銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)


 

第一話 神々の戯れ

 
前書き
ようやく改訂しました。もっともとりあえずの暫定版です。 

 


「大神オーディンよ、お願いです。息子を、エーリッヒを助けて下さい」
「ヘレーネ。……大神オーディンよ、私達の願いをお聞き届けください」
若い夫婦が病院で必死に祈っていた。彼らの息子は生まれた直後から身体が弱く医師からは育たないかもしれないと言われていた。彼らに出来る事は祈る事だけだった。例え不確かなものでも彼らには神々に縋る他は手段が無かった。医師が当てにならないのだから……。





二人の男性が椅子に座ってテーブルに置かれた盤を見ていた。そしてその周囲には大勢の男女が居た。二人がしているのはチェスではない。盤の上には無数の人間の形をした駒が乗っていた。二人とも人間の姿形をしていたが人では無かった。一人は老人、一人は若者。かつて神と崇められそして新たな神の登場により忘れられた者達だった。周囲の者達も同様だった。しかし彼らは奇跡的に復活した。或る物語によって。

「どうかな、この物語は」
「いかにもあなた好みの物語だ。流血と炎、破壊と再生、そして短すぎる一生。私の好みではない、私ならもっと上手く書ける」
若者が艶然と笑うと老人は面白そうな表情を浮かべた。老人はこの若者が嫌いではなかった。時として腹の立つ事も有ったが嫌いではなかった。だが周囲の神々はそうではなかった。彼らは自分達の長に対する不遜な物言いに不満そうな表情を見せた。彼らはこの若者の所為で酷い目に有っていた。もっとも同程度に助けられていたため口に出して非難はしなかった。

「ほう、どうやって」
「貴方は英雄が好きらしい。強く輝かしい男が。だがそういう男は強くはあっても脆い」
老人は不満そうに顔を顰めた。確かに彼の選んだ人物には脆さが有った。だがそれこそが英雄の持つ魅力だとも思っていた。そして老人は何よりも英雄が好きだった、昔から。

「平凡な男の方が時として柔軟で強かなのだ」
「ほう、しかし物語が書けるかな?」
老人は暗に平凡な男には書けないだろうと挑発した。英雄だから物語が書ける、物語が輝くのだと思った。周囲の神々も頷いていた。だが若者は笑う事を止めなかった。

「試してみよう」
「ほう、駒は幾つ使うのだ?」
「一つだ」
ざわめきが起きた。皆が驚いている。
「一つ? 平凡な駒を一つか。それで物語を書けるのか?」
若者は挑発には応じなかった。

「貴方の所に若い夫婦が祈りを捧げている筈だ。息子を助けて欲しいと」
「知っている。だが助ける事は出来ぬ。哀れだがあの子の運命は決まっている」
「それを使わせてもらう」
若者が手をかざし空中から駒を取り出す。そしてその駒をじっと見た。

「お前にはノルンの力が与えられている。平凡な男だがその平凡さがお前を動かし周囲を動かすだろう。行け、行ってお前の物語を紡ぐが良い、私に似た者よ。若き夫婦よ、失われた命に換えて新たな命を与える、受け取るが良い。その命は宇宙を動かすだろう、代償はお前達の命だ」
周囲が抗議の声を上げる中、若者は無造作に駒を盤に投げ込んだ。やがて盤上に小さな波紋が生じた。



帝国歴465年 
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン誕生。

帝国歴477年 
士官学校入校

帝国歴481年 
帝国文官試験合格。士官学校卒業、少尉任官、兵站統括部第三局第一課配属

帝国歴482年 
中尉昇進。

帝国歴483年6月
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、第5次イゼルローン要塞攻防戦における補給任務に功あり。大尉昇進。第三五九遊撃部隊に作戦参謀として配属。
同年9月
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、辺境領域にて軍を中心とした大規模なサイオキシン麻薬密売事件発覚。摘発における功により少佐昇進。
同年12月
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、アルレスハイム星域の会戦の勝利において功あり。中佐昇進。

帝国歴484年1月
巡航艦ツェルプスト艦長兼第1巡察部隊司令。
同年10月
トラウンシュタイン産のバッファロー密猟摘発において功あり。大佐昇進。


少しずつ、少しずつ波紋が大きくなっていく。老人は呆然と若者は楽しげにそして周囲の神々は不安そうにその様を見ていた。


帝国歴485年1月
第二八五遊撃部隊参謀長。
同年3月
ヴァンフリート星域の会戦
同年4月
ヴァンフリート星域の会戦の勝利に功あり。准将昇進。
同年10月
第六次イゼルローン要塞攻防戦。

帝国歴486年1月
第六次イゼルローン要塞攻防戦の勝利に功あり。少将昇進。
兵站統括部第三局第一課課長補佐。
同年4月
皇帝不予。帝都騒乱を未然に防いだ功により中将昇進。
兵站統括部第三局局長補佐。


いつしか波紋は盤を揺るがすほどの大きさになっていた。
「見られよ、新たな物語の誕生だ!」
若者が誇らしげに宣言した。




 

 

第二話 始まり

 俺の名前は佐伯 隆二といった。年齢は25歳。独身。まあ恋人はいる。地方公務員で市役所に勤めていた。いたって普通の一般人だったと思う。いまだに何があったんだかさっぱりわからない。気付いたらこの世界に生まれ、赤ん坊になっていた。

 最初はパニックになったね。起きようと思っても起きられない。声をだしたら「おぎゃー、おぎゃー」だよ。何だよコレ、と思って手足をばたばたさせたら、金髪に青の御眼目の美人と人の良さそうな黒髪黒目の白人男性が俺の前にやってきた。

 なんで家に外国人がいるの?でまたパニックになったけど、二人は俺の体を触ってなにやら話しあってた。自慢じゃないが外国語なんかさっぱりわからん。お前ら何者だ、何で俺の家にいると抗議(実際にはぎゃーぎゃー泣いているだけだったが)していると、いきなり女の方がオッパイを出して俺を抱き上げた。

おいおいちょっと待てよ。それはまずいだろ、と思っているといきなり授乳ですよ。気がついたら夢中で吸っていましたよ。いやーあれって癒されるのね。お腹も一杯になるし、なんていうか安心する。自分が赤ん坊になってるって受け入れられたのもアレが大きいと思う。

 自分が赤ん坊になっているのは理解できたけど、どこにいるのかが良くわからなかった。俺の両親(俺はこの二人の子供として生まれたんだろうというのはなんとなく理解できた)が話している言葉がドイツ語だということはすぐ解かったからヨーロッパなのかと最初は思っていた。あの当時自分が一番不安に思っていたのは元の自分がどうなったのかだった。生きているのか、死んでいるのか。多分死んでるんだろうが、自然死かそれとも誰かに殺されたか。まさか恋人に毒殺されたとかなんて考えたりした。自分の死因がわからないてのは非常に気持ち悪いね。

 自分が銀英伝の世界に転生したって解かったのは3歳ぐらいだったと覚えている。俺は銀英伝の大ファンだったし、そりゃ何度か、いや何十度か銀英伝の世界にいけたらと考えた事はあったけど呆然としたよ。俺の生年は帝国暦465年、ローエングラム王朝はあと20年ちょっとで誕生するし、ラインハルトは既にこの世に誕生していることになる。ため息が出た。
 ま、世の中はこれから良い方向に向かうんだと気持ちを切り替えて生きていこうとしたよ。くよくよしても仕方ない。

 俺の新しい家族を紹介しよう。
 俺の父はコンラート・ヴァレンシュタイン。弁護士だった。友人と共同で事務所を開いていた。そこそこ繁盛していたようだ。母はヘレーネ・ヴァレンシュタイン。美人だった。綺麗というよりは可愛い感じの美人だった。司法書士の資格を持っていて父の事務所で働いていたらしい。それがきっかけで結婚したと聞いた。

 俺はこの二人から溺愛されたと言っていい。生まれたとき体が弱かったのだ。一度呼吸が止まって大騒ぎになったこともあるという。俺の転生もそれが関係しているのかもしれない。実際、俺が転生してからも何度か体調不良で病院の世話になっている。そのため大切にされて育った。俺もこの二人が大好きだった。大きくなったら弁護士になる、一緒に仕事をしようといって両親を喜ばせた。

 実際そのために勉強もした。元々ある程度の知識はあるし、意欲もある。俺はあっという間に小学校を飛び級し十二歳のときには、中学の卒業を迎えることになった。自慢の息子だった。よく父は俺の頭をクシャクシャと撫で母は優しく抱きしめ、額にキスをしてくれた。幸せだった。あのまま、ずっと幸せな日が続くと思っていた。ずっとだ。

 愚かにもおれは肝心なことを忘れていた。この世界には門閥貴族という人の命を虫けら程にも思わない連中がいるということを。
 

 

第三話 慟哭そして報復の誓い

 その日、俺はいつもどおり学校に行き授業を受けた。昨日と同じ一日だった。
その知らせが来るまでは……。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン」
授業も終わり、帰宅しようと廊下を歩いていた俺を呼び止めたのは、ベック校長の声だった。校長の脇には見慣れない男がいた。40代後半くらいか。俺の方をじっと見ている。
「何でしょう。校長先生」
「ああ、そのだね、その落ち着いて聞いて欲しいんだが……」
校長は口篭もると横にいた男に視線を移した。俺もつられて男を見る。男は一歩俺の方へ足を進めると低い声で話し始めた。

「エーリッヒ君だね。私はザウリッシュ警部。警察のものだ。君の御両親が亡くなられた。私と一緒に来て欲しい」
「何言ってるのおじさん。嘘つくのは止めてよ」
「嘘じゃない。……少なくとも私が警官だと言うのは嘘じゃない」
そう言うと、男はスーツの内ポケットから身分証明書を出した。
「私と一緒に来て欲しい。いいね」
俺は何も言えず、ただうなずいた。

 俺たち(俺とザウリッシュ警部)が向かったのは監察医病院だった。車の中で俺は一言も喋らなかった。いや喋れなかった。喋ったら両親が死んだ事が事実になりそうで喋らなかった。絶対嘘だ、人違いだ、そうに決まっている。
病院につくと、遺体安置所に連れて行かれた。安置所には既に人が三人いた。二人は知らなかった。多分警察だろう。しかし後の一人は俺の知る人間だった。ハインツ・ゲラー。俺の父と一緒に法律事務所を経営している人物だ。

「ハインツおじさん」
「エーリッヒ、来たのか。コンラートとヘレーネが……」
口篭もりながら、俺の両肩に手を乗せたハインツの目は真っ赤だった。嘘じゃないんだ、俺の胸を絶望が覆う。俺は助けを求めて部屋の中を見渡した。そして、幾つかのベッドに今更ながら気づく。その内二つのベッドに遺体が横たわっていた。遺体にはシーツが掛けられている。俺はハインツの手をはずすと遺体に向かって近づいた。

「エーリッヒ、見るんじゃない」
俺を引きとめようとするハインツを振り切ってベッドに近づく。シーツに手をかける。手が震えた、いや震えたのは手じゃない体そのものが震えていた。
「エーリッヒ、よせ」

なおも俺を取り押さえようとするハインツを振り払い、俺はシーツをめくった。父の遺体だった。目がくらんだ。どのくらい見ていたのだろう?。分らない。気付いたらもう一つの遺体の前にいた。俺はシーツをめくる。母の遺体ではないことを確認するためだ。母のはずが無い。そんなことはありえない。……母だった。

■ハインツ・ゲラー

 エーリッヒは黙ってヘレーネの遺体を見ていた。止めさせなければいけない。二人の遺体は酷い有様だった。コンラートは酷い暴力を受けており、首の骨が折れていた。他にも肩や手足、肋骨が折れていた。そして胸に銃で撃たれた後がある。首が折れた時点で死んでいたろう。死体をさらに弄ったのだ。ヘレーネも酷かった。明らかに性的暴行を受けていた。服が破れ、顔にも殴られた痕がある。そしてやはり銃で胸を撃たれていた。二人とも顔は恐怖と絶望で引きつっていた。エーリッヒを止めなければ。だがその前にエーリッヒの声が耳に届いた。

「誰がやった。誰が父さんと母さんを殺した。誰が殺したんだ」
問いかけてからエーリッヒは静かに振り返った。私は答えられなかった。知らなかったからではない。知っていたからだ。
「知っているんだね、おじさん」

落ち着いた、静かな声だった。それなのに私はエーリッヒに恐怖を感じていた。子供なのに。
「エーリッヒ、落ち着いてくれ」
「誰なの!」
黙り込んだ私を睨んでいたエーリッヒはやがて呻き声を上げると両腕で顔を隠した。そして床にうずくまると泣き始めた。泣きながら床を叩き、コンラートとヘレーネを呼び、犯人への復讐を誓い続けた。慟哭そして報復の誓い。私は何も出来ず、ただ其処に立っていた。
 
 

 

第四話 敵の正体

 ハインツは俺を一人にするのは心配だったのだろう。自分の家に連れて行こうとしたのだが、俺は断った。俺は一人になりたかった。誰にもそばにいて欲しくなかった。そして家に帰りたかった。俺が家に戻ってきたのは夜7時を過ぎていたと思う。食事は途中でとった。お互い一言もしゃべらず、ただ黙々と料理を食べた。
「エーリッヒ、私は帰るよ。本当に一人で大丈夫かい?」
「おじさん、父さんと母さんを殺したのは貴族なんだね」

ハインツの顔は引き攣っていた。遺体安置所ではハインツも警察も犯人のことは何も言わなかった。でも俺にはわかった。犯人が捕まったのなら警察は胸を張ってそういうだろう。犯人が判らなかったのなら、必ず捕まえるというだろう。何も言わなかったのは、知っているが捕まえられないということだ。すなわち、貴族。それもかなりの大貴族だろう。
「おじさん、僕には知る権利があるはずだ。僕の父さんと母さんのことなんだよ」
隠し切れないと思ったのだろう。疲れた表情でハインツは静かに話し始めた……。

 カール・フォン・リメス男爵という人物がいる。そこそこ裕福な貴族だった。年齢は84歳。ここ半年ほど前から体の具合が良くなくベッドに横たわることが多くなっている。息子は10年前に死去するという親不孝をしていたが、孫息子が2人おり相続の心配は無かった。長男のテオドールは跡継ぎとして祖父とともに暮らしており、次男のアウグストは軍に入っていた。長男は跡を継ぎ、相続権の無い次男は自分の力で身を立てるのは貴族社会の常であるから、リメス男爵家もごく普通の貴族と言っていいだろう。

 ところが1ヵ月ほど前、テオドールが死んだ。事故だった。乗馬中に障害を飛び損ねて落馬、首の骨を折って即死だった。老人にとってはショックだっただろう。しかし孫息子はもう一人いる。リメス男爵はイゼルローン要塞に配属されていた次男のアウグストに対し、葬式に出席しリメス男爵家の跡継ぎになるようにと連絡をした。

 連絡を受けたアウグストは喜んだ。いつ戦死するかわからない軍人などより、男爵家の跡取りの方がどれほど良いか。俺もその気持ちは判らないではない。しかし、彼は喜びすぎた。連絡を受けた日の夜、アウグストは酒場で祝い酒を飲んだ。周りにも奢り大騒ぎをしたらしい。しかし、同じ酒場にアウグストと仲の悪い人間がいた。

 その男がアウグストを皮肉った。「自分の兄の死がそんなにもうれしいか? 卿が殺したと思われるぞ」。アウグストは心外だったろう。彼は男爵家の跡継ぎになれたことを喜んだのであって、兄テオドールの死を喜んだのではなかった。たちまち殴り合いが始まった。両者ともかなり飲んでいたらしい。周りの制止も振り切って殴りあったという。
 
 翌朝、アウグストは起きてこなかった。最初は二日酔いかと周囲は思ったが、昼過ぎても起きてこない。彼の部屋に連絡を入れても通じない。心配した同僚が彼の部屋に行くと、アウグストは冷たくなって横たわっていた。急性頭蓋内血腫だった。リメス男爵家の跡継ぎになる喜びを抱えたまま死んだのだ。幸福だったのか、不幸だったのか。

 1ヵ月の間に跡継ぎがいなくなり当主が病弱な老人となれば、男爵家の継承を狙ってハイエナどもが動き出すには十分だった。この場合ハイエナというのはリメス男爵家の親族だ。リメス男爵には妹が三人いた。それぞれヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家に嫁いでいたが、みなハイエナになった。陰惨な相続争いが発生したのだ。

 自分が男爵家を手に入れるために使用人を取り込む、自家を推薦させる、他家を貶める、リメス男爵の考えを知ろうと盗聴する、日記を盗み見る。リメス男爵家の執事は男爵とは70年以上の主従関係にあった。主従というよりは親友であっただろう。使用人たちを厳しく監視し、男爵家のためにならないと見れば容赦なく叩き出した。
 
 そしてある日、死体となって発見された。男爵が殺されなかったのは皮肉にも彼らの貪欲さのおかげだった。リメス男爵が後継者を決めずに死ねば、男爵家の財産は三等分され、爵位は返上される。リメス男爵家はそこそこ裕福な家ではあったが三分の一ではあまりにもうまみが少なかった。彼らはすべてを欲したのだ。

 こうした状況はリメス男爵にとって地獄だったろう。孫息子二人を無くし、親友である執事まで失い、周りには信用できない使用人が溢れている。彼は自分を地獄に落とした親族を呪い、復讐を誓った。彼ができる唯一の復讐は爵位及び財産の国家への返上だった。ここで俺の両親が登場する。俺の父はリメス男爵家の顧問弁護士をしていた。有力貴族の顧問弁護士というのはそれなりに評価される。ハインツと父の法律事務所がそれなりに繁盛していたのもリメス男爵家のように顧問弁護士をしている家が他にも何家かあったからだった。

当然ハイエナどもは父に対して色々と見返りを提示して協力を依頼したが、父はリメス男爵の意向に従うと返答し相手にしなかったようだ。それもリメス男爵が殺されずにすんだ一因だろう。顧問弁護士が見返りに目が眩んで勝手に養子縁組の手続きをすることだってありえたのだ。

リメス男爵にとって父は信頼できる人間だった。男爵は父に典礼省へ爵位、財産の返上の手続きを取ってくれと依頼した。もちろん極秘でだ。そしてハイエナどもが気付いたときにはすべての手続きが完了していた。彼らはリメス男爵の判断を呪い、自分たちの相続の正当性を訴え、父を憎悪した。平民風情が我々の正当性を否定するのかと。

「それで父さんと母さんを殺したの?」
「多分、いや間違いなくそうだ」
「どこの家がやったの」
「それは……判らない。一番怪しいのはヴァルデック男爵家だと思うが……」 
「何故」
「ヴァルデック男爵家は先年事業に失敗し、かなり負債を負ったらしい。それに、あそこが一番リメス男爵家に執着していたのは事実だ」

「エーリッヒ。悔しいだろうけど復讐は諦めなさい。貴族を敵に回すのは危険だ。コンラートもヘレーネもお前の幸せを祈っているだろう。最高の復讐は幸せになることだ、という言葉もある。いいね」
「……うん。ありがとう、おじさん」
「明日、また来るよ。これからのことも考えないといけないからね」
「そうだね。これからのこと考えないとね……」

 ハインツは安心した表情をして帰っていった。話すことでほっとしたということもあるのだろう。ハインツの言うとおり、これからのことを考えなければいけない。あいつらを没落させ、俺自身が幸せになる方法を。
「ローエングラム体制が発足し、門閥貴族どもが没落するまであと11年か……」

 

 

第五話 リメス男爵

 翌日は両親の葬儀の準備、翌々日は葬儀だった。俺はほとんど何もすることが無かった。葬儀は全てハインツを中心として法律事務所の人間が取り仕切った。帝国と同盟が戦争を始めて以来150年近く経っている。毎年大勢の人間が死んでいるのだ。皆、葬式には慣れてる。両親の棺が墓の中に入れられたときには涙が出た。

 俺が将来の事についてハインツと話しをしたのは葬儀の後、俺の家でだった。ハインツの妻、エリザベートも一緒だった。
「繰上げ卒業をして、士官学校の編入試験を受けようと思うんだ」
「繰上げ卒業? エーリッヒの成績なら難しくは無いと思うが軍人になるのかい?」
「うん」

 繰上げ卒業というのは、単位を取得して半年早く卒業できる制度だ。原作ではヤンとユリアンが話している。戦争によって人的資源が慢性的に不足しつつある今、社会への人的資源を補給するには少しでも早く学生という予備戦力を取り入れなければならない。そんなことから出来た制度だった。となれば当然受け入れる側もそれに順応する。士官学校の編入試験制度だ。半年早く卒業した学生を遊ばせることなく受け入れる。新入生は半年前に入学しているが、半年くらいなら十分対応可能ということから出来た。実際、編入試験を受けるのは半年早く卒業した生徒だ。出来は良い。この制度が社会的に問題になったことは無い。

「エーリッヒ、君はまだ子供だ。士官学校に入るのは止めなさい」
「そうよ、エーリッヒ。ハインツの言うとおりだわ。士官学校は無理よ。それより私たちのところへ来ない? 」
「君さえ良ければ、私たちの息子になって欲しいんだが」
「ごめん、おじさん、おばさん。でも決めたんだ」
「エーリッヒ、それは復讐のためかい?」
「ちがうよ、おじさん。幸せになるためだよ」

しばらく押し問答があったが、結局は俺の意見が通った。
「判った。エーリッヒ、君の思うようにしなさい。但し、必ず幸せになるんだよ」
「うん。ありがとう、おじさん」
「残念ね、せっかく自慢の息子ができると思ったのに」
「ごめん、おばさん」

その後、俺はハインツに士官学校を受けるための推薦状を頼んだ。士官学校の編入試験を受けるのには、ただ成績が良いというだけでは駄目だ。本人が社会的地位のある人物の息子、または社会的地位のある人物からの推薦状がいる。俺の場合は父親が弁護士で、貴族の顧問弁護士もしていたから問題は無いと思うが、念を入れておきたい。ハインツは快く承知してくれた。

 今ある家は貸家とすることになった。手続き、管理はハインツがしてくれることになった。もちろんそれに対する代価は払うことにした。ハインツは最初受け取れないと言ったが俺は仕事としてお願いしたいといって受け取ってもらうことにした。一段落した後、ハインツがおもむろに切り出した。

「エーリッヒ。頼みがあるんだがな」
「何?」
「うん。リメス男爵が君に会いたいと言っているんだよ。どうだろう?会ってもらえないだろうか?」
「リメス男爵が……。いいよ、会っても」


「エーリッヒ・ヴァレンシュタインです」
「よくきてくれた、エーリッヒ。カール・フォン・リメスだ。こんな姿ですまんな。もっとこちらへ来てくれ」
俺を迎えたのはベッドに横たわった老人だった。疲れた顔をしているが目は澄んでいた。
「君にはすまんことをした。まさか連中があそこまでするとは。典礼省への手続きさえ済んでしまえば連中も諦めるだろうと思ったのだが。本当に君にはすまんことをした。許してくれ」
リメス男爵は頭を下げて謝った。

「男爵閣下は大丈夫なのですか?」
「わしが死んだら、典礼省より検死官がくる。死体に異常があれば当然調査が入る。真っ先に疑われるのは連中じゃ。そのことは連中もわかっている。腹は立っても何も出来ん。むしろ何かしてくれれば良かった。わしはもう老い先短いからの。そうすればコンラートもヘレーネもあんな事にはならんかった。すまんことをした」
「閣下、使用人たちは信じられるのですか」

ハインツが問うと、男爵は天井を見ながら
「もうだれもこの家の使用人に興味を持つ人間はおらんよ。自分のもので無くなると思えば関心も無くなる」
そう言って、今度は俺の顔をじっと見つめた。
「君は本当にヘレーネに似ているな。そっくりだ。よく自慢の息子だと言っておった」
「母と親しかったのですか。仕事以外でも」
「親しかったよ。親子じゃからな」
「親子?」
俺は間の抜けた声をだして男爵を見た。そしてハインツを。ハインツの顔にも驚きがある。
「嘘ではないよ。これを御覧」

老人は古びた写真を出した。写真には一組の男女が写っている。男性は40~50歳代、女性は20~30歳代か。親子かと思ったが女性の腕には赤ん坊が抱かれている。
そして男性は多分リメス男爵だろう。約30年から40年前の写真だ。そして赤ん坊を抱いた女性は母とよく似ている。祖母か?。祖母のフレイアは俺が生まれる前に死んでいたはずだが……。俺はまたハインツと顔を見合わせた。どういうことだ?。リメス男爵は俺の祖父なのか。

「私とフレイアは40年前に出会った。そして愛し合い生まれたのがヘレーネだった」
「何故ヘレーネを男爵家の娘として迎えなかったのです」
「フレイアがそれを望まなかったからだ。彼女には父親が残した財産があり、ヘレーネを育てるのに苦労はしなかった。それに彼女は貴族が嫌いだった」
「貴族が嫌い? ですが閣下も貴族ですが?」

「ハインツ、出会ったときは貴族だとは思わなかったのだよ。まあ、わしも身分を隠したし。当時わしは妻を無くし独り身だった。彼女と結婚しよう思ったが、彼女の貴族嫌いを思って途方にくれたよ。まるで初恋のようだった。それでも思い切って身分を明かし結婚してくれと頼んだが、目を丸くして驚いておった。後で随分と文句を言われた。貴族はやっぱり信用できないと」

そう言う男爵の顔には先程までの疲れた表情は無かった。楽しげな、過去を懐かしむ表情になっている。
「彼女とは結局結婚できなかった。貴方を愛しているが結婚は出来ないと言ってな。何でも彼女の友人がやはり貴族の妻になったらしい。じゃが彼女は貴族社会になじめず、夫も彼女を十分に助けず最後は酷い結果になったと聞いた」
「酷い結果というと?」
そう俺が問うと、男爵は悲しげに答えた。
「自殺したらしい」

俺たちの間に沈黙が流れた。貴族と平民の間には厳然とした壁がある。貴族が平民を蔑む以上に平民は貴族を忌諱することもあるのだ。その壁にどれだけの人間が涙を流したのだろう。
「ヘレーネをリメス男爵家の娘にしないでよかったと思っている。もしそうしていたらエーリッヒも殺されたかもしれない」
「父は知っていたのですか」

「もちろんだ。リメス男爵家の顧問弁護士になったのもそれが有ったからだと思っていたようだ。わしは真実、彼の誠実さ、有能さを評価して顧問弁護士にしたのだが。二人で良く君の事を楽しそうに話してくれた。幸せなのが判って嬉しかったよ」

「フレイアさんのことは周りには知られなかったのですか?」
「知っていたのはゲアハルトだけだった」
俺が目でハインツに問いかけると、
「亡くなった執事殿だ」
と答えた。
「エーリッヒ。これを受け取ってくれ」
俺に差し出されたのはフェザーンに本拠を置く大銀行のカードだった。

「受け取れません。そんなので謝罪なんかして欲しくない」
「エーリッヒ!」
叱責するハインツを手を振ってなだめ、男爵は俺に話し続けた。
「違うよ、エーリッヒ。これは謝罪じゃない。お前に幸せになって貰いたいからだ。リメス男爵家の財産は全て帝国に返還される。最後に一度くらい、無駄遣いをしても良かろう」
「……ありがとうございます。大事にします」
「ああ、それとこれを受け取ってくれ」

俺は写真を受け取った。
「エーリッヒ、最後に御祖父さんと呼んでくれんか」
「はい。御祖父さん、今日は会えて嬉しかったです」
「ありがとう。もうお前に会えることはあるまい。会えてよかった。お前はわしの自慢の孫だ。ヴァルハラに行ったらコンラートとヘレーネに御祖父さんと呼んでもらえたと自慢できる」
鼻の奥がツーンとしてきた。男爵の顔が良く見えない。きっと男爵も同じだろう。男爵は俺を抱き寄せ、俺の頭に頬を押し付けた。しばらくの間、鼻をすする音だけが部屋に響いた。
 
 俺達はリメス男爵邸を辞去した。あくまで死んだ顧問弁護士の関係者として。リメス男爵が死んだのはそれから一週間後のことだった。葬儀に出たのは俺とゲラー夫妻の他数名、リメス男爵家の親族は誰も参列していなかった。ひっそりと寂しい葬式だった。

 祖父からもらったカードには200万帝国マルクの預金が入っていた。
  

 

第六話 厄日

 そろそろ切り上げるか。俺は開いていた教科書を閉じカバンにしまった。さて、今日は何を読もうか、と考えていると校内放送が入った。
「兵站科専攻のヴァレンシュタイン候補生。校長室まで出頭しなさい。繰り返す、兵站科専攻のヴァレンシュタイン候補生。校長室まで出頭しなさい。以上」

はて、何かやったか? 半年前士官学校への編入試験に合格し、士官候補生となって以来問題を起こした覚えは無い。先週は期末試験も終了し、兵站科では3番、全校でも31番という成績をとった。全校生徒数5,120名に及ぶなかでの31番だ。

きわめて真面目でしかも手のかからない生徒だと自認している、少し病弱な点を除けば。特に思い当たる節は無かったが、ノイラート校長を待たせるのはまずいだろう。相手は中将閣下なのだ。俺は図書室を出て急ぎ足で校長室を目指した。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン候補生、入ります」
「ヴァレンシュタイン候補生か。此方へ来なさい」
ノイラート校長は執務机から呼びかけた。隣にはクレメンツ中佐がいる。戦略、戦術を担当する教官だ。学生からの評判は非常にいい。面白くて覚えやすいというのだ。よくシュターデン大佐と比較されている。後年、ミッターマイヤーに理屈倒れと揶揄されるシュターデンとだ。性格も明るく、その点でも僻みっぽいシュターデンとは違う。クレメンツ中佐がいるなら大丈夫だろう。校長の機嫌も悪くなさそうだった。

「さて、ヴァレンシュタイン候補生。先日の進路調査には兵站科を専攻すると書いてあったが本当かね。君の成績なら戦略科を選んだ方が良くないかな。そうだろう、クレメンツ中佐」
「はい、閣下のおっしゃるとおりです。ヴァレンシュタイン候補生、君は戦略、戦術に対する理解力、コンピュータシミュレーションの成績も優れている。何故戦略科を選ばないのだね」

なるほど、そういうことか。厄介だな……。通常士官学校に入学するときは専攻する学科を2つ選ぶ。第一志望、第二志望を戦略科、戦史科、空戦科、陸戦科、技術科、兵站科、航海科、情報科等から選ぶのだ。そして成績の良い順から希望する学科に入れていく。当然だが既に希望する学科が定員になれば、それ以外の選ばなかった学科に振り分けられる。

ところで編入試験を受けた人間、例えば俺などはどうなるのかだが、これは全て兵站科に入れられる。理由は兵站科が他の学科に比べて楽だからだ。兵站科以外だとレポートやシミュレーション、実技などで時間を取られたり体力を消耗したりする。半年遅れて入ってきたのだから、楽な兵站科に入れてやる。早く追いつけ、という訳だ。

但し、この専攻学科というのは士官学校の4年間で固定では無い。その年度の最後の期末試験で成績が通知された後、翌年度専攻する学科を選ぶ。これが1年から3年まで続く。つまり4年間の学生生活の中で自分にもっともあった専攻学科を選べというわけだが、ほとんどの学生が1年の終わりには専攻を決めている。入れるかどうかは別として。

「兵站科が悪いというわけではないが、もったいないと思ってね。私も閣下も君の才能が生かされないと思うのだよ」
「うむ。クレメンツ中佐の言うとおりだ」

 彼らの言うのはもっともだった。各専攻学科の中で一番人気は当然戦略科だ。ほとんどの指揮官、参謀は戦略科出身だ。エリートコースなのだ。それに戦史科が続き、空戦科、陸戦科となる。戦史科なら指揮官、参謀になる可能性は戦略科に次ぐ。そして空戦科、陸戦科は実戦部隊として昔から人気が有る。実戦部隊である以上、武勲を挙げ昇進する機会も多いからだ。

一部マニアックな人間(職人気質、オタクと言っていいだろう)に根強い人気を持つのが技術科、航海科、情報科だ。兵站科を選ぶ人間はほとんどいない。地味だし、武勲を挙げる機会が無く、当然昇進も遅れるからだ。希望する学科に入れなかった人間が集まると言っていい。兵站科は落ちこぼれなのだ。補給は戦争の基本、補給を軽視すると死ぬよ。

「ありがとうございます、閣下、クレメンツ中佐。ですが自分はやはり兵站科に進もうと思います」
「どうしてだね、ヴァレンシュタイン候補生」
「戦略科を選べば将来は参謀か指揮官になります。当然戦闘指揮を行うことになりますが、自分は体が弱いので長時間の戦闘指揮に耐えられるか自信が有りません。反って周囲に迷惑を掛けてしまうのではないかと思うのです」
「なるほど、それで兵站科を選んだのか」
「はい。兵站科でなら自分でも国家のお役に立てると思ったのです」

 俺は出来るだけ深刻な顔をして答えた。二人とも俺の言った「国家のお役に立てる」という言葉に感動したらしい。しきりに首を縦に振ったり横に振ったりしている。ちなみに体が弱いというのは嘘ではない。仕官学校に入ってからも2度ほど貧血で講義を休んでいる。

「そうか、残念だな中佐」
「はい閣下。ヴァレンシュタイン候補生、兵站科に進んでもシミュレーションは怠るなよ。軍人である以上、何処で戦闘に巻き込まれるかは判らん。腕を磨いておけ、いいな」
「はい、御忠告有難うございます、中佐」
 
 校長室から開放された俺は、図書室に向かっていた。うまくあの二人を説得できたので俺の心は軽かった。俺が兵站科を選んだのは体が弱かったからだけではない。他にもいくつか理由がある。

 第一の理由は戦略科が危険だからだ。俺はラインハルト・フォン・ローエングラムに協力して門閥貴族をぶっ潰してやりたいと思っている。しかし俺に何が出来るかだ。今は帝国暦477年、そしてラインハルト・フォン・ローエングラムが元帥になるのが帝国暦487年だ。10年しかない。しかも士官学校で4年取られるから実質は6年だ。6年でどれだけ出世できるだろう。

戦略科を選んでも良くて少佐か中佐だろう。もちろんナイトハルト・ミュラーのように6年で中将にまで出世した人間もいるが、全員が彼のようになれるわけではない。彼は本当に能力と運に恵まれた人間だったのだろう。ちなみにナイトハルト・ミュラー、アントン・フェルナー、ギュンター・キスリングの3人は今士官学校の一年生で俺とは同期生になる。3人とも戦略科に属しエリートコースを歩んでいる。兵站科の俺は彼らとは話をしたことも無い。

 話を戻そう。6年間でさほど出世できそうに無いとなれば、次に問題になるのは生き残れるかだ。この点でも戦略科はあまり高く評価できない。なぜなら戦略科には馬鹿が多いからだ。エリートコースでありながら馬鹿が多いというのは矛盾するようだがこの場合は矛盾しない。

なぜなら戦略科には高官子弟枠が存在するからだ。高官子弟枠、つまり貴族や高級軍人の馬鹿息子のために用意した優先席だ。こいつらは本来なら落第して士官学校を放逐されてもおかしくないのだが、有力者の息子ということで保護されてしまう。

始末が悪いのはこの阿呆どもが上級司令部付きの指揮官、参謀になってしまうことだった。そして平民出身、下級貴族出身の真のエリートは下級司令部、最前線の指揮官、参謀になってしまう。おそらく俺も其処に配属されるだろう。

これで何が起きるかだが、「上級司令部が犯した戦略的なミスを下級司令部が戦術的な成功で覆そうとする」、になる。覆せれば良いのだが、実際にはそうはならないのは数々の歴史的事実が示している。となれば下級司令部の壊滅だの全滅という悲惨な状況が発生することになるのだ。

 帝国軍が強くなるのはラインハルトが実力主義を取ってからだといっていい。今現在では身分制度が帝国軍を頑なに縛っている。帝国が自由惑星同盟に占領されなかったのはイゼルローン要塞のおかげなのだ。

 第二の理由はローエングラム元帥府には実戦指揮官は豊富だが、後方支援を得意とする人間が少ないように見えるからだ。原作を見るとオーベルシュタインの他にはフェルナー、グスマンぐらいしかいない。後方支援の練達者がもっといてもいいだろう。

 第三の理由は兵站科が暇だからだ。俺はこの4年間に資格を出来るだけ取ろうと思っている。なぜならリップシュタット戦役が終結したら軍を退役しようと思うからだ。理由はリップシュタット戦役の4年後には宇宙が統一される。宇宙が統一されたら何が起きるか。

少し歴史を顧みれば解かる。軍縮だ。常備軍ほど財政を圧迫するものは無い。兵士、物資、金の全てがただ消費されるだけなのだ。生産性など皆無と言っていい。敵がいるうちは我慢して維持しているが敵がいないとなれば削減することになる。また軍の発言力を抑えるためにも文官たちは軍縮を要求するだろう。

原作では触れられていないが、ラインハルト・フォン・ローエングラム死後の帝国の最重要課題は軍縮だったと思う。社会に労働力を提供し産業を活性化するという意味でも徹底して行われたに違いない。ちなみに古代ローマ帝国では初代皇帝アウグストゥスが軍縮をしているが、50万の兵を17万に減らしたと聞いたことがある。三分の一に減らしたのだ。
 これから先、軍は成長産業では無い。リストラの嵐が吹き荒れ、昇進も武勲が無い以上遅くなる。早めに見切りをつけ、民間に転職したほうがいいだろう。そのためにも資格取得だ。

 そんなことを考えながら図書室に戻ると其処には先客がいた。あまり会いたくない奴だった。係わりあいたくないので部屋に戻るかと考えていると
「やあ、ヴァレンシュタイン候補生だろう。君に話があってきたんだ」
 と話しかけてきた。どうやら今日の俺は厄日らしい。一難さってまた一難か……。
 

 

第七話 出会い 

 脳天気なまでに明るい声で話しかけてきたのは、アントン・フェルナーだった。声だけ聞けばなんの邪気も感じさせないが、こいつの顔には何か面白がっているような表情がある。不愉快な奴だ。俺はこいつが好きではない。

原作で知っているだけで、話をしたことも無い相手を嫌うのはどうかと思うが嫌いだ。乱世を楽しんでいるような、いや好んで平地に乱を起こしそうな所が好きになれない。部屋に帰りたかったが、声を掛けられては仕方が無い。逃げたと思われるのもしゃくだ。

俺は手近な視聴覚用ブースに座ると、適当に電子書籍を選択した。「帝国経済におけるフェザーンの影響力の拡大とその限界」……妙なタイトルの本だがフェルナーの相手をしているよりはましだろう。読みはじめたが、何故逃げなかったかとすぐ後悔した。つまらなかったのではない。いつの間にか相手は3人になっていた。ミュラーとキスリングが参戦したのだ。

「校長先生から呼び出しを受けたようだが何の話だった?。当てて見せようか。次年度の進路のことだろう?」
この本はなかなか面白い。目の前にうるさい奴がいるが無視しよう。

「図星のようだな。そんなに無視しなくてもいいだろう。ちょっと話がしたいだけだ」
「知らない人間と話をしちゃいけない、と言われてるんだ」
そう、こいつらはまだ自己紹介もしていない。不躾な奴らだ。

「ああ、すまない。こちらが悪かった。俺の名はアントン・フェルナー、そっちはナイトハルト・ミュラー、ギュンター・キスリングだ。戦略科を専攻している」
「ギュンター・キスリングだ」
「ナイトハルト・ミュラー、よろしく」
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、兵站科」
教えたんだか、吐き捨てたんだか、わからんような口調になった。いかんな、気をつけよう。お前らも空気読んでさっさと帰れ。

「そう警戒しないでくれ。君に興味があったんだ。君はコンラート・ヴァレンシュタイン弁護士の息子だろう」
「そうです。父を知っているんですか、フェルナーさん」
「アントンでいいよ。そりゃー知ってるさ。英雄コンラート・ヴァレンシュタイン弁護士だからな」
「英雄……」
「ああ、英雄さ。ヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家を相手に一歩も引かずに戦って、リメス男爵を守ったんだ。みんなが英雄だって「不愉快だな」……」

「父を知らない人間が勝手に父を英雄にして面白がっている」
俺は立ち上がり、フェルナーを睨みつけながら喋った。視線で人を殺せるならフェルナーは死んでいたろう。
「いや、俺は何も、」
「不愉快だ! 話がそれだけなら帰ってくれませんか。私は忙しいんです。今日中にこの本を読んでしまいたいんでね」

 お前らに何が判る! 父を英雄だと? 父がそんなものになりたいと思っていたというのか! 父はただ弁護士として義務を果たしただけだ。母のためにリメス男爵を守っただけだ。父の死顔は酷く暴行され原型を留めていなかった。痛かったろう、苦しかったろう。父の変わり果てた顔を思い出すたびに俺は胸が張り裂けそうになる。

だがそれ以上に父は辛かったに違いない。子煩悩で俺をあれほど愛してくれた父が、俺を独りにしてしまう、俺と二度と会うことが出来ないと悟ったとき、どれほどの絶望が無念が父を捕らえたか。お前らに何が判る! 叫びだしそうだった。目の前のフェルナーに殴りかかりそうだった。俺は必死で怒りを抑えた。(我慢だ、我慢するんだエーリッヒ。だからもっと怒れ、もっと怒ってぶち切れて目の前のこの馬鹿を滅茶苦茶にしてやれ)

「待ってくれ、ヴァレンシュタイン」
ミュラーか。引っ込んでいろ、俺の邪魔をするんじゃない!

■ナイトハルト・ミュラー
 
 目の前のフェルナーを睨みつけ、ヴァレンシュタインは小柄な体を小刻みに震わせながら怒りを表していた。一方のフェルナーは何が起きたか判らず、呆然としていた。いかん、止めなければ殴り合いが始まる。 
「待ってくれ、ヴァレンシュタイン」

俺は夢中で叫んでいた。しかしヴァレンシュタインはこちらを見向きもしなかった。
「話があるのは俺なんだ、ヴァレンシュタイン。頼むからフェルナーを許してやってくれ」
「ミュラーの言うとおりだ。落ち着いてくれ」

俺とキスリングの言葉にヴァレンシュタインがようやくこちらを向いた。ギギギギギギと音がしそうなくらいゆっくりと。
「すまない。話があるのは俺なんだ。その、君にどうやって話しかけて良いか判らなくてね、悩んでいたらフェルナーが自分が間に入ろうと言ってくれたんだ。君を怒らせてしまったようだが、決して君や君のお父さんを侮辱するつもりは無かったんだ。不愉快な思いをさせてしまったことは詫びる。だからフェルナーを、俺たちを許してくれ」

「父や母の事を興味半分で話さないと言うのなら」
「ああ、もちろんだ。約束する。それから、話があるというのは忘れて「明日17:00にここで」・・・いいのか、ヴァレンシュタイン」
ヴァレンシュタインは無言のまま視聴覚用ブースに座って本を読み始めた。
 

図書室を出て中庭にある大きなカエデの木の下に俺たちはいた。
「驚いたな。あんなに怒るとは」
そう言うとキスリングはため息をついた。
「驚いたのはこっちだ」
フェルナーはしきりにボヤいている。

「とりあえず、殴り合いにならなくて良かった」
「殴り合いになったかな」
「なった」
俺とキスリングの答えが重なった。
「危なかったんだぞ、フェルナー」
「ん、なにがだ」
「一つ間違えば、俺たちは数を頼んでヴァレンシュタインを侮辱したって事になったんだ」

「おいおい大袈裟だな、ミュラー」
「大袈裟じゃない。いいか、まず最初に俺たちは正規の入学生だ。そしてヴァレンシュタインは編入生。次に俺たちは16歳でヴァレンシュタインは12歳。それから俺たちよりヴァレンシュタインの方が成績がいい。これだけ揃ってたら俺たち三人が嫉妬から体の小さいヴァレンシュタインを取り囲んで侮辱したって事になってもおかしくないんだよ」
ましてフェルナーは教官から睨まれているとは言わないが目を付けられているのは事実だ。
「……やばかったなあ」

俺たち三人は揃ってため息をついた。危なかったと思う。士官学校には正規入学者と編入者がいる。この両者の溝は決して小さくは無い。半年の差というのはそれなりにあるのだ。しかしそれをもって編入者を侮辱することは許されない。士官候補生とはいえ、軍人なのだ。

軍に属する人間が国家の制度を侮辱するようなことがあってはならない。それが原因で「繰上げ卒業制度」、「編入制度」が崩れたらどうなるか。この制度の恩恵を受けているのは何よりも軍なのだ。当然軍は侮辱するような行動を取ったものを許さないだろう。既に軍内部では編入生は優秀だというのは常識になりつつある。もっともそれが正規入学者と編入者の軋轢の一因になっているのだが。そんなことを考えていると、キスリングがおずおずと話しかけてきた。

「なあ、フェルナー。ヴァレンシュタイン弁護士というのはそんなに有名なのか」
「ヴァレンシュタイン弁護士がいなければ、リメス男爵は謀殺され、リメス男爵家の財産は親族たちで奪い合いになったろう。オーディンの社交界では皆そう言ってヴァレンシュタイン弁護士を賛美している。当然軍でも知っている人間は多いだろうな」
俺たちはまた三人揃ってため息をついた。

「なあミュラー、明日会うのか」
「ああ、せっかく向こうが指定してくれたんだ。会うつもりだ」
そうか、と小さな声でつぶやくと、少し戸惑いながらフェルナーが話し始めた。
「実はな、これは先日ある筋から聞いたんだが、エーリッヒ・ヴァレンシュタインが士官学校に入ったのは、暗殺から身を守るためだという噂がある」

俺とキスリングは顔を見合わせた。暗殺?どういうことだ。
「親だけでなく子供も殺そうというのか。酷い連中だな」
キスリングは吐き捨てるように言った。俺も同感だ。
「碌な死に方はせんだろう」
「リメス男爵家が爵位と財産を返上したとき、現金が妙に少なかったらしい。財務省の人間が少なすぎると言っていたそうだ」
「少ないってどれぐらいだ」

貴族の少ないって言うのはどのくらいなのだろう。俺はそんなことを考えながら問いかけた。
「ざっと200万から300万帝国マルクは少なかったそうだ」
「200万から300万、おいそれ本当か」
あえぎながらキスリングが問う。
「何処まで本当かはわからん。だが少なかったことは事実だそうだ」
「お前、その話信じられるのか? ある筋って何だ?」
かついでいるんじゃないかと疑いながら問いかけると

「俺の知り合いがある大貴族に仕えている。信憑性は高いと思う」
と神妙に答える。嘘をついているとは思えない。
「その金がヴァレンシュタインに渡ったと」

「解からない……。そう考えている人間がいることは事実だ。暗殺うんぬんも実際にそんな計画があるのかどうか判らんが、そこから出ていると思う。自分たちに入る金が関係の無い平民に渡ったとね。ただ、彼が両親の死後リメス男爵に会ったことは事実らしい。なあ、自分のせいで両親を失った子供に会ったらどうする。しかも自分はもう長くないと解かっていたら……後を継ぐ人間もいなかったら」
俺たち三人はまた顔を見合わせ、溜息をついた。今日何度目だろう。溜息の重い一日だ。

 俺はヴァレンシュタインの事を考えた。彼はいったい何を知り、何を背負っているのだろう。そして何処を目指すのか……。
  

 

第八話 シミュレーション

「シミュレーション?」
「ああ、俺とシミュレーションをして欲しいんだ」

 昨日と同じ場所で、俺たちは会っていた。キスリングと驚いたことにはフェルナーも来ている。三人とも前日の非礼を詫びてきた。俺としても少し興奮しすぎたことは解っている。互いに非礼を詫びる形でけりがついた。

 シミュレーションには2つのパターンがある。「遭遇戦型」と「任務達成型」だ。どう違うかというと次のようになる。
「遭遇戦型」:通常宇宙空間でほぼ同数の兵力を持つ艦隊が出会って艦隊戦の優劣を競う。
「任務達成型」:作戦目標、勝利条件が提示され互いにその目標の達成を競う。

 言ってみれば、「遭遇戦型」は戦術能力を重視し、「任務達成型」は戦略能力を鍛えつつ、その中で戦術能力をどう発揮するかを目的としている。
 士官学校の1年では「遭遇戦型」しかやらない。まずは戦術能力を鍛えろということだろう。「任務達成型」は2年からだ。ミュラーが言っているのは当然「遭遇戦型」だろうが、俺とシミュレーションというのが良くわからない。戦略科というのはエリートなのだ。落ちこぼれの兵站科など相手にする人間はいない。なんの冗談だ?
「兵站科とシミュレーションをやっても仕方ないと思うけど。勝っても自慢にならない」

「君は編入生だろう。だれも君を兵站科の落ちこぼれとは思っていないよ」
「2年生になっても兵站科です」
「知ってるよ。クレメンツ中佐が言っていた。もったいないってね」
「判らないな。何故そんなにシミュレーションをしたがるんです」

俺は不思議に思った。何か有るのか? 俺の質問に答えたのはフェルナーだった。
「簡単だよ。君に負けたからだ。この間の授業でね」
「……なんの話です。それは」
どういうことだ。何故そんな事を知っている。シミュレーション授業の対戦相手はわからないはずだ。
 
シミュレーション対戦には4つの種類がある。
1.授業での対戦。
2.自由時間でコンピュータを相手にする対戦。
3.自由時間に友人と行う対戦。
4.自由時間に知らない相手と行う対戦。

1のシミュレーションの授業は全生徒で行われる。5,120名が全員行うのだ。これは専攻学科は関係ない。何を専攻しようと軍人ならば戦闘に巻き込まれる可能性はあるのだ、例外は無い。士官学校には100人程が入るシミュレーションルームが100部屋あり、生徒はその100部屋のどれかに入る。そしてシミュレーションブースに入り、自分の学生番号を入れる。後は勝手にメインコンピュータが対戦相手を選ぶ。

2はシミュレーションブースに入った後、自分の学生番号を入れ対戦相手にコンピュータを選択する。
3はシミュレーションブースに入った後、自分の学生番号を入れ対戦相手に相手の学生番号を入力する。
4はシミュレーションブースに入り、自分の学生番号だけを入れる。後はメインコンピュータが勝手に対戦相手を選択する。

 この1~4の中で1と4は対戦相手が判らない。100部屋あるシミュレーションルームのどこかにいるのだが、極端な事を言えば自分の隣にいる人間が対戦相手の可能性もあるし、コンピュータが対戦相手という可能性もある。

 当初、シミュレーションは誰が対戦相手か判るようになっていた。しかし帝国暦400年頃、いまから80年ほど前に対戦相手が判らないようにしたのだ。理由は士官学校で起きた殺人事件だった。自由惑星同盟との戦争が始まってから、士官学校ではシミュレーションの成績を重視してきた。

戦略科であればその度合いはさらに強くなる。その結果勝つ事を重視するあまり敗者を侮辱、愚弄する風潮が起きた。勝敗は実力によるものだ。敗者は実力をつけて雪辱すればよい。しかし雪辱できなかった場合はどうなるか?

当然侮辱は強まるだろう。そして敗者は勝者を憎悪するに違いない、殺したくなるほどに……。80年ほど前にそれが起きた。何度目の敗戦なのかはわからないが、口汚く、得意げに自分を罵る勝者を刺殺したのだ。メッタ刺しだったという。

止めようとした人間も刺された。この事件で3人が死亡、1人が重傷、2人が軽傷を負った。重傷者は軍務に就くのは無理と判断され最終的に殺人者を入れれば5人の学生が士官学校からいなくなった……。これ以後対戦相手は判らなくなった。教官はメインコンピュータの情報から対戦相手が判るが彼らも教えない。教えたことが判れば軍籍を剥奪されるのだ。既に前例がある。

「この間、君は少し遅れてシミュレーションルームに入ってきただろう」
「ええ、ちょっと具合が悪かったので」
「君の2つ後ろのブースに俺がいたんだ。なかなか対戦相手が決まらないんで、妙だと思っていた。其処に君が来てブースに座るとすぐ対戦が始まった。そして終わるとすぐ君は部屋を出て行った」
「それだけじゃ判らないでしょう。偶然かもしれない」
「もちろんそうだ。だから君の対戦記録を調べたよ。それで判った、君だとね」

対戦相手は判らないのだが、たった一つ調べる方法がある。ミュラーが言った対戦記録だ。生徒のシミュレーション記録は全てメインコンピュータに記録されている。そして記録の閲覧は誰でも可能だ。つまりこの記録を調べれば自分の対戦相手を見つけることができるのだ。

例の事件の後、閲覧も不可能しようという意見が出たのだが2つの理由で却下された。第一に授業では5,000人以上がシミュレーションを行う。5,000人のシミュレーションデータを調べ、そこから自分の対戦相手を探すのは不可能だということ。

もう1つは相手の癖、弱点を調べ、それを突く作戦を立てるのは用兵の基本であり、その能力を摘むような事はすべきではないという意見が出た事だ。まったく同感だ。俺自身ロイエンタールやミッターマイヤーの対戦記録をダウンロードし、教本として使っている。
「どうだろう。嫌かな」
「……考えておきます」

 ミュラー達が帰った後、俺はしばらく読書をし(昨日の本の続きだ)、7時頃食堂で食事をして部屋に向かった。ありがたい事に俺は1人部屋だった。本来2人部屋なのだが、俺の場合年齢が低く同室の人間に苛められかねないと言う理由で1人部屋だった。

だがそれとは別にもう1つ理由がある。俺は童顔というより女顔なのだ。髪の色、眼の色は父親譲りで黒なのだが、容貌は完璧なまでに母親似だった。小さいころ母に連れられて歩いているとよく女の子に間違えられ、「かわいいお嬢さんですね」と言われたものだ。当然だが軍では同性愛は禁止だ。俺の場合はそれを誘発しかねない。さて、部屋に戻ったら明日の予習をして、資格取得の勉強をしなくては。

部屋に戻るとTV電話に留守電が入っている。ミュラー達3人からだった。
「決して意趣返しとかじゃない。自分より強い相手と対戦して少しでも上手くなりたいだけなんだ。信じて欲しい」
「俺がこんな事を言える立場じゃない事はわかっている。でもあいつは本当にいいやつなんだ。決して意趣返しとかじゃない。だから一度でいいから対戦してもらえないだろうか」
「……ああ、その、なんと言うか、ミュラーと対戦してもらえないだろうか、頼む!」

 畜生。こんな風に頼まれたら断れないじゃないか。まったく悪賢い奴らだ。フェルナー、お前か?
 
 

 

第九話 少尉任官

 帝国暦481年、俺は士官学校を卒業し無事少尉に任官した。
「もう此処に来ることは無いだろうな」
 思わず俺の口から言葉が漏れた。此処、図書室は自室を除けば俺が一番長くいた場所だった。どれだけの時間を此処で過ごしたろう。俺はいつも使用していた視聴覚用ブースに座った。明日からは一体誰が此処を使うのだろう。ぼんやりとそんな事を考えながら、ただ座っていた。

「エーリッヒ、やっぱり此処にいたか」
「だから言ったろう、此処だって」
「探したぞ」
口々に話しながら入ってきたのは、ミュラー、フェルナー、キスリングだった。

「どうした? 懐かしいのか」
「わからない。ただ、なんとなく此処へきていた」
俺たちは顔を見合わせるとなんとなく苦笑した。俺と付き合うようになってから約三年、当然だが彼らも此処へ来ることが多かった。懐かしさは有るだろう。

「ところで配属先は聞いたのか」
「ああ。兵站統括部第三局第一課に配属になった。イゼルローン方面への補給を担当する所だ」
「惜しいな、軍務省の官房局へという話も有ったんだろう。君なら、いや卿ならそっちのほうが向いていたんじゃないか」
「そんな事も無いさ。イゼルローンへの補給は大事だよ」
「でも帝文に合格したんだからな」

 「帝文」、「帝国文官試験」と呼ばれる試験に俺は今年合格した。高級官僚の採用試験であり、試験に合格すれば貴族、平民の出自を問わず高級官僚に登用される事が可能だ。合格者には文官(行政官)、判事、検事、弁護士に登用される資格が与えられた。俺の父もこれに合格している。

 リップシュタット戦役後は民間企業に就職しようと考えていた俺だが、よく考えてみれば官僚も悪くないと思った。民生、工部の両省が新設されるし、宇宙が統一されれば新領土も出来る。官僚の仕事は増えるだろう、やりがいも有る。官僚が嫌なら弁護士になってもいいし、民間企業でも使える。

 俺の合格は士官学校始まって以来の事だった。合格直後の事だがノイラート校長に呼び出され、卒業後任官するのか、任官せずに官僚になるのかとしつこく聞かれて困った。俺が成績優秀にもかかわらず、戦略科を選択しなかった事が引っかかっていたらしい。希望配属先もそうだった。士官候補生は卒業前に希望配属先を書いて提出する。

 俺は兵站統括部への配属を希望したのだが、校長室へ呼び出されて軍務省の官房局へ行かないか、法務局はどうだと何度も勧められた。どうも官房局と法務局から俺の希望配属先について問い合わせがあったらしい。「帝文」に合格しながら兵站統括部というのは何かの間違いではないかと。

 俺としては軍務局にも法務局にも行く気は無かった。軍務局だが此処はエーレンベルク元帥の腹心達の溜り場だ。こんな所にいたらエーレンベルクの一味だと思われ、ラインハルトと敵対する事になりかねない。冗談ではなかった。法務局も今は駄目だ。貴族達の横暴が罷り通るこの時代、正義感など出したらクロプシュトック侯事件のミッターマイヤーになる。何処で地雷を踏むかわからない。最後は兵站統括部が駄目なら任官しない、とまで言って押し切った。  

「卿らは何処にきまったんだ」
「俺は統帥本部作戦課だ」
とフェルナーが言えば、
「俺たちは宇宙艦隊だ。明後日、宇宙艦隊司令部で配属を言い渡される」
とキスリングが言った。

「これからどうするんだ、エーリッヒ」
「新しい官舎に荷物を運ぶ。その前に両親に卒業の報告をしないと」
「そうか……。どうだ、明日の夜みんなで飯を食わないか。卒業祝いだ」
「いいよ。但し、私は酒は飲めないけど」
「わかっている。後で連絡するよ。じゃ、また」
3人は軽く手を上げて図書室を出て行った。

 俺は両親の墓に行く前に、ハインツ・ゲラーの法律事務所に寄った。ゲラー夫妻は何かと俺を気遣い、案じてくれている。出来れば一緒に墓に行きたい。事務所に行くとハインツは俺を奥の応接室へ誘い、エリザベートを呼んだ。

「立派に成ったな、エーリッヒ」
「本当に。昔はあんなに小さかったのに」
「4年だからね。成長期だったし」
喜んでくれるのは判るのだが、どうもこういうのは苦手だ。

「どうだ。うちに来るか」
「少尉に任官したばかりだよ、おじさん」
「でもいずれは弁護士になるのでしょ、エーリッヒ」
「まだ判らないよ、おばさん。忙しいみたいだけど、弁護士は足りているの」
「まあ一応な、足りてはいる。でもコンラートの様にはいかん。お前のお父さんがいればもっと楽が出来るんだが」
「そうね。本当に」

父の死はゲラー夫妻にとっては痛手だったのだろう。友人というだけではなく、パートナーとしても。
「これから父さんと母さんの墓に行こうと思うんだ」
俺がそう言うと、二人は顔を見合わせた。
「エーリッヒ、私たちも一緒に行っていいかい」
「誘いに来たんだよ。おじさん、おばさん」
そう言うと二人は嬉しそうに笑った。

 
俺はもう一度両親の墓の前で誓った。必ず父と母の無念を晴らすと……。
 
帝国暦481年 
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、士官学校を卒業。
少尉任官、兵站統括部第三局第一課に配属。

帝国暦482年
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、中尉昇進。

帝国暦483年 
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、第5次イゼルローン要塞攻防戦における補給任務に功あり。大尉昇進。
            

 

 

第十話 第五次イゼルローン要塞攻防戦

■イゼルローン要塞

「酷い戦いだったな」
「ああ、全くだ。卿が無事でよかったよ」
「死なずにすんだのが不思議なくらいだ。もう少しでヴァルハラに行っていたよ」
「たいした傷じゃない。そう落ち込むな、ナイトハルト」
医務室で治療を受けるミュラーを俺は慰めた。味方の砲撃で死に掛けたのだ、落ち込みもするだろう。だが落ち込んでいるのは俺も同様だ。戦争がこんなに酷いとは思わなかった。

 第五次イゼルローン要塞攻防戦が終了した。同盟軍の兵力は艦艇約50000隻、帝国軍はイゼルローン要塞とその駐留艦隊約13000隻で行われたイゼルローンの5度目の攻防戦は悲惨な結末で終了した。

帝国艦隊全体が要塞に向って後退を始めた時、同盟軍は並行追撃作戦を行い両軍の艦艇が入り乱れる状態になった。射程内でありながらトール・ハンマーが撃てないという事態が生じ、同盟軍は一気に要塞を攻略しようと攻勢を強めたが、進退窮まった要塞司令官クライスト大将がトール・ハンマーの発射を命令、味方の帝国軍艦艇ごと同盟艦隊を砲撃した。(この時の砲撃でミュラーの乗艦は中破、ミュラーも負傷している)

これによって並行追撃作戦は失敗に終わり、同盟艦隊は残存兵力をまとめて撤退した。同盟軍総司令官シトレ大将は無念だったろう。まさか帝国軍が味方殺しをするとは思わなかったはずだ。あれさえなければイゼルローンは攻略できた。もっともこの失敗が後のヤン・ウェンリーによるイゼルローン要塞攻略に繋がるのだ。そう思えばこの失敗も無駄ではないと言える。

 俺は本来オーディンの兵站統括部第三局第一課にいるのだが、今回イゼルローンへは補給状況の査察で来ていた。戦闘に巻き込まれるのは判っていたが、勝敗も判っていたし俺が前線に出る事は無いと思ったので心配はしていなかった。正直甘かったと思っている。戦争の悲惨さというものをまるで判っていなかったのだ。手足の無い負傷者や、手当ての最中に死んでいく重傷者。あたり一面の血の臭い。何度も吐いた。血の洗礼を受けた気分だったが、それでも死ぬよりはましだということは判っている。 

「卿の意見を上がもっと真剣に聞いていればな。あんなことにはならなかった」
「無理だよ、ナイトハルト。実戦経験の無い小僧の意見を誰が聞くんだい」
「俺は聞いたぞ。ヴァレンシュタイン中尉の意見をな」
「光栄だね。ミュラー中尉」

 俺は戦闘が始まる前に要塞司令官クライスト大将、駐留艦隊司令官ヴァルテンベルク大将に並行追撃作戦の可能性を訴えたが、両者は相手の事を貶すだけで、まともに俺の意見を検討しようとはしなかった。地位も権限も無い小僧の意見など誰も重要視しない。自分の無力さをいやと言うほど思い知らされた。あげくの果てに味方殺しだ。今頃はクライスト大将とヴァルテンベルク大将の間で殴りあいの1つも起きているだろう。

「これからどうするんだ、エーリッヒ」
「戦闘の状況を兵站統括部に報告するよ。それから補給状況を確認する。戦闘で大分物資を消費したからな。もう一度最初からやり直しだ。一週間ぐらいかかるだろう」
「一緒に飯を食う時間はあるな」
「ああ」
「ん、あれはミューゼル少佐だな。こっちを見ている」

 俺はミュラーの視線を追った。確かに金髪と赤毛の少年がいる。俺とミュラーは敬礼をした。向こうもこちらに礼を返してくる。敬礼の交換が終わると二人は去っていった。
「16歳で少佐か。いや今回も武勲を上げている。中佐だな」
羨む様な響きがある。ちょっと気になった。

「ナイトハルト、卿はグリューネワルト伯爵夫人のおかげだと思うかい?」
「いや、そんな事は反乱軍にとって関係ないな」
「安心したよ、卿がまともで。そろそろ行こうか、此処にいても仕方が無い」
「ああ」

■ラインハルト・フォン・ミューゼル

「あれがヴァレンシュタイン中尉か、キルヒアイス」
「はい。ラインハルト様」
「反乱軍の並行追撃作戦を見抜いて上層部に進言したと聞いたが」
「クライスト大将閣下もヴァルテンベルク大将閣下もまともに取り合わなかったようです」
「馬鹿な話だ。挙句の果てに味方殺しか。どうしようもない愚劣さだな」
「ラインハルト様、それ以上は」
「判っている、キルヒアイス。それにしてもヴァレンシュタイン中尉か、出来る男がいるな」

■エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

 結局俺がオーディンへ戻るべくイゼルローンを出発したのは戦闘終結から2週間後だった。オーディンから補給物資の確認だけでなく要塞防壁の破損状況、修理状況、戦闘詳報を報告しろとの命令が来たからだった。ま、当然と言えば当然だろう。ミュラーにもオーディンへ帰還命令が出ていた。人事局への出頭命令だ、おそらくフェザーン駐在武官への辞令だろう。俺たちは一緒にオーディンへ向かった。

 オーディンへ戻り兵站統括部第三局第一課へ行くと第一課長、アルバート・フォン・ディーケン少将からイゼルローンの状況を報告させられた。戦闘詳報そのものはイゼルローンから超光速通信で送っている。念のためといった所だろう。報告が終わると少将は俺にも人事局から出頭命令が出ている、直ぐ行くようにと言った。妙な雰囲気だ、少将は俺から目をそらしている。なんだ一体。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉です。人事局より出頭命令を受けました」
人事局の受付でそう告げると、軍服よりも私服が見たいと思わせる可愛らしい感じの受付嬢が答えた。
「ヴァレンシュタイン中尉ですね。人事局長ハウプト中将閣下がお会いになります。局長室は三階の奥に有ります」
「人事局長ですか?」
「はい、そうです」 

妙な話だ。たかが一介の中尉にハウプト人事局長? 本来なら部下の課長(少将クラス)が会って辞令を渡して終わりだ。俺の疑問を感じ取ったのだろう。受付嬢は興味津々といった表情で俺を見ている。面白半分に見てるんじゃない! 俺は受付嬢を睨んだが、女顔のため少しも効果がない。

 局長室に行くと部屋の中へ案内された。局長は奥の個室で面会中だろう。部屋の中には中将が一人、少将が二人おりソファーに座っている。敬礼をすると俺の方を見て何だコイツは、という表情をしながら答礼してきた。無理は無い、俺も場違いだと思っているのだ。俺は少しはなれて壁際に立つことにした。こいつら全員の面会が終わるまで俺は立ちんぼだ。憂鬱になったがそれ以上に疑問がある。一体何がある。

 奥の個室から将官が出てきた。中将閣下だ。また敬礼だ。こいつも俺の方を見て何だコイツは、という表情をしながら答礼してきた。さっさと出てけ、畜生、お邪魔虫なのはわかっているんだ。ソファーに座っていた中将が立ち上がる。ようやく俺の番だといった表情がある。結構待たされたんだろう。だが彼の希望は打ち砕かれた。

「ヴァレンシュタイン中尉、入りたまえ」
 という声が奥から聞こえたのだ。え、俺、間違いじゃないの。ちょっとそこの中将、俺を睨むのやめてよ。多分間違いだって、直ぐ貴方が呼ばれますよ。
「ヴァレンシュタイン中尉、早くしたまえ!」
「はっ。ヴァレンシュタイン中尉、はいります!」
 思わず大声になった。急いで部屋に入った。


「は? 昇進ですか?」
「そうだ」
「失礼ですが閣下、何かの間違いでは」
「間違いではない。今回のイゼルローン要塞防衛戦において功績があった」
「功績……ですか。吐いてただけですが」

「昇進に充分な功績を立てている。反乱軍の並行追撃作戦を見抜きクライスト大将閣下、ヴァルテンベルク大将閣下に進言した。補給任務を充分に果たし防衛戦に貢献した」
「並行追撃作戦は全く無視されましたし、補給任務などたいしたことはしていませんが」
「両大将閣下とも無視したわけではない。対応策はとっていた。ただ反乱軍の動きが狡猾過ぎて悲劇が起きたのだ。いいかね、君の意見は無視されたわけではない。充分に検討されたのだ」

 なるほど……そういうことか。俺はどうやら虎の尾を踏んでしまったらしい。俺のディーケン少将に送った戦闘詳報には並行追撃作戦のことが書いてある、無視された事も含めてだ。そして今後のイゼルローン要塞防衛に関しては並行追撃作戦の事を常に考慮する必要があると記述してある。ハードウェア、ソフトウェアの観点から防ぐ手段の検討が必要であると。

戦闘詳報を読んだディーケン少将は当然上に報告し、戦闘詳報は兵站統括部から統帥本部へ行き、さらに軍務省と宇宙艦隊司令部に行った。そして三長官は驚愕した。当初、三長官は味方殺しをやむをえないものと判断していたのだ。並行追撃作戦の可能性を指摘した人間がいた事、それが検討されなかった事などイゼルローンからは報告がなかったのだから。

 味方殺しは当然非難の対象になる。まして並行追撃作戦の可能性を指摘した人間がいて、その意見が司令官同士のいがみあいから碌に検討されずに無視されたとしたら。クライスト大将とヴァルテンベルク大将は全てを封印して味方殺しはやむを得ない処置であるとして上層部に報告したのだ、保身のために。

 そして帝国軍上層部も最終的にそれを是とし俺の作成した戦闘詳報を握り潰した。あの戦闘詳報が公になればイゼルローン要塞の防衛体制の見直しという事になるだろう。具体的には要塞司令官と駐留艦隊司令官の兼任だ。司令官職が一つ減る事になる。それだけではない、この要塞司令官と駐留艦隊司令官の兼任案はこれまでにも何度か提案され却下されてきた。却下した人間には、現在の帝国軍三長官も入っている。最終的な責任は帝国軍三長官にも及ぶ。そして三長官の命を受けハウプト中将が俺に口止めをしている。

「小官の身の安全は保障されるのでありますか」
「何を言っているのだね、卿は」
「小官の身の安全は保障されるのでありますか」

「……もちろんだ、大尉。味方殺しはあってはならない。そうだろう」
「ありがとうございます。失礼してもよろしいでしょうか、閣下」
「うむ。卿の昇進は表向きは補給任務の功によるものとなるだろう。いずれ卿には新しい任務が命じられる。ご苦労だった」
敬礼して部屋をでた。ソファーの中将が睨んできたが知った事ではなかった。敬礼して通り過ぎた。背中に冷たい汗が流れる。多分顔色も蒼いに違いない。
 
 俺は将来の展開がさっぱり読めなかった。まさかこんな事で死亡フラグが立つとは思わなかったからだ。ハウプト中将の保障など気休め程度にしかならないだろう。相手は帝国軍三長官なのだ。たった一つ判っている事がある。次の任務が何かは知らないが碌な任務ではないだろうということだ。

 

 

第十一話 伝書鳩

 人事局長室を出ると何かに追われるかの様に俺は早足で歩き始めた。階段を降りそのまま足を緩めず軍務省を出ようとする。すると俺と同じ様に人事局に来ていたミュラーに捕まった。
「エーリッヒ。卿も人事局に来ていたのか」
ちょうど良い。こいつにも話しておかないと。

「ナイトハルト、いいところで会った。ちょっと付き合ってくれ」
「え、何処へ行くんだ」
「いいから。ちょっと付き合え」
 
 強引にミュラーを連れ込んだのは、兵站統括部の地下2階にある資料室、通称「物置部屋」だった。なぜ「物置部屋」と呼ばれるのかというと、其処にあるのは既に250年以上前の極秘文書で歴史的価値はあるかもしれないが軍事的価値は皆無の資料が置いてある部屋だったからだ。当然此処を訪れる人間は皆無といっていい。面白い事に此処には視聴覚用ブースがあり、読書、シミュレーション、インターネットも出来るようになっている。資料室である以上必要不可欠なのだそうだ。

「おい、どういうことだ。こんなところへ誘って」
「少し待ってくれ」
俺は視聴覚用ブースに座ると格納型ディスプレイを立ち上げ、或る文書を探した。思ったとおりだ、やはり無い。

「ナイトハルト、これを見てくれ」
「……これは、この間の戦いの戦闘詳報じゃないか」
「そうだ。おかしいと思わないか」
「何がだ」
「よく見てくれ」

「……卿の書いた戦闘詳報が無い」
「握りつぶされた」
「まさか、冗談だろう……そんな事ありえない。あれは戦訓なんだぞ」
「本当だ」

俺は人事局長室での一部始終を説明した。話が進むにつれ、ミュラーの顔色が悪くなる。話し終わると大きく溜息をついた。
「ナイトハルト、誰かに私が並行追撃作戦の可能性を指摘したと話したかい」
「いや、話していない」
「良かった。この事については忘れてくれ。決して誰にも話してはだめだ」
「ああ」
「次の任務地は」
「フェザーンだ」

ヘーシュリッヒ・エンチェンの同盟領単独潜入作戦だ。ラインハルトはここでミュラーを認める事になる。
「直ぐに行ったほうがいい。オーディンは危険だ」
「しかし、卿はどうなる。危険じゃないのか」
「大丈夫だ。ハウプト人事局長は身の安全を保障してくれたよ」
「信じられるのか」
「始末する人間を、昇進させたりはしないだろう。大丈夫だ」

実際は怪しいものだったが、今はミュラーを説得するのが先決だ。
「だったら俺もここにいて問題ないはずだ」
「駄目だ、卿はあの戦いの生存者で証言者なんだぞ。私一人ならともかく、卿と一緒では相手が不安に思う。フェザーンに行ってくれ」

 ミュラーを説得するのには30分ほどかかった。最後は俺を殺す気か、と脅して納得させた。明後日にはフェザーン行くだろう。彼と別れ兵站統括部第三局第一課に戻ると、ディーケン少将がにこやかに話しかけてきた。

「お帰り、ヴァレンシュタイン大尉。遅かったじゃないか」
「申し訳ありません、閣下。少し考え事をしていたものですから。それより何故ご存知なのですか、昇進した事を」
「ハウプト閣下が教えてくださったのだよ、大尉」
「そうでしたか」

それを機に周りから「おめでとう」、「やったな」などの祝福の声が上がる。内心少しも目出度くは無かったが、にこやかに「ありがとう」と返した。引き攣りそうになるのをこらえながら。就業時間を過ぎると、周囲には用事があると言って俺は速攻で帰宅した。今後の事を考えなくてはならない。間違いなく前線に出されるだろう、死ぬ事を期待してだ。

三長官を相手にして味方をしてくれる人間がいればいいが、そんな実力者はちょっと見当たらない。ラインハルトもまだ中佐だ、到底頼りにはならない。となると自力で生き残る道を探さなければならないがどうするか。簡単なのは軍を辞め、弁護士になる事だ。

ラインハルト・フォン・ローエングラムが誕生するまでは政軍官界には近づかない。しかし辞めさせてくれるとも思えない、昇進までさせたのだから。いや辞表を出す事には意味があるかも知れない。こちらには敵対する意思は無い、今回の件は不運な事故だった、本人は三長官を怒らせた事に怯えているというメッセージにはならないだろうか? やってみる価値はある。ディーケン少将とハウプト中将を上手く利用出来ないか?

TV電話が鳴った。出て見るとフェルナーとキスリングだった。ミュラーの奴、話したか。
「エーリッヒ、大丈夫か」
「大丈夫だよ、ギュンター。このとおりまだ生きている」
「馬鹿、冗談言ってる場合か。話はナイトハルトから聞いた。とんでもない事になったな」

「口止めしたんだけどな。彼がそんなに口が軽いとは思わなかった」
「奴を責めるな。悩んだ上で俺たちに相談したんだ」
「でもね、ギュンター、卿は憲兵隊所属だろう。エーレンベルク元帥が動かすとしたら憲兵隊だ。君を苦しめる事になる」

「エーリッヒ、憲兵隊は動いていないぞ」
「ギュンター、それは本当か」
「ああ、間違いない」
「だとすると動いているのは情報部か。何か動きは」
「すまん、それは判らない。うちと情報部は犬猿の仲だからな」
「いや、充分だよ。助かった」
するとそれまで黙っていたフェルナーが話し始めた。

「エーリッヒ、俺のところへ来ないか」
フェルナーは今、ブラウンシュヴァイク公のところにいる。俺にブラウンシュヴァイク公に仕えろというのか?
「卿が貴族が嫌いだというのは判っている。しかしこの場合は生き残る事を優先すべきだろう」

「アントン、卿の親切に感謝するよ。でも私はブラウンシュヴァイク公に仕えるつもりは無い。公に今回の件を話してもおそらくは自分の利益のために使うだけだろう。最悪の場合、元帥たちと取引して私を切り捨てるだろうね。そうなれば卿は辛い思いをする事になる。互いに最悪の結果だよ」
「大丈夫だよ、二人とも。心配を掛けたけど何とかなりそうだ」
気休めではない。希望が見えてきたのだ。

 憲兵隊は軍務省、情報部は統帥本部に隷属している。上が仲が悪いのだ、当然下も仲が悪くなるのは止むを得ない。今回憲兵隊が動いていないのは、エーレンベルクは俺のことをあまり重視していないという事になる、何故か? エーレンベルクは今回の件はシュタインホフの失態だと思っているからだ。

戦闘詳報は統帥本部に集約される。統帥本部では戦闘詳報を分析し戦訓をだす。そしてそれらを軍務省に渡し軍務省が戦闘詳報、戦訓を公表する。宇宙艦隊司令部はその戦闘詳報、戦訓を詳細に調べ、次の戦いに生かすべく努力する。今回の場合戦闘詳報は二つあった。イゼルローンからの物と兵站統括部からの物だ。イゼルローンからの物が先に届き兵站統括部からの物は後から届いた。

 本来ならシュタインホフは両方届くのを待って戦闘詳報の分析をするべきだったろう。しかしシュタインホフは俺の作成した戦闘詳報を待たずに戦訓を出し軍務省に渡してしまった。兵站統括部からの戦闘詳報などたいした事は無いと高をくくったのだ。

ところが兵站統括部から出た戦闘詳報はとんでもない内容だった。どうすべきか?統帥本部は大混乱になったろう。その内軍務省、宇宙艦隊司令部から戦闘詳報はどうなった、戦訓はどうなったという催促が飛んだに違いない。シュタインホフが正直に話したのか、それともエーレンベルクが業を煮やして兵站統括部から直接戦闘詳報を手に入れたか。

事実が判明した後、エーレンベルクとミュッケンベルガーはシュタインホフを責めたに違いない。最初からすべてがわかっていれば、イゼルローンに対して戦闘詳報の出しなおしを命じられたのだ。だが現実にはクライスト大将とヴァルテンベルク大将に都合の良い戦闘詳報と戦訓になっている。軍は両大将の言い分を認めた形になったのだ。

イゼルローンの兵たちは戦闘詳報、戦訓を読んでどう思うだろう。どれほど両大将が口止めしても、今回の戦闘詳報が虚偽に満ちたものだという事実は必ず漏れるに違いない。それが広まった時どうなるか?イゼルローン要塞のモチベーションはどん底にまで下落し、一つ間違えば反乱さえ起きかねない状況になる。シュタインホフは結果としてそれを助長した事になるだろう。

 シュタインホフは俺を憎んでいるかもしれない。もちろん八つ当たりだとは判っているだろう。そしてエーレンベルクとミュッケンベルガーはシュタインホフの八つ当たりを許す事は無い。あの3人は本来、犬猿の仲なのだ。一致するのは共通の敵が出たときしかない。たかが一大尉のことなど気にも留めていないだろう。

エーレンベルクとミュッケンベルガーにとって今回の件はシュタインホフの失態でしかない。ハウプト中将の口止めはあくまで口止めでしかないのだろう。少なくとも今すぐ殺し屋が来るようなことは無いはずだ。但し前線勤務は仕方ないだろうし、戦死を望まれるのも止むを得ない。後は俺がどう凌ぐかだ。

 翌日、俺はいつもより早めに仕事場に出た。ディーケン少将は既に机に座っていた。挨拶をすると相談したい事があると持ちかけた。ディーケン少将とハウプト中将が繋がっているならことわらないはずだ。俺の動向を調べるのはディーケン少将の仕事だろう。案の定、奥の部屋で話そうといってきた。

「軍を辞めようと思っているのですが」
俺はそう言うと、退職願いをディーケン少将の前に出した。
「辞めるのかね、大尉。昇進したばかりだろう」

「それを思うと心苦しいのではありますが、小官は軍人に向いていないようです。先日のイゼルローンでも負傷者の悲惨さに吐いてばかりで何も出来ませんでした」
「初陣なのだ。仕方なかろう」
「ですが、いつか失敗するのではと心配で夜も眠れません」
「それで辞めたいと」
「はい」
 
 俺が人事局へ退職願を提出しようと思っている、というとディーケン少将は自分がハウプト中将に相談してみようといってきた。俺は退職願いをディーケン少将に渡し、お願いしますと頭を下げた。ちゃんと伝えてくれよ、伝書鳩クン。こちらには敵対する意思は無い、今回の件は不運な事故、シュタインホフが阿呆なだけだと。なんなら退職願いを受理してくれてもかまわないってな。

 

 

第十二話 新人事

軍務省 尚書室

 軍務省尚書室に三人の軍人がいた。軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部長シュタインホフ元帥、宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥。帝国軍の軍政、軍令、実動部隊の頂点に立つ男達である。

「遅いではないか、二人とも」
「落ち着かれよ、シュタインホフ元帥」 
不機嫌なシュタインホフ元帥をエーレンベルク元帥が宥めると、エーレンベルク元帥の副官が待ち人の到来を伝えてきた。元帥は二人を部屋に入れると内密の話があるといって副官に人払いを命じた。

「トーマ・フォン・シュトックハウゼン大将です。出頭いたしました」
「ハンス・ディートリヒ・フォン・ゼークト大将であります」
「うむ、ご苦労である。此度来て貰ったのは他でもない。両名にイゼルローン方面の防衛を担ってもらうためだ」
「といいますと?」

「正式な発表は一週間後になるから口外してもらっては困るが、シュトックハウゼン大将には要塞司令官を、ゼークト大将には駐留艦隊司令官を担ってもらう」
「トーマ・フォン・シュトックハウゼン、必ずや御期待にこたえて見せます」
「ハンス・ディートリヒ・フォン・ゼークト、決して反乱軍に好きにはさせません」
「両名とも協力しあって反乱軍に対処してほしい」
「はっ」

軍務尚書と両大将のやり取りを聞いていたミュッケンベルガーはおもむろに切り出した。
「両名とも良く聞いて欲しい。今軍務尚書が言われた協力というのを忘れないで欲しいのだ。正直に言おう。先に行われたイゼルローン要塞の攻防では、要塞司令官と駐留艦隊司令官の不仲が味方殺しの悲劇を招いた」

「ミュッケンベルガー元帥!」
「司令長官!」
エーレンベルク、シュタインホフ両元帥が静止するのも構わずミュッケンベルガーは続けた。
「要塞司令官と駐留艦隊司令官の不仲が味方殺しの悲劇を招いたのだ!」
「あれは不可抗力というか止むを得ない処置だったと聞いていますが」

「そうではない。反乱軍による並行追撃作戦の可能性を指摘した士官がいたのだ。だが馬鹿どもがいがみ合うばかりに碌な検討もせず、結果としてあの悲劇が起きた。しかも虚偽の戦闘詳報を送って我等を欺こうとする有様だ、馬鹿どもが」

エーレンベルク、シュタインホフも、もう止めようとはしない。
「虚偽の戦闘詳報?司令長官閣下、それは何かの間違いなのでは……」
ありえないといった表情のシュトックハウゼンにミュッケンベルガーは苛立たしげに言葉を放った。

「間違いではない!イゼルローンに真相を確かめたのだ。クライスト、ヴァルテンベルクも認めている。これ以上あのような愚か者どもにはイゼルローンはまかせておけぬ。それ故、卿らがイゼルローンに赴くのだ」
ミュッケンベルガー元帥の侮蔑を隠そうともせぬ強い語気に、そして第五次イゼルローン要塞攻防戦の悲劇の真実を知った二人の大将は思わず顔を見合わせた。エーレンベルクが口を挟んだ。

「今回の戦いはイゼルローン要塞と駐留艦隊のみで反乱軍に対応した。オーディンからの援軍は無かった。それ故騙しとおせると考えたらしい。5,000隻、いや3,000隻で良い、援軍を送っておけばこのような事には成らなかったかもしれぬ……。いや、済まぬ司令長官。卿を非難するつもりは無いのだ」

「判っている、エーレンベルク元帥。私とて同じことを何度か考えた」
「クライスト、ヴァルテンベルクの両大将はいかが成りますか?」
「知りたいかなゼークト大将。クライスト、ヴァルテンベルクの両名は軍事参議官に親補される。但し、軍の指揮を執ることは二度とないだろう。もう一度言う。両名とも協力しあって反乱軍に対処するのだ。クライスト、ヴァルテンベルクの二の舞にはなるな」
最後にシュタインホフ元帥が両大将に念を押した。


「大丈夫かな、あれは」
「駄目なら、また換えるしかあるまい」
「確かに司令長官の言うとおりだが、やはり一つにまとめたほうがよかったのではないかな」
「軍務尚書、なにをいまさら。それができるのならこんな苦労はせぬ」
「それもそうか」
「ところで、ヴァレンシュタイン中尉、いや大尉のことだがどうする」
「統帥本部長はよほどあの若者が気になるようだな、ふふふ、退職願を出してきた」

「退職願? で認めるのかな、軍務尚書は」
「たかが大尉一人に目くじら立てても仕方があるまい。本人の望み通りにさせてはどうかな」
「危険だ。あの男は全てを知っているのだ。むしろ始末したほうが良かろう」
「それはやめたほうが良かろう」
「何故だ」

「あの若者が、コンラート・ヴァレンシュタインの息子だという事は知っていよう」
「好都合ではないか。例の貴族どもに罪をかぶせればよい」
「そうは行かぬ。実際にヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家が手を下したならばよい。がそうでなければ当然3家は無実を訴え、犯人は別にいると騒ぐであろうな」

「それがどうしたというのだ」
「今回の一件、何処で誰が知っているかわからぬ。大尉が事故死などすれば、当然われらにも疑いの目が向けられるだろうな」
「私も軍務尚書に同感だ。つまらぬことはせぬほうが良い」
「つまらぬ事とは……」
「たかが一大尉にこだわるべきではないと言っているのだ」
「……では、退職させると」

「さて……統帥本部長の危惧も判る。どうかな、このまま様子を見ては」
「退職願は却下すると」
「うむ。その上で前線に出してはどうかな」
「戦死させるのか」

「そうではない。彼が用兵家としてなかなかの才能を持っているのは事実だ。優秀な士官は前線で常に必要とされるのではないかね」
「なるほど。勝ってよし、負けてよしか」
「悪くないな」
低い笑い声が尚書室に流れた。
 
■エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

 その日、俺はまた人事局への出頭を命じられた。どうやら俺の処遇が決まったらしい。退職願をだしてから一週間以上が経っている。随分と待たせられた物だが、その程度の重要性しかなかったとも言える。やはり、神経質になっていたのはシュタインホフのようだ。人事局の受付で例の受付嬢に来訪を告げると局長室へ行くようにと言われた。眼には好奇の色がある。多分彼女の中で俺は人事局長の御覚え目出度い将来性豊かな士官になっているのだろう。ま、すぐに自分の過ちに気付く。

「卿の退職願だが、却下された」
やはり駄目か。となると前線勤務だな。イゼルローンではないだろう。となると艦隊勤務だが、さて何処だ? 

「上層部は卿の用兵家としての能力を高く評価している。うらやましい事だな大尉」
「恐縮です、閣下」
少しも信じていないくせに。いつでも代わってやるぞ。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大尉、第359遊撃部隊の作戦参謀を命じる。詳細はこの資料に書いてある。武運を祈る」
「そうそう。これはまだ公にはされていないが、イゼルローン要塞司令官、駐留艦隊司令官が交代する。要塞司令官はトーマ・フォン・シュトックハウゼン大将、駐留艦隊司令官はハンス・ディートリヒ・フォン・ゼークト大将だ。お二方とも三長官に呼ばれ、協力して反乱軍に当たれと激励されたらしい」

なるほど。俺の事よりイゼルローンの新人事のほうが大事だ。俺が後回しになるのは当たり前か。むしろ早く決まったほうかもしれない。シュトックハウゼンとゼークトか、最後の要塞司令官と駐留艦隊司令官だな。司令官職の兼任はやはり無理だったか。そっちのほうが効率がいいんだが。しかし三長官の訓示が有ったとなるとどうなるか。さぞかし厳しく協力しろと言ったろう。シュトックハウゼンとゼークトは協力するだろうか? ヤン・ウェンリーのイゼルローン攻略にも影響がある。さて、どうなるやら。
 
ハウプト中将が俺にイゼルローンの新人事を教えてくれたのは、明らかに俺への好意、あるいは憐憫だろう。俺はその情報に気を取られて肝心な事を聞かずに局長室を出てしまった。俺にとって一番大事なことを聞かずに。
第359遊撃部隊って何だ?任務ってなにやるの?

  

 

第十三話 改変の始まり

 局長室を出た後、俺は資料室、通称「物置部屋」に向かった。なにはともあれハウプト中将が渡してくれた資料を見なければならない。本来なら兵站統括部第三局第一課に戻らなくてはならないのだが周りには見られたく無い。物置部屋は隠れて読むにはもってこいの場所だ。視聴覚用ブースに座り資料を読み始める。

 第359遊撃部隊 艦艇数6,000隻、兵員65万、指揮官は帝国男爵ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング中将。年齢58歳。第359遊撃部隊はイゼルローン要塞を中心に帝国領、同盟領を哨戒する事を主たる任務とする多数ある艦隊の一つだ。貴族達のための艦隊かと俺は溜息を吐いた。

 帝国軍の実戦部隊、宇宙艦隊は18個の正規艦隊から成り立つ。しかし、実戦戦力はそれだけではない。独立艦隊、遊撃艦隊等の名称で数多くの艦隊が存在する。規模もさまざまだ。10,000隻を超える事もあれば、1,000隻程度の小艦隊の場合もある。これらの非正規艦隊だが存在するのはそれなりに理由がある。大まかに言って次の4つだ。

 1.能力の有る士官に経験を積ませるため。……若い将官や、参謀経験が長く実戦指揮経験の少ない将官に小規模の艦隊を与え習熟させる事が目的だ。当然上手くこなせばより大きな艦隊を任せられる事になる。

 2.特殊任務等のため一時的に編成される場合。……文字通り、特殊任務(索敵、挑発行動、ゲリラ戦等)のために一時的に編成される艦隊だ。

 3.能力はそれほどではないが経験豊富な士官を活用するため。……戦争は正規艦隊の殴り合いだけで行われるものではない。哨戒、護衛、輸送等も戦争においては重要な意味を持つ。これらの任務にはどちらかと言えば才気よりも忍耐、堅実さが要求される事が多い。それらを持つベテラン士官を有効活用するというのが主目的の艦隊だ。

 4.貴族達のための艦隊。……能力の無い貴族ほど軍の中では扱いづらいものはない。例えば自分が司令官だったとして部下に有力貴族の分艦隊司令官がいたらどうだろうか。やりづらいだろう、何かにつけて身分をかさに来て反抗的な態度を取ったり、自分勝手な行動を取ったりしかねない。

まして戦闘中に戦死したらどうなるか。その男の遺族、親族が「お前に殺された」、「わざと危険な任務を与えた」等言い出しかねない。そのため正規艦隊の分艦隊司令官には有力貴族はいない。彼らはみな、下級貴族または平民出身だ。戦争である以上過酷な命令を出さなければならないときも有る。司令官としては気を使わずに無理を言える部下のほうが有り難いのだ。

となれば貴族達をどう扱うかという事になるが、結局解決策は一つしかない。適当な艦隊を与え、放置するという事だ。ヴァンフリート星域の会戦におけるグリンメルスハウゼン艦隊がいい例だ。あれは戦闘中ほとんど役に立っていないし、ミュッケンベルガーも全く期待していない……。

 おそらく第359遊撃部隊、通称カイザーリング艦隊は4のケースに当てはまる艦隊の一つなのだろう。哨戒任務を主としているという事は、何処かで敵とぶつかって戦死しても自己責任、宇宙艦隊司令部は関係ありません、という事に他ならない。やれやれだ、カイザーリングがフレーゲルのような阿呆でないことを祈るのみだが、変だなちょっと引っかかる。

カイザーリング、何処かで聞いた気がするんだが何処だろう、ラインハルト絡みじゃない。ヤンでもない。妙だな銀河帝国正統政府にでもいたかな……アルレスハイム星域の会戦だ!!! なんてこった。サイオキシン麻薬でラリったまま同盟軍と戦い6割以上の損害をこうむったあの戦いだ。

帝国暦483年、帝国軍カイザーリング中将の艦隊がアルレスハイム星域で自分たちより優勢な同盟軍を発見した。カイザーリングは奇襲をかけようとしたが、艦隊の一部が命令を待たずに暴走、数で劣る帝国軍艦隊は同盟軍艦隊の反撃に遭い、6割の損傷を出して敗走している。

暴走の原因だが補給責任者であるクリストファー・フォン・バーゼル少将が艦隊にサイオキシン麻薬を持ち込み、それが気化したことから兵士が急性中毒患者となったためだ。後日、軍法会議ではカイザーリングは何の弁明もせずバーゼルをかばっている。

理由はバーゼルの妻ヨハンナに対する想いからだった。帝国軍上層部の怒りは大きかった。但しこの時点ではサイオキシン麻薬のことを帝国軍上層部は判っていない。帝国軍上層部は部下に対する統制力の欠如、無秩序な潰走が敗因であり、カイザーリングの指揮官としての能力の欠如ゆえに大敗が生じたと考えたのだ。

他の貴族に対する見せしめの意味もあったろう。カイザーリング中将は少将に降格された上退役処分となっている。それも皇帝フリードリヒ四世の重病が快癒したため恩赦があってのことだ。本来なら死刑だったろう。
  
「まずいな」
 俺は思わず口に出した。サイオキシン麻薬、損傷率6割だ。俺は旗艦に配属だから死ぬ事は無いだろうが、サイオキシン麻薬中毒というのは洒落にならない。あれの毒性は極めて強く、特に催奇性と催幻覚性が強いのだ。取締には帝国と同盟の刑事警察が秘密裏に協力した事もある。それほど危険なのだ。

待てよ、旗艦配属でも死ぬ可能性が無いとはいえないか、ロイエンタールの例も有る。トリスタンは生き残ったがロイエンタールは死んだ。カイザーリングは生き残ったが、俺が生き残れる保証は無い。確実に死亡フラグが俺に迫っているのが判る。俺が死亡フラグを折り、生き残る確実な方法はバーゼルをサイオキシン麻薬密売組織の長として逮捕することだろう。どうすれば逮捕できるか……。

 俺はこの日、生き残るために必死で対策を考えた。その事が歴史を変える第一歩になろうとは欠片も思わなかった。もしかしたら既に歴史は変わり始めていたのかもしれない。第五次イゼルローン要塞攻防戦、あの戦闘詳報から。しかし後年、明らかに歴史を変えてしまったと俺が認識したのは兵站統括部の地下2階にある資料室、通称「物置部屋」で過ごしたこの日だった。

 

 

第十四話 ウルリッヒ・ケスラー

 結局、俺はその日のほとんどを「物置部屋」で過ごした。もちろん、ディーケン少将には断りを入れている。
---新たな任務が決まったが、確認したい事があるので資料室にいる。もちろん緊急の要件であれば呼び出してもらって構わない---

 ディーケン少将は引継ぎをどうするのか、時間は有るのかと聞いてきた。もっともな質問だった。ハウプト中将から渡された資料には、カイザーリング艦隊は現在イゼルローン回廊を同盟領へ向けて哨戒中であり、哨戒任務終了後惑星リューゲンで合流せよとある。

期間は1ヵ月半はあるだろう。それをディーケン少将に告げると快く許してくれた。いなくなる俺には関心は無いということか。むしろ上層部から睨まれている俺の上司でいる事はあまり嬉しくないことだったろう。厄介払いが出来て清々しているといったところか。

 俺が何とか対策を考え、それに必要な準備を整え終えたのは夜七時をまわった頃だった。正直空腹だったが、時間が惜しい。食事を後回しにしてTV電話で或る男を呼び出す。
「やあ、エーリッヒ。どうしたこんな時間に……。まさか何かあったか?」

「ギュンター、新任務が決まったよ。それでちょっと卿に相談したい事があるんだが」
「これからか?アントンも呼んだほうがいいな。落ち合う場所は何処にする」
「いや、卿に相談したいんだ。場所は憲兵本部でいい」
「ここで? どういうことだ?」
「今はいえない。どうだろう? 今から行っても良いか」
「……判った。待っている」

 憲兵本部に着いたのは10分後だった。受付で姓名、官職名を名乗ると自ら3Fにある小さな部屋に案内してくれた。取り調べ室なのだろうか? 小さな机があり、椅子が二つある。俺を取り調べるつもりかと考えていると、部屋にキスリングが入ってきた。俺の前に座りつつ話しかけてきた。

「何だ俺に話とは」
「取り調べかい、ギュンター」
「阿呆、やばそうな話だと感じたんでな、わざわざここにしたんだ。誰も入ってくるなと言ってある」

「今度、第359遊撃部隊の作戦参謀を命じられた。司令官はカイザーリング中将、男爵閣下だ」
「!! 作戦参謀?」
「何でもいいから前線に追い出して戦死させたいようだ」
「……それで、俺に話とは?」
「これを見て欲しい」
「? これは?」

 俺が見せたものは二つのグラフだった。一つはカイザーリング艦隊の補給の頻度及び一回の補給量、もう一つはカイザーリングとほぼ同規模の艦隊の補給の頻度及び一回の補給量だった。俺はその事をキスリングに話し問いかけた。

「どう思う?」
「補給の頻度が高いな。それに補給量も多い。……物資の横流しが行われている、卿はそう言いたいんだな」
「こっちを見てくれ」
俺は別な資料を机の上に広げた。

「これは?」
「カイザーリング艦隊の寄港地における或る犯罪者の検挙数だ。寄港直後に数が増加している」
「ある犯罪者の検挙数? 何だそれは?」
「薬物違反。サイオキシン麻薬だ」
「!!!」

 俺たちの間を沈黙が支配した。キスリングは補給のグラフ図、犯罪者の検挙数を記した資料を見比べている。
「カイザーリング艦隊が物資の横流しを行い、サイオキシン麻薬の密売にかかわっているというんだな」
「そうだ。物資の横流しはサイオキシン麻薬の購入資金を得るためだろう」
「とんでもない物を持ってきたな」

 ここ十年ほどだが軍隊内、及び辺境領域においてサイオキシン麻薬は暴威を振るっている。カイザーリング艦隊は軍隊であり、その活動範囲は辺境領域だ。どちらも合致する。
「俺の手には余るな、これは」
「そうか……見て見ぬ振りか」

「ふざけるな、言って良い事と悪い事が有るぞ。俺の手には余ると言っただけだ、判断できる人に相談すれば良い」
「信用できるのかな、その人は」
「信用できるよ、ケスラー中佐なら」

「ケスラー中佐? 卿の言っているのはウルリッヒ・ケスラー中佐か?」
「知っているのか、ケスラー中佐を」
「いや、聞いたことがあるだけだ。信頼できる人だとね」
 俺はちょっと慌てたが、キスリングは気付かなかったようだ。ケスラーを呼んでくる、と言って部屋を出て行った。ウルリッヒ・ケスラーか……。まさかここで出会うとは思わなかったな。俺は少しの不安とかなりの期待を持ってウルリッヒ・ケスラーを待った。

 結果としてキスリングの判断は間違っていなかったし、俺の期待も裏切られる事は無かった。ケスラーはカイザーリング艦隊への疑惑を聞くとその場から行動を開始した。周囲への協力要請、上司への説得等を瞬く間に片付けたらしい。彼自身に対する信頼の厚さへの裏返しだろう、反対する人間はほとんどいなかったとキスリングが教えてくれた。

 一切の準備を終え、俺たちが惑星リューゲンへ向かったのは一週間後だった。ケスラーを捜査責任者として30名程の人員が私服姿で目立たぬように発った。もちろんキスリングも同行している。俺は引継ぎを終了させ何事も無いように惑星リューゲンへ向かった。ケスラーから捜査協力を要請されていたが、その事はディーケン少将にもハウプト中将にも話してはいない。下手に話すと妙なところから制止命令が出かねなかったからだ。

 オーディンから惑星リューゲンへは通常10日程かかる。カイザーリング艦隊が惑星リューゲンへ来るのは俺達が到着した一月後だろう。その間にカイザーリング艦隊のこれまでの行動を調査し、クリストファー・フォン・バーゼル少将がサイオキシン麻薬の密売にかかわっているという事実を現地捜査から裏付けなければならない。事態は好転してはいたが、前途の楽観は全く出来ない状況だった。

 付け加えておこう。俺はあの日結局夕食を摂ることは出来なかった。それでも最も実りの有る一日だったと思っている。後は結果を出すだけだ……。

 

 

第十五話 カイザーリング艦隊(その1)

「申告します。第359遊撃部隊作戦参謀を拝命いたしました、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大尉です。よろしくお願い致します」
「第359遊撃部隊司令官ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング中将だ。よろしく頼む」
「はっ」

 俺たちが惑星リューケンに着いてからカイザーリング艦隊が来るまで32日間の間があった。この間、ケスラーを中心とした憲兵たちは密かに惑星リューゲン、ボルソルン、レーシング、ヴァンステイド、ドヴェルグ、ビルロスト星系等の辺境領を捜査している。

その結果わかったことは軍の補給基地が絡んでいる可能性が高い、と言う事だった。何処を探してもサイオキシン麻薬の製造者は見つからなかった。代わりに見つかったのは売人の組織だけだったのだ。辺境領域には消費者はいたのだが供給者はいないことになる。

 しかし、カイザーリング艦隊が立ち寄った後は必ずサイオキシン麻薬の被害者が増えている。誰かが供給している、生産者がいるはずなのだ。となると気になるのはカイザーリング艦隊の不自然な補給ということになる。補給基地で密かにサイオキシン麻薬の製造が行われているのではないのか?

 当初俺はカイザーリング艦隊の物資の消費量が多すぎる事から物資の横流しが行われているのではないかと考えていた。サイオキシン麻薬の購入代金になっているのではないかと。しかし補給基地でサイオキシン麻薬が作られているなら話が変わってくる。補給基地から送られる物資は本来カイザーリング艦隊が必要とする物資 + サイオキシン麻薬ではないのか。だから補給量が多いように見える。そして補給基地から受けとった後寄港地でサイオキシン麻薬を売る。つまり、サイオキシン麻薬の製造者が補給基地で販売者がカイザーリング艦隊だ。

 サイオキシン麻薬の製造で一番難しいのは、製造場所の確保だ。周囲に見つかれば当然犯罪だから捕まってしまう、と言って見つからないように小規模でやっても利益が出ない。その点で言えば辺境領域の補給基地は理想的だった。ボルソルンに補給基地は有るのだが、無人惑星の上辺境に有るため人もあまり来ない。

ケスラー達はカイザーリング艦隊の補給の現場を抑える事にした。そして俺は艦隊の中に入り、物資の消費状況と輸送日の確認をする事になっている。ありがたい事に俺は一番下っ端だ、雑用をこなしているように見せて様子を探る事が出来た。幸い俺は疑われなかったようだ。

 俺の見る限り、艦隊の補給状況に関してはほぼ普通なんじゃないかと思う。少なくともデータから見た過去の消費量からするとやはり今回は少ない、充分に在庫が有る、それとも今回は別なのか? 何度も自問自答を繰り返したが、それも補給船からの連絡で判明した。輸送コンテナの数が多いのだ。やはりサイオキシン麻薬としか思えない。俺はケスラーに連絡し、結果を待った。

 クリストファー・フォン・バーゼル少将が逮捕されたのは3日後だった。予定通り補給部隊もろとも逮捕された。
「提督、バーゼル少将を憲兵から取り返すべきです。一方的に少将を逮捕するなど横暴です」
「参謀長のおっしゃるとおりです。憲兵は横暴すぎます。我々はイゼルローン回廊の哨戒任務に就かなければなりません。サイオキシン麻薬は憲兵に渡しましょう、しかしバーゼル少将には艦に戻っていただかなくてはなりません」
「准将の言うとおりです。バーゼル少将を見捨てる事は出来ません」

 喋っているのは、参謀長のリヒャルト・パーペン少将、副参謀長のルドルフ・ベッケナー准将だ。カイザーリング艦隊旗艦アーケンの艦橋では提督席に座ったカイザーリング中将を取り囲むように司令部幕僚が詰め掛けている。彼らは口々に憲兵の横暴を訴えバーゼルを取り返すべきだと訴えているのだ。俺も司令部幕僚の一人としてその中にいるが釈放なんてありえないと思っている。ただカイザーリングがどう判断するかを見極めなければならない。

「うむ、卿らの言う事はもっともだ。サイオキシン麻薬は憲兵に渡すがバーゼル少将には「お待ちください。」・・・大尉?」
「小官はバーゼル少将の釈放は要求すべきではない、と考えます」
周囲から、「何を言う」、「口を出すな」等の叱責が飛ぶが俺は気にせず続けた。

「これを御覧ください」
俺はポケットから取り出した3枚の写真をカイザーリングに渡した。
「なんだね、これは」
一枚には若い男女と幼い少女が写っている。あとの2枚にはそれぞれ男女が一人ずつ写っている。

「この星に有るサイオキシン麻薬治療センターに拘禁されている患者の写真です」
「なんだと!」
「その親子三人で写っている写真ですが、それはサイオキシン麻薬に汚染される前の写真です。そして残りの2枚はサイオキシン麻薬に汚染された後の写真です。お解りにはならないかも知れませんが、親子三人で写っている写真の5年後の姿がその2枚の写真です」

「馬鹿な、そんな事が、顔だって違う……」
「よく見れば同一人物だとわかるはずです」
「……何故こんな事に。子供はどうした」
「殺されました。父親に」
   
 なぜそうなったか?。きっかけは男が軍でサイオキシン麻薬を覚えた事が始まりだった。死の恐怖から逃れるために使ったらしい。本人もサイオキシン麻薬の恐怖はわかっている、一時的な利用のつもりだったろう。しかし結局はサイオキシン麻薬に溺れ、軍を退役した、いや放逐された。男は家に戻ってからもサイオキシン麻薬を使い続け、そして悲劇が起きた。サイオキシン麻薬の使用を止めようとした娘を禁断症状に落ちた男が殺したのだった。男はすぐさまサイオキシン麻薬治療センターに送られた。
 
「母親はどうしたのかね?」
カイザーリングの声は震えを帯びている。
「娘を失った母親は心の張りを失ったのでしょう。それまで続けていた仕事を辞め、手っ取り早く金を稼ぐようになった。そして彼女の客の中にサイオキシン麻薬の常習者がいました。彼女はその客からサイオキシン麻薬を与えられ、そして今はサイオキシン麻薬治療センターにいます。重症患者として。幸せな家族は5年経たずに崩壊しました」

カイザーリングは蒼白になっている。周囲も沈黙したままだ。
「閣下。閣下がバーゼル少将を、仲間を守りたいと思う気持ちはよく判ります。しかし、バーゼル少将を守ると言う事はこれからも不幸な家族を世の中に生み出し続けるという事です。それでもバーゼル少将を取り返したいと仰いますか」

ヨハンナ・フォン・バーゼルを守るために、これからも犠牲者を出し続けるのか?
犠牲者を生み出したのがクリストファー・フォン・バーゼルなら、それを止めようとしないお前は何なのだ、カイザーリング?
お前も所詮は他者の痛み、苦しみを理解しない貴族の一人なのか?

