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ミタマタケハヤ ─ 玄慈霊域伝 ─

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退魔師

 九 「くそ、道が」  和真が舌打ち。  前方二町先、川が流れているのだが橋が崩れてしまっている。 「なつめ、火蓑を抱いて飛べるか!?」  玄慈が問うと、なつめは頷いた。 「和真、俺の義手で渡ろう。あんた一人なら鉤縄も耐えられる」 「すまん、頼む」  すでにその谷は目の前。玄慈は義手を飛ばし、鉤縄を対岸の石柱にくくりつける。  右手で和真の手首を掴み、勢いよく鉤縄を巻き取った。  体が宙に浮く。なつめが火蓑を抱いて飛翔、直前のところでオオカブトが踏みとどまった。  谷底が見える──深さは、ゆうに三十三丈(およそ百メートル)。落ちれば命はない。  ばがん──と、嫌な音。  鉤縄は無事である──しかし。  石柱が、玄慈と和真の体重と勢いに耐えられず砕けたのだ。 「────!」玄慈は声にならない悲鳴をあげかけ、しかし諦めない。  咄嗟に玄慈は手首の予備鉤縄を飛ばして地面に引っ掛ける。和真もすぐに玄慈を手放し、独立して岩壁にしがみついた。 「危ねえ」和真は間一髪、息をついた。  二人は岩壁をよじ登り、どうにか対岸に這い上がった。  玄慈は義手を巻き取って嵌め直す。 「無茶をしますね……よかった」 「全く、ひやひやさせないで」  玄慈と和真は顔を見合わせた。 「悪い」「すまん」  これでどうにか危機は脱した──否。 「ぼうっとしている暇はないみたいですよ」  火蓑が指差した先。  オオカブトが翅を広げ、跳躍の姿勢を取っていたのである──。  ガンクツオオカブトの巨躯が宙を舞う。四人はその結末を見るまでもなく察し、西へ走り出した。  ごっ、ごごご、と岩を踏み締めて砕く、凄まじい音が響き渡る。同時に川面を叩く礫の落下音が連続した。  奴がこちら側に渡ってきたことは、続く走行音でわかる。  しつこい奴だ──。  なつめが札を振って、煙幕を発生させる。ガンクツオオカブトは視力がそこまでよくないが、代わりに振動を感知する触覚や、感覚毛を有する。  そしてなつめが発した煙幕は、獣狩が用いるものである──即ち、虫系の化獣(ばけもの)の感覚を欺瞞する効果を持っていた。  オオカブトは走る方向を見誤って壁に激突し、身を埋める。  だがすぐに瓦礫を振り落として、走り出した。  火蓑が、二町先の天井を指差す。 「あの鍾乳石を落とせませんか!」  玄慈は視線を上にやり、頷いた。 「まかせろ」  素早く矢を抜いて、そして矢柄に札を巻きつける。  背走りの格好で狙いをつけた。転ぶかもしれないし、もしそうなればおしまいだが──、  ──きっと、俺を見捨てたりしない。  その信頼が、弓を狙う手の震えを止めさせる。  ガンクツオオカブトが出鱈目に走り寄ってくる──玄慈は矢を放った。  (びょう)と飛んだ矢は、鍾乳石の根元に食い込んだ。そして札が炸裂、小さな衝撃波を巡らせて鍾乳石の根本を砕くと、落下させることに成功。  ごご、と鈍い音を立てて落下した鍾乳石がガンクツオオカブトに直撃した。  粉塵を舞い上げる中、それでも四人は止まらずに走り続ける。 「和真、流石にあれで──」 「いや死んでない。岩を掻き分けて這い出してくるまでの時を稼いだに過ぎん。離れて撒くぞ」  熟練の獣狩(ししがり)が言うのだ。そうに違いないのだろう。  そのとき、背後から「びり」と空気が震えるような気配がした。  何かが来る──そう思った刹那、横殴りの衝撃が四人を襲った。    〓  ガンクツオオカブト──その青みがかるように黒光する装甲殻が弾け飛び、緑色の体液が舞う。  