アラーム・トラップ
「だす」と「どす」の使い方がいまいちわからない……
私は激怒していた。
だからとてもいい笑顔である。
テーブルをバンバン叩きながら、背筋のよい外人相手に怒りの理由をぶちまけた。
「どうして、うちの建造中の船がまたペルシャ湾に行く事になっているのかしら?」
イラクが大変なことになっているのは知っている。
というか、その大変なことに途中までがっつり関与していたからだ。
その過程でうちのフェリー二隻がペルシャ湾に出稼ぎに行き、代替船二隻を追加建造したのだが、それも寄越せと言ってきたのである。
それはまあ構わないのだが、この話を私は全く知らなかったのである。
挙げ句に、この四隻の米軍への売却話まで出てくる始末。
それをアンジェラ後任のエヴァまで知らなかったのだからさあ大変。
という訳で、どうなっているのかと大使館まで出向いて説明を求めたのである。
大使の顔色が真っ青なのは、言うまでもない。
「イラクが大変になっているのは知っておりますし、同盟国として協力する事もやぶさかではございません。
ですが、通す筋というのはあると思いませんか?」
もちろん芝居である。
具体的な情報をエヴァに探ってもらうために、激怒して大使館に怒鳴り込むというカバーストーリーの芝居である。
それでも大使の顔色が真っ青なのは、私が大統領とお話できるクラスの人間だからだろう。
そんな芝居の抗議を終えて大使館を出ると電話が掛かる。
この件を桂華側から調べていた天満橋満からだった。
「アラームトラップでんな」
アラームトラップ。
音が出る罠で、敵が来た事を教える罠である。
首をひねる私に、おっさんは楽しそうに説明する。
「あの船はうちの子会社の北樺警備保障の所有で、イラク派遣の自衛隊にレンタルっちゅう形になってますな。
その上で、運用は多国籍軍司令部がしとりました。
話そのものは、多国籍軍があの船を気に入り、自衛隊と外務省がご機嫌取りに差し出した。
それだけの話ですわ」
「それをわざと私に知らせなかった。
その理由は何?」
なお、ばれた理由は建造中の船の設計変更である。
私が使う事を前提としたラグジュアリールームをキャンセルしたため、内装や調度品周りにキャンセル料が発生。
船の建造費用は桂華太平洋フェリーが出していたが、ラグジュアリールームは私のお小遣い、つまりムーンライトファンドから出したので請求が私の所に来たのだ。
で、何それ聞いてないと確認に走った結果が今回の顛末である。
「相手の立場で見るとこっちがどの手札晒したかが見えてきます。
まず、嬢ちゃんがどこまで組織を掌握しとるか」
私の趣味というか深夜バスでやられてから自腹を切ってでも用意しておこうと思っただけなのだが、それがなかったらこの一件は素通りだった。
桂華グループ全体で行われている組織改変で私がどこまで掌握しているかの一端を晒すことになったのである。
「次に、嬢ちゃんがイラク政局関与を諦めてへんのがばれた。
事がわかったから言うて、米国大使館に怒鳴り込んだのは悪手でしたな」
「どうして?
実際に船を使っているのは米軍よ?」
「せやから言うて、直で大使館はあきまへんわ。
普通やったらまずは外務省か自衛隊に行く案件でっせ。
頭押さえられとっても、目と耳はイラクに向いとるっちゅうのがばれてしまいましたわ」
しまった。
なまじ大統領とお話できるから、そっちのルートを使うことが頭から抜けていた。
そして、そこから推測できる事がバレたのが致命的にまずい。
「で、嬢ちゃんは自衛隊も外務省も素通りして米国大使館に行ってしもうた。
この二つの面子も潰してしもたんはともかく、総理との確執を知っとる者はこない考えるでしょうな。
『政府に対抗するために米国と繋がる』と。
嬢ちゃんを引きずり落とそうとしとる連中に格好の旗与えましたな」
受話器を持ったまま頭を抱える私。
うかつだったのが、なまじ米国やロシアの諜報機関を身近に置いており、直で上位情報にアクセスできるからと国内のその手の機関との付き合いをおろそかにしていた点だ。
もちろん全く繋がりがなかったわけではなく、そのあたりのフォローは橘がしているしアンジェラもやっていた。
ところが、その橘は恋住総理の仕掛けたスキャンダルで社長職を追われつつあり、アンジェラは桂華金融ホールディングスを継ぐためにウォール街でお仕事中。
エヴァは工作員としては確かなのだろうが、アンジェラのように社会的・経済的に日本に馴染むまでには至っていない。
今回の激怒という芝居を利用する輩の存在を軽視していたのだ。
「外務省と自衛隊の内部には色々入っとりますから、向こう側に付いた人間も少なからず居てまっしゃろ。
総理との確執を知っとれば、『嬢ちゃんは火遊びをまだ諦めてへん』と考える輩がぎょうさん出てくるのは間違いありまへん。
まずは、向こうが一点先制っちゅうとこでんな」
野球に例えるあたり、やはりあの球団のファンなのだろうか?
