「俺のせいや」 山上被告を変えた兄の自殺 絶望の果ての復讐か 妹の証人尋問詳報
妹「祖父は観光だと思っていた。帰ってきてから統一教会に行っていたと分かり、すさまじく激怒した。祖父は私たちにも怒鳴り、『面倒を見切れない。出ていってくれ』といった」
弁護人「ショックだったか」
妹「そうです。母は統一教会と献金で頭がいっぱいで、私には無関心。小学生で40度の熱を出した時も病院に連れて行かれず、母は統一教会の活動に行くくらい。祖父だけは私と徹也に愛情を注いでくれた唯一の存在だった」
■「2人で逃げた方が楽に生きていける」
妹「これから先どうなるんだと不安の中で生きていた。(被告と)2人で逃げた方が楽に生きていけるんじゃないかと思った」
そんな祖父は10年に死去。生前「財産は孫たちに残す」といっていたが、遺言書は作っていなかった。母親は「天国に行けるように献金する」と話したといい、実際にその後、自宅などを売却しアパートに転居。この頃までの献金総額は1億円あまりに上り、母親は14年に自己破産した。苦しい家計は家族の関係をさらに悪化させ、特に被告の兄である長男は教団を激しく敵視した。
弁護人「祖父の死後、長男が暴力を振るうようになった」
妹「(長男は高校を卒業したばかりで)大学進学でもめていた。『お前が献金したせいで自分の進路が決められへん』といって包丁を振り回したり、『死んでやる』と暴れたりしていた」
弁護人「母親は骨折もした」
妹「階段から突き落としてあばら骨が折れたことがあった。包丁が当たったこともあった。(長男をなだめていた被告が14年に海上自衛隊に入隊しいなくなると)暴力がひどくなり、『やめて、助けて、殺される』という母親の声が毎日聞こえた」
弁護人「当時の感情は」
妹「とても辛かった。母が殺されたらどうしよう、帰ったら家が燃えていたらどうしようという思いがあった」
■「母の顔をしているから突き放せない」
被告が17年に自殺未遂をしたことをきっかけに教団が家族に返金を始めると、こうした状況はいくぶん改善した。返金された金について被告は「妹のために使った方がいい」と訴え、妹は大学に進学。「徹也のおかげで大学に行けた」と感謝した。被告から「一緒に家を出よう」と誘われたこともあったという。その後、妹は就職し25年ごろに家を出たが、返金を管理しているはずの母親からは、韓国への渡航費用や生活費などの無心が続いた。