Fate/You Died.   作:助兵衛

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第6話 灰原聖杯戦争

 灰が、ゆっくりと降っていた。

 校舎裏のコンクリートに落ちた粒が、淡く溶けて消える。

 その白灰の光の中で、黒野理央は誠を見つめていた。

 怒りでもなく、悲しみでもなく──そのどちらも入り混じったような、痛ましい表情で。

 

「灰原君。どうしてあなた、生きてるの?」

 

 その問いは静かだったが、刃よりも鋭かった。

 誠は息を飲み、喉が乾くのを感じた。

 けれど、口を開いても、すぐには言葉が出なかった。

 

「……俺にも、わからないんだ」

 

 ようやく絞り出した声は、掠れていた。

 灰の舞う空にかすれて消えていくほどに。

 

「気がついたら、あの焼け跡で倒れてて……身体は血まみれで、痛みもあった。けど、生きてた。それだけなんだ。本当に、それだけ」

 

 理央の眉がわずかに動いた。

 しかしその瞳は、誠の答えを受け止めきれずに揺れている。

 

「……あのとき、確かにあなたは死んだのよ」

 

 理央の声は低く、震えていた。

 

「魔力の反応も、完全に途絶えていた。私は……見届けたの。あなたの命が、確かにそこで途切れたのを」

 

 彼女は一歩、誠に近づいた。

 その表情には、怒りよりも強いもの──“悔恨”が滲んでいた。

 

「私が、守れなかった。あのとき……助けられたはずだったのに。なんとかするって、約束したのに」

 

 誠は息を詰まらせた。

 理央が顔を伏せる。

 黒髪がその頬を隠し、わずかに肩が震えていた。

 

「令呪を切ったのに……間に合わなかった。藍沢沙月とそのサーヴァントは逃げ仰せ、今も生きている」

 

 その声には怒りではなく、深い自責があった。

 彼女の両手は小刻みに震えている。

 

 バーサーカーが少し離れた場所でその様子を静かに見つめていた。

 その獣のような瞳の奥に、ほんの一瞬だけ哀れみの光が宿る。

 

 理央は深く息を吸い、ゆっくりと顔を上げた。

 その瞳が、誠のすぐ後ろに立つ影──バーサーカーを正確に捉える。

 灰色の空の下、長身の狩人は微動だにせず、冷たい光を瞳に宿してこちらを見返していた。

 

「──あれが、あなたのサーヴァントね?」

 

 理央の声は低く、しかし鋭い。

 まるで獲物を狙う魔術師のそれだった。

 

 誠は反射的に振り返った。

 バーサーカーは、淡々と立っていた。灰の降る中、外套の裾がわずかに揺れている。

 

「そうだと思う。えっと、バーサーカーだ」

 

 誠の声はかすれていた。自分でも信じきれていない響きだった。

 

「……よりにもよってバーサーカーか」

 

 理央は一歩踏み出す。

 足元で灰が小さく散った。

 

「生き返った理由は、彼女の能力或いは宝具によるものかしら?」

 

 その問いは、もはや推測ではなく確信の響きを帯びていた。

 

「彼女の力で、あなたは死の淵から戻された。違う? 灰原君は魔術師として未熟、英霊たるサーヴァントならそんな奇跡も起こせるんじゃないかしら」

 

 理央の声には、焦りと苛立ちが入り混じっていた。

 自分が守れなかった命を、他の何かが“奪い返した”──それが彼女には許せなかったのかもしれない。

 

 バーサーカーは、ゆっくりと片眉を上げた。

 そして、静かに口を開く。

 

「……推測の域を出ませんね、黒野理央。ですが、あなたのような者がそこまで察しているなら、余計な説明は不要でしょう」

 

 その声は低く、落ち着いていて、しかしどこか冷笑を含んでいた。

 風に乗って、狩人の香り──革と鉄と血の匂いが漂う。

 

「……つまり、否定はしないということね」

 

 理央はバーサーカーを鋭く睨みつけたまま、沈黙を貫いていた。

 灰の降る校舎裏には、風の音と遠くのチャイムだけが響いている。

 誠は唇を噛みしめ、しばらく逡巡したあと、意を決して口を開いた。

 

「……理央。君も……魔術師なのか?」

 

 その問いに、理央の肩がわずかに震えた。

 すぐには答えなかった。けれど、逃げるような視線は一度も見せない。

 彼女は静かに息を吐き、長い睫毛の影が頬をかすめた。

 

「そう。私は、魔術師よ」

 

 短く、それでいてはっきりとした言葉だった。

 その瞬間、誠は胸の奥がざらつくような感覚に包まれる。

 やはり──彼女も、“あの世界”の住人だった。

 

「……じゃあ、君も“聖杯戦争”ってやつに参加してる? 俺と同じ、マスターなのか?」

 

