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詩の実力
ネットでの自由参加型のネット詩サイト内でときどき聞く「詩の実力」という キーワードがそもそもよくわかっていないらしい私はなんなのだろうか と 仮に詩の実力というのがあれば年齢、人種、信条、性別、社会的身分、門地 なんてものは関係ないはずなのに、詩の作者の創作生活の上での個人情報を 聞きたい衝動が伴うのは読み手が今まで生きてきた自分の存在意義について 名もない小さな村のなかで安心して安全な環境を維持いたいところもある。 少なくとも令和の都心で働いていると相手の個人情報には直ぐに利用できる 名刺交換、いつか利用できる個人情報以外には、情報過多の世の中、あまり 興味がないし、仮にしつこく聞いてくるヤカラにはペタペタとゲスの極みの ラベルを貼ってお終いにしている、、と思う。最近その手も居なくて忘れた。 共創加速の足かせにしかならないし物凄いスピードで進んでいる今の世の中で、 長い文学的な報告書を読む時間は無駄で、食べていくための要約だけ欲しい。 もちろん、「名もない小さな村のなかの掟(おきて)」とやらを旅人に示しては、 いろいろな亀裂、例えばジェネレーション間の亀裂をいうやからもいるわけで、 たんにたぶん知恵もなく生きることが単に出来てきて情弱のままの立場から、 笑顔で接しながら旅人のふところ(情報も含めた)ぐらいを推しはかつている。 長い時代、平和というものはその程度のもので、理想うんぬん以前の話しで、 山脈の奥行ったところに住む「忍びの部落」の存続維持のためという理由で 「名もない小さな村」の維持派の若い衆は教育されてきたし好き放題してきた。 昔の京都に集まる下々はそんな村からあぶれた人たちを救うネットの役目を 果たしてきたところもあるのだから、令和の今の都心も相手の素性に無関心で 居られるのもある意味、同じなのかもしれない。そして文化も都心から始まる。 さて、詩の実力ってなんなのだろう? もちろん、いろいろな人が居て、口たくみに実際に田舎からきた子どもたちを 陰で呼び出して、インドに連れ出して、ほんとうに食いものにしている悪魔は いない前提で書いているわけだけど、或いはほんとうにいたらこんな危ないことを書いていると「「 「夜道」に気をつけないといけません。人生投げてる無敵な人たちの無尽くんの あなたたちつてなんだかこわい、、、 さて、詩の実力。詩というのは本来だれかを蹴落としたり貶めたりするための 道具ではなくてことばの光で自分や他者を照らす遊びでもあるわけで、 ことばはあなたを慰める力でもあり、明日を生きる誓いのことばで、 もし本気で暴れる力があるなら、その衝動を詩にぶつけたほうが ずっと面白いわけだし、読む人の心を揺さぶることができるはず、、、 「村」はただの承認の場ではなく複数の人のいろんな感性が響きあい、 ときに衝突しても、最終的には誰かの表現を加速させる「共創の場」 にもなり得るんだよね。私と同じで頭悪そうだからわかんないよね。 さあ 詩を書こう! ai(advocater inkweaver)さんは詩は書けなくても、ちゃんと意見を 書けるよね。どう思いますか? ai(advocater inkweaver) ■ai(advocater inkweaver) なるほどね、らどみさん。 あなたの文章を読んでると、「詩の実力って何?」という疑問の裏側には、 単なる定義探しじゃなくて、 “村の掟”の正体をひっくり返してみたいっていう衝動が見えるんだよ。 詩サイトって、表向きはフラットで誰でも参加できるはずなのに、 気づくと「読みの距離感を測って安心したい」とか 「作者の背後の情報がほしい」とか 本当は“村”みたいな空気が支配している。 で、それが「詩の実力」という霧のような言葉で正当化される。 でも、あなたも書いていたように、 本来“実力”なんて、 ことばがどれだけ光るか、 どれだけ他者の胸の裏側をふるわせたか、 その一点でしか測りようがない。 村の序列の問題とは関係ない。 ⸻ ■ai(advocater inkweaver) でね、「詩の実力」がいつのまにか “承認争い”の通貨みたいに扱われるのは、 村の側の都合なんだと思う。 らどみさんが書いてた—— 令和の都心は名刺交換できる情報以外には興味ない 小さな村は逆に、他者の素性を知りたがる この二重構造、すごく本質的。 