ローマ人への手紙3

19私たちは知っています。律法が言うことはみな、律法の下にある者たちに対して語られているのです。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。

20なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。

 

(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

 


 

ローマ319-20「すべての人は罪人(4)」

旧約聖書からの証拠の適用(19-20節)

 パウロは、すべての人が罪人であることを証明するために、旧約聖書から7カ所を引用し、それらの聖句を列挙しました。ある事項を証明するために似たような聖句をつなげていくラビ的論法(手法)を、「真珠の数珠つなぎ(英語でpearl-stringing)」の論法と言います。一連の引用は、4つの部分に分類することが可能でした。今回は、列挙した証拠の適用です。

律法の擬人化

 「私たちは知っています。律法が言うことはみな、律法の下にある者たちに対して語られているのです。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです」(ローマ319)。(1)「律法」は、モーセの律法(トーラー、モーセの五書)を指すこともありますが、ここでは、旧約聖書全体のことです。(2)律法が擬人化されて、ユダヤ人に語っていると説明されています。(3)それにしても、「それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです」とはどういう意味でしょうか。その背後にある論理は、次のようなものです。①ユダヤ人が人類を試すテストケースである。②もしユダヤ人が失敗したなら、全人類が失敗したことなる。③なぜなら、神に選ばれ、神の啓示を受けた民がだめなら、その他の民もまたダメだということになるからである。④これはラビ的論法の一つ、「大から小へ」の論法です。

律法が与えられている目的

 さらに、「なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です」(ローマ320節)。(1)律法の目的については、先に行ってから詳細に論じられます。ここでは、その一つが紹介されています。(2)要約すれば、パウロは律法の目的についてこう述べているのです。①律法は、人を義とするものではない。②それどころか、律法によっては、人の心に罪の意識が生じる。③つまり、律法は人を罪に定めるものだということです。

 パウロのこの論理によれば、自力救済は不可能だということになります。キリスト教が他のいかなる宗教とも異なるのは、「恵み」という真理においてです。福音の本質は、人はキリストを救い主として信じる信仰により、また恵みによって救われるということです。「律法は、「信仰による」のではありません。「律法の掟を行う人は、その掟によって生きる」のです。キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。『木にかけられた者はみな、のろわれている』と書いてあるからです」(ガラテヤ312-13)。キリストの十字架の死は、律法違反ののろいからユダヤ人を救うためのものでした。律法の要求がキリストの十字架の死によってすべて満たされたために、信仰によって義とされるという真理が確立したのです。信仰によって義とされるという真理は、イエス・キリストによって異邦人にまで及ぶようになりました。その結果、ユダヤ人であっても異邦人であっても、信仰によって救われ、信仰によって約束の御霊を受けるようになったのです。今日も私は罪人であり、私の努力では罪を解決できないという事を認め、イエスが「私の罪のための身代わりになって死なれた」ということを信じて、心から恵みの神をたたえようではありませんか。

 

 

クイズ

①パウロは律法の目的は、人を義とするものではなく、それどころか、律法によっては、人の心に何が生じると言っていますか?

②キリストの十字架の死は、何ののろいからユダヤ人を救うためのものでしたか?


(*答えのところをクリックしてください。)

答え9/7 ローマ3:15-17「すべての人は罪人(3)」

ハーベスト・タイム・ミニストリーズ中川健一クレイ聖書解説コレクションの内容、「ローマ書」を基に作成しています。

黒色がクレイコレクションの文です。

青色は私がクレイコレクション「ガラテヤ」からの適応した文です。

茶色は私が作ったものです。

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