30倍の大軍を撃退!“天魔の罠”で名を残した楠木正成の頭脳戦
日本史には、知恵と工夫だけで常識外れの大軍を退けた信じがたい戦いがあります。
その最たる例が、3万の幕府軍にわずか1000人で挑んだ武将――楠木正成の物語です。
正成はどのようにして、勝ち目のない戦いをひっくり返してみせたのでしょうか。
最強の武器
幕府軍3万に迫られた正成は、断崖絶壁に建つ天然の要塞・千早城へ籠城しました。
普通なら即陥落・即降参する数字ですが、正成は動じません。
むしろ、この特殊な地形と優位な状態にいる相手の心理を読み解き“最強の武器”を生み出してみせたのです。
“天魔の仕業”と恐れられた罠
幕府軍が兵力に任せて一気に山を登り始めたその時、城上から ゴゴゴゴッ! と大地を揺らすような轟音が響き渡ります。
転げ落ちてきたのは、巨大な岩、丸太、そして怒涛の土砂。
『太平記』には、「大石・丸太を打ち落とし、三百余人が押し潰されて死す」と記録されており、まさに地獄絵図でした。
何度挑んでも結果は変わらず、幕府軍は挑むたびに損害を重ねるばかり。
ついには兵の中から「これは人間の仕業ではない! 天魔の攻撃だ!」と震え上がる声まで上がります。
正成が仕掛けた“石落としの罠”は、敵兵にとって戦術ではなく天災に映ったのでしょう。
“知略の英雄”と呼ばれた理由
千早城の戦いで、正成は地形・構造・敵の心理を読み切り、武力ではなく発想で30倍の兵力を覆しました。
その戦いぶりは戦場を操っているかのように鮮やかで、当時の人々の常識を根底から覆したのです。
また、正成はこの戦いの後も幕府軍と果敢に戦い続け、最期は湊川(兵庫県)で壮絶な討ち死にを遂げました。
現在、神戸市の“湊川公園”には、騎馬に跨る楠木正成像が建っており、その勇姿を今に伝えています。
興味を持った方は、歴史の痕跡を訪ねてみてはいかがでしょうか。
参考:太平記