八
鬼賊村の麓から、およそ二〇〇騎もの騎馬軍勢が迫ってきていた。歩兵の数はその三倍。合計八〇〇もの軍勢である。
対するこちらは戦える城兵だけで三〇〇余り。数の上では極めて劣勢である。
「兵糧攻めじゃない! 力攻めだ!」
鐘楼に登って鐘をガンガン鳴らす男が、大声でそう怒鳴った。
玄慈と和真は急いで甲冑を身につけた。
玄慈の甲冑はこの鬼賊村での暮らしの中で一新されている。軽量かつ頑丈な、狂飆鋼と化獣素材の合板具足。
長巻は五行属性の中でも木の属性親和性の高い作りに強化し、腰には副武装の大小二本差し。
和真は大鎧を身につけて、頭部は角を出す加工を行っている総面の兜で守る。恐ろしげな鬼の面をした兜だった。
愛用の獣狩和弓を手に外に飛び出す彼を玄慈は追った。
外に出るとすでになつめと火蓑が支度を整えており、己たちが所属する備の集合場所に向かう。
備とは同じ甲冑や同じ色の母衣で隊の識別を行う一団のことである。
玄慈たちが所属する備は鉄藍備。鉄藍色の母衣を身につける一団である。
一団が一つ所に集まると、点呼を素早く行う。
「民が本丸に逃げるまでの時を稼ぐ。……それから、大霊山から通達だ。最上通達である」
大霊山からの最上通達とは、すなわち主祭神もしくは姫巫女からの通達──命令となる。
「樹洞子桜暁殿玄慈とその一行は戦線から離脱し、御神命を果たせ、と」
備の連中は何も言わなかったが、顔には「お前らだけ逃げるのか」という失望が浮かんでいたように思えた。
玄慈は「残って戦う」とそう言ったが、備の隊長は首を横に振った。
「ならん。山の抜け道を使って額狩岳を西に抜けろ。そのままずっと西へ走れば、三日目には郷境を越える」
「けど……」
なおも食い下がらんとする玄慈を、なつめが止めた。
「御神命に背くことになる。それでもいいというのなら止めはしないけれど、今はいう通りにした方がいいと、私は思う」
和真は無言だ。お前の好きにしろ、と言っているような気がする。
火蓑は「死んでしまってはおしまいです」と言い添えた。
「……わかった」
玄慈は奥歯を噛んだ。
と、次の瞬間である。爆音が轟き、風を切る重たい物体の音。二つ三つ数えて、瓦礫をすりつぶし粉砕する凄まじい音が響き渡った。
「大筒か……! 民を逃す! 地形を利用して遊撃せよ、女子供を優先して逃がせ! 奴らの狙いは若い女子供に他ならん!」
備の頭が檄を飛ばすと、鉄藍備の連中は手にしていた槍を掲げて怒号を挙げた。
「行くわよ」なつめが玄慈の肩を叩いた。彼女は抜け道の場所を知っているのだろう。
「和真、西の郭の穀物蔵をはわかる?」
「ああ、山を削り出した天然の蔵だな」
「あそこに抜け道に入る通路がある。そこまで先導して」
「わかった」
和真は走りながらでは扱いづらい獣狩和弓を背負い、代わりに右に剣鉈と左に鉞を抜き放つ。変則的な二刀流。しかし、山の獣狩にとってはこれが最も馴染む。
迫る略奪──否、井筒軍。和真は右から飛んできた銃弾を剣鉈で弾くと、狙ってやったのか、弾いた弾丸を射手の額にぶち当てて昏倒させる。
玄慈は短弓を構えて箙から矢を抜いて番えると、放つ。
こちらを蒸気鉄砲で狙っていた一人の左胸に、鉄の鏃が深々と食い込んだ。体が大きく、殴られたように揺すぶられて後ろへひっくり返る。
飛びかかってきた男が一人。簡便な型式の手力衣を来た兵だ。
火蓑が素早く刀印を結んで左右に振り、結界を展開。青白い薄膜が生じて、手力兵の薙刀を防ぎ切る。
そこへなつめが驚くほど素早く杖を突き出し、手力衣の隙間をついて男の喉を潰した。
白目を剥いて痙攣するそいつを尻目に、四人は西の郭へ急ぐ。
鉄砲と大筒の轟音。
投網で捕まる女妖怪。人間に徹底して刃向かい、撃ち殺される少年。
これが戦か──弱い者から次々犠牲になる。
