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竹田恒泰先生の女系論の再検討 ~天之忍穂耳命の父系とは~

平成28年3月21日(休)改稿 平成28年の1月27日(水)初稿
皇位継承問題と竹田宮様からの問題提起
皇位継承問題(男系論vs女系論)をめぐる一連の論争において「天照大神と皇統の間のつながりが男系といえるのかどうか」という議論があるんだけど、保守派知識人が結成した日本国史学会から刊行された「日本國史學」第1号(日本国史学会刊・H24.9.25)に竹田恒泰先生の『アメノオシホミミを生んだ神はどの神か-記紀のウケヒ神話から神統を考える-』という論文が載っており、この中で過去の学界の諸説を紹介した上で、いくつもの新たな問題提起(というか竹田さんの新説のチラ見せ)がなされてる。それを紹介した上でわたしなりの解答案(というか楽しい謎解き)を試みたい。

過去の諸説の紹介
竹田さんはその論文の中で以下のように過去の諸説を列記、紹介している。
1,物実基準説…萩原千鶴、水林彪
 この説は、五男神は天照大神の物実(ものざね)である玉から生まれたから天照大神の子であり、宗像三女神は須佐之男命の物実(ものざね)である剣から生まれたのだから須佐之男命の子なのだという説。
2,息吹基準説…土橋寛
3,行動基準説…毛利正守
 上記の2と3は、事実上同じ意味である。2の息吹は五男神が須佐之男命の息吹から生まれ、三女神が天照大神の息吹から生まれたことを根拠に、五男神は須佐之男命の子であり、三女神は天照大神の子なのだという説。3は実際に産むという行為をした主体が親だという説で、この場合の具体的な行為とは息吹のことだから結局2と3は同じことをいっている。
4,近親婚的(対等)説…本居宣長、荻原浅男、横田健一、山田永、金沢英之
 これは人間に父母両親がいるごとく、天照大神と須佐之男命は二柱ともに、三女神と五男神の親であって優劣はないという説。本居宣長は『古事記伝』の中で「…三女五男共に大御神と須佐之男命との御子にて此レは大御神の御子此レは須佐之男命の御子と云分(わき)は本あらず…」といっている。ただ、この説では、神々を人間体とみなした場合に姉と弟の近親婚のような感じになってしまうので、これをどう考えるのかという問題が派生する。
山田永(対等説の人)は以上の諸説を整理して以下のような模式図(要素分解図)を作った。

山田永の模式図
・霧=<須佐之男命の物実+真名井の水+天照大神の息吹>→三女神
・霧=<天照大神の物実+真名井の水+須佐之男命の息吹>→五男神

土橋寛(息吹説の人)は「物実の交換は『詔り別け』の伏線」だといっている。『詔り別け』(のりわけ)というのは天照大神が物実を根拠に「五男神は我が子、三女神は須佐之男命の子だ」と宣言したことをいう。これだと『詔り別け』すること自体に意味があり、自然な流れで『詔り別け』することになるためには事前に物実の交換という事実がなくてはならず、そのために「物実の交換」という話を後から創作したという。しかし何を根拠にそんなことをいうのだろうか。
毛利正守(行動説の人)は「記紀以前の伝承の核は須佐之男命の勝利。従って忍穂耳は須佐之男命の子。その矛盾を解決するために物実の交換が導入」されたのだという。これもただの憶測で、格別に根拠があるように聞こえない。
金沢英之(対等説)は「伝承の核と記紀のテキストでは別次元」だとし、『生む』と『成る』の違いに注目して記紀には「須佐之男命が忍穂耳命を『生んだ』とはない」という。つまり人間の生殖活動と同一視した議論を批判しているわけだ。
神野志隆光は、記紀は「『成』らしめた神を擬制的に『生』んだ神とい」ってるのであって、これは「血縁擬制」であるという。これも上記の金沢英之の議論と同じ趣旨だろう。神野志隆光は上記の4説のうちのどれに入るのか判然としないが、そもそも神話なので現実の血縁のように語ること自体がナンセンスという立場と思われる。ただ、竹田氏は天上界の神々にも系統はあり、それは地上の血統に相当するものではあるが、地上における血統とはまた次元の違うものであるという自説を補強するために引用しているように思われる。(このこと自体は格別よくもわるくもない)

