「ビジネスの邪道」「ヘドロのよう」ドトール創業者が忌み嫌った日本人の〈あるある習慣〉とは?
● ドトールコーヒーの創業者は接待を「邪道」と痛烈批判 しかし、世の中の接待の多くは、残念ながらそうした「本気の会食」とは違う。「会社の金で飲みたい」「愚痴を言ってスッキリしたい」「異性と楽しく過ごしたい」など、個人的な欲やストレス発散のために行われる接待も多い。 こうした目的の接待費は、全部なくなっても問題ない。なぜなら、それは経済活動ではなく、ただの甘えであり浪費だからだ。 本気で仕事に向き合う人にとっては、食事の時間であっても緊張感のある勝負の場だ。そうした人たちの間で交わされる会食こそが、本来の意味での“接待”であり、価値があると言えるのである。 世の中は清らかな水ばかりではない。「多少の泥を飲むのも大人の甲斐性」「きれいごとだけでは渡っていけない」と人は言う。 だが、その言葉に激怒し「否」を突きつけた人物がいる。 ドトールコーヒー創業者、鳥羽博道氏だ。 著書『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』(日本経済新聞出版)で、彼は接待を明確に「邪道」と断じている。 かつて鵜飼を見て、強い者が弱い者を搾取し操るビジネスの縮図だと感じ、「鵜にならない、鵜匠にもならない」と誓ったのだ。 《日本企業の接待交際費は年間何兆円にも上ると言われている。なかには「飲ませ、食わせ」で取引先の担当者にいい思いをさせて、ビジネスを円滑に進めようとしているところがある。(中略)しかしながら、そんなことをやっている企業は早晩消えてなくなるだろう。なぜなら、そうしたことはビジネスの邪道であり、正道ではないからだ》(同書)
● 接待が横行する世界は「ヘドロ」!?ビジネスを「清流」にしたい鳥羽氏 鳥羽氏にとっての「正道」とは、商品の品質やアイデアに全精力を注ぐことだ。 さらに、彼は接待が横行する世界を「ヘドロ」と呼び、自分は「清流に棲む鮎になりたい」と願った。おそらく彼もまた、食事中も仕事のことしか考えていない経営者だったのだろう。 《私がこの仕事を始めたころの喫茶業界は――すべてとは言わないが――まさにヘドロのような世界だった》(同書) だからこそ、仕事のふりをして快楽をむさぼる「邪道」が生理的に許せなかったのではないだろうか。 《こうしたことを言うと、「そのようなきれいごとだけで世の中は渡っていけないんじゃないですか」と言う人もいた。しかしながら、上澄みだけの世界もあるわけで、私はこれからも常にきれいなものだけを見て生きていこうと思っている。(中略)清の部分だけに生きていく。自分がそうした生き方を心から願うのであれば、それは可能なことだと思う》 (同書) なぜ鳥羽氏は「きれいごと」と言われて反発したのか。 それは彼にとって「清流に生きる」という選択が、甘い夢ではなく、保険も近道も使わずに品質だけで勝負する、最も過酷な「真剣勝負」だったからだ。 接待でなんとかしようというのは、日本人にとって「あるある」、つまりよくあることだろう。しかし、「接待を避ける仕事のやり方はただのきれいごと」と笑う人々は、泥の中に逃げ込んでいるだけかもしれない。泥の中なら、品質が悪くても接待でごまかせる。 しかし清流では全てが透けて見え、品質が悪ければ即座に死を意味する。 鳥羽氏の言葉は、鋭い刃物のように私たちに突き刺さる。接待という「邪道」に頼るのか、品質という「正道」で戦うのか。 政府の税制がどうあれ、私たち一人ひとりがビジネスを「ヘドロ」にするか「清流」にするか――。その選択だけが問われているのだ。
小倉健一