Fate/You Died.   作:助兵衛

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第5話 儚い日常

 焦げた梁の影を、風が通り抜けた。

 灰がひとひら、誠の肩に落ちる。

 焼け跡の奥には、もう何も残っていない。

 かつて家だった場所が、ただの「灰溜まり」になっていた。

 

 誠は、ぼんやりとその光景を見つめていた。

 煙の匂い、血の匂い、焦げた木の残り香。

 それらが、まだこの場所に生きているようだった。

 

「なんで、こんなことに」

 

 呟いた声は掠れていた。

 すると、その背後から、低く、よく通る声が応えた。

 

「災難でしたね、マスター。命があるだけまだ……いえ、一度死んでいましたか」

 

 振り向くと、女狩人──バーサーカーがいた。

 バーサーカーは灰を踏みしめ、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 その瞳は相変わらず、獣のように光を帯びていたが、言葉の調子は穏やかだった。

 

「マスター、まずは現状の把握を。聖杯戦争について、何処までご存知ですか?」

 

 問いかけられて、誠はただ首を横に振るしかなかった。

 瓦礫の上に積もる灰が、風に揺れて落ちる。

 

「……何も。そんなもの、聞いたこともない。聖杯? 戦争? 何の話だよ」

 

 女狩人はほんのわずか、目を細めた。

 灰の光がその瞳に映り込み、獣のような光彩が瞬く。

 

「……そう。では、初歩から説明します」

 

 彼女は静かに言葉を継いだ。

 

「聖杯戦争──それは、“万能の願望機”と呼ばれる聖杯を巡って、七人の魔術師と七騎の英霊が殺し合う儀式です。各マスターは令呪という刻印を持ち、召喚した英霊──サーヴァントに命令を下す権利を持ちます。最後まで生き残った者が、聖杯を手にする」

 

 誠は手の甲にいつの間にか現れていた刻印を見つめた。

 血のように紅く、そのモチーフは何処か吊り下げられた人間を想起させる。

 

「……それが、この町で起きてるってことか?」

 

「はい、ですが──」 

 

 女狩人は焦げ跡を見渡し、ゆっくりと息を吐いた。

 

「この聖杯戦争は、少し異常です。本来、聖杯戦争は円滑な霊脈の上で行われます。けれどこの地の霊脈は何かによって腐食し、召喚も、令呪も、どこか歪んでいる」

 

 誠はその言葉を理解できず、目を瞬いた。

 

「……霊脈? 魔術? そんなの、俺は……」

 

「知らない?」

 

 バーサーカーの声が、わずかに低くなる。

 鋭い視線が、誠を見据えた。

 

「貴方は正規の手順では無いにせよ死を媒介に私を召喚した。ならば、“魔術師の家系”に属しているはずです。灰原は……この地の名ですね? 土地の名を冠する灰原家が、魔術と何の因果も無いとは考え難い」

 

 誠は言葉を失った。

 灰原、という名前が、喉の奥で引っかかる。

 聞き慣れたはずのその響きが、急に異物のように感じられた。

 

「魔術師……? うちの家は、普通の……いや、今はもう、誰も……」

 

「滅びたのですか」

 

 バーサーカーは静かに言った。

 その声音には哀れみのようなものが混じっていた。

 

 誠は、額に手を当てた。

 理解の範囲を超えた言葉が次々と投げ込まれ、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 

「……もう、わけわかんねぇ……」

 

 掠れた声が漏れる。

 霊脈、聖杯、魔術師、英霊──どれも現実味がない。

 けれど、焼け落ちた屋敷と、冷え切った血の匂いが、それが“夢ではない”ことを告げている。

 

 誠は膝に肘をつき、項垂れた。

 視界の端で、灰が降り続けていた。

 焦げた柱が風に軋み、遠くで瓦礫が崩れる音がする。

 

 どれくらいそうしていたか分からない。

 ただ、心の中で何かが静かに軋み、限界を超えていた。

 

「……くそっ……」

 

 吐き出すように呟き、頭を振る。

 こんな話を聞かされても、どうすればいいのか分からない。

 魔術師? 英霊? 聖杯戦争? 