「……いや、釈放は望まない……望めない、それは許される事ではない……」
搾り出すような小さな声だった。だが聞き逃した人間は誰もいないだろう。
「卿はなぜこの写真を?」
「この艦隊で不正が行われている、サイオキシン麻薬の密売が行われていると最初に気付いたのが小官です」

「卿が?」
「はい。そして憲兵隊に相談し、今回の逮捕に至りました。その写真はこの地のサイオキシン麻薬の被害がどのようなものか自分で確かめる必要があると考えたからです。サイオキシン麻薬は有ってはならないものだと考えています」

 俺は単純にもクリストファー・フォン・バーゼル少将が逮捕された事で全ては終わったと考えていた。後は補給基地のサイオキシン工場を潰し関係者の処分をして終わりだと。全てを見通せる人間がいたら俺の馬鹿さ加減にあきれていたろう。後に考えて見れば、この事件は第一幕が終了しただけだった。第二幕はまだ欠片もその姿を見せていなかった。


 

 

第十六話 カイザーリング艦隊(その2)

「参謀長閣下、小官はそろそろ昼食を摂りに行こうと思うのですが」
「うむ、いいだろう。毎日何処へ行っているのだね」
「大体、鹿の家、きこりの里、ジークリンデです」
「ほう、今日は何処へ」
「多分ジークリンデでしょう。あそこのシチューは最高ですし、店が広いですから」

旗艦アーケンを出て俺は町へ出た。途中でキスリングと落ち合う。
「エーリッヒ、今日は何処へ行く?」
「ジークリンデ。シチューを食べよう」
「いいね。あそこの給仕は可愛いし」

 俺は最近、キスリングやケスラーと食事を摂る事が多い、というよりカイザーリング艦隊の人間とは食事に行ったことは無い。理由は簡単で彼らから見ると俺は「裏切り者」なのだそうだ。たまたまパーペン参謀長とベッケナー副参謀長が話しているのを聞いてしまった。あいつらに言ってやりたいよ、アルレスハイム星域の会戦でボロ負けしてもバーゼルを「お友達」って言うのかってね。何にも知らないくせに好き勝手言いやがる。今日は珍しくパーペン参謀長が話しかけてきたが普段はほとんど会話は無い。そのせいだろうが一般兵たちまで俺を避ける始末だ。

 俺としても本当は自分が不正に気付いたなんて言いたくは無かった。しかしカイザーリングを止めるにはあれしかなかったと思う。俺の見るところカイザーリングは性格の強い人間ではない。あのままでは幕僚たちに押し切られバーゼルを引き取って、あげくの果てにはアルレスハイム星域の会戦ってことになりかねなかった。

 ジークリンデはこの辺では大きな店だ。煮込み料理の美味い店で客も多い。俺とキスリングはシチューを食べながら会話をした。
「オーディンからは、後どのくらい人が来るんだい」
「50人くらいだ。一週間もしないうちに来る。ケスラー中佐が言っていた」

「それは、基地の方に行くのかな」
「多分ね。今10人ほど行っているけど到底間に合わないのは眼に見えているからね」
「バーゼル少将は自供しているのか?」
「いや、まだだ。なかなかしぶとい」

バーゼル少将逮捕から既に一週間以上経っている。憲兵隊の関心は捕らえたバーゼルではなくボルソルンの補給基地に移りつつあるようだ。まあ、あっちの方が規模が大きいからね。

「なあ、エーリッヒ。 カイザーリング艦隊は居づらいんだろう」
「うん、まあね」
「憲兵隊に来ないか。ケスラー中佐も心配している」
「中佐が」

「ああ、俺も卿が来てくれたら嬉しい」
「そうだね、少し考えさせてくれないか。まだ時間は有るだろう」
「うん。あと二週間くらいは有るだろう」
あと二週間もすれば、カイザーリング艦隊への調査はとりあえず終了するということか……。そうなれば哨戒任務だな。

 退職するかと俺は思った。シュタインホフは怒らせたし、ミュッケンベルガーも今回の件では面白く思ってはいないだろう。エーレンベルクも同様だ。補給基地にサイオキシン麻薬なんて頭から湯気を立てているに違いない。兵站統括部も同様だろう。軍内部での先行きは思いっきり暗かった。唯一の救いは憲兵隊に恩を売る事ができた事だった。

食事を終えジークリンデを出る。そのときだった。
「危ない!」
俺はいきなり地面に引きずり倒された。何があったのか判らずにいると、近くで怒号と悲鳴が聞こえる。なんだと思ってそちらを見ると数人の男に一人の男が地面に押し付けられ、腕をねじ上げられていた。悲鳴を上げたのはこの男だろう。

「一体何があったんだ」
「あの男に殺されかかったんだ。これを見ろ」
見るとジークリンデの出入り口にレーザー銃の痕がある。
「狙われたのはどっちだ」
「俺じゃない、卿だ」

俺を狙った? 誰が? 何で? 俺を殺して何のメリットがある?
「彼らは一体?」
「卿の護衛だ」
「護衛?」

そんなに危なかったのか俺は? しかしいつの間に護衛を?
「ケスラー中佐の命令でな。密かに護衛をつけていたんだ。俺やケスラー中佐が一緒にいるのもそれだ」
俺だけが何も知らなかったのか……。

俺とキスリングはその男に近づいた。取り押さえていた男が俺たちに敬礼する。
「有難う。おかげで助かった」
「いえ、ご無事で何よりでした」
「顔に見覚えは?」
「いや、無いね」

「何故、私を殺そうとするんだ」
男は俺を憎々しげに見る。
「答えなさい。何故、私を殺そうとするんだ」
「さあ、答えろ」
取り押さえていた男が腕をさらに捻る。

「よせ、止めろ、……話す。……参謀長に頼まれた。」
「参謀長? 頼まれた?」
俺とキスリングは顔を見合わせた。

「ふざけるな。私を殺して何の意味がある。反って憲兵隊の調査が入るぞ。もう少しまともに答えろ」
「本当だ。お前は、闇の左手だろう。だからだ」
意外な答えに俺とキスリングは呆然として顔を見合わせた。
 
 この世界には、「闇の左手」、正確には「皇帝の闇の左手」と言われる人間たちがいるらしい。”らしい”というのはその存在がはっきりとしないからだ。銀河帝国のあらゆる政府機関の何処にも「皇帝の闇の左手」は存在しない。銀河帝国の歴史の何処にも出てくることは無い。銀英伝の原作にも出てこないのだから”無い”と言いたいのだがどうもはっきりしない。

 「皇帝の闇の左手」だが、噂によると「皇帝直属の情報機関」ということになる。皇帝の命だけに従う組織だ。銀河帝国には幾つかの情報機関、捜査機関がある。憲兵隊、情報部、社会秩序維持局等だ。このうち憲兵隊は軍務尚書、情報部は統帥本部長、社会秩序維持局は内務尚書の支配下にある。かれらは皇帝よりも直属の上司に忠誠を誓いがちだ。つまりそれに不満を持った皇帝が密かに作ったという組織が「皇帝の闇の左手」だと言われている。

 彼らは皇帝の命に従い、大貴族、軍、宮中において帝国のためにならない、あるいは皇帝の不興を買った人物たちを調査し、没落させ、あるいは密かに抹殺してきた。表で動くのではなくあくまで影で動く事から「皇帝の闇の左手」と呼ばれる様になったという。いつから存在するのかはわからない。噂によると晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世の司法尚書を勤めたミュンツアーが司法尚書になる以前、「皇帝の闇の左手」だった時期があるといわれている。その経験によって司法尚書時代に綱紀粛正を行ったと。ありえない話ではないだろう。

「どういうことだ、エーリッヒ」
「判らない。整理して見よう」
「参謀長は私が闇の左手だと思っている。だから殺そうとしたと。つまり私が皇帝に報告したら身の破滅だと思った、ということだ。いや待て、その前に私がここへ来たのは単純な人事異動じゃない! 皇帝の命令で来たと思ったんだ!」

「皇帝の命令で来た?」
「そう、皇帝の命令でここにきた、何のために?」
「……サイオキシン麻薬か!」

「そうだ。サイオキシン麻薬に気付いたのは私だ。カイザーリング提督を説得したのも私だ。一介の大尉がいきなり内部告発をしたり、貴族や将官を相手に説得したりするとは思えない。おそらく後ろ盾があると思ったんだ」
「それが、陛下だと」
「ああ、そうだ」
 
 俺は原作を知っているから生き残るために必死だった。たとえ相手が誰であろうと死ぬ事に比べればましだと思い行動した。ただそれだけだった。しかし、リヒャルト・パーペン少将はそう思わなかった。後ろ盾が有るから強気なのだと思ったのだ。だとすれば、パーペン少将が何を恐れているかだ。

「エーリッヒ。パーペン少将もバーゼル少将の仲間だと思うかい」
「……パーペン少将だけかな。サイオキシン麻薬の汚染はもっと深いのかもしれないよ。どうやらまだ何も終わっていないようだね、ギュンター」









 

 

第十七話 カイザーリング艦隊(その3)

■ カイザーリング艦隊旗艦アーケンの艦橋
 
 俺が艦橋に戻ると連中は提督席に座ったカイザーリング中将を取り囲んでいた。
「司令官閣下。バーゼル少将を憲兵隊から取り返すべきです」
「そうです。その上で、イゼルローン回廊の哨戒任務に行きましょう。宇宙に出てしまえば憲兵隊など何も出来ません」

「ヴァレンシュタインも死んだのです。問題は無い」
「勝手に殺さないでくれませんか」
「!……ヴァ、ヴァレンシュタイン大尉、馬鹿な死んだはずだ……」

 パーペン参謀長の顔は引き攣っている。いや参謀長だけではない、カイザーリングを含め皆信じられないといった表情だ。俺が死んだと思って喜んでいたのだろう。俺は連中に近づきつつ話し続けた。俺の後からはケスラーを含め憲兵が続く。 

「小官は生きております。誰が死んだと言ったのです。アウグスト・シェーラー二等兵ですか」
「な、何を言っているのだね。シェーラー二等兵などは知らん」
「シェーラー二等兵は閣下を良くご存知のようですよ。これをお聞きください」
俺が手に持った再生機のボタンを押すと声が流れ始めた。

「さ、参謀長閣下、シェーラー二等兵です。ヴァ、ヴァレンシュタイン大尉を殺しました。参謀長閣下の仰った通りジークリンデに来ました。出てきたところを殺しました」
「そうか! 間違いないのだなシェーラー」
「はい、間違いありません。頭を吹っ飛ばしてやりました」
「うむ。ご苦労だった、シェーラー。しばらく身を隠していろ。後でこちらから連絡する」

「皇帝の闇の左手を殺そうとしたんです。失敗した以上、それなりの覚悟はしてください」
「ヴァ、ヴァレンシュタイン大尉、待ってくれ」
「ケスラー中佐。後はお願いする」
「はい、大尉。パーペン参謀長、貴方を逮捕します。他の方々もお話を聞かせていただきます。捜査本部の方へご同行ください」

「ちょっと待て、不当だ、ヴァレンシュタイン」
「ケスラー中佐。多少手荒に扱っても憲兵隊が批判される事はない。死なない程度に可愛がってくれ」
「はっ。全員連れて行け」
 
 3時間後、俺はケスラー、キスリングとアーケンの艦橋にいた。
「全員がサイオキシン麻薬の密売に絡んでいたと言う事ですか、ケスラー中佐」
「うむ。最初はバーゼル少将の独断だったのは確かだ。しかしバーゼル少将は少しずつ仲間を増やしていき、カイザーリング中将が気付いた時には、周りは全てバーゼルの仲間になっていたそうだ」

「バーゼルからの見返りは何だったのです」
「サイオキシン麻薬、女、金だよ。さすがに司令部だからね、サイオキシン麻薬は常習にならないように注意していたらしい」
「では真の実力者はバーゼルでカイザーリング中将は傀儡ですか」
「そうだ。中将は自分の無力さを嘆いていたよ」
 
俺は以前から気になっていた疑問が消えていくのを感じた。
アルレスハイム星域の会戦後、軍法会議が開かれている。この中でカイザーリングは一切自己を弁護していない。俺が気になっていたのはカイザーリングの幕僚達は何をしていたのかだ。原作の中では彼らがカイザーリングの弁護をした形跡が無い。

ありえない話ではないか。それは自己弁護でも有るのだ。カイザーリングが有罪になれば、カイザーリングのスタッフである幕僚達にも責任が有るという意見が出たはずだ。軍での将来は閉ざされると言っていい。彼らは不可抗力であった事を強く主張しカイザーリングを弁護してよかったはずだ、いや弁護しなければならない。

「カイザーリング提督は必死に艦隊の統制をとろうとしましたが彼らは無秩序に行動するだけで我々は何も出来ませんでした。何故彼らがそのような行動をとったかわかりません。カイザーリング提督は最善を尽くしたと小官は考えます」

そのような意見が出たらどうだろう。軍法会議のなかでカイザーリングの指揮能力の他に今回の敗因が有るのではないか、そんな意見が出たのではないか。そうすれば、サイオキシン麻薬が原因だとわかった可能性がある。だが現実にはそれは無かった。

 俺は当初、それを司令部が壊滅的な被害を受けたからではないかと考えた。損傷率60%を超えたのだ。旗艦アーケンが被弾してもおかしくない。弁護すべき幕僚達はほぼ全滅したのだと。旗艦アーケンへの配属を命じられたとき、旗艦だからと言って生き残れるとは限らないと俺が考えた理由はこれなのだ。

だが彼らがバーゼルの仲間なら話は別だ。彼らにとってカイザーリングの弁護はバーゼルと自分たちの破滅に他ならない。平然と見殺したろう。いや、それだけではないカイザーリングに圧力を掛けた可能性も有る。カイザーリングの沈黙はヨハンナへの想いだけとは限らないだろう。なんとも後味の悪い真実だ。

「それにしても随分あっさりと自供しましたね」
「なんといっても、皇帝の闇の左手の命を狙って失敗したのだからね。少しでも罪を軽くしてもらおうと争って自供したよ」

「卿の演技のおかげだ。なかなかの役者ぶりだったよ、噴出すのをこらえるので大変だった」
「どうせ大根役者だよ、私は」
ようやく笑いが起きた。いいものだ、こうやって笑って話せる仲間が居る事は。カイザーリングには居なかっただろう。

「明日からは彼らの自供を元に民間の売人組織も摘発するつもりだ」
「民間もですか」
「ああ、証拠固めのためにね」

「はあ、何かだんだん事件が大きくなってきますね」
「全くだ」 
「ところで、彼らはどうして小官が皇帝の闇の左手だと思ったんです」
「不自然だからさ。卿は不自然すぎるんだ、ヴァレンシュタイン大尉」

 不自然すぎる。彼らは俺の惑星リューケンでの行動をそう思ったのだ。そして、俺のことを調べだした。妙な事に気付いたろう。士官学校在籍中に帝文に合格、軍務省の官房局、法務局へ進まずに兵站統括部へと進んでいる。

わざと目立たない部署への配属を選んだとしか思えない。決定的だったのは、俺の戦闘詳報が原因でクライスト大将とヴァルテンベルク大将の首が飛んだ事だった。オーディンでは知られていないが、イゼルローンでは結構有名らしい。シュトックハウゼンとゼークトのどちらかが喋ったのだろう。そして今回の俺の人事だが人事局長ハウプト中将が直接絡んでいる。

「彼らの疑いはもっともだよ。俺がその立場なら同じように考えたろうね」
「私は皇帝の闇の左手じゃないよ、ギュンター」
「判っているよ、エーリッヒ」

「ヴァレンシュタイン大尉。私はこれからオーディンへ連絡をいれるつもりだ。憲兵総監も軍務尚書も大騒ぎだろうな。卿はどうする」
「そうですね。小官もミュッケンベルガー元帥に連絡を入れなければならないでしょうね。なんせ、哨戒任務は出来そうにありません。いや、艦隊の維持さえ出来るかどうか」

 ミュッケンベルガーは怒るだろう。こう不祥事が続いてはエーレンベルクもシュタインホフも怒るに違いない。しかし死なずにすんだのだし、事件も解決の目処がついたのだ。先ずはその事を喜ぼう。ともすれば暗くなりがちな心を励ましながら、どうミュッケンベルガーに話をするかと俺は考え始めた。


 

 

第十八話 収束

「卿がヴァレンシュタイン大尉か、何の用だ」
「閣下、御人払いをお願いします」
「心配は無用だ、此処には誰もおらん。話せ」

「第359遊撃部隊司令部は小官を除き、全て憲兵隊に逮捕されました」
「何だと! 今何と言った」
「第359遊撃部隊司令部は小官を除き、全て憲兵隊に逮捕されました。容疑はサイオキシン麻薬の密売です」
「馬鹿な……」 

 俺は今、ミュッケンベルガー元帥とTV電話で話をしている。当初俺の顔を嫌そうに見ていた元帥だが、今は哀れなほどに混乱している。無理も無いだろう、司令部全員逮捕だなんて誰だって混乱する。しかし、俺にとっては望みどおりの展開だった。その調子その調子、混乱しろ。俺が助けてやるから。

「間違いではないのか?憲兵隊の勇み足ではないのか」
「閣下、間違いでは有りません。彼らは既に自供しています」
「自供だと……何という事だ」
「それと参謀長のパーペン少将には殺人教唆の容疑もかかっています」
「!!」

「これも既に自供が取れています。証拠も有りますので有罪は間違いないでしょう」
「なんということだ、馬鹿どもが。軍の統制はどうなってしまうのだ!」
「閣下、パーペン少将が殺そうとしたのは小官です。どうも皇帝の闇の左手だと思ったようです」

「皇帝の闇の左手だと……まさか、まさか卿は」
ミュッケンベルガーの顔面は蒼白になっている。怯えているのだろう。皇帝の闇の左手が動く、それは皇帝の軍に対する不信任に他ならない。此処からが勝負だ。

「違います。小官は皇帝の闇の左手ではありません。但し、ある方の密命を受けたのは事実です」
「ある方の密命だと、一体それは誰だ」
「閣下、ご冗談はおやめください」

「冗談だと、何が冗談だ、私には言えぬと言うのか」
「まだそのような事を。密命を下したのは閣下ではありませんか」
「???何のことだ」
ミュッケンベルガーはまた混乱した。


■ミュッケンベルガー元帥の回想
    
 第359遊撃部隊の作戦参謀を命じられた後、ヴァレンシュタイン大尉は第359遊撃部隊を調べたようだ。そして第359遊撃部隊が物資の横流しを行い、サイオキシン麻薬の密売にかかわっているという疑いを抱いた。すぐさま彼は私に連絡を取り、彼の感じた不審を訴えた。彼の不審はもっともだった。事の重大さを認識した私はすぐさま彼に調査を命じた。

「ヴァレンシュタイン大尉。長い戦争の影響で兵たちの心が荒んでいる。不正に手を出すものが出てもおかしくない。すぐ調べてくれ」
「軍の威信が失墜するかもしれませんが?」
「やむをえん。戦闘中にサイオキシン麻薬に狂った味方に後ろから殺されるよりはましだろう。どうせ死ぬのなら名誉の戦死でありたいものだ」

 父、ウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガーは第二次ティアマト会戦において名誉の戦死を遂げた。私はどんな死を迎えるのか。願わくば父の前で顔を俯ける様な死は遂げたくないものだ……。
「憲兵隊の協力が必要になります」
「うむ。軍務尚書には私から話をする。これを放置すれば軍だけでなく国家にも悪影響をもたらす。賛成してくれるだろう」

エーレンベルクは食えない男だが、決して無能ではない。理を尽くして話せば必ず判ってくれるはずだ。
「捜査において、注意するべき点は」
「いかなる意味でも手加減せずにやってくれ。これを機に軍の膿を出し切ってしまおう」



「私にそのような策に乗れと言うのか」
「策も何も、これが事実です」
「シュタインホフはどうする。あの男は真実を知っているぞ。私と軍務尚書が今回の事件に驚いた事を知っている。シュタインホフだけではない、宮中の廷臣、貴族たちも知っている」
「彼らがサイオキシン麻薬の密売組織に関係していないと誰がいえます?」
「!!」

「敵を欺くためにも尚書閣下と司令長官閣下は演技をなされたのです。違いますか、閣下。この事を話せば皇帝陛下を初め宮中の廷臣、貴族たちも軍には不信を抱いても、お二人がいらっしゃれば大丈夫だと安心されるでしょう。シュタインホフ元帥も必要以上に軍の威信が低下するのは避けたいはず、表立っては非難は出来ないはずです。なによりシュタインホフ元帥は今回何もしていません。お二人に対して何も言えないはずです」
「……軍務尚書が話しに乗るか?」
「乗ります。既にケスラー中佐がその方向で説得しております」
 
 俺とケスラーが一番苦慮したのは帝国軍上層部が司令部要員を全員逮捕(俺を除く)という事実を受け入れられるかどうかだった。既にサイオキシン麻薬を押収し、輸送関係者を逮捕、補給基地まで捜査しているのだ。これ以上となると隠蔽工作に走りかねない。その場合危険なのは、犯罪者も捜査員もまとめて処分(口封じ)という事になりかねないことだった。彼らの自尊心を満足させる方向で事件を収束させる。それが必要だった。

「何が望みだ」
「は?」
「何が望みかと聞いている。出世か、地位か」
「どちらもいりません」
「いらぬと?」

「はい。先日中尉から大尉に昇進しています。充分です。第359遊撃部隊をどうするか決めてください。存続させるのであれば後任者の選定をお願いします」
「……」
「それと、一つお願いが」
「何だ、やはり有るのではないか」

「小官のことでは有りません。閣下、責任を何も取らぬというわけには行かないと思います。ですので今後一年間俸給を返上して欲しいのです」
「俸給の返上か」
「はい。返上した俸給をサイオキシン麻薬の被害者への治療に当てて欲しいのです」

「……いいだろう。……卿は、いやなんでもない、エーレンベルクと話をしよう。大尉、ご苦労だった。」
「はっ。」
ミュッケンベルガーは何を言おうとしたのだろう。俺は何も写っていないTV電話を見ながらぼんやりと考えていた。
 
 
帝国暦483年 6月 
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、第5次イゼルローン要塞攻防戦における補給任務に功あり。大尉昇進。

帝国暦483年 8月 
辺境領域にて軍を中心とした大規模なサイオキシン麻薬密売事件摘発。
帝国軍三長官、サイオキシン麻薬密売事件の責任を取り、一年間俸給を返上。

帝国暦483年 9月
サイオキシン麻薬密売事件、首都オーディンへ飛び火。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、サイオキシン麻薬密売事件摘発において功あり。少佐昇進。
第359遊撃部隊、新司令部発足。 

帝国暦483年10月 
第359遊撃部隊、イゼルローン方面への哨戒任務に就く。




 

 

第十九話 アルレスハイム星域の会戦

 第359遊撃部隊はイゼルローンを抜けアルレスハイム星域へ向かっていた。もちろん、俺も作戦参謀として参加している。俺自身は出来ればアルレスハイム星域へは行きたくない。原作通りだと優勢な敵と戦闘になるからだ。どうせならヴァンフリート星域へ行きたかった。

この時期ならまだ同盟は後方基地を作っていないので単純な哨戒任務で終わるはずだから。でもわざわざアルレスハイム星域へ行けと命令があっては仕方ない。たしかにヴァンフリート星域は無人だし、戦略的価値が有るとはいえない。となるとアルレスハイムかティアマトを警戒するのは当然だ。そして敵もそれはわかっている。

「どうしたのかね、ヴァレンシュタイン少佐」
「申し訳ありません、クレメンツ大佐。少し考え事をしていました」
「気をつけたまえ。ここはもう戦場なのだ」
「はい。有難うございます、大佐」

 八月にサイオキシン麻薬密売事件を摘発した後、これで事件は収束かと思った。ところが事件は一層拡散した。補給基地で作成されたサイオキシン麻薬は首都オーディンにまで広まっていたからだった。当然と言えば当然だった。軍の輸送船は首都とも繋がっているしオーディンは大都市だ、消費量も多い、売らないわけが無い。

問題は首都のサイオキシン麻薬密売事件の関係者が軍にとどまらず、官僚、貴族にまで広まっていた事だった。それまでオーディンの人間は寄れば軍を誹謗し、笑いものにしていたのだ。自分たちだけが笑いものになるのは我慢できない、エーレンベルクもミュッケンベルガーも彼らに容赦しなかった。たちまち有力貴族、高級官僚が逮捕され首都オーディンは憲兵達が蹂躙する街になった。

 ここにおいて、政官界から軍の横暴に対する非難がでた。その先鋒は国内の治安維持を任務とする内務省だった。憲兵は軍内部の犯罪を取り締まればよい、それ以上は自分たちの管轄である。もともと惑星リューケンの民間人取調べに対しても不満を持っていた内務省はこれを機に捜査の主導権を奪おうとした。そして無様なまでに失敗した。内務省警察総局次長ハルテンベルク伯爵が逮捕されたのだ。

 ハルテンベルク伯爵にはエリザベートという妹がいた。エリザベートがフォルゲン伯爵家の四男カール・マチアスと恋仲になり結婚を考えるようになる。そしてカール・マチアスは生計を立てる手段として、サイオキシン麻薬の密売という犯罪行為に手を染めたのだ。その事を知ったハルテンベルク伯爵は警察官僚としての自分の未来と妹を守る為にカール・マチアスの長兄フォルゲン伯爵と共謀して彼を最前線に送り込み戦死させた。

 そこまでは良かった。問題はその後でハルテンベルク伯爵がサイオキシン麻薬の密売組織を放置した事だった。気持ちは判らないではない。下手につつけばカール・マチアスが犯罪者であった事が公になりかねない。ハルテンベルク伯爵にとってもフォルゲン伯爵にとっても望ましい事ではなかった。

だがこれが裏目に出た。フォルゲン伯爵にカール・マチアスの件で憲兵隊の調査が入った。その後ハルテンベルク伯爵にも捜査が入り、ハルテンベルク伯爵がサイオキシン麻薬の密売組織の存在を知りながら放置した事が明らかになった。ハルテンベルク伯爵は取調べ中に自殺、一説には内務省の人間に謀殺されたといわれた。

 この一件で内務省は混乱し失墜した。あとは軍の独壇場だった。あまりの圧勝にサイオキシン麻薬密売事件は軍の自作自演ではないかと噂が流れたほどだった。
 
 俺の昇進が決まったのはこの直後だった。オーディンの一件が無ければ昇進は無かったろう。第359遊撃部隊の陣容も決まった。司令官にメルカッツ中将、参謀長にシュターデン准将、副参謀長にクレメンツ大佐、参謀にベルゲングリューン、ビューロー少佐。なかなか豪華な面子で正直びっくりした。

俺は艦隊勤務は初めてだし、参謀任務も初めてで判らない事ばかりだったがクレメンツ大佐が親切に教えてくれた。大佐には感謝している。シュターデンは嫌味しか言わないし、ベルゲングリューン、ビューローは俺とあまり話そうとしない。大佐が居なかったらノイローゼになっていただろう。ケスラーに愚痴をいったら、お前はミュッケンベルガーの秘蔵っ子だから敬遠されているんだとからかわれた。冗談だと思いたい。

「先行している哨戒艦より連絡。敵艦隊発見、数およそ9,000隻、イゼルローン回廊方面に向かって移動中とのことです」
通信士からの報告が艦内の空気を緊張させる。やっぱりこうなるのか……。
司令部要員が全員司令官の近くに集まる。みな緊張した表情だ。敵の兵力がこちらの1.5倍だ、無理も無い。

「9,000隻ですか。少々荷が重いですな」
「だからと言って何もせず、引くわけにもいくまい」
 クレメンツ大佐とシュターデン准将が話している。確かにそうだ。敵が2倍、3倍というなら撤退できる。しかし1.5倍というのは中途半端だ。不利では有るがやりようによっては勝てない相手ではない。特にメルカッツは上層部から評価されている分、敬遠されている節がある。何もせずに撤退すればさぞかし中傷の的となるだろう。

「奇襲しか有るまい。幸い小惑星帯がある。そこに艦隊を隠し迎え撃つ」
「確かにそれしかないでしょう」
「それなら敵の横腹を着く事が出来る」

「……兵を分けませんか」
「!! 何を言っているのだ、卿は」
「兵を二分してはどうかと提案しています」

周りが皆、俺を見詰める、まるで気が狂ったかというように。
「話にならん。少佐、口を閉じたまえ」
「待て。少佐、何故兵を分けるのかね」
俺を叱責するシュターデンを止めメルカッツは俺の発言を促した。
 
 敵より劣勢で有る以上、兵力は集中して使うのが常道だ。アスターテを見てみれば判る。ただアスターテと今回では違う部分がある。敵が一つにまとまっている事。敵に近づいて奇襲を掛けるのではなく、敵を待ち受けて奇襲を掛ける事の二つだ。

敵が何も気付かずにこちらに来てくれれば良い。しかしどうだろう、こちらの通信を傍受したのではないだろうか? 通信を傍受すれば内容は判らなくとも敵が居る事はわかるだろう。敵は注意しながらこちらへ進んでくるはずだ。となれば小惑星帯は一番最初に警戒されるのではないだろうか。見つかれば奇襲にならない。返って動きが取り難い小惑星帯では被害が大きくなる可能性が有る。

むしろ正面に兵を置き、敵の注意を向けさせ進軍させる。そして機を見て小惑星帯の伏兵に敵の後尾、または横腹を突かせる。

「なるほど、一理有る。皆、どう思うか」
「危険です。とても薦められません」
「小官はヴァレンシュタイン少佐の意見に賛成です」
「小官も賛成します」

シュターデンを除いて皆、俺に賛成した。
「うむ。参謀長、此処はヴァレンシュタイン少佐の意見に乗ろう」
「提督がそう仰るのであれば」
「どの程度の兵を伏兵にするか? 2,000隻程か」
「そうですな。それ以上は厳しいでしょう」

「4,000隻を伏兵にするべきだと思います」
「4,000隻だと、狂ったか少佐」
常識じゃ勝てないんだよ、シュターデン。

「誰でも正面にいるのが本隊だと思いたがります。そこを突くのです。正面に2,000隻なら伏兵があってもさらに少ない兵力だと思うでしょう。敵の警戒心は薄れると思います。さらに本隊を2,000隻にすれば、後退して敵を引きずり込むのも不自然ではありません。敵は我々が圧力に耐えかねて後退していると見るでしょう。そこを4,000隻で不意を突くのです」
 
 アルレスハイム星域の会戦は俺の考えたとおりに始まり終結した。こちらの本隊の兵力が2,000隻と知った同盟軍は猛然と攻撃を仕掛けてきた。こちらが後退するとさらに攻勢を強め勝利を確定しようとし、そして敗北した。

小惑星帯から出た別働隊4,000隻が同盟軍の後背を突き混乱。それに乗じて反転攻勢をかけた本隊によってほとんど潰走といって良いほどの醜態をさらし敗退した。敵の損傷率は約5割、4,000隻以上になるだろう。アルレスハイム星域の会戦は原作とは違い、帝国軍の勝利で終わった。そしてエーリッヒ・ヴァレンシュタインが用兵家として最初の一歩を踏み出した戦いとなった。





 

 

第二十話 グリンメルスハウゼン艦隊

帝国暦483年12月 
ラインハルト・フォン・ミューゼル中佐、巡航艦ヘーシュリッヒ・エンチェンにて同盟領単艦潜入作戦を命じられる。
アルレスハイム星域の会戦。帝国軍、同盟軍に圧勝する。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン少佐、アルレスハイム星域の会戦の勝利に功あり。中佐へ昇進。

帝国暦484年 1月
ラインハルト・フォン・ミューゼル中佐、任務を遂行し帝国へ帰還。 
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中佐、巡航艦ツェルプスト艦長兼第1巡察部隊司令を命じられる。

帝国暦484年 3月
ラインハルト・フォン・ミューゼル中佐、大佐へ昇進。

帝国暦484年10月
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中佐、大佐へ昇進。
ラインハルト・フォン・ミューゼル大佐、准将へ昇進。

帝国暦485年 1月
自由惑星同盟軍のヴァンフリート星域への進出が確認される。
帝国軍、ヴァンフリート星域への出兵が決定。


            
帝国暦485年 1月   

■軍務省 尚書室

 軍務尚書エーレンベルク元帥はミュッケンベルガー元帥と対していた。ミュッケンベルガー元帥の表情は苦い。
「どうされたかな、ミュッケンベルガー元帥」

「厄介な事になった」
「厄介というと?」
「グリンメルスハウゼン中将のことだ」
「ああ、あの老人のことか。どうかしたのかな」

内心、心当たりが有ったがさりげなく問いかける。
「前線に出たいと言い出した。陛下からも余命も長くないから好きにさせてやれ、と言われている」
「なら連れて行くしか有るまい」

「簡単に言われるな、他人事のように。参謀長が決まらん」
「参謀長? 以前は誰だったのかな?」
「プフェンダー少将だが……例の事件でな」
「なるほど……例の事件か」
確かに他人事ではない。エーレンベルク元帥は静かにうなづいた。
 
 例の事件とはサイオキシン麻薬密売事件である。プフェンダー少将は密売事件に関与していなかったが、少将の兄、プフェンダー男爵が麻薬密売に関与していた。男爵家は当主が逮捕され引退、財産も一部帝国へ返上している。新当主となったプフェンダー少将は、軍を退役し男爵家の再建に日々奔走している……。プフェンダー少将だけではない、帝国軍上層部では似たような例が幾つか起きている。

 エーレンベルク、ミュッケンベルガー両元帥はこのサイオキシン麻薬密売事件では協力して対応し、綱紀粛正に尽力した事で軍内外に声望を高めた。軍は信用できないが両元帥は信用できる、そんな評価が宮中の廷臣、貴族達の間で定着している。二人の地位は磐石と言っていいだろう。実際にはある若い士官の振り付けに従って踊っただけだが、その事を知る者は限られ口を閉じている。

 あの事件以降、エーレンベルクとミュッケンベルガーの関係は微妙にそれ以前とは違ってきた。事件以前は良く言って”中立”だったが、現在では悪くても”中立”、良く言って”友好的”となっている。お互い共通の秘密を抱え帝国暦484年はサイオキシン麻薬密売事件の後始末で嫌でも協力せざるを得なかった事が原因だった。

 逮捕者が続出した事で軍の人事配置は滅茶苦茶になった。空いたポストに穴埋めしているそばから逮捕者が続出、辞めていく人間が出るのだ。人事を扱う人事局では増員してまで対応したが、それでも追いつかずに作業が停滞した。人事局長ハウプト中将は”きりが無い。帝国暦484年は人事局と憲兵隊に戦死者が出るだろう”と悲鳴を上げた。

 ミュッケンベルガーは新たに再編された宇宙艦隊の訓練に当たった。幸い同盟軍が行動を起こさなかったので訓練が出来たがそうでなければサイオキシン麻薬密売事件でガタガタになった軍を率いて出兵しなければならなかったろう。帝国暦484年は大規模な戦争が無かったにもかかわらず、軍事費は前年同様の支出を見た。出兵費が訓練費に変わっただけだった。

 存在感が薄れるのを恐れたシュタインホフが出兵を主張したがその阻止でも協力している。二人にしてみれば、シュタインホフの出兵論など愚劣以外の何者でもなかった。それらの出来事が一種の同志的連帯感を生み出している。

「あの老人をささえるのだ。それなりの人材がいる」
「……彼はどうかな。ヴァレンシュタイン大佐は」
「ヴァレンシュタイン大佐か、せめて准将でなくては格好がつくまい」

「グリンメルスハウゼン中将に期待しているのかな」
「まさか。期待するだけ無駄であろう」
「なら問題あるまい。だれが参謀長でも」
「それはそうだが」

「ヴァレンシュタイン大佐は無能では無いのだ、上手くやれば良し、失敗しても元々期待していないのだ、構うまい」
確かに無能では無かった。アルレスハイム星域の会戦での勝利が当時の軍の立場を強化したのは間違いない。だが……

「軍務尚書、以前もこんな会話をしたような気がするのだが」
「……確かにそうだな。しかし結果は悪くなかったと思うが」
二人は顔を見合わせ、共に曖昧な表情を浮かべた。

■エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

俺はその日人事局へ出頭した。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大佐です。人事局より出頭命令を受けました」
人事局の受付でそう告げると、例の受付嬢がハウプト中将閣下がお会いになりますと答えた。相変わらず好奇心一杯の表情で俺を見ている。それを無視し礼をいって局長室へ向かった。俺はまだ警戒される存在らしい、待つ事も無くハウプト中将はすぐ俺を奥の個室へ呼んだ。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大佐、入ります」
「ヴァレンシュタイン大佐、元気そうだね」
「有難うございます。閣下も御健勝そうでなによりです」
「有難う。昨年は酷かったからね。生きているのが不思議な程だ。これは冗談ではないよ、大佐」
「判っております」

……実際、人事局と憲兵隊は酷かった。キスリングからも悲鳴を聞いている。 
「今度の出兵では卿にも参加してもらう。ヴァレンシュタイン大佐、第285遊撃部隊の参謀長を命じる。詳細はこの資料に書いてある」
……参謀長か。大佐で参謀長というと指揮官は准将か少将か、規模はどちらにしろ小さいな。

「第285遊撃部隊と言いますと指揮官はどなたでしょうか?」
「グリンメルスハウゼン中将だ」
「グリンメルスハウゼン中将? 失礼ですが何かの間違いでは?」
「間違いではない」

……妙だな。グリンメルスハウゼンは10,000隻は率いていたはずだ。それとも規模が小さくなったのか?
「艦隊の規模は小さいのでしょうか?」
「いや、13,000隻だ」

……増えている?参謀長が俺?どういうことだ?
「卿の疑問は判る。私も驚いた。だがこの人事は軍務尚書エーレンベルク元帥、宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥の推薦なのだ。高く評価されているな、大佐。」
「有難うございます」
……俺にグリンメルスハウゼンのお守りをさせる気だな。面倒な奴はまとめてしまえか。

「何か希望が有るかね?」
「では、お言葉に甘えまして、ナイトハルト・ミュラー中佐をいただきたいのですが」
「ミュラー中佐か。彼は今何処に」
「イゼルローンにおります」

「判った。副参謀長でいいね。他には?」
「副官か従卒を付けていただきたいのですが」
「……従卒でいいかね」
「はい」
「手配しておこう。大佐、武勲を祈る」
「はっ。有難うございます」

 俺は正直うんざりしていた。グリンメルスハウゼン、ラインハルト・フォン・ミューゼル、リューネブルク、こいつらをまとめるのが参謀長の俺? 冗談だろう。エーレンベルクもミュッケンベルガーも碌な事をしない。シュターデンでも放り込めばいいのに。

いや、待て。ラインハルト、リューネブルクは配属されているのか? サイオキシン麻薬密売事件以来、帝国軍の人事はかなり変化している。もしかすると配属されていない可能性も有るな。

 ミュラー 済まんな、お前を巻き込んで。でもまあ原作どおりなら何とかなるだろう……、違っていたら二人で考えよう。
 

 

 

第二十一話 貧乏くじ

グリンメルスハウゼン艦隊旗艦オストファーレン艦橋

■ナイトハルト・ミュラー

 
 オストファーレン艦橋に入室すると提督席には一人の老人が椅子に腰掛けていた。
「失礼します」
「なんじゃな、一体」 

「本日付けで第285遊撃部隊副参謀長を拝命いたしました、ナイトハルト・ミュラー中佐です。よろしくお願い致します」
「おお、ミュラー中佐か。グリンメルスハウゼンじゃ、よろしく頼む」
「はっ」

 着任の挨拶を終え、俺は艦橋の中を見渡した。変だな、エーリッヒがいない、何処かに行っているのかと考えていると従卒を従えてエーリッヒが艦橋に入ってきた。少し大人びたか、今年で20歳だったな。誕生日は4月だったからまだ19歳か。

「エーリッヒ!」
「ナイトハルト」
エーリッヒは一瞬嬉しそうな顔をしたがすぐ済まなさそうな顔をした。どういうことだ?

「久しぶりだな、少し話さないか」
「ああ、そうだね。参謀長室に行こう。その前に紹介しておこう、私の従卒をしてくれているゲルハルト・ヴィットマンだ。ゲルハルト、彼は副参謀長のナイトハルト・ミュラー中佐、士官学校からの友人だ」

「ゲルハルト・ヴィットマンです。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」
ゲルハルト・ヴィットマンは黒髪、碧眼、ソバカスのある少年だった。
「ゲルハルト、彼にコーヒーを頼む。私にはいつものやつを」
「はい」

 参謀長室に入ると席に座るや否やエーリッヒが口を開いた。 
「すまないな、ナイトハルト。卿にも貧乏くじを引かせてしまった」
「どういうことだ、エーリッヒ」

「知らないのか……。卿を副参謀長にと頼んだのは私だ」
「中佐で副参謀長だ。何処が貧乏くじなんだ」
「これを見ればわかる」

エーリッヒは執務机から資料を取り出し突き出してきた。表情に疲れがあるなと思いつつ資料を受け取る。艦隊の編成表だった。俺はしばらく編成表を眺めた。これは……。しばらく見ているとゲルハルトが入ってきた。俺にはコーヒー、エーリッヒにはココアを持ってきている。
ゲルハルトが部屋を出て行くのを確認してから話しかけた。

「相変わらずココアか。コーヒーは苦手かい」
「どうも私は甘党らしい。コーヒーはだめだ。それよりどう見た」
「酷いね、これは。碌なのがいない。どうしてこうなった」

 第285遊撃部隊の分艦隊司令官達はその多くが門閥貴族の子弟から成り立っていた。言ってみれば厄介者を集めたと言っていい。参謀たちも酷い。俺たちより2、3期上の世代だが碌な連中じゃなかった。

「サイオキシン麻薬事件のせいさ」
エーリッヒが苦い表情で言う。ココアは甘いはずなんだが……
「あの事件の後、逮捕者の後を埋めるために大幅な人事異動があった。その際、エーレンベルク元帥とミュッケンベルガー元帥は各艦隊の厄介者も異動させたんだ。その異動先の一つが……」
「この艦隊か……」

エーリッヒが頷く。どうりで酷いはずだ。
「本来ならそれで問題は無かった。ミュッケンベルガー元帥はこの艦隊を前線に出す気が無かったからだ。出すとしても単独行動だろう。反乱軍との戦闘の決戦部隊としてじゃない」
「そうなのか」

「当初この艦隊には参謀長がいなかった。参謀長のいない艦隊なんて有るかい? 出撃が決まってあわてて私に決まったのさ。ミュッケンベルガー元帥はこの艦隊を前線に出す気が無かったというのはそういうことさ」
「ではなぜ?」

「グリンメルスハウゼン提督が出撃を希望した。悪い事に陛下が好きにさせてやれとミュッケンベルガー元帥に言ったらしい」
「……」
「勅命があったようなものだ。ミュッケンベルガー元帥としてもどうしようもない。貧乏くじというのはそういうことさ」
エーリッヒは自嘲するかのように話した。かなり参っているようだ。こんな顔をする奴じゃなかったんだが。

「最初から判っていたのか」
「グリンメルスハウゼン提督が出撃を希望した事、そして陛下の意向があったことは知っていた。この艦隊の裏の事情がわかったのは参謀長になってからだ。卿を副参謀長にと頼んだのは参謀たちが何処まで私に協力してくれるかわからなかったからだ。実質は私と卿でこの艦隊を動かす事になるだろうと思っていた」
「そうか……」

「大佐で参謀長というのが罠だというのは判っていた。グリンメルスハウゼン提督のお守りをさせる気だというのはね。しかし此処まで酷い事になっているとは思わなかった。甘かった」
うめくように言うエーリッヒを責める事は出来なかった。エーリッヒは慎重な男だ。時には驚くような大胆さを見せるときもあるがだいたいにおいて慎重だといっていい。俺がエーリッヒの立場だったらどうだろう。副参謀長には信頼できる奴を選ぶ、エーリッヒだ。

「貧乏くじかどうか、まだ結果は出ていないだろう」
「……」
「そんな顔をするな、エーリッヒ。二人でやれば何とかなるさ」
「……」

「サイオキシン麻薬事件だって何とかなったじゃないか。今回はギュンターの代わりに俺がいる。うまくいくさ」
「そうだね、確かにそうだ。まだ落ち込むには早すぎるようだ。頼みにしているよナイトハルト」

 エーリッヒは木漏れ日のような笑顔を見せた。こいつは昔から俺たちに対してだけこの手の笑いを見せる。容貌が容貌だけに何ともいえない甘やかさだ。俺は一瞬だが見とれてしまい苦笑した。無邪気に微笑むエーリッヒには先程までの暗さは無い。そう、俺たちは大丈夫だ、きっと上手くいく。頼りにしているぞエーリッヒ、だから俺にも頼ってくれ。


 

 

第二十二話 ゲルハルト・ヴィットマン

グリンメルスハウゼン艦隊旗艦オストファーレン艦橋

■ゲルハルト・ヴィットマン
 
 目の前でヴァレンシュタイン大佐とミュラー中佐が話をしている。艦隊の編成について話し合っているようだ。ヴァレンシュタイン大佐の顔には時々笑顔も見える。良かった、本当に良かった。1ヵ月半前、僕がこの艦に来たときは笑顔なんて滅多に無かったし、たまに見せる笑顔も痛々しいような笑顔だった。

 軍幼年学校の生徒だった僕に従卒にならないかと話があった時、正直に言うとあまり気乗りしなかった。友達にも従卒を勤めた子がいるけど感想はまちまちで勉強になったという友達もいたし、意地悪な貴族の士官がいて苛められたという友達もいた。僕は平民だったし苛められるかもしれないと思うと従卒が務まるか不安だった。

でも従卒を欲しがっているのがヴァレンシュタイン大佐だときいて、すぐなりますと答えた。教官からは良く両親と相談してからにしなさいと言われたけど僕の心は決まっていた。家に帰って両親に相談というよりは説得して此処へ来た。

 ヴァレンシュタイン大佐は僕には憧れの人だ。士官学校在学中に帝文に合格、任官してからもミュッケンベルガー元帥の命令でサイオキシン麻薬を摘発したり、アルレスハイム星域の会戦では2倍近い敵を破っている。まだ二十歳にもなっていないのに大佐だ。今回だって艦隊の参謀長だなんてすごいと思う。軍幼年学校の先輩にはラインハルト・フォン・ミューゼル准将もいるけど准将の場合、姉が皇帝陛下の寵姫だから出世が早いみたいだ。ちょっと不公平だと思う。僕の周りもみんなそういっている。

 初めてあったヴァレンシュタイン大佐は華奢で小柄な人でとても高名な軍人には見えなかった。顔立ちも女の人みたいだし十九歳って聞いてたけどもっと若く見えた。
「良く来てくれたね、よろしく頼むよ」
と言った後、ちょっと表情を曇らせて
「君にとってはあまり良い経験にはならないかもしれない。辞めたくなったら我慢せずにいってくれ、いいね」
と言って僕をびっくりさせた。
 
 大佐が何故そんな事を言ったのかすぐにわかった。大佐だけが仕事をしていてみんな大佐を助けようとはしなかったからだ。司令官のグリンメルスハウゼン提督は七十歳を越えた老人でみんな大佐に任せきりだった。大佐の下にいる三人の参謀もほとんど仕事をしていなかった。クーン少佐、バーリンゲン少佐、アンベルク大尉は大佐の出した指示を嫌々やっている感じだった。

後でわかったんだけど三人ともヴァレンシュタイン大佐の先輩で、貴族出身の士官だった。大佐のことを影で”平民の癖に”とか”生意気だ”とか”元帥のお気に入りだから”とか悪口ばかり言っていた。こんな人たちが従卒を苛めるんだと思う。嫌な人たちだ。大佐に言ったら
「誰だって面白くないだろうね、私なんかが上官になったら。でもミュッケンベルガー元帥のお気に入りか……それはちょっと違うんだけどね」
 といって苦笑した。

僕の聞いた話では、グリンメルスハウゼン提督が頼りにならないのでミュッケンベルガー元帥が信頼しているヴァレンシュタイン大佐を参謀長に送りこんだと聞いたけど違うんだろうか?
 
 大佐の忙しさは半端じゃなかった。艦隊の物資補給の手続きから訓練計画の作成、各分艦隊からの苦情、要求の処理、総司令部との打ち合わせや事務連絡等、一日が二十四時間だけでは足りないくらいだった。実際休息はタンクベッドで一日二時間の睡眠だけで、あのまま行ったら体を壊していただろう。従卒の僕も付き合おうとしたんだけど、大佐は許してくれなかった。

「こんな馬鹿なことはしなくていい」
「でも大佐はしています」
「仕方ないね、馬鹿なんだから」
そう言って終わりだった。

 あの頃良く大佐が言っていたのは副参謀長のミュラー中佐のことだった。
「もうすぐナイトハルトがくるな~。彼にも貧乏くじを引かせてしまった、怒るだろうな」
と辛そうに言っているので、つい好奇心で聞いてしまった。
「ナイトハルトというのはどなたですか」

「ナイトハルト・ミュラー中佐。この艦隊の副参謀長だ。私が彼を副参謀長にと頼んだんだ」
「親しいのですか」
「士官学校の同期生でね。信頼できる人間だよ」
と大佐が言うので
「それなら大丈夫ですよ、大佐の事を怒ったりしませんよ」
と生意気にも言ってしまった。大佐はどう答えていいかわからないようだった。

 ミュラー中佐が来たのは、僕が従卒になってから八日目のことだった。すぐ二人は参謀長室に入って打ち合わせを始めた。僕は飲み物を運んだけど二人とも落ち着いた感じで喧嘩とかはしてないようだった。しばらくして参謀長室から出てきた時、ヴァレンシュタイン大佐もミュラー中佐も笑顔を見せていた。よかった、ミュラー中佐は大佐の言うとおり信頼できる人だったみたいだ。

 実際それからのミュラー中佐はヴァレンシュタイン大佐を助けて八面六臂の活躍だった。なによりこれまでヴァレンシュタイン大佐が艦橋からいなくなるとすぐ怠けていたクーン少佐、バーリンゲン少佐、アンベルク大尉がミュラー中佐がいるので怠けられなくなった。嫌々でも仕事をしてくれれば少しでも助かる。ヴァレンシュタイン大佐とミュラー中佐は交代でタンクベッド睡眠を取りながら出兵の準備を整えた。一週間前、艦隊訓練も終了し訓練の総評も昨日で終わった。イゼルローンへ向けての出航は四日後だ。

打ち合わせが終わったらしい。ヴァレンシュタイン大佐は自室に戻るようだ。久しぶりにゆっくり休むのだろう。ミュラー中佐は宿直だ。いい機会だからミュラー中佐に話を聞いてみよう。
「ミュラー中佐、今いいですか」
「何かなゲルハルト」
ミュラー中佐は穏やかな人柄だ。何処と無くヴァレンシュタイン大佐に似ているけど親友だから似るのかな。

「ミュラー中佐はヴァレンシュタイン大佐と親しいですけど、大佐は士官学校ではどんな生徒だったんでしょう?」
「どんなって、なぜそんな事を聞くのかな」
「こんな事を言うと怒られるかもしれませんが、大佐は何かぜんぜん軍人らしくありませんし……」
そう言うとミュラー中佐はおかしそうに答えてくれた。

「そうだね、確かに軍人らしくはないな。私が見てもそう思う。エーリッヒは編入生でね、私が親しくなったのは一年の終わりの頃だったな。但しそれ以前から関心は有ったよ。あの容貌だろう、それに歳は確か十二歳だ、なんとも可愛らしい士官候補生でね。あれで腕白とか乱暴とかだったら違ったんだが、エーリッヒは授業が終わるといつも図書室で勉強するか本を読んでいたから本当は女なんじゃないかって皆言っていたよ」
なんとなくわかる気がする。大佐に言ったら怒られそうだ。

「からかったりしたんですか」
「まさか! 君は知らないだろうけどエーリッヒは怒ると怖いんだ」
中佐はちょっとおどけた感じで言った。
「大佐を怒らせたんですか」
「怒らせたのは私じゃないけどね、もう少しで殴りあいになる所だったよ」
そう言いながらも、中佐は懐かしそうだ。

「大佐は兵站科を専攻したって聞きましたけど……」
「本当は戦略科にも行けたんだ、成績は良かったからね。私よりも良かったよ。教官達も戦略科へ行く事を薦めていた。ただ本人が行きたがらなかった。体が弱かったから作戦参謀とかは無理だと言ってね。帝文にも合格したから軍務省の官房局や法務局へも行けたんだけど、本人が兵站統括部への配属を希望した。出世には興味が無かったんだと思う」

「どうして出世に興味が無かったんでしょう」
「……さあどうしてかな。色々有るからね」
中佐は何か知ってるみたいだったけど話してはくれなかった。 
「君は明日から自宅へ戻るんだったね。両親とゆっくりしてきなさい」
「はい」
 質問の時間は終わりだった。僕はミュラー中佐に御礼を言って自室に戻った。
 
 僕は明日から二日間自宅に帰る事を許されている。出兵前に悔いの無いようにという事だ。大丈夫、僕が戦死するとは思えない。あの二人がいるなら何の心配も要らないと思う。だから胸を張って両親に会いに行こう。そして此処に戻ってくる。きっと二人は優しく僕を迎えてくれるはずだ。僕はもうグリンメルスハウゼン艦隊旗艦オストファーレンの一員なのだから……。

 

 

第二十三話 開戦前夜

「もはや帝国軍のお役に立てぬ身であれば、生きていても甲斐は無い。この上は、せめて自らの身命に決着をつけ、諸氏のご迷惑にならぬよう、潔く退場するとしよう」
「提督、お止めください」
「止められよ、グリンメルスハウゼン提督」
「なれど小官にはもはやこれぐらいしか……」

「わかった。……グリンメルスハウゼン提督には左翼をお願いしよう。よろしいな」
「元帥閣下、それは……」
「おお、左翼をお任せ願えるか、必ずや御期待に添いましょう」
「……期待しよう」

 帝国暦485年 3月20日 帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナでは同盟軍との戦いを前に将官会議が開かれていた。 
 大佐である俺は出席できる立場ではないのだが、グリンメルスハウゼン艦隊の参謀長という職務が俺をこの会議へ参加させている。もっとも出るんじゃなかったという後悔の方が多い。疲労感ばかりが増えてくる。

 当初、宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥はグリンメルスハウゼン艦隊を後方に配置しようとした。予備兵力といえば聞こえは良いが、実際には前線に出すのは不安だったからに他ならない。俺とミュラーが何とかできたのは艦隊行動までだった。此処までは平均的な艦隊と言って良いだろう。問題は戦闘行動ではっきり言って分艦隊司令官達の戦術指揮能力には???の状態だった。ミュッケンベルガー元帥はこの艦隊の内情を知っているし、俺も総司令部との打ち合わせでは艦隊の実情を隠さなかった。
 
 グリンメルスハウゼン艦隊は間違いなく帝国軍でもっとも期待されていない艦隊だった。後方配置、予備兵力、大いに結構。俺はこんな艦隊で死にたくないしヴァンフリートなんて訳のわからんところでくたばりたくない、大歓迎だ。グリンメルスハウゼンにも事前に伝えた、戦争なんて無理です、おそらく後方に配置されますからおとなしく見物していましょうって。ただの砲撃戦なら良いが、混戦、乱戦になった場合は滅茶苦茶になりかねない。そして原作どおりにいけばヴァンフリート星域の会戦の後半は混戦、乱戦になる。あの訳のわからん戦闘に巻き込まれるのはごめんだ。
 
 ところがだ、我等が提督、グリンメルスハウゼン中将閣下が
「前線に出してくれないのならブラスターで頭打ち抜いて死んでやる」
 と将官会議で騒ぎ出した。将官会議の出席者も皆呆然として見ている。グリンメルスハウゼン艦隊の実情は皆わかっているのだ。この爺サンだけがわかっていない。俺の言った事などまるで聞いていなかったらしい。

 勘弁してくれ、グリンメルスハウゼン。あんたは提督席で昼寝をしているだけだったからわからんだろうが、この艦隊で戦争なんてきちがい沙汰だ。しかし、俺の心の叫びも虚しくグリンメルスハウゼン艦隊は左翼に配置される事になった。俺はただ呆然とみていることしかできなかった。こういう嫌な事って原作どおりになるんだな。

 将官会議も終わりオストファーレンへ戻ろうとするとミュッケンベルガー元帥に呼び止められた。
「あの老人、なにも判っておらぬようだな」
「申し訳ありません。説明はしたのですが」
「いや、卿を責めるつもりは無い。あの艦隊の実情には私にも責任があるからな。しかしこんな形で責任を取る事になるとは……。左翼には負担は掛けないようにするつもりだ。一戦すればあの老人も満足するだろう。うまく補佐してくれ」
「はっ。微力を尽くします」  
 
 一戦すれば満足する……。やはりミュッケンベルガーがグリンメルスハウゼン艦隊を使うのは最初の艦隊戦だけだろう。となると衛星ヴァンフリート4=2の戦いになるか。どうしても原作どおりになるな。しかしどうしたものか。単純に原作どおりに任せてしまうという手もある。無事にオーディンに帰れるかもしれない……。

 気になるのは今回の戦いは原作どおりに動いているように見えて実は完全に違う部分が有ることだ。帝国軍も同盟軍も動かしている兵力が原作より大きい。原作では帝国軍は三個艦隊ほど、同盟軍も二個艦隊ほどの戦力のはずだが、現実には帝国軍は四個艦隊、同盟軍は三個艦隊ほど動かしているようだ。帝国軍が多いのは判る、ミュッケンベルガーは再編した宇宙艦隊の実力を試して見たいのだ。グリンメルスハウゼンが出たいと言わなければ四個艦隊を宇宙艦隊から動かしたろう。

同盟軍が多いのはもしかするとアルレスハイム星域の会戦が影響しているかもしれない。あの敗戦の雪辱を、という奴だ。そこがどう戦局に影響するか。読み誤るととんでもない事になるが、大体読めるのか? 判断がつかない。兵力が多くなれば当然、戦術行動の選択肢は広がるだろう。原作には無い流れが出る可能性は高い、いや衛星ヴァンフリート4=2でそれほど大規模な艦隊戦が可能なのか?

 一つ一つ最善の手を取るほか無いだろう。原作知識は有効だが頼りすぎると危険だ。難しい戦いになった……。

 オストファーレンへ戻るとまた会議となった。各分艦隊司令官、参謀等が集まってくる。ラインハルト、リューネブルクもだ。結局この二人もグリンメルスハウゼン艦隊の所属となった。厄介者はまとめて一つにということなんだが、わかっているかなこいつら。

 会議が始まってすぐ、ラインハルトが意見を具申し始めた。火力の絶対数が不足しているから機動力で補おうといっている。具体的には砲艦を最左翼の後尾において時期を見て前進、迂回させ敵の右翼に砲撃を集中させるというものだった。いい案だった。グリンメルスハウゼンも”いい案だ”とほめている。しかし結局採用しなかった。経験から生み出した作戦案(こちらのほうが数が多いから無理せず押し切ろうというものだった)というのを提示して会議を終わらせた。

「エーリッヒ、何故さっきは止めたんだ。提督の案よりミューゼル准将の案を取るべきじゃないか」
「そうだね。私もそう思うよ、ナイトハルト」
「じゃあ、なぜ」

「参謀長室へ行こうか」
先の会議でミュラーはラインハルトの案を支持しようとしたのだが俺が足を踏んで止めた。大分不満そうだ。部屋に入る前にゲルハルトに誰も入れないようにと念を押す。

「敵は我々のほうにはほとんど来ない」
「どういうことだ、それは」
「ミュッケンベルガー元帥がそういったよ。左翼には負担は掛けないようにすると。おそらく再編した宇宙艦隊の実力を試したいんだと思う。それに元帥も我々が頼りにならない事は判っている。卿ならどうする。我々を積極的に使おうとするかい」

「……いや、しないだろうね。そうか、主戦力は右翼と中央か。兵力はこちらが多い、上手くいくかな?」
「どうかな。膠着状態になるんじゃないかと思う」
「だったらミューゼル准将の案を採用するべきじゃないか」
「どうせならグリンメルスハウゼン艦隊全体で行うべきだと思う」
「なんだって?」
 
「我々の艦隊はほとんどが遊兵化する。ある意味予備戦力といっていい。ミュッケンベルガー元帥が敵の兵力を引き付けたらこちらは全艦隊を持って時計回りに行進し敵の右翼を叩き後背を突く。ミューゼル准将の案は良い案だが、あれはこちらに敵が来るというのが前提になっている」

「なるほど。しかし敵がこちらにきたらどうする。念のためミューゼル准将の案を受け入れ砲艦を用意するべきじゃないか」
「敵が気付くよ。相手だって馬鹿じゃない。砲艦を用意したら先ず最初にこちらを叩き潰そうとする。こちらはそれに耐えられない……」
「……」

「ミュッケンベルガー元帥は開戦とともに攻勢を掛ける筈だ。さらにこちらの戦意が低いと見れば敵はミュッケンベルガー元帥に集中せざるを得ない」
「そこを突くか」

「そうだ。この作戦は艦隊の行動速度が鍵になる。どれだけ高速で動けるかだ」 
「わかった。速度の遅い分艦隊は中央よりにしよう。高機動艦隊は左翼に持っていく」
「ナイトハルト、うまくいくと思うかい」
「どうかな、上手くいきそうにも思えるが、始まる前から失敗する作戦は無いからね」
 
 確かにそうだ。始まる前から失敗する作戦は無い。どんな愚策であろうと成功すれば奇策となる。しかしミュラー、もう少し言いようが有るだろう。俺たちは運命共同体なのだから……。






 

 

第二十四話 ヴァンフリート星域の会戦

 帝国暦485年 3月21日 ヴァンフリート星域の会戦が始まった。

「ファイエル」
 グリンメルスハウゼン提督の命令と共に艦隊は攻撃を開始した。同盟軍は凸型の陣形を取り、帝国軍は凹形の陣形を取っている。グリンメルスハウゼン艦隊はこの凹形の左翼にあり、本当なら他の部隊と協力して同盟軍を包囲攻撃するはずなのだがグリンメルスハウゼン艦隊は右翼の一部を除きほとんど戦いに参加していなかった。敵を攻撃するには全軍をさらに敵に近づけなければならないのだが、グリンメルスハウゼンは何も言わなかったし、総司令部からも何の指示も無かった。俺も余計な事はしない。

 ミュッケンベルガー元帥の作戦構想は明確でグリンメルスハウゼン艦隊は戦力外として扱う、という事だった。俺もそれは正しいと思う。当てになるかならないかはっきりしないものは戦力としてカウントするべきではない。何かの間違いでプラスになれば良しとすべきだ。帝国軍の意図をどう見たかはわからないが同盟軍はグリンメルスハウゼン艦隊をほとんど無視する形で戦線を構築し始めた。これで敵からも味方からもグリンメルスハウゼン艦隊は無視された事になる。さぞかしラインハルトが怒り狂っているだろう。
 
 敵の戦力は第五艦隊ビュコック中将、第十二艦隊ボロディン中将、ここまでは俺もわかる。あとの一人は第六艦隊ムーア中将だった。アスターテで敵前での反転命令だしてラインハルトに無能といわれた提督だ。出来れば今回も無能振りをアピールして欲しいもんだ。敵は左翼にビュコック、中央にボロディン、右翼にムーアだ。俺の作戦が上手くいけばムーア艦隊がダメージを受ける事になる。

「ナイトハルト、そろそろ良いかな」
俺がミュラーに確認したのは、開戦後二時間を経過した頃だった。戦線は膠着状態になっている。
「そうだね。そろそろ良いだろう」
「提督に進言しよう」
俺達はグリンメルスハウゼンの前に立った。

「閣下、戦線は膠着状態にあります。艦隊を高速で動かし敵の右翼を叩き後背に出ましょう」
「ん、しかし参謀長、総司令部からの命令も無しに動いてよいのかのう」
俺はこの老人が嫌いではない。困った人だとは思うが憎めないのだ。それにラインハルトのように無能だと軽蔑する事は危険だと思っている。軍事的才能は無いが人間に対する洞察力はかなりのものだ。それでもこんな時は、この人の軍事的才能の欠如には失望せざるを得ない。

「閣下、このままでは無意味に損害が増えるだけです」
「ミュラー副参謀長の言うとおりです。このままでは我が艦隊は何もしなかったと言われるでしょう。せっかく左翼を任せてくれた司令長官の期待にも答えることが出来ません」
「参謀長の言うとおりです。閣下、ご決断を」
俺とミュラーは口々に決断を迫った。

「……参謀長の良いように」
「はっ。全艦隊に命令。最大戦速で時計回りに前進、敵右翼の側面を攻撃しつつ後背へ展開せよ」
戦線が動き始めた。

 グリンメルスハウゼン艦隊は動き出した。こちらの動きに敵の第六艦隊は驚いたようだ。全く戦意が無いと無視していた艦隊がいきなり高速機動を開始したのだ、無理も無い。上手く対応が取れず次々と側面に火球が炸裂する。敵の反撃は散発的でこちらにはなんの影響も無い。グリンメルスハウゼン艦隊は高速を維持しつつ第六艦隊の後背に展開する事に成功した。

「敵、前進します!。我が軍が元々いた場所に向かっています」
「閣下、現状を維持しつつ、敵を攻撃するのがよろしいかと思います。それとワルキューレを発進させましょう」
「うむ、参謀長に任せる」
「はっ。全艦隊に命令、現状を維持しつつ前進する敵の後背を攻撃せよ。ワルキューレの発進を許可する」

 第六艦隊はこちらの攻撃を後背から受けつつも前進している。一方的な攻撃に火球が次々と炸裂する。圧倒的に有利になったグリンメルスハウゼン艦隊は勢いに乗って撃ちまくっている。帝国軍の中央部隊も第六艦隊に対して攻撃を集中しだした。
 第六艦隊は前後から攻撃を受け火達磨の状態にあるがそれでも前進を止めない。ムーア中将の考えはわかる。あちらも同じように側面攻撃から後背へ展開しようというのだろう。しかし、その前に潰す。

 問題は第五、第十二艦隊だ、この状態でどう出る? 前進か、それともこちらに向かってくるか? 俺が敵の立場なら先ずグリンメルスハウゼン艦隊を叩き潰す。もちろん前面の帝国軍を放置するのは危険だ。

しかしグリンメルスハウゼン艦隊は寄せ集めなのだ。錬度は低い。第五、第十二艦隊の実力なら難しいことではない。第六艦隊への援護にもなる。それから第六艦隊の後を追う、つまり時計と逆方向に進軍して帝国軍を半包囲に追い込む……。
 第五、第十二艦隊は動かなかった。こちらの実力を過大評価したのか、それとも半包囲ではなく挟撃を選んだのか。あるいは第六艦隊の失敗を見越したのか……。

「敵艦隊、前進を止めました」
「攻撃を一層集中せよ」
第六艦隊の先頭部隊で爆発が起こっている。どうやら機雷群に突っ込んだらしい。ムーア中将が側面攻撃から後背への展開を狙う事は判っていた。俺たちは高速機動に入る前に密かに機雷群を作成していたのだ。開戦後の二時間はそれに使ったと言っていい。第六艦隊は機雷群に突っ込み停止している。止まった状態では狙い撃ちだ。グリンメルスハウゼン艦隊の、帝国軍中央部隊の、ワルキューレの攻撃を受け次々に爆発していく。このままでは全滅だろう。

「降伏勧告をだせ」
俺はグリンメルスハウゼン提督の許可を取り、第六艦隊に降伏勧告を出した。意外な事にあっさりと受諾した。
第五、第十二艦隊が動き出した。第六艦隊の降伏を受けこれ以上の戦闘は意味が無いと判断したようだ。艦隊を後退させつつある。配下の分艦隊から第五、第十二艦隊への攻撃許可を求める通信が届いたが全て却下した。敵は敗走しているんじゃない。十分余力を持って後退しているんだ。お前らは痛い目が見たいのか?

 どうやら第一ラウンドはこちらの勝利のようだが、この後はどうなるのだろう。一個艦隊を失った同盟軍は撤退するのだろうか。そうなれば戦争終結だが、ヴァンフリート4=2に補給基地が有る以上簡単に撤退するとも思えない。となるとヴァンフリート4=2の戦いになる可能性が高いが俺たちがヴァンフリート4=2に行くのだろうか。ミュッケンベルガーの判断しだいだが、彼は今回の会戦をどう判断しただろう。勝利を得てもさっぱり先が見えない……。


■ゲルハルト・ヴィットマン
 
 大勝利だった。こちらはほとんど損害が無く完璧な勝利だ。これで反乱軍も撤退するだろう。みんなも大喜びだ。グリンメルスハウゼン提督も顔をほころばせているし、あの嫌なクーン少佐、バーリンゲン少佐、アンベルク大尉も喜んでいる。ミュラー中佐も嬉しそうだ。でもヴァレンシュタイン大佐だけは別だった。静かに艦橋の外を宇宙を見ている。どうしたんだろう。この戦いの作戦案はほとんど大佐が考えたのに。嬉しくないんだろうか。

「ナイトハルト、此処を任せて良いかな。少し一人で考えたいんだ」
「ああ、構わんよ。機雷の後始末はつけておく。あと捕虜もね」
「すまない、ミュッケンベルガー元帥から連絡が来たら構わないから呼び出してくれ」
「判った」
「ゲルハルト、ココアを頼めるかな」
「はい。参謀長室ですか?」
「うん」

 大佐は少し俯きながら参謀長室へ向かった。どう見ても勝った軍の参謀長の姿じゃなかった。みんな妙な表情で大佐を見ているけど、大佐は気付かないようだ。
「ミュラー中佐、大佐はどうしたんでしょう」
「……多分、次のことを考えているんじゃないかな」
「次のこと? まだ戦いは続くんですか?」

一個艦隊を失ったのに? あんなに一方的に負けたのに?
「そう考えているようだね。あの表情だと次の戦いは酷くなると考えているんじゃないかな」
いつの間にかミュラー中佐の顔からは笑顔が消えていた。見渡せば皆不安そうな表情を浮かべている。

「オーディンへ戻るまでが戦争だ、気を抜くなって事だね」
オーディンへ戻るまでか……。僕はそんな事少しも考えていなかった。
「さあ、早くエーリッヒにココアを持っていったほうがいい」
「はい」
そうだ、僕は僕にできる事をしよう。大佐はきっと僕をオーディンに帰してくれる……。




 

 

第二十五話 予感

 会戦終結後、帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナより艦隊集結命令がでた。それと同時に将官会議の開催が通達され今後の作戦行動が協議される事になった。将官会議が開催されるという事は作戦行動は継続されるという事だ。ヴァンフリート4=2へ行くのか、それとも本隊と行動を共にするのか……。

■ 帝国暦485年 3月22日 帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ

 会戦から一日経ち、将官会議が開かれる会議室は微妙な空気に支配されていた。本来なら勝ち戦に沸き上がっても良いはずだが、一部を除いて白けた表情で互いを見やっている。ちなみに除かれた一部の人間というのはグリンメルスハウゼン艦隊の人間で、一人を除いて皆能面のような無表情だ。理由はわかっている。だから別な事を考えよう。

 第六艦隊のムーア中将があっさり降伏したのは、旗艦ペルガモンが動力機関を破壊され動けなくなった事が原因だった。戦いたくても戦えない状態になったのだ。自決しなかったのは周りが止めたからで無責任だと責められたそうだ。人望無さそうだもんね。ジャン・ロベール・ラップは居なかった、まだ病気療養中らしい。ジェシカ・エドワーズも幸せになれるかもしれない。俺の好みじゃないが、原作ではちょっと可哀想な一生だったからね。
 
 捕虜を尋問していてとんでもない事が判った。第四艦隊司令官、パストーレ中将が更迭され国内の補給基地の司令官になっている。原因はアルレスハイム星域の会戦だ。あの会戦の指揮官がパストーレ中将だった。あの時パストーレ中将は艦隊を二分して行動していたらしい。三千隻を別働隊としヴァンフリート星域を哨戒させ、本隊を自分で率いてアルレスハイム星域を哨戒中だった。

尋問した捕虜はヴァンフリート4=2に補給基地が有るとは言わなかったが、別働隊はヴァンフリート4=2を調べていたのだろう。帝国側に察知されないために艦隊は小規模にせざるを得なかった。そしてヴァンフリート星域から帝国の眼をそらすためにパストーレ中将率いる第四艦隊本隊がアルレスハイム星域に進出した……おそらくそんなところだ。

 パストーレがいなくなり、ムーアが消えた。原作からかなり乖離しているような気がするがアスターテ会戦はどうなるんだろう? トリューニヒト派にとっては打撃だけど、これが同盟の政治軍事にどう影響するのか。主戦派は勢力を減衰させるのかどうか。

 ミュッケンベルガー元帥が司令部要員を引き連れて会議室へ入ってきた。俺達は敬礼して迎える。ミュッケンベルガーの表情は苦虫を潰したような表情で答礼もおざなりなものだった。気持ちは判る。ミュッケンベルガーは新編成した宇宙艦隊の実力を試したかったのだ。それなのにグリンメルスハウゼン艦隊が勝手な行動を起して勝ってしまった。

 おまけにこの会戦で帝国軍が受けた損害はほとんどがミュッケンベルガー率いる宇宙艦隊のものでグリンメルスハウゼン艦隊は無傷で勝利を得た。一人勝ちの状態だ、誰も納得できないだろう。俺たちは場所をわきまえない不届き者なのだ。おまけに勝ってしまったから文句も言えない。ミュッケンベルガーが不機嫌なのも、皆が白けるのも判る。俺達も無表情に沈黙している。

 俺自身はあれは最善を尽くしたと考えている。あのまま進めば訳のわからん混戦になった事は原作で明らかだ。スパッと打ち切ってやったのだから感謝されてもいい。しかし、それは原作知識があるから言える事でそうでなければ納得できないだけだろう。俺としては叱責されないだけましだと思っている。しかし、判らない人間もいる。我等が敬愛すべきグリンメルスハウゼン提督だ。

「司令長官閣下。おめでとうございます。皇帝陛下もさぞかしお喜びでしょう」
頼む、お願いだから何も言わずに黙っていてくれ。
「うむ、提督のおかげで勝つ事が出来た。見事な武勲であった」
顔を引き攣らせて言うなよ、元帥閣下。

「参謀長のおかげです。元帥閣下の信頼が厚いのもよくわかりました」
止めろ。頼むから止めろ。
「そうか……それは、良かった」
いっそ余計な事はするなと怒鳴ってくれ。その方が楽だ。

 将官会議では同盟軍が未だ撤退はしていない事、その撃滅を図る事が改めて確認された。グリンメルスハウゼン艦隊はヴァンフリート4=2で予備兵力として待機する事が命じられた。ミュッケンベルガーはやはり宇宙艦隊の実力を試したいと思っているようだ、いや、武勲を立てさせたいと考えているのだろう。

グリンメルスハウゼンは愚図っていたが、ミュッケンベルガーから若い者に武勲を立てる場を譲ってやれと言われて納得したようだ。ミュッケンベルガーのコメカミが引き攣って見えたのは気のせいだろう。ここまで勝つ事が喜ばれない軍隊というのも珍しいんじゃないだろうか。負ける事を期待されないだけましか。気休めにもならん。気持ちを切り替えよう。ヴァンフリート4=2だ、リューネブルク、ラインハルトをどう使うかが問題だな。

 将官会議が終了すると俺はあえてリューネブルクの近くを歩いた。案の定、リューネブルクはすぐ食いついてきた。
「参謀長、元帥閣下はあまり面白くないようでしたな」

「仕方がありませんよ准将、我々は余計な事をしたのですから」
「参謀長は元帥閣下のお気に入りと聞いていましたが?」
「現実はこんなものです」

「なるほど……百聞は一見にしかず、ですか。それにしても落ち着いておられる。俺は気もそぞろでしたが」
「一番落ち着いておられたのはグリンメルスハウゼン閣下でしょう」
リューネブルクは失笑した。俺もつい笑ってしまった。 

「参謀長は意外に辛口ですな」
「小官は甘口ですよ、辛いものは苦手で」
リューネブルクは耐え切れずに爆笑した。 

「リューネブルク准将、地上戦の準備は出来ていますか?」
「……出来ていますが……地上戦になりますか?」
「……判りません。しかしその時はリューネブルク准将に頼る事になります」 
「任せていただきましょう」
俺は軽く頷いた。準備が出来ているならいい。地上制圧に時間は掛けたくない。

■ジークフリード・キルヒアイス
 
 将官会議が終わったようだ。会議室から人が出てくる。私はラインハルト様を探しながらも、いつかこの会議にラインハルト様と共に出たいものだと思った。ふと場違いな笑い声が聞こえる。眼を向けるとそこにはヴァレンシュタイン大佐とリューネブルク准将の姿があった。妙な組み合わせだ、二人は親しいのだろうか。長身の准将と小柄な大佐を見ると保護者と被保護者のようだ。そんな事を考えてしまった。

 ヴァレンシュタイン大佐。第五次イゼルローン要塞攻防戦、サイオキシン麻薬密売摘発、アルレスハイム星域の会戦、そして今回の勝利。ミュッケンベルガー元帥の信頼厚い帝国の若き用兵家。今回、グリンメルスハウゼン艦隊の参謀長になったのもミュッケンベルガー元帥の意向があったという。私は昨日行われた会戦の事を思い出した。

 会戦前、旗艦で行われた作戦会議でラインハルト様は砲艦による攻撃を提案された。誰が見ても優れた作戦案で採用されるだろうと思っていたがそうはならなかった。ラインハルト様の失望は大きかった。グリンメルスハウゼンに対する不満を、艦隊司令部に対する不満を私にぶつけた。

「ヴァレンシュタインもミュラーもたいした事は無い。評判倒れだ」
「ラインハルト様の作戦案をわざと採用しないという可能性はありませんか?」
「俺に対する反感からか」
「はい」

ありえないことではなかった。ヴァレンシュタイン大佐も若いがラインハルト様はもっと若いのだ。軍内部での知名度も大佐の方が高いだろう。しかし階級はラインハルト様の方が上だ。反感があってもおかしくない。
「その程度の奴がミュッケンベルガーの腹心というならミュッケンベルガーもたいしたことは無いな」
ラインハルト様は吐き捨てるように言って作戦案をデスクに叩きつけた。

 会戦は私たちの予想を裏切る形で始まり、予想を超える形で終結した。当初私たちは会戦に全く参加できなかった。ミュッケンベルガー元帥はグリンメルスハウゼン艦隊を全く無視した形で戦いを始めたのだ。ラインハルト様はそれにも怒った。これ以上の侮辱が有るかと。しかしその怒りは二時間後には屈辱に変わっていた。高速移動による側面攻撃、後背への展開、そして敵艦隊を機雷原に追い込んでの殲滅。

「キルヒアイス、俺はどうやら度し難い低能らしい。全く使えぬ作戦案を出し採用されぬと不満を言っていたのだからな」
「ラインハルト様」
「ヴァレンシュタインは笑っていたろう。この程度の作戦案でいきがる俺を」
「ラインハルト様にはミュッケンベルガー元帥が我々を全く無視した形で戦いを行うなどわからなかったのです。ご自身を責めるのはお止めください」

「違うぞ、キルヒアイス。俺がミュッケンベルガーなら同じようにグリンメルスハウゼン艦隊を無視して戦ったろう。俺はそこまで考えずに作戦案を立てた。ヴァレンシュタインはそこまで読みきって作戦案を立てたんだ」
ラインハルト様の顔は屈辱に歪み、怒りに震えていた。

 ヴァレンシュタイン大佐、恐ろしい男だ。彼はラインハルト様の覇道にどのように関わってくるのだろう。彼が敵になるのなら厄介な事になるかもしれない。
「キルヒアイス、どうした」
「ラインハルト様」
ラインハルト様は私が見ていた方向に視線を向けた。

「ヴァレンシュタイン大佐か……」
ラインハルト様は複雑な表情でヴァレンシュタイン大佐を見た。大佐はリューネブルク准将と談笑しながら去っていく。
私たちは彼の小柄な後姿を見詰め続けた。いつか彼と戦う事になるかもしれない……。



 

 

第二十六話 ヴァンフリート4=2 (その1)

 ヴァンフリート4=2 直径2、260キロ、氷と硫黄酸化物と火山性岩石におおわれた不毛な衛星だ。重力は0.25G、離着陸時の負担は少ない。大気は微量で窒素が主成分だ。俺たちが追放命令、いや待機命令を出された場所はそんなところだった。

「エーリッヒ、上空の援護兵力はどうする」
「援護兵力は置かないほうが良いのではないですか、大佐」
「そうです。なまじ上空に少数の兵力を置けば反乱軍の注意を引きます」
「反って危険でしょう」

 ミュラーの問いかけにクーン少佐、バーリンゲン少佐、アンベルク大尉が意見を具申してくる。一理有るように見えるのだが駄目だ。こいつらの意見では敵が上空に来るまで気付かない、いや上空に来ても気付かない可能性が有る。原作では上空に援護兵力を置かなかった。これが混乱の一因になっていると俺は考えている。

「そうだね。少数の兵を置くのは反って危険だろう。五千隻を上空で待機させよう」
「五千隻ですか。少し多すぎるのではありませんか」
 クーン少佐が言ってきた。先日の勝ち戦より少しは協力的になってきたようだ。

「反乱軍は最低でもあと二個艦隊あるから五千隻でも少ないくらいだと思う。幸い此処は重力が小さいから離着陸には時間がかからない。かなり遠距離まで哨戒行動を徹底させ、敵を発見しだい全軍で上空に上がる。総司令部に連絡を送り、増援を待って反撃するのがいいだろうと思う」

 ほとんど反対するものも無く、俺の提示した案に決まった。
「では早速、援護兵力を選抜しよう」
「ナイトハルト、ミューゼル准将は下ろしてくれないか」
「ミューゼル准将?……わかった」

 降下直後、旗艦オストファーレンで将官会議が行われた。
「降下の際、小官が航路設定を行いましたが、その際、敵の通信波を傍受しました。通信波の方向を解析するとこの衛星の裏側、南半球に反乱軍の活動根拠地が有ると推測されます。」

 ラインハルトが意見を具申している。ただね、彼の場合、意見具申というより挑発しているようにしか聞こえないんだよね。これじゃ皆反発するって。それにしても、やはり補給基地は有るか。ま、当然だな。となると混戦になるのをどこまで防げるかだが……。

 ラインハルトとグリンメルスハウゼンが話し合っている。”敵がいるのか”、”可能性が有るから無人偵察隊を出そう”、そんな事をぐじゃぐじゃ言っている。……地上攻撃をどれだけ早く切り上げられるかがポイントになるな。ローゼンリッターが相手だ、一つ間違うとリューネブルクの戦死もありうる。厄介だな。

「参謀長はいかが思われますか」
 いきなりラインハルトが俺に振ってきた。何かこいつ挑発的なんだよな。自分で説得しろよ、全く。
「小官が意見を述べる前に、他の方々の意見を聞きたいのですが?」

 途端に参謀連中、分艦隊司令官が意見を言い出した。内容は次のようなものだ。
 1.軽率な偵察はこちらの存在を敵に教える事になる。
 2.総司令部からの命令は待機である。
 3.敵の兵力が弱小であれば攻撃を受けてから対処すればよい。

 はっきり言って理由になっていない。ラインハルトに対する反発からの反対意見、感情論だ。態度悪いもんね。姉のおかげで出世したと思っている人間もいるし感情論になるのもわかるよ。意見が出尽くしたようだ。意見というよりラインハルトに対する鬱憤を晴らしたという感じだ。皆、自然と俺の方を見ている。やれやれだ。

「小官はミューゼル准将の意見を支持します。もし、反乱軍が存在するとなると当然ですが彼らは機動部隊に救援を求めるでしょう。機動部隊がヴァンフリート4=2に来れば、我々は上空へ部隊を展開せざるを得ません、その際地上から攻撃を受ける事になります。最悪の場合、上空の機動部隊、地上の反乱軍、その両方から挟撃されることになります。早急に敵の存在の有無を確かめ、存在するのであれば速やかに排除するべきです」

「敵基地があったとして、攻撃中に敵機動部隊が来た場合はどうします。味方を見捨てるのですか?」
「敵基地の存在が確認された場合、まず総司令部に報告します。その上で敵基地を攻撃する。敵機動部隊が接近してきた場合には、地上に有る八千隻のうち五千隻を上空に展開し上空の五千隻と共に防衛戦を展開、地上の三千隻は敵基地の攻略終了後、攻撃部隊を回収し上空にある敵機動部隊の後方に展開し挟撃を図ります」

「しかし、艦隊戦で味方は劣勢です。耐え切れるかどうか……」
「心配要りません。ミュッケンベルガー元帥がすぐやってきます。元帥閣下は宇宙艦隊の実力を確認したいのです。我々が敵基地を攻撃すれば、救援がやってくると判断するでしょう。つまり決戦の機会が訪れると」 
「司令長官を利用するのですか!」
「利用するとは人聞きの悪い。此処に基地が有るとなれば敵艦隊が来るのは必至です。ならばこちらの手で舞台を整えて差し上げようというのです。司令官閣下、いかがでしょうか」 
「……参謀長に任せる」

「ナイトハルト、ワルキューレを使って偵察行動をさせてくれ」
「ワルキューレで、判った」
「それと対地、対空迎撃システムの設置と稼動を」
「判った」

「リューネブルク准将、ミューゼル准将、地上基地攻略のための準備を。敵兵力は2万を想定してください」
「はっ」
「敵基地が発見されたときにはそのままお二人に攻撃隊を指揮してもらいます。リューネブルク准将が主将、ミューゼル准将には副将を勤めてもらいます」
「承った」
「はっ」


■ラインハルト・フォン・ミューゼル

 将官会議が終わった後、ヴァレンシュタイン大佐が参謀長室へ誘ってきた。キルヒアイスに「先に戻っていてくれ」というとヴァレンシュタインはキルヒアイスの同行も認めた。俺は正直面白くない。リューネブルクの下で地上戦など不本意以外の何者でもない。何を考えている、ヴァレンシュタイン。

「先程の会議ですが、何故あんな事をしたのです」
「なんの話だ」
「偵察隊のことです。周りの意見を聞かず、いきなり小官の意見を求めましたが」
「参謀長の意見を求めるのは当然であろう、卿の言っている事が私にはわからない」

「閣下はご自身の意見が反対されるのがわかっていた。それゆえ小官を使って反対意見を押さえつけようとした。違いますか?」
その通りだ。あいつらに話しても無駄だからな。
「……時間の無駄だ」

「軍議なのです。時間を掛けるのは当然でしょう。小官にできた事が閣下に出来ないとは思いません」
「……」
馬鹿を相手にするのはごめんだ。
「馬鹿を相手にするのはごめんですか、だから小官に相手をさせたと、」
「!」

「その様子ではリューネブルク准将の下につけたのも不満そうですね。でも准将は地上戦の専門家ですよ」
「何故私が地上戦をしなければならないのだ、ヴァレンシュタイン」
「勝つためです。他に出来る人がいません。それだけです。」
「……」

「閣下は勝利を得る事よりも御自身が武勲を上げる事を優先していませんか?」
「な!」
「自分さえ武勲を上げれば良い、だから周囲との協調など必要としない」
「ヴァレンシュタイン大佐、少し言いすぎでしょう」
「キルヒアイス大尉。ミューゼル准将を甘やかすのは止めてください」
「甘やかす……」

「そうです。今はまだ准将という低い地位にいるから目立ちません。しかし、これから先昇進すれば権限も動かす兵力も大きくなります。責任も大きくなるのです。そういう立場の方が自身の武勲を優先させるようになったら軍はどうなります」
「ラインハルト様は、いえミューゼル准将はそのような方ではありません。」

「ラインハルト様ですか……卿は帝国の軍人である前にミューゼル准将の家臣になっていませんか。だから准将を甘やかしている」
「!」
「これから先、より上位へ登っていこうとするならば、個人の武勲ではなく軍の勝利のために行動すべきでしょう。そうでなければ誰も閣下にはついてきません。孤立し結局なにも出来ずに終わります」

「小官は閣下を天才だと思っています。ですが、天才である事と天才が組織の中でどう生き
るか、組織が天才をどう遇するかは別問題です。上手く折り合いをつけ、より高みに登って欲しいと思います」


■ジークフリード・キルヒアイス

 私とラインハルト様は参謀長室を出た後しばらく無言のまま歩いた。ヴァレンシュタイン大佐の言葉が耳にこだまする。
「ミューゼル准将を甘やかすのは止めてください」
「帝国の軍人である前にミューゼル准将の家臣になっていませんか」

否定したいが否定できない。私は何処かでラインハルト様のすることを全て正しいと思っていなかったか?。ラインハルト様に対して迎合していなかったか。ヴァレンシュタイン大佐はそれを見抜いていた……。

「キルヒアイス。俺はどうやら焦っていたらしい。周りが俺を認めないがゆえに俺も周りを無視し始めていた。周りに俺を認めさせる努力を怠っていたかもしれない……」
「ラインハルト様」

「ヴァレンシュタインの言うとおりだ。これからの俺には味方が必要だ。そうでなければより大きく羽ばたけない」
「ラインハルト様ならきっとお出来になります」
「キルヒアイス、俺を甘やかさないでくれ。俺が間違っていたら叱ってくれ」
「はい、ラインハルト様」

 ラインハルト様の顔は晴れ晴れとしていた。なにか吹っ切れたような表情だ。また一つラインハルト様は大きくなったと思う。しかし私は素直に喜べなかった。ヴァレンシュタイン大佐。彼がラインハルト様に好意的なのは判った。それでも私には恐怖感が有る。彼はラインハルト様を見透かしていた、そして私のことも。彼は本当にラインハルト様の味方なのだろうか……




 

 

第二十七話 ヴァンフリート4=2 (その2)

帝国暦485年 3月29日 ヴァンフリート4=2 旗艦オストファーレン

■ヘルマン・フォン・リューネブルク

「それでは司令官閣下、これより敵基地の攻略に向かいます」
「うむ。気をつけての」
「はっ」

俺は形ばかりの挨拶をしグリンメルスハウゼン提督に敬礼する。参謀長がいないなと思いつつミューゼル准将と共に艦橋をでた。オストファーレンを出ると外は攻撃軍の喧騒で物々しい雰囲気だ。そんな中にヴァレンシュタイン参謀長はぽつんと一人立っていた。

「参謀長、見送りですか」
「あれを見に来たのですよ、リューネブルク准将」
そう言って、ヴァレンシュタインは右手の方を見やった。
「対地防御システムですか? 何か不備でも有りましたか」

「いえ、小官はあれを使うのは初めてですのでどんなものかと」
「なるほど、地上戦でもなければあれは使いませんからな、無理も無い」
そう言いつつも、俺はこの男が本当は見送りに来ていることを確信していた。この男は冷徹と言っていい男だが意外に情に厚い事を俺は知っている。隣のミューゼルは判っているだろうか?

「お二人とも、余り無茶はなさらないでくださいよ」
「戦争をしているのです。難しい事を言わないでいただきたい」
「そうですね。馬鹿なことを言いました。御武運を祈ります。無事お戻りください」

ミューゼル准将の切り替えしにも、気分を害した様子も無く敬礼してきた。答礼しつつ、ミューゼル准将をチラと見る。少し頬が紅潮しているようだ。子供じみた対応に恥じらっているのか?、それともやり込めて喜んでいるのか?、どちらにしても未だ子供だ。こいつのお守りもしてくれとは参謀長も面倒な事を。

「それでは、出撃します。ミューゼル准将、こいつの準備で碌に打ち合わせも出来ておらん。開戦前に最終調整しておきたい」
「はっ」

俺はヴァレンシュタインの方を見た。微かにうなづいてくる。昨日の会話を思い出す。何故俺のことを気遣うのだ、ヴァレンシュタイン? 俺もうなづき返すと強襲揚陸艦ヴァンファーレンへ向かった。

「開戦にあたって、卿の意見を聞こうか」
「地上戦そのものは、さほど心配をしていません。彼我の戦力差は大きく、それを生かす準備も十分に整っています。ただ問題は敵の宇宙戦力が艦隊に対して上空より攻撃をかけてくることです」

「同感だな。だがその心配に対しては参謀長の打った手を信頼するほかあるまい。司令長官がこちらの用意した舞台に乗ってくれることをいのるだけだ」
「あとはどれだけ短い時間で敵基地を攻略できるかになります。欲を言えばもう少し対地攻撃をしてもらえればと。」
なるほど、出来るな確かに。

「卿の才能と識見は十八歳とは思えぬ。私が将来、栄達するような事があれば、ぜひ卿を幕僚に迎えたいものだ」
「……」
「はははは。冗談だミューゼル准将、卿が俺の下に就くような人間ではない事は判っている。第一、卿の方が俺より昇進が早かろう、違うかな」
「……」
やれやれだな。この程度の冗談でこうも動揺するとは。

「幸い、参謀長は物惜しみはされん方だ。対地攻撃にワルキューレを二百機用意してくれる」
「二百機? 百機では?」
「昨日参謀長と話す機会があってな、対地攻撃を増やしてくれと頼んだ」
「それで二百機……」

「第一次攻撃隊で百機、第二次攻撃隊で百機となる。攻撃隊の間隔は五分だ、卿に伝えておこうと思ってな。ワルキューレの敵基地到着までの所要時間は約三十五分、対地攻撃隊にはこちらから攻撃要請を出す事になっている。ミューゼル准将、卿に任せる。一気に攻略するぞ」
「はっ」

「リューネブルク閣下、地上降下地点まであと三十分です。」
「うむ。各部隊に命令。最終点検に入れ、降下用意」
「はっ。各部隊、最終点検に入れ、降下用意」
通信兵が命令を全部隊に通達する。頬を紅潮させるミューゼルを見ながら、俺は昨日の参謀長との会話を思い出していた。

■旗艦オストファーレン 参謀長室 十八時間前

 ワルキューレの増援要請は思いのほか簡単に通った。反対する参謀たちをヴァレンシュタインが説得してくれたようだ。参謀長室で二人で寛ぎながら、コーヒーを飲む。参謀長はココアだ。なるほど甘口というのは嘘ではないか……。

「参謀長よろしいのですかな。ワルキューレの件は」
「構いません。ヴァンフリート4はガス帯やその影響で通信波が通りにくい状況にあります。ワルキューレを使うのは危険でしょう」
「なるほど。統制が取れませんか?」

「ええ。それならむしろ対地攻撃に振り向けたほうが良いでしょう。一刻でも早く基地攻略を終了し全艦で敵を待ち受ける」
「敵は来ますか」
「……敵基地はかなり以前に作られた物のようです。何のために作ったと思いますか?」
「……補給基地、ですかな」
「小官もそう思います。だとすると見殺しは無いでしょう」

 妙な事になった。宇宙艦隊から避けられて此処へ来たのに、よりによって補給基地か。これは嫌でも戦闘に巻き込まれるな。ミュッケンベルガーの渋面が思い出される。それにしてもこの男、此処への退避が決まった段階で地上戦のことを俺に聞いていたな。偶然か?

「ミューゼル准将はいかがですか?」
「よくやっていますな。皇帝の寵姫の弟という事で出世したのかとも思いましたが、それだけではなさそうです。俺の幕僚に欲しいくらいだ」

「それは止めたほうがいいでしょう。彼は他者の下に就く男ではない。それだけの能力も意思も覇気も有る。今は皇帝の寵姫の弟という事で過小評価されていますが、いずれ皆、彼の元にひれ伏すか、彼と敵対して滅びるかを選択する事になると思います」
「ほう、参謀長もですか」

「小官など相手にもならんでしょうし、もともと敵対する意思もありません」
……確かにミューゼルには能力も意思も覇気も有る。しかし、底が見えないのはこの男だろう。この戦いでミュッケンベルガーをコケにするような事ばかりやっているが、勝っているから文句も言えん。ただの秀才参謀にできる事じゃない。この男一体何者だ?、何を望んでいる?

「参謀長、では何故俺の下にミューゼル准将をつけたのです?」
「勝つためです。それと軍の人事では納得のいかない人事など幾らでもあります。不満を抱くなとは言いません。しかし不満を露にするようでは彼のためにならないでしょう。我慢する事も覚えていただかないと」

「参謀長は意外に辛口ですな」
「小官は甘口です」
またこの会話だ。俺たちは思わず顔を見合わせて笑い出した。

「リューネブルク准将、一つ忠告をしてもよろしいですか」
「なんですかな」
「最前線で自ら戦うのは止めていただきたい」
「……白兵戦をするなと? それはどういうことです?」

「此処は最前線です。となると敵も最精鋭を用意しているでしょう」
「……ローゼンリッターですか」
「はい。彼らとは直接戦って欲しくないのです」
「俺が負けると」

「さあ、どうでしょう。ただ必要以上に恨みを買う事は無いと思います。意地で殺し合いなどするべきではない」
「それは命令ですか」
「……命令だと言えば止めてもらえますか」
参ったな。こんな風に心配されるなど亡命して以来初めてだ、無碍に断れん。

「判りました。約束は出来ませんが、留意しましょう」
「失礼な事を申し上げました。お許しください」

全く失礼な男だ。俺など気にかけても何の得にもなるまいに。しかし、こうも心配されては死ぬ事も出来ないか…。帝国に亡命して三年、飼い殺しだ。このまま朽ち果てるなら、いっそとも思ったが……。この男に賭けてみようか? まて俺はいったい何を賭けるのだ? 未来? 命? 運命? 馬鹿な、俺は何を考えている。 

■強襲揚陸艦ヴァンファーレン

「リューネブルク閣下、地上降下地点まであと十分です。」
副官の声が俺を現実に呼び戻した。
「うむ。ミューゼル准将、卿の働きに期待させてもらうが、よろしいか」
「卿を失望させる事が無いよう努力しよう、リューネブルク准将」

なるほど他者の下に就く男ではないか。
外にはワルキューレが護衛として五十機付いている。ヴァレンシュタインは俺達の援護のために最善を尽くしてくれた。俺たちが勝つためではなく、俺たちが生き残るために。あの男に賭けてみよう、何を賭けるのかは後で考えればいい。そのうち見えてくるものも有るだろう。だから、先ずはこの戦いに生き残ろうではないか。



 

 

第二十八話 ヴァンフリート4=2 (その3)

「参謀長、攻撃部隊からワルキューレの攻撃要請がありました」
「直ちに攻撃隊を出してください」
俺は通信兵に答えると、グリンメルスハウゼンの元に向かった。

「提督、攻撃隊よりワルキューレの攻撃要請がありました」
「そうか、リューネブルク准将はもう攻撃を始めたのかの」
「いえ、リューネブルク准将たちの攻撃はワルキューレの攻撃終了後になります」
「そうか…」
「おそらく、准将たちの攻撃は早くとも四十五分後になるでしょう」
「うむ」

 俺が自席に戻るとミュラーが話かけてきた。
「酷いな。何も判っていない」
「……ま、そうだね……。上は大丈夫かな?」 
「警戒態勢を厳にしろとは言ってある」

「ミュッケンベルガー元帥は未だ来ないか……」
「ああ、心配かい」
「うん。こちらに対して意地になってなければいいんだが」

「意地か。厄介だな……。ワルキューレから攻撃開始の連絡が入ったら、上の艦隊と総司令部に連絡しようと思うんだが?」
「そうだね。敵基地からは救援要請が出るはずだ。もう一度総司令部に連絡しよう」
「どちらが早く来るかだな」

「ミュッケンベルガー元帥が来てくれるなら、上空の艦隊は降ろしてもいい」
「降ろすのか?」
「ヴァンフリート4は大軍を動かせる場所じゃない。ミュッケンベルガー元帥に譲るよ。その方が元帥も喜ぶだろう、艦隊戦が出来るってね。その上で全艦隊で敵の後方に出る」

「なるほど。そのほうがいいな」
俺達の運命はミュッケンベルガーが何時来るかにかかっていた。そして敵基地の攻略がどれだけ早く終わるかに。

■ナイトハルト・ミュラー

司令部内は眼に見えない緊張に包まれている。ワルキューレの第一次攻撃隊がもうすぐ敵基地に攻撃を開始するだろう。皆その連絡を待っている。
「ワルキューレ、第一次攻撃隊より連絡。これより攻撃す」
通信兵の声に緊張がさらに高まる。艦橋は痛いほどに静かだ。

「第一次攻撃隊より連絡。攻撃成功、敵基地に対し甚大なる被害を与えたものと認む」
”ウォー”、”よし”、”いける”等の声が上がる。
「ワルキューレ、第二次攻撃隊より連絡。これより攻撃す」
その声にまた艦橋は静まりかえる。みな互いに顔を見合わせるだけだ。エーリッヒはじっと一点を見詰めている。

「第二次攻撃隊より連絡。攻撃成功、敵基地に対し甚大なる被害を与えたものと認む、敵基地からの反撃はいずれも散発的なものに終始せり」
再び歓声が上がる。散発的なものか…、敵基地は組織的な反撃が出来なくなっている。上出来だ!

「通信兵。リューネブルク准将に連絡、第三次攻撃隊の必要有りや無しや」
「はっ」
エーリッヒの発言に皆が固まる。この上まだ攻撃を? そんな視線を交わしている。エーリッヒは微動だにしない。周囲の戸惑いを感じていないはずはない、しかしエーリッヒはリューネブルクからの回答を待っている。

「リューネブルク准将より連絡。第三次攻撃隊の必要無し、これより攻撃す」
その声に三度歓声が上がった。
「ナイトハルト、ワルキューレは上手く行ったみたいだ。上の艦隊と総司令部に連絡を頼む」
「わかった」

なるほど、エーリッヒは上空からの戦果確認だけでなく地上からの戦果確認も取ろうとしたのか。相変わらずやる事に隙がない。今のエーリッヒは貪欲なまでに勝利を求めている。いや参謀とは、軍人とはそう有るべきだろう、戦果に対し一喜一憂しているようでは戦局を制御できない。作戦立案能力、軍人としての姿勢、俺の及ぶところではない。この男を敵に回す反乱軍に同情したくなってきた。

「クーン少佐、ワルキューレが戻り次第、武装を宇宙空間用に切り替えるように手配してください」
「はっ」
「エーリッヒ、ヴァンフリート4でワルキューレを使うのか?」
「いや、念のためだよ。ナイトハルト」
そう言うとエーリッヒはまた黙考し始めた……。

■ゲルハルト・ヴィットマン

 艦橋内は喧騒に満ちていた。皆がそれぞれ指示を出し、確認をとっている。リューネブルク准将は順調に攻撃を進めているようだ。時折入る交信からそれが判る。交信が入るたびに歓声が上がる。でも大佐だけはその中に入っていない。一人静かに考え込んでいる。そしてそんな大佐をミュラー中佐が時折気遣わしげに見ている。さっきからずっとそうだ。きっとミュッケンベルガー元帥の艦隊が来ないのが心配なんだろう。

「大佐、ココアはいかがですか。皆さんも飲み物はどうでしょう」
思わず声をかけていた。大佐はちょっと驚いたようだった。でも
「そうだね。せっかくだからなにかもらいましょうか」
と周りに声をかけてくれた。

周囲からコーヒーという声が上がる。人数を数えると大佐が
「私にはココアを。ゲルハルト、大丈夫だよ、心配は要らない。ミュッケンベルガー元帥はきっと来る」
といってくれた。回りも皆頷いている。そう、大丈夫だ。

■エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

やれやれだ。ゲルハルトに心配されるなんて、余程不安そうな表情をしていたのかな。ミュラーも時折こちらを見ている。俺は感情が顔に出やすいようだ、気をつけないと。
「上空の援護部隊より連絡。宇宙艦隊がヴァンフリート4=2に接近中です」
ようやく来たか。

「反乱軍が接近している兆候はないか確認してくれ」
「エーリッヒ、反乱軍が来ていなければ援護部隊を降ろすのか」
「そのほうがいいと思うんだが、卿はどう思う」
「同感だ」

「集結場所は敵基地の方にしようと思うんだが」
「なるほど、敵への威圧か」
「それも有るが、戦闘終結後の収容を少しでも早くしたい」
「そうだな、その方がいいだろう」

俺は周りを見渡す。他の参謀もうなずいている。問題は無い。
「反乱軍が接近している兆候はありません」

「提督、援護部隊を降ろそうと思います、それと合流地点を敵基地の近くにしたいと思うのですが」
「大丈夫かの」
「ミュッケンベルガー元帥がおられます。問題ありません。それに地上部隊は優勢に攻撃を進めています」

「わかった」
「上空の援護部隊に降下命令を出してくれ、降下地点は強襲揚陸艦のある場所を連絡、それから総司令部にグリンメルスハウゼン艦隊は地上基地の制圧に全力を尽くすと連絡してくれ」
「はっ」

「全艦隊に命令。対地、対空迎撃システムの撤去、並びに発進準備」
「総司令部より了解とのことです」
「上空の援護部隊、降下を開始します」

 勝った。ビュコックやボロディンが来襲してもこの状態ではミュッケンベルガーと正面からぶつかるしかない。ヴァンフリート4は大軍の展開には適さない場所だ。後は機をみて敵の後方に回り込めば敵は撤退するだろう。ミュッケンベルガーは消化不良かもしれないがそんな事は知った事か! 問題は敵基地の攻略だ、急いでくれよリューネブルク。ヴァンフリートなんて訳のわからんところはもうたくさんだ!

 敵機動部隊がヴァンフリート4にやってきたのはそれから四時間後、地上攻撃部隊が基地破壊の目的を果たす一時間前のことだった……。


 

 

第二十九話 ヴァンフリート4=2 (その4)

「総司令部より連絡。敵機動部隊、ヴァンフリート4に侵入」
総司令部よりの連絡に艦橋内はざわめきたった。
「敵機動部隊との開戦までどのくらいありますか?」
「一時間です」

馬鹿な、短すぎる。
「敵機動部隊の規模を確認してください! 司令官閣下、全艦隊に発進準備命令を!」
「うむ。全艦隊、発進準備」

「エーリッヒ、どうした」
「どういうことです参謀長」
「私は開戦までの時間が三時間、最低でも二時間は有ると思っていた。それが一時間とは…少なすぎる…」
「?」

ヴァンフリート4はガス帯やその影響で通信波が通りにくい、索敵もしづらい、その影響が出たか……。
「我々が大気圏を出るまで最低でも一時間半、艦隊の陣形を整えながらなら二時間かかる。違うかい」
「いや、その通りだ」

それとも、総司令部からの連絡が遅れたか?
「今のままでは大気圏を出る前に敵の攻撃を受けてしまう。一方的に攻撃を受ける事になる」
「しかし、ミュッケンベルガー艦隊が…」
俺はミュラーの発言をさえぎった。

「ヴァンフリート4は大軍を動かすのには向いていない。それは敵味方双方に言えるんだ。私が敵の司令官なら、一個艦隊でミュッケンベルガー元帥を防ぎ、残りの一個艦隊で我々を攻撃する」
「!」

「時間が有ると思っていた。だから敵の機動部隊を発見してから行動しても大丈夫だと思っていた。油断した」
「敵機動部隊の規模を確認しました。一個艦隊、第五艦隊です」
「そうか。すぐ上空にでて第五艦隊の後背を突こう」

「敵基地の攻撃はどうする、中止するのか」
「それは駄目だ。補給基地が此処にある限り、敵は引かない。一刻も早く潰さねば」
「では、当初の予定通り三千隻を此処に残し、残り一万隻で上空の敵を攻撃するしかないな」
「第十二艦隊が来る前に第五艦隊の後背を突く」

「………間に合うか?」
「………」
沈黙が降りた。いままで圧倒的に有利な情勢にあると思っていたのだ。それが一瞬で地獄に落とされようとしている。

「偽電を使おう」
「偽電、一体何の事だエーリッヒ」
「”敵基地を攻略した、これより上空に出て敵の後背を突く” と平文で総司令部に連絡する」

「敵に傍受させる気か?」
「ああ、基地が攻略されたとなれば、敵も無理にヴァンフリート4=2にこだわる必要がなくなる。上手くいけば撤退するかもしれない。第十二艦隊も無理にこちらに急ぐ必要はなくなる。時間が稼げると思う」

稼げるだろうか?
「しかし、総司令部を欺く事になりますが」
「敵の戦意を挫くためだといえばいいでしょう。それにもうすぐ敵基地の攻略は終わる。せいぜい一時間程度のずれです」

だがその一時間が俺達の命運を分ける事になるだろう。参謀たちがお互いの顔を見渡す。
「やりましょう」
上手くいくだろうか、時間が稼げるだろうか。残り二時間、長い二時間になりそうだ……。



 帝国軍遠征軍がイゼルローン要塞をへて首都オーディンへ帰還したのは五月十五日のことだった。
ヴァンフリート4=2の会戦だが、グリンメルスハウゼン艦隊は偽電を発信後、三千隻を残し、一万隻を率いて同盟軍の後背に出た。ヴァンフリート4=2に来ていたビュコック艦隊は挟撃されることを恐れたのだろう。こちらが後背に出る前に撤退した。ミュッケンベルガーは後退する敵に追撃をかけたが、決定的な打撃を与える事は出来なかった、掠り傷程度だろう。

ちなみにグリンメルスハウゼン艦隊は一発も撃つことなく終わった。後に判ったのだが第十二艦隊はすぐ近くまで来ていたらしい。第五艦隊から、第十二艦隊へ撤退するとの連絡が入ったそうだ。第十二艦隊はそのためヴァンフリート4=2への進撃を止めた。

 この会戦が両軍が干戈を交えた最後の戦いになった。同盟軍は補給基地を失ったためこれ以上ヴァンフリート星域にこだわる必要性がなくなった。また、帝国軍の方が兵力が多くその点でも積極的に交戦を求めようとはしなかった。ミュッケンベルガーは消化不良気味だったろうが、それでも退き時はわかっている。第一、結果を見れば大勝利なのだ。両軍とも自然とヴァンフリート星域から撤退する事になった。

 基地攻略の戦果は大体原作どおりだった。基地司令官のシンクレア・セレブレッゼ中将が捕虜になった。捕獲者はラインハルトだった。リューネブルクはやはり白兵戦をやったらしい。ローゼンリッターとやりあったかどうかはわからない。だがそれより困った事は妙な捕虜を連れてきたことだった。

ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中尉、シェーンコップの愛人の一人だ。なんでも基地内でばったり出くわしたらしい。リューネブルクは武器を奪ってとっさにヴァレリーを突き飛ばした。そして”此処は女のいるところじゃない何処でもいいから逃げろ”といった、此処までは良かった。問題はヴァレリーが足を挫いていたことだった。

彼女は涙目になって”動けないわよ、この間抜け、どうしてくれるの”と怒鳴ったらしい。進退窮まったのはリューネブルクだった。女に泣かれるわ、怪我をさせるわ、罵られるわで気がつけば帝国軍の艦の中に連れて来ていた。

何考えてるんだよ、お前。ヴァンフリート4=2に放り出しておけば同盟軍で拾って行っただろうに。俺は断言する。ワルター・フォン・シェーンコップとヘルマン・フォン・リューネブルクの違いは実力ではない、女運だ。シェーンコップは子供を作っても養育費がかからないのに、リューネブルクは原作ではエリザベートなんて何処か頭の壊れた女と結婚して酒びたりになるわ、今回はシェーンコップの女を拾ってくるわ、一遍お祓いして来い!

 彼女の扱いに困ったリューネブルクは俺に相談に来た。気持ちは判らないでもない。女性兵の捕虜は危険なのだ。貴族たちが慰み者にする可能性が高いし帝国での捕虜には人権がないからどんな酷い扱いを受けるかわからない。結局選ぶ道は2つしかない、捕虜になるか、亡命者になるかだ。

彼女もその辺はわかっている、亡命者を選択した。そして気がつけば今度将官になるであろう俺の副官になる事が決まっていた。リューネブルクもヴァレリーもニコニコしていたがあれはどういうことなんだろう。俺ははめられたんだろうか? その内、捕虜交換があるから、その時帰ればいいか。いや、捕虜交換って有るのか?

 グリンメルスハウゼン艦隊の扱いは相変わらず酷い。本来なら最大の武勲を上げた艦隊なのだからそれなりの扱いをしてもいいはずだ。しかし艦隊行動の序列は最後尾だし、イゼルローンでの休息、補給の受け取りも最後だった。これはオーディンについても変わらなかった。皆憤慨していたが、グリンメルスハウゼン提督だけが何も感じていなかった。

 オーディンでは、遠征軍が上げた戦果に沸き上がった。敵一個艦隊を撃滅、司令官を捕虜、敵補給基地を破壊、基地司令官を捕虜、反乱軍はヴァンフリート星系より撤退……大勝利といっていい。しかし俺が嬉しかったのはゲルハルト・ヴィットマンを無事に連れて帰ることができた事だった。ヴァンフリート4=2の戦いでは、一瞬もう駄目かと思ったからね。司令部全員で写真を撮ったときには彼もその中に入った。最後に記念の品をねだられたので、持っていた時計を渡した。あまりいい品ではなかったが、凄く喜んでくれた。彼には軍人になって欲しくないと思う。

 今回の遠征の総括と賞罰が終わった。グリンメルスハウゼン中将は大将になった。原作ではお情け(皇帝の命令)だったが此処では文句なく大将に昇進だった。このまま現役を続けるとか言い出すんじゃないかと冷や冷やした。ミュッケンベルガーも同じ想いだったろう。

他にも皆それぞれ昇進した。俺は二階級昇進で少将の地位を提示されたが断った、ミュラーが一階級で俺が二階級では納得がいかない。今回の遠征はミュラーの力無しでは成功は覚束なかった。どうせならミュラーも二階級昇進させてくれと頼んだがハウプト人事局長が納得しないので、俺を准将に、そして俺の変わりにジークフリード・キルヒアイスを少佐に昇進させてくれと頼んだ。

ハウプト人事局長はちょっと意表を突かれたようだったが、軍務尚書に相談してみると言ってくれた。おそらく大丈夫だろう。上手くいかなくても多分グリンメルスハウゼンが昇進させてくれるはずだ。彼には結構きつい事も言ったからね。それに良くやっているのは事実だし、喜んでくれるだろう。




 

 

第三十話 疑心

■ジークフリード・キルヒアイス

 ラインハルト様が少将になった。しかしラインハルト様は余り納得していないようだった。シンクレア・セレブレッゼ中将を捕虜とした事についても偶然にしか思えなかったのだろう。門閥貴族出身の士官たちも”運が良いだけだ”と口々に評した。

確かに少々運が良かった部分がある。しかし武勲は武勲だ。昇進はおかしなことではない。私は昇進しなかった。ラインハルト様が人事局長ハウプト中将に掛け合ってくれたが、少将の副官を少佐が務めた事は無いと言って拒否された。もっとも私はその事に余り失望はしていなかった。ラインハルト様が昇進したのだから私は十分満足だった。

 グリンメルスハウゼン艦隊の将兵たちはそれぞれ昇進したが、周囲を驚かせたのはヴァレンシュタイン大佐だった。二階級昇進で少将になるという。しかしその事を不当だと言う人間はいなかった。ヴァンフリート会戦からヴァンフリート4=2の戦いにおいて大佐の活躍は眼を見張るものがあった。

グリンメルスハウゼン艦隊を事実上動かしていたのはヴァレンシュタイン大佐だったし、グリンメルスハウゼン艦隊はヴァレンシュタイン艦隊だと皆が言っていた。噂ではグリンメルスハウゼン艦隊をこのまま維持し、いずれヴァレンシュタイン中将、大将に引き継がせると言う話もある。ヴァレンシュタイン大佐が今まで以上に評価されラインハルト様と同じ階級になる、私としては複雑な心境にならざるを得なかった。

 妙な事になった。私が少佐に昇進した。私はもしやアンネローゼ様が皇帝にお願いをしたのかと思った。そんな事をすれば軍首脳部、門閥貴族達の心証は著しく悪化する。なぜそんな事を、と思ったが私の昇進を推薦してくれたのは意外にもヴァレンシュタイン准将だった。

本来なら准将は、少将になるはずだったが、自らは准将にとどまり、代わりに私を少佐に推薦したらしい。私としては戸惑わざるを得ない、ラインハルト様も戸惑いながらも、”まあ遠慮なく受け取っておこう”と言うだけだった。推薦してもらったからには礼を述べねばならないだろう。准将の邸宅を訪ねなければ……。

 准将は私を快く迎えてくれた。柔らかな青のカーディガンを着た准将は軍人には見えなかった。
「今回は御推挙いただき有難うございました」
「少佐がミューゼル少将を良く補佐していた事はわかっています。少将が昇進したのですから少佐が昇進するのは当たり前でしょう」

 准将は穏やかな表情で話してくる。本心だろうか? 甘やかすなと叱られたのだが。
「有難うございます。お祝いを申し上げるのが遅れました。昇進なされた由、おめでとうございます」
「有難う」

「失礼ですが、閣下は何故少将への昇進を辞退なされたのですか。昇進に相応しい功を上げられたと思うのですが」
「ああ、あれは私一人でできた事では有りません。ミュラー副参謀長の力が大きかった。ですから二階級昇進ならミュラー副参謀長も一緒に、とお願いしたのです。ですが認められませんでしたので、私も辞退したのです」

「それで小官を変わりに」
「まあ、そうなりますね。気を悪くしましたか?」
「いえ、そんな事はありません」
 准将は ”それは良かった” と言うと柔らかく笑った。

「グリンメルスハウゼン艦隊はどうなるのでしょう?」
「解体されるでしょうね」
「解体ですか」
ヴァレンシュタイン准将が引き継ぐ話は無くなったのか……。

「グリンメルスハウゼン閣下は事実上、軍を引退する事になると思います。もう御歳ですし出征は無理でしょう」
「では、准将閣下の次の役職は?」
「宇宙艦隊司令部作戦参謀の内示を受けています。あくまで内示ですが」
宇宙艦隊司令部作戦参謀……軍主流を歩いていると言っていいだろう。

「おめでとうございます、副官は決まったのでしょうか?」
「ええ、ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中尉が副官になります」
「ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ?……」
女性?、それにしても妙な名前だな?

「ええ、同盟軍、いや反乱軍からの亡命者です」
「亡命者ですか?」
「ええ、今回のヴァンフリート4=2で亡命してきたのです。ただ女性ですのでね、妙なところに勤務するよりは私の副官のほうがいいだろうとリューネブルク少将が頼んできたのです。既にハウプト人事局長に頼んで了承をえています。まあ、私のところへ来たがる副官などいませんからね、ハウプト人事局長もちょうどいいと思ったようです。少佐ならわかるでしょう」
「はい」

若すぎるのだ。二十歳の将官のところに来たがる副官などいるわけが無い。まして准将などという中途半端な立場ではなおさらだ。ラインハルト様も私がいなかったら副官人事では苦労したろう。それにしても亡命者を副官か…。

あのヴァンフリート4=2で亡命者というと内実は捕虜なのかもしれない。リューネブルク少将の顔見知りか。困った少将がヴァレンシュタイン准将に頼んで地位を確保したと言う事か。リューネブルク少将はヴァレンシュタイン准将を頼りにしているようだ。准将もそれに応えている。なんとなく嫌な感じがした。ラインハルト様はリューネブルク少将の力量を高く評価していた。但し、余り好意はもてなかったようだ。俺を子ども扱いすると言って……。

「先程、おめでとうと言われましたが、あまり嬉しい人事ではありません。飼い殺しですからね」
「飼い殺しですか?」
「何をしでかすかわからない人間は、首輪をつけて傍に置いてこうという事でしょう。随分好き勝手をしましたからね」
「閣下の用兵家の力量を買ってのことだと思いますが」
「いいえ、それは無いでしょうね」
そう言うと准将は微かに苦笑した。冗談ではなく本気らしい。

「キルヒアイス少佐、ミューゼル少将にお伝えください。これからの少将にとって大切なのは誰が味方になってくれるのか、誰を味方にすべきなのかを見極め、そして味方を得る事だと。それがミューゼル少将の力になるでしょう」
「はっ。御教示有難うございます。必ずミューゼル少将に伝えます」

 私はそれを機にヴァレンシュタイン准将のもとを辞した。本来なら私はヴァレンシュタイン准将にラインハルト様の味方になってくれと頼むべきだったのかもしれない。彼が味方になってくれればリューネブルク少将も味方になってくれるだろう。有能な用兵家、陸戦隊指揮官をラインハルト様の味方に出来たのだ。しかし私はそれをしなかった。彼に断られるのが怖かったのか?、それとも彼を味方にしたくなかったのか? あるいはその両方か? ヴァレンシュタイン准将は私を見送ってくれた。その顔には残念そうな色も、何かを期待する色も無かった。彼は何を考えているのだろう…。


 

 

第三十一話 真相(その1)

 その日、俺は帝国軍大将グリンメルスハウゼン子爵に呼ばれていた。どういうことだ、俺を呼ぶなど。まさかまた艦隊を率いて出征したいなどというんじゃないだろうな。あの老人大将に昇進して大分ご機嫌だと聞いている、勘弁してくれよ。現在帝国内では出兵計画が練られている。原作では第六次イゼルローン要塞攻防戦になる戦いだ。ミュッケンベルガー元帥にしてみればようやく宇宙艦隊の実力を確かめられると言うところだろう。此処にあの老人を出すはずは無いと思うが、用心に越した事は無い。

■グリンメルスハウゼン邸

「良く来てくれたの、ヴァレンシュタイン大佐、いや准将じゃったな」
「お招きいただき有難うございます、閣下。ご健勝そうでお慶び申し上げます」
実際血色も良く元気そうだ。この老人、確か今年死ぬはずだが…いや風邪をひかなければ大丈夫か。風邪をこじらせて肺と気管支炎だったか、いや肺炎だったかで死んだんだが。

「ああ、有難う。無駄に長生きだけはしておるの」
「そのような事は」
「ないと言うか、やさしいの准将は」
「……恐れ入ります」

いかんな。どうもこの老人はやりづらい。
「ヴァンフリートの戦いでは随分と世話になった。わしが大将に昇進する事が出来たのも卿のおかげだ」
「参謀長として当然の事をしたまでです。むしろどこまで閣下を御支えする事が出来たのか、心許なく思っております」

「いや、卿は本当に良くやってくれた。それでの、今日は礼がしたいと思っての」
「閣下、どうかそのような事は…」
「卿、両親の死の真相を知りたくはないかの」
「は?」

この老人、今なんと言った。死の真相?
「これを見るが良い」
老人は俺に五、六枚にまとめられた報告書を渡してきた。

■ヴェストパーレ男爵夫人邸 ジークフリード・キルヒアイス
 
 アンネローゼ様との面会が皇帝より許された。場所はヴェストパーレ男爵夫人邸で、アンネローゼ様、ヴェストパーレ男爵夫人、ラインハルト様、そして私の四人でお茶を飲んでいる。
「ラインハルト、ジーク、昇進おめでとう」
「有難うございます。姉上」
「あら、どうしたのかしら。余り嬉しそうではなさそうね」

男爵夫人が興味深げに聞いてきた。
「今回はどちらかと言えば偶然に武勲を上げたようなもので、どうもすっきりしないのです」
「そんな事はありません。ラインハルト様は昇進に相応しい武勲を上げたのです。胸を張ってください。」
「そうは言うが」

ラインハルト様は未だ納得していない。ラインハルト様の御気性では無理も無いが。
「むしろ、偶然に助けられて昇進したのは私のほうです」
「あら、どういうこと? 面白そうな話だけど」
「昇進を譲られたのです、男爵夫人」
「譲られた?珍しい事も有るものね」

部下の功績を奪い取る傾向はあっても他者に功績を譲る風潮は無い。確かにヴァレンシュタイン准将のしたことは珍しい事だった。それだけに素直に喜べない。私の胸を苦いものが満たす。

「誰なのかしら、その奇特な方は」
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン准将です」
「ヴァレンシュタイン……そう、彼が……」
「? ご存知なのですか」
「ええ。私個人がというより、ヴェストパーレ男爵家がヴァレンシュタイン准将とかかわりが有るの」
「?」

妙な話だ。名門貴族の男爵家が平民のヴァレンシュタイン准将とかかわりがある? ラインハルト様もアンネローゼ様も不思議そうな顔をしている。
私たちの疑問を感じ取ったのだろう。男爵夫人が話し始めた。

「ヴァレンシュタイン准将の父親、コンラート・ヴァレンシュタインはうちの顧問弁護士だったのよ。あの事件で殺されるまでは」
「あの事件?」
「知らないの?、貴方達…そう、知らないのね…」

私はラインハルト様、アンネローゼ様を見た。二人とも顔に疑問符が浮かんでいる。
「昔、リメス男爵という貴族がいたわ。コンラート・ヴァレンシュタインはリメス男爵家の顧問弁護士もしていたのだけど……


 男爵夫人が話してくれたリメス男爵家の相続問題に絡む殺人事件は陰惨としか言いようが無かった。人間はそこまで醜く成れるのか。
「八年も前の事ですものね。まだ判らなかったかも知れないわね」
八年前……アンネローゼ様が後宮に上がり、私とラインハルト様は軍幼年学校に上がった歳だ。自分たちのことで精一杯で他者の事に注意を向ける余裕など無かった。 

「では、ヴァレンシュタイン准将のご両親は、ヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家のどれかに殺されたと言うことですか」
「おそらく、ほとんどの人がそう思っているでしょうね」
男爵夫人の顔には疲れたような色がある。

「ほとんどの人? 男爵夫人はそうは思っていらっしゃらない?」
「ええ」
どういうことなのだろう。未だ他にも何か有るのか。
「私は、あの二人を殺したのはカストロプ公だと思っているの」
「カストロプ公!」


オイゲン・フォン・カストロプ公爵、現在帝国の財務尚書の地位にある。地位を利用した職権乱用によって私腹を肥やしていると聞くが、彼がどう絡んでくるのか。

「カストロプ公爵家は大貴族でしょう。当然、親族も多い。彼の親族の一つにキュンメル男爵家という家があるの。当代の男爵はハインリッヒ、まだ十代なのだけど生まれつき病弱で宮中には一度も出た事が無いの。先代のキュンメル男爵も体の弱い人で亡くなる前に彼の事を親族の一人であるマリーンドルフ伯爵に頼んだわ。本来ならばカストロプ公に頼むべきでしょうね。でもそんな事をすれば、あっという間にキュンメル男爵家は無くなり、カストロプ公爵家が肥るだけ。頼られたマリーンドルフ伯爵は誠実な方でね、キュンメル男爵の頼みを受けたのは良いけど、どうすれば良いか困惑した。それで私の父に相談したのよ」

「男爵夫人の御父上とマリーンドルフ伯爵は親しかったのですか」
「そうね。二人は共通の悩みを持っていて愚痴を言い合う仲だったわ」
「共通の悩み?」
「父もマリーンドルフ伯爵も男子に恵まれなくてね。判るでしょう?」

「相談を受けた父はコンラート・ヴァレンシュタインをマリーンドルフ伯爵に紹介したの。コンラートは有能だったわ。キュンメル家の財産を守る傍ら、領内を見て周り経営を改善したの。そのためキュンメル家の財産は増え豊かになった。でもその事はよりカストロプ公の欲心を刺激する事になってしまった。そしてあの事件が起きた」
リメス男爵家の騒動を隠れ蓑にキュンメル男爵家の財産を狙ったと言う事か。

「しかし、それだけではカストロプ公の犯行とは断言できないのではありませんか」
「コンラートが死んだ直後、カストロプ公がキュンメル家の財産の横領を図ったの。でもそれは阻まれた。コンラートが生前、自分の死後のことを委託した弁護士たちによってね。彼らはルーゲ司法尚書に近い人たちで司法尚書を動かす事で、カストロプ公を牽制したのよ。弁護士たちが言っていたそうよ。あの動きは偶然じゃないって。マリーンドルフ伯爵が父にそう言っていたわ」

「コンラートの奥方はヘレーネと言ってね、司法書士の資格を持っていたの。夫婦で一緒に仕事をしていたのだけどやさしそうな女性で二人とも本当に幸せそうだった。息子のエーリッヒが自慢で、良く言っていたわ。”大きくなったら弁護士に成って一緒に仕事をしたいと言ってくれている。将来が楽しみだ。体が弱いのが心配だが正義感も強いし、心が強い。いい弁護士に成るだろう” って。私たちがあの家族の幸せを奪ってしまった」

私には男爵夫人を慰める事が出来ない。どれほど違うと言ったところで男爵夫人が納得する事は無いだろう。
「父とマリーンドルフ伯爵がその事で話しているのを見てしまったの。二人とも真っ青だった。カストロプ公があんな事までするとは思わなかったのね。父にとっても、マリーンドルフ伯爵にとってもコンラートは身分に関係なく信頼できる友人だった。

葬儀の時、エーリッヒを見たわ。まだ小さくてこれからどうするのかと思った。父にうちで引き取ろうと言ったの。父も同じ思いだったのね、賛成してくれた。カストロプ公を刺激してもまずいからという事で半年ほど経ってからと思っていたんだけど、その時には彼は士官学校に入っていた」

私はヴァレンシュタイン准将の事を考えていた。一体どんな気持ちで士官学校に入ったのだろう。彼は私たち以上に貴族を、皇帝を憎んでいるじゃないだろうか。彼がラインハルト様に好意的なのは、ラインハルト様が同じ心を持っていると知っているからだろうか。彼は私たちのことをどこまで知っているのだろう…。


 

 

第三十二話 真相(その2)

■グリンメルスハウゼン邸

「閣下。これは間違いの無い事なのでしょうか」
「うむ。間違いないことじゃ」
カストロプ公か。強欲な男だとは聞いていたが父さんと母さんを殺したのはあの男なのか。権力を利用して私腹を肥やす事しか興味の無い男があの事件の真犯人なのか。おそらくこれがグリンメルスハウゼン文書なのだろう。正確にはその一部か。しかし何故これを俺に見せる? 何を考えているのだこの老人は。俺はもう一度手の中にある報告書に眼をやった。

「どうしたのじゃ、准将」
「いえ、閣下、何故これを小官に?」
「卿が復讐を望むのなら手伝ってやろうと思うての」
「手伝う……。それは一体……」
何を言っているのだ、この老人は。カストロプ公は財務尚書なのだ。この老人が何を手伝うと言うのだ?

「フォッフォッフォッ。この老人に何が出来るかと思うているの。しかしそう捨てたものでもないぞ」
グリンメルスハウゼンはそう言うとまた笑った。何だこの老人、俺の背中に冷たいものが走る。
「未だ判らぬかの」
「?」
「卿なら判るかと思うておったのじゃが」

老人は笑いながら話しかけてくる。俺なら判る? 何の事だ? まさかこの老人、そんな事が有るのか。
「貴方は、いや閣下は、皇帝の闇の左手……」
老人は今や哄笑していた。俺は呆然と目の前の老人を見ていた。

 この老人が皇帝の闇の左手、未だに信じられない。俺は一体何を見ていたのだろう。この老人を甘く見てはいけないと判っていたはずだ。それなのに結局俺はラインハルト以上にこの老人を軽視していただけか。

「卿には世話になっているからの。今回の戦いだけではないぞ。サイオキシン麻薬の一件もじゃ」
「サイオキシン麻薬…」
「うむ。何とかせねばならぬと思いながら、証拠がつかめなかった。卿のおかげで一掃出来た」
サイオキシン麻薬か、待てよ、まさかな。

「閣下。ケスラー大佐は閣下の手の者なのですか?」
「フォッフォッフォッ。やはり聡いの」
やはりそうか。カイザーリング艦隊の人間が俺を皇帝の闇の左手だと思ったのもケスラーの差し金か。俺に注意を集中させ、その裏で捜査を進めた。あの暗殺未遂事件もあの男がそう仕向けたか? 護衛をつけるなど手際が良かったはずだ。食えない奴だ。

「悪く思うてくれるな、准将。卿を利用しろと指示したのはわしじゃ、で、どうするかのカストロプ公の事じゃが」
「必要有りません。小官が何もしなくとも、カストロプ公爵家は滅ぶでしょうから」
「滅ぶか」

「貴族とは強大ですが、孤立しては生きていけません。周りから潰されます。そしてカストロプ公爵家は孤立への道を歩んでいる。カストロプ公の職権乱用は、彼個人への不満ではすまず帝国の体制そのものへの不満になりかねない要素を含んでいるのです。軍部、貴族、宮中でもそう思っているはずです。カストロプ公だけがわかっていない。先は長くないでしょう」
「先は長くないか」
「はい」

 カストロプ公が宇宙船の事故で死ぬのは帝国暦487年、今から二年後だ。そしてカストロプ星系の動乱が起こりカストロプ公爵家は滅ぶ。俺はこのカストロプ公の事故死は怪しいと思っている。この時期帝国内では平民たちの間で帝政に対する不満が高まっていたらしいのだ。

カストロプ公の事故死、その後の動乱と滅亡は平民の不満をそらすために行われた可能性が有る。あるいは、カストロプ公爵家はそのためだけに存続を許されていたのかもしれない。十五年も職権乱用をし続け、同じ貴族たちからも非難され続けたカストロプ公が何故財務尚書の地位にあり続けたのか。おかしな話ではないか。そして息子、マクシミリアンはなぜ反逆を起したのか? オーディンからの呼び出しに、行けば殺されると吹き込んだ人間がいなかったか?