新説の呈示(竹田説の紹介)
竹田氏は上記の山田永の模式図にインスパイア(笑)され、独自の模式図を考案している。それがこれ↓

竹田模式図
・天照大神の行動→霧<須佐之男命の物実+井水+天照大神の息と唾液>→三女神
・須佐之男命の行動→霧<天照大神の物実+井水+須佐之男命の息と唾液>→五男神

この図をみると、(唾液にこだわり(w)があるのがわかるが、複雑になっただけでヒントとしては迂遠に感じる。
ともかく、ここで竹田宮様の一応の結論が呈示される。いろいろ異論はあるがとりあえず竹田氏の主張をまとめると、下記の通り。

1)『系統』と『帰属』は別問題である。
『帰属』というのは、忍穂耳命を始めとする八柱の神々(五男子と三女子)が、天照大神と須佐之男命の「両神の」誓約によって生まれているのだから、天照大神と須佐之男命どちらの子であるともいえるのであるが、五男子(=忍穂耳命含む)は女神である天照大神に帰属し、須佐之男命には帰属しない。そして三女子は男神である須佐之男命に帰属し、天照大神に帰属しない、ということ。『系統』というのは皇統のことで、皇統は男系で繋がっている。両者は一見矛盾しているように聞こえるかも知れないが、『系統』と『帰属』は別問題である。かつて小林よしのり(=高森明勅)と新田均との間で闘わされた「須佐之男命は皇祖神か否か」という論争で、皇祖神は天照大神唯一柱なのではなく、須佐之男命や伊邪那岐・伊邪那美、高御産巣日神など複数の神々が皇祖神であることが明らかになっている。そこで「伊邪那岐神→須佐之男命→忍穂耳命→(以下略)」との繋がりをみれば皇祖神から天皇まで男系で繋がっていることがわかる。ただしここで(男系の)『系統』においては天照大神はつながってないことになる。

2)『神代』と『人代』は別問題である。
『神代』とは神武天皇以前の神々の時代のこと、『人代』とは神武天皇以降の時代のこと。神代には皇位も皇統も存在せず、皇位・皇統は神武天皇から発生している。教育勅語の皇祖をめぐる有名な論争で、井上哲次郎は皇祖とは天照大神であるといい、井上毅は皇祖とは神武天皇であると解釈して対立したが、竹田氏は井上毅の説を支持しているわけ。で、天照大神は永遠に高天原の統治者であり続けているわけで、譲位などはしていない。つまり「継承」はない。万世一系というのは神武天皇以降の話であって、神統譜(=神武天皇以前の神々の系譜のこと)は、万世一系の埒外にある、という。

3)『生殖』と『生成』は別問題である。
五男神と三女神は天照大神や須佐之男命の物実と息吹から生まれたのであり、生物学的な生殖活動で生まれたのではない。神々の性別は人間の男女や生物の雌雄とは別次元である。神話の各所に書かれているように、神々は『生成』するのであって医学上の『生殖』をするわけではない。従って神々に遺伝子はないわけで、Y染色体がどうのという話に百歩譲って妥当性があったとしても、あくまで神武天皇の染色体が問題にされるべきであって、天照大神の染色体などという話はナンセンスである。

