今日は、よくネットで議論になる「トランス女性の女性スペース利用」について、私の立場を改めて書きたいと思います。
- トランス女性が女性スペースを使うことに問題はない
- トランスヘイターの理屈は、むしろ男性の女性スペース利用を肯定している
- 「見た目で判断する」こと自体が差別
- 「性器」で判断するのは、もっと重大な人権侵害
- 正しい原則はシンプルです
トランス女性が女性スペースを使うことに問題はない
まず、はっきり言います。
トランス女性が女性スペースを使うことには何の問題もありません。
女性スペースとは、「女性である人」が安心して使うために存在する場所です。
そして、トランス女性はれっきとした女性です。
私たちは女性として生まれ、ただ身体の一部が社会的な「期待」と違っていただけです。
女性スペースを使うのは当然の権利であり、「特例」でも「譲歩」でもありません。
トランスヘイターの理屈は、むしろ男性の女性スペース利用を肯定している
不思議なことに、トランスヘイター(トランス排除を唱える人たち)の主張をそのまま適用すると、
「男性が女性スペースに入るべき」という結論になります。
なぜなら、彼らは「身体の見た目」で性別を決めようとするからです。
彼らの理論に従うなら、性自認が男性であっても、外見が女性らしいトランス男性は「女性トイレを使え」と言うことになります。
つまり――
トランスヘイターこそが、男性(トランス男性)の女性スペース利用を認めているのです。
一方で、女性であるトランス女性には「外見が男性的だから出て行け」と言う。
これほど矛盾した話はありません。
「見た目で判断する」こと自体が差別
そもそも、「見た目で判断する」こと自体がルッキズム(外見差別)です。
メイクや服装、体格、声――それらは多様であって当然です。
シスジェンダー(トランスでない)女性の中にも、いろんな見た目の人がいます。
それなのに、トランス女性だけが「見た目がこうだから女性ではない」と言われるのは、明らかに不平等です。
外見で性別を判断しようとする社会は、すべての女性を傷つけます。
それは、女性に「こうあるべき外見」を強要する社会でもあるからです。
「性器」で判断するのは、もっと重大な人権侵害
さらに、「性器の形で性別を判断する」という考え方は、もっと深刻な問題を含みます。
それは、個人のプライバシーの最も深い部分に踏み込む人権侵害です。
誰も、自分の身体の細部を証明書のように差し出して生きる義務などありません。
性器を基準に性別を判断するという発想は、
「女性は裸にされなければ女性と認められない」と言っているのと同じです。
それがどれほど侮辱的か、想像してみてください。
正しい原則はシンプルです
私たちの主張は、一貫してシンプルです。
女性スペースは、すべての女性のもの。
男性スペースは、すべての男性のもの。
これに例外はありません。
トランス女性は女性スペースを、
トランス男性は男性スペースを使うべきです。
それは「特別扱い」ではなく、平等の実現そのものです。
私たちが求めているのは、何かを「奪う」ことではありません。
誰もが、自分にふさわしい場所で生きることを「認め合う」ことです。
トランス女性も、シス女性も、
トランス男性も、シス男性も、
誰もが安心して自分の空間を使える社会。
それこそが、すべての人にとっての「安全」なのです。