 理央はほんのわずかに目を伏せた。

 灰が黒髪の上に積もる。

 そのまま、低く、しかし確信を帯びた声で答えた。

 

「ええ。私はセイバーのマスター。黒野家の代表として、この“灰原聖杯戦争”に参加している」

 

 誠は息を呑んだ。

 灰原──。

 自分の家の名が、その戦争の名に冠されている。

 

「……灰原聖杯戦争? どういうことだよ……。まるで、この町の名前みたいじゃないか」

 

 理央は小さく首を振る。

 その瞳の奥に宿るのは、怒りでも誇りでもなく、深い哀しみの色だった。

 

「この聖杯戦争は、私たち黒野家が“企画”し、“実行に移した”の。──灰原の霊脈を核としてね」

 

 彼女の言葉は淡々としていた。だが、そこにこもる重さは尋常ではなかった。

 

「灰原家の地脈は、かつてこの国でも稀なほど強大な魔力を孕んでいた。けれど、とある事件で……時代の変化で次第に腐食し、霊脈の均衡が崩れ始めた。そこで本家──黒野家がその霊脈を利用して、独自の“聖杯システム”を構築したの」

 

「……つまり、黒野家が……この戦争を作った?」

 

「ええ。本来の冬木の聖杯戦争とは異なる、実験的な儀式──“灰原聖杯戦争”。霊脈の暴走を制御し、同時に聖杯の再現性を試すための、危険な模倣実験」

 

 理央は、胸の前で指を組み、わずかに視線を落とした。

 

「私はその監視役であり、実験参加者のひとり。黒野本家の指示で、セイバーを召喚した。それが、私の“役目”」

 

 誠はしばらく言葉を失っていた。

 風が吹き抜け、灰の粒が二人の間を流れていく。

 

「冬木って?」

 

 誠の問いに、理央のまつげがわずかに揺れた。

 それは一瞬の間だったが、確かに彼女の表情からは「落胆」が読み取れた。

 

「……やっぱり、知らないのね」

 

 理央は静かに呟き、視線を逸らす。

 灰が肩に積もるのも構わず、彼女はわずかに首を傾けて言葉を探すように息を整えた。

 

「“冬木”は、聖杯戦争の原型が行われた都市。そこでは、約二百年前に“聖杯”という万能の願望機を実現するための儀式が、最初に行われたの」

 

「……聖杯戦争の、原型?」

 

 誠は思わず聞き返した。

 理央は腕を組み、冷めたような声で答える。

 

「そうよ。まぁ、歴史の勉強はまた時間のある時にでもしましょう」

 

 理央は誠の質問に小さくため息を漏らした。

 もうこれ以上の説明は時間の無駄だと言わんばかりに、視線を灰の舞う空から誠へと戻す。

 

「……とにかく、今はこの話はここまでにしましょう」

 

 その声には、明確な命令の響きがあった。

 誠が言葉を挟むより早く、理央は続ける。

 

「あなたが“生きている”という事実──それは、もうすでに全ての陣営に知れ渡っているはずよ」

 

 誠は喉の奥がひりつくのを感じた。

 誰かに見られている──そんな感覚が、背中を這い上がる。

 

 理央は冷たく言い切った。

 

「だから、今あなたが真っ先にやるべきことは、“目立たないこと”」

 

「……目立たない?」

 

「ええ。今のあなたは、狙われる側なのよ。魔術もろくに使えないマスターなんて格好の的だわ」

 

 理央はそう言って、バーサーカーを一瞥する。

 バーサーカーは何も言わず、ただその瞳の奥で警戒の光を宿していた。

 

「サーヴァントは霊体化させておきなさい」

 

「霊体化……?」

 

「物質的な身体を霊的に変換して、視認できなくすること。本来、サーヴァントは戦闘時以外はそうしておくものなの。そうすれば、一般人にも他のマスターにも、あなたの位置を容易には察知されない」

 

 理央の口調は淡々としていたが、その一言一言に緊張が走る。

 バーサーカーは短く頷いた。

 

「貴方も、座を通じて基本的な知識は得ているはずよね? どんな英霊か知らないけれど、もう少しマスターに協力するべきじゃないかしら」

 

「ええ、しかし指示がなかったものですから」

 

 誠は二人のやりとりを見ながら、どうしていいかわからず拳を握る。

 自分だけがこの世界の常識を知らない。

 そんな焦燥が胸を締めつけた。

 

「……じゃあ、俺はどうすればいいんだ? 今日、この後……」

 

「教室に戻りなさい」

 

 理央の即答に、誠は思わず声を詰まらせる。

 

「は?」

 

「普段通りに過ごすの。授業を受けて、昼食をとって、放課後まで普通に過ごす。──それが一番安全よ」

 

 理央の声音は冷静だった。

 