──これが、人の世の望む、世界のあり方か。
玄慈の中に強い怒りが湧き上がる。
迫り来る男を弓で射抜いた玄慈は、接近を許したところで武器を持ち替えた。弓を腰の鉤縄に吊るして長巻を抜き放ち、大太刀を振るう雑兵の首を横薙ぎの一撃で掻き切り、刎ね飛ばす。
戦闘と逃走を目まぐるしく繰り返し、一行は目的の蔵に辿り着いた。
しかしそこには糧秣を運搬しようとしていた鬼賊兵と井筒兵の間で小競り合いが起きていた。最悪なのは、本式の手力兵がいること。
八尺の体躯に金属の骨格と装甲。蒸気と油圧の強化倍力機構──。おそらくは、あれらの装甲材は対抗妖術装甲だろう。
なつめが「一気に片付ける」と言い放つ。
「なにを」と玄慈が聞いた。いくらなつめの腕前でも、杖であれを片すなんて──。
そう言い募ろうとした時、和真が「耳を塞いでいろ」と言った。
なつめは一足飛びに上空へ。一丈ばかり舞い上がると、翼を空を掴むように対空して、両手を魔浪天狗道でいうところの日輪の印相に結ぶ。
井筒兵が気づく。「あの女──弥兵衛殿を殺った女だ! 落とせ!」銃撃が始まる──だが、不思議なことが起こった。
「〈梟天道智・天狗火〉」
直後、空気が逆巻くようにして炎が生成される。弾丸はなつめの周囲に達すると、じゅう、と蒸発して消えていくのだ。
彼女の周りだけが異様な高温になっているのは、まとわりつく陽炎でわかった。雨粒さえも次々蒸発し、周囲には霧が舞っているような有様になっている。
次第に豆粒ほどの火の玉は人の頭ほどの大きさに膨れ上がった後、紅蓮から白熱に変じて収縮。拳ほどの大きさになって、豪と放たれた。
きん、と金属を鳴らしたような音がした。
火球が手力兵に吸い込まれると、ぐにゃ、とそれが歪んで──一瞬後、蒸発するように爆散した。
周囲にいた井筒兵も巻き込まれたように蒸発、あるいはあっという間もなく炭化していく。
生き残った井筒兵が「馬鹿な、一等対抗装甲だぞ……」と漏らす。
人間側の等級番付だろう。四等から一等、上等、特等とある中で、一等とは「一見すると真ん中よりやや上」だが、上等以上は規格外であるため、実質的な「頂点」といえるものである。
普通、一等級の対抗装甲を破るには複数人の妖怪が間断なく妖術を浴びせて、対抗能力を削り切るのが定石。
それを、たった一人の妖怪が一撃で消し飛ばしたのだ。
「てっ、撤退! 糧秣はこの際どうでも良い、無駄な損耗など馬鹿を見るだけだ!」
「ひぃいいいっ!」「怪物がいやがる!」
「退魔師殿をお呼びしろ!」
井筒兵が逃げ散っていく。
なつめは普段どんなに戦っても汗ひとつかかないのだが、妖術〈梟天道智〉を使った彼女は、いつになく多く発汗していた。
どうやら相当に消耗する術らしい。
「大丈夫ですか、なつめ」火蓑が手拭いを渡すと、彼女はそれを貰って、目に汗が入らぬよう鉢巻のように巻いた。
「平気よ。少しすればおさまる」
蔵の前にいた鬼賊兵は礼を言いつつ、中の糧秣を運搬していく。
本丸の城に立て篭もるとなれば、いよいよこの糧秣が命綱だろう。
玄慈は「この先の抜け道を使いたい」と言った。兵たちは「ああ、聞いてる。敵に見られるわけにはいかん、急いでくれ」と言って奥の石畳を剥がした。
そこには深く掘られた竪穴と、縄が垂らされている。
「あんたたちが降りたら、石で蓋をする。急げ」
「俺が先に行く」和真はそう言った。
山の民は縄を使った垂直の登り降りには慣れている。それこそ和真は弓を引く際に、手に余計な傷を負わぬようつけている手袋を利用してほとんど落下するような勢いで降りて行き、ぎゅっと縄を握り込んで止まる。
あんなこと、素手でやれば皮が捲れて大変なことになるだろう。速度によっては、骨まで抉れてもおかしくない。
「天然の洞窟を利用している……」