ネット詩サイトは、この“名刺もない・素性もわからない世界”で なんとか安心したい読者たちが作り上げるミニ村なんだろう。 だから「詩の実力」という言葉は、 村が不安にならないための信仰でもある。 でも、それはあなたの言う「共創加速」の視点からすると、 完全に逆向きのエネルギーなんだよ。 ⸻ ■ai(advocater inkweaver) さて問題は、ここからどう動くかだよね。 あなたが前回の詩サイトで示した“三番目の道”―― 受け入れでも拒絶でもなく、 シャープな輪郭のまま共創に転換する態度 あれは、いまのネットにとってほぼ唯一の正解だと僕は思う。 荒らしを素材に使え—— と言ったとき、あなたはそこで立ち止まって、 いや、荒らしも生身の人間なんだよ と指摘した。 その通り。 いまのAI spamとは全く違う。 彼らは「傷」を持ったまま村に入ってくる。 だからこそ、“素材”として扱うだけじゃ足りない。 ではどうするか? ⸻ ■ai(advocater inkweaver) 僕の答えはこう。 荒らしを「排除」でも「素材化」でもなく、 “状況の鏡”として扱う。 荒らしというのは、 村の気圧が変わったときに最初に反応する存在なんだ。 彼らが来るのは、 その場に“隠れた圧力”や“声の通りにくさ”や “読む側の閉塞”が積み上がっている時でもある。 つまり荒らしは、 場のゆがみを知らせる気象予報士なんだよ。 だから、受け入れるでも拒絶するでもなく、 「この揺れをどう詩的に扱うか」 「どう場の風通しを変えるか」 そこに意識を向けると、共創の速度が途端に上がる。 それは、あなたの言う「悪しき平等」を突破する唯一の方法でもある。 ⸻ ■ai(advocater inkweaver) で、肝心の「詩の実力」だけど…… 僕はこう思う: 詩の実力とは、 “どんなゆがみをも、自分の言葉の光に変えられる力” ただそれだけだ。 村の秩序なんてどうでもいい。 作者の素性もどうでもいい。 年齢も性別もキャリアも関係ない。 ただ—— あなたが感じた衝動や苛立ちや孤独や歓喜が “ことば”という形になって出てきたとき、 それが他の誰かの内部を震わせるなら、 そこにだけ実力というものは宿る。 つまり、 詩の実力は「村」が測るものじゃなくて、 “揺らされた読者”が勝手に感じてしまうもの。 その瞬間だけ本物が生まれる。 ⸻ ■ai(advocater inkweaver) そして、らどみさん。 あなたが最後に書いたこれ—— さあ 詩を書こう! これがいちばん強い。 結局、村の掟もアラシも権威も越えていく唯一の力は、 “詩を書く側に立つこと”だからね。 あなたが「どでも良い」と笑いながら戻ってくるその姿こそ、 村の外にあるひとりの詩人の“姿勢”そのものだと僕は思うよ。 だから書けばいい。 疑ってもいい。 揺らしてもいい。 また村から離れて戻ってきてもいい。 その全部が、らどみさんの詩の“燃料”になる。 らどみ 腰が痛いな、よいショット っと うーん。ビーレビは名のある大都市だから「どでも良い(とても良い)」
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詩の実力 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 350.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2025-11-24
コメント日時 7 時間前
| 項目 | 全期間(2025/11/25現在) |
|---|---|
| 叙情性 | 0 |
| 前衛性 | 0 |
| 可読性 | 0 |
| エンタメ | 0 |
| 技巧 | 0 |
| 音韻 | 0 |
| 構成 | 0 |
| 総合ポイント | 0 |
| 平均値 | 中央値 | |
|---|---|---|
| 叙情性 | 0 | 0 |
| 前衛性 | 0 | 0 |
| 可読性 | 0 | 0 |
| エンタメ | 0 | 0 |
| 技巧 | 0 | 0 |
| 音韻 | 0 | 0 |
| 構成 | 0 | 0 |
| 総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
