中東問題のいま~パレスチナの現状とパレスチナ国家承認への動き

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Kyoto University volunteer study group on Middle East Issues

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京大中東学習会 NFオンライン展示

※本展示は2025年4月22日弊会主催講演会「中東問題と日本の役割~戦争の背景を考え、パレスチナ和平の可能性を探る」講演会資料をもとにしています。そのため、本資料にかかる著作権は、同講演会講師の宮田律氏に帰属しています。本資料の二次使用を希望する方は、必ず弊会へのご連絡をお願いいたします。

メールアドレス: ku_mestudy_2025[at]outlook.jp


~動画特集~

以下のpptxは、宮田律氏制作の、パレスチナ問題についての動画特集となっています。本展示の内容に関連する動画が多数掲載されております。

※空爆の場面など、衝撃的なシーンが多く含まれます。閲覧時にはその点にご留意ください。

中東問題と日本の役割.pptx

京都大学中東学習会、11月23日(日・祝)講演会開催決定!

京都大学中東問題を考える有志学習会

2025年11月祭講演企画


第一部: 2045ビジョンと平和〜前広島市長・秋葉忠利氏講演会
 昨年、被団協がノーベル平和賞を受賞し、世界の目は再び核廃絶に向けられている。それは、世界が依然として核の脅威にさらされているからであり、唯一の戦争被爆国を標榜する日本の役割が問われている。 

 核廃絶もガザを含めての平和創出も、最終的には世界の世論が創出する。その主体として我々は何をなすべきか、核廃絶を目指す「2045ビジョン」を掲げて平和活動を続ける秋葉忠利氏をお招きして、考える機会とする。

講師: 秋葉忠利 氏

前広島市長(1999~ 2011)。東京大学理学部数学科卒業後、MITで博士号取得。広島修道大教授、衆議院議員(3期)を経て、広島市長に就任。著書『報復ではなく和解を』(岩波書店)、『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』(法政大学出版局)他。



第二部: 中東和平と政治の役割〜人道外交議連・阿部知子氏講演会    

 イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への大規模攻撃は止む気配を見せず、日本を含めた国際社会による中東和平創出が喫緊の課題となっている。日本国は一貫してイスラエル・パレスチナ両国の「二国間解決」を支持しており、パレスチナを国家として承認することがその前提であることは言うまでもないが、日本政府は今回、パレスチナ国家承認を見送った。その中で、人道外交議連としての今後の取り組みを、事務局長の阿部知子氏に聞く。

講師: 阿部知子 氏

衆議院議員(9期)。東京大学医学部卒業後、徳洲会病院小児科での勤務を経て、現職。2024年、パレスチナ・ガザ地区の惨状を受け、現首相である石破茂氏を会長とし、超党派の「人道外交議連」を設立。パレスチナ国家承認やUNRWA支援を政治の現場から働きかけている。


※日本語のみ
会のHPはこちら☞https://ku-midwest-study.jimdosite.com/ 

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はじめに

2025年1月3日、WHO(世界保健機関)は、ガザの36の病院のうち16の病院が部分的に稼働し、20の病院が閉鎖に追い込まれたと報告している。中東イスラム諸国ではガザの傷病者の受け入れにエジプト、カタール、アラブ首長国連邦、トルコ、アルジェリアなどが多数受け入れている。中東イスラム域外ではヨーロッパのアイルランドが受け入れに熱心で、24年12月20日にスティーブン・ドネリー保健相は8人の子どもたちが8人の保護者と11人の兄弟を伴ってダブリンに到着したことを報告した。アイルランドは、ガザから合計で最大30人の小児患者を受け入れる計画だ。がん、透析患者、その他の重篤な病状を持つ子どもが対象となる。


イスラエルとの休戦が実現してガザではハマスの兵士たちの姿が多数見られた。避難したパレスチナ人は破壊された居住区に戻ったが、一方ガザの自警団は瓦礫の下に埋もれた推定1万人の遺体を回収する作業を行った。イスラエルの戦争目的はハマスの打倒、つまりその軍事部門の解体や、イスラエル人人質を取り戻すというものだったが、そのどの目標にも到達することができなかった。ネタニヤフ首相は昨年2月7日に「完全勝利は手の届くところにある」と述べ、そのちょうど2カ月後の4月7日にガザでのハマスとの戦闘における「勝利まであと一歩」だと発言した。23年10月のハマスによる襲撃以降、ガザで拘束されている「人質の帰還なしに停戦することはない」と繰り返し表明した。しかし、人質の全員帰還はいまだに実現していない。

ユダヤ人のナショナリズムであるシオニズムが「解のない方程式」をもたらした

シオニズム→ヨーロッパで国民になれないユダヤ人たちが自分たちの国をパレスチナ(=シオンの丘)に建設しようとする考えや運動

フランス革命(1789年)によって一つの国家は一つの民族によって構成されるという「ネーション・ステート(国民国家)」の考えが生まれ、ドイツやイタリアでは国家統一運動が進展したが、ヨーロッパの国民になれなかったのは、キリスト教徒ではなかったユダヤ人(ユダヤ教徒)たちだった。→ユダヤ人たちにはそれならば、自分たちも自分たちの国をもとうという考えが生まれたが、その国家建設の場は彼らが2000年近く前まで住んでいた「シオン(旧約聖書ではエルサレムの別称)」だった。←シオニズムの誕生

 

テオドール・ヘルツル(ハンガリー・ブタペスト生まれのジャーナリスト:1860~1904年)は、フランスでユダヤ人将校ドレフュス大尉に対する冤罪事件であるドレフュス事件に大きな衝撃を受けてシオニズムを体系化、理論家した→『ユダヤ人国家(Der Juden Staat)を著す(1896年)→翌年、スイスのバーゼルでシオニスト会議を開き、世界シオニスト機構を創設→パレスチナへのユダヤ人の移住(=アリヤー)が促進されていく

◎アラブ・ユダヤの対立・拮抗関係が現れるのは第一次世界大戦

・ヨーロッパ帝国主義の介入によって弱体化したオスマン帝国の支配下にあったパレスチナ→19世紀に国際政治の焦点に

  「聖地(エルサレム)管轄問題」→カトリック教会とギリシア正教会の争い

  英国・フランス→カトリックを支持、ロシア→ギリシア正教会を支援

  ロシアはオスマン帝国下のギリシア正教徒を自国の保護下に置く権利を要求

  →クリミア戦争(1853~56)に

第一次世界大戦でオスマン帝国に勝利しようとした英国の「三枚舌外交」

.「フサイン・マクマホン書簡」(1915年7月~1916年3月)

   アラビア半島と東アラブに独立アラブ王国を建国する約束をアラブに与える

   →「アラブの反乱」を起こしてオスマン帝国を「内」から揺さぶる

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 .「サイクス・ピコ協定」(1916年5月)

