神戸教授のおとなの社会学 『国語論』
「グローバルな時代と言われて久しいですが、だからこそ学ばねばならないのは何でしょうか?」
神戸教授はいたずらっぽく私達に尋ねる。
私は英語だろうなと思って神戸教授の答えを待った。
「答えは国語です。
グローバルに国境を超えてゆくからこそ、アイデンティティ、つまり己の立ち位置を明確にしなければいけません。
尤も、国語という枠でとらえるより、古文・漢文・外国語との重なりを意識して学べと言いたいですね」
私を含めた皆が首をかしげる。
それを確認した神戸教授は、わかりやすいように国語を用いて語る。
「言葉というのは、貴方たちが属している文化・文明の一部です。
国語を学ぶというのは、自分たちが属している文明・文化を学ぶと考えなければいけません。
あなた方は、この国の中枢に行くであろう人材です。
そういう人間が実学、つまり読み書き算盤しか知らないとバカにされますよ」
つまり、属する社会階層の問題なのだろう。
一般人ならばともかく、華族や財閥や議員の子息が通う帝都学習館学園である。
そういうのも学ばないと社会階層から弾かれるという訳で。
ゲームのイベントであったなー。
クラシックに興味のない主人公こと小鳥遊瑞穂にクラシック知識でマウントとったのがゲーム内の私だったり。
なお、栄一くんがクラシック苦手なので栄一くんにもマウントをとっているのに気づかないというおマヌケぶりが。
話がそれた。
「そして、文明や文化を学ぶということは、歴史を学ぶという事でもあり、そのためにも古文と漢文は学ばねばいけません。
古文がわからないと、『枕草子』の美しい景色も、『平家物語』の諸行無常もわかりません。
漢文がわからないと、この国の敗戦からの復興に用いられた『国破れて山河あり』が杜甫の『春望』と言う詩の一節であるというのに気づかないし、お葬式で読まれているお経がただの子守唄になってしまいます」
あ。お経って漢文だったのか。たしかに子守唄にしか思っていなかったのだが……
さっと見ると、私と同じ意見らしい人がバツの悪そうな顔をしていた。
多分私も同じ顔をしているのだろう。
「さて、ここまで話して国語を学ぶ大事さは理解したと思いますが、それが外国語、特に英語にどう作用するかをお話しましょう。
大事なのは、言葉というのが会話のツール、つまり相手に意思を伝えるためのものだという事です。
これは国語でも英語でも変わりません。
相手が居て何か意思を伝えたいからこそ言葉があるのです。
そして、国語を学べば、その意思伝達の応用が効くようになります」
神戸教授は断言する。
その言葉は目から鱗だった。
「国語ができて英語ができない人は、『英語』という教科を一から学ぼうとしているから詰まるんです。
これを国語の応用、つまり相手もこちらに意思を伝えたいと意識するだけで、勉強の仕方は変わってきますよ」
神戸教授の言葉に圧倒される。
少なくとも勉強しようという意識が湧いてくるから不思議である。
「主語と述語。動詞や名詞などの法則を持って組み合わせて意思疎通をするのが言葉です。
外国語を翻訳する場合、外国語の法則をこちらの言葉に変換する必要があります。
そういう意味でも、国語をきっちり学ぶというのは大事なんですよ」
神戸教授は言葉を続ける。
面白いのだが、これ学校の先生たち大変だろうなぁ。
広範囲に学ぶものを国語でまとめているから、生徒たちのわからない質問が何処にいくのやら。
「もちろん、試験で良い点が取れる国語というのも大事ですが、ここではもう少し長い人生において国語がどれだけ大事かを伝えられたらと思っています。
国語はこの国で生きる限り、付き合いが続きます。
会話も文章も、つまり意思疎通は国語で行われるからで、これを極めるという事は、友達を作りやすくなったり、仕事がうまくできるようになったりする訳です」
神戸教授が少し間をとった。
彼の授業を受けてなんとなく分かる。
多分、一番訴えたい事がここなのだろう。
「そして、国語を極めるという事は、文化と歴史に触れるだけでなく、先人たちの成功と失敗に触れることができるという事です。
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』とは、ドイツ帝国の宰相ビスマルクの言葉ですが、歴史から学ぶには賢者でなければならないとも取れます。
その賢者の条件こそが国語なのです!」
話し方がうまいなぁ。
引き込まれた私達に〆とばかりに軽口で神戸教授の講義は終わる。
「もちろん、経験を否定するものではありません。
ですが、知れば、知ることができるのならば、あなたがたの人生は少し楽ができますよ」
「知れば……か」
「たしかに知ると楽しいな。
瑠奈のおかげでクラシックを聞くようになった」
私の言葉尻を隣りにいた栄一くんがとらえる。
それが嬉しくて、ゲームのイベントが潰れたことが少し申し訳ないけど、私は笑って返事を返す。
「良かったじゃない」
古文・漢文不要論を考えるときに、神戸教授脳を動かしたら一話できた。
もしかしたら移動するかもしれない。
ちなみに、この国語をきっちり学べと私に教えてくれたのは塩野七生のエッセイである。
どのエッセイだったかなぁ……
まぁ、人生RTAにおいて古文と漢文はいらないけど……というのがこの話の趣旨。
そのあたりは『趣味論』あたりで神戸教授に語らせるか。