岩壁に激突しようが、突き出た石に突進しようが悉くを粉砕してのけ、己はまるで無傷だったあの虫の王が、即死──。  それは石柱の落下が招いたモノではない。  なぜなら玄慈たちは、鍾乳石の方が砕けるのをしかとみていたのだ。そして、オオカブトはその瓦礫に埋もれ──次の瞬間、目に見えぬ張り手を喰らった瓦礫とオオカブトが、飴細工の如く吹っ飛んだのだ。  その余波を喰らった玄慈たちも吹き飛び、地面を転がる。  和真は頑健な体重と足腰で踏ん張りを利かせ、後ろへすっとんでいく玄慈の腕を掴み、助け起こす。  短く「すまん」と玄慈は言い、長巻を構えた。  火蓑は素早く体勢を立て直すが、飛んできた石片に「あっ」と声をあげ、その礫をなつめが杖で叩き落とした。 「大丈夫?」 「すみません、なつめ……しかし今のは」  もうもうと粉塵が舞う。  触角を二、三度痙攣させたガンクツオオカブトの巨大な頭を、ごつ、と蹴飛ばして現れる一人の男。  その、すでに死んで襲ってくることも抵抗することもない者を足蹴にする行いに、和真が明らかな悪感情を顔に浮かべた。 「いたいた……樹洞子(じゅどうのこの)桜暁殿(おうぎでん)玄慈(げんじ)。龍神……七神龍ククノカガチの子と? まことか?」  ククノカガチ──木木野(くくの)加々知(かがち)とも、茎野加々知とも書く──山木、野山、野畑の龍神である。  創世の三ツ神より生じた双龍神、アマツタツヒコとダイヂタツヒメの七つの子であり、玄慈球──その唯一大陸・和深(かずみ)における万物を創出した存在の一柱。  五行属性の木を宿し、風と雷を能う存在だ。 「なんだお前は」  玄慈は低く問う。  男は古風な狩衣を着込んでおり、頭には立烏帽子まで。右手には蝙蝠扇(かわほりおうぎ)。いかにもな風貌。  和真が「退魔師め」と吐き捨てた。 「腐れ外道、邪智暴虐たる妖怪どもに告ぐ。一度だけだ。黙って死ぬるがいい。俺は手間な仕事は好かん」 「黙って、死ねだと。ふざけ──」 「よせ、妖怪の鳴き声なんぞ聞いたら耳が腐れて落ちるわ。穢らわしい……」  玄慈はここまであからさまな汚物扱いを受けたのは初めてだった。  心が傷つくというのは、しかし──いや確かにその感情もある。尊厳を踏み躙られ、ここまで妖を馬鹿にされたのだ。けれど傷つくという方向性が違う。  例えばこれが、神仏に「汚いから湯を浴びてこい」と言われたなら、申し訳なさで顔が赤くなるだろう。  あるいは火蓑から「男臭いので水浴びを」と注意されれば、気恥ずかしさで鼻を鳴らすだろう。  しかし──この言い方、態度。  湧いてくるのは、赫然たる──憤怒だ。  玄慈は今にも飛び出しそうになり、しかし先んじて和真が矢を放った。  音さえ置き去りにせんばかりの速度。が、退魔師は容易くそれを弾いた。術の発動動作さえなかったが、確かに青白い膜が波打ち、矢を弾いてへし折ったのだ。 「ほう、結界にひびが……大した強弓よ。まこと妖怪とはけだものよな」  退魔師が左手を裾に引っ込めた。一瞬、指が曲がりくねり踊るように動くのが見える。  玄慈が「術を使う気だ!」と叫んだ刹那、轟然たる激震が突き抜ける。 「破魔の術、こいつ一つで足りるわ」  何かが来る──この激震と勘違いする現象は、あくまで妖力の熾り火に過ぎない──。  なつめが咄嗟に立ち塞がり、杖を突き立てて結界を張った。魔浪天狗道における「兵」の印相を結ぶ。 「〈梟天道智(きょうてんどうち)天狗防塁(てんぐぼうるい)〉」 「〈破魔一尽(はまいちじん)〉」  天狗式の防御術と、退魔師式の攻撃術が激突。  いわばそれは、楯と鉾の激突だ。貫かれるか、砕けるか。  洞窟内に激しい閃光と、轟音が連続。壁が抉れて弾け飛び、床が蜘蛛の巣のような形に捲れ上がっていく。  