機械仕掛けの天使は透き通る世界の夢を見るか? 作:ヒカセン先生
「はぁぁぁああ……」
サンクトゥムタワーの上階。D.U地区を一望できる展望フロアで大きなため息をついたのは、ある意味現状で最も忙殺されている人物だった。
桃色の髪をアップにして編み込んだ、一見物腰の柔らかそうな小柄な糸目の少女。連邦生徒会の制服に身を包んだ彼女はとても不味そうに片手に持つ缶コーヒーを飲むと、疲れ切ったようにした。
「本当いつも面倒なことばかりしてくれますね、あの人は……」
愚痴をこぼすのは、現状の発端となった存在。現在失踪中の連邦生徒会長その人についてだった。
数週間前。ずっと背中を追っていた相手が失踪した。それによりサンクトゥムタワーの最終管理者が不在となり、連邦生徒会は行政制御権を喪った状態となった。
事態は深刻で、面倒極まりない状況である。連邦生徒会としての行政権限を使用できない以上、『防衛室』としては何らか別の方法で現状に対しての対策を講じるしかなかった。だが、今起こっている大規模な混乱と犯罪発生は行政権無しでなんとかできるほどのものではない。結局のところ、別の方法で現状を打開しようとしてもそれは時間稼ぎにしかならない。
多くの連邦生徒会の人員が慌てる中、カヤの動揺は比較的小さいものだった。
何故ならば。ずっと背中を追ってきた相手。この現状を引き起こした張本人であり、もし次会ったなら説教どころではなく怒鳴り散らしてやろうとカヤが思うくらいの相手から、それらしい言葉を聞いていたのだから。
――『カヤちゃん、もし私が居なくなったら。みんなを、キヴォトスをどうかお願い』
――『私は失敗したから。でも、"誰かのために"手を伸ばして、動くことのできるあなたなら』
――『誰かと手を取り合って、一人ではなくみんなで解決に向かおうとする、今のあなたなら』
その翌日。連邦生徒会長は失踪した。
カヤの知る連邦生徒会長は、なんでもできてしまう超人であるが、面倒事によく首を突っ込む。だが、無能ではない。だからこそ、消えたのにはなにか理由があると確信していた。ずっと最後に話したことを考えていた。一体生徒会長は何に失敗したのか、どうして消えなければならなかったのか。そして何よりも。
――『これは、少し未来のお話。内緒だよ? 私が消えたら、キヴォトスの外から二人の大人が現れる。その人達の力になってほしい』
当時、驚愕にカヤの普段糸目の眼が見開かれた。どういうことか、と聞こうとすればすっ、と。人差し指を口に当てられた。
そうして。失踪後に自分のデスクから見つかった、連邦生徒会長手書きのメモ。まるで、自分にだけ見せるように残されていたメモには。
『二人の大人 カヤちゃんと連邦生徒会のみんな 天動ミヤ』
そんなことが書かれていた。
大人についても不明点が多い。どうして自分の名前と連邦生徒会の名前が書かれていたのかというのもわからない。だが、何よりもわからないのは。どうして、自分の友人であり後輩の名前が書かれていたのかということだ。
現状、わからないことだらけだ。そして、やらなければならないことは山積みだ。ひとまず最優先なのは、行政権限を復活させて今のキヴォトスの状態を安定させることなのだが、肝心の権限を取り戻す方法はまだ見つからない。
各学区の状況を見れば、ミレニアムは上手く抑え込んでいるとは思った。改革を急激に推し進めたリオが、事態への対応にあらゆる手を講じているため犯罪発生率はまだ低いほうだ。問題はそれが恐らく長くは続かないだろうということと、そして他の学区の状況だ。
「今の状況で休みは取れない、デスクに貼り付けにされて書類の処理と起こり続ける犯罪への対応指示、各学区から来るクレームの処理……!コーヒー豆は切れて最近は不味い缶コーヒーしか飲めてない……!はぁぁぁぁ……本当、状況も気分も最悪ですね」
「そんなにため息ばかりだと、幸せが逃げるぞ。お嬢さん」
「ため息もつきたくなりますよ。問題は何一つ解決しない、ずっとデスクワーク。私だってですね、現場に出たいんですよ」
「はっはっは、随分と勇敢なお嬢さんだ。見た目によらず、武闘派ということかな?」
「それはそうですよ。あのトラブルメーカーの会長が居た頃は私もよく現場に出て――んん?」
ふと。違和感を感じる。今、自分は誰かと会話していなかっただろうか。
自分はこの展望室でため息をつきながら失踪した生徒会長への愚痴をつらつらと内心で思いながら、不味い缶コーヒーを飲んでいた筈だ。
慌てて隣を見れば、そこには柔和な笑みを浮かべる――大人の姿があった。
「わあっ!?だ、誰ですかあなたは!?」
身長は190近いだろうというとても長身の、老齢の男性。黒髪のオールバックと口髭に、その老齢からは考えられないほどの若々しい筋肉がその人物の着ている半袖のワイシャツからも確認できた。