今年調子いいからなぁ。
閑話休題。
「まだ一回の立ち上がりよ。
九回までにこっちが勝てば文句はないでしょ?」
「おっしゃるとおり。
ただ一試合より一シーズンで考える方がええでっしゃろ。
夏に失速とか野球あるあるでっせ」
おーけいわかった。
ここから逆襲する為にも、今回の敗因はしっかりと確認しておこう。
「やっぱり、樺太絡み?」
「裏はまだ取れとりませんが、たぶんそれでしょうな。
自衛隊は北日本軍を吸収して、かなりの隊員を受け入れとります。
今回のイラク派遣部隊も出征費が付くからと、志願のほとんどが北日本出身の隊員です。
外務省は、何か言う必要はありまっか?」
「ないわよ」
外務省の機能不全はまだ続いていた。
何しろ青い血の華族を座らせていたので、能力云々の話ですらない。
そんな華族は経済的に苦境に立っている訳で。
実務官僚は官僚でそれぞれの担当国派閥があり、北日本統合時に北日本政府の外交官を官僚として組み込んでしまっていた。
この手の悪戯をして、ばれないだけの闇の深さがある。
「で、うちの方も嬢ちゃんが火遊びできんよう先におもちゃ売り払ってまおう、っちゅう連中の仕業やろうと思うとります。
組織再編中でこのあたりのチェックがおろそかやったんで、誰が糸引いとったかまでは届いとりません。
勘ですが、おそらく玄人が向こう側に居てまっせ」
玄人。
対外工作員、要するにスパイの事だ。
つまり、彼らのご挨拶に私は見事に引っ掛かってしまっていた。
この一件、黒幕はともかく末端から中程あたりまでは、
「お嬢様の火遊びを身を挺してお諌めする」
という善意から来ている所が致命的なまでにたちが悪い。
夏に起こるだろう私へのクーデターのモデルケースでもあったという訳だ。
「対策を考えておいて頂戴。
その為の副社長の椅子よ」
「分かってまんがな。
近いうちになんらかの成果持っていきますよって。
ほな」
受話器を置いて、米国大使館からのレポートを読み続けるエヴァの顔色は、米国大使より青い。
米国がうちの船四隻を買い取りたいと言ってきたという事は、それぐらいイラクの戦況が悪いという事を意味する。
私の視線に気付いたエヴァは、ぎこちなく笑顔を取り繕って米軍苦戦の現状を口にした。
「クルド人問題でトルコがイラクに対して越境攻撃。
クルド人武装勢力は、イラク軍攻撃の為に、米軍が莫大な軍事支援をしていました。
トルコはNATO加盟国です。
イランはイランで米国と交渉を持とうとしません」
イラクで米軍兵器が敵味方に分かれて相討つという最悪の状況が発生しようとしていた。
おまけに、イランとはイラン革命の因縁から外交チャンネルが構築出来ておらず、現在イラクに侵攻したイラン軍と戦火を交えていないのは、イランとパイプを持っていた日本とこの手の三枚舌ならお手の物の英国による現場の努力に他ならなかった。
この一件でトルコ国内は対クルドの強硬姿勢を崩さず、国際社会の、特に近隣諸国の協力によってイラク復興を考えていた国務長官の面子は丸潰れとなっていた。
それだけならまだいい。
もっとやばいことをエヴァは口にする。
「バクダット陥落後、イラク指導部は地下に隠れました。
その後の占領地を管理する多国籍軍暫定統治局は、イラク指導部を始めとしたバース党の公職追放を断行。
武装したバース党員およそ六十万人が野に放たれてしまったのです」
その意味を私でも理解する。
前世でなんでああなったのか、私はやっと理解する。
中東の砂漠の地に、ベトナムが出来ようとしていた。
やきう
2003年の阪神タイガースは星野政権。
虎党栄光の一年。
多国籍軍暫定統治局
現実名称は連合国暫定統治局。
ここの公職追放は本当に最悪の一手だった。
なお、これがうまくいくと思った連中、うまくいった国をモデルケースに考えていたらしい。
日本っていうらしいんだが……(顔を覆いながら)