2025年11月27日(木)

【岸本加世子 我が道1】デビュー50年、人に恵まれた半世紀…素晴らしい方々との出会いが財産

[ 2025年11月1日 07:00 ]

母・幸子と4歳の私。1965年(昭40)正月のスナップです
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 振り返ればデビューから50年になろうとしています。人に恵まれた半世紀でした。素晴らしい方々との出会い、それが私の財産です。演出家で恩師の久世光彦さん、脚本家の向田邦子先生、樹木希林さん、美空ひばりさん…。偉大な先輩たちに間に合った最後の世代かもしれないですね。今日から1カ月、私の「我が道」にお付き合いください。

 静岡県島田市で産声を上げました。今年9月5日に国内最大級の竜巻に襲われて大きな被害が出た牧之原市の隣町ですね。6歳までここで暮らしました。

 マグロ漁船の漁師だった父と母が離婚し、母は私を連れて横浜市の鶴見に転居。やがて母は再婚し、継父の転勤に伴って鶴見から川崎市に引っ越し。その後、同じ川崎の県営有馬団地の抽選に当たり、ここで小学5年から中学3年までの5年間を過ごしました。母と継父との間に生まれた弟とは年が10歳離れています。

 小学校だけで4回も替わりました。仲の良い友達ができる前に転校また転校だったので、いじめに遭うこともけっこうありましたね。もともと内気な子でしたが、余計に内向的になってしまいました。

 当時、小学校の給食費は毎月の指定日に茶封筒に現金を入れて持っていくのが決まり。それが3回ほど続けて盗まれてしまったんです。母親は誕生時の事故で腰に重度の障がいがあったので、自分の外見のせいで余計に私がいじめられてはかわいそうだと、運動会や参観日など学校の行事に来ることは絶対にありませんでした。生活に余裕がある家ではなかったし、「盗む方も悪いが、盗まれるおまえが悪い」と母からひどく怒られたことを覚えています。

 ある日のこと。ホームルームが終わり「先生さようなら、皆さんさようなら」とあいさつも済ませた帰り際。

 教室の後ろの戸が勢いよく開いて…そこに仁王立ちしていたのは母親でした。

 「うちの給食費を取ったのは誰だあ!」

 怒鳴り声とともに乗り込んできたのです。

 この一件から、私に手を出すと「またあのババアが乗り込んでくる」と空気が一変し、いじめも盗難もピタリとやみました。母の力、恐るべし。4年か5年の、忘れられない一コマです。

 中学に上がると、ちょっとチャラいグループの人間と仲良くなりました。もちろんシンナーを吸ったりとか、法律に触れるような悪いことはしなかったけれど、長いスカートをはいたりして粋がってましたね(笑い)。

 西城秀樹さんのファンになったのはこの頃です。高校に上がってすぐ、横浜ドリームランドだったと思いますが、秀樹さんの新曲発表会がありました。クラスにやはり秀樹ファンがいて、授業を早退して2人で出かけました。これが芸能界入りにつながるとは夢にも思っていませんでした。

 ◇岸本 加世子(きしもと・かよこ)1960年(昭35)12月29日生まれ、静岡県島田市出身の64歳。77年、テレビドラマ「ムー」で女優デビュー。以降、テレビ、舞台、映画、CMなどで幅広く活躍。ドラマ「あ・うん」、舞台「雪まろげ」、北野武監督の映画「HANA―BI」「菊次郎の夏」など代表作多数。著書に小説「出てった女」、エッセー「一途」など。

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