2025年11月27日(木)

【岸本加世子 我が道2】秀樹さん新曲発表会でスカウト ずっと断り続けていたが…

[ 2025年11月2日 07:00 ]

幼き日の私です。面影ありますか?

 1970年代の半ば、アイドルと言えば「西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎の新御三家」みたいな時代です。ジャニーズ事務所もフォーリーブスしかいなかったんじゃないかな。

 いつしか、私は秀樹さんに夢中になっていました。2002年に閉園した横浜市戸塚区の遊園地「横浜ドリームランド」で開催された新曲発表会。学校を早退して友達と2人で出かけました。

 当時のアイドルのイベントって、大きなポンポンや横断幕が“声援グッズ”の代表格。開演時間に少し遅れてしまったので、潜り込めたのは後ろの方。秀樹さんの歌声は聞こえましたが、ポンポンが邪魔をして肝心の姿が見えない。

 私はぶち切れて
 「見えないんだよ。下げろ!」

 と怒鳴っていたら、腕章を巻いた人が飛んできました。「怒られるんだろうな」と内心びくついていると、その人が「君、秀樹のファンなの?」と尋ねてくる。「はい」と答えると、「君んちの電話番号を教えてくれたら、(発表会が)終わったら、秀樹に会わせてあげるよ」と意外な言葉が返ってきました。

 ちょうどそのころ「お宅のお嬢さんを歌手として売り出してやろう」と持ちかけ、その家族から億単位の金をだまし取るという事件が世間を騒がせていたので、そのことが頭をよぎり悩んだものの、「電話番号だけならいいだろう」と意を決してその腕章の人に教えました。すると、イベント終了後に本当に楽屋に連れていってくれてご本人に会うことができました。

 いわゆるスカウトというやつですね。秀樹さんが所属していた芸映プロダクションには当時、浅田美代子さんや岩崎宏美さんらが所属していました。浅田さんは73年2月にTBSのホームドラマ「時間ですよ」(第3シリーズ)のお手伝いさん役でデビューし、瞬く間にお茶の間の人気者になった。劇中で歌ったデビュー曲「赤い風船」も大ヒット。75年に歌手デビューした岩崎さんも「ロマンス」や「センチメンタル」などヒット曲を連発していました。

 浅田さんや岩崎さんの洋服のお古やらノベルティーのTシャツなど、お金のかかっていないグッズ(笑い)を手土産に、「いかがですか。入ってくれませんか」と、芸映の方が足しげく家を訪ねてくるようになりました。

 私は奥手で、人前でしゃべることなんて考えられない。小学生の時の学芸会がトラウマになっていたのです。何の役だったかは忘れましたが、セリフはたった一言。

 「あっ、ハト便よ、ハト便」

 これだけでしたが、何回やってもなぜか「ドビン(土瓶)」に聞こえると注意されました。今でも忘れられません。ですから「人前で何かをするなんて絶対に無理です」とずっと断り続けていたんですが…。

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