第37回安倍元首相銃撃、被告人質問2日目 弁護側と検察側との主なやり取り

河原田慎一

 安倍晋三元首相への殺人罪などに問われた山上徹也被告(45)の裁判は25日、奈良地裁で被告人質問の2日目があった。

 兄の死をきっかけに旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への不満を募らせた背景や、事件に使われた銃の威力などについて、被告が自ら説明した。

 主なやりとりは次の通り。

【弁護人の質問】

 ――2005年に自死しようとした。前回の被告人質問で「父親としての役割を果たすことがつらかった」と。

 「自分の意思と関係ないところで、母や兄の経済的なことに関する最終的な責任を求められていることが不本意、といいますか。責任を取らないと(母や兄が)困ってしまう」

 ――責任を取る意味で自殺を図った。

 「自衛隊に入る前に、兄の大学受験のいさかいから兄を殴ったことがあったので、その罪悪感もあったと思います」

 ――妹を大学に行かせようとしたのはなぜ。

 「兄や母に反発してお金を送らないことは、妹も困ること。環境を無視してレベルの高い大学に行こうとした兄よりも、犠牲を強いられていた妹を何とかしてあげてもいいんじゃないか、ということです」

 ――妹は成績が良く、その先の人生につながった。

 「そうですが、それが今回の事件で困難な状況に陥らせてしまったことは、申し訳ないと思っています」

 ――1998年に自宅を出てアパートで4人で暮らすようになった。祖父の会社の負債を返済するためというのは母の「うそ」で、教団に献金をするためだったと知った。教団への怒りは。

 「驚いたのと同時に、本当の理由がやっとわかったというか、足場が定まった感じがしました。それまで自分がふがいないと思った一端が、母のうそにあったのかと思うと、気が楽になりました」

 ――母のうそがわかって、教団から返金が始まって、少し人生が前向きになった。

 「そうですね」

 ――2015年に兄が自死した。

 「助けてやれなかった自分とか、(兄を)つきはなした自分が、罪悪の象徴のように思いました。(兄が)やりたいことを何一つできず、こうなってしまったのは、無念だったろうなと」

 ――葬式では何があったのか。

 「通夜の時点で、教団の人が来て焼香してくれるのはありがたいと思ったのですが、ひつぎの前で『何とか式を行います』と突如言いました。兄は献金に最後まで不満があって、(式を)してほしいと思うわけがないので『帰ってくれ』と言いましたが、無視して『何とか式』を始めた。なんてことをするのかと」

 ――兄の死以降の気持ちの変化は。

 「(妹が)リーマン・ショックで就職できず、奨学金が残っていて非正規でやっていくこともあり、おじにも金銭的に世話になっていた。『何一ついいことがない』ような、そんな憂鬱(ゆううつ)な気分になりました。生命保険をかけて自殺して終わりにしようかと思いました」

 ――受取人は。

 「主に妹ですが、多少母にも」

 ――18年に教団幹部を襲撃する決断をした時の考えは。

 「母と教団や兄のことで色々と話したことがあった。母のなかでは、兄は天国で幸せに暮らしているからハッピーエンドでいいんだと。生前に苦しんだのは教団に返金させたからだ、という理解に感じられた。自分が兄の死を悔やんで、妹のことに責任を感じているときに、母は信仰によって全く違うところにいるのがわかった。(負の記憶が)フラッシュバックして、電話で『おまえが死んだらいいんだ』などと怒鳴ったことがきっかけです」

 ――21年初めごろから銃を作ろうと思ったのは。

 「(18年に)岡山でナイフと催涙スプレーを持って(教団幹部の襲撃が)実行できなかった。ナイフは心理的抵抗があり、火炎瓶を投てきするのは確実性に欠けますし、距離を取るのに一番いいのは銃だろうと」

 ――手製の銃の威力は散弾銃と比べて何分の一。

 「低く考えると10分の1程度、高く考えると3分の1から4分の1ぐらいと思っていました」

 ――自衛隊での射撃の成績は。

 「訓練期間中は非常によかったのは覚えています」

 ――自作の銃をどう表現していた。

 「確か、半分おもちゃのようなごみのような、とかではなかったかと」

 ――教団と安倍氏を結びつけていた。

 「06年に(安倍氏から教団側への)祝電があった時点から、関係があるとずっと思っておりました。インターネットサイトがいくつかありましたし、元信者のブログを見ていました」

 ――教団と政治との距離については。

 「第2次安倍政権以降に(教団と関わりを持つ人が)多いことは知っていましたし、イベントに国会議員が参加するのは非常によくないなと」

 ――UPF(教団の友好団体)に安倍氏が出ている動画を見て、どう思ったのか。

 「長い期間務めた元首相ですから、どんどん社会的に認められる、問題ない団体として認知されていくんじゃないかと不安に思いました。被害を被った側からすると、非常に悔しい、受け入れられない状態だと思いました。絶望と危機感、かと思います」

 ――怒りは。

 「安倍元首相に対してではないですが、そういった状態になったことに対する怒りというよりは、困るという感情でしょうかね」

写真・図版
山上徹也被告は何を問われ、どう答えた?

【検察官の質問】

 ――現存している銃は7丁だが、実際には何丁作ったのか。

 「あと1、2丁は多いと思います。いろいろと部材を使い回しておりますので」

 ――最初に作ったパイプ銃が、最終的に事件で使われた。

 「事件に使った2銃身の銃になっています」

 ――複数の銃を作ったのはなぜ。

 「(教団の)幹部襲撃の際には1丁では足りないのではないか。その場を離れる際にもう1丁、車の中にもう1丁の合計3丁(必要)ですが、9銃身(のものを作ったの)は、3丁を一つにまとめられればと思ったのはあります」

 ――すべて試射した。

 「どの時点かでは試し撃ちしたかと思います」

 ――市内の山中の開けたところで試射した。

 「グーグルマップの航空写真で、山の中で開けた場所を見つけた。人目につくと困りますので」

 ――山中には何回行ったのか。

 「10回以上行っているのではと思います。(発射回数は)おおむね25~30回ぐらいかと思います」

 ――教団幹部に確実に命中させたい思いがあった。

 「まあそうですね」

 ――試射を重ねて、12ミリ合板2枚を貫通する威力があった。

 「それが最も多かったと思います」

 ――安倍元首相を対象にしたのは、22年7月以降か。

 「はい」

 ――7月3日に(安倍氏が訪れた)岡山市民会館の演説場所を調べた。

 「はい。20センチ銃身のパイプ銃を3本持って行きました」

 ――拳銃と同じと考えていた。

 「最も拳銃に近しい物だと思っていた。(試射は)1度、山中でしております」

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この記事を書いた人
河原田慎一
ネットワーク報道本部
専門・関心分野
公共交通、イタリア文化、音楽

安倍晋三元首相銃撃事件

安倍晋三元首相銃撃事件

2022年の安倍晋三元首相銃撃事件で起訴された山上徹也被告の裁判が始まりました。旧統一教会の影響をめぐる検察と弁護団の対立などから公判前整理手続きが長期化し、初公判まで3年余りを要しました。関連ニュースをまとめてお伝えします。[もっと見る]

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