→ところがアラブに与えるとして東アラブ地域を戦後英仏で分割、パレスチナ地方中央部は国際管理下に置くという密約を結ぶ

 

.「バルフォア宣言」(1917年11月)

      パレスチナにユダヤ人の民族郷土を建設することを支持する

   →シオニストがパレスチナにおける英国支配の確立や、英国の戦争努力を支援することを期待

                ↓

アラブに衝撃を与え、ソ連政府がサイクス・ピコ協定を暴露したこともあってアラブ民族主義者の中にはトルコと単独講和を結ぶ動きもあった

サンレモ会議

1920年4月25日に成立したサンレモ会議決議では、英仏の委任統治がパレスチナ、シリア、メソポタミア(イラク)に認められ、シリアとメソポタミアは独立することになっていたが、パレスチナにユダヤ人の故国を建設されることが認められた。(サイクス・ピコ協定の追認とバルフォア宣言の履行の明記)これは、パレスチナ人の民族的意思を考慮せずに行われたものであったが、現在、ユダヤ人国家イスラエルへのパレスチナの帰属を、このサンレモ会議の決定を根拠とするイスラエル政府関係者もいる。ドイツの山東半島での利権を引継ぎ、また太平洋の島嶼の委任統治への賛成を得たい日本はサンレモ会議決議に賛成した。参加国:イギリス、フランス、イタリア、日本、ギリシア、ベルギー

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◎英国による委任統治

 ・エルサレムを中心とするパレスチナ中央部=英国の委任統治下に置かれる

  1922年-委任統治規約の調印→英国の委任統治が国際連盟で追認

  統治規約前文←バルフォア宣言が引用され、シオニズム運動に同情的←英国のシオニスト、ハイム・ワイツマン(後のイスラエル初代大統領)らのロビー活動

 

パレスチナ国家を否定するシオニズムの思想的展開

 

シオニズムはヨーロッパで国民になれないユダヤ人たちが自分たちの国をパレスチナ(=シオンの丘)に建設しようとする考えや運動

 

①    労働シオニズム

=社会主義思想によって影響される。デヴィッド・ベングリオン(イスラエル初代首相)らによって推進された。土地を開墾し、農業共同体であるキブツをつくり、キブツの住民は皆平等であるとし、社会主義のモデルを示した。


修正シオニズム

=パレスチナの地はトランスヨルダンの一部までを含むと領土的絶対性を説く。全パレスチナをユダヤ人国家の領域とすることを主張。ウラジミール・ジャボチンスキーによって提唱された。ベタル(Betar)という戦闘集団を結成し、英国委任統治政府に対するテロ活動を展開。軍事力によってユダヤ人の領土の拡大を考える。←現在のネタニヤフ首相にまで継承される


パレスチナ全域をユダヤ人が支配するという領土的絶対性を説く修正シオニズムのイデオロギーを創始したウラジミール・ジャボチンスキー(1880~1940年)は、現在からおよそ100年前の1923年に『鉄の壁』というエッセーを書き、力によってアラブ人を屈服させることを説いた。


「アラブ人との合意を得ることができる唯一の道は、鉄の壁である。それはいわば、いかなるアラブの圧力をも敵としないパレスチナにおける強力な権力なのだ。」(ジャボチンスキー『鉄の壁』)

http://www.asyura2.com/0505/holocaust2/msg/540.html

 

イスラエルにはこの修正シオニズムの潮流が強くあり、アラブ人との妥協は危険という考えが根づいている。1993年のオスロ合意を推進したイツハク・ラビン首相は暗殺され、イスラエル国内ではイスラエルに隣接するパレスチナ国家との共存という考えは終わったかのようにも見える。


ポグロムやナチスの強制収容所の記憶は、イスラエルの学校では繰り返し教えられ、アラブ人は我々がユダヤ人だから攻撃するという考えが浸透するようになり、それがパレスチナ人に対する大規模な暴力を肯定する傾向になっている。パレスチナ人の抵抗はナチスの暴力にたとえられ、1982年にレバノン侵攻を行ったメナヘム・ベギン首相はPLOのアラファト議長をヒトラーだと形容した。イスラエルは1982年にレバノンの首都ベイルートに対する無差別な大規模空爆を行ったが、ナチスとの比較は現在のガザ攻撃を正当化する際ににも用いられている。

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宗教シオニズム

現代の宗教的シオニズムの主要なイデオローグはラビ・アブラハム・アイザック・クック(1865~1935年)であり、彼はユダヤ法に照らしてシオニズムを正当化し、若い宗教心の強いユダヤ人にパレスチナの土地への入植活動を支援するよう促し、世俗的な労働シオニストにはユダヤ教をもっと考慮するよう促した。クックはシオニズムを、ユダヤ人の祖国への再定住をもたらす神の計画の一部であると見なした。これによりユダヤ人、ひいては全世界にゲウラ(「救済」)がもたらされ、ユダヤ人の故国が再建されることによって、世界的な調和が達成された後、救世主(メシア)が現れると説いた。

 

現在、宗教シオニストはイスラエル極右の政治勢力を構成し、近年ではスモトリッチ財務相の「宗教シオニスト党」を支持する者たちが少なくない。2005年にガザから撤退したユダヤ人入植者の大半や、現在ヨルダン川西岸の占領地の不当入植地に住むイスラエル人にも宗教シオニストが多い。彼らは国際法による「占領地」という意識などもつことなく、ヨルダン川西岸は神から与えられた土地であるとひたすら考える。

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ユダヤ人のパレスチナ移住に参加した第三帝国とホロコースト

ヒトラー→シオニズムをドイツ国家への同化傾向をとるドイツのユダヤ人コミュニティーに対するアンチテーゼとして肯定的にとらえ、ドイツからのユダヤ人の排斥を促進しようとした

         

  1933年~37年=パレスチナはナチスの移住政策の好ましい目的地

  「人種的健全(Racial Healthy:ヨーロッパにユダヤ人のいない状態を創る)」を追求するヒトラーにとってドイツ国内からのユダヤ人の流出は願ってもない現象であった

  

  パレスチナ・アラブ人→シオニズムや英国に対してドイツの外交的・財政的・物質的支援を期待

 

    ドイツ→パレスチナ問題に関しては英国の行政に忠実の立場→パレスチナ人に対して冷淡

  

  パレスチナにおけるアラブ人の反シオニズム組織=「アラブ高等委員会」(エルサレムのムフティー(イスラーム法の解釈を下す法官)であるアミーン・アル・フサイニーが指導→武器の供給など支援をドイツに期待←ドイツは一貫して不介入

 

  1938年1月-ヒトラーはドイツからの迅速で、大量のユダヤ人の移住を再度提案  →移住先として明確にパレスチナを指定するようになる

 

