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【将棋名勝負プレイバック】1982年11月4日 天才・羽生善治少年が奨励会入会試験で見せた逆転劇

松本博文将棋ライター

Q.将棋の永世七冠である「羽生善治」の名はなんと読む?

 そんなクイズがもし出されたとしたら、答えられない将棋ファンは、まずほとんどいないだろう。

 羽生善治(はぶ・よしはる)現九段は、現代を代表するスーパースターと言ってよい。

 ところがかつては、将棋界の中でも、羽生少年の強さは知っていても、その名を正確に呼んでいる人は少なかったらしい。

 羽生が棋士養成機関の奨励会に在籍していた頃、同時代を過ごした少なからぬ奨励会員はその名を「よしはる」と読むとは知らず「ぜんじ」だと思っていたらしい。「はぶ・ぜんじ」を略して「ハブゼン」。それが当時の羽生少年のニックネームだった。

 羽生は1970年9月27日、埼玉県所沢市で生まれた。幼稚園に入る頃、東京都八王子市に引っ越し、小1で将棋を覚えた。地元の八王子将棋クラブで腕を磨いた羽生少年は、関東一円の子ども大会で優勝を重ね、その名を知られていく。1982年4月には小学生名人戦で優勝をはたし、全国の頂点に立った。

 羽生は棋士を志望して、二上達也九段に入門。棋士養成機関の奨励会を受験する。

 奨励会の試験は、現在では夏休み期間中の8月、一次試験(受験生同士の対戦)と二次試験(現役奨励会員との対戦)がおこなわれる。

 羽生が受験した1982年当時は、奨励会試験は秋におこなわれていた。このときの一次試験は10月10日、11日。二次試験は11月4日だった。

奨励会受験生・羽生少年の棋譜

 筆者は最近、かつて刊行されていた雑誌『枻 将棋讃歌』(1983年2月号)を見返しているうち「受験生 VS 奨励会員熱局三番」という記事に、羽生が二次試験で指した棋譜が掲載されているのを見つけた。筆者にとっては、初見だった。もしかしたら、古くからの羽生ウォッチャーであっても、この棋譜は知らないという方もいるのではないか。若い方にとってはなおさらだと思われるので、本稿でご紹介したい。

 記事には対局者の名が、以下のように記されている。

鈴木純一(すずき・じゅんいち)4級(奨励会)

羽生善治(はにゅう・ぜんじ)(12歳)6級受験者

 羽生の名前の読み方は、最初の「は」しか合っていない。こういうことがあるので、古い文献上の記述を100パーセント信用してはいけない。

 羽生があまりに有名になった現在では、この読み方は誤りとわかる。しかし、それほど名を知られることのないまま将棋界から離れていった人は、たとえ名前の表記に誤りがあったとしても、あとで確かめようがない場合もある。

 奨励会6級を受験した羽生が二次試験で対局した鈴木4級は、当時16歳だった。手合は香落。角のそばの香がない弱点をカバーするため、上手(うわて)は飛車を振るのが古来からの手法だ。鈴木は三間飛車に振ったあと、香のない1筋に飛を転じて羽生からの攻めに備えた。

 下手(したて)の羽生は香落の定跡手順は指さず、当時すでに対振り飛車の有力な戦法として認識されていた居飛車穴熊に組んでいる。

 進んで図は羽生が▲4五歩と仕掛けたところだ。この手を目にした棋士たちは、一様にびっくりしている。

 本局については奨励会幹事の滝誠一郎五段と松浦隆一四段が棋譜を並べながら解説を担当。そこに当時A級に在籍し、人気棋士の一人だった森安秀光八段が登場し、コメントを述べている。森安八段は粘り強い棋風で知られる振り飛車党。「なんですか、▲4五歩ていうのは?」と驚き、以下、手厳しい批評を加えている。現代の将棋AIも同様に、この▲4五歩を疑問手と判定する。

 1図からは△5五歩▲同銀△8五桂▲8六角△5五銀と進む。上手は早くも銀得の大戦果をあげた。

 2図では下手から▲3一角成の反撃はある。しかし形勢は上手が大きくリードしていると言ってよい。

 もしこの一番に羽生が敗れ、さらには羽生がこの年の奨励会試験で不合格になっていたら、どうなっていただろうか。もちろん大天才の羽生は遅かれ早かれ、将棋史に残るような大棋士になっていただろう。しかしもし、奨励会入りが1年でも遅れることになっていれば、80年代後半の年表に記載される事項は、少し変わったものになっていたかもしれない。

 3図はそろそろ終盤に入ろうというあたり。形勢は明らかに鈴木が優勢だった。

 現代最強クラスのコンピュータ将棋(AI)水匠10は、3図の時点で評価値にして2000点ぐらいの差があると判定している。

羽生少年、マジックのような手順

 鈴木は3図で△9六歩と穴熊の弱点である端から攻めていけば、優位をキープできたようだ。本譜は△8八角成から決めにいった。それでもわるくはなさそうに見える。羽生の穴熊はあっという間に金銀がはがされていき、4図に至っては、羽生玉は絶体絶命ではないのか。

滝「典型的な必死ですね。ここで投了?」

 棋譜を並べていた滝五段もそう言ったぐらいだ。部分的には、確かに必死である。しかし羽生はここで▲5五角△7三金▲6五歩(5図)という、絶妙の順を用意していた。


 羽生玉は部分的には必死であっても、局面を広く見れば、相手玉に王手をかけたあとで必死を逃れる順があった。驚くべきことに5図では、いやその前の4図の時点でもすでに、鈴木勝ちどころか、羽生勝ちになっている。

「次の一手」形式の問題で4図を見せられて正解手順を探すのは、そう難しいことではないかもしれない。しかし奨励会試験という大きな一番で、時間など様々な制限もある中、実際にこの順を実現させてしまうあたりは、やはり天性のスターと呼ぶほかないのではないか。

 後年、棋士になったあとの羽生は、信じられないような逆転勝ちを次々に見せた。そのときに見せる手順は「羽生マジック」と呼ばれた。この順もまた、羽生マジック実例集の一つに加えてよいのではないか。


 進んで6図。当時の解説陣はまだ鈴木勝ちだと判定していた。

 ここで上手が△6七銀成とすれば下手玉に「一手スキ」(詰めろ)がかかって、上手が勝ちではないのかと。しかし驚くべきことに、△6七銀成の次、下手玉は詰まない。つまりは詰めろがかかっていないので、たとえば▲6四銀と打てば下手が勝っている。

 鈴木は△6七銀成でも詰めろになっていないことに気づいたのかもしれない。6図から△7七同桂成▲同馬△同角成▲同桂として、△7一桂と受けに回った。対して羽生は再度▲5五角と打つ。△6七銀成で今度こそ下手玉に詰めろがかかるが、そこで▲8五桂(7図)がまた、作ったように鮮やかな、詰めろ逃れの詰めろとなった。


 鈴木が△8五同歩と応じたのはやむをえない。羽生は▲8四飛(8図)と打つ。おそるべきことに、これで後手玉は受けがない。


 8図から△8三角合は▲7三角成以下、三十数手近い手順で即詰み。実戦は△8三桂合▲9四桂(▲7三角成からの詰みもあった)△9三玉▲8二銀以下、羽生が鈴木玉を即詰みに打ち取って118手で終局となった。

 一局を通して、鈴木4級にはっきりした悪手などはなかったように見える。おそるべきは「ハブゼン」の圧倒的な終盤力。当時の羽生少年がすでにどれだけ強かったか、この一篇の棋譜からでもうかがい知れる。

 羽生は本局を勝つなどして、晴れて奨励会に合格。その後はあっという間に昇級昇段を重ねた。そして約3年後の1985年、15歳(中3)のときには、奨励会通過を決めている。

 日本将棋連盟機関誌『将棋世界』の記事では、次のように伝えられている。

関東奨励会きっての逸材、と入会時から評判の高かった羽生善治(はぶ・ぜんじ)少年が、12月18日の例会で連勝、通算で13勝4敗の昇段点をあげて四段昇段を果たした。(中略)掛け値なしの超大物の出現といってよいだろう。将棋は、見ている者まで元気が出てくるほどの気持ちのよい攻めが身上。見たところ序盤があまりうまくないので中盤ではたいてい苦境に立っているようだが、そこからでも決して受け身になることなく積極的に主導権を奪いに行く姿勢が”大器”を感じさせる。(後略)

出典:『将棋世界』1986年2月号95p


 ここでも名前の読み方が誤って表記されている。ほどなく「はぶ・よしはる」の名は周知され、熱心な将棋ファンにとっては、忘れられないものとなっていく。

2人が残した棋譜

 奨励会受験生の羽生少年に逆転負けを喫した鈴木4級は、のちに三段に昇段。その頃には奨励会の制度が変わり、三段リーグが設けられていた。鈴木はリーグを8期戦った。1989年度前期には次点(3位)の好成績もあげた。しかし惜しくも四段昇段には届かず、年齢制限で退会となった。

 鈴木はのちに、アマチュアに復帰。1993年、94年のアマチュア名人戦で連覇を果たした。

 1994年10月には、羽生名人と鈴木アマ名人という立場で、角落の記念対局が指されている。上手の羽生名人が積極的に動いたのに対して、鈴木アマ名人はひるむことなく堂々と応戦。結果は76手で鈴木アマ名人の快勝となった。


 鈴木は1997年、98年の朝日アマチュア名人戦でも2連覇を達成。トップアマとして多くの実績を残した。鈴木アマの残した棋譜、そして羽生少年と戦った鈴木奨励会4級の棋譜は、後世にも並べ返されることだろう。

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ありがとうございます。
将棋ライター

フリーの将棋ライター、中継記者。1973年生まれ。東大将棋部出身で、在学中より将棋書籍の編集に従事。東大法学部卒業後、名人戦棋譜速報の立ち上げに尽力。「青葉」の名で中継記者を務め、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)などのネット中継に携わる。著書に『ルポ 電王戦』(NHK出版新書)、『ドキュメント コンピュータ将棋』(角川新書)、『棋士とAIはどう戦ってきたか』(洋泉社新書)、『天才 藤井聡太』(文藝春秋)、『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『藤井聡太はAIに勝てるか?』(光文社新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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