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Conversation

史上、「ではない」と僕らの捕捉の限界を述べることで理外を捉えるような潮流が僕には見受けられるのですが、「ではない」の一つから、無数の「である」をキャッチできなければ、とても退屈な理の域を出ないのでないかと思うのです。自己の否定による理外から、他者の肯定による理外を得られなければ。