玄慈は、そして和真と火蓑はなつめの背中に手を添えて妖力を流し込む。 「あなたたち……!」 「負けるななつめ! あれだけの術だ、凌いだら俺と玄慈で一気に叩く!」 「ああ、うらなりの青瓢箪なんぞに負けるかよ!」 「凌いだら私がすぐに予備の結界術を張るので、もう少し辛抱です!」  なつめは仲間の言葉に口元を緩め──それも束の間、奥歯を砕かんばかりに噛み締め、貰い受けた妖力を燃やすように術へ回した。 「舐めるなよ、青二才が」 「隠居しろ、耄碌」  退魔師は以前余裕の表情。  が、その時であった。  頭部を失って死を待つばかりだったガンクツオオカブトの脚が、跳ねるようにして最後っ屁を放った。  退魔師の腰を打った蹴りが、破魔一尽を強制中断させたのだ。 「ぐ──このっ、死に体が!」 「今よ!」  若さゆえか、退魔師はオオカブトを蹴飛ばして怒り狂っている。ある程度経験と歳を経ていれば、冷静になれただろう──。  そこへ玄慈が斬りかかった。  が、退魔師は殺気を察するや否や右に転がって、蝙蝠扇を振る。これがまたただの扇ではなく、鉄でできた鉄扇であった。  長巻の刀身と打ち合わさると火花を散らし、斬撃を凌いで見せる。  二合目の剣戟は扇で、三合目は、いつのまにか左手で抜いた短剣で弾かれる。  距離が近いため、退魔師の面相もはきとした。 (……俺より、二つかそこら上なだけじゃないか?)  玄慈はそう思った。歳は、十六かそこらだろうか? 日の当たらない書院生活なのかどうかは知らぬが、肌は病的なほどに白く、また、髪も白い。  目はウサギのように赤く、筋肉で劣る分を膨大な妖力で補っている。  玄慈たちとは真逆だ。  己を含む山育ちの妖怪は、豊富な肉体能力を僅かな妖力で補助するか、もしくは肉体のみで戦うことが多い。  しかしこの男は身丈も低ければ体も細いが、それを、あふれんばかりの妖力で補強していた。  玄慈が腰に長巻を引いたのを見て、退魔師は何かを察したのだろう。  後ろへ下がりつつ、短剣を投擲。玄慈は突きでその短剣を落とすと、踏み込み、さらに突き。 「くそ」  退魔師は蝙蝠扇で突きをいなした。三度目の突きは首を振ってかわされ、四度目は身を開いて避けられ、──だが、玄慈は慌てず冷徹に五度目の突きを繰り出す。  その五度目はさしもの退魔師もかわしきれず。  刃が、肩を浅く切り裂いた。 「腐れ妖怪がッ──ああ、腕が腐る、腐る!」  どうも、本気でそう思っているらしい。  狂乱し慌てふためく退魔師は、迫る和真の矢に気づいていない。  強弓が喉を抉り潰す──そう確信した、次の瞬間。  割って入ったのは女。  やはり古式ゆかしい、水干に紅長袴。立烏帽子。男装の女だ。  その手で、矢をはっしと掴んで止めている。 「甘いですよ、時福(ときよし)」 「師匠──すみません……腕を、」 「こやつらを祓って禊ぎます。下がっていなさい」  女が凛と立つ。  身丈は五尺六寸(一六八センチ)ほどか。細身だが、筋肉が引き締まっているのが立ち姿でわかる。  歳は三十も半ばほどで、顔には場数を踏んできた故の自信と、やはり──妖怪に対する嘲りのような、憐憫のようなものを浮かべている。 「なんだその顔は、殺すぞ」  玄慈の猛然たる激憤を、しかし女は平然と流す。 「出来もせぬことを意気揚々とほざくのは、世間知らずの子供の特権ですね。そこは人間と変わりません」 「出来ぬかどうかは貴様の首で確かめてやる!」  玄慈は喝と叫んで突きを放った。  女は僅かに右斜めに全身。長巻をかわすと、玄慈の左頬に痛烈な掌打を叩き込む。 「がっ──」 「流石に頑丈な作り……これでは死にませんか」  脳が揺すぶられた──玄慈は、下肢から力を抜かれたのを感じる。否、己の体がいうことを聞かないのだ。  