何よりカヤが驚いたのは、この大人の気配を一切感じなかったということだ。
この展望室への入口はひとつしかない。もし誰かが入ってくるならばそこであるが、この大人は気がついたら横に立っていた。最近はデスクワークに貼り付けにされているカヤではあるが、元は現場によく出ていた。生徒会長が首を突っ込んだ面倒ごとの解決のために、数々の困難な事件や相手とも戦ってきた。実力だけで言えば、本人は『まあ、そこそこですよ』くらいの評価ではあるが各学区の生徒会長・委員長レベル。つまるところ最高戦力クラスの強さを持っているのが、不知火カヤという生徒である。
そんな彼女が、一切の気配すら感じ取れずに接近を許していた。もし、ここが現場でこの大人が敵であればどうだったか。間違いなく自分は成すすべがなかっただろう。驚いた後、カヤはすぐに警戒を強めた。
「はは、すまないね。驚かせてしまった。私は少なくとも君達
「外の……?もしや、あなたが先生、ですか?」
「ふむ。先生という呼び方は確かに、彼女……リン君だったかな?彼女もそう呼んでいたな。だが、私のことはそうだな、先程もリン君には同じことを言ったのだが晩年は教官と呼ばれていたものでね。二人揃って先生ではややこしいだろうから、私のことは教官とでも呼んでくれたまえ」
「二人……?まさか」
糸目が驚愕に見開かれる。それと同時、展望室の扉が開かれるとそこから現れたのは
「教官、こちらにおいででしたか。準備ができましたので……不知火室長?」
「リン代行?と、そちらは――」
展望室に現れたリンの後ろには、いかにも優男というような見た目の。若い大人の男性が同行していた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
時を同じくして。サンクトゥムタワーの近くまで到着していたミヤは、よく知る姿を見て声をかけていた。
「ユウカ!」
「ん?あれ、ミヤ?なんでここに……って、そうか。そっちも私達と同じ?」
「そっちもってことは、ユウカも連邦生徒会への確認とか?」
「そうね、会長からの指示で。正直、ミレニアムで現状なんとか抑え込んでるのがいい加減限界でね。そろそろ連邦生徒会に何かしら対応をしてもらわないと不味いのよ。……と、まあそんな愚痴はさておいて。久しぶりに会えて嬉しいわ。手紙では元気そうだったけど、最近は大丈夫?今の情勢が情勢だから、ノアや他のみんなも心配してて」
「私は元気。だけど……アビドスのほうはちょっとあまりよくない、かな。最近、ヘルメット団の襲撃頻度がかなり高い。弾薬とかの物資関係もかなりの頻度で攻められてて厳しくて。だから、現状の確認と支援要請の手紙と書類を出しに私が出向いたんだ」
「本当最近の情勢は最悪よね……。わかった、私からも会長には報告してアビドスへの支援が何とかならないか相談してみる。ミレニアムとアビドスは今は色んな面で提携してる協力関係なんだし、多分通るわよ」
「それはすごくありがたいけど……。でも、ミレニアムだって大変なんじゃ?」
「まあ、大変といえば大変だけど物資の支援をして傾くような状況ではないわね。……リオ会長、なんかミヤにはちょっと過保護だからもしかしたらアバンギャルドくんを防衛ロボットとして送るかもよ?最近、重装甲型アバンギャルドくんだとか、制空型アバンギャルドくんだとか別タイプを試作したとか言ってたし。その動作テストも兼ねてって名目でアビドスに送ったりして」
「ちょっと過剰戦力だと思うしなんか恐ろしいワードが幾つも聞こえた気がするけど。え?重装甲型に……制空型のアバンギャルドくん?それってもう悪夢以外の何物でもないんじゃ……」
「なんとエンジニア部とヴェリタスが全面協力の試作武器を搭載してる。ついでに言うとフルアーマーアバンギャルド君も居る」
「ちょっと洒落にならないのでそれはやめてくれると嬉しい」
「冗談よ。流石の会長もそこまではしないと思う、多分」
支援はありがたいが、それはやりすぎではと苦笑いするミヤ。ひとまず、行き先はユウカと同じということで歩きながら最近のことについて話をしていく。
ユウカの話では、やはりというべきか。大きな事件こそ起きず、治安維持はなんとかできているものの、ミレニアム自治区郊外の発電施設などではテロがあったり、犯罪に影響されて施設が停止したりという被害は発生しているらしい。実際、自治区での治安維持により犯罪の増加を抑制できているのは中央区から一定の範囲だけで、手が届かない場所もあるようだ。
他の自治区について何か知らないか、とミヤがユウカに確認すれば多少の情報を得ることが出来た。
まず、ゲヘナ。ゲヘナでは向こうの校風の関係してか、かなり犯罪が多発しているとのこと。風紀委員会や万魔殿が動いているものの、他の学区と比較にならないほどの速度で犯罪は増加しているらしい。