以上の竹田説については、なるほどごもっとも、と賛成する部分は多々あるのだが、その一方で、一部どうも読者に誤解を招きかねないのではないかと危惧される表現もいくつかある。まず天照大神をすっとばしていくら繋がっていてもそんな系統に意味があるのかということ。神武天皇からいくら繋がっていようがその前で切れてたらやはり意味がないだろう。天壌無窮の神勅が天照大神から発せられのでわかるように、万世一系とは天照大神から繋がっていることに意味があるのだから。むろん、それは竹田説を誤って受け取った解釈なのであって、竹田説は別に天照大神と神武天皇が切れている等といっているわけではない。『生殖』と『生成』は別だという論理で、天照大神からの繋がりは問題なく説明がついているのではある。が、それなら、「『系統』において天照大神は繋がってないとか、帰属と系統は別だとか、万世一系は神武天皇からだとか」の議論は一切いらないのではないか。天照大神は皇祖神であるが皇祖ではないとか、紛らわしくなるだけの無駄な議論だろう。また天照大神は譲位していないというが、忍穂耳命は「太子」(ひつぎのみこ)とも書かれているわけで、ここは説明が要る。確かに、天照大神は永遠に世界を統治していて譲位していないしそもそも天照大神は天皇ではないのだから、皇室が皇位(?)を天照大神から譲られた事実もない。が、だからといって竹田氏は、歴代天皇が天照大神から「何物も継承していない」といっているわけではない。天照大神から「皇位を」継承すること自体、論理的にありえないが、天照大神から継承され繋がってはいるのである。が、その継承されているものとは皇位ではない。皇位は神武天皇からの継承であって天照大神からの継承は「系統」なのである。わかりやすくいうと、あくまで喩えの一つであるが、清和源氏の「清和」というのは清和天皇の子孫という意味だが、天皇の子孫だからといって清和源氏が代々天皇の位を継承しているのではないし、清和天皇は征夷大将軍だったわけでもない。代々継承しているのは征夷大将軍の職であって、天皇=皇室は別に存在する。皇室もこれと同じと考えたらわかりやすい。皇室は天照大神の子孫であり代々天皇の位を継承してはいるが、天照大神は天皇だったわけではないし、天照大神それ自体は天皇と別に天上に輝いている。皇位と系統の違いとはこういうことだろう。

【序】竹田宮様からの宿題
竹田氏の結論(というか主張)はとりあえず上記にまとめたようなものに落着する。ところで、この論文は、言いたいことをすべて述べたものではなく(字数の都合で?)今回は省略した話があるといっている。その内容を竹田氏は論文の末尾の方になって予告編的にチョイ出ししているのだが、そっちの方が本題より面白いので、以下、そっちを取り上げてみたい。それは以下の5項目である。
Questionの略でQとします。

Q1,古事記がウケヒの前提を示さなかった理由は?
 日本書紀は事前に男子が生まれれば清く正しく、そうでなければ女子が生まれると事前に宣言した上でウケヒ(誓約)をして子を生んでいる。古事記は事前に勝利条件の説明があるべきところが省略されている。これはなぜか。
Q2,忍穂耳命の名に『勝』の字が使われた理由は?
 日本書紀では男子が生まれた時に「われ勝ちぬ」といったので、という理由が書かれており、一応筋が通っているが、古事記では女子が生まれたから勝ったとなっている。それなのに相変わらず男子の方に『勝』の字がついているので、この件については古事記がおかしく日本書紀が正しいという説の方が古来有力視されているほどだ。なぜ古事記は男子の方に『勝』の字をつけたままなのか、単に古事記が間違ってる証拠なのか、それともこれには何か一貫した理由があるのではないか?
Q3,「詔り別け」の信憑性。これは神話に元からあった部分なのか?
 記紀ともに「五男神は天照大神の子、三女神は須佐之男命の子」と割り振ったとあるが、竹田氏は何らかの理由でこれ疑問を呈している。それは何か?
Q4,古事記が「心が清いから女が生まれた」とした理由は?
 仮に日本書紀の「男子が生まれたから勝った」というのが正しかったとして、それを古事記が「女子が生まれたから勝った」に差し替えたとしても、結局須佐之男命が勝ったことに変わりないのだから、話の筋に違いが生じるわけではない。なぜこんな改変をしたのか?
Q5,ウケヒの勝者は誰なのか?
 記紀ともにウケヒ(誓約)の勝利者は須佐之男命だとしているのだが、竹田氏は何らかの理由でこれにも疑問を呈している。その理由とやらが何なのかは不明だが、ともかく、須佐之男命が勝利者でないというのだから、つまり天照大神こそ勝利者だったのだ、というのが竹田さんの主張なのだと思われる。

以上の5項目は竹田氏自身の宿題であると同時に、読者からみれば読者への「謎かけ」とも受け取れる。そこで、ひとつその「謎かけ」に答えてみようと思う(笑)

【破】竹田宮様が用意してるはずの解答をわたしが勝手に推測
Answerの略でAとします。

Q1,古事記がウケヒの前提を示さなかった理由は?
 上記のように竹田さんの考えとしては、おそらく天照大神が誓約での勝利者だというのが神話の原形だった。従って、須佐之男命がその事実をねじ曲げて自分が勝ったのだと虚偽を言い張った、という筋書きなのであろう。そこでもし日本書紀のように事前に勝利条件が明確に示されていると、須佐之男命が後付け解釈で捻じ曲げることが出来なくなってしまう。そこで竹田氏は最初から明示されていなかったとする古事記の方が古伝であると考えたか、もしくは、勝利条件の事前明示を古事記は削除してしまったと考えたのであろう。
A1,須佐之男命が自分勝手な解釈をするという展開を可能ならしめるため

