大体いつもツイストさ
一体どのくらいの人が踊るのだろう。
人前で踊る必要はない。家に一人でいる時に、音楽が流れる。別にそれはなんでもいい。見ていた動画から流れてもいいし、サブスクの音楽配信でもいい。とにかく音楽が流れ出して、踊り始めてしまう人はどのくらいいるのだろうか。
そのような経験はないだろうか?
誰しもあるのではないかと思っている。体が勝手に動き出して、ダンスと言ってもいいものになっていることが。それは決して恥ずかしいことではない。音楽には我々の体を自然と動かす、リズムを刻ませる力を持っている。
この時のダンスはなんだろう。
もちろん流れた音楽にもよると思うけれど、その人に潜在的にある踊りになるのではないだろうか。DNAに刻まれたダンスが人それぞれにあるのだ。先祖代々徳島の方はその踊りは阿波踊りに近いものになるかもしれないし、社交界生まれ社交界育ちならば社交ダンスになるだろうし、生まれて初めて口にしたものがバラならばフラメンコになると思う。あるいは目の前にカスタネットがあればフラメンコになるはずだ。
私も踊る。
人前で踊ることはないのだけれど、流れてきた音楽で、急に体がリズムを刻むことを求め、椅子から立ち上がり一人踊ってしまうことがある。それはもう抗うことはできない。リズムを刻まない選択肢はないし、刻み始めれば椅子を立ち上がることになる。
ツイストだ。
その際のダンスは私の場合はツイストとなる。両手を交互に走る時のように上から下に、前から後ろに動かし、足はどちらも床についたまま、回転させるように膝を動かす。そう、ツイストなのだ。やがて乗ってくるのと両手の肘を軽く曲げた状態で下に伸ばし、足は床につけたまま、片足ずつ膝だけを上げる。そう、ツイストなのだ。
やがてピースをする。
右手と左手で交互にピースをして、目元でスライドさせる。私の前の女も同じように動きをする。やがてクロールをする。手をクロールの動きにするのだ。これは私からの発案ではない。女性がそのような動きをしたので、私は合わせただけだ。
もっとも女性はいない。
仮想の女性だ。現実的には男が一人、汚く狭い部屋でツイストをしているだけだ。ツイスト以外の選択肢ない。体がツイストを欲している。砂漠で水を求めて彷徨う旅人のように体がツイストを求めているのだ。
ツイストの良い点は動きが比較的狭い範囲で行えることだ。しかも、足を床につけたままということが多いので、集合住宅でも騒音を気にする必要があまりない。そのような点からも、日本人こそツイストなのではないかと思う。
多くの人はどんなダンスなのだろう。
正直に言えば、映画「パルプ・フィクション」の影響を多大に受けて私はツイストを踊ってしまうのだろうけれど、他の人は何を踊るのだろか。そう考えながら私はまた踊ってしまう、そうツイストを。大体いつもツイストさ。



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