「灰原聖杯戦争には幾つかルールが存在するの。そのうちの一つに、いたずらに一般人を巻き込まない、戦闘や暗殺は基本的に夜間或いは人目のつかない場所で、と定められているわ」

 

 誠は唾を飲み込む。

 理央の言うことは、どこか現実離れしているのに、妙に説得力があった。

 

「……殺し合いにルールなんか決めて、本当に守られるのか?」

 

 理央は頷いた。だが、その瞳の奥にはわずかな陰りが残っている。

 灰が二人の間に静かに降り積もる。彼女の声は次第に低く、しかし緊張を孕んでいた。

 

「その“ルール”を守らなければ、監督官からの“制裁”が下るわ」

 

「監督官?」

 

「ええ。聖堂教会の派遣者よ、今回は黒野本家がそれに当たるわ。聖杯戦争が『儀式』である以上、監視と秩序の維持が必要になる。ルールを破ったマスターには、処分が下される。酷ければ、即座に“排除”されることもあるわ」

 

 誠は思わず息を飲んだ。

 その言葉の中には、冷たく現実的な死の匂いがあった。

 

「……そんなに厳しいのか」

 

「当然よ。けれど──」

 

 理央の声色がわずかに落ちた。

 灰が一枚、頬をかすめて落ちる。

 

「全てのマスターが“律義に従う”とは限らない。むしろ、戦いが進むにつれて、誰もが手段を選ばなくなる監督官の存在すら、抑止力にならない時もあるわ」

 

 誠は息を呑む。

 その言葉が、冗談ではないと悟るには、理央の表情だけで十分だった。

 

「……つまり、ルールがあるけど、信用はできないってことか」

 

「そういうこと」

 

 理央は冷たく言い切った。

 

「だからこそ、今は“普通でいる”ことが最も重要なの。あなたが灰原誠として行動すれば、少なくとも日中は安全圏にいられる」

 

 誠は小さく頷いた。

 その表情には不安と、覚悟が入り混じっている。

 

「……わかった。放課後までは、普通にしてるよ」

 

「いいわ」

 

 理央は短くそう言い、踵を返す。

 

 灰の中、誠が歩き出そうとした瞬間──。

 

 隣で、理央も同じ歩幅で並んだ。

 ほんの数十センチの距離。

 ほとんど肩が触れ合うほどの近さだった。

 

「……おい、近くないか?」

 

 誠が戸惑いの声を上げると、理央は平然としたまま言葉を返す。

 

「当然よ。あなたを放っておけるわけがない」

 

 その声には、どこか硬い決意が滲んでいた。

 

「私はあなたを守る。──何があっても」

 

「……え?」

 

「もう二度と、灰原君を死なせたりしない」

 

 理央はまっすぐ前を向いたまま、そう告げた。

 その横顔は冷たく整っているのに、不思議なほど真剣で、誠には言葉を返せなかった。

 

 ただ、彼女の隣を歩くたびに感じるのは──

 空気の温度ではなく、張り詰めた“覚悟”そのものだった。

 

 灰の降る廊下を二人は並んで歩く。

 バーサーカーの姿はもう霊体化して見えない。

 だが、その存在の気配だけが、確かに彼らのすぐ背後にあった。

 

 理央と誠が教室の扉を開けた瞬間、教室の空気がざわりと揺れた。

 既に一時限目の授業は始まっており、黒板にはチョークの音が響いていたが、二人の登場でその音がぴたりと止まる。

 

 全員の視線が一斉に誠へと注がれた。

 

「灰原……? お前何時だと──」

 

 激昂した教師が何かを言うよりも早く、理央が一歩前に出た。

 

「先生」

 

 その声は、まるで教室の空気そのものを支配するように静かで、鋭かった。

 全員の視線が彼女に吸い寄せられる。

 

「灰原君は、体調を崩していたので私が保健室へ連れていきました。今朝は顔色も悪く、ふらついていたので」

 

 教師は一瞬、口を開きかけたが──理央の黒い瞳に射抜かれるように視線を止められた。

 そして、彼女はさらに一歩踏み込み、穏やかに微笑んだ。

 

「私が責任をもって介抱しました……席に戻って構いませんね?」

 

 その瞬間、教室の空気が凍った。

 教師は一拍の沈黙の後、何かに飲み込まれるように頷く。

 

「……あ、ああ……そうか。なら、席に戻れ」

 

 彼はそれ以上何も言わなかった。

 他の生徒たちも息を潜め、誰も言葉を発しない。

 

 誠は戸惑いながらも、理央の隣を通って席へ向かう。

 その背中を、理央が当然のように並んで歩いた。

 

 彼女の靴音は、誠とほとんど同じタイミングで響く。

 まるで二人の間に、見えない糸が結ばれているかのようだった。

 

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