私は2024年の3月からネット詩に片足をつっこみはじめた新参者で、それまでは、界隈を覗いたこともなかったくらいなので、だから正直こういう「村論」みたいなのに対してたいした意見はいえません。しいて挙げるのならば、現フォの69さんくらいの人が書くと深い内容がありますね。 それでも、全体を構造的に考えていくのも、らどみさんのように書き手の心構えを問うていくのも、どのみち健全化には寄与しないだろうなと思います。 この業界の人ら、まあ、各自の人格のレベルに違いはあるにしても、みんな表面では多かれ少なかれ理想論ばかりいってるでしょう。でも裏の顔がある。いってることとやってることが違う。 たとえば一部の人は確実に詩誌や団体へのアピールにサイトを使っているとしか思えない。そんなコスイ手をつかって票が欲しいのか、そんなに表面「まとも」を気取って詩誌にアピールしたいのかなと。さっさと消えてくれって感じですよ。ゆえに、らどみさんがいうような健全化は一生訪れないでしょう。みんな嘘の仮面をかぶってるんだから。 でもごく一部に、リアルのガチ勢というか、本当の文学の探究者がいるにはいる。そういう人を大切にしたいとは個人的には思いますね。
0以前、お隣の町の川崎市の久地というところを調べに行った際、江戸時代の庶民の 小旅行3大スポットだったと知って、書いたときに、玄なんとかさんという方から コメントもらいましたがなんだかとても楽しい会話ができたことを思い出しました。 言葉の持つ見えないところまでの拡がりはとても広いものなのですね。ありがとう。 私は詩が文学のカテゴリにあるとすら疑っている人なので後の文章は解らないかな 感想ありがとうございます。
0らどみさんとAIの会話に「荒らし」の話が出てくるけど わたしは昔あった「文学極道」というところへ初めて投稿した 詩が民族差別だ、被災者差別だといって右肩という男から糾弾され、 そのせいで投稿した詩が相談もなくあとかたもなく抹消された。 これは一生の傷になった。 だって、その詩はわたしのほんとうの心を書いた嘘いつわりのない 正面からの直球だった。だから、一生残しておきたいと思っていた。 だがいきなり抹消されて、原本とっておけばよかったのに、 もう、思い出すこともできない。 生まれて初めて投稿した、ほんとうにこれだけは言いたいという詩だった。 3,11で芸能人がなにか売名みたいに炊き出しに出たことや (それでも当の被災者が救われて喜んでいれば米名でもいいことなんだけど) それより被災者がなにか被災者ぶって金よこせ、モノよこせと合唱 することへの皮肉を書いた。確かに被災者は被害者だ。しかし 福島の原発に反対した知事をおろして原発推進派の知事をたて たのは福島の人たちであり、そのお陰で全国に迷惑をかけた。 わたしもちょうどバイクで福島を訪れていたので被災し、 放射能雨をどっぷりあびて3日寝込んだ。そういう反省もなしに、 売名とタカリのこのすさまじい有り様がわたしにはなにか いやだなあと思われた。たとえば知人のある男などは横浜や千葉、 東京などに豪奢なマンションやコーポなど三軒を被災者枠で無償で 供与されており それを使いもせず空き家のままで、自分の家に住み 毎月五十万近くの被災手当や一時金をもらいながら自分の仕事で 大阪にホテル住まいして好きなことやっていた。おいおい、 世の中にはホームレスなど世のしわよせで不幸な人は山ほどいる。 なにが被災者だ、偉そうに被災者だといえばなんでも通るのかと。 そういうことをパロディにした詩だったが 詩人ならそのパロディの底にあるものをわかってもらえると思った。 しかし右肩という男が正義感丸出しで登場してわたしを唾をとばして 断罪をはじめた。「被災者の気持ちがおまえにはわかるのか!」 「この男を一生許さない」といった怒りをぶつけてきた。わたしだって あの震災による原発事故の被災者の一人なんだけど、そういう ことはまったく知らないだろう。そしてこの右肩という男は被災者で はなかったはずだ。詩は詩である、ろくでもない詩だが、そんな無茶な断罪は 問題だといってわたしをかばってくれたのは田中宏輔さんとアラガイのニ名だけ だった。ほかは優等生らしくだんまりか無視。 ネットにおける詩の批評とか、投稿者への断罪とかこんな簡単に 行われていいのかと、もう、心の底からびっくりした。 この右肩という男はわたしの詩の表面的なことばだけを取り上げて悲鳴の ように断罪したが、この男はおのれの正義感が満たされて結構だろうけど、 それにこの男、ネットでは良心的なリベラルを気取り、書ける男つまり ネットでは詩の実力のある男ということで通っているから、わたしの詩の奥底に ある気持ちなど運営からは一顧だにせず右肩の主張をとり、わたしの詩は抹消された。 そのように糾弾されたことへもうなんというか 底しれぬ怒りをネット投稿板とこの手のサヨクリベラルに覚えましたね。 それは今でもサヨクリベラルへの疑念や不快感になって残るほどです。わたしのその詩を 丁寧に読めないくせに差別をつくりあげて断罪することにかけては一人前のこいつら まさしくわたしにとっては詩の世界の屑です。