 OVA版ではアルテミスの首飾りがカストロプ領に配備されている。アルテミスの首飾りとは簡単に配備できるものなのだろうか。ある程度事前に用意しなければならないはずだ。突発的に反乱を起したマクシミリアンに用意する時間は無かったろう。フェザーンが用意したとしか思えない。アルテミスの首飾りがあったからこそマクシミリアンは反逆に踏み切ったのではないだろうか。

もしOVA版通りに進行するならば、帝国中枢部とフェザーンの共謀の可能性があると思っている。フェザーンにとっては純粋に利益になり、帝国にとってもアルテミスの首飾りの威力を確認することが出来る。マクシミリアンは、いやカストロプ公爵家は嵌められたのだ。

「フォッフォッフォッ。やはり卿は聡いの」
やはりそうか。カストロプ公爵家の命運は決まっているらしい。
「困ったの、卿に何の礼も出来ん」
「では、幾つか教えていただきたい事があります」
「何かの」

「何故、前回の戦いで従軍を希望したのです? 失礼ですが、閣下はボケ老人ではない。あの艦隊の酷さはわかっていたはずです」
「フォッフォッフォッ。ボケ老人とは酷いの」
「申し訳ありません」

「試したのじゃ」
「試した?」
「ミューゼル少将じゃがの。どのような若者か見てみたのじゃ」
皇帝の命令か……。

「あの若者にどこぞの伯爵家を継がせようという話があっての。卿は驚いておらんようじゃな」
「いえ、驚いています。それで、いかがでしたか」

「美しい若者じゃな。能力も意思も覇気も有る。あれほど美しい覇気にみちた眼をわしは見たことが無い。うらやましい事じゃ」
「同感です」
「フォッフォッフォッ。卿とは反対じゃな。卿は覇気も野心も見せぬ。何を考えておるのかの」
「……別に何も考えておりません」
「……そうか」

「今一つお聞きしたい事があります」
「欲張りじゃの、まあ良いわ」
「恐れ入ります。何故、陛下の統治を助けようとはしないのです」
「……」

「閣下は凡庸である事を演じておられる。しかし本当は陛下のお傍で陛下の統治を助ける事が出来るはずです、違いますか」
この老人はボケ老人などではない。何故表に出ないのか。
「……卿はリヒャルト皇太子、クレメンツ皇太子の事件を知っておるかの」
「はい」
「あれはの、わしの所為なのじゃ」
「! まさか」
 
先帝オトフリート五世には三人の男子がいた。皇太子リヒャルト、次子フリードリヒ、末弟クレメンツ。勤勉な皇太子と行動力に恵まれた末弟クレメンツ、その間に挟まれた凡庸なフリードリヒ。やがて皇太子リヒャルトとクレメンツ大公の間で熾烈な後継者争いが生じる。

正確に言えば両者の取り巻きたちによる抗争だった。勝てば権力者への道が開かれ、敗者には没落が待っていた。そして帝国暦452年皇太子リヒャルトは父帝への謀反の罪で死罪、彼の廷臣六十名も処刑された。しかし、新皇太子クレメンツも帝国暦455年故リヒャルト皇太子に冤罪を着せたとして廷臣百七十名が粛清、皇太子自身も”偶然の事故”により爆死した。

「陛下は愚かなお方ではない。いや、むしろ聡明と言ってよいじゃろう。そのお方が凡庸と言われたのは争いを好まなかったため自ら韜晦をなされたためじゃ。じゃが皇太子リヒャルト殿下もクレメンツ大公も、そんな陛下に気付かず愚弄し軽蔑した。許せなんだのは取り巻きたちじゃ。一緒になって陛下を愚弄したのじゃ」
「それで、罠にかけた…」

「罠にかけるもなにも、ちょっと煽っただけじゃ。わしはその頃自分にそのような才があるなど気付いておらなんだ。お二方が滅んだ事で始めて気付いたのじゃ。それまではごく平凡な、いや凡庸な貴族に過ぎなかった」

この老人は四十を過ぎるまで自分の謀略家としての才能に気付かなかったというのか。
「お二方が滅んだ後で、陛下は気付かれた。何者かがお二方を罠にかけたと。そしてわしに気付いた。陛下はの、お怒りにはならなんだ、ただ悲しまれただけじゃ。しかしわしにはその方が辛かった…」

「陛下は何故、今も凡庸な振りをしているのです」
「わしのためじゃ。もし英明さを発揮したらどうなる。皇太子リヒャルト殿下、クレメンツ大公を罠にかけ屠ったのは陛下だと皆思うじゃろう。そして陛下の意を受けて動いたのはわしじゃと思うに違いない。そうなればわしはどうなる。周囲から忌み嫌われ滅びの道をたどるに違いない。大公時代の陛下に従う廷臣はいなかった。わしだけが陛下に従った。陛下にとってわしは臣下であって臣下ではなかった。陛下はわしを守るため、あえて凡庸な振りを続けられたのじゃ」

「…皇帝の闇の左手に任じられたのは…」
「陛下が皇帝になられてからじゃ。勘違いするでないぞ。廷臣たちの罪を暴くためではない。できるだけ政治の犠牲者が出ぬようにするためじゃ。わしが手を下したものは、やむを得ぬものだけじゃ。陛下にも御理解をいただいておる」

 これが真実なのか。何処かで一つ歯車が入れ替わっていれば、フリードリヒ四世は名君として君臨したかもしれない。その傍には忠臣グリンメルスハウゼンがいただろう。そうなればラインハルトはどうなったのだろう。フリードリヒ四世を憎んだろうか。もしかすれば帝国の若き名臣としてフリードリヒ四世を助け、帝国の全盛時代を作り出したのではないだろうか。しかし現実には凡庸な皇帝と凡庸な廷臣、そして若き反逆者がいる。

「卿は貴族になる気は無いか」
「は?」
「卿はリメス男爵家の血を引いている。そうじゃろう」
「ご存知なのですか」

「うむ。リメス男爵家を再興するなら手伝うがどうじゃ」
「御無用に願います」
「ふむ」

「小官は貴族になりたいとも、貴族になる事が名誉だとも考えた事はありません」
「そうか。フォッフォッフォッ、良いぞ、良いぞ、まさか卿がそのような覇気を持っているとは。楽しみじゃの、卿とミューゼル少将、これからどのように生きるのか。フォッフォッフォッ」

 俺はそれを機にグリンメルスハウゼン邸を辞した。貴族になどなる気は無かった。いや貴族どもを叩き潰そうとする俺にはフォンの称号など必要ない。俺の名はエーリッヒ・ヴァレンシュタイン、それ以上でも以下でもない。 


 

 

第三十三話 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

■ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

 宇宙暦794年、帝国暦485年は私にとって激動の一年となった。春には自由惑星同盟のヴァンフリート4=2にある後方基地の対空迎撃システムのオペレータだった。しかし夏には帝国軍宇宙艦隊司令部作戦参謀エーリッヒ・ヴァレンシュタイン准将の副官を務めている。そして冬には同盟軍と戦う事になるだろう。

なぜこんな事になったのか? 理由はあれしかない。ヘルマン・フォン・リューネブルク、あの考え無しのアホ男のせいだ。足を挫いて動けなくなった私をどういうつもりか強襲揚陸艦ヴァンファーレンへ連れて行った。そして手当てをした後、
「まあ、しばらく此処でおとなしくしていろ」
と言って、空いている部屋に押し込んだのだ。そして私はイゼルローン要塞に着くまでほとんど放っておかれた。

 イゼルローンに着いたその日、リューネブルクは、一人の軍人を連れて私に会いに来た。黒髪、黒目、優しげな顔立ちと小柄で華奢な姿、まだ二十歳にはなっていないだろう。最初見たとき女の子かと思ってしまった。彼は私を見て驚いたように眼をみはった。カワイイ、同盟でならあっという間に超人気アイドルになれるだろう。少年は
「これはどういうことです、准将」

とリューネブルクに言い、説明を求めた。リューネブルクは彼に私を捕虜にした経緯を説明し始めた。幸い私は帝国語が話せたから彼がヴァレンシュタイン大佐と呼ばれる人物であり、この艦隊の参謀長で有ることを知った。ヴァンフリート4=2に押し寄せてきた艦隊は一万隻を超えたはずだ。その艦隊の参謀長。私は改めて銀河帝国とは階級社会なのだと思った。貴族のお坊ちゃまだから子供でも艦隊の参謀長になれるのだろう。

 彼はリューネブルクの説明を聞きながら時に首を振り、私を見、感心しないと言うように溜息をついた。そして説明が終わると
「准将閣下は女性運に恵まれませんね」
とリューネブルクに言って苦笑した。リューネブルクも苦笑した。はっきり言って面白くなかった。私の所為で女性運に恵まれ無いとはどういうことか、失礼な。リューネブルクは私の処遇について大佐に助言を求めた。おそらくヴァレンシュタイン大佐は有力貴族の子弟なのだろう、リューネブルクは彼の影響力を使って私の処遇を決めようとしている。

 選ぶ道は2つしか無かった、捕虜になるか、亡命者になるかだ。帝国での捕虜には人権がない、どんな酷い扱いを受けるかわからないから亡命者を選べ、とリューネブルクは勧めた。ヴァレンシュタイン大佐もそれを勧めた。私も異存は無かった。帝国の矯正区の酷さは聞いている。女性兵は危険なのだ。亡命者になるのは気が引けたが、毎日を襲われる心配をしながら生きるよりはましだと思った。その後だった、リューネブルクが妙な事を言い出したのは。

「参謀長。亡命者になっても一人で生きて行くのは大変です。男の自分でさえ苦労しました、女性ならなおさらでしょう」
「確かにそうかもしれません。…しかし良い方法がありますか」
「どうでしょう。参謀長は今回の武勲で将官になるのは間違いないでしょう。副官が必要ではありませんか」

「…彼女を私の副官にですか」
「そうです」
そういうことか…。つまりリューネブルクは私を目の前の大佐に差し出したわけだ、これからも大佐との繋がりを強めるための貢物が私だ。

「……」
「失礼ですが、参謀長の立場では副官を見つけるのはなかなか難しいかと思いますが」
「…そうかも知れません」
「それならいっそ彼女をどうです」
「…そうですね、そうしますか」

面白いじゃないのリューネブルク、この屑野郎。あんたの思い通りになるかどうか思い知らせてやる。
私はこの後、亡命希望者として艦隊旗艦オストファーレンに移された。

 旗艦オストファーレンに移された後、私はまたしばらくの間放置された。ようやくやって来たのはヴァレンシュタイン大佐ではなくリューネブルクだった。
「残念ね、リューネブルク准将。あの綺麗な貴族のお坊ちゃまは全然来ないわよ」
出会い頭の皮肉にもリューネブルクは全然動じなかった。

「はあ? お前何を言っている? 彼は貴族じゃないぞ」
「え、貴族じゃないの?」
「彼の名は、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン。平民だ」
「嘘! だって貴族でもなけりゃ、あんな子供が大佐で参謀長なんてありえないじゃない」
そうだ、ありえない。

「彼は実力で大佐になった。ついでに歳は二十歳だ、子供じゃない。この艦隊の司令官はお飾りでな、それこそお前の言う貴族のお坊ちゃま、いや御爺ちゃまだ。この艦隊を事実上動かしているのはヴァレンシュタイン大佐だ。宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥の肝いりで参謀長になった」

ゲッ。宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥の肝いり? 何者なのあいつ。
「…信じられない」
「今、大佐はこの間の戦闘の戦闘詳報を作成している。とてもお前に構っている暇は無かろうよ」
「……」

「お前、変なことを考えてなかったか?」
「変なことって」
「俺がお前を大佐に差し出したとか」
「……違うの?」
途端にリューネブルクは爆笑した、眼から涙を流すほどの大爆笑だった。

「俺は女を差し出してまで出世しようなどとは考えておらん。しかし、それも悪くないかもしれんな。彼は情に厚い男だし、お前を惨く扱うような事は無いだろう。将来性も有るし、頑張るんだな」
彼はそう言うと”いや、これは楽しくなってきた”、”彼も女運が悪そうだからな”などと笑いながら部屋を出て行ってしまった。

 彼が私の部屋にやって来たのはオーディンにつく三日前の事だった。
「あと三日でオーディンに着きます。多分中尉は何日間か亡命の経緯などを尋問されるはずです。これを読んでおいてください」
彼は私に三枚ほどの文書を寄越した。

「これは?」
「私とリューネブルク准将で考えた亡命の経緯です。准将が中尉を保護した事になっていますからね。辻褄を合わせておかないと可笑しな話になる」
なるほど、確かにそうだ。

「自由惑星同盟の言葉で書いています。覚えたら破棄してください。いいですね」
「はい」
彼はそのまま出て行ってしまった。親切な男では有るようだ。

 オーディンに着いた途端、私はいきなり何処かの建物に連れて行かれた。後でわかったのだが、情報部に連れて行かれたらしい。そこで亡命の経緯を調べられた。私は大佐が作成してくれた資料に基づき話をした。取調官はおざなりに調べただけで開放してくれた。もっとも亡命が受け入れられ、官舎が与えられるまで十日ほどかかった。そして私はヴァレンシュタイン准将の副官になった。人事局でヴァレンシュタイン准将の副官を命じられ、部屋を出るとそこに准将がいた。どうやら私を迎えに来てくれたらしい。

「ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中尉です。今度ヴァレンシュタイン准将の副官を拝命しました」
「よろしく頼みます、中尉。思ったより早く出られましたね」
「そうなのですか」
「ええ、普通は情報部でもっと取調べを受けます。今回はセレブレッゼ中将やムーア中将がいますからね。そちらから情報を取る事に主眼を置いているようです。運が良かったですね」

なるほど。あの二人が持っている情報に比べれば、私の情報などゴミのようなものだろう。
「閣下の新しい役職は決まったのですか?」
「ええ。宇宙艦隊司令部の作戦参謀を命じられました」
すごい。目の前の少年?は本当にエリートなのだ。
「よろしいのですか。小官を副官にして」
「まあ、いいんじゃないんですか、とりあえずは」
本当にエリートなの? ちょっと自信が無くなってきた。

 准将が新たに作戦参謀に任じられた頃、帝国では出兵計画が練られていた。八月末が作戦開始となるらしい。准将は宇宙艦隊司令部に着任するや否や出兵計画の作成に携わることになった。副官である私もそれに携わる事になる。はっきり言って其処は帝国軍の機密の宝庫だった、同盟の参謀将校や情報部の人間が知ったら眼の色を変えただろう。この機密をいつか役立てる事が出来るのだろうか。いつか同盟に帰る事が出来るのだろうか。とりあえずは此処の機密を頭の中に入れることが大事だろう。リューネブルク、いつかあんたに吠え面かかせてやる。あんたの大事な准将にもね。

 当然周囲の人間の私を見る眼は厳しかった。司令部には五十人以上の士官が参謀として作戦立案に携わっている。ほとんどの士官が亡命者がなんでこんな所に、そんな眼だった。准将を非難の眼で見る士官もいたが、准将は平然としていた。中には言葉に出して准将を咎める士官もいた。シュターデン少将といって准将を眼の仇にする四十年配の不機嫌そうな顔をした士官だった。

「ヴァレンシュタイン准将、この職場に亡命者を副官として伴うなど不見識ではないかね」
周囲でも何人かうなづいている人間がいる。
「亡命者を副官にする事が不見識だとは思いませんが」
ヴァレンシュタイン准将はおっとりと言った。この少年は険しい声を出した事が無い。よっぽど育ちがいいのだろうか?

「宇宙艦隊司令部に亡命者を入れるのが不見識だと言っているのだ!」
「なるほど。宇宙艦隊司令部にですか。そうかもしれませんね、では辞表を出しましょう。最近体の調子が良くありませんから。それなら問題ない」
ちょ、ちょっと。そんな簡単に辞めちゃうの。 

「卿は何を言っているのだ。卿を作戦参謀にと望んだのは元帥閣下なのだぞ。そのような事が通ると思っているのか」
元帥閣下の御指名! あんたほんとに何者なのよ?
「でしたら、元帥閣下に申し上げてください。ヴァレンシュタイン准将は作戦参謀に相応しくないと。元帥閣下の御了承さえいただければ何時でもクビに出来ます」

ひぇー。優しい顔してこの子怖い。お前なんかが一々口出すな、文句が有るなら元帥に言え、だなんて私にはとても言えない。シュターデン少将は不機嫌そうな顔をさらに不機嫌そうに歪めて准将を、私を睨みつけた。私は怖くて震えそうだったけど、准将は平然と作業を続けていた。本当に私が副官でいいのだろうか?


「閣下。本当に小官が副官でいいのですか?」
「構いません」
「しかし、クビになってしまったら…」
「構いませんよ。あそこにいるのは本意ではありませんからね」

「しかし、宇宙艦隊司令部といえば皆があこがれる職場ではありませんか」
「私があそこに呼ばれたのは、好き勝手させないためです」
「好き勝手?」
「ええ、前の戦いで随分好き勝手をしましたのでね。上から睨まれているんです。上は私を眼の届くところで監視しておきたいのでしょう」
「……」

「貴方が副官になってくれたのは好都合でした。上手くいけば辞められますからね。もっとも戦死の確率が低いと言う意味ではいい職場なのですが」
この男、外見は優しいけど、中身はとんでもない根性悪だ。心配して損した。
「あの、シュターデン少将のことですけど……」
「気にしなくていいです」
「え…」

「シュターデン少将は私が士官学校の生徒だったときの教官なんです。それが今では同じ職場で肩を並べて作業している。面白くないでしょうね」
「あの、士官学校時代というのは、どれくらい前なのですか?」
「そうですね、四年前かな」
四年で准将。そりゃみんな嫌がるわ。

 ミュッケンベルガー元帥がヴァレンシュタイン准将を司令部に入れたのは正しかったと思う。准将は間違いなく有能だった。司令部にいた参謀将校は作戦計画では有能だったが、補給計画では必ずしも有能とはいえなかった。言ってみれば作戦馬鹿がそろっていた。しかし准将は違う。

作戦計画と補給計画の両方を整合させながら出兵準備を整えていく。シュターデン少将でさえ認めざるを得ない有能さだったしミュッケンベルガー元帥も大満足のようだった。一体なんでそんなに補給計画に練達なのだろう。准将に聞いてみたら、士官学校では兵站科を専攻したとのことだった。兵站科って帝国では非エリートなんだけど、どういうことだろう? 相変わらず私にはヴァレンシュタイン准将が判らない。

イゼルローン方面への出兵計画は着々と進んでいった。もうすぐ出兵になるだろう。同盟軍を敵とする事になる戦いが、もうすぐ始まろうとしている。



 

 

第三十四話 慢心

 第六次イゼルローン要塞攻防戦が始まった。この会戦はミュッケンベルガーが望んだ形で始まったものではない。ミュッケンベルガーは当初同盟領に踏み込む形で戦うつもりだった。艦隊決戦こそが彼の望みだったと言っていい。しかし同盟側の行動がミュッケンベルガーの予想よりも早く、イゼルローン回廊の同盟領側への出入り口を塞いでしまう。

やむを得ず帝国側はイゼルローン要塞での攻防戦によって同盟軍の撃破を図る事になる。原作では今述べたような展開で戦闘が進み帝国軍が勝った。そして現状は原作どおり推移していると言っていい。この原作での会戦のポイントを時系列で並べると以下のようになる。

1.ラインハルトが自分の戦術能力を確認するかのようにさまざまな戦術で同盟軍を翻弄し打撃を与えた事。

2.ヤン・ウェンリーがラインハルトの行動パターンを読み、罠にかけ損害を与えた事。その際、同盟軍グリーンヒル大将はヤンの意見を入れず十分な戦力を投入しなかった事。

3.ウィレム・ホーランド少将、アンドリュー・フォーク中佐による艦隊主力を囮にし、ミサイル艇でイゼルローンを攻略すると言う作戦案を実行した事

4.ラインハルトが敵作戦を見抜き妨害、ミュッケンベルガーが艦隊主力を使いさらに打撃を与えようとしたが、同盟軍が予備兵力を用い、乱戦状態になった事。

5.シェーンコップがリューネブルクを挑発し、決闘に持ち込みリューネブルクが戦死した事。

6.ラインハルトが敵の後背を遮断する動きを見せ、それにつられた同盟軍がトール・ハンマーで大打撃を受け撤退した事。

 今は1が進行中だ。もうすぐ2に移るのだが、こいつの対処法を考えなければならない。本来なら無視していい。この経験はラインハルトにとってプラスには成るが、マイナスには成らない。死なない程度に痛めつけられるのなら全然OKなのだ。しかし死んでもらっては困る。

そして、もしかするとラインハルトに対して死亡フラグが立っているんじゃないかと思える節がある。理由は同盟軍の動員兵力が原作より多いのだ。原作では三万七千隻程度のはずなのだが、今回は五万隻程度を動員している。動かせる兵力が多くなれば、当然選択肢も増えるだろう。原作とは違いラインハルトに対しても殲滅を狙ってくる可能性が有る。

 それにしても、前回ヴァンフリートでも原作より一個艦隊多く動員している。余りにもおかし過ぎる。単純にアルレスハイム星域の会戦の余波とは思えない。ヴァレリーにも色々確認して、ようやくこれかと思える相違点を俺は見つけた。おそらくこれがこの一年間の原作との相違を生み出している…。

 ロボスが元帥になっていない。宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボスは原作では帝国暦484年末に元帥になっている。理由は484年、同盟軍の全般的な優勢を確保した事が評価された事だった。この世界でも484年の状況は変わっていない、同盟軍が優勢だった。にもかかわらず昇進していないのは前年のアルレスハイム星域の会戦の敗戦が響いているとしか思えない。

484年の成果は前年の敗戦の穴埋めとしか認められなかったのだろう。ヴァンフリートで原作より一個艦隊多く動員したのは此処で勝利を収めれば元帥になれると思ったのではないだろうか。失敗したロボスは落胆したろう。当分元帥になれない、統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥にも追いつけない、追い抜けない。

そんな時、ウィレム・ホーランド、アンドリュー・フォークがイゼルローン要塞攻略案を提案してきた。ロボスにとっては起死回生の一手に見えたろう、その気負いが五万隻の動員になっている。ヴァンフリートも今回のイゼルローン要塞攻防戦もロボスの元帥への執着から発生しているとしたら、当然原作とは違ってくる。もっと早く気付くべきだったのだ。今回のイゼルローン要塞攻防戦はかなり危険だ。ロボスにはもう後が無い。此処で失敗したらシトレとの差は決定的なものになる。なりふり構わず来るだろう。

 ロボスが元帥への執心で多くの兵に犠牲を強いようとしているのなら、ロボスと門閥貴族達は何処が違うのだろう。結局政治体制など関係なく、権力者の虚栄心、権力欲で犠牲者が出るということか。ヤン・ウェンリーが権力者になることを欲しなかった気持ちがわかるような気がする……。今回の戦いは勝たなくてはならない。ロボスの元帥への執着をへし折るのだ。中途半端な勝ち方ではない、圧倒的に勝つ必要が有るだろう……。

■ジークフリード・キルヒアイス

 ラインハルト様は連日回廊外に出撃を繰り返している。上からの制限を受けることなく自由な裁量権を持った事でここ二十戦以上、ラインハルト様は勝ち続けている。様々な戦術を試し、ラインハルト様も楽しそうだ。イゼルローン要塞へ戻り、補給と休息を済ませ出撃しようとしていると、作戦参謀ヴァレンシュタイン准将がやってきた。傍には女性士官が付いている。彼女が副官のフィッツシモンズ中尉だろう。背は准将より高い。赤みを帯びた褐色の髪でなかなかの美人だ。

「ミューゼル少将、これから出撃ですか。随分と武勲も立てられているようですが」
准将はこちらの事を知っているようだ。
「ああ、意外に歯ごたえの無い連中だ。色々な戦術を試す事で役立ってもらっている」
「まるで遊猟でもなさっているようですね」
「そんなつもりは無い」

皮肉を言われたと思ったのだろう、ラインハルト様の声が硬い。
「それならよろしいのですが。今日はどのポイントへ出撃なさるのですか?」
「ABA140ポイントだ」
「そうですか、敵も馬鹿ばかり揃っている訳ではないでしょう。お気をつけください。御武運を祈ります」

そう言うと、准将は軽く目礼すると去っていった。
「キルヒアイス、俺が慢心していると思うか」
「私はそうは思いません。ですが、ヴァレンシュタイン准将にはそう聞こえたかもしれないと思います」
ラインハルト様は少し不満げにヴァレンシュタイン准将の後姿を見た。准将は副官と話しながら歩き去っていく。ラインハルト様にとっても准将はやはり気になる存在なのだろうか。


■ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

「閣下、先程の方がラインハルト・フォン・ミューゼル少将なのですか?」
「そうです」
「随分若いのですね」
そう確かに若かった。それに物凄い美少年だ。でも准将とは余り仲が良くなさそうに見えたけど… 

「今年、十八歳です」
准将より若い! やっぱり貴族って違うんだ。
「中尉。少将はグリューネワルト伯爵夫人の弟なのです」
グリューネワルト伯爵夫人! じゃ皇帝の寵姫の弟。
「それで出世が早いんですか?」
「中尉なら、皇帝の寵姫の弟だからといって手加減しますか?」
そんなものするわけない。

「いえ、しません」
「少将は天才です。実力で今の地位を得ました」
天才……。
「失礼ですが、閣下とどちらが上でしょう」
「私など相手になりません。比べるほうが愚かですよ」
ほんとうかしら。だって……。

「それより、先程ミューゼル少将が言ったポイントをルックナー提督、リンテレン提督、ルーディッゲ提督に伝えてください」
「はい」

■ジークフリード・キルヒアイス

 一瞬で戦況が変わった。私たちは敵を引きずり出し背面展開から攻撃を加えていた。今回も完勝だと思った直後、私たちは上下後方から新たな敵に包囲されていた。
「キルヒアイス、してやられた」
「ラインハルト様、落ち着いてください。何とか切り抜けましょう」

切り抜けられるだろうか? こちらが三千隻に対し敵の戦力は一万隻近いだろう、油断したのだろうか。ヴァレンシュタイン准将の言葉が思い出される。”まるで遊猟でもなさっているようですね”、”敵も馬鹿ばかり揃っている訳ではないでしょう” アンネローゼ様、申し訳ありません。私は貴女との約束を守れないかもしれません。

 何とか切り抜けようとするが戦力が違いすぎる、どうにも成らない。ラインハルト様も唇を強く噛み締めている。ラインハルト様が私を見た。瞳には絶望の色がある。私の瞳にも同じものが有るだろう。
「援軍です! 援軍が来ました!」
「なに、本当か」

確かに味方の来援だった。三千隻ほど艦隊が三個艦隊、包囲の外側から敵を攻撃している。
「よし! 味方と連動して切り抜ける。砲撃を下にいる艦隊に集中せよ!」


 包囲を切り抜けた後、ラインハルト様は来援した三人の提督ルックナー、リンテレン、ルーディッゲに連絡を入れた。それにしても運が良かった。彼らが来てくれなければどうなっていたか。
「今回の来援、かたじけない。危ないところを助かった」
「礼なら、ヴァレンシュタイン准将に言われるがよろしかろう」
「!」

「われら三人、准将から卿を助けてくれと頼まれたのだ」
「……ヴァレンシュタイン准将に」
「それでも卿らに助けられた事は間違いない。改めて礼を言わせてもらう、感謝している」

 運では無かった。援軍はヴァレンシュタイン准将の手配だった。彼は私たちの慢心を見抜いていたのだ。そして忠告をした。しかし私たちは愚かにも彼の忠告を無視してしまった。彼はそれを見て、援軍を手配したのだ。
「ヴァレンシュタイン…」
気がつくとラインハルト様が口惜しげに彼の名を漏らした。
 

 
 

 

第三十五話 信義

 ルックナー、リンテレン、ルーディッゲ提督が帰ってきた。三人に話を聞くと敵は一万隻ほどを用意してきたとか。ラインハルトはかなり危ない状況だったらしい。やはり兵力が多い事が影響しているようだ、それともヤン・ウェンリーの影響力が原作より大きく成っているのか。どちらにしてもいい状況じゃないのは確かだ。

俺が三人に礼を言うと、三人とも笑いながら礼には及ばないと言ってきた。”あのミューゼルに貸しを作れたのは悪くない”、”卿に助けられたと知ったときのあの悔しそうな顔は一見の価値があった” なのだそうだ。ラインハルトも人望が無いよな。まあ生意気が服着て歩いてるようなものだし、しょうがないか。もう少し、覇気とか野心とか抑えられればいいんだけど。

 俺に対する礼というのも酷いものだった。いつか必ずこの借りは返すなどと喧嘩を売っているのか礼を言っているのか判らない代物だったが俺はあえて気にしない事にした。そんな事より厄介な問題が発生したのだ。ワルター・フォン・シェーンコップが例の馬鹿げた挑発行為を始めた。この問題は放置できない。放置すればリューネブルクの生死に関わる問題になる。せっかく彼とは親しくなれたのだ。この縁は無駄にしたくない。

■ ヘルマン・フォン・リューネブルク

厄介な事になった。シェーンコップが俺を挑発している。強襲揚陸艦で敵艦に接触、乗り込んで占拠すると通信装置で俺を名指しで呼び出すのだ。ヴァレンシュタインは気にするなとは言っているが、周りの俺を見る眼は決して好意的なものではない。今俺はミュッケンベルガー元帥に呼ばれ会議室に向かっている。多分この件だろう。嫌な予感がするが行かざるを得ない。ヴァレンシュタインが自分も用事があると言ってどういうわけか付き添ってくれている。

驚いた事に会議室の中にはミュッケンベルガーだけでなく、オフレッサー上級大将もいた。益々嫌な予感がする。
「ヘルマン・フォン・リューネブルク、参上しました」
「うむ。…ヴァレンシュタイン准将、卿を呼んだ覚えは無いが?」
ミュッケンベルガーが少し眉をひそめながら言う。この男が苦手か?

「リューネブルク少将のことでご相談したい事がありまして御一緒させていただきました」
ヴァレンシュタインは平然と述べ、さらにミュッケンベルガーの顔をしかめさせた。
「…そうか。リューネブルク少将、卿も反乱軍が聞くに堪えぬ悪罵を放って卿を呼び出している事は知っているな」
「はっ」

「聞けば彼らはローゼンリッターと呼ばれる裏切りものどもらしい」
「卿の昔の仲間だな、リューネブルク少将」
嫌な事を言うな、オフレッサー。こいつら二人一体何を話していた?

「わしはな、リューネブルク少将、卿ならずとも、たかだか一少将の身上などかかわってはおられんのだ」
「では小官にどうせよと仰いますか」
「知れた事ではないかな。卿自身の不名誉だ。卿自身の力を以て晴らすべきであろう」
「なるほど……」

切り捨てられたか…。結局俺は同盟でも帝国でも居場所が無い。これまでか…。
「お待ちください。小官はそれには反対です」
ヴァレンシュタイン……
「小僧、元帥閣下に対し無礼であろう」

「リューネブルク少将は亡命者です。其処をお考えいただきたいと思います」
「…何が言いたい」
ミュッケンベルガーは不機嫌そうでは有るが、ヴァレンシュタインの意見を聞こうとしている。無視されたオフレッサーは不機嫌そうだ。ミュッケンベルガー、ヴァレンシュタイン、この二人どういう関係だ?

「リューネブルク少将はヴァンフリート4=2で敵基地攻略をした功労者です。その少将を切り捨てるが如き行動を取れば、他の亡命者たちはどう思うでしょう?」
「……」
「功労ある少将でさえ切り捨てられた、ならば自分たちはもっと容易く切り捨てられるだろう。そう考えるでしょう」
確かにそうだろうな。

「彼らは切り捨てられるくらいならと帝国を捨て反乱軍に戻る事を選択するでしょう。そして彼らが何を言うか? 帝国は亡命者を大切にしない、功を上げても切り捨てられる、信じられる国ではない。そんな事を言うに違いありません。二度と帝国に亡命者が来ることはなくなるでしょう」
「……」

「部下を切り捨てる、見殺しにする、そんな士官、上官に誰がついていきます? クライスト、ヴァルテンベルク両大将がなぜイゼルローン要塞の防衛よりはずされたのか、今一度お考えください。」
「……」
誰も口を挟まない。ヴァレンシュタインの言う事はもっともだ。会議室の中に彼の言葉だけが響く。

「これは、兵の統帥の根幹に関わる問題であり、帝国の信義に関わる問題です」
「……では、どうするのだ」
「放っておけばよろしいと思います」
「馬鹿な、それでは帝国の名誉が…」
「勝てばよいのです」
オフレッサーの怒声をヴァレンシュタインがさえぎる。

「もうすぐ反乱軍がイゼルローン要塞の前面に押し寄せます。そこで勝てばよいのです。そうすればローゼンリッターのつまらぬ小細工など、負け犬の遠吠えに過ぎません」
「……卿がリューネブルク少将を其処までかばうわけはなんだ?」
「小官の副官も亡命者です。部下が不当に扱われようとしている、あるいはその危険が有るのであれば、上官としてそれを守るのは当然の義務だと考えています」


 結局、ヴァレンシュタインの意見が通った。俺は首の皮一枚で助かったらしい。またこの男に借りが出来たようだ。借りはいつか返す、そう言うとヴァレンシュタインは最近良くそう言われると言って笑い出した。

 敵は大軍だが勝てるのだろうか。ヴァレンシュタインに聞いてみると“まあ、大丈夫でしょう” と言った。頼りなさそうな答えだが、俺はその言葉を信じることにした。この男が大丈夫だというなら大丈夫だ。

 残念だったなシェーンコップ、もう少しで俺を引きずり出せたのだが。今の俺は一人ではないのだ、心強い味方がいる。俺を倒すのは容易ではないぞ、心してかかって来い。



 

 

第三十六話 要塞攻防戦(その1)

■ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

 同盟軍がイゼルローン要塞の前面に押し寄せてきた。いよいよ要塞攻防戦が始まろうとしている。私としては複雑な気持ちにならざるを得ない。眼の前の同盟軍に勝って欲しいのだが、私自身が戦死するような事態は避けたい。無血で持ち主が入れ替わるようなら最高なのだが、ま、無理よね。
 
 以前ヴァレンシュタイン准将に聞いたことが有る。同盟軍がイゼルローン要塞を攻略できる可能性は有るのだろうかと。准将の答えは“今の大軍をもって攻め寄せるやり方では無理だろうね”、“素手で要塞を取るぐらいの事を考えないと”と言うものだった。素手で要塞を取る? 馬鹿にされてるのかとも思ったけど、准将にはそんな感じは無かった。本気なんだろうか?

 その准将は今、熱の所為で蒼い顔をして司令部の椅子に座っている。病弱と言うわけではないのだが虚弱なのだ、この子は。オーディンにいるときも月に一度ぐらいは体調不良で仕事を休んでいる。本来なら部屋で休みたいのだろうが、戦闘が始まるとなればそうも言ってられない。蒼白に成りながらもじっと耐えている。視線は中央の巨大スクリーンから離れない。そのスクリーンには同盟軍が映っている。

 私は隣にいて時折冷たい水を飲ませたり、タオルで汗を拭いたりしている。“大丈夫ですか”と聞くと微かにうなずく。見ているこちらが辛い。この体が弱いのも周りの反感を買う原因の一つ。彼が休むたびにシュターデン少将などは“帝国軍人にあるまじき軟弱さ”、“柔弱極まりない小僧”などと悪罵を放つ。今も周囲の目は険しい。半病人が何でこんな所にいるのか、そんな眼だ。もっとも彼本人の前でそんな事を言う人間はいない。彼がミュッケンベルガー元帥の直々の指名で司令部入りしたことを皆知っているから。

 同盟軍が動き出した。「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」、同盟軍が血の教訓によって得た艦隊運動の粋だ。要塞主砲“トール・ハンマー”の射程限界の線上を軽快に出入りして敵の突出を誘う。タイミングがずれれば、トール・ハンマーの一撃で艦隊が撃滅されてしまう。一方帝国軍は同盟軍をD線上の内側に引きずり込もうとする。その際、自分たちまで要塞主砲に撃たれてはならないから、退避する準備も怠らない。虚々実々の駆け引きが続くが、これは兵士たちにとって恐ろしいほどの消耗を強いる事になる。
 
 二時間程過ぎた頃、このまま膠着状態になるかと思ったときだった。顔面を蒼白にした准将がミュッケンベルガー元帥に話しかけた。
「閣下。二時間程指揮をお預けいただけないでしょうか」
「どういうことだ。ヴァレンシュタイン准将」
「卿は何を言っている。無礼だろう」
「二時間程指揮をお預けいただきたいのです」

 シュターデン少将が叱責するのにもかまわず、准将はミュッケンベルガー元帥に指揮権の委譲を願った。信じられない、何考えてるの、この子。 
「控えよ、准将。半病人の分際で無礼だろう。その体で何が出来る」
「…二時間でよいのか」
「閣下!」
「はい。二時間で結構です」

 元帥はシュターデン少将が止めるのも構わず、准将に話しかける。表情は厳しいが怒りはない。ただじっと准将を見ている。准将も元帥から視線をはずさない。周囲はみな呆然としている。私もだ。
「…二時間で勝てるのか」
「はい、勝ちます」
「負けは許されぬぞ」
「はい。勝ったら一つお願いがあります」
「……」

「いえ、小官個人のことでは有りません」
「そうか……。よかろう、任せる、二時間だ」
「はっ」

「要塞内総員に伝達。一撃を覚悟せよ」
准将が最初に下した命令は周囲を唖然とさせるものだった。しかしその直後、オペレータたちが警告の叫びを上げる。
「ミサイル来ます!」
「迎撃光子爆弾発射します!」
「間に合いません!」

 その声と共にイゼルローンに衝撃が走る。爆発光が白く光り私たちの視界を焼く。さっきの命令はこれがわかっていたの?
「一体何が起きたのだ! 何故判らなかった!」
シュターデン少将の怒声に答えたのは准将の静かな声だった。
「反乱軍がトール・ハンマーの死角からミサイル攻撃をかけてきたのです。正面の敵の動きは囮です」
「囮…」
「反乱軍、来ます!」

ワルツを踊っていた同盟軍が要塞主砲の死角からせまる。司令部の総員が准将を見る。しかし准将は何も言わない。
「何をしている! 命令を下さんか!」
「その必要は有りません。あの通りです」
「!」

二千隻ほどの艦隊が天底方向から同盟軍を打ち崩していく。避けようとすればトール・ハンマーの射程内に入ってしまう、逃げられない。
「卿が手を打ったのか」
「いえ、あれはミューゼル少将です。彼ならこの程度は言われなくてもやるでしょう」
ミューゼル少将、准将が天才だと言っていた少年だ。でも私には准将の方が怖い、全てを見通しているとしか思えない。

「閣下、艦隊が出撃許可を求めています」
「出撃を許可します。但しトール・ハンマーの発射命令がすぐ出ます。その場合、速やかに天底方向に退避することを伝えてください」
トール・ハンマー? 射程内には同盟軍はいないけど? 大丈夫なの准将、熱でおかしくなってない?

■ヤン・ウェンリー

 味方の攻撃部隊は敵の小部隊の攻撃を受けて一方的に打ち砕かれていく。全く巧妙で効果的だ。このままではどうにもならない。しかしあの艦隊とて無限に戦えるわけではない。どうする、ミュッケンベルガー元帥、見殺しにするか。
「帝国軍、イゼルローン要塞より出撃して来ました」
「グリーンヒル参謀長、チャンスです。予備を投入しましょう。それ以外味方を救う方法はありません」

帝国軍は誤った、あのままならこちらに打つ手はなかったのに。帝国軍はあの艦隊を見殺しにすべきだったのだ。混戦に持ち込めばトール・ハンマーは撃てない、こちらにも勝機はある。
「待機中の艦隊に命令。直ちに出撃して帝国軍を攻撃せよ」
グリーンヒル参謀長の命令に艦隊が動き出す。その時だった、オペレータが悲鳴を上げる。
「イゼルローン要塞が! 主砲を発射しようとしています!」

どういうことだ? この距離ではあたらない。いや帝国軍が巻き添えを食う。
「敵艦隊、天底方向に急速移動!」
「トール・ハンマー、来ます!」
続けざまにオペレータが声を上げる。白く輝く巨大な光が要塞より発射される。何を狙ったのだ?

「! やられた」
「どうした。ヤン大佐」
「参謀長、やられました。あれを見てください」
私は味方の予備部隊を指差した。動き出したはずの艦隊はバラバラになっている。

「どういうことだ? 一体」
「トール・ハンマーです」
「トール・ハンマー? しかし射程内ではなかったはずだ」
「そうです。しかしトール・ハンマーが来ることで反射的に回避行動を取ってしまったのです」
「ばかな…」
「あれをご覧ください」
「!」

敵艦隊は天底方向に移動し味方部隊を攻撃している。最初にいた小部隊と合流し圧倒的な攻撃をかけてくる。壊滅状態になるのも時間の問題だろう。
「敵は最初から艦隊を天底方向に移動させるつもりだったんです。但し艦隊を出せばこちらが予備部隊を出すのもわかっていた。だから…」
「時間を稼ぐためにトール・ハンマーを撃った。予備部隊はこれまでの経験からトール・ハンマーが来ることで反射的に回避行動を取ってしまった……」
「はい」

沈黙が落ちた。司令部内も皆沈黙している。味方部隊を助ける事は出来ない。
予備部隊が味方部隊を助けるには艦隊を再結集しイゼルローンの要塞主砲の死角から近づかなくてはならない。それまでに味方部隊は一方的に撃たれ壊滅状態になるだろう。ミュッケンベルガー元帥だろうか? そうは思えない。どうやら敵には恐ろしく切れる相手がいるようだ。まさかトール・ハンマーを時間稼ぎに使うとは……。

■ ジークフリード・キルヒアイス

「見事だな、そう思わないかキルヒアイス」
「はい。まさかトール・ハンマーを時間稼ぎに使うとは思いませんでした。ミュッケンベルガー元帥でしょうか」
「まさか、こんな事が出来るのは…あの男だけだろう」
「ヴァレンシュタイン准将……ですね」
「ああ」
「彼は俺に味方を作れと言っていた。必ず奴を俺の味方にしてみせる。俺を認めさせてやるさ」
「はい……」

■ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ
 
司令部内には沈黙が漂っている。誰も何も言わない。シュターデン少将でさえ無言でスクリーンを見ている。准将が指揮を取ってからあっという間に戦況が変わった。帝国軍の勝利だ。しかし、誰も何も言わない。同盟軍の攻撃部隊は火達磨でのたうっている。

「閣下、指揮権をお返しいたします」
「もうよいのか? 未だ時間は有るが」
「はい。我が侭を聞いていただき有難うございました」
「うむ」

「閣下」
「なにかな、ヴァレンシュタイン准将」
「あの部隊を壊滅させたらですが…」
「壊滅させたら?」
「反乱軍に停戦を要請しては如何でしょう」
停戦? 准将、あんた本当に何考えてるのよ?

 

 

第三十七話 要塞攻防戦(その2)

■ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ
 
 ヴァレンシュタイン准将が提案した停戦要請は今攻撃を受けている敗残兵を助け、敵に送り返そうというものだった。当然ながらシュターデン少将を始め多くの参謀たちが“勝っているこちらから停戦とはどういうことか”、“反乱軍を助けるとはどういうことか”と猛反発を受けた。

まあ、当然よね。それに対して准将の主張は
1.攻撃失敗により同盟軍にはイゼルローン要塞攻略の手段が無くなった。
2.同盟軍内部には撤退論と継戦論の二つが今後の方針を巡って争っている可能性がある。
3.継戦論の主張の一つがイゼルローン要塞周辺の敗残兵、負傷兵の撤収と考えられる。
4.停戦し、敗残兵、負傷兵を送り届ければ継戦論は力を失う。

と言うものだった。そして准将はミュッケンベルガー元帥に
「これ以上、だらだらと戦闘を継続しても損害が多くなるだけです。あまり意味がありません。であれば敵を撤退させ易くするのも一案と考えます。」
と言った。ミュッケンベルガー元帥はあっさり准将の意見を受け入れ、停戦を要請する事を決定した。参謀たちは不満がありそうだったが、ミュッケンベルガー元帥が決定した以上不平は言わなかった。

 そして今、私はヴァレンシュタイン准将と共に帝国軍戦艦シュワルツ・ティーゲルにいる。役目は同盟との停戦交渉、と言ってもそれほど難しいものではない、要約すれば“兵を助けてそちらに送るから、その間戦争は止めよう”というもの。既に要塞外での戦闘は終結しており、帝国から同盟へ使者の派遣についても連絡は行っている。この点についての心配は無い、心配なのは准将の体調よ。

何を考えたか使者になるのを志願したのよ、この子。蒼白な表情で“小官が使者としていきます”だなんて、何考えてるの? 結局、准将と私、それにリューネブルク少将がメンバーとなった。この男もわからない、亡命者の癖に停戦交渉の使者になる? 何考えてるんだろ。もっとも亡命者は私も同じか……。

 シュワルツ・ティーゲルは“我に交戦の意思なし”と信号を発しつつ同盟軍に近づきつつある。艦長はビッテンフェルト大佐といってオレンジ色の髪を持つ筋骨隆々とした好男子だった。私たちが乗り込んだときは、その珍妙さに顔をしかめていた。無理も無いわよ、帝国軍の軍艦に女が乗るなんて先ずありえないし、准将は私に肩を抱えられながら艦に乗る始末。これで同盟軍に行って停戦交渉してきますってなんかの冗談にしか思えないと思う。

 同盟軍に近づくと連絡艇が来てシュワルツ・ティーゲルにドッキングした。私たちは連絡艇に乗り込み同盟軍側にさらに近づく。連絡艇がドッキングしたのは同盟軍宇宙艦隊総旗艦アイアースだった。

■ ヤン・ウェンリー

帝国軍より使者が来た。彼らは直ぐ司令部に案内された。使者は三人、一人は三十半ばの長身の男性士官だった。いかにも帝国貴族らしい容姿を持った男と言っていい。今一人は帝国軍では珍しい女性士官だった。長身で赤みを帯びた褐色の髪を持つ美人だ。そして最後の一人は黒髪黒目、華奢で小柄な少年だった。

具合が悪いのか顔色が悪い。体もふらついて、長身の女性士官が気遣うように寄り添っている。副官か?それとも通訳か?そんな事を考えていると、少年は挨拶のために出て来たグリーンヒル参謀長に敬礼をしつつ流暢な同盟語で話しかけてきた。

「帝国軍宇宙艦隊司令部作戦参謀エーリッヒ・ヴァレンシュタイン准将です」
瞬時にして、室内の空気が張り詰める。彼がヴァレンシュタインか、帝国が誇る若き用兵家。アルレスハイム星域の会戦、ヴァンフリート星域の会戦、ヴァンフリート4=2の戦いと我々に煮え湯を飲ませ続けている。先程の要塞攻防戦も彼の采配だろう。室内は好奇と憎悪の視線に溢れた。

「ドワイト・グリーンヒル中将です。ようこそ」
参謀長は答礼しつつ、言葉を続けた。
「ヴァレンシュタイン准将、具合が悪そうですが?」
「今朝から熱がありまして、申し訳ありませんが椅子を用意していただけないでしょうか」
「気がつきませんでした。誰か椅子を」
参謀長の言葉に椅子が用意される。ヴァレンシュタイン准将は付き添いの女性士官に支えられながら椅子に座った。長身の男性士官は護衛役なのだろう、准将の背後に立つ。

「准将、ここへは何用でいらっしゃったのですかな」
「三つ有ります。一つはローゼンリッターのシェーンコップ大佐に話したい事があります。お呼びください」
「シェーンコップ大佐ですか」

「御心配には及びません。この場で、皆さんの前で話します。謀略を仕掛けるような事はありません」
不思議な事に付き添いの女性士官と護衛役の男性士官の顔に動揺が走る、なんだ?
グリーンヒル中将は、すぐシェーンコップ大佐を呼ぶように言った。そして二番目の用件を待つ。

「二つ目は停戦を提案します。停戦時間は十二時間、停戦を受けていただければ、十二時間の間に今回の攻撃の敗残兵、負傷兵を同盟側にお返しいたします」
「!」
ありえない話だった。帝国は同盟を反乱軍としている。反乱者を返す?何を考えている?

「いかがでしょう」
グリーンヒル参謀長はロボス総司令官と視線を交わす。ロボス司令官は軽くうなずいた。
「わかりました。停戦を受けましょう」

室内に安堵の空気が広がる。こちらが、今一番悩んでいた事が負傷兵の存在だった。
撤退論を唱える人間に対し、継戦論を唱える人間が拠り所としたのが負傷兵の存在だったのだ。なるほど、こちらを撤兵させるためか。上手い手だ。その場で帝国側に停戦の受け入れが伝えられた。司令部内の空気が緩む。

「敗残兵、負傷兵の受け取りが終わりましたら、撤退されるのがよろしいかと思います」
「無礼な!我が軍は未だ戦える。侮るか」
「そうだ、戦える」
いきり立つ参謀達を抑え参謀長が問いかけた。

「ヴァレンシュタイン准将、それが三つ目の要件ですか?」
「いいえ、これは小官個人の意見です」
「ならば、それについては無視してもよろしいですな」
「第六次イゼルローン要塞攻略戦は失敗しました」
「!」

「先程の攻撃失敗により同盟軍にはイゼルローン要塞攻略の手段が無くなりました。これ以上戦闘を継続しても損害が多くなるだけです。であれば撤退するのが上策ではありませんか」
「馬鹿な、敵に言われて撤退など出来るか」
「そうだ、我々にも面子がある」

「あなた方の面子でどれだけの犠牲者を出せば気が済むのです。五十万、それとも百万ですか?」
「それは……」
「兵が可哀想とは思いませんか。彼らには家族がいるのですよ、彼らを待っている家族が」

「ヴァレンシュタイン准将、貴官の意見はわかりました。しかしこの場で我々の回答を出す事は出来ません。参考にさせていただきます」
苦しげな参謀長の言葉にヴァレンシュタイン准将はうなづいた。変わった男だ、こちらを挑発するのではなく本気で撤退を勧めていた。どういう男だ? 

「ワルター・フォン・シェーンコップ、参上しました」
ローゼンリッターのシェーンコップ大佐がやってきた。洗練された容姿を持つ三十前後の男だ。恭しい口調と不敵な表情のアンバランスさが奇妙にあっている。

「貴様、リューネブルク!」
「久しいな、シェーンコップ大佐、俺の事はリューネブルク少将と呼べ」
「何を言うか、この裏切り者が」
「使者に対して無礼だぞ」

その言葉でリューネブルクと呼ばれた男の正体がわかった。第十一代ローゼンリッター連隊長へルマン・フォン・リューネブルクだ。周囲もざわめいている。しかしなぜ此処に来た?
「シェーンコップ大佐。小官はヴァレンシュタイン准将です」
「ヴァレリー!貴様らヴァレリーを」
「落ち着いてワルター」

いきなり修羅場になった。付き添いの女性士官はヴァレリーと呼ばれている。知り合いか?いや彼女も亡命者か?よくわからない。
「シェーンコップ大佐。話を聞いて欲しいのです」
「……」
返事が無いのを了承と取ったのだろう。ヴァレンシュタイン准将が話し始める。

「我々は戦争をしています。当然ですが其処には憎しみや恨みが生まれる事もある。しかしその憎しみや恨みに囚われないで欲しいのです。忘れろと言っているのでは有りません。囚われないで欲しいのです。憎しみや恨みで戦争を始めれば、それはもう戦争ではありません。ただの殺し合いです。違いますか」
「……」

「貴官が今回したことは戦争に勝つ事ではなく、ただリューネブルク少将を殺そうとした、そうではありませんか」
「……」

「貴官らが、リューネブルク少将の亡命後、辛い立場に置かれた事は想像がつきます。しかしリューネブルク少将とて帝国で安寧を得たわけでは有りません。それなりに辛い思いをしてきたのです。それは判っていただけませんか」
ヴァレンシュタインは本気でシェーンコップを説得している。この男とリューネブルクはどういう関係なのだろう。亡命者と若き英雄、ちょっと見当がつかない。

「……リューネブルク少将。どうやら貴官はよい上官を得たようだな」
「小官はリューネブルク少将の上官では有りませんよ」
「准将の言うとおりだ。上官ではない、今はな」
「なるほど、今はな、か」

「同盟に居たとき、俺には居場所が無かった。才能が有れば忌諱され、才能が無ければ侮蔑される。よき上官にも恵まれず、ローゼンリッターの未来にもなんの展望も見出せなかった。それが嫌で帝国に亡命した。だが帝国でも居場所が無い事では条件は同じだった。なんのために亡命したのか、毎日考え続けた…。しかし今は違う。俺にも居場所がある」
つぶやくような声だった。しかし不思議に耳に届いた。
「……」

「シェーンコップ、貴様はどうだ。居場所が有るのか?」
「……さてな」
「居場所が欲しくなったら何時でも来い。帝国にはな、馬鹿かと思えるほどのお人好しがいる。貴様の一人ぐらい楽に受け入れてくれるだろう。なんだったらローゼンリッターごとでも構わんぞ。貴様らの腕がどれほどになったか、俺が試してやろう」
リューネブルクは本気でシェーンコップを誘っている。同盟では辛くなるだけだと。

「ふざけるな。三年前ならいざ知らず、今なら俺のほうが上だ」
「そうか、多少は腕を上げたか、ハハハ」
リューネブルク少将は良い上官を得たらしい。しかしシェーンコップ大佐、彼はどうなのだろう。いつか巡り会えるのだろうか。彼にとってのヴァレンシュタインと……。




 

 

第三十八話 要塞攻防戦(その3)

■ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

 ようやく男二人の争いが終わったらしい。全くこんなところで喧嘩なんて冗談じゃないわ。何考えてるんだか。
「グリーンヒル閣下」
「何でしょう」
「最後の一つの用件ですが、此処にいるフィッツシモンズ中尉のことです」
何?私?

「彼女が何か?」
「フィッツシモンズ中尉は元々同盟の軍人でした。ヴァンフリート4=2の地上基地にいたのです。しかしあの戦いで捕虜になりました。捕らえたのはリューネブルク少将ですが、少将は女性兵の捕虜は帝国では酷い目にあいかねないと言って、小官に相談に来たのです」
周囲がざわめく。皆驚いているようだ。ワルターも驚いている。

「それで?」
「私たちは彼女を亡命希望者ということにしました。そして小官の副官という地位を与えたのです。それ以外、彼女の安全を確保する事は難しかったとおもいます。彼女を同盟にお返しします」
「よろしいのですかな」
「ええ、かまいません」
そう言うと、准将は私を正面から見詰めた。相変わらず顔色が悪い。

「ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中尉」
准将が私を呼ぶ。
「はい」
「私とリューネブルク少将は帝国軍へ戻る。貴官はこのまま此処に留まりなさい」
「……」
私は素直に頷けない。

「中尉。同盟に戻りなさい。貴官もわかっているでしょうが帝国は亡命者に優しい国ではない。いや、それはなにも帝国に限った事ではありませんが…。貴官は同盟でならごく普通の市民として生きていける。しかし帝国では常に亡命者として見られるでしょう。友人も恋人もなかなか作れない。そんな辛い一生を送る必要はないと思います」

「……ですが、それでは閣下が困った事になりませんか。小官の事を何と説明するのです?」
私は同盟に帰りたいと思っている。しかしこの少年はどうなるだろう?地位も名誉も全て失うことになるのではないか?

「心配は要りません。元帥閣下とは約束をしています。覚えていませんか?“勝ったら一つお願いがあります”と言ったことを」
「覚えています」
覚えている。妙な事を言うと思っていたのだ。まさか私のことだったのか……。

「私のことは心配は要らないのです。自分の国に戻りなさい」
本当にいいのだろうか?私は彼の、作戦参謀の副官だったのだ。私の知っている情報が同盟に漏れてもいいのだろうか?

「美しい、感動的な話ですな。しかし、彼女は閣下の副官だったのでしょう。帝国の機密が漏れてもよいのですかな。勝者の余裕と言う事ですか」
私が感じていた事を口に出したのは血色の悪い陰気そうな感じのするまだ若い参謀だった。

「失礼ですが、卿は」
「アンドリュー・フォーク中佐です」
その名を聞いたとき、准将は小さく笑ったように見えた。苦笑?それとも嘲笑?
「フォーク中佐、戦闘が終わった今、その情報にどれだけの意味があります?」
「まだ戦闘は終わっていません!」
「ああ、そうでしたね。でも、まあ、余り役には立たないと思いますよ。それに皆さん、もうすぐそれどころではなくなりますし」

「どういうことですか准将?」
グリーンヒル中将がいぶかしげに尋ねてきた。
「アルレスハイム、ヴァンフリート、そして今回のイゼルローン、国防委員長はどうお考えかと」
「!」
准将!こんなところで喧嘩売ってどうすんの! 見渡せば周囲はみな青ざめている。

「小官なら、我慢できないでしょうね」
周囲はますます青ざめている。時折、“喧嘩を売っているのか”、“ふざけるな”、“無礼にも程が有る”などと声が上がっている。同感、今すぐ口を閉じなさい!
「喧嘩を売るなどとんでもない。小官は停戦に来たのです。皆さんがこれ以上馬鹿な真似をして恥の上塗りをしないように」
総旗艦アイアースの司令部は怒号に包まれた。

■ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

 俺は今、ミュッケンベルガー元帥の私室へ向かっている。停戦交渉後イゼルローンに戻るとミュッケンベルガーより呼び出しが有ったのだ。同盟軍との停戦交渉はほぼ上手くいった。停戦交渉自体は受け入れてくれたし、シェーンコップとの話し合いも上手くいったと思う。

だが、ヴァレリーを帰す事は失敗した。同盟軍総旗艦アイアースを丁重に追い出された後、どういうわけか彼女も連絡艇に乗っていたのだ。何故戻らないと言うと、閣下のように誰彼構わず喧嘩を売る人間は放って置けませんとの事だった。冗談ではない、俺は喧嘩など売っていないと言うとリューネブルクは笑いながら、その通り、准将は喧嘩を最高値で買っただけです、等という始末だった。結局、俺は連絡艇、シュワルツ・ティーゲルに乗船中ずっと彼女の説教を聞かされまくった。少しは病人を労われないのだろうか。

ミュッケンベルガーは私室で一人宇宙を見ていた。
「閣下、ヴァレンシュタインです」
「うむ。停戦交渉ご苦労だった。で、どうであった」
「ご命令どおりに致しました」
「そうか、では食いついてくるか」

「敵も愚かではありません。この場でイゼルローンに攻撃を仕掛けてくる事はないと思いますが…なんとも…少し薬が利きすぎたかもしれません」
「フフフ、卿は口が悪いからの。しかしこれでロボスも次は必死になる。」
「はい。ロボス総司令官が罷免されれば、後任者に対して圧力になります」
「うむ」

「やはり、艦隊決戦をお望みですか」
「わかるか」
「閣下が宇宙艦隊の実力を確認したいと思っていることは理解しております。イゼルローン要塞の攻防戦で指揮権をお預け頂けたのも、停戦交渉を受け入れていただけたのもこの戦いを早く切り上げ、次の戦いに専念するためでしょう。そして、敵を挑発して来いと仰られた」

俺がミュッケンベルガーに停戦を提案したのは戦闘の終了後ではない。戦闘の開始前だ。指揮権の委譲とともに頼んだ。そしてそれの交換条件が敵の挑発だった。

「来年早々に軍を動かす。幸い、帝国軍の今年一年間の損害は驚くほど少なかった。それになんと言ってもこちらが勝っている。軍を動かす事に異論は出ぬはずだ。いざとなれば陛下の戴冠三十周年を持ち出すつもりだ」
「では、アルレスハイムかティアマトですね」
第三次ティアマト会戦か…。

「うむ。決戦場はアルレスハイムとなるだろう」
え、ティアマトじゃない。どういうことだ?
「ティアマトではないのですか?あちらのほうが兵は動かしやすいと思うのですが」
「確かに卿の言うとおりだ。しかし帝国はこの一年、反乱軍に対して損害を与え続けてきた。彼らの宇宙戦力は減少しつつある」
「はい。閣下の仰るとおりです」

「となると、ティアマトに出た場合、反乱軍はダゴンにまで退く可能性が有る。ダゴンは戦い辛い場所だ。それに帝国にとっては縁起の悪い場所でもある。出来れば避けたい」
「たしかに」
「一方アルレスハイムは敵が引いてもパランティアだ。どちらも大軍を動かしやすい。反乱軍にとっては後退する意味がない。それでも後退するならば、アスターテまで押し出す。そうすれば嫌でも反乱軍は出てこよう。またアルレスハイムもパランティアも帝国にとっては縁起のよい場所だ。兵の士気も上げ易い」

なるほど。現状ではアルレスハイムに出るのが最善と言っていい。縁起の良し悪しは余り馬鹿に出来ない。ミュッケンベルガーの言うように兵の士気にもかかわるところが有る。俺は少し原作に囚われすぎていたようだ。それにしても原作で第三次ティアマト会戦が起きたのは、アルレスハイムで大敗を喫したからか。その事がミュッケンベルガーにアルレスハイムではなくティアマトを選択させた…。

「卿は私に願いが有ると言っていたが?」
「はっ」
「副官の事か、反乱軍に戻らなかったようだな」
「ご存知でしたか」
「自分の事ではないと言っていたからな。想像はつく」

「小官のことが心配でならないそうです。誰にでも喧嘩を売ると」
「フフフ、それは悪いことをしたな」
「まことに」
「いずれ埋め合わせをつけよう」
「はっ。有難うございます」

「他に望みはないか?」
「よろしいのですか?」
「うむ」
「では、作戦参謀の任を解いていただきたいと思います」
「…なぜだ?」

「小官は他の参謀たちに好かれていません。今回の件では少々やりすぎました。今後、彼らは感情面から小官の意見に反発する恐れがあります、それが一点。次に今年一年少々無理をしすぎました。最近体調が思わしくありません。疲れやすくなっています。作戦参謀を辞めるべきかと思います」

「そうか、済まぬな、グリンメルスハウゼンの件では卿に苦労をかけた…。よかろう、卿の辞職を認めよう。次の役職の希望はあるか?」
「出来ますれば、兵站統括部への配属をお願いいたします」
「うむ。軍務尚書には話しておこう。但し、出兵計画に関しては卿も参加せよ。補給計画の速やかな立案には卿の力がいる。よいな」
「はっ」

次の戦いには俺がいないほうがいいだろう。艦隊決戦となる以上、ミュッケンベルガーは自分の力で勝ちたいと思っているはずだ。横から口を出して疎まれるのも馬鹿馬鹿しい。幸いラインハルトは今回の功績で中将になるはずだ。かなりの部隊を率いるはずだから負け戦は先ず無い。余り心配はいらんだろう。それより今後の事を落ち着いて考える必要がある。原作との乖離が結構大きくなっているし、俺自身も予想以上に出世している。どうするべきか考えなければならないだろう…。




 

 

第三十九話 オーディンからの使者

 俺は報告書を持つとパラパラとめくり内容を確認する。とりあえずこんなものか…。
「中尉、次の報告書をください」
ヴァレリーは一センチくらいの厚さの報告書を俺に渡した。
「はい。次はルックナー提督の報告書です。これで最後です。」
「最後ですか」
ルックナーか…。彼にはラインハルトの事で世話になっている。それなりの評価をしないとな。いい加減うんざりしながらも俺は報告書を読み始めた。

 イゼルローン要塞攻防戦は終了した。しかし戦闘が終了したからと言ってすぐオーディンに帰れるわけではない。戦果確認、戦闘詳報の作成、損傷を受けた艦の応急修理、負傷者の手当て等様々な残務整理が有る。今回はイゼルローン要塞の攻防戦という事で、戦果確認、戦闘詳報はイゼルローン要塞で行われている。もちろん最終責任者はミュッケンベルガー元帥だ。

俺は今戦果確認を行っている。各艦隊の戦果を確認し評価する仕事だ。当然だがこの評価が各人の昇進に影響する、いい加減な事は出来ない。ところが今回、この戦果確認で各艦隊司令官より苦情が出た。評価が正しくされていない、と言うのだ。

原因はシュターデン少将だった。何を考えたのか同盟軍にどの程度ダメージを与えたか、敵の目的をどう阻んだかで評価すればいいものを艦隊運動がどうだとか、その戦術は正しくないとか艦隊運用、戦術行動で評価した。しかも必ず貶している。士官学校の教官時代からそうなのだが必ず一言ケチをつける。それが評価者としての仕事だと思っているのだろう。

 当然艦隊司令官達は怒りミュッケンベルガーに抗議した。ミュッケンベルガーは当惑しただろう。彼にしてみれば、一日も早くオーディンに帰り次の出兵計画に取り掛かりたい。極端な事を言えば、勝ち戦なのだから余程の失態を起したのでなければ昇進させてもいいと考えていたはずだ。

シュターデンを呼んで真意を確認したが、彼の言い分は次のようなものだった。同盟軍にどの程度ダメージを与えたか、敵の目的をどう阻んだかだけで評価しては偶然の要素に頼りすぎる事になる。艦隊運用、戦術行動で評価してこそ、当人が昇進に相応しい能力を持っているか判断できる。

一理有ることは確かだが、それを認めては他者との評価方法が違うということになる。またシュターデンの面子も考えなければならない。そこでもう一度、敵に対してどの程度ダメージを与えたか、敵の目的をどう阻んだかを評価し、シュターデンの評価と合わせて最終評価とすることで艦隊司令官達を納得させた。言って見ればシュターデンの評価は採用しないと言ったようなものだ。そして評価者に選ばれたのが俺、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン准将だった。

 俺が選ばれた理由なのだが、この仕事をする者は嫌でもシュターデンの恨みを買うことになる。今後も司令部に勤める人間にはちょっと厳しいだろう。そこで作戦参謀を辞めることになる俺なら問題が無いということで俺が評価者になったというわけだ。

シュターデンは当然いい顔をしなかった。露骨に“卿に評価など出来るのか”、“ヴァレンシュタインは艦隊司令官に媚びて甘い評価をする”、“小僧同士で馴れ合っている”等、散々に誹謗した。小僧同士、艦隊司令官に媚びるというのはラインハルトのことらしい。

一方評価される艦隊司令官達にとっては死活問題だった。すがるような目で俺を見てくる。たとえシュターデンの評価であっても評価が低いというのは一種のレッテルになりかねない。彼らはシュターデンの評価が根拠の無いものだという証が欲しいのだ、つまり昇進だ。シュターデンの阿呆、余計な事をして仕事を増やすな。

 俺が評価を終えミュッケンベルガーの自室へ向かったのはそれから三時間後だった。
「元帥閣下、戦果確認の評価が終わりました。こちらに置きます」
「うむ。ご苦労だった。で、どのようにした」
「全員昇進が至当であると評価してあります」

「うむ、それでいい。これ以上のゴタゴタはたくさんだからな。ご苦労だった」
俺は事前にミュッケンベルガーから甘めに評価しろといわれている。オーディンに早く戻りたいのだ。
「シュターデン少将に恨まれますね」
「まあそうだな。しかし、それを気にする卿ではあるまい」
まあそうですけどね。だからって貧乏くじを引かせる事はないでしょう。

「ところで、ミューゼル少将のことだが、卿はかなり高く評価しているようだが」
「はい」
「どのような男だ?グリューネワルト伯爵夫人の弟だとは知っているが」
「きわめて有能な人物です。一個艦隊は楽に動かすでしょう」

「そうか。次の戦いに役に立つかな?」
「必ず役に立つと思います」
「そうか」
「ただ…」
「なんだ?」

「若いせいか、少々覇気が強すぎます。自尊心も強い。他者から見ると生意気に見え、使いづらく感じるかもしれません」
「使いづらい部下にはなれている。心配はない」
俺のことか?
「……」
「フフフ、気になるか」
この狸爺。

「いえ。それと参謀長には慎重な人物を配するのが良いかと思います。若さに引き摺られる様な事があった場合、止めてくれるでしょう」
「誰かいい人間がいるか?若い司令官を補佐するのだ。余程の人物が必要だが」
「さて?」
結局適当な人物が見つからず、宿題ということになった。原作のノルデン少将のようなボンクラは押し付けられない。俺は適当な所でミュッケンベルガーの自室を辞した。

 部屋に戻ろうとすると、ヴァレリーに呼び止められた。俺に客が来ているという。
「ヴァレンシュタイン准将」
「ケスラー大佐、どうして此処に」
ウルリッヒ・ケスラーだった。そうかグリンメルスハウゼン文書をラインハルトに渡しに来たのか。

「卿に会いに来たのだ。二人だけで話したいのだが」
俺はケスラーを自室に入れた。
「久しぶりですね。ケスラー大佐」
「ああ、本当に久しぶりだ。それにしても准将か」

「運に恵まれました」
「運だけで出世するほど甘くはないさ。遅れたが戦勝おめでとう」
「有難うございます。それで今日は何を」

「グリンメルスハウゼン閣下のことだ。閣下はもう長くない、夏風邪をひいてな、それがこじれて気管支と肺に炎症が起きた。年は越せまいとのことだ。」
「そうですか…」
やはりそうなったか。

「皇帝の闇の左手は解散する」
「まさか!」
「閣下が病に倒れた後、陛下が密かに見舞われた。その際、閣下と陛下の間で解散が決められた。取り消しはない」
皇帝の闇の左手が解散か…。

「卿に伝えておくことがある。我々が集めた秘密、情報は有る人物にゆだねられる事になった。しかし卿に関する文書は全て破棄された」
「どういうことです」
「グリンメルスハウゼン閣下が、卿には何者にも縛られて欲しくないと」
「……」
ラインハルトが俺を縛ると思ったか。

「グリンメルスハウゼン閣下のご厚意に感謝します。閣下が亡くなられたら、大佐はどうなります」
「多分、辺境星域へ行く事になると思う。准将に昇進してな」
「そうですか」

ケスラーをラインハルトの参謀長にしてはどうだろう。この男なら十分にあの男を抑えられるだろう。
「ケスラー大佐。ミューゼル少将の参謀長になる気は有りませんか」
「ミューゼル少将の参謀長?」
「ミューゼル少将は今回の戦功で中将に昇進します。次の戦いでは一万隻以上を指揮する。その参謀長です」

「しかし、私がなれるのか」
「ミュッケンベルガー元帥から参謀長に相応しい人物を探せと言われています。ちなみに次の戦いは来年早々になるでしょう」
「しかし、私はミューゼル少将と面識がない」

「これから会うのでは有りませんか」
「…卿、知っているのか」
「想像はつきます」
「……会ってから判断しよう。それでいいか」
「はい」

ケスラーが俺に参謀長を引き受けると返事をしたのは、一時間後だった。俺はその答えを持ってミュッケンベルガーの所へ行った。幸いミュッケンベルガーはケスラーの事を知っていた。例のサイオキシン麻薬事件で軍務尚書エーレンベルク元帥よりケスラーの事を聞いていたらしい。すんなり了承し、エーレンベルクに掛け合うと言ってくれた。
少しずつでは有るがラインハルトの下に人材が集まりつつあるようだ。飛躍するのはクロプシュトック侯事件だが、さてどうなるか…。

帝国暦485年 3月
ヴァンフリート星域の会戦。帝国軍、同盟軍に圧勝する。
ヴァンフリート4=2の戦い。帝国軍、地上基地を破壊、同盟軍ヴァンフリート星域より撤退。

帝国暦485年 4月
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大佐、ヴァンフリート星域の会戦の勝利に功あり。准将へ昇進。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン准将、宇宙艦隊司令部作戦参謀を命じられる。

帝国暦485年10月
同盟軍、イゼルローン回廊の出入り口を封鎖。第六次イゼルローン要塞攻防戦始まる。

帝国暦485年11月
ラインハルト・フォン・ミューゼル少将、同盟軍の重包囲に陥るも味方の援軍を得て脱出。

帝国暦485年12月
第六次イゼルローン要塞攻防戦。帝国軍、同盟軍に圧勝する。
第六次イゼルローン要塞攻防戦終結。

帝国暦486年 1月
ラインハルト・フォン・ミューゼル少将、第六次イゼルローン要塞攻防戦の勝利に功あり。中将へ昇進。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン准将、第六次イゼルローン要塞攻防戦の勝利に功あり。少将へ昇進。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン少将、兵站統括部第三局第一課課長補佐を命じられる。




 

 

第四十話 恒星

■兵站統括部第三局第一課

 帝国暦486年一月上旬、兵站統括部第三局第一課課長補佐に就任して一週間がたった。まあ日々順調に過ごしていると言っていいだろう。仕事の内容はそれほど難しいものではない。課長のディーケン少将の下へ行く書類の事前審査だ。俺が書類を確認しサインをする。それを隣の机に座っているディーケン少将に渡しディーケン少将が再確認し決裁する。その繰り返しだ。

たまによく判らない書類が来るがそのときには本人に突き返す。あとは、時々来る来客の接待役だ。実に楽な仕事でおかげで体調も良い。なんと言ってもシュターデンのあの不機嫌な顔、嫌味が無いだけでも天国に近い。

 シュターデンは今回の戦いで昇進しなかった。おそらく軍功よりも戦果確認でのトラブルを重視されたのではないかと思っている。ミュッケンベルガー元帥もうんざりしていたからね。今回の昇進見送りはいい薬になるだろう。次はあんな馬鹿げた事はしないはずだ。

俺が少将になったことでシュターデンの俺に対する反感、敵意は酷いものになった。宇宙艦隊司令部へ補給計画の立案のために行くと噛み付きそうな顔で睨んでくる。作戦参謀を辞めて本当によかった。まあ次の戦いには行かないから、頑張って武勲を上げて昇進してくれ。

 同盟軍のロボス大将は更迭されなかった。まあ更迭をしても後任が誰かという話がある。なかなか難しいだろう。しかし、次の戦いで失敗するとさすがに更迭だろう。となるとやはりミュッケンベルガー元帥の望むとおり艦隊決戦か…。そんな事を考えていると
「エーリッヒ」
と俺を呼ぶ声が上がる。第三局第一課の入り口にいたのはミュラーだった。

「ナイトハルト」
席を立って彼のほうに行く。ミュラーだけではなかった。ラインハルト、キルヒアイス、ケスラーも揃っている。はてなんの用やら。

「どうしたんだい。こんなところへ」
「卿に頼みたいことがあってね」
「そちらも一緒かな?」
「ああ」

「応接室が空いている。そこで聞こうか」
「有難う、エーリッヒ」
「久しぶりだね、ナイトハルト。准将に昇進か。おめでとう」

俺たちは歩きながら話した。ミュラーは前回の戦いに戦艦の艦長として参加している。互いに忙しくて碌に会えなかったが、戦果を上げていたのは知っていたし、その功績で准将に昇進したのも知っていた。何処に配属になったのか?ラインハルトのところか?

「有難う、エーリッヒ。卿も少将に昇進だ。おめでとう」
「ああ、有難う。ところで何処に配属になったんだい」
「ミューゼル閣下のところだ。もっとも二百隻ほどの小部隊だが」
「これからさ、まだ最初の一歩だろう」
「そうだといいね」

部屋に入ったのはミュラー、ラインハルト、ケスラーだった。キルヒアイスは遠慮したらしい。ヴァレリーが上手くやるだろう。
「ヴァレンシュタイン少将。卿に礼を言いたいと思っていた。ケスラー准将を参謀長に推挙してくれた事、礼を言う」

「喜んでいただけて幸いです。ケスラー准将はいかがです」
「よい上官を紹介してもらって感謝している」
「今回はミュラー准将も私の指揮下に入る事になった。楽しみだ」
「はっ。かならず御期待に添います」
うん。思ったより上手くいっているようだ。

「それにしても驚いた。卿が兵站統括部に異動とは。やはりシュターデン少将との確執のせいか?」
ケスラーが問いかけてくる。
「そうではありません。兵站統括部への異動を願ったのは小官からなのです。昨年一年間少し無理をし過ぎたのか、体調があまり良くないので後方への異動を希望したのです」

「そうは皆言っていないぞ、エーリッヒ。卿が兵站統括部へ異動になったのはシュターデンが卿を追い出したのだともっぱらの噂だ」
「ただの噂だよ。ナイトハルト」
「卿は次の出兵のことを聞いているか。今年早々だと聞いているが、まだ何も聞こえてこない」
ラインハルトが訊いてくる。なるほどそれが狙いかな。

「宮中ではもう内定しているそうです。ミュッケンベルガー元帥がおっしゃっていました。発表は遅くとも今週中に有るでしょう。出兵は二月の上旬になると思います」
「場所は?」
「元帥閣下は艦隊決戦を望んでいます。」

「ではティアマトか」
「いえ、アルレスハイムです」
「アルレスハイム?ティアマトではないのか」

「ティアマトに出た場合、反乱軍はダゴンにまで退く可能性が有ると元帥閣下はお考えのようです」
「なるほど」
「アルレスハイムからパランティア、アスターテまで押し出す、それが元帥のお考えです」
皆、顔を見合わせている。大きな戦いになると考えているのだろう。

「エーリッヒ、頼みが有るのだが」
「なにかな」
「艦隊の演習をしたいんだ」
「…それで」

「物資の融通をして欲しい」
「宇宙艦隊司令部には言ったのかい」
「言ったけどね、シュターデン少将にそんな暇はないと断られた」

あの馬鹿、味方の足を引っ張る事ばかりしている。ラインハルトが自分より上位に有ることで嫌がらせをしているんだろう。
「判った。明日宇宙艦隊司令部に行く。その時話してみよう、それでいいかい」
「ああ、そうしてもらえると助かる」
本命はこれだったらしい。その後は他愛ない話をして帰っていった。

■ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

 少将たちが応接室に入ると私はキルヒアイス少佐を空いている席に誘った。少佐は赤毛の背の高い感じのいい少年?だった。たまにはこんな男の子と話すのも悪くない。
「キルヒアイス少佐はお幾つなのですか」
「十八です。今年十九になります」

若い! 少将も若いけど、この子も若い。ミューゼル中将と同い年なんだ。
「昇進なされたそうですね、フィッツシモンズ大尉。おめでとうございます」
「有難うございます」
そうなのだ。どういうわけか私も昇進した。しばらく何気ない会話をした後、キルヒアイス少佐が尋ねてきた。

「大尉にとって少将閣下はどのような方ですか」
「? そうですね、こう言っては何ですが、手のかかる弟のようなものでしょうか」
「手のかかる弟?」
「はい。体が弱いのに無理をするし、おとなしそうに見えて、売られた喧嘩は必ず買うような激しいところも有るし…」
「激しいところですか?」

キルヒアイス少佐は何か考えている。なんだろう?
「少佐にとって、ミューゼル中将はどのような方ですか」
「中将閣下はすばらしい方です。才能も性格も全てにおいて」

「ヴァレンシュタイン少将もミューゼル中将を高く評価しておいでです。自分など到底及ばないと」
「そうでしょうか?」
「は?」

「私は、ヴァレンシュタイン少将が時に恐ろしく思えるときがあります。……失礼しました。妙な事を言って。忘れていただければ幸いです」
「……」
話が終わったのだろうか、応接室から皆が出てきた。皆にこやかな表情をしている。
それを機に私とキルヒアイス少佐の会話も終わった。

 キルヒアイス少佐は少将のことを快く思っていない。私との会話でも何かを探ろうとしていた。穏やかな表情をしながらも何故かこちらを警戒していたのだ。彼にとって少将は警戒が必要な相手なのだ。警戒が必要?敵と言う事か?しかし何故少将が彼の敵なのだろう?私は気になって少将に尋ねてみた。すると少将は苦笑しながら気にする事は無い、といってくれた。そして続けて

「彼の判断基準は二つしかありません。ミューゼル中将にとって役に立つか、立たないか。ミューゼル中将の味方になるか、敵になるか。それだけです。いずれ敵ではないとわかるでしょう」

と言った。そうだろうか?キルヒアイス少佐の言った“ヴァレンシュタイン少将が時に恐ろしく思えるときがあります”あの言葉の意味が私にはわかるような気がする。私も同じ思いなのだ。少将がときに恐ろしく思えるときが有る。彼の警戒は敵か味方かではなく、恐ろしさに対するものではないだろうか。もしそうなら、彼の警戒は止まる事はないだろう。常に私たちを警戒し続けるに違いない。


 私は夜リューネブルク少将に会っていた。少将が私の昇進祝いをしてくれるというのだ。帝国では一緒にお酒を飲む相手もいない。ヴァレンシュタイン少将はアルコールが全然駄目で相手にならない。そういう点でリューネブルク少将は得がたいパートナーだった。食事を終え、場所を変えてアルコールを楽しむ。リューネブルク少将とは、帝国と同盟の両方の話が出来る。共に同盟の料理を酒を懐かしみ話が弾んだ。私はリューネブルク少将に昼間のことを話してみた。

「なるほど。ま、余り気にするな」
ヴァレンシュタイン少将と同じ事を言う。
「犬というのはな、主人が一番なのだ。そして主人を脅かしそうな人間を見つけると警戒する。実際に脅かす事は無いとわかっていてもだ。優秀な犬ほどそうだ」

酷いたとえだ。でもわかるような気がする。
「キルヒアイス少佐は犬ですか」
「ただの犬じゃない、優秀な犬だ」
「リューネブルク少将はミューゼル中将とヴァレンシュタイン少将をどう思いますか?」
「そうだな。ヴァレンシュタイン少将によるとミューゼル中将は天才だそうだ。俺から見ても才能、野心、覇気いずれも傑出している事は確かだな。ヴァレンシュタイン少将には才能はともかく、野心、覇気は余り感じられん」

「そうですね」
「しかし、底のしれなさ、奥行きの深さではヴァレンシュタイン少将の方が上ではないかと俺は思っている」
「…少将もそう思いますか」
「大尉も同じ思いか」
「はい」

 私と少将だけではないだろう。ヴァレンシュタイン少将の“底の知れなさ”、“奥行きの深さ”を感じている人間は。だれが捕虜を副官にするだろう、そしてその副官を同盟に帰そうとするだろう。あの時少将は私の幸せだけを考えてくれていた。有り得ない話だ。その有り得ない話が起きた時、私は少将の優しさに捕らわれ帝国人として生きる事を選択した。

蒼白な顔をして、私を帰すために使者になった少年をどうして見捨てられるだろう。リューネブルク少将も同じだ。同盟に絶望し帝国にも絶望した彼は自分より十歳以上年下の少年に希望を見た。いずれ彼はヴァレンシュタイン少将の元へ行くだろう。自らの意思によってだ。

恒星。ヴァレンシュタイン少将は多くの惑星を持ち、その中心にいる恒星なのだ。まだ恒星は小さい。しかし、これから大きくなればなるほど惑星の数は増えていくだろう。そして少将は自分が恒星だということがわかっていない。その事が周囲の警戒を呼んでいるということに…。




 

 

第四十一話 予兆

■ 帝国軍ミュラー艦隊旗艦バイロイト ナイトハルト・ミュラー

 俺が属するミューゼル艦隊は先鋒としてアルレスハイム星域をパランティアに向かって進んでいる。そのミューゼル艦隊の中でも最先頭で哨戒行動を取りつつ進むのが俺の艦隊だ。戦艦十隻、巡航艦五十隻、駆逐艦百十隻、砲艦三十隻、ミサイル艦十隻、護衛空母五隻の合計二百十五隻。ささやかな艦隊だ、しかし俺はこの艦隊を一生忘れないだろう。軍人になって以来ずっと夢見ていた将官となり、提督として初めて指揮した艦隊なのだ。提督席に座り、前方に広がる宇宙を見る。心が躍り、頬が緩む。

「いかんな」
思わず声がでた。全くいかん、この程度で浮つくとは。俺はヴァンフリートでのエーリッヒ・ヴァレンシュタインを思い浮かべた。どんなときでも常に冷静で沈着だった僚友、少しは彼を見習わなければ。今回の戦いで功績を挙げれば少将に昇進するだろう。

 ようやくエーリッヒに追いつくわけだ。ライバル意識が有るわけではない、ただ少しでも近くに居たいと思うのだ。今回の戦いもあいつがいてくれたらどんなに心強いかと思う。この艦隊が、いやミューゼル艦隊が十分な働きが出来るのも彼のおかげだ。俺たちが物資の融通を頼んだ後、エーリッヒは迅速に対応してくれた。

兵站統括部で物資の手当てを行なうとミュッケンベルガー元帥に掛け合い、訓練の許可を得てくれた。その上で訓練日程を司令部の作戦参謀と調整してくれた。言葉にすれば簡単だが、物資の手当て、作戦参謀との調整等大変だったろう。なんと言ってもシュターデンを説得したのだから。感慨にふけっているとオペレータが緊張の声を上げる。

「閣下、哨戒中のワルキューレより前方を百隻ほどの艦隊が航行中との連絡が入りました!」
「全艦戦闘配置につけ」
「旗艦タンホイザーに連絡。我、敵と接触せり、敵規模およそ百隻」
続けざまに命令を出す。先ほどまで静かだった艦内が一気に喧騒に包まれる。敵はこちらの半分か、おそらく向こうも哨戒部隊だろう。焦らずに戦えば勝てる相手だ。部下達の信頼を得るためにも、ミューゼル中将の信頼を得るためにも初陣を勝たなければ。

■ ミューゼル艦隊旗艦タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル

 中央のスクリーンにミュッケンベルガーが出るまでおよそ百を数えるほどの時間があった。はて、俺は嫌われているのかな?それとも取次ぎのシュターデンの嫌がらせか?

「待たせたな、ミューゼル中将。敵の輸送船を拿捕したと聞いたが?」
「はっ、先行して哨戒行動を行なっていたミュラー准将が反乱軍の輸送船百隻ほどを拿捕しました」
「護衛艦はいなかったと聞いたが?」
「はっ、いませんでした。捕虜に確認したのですが、護衛艦もティアマト方面に移動したようです」
「護衛艦もいないのでは、武勲といえませんな」

シュターデンか。相変わらず馬鹿な男だ。ミュッケンベルガーも同感なのだろう。顔をしかめている。
「敵はティアマトを重視しているということか、陽動は上手く言ったようだな」
「はい」

 帝国軍は今年一月の中旬頃からティアマト星系で小規模の偵察活動を頻繁に行なった。帝国軍の狙いはティアマト星系だと思わせるために。どうやら反乱軍は引っかかったようだ。
「それと、敵の輸送船ですが、軍のものではありません。民間のものです」
「どういうことだ?徴発したのか」

ミュッケンベルガーは不審そうだ。当然だろう、俺も最初聞いたときは同感だった。
「いえ、なんでも前線基地への補給だったのですが、輸送船の手配ミスから補給が間に合わず民間に輸送を委託したようです」
「やはり近くに基地があるか…」
ミュッケンベルガーの声に苦悶が走る。

「はい。但し補給基地のようです。ティアマト方面の補給を重視する余りこちらの補給がおろそかになったというか…」
「放置しても問題ないか」
「閣下。敵の基地を放置など…」
「止めよ!シュターデン。ミューゼル中将どう思うか」
「放置しても問題ないと思います。敵には宇宙空間での戦闘能力はまずありません。あっても微々たる物です」

「よし、ならば放置だ。先へ進もう。敵はどの辺で我々を待ち受けると思うか」
俺を試すのか、この老人。
「敵は陽動に引っかかりました。となるとアルレスハイム、パランティアでの迎撃は難しいでしょう。おそらくはパランティアとアスターテの間ではないかと」
「うむ。予定通りだな、中将」
「はっ」

合格か。ま、当たり前だが。
「ミューゼル中将、敵の補給船を拿捕し物資を奪った事、よくやった。卿の艦隊はこれまでどおり先鋒として、アルレスハイムを抜けパランティアからアスターテを目指せ」
「はっ」

 敵はこちらの作戦に引っかかった。昨年のイゼルローン要塞攻防戦の早期停戦、そしてティアマト方面での陽動作戦により反乱軍は、ミュッケンベルガーの真意は艦隊決戦に有る、主戦場はティアマトと判断した。彼らを愚かだとは責められないだろう。俺とて最初はティアマトだと思ったのだ。しかし我々はアルレスハイムからパランティアを抜けアスターテを目指している。

アスターテからはドーリア、エル・ファシルの二つの星系へ行く事が出来るのだ。当然敵にとってそれは好ましい事態ではない。敵はこちらがアスターテに入る前に阻止しようとするだろう。反乱軍はティアマトに展開しているはずだ、となればパランティアは間に合わない。パランティアとアスターテの間がやっとだろう。おそらく補給を含めた後方支援の準備は余り出来まい。長期戦は出来ないということだ。ミュッケンベルガーの望む艦隊決戦が生じようとしている。

 俺は今までミュッケンベルガーを過小評価していたかもしれない。ヴァンフリート、イゼルローン要塞攻防戦、いずれもヴァレンシュタインの力によって勝利を得たと思い、ミュッケンベルガーを凡庸だと思っていた。しかし今回の作戦を見る限りミュッケンベルガーはなかなかの用兵家だ。

あるいはヴァレンシュタインの助言が有るのかもしれないが、それを受け入れるのも将としての力量だろう。“誰を味方にすべきなのかを見極め、そして味方を得る事”ヴァレンシュタインがキルヒアイスに託した俺への伝言。艦隊の規模が大きくなった今、まさに俺に必要とされているのは俺を助けてくれる味方を得る事だろう。ウルリッヒ・ケスラーを参謀長に得た今は特にその思いが強い。俺の味方になり、俺の覇業を助けてくれる味方を得なければならない……。

■ オーディン 兵站統括部第三局第一課

 ミュッケンベルガー元帥は順調に軍を進めているらしい。今頃はパランティアを過ぎアスターテに向かっている頃だな。あるいはもう同盟軍との間で戦闘状態になっているかもしれない。此処まで敵を振り回したのだ、まず負ける事はないだろう。残念なのはウィレム・ホーランドが第六次イゼルローン要塞攻防戦で戦死したことだ。あいつがいればもっと楽に勝てるんだが。

 それにしても妙な事件が起きた。敵の輸送船、それも民間の輸送船を拿捕ということは原作でのグランド・カナル事件だが、こっちでも似たような事件が起きたか。多分ティアマト方面を重視する余り、護衛艦を全部ティアマトに振り向けたのだろう。ロボス大将にとっては正念場だからな。

しかし裏目に出た。民間人にまで被害が出たということは、余程の大勝利を得なければ国民は納得しない。まして戦略レベルでこちらの陽動に引っかかった結果ともなればなおさらだ。九分九厘ロボスの更迭は決まった。問題は後任が誰かということだな。シトレ元帥はクブルスリー、あるいはボロディン、思い切ってウランフというところを考えているかもしれない。グリーンヒルは難しいだろうな、ロボスの補佐だから。

しかし、トリューニヒトが簡単にそれを認めるとも思えない。しかしトリューニヒト派で宇宙艦隊司令長官が務まる人材がいるか?どうも思い浮かばない。あるいは妥協の産物としてビュコックという可能性も有るか。

■ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

 少将がなにやら考え込んでいる。ココアを飲みながら眉をひそめて“難しいな”、“それも有るか”などと独り言を呟く。こういうときは邪魔をしないほうがいい。考えているのは遠征軍の事ではないと思う。同盟軍がこちらの陽動に引っかかった時点で、少将は遠征軍に関して心配することはやめたようだ。

次の戦争の事かもしれない、もしかしたら人事のことかも。次の人事では少将はまた宇宙艦隊司令部に異動になるだろうといわれている。シュターデン少将の評判が良くないのだ。その分ヴァレンシュタイン少将への期待になっている。その時だった。少将のTV電話が鳴る。少将は二言三言話すとTV電話を切り、ディーケン少将に出かける事を伝えると準備を始めた。私も慌てて準備をする。

 少将が向かったのは軍務省人事局だった。軍務省では少将を見ると皆ヒソヒソと話し始める。少将は受付を無視して進もうとし受付の女性に呼び止められた。受付を通さないと困るということみたいだ。予約はありますか?と言っている。もっとも女性は怒っていない。少将に対して好意的なようだ。多分話したいのだろう。

その分こちらを見る眼はきつい。少将は“ハウプト中将に至急といわれています”と話した。女性は確認を取ると、慌てて“すぐ局長室に行ってください”と言ってきた。その言葉に周りがざわめく。ヴァレンシュタイン少将がハウプト人事局長に会う、急ぎの用件で、ビッグニュースだろう。少将は周囲の喧騒を無視して局長室に向かう。憎らしいほどの落ち着きぶりだ。つねってやりたい。

少将は局長室に入った。私は部屋の外でお留守番だ。結構時間がかかるだろうなと思っていると、すぐ出てきた。そして少し困った表情で“厄介な事になるかもしれない”といって歩き出した。厄介な事? この子にとって厄介な事って何なんだろう? そんな物有るのだろうか?そんな事を考えながら少将の後を追う。少将が次に向かった先は……尚書室だった。これって厄介な事だよね? 多分。














 

 

第四十二話 皇帝不予

■ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

 尚書室に入った少将はすぐ部屋から出てきた。今度は連れがいる。八十歳近い年老いた軍人と三十歳前後の軍人だった。老人の方は見覚えが有る。エーレンベルク軍務尚書だ。慌てて敬礼すると元帥は面倒くさげに答礼してきた。若い男性の方も何処かおざなりな答礼だ。それでもレオポルド・シューマッハ中佐と名乗った。三人の後を追って私も歩く。一体何が起きてるんだろう。遠征軍に何か起きたんだろうか?

 不思議な事に三人は正面玄関に向かったわけではなかった。裏口に出て用意されていた大型の地上車に乗り込む。やばい、やば過ぎる。お偉方と裏口からコソコソなんてどう考えてもまともじゃない。私は少将の方を時々見るのだが、少将は少しもこちらの視線に気付いてくれない。なにやら考え込んでいる。エーレンベルク軍務尚書もシューマッハ中佐も一言も喋らないから私の不安は増大する一方だ。地上車は何処に向かっているのだろう?考えるまでも無くわかった。徐々に新無憂宮に近づいている。行きたくない、無性に車から降りたくなった。

 地上車は新無憂宮の人気の無い所に止められた。後で教えてもらったのだが南苑の端のほうだったらしい。軍務尚書は先頭になって歩き出す。何処に行くのかと思っていると十分ほど後、新無憂宮の裏手にある小さな出入り口に入った。私は新無憂宮に来るのは初めてだ。以前から来たいと思っていたが、こんな形では来たくなかった。しばらく廊下を歩いていると、ドアがあった。軍務尚書は私達の方を一瞬見るとドアを開けた。

「ここだ。入るがよい」
シューマッハ中佐と少将が入る。私はどうすべきかと考えていると
「貴官はここで待て」
と言われた。もちろんですよ、元帥閣下、中になんか入りたくありません。

「元帥閣下、彼女も入れてください。二度手間になります」
「…いいだろう」
有り難くも優しい言葉だった。中には一人の老人がいた。痩身で銀髪の険しい眼をした老人だ。七十歳を越えているだろう。この老人は……。

■ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

 部屋の中にいたのは国務尚書リヒテンラーデ侯だった。
「卿がヴァレンシュタイン少将か」
「そうです」
今をときめく国務尚書がたかが少将のことなど知るわけもないか…。それにしても値踏みするような視線と声だ、不愉快な。

「閣下、一つ伺ってもよろしいですか」
「何かな、少将」
「ここから、部屋を出て何も聞かずに帰るという選択肢はありますか」
リヒテンラーデ侯はにこりともせず
「面白い冗談じゃな」
と言った。

いや、冗談じゃないんです。軍務尚書に呼ばれて部屋に行ったら“厄介な事が起きた。これから新無憂宮に行く。卿も同行せよ”で、ここまで来ただけなんで、出来れば帰りたい。それにしても何が起きた?シュタインホフがいないと言う事は遠征軍の事じゃないだろう。国務尚書がいるのだから政治面だとは思うが何故軍人の俺を呼ぶ?

「陛下が倒れられた」
「!」
フリードリヒ四世が倒れた?どういうことだ?何故今倒れる?俺とシューマッハ中佐は思わず顔を見合わせる。
「今朝、グリューネワルト伯爵夫人の部屋で倒れられ、そのままじゃ」
リヒテンラーデ侯の顔は沈鬱に沈んでいる。シューマッハ中佐が問い続ける。

「御容態はいかがなのです」
「判らぬ。医師の話では心臓が弱っているそうだが、はっきりとした事は…」
言葉の語尾を濁すとは余程悪いのか?
「意識は有るのですか」
「無い」
リヒテンラーデ侯の顔はますます沈んでくる。エーレンベルクも苦い表情だ。

「そのことを知る者は」
「グリューネワルト伯爵夫人と侍女が数名。それに医師。緘口令は敷いてある。表向きには陛下は御気分が優れず本日は伯爵夫人の下で御静養となっておる。まず疑われる事はあるまいが、それとて二日も保てばいいほうだろう」
御気分が優れずか、これまでにも何度かあったろう。それより何故シュタインホフがいない?

「シュタインホフ元帥に知らせなくてよいのですか?」
俺の問いに答えたのはエーレンベルクだった。
「シュタインホフには知らせなくともよい。彼は私とミュッケンベルガーに反感を持っている。このことを知ればどんな動きをするかわからぬ」
「少将、国務尚書の、いや我等の不安がわかるか?一つ間違えば帝国は内乱になりかねぬのだ」

 軍務尚書の言う事は正しい。帝国には今、後継者がいない。皇帝には三人の孫がいる。皇孫エルウィン・ヨーゼフ、ブラウンシュバイク公家のエリザベート、リッテンハイム侯家のサビーネ。しかし、フリードリヒ四世はそのいずれも後継者に選んでいないのだ。当然ブラウンシュバイク公家、リッテンハイム侯家は後継者争いに必死だ。両家の対立は抜き差しならないところまで来ているといっていい。敗者は勝者によって滅ぼされるだろう。その状態でフリードリヒ四世が倒れた、しかも意識がない、つまり後継者を指名できない。帝位は実力によって奪い取った者が得る事になる。

 ミュッケンベルガーが居れば話は別だった。これまで両家の暴発はミュッケンベルガーが防いできたと言っていい。ミュッケンベルガーは実戦兵力を統括し、近年その声望は他を圧し追随を許さない。彼の持つ軍事力と声望はブラウンシュバイク公家、リッテンハイム侯家を自重させるのに十分な力を持っていたのだ。

しかし、そのミュッケンベルガーがいない。頭を抑えるものがなくなった今、皇帝重病を知れば彼らは間違いなく行動を起す。一度たがが外れれば後はとめどなくエスカレートするだろう、行き着くところは武力での殺し合い。そうなれば軍務尚書も国務尚書も命は無い。

ブラウンシュバイク公家、リッテンハイム侯家ともに味方集めの段階で次の軍務尚書、国務尚書をポストとして提示するだろう。彼らは邪魔なのだ、生きているより、死んでくれたほうが都合がいい。そしてシュタインホフ。彼はここ近年エーレンベルク・ミュッケンベルガー連合に押されている。彼らを失脚させるためならどんな手を打つかわからない。この二人にとって、いやミュッケンベルガーにとっても状況は最悪だ。彼らにとって内乱=死だ。三人共、生死の狭間を歩いている。

「小官に何をせよと?」
「ブラウンシュバイク公家、リッテンハイム侯家の暴発を防ぎ、内乱を防ぐのだ」
簡単に言ってくれるな、エーレンベルク。

「しかし、何故小官なのです。軍務省に人はいるでしょう」
「軍務省の人間は多かれ少なかれ両家と繋がりが有る。陛下の御病状を知れば内乱を防ぐ事より、その情報を売り込んで出世をしようとするだろう。だが卿は違う」
「……」

「卿は両家とは繋がりが無い。それに出世の亡者と言うわけでもない。そして我等を手玉に取るだけの政治力も有る」
「……」
「ミュッケンベルガーは卿のことを食えぬ男だと言っておった、そして信頼できる男だとも。私もそう思う」
「買い被りです」

「そうではない。私もミュッケンベルガーも卿のことをずっと見てきたのだぞ、サイオキシン麻薬以来ずっとだ」
「……」
「このオーディンで内乱が起きれば、あっという間に内乱は帝国内に広まるだろう。どれだけの人間が死ぬ事になるのか想像もつかん。無論われらも死ぬ事になる」
「そうですね」
「救ってくれ、ヴァレンシュタイン、頼む」

「……小官はどういう立場で動く事になりますか」
「帝都防衛司令官だ」
「? しかし帝都防衛司令官は…」
「ラーゲル大将は病気療養になる」
「?」

「あれは、ブラウンシュバイク、リッテンハイムの両方に通じている。返って混乱を煽りかねん。卿は一時的な代理という形でその任につく」
とんでもない奴を帝都防衛司令官につけていたな。いやどちらか片方に通じているよりましか。だから帝都防衛司令官につけたか。

「憲兵隊、宮中警備隊を指揮下に置けますか?」
「うむ」
「装甲擲弾兵は?」
「……難しいだろうな、オフレッサーは遠征軍に同行しているが…」
「まとまりがありませんか?」
「うむ」
仕方ないな。リューネブルクを頼みにするしかないか。

「で、どうするのじゃ」
俺がやる気になったと見たのだろう。リヒテンラーデ侯が問いかけてきた。
「先ず、遠征軍を呼び戻します」
「やはり呼び戻さねばならんか」

「何時までも小官だけでは防げません。ミュッケンベルガー元帥と宇宙艦隊の力が必要です。それに…」
「それに、なんじゃ」
「もし、内乱が発生した場合、帝国は遠征軍の補給等を支援する余力はなくなります。最悪の場合、敵地で補給切れが発生し大敗を喫する可能性があります」

それだけではない。国内情勢しだいではミュッケンベルガーは亡命しなければならなくなる。しかし、あの老人にそれは出来ないだろう。となれば自殺となりかねない。
「不運だな、ミュッケンベルガーも」
エーレンベルクが呟く。あそこまで攻め込みながら撤退しなければならないミュッケンベルガーの事を思ったのだろう。

「それとリヒテンラーデ侯にお願いがあります」
「なんじゃ」
「先ず、陛下の御病状を発表してください」
「馬鹿な。卿は何を考えている」
シューマッハ中佐が異議を唱えるが、俺は引くつもりは無い。

「下手に隠すと後々責任問題になります、公表しましょう。その上で、“これを機にゴールデンバウム朝に敵意を持つものあり、皇位継承の有資格者を守れ”との命令を出してもらいます」
「それで、どうするのじゃ」
「小官はその命令を受け次第、ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家を憲兵隊で取り囲み、いかなる意味でも人の出入りを禁じます」
「軟禁するのか」

「いえ、警護するのです。一番まずいのは貴族たちが集まって無責任に騒ぐ事です。暴発しかねない。だからブラウンシュバイク、リッテンハイム両家を隔離します」
「なるほど」
「それと夜間の外出を禁止する命令を出します」
「うむ」

「それから、宮中においても“陛下御病床にあり、騒ぐ事を禁ず”と命令を出してください。むやみに騒ぐものはこちらで取り押さえます」
「大丈夫か、押さえつけるだけで」
「いざとなれば馬鹿な貴族を二、三人殺します」
「!」

「彼らは自分たちの利のために騒いでいるのです。死ぬためにではありません。危険だと思えば不満には思ってもおとなしくするでしょう」
おとなしくなって欲しいもんだ。厄介な事になった。

 それにしてもフリードリヒ四世はどうなるのだろう? ここで死ぬような事があるのか? 原作では来年死ぬはずなのだが早まったか? いや待て、原作でも一度重態になっている。但しアルレスハイムの会戦があった時だから帝国暦483年、今から三年前だ。こっちではそんな事は無かった…。どうなっている。

 もしフリードリヒ四世が死ぬような事になった場合キャスティングボードを握るのはミュッケンベルガーか。リヒテンラーデ・ミュッケンベルガー枢軸が出来る? まさかな、そんな事が有るのか、ラインハルトはどうなる? 現時点では一艦隊司令官に過ぎない。ほとんど何も出来ないだろう。

 何とかフリードリヒ四世には健康になって欲しいものだ。全く先が読めなくなった。
ミュッケンベルガーが戻ってくるまで一ヵ月半はかかるだろう。それまで持たせる事が出来るか?最悪の場合、俺自身が亡命を考えなければならないだろう。イゼルローンで喧嘩売らなきゃよかった……。


 

 

第四十三話 鉄の意志

 すぐに行動に移らなければならない、がその前に確認しておく必要が有る。
「軍務尚書閣下。そちらのシューマッハ中佐ですが閣下の副官ですか」
「違う。シューマッハ中佐は有能な男だ。卿の補佐をする事と私との連絡役だ」

「中佐はブラウンシュバイク公とかかわりが有りますか? フレーゲル男爵と」
「何の事ですかな、少将」
「私の勘違いならいいのですが、シューマッハ中佐がフレーゲル男爵とかかわりが有ると聞いたような気がするのですが」

気のせいじゃない。リップシュタット戦役でフレーゲル男爵の参謀だった男がシューマッハ中佐だ。後にエルウィン・ヨーゼフ二世誘拐の実行者にもなる。
「何の事だ、少将。シューマッハ中佐はブラウンシュバイク公とは何も関係ないが」
「閣下。誤解が有るようですが、小官はブラウンシュバイク公ともフレーゲル男爵とも関係有りません」

本当か? だとするとシューマッハがフレーゲルと繋がりを持つのはこれ以後ということになるが? 油断は禁物だがとりあえず信用して見るか。

■ ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

 とんでもない事になった。この国は今内乱の危機に有る、そして少将がその内乱を防ぐ帝都防衛司令官代理だなんて。さらに軍務省からの通達で帝都防衛司令官代理の職にある間、少将の階級は大将となることになった。少将は“殉職したら大将のままですかね”、“二階級特進か、死んで来いってことですかね”などと言っている。そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!
一つ間違えば少将自身も危ない事になる。私はもう逃げ出したくなった。

少将は帝都防衛司令部を新無憂宮の中、東苑の一室に設けた。東苑は政権の中枢であり謁見や会議が行なわれる場所だ。少将は先ず政府を抑えるらしい。帝都防衛司令部には続々と人が集まってくる。憲兵隊、宮中警備隊、帝都防衛司令部所属の艦隊司令官、リューネブルク少将、兵站統括部からも応援が来る。

貴族や官僚たちはなにが起きたのかと聞きに来るが、リヒテンラーデ侯が“ゴールデンバウム朝に敵意を持つものあり、宮中に対してもテロを行なう可能性が有る、そのための処置だ”と言って説明した。その後は憲兵隊が出入り口を封鎖し部外者の出入りを禁止する。

ようやく必要な人員が揃うと、少将が皆に話し始めた。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタインです。帝都防衛司令官ラーゲル大将が病気療養のため職務の遂行が不可能となりました。よって小官が帝都防衛司令官代理として帝都の治安と安全を守る事を命じられました」

ざわめきが起きる。無理もないだろう、いかに切れ者と評価が高いとはいえ一少将が防衛司令官代理とはどういう事か、みなそう思っているに違いない。馬鹿にしている、そう思って少将に反感を持っている人間も居るだろう。
「なお、帝都防衛司令官代理の任に有る間、小官の階級は大将となります。お含み置きください」

さすがにだれも口を開く人間はいない。お互いにしきりに眼を見交わす。一部の人間は少将をじっと見ている。皆何かが起こったことを理解したのだ。ただ、何が起きたのかが判らないでいる。

「我々をここへ集めた理由をお教えいただきたい」
発言したのはリューネブルク少将だった。
「先程言ったとおりです。帝都の治安と安全を守るためです」
「?」

「皇帝陛下がお倒れになりました」
「!」
皆の視線が少将に集中する。
「御容態は芳しくありません」
「…」

「知っての通り、陛下は後継者を定めておりません」
何人かがうなづく。
「このオーディンで内乱が起こる可能性があります」
また視線が少将に集中する。そばに居る私でさえ痛いと感じるほどだ。自分たちが何故呼ばれたのか理解したのだろう。

「我々の仕事は内乱を防ぎ、帝都の安全を守る事です」
「……」
「既にリヒテンラーデ侯より通達が出ています。ゴールデンバウム朝に敵意を持つものありと。これは建前です。この建前を利用して内乱を防ぎます」
「それはどういう事ですか」
憲兵隊だろう。中年の士官が質問してきた。

「皇位継承の有資格者をテロより守る。それを名目にブラウンシュバイク、リッテンハイム両家を護衛します」
「護衛?」
中年の士官は訝しげに言って周囲を見渡す。

「憲兵隊で両家を取り囲み、いかなる意味でも人の出入りを禁じます」
「!」
「それは、監禁では」
「その通りです。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を他の貴族から隔離することでお二方が暴発するのを防ぎます」

「しかし、貴族たちが面会を求めるでしょう。どうします」
「殺してください」
「!」
皆息を呑む。貴族を殺す!何を言ってるか判ってるの。

「皇位継承の有資格者を危険にさらす事は出来ません。貴族たちの中にテロリストの同調者が居ないとは限らないのです。テロリストの同調者として殺してください」
少将はあくまで冷静に殺す事を要求している。そして殺すだけの大義名分は用意されているのだ。周囲は皆完全に少将に気圧されている。一見すると女性にも見える少将が冷徹に殺人を要求している。

誰かが唾を飲んだのだろう。ゴクリという音が部屋に響く。ビロードに包まれた鋼鉄の手、私の頭の中にそんなイメージが浮かぶ。そして少将は今ビロードを脱ぎ捨てようとしている。鋼鉄の爪を振るうために。

「しかし、殺すのはいくらなんでも」
「中途半端に逮捕などすればかえって厄介です。相手に付け込む余地を与えるだけでしょう。殺してください」
「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が面会を望んだら?」

怯えているような声の問いだった。答えはわかっている、私だけじゃない、皆判っているだろう、聞きたくない。
「殺してください」
「しかし、それは」
「我々の任務は、皇位継承の有資格者をテロより守ることです。我々が守るのは皇帝陛下の御血筋の方のみ。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は両家の当主であって陛下の御血筋の方ではない。ためらう必要は有りません」

少将の言動には寸分の揺るぎも無い。少将を敵に回したくない。ここまで冷徹な人を敵に回して生き残れる人が居るのだろうか?
「どうしても出来ないというのであれば、ここに連れてきてください。小官がヴァルハラへ送って差し上げます」
「!」

鉄の意志だ。この少年の怖さは二つある。一つは並外れた智謀、もう一つはこの鉄の意志。この二つがエーリッヒ・ヴァレンシュタインを形作っている。軍務尚書が彼を選んだのは間違っていない。彼以外にこの危機を打開できる人間が居るとは思えない。

「このオーディンで内乱が起きれば死者は何千、何万という数になるでしょう。そして必ず内乱は帝国全土に広まる。そうなれば被害がどれほどになるのか…、想像もつきません。我々はそれを防がねばならないのです。そのためなら野心に狂った愚か者などなんのためらいもなく殺せます」
「!」

「小官は大将閣下の指示に従います。装甲擲弾兵第二十一師団への御命令をいただきたい」
リューネブルク少将だ。周囲の視線がリューネブルク少将に集中する。しかしリューネブルク少将は微動だにせず、ヴァレンシュタイン少将を見ている。

「装甲擲弾兵第二十一師団は東苑と南苑の間に部隊を展開してください」
「宮中の警備ですか?」
「いえ、そちらは宮中警備隊にお願いする予定です。第二十一師団は戦略予備とします。万一、暴発した貴族が出た場合にはためらうことなく殲滅してください」

「承知した」
殲滅、リューネブルク少将はその言葉にもまったく動じる事はなかった。むしろ周囲のほうが慌てている。皆決断を迫られているのだ。

「憲兵隊はブラウンシュバイク、リッテンハイム両家を護衛すればよろしいのですね」
声を上げたのはまだ若い士官だった。
「キスリング中佐、控えろ」
「勝手に発言するな」
キスリング中佐というのが彼の名前らしい。中佐の発言を周囲が咎めている。

「では、内乱が起こるのを黙って見ていますか?」
「そんな事はいっておらん」
「憲兵隊に選択肢は二つしかありません。内乱が起こるのを黙って見ているか、それとも防ぐために尽力するかです。小官としては、大将閣下の指示に従い内乱を防ぐべきだと考えています」
「……」

「サイオキシン麻薬の一件で大将閣下の力量は我ら憲兵隊が一番知るところではありませんか。ためらう必要はないでしょう」
周囲がしぶしぶうなずく。わかっているのだ、少将に従うしかない事は。ただ、感情が納得しきれないでいるだけだ。

「では、これより準備にかかります」
「キスリング中佐、夜間の巡回もお願いします」
「承知しました」

結局憲兵隊が動いた事が決め手となった。後は次々に少将の指示を仰ぎだす。全ての指示を出し終わるとリューネブルク少将がやってきた。
「ヴァレンシュタイン大将閣下ですか、なかなかよい響きですな」
「二階級特進ですからね。死ぬ気でやれ、そんなところでしょう」
この二人はまるで緊張感を感じさせない。どこかで楽しんでるんじゃないだろうか?

「どの程度、大将閣下でいられるのですか?」
「そうですね、陛下の御病状が回復するか、ミュッケンベルガー元帥がお戻りになるまでです」
「となると長くても一ヵ月半ですか?」
「そうですね。出来ればもっと短くなって欲しいですが」
「その可能性は?」
リューネブルク少将が声を潜める。

「……判りません」
ヴァレンシュタイン少将は首を振った。
「長くなる可能性も有るでしょう、遠征軍は大丈夫ですかな」
「…多分としか答えられません。戦場では何が有るか判りませんから」
「その場合、状況は最悪といってよろしいが、策は有りますか?」

「…有りますよ。覚悟もあります」
二人の視線が交錯した。しばらくじっと見詰め合う。
「……なるほど。後は閣下の運次第ですな、楽しみにしております」
そう言うとリューネブルク少将は司令部を出て行った。おそらく第二十一師団を呼ぶのだろう。

ヴァレンシュタイン少将は策も有る、覚悟も有ると言っていた。リューネブルク少将は後は運次第、楽しみだといっている。二人は一体何を言っているのだろう。リューネブルク少将はヴァレンシュタイン少将の目に何を読み取ったのだろう…。


 

 

第四十四話 撤退命令

■ミューゼル艦隊旗艦タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル

 反乱軍が我々帝国軍を阻もうと陣を敷いたのはアスターテ星域までの距離が三十光時まで迫ったところだった。アスターテ星域は間近に有ると言っていい。反乱軍はこれ以上の後退は出来ず、きわめて困難な立場に追いやられた事になる。帝国軍の作戦勝ちだ。総司令官ミュッケンベルガー元帥は直ちに攻撃を開始した。強行軍で疲れているだろう敵を休ませることなく叩き、敵に決定的な痛打を与えることで帝国の優位を確定する、戦闘前に出された訓辞に俺も同感だった。

閃光が煌めき、スクリーンが白光に包まれる。反乱軍の中性子ビーム砲が発射されたのだ。
「先頭集団、攻撃せよ」
「敵ミサイル群、接近」
「囮ミサイル、発射します」
「主砲斉射」

命令と報告が慌ただしく交錯する。先頭集団が敵に喰らいついた。ミュラー准将もあの中にいるだろう。彼には無事に帰ってきて欲しいものだ。オーディンから此処に来るまでの間で彼の有能さは十分に俺を満足させた。この遠征での最大の戦果はケスラーとミュラーを知った事かもしれない。二人とも優に一個艦隊は指揮できる能力は有るだろう。

俺の率いる艦隊は帝国軍の最右翼を担当している。順調に敵を押し込み、敵の側面を削り取りつつある。敵は徐々に中央に押し込まれ全体の陣形が少しずつ歪に成りつつある。後は中央部が敵を押し崩し、それに合わせてこちらも接近戦で敵を混乱させる。おそらくそれで敵の右翼は戦線を維持できなくなるはずだ。

「閣下、ワルキューレを発進させますか?」
「うむ。そうしてくれ」
ウルリッヒ・ケスラー。出来る参謀長がいると司令官は楽だな。俺はそう思い、ふとグリンメルスハウゼンを、ヴァレンシュタインを思い出し苦笑した。
「いかがなされました?」
キルヒアイスが不思議そうな顔で聞いてくる。

「いや、出来る参謀長がいると司令官は楽だと思ったのだ」
「これは、恐れ入ります」
キルヒアイスは穏やかに微笑み、ケスラーは面映そうだ。グリンメルスハウゼンの事はケスラーには言えんな。

「中央部、敵を押しつつあります」
「味方ワルキューレ、敵右翼を攻撃中」
「敵右翼混乱しつつあります」

「閣下」
ケスラーが俺に攻撃命令を促す。
「全艦に命令。最大戦速で敵右翼の側面に突入せよ。我が艦隊の力で勝利を勝ち取るのだ!」
「はっ」

オペレータ達が命令を伝達する。艦隊が速度を上げ敵の右翼に近づく。それと同時に敵の反撃も厳しくなる。レーザー水爆ミサイルが囮ミサイルが飛び交い、互いに主砲を打ち合う。しかし、押しているのはこちらだ。敵右翼の混乱は益々酷くなった。

「突入します!」
「敵右翼分断されつつあります!」
「味方中央、敵に対し接近中!」
「左翼部隊も敵を圧迫しつつあります」
「総司令部より命令! 攻撃せよ! 攻撃せよ! 攻撃せよ!」

その通りだ。今こそ攻撃すべきときだ。
「全艦に命令! 攻撃せよ! 攻撃せよ! 攻撃せよ!」
「はっ」

敵は全線で押されつつある。もう一歩で崩壊するだろう。今一押しだ。
「敵右翼潰走します」
「敵中央部、左翼後退しつつあり」
「閣下。追いますか、それとも中央部を攻撃しますか」
「全艦に命令、敵中央部を側面より攻撃せよ」
「はっ」

勝敗は決した。あとは追撃を行い戦果の拡大を図ればいい。
「総司令部より命令! これは」
「ん、どうした」
「はっ、つ、追撃を中止し、撤収せよとのことです」
「馬鹿な! 総司令部は何を考えている! 千載一遇の機会ではないか! 気でも狂ったか! 」

俺は思わず、提督席から立ち上がった。何を考えている、ミュッケンベルガー、貴様の望む艦隊決戦、その勝利を何故捨てる!
「閣下、落ち着いてください」
「何を落ち着けというのだ、ケスラー」
「味方は攻撃を打ち切りつつあります。このままでは我が艦隊は敵中で孤立します」
「……攻撃中止、撤収せよ」
俺は床を蹴りつけた。



■帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ ラインハルト・フォン・ミューゼル

 会戦は中途半端な形で終結した。敵右翼には損害を与えたが、左翼、中央部は戦線を維持したまま後退に成功。決定的な勝利を収めるには行かなかった。会戦終了後、総旗艦ヴィルヘルミナで将官会議が開かれる事になった。俺は憤懣を胸に秘め会議室へ向かった。

「ご苦労である。此度の攻撃停止命令、皆納得のいかぬことであったと思う。良く我が指揮に従ってくれた。礼を言う」
ミュッケンベルガーの顔色は暗い。後悔しているのか? 妙なのはシュターデンだ。妙に興奮しているように見えるが、どういうことだ?

「我々は軍人です。上官に従う義務があります、しかし、何故攻撃停止命令を出されたか、其の訳をお話ください」
俺のような若造が口を出すべきではないのは判っている。それでも俺はミュッケンベルガーに言わざるを得ない。勝っていたのだ。

「帝都オーディンより撤退命令が出た」
「!」
周囲がざわめく。撤退命令? どういうことだ、誰が出した? シュタインホフ? それともエーレンベルクか?

「皇帝陛下不予、遠征軍は至急撤退せよとのことだ」
ミュッケンベルガーの声は重く暗い声だった。部屋が凍りつく。皇帝陛下不予! フリードリヒ四世が死に瀕しているのか、あの男が。
「残念では有るが、帝都オーディンへ向け撤退する」
「はっ」

「ミューゼル中将、卿が殿を務めよ。敵は今回の戦いに不満を持っていよう。我等が撤退すると知れば追撃してくる可能性が高い。くれぐれも油断するな」
「はっ」
「では各自撤退準備に入れ、ミューゼル中将、卿は残れ」


 誰も居なくなった会議室に俺とミュッケンベルガーが残る。ミュッケンベルガーは俺に背中を見せている。少し気落ちしているようだ。無理もない、もう少しで大勝利を得られたはずなのだから。

「ミューゼル中将。今回の戦い、見事であった」
「はっ」
「…無念だ」
「…」

「中将、私は運の無い男だな」
「! 何を仰られます。我が軍は勝ったでは有りませんか」
「しかし、止めをさせなかった…」
「それは…」
「…無念だ」

俺は何も言えなかった。ミュッケンベルガーの気持ちが痛いほどわかる。もしかするとミュッケンベルガーは泣いているのではないだろうか。そんな事を思わせる背中だった。気を取り直して声をかける。自分でも驚くほど優しい声が出ていた。俺はこんな声が出せたのか?

「閣下、再戦の機会があります、それを待ちましょう。今回の戦い、決して無駄ではありません。敵に大きな損害を与えたのです。帝国の優位はより大きくなりました。運が無いなどと仰られてはいけません」
ミュッケンベルガーは苦笑したようだ。俺の慰めなど返って侮辱にでも感じたか。

「そうだな。宇宙艦隊司令長官にまでなった男が運が無いなどといっては、死んでいった者達に怒られよう。私は勝った! そして卿やヴァレンシュタインのような部下もいる。不運などではない」

ミュッケンベルガーがこちらを振り向いた。驚くほど柔和な眼をしている。この男はこんな目をする男だったか…。
「見るが良い」
ミュッケンベルガーは懐より通信文を取り出し俺に差し出した。

“帝都オーディンはヴィルヘルミナの加護を願う”
「オーディンはかなりまずい事になっているようだ」
「はっ。“ヴィルヘルミナの加護を願う”ですか」
「それも有るが、発信者を見たか?」
発信者? 慌てて見る。軍務尚書エーレンベルク元帥、帝都防衛司令官代理ヴァレンシュタイン大将…帝都防衛司令官代理? ヴァレンシュタイン大将?