 第2次世界大戦勃発→ドイツの「生活圏」がドイツ軍の占領によってポーランドなど東欧に拡大され、数百万のユダヤ人をその占領地内部に含むことになる

      ↓

  面積の狭いパレスチナはユダヤ人の移住先としてふさわしくないという考えがドイツ政府内部で強まる→マダガスカルが可能性のある移住先として考えられる

             ↓

  しかし、ドイツが制海権を掌握していなかったこともあって実現されずに1942年1月20日の「ヴァンゼー会議」でヨーロッパ全域に及ぶユダヤ人1100万人を対象に、東方(ポーランド)への移送、強制収容所での苛酷な労働、殺害など具体的な措置が論ぜられた→ホロコーストに

 

 第二次世界大戦終結後、ホロコーストの実態が明らかになるにつれて欧米諸国でユダヤ人への同情が急速に強まる

     ↑

 イスラエル国家成立の重要な背景に(ユダヤ人は特に欧米諸国の同情を集めた)

国連パレスチナ分割決議の採択

  1946年5月1日-英米委員会の声明→国連の権威の下に英国による統治の継続の意向を明らかにする→46年7月22日、ユダヤ人右翼軍事組織イルグンによるキング・デービッド・ホテルの爆破→英国人、ユダヤ人、アラブ人、100名余りが犠牲となる

         ↓

  英国→事態の収拾ができなくなったパレスチナ問題を国連の裁定に委ねる

  UNSCOP(国連パレスチナ問題特別委員会: 1947年5月15日成立)の勧告→パレスチナをユダヤ人国家、アラブ人国家に分割し、エルサレムを国連の信託統治下に置く←アラブ側は強く反対(アラブ側から見れば、ホロコーストの背景となったユダヤ人問題はあくまでヨーロッパ・キリスト教世界の問題であり、分割決議はアラブの犠牲においてヨーロッパが抱える問題の解決を図ろうとするものであった)

        ↑

  ユダヤ人人口はアラブ人に比べはるかに少なかったにもかかわらず、決議はパレスチナ全域の55%をユダヤ人国家に与えるとしていた

 

  1947年10月9日-トルーマン政権→パレスチナ分割案に賛成の意向を表明

                ↑     

    在米シオニスト社会の圧力-「かりにパレスチナ分割決議案に賛成しない場合、大統領選挙でトルーマンはユダヤ人票を失うだろう」→実際に48年の大統領選挙で75%のユダヤ票を獲得し、僅差で勝利

 

国連分割決議への疑問

パレスチナは第一次世界大戦でトルコのオスマン帝国が敗れるまで支配していたところであり、パレスチナに住むアラブ人たちが居住を続けるところでもある。本来ならば、パレスチナに主権をもつのは「パレスチナ人」であり、イギリスがユダヤ人の国家建設を約束したバルフォア宣言も、また1947年の国連分割決議も、パレスチナ人の意思や民族自決権を侵害するものだ。パレスチナ分割決議を無効だと主張する国際法学者は、国連総会は憲章上領域の帰属について決定を下す権限をもっていないこと、分割決議は内容的にパレスチナ人の自決権を侵害していることなどを指摘した。

 

パレスチナの住民の大多数が合意していない、パレスチナの領土分割、ないしはパレスチナのいかなる都市、またはその一部に対する恒久的な信託統治を含む他のいかなる解決案を、勧告する権限はない

https://core.ac.uk/reader/83616070 

 

・パレスチナ分割決議の採択(1947年11月: 国連総会決議181号)

 

イスラエル国家の独立と第一次中東戦争

 →パレスチナに対する英国の委任統治の終了(1948年5月14日)=イスラエル国家独立宣言←イスラエルとアラブ諸国の戦争に(第一次中東戦争)


  アラブ諸国軍=シリア、レバノン、トランスヨルダン、イラク、エジプト

   (エジプト軍→エジプト政府の上層部が腐敗していたこともあって有効な軍隊ではなかった)ナセル→エジプトの国内改革の必要性を痛感


 ・緒戦において戦局はアラブ軍に有利に展開→国連による調停→1948年5月20日、国連安保理→スウェーデン人で、スウェーデンの赤十字社代表のフォルケ=ベルナドッテ(Folke Bernadotte)伯爵を国連のパレスチナ問題調停役として任命→9月16日、ベルナドッテ→国連総会に1947年11月の分割案の変更を推薦=ネゲブ地方をアラブ人に割譲(分割決議よりユダヤ人国家への割り当てが減少した)→9月17日、ベルナドッテ=エルサレムでユダヤ人テロリストによって暗殺される


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イスラエル国家の独立と第一次中東戦争

 

・イスラエル軍→士気が高く、武器、装備の点でアラブ諸国よりも優れていた

  東エルサレムを失ったものの、次第にアラブを圧倒

  1949年の1月から7月にかけてロードス島においてイスラエルとアラブ諸国の間で個別に休戦協定が成立→休戦協定によって領土の処理は戦争の結果によってもたらされた→パレスチナ全土の約75%がイスラエルの支配下←国連パレスチナ分割決議で、ユダヤ人の国に割り当てられていた地域(パレスチナ全土の55%)を上回る

 

 ・1950年、トランスヨルダンのアブドゥッラー国王→占領下においていたヨルダン川西岸と東エルサレムを自国領に併合→1951年7月エルサレムのアル・アクサ・モスクの入り口でパレスチナ青年によって殺害される

(西岸に流入したパレスチナ人→法的には「ヨルダン人」に)

 

 ・イスラエルの占領した地域→国際的にも「イスラエル」

    エルサレム→国際管理下に置かれず、東西に分割され、それぞれヨルダン、イスラエルが支配、ガザ→エジプトの軍事占領下に置かれ、ガザ住民は無国籍になった

 

 ※戦争の結果、イスラエルが占領した土地をすべてイスラエル国家の領土としたことは、イスラエルに軍事力による土地の獲得は可能という感覚をもたらせることになった

 

大量のパレスチナ難民の発生

・第一次中東戦争→100万人近くのパレスチナ・アラブ人をその故郷から追いやることになった。開戦当初、パレスチナには132万人のアラブ人と64万人のユダヤ人が居住していた→イスラエル国家の成立→アラブ系住民の70%をパレスチナの地から放出(ナクバ〔大災厄〕とパレスチナ人は呼んでいる)

 

・イスラエル政府→難民として逃れた人々のパレスチナへの帰還をイスラエル政府は認めなかった(現在でもこの立場を堅持)

 難民が放棄した農地や宅地は「所有者不在地」としてイスラエルの管理下に入る→

 キブツなどイスラエルの様々な組織に管理権が移された

 (消失したレスチナ人の土地は、全体の47%、374村に上ると報告されている)

・パレスチナ難民の農民層→難民として受け入れられた国にも農地が少なく、また農業セクターにおける失業率も高かった→農民として48年の土地喪失から立ち直れなかった

 

・1948年12月-国連総会→パレスチナ難民が故郷に帰る権利(帰還権)を認める

 帰還を望まない難民には、土地など彼らが失った財産に対する金銭的な補償が行われるべきであるという決議を採択(国連総会決議194Ⅲ)

