避難訓練 その1
〆切が無ければ全力で乗っかったのに……
「避難訓練?」
「ええ。『訓練』です。今回は」
私の胡散臭そうな声に、メイドのエヴァは淡々と計画書を出す。
確かに計画書では訓練になっているな。うん。
「前に訓練目的で本当にテロに遭ったじゃないですか。
今回はちゃんと訓練として関係各所に通達しています。
途中でテロに遭ったりしないようにというのも訓練の一環と考えていただけると」
普段は仲が悪いメイドのアニーシャまでもが共同で計画書を提出するとは。
何かあると勘繰りたくもなる。
「何かあるの?」
「毎回あったら困ります。主に私たちの胃が」
アニーシャの言い回しに私もたまらず苦笑する。
それを見計らってエヴァが補足説明をする。
「あのテロ未遂事件の後、警備計画及び避難計画を全面的に改訂しました。
それが機能するかを確認するのも大事なんです」
「これはお嬢様に隠しても仕方ない事ですけど、こういう避難訓練の告知をする事でアンダーグラウンドで蠢いている輩を釣り出すという効果を期待している事は否定しません。
先ほどお嬢様は『何かあるの?』とお聞きになられましたが、『何もないからかき混ぜよう』と言う感じですね。この避難訓練は」
エヴァの後のアニーシャの言葉には懸念の顔があった。
その顔を見て、更に問い詰めようとする私の機先を制するように彼女は言い放つ。
「静かすぎるんですよ。アンダーグラウンドが」
「静かすぎる?」
「ええ。
マネーロンダリング事件が山場を越えたのに、動きがほとんどない」
日米露三国で炸裂した樺太銀行マネーロンダリング事件は、日本と米国の捜査が進みロシアではマフィアと政府の動きがチェチェン紛争に影響を与えていた。
十二分に影響を与えている気がするのだが。
「そうなの?」
「この件にかこつけて、ロシアの諜報機関がチェチェン武装勢力のボスを殺したんですけど反応が無いんですよね」
さらりと出て来る殺人に私ドン引き。その顔を見てエヴァがたしなめる。
「申し訳ございません。ロシアメイドの無作法をお許しください」
「お嬢様にいまさら隠しても」
「それでもお嬢様はまだミドルスクールに通う学生なのを忘れたのですか?」
「……あ」
やっちまったという顔をするアニーシャにエヴァがジト目で糾弾する。
私は顔を振って気持ちを切り替える。
「私も殺されかかった身ですからそういう情報にいつまでもショックを受けていられません。
それと、アニーシャ。今回の訓練がどう絡むのかの説明を」
「はい。
ロシアンマフィアのマネーロンダリング資金がチェチェン武装勢力に流れていたんです。
チェチェン紛争は今やロシアにとっては戦争になっているんです」
2月にはモスクワ地下鉄で爆発テロが発生し、アニーシャが言った武装勢力のボスの暗殺はその報復とも言われている。
なお、この武装勢力のボスの暗殺はカタールのドーハで行われ、ロシアとカタールの外交問題にまで発展していた。
それでも、国際世論がこの戦いをクローズアップしなかったのは、イラクの泥沼があり、テロが決定的に悪であると認識する事になった9.11の影響がある。
テロとの戦い。
全てはその言葉に集約される。マネーロンダリング事件も、私へのテロも。
「お嬢様のロシア国内における影響力は目を見張るものがあります。
あのテロ未遂事件の後、お嬢様の認知と影響力はメディアによって決定的なまでに拡散されました。
テロがチェチェンマフィアと繋がった事で、お嬢様は国家のプロパガンダに否応なく組み込まれたのです。
『テロと戦うロシア皇女』。もちろん背景には反体制派と激しく戦うロシア国内の厳しい政治事情があります。
ロシアの保守系メディアは、お嬢様が否定しているにもかかわらず『お嬢様が成年になった後ロシアに帰国して帝政ロシアを復活させる』というアンケートを実施し、それに37%の人が賛成する始末です」
その言葉に私は顔をひきつらせるしかない。
よく生きていられるものだと納得してしまう。もっと前に米露のひも付きになっていなかったら、爆弾テロで殺されていたのは私だったかもしれないのだから。
「お嬢様はそういう存在であるとまずはご認識頂いた所で、今回の避難計画です。
テロも戦争と同じで準備というものが必要になります。
その準備には人と物が動き、金が動きます。
それは消すことができない痕跡であり、それを掴むことでテロを未然に予防しようという訳です」
アニーシャが口を閉じると今度はエヴァが口を開く。
仲が悪い癖にこういう連携は仕事柄上手いのだろう。
「この訓練計画は元が手繰れるように意図的にアンダーグラウンドに流しています。
それで事前に叩けるならばよし。
何も起こらないのならば、それはそれで問題なしです。
テロに対する最大の予防は先制攻撃です。
これはテロ組織に対する示威行為も兼ねています。
もちろん、お嬢様の体に傷一つつけない事を米国・ロシア共にお約束します」
「わかりました。
二人の好きなようにしてください」
私が手を振って許可を出すと、二人はメイドにふさわしい礼を持って応えた。
二人が部屋を出る前に、私はふと気になった事があったのでそれを尋ねてみる。
「そういえば、この話、日本のその手の組織絡んでいないのね?」
何故かアニーシャが楽しそうに笑いだし、エヴァが憮然とした顔でその理由を告げた。
「京都の一件で触らぬ神になったみたいですよ。お嬢様」
あの一件で、ワシントンのお偉方に始末書というシミをつけたのだが、日本側はノータッチだったので『そっとしておこう』が蔓延しているとか。
こりゃ、一度日本側の諜報組織とかにも話を通した方がいいのかもしれないなぁ……
チェチェン紛争
正しくは『第二次チェチェン紛争』。
本格的にテロ行為が広がるのがこの頃なのだが、それはテロとの戦いを前面に出した国際社会がロシア政府を肯定する流れになってゆく。
これがウクライナのオレンジ革命に間接的な影響を与えるんだよなぁ。
なおこの時期こんな感じ。
2004年2月6日
モスクワ地下鉄爆破テロ
2004年2月13日
チェチェン・イチケリア共和国の第2代大統領でチェチェン独立派の最高指導者の1人であるゼリムハン・ヤンダルビエフがカタールのドーハにて爆殺。
2004年2月13日
カタール当局は、ロシア情報機関職員と思われる3人のロシア人を拘束。
その内、2人は殺人容疑で終身刑を言い渡された。
『そっとしておこう』
元ネタは『ペルソナ4』。
なお、この時期のアトラスのソフトは『真・女神転生III-NOCTURNE マニアクス』。
つまり、人修羅くんが蛍や水樹の前に……
なお、この時期は平成ゴジラの最後に当たるんだよなぁ。
北日本政府が持っていた旧東側兵器VSゴジラなんてやっていたのかもしれん。