六
戦廻暦五十七年の秋月季、その二十六日。
今日は雨だった。
荒神と呼ばれ、その荒々しさから天嵐の化身とされる天慈颶雅之毘売様も、流石に己の可愛い民を虐殺されれば嘆かれるのが道理か。
特に、天候を司る神はその特性から地母神、豊穣神の慈愛を持つ神としての側面も持つ。
常日頃気を張っているように見え、その豪華絢爛な衣装と傲慢とも思える態度の女神とて、まさか己の臣民を思わぬということがあろうか。
真に己を慕う者を愛するからこそ、天嵐神社には多くの神使が集い、山岳郷にはそれを拠り所とする妖怪が集まるのだ。
この雨は、女神の涙なのだと、多くの者はそう思っている。
そしてそれは、事実であった。
総本社でさめざめと泣く天慈颶雅之毘売様は、いたわしい姿でくずおれ、そして復讐心をたぎらせればそれは雷雲となって、怒り呻くような雷豪を唸らせる。
「雨降って地固まる……玄慈、今朝のなつめの話をどう思う?」
玄慈はこの大事な時に風邪をひかぬよう、外での鍛錬はせず、屋内で筋力を落とさぬように逆立ちで腕立てをしたり、腹筋運動をしたりしていた。
和真も和真で片腕で逆立ち腕立てを、左右合わせて五百ずつ。まるで息をあげず平然と行っていた。
鉄鋼糸を撚ったような豪烈な和真の背筋は、鬼の顔の如く流動していた。その顔は、悲哀と、怒りに捻れている。それが、和真自身の答えであった。
──私は鬼賊村を守る。旅の途中で、突然ごめんなさい。私は自分に嘘をつけない。
今朝、朝餉の席でなつめがそう言った。
玄慈は生まれて初めて経験した戦を思い出す。
城郭内の──そこに撒き散らされた無数の「死」。
正直どちらに正義があるのか、玄慈にはわからない。多分、どちらにもあるのだろう。
勝てば官軍負ければ賊軍。今の世はそれだ。
ならば、ここで負ければ──多くの命が賊として処理される。
出城の城兵も、百人組の連中も、厨村の者も、母も──。
「俺も戦うよ。……天慈颶雅之毘売様が悲しんでおられるのに。……俺だけ、のうのうと旅なんぞできないだろう」
「……良いのか。お前が死ぬ、その可能性は十に一……いや、二つに一つくらいはありうるぞ」
「それはみんな同じだろう。敵にはまだ超越者がいる。それに、退魔師もついてきているっていうぞ」
火蓑を含む偵察隊が探ったところによると、井筒国は北から攻めてきているという。すでに郷境のいくつかの城が落ち、山岳郷は戦火に飲まれていた。
山々で戦が起きており、戦局は、
──かなり悪い。
らしい。
非戦闘員は西へ逃れ、妖神の一つ、海鳴水凪喪毘売様が治める天海郷へ疎開することとなっている。
すでに天慈颶雅之毘売様も「負け戦」と腹を括り、民の離脱が完了したら──己の死をもって敵を道連れにする算段だった。
このとき、首は残さないのだろう。首級を取られれば、すなわち、敵の勝利宣言に実効性を与えることになるからだ。
一矢報いる。ひょっとしたらなつめと和真は──。
「なあ、和真」
「なんだ」
「俺は自殺願望はない。あんたたちが壮大な討ち死にを望むのは勝手だが、巻き込まれるのはごめんだ」
「……俺だって死にたかねえさ。けど、なつめがどう思うかはわからん」
和真は胡座をかいた。
「止めたい。なつめを」
ぽつりと和真がそう言った。
「……あんたとなつめは、長いのか?」
和真は雨が降る外に目をやる。
「思い出すよ。……俺は、疎まれた忌子だった。双子は、忌まれる」
ざあざあと雨が降る。
和真が語り始めた。
その、決して平坦とはいえない半生を。
〓
戦廻暦三十二年の繁茂季──春が濃くなり、雨の降る梅雨が来た頃、和平丸はこの世に生を受けた。
産号は弓張子、姓は桜之丞。幼名、和平丸。
兎賓天狗の父・岩斬子桜之丞和成と、鬼の母・森舞子滝比良喜世の間に生まれた。
──双子として。
和深において双子は凶兆の忌子。片方を間引かねばならぬ。そういう決まりである。
片割れの子は、谷から落とされたという──母と共に。
我が子を殺せなかった母・喜世は、共に冥土を行くことを決めて、片割れを抱いて谷へ身を投げたらしい。
父は「意気地のない女だ」と、その時吐き捨てたらしい。
こうして和平丸の不遇の半生が幕を開ける。父は桜岳の山庭師──つまり、己は高貴な生まれであるが、その出自は双子。も一つおまけに母は妾。
故に己は一族の末席も末席であった。
暴力、暴言──虐待などというそれを超えて無体とすら言える扱いの日々。
泣けば「鬼は首をもがれても泣かぬ! 黙れ糞餓鬼!」と、父から激しく折檻された。
和平丸はそれでもめげなかった。
別に、兄や姉、父を見返そうとか、そういう汚い野心ではない。
彼は鍛錬の中で己が強くなることに純粋な喜びを感じていたし、山に出て狩りをする暮らしが好きだった。
十になる頃には洞穴に家を作り、実家に帰らず、そこで暮らすようになった。
罠を張ってトビウサギやツボヘビを獲って喰らい、その皮や、採取してきたものを使って弓を作り、十二の頃にはオオヅツヘビを狩るほどの腕前になっていた。
そんなとき。
十四の冬、和平丸は山で血に塗れて倒れる女天狗と出会った。
かついで洞穴に連れて行き、治療した。
腹の肉が裂けている──見たことがない傷だった。多分、矢の類だろう。高速で鉄の飛翔体がぶち当たったと見える。
傷はまず、病の気を纏う。和平丸は水をかけて洗い、それから酒精の強い酒を浴びせた。
女が苦しげな声を漏らす中、和平丸は「許せ」と言って、熱した鉄を押し当てて、傷を焼いて塞いだ。
あとでその傷が銃創であることと、女が鉄砲に撃たれたことを知る。そして、焼いて塞ぐという原始的な治療法のおかげで、結果的に血を失わずに助かったことも。
和平丸は消化にいい粥を作り始めた。山の下の田畑で取れる米を干した、干飯を入れた味噌粥である。
それをさらに細かく潰して、布で濾して味噌味の重湯にして、女の口に運ぶ。意識はあるが、相当消耗している。
一寸ずつ飲ませて、しかし、女はうめくばかりでなかなか飲み込まない。
和平丸は己の口に含んだ重湯を口移しで飲ませることにした。親鳥が雛にそうするように。
これを、和平丸は数日ずっと繰り返した。
その間、ずっと外では雨が降っていた。
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