「閣下、これは」
「おそらくヴァレンシュタイン少将を帝都防衛司令官代理にしてオーディンの治安を任せたのだろう。大将というのはよくわからんな」
「…」
「卿も判っていよう。オーディンは内乱の危機に有る」
「はっ」

その通りだ。フリードリヒ四世は後継者を決めていない。馬鹿が、おかげでこの有様だ。
「軍務尚書は事態が自分の手に負える状況ではないと判断したのだろうな」
「それでヴァレンシュタイン少将を」
「うむ。おそらく陛下は意識も無かろう。意識があれば後継者を指名させれば良い。それが出来ぬ状態にあるのだろう」
「…」

「私が居ればな。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も抑える事が出来るのだが。こうなってみるとヴァレンシュタイン少将を残したのはせめてもの救いだ。軍務尚書は彼に帝都防衛の全権を与え我らの帰りを待とうというのだろう」
「一ヵ月半はあります。持ちましょうか」

「あの男なら何とかするだろう。いやしてもらわなければ困る。卿も他人事ではないぞ」
「は? 小官もですか」
「わかっておらぬか。陛下がどこで御重態になられたと思う」
「……まさか」
「そうだ、グリューネワルト伯爵夫人のところだ、おそらくはな」
「……」

「恐れ多いことでは有るが、万一の場合、卿を敵視するものどもが何を考えるか、もう判るであろう」
「姉が陛下を害し奉ったと」
「うむ。卿を敵視する者たちにとって今回は千載一遇の機会なのだ。ミューゼル中将、これからの卿にとっての戦いは戦場だけではない。今オーディンで行なわれているような戦争も卿は行なわなければならん」

貴族を相手に陰謀、謀略か。俺に出来るだろうか、参謀が欲しい。俺を助けてくれる有能な参謀が。
「シュターデンには気をつけよ」
「は? シュターデン少将ですか」
「あれはブラウンシュバイク公に近い。私に何度かブラウンシュバイク公に付くように誘い掛けてきた」

「お付きになるのですか」
「馬鹿な、私の仕事は外敵を討ち、陛下の宸襟を安んじ奉らん事だ」
「はっ。失礼をしました」
「ミューゼル中将、焦るな。一つ一つ片付けるのだ。先ずは殿をしっかり務めよ。この遠征軍が敗北すれば、それだけでオーディンは内乱に突入しかねん」
「はっ」

ミュッケンベルガーのいうとおりだ。先ずは殿を務める事に専念しよう。オーディンの事はその後だ。ケスラーは元々憲兵隊にいた男だ。頼りになるだろう。それとヴァレンシュタイン、今はあの男を信じるしかない…。





 

 

第四十五話 敗戦

■同盟軍宇宙艦隊総旗艦アイアース ヤン・ウェンリー

 艦橋は安堵と絶望そして困惑の入り混じった何ともいえない空気が漂っている。同盟軍は敗れた。五万隻を超えた艦隊は約二割を損傷し、今戦える戦力は四万隻をわずかに超える程度だ。帝国軍のティアマト方面への陽動に引っかかったため兵は強行軍に疲れ切っている。補給も十分に行なえず、戦力の補充も出来ない。次に戦っても勝てる見込みは少ないとしか言いようが無い状況だ。

絶望感が胸を襲う。その一方で何故敵が攻撃を打ち切ったのか、追撃を止めたのか困惑があり、助かった事への安堵がある。あのまま攻撃を受けていれば損傷率は五割に達しただろう。会戦に参加した第三、第七、第八、第九の四個艦隊は戦力として計算は出来なくなったはずだ。残りは本国で首都警備にあたる第一、ティアマト方面で警戒中の第二、さらに現在艦隊再編成中の第五、第十、第十一、第十二を中心に決戦を挑む事になったろう。敵がその時間を与えてくれればだが…。

「何故、敵は攻撃を打ち切ったのだ?」
ロボス総司令官が問いを発する。しかし参謀たちの反応は鈍い。今回のロボスの指揮に不満があるのだ。ティアマト方面への陽動に引っかかった事はロボスだけの責任とは言えないかもしれない。

しかし、民間の輸送船を帝国に拿捕されたのは間違いなくロボスの責任だった。決戦用兵力を必要とするあまり、護衛艦までを引き抜いてしまったのだ。いくらティアマトが主戦場になると思ったとはいえ、アルレスハイム方面を疎かにしていいという理由にはならない。本国に戻ればこの問題で大きく叩かれる事は判っている。そして今回の敗戦…。

「判りません。しかし我々が時を得たのは間違いありません。艦隊の再編成を急がせましょう」
グリーンヒル中将が答える。もっとも艦隊の再編成は既に取り掛かっている。ロボスを落ち着かせるための回答に過ぎない。

「敵、後退します!」
「なんだと」
「どういうことだ」
「間違いないのか」
オペレータの声に参謀たちが反応する。
「間違いありません。帝国軍は後退しつつあります」

「どういうことだ、何故帝国軍は撤退する」
ロボス総司令官が改めて疑問を投げた。
誰も答えない。いや答えられない。互いに眼を見合わせるだけだ。

「敵の罠ではないでしょうか」
「馬鹿な、いまさら罠の必要が何処に有る」
「しかし…」
仕方ないな。私が答えるか…。

「本国で何か有ったのではないでしょうか」
「本国でだと」
周囲の目が私に集まる。これが嫌なんだ。ロボス総司令官は私を睨みつけるように見ている。

「ヤン大佐。それはどういう事かね」
グリーンヒル参謀長が続きを促す。
「帝国でミュッケンベルガー元帥を必要とする何かが起こったのではないかと言う事です。おそらく政治的混乱が起こったのでしょう。具体的には反乱か或いは皇帝が死んだのかもしれません。もちろん推測にしか過ぎませんが」
周囲がざわめく。“皇帝が死んだ?”、“あり得る”などの声が上がる。

「なるほど」
「追撃だ!」
いきなりロボス総司令官が叫んだ。
「敵を追撃し、一撃を与える」

「おやめになったほうがよろしいでしょう。敵は敗退しているのではありません。勝った上で撤退するのです。十分な備えをしているに違いありません。安易な追撃は返って危険です。むしろ敵に合わせてこちらも引くべきです」
「なにを言うか。政治的混乱が起きたのなら、敵は帰国するので気もそぞろであろう。十分な備えなど出来るはずも無い、追撃だ」

眼が血走っている。体も少し震えているようだ。まともな判断力など有るのか?
「閣下、ヤン大佐の言うとおりです。これ以上の戦いは避けるべきです。後退しましょう」
「追撃するのだ、参謀長。このままでは軍の名誉は…」
「帝国軍は撤退しております。同盟は守られたのです。これ以上は無理です」

「参謀長の仰るとおりです。第一、補給も十分でない現状で追撃など不可能です」
話しているのは私と参謀長だけだ。他の参謀はみな白けた顔をしている。名誉などと言っているが、ロボス総司令官が自分の地位を守るため、帝国軍を撃退したという実績が欲しいための追撃論だ。誰もまともには取り合わない。皆の頭の中でロボス総司令官は既に更迭されているだろう。

だれも自分の意見を支持しないとわかったのだろう。ロボスは不満げに口を捻じ曲げると“腰抜けが”と吐き捨て艦橋を出て行った。



同盟軍は首都ハイネセンに向かっている。私はキャゼルヌ先輩と話をしていた。場所はキャゼルヌ先輩に与えられた補給将校用の部屋だ。部屋には書類が山積みになっている。
「よかったよ。追撃など行なわなくて」
「全くです。ロボス総司令官の保身のために無駄な犠牲を出すなんて馬鹿げています」
「それよりも補給が間に合わなかった。追撃途中で補給切れなんて事になりかねない」
首を振りながらキャゼルヌ先輩が答える

「そこまで酷かったんですか」
「ああ、補給はほとんどがティアマト方面に行っていた。今こちらで補給をすぐ行なえと言われれば民間に頼らざるを得ない。しかしな」
キャゼルヌ先輩の表情は苦い。おそらく私も同様だろう。
「だれも引き受けないでしょう」
「その通りだ」

「ロボス総司令官も更迭だな。国防委員長にとってロボス総司令官の更迭は痛手だろうが次の宇宙艦隊司令長官はだれだと思う?」
「難しいですね。宇宙艦隊は厳しい状態にあります。再建も大変ですが、信頼も失いました。この状態を切り抜けるのは容易ではありません」
「国防委員長はその当たりをわかっているかな」

トリューニヒトか、軍に勢力を伸ばす事しか考えていない男にわかるだろうか。この軍の惨状が。
「順当に行くならボロディン提督、ウランフ提督、クブルスリー提督の三人から選ばれるでしょうね。あるいは思い切ってビュコック提督という人事も有るでしょう」

「ビュコック提督か」
ちょっと驚いたようだ。
「士官学校卒業では有りませんが、兵の人望は厚い。今の現状では適任でしょう」
「なるほどな」

「シトレ元帥に伝えますか」
「フン、判るか?」
「シトレ元帥は出来れば自分に対して協力的な人物をほしがっている。そうじゃありませんか?」

「否定はしない。しかし保身のためじゃない。ロボス総司令官は自滅に近い。シトレ元帥へのライバル意識がこの事態を引き起こしたと元帥は考えている。俺も同感だ」
確かにそうだ。否定は出来ない。それを彼に利用された…。

「ヤン、帝国でなにが起きたと思う?」
「判りませんね。しかし、遠征軍を呼び戻したのです。帝国内で軍事的な緊張が生じたのだと思います」

「軍事的な緊張か、何かな?」
「…皇帝が死んだか、重態、一番可能性が高いのはそれでしょう」
「……」
「皇帝は後継者を決めていません」
「後継者争いか」
私は頷いた。

「皇帝の容態は以前から思わしくなかったのかもしれません」
「何故そう思う」
「ミュッケンベルガー元帥は今回の事態を予測していた可能性があります」
「どういうことだ?」

「今回の遠征軍に彼がいません」
「彼? 」
「ヴァレンシュタイン准将、いや少将です」
「…しかし、彼がいないからといって…」
私はキャゼルヌ先輩の言葉をさえぎった。

「彼が今どこにいるか判りますか?」
「いや、知らない」
「情報部から宇宙艦隊司令部に回ってきた情報によると兵站統括部です」
「兵站統括部、どういうことだ。兵站統括部といえば…」
キャゼルヌ先輩もおかしいと気付いたらしい。
「彼が行くような場所じゃありません」

帝国では補給担当将校の地位は同盟より低い。それも圧倒的にだ。何故そこに彼がいる。
「ミュッケンベルガー元帥の不興を買ったということは無いか。副官をこちらに戻そうとしたのだろう、彼の怒りを買ったということは…」
「有りません。イゼルローン要塞攻防戦の後、彼はすぐに兵站統括部に異動になっています。しかし、今回の遠征計画の作成には参加している。不興を買ったというのなら計画の作成に関与するとは思えません。もしかするとティアマト方面への陽動も彼の発案かもしれない」
「…」

「遠征中に皇帝が死去して、国内で内乱が発生したらどうなります」
「補給を含めた後方支援は滅茶苦茶だろうな。…そうか、だから兵站統括部に」
「それもありますが、もし、反乱を起した者たちがミュッケンベルガー元帥の帰国を喜ばなかったら」
「…どうなる」

「内乱終結後、謀叛の嫌疑をかけるかもしれません。ミュッケンベルガー元帥がオーディンに帰国するまで一ヵ月半はかかるでしょう。内乱が終結している可能性は否定できません」
「しかし、彼になにが出来る。彼はまだ少将だぞ」
まだ疑っているな、キャゼルヌ先輩は。

「帝国軍の宇宙艦隊は全てが遠征軍に参加したわけでは有りません。本国にとどまっている部隊も数多くいます。彼らに万一の場合はヴァレンシュタイン少将に従えと言ったとすれば」

「可能なのか、そんな事が」
「彼らの多くはミュッケンベルガー元帥と共に戦った人間です。ミュッケンベルガー元帥が失脚すれば、彼らもただで済むかどうか。ヴァレンシュタイン少将の指示に従う可能性は高いと思います」
「…」

「それにリューネブルク少将がいます」
「…陸戦隊か」
うめくような声だ。
「陸戦隊と宇宙艦隊、彼なら十分に活用するでしょう。そうでもなければ、彼ほどの用兵家をオーディンに置く理由がわかりません。今回の戦いはミュッケンベルガー元帥にとって決戦だったはずです」



 私は、キャゼルヌ先輩の部屋を辞し、自分の部屋に戻った。紅茶を飲みながら考える。自由惑星同盟は今回の戦いで大きなダメージを負った。戦力的な面だけではない、国民の信頼の喪失もだ。これを立て直すのは容易ではないだろう。希望があるとすれば帝国が混乱してくれる事だ。そうなれば時間を稼げるかもしれない。二年、いや一年でいい。時間が欲しい。しかし帝国がそれを許すだろうか?

難しいだろう。帝国には人材が揃ってきているようだ。ヴァレンシュタイン少将もそうだが、今回の左翼を指揮した司令官、見事な艦隊運用だった。彼がいなければあそこまで損害は酷くはならなかったはずだ。殿も彼が勤めたということはミュッケンベルガー元帥の信頼も厚いようだ。

 それに比べて同盟の人事は酷い。政治家に媚を売る人間ばかり出世する。次の司令長官が誰になるか?まともな人選ならいいが、ロボス総司令官の方がましだった、なんてことになったら眼も当てられない。

本当にいいのはシトレ元帥が宇宙艦隊司令長官に降格する事だ。統合作戦本部長にはクブルスリーを持ってくれば良い。彼はどちらかと言えば実戦指揮官としてより戦略家としての評価が高い人物だ、適材だろう。

シトレ元帥が宇宙艦隊司令長官になれば、それだけで国民は軍に対する信頼を回復するだろう。軍内部も今回の事態に反省せざるを得ない。なんといっても統合作戦本部長が自ら降格して宇宙艦隊司令長官になるのだ。キャゼルヌ先輩に話してみようか。……話してみよう。もう一度先輩の所へ行って見るか。




 

 

第四十六話 未来図

■ ミューゼル艦隊旗艦タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル

「ケスラー、どうだ、考えはまとまったか」
「はい、なんとか」
「そうか」

昨日、ミュッケンベルガーの元を辞し、タンホイザーに戻った後、俺は撤退戦に備え殿を務めた。つまらぬことに反乱軍は追撃してこなかった。追撃してくれば丁重にもてなしてやったものを。その後俺はケスラーにミュッケンベルガーから聞いた話をし、ケスラーに姉上の事、皇帝の後継者問題がこれからどうなるかを訊ねてみた。

ケスラーはその場では即答せず、一日の猶予を願った。確かにこれだけの大事だ、簡単に答えられる事ではない。俺は了承し、そして今に至っている。俺とキルヒアイスの前でケスラーは話し始めた。

「先ずグリューネワルト伯爵夫人のことですが、余り心配は要らないと思います」
「なぜだ」
「ヴァレンシュタイン少将がオーディンの治安を守っています。彼は、我々が戻るまで、いかなる意味でもオーディンに混乱を起させないでしょう」
「なぜそう言える」
「彼の動かす兵力が圧倒的だからです」
「?」

「彼の動かす兵力は、おそらく帝都防衛部隊、宮中警備隊、それに憲兵隊となるでしょう。それだけでオーディンの貴族たちを圧倒できるはずです」
「帝都防衛部隊、宮中警備隊は判ります。しかし憲兵隊はヴァレンシュタイン少将の指揮に従うでしょうか?」
ケスラーの言葉にキルヒアイスが異義を唱えた。俺も同感だ。

「従います。ヴァレンシュタイン少将を帝都防衛司令官に任じたのはエーレンベルク元帥です。憲兵隊は軍務省の管轄にあります。従わざるを得ない」
「しかし、」

「それに憲兵隊ほど少将の力量を知る部隊はありません。先年起きたサイオキシン麻薬密売事件ですが、当時憲兵隊はサイオキシン麻薬の密売組織を突き止めることが出来ずにいました。あれを摘発できたのはまだ大尉だったヴァレンシュタイン少将のおかげです。軍内部だけではなく、政界、官界にまで広がる大事件となり、憲兵隊はその実力と影響力を大きく高める事が出来ました。その事は憲兵隊の人間なら皆知っています。彼らはヴァレンシュタイン少将の指揮下に入る事をためらわないでしょう」
俺とキルヒアイスは顔を見合わせ、軽く頷いた。

「判った。では皇帝の後継者はどうなる?」
「ミュッケンベルガー元帥が決定権を持ちます。おそらく元帥にはエルウィン・ヨーゼフ殿下を擁したリヒテンラーデ侯が接触するはずです。元帥は侯を支持するでしょう」

「私もキルヒアイスもミュッケンベルガー元帥が決定権を持つこと、リヒテンラーデ侯がミュッケンベルガー元帥に接触するだろうとは思う。しかし接触するのはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も同様だろう。なぜリヒテンラーデ侯を支持すると言えるのだ?」

キルヒアイスと何度も話した。俺ならリヒテンラーデ侯と組んでブラウンシュバイク、リッテンハイムを倒す、その上でリヒテンラーデを倒して全権力を握る。しかしミュッケンベルガーならどうだろう?

「ヴァレンシュタイン少将が説得すると思われるからです」
「参謀長、何故ヴァレンシュタイン少将がリヒテンラーデ侯を支持するのでしょう?」
「ご両所ともヴァレンシュタイン少将をどのように見ておられます?」
キルヒアイスの問いにケスラーも問いで返した。妙な事を訊いてくるな。

「優秀な軍人だ。戦術家にとどまらず、戦略家としての力量も有ると見ている」
「小官も司令官閣下と同様です」
俺とキルヒアイスが答えると、ケスラーはゆっくりと考えながら話しかけてきた。

「小官もヴァレンシュタイン少将が優秀な軍人である事は否定しません。ただ、ヴァレンシュタイン少将はどちらかというと政治家としての発想をすることが多いと思うのです」
「政治家としての発想?」
どういうことだ? 俺とキルヒアイスはまた顔を合わせた。

「或る問題が起こった場合、それを解決する事でどのような利益、不利益が生じるか、それを考えた上で行動を起すという事です」

「よくわからないな、では、この場合の不利益とはなんだ?」
「だれが皇帝になっても内乱が生じるでしょう」
確かにそうだ。内乱は発生するだろう。
「なるほど、では利益とは?」

「内乱が起きた場合、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を倒せば次の利益が出ます。一つ、外戚がいなくなること。二つ、それによって政治が私物化されることが少なくなる事、三つ、多くの貴族が内乱で消える事によって平民たちの不満が解消される事です。これはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯のどちらかについてしまうと消えてしまう利益です」
「なるほど…」

「おそらく少将はそのことをミュッケンベルガー元帥に話すと思います。だれが皇帝になっても内乱が起きる、どうせ内乱が起きるなら、少しでも国家の利益になるようにするべきだと。元帥としても少将の言を否定する事は出来ない。そして決断するのは元帥です。」
なるほど、そういう持って行き方があるか。

「幸いな事に反乱軍は弱体化しています。今なら帝国が内乱状態になっても反乱軍が大規模な反攻に移る可能性は少ないですし、小規模な攻撃であればイゼルローン要塞で十分に撃退可能です。少将にとっては説得しやすい状況になっています。元帥は少将の意見を受け入れざるを得ないと思うのです」

今回の遠征にヴァレンシュタイン少将が参加しなかったのは、これを予想していたからだろうか? ケスラーに聞いてみたかったが、聞けなかった。
「…よくわかったケスラー。見事な論理の展開だな」
「とんでもありません。むしろ恐るべきはヴァレンシュタイン少将です」
「どういうことだ?」

「少将が皇帝不予を知って帝都防衛司令官を引き受けるまでにどれほどの時間があったと思います? せいぜい三十分程度でしょう。その短い間に彼は、今私が話した事を読みきったんです」
「…」

「そうでなければどうして帝都防衛司令官を引き受けることが出来ますか? みずから火中の栗を拾うようなまねを」
「…」

「あるいは、既にフリードリヒ四世陛下の死去を想定した事が有るのかもしれません。世の中がどう動くか、どう動かすべきか、彼の頭の中では幾つかの未来図が有るのだと思います」
「未来図か…」

もし、ヴァレンシュタインの描く未来図のとおりになったら帝国はどうなるのだろう。強大な外戚は滅び、政治は保守的かもしれないが安定するだろう。平民たちの不満もかなり解消されるに違いない。リヒテンラーデ・ミュッケンベルガー枢軸か。

意外にいい組み合わせかもしれない。そしてミュッケンベルガー総司令官、ヴァレンシュタイン参謀長…あの二人なら反乱軍を撃ち、フェザーンを平らげ銀河を統一することも可能だろう。しかし、その場合俺はどうなるのだろう。

ミュッケンベルガー配下の有能な艦隊司令官で終わってしまうのだろうか。俺とキルヒアイスの夢は所詮夢で終わってしまうのか…。俺自身が頂点に立つには、ミュッケンベルガー、ヴァレンシュタイン、あの二人を敵に回すことを覚悟しなければ成らないだろう。しかし、勝てるのだろうか…。俺は出口の無い迷路の中を歩くように何度も考え続けた、何度も……。



■ オーディン 帝都防衛司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

 防衛司令部を発足させて二日目に入った。とりあえず、今のところは大きな問題は無い。宇宙艦隊の残存部隊と連絡を取ったが感触は悪くなかった。接触したのはルックナー提督だったのだが、彼はこちらに好意的だった。

ミュッケンベルガー元帥が帰還するまで現状を維持したいというと積極的な協力は出来ないが、敵対行動を取る事は無いといってくれた。どうも彼が心配しているのはシュターデンらしい。かれがブラウンシュバイク公の力を後ろ盾にして、より大きな影響力を持つのではないかと不安を持っているようだ。俺に好意的なのは俺を使ってシュターデンを抑えようという事らしい。彼の話だと他にも同様な考えを持っている提督がいるようだ。今後も接触は続けたほうがいいだろう。

 いい報告が入ってきた。遠征軍が同盟軍を打ち破ったとの事だ。皇帝不予の連絡が入ったため追撃は不十分だったようだが、勝ったということはミュッケンベルガー元帥の影響力をこれからも期待できるという事だ。ブラウンシュバイク、リッテンハイムの両者も出鼻を挫かれたに違いない。後は早く戻ってもらう事だ。

しかし、これでロボスの更迭は決まった。後任がだれになるのか注意する必要は有るだろう。実戦派かそれともトリューニヒトの取り巻きか。しばらくは混乱するし、軍の建て直しに時間がかかるに違いない。万一内乱になっても同盟軍がこちらに攻めてくる可能性は低いだろう。やはり、リヒテンラーデ・ミュッケンベルガー枢軸かな。

「エーリッヒ、まずい事が起こった」
「どうしたんだい、ギュンター」
ギュンター・キスリング、頼りになる友だ。憲兵隊が早期に俺の指揮下に入ったのも彼のおかげといっていい。随分慌てているが何が起きた?

「憲兵隊にオッペンハイマー伯という人物がいる。地位は憲兵副総監、中将だ」
オッペンハイマー伯か。確かこいつは…
「リッテンハイム侯の関係者じゃなかったかな」
「その通りだ。彼がリッテンハイム侯の屋敷の封鎖を破った。何人かの貴族を屋敷に入れたらしい」

「…オッペンハイマー伯も一緒かな」
「ああ、そうらしい。今現地の憲兵隊から連絡があった。どうする?」
「心配は要らないよ、ギュンター」
「しかし」
「オッペンハイマー伯は死にたいらしいね。望みどおり殺してやろう」
「エ、エーリッヒ」

馬鹿な男だ。殺せと命じたのをハッタリだと思ったか? 貴族だから殺せないとでも? 俺がお前たち貴族を嫌いだということが判らなかったらしいな。喜んで殺してやる。お前の死はせいぜい利用させてもらおう。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も俺の前に震え上がるといい! 待っていろ。









 

 

第四十七話 襲撃(その1)

■ オーディン 帝都防衛司令部 ギュンター・キスリング

「心配は要らないよ、ギュンター」
「しかし」
「オッペンハイマー伯は死にたいらしいね。望みどおり殺してやろう」
「エ、エーリッヒ」

穏やかに微笑みながら話すエーリッヒに俺は震え上がった。ま、まずい、こいつ本気だ。と、止めなきゃ…。
「止めても無駄だよ、ギュンター」
げっそりした。こいつは俺の心が読めるのか。
「リューネブルク少将、装甲擲弾兵を完全武装で一個連隊用意してください」
「完全武装? 一個連隊? エーリッヒ、戦争でも始める気か!」

俺の問いを全く無視して二人は話を進めていく。
「了解しました。指揮は小官が取ります、楽しみですな」
「お願いします。それと死体袋の用意を」
「そうですな、十枚程用意しましょう」
死体袋だと? 何考えてる二人とも。おかしい、絶対おかしい。この二人は楽しそうに話している。ピクニックにでも行く気か? 事態を理解しているのか

「ギュンター、卿も行くだろう?」
エーリッヒは、にこやかに微笑みながら誘ってくる。
「卿も来てくれると嬉しいんだけど」
「…判ったよ、俺も行くよ」
畜生、もうどうにでもなれだ。

「フィッツシモンズ大尉。貴官は此処に残ってください」
「いえ、小官も同行します」
「危険ですから…」
「小官も同行します」
女が行くのはどうかと思うが、エーリッヒにも思い通りにならない相手がいると思えば愉快だ。面白いじゃないか。



■ オーディン 帝都防衛司令部 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

 私は馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だ。せっかく此処へ残れと言ってくれたのに。でも仕方なかった。微笑みながらオッペンハイマー伯を殺すと言っている少将を見たら思わず同行すると言ってしまった。多分行っても何の役にも立たないだろうけど、でも私は副官なんだから、同行する義務がある。厄介な上官を持っちゃった。ボンクラだったら見殺しにできるんだけど、この子有能なんだもん、ほっとけないじゃない。

 私たちは装甲輸送車に乗り込み、リッテンハイム侯爵邸に向かう。皆緊張しているのにヴァレンシュタイン少将とリューネブルク少将だけは普段と変わらない。ヴァンフリートを思い出す、とかワルキューレがあればもっと楽なのにとか言っている。その内、強襲揚陸艦があればとか言いそうだ。言っとくけど新無憂宮の上空は飛行禁止地域なのよ、判ってる?

 大貴族である侯爵の屋敷は新無憂宮のすぐ傍にある。装甲輸送車に乗り込んで二十分もしないうちに屋敷の前にたどり着いた。屋敷前には憲兵たちが警備している。見慣れぬ装甲輸送車が来たので驚いているようだ。私たちが装甲輸送車から降りると動揺が大きくなった。無理も無い、完全武装の装甲擲弾兵、一個連隊よ。

帝都オーディンでこんなのが動くなんてありえない。ハイネセンだって同様よ。キスリング中佐が警備の責任者と話をしている。どうやら、オッペンハイマー伯と貴族たちはまだ入ったままらしい。屋敷の門は固く閉められ、彼らにはどうにも出来ないと言っている。

「ギュンター、此処の指揮を頼んでいいかな」
「ああ」
「もう一度、徹底して欲しいんだ。いかなる意味でも人の出入りを禁じるってね」
「判った」
そうよ、これ以上人の出入りを許しちゃだめ。

「リューネブルク少将、この門を打ち破ってください」
「ふむ。急ぎますか?」
「ええ、とても」
「ミサイルを使う事になりますが」
ちょっと待って、ミサイルって
「もっと派手なのでも構いませんよ」
なに煽ってんのよ、この馬鹿! 二人ともいい加減にして。

 私の願いも虚しく、門はミサイルで破壊されることになった。ヒュルヒュルヒュルという頼りない音がしたかと思うとドーンという破壊音と共に門が吹き飛ぶ。
「突入!」
リューネブルク少将の言葉と共に装甲擲弾兵が侵入する。ヴァレンシュタイン少将も中に入る。屋敷の中から人が出てきた。警備兵だろうか、こちらを驚きの目で見ている。

「少将、降伏を呼びかけてください。抵抗すれば反逆者として処断すると」
「了解しました。武器を捨て降伏しろ。抵抗すれば反逆者として処断する。第二十一師団第一連隊、武器を持っているものは殺せ、武器は有罪の証だ」

携帯用拡声器から放たれたリューネブルク少将の声は警備兵たちを驚かせた。完全武装の装甲擲弾兵に平服の警備兵がかなうわけが無い。たちまち武器を捨て降伏する。リューネブルク少将は捕虜の扱いなどテキパキと指示しながら屋敷に向かう。

 ヴァレンシュタイン少将は洋館の出入り口もミサイルで吹き飛ばさせた。無茶苦茶やるわ、この子。もう覚悟決めたって感じ。そして私たちはオッペンハイマー伯たちを探した。



■ リッテンハイム侯屋敷 オッペンハイマー伯

これで、サビーネ・フォン・リッテンハイムが第三十七代の皇帝になれば私の栄光は確約されたと言ってもいいだろう。ブラウンシュバイク公は檻に閉じ込められたままだ。多数派工作などしたくとも出来まい。リッテンハイム侯とて私の力無しではなにも出来んのだ。どれほど評価しても評価しすぎという事は無い。あの小僧に感謝しなくてはな。

まずは、憲兵総監になることだな。当然、大将に昇進。そして次は軍務次官、最後に軍務尚書、この私が軍の頂点を極めるのだ。ヴァレンシュタインなど小僧の癖に私に指図など笑わせるな。平民が偉そうに我ら貴族を殺せなど何を考えているか、貴様の指図など全て踏みにじってやる。殺せるものなら殺してみろ、どうせ出来はしまい、小僧。ハッタリなど私には通用せんのだ。

ん、何の音だ、騒がしいが。外は憲兵隊が警備しているはずだが…。妙だな、なにを騒いでいる。こちらに人が来るようだが、どうしたのだ?




■ リッテンハイム侯屋敷 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

 リッテンハイム侯を含む貴族たちはある一室にいた。おそらく応接室なのだろう。高価そうな応接セット、美術品、家具。私には一生縁の無い代物だ。彼らは私たちを見ると驚いて口々に“何者だ、何の用だ”、“無礼な、ここを何処だと思っている”などと言っている。とそのときだった、バーンという音がして天井からガラスの欠片が落ちてくる。ヴァレンシュタイン少将だった。手には火薬式銃を持っている。何時の間にそんなの用意したんだろう。

「動かないでいただきましょう。それとこちらの許可なしに発言するのは止めてもらいます」
「なにをいうか、私を…」

抗議しようとするリッテンハイム侯を再びバーンという発砲音が止めた。ヴァレンシュタイン少将の撃った弾はリッテンハイム侯の頭上三十センチほどのところを通過し、侯の後ろにあった鏡を砕いた。ガラスの砕ける派手な音が部屋に響く。
「閣下がリッテンハイム侯だということは判っています。しかし次は首から上が無くなりますから、誰だか判らなくなりますね」

皆顔色が蒼くなっている。侯爵たちも私たちもだ、装甲擲弾兵たちだってどこかびくびくしている。まさかここで発砲するなんて思わなかった。もう後には引けない。皆わかっている。恐怖で腰が抜けそうだ。それなのにヴァレンシュタイン少将はいつもどおり穏やかに微笑んでいる。リューネブルク少将は何処か楽しげだ。私と目が合うとウインクしてきた。怖い。何考えてるの二人とも。

「さて、まずは彼らを拘束してください」
その声に侯爵たちは不平を上げるが、少将が銃を向けるだけで沈黙した。装甲擲弾兵たちが彼らを後ろ手に縛り拘束していく。拘束が終わるとヴァレンシュタイン少将はオッペンハイマー伯を連れてくるように言った。

「な、何のマネだ、ヴァレンシュタイン少将。こんなマネをして」
いきなり少将の右手がオッペンハイマー伯の顔面に叩きつけられた。銃で殴られた伯爵の顔から鮮血が飛び散る。倒れ掛かるオッペンハイマー伯を支えると咽喉に銃口を突きつけえぐりながら問いかけた。

「ヴァレンシュタイン大将です。私はあなたの上位者なのですよ、オッペンハイマー中将」
怖い。こんな少将は始めて見る。本気で殺す気だ。
「ここで何を話していました? エルウィン・ヨーゼフ殿下の暗殺ですか、それともエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクの暗殺か。はっきりと答えてもらいましょう、憲兵隊副総監オッペンハイマー中将閣下」

にこやかに微笑みながら話す少将の言葉にオッペンハイマー伯は凍りついた。

 

 

第四十八話 襲撃(その2)

■ リッテンハイム侯屋敷 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

「ここで何を話していました? エルウィン・ヨーゼフ殿下の暗殺ですか、それともエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクの暗殺か。はっきりと答えてもらいましょう、憲兵隊副総監オッペンハイマー中将閣下」
「な、なんの話だ、私は」
それ以上オッペンハイマー伯は言葉を続けることが出来なかった。少将が銃口をさらに伯の咽喉に押し付けたから。

「つまらない言い訳はしないでください。皇位継承の有資格者を守るため警備を敷いたのです。それを憲兵隊副総監であるあなたが破ったのですよ、他の貴族まで入れてね。茶飲み話に来たなどと言ってもだれも信じません。さあ、一体何を話していたのです?」

「し、知らん、私は、な、何も話していない」
「そうですか、では仕方ありませんね。リッテンハイム侯に直接聞くことにしましょう」
リッテンハイム侯の顔が恐怖に引き攣った。少将はオッペンハイマー伯に猿轡をかませるように指示すると、ゆっくりとリッテンハイム侯に近づく。
「は、話す事等何もないぞ」
答えただけでも立派よ。

「話す事は有りませんか…リューネブルク少将、あれを出してもらえませんか」
「あれですか、判りました」
リューネブルク少将がリッテンハイム侯たちの前に放り出したのは死体袋だった。この二人あれで通じるの?
「なんだ、これは」

リッテンハイム侯の問いにヴァレンシュタイン少将は何がおかしいのかクスクス笑いながら答える。
「死体袋です」
「死体袋…」
「リューネブルク少将、これは新品ですか」

「いや、既に何度も使っています。まあ、消毒はして有りますから問題は有りません」
リッテンハイム侯の顔が今度は嫌悪に引き攣る。

「話す事が何も無いというなら、死体袋に入ってもらいます。罪状は憲兵副総監オッペンハイマー伯を篭絡し、仲間の貴族と共にエルウィン・ヨーゼフ殿下の暗殺、さらにはエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクの殺害を図ったという事になります」
「ふざけるな、そんな事は…」

「ここはその謀議場ですね、私たちは、反逆者たちをその場で射殺し、帝国の安泰を守った。ああ、罪状にはもう一つ、陛下を害し奉ろうとした、というのも入れましょう」
「き、貴様、私を殺すというのか」
侯爵は震えている。怒り? それとも恐怖?

「殺します。我々の任務は、皇位継承の有資格者をテロより守ることです。我々が守るのは皇帝陛下の御血筋の方のみ。閣下はリッテンハイム侯爵家の当主であって陛下の御血筋の方ではない。ためらう必要は有りません」
少将はリッテンハイム侯にさらに追い討ちをかけ絶句させた。

「ブラウンシュバイク公は大喜びでしょうね。邪魔者がいなくなったと。父親が反逆者になった以上、こちらのフロイラインが皇帝になる事はありませんからね」
「…な、なにが望みだ、地位か、金か」
「そんなものは要りません。私の質問に答えてください」
ついに侯爵は少将の前に屈服した。肩を落として諦めたように答える。
「……何が聞きたい」

「まず最初に、オッペンハイマー伯を呼んだのは閣下ですか?」
「違う、私は呼んではおらん。本当だ、こいつが勝手に入ってきたのだ」
侯爵はオッペンハイマー伯を見て吐き捨てるように言った。
「では屋敷の門を開けたのは誰です?」
「…」

「お答えください」
少将の声は優しげだが、追及が止まる事はなかった
「…私が開けるように命じた。だが、オッペンハイマー伯が大事な話があるといってきたのだ」

「憲兵隊に屋敷の警備命令が出ていました。不審には思わなかったと?」
「憲兵隊副総監が大事な話が有ると言ってきたのだ。てっきり警備の事かと思った、本当だ」
確かに普通はそう思うわね。

「オッペンハイマー伯は一人でしたか?」
「いや、彼らと一緒だった」
リッテンハイム侯はそう言うと貴族たちのほうへ顔を向けた。
「その時点でおかしいとは思いませんでしたか?」

「そ、それは、オッペンハイマー伯が便宜を図ってくれたと思ったのだ。おかしなことでは有るまい。憲兵隊副総監の前で話をするのだ。何も問題は無いと思った」
「オッペンハイマー伯は何を言いました?」
「…」

「閣下、死体袋に入りますか?」
少将の言葉に侯爵は顔を歪めた。諦めたように言葉を出す。
「…次の皇帝はサビーネだといった。自分がいる限り心配ないと」

「警備を緩めるという事ですね」
「そうだと思う」
「エルウィン・ヨーゼフ殿下の暗殺を相談したのはその後ですか?」
「ち、違う、そんな事は話しておらん」

「では、エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク?」
「話しておらん、本当だ」
本当に話していないようだ、凄く慌てている。
「では何を話しました」
「…サビーネが皇帝になればうれしいと、そう言った。本当だ、それだけだ」

「御自身がどれだけ軽率な事を言ったかお判りですか?」
「?」
「常日頃の事なら無邪気な発言で済みます。しかし、今は陛下が御病床にあられるときです。閣下の仰った事は謀反と同義語です」
「な、なぜだ」

「エルウィン・ヨーゼフ殿下はルードヴィヒ皇太子の御子息です。いわば嫡流、皇位を継ぐべき立場のお方なのですよ。一方、こちらのフロイラインは降嫁されたクリスティーネ様が生まれた子です。つまり臣籍に有る。その方が皇位に就くには、エルウィン・ヨーゼフ殿下を排除するしかありません。違いますか?」
確かに少将の言うとおりだ…。
「…」

「閣下が仰ったのは、陛下はもう長くない。自分の娘サビーネを皇位につけるために誰かエルウィン・ヨーゼフを排除して来い、そう言う事です」
「違う、そんなつもりは無い。本当だ、信じてくれ、殺さないでくれ」
本当に殺されると思っている。どうするんだろう…。

「そちらの方々に聞いてみましょう」
少将はそう言うと貴族たちに向き合った。全部で五人いる。皆顔が引き攣っている。
「あなた方は、何故屋敷に入ったのです?」

「オッペンハイマー伯に誘われたからだ」
「誘われた?」
「屋敷にオッペンハイマー伯から連絡があって、リッテンハイム侯の屋敷の前で会おうと」
どうやら皆同じらしい。しきりに頷いている。

「オッペンハイマー伯からは他に言われた事は?」
「…自分がいれば、何も心配はないと、それからこちらのフロイラインが次の皇帝だといわれた」
「エルウィン・ヨーゼフ殿下の暗殺を相談したことは?」
「そんな事は話していない!」

「エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクの暗殺は?」
「話していない」
「間違いありませんね」
「間違いない」
怒り? 恐怖? こっちも皆震えている。

「どうやら皆さんはオッペンハイマー伯にうまく煽られたようですね」
「どういうことだ?」
「お解りになりませんか。職権を利用して皆さんを一箇所に集める。その上で次の皇帝はサビーネ・フォン・リッテンハイムだと告げる。その気になった誰かがエルウィン・ヨーゼフ殿下、エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクを暗殺する。そしてサビーネ・フォン・リッテンハイムが皇帝になった時、自分の功を訴え、利益を得ようというのでしょう」
「オッペンハイマー、貴様!」

「落ち着いてください侯爵、オッペンハイマー伯は、軍法会議にかけます。命令違反、上官侮辱罪、さらに自分の私利のために皇位継承の有資格者の身を危険にさらした事、反逆を煽った事。これだけの罪状です、まず死罪は免れないでしょうね。軍人としての地位も貴族としての爵位も全て剥奪した上で死罪となるでしょう。」
オッペンハイマー伯はしきりに首を振って何かを訴えようとしている。しかし誰もそんな彼を助けようとはしない。リッテンハイム侯は憎々しげに見るだけだ。

「皆さんもこの場で死罪です。警備を破ったのですからね。死体袋もある」
「まて、ヴァレンシュタイン、我々は騙されたのだ、許してくれ」
リッテンハイム侯が哀願する。
「確かに、本当に悪いのはオッペンハイマー伯ですからね。…今回は特別に許しましょう。但し、今回だけです」
「もちろんだ、感謝する」

「それより困った事があります」
「なんだ、それは」
「この件は後々大問題になるでしょう。リッテンハイム侯を敵視するものたちは必ずこの件で侯爵を攻撃するはずです。皇帝陛下不予の折、リッテンハイム侯は徒党を組み、帝位を我が物にしようと密かに謀略をめぐらしたと」

「そ、それは」
「どうすれば良い?」
侯爵も貴族たちも困惑している。あげくの果てに少将に救いを求めた。リューネブルク少将は笑いを噛殺している。この子の駆け引きのうまさには驚くわ。いつの間にか侯爵さえ手玉に取ってる。

「そうですね。小官はリッテンハイム侯に敵意は持っておりません。今回の件も帝都の安寧を守るためやむなくした事です。侯がこの件で必要以上に不利益をこうむる事は無いと思います」
「そう思ってくれるか」
「調書を取りましょう」
「調書?」

「オッペンハイマー伯が自分の利のために陰謀をたくらんだ事を調書にまとめます。リッテンハイム侯もそちらの方々も調書の作成に協力してください。その調書には小官も意見を述べます。その際、リッテンハイム侯に多少軽率な言動があったが、反逆の意思は無しと」
「…」

「帝都防衛司令官代理が記述するのです。万一この件で査問が入ろうとも小官をはじめここにいる人間が生き証人になります。いかがです」
なるほど私たちは生き証人か、それなら殺せない。
「判った」

オッペンハイマー伯は売られた。いやリッテンハイム侯たちは自分たちがオッペンハイマー伯を売ったという意識さえ無いだろう。今なら判る、少将は最初からオッペンハイマー伯だけを処断するつもりだったんだ。

「では、防衛司令部までご同行願います。もちろん戒めは解きますよ。それから勝手な行動は慎んでください。さもないと」
「ああ、判っている。死体袋だろう」
「よくわかりますね。でも今度は生きたままです」

投げやりに言うリッテンハイム侯を絶句させると少将はにっこりと微笑んだ。少将、あんたは間違いなく悪魔よ、リッテンハイム侯がかわいそうに思えてきたわ。









 

 

第四十九話 襲撃(その3)

■ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

俺たちがリッテンハイム侯を連れ屋敷を出てくると皆驚いたようにこちらを見た。無理も無いだろう。オッペンハイマー伯は拘束され猿轡を噛まされたまま、しかも俺に殴られたために顔を腫らし、鼻、口からは出血している。それをリッテンハイム侯が黙って見ているのだ。

本来ありえない構図だろう。留守番をしているシューマッハ中佐に事件の解決を報告し、或る依頼をしておく。中佐はちょっと驚いたようだが、判りましたと言ってくれた。俺たちは侯爵達を兵員輸送車に乗せ、(もちろん、1台に一人だ)帝都防衛司令部に向かった。

「ギュンター、今回の一件、アントンには話すんだろう?」
「…知っているのか、俺がアントンと連絡を取っているのを」
「知っているよ。ブラウンシュバイク公を暴発させないためだろう」
「ああ、そうだ」
「今回の件もきちんと伝えて欲しいんだ。ヴァレンシュタインは頭がおかしくなっているから気をつけろ、リッテンハイム侯に発砲してもう少しで殺すところだったってね」

ブラウンシュバイク公のところにはフェルナーがいる。他にもアンスバッハ、シュトライト等人材はリッテンハイム侯より揃っているが、当の本人が馬鹿だから油断は出来ない。フェルナーも苦労をしているだろう。

「本当に発砲したのか?」
信じられないといった表情で聞いてくる。ちょっとからかってやろうか。
「ああ、頭を吹き飛ばしてやろうと思ったんだけどね、火薬式銃は反動がきつい。外れたよ」

「お、おい」
「冗談だよ。ギュンター」
「冗談になってないぞ、エーリッヒ」
どういう訳か俺が冗談を言っても誰も笑ってくれない、何故だ?

「まあ、余り心配は要らんよ中佐」
「しかし、リューネブルク少将…」
「大将閣下が今リッテンハイム侯を殺す事は無い」
リューネブルクがそういってキスリングを宥めると、ヴァレリーがリューネブルクに問いかけた。

「何故、そう言えるんです? 私は本気で殺すんじゃないかと思いましたけど」
「それは無い。今、リッテンハイム侯を殺せば彼に味方する貴族が暴発しかねない。それにブラウンシュバイク公が次は自分が殺されるのではないかと怯え、やはり暴発するだろう。それは大将閣下の望むところではない」

そうではありませんか、とリューネブルクが問いかけてきた。俺としては頷かざるを得ない。現時点であの二人を殺して得られるメリットは大きくない。雑魚どもが騒ぎたてかえって収拾がつかなくなるだろう。

「閣下の真の狙いは警備部隊の引き締めでしょう、違いますかな?」
鋭いな、リューネブルク。そこまで判っているか。
「どういうことです、リューネブルク少将」

「キスリング中佐、閣下が心配していたのは、警備部隊の中にリッテンハイム、ブラウンシュバイク両家に通じる者が出るのではないか、と言う事だ。そうなれば警備など行なっても何の意味も無い事になる。事実オッペンハイマーがそれをやった。だから閣下は…オッペンハイマーを見せしめにして、警備部隊を引き締めにかかった」

リューネブルク、キスリング、ヴァレリー、三人が俺を見詰める。俺は苦笑しつつ頷いた。
「そうですね。命令を無視すれば、たとえ副総監でも処断される。そうわかれば、警備に真剣になるでしょう。いいところで動いてくれましたよ、オッペンハイマー伯は。おまけにいいストレスの発散になりました」

「ストレスですか?」
「ええ、御偉方はすぐ厄介な問題を押し付けてきますからね。たまにはこういうのがないと」
キスリングとヴァレリーは呆れた様な、リューネブルクは人の悪そうな笑顔を見せている。なんか不本意だな。

■ ギュンター・キスリング

まったくこいつの人の悪さにはあきれる。ミサイルは打ち込むわ、銃はぶっ放すわ、それで真の狙いはオッペンハイマーだと。おまけにストレスが発散できた? リッテンハイム侯が聞いたら血管ぶち切れ、脳ミソ沸騰するぞ。こいつとアントンは姿形も性格も違うのにどうしてやる事が似ているんだろう。周りを巻き込んで本人だけは涼しい顔をしている。周りは皆苦労するよな、フィッツシモンズ大尉も大変だろう。俺とナイトハルトも苦労した。お前はいいよな、ナイトハルト。俺も宇宙に出たくなった…。

■ ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

そういうことか…。狙いは警備部隊の引き締め。だからリューネブルク少将はあんなに落ち着いて、いや楽しんでいたんだ。あたふたした自分が馬鹿みたいだ。こんなので副官なんか務まるんだろうか。それにしてもストレス発散? 何考えてるんだろう。いつか必ずお仕置きしてやる。リューネブルク少将、あんたも一緒よ。あんた達二人は、私たちがあたふたしているのを見て楽しんでいたんだから。きっちり落とし前は付けさせてもらうわ。


■ レオポルド・シューマッハ

ヴァレンシュタイン大将が戻ってきた。彼はすぐ私の元にきて“揃っていますか”と尋ねてきた。憲兵総監クラーマー大将がまだだと答えると軽く頷いて奥の部屋に入る。部屋には既にエーレンベルク軍務尚書とリヒテンラーデ国務尚書の二人が来ている。
リッテンハイム侯邸での騒動を治めた後、ヴァレンシュタイン大将はエーレンベルク軍務尚書とリヒテンラーデ国務尚書、憲兵総監クラーマー大将をすぐ帝都防衛本部へ呼んで欲しいと私に連絡してきた。今回の件の報告を行なうのだろうが、果たして三人をわざわざ呼ぶ必要があったのだろうか。


■ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

「申し訳ありません。お待たせしました」
部屋に入り、待たせたことを詫びるとエーレンベルク軍務尚書とリヒテンラーデ国務尚書が物問いたげな表情を浮かべている。
「今しばらくお待ち下さい。憲兵総監クラーマー大将が揃っていません」
二人は顔を見合わせ頷いた。

しばらくするとクラーマー大将が部屋に入ってきた。俺はともかくエーレンベルクとリヒテンラーデがいる事に驚いたらしい。“や、これは”とか“遅くなりました”
などと言っている。俺の方を見ようとはしない。

「ヴァレンシュタイン大将、我等を呼んだわけを話してもらいたい」
リヒテンラーデ侯が話しかけてきた。
「警備の陣を破り、リッテンハイム侯に接触した人間がいます」
一同はぎょっとした顔でこちらを見詰める。

「憲兵副総監オッペンハイマー中将です」
「なんだと、馬鹿な」
「事実です。クラーマー憲兵総監」
「それで、今どうなっているのだ? ヴァレンシュタイン」
「オッペンハイマー中将は命令違反、上官侮辱罪、さらに皇位継承の有資格者の身を危険にさらした事、反逆を煽った事、それらの罪で逮捕しました」

エーレンベルクの問いに俺は答えた。クラーマーはきょときょとしている。そんなクラーマーを横目で見ながらリヒテンラーデ侯がいぶかしげに俺に問いかける。
「リッテンハイム侯はどうした?」

「今回の一件、オッペンハイマー中将の独断だったようです。リッテンハイム侯は憲兵副総監が面会を求めてきたので警備上の事でなにか問題でもあったのかと思い屋敷に入れたといっています」
「信じてよいのか」

「信じてよいと思います、国務尚書閣下。今現在、リッテンハイム侯から調書を取っております」
「調書だと!」
信じられないといった口調だ。エーレンベルクとリヒテンラーデは顔を見合わせている。

「クラーマー憲兵総監、部下の監督不行き届きですね」
俺はクラーマーに話しかけた。この男にも責任は取ってもらう。
「そ、それは」
「もう少しで、大事になるところだったのですよ」
「どういう意味だ」
不審な表情で、エーレンベルクが聞いてくる

「オッペンハイマー中将は次の皇帝はサビーネ・フォン・リッテンハイムだと言ってリッテンハイム侯の野心を煽ったのです」
「 ! 」
エーレンベルクとリヒテンラーデの表情が厳しくなる。クラーマーは蒼白だ。

「本来ならオッペンハイマー中将の逮捕は、クラーマー憲兵総監、貴方御自身が行なわなければならないことですが、一体何をしていたのです?」
「そ、それは」
「まさか、オッペンハイマー中将の行動を黙認したわけではありませんよね」
「ち、違う、そんな事は無い」
エーレンベルクとリヒテンラーデは鋭い視線をクラーマーに向けている。クラーマーは凄い汗だ。

「帝都防衛司令部にも一度もこちらに来ていませんがどういうわけです?」
「そ、それは忙しかったのだ。色々と」
色々と? ふざけるな、お前は此処に来たくなかっただけだ。

「帝都防衛司令部に来られないほどですか? 今のオーディンで帝都防衛司令部ほど重要な職務を負っている部署はありませんが?」
「…」
「どうやら、私の指揮下では働きたくないようですね」
「そ、そんな事はない」
無理しなくてもいい。お前の望みどおりにしてやる。

「軍務尚書閣下、このままでは帝都の治安維持に重大な過失が生じかねません」
「そうだな。どうすれば良い、ヴァレンシュタイン」
「この状態を解消するにはどちらかがその職を離れるべきでしょう。幸い軍務尚書閣下は人事権を持っていらっしゃいます。ご判断ください」
「クラーマー憲兵総監、これまでご苦労だった。しばらく家で休みたまえ。いずれ新しい任務についてもらう」
「…」

クラーマーは何も言えずにいる。憲兵隊もこれで俺の言う事を聞くだろう。下はともかく上で俺に反感を持つ奴がいるからな。権力闘争は一度で十分だ。
「後任の憲兵総監は私が兼任しよう」
えっ、軍務尚書が兼任、実務は誰がするんだ?

「ヴァレンシュタイン、卿は憲兵副総監として憲兵隊を指揮せよ」
はぁ、なんだって。
「うむ。それは良い案じゃ。さすが元帥じゃな」

年寄り二人はうれしそうに話している。俺は何かとんでもない間違いをしたんじゃないだろうか。どう見ても墓穴を掘ったとしか思えない。喜んでいる老人二人を見ながら、俺は敗北感に打ちひしがれていた。なんでこうなった?


 

 

第五十話 それぞれの思惑(その1)

■ 帝国暦486年4月20日   フェザーン アドリアン・ルビンスキー


「それで、フリードリヒ四世は持ち直したのか」
「はい、昨日国務尚書リヒテンラーデ侯が帝国全土にフリードリヒ四世の快癒を通達しました」

残念だな、と俺は思った。フリードリヒ四世は意識不明のまま約十日、意識回復後さらに十日ほど安静状態にあった。あのままフリードリヒ四世が死に、帝国内で後継者争いが発生してくれれば良かったのだ。最近の帝国の攻勢に対して同盟はいささか押され気味だ。

帝国が一、二年程度混乱することは同盟だけでなくフェザーンにとっても望ましい事だった……。いや、フリードリヒ四世が死んでも混乱が生じただろうか? 皇帝不予、その時点で内乱が発生してもおかしくなかったはずだが混乱は生じなかった。あの若者が生じさせなかった……。焦るな、今回は混乱が生じなかったが次回はどうなるか判らん、火種は残ったままなのだ。

「ボルテック、ヴァレンシュタイン少将の事はわかったか」
「少将が何故遠征軍に参加しなかったかですが……」
ボルテックの歯切れが悪い、こちらを伺うような眼をする。あまり収穫はないか。

「二つの説があります。一つは宇宙艦隊司令部内で他の参謀の嫉妬を買ったためだと言われています。そのため追い出されたと」
「それは無いな。ミュッケンベルガーがそのような事を許したとは思えん」
もう少しましな話をもってこい。

「もう一つは、健康上の問題だそうです」
「?」
「ヴァレンシュタイン少将は病弱のようです。前回のイゼルローン要塞攻防戦、今回のオーディンでの治安維持、その両方で体調不良を訴えております」
体調不良か……本当にそれが理由だろうか? うがった見方をすれば、万一のためにミュッケンベルガーが彼をオーディンに残したとしか思えんが……。

「ヴァレンシュタイン少将について、もう一つ気になる情報があります」
俺の気を引くような言い方が少し気に障ったが、彼への関心がボルテックへの不快感を抑えた。
「それは?」

「今回、帝国軍で最も活躍した指揮官、ラインハルト・フォン・ミューゼル中将ですが、彼をミュッケンベルガー元帥に推挙したのがヴァレンシュタイン少将だそうです」
「……」
「さらにミューゼル中将の参謀長、ケスラー准将ですが、彼もヴァレンシュタイン少将が推挙しています」
自分の代わりというわけか。しかしミューゼル中将? 何処かで聞いたような気がするが

「ボルテック、ミューゼル中将とは?」
「ラインハルト・フォン・ミューゼル中将、グリューネワルト伯爵夫人の弟です」
「なるほど、姉の引きで出世したというわけではないか。帝国は若い人材が育ちつつ有るな」

世代交代が上手く進むようだと帝国の勢いは止まらんな。但し皇帝の後継者問題をどう解決するか、その問題が残っている。

「それにしても今回、帝国は大胆な手段で危機を回避したと思いますが」
「元々帝国にはそれが可能なのだ」
「といいますと?」

ボルテックは物問いたげな表情だ。説明してやるか。しかし、これが判らぬようでは自治領主の地位は無理だな。或いは判らぬ振りをしているのか、それならば中々のものだ、楽しめるのだが。

専制君主制では皇帝、寵姫、側近など個人に権力が集中しやすい。そのため、今回のように皇帝が倒れると権力者達の基盤が崩れ、混乱が生じる。しかし同時に専制君主制の利点は大胆な人材の抜擢が可能だと言う事だ。今回の帝国はその抜擢によって混乱を回避した。そういう意味では専制君主制とは暴君などが出る危険性は有るが非常に弾力性に富んだ政治体制だと言える。専制国家が時折急激に国力を増強させる事が有るのはその所為だ。

一方民主共和制だがこちらは個人に権力が集中する事はない。そのため帝国で起きるような混乱が生じる事も暴君が出る事もないが、その反面専制君主制における大胆な人材の抜擢は民主共和制では期待出来ない。つまり安定性は有るがダイナミズムには欠けるのだ。

そのため民主共和制では余程のことが無い限り急激な国力の増強もないが、低下もない。ま、結局はそれぞれの政治制度を有効活用できる人材がいるかどうかだ。今回の帝国はその人材に恵まれた。そうでなければ大規模な内乱が発生していただろう……。

俺の説明を聞いたボルテックは納得した表情をしていた。ボルテック、頼むから俺を失望させるなよ。

「ところで、同盟軍のほうだがロボス司令長官の後任はどうなった?」
「はい。今現時点で三人の候補者が出ています。先ず、第一艦隊司令官クブルスリー中将、それから国防委員会情報部長ドーソン中将、最後に統合作戦本部長シトレ元帥です」

「? シトレ元帥? 」
「はい、異例では有りますが本人がそれを望んでいるようです」
「……」
「どうかしましたか?」
「同盟も侮れぬ、自ら第二線に立つ事を希望する人間がいるとはな。まして頂点にいるシトレ元帥が自ら格下の司令長官に就くか」

常識ならクブルスリー、非常時ならシトレということか。ドーソンは政治家どもの駒だな。誰を選ぶかで同盟の政治家たちの質がわかるということか。なかなか楽しませてくれるではないか……。

もし同盟の政治家達がドーソンを選ぶようだと同盟の先行きは危うい。帝国、同盟、フェザーンの勢力バランスが崩れる事も有るかもしれない。そろそろフェザーンは新たな道を探る必要が有るかもしれない。総大主教に話すのは……まだ早いだろう……。

「ボルテック、同盟に今回の帝国の騒動、それとヴァレンシュタイン少将、ミューゼル中将の情報を流しておけ、それから帝国にもロボスの後任人事のことを流すのだ。それぞれがどう判断するか、楽しませてもらおう」


■宇宙暦795年5月2日  自由惑星同盟統合作戦本部 ヤン・ウェンリー

シトレ本部長より、統合作戦本部への出頭を命じられ執務室へ行くとそこにはシトレ本部長のほかにキャゼルヌ先輩がいた。キャゼルヌ先輩は今まで本部長と話をしていたのだろうか、本部長の前に立っている。

「ヤン大佐、掛けたまえ」
「はい」
私がソファーに座ると、キャゼルヌ先輩が私に近づき文書を渡した。そのまま、私の前に座る。

「ヤン大佐、フェザーンの駐在弁務官事務所より、今回の帝国の騒動の詳細が送られてきた」
「これがそうですか」
「うむ」
「失礼します」

私は本部長に断ると資料を読み始めた。やはりヴァレンシュタイン少将が動いたか。それにしてもこれは……。
「本部長、随分詳しく書いてありますが?」
「フェザーンが調べた情報だろう。こちらの駐在弁務官事務所ではここまで調べる事はできん。向こうには向こうの思惑があるのだろうが、今回はありがたく利用させてもらおう」
「ヴァレンシュタイン少将が混乱を抑えたのですね」
「そうだ、君の想像したとおりだ。ミュッケンベルガー元帥は今回の事態を最初から想定していたようだ」

帝都防衛司令官代理、憲兵副総監、それに宇宙艦隊、装甲擲弾兵も彼に味方している。これではオーディンは小揺るぎもしなかっただろう。ミュッケンベルガー元帥が兵を引いたのが不思議なほどだ。

「ヤン、お前さんが気にしていた左翼の指揮官もわかっている。ラインハルト・フォン・ミューゼル中将、グリューネワルト伯爵夫人の弟だ」
「……皇帝の寵姫の弟ですか、しかし実力は本物です」
「厄介だな、有能な前線指揮官と前線、後方を任せられる参謀か。ヤン大佐、君は帝国がこれからどう出ると考える」
なるほどこれが本題か

「そうですね、私は帝国が攻勢を強めると思います」
私の意見を耳にしたキャゼルヌ先輩はシトレ本部長と顔を見合わせた。どうやら二人の考えは違うらしい。

「ヤン、帝国は言ってみれば爆弾を抱えている状態だ。その状態で攻勢をかけてくるというのか?」
「ええ、そうです」
「ヤン大佐、その根拠は」

「いずれ起きる内乱のためです」
「?」
シトレ本部長もキャゼルヌ先輩も訝しげな表情をしている。私はここ一週間考え続けた結果を話した。

「帝国では後継者問題が解決していません。いずれ内乱が起きるでしょう」
「そうだ、ならば出兵などできんだろう」
「キャゼルヌ、ヤン大佐の話を聞こう。続けてくれ、大佐」

「はい。内乱が起きた時、帝国が一番避けたいと思っていることは、同盟が軍事行動を起し、混乱に付け込む事でしょう。ではどうすれば同盟の軍事行動を回避できるか? 方法は三つです。先ず、和平を結ぶ事。次に同盟に何らかの謀略を施し、軍事行動を起させない事。最後にこれまで以上に攻勢を強め、同盟の戦力を枯渇させる事です」

私は一旦言葉を止め、二人の表情を見た。シトレ本部長が軽く頷き、続きを促す。
「和平は有り得ません。それは帝国の国是に背きます。となれば残るのは謀略と攻勢です。謀略はフリードリヒ四世が何時死ぬか判らない以上、どの時点で行なうか確定できません。となれば現状で帝国がとる手段は攻勢を強める事しかないんです。幸い帝国にはヴァレンシュタイン少将がいます。万一の事があっても、ある程度の期間なら静謐を保てるとミュッケンベルガー元帥は今回の件で確信したでしょう。何もしなければ同盟は戦力を回復させ、内乱が起きた時必ず軍事行動を起します。帝国に選択肢は無いんです。おそらく年内にも出兵が有るでしょう。」

シトレ本部長もキャゼルヌ先輩も苦い表情をしている。二人は違う答えを望んでいたのか。
「ヤン大佐、君は私が宇宙艦隊司令長官になるのが最善だとキャゼルヌに言ったそうだね」
「はい」

「私には異存は無い。国防委員会に宇宙艦隊司令長官になってもいい、いや、なりたいと伝えた。しかし、残念ながら却下された」
「それは何故でしょう」
「理由は私が宇宙艦隊司令長官になれば、宇宙艦隊が統合作戦本部より強い力を持ちかねない。それは軍の統制上好ましいことではない、そういうことだった」
「なるほど」

一理有るのは確かだ。では誰が司令長官になる?
「現時点で宇宙艦隊司令長官に上がっているのは、第一艦隊司令官クブルスリー中将、それから国防委員会情報部長ドーソン中将の二人だ」
「ドーソン中将ですか、しかしそれは」
酷いな。彼に宇宙艦隊の再建など出来るとは思えない。

「君の言いたい事はわかる。しかしおそらくドーソン中将に決まるだろう。政府は帝国が内乱を恐れて出兵を控えるだろうと考えているんだ」
だからドーソン中将でも務まるという事か。最悪だ、内乱を恐れて必死の帝国軍に対し、凡庸とまで言われているドーソン中将が何処まで対応できるか? シトレ本部長もキャゼルヌ先輩も渋い表情になったはずだ。

「ヤン大佐」
「はい」
「君は今度、准将に昇進する」
「昇進ですか」
「そうだ。宇宙艦隊司令部の作戦参謀として君の智謀を振るってくれ。君の考えが正しければ、同盟は厳しい状況に有るようだ」

階級が上がれば、発言力も大きくなる。私の意見を少しでも通り易くしようということか。しかし、ドーソン中将は好悪の感情の激しい人だと聞いている。上手くいくだろうか。私にはとても自信が無かった。












 

 

第五十一話 それぞれの思惑(その2)

■帝国暦486年5月17日  オーディン ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

 オッペンハイマー伯を逮捕し、クラーマー憲兵総監を更迭すると状況は一気に私たちに有利になった。宇宙艦隊の残存部隊も装甲擲弾兵も積極的に協力するようになったから、帝都の治安は完全に少将の手で維持される事になったと言っていい。そして帝都の安全が確立されるのと反比例するかのように少将の忙しさは酷くなった。

憲兵総監が軍務尚書のため実質的に憲兵隊のトップとなったことから、帝都防衛部隊、宮中警備隊の他、憲兵隊からも恐ろしいほどの書類が回ってきたのだ。その他にも何かにつけ連絡をしてくる宇宙艦隊の残存部隊、旗幟を明らかにした装甲擲弾兵までもが少将に指示を仰ぎだした。

私、キスリング中佐、シューマッハ中佐は少将を助けて書類を片付けたが、それでも少将の仕事は全然減らなかった。どうなってんだろ。おまけに少将は熱を出して倒れるし、帝都防衛司令部はまさに戦線崩壊の状況だった。フリードリヒ四世の意識が戻ったときは皆泣いて喜んだわ。よくぞ戻ってくれた、これでようやく解放されるって。私達ほど忠誠心の厚い臣下はいないと思う。少なくともブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯より亡命者の私の方が帝国臣民として皇帝陛下の意識回復を喜んだと思う。

 フリードリヒ四世の意識が戻ったのが四月九日、リヒテンラーデ侯がフリードリヒ四世の快癒宣言を出したのが四月十九日。ヴァレンシュタイン少将は四月十九日をもって帝都防衛司令官代理、憲兵副総監を辞任し、兵站統括部第三局第一課課長補佐に戻った。私も少将もほとんど逃げるように兵站統括部に帰ったわ。

帝国軍遠征部隊が帰還したのは五月十五日、一昨日だった。そして今、少将は軍務省尚書室に呼ばれ、私は部屋の外で少将を待っている。



■ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

尚書室に入ると軍務尚書エーレンベルク元帥と宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥がいた。
「元帥閣下。遠路の征旅、お疲れ様でした」
俺がそうねぎらうとミュッケンベルガーは苦笑した。

「ヴァレンシュタイン、卿は勝利を祝ってはくれぬのか」
「小官は今回の勝利が元帥閣下の望まれたものとは違うと思っていますので、御祝いは述べません。次の勝利にとっておきます」

俺がそう言うとミュッケンベルガーだけでなくエーレンベルクまで苦笑した。
「卿は可愛げがないな」
ミュッケンベルガーの言葉に今度は俺が苦笑し、気がつけば三人とも苦笑していた。

「軍務尚書より話は聞いた。良くやってくれた、礼を言う」
「はっ。恐れ入ります」
「ミューゼル中将だが、卿の言うとおりであった。良くやる。将来が楽しみだな」
「はっ」
ミュッケンベルガーはちらとエーレンベルクと眼を合わせてから俺に問いかけてきた。

「ヴァレンシュタイン少将、今まで軍務尚書と話していたのだが、これから帝国はどのようにすべきだと思うか、攻勢を取るべきか、それとも守勢を取るべきか」
なるほど、これが聞きたいと言う事か。

「攻勢を取るべきだと思います」
今度はエーレンベルクがミュッケンベルガーと眼を合わせてから問いかけてきた。
「その理由は」
「帝国で内乱が起きても、反乱軍が付け入る事が出来ぬまでに叩いておくべきかと考えます」

どうやら俺の考えは二人の考えと同じだったらしい。二人とも満足げだ。
「ヴァレンシュタイン少将、私は冬になる前に出兵するつもりだ。軍務尚書にも既に了承を得ている。今度こそ反乱軍を叩き潰す。勘違いするなよ、少将。これは宇宙艦隊の実力を確認するためではない。実力は今回の会戦である程度判った。今度は帝国の安全を守るための戦いだ。帝国に内乱が発生した場合、反乱軍に付け入る隙を与えてはならん。今回も出兵計画の立案には参加せよ」
「はっ」

「本来なら、卿にも遠征軍に加わって欲しいのだが、卿には万一のことを考えオーディンに残ってもらう。軍務尚書を助けてくれ」
「はっ」
「済まぬな、ヴァレンシュタイン。本来なら卿とて武勲を立てる場に出たかろう。それを労ばかり多くて報われる事の少ない仕事をさせている。済まぬ……」
思いがけない言葉だった。ミュッケンベルガーが俺に謝る? どうしたんだ一体?

「元帥閣下。小官は報われない仕事だとは思っておりません。理解してくれている方がいるのです。ならば、報われない仕事ではありません。どうか、お気遣いは御無用に願います」
「うむ」

ミュッケンベルガーは何処と無く面映そうだ。俺も柄にも無い事を言ったかと少し困っていると、エーレンベルクが話しかけてきた。
「ミュッケンベルガー元帥、少将の言うとおりだ。理解してくれている人間がいるのなら報われない仕事ではない。ヴァレンシュタイン少将、卿は今度中将に昇進する」
エーレンベルクは少し面白がっているようだ、眼が笑っている。

「昇進ですか、しかし小官は何の武勲も上げておりませんが」
「帝都の内乱の危機を防いだではないか」
「しかし」
俺が反論しようとするとエーレンベルクは眼から笑いを消して俺を諭した。

「これは必要な事なのだ、卿を少将のままにしておくと、馬鹿者どもが軍上層部は今回の卿の働きを評価していない、不満に思っているなどと勘違いしかねん。後々厄介な事になる」
「……」

「卿の役職は、兵站統括部で用意する。万一の場合には前回同様、帝都防衛司令部、憲兵隊を指揮することになるが、他に望みは有るか?」
エーレンベルクの問いに俺は迷わずに答えた。
「はい、装甲擲弾兵への指揮権もお願いします」
俺の答えにエーレンベルクがミュッケンベルガーに話しかけた。

「それは、私よりミュッケンベルガー元帥のほうがよかろう」
「そうだな。では私からオフレッサーに話そう」
「はっ。お願いします」

他に、細々とした事を確認し、そろそろ辞去しようとした時だった。エーレンベルクが俺に話しかけてきた。
「そうそう、卿はもう知っているか? 反乱軍の司令長官が決まった」
決まったのか、一体誰だ?

「ドーソンと言う男だそうだ」
「ドーソン中将ですか」
「知っているのか? どういう男だ?」
ミュッケンベルガーも当然の事だが興味ありげに聞いてくる。

「前任者のロボス大将より能力は下でしょう」
「下か」
「それより大切な事があります」
「?」

「反乱軍の政府上層部では、帝国軍が攻勢をかけるとは思っていないようです。そのことがドーソン中将の起用になったと思います。但し、軍上層部がどう思っているかは判りません」
「なるほど、奴らが油断しているのなら場合によっては奇襲が可能か。面白くなってきたな」
ミュッケンベルガーはエーレンベルクと視線を交わすと楽しげな声を出した。


尚書室を辞し、俺はヴァレリーと兵站統括部へ向かった。そしてずっと気になっていたことを考え始めた。本来ならば三年前、重態になるはずだったフリードリヒ四世が何故この時期に意識不明の重態になったかだ。医師の話ではここ最近、戦勝祝い等の祝賀会が続いたため体に負担がかかった、という事らしい。わからないではない、原作と比べてみるとかなり大きく勝っているし損害も少ない。祝い酒も進むだろう。

一方三年前、何故重病にならなかったかだが、あの時期はサイオキシン麻薬密売事件がオーディンに飛び火した時期だったはずだ。いくらなんでも酒飲んで大騒ぎをしている余裕は無かったろう。そういう意味では納得が行くのだ。

しかし、俺は別な事を考えている。非科学的なことなのだが原作への揺り返しが起きたのではないかと思うのだ。今回の戦い、フリードリヒ四世が倒れなければ帝国軍は同盟軍に対して致命的な打撃を与える事が出来たはずだ。そうなれば混乱する同盟軍に対しさらに追い討ちをかけるか、第二、第三の遠征軍を起し、同盟に畳み掛ける事が出来ただろう。

同盟は帝国に対し効果的な反撃が何処まで出来たか。おそらく和平をそれもかなり屈辱的な和平を乞うしかなかったろう。いわばバーラトの和約だ。その先は宇宙統一へと進んだのではないだろうか。しかし、フリードリヒ四世が倒れたことで全てはやり直しになった。多少、原作に比べて差異はあるが、帝国と同盟はイゼルローン回廊を基点とした攻防戦を繰り返す事になるだろう。馬鹿げた考えだとは判っている。それでも俺はこの考えを振り払う事が出来ずにいる。考えすぎなのだろうか……。





 

 

第五十二話 それぞれの思惑(その3)

■ 帝国暦486年5月18日ヴェストパーレ男爵夫人邸 マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ

 
 皇帝よりアンネローゼとの面会が許されたラインハルト、ジークフリードがやってきた。アンネローゼが来るまでまだ時間が有るだろう。主人として当然もてなしてあげなくては。
「ラインハルト、ジーク、いらっしゃい、昇進おめでとう」
「有難うございます。男爵夫人」

この子の眼は相変わらず美しい。野心的で覇気に溢れる蒼氷色の瞳。私はこの瞳が好きだ。この瞳が望んでいるのは何だろう? 元帥となって軍の頂点を極める事? それともそれ以上の高みに上る事を望んでいるのだろうか。それもいいだろう、この停滞した退屈な日々を吹き飛ばしてくれるのならば。

「聞いたわよ、大活躍だったのですって」
「もう少しで反乱軍を壊滅させる事が出来たのですが……」
少し悔しげに言うラインハルトは年齢よりも幼く見える。そんな彼を好もしく思いつつ言葉をかけた。
「仕方ないわね。あんな事があったのでは」

皇帝フリードリヒ四世不予。その凶報はオーディンを震撼させた。但し震撼させただけだった。いかなる混乱も悲劇も引き起こさなかった……。
「男爵夫人、オーディンは何の混乱も起きなかったのでしょうか? アンネローゼ様が辛いお立場におかれるようなことは?」

ジークは心配そうに聞いてくる。この子は相変わらずアンネローゼに思いを寄せている、いじらしいほどに。
「大丈夫よ、ジーク。オーディンがあんなに安全だった事は無いわ。ほんのちょっとでも不穏な動きがあればヴァレンシュタイン少将が許すはずは無いもの」

そう、許すはずが無い。禁を犯すものはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯といえども殺せと命じた青年。当初貴族たちはそれを鼻で笑った、出来るはずが無いと。彼が僅か半日の間にリッテンハイム侯を銃で脅し、オッペンハイマー伯を反逆罪で捕らえ、クラーマー憲兵総監の首を切ったと知ったとき、その苛烈さに貴族たちは恐怖で震え上がった。

彼がコンラート・ヴァレンシュタインの息子である事がその恐怖に拍車をかけた。ヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家の三家はもちろん、それ以外の貴族たちも、彼が貴族に対して決して好意的ではない、いやむしろ憎悪を持っているであろう事にいまさらながら気付いたのだ。
貴族たちは怯えながら、いつ粛清の嵐が吹き荒れるかと思ったろう。あの時、オーディンを支配したのは間違いなくヴァレンシュタイン少将だった。

「そういえば、今回貴方のところの参謀長はヴァレンシュタイン少将が推薦したのではなかったかしら」
「ケスラー少将ですか、良くご存知ですね」
「それに、今回の遠征に参加出来たのもヴァレンシュタイン少将が貴方をミュッケンベルガー元帥に推薦したからだって、もっぱらの評判よ。仲がいいみたいね」
「……」
「?」

どういうわけだろう。二人の反応がおかしい。もしかして……。
「ヴァレンシュタイン少将と何か有ったの?」
「そんな事はありません」
「でも、何か変よ。隠さないで言いなさい」
ラインハルトはジークと顔を見合わせ少しためらいつつ言葉を出した。

「……彼がこちらに好意的なのはなんとなく判ります。ただ……」
「ただ」
「よくわからないのです」
「わからない?」
「ええ、彼が何を考えているのか、私をどのように思っているのか」

なんとなくわかるような気がした。不安なのかも知れない。ラインハルトはヴァレンシュタイン少将を味方に付けたいと思っているのだろう。しかし、ヴァレンシュタイン少将はラインハルトの下につくことに甘んじるだろうか? 軍の階級ではラインハルトのほうが上かもしれない。だが上層部の、軍内部の評価ではどうだろう。残念だけどラインハルトはヴァレンシュタイン少将に及ばないだろう。

ラインハルトには姉のおかげで出世したという評価が常に付きまとう。しかし、ヴァレンシュタイン少将にはそれが無い。誰もが実力で今の地位を勝ち取ったと見るだろう。ラインハルトは頂点に立ちたがっている。地位だけではない、精神的にもだ。そして今、精神的にヴァレンシュタイン少将の上に立てずに苦しんでいる。今回の戦いはいい機会だったはずだ。しかし、勝利は中途半端なものに終わり、ヴァレンシュタイン少将は以前にも増して評価を上げた……。

「彼とよく話してみたらどうかしら」
「話す?」
「ええ、どうせ碌に話していないんでしょう」
「……」

「今度、陛下の快気祝い兼戦勝祝賀会が行なわれるわ。そこで彼と話すのね」
「そこでですか?」
「何もいきなり親しくなれとは言っていないわ。少しずつよ。アンネローゼが無事だった事だってお礼を言って良い筈よ」
「そう、ですね」
そう、少しずつだ。少しずつ親しくなっていけば良い。敵対だけは避けるべきだから……。


■ 帝国暦486年5月25日  新無憂宮「黒真珠の間」 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


 快気祝い兼戦勝祝賀会か……。戦勝祝賀会は将官になってからだから三度目だが、他のパーティとかは幾つ出たか覚えてないな。大体話をする人がいないしつまらん。俺と話をしたがる奴は先ずいない。軍人だと将官になるのに士官学校を卒業してから早い人間で大体八年~十年はかかる。つまり周りは若くて二十代後半ということだ。俺が准将になったのは二十歳のときだから、普通に考えれば士官学校を卒業していきなり准将になってるような感じだろう。誰も話したがらないのも無理は無い。貴族にいたっては平民なんかと口を利きたがらない。

俺と話をするのはリューネブルクぐらいだが、彼も出席して主賓の挨拶が終わるとさっさと帰ってしまう。亡命者っていうのは敬遠されるからつまらないんだろう。それでも俺やリューネブルクがこの種のパーティに出る理由は皇帝が臨席するからだ。出ないと不敬罪とか言われかねない。おかげで俺はいつも寂しく料理を食べて適当に帰る。今日もそのパターンだな。さっさと始まって欲しいもんだ。

「ヴァレンシュタイン中将」
「これは、元帥閣下」
後ろから名を呼ばれた事に驚いて振り向くと、ミュッケンベルガー元帥がいた。大柄な元帥に隠れるように若い女性が後ろに立っている。娘か、姪か、娘にしては若いような気がする、姪かな。

「一人かな、中将」
「はい」
「ちょうどよい。娘の相手をしばらくしてくれんか」
「は?」
娘? 相手?

「ユスティーナ、ヴァレンシュタイン中将がお相手してくれるそうだ。若いもの同士、楽しむと良い。では中将、後を頼む」
そういうと元帥はさっさと離れていった。ちょっと待て、若い女の相手なんてここ二十年ほどしてないんだから無理だ。だいたい奇襲攻撃は酷いだろう。俺は味方だぞ。味方だよな、多分……。


帝国暦486年 5月
ラインハルト・フォン・ミューゼル中将、アスターテ会戦の勝利に功あり。大将へ昇進。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン少将、皇帝不予に乗じたオッペンハイマー伯の陰謀を未然に防いだ功により、中将へ昇進。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将、兵站統括部第三局局長補佐を命じられる。



 

 

第五十三話 クロプシュトック侯事件(その1)

■ 帝国暦486年5月25日  新無憂宮「黒真珠の間」 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガーです。ご迷惑だったのではありませんか」
「そんな事はありません、フロイライン。申し遅れました、小官はエーリッヒ・ヴァレンシュタインです」

若い女性に謝られるとすぐ許してしまうのは悲しい男の性だ、俺だけの問題ではないだろう。俺は改めて彼女を見た。ミュッケンベルガー元帥とはあまり、いや全然似ていない。身長は百七十センチには届くまい、俺のほうが少し高いようだ。年齢は二十歳にはまだ間が有るだろう。

目鼻立ちの整った細面の顔に黒髪、グリーンの瞳をしている。眼が大きく、ちょっと目じりがたれ気味だろうか、そのせいで表情はやさしげに見える。驕慢さ、高慢さは何処にも感じられない。薄いピンクのドレスがよく似合う。さて、何を話そう?

「元帥閣下はどちらへ行かれたのでしょう?」
「なんでも、エーレンベルク元帥に呼ばれたそうです。私を連れて行くことは出来ないと言われて……」
次の遠征についての打ち合わせか……、いかんな、何を話せば良い?
「そうですか、……失礼ですが元帥閣下とは余り似ていらっしゃらないようですね」
「ええ、養女なのです」

養女、なるほど。馬鹿、何をつまらない事を聞いている。彼女はトパーズのイヤリングをしていた。黒髪とグリーンの瞳によく似合う。
「つまらない事を聞きました。失礼をお許しください」
「ケルトリング家をご存知ですか?」
ケルトリング家?

「確か、ミュッケンベルガー家とは縁戚関係にあったと思いましたが」
「はい。私の祖父はヘルマン・フォン・ケルトリングといって、養父の父、ウィルヘルム・フォン・ミュッケンベルガーの従兄弟だったのです。ケルトリング家の男子は反乱軍との戦いでほとんど戦死し、家は衰退しました。私の父も五年前に戦死しました。母はそれ以前に病死していましたので、一人になってしまった私を養父がミュッケンベルガー家に迎えてくれたのです」

ケルトリング家か……かつて軍務尚書まで輩出したケルトリング家は軍の名門といって良い。ミュッケンベルガー家より格が上だったろう。しかし、同盟軍にブルース・アッシュビーが現れた事がケルトリング家を没落させた。当時、軍務尚書だったケルトリング元帥は二人の息子をアッシュビーに殺され、本人も第二次ティアマト会戦の前に病死している。彼女の祖父へルマン・フォン・ケルトリングは戦死した二人の息子の一人だ。

「ご苦労をなされたのですね」
「いえ、それほどでもありません」
話が途切れてしまう事に困惑していた俺を救ったのは、ある男の声だった。
「エーリッヒ」


■ ナイトハルト・ミュラー

珍しいこともあるものだ。エーリッヒが女性と二人きりで話している。雰囲気も悪くなさそうだ。邪魔するのは悪いかと思ったが、ミューゼル大将もケスラー少将も彼と話したがっている。それに、どんな相手なのか見てみたいという気持ちも有る。思い切って声をかけてみよう。

「エーリッヒ」
「ナイトハルト」
エーリッヒはうれしそうな声を上げた。ハテ、その女性をもてあましていたな。悪い奴だ。
「元気そうだな」
「おかげさまでね」

俺たちの挨拶に割り込むようにミューゼル大将が話しかけてきた。
「久しぶりだ、ヴァレンシュタイン中将。皇帝陛下御不例のときは色々と姉の事で気遣っていただいたようだ。礼を言う」
「いえ、仕事ですから、お気遣いは御無用に願います。伯爵夫人にお会いなされたのですか?」
「うむ、色々と姉より聞いた。感謝している」

なんとなくぎこちないな。どうもミューゼル大将はエーリッヒを意識しているようだ。競争相手と見ているのだろうか。俺と同じような事を考えたのかもしれない。ケスラー少将が話題を変えようとした。

「ところで中将、そちらのフロイラインを紹介してもらえないだろうか?」
「そうですね、こちらはユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー嬢。ミュッケンベルガー元帥の御令嬢です」

「はじめまして、ユスティーナです」
「これは、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将です」
「ウルリッヒ・ケスラー少将です」
「ナイトハルト・ミュラー少将です」

みんな驚いている。まさかミュッケンベルガー元帥の娘。この場でエーリッヒが相手をしているってことは、元帥も公認って事か? ま、若手じゃ、エーリッヒかミューゼル大将だが。
「まさか、元帥閣下の御令嬢だとは思いませんでした。失礼ですが余り似てはいらっしゃいませんね」

ケスラー少将が話しかける。ミューゼル大将も同感なのだろう、微かに頷いている。そんな俺たちを見てエーリッヒとフロイラインは顔を見合わせ苦笑した。
「?」
皆が不審に思っていると、エーリッヒが
「先程、小官も同じ事をフロイラインに言いました」
と言い、もう一度フロイラインと顔を見合わせ苦笑した。

それで緊張がほぐれたのだろう。他愛もない会話がしばらく続いた。一番の話題はなんと言ってもミュッケンベルガー元帥のプライベートだった。俺たちは皆元帥のプライベートを知りたがり、自宅でも威厳に溢れているのかとか、嫌いな食べ物があって残したりしないのかとフロイラインを質問攻めにした。彼女は笑いながら答えてくれたが、それによると、どうやら元帥は自宅でも元帥のままらしい。

「それにしても、今日は珍しい方に会いますね」
ケスラー少将の言葉にエーリッヒが問いかける。
「フロイラインの事ですか?」
「それもありますが、クロプシュトック侯に会ったのですよ」
「……クロプシュトック侯ですか、どちらでお会いになったのです?」

妙だな。エーリッヒの顔から笑みが消えた。緊張しているのか?
「会場の入り口です。出て行くところでしたね」
「間違いありませんか、ケスラー少将」
「ええ、間違いありません」

ケスラー少将もエーリッヒの緊張に気付いたのだろう訝しげにしている。ミューゼル大将もフロイラインもだ。
「どうしたんだ、エーリッヒ?」
「後だ、ナイトハルト。ケスラー少将、クロプシュトック侯といえばここ三十年ほど宮中からは遠ざかっていたはずですが?」
「ええ、中将の言うとおりです。陛下の御即位以来、宮中からは遠ざかっていました。それで珍しいと……」

エーリッヒはじっと考え込んでいる。俺たちの視線などまるで気にしていない。どういうことだ? クロプシュトック侯がどうかしたのだろうか?陛下の即位以来、宮中からは遠ざかっていた? なにが引っかかっているのだろう。

急に周囲がざわめいた。周りを見渡すと、ブラウンシュバイク公がこちらに向かってくる。公の後ろにはフレーゲル男爵もいる。ミューゼル大将が形のよい眉をしかめるのが見えた。無理も無い、フレーゲル男爵は俺も嫌いだ。そのときだった、エーリッヒがブラウンシュバイク公に近づき話しかけたのは。

「ブラウンシュバイク公、小官はヴァレンシュタイン中将です。少しお時間をいただきたいのですが」
「無礼であろう。中将になったからといって、平民の分際で伯父上に話しかけるとは」
フレーゲル、何様のつもりだ。鼻持ちなら無い奴だ。ミューゼル大将が嫌悪の表情を浮かべる。

「公爵閣下、大事な話なのです」
「下がれ、下郎」
「待て、フレーゲル。ヴァレンシュタイン中将、わしに何の用だ」

周囲もこちらを見始めている。フレーゲルはそれを意識してやっているようだが、さすがにブラウンシュバイク公はまずいと思ったようだ。陛下に万一の事があれば帝都の治安はエーリッヒが預かる事になる。エーリッヒを敵に回せばどうなるか、オッペンハイマー伯、リッテンハイム侯、クラーマー憲兵総監を見れば明らかだ。

「有難うございます。最近、クロプシュトック侯が公爵閣下の御屋敷を訪ねなかったでしょうか?」
「それがどうかしたか」
「訪ねたのですね」
「うむ」

「何がいいたいのだ、クロプシュトック侯が伯父上を訪ねたとて貴様には関係なかろう」
「その折、クロプシュトック侯は公爵閣下に高価なものを贈られませんでしたか?」
エーリッヒはフレーゲルの邪魔など全く相手にしていない。何が有るんだ一体。俺もミューゼル大将もケスラー少将もいぶかしげに顔を見合わせた。

「それがどうかしたか」
ブラウンシュバイク公は少し嫌な表情をしている。衆人の前で話したくない話題なのだろう。周囲の人間が少しずつ、こちらに近づいてくる。
「他の方々にも贈られたのでしょうか、例えばリッテンハイム侯とかですが」
「……そうかもしれんな」

今度は眉をしかめた。自分以外の人間に近づいたと指摘されるのは面白くないのかもしれない。
「閣下、陛下や御側近の方々にとりなしを頼まれませんでしたか?」
「うむ、頼まれた。わしだけではないぞ、おそらくリッテンハイム侯も頼まれたはずだ」
「最近、クロプシュトック侯に変わった事は無かったでしょうか?」
「伯父上がそのような事知るわけが有るまい、いい加減にしろ!」
「やめよ、フレーゲル」

ブラウンシュバイク公は妙だと思ったようだ、誰でもそう思うだろう。思わないのはフレーゲルぐらいのものだ。エーリッヒは何かを知りたがっている。彼の視線はずっとブラウンシュバイク公に当てられたままだ。多分その答えをブラウンシュバイク公が持っているのかもしれない。
「そうだな、変わった事といえば息子が戦死したと聞いている。この間の戦いでだ」

「跡取りはいるのでしょうか」
「いや、いないはずだ。養子を取るのではないかな、もうよいか、中将」
「クロプシュトック侯の事で伯父上を煩わせるなど、何を考えているのだ貴様は! 貴様は戦争でもしていればよいのだ。我らの事に口を出すな!」

「小官も口など出したくはありません」
「なんだと」
顔を真っ赤にして怒るフレーゲルにエーリッヒは静かに答えた。
「ですが、困った事に出さざるを得ないようです。クロプシュトック侯が此処に爆弾を持ち込んだかもしれません」
「爆弾」その言葉が黒真珠の間に静かに広がっていった……。







 

 

第五十四話 クロプシュトック侯事件(その2)

■ 帝国暦486年5月25日  新無憂宮「黒真珠の間」 ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー


「ですが、困った事に出さざるを得ないようです。クロプシュトック侯が此処に爆弾を持ち込んだかもしれません」
「爆弾」その言葉が黒真珠の間に静かに広がっていった……。
「血迷ったか、いい加減な事をいうな!」
フレーゲル男爵が癇癪に満ちた声を上げる。

「そうですね。爆弾が有るかどうかは爆発するまではわかりません。爆発したらヴァルハラで会えますね」
ヴァレンシュタイン中将は静かに答えると、ゆっくりとした歩みで私たちの元に帰ってきた。
「中将……」

私が問いかけると中将は穏やかに微笑みながら答えた。
「大丈夫です。爆発するまでまだ時間は有りますから、多分ですけど」
「エーリッヒ、さっき言ったことは本当か、クロプシュトック侯が此処に爆弾を持ち込んだかもしれないって言うのは」

周囲から“爆弾”、“クロプシュトック侯”、“ヴァレンシュタイン中将”などの単語が聞こえてくる。ミューゼル大将もケスラー少将も中将に強い視線を当ててくる。しかし中将は気にならないようだ、平然としている。

「多分だよ、ナイトハルト。爆弾か、それに類するもの、殺傷能力の高い奴だ」
「落ち着いている場合じゃないだろう、早く避難しないと」
「まだその時じゃないんだ、ナイトハルト。それと逃げると言う言葉は使わないでくれないか」
「?」

どういうことなのだろう、皆が不思議に思うなか一人の軍人が私たちに近づいてきた。彼の後ろにはブラウンシュバイク公、フレーゲル男爵もいる。

「ヴァレンシュタイン中将」
その人が呼びかけると、中将はゆっくりとその人の方を見た。
「小官はアンスバッハ准将といいます。ブラウンシュバイク公に仕えているものですが、先程のお話を詳しくお聞きしたいのですが」
ヴァレンシュタイン中将はじっとアンスバッハ准将を見た。眼がわずかに細められたように見えたのは間違いだろうか。

「爆弾のことですか?」
「そうです。主も大変関心を持っています」
「……警備の責任者を呼んでもらえますか、二度手間になります」
「確かに」

アンスバッハ准将はブラウンシュバイク公の方を見た。ブラウンシュバイク公は微かに頷くと“警備責任者を呼べ”と大きな声を出した。信頼されているようだ。周囲の関心はみな私たちに、ヴァレンシュタイン中将に集中している。しかし、中将は全く気にすることなく、手に持ったオレンジジュースを飲んだ。カラカラと氷が音を立てる。飲み干すと給仕を呼び、今度は水を頼んだ。

「失礼します。小官はエルネスト・メックリンガー准将と申します。この祝賀会の警護を担当しております」
警護担当者が来たのは中将が水を貰った直後のことだった。ブラウンシュバイク公が呼んでから三十秒も経っていなかっただろう。近くにいたのだろうか。
ヴァレンシュタイン中将はメックリンガー准将を見ている。すこし面白がっているように見えたけど、どういうことだろう。

「メックリンガー准将は宮中警備隊には居なかったと思いますが?」
「今回は、快気祝い兼戦勝祝賀会ということで規模が大きくなりましたので、小官も借り出されました。黒真珠の間は小官が警護を担当しております」

「そうですか。……この部屋に爆弾、あるいはそれに類するものが仕掛けられた可能性があります」
「! 誰がそのような事を」
「クロプシュトック侯です」

「クロプシュトック侯……、しかし何故です、閣下は御覧になったのですか?」
「いえ、想像です。しかし先ず間違ってはいないでしょう」
「何故そう言えるのです?」

メックリンガー准将は訝しげだ。確かに、何故そう言えるのだろう? フレーゲル男爵は“いい加減な事を”などとつぶやいている。
「クロプシュトック侯は、陛下が御臨席になる前にお帰りになられました」
「それで?」

「侯は陛下が即位される前ですが、弟君のクレメンツ大公の支持者でした。そして陛下を散々愚弄したそうです。そのため陛下の即位後は三十年にわたって冷遇されました。そうではありませんか、ブラウンシュバイク公」
三十年も冷遇されてきた……。
「うむ。その通りだ」

「先日の反乱軍との戦いで侯は御子息を亡くしたそうです。クロプシュトック侯は跡継ぎを失いました。その後です、侯は幾つかの権門にかなりの贈り物をし、陛下や御側近の方々にとりなしを頼みました。そしてこの祝賀会に出席を許された」
「……」
皆言葉を失っている、フレーゲル男爵もだ。中将が言いたい事が段々判ってきたから。

「その侯が陛下が御臨席になる前にお帰りになられた。これは不敬罪として咎められてもおかしくない行為です。せっかく許しを得た侯が何故不敬罪を働くのか、おかしいとは思いませんか?」
確かにそうだ、おかしい。

「……確かに、今度咎めを受ければただではすまない」
「つまりここから離れる必要があったということか」
「ええ」
メックリンガー准将、アンスバッハ准将がお互いに顔を見ながら呻く様な声を出す。二人とも中将の論理を肯定せざるを得ないのだ。

「念のため、クロプシュトック侯が退出したか確認しましょう」
「それと宇宙港を確認してください」
「宇宙港?」
「クロプシュトック侯の宇宙船があれば押さえてください。もし、出港した後なら反逆は間違いないでしょう」
「確かに。すぐ確認します」

中将の言葉に従いメックリンガー准将はすぐさま携帯用TV電話で指示を出し始めた。クロプシュトック侯が退出したのはすぐ確認が取れた。宇宙港はまだ確認できずにいる。しかし、周りはみなそわそわしている。落ち着いているのは中将だけだ。ミューゼル大将でさえ不安げな表情をしている。グリューネワルト伯爵夫人が気になるのかもしれない。

中将がメックリンガー准将にブラスターを見せて欲しいと頼んでいる。こんな時によくそんな事を言えるものだ、感心するやら呆れるやらだ。中将は准将からブラスターを受け取り、よく手入れの行き届いた銃だとか、使い易そうだとか言っている。ブラスターに違いがあるのだろうか? 中将はどんなブラスターを使っているのだろう。残念な事に黒真珠の間で武装を許されるのは警備担当者だけだ。今度見せてもらおう。

「今、確認できました。クロプシュトック侯の宇宙船は先程出港したそうです」
メックリンガー准将の言葉は黒真珠の間を雷鳴のように響き渡った。
“では、爆弾が”、“早く逃げないと”などという言葉が聞こえる。私も逃げたいけれど、まずは養父を探さないといけない。

「ば、爆弾、はやく逃げないと。お、伯父上、早く逃げましょう。爆発する前に早く」
情けない声を出してブラウンシュバイク公に話しかけるのはフレーゲル男爵だ、みっともないくらい腰が引けている。そんなときだった中将が声を発したのは。

「フレーゲル男爵、動かないでいただきましょう。閣下を不敬罪で射殺します」
「!」
みな、ぎょっとして中将を見ている。先程までの喧騒が嘘のようだ。中将は穏やかな表情でブラスターを構え、フレーゲル男爵を狙っている。不敬罪? どういうこと?
「わ、私の何が不敬罪だ、こんなときに冗談をいうな」

「冗談ではありません。我々がまずしなければならないのは、皇帝陛下に危難を知らせ、安全な場所に退避していただくことでしょう。それをせずに自分だけ逃げようとするとは。クロプシュトック侯の不敬罪を話したばかりですよ、気付かなかったとは言わせません。男爵閣下には忠誠心が欠片も無い。万死に値するといって良い。」
「!」
穏やかな、笑みすら浮かべた中将の発言が黒真珠の間を流れていく。
「此処にいる全ての人が証人です。閣下には死を持って罪を償ってもらいます」

周囲は皆凍りついたように動けずにいる。ミューゼル大将、ケスラー少将、ミュラー少将も蒼白になっている。私はようやくわかった、何故中将がミュラー少将に“逃げる”という言葉を使うなと言ったのか、何故ブラスターを借りたのか。全てこれを想定していたのだ。

先日の皇帝陛下不予の一件以来、貴族の中にはヴァレンシュタイン中将に反感を持つものが多い。その急先鋒がフレーゲル男爵だ。何かにつけて中将を誹謗、中傷することで中将を押さえつけ、自分たちの力を印象付けようとしている。中将にとっては目障りだったはずだ。いつか処断しなければならないと考えていたのだろう。それにしてもこの爆弾騒ぎの中、ここまで冷徹に策を巡らせられるものなのか。この人は穏やかに微笑みながら、フレーゲル男爵が罠に落ちるのを待っていたのだ。そして誰にも知られる事無く爪を研いでいた。一体どういう人なのだろう。

「メックリンガー准将、陛下に安全な場所へ退避するようにお伝えください。それからこの場の方々もです」
「承知しました」
メックリンガー准将は中将の指示で動き出した。出席者からも安堵の言葉が漏れる。唯一固まっているのはフレーゲル男爵とその関係者だけだ。

「お待ちください、中将。男爵に軽率な言が有ったのは確かです。しかし、忠誠心が無いというのはいささか酷すぎましょう。それにこの場での処断は余りに乱暴というものです」
「お、伯父上」
「ヴァレンシュタイン、アンスバッハの言うとおりだ、フレーゲルを許してやってくれぬか」

アンスバッハ准将、ブラウンシュバイク公がフレーゲル男爵の命乞いに動いた。男爵はほっとした顔をしている。公爵が動けば大丈夫だと思ったのだろう。中将にしてもここは貸しを作って終わりにするだろう。
「残念ですが、許す事は出来ません」
「!」
ブラウンシュバイク公の頼みを断った! 皆驚愕している、あり得ない事がおきた。

「男爵閣下はブラウンシュバイク公にも逃げようと誘ったのです。帝国の藩屏たる公爵閣下にも不敬罪を犯させようとしたのですよ。許す事は出来ません。もし、公爵閣下が不敬罪を犯したらフロイライン・ブラウンシュバイクはどうなります。陛下の御血筋でありながら不敬罪を犯した父親を持つ、そういう御立場におかれることになるのです。それでも許せとおっしゃいますか?」

本気だ、本気で殺す気だ。中将はブラウンシュバイク公の口を封じた。もう公爵にもフレーゲル男爵を助ける事は出来ない。ヴァレンシュタイン中将は獲物の首に研ぎ上げた爪を突き刺そうとしている。柔らかく微笑みながら……。

 

 

第五十五話 クロプシュトック侯事件(その3)

■ 帝国暦486年5月25日  新無憂宮「黒真珠の間」 ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー


「メックリンガー准将、ミュッケンベルガー元帥とエーレンベルク元帥がこの近くの何処かの部屋にいます。配下のものを使って探していただけませんか」
「承知しました」

メックリンガー准将はヴァレンシュタイン中将の指示に従いながらも時折フレーゲル男爵を、そして中将を見る。ミューゼル大将、ケスラー少将、ミュラー少将も同様だ。時に顔を見合わせ、そのまま中将に視線を向けるが誰も口をきかない。中将はフレーゲル男爵にブラスターを向けたままだ。私から見るヴァレンシュタイン中将の姿には何の緊張も見えない。

「小官は射撃が下手なのです。巻き添えを食いたくなければ、男爵から離れてください」
中将の言葉に男爵から人がさっと離れた。男爵は目が飛び出しそうに成っている。
自分のおかれた立場がわかっているのだろうか、時折すがるような眼でブラウンシュバイク公を見るが、ブラウンシュバイク公は黙ったままだ。フロイライン・ブラウンシュバイクの名を出されては公爵も何も出来ない。そして誰も中将を止めようとしない。中将が見せた断固たる意思の前に沈黙している。

「さて、時間がありません、死んでいただきましょう」
「待てヴァレンシュタイン、私が悪かった。助けてくれ」
本当に殺されると判ったのだろう。フレーゲル男爵が初めて命乞いをした。そしてその言葉に動かされるかのように、アンスバッハ准将は男爵の前に立ち、楯となって中将の説得を始めた。

「お待ちください、ヴァレンシュタイン中将。今ここで男爵を殺せば、閣下は私怨を持って男爵を殺したといわれますぞ」
「どういうことです、アンスバッハ准将?」

「男爵が中将を誹謗していた事は周知の事実です。いま男爵を射殺すれば、如何様なる理由があろうとも閣下が私怨を持って男爵を殺したと皆思うでしょう」
確かにそうだろう。私もそう思う。

「准将は私が私怨で人を殺す人間だというのですね」
「いえ、小官は閣下がそのような方ではないと信じております。しかしそう思う人間も少なからずいるでしょう。この場で男爵を処断するのは中将のためになりません。どうかブラスターを収めてください」
なかなか巧妙な説得だ。中将も苦笑している。

「なるほど。しかし、そうなると私の悪口を言っていれば私は何も出来ない、そういうことになりませんか?」
中将は何処か楽しそうに見える口調で問いかけた。
「そのような事は、主ブラウンシュバイク公が決してさせません。お約束します」
「アンスバッハの言うとおりだ、卿を誹謗、中傷することはわしが許さん」

アンスバッハ准将、ブラウンシュバイク公が口々に約束する。しかし中将は決して手を緩めない。
「それを犯したものはブラウンシュバイク公の面子を潰したということですか、……その場合、その愚か者に対する処分は准将、卿がつけるのですね」
「……もちろんです」

「いいでしょう。公爵閣下、フレーゲル男爵はそちらにお預けします。但し、男爵が不敬罪を犯したのは事実です。必ず責めを負わせてください」
「判った。必ず卿の言うとおりにする」
「それとこれは貸しです。必ず返していただきます。お忘れなく」
「判った」

話が終わると、中将はメックリンガー准将にブラスターを返した。そして私たちの元に戻ってくる。私は中将が傍に来た時、思わず身を引いてしまった。驚いたように私を見る中将に、私は罪悪感に囚われ謝罪していた。
「すみません、中将、私は」
「気にしていませんよ」
中将は苦笑しながら、私の謝罪をさえぎる。私の罪悪感はますます強くなっていく……。

「ナイトハルト、フロイラインを安全な場所に連れていってくれないか」
「判った」
私をミュラー少将に預けた?
「いえ、私は養父を……」
「ミュッケンベルガー、エーレンベルク両元帥は私が探します。フロイラインは安全な場所へ行ってください」
預けたんじゃないの?

「私も元帥閣下を探そう」
「いえ、ミューゼル大将はおやめください」
「なぜだ」
傷ついたように言うミューゼル大将にヴァレンシュタイン中将は真剣な面持ちで答えた。

「閣下に万一の事が有っては困るんです。ケスラー少将、大将閣下を安全な場所へ」
ミューゼル大将はヴァレンシュタイン中将の言葉に驚いたようだ。中将をまじまじと見ている。
「了解した。中将も決して無茶をしてはいけません。必ずお戻りください」
「ええ」

中将は私たちから離れると養父を探すために歩き始めた。私は何か中将に話しかけたかったが、何を話してよいかわからず、結局黙って彼の華奢な後姿を見ているだけだった。ミュラー少将が私を促し、安全な場所へと移動する。あそこで彼を避けなければ、彼は私にも養父を探させてくれただろうか?


■ ラインハルト・フォン・ミューゼル

ヴァレンシュタイン中将がミュッケンベルガー、エーレンベルク両元帥と共に宮殿の外に出てきたのは爆発が起きる二分ほど前の事だった。彼らだけではなかった、どういうわけかリューネブルク中将がいる。彼もヴァレンシュタイン中将同様、先日のオッペンハイマー伯の陰謀を未然に防いだ功により、中将へ昇進している。ひとしきり無事を喜んだ後、宮殿の中で爆発が起った。爆発は意外に大きかった。あのまま中にいれば、ほとんどの人間が死んだだろう。大変な事件になったに違いない。

爆発が終わったあと、夜空に上がる黒煙を見ながら話が始まる。
「リューネブルク中将、一体何をしていたのです?」
「いや、ヴァレンシュタイン中将と共にお二方を探していたのですよ。最初は、ヴァレンシュタイン中将のところへ行こうと思ったのですがね、こちらのフロイラインと一緒でしたので遠慮したのです」
ミュラーの問いにリューネブルクは笑みを浮かべながら答える。俺たちが邪魔をしたといっているのだろうか。

「それにしても面白い物を見せてもらいました。何故フレーゲル男爵を殺さなかったのです?」
リューネブルクの言葉にミュッケンベルガー、エーレンベルクが驚く。簡単に経緯を話すとミュッケンベルガーは感心せぬといった風情で首を振り、エーレンベルクは溜息をついた。
「オッペンハイマー伯同様、処断できたと思いますが?」
再度のリューネブルクの問いかけにヴァレンシュタインは少し小首をかしげながら答えた。

「オッペンハイマー伯とは状況が違うでしょう。ブラウンシュバイク公は納得していませんでしたからね」
「なるほど、リッテンハイム侯は納得していましたな」
「ええ、フレーゲル男爵を殺すとブラウンシュバイク公の怒りを買うことになるでしょう。あまり得策とはいえません。まあ、あのあたりで止めるのが上策でしょう」
「貸しも作りましたからな」
「ええ、返してもらうときが楽しみです」

ヴァレンシュタインとリューネブルクの会話が続く。そしてミュラーが、ケスラーが、ミュッケンベルガー父娘、エーレンベルクが加わる。俺も会話に加わったが心の中では別のことを考えていた。

「恐ろしい男になった」
ケスラーがここへ退避する途中で吐いた言葉だった。つぶやくような声だったから聞いたのは俺だけだったろう。俺も全く同感だった。クロプシュトック侯の爆弾を見破った事、フレーゲルを罠にはめた事。恐ろしい男だ、緻密で冷徹で非情になれる男、ヴァンフリートで会った頃はこんなにも恐ろしい相手だとは思わなかった。何時でも俺の上に立とうと思えば立てる男だ。俺を排除するのも難しいことではあるまい。それなのに俺を気遣うような発言をする。

「閣下に万一の事が有っては困るんです」
あれはどういうことなのだろう? 聞きたかったが聞けなかった。俺を評価しての事なのか? それとも俺を何かに利用出来ると踏んでいるのか? どちらも有りそうだ。ヴェストパーレ男爵夫人は彼と話せと言ったが話をして判るのだろうか?

キルヒアイスがいてくれたら、と思う。今の俺の胸のうちを話せる相手はキルヒアイスしかいなかった。彼が答えをくれるとは思わない、謀略等は苦手だから。それでも俺の胸の内を話し、俺の悩みを理解してくれる人物はキルヒアイスしかいなかった……。




 

 

第五十六話 クロプシュトック侯事件(その4)

■ 帝国暦486年5月26日  新無憂宮 バラ園 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

爆弾騒ぎの翌日、俺は宮中より呼び出しを受けた。フリードリヒ四世が会いたいといってきたのだ。俺にとっては好都合だった。朝、職場に行くとヴァレリーは食いつきそうな目で俺を睨んでいるし、他の連中も興味津々と言った態で俺を見ている。そのくせ俺が視線を向けるとさっと眼をそらすのだ。居心地の悪い事この上ない状況だ。

俺は飛び立つような勢いで宮中に向かった。もちろんヴァレリーは留守番だ、彼女を連れて行ったら説教が始まるのは眼に見えている。誓って言うが、俺は説教をされるような覚えは無い。昨日の爆弾事件は死傷者ゼロ、感謝される事はあっても説教は無しだ。

謁見室で礼でも言われるのかと思ったが、案に相違して案内されたのはバラ園だった。これは非公式の対面という事だろう、バラ園の外に警備兵はいるが、俺と皇帝の周囲には誰もいない。頼むから心臓発作なんて起こさんでくれよ、これ以上面倒には巻き込まれたくない。俺は皇帝に近づきひざまずいた。

皇帝は剪定ばさみを手にバラを見ている。そして時折はさみを入れ、枝を切っている。チラと俺を見たが手を止める事も無く話しかけてきた。
「礼を言うぞ、ヴァレンシュタイン。そなたのおかげで予の命は救われた、いや予だけではないな、他にも大勢が死なずにすんだ」
「恐れ入ります」

「先日も世話になった。よくオーディンを守ってくれた、重ねて礼をいう」
「はっ」
「そなたの事は、グリンメルスハウゼンより聞いておる。面白い若者だとあれは言っておったな」
「恐れ入ります。グリンメルスハウゼン閣下の事は残念でございました」
「うむ。そうじゃの……」

グリンメルスハウゼン。皇帝の闇の左手。結局あの老人は帝国暦486年を迎えることが出来なかった。第六次イゼルローン要塞攻防戦が終結し、俺達がオーディンに戻ったときには既に老人はこの世にはいなかった……。皇帝はあの老人の事を思い出したのだろうか、手を休め遠くを見ている。バラ園にたたずむ皇帝は奇妙なほど周囲に溶け込んでいる。

「クロプシュトック侯だが、大逆罪の未遂犯として討伐される事になった」
「……」
皇帝は視線をこちらに向け、話しかけてきた。
「指揮官も決まった。ブラウンシュバイク公がな、ぜひやらせてくれと言うのでな。昨夜のうちに言うてきた」
ブラウンシュバイク公か
「……」

「そなたと仲の悪いフレーゲル男爵も参加することになっておる。なんでも功を上げ罪を雪ぎたいと言っておったな」
皇帝の目が小さな笑いを浮かべているように見える。
「……」
「思い当たる節があるかな、ヴァレンシュタイン」
見間違いではないらしい。世の中食えない老人が多い。
「いささか、ございます」

「余り無茶をするでないぞ。グリンメルスハウゼンを悲しませるな」
「……」
俺は軽く頭を下げる事で答えた。
「何か望みが有るか」
「……では二つお願いがございます」
「二つか、欲張りじゃの」
皇帝は面白そうに答えた。

「一つは、ブラウンシュバイク公にクロプシュトック侯討伐に当っては軍規を正せと」
「ふむ、よかろう。で、もう一つは」
「出来ますれば、バラの花を一本いただければと」
途端に皇帝は笑い出した。

「確かにそなたは面白いの、グリンメルスハウゼンの言うとおりじゃ。バラの花か、今までバラの世話をしてきたが、花をねだられたのは初めてだの。しかも一本か? 恋人にでも渡すのか?」
「いえ、怖い部下がおりますので、そのご機嫌を取ろうと思いまして」

皇帝はますます上機嫌だ。誰もこのバラをねだらなかったのか? 結構綺麗なんだが。
「よかろう、持って行くが良い」
皇帝はバラの花を一本切ると俺に渡してくれた。
「さて、そろそろ謁見室に戻らなければならぬ。ヴァレンシュタイン、そなたも戻るが良い。楽しかったぞ」

皇帝と別れ宮殿を歩いているとリヒテンラーデ侯に呼び止められた。俺を待っていたのか?
「ヴァレンシュタイン中将、卿はバラを貰ったのか?」
「はい、それが何か?」
「大胆じゃの」
「? 誰もバラの花をねだった事が無いとお聞きしましたが」
「バラは陛下の唯一の御趣味じゃ。皆遠慮しておったのじゃ」
「……」
遠慮も程々にしたほうがいいぞ。

「陛下とのお話はいかがであった」
「礼を言われました。昨日の件と先日の件です」
「そうか、他には?」
「バラの話で終わりました」
俺のことを警戒しているらしい。権力者って悲しいよな。

「フレーゲル男爵の件、よくやってくれた」
「?」
「最近、妙に調子に乗りおっての。リッテンハイム侯が先日の一件でケチをつけたので、これからは自分達の時代だと考えおったらしい。跳ね上がりどもが」
苦々しげに顔を歪める。悪人面だな。

「ブラウンシュバイク公もそうお考えでしょうか」
「いや、そこまで楽観はしておるまい。厄介なのは本人よりもその周囲じゃ。これを機にのし上がろうとしておる」
「?」

「エリザベートが女帝となれば、ブラウンシュバイク家の次期当主の座が空く。フレーゲルの狙いは次のブラウンシュバイク公か、あるいは女帝夫君といったところかの。身の程知らずが!」
吐き捨てるようにリヒテンラーデ侯が言う。なるほど、可能性はあるな。しかし、あの阿呆が次期ブラウンシュバイク公?女帝夫君? 悪い冗談だな。ちょっとからかってやるか。

「そうなったら、侯はお払い箱ですね」
リヒテンラーデ侯がますます顔をしかめる。
「嫌な事をいうの、しかし卿とてただでは済むまい」
確かにその通りだ。ただでは済まないだろう。
「選択肢は一つしかないと思うが?」
こちらを探るような眼でリヒテンラーデ侯が俺を見る。誘っているのか?

「ミュッケンベルガー元帥はどうお考えかな」
「さて、小官には元帥閣下のお考えなど判りかねます」
「フフフ、慎重じゃの。それとも私を警戒しているのかの」
「……仕事がありますので、これで失礼します」
「うむ、ご苦労じゃな」
一瞬、苛立たしげな眼をしたな。焦っているのか。

リヒテンラーデ侯の狙いはミュッケンベルガー元帥と組んでエルウィン・ヨーゼフの擁立か。今のままならそうなるが、不確定要素はラインハルトがどうなるかだ。後二つ勝てば元帥になるが、勝てるだろうか。能力は問題無い、後は同盟の出方次第、それと運だな。


■ 帝国暦486年5月26日  兵站統括部第三局  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

中将が戻ってきた。私にバラの花を一本渡す。何のつもり?
「皇帝陛下のバラ園から頂いてきました。もちろん陛下のお許しは得ています。いつも頑張ってくれてますからね。お礼です」
皇帝陛下のバラ! なんて事すんのよ、この阿呆。周りの視線が一気に私に集中する。

帝国では前線に女性兵は出さない。その分だけ後方の女性兵の比率は高い。当然兵站統括部も同様だ。いや、軍務省や統帥本部と比べても多いらしい。女性兵達にとって軍隊は出会いの場所でもある。その点で兵站統括部の女性兵たちは恵まれていない。此処は決してエリートが集まる部署ではないのだ。軍務省や統帥本部の女性兵たちに比べ明らかに不利な状態にあり、そのため彼女たちは不満を持っていた。

そんなときにヴァレンシュタイン中将が現れた。士官学校を優秀な成績で卒業、帝国文官試験合格、おまけに歳は十六歳、少尉として任官したときから彼は兵站統括部のアイドルだった。軍務省や統帥本部の女性兵たちが泣いて悔しがったと言うから凄い。中将が兵站統括部を離れたときは悲嘆に暮れたらしいが、今度は出世して戻ってきた。彼女たちが色めき立ったのは言うまでも無い。

そんな彼女たちにとって私は間違いなくお邪魔虫。亡命者、副官、戦場にも付いて行くのだ、とても許せる存在ではないだろう。おまけに階級は少佐。帝国ではほとんどの女性兵が下士官でごく僅かしか士官がいない。この兵站統括部でも私以上の階級を持つ女性兵はごく僅かだ。

「有難うございます。閣下」
周りの視線を一身に浴びながら答える。視線ってこんなに痛いものなの?
「陛下からバラをいただいたのは、これが最初だそうですよ。大事にしてください」
「はい」

わざとだ、きっとそうに違いない。昨日の事をとっちめられないように先手を打ってきたのだ。強まる視線の中、私は必死に微笑みを浮かべ嬉しそうにした。私にも意地がある。この程度の視線でへこたれはしない。残念ね、私は副官だから大切にしてもらえるの、お判り、皆さん。




 

 

第五十七話 来訪者(その1)

■ 帝国暦486年6月3日   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

六月三日、一時的に現役復帰した帝国軍上級大将ブラウンシュバイク公がクロプシュトック侯討伐のためオーディンを進発した。正規軍の他、ブラウンシュバイク公家、フレーゲル家、ヒルデスハイム家等の有力貴族の私兵との混成部隊だ。

今回ブラウンシュバイク公が出兵の指揮官を願い出たのはフレーゲル男爵に頼まれ、不忠者の汚名を雪ぐ機会を与えたというのが一つ、もう一つはブラウンシュバイク公が討伐の功による元帥昇進を願っての事だといわれている。

この反乱討伐だが、原作ではかなり大きな意味を持つ。戦いそのものは討伐自体に約一ヶ月もかかるという酷い戦いだ。貴族たちが勝手な行動を取り、指揮が混乱、言わば烏合の衆と化したせいなのだが、この惨状が貴族など恐れるに足らずとラインハルトに確信させたといって良い。後年リップシュタット戦役でも自分達よりも有力な貴族連合に対しすこしも怯まなかったのはそのせいだ。

さらにこの戦いでラインハルトはロイエンタール、ミッターマイヤーと出会う事になる。きっかけは反乱鎮圧後の略奪行為が原因だった。略奪行為を行なった士官はブラウンシュバイク公の遠縁に当たる人間だった。その士官をミッターマイヤーが射殺。

怒ったフレーゲルがミッターマイヤーを密殺しようしたため、ロイエンタールがラインハルトに助けを求め、ラインハルトはそれに応えている。これを機に後に双璧と呼ばれる二人がラインハルトの傘下に入るのだ。そしてこの事件以降ラインハルトと貴族たちの反目は激しくなっていく。

問題はこの世界でどうなるかだ。先ず、戦闘そのものは原作と余り変わらないだろう、似たような面子が行っているのだから。ミッターマイヤー、ロイエンタールも戦闘技術顧問として同行している。問題は略奪行為がどうなるかだ。皇帝から“軍規を正せ”と言われたブラウンシュバイク公がどの程度そこに気を配るか。それによってミッターマイヤーが問題を起すか否か分かれる。

さらに、ミッターマイヤーが問題を起したとき、ロイエンタールがラインハルトを頼るか否か。最近俺の方が貴族たちとは激しく遣り合っている。場合によっては俺を頼るかもしれない。どう対処するか今のうちに決めておかなければならないだろう。俺自身の立場も考えなければならない。

独立するか、それともラインハルトを支える立場になるか。ミュッケンベルガーとラインハルトの関係もある。難しい選択を迫られそうだ。とりあえずは遠征軍の動きを探るのが大事だろう。フェルナーか、いや彼はまずいな。迷惑がかかりかねん。正規軍のほうで何とかしよう。補給関係の将校に当たってみよう。何とかなるはずだ。


■帝国暦486年7月5日   帝都オーディン オスカー・フォン・ロイエンタール

急がなくてはいけない。ウォルフガング・ミッターマイヤーを救うためには一刻も早くあの男に会わなくては。ミッターマイヤーとの最後の会話を思い出す。
「ミッターマイヤー、俺に任せてくれないか。一人頼りたい男がいる」
「一体誰だ」

「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン」
「! 一面識も無い男だぞ」
面識は有る。士官学校時代だが何度か眼を合わせた。合うたびに向こうは興味深げな、時に懐かしそうな眼をした。最初は俺の目を見てのことかと思ったが、あれはなんだったのか。

「これから知己になればいい」
「……」
「彼が俺たちのために大貴族の無法と戦ってくれるのなら俺たちも彼に忠誠を誓おう」
「……判った、卿に任せる」


ミッターマイヤーがコルプト大尉というブラウンシュバイク公の縁者を射殺した。略奪行為に対しての処断であり正当な行為であったがブラウンシュバイク公は自分の面子を潰されたと感じ彼を投獄した。軍法会議が開かれる事は無いだろう。

軍法会議ではミッターマイヤーの行為は正当なものと評価され、ブラウンシュバイク公は恥の上塗りとなる。まして皇帝からは“軍規を正せ”との言葉もあったのだ。恥の上塗りどころではあるまい。それを回避しミッターマイヤーに報復するとなればミッターマイヤーを事故死に見せて殺害するしかない。間違いなく彼らはそれを行なうだろう。

ミッターマイヤーを救うには、ブラウンシュバイク公と同等、あるいはそれ以上の権力者に頼るしかない。そして彼らと敵対している人物。思いつく人物は一人だけだ。戦場においても政争においても勝ち続ける男。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯ですら一目も二目も置く人物、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将。冷徹、非情、苛烈とまで言われる男だが理の通らない事を酷く嫌うとも言われている。彼に頼るしかない。


「帝国軍少将オスカー・フォン・ロイエンタールです。夜分申し訳ないがヴァレンシュタイン中将にお目にかかりたい」
ドアTVに向かって来訪を告げるとあっさりとドアが開けられた。
「どうぞ、ロイエンタール少将」

ヴァレンシュタイン中将に中に入れられ椅子を勧められる。話をしようとすると“すこし待ってくれ”と言って奥の部屋に消えた。焦る気持ちを抑え中将を待つ。五分は待っていまい。部屋から出てきた中将は軍服に着替えていた。さっきまではグレーのスラックスに薄いクリーム色のシャツを着ていたはずだ……。

「ミッターマイヤー少将のことですね」
驚いたことに向こうから切り出してきた。
「そうです。よくご存知ですね」
「遠征軍の中に知り合いがいますからね」
ブラウンシュバイク公の動きを探っていたのか。ありそうなことだ。

「なるほど、お力添えいただけますか」
「喜んで」
ミッターマイヤー、第一段階はクリアだ。

「ロイエンタール少将、此処へ行ってもらえますか」
ヴァレンシュタイン中将は一枚のメモ用紙を寄越した。リルベルク・シュトラーゼ×××-×××。

「ここは一体?」
「ラインハルト・フォン・ミューゼル大将が下宿しています」
ミューゼル大将? 金髪の小僧と呼ばれている男か。しかし何故?

「彼に事情を話し力になってもらいましょう」
どういうことだ。この男は直接は力を貸してはくれんのか。
「ロイエンタール少将。私はこれからしばらくの間、宇宙には出られません」
確かにそうだろう。目の前の男は万一の場合、帝都の治安を一手に握るはずだ。だがそれがなんなのだ?

「戦場では何かあっても、役には立てないということです。ミューゼル大将なら戦場であなた方の力になってくれるでしょう。貴方たちは武勲を挙げ昇進しなければなりません。貴族たちに潰されないだけの地位を得る事が必要なのです。私と一緒では安全かもしれませんが、弱い立場のままです」
「!」

確かにそうだ。俺達自身が強くならなければならない……。
「ミューゼル大将は軍事の天才です。今はまだそれほど評価されていませんが、いずれこの宇宙を震撼させる存在となるでしょう。覇気も野心も有る、将来を賭けることの出来る人物です」
それほどの男なのか、ラインハルト・フォン・ミューゼルは。

「彼が私たちの力になってくれるという保障は無いでしょう。ローエングラム伯爵家を継ぐという噂もありますが」
「意味がありませんね。彼は門閥貴族とは相容れない存在です。たとえ伯爵家を継いでも、門閥貴族たちが仲間として扱うはずが無い。反って反感を示すだけでしょう。彼がこの帝国で揺るぎ無い地位を得るには軍で力を伸ばすしかないのです。彼には有能な信頼できる味方が必要です。彼の手足となって働き、門閥貴族と敵対する有能な味方が」

ヴァレンシュタイン中将はまっすぐに俺の目を見てくる。優しげな瞳なのに吸い込まれそうな気がする。圧倒されているのか俺は。
「ロイエンタール少将、ミューゼル大将にお会いしたら伝えてください。今はまだそちらには行けません。私がミューゼル閣下と結んだ事がわかると門閥貴族たちが過剰に反応する。私はミュッケンベルガー元帥の配下で無ければならないのですと。しかし、いずれ同じ道を歩ませていただく。閣下が元帥府を開かれた折はお呼びいただければ有り難い。たとえそれが反逆者になる道であろうと歩く覚悟があると」
「!」
反逆者になる道……、俺は反逆者になる道を歩けるか?

「……小官もミッターマイヤー少将を助けていただけるのであればその道を歩みます」
「では、私たちは志を同じくするものですね」
俺はしっかりとうなずいた。もう退けない、退くことは出来ない。

「中将、小官はミューゼル大将とは面識がありません。大将閣下が警戒するという事はありませんか」
「大丈夫です。先程ミューゼル大将に連絡を入れておきました。お待ちしているとの事です。安心していってください。後は少将の覚悟次第です」
全て読みきっている。俺の覚悟か……。

「判りました。それでは小官はミューゼル閣下のもとに行きましょう。ところで中将はいかがしますか?」
「そうですね。私はこれからブラウンシュバイク公の屋敷へ赴きます」
ヴァレンシュタインはにこやかに答えた。
ブラウンシュバイク? どういうことだ? 何を考えている?


 

 

第五十八話 来訪者(その2)

■帝国暦486年7月5日   帝都オーディン オスカー・フォン・ロイエンタール

「帝国軍少将オスカー・フォン・ロイエンタールです。夜分申し訳ないがミューゼル大将にお目にかかりたい」
ドアTVに向かって来訪を告げるとドアが開けられ中から赤毛の長身の男が現れた。まだ若い、二十歳ぐらいか。
「小官はジークフリード・キルヒアイス中佐です。ミューゼル大将の副官をしております。どうぞこちらへ」

キルヒアイス中佐は俺を二階へ案内した。中にミューゼル大将がいた。ミューゼル大将もキルヒアイス中佐も軍服姿だ。何時でも動けるということか。椅子に座り正面からミューゼル大将を見る。眼光が鋭い、なるほど覇気に溢れている。

「ヴァレンシュタイン中将から聞いている。ミッターマイヤー少将のことだな」
「そうです。彼を助けていただきたいのです」
「帝国最大の貴族と事を構えろと」
「はい」

「代償は」
「ミッターマイヤー及び私の忠誠と協力。加えて他の下級貴族や平民出身の士官たちの名望」
「……ヴァレンシュタイン中将は何か言っていたか」
なるほど。この若者もヴァレンシュタイン中将を無視できぬか。いや、なにかの罠かと疑っているのか?

