あまりにも屈辱…軍記が伝える常盤御前“夫の仇に身を寄せた夜”
源義経の母として知られる「常盤御前(ときわごぜん)」は、1000人に1人の美女とも言われる伝説級の美貌の持ち主。そんな彼女の人生は、その美しさゆえに“ジェットコースターのように急上昇して急降下する”波乱だらけのものでした。
今回は、常盤御前に降りかかったあまりにも残酷でリアルな生涯についてみていきましょう。
■美人すぎて権力者の嫁に
常盤御前は宮中の下級女官(掃除・炊事・雑務の担当)でした。
ところが、とび抜けた美貌が認められて上級女官に選抜されるという大抜擢。
そんな常盤御前に心を奪われたのが、源氏のエリート武士・源義朝でした。
二人は深い仲となり、常盤御前は今若、乙若、そして牛若丸(後の源義経)を出産。
勝ち組ルートを歩んでいだ常盤御前ですが、『平治の乱』をきっかけに人生が暗転します。
■夫の戦死と、母としての覚悟
1159年、『平治の乱』で義朝と平清盛が対立。
この戦いで義朝は討ち死にし、常盤御前は反逆者の妻として追われる立場になります。
生き延びるため、そして幼い子どもたちの命を守るため、常盤御前は極限の決断を迫られました。
軍記(『平家物語』など)では、「子どもを救うため、常盤御前は義朝を討った張本人・平清盛のもとへ通い、肉体関係を結んだ」と描かれています。
ただし、これは軍記の描写であり、一次史料では確認されません。
とはいえ、乱世を生き抜くために母として何かしらの行動をとらざるを得なかったのではないでしょうか。
その後の常盤御前については史料が少なく、はっきりした足取りは残っていません。
しかし、彼女が守り抜いた牛若丸は力強く成長し、のちに平家滅亡の立役者として歴史に名を刻みます。
母・常盤御前の無念が、息子の活躍によって報われたともいえるでしょう。
■美貌 × 母の強さ × 壮絶ドラマ = 史上最強の母
幼い3人の子どもを連れ、乱世を必死に生きた常盤御前。
絶世の美女という伝説を超えて、“どんな手段を使ってでも子を守る母の強さ”そのものを体現した人物でした。
のちに語られる義経伝説の裏には、こんな“最強ヒロイン”の物語が隠れているのです。
徳島県には、騎馬にまたがる源義経の像が設置されています。
像の前に立つと、義経の勇ましさだけでなく、常盤御前の深い思いも同時に胸に響いてくるようです。
常盤御前が愛情を注いだ英雄の面影に触れてみてはいかがでしょうか。
参考資料:『平治物語』、『源平盛衰記』、『愚管抄』、河合正治『常盤御前』吉川弘文館、黒田晶子『平安末期の女性と宮廷社会』、佐伯弘次『中世武士とその家族』中央公論新社