 

・イスラエル→パレスチナ難民の受け入れを拒否

 (拒否の理由)

1.イスラエルはアラブ諸国から40万人のユダヤ難民を受け入れており、パレスチナ難民はアラブ諸国によって受け入れられるべきである

2.多数のパレスチナ難民を受け入れることは国の安全を損なう

3.文化的・宗教的な理由から「イスラエル」をユダヤ人のみによって構成される「国民国家」として出発させたかった

4.パレスチナ人が放棄した畑、果樹園、家屋、店舗、工場などはユダヤ人の受け入れを経済的に可能にする重要な手段であった

  ←交戦相手の私有財産を強奪、没収できない=ジュネーブ第4条約に反する

  (ユダヤ人国家におけるアラブ人財産、またアラブ人国家におけるユダヤ人の私有財産の没収は公共の目的の場合のみに行われるという国連総会決議181号にも違反していた)

 

・UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の創設

 1950年5月より食糧配給や医療、教育など救済活動を開始

 活動地域-レバノン、シリア、ヨルダン、ヨルダン川西岸、ガザ地区

 パレスチナ難民キャンプ→上下水道も不十分、人口密度は極端に高い、

 ガザ・レバノン←絶えず生命の危機にさらされる

(イスラエルは2025年1月末にUNRWAの活動禁止法を施行)

イスラエルの国家造成(=ネーション・ビルディング)


 国家の安全保障=最優先課題となり、世界各地のユダヤ人のパレスチナへの移住=イスラエルの安全保障にとって最も重要

 1948年~1953年-70万人のユダヤ人がイラク、イエメン、モロッコ、リビア、エジプトなどの諸国から移住→イスラエルの人口は1948年の人口の2倍以上となる

 新しい移住者たち→イスラエルの主要都市、アラブ人が放棄した町や村落、あるいは仮のテントや丸太小屋から成る移住者キャンプに居住


・イスラエル政府のアラブ人に対する姿勢→法的には新しいイスラエル国家においてアラブ人は自由と市民権を享受できるとされたが、アラブ人→実際は多くの面において差別を受ける。イスラエル少数民族省=少数民族の権利の擁護よりも国内の治安維持を最優先する


アラブ・ナショナリズムの高まり

 1956年7月-ナセル大統領のエジプト政府、スエズ運河国有化宣言

 スエズを生命線と考える英国とフランス→ガザ地区からのゲリラの攻撃に悩まされるイスラエルを誘う→56年10月29日-スエズ動乱(第二次中東戦争)の開始

 ソ連→軍事行動までほのめかし、三国の撤退を迫る

 米国→ソ連の中東地域への進出を警戒し、事態の早期収拾を望む→英仏軍は12月下旬までにエジプトから撤退、イスラエルも57年3月シナイ半島から全面撤退

  ↓

 ナセルとエジプト→戦争には敗れたが、スエズ危機によって大きな名声を得る


運河の国有化は維持され、その収益はすべてエジプトの国庫に入るようになる

植民地勢力の敗北は明白→アジア・アフリカで民族主義・反植民地主義が高揚

イスラエル→はじめてアラブ領からの撤退を余儀なくされる

エジプト=アルジェリアからイラクに至るアラブ地域の政治的中心となる→アルジェリアの独立(1962年)、イラク革命(1958年)


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イスラエルの圧倒的勝利に終った第三次中東戦争

 エジプトなどで盛り上がったアラブ・ナショナリズムはパレスチナ人たちにも大きな影響を及ぼすことになった。


・1960年代初頭→パレスチナ解放を目的とするゲリラ組織「ファタハ(パレスチナ民族解放運動)」が設立される

指導者=ヤーセル・アラファト


アラファト→1929年エルサレム生まれ。 第一次中東戦争の敗北と、アラブ諸国の思惑によってパレスチナ人の国家が成立しなかったことに大きな衝撃を受ける


・ファタハの主張=パレスチナはパレスチナ人自身の手で解放すべきであるが、イスラエルに力で対抗するにはパレスチナ人は非力すぎる。イスラエルを敗北させるには、パレスチナ人が行うゲリラ活動を起爆剤に、アラブ諸国を巻き込んだ対イスラエル全面戦争を展開させるしかない。←アラブ・ナショナリズムの高揚がこの考えをもたらした。

・ファタハ→1960年代中ごろからヨルダンなどを拠点にイスラエルへのゲリラ攻撃←イスラエルが激しい報復攻撃

・シリア→1964年、ヨルダン川上流の水流を変える工事を開始←イスラエルが工事現場を繰り返し爆撃

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☆1966年末から1967年初めにかけてイスラエルとアラブ諸国の緊張はいやがうえにも高まっていった

 

・ナセル→チラン海峡封鎖宣言←イスラエルにとっては死活的な意味、イスラエルが戦争を開始する絶好の機会となった

 

◎1967年6月5日→第三次中東戦争の開始

イスラエルの奇襲によって、エジプト、シリア、ヨルダン、イラクの空軍は壊滅状態に (作戦の立案者→イツハク・ラビン参謀総長、モシェ・ダヤン国防長官)

・イスラエルの圧倒的勝利、停戦受け入れ=6月10日(6日で終ったので「6日間戦争」

とも呼ばれる)

イスラエル側戦死者=679人、アラブ側戦死者=3万人余り

  アラブ側は飛行機450機、戦車1000両を失ったのに対し、イスラエルが失った航空機は19機、また戦車は61両であった

・イスラエル→エルサレム旧市街を含む西岸とガザ地区を占領、シリア領ゴラン高原とエジプト領シナイ半島もイスラエルの支配下に

 

 →イスラエルでは「大イスラエル主義(Greater Israel Concept)=修正シオニズム」が台頭

      「戦争によって獲得したイスラエルの地を一部でもアラブ側に返還することは、神の意志、ユダヤ民族の教えに反する」

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◎新たな難民問題の発生

1967年12月までに24万7千人のパレスチナ人がヨルダンに逃れ、また1万1千人がガザ地区に難民として流入した


パレスチナ人→政治的消滅状態に、パレスチナ人の土地がすべてイスラエルの支配下に→民族自決権の基礎となる土地をすべて喪失

・イスラエル→東エルサレムと、イスラエルが安全保障上必要な地域は絶対に返還しない姿勢を見せる


・アラブ諸国→1967年8月、スーダンのハルツームで首脳会議

「イスラエルとは講和せず、交渉せず、承認せず」=「アラブの三つのノー」


・ソ連→戦争の原因はイスラエルにあるとし、イスラエルとの国交を断絶

・米国→「国家の安全を保障するため、イスラエルは必ずしも全占領地から撤退しなくてもよい」という立場をとる


◎国連安保理決議242号(1967年11月

(1)最近の紛争において占領された領土からのイスラエル軍の撤退“Withdrawal of Israel armed forces from territories occupied in the recent conflict"