「中将から伝言を預かっています。今はまだそちらには行けません。私がミューゼル閣下と結んだ事がわかると門閥貴族たちが過剰に反応します。私はミュッケンベルガー元帥の配下で無ければならないのですと。しかし、いずれ同じ道を歩ませていただく。閣下が元帥府を開かれた折はお呼びいただければ有り難い。たとえそれが反逆者になる道であろうと歩く覚悟があると、そういっておられました」
ミューゼル大将とキルヒアイス中佐が顔を見合わせた。

「……そうか。そう言っていたか……。もし私がことわったら?」
「そうは思いません」
「私にとっては卿らの好意よりブラウンシュバイク公の歓心のほうが、よい買い物であるように思えるが」

「本気とは思えません。ヴァレンシュタイン中将を敵に回す愚と味方につける利が判らぬほど愚かではありますまい」
「!」
ミューゼル大将とキルヒアイス中佐がまた顔を見合わせる。

「卿は現在のゴールデンバウム王朝についてどう思う?」
なにかを探るような声だった。……これか、反逆者になる道とは。
「思い切った外科手術が必要でしょう。場合によっては患者が死ぬかもしれませんが」
「……よくわかった、ロイエンタール少将。卿らの期待に応えさせてもらおう」

「ところで、ヴァレンシュタイン中将は」
「ブラウンシュバイク公の屋敷へ行っています」
「ブラウンシュバイク公?」
ミューゼル大将が訝しげな声を出す。キルヒアイス中佐がこちらに強い視線を向けてくる。

「キチガイ犬を始末するには二つの方法が有るそうです。キチガイ犬より強い人間を頼るか、あるいはキチガイ犬の飼い主に頼むか、交渉のカードは多いほうがいいだろうと言っていました」


■帝国暦486年7月5日   帝都オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

「こんな遅くに何の用だ」
ブラウンシュバイク公爵邸の応接室はリッテンハイム侯の応接室と比べても何の遜色も認められなかった。お互い張り合ってるんだろう。
ブラウンシュバイク公は不機嫌そうな声を出した。応接室には俺と公の他、シュトライト准将、アンスバッハ准将、フェルナー中佐がいる。座っているのは俺と公爵だけだ。

「ミッターマイヤー少将をどうなさるおつもりです?」
「なんの話だ?」
「彼を事故で殺すつもりですか?」
「何を馬鹿なことを言っている」
公爵は呆れたような声を出す。いや、声だけじゃない、表情もだ。

「? しかし彼を監禁しているのではありませんか?」
「確かに彼を監禁した。しかし殺しなどせん」
「?」
怒っているようだ。何か変だな。

「正直に言おう。確かにわしは腹を立てた。いや今でも怒っている。コルプト大尉をわしの一族と知りながら射殺したのだからな。最初はミッターマイヤー少将を殺そうと思った。それも否定はせん。だが皆に説得されて考えを変えた」
そう言って、公爵は周囲を見渡した。説得したのは彼らか。

「陛下より軍規を正せといわれているのだぞ。ミッターマイヤー少将を殺せばどうなる? 陛下の命を果たしたものを殺したという事に成るではないか。リッテンハイム侯とリヒテンラーデ侯は必ずわしを責めるであろう。陛下の命に背いた事、陛下の命を果たしたものを殺した事、どちらもわしを失脚させるだけの名分がある。軍はもちろんミッターマイヤー少将を殺したわしのことを快くは思うまい。そうなれば今度反逆者として討伐されるのはブラウンシュバイク公爵家だ」

ブラウンシュバイク公の声には苦い響きがある。認めたくない現実を認めたという事か。しかし何故ミッターマイヤー少将を監禁している?
「ならば何故ミッターマイヤー少将を監禁しているのです」
「意趣返しだ。せめて殺される恐怖でも味わえばよい」
なるほど、判らんでもない。

「あいつらはわしの立場など何も考えておらん」
「立場、ですか」
「うむ、コルプト大尉を殺すなとは言わん。陛下の命に背いたのだからな。だがせめてわしの顔を立つようにしてくれと言いたい。そうすれば、わしとてまだ腹の収めようが有る。あれではわしの顔が潰れたままではないか。貴族の当主の立場というものが全くわかっておらん。大変なのだぞ、リッテンハイムやリヒテンラーデを相手に陛下の女婿を務めるのも。そうは思わんか」
気持ちは判る。だが俺に同意を求めないでくれ。

「ロイエンタールという男もそうだ。あの男が何をしたか知っているか? ミッターマイヤーがオーディンに着く前に死ぬような事があれば謀殺したとみなすと大声で触れ回ったのだ。おまけに軍務省にまでそれを伝えたのだぞ。エーレンベルクからすぐに連絡が来た。ミッターマイヤー少将を殺せば元帥への昇進などありえぬとな。そして今度はヴァレンシュタイン、卿がきた。皆、わしに恨みでも有るのか? 答えてくれ、ヴァレンシュタイン」

頼むからそんな眼で俺を見るな。あんたに同情したくなるじゃないか。俺はあんたの敵なんだ。いや、今は敵ではないか……。しかしこの事件いったいどうなってるんだ。俺はこの事件はミッターマイヤーが被害者だと思っていた。いまではブラウンシュバイク公のほうが被害者に見える。

原作ではアンスバッハがフレーゲル男爵をブラウンシュバイク公の名前で止めているがあれは嘘じゃないってことか。となるとブラウンシュバイク公がエーレンベルク元帥にミッターマイヤーの処罰を求めているのは、あくまで身内に対するポーズという事にならないだろうか。コルプト子爵が弟の仇を討とうとして返り討ちにあっているが、それ以外には誰もミッターマイヤーを殺そうとしていない。コルプト子爵はガス抜きとして使われたのか? 幸いコルプト子爵家はリッテンハイム侯とも縁戚にある。ガス抜きの駒としては適当だろう……。

「公爵閣下、閣下のお気持ちは判りました。小官の勘違いだったようです。失礼しました。しかし閣下の周囲には閣下のお気持ちがわからない人間がいるのではありますまいか」
「わしの気持ちがわからんだと?」
「はい」

ブラウンシュバイク公は不安になったようだ。助けを求めるように周囲を見渡す。
「ヴァレンシュタイン中将の言うことは無いとは申せません。主だった方々の所在を確認しましょう」
「うむ、そうしてくれ、シュトライト」

シュトライト准将が答えると、ブラウンシュバイク公はせきたてるように答えた。シュトライトのほかアンスバッハ、フェルナーも動き出す。さすがに俺のいるところではまずいのだろう。部屋を出て行った。

部屋には俺とブラウンシュバイク公だけが取り残された。気まずい事この上ない。ブラウンシュバイク公は時折溜息をついたり、切なそうに俺を見たりする。そしてブランデーを飲む。しかしどう見ても旨そうじゃない。

「閣下、その辺でお止めになってはいかがですか」
「そうだな、卿は飲まぬのか」
「はい。どうも体が受け付けないようです」
「そうか、残念だな……、こういうときは良いぞ」
「……」

「卿の好意も無駄になってしまったな」
「?」
つぶやくような声だった。公は俺を見ていない。うなだれたまま喋っている。
「暴走するものがいるとすれば、おそらくはフレーゲルだろう。せっかく卿が機会をくれたというのに、あの愚か者めが」
また一口、ブランデーを飲む。俺には止められない……。
「……」

「わしにも責任はある……。あれを甘やかしすぎた。あれの母親はわしの妹でな。あれを産んだ後、体を壊し死んだのだ。父親もあれが幼いときに事故で死んだ。それゆえわしが面倒を見てきたのだ。わしには男の子がいなかったからな、つい甘やかしてしまった。せめて卿の半分でも器量があれば……。上手くいかぬものだの」

最後は自嘲するような口調になった。権力者の声じゃない。不出来な息子を嘆く父親の声だ。この男はフレーゲルを愛している。そして哀れんでいる。フレーゲルの運命は決まった。

「暴走したものがいるとは限りますまい。小官の杞憂ということも有ります。調べを待ちましょう」
「うむ」
気休めにもならない事を言っていると思うと自己嫌悪に落ちた。そしてその言葉に一縷の望みを託すブラウンシュバイク公がいる。

ドアが開いてシュトライト、アンスバッハ、フェルナーが入ってきた。
三人とも表情が硬い。よくない兆候だ。
「どうであった、シュトライト」
すがるような声だ。
シュトライトが表情をゆがませた。
「閣下、残念ですがフレーゲル男爵の行方が確認できません」



 

 

第五十九話 来訪者(その3)

■帝国暦486年7月5日   帝都オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

シュトライトが表情を歪ませた。
「閣下、残念ですがフレーゲル男爵の行方が確認できません」
ブラウンシュバイク公の顔が歪んだ。苦痛、怒り、哀しみ、それら全てが入り混じった表情だ。

見たくなかった。この男のこんな顔は見たくなかった。この男は敵なのだ、いつか滅ぼす敵。常に傲慢で他者を踏みにじる事をなんとも思わない男、だから叩き潰す。しかし、今目の前にいる男は可愛がっていた甥の不祥事に苦しみ、怒り、哀しんでいるごく普通の男に過ぎなかった。

「念のため、ミッターマイヤー少将を監禁している軍刑務所に問い合わせました。フレーゲル男爵が来たそうです」
「!」
シュトライトの言葉が応接室に響いた。ブラウンシュバイク公は目を閉じている。まぶたの奥で彼が見ているのは何なのだろう、幼いフレーゲルの姿だろうか。
「御苦労だった」
ブラウンシュバイク公の言葉が重く響いた。

「フレーゲルは処断せねばなるまい」
「しかし、閣下」
「シュトライト、フレーゲルは一度不敬罪を犯しているのだ。本来ならあの時処断されていてもおかしくは無かった。それを今回の討伐で雪がせようと思ったが、ここでも陛下の命を軽んじるような行動をとるのであれば処断するほかあるまい」
「……」

「わしはブラウンシュバイク公爵家の当主だ。一門、そしてわしを頼りとするものに対し責任がある。フレーゲルは二度にわたって公爵家を危機にさらした。彼らのためにも処断せねばならん」
苦渋に満ちた声だった。そして反論を許さない当主の声だ。フレーゲルは救えない、皆判っただろう。溜息をついてアンスバッハがブラウンシュバイク公に声をかけた。

「では、小官が参りましょう」
「いや、わし自らフレーゲルを裁く」
「しかし」

「黙れ、アンスバッハ! オットー・フォン・ブラウンシュヴァイクに逆らうか!」
一喝して大きく胸をあえがせると、ブラウンシュバイク公は一転して静かにアンスバッハに話しかけた。

「アンスバッハ、卿の気持ちはありがたいと思う。しかし、わしは卿を恨みたくないのだ。わかってくれ」
もう誰も何も言えなくなった。この男を止める事は出来ない。

「ヴァレンシュタイン中将、同行してもらえるかな」
「はっ」
俺には見届ける義務が有るだろう。フレーゲルがここまで追い込まれた一因は俺にも有る。


■帝国暦486年7月5日   帝都オーディン 軍刑務所 ジークフリード・キルヒアイス

「きさま、ミューゼル……」
私たちがここに着いた時、フレーゲル男爵はミッターマイヤー少将を撃ち殺せと命じていた。間一髪だった。私たちはその場でフレーゲル男爵の仲間を撃った。フレーゲル男爵が怒りにあえぐ。

「それ以上、動くなとは言わぬ。動いてみろ。そうすれば、私としても卿らの肥大した心臓を撃ちぬく口実ができると言うものだ」
「小僧、小僧……」
フレーゲル男爵は繰り返す。全身を震わせ両目は狂気に火花を散らしている。
いけない、もうすぐフレーゲル男爵は暴発するだろう。そのときラインハルト様はご自身を抑える事が出来ないだろう。私が撃つ、そのときは私がフレーゲル男爵を撃つ。

「そこまでだ、皆銃を下ろせ」
太く、低い声が響く。
「ブラウンシュバイク公!」
「伯父上!」

ブラウンシュバイク公だった。何人かの軍人を背後に引き連れている。おそらくブラウンシュバイク公に仕えるものだろう。そしてヴァレンシュタイン中将もいる。
私もラインハルト様もロイエンタール少将もどうしていいか判らずに困惑していると再度ブラウンシュバイク公が声を発した。
「もう一度言う。皆銃を下ろせ」
私たちは顔を見合わせ、銃を下ろした。

「フレーゲル、この愚か者!」
ブラウンシュバイク公の怒声が響いた。
「伯父上?」
「お前は一体何をしていた?」

どういうことだろう。これはブラウンシュバイク公の知らない事なのか。私だけではない。ラインハルト様も訝しげだ。
「それは、この卑しい平民に制裁を」
「卑しい平民とは、ミッターマイヤー少将のことか?」
「そうです。我らの一門のコルプト大尉を殺した……」

「フレーゲル、わしが何時そのような事を命じた?」
ブラウンシュバイク公の声は苦い。
「伯父上?」
「わしが何時そのような事を命じたと訊いておる」

「しかし、此処に監禁したのは伯父上の命令で」
「監禁は命じた。しかし殺せなどとは命じておらん」
「……」
ブラウンシュバイク公は殺せとは命じていない? ではなぜミッターマイヤー少将を監禁したのだろう。

「わしがミッターマイヤー少将を監禁したのは、口の利き方を教えるためだ。正論を吐くのはよい。しかし正論が常に受け入れられるものではない。受け入れさせるにはそれだけの配慮がいる」
口の利き方? 私はラインハルト様を見た。虚をつかれたようだ。ミッターマイヤー少将、ロイエンタール少将も呆然としている。
「お、伯父上?」

「ミッターマイヤー少将」
「はっ」
ブラウンシュバイク公は今度はミッターマイヤー少将に話しかけてきた。

「フレーゲルが卿に無礼を働いたようだ、済まぬ。だが、正論を吐くのと正論を受け入れさせるのは別の問題だ。よく覚えておくがよい」
「はっ」
ブラウンシュバイク公は、チラとラインハルト様を見た。ラインハルト様にも同じ事を言いたいのかもしれない。

「フレーゲル、お前は死なねばならぬ」
「お、伯父上?」
フレーゲル男爵を殺す? 思わずブラウンシュバイク公の背後を見た。誰も動じていない。既に彼らは知っているのか。思わず私は周りを見た。ラインハルト様もミッターマイヤー、ロイエンタール少将も驚いている。

「お前には貴族の義務が判るまい?」
静かな、悲しげな声だった。
「貴族の義務?」
「そうだ、判るか?」
「……」

「貴族の義務とは皇室を守る事だ」
「そんな事は」
「判っておらぬ!」
ブラウンシュバイク公の怒声が響いた。

「判っておらぬのだ、フレーゲル。判っておるのならこうも陛下に対し不忠を働くはずが無い」
ブラウンシュバイク公の声が一転して悲痛さを帯びている。本気で殺すのか。
「伯父上?」
「お前は先日の爆弾騒ぎでは陛下を見捨てて逃げようとした。そして此度はミッターマイヤー少将を殺そうとした」

「しかし、あの男はコルプト大尉を……」
「ミッターマイヤー少将は軍規を正したに過ぎぬ。陛下のご命令に従っただけだ」
ブラウンシュバイク公の声がさらに悲痛さを帯びる。
「……」

「お前は短期間の間に二度も陛下に対して不忠を働いた。わしはお前の育て方を間違えたようだ。責任は果たさねば成るまい」
疲れたような声だ。

「お、伯父上、お許しください」
「フレーゲル、ヴァルハラでわしを待て」
ブラウンシュバイク公がブラスターを抜こうとする。
「お、伯父上!」

「閣下、お待ちください」
「ヴァレンシュタイン、邪魔をするな」
ヴァレンシュタイン中将がブラウンシュバイク公を止める。何をするつもりだろう。
フレーゲル男爵の命乞いか。

「小官が処断します」
「なにを言っている」
「小官はアンスバッハ准将では有りません、元々閣下の敵です。憎まれても構いません」
「……」

「フレーゲル男爵、死んでください」
ヴァレンシュタイン中将がブラスターを構える。
「ま、待て、お、伯父上、助けてください」
フレーゲル男爵が助けを求める中、ブラスターから白線が放出された。白線はフレーゲル男爵を包み、男爵は痙攣すると崩れ落ちた。

ヴァレンシュタイン中将はゆっくりとフレーゲル男爵に近づくとしゃがみこんで首筋に手を当てた。脈を計っているのだろう。
「フレーゲル男爵は亡くなられました。外傷がありません、おそらくは心臓発作でしょう」
「?」
「何を言っているのだ、ヴァレンシュタイン」

ブラウンシュバイク公が問うのももっともだ。フレーゲル男爵は死んではいない。中将はブラスターの光線を拡散させた。あれは捕獲用に銃口を切り替えている、殺傷力は無い。
「フレーゲル男爵は亡くなられました。小官が確認したのは皆さんも見たはずです」
「……」
「死んだのです」

ヴァレンシュタイン中将は静かに周囲を見回した。普段柔らかな表情を浮かべる中将が厳しい表情をしている。
「フレーゲル男爵は死んだのです。この後、フレーゲル男爵に似た人物がフェザーンで見つかるかもしれません。しかしそれは良く似た他人です。その人物には間違ってもフレーゲル男爵の名を名乗って欲しくないものです。そのときはフレーゲル男爵の名を騙る偽者として処断する事になりますから……。ブラウンシュバイク公、遺体をお引き取りください」

中将は死んだということにして男爵を逃がそうとしている。皆何も言わない。ラインハルト様も困惑した表情のままだ。やがて、ブラウンシュバイク公の部下がフレーゲル男爵の“遺体”を運び出した。微かに中将に対して目礼をしていくが中将は知らぬ振りだ。

「ヴァレンシュタイン」
ブラウンシュバイク公が声を発した。こちらには背中を向けている。
「わしは卿に礼を言わぬ。甥を殺されたのだからな。だが、卿が此処にいたことには感謝している」
「……」

「だが、それも今日だけだ。明日からは違う。卿はわしの敵だ」
「……」
「それから少しは酒を飲めるようになっておけ。人は時には飲みたくなる日も有る。わしは帰ったら少し飲むつもりだ。」
「……」
ブラウンシュバイク公はそれだけ言うと帰っていった。

「中将、あれで良かったのですか。フレーゲルを生かしたままで」
「公式にはフレーゲル男爵は死亡したことになります。フェザーンへ追放してくれるなら問題ないでしょう」
ロイエンタール少将の問いにヴァレンシュタイン中将が答える。

「それにフレーゲル男爵を殺してしまうとブラウンシュバイク公の心が折れかねません。そうなると公爵が自暴自棄になりかねない。そちらのほうが危険です。我々はまだ、彼らと正面から戦えるほど強くは無いんです。不満は持たせても怒らせてはいけません。まあミッターマイヤー少将を助ける事は出来たのです。それでよしとしましょう。この辺が落としどころです」

ヴァレンシュタイン中将は正しいのかもしれない。しかしラインハルト様はどうお考えだろう。不満は持たせても怒らせてはいけません。確かにそうだ。その言葉は敵だけではない、味方にも言えるのではないだろうか……。




 

 

第六十話 美しい夢

■ 帝国暦486年7月 8日   フェザーン アドリアン・ルビンスキー


 俺はボルテックの提出した報告書を手に持つと丹念に読みはじめた。クロプシュトック侯が起こした反乱の鎮圧経過をまとめたものだ。といっても読み終わるのにそれほど時間のかかるものではない。表紙を入れてもせいぜい五、六枚程度の報告書でしかないのだ。しかし、なかなか読み応えのある、考えさせられる報告書だった。

「なかなか面白い報告書ではないか」
「……」
「そうは思わんか?」
ボルテックは困惑しているようだ、可哀想な奴。
「とりたてて珍しいものとも思いませんが」
「……」

どんな料理でもそれを引き立てるワインがあってこそ美味しさが増すというもの。それは料理だけではない、会話も同じだ。自分と同等以上の知力を持つ相手がいてこそ成り立つ会話もある。刺激のある会話というものだ、ボルテックにそれを求めるのは無理というものか……。

「反乱鎮圧に随分と時間がかかっているな」
気を取り直して話しかける。俺の失望など感じなかったのだろう。何のこだわりも無く答えてくる。
「はい。指揮系統が滅茶苦茶でした。貴族たちが指揮官であるブラウンシュバイク公の指揮に従いませんでしたから」
「そこだ」
「は?」

「そこが問題なのだ」
「……確かに指揮官の命令に従わぬというのは……」
「そうではない」
……眼に見える事実だけを見るのではない、眼に見えぬ事実も見るのだ、ボルテック。

「もし、フリードリッヒ四世が死んだ時、リヒテンラーデ侯が軍と結んでエルウィン・ヨーゼフを擁立した場合、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はどうすると思う?」
フリードリッヒ四世死後の帝国の権力争いについてはボルテックと何度か話している。但し不確定要素が有り、内乱になるだろうで終わらせていた。その不確定要素の一つが貴族の率いる軍がどの程度、強力なのか判らなかったことだ。

「当然反発すると思います。場合によっては内乱になりましょう」
「その場合勝てると思うか?」
「……いえ、勝てませんな」
ボルテックは少し考えて応えた。

「そうだ。今回の反乱鎮圧、反乱軍はそれほどの勢力ではない。そしてブラウンシュバイク公が率いた軍も、反乱軍より多いとはいえ大軍とは言えん。それでも貴族たちは統一した軍事行動が取れなかった」
「……」

「次期皇帝の座をめぐっての内乱となれば、ブラウンシュバイク公の率いる貴族、兵の数は今回とは比較にならぬほど多かろう。指揮系統の混乱も今回とは比較になるまい。いわば烏合の衆だ、正規の軍には勝てぬ」

「すると、益々ミュッケンベルガー元帥の存在が帝国で重みを増すということですか」
ようやく判ったか、ボルテック。これからの帝国はミュッケンベルガー、そしてミュッケンベルガーに強い影響力を持つ者達に注意を向けなければならん。その一人がヴァレンシュタイン中将だ。

「しかし、そうなるとブラウンシュバイク公は兵を起しましょうか?」
不審そうな表情でボルテックが尋ねてくる。
「ブラウンシュバイク公も勝てぬということには気付いただろうな。自分で指揮したのだ、いやでも判っただろう」
「となると動かないのではありませんか?」
「それはわからん。本人が反対でも周りに担がれ否応無く動かされる事はあろう」

「否応無く、ですか」
まだ、ボルテックは判っていないようだ。
「反対すれば殺されるとなればどうだ?」
「殺される……しかしそれでは」
「後は娘のエリザベートを担げばよい、そう考える者も出よう」
「!」
絶句するボルテックを見て俺は満足した。これが刺激のある会話だ。

「ブラウンシュバイク公が生き延びるためにはどうすれば良いのでしょう?」
気を取り直したボルテックが尋ねてくる。
「そうだな。もし私なら、エリザベートを結婚させる」
「有力者とですか? それで基盤を強めようと。しかし上手くいきましょうか?」
ボルテックは不審そうな顔をしている。俺は内心おかしかったが笑ってはまずかろう。

「補佐官の言うのが貴族の有力者というなら違う。実力者とだ」
「?」
「ヴァレンシュタイン中将だ、彼をブラウンシュバイク家に婿として入れる」
「ヴァレンシュタイン中将? しかし彼は平民ですが」
呆れたような声を出しているな、ボルテック。しかしブラウンシュバイク公は滅亡の瀬戸際にいるのだ、非常の時は非常の策が要る。

「言ったはずだぞ、実力者だと。その上でブラウンシュバイク公は隠居し、ヴァレンシュタイン中将に家督を譲る」
「……しかし、それではエリザベートは女帝には」
「平民を夫にしたのだ。当然皇位継承争いからは降りる事になるだろうな」
ボルテックは混乱している。ま、当然だろうな、ボルテックは能力はあるが常識人だ。だからこそ補佐官として置く価値が有る。周りがどう考えるかの目安になる。

「ですが、それでは」
「当然、周囲の反発は有るだろうな。しかしメリットも大きい……フフフ、まだわからんか?」
「???」
いかんな。どうにも楽しくなってきた。笑いが止まらん。

「ブラウンシュバイク公爵家の当主となったのだ。軍の階級もそれに応じて上がろう。まず、上級大将といったところか」
「!」
まだ驚くのは早いぞ、ボルテック。
「ヴァレンシュタイン中将からブラウンシュバイク上級大将となれば、役職もそれなりのものとなろう。宇宙艦隊副司令長官とかな」
「!」

「おかしな話では有るまい。ミュッケンベルガーが出兵した後は、事実上彼が宇宙艦隊をまとめていたようなものではないか。実と名が一致しただけだ」
「……確かにそうですが」
声を出すのがやっとだな。

「そうなれば、ブラウンシュバイク公爵家は安泰だ。いや、リッテンハイム侯もリヒテンラーデ侯も新しいブラウンシュバイク公を味方につけようと必死だろう」
「……」
「妻は皇族、夫は軍の実力者。しかも皇位継承には関係ない。これほど安心出来、頼りになる味方は他におるまい」

「しかし、そうなりましょうか」
体制を立て直したボルテックが問いかけてくる。そうだ何が訊きたい?
「わからんな。ブラウンシュバイク公次第だろう」

「……ミューゼル大将はいかがです。いずれローエングラム伯爵家を継ぐといわれています。彼なら貴族ですし周囲の反発も少ないのでは有りませんか?」
やはりそこにいくか。悪くは無いが今ひとつだな。
「貴族といっても帝国騎士であろう、爵位も無いものを門閥貴族どもが認めると思うのか?」
「……」

「いっそ平民のほうがよいのだ。実力は誰もが認めている。ヴァレンシュタイン中将の実力はミューゼル大将よりも上だろう。周囲には実力で選んだと言えば良い。それで嫌なら、離れていくだろう。そのほうがブラウンシュバイク公爵家としても頼りにならんものが減る、そうではないか?」
「確かに……」
「さてブラウンシュバイク公はどう出るかな。もしヴァレンシュタイン中将を婿に取るなら内乱は回避されるかも知れんが」

「? リッテンハイム侯とリヒテンラーデ侯の間で争いにはなりませんか?」
不審そうにボルテックが尋ねてくる。いいぞ、その調子だ。
「回避する手段が有るとしたらどうだ」
「回避する手段?」
「エルウィン・ヨーゼフとサビーネ・フォン・リッテンハイムの結婚だ」
「!」

「皇帝は無理だが、皇后にしてやるというのだ、悪い話では有るまい」
「……」
「エリザベートは結婚しているのだ。帝国一の姫君と言えばサビーネしかおるまい。皇后の座をめぐって両家が争う事は無いのだ。歳は多少花嫁が上だが、政略結婚なのだ、不可能ではない」

「確かにそうですが」
ボルテックは汗をかいている。そんなに驚くな。
「そうなれば、リヒテンラーデ侯も失脚せずに済むであろう。エルウィン・ヨーゼフの後見人として国務尚書の地位にあっても不思議ではない」
「リッテンハイム侯が権力を独占しようとは考えませんか?」

「新しいブラウンシュバイク公がリッテンハイム侯の突出を止めるであろうな。ブラウンシュバイク公は軍を代表しているのだ。皇帝が幼い以上、経験のあるリヒテンラーデ侯の安定した政治力が外征の前提条件になる。そうは思わんか?」
「……確かに、その通りです。自治領主閣下の先見の明には驚きました」

「世辞は良い。実現しない可能性の方が高いのだ。所詮は夢であろうな」
夢だろうと思う。夢だから美しく見えるのかもしれない。内乱も起きず、権力争いも起きない未来。繁栄し続ける帝国。しかしブラウンシュバイク公次第では実現可能な美しい夢だ。その夢の実現を阻む者がいるとすれば、それはフェザーンのこの俺だろう……。



 

 

第六十一話 ベーネミュンデ事件(その1)

■ 帝国暦486年7月15日  新無憂宮「観劇の間」 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

「ご苦労だな、中将」
「お疲れ様です、ヴァレンシュタイン閣下」
ミュッケンベルガー元帥とユスティーナが声をかけてくる。俺は内心の不満を押し隠してにこやかに答えた。

「そろそろ開幕です。お急ぎください」
二人は頷き「観劇の間」へ入っていった。俺がなぜ不満を持っているかなのだが、今日はこの「観劇の間」で午後二時から五時半までオペラ、ローエングリンが上演される。皇帝陛下臨席の一大イベントなのだが、その警備責任者が何故か俺なのだ。

先日の爆弾事件で俺が気付いたことによって負傷者ゼロだった事が評価されたらしい。おかげで俺はローエングリンの上演中、約三時間半の間ひたすら警備しなければならない。別にローエングリンが見たいというわけではない。俺はローエングリンに限らずオペラなどさっぱり判らない。見ていても苦痛なだけだ。ただ三時間半むなしく警備するのかと思うと酷く腹ただしい。

その思いがつい警備にも影響した。今回の警備では観客の手荷物チェックを強行したのだが、どこぞの伯爵が愚かにも嫌がったのだ。俺はその場でその貴族を叩き出し追い払った。不敬罪になると騒いでいたが、ブラスターで脅して、死ぬか不敬罪か選べと言ってやったら逃げ出した。それ以降は何のトラブルも無かった。つまらん。

「ヴァレンシュタイン中将、まもなく陛下がいらっしゃいます」
「判りました、メックリンガー少将。お迎えしましょうか」
メックリンガー少将、先日の爆弾事件で准将から昇進している。陛下の危難を救い、避難誘導に功有りということだった。

俺が昇進しなかったのはフレーゲルに銃を突きつけたことが原因らしい。やりすぎだ、という事なのだが、叱責されたわけではない。バラ園で非公式とは言え皇帝から謝意を言われている。しかしメックリンガーは俺に負い目を感じているようだ。あまり気にしなくていいんだが……。

彼も今回の警備には不満を持っている。彼はローエングリンが観たかったようだ。さすが芸術家提督、俺とは違う。でも頼むから俺に芸術論議を仕掛けてくるのは止めてくれ。法律と数字はわかるが芸術はさっぱりなのだ。

新無憂宮「観劇の間」には皇帝陛下専用の出入り口が有る。俺とメックリンガー少将は出入り口でフリードリヒ四世を向かえた。
「ご苦労だな」
「はっ」

それだけの会話で皇帝は「観劇の間」に入っていった。グリューネワルト伯爵夫人が静かに頭を下げて後に続く。いや、美人だわ。儚げな感じのする美人でラインハルトもこの人の半分でいいから儚さを持ってたら、まわりの反発もかなり減ってたはずだ……。

先日のフレーゲルの暴走事件の後始末だがあれは酷かった。ミッターマイヤーは俺じゃなくラインハルトが来たことを不審がっていたし、ラインハルトは俺がフレーゲルを殺さなかった事に不満そうだった。いや、理性では判っているんだが感情では納得していないという事だと思うんだが、俺を胡散臭そうに見やがる。頭にきたんでそれ以来会いに行っていない。全くふざけた奴らだ。

色々話をして散会するまで一時間以上かかったろう。最後までラインハルトとキルヒアイスは納得していないような表情だった。あいつらってあんなに猜疑心が強かったか? 原作を読む限りそれほどでもないように感じるんだが……。そんな事を考えながら俺は警備を続けた……。

ローエングリンが終わり、観客が帰り始めた。俺の仕事もこれで終わりだ。そう思っていると、俺の名を呼ぶ声がする。誰かと思ってみるとリヒテンラーデ侯だった。
こいつが関わると碌な事が無い。俺は厄介ごとが手招きしているのを確信した。

■ 帝国暦486年7月15日  クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵邸

「よく来てくれた」
「……」
俺は今リヒテンラーデ侯爵邸にいる。観劇の間で俺を呼んだ老人は“家に来い”と言い捨てるとさっさと帰ってしまった。呼び止めたかったんだが、周りに人がいる以上あまり目立ちたくない。仕方なく俺は今ここにいる。リヒテンラーデ侯爵邸の応接室だ。老人と差し向かいで座りながら、話を待つ。

「怒っておるようじゃな、許せ、卿の力を借りたくての」
「小官は閣下の部下では有りませんが」
「これを見てくれ」
リヒテンラーデ侯は俺の抗議をあっさり無視して一通の書簡を俺に差し出す。
「……」
俺が受け取るのを躊躇うとさらに突きつけてきた。どうしても俺に押し付ける気らしい。

書簡にはごく短い文章が書かれていた。
“宮中のG夫人に対しB夫人が害意をいだくなり。心せられよ”
ベーネミュンデ侯爵夫人か。
「これは?」
「今朝、家に届いておった。どう見る」
「ベーネミュンデ侯爵夫人がグリューネワルト伯爵夫人を害そうとしている……」
「卿もそう見るか」

リヒテンラーデ侯の声に苦い響きがある。
「あの婦人の宮廷人生は終わった。下賜金でも頂戴して田園生活にでも入ればよいのだ」
「小官にこれを見せる訳は」
「決まっておろう、事実関係を調べてくれ」
「小官は閣下の部下では有りません」
同じ事を何度も言わせるな。

「そんな事はわかっておる、しかし他に頼める人間がおらん。この手の問題はあまり大袈裟にしたくないのじゃ」
「……頼りになる部下をお持ちですね」
俺の皮肉にも老人は全く動じなかった。
「卿なら上手くやってくれるじゃろう、内密にな」

「引き受ける、受けぬは別に、一つ教えていただきたいことがあります」
俺が何を聞こうとしているか、想像がついたのだろう、リヒテンラーデ侯が眼を細めて続きを促した。
「何が聞きたい」
「侯爵夫人が生んだ御子の一件、侯は如何お考えでしょう」

リヒテンラーデ侯が渋い表情をした。しかしこちらとしても引くことは出来ない。興味本位ではない、あの一件が無ければ、彼女は皇后になっていたかもしれないのだ。ベーネミュンデ侯爵夫人に関わるならば、この一件は避けて通れない。不十分な知識で首を突っ込めば火傷するのはこちらだ……。

十年以上前だが、ベーネミュンデ侯爵夫人シュザンナは男子を生んでいる。但し死産だった。その直後、妙な噂が宮中に流れている。

~生まれた子は無事に出産されたのだが、医師の手で殺され死産とされた。医師は皇帝に男子が生まれる事を喜ばぬものたちの手で買収されていた。その喜ばぬものたちとはブラウンシュバイク公またはリッテンハイム侯である~。

噂を耳にしたブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は激怒した。犬猿の仲である両家が共同して噂を流したものを探し出そうとしたというからその激怒振りがわかる。もっとも両者の努力は徒労に終わっている。俺自身はこの一件についてある仮説を立てているのだが、政権の中枢にいた侯の考えを聞いておいたほうがいいだろう。

「御子は真に死産だったのでしょうか?」
「……いや、殺されたと思う」
「思う、ですか」
「うむ、しかし、まず間違いあるまい」
かなり自信が有る。そして侯の表情はますます渋くなる。

「殺したのは誰だとお考えです?」
「卿はどう思う?」
「訊いているのは小官ですが?」
「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯のいずれかだと思うか?」
「……違うと思います」
「……わたしもそう思う」

俺と侯はしばらく見詰め合った。互いの心のうちには同一人物の名が浮かんでいるはずだ。
「卿はなぜそう思った」
「ブラウンシュバイク公にもリッテンハイム侯にも殺す理由がありません」

殺す理由が無い。両者が生まれてきた男子を殺すという事は皇位に野心が有るということになる。しかし、この事件が起きた時は皇太子ルードヴィヒが生存していた。いくら生まれてきた子を殺しても皇位には届かない。まして両家に生まれていたのは女児だ。

皇太子ルードヴィヒの競争相手にもならない。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もこの状態で一つ間違えれば大逆罪にもなりかねない殺人を犯すはずが無い。俺はその事をリヒテンラーデ侯に言った。

「私も同じ考えだ、となると犯人じゃが……」
探るように俺の顔を見る。おそらく俺も同じ表情をしているだろう。犯人は厄介な相手だ。
「単純に引き算になりますね」
「そうじゃの」

「三人の内二人が消えました」
「うむ」
「残りは……皇太子殿下……」
「そういうことになるの」
お互いパズルを埋めていくように回答を出す。


若い側室が男子を産んだ場合、一番困るのは年老いた本妻との間に生まれた後継者だ。必ず側室と組んで自分を排斥しようとする人間が出てくる。ましてルードヴィヒの場合、母親であった皇后が死んでいる。ベーネミュンデ侯爵夫人が皇后になれば一気にそういう動きが出ると判断したのだろう。だから生まれてきた赤子を殺した。そういうことだろう。

俺と侯はまだ見詰め合っている、というより視線をはずせないでいる。
「厄介な事じゃの」
ポツリと侯がつぶやいた。俺は自然と頷いていた。

「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯ですがこのことを知っているのでしょうか?」
「知っていたじゃろうな」
「……」
「本来なら、あの時先ず疑われるのは皇太子殿下であった。ところがあの噂が出た。おかしいと思うのが当然であろう」

「なぜ、お二方ともそれを言わなかったのでしょう?」
「皇太子への貸しにするつもりであったのだろう」
「……」
「それゆえ、二人とも激怒したのじゃ」
「?」

「判らぬか、まだ甘いの。激怒が大きければ大きいほど皇太子への貸しは大きくなるじゃろう」
「なるほど」
「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯の勢力が一段と大きくなったのもそれからじゃ」
「それは、つまり……」

「皆知っておった、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が皇太子に貸しを作った事を、それで黙って従ったのじゃ」
つまり今日の元凶は皇太子ルードヴィヒか。どうしようもない馬鹿だな。

「ま、皇太子殿下も亡くなられた今では意味が無いが……」
そうでもない、肥大化したブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯の勢力はそのままだ。いずれ暴発するだろう。
「で、どうじゃ、引き受けてくれるか?」

「……手枷を嵌められるのは困ります。好きにやって宜しいのなら」
「引き受けるか」
うれしそうにリヒテンラーデ侯が言う。爺、また嵌めたか……。しかし、アンネローゼが関わる以上無視は出来ないだろう。どのみちラインハルトにも同一の文書が届くはずだ、となれば引き受けざるを得ない。いいだろう、乗ってやる。





 

 

第六十二話 ベーネミュンデ事件(その2)

■ 帝国暦486年7月16日  ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

リヒテンラーデ侯と話をした翌日、俺はラインハルトに会うべくミューゼル艦隊旗艦ブリュンヒルトを訪ねた。帝国では大将に昇進すると個人に対して旗艦が与えられる。戦艦ブリュンヒルト、ラインハルトの旗艦として数々の戦いを制した戦艦だ。白い流麗な船体は優美といってよくラインハルトに相応しいだろう。ヴァレリーは艦を見た瞬間から歓声を上げ目を輝かせている。

艦橋に入ると、副長が挨拶に来た。ゲーベル中佐と名乗った。艦長はシュタインメッツ大佐、後のシュタインメッツ上級大将のはずだがどうしたのだろう。
「ミューゼル提督にお会いしたいのですが」
「ただいま、会議室で分艦隊司令官達と打ち合わせをしております」
なるほど、旗艦艦長も一緒だな。新たにミッターマイヤー、ロイエンタールも加入したし色々と忙しいようだ。

「時間はかかりますか」
「いえ、もうすぐ戻られると思いますが、お急ぎならお呼びしましょう」
「いえ、待たせていただきましょう」
「しかし、それでは」
「お気遣い無く、約束もなしに来たのは当方ですから」

俺は席を用意してもらい、待つことにした。まあ少しは殊勝なところも見せないとな。それにラインハルトも打ち合わせ中に階級が下の人間に呼び出されたんでは面白くないだろう。周りに対する見栄も有る。俺はこう見えても結構気を使う人間なのだ。幸いヴァレリーもいる、退屈はしないだろう。……結局ラインハルトたちが戻るまで一時間近くかかった。ヴァレリーはいらいらするし、気遣いなんてするもんじゃないな。

■ 帝国暦486年7月16日  ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ウルリッヒ・ケスラー

打ち合わせを終え、会議室から艦橋に戻るとゲーベル副長が足早に近づいてきた。額に汗をかいている。
「参謀長閣下、ミューゼル提督はどちらに」
「提督はまだ会議室にいるが、どうかしたか」
「ヴァレンシュタイン中将閣下がミューゼル提督をお待ちです」
「!」

周りを見渡すと確かに中将が椅子に座っている。こちらを見て、片手を挙げてきた。副官のフィッツシモンズ少佐も座っているが、こちらは明らかにいらついている。
「……どのくらい前に来た?」
「……一時間ほど前です。提督をお呼びすると言ったんですが、待つと仰られて……」
「……」

目まいがした、一時間あの男を待たせた? 何考えている! さっさと呼べ。相手を誰だと思っているんだ、その辺のボンクラ中将じゃないんだぞ。俺たちを辺境星域に飛ばしたいのか! 怒鳴りつけたい衝動を抑えて俺は足早にヴァレンシュタイン中将の元に向かった。

「ヴァレンシュタイン中将、お待たせして申し訳ない」
「気にしていませんよ、ケスラー少将。ミューゼル提督はまだ会議室ですか?」
頼むから微笑むのは止めてくれ……。隣で副官が睨んでいる。こっちが本当だろう。
「もうすぐこちらに戻るでしょう。提督に何か?」
「……少々微妙な問題が起きまして……」

語尾を濁した? 珍しい事も有るものだ。ミューゼル提督が艦橋に入ってきた。ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤー、キルヒアイスが後から続く。先に伝えておかなくてはなるまい。
「少しお待ちください。今提督をお呼びします」
俺は足早にミューゼル提督に近づいた。

「提督」
「なんだ、ケスラー」
「ヴァレンシュタイン中将が提督をお待ちです」
「ヴァレンシュタインが」
少し不審そうな表情でキルヒアイス中佐を見る。中佐も同様だ。どうもこの二人はヴァレンシュタインに素直になりきれていない。彼がこの二人に悪い感情を持っている様子は無いんだが……。
「既に一時間ほど待っているようです」
「一時間!」

ミューゼル提督だけではない。周りも皆ぎょっとしている。
「ミューゼル提督」
気がつくと中将が傍まで来ていた。相変わらず表情は柔らかい。
「ヴァレンシュタイン中将、随分と待たせてしまったようだ」
少し焦ったように提督が答えた。
「いえ、約束もとらずに来たのはこちらですから。少しお時間をいただきたいのですが」
この状態で嫌といえる人間はいないだろう。

「……内密の話かな」
「いささか」
「もう一度会議室に行くか、私だけかな」
「……いえ、皆さんにも聞いてもらったほうがいいでしょう」
少し考えてから答えてきた。
「そうか、では会議室に戻ろう」

会議室に戻り、それぞれ適当に席に着くとおもむろにヴァレンシュタインが口を開いた。
「見ていただきたいものがあります」
ヴァレンシュタインは一枚の書簡を懐から取り出すとミューゼル大将に手渡した。
提督はその書簡に目を通すと一度ヴァレンシュタインに眼をやり、また書簡に眼を落とした。そのまま睨むように書簡を見ている。

「提督?」
ミュラーが気遣うように声をかけた。
「ああ、すまない。これにはこう書いてある。宮中のG夫人に対しB夫人が害意をいだくなり。心せられよ」
なるほど、確かに微妙な問題だ。皆顔を見合わせている。

「ベーネミュンデ侯爵夫人、幻の皇后ですか」
ロイエンタールが口に出す。“幻の皇后”に皆がロイエンタールを見詰めた。
「中将、これを何処で」
提督が書面をヴァレンシュタインに返しながら問いかけた。

「昨夜の事ですが、国務尚書からこれと同じものを見せられました」
「? ではこれは?」
「昨夜、家に帰るとこれが……」
「同じものが国務尚書と中将の下に?」
提督の問いにヴァレンシュタインは無言で頷いた。

「ミューゼル提督の下には、これは来ていませんか?」
「いや、まだ来ていない」
憮然とした表情でヴァレンシュタインの問いにミューゼル提督は答える。面白くないようだ。
「そうですか……。いずれ同じ物が来ると思いますが、この件で動く事は止めてください」

「何を言う、そのような事は出来ない。そうだろう、キルヒアイス」
「はい」
二人とも憤然とした表情で抗議する。
「この件は国務尚書より小官に調べよと命が出ています。もしかすると協力をお願いする事になるかもしれませんがそれまでは静観して欲しいのです」
「だめだ、そんな事は出来ない。姉上に万一の事があったら」
冷静さを失っているな、良くない兆候だ。落ち着いた中将と興奮した提督、周りもどう思うか……。

「提督、ヴァレンシュタイン中将の言うとおりにしましょう。提督が今なすべき事は艦隊の錬度を上げることです」
伯爵夫人が大切なのはわかるが、公私は区別しなければ、……。
「ケスラー……」
「過去に侯爵夫人に何度も命を狙われた閣下としては、納得がいきませんか?」
「!」
ヴァレンシュタインの発言に周囲が驚いて彼を見た。
「何故それを知っている」
そう、何故知っている? その件を知るのは当事者と我等皇帝の闇の左手のみのはずだ。しかし、ヴァレンシュタインは微笑むだけで答えない。

「グレーザーという宮廷医をご存知ですか」
「?」
いきなりヴァレンシュタインが話題を変えた。
「……確かその医師は時々ベーネミュンデ侯爵夫人の館を訪れていませんか。そんな話を或る女から聞いた覚えがありますが」
或る女か……、ロイエンタール少将が自信なさげに答える。

「ロイエンタール少将の言うとおりです。この書簡ですが、おそらく書いたのはグレーザー医師でしょう。彼は侯爵夫人と手を切りたがっている。これ以上の繋がりは身の破滅だと考えているのでしょう。そこから調べはつきます。あとは国務尚書に任せればいい。いかがです?」
「……」
結局ヴァレンシュタイン中将に全て委ねるということで話しはついた。


「何故ヴァレンシュタインは私があの女に命を狙われた事を知っているのだ?」
たしかに、何故知っているのだろう。
「……以前、妙な噂を聞いた覚えがあります」
ロイエンタール少将が困惑した表情で話し始めた。
「なんだ、それは」

「中将は、皇帝の闇の左手だと……。あれは多分サイオキシン麻薬事件の頃だと思いますが」
……それは私が流した噂だ。どの女から聞いた話だ、卿の情報源は女だろう、ロイエンタール少将。

「ミュッケンベルガー元帥の密命ではなかったのか?」
「小官も元帥閣下の密命と聞いた覚えがありますが」
「ええ、しかしそういう噂が流れたのも事実です」
ミューゼル提督、ミュラー、ロイエンタール少将が口々に話す。

「ケスラー、卿はサイオキシン麻薬事件では中将と一緒だったな。本当のところはどうなのだ」
明確に否定する必要が有るだろうな。放置すると私が彼に恨まれる。
「小官の知る限り、中将が皇帝の闇の左手などという事はありません」

「今回の一件、国務尚書の依頼と言っていましたが……」
「ベーネミュンデ侯爵夫人、グリューネワルト伯爵夫人、どちらも陛下にかかわりのある方です。となると……」
「闇の左手か……」
いかん。皆どうしてもそこにもっていきたいようだ。私のせいじゃないぞ、ヴァレンシュタイン、普段の卿の行いのせいだ。とはいっても何とかしないといかん。困ったもんだ……。





 

 

第六十三話 ベーネミュンデ事件(その3)

■ 帝国暦486年7月17日  新無憂宮 東苑 グレーザー


「グレーザー先生」
南苑に向かう私を呼び止める声がした。柔らかく温かみを帯びた声だ。はて何処の姫君かと振り返るとそこには穏やかに微笑むヴァレンシュタイン中将がいた……。例の書簡の事を考えると内心気が引ける思いだ。まさか書簡を出したのが私だと気付いたのだろうか。いくらなんでも早すぎる……。

「私に何か用でしょうか、中将閣下」
「ええ。先生にお願いがあるのです。実は最近あまり身体の具合が良くなくて……。すぐ疲れてしまうのですよ」

中将は少し表情を曇らせて話した。そういえばこの人は身体が弱かったな。少し激務過ぎるのだろう、参謀として出兵計画に携わっていると言うし、兵站統括の局長補佐、先日は宮中の警備責任者だった。有能なのも本人のためにはならんか……。

「一度、診察していただけないでしょうか」
「ふむ。今お時間がおありですか」
「ええ、大丈夫です」
「では、私の部屋で診察しましょう。こちらです」

宮廷医としての私は南苑の一角に専用の診察室を与えられている。長い回廊を私は中将と話ながら診察室に向かった。南苑に行くことはあまり無いのだろう、珍しげに周りを見渡している。中将は思ったより気さくな人柄だった。医者の仕事について楽しそうに質問してくる。興味が有るのかと訊いてみると、芸術よりははるかに興味があるという事だった。外見とは不釣合いな回答に苦笑した、人は見かけによらないものだ。

診察をして判ったのは、やはり疲労のようだ。仕事が忙しいせいで食事が不規則な事か。睡眠不足もある。仕事が忙しい人にありがちな症状だ。
「少し忙しすぎるようですね、仕事を減らす事が出来ますか?」
「なかなか難しいですね。どういうわけか、皆私のところへ厄介ごとを持ち込むのですよ、次から次へと」

苦笑しながら中将は答える。厄介ごとか、私も彼に厄介ごとを持ち込んだ一人だ……。
「先生もその御一人ですね」
何気なく吐かれたその一言に思わず頷きそうになり、あわてて中将を見る。中将は穏やかに微笑みながら、懐からあの書簡を取り出した。
「覚えがありますね、先生」
「……」

にこやかに微笑む中将に私は絶句したままだ。
「先生はB夫人と共に破滅したくは無い。そのためこの書簡を国務尚書に、私に出した。違いますか?」
「ご存知なのですか?」
思わず私の声は掠れた。

「国務尚書からも同じものを見せられています。この件について調べよと命を受けました。正直に話してください」
国務尚書から命を受けた……。
「……閣下の仰るとおりです。私が書きました。これ以上ベーネミュンデ侯爵夫人と共にあっては身の破滅です」
話してしまおう。これ以上隠し通すのは精神的にも無理だ。

「侯爵夫人は何を?」
中将は静かに問いかけてくる。
「……伯爵夫人を身篭らせろと私に命じました」
「陛下以外の人とですね」
この人は鋭い。さすがに切れ者と言われるだけのことはある。
「そうです。そうすれば、ミューゼル大将も、伯爵夫人も死を賜ると」

中将は一つ溜息を吐く。呆れているのだろうか?
「それで可能なのですか?」
「無理です。宮中にいる限りそんな事出来るわけが無い。侯爵夫人にもそう言いました。……そう言ったら……」
「そう言ったら?」

「伯爵夫人を宮中から追い出せと、それからなら出来るだろうと」
「そう言いましたか」
「はい」
答えた後、自然と溜息が出た。

中将は目を伏せ気味にしながら考えている。何を考えているんだろうと思っていると、すっと眼を上げ問いかけてきた。
「先生のほかに、人の出入りはありますか」
「それは、出入りの商人はいますが……」
「貴族、軍人はどうです?」

「以前はフレーゲル男爵が来ていましたが」
「最近は?」
「最近ですか……コルプト子爵が時々来ているようです」
中将の目が一瞬細まったがすぐに戻った。そして強い視線で私を見る。

「間違いありませんか?」
「はい、間違いありません。一度同席しました」
「何を言っていました」
視線は強いままだ。コルプト子爵に関心が有るのか

「ミューゼル大将を誹謗していました。それと、なんと言ったか、その」
「ミッターマイヤー少将ですか?」
「そうです。ミッターマイヤー少将です、いつか復讐すると言っていました」
中将は何度かうなずきながら“コルプト子爵か”とつぶやいた。

「先生にお願いがあります」
「何でしょう。私にできる事なら」
「このまま、ベーネミュンデ侯爵夫人のところに通って欲しいのです」
「それは」
それでは、私はなんのために話したのか。

「安心してください。先生の事は国務尚書にも話しておきます。先生が処罰される事はありません」
「……」
「先生が知った内容を国務尚書に伝えて欲しいのです」
「……」

つまり、私にスパイになれということか
「長い時間ではありません。一月程度の事でしょう。お願いします」
「判りました」
仕方ない事だ。後一月我慢しよう。



■ 帝国暦486年7月17日  クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「愚かな話じゃな」
俺とグレーザー医師の会話を聞いたリヒテンラーデ侯は苦りきった表情で口を開いた。俺も同感だ、原作知識で判っているとはいえベーネミュンデ侯爵夫人の愚かさには辟易する。
「それで、どうする」

「噂を流しましょう」
「噂? どんな噂じゃ」
そんな風に胡散臭そうに言わなくてもいいだろう。性格悪いぞ、御老人。
「ベーネミュンデ侯爵夫人とコルプト子爵が情を通じたと」
「なるほど、それで処断するか」
処断はちょっと酷いだろう。まだ何もしていないんだから。

「いえ、事実の確認をしてください」
「?」
そう不思議そうな顔をしないでくれ。
「二人が情を通じた証拠は出ないでしょう」
「そうじゃろうな」
何を言ってるんだという顔をリヒテンラーデ侯はした。

「ただ、世間を騒がせたという非難は出来ます」
「ふむ」
面白そうな顔をするなよ、リヒテンラーデ侯。
「侯爵夫人には注意をし、コルプト子爵は半年ほど自領に謹慎させましょう」
コルプト子爵は自領に謹慎させよう。下手に放置するとミッターマイヤーにちょっかいを出しかねない。原作では返り討ちにしたが、この世界でも上手くいくとは限らない。

「それで済むかの?」
「侯爵夫人に近づく人間はいなくなります。煽る人間がいなくなれば少しは大人しくなるでしょう」
「なるほど、面白い考えじゃ」
リヒテンラーデ侯は何度か頷いた。

「いっそ侯爵夫人をオーディンから追放して田園生活に戻らせたほうが良くはないかの」
探るような表情で俺に話しかける。それをやって原作では暴発したんだよな。
「下手にそれをやると暴発しかねませんよ」
「ふむ、厄介じゃの」
侯は顔をしかめた。俺も同感だ、全く厄介だ。

「それとお願いがあります」
「なんじゃな」
「グレーザー医師ですが、今後は侯が直接会ってください」
「なぜじゃな」
不審そうな表情で侯は尋ねる。

「小官が頻繁に新無憂宮に行くのは目立ちます」
「ふむ。確かにそうじゃな」
本当は俺が医者に行くと病弱って皆が言うから嫌なんだ。
「それとこの件が片付いたらベーネミュンデ侯爵夫人から離したほうが良いかと思います」

「せっかくの情報源を手放すのか?」
不満そうだがグレーザーはもう無理だ。
「このままでは、彼の精神が持ちません」
「しかし、宮廷医からはずすのは左遷じゃぞ」

「宮廷医のままフェザーンにやりましょう。新しい医学技術の習得とか適当に名目をつけて」
「なるほどの。そのあとにこちらの息のかかった人間を夫人の元に押し込むか」
さすが、リヒテンラーデ侯。話が早い。
「はい。夫人もいきなり新顔に馬鹿げた事は言わないでしょう」

「こちらが押し込んだと気付いたらどうする?」
その人を試すような表情は止めてくれないかな。
「構いません、むしろ好都合です。監視されているとわかれば大人しくなります」
「なるほどの、卿も人が悪いの」
うれしそうに言わないでくれ。落ち込むだろう。

「コルプト子爵じゃがブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯と縁戚に有る。事前に話をつけておいたほうが良くはないかの」
「そうですね。そのほうが良いでしょう」
リヒテンラーデ侯の心配はもっともだ。
「卿、頼めるかの」
「……承知しました」
仕方ない、グレーザーではこちらの頼みを聞いてもらったからな。

「それと、噂が流れた後の調査じゃが、卿に頼みたい」
「小官ですか」
ちょっとそれは待て。過重労働だ。
「加減が難しい役じゃからの」

「そんな役は小官には無理です」
そう、無理だ。
「卿はいいのじゃ」
「?」
「卿は怖いからの。卿にふざけたことを言う者はおるまい」
御老人、そんなに嬉しそうに言う事は無いだろう。大体俺ってそんなに怖いのか? 皆誤解していないか?

「……」
「先日のローエングリンでもブラスターで脅したそうじゃの、死ぬか不敬罪か選べと」
いや、あれはちょっと虫の居所が悪かっただけで……。
「……」
「フッフッフッ、頼むぞ」
俺は上司運に恵まれない、つくづく恵まれない。大体怖いと思ってるならなんでそんなにニヤニヤしてるんだ。


 

 

第六十四話 ベーネミュンデ事件(その4)

■ 帝国暦486年7月30日  オーディン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「閣下、大丈夫でしょうか?」
「何がです?」
「いえ、ただ……」
地上車の中、俺は意味不明な会話をヴァレリーと交わした。もっともヴァレリーの心配については俺も十分に理解している。ベーネミュンデ事件はいささか妙な方向に進んでいた。

リヒテンラーデ侯とベーネミュンデ事件の対処法を練った後、俺はすぐさま、ブラウンシュバイク公に、次いでリッテンハイム侯に接触した。グレーザーが出した書簡を見せ、ベーネミュンデ侯爵夫人をコルプト子爵が煽っている形跡が有ることを伝えたところ二人とも大いに不愉快そうな表情をした。

どうやらコルプト子爵はあまり好かれていないらしい。ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家に繋がりの有る彼は、その時々によって、自分の旗幟を公爵派、または侯爵派にしたらしく、結局両派から信用できない奴と思われたようだ。

そのせいだろう、コルプト子爵を謹慎にしたいと提案しても何の反対も無かった。いささか拍子抜けしたくらいだ。もう一つ彼らがコルプト子爵に冷淡だったのはグリューネワルト伯爵夫人を寵姫の座から降ろす事に反対だったからだ。

グリューネワルト伯爵夫人は政治的行動を取らない。たった一人の皇帝の寵姫なのだからいくらでも出来そうなものだが、そのような活動は一切していない。そのことはブラウンシュバイク、リッテンハイム両者にとって大事な事だった。

本来皇帝の寵姫はその影響力から彼らにとって競争相手となる存在なのだ。それを行なわない伯爵夫人は彼らにとって理想の寵姫といえる。わざわざ引き下ろす必要は何処にも無かった。ブラウンシュバイク公の言葉を借りれば“フレーゲルは阿呆だがコルプトはもっと阿呆”ということに成る。

両家の承諾を取り終えた俺はすぐさま、リヒテンラーデ侯に首尾を伝えた。侯が喜んだ事は言うまでも無い。早速リヒテンラーデ侯が噂を流したのだが、その噂が当初の予定からは奇妙に捻じれて広まった。

~ベーネミュンデ侯爵夫人とコルプト子爵が密かに情を通じている。事態を重視した皇帝は「皇帝の闇の左手」であるヴァレンシュタイン中将を使って事実関係を確認するだろう。貴族に対して非好意的な中将がどのような結論を出すかは言うまでもない。二人の運命は決まった~

この妙な噂は俺が否定する間も無くあっという間に広がった。おかげで俺は夜遅くにリヒテンラーデ侯邸を訪問する羽目になっている。ヴァレリーが不安がるのも無理はない。偶然なのか、それとも故意に誰かが流したのか、どちらにしろ余り面白い状況ではない。


■ 帝国暦486年7月30日  クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

「妙な事になったな」
「まことに」
俺とリヒテンラーデ侯は応接室で差し向かいに座りつつ話を始めた。侯の表情も苦いが、俺も負けずに苦いに違いない。馬鹿げた噂に振り回されて怒っているのだ。

「卿、皇帝の闇の左手なのかの?」
妙な表情で俺を見る。本当に疑っているのか?
「閣下、冗談はお止めください」
「しかし、信憑性は有るのじゃが……」

半分くらいは出鱈目だと思っているな、この表情は。
「小官が皇帝の闇の左手なら、此処にはいません」
「フム。ま、そうじゃの」
クビをかしげながらも納得したのか、侯爵は話を先に進めてきた。

「で、どうするかの」
「予定通り進めるしかないと思いますが……」
「調査役、尋問役じゃの、問題は」
「はい、小官だと噂を肯定する事になりかねません。あの二人が何を考えるか……」
「つくづく厄介な噂じゃの……」
「はい」
全く、厄介な噂だ。これから尋問役を探すのは容易ではない。国務尚書自ら尋問するという手もあるが……。

「いかがでしょう、侯自ら尋問者になるというのは」
「何を馬鹿なことを」
「いけませんか」
「当たり前じゃ……止むを得んの、アイゼンフート伯を使者とするほかあるまいの」
「アイゼンフート伯ですか?」

アイゼンフート伯ヨハン・ディートリッヒは典礼尚書の地位にある。地位から見れば適当な人選といってもいいのだが、なんと言っても年齢は八十を越えた老人だ。おまけに典礼尚書自体が最近では名誉職になりつつあり、能力は考慮された事がない。到底まともな尋問など出来んだろう。

「卿の心配はわかる。それゆえ卿も同行せよ」
「?」
「アイゼンフート伯は老人じゃ。卿が代わりに質問するのじゃ」
「なるほど、伯はお飾りですか?」
「うむ。仕方あるまい」
伊達に歳を食ってはいないな。

「明日、宮中で決定するつもりじゃ」
「アイゼンフート伯が承諾しますか?」
「嫌とは言わせぬ。嫌なら典礼尚書をやめてもらうまでじゃ」
怒っているなリヒテンラーデ侯は。
「それは、きつい。となると尋問は明後日ですか」
「そうなるの」
「承知しました」


■ 帝国暦486年7月30日 オーディン ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

「あと二日もすれば一段落しますよ、少佐」
「はい」
地上車で中将の官舎に向かいつつある途中、ヴァレンシュタイン中将が話しかけてきた。私を安心させようとしているのだろう。それならこんな仕事は引き受けないで欲しい。本来の仕事だけでも大変なのに宮中の勢力争いに絡むなんて。絶対にやめるべきだと思う。おまけにこんな夜中に有力者の家を訪問するなんて胡散臭いったらありゃしない。

しかし、リヒテンラーデ侯が彼を頼りにするのもわかるのだ。中将には比較的私心が無い。宮中の勢力争いに関わろうとしないから、この手の微妙な問題を相談するには最適なのだ。あの老人にしてみれば周囲にいる人間は気軽に相談しづらい存在なのだろう。だからといって……

ズガーンという音と共に振動が私たちを襲う。地上車が旋回し私と中将がドアに押し付けられる。
「閣下、伏せてください」
私は中将を座席シートに押し倒しつつ、その上に覆いかぶさった。
「少佐」
「駄目です」
起き上がろうとする中将を強くシートに押し付ける。

ようやく何処かの屋敷の壁にぶつかって地上車が回転を止めた。衝撃でフロントガラス、リアガラスが割れ細かい破片が私たちを襲う。外からの生暖かい空気が車内に入ってくるのが判った。私は中将から離れ、急いでブラスターを取り出す。事故じゃない、攻撃を受けたのだ。ベーネミュンデ侯爵夫人か、それともコルプト子爵か。

「中将、頭を低くしてください。狙われます」
「わかりました」
中将も状況を理解したのだろう。ブラスターを抜いて構えている。暗闇の中でも緊張しているのが判る。彼にとって予想外の事態なのかもしれない。そう思うとこんな時なのに可笑しかった。

レーザーが車内に打ち込まれる。こちらも打ち返す。敵は十人以上いるようだ。車内にいる分には多少防げるが、もう一度さっきの攻撃、多分、対戦車ミサイルだろうがあれをやられると危ない。どこかで外に出なければならないがタイミングが難しい。少なくとも三人~四人程度は此処で倒しておきたい。

うめき声が聞こえる。一人倒したようだ。中将と私は、つかの間顔を見合わせる。
「どのくらい持つと思います」
押し殺した声で中将がささやく。
「車内にいられるのは良くて後十分程度だと思います」
私も同じように押し殺した声で答える。
「そうですか……その後は外に出て逃げるしかないですね」
そう、逃げるしかない。しかし逃げ切れるだろうか。

突然、光が辺りを照らす。人々の叫び声が響いた。私は中将と顔を見合わせた。味方? 敵? 中将の名を呼ぶ声が聞こえる。味方が来たようだ、襲撃者たちは逃げ去り始めた。助かったらしい。

「ご無事ですか。ヴァレンシュタイン中将」
車から降りた私たちに話しかけてきたのは三十代後半の士官だった。
「危ないところを助けていただき感謝します、失礼だが卿らは?」
「リヒテンラーデ侯の家臣です。主より中将の後を追えと命じられました」

「リヒテンラーデ侯が」
思わず私と中将は顔を見合わせた。
「はい。間も無くこちらへ来られるはずです」
話している間にもリヒテンラーデ侯の家臣たちが襲撃者たちを追っている。何人か捕縛したようだ。これで誰が襲撃を命じたかも判るだろう。

侯が来たのは約十分ほど後のことだった。周囲には私たちを守るかのように何人かの兵士が立っている。
「閣下。御配慮いただき有難うございました。おかげで命拾いしました」
「卿に死なれては困る。噂が噂だったからの、念のため卿の後を追わせたのじゃ」

侯は本当にほっとしているようだ。表情にも安堵感が漂っている。
「どうやら暴発してしまったようですね」
「そうじゃの、全て無駄になったか」
「はい」
二人の声に疲労感があると思ったのは私だけではないだろう。

「それにしても厄介な噂じゃ」
ぽつりとリヒテンラーデ侯がつぶやいた。
「……」
「こうなって見ると、狙いは卿だったのかもしれん」
侯は手を後ろで組んで考え込みながら話した。中将が狙い? まさか。でも中将は驚いた表情を見せていない。中将も同じ事を考えてる?
「……」
「あの二人を暴発させ、卿を殺させる……。どうやら卿もそう考えているようじゃの」

「ええ、有りそうな事です。しかし一体誰が」
中将の表情も苦い。敵が見えないということが苛立たせているのかもしれない。侯の推理は十分にありえる。だけど誰が中将を……。

「心当たりが多そうじゃの」
からかうような侯の声だったが中将の答えは意表を突くものだった。
「……フェザーンというのもあるでしょうか」
「……有るかもしれん、だとすると厄介じゃの」
中将と侯は黙って見詰め合った。フェザーンが絡んでいる、そんな事があるのだろうか。

「とりあえず今日は、私のところに泊まるが良い。そのほうが安全じゃ」
「そうですね。お世話になります」
「こうなったのじゃ、明日は一気に片付けるぞ」
「はい」

誰が仕組んだにせよ、とりあえずこの事件は終わるだろう。問題はこれからだ。中将には間違いなく敵がいる。今日は運が良かった。だけど次も運がいいとは限らない。何らかの手段をとらないと……。リューネブルク中将に相談して見よう。あるいはキスリング大佐か。中将を敵から守ってくれる存在が必要だ……。





 

 

第六十五話 ベーネミュンデ事件(その5)

「シュザンナがの、そこまで思い詰めておったか」
「……」
襲撃事件のあった翌日、俺はリヒテンラーデ侯と共にフリードリヒ四世に拝謁していた。皇帝も俺たちが何の用件で会いたがっているかは判っている。バラ園で会うと場所を指定してきたのは、おそらく他者の介在を嫌ったためだろう。

いや、単にバラの世話をしたかったからかもしれない。フリードリヒ四世は俺たちの話を聞きながら、バラの世話をしていた。話が終わってもだ。興味をなくした元寵姫の事などなんの関心も無いのかも知れない。

「哀れな女だ。せめて地獄からは救ってやろうと思ったが……」
「?」
妙な言葉だ。ベーネミュンデ侯爵夫人はフリードリヒ四世の寵を失ったのではなかったのか? 皇帝は彼女に何の興味も無いのではないのか? 俺は思わず隣にいたリヒテンラーデ侯を見たが、侯も訝しげな表情をしている。

「予の言葉が不思議かの?」
「いえ」
リヒテンラーデ侯が短く答える。俺は慌てて顔を伏せた。幸い膝をついているから不自然には見えない。

「女にとって最大の不幸とは何かの?」
「はて?」
また妙な言葉だ。思わず顔を上げたがフリードリヒ四世の視線はバラに向いたままだ。リヒテンラーデ侯も訝しげな表情で俺を見るが、正直俺にもどう答えればいいかわからん。

「己が子を殺される事よ、シュザンナは四人の子をころされた……」
「!」
フリードリヒ四世は生まれた子が殺された事を知っている。いや、四人とはどういうことだ、皇帝は何を知っている?
「陛下、滅多な事を申されてはなりませんぞ」
「皇帝とは不便なものじゃの、真実を言う事も出来ぬとは」
リヒテンラーデ侯の言葉に返したフリードリヒ四世の言葉には微かに笑いが含まれていた。嘲笑か、それとも冷笑か。

「ルードヴィヒが死ぬ間際に、予に懺悔しおった。許してくれと……。愚かな話よ、皇太子の座を追われると思いシュザンナの子を殺したが、結局はその罪悪感から己が命を縮めよった……。何をやっているやら」
「……」
フリードリヒ四世は皇太子の罪を知っている。しかし、四人とは? おそらく三度の流産を言っているのだろうが、それも全て皇太子なのか?

「……恐れながら陛下、流産の事も皇太子殿下に罪あり、とお考えでしょうか?」
リヒテンラーデ侯の問いに皇帝は緩やかに首を振り答えた。
「アスカン家じゃ」
「!」

アスカン家、アスカン子爵家はベーネミュンデ侯爵夫人の実家だ。ベーネミュンデの名を名乗るまではシュザンナ・フォン・アスカン子爵令嬢、それが彼女の名前だった。しかしアスカン家? どういうことだ?
「し、しかし、何ゆえアスカン子爵家が侯爵夫人を流産など。し、子爵家にとっては、む、むしろ栄達の機会では?」

余りの事にドモリながら話すリヒテンラーデ侯を皇帝は哀れむかのように見ている。
「判らぬか。アスカン家にとってはの、シュザンナはただの寵姫でよかったのじゃ。母になどなる必要は無かった……」
「?」

「最初の子が殺された事でおびえたのよ。アスカン家はシュザンナが予の後宮に入るまでは、貴族とは名ばかりの貧しい家だった。彼らにとって必要なのは裕福な暮らしであって、権勢を振るうことではなかった。シュザンナが子など産んで権力争いに巻き込まれる事を、潰される事を恐れたのじゃ」

「……」
俺もリヒテンラーデ侯も言葉が出ない。それが真実ならベーネミュンデ侯爵夫人が哀れすぎる。
「それを知ったとき、予はシュザンナを後宮から出した。これ以上あれを此処には置けぬ。此処はあれにとって地獄であろう」

「アスカン家を咎める事は出来なかったのでしょうか?」
俺は思わず問いかけた。答えたのはリヒテンラーデ侯だった。
「それは出来ぬ。それをやれば罪は侯爵夫人にまで及ぶ」
もっともだ。それは皇帝の望まぬ事だろう。

「陛下、侯爵夫人は知っていたのでしょうか」
「知っておった。だから予を求めたのだ、ヴァレンシュタイン」
「?」

「誰もあれを愛さなかった。利用しようとしただけだ。予だけがあれを人として、女として愛した……。予はあれに平穏を与えたかったが、あれはたとえ地獄に落ちようとも予と伴に有ることを望んだ……哀れな……」
侯爵夫人が望んだのは、権力でも富でもない、ただ人として愛される事だったのか。

「国務尚書」
「はっ」
「シュザンナを苦しまずに済むように頼む」
「はっ」

「シュザンナに伝えよ。予も後から行く、美しい姿で待っていよ、と」
「はっ」
「陛下、今ひとつ侯爵夫人にお情けを」
「なにかな、ヴァレンシュタイン」
「陛下のバラを侯爵夫人に賜りたく」
「バラか、よかろう、あれも喜ぶであろう」

ベーネミュンデ侯爵夫人は自裁を許された。当初立会人達を罵倒していた夫人は国務尚書がバラを渡し、何事かを囁くとそれまでの抵抗が嘘のように大人しくなり、艶やかに微笑みながら静かに毒酒を飲み干した。

ベーネミュンデ侯爵夫人はバラを握り締めたまま息絶えた。安らかな死顔だったと言われている。国務尚書の命により、遺体はバラを握り締めた姿のまま棺に入れられた。


■帝国暦486年8月5日  ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ウルリッヒ・ケスラー

ヴァレンシュタイン中将が訪ねてきた。周囲には護衛兵が四人付いている。フィッツシモンズ少佐も入れれば護衛は五人だ。例の事件以来、憲兵隊から身辺警護として付けられたと聞いたが本当らしい。ヴァレンシュタインは二人だけで話したいと言ってきたので会議室に案内する。護衛も付いて来ようとするが、中将が止めた。フィッツシモンズ少佐を伴い会議室へおもむく。

今回の訪問は突然のものではない、事前に連絡があった。ミューゼル大将がいないときに会いたいというもので少々不安がある。司令官に内密の話とは一体なんなのか? 思い当たる節が無いだけに不安が募る。フィッツシモンズ少佐は会議室の外で見張りに立つ。かなり神経質になっている。中将は部屋に入るとすぐにロイエンタール少将を呼んでくれと言ってきた。どういうことだろう。

「大変だったようですね」
「ええ、後味の悪い事件でした」
「しかし、中将が無事でよかった」
「そう思いますか」
少し皮肉そうな口調で話す中将に、私は違和感を感じた。どういうことだ。

「ベーネミュンデ侯爵夫人の流産の事、ご存知ですか?」
「ええ、陛下からお聞きになりましたか?」
「哀れな話です。本当なら侯爵夫人は死なずに済んだはずなのに」
「どういうことです?」
侯爵夫人が死なずにすんだ? どういうことだ? 何かの手違いがあったのか。

中将の話してくれた内容は深刻なものだった。何者かが噂を捻じ曲げて広めた。標的は侯爵夫人ではなく、むしろ自分だったのではないか? そして侯爵夫人は嵌められたのではないか? 私も中将の考えに同感だった。標的は中将だろう。しかし誰が?

会議室のドアが開き、ロイエンタール少将が入ってきた。はて、少し緊張しているようだ、どうしたのか。中将はにこやかに迎え、自分の隣の椅子を勧める。そして何気なく切り出した。
「ロイエンタール少将、私が皇帝の闇の左手だと噂を広めたのは少将ですね?」
中将の言葉にロイエンタール少将が蒼白になった。

「ロイエンタール少将、本当か?」
「……」
「噂の出所を探りました。何人かの女性が浮かびましてね、いずれもロイエンタール少将の親しい女性でした」
「……」

「ミューゼル大将に頼まれた、そうですね」
「……そうです」
観念したようにロイエンタールが答える。
「馬鹿な、何と言う事をしたのだ。もう少しで中将は死ぬところだったのだぞ。大体中将は動くなと言ったはずだ」

「判っています、しかし……」
「自分とヴァレンシュタインのどちらの言う事を聞くのか、そう言われましたか?」
「……はい」
何と言う事だ。まるで子供ではないか。

中将はロイエンタール少将に今回の件を誰にも喋るなと口止めして解放した。会議室には私と中将の二人きりだ。心臓が飛び出しそうなほどの圧迫感を感じる。
「面白くないのでしょうね」
「?」

「先日のフレーゲル男爵の処置といい、今回の一件といい面白くないのでしょう」
何処か疲れたような口調だ。嫌気がさしているのか。
「フレーゲル男爵の件は仕方ないでしょう。提督も理解しているはずです」
「理解するのと納得するのは別問題ですよ。私に対して不満があると見ました」
確かに、そういうところは有る。

「今回の一件も、グレーザーの書簡は私に来ました。それに手を出すなと言われた。面白くなさそうでしたね」
あのときの表情は覚えている。確かに面白くなさそうだった。
「……だからといって中将を危険にさらすような……」
「やりますよ、あの二人は」
「!」
あっさりと言ってのける中将に私は絶句した。

「あの二人にとって、グリューネワルト伯爵夫人は絶対です。彼女を守るためなら何でもするでしょう」
確かに提督の伯爵夫人への執着は異常だ。
「……」

「ベーネミュンデ侯爵夫人とコルプト子爵の噂が流れたとき、私たちが流したと直ぐわかったはずです。噂によってベーネミュンデ侯爵夫人が暴発する事を恐れたミューゼル大将は、侯爵夫人の目をそらす必要性を感じた」
辻褄は合う。しかしだからと言って。

「それが、あの皇帝の闇の左手ですか」
「ええ、まあ私の鼻を明かすという稚気も有ったかもしれない」
うんざりしたように中将が話す。
「そんな問題ではないでしょう! 殺されかけたんですよ。大体謝罪も無いと言うのは」
「謝罪は出来ません」
「!」

「謝罪は出来ないんです」
「どういうことです」
「私を信用していませんから」
「!」
まるで他人事のようだ、私は何もいえず中将を見詰めた。


「私が、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯に訴えたらどうなります?」
「……」
「彼らは皆ミューゼル大将とグリューネワルト伯爵夫人が私を利用してベーネミュンデ侯爵夫人を始末した、そう思うでしょうね」

確かにそうだろう。その先にあるのは……。
「……」
「これまで、グリューネワルト伯爵夫人が宮中で無事だったのは、いかなる意味でも政治的な活動をしなかったからです。しかし今後は違う。皇帝の寵姫と帝国軍大将、そしてローエングラム伯爵家を継承する人物が宮中の勢力争いに参加した、そう思うはずです」

「確かに、そうですね」
「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ侯もそれを許すはずが無い。潰されますよ、簡単に」
「……」

「軍も同調するでしょう。今回、私が殺されかけた事でミュッケンベルガー元帥もエーレンベルク元帥も大分怒っています。ミューゼル大将もそれを知っている。だから知らぬ振りをしているんです」
「……」

つくづくうんざりした、と言った表情で話す中将に私は同情を禁じえなかった。確かにこれまでの中将の行動にミューゼル提督が納得できない部分があるのは事実だろう。しかし公平に見て、中将は十分にミューゼル提督のために動いている。誰もが認める事実だ。

それを受け入れられないと言うのは上に立つ人間として問題があるのではないか? さらに今回の伯爵夫人への執着にしても部下にとっては不安しか感じないだろう。中将が提督に手を出すなと言ったのにはそれもあるはずだ。しかし結局手を出してこの事態を引き起こしている。

このままでいいのだろうか。果たして彼は自分の将来を托せる人物なのだろうか。目の前で憂鬱そうにしているヴァレンシュタイン中将を見ながら私はこれからの事を考え暗澹とした……。



 

 

第六十六話 敵、味方

■ 帝国暦486年8月5日 兵站統括部第三局 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ


あの事件以来中将には護衛が付いている。私がキスリング大佐に頼む前に軍務尚書経由で憲兵隊から四名の護衛兵が来た。中将はあまり護衛されるのが好きではないらしい。こっそり教えてくれたのだが、周りを自分より背の高い男性に囲まれるとコンプレックスを感じるそうだ。

今日の中将はおかしい。ベーネミュンデ侯爵夫人の襲撃事件より中将はずっと塞ぎこんでいる。けれど今日は最悪と言っていい。ブリュンヒルトから帰ってからずっと変だ。いつもはココアを飲むのだけれど今日は水。少し俯き加減に左手を口元に当てながら考え込んでいる。そして溜息を漏らすのだ。

ケスラー少将と何か有ったのだろうか? 会議室から出てきた二人はずっと無言だった。雰囲気も刺々しいという感じではなかったが、友好的とはいえなかったと思う。艦を辞するときも碌に会話を交わすことなく別れている。どういうことだろう?

書類が溜まるのも全然気にしていない。時々心配になって“書類が溜まっています”と注意すると“わかりました”と言って書類を見始めるが三十分もするとまた考え込んでいる。ありえない事だ、中将が書類を溜める等ありえない。この子は書類を愛しているのだ。いつも嬉しそうに書類を見て、決裁をしている。一体どうしたのだろう?

「うん、そうだね、そうしよう」
いきなり中将が声を発した。見れば表情が明るくなっている。
「どうしたんですか、いきなり」
「ああ、ようやく考えがまとまったんです。いや決心がついたというべきかな」
「そうですか」

安心した。何を悩んでいたのかは判らないけれど解決したみたいだ。
「少佐、ココアをもらえますか」
そう言うと中将は書類に向かい始めた。楽しそうに書類を見ている。ようやくいつもの中将に戻ったようだ。



■ 帝国暦486年8月5日 兵站統括部第三局 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

参ったな。まさか本当にロイエンタールが噂を流したとはね。それにしてもロイエンタール、ちょっとカマかけられたぐらいであっさり吐くなよな。こっちも困るじゃないか。まあ、本人も相当悩んでいたんだろうけど。

ロイエンタール、ケスラーには口止めしたから大丈夫だろう。この問題はこれ以上つつくとミューゼル大将のためにならないと言ってきたからな。俺に知られたなんて知ったら本気で俺を殺しかねない。冗談じゃない。

襲撃があったとき最初に頭に浮かんだのは原作での襲撃事件だ。あれがロイエンタールの流した噂が原因だった事はわかっている。あれと同じ事が起きたと思った。馬鹿な話だが、それまで俺はその可能性を軽視していた、いや全然考えていなかったと言っていい。最初にラインハルトに釘を刺したし、それを無視してロイエンタールに噂を流させるとは思っていなかった、間抜けな話だ。

リヒテンラーデ侯に心当たりを聞かれたときは咄嗟にフェザーンと言ったが、内心では八割がたラインハルトだろうと思った。フェザーンが後ろで糸を引いているなら、あんな場所では襲わせない。あそこは貴族の邸宅が集まっているから邪魔の入る可能性が高い。もっと確実に殺せる場所、人気の無い場所を選定するはずだ。

ラインハルト達が本気で俺を殺そうと考えたとは思っていない。多分ベーネミュンデ侯爵夫人の目を伯爵夫人から他の誰かに移すのが目的だろう。俺を利用したのは、“皇帝の闇の左手”という噂と貴族嫌いという実績があったから効果的だと思っただけだろう。ケスラーにも言ったが俺の鼻を明かしたいという稚気も有ったに違いない。

襲撃事件があったと聞いて一番驚いたのは彼らだろう。とんでもない事になったと思ったはずだ。だが謝罪する事は出来ないと直ぐ判断しただろう。俺を信用しきれていないし、一つ間違うと伯爵夫人にまで累は及ぶ。原作ではベーネミュンデ侯爵夫人を上手く排除できているが、あれはブラウンシュバイク公達がラインハルトを歯牙にかけていなかったせいだ。

しかしこの世界はどうだろう? 彼らは原作ほど強固な地位を得ていない。此処最近、俺やリヒテンラーデ侯、ミュッケンベルガー、エーレンベルク両元帥に押さえ込まれ不安感を持っているはずだ。ラインハルトの排除に動く可能性は高いと思う。俺がラインハルトに動くなと言ったのもこの可能性が有るからだ。それを全く無視しやがって、あの阿呆。

起こってしまったことをいまさら考えても仕方が無い。問題はこれからだ。俺がどうすべきかだが、道は三つ有る。
1.ラインハルトから離れ独立する。
2.何事も無かったとして、ラインハルトと共に行動する。
3.ミュッケンベルガー、リヒテンラーデ連合を成立させその中で行動する。

1だが、現状では難しいだろう。理由は俺が戦場に出る事が出来ないからだ。当然昇進も無い。つまり俺は当分の間、その他大勢いる中将の一人だ。勢力を持つなんて出来そうに無い。

一方ラインハルトは昇進する可能性はかなり高い。元帥はともかく上級大将は楽にいくだろう。これではどうにもならない。特に独立する以上ラインハルトとは決別する事になる。彼にとっては俺を潰すチャンスだ。大喜びに違いない。

2だが、一番いいのはこれだ。門閥貴族たちを潰せる可能性は一番高い。しかし問題は俺とラインハルトの関係が修復可能とは思えないことだ。向こうは俺にかなり不満を持っているようだし、今回の件で負い目も持っている。いずれその負い目が憎悪に変わらないという保障はどこにも無い。

こっちもいい加減愛想が尽きた。欠点があるのは判っている、人間的に未熟なのもだ。しかし結局のところ原作で得た知識でしかなかった。実際にその未熟さのせいで殺されかけた俺の身にもなって欲しい。おまけに謝罪一つ無い、いや謝罪は無くても大丈夫かの一言ぐらい有ってもいいだろう。

この状態でラインハルトの部下になっても碌な事にはならんだろう。いずれ衝突するのは確実だ。門閥貴族が没落すれば退役してもいいが、そこまで持つだろうか。その前にキルヒアイスのように死なないと誰が言えるだろう?

俺が死ぬときはヴァレリーも道連れになる可能性が高い。彼女を死なせたくは無い。
先日の襲撃事件では、危険を顧みず俺をかばってくれた。あの時どういうわけか母さんを思い出した。あんな風に抱きしめて守ってくれたのは母さんと父さんだけだからな……。

駄目だな、何を考えている。これからのことを考えるんだ。1、2が駄目ならとるべき道は3になる。これは現状でも一番簡単で楽な道だ。但し、門閥貴族を潰せるかどうかはかなり怪しい。リップシュタット戦役が起こっても潰せるのはブラウンシュバイク、リッテンハイム連合に与した勢力だけだ。おまけに戦後の統治は原作ほど開明的なものにはならないだろう。

しかし、それでも生き残れる可能性は一番高いと言える。先ずは生き残ることを優先するべきだろう、3で行くべきだ。そうなるとこの場合、ラインハルトの存在は邪魔だ。彼は必ず自分の手で覇権を目指すだろう。大きすぎる不確定要素は潰すべきだが、潰すのは次の戦いが終わってからだな、最後の戦いだ、せいぜい心置きなく戦ってくれ。

幸いラインハルトを罪に落とす材料はある。今回の事件でベーネミュンデ侯爵夫人、コルプト子爵が死を賜ったのはラインハルトの流した噂の所為だと言えるし、俺を謀殺する事で軍内の実権を握ろうとしたとも言えるだろう。

リヒテンラーデ侯は必ず乗ってくるだろう。ブラウンシュバイク、リッテンハイムも必ず乗ってくる。彼らは新しい宮廷勢力を許すはずが無い。そしてミュッケンベルガーも軍内で陰謀を巡らしたラインハルトを許さないだろう。

アンネローゼが助けに入れば反って思う壺だ。寵姫が政治に口を出したとして彼らを結束させる事が出来る。そうなれば皇帝も無視は出来ない。ローエングラム伯爵家の継承は白紙、戦果を上げて帰って来るだろうから死罪は許しても軍からの追放までは確実なものにしよう。

そうなると、その後の戦いを考えないといけないな。ラインハルトの代わりになる指揮官だ。今度の戦いではケンプ、メックリンガー、ファーレンハイト、ワーレン、ルッツ、ビッテンフェルト達をミュッケンベルガーの配下に置こう。彼らの有能さが判るはずだ。

ラインハルトの没落後はケスラー、ミュラー、双璧にも一個艦隊を指揮させよう。
ラインハルトがいなくなっても、かれらが一個艦隊の司令官になるならむしろ戦力アップに繋がるだろう。一人の天才より十人の秀才の方が軍事行動における選択肢は増えるはずだ。これならミュッケンベルガーも安心してラインハルトを処断できると言うものだ。


■帝国暦486年8月5日  ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ジークフリード・キルヒアイス

ベーネミュンデ侯爵夫人が死んだ。これでアンネローゼ様を脅かすものはいなくなった。今回の件は正直後味が悪かった。ロイエンタール少将に無理強いさせた事もそうだが、まさかベーネミュンデ侯爵夫人が暴発してヴァレンシュタイン中将を襲うとは思わなかった。彼女が暴発する可能性を考えなかったわけではない、だがそこまで愚かだとは思わなかったのだ……。

私もラインハルト様も彼の死を望んだ事など無い。彼に不満はあるし、今ひとつ信用できないものを感じているが、だからといって彼を殺そうなどとは考えていない……。ただ、あまりに全てを自分で片付けようとする事に反発はある。それにあの密通の噂ではアンネローゼ様の安全が確保できない。そう思ったからあの噂を流したのだ。間違っていたとは思わない。ただあまりにも侯爵夫人が愚か過ぎた……。

襲撃事件が起きた時は本当に驚いた。ラインハルト様も私も唖然とした。幸い中将が無事だったから良かったが、そうでなければ私もラインハルト様も一生後悔しながら生きていく事になったろう。本当は彼に謝りたいのだが、彼を信用しきれない。本当に彼はこちらの味方なのだろうか?

ラインハルト様と相談して決めた事は、今は謝罪しない、いずれこのことが公になっても問題ないだけの力を得たら謝罪しようという事だった。今は無理だ、アンネローゼ様に累が及んではいけないし、ローエングラム伯爵家の継承もある。今あれが公になれば全てを失いかねない。

ヴァレンシュタイン中将には申し訳ないが、もうしばらく待ってもらうしかないだろう。いつか必ず謝罪する日が来るはずだ。そのときはきちんと謝ろう。きっと判ってくれるはずだ。……もし、彼が死んでいたらどうなったろう? ラインハルト様の軍での立場、存在は今より大きい物になったのではないだろうか? 私はそのことを一瞬考え、そんな事を考える自分に強い嫌悪をいだいた……。



 

 

第六十七話 機会

■ 帝国暦486年8月20日 宇宙艦隊司令部 アルベルト・クレメンツ


此処に来るのは久しぶりだ。それにしても相変わらずそっけない廊下だな。宇宙艦隊司令部の廊下を歩きながら俺は思った。前回来たのはアルレスハイムの会戦の後だった。あれは483年の暮れのことだったから、もう二年半は経っているということか。

「クレメンツ少将」
後方から名を呼ばれて振り返るとヴァレンシュタインが立っていた。
「ヴァレンシュタイン、いや中将」
「お久しぶりです」

ヴァレンシュタインは穏やかに微笑みながら近づいてきた。このあたりは昔と少しも変わらない。彼の後ろに四人の大柄な兵と女性兵が一人いる。どういう関係だろう。
「ああ、久しぶりだ、それにしても中将か、あっという間に抜かれたな」
「運が良かったんです」
困ったように返答する彼に思わず笑いが出た。

「謙遜するな。卿の実力は俺が良く知っている」
そう、こいつの実力は良く知っている。アルレスハイムはこの男の力で勝った。
「有難うございます」
「ところで、彼らは?」

「彼女は私の副官、フィッツシモンズ少佐です。後は私の護衛をしてくれています」
ヴァレンシュタインはちょっと恥ずかしそうに答えた。
「護衛?」
中将に護衛を付ける? 聞いた事が無いな。何か有ったのか?

「第五十七会議室へ行かれるのですね?」
この話題から離れたいらしい。そう、俺は第五十七会議室へ呼ばれている。8月20日午後二時までに来いと命令があった。

「そうだが、知っているのか?」
「ええ、後ほどお会いしましょう」
「?」
ヴァレンシュタインは軽く目礼すると俺から離れていった。後で? どういうことだろう?

第五十七会議室へ行くと既に何人かの男たちが部屋に居た。見たことのある顔もあれば無い顔もある。はて、一体何が有る?
「クレメンツ少将、卿も呼ばれたのか」
「メックリンガー」

穏やかな表情で話しかけてきたのは、エルネスト・メックリンガーだった。相変わらず口髭を綺麗に整え身だしなみの良い男だ。こいつが口髭を生やし始めたのは何時頃だったろう? 確か士官学校の4年次だったか。最初はからかったものだが、今では少しもおかしくない。いや、良く似合っている。

「久しぶりだな、メックリンガー」
「ああ、卿が辺境警備に行って以来だから二年半は経っているな」
そう、アルレスハイムの後、俺は辺境警備に回された。
「嫌な事は言わんでくれ」
顔をしかめた俺に対し、メックリンガーは軽く笑いながら肩を叩いてきた。そのまま手近な席に座って話を続ける。

「一体、何が有るんだ?」
「私も詳しい事は知らないが、どうやら今度の出兵の事らしい。ヴァレンシュタイン中将が絡んでいるようだ」
「……」
ヴァレンシュタインが絡んでいる? どういうことだ? 先程あったときの会話を思い出す。確かに何か関係しているようだ。

「気付いたか? 此処にいるのは実力はあるが軍主流にいるとは言えない男ばかりだ。おまけに皆若く、平民か下級貴族だ」
メックリンガーが声を潜めて話す。
「……」
確かに若手士官ばかりだ。俺もメックリンガーもむしろ年長者の方だろう。

「今入ってきた男は、カール・グスタフ・ケンプ少将だ」
ケンプ少将は長身でがっしりとした、いかにも軍人と言う風貌の男だった。
「聞き覚えがあるな」
「当然だろう、元は撃墜王として活躍した男だからな」
なるほど、それで聞き覚えがあったか。

ドアが開いてヴァレンシュタインが入ってきた。皆一斉に起立して敬礼をする。ヴァレンシュタインは我々の正面に立つと答礼した。
「楽にしてください。座っていただいて結構です」
柔らかな声に戸惑いながら皆着席する。一体何が有る?

「単刀直入に言います。今度の遠征に貴方達にも参加してもらいます。既にミュッケンベルガー元帥の了承を得てあります」
今度の遠征に参加……、周囲がざわめく。思わずメックリンガーと顔を合わせた。

「今度の遠征の参加兵力ですが、ミュッケンベルガー元帥直卒の一個艦隊、ミューゼル大将の率いる一個艦隊、そして残りは此処にいる貴方達の艦隊を二個艦隊に編成し、計四個艦隊、約五万五千隻を動員することになりました」

“二個艦隊に編成”、“五万五千隻”囁き声と共にどよめきが起こる。しかし、二個艦隊に編成? どうするのだろう?
「質問してよろしいでしょうか?」
太い声で質問したのはケンプ少将だった。

「どうぞ、官位、姓名を名乗ってください」
「カール・グスタフ・ケンプ少将です。我々を二個艦隊に編成とは具体的にどうされるのか、お聞きしたい」
周りも皆顔を見合わせては頷いている。

「此処に集まられた方々を半分に分けます。そしてその中から司令官を選び、残りの方には副司令官と分艦隊司令官を務めてもらいます」
「!」
「無茶だ。そんなこと出来る訳がない」
ケンプ少将の言に皆が同意する。“出来るわけが無い”、“無茶だ”と言う声が上がった。確かにそうだ、同格の人間達のなかでそんな事が簡単に出来るだろうか?

「確かに無茶は承知です」
「ならば」
「ならばどうします。このままでよいのですか?」
このままでよい? 何のことだ? 皆不審そうな表情をしている。

「此処に集まられた方々は、帝国でも一線級の実力の持ち主だと思っています。ただ残念な事に場所を得ていません。その場所を提供しようと言うのです」
「……」
場所を得ていない。確かにそうだ。辺境警備では場所を得ているとは言い難い。

「元帥閣下は実力さえあれば、たとえ平民であろうと抜擢します。私を見れば明らかでしょう。その実力を元帥閣下に証明する機会を提供しようと言っているのです」
「……」
機会、何度も欲しいと思った機会が此処にある……。

「此処から先は貴方達の問題です。協力し合って武勲を上げ、より大きな権限と地位を得るか、それとも足を引っ張り合って自滅するか、好きなほうを選んでください」
「……」
より大きな権限、より大きな地位……。

「この話そのものに納得がいかないと言うのなら、この部屋から出て行ってもらって結構です。代わりの人を呼びます」
「……」
代わりの人……。駄目だ、譲れない、これは俺の得た機会だ。周りを見た、誰も出て行こうとしない。そうだろう、皆同じ気持ちのはずだ。

なぜ俺が辺境警備でシュターデンが宇宙艦隊司令部に居る? 俺がシュターデンに劣るのか? そうじゃない、奴はブラウンシュバイク公爵家に近い。それが理由だ。軍人としての能力の問題じゃない。

「此処にいると言うのであれば、編制分けをします。司令官二名は先任順でケンプ、クレメンツ両少将にお願いします。先ず最初に、ケンプ少将を司令官として、ルッツ少将、ファーレンハイト少将、レンネンカンプ少将で一個艦隊を編制してください」

「さらに、クレメンツ少将を司令官として、ワーレン少将、ビッテンフェルト少将、アイゼナッハ少将で一個艦隊とします」
俺が司令官か。しかし、メックリンガーはどうするのだ?

「メックリンガー少将には、宇宙艦隊司令部の作戦参謀として旗艦ヴィルヘルミナに詰めてもらいます。司令部には偏見を持っている人が居ますからね。ミュッケンベルガー元帥とのパイプ役になってください」

「承知しました」
なるほど、俺たちの代弁者としてメックリンガーを司令部に置くのか。良い案だ、少なくとも使い捨てにされる危険はかなり下がるだろう。

「質問はありますか」
「……」
誰も何も言わない。そうだろう、皆今すぐにでも打ち合わせがしたいはずだ。

「無ければこれで終わります。この部屋は十七時まで借りてあります。この後打ち合わせに使っていただいて結構です。出兵は十月十五日を想定していますので、それまでに艦隊の錬度を上げ、一個艦隊として使用できるようにしてください。訓練、補給等で問題が有れば何時でも言ってください。相談に乗ります。では、これで」

ヴァレンシュタインはそう言うと、部屋を出て行った。本来なら起立して敬礼をしなければならないのだろう。しかし、そんな間を与える事も無くさっさと出て行ってしまった。残された俺たちの方があっけに取られ、顔を見合わせて苦笑した。

「至れり尽くせりだな。せっかくだ、使わせてもらおうではないか」
オレンジ色の髪をした逞しい体格の男が周囲を見渡しながら大声で言った。
「そうだな、先ず自己紹介をしないか。いざとなったら頼れるのは此処にいる面子だけということもありえる。良く知っておくに越したことはない」

ケンプ少将が同じように周囲を見渡しながら太い声で言う。皆頷き、自己紹介を始めた。オレンジ色の髪の男はビッテンフェルトというらしい。アイゼナッハ少将は自分の名を告げただけだった。無口な男らしい。俺の指揮下に入るのだが大丈夫かな?

「メックリンガー少将、卿の役割は重大だな。言ってみればヴァレンシュタイン中将の代役だろう」
「確かにそうだ、責任重大だな」
「判っている。ヴァレンシュタイン中将には及ばんだろうが、精一杯努めるつもりだ。卿らこそ失敗するなよ、二度目はあるまい」

ビッテンフェルトとケンプの言葉にメックリンガーが答える。二度目は無い……。確かにそうだ、失敗は許されない。この機会を掴み取り、より上を目指す。此処にいる全員にとって明日をかけた戦いになるだろう。

そして俺たちを選んだヴァレンシュタインにとってもだ。俺たちが失敗すれば、当然彼も責任を問われるだろう。彼も俺たちに運命をかけたのだ。負けるわけにはいかないだろう……。




 

 

第六十八話 葛藤

■ 帝国暦486年9月20日 クレメンツ艦隊旗艦ビフレスト アルベルト・クレメンツ


「今回の訓練だが、気付いた事は?」
「やはり攻守の切り替えが問題でしょう。思ったよりも手間取る。反乱軍に出来る奴が居れば必ず突いてくると思います」

俺の問いに副司令官のワーレン少将が答える。頼りになる男だ、見るべきところはきちんと見ている。

「すまん。俺のところがやはり遅れるか」
「それでも大分良くなったさ。あともう一息だ」
「うむ、まだ時間は有る。諦める事無く続けよう」

申し訳なさそうに謝罪するビッテンフェルトを俺とワーレンが励ます。アイゼナッハも無言で頷いている。うん、艦隊の雰囲気は悪くない。まだまだ伸びるだろう。

艦隊が編制されてから、もう一ヶ月が経つ。この間、俺たちは日々訓練に明け暮れていた。艦隊としての錬度も大分上がったろう。十月十五日に出兵だがそれまでには実戦に耐えられるだけの実力を得られるはずだ。

当初編制されたばかりの頃は酷いものだった。俺はワーレン少将、ビッテンフェルト少将、アイゼナッハ少将の力量、癖を知らないし、彼らも俺のことはほとんど知らない。試行錯誤の連続だったが、それでも耐えられたのはこの機会を逃したくないという共通の思いがあったからだろう。

訓練していくうちに判った事は、艦隊が非常にバランスよく編制されている事だ。ヴァレンシュタインはかなり俺たちのことを調べたらしい。攻撃力の強いビッテンフェルト、堅実で攻守にバランスの良いワーレン、アイゼナッハ。俺が彼らを理解するように、彼らも俺を、互いを理解し始めた。それに連れて艦隊の錬度もぐんぐん上がった。

成果が出れば訓練にも力が入る。当初攻撃一辺倒だったビッテンフェルトも守勢に対して貪欲にワーレンから学び始めている。士官学校では同期だったこともあり親しいようだ。元々攻撃では群を抜く力を持っていた男だ。守勢でも有る程度の力をつけられれば、敵にとっては恐ろしい存在になるだろう。問題は気質的に攻撃を好みすぎるところだが、ま、それは仕方ないだろう。


「そろそろケンプ提督に演習を申し込んでみようと思うのだが、どうかな?」
「なるほど、それはいいですね。向こうも演習相手を探しているかもしれません」
「うむ、腕が鳴るな。望むところだ」
「……」

俺の提案にワーレンもビッテンフェルトも賛成する。アイゼナッハも頷いているから賛成なのだろう。俺はこの男が喋るのを自己紹介のときしか見ていない。不思議な男だ。妻子もちということだが家ではどうなのだろう? もしかして家では賑やかな男なのだろうか?

訓練と言えばヴァレンシュタインには世話になった。訓練場所一つとっても他の部隊とかち合ってはいけない。場所の選定から補給まで全て彼が取り仕切ってくれた。相談に乗る、と言ったのは嘘ではなかった。

特に補給が最優先で受けられたのには驚いた。ミュッケンベルガー元帥の決裁を受けたとは言え、兵站統括部に借りを作りたくないシュターデンは良い顔をしなかったのだ。ふざけた奴だ。

そんな中ヴァレンシュタインが一言兵站統括部に連絡を入れるだけで補給が受けられたのには驚いた。あまりの迅速さに気味が悪くなって副官のフィッツシモンズ少佐に確認したが“中将は色々と貸しがあるんです”と言う。

“貸し”とは何だろう。問いかけると兵站統括部の厄介事は、ほとんどヴァレンシュタインに来るのだと教えてくれた。不思議な話だ、厄介事とは何か、重ねて訊ねると少佐は少し口籠もった後“横領、横流し、密輸、その他諸々です”と小さな声で答えてくれた。

兵站統括部は物資を扱う。それだけに横領、横流しが生じ易い。特に艦隊、基地への輸送では密輸を含めて不正が発生し易いのだ。その摘発、後始末がヴァレンシュタインに集中するのだという。

横領? 横流し? 密輸? その他諸々? 兵站統括部にも監察があるはずだが何故ヴァレンシュタインにそれが? 益々判らなくなって、“どういうことだ”とこちらも小さな声で問いかけると少佐は詳しく話してくれた。

要するに貴族が絡んだ犯罪が発端らしい。通常の犯罪なら監察も摘発できるのだが、貴族が絡むと及び腰になる。報復は怖い、しかし犯罪は摘発したい、その思いがヴァレンシュタインへの事件の丸投げになった。例の内乱騒ぎ以来、彼の容赦の無さは皆の知るところとなっている。

“中将は貴族に容赦しませんから”とフィッツシモンズ少佐が言う。ヴァレンシュタインは部内の処分規定に従って手加減無しに処分したらしい。当然貴族は反発し、その時ブラウンシュバイク公の名前を出したが、結果は悲惨だった。

ヴァレンシュタインはその場でブラウンシュバイク公に連絡を取り、微笑みながら“犯罪を摘発したが容疑者が公爵の名前を出している、軍内部の犯罪であるためこのままでは公爵の屋敷へ憲兵隊を送る必要がある”と伝えた。仰天したブラウンシュバイク公は当然その場で関わりを否定した。

その結果、容疑者はブラウンシュバイク公に罪をなすり付けようとした、という罪状まで付けられて憲兵隊に送られた。それ以来部内の厄介事がヴァレンシュタインに集まるようになったらしい。ヴァレンシュタインは真面目だから手を抜くと言う事が無い。その結果、少佐によれば“兵站統括部第三局は裏の監察局と言われて、監察局よりも怖がられてます。中将は憲兵隊にも影響力が有るから”と言う事になる。

つまりそういう諸々の厄介事をヴァレンシュタインが解決しているため周りもヴァレンシュタインの頼みを断れない。もっともヴァレンシュタインは私利私欲で動く事が無いため、周囲にとっては動き易いようだ。それにしてもあまり無茶はしないで貰いたいものだ……。


■帝国暦486年9月20日  ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト 参謀長室  ウルリッヒ・ケスラー

私は一人、参謀長室で悩んでいた。今回の遠征で新たに編制された二個艦隊だが、あれの意味するところは明白だ。ヴァレンシュタインはミューゼル大将を切り捨てる気のようだ。例の一件でミューゼル大将の器量に見切りをつけたのだろう。

おそらく切り捨てた後、今回編制された艦隊の指揮官達を抜擢するつもりだろう。それだけの実力の有る男たちだ。それにしても良く集めたものだ。わずか二週間程度の期間であれだけの人材を集めるとは。

いや、違うな、以前から調べていたのだ。おそらくはミューゼル大将のために準備していたはずだ。自分、ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤーもだ。彼の人材リストに入っていたに違いない。

ミューゼル大将もキルヒアイス中佐もヴァレンシュタイン中将に知られた事はまだ知らない。私もロイエンタール少将も口を閉じている。話すべきだろうか? 何度もロイエンタール少将と話をした。しかし結論は出なかった、唯一得た収穫は彼が非常に思慮深い人間だと言う事だった。ミューゼル提督が素直に中将に謝ってくれれば良い、だが出来なかったら?

中将は信頼されていないと言っていた。そうかも知れない……。ヴァレンシュタイン中将のこれまでの実績を見れば、到底ミューゼル提督の及ぶところではないだろう。しかし本人は自分の功績をたいした事とは思っていない節がある。大体出世欲も有るのだろうか?

一方ミューゼル提督は才能、野心、覇気いずれも傑出している事は確かだ。そんなミューゼル提督にとって野心も覇気も無いヴァレンシュタイン中将に及ばないとはどういう感情を引き起こすのだろう?

まして自分自身の功績をたいした事とは思っていないと知ったら。自分をちっぽけな存在に感じてしまうのではないだろうか? そして誇り高いものであればあるほど、自分にそのような思いをさせた相手を憎むのではないだろうか?

私が考えていた以上にミューゼル提督のヴァレンシュタイン中将への不信は強いのかもしれない。それとミューゼル提督のグリューネワルト伯爵夫人への想い。この二つを考えると謝罪は難しいかもしれない。
むしろヴァレンシュタイン中将に知られた事で暴走する可能性がある。私もロイエンタール少将もその中で苦しい立場に追いやられる事も有るだろう。厄介な問題だ。

それに、話してしまったらこのまま遠征に行くこと自体危険だろう。ミューゼル提督は私とロイエンタール少将を避けかねない。司令官と参謀長、分艦隊司令官が不和などになったら艦隊運営はバラバラになりかねない、自殺行為だ。ロイエンタール少将もそれを心配している。

ミューゼル提督を説得するのが難しいとなれば、本末転倒ではあるがヴァレンシュタイン中将を説得するほか無いだろう。あの二人は本来協力し合うべきなのだ。有能な前線指揮官と類稀な軍政、軍略家。こんなところで対立するべきではない……。ロイエンタール少将を呼んでみよう、彼の意見が聞きたい。

五分と経たずにロイエンタール少将はやってきた。席をすすめ話をする。
「今度の遠征で新しく編制された二個艦隊だが、卿はあれをどう思う?」
ロイエンタール少将は黒い右目を沈鬱に曇らせながら答えた。
「……ミューゼル提督を切り捨てるつもりかもしれません……」
そうだな、裏の事情を知っていればそう考えるのが当たり前か。

「私は、ヴァレンシュタイン中将に会って来ようと思うが?」
「?」
「ヴァレンシュタイン中将を説得してこようと思う。ミューゼル大将とヴァレンシュタイン中将は協力し合うべきなのだ」
そうだ、協力し合うべきだ。

「参謀長の気持ちは判ります。しかし上手くいくでしょうか」
「判らない。あとは中将の聡明さに賭けるしかない……」
頼りない話だ。しかし、他に手が無いのも事実だ。

「小官も同行してよろしいですか」
「そうだな、そうしてくれるか」
無言で頷くロイエンタール少将に私は言葉を続けた。

「もし、駄目な場合だが、その時は全てを提督に話し、ヴァレンシュタイン中将がミューゼル提督を切り捨てる積もりでいる事を話そうと思うが?」
ロイエンタール少将は驚いたように眼を見張ったが直ぐに頷き言葉を発した。
「それがよろしいでしょう。ミューゼル提督も少しは自身の成された事を反省すると思います」

「但し、その場合ミューゼル提督はヴァレンシュタイン中将を恨むだろうな」
「……参謀長は、ミューゼル提督とヴァレンシュタイン中将のどちらを頼られますか」
“信じる”ではなく“頼られる”か。どちらに味方するかはっきりしろと言う事だな。

「……ヴァレンシュタイン中将だな」
「小官も同様です」
軍人としてはともかく、人としてはあまりにも未熟すぎる。安心して付いていく事は出来ない。それがミューゼル大将に対する私の評価だ。そして、ロイエンタール少将もヴァレンシュタイン中将も同じ思いなのだろう……。


■ 帝国暦486年9月20日 兵站統括部第三局 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

ケンプ艦隊もクレメンツ艦隊も仕上がりは順調なようだ。このまま行けば十分に戦果を上げられるだろう。メックリンガー少将もミュッケンベルガー元帥の信頼を得つつある。問題は何も無い。あの二個艦隊が使えそうだと判断できた以上、後はどのタイミングでケスラーとロイエンタールに話すかだな。

あの二人の事だ、既に気付いているかもしれない。となると出来るだけ早いほうがいいだろう。自分も切り捨てるのかと疑心暗鬼になられても困る。出兵前の挨拶みたいな形で行ってみるか。そこでちょっとケスラーにでも話しておこう。ロイエンタールに俺が接触するのは避けたほうがいいだろうな。変に勘ぐられても困る。ケスラーから話してもらえれば良い。

「中将」
「なんです、少佐」
「お客様です、ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガーと名乗っていらっしゃいますが」
からかう様な表情でヴァレリーが話しかけてくる。

「……今何処に」
「そこでお待ちになっています」
「応接室にお通しして下さい」
どういうことだ、なんだって俺のところに来る? 俺のことを怖がっているはずだが。

応接室に入り、差し向かいで座る。困ったな、何から話そう?
「御無沙汰しております、中将」
「あ、ああ、そうですね。本当に久しぶりです。……今日は天気もいいですね」
何か思いつめた表情だな。場をほぐさないといかん、そうだ、とりあえずは天気の話だ。これなら問題ない。次は……、次は健康の話だな。

「あの……」
「はい? 」
「お願いがあるのですが」
「は?」
ちょっと待て、何か涙目になってるぞ。でっかい眼がウルウルしている。

「養父を助けて欲しいのです」
「?」
ちょっと待て、そこで泣くな。元帥を助けろ? その前に俺を助けてくれ、頼むから泣くんじゃない。俺は何も悪い事をしてないぞ。

ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガーはボロボロ涙を流し始めた。厄介な事が起きたらしい。先ずは彼女の涙を止める事が最優先だろう。これをしないと話が進まん。しかし困った事にどうやれば涙をとめることが出来るのか、俺にはさっぱりわからなかった。


 

 

第六十九話 運、不運

■ 帝国暦486年9月20日 兵站統括部第三局 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「養父を助けて欲しいのです」
「?」
ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガーはボロボロ涙を流し始めた。
「今朝、養父が倒れたのです。胸を押さえて苦しみだして……」
胸を押さえて苦しむ? 心臓か?

「医師が来て、狭心症だと言っていました。戦争など無理だと」
狭心症……。
「養父を止めてください。養父は次の出兵を諦めていないのです。お願いです、中将」

「フロイライン、元帥閣下はご自宅ですか、それとも病院に?」
「自宅です」
「では、行きましょう」
「はい。有難うございます」

応接室を出ると、視線が俺たちに集中する。若い娘を連れ、おまけに娘が泣いているとなれば無理も無い。しかし、俺には気にしている余裕も無かった。非難がましい眼を向けてくるヴァレリーに出かけるから後を頼むと言うとユスティーナを連れ歩き出した。

地上車に乗り、元帥の自宅に向かう。無粋な事に護衛が二人、一緒に乗ってきた。興味深々といった表情で俺たちを見ている。失礼な奴らだ、後でキスリングに注意しなければなるまい。残り二名は別の地上車で追ってくるようだ。

ミュッケンベルガー元帥の自宅、いや屋敷と言ったほうが良いだろう、屋敷は軍の名門貴族らしく大きくはあるが華美ではない。どことなく重厚な雰囲気を漂わせるつくりの屋敷だ。なるほど、人も住む家に似るものらしい。

元帥は寝室で休んでいる。ユスティーナは軽く寝室のドアをノックすると声をかけて入室した。俺も後に続く。
「お養父様、ユスティーナです」
「失礼します」

元帥はベッドに横たわっていた。思ったより元帥の顔色は良い。俺が居るのに驚いたのか上半身を起した。
「ヴァレンシュタイン中将……、ユスティーナ、彼に話したのか」

「はい」
「仕様の無い奴だ……。中将、此処へ。ユスティーナ、中将と二人だけにしてくれるか」
「はい」
ユスティーナは俺にすがるような視線を向けると一礼して出て行った。

「お休みのところを申し訳ありません、お顔の色が良いので安心しました」
「薬を直ぐ飲んだからな」
薬を直ぐ飲んだ?

「? 今回が初めてではないのですか?」
「違う、ヴァンフリートの後だ。そのときは発作ではなかった。胸に痛みがあったので診察を受けたのだ。その時、狭心症だと言われ薬も貰った」

「ニトログリセリンですか」
「うむ」
この男が艦隊決戦に拘ったのは自分の軍人生命が短い事を知っていたからか……。


「その後、一度発作が有った。幸い誰も居なかったのでな、気づかれる事なく済んだ。だが今日は、ユスティーナに見られてしまった」
軽く苦笑しながらミュッケンベルガーが話した。

「今回の遠征、お止めいただくことは出来ませんか?」
「それは出来ん。卿も判っていよう」
判っている。しかし、この男に倒れられては困る。この男が健在であることが必要なのだ。

「では、総司令官は他の誰かにお願いしてはいかがでしょう?」
仕方ない、次善の策だ。
「誰が居る?」
「メルカッツ提督です」

ミュッケンベルガーがメルカッツに対して好意的ではないことは判っている。しかし、もう好き嫌いを言っている場合ではないだろう。
「駄目だな」

「しかし」
「勘違いするな、中将。私はあの男が嫌いではないのだ、だがそれは受け入れられん」
「?」
どういうことだ?

「宇宙艦隊司令長官に必要なものがわかるか?」
ミュッケンベルガーが穏やかな表情で問いかけてくる。必要なもの? なんだろう?
「私には勤まるが、エーレンベルクとシュタインホフには宇宙艦隊司令長官は務まるまい」

「威、ですか」
「そうだ、あるいはそれに変わる何かだな」
満足そうに元帥は頷いた。

“威” 兵を死地に追いやり、兵がそれに服従する事が出来るだけの“威”、あるいはそれに変わる何か。カリスマ性と言っていいかもしれない。確かにエーレンベルクとシュタインホフには無いだろう。そしてミュッケンベルガーには有る。

「メルカッツにはその何かが足りんのだ。艦隊司令官としては私より有能かもしれん。多分、三個艦隊までならあの男のほうが上だ。しかし宇宙艦隊司令長官としては私に及ぶまい。宇宙艦隊司令長官には用兵家としての力量よりも兵を服従させる何かが必要なのだ」

「……」
「あの男に軍功を挙げさせることは出来ぬ。これ以上昇進させれば、必ずあの男を宇宙艦隊司令長官に、と言う声が上がる。それはあの男にとって不幸だろう。私が指揮を執るほか無いのだ」
メルカッツは将ではあっても将の将たる器ではないという事か。

リップシュタット戦役でメルカッツが十分に働けなかったのも、単に貴族連合のまとまりの悪さだけが原因ではなかったのかもしれない。ミュッケンベルガーの言うとおり、確かに何かが足りない。堅実ではあるが大軍を鼓舞するだけの華が無いのだ。

「私が見る限り、今の帝国で宇宙艦隊司令長官が務まる人間は二人しかおらん」
「二人ですか」
一人はラインハルトだな、聞くまでも無い。あとの一人は……。
「一人はミューゼル大将、そしてもう一人は卿だな」
「……」

「卿なら帝国軍三長官、どれでも務まる、しかしあの男は宇宙艦隊司令長官だけだ。戦場では輝くが、後方では周りと軋轢を生むだけだろう」
「……」
「しかし、宇宙艦隊司令長官はそれでよいのだ。戦争で勝てれば良い」
ラインハルトなら勝つだろう。戦争の天才だ。

「今度の戦いだが、勝てると思うか?」
「こちらが優勢だと思いますが、勝敗は判りません」
「そうだな。……多分勝てるだろう、ミューゼル大将はミューゼル上級大将になる。その時点で宇宙艦隊副司令長官に推挙するつもりだ」
「……」
宇宙艦隊副司令長官……。

「卿の編制した二個艦隊だが、今度の戦いで功を上げれば指揮官たちは昇進させる。ミューゼル大将の配下に置くつもりだ」
「!」
「新しい副司令長官には新しい指揮官が要るだろう。私と共に戦ってきた古参の指揮官では、彼も使い辛かろう」

「最初からそれをお考えだったのですね。道理で二個艦隊の編制をすんなりと受け入れられた訳です」
「渡りに船ではあったな」
そう言うとミュッケンベルガーは苦笑した。俺も笑わざるを得ない。
「年が明けたら、彼に遠征を指揮させる。勝てば、元帥位と宇宙艦隊司令長官が彼のものになる。私はその時、引退するつもりだ」

「……」
「卿はミューゼル大将を助けてくれ」
「……承知しました」
「それとユスティーナを説得してくれ、あれに泣かれるのは辛い」
「承知しました」

元帥との話を終え、部屋を出る。ユスティーナが待っていた。
「いかがでしたか。養父は出兵を取りやめてくれたでしょうか?」
「……申し訳ありません。残念ですが説得は出来ませんでした」

「そんな」
ユスティーナの顔が悲痛に歪む。こんな顔は見たくない。
「今回だけです。次はありません。ご理解ください」

「でも」
「大丈夫です。元帥は必ず無事に戻ってきます。その後はずっとオーディンでフロイラインと一緒に居ます。だから今回だけは元帥のわがままを許してください」

ミュッケンベルガー邸を辞去し、俺は暗澹たる気持ちで兵站統括部に戻った。何故気付かなかったのだろう。帝国暦486年の第四次ティアマト会戦を最後にミュッケンベルガーの軍事行動は無くなる。そして帝国暦487年はラインハルトだけが軍事行動を起す。

宇宙艦隊の半分を奪われた男が何故、軍事行動を起さなかったのか。本来なら張り合うように遠征を起してもいいはずだ。アスターテ会戦で帝国が動員した兵力は二万隻。ミュッケンベルガーが軍事行動を起す余力は十分にあったろう。

ミュッケンベルガーは病気だったのだ。そのことが彼の軍事行動を止めた。彼がアムリッツア会戦以後、引退を決めたのもラインハルトの器量を認めたこともあったが、健康が主原因だったのだろう。

どうしたものか。今の時点で俺が取るべき道はなんだろう。ラインハルトを失脚させることが出来るだろうか? 難しいな。ミュッケンベルガーはラインハルトを後継者にしようとしている。もみ消すか、不問にする可能性が高い。

リヒテンラーデ侯もミュッケンベルガーが病気だと知れば、次の宇宙艦隊司令長官に恩を売ろうとするに違いない。彼にとっては実戦力を持つ人間が必要なのだ。その上で俺とラインハルトを競い合わせようとするだろうな。

つまりラインハルトの失脚は難しいということか、運が無いな。ミュッケンベルガーも俺も運がない。そしてラインハルトの運の良さには嫌になる。不公平も極まるだろう。ケンプたちを抜擢したのも結局はあの男のために司令官を準備したようなものか。馬鹿馬鹿しくてやってられんな。

あの男の下で働く……俺に耐えられるだろうか、そしてあの男も耐えられるだろうか。難しいな、何処かで必ずぶつかるだろう……。リップシュタットまでだな。それが終わったら退役する。少なくとも共通の大きな敵がいる内は、何とか協力できるだろう。気休めにもならんがそう信じて生きるしかない……。

 

 

第七十話 暗雲(その1)

■ 帝国暦486年9月20日 兵站統括部第三局 ウルリッヒ・ケスラー


兵站統括部に行くと、ヴァレンシュタイン中将は外出したと言う。不思議な事はフィッツシモンズ少佐が居た事だ。何時戻ってくるのか確認すると、先ほど連絡があったので、もう直ぐ戻ってくるという。私とロイエンタール少将は応接室で待たせてもらうことにした。

それ程待つことも無く、中将が応接室に入ってきた。
「申し訳ありません。お待たせしたようです」
「いえ、こちらが勝手に押しかけただけです。気にしないでください」
疲れているのだろうか。ヴァレンシュタイン中将の表情に精彩が無い。

「実は中将にお聞きしたい事があるのですが」
「なんでしょう、ケスラー少将」
「今回新規に編制された二個艦隊ですが、あれはどういう意味でしょう?」
「……何の意味もありませんよ。実力のある指揮官に機会を与えただけです」
中将は少し苦笑して答えた。簡単には答えてくれないか。

「正直に答えていただけませんか、あれはミューゼル提督を切り捨てるための準備なのではありませんか?」
ロイエンタール少将が問いかけると中将はまた苦笑した。
「違います。そんな事はありません」
私とロイエンタール少将は顔を見合わせた。なかなか本心は話してもらえないようだ。

「中将がミューゼル提督に対し怒っておられるのは良くわかります。確かに今回のミューゼル提督のなされようは誰が見てもおかしい事です。そのせいで中将はもう少しで命を落とすところだった」
「……」

「しかし小官はお二人が協力するのが軍のために一番良いことだと思っているのです。正直に話していただけませんか。何とかお二人の間を取り持ちたいのです」
「……」

私は誠意を込めて中将を説得にかかった。しかし中将は何の感銘も受けなかったようだ。しばらく沈黙した後、おもむろに切り出した。
「私は正直に話しています。ミューゼル提督を排除するなどと言う事は有りません」
「しかし」
「無いのです!」

遮るように出されたヴァレンシュタイン中将の強い言葉に私は思わず彼の顔を見詰めた。中将はやるせなさそうな表情をしている。私は何か勘違いをしていたのか? 思わずロイエンタール少将の顔を見る。彼も同じ思いなのだろう、困惑した表情で私を見ていた。

「ミューゼル提督を排除するなどありません。……これは未だ他言してもらっては困りますが、今度の戦いで勝利を得れば、ミューゼル提督は上級大将に昇進し宇宙艦隊副司令長官に就任する事になります」
宇宙艦隊副司令長官……

「今回新たに編制した二個艦隊を構成する司令官達は、宇宙艦隊副司令長官の指揮下に入るでしょう。私もその指揮下に入る事になるかもしれません」
「……」

「排除されるのは私のほうになりそうです」
ヴァレンシュタイン中将が暗い笑みを浮かべて自嘲する。私は何も言う事が出来ない。ただ、彼の顔を黙ってみているだけだ。

「ある時期が来たら退役するつもりですが、そう遠い事ではないでしょう。私は未だ死にたくありません」
「……」
ヴァレンシュタイン中将はミューゼル提督を信じていない。

いやむしろ危険だと考えている。それが間違いだと言いきれるだろうか? 結局私がしようとしたことはなんだったのだろう。勘違いをした挙句、彼の心を傷つけただけか。 先程からの彼のやるせなげな表情が思い浮かぶ。

「他に何かお話がありますか?」
ヴァレンシュタイン中将の言葉に、われに返った。
「いえ、ありません」
「そうですか、ではこれで失礼しますが?」

「有難うございました」
ヴァレンシュタイン中将は席から立ち上がった後、少し考えてロイエンタール少将に話しかけた。
「ロイエンタール少将、あの件を気に病むのは止めて下さい。少将は軍人としての本分を尽くせば良いんです」

「……本分ですか」
「ええ。勝つことと部下を一人でも多く連れ帰ることです」
「……御教示有難うございます。本分を尽くす事に尽力しましょう」

言葉に力強さがある。あの事件以来鬱屈していた彼もようやく吹っ切れたようだ。ヴァレンシュタイン中将もそれを感じたのだろう。柔らかく微笑むと応接室を出て行った。



兵站統括部を出た後、ロイエンタール少将に気になったことを話してみた。
「ヴァレンシュタイン中将にとって今回の件は不本意だったと思うが」
「そうですね……。小官はあの艦隊は当初ミューゼル提督を排除するためのものだったと考えています」

「私もそう思う。しかし何らかの理由があってそれが出来なくなった。そしてミューゼル提督が宇宙艦隊副司令長官になる事になった。そういうことだろう」
一体何が有ったのか?

