13-1.スタンピード
お互いの素性を知り合って、そして、「愛しいと思っている」と告げてくれたあの日以来、彼の訪れはなかった。
──さみしい。
彼がいつもいた席は、主人が不在だ。
遠くの席に腰掛けて、そこを眺めて、さみしいと思った。
私の離婚をされたという身の上話を聞いても、明るくて機転が利いて、賢く、愛らしいと。そして、アドルフに対して私が貞淑な婦人だと証言してくれた。
そして、アドルフの魔の手から遠ざけてくれた。
私は再び自分を守ってくれたときのユリウスさんのことを思い出す。
私を守ってくれるその広い背中に安心した。相手を傷つけないようにしつつも確実に仕留めるその素早い手腕に、その力強さに、その彼に守られることに、異性として強く心を惹かれた。
──好き、なのかしら。異性として。
いなくなってみて、ふと思う。
さみしいと思う。いつものようにいてほしいと思う。それは思慕だろうか。
「王弟殿下、なのよね……」
そんな方に、私のような出戻り女はふさわしいのだろうか。
でも、彼は愛しいと言ってくれたし。
心が行ったり来たりする。揺れては、揺り戻された。
そして思い至る。
──彼の、あの負い目をどうにかしないと、多分話にならないわね。
それは右の眼帯。
あれを理由に彼は私を遠ざける。
その下に隠されている傷を癒やさない限り、彼は私から遠ざかり続けるのだろう。
「おじいさまのエリクサー」
あの古傷を治すには、きっとそれほどの薬剤がないと無理だろう。
カタンと椅子の音を立てて立ち上がる。そして、品質保管庫がある場所まで行く。そして、その扉を開けた。中には、おじいさまがただ一度だけ創薬に成功したエリクサー、その遺品である最後の一本が残っていた。
私は前世で不慮の事故に遇い死んだ。好きな人がいたけれど、想いは秘めたまま伝える勇気はなかったから、思いは遂げられなかった。
──新しく生まれ変わったこの世では、好きな人に好きと言いたい。言われたい。
そう。想い、想われる人生を送りたかった。
「……おじいさま。このエリクサー、私の想いの成就のために、使ってもいいですか……?」
遠い天国にいるおじいさまに許しを請うように、小さくつぶやく。
けれど彼はあれから私のそばには来てくれない。どうやってこの薬を使ったら良いのだろう。なんとなくそれを、いつでも使えるようにと思ってポケットにしまう。
そうして、私は思い悩むのだった。
◆
クリスティーナが思い悩んでいたその頃。
一方のユリウスはというと、王城で国王から相談を受けていた。
「……魔獣の動きが活発化しているとの報が入ったのですか……」
国王に聞かされた言葉を反復するユリウス。
「ああ。王都からそう遠くはない黒い森。前に小物の討伐を頼んだ場所だ。そなたの討伐後、おとなしくなっていたはずの魔獣たちが、近隣の町や村で目撃されたという報告がいくつか舞い込んできている」
「兄上は、それを、どう見ておられるのですか?」
「……最悪のケースは考えたくないのだがな……」
「……スタンピード、ですか」
「ああ。黒い森に何か強い魔獣が住み着き、住みづらくなった元々住んでいた魔獣たちが逃げ出してきている、その可能性を考えている」
そんなとき、王都に設置されている警鐘がけたたましく打ち鳴らされた。
「魔獣の襲来だ! スタンピードだ!」
警鐘を鳴らす衛兵が大きな声で叫ぶ。そしてそれは一報として国王とユリウスの面談の場にも報じられる。
「緊急にて、失礼いたします」
「何があった」
国王が険しい顔つきで衛兵に尋ねる。
「はっ。スタンピードが発生しました。方角から察するに、出発点は黒い森かと」
「……想定通りか。ユリウス」
「はっ」
「黒い森への出兵を命じる。そして、森に救う根本原因を排除してくるのだ!」
「はっ!」
ユリウスが立ち上がる。そして、黒いマントを翻して扉の方へ向かった。
「「我々もお供します!」」
控えていた騎士が二名、名乗りを上げる。
「そうか、頼む。……兄上、このものたち、お借りします」
そう言って、ユリウスは供の騎士二人を連れて黒い森へと向かったのだった。
◆