Q2,忍穂耳命の名に『勝』の字が使われた理由は?
 古事記のままだと負けた証拠となったはずの男子神に『勝』の字がついているのは矛盾となるが、それこそが古事記の狙い目であって、「須佐之男命の発言がおかしい」と読者にわからせる仕組みになっていたのではないか。
A2,勝利のシンボルが明確でなければそれを巡っての結果を歪曲することもできないから

Q3,「詔り別け」の信憑性。これは神話に元からあった部分なのか?
 竹田さんは「詔り別け」の記述はもともと神話になかった部分と考えているらしい。確かに竹田説を前提とすると、この「詔り別け」は不要にも思える。それが、神話の改変によってどちらが勝利者なのか不明瞭になってしまった後で、「男子は天照大神の子ですよ」(だから勝ったのは天照大神ですよ)と念押し(もしくはヒント)を書き加えたというわけだろう。
A3,「詔り別け」は天照大神が勝利者であることを読者に示す付加記述(物語内部では自明だから)

Q4,古事記が「心が清いから女が生まれた」とした理由は?
 おそらく竹田さんの脳内仮説では、「男子が生まれたから天照大神が勝ったのだが、須佐之男命が『男子が生まれたから自分が勝った』と歪曲発言をした」というのが神話の原形だった。ところが記紀の編纂者(もしくは記紀の原資料)は、須佐之男命の歪曲発言を事実の描写と即断して、須佐之男命が勝利者なのだと話の筋を誤解してしまった。だが須佐之男命の子は女子なんだからこのままでは辻褄が合わない。日本書紀は男子が生まれたから勝ったというところは古伝のまま残しているが、そうすると男子は天照大神の子でなく須佐之男命の子であるように読めてしまう。そのため「詔り分け」が付加されて男子は天照大神の子であると念押ししている。ここからは解釈の問題で、五男子も三女子も両神によって生まれたのだから日本書紀の改変でも辻褄合わせはぎりぎりセーフだともいえるが、もし五男子はあくまで天照大神の子であって須佐之男命の子ではないと言い張るならば、辻褄あわせは成功していないことになる。そこで古事記は男子が生まれたから勝ったのではなく「女子が生まれたから勝った」のだと設定を逆に書きなおして文句のつけようがないようにしたわけ。
A4,須佐之男命の発言で、自分勝手な事態の歪曲で「自分が清いから男が生まれた」といったのが原形
 神話のこの部分は現代人も文脈を誤解して読んでるように、古事記の語り手(稗田阿礼?)も文脈を誤解していた。それで、修正したつもりで「女子が生まれたから勝った」(=心が清いから女子が生まれた)に改変したのだったが、これは誤りに誤りを重ねるものであった。ちなみに稗田阿礼には女性説もあり、日本書紀に比べると古事記が全般的に女性寄りの記述になっていることが多い。

Q5,ウケヒの勝者は誰なのか?
 以上のように、おそらく竹田さんの脳内仮説としては、男子であり『勝』の字がついた忍穂耳命が天照大神の子であって、誓約の勝利者は天照大神だというものであろう。
A5,ウケヒの勝者は天照大神というのが伝承の古い形

以上、竹田説というのは、あくまでわたしが、竹田氏の未発表の主張を、当該論文にこぼされたヒントから勝手に推測したものであって、実際の竹田説はヒント以外は未発表だからわからない。しかしわたしの説でもない。わたしの説は別にあるので、以下に述べる。
保呂羽権現
※吾勝神社(天之忍穂耳命を祀る)

【急】竹田説についての考察もしくは竹田説への反論
Suggestionの略でSとします

Q1,古事記がウケヒの前提を示さなかった理由は?
 竹田さんは「A1,須佐之男命が自分勝手な解釈をするという展開を可能ならしめるため」だという。つまり事前にウケヒの前提(勝利条件)を示す文章はもともと無かったのが古伝であったか、もしくは意図的に削除されたのだということになる。おそらく、あったものを削ったのではなく、もともと無かったのだと思う。竹田説では、勝ったのは須佐之男命ではなく天照大神だというのだが、わたしが思うに、天照大神と須佐之男命が「勝負する」という話ではなく、「須佐之男命の善悪を判定すること」に主眼があったのであって、天照大神自身の善悪や勝敗はもともと関係がない。
S1,その部分はもともと無かった

