巨人に立ちはだかった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第11回は元西武の石毛宏典さん(69)だ。走攻守、さらに天性のリーダーシップを兼ね備えた名手は、1980~90年代に黄金期にあった西武をけん引。日本シリーズでも巨人と4度の激闘を繰り広げた。巨人に対し4連勝と圧倒して球界に衝撃を与えた90年のシリーズから、師匠と慕う広岡達朗元監督との出会いまで、「喜怒哀楽」の記憶をたどった。(取材・構成=太田 倫)
1987年、31歳になる年にサードにコンバートされた。それからも守ることはあったが、できればショートでもっと頑張りたかった。ずっとショートだったし、なんと言っても面白かったから。
きっかけは、両膝のけがだった。もともとプロ2、3年目くらいに左膝を痛めていたが、85年の阪神との日本シリーズで右膝を負傷したのが響いた。甲子園での第3戦。6回にフライを追って左翼の金森永時(当時の登録名。現・栄治)と交錯し、じん帯を痛めた。
ベンチに戻ってコーチから状態を聞かれたので「ダメでしょ、膝がプラプラですよ」と正直に答えた。「分かった、監督に伝えるから」というやりとりをしていたら、広岡監督が来た。
「出られるのか、出られんのか、どっちや!」。「出られます!」とオレ。「トレーナー! ガチガチにテーピング巻いとけ!」と監督。残り試合もショートで出続けたけど、とても「出られません」なんて言える空気ではなかった。
94年のオフに、西武を出てFAでダイエーに移籍した。その年限りで退任する森監督の後任に、と打診された。その年でオレは38歳になったが、同じ三塁手のマイク・パグリアルーロというメジャーリーガーが加入してきた。そろそろ引き際を考えるタイミングなのに、なんでやんわり引退させてくれないのか…。彼と競争してレギュラーを守ったら、現役はクビと言われた。「いやいや、まだできるでしょ」と思ったよ。
そこまで新人から14年連続で100安打以上打ち続けて、通算1806安打。2000安打を達成したいという思いもあった。当時は大学から社会人を経て2000本打った人はいなかったから。その年の成績は2割6分6厘、11本塁打。まだうぬぼれが強かったわけだ。結局いろいろと逡巡(しゅんじゅん)した末に、現役を選んだ。西武は雇ってくれない。じゃあFAしかないな、とね。
ずっと西武にいたらどうなってたのか、と思うことはある。監督を4、5年やって、その後は編成に回って…ということになったかも分からない。ただ、人生の選択に全然悔いはない。
◆石毛 宏典(いしげ・ひろみち)1956年9月22日、千葉県生まれ。69歳。市銚子―駒大―プリンスホテルを経て80年ドラフト1位で西武に入団。1年目から遊撃手の定位置を獲得して新人王を受賞。86年には3割2分9厘、27本塁打でMVPを受賞した。ベストナイン8回。94年にFA権を行使してダイエーに移籍した。96年に引退後は、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を務めた。独立リーグ・四国ILなどの創設にも尽力。現役時は180センチ、75キロ。右投右打。









