返歌(へんか)=和歌による返信でやり取りするのが基本
和歌について調べてみたら、やっぱりnoteっぽいな、と思った。
自分の思いを、自分の土俵で
先日、父方の祖母のお葬式があった。
100歳越えの大往生のおばあちゃんは、俳句を楽しむ人だった。
おばあちゃんとの思い出を語る父の話で、
「僕がお袋の腹に据えかねるような一言を言ってしまい、お袋はそのことについての文句を僕には直接言わず、後日俳句にしたためていた」というのがあった。
直接文句を言うのではなく、後で俳句に書かれてたのを父が目にした。してやられた感があった。というような話だったのだけど、
棺桶の中で眠るおばあちゃんを見ながら、「おばあちゃん、やるう」と思った。
和歌も俳句もごっちゃになっている私であるが、伝えたいことは自分の土俵で伝える、というのが、とても好きだなと思っている。
noteは、書くのも、読むのも、楽しい
誰かが何かを感じて、その人の土俵で表現するのを、読ませてもらい、私も、そうだ、そのことについて書こうと思って、また書く。
noteは、書くのも、読むのも楽しく、和歌の世界のようでもあるのかもな〜と思うと、なんだか嬉しかった、今日の夜でした。



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