日本を滅ぼす研究腐敗――不正が不正でなくなるとき(40) 6章 たたかいは続く 6
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40
2025年10月21日、奨学金問題対策全国会議(大内裕和代表)が私の同会主催のシンポジウム参加を拒否したことの違法性を問うた裁判(シンポ取材拒否事件)の判決があった。冷たい雨の中、「予定時刻」の13時半の少し前に法廷に行くと、すでに法廷は空だった。あわてて壁の開廷表を確認すると「13時10分」とある。
てっきり間違ったと思い、弁護士事務所に電話をかけ、E弁護士と20分後に落ち合った。おどろいたことに、弁護士の手控えも13時30分だった。合点がいった。裁判長が間違えた時刻を伝えたのだ。訴訟指揮も手抜きが目にあまったが、最後までいい加減な裁判官だとあきれた。
判決文は予想外に多く11頁あった。主文は請求棄却。簡単にいえば、私的団体だから誰を入れるかは自由だという理屈らしい。一括請求や著作権侵害、盗用問題でいくつも裁判をやっているのだから、厳しい対立関係にあり、拒否には合理性がある。メーリングリストで案内をながした点も、いちいちチェックする義務はない。――
私がシンポに参加することで催しの運営に支障が出るおそれの有無については言及がなかった。
この判決の考えだと、批判的な考えを持っていたり裁判を起こしている者(過去に起こした者)は、公開の催しであっても排除してよいことになる。批判をすること、裁判を起こすこと、いずれも正当な権利行使である。しかも、むちゃくちゃな訴訟をおこしたつもりはない。
それらの発言や訴訟を起こしたことが原因で、公の催しに静かに参加することからすら排除されるのであれば、彼らがやる奨学金ローン問題のシンポジウムなどを取材をしようと思えば、言いたいことがあっても口をつぐみ、不当な目にあったとして権利回復を求めて訴訟を起こそうとしても、そうした行動を躊躇せざるを得なくなる。しかも、過去の行動を延々と問題にされる。いったん目をつけられれば関係回復の可能性はない。もはやどうしようもない。
見ざる、言わざる、聞かざる。「モノいえば唇寒し」の理屈ではないか。
ここから先は
¥ 500
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?


購入者のコメント