どうやって情報を入手したのか不明だが、レッドウィンターではデモや革命と称した暴動が活発化しており、それに合わせて粛清もかなりの頻度で執行されているらしい。……のだが、その割には犯罪による被害率は極めて少ないのだとか。本当におかしなことに、俗に言うクーデターが起こっている割に現状のキヴォトス内ではかなり平和な状態のようだ。
「後は、そうね。 ――トリニティだけど」
「……うん」
「まあ、向こうの話はミヤは嫌がるから簡単にだけ。情報が制限されててね、あまりわからなかった。でも、かなりドロドロとしたことになってるみたい。ティーパーティーが頭を抱えている、ということだけわかったわ」
「そっか。……ありがとう、ユウカ」
トリニティがこの友人に何をしたのか、というのをユウカは知っていた。当時、事情を聞くことが出来たリオをはじめとして交友関係のあったミレニアムの生徒の中には、一部冷静さを欠く者も居た。セミナーを除けばミヤと特に仲の良かったハレとウタハは特にそうだった。比較的冷静な部類である二人であるが、それでも尚。その時はその表情に嫌悪感と怒りを見せていたほどだった。
もっとも、ミヤの交友関係内で一番怒り心頭で、恐らく周囲が抑制しなければとんでもないことになっていた可能性があるのは現生徒会長であるリオなのだが。セミナーのユウカやノアも、当時普段冷静なリオが声を荒げ、怒鳴り声といってもいいような声で電話先に怒りをぶつけていた光景にはとにかく驚いたものだ。
友人の表情に影が差すのを見て、ユウカは情報提供のためとはいえ嫌な話題を出したなと思いつつ、咳払いして話題を変えることにした。
「簡単にだけど幾つかの学区についてはそんな感じ。これから連邦生徒会に直談判して、なんとかなるといいんだけど。 ……そうだ、この前出してくれた企画書だけど」
「うん?あれがどうかしたの?」
「とりあえず今の騒動が収まってからだけど、現地視察に行くからよろしくね。期間は5日間くらいかな。私とノアは確定で行くつもり」
「セミナーのメンバーが直接なんて、随分とあの企画書のこと買ってくれてるんだね」
「まあ、アビドスの資源にはそれだけの価値があったってことよ。一応私達含めて4名の予定だけど、後の枠はまだ決まってない。……ただ、なんかきな臭いのよね」
「私の企画書は嘘何一つ書いてないはずだけど」
「いや、ミヤのじゃなくて、アビドスの地権というか。……なーんか引っかかるのよね。これも落ち着いてから調べ直してみないとわからないけど」
「ユウカ?」
ユウカが感じたのは、何かの違和感。贈られてきた企画書を議題に挙げるために、アビドス方面の情報と書類の内容を整理した。そこに感じた、形にし難い何か。
アビドスの研究価値に気がついたミレニアムは、あらゆる方面からかの自治区について調べ始めた。だが、調べれば調べるほど不明点やおかしな点が様々な方面と分野で出てくる。特にユウカやノアが感じたのは、莫大な借金と、現在ミレニアムともあまり関係が良くないカイザーの動向。
特に、アビドスに研究価値を見出してアビドス高等学校とミレニアムが提携してから、あからさまな程カイザーはミレニアムへ絡んできた。それこそ、脅しや脅迫まがいのことまでしてきている。調べてみても、カイザーはミレニアムのように研究対象としてアビドスの土地を調べていたりするわけでもない。にもかかわらず、頑なに土地のことで絡んできて、明確な敵対行為まで仕掛けてきている。
「……ちょっと準備を早めたほうがいいかもしれないわね」
もし、カイザーがアビドスに。大切な友人である彼女に武器を向けるなら。
それは、ミレニアムをも敵にするということだ。そうなればカイザーに対して容赦することもない、そうユウカは考えた。
気がつけば、サンクトゥムタワーの前まで到着していた。
現地についたことだし、まずは今やるべきことをやろう。そう思いユウカが思考の海から意識を戻し、視線を隣の友人へと向けると同時。
そこにあったのは、複雑な表情で。どこか、悲しそうにしている友人の顔だった。
それを見たと同時。聞き慣れない声に、言葉をかけられた。
「――ミヤ?」
「……ハスミ、先輩」
そこに居たのは、恐らく同じ目的なのだろう。複数名の生徒。
そのうちの一人、黒髪で高身長の相手が、友人の名前を呼んだ。
■先生
アニメ版先生。キヴォトスの外での記憶が無いようだが、戦闘の指揮や教員としての知識は身体が何故か覚えているという。
■教官
先生と同時に呼ばれた二人目の大人。齢は50を超えたほどの壮年の男性。180を超える長身に、その年齢にしては若々しいほどの筋骨隆々とした身体つきをしている。キヴォトスの呼ばれる前の記憶はあるようで、どうやら若い頃は様々な場所を巡る冒険者。晩年は後進を育てるために教導官だったらしい。