   (territoriesの前にtheが付いていないので、「領土」がどこを指すか曖昧になった)

(2)中東地域のすべての国々が安全で、かつ承認された境界内で平和に生存する権利の尊重と確認

 

※イスラエルはいまだにこの決議242号(特に第一項)を守っていない

・パレスチナ人は民族自決権(=民族が自らの意思に基づいて、その政治的運命を決定する権利、つまり国家をもつこと)に言及がないとして決議の受け入れを拒否

・ファタハ→ヨルダン、レバノンのパレスチナ難民の組織化→イスラエルへの攻撃を継続

 1968年にPLO(パレスチナ解放機構:パレスチナ解放を目的とする諸組織を統合)に参加。69年2月、アラファトがPLO議長に選出される

 

PLO→ハイジャックなどを繰り返すPFLP「パレスチナ解放人民戦線」(ジョルジュ・ハバシュ指導)など多様なゲリラ組織の存在←拠点としてきたアラブ諸国からの干渉を受ける→1970年9月、ヨルダンからパレスチナ・ゲリラは駆逐された(黒い9月事件)

 

ミュンヘン・オリンピックでイスラエルの選手・コーチを監禁し、10人が犠牲になる(ミュンヘン・オリンピック事件、パレスチナの武装組織「黒い9月」によって起こされる)

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第4次中東戦争と石油危機

◎ナセルの後を継いだエジプト第3代大統領、アンワル・サダト→1918年12月25日生まれ。


・父親は公務員、母はスーダン人。中流家庭出身。「ムスリム同胞団」に対して懐柔政策につとめ、自らの呼び名を「アル・ムーミン(信仰する者)」とし、ファースト・ネームも「アンワル」の前に「ムハンマド」とつけた。


・外交的にも湾岸の保守勢力であるサウジアラビアとの接近を図り、1972年7月には ソ連の軍事顧問と技術者の引き揚げを実現させ、ソ連の影響力の排除を目指す。

 サダト政権→内政、外交とも保守的な傾向があった


◎対イスラエル関係→アメリカを通じてイスラエルに対して国連安保理決議242号の受 け入れを求めたが、イスラエルは何の妥協的な姿勢も示さず


 サダトの基本的な立場=イスラエルの生存権は認めるが、すべての占領地の返還を求める(「戦争も平和もない」状況が果てしなく続くようだと、結局はイスラエルの占領が事実上認められてしまうという危惧感がサダトにはあった)

 →こうした事態を防ぐためには、シナイ半島のイスラエル軍に対する攻撃をしかけ、国際社会に対して現存する不公正を認識させようとした


 第4次中東戦争の参加国=アラブ側ではエジプト、シリアに限定

  10月6日、エジプト軍はスエズ運河東岸のイスラエル軍に対して奇襲をしかける(10月6日=「ヨム・キプール」というユダヤ暦の贖罪の日)

   ※「ヨム・キプール」の日は、ユダヤ教徒は24時間断食を行う


  イスラエル=最前線の守備すら手薄な状態

  エジプト軍→イスラエルの防衛ラインを突破し、シナイ半島をゆっくり前進

 ソ連→エジプトに対して早急な武器援助を実施

  アメリカ→イスラエルに対する空輸作戦を開始

  西側のNATO基地からアメリカの武器・兵器がイスラエルに対して供給される

           ↓

  10月19日、クウェートでアラブ石油相会議が開催される→アメリカとその協力国であったオランダに対する石油の禁輸と73年9月の水準から毎月5%の原油生産の減少を決定→「友好国」はこの適用を免れた(=アラブの石油戦略の発動)


  ※日本は当初この「友好国」の範疇に入らず

  理由=

(1)日本のパレスチナ問題に関する取り組みは極めて消極的なものである      

(2)中東諸国の経済社会発展にほとんど寄与していない (3)日本は中東の安価な石油で経済発展を遂げたにもかかわらず、中東諸国との友好関係を促進しようとしない     (4)日本はアラブ諸国の半分にしか大使を常駐させていない     (5)72年5月の日本赤軍のテルアビブ空港襲撃事件の際に日本政府はイスラエル政府に対して謝罪使節を送った


 EEC(欧州経済共同体)加盟国→イスラエルに対して国連安保理決議242号の履行を求める

    ↓

 73年11月28日、アラブ諸国は、EEC加盟国は石油の輸出規制を免れるという声明を発表


ヨーロッパ諸国の姿勢→日本政府の関係者にも大きな影響を与える→アラブ寄りの姿勢をとる動きが支配的に


◎11月22日、二階堂官房長官による政府声明

 (1)イスラエルは1967年の戦争において占領した地域からの撤退を実現すべきである

 (2)日本政府はパレスチナ住民の合法的な権利を認め、その尊重を行う

 (3)日本政府は将来の展開によってはそのイスラエル政策を見直す用意がある


 12月8日、政府→三木特使をサウジに派遣→ファイサル国王は日本を「友好国」と認定する


・イスラエル→アメリカの武器供与もあって次第に反攻に転じる

スエズ運河を渡り、スエズ運河西岸のエジプト領に実質的な橋頭保を築き上げた→アメリカからの圧倒的な支援を受けてイスラエルはエジプトの進撃をくい止める サダトは10月16日、停戦を提案

       

10月22日、国連支援の下に停戦が宣言される


 第4次中東戦争=イスラエルが初めて奇襲を受け、徹底的な勝利を収められなかった最  初の戦争→1967年の第3次中東戦争で得た領土→イスラエルの安全保障に役立つという考えをイスラエル国内において強める


 第4次中東戦争で得た自信→エジプトをイスラエルとの平和に向かわせることになった (敗者のままでイスラエルとの和平交渉に臨むのはエジプトにとっては屈辱であった)

 サダト→1977年11月9日、エジプト議会で演説を行い、その平和への切望からイスラエル国会で演説を行い、中東における和平の動きを推進する意図を明らかにする


      

◎メナヘム・ベギン(Menachem Begin)=1977年から83年までイスラエル首相

 1913年8月16日、ブレスト・リトフスク生まれ

 (父親のズィーヴ・ドヴ・ベギン(Zeev Dov Begin)は正統派ユダヤ教徒で、熱心なシオニストであった。1942年にパレスチナに渡り、1943年には極右の軍事組織のイルグンの司令官になった)


 第3次中東戦争後「大イスラエル主義」を掲げる政治グループの支持を受け、1973年にはこれらのグループをベギン率いるヘルート(自由)党は吸収して「リクード」(連合)を結成、1977年の総選挙で「労働党」を破り、政権の座に=30年に渡る労働党の政治支配は終焉を迎える


◎キャンプ・デーヴィッド合意

 アメリカ大統領、ジミー・カーター→エジプトのサダトとイスラエルのベギンを仲介

 78年9月、キャンプ・デーヴィッド合意が成立


①エジプト、イスラエルの2国間問題

 イスラエル軍のシナイ半島からの撤退と、シナイ半島における国連軍の駐在、エジプトはイスラエルとの国交の正常化と平和条約の締結を行うこと、を主な内容

 