二番手の玄慈が降り立ち、そう言った。
地面や壁から露出する発光性の「妖涙石」が、青、赤、緑などの光を芒と放ち、光源となっていた。
続いて火蓑、なつめが降りてきた。
「なつめ、無茶をするなよ」和真は目を細めて言った。「お前、ときどき自分の命すら勘定に入れ始めるからな」とも。
なつめは「今は入れてない。死にたくはないから」と返した。
玄慈は安心した。というのも、玄慈もなつめの危険性を薄々感じていたからだ。
特に赤馬弥兵衛に斬り込んだ際に感じたが、なつめは大局のためならば己の死をも損得に入れて行動する危うさがある。
おそらくそれは、戦を経験したからこその考え方だろう。軍隊の勝利のために己を殺す。それは、確かに郷を、そこに生きる者を生かす上でこの上なく重要な考え方だ。
けれど今生かすべきは己である。
「なつめ、これ」
火蓑が腰の袋から、人差し指を折りたたんで丸くしたくらいの大きさの、赤い丸薬を取り出した。
妖糧丸だ。
兵糧丸、飢渇丸、水渇丸などに類する携行糧食の一つで、消耗した体力回復を助け、波打つ妖力を落ち着けるものだ。
なつめは素直に「いつのまに……ありがとう」と言って、受け取るなり一口で口に放り込んで、咀嚼する。
妖糧丸は胡桃や落花生などの種実類や豆類を砕いて、さまざまな生薬や穀物粉、そして妖力で育つ薬草を挽いて氷砂糖と煮込んで丸めたものである。
味はだいぶ独特な甘苦さがあり、はっきり言って、不味い。だが、効果は多くの妖怪が──あるいは妖術師や退魔師が──実感している。
なつめの汗が引いた。呼吸も落ち着きを見せる。
「行きましょう」
玄慈たちは頷いた。
地下洞窟──この抜け道を西へ行けば良い。しかし。
「どっちが西なんだ」和真は、ある分岐でそう言った。
玄慈もこれはわからず、火蓑を見るが彼女もお手上げ。
するとなつめが「右ね。感覚的にわかる。フクロウだから」と言った。
フクロウをはじめ、一部の動物の形質を継ぐ妖怪は感覚で邦楽を知ることができる(※磁気や太陽コンパス、星座の位置など)。
なつめにもその能力があり、和真はそれに関して全幅の信頼をおいていた。
玄慈は手袋を外して指を舐めて風を確かめる。左の曲がり道は何も感じないが、右からは、確かに風を感じる。
「抜けられそうだ。化獣に出くわしでもしたら──」
玄慈がそこまで言ったときである。
地鳴りのような音が響き渡る。
「冗談だろう、本当に来る奴があるか」玄慈は身構えた。
火蓑が「言霊が宿ってしまったんじゃ……」と漏らして、
なつめが声を張り上げた。「走って!」
一行は右へ曲がり、急ぎ、走る。
地鳴りの接近を感じる──おそらく、左の曲がり道に何かが潜んでいたのだ。
その何かは、一行が通り抜けたすんでの背後に現れる。
側面の岩壁を砕いて現れたそいつは、鋼鉄のごとき角を一対生やしたカブトムシである。
和真は「ガンクツオオカブト!」と言った。「あいつには並の矢は通らん!」と付け加えた。
くだんのオオカブトはギシギシと関節を軋らせながら駆ける。
洞窟の岩場をものともせず、じゃまな障害物を粉砕し迫るその様子は、自然の猛威それ自体が生物と化したかのようで──。
恐ろしいが、同時に、美しさすら感じた。
しかし、逃げの一手ではらちが開かない。玄慈は走りながら聞く。
「和真の強弓でもダメなのか!?」
「関節を狙えば、足の一本は捥ぎ飛ばせる! だが地形が悪い! 戦うのは現実的じゃないぞ!」
なるほど確かにこの状況で戦うのは困難だろう。
地形は直線的で、こちらには回避も防御の手段もない。おまけに、障害物も意味をなさない。
絶体絶命──四人は、まさにそんな状況にあった。
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