何と言っても見かけです

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かつて、『人は見た目が9割』という本がヒットしたようですが、私は読んでいないので、中身は知らない。じつは、似たようなことは英国のオスカー・ワイルドが言っている。その人のすべては外観に現れており、それが見えなかったのは、見た人の眼力が不足していたのだ、というもの。

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英国は、自分が一生の3分の1ほどを過ごした場所なので、彼の国のニュースはくまなく目を通しているが、このところ人の顔がじつに興味深い。私なら絶対に近づきたくない顔の人がけっこう新聞紙上やニュースに出ている。

国中を敵に回しつつあるレイチェル・リーヴスとか、ディヴイッド・ラミーとか、「う~~~ん」と考え込んでしまう顔です。2人とも自身の税金のことで騒がれた。レイチェル・リーヴスは、リンクトインの自分の経歴に問題アリと言われた。それが今、英国の国家財政を危機的大借金状況に堕とし、さらに追加で大増税をしつつある。首相のスターマも私は顔を見ているだけで不愉快になってくる。スターマの糸を裏でひくトニー・ブレアもだんだん人間離れした感じになって来ている。

日本では顔を『おもて』と昔は言った。『こころが表へ出ているのが顔、つまりおもて』。

私の友人で、妻に『オレの人相が悪くなってきたら教えてくれ』と言っているのがいる。『人相が悪くなるようなことをやっているのか?』とツッコミを入れた(爆)。『いや、そうじゃなくって、医師だから、忙しくなって職業的にこなすようになって、冷酷な顔になったら困ると思うんだ。』と必死で弁明していた。

私の本に写真で出てもらった人に、最初に話をしたとき、『Yのほうが美人だから、Yに頼めばいいのに』と、2人の共通の友人の話が出た。『Yはねぇ、美人だけれど性格が悪いからな。写真には性格が出ると思うんだ。』と答えた。これは映画を観るとよくわかる。演技少な目、”地”の魅力が出ている人のほうが長続きする。

これは自然界で、蝶でも鳥でも、健康でキレイで、よい遺伝子を持っている個体に魅かれるというのは、まず絶対ある。人間ではかたちの良い手をつくるのと、左右のカタチがそろっている身体を作るのは、遺伝子的にたいへん難しいのだという。そこへ、その人の内面、教養、生きざまがおもてに出てくる。

さらに、服装にも、その人の社会的なもの、教養、美的なものなど、すべてが現れるだろう。身なりが小奇麗な人の家はきれいに片付いているに違いない。動物的に考えれば家は一族繁栄の”巣”ですから。

認知症がはじまってくるころ、『人からどう見られてもかまわない』ということで、身なりにかまわず、行動も自分のことを社会的に客観視できなくなってくるのだという。

森鴎外を当時なまで見かけた人の日記を読むと、森鴎外がたいへん立派な顔をしているということが書かれている。画家でもジョルジュ・ブラックはやはり立派な顔をしていた。実際、森鴎外はずいぶんドイツでモテたらしい。信長の時代の宣教師たちの日記を読むと、信長はじつにりりしく、秀吉は品が無く、海外からの連中に受けが悪かった。これは、歴史というのは、こうした些細なところで別れて動いてきたのかもしれないと思う。昔、美人のことを『傾城』などと日本では呼んだ。

顔に内面があらわれ、服装に趣味と教養があらわれ、私は自転車とかがその延長で来ると思う。拾ってきたようなものに乗っているのは、やはり、『事情があって、そうしたものにしか乗れない』と理解したほうがいい。高級であるとか安物であるとか、そういう区分ではない。

むかし、英国で、みごとなWW2より前の自転車が停まっていた。私もその時WW2より前の自転車に乗っていた。彼も私の自転車を見ていた。ひとしきり鉄馬の話で盛り上がり、別れ際に一言彼はこう言った。『お互い、こういう良いおもちゃを、何も知らない若造に渡すのはやめような。』

古い自転車の写真を見ていると、19世紀末の人物は、実に立派な顔をしている人たちが多い。当時、自分の生まれた村や町からほとんど出ることなく一生を終える人が多かった。その中で、自転車に乗って、はるか遠くまで乗って行って、見聞を広めようとしている人たちがいた。そのあたりの差が顔に出ているのではないかな?と思う。初期の英国の自転車にROVERというブランドがあったのは、当時の自転車の地位をよく表している。

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プロフィール

roughton

自然と調和して、自転車の上のEthicalな生活をして、健康長寿。

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