 自分には、そんなもの関係ない。

 

 ──そうだ、関係ない。

 俺はただの学生だ。

 ……そう、学生。

 

 誠はふとポケットに手を突っ込み、スマホを取り出した。

 ひび割れた画面に、時刻が映る。

 

「……七時!? もうそんな時間……!」

 

 慌てて立ち上がる。

 バーサーカーが一瞬、目を瞬いた。

 

「……時刻?」

 

「やばいやばい、遅刻する! 支度してない! 制服は……予備も燃えちゃったのか!?」

 

 誠は焼け跡を蹴るようにして走り出そうとした。

 だが、バーサーカーがすかさずその腕を掴む。

 手袋越しに、異様な冷たさが伝わってきた。

 

「お待ちを、マスター」

 

「時間が無いんだ! 学校行かないと!」

 

「正気ですか?」

 

 バーサーカーの声が低くなる。

 

「ここは既に戦場です。あなたは聖杯戦争に巻き込まれた“マスター”。他の陣営に見つかれば──次は確実に殺されます」

 

「だからって、何処かでじっとしてろって? そんなの無理だろ!」

 

 誠は声を荒げる。

 

「聖杯戦争だか何だか知らないけど、俺には来年受験があるんだ! 学校行かなきゃ、成績落ちるし、出席日数だって──」

 

 バーサーカーは、呆れたように小さく息を漏らした。

 

「……本気で言ってます?」

 

「本気だよ! 俺は魔術師なんかじゃない、昨日のことはもう十分だ!」

 

 その叫びは、半分は現実逃避で、半分は祈りだった。

 

 灰が風に舞い、朝日が昇り始める。

 朝の光が、まだ煙の残る瓦礫を淡く照らしていた。

 

 誠は息を切らし、廃墟を背に走り出した。

 

 焼け焦げた屋敷を離れるたび、胸の奥が痛む。

 それは昨夜、藍沢紗月の刃に貫かれた腹の奥──確かに“死んだ”はずの場所だった。

 服の裾には乾ききらない血がこびりつき、裂け目からは生々しい穴が覗いている。

 

 朝の通学路。

 灰は今日も降っている。

 数日前からずっと、止む気配がない。

 それなのに、すれ違う人々は、まるで灰など見えていないかのように足早に歩いていた。

 制服姿の学生たち、通勤中のサラリーマン、老夫婦。

 誰一人として、空を見上げない。

 異常な灰は、すでに日常として受け入れられつつあった。

 

 誠は肩で息をしながら、道端の鏡越しに自分の姿を見て愕然とした。

 顔は煤と灰で真っ黒に汚れ、頬には血の跡が乾いて線を描いている。

 髪は焼け焦げて固まり、制服の袖には血の滲み。

 これで学校へ向かうなど、正気の沙汰ではない。

 けれど、足は止まらなかった。

 

「くそっこんな格好で……せめて顔だけでも洗えば良かった……いや、とにかく学校に行って、それから……」

 

 理屈ではない。

 ただ、“日常”へ戻りたかった。

 あの夜の惨劇を、悪い夢にしたかった。

 学校へ行き、教室に座って、他愛もない話をして。

 そうすれば、すべてが“元通りになる”ような気がしていた。

 

 背後から、ほとんど音もなく気配がついてくる。

 振り返るまでもなく、それがバーサーカーだと分かった。

 長身の女狩人は、誠のすぐ後ろを一定の距離を保って走っていた。

 灰の降る中、外套の裾が風を裂く。

 息ひとつ乱さず、足音さえ立てない。

 その姿は、まるで影のようだった。

 

「はあ……はあ……なんで……俺だけ……こんな目に……」

 

 息が白く散る。

 街の空気は冷たく、重い。

 灰は降り止まぬまま、歩道の上に薄く積もっていた。

 靴跡が残るたび、灰が舞い上がり、朝の光を反射してちらちらと光る。

 

 その後ろで、バーサーカーが黙々と歩を合わせる。

 彼女の足は灰を踏んでも沈まず、まるで空気を滑るようだった。

 長い影が誠の背中に重なり、灰の中を二つの影が駆けていく。

 