エジプト=イスラエルの平和条約→1979年3月に締結

 1982年4月にイスラエルはシナイ半島からの撤退を完了



②中東における包括的和平を実現し、西岸・ガザ地区に自治権を与える


 キャンプ=デーヴィッド合意に対するアラブ諸国の反応→否定的

 エジプト→「アラブ連合」の構成国の資格を停止され、スーダン、オマーン、ソマリアを除くアラブ諸国→エジプトとの外交関係を断絶

 エジプトとイスラエルの平和条約→エジプトに明白な利益をもたらす

 エジプトは米国からの軍事的・経済援助の、規模においては2番目の対象国となった


 メナヘム・ベギン政権→エジプトが抜け、相対的に力が弱まったアラブ諸国を刺激するような方策をとっていく

1980年7月には東西エルサレムを首都とする基本法を成立させる

1981年6月にはイラクの原子炉を破壊

③1981年12月にはシリア領ゴラン高原を併合する法案を成立させる


アメリカに親イスラエルの政策をとらせる福音派


エルサレムをイスラエルの首都と認めるなどトランプ政権の親イスラエル政策を支持するのは選挙の際に彼の重要な支持基盤となっている福音派の動静がある。福音派は米国人口の4分1を構成する見方もあるほどでその影響力は大きい。


米国の福音派→トランプ大統領は最後の審判に向って神の意志を実現したと考えられた。福音派はエルサレムにユダヤ人が集まれば集まるほど、ユダヤ人が多く住んでいたキリストが暮らしていた頃のパレスチナに近づき、キリストの復活があると本気で考えるような人たちだ。


イスラエル国家とエルサレム市の役割は彼らにとってきわめて重要で、その考えの中心にあると言っても過言ではない。前千年王国(至福)説(千年至福期前にキリストが再臨するという説)は、アメリカの多数の保守的なプロテスタントによって共有される考えであり、「千年王国(至福)」とはキリストが王、あるいはメシアとして支配する正義と平和が支配する理想的な世界やユートピアを指す(『世界大百科事典』第2版)。


イラクのサダム・フセイン政権は1991年の湾岸戦争の際にイスラエル・テルアビブにスカッド・ミサイルを撃ち込み、また1980年代は核エネルギーの開発を行っていた。イスラエルの脅威になるものはすべて排除せよというのが米国の福音派の考えで、それもブッシュ政権によるイラク戦争の一つの背景になったが、IAEA(国際原子力機関)が、イランが核合意を順守していると報告してもトランプ前大統領がイランの核の危険性を説いた背景には、やはりエルサレムへの大使館移転と同様にキリスト教福音派の思惑がある。


親イスラエルの圧力団体のAIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)などはイスラエルを批判する議員を落選させるために必死の工作を行ってくる。


日本とパレスチナ国家承認問題

日本がパレスチナ問題について公平な立場を明らかにした理由は、1973年の第4次中東戦争を背景とする石油危機で、アラブ諸国から「友好国」の認定を受けなかったことが大きかった。日本政府にはアラブ諸国の要求に応じようとする動きが現れたが、その動きを加速させたのはキッシンジャー国務長官が米国メジャーの石油を日本に輸出してほしいという日本の要求に応じなかったことだ。日本の田中角栄政権は既述のようなイスラエルの占領地からの撤退を求める方針を固めていった。キッシンジャー氏が日本にアラブ寄りの政策を採らないように田中首相に求めると、田中首相は米国の石油を回してくれるのかと応じた。それに、キッシンジャーは沈黙してしまった(小長啓一・田中首相秘書官の回想)。

 

1980年9月23日、第35回国連総会一般討論において伊東正義外務大臣は、「我が国は,公正かつ永続的な中東和平の実現のためには、イスラエルが67年戦争の全占領地から撤退し、かつ国連憲章に基づき、パレスチナ人の民族自決権を含む正当な諸権利が承認され、尊重されなければならないと考えております。(中略)我が国は,最近のパレスチナ自治交渉の停滞と西岸情勢の悪化を極めて憂慮しておりますが,その一義的原因が占領地における入植地の建設,東エルサレムの併合措置等イスラエルの占領政策に起因していることは、非常に遺憾なことであります」とイスラエルへの強い批判の思いをにじませた。

 

1980年10月31日に伊東正義外相は、「安全保障及び沖縄・北方問題に関する特別委員会」で「米国を訪問した際に中東和平の基本はパレスチナ問題であり、それはパレスチナ人の国家までつくる権利も認め、そしてイスラエルがPLO(パレスチナ解放機構)も認めることだと主張しました。」と語っている。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/093/1745/09310311745003c.html


日本は米国やイスラエルがPLOのアラファト議長を「テロリスト」として認定していた時期にアラファト訪日を実現させた(1981年)。1980年代、国会議員の山口淑子氏、木村俊夫氏、宇都宮徳馬氏、伊東正義氏らは、ヤーセル・アラファト率いるパレスチナ人指導部を交渉の正統なパートナーとして承認するために尽力し、1993年にイスラエルがオスロ合意でPLOを交渉相手と認める道を開いた。

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山口淑子(李香蘭)さんとパレスチナ問題

「戦時中、李香蘭という名の私は、映画『黄河』の撮影で向かった最前線の日本軍兵士を慰問しました。1本のロウソクの前に立ち、『海ゆかば』を兵士と共に歌いました。しかし翌日になると、その彼らが一つまた一つと死体になって戻って来るのです。中東戦争の取材は、心の傷をよみがえらせると同時に、悪夢を繰り返してはならないと思いを新たにする機会でした。にもかかわらず、今も紛争が続く状況をみると、むなしさ、そして人間の愚かさを感じます。」

 

これは女優、歌手、そして参議院議員であった山口淑子さんの言葉だ。山口さんは1973年夏にイスラエルのエル・アル航空のハイジャックに失敗してイギリスで身柄を拘束されていたパレスチナ人コマンドのライラ・カリドにインタビューした。ライラが「私たちはユダヤ人を憎んでいるわけではない。力ずくで私たちの国を奪おうとする行為に反対しているのです」語ると、ハイジャックは非道な行為であるとは思いつつ、ライラの「イスラエルに奪われた故郷の上を飛びたかった」という言葉が、山口さんには日本人が中国東北部に「満州国」を建国した過去にダブって響いたという。山口さんは、イスラエル・パレスチナ二国家共存、つまりパレスチナ人が国家をもつことを支援して日本パレスチナ友好議員連盟の設立に参加した。現在の中東問題の本質は、私たち日本人の過去とも無縁ではないことを山口さんの人生やその言葉は教えている。