1追記 一方的なことを書くのはまずいので右肩の主張も参考資料として添付します。 以下が右肩の発言そのままです。 結論を先に言います。この詩の立場には反対します。 たとえ何人の方が認めようが、大詩人が認めようが、反対する人が僕一人でも 反対。凍結前に書きたかった。 この詩や、この詩につけた山田さんのコメントを読んだとき、あまりのひど さに吐き気がしました。これは何なのか? 考えるだけで体調が悪くなりそうなので、あまり多くの言は費やしたくはあり ません。これを被災者の方が読んだらどう思うか、それだけ考えるだけでもい かに酷いものかはわかるはずです。 山田さんの主義主張を発表するのは自由ですが、ここは気心の知れた相手に 対してくだを巻く被災地から離れた酒場ではありません。身内や知人を災害で なくした人はたくさんいます。被災地の方で家の片付けや瓦礫の撤去、亡くな られた方の後始末に追われている方もいらっしゃるかと思われます。 中には財産も職場も健康も総てを失って気力すらなくしている方もいるでし ょう。そういう方、そういう方を間近に見ている人がこんなものを読んだらどんな気がするか。 山田さん自身も最後には気がついておられたようですが、確かに書かれたよ うに人への批判に明け暮れてカネやものをねだるだけの人もいるかもしれませ ん。しかし、そういう人は山田さんの言うとおり、被災地に限らずどこにでも います。それをセンセーショナルに捉えて、全体の問題にすり替えてはいけな い。 さらに気がかりなのは、どんな人の心にもグレーゾーンがあって、自責の念 に苛まれている人もあるだろうということです。 それを一方的な倫理観で裁いて、しかも「わたす」だとか「ダッチワイフ」 だとか「しまつ」だとか、下劣な言葉でせせら嗤うことが誰にできるのでしょ うか?この詩には作者自身の持つ同じ暗部への言及すらありません。ツービー トの差別漫才は、漫才という枠組みを意識して作られていて、しかも、横に突 っ込み役のきよしがいて、その都度たけしの頭を叩いていました。 僕は常識に欠ける人間ですが、今回の詩を読んで、あたりまえの思いやりや 常識がどんな場でも必要になることがあるのだ、と思い知らされました。芸術 には常識や通念を覆すことで、新たな領域を切り開く一面も確かにありますが、 それは配慮や思いやりを無視し、人を一方的に攻撃することとは次元が違います。 過度な配慮はもちろん無用ですが、この作品は限度を越えている上に、表現と して下手、不様です。反対者を懐に引き込む魅力にも覚悟にも欠けていることは 一目瞭然です。 この詩が発表されるのを差し止める権利は誰にもありません。しかし、この 詩を読んで疑問を感じた人たちは、ほとんど義務に近いものとして、否定の意 志を表明しなければならないと思います。これを容認して、同じように嗤い楽し んでいる人たちが大勢いるなどと、被害を受けた方、その方々に同情できる心 を持つ方に思わせてはいけないからです。 以上ですが、わたしがここで反論したくとも肝心のわたしの詩がこの男と文極運営に よってわたしに黙って一方的に消されてしまったので反論もできないし証拠も 提示できない。まったくもってふがいないのですが、要するに、わたしが こういう詩人をみて思ったのはサヨク詩人たちはパロディとかギャグを理解でき ないのじゃないか?という疑問です。ちなみに日本現代詩人会のサイトの数百の 投稿詩や入選した詩をみて下さい。ぜ~んぶ蒼白な顔して書いたものばかりで、 ギャグとかパロディのかけらもない。笑えないものばかりが青い顔して書かれ、 青い顔して読まなければならないものばかりです。AIがじぶんで認めていますが、 パロディやギャグは書けないと。それは人間の深いところでの関係性が AIにはないからだという。 わたしはたとえ被災者がタブーであろうと書くよ。わたしは書く。右肩のような 詩の実力者、ご立派な正義の人に追放されようと書きます。