おそらく中将と元帥の間で何らかの話し合いが有ったに違いない。中将はミューゼル提督を排除しようとしたが、元帥はミューゼル提督を宇宙艦隊副司令長官にと考えた。そして中将もそれに従った、そういうことだろう。

「ミューゼル提督の指揮下に入るとはどういうことでしょう? ミュッケンベルガー元帥の指揮下から外れると言う事でしょうか」
「……その辺もよくわからない」
元帥との話し合いの中でそれも決まったのだろう。しかし一体何故?

「中将はいずれ退役すると言っていましたが?」
「……」
「どう思います」
「難しいだろうな、周囲がそれを許すだろうか?」

幸か不幸か、彼は大きすぎる。彼個人の思いで行動できるほど、自由が有るだろうか? 公人としての立場がそれを許さないのではないだろうか。



■ 宇宙暦795年10月5日   自由惑星同盟統合作戦本部 ヤン・ウェンリー

シトレ本部長より、統合作戦本部への出頭を命じられた。おそらくは宇宙艦隊の状況を教えろと言う事だろう。気の重いことだ。執務室へ行くと早速質問してきた。
「准将、どうかね、そちらの状況は」

「はっきり言って最悪ですね」
私はソファーに座りながら本部長に答えた。既にキャゼルヌ先輩には何度か言っている。本部長も承知のはずだ。

「新司令長官は体面を気にするあまり、ビュコック提督やウランフ、ボロディン提督等の実力、人望の有る提督と全然上手くいっていません。その一方でトリューニヒト委員長に近づきたい連中がドーソン司令長官に擦り寄っています」

「それで」
本部長が溜息をつきながら先を促す。
「今度の戦いでも第五、第十、第十二は動員しないようです。もし彼らの力で勝ってしまうと自分の地位を脅かすと思っているようですね」

「それで、君はどうなんだ」
「一番最初に嫌われました。本部長のスパイだと思っているようです」
本部長は思わず目を閉じた。しかし、辛い思いをしているのはこちらだ。
「最悪だな」
「ですから、そう申し上げています」

「勝てるかね」
「司令部では勝てると見ています」
「その根拠は」
「新編成の二個艦隊です。役に立たないと思っています。寄せ集めだと」
帝国では新規に二個艦隊を編制した。それが司令部の楽観視に繋がっている。

「君はどう思っている」
「ありえないでしょう」
「安心したよ。君まで楽観視していなくて」
本当に安心しているのだろうか、そんな気持ちにさせる口調だった。

「どういうことです」
「フェザーンの駐在弁務官事務所から報告があった。その二個艦隊はかなり厳しい訓練をしているらしい」

「精鋭ですか」
「そうだろうな」
やれやれだな。生きて帰れるだろうか。本部長も気が重そうだ。

「何とか勝って欲しい、と言うのは無理かな」
「難しいですね」
そんなすがるような眼をされても無理です、本部長。

「せめて深手を負わないようにして欲しいのだが……」
「……難しいです」
「君は愛想の欠片も無いな」
「出来ないものは出来ないとしか言えません。これで勝てるなら奇跡に近いですよ」

本部長はまた溜息をついた。溜息をつきたいのはこちらも同じだ。今度の戦いは酷い事になりそうだ。前任者のロボス司令長官の方が未だましだった。いつから同盟はこんな酷い国になったのだろう……。

 

 

第七十一話 暗雲(その2)

■ 帝国暦486年10月6日 クレメンツ艦隊旗艦ビフレスト エルネスト・メックリンガー



クレメンツ少将に呼ばれ戦艦ビフレストに行くと、まだ若い士官が会議室に案内してくれた。部屋に入ると驚いたことに新編成二個艦隊の司令官達が席に座っている。それだけではない、ミューゼル艦隊のケスラー少将、それにヴァレンシュタイン中将もいる。

「ようやく揃ったか」
「クレメンツ、 一体どうしたんだ」
「それはヴァレンシュタイン中将に聞いてくれ」

クレメンツはそう言うとヴァレンシュタイン中将の方を見た。
「メックリンガー少将、適当なところに座ってください」
「どうしたのです。中将」

「今お話します。長くなるでしょう、お座りください」
長くなる? どういう事だ。周りを見渡すが皆不審そうな表情をしている、クレメンツもだ。まだ誰も話を聞いていないらしい。訝しく思いながら手近な席に座る。

「今度の遠征ですが、上手くいかない、いえ惨敗するかもしれません」
「!」
常に無い沈鬱な表情で話すヴァレンシュタイン中将に皆顔を見合わせる。

「中将、それはどういうことでしょう、我々が当てにならないと?」
「違いますよ、ワーレン少将。私はここにいる方の実力を疑った事はありません」
「では、一体何が?」

ヴァレンシュタイン中将は一瞬俯くと顔を上げ辛そうに話し始めた。
「ミュッケンベルガー元帥は総司令官の任務に耐えられる体ではありません」
「!」

一瞬の絶句、その後悲鳴のような抗議の声が上がる
“馬鹿な”、“何を一体”、“そんなはずは”
「中将、冗談は止めて下さい。小官は先程まで元帥閣下と打ち合わせをしていたのです。元帥はお元気でした」

私は、中将を見据えながら言った。いくら冗談でも酷すぎる、言って良い事と悪い事が有るだろう。周囲の人間も強い視線で中将を見据えた。しかし中将は悲しそうな表情で私を見ている。どういうことだ、嘘じゃないのか?

「元帥閣下は心臓が良くありません。……狭心症です」
皆声が無い。ただ眼で語り合うだけだ、“本当か”と。そして中将の声が静かに会議室に流れる。
「既に二度発作を起しています。元帥から聞きました」

目の前が真っ暗になりそうだった。元帥が狭心症? 発作?
「本当なのですね?」
「本当です」
私は自分の声がかすれていることに気付いた。中将は唇を噛み締めている。

「……総司令官を誰かに代わってもらうべきだろう」
「誰に?」
「……例えば、メルカッツ大将はどうだ」

ファーレンハイト少将とルッツ少将が話している。賛成するように何人かの人間が頷く。確かにメルカッツ大将がいる。彼なら大丈夫だろう。ただミュッケンベルガー元帥が素直に受け入れるか?

「メルカッツ提督は駄目です」
「中将?」
「その件については既に私が元帥にお話ししました。残念ですが受け入れてもらえませんでした」

我々は皆顔を見合わせた。元帥とメルカッツ提督の関係が良くないことはわかっている。しかし、これは戦争なのだ。好き嫌いで済む話ではない。

「勘違いしないでください。元帥とメルカッツ提督の関係を邪推する人がいますが、それは違います。メルカッツ提督を拒否したのは理由があってのことです。私もそれに同意しました。」
理由が有る? それは、いやその前に確認する事がある。

「では、元帥は自分で指揮を取ると?」
「ええ」
私の問いにヴァレンシュタイン中将は短く答える。私たちはまた顔を見合わせた。

「しかし、発作が起きたら……」
「当然、指揮は取れんだろう」
「戦闘中に起きたらどうなる」
「最悪だな」
提督たちの間からささやきが漏れる。確かにそうだ、最悪の事態と言っていいだろう。

「指揮権を委譲した場合、序列から言うと指揮を執るのはミューゼル提督か……。ケスラー少将、ミューゼル大将はどうなのだ?」
ビッテンフェルト少将がたくましい腕を組んで問いかける。

「能力は問題ないだろうな」
「それなら問題はなかろう。違うか」
組んでいた腕を解いてビッテンフェルト少将は周囲に同意を求めた

同意するように頷く提督たちを止めたのはヴァレンシュタイン中将の声だった
「そうも行きません」
「?」

「ミューゼル提督が指揮を取ると言う事は、元帥が指揮を取れないことを意味します」
「?」
提督たちの表情に怪訝な色が浮かぶ。今更何を言っているのだろうと。

「そのことが兵にどんな影響を与えるか、私には想像もつきません」
「!」
部屋中にうめき声が満ちた。

確かにその通りだ、士気はガタ落ちに違いない。だが士気だけの問題で済むだろうか。ただの指揮官ではない。名将ミュッケンベルガーが指揮を取れないのだ。どんなパニックが起きるか、確かに想像がつかない。

「それに司令部が素直に指揮権を委譲するかどうか」
「……」
つぶやくように中将が続ける。私たちはその言葉にまた顔を見合わせた。

「兵を動揺させないためと称して指揮権を握り続ける事はありえます。戦闘前でも最悪である事は変わりません。司令部とミューゼル提督の間で指揮権をめぐって争いが起きるでしょう」

ありえない話ではない。いやむしろ有り過ぎる話だろう。
この場合、指揮権の委譲はあまりにも危険すぎるのだ。ミューゼル提督の能力とは関係ないところで危機が発生する。

「司令部で力を持っているのは……」
奥歯に物が挟まったような口調でファーレンハイトが問いかけてくる。彼は私の答えを判っているのだろう。

「シュターデン中将だ、ファーレンハイト少将」
案の定、周囲から溜息が漏れた。気持ちは判る、私も溜息を吐きたい。
「駄目だ、あの男に指揮などできん。勝ってる戦いも逆転負けするぞ」
クレメンツが吐き捨てるように言った。

「メックリンガー、卿が指揮を取れんのか?」
「無理だ。新任参謀の私では、周囲が納得しない」
クレメンツ、無理を言うな。私が新規編成の二個艦隊のパイプ役だということを司令部の参謀たちは知っている。

彼らは私たちを胡散臭く見ているのだ。ヴァレンシュタイン中将が後ろにいると知っているから露骨には態度に表さない。態度に出すのはシュターデンだけだ。そんなシュターデンでもヴァレンシュタイン中将の前では大人しくしている。

「ヴァレンシュタイン中将、中将が参謀として遠征に同行することは出来ませんか。閣下なら司令部を抑える事が出来るでしょう。我々も安心して戦える」
ケンプ少将が訴えるように言う。ヴァレンシュタイン中将は苦しげな表情だ。

「それは駄目だ、ケンプ提督。中将はオーディンにいなければならん。万一の場合、内乱になるだろう。そうなれば戦争に負けるどころではない」
ケスラー少将がケンプ少将に答えると周囲から“うーん”、“どうすれば”等の声が上がった。

ミュッケンベルガー元帥が発作に倒れた時から私たちは地獄に落とされるだろう。指揮権を委譲すれば艦隊全体に混乱が生じる。委譲しなければ、艦隊全体の指揮統率は滅茶苦茶なものに成る……。

八方塞だ。圧倒的に優勢だと思っていた。今度こそ反乱軍に致命的な一撃を与える事が出来ると信じていた。しかし、こんなところに落とし穴があるとは……。綱渡りだ。渡り切れば私たちは勝てる。しかし落ちれば敗北が待っている……。

「一つだけ手があります。兵の士気を落とさず、指揮を混乱させない方法が」
救われたように発言者を見る。私たちを助けてくれるのは、やはりヴァレンシュタイン中将だった。
「それは」

「ただ、あまり褒められた手ではありません。シュターデン中将は怒るでしょうね、ミューゼル提督も不満に思うかも知れない」
ヴァレンシュタイン中将はやるせなさそうにつぶやいた。彼自身不本意な策なのかもしれない……。

「ヴァレンシュタイン中将、それは一体」
「それは……」
ビッテンフェルト少将の急かすような問いにヴァレンシュタイン中将は答え始めた。彼の話が進むに連れ、私たちの間で驚きと困惑の声が上がり始めた……。




 

 

第七十二話 第三次ティアマト会戦(その1)

■ 帝国暦486年12月3日 帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ エルネスト・メックリンガー


反乱軍はイゼルローン要塞付近にまで来ていたが、帝国軍のイゼルローン要塞出撃を知ると、全軍をティアマト星域に振り向けつつあった。要塞攻防戦をするつもりは無い、しかし帝国軍に好き勝手をさせるつもりは無い、ということらしい。

前回こちらの陽動作戦に引っかかった事が反乱軍を用心深くさせている。要塞付近まで近づいてこちらの動向を監視したらしい。こちらとしてもティアマト星域に展開しつつある敵を無視してヴァンフリート、アルレスハイムには行き難い。後方から追撃される可能性がある。

なによりこちらの目的は敵に大きな損害を与える事だ。ミュッケンベルガー元帥は“艦隊決戦は望むところだ”と言ってティアマト星域への進軍を命じた。敵戦力は四個艦隊、約六万隻に近いだろう。帝国軍も同じく四個艦隊、約五万五千隻。戦力は互角と言っていい。後は兵の錬度と指揮官の質が勝敗を決するだろう。

今の段階で元帥に不安を感じさせるものは無い。このまま問題なく終わって欲しいものだ。敵も味方も戦列を整えつつある。もう直ぐ戦いが始まるだろう。そうなれば、戦場の緊張感が元帥の心臓を襲う。心臓にかかる負担は秒単位で重くなるに違いない……。

~ 指揮権の委譲は出来ません。委譲がスムーズに行くかどうかも有りますが、委譲した場合、士気の低下、兵の混乱が想像されます。また直属艦隊が素直にミューゼル提督の指示に従うかどうか……。~

~ミューゼル提督は才能はありますが実績は少ない。それに歳が若いため、周りの反感を買いやすいという欠点があります。指揮権の委譲は危険すぎるのです。~
ヴァレンシュタイン中将の言葉が耳にこだまする。

帝国軍は中央にミュッケンベルガー元帥率いる直属艦隊、ミューゼル艦隊、右翼にクレメンツ艦隊、左翼にケンプ艦隊だ。少しずつ少しずつ、両軍は距離を詰めつつある。もう直ぐ両軍とも火蓋を切るだろう。

「ファイエル!」
ミュッケンベルガー元帥の命令と共に帝国軍の戦列より砲撃が放たれる。同じように反乱軍からも砲撃が放たれた。戦闘が始まった。



■ 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ヤン・ウェンリー

戦闘が始まって三時間が経った。帝国軍の中央の二個艦隊が攻勢をかけてくる。こちらは敵の新規編成の二個艦隊に対して攻勢をかけている。帝国軍が中央を分断しようとし、同盟軍は両翼を粉砕することを目論んでいる、そんな形だ。

こちらは左翼から第三、第七、第八、第九艦隊の布陣で対している。指令部は五千隻の予備兵力と共に第七艦隊の後方にある。

戦局は有利ではないが不利でもない、そんなところだろう。敵の新規編制の二個艦隊はこちらの攻勢を粘り強く凌いでいる。司令部では予想外にしぶとい新規編制の二個艦隊に苛立っている。やはりあの艦隊は寄せ集めでは無い。精鋭と言っていいだろう。

中央の二個艦隊はミュッケンベルガー元帥の直属艦隊とミューゼル提督の艦隊だ。攻勢を強めてくる。徐々にではあるが艦列が後退しつつある。しかし、まだ決定的な差ではない。

「敵左翼、混乱しつつあります!」
「崩れたか!」
「手間を懸けさせおって」

敵の左翼が混乱しつつある! 少しずつではあるが後退している。ドーソン大将をはじめ参謀たちは色めきたった。指令部に喜色が満ち溢れた。
「第三艦隊を前進させろ、敵の左翼を粉砕するのだ」

攻撃を命令するドーソン大将を私は慌てて止めた。
「お待ちください。あれは罠です。その証拠に敵の左翼には無傷の部隊が後方にあります。前進は待ってください。もう少し様子を見ましょう」

「何を言う、敵は寄せ集めなのだ。今こそ攻撃のチャンスだ!」
「敵中央攻撃を強めつつあります!」
オペレーターの声が指令部の緊張感を高める。

「このままでは中央が持たん。第三艦隊を前進させよ」
「……」
駄目だ。目の前の好機に目が眩んでいる。しかしあれが本当に敵の混乱だとは思えない……。



■  帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ エルネスト・メックリンガー

事態は急変した。突然元帥が崩れ落ちると顔を蒼白にさせ、体を海老のように丸めて胸をかきむしった。司令部の空気が一瞬にして凍りつく。
“元帥”、“ミュッケンベルガー元帥”司令部を悲鳴が包む。

「元帥、これを、ニトログリセリンです」
私は元帥に駆け寄り、用意して有ったニトログリセリンを元帥の口に押し込むと、元帥の胸元、ベルトを緩めた。元帥は脂汗を滲ませて床に突っ伏したままだ。
「軍医を呼んでくれ、それと毛布を」

こうなった以上、行動に出ざるを得ない。ヴァレンシュタイン中将の言葉が蘇る。
~指揮権の委譲が出来ない以上、全軍の指揮は司令部より行なう事になります。シュターデン中将に指揮を任せられない以上、メックリンガー少将が指揮を執るべきです。~

~司令部の参謀に協力を求めても無駄です。彼らは反発するだけでしょう。協力が期待できない以上、残る手段は制圧しかありません。~
時間はかけられない。先手を取る。

「小官が指揮を執ります。指示に従ってください」
「何を言っているのだ卿は。指揮は私が執る」
馬鹿が! シュターデンは全軍の指揮を執る機会に顔を紅潮させている。お前に指揮を執る力が無いからこんなに苦労しているのだ。

「小官はミュッケンベルガー元帥より、指揮を執るように命じられています」
「なんだと」
呆気にとられるシュターデンに私は懐から文書を取り出した。そして読み始める。
「万一の場合は、宇宙艦隊を指揮し適宜と思われる行動を執れ。宇宙艦隊司令長官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー」

「馬鹿な」
「元帥閣下は心臓を患っています。狭心症です。中将はご存じなかったでしょう? 元帥は万一の場合、小官に指揮を執るように命じられました」
私は言外に“お前は信用されていないのだ”と意味を込める、周囲に理解できるように。

~司令部の制圧には二つのものが必要です。一つは権威、もう一つは力です。権威は此処に用意しました。使ってください。~
私が使った文書はミュッケンベルガー元帥がヴァレンシュタイン中将のために用意したものだ。

オーディンで万一の事態が起きたとき使うはずのもの。しかし中将は自分には不要だと言った。宇宙艦隊の残留部隊は自分に従うことを確認済みだと。そのために時間がかかったと。

「馬鹿な、そんなもの認められるか!」
「認めないと言われるのですか」
「そうだ」

「キスリング大佐。シュターデン中将は精神に混乱を生じているようです。医務室に連れて行って鎮静剤でも投与してもらってください」
「承知しました」

“何をする、放せ”と喚くシュターデンを憲兵が連れ去る。制圧に必要なもう一つのもの、“力”、キスリング大佐率いる憲兵隊百名がそれだ……。シュターデンがいなくなった今こそ司令部を制圧する。

「シュターデン中将は精神に混乱を生じ、私の指揮権に異議を唱えた。しかし、今後異議を唱えるものは、命令不服従、並びに利敵行為として処断する。異議のあるものはいるか?」
「……」

「では最初の命令を出す。クレメンツ、ケンプ艦隊に連絡、フェンリルは解き放たれた……復唱はどうした!」
「はっ。クレメンツ、ケンプ艦隊に連絡します。フェンリルは解き放たれた」

「さらに、ミューゼル艦隊参謀長ケスラー少将にも同様の連絡を送れ」
「はっ。ミューゼル艦隊参謀長ケスラー少将にも送ります」
これから先は時間との競争だ……。

■ クレメンツ艦隊旗艦ビフレスト アルベルト・クレメンツ

「閣下、旗艦より電文が」
「うむ」
オペレータより通信文を受け取る。通信文には“フェンリルは解き放たれた”と有った。

妖狼フェンリル、ロキと女巨人アングルボダの間に生まれた怪物。神々の滅びに関与するという予言のもと岩に繋がれていたが、ラグナロックに解き放たれ、オーディンを殺す化け物だ……。いまそのフェンリルが解き放たれた。

俺は直ちに、ワーレン、ビッテンフェルト、アイゼナッハに連絡を取った。前方のスクリーンに三人が映る。
「司令部から連絡が有った。“フェンリルは解き放たれた”」
「!」

三人の顔に緊張が走る。覚悟をしていたとは言えミュッケンベルガー元帥が本当に倒れるとは……。だがメックリンガーは司令部の掌握に成功したようだ。これから先は俺たちの行動にかかっている。

「かねての手はずどおり行動してくれ」
「判りました」
「任せてくれ」
「……」

俺の言葉にワーレン、ビッテンフェルトは答え、アイゼナッハは無言で頷いた。ごく自然に敬礼を交わす。短期決戦で勝負を決めなければならない。ヴァレンシュタインの言葉が耳に蘇る。

~指揮権を得たら、こちらの行動を正当化するために誰もが納得する勝利が必要です。そして早期に戦闘を終了させてください。戦闘が長くなれば押さえ込まれた参謀たちが不満を表し始め、制御できなくなります……。短期に終了させるには敵を引き寄せて接近戦を挑む必要があるでしょう……~



 

 

第七十三話 第三次ティアマト会戦(その2)

■ 帝国暦486年12月3日 ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ウルリッヒ・ケスラー


「味方右翼、混乱しつつあります」
「敵右翼、前進してきます」
オペレータ達が悲鳴のような報告を上げる。

「何をやっているのだ、クレメンツは!」
ミューゼル提督が怒りの声を上げる。表情が怒りで歪んでいる。
「司令部より連絡。右翼に構わずミューゼル艦隊は敵中央を攻撃せよ、との事です」

「中央突破を優先させるか……。わかった、ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤーに連絡。攻撃を前方の艦隊に集中せよ」
オペレータからの報告を受けミューゼル提督が指示を発した。

“フェンリルが解き放たれた”危惧していた通り、ミュッケンベルガー元帥が倒れた。幸いなのはメックリンガーが指揮権を握った事か。事態はこれから急展開で動くだろう。こちらもそれにあわせて動かなくてはならない。

~ミューゼル提督に事前に知らせる事は出来ません。指揮権をめぐり司令部と争いが生じかねない。どのような形で決着するにしろ、そのままで落ち着くとも思えません。提督に知らせない以上、分艦隊司令官にも知らせる事は出来ないでしょう。~

確かにミュラー達分艦隊司令官に知らせる事は出来ない。もし自分だけが知らなかったとミューゼル提督が知れば、これ以後ミューゼル提督は孤独感を深めるだけだろう。周囲に対し、疑心暗鬼になるに違いない。

この艦隊で全てを知っているのは自分だけだ。これからは司令部と歩調をあわせて動かなくてはならない。ミューゼル提督を暴走させる事無く、勝利を目指す。それが私の役目だ。

「味方左翼も混乱し始めました」
「ケンプ艦隊後退しつつあります」
「味方右翼さらに後退しつつあります」

オペレータ達の報告に艦橋が緊迫に包まれる。ミューゼル提督もキルヒアイス中佐も憂色が濃い。敵の中央は押され少しずつ後退はしているが、未だ崩れたつ程混乱はしていない。
「司令部より連絡。中央を突破するべく攻撃を続行せよ」

「時間との勝負だな」
ミューゼル提督が吐く。隣でキルヒアイス中佐が無言で頷く。その通り、時間との勝負だ。後はビッテンフェルトとファーレンハイトの攻撃力が全てを決めるだろう。そして反撃のタイミング、メックリンガーが何処まで耐えられるか……。


■ 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ヤン・ウェンリー


艦橋は喜色に溢れている。敵は左翼だけでなく右翼まで混乱し始めた。敵は中央を突破するべく攻撃を強めているが、両翼が後退しているため圧力をかけ切れずにいる。味方には余裕がある。

「第三、第九艦隊に連絡、前進し敵を粉砕せよ、その後敵の後背に展開し前後から挟み撃ちにする。急げ」
ドーソン大将が命令を発する。本当にあれは混乱しているのだろうか? 私には擬態としか思えない。

敵の左右両翼にはほとんど戦闘に参加していない部隊がある。周りは皆、寄せ集め部隊の脆さが出たと言っているが本当にそうだろうか。何度かドーソン大将に警告したが全く受け入れてもらえなかった。

あれが予備部隊だとすれば敵は未だ余力があるということだ。いやむしろあれは反転攻勢のための部隊に違いない。敵の狙いはこちらを引きつけておいての反転攻勢だろう。中央部隊が攻勢を強めているのも、両翼が当てにならないから中央を突破しようとしていると思わせる策だろう。

敵は短期決戦を目論んでいる。こちらは敵の思惑に乗りつつある。絶望感と無力感が私を包み込む。酷い戦いになりそうだ……。


■帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ エルネスト・メックリンガー


艦橋は憂色に包まれている。戦況が良くないことに不安がっているのだ。既に何度かあれは擬態だと説明した。しかし、なかなか信用できないらしい。ミュッケンベルガー元帥は簡易ベッドで休んでいる。軍医がそばについているが容態は安定しているようだ。

指揮官と言うのがこれほどきついものだとは思わなかった。改めて宇宙艦隊司令長官の任務の厳しさに慄然とする。このような仕事を何年もすれば体に支障が出るのも当然だろう……。

中央が攻勢を強め、両翼が少しずつ後退していく。両軍の陣形はU字型になりつつある。もう少しだ、もう少し敵を引き付けたい。敵はこちらの思惑に乗りつつある。もう少し我慢するんだ、エルネスト。

「敵、左翼、右翼さらに前進します!」
かかった、この出鼻を挫く。敵を一気に殲滅する。
「全艦隊に命令。反撃を開始せよ!」


■ クレメンツ艦隊旗艦ビフレスト アルベルト・クレメンツ


「反撃命令が出た」
ワーレン、ビッテンフェルト、アイゼナッハの顔に不敵なまでの笑みが浮かぶ。
「ようやく下手なダンスを踊らずに済む」

「下手なダンスでも踊れるだけ良かろう。こちらはずっと壁の花だからな」
ワーレンの冗談にビッテンフェルトが下手な冗談で言い返す。彼の鬱憤を思うと思わず笑いが出てしまった。

「待たせたな、ビッテンフェルト提督。此処からは卿の働きが鍵となる。頼むぞ」
「任せてもらおう、では、始めるぞ」
「うむ。期待させて貰おう」

その言葉が合図のように、三人の表情が引き締まった。敬礼を交わし映像が切れる。上手くいけば敵を包囲殲滅できるだろう。妖狼フェンリルが大神オーディンを飲み込んだように……。


■ 同盟軍第三艦隊旗艦ク・ホリン  ルフェーブル中将


戦局は急激に変化した。これまで混乱していた敵艦隊が整然と反撃してきたのだ。
「敵艦隊反撃してきます!」
「うろたえるな、攻撃を続行せよ」
オペレータの報告に指示を出しつつ、戦況を確認する。

嫌な予感がする。胸中にどす黒い不安が渦巻く。偶然だろうか、それともこれまでの混乱は擬態だったのか……。弱気になるな、敵の中央があれだけ攻撃を集中しているのは、両翼が当てにならないからだ、そのはずだ……。

「敵別働隊、外側より接近中!」
「第三分艦隊に迎撃させよ」
これまで動きの無かった敵の分艦隊が動き出した。やはり擬態だったのか……。

艦橋の雰囲気が先程とは一変している。参謀もオペレータも不安そうな表情で周囲を見渡す。いかんな、落ち着かせなくては。
「何を慌てる事がある。最後の足掻きだ、落ち着け!」

迷うな、此処まで攻め込んだのだ。敵の別働隊は第三分艦隊に防がせる。敵に比べれば兵力は少ないが、防ぐだけなら大丈夫だろう。その間に正面を突破し敵の後背に出る。司令部の作戦は間違っていない。此処で攻め切れば良いのだ。

「敵別働隊、第三分艦隊と接触します」
どうやら落ち着いたようだ。大丈夫だ、我々は勝っている。
「正面の敵に攻撃を集中せよ。突破して敵の後背に出るぞ、それで我々の勝ちだ」

「だ、第三分艦隊押されています!」
落ち着いたと思ったのもつかの間だった。敵の別働隊は圧倒的な勢いで第三分艦隊を攻撃している。このままでは突破されるのも時間の問題だろう。

どうする? 増援を出すか? しかしそれでは正面の敵を防げない。なし崩しに後退せざるを得ないだろう。第三分艦隊も増援に出した部隊も敵中に孤立しかねない。
「正面の敵、接近してきます!」


■ 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ヤン・ウェンリー


「敵左翼、右翼、反撃してきます!」
「外側から別働隊が接近中!」
「中央の敵、攻撃を強めつつあります!」

戦況は一変した。オペレータ達の報告に緊張感が走る。ドーソン提督も顔面を引き攣らせ敵の動きを注視している。敵の両翼が反撃してきたのだ。これまで戦闘に参加していなかった艦隊が攻撃に参加しだした。やはり擬態だったか……。

第三、第九艦隊は別働隊に対応するべく分艦隊を振り向けた。大丈夫だろうかと思う間も無く圧倒的な勢いで敵に粉砕されつつある。やはりそういうことか……。あの艦隊が後方で待機していたのはこのために用意された艦隊だったのだ。攻撃専用の艦隊、それにしてもとんでもない勢いだ。

「ドーソン提督、第三、第九艦隊を後退させて下さい」
「何を言う。今後退させたら、敵の攻勢を助長させるようなものではないか」
「このままでは、敵の別働隊に側面を突かれます。正面の敵と連動されたら壊滅しかねません。それよりは多少の出血を覚悟の上で後退し、艦隊を再編するべきです」

私とドーソン提督の遣り取りに艦橋は沈黙に包まれた。わかっている、言うのは容易い。しかし実行するのは至難の業だ。損害もかなりの物になるに違いない。

しかし、やらなければ両翼は壊滅し、自由になった敵はこちらを包囲殲滅しようとするだろう。こちらが援護したくとも正面の敵に押し込まれている現状では不可能だ。おまけに第三、第九の両艦隊は余りに敵陣に踏み込みすぎた……。

味方は右翼、中央、左翼の連携が取れなくなっている。最初からこれが狙いだったのか。敵は優勢にあると思わせつつ、各個撃破の機会を伺っていたのだ。そして、両翼は今各個撃破の危機にある。同盟軍に残された時間は短い……。

「提督、ご決断ください!」
ドーソン提督は、顔を引き攣らせたまま戦況と私を交互に見た。早く決断してくれ。
「……第三、第九艦隊に後退命令をだせ……」
震えを帯びた搾り出すような声だった。

なんとかこれで各個撃破の危機は免れるかも知れない。しかしまだ包囲殲滅の危機は残っている。同盟軍にとっては長く辛い時間が続きそうだ……。




 

 

第七十四話 第三次ティアマト会戦(その3)

■ 帝国暦486年12月3日 ファーレンハイト艦隊旗艦 ダルムシュタット  アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト


敵の左翼は後退しつつある。右翼も後退しつつある事を見ればどうやら本隊より後退命令が出たのだろう。ようやく擬態に気付いたか。遅かったな、お前たちはいささか攻め込みすぎた。逃がすわけにはいかない。

「参謀長、このまま前進し、敵を内側へ押し込むように攻めるぞ」
「はっ」
参謀長のブクステフーデが艦隊に命令を伝える。

ケンプ、レンネンカンプ、ルッツの三人が敵を前へ前へと押し込む。その敵を俺が内へ内へと押し込むのだ。このまま内へ押し込み続ければやがて連中は中央の艦隊になだれかかる様に後退することになる。そうなれば敵の中央部隊も艦列を崩し、効果的な反撃は出来ないだろう。

その時点で敵の後方に展開し、包囲殲滅する。四個艦隊、六万隻の艦隊を包囲殲滅するのだ。これ以上の大勝利は有るまい。この会戦に参加できた事は俺にとって一生の思い出になるに違いない。

こちらは順調に攻撃している。気になるのは右翼のクレメンツ艦隊だが、あちらも問題ないようだ。ビッテンフェルト少将が敵の側面を粉砕する勢いで内へ押し込んでいる。相変わらず剛性な攻撃をする男だ。敵は少しづつ内へ集結しつつある。

しかし、これこそ適材適所というべきだろう。司令部にメックリンガーを置き、実戦指揮官に俺たちを抜擢する。ヴァレンシュタイン中将、恐るべき男だ。この戦いの本当の総指揮官はヴァレンシュタイン中将だ。あの男の指揮の下俺たちは戦っている。

「閣下、どうなされましたか?」
「いや、なんでもない。戦況が順調なのでな。ついビッテンフェルト提督の艦隊運用を見ていた」

副官のザンデルスが心配そうに問いかけてくる。いかんな、気を引き締めよう。まだ戦いは終わったわけではない。感傷にふけるのはこの戦いが終わってからでも遅くは無いはずだ……。


■ ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ウルリッヒ・ケスラー

「敵艦隊に対し攻撃を続けよ、休ませるな」
ミューゼル提督が指示を出す。反撃命令が出て以来、戦局は一変した。敵の両翼はこちらの反撃を受けつつ後退し始めた。先程まで戦況の悪さに苛立っていた提督も今では落ち着いている。

敵の両翼は、おそらく中央部隊と連携を取ろうというのだろう。しかし敵の中央部隊もこちらの猛攻に耐えられず、少しづつ後退しているため両翼の艦隊は連携した行動がとれずにいる。損害は大きなものになるだろう。

クレメンツ、ケンプ両艦隊の動きはまさにフェンリルの両顎のようだ。敵艦隊を押しつぶすべく動いている。このまま反乱軍が何もせずに敗北するとは思えないが、この状況から逆転するのは難しいだろう。我々の勝ちはほぼ確定している、後はどれだけ勝てるかだ。

「しかし、元帥も一言こちらに連絡が有って良いだろう。もう少しで負けるのかと思った。そうは思わないか、ケスラー」
「ですが、そのおかげでこちらは必死に敵を押し込みました。敵があれ程両翼を前進させたのもその所為です」

「敵を欺くには、味方からか……」
「はい」
ミューゼル提督は感慨深げに吐いた。その通りだ、敵を欺くには、先ず味方から。私は、いや私たちは敵も味方も全てを欺きつつ戦い続けている。

この戦いが終わったら全てをミューゼル提督に、そして分艦隊司令官達に話さなければならないだろう。これしか方法が無かったと思っている。おそらくミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤーは判ってくれる筈だ。

しかし、ミューゼル提督は到底素直に受け取る事は出来ないだろう。彼の怒りを思うと今から気分が重い。だがやらねばならんだろう。この問題はきちんと説明しておくべきだ。そうでなければ、ミューゼル提督とヴァレンシュタイン中将の間でまたしこりが生じるだろう……。



■ 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ヤン・ウェンリー

状況は良くない。いや、悪くなる一方だ。敵の攻撃は巧妙としか言いようが無い。中央を押し続け、両翼を閉じるような形で攻めてくる。このままだと第三、第九艦隊は第七、第八艦隊の火線上に移動する事になるだろう。

第三、第九艦隊にはそのことを注意しているのだが、敵の攻撃が強力で巧妙なためどうしても内側に押されてしまうのだ。どうにかしないと、第三、第九が潰された後、第七、第八が潰されるだろう。あるいは一気に包囲殲滅を狙ってくるかもしれない。

「第三、第九艦隊は何をしているのだ、あれでは第七、第八の邪魔になるだけではないか」
ドーソン司令長官が怒声を上げる。しかし誰も答えることが出来ない。

皆、表情が暗い。判っているのだ、今の第三、第九艦隊には敵の攻撃を防ぐ手段が無い。そして終焉が迫っている事もわかっている……。一つだけ対策がある。しかし危険が大きい。場合によっては全軍崩壊になるかもしれない……。

「ドーソン提督」
「なんだね、ヤン准将」
普段は碌に見向きもしないのに、縋る様に視線を向けてくる。こんな時だが可笑しくなった。

「場所を交換しましょう」
「?」
「第三、第九を中央に置きましょう。代わりに第七、第八を両翼に配置します」

「! 馬鹿な、何を言っている」
「非常識な案だとはわかっています。しかし、第三、第九は元の位置に戻ろうとして外側から攻撃を受け損害を出しています。積極的に内側へ後退すれば損害は少なくて済みます」
「……」

「第七、第八を代わりに両翼に配置し、敵のさらに外側から攻撃させるのです。今度はこちらが敵を包囲できます。敵の攻勢を止められるでしょう」
そう、敵の両翼の攻勢を止めるには内側からは無理だ。外側から止めるしかない。

「駄目だ! 第三、第九は損害をかなり受けている。敵の中央部隊の攻撃を受けきれまい。その後は我々が粉砕され敵の中央突破を許す事になる」
論外だと言わんばかりの口調だ、無理も無い。

「我々も出るのです。中央は第三、第九と我々で戦線を構築するのです」
「!」
ドーソン提督の目が飛び出すかと思うほど見開かれた。

「リスクの大きい作戦です。しかしこのままでは、なすすべも無く殲滅されるでしょう。他に手がありません」
「……」

ドーソン提督は助けを求めるかのように周囲を見渡した。しかし皆目を合わせようとはしない。提督は、戦況と私を見比べ始めた。汗が提督の頬を伝う。何度も唾を飲み込みながら私の顔を見ていた……。



■ 帝国暦486年12月3日 帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ エルネスト・メックリンガー

味方は順調に包囲網を作りつつある。このまま行けばクレメンツ、ケンプ両艦隊を敵の後背に回らせるのも難しくは無い。どうやら完勝できそうだ。司令部の空気も明るくなっている。皆安心しつつあるようだ。

短期決戦、誰もが納得する勝利、ヴァレンシュタイン中将から提示された命題は厳しいものだった。しかし何とか達成できそうだ。いや、それ以上の完勝と言っていいだろう。

「敵、両翼の艦隊、中央に向けて後退します!」
なんだ、一体。中央に後退? 自滅する気か?
「敵中央部隊、左右に分かれます!」

左右に分かれた? ……場所を交換する気か! いかん、今度はこちらが包囲される!
「クレメンツ、ケンプ艦隊に命令! 現在の敵は放置、移動しつつある敵の中央部隊に注意せよ!」

司令部にも混乱が生じている。何が起きているか判らないのだ。
いきなり衝撃が走った。旗艦の近くで爆発でも起きたか? 何が有った?
「後退しつつある敵がこちらに向けて攻撃をしています」

「!」
予想外の敵から攻撃を受けた所為で味方は混乱している。クレメンツ、ケンプの攻撃が止まった事で敵に行動の自由を与えてしまったか……。

「ミューゼル艦隊、直属艦隊に命令、中央に移動しつつある敵に対し攻撃せよ」
上手い手だが、所詮は奇策だ。敵の中央は薄くなる。それではこちらの攻勢は防げない。中央突破で一気に勝負をつけよう……。

「敵、予備部隊が前線に出てきました! 攻撃してきます」
「!」
敵は予備部隊と後退しつつある部隊で戦線を構築しつつある……。

どうする。味方の両翼は敵の新たな両翼の動きに牽制されて本隊との連動は難しくなっている。敵の中央部隊は二万隻は有るだろう。こちらは直属艦隊、ミューゼル艦隊合わせて三万隻弱か……。

攻撃をするべきだろうか? 簡単には突破できないだろう。思い切って全軍で攻撃をかけるべきか? しかし手間取れば、長期戦になりかねない……。
「……これまでだな。全艦に命令、前面の敵を牽制しつつ後退せよ」

今のままでも十分に敵に損害を与えているだろう。敵の二個艦隊は当分の間、艦隊としての行動は難しいはずだ。全体で見れば三割程度の艦艇は失っている。此処が引き時だろう……。敵にも出来る奴がいるようだ、あの状態から戦局を互角に戻すとは。まだまだ油断は出来ない……。


■ 同盟軍宇宙艦隊総旗艦ラクシュミ ヤン・ウェンリー

敵が後退しつつある。どうやら生き延びたようだ。あそこで中央に攻撃をかけられたら防ぎきる自信は無かった。司令部もようやく空気が和らぎつつある。ドーソン提督は疲れたと言って自室に戻った。

司令長官として最初の会戦で全滅しかけたのだ。無理も無い、気持ちは判る。だが出来れば辞任してくれないだろうか? 提督がもう少し慎重ならこの敗戦は避けられたはずだ。今回の戦いで約二万隻近くを失った。第三、第九艦隊はほぼ五割の損傷率だ。全滅を免れたが完敗と言っていい。

それにしても帝国軍は手強い。馬鹿げた思いだが、戦うごとに強くなっている気がする。このままでは同盟はジリ貧になりかねない。どうしたものだろう、皇帝が死んでくれれば内乱が起きると思うのだが、余りにも不確定すぎる。当分死なないかもしれない……。

ユリアンの紅茶を飲みながら本でも読みたい気分だが、ハイネセンに戻ればシトレ本部長に呼び出されるだろう。その前に今後の帝国軍の行動と対策を考えておく必要が有る……。退役しようか、ふとそう思った。今回も給料以上の仕事をしたはずだ。そろそろ辞めてもいいかもしれない……。

 

 

第七十五話 贖罪

■ 帝国暦486年12月3日 帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ エルネスト・メックリンガー


「メックリンガー少将、反乱軍にも出来る奴がいるようだな」
「ああ、まさかあんな手で来るとは思わなかったよ」
スクリーンに映るケスラー少将の顔が渋いものになった。おそらく私も彼と同じ表情をしているのだろう。

ケスラー少将の言うとおり、反乱軍にも出来る奴がいる。余り嬉しい状況ではない。近年帝国が優勢に戦いを進めているとは言え、強敵は少ないほうがいい。

「これからミュッケンベルガー元帥に会いに行くのか?」
「うむ。先程軍医から連絡が有った。大分良くなったようだ。私と会いたいと言っているらしい……」

気遣うような口調でケスラー少将は問いかけてきた。彼の気持ちはよくわかる。反乱軍よりこちらのほうが難敵だろう。反乱軍なら倒せば良い、しかしこの敵は説得しなければならないのだ。

「そうか、これからが本当の勝負だな」
「やれやれだ。なかなか楽はさせてもらえん」
「うまくやってくれ、頼む」

沈痛な表情でケスラーが話してくる。無理も無い、不安なのだろう。我々がやったのはクーデターのようなものだ。勝つためとは言え、決して褒められたものではない。しかし、多分判ってもらえるはずだ。元帥の中将に対する信頼も厚い、きちんと説明すれば大丈夫だ。

「ケスラー少将、こちらが終わったら、そっちへ説明に行く」
「うむ、待っている」
「そちらの状況はどうなのだ」

途端にケスラー少将の表情が曇った。
「最悪と言っていいな、 “何故攻めない” と大騒ぎだった」
「無理も無い。私も一瞬迷った、攻めるべきかと……」
短期決戦、元帥の病気、司令部の動揺、それさえなければもう一撃を加えただろう。

「撤退は正しい判断だと思う。あれだけの敵だ、一つ間違うとダゴン星域へ向けて後退戦をしかねない。長期戦になるだろう」
「……厄介な敵だ」

ケスラー少将が生真面目な表情で俺の判断を支持してくれた。その通りだ、あの判断は間違っていなかった。しかし、敵を殲滅できていればもう少し楽な気持ちで元帥に会いに行けただろう。いまさらながら、厄介な敵だと思う。

「ヴァレンシュタイン中将がいてくれればな」
「?」
「もう少し気持ちが楽になるのだが……」

思わず、言ってから苦笑した。彼がいればこんなところで悩んでいる必要も無いだろう。ケスラー少将も同感なのだろう、同じように苦笑している。私は彼との会話を打ち切り、元帥の部屋へ向かった。


「エルネスト・メックリンガー少将です。入ります」
「うむ」
部屋の中からは重々しい元帥の声が聞こえた。

中に入ると、元帥はゆったりと椅子に座っていた。未だ立っているのは辛いのだろう。もしかすると、座っているのも辛いのかもしれない。顔色も心なしか良くないように思える。私は元帥の近くまで歩を進めた。

「卿には礼を言わねばならん。私が助かったのは卿のおかげだそうだな」
「……」
「ヴァレンシュタインから聞いたのか?」
穏やかな声だ。余り怒っていないのだろうか?

「はい、元帥が狭心症だと聞きました」
「そうか」
元帥は小さく頷いた。

「私の命令書を持っていると聞いたが?」
「これです、閣下」
気付いたように問いかける元帥に私はあの命令書を渡した。

元帥は一読して苦笑した。
「妙な物を欲しがると思っていたが……」
私はどう答えて良いか判らず、黙って元帥の顔を見続けた。

「困った奴だ……。そうは思わんか、少将?」
「……中将から書簡を預かっております。元帥に渡してくれと頼まれました」
私は中将から預かった書簡を元帥に手渡した。何が書いてあるかは知らない、しかし容易に想像はつく……。

元帥は書簡を受け取ると読み始めた。一度読んで、少し考え込んでからもう一度読み出した。読み進むにつれ元帥の表情に苦痛が浮かぶ。
「困った奴だ……。卿は内容を知っているのか?」

「いえ、知りません。ですが想像はつきます」
「……」
「おそらく、責任は自分にある故、小官たちを責めないようにと書いてあると思います。ですが、中将に助けを求めたのは我々です。どうすれば勝てるのか我々には判りませんでした。中将は我々の頼みに応えたに過ぎません。責めを負うべきなのは我々です」

「勝つためには仕方ありませんでした。指揮権の委譲がスムーズに行くかどうかも有りますが、委譲した場合、士気の低下、兵の混乱が想像されます。また直属艦隊が素直にミューゼル提督の指示に従うかどうか判りませんでした」

元帥は困ったような笑みを浮かべ首を横に振った。
「元帥!」
「残念だな少将」
「?」

「これには、こう書いてある。元帥の信頼を裏切るような今回の行為はいかなる理由があろうと許されるものではない。それ故自分を軍から放逐して欲しいと」
「放逐!」
思わず声が出た。

軍から追放せよと! そんな事を書いたのか、ヴァレンシュタイン中将は。
「これを許せば軍の統制が保てなくなる。厳しい処置を望む、ただ他の者には罪が及ばぬようにして欲しいと。……困った奴だ、なんでも自分で背負い込もうとする……。どうしたものか……」

「しかし、今中将が軍からいなくなれば誰がオーディンを守るのです! そんな事は不可能です! 」
「……これ以後は私に帝都を守れと言っている……」
「……」

切なそうな表情をする元帥に胸をつかれた。確かにそうだ。元帥はもう戦場に出るのは不可能だろう。しかし帝都において睨みを利かせることなら可能だ……。

私は何処かで甘く考えていなかったか? 今回の私たちの行動が非合法なものであることは認識していた。しかし、勝つためなら仕方ない、そして中将なら罰せられるような事は無いと……。だが中将はそのことを危険視していた……。

あの時の表情が思い浮かぶ。やるせなさげな表情とつぶやくような声……。
~ただ、あまり褒められた手ではありません。シュターデン中将は怒るでしょうね、ミューゼル提督も不満に思うかも知れない~
あの時彼は何を考えていたのだろう?

彼は全てを無視することも出来たはずだ。元帥の病気を隠し、知らぬ振りで私たちを戦場に送る事も出来た。元帥が倒れると決まったわけではないのだ。だが、私たちを戦場に駆出した以上、その危険性を無視することが出来なかった……。

無視できる程ずるくなかった……。何十万、何百万という犠牲が出る事に耐えられなかった……。冷酷になれなかった……。

贖罪……。贖罪なのだろうか。元帥の出兵を止める事が出来なかったことに対する贖罪。私たちを死地に追いやってしまった事への贖罪……。そして自分が後方の安全な場所にいることへの贖罪。

「閣下……」
「メックリンガー少将、卿の言いたい事は判る、いや判るような気がする。だから何も言わないでくれるか……」
元帥はそう告げると深く溜息をついた。

「ご苦労だった、今回の事良くやってくれた。礼を言う、下がってくれ」
「……」
元帥は疲れたような声で私に退室を命じた。私は結局何も言えず、敬礼をすると部屋を出た。

これからミューゼル艦隊に行かなくてはならない。しかしこの状態で冷静に話せるだろうか。何処かでこの理不尽に叫びだしそうな自分がいる。

何故中将が責めを負うのだ? 責めを負うのは本当に中将なのか? 戦場に出た元帥はどうなのだ?
指揮権を欲しがるシュターデンは、ミューゼル提督はどうなのだ? 言う事を聞こうとしない参謀は、プライドが高く扱いづらい直属艦隊はどうなのだ?

彼はただ味方の敗北を防ごうとした、それだけではないか。それがそんなにもいけない事なのか?











 

 

第七十六話 疑惑

■ ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ウルリッヒ・ケスラー


メックリンガー少将が来た。表情が暗い。元帥との会談は上手くいかなかったのだろうか? それとなく聞いてみたが首を振るだけで答えようとしない。その様子にこちらも思わず溜息が出た。

会議室に行くと既にミューゼル提督、ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤー少将、キルヒアイス中佐が揃っていた。メックリンガー少将がいることが不思議だったのだろう。訝しげな表情でこちらを見る。

「エルネスト・メックリンガーです。此処に来たのは、今回の会戦のことでご説明したいことが有るからです」
メックリンガー少将の言葉に皆不審そうな表情をした。メックリンガーの表情は硬く、いつもの彼らしくない。元帥との会談はそれ程不調だったのか?

「今回の指揮は小官が執りました」
「!」
ミューゼル提督、ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤー少将、キルヒアイス中佐いずれも驚いただろう。自分も知らなかったら驚いたに違いない。皆、互いの表情を確認するかのように周囲を見ている。

「理由はミュッケンベルガー元帥が戦闘中、体調不良により指揮を取れない状態になったからです」
“まさか” “冗談だろう” 等の言葉が漏れた。困惑はより一層大きくなっている。

「メックリンガー少将、それはおかしくありませんか。ミュッケンベルガー元帥が指揮を取れないなら、ミューゼル提督が指揮権を引き継ぐべきではありませんか」
「そうですね、本来ならそうすべきでしょう」

キルヒアイス中佐の問いはもっともだ、事情を知らなければ……。ミューゼル提督も不満げにメックリンガーを見ている。メックリンガーは丁寧に答えたが、何処となく投げやりに感じたのは気のせいか?

「では、何故指揮権の委譲がなされなかったのでしょう」
キルヒアイス中佐の口調は柔らかいが視線は厳しくなった。ミューゼル提督の権利を侵食されたと思ったのかも知れない。いや、多分そうだろう。

「指揮権を委譲しなかった理由ですか……」
メックリンガーは少し眼を細めてキルヒアイス中佐を、ミューゼル提督を見た。どうした、メックリンガー?

「指揮権を委譲しなかった理由は、委譲すれば負けると思ったからです」
微かに口元に笑みを浮かべ、メックリンガーは平然と言い放った。会議室の空気が一瞬にして凍りついた。何が有ったのだ、メックリンガー。

「それはどういう意味だ、メックリンガー少将。私が無能だとでも言いたいのか?」
怒りもあらわにミューゼル提督が問いかけた。キルヒアイス中佐もメックリンガーを睨みつけている。しかしメックリンガーは微かに苦笑すると問いに答えることなく言葉を続けた。

「出兵前の事です。ヴァレンシュタイン中将が元帥閣下の体に異常があることに気付きました。そして小官たちにそれを伝えたのです」
「小官たち?」
ミッターマイヤー少将が訝しげに問いかける。

「ええ、小官、新規編制された二個艦隊の司令官達、そしてケスラー少将です」
周囲の視線が私に集まる。覚悟はしていたが気持ちの良いものではない。

「ケスラー少将、卿は知っていたのですか」
ミュラー少将が私に問いかけた。咎めるような口調ではなかった事が救いだ。
「知っていた」


「ケスラー、何故私に言わなかった」
眉を寄せ、私に視線を当てる。裏切られたとでも思っているのかもしれない。
「言うべきではない、そう思ったからです」

「どういうことだ、卿も私が無能だとでも言いたいのか?」
顔を朱に染め言い募る提督に、私は疲労感を感じた。この気持ちがわかるのはロイエンタールだけだろう……。

「そのような事は言っておりません」
「しかし」
なおも言い募るミューゼル提督に私は出来るだけ冷静に話した。

「指揮権を委譲すれば、兵は元帥が指揮を取れないことを知る事になります。そのことが兵にどのような影響を与えるか、お解りになりませんか」
「……」
ようやく判ったか……。戦場での指揮は能力だけの問題ではないのだ。

「それに司令部が素直に指揮権を委譲するかどうか、また直属艦隊が素直にミューゼル提督の指示に従うかどうか……その辺の判断が付かなかったのです」
周囲からは未だ十分にその力を認められているとは言えないのだ。

「ミューゼル提督の能力を疑うようなことはありません。しかし、現時点での指揮権の委譲は危険すぎる、その判断は間違っていなかったと思います」
ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤー少将は顔を見合わせている。ある程度納得したのだろう。

「そうだとしても、事前に一言あってしかるべきだろう」
まだ納得できないのだろう。ミューゼル提督が食い下がってきた。
「指揮権を委譲しないということは司令部が指揮を執る事になります。認められましたか、それを」

「……」
そこで黙るから話せないのだ。何故それが判らない。
「指揮権を巡り司令部と争いになりかねない。それは遠征軍内部での新たなしこりになる可能性が有ります。そのような事は出来ませんでした」

「卿らに話さなかったのはすまないと思っている。しかし、提督に話さない以上、卿らにも話すべきではないと思ったのだ。許して欲しい」
「いえ、仕方の無い事だと思います。気にしないでください」

ロイエンタールが落ち着いた表情で話してくる。そう、彼ならわかってくれるだろう。ミュラー、ミッターマイヤーも頷いている。ミューゼル提督はまだ唇を噛み締め、悔しそうだが反論はしてこない。元々愚かではないのだ、判ってくれるだろう。

「ところで、メックリンガー少将、司令部が指揮を執るのはわかりましたが卿が指揮を執ったのはいささか腑に落ちないのですが?」
ようやくそこに気付いたか、ミュラー。ここからまた一悶着だな。

「ヴァレンシュタイン中将が策を講じてくれた。いささか非合法な手段であったが指揮権をシュターデン中将より奪う事が出来た……。そうでなければ、シュターデン中将が指揮を執っただろう……」
沈痛な表情でメックリンガーが呟く。

ミューゼル提督の表情が歪んだ。キルヒアイス中佐も表情を曇らせている。
「ヴァレンシュタインか、またあの男か」
不愉快そうなミューゼル提督の言葉にメックリンガーが反応した。

「ミューゼル提督は今回の件にヴァレンシュタイン中将が関わっている事が不愉快ですか?」
「……そのような事は言っていない」

メックリンガーの声には冷たい響きがある、視線も冷たい。ミューゼル提督もそれを感じたようだ。メックリンガー、元帥との会談で何が有った? 無理にでも聞き出すべきだったか?

「そうですか、それならよろしいのです。今回の戦い、我々は中将のおかげで敗北することなく済みました。中将の功績は誰よりも大きいと言えるでしょう。しかし、中将は今回の指揮権奪取の件で責任を取りたいと元帥に申し出ました」

「責任?」
ミューゼル提督が問い返す。周囲も皆不思議そうな顔をしている。メックリンガーは微かに嘲笑を浮かべ言葉を続ける。いやな予感がする、責任とは何だ、一体。

「ええ、軍から追放してくれと」
「追放? 馬鹿な、何を考えている」
「メックリンガー少将、本当ですか」
ミュラー、ロイエンタール少将が問い返す。どういうことだ、ヴァレンシュタイン、何を考えている?

「本当だ。先程私が、中将から預かった書簡を元帥に渡した。それには “元帥の信頼を裏切るような今回の行為はいかなる理由があろうと許されるものではない、これを許せば軍の統制が保てなくなる” と書いてあったそうだ。元帥が教えてくれた」

「……」
会議室の中が沈黙に包まれる。ミューゼル提督もキルヒアイス中佐も声が無い。メックリンガーの憤懣に満ちた声だけが聞こえる。
「馬鹿げた話だ、中将はただこの艦隊を救いたいと思っただけなのに。その中将が処分を受けねばならないとは」

ようやく、メックリンガーの気持ちがわかった。まさかそんな事があったとは思わなかった。彼が平静な気持ちでいられなかったのも当然だ。ミューゼル提督に冷たい視線を向けたのもその所為か。しかし、本当に今回の件の責任を取る、それだけなのだろうか?


彼の言葉が私の耳に蘇る。
~排除されるのは私のほうになりそうです~
~ある時期が来たら退役するつもりですが、そう遠い事ではないでしょう。私は未だ死にたくありません~

まさかとは思う。しかし、もしかすると彼は今回の事件で最初から辞めるつもりで動いたのかもしれない。他に手は無かったのか? 合法的で非難を受けない手が。出兵間際になってから相談してきたのは他に手が無いと思わせるためではなかったのか?

ロイエンタールと視線が合う。彼は複雑な表情で私を見返してきた。私と同じ事を考えているのだろう。もし私達の考えがあっているのだとすれば、今回の会戦は最初から最後まで彼の思惑のままに動いた事にならないだろうか?







 

 

第七十七話 将来図

■ 帝国暦486年12月6日 帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナ アウグスト・ザムエル・ワーレン

第三次ティアマト会戦が終了して三日、遠征軍はイゼルローン要塞に向けて帰港中だ。遠征軍内部では様々な噂が飛び交っている。

1.ミュッケンベルガー元帥が病気であり、軍の指揮を取れなかった。
2.今回の指揮はメックリンガー少将が取った
3.メックリンガー少将が指揮を執ったのはヴァレンシュタイン中将の策謀による
4.シュターデン中将がそのことについて不満を持っている
5.ミューゼル大将も指揮権をもてなかった事に不満を漏らしている

これらの噂が飛び交い様々な憶測を生んでいる。ヴァレンシュタイン中将が策を練ったのは、シュターデン中将と反目している所為だとか、ミューゼル大将とヴァレンシュタイン中将の関係は良くないとかだ。

さらに今回の指揮権委譲の方法についてその違法性をシュターデン中将が声高に唱えていると言う話もある。遠征軍司令部からは、無責任な噂が流れることに対して何度か注意するようにと指示があったがあまり効果は無かった。

さすがにこれ以上、無責任な噂が流れる事は拙いと言う判断があったのだろう。宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥より将官以上の人間に対し旗艦への集合命令が出た。今回の戦闘に対しての説明を行なうということらしい。

会議室へ赴くと殆どが既に集まっていた。新編成二個艦隊の司令官達は一つに固まっている。迷わず俺もそこへ行く。司令部の人間たちは俺たちに好意的ではない、傍にいて楽しい連中ではない。

皆表情が固い。俺を含む新編成二個艦隊の司令官達は真実を知っている。ヴァレンシュタイン中将が軍からの追放を元帥に願った事も。メックリンガー少将は憤懣やるかたない思いだったようだ。もっともそれは彼一人の思いではない。濃淡は有れ皆同じ気持ちだ。

「ワーレン少将、どんな話になると思う?」
ビッテンフェルト少将が小声で話しかけてくる。この男が小声で話すなど珍しい。表情も気遣わしげだ、らしくない事だ。

「判らんな。卿が気にしているのはヴァレンシュタイン中将への処分のことだろう?」
「うむ。厳しい処置になるかな?」

「判らん。これまでの功績を考えればあまり厳しい処分は無いと思うが、確かにやったことはいささか問題が有るからな」
他の面々も気になるのだろう。それぞれ厳しい表情をしている。

ミュッケンベルガー元帥が会議室に入ってきた。常に変わらぬ堂々たる姿だ。まさに軍を指揮するに相応しい姿だと言っていい。本当に狭心症なのだろうか? しかし、フェンリルは解き放たれたのだ。間違いなく元帥は健康体ではない。

元帥が正面に立つ。敬礼をすると元帥も答礼をしてきた。周囲をじっと見渡すとおもむろに口を開いた。
「今回の戦いにおいて、様々な風聞が飛び交っていると聞く。これ以上無責任な噂が飛びかうのは、軍の統制上好ましい事ではない。この際、真実を卿らに話すべきだと思う」

「今回、私が戦闘中に倒れ、指揮が取れなくなったことは残念だが事実だ。私は心臓に持病を持っている」
低く重い元帥の言葉に声にならないざわめきが起こった。宇宙艦隊司令長官が自らの病を口にしたのだ。その意味は大きい。

「私が倒れた間、遠征軍の指揮を取ったのは司令部参謀のメックリンガー少将だ。彼が指揮権を得るには、噂どおりヴァレンシュタイン中将によるいささか非合法な工作が有った。だがそれ無しには帝国軍が勝利を得るのは難しかったことも事実だ」

非合法な工作か……。それ無しには勝利を得るのは難しい。微妙な言葉だ。しかし、軍からの追放は無いのではないだろうか?

「ヴァレンシュタイン中将からは責任を取りたいとの言葉があった……。今回の行為はいかなる理由があろうと許されるものではない。これを許せば軍の統制が保てなくなる。それ故自分を軍から追放して欲しいと……」

“追放”、“しかしそれは”、驚愕に満ちた声が上がる。そうだろう、私も聞いたときは思わず声を荒げたのだ。
「静まれ」
元帥がざわめきを静める。

「中将を軍から追放する事は出来ぬ。中将を追放すれば、あれを恨んでいる貴族どもが中将を殺そうとするだろう。そのような事は出来ぬ……」
苦い表情と共に元帥が言葉を続ける。言葉にも苦味が溢れているようだ。

「私は卿らに謝らなければならぬ。私は自らの病を軽視していた、いや、軽視しようとしていた。自分が未だ軍人として第一線で戦えると思いたかった……」
誰でもそう思うだろう。まして元帥ほど前線で栄光に包まれてきた人間なら尚更だ。

「そしてそのことが、戦闘中に病による指揮能力喪失に繋がった。私の愚かさにより、遠征軍六百万の兵士を危険にさらしてしまった。そしてその危険性に気付いたヴァレンシュタイン中将さえも死に追いやろうとしている……」
元帥の言葉に会議室は寂として言葉も無い。ただ元帥の言葉だけが流れていく。

「今回の事、原因は全て私に有る。私の愚かさ、傲慢さが軍に混乱を招いた。私は責任を取って、軍を退役する事にした」
「!」
辞める? ミュッケンベルガー元帥が辞める? 何かの間違いではないのか?

「な、お待ちください元帥」
「シュターデン、これはもう決めた事なのだ。六百万の兵士を危険に曝すような男に宇宙艦隊司令長官を務める資格は無い……」
元帥の言葉には自嘲の響きがある。元帥は本当に辞めるつもりだ。

「ヴァレンシュタイン中将についてはこの場ではなんとも言えぬ。軍務尚書とも相談せねばなるまい。だが中将の言うとおり、これを許せば軍の統制が保てなくなる恐れがある、何らかの処分を下すであろう」
処分は有る。しかし追放は無いだろう。思わず安堵の溜息が出た。

「この件については以上だ。以後これについて無責任な言動は禁ずる」
「これまで、卿らと共に戦えた事に感謝する……。有難う」
元帥は敬礼をした、俺たちも慌てて敬礼を返す。

元帥は俺たちを一人一人確認するかのように会議室を見渡す。思わず鼻の奥にツンと痛みが走った。泣いている奴もいるだろう……。元帥は静かに礼を解くと会議室を出て行った、何時も通り威厳に満ちた姿だ、その姿にどれほど憧れたろう。そして俺たちも敬礼をしたまま元帥を見送る。

何時もと同じ行為、同じ光景だ。しかし、何故こんなにも切ないのだろう……。



■帝国暦486年12月6日 兵站統括部第三局 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ

出征中の遠征軍が勝利を収めたようだ。自由惑星同盟軍にかなりの損害を与えたらしい。クレメンツ少将も武勲を挙げたのかしら。遠征軍が出征して以来、中将は仕事に専念している。でも少し様子が変。第三局全ての人間に、表に出せずに困っている案件があれば全て出すようにと命じた。

それ以来、中将の下には過去の不明瞭な物資購入の文書や、どう見ても横領されたのではないかと思えるような物資の紛失記録が持ち込まれている。中将は一つ一つ内容を確認しつつ、上に報告し処理している。処理と言っても事後追認のようなものだ。殆どが現時点では調べようが無くなっている案件ばかりなのだから。

“どうしたのです” と聞くと、柔らかく微笑みながら“何時までも此処にいられるわけでもないですから” と答えてくれた。どういう意味だろう。遠征軍が帰還すれば論功行賞と新人事が発表される。中将も異動になるのかもしれない。内示でもあったのだろうか。


■ 帝国暦486年12月6日 兵站統括部第三局 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


遠征軍が勝利を収めたらしい。完勝とは言えなくとも敵には十分な損害を与えたようだ。いずれ帰還すれば詳しい話はわかるだろう。問題は元帥の心臓だ。果たして問題なく指揮を取れたのだろうか?

発作が起こったのだとすれば、メックリンガーが動いたはずだ。軍は勝ったのだから問題なく司令部を掌握できたはずだが、詳細が判らないからどうも落ち着かない。

もし、発作が起こったのだとすれば、あの書簡も元帥に届いたはずだ。これまでのことを考えればクビになるか、処分で済むかは微妙なところだろう。なんと言っても指揮権に介入したからな、問題は大きい。

今後のためにも処分は厳しくなる可能性がある。まあ銃殺とかは無いだろう。戦争にも勝っているし。クビになったらフェザーンへ逃亡だな。ルビンスキーが居るしフレーゲルも居る事を考えるとちょっと憂鬱だが、まあ何年かすれば門閥貴族も潰れるはずだ。帝国へ戻るのはそれからで良い。

本当は門閥貴族が潰れるのを見届けてから退役したかったが、今のままだとその前にラインハルトと衝突しそうな感じだ。今回の件は良い機会だ。衝突する前に逃げてしまおう。あまり疑われる事無く辞められるはずだ。カストロプ公はキルヒアイスに任せよう。

既に準備は出来ている。いつでもフェザーンにいける状態だ。仕事も何時でも引き継げるし、多少の恩返しもやっておいた。ヴァレリーのことはリューネブルクに頼んでおこう。彼なら女性士官に偏見は無いはずだ。

フェザーンに行ったら、もう一度勉強するのもいいだろう。フェザーン商科大学で経済や交易について学ぶ。弁護士、官僚もいいが自由貿易商人もいいかもしれない。在学中にフェザーン、同盟が滅ぶ可能性もある。宇宙が平和になれば貿易商人は良い職業だ。関税もなくなるだろうし、経済も活性化する。なんか楽しくなってきたな、もっと早く辞めるべきだったか……。


 

 

第七十八話 信賞必罰(その1)

■ 帝国暦486年12月28日 軍務省 尚書室  エーレンベルク元帥

 私は尚書室でミュッケンベルガー元帥と対していた。遠征軍は今日帰還したのだが、ミュッケンベルガー元帥は皇帝陛下への帰還の挨拶を済ませるや相談したい事が有ると押しかけてきたのだ。

ミュッケンベルガー元帥の表情は苦い。
「どうされたかな、ミュッケンベルガー元帥」
「厄介な事になった、軍務尚書のお力を借りたい」
「?」

どうしたのだ? この男がこれほど苦悶を表すのは珍しい。何が有った?
「実は、私は軍を指揮できる体ではない」
「!」

何を言っている? 軍を指揮できない?
「心臓を患っている。狭心症だ」
「……」

呆然とした。思わず彼の顔を見詰める。ミュッケンベルガーの表情は苦いままだ。
「誰かに知られたか?」
思わず、囁くような声になった。
「……戦闘中に発作を起した」
では、皆に知られたか……。

「戦闘中に発作……。良く勝てたものだ、危なかったのではないか」
「いや、ヴァレンシュタインが手を打ってくれていた……」
「ほう、ではあの男には知らせていたのか?」

「出兵前に発作を起した。それをユスティーナに見られた。あれが、ヴァレンシュタインに知らせた」
ミュッケンベルガーは苦笑と共に言葉を紡ぐ。

ミュッケンベルガー元帥が事の顛末を話す。話を聞き進むにつれ自分の表情が強張るのが判った。今回の勝利はヴァレンシュタインの策によるものではある。しかしその策は合法とは言い難い……。

「責任を取りたいと言ってきた……。今回の行為はいかなる理由があろうと許されるものではない。これを許せば軍の統制が保てなくなる。それ故自分を軍から追放して欲しいと……困った奴だ」

ミュッケンベルガーが懐から書簡を出す。受け取って読むと確かに今ミュッケンベルガー元帥が話した内容が書いてある。あの馬鹿が。ミュッケンベルガーの気持ちを考えぬか! 年寄りを苛めるものではない!

「私は軍を辞めるつもりだ」
「ミュッケンベルガー元帥!」
「何も言われるな、軍務尚書。遠征軍六百万の兵士を危険に曝すような男に宇宙艦隊司令長官を務める資格は無い……」
「元帥……」

目の前の男の表情にはなんの動揺も無い。しかしその胸中を思うと胸が痛んだ。この男は戦場でこそ輝く。そのことはこの男が誰よりも判っている。この男の一言で兵士たちは死地に飛び込んだのだ、何の疑いも抱かずに……。その男が戦場に立てなくなる。

帝国軍三長官としてこの男とは共に軍を背負ってきた。当初はこの男の持つ威風に気圧され、そのことを不愉快に思ったこともある。しかしあのサイオキシン麻薬密売事件からは最も信頼する同僚だった。

この男が前線に、私が後方に、共に支えあい、反乱軍から内乱から帝国を守ってきた。その男が居なくなる……。思わず哀しみが心を覆う。

馬鹿な、何を考えている、感傷など切り捨てろ! 目の前の危機をどうするか、それを考えるのだ。泣くのはその後で良い……。

「しかし、卿の後のことはどうする?」
「そのことで困っている。それにヴァレンシュタインの処分をどうするか」
「……」

切り捨てることは出来まい。帝国にはあの男が必要だ。しかし、何の処分も無しには出来ぬ……。
「信賞必罰は軍のよって立つところだ。罰せねばなるまい」
「やはりそうせねばならぬか、軍務尚書」
「うむ」

罰は与えねばなるまい。しかし小僧、楽はさせんぞ。責任はきっちり取ってもらう。


■ 帝国暦486年12月30日 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン邸  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

遠征軍が28日に帰ってきた。やはり元帥は発作を起していたらしい。幸いメックリンガー少将がうまくやってくれた。第三次ティアマト会戦は帝国軍の勝利で終わった。完勝は出来なかったようだが十分な勝利だろう。

元帥は今回の発作から指揮権強奪の件まで全て話したらしい。俺の書簡も話したようだ。元帥は退役するようだが、出来るのか? 現状を見ればちょっと難しいだろう。辞意を表明して皇帝に慰撫してもらう、そんなところかな。

懲戒処分を受けた。少将に一階級降格、一年間俸給の減給、一ヶ月の停職。やめられるかと思ったんだが駄目だった。処分としては結構きつい。懲戒処分だから人事記録にもこの先一生残る。いわば×が付いたのだ。ま、どうでも良い話だが。

まあ、今回の処分はあまり気にならない。これまでが順調すぎたのだし、減給も元々あまり金を使わないから痛くない。一ヶ月の停職も早い話が自宅謹慎させられているわけで、もちろん給与もなし。給与が無いのは良いんだが問題は……。

「閣下、この書類を見てください」
「……フィッツシモンズ少佐、私は停職中なんですが」
「それが終わったらこちらです」

どういうわけか、早朝からヴァレリーが来て俺に書類の確認をさせている。決裁印は要らないらしい。ま、停職中にサインしたらおかしいのは確かだが、だからと言って書類の内容チェックなら問題ないというのは拙くないか?

「少佐、私は停職中なんです。おまけに降格処分を受けて傷ついている。ゆっくり休んで心身を癒したいんです」
「ですから書類を持ってきました。閣下を慰めるにはこれが一番です」
ヴァレリーは酷く機嫌が悪い。俺のせいで何かとばっちりでも食ったんだろうか?

「少佐、怒っていますか? でもあれは仕方が無くて……」
「閣下、お辞めになった後、小官をどうするつもりでした?」
「もちろん、リューネブルク中将にお願いするつもりでしたよ。元々中将から預かったんですから、お返しするのが筋でしょう」

「……」
「それに、中将なら女性士官についても偏見が無いでしょうし」
「……」
溜息を吐かれた。

「あの、睨むのを止めて貰えませんか。私が少佐の事を考えないなんてあるわけ無いじゃないですか」
「……そうですね。でも、出来れば隠し事は無しにして欲しかったですね」

「ああ、それは少佐を巻き込みたくなかったんです。後々問題になりますからね」
「それでもです!」
「……はい」


■ 帝国暦487年1月29日 軍務省 尚書室  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「失礼します。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、参りました」
「うむ」
尚書室に入るとそこにはエーレンベルク元帥とミュッケンベルガー元帥が居た。やれやれ、どうやら次の配属先が決まったか。兵站統括部から異動かな。

「ヴァレンシュタイン少将、一ヶ月間ゆっくり休めたかな」
「はっ」
「それは良かった」

エーレンベルク元帥が俺に話しかける。しかし、全然良くない。この一ヶ月間、毎日ヴァレリーは俺に書類を持ってきた。おまけに遠征軍に参加した連中も毎日やってくる。ミュラー、キスリング、メックリンガー、ビッテンフェルトをはじめアイゼナッハまで入れ替わりでやってきた。

連中が言うのは同じ言葉で“自分だけ処分を受けると言うのは水臭い”、“今回の処分は間違っている”だった。まあ、アイゼナッハだけは無言のままだったから、俺の方から同じ事を言ってやった。やたらと頷いてたな、あいつ。

ケスラーとロイエンタール、ミッターマイヤーもやってきた。ケスラーは “最初から辞めるために全部仕組みましたね” なんて言っていたが俺はそこまで腹黒くない。まあ辞められればいいな、とは思ったけど。ロイエンタールも似たような事を言っていたが、あいつら妙な誤解をしている。

ラインハルトとキルヒアイスは来なかった。ローエングラム伯爵家の継承でバタバタしているからな。まあ、来られても何を話して良いかわからん。ちょうど良かったと思う。

そんなこんなで、正直この一ヶ月は何処が停職なんだか全くわからなかった。逃げ場が無い分こっちのほうがきつかったくらいだ……。


「さて、今回ミュッケンベルガー元帥が退役する事になった」
エーレンベルク元帥の言葉に俺は正直驚いた。陛下は引き止めないのか?
「陛下から慰留されたが、私としてもけじめはつけたいのでな」

「しかし、元帥以外にどなたが宇宙艦隊を率いるのです。司令長官はどなたが……」
実際誰が司令長官になるんだ? ラインハルト? あれは副司令長官だろう。
「ローエングラム伯が司令長官になる」

エーレンベルク元帥の言葉に俺は驚いた。本気か、いや能力は有るけど現時点では誰も納得しないぞ。
「卿はどう思うか」

どう思うって、ミュッケンベルガー元帥、それはちょっと無理じゃ……。
「能力は問題ないと思いますが……、周囲が認めるでしょうか? 副司令長官にして、元帥閣下が司令長官を勤めるべきでは有りませんか」

「それはできぬ。退役は既に決めたことだ。だが卿の言うとおり周囲がなかなか認めまい。そこで、副司令長官に信頼の厚い人物を当てようと思う」
なるほど、若い司令長官を支える老練な副司令長官か……。悪くない、メルカッツを持ってくる気だな。

「名案だと思います。恐れ入りました」
「卿もそう思うか、では副司令長官を頼むぞ」
「?」

何だ? ミュッケンベルガー元帥は何を言った? 意味がよくわからん、頼むぞって何頼むんだ?
俺の目の前には人の悪そうな笑顔を浮かべた二人の老人がいた。お前ら正気か?



 

 

第七十九話 信賞必罰(その2)

■ 帝国暦487年1月29日 軍務省 尚書室  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン

「それはできぬ。退役は既に決めたことだ。卿の言うとおり周囲がなかなか認めまい。そこで、副司令長官に信頼の厚い人物を当てようと思う」
なるほど、若い司令長官を支える老練な副司令長官か……。悪くない、メルカッツを持ってくる気だな。

「名案だと思います。恐れ入りました」
「卿もそう思うか、では副司令長官を頼むぞ」
「?」

何だ? ミュッケンベルガー元帥は何を言った? 意味がよくわからん、頼むぞって何頼むんだ? 誰かの名前言ったか? 何でこいつら人の悪そうな笑顔をしてるんだ。……お前ら正気か?

「あの、副司令長官はどなたでしょう、良くわからなかったのですが」
確認しろ、念のため確認するんだ。
「卿が副司令長官になる」

あっさり言ったな、ミュッケンベルガー。俺が副司令長官? ラインハルトの下で? 虐めか? ここは拒否の一手だな。大体階級はどうすんだ? 少将なんて総参謀長にもなれん。

「……小官は先日降格されまして少将ですが」
「ああ、本日付で大将になる。二階級昇進だ」

エーレンベルク元帥、あっさり言ったな。お昼のランチを頼むのより軽かったぞ。正気か? いかん、こっちも本腰を入れて拒否だ。爺様連中の手強さはわかっている。油断するな、エーリッヒ。

「信賞必罰は軍のよって立つところです。小官は先日降格されたばかり。意味の無い昇進は軍の統制を乱すと思います。それに本来、宇宙艦隊司令長官は元帥の地位に在る方が就くものです。ミュッケンベルガー元帥閣下のお考えは判っておりますゆえそれには異を唱えません。であればこそ副司令長官には尚更老練で人望厚い方を選ぶべきではないでしょうか?」

うん。上手く言えたぞ。二人ともグーの音も出まい。俺は将来は弁護士か官僚になるのだ。両方とも弁が立たなければ成功なんぞ出来ん、完璧だ。参ったか。

「卿の言うとおり、信賞必罰は軍のよって立つところだ。それゆえ卿に一階級降格という罰を与えた。今度は賞を与えねばなるまい」
賞? エーレンベルク元帥、何を言っている。俺は戦場に出ていないぞ。

「今回の戦いで活躍した、二個艦隊の編成は卿が行なったそうだな」
「はい」
「各司令官達それとミュッケンベルガー元帥に代わって全軍を指揮したメックリンガー少将だが、卿の推薦だそうだな」

「……そうですが」
いやな予感がする。目の前の二人は嬉しそうな顔をしている。ウサギを見つけた狼みたいな表情だ。俺をどうやって嵌める気だ、絶対逃げてやる。

「若く有能な司令官達を抜擢したことは真に見事だ。彼らのみ昇進して抜擢した卿が昇進しないのはおかしかろう」
「……」
いや、おかしくない。おかしくないから嬉しそうに笑うのは止せ。

「それと、卿が指揮権継承で取った手段は非合法ではあるが、それによって勝利を得たのも事実だ。違うか」
「しかし、それは」
違わない。けど気にしなくて良い、ほっといてくれ。

「今回の戦いで出征した六百万の兵、そしてその家族から、卿への処分について不当だと抗議が届いておる。軍務省、統帥本部、宇宙艦隊司令部へメールやら手紙やらだ。」
「……」
そんなもん出すな! どいつもこいつも碌な事しない。

「今回の論功行賞で遠征に出たものが昇進し、卿が処罰を受けたままで納得すると思うか? 元の階級に戻ったくらいで納得すると思うか? 皆が納得せぬ人事に何の意味がある。形式ではない、信賞必罰の実が問われよう」
「……」

「卿を二階級昇進させ大将にする。異存ないな」
「……はい」
エーレンベルクにトドメを刺された。ヴァレンシュタインは死んだ……。
負けた、爺連合に負けた……。いつもこれだ。俺ってやられキャラだったのか。

「それでだ、副司令長官も頼む」
ちょっと待て、ミュッケンベルガー。
「しかし」
「まだわからんか、今の帝国軍に卿以上に将兵の信望を集めるものはおらん」
「……」

「ローエングラム伯は宇宙艦隊司令長官に相応しい“威”がある。しかし、未だ若く欠点が多かろう。特に将兵の信望において卿には及ばん。卿が副司令長官として補佐してくれれば将兵も安心して付いて行くであろう」
「……」

「卿以外には頼めんのだ。卿が副司令長官ならローエングラム伯が出征中でも残存艦隊を指揮し内乱を抑えられる。既にリヒテンラーデ侯にも相談済みだ。侯も賛成してくれた」
そういうとミュッケンベルガー元帥は俺の顔をじっと見た。先程までの悪人顔じゃない。誠実な漢の顔だ。

「エーレンベルク元帥もミュッケンベルガー元帥も何時も難しいことばかり仰います」
「判っている。ローエングラム伯は卿に対し素直になれぬ部分が有るようだ。卿を副司令長官にすると言った時、面白くなさそうであったからな。卿にとっても不本意な仕事かもしれん。しかし、卿はいつも期待に応えてくれた。頼む、ミュッケンベルガーを楽にしてやってくれ」

そう言うとエーレンベルク元帥は俺に頭を下げた。ミュッケンベルガーもだ。
「お止めください、頭を上げてください。判りました、何処までご希望に添えるかは判りませんが、微力を尽くします」

負けた、負けたよ。仕様が無い、副司令長官をやるよ。嬉しそうな爺様連中を前に今後の事を思うと溜息しか出ない俺だった。



■ 宇宙暦796年1月30日   自由惑星同盟統合作戦本部 ヤン・ウェンリー


「今回の戦いよくやってくれた」
「損害は多かったと思います。ねぎらわれる事ではありません」
私は本部長室のソファーに座りながら疲労の色が見えるシトレ本部長に答えた。

最終的に損害は艦艇一万八千隻、兵員百四十万人にのぼる。褒められたからといって素直に喜べるものではない。本部長自身、この件で憔悴している。本部長個人に罪は無いとは言え、軍のトップは本部長なのだ。色々と責められているのだろう。

「それでも君がいなければ、全滅していただろう。それは皆が認めるところだ」
「ティアマトの英雄ですか」
幾ばくかの苦い思いと共に吐き出す。“ティアマトの英雄”。

「不本意かね」
苦笑しながら本部長が問いかけてくる。
「ええ」

“ティアマトの英雄” 戦場からハイネセンに戻った私を待っていたのは敗戦を糊塗するべく英雄に祭り上げられた私自身の虚像だった。御偉方と共にマスコミの前でピエロのごとく動く自分をTV映像で見るのは苦痛だった。

「想像はつくと思うが、今度君は少将になることになった」
「……」
「此処最近、同盟は帝国に負け続けている。英雄になるのも仕事の一環だと思いたまえ」

「……」
私が何も言わない事に本部長は苦笑と共に言葉を続ける。

「今回の敗戦ではドーソン司令長官の進退は問わない事になった」
「そうですか」
「最終的に敵の侵攻を阻んだ事が評価されたらしい」
「……」

つまり、私は余計なことをしたわけか。大敗していれば、ドーソンから別な人へ交代していた……。中途半端な敗北がドーソン司令長官を助けている。
「そんな顔をするな。君はできる事をしたのだ。そして間違った事もしていない」
「……」

シトレ本部長は気遣わしげに力づけてくれるが少しも心に響いてこない。しかし本部長も一度は私と同じ事を考えたはずだ……。もっと損害が多ければと。

「ドーソン司令長官と上手く行っていないようだな」
「ええ」
「色々と聞いている。君が英雄と呼ばれているのが気にいらんらしい」

「馬鹿馬鹿しい話です」
そう、馬鹿馬鹿しい話だ。何かにつけて私を叱責して喜んでいる。たとえ英雄でも自分の部下に過ぎない、それを周りに教えたいらしい。

「ヤン少将、君がキャゼルヌに言った事を聞いたよ。帝国軍は、戦うごとに強くなっていると、本当かね」
「根拠はありません。ただそう感じただけです」
「根拠は無い、ただそう感じるか……。十分だ、私は君の言葉を信じる」
「!」

「ドーソン司令長官で対抗できるかね?」
「……難しいですね」
あの擬態にああも簡単に引っかかるようでは話にならない。あれが無ければこれ程酷い敗戦にはならなかったはずだ。私はそのことを本部長に告げた。話すにつれ本部長の顔が歪む。

「ヤン少将、我々にできる事は?」
沈痛な表情でシトレ本部長が問いかける。追い込まれている、本部長は追い込まれている。
「……敵を迎え撃つのではなく、積極的に敵の軍事行動を止めるべきかと思います」
そう、水を受け止めるのではなく蛇口を閉めるべきだ。

「具体的には何をする」
「……イゼルローン要塞攻略です」
「!」
本部長が絶句するのがわかった。現時点でイゼルローン要塞攻略などキチガイ沙汰でしかないだろう。しかし、敵の攻勢を食い止めるにはこれしかないだろう。そして策は有る……。



 

 

第八十話 決断

■ 帝国暦487年1月30日   フェザーン アドリアン・ルビンスキー


ボルテックが慌てて執務室に入ってきた。
「どうした、ボルテック」
「自治領主閣下、たった今オーディンの弁務官事務所から知らせが入りました」

「ほう、それで」
「ミュッケンベルガー元帥が退役しました」
「そうか」
俺は内心可笑しく思ったが、出来るだけ気難しげな表情を作った。

「新任の宇宙艦隊司令長官は上級大将、ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵です」
「ローエングラム伯……、旧姓はミューゼルだな」
「はい、そのとおりです」

一時間八分だな……。ボルテックは知るまいが、約一時間前オーディンから帝国軍の新人事について直接俺に連絡が有った。俺は一時間後にもう一度ボルテックに同じ報告をするようにと命令した。

八分遅れか……、許容範囲だろう。報告を受けて自分なりに判断する時間も有っただろうからな。十五分以上かかるようだと俺以外の誰かに報告していた可能性もある、この男の身辺に注意が必要だ。三十分以上なら何処かへ飛ばすしかない、問答無用だ。あとはこの男が八分のうちに報告から何を判断したかだな。

ボルテックは俺が考え込んでいるのをじっと見ている。まさか自分のことを考えているとは思わないだろう。さて、何を話すか?

「帝国軍も内情は苦しいな。二十歳にならぬ若者を宇宙艦隊司令長官にするとは」
「ミュッケンベルガー元帥の強い推薦があったそうです」
「そうか、確かに無能と言うわけではなさそうだからな」
「はい」

なかなかヴァレンシュタインの事は切り出さないな。俺の驚く様を見たいらしい。人の悪い奴だ。いや、お互い様か。

「それと宇宙艦隊副司令長官ですが……」
ようやく話すのか、ボルテック。少しはお前を喜ばせてやろうか
「ほう、副司令長官を置くのか。だれだ、メルカッツ大将か?」

「いえ、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大将です」
「大将? 少将に降格したと思ったが?」
「今回の人事で二階級昇進しました」
俺はわざと訝しげな声を出した。ボルテック、もう少し声を抑えろ。嬉しそうなのが判るではないか。

「なるほど、大胆な人事だな。で、補佐官はどう思う、今回の人事を」
「なんとも苦しい人事だと思いますが」
「苦しいか」
確かに苦しい人事だ。しかし何処が苦しいか、お前には判っているか?

「はい、司令長官も副司令長官も若く経験不足です。周りが納得するかどうか」
ま、妥当な判断ではあるな。
「補佐官ならどうする」

ボルテックは少し緊張しているようだ。俺に試されていると思っているらしい。残念だな、俺は楽しんでいるのだ。
「私なら、司令長官にメルカッツ大将を持ってきます。もちろん昇進させてですが」

「それで、副司令長官はどうする」
「ローエングラム伯を持ってきます。まあ、司令長官と副司令長官は逆でも構いませんが」

誰でも考えつく案だ。帝国の上層部が考えなかったと思うか? そう思うならお前は彼らを甘く見すぎだ。彼らとて同じ事を考えたろう。その上でこの人事を行なった。その意味をお前は判っていない、いや判ろうとしない……。

「なるほど。若さと老練さを組み合わせるか」
「はい。このほうが安定するでしょう。それにメルカッツ大将の人望も見逃せません」
俺が否定しないので同意見だと思ったらしい。自信ありげに話してくる。

人望か。年を取っていれば人望が有るというわけか……。残念だがボルテック、ヴァレンシュタイン大将の人望も決してメルカッツ大将に劣らんぞ。

「私はそうは思わんな」
「?」
「平時ならそれでいい。しかし、今は非常時なのだ」

「非常時ですか?」
「いつ皇帝が死ぬかわからんのだぞ、補佐官。それなりの対策が要るだろう」
「……」

ボルテック、お前は軍のことしか考えていない。しかし、軍も国家の一部なのだ。帝国の政治情勢、社会情勢、そして宮中の情勢を踏まえた上で考えなければならない。そして帝国の上層部はそれを考えた上で決断したはずだ。

「帝国の上層部が恐れるのは、軍の遠征中に皇帝が死ぬ事だ。そしてそのことで内乱が起きるのを恐れている、判るな」
「はい」
本当に判ったか。これが前提なのだぞ。

「ローエングラム伯、メルカッツ大将は戦場の将だ。確かに戦場では強いのかもしれん。しかし、今帝国で本当に必要とされているのは、万一の場合内乱を防ぐ謀略・政略センスのある将なのだ」

「……ヴァレンシュタイン大将ですか」
「そうだ、帝国の上層部にとってはローエングラム伯よりもヴァレンシュタイン大将を副司令長官に持ってくることが大事だったろうな」
実際、一度内乱を防いでいる。その事実は大きいだろう。

「しかし自治領主閣下、今まではヴァレンシュタイン大将は副司令長官ではありませんでした。何故今、副司令長官にする必要があるのです?」
不思議そうにボルテックが訊いて来る。

「ミュッケンベルガー元帥が強すぎたからだ。強すぎたから副司令長官をおく必要が無かった。つまり宇宙艦隊の残留部隊を指揮するものが居なかった、だから彼らは暗黙の了解で皆ヴァレンシュタイン大将の命に従ったのだ」
「……」

「副司令長官を置けばどうなる、残留部隊は副司令長官の命に従うだろう。ヴァレンシュタイン大将は、憲兵隊と帝都防衛軍だけで内乱を防がねばならん」
「……」

「もし、副司令長官がブラウンシュバイク、リッテンハイムに与したらどうなる。内乱の勃発は必至だ」
「なるほど」

「宇宙艦隊司令長官が強ければ問題は無い。しかしローエングラム伯は年齢、人望、実績においてまだ不安定な状態だ。ミュッケンベルガー元帥に比べ明らかに見劣りがする、弱い司令長官なのだ。当然補佐が必要だろう、それはヴァレンシュタイン大将しかいないのだ」

俺の話をボルテックは無言で聞いている。表情に敗北感があるようだ。まあそう嘆くな。俺も一時間近く考えて得た結論だ。お前が妙な気を起さないように芝居をしているがな。

問題はこれからだ。外に強い司令長官と内に強い副司令長官。確かに能力的には噛合う。しかし手を取り合っていけるだろうか。ローエングラム伯は人望、実績において自分より上の副司令長官に耐えられるだろうか?

ヴァレンシュタイン大将は、自分より若い司令長官に耐えられるか。また周囲はどう判断するか。宇宙艦隊内部で抗争が起きる可能性が有るだろう。帝国は内乱を防ぐために新たな爆弾を抱え込んだようなものだ。

問題は同盟がこの人事をどのように判断するかだな。安堵感を持つか、それとも危機感を持つか。特にティアマトの英雄はどう思うか。面白いところだ。

シトレ本部長の腹心であるヤン・ウェンリー、ミュッケンベルガー元帥の腹心であるヴァレンシュタイン。両者ともこれまではどちらかと言えば黒子であったと言って良い。しかし此処に来て両者とも表舞台に立ち始めた。この二人の動きは注意する必要があるだろう……。




■ 宇宙暦796年2月5日   自由惑星同盟統合作戦本部 ヤン・ウェンリー


キャゼルヌ先輩から本部長室へ来るように言われた。多分先日のイゼルローン要塞攻略についてだろう。大体の案は説明したが本部長は半信半疑だった。少し時間をくれと言われたが、今日は返答をもらえるに違いない。

出来れば自分で指揮を取りたい。正直、宇宙艦隊司令部に居るのはもうたくさんだ。ドーソン司令長官の嫌味や、嫌がらせにはうんざりする。最近は尻馬に乗る馬鹿な参謀まで出てきた……。

「ヤン・ウェンリーです。入ります」
ドアをノックして部屋に入る。部屋にはキャゼルヌ先輩とシトレ本部長がソファーに座っていた。

「ヤン少将、待っていた。こちらへ」
シトレ本部長が良く響く低い声で呼ぶ、遠慮なくキャゼルヌ先輩の脇に座り、本部長に対した。

シトレ本部長が私に文書を渡した。
「ヤン少将、これを見てくれ。フェザーンの駐在弁務官事務所より送られてきたものだ。一見の価値はある」
「失礼します」

私は本部長に断ると資料を読み始めた。読み終わって溜息が出る。
「どうかね、ヤン少将」
「あの二個艦隊はヴァレンシュタイン少将が絡んでいましたか」

「そうだ。編制から訓練まで全てに絡んでいたらしい」
「それを司令部は寄せ集めだなどと……」
シトレ本部長と会話をしながら私は疲労感に打ちのめされそうだった。

この情報をもっと前に得ていれば、司令部ももっと慎重になったかもしれない。そうすれば犠牲も減らせただろう。ヴァレンシュタイン少将、なんとも厄介な男だ。今回何らかの事情で降格したらしいがこのままで終わる男ではないだろう。

「各艦隊司令官を見たか」
「ええ見ました」
キャゼルヌ先輩が問いかけてくる。そう、私も気になった所だ。

「いずれも若く、そして平民か、下級貴族のようです。門閥貴族のひも付きではないにも関わらず少将にまで昇進している。軍主流派からは外れたが実力は有る男たちでしょう。実際前回の戦いでは彼らが同盟の両翼に大きな打撃を与えました」

私の答えに、シトレ本部長とキャゼルヌ先輩は顔を見合わせた。表情が暗い、どうかしたのか?
「その男たちだが、おそらく今後は宇宙艦隊の中核になるはずだ」
「どういうことです。シトレ本部長」

困惑する私にキャゼルヌ先輩が応じる。
「ヤン、帝国で新しい動きがあった」
「?」
「ミュッケンベルガー元帥が退役した」

「!」
ミュッケンベルガー元帥が退役、後任はだれだ?
「ミュッケンベルガー元帥の後任は、上級大将ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵だ。旧姓はミューゼル、そう言えば判るだろう」

「本当ですか、キャゼルヌ先輩。彼はまだ二十歳にもならないでしょう」
「驚くのは未だ早い」
「?」
キャゼルヌ先輩の口調は苦い。一体何が有った。


「宇宙艦隊副司令長官にヴァレンシュタイン大将が任じられた」
「大将?」
「二階級昇進したらしい」
一層苦い口調でキャゼルヌ先輩が言葉を吐き出す。そうか、副司令長官か、確かにあの艦隊司令官達は宇宙艦隊の中核になるだろう。

シトレ本部長が口を開いた。
「ヤン少将、君は帝国がこれからどう出ると考える」
「そうですね、……ローエングラム伯は自ら攻めてくるでしょう」
「その根拠は」

「ローエングラム伯には実績が少ない。実績をつけ元帥に昇進し自らの地位を磐石にしたいと思うはずです。それに帝国は内乱が起きる前に同盟を叩いておきたいと考えている。」
「私もキャゼルヌも同感だ。で、勝てるか」
本部長は強い眼で私を見てくる。少しの躊躇いも見逃さないつもりだ。

「……難しいですね。彼は間違いなく有能です。前回の戦いでも彼の率いる軍に中央は押されまくりました。あれで両翼との連携が取れなくなったんです。それに副司令長官にはヴァレンシュタイン大将が居ます。負ける戦をさせるとも思えません」

本部長は目を閉じた。表情には迷いが有る、そう思ったのは錯覚だろうか。次の瞬間、眼を開けた本部長には間違いなく迷いは無かった。
「ヤン少将」
「はい」
「先日君から聞いたイゼルローン要塞攻略作戦だが、準備にかかってくれ。艦隊はこちらで何とかする」

「よろしいのですか、本部長」
「このままでは同盟はジリ貧になる。君の手で帝国軍を止めてくれ」
「判りました。微力を尽くします」

先ずはあの男に協力を依頼しなければならないだろう。急ぐ必要が有る。ローエングラム伯も出兵は急いでいるはずだ。時間との勝負になるかもしれない……。

 

 

第八十一話 新体制

■ 帝国暦487年2月1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「申告します。本日付で宇宙艦隊副司令長官を拝命しました。エーリッヒ・ヴァレンシュタインです」
「うむ。卿の就任を心から歓迎する」
少しぎこちないな、ラインハルト。もう少しにこやかさを出さないと、相手に嫌われるぞ。

しかし、司令長官室ってのは広いな。執務机も大きいし家具調度もバッチリ揃っている。ソファも座り心地が良さそうだ。それに比べると副司令長官室はどう見てもワンランク落ちる。特に執務机とソファーだな。自腹切っても入れ替えようか?

エーレンベルク、ミュッケンベルガー両元帥に副司令長官を押し付けられた後、俺は非常に忙しかった。兵站統括部に行き私物、残作業の片付け、挨拶回りを済ませた後、憲兵隊本部、軍務省、統帥本部、装甲擲弾兵総監部にも挨拶に行ってきた。

憲兵隊本部、軍務省は感じが良かった。俺はどうも半分身内らしい。良くなかったのは装甲擲弾兵総監部で最悪だったのは統帥本部だった。オフレッサーは面白くもなさそうに“フン”といった感じだった。シュタインホフは会おうとしなかった。全く、どうして俺の周りにはガキばかりいるのかね。挨拶は人間関係の潤滑油だぞ。

「ヴァレンシュタイン大将、少し話したいことがあるのだが……」
おやおや、早速か。何が話したいのかな? 人事か、体制か、役割分担か、それともベーネミュンデの一件かな? 今更聞きたくも無い話だが。
「判りました。司令長官閣下」


■ 帝国暦487年2月1日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ジークフリード・キルヒアイス


ラインハルト様が宇宙艦隊司令長官になった。しかし、ラインハルト様は喜べないでいる。副司令長官にヴァレンシュタイン大将が就任したからだ。ラインハルト様は自分に対するお目付け役だと言っていたが私もそう思う。おかげでラインハルト様の立場の脆弱さが返って目立ってしまう。

軍務尚書も退役したミュッケンベルガー元帥も何かにつけてヴァレンシュタイン大将を頼りにした。本当は、ラインハルト様では無くヴァレンシュタイン大将を司令長官に就けたかったのではないだろうか……。

軍においてミュッケンベルガー元帥の腹心と言われたのはヴァレンシュタイン大将だ。大将は貴族ではないから元帥になるのは難しいだろう。階級も未だ大将だ。だから立場の弱いラインハルト様を司令長官にし、その下で実権を握らせた……。

先日の第三次ティアマト会戦の終了後、メックリンガー中将に全てを聞いたラインハルト様は酷いショックを受けていた。全てヴァレンシュタイン大将の思うままに動いていた。ラインハルト様自身も大将の手のひらで動く駒に過ぎなかった……。

ラインハルト様も判っている。あれがあの場合一番正しい方法だったと。一番混乱せず勝利を収める方法だったと。それでも何処かで自分に指揮権があればと考えてしまうのだ。そしてそのことがヴァレンシュタイン大将への疑惑になってしまう。

本当に、ラインハルト様が指揮権を握る可能性は無かったのだろうか? ヴァレンシュタイン大将は故意にその方法を無視していなかっただろうか? 私にはその可能性は見えない。しかし大将には見えたのではないだろうか?

その上で無視した……。もしかすると大将はあの件を知っているのではないだろうか? 例の襲撃事件の真相を。だからあえてラインハルト様を貶めるような方法を取った……。考えすぎだろうか? あの件の謝罪を何時すればいいのか、未だに私とラインハルト様の間では結論が出ない。だが少なくとも今は無理だ。

ヴァレンシュタイン大将が着任の挨拶をラインハルト様にしている。何時ものように穏やかな微笑を浮かべている。本当にあの件を知らないのだろうか?

「ヴァレンシュタイン大将、宇宙艦隊の編制だが、指揮権をどうしたものだろうか? 卿と私で分割すべきかな?」
ラインハルト様が、言いづらそうに話す。副司令長官は常時置かれるわけではない。それだけに扱いが難しい。

副司令長官が実力者なら、司令長官に対抗意識を持っているなら指揮権の分割を要求するだろう、そうでなければあくまで補佐役として次席指揮官に甘んじるだろう……。

微妙な問題だ。ヴァレンシュタイン大将は明らかに実力のある副司令長官だ。そしてラインハルト様は司令長官とはいえ立場は弱い。宇宙艦隊は十八個から成り立つ。その半分の九個艦隊の指揮権を要求してもおかしくない。

「小官はあくまで副司令長官です。次席指揮官として扱っていただければと思います」
ヴァレンシュタイン大将はあっさりと言った。指揮権は要求しなかった……。ラインハルト様もほっとしただろう。

「各艦隊司令官だが、前回の戦いで武勲を上げた指揮官達を中心に任命しようと思うが?」
「新編成二個艦隊の指揮官たちですね」
「そうだ、それとミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ケスラーにも艦隊を任せるつもりだ」
ラインハルト様の声にわずかに苦味が走る。

「メックリンガー中将はどうします。総参謀長にしますか?」
ヴァレンシュタイン大将の声には、なんの気負いも感じられない。
「いや、彼にも艦隊を指揮してもらう」

「では総参謀長は誰に」
訝しげな声だ。ラインハルト様を心配しているのだろうか。
「……まだ、決めかねている」

各艦隊司令官、総参謀長の選抜もラインハルト様にとっては不本意なものになった。実力の有る司令官達は全てヴァレンシュタイン大将に親しい人物ばかりなのだ。かねてラインハルト様が眼を付けていた司令官達は皆ヴァレンシュタイン大将に抜擢され、彼に心酔している。

いつの間にあれだけの人材を調べ上げていたのだろう。私もラインハルト様も大将に味方を作れと言われてから、密かに調べていた。ヴァレンシュタイン大将は私たちよりはるかに多忙だったはずだ。それにもかかわらず、ヴァレンシュタイン閥ともいえる人材を確保している。ラインハルト様もそれに頼らざるを得ない。

ケスラー中将も先日の第三次ティアマト会戦よりラインハルト様との間に微妙な緊張がある。ケスラー中将から艦隊司令官への転出願いが有った。ラインハルト様もケスラー中将を総参謀長にとは言わない。

「焦る必要は無いでしょう。ミュッケンベルガー元帥も総参謀長をおきませんでした。なんならキルヒアイス大佐を一時的に総参謀長代理にしてはいかがです。大佐も何時までも副官ではつまらないでしょう。総参謀長代理なら、会議にも出られますし発言権もあります」

大将は私のほうを見て話しかけた。いつもと変わらぬ優しげな表情だ。私の事を案じてくれる。確かに総参謀長代理なら将官会議にも出る事が可能だ……。

「参考になった。総参謀長はもう少し考えてみよう」
「そうですね。それがよろしいでしょう。ところで小官からも提案があるのですが」
「なにかな」
一瞬だがラインハルト様の表情に緊張が走ったように見えた。ヴァレンシュタイン大将の表情は変わらない。

「メルカッツ提督にも一個艦隊を率いてもらってはいかがでしょう」
「メルカッツか」
「はい、経験豊富な方です。きっと大きな力になってくれると思いますが」

「……いいだろう」
「有難うございます。」
にこやかにヴァレンシュタイン大将が礼を言う。

ラインハルト様が一瞬返事が遅れた理由が私にはわかる。経験も人望も実績もあるメルカッツ大将とヴァレンシュタイン大将が連合する可能性を考えたのだろう。メルカッツ大将とヴァレンシュタイン大将はアルレスハイム星域の会戦で一緒だった。今回新しく艦隊司令官になるクレメンツ中将もだ。

「ところで卿の艦隊はどうする? それと旗艦も与えられるはずだが」
「ああ、そういえばそうですね。艦隊は小規模で構いません。陛下の健康に不安がある今、小官が前線で戦う事は無いでしょう」
確かにそうだ。ヴァレンシュタイン大将に期待されている事の一つは内乱の防止だ。

「なるほど、では旗艦は」
「そうですね。もらえるなら嬉しいですね」
ラインハルト様もようやく楽しそうな表情をした。ブリュンヒルトを下賜された時のことを思い出したのかもしれない。あのときのラインハルト様の喜びは大変なものだった。

「それとヴァレンシュタイン大将、私は出来るだけ早い時期に出征するつもりだ」
「よろしいかと思います。艦隊の規模は?」
「一個艦隊。私が直接率いる」
ヴァレンシュタイン大将は特に反対しなかった。ちょっと小首をかしげて言葉を続ける。

「ミュラー提督たちにはこの際、分艦隊司令官として参加して貰いますか?」
「いや、それには及ばない」
「そうですか……。では出征まで訓練等で時間がかかりますね」
「うむ」

ミュラー提督たちの力を借りる事はヴァレンシュタイン大将の力を借りる事になるだろう。それを思えば新たに艦隊を編制するしかない。ヴァレンシュタイン大将の提案を受ける事は出来なかった。

ヴァレンシュタイン大将がそれに気付かなかったとは思えない。だが大将はそのことよりも出征までの時間を気にしたようだ。何か気になることでも有るのだろうか?

ラインハルト様は御自分の実力をヴァレンシュタイン大将を始め各艦隊司令官達に証明しなければならない。この出兵で勝ち、元帥に昇進すれば誰もがラインハルト様の実力を認めるだろう。そうなれば各艦隊司令官達もヴァレンシュタイン大将ではなくラインハルト様に心を傾けてくれるかもしれない。

「小官としては司令長官のお考えに異論はありません」
「うむ」
「艦隊の編制はいかがなさいます。ご自身でなさりますか?」
「そうしよう」
「判りました」


ヴァレンシュタイン大将は、その後二言、三言話すと敬礼をし、部屋を出て行った。


■ 帝国暦487年2月1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


司令長官室を出ると副司令長官室へ向かった。着任の挨拶だけではすまなかったな。まあ決めたいことは直ぐ決める、そんな感じだった。しかし、俺が艦隊の指揮権を欲しがらなかったからってそんなに安心するなよな。見ていてあんまり面白いもんじゃない。

艦隊の指揮権に拘らなかったのは分割すれば影響力は半分の九個艦隊にしか及ばない。しかし分割しなければ十八個艦隊全部に及ぶ。それだけのことだ。それにしてもケスラーを総参謀長にしないとはね。

あの二人、やはり歪みが出来たか。ティアマトの会戦が響いているようだ。しかしあれは止むを得なかった。参謀長は司令官の女房役だが、だからと言って全てを司令官に話せるわけじゃない。

そのあたりを理解してくれんと参謀長は結構辛い立場になる。まああの二人は例の襲撃事件もある。これ以上は無理だろうな。しかし総参謀長はどうするか? オーベルシュタイン? 冗談じゃないな、あんなのが来たら余計こじれる。

イゼルローン要塞に警告を出す必要がある。いずれヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞攻略に動く。今から手を打っておこう。イゼルローンが落ちなければオーベルシュタインがこちらに来る事も無い。

ラインハルトはかなり焦っているな。自分の立場を強化する事に夢中になっている。悪い方向に行かなければ良いんだがな。お手並み拝見、そんなところか。

メルカッツ提督には頭を下げて協力を依頼する必要があるな。俺が戦場に出られない分、ラインハルトを抑える人間が必要だ。俺やラインハルトの下に就くのは面白くないかもしれんが、そこは我慢してもらうしかない。なんだったら副司令長官は二人でもいいはずだ。第一、あの人にとって原作での亡命ルートはあまり良い人生とは思えん……。



 

 

第八十二話 行動命令

■ 帝国暦487年2月10日   オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


俺は、一日一度は必ず司令長官室を訪ねることにしている。ラインハルトは結構プライド高いから自分から副司令長官室に来るのには抵抗ありそうだし、後から聞いてないとか、知らないとか言われるの嫌だからね。ホウレンソウはしっかりやる事にしている。

必ず朝、前日の報告をして当日の予定を伝える。そのほか緊急時には必ず自分で話しに行く。向こうはまた来たかと思っているかもしれないけど、こういうのは続ける必要がある。べたべたしたいとは欠片も思わないが最低限のコミュニケーションの場は作っておく必要がある。イゼルローン要塞のような事は御免だ。

そんなわけで、俺は早朝から司令長官室にいる。各艦隊の編制や補給状況、人事の問題等話すことはいくらでも有る。宇宙艦隊は今編制中なのだ。しかし今日はちょっと別な事を話さないといかん。

「司令長官閣下、お時間を頂けますか?」
「何かな、ヴァレンシュタイン大将」
ラインハルトの目が少し赤い。自分の艦隊の編制がなかなか進まないので寝不足なのだろう。特に司令部の人選で悩んでいるらしい。そのせいで、俺を見る眼もちょっときつい。目付き悪いぞ、お前。

「実は今度の帝国軍三長官会議でエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥に了解を得て頂きたいことがあります」
少し眉を寄せ、不機嫌そうな顔をラインハルトはした。帝国軍三長官会議で了解を得ると言う事はかなりの大事だ。この忙しいときに面倒はごめんだ、そんな感じだな。

「なにかな」
「イゼルローン要塞の事ですが、現状から見て反乱軍がイゼルローン要塞攻略に動く可能性があると思いますが」

「確かに要塞を落とせば帝国の攻勢をとめることが出来るな」
「はい。そこで駐留艦隊に対し要塞の防御を第一に考えるようにと警告を発したいのですが、いかがでしょうか。」

ラインハルトは少し考え込んでいる。ゼークト大将とシュトックハウゼン大将の事を考えているのだろう。
「……ゼークト大将とシュトックハウゼン大将の関係はどうなのかな?」
「さあ、小官は此処最近出兵していませんのでなんとも」

「そうか、私が知る限りでは特に悪い噂は聞かなかったが……」
あまり自信なさげだな。最近はこっちが押している分イゼルローン要塞への危機感は薄い。つまり関心も低いだろう。仕方ないかもしれない。

「司令長官も代わられた事ですし、改めて命令を出しては如何でしょう」
「なるほど」
「三長官会議で話していただけるでしょうか」
「いいだろう」

駐留艦隊に対して要塞の防御を第一にしろと言えば、武勲を立てるなと言われたと思いかねない。特に俺もラインハルトも若いから向こうが反発する可能性がある。三長官会議での決定事項となれば、不満は持っても納得するだろう。

司令長官室を出て、副司令長官室に戻るとリューネブルク中将が部屋で待っていた。
「朝のご機嫌伺いですか、大変ですな若い司令長官を持つと」
「たとえ相手が誰であろうと同じ事をしますよ」

リューネブルクは俺が副司令長官になると、直ぐ宇宙艦隊への配属を希望してきた。オフレッサーとはやはり上手くいっていなかったらしい。一度、切り捨てられそうになっているからな、仕方ないと言える。

おかげで俺は着任早々、ラインハルトに頭を下げ、オフレッサーに会ってリューネブルク率いる装甲擲弾兵第二十一師団を宇宙艦隊へ配属するように頼んだ。オフレッサーは面白くなさそうだったが、意外にあっさりと許してくれた。厄介払いの気持ちもあったんだろう。

ラインハルトも面白くなさそうだった。どうもこの二人は相性が悪いんだな。配属が決まったあとの挨拶も碌なもんじゃなかった。各艦隊司令官の居る前でラインハルトがちょっと嫌味っぽく “今度は私の部下として働いてくれるのか”といえばリューネブルクも“副司令長官のご命令があれば”なんて不敵に言いやがる。

周りは気まずそうに顔を見合わせているし、ラインハルトは顔が引き攣っている。俺は咄嗟にヴァンフリートでは、二人とも俺の命令で動いていた。二人ともとんでもない奴だった、と言って誤魔化した。苦しい言い訳だよ。

「司令長官はご機嫌斜めだったでしょう」
俺を試すような眼で見ないで貰いたいな、リューネブルク。
「そんな事はありませんよ」

「嘘をついてはいけませんな」
困った奴だ。俺を嘘吐き扱いする。
俺は、リューネブルクに構わず執務机に座り書類を見始める。

「……」
「閣下も意外に意地が悪い」
「……」

「各艦隊の司令部、分艦隊司令官人事を決めながら、司令長官の艦隊には何もしないのですから」
「……私が口を出したら嫌がりますよ」

「まあ、そうですな。しかし、ああも手際よく決められると司令長官もキルヒアイス大佐も落ち込むでしょうな」
「……」

リューネブルクの言う通り、俺は各艦隊の人事に関与している。きっかけはビッテンフェルトだった。司令部人事をどうしたら良いかと訊いてきたんで、原作知識で知っている奴を教えたんだがそれがきっかけで各艦隊から相談が来た。

知ってる限りは教えたが、後は選んだ奴に相談して決めろと言って追っ払った。ついでにベルゲングリューン、ビューローはそれぞれロイエンタールとミッターマイヤーのところに配属させた。

キルヒアイスが昇進するまで未だ間があるからな。早い者勝ちだ。嫌がらせじゃないぞ。あれだけの人材なんだ。遅かれ早かれ誰かが自分のところへ引っ張るだろう。
クレメンツは自分で選んできた。あの人は士官学校の教官だったからな。教え子を中心に艦隊幕僚を選んだようだ。

問題は俺なんだな。全然自分の艦隊が出来ていない。困ったもんだ。大体各艦隊の編制を優先している状態で、俺の艦隊は未だ何も無い状態だしね。まあ俺自身が出兵する事は当分無いから急ぐ必要は無い、そう割り切っている。

「いつの間にあれだけの人材を調べたのです」
「……内緒です」
原作知識があるなんて言っても誰も信じないな。キチガイ扱いされておしまいだろう。



■ 帝国暦487年2月10日   オーディン 宇宙艦隊司令部 ヘルマン・フォン・リューネブルク


なんとも底の知れない男だな。俺は目の前で書類を読んでいるヴァレンシュタインを見ながら思った。各艦隊司令官の抜擢と言い、司令部要員の配置と言い頭の中に人事データベースでも入っているのかと思ってしまう。

各司令官達は皆、驚くやら喜ぶやらだが、当の本人は余りたいした事ではないと思っているらしい。そのことが司令官達をますますヴァレンシュタインに敬服させている……。ローエングラム伯は判っているかな。自分が危険な方向に進んでいる事に。

戦争に勝つことで自分の実力を示し、諸将に認められようと言うのだろう。確かにそれは大事な事だし気持ちも判る。しかし、司令長官と司令官の役割は違う。司令長官の役割は司令官達を指揮統率する全軍の指揮官なのだ。極端な事を言えば自分で戦わなくても良い。

部下と功を競うのではなく、部下に功を立てさせる。第三次ティアマト会戦のヴァレンシュタイン大将を見れば判る。自ら戦うのではなく、戦って勝つ条件を整え、実戦は配下の司令官達に任せる。ローエングラム伯にそれが出来るだろうか。

彼らが勝利を収めれば、そのことがヴァレンシュタイン大将の功績になる。当然失敗すればその責めは大将が負う。強い信頼関係が無ければできる事ではない。ヴァレンシュタイン大将は既にその信頼関係を築いている。ローエングラム伯は未だその信頼関係を築けずにいる。

一年、いや半年早かった……。宇宙艦隊司令長官になるのは元帥になってからの方が良かった。そうすればもう少し彼も落ち着いて司令長官になれたろう。今回の司令長官就任は本人にとっても予想外の人事だったはずだ。その事が彼を苦しめている。

艦隊司令官としての能力は有るのだ。その事を疑うものは誰もいない。それなのに司令長官自身が自分の艦隊司令官としての能力を証明しようとしている。大事なのは管理者としての能力なのに……。



 

 

第八十三話 イゼルローン

■ 帝国暦487年2月15日   イゼルローン要塞 トーマ・フォン・シュトックハウゼン


「オーディンより通達が来たが卿はどう思う」
私は、ゼークト大将に通達文を渡し問いかけた。ゼークト大将は眉を寄せて通達文を読むと唸るような声で答えた。
「反乱軍がこの要塞を攻略しようとするか……十分有り得る事であろうな」

「制宙権の保持には固執する必要は無い……妥当な判断だな、シュトックハウゼン司令官」
「ゼークト提督、要塞が無事ならば、一時的に制宙権を奪われても回復は容易いと思うが」
「確かにそうだ。反乱軍は何時までもこの宙域にいることは出来ん。補給が続かんからな」

詰まらなさそうにゼークトが呟く。この男は一見粗野な猛将に見える、しかし実際は違う。積極的であり激しさもあるが用兵家としては安定した力量を持っている。そうでなければイゼルローン要塞駐留艦隊の司令官になれるはずが無い。

「それよりゼークト提督、オーディンは我々の事が大分心配らしいな」
「仕方あるまい。要塞司令官と駐留艦隊司令官の仲の悪さは伝統だ」
「違いない」
私はゼークトの言葉に相槌を打った。

四年前、私とゼークトがオーディンよりイゼルローン要塞に赴任した時、驚いたのは要塞司令部と駐留艦隊司令部の仲の悪さであった。顔を会わせればいがみ合う、相手の足を引っ張る、反乱軍より始末が悪い味方だった。

当初、私もゼークトも前任者のクライスト、ヴァルテンベルクの両大将が更迭される羽目になったのは当人たちの仲の悪さが原因だと思っていた。しかしそうではなかった。これは本人たちよりも周りの影響が大きいだろう。

こうも周囲がいがみ合っていては本人たちとて引き摺られる。帝国軍三長官から“協力せよ”と言われた事の困難さがこの時ようやく理解できた。この中でやっていけるのだろうか? しかし私たちが失敗すればその罰はクライスト、ヴァルテンベルクの両大将よりも酷いものとなるだろう。

この任務の困難さと周囲の環境が、私とゼークトの仲を近づけた。お互いに相手を信じるしかなかった。幕僚どもを叱り付け、渋々ながらも協力させる。常に厳しい態度で幕僚どもに接し、協力して要塞を守る事が大切なのだと言い続けた。

連中の前で弱みは見せられなかった。当然弱みを見せられる相手はゼークトしかいなかった。ゼークトにとっては私しかいない。時に酒を飲みながら、クライスト、ヴァルテンベルクを罵り、更にその前任者たちを呪い、イゼルローン要塞に派遣された事を嘆いた。

国防の第一線を任されるのだ。此処を無事に勤め上げれば上級大将は間違いないだろう。しかし、私もゼークトも二度とこんなところは御免だった。この四年で私もゼークトも随分と年を取った。ここは年寄りのいる場所ではない……。

「そろそろ交代の時期かな、ゼークト提督?」
「そうだな。今度、司令長官が出征するだろう。その時さりげなく言ってみるか?」
「そうだな、それが良いだろう」

私たちは顔を見合わせ頷いた。ここを凌ぎきればオーディンへ戻れる。昇進すれば、地位もそれなりに上がるだろう。軍務次官、統帥本部次長、幕僚総監、そのあたりか。願わくばそれまで何事も無く過ごしたいものだ……。


■ 帝国暦487年2月15日   フェザーン ニコラス・ボルテック

「自治領主閣下、自由惑星同盟が軍事行動を起そうとしているようです」
「ほう、懲りぬ事だな」
ルビンスキーの低い声には嘲笑の響きがある。俺はこの男の嘲笑が好きではない。何処か自分が笑われているような気がするのだ。

「なんでも、イゼルローン要塞攻略を考えているようで」
「イゼルローン要塞か、帝国軍が再編成中に落とそうというわけか。しかし、そう簡単に落ちるかな」
嘲笑は消えていない。しかし次の言葉を聞いても変わらずにいられるかな?