日本―パレスチナ国家を承認すべき時

日本政府は二国家解決を唱えながら、パレスチナ国家承認を行わないのは道理に合わない。パレスチナ国家の成立は、イスラエルとパレスチナを合わせた地域(イスラエルは「エレツ・イスラエル」〔イスラエルの地〕と呼んでいる)をイスラエルだけが支配するという発想や、イスラエルの入植地拡大を抑制する役割を果たすことになる。国家の主権を侵害してはならないことは国際法の常識だからだ。

 

パレスチナ国家が成立すれば、イスラエルがパレスチナの土地を簒奪しにくくなることは言うまでもない。パレスチナがイスラエル支配の下に置かれていることが、イスラエルによるパレスチナ人の土地の収奪を許している。パレスチナが国家になって主権をもてば、イスラエルがパレスチナ国家の領土となるヨルダン川西岸のパレスチナ人の土地を奪うことにも躊躇が生まれるだろう。また、イスラエルの入植地拡大についても国際社会の批判がいっそう高まることだろう。パレスチナがいつまでもイスラエル支配の下に置かれたままでは、土地を含めたパレスチナ人の財産はイスラエルの意のままにされる。イスラエルによるアパルトヘイトや民族浄化、占領地における入植地の拡大が続き、イスラエルの極右が主張するように、パレスチナ人が追放されることもあり得る。国際司法裁判所(ICJ)がイスラエルによる占領や入植地拡大が不当という勧告的意見を出したのだから、日本もパレスチナ国家承認に何の障害もないはずで、日本は外交的主体性を見せる時だ。トランプ政権の米国が孤立している現在はタイミング的にも好都合と言える。

 

24年5月、ヨーロッパのスペイン、ノルウェー、アイルランド、スロベニアがパレスチナ国家を承認した。これで国連に加盟している193カ国のうち147カ国がパレスチナ国家を承認したことになる。

 

イスラエルはパレスチナ人の民族自決権の基礎となるパレスチナ人の土地を奪い続け、入植地拡大を継続している。パレスチナ国家承認は、イスラエルとパレスチナを合わせた地域(イスラエルは「エレツ・イスラエル」〔イスラエルの地〕と呼んでいる)をイスラエルだけが支配するという発想や、イスラエルの入植地拡大を抑制する役割を果たすことになる。国家の主権を侵害してはならないことは国際法の常識だ。

 

日本政府は、パレスチナ・イスラエルの当事者間の交渉を通じた「二国家解決」を支持すると主張して、パレスチナ国家を承認していない。イスラエル国会は「二国家解決」を拒否する決議を成立させた。このの動きを見ても当事者間の交渉でイスラエルがパレスチナ国家を認める様子はまるでなく、可能性がないものを支持するというのはまったく無責任のように見える。「当事者間の直接交渉」を強調するのは米国バイデン政権も同じだった。

米国に追従して日本がパレスチナ国家承認を行わなければ、半永久的に承認の機会を失うことだろう。米国はトランプ政権1期目時代、イスラエルの一国支配を事実上認め、テルアビブにあった米国大使館もパレスチナが首都と主張するエルサレムに移転してしまった。日本政府が交渉の当事者と考えるイスラエルのネタニヤフ首相は一昨年9月の国連総会で、パレスチナ全域がイスラエルの領土であることを示す地図を見せた。

 

パレスチナ国家承認には日本の良識が問われている。パレスチナ国家承認も米国追従では日本は、岸田首相が重視したアラブ・イスラム諸国をはじめとするグローバルサウスの信頼や敬意を得られない。パレスチナ国家承認はまたパレスチナ人を法的に保護することになる。

パレスチナ国家創設否定を議決したイスラエル国会と、パレスチナ国家を承認しない日本

24年7月17日、イスラエル国会(クネセト)は圧倒的多数で、パレスチナ国家創設を拒絶する決議を通過させた。他方、メイラヴ・コーヘン・イスラエル社会平等相は、ガザにおけるホロコーストを誇りに思うと発言した。80年先、イスラエルの若い世代はガザのホロコーストを正しかったと思うだろうと述べた。コーヘン社会平等相はイェシュ・アティッド(未来があるの意味)という中道政党に所属するが、ナチス・ドイツのホロコーストという極めて非道な経験をしたイスラエルのユダヤ人たちはいつの間にかホロコーストを肯定するようになっている。

 

 イスラエルの国会議員たちがパレスチナ国家を拒否する理由としては、イスラエルの地の中心とも言えるところにパレスチナ国家を置くことは、イスラエル国民の安全上の脅威になり、アラブ・イスラエル紛争を恒常化させ、地域の不安定要因になること、また、ハマスがパレスチナ国家の権力を掌握し、過激派の拠点をつくり、テロに報酬を与えるものだとイスラエルの議員たちなどが考えていることがある。

 

 1993年のオスロ合意は、パレスチナ独立国家への道筋を示すものであったし、民族自決権は国際法の常識のように認められている。イスラエルはこの国際法の常識とも言えるパレスチナ人の民族自決権を一向に認めようとしない。

 

イギリスとフランスは、第一次世界大戦でオスマン帝国に勝利すると、そこに住んでいたアラブ人たちの地域を国際連盟の「委任統治領」という新たな植民地にした。パレスチナを手にしたのはイギリスだったが、国際連盟規約では、現地に住む人々が独立国家となるまでアドバイスと援助を与えるということになっていた。イギリスが委任統治していたイラクは1932年に独立国家となったが、他方、パレスチナでは、パレスチナ国家が存在しないどころか、民族自決を主張するための根拠となる土地もイスラエルによって次第に浸食されつつある。

 

1980年7月に東西エルサレムがイスラエルの首都であるというエルサレム基本法を成立させた。東エルサレムはイスラエルが第三次中東で軍事占領したところであり、これに対して国連安保理は決議478号で、エルサレムでの外交活動を禁じ、東西エルサレムがイスラエルの首都であるということを否認した。→しかし、米国のトランプ政権は、2018年5月に米国大使館をエルサレムに移転し、国連安保理決議478号に違反した。さらにトランプ政権は2019年3月にシリアのゴラン高原にイスラエルの主権を認めてしまった。

ガザからの医療避難を受け入れる日本

日本政府は25年3月26日、ガザから傷病者を受け入れ、日本で治療を行うと発表した。一人は自衛隊中央病院に到着し、すでに治療が始まっているという。中谷元・防衛相は「わが国は、ガザ地区の深刻な人道状況を受け、国際社会とともに、さまざまな手段で支援を実施してきている。防衛省・自衛隊としても、ガザ地区の傷病者に対して十分な医療を提供できるよう、最善を尽くしていきたい」と述べた。←人道外交議連(初代会長:石破茂衆議院議員、事務局長:阿部知子、幹事長:近藤昭一)の活動と圧力

 

岸田政権の関心はもっぱらロシアと戦うウクライナのみという感じで、日米同盟に配慮して米国と同様に「ハマスのテロ」を特に強調していた。小選挙区制になってから議員たちの関心も内向きになり、国際問題への関心が希薄となった。狭い日米同盟の観点ばかりが強調されるようになり、中東に議員たちの目が向くことはほとんどなくなった。