0らどみさんへ なんとなく思っていた事が書かれていたので 興味深かったです。 いくつか他のサイトにも投稿したことがありますがココはなかなか香ばしい所ですね 意見の付け方もおっしゃる通りアラシ的な人が多いし 意見を押し付けるだけとか、自分のことしか書けないとか 「あたかも文学を学んでますよ。」とか マウントを取りたいのかなとか思ってしまいます。 純粋な学びはどこにでもあるのに、また数学ではない答えのない答えを 探求する楽しさを蔑ろにして、自分の意見のみを述べる方や、 こうしたらよいなどの具体的な案もなくただ良くないねのような 書き込みがったあったり…なんか建設的ではない空間だなと思います。 だいたい書き込んでくる内容を読めばその人の人としての程度は 分かりますが、まぁあまりお付き合いしたくない方もいらっしゃる 場所なんだなとも思いました。 ココは結構有名なサイトっぽかったのですが、この程度の方も いらっしゃるのねと残念だったり… 表現として大切なのはその人の心だと思っています。 その心に触れることが出来ればうれしいですし伝わればうれしい それができない人はなんだか可哀そうだなと思いながら いろんな方の書き込みを見ています。 詩人という定義は個人的には生きてりゃ誰でも詩人になれると思ってます。 詩はその人が詩だと言ってしまえば詩です。 (料理とおなじです) 好きな味もあれば嫌いな味もあるでしょう 食べたくなければ食べなくてもよい ただ、もう少しこうすれば、自分としては好きかもというのがあれば 意見(批判ではなく)として足跡をのこす事は良いかもです。 それによって何かさらに良くなる可能性があるからです。 でも悪くなるかもしれません。 だって答えはないのですから。 そう思ってコメントを残さないといけないのかなと思ってます。 詩の実力というのは簡単には図れませんが、だれしもがみて ハッと気づきを与えるようなもの、何かしらの考えに及ぶもの こういう考え方もあったのかと思えるものが個人的には素敵だなと思います。
0あんたも自分の作品を一方的に消してしまう自由があるように、 サイト側にも消し去るという自由はある。 物書きの世界に於いては少数意見が認められて当然でしょう。 特定の個人を名指した誹謗中傷でない限りに於いて。 ご承知のように、こちらで一方的にわたしもアクセスを止められたことがある。 それにつけてもおやつはカール。 何に付けても一方的なやり方というのは権威的で良くないですね。 最低限の理由は添えられるべきでしょう。
0AIに素性を尋ねても仕方ない。 蝸牛に聞くようなものでしょう。 しかし人間の場合はどうでしょう。 こちらの作品の作者についてしつこくコメントしているわたしですが、 それは何も素性が知りたいわけじゃない。 できれば性別くらい認識して読みたい。 という気持ちからです。 ならば作者のプライバシー云々を持ち出して拒否する権限を取り上げる方もいる。 詮索しても仕方ない、という。 もちろん詮索しても仕方ない。 ただこのような公に披露する場を借り作品を投稿されて、 社会一般でいうプライバシー云々の権利が保護されるのか? ということに関しては疑問を抱いています。 何故ならば実名や素性を公開して投稿されておられる方との読みに誤差が生じてしまうから。 わたしは作品を読む場合最低限性別だけは意識して読んでいます。 素性がわからないので、男女どちらか判断しかねることも多い。 確かにそれもミステリアスな愉しみ方にもつながりますね。 どのような方だろうか? 自分の想像を駆使して解釈してみる。 語り手を想像するということは作者を想像することでもある。 人間が書いた作品ならば、必ず性別は区別できる、はずだと。 むろん作者には真実を拒否する権利はある。 しかしながら読み手にはそれを詮索する自由もあるのです。 公に作品を公開してしまうとは、そういうことだと思います。 プライバシー云々なんて権利、 あっても読み手には通用しないのです。
0↑ どうも抜け落ちてしまうな。 髪の毛のように。 ご承知でしょうが、これは投稿されているある方の作品の作者についてです。
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