 街の端に差し掛かる頃、ようやく住宅地の風景が見えてきた。

 瓦屋根の上にも灰が積もり、車のボンネットは白く霞んでいる。

 誰もそれを不思議がらない。

 まるで、この街だけが別の“理”で動いているかのようだった。

 

 誠は灰を蹴り上げながら、坂道を駆け抜けた。

 住宅地を抜け、商店街を横切る。朝の空気は冷たく、喉に刺さるようだ。

 息は乱れ、腹の傷がじくじくと痛む。それでも止まらない。

 周囲の視線が突き刺さるのを感じていた。

 

 すれ違う人たちは、誠の姿を見て足を止めた。

 顔は煤に汚れ、制服は破れ、腹部には乾いた血の跡。

 まるで交通事故に遭った直後のような有様だった。

 しかし誠は、周囲の反応など一切気に留めない。

 ──気づかれたら、説明できない。

 そう思うよりも先に、ただ「急がなきゃ」という焦りが全身を支配していた。

 

「おい、あれ灰原じゃね?」

「え、なにあの格好……映画の撮影?」

「まじで? 血ついてんだけど……」

 

 誰かの囁き声が背後で弾ける。

 灰が朝日を反射して、街全体を鈍く霞ませていた。

 バーサーカーはそれらの人々の間を音もなくすり抜ける。

 誠のすぐ背後を、影のように滑るように追随していた。

 

 学校の校門が見えてくる。

 心臓が破裂しそうなほど脈打っている。

 時計を見る余裕もない。

 チャイムが鳴る──そのほんの数秒前。

 

 誠は、勢いよく下駄箱を駆け抜け、廊下を走った。

 教師の叱責が飛んでくる暇もない。

 階段を二段飛ばしで上り、2年の教室の扉を勢いよく開け放つ。

 

 ──ガラッ。

 

 その瞬間、教室中の視線が一斉に誠へと向いた。

 ざわ、と空気が揺れる。

 

「……お、おい灰原……?」

「なにその格好……」

 

 笑い混じりの声があちこちから上がる。

 誠は立ち尽くし、息を荒げたまま、必死に笑おうとする。

 

「あーいや……はは、ちょっとね。家が火事で、焼けちゃって……全然大丈夫」

 

 震えた声。

 けれど、彼の全身から漂う焦げた匂いと血の色は、冗談には見えなかった。

 それでもクラスメイトたちは、半ば本気で心配しつつも、笑いを交えて応対する。

 

 誠は乾いた笑みを返そうとした。

 だが、教室の奥──窓際の席に座る黒野理央の視線に気づいた瞬間、呼吸が止まる。

 

 彼女は、机の上に開いたノートの上でペンを止めていた。

 その表情。

 いつもは無機質なほど無表情な彼女の顔が、今だけは揺れていた。

 

 黒野理央の瞳が大きく見開かれている。

 息を呑む音が、教室の喧騒の中で微かに響いた。

 

 その視線は──驚愕と、恐怖と、そして信じがたい“現実の確認”の入り混じったものだった

 

 黒野理央が、立ち上がった。

 

 その瞬間、教室の空気が凍りついた。

 ガタリ──と椅子の脚が床を擦る乾いた音だけが響く。

 誰もがその音を聞き、反射的に視線を彼女へと向けた。

 

 黒野理央。

 入学式の日以来、まともに教室に現れたこともなければ、誰かと話す姿を見た者もいない。

 休み時間も、放課後も、彼女はまるで世界の外側にいるかのように沈黙していた。

 声をかけても返事はなく、感情の一欠片すら見せない。

 だから、彼女が“動いた”──そのただ一点だけで、教室中の時間が止まった。

 

 理央の目は、誠を見ていた。

 その双眸は、これまで誰にも向けられたことのないほどの鮮烈な光を宿している。

 

 無表情を突き破るように、瞳孔が大きく開いていた。

 ただ──そのまなざしだけが、誠の姿を射抜いていた。その指先は机の縁を強く握り、白くなっている。

 

 理央が一歩、踏み出す。

 その動作だけで、教室の空気がさらに強張った。

 

「……黒野が、動いた……?」

「な、なんだよ……どうしたんだ、あいつ……」

 

