世にある富のほぼすべての財布の紐は、大人がにぎっている

先日、児童文学者協会様主催の児童文学学校講座の1コマにて、講師を担当させていただいた。
そのときに、「エンタメとはなにか? とりわけ、エンタメ系の児童小説とはなにか?」というところをかんたんにお話したのだが、かなりわかりづらい説明になってしまったので、ここで補足を語ってみる。

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営利企業は、財布の紐をにぎっている人間の方を向いて物を作る

僕は小説家になる前、とある大企業でエンジニアとして働いていたのだが、いつも不思議に思うことがあった。
僕の会社はBtoB企業で、企業向けのシステム構築にかかわっており、開発部隊である僕の仕事は、営業部隊が相手企業からヒアリングしてきた機能追加要望の、設計と実装を行うものだった。
で、いつも不思議に思っていたんだ。
「こんな機能、なんで欲しいんだろう? 窮屈になるばかりなのに」
と思うような要望ばかり降ってくるから。

でも、やがて気付いたのは、
「そうか、要望を吸い上げる営業部隊が、『現場の人間』にじゃなくて、『現場の人間を管理する人間』から意見を聞いてるからなんだ」
ということだった。

僕は現場で働く人をイメージして、彼らが便利になる機能要望を考えていた。
でもそれらは、管理する側の人間を便利にする機能要望ではない。彼らの要望は、別のレイヤーにある。
営業部隊が、管理する側の人間から要望を吸い上げるから、その要望ばかり優先されて伝わり、現場側の要望の方が伝わってこないのだ。

じゃあ、どうして営業部隊は、管理する人間からばかり要望を訊くのか?

それは、彼らがプロジェクトのGO / NO GOを決められる立場の人間――つまりは、財布の紐を握っている人間だからなんじゃないかな、と。


営利企業は、だれがどれくらいお金を持っているか――富の在り処を考える

商売というのは、顧客のことを本気で考えることで成り立つ。
「人がなにを欲しているのか?」
「なにを気にかけ、望んでいるのか?」
それらを本気で考え、叶えて、その対価としてお金をいただくのが、商売の基本ってやつだろう。
そして、企業っていうのは、だれがどれくらいお金を持っているか――富の在り処をつねに考えている。
「国の予算がこっちにウン百億」
「自治体の予算がこっちにウン十億」
「この企業のこのプロジェクトにつけられる予算規模はこれくらい」
そうして、そのお金を動かす決裁権を持った人間――財布の紐をにぎっている人間の意見を、とても真剣に引き出そうとする。
彼らがなにを欲しているのか? なにを気にかけ、望んでいるのか?
本気で考え、叶えようとする。そうしてお金をいただいていく。

逆に言えば、「財布の紐をにぎっていない人間の意見は、資本主義経済のなかでは軽視されていくのだろう」と。

小さな企業ならまだそうでもないのかもしれないが、企業の図体がでかくなるほどに、大なり小なりみんなそうなっていく。
でっかい図体を保たせるためには、たくさんの栄養が必要で、企業にとっての栄養というのは、お金にほかならないからだ。

なるほどなぁ…と思って。
営利企業は、富を持ってるヤツの方を向いてモノをつくるんだ。
財布の紐をにぎってるやつは強いんだ、と。

……っていうのが、デビュー前、会社員やってたころに思ってたことなんだけど。


出版社も営利企業なんだよね

デビューしてから、出版社もそこは変わんないな…と気付いた。
だって、あたりまえの話なんだけど、出版社も営利企業だし。
社員の給与がぜんぶ不動産収入で賄われているとかでもないかぎり(そういう会社もありそうだが)、なにかしらで利益を出さなければみんな食べていけないわけで。

出版社も、だれがどれくらいお金を持っているか――富の在り処を考える。
「この年代の人たちは、これくらいお金を持っている」
「この属性の人たちは、これくらいお金を使ってくれる」
じゃあ、彼らがなにを欲しているのか? なにを気にかけ、望んでいるのか?
本気で考え、本をつくろう。

でも、子供って富を持ってないわけじゃん。

小中学生の財布のなかにいくら入っているんだろう? …と、僕はときどき考えてしまう。

「子供の財布のなかにあるお金の平均値 × 日本全国の子供の人数」

この金額がいくらになるかわからないけれど。
すくなくとも、世にある富の総量からすると、ほんとうに微々たるものであることはたしかなわけで。(や、石油王の息子とかもいるのだろうけれど)

世にある富のほとんどすべての財布の紐は、大人がにぎっている。
それに気づいたとき、僕が思ったのは、財布の紐をにぎっていない子供の意見は、自然にしていると、資本主義経済のなかでは軽視されていくものなんじゃないか? と。

「いや、子供がお金を持っていなくても、親が子供にお金を使うじゃないか」と思うかもしれない。親が子を想う気持ちがあるんだから、そんなドライな商業ロジックとは別件でしょと。
でも、その財布の紐をにぎっているのは、あくまで子供でなく、親なわけだ。
それは、『現場の人間』と『その人間を管理する人間』の関係に似てるな、と僕は思ってしまうのだ。
会社の上下関係と親子関係を一緒にするなと思われそうだけど、
「欲しているものが違う、独立した二人の人間がいて、どちらの人間から意見を訊くか?」
という意味では、なんら変わりはないわけで。

営利企業は、財布の紐をにぎっている人間の方を向いてモノを作る。
もちろん、組織のなかの個々人の思いは別だから、そんな極端なことにはなりにくい。要所要所で、だれかが流れに逆らってたり、ヘンなことをしていたりする。
でも、企業の図体を保たせることを考えた場合、組織のなかに大なり小なり、ある種の重力、流れのようなものが働くことは、まちがいなかろうと思っていて。
そのなかで、子供がなにを気にかけ望んでいるのかは、軽視されていきがちなものであろうと。

だからこそ、児童文庫はあくまで、「子供の財布からいただいた百円玉で収益をあげるジャンル」であってほしいなぁ…と。
それが、子供のことを真剣に考えることの1つの形なんじゃないかしらと。

どんなお金でも、価値は変わらないんだけど。
やっぱり、子供の財布からマジックテープをバリバリやりながら取り出された百円玉が、一番尊いお金だよなぁ…とか、たまに思っている。

それはそれとして6億円ほしい。


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小説家。 なんでも書くが、現在は児童小説中心に活動中。 代表作は、累計100万部突破の『絶望鬼ごっこ』シリーズ。 新作は『ぼくたちのマインクラフト冒険記』『神絵師のノート!』 noteではおもに創作関連の記事を書いてます。 https://books.haritora.jp/
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