鳩尾へ手を添えた女が、「爆ぜておしまい」と囁き、直後玄慈の体が後ろへ引き摺られた。  和真が玄慈の母衣を掴んで引き倒していたのだ、代わりに彼は轟然と右拳を振るっている。  流石の女退魔師も、鬼の剛腕を受ける気はないらしい。  咄嗟に体を後ろへ飛ばすようにそっくり返らせて宙返りを打つと、和真の拳をかわす。  拳圧に打たれた女が、僅かにたたらを踏んだ。 「さがるぞ玄慈。分が悪い」 「相手は二人だ!」 「こっちは半人前が二人と妖力を半分も失った天狗、そして本領の武器を使えない鬼が一人。どうだ?」  ぐ、と玄慈は息を詰まらせた。  確かにその通りだ。  相手は一人が実質的な離脱とはいえ、もう一人は万全。  こちらは戦力半減どころではない──攻勢限界点に達しているほどの損害を受けている。 「わかった、くそ……」 「みすみす見逃すとでも?」女退魔師はゆるく拳を解きつつも、しかし、拳法の構えは解かない。 「互いに引かざるを得ん。そっちの若いのがやらかしたおかげでな」  和真は足下を示した。  微震──いや、これは。 「……時福、やり過ぎましたね」 「一撃で仕留めるべきだと思ったのです……」 「……我らが相討ち覚悟とは思わぬのですか」 「腰抜けの人間にそんなことができるかよ」  玄慈が、ここに来て同じ穴の狢になるようなことをし始める。  片や妖怪を嘲り、片やそれに煽られる始末。  和真は「乗るな馬鹿。走れ」と言って、玄慈の尻をばしりと叩いた。 「いった……!」「行け!」  和真が怒鳴ると、玄慈はその剣幕に負けて走り出した。前方には、すでに撤退に移るなつめと火蓑が見えている。 「……顔は覚えたぞ、人間。お前たちのしでかしたことも」 「なんだと外道ども!? 俺たちから親兄弟を、友を、愛おしき伴侶を──!」 「よさぬか時福! ……貴様らを討つのは人間。それをゆめ忘れるな」  時福と呼ばれた若い退魔師と、その師であろう女退魔師が去っていく。  和真は人間の傲慢さと傲岸に呆れ、ため息を吐きつつ、崩落が進む洞窟を駆け抜ける。  和真はしかし──短絡的ではない。  時福が最初に放った言葉と言動。 (玄慈を討つことを前提としていたな。龍神の子の出現は人間の界隈でも知れていると見ていいだろう)  しかし問題は──。 (龍神の子の出現が、俺たち妖怪にとって何を意味するのだ。人間にとっては凶事なのだろうが)  だからこそ、時福らは玄慈を討とうとしたのである。 (今は天海郷に逃れるしかない。人間どもめ)  和真は舌を打つ。  そして、玄慈が何かの大きな「御役目」を背負っていることを、強く実感した。  おそらくは己も、なつめも、火蓑も。 (生きる。皆で。生き延びてやる。意地汚くとも)  玄慈に追いつく。  若い少年もまた、その浅葱色の目に、力強い生の灯火を燃やしている。 「止まるな、玄慈」 「わかってる!」 「ならいい」  迫る崩落、それは、まるで山岳郷が上げる悲鳴のようにも感じられる。  四人が洞窟から飛び出して、なおも走って五間ほど進んだ時、背後で洞窟が崩れ落ち、その出入り口が完全に塞がれた。  吐き出される粉塵と土煙が、山そのものの吐血のようにも思える。  そのとき四人は見た。  天雷が、総本社を巡っているところを。そして、巨大な龍神が──天慈颶雅之毘売が本来の姿に戻り、怒り狂っているのが。 「いくわよ」  その後にどうなるかを察したように、なつめはその場をさることを選択した。  玄慈は最後に深く頭を下げる。  ──天慈颶雅之毘売の、悲痛な咆哮が轟いたのは、それから一刻ほどしてからのことだった。

弐ノ章 完

初回投稿日時:2025年11月23日 10:10

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