 誰かが小さく呟いた。

 その声さえ、他の生徒たちの息を詰まらせる。

 彼女が何をしようとしているのか、誰にもわからない。

 ただ、教室全体が彼女の動き一つで支配されていた。

 

 理央の足音が、床に静かに響く。

 制服の裾が揺れ、長い黒髪が肩を滑る。

 その瞳からは、普段の無感情さが完全に消えていた。

 代わりに宿っているのは──驚愕と、恐怖と、そして焦燥。

 

「灰原……誠……無事で……」

 

 掠れた声が、ようやく零れた。

 その瞬間、教室の扉が音を立てて開く。

 

 ──ガラリ。

 

 視線が一斉に扉へと向かう。

 次の瞬間、全員が息を呑んだ。

 

 そこに立っていたのは──“異物”だった。

 

 身の丈は一八〇センチ近く。

 日本人離れした長身と、研ぎ澄まされた肢体。

 中世の物語からそのまま抜け出してきたような、煤けた革の狩人服。

 腰には銀色の刃、肩には黒い外套。

 その全てが、この現代の教室という空間に、あり得ないほど浮いていた。

 

 そして何より──その顔。

 人形のように整いすぎた輪郭。

 白磁のような肌。

 爛々と輝く獣のような瞳。

 まるで“美”と“異形”が同居した存在。

 

 バーサーカーだった。

 

「マスター、私は部屋の外にて待機していればよろしいですか?」

 

 彼女はゆっくりと、教室の中に足を踏み入れる。

 革靴の底が床を叩く音が、異様なほどはっきりと響く。

 そして──誠の方へと、真っすぐに歩み寄った。

 

「……っ、え、誰!?」「モデル?」「え、やば……コスプレ?」「映画の撮影?」

 

 ざわめきが、教室中に広がる。

 誰かが笑いながらスマホを取り出し、写真を撮ろうとした。

 

 ──その瞬間。

 

 裂くような声が響いた。

 

「──なにをしているの!」

 

 怒号のような、しかし震える声。

 教室中の空気が一瞬で揺らぎ、誰もがそちらを振り向く。

 

 黒野理央が、誰から見てもわかる様に激怒していた。

 

 理央は躊躇なく、教壇の列を踏み越えた。

 クラスメイトたちは道を開けるように後ずさる。

 床に響く足音が鋭く、まるで刃のように冷たかった。

 

 誠が驚いて一歩退こうとしたその瞬間──

 理央は彼の手首を、強く掴んだ。

 

「黒野……? な、なんだよいきなり……!」

 

 誠の声が震える。

 理央は答えない。

 そのもう一方の手で、今度はバーサーカーの手首を掴んだ。

 

 クラスの誰もが息を呑む。

 細い腕が、異様なまでの力で二人を引き寄せた。

 

「外へ出るわ。今すぐに」

 

「は、はあ!? ちょっと待って」

 

「黙って!」

 

 怒鳴るというより、叫ぶような声だった。

 普段の冷淡な彼女からは想像もつかないほど、感情が露わだった。

 

「なにあれ……黒野、怒ってる?」「灰原なにしたの?」

 クラスメイトたちのざわめきが広がるが、理央は一瞥すらくれない。

 

 誠は引きずられるようにして廊下へ連れ出された。

 バーサーカーは抵抗せず、理央の手に導かれるまま歩く。

 しかし、その瞳の奥にはわずかな警戒の光が宿っていた。

 

 扉が開き、空気が一気に変わる。

 廊下の冷たい風が、誠の焦げた制服を揺らした。

 

「お、おい黒野! 出席日数が! 」

 

 理央が振り返る。

 その双眸には、烈火のような光が宿っていた。

 

「そんなもの、私がどうにでもする!!」

 

 その言葉には、迷いも遠慮もなかった。

 廊下に響く声が、校舎全体を震わせる。

 

 誠は絶句した。

 その勢いに押されて、まるで異世界に引きずり込まれるような錯覚を覚えた。

 

 理央は誠の手を放さないまま、廊下の奥へと進む。

 その後ろを、バーサーカーが静かに歩く。

 周囲の生徒たちは驚愕に目を見張り、誰一人として声を出せなかった。

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