Q2,忍穂耳命の名に『勝』の字が使われた理由は?
 竹田さんは「A2,勝利のシンボルが明確でなければそれを巡っての結果を歪曲することもできないから」というのだが、わたしが思うに、忍穂耳命の名前には『勝』の字がもともとついていたのであって、辻褄合わせに付けたり取ったりしたものではあるまい。むしろこの名が先にあって、もともと勝ち負けの話ではなかったのに、この名からの着想で神話に勝負形式が後から持ち込まれたのではないかと思われる。忍穂耳命自身の名が「吾勝」なのだから、勝ったのは親ではなく子、天照大神が勝ったのでも須佐之男命が勝ったのでもなく、強いていえば忍穂耳命本人が勝っているという意味でしかない。これは忍穂耳命の名なのである。
S2,もともとついていた

Q3,「詔り別け」の信憑性。これは神話に元からあった部分なのか?
 竹田さんは「A3,『詔り別け』は天照大神が勝利者であることを読者に示す付加記述(物語内部では自明だから)」であって、これももともとの神話になかった文だといいたいのだろうが、わたしはそうは思わない。これは誓約で生まれた子の性別による勝敗判定とはぜんぜん関係のない部分と思う。天照大神は高天原に住み、須佐之男命は地上の出雲に住んでるのだから、いわば別居してるわけだ。この「詔り別け」とは、別居してるから子供の居場所を決めたというだけのことではないのか。誓約(ウケヒ)のシーンで須佐之男命が高天原にいるのは、神話のストーリーの流れからいうと、天照大神に用があって一時的に昇天してきているだけであり、須佐之男命は用が済んだら地上に降りることが決まっているわけだよ。
S3,別居してるから子供の居場所を決めた
(ちなみに、「五男神が天照大神の子、三女神が須佐之男命の子」とされたのは男系原理に基づいたものであることは後述する)

Q4,古事記が「心が清いから女が生まれた」とした理由は?
 竹田さんは「A4,須佐之男命の発言で、自分勝手な事態の歪曲で『自分が清いから男が生まれた』といったのが原形」であり、後に古事記は辻褄合わせを完璧にするために「心が清いから女が生まれた」に改変したのだと考えているのだろう。しかしわたしは、ここはもともと無かった部分だろうと思う。上述のようにこの神話はもともとどっちが勝ったの負けたのという話ではなかったと考えられる。そこに後から勝負形式を持ち込んだ時、記紀で解釈の仕方が違ったので、性別と勝敗の関係が記紀では逆になってしまった。神話の原形では、子の性別でもなく、親の勝ち負けでもなく、単に「良い子が生まれたか、悪い子が生まれたか」だけが問題にされていただろう。例えば、蛭子や淡島の誕生にも、伊邪那岐・伊邪那美は「今産めりし子良からず」といい、産み直しによって大八島を産んでいる。
S4,もともと無かった部分

Q5,ウケヒの勝者は誰なのか?
 竹田さんは「A5,ウケヒの勝者は天照大神というのが伝承の古い形」だと考えている。しかし、わたしはそうは思わない。何度もいうように、そもそも勝ち負けという話でなかった、というのがわたしの考えである。須佐之男命の善なることは、誓約で良い子が生まれたことによって証明されたので、勝ったといえなくもないが、天照大神がそれで負けたわけではない。
S5,そもそも勝ち負けという話でなかった

宣長が引用する谷川士清の説
ここで、本題の男系女系論に戻ろう。「天照大神が女神であるのに、男系での万世一系といえるのか」という問題については、これを「女系天皇を肯定する根拠」として持ち出す女系派に対し、男系派である竹田氏は、天照大神を回避して「伊邪那岐→須佐之男命→忍穂耳命」という男系の繋がりを示した上で、男系とか女系という性別の「系」は神武天皇までしか(=人間にしか)意味をもたず、それ以前の神々は(生物学上の)性別を超越した「系」で(天照大神とも)繋がっているのだ、とした。
若干ややこしいが、その竹田説で一応、筋は通っていると思う。しかしこの議論は、江戸時代にすでに決着していたのである。本居宣長の『古事記伝』にはこうある。