「動かすのは半個艦隊、指揮官はヤン・ウェンリー少将です」
「半個艦隊! ヤン・ウェンリー少将か……」
食いついたな、ルビンスキー。俺は出来るだけ神妙そうな表情を浮かべ言葉を続ける。

「まだ確定ではありません。シトレ元帥が動いているようですが、何分半個艦隊でイゼルローンを落とそうと言うのです。反対が強くなかなか難しいようです」
「……ボルテック、同盟に教えてやれ。ローエングラム伯が出征準備を整えていると」
ルビンスキーの声から嘲笑が消えた。

「では、帝国にも教えますか?」
「その必要は無い」
「やはり、要塞は落ちないとお考えで」
そうだろうな。あの要塞を半個艦隊で落とすなど無理だ。

「どうかな。シトレ本部長が何の成算も無しにティアマトの英雄に無茶をさせると思うか?」
「では落とせると」
「見てみたいものだな、あの要塞が落ちるところを。ティアマトの英雄、再びか……」

ルビンスキーは楽しそうに話す。落とせるのだろうか、イゼルローン要塞を……。
「イゼルローン要塞が落ちれば同盟も一息つけます。それをお望みで?」
「それだけではない。イゼルローン要塞を失い、国内は内乱の危機にある。帝国は混乱するはずだ」

「内乱の最中、同盟に攻め込まれれば帝国は滅びかねませんが」
俺は戦慄を覚えつつ問いかける。これまで優勢にあった帝国が滅ぶ?
「そう同盟に都合よく行くかな。帝国にはあの男が居るぞ」

楽しげに話すルビンスキーに反発を覚えながらも“あの男”のことを考える。
「ヴァレンシュタイン大将でしょうか?」
「ヤン・ウェンリーが英雄ならエーリッヒ・ヴァレンシュタインも英雄だろう」

確かに二人とも英雄と言っていい。
「英雄とは不可能を可能にする漢たちを言うのだ。イゼルローン要塞が落ちればヴァレンシュタインは明確にヤン・ウェンリーを敵と認識するだろう」

ルビンスキーは顔をほころばせつつある。この男がこんな表情をするのか?
「ボルテック、英雄たちの戦いが見られるかもしれん」
「英雄たちの戦いですか……」

「激しい戦いになるぞ。同盟、帝国、そしてフェザーンも巻き込む大きな戦いになるかもしれん。己の足で立つ事が出来るものだけが生き残ることが出来るだろう」
己の足で立つ事が出来るものだけが生き残る……。

「立てなければどうなります?」
答えはわかっていた。それでも問わずにはいられなかった。
「踏み潰されるだけだ」

ルビンスキーは楽しそうに話している。この男に敵わないと思うのはこんな時だ。フェザーンは、俺は生き残れるのだろうか? ルビンスキー、お前は生き残れるのか? 一度でいい、お前の蒼白な顔を見てみたい……。


■ 宇宙暦796年2月25日   自由惑星同盟統合作戦本部 ワルター・フォン・シェーンコップ


「これはこれは、ティアマトの英雄が小官に会いたいとは光栄ですな」
俺は目の前の男を見た。ごく温和そうな何処と言って特徴の無い青年だ。この男がティアマトの英雄? とてもそうは見えない。

「貴官に相談があってね」
「小官でよろしいのですかな」
「貴官でなければ駄目なんだ」

妙な事を言う男だ。俺でなければ出来ない? 冗談ではないようだが……。
「まだ正式発表はされていないが、今度イゼルローン要塞攻略作戦が発動される」
「ほう、上層部も懲りませんな」

「兵力は半個艦隊、司令官は私なんだ」
「!」
この男が半個艦隊でイゼルローンを攻める? 何かの冗談かと思ったが本人はいたって真面目な表情だ。

「貴官の協力が必要なんだ」
「それは一体どういう……」
ヤン・ウェンリーは俺に協力して欲しい内容を説明した。はっきり言ってペテンだろう。しかし、上手くいくかもしれない。後は俺の決断しだいか……。

「閣下、ひとつ伺ってよろしいですか?」
「ああ」
「何故イゼルローンを落とすのです?」
「?」

「実行の技術面ではこの作戦があったからでしょう。ですがその底には何があったか知りたいものです。名誉欲ですか、出世欲ですか」
「出世欲じゃないと思うな」
まるで他人事のようだな。

「三十歳前で閣下呼ばわりされれば充分だ。第一この戦いが終われば退役するつもりだ」
「!」
退役? この情勢下に退役するだと?

「理由は二つある。一つは平和が実現するかもしれない」
「平和ですか」
今度は平和? この男は一体何を考えている?

「イゼルローン要塞が落ちれば帝国は同盟への侵攻ルートを失う。それに帝国では内乱の危険がある。一方同盟は疲弊しきっている。外交交渉次第では和平が可能だと思う。和平は無理でも自然と休戦状態になるかもしれない……」

「しかし、恒久的なものになりますか」
「恒久平和なんて人類の歴史に無かった。そんなものは望まない」
「?」

「しかし、何十年かの平和な時間は持てた。私の家に十四歳の男の子がいる。その子が戦場に出るところを見たくない」
「……」
本音か? それとも……

「もう一つの理由はこの国が滅ぶところを見たくないからだ」
「滅びますか?」
不思議な事に、俺は“滅ぶ”という言葉に何の驚きも感じなかった。もしかすると俺自身何処かでそれを感じていたのかもしれない。

「滅びるよ、あの男の前にね。貴官も知っているだろう、ヴァレンシュタイン大将だ」
「……」
「先日の第三次ティアマト会戦の詳細が判った。あの男の恐ろしさに震えが走ったよ」

ヤン・ウェンリーはそう言うと第三次ティアマト会戦で何があったか話し始めた。新規二個艦隊を編制したのは誰か? 指揮官を選んだのは誰か? ミュッケンベルガーが重態になったとき指揮をとったのは誰か? 彼を艦隊に配置したのは誰か?

「判るだろう大佐、私の感じた恐ろしさが。まるで真綿で首を絞められるような息苦しさだ」
「……」
判る。俺自身言葉が出ない。

「ヴァレンシュタイン大将は、あの時指揮権に介入したことで一階級降格の処分を受けた。しかし一ヵ月後には二階級昇進し大将になり、宇宙艦隊副司令長官になっている」
「……」

「帝国の上層部もわかっているのさ。彼が帝国を動かす力量を持った男だとね」
「……」
「不思議な男だ。貴官も会ったことが有るだろう」

「知っているのですか?」
「あの時、旗艦アイアースに私もいた」
「……」

俺を必死で説得した男。真っ青な顔をしてふらつきながらもリューネブルクを守ろうとした。一瞬だがリューネブルクが羨ましかった……。

「リューネブルクもあの女性士官も彼に付いて行った。人を惹きつける力が彼には有る。その彼の元に力の有る男たちが集まりつつある。私はこの国が、民主主義が滅ぶのを見たくない……」

そう言うとヤン・ウェンリーはじっと眼をつぶった。彼の言うとおりヴァレリーはあの男に付いて行った、放っておけないと言って。リューネブルクはあの男に希望を見つけた。俺自身一瞬心が動かなかったと言えば嘘になる……。さて俺はどうする? 目の前の男に付いて行くか? それとも……。


 

 

第八十四話 出征前

■ 帝国暦487年2月25日     オーディン 宇宙艦隊司令部 ベルンハルト・フォン・シュナイダー


メルカッツ提督が宇宙艦隊への配属を命じられた。本来ならメルカッツ提督こそが宇宙艦隊副司令長官、いや司令長官になって良いはずだ。それを傘下の一艦隊司令官になれとは……どうにも納得がいかない。

メルカッツ提督は何も仰らないが嬉しい人事だとは思っていないだろう。ここ数年、戦いの場にも行く事も無く、辺境警備に従事する毎日だった。ようやく中央に戻る事が出来たと思ったら自分の息子よりも歳若い司令長官、副司令長官に使われる身に成るのだ。

宇宙艦隊司令部に行くとローエングラム伯は訓練中だと言うので副司令長官へ着任の挨拶を行なう事になった。私はヴァレンシュタイン大将とは面識が無い。私がメルカッツ閣下の副官になったのは閣下がアルレスハイムの会戦で勝利を収め大将に昇進した後だ。

副司令長官がメルカッツ閣下の配下だったのはアルレスハイムの会戦までの短い期間だった。閣下にとっては印象深い部下だったようだ。時折私に話してくれることがある、変わった男だったと。その男が今副司令長官になっている。

副司令長官室に入って驚いたのは、部屋がやたらと広い事だった。おそらく二部屋ぶち抜きで使っているのだろう。大勢の女性下士官(三十名ほどいるだろう)が机を並べ書類を、ディスプレイを見ている。

引切り無しにかかってくるTV電話音と受け答えする女性下士官。書類をめくる音と忙しそうに歩く女性下士官。華やかさと喧騒が入り混じった祭りのような雰囲気の部屋だ。メルカッツ提督も驚いて見ている。

副司令長官は私達の姿に気付くと執務机から立ち上がり近づいてきた。私達の驚きに気がついたのだろう、苦笑しながら “この方が便利なので部屋の仕切りを取り外しました” と話してきた。

女性達がいる場所とは反対側の部屋には会議室と応接室を今用意しているそうだ。改装が終わり次第、出入りが出来るようにドアをつけることになっているらしい。
唖然としていた私たちに副司令長官は温かみのある声をかけてきた。

「ようこそ、メルカッツ提督。心から歓迎します」
「これは失礼しました。宇宙艦隊への配属を命じられました。ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ大将です」
「副官のベルンハルト・フォン・シュナイダー大尉です」

メルカッツ提督も私も慌てて挨拶をした。そんな私たちに副司令長官は柔らかく微笑むと傍に有ったソファーに座る様に勧めた。私は遠慮して立っていようとすると私にも座るようにと勧めた。

「メルカッツ提督、ご無沙汰しております」
「遅くなりましたが、副司令長官への就任、おめでとうございます」
「有難うございます。今回はメルカッツ提督にも御迷惑をおかけします」

「?」
「さぞ、御不快で有りましょう、司令長官も私も提督よりはるかに経験も無ければ歳も若い」
一瞬、自分の心を読まれたのかと思った。副司令長官の顔を見たが先程までの微笑みは無い。穏やかで誠実そうな、それでいて幾分緊張した表情がある。

「各艦隊司令官も皆若い指揮官になりました。能力については心配していませんが血気に逸る事が無いとも言えません。本来なら私がそれを抑えなければならないのですが国内に不安がある今、私は戦場に出る事が出来そうにありません」
「……」

「メルカッツ提督。皆が誤った道に進もうとしたなら提督の力で止めていただきたいのです。難しいことだとは判っています。しかし他に頼める方がいません。どうかお願いします」

驚いたことに副司令長官は頭を深く下げてきた。私はどうしていいか分らず、思わず左右を見た。部屋の女性下士官も驚いた眼で見ている。偶然私と目が合うと慌てて書類を見始めた。

「副司令長官、頭を上げてください……。閣下の仰る事は良くわかりました。小官に何処まで出来るかわかりませんが、微力を尽くしましょう」
「有難うございます。メルカッツ提督」

メルカッツ提督の言葉に嘘は無い。言葉に出した以上、提督は誠心誠意務めるだろう。副司令長官もそれが分るのだろう。表情から緊張が消え安堵の表情が見える。新司令長官、ローエングラム伯に会えないのが気になるが、少なくとも居心地の悪い場所ではないようだ。


■ 帝国暦487年2月25日     オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


メルカッツ提督が宇宙艦隊に入ってくれた。あの人の事だ、しっかりと押さえ役になってくれるだろう。残念だったのは副司令長官職を用意できなかった事だ。ラインハルトに頼んだんだが、余りいい顔をしなかった。

エーレンベルクもシュタインホフも統括する指揮官が多すぎるのは良くないと言っていた。一理有るのは確かだ。まあ目的はあの人を副司令長官にすることじゃない、押さえ役として宇宙艦隊に参加してもらう事だ。最低限の成果は得た。そう考える事にしよう。

俺の方も徐々に体制が整ってきた。各艦隊の補給、訓練、その他諸々の書類が俺宛に来るのだが到底裁ききれない。ラインハルトは今は出兵の事で手一杯だ。 “それは卿に任せた” だからな。

そんなわけで宇宙艦隊司令部の女性下士官を二十名ほど副司令長官直属の部下にした。それと兵站統括部から十名、女性下士官を派遣してもらっている。その他に彼女たちを管理する役として、リッチェル准将、グスマン大佐を引っ張ってきた。

各艦隊からまわってきた書類を女性下士官たちが確認する。それをリッチェル、グスマンが確認し、俺が再度確認した上で決裁する。まあ、ものによってはリッチェル、グスマンの決裁で問題ない物もある。おかげで仕事が楽になった。

艦隊の方もようやく編制が終了した。当初五千隻の予定だったがどういうわけかラインハルトが艦隊は一個艦隊一万五千隻に編制せよと言ってきた。おかげでちょっと手間取った。艦隊司令部の人選もそれなりに整いつつある。

副司令官にシュムーデ中将、分艦隊司令官にルックナー中将、リンテレン中将、ルーディッゲ中将、参謀長にクラウス・ワルトハイム准将、副参謀長にシューマッハ大佐だ。

ルックナー、リンテレン、ルーディッゲ中将は決して目立つ存在ではない。しかし堅実で安定感はある。一個艦隊は難しいかもしれないが分艦隊の司令官なら十分に有能だ。

ラインハルトが自分の分艦隊司令官にするだろうと思っていたんだが、以前彼らに助けてもらった事が尾を引いているのか、自分のところには入れなかった。俺としてはラインハルトのためにわざわざ彼らをフリーにして置いたんだが。使わないんなら俺の配下にさせてもらう。

モルト中将にも来て貰った。皇帝に万一の事が有った場合は、俺の下で次席指揮官として憲兵隊を統括してもらうつもりだ。補佐にはキスリングがいるから問題ないだろう。彼とリューネブルクがいれば地上戦は問題ないはずだ。

俺の旗艦も決まった。戦艦ロキ、ブリュンヒルトの設計思想を反映して建造された戦艦だ。つまりキルヒアイスのバルバロッサと同じなのだが、この世界では未だキルヒアイスは大佐だ。それで俺に来たらしい。しかしロキね。

大神オーディンの所属するアース神族とは敵対する巨人族に属しながらもオーディンの義兄弟となった神。北欧神話最大のトリックスターという説もあるが、どちらかと言えば悪魔神に近いと俺は思っている。

ラグナロックにおいては巨人族を率いてアース神族を滅ぼすために出陣し、最後はヘイムダルと相打ちになった……。どういうつもりでロキとつけたのか分らないが面白いな。誰にとってのロキになるやら……。

ラインハルトの方も艦隊編制が終わりつつある。参謀長にはシュタインメッツ准将を登用した。分艦隊司令官で使うより良いだろう。冷静で沈着な男だ、頭に血が昇った司令長官を抑えてくれるだろう。分艦隊司令官にはアスターテで配下だったフォーゲル、エルラッハがいる。

キルヒアイスは相変わらず副官のままだ。それは良いんだが、問題はオーベルシュタインがラインハルトの配下になったことだ。宇宙艦隊司令部の廊下で会った時、最初は判らなかったんだが、眼をチカチカさせながら義眼の調子がなんて言っている。

思わず、体が硬直した。何を話したか良く覚えていない、気がついたら執務室で水を飲みながら書類を決裁していた。ヴァレリーが妙な顔をして俺を見ていた。俺だって水くらい飲む。

よくよく考えてみると、オーベルシュタインがイゼルローン要塞駐留艦隊に配属されるのはアスターテ会戦の後、ラインハルトが元帥に叙任された後だ。大体三月を過ぎたあたりだろう。今の時期は統帥本部の情報処理課に居た。

俺はイゼルローン要塞の陥落さえ防げばオーベルシュタインは問題無いと考えていたんだが甘かった。オーベルシュタインは原作でもラインハルトを高く評価していた。イゼルローン陥落後にラインハルトを頼ったのは苦し紛れじゃない。いずれローエングラム元帥府へ行くつもりだったんだろう。それが早まったと言う事だ。

自分からラインハルトに売り込んだらしい。どんな話をしたのか判らんが、気をつけなければいけない。あいつの場合、敵を倒す事より味方を陥れる事に熱中しかねない。

しかし、分艦隊司令官が少し弱すぎる。大丈夫かね、敵前回頭して撃沈されるような奴選んで。敵が出てくるとすれば今度は第五、第十、第十二艦隊あたりが出てくる可能性が高いだろう。同盟でも最精鋭部隊だ。

どんな形になるかは判らないが、原作のアスターテのようには上手くいかないと思う。せめてルックナー、リンテレン、ルーディッゲ中将を分艦隊司令官にしてくれれば安心できたんだが……。

さすがに見かねて、ミッターマイヤー、ロイエンタールを分艦隊司令官として連れて行けと言ったんだが、意地になってるんだろう。“必要無い”の一点張りだった。俺に気遣われるのが鬱陶しいらしい。

不利な状況で勝てれば、より実力を証明できるとでも思っているのかもしれない。判ってないよな。お前のために言ってんじゃない、兵が可哀相だから言ってるんだ。今更なんだが、最初から編制に関わるべきだったかもしれない、一個艦隊での出兵など認めるべきじゃなかった。ついアスターテが頭にあって同意してしまった。失敗だった。ここまで酷くなるとは思わなかった。

こうなったら訓練を名目に三個艦隊ほど動かして後を追わせるしかないだろう。 怒るかもしれんが、勝っているなら戦果拡大をはかれるし、負けているなら、盛り返せるだろう……。何か第八次イゼルローン要塞攻防戦に近い感じだな、嫌な流れだ……。

 

 

第八十五話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その1)

■ 帝国暦487年3月15日  オーディン ミュッケンベルガー邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「では、ローエングラム伯はイゼルローンに向かったのか?」
「はい。今朝出征しました。二十五日ごろにはイゼルローン要塞に着くでしょう。その後、アスターテ方面へ向かいます」
「そうか……」

俺はミュッケンベルガー元帥の邸宅に来ている。元帥が退役した後も時折訪れ、近況報告しているから元帥は軍の状況については把握している。今一番頭を痛めているのは他でもないラインハルトの事だろう。

腕を組んで沈思黙考する姿は現役の時と何処も変わらない。軍服を着ていないが、威厳、落ち着き、何も変わっていない。困った事に俺はこういう老人に弱いのだ。自分が華奢で体が弱いため憧れがあるのかもしれない。

最近では此処に来る事は俺にとって大切な事になっている。困った事が有ると元帥に相談するようになった。宇宙艦隊司令長官として得たミュッケンベルガー元帥の経験は大切なものだ。随分と教わる事が多い。年寄りの知恵と経験は馬鹿に出来ない。人生経験だけは学校では教えられないのだ。

「三個艦隊動かしたと言ったな。誰を選んだ?」
「メルカッツ、ロイエンタール、ミッターマイヤーの三人です」
「メルカッツか、先ずは一安心だな」

口だけでは有るまい。元帥の顰めていた眉が元に戻った。俺も全く同感だ。メルカッツ提督が宇宙艦隊に所属してから約一月半、存在感の重さは皆が感じていることだ。俺ではあの存在感は出せない。

「元帥、一つ気になることがあります」
「何だ、ヴァレンシュタイン」
「反乱軍の動向が聞こえてきません」


元帥の表情が厳しくなった。無理も無い、意味するところは重大だ。
「フェザーンが情報を遮断していると言う事か……」
「おそらく。これ以上反乱軍の敗北は受け入れられない、そんなところでしょう」

「ローエングラム伯はその事を知っているのか?」
「はい」
「何と言っていた?」

「分ったと」
「……」
元帥の表情の厳しさが増す。気持ちは判る。フェザーンは明確に同盟よりの政策を取りつつある。

今後フェザーンが何を仕掛けてくるか。帝国内での反乱をけしかけるくらい簡単にやってのけるだろう。今回の遠征も危険が大きい。フェザーンが情報を遮断するだけならいい。もしかするとこちらの動員兵力を過大に報告したかもしれない。

“帝国軍が三個艦隊動かした” そんな情報が同盟に届いたらどうなるだろう。これ以上負けられない同盟は最低でも四個艦隊~五個艦隊程度は動かそうとするだろう。その危険性がラインハルトには分らない。

宇宙艦隊の司令部勤めをしたことがあれば良かったのだが、前線勤務しかしていないためその辺が判らないのだ。
「万一の場合は殴りつけてでも連れ帰れとメルカッツ提督に言って有ります」

「宇宙艦隊司令長官は、…… 一年、いや半年早かったかもしれんな」
思わず俺は苦笑した。元帥が咎めるような視線を向けてくる。
「……同じ事をリューネブルク中将が言っていました」

「そうか」
今度は元帥が苦笑した。世の中思うようには行かないと言う事だ。
「とにかく一度戦わせるしかないと思います」

「勝敗は関係無くか」
「勝てば落ち着くでしょう、負ければ反省すると思います」
「うむ……止むをえんか」

この話はもうやめよう。犠牲になる兵のことを考えると胸が痛むがこれ以上は此処で話してもどうにもならん。話すほど滅入ってくる。今回はメルカッツ提督に頼むしかない。後はラインハルト自身の問題だ、彼が自分で解決できるかどうか。

「ところで元帥、先日のお願いは如何でしょう?」
「士官学校での講演の件か」
「はい」

「良いだろう。私の経験が若い学生たちの役に立つのであれば」
元帥は珍しく口元を綻ばせて答えた。俺は元帥に士官学校で講演をしてくれるように頼んでいる。指揮官としての心構え、決断の苦しさ等を話してもらえればきっと役に立つだろう。俺自身が今そう感じているのだから。

俺は話を終えるとミュッケンベルガー邸を辞去した。ユスティーナが見送ってくれる。
「提督、もうお話は終わりですの」
「ええ、終わりました」

ユスティーナ、俺が一階級降格処分を受けた時は大変だった。自宅謹慎中の俺の所に来てわんわん泣きながら謝るのだ。ヴァレリーもミュラー達も見ているだけで助けようとしない。本当に酷い奴らだ。あれだけは恨んでいる。

「お忙しいのでしょう。わざわざ来て頂いてご迷惑ではありませんか?」
「とんでもない、元帥閣下には色々と相談に乗ってもらっています」
「また、来ていただけますか? 養父は提督がいらっしゃるのを心待ちにしているようです」
「ええ」


■ 帝国暦487年4月20日     イゼルローン回廊 特設任務部隊ヤン・ウェンリー


「四千光年を二十四日悪くないな」
「フィッシャー准将の艦隊運用は名人芸さ」
「そうだね、ラップ」

ジャン・ロベール・ラップ少佐。士官学校の同期生。ジェシカ・エドワーズの婚約者。信頼できる友人であり、頼りになる参謀だ。彼がこの艦隊に配属されたのは幸運だった。

私が率いる特設任務部隊は三月二十八日に大規模訓練と称し、ハイネセンを発ちイゼルローンとは反対側に向けて三日間ワープを繰り返した。その後イゼルローンに向けて改めて航路を算定しワープを続けイゼルローン回廊に入っている。

司令官:ヤン・ウェンリー少将
副司令官:フィッシャー准将
参謀長:ムライ准将
副参謀長:パトリチェフ大佐
作戦参謀:ラップ少佐
副官:グリーンヒル中尉
ローゼンリッター連隊長:シェーンコップ大佐

特設任務部隊のメンバーだ。短期間で選んだにしては悪くない。副官にグリーンヒル大将のお嬢さんが来たのは、グリーンヒル大将もこの作戦を支持しているという事か……。

それにしても特設任務部隊とは妙な名前だ。当初シトレ本部長は第十三艦隊の名称を付けようとしたのだが、ドーソン司令長官が強硬に反対したそうだ。おかげで特設任務部隊になった。まあ、私としてはやる事をやるだけだ。

「提督、あの情報に間違いは無いのでしょうか?」
「ああ、間違いないだろうね」
私はムライ参謀長の質問に答えた。確かにあの情報の正確さに作戦の成否はかかっている。

「あの情報はフェザーン経由でもたらされたものだ。フェザーンにとってもこれ以上の帝国の勝利は望ましくない。信じて良いだろう」
「なるほど」

私が説明するとパトリチェフ副参謀長が力強く頷いた。周囲の雰囲気も和らぐ。こういう雰囲気を持つ男はなかなか居ない、いい男に巡りあえた。今回の作戦の鍵は三つ有る。一つ目はフェザーンからの情報、二つ目はシェーンコップ大佐、三つ目は……。

上手く噛合えば同盟はイゼルローン要塞を奪取した上に、帝国に大きな損害を与える事が出来るだろう。そしてあの男を失脚させる事が出来るかも知れない。難しい作戦だが可能性は有る……。



■ 帝国暦487年4月23日   イゼルローン要塞 トーマ・フォン・シュトックハウゼン


ここ二日、要塞周辺の通信が撹乱されている。反乱軍が接近しているのは疑問の余地が無い。不思議なのは敵の攻撃が無い事だ。姿さえも確認できない。私もゼークト提督もそのことに頭を悩ませている。

要塞司令部と駐留艦隊司令部の合同会議もこれで三度目だ。不可思議な敵の行動に誰もが苛立ちつつある。敵の姿が確認できないため、オーディンへの連絡も出来ないでいる。いや通信が届くかどうかという問題もあるが……。

「敵が居るのは間違いありません。出撃するべきではないでしょうか」
「要塞から出るなと言われているのを忘れたのか!」
「しかし、敵が見えなくては……」

「見えなくて結構だ。要塞付近に敵が居ないと言う事ではないか。即ち要塞は安全だと言う事だ」
ゼークトが参謀と遣り合っている。彼も辛いだろう。あの命令は艦隊司令部の反感を大きく煽った。

何故自分たちが要塞の宇宙モグラの番犬をしなくてはならないのか? そして私も要塞守備兵を宥めるのに苦労している。要塞守備兵は艦隊乗組員を家でゴロゴロしている駄目親父だと貶している。

何の成果も無い会議が終わると自然二人で話す事になった。
「全く、何のための会議か分からんな」
「そう言われるな、ゼークト提督。言いたいことを言えばガス抜きにもなるだろう」

自分で言っていて余りの酷さに思わず苦笑してしまった。ゼークトも同感だったのだろう。同じように苦笑している。
「要塞司令官は、敵が何故攻めてこないと思う?」

「おそらく、こちらをおびき出そうとしている。そんなところではないかな」
「私もそう思う。芸の無いやり方ではあるが、苛立たしいのは事実だな」
ゼークトがうんざりしたように吐き出す。要塞司令官の私が苛つくのだ。攻撃手段のある彼の気持ちは察するに余りある。

「ゼークト提督、気になることが有るのだがな」
「?」
「今回オーディンからは敵の来襲について何の警告も無かったがどういうことだろう?」

私の問いにゼークトの表情が曇る。彼も同じことを考えていたのだろう。これまでは必ずオーディンから警告があったのだ。それが何故ないのか? 要塞攻略となれば大兵力を動員するのだ。フェザーンから帝国に通達があったはずだ……。

「分からん……。もうすぐ司令長官が来るはずだ、あるいは司令長官なら知っているかもしれんが……」
彼の言葉にとんでもない事に気付いた。司令長官がもう直ぐ来る。いかん、その事を忘れていた。

「ゼークト提督、司令長官が敵襲を受ける可能性は無いか?」
慌てて話す私に彼も気付いたようだ。
「なるほど、その可能性があるな。奇襲を受けるのは拙い、連絡を入れておこう。届けばいいが……」

「大丈夫かな。敵は大兵力のはずだが……」
「通信が届けば大丈夫だ。奇襲さえ受けなければ何とかなるだろう」
ゼークトも不安なのだろう、語尾が弱い。


しかし私達の願いは届かなかった。翌帝国暦487年4月24日、遠征軍より通信が途切れ途切れ入る。

「遠征軍は反乱軍の大軍に不意をつかれ現在苦戦中。至急来援を請う!」








 

 

第八十六話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その2)

■ 帝国暦487年4月24日 01:00    イゼルローン要塞 トーマ・フォン・シュトックハウゼン


「遠征軍は反乱軍の大軍に不意をつかれ現在苦戦中。至急来援を請う!」


この通信がイゼルローン要塞に入ると一気に合同会議の場に緊張が走った。
「ゼークト提督、直ちに艦隊を出撃させるべきです!」
「閣下、司令長官を見殺しには出来ません、艦隊に出撃命令を」
「味方が苦戦しているのです。見殺しには出来ません」

駐留艦隊司令部の参謀たちが口々に出撃を唱える。彼らがローエングラム司令長官の事を本気で案じているとは思えない。司令長官のことを陰で“金髪の小僧”と嘲笑しているのだから。しかし……。

「ゼークト提督、卿の参謀たちの言う通りだ。司令長官を見殺しには出来まい」
「……止むを得んな。一時間後に全艦隊をあげて出撃する」
迷いを振り切るような口調のゼークトの言葉に駐留艦隊司令部の参謀たちが嬉々として部屋を出て行く。

要塞司令部の参謀たちも部屋を去り、部屋には私とゼークトの二人が残された。誰も居ない部屋に司令官が二人…… この要塞での私達の立場を如実に表しているだろう。味方は誰も居ない。

「要塞司令官、済まぬな、卿を一人にしてしまうようだ」
「何を言う。司令長官が危険な状況に有るのだ、止むを得まい」
ゼークトは苦しんでいる。私を一人にすることを。そう、文字通り私は一人になるだろう。

確かに不安はある。しかしいくら命令が有ろうとここで司令長官を見殺しには出来ない。これまで要塞は何度も宇宙艦隊に危機を救われてきた。戦場なのだ、助け合わなければ生き残ることは出来ない……。

「ゼークト提督、間に合うかな?」
「分からん、いや、それより心配な事がある」
「?」

「これが反乱軍の罠という可能性は無いだろうか?」
ゼークトの顔に不安の色がある。当然だろう、私も同じ事を考えたのだから。

「ゼークト提督、私もそれを考えた。しかし反乱軍が司令長官の出征を知ったとしても、ここまで正確に到着の予定を知る事が出来るかな?」
私の言葉にゼークトが眉を寄せて考え込む。

「どうも嫌な予感がする。今回の事はオーディンから事前に敵襲の警告が無かった事といい、今までとは何かが違うようだ。要塞司令官はそうは思わぬか?」
その通りだ。これまでとは何かが違う。その事が私たちを不安にさせている。

「卿の言う通りだ……。しかし、出撃はせねばなるまい」
「そうだな……」
「大丈夫だ、この要塞はそう簡単には落ちんよ、ゼークト提督。それより司令長官を助けてくれ」

「……」
「我等の不安も案外意味の無いものかもしれん。そうなればゼークト提督、後で笑いながら酒を酌み交わす事になるかもしれんな」
「そうだな、そうかもしれんな……」

ゼークトは不安に囚われている。私を一人にすることに、自分が敵に乗せられているのではないかという事に。この男の苦衷を理解してやれるのは私だけだ……。ならば私が出来るのはこの男を不安を少しでも軽くしてやる事だろう……。


■ 帝国暦487年4月24日 02:00  イゼルローン回廊 特設任務部隊ヤン・ウェンリー


「要塞駐留艦隊、イゼルローン要塞を出撃。帝国領方面に向けて進撃中」
オペレータの声が艦橋に響く。第一段階は成功した。基本戦略である ”敵を分断し各個撃破する” は成功しつつある。後は駐留艦隊が遠征軍と合流する前に要塞を奪取する。

「グリーンヒル中尉、次の作戦行動開始時間は六時間後だ。シェーンコップ大佐に伝えてくれ」
「はい」

ローエングラム伯がオーディンを三月十五日に発ったというシトレ本部長からの情報は正しかったようだ。フェザーンは間違いなく同盟に味方している。この作戦の第一の鍵は、いつローエングラム伯がオーディンを発つかを知る事だった。

オーディンからイゼルローンまでは約四十日の日程だ。出立日さえ知ればそれを利用して駐留艦隊を動かす事は出来る。次はシェーンコップの番だ。

この待機時間が六時間、要塞奪取に約一時間、艦隊の入港に二時間。合計九時間、遅くとも十時間後には要塞を完全に手中に収めなければならない。一つの間違いも許されない。時間との勝負になるだろう……。


■ 帝国暦487年4月24日 08:00    イゼルローン要塞 トーマ・フォン・シュトックハウゼン


またイゼルローン要塞に通信が飛び込んできた。遠征軍の艦船からだが要塞近くまでたどり着いたが反乱軍の追撃を受けているという。援護の砲撃を依頼するとある。
どういうことだ? 遠征軍の艦船? ゼークトとは出会わなかったのか?

「スクリーンに艦影!」
「拡大投影」
オペレータの声に反射的に命令を下した。

ブレーメン型軽巡が二隻、要塞に近づいてくる。動きが頼りないのは損傷しているせいか? その背後に多数の光点が見えるのは敵か……。司令長官は、ゼークトはどうした? 何故二隻だけ要塞に来る。

「軽巡より通信が入りました」
「なんだ? 何を言ってきた?」
もどかしい思いで答えを求める。

「要塞は未だ帝国の手に有るや否や。答えられたし」
「!」
衝撃が私を襲う。遠征軍はイゼルローン要塞が落ちたと思っている。それ程の大軍が遠征軍に押し寄せたのか?

「返信せよ。イゼルローン要塞は難攻不落なり、疑うな!」
思わず怒鳴るように答える。オペレータが返信するのを聞きながら、スクリーンを見る。一体反乱軍はどれ程の大軍を動かしたのだ。不安が募る。

「軽巡、一隻破壊されました!」
「!」
要塞司令室が沈黙に包まれる。スクリーンに映っていた軽巡の一隻が火球に包まれた……。目の前で味方が撃沈された……。

「砲戦用意!」
主砲の発射準備を命じつつ、敵の規模を確認する、五千隻ほどか。おそらく分艦隊だろう。敵はもう直ぐ要塞主砲射程内に入ってくる。そのときは思い知らせてやる。自分の心の中で怒りが煮えたぎるのが分かった。

敵は要塞主砲の射程寸前で停止した。敵も馬鹿ではない、突っ込んでは来ないか。
悔しさを押し殺してスクリーンを見詰める。軽巡が要塞管制室からの誘導波に従って港内に入った。敵艦隊も回頭し要塞から離れ始める。

とりあえず一息つける状況になったと言っていいだろう。問題は司令長官とゼークトだ。どうなっている。
「司令長官と駐留艦隊はどうなったと思う、意見のあるものは述べよ」
「……」

誰も答えない、いや答えられない。あの軽巡の様子を見ればどう見ても司令長官率いる遠征軍は敗北したとしか思えない。問題はゼークトだ。彼は敗北したのか、それとも未だ司令長官を探しているのか。

未だ司令長官を探しているのなら、至急イゼルローン要塞に戻さなくてはならない。要塞は危機的な状況にある。敵は思ったより大軍のようだ。要塞だけでは守りきれない……。

「閣下、軽巡の艦長が至急会いたいと……」
「此処へ連れて来い、早く!」
部下の言葉をさえぎって命令した。少しでも外の状況が知りたい。

十分程待たされて司令部のドアが開くと頭部に白い包帯を巻いた少壮の士官が現れた。美男子だが、青ざめた顔が乾いてこびりついた赤黒い血に汚されている。部下が五名ほど付いている。いずれも負傷している。余程苦しい戦いをしてきたのだろう。

「艦長のフォン・ラーケン少佐です。要塞司令官にお目にかかりたい」
「シュトックハウゼンだ。事情を説明しろ。遠征軍は、司令長官はどうなった? 駐留艦隊は間に合わなかったのか?」
私は彼に近づきつつ質問した。

「駐留艦隊など何処にも居ません! 我々は不意を突かれ……」
「待て、こちらの送った警告は届かなかったのか?」
恐れていた事が起きた。やはりあの通信は届かなかったのか……。

ラーケン少佐が怒りに満ちた表情で近づいてくる。目の前に立ち、いきなり苦しげに蹲る。
「どうした、少佐。しっかりしろ」

慌てて彼を助け起そうとした瞬間、衝撃と共に床に倒されていた。ラーケン少佐の腕が首に巻きつき頭に何かを押し付けられた。
「何をする」

「こういうことです。シュトックハウゼン閣下。貴官は我々の捕虜だ!」
「馬鹿な、貴様、叛徒どもの仲間か、あの軽巡は」
「ああ、あれは無人艦です。お見知りおき願いましょう。ローゼンリッターのシェーンコップ大佐です」

不敵な響きを持つ男の声が、私の心を敗北感に染め上げていく。すまん、ゼークト。要塞を守れなかった、卿の帰りを待てなかった。もう二度と酒を酌み交わす事も出来まい、すまん……。


■ 帝国暦487年4月24日 09:30    イゼルローン回廊 特設任務部隊ヤン・ウェンリー


「閣下、要塞から通信が入りました」
私はグリーンヒル中尉の声に艦橋のスクリーンに眼を向ける。帝国軍の軍服を来たシェーンコップがいた。彼にはやはり同盟よりも帝国の軍服のほうが似合うようだ。

「お待たせしました。多少機器の操作に手間取りましたが、もう大丈夫です。誘導波を出しますので入港してください」
艦橋に歓声が上がる。

「ご苦労様。では入らせてもらおうか」
艦隊が動き出した。ようやく折り返し地点、第二段階が終了しつつある。多少時間はかかったが大丈夫だ、特に問題は無い。要塞内に入ったら早急に次の手を打たなければならないだろう。これからが最後の仕上げだ……。


二時間後、イゼルローン要塞より駐留艦隊、遠征軍に対して通信が発せられた。


「反乱軍はイゼルローン要塞に大軍をもって来襲せり。先程の遠征軍からの救援要請は謀略なり。至急来援を請う!」




 

 

第八十七話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その3)

■ 帝国暦487年4月24日 08:30   イゼルローン回廊 ハンス・ディートリヒ・フォン・ゼークト


「まだ、見つからんか」
「はっ」
思わず、部下を急かした事に自己嫌悪を覚えた。

既にイゼルローン要塞を発して六時間以上経つ。しかし遠征軍は見つからない。いや敵の気配さえ無い。妨害電波の発生装置が所々においてある事を見れば敵が、おそらく工作艦、敷設艦だろうが、ここまで来たことは確かだろう。

そのおかげで通信状況が酷く遠征軍と連絡が取れない。あるいは謀略に引っかかったか? 不安が心を苛む。引き返すべきだろうか? もしこれが敵の謀略なら要塞が危ない……。

「先行している哨戒部隊から連絡が入りました!」
「どうした」
「遠征軍と接触したそうです」
接触した? 戦闘中なのか? それとも……。

「敵は、敵はどうした!」
「居ません」
「……やはりそうか、全艦回頭せよ!最大戦速でイゼルローンへ向かえ!」
やられた……。どうやら引きずり出されたらしい。

「総旗艦ブリュンヒルトから通信が入っています。スクリーンに投影します」
映像が投影される。妨害電波の所為か、映像に所々ノイズが走る。
「どういうことか、ゼークト提督。何故卿が此処にいる?」

宇宙艦隊司令長官ローエングラム上級大将がスクリーンに映る。映りの悪い状況からでも不審に思っていることが分かる。
「閣下、イゼルローン要塞に敵が迫っております、先ずはお急ぎください」

「どういうことだ? まさか卿……」
「後々説明させていただきます。お叱りも受けますゆえ先ずはお急ぎください」
急がなければならん。間に合ってくれ……。シュトックハウゼン無事で居てくれ。


■ 帝国暦487年4月24日 10:30 帝国軍メルカッツ艦隊旗艦 ネルトリンゲン  ベルンハルト・フォン・シュナイダー


先行するミッターマイヤー提督、ロイエンタール提督より通信が入った。二人の姿をスクリーンで見ながら思いのほかにノイズが酷いことに気付く。

「メルカッツ提督、我等いささか気になる事が有るのですが」
ロイエンタール提督がメルカッツ提督に話しかける。

ヴァレンシュタイン副司令長官が、メルカッツ提督の着任時の挨拶のとき、頭を下げた事はその日のうちに宇宙艦隊司令部に広まった。それ以来、各提督たちはメルカッツ提督に丁重な態度を取っている。メルカッツ提督もそれに対して誠実に応えている。

「何かな、ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督」
「いささかノイズが酷いと思うのですが」
「ふむ、確かに言われてみれば酷いようだが……まさかな」

ロイエンタール提督の言葉にメルカッツ提督は何か思い当たる節があるようだ。
「両名とも最大戦速でイゼルローン要塞に向かってくれるか、私も後を追う」
「了解しました」

ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督の両名は敬礼をするとスクリーンから姿が消えた。メルカッツ提督は最大戦速を命じた。
「どういうことでしょう。最大戦速ではいずれ、司令長官に追い着いてしまいますが?」

「このノイズ、もしかすると反乱軍が来ているのかもしれん」
「まさか」
「要塞攻防戦となれば、敵の兵力は最低でも三個艦隊は有るだろう。司令長官が心配だ。滅多な事で敗れるとは思わんが不意を突かれればどうなるか分からん」

メルカッツ提督はそう言うと提督席で静かに考え始めた。


■ 帝国暦487年4月24日 11:30   帝国軍総旗艦 ブリュンヒルト  ジークフリード・キルヒアイス


とんでもない事になった。謀略により駐留艦隊がイゼルローンより引きずり出された。ラインハルト様はゼークト提督を叱責されたが、シュタインメッツ参謀長が今はイゼルローン要塞に急ぐべきだとラインハルト様を止めてくれた。

それにしても反乱軍はどうやってラインハルト様の艦隊が近づいていると知ったのか、私もラインハルト様も不思議に思っているとフェザーンが積極的に反乱軍に情報を流した可能性が有るとオーベルシュタイン大佐が指摘してくれた。

「これ以上の反乱軍の敗北はフェザーンにとって容認できないと言う事でしょう」

その指摘を聞いたときのラインハルト様は、改めて出征前にヴァレンシュタイン副司令長官の言った言葉の意味に気付いたようだ。 “フェザーンが情報を遮断している。” 遮断することが出来れば積極的に流す事も出来る……。

オーベルシュタイン大佐が幕僚に入った事はラインハルト様にとって大きいと思う。あまり人付き合いの良くない人物だが、冷徹で政略面での補佐をしてくれそうだ。後は優秀な分艦隊司令官が居てくれれば問題ないのだが……。

「イゼルローン要塞より入電」
オペレータの声に艦橋が緊張した。
「反乱軍はイゼルローン要塞に大軍をもって来襲せり。先程の遠征軍からの救援要請は謀略なり。至急来援を請う!」

ラインハルト様もシュタインメッツ参謀長も皆顔を見合わせる。微動だにしないのはオーベルシュタイン大佐だけだ。
「どう思うか、オーベルシュタイン」

「ゼークト提督がイゼルローン要塞を出てから九時間以上が経っています。反乱軍の来襲が遅すぎるように思いますが……」
オーベルシュタイン大佐の言う事は尤もだ。認めたくないことだが要塞が落ちている可能性は高い。

「では既に要塞は落ちていて、これは謀略と言うことか、オーベルシュタイン大佐」
「いえ、通信状況が悪いですからこれが最初の通信とは断言できません。……行って見なければ分からないと思います」

行って見なければ分からない……。この速度なら要塞まであと二時間程度だろう。しかしその二時間がとてつもなく長く感じる。できる事なら無事で居てほしい。攻防戦の最中なら二個艦隊の救援は決定的な役割を果たすはずだ……。


■ 帝国暦487年4月24日 12:30  イゼルローン要塞  特設任務部隊旗艦 ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


「閣下、各艦隊配置に付きました」
「そうか、ではもう一度救援要請を出してくれないか」
私はグリーンヒル中尉にゼークト提督への救援要請を出すように命じた。

スクリーンには第五艦隊、第十艦隊が映っている。両艦隊とも、「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」を踊っている。

この状況を見ればローエングラム伯は要塞が未だ落ちていないと思うだろう。いや、落ちていない可能性があると思うはずだ。必ず第五、第十両艦隊に攻撃を加える。それが起きればこちらの勝ちだ。何もせずに後退されるのが困る。

ビュコック提督たちがイゼルローン要塞攻略戦に加わるのをフェザーンの目からどう隠すかが問題だった。こちらの情報を帝国に流されては困る。結局、訓練と称して三月初めにイゼルローン回廊方面に移動させ待機させるしかなかった。

彼らは既に二月近く作戦行動中だ。その一方で私の特設任務部隊がイゼルローン要塞を攻略するとさり気無く情報を流した。うまく騙されてくれたようだ。

本当なら敵の戦力を集結させるのは邪道だ。敵は分断して倒す。しかし今回はその邪道を行なう必要がある。ゼークト提督にはローエングラム伯を連れて来て貰わなければならないのだ。二個艦隊あれば要塞を救える、そう思わせることがこの作戦の要だ。

ヴァレンシュタイン大将、彼の弱点はローエングラム伯だ。彼は気付いていないのだろう。あるいはローエングラム伯を信頼しているのか。だから一個艦隊で遠征に出した。千載一遇の機会だ、この機にローエングラム伯を倒す。後方に居て前線に出てこないヴァレンシュタイン大将を倒すにはそれしか方法は無い……。



■ 帝国暦487年4月24日 13:40   帝国軍総旗艦 プリュンヒルト  ジークフリード・キルヒアイス


イゼルローン要塞が見えてきた。要塞の前面で反乱軍の艦隊が展開している。主砲射程距離ぎりぎりのところで「D線上のワルツ・ダンス」を踊っている。要塞は落ちていないのか? 一時間程前の救援要請は本物なのだろうか。

要塞に傷付いた様子は無い。付近の宙域にも艦船の残骸は無い。要塞は生きている? オペレータの声が艦橋に響く。
「敵戦力、二個艦隊です」

二個艦隊、約三万隻か、ほぼこちらと同数だ。
「敵艦隊、要塞主砲射程圏外へ後退します」
敵は要塞から離れつつある。 要塞は味方なのか? 罠か?

「直ちに敵に対し攻撃を加える」
「閣下、お待ちください。要塞が落ちている可能性があります」
「分かっている、オーベルシュタイン大佐。敵を要塞方面に押し込むようにして攻める。要塞が反乱軍に対して主砲を撃てば味方、撃たなければ敵だ」

ラインハルト様はゼークト提督に時計とは逆周りに外側から敵艦隊を要塞方面に押し込むように攻めるように指示を出した。ラインハルト様は更にその外側から敵を押し込むつもりだ。
「ファイエル」

ラインハルト様の命令と共に主砲が斉射される。閃光が煌めき、スクリーンが一瞬白光に包まれた。眩しいほどだ。反乱軍の中性子ビーム砲が発射されたのだ。
「エルラッハ少将に命令、攻撃せよ」

「敵ミサイル群、接近」
「囮ミサイル、発射します」
「主砲斉射」

命令と報告が慌ただしく交錯する。エルラッハ少将率いる分艦隊が敵に喰らいついた。ゼークト提督も敵を押し込み始めた。敵は少しずつ後退し始める。もう直ぐ主砲射程圏内に入る。もう直ぐ分かるはずだ、どちらだ。

主砲射程圏内に入った。誰もが要塞主砲に釘付けになった。オペレータの声が響く。
「主砲発射準備に入りました!」
「要塞は生きています。味方です!」
艦橋内に歓声が上がる。ラインハルト様も顔を紅潮させている。

「勝ったぞ、キルヒアイス」
「はい」
喜んだそのときだった。緊張したオペレータの声が上がる。
「新たな敵発見!味方後方を遮断しようとしています!」

瞬時に艦橋が凍りついた。確かに一個艦隊ほどの敵が要塞の陰から現れ後方を遮断しようとしている。馬鹿な要塞は味方ではないのか。それになぜ要塞は主砲を撃たない? 何故だ?

「キルヒアイス、してやられた……。要塞は落ちている」
ラインハルト様の顔が苦しそうに歪む。
「閣下ゼークト提督から通信です」

オペレータの声にラインハルト様は気を取り直してスクリーンを見る。
「閣下、あの敵は小官が一隊をもって止めます。閣下は前面の敵を何とか振り切り後退してください」

ゼークト提督は死ぬ気だ。この状態で前面の敵と新たな敵に対処しようなどと不可能だ……。
「ゼークト提督。それは許可できぬ」
「しかし」
「今あの敵に向かえば要塞主砲を浴びる事になる。主砲を避ければ間に合わぬ。それに要塞を良く見よ」

「!」
要塞内から新たな敵が出てきた。
「分ったか、要塞内にも敵がいるのだ。このまま撤退戦を行なう。それしか手が無い……」

凍りついた艦橋にラインハルト様の声が流れる。酷い戦いになるだろう。生きて帰れるかどうか。絶望が胸を押しつぶす。アンネローゼ様、私に力をください。ラインハルト様を守る力を……。


■ 帝国暦487年4月24日 15:00  イゼルローン要塞  特設任務部隊旗艦 ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


勝った。要塞の陰に居た第十二艦隊が敵の後方を遮断し、私が敵の側面を突く。これでローエングラム伯を倒せる……。私は貴官に勝ったよ、ヴァレンシュタイン大将。

ローエングラム伯が死ねば彼の姉、グリューネワルト伯爵夫人がどう思うか。

自分が宇宙艦隊司令長官になるために、弟をわずか一個艦隊で同盟領に送り込んだ、そして弟を戦死させた。そう思ったとき彼女は貴官を憎むだろう。皇帝の権力を利用し貴官を排斥しようとするに違いない。

あるいはこちらがそう仕向けてもいい。彼女の心に猜疑心を植えつければいいのだ。やりようは有るだろう。前線に出てこない貴官を葬るためには帝国人の手で貴官を倒す。私が考え付いた唯一の策だ。

貴官が失脚すれば帝国軍はその支柱を失う。そして内乱を防ぐ人材を失うことになる。帝国との和平が結ばれるかどうか分らない。しかし結ばれなくても、帝国が混乱してくれれば十分に同盟が回復する時間が取れるだろう。

だからローエングラム伯、貴方には死んでもらう……。ヴァレンシュタイン大将、貴官には防ぐ事は出来ない。私の勝ちだ。





 

 

第八十八話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その4)

■ 帝国暦487年4月24日 18:30   帝国軍総旗艦 ブリュンヒルト  ジークフリード・キルヒアイス


開戦後五時間を過ぎた。戦況は悲惨なものとなった。損傷率は既に六割を超えるだろう。遠征軍二万隻、駐留艦隊一万五千隻は既に合わせても一万隻を僅かに超える程度に減っている。

帝国軍は撤退に失敗した。前面の第五、第十の二個艦隊の追撃を振り切れず、後方を敵第十二艦隊に遮断される事になった。何より痛かったのは要塞から出てきた半個艦隊が駐留艦隊の側面を突いた事だった。

駐留艦隊は側面から攻撃を受ける事で一時的に崩れ、遠征軍に雪崩れかかった。その事が遠征軍の撤退の足を止めた。そして遠征軍、駐留艦隊が混乱する体勢を立て直している間に後方を遮断した第十二艦隊が接近して攻撃を加えてきた。

三方から攻撃を受け、帝国軍は再度混乱し撤退の足は完全に止まった。潰走しなかったのが不思議なほどだ。遠征軍と駐留艦隊はもはや連携した行動は出来ず、バラバラに反乱軍に対応している。

ゼークト提督は前面の第十艦隊、後背の第十二艦隊、側面の半個艦隊に攻められている。残る一方には遠征軍が居る。何処にも逃げ場は無い。唯一遠征軍の側面が空いているのだが、敵との対応に精一杯でその余力が無い。

フォーゲル、エルラッハ提督は前面の第五艦隊に対応し、ラインハルト様は後背の第十二に対応している。分艦隊司令官の層の薄さが響いている。脱出口を確保し、味方を撤退させる指揮官が居ないのだ。

そして反乱軍は徐々に包囲網を閉じようとしている。包囲網が閉じられる前に何とか脱出しなければならない……。


■ 帝国暦487年4月24日 20:00  特設任務部隊旗艦 ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


帝国軍は完全に包囲された。後は少しずつ包囲網を狭め削り取っていけば良い。敵の戦力は既に一万隻を割ったろう。艦橋の雰囲気も当初あった明るさから、早く戦闘が終わって欲しいという苛立ちのようなものになっている……。

無理も無いだろう。ここまで一方的になっては、まるで敵を弄っているような物だ。気持ちのいいものではない。
「ヤン司令官、敵に降伏を勧告してはいかがでしょう。このままでは徒に損害が増えるばかりです」

「そうだね。ラップ少佐の言うとおりだ。ビュコック提督との間に回線をつないでくれないか」
降伏か……。戦死も捕虜もグリューネワルト伯爵夫人にとっては同じだろう。要は帝国へ帰さなければいいのだ。


■ 帝国暦487年4月24日 20:15   帝国軍総旗艦 ブリュンヒルト  ラインハルト・フォン・ローエングラム


「降伏勧告だと」
「はい」
「私に降伏しろと言うのか……」

オーベルシュタインの言葉に思わず俺は問い返した。敵は俺に降伏を勧告してきた。確かに戦況は悪い。エルラッハ、フォーゲルの部隊はもう限界だろう。残存兵力は遠征軍、駐留艦隊合わせても八千隻ほどしか残っていない。包囲され脱出の目処は立たない……。このままでは全滅は免れない。

あの男の上に立ちたい、あの男に俺を認めさせたい、その思いで行なった出兵だった。それなのにこの有様か……。周囲が俺を見ているのを感じる。艦橋は俺の返答を待って静まり返っている。

キルヒアイスを見たかったが、怖くて見られなかった。彼を此処まで連れて来てしまったのは俺だ。あの時、彼を軍に誘った時はこんなことになるとは思わなかった。だからといって許される事ではない。俺を恨んでいるかもしれない……。

「閣下」
キルヒアイスの声が聞こえた。何時もと同じ穏やかで温かい声だ。俺は少しずつキルヒアイスを見た。悲しげな、でも何処か俺をいたわるような表情をしている。

何を考えているんだ。キルヒアイスが俺から離れてしまう事などありえない。俺たちは何時も一緒じゃないか。キルヒアイスと一緒なら怖いものなど無い……。降伏勧告か、良いだろう……。姉上、済みません、今度は戻れません……。

「返信を、降伏勧告を……」
受諾すると言おうとしたときだった。後背から攻撃してくる敵の艦列が崩れる。
「味方です! 味方が来ました! 助かった!」
オペレータの絶叫が艦橋に響いた。

助かった。オペレータのその言葉に狂ったような歓声が答える。
「何処の部隊だ」
「今通信が入ります」

俺の問いにオペレータが答えスクリーンに映像が映る。メルカッツ……。
「司令長官、ご無事でしたか」
「救援、礼を言う。何故此処へ?」

「副司令長官が司令長官を案じられて小官に後を追えと」
「そうか……」
そうか……。ヴァレンシュタイン、また卿に助けられたか……。
艦橋にメルカッツ提督が来た、というオペレータの声が上がるとまた歓声が上がった。

「小官の他にロイエンタール、ミッターマイヤー中将が来ております。退き口を確保しますので脱出してください」
「分った」

メルカッツだけではない。ロイエンタール、ミッターマイヤーもいる。その事が更に艦橋に歓声を上げさせる。十分すぎる程の援軍だ。俺はそんなにも頼りないか。いやこの有様だ、頼りないと思われても仕方ないか……。

後背の敵はメルカッツ達の攻撃を受け艦隊が分断されていく。分断されたところから撤退できるだろう。
「ゼークト、フォーゲル、エルラッハ提督に連絡。直ちに撤退せよ、私が援護する」

彼らを撤退させなければならない。指揮官として最低限の義務を果たす。それが今自分にできる事だ。厳しい仕事だがやらねばならない。
「提督方から通信が入っています。繋ぎます」

オペレータが告げる。撤退の段取りか? 最初にフォーゲル、エルラッハだな。
三人がスクリーンに映った。
「司令長官、我等は此処で敵を防ぎます。司令長官は急ぎ撤退してください」
「何を言う、ゼークト提督、卿らを置いて撤退などできぬ」

「閣下、前面の敵も側面の敵も味方の到着と共に攻撃が激しくなっています。今我等が撤退すれば潰走になりかねません。本隊をも巻き込んでしまいます。そうなれば秩序だった撤退など出来ません。全滅することになります。我等に構わず撤退してください」

確かにゼークト提督の言うとおり敵の攻撃はまた厳しくなっている。メルカッツ達の一隊を前面に移動させるべきか?そうすれば多少息がつけるか? いや駄目だ、時間が無い。移動させようとする前に壊滅しかねない。今この場で撤退だ!

「司令長官を戦死させては我等の面目が立ちません」
何を言っている、ゼークト。面目とは何だ? ゼークトもフォーゲルもエルラッハも皆微動だにせず俺を見詰めている。俺に卑怯者になれというのか?

「早く撤退せんか!」
「!」
エルラッハ……。

「俺は卿が嫌いだ! だがな、卿は宇宙艦隊司令長官だ。司令長官は死んではならんのだ。判るか小僧、司令長官が死ねば軍が混乱する。体制を整えるのに時間がかかるのだ。卿の事などどうでも良い。しかし宇宙艦隊司令長官は死んではならんのだ!」

「エルラッハ……」
ゼークトもフォーゲルも、いや艦橋にいる人間全てがエルラッハを止めようとはしない。皆同じ意見なのか……。

俺は一体何を見ていた? ゼークト、フォーゲル、エルラッハ……。俺が無能だと思い、軽蔑していた男たち。だがその男たちが今、俺を、いや宇宙艦隊司令長官を逃がすために死のうとしている……。

宇宙艦隊司令長官……、実働部隊の最高責任者。その重みを俺は理解していたか?
何処かで軽く考えていなかったか? 死ぬ事が出来ない立場だと分っていたか? その事がこの男たちを死に追いやっている。俺は何をやっているのだ?

「早く行け、行かんか、小僧!」
エルラッハの怒号が艦橋に響く。誰も何も言わない。そうだ、これは俺が決断すべき事だ。

「閣下、ご決断を」
オーベルシュタイン……。
「本隊は直ちに撤退せよ」

唇が声が震える、いや震えているのは全身だ……。ゼークト、フォーゲル、エルラッハが敬礼してくる。

俺は答礼しなければならない。しかし手が震える。答礼できるか? いや宇宙艦隊司令長官として答礼するのだ。周りの景色が歪む。涙がこぼれそうだ。耐えろ。この男たちの顔をしっかりと見るのだ。

俺の愚かさが殺してしまう男たち。俺に愚かさを気付かせてくれた男たち。そして俺などよりはるかに軍人としての覚悟を持っていた男たち……。駄目だ、涙で見えない。眼を閉じるな! 涙がこぼれる……。

「済まぬ、卿らの献身に感謝する。さらばだ」
俺は震えながらも彼らに礼を言った。一人一人の顔を懸命に見る。お前たちを死なせてしまう男の顔だ。この馬鹿者の顔をしっかりと見てくれ……。

答礼を解く。彼らも礼を解いてくる。スクリーンが切れるまで俺は彼らを見詰め続けた……。


■ 帝国暦487年4月24日 20:30  特設任務部隊旗艦 ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


敵の本隊が撤退していく。あの中にローエングラム伯がいるのだろう。もう少しだった。もう少しで息の根を止める事が出来た。増援部隊がきたということは、ヴァレンシュタイン大将が手を打ったということだろう。

こちらの動きを見抜いたのか? それとも偶然か? いや偶然は無いな。こちらの動きに不自然さを感じ取ったのだろう。それがあの増援になった。やはり簡単に倒せる相手ではないか……。

「閣下、ローエングラム伯は討ち漏らしましたが、イゼルローン要塞を奪取し、敵に大打撃を与えました。大勝利です」
ムライ参謀長が話しかけてくる。私が沈黙しているので心配しているらしい。

私の後ろでシェーンコップ大佐が“司令官は勝っても嬉しそうじゃない”などと言っている。そうじゃない、勝っていないから嬉しくないんだ。誰にも言えないことだが……。それと人の死をこんなに願う自分が、戦闘が終わると嫌になるんだ。


 

 

第八十九話 イゼルローン要塞陥落後 

■ 帝国暦487年4月28日    戦艦ヘオロット  カール・エドワルド・バイエルライン

「閣下、オーディンとの通信が回復しました」
「そうか、宇宙艦隊司令部を、ヴァレンシュタイン副司令長官を頼む」
「はっ」

オペレータにヴァレンシュタイン副司令長官への連絡を頼みながら、俺は気が滅入ってくるのを抑え切れなかった。ずっと通信不能で良かったのだ。なんだって回復する? 

イゼルローン要塞陥落、遠征軍、駐留艦隊の壊滅、九割を超える損傷率。こんな報告を聞きたい人間がいるだろうか? こんな報告を持ってきた部下を疎ましく思わない上司がいるだろうか?

ミッターマイヤー提督から、先行しヴァレンシュタイン副司令長官に事態を報告せよと言われた時、自分の不運を恨めしく思ったものだ。

宇宙艦隊司令部の女どもは、副司令長官を“カワイイ、優しい、笑顔が素敵” 等と言っているが、それだけで宇宙艦隊副司令長官になれると思っているのか? 冗談じゃない、副司令長官は怒らせると怖い人だ。

怒るとリッテンハイム侯の屋敷へ殴りこみをかけるわ、フレーゲル男爵を撃ち殺そうとするわ、とんでもない人だ。副司令長官にニコニコされながら “バイエルライン准将ですね、名前は覚えました” なんて言われたらお先真っ暗だ。

部下たちも時折、俺の方をチラチラ見る。しかし決して眼を合わせようとしない。俺の事を運の悪い奴と思っているのだろう。しかしな、お前たちも同じ艦に乗っているのだ。他人事じゃないんだぞ。

スクリーンに副司令長官が映った。
「ヴァレンシュタインです」
「ミッターマイヤー艦隊所属バイエルライン准将です」

俺は名乗ると共に敬礼をした。副司令長官は俺が名乗ると少し眉を寄せ、答礼してきた。
「緊急の要件だと聞きましたが?」

「はっ。ミッターマイヤー司令官より、副司令長官にお知らせせよと言われております」
そう、俺はただのお使いだ。俺は悪くない……。

副司令長官は黙ってこちらを見ている。やり辛いな。
「イゼルローン要塞が反乱軍の手に落ちました」
思い切って言ったが、副司令長官は何も言わない。身動ぎもしない。

「遠征軍、駐留艦隊は反乱軍によって包囲され、兵力の九割を失いました。ゼークト提督、フォーゲル提督、エルラッハ提督は戦死、シュトックハウゼン要塞司令官の生死は不明であります」

一気に言ったが副司令長官は無言だ。静かにこちらを見ている。聞こえてないはずは無いのだが……。
「……ローエングラム司令長官は御無事ですか?」

いかん! 肝心な事を話すのを忘れていた。しっかりしろ、辺境の補給基地に行きたいのか! 目の前の人は兵站統括部に顔が利くのだ。俺のために補給基地を用意することなど朝飯前だろう。
「いえ、ご無事であります。現在オーディンに向けて帰還中であります」

微かに副司令長官は頷いたようだ。少し考え込んでいる。
「……反乱軍はどの程度の軍を動員したのです?」
「はっ。正規艦隊は三個艦隊、それと半個艦隊が動員されたようです」

「半個艦隊……」
副司令長官は呟くとまた考え込んでいる。僅かに顔を俯け、視線を伏せ気味にして考え込んでいる。もういいんだろうか、そろそろ解放して欲しいんだが。

だが俺の願いは大神オーディンに聞き届けられる事は無かった。副司令長官が顔を上げ話しかけてくる。
「要塞の損傷状態はどうでした? 酷く損傷していましたか?」

そういえば要塞は殆ど無傷だったような気がするな。
「いえ、はっきりとは覚えておりませんが、無傷だったような気がします」
馬鹿を言うなと怒られるかと思ったが、副司令長官はまた考え込み始めた。

「戦闘詳報はどうなっています?」
戦闘詳報? それって……、多分……書いていると思うが……。
「分りませんか?」

「も、申し訳ありません。確認しておりませんでした」
補給基地だ、俺の運命は決まった。こんな肝心な事を聞き忘れるなんて。
「准将はこれからどうします?」

「?」
これから? これからどうします? どうすればいいんだ?
「ああ、質問が不正確でしたね、ミッターマイヤー提督から指示を受けていますか?」

「いえ、特に受けておりません」
そういうことか。よくわからなかった。焦らせないでくれ。

「ではお手数ですが、もう一度戻り、遠征軍司令部に至急戦闘詳報を作成しオーディンへ送るように伝えてください」
「はっ」
ヴァレンシュタイン副司令官は穏やかな微笑を浮かべた。やばい、何が来る?

「バイエルライン准将、ご苦労様でした。敗北は残念ですが司令長官が御無事なのは幸いです。メルカッツ提督、ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督に感謝していると伝えてください」

お互いに敬礼を交わした後、スクリーンから副司令長官の姿が消えた。疲れた、思わず椅子に座って溜息を吐く。補給基地は免れた、多分。あの人は苦手だ。俺より年下なのに妙に迫力がある。まずは水でも飲んで、タンクベッドで睡眠でも取るか……。

「やっぱり可愛いよな」
呟くような声が聞こえた。何処の馬鹿だ。可愛い? 俺は周囲をにらみつけた。何人かがスクリーンを見詰めている。
「何をたるんでいる。仕事をしろ!」

だから俺はあの人が苦手なんだ。


■ 帝国暦487年4月28日     オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


イゼルローン要塞が落ちた……。アスターテ会戦が起きずイゼルローン要塞攻略戦が発生した。分らないでもない、これまでの同盟の被った被害を考えればこれ以上は耐えられないとシトレが考えた、そんなところだろう。

俺は直ぐにリヒテンラーデ侯に面会を求め、至急内密に会いたい事、その場にはエーレンベルク、シュタインホフ元帥も呼んで欲しいと伝えた。侯は何も言わずに承諾してくれた。普段食えない爺さんだがこういうときは頼りになる。

それより問題は同盟が動員した兵力が三個半艦隊、帝国は二個艦隊壊滅、この事実だ。三個半艦隊……、半個艦隊はヤン・ウェンリー、第十三艦隊だな。だが三個艦隊、これはどういうことだ?

原作のヤンはイゼルローン要塞を落とす事で和平、あるいは休戦状態を願った。今回は違うのか? イゼルローン要塞の攻略、それだけなら半個艦隊で十分だ。それなのに三個艦隊を余計に出している。結果から見ればラインハルトを倒そうとしたように見える……。

和平だけでなく、帝国と同盟の戦力の均衡化を図った、そういうことか? しかし、よくわからん。第一、宇宙艦隊司令長官を倒して和平なんて結べると考えたのか? 帝国は意地でも和平は拒否するだろう。戦争は続くはずだ。

ヤンが気付かないとは思えない。和平より戦力の均衡化を願った、そういうことか? ヤンらしくない。それに余りにもリスクが高すぎる。三個艦隊の動員が帝国に知られたら全てがお終いだ。

同盟からイゼルローン要塞と帝国からイゼルローン要塞では、同盟からの方が距離がある。つまりラインハルトよりもヤン達の方が先にハイネセンを出る事になる。その事が帝国に伝わるとは考えなかったのか? 伝われば当然こちらも大動員しただろう。それではイゼルローン要塞は落ちない。

フェザーンが同盟よりの政策を取りつつある事は分っている。同盟の情報が帝国に入ってこない。しかしそこまで信じられるものなのか? フェザーンと同盟政府の上層部で密かに密約がある? 有り得ない。

ルビンスキーが同盟の政治家を利用する事はあるだろう。しかし、信頼をしているとは思えない。そこまで深い関係を持つのはフェザーンにとってもリスクがありすぎる。同盟政府の政治家達が密約そのものを使ってフェザーンをコントロールしようとしかねない。情報の遮断についてもフェザーンが勝手にやったことだろう。

いくら考えてもヤンが何を考えているのかが分らない。何か俺は見落としているのか? 戦闘詳報からそれが見えるだろうか? 分らない。どうにも不安が募る。いかんな、先ずはできる事を片付けよう。

二個艦隊壊滅、損傷率九割、ゼークト、フォーゲル、エルラッハは戦死、シュトックハウゼンの生死は不明。この後始末をどうつけるかだ。頭の痛い話だ。ラインハルトの進退問題に繋がるな。

ラインハルトか……。勝てば落ち着く、負ければ反省する、ミュッケンベルガーにいった言葉が思い出される。馬鹿な話だ、こんなことになるとは思わなかった。反省どころじゃなくなった。

最近勝ち続けているせいで、慢心したとしか思えん。後方で死ぬ危険が無くなったせいで呆けたか。自己嫌悪でどうにかなりそうだ。ラインハルトが個人の武勲に拘る阿呆なら、それを見逃した俺は輪をかけた阿呆だな。


■ 帝国暦487年4月28日     新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


また此処か。皇帝不予の時、俺とリヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥で打ち合わせに使った部屋だ。今日はシュタインホフ元帥もいる。どうやら侯のお気に入りの部屋なのかもしれない。

「ヴァレンシュタイン、何の用だ?」
シュタインホフが不機嫌そうに言う。こいつは相変わらず俺が嫌いらしい。無理もないがな。

俺には第五次イゼルローン要塞攻防戦でコケにされたし、それ以後も俺とミュッケンベルガー、エーレンベルクに押さえつけられたようなものだ。
「イゼルローン要塞が反乱軍の手に落ちました」

「馬鹿な何を言っている、ヴァレンシュタイン」
「元帥閣下、先程知らせが入りました。間違いありません」
俺の言葉にシュタインホフは絶句した。

「誤報ではないのか、ヴァレンシュタイン?」
「イゼルローンは難攻不落のはずだ」
リヒテンラーデ侯とエーレンベルクが口々に言葉を発す。

信じられないのも無理は無い。俺が驚かないのも原作知識があるせいだ。それが無ければ、俺も驚いていたろう。
「遠征軍、要塞駐留艦隊は敵に包囲され兵力の九割を失ったそうです」

「九割?」
「馬鹿な」
「……」

三人とも唖然としている。そうだろうな。俺だって最初聞いたときは呆然としたよ。
「小官が念のため、ローエングラム司令長官の後を追わせた三個艦隊から連絡が有りました。間違い有りません」

「ローエングラム伯はどうした?」
リヒテンラーデ侯が尋ねてくる。目が真剣だ。この老人ラインハルトの身を随分心配しているようだが、親しかったのか? そんな気配は無かったが。

「無事です。しかし、ゼークト提督、フォーゲル提督、エルラッハ提督は戦死、シュトックハウゼン要塞司令官の生死は不明です」
「ふん」
「?」

随分扱いが違うな。少しそれは酷くないか。
「何だ、その眼は」
「いえ……」

俺の非難がましい目に気付いたのだろう。リヒテンラーデ侯が面白くなさそうな顔をする。
「卿は分っておらんな」
「?」

分っていない?何のことだ?
「グリューネワルト伯爵夫人だ」
「?」
吐き出すように言った口調は決して好意的なものではない。

「ローエングラム伯が戦死したら、グリューネワルト伯爵夫人がどうなると思う?」
侯は俺を見詰め問いかけてきた。眼にあるのは嫌悪? それとも猜疑? 両方か。

「ローエングラム伯が戦死したら、ですか?」
「そうじゃ」
どうなるんだ……。侯は何を心配している?

「これまでは、ローエングラム伯のため大人しくしておったとは思わんか? それを失った彼女がどうなるか、想像がつかんか?」
「!」

リヒテンラーデ侯は意地の悪そうな顔をして俺を見ている。
「最初に狙われるのは卿じゃな。伯をわずか一個艦隊で外征に出したのじゃからの」
「……」

ようやく分った。ヤン・ウェンリーが何を狙ったのか。狙いは俺か。ローエングラム伯を殺す事で俺を殺す事を考えたのか。アンネローゼが皇帝に何か言っても皇帝が受け入れることは無いだろう。しかしそれを利用しようとする貴族は必ず出る。

ベーネミュンデ侯爵夫人を見れば分る。何処かの馬鹿貴族がアンネローゼの名を使って俺を殺そうとする。あるいはアンネローゼに密かに協力をする。いくらでもやりようは有るだろう。

ヤン・ウェンリー、お前はそこまでやるのか。俺が死ねば、内乱が起き易い。帝国が混乱すれば外征できなくなる。結果として帝国は弱体化し同盟は回復する。そして回復した後はイゼルローン回廊から同盟軍が帝国領に侵攻する。それが目的か。そのために三百万の兵を殺したのか! 俺はそれに気付かずにラインハルトを送り出した……。

全て俺を殺すためか。俺の体が、心が震えているのが分る。怒り? 恐怖? どちらでもいい、この震えを消す方法は一つしかない。ヤン・ウェンリー、お前に報復する事だ。お前が俺を殺すために三百万の人間を殺すのなら俺がお前を殺すために三百万の人間を殺してもお前は文句を言えまい。お前が一番嫌がることをやってやる。

リヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥が責任云々を言い合っている間、俺は一人、ヤン・ウェンリーに対する報復を誓っていた……。





 

 

第九十話 飛翔

■ 帝国暦487年5月 3日    オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


会議室のスクリーンに第七次イゼルローン要塞攻防戦、通称イゼルローン殲滅戦が投影される。駐留艦隊、遠征軍が包囲殲滅される寸前にメルカッツ、ロイエンタール、ミッターマイヤーの三個艦隊が救援に入る。

それを機に包囲されていた艦隊の一部、ラインハルトの本隊が包囲網から脱出する。脱出後、包囲されていた艦隊は押し潰されるかのように爆発と白光に包まれていく。救援の三個艦隊は退避する本隊を受け入れるとゆっくりと後退し、戦場を離れていく。六倍速の映像で見ても悲惨さは変わらない……。

戦闘詳報、戦闘記録は先行する部隊から超光速通信で今日送られてきた。会議室には正規艦隊の司令官達が集まり戦闘の状況を見ている。

メルカッツ達救援軍がラインハルトと戻るのは五月十日ごろになるだろう。帝国軍三長官の処分はそれから決まる。これだけの敗北だ、軍法会議が開かれる事になっている。

映像が終わると、彼方此方から溜息が漏れる。
「とんでもない戦いでしたな」
ケンプの言葉は皆の気持ちを代弁しているだろう。彼方此方で頷き、相槌を打つ声が聞こえる。

「戦いもそうだが、この要塞から駐留艦隊をおびき出したやり口は罠だと思っていても出ざるを得ないだろう。悪辣と言って良いな」
戦闘詳報で机を軽く叩きながらメックリンガーが苦い口調で言葉を吐き出す。

「反乱軍にも出来る奴がいるな」
面白くもなさそうにビッテンフェルトが呟く。原作ではこの男が一番ヤンの被害にあっていた。

「おそらくこれを仕掛けたのは、ヤン・ウェンリーでしょう」
「ヤン・ウェンリー、ティアマトの英雄ですか?」
俺は問いかけてくるクレメンツに頷いた。

「この男と戦うのは止めて下さい。この男は化け物です。五分の兵力では先ず勝てません。最低でも三倍はいる。この男の手強さはティアマトと今回のイゼルローンが十分に証明しています」

「しかし、それでは」
ワーレンが不審そうな表情で問いかけてくる。不満は分る、しかし許せない。
「反乱軍と戦うなとは言っていません。ヤン・ウェンリーと戦うなと言っています」

「……ヤン・ウェンリー以外の将帥と戦えと?」
お前も不満か、ファーレンハイト。だがな、こればかりは許さない。あの男と戦術レベルで競い合うなど愚の骨頂だ。

「そうです。彼は有能では有るが、総司令官ではない。そこを最大限に利用させて貰いましょう」
政略、戦略のレベルで戦う。あの男に勝つにはそれしかない。

皆頷いているが不満顔だ、心底納得している顔じゃない。有能な軍人であればあるほど、自分の能力を限界まで試したいと思うものだ。それには強い相手と戦うことが一番良い……。強い相手と戦う事に意味がある。その言葉はそこから出ている。

ロマンチシズムでも、戦争馬鹿でもない。ただ自分を試したい、それだけなのだ。欲でも野心でもない、だから始末が悪い。時々釘を刺さなければならないだろう。だが、先ずは彼らにはやって貰うことがある……。


■ 帝国暦487年5月 3日    オーディン ゼーアドラー(海鷲)  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ


ここはあまり居心地が良くない。女性客は私一人だ。何といっても高級士官専用ラウンジなのだから。しかし、ヴァレンシュタイン大将に頼まれては仕方ない。大将の言葉によれば、今夜このゼーアドラー(海鷲)において宇宙艦隊の艦隊司令官達が“フェザーン討つべし” と気勢を上げるのだと言う。

周囲の反応を確認するのが私の役目だ。そんなわけで私は今、リューネブルク中将と一緒にゼーアドラー(海鷲)にいる。さすがに一人では居づらい。今も私たちに周囲の視線が集まっているのが分る。

小面憎いのはリューネブルク中将だ。平然としてウォッカライムを呷っている。周囲の視線など気にならないようだ。私も負けじとジンフィズを呷る。周りからはどう見えるだろう。いけない、少しペースが速いかもしれない。

早速、ビッテンフェルト中将が大声でフェザーンを非難し始めた。“拝金主義者、金の亡者、帝国の血をすする蛆虫” 酷い言葉だが的外れでは無い。誰でも少なからず思うことだ。

ワーレン提督、ルッツ提督が加勢した。今回の戦いで三百万の戦死者が出たのはフェザーンのせいだと言い始めている。この分だと“フェザーン討つべし”の声が上がるのも間も無くだろう。

違和感を感じないのは、おそらく私も今回のフェザーンのやり口に不満を持っている所為だろう。それくらい今回の戦いは酷かった。戦死者が三百万なんて聞いたことが無い。

ヴァレンシュタイン大将はイゼルローン要塞陥落、遠征軍壊滅の報告に少しも動じなかった。救援軍から連絡が有ったのだが、むしろ報告してきた方が、おどおどしていたくらいだ。

周囲には決裁を取りに来た女性下士官も何人か居たのだが、大将の冷静さに感動して泣き出す女の子まで居たほどだ。“副司令長官が居れば大丈夫、帝国は負けない”そんな声が女性下士官の間で上がりつつある。

「中将、これって司令長官の責任を軽くするためなんでしょうか?」
私は小声で中将に問いかけた。周りには聞かれるのは拙い。自然体を寄せる形になる。

「単純に考えればな。しかし副司令長官は単純な人ではない、違うか?」
リューネブルク中将は、グラスを揺らしながら答える。中将の言うとおり、大将は単純な人ではない。

「本気でフェザーンに攻め込むというのは?」
「同盟も戦力が枯渇気味だ。ここでフェザーンに援軍を出すほどの余力があるかどうか、可能性としてはありえない話ではない。しかし、もう一つだな」

周囲では提督たちに煽られたのだろう。フェザーン討つべしの声がちらほら聞こえる。
「裏が有るだろうな、何枚裏が有るかはわからんが」
何処か楽しそうな口調でリューネブルク中将は話す。

「楽しそうですね、中将」
「ああ、楽しいな。昔の彼が戻ってきたからな」
「?」

昔の彼? どういうことだろう。私の疑問を感じたのだろう。中将は含み笑いをしながら答えてくれた。
「最近はごく普通の有能な副司令長官だったな。しかし、要塞陥落後は違う」

「?」
「ヴァンフリートを思い出すな」
「ヴァンフリート?」

思わず出た私の言葉に中将は頷いた。何処か懐かしげな表情だ。ヴァンフリート、私が捕虜になった場所。あそこから今の私が始まった……。

「ああ、あの頃の彼は、まだ大佐だったがミュッケンベルガー元帥でさえ眼中に無かったな。勝つためなら元帥であろうと平然と利用する、無視もする。そんな底の知れないところがあった」

「少佐、副司令長官は動くぞ。内乱の危機と外からの侵略の危機。帝国はかつてない危険な状態にある。どう動くかは分らんが、彼が動けば全てが一変する。それだけは間違いない、楽しくなるな」
「……」

中将の言う事が私にも分る。第六次イゼルローン要塞攻防戦、皇帝不予、どちらも大将が動いたとき、全てが劇的に変わった……。大将は今動き始めようとしている。どのような形になるのかは分らないが、全てが一変するだろう……。


■ 帝国暦487年5月 3日  オーディン ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー


ヴァレンシュタイン提督がいらっしゃった。イゼルローン要塞が陥落し、遠征軍、駐留艦隊が壊滅的な敗北を喫した事で忙しいはずなのに、こうして養父の所に来てくれる。

提督は何時もと違い、とても厳しい表情をしていた。私には笑顔を見せてくれたけど、養父に会うと直ぐに表情を引き締め、二人で書斎に入っていった。普段と違いなかなか書斎から出てこない。

私は心配になって、書斎に様子を見るためお茶を持っていった。ドアをノックしようとすると中から声が聞こえる。

「本当にそんな事が出来ると思うのか」
養父の声だ。声には半信半疑の響きがある。はしたないとは思ったが、つい立ち聞きしてしまった。

「出来なければ、帝国は滅びます」
提督の声だ。帝国が滅ぶ? 提督は銀河帝国が滅ぶと言っている!
「しかし、難しいぞ。場合によっては帝国は外と内に敵を持つ事になる」
養父の声には深刻な響きがある。こんな声は珍しい。

「今迄もそれは変わりません」
「しかし、今迄はイゼルローンが有った」

「ですから、せめて主導権はこちらで持ちたいと思います。このうえ主導権まで握られては帝国を守る事は出来ません」
提督の声は落ち着いている。でも主導権? 一体何のことだろう。

「主導権か……。卿の言う事は分る。しかし持ち続ける事が出来るか?」
「持ち続けます。勝つために」
「勝つためか」

しばらく沈黙が続いた。もう一度ノックしようとしたときまた養父の声が聞こえた。
「博打だな。ヴァレンシュタイン」
「はい、負ければ全てを失うでしょう。しかし勝てば全てが変わります」

結局私はドアをノックすることなく戻った。提督は更に一時間ほど養父と話した後帰った。
「ユスティーナ、お前はヴァレンシュタインが好きか?」

提督を見送った後、養父に問われ思わず顔が紅潮するのが分った。なんて答えよう。
「そうか……好きか。苦労するなお前も……」
「?」

苦労する? どういうことだろう? 私の疑問を読み取ったのだろう。養父は言葉を続けた。
「あれには翼が有るのだ。今まではその翼を使おうとはしなかった。もしかすると飛ぶのが怖かったのかもしれん」

「怖かった?」
「そうだ。誰も付いて来れんからな。おそらく孤独だろう。それが分っていたのだろうな、だから飛ばなかった」

分るような気がする。クロプシュトック侯事件の時、私は一瞬提督が怖くて避けた……。あの時の提督の驚いた顔が今でも眼に浮かぶ。

「飛ぼうとしているのですか、提督は」
「そうだ、自らの翼で飛ぼうとしている。この国を守るにはあの男が羽ばたくしかないのだ。ローエングラム伯が敗れた今となっては」
「……」

「お前があの男の孤独を癒してやれるのなら良い。しかしその自信が無いのなら、あの男の事は諦めろ。それがお前のためだ、そしてあの男のためでもある」

養父はそれだけを言うと、私から離れていった。私は養父の背中を見詰めながら何度も自分に問いかけた。私に提督の孤独を癒せるだろうかと……。



 

 

第九十一話 変身

■ 帝国暦487年5月10日    オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「今回の敗戦、卿らには心配をかけた。すまなく思う。また、帝国軍の名誉を傷つけたこと、慙愧に耐えぬ。私は今回の敗戦の責任をとり、軍法会議の前に宇宙艦隊司令長官職を辞職する。卿らは動じることなく副司令長官の下、日々の任務に励んで欲しい」

オーディンに戻ったラインハルトは、以前に比べれば覇気は無かったものの想像していたよりずっと落ち着いていた。初めての敗戦で三百万人が戦死したのだ、かなりのショックだったと思うが自分なりに乗り越えたのだろう。

大広間で俺を始め各艦隊司令官に対して、帰還の挨拶、半分は退任の挨拶をすると俺に後で司令長官室に来て欲しいと言って大広間を出て行った。こういう時はどの程度時間を置けばいいのか難しい。俺は五分後、司令長官室を訪ねた。

司令長官室にラインハルトを訪ねると、彼は穏やかな微笑みを浮かべて俺を迎え入れた。ソファーに座ることを勧め、ごく自然体で話しかけてくる。
「今回の救援、礼を言う。卿の配慮が無ければ私は戦死していただろう」

「恐れ入ります。もっとフェザーンから情報が来ないことを重視すべきでした。司令長官を御一人で出征させるべきではなかったと悔やんでいます」
「同じ事だ。卿が忠告しても私は受け入れなかっただろう」

「……」
おそらくそうだろう。だが、俺としては答えようが無い。
「卿は何時も私の前に居た。私は追い付き追い越そうと思ったが追付けなかった。卿は……憎い男だな」

「……」
ラインハルトは苦笑しながら話しかける。これにも答えようが無い。だが、今のラインハルトには力みや嫌味は感じられない。妙な感じだ。

「私は自分に自信がもてなかった、卿の上に立つ自信が。その事があの愚かな出兵に繋がった。そしてゼークト、フォーゲル、エルラッハを死なせてしまった」
「三人とも残念でした」

ラインハルトは微かに頷いた。彼の表情に辛そうな色が浮かぶ。
「そう、残念だった。あんな戦いで死なせていい男たちではなかった……。それなのに私は傲慢にも彼らを無能だと思い、軽蔑していた」

ラインハルトを責める事は出来ない。俺自身彼らを高く評価していたわけではない。彼らの死を知って、初めて彼らの真の姿を知ったのだ。

「愚かなのは私のほうだ。彼らが死を選ぶまで自分の愚かさに気付かなかったのだから……」
ラインハルトは瞑目している。彼の瞼の裏に映っているのはゼークト、フォーゲル、エルラッハの最後の姿だろうか。

惜しい。俺は本当に惜しいと思う。今のラインハルトなら宇宙艦隊司令長官として何の問題も無いだろう。だが、彼がその地位に留まる事は無い。敗北して初めて宇宙艦隊司令長官に相応しい資質を備えたのだとしたら余りにも皮肉すぎる……。

「卿にも詫びねばならないことがある。ベーネミュンデ侯爵夫人の件だ」
ラインハルトは神妙な表情で話しかけてくる。
「……」

「あの件で卿は私に動くなと言ったな。だが、私はロイエンタールに命じて噂を流した。卿が闇の左手だと」
「……」

「卿が襲われたと聞いて自分が如何に愚かな事をしたのか知った。誓って言うが、決して卿の死を願ったわけではない。ただ卿に反発する気持ちが有ったのだと思う」

多分そうなのだろう。それとアンネローゼに対する執着があった……。その事があの事件を引き起こした……。

「済まなかった。愚かな事をしたと反省している」
「知っていました。その事で閣下を失脚させようと考えました」
「そうか……。何故失脚させなかった?」

「ミュッケンベルガー元帥の病気を知ったせいです。それが無ければ躊躇無く閣下を失脚させていたでしょう」
「そうか。卿はやはり怖い男だな」
そう言うとラインハルトは微かに苦笑した。

その後、俺とラインハルトは軍とは全く関係ない話をした。主に幼少時の思い出話だった。俺が女の子に間違われた事を話すとラインハルトは声を上げて笑った。何の邪気も無い笑顔だった。少しも不愉快ではなかった……。


■ 帝国暦487年5月15日    オーディン 新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


軍法会議は五月十一日から十四日の四日間で行なわれた。争点は二つ、一つはイゼルローン要塞失陥についての責任の所在。二つ目は、損傷率が九割に及んだ艦隊戦についてラインハルト、及び宇宙艦隊司令部の責任の有無。

イゼルローン要塞失陥については帝国軍三長官の責任は無しと判断された。これは比較的簡単に結論が出た。事前に出されたイゼルローン要塞、イゼルローン駐留艦隊行動命令がその根拠だった。

行動命令では要塞攻防戦が発生する危険性を指摘しイゼルローン回廊の制宙権を放棄しても要塞を守れと指示を出している。帝国軍三長官の責任は問えなかった。

揉めたのは艦隊戦だった。艦隊戦については問題点が提起された。一つはラインハルトを一個艦隊で出征させた事だった。これに関しては出征が決定された時点、出征の時点で明確に同盟の反撃の動きが見えなかったことで不問とされた。

更に言えば勅命を得ている。一つ間違うと皇帝の権威を傷つけることになりかねない。皆及び腰だった。

次に問題となったのは艦隊の編制だった。分艦隊司令官が少なく、その事が艦隊運動に精彩を欠き惨敗の一因になったという指摘だった。この点はラインハルトに責任ありとされた。

宇宙艦隊司令部、正確に言えば俺に対して責任を問う声が上がったのだが(主としてシュターデンだった)、編制自体はラインハルトが自ら行なうと決めたこと、出征前に分艦隊司令官に不安を抱いた俺がロイエンタール、ミッターマイヤーを分艦隊司令官として連れて行くように進言したが受け入れられなかったことをラインハルト自身が証言した事で俺には罪なしと言う事になった。

結局軍法会議では、以下のように判断された。

イゼルローン要塞陥落に関しては帝国軍三長官は最善を尽くしたが、敵が巧妙であり帝国軍三長官に罪有りとは言えない。さらにゼークトは戦死、シュトックハウゼンが捕虜になることで罪を償っている。

艦隊戦に関しては宇宙艦隊司令長官の慢心、不注意が今回の敗北を招いた。許されざる失態ではあるが処分に関しては皇帝の判断に任せる。

俺は今、新無憂宮にある謁見の間で皇帝に拝謁している。尤も俺だけではない、リヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥も一緒だ。これからラインハルトの処分を決めることになる。

皇帝の判断に任せる、皆不安なのだ。あまりきつい処分を求め、それに対してアンネローゼが反発したらどうなるかを判断しかねている。今まではアンネローゼは特に権力を振るうことは無かった。

しかし、ラインハルトの危機に対してどうなのか? 何もしないとは考えられない。つまりその事が処分は皇帝に任せるとなっている。そして皇帝はリヒテンラーデ侯をはじめ俺たちに処分をどうすべきか相談している。

何のことは無い、厄介事のたらいまわしなのだ。ちなみに俺が此処にいるのは次期宇宙艦隊司令長官に内定されているからだ。言ってみれば政府と軍のトップがラインハルトの処分を決めるために集まっている。

先程からエーレンベルクとシュタインホフが言い合っている。シュタインホフは厳しい罰を与えるべきだと言い、エーレンベルクは雪辱の機会を与えるべきだと言っている。エーレンベルクはおそらくミュッケンベルガーの意向を受けているだろう。

残念だが、俺は必ずしも体が丈夫ではない。その事がラインハルトに対して厳しい処分(軍からの追放等)を避けるべきだと言う意見になっている。そしてリヒテンラーデ侯も同じ考えを持っている。

俺には国内の内乱を防がせ、他の指揮官に外征を任せるべきだということだ。そして彼にとっては門閥貴族の紐の付いてない指揮官が望ましい。ラインハルトはその条件に合う数少ない指揮官なのだ。

「ヴァレンシュタイン大将、卿の意見を聞こうではないか?」
リヒテンラーデ侯が俺に問いかけてきた。さて、俺の答えを出すべきだろう。俺はイゼルローン要塞陥落後、何度も考え続けてきた。

これから帝国は同盟、フェザーンにどう対応していくべきか、その中で俺は何をするべきなのか。考えて考え抜いた答えをミュッケンベルガー元帥にも相談した。元帥は危険だがやる価値は有ると言ってくれた。

そしておそらく俺の答えが受け入れられるかどうかは皇帝フリードリヒ四世にかかっているだろうと断言した。俺もそう思う。ラインハルトの処分はその答えの一部だ。俺は皇帝フリードリヒ四世を説得しなければならない。今のままでは帝国は滅びかねないのだから……。


 

 

第九十二話 フリードリヒ四世

■ 帝国暦487年5月15日    オーディン 新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「ヴァレンシュタイン大将、卿の意見を聞こうではないか?」
リヒテンラーデ侯が俺に問いかけてきた。
「ローエングラム伯への処分を決める前に確認しておきたい事があります」

「何のことだ? ヴァレンシュタイン」
「今後の帝国の国防方針についてです、シュタインホフ元帥」
「国防方針?」

訝しげな表情で問いかけてきたのはシュタインホフ元帥だが、表情だけなら皇帝フリードリヒ四世、エーレンベルク、リヒテンラーデ侯も似たようなものだ。無理も無いだろう、これまで一方的に同盟に攻め込むだけだったのだ。国防方針などと言われてもピンと来ないに違いない。

それに彼らは皇帝フリードリヒ四世が急性の心臓疾患で年内に死ぬ事を知らない。もちろんこれは原作での話だ、この世界でもフリードリヒ四世が死ぬとは限らない。まして死因が急性の心臓疾患となれば長生きする可能性もある……。だが偶然に頼るわけにはいかない。

「イゼルローン要塞を奪われた今、帝国は反乱軍の侵攻に備えなければなりません。どのように対処すべきかを考えるべきでしょう。ローエングラム伯の処分もその中で決めるべきかと思います」

「ヴァレンシュタイン大将、卿には腹案が有る様じゃの」
リヒテンラーデ侯が俺に問いかけてくる。俺はリヒテンラーデ侯に頷くと話し始めた。

「帝国の取りうる方針は四つ有ると思います。先ず一つは現状を維持、反乱軍の侵攻を待って撃破する。二つ目は積極的に軍を動かしイゼルローン要塞を奪回する。三つ目はイゼルローン回廊を封鎖し帝国への侵攻を断念させる、最後に早期に反乱軍を帝国領内に誘引しこれを撃滅、帝国領内への侵攻能力を喪失させる」

皆どう判断して良いか判らないのだろう、互いに顔を見合わせている。
「最初の現状維持ですが、これは論外です。これをやれば反乱軍は国力の回復を待って帝国へ攻め込むでしょう。我々は強力になった敵と戦わなくてはなりません」

「ならばイゼルローン要塞を奪回すれば良いだけではないか」
「あれがそんな簡単に奪回できるものか! 反乱軍がどれだけ犠牲を払ったと思っているのだ卿は」

シュタインホフの無責任ともいえる言葉にエーレンベルクが顔を紅潮させて反発する。その通りだ、あの要塞を正攻法で落とす事は先ず出来ない。あれを落とすには、敵の増援を排除した上で五倍以上の兵力で要塞を包囲攻撃する必要があるだろう。

「エーレンベルク元帥の仰るとおりです。イゼルローン要塞を落とすのは難しいでしょう。落とせても、宇宙艦隊は大きな犠牲を払う事になります。取るべき方策とは思えません」

俺がエーレンベルクの意見を支持するとシュタインホフは不機嫌そうな顔をしたが反論はしなかった。彼自身も容易い事でないとわかっている。大人気ない発言だったと思っているのかもしれない。

それまで黙っていたフリードリヒ四世が不思議そうな表情で問いかけてきた。
「ヴァレンシュタイン、イゼルローン回廊の封鎖とはなんの事だ? 艦隊を回廊の入り口に貼り付けるのか? 」

「いえ、違います。イゼルローン回廊に帝国の拠点となる要塞を設置します」
「馬鹿な、敵の眼前で要塞の建設など出来るはずが無い、不可能だ」
シュタインホフが反対する。その通りだ造る事は出来ない。
「造るのでは有りません。既に出来上がっている要塞を持っていくのです」

「?」
皆不思議そうな顔をしている。無理も無い、俺だって半分キチガイ沙汰だと思っている。
「ガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊に運びます」

「卿、何を言っている。運ぶとはどういうことだ?」
「エーレンベルク元帥、ガイエスブルク要塞にワープと通常航行用のエンジンを取り付けイゼルローン回廊に運ぶのです」

「卿、正気か?」
シュタインホフ、失礼な男だな。尤も皆声に出さないだけだろう。妙な目で俺を見ている。原作ではちゃんと出来たぞ。

「正気です。ワープ航法は既に確立された技術です。いささか物が大きいですからワープ・エンジンを要塞に複数取り付ける必要が有るでしょうが可能だと思います。まあ最終的には科学技術総監部に確認する必要は有るでしょう」

「イゼルローン回廊をガイエスブルク要塞で塞ぐか……。それが上手くいけば帝国は外敵に怯えずに済む、名案かもしれん」
リヒテンラーデ侯が喜色を浮かべて話す。エーレンベルク、シュタインホフも半信半疑ながら頷く。

「小官は反対です」
「なんじゃと? 卿自身がいったのじゃぞ」
リヒテンラーデ侯が眼を剥いている。怒っているのか? しかし賛成は出来ない。

「通常なら小官も反対はしません。しかし帝国の現状を考えると賛成できないのです」
「どういうことだ、ヴァレンシュタイン?」
エーレンベルク元帥が眉を寄せ訝しげに問いかけてくる。

「陛下の御前でこのようなことを言うのは心苦しいのですが、帝国は内乱の危機にあります」
「控えよ! ヴァレンシュタイン」
「良い、続けよ」

リヒテンラーデ侯が俺を叱責したが、フリードリヒ四世が侯を抑えた。
「はっ。今現状でイゼルローン回廊を塞いだとします。反乱軍は直ぐにはガイエスブルク要塞の攻略には出ないでしょう。先ずは戦力の回復を図るはずです」

「うむ」
皆頷いている。そう、此処が問題だ、同盟の戦力が回復する……。そして帝国には危機が存在したままだ。

「彼らは考えるでしょう。帝国はイゼルローン回廊を反乱軍に自由に使わせる意思は無い、しかし何とか帝国領へ侵攻できないかと。そして最終的にはイゼルローン回廊が使えなければフェザーン回廊を使えば良いと気がつくはずです」

「! 有り得る」
「フェザーン回廊か」
老人たちは顔を見合わせながら口々に同意する。

「しかし、フェザーンが通行を許すかの、中立を守るのではないか?」
「陛下、フェザーンの中立は帝国への義理立てではありません。あくまで自国の利益のためです。今回のイゼルローン要塞攻防戦がそれを証明しています。フェザーンは明らかに反乱軍寄りの行動をしました。あれが無ければあのような惨敗は無かったはずです」

「陛下、ヴァレンシュタインの言うとおりです。フェザーンは自分たちの利になると思えばフェザーン回廊の通行を許す可能性があると思います」
エーレンベルク元帥が俺に加勢する。シュタインホフ元帥も頷いている。

「帝国が内乱状態になれば、反乱軍は必ずこれを好機と捉え帝国領への出兵を考えます。そしてフェザーン回廊の通行を実行しようとするでしょう。フェザーンは軍事力が有りません、これを拒めない。いやフェザーンの方が積極的に回廊の通過を勧めるかもしれません」

「国内が内乱状態にある中、フェザーン回廊から反乱軍が攻め寄せるか……」
沈痛な表情でリヒテンラーデ侯が呟く。そして思い付いた様に口を開く。
「エルウィン・ヨーゼフ殿下を皇太子にしてはどうじゃ。内乱は防げるのではないか」

「無理です。殿下には有力な後ろ盾がありません。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、その周りもそれを知っています。皇位を諦めないでしょう」

フリードリヒ四世がエルウィン・ヨーゼフを皇太子に指名しなかったのもそれが一因だと思っている。これまでの銀河帝国の歴史でも似たような事はあった。そして後ろ盾の無い皇族は殺されるか、自ら皇位継承を諦めて命を永らえた……。俺とリヒテンラーデ侯が組んでも彼らは諦めないだろう。

むしろ過激になるに違いない。俺やラインハルト等の新しい力が出て来た事に彼らは焦っているのだ。彼らには戦うための理由がある。自分たちの既得権益を守るために彼らは戦うだろう。

特に俺が宇宙艦隊司令長官になることは彼らにとって脅威だろう。これまで平民が宇宙艦隊副司令長官になった事は無い。それが今度は司令長官になろうとしている。彼らにとって平民は貴族に従うべき存在であって貴族を従える存在ではない。

リヒテンラーデ侯もエーレンベルク元帥も何処までそれを理解して俺を使っただろう。おそらく自分が生き残るために必死でそんな事まで考えている余裕は無かったろう。この世界の内乱は原作ほど権力闘争の色は濃くないだろう、むしろ階級闘争の色が強くなるに違いない……。



「つまり、卿は反乱軍を誘引し撃滅するべきだと言うのだな?」
エーレンベルク元帥が俺に確かめるように問いかけてきた。

「はい、反乱軍に大兵力にて出兵させこれを撃滅します。認めていただけぬので有れば、小官は宇宙艦隊司令長官へは就任出来ません。帝国の防衛に自信がもてないのです」

「……」
謁見の間を沈黙が支配した。何時内乱が起きるかわからないなかで帝国領に大兵力の反乱軍を誘引する。一つ間違えば帝国は滅びかねない。簡単には決断できないだろう。

「ヴァレンシュタイン、もしその案を認めた場合、ローエングラム伯の処分をどうするつもりだ」
フリードリヒ四世が問いかけてきた。

「伯を一階級降格して大将にします、その上で宇宙艦隊副司令長官を」
「それでは甘すぎる、軍の統制が取れなくなる」
「必要以上に厳しくしろとは言わぬがシュタインホフ元帥の言うとおり甘すぎるのではないか?」

エーレンベルク、シュタインホフの両元帥が処分が甘いと言って来る。シュタインホフ元帥も反発から言っているのではないだろう。

「反乱軍もそう思うでしょう。帝国の宇宙艦隊司令長官は病弱で前線に出られぬ、副司令長官は大敗を喫しながらも皇帝の寵姫の弟であることを利用して軍内に地位を得ている。おまけに二人とも未だ二十歳を過ぎたばかりの小僧、今の帝国軍にはミュッケンベルガー元帥の頃の武威は無い。今こそ攻めるべきだと」

「それに、小官は万一のためにオーディンに留まる必要があります。実際に宇宙艦隊を指揮統率するのはローエングラム伯にお願いする事になるでしょう」

「……」
しばらく沈黙が流れた。皆視線を落とし考え込んでいる。
「卿の考えは判る。しかしそれだけで反乱軍が攻め込むか?」
シュタインホフ元帥が呟くように問いかけてきた。彼の疑問は尤もだ。他にも手は打たねばならないが、此処は引けない。

「攻め込ませます」
「!」
俺の答えに皆何かを感じたのだろう。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフの両元帥は顔を合わせると互いに頷いた。

「陛下、臣等はヴァレンシュタイン大将の考えを支持します」
リヒテンラーデ侯がフリードリヒ四世に話しかけた。これでラインハルトの処分は決まった。後は皇帝の判断しだいだ。皇帝は一つ頷くと俺に問いかけてきた。

「ヴァレンシュタイン、反乱軍を何時までに撃滅するつもりか」
「……年内には撃滅いたします」
「そうか、そちは予の寿命を年内一杯と見積もったか」

「!」
フリードリヒ四世の言葉に室内の空気が一気に緊張した。
「陛下、何を仰られますか」

リヒテンラーデ侯が皇帝をたしなめるが、皇帝はむしろ楽しそうに話を続けた。
「国務尚書、そちとて同じような事は考えたであろう、ちがうか?」
「……」

「面白いの、この帝国の危機に予の寿命まで冷静に図って策を立てるとは。面白い男が居るものじゃ」
「……」
フリードリヒ四世は益々上機嫌に話し続ける。

「ヴァレンシュタイン、そちには借りが有ったの」
「借りでございますか」
「うむ、予が意識不明になった時、それにクロプシュトック侯の一件、どちらも卿には世話になった」
「……」

「そちに帝国と予の命運を預けよう」
「はっ、必ず反乱軍を撃滅いたします」
「予が生きている間にその報を聞きたいものじゃ」
皇帝は何処までも上機嫌だった。俺はなんとなく反発したくなった。

「陛下、一つ間違えば帝国は滅びます。それでもよろしいのでしょうか?」
「ヴァレンシュタイン!」
「滅ぶか? それも良かろう。どうせ滅びるのであれば、せいぜい華麗に滅びればよいのだ」

俺を咎めるリヒテンラーデ侯を無視し、皇帝は愉快そうに言い放つと哄笑した。謁見室に皇帝の笑い声だけが響く。俺は、いや俺だけではない、リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフの両元帥が呆然と見詰める中、皇帝だけが愉快そうに笑い続けた……。


 

 

第九十三話 謀略戦(その1)

■ 帝国暦487年5月15日    オーディン 宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


俺は新無憂宮から宇宙艦隊司令部に戻るとヴァレリーに何人かの人物を呼ぶように頼んだ。その後、俺は司令長官室にラインハルトを訪ねた。ラインハルトは辞表を出したが、正式に俺が司令長官になるまでは彼が職務を遂行している。

一時的に俺が兼務すると言う話もあったのだが俺のほうから断った。正式な辞令発表は明日になる。司令長官になっても部屋は変えないつもりだ。表札だけ変えればいいだろう。

「ローエングラム伯、閣下の処分が決まりました」
ラインハルトは頷くと落ち着いた目を向けてきた。
「それで処分は?」

「一階級降格し大将になります。そして宇宙艦隊副司令長官に任じられる事になっています。正式発表は明日になります」
「しかし、それでは……」
抗議しかけるラインハルトを俺は止めた。

「処分が甘いのは事実です。しかし理由があります」
「?」
「年内に反乱軍を帝国領内に誘引し、撃滅します」
「!」

「そのために閣下にも役立ってもらいます」
「役立つ?」
「私と閣下で宇宙艦隊のトップを務めます。反乱軍は喜ぶでしょうね、病弱な司令長官と大敗した副司令長官……」

「反乱軍をおびき寄せるためか?」
ラインハルトは目を見張って尋ねてきた。
「不満ですか?」

「……私は取り返しのつかない過ちを犯した身だ。帝国の勝利のために役立つことが出来るのであれば喜んで餌になろう」
変わったな、帝国の勝利のために役立つか……。エルラッハ大将、聞いているか今の言葉を。お前が言わせた言葉だ。

「六月までに艦隊を整えてください。七月には宇宙艦隊を指揮して訓練をしてもらいます」
「雪辱の機会を与えてくれた事を感謝する。必ず期待に応えさせていただく、ヴァレンシュタイン司令長官」
「期待しています、ローエングラム副司令長官」


俺はラインハルトに有る程度の考えを話してから司令長官室を出た。そして次にメルカッツ提督の部屋を訪ね彼に皇帝の前で話したことを伝える。反乱軍の帝国領への誘引を聞くと僅かに目を見開いて驚いた表情を見せたが、ラインハルトの副司令長官就任には特に驚いた様子を見せなかった。

最近のラインハルトの様子から大分高く評価しているようだ。その事が分ってほっとした。この人が支えてくれるなら宇宙艦隊は大丈夫だ。後はラインハルトが自然体で臨めばいい。


■ 帝国暦487年5月15日    オーディン 宇宙艦隊司令部  アントン・フェルナー


宇宙艦隊副司令長官室に入ると、やたらと広い部屋に大勢の女性下士官が机を並べ書類を、ディスプレイを見ている。なかなかの美人ぞろいだ。あの超鈍感のエーリッヒにはもったいない。俺も此処で仕事をしてみたいものだ。

それにしても賑やかな部屋だ。興味半分で見回していると長身の女性士官が近づいてきた。こちらも結構美人だ。
「フェルナー大佐ですね。小官はフィッツシモンズ少佐、ヴァレンシュタイン副司令長官の副官を務めています」

彼女がフィッツシモンズ少佐か……。エーリッヒの信頼が厚いとギュンターから聞いている。
「初めまして、アントン・フェルナーです。ヴァレンシュタイン副司令長官に呼ばれてきたのですが」

「副司令長官は間も無く戻られると思います。応接室でお待ちください」
驚いたことに応接室は副司令長官室の隣の部屋に有った。副司令長官室からドアを開けて行き来できるようになっている。一体何部屋使っているんだ?

応接室に入ると其処には既に先客が居た。
「ギュンター、卿も呼ばれたのか?」
「ああ、どうやら卿もらしいな」

部屋に居たのはギュンター・キスリングだった。ブラウンシュバイク公の部下である俺と憲兵隊のギュンターか、妙な組み合わせだ、何を考えている? 考え込んでいるとドアを開けてエーリッヒが入ってきた。手には書類袋を持っている。

「やあ、エーリッヒ、それとも副司令長官閣下と言うべきかな」
声をかけるとエーリッヒは少し苦笑して答えた。
「エーリッヒでいい、ここは私たちだけだ」

「それで私たちに何の用だ?」
「うん、もう少し待ってくれないかな。もう一人来るから」
ギュンターが問いかけにエーリッヒが答えた。もう一人? ナイトハルトか?

もう一人が来るまでの間、三人で話をした。エーリッヒが宇宙艦隊司令長官になりローエングラム伯が副司令長官になるらしい。信賞必罰が問われるだろうと言うと、エーリッヒは曖昧な表情で頷いた。どうやら裏があるな、これは。

「遅くなりました、副司令長官」
謝罪と伴にドアから入ってきたのはシャフト技術大将だった。エーリッヒは柔らかく微笑みながら彼を迎え入れる。卿はそうやって直ぐ人を騙す、悪い癖だ。

「シャフト技術大将、こちらへ。紹介しましょう、憲兵隊のキスリング大佐とブラウンシュバイク公のところに居るフェルナー大佐です。二人とも私の信頼する友人です」

お互いに敬礼を交わしソファーに座る。信頼する友人か、微妙な表現だな。ブラウンシュバイク公の元にも自分の味方がいる、シャフトはそう受け取ったろう。相変わらず駆け引きの上手い男だ。いや駆け引きではない、本気で言ったのかも知れない。

「シャフト技術大将、これを見てください。お分かりになりますか?」
そう言いながら、エーリッヒは書類袋から一枚の写真を出した。写真には要塞が写っている。この要塞は……。

「これはガイエスブルク要塞ですな。これが何か?」
シャフト技術大将が訝しげに問う。
「この要塞をイゼルローン回廊に運べるようにしてください」

「?」
「副司令長官、運ぶとはどうやってでしょう?」
皆呆然としている。シャフトの疑問は当然だ、要塞を運ぶ? どうやって?

「ガイエスブルク要塞にワープと通常航行用のエンジンを取り付けイゼルローン回廊に運ぶのです」
「!」
穏やかに微笑みながらエーリッヒが答える。

エンジンを取り付ける? 正気か、エーリッヒ。俺はギュンターと顔を見合わせた。彼も混乱している。俺も似たような表情だろう。
「不可能ではないはずです。違いますか、シャフト技術大将?」
エーリッヒはあくまで優しくシャフトに問いかける。

「それは、確かにできない事ではありません。いくつかのエンジンを取り付ければ可能ですが、本気ですか?」
「本気です、設計図を作ってください。とりあえず二十日以内にどのように作るかの方向性を示した資料を作ってください」

「二十日以内ですか、それは少し……」
「完成していなくても構いません。ある程度方向性が見えればそれでいいのです」
「……分りました」

シャフトは盛んに額の汗をぬぐっている。次期宇宙艦隊司令長官の依頼ともなれば無碍に断る事は出来ないだろう。しかしガイエスブルク要塞をイゼルローンに運ぶか、そうなれば帝国領への侵攻は不可能だな。反乱軍も悪い男を相手にした……。

「シャフト技術大将、大将はフェザーンと親しいそうですね」
「な、何を言われるのです」
シャフトは激しく狼狽した。ギュンターの視線が厳しくなるのが分る。このためか、彼を呼んだのは。

「隠さなくてもいいでしょう。別に咎めているわけではないのですから」
「?」
咎めているわけではない? その言葉にシャフトもギュンターも思わずエーリッヒの顔を見詰める。

エーリッヒは優しげな表情のままだ。
「これからもフェザーンとは親しくして欲しいのです。但し大将個人の利益のためではなく、帝国の利益のために」

なるほど、シャフトをスパイとして使おうというわけか。シャフトも自分の役割が分ったのだろう、顔が青ざめている。
「副司令長官、私は決してフェザーンと……」

抗議するシャフトをエーリッヒは手を上げて止めた。
「シャフト技術大将、此処にいるキスリング大佐に調べさせてもいいのですよ」
「……」

黙り込んだシャフトにエーリッヒが優しく微笑みながら追い討ちをかけた。
「協力していただけますね、大将」
「はい」

「先ず、今回のガイエスブルク要塞の件をフェザーンに教えてください」
「要塞の件ですか?」

「ええ、帝国がイゼルローン回廊を塞ごうとしていると。おそらくフェザーンは帝国がフェザーンに攻め込むための準備ではないかと疑うはずです。それに対しては、国内が内乱の危機にある現状ではそれは無いと伝えてください。情報源は私で構いません、この情報でフェザーンからは大分見返りをもらえるでしょう」

エーリッヒはガイエスブルク要塞を本気で運ぶ気は無いようだ。フェザーンを相手に謀略戦を仕掛けようとしている。俺が呼ばれたのもその一環だろう。どうやら楽しくなってきたようだ。



帝国暦486年12月
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将、第三次ティアマト会戦における指揮権継承問題に関与したことにより少将に降格。

帝国暦487年 1月
ラインハルト・フォン・ミューゼル大将、ローエングラム伯爵家を継承。ラインハルト・フォン・ローエングラムとなる。

ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵、第三次ティアマト会戦に功あり。上級大将に昇進。宇宙艦隊司令長官を命じられる。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン少将、第三次ティアマト会戦に功あり。大将に昇進。宇宙艦隊副司令長官を命じられる

帝国暦487年 4月
第七次イゼルローン要塞攻防戦発生。イゼルローン要塞陥落、帝国軍遠征軍、イゼルローン要塞駐留艦隊壊滅す。

帝国暦487年 5月
ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵、第七次イゼルローン要塞攻防戦での敗戦により、大将に降格。宇宙艦隊副司令長官を命じられる。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大将、上級大将に昇進。宇宙艦隊司令長官を命じられる。




 

 

第九十四話 謀略戦(その2)

■ 帝国暦487年5月15日    オーディン 宇宙艦隊司令部  アントン・フェルナー


「ギュンター、シャフト技術大将は私の指示でフェザーンと接触する。彼への監視はそれを踏まえた上で行なって欲しい」
「分ったよ、エーリッヒ」

シャフト技術大将が汗を拭きながら逃げるように帰ると俺たち三人はソファーにゆったりと寛ぎながら話し始めた。

「本当にイゼルローンにガイエスブルク要塞を送るのか?」
「いや、そのつもりは無いよ」
訝しげなギュンターの問いにエーリッヒが答える。やはりそうか……。

「フェザーンにも攻め込むつもりは無い、そういうことだな?」
「今のところはね」
「いずれは攻め込むと?」
ギュンターの立て続けの問いにエーリッヒは柔らかく微笑みながら頷いた。

「エーリッヒ、フェザーンに要塞の情報を流すのは何故だ? 何を考えている?」
「フェザーンの眼をこちらに引き付けたいんだ、アントン」
「……」

なるほど、今のフェザーンならイゼルローン回廊を塞げば、自分たちを攻めるつもりかと思うだろう。宇宙艦隊を始め軍内部のフェザーン討つべしの声は大きい。まさかな……。

「軍内部のフェザーン討つべしの声だが、あれは卿か?」
「鋭いね、アントン」
エーリッヒはにこやかに微笑みながら答える。その答えを聞いたギュンターが驚いた眼でエーリッヒを見詰めた。甘いぞ、ギュンター。

「フェザーンに攻め込むつもりは無い、卿がそう言ってもフェザーンは疑心暗鬼になるだろうな。それで、フェザーンの眼をこちらに向けさせて何をやる気だ」
「アントン、フェザーンに行ってくれないか」

「フェザーン? しかし俺はブラウンシュバイク公の……」
「先ず話を聞いてくれないか」
「そうだな、先ずは話を聞こうか」

俺は横に居るギュンターを見た。奴は気の毒そうな目で俺を見ている。大分エーリッヒに振り回されたらしい。今度は俺が振り回される番か。どう振り回されるやら、そう考えると可笑しくなった。思わず笑いが零れる。

「楽しそうだね、アントン」
「ああ、卿がどんな悪辣なことを考えているのかと思うとね」
「私は卿程酷い人間じゃないよ」
「卿ら二人はどっちもどっちだ」

俺とエーリッヒが笑いながら言い合っているとギュンターが憮然として吐いた。思わず三人で顔を見合わせ、一瞬後には皆で笑い出していた。悪くない、こんな感じは久しぶりだ。

「フェザーンに行ったら、反乱軍の弁務官事務所に接触して欲しい。そしてガイエスブルク要塞の事を話してして欲しいんだ」
「……卿は反乱軍の誘引を狙っているのか? イゼルローンが塞がれる前に帝国領に攻め込めと?」

「そう、大兵力で早急に攻め込めと言って欲しいんだ。私は彼らを年内に撃滅するつもりだ」
エーリッヒは頷くと悪戯を思いついたような表情で続けて話してきた。

「卿の役割は、門閥貴族ブラウンシュバイク公の部下で私やローエングラム伯に反感を持つ士官、そんな所だ。私やローエングラム伯の悪口を好きなだけ言って欲しい」

そう言うとエーリッヒは悪口の内容を話し始めた。
・新司令長官はミュッケンベルガーに取り入って出世した小僧、虚弱で前線に出られない、艦隊指揮の経験も無い、周囲の艦隊司令官もあきれて馬鹿にしている

・副司令長官は姉のおかげで司令長官になったが、イゼルローンで大敗を喫した、本来なら死罪でも可笑しくないが姉とヴァレンシュタインの口添えで副司令長官になった。ヴァレンシュタインが副司令長官にローエングラム伯を望んだのは自分より年下で扱い易いからだ、能力など欠片も無い阿呆だ……

・宇宙艦隊は無能な司令長官と副司令長官のせいでまとまりがつかず、滅茶苦茶になっている。ミュラー中将は司令長官と士官学校で同期だが陰で司令長官を小僧と呼んで馬鹿にしている。

・軍の衆望はメルカッツ大将に集まっているが、司令長官も副司令長官もメルカッツ大将を煙たがって会おうとしない。メルカッツ大将も不満を持っている。

・反乱軍が攻め込めば、神聖不可侵の帝国領土に攻め込まれた事で二人を罷免し、ブラウンシュバイク公が宇宙艦隊司令長官になる。実戦はメルカッツ大将に任せるだろう。

・ヴァレンシュタインとローエングラム伯はそれを恐れて要塞をイゼルローン回廊へ運ぼうとしている。

余りの酷さに俺もギュンターも笑い出してしまった。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタインという人物は随分と酷い人間らしいな」
「全くだ、同姓同名で恥ずかしいよ」

ギュンターの皮肉にエーリッヒはすまして答えた。そのことでまた笑い出してしまう。
「卿の考えは判った。しかし問題が三つある。先ずブラウンシュバイク公の部下の俺がどうやってフェザーンに行くか? 第二に反乱軍に攻め込むだけの余力があるか? 第三にこれだけで反乱軍が本当に攻め込むか? 」


「ブラウンシュバイク公には正直に話して構わない。内乱の最中に反乱軍に攻め込まれるのは公にとっても不本意だろう。内乱が起きる前に反乱軍を再起不能なまでに叩いておく、それで納得するはずだ」

「……」
「それから反乱軍に攻め込む余力があるかだが、これも問題ない。反乱軍には各星系の警備隊や星間警備隊がある。これまでは帝国軍が攻めてくるために必要とされていたが、イゼルローン要塞が手に入った以上それほど必要ないはずだ。正規艦隊の再編に使えばいい。ざっと二個艦隊ほどは出来るだろう」
「……」

「それから、反乱軍に対する謀略はこれだけじゃない。他にも手を打つ事になっている。こちらはシュタインホフ元帥が協力してくれる。必ず攻め込ませるよ」
「シュタインホフ元帥が? 情報部を使うのか?」

俺の問いにエーリッヒは頷いた。シュタインホフはエーリッヒを嫌っていたはずだ。それが協力する? つまり反乱軍の誘引、これはエーリッヒ個人の考えではなく帝国軍、いや帝国の決定方針と言う事か。ここでブラウンシュバイク公が反対すれば……。

「分った、やらせてもらう。楽しくなりそうだ」
「卿ならそう言ってくれると思っていた。それとフェザーンでは帝国の弁務官事務所には接触しないで欲しい」
「!」

やれやれ、とんでもない任務になりそうだ。目の前で穏やかに微笑むエーリッヒを見ながら俺は思った。
「シャフト技術大将から設計資料が届いたら卿に送る。それも反乱軍に流して構わない。彼らも信じるだろう」

エーリッヒは積極的に動こうとしている。早急に攻め込ませ年内に撃滅する? 皇帝フリードリヒ四世の寿命は短いと見ているのか? だとすればかなり危険が大きい、それをあえて行なおうとしている……。

危険だが勝算が有る、危険を犯すだけの価値がある、エーリッヒはそう見ている。急に体の中が熱くなるような感覚に囚われた。興奮しているのか、俺は? 興奮しているのだ、俺は!

