第1回迫る胡錦濤主席、それでも野田首相は尖閣を買った 幻だった「容認」

編集委員・佐藤武嗣

 2012年5月18日、首相官邸執務室。野田佳彦首相は政府高官らをひそかに集め、切り出した。

 「尖閣諸島の購入に向けて作業を開始しよう。領土保全は、そもそも国がやるべき仕事だ」

日中半世紀 尖閣国有化の衝撃

 今から10年前の9月11日、日本政府が尖閣諸島の国有化を閣議決定しました。日中国交正常化から40年の節目だった秋でした。日中関係を大きくきしませた「尖閣」は、最近の台湾をめぐる米中関係の緊迫と相まって新たな局面を迎え、その重要性は一層増しています。日中双方で当時の動きを検証すると、相手の出方を互いに読み違え、溝を深めていく様子が浮き彫りとなってきます。

 野田官邸にとって「尖閣国有化」を実現に導くには複雑な方程式を解く必要があった。「東京都が尖閣を買い取る」と公言していた石原慎太郎東京都知事と、尖閣諸島の地権者への説得、そして中国。この「三正面」を同時に解決しなければならなかった。

 官邸はこの日、ごく少人数のタスクフォースを結成。石原知事には面識のあった長島昭久首相補佐官、地権者対策には長浜博行官房副長官、そして中国は外務省の担当と決め、水面下で検討作業に着手した。

 当時の政府高官によれば、小泉政権時代にも国による尖閣購入を検討した資料が残されていたという。

石原慎太郎都知事の購入計画

 目下の難題は、石原知事の動向だった。石原氏は約1カ月前の4月16日、訪米先の米シンクタンクで「日本人が日本の国土を守ることに、何か文句がありますか」と都が尖閣諸島を購入すると表明。直後には、購入費を捻出するため、「寄付金」の募集も開始した。

 「本来は国がやるべきことをやらないから、都がやる」。石原氏は幾度も長島氏らに吐き捨てるように語っていた。対中強硬派の石原氏は尖閣への自衛隊常駐や構造物建設などを主張。政権は「都が購入すれば、日中は計り知れないダメージを受ける」(外務省幹部)と神経をとがらせていた。

 都が呼びかけた「寄付金」はみるみる膨らんだ。官邸は危機感を募らせ、野田首相は尖閣の先行購入の腹を固めていった。

 長島氏は「石原知事があのような動きをしなければ、政府が尖閣諸島を購入することはなかった」と振り返る。

 政府は石原氏に根回ししつつ、地権者との交渉も先手を打った。野田首相は7月7日、朝日新聞の「尖閣、国有化の方針」との報道を受け、尖閣購入の方針を記者団に明らかにした。

最大の難関、中国

 最大の難関は、「国有化」の閣議決定に向け、中国との対立をどこまで和らげるかだった。日本側は正規の外交ルートだけでなく、長島氏も自身のつてを駆使して中国側に「都よりも国が購入する方が平穏、かつ安定的に管理できる」と説得した。

 もちろん、中国側から肯定的な答えが返ってくるはずもない。ただ、野田官邸は「『暗黙の容認』の空気」(長島氏)を中国側から感じ取っていた。

 8月15日、香港の活動家らが尖閣の中国の領有権を主張して魚釣島に上陸。活動家らの情報をつかんでいた海上保安庁と警察は、事前に魚釣島に人員を配置。船上の活動家らも含め計14人を逮捕し、起訴せずに強制送還した。

 長島氏は「この一連のプロセスを中国側と共有していた。そこまでは『暗黙の容認』で握れていると思っていた」と明かす。「その後の中国の主張に沿えば、日本の警察の先行上陸を認めるわけがなかったはずだ」

 だが、8月末には、政府内の楽観論が急速に後退していったという。

 国有化を決して認めないと思い定めていた中国も、日本の出方を読み違えた。

 8月末に山口壮外務副大臣が訪中し、野田首相の親書を戴秉国(タイピンクオ)国務委員に手渡すと、中国の環球時報は「野田政権の対話への意欲を示す動き」と伝えた。

一貫性欠いたメッセージ

 複数の政府関係者によれば、山口氏は中国側には、尖閣国有化を急ぐ官邸を「自分が何とかする」と説き、官邸の幹部には国有化の決定を遅らせるよう働きかけていた。

 日本政府内でも、中国にどうメッセージを送るのか、一貫性を欠いた。党中央に権力が集中し、地方自治という概念が希薄な中国では、都知事の行動を阻止できない野田首相への疑念も渦巻いていた。

 日中の認識のずれが露呈し始め、外務省内でも「ここは国が(購入に)手を出さない方がいい」と慎重論もくすぶり出した。

 日本の尖閣国有化には、米国も水面下で日本に懸念を伝えていた。キャンベル国務次官補は、国有化方針を説明する長島氏に「中国側がどこまで反発をするのか、見通しはあるのか」と慎重な対応を促していた。

 決定的だったのは、9月9日にロシア・ウラジオストクで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日中トップの衝突だった。

 APEC会場で、野田首相と胡錦濤(フーチンタオ)国家主席が正式な首脳会談ではなく、「立ち話」で向き合った。

 野田首相が直前に中国・雲南省で起きた地震のお見舞いを口にすると、胡主席は「国有化は違法だ」と即座にかみつき、「日本は事態の重大性を十分認識し、間違った決定をしないように」とクギを刺した。

 会場には米代表団の一員としてキャンベル次官補の姿もあり、長島氏に「もう少し慎重に考えた方がいい」と最後まで自制を促したという。

翻意しなかった野田首相

 だが、野田首相は胡錦濤氏との会談の2日後の9月11日、尖閣国有化を閣議決定した。

 日本政府内には「帰国直後にやる必要はない。せめて閣議決定を1週間遅らせるべきだ」との声もあったが、野田首相は譲らなかった。

 これが中国の猛反発を招くことになったが、野田首相の側にも引けぬ事情があった。

 1週間や1カ月先延ばししたところで、事態が好転するとは思えない。関係者によれば、尖閣諸島の地権者からようやく合意をとりつけたのに「尖閣諸島の地権者が心変わりするかもしれない」との懸念があった。

 長島氏は、決断を急いだ背景をこう明かす。

 「中国側も体制移行期で、日本も政権交代する可能性が高まっていた。日中双方で政権が代わる前に、(尖閣諸島という)負の関係に決着をつけ、新体制で新たな関係を構築してほしいとの思いがあった」

 中国では、胡錦濤体制から習近平体制に移行する共産党大会を間近に控えていた。

 日本では、野田首相の消費増税をめぐって民主党内が大混乱。6月末の消費増税法案の採決では小沢一郎元代表や鳩山由紀夫元首相らが大量造反し、民主党の政権基盤が大きく揺らぎ、野田政権も下野を念頭に置かざるを得なかった。

 実際、野田首相は尖閣国有化決定の約2カ月後の11月14日、自民党の安倍晋三総裁との党首討論で、衆院解散を約束した。

 尖閣国有化を実現した野田首相と、政権奪還を狙う自民党の安倍総裁。二人の尖閣をめぐる主張の隔たりは、何とも皮肉だった。

 安倍氏は9月末の自民党総裁選で「尖閣諸島への公務員常駐」を訴えていた。12月の衆院選での自民党公約にも、公務員常駐を含む「尖閣諸島の実効支配強化」を目玉に掲げた。

 一方、野田首相は解散後の11月の記者会見で「強いことを言えばいい、強い言葉で外交・安全保障を語る風潮が残念ながら強まってきた。極論の先には真の解決策はない」と説いたが、12月の衆院選で下野を余儀なくされた。(肩書は当時)

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この記事を書いた人
佐藤武嗣
論説主幹
専門・関心分野
外交、安全保障、国際情勢、民主主義、ジャーナリズム
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    安田峰俊
    (ルポライター)
    2022年9月11日13時56分 投稿
    【解説】

    補足に1つ。 >だが、野田首相は胡錦濤氏との会談の2日後の9月11日、尖閣国有化を閣議決定した。 これがまずかったのは、胡錦濤と会った直後に相手の面子を潰す形になったのに加えて、中国側で歴史的に非常にセンシティブになる日(柳条湖事件が起きた9月18日)と近い時期にやってしまったことです。 そもそも、当時の野田首相が尖閣国有化を正式表明した日からして盧溝橋事件の7月7日。日本側にそういう意図はまったくなくても、中国側に過剰に挑発的なメッセージを与えていたのは事実です。これは明らかに日本の失態でした。 (たとえ話。たとえば、おそらくアメリカ人は8月9日という日付に何の意味づけも覚えない人が大多数であるはずですが、被害者側の日本人にとってこの日付は非常に重いですよね?そういうことです) これらは中国にある程度詳しい人ならすぐにピンとくる失態なのですが、そうした人材が対中関係についての意思決定にあたって存在感を持たなかったことに問題の根がありそうです。

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