 

 21世紀に入ると、イラク戦争を真っ先に支持した小泉政権に見られるように、中東政策も日米同盟に重きが置かれ、またイスラエルのセキュリティ・テクノロジーに産業界が関心をもつと、パレスチナの民族自決権も強調されなくなり、議員たちの関心も選挙制度のことなどもあってパレスチナから遠のいた。

 

 日々イスラエルの理不尽な攻撃を受け、家族、親族、友人などを失うガザの人々から日本の支援は大いに評価されることだろう。UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の清田明宏・保健局長は日本のメディカルエバキュエーション(医療避難)の受け入れは希望でしかないと語っていたが、イスラエルがガザの医療機関を破壊する中で、日本の支援がガザの窮状の一助になることは間違いなく、パレスチナやアラブ・イスラム社会では長く記憶されることになると思う。トルコのアナドル通信もガザの人々の日本の医療受け入れについて早速報じた。

深まるイスラエルの国際的孤立と「シオニズムの終焉する?」

イギリス・エクセター大学教授のイラン・パッペ(歴史学、イスラエル人、1954年生まれ)は、シオニズムが終焉を迎える一つの要因として国際的孤立を挙げている。パッペはイスラエルが徐々に「世界ののけ者国家」となり、この傾向は一昨年10月7日のハマスの奇襲攻撃以来、イスラエルがガザで大量虐殺を行っていることによって強まった。パッペによれば、イスラエルは大量虐殺を犯している可能性がある、ラファでの攻撃を停止しなければならない、イスラエルの指導者は戦争犯罪で逮捕されるべきである、などの最近の国際司法裁判所と国際刑事裁判所の判決は、単にエリート層の意見を反映したものではなく、世界の市民社会の意見に耳を傾けるものであり、これらの判断に見られるように、イスラエルに対する批判の声は国際社会でますます高まっている。

 

パッペはシオニズムが崩壊する要因として1.イスラエル国内の極右の台頭とそれに辟易とする人々がイスラエルを離れること、2.イスラエルの経済危機、3.国際的孤立、4.世界中でパレスチナとの連帯を唱えるユダヤ人が増加しているなど世界のユダヤ社会の変化、5.イスラエル軍の弱体化、6.パレスチナ人の間で若い活力が蘇っているという6つの指標を挙げている。

 

イスラエル経済は23年第4四半期に20%近く落ち込み、トルコやコロンビアなど一部の国から経済制裁を受けた。イスラエルがヒズボラとの戦争を行い、ヨルダン川西岸での軍事行動を強化した結果、イスラエルの経済負担は増すばかりだ。イスラエルの税収全体の80%を支払っている2割の人々は国外に資本を移すようになったとパッペは戦争によるイスラエル経済の負担を説明するが、そして現在はシリアやレバノンにも軍を進駐させている。イスラエルの戦費の負担が増すばかりであることは容易に想像できる。

 

イスラエル軍の弱体ぶりは昨年10月7日のハマスによる奇襲攻撃を許したこと、米国の軍事力にますます依存するようになったこと、またイスラエル軍が弱体していることは従来兵役がなかった超正統派に対して徴兵を行うことにも見られている。超正統派に対する徴兵はイスラエル社会の分裂をもたらすことになった。(Ilan Pappé, The Collapse of Zionism — Sidecar 21 June,2024)

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イスラエルがハマス、ヒズボラ、さらにはシリア国内の武装勢力との消耗戦を続ければ、イスラエル社会の疲弊はいっそう明らかになる。イスラエルはシリアで新たな戦端を開いている感があるが、一昨年10月7日のガザでの戦争開始以来、ハマスさえも屈服させることができていない。イスラエルで最も尊敬されている歴史家の一人、ベニー・モリスは、「今日、(地中海)海とヨルダン(川)の間にはユダヤ人よりもアラブ人の方が多いのです。全領土が、アラブ人が多数派を占める一つの国家になることは避けられません。イスラエルは依然として自らをユダヤ人国家と呼んでいますが、権利を持たない占領された人々を我々(イスラエル)が支配する状況は、21世紀には持続できません。」と述べ、30年から50年の間にパレスチナ人がイスラエルを圧倒することを予言している。


イスラエルでは3月18日にネタニヤフ首相が停戦合意を破って戦闘を再開すると招集を拒否する予備役兵たちが増加している。

特に予備役を中心に徴兵拒否が広がっているのは、ガザでの戦闘がイスラエル人人質の解放を考えるものでないこと、戦争がネタニヤフ首相の個人的な権力への執着によって起こされていることなどがその理由だ。また、予備役の招集によってイスラエル経済は危機的な状態に陥り、ハマスの攻撃以来イスラエルでは6万社余りの中小企業が予備役の招集によって社員を軍隊にとられたたために倒産している。さらに、イスラエルでは超正統派が軍隊に召集されてこなかったという不公平感もあった。

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「停戦」にもかかわらず... 攻撃を続けるイスラエル

2025年10月10日、ガザ停戦合意が発効しましたが、イスラエルは依然としてガザ地区への攻撃を止める気配がありません。10月28日にはイスラエル軍がガザ地区を空爆し、20人超が死亡したとの報道がありました。

https://jp.reuters.com/world/IZOOZ7PUNRN4DHZZS4FPYAHM4U-2025-10-28/


ここまでの説明の通り、イスラエルは米国・トランプ政権と親和性が高く、その暴走には歯止めがかからなくなっています。

今こそ、国際社会全体での中東和平の取り組みが一層求められています。

ガザ問題動画特集

以下のpptxは、宮田律氏制作の、パレスチナ問題についての動画特集となっています。本展示の内容に関連する動画が多数掲載されております(前掲のファイルと同様)。オンラインでご覧いただくことができます。

※空爆の場面など、衝撃的なシーンが多く含まれます。閲覧時にはその点にご留意ください。

中東問題と日本の役割.pptx

~イスラエル企業マッチング事業停止に関するアクションのご紹介~

愛知県が行なっている愛知県とイスラエルの事業連携プログラム「Aichi-Israelマッチングプログラム」(Aichi-Israel

Matching Program -愛知県)では,2024年だけで年間5800万円もの愛知県の税金がイスラエルとの事業連携に使われ,ガザでのジェノサイド,イスラエルによって人為的につくりだされた集団飢餓による餓死者の続出が進む現在も,事業が進行中です。

本事業の停止に関するアクションが,愛知県内の有志により行われています。


活動の詳細はこちらより

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Organization Information

本団体は、2023年より始まったイスラエル・パレスチナ間での紛争を受けて、これまで学習会や講演会を主催してきた京都大学教職員・学生有志により、構成されております。学内外において、継続的な学習会・講演会の開催を予定しております。

Project by the same organization