「…物実は毛能邪泥(ものざね)と訓べし書紀には物根(ものだね)とあり佐泥と多泥とは其ノ物も名も通へり後ノ世にも人の母を云には某ノ腹父を云には某ノ種と云フ木草の種子も同じ此も其意なり谷川氏が『五男神は物実日ノ神の物なれば日ノ神は父の如く須佐之男命は母の如し』と云るはさることなり…」

…古事記の『物実』はモノザネと読むのだ。日本書紀は『物根』と書いてモノダネと読ませている。サネとタネとで違っているようだが、その言葉のさす物も同じで言葉も似ている。後世でも、人の母親をいうには「誰それの腹」、父親をいうのに「誰それの種」という言い方をしている。木や草の種も同じで、これもその意味である。国学者の谷川士清(たにがわことすが)氏が『五男神はモノザネが天照大神の物だから天照大神は父親のようなもので、須佐之男命は実際に産む役割をしたのだから須佐之男命は母親のようなものである。逆に三女神の場合は、モノザネが須佐之男命の物だから須佐之男命は父親のようなもので、天照大神は実際に産む役割をしたのだから母親のようなものである』と言われたのはそういうことだ…

(岩波版の古事記は「物実」もモノダネと読み竹田宮は書紀の「物根」もモノザネと読むが宣長説を前提にする限りいずれも問題ない)

これでおわかりだろうか、「詔り別け」の意義が。天照大神の親にも子にも、天照大神自身にも、また須佐之男命の親にも子にも、須佐之男命自身にも、ことごとく「男系原理」が貫徹していることが明らかであろう。誰それの子、という「詔り別け」は、その子の父が誰かを基準にしたものであって、母が誰かを基準にしたものではないのである。
つまり、天照大神が男神か女神かにかかわらず、天照大神と天之忍穂耳命との間は男系でつながっている。このことはすでに江戸時代に谷川士清と本居宣長によって考察されていたこと。
おまけ雑談:保呂羽神社の祭神について
天之忍穂耳命を祀る神社
有名なのは東日本なら伊豆山神社(静岡県熱海市)、西日本では英彦山神宮(福岡県添田町)だろう。この他に有名ではないが天之忍穂耳命を祀る神社は意外にもたくさんあり、あるサイトでは164社もあげている。が、よくみると主祭神ではなかったり、主祭神ではあっても他の神と複数で主祭神だったりする神社がほとんど。単独で主祭神になっている例は、吾勝神社(あかつじんじゃ:岩手県一関市)、石手堰神社(いわていじんじゃ:岩手県奥州市)、駒形根神社(宮城県栗原市)などがあるが本当に少ない。

謎の保呂羽神社
今あげた神社のうち「吾勝神社」というのは兵庫県にも同名の神社があるがそっちは由来がはっきりしない。岩手県の吾勝神社は俗に「保呂羽権現」とか「保呂羽神社」ともいっていたらしい(保呂羽の読みはホロワ)。主祭神は天之忍穂耳命だが配殿が保呂羽神でこの神は少名毘古那神のことだという。
保呂羽という地名や保呂羽神社という神社は東北地方から北関東にかけてのあちこちにある(ホロワの漢字表記もいろいろある)が、秋田県横手市の保呂羽山波宇志別神社が総本宮というか発祥らしい。ここでは安閑天皇が主祭神になっているがこれはこの神社が修験道の蔵王信仰と結びついていたからで、もとの「波宇志別」とは直接の関係はなさそう。波宇志別がまたどういう神なのかわからない。そのせいかあちこちの保呂羽神社の祭神はバラバラで統一性がない。
岩手県北部から宮城県南部にかけて散在する保呂羽神社のうち真坂・志津川・藤沢の保呂羽神社を「奥州三保呂羽」というそうだが、神社の規模なのか由来の古さなのか格式の高さなのか祭りの知名度なのか、なにを基準にして選ばれたのかは調べてない。「真坂」は宮城県栗原市一迫真坂山の上1、「志津川」は同県南三陸町志津川上保呂毛122-1、「藤沢」は岩手県一関市藤沢町徳田新地の保呂羽神社のこと。「真坂」は安寧天皇の皇子がきて住んだとか武烈天皇が逃げてきて隠れ住んだとかの伝説あり、近隣に吾勝神社や駒形根神社が多い。

志津川保呂羽の神話
さてその「奥州三保呂羽」の一つ、「志津川」(南三陸町)の「保呂羽神社」だが。
祭神が八幡神だとか保食神だとかいろいろいってる人がいるが間違いで、現在は祭神不明というのが正しい。しかし昭和の前半の頃には天之忍穂耳命が祭神だったらしい。社名が「保呂羽」で祭神が天之忍穂耳命というのは吾勝神社と同パターンであり、おそらく南三陸町の保呂羽神社は元の天之忍穂耳命(神社名不明、吾勝神社か?)に後から保呂羽神社が合祀された結果、混同されて本来の祭神がウヤムヤになってしまったのだろう。で、南三陸町の保呂羽神社は二つありどちらも保呂羽山という同名の山で「男保呂羽/雄保呂羽」(おほろわ/おとこほろわ)と「女保呂羽/雌保呂羽」(めほろわ/おんなほろわ)といい、二社でセットになっている。前者の住所は志津川の上保呂毛。後者は戸倉藤浜とも戸倉滝浜ともいうが、同じ戸倉という大字の中の藤浜と滝浜という別々の小字があり、その境界にある山らしい。
男保呂羽
※保呂羽神社(男保呂羽)

で、男保呂羽は大宝年間(701~703)に創建というが、それだと保呂羽神社の発祥地のはずの秋田県の保呂羽山波宇志別神社(天平宝字元年、AD757年)より古くなってしまい辻褄があわない。やはり保呂羽神社が合祀される前から別の名で存在していたと思われる。
で、女保呂羽はもともとは保呂羽神社ではなく折居神社といったというのだが「織衣権現」という石碑があるから折居(おりい)は当て字で元は織衣(おりい)だったのだろう。保呂羽神社が勧請されて合祀されたので社名に変わったという訳だろう。で、ということはこの保呂羽山も保呂羽神社に由来して改名されたので、元の山名は「織衣山」だった可能性がでてくる。「織衣」という字づらからは天之忍穂耳命の后、萬幡豊秋津師比賣命(よろづはた・とよあきつしひめ)の名が連想される。
男保呂羽はもとは吾勝神社で天之忍穂耳命が祭神、女保呂羽はもとは織衣神社で萬幡豊秋津師比賣命が祭神だったのではないだろうか。

なお、南三陸町の保呂羽神社は三月二十六日を祭礼の日として、子育て、子供の守り神として信仰されているが、お礼参りに小さな鎌形を二つ奉納するとか願掛けに山中に杉苗を植える等の興味深い風習がある。鎌は、雑草を刈るように悪霊(疳の虫の類)を刈り取るものという意味で子供の守り神を表わしている。邇々藝命を守護する天之忍日命と天津久米命の象徴で、だから「二つ」なのである。杉苗を植えるというのは天之児屋根命と天之布刀玉命が天孫のために天津神籬(あまつひもろぎ)を立てたという神話からきていると思われる。子育て、子供の守り神として信仰されているという点は、他の保呂羽神社にはない特徴で、男保呂羽と女保呂羽が邇々藝命の父母神だからである。

さらにまた女保呂羽の方に伝わる昔話があり、「昔、長清水(藤浜の隣りの小字)に住む二人の娘が栗を取るため保呂羽山に入った。そこで鶏に似た金色の鳥を見かけたので、娘の一人がこれを捕まえようと後を追って行方不明に。浜の人々が探したが見つからず、村人はこの娘を神として祀り、名をオリイといったことから、折居神社と名付け、長清水ではその後鶏を飼ってはならないという禁忌が生まれた」という。これは『三国史記』の金氏王朝の祖、金閼智の降臨神話や天之日矛の神話、夫餘の解慕漱や朱蒙の神話を連想させてなかなか興味深い。鶏も金色の鳥も日光の神格化で、あまくだって来る太陽神の子(孫)の象徴。その母神がこの山に鎮まったという寓意がある。
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浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な一介の町人です。そして佐久間靖之先生の主宰されていた「古事記に親しむ会」の常連メンバーでもあります。「古事記に親しむ会」は今も存続して浅草橋&世田谷代田で活動しています。

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