沖縄本島と奄美群島(鹿児島県)の墓などから昭和初期、旧京都帝国大の研究者によって持ち出された少なくとも466体の遺骨の保管を京都大が7日に認めた。そのリストと対応方針を示したが、沖縄で2017年から、奄美では18年から返還を求めてきた当事者はどう受け止めているのか。
交渉続けた奄美三島連絡協議会
リストで計360体以上を数える奄美大島、徳之島、喜界島の3島では、18年3月に「京都大収蔵の遺骨返還を求める奄美三島連絡協議会」が発足。沖縄での返還運動を通じ、奄美の遺骨も京大に保管されていると知ったことがきっかけだ。同年5月、京大に文書で▽持ち出し地、保管状態などの現状の詳細を明らかにすること▽採集地への速やかな返還▽京大による現地での遺族調査と地区住民への説明・調整、再埋葬――などを要求した。
同年11月には、喜界島からの遺骨の収納箱の蓋が京大のゴミ集積所で見つかったと報じられたことを受け、文書で説明を求めた。5月の要求文書にも回答がないままで「誠実さのかけらもなく、残念極まりない」とも訴えたところ、京大から翌12月に「人骨は総合博物館の収蔵庫で保管している」との文書回答があった。
協議会は「見知らぬ地での遺骨収蔵は(持ち出しに加えて)二度の横奪に等しい行為」として、19年9月に返還の再要求書と、保管状況の詳細を問う質問書を送付。事務局だった奄美市のジャーナリスト、原井一郎さん(76)らが京大を訪問するので面談してほしいとも要請したが、京大は「応じられない。24年度を目途として順次調査を進めており、正確な把握に時間を要するので、個別の収蔵状況や今後の対応について現時点で回答しかねる」と返信した。
これに対し、協議会は文書で「人間の尊厳を踏みにじり、愛郷精神に冷水を浴びせるごとき対応」と指摘して「潔く旧来を改め、内外に詫び、遺骨返還要求に前向きな姿勢を」と求め、原井さんらが同10月4日に京大を訪問。面談は拒否されたが、協議会作成の目録と収納箱の照合、外部専門家を交えた確認、概況調査の速やかな実施と公表などを求める申入書を提出した。京大は翌11月、「調査は戦前に収集された南西諸島の人類学資料の全容把握が目的で多くの時間を要する」と回答したが、新たに明かされる内容はなかった。
問われる京大の対応
今回、京大はその調査結果を基に保管リストと返還手続きのガイドラインをホームページ(HP)に掲載した形だが、公表せず、協議会にも連絡はなかった。原井さんには掲載を把握した板垣竜太・同志社大教授が知らせたという。
現在は会長代行の原井さんは取材に「最初は一定の前進と受け止めたが、徳之島は我々が把握していた22体が除外されるなど不透明な部分もある。そもそも誰の遺骨か分からなくしたのも京大側の責任だ」と指摘。協議会は10日、「詳細な調査結果報告と調査員の所見、付随する写真、関係文書などの提供」「早急な地元返還」「著しく見識を欠く領得、その後の放置同然の長期保管に対する心からの謝罪」を求める文書を送った。
一方、3島の中で2番目に多い130体以上が示された喜界島の良岡理一郎・喜界町議(74)には、京都大からHP掲載の7日に文書を送る旨の電話があり、同日付の文書が9日に届いた。
良岡さんも京大の遺骨保管を知り、三島連絡協議会とは別に町議として京大に問い合わせる文書を22年10月に送付。「住民が墓参りをしていた墓地からも持ち出され、犯罪だった可能性がある」とも指摘していた。
京大からは翌11月、24年度を目途に調査中との回答があり、良岡さんは25年3月に電話で問い合わせたが、9月末まで待つよう言われた。9月と10月にも電話したが待たされ、11月初めに電話で督促したところ、「11月初旬に」と言われたという。京大が良岡さんには速やかに通知したのは、こうした経緯があったためとみられる。だが、7日付文書はA4判1枚で、HPにガイドラインとリストを公開したと知らせるだけの内容だった。
良岡さんは京大の対応について「戦前とはいえ差別意識を背景に実質的に無断で持ち出したのだから、本来は自ら返還などに動くべきだ。整理したことは評価するが、上から目線の逆立ちした態度は世間では通用しない。まず謝罪して、しかるべき所に戻すべきではないか」と批判。京大からは説明も謝罪もないままで「みじんも反省が感じられない」と憤っている。【太田裕之】