お嬢様自転車に乗る
なんとなく海が見たいと思った。
まぁ、そんな気分だったので海を見に出掛けようと思ってふと思い出す。
たしかTVの景品として自転車をもらったのだが、まったく使っていないなと。
「よし。
自転車で海を見に行くわよ!」
という訳で、夕方の海を見に行くことにした。
「思ったより、この街って海が近いのよね」
九段下桂華タワー一階に自転車で降り立った私に付いて来たのは遠淵結菜とグラーシャ・マルシェヴァの二人。
橘由香は車での移動を主張したのだが、私の気分が押し勝って護衛とかは車で付いて来ることに。
なお、この手の気分系が護衛や側近団にとって一番対処がしづらいものなのは重々承知ではあるのだが、それを押し切ってでも自転車に乗りたかったのである。
という訳で、ママチャリにまたがるレーサー姿なお嬢様という素敵スタイルが爆誕する。
「ライダースーツは百歩譲るとして、ヘルメットと肘当てと膝当てはいらなくない?」
「お嬢様が事故にあって傷付いたらどうするんですか!」
「そうです。
自転車は結構危ないんですからね!」
「お、おう?」
遠淵結菜とグラーシャ・マルシェヴァの二人に押し切られる二人。
なお、この二人は何処で入手したのか知らないが、ロードバイクである。
試しに乗ってみたが、明らかに車体が軽くてびっくりである。
「こっちに乗ります?」
「いいわ。
そっちだと荷物が入らないじゃない」
グラーシャ・マルシェヴァの確認に首を横に降った私は、前かごにナップサックを入れる。
中身はメイド長の斎藤佳子さんお手製のサンドイッチと紅茶の入った水筒。
気分は完全にピクニックである。
「では、しゅっぱーつ♪」
「……」
「……」
側近二人が指を指す先は信号機。
お嬢様とて赤信号で横断歩道を渡る勇気はなかった。
「思ったより進まないわね」
「街中は信号が多いですからね」
九段下から海が見える竹芝桟橋まで大体7キロ。
ただしこの7キロは東京ど真ん中を突っ切る7キロな訳で、信号のまぁ多いこと多いこと。
こぐ。とまる。こぐ。とまるの繰り返し。
おまけに自転車走行可の看板がない場合は自転車は歩道に入れない。大抵付いてるが。
そんな道路と歩道の間は結構自動車が止まっているわけで。
「自転車を押して歩道を歩きましょう」
遠淵結菜の言葉に私は黙って自転車を押す事に賛同したのだった。
するとこういう言葉も聞こえてくるわけで。
「あれ桂華院瑠奈じゃない?」
「うわ。
本物かよ。
帝西百貨店不動のモデルでしょ?」
「アカデミー賞受賞したお嬢様はすごいわよね」
「成田空港のあのシーンかっこよかったわぁ……」
「ごめんなさいね。
オフはサインとかしていないのよ」
こういえば基本寄ってこない日本の同調圧力社会よ。
その分、携帯でパシャパシャ撮られているが見ない方向で。
便利なのが、自転車と歩行者の速度差だ。
頑張った一般人がサインをと寄ろうとする前には自転車は既に横断歩道の先に行っている。
結果、走れるところは自転車、徒歩で自転車押し、横断歩道は自転車なんてサイクルでゆっくりと二時間後。
なんとか竹芝桟橋に到着することになった。
「ふぅ……なんとなくこれが見たかったのよ」
茜色に染まるレインボーブリッジ。
振り返ると摩天楼には灯りがつきだしている。
昼と夜が交差して、その移り変わりが水面に浮かぶ中、遠くから船の汽笛が聞こえる。
「けど、街中の自転車も考えものよねぇ」
サンドイッチと紅茶を付いて来た二人に差し出しながらのんびりと黄昏時を眺める。
つらつらと東京湾を眺めると、けっこうな数のボートハウスがちらほら。
昭和期に姿を消したと思ったらバブルの狂乱地価で復活し、今では旧北日本市民の住処として機能しており、その移動性と隠蔽性から犯罪の温床として都庁が撲滅を目指している。
そこで、タンカーの船体などを改造した官製ボートハウスを用意し、いわば方舟都市を作ろうという試みがなされている。その裏には、彼らの中から危険分子を選別しようという意図もある。
既に木更津沖にはこの方舟都市ができつつあり、居住希望者が殺到しているとかなんとか。
また、現在進められている新宿新幹線を中核とした新宿ジオフロントシティーが完成すると十万人を収容する地下都市ができ、そこにも多くの人が住む事になるだろう。
「とはいえ、一般市民にとっては自転車は大助かりなんですよ。
私みたいな樺太の人間にとっては、この自転車が最初の財産になるでしょうね」
グラーシャ・マルシェヴァがサンドイッチをぱくつきながら自転車をポンポンと叩く。
旧北日本系の住人の多くは3K職場で働き、その職場が湾岸に多いのでボートハウスという選択に繋がるわけだ。
そんな彼らが次の職場に行くために通勤手段として選ぶのが自転車である。
私のサイクリングでもそうなのだが、10キロを無理すれば一時間ちょっとで移動できる自転車というのは都内の仕事の選択肢を飛躍的に増やす事になり、それに伴う近年の自転車事故の急増に都庁も頭を抱えている。
自転車道の整備などが進められているが、土地絡みの行政なだけにその歩みは遅々として進まない。
そんな彼らが成功した次が方舟都市であり、そこをクリアしてやっと本土ニュータウンへという同化政策を進めようとしていた。
国際化の大波でそれが何処までうまくいくか怪しいところではあるが。
「お嬢様。
あまり遅くなると……」
遠淵結菜の声に、私は残った紅茶を喉に流し込む。
バブル崩壊と二千四百万人もの旧北日本政府国民を抱えたこの国の治安は改善傾向にはあるけど、決して良くはない。
というか、成田空港テロ事件なんてものが大々的にメディアに流れたので、都内は戒厳令さながらの治安維持活動で強引に改善に走っているという所だった。
つまり、帰りは自転車は無理と。
「だめ?」
「だめです」
という訳で、帰りはおとなしく車と相成った。
なお、自転車を収納できるハイエースを始め、こっそりと付いて来た車が六台も居たのはびっくりである。
この話のきっかけ
【絶対にすべる話】「チャリに乗った話」で爆笑をとり拗ねてどこかに行ってしまう鷹宮リオン、また1人取り残される夢追翔
https://www.nicovideo.jp/watch/sm36038716
ちくしょう。
このお嬢様面白いじゃないか……
自転車がらみの法律
この話を書くために確認したら平成27年に改正されていたり。
携帯やスマホがらみの事故の急増が背景にある。
東京で自転車
実際に東京を歩いて思ったが、信号が、車が、人の動きが九州と違うぞ。おい。
ここで車は運転したくないと思ったが、ここで自転車も運転したくないと思った。
電車通勤+徒歩最強である。
自転車
ママチャリだと大体二万円。中古だと一万ぐらいなんだが、これで行動半径が格段に変わるし、それはそのまま職業選択の拡大に繋がるのが都市部の凄さである。