帝国、フェザーン、反乱軍を相手に自分の能力を試せる事に興奮している。危険の中で踊れる事に興奮している。感謝するぞ、エーリッヒ。今だから分る、俺はこんな風に熱くなれる自分を待っていたのだ。


■ 帝国暦487年5月15日    オーディン 宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


フェルナーとキスリングが帰った後、俺は一人応接室でソファーに座っていた。なんとなく今は執務に戻りたくなかった。いや、誰にも会いたくなかった。

同盟軍は攻め込むだろう。同盟市民の中には帝国領に攻め込みたいと言う願望がある。これまでずっと帝国軍に攻め込まれてきた、今度はこちらが攻め込む番だ、同盟市民はそう思っている。

原作ではフォークの行動が帝国領への侵攻を決定したように見えるが、それを支持したのは間違いなく同盟市民だった。そうでなければあそこまで大兵力の出兵が出来るわけが無い。

イゼルローン回廊を塞ぐ、それを知れば同盟市民は今すぐ帝国領に出兵しろと騒ぐだろう。国力回復はイゼルローン回廊が塞がれた後でいい、そう言うはずだ。いや、そう言わせる。

そして政治家たちは議席を失ってまでもそれに逆らう事は出来ない。同盟市民が望む以上、政治家が反対する事は政治生命を失うことを意味する。其処まで覚悟して逆らえるのはジョアン・レベロ、ホアン・ルイぐらいのものだ

そしてドーソンも攻めたがっているはずだ。今回のイゼルローン要塞攻略戦ではドーソンの出番は何処にも無かった。ティアマトで負けたドーソンは今回勝利を収めたビュコック、ウランフ、ボロディン、ヤンを憎悪しているだろう。

ヤン・ウェンリーは間違った。ドーソンを無理にでも連れて行くべきだった。そうすればイゼルローン要塞攻略は宇宙艦隊の功績となったのだ。だが彼を連れて行かなかったため、宇宙艦隊司令部は面目を潰されたと感じているはずだ。

そしてドーソンは恐れている。自分が宇宙艦隊司令長官の座を追われるのではないかと。地位を守るためには帝国領に出兵し勝利を収めるしかない。そう思うはずだ。それは宇宙艦隊司令部の幕僚達も同様だろう。

同盟による帝国領出兵は避けられない。同盟市民、政治家、軍、その全てが出兵を望むのだ。間違いなく攻め込むだろう。つまり同盟の崩壊は避けられない。今後の政戦両略にはそれを頭に入れておく必要がある。

後はシュタインホフの情報部がどれだけ上手く彼らを煽れるかだろう。フェザーンの自由独立商人を使うからフェザーン回廊からハイネセンに向かって噂は流れるだろう。

フェザーン、ルビンスキーも焦っているだろう。同盟の三個艦隊の増援は予想外だったはずだ。ヤンに気を取られ見落としたのだろうが、今となっては言い訳は出来ない。イゼルローン要塞だけではない、三万五千隻、三百万の兵が失われたのだ。

これまでフェザーンが自由に動けたのは曲りなりにも中立を守ったからだ。だがその中立は失われた。そして帝国はイゼルローン回廊を何時でも塞ぐ事が出来る。ルビンスキーは理解するだろう。今後はフェザーン回廊が宇宙の火薬庫になることを。

帝国が今すぐフェザーンに攻め込むことは不可能だ。フェザーンの影響力は帝国の門閥貴族の間に浸透している。惑星開発、経済協力などでつながりは深いのだ。それでもルビンスキーにとっては帝国の動きは不気味だろう。

フェザーンは同盟と帝国の間で難しい舵取りを選択させられる。軍事力の無さがそれを更に厳しいものにするだろう。ルビンスキーに出来るのは、帝国の眼をフェザーンから同盟に逸らす事しかない。つまり帝国領出兵だ。

帝国領出兵を機に同盟軍に致命的な打撃を与える。その後は門閥貴族との内乱になる。そこで門閥貴族を潰せばフェザーンには後が無い。ルビンスキーには原作のようなつまらない小細工はさせない。問題は地球教だ、こいつの扱いをどうするかだな。

そろそろ内乱に備えてオイゲン・リヒター、カール・ブラッケ達をこちらに取り込む必要がある。名目がいるな。同盟領征服後の統治方法を研究させる、そんな所でリヒテンラーデ侯を説得するか。

そろそろ執務室に戻ろう。ヴァレリーが不審に思うに違いない。ココアを飲みながら書類の決裁をするか……。いや、もう少し此処にいよう、なんとなく今日は仕事をしたくない気分だ……。



 

 

第九十五話 和平への道 (その1)

■ 宇宙暦796年 5月30日 ハイネセン ホテルシャングリラ ジョアン・レベロ


人目を避けるようにホテルに入り、階段で五階に向かう。エレベータでは誰に会うか分らない。階段の方が安全だ、知られたくない人にあっても他の階まで行ってから戻ってくればいい。エレベータでは出来ない芸当だ。

五百十三号室の前に立ち軽くドアをノックする。
「誰だ?」
「レベロ」
ドアが開き、私は部屋に急いで入った。

「全く不便なことだな」
「レベロ、それは仕方が無いだろう。私たちが友人だなんて知られたら困った事になる、違うかな」
「お前さんとは友人じゃない。仕事仲間だ」

私が言い捨てると彼、ヨブ・トリューニヒトは苦笑して椅子を勧めてきた。
「それで、和平は可能か?」
私が問うと彼は端正な顔を歪めて答えた。
「難しいな。和平どころか出兵したいと訴えてくる始末だ」

「大丈夫か? この上出兵など財政が耐えられんぞ」
「今は国力回復の機会だということは私もわかっている。彼らにもそう言ったよ」

彼らとは軍の主戦派の事だ。軍には主戦派と良識派が存在する。主戦派は主に宇宙艦隊に多い。良識派は統合作戦本部だ。言ってみれば実戦部隊と参謀部隊と言えるかもしれない。

私とトリューニヒトは全てにおいて違う。彼は人当たりがいいが、私は頑固だ。得意分野は彼が国防で私が財政。彼は派手好きだが、私は地味。

だが、一つだけ一致している事がある。その事が私たちを協力させている。この国の民主主義を守る、その事だ。長い戦争で国が荒んできている。徐々に軍部の力が強くなり、その分だけ政府の力が弱まりつつある。

トリューニヒトは軍内部に影響力を強める事で主戦派をコントロールし、私は良識派といわれる男たちと接触して彼らの動向を調べている。私たち二人で軍を暴発させないようにしているのだ。

私達の今現在の目的は和平の締結。これ以上の戦争継続は国力の疲弊だけではなく、政府による軍部のコントロールさえ不可能になる可能性が有ると見ている。

「和平は難しいか、シトレ達は問題ないんだが」
私が言うと、トリューニヒトが首を振りながら答えた。
「イゼルローンで鮮やかに勝ちすぎた。二個艦隊くらい壊滅すれば和平案も出たかもしれない」

「馬鹿な事を言うな! トリューニヒト」
「しかし、二個艦隊の犠牲で和平が結べるなら安いもんじゃないか、レベロ。帝国だって二個艦隊失っているんだ」

「……」
確かにその通りだ。トリューニヒトの眼は真剣だ。いい加減な気持ちで言っているわけではない。

「それにドーソンがかなり焦っている。司令長官をウランフやボロディンに奪われると思っているようだ。そんな事は無いと言ったが何処まで信じたか……」
トリューニヒトの表情が曇る。

「ドーソンか、だからあの男を司令長官にするのは止めろと言ったんだ」
私とトリューニヒトの間でドーソンを宇宙艦隊司令長官にすることはかなり揉めた。

「そう言うな。あの時は帝国が攻勢を強めるとは思わなかったんだ。それならドーソンの方が扱い易い。彼を中心に宇宙艦隊司令部の主戦派が集結するなんて事は無いからな。君だって最後は納得したじゃないか」

その通りだ。前任者のロボスはどうにも戦争好きだった。能力が有る所為でやたらと出兵したがった。シトレに対する競争意識もあったのだろう。それに宇宙艦隊司令部の主戦派が同調した。あれに比べれば戦争に自信の無いドーソンの方が扱い易いと判断したのは事実だ。

シトレを宇宙艦隊司令長官にと言う話もあったが、これも問題だった。シトレは実力がありすぎる。彼が実戦部隊を握った場合、彼がクーデターを起す可能性を考えざるを得なかった。

馬鹿げた考えだとは分っている。シトレの性格は分っている、そんな人間ではないという事も。だが、今の同盟政府の状況は酷すぎる。収賄、汚職、政治家たちの質の劣化。彼がそれに義憤を生じてクーデターを起したら?

多くの人間が彼に従うだろう。その事を考えると彼を司令長官には出来なかった。しかし今になって見れば彼を宇宙艦隊司令長官にすべきだったのだろうか? 彼なら主戦派である宇宙艦隊司令部を和平にまとめる事が出来たかもしれない。

「レベロ、イゼルローンが落ちたばかりだ。みな興奮している、少し冷却期間を置くべきだと思う」
「冷却期間か。確かにそうかもしれんが……」

「少なくともこちらから積極的に出なければ、かなり国力を回復できるんじゃないか」
「それはそうだが、それで満足してもらっては困る」

「分っている。イゼルローン要塞がこちらの手に入ったんだ。軍を縮小して民間に人を戻してもいい。何か良い理由はないか?」
「そうだな、ホアンに相談してみよう」

「レベロ、和平を結ぶなら軍部だけじゃ駄目だ」
「サンフォード議長か」
「ああ、議長を替える必要が有る。少なくとも君か、私か、ホアンが議長になるべきだ」

「しかし、今すぐ替えられるか」
「今は難しいだろう。しかし百五十年続いた戦争を終わらせるんだ。国民だって簡単に賛成するかどうか……、余程の覚悟が要るはずだ。トップがふらついては無理だ」

確かに彼の言うとおりだ。あの議長を何とかしないといけないだろう。トリューニヒトがやると目立ちすぎる。私が裏で動くべきだな。それも早急にだ……。


■ 宇宙暦796年6月20日   自由惑星同盟統合作戦本部 ヤン・ウェンリー

「ヤン少将、少しは落ち着いたかね」
「ええ、なんとか」
「そうか、それは良かった」

シトレ本部長が上機嫌で応対してくれた。イゼルローン要塞攻略後、同盟市民の狂乱は止まる所を知らなかった。無理も無いだろう。ここ最近帝国に負け続けてきた同盟軍が、イゼルローン要塞奪取、帝国軍二個艦隊を壊滅にまで追い込んだのだ。特に宇宙艦隊司令長官を捕虜とする寸前まで追い込んだ事は同盟市民の溜飲を下げた。

私たちがハイネセンに帰還したのは五月下旬のことだったが、しばらくは式典と祝宴、インタビューで振り回された。“魔術師”とか“ミラクル”とか言われているがうんざりする。随分と凄い人物のようだが本当に自分のことなのだろうか。

「本部長、今日はお願いがあって参上しました」
「何かな」
「これを受け取っていただきたいのです」

私は出来るだけにこやかに退職願を出した。本部長はしばらく黙って退職願を見るとおもむろに切り出した。
「辞めたいと言うのかね」

「はい」
「しかし君は未だ三十歳だろう」
「二十九歳です」

まだ三十じゃない、間違わないでくれ。
「とにかく、医学上の平均寿命の三分の一も来ていないわけだ、人生を降りるのは早すぎるだろう」
早すぎない。私は本道に回帰するのだ。

「君の艦隊をどうする」
「特設任務部隊ですか?」
「そうだ、特設任務部隊は今度正式に第十三艦隊として編制される事になった。君が辞めたら彼らはどうなる?」

艦隊司令官になりたい人間なんていくらでもいる、そう言いたかったが堪えた。無責任な事を言うなと怒られそうだ。それにしても一旦絡みついたしがらみは容易に解けるもんじゃないな。

「それに帝国の新人事体制を聞いただろう、君も」
「……」
「ヴァレンシュタイン提督が宇宙艦隊司令長官になった。平民出身の司令長官は初めてのことだ」

辞表を出すにあたって唯一気がかりだったのはそのことだった。彼が宇宙艦隊司令長官に就く。一体何を考え、何をしてくるのか? 同盟としては和平を結ぶのが一番なのだが帝国が、彼が受け入れるのか。

やはりローエングラム伯を討てなかった事が悔やまれる。一個人の死を願うのは忸怩たる物があるが、それでも残念だ。

シトレ元帥の表情に沈痛な色がある。何が有った?
「ヤン少将、ヴァレンシュタイン司令長官はもう動き始めている」
「?」
「イゼルローンに要塞を持って来る」
「?」

要塞を持ってくる? どういうことだ?
「ガイエスブルクという要塞が帝国に有るらしい。それにワープ・エンジンを搭載しイゼルローンに運ぶそうだ」

「本当ですか?」
「フェザーン経由で届いた情報だ。確度は高いらしい」
「イゼルローンに要塞を……」

途方も無い男だ。要塞を造るのではなく運んでくるのか。
「宇宙艦隊司令部の一部ではイゼルローンを塞がれる前に帝国領に出兵すべきだという意見がある」
「!」

「ヤン少将、貴官は来週には中将に昇進する。同盟は君の用兵家としての器量と才幹に期待している。私もだ、これからも助けてくれ」
「……」

辞表は受け入れてもらえなかった。いやそれどころか中将に昇進し、正規艦隊を指揮する事になった……。宇宙艦隊司令部の一部に出兵論が有る。これが彼の狙いか? 要塞を持ってくると見せかけて帝国領に同盟軍を誘引し、撃滅する?

恐ろしい男だ、イゼルローン要塞陥落、司令長官になってまだ一ヶ月しか経っていない。それなのに、もう同盟に仕掛けてきている。躊躇っている時間は無い。艦隊を練成しながら彼の考えを読まなければならない。私に彼の考えが読めるだろうか……。


 

 

第九十六話 和平への道 (その2)

■ 宇宙暦796年 6月20日 フェザーン  アントン・フェルナー


「同盟軍の上層部は貴官の話に大変興味を持っている」
「……」
「帝国軍は本当にガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊に運ぼうとしているのかね、フェルナー大佐」

落ち着け、ヴィオラ大佐。そんな縋り付くような目で見るんじゃない。俺は今、反乱軍の首席駐在武官ヴィオラ大佐と話している。場所はフェザーンの安ホテルの一室、この男と会うのはこれが三度目だ。

「私の言う事が信じられませんか」
「何分、突拍子も無い話なので」
「コロンブスの卵ですね」

俺はわざと嘲笑気味に言い放つ。そんな嫌な顔をするな。一々相手の言葉、態度に反応していては諜報官は務まらんよ、ヴィオラ大佐。

最初に会ったときは尊大な調子だった。俺を亡命希望者とでも思ったらしい。要塞の話をしても馬鹿にしてまともに受け取らなかった。エーリッヒが送ってきた設計資料も胡散臭そうに受け取る始末だ。

二度目に会った時も態度は変わらなかった。こちらはエーリッヒとローエングラム伯の悪口を言ったが、辟易した調子だったな。この男は、諜報官としては二流、いや三流だ。

ほんとうなら興味ありげに聞かなくてはいけない。そうでなければ情報を持ってくる人間はいなくなる。あげくの果てに今になって手のひらを返したように接してくる。

仕事でなければこんな男とは会おうとしなかっただろう。もう少し歯ごたえのある相手と遣り合いたかった。出来ればエーリッヒ、卿と一戦交えてみたかったな。もっと掌に汗をかくことが出来たろう。

「何故、私たちに協力してくれるのです」
「別に卿らに協力するわけではない。私はあの小僧達が気に入らないだけだ!」
「小僧達ですか」

俺は思いっきり顔を顰めて言い放った。オーディンで小僧なんていったら、宇宙艦隊の連中に殺されるな。貴族だって陰ではともかく、正面から小僧なんていう人間は居ない。エーリッヒは怒ると怖いからな。

「ヴァレンシュタインもローエングラム伯も二十歳を過ぎたばかりの小僧に過ぎない。あいつらが宇宙艦隊の司令長官と副司令長官など笑わせるな!」

「大分、お嫌いのようだが」
「嫌いだ。尤もあいつらを好きな奴など殆どいないがな」
俺が本当に嫌いなのは卿だよ、ヴィオラ大佐。

「ところで、フェルナー大佐。先日頂いた設計資料だが、幾つか不審な点が有ると……」
「あれは完成版じゃない! そう言った筈だ、ヴィオラ大佐! 何を聞いていたんだ!」

俺はわざと怒気を込めて言い放った。そんな悔しそうな顔をするな、ヴィオラ大佐。
「では完成版は……」

「此処にある。ワープ・エンジンの取り付け部分の設計図も一緒にな。ヴァレンシュタインはシャフト技術大将を大分急かしている様だな」
俺は胸を叩いた。ヴィオラ大佐は食いつきそうな目で俺の胸を見る。

「卿らが攻め込むなら今のうちだ。遅れればイゼルローン回廊は使えなくなる。要塞をとっても何の役にも立たんな」
「……」
俺が嘲笑を込めて言い放つとヴィオラ大佐はまた悔しげな顔をした。

「ヴィオラ大佐、設計図をハイネセンに送るのだな。そうすればあの小僧がどれだけ本気か分るだろう。また連絡する」
俺は設計図と資料を胸元から取り出すとヴィオラ大佐に渡し席を発った。


■ 宇宙暦796年 6月22日 ハイネセン ホテルシャングリラ ジョアン・レベロ


こんな事になるとは……。今日、自由惑星同盟最高評議会で軍部から提出された出兵案が可決された。政権維持による権力の維持、選挙の敗北による下野を恐れた政治家達の常套手段だ。

出兵案に反対したのは私とホアン、それにトリューニヒトだった。まさかサンフォード自ら軍事的勝利で十五パーセントも支持率が上がるなどと言うとは思わなかった。

ドアがノックされた。
「誰だ?」
「トリューニヒト」

急いでドアを開けるとトリューニヒトが素早く部屋に入ってきた。手にはビニール袋を持っている。買い物でもしてきたのか?
「遅くなった、事実関係の確認に思いのほか時間がかかった」
「それで、何が分かった?」

「その前に食事をさせてくれ、昼を食べていないんだ」
「私だって食べていない」
「そう思って君の分も買ってきた。食べながら話そう」

トリューニヒトはそう言うと、ビニール袋からサンドイッチと缶コーヒーを出した。急に空腹を思い出した。堪らずサンドイッチに手を出す。

「男二人でホテルでサンドイッチか、喜劇かな、それとも悲劇か」
「いずれ笑い話になるときが来るさ」
「笑い話ね。君のポジティブさには恐れ入るよ、トリューニヒト」

食べながら話すと言ったが、食べ始まると無言になった。空腹は最高のソースと言うのは確かだ。サンドイッチも美味いが缶コーヒーもいける。話が再開したのは全てを綺麗に食べ終わった後だった。

「一体、どういうことなんだ、君は知らなかったのか、今回の出兵案を?」
「知っていた」
「知っていたなら何故止めなかった」
思わず声がきつくなった。トリューニヒトは眉を顰め、口を開いた。

「止めたよ、国力回復を優先させるべきだと言ってね」
「……」
「以前君に話したろう。宇宙艦隊司令部が出兵を求めてくると」
「ああ」

「あの後も、何度か出兵を求めてきたんだ。だが反対した」
「……」
「私が動かない、だから彼らはサンフォード議長に話を持っていったんだ」
トリューニヒトの声に苦味がある。

「何故其処まで出兵にこだわるんだ?」
「……今なら勝てる、帝国を倒せると思ってるんだ」
「本当に?」
トリューニヒトは頷いた。帝国を倒せる? 本気か?

「例の要塞の件は知っているだろう」
「ああ、眉唾ものだがな」
馬鹿げた案だった。到底本気だとは思えない。
「宇宙艦隊司令部は帝国が本気であれを運ぼうとしていると思っている」

まさか? 私はトリューニヒトの顔を見たが、彼はゆっくりと頷いた。
「当初、フェザーンからもたらされた設計資料を分析した軍の技術部は発想は認めたが、設計資料自体には不審点が多いと判断した」

「……」
「しかし、先日フェザーンから改めて送られてきた設計資料とワープ・エンジンの取り付け部分の設計図を見た軍の技術部は実用可能だと判断したんだ」

「つまり、それで宇宙艦隊司令部は帝国は本気だと判断したのか」
自分の声がかすれているのが分かる。
「そういうことだ」
トリューニヒトは溜息と共に私の言葉を肯定した。

「そして、帝国がイゼルローン回廊を塞ごうとしているのは、国防に自信が無いからだと考えている」
「どういうことだ?」

「帝国の宇宙艦隊司令官と副司令長官は若く経験不足だ。そのせいで軍を掌握しきれないでいると言うんだ」
「本当か? それは」

帝国の宇宙艦隊司令長官、副司令長官が若年だという事は知っている。しかし軍をまとめきれない、そんな事が有るのか?
「私にはわからない。しかし彼らはそう思っている」

どう考えればいいのだろう、好機なのか、それとも罠なのか、シトレは敵の司令長官を恐ろしい相手だと言っていた。シトレが判断を誤ることは殆ど無い、これは罠の可能性が高い……。そう考えているとトリューニヒトが言葉を発した。

「それともう一つは、軍内部の勢力争いだ。ドーソンをはじめ宇宙艦隊司令部はかなり焦っている。ドーソンは司令長官をウランフやボロディンに奪われると思っている。そして参謀達もだ。彼らは此処最近負け続きだからな」

「馬鹿な、そんな事で出兵しようとするのか。其処までして地位を守りたいのか」
「誰だって、地位や権力を守りたいと思うものさ。自分が追われる立場にならなければ判らないだけだ」

沈黙が落ちた。私とトリューニヒトは時に眼を合わせ、時にあらぬほうを見た。この状況をどう考えればいいのか……。トリューニヒトが躊躇いながら口を開いた。

「君はサンフォードの引き下ろしを画策したか?」
「……ああ」
「そうか……」

「それがどうかしたか?」
「実は私もサンフォードの退き下ろしを謀った」
「……まさか!」

「そうだ、その動きがサンフォードに漏れた」
トリューニヒトの顔が苦しげに歪む。
「なんてことだ……」

「主戦派の私と和平派の君が引き下ろしに動いたんだ、サンフォードは恐怖を感じたろう。それで軍の出兵計画を受け入れた。支持率の問題も有るだろうが本音は私たちを恐れたんだ。仲の悪い私たちが陰で協力して倒閣運動をしているんじゃないかと……」

「出兵中は政争は起きない、いや起せない。そして勝てば支持率が上がり政権は安泰、私達の首も切れる、そう言うことか?」
「そう言うことだ、レベロ」

私たちがサンフォードを追い詰めた。その事がこの出兵計画に繋がったのか。私達のせいでまた戦争が起きる……。私達の間に沈黙が重苦しく落ちた。

「宇宙艦隊は出兵の規模を大規模な物にしようとしている」
大規模? 思わずトリューニヒトの顔を見詰めると彼は頷きつつ答えた。
「おそらく九個艦隊、動員兵は三千万を超えることになると思う。国内には二個艦隊ほど残すそうだ」

九個艦隊! 三千万!
「しかし、そんな艦隊が何処にある。殆どが編成中じゃないのか?」
私の問いにトリューニヒトは力なく首を振った。

「各星系の警備隊や星間警備隊がある。イゼルローン要塞が手に入った以上、その必要性は小さくなった。正規艦隊の再編に使えばいい、宇宙艦隊司令部はそう考えている」

「止めるんだ、トリューニヒト。これは罠だ、敵の司令長官はそんな甘い男じゃない」
「……」

「シトレが言っていた、恐ろしい男だと。止めないととんでもない事になる」
トリューニヒトは私の言葉に反応しない。信じないのか。もどかしい思いで言葉を続けた。

「トリューニヒト、出兵を止める事は出来ないだろう。しかし規模を小さくする事は出来るはずだ。このまま出兵を許したらとんでもない事になるぞ、大敗したらどれだけの被害が出るか……」

「大敗しても良いと思っている」
「何を言っている?」
私は思わずトリューニヒトの顔を見た。トリューニヒトは私を睨むような目で見ながら同じ言葉を繰り返した。

「大敗しても良いと思っている、そう言ったんだ」
「馬鹿な、何を言っている、気でも狂ったか」
「正気だよ、レベロ」
そう言うとトリューニヒトは更に視線を強めて私を見た。何を考えている?

「大敗すれば、軍の主戦派は失墜する。シトレも引責辞任だ。軍部は発言力を失うだろう。サンフォードを始め出兵に賛成した連中も辞表を出す事になる。そして同盟市民の間にも厭戦気分が出るだろう」

「……」
「そのとき権力を握るのは出兵に反対した私か、君か、ホアンだ。わかるか、レベロ、和平のチャンスが来るんだ」

「しかし、どれだけの被害が出ると思っている。三分の一でも一千万の戦死者がでるぞ」
思わず声が震えた。しかしトリューニヒトの答えは冷酷と言ってよかった。
「全滅しても構わんよ」
「!」

「昨年の戦死者の数を知っているか?」
「……確か二百万近かったはずだ」
「そう、百九十七万人だ」
トリューニヒトは微かに笑うと言葉を続けた。

「分るか、レベロ。毎年二百万近い人間が死んでいるんだ。十五年もすれば三千万だ」
「それがどうした」
トリューニヒトに気圧される。それを振り払うかのように言葉を放った。

「このまま戦争を続けて十五年後、和平が結べるか?」
「……」
「私たちが権力の頂点にいるか? 軍部が和平に賛成するか? 市民の間に厭戦気分が出るか?」
「……」

「無理だ。この国は反銀河帝国の国なんだ。市民は生まれたときから打倒銀河帝国を子守唄に育っている。生半可なことじゃ和平なんて結べない。戦争は更に百年、二百年と続くだろう」
「……だから大敗させろと」

「そうだ、思いっきり負けさせたほうが良い。軍部にはもう戦えないと言わせ、市民には戦争はもうたくさんだと言わせる。それしか和平を結ぶ道は無い。三千万の死者でそれが出来る? 上等じゃないか」
「……」

「幸いイゼルローン要塞が有る。あれと、宇宙艦隊が三個艦隊ほど有れば同盟は守れる。そうだろう」
「……」

「レベロ、大切なのは機をつかむ事、そして権力を握る事だ。そうでなければ大事は成し遂げられない。今がそのときなんだ!」

そうかもしれない。しかし、そこまで犠牲を払わなければ和平は結べないのだろうか? 和平とはそれ程難しいものなのだろうか? 私は何処か狂気を感じさせるトリューニヒトを見ながら和平の難しさを改めて考えていた……。

 

 

第九十七話 帝国高等弁務官

■ 宇宙暦796年 6月22日 フェザーン  アドリアン・ルビンスキー


「で、自治領主閣下、今夜わざわざお招きいただいたのは、何かお話があってのことでしょうか?」
帝国高等弁務官レムシャイド伯がワインを飲みながら問いかけてきた。

彼の眼には何処かこちらを試すような、不思議な光がある。やはり先日のイゼルローン要塞陥落が尾を引いているか。ヤン・ウェンリーに気を取られ、同盟の三個艦隊を見落としたのは不覚だった。

おかげでイゼルローン要塞だけではなく、駐留艦隊、遠征軍まで壊滅した。帝国は、全てがフェザーンの所為だと思っているだろう。全く余計な事をしてくれた。ヤンの半個艦隊だけなら見落としたと言えたのに……。

オフィスではなく、ドミニクの別荘に招待したのも少しでも気分を和らげようとしたのだが、こちらへの警戒心はかなり強いようだ。無理も無い、しかし帰る時にはその警戒心を同盟に向けてみせる。

「さよう。多分、興味がある話かと思いますな……自由惑星同盟が、帝国に対する全面的な軍事攻勢をたくらんでいます」
俺はワイングラスを揺らしながらさり気無く言って伯爵の反応を待つ。

「ほう、叛徒どもが、我が帝国に不逞な行為をたくらんでいると閣下はおっしゃるのですか?」
レムシャイド伯の声には何処か面白がるような響きがあった。

「帝国の誇るイゼルローン要塞を陥落させ、同盟は好戦的気分を沸騰させたようですな」
俺が挑発を込めて言うとレムシャイド伯は軽く眼を細め、グラスを口に運び一口ワインを飲んだ。

「なるほど、イゼルローン要塞占拠によって叛徒どもは帝国内に橋頭堡を有するにいたりましたからな。しかし、全面的な攻勢ですか?」
いつまで面白がっていられるかな? レムシャイド伯爵。

「同盟軍は明らかに大規模な攻撃計画の準備をしておりますぞ」
「大規模とは?」
「二千万以上、いや三千万を越えるかもしれぬ兵力です」
帝国でも三千万の兵など動員したことは無い。だが伯爵は少しも動じた様子を見せない。信じていないのか?

「三千万ですか……」
「……どうやら、伯には信じていただけぬようですな」
「いや、信じておりますよ、自治領主閣下」
軽く笑いながらレムシャイド伯が答える。どういうことだ、この俺が、主導権を取れないとは。レムシャイド伯の不思議な態度に苛立ちを感じる。

「しかし、驚かれぬようだ」
「そんな事はありませぬ、驚いております」
「……」

レムシャイド伯の俺を宥めるかのような口調に思わず顔が強張るのが自分でも分る。そんな俺を見て伯爵は軽く苦笑した。どういうことだ、この男、此処まで底の見えない男だったか?

レムシャイド伯は苦笑を収めると生真面目な表情になって話しかけてきた。
「先日オーディンのリヒテンラーデ侯より連絡が有りましてな」

「リヒテンラーデ侯から?」
「さよう、もうすぐ自治領主閣下から反乱軍の帝国領侵攻作戦の事を聞くことになるだろうと」

「!」
「兵力は三千万を超えるだろうと言われました。半信半疑でしたが、いや驚きました、こうも見事に当てられるとは」
レムシャイド伯はそう言うと可笑しくて堪らぬという風に笑い始めた。

俺の行動が読まれていた? どういうことだ? 同盟の出兵が決まったのは今日だ。それを既に知っていた……。馬鹿な、そんな事は無い、有り得ない。はったりか? いや、そうとは思えない、では誰が裏切った? ボルテックか? いや、一体何が起きている?

「それにしても、安心しました。今回は自治領主閣下から事前に反乱軍の動向が伺えましたからな」
レムシャイド伯の口調には柔らかな笑いが有る。しかし伯の目にある笑いは冷たい、冷笑と言って良い。

突然俺の背中に寒気が走った。俺は目の前の男を、いや帝国高等弁務官を何処かで甘く見ていなかったか? 喉がひりつくような渇きに襲われた、しかしワインを飲むのを押さえた。謝罪が先だ。

俺は出来るだけ生真面目な表情を作り、誠意を込めて話した。
「前回は大変申し訳ないことになったと思っております。しかし決して故意に知らせなかったのでは有りません。同盟が余りにも狡猾だったのです」
「……」

「これまでフェザーンが帝国の不利益になるようなことを一度でもしたことが有りましたか」
首を振りながらレムシャイド伯は答えた。

「……いや、記憶にありませんな。もちろん帝国はフェザーンの忠誠と信義に完全な信頼を寄せております。しかし……」
「?」

レムシャイド伯は思わせぶりに言葉を切り、少し笑いながら言葉を続けた
「若い者の中には過激な意見を吐くものも居るようです」
「……」

「……」
沈黙に耐え切れず問いかけた。いけないと思っても止められなかった……。
「過激な意見と言いますと?」
「……さよう、ガイエスブルク要塞をフェザーン回廊の中に運べと」

「!」
「なんとも過激な意見ですな」
レムシャイド伯が笑いながら話すが、彼の眼は笑っていなかった。

「しかし、あれはイゼルローン回廊に運ぶのでは?」
自分の声がかすれているのが分った。さり気無くワインを一口飲んだ。

ガイエスブルク要塞でイゼルローン回廊を防ぐのではないのか? いやそう見せてフェザーンに圧力をかける、同盟に出兵させるのが目的ではないのか? それがヴァレンシュタインの狙いではないのか? ヴァレンシュタインの本当の狙いはフェザーン回廊の制圧? そんな事が有るのか?

「ほう、自治領主閣下は帝国の事情に詳しいですな」
「……」
相変わらず、レムシャイド伯の笑みが絶える事は無い。

「イゼルローン回廊に運べるものならば、フェザーン回廊に運んでも可笑しくはありますまい」
「……」
要塞一つでこうも翻弄されるのか。ヴァレンシュタイン、これがお前か!

「一部のものが、自治領主閣下の忠誠と信義に疑いを抱いております。それゆえ監視が必要だと……」
「……」

「当然ですが、要塞だけではない、艦隊も付随することになりましょう」
「……閣下は、どうお考えですかな」

「先程も言いましたがフェザーンの忠誠と信義に完全な信頼を寄せております」
「ありがたいことです」

この男が本気で言っているとは思えない。面白くなかったが、それでも俺は礼を言った。頷いていたレムシャイド伯が突然表情を生真面目な老人の顔に変えた。何だ?

「しかし、叛徒どもがイゼルローン要塞を得たことで攻勢を強めるというのであればフェザーンとて安全とは言えますまい。何といってもフェザーンは帝国の自治領なのですから」

「……」
「帝国としては、フェザーンを守る必要がある、そう考えております。その意味では要塞をフェザーン回廊に置くと言うのは良い考えだと思います」

フェザーン回廊を支配される。それは交易国家フェザーンにとって死活問題になるだろう。同盟を帝国領に攻め込ませるのはそれを口実にフェザーン回廊の実質的な支配権確保、フェザーンの属国化が目的か? ヴァレンシュタインの狙いは最初からフェザーンなのか?

「御心配をお掛けしているようですが、フェザーンの独立はフェザーンで守ります」
「ほう、独立、ですか?」
「いえ、安全です」
レムシャイド伯の眼が、声が皮肉な色を湛える。

「安全ですか、そうですか、どうやら聞き間違えたようですな。期待させていただきましょう、フェザーンの忠誠と信義、それと安全を守る気概に」
「……」

「当然ですが、そのどれかが崩れた場合にはそれ相応の覚悟をしていただく事になりますぞ、自治領主閣下」
そういうと、帝国高等弁務官レムシャイド伯爵は可笑しくて堪らぬというように笑い始めた。

俺は屈辱を噛み締めながら思った。いずれこの借りは返す。いつか必ず吠え面かかせてやる。ヴァレンシュタイン、同盟に簡単に勝てると思うなよ。いや同盟に勝ててもこの俺に、フェザーンに勝てると思うな。

最初から勝っている必要は無い、最後に勝てばいいのだ。此処は譲ってやろう。貴様の掌で踊ってやる。そしていつか踏み潰す。しかし先ずは何が起きているか、事実の確認だ。一体誰が俺をこんな頓馬な男に仕立て上げた?



■ 宇宙暦796年 6月22日 フェザーン 帝国高等弁務官事務所 ヨッフェン・フォン・レムシャイド


ルビンスキーめ、大分慌てていたようだな。いい気味だ。何といってもイゼルローン要塞陥落、二個艦隊壊滅の責任の一端はあの男にあるのだからな。いい薬になったろう。いや懲りるような男ではないか……。

それにしても、オーディンからの連絡の通りになった。リヒテンラーデ侯から聞いたときには半信半疑だったが、こうも的確に当てるとは……。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン宇宙艦隊司令長官か……。とてつもない男だな。オーディンからこの私を操り、ルビンスキーを混乱させるか。

悪くないな、操り人形になるのも悪くない。これ程上手に操ってくれるのなら。まるで自分が別の人間になったようだ。全く、楽しませてくれる。もう少し酒が欲しいな。ブランデーでも飲むか?

いかん、どうも思考が彼方此方に飛ぶ。エーリッヒ・ヴァレンシュタインか……。初の平民出身の宇宙艦隊司令長官。貴族出身の私には嬉しい人事ではないが、確かに切れる。リヒテンラーデ侯が頼りにするのも分る。

平民か……。貴族だけが力を振るう時代は終わりつつあるのかもしれん。大体このフェザーンには貴族はいない。それでもオーディンよりはるかに活気がある。貴族が力を失う時代が、平民が力を振るう時代が来るのかもしれない。

これからはフェザーン、同盟の動きだけではなく帝国の動きも見つめるべきかも知れない。帝国が何処へ行こうとしているのか、私は何処へ行くべきなのか……。おかしいな、今晩は妙な事ばかり考える、少し酒が過ぎたか? しかし、悪くない、たまにはこんな夜も悪くない……。



 

 

第九十八話 謀多ければ……

■ 帝国暦487年 6月23日 オーディン、新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「朝早くから済まぬの、昨夜遅くフェザーンのレムシャイド伯から連絡が有った」
「……」
「反乱軍が三千万を越える兵を以って帝国に攻め寄せるそうじゃ」
「……」

リヒテンラーデ侯の言葉に、俺はエーレンベルク、シュタインホフ両元帥と顔を見合わせ、溜息をついた。出兵させるように仕向けたとはいえ、本当に三千万の兵が攻めてくるとなると溜息が出る。

とりあえず反乱軍に帝国領に攻め込ませるという事には成功した。後はどうやって敵を撃滅するかだ。敵を驕らせ油断させる必要が有る。そのためにはこちらが弱いという形を示さなければならない。

「ルビンスキーめ、フェザーン回廊に要塞を持っていくと聞いて大分焦ったようじゃの」
「フェザーン回廊を押さえられては死活問題ですからな、ヴァレンシュタイン、卿も意地が悪い」

リヒテンラーデ侯とシュタインホフ元帥が話しながら俺を妙な目で見る。エーレンベルク元帥もニヤニヤ笑いながら俺を見る。失礼な、俺は確かに主犯かもしれない。しかし主犯と共犯でどれだけ違うのだ。同じ穴の狢ではないか。

「ルビンスキーはどう出ますかな?」
「これで懲りるような男ではないからの。なにか仕掛けてくるとは思うが良かったのかの、ヴァレンシュタイン」

エーレンベルク元帥の問いに答えながら、リヒテンラーデ侯は俺に話しかけてきた。

「構いません。ルビンスキーはこれでフェザーンが危険な立場に有ると理解したはずです。彼のとるべき道は積極的に帝国について許しを請うか、反乱軍について帝国の力を弱めフェザーンへの野心を捨てさせるかです」

「ルビンスキーがどちらを取るか、まあ悩む事でもないの」
「侯の仰るとおりですな、悩む事でもない」
「反乱軍に付くでしょう」

老人三人があっさりと結論を出した。このあたりがルビンスキーの弱さだ。素直に頭を下げることが出来ない。能動的過ぎるのだ、その分だけ行動を読まれ易い。フェザーンのような軍事力を持たない国は時と場合によっては素直に頭を下げたほうが強かさを発揮できる場合があるのだが……。

ルビンスキーが次にとる手段は、帝国内部に混乱を起す事、同盟にそれを教え、攻勢を強めさせ帝国に大打撃を与える事だろう。一番良いのは帝国、同盟の共倒れだろうな。

だが短期決戦を望むこちらとしては、フェザーンが同盟の尻を叩いてくれるのは願ったり適ったりなのだ。後は何処までフェザーンの動きを読みきれるか、同盟軍にどれだけ打撃を与えられるかだ。

俺が、その事をリヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥に言うと三人とも軽く頷いた。

最近シュタインホフ元帥は俺やエーレンベルク元帥に協力的だ。同盟の大規模出兵に帝国は一致して戦わねばならないと言う事もあるが、本心では俺たちと関係改善を図りたいのではないかと思っている。悪い事ではない。そのほうが有りがたい。

「シュタインホフ元帥、お願いがあるのですが」
「また情報部を使うのか?」
「いえ、今回は統帥本部にお願いがあります」

俺の言葉にシュタインホフ元帥は不思議そうな顔をした。
「統帥本部? 何を考えている」
「フェザーン回廊を使った反乱軍勢力圏への侵攻作戦を作成して欲しいのです」

俺の言葉に老人三人が目を剥く。
「本気で考えておるのか、フェザーン侵攻を?」
そう、俺は本気で考えている。フェザーンを併合して同盟に攻め入る事を。

「イゼルローン要塞を落とすのは難しいでしょう。落とすのに何年もかかるようでは反乱軍は戦力を回復します。今回の戦いで反乱軍に大打撃を与える事が出来た場合、フェザーンを占領しフェザーン回廊を使うべきだと思います」

俺の言葉にリヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥が顔を見合わせた。様子を見ながらといった感じでエーレンベルク元帥が口を開く。

「確かに、卿の言う通りではあるが」
「……」

「エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、ここは司令長官の言うとおり、イゼルローン要塞にこだわるよりフェザーンを併合した上で反乱軍勢力圏に攻め込んだ方が帝国にとっては利が大きいと思うが」

リヒテンラーデ侯の意見に軍務尚書と統帥本部総長が顔を見合わせ頷いた。
「確かにそうですな」
「同意します」

これでフェザーン方面からの同盟への侵攻が決定した。
「この戦いに勝った後、機を見てフェザーンを占領し反乱軍勢力圏へ攻め込む、その際問題になるのがフェザーン方面の航路です」

「なるほど、我々はイゼルローン方面からしか侵攻した事がない。フェザーン方面は何も分らぬか……」
シュタインホフ元帥が眉を寄せて呟いた。隣でエーレンベルク元帥も渋い表情で頷いている。

「はい、航路もありますが、軍事上の観点から見た星域情報がありません。反乱軍が主戦場に選ぶのは何処か、大軍を持って決戦し易い場所、し難い場所などです」
俺の言葉にエーレンベルク、シュタインホフ両元帥の表情が更に渋くなる。

「分った、取り掛かろう。だが少し時間がかかるぞ」
「構いません。フェザーン侵攻は早くても二年から三年後になるでしょう。時間は有ります」

俺はシュタインホフ元帥の問いに答えた。原作では来年リップシュタット戦役が起き、フェザーン侵攻は再来年になる。この世界がどうなるか分らないが、順番にそれほど大きなずれは無いだろう。問題はフリードリヒ四世の寿命だ。

「その間、フェザーンに知られるわけにはいかんな」
「いいえ、フェザーンにそれとなく情報を流してください」
「教えるのか?」

シュタインホフ元帥だけではない、リヒテンラーデ侯もエーレンベルク元帥も驚いている。
「ルビンスキーにフェザーン侵攻は帝国の決定事項であると教えましょう」

「それでどうなる」
「フェザーンでは反ルビンスキー勢力が動き出すはずです」
“反ルビンスキー勢力” リヒテンラーデ侯が訝しげに呟く。

ルビンスキーは自治領主になる際、すんなりと自治領主になれたわけではない。まだ三十代だった彼に反発した勢力があった。彼らは今現在はルビンスキーの前に大人しくしている。

彼らはルビンスキーに心服しているわけではない。その力量に服従しているだけだ。その力量に綻びが出れば当然動き出すだろう。俺がその事を話すと老人三人は納得したようだ。

「なるほど、ルビンスキーの足元を弱めるか?」
「はい」
「卿もいい加減悪辣だな」

シュタインホフ元帥が呆れたような声で俺を悪辣と言っているが、これは必要な事だと思っている。問題は地球教だ。今は未だ誰にも言えないだけに俺が何とかしなければならない。

今の時点で潰す事は出来ないだろうが、彼らを混乱させる事は出来るだろう。フェザーン内部でルビンスキーの統治力が低下した場合、混乱が発生した場合地球教はどう動くか。

地球教はルビンスキーを切り捨てるか、反対派を弾圧するかの選択を迫られる事になるだろう。そしてルビンスキーは簡単に切り捨てられるような男ではない。

どちらにしろフェザーンは混乱するだろう。その分だけ地球教もフェザーンに気を取られ動きは鈍くなるだろう。そしてフェザーンが混乱したほうが軍事行動は起し易い。

「しかし、先ずは反乱軍に勝つことじゃの。負ければ元も子もない」
リヒテンラーデ侯が憮然とした表情で言葉を吐いた。その通りだ。勝たなければならない。圧倒的に。

「そのために、国務尚書にお願いがあります」
「どうせまた良からぬ事であろう」
「よくお解りで」

リヒテンラーデ侯の言葉に俺は思わず苦笑した。侯も苦笑している。此処最近、老人たちに悪辣だと言われる事が多くなった。自分でもそう思う。しかし、止めるつもりは無い。

謀多ければ勝ち、少なければ負ける。その通りだ、勝つために、大きく勝つために謀略を仕掛ける。この一戦が人類の未来を決めるだろう。大きく勝てば帝国が宇宙を統一する。

損害が小さければ宇宙は混沌とするに違いない。そして負ければ、帝国は滅ぶだろう。それだけの意味を持つ戦いになるはずだ。

「エーレンベルク元帥、国務尚書と司令長官は血縁関係に有ったかな、良く似ているような気がするのだが」
「血縁関係は無いが良く似ているのは確かだな」

俺とリヒテンラーデ侯の遣り取りを聞いていたエーレンベルク、シュタインホフの両元帥がニヤニヤ笑いながら話している。俺はリヒテンラーデ侯と顔を会わせ、苦笑すると侯にお願いを話し始めた。

「お願いは二つあります」
「二つか。欲張りめ。話してみるが良い」
リヒテンラーデ侯は上機嫌で先を促した。

「先ず、陛下に御病気になって欲しいのです」
「なんじゃと」
「!」

老人三人の間で素早く視線が交わされる。
「ヴァレンシュタイン、何が狙いだ」
「反乱軍をおびき寄せようと思います」

俺はエーレンベルク元帥の問いに答えた。しかし、老人たちには良く理解できなかったようだ。もう少し説明が要るだろう。

「陛下が御病気となれば、万一の場合後継を巡って内乱になりかねません。軍はそれを恐れて帝都を離れる事が出来ない。そういうことにしたいのです」

「しかし、反乱軍に陛下の御病気がどうやって分る? 分らなければ意味が無いぞ」
エーレンベルク元帥の疑問は尤もだ。

「フェザーンが教えます。帝国がフェザーンを併合しようとしていると分れば、何としてもそれを防ぎたいと思うはずです。それには反乱軍を勝たせるしかありません。そのために帝国の弱点を必死に探すでしょう」

「なるほど、フェザーンに侵攻作戦の情報を流せと言ったのはこのためか。良く考えたものだな」
俺の言葉にシュタインホフ元帥が呆れたような声を出した。

「それで帝国領奥深くに誘い込むか。よかろう陛下にお願いしよう」
「有難うございます、リヒテンラーデ侯」
「それで、もう一つの願いとは何じゃな」

もう一つの願い。こいつは少々悪辣すぎるだろう。しかし、帝国が勝つためには必要な事だ。フェザーンは必ず喰いつく。罠だと疑うかもしれないがルビンスキーの性格では喰いつくだろう。そのために此処まで追い詰めているのだから。





 

 

第九十九話 焦土作戦

■ 帝国暦487年 6月23日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エルネスト・メックリンガー


新無憂宮より戻ってきたヴァレンシュタイン司令長官が各艦隊司令官を会議室に集めた。例の新しく作った会議室だ。会議を始める前に司令長官付きの女性下士官達が笑顔で好みの飲み物を訊いてくる。

女性下士官たちは皆美人だ。一瞬此処が会議室であることを忘れそうになった。皆コーヒーを頼んだが、司令長官だけはココアを頼んだようだ。彼女たちが飲み物を運んでくるまで雑談で時間を潰す。

彼女たちの所為だろう。会議室の雰囲気は何処と無く浮ついた感じがする。提督たちの表情にも笑顔がある。可笑しなことに女性下士官達が飲み物を配るときは皆無言になった。

飲み物が配り終わり、会議室の中が男だけになると穏やかな表情で司令長官が話し始めた。

「先程、国務尚書閣下に新無憂宮に呼ばれました。フェザーンの帝国高等弁務官、レムシャイド伯から連絡が有ったそうです」

フェザーン? 提督たちの間で視線が交わされる。我々が司令長官の命令で“フェザーン討つべし”の声を上げたのは、一月以上前の事だ。それ以後、軍の中では反フェザーン感情は強い。

あの件に関わりがあるのだろうか? フェザーンへの軍事行動が起きるのだろうか? 司令長官はココアを一口飲むと言葉を続けた。

「自由惑星同盟を僭称する反乱軍が帝国領への出兵を決めたそうです。動員兵力は三千万を超えると」
「!」

三千万! 大軍を指揮統率するのは武人としての本懐だが三千万か。敵ながら天晴れと言うべきか。提督たちの間から吐息が漏れる。

「これの意味する所は明々白々、反乱軍は帝国の中枢部に全面攻勢をかけるということです。反乱軍は遅くても七月の末には帝国領に攻め入ってくるでしょう」

七月の末には帝国領に三千万の大軍が攻め込んでくる。思わず武者震いが出た。それにしてもよくそんな落ち着いた表情で話せるものだ。

「驚くことでは有りません」
「?」
「反乱軍に攻め入るように仕向けたのは私なのですから」
「!」

攻め入るように仕向けた? どういうことだ? 皆驚いた表情で顔を見合わせ、司令長官を見る。しかし彼は私達の驚いた様子が可笑しかったのかクスクス笑っている。

「これから話すことは他言無用に願います」
笑いを消し、厳しい表情を浮かべ司令長官は我々を見渡して言った。思わず首を縦に振ったが私だけではないだろう、皆同じはずだ。

「私は陛下の余命は長くないと思っています」
「!」
会議室の中が緊張に包まれた。司令長官の大胆な予測に私たちは思わず司令長官の顔を見る。彼は少しも動じることなく言葉を続けた。

「陛下に万一のことがあれば帝国は内乱状態になりかねない。そこを反乱軍につかれれば、帝国は大混乱になるでしょう。最悪の場合、滅びる事もありえると考えています。ですから、今攻め込ませました」

なるほど。今なら反乱軍も万全の状態ではない。その状態で攻め込ませたほうが勝つ可能性はかなり高いだろう。司令長官の考えは判る、判るが……。

「これについては、国務尚書、軍務尚書、統帥本部総長、そして陛下にも御理解をえております」
「!」

陛下にも御理解を得ている。つまり、帝国領内に誘い込んでの撃滅は帝国の決定方針と言う事か。先程から驚かされてばかりだ。
「質問があります」
手を上げたのはロイエンタール提督だった。

「どうぞ」
「敵を撃滅すると言いましたが具体的にはどうするのでしょう?」
確かにロイエンタール提督の言うとおりだ。言葉に出すのは容易いが実現は難しい。どう考えているのか。

「反乱軍を奥深く誘い込み、前後から挟撃することになるでしょう」
挟撃、しかしうまく行くのだろうか?
「閣下」
「何でしょう、メックリンガー提督」

「挟撃と言いますが、上手くいきましょうか。敵に気付かれずに後背に回り込まなければなりませんが?」
何人かの提督が頷いている。当然だろう、敵に気付かれれば後退されるか、防がれるか、どちらにしても失敗しかねない。

「それについては、今手を打っています。未だ話すことは出来ませんが、上手く行けば挟撃は可能だと考えています」
穏やかな表情で司令長官は話すとまた一口ココアを飲んだ。

上手く行けばか……。まあこの人の事だ。上手くいかせるのだろう。となれば私たちは艦隊の錬度を再確認しておくべきだろうな……。


■ 帝国暦487年 6月23日 オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


三千万、おそらく正規艦隊だけで十万隻を超えるだろう。手は打った、おそらく上手くいくはずだ。同盟軍は前後からの挟撃で大打撃を受けるだろう。最低でも原作レベル、七割は潰したいものだ。

原作同様焦土作戦を取る事も考えたが、辺境星域二億人が飢餓地獄に喘いだ事を考えるとどうも気が進まない。それにあれはただ勝てば良いという発想から生まれた作戦だ。政治的なマイナス面の影響が大きすぎる。取るべきではない。

俺がこの世界に来てから感じたことがある。帝国では軍は国民を守るという概念が非常に希薄だと言う事だ。彼らは皇帝の軍隊だ。極端な事を言えば皇帝を守るために有るといっていい。国民を守るためではない。

おまけに同盟との戦争が始まって以来、同盟領に攻め込んでの戦いばかりだった。自国民を守ると言う意識が無いのも無理は無いだろう。その事が自国民の軽視に繋がっている。

原作でミッターマイヤーをはじめ平民出身の軍人たちが焦土作戦に驚愕はしても反対していないのがその証拠だ。同盟で同じ事が起きたら暴動が起き、政府が転覆しただろう。

焦土作戦のマイナスが最初に出るのがリップシュタット戦役だ。キルヒアイスは辺境星域の制圧に向かうが、彼は大小六十回以上戦っている。少し多くないだろうか? 本隊だとて六十回以上も戦っただろうか?

おそらく辺境星域にはラインハルトに対する恨みが骨髄まで染み込んでいたはずだ。当然だろう、食料を奪われ飢餓地獄に追い込まれたのだ。体力の無い人間から死んだとなれば犠牲の多くは老人、女子供だろう。

アムリッツア会戦が終了したのは帝国暦487年の十月だ。リップシュタット戦役が始まったのは翌年四月。いくら平民の味方だと宣言しても飢餓地獄に追い込まれた人間が僅か半年で“はいそうですか”と信じるだろうか。

“ふざけるな”の一言で終わったろう。辺境星域の戦いが多かったのはそのせいだ。貴族たちは搾取はしたかもしれないが飢餓地獄には落とさなかった。その一点で辺境星域の平民は貴族達を支持したのだと思う。

キルヒアイスがただ勝てば良いという発想から脱却したのはこの時だろう。彼がヴェスターラントを非難したのはその所為だ。一方ラインハルトはそれが判らなかった。

ラインハルトから見れば辺境星域で二億人を飢餓地獄に追い込んだ時は何も言わなかったのにヴェスターラントの二百万で何故それ程非難するのか、そんな意識があったのではないだろうか? それがガイエスブルク要塞の悲劇に繋がった……。

そしてこの焦土作戦はキルヒアイス以外の人間にも影響を与えている。先ずルッツ、ワーレンだ。彼らはキルヒアイスの副将だった。キルヒアイス同様、焦土作戦のマイナスに気付いたに違いない。あるいは彼ら三人の間で話し合ったことがあったかもしれない。

キルヒアイスとラインハルトの決裂についてもオーベルシュタインのナンバー・ツー不要論よりも戦いに対する考え方の違いが原因だと判断しただろう。キルヒアイスと決裂したラインハルトに対して不信感を持ったのではないだろうか?

ルッツはラインハルトを守って死んでいる。何処かで気持ちに折り合いを付けたのだろうか? あるいはイゼルローン要塞陥落の責任を取ったのかも知れない。

ワーレンはどうだろう。俺はワーレンはラインハルトに対し不信感を最後まで抱いていたのではないかと思う。ロイエンタールが反乱を起したとき、ビッテンフェルトがワーレンに問いかけている。

“皇帝が俺を討てと言ったらそれに従うか” ワーレンはほとんど間髪を置かず“ヤー”と答えている。常に無条件にラインハルトを礼賛するビッテンフェルトに対しどこかで反発していたのではないだろうか。

そしてケスラー。焦土作戦では初恋の女性を犠牲にされ、皇帝誘拐では彼自身が処断される寸前だった。到底ラインハルトを信用できなかったろう。それ以外にもブラッケ、リヒターたちの文官達がいる。

彼らにとって辺境星域の統治は悪夢だったはずだ。いくら善政を敷こうとしてもトップであるラインハルトに対し根強い反感を抱いているのだ。素直に統治に協力したとは思えない。当然ブラッケ達はラインハルトの政治家としての資質に深刻な疑問を抱かざるを得なかっただろう。

色々な意味で焦土作戦は悪影響をもたらしたと思う。たとえ勝利が不徹底なものになろうと俺は焦土作戦を取るつもりは無い。そのほうが将来的にはプラスに成ると思うからだ。

ちなみに俺が一点だけ気になっていることがある。それはラインハルトが焦土作戦の実施以後、辺境星域に行った事が無い事だ。偶然なのか、それとも彼自身何か感じるところが有ったのか。俺としては後者であって欲しいと思う、切実に……。



 

 

第百話 作戦会議

■ 宇宙暦796年7月 4日 自由惑星同盟統合作戦本部 ヤン・ウェンリー


統合作戦本部の地下にある会議室に四十名近い将官が集められた。銀河帝国領侵攻作戦を討議するためだ。私の隣にはイゼルローン要塞攻略戦の功績で大将に昇進したボロディン提督がいる。

上手くしてやられた。ヴァレンシュタイン司令長官の打った手は全く巧妙だった。イゼルローン回廊を塞ぐと見せかけて帝国領へ同盟軍を誘引する。更にドーソン司令長官をはじめ宇宙艦隊司令部の焦りを上手く突いた。

~次期宇宙艦隊司令長官にボロディン大将、イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官にウランフ大将、総参謀長にヤン中将、ビュコック大将は事実上の副司令長官としてボロディン司令長官を助ける。ドーソン大将は更迭され、宇宙艦隊司令部はヤン中将の手で一掃されるだろう~

同盟領内で流れた噂だ。フェザーン方面から流れてきたとシトレ本部長が言っていたから帝国軍が流したと見て間違いない。噂に怯えた宇宙艦隊司令部は出兵案を作成し、政治家達はそれに便乗した。

作戦案はフォーク准将の個人プレイで最高評議会議長の元に持ち込まれたとされているが実際には宇宙艦隊司令部の総意だった。トリューニヒト国防委員長が同意しなかったため、フォーク准将の個人プレイとして最高評議会議長に持ち込んだのだ。

同盟市民も出兵を後押しした。イゼルローン要塞攻略戦が余りにも一方的な勝利だった事が彼らを好戦的にしてしまったらしい。和平など何処かに吹き飛んでしまった。

私は間違ったのだろうか? イゼルローン要塞を奪取し、和平を結ぶ。和平が無理でも防御に徹し国力の回復を図る。ローエングラム伯の死を願ったのもヴァレンシュタイン司令長官を失脚させ帝国側の軍事行動を抑えるのが目的だった。

しかし事態はヴァレンシュタイン司令長官の思うとおりに運んでいる。このままでは同盟は帝国領内に誘引される……。彼のほうが私より同盟の社会、軍部、政界について知っていると言う事か?

遠征軍の陣容は公式には発表されていないが既に決定されていると言っていい。

総司令官:宇宙艦隊司令長官ドーソン大将
総参謀長:グリーンヒル中将
作戦主任参謀:コーネフ中将
情報主任参謀:ビロライネン少将
後方主任参謀:キャゼルヌ少将

フォーク准将は五名いる作戦参謀の一人として参加している。他に情報参謀、後方参謀がそれぞれ三名置かれる事になっている。そして彼らを助ける高級副官、通信・警備その他の要員が加わって総司令部を構成する。

実戦部隊としては九個艦隊が動員される。

第一艦隊:クブルスリー中将
第二艦隊:パエッタ中将
第四艦隊:モートン中将

第五艦隊:ビュコック大将
第七艦隊:ホーウッド中将
第八艦隊:アップルトン中将

第十艦隊:ウランフ大将
第十二艦隊:ボロディン大将
第十三艦隊:ヤン中将

本国には三個艦隊が残る事になった。

第三艦隊:ルフェーブル中将
第九艦隊:アル・サレム中将
第十一艦隊:ルグランジュ中将
(第六艦隊はヴァンフリート星域の会戦で全滅して以来欠番になっている)

第三、第九艦隊が残ったのはティアマト会戦で大きな損害を受け、編制が終了したばかりで錬度に不安が有るからだ。似たような立場の第十三艦隊が動員されたのは敵の弾除けにでも使われるのだろうともっぱらの評判だ。それ程私は宇宙艦隊司令部の受けが良くない。

午前十時前に統合作戦本部長シトレ元帥が首席副官マリネスク少将を伴って入室すると直ぐに会議は開始された。


「我々は軍人である以上、赴けと命令があれば何処へでも赴く。ましてゴールデンバウム王朝の本拠地をつく、と言うのであれば喜んで出征する。しかし雄図と無謀はイコールではない。この遠征の戦略上の目的が何処にあるのかを伺いたい」

ウランフ大将が疑問を呈した。さらに、作戦は短期的なものなのか? 長期的なものなのか?  帝国の一部を武力占拠するとすれば一時的にか恒久的にか、それとも帝国軍に壊滅的な打撃を与え皇帝に和平を誓わせるのかを問いかけた。

「大軍を以って帝国領土の奥深く侵攻する。それだけで帝国人どもの心胆を寒からしめる事が出来ましょう」
それがフォーク准将の答えだった。寒からしめる? 何の冗談だ?

「では戦わずに退くわけか?」
「それは高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処する事になります」
相変わらずウランフ大将の問いに対するフォーク准将の答えは抽象的で漠然としていた。

「要するに行き当たりばったりと言う事ではないかな」
ビュコック大将の皮肉に溢れた声がフォーク准将の顔を歪めさせた。

しかし、どうやら本当に作戦らしいものは無い様だ。司令部が好き勝手にやりたいだけ、そういうことか。ヴァレンシュタイン相手に危険すぎる。

「帝国領内に侵攻する時期を、現時点にさだめた理由をお聞きしたい」
どう答える? 政治家の支持率アップのため? 今のポストを守るためか?

「戦いには機と言うものがあります。それを逃しては結局運命そのものに逆らう事になります。後日になって悔いても時既に遅しと言う事になりましょう」

冗談としか思えない答えが返ってきた。本気か?
「つまり現在こそが帝国に対して攻勢に出る機会だと貴官は言いたいのか?」

「そうです。帝国はイゼルローン回廊をガイエスブルク要塞で塞ごうとしています。何故でしょう? そう、彼らは同盟の攻勢を恐れているのです」
フォーク准将は周りを見渡し思わせぶりに話した。

「敵の司令長官は病弱で前線に出られない体です。此処一年半ほど前線に出ていません。艦隊司令官の経験すらない。副司令長官は先日のイゼルローン要塞攻略戦で大敗したローエングラム伯です。姉のおかげで副司令長官に留まっている」

「帝国軍は頼りにならない司令長官と副司令長官に率いられて弱体化しているのです。今こそ帝国を打倒する機会です」
フォーク准将は最後には演説でもするような語調でまとめた。

「その見方は危険だ。司令長官のヴァレンシュタイン上級大将を甘く見るべきではない。アルレスハイム、ヴァンフリート、第六次イゼルローン要塞、いずれも彼の前に同盟軍は苦汁を飲まされた」

「彼が前線に出なかったのも病弱だからではない。国内の内乱に備えるためと見るべきだ。彼がミュッケンベルガー元帥の腹心であった事を忘れてはならない」

「副司令長官のローエングラム伯も決して無能では無い。前回は勝つことが出来ましたが今回も勝てるという保証は無い。敵を甘く見るべきではない」

「ヤン中将、君がヴァレンシュタイン提督を高く評価しているのは分る。だが彼は未だ若いし、失敗や誤謬を犯すことも有るだろう」
言葉を発したのはグリーンヒル中将だった。

「それはそうです。しかし勝敗は結局相対的なものでしか有りません。彼が犯した以上の失敗を我々が犯せば、彼が勝って我々が敗れる道理です」

そんな甘い相手じゃない。本当はそう言いたかった。何故彼の恐ろしさを理解しようとしない。彼は我々が攻め込むのを待っているのだ。何故分らない。

「いずれにしろ、それは予測でしかありません。敵を過大評価し必要以上に恐れるのは、武人として最も恥ずべき所。ましてそれが味方の士気を削ぐ物となれば利敵行為に類するものとなりましょう。どうか注意されたい」

うんざりだった。フォーク准将の得意そうな顔を見ると今更ながら前回のイゼルローン要塞攻略が彼ら宇宙艦隊司令部の面子をいかに潰したのかがわかった。敵と戦う前に味方同士で争っている。

彼らにとって敵とは帝国軍ではなく私達イゼルローン要塞攻略戦に参加した人間なのだろう。ヴァレンシュタインはこれも予測しているのだろう。同盟が一枚岩でない、内部に深刻な対立があると。

ビュコック提督がフォーク准将を叱責している。フォーク准将はそれに対しても反論し、自己陶酔の演説をしている。この演説をまともに聞いている人間がいるのだろうか。

演説が終わり白けきった会議室の中で遠征軍の配置が決定されていった。
先鋒はウランフ提督の第十艦隊、第二陣が第十三艦隊、第三陣が第五艦隊、第四陣は第十二艦隊。

露骨な配置だった。敵とぶつかる部隊が有るとしたら私達になる可能性が高い。私達を消耗させ、残りの部隊で敵を叩く。つまり私達は消耗品として扱うつもりだろう。

遠征軍総司令部はイゼルローン要塞におかれ、作戦期間中は遠征軍総司令官がイゼルローン要塞司令官を兼任する事になった。


■ 宇宙暦796年7月 4日 自由惑星同盟統合作戦本部 シドニー・シトレ

「どうも、やはり辞めておくべきだったといいたげだな」
私の問いにヤン中将は答えなかった。しかし彼の表情は言葉より雄弁に心の内を語っている。

会議終了後、帰ろうとする彼を引きとめた。どうしても彼と話すことがある。
「イゼルローン要塞を手に入れれば戦火は遠のくと考えていたのだが、甘かったか」

「ヤン中将、君は今回の出兵はヴァレンシュタイン司令長官に乗せられている、そう思うのだな」
「ええ、そうです」

「酷い戦いになりそうだ」
「……」
「ヤン、必ず生きて帰ってきてくれ」
「!」

驚いたように私を見る彼に私は言葉を続けた。
「ヴァレンシュタイン司令長官に対抗できるのは君しかいない。少なくとも私には君以外思いつかない」

「私など……」
「ヤン。私はこの遠征が終われば辞職せざるをえん。頼む、軍人としての私の遺言だと思って聞いてくれ。君にしか頼めないのだ」

「本部長……」
「君には軍の最高地位に就いて貰いたいと思っている。そうなれば彼に対抗するだけの権限をもつことが出来る。今のままでは駄目だ。権限が無い」
「……」

「私は君が望まない事を言う。出世してくれ、そして軍の最高地位についてこの国を守ってくれ。帝国から、そして軍内部の馬鹿者達から」

「……本部長閣下は何時も私に重すぎる課題をお与えになります」
「だが、君はいつもそれに応えてくれた」
「それは……しかし……」

言いかけて彼は一度口をつぐんだ。そしてまた口を開いた。
「私は自分の出来る範囲でなにか仕事をしたら、後はのんびり気楽に暮らしたいんです。そう思うのは怠け根性なんでしょうか」

「そうだ、怠け根性だ」
絶句した彼を見て思わず笑ってしまった。正直な男だ。正直すぎると言っていい。しかし同盟の現状はこの男のささやかな望みを許さない状況になっている。そのことはこの男も分っているだろう。

これから、この男は辛い立場になるだろう。これまでは私がこの男を庇護してきた。もちろん私も彼の才能を利用した。ギブ・アンド・テイクの関係で帝国と戦ってきた。

しかし、これからは一人で多くの決断をしなくてはならないだろう。いや、そういう立場に立ってもらわなければならない。すまんな、ヤン。君を此処まで引っ張ってしまったのは私だ。

しかし、私は君がいてくれるから安心してやめることが出来る。すまん……。


 

 

第百一話 人ではない何か

■ 帝国暦487年7月 4日 オーディン クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵邸  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ 


「それでは公爵閣下は大分慌てておりますか?」
「それはそうじゃろう。身に覚えがあるからの」
「確かにそうですね」

ヴァレンシュタイン司令長官とリヒテンラーデ侯は顔を見合わせて苦笑した。侯と司令長官の間には穏やかな雰囲気が漂っている。こうしているとこの二人が帝国屈指の実力者にはとても見えない。ティータイムを楽しんでいる祖父と孫のような感じだ。

私達三人は侯爵邸の応接室で話をしている。これまでリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン司令長官が話をするとき、私は何時も別室で待機だった。つまり今日は政治的な密談ではなく雑談なのだろう。二人とも忙しい身だ、偶にはそんな日も必要かもしれない。

二人が話している公爵閣下とは財務尚書、オイゲン・フォン・カストロプ公爵の事だ。今、オーディンでは一つの噂が駆け回っている。

反乱軍が攻め込んでくる事が確実になった今、平民達が反乱軍に協力して蜂起するようなことになれば帝国は未曾有の危機にみまわれる。そうなる前に平民達の帝政への不満をかわすために有力貴族の不正を糺し、不満を宥めるべきではないのか?

この噂に直撃されたのが財務尚書、オイゲン・フォン・カストロプ公爵だった。私は詳しくは知らないが、財務尚書に就任以来、十五年も職権乱用をし続け、同じ貴族たちからも非難され続けてきたのだと言う。

よくまあ失脚もせず、権力の座に就いていたものだと思うが、悪徳政治家とはそういうものなのだろう。皆から嫌われてもしぶとく生き延びる。帝国でも同盟でも同じだ。

「カストロプ公は自領に戻るようじゃな」
「……では財務尚書は罷免ですか?」
「生きて戻れればの」
「!」

私は驚いて二人を見た。しかし侯も司令長官も何の変化も無い。二人の間には穏やかな雰囲気が漂ったままだ。私の聞き間違いだろうか?

「財務、司法、両省の準備は如何です?」
「問題ない。カストロプ公爵家を潰せるだけの材料は揃っておる」
「となると反乱は必至ですね。問題はフェザーンがどう関わるか、ですか……」

反乱? 同盟が攻め込んで来るというのに反乱が起きる? 侯も司令長官もそれを望んでいる? どういうこと?

「動くかの、ルビンスキーは」
「動くと思います。罠かもしれないと思うかもしれません。それでもこちらの予測の上を行って鼻を明かしたい、そう思うでしょう。そう仕向けましたから」
「しようの無い男じゃの……、卿の事ではないぞ」

司令長官と侯は顔を見合わせて軽く苦笑している。どういうことだろう? 今までの話だとカストロプ公が反乱を起すのもフェザーンがそれに関わるのも二人は予測している。いやそう仕向けている、そう言う事なのか?

「陛下は御病床にあり、財務尚書が反乱、それに乗じて反乱軍が攻め込んでくるか、困ったものじゃ」
「おまけに司令長官は病弱、副司令長官は大敗を喫したばかりです。軍は頼りになりません。帝国始まって以来の危機でしょう」

二人とも他人事のように言った後で声を上げて笑った。ようやく私にも分った。同盟軍を油断させるために二人は罠を仕掛けている。おそらく私が今知った事は謀略のほんの一部なのだろう。

「ようやくカストロプ公爵家も帝国の役に立つの」
「この日のために取っておいた切り札ですか?」
「まあ、そうじゃ」

帝国の役に立つ? 切り札? 私の混乱に気付いたのだろう。司令長官が答えを教えてくれた。

「十五年も職権乱用をし続け、同じ貴族たちからも非難され続けたカストロプ公が何故財務尚書の地位にあり続けたのか? 平民の不満をそらすためにいつか犠牲になってもらう、そういうことです」

おぞましい真実だった。司令長官は穏やかな表情で告げる。そのことが余計に私を震え上がらせた。政治の世界の非情さに、それを穏やかに話す司令長官に……。自分と同じ人間とは思えなかった。人ではない何か、別の何かだった。

「私が怖いですか、少佐。でもこれからはもっと怖くなりますよ」
「小官は……小官は怖くありません。閣下を信じております」
「ほう、司令長官、卿は良い副官を持っておるようじゃ」
「そうですね。私には過ぎた副官です」

私がヴァレンシュタイン司令長官に返事をするとき、一瞬だけどリヒテンラーデ侯の顔が哀しげに見えた。それを見たとき私の心は決まった。司令長官を一人にはしないと。

リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタイン司令長官を哀れんでいる。私が司令長官を恐れ、彼が孤独になるのを哀れんでいる……。

侯も司令長官も帝国を守るために謀略を振るっている。まるで謀略を振るうことに生きがいを感じているかのように。でも本当は違うのだろう。やらなければならないことをやる、それだけなのかもしれない。

だがその事が侯を恐れさせ、侯を孤独にした。同じ孤独が今、司令長官を襲おうとしている。侯にとっては、かつての自分を見ているかのような気持ちだったろう。

私は逃げない。私には特別な能力などない。だから他の皆が恐れても私は恐れない。ヴァレンシュタイン司令長官を決して一人にはしない、それだけが私に出来る事だから……。


■ 帝国暦487年7月 4日 ローエングラム艦隊旗艦 ブリュンヒルト ジークフリード・キルヒアイス


七月になって宇宙艦隊はラインハルト様の下、合同訓練に励んでいる。おそらく反乱軍は遅くとも今月の末には帝国領に攻め込んでくるだろう。宇宙艦隊は七月中旬までに訓練を終わらせなければならない。

此処までの道のりは決して平坦ではなかった。五月中旬から六月一杯までかかってほぼ全滅といってよい艦隊を一から作り直したのだ。問題になったのはやはり分艦隊司令官の人事だった。

少将、中将の階級を持つものでめぼしい人物は既に宇宙艦隊の各艦隊に配属になっている。さすがにこれを取り上げる事は出来なかった。ラインハルト様は思いきって若手の准将を六人集め、それぞれに千五百隻ほどを指揮させることにした。

ブラウヒッチ、アルトリンゲン、カルナップ、グリューネマン、ザウケン、グローテヴォール、ラインハルト様が集めた六人だ。本来なら二百から三百隻を指揮する立場だ。それがいきなり千五百隻を指揮する事になった。

当然、混乱し試行錯誤を繰り返した。それでも六月の終わりにはラインハルト様を満足させるだけの艦隊運用を見せた。ようやくラインハルト様の愁眉も晴れたといって良い。

“俺は皇帝になることを諦めたわけではない。しかし、今は駄目だ。俺には力が無い。今は実力をつけるときだと考えている” ラインハルト様の翼は折れていない。強く羽ばたくために力をつけようとしている。

“幸い目の前に良い手本がある。俺に何が不足しているのか、俺は何を身につけるべきなのか、じっくりと観察させてもらおう”

今ラインハルト様が一番気になっているのは、ヴァレンシュタイン司令長官がどうやって反乱軍を挟撃しようとしているのかだ。ラインハルト様は自室にオーベルシュタイン大佐を呼び確認したが大佐も分らなかった。

むしろ大佐は別のことに気を取られているようだ。
「司令長官閣下は何故年内に反乱軍を撃滅するのでしょう」
「? どういうことだ、オーベルシュタイン」

ラインハルト様が訝しげに問いかけると大佐は抑揚の無い声で
「余りにも慌し過ぎます。敵の誘引はもう少し後でも良かったのではないでしょうか。そうであれば訓練も十二分に出来たはずです」
と答えた。

確かにオーベルシュタイン大佐の言うとおりだ。いささかあわただしすぎる。時間に余裕が無い。大佐は不満に思っているのだろうか?
「大佐はヴァレンシュタイン司令長官の作戦に反対なのですか?」

「いえ、そうではありません、キルヒアイス大佐。敵を大軍で攻め込ませそれを撃滅する。正しい戦略だと思います。それをこの短い期間で実現しつつある、見事としか言いようがありません。ただ、何故今なのか? 何故年内なのか?」

「……」
確かにそうだ。何故今なのか? 何故年内なのか? 私とラインハルト様はオーベルシュタイン大佐の言葉に顔を見合わせた。

ヴァレンシュタイン司令長官はラインハルト様の敗北後、恐ろしいほどの素早さで反乱軍の誘引、撃滅作戦に取り掛かった。そして帝国をそのために一つにまとめつつある。

今反乱軍撃滅に向けて帝国を動かしているのは、リヒテンラーデ侯と帝国軍三長官の四人だ。この四人の間に不協和音は無い。今ではシュタインホフ元帥もヴァレンシュタイン司令長官に協力している。

司令長官は強引ではないが、圧倒的な力で帝国を動かしていると言っていい。まるで何かに追われているかのようだ。司令長官は決して無謀な性格ではない。果断な所はあるが慎重で冷静な性格だ。反乱軍の撃滅は来年でも良かったはずだ。確かに大佐の言うとおり、何かがおかしい。

「司令長官は年内に片付ける必要があると考えている。卿はそう言うのだな」
「むしろ、年内でなければ片付けられない、そう考えているのかもしれません」
確かめるようなラインハルト様に慎重な口調でオーベルシュタイン大佐は答えた。

年内でなければ片付けられない、どういうことだろう。反乱軍の回復を恐れている、そういうことだろうか。ラインハルト様は一瞬私を見てからオーベルシュタイン大佐に話しかけた。

「卿の言う事は、年を越すと帝国には反乱軍を相手にしている余裕は無い、いや、無くなると言う事か?」
「……はい」

「内乱が起きると言うのだな」
「……司令長官はそう考えているのではないでしょうか」
「!」

一瞬だが、空気に緊張が走った。いや、走ったように思えた。内乱が起きる、つまりフリードリヒ四世が死ぬと言う事か。確かに皇帝は最近病気がちだ。しかし司令長官が反乱軍の撃滅に動き出したのは皇帝が病気がちになる前だ……。

「オーベルシュタイン、キルヒアイス、これから話すことは他言を禁じる」
「はっ」
「先日の会議で司令長官は陛下のお命は長くないと考えていると言われた。だから今敵を撃滅すると」

「!」
「ただし、年内という言い方はしなかった」
「……」
思わず私達は顔を見合わせた。お互いに何を考えているのか読みあうかのように沈黙が落ちる。

「卿は司令長官が陛下の御病気を予測していたと思うか」
「いえ、今の御病気はおそらく謀略でしょう、敵を誘引するための。余りにも敵に都合が良すぎます」
「……」

「ただ、やはり小官は司令長官が陛下のお命を年内一杯だと考えているのではないかと思います。その判断材料が何なのかは分りませんが」
「……」

今の病気が敵を誘引するための仮病だというのなら、フリードリヒ四世の余命が年内一杯という判断は何処から出たのだろう? ヴァレンシュタイン司令長官が根拠も無しに判断したとも思えない。

何か宮廷医に伝手が有るのだろうか? それともリヒテンラーデ侯から何か聞いたのだろうか? 分らない、分っているのは司令長官が私達の知らない何かを知っているという事だ。

不意に司令長官の予測が外れて欲しいと思った。ヴァレンシュタイン司令長官は余りにも完璧すぎる。全てが彼の思うとおりに動いているように思える。どこかで失敗や思い違いが有って欲しい。

他人の失敗を願うのは本来正しい事ではないだろう。だが私は彼も私達と同じ人間なのだという確証が欲しかった……。それはいけないことだろうか?





 

 

第百二話 帝国領侵攻

帝国暦 487年7月22日  オーディン 新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


七月に入ってから事態は動き始めた。先ず財務尚書、オイゲン・フォン・カストロプ公爵が自領に帰ろうとし、その帰途、宇宙船事故で死んだ。彼が自領に戻ろうとしたのは例の噂、平民達が持つ帝政への不満をかわすための生贄にされては堪らない、そう考えたからだろう。

カストロプ公は原作と同じく宇宙船の事故で死んだのだが、本当に事故だったとは俺は思っていない。おそらく事件だろう、もっとも原作の事故死も怪しいものだと思っている。

あれは帝国政府とフェザーンが共謀した可能性がある。ただし、この世界では帝国は動いていない。フェザーンの単独犯行だ。

俺とリヒテンラーデ侯の考えではカストロプ公を自領へ帰す、その後カストロプ公の違法行為を調査、カストロプ公のオーディンへの招還、招還拒否、カストロプ公の反乱、反乱鎮圧になる予定だった。もちろんフェザーンが動かなければだ。

しかし、フェザーンは動いた。ルビンスキーの考えは判る。彼は例の噂から帝国が国内の不満を解消するためにカストロプ公を処分したがっている、カストロプ公に反乱を起させたがっていると判断したはずだ。そして同盟軍が攻め込む前に反乱を鎮圧したがっていると考えたろう。

そこに付け込む隙が有ると考えた。カストロプ公領はオーディンに近い、反乱の放置は許されることではない。つまり反乱を起させ、帝国軍の艦隊を引き付けるチャンスが有ると見たのだろう。

反乱鎮圧に手間取っている間に、同盟軍が帝国領に攻め込む。帝国の兵力を分散させる事が出来る、そう考えたのだ。反乱が直ぐ鎮圧されては意味が無いから何らかの援助を行なうつもりだったろう。

カストロプ公を事故死させたのも、強かなオイゲン・フォン・カストロプよりも息子のマクシミリアンの方が操り易いと思ったからだ。事件後、カストロプ公爵は帝国政府によって謀殺されたとの噂を流し、マクシミリアンを精神的に追い詰めた。

こちらもそれに便乗させてもらった。マクシミリアンの反乱は望む所なのだ。周囲がマクシミリアンを反乱へと追い込んでいるのだ。彼はあっけなく反乱へと突き進んだ。

ところが此処で妙な噂が流れた。反乱鎮圧には俺が出向くべきだと言う噂だ。その件で俺とラインハルトは新無憂宮に来ている。リヒテンラーデ侯、帝国軍三長官、副司令長官の五人が集まった。

「フェザーンかの、噂を流したのは」
「おそらくそうでしょうな」
「フェザーンの意を受けた貴族がいるのでしょう」

リヒテンラーデ侯の言葉にエーレンベルク、シュタインホフ両元帥が答える。俺も同意見だ、と言うより他に考えようが無い。

「司令長官を反乱討伐に出せか……、狙いは何かの」
狙いか……、おそらく狙いは二つだろう。

一つは俺に対する意趣返しだ。ルビンスキーは今回の一件で俺にかなりコケにされた。恨みは骨髄に徹しているだろう。もう一つはラインハルトを甘く見ている。前回の敗北でラインハルトの能力を低く見ているのだ。

俺を反乱討伐に向かわせ、カストロプで足止めする。同盟軍への討伐に向かえなければそれだけで面子を潰す事になる。そして俺が同盟軍へ対処できなければ対応はラインハルトが当たる事になる。

ルビンスキーはラインハルトでは宇宙艦隊の統率は取れない可能性がある、また兵力も分散しているとなれば同盟軍が勝つ可能性が大きくなると見ている。

俺がその事を話すと皆ラインハルトを複雑な表情で見た。ラインハルト自身も不機嫌そうになる表情を懸命に堪えている。以前なら露骨に表したろう。

「カストロプ公爵領じゃが、備えはどうかの」
「妙な軍事衛星があるようです。あれはアルテミスの首飾りでしょう」
リヒテンラーデ侯の質問に俺が答えた。その答えに皆一様に渋面を作る。

「それが事実だとすると厄介じゃの」
それほど厄介でもない。俺は原作で壊し方を知っている。しかし一応難攻不落と言われている代物だ。ルビンスキーも奮発したものだが余程頭にきているのだろう。

「しかし、そう簡単にアルテミスの首飾りを配備できるのか、随分手際が良いようだが?」
エーレンベルク元帥の疑問は尤もだ。俺もちょっと驚いたがルビンスキーには用意する必要が有ったと俺は見ている。

「おそらく、帝国内でフェザーン討つべしの声が上がったときに準備を始めたのだと思います」
「?」

「最初は帝国の侵攻を防ぐために準備したのでしょう。しかしカストロプで反乱が起きた。ちょうどいい、此処で効果を試してみようと考えたのではないでしょうか」
「なるほどの」

ルビンスキーの考えは先ず俺の足止めをする。そして実際に使って効果があるならフェザーンにも配備する、問題点があるなら改善して使う、そんな所だろう。

「それで、どうするかの」
リヒテンラーデ侯が問いかけてきた。エーレンベルク、シュタインホフ両元帥が俺を見詰める。ラインハルトもだ。

俺の当初の予定ではメルカッツ提督にカストロプ攻略の司令官を任せるつもりだった。対同盟軍の総司令官にはラインハルトを起用し俺は帝都で万一のために備える……。

しかし乗ってみるのも悪くない。ルビンスキーを、同盟軍を油断させられるだろう。問題はフリードリヒ四世の寿命だが、こればかりは分らない。皇帝の寿命とルビンスキー、同盟軍の油断、どちらを取るか……。

「小官がカストロプに向かいましょう。反乱軍への対処はローエングラム伯にお願いします」
俺の言葉にリヒテンラーデ侯がラインハルトを一瞬見た後、俺を見た。大丈夫かと眼で訊いてくる。

「大丈夫です、ローエングラム伯を信じてください。今の伯なら宇宙艦隊を率いて反乱軍を打ち破るのは容易い事でしょう、問題はありません」

俺の言葉にリヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥は顔を見合わせ、納得したかのように頷いた。
「では、反乱軍への対処は伯にお願いしようかの」

「必ず反乱軍を撃滅します、決して期待を裏切るような事はしません」
ラインハルトはリヒテンラーデ侯の言葉に力強く答えた。彼にとっても正念場だろう。

しかし今のラインハルトなら問題ないと言ったのは嘘ではない。訓練を共にした各艦隊司令官からも高い評価がラインハルトに付けられている。彼なら全軍の指揮を任せても問題ない。

後は今後の事をラインハルトと打ち合わせておく必要がある。フェザーン、宮中、カストロプそして同盟軍、それにどう対処するか。

俺がカストロプに向かったとなれば当然ルビンスキーはそれを同盟に知らせるだろう。同盟軍はオーディンを目指して突き進んでくるはずだ。

イゼルローン要塞からオーディンへは四十日程度。俺がカストロプで足止めされている間に少しでもオーディンに近づく。そしてラインハルトをおびき出して決戦する。

ルビンスキーが、そして同盟が決戦を望むのは間違いない。上手く行けばラインハルトの後に俺を撃破するという各個撃破作戦が取れるかもしれないのだ。必ず来るだろう。



帝国暦 487年7月 6日 
財務尚書、オイゲン・フォン・カストロプ公爵 自領に戻る途中宇宙船の事故により死亡。

帝国暦 487年7月 8日
帝国政府、故カストロプ公爵の生前の違法行為の調査を開始。

帝国暦 487年7月 9日
マクシミリアン・フォン・カストロプ、公爵位、遺領の相続を帝国政府に対し申請。

帝国暦 487年7月10日
帝国政府、マクシミリアン・フォン・カストロプの公爵位、遺領の相続を凍結。

帝国暦 487年7月16日
帝国政府、故カストロプ公爵の生前の違法行為を公表。マクシミリアン・フォン・カストロプの公爵位、遺領の相続を認めず。

帝国暦 487年7月20日
マクシミリアン・フォン・カストロプ、帝国に対し反乱を起す。

帝国暦 487年7月26日
帝国軍宇宙艦隊司令長官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン上級大将、五個艦隊を率いマクシミリアン・フォン・カストロプの反乱鎮圧に向かう。



■ 宇宙暦796年7月29日 イゼルローン要塞 ヤン・ウェンリー


イゼルローン要塞を多数の艦船が取り巻いている。要塞から見る宇宙空間は何処を見ても同盟軍の艦艇ばかりだ。
「随分と壮観なものだ」

後方から声が聞こえたので振り返るとウランフ提督だった。ビュコック、ボロディン提督も居る。偶然ではないだろう。ここ数日、私は彼らに何度かこの戦いの危険性を訴えている。

「いよいよ明日じゃな……、それにしても帝国領に向けて出撃する日が来るとは……」
ビュコック提督が感慨深げに呟き首を左右に振った。

半世紀を帝国との戦争に費やし、ようやく帝国領に攻め入る日が来るのだ。思うところがあるのだろう。しばらく沈黙が場を支配した。皆、ビュコック提督に遠慮したのかもしれない。

「ヤン提督、貴官はこの遠征が危険だと言っていたが今でも変わらんかね」
沈黙を破ったのは、ビュコック提督だった。少し照れたような、困ったような表情をしている。もしかすると私達の遠慮に恥じているのかもしれない。

「……今でも危険だと考えています」
それが私に出来る精一杯の答えだった。始まる前から負けるとも言えないだろう。

「帝国内では反乱が起きているそうだ。帝国軍のかなりの艦艇が反乱鎮圧に向かったそうだが、知っているかね?」
ボロディン提督が問いかけてきた。私が余りに悲観的なのでその情報を知らないとでも思ったようだ。

「はい、ヴァレンシュタイン司令長官自ら討伐に向かったと聞いています」
「そうか、知った上で危険だと言うのだな」
「ええ」

今、同盟にはフェザーン経由で帝国の情報がかなり詳しく入ってくる。イゼルローン要塞陥落後、帝国内でフェザーンに対する敵意が募った。その事がフェザーンに同盟よりの行動をさせているとシトレ元帥は言っていたが、結局はフェザーンの利益のためだ。何処まで信じていいのか……。

また沈黙が落ちた。どうも妙な感じだ。何が有ったのだろう? そう思っているとウランフ提督が溜息を吐いて話しかけてきた。

「ヤン提督、司令部から命令が有った」
「?」
「オーディンに向けて突き進めと言う事だ」
「……」

やはりきたか……、その命令が来ないのを願っていたのだが。私には罠だとしか思えない。帝国軍は同盟軍を奥深くへ誘引し撃滅するつもりだろう。

本来戦争とは自陣で戦うが有利なのだ。地の利もあるし、敵の補給線の遮断を含む後方の撹乱等いくらでも打つ手はある。

しかし総司令部には分らない、分ろうとしない……。余りにも楽観的なのだ。時々私と彼らが同じものを見ているのか不安になる時がある。本当に勝てると思っているのか?

私達四人の間にまた沈黙が落ちた。私達は第一陣から第四陣を任されている。おそらく厳しい状況に追い込まれるだろう。そのとき総司令部は私達を助けるだろうか? 見捨てる事は無いだろうか? 彼らと話し合ったとき必ず出た疑問だ。そして悲観的な答えしか出なかった……。

今の状況では総司令部を信じることはできない。情けない事だが敵より味方のほうが信用できないのだ。話し合いで出たのは勝つことよりも生き残ることを優先すべきだと言うことだった。

生き残るには私達は協力しなければならない。彼らもそれはわかっている。此処に来たのはそれを話し合うためだろう。予想以上に酷い戦いになりそうだ。


 

 

第百三話 同じ道

帝国暦 487年7月29日  オーディン 宇宙艦隊司令部 オイゲン・リヒター


「ブラッケ、どうかなこの案は?」
「女性についての参政権は地方自治体に止め、国政への参加は男性のみに限定するか……。納得するかな?」

ブラッケが小首を傾げながら呟いた。確かに彼の言うとおりだ。しかし理想と現実はなかなか一致しない。何処かで折り合いをつけなければならない。

惑星単位で総督を置き、それは帝国政府が任命権を持つ。但し、予算編成、決算報告、惑星内部の行政官の人事に関しては住民の代表者たちの承認を必要とする。今私達が話し合っているのはこの代表者の定義だ。

「確かに同盟の人間は納得しないかもしれん。しかし帝国で参政権の全面開放などしたら反って大混乱になる。段階を踏んで広げていくしかないだろう。違うか、ブラッケ」

「確かにそうだな。とりあえず女性には直接生活に関わる地方自治体への参政権を与える。そこで政治への参加を学んでもらう。リヒター、卿の狙いはそんな所か」
「うむ。二十年後、三十年後には全面開放だ」

私の言葉に頷いていたブラッケが呟くように言葉を発した。
「フィッツシモンズ少佐が居ればな、意見を訊けるのだが……」

残念だが彼の願いはかなえられない。三日前、ヴァレンシュタイン司令長官は五個艦隊、ケンプ、レンネンカンプ、ビッテンフェルト、ファーレンハイトの四提督を引き連れカストロプの反乱鎮圧に向かった。

当然だが副官のフィッツシモンズ少佐もヴァレンシュタイン司令長官に従いカストロプの反乱の鎮圧に向かっている。
「リューネブルク中将に訊いてみるか?」

「そうだな。しかし中将は結構皮肉がきついからな」
皮肉がきつい。ブラッケの言葉に思わず私達は顔を見合わせ苦笑した。つまりそれ程私達の作成する改革案は穴だらけということだ。

リューネブルク中将だけではない。フィッツシモンズ少佐からも手厳しい意見を貰う事がある。二人とも同盟では特に政治に関わっていたわけではない。

それだけに二人の意見は一般的な同盟人の意見として重要だと言える。彼らと出会って気付いたのは帝国では平民達の権利が恐ろしいほどに剥奪されているという事だ。私達はまだまだ認識が甘かったらしい。

私は今宇宙艦隊司令部に一室を貰っている。部屋は“新領土占領統治研究室”と呼ばれており、私とブラッケの他にブルックドルフ、シルヴァーベルヒ、オスマイヤー、マインホフ、グルック、エルスハイマーがいる。

“新領土占領統治研究室”、私達の間では密かに“社会経済再建研究室”と呼ばれているが、此処では占領した自由惑星同盟をどのような社会経済体制で治めるかべきかを研究している。

そして密かに新領土を統治する帝国本土はどのような社会経済体制であるべきかも研究している。そう、これは帝国内の社会経済改革の研究なのだ。



今でも覚えている。六月の下旬、私とブラッケはヴァレンシュタイン司令長官に呼ばれた。


「新領土の統治体制がどうあるべきか研究せよ、ですか」
「そうです」
「失礼ですが新領土とは一体何です?」

私の質問に司令長官は少し眼を見開いた後、可笑しそうに笑いながら
「そうでした。肝心な事を説明していませんでした。新領土とは反乱軍、いや自由惑星同盟の事です。帝国が同盟を占領した時、帝国は新たな領土をどう統治すべきかの研究をお願いしたいのです」
と言った。

自由惑星同盟? 何故私が自由惑星同盟の統治体制を研究しなければならない? 今大事なのは帝国の改革をすることだ。大体イゼルローン要塞を失った今、同盟の占領などできるはずがない。実現するかどうかも分らない事の研究など出来るか!

私の感じた怒りをブラッケはそのまま口に出した。
「閣下、今大事なのは帝国の社会を改革することです。そんな何時実現するかも分らない事になど協力は出来ませんな」

ブラッケの憤懣交じりの言葉にもヴァレンシュタイン司令長官は少しも不機嫌な表情を見せなかった。穏やかな微笑みを浮かべながら聞いている。少し拍子抜けした。ブラッケも同様だったろう。

「もし同盟を占領したとして、今の帝国の統治体制をそのまま当てはめる事が出来ると思いますか?」
「?」

妙な男だ。協力できないと言っているのに……。仕方ない、少し付き合うか。私はブラッケと顔を見合わせてから答えた。
「いや、出来ないでしょう。政治体制が余りにも違いすぎます」

「そうですね。おそらく百三十億の人間が暴動、内乱を起す事になる。今度こそ本当に反乱軍になるでしょう」
「……」

「反乱を起させないためには帝国と違った統治体制をとらざるを得ない。それは帝国本土よりもかなり開明的なものになるでしょうね」
「……」

この男は一体何が言いたいのだ? 彼の顔には相変わらず微笑が浮かんでいて少しも読めない。
「そうなった場合、帝国本土の人間はどう思うでしょう?」

どう思う? どう思うのだ……不公平感は持つだろう、何故占領地のほうが恵まれているのかと……。恵まれている? まさか、そうなのか? そんな事を考えているのか?

私は目の前の男を呆然と見つめた。彼は優しげな微笑を浮かべたままだ。そして私が達した結論を口にした。
「同じ権利を自分たちにも寄越せと言うでしょうね。勝ったのに何故自分たちのほうが酷い扱いを受けるのかと。拒絶すれば今度は帝国本土で暴動が起きる」

つまり新領土の統治体制の研究とはそのまま帝国の社会改革に繋がると言う事か。同じコインの表と裏だ。帝国内から変えるのではなく帝国の外から変える。そんな発想が有ったのか……。

「し、しかし、同盟を占領など出来るのでしょうか。イゼルローン要塞を失った今、不可能としか思えませんが」
ブラッケの言うとおりだ。占領できなければ何の意味も無い。

「間も無く彼らはイゼルローン要塞を経由して帝国領に攻め込んでくるでしょう。兵力は三千万を超えるそうです」
三千万……。それが攻め込んでくる。思わずヴァレンシュタイン司令長官の顔を見詰める。

「それを撃滅します。彼らに致命的な一撃を与えるのです」
「しかし、イゼルローン要塞が有ります。あれはそう簡単には落とせないはずです」

ブラッケがなおも抗議するかのように疑問を呈した。何処かで彼のいうことに反発したいのかもしれない。私にも同じ思いがある。同盟を征服すれば確かに帝国の改革が出来る。軍人の彼が気付いた。何故自分は気付かなかった?

「イゼルローン回廊にこだわる必要は無いでしょう。フェザーン回廊を使えば良い」
「!」

フェザーン回廊を使う? それは、それでは……。
「フェザーンを征服し、自由惑星同盟を占領します。新銀河帝国の成立です。宇宙を統一する唯一の星間国家ですね」

新銀河帝国……、宇宙を統一する唯一の星間国家……。私は呆然と目の前で微笑む司令長官を見ていた。隣でブラッケが唾を飲み込む。その音が私を我に返らせた。

「しかし、門閥貴族たちが改革に協力するでしょうか。同盟の占領に成功しても改革が出来なければ、司令長官が仰ったように内乱が発生しますぞ」
そうだ、占領しても改革が出来なければ意味が無い。ヴァレンシュタイン、私の疑問にどう答える?

「もし、陛下が崩御されると帝国では後継者戦争が起こるでしょう。そこで門閥貴族達を叩きます。完膚なきまでに。そして帝国内での改革を実施する」
「……」

後継者戦争……。ブラウンシュバイク、リッテンハイムを潰すと言う事か。と言う事は、司令長官はリヒテンラーデ侯と組みエルウィン・ヨーゼフを推戴する事を考えている。

「リヒテンラーデ侯も閣下と同じお考えなのでしょうか?」
私は疑問に思ったことを訊いた。目の前の人物はリヒテンラーデ侯の信頼が厚いと聞いている。しかし本当にそこまで両者の間に合意があるのか?

「それは、後継者の事ですか、それとも新領土?」
「両方です」
「両方とも私個人の考えです。ただ侯を説得する自信はありますよ」

リヒテンラーデ侯を説得する自信……。しかし説得できるのか? エルウィン・ヨーゼフを推戴するのは良い。だが社会改革に賛成するだろうか?
「どのように説得するのです。ぜひお教え願いたい」

「次の戦いで勝てば良いのです。帝国が同盟を支配する、これまでは夢でした。誰も信じてはいなかったでしょう。だから改革を必要としなかった。しかし今度勝てば夢ではなくなります。後は侯にそれを認めさせれば良い」

認めさせれば良い……。認めれば否応無く改革を受け入れざるを得ない、そう言う事か。問題は同盟に勝てるかだ。私はヴァレンシュタイン司令長官を見た。勝てるのだろうか?

「勝てますよ。そのために努力しています」
思わず、彼の顔をまじまじと見てしまった。私の心の内を読んだのだろうか?

「如何です。私に協力してもらえますか? 決して楽な道ではないでしょう。しかし夢を夢で終わらせたくないと思っているなら私と同じ道を歩いてください」

同じ道……。これまでは改革を唱えても誰も振り向いてくれなかった。何のために改革を唱えるのか分らなかった。受け入れられない改革案に何の意味がある? しかし目の前の男がそれを終わらせようとしている。

私はブラッケを見た。ブラッケも私を見返してくる。言葉は要らなかった。私達の夢が実現するかもしれない。彼が次の戦争に勝てるかどうかは分らない。だが夢が実現する可能性がある。それだけで十分だった。





「勝てるかな」
呟くようなブラッケの言葉が私を回想から現実へ引き戻した。
「大丈夫だ。ヴァレンシュタイン司令長官は勝つさ」

そう、彼は勝つ。そして私達の夢を現実に変え新しい世界を見せてくれるに違いない。新銀河帝国、宇宙を統一する唯一の星間国家……。



 

 

第百四話 カストロプの動乱

帝国暦 487年7月29日  カストロプ星系 シュムーデ艦隊旗艦 ロルバッハ  エグモント・シュムーデ


「あれがアルテミスの首飾りか」
「はい」
副官、アーリング大尉の返事を聞きながら私はアルテミスの首飾りを見つめた。

宇宙に浮かぶ姿は高貴なまでの美しさにあふれている。まさに処女神の首飾りと言って良いだろう。しかし不用意に近づけばその美しい姿からは想像もつかない恐怖を撒き散らすに違いない。

三百六十度、全方向に対して攻撃能力を有する十二個の軍事衛星。レーザー砲、荷電粒子ビーム砲、中性子ビーム砲、レーザー水爆ミサイル、磁力砲等を装備し、準完全鏡面装甲を持つ大量殺人兵器。

「閣下、攻撃は何時頃になるのでしょうか」
「宇宙艦隊司令部から連絡が有り次第というところだが、後五日程度はあれを見ながら過ごす事になるだろうな」

「それにしても司令長官閣下はとんでもない事をお考えになります」
「全くだな、アーリング大尉。私も同じ思いだよ。閣下が敵でなくて良かった」
「はい」

マクシミリアン・フォン・カストロプは五万隻以上の艦艇に囲まれ怯えているだろう。だが、こちらが攻撃をしないとなればいずれ気が大きくなるに違いない。真実を知ったときのマクシミリアンの顔が早く見たいものだ。

「例のものは準備できているか」
「はい。こちらへ向かっている最中です、明日には着くでしょう」
後は宇宙艦隊司令部からの連絡を待つだけだ。


■ 宇宙暦796年8月 5日 アムリッツア星系 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


第十三艦隊はアムリッツア星系まで進出した。恒星アムリッツアが様々な色彩の炎を躍動させている。赤、黄色、紫、余り見ていて気持ち良い色ではない。もっともこの作戦に対する私の気持ちがそう思わせるのかもしれない。

此処まで敵の反撃は無い。やはり同盟軍を奥深くまで誘引し、補給線を断つか横から分断するかだろう。ビュコック提督達と出撃前に話したが特別な名案らしいものは出なかった。

出来る事はごく当たり前の事でしかない。周囲に索敵部隊を置き、もし敵を見つけたときには第四陣のボロディン提督の所まで後退し集結する。その上で後続を待つか、待たずに撤退するか、戦うかを判断する。

消極的なようだが、勝つことよりも生き残ることを優先すべきだし、分散して戦うよりも兵力を集中して戦う方が損害も少なく生き残る可能性は高いだろうというのが四人の一致した意見だった。

哨戒を重視した進攻だ。当然だが速度は遅くなった。いや、むしろ故意に遅くしたといって良い。総司令部は不満のようだったが私もウランフ提督も無視した。最前線が進まないのだ。遠征軍自体の進攻はゆっくりしたものになっている。

総司令部にはハイネセンから帝国の情報が送られてきている。フェザーン経由の情報だが、ヴァレンシュタイン司令長官は未だ反乱を鎮圧していないようだ。どうもおかしい、そんな事があるのだろうか?

罠だとしか思えない。フェザーンがこちらを騙そうとしているのだろうか? それともフェザーンも踊らされているのか。同盟軍は少しずつ破滅へと引きずり込まれている……。

どれだけの人間が生きて帰れるのだろう。その思いが心臓をきりきりと締め付けてくる。第十三艦隊百五十万の兵の命の重さに私は潰されそうだ。指揮官というものがこれ程の重圧をもたらすものだとは思わなかった。

いや、重圧をかけてくるのはヴァレンシュタインか。彼が相手でなければこれ程の苦しみを味わう事は無かったはずだ。

「閣下、総司令部より連絡が入っております」
「有難う」
際限なく落ち込んでいく私を救ったのはグリーンヒル中尉だった。電文を私に渡す。

~帝国軍は国内の反乱鎮圧に失敗、鎮圧軍はかなりの損害を被った。それにより帝都オーディンでは政治的混乱が発生した模様。各艦隊司令官はこの千載一遇の機会を逃すことなく急ぎ進攻されたし~

電文を持つ手が震える。ありえない、こんな事は断じてありえない。叫びだしそうだった。正直に言えば総司令部がいつかは危険に気付いてくれるのではないかと思って、いや願っていた。だが総司令部は進攻を急かしている……。

自分を落ち着かせようときつく目を閉じて深呼吸する……一回、二回。ゆっくりと眼を開けもう一度電文を見る。

~帝国軍は国内の反乱鎮圧に失敗、鎮圧軍はかなりの損害を被った。それにより帝都オーディンでは政治的混乱が発生した模様。各艦隊司令官はこの千載一遇の機会を逃すことなく急ぎ進攻されたし~

同じだった。私は思わず電文を握りつぶした。グリーンヒル中尉が驚いたような眼で私を見ている。
「グリーンヒル中尉」
「はい」
「……全艦に艦隊速度を上げるように命じてくれ」




帝国暦 487年8月 3日  カストロプ公爵領 マクシミリアン・フォン・カストロプ


帝国軍はアルテミスの首飾りを囲むようにして艦隊を配備している。やつらもこの首飾りの威力を知っているらしい。なすすべも無く囲んでいるだけだ。高い買い物だったが、それなりの価値はあったと言うものだ。

もうすぐ反乱軍が帝国軍と戦う。あの小生意気な金髪の小僧が性懲りも無く戦うのだ。イゼルローン同様大負けして帰って来ればよい。奴が敗れれば帝国政府も変わる。

大体あいつらは父を殺したのだ。奴らこそ反逆者ではないか。あげくの果てに私には相続を認めないとは、私を馬鹿にしているのか。私こそがこのカストロプの正統な支配者なのだ。

リヒテンラーデ侯が失脚すれば、私の反逆罪も取り消されるだろう。フェザーンやオーディンにいる友人たちが動いてくれる。

いずれあいつらには必ずこの礼はする。いや、私がするまでも無く帝国は反乱軍に滅ぼされ、奴らも殺されるかも知れない。それでも良い、誰も私には何も出来ないのだ。

「閣下!」
「どうした」
「敵が動き出しました」

オペレータの緊張した声に慌ててスクリーンを見る。スクリーン上には白い大きな何かが衛星に向けて直進しているのが見えた。徐々にスピードが増していく。あれは何だ?

「どれに攻撃を仕掛けてきたのだ」
「それが、十二個の衛星全てに対してあれと同じものが向かっています」
「十二個?」

何を考えている? いや、あれは何だ?
「あれは何だ? 誰か答えよ」
「……」
「誰も判らんのか、この役立たずどもが!」

スクリーンが作動し、あの物体を拡大投影した。大きい、戦艦より大きい。何だあれは、氷のように見えるが、そうなのか?
「あ、あれは、氷か?」
「……」

私の疑問にも誰も答えない。顔を見合わせるだけだ。役立たずどもが! 何のためにお前たちは居るのだ? しばらくしてオペレータが答えた。
「衛星からあの物体の成分が送られてきました。あれは氷です。間も無く衛星が攻撃を始めます」

やはり氷か。馬鹿な、氷など何の役に立つ、ぶつかる前に破壊されるのが落ちだ。ヴァレンシュタインめ、虚仮脅しをしおって。攻撃が始まった。レーザー砲が氷を襲う。効かない! 氷からは水蒸気が上がるだけで何の効果も無い……。

衛星は次々とレーザーを発射するが氷は直進を止める事は無い。馬鹿な、このままでは衝突する。あれがぶつかったら衛星は……。

「氷が、間も無く衛星に衝突します」
オペレータの怯えたような声が部屋に響く。どうすれば良い。あれがぶつかったら衛星は……。



帝国暦 487年8月 3日  カストロプ星系 シュムーデ艦隊旗艦 ロルバッハ  エグモント・シュムーデ


「アルテミスの首飾り、全滅しました」
アーリング大尉が何処か放心したような声を出した。気持ちは分かる、反乱軍の誇るアルテミスの首飾りが一瞬にして全滅したのだ。味方でさえ呆然としている。敵の混乱はどれほどのものか。


「マクシミリアン・フォン・カストロプとの間に通信を開け」
私の命令に艦橋の人間たちがわれに返ったように動き出す。やがてスクリーンにマクシミリアンが映った。眼が血走っている。恐怖で動転しているのか……。

「マクシミリアン・フォン・カストロプ。私はエグモント・シュムーデ中将だ。降伏したまえ、命は助ける」
「嘘だ! 帝国が反逆者を許す事などありえん。私を騙すつもりか?」

「宇宙艦隊司令長官ヴァレンシュタイン上級大将の言葉だ。降伏すれば、命は助ける」
「……」

「卿が降伏しないと言うのなら私は次の命令を発する事になる。……マクシミリアン・フォン・カストロプを殺した者は今回の反逆を終結させた功労者として遇す。当然今回の反乱に参加した罪は問わない」

マクシミリアンはぎょっとした表情で周りを見渡す。そして恐怖で血走った眼で私をにらみつけた。
「ひ、卑怯だぞ、シュムーデ」

「降伏か、それとも部下に殺されるか、五つ数える間に決めたまえ。一つ、二つ、三つ……」
「降伏する! 頼む、殺さないでくれ! 部下を止めてくれ」

マクシミリアンは恐怖の余り悲鳴のような声を上げて降伏した。
「マクシミリアン・フォン・カストロプの降伏を受け入れる。これ以後、彼の身柄は帝国軍の管理下にあるものとされる。いかなる意味でも彼に危害を加える事は許されない」

私の言葉にマクシミリアンはホッとしたような表情を浮かべている。どうやら本当に部下に殺されると思ったらしい。人望など欠片も無いようだ。だがこの男に死なれては困る、やってもらうことが有るのだ。

「反乱の首謀者であるマクシミリアンでさえ助命される。反乱に参加した者たちがマクシミリアンを超える処罰を受ける事は無い。ただし、これ以後抵抗するような事があれば、それに対しては容赦する事は無い」

私が話を終えると部下たちからも降伏を申し入れてきた。反乱は終結した。しかしまだ終わりではない、副司令長官に反乱の鎮圧を報告し、カストロプで新たな任務につかなければ。

「閣下、上陸後の手順ですが、最初にフェザーンでよろしいでしょうか?」
「そうだな、最初にフェザーン、次にオーディンに居る協力者だな」
「……我々は何時まで此処に居るのでしょう?」

「今回の反乱軍の侵攻が終わるまでだ。我々の任務はカストロプの反乱の鎮圧とフェザーンに対する欺瞞工作だからな」

私はアーリング大尉に答えながら外を見た。外には五万隻以上の大軍が居るように見えるだろう。しかしその殆どがダミー艦だ。

ここに居るのは私の率いる三千隻のみ。他は皆シャンタウ星域に向かっている。今頃は既にリヒテンラーデについた頃だろう。

司令長官の策は確実に敵を絡め取りつつある。カストロプ、フェザーン、オーディン、そして反乱軍。その全てを反乱軍撃滅に向けて動かしている。今月中には全てが終わっているだろう……。




 

 

第百五話 掌

帝国暦 487年8月 3日  フェザーン ニコラス・ボルテック


「自治領主閣下、先程カストロプより連絡が有りました」
「うむ。それで」
「はい。鎮圧軍をアルテミスの首飾りで撃退したと」

ルビンスキーは強い視線でこちらを見た。一瞬だが身体がすくんだ。
「それで、鎮圧軍は撤退したのか?」
「いえ、まだカストロプを囲んでいるそうです」

俺の言葉にルビンスキーは考え込み始めた。イゼルローン要塞陥落後、帝国の攻勢が厳しくなっている。帝国はイゼルローン要塞陥落にフェザーンの責任が有ると考えているのだ。

ルビンスキーはかつてのように嘲笑を浮かべることは少なくなった。代わりに少し俯いて考え込む事が多い。ただ、考え込んだ後は果断とも言える行動力を示す。

カストロプ公の事故死、マクシミリアンの反乱、アルテミスの首飾りの配備等を次々と手を打ち帝国軍の分散に成功している。さすがだと言っていいだろう。

俺は昔よりも今のルビンスキーの方が好感が持てる。フェザーンの自立のため必死で謀略を振るう姿は、手段はともあれこの男の力になりたいという気持ちにさせる。

「腑に落ちぬ。マクシミリアンは確かに鎮圧軍を撃退したと言ったのだな」
「はい。残骸も見ました」
「まだ、カストロプを囲んでいると?」
「はい……」

確かにおかしい。あの要塞を攻め倦んでいるのは分る。そう簡単に破壊できるものではない。だがいつまでカストロプに居るのだ? 同盟軍が攻め込んで来ているのだ。カストロプなど放り棄て反乱軍の迎撃に動くべきなのだ。

しかし現実にはヴァレンシュタイン司令長官はカストロプで足止めをされている。余りにもこちらの狙い通りに動きすぎる。

「如何します。同盟にはなんと」
「そうだな……、帝国軍は国内の反乱鎮圧に失敗、鎮圧軍はかなりの損害を被った。帝都オーディンでは政治的混乱が発生した模様」

「それは!」
「良いのだ、ボルテック。この報を得れば同盟は進軍を早めるだろう、帝国も迎撃に出るはずだ。このあたりで両軍を動かしてみよう。何か見えてくるものも有るかもしれん」

「……」
「それに両軍が正面からぶつかるなら、互いに被害は決して小さくはあるまい」
「閣下は共倒れを考えておいでですか」

俺の問いにルビンスキーは答えなかった。ただ黙って何かを考えていた。


帝国暦 487年8月 4日  オーディン 新無憂宮 ラインハルト・フォン・ローエングラム


「ではマクシミリアンと連絡を取っていた者は分ったのじゃな?」
「はい、ブルクハウゼン侯爵、ジンデフィンゲン伯爵、クロッペンブルク子爵 ハーフェルベルク男爵です」

俺はリヒテンラーデ侯の問いに答えた。侯は忌々しげな表情で言葉を続けた。
「マクシミリアン、いやその裏でフェザーンと通じていた者がやはり居ったか」

「奴らが自由に動けるのも残り僅かです。間も無く命運が尽きましょう」
「軍務尚書の言う通りです。ルビンスキーも首根っこを押さえたようなもの、いずれ始末をつけます」
エーレンベルク、シュタインホフの両元帥がリヒテンラーデ侯の表情を可笑しそうに見ながら侯に言葉をかける。

リヒテンラーデ侯は二人を一瞥すると
「これから黒真珠の間で卿に勅命が下る」
と俺に話しかけた。

リヒテンラーデ侯の言葉に両元帥の視線が俺に集中する。その視線に押しかぶせるように侯が言葉を続けた。
「ぬかるでないぞ、ローエングラム伯」
「はっ」




広大な黒真珠の間の大勢の人間が集まっている。皇帝の玉座に近い位置には帝国の実力者と言われる人物がたたずんでいる。幅六メートルの絨緞をはさんで文官と武官が列を作っている。

俺もその一人だ。エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、クラーゼン元帥、オフレッサー上級大将、ラムスドルフ上級大将の次に位置している。ヴァレンシュタイン司令長官が居れば、彼はクラーゼン元帥の次に来る。

オフレッサー、ラムスドルフの方が上級大将としては先任で年齢も上だが、宇宙艦隊司令長官の地位はヴァレンシュタインを最上位に押し上げる。オフレッサーもラムスドルフも内心はどうあれ、式典の場で不満を露わにした事は無い。

そしてこの場には宇宙艦隊の司令官達も顔を揃えている。殆どが平民、下級貴族の彼らが比較的上位を占める。貴族たちにとっては不本意な景観だろう。

「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護
者、神聖にして不可侵なる銀河帝国フリードリヒ四世陛下の御入来」
式部官の声に頭を深々と下げる。

ゆっくりと頭を上げると皇帝が豪奢な椅子に座っていた。そして俺の名が呼ばれる。
「宇宙艦隊副司令長官、ローエングラム伯ラインハルト殿」

周囲の視線を感じながらゆっくりと歩き、玉座の前に立ち、片膝をついた。
「ローエングラム伯、カストロプの反乱は鎮圧したそうじゃの。反乱軍討伐の前に幸先の良い事じゃ」

周囲からざわめきが起こる。
「恐れ入ります。これも陛下の御威光の賜物でございます」

「しばらく、しばらくお待ちいただきたい」
「陛下の御前である、無礼であろう、シュターデン大将」
「いささか、疑念がございます。リヒテンラーデ侯、なにとぞ」

シュターデン大将が転がるように前に出て口を出し始めた。相変わらずこの男か、余程俺や司令長官が目障りだと見える、愚かな……。

「疑念とは何事か、シュターデン、申してみよ」
「恐れながら、カストロプの反乱が鎮圧されたとは真で御座いましょうか?」
皇帝の許しを得てシュターデンが話し始めた。

皇帝の表情に僅かに面白がっているような色が見えたのは気のせいではあるまい。
「昨日、ローエングラム伯から報告があった」
ざわめきと共に視線が俺に集まる。決して好意的とは言えない視線だ。

「臣は反乱は鎮圧されておらず、鎮圧軍は敗退したと聞いています」
シュターデンはそう言うと俺を睨み付けた。
「ローエングラム伯、陛下に偽りを申されるか!」

「妙な事を言われる。小官を侮辱なされるのかな、シュターデン大将」
「黙れ! 鎮圧軍はアルテミスの首飾りの前になすすべも無く敗退したと聞いている。陛下を愚弄するか!」

勝ち誇ったように言葉を吐き出すシュターデンが何処か可笑しかった。思わず笑いが漏れた。それを聞いたシュターデンが更に激昂する。
「何が可笑しい!」

「卿が可笑しいのだ。シュターデン大将」
「な、なんだと」
「鎮圧軍が敗れたと言う証拠が何処にある? 誰がそのような事を言ったのだ?」


「証拠? 誰がだと、それは……」
答えられんだろう、シュターデン。お前はブルクハウゼンにその話を聞いた。ブルクハウゼンとマクシミリアンが繋がっているのも気づいているだろう。だがブルクハウゼンの名は出せまい。

「答えられぬか。証拠も無しにつまらぬ噂で私を侮辱するか! シュターデン」
「……」
シュターデンは悔しげな表情で俺を睨むが、滑稽なだけだ。

「卿に教えた人物を当てて見せよう、ブルクハウゼン侯爵、前へ出られよ」
名を呼ばれたブルクハウゼン侯爵が周囲の視線を浴びおどおどしている。
「出られよ、ブルクハウゼン侯爵」

再度の俺の声に渋々といった感じでブルクハウゼンは前に出た。
「ブルクハウゼン侯、妙な噂を流してもらっては困りますな」
「何の話だ」

「鎮圧軍が敗れたなどと言うデマを流されては困ると言っています」
「……」
「反逆者、マクシミリアン・フォン・カストロプから聞きましたか?」

「何の話だ、私はマクシミリアンとは話などしていない。卿こそ、陛下に対し虚偽を言うのは許されんぞ!」
痛いところを突かれたのだろう。むきになって言い返してきた。

「ほう、マクシミリアンとは話していませんか?」
「もちろんだ。誰が言ったのかは知らぬが迷惑だ!」
俺は密かに持っていた音声再生機のスイッチを入れた。

「ブルクハウゼン侯、鎮圧軍はアルテミスの首飾りの前になすすべも無く敗れたぞ」
「そうか、敗れたか」

「他愛ないものだ。あのような奴ら恐ろしくもなんとも無いわ」
「これでリヒテンラーデ侯を揺さぶる事が出来る。ヴァレンシュタインが敗れたとなれば侯の力も弱まるだろう。いま少しの辛抱だ。もう直ぐ侯を失脚させ私が国務尚書になる。そうすればマクシミリアン、卿の反乱も取り消されよう……」

静まり返った黒真珠の間にブルクハウゼンとマクシミリアンの声が流れる。ブルクハウゼンの顔面は蒼白だ。シュターデンも青くなっている。

「ブルクハウゼン侯、陛下の御前で嘘はいかんな、随分と親しいようではないか」
「……リヒテンラーデ侯、わ、私は」
「ローエングラム伯、他にもマクシミリアンの友人が居よう、皆に紹介してはどうじゃ」

皮肉そうな口調でリヒテンラーデ侯が言葉を続ける。顔には酷薄と言っていい笑みが浮かんでいた。俺はジンデフィンゲン伯爵、クロッペンブルク子爵 ハーフェルベルク男爵の名を呼んだ。

逃げようとしたが予め配備していた憲兵隊に囚われ、突き出された。
「どういうことだ、何故我々が……」
「まだ分らんか、困ったものだ。カストロプは落ちた、マクシミリアンは命惜しさに卿らを売った。そういうことじゃ」

喘ぐ様に言うブルクハウゼンに呆れたような表情でリヒテンラーデ侯が答えた。黒真珠の間がどよめく。彼方此方で顔を寄せ合って話す姿がある。

「ば、馬鹿な、そんなことが、首飾りは……」
「何の役にも立たん。ヴァレンシュタインは一人の犠牲者も出さずにあれを落としたわ」

リヒテンラーデ侯の言葉に今度は黒真珠の間が凍りついた。そんな様子が可笑しかったのか侯は笑いながら言葉を続ける。
「イゼルローンでさえ落ちた。難攻は有っても不落は無い、ヴァレンシュタインはそう言っておったの」

「ブルクハウゼン、その方らはヴァレンシュタインの掌で踊っていたのじゃ。そんな顔をするな。予とて病気の真似事をさせられたのじゃ、全く人使いの荒い男よ。予は寝ていただけだから良いがの、その方らは流石に踊り疲れたであろう、ゆっくりと休むが良い。これからは踊る事も踊らされる事もないからの」

皇帝はそう言うと可笑しくて堪らぬというように笑い始めた。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフの両元帥が皇帝を呆れたような表情で見ていたが、やがて彼らも顔を見合わせ少しずつ笑い始める。

皇帝はそんな臣下を見てさらに上機嫌に笑う。ついには四人が哄笑と言っていい程の笑い声を上げた。凍りついた黒真珠の間で四人の笑い声だけが流れていく……。






 

 

第百六話 出撃

帝国暦 487年8月 4日  新無憂宮 バラ園  ラインハルト・フォン・ローエングラム


ブルクハウゼン侯爵たちを憲兵隊に引き渡した後、あらためて反乱軍討伐の勅令を受けたが、俺は何の感銘も受けなかった。おそらくあの場に居た人間は皆同じ思いだろう。

皇帝と三人の重臣達の凶笑に毒気を抜かれたと言って良い。式典の最後まで上機嫌な皇帝と三人の重臣。一方で顔を青ざめさせた貴族たち。ありえない構図だった。

既に憲兵隊はオーディンにあるフェザーンの弁務官事務所を急襲している。これでルビンスキーはオーディンにおける耳目を失った。帝国内で何が起きているか、判るまい。

これから宇宙艦隊は反乱軍迎撃に動く。帝都が空になる以上それなりの手配りがいる。オーディンでは反逆者マクシミリアンに通じるものが居たとして、憲兵隊が厳戒態勢を取り始めた。

さらにリューネブルク中将率いる装甲擲弾兵第二十一師団は東苑と南苑の間に部隊を展開した。リューネブルクはヴァレンシュタイン司令長官の腹心と言って良い。そのことは貴族たちも充分に分っている。彼らが妙な動きをすることは無いだろう。

宇宙艦隊司令部に戻ろうとするとリヒテンラーデ侯が俺を呼び止めた。
「ローエングラム伯、陛下が卿をお召しじゃ」
「陛下が?」

「うむ。バラ園に来るようにとの事じゃ」
“バラ園”つまり非公式ということか。一体何のようだ? 先程の光景を思い出すと余り会いたくは無い。

しかし、嫌だとも言えない。そんな俺の内心を見透かしたのだろうか、リヒテンラーデ侯が何処か面白そうな表情で俺を見ている。喰えない爺様だ。

リヒテンラーデ侯と別れバラ園に向かう。皇帝は時折バラ園に臣下を呼ぶ。呼ばれるのはごく僅かな一握りの臣下だ。皇帝の信頼厚い文武の重臣達。俺も今回その仲間入りという事か。喜ぶべきか、悲しむべきか……。

考えてみれば、ヴァレンシュタイン司令長官は未だ大将にもならぬ内からバラ園に呼ばれていた。皇帝から見て信頼できる臣下だったのだろう。

バラ園に赴くと皇帝はバラの花を楽しそうに見ていた。俺が来たのに気付いていないはずは無い。だが皇帝はバラだけを見ている。俺は皇帝の傍に近づき片膝をついた。

「陛下、リヒテンラーデ侯より御呼びと伺いましたが?」
「うむ。ご苦労じゃな」
俺の頭上から皇帝の声が降りてくる。改めて思った、こんな声だったか? いや、確かに皇帝の声だ、しかし何処か微妙に違うような気がする。何だ?

「武勲を期待しておるぞ、ローエングラム伯」
「ありがたき御言葉、臣の全力を尽くします」
「うむ」

通り一遍の挨拶で終わりだ。どうやら皇帝の気まぐれだったらしい。そう考えていると、また声が降ってきた。

「前回の敗戦よりうるさい事を申す者どもが居っての。ローエングラム伯爵家は武門の名流、そちには荷が重かろうとな」
「……」

「爵位とか地位とかは功績の結果というのが彼らの主張でな。それも此度の戦いで勝利を収めれば不満を持つ者も口を噤もう」
「恐れ入ります」

笑いの混じった声が耳に入る。これが言いたかったのか、つまり二度と負けるな、そう言う事だな。言われなくとも負けはしない。

「伯爵家など誰が継ぎ、誰が絶やしても大した事ではないのだがな。大した事だと思い込んでいる愚か者の多いことよ」
「……」
信じられない言葉だった。俺は思わず顔を上げ皇帝を見た。

フリードリヒ四世は俺の視線に気付く事も無く、バラの花びらを指先で撫でている。口元には笑みが有る。何かが違う。皇帝に何が有った? まさか替玉? そんなはずは無い、だがこの違和感は何だ?

「それにしても惜しい事をしたの。もう少し待てばそちを公爵にしてやれたわ」
「公爵……でございますか?」

どういうことだ? 公爵? 何を考えている?
「うむ、カストロプ公爵家よ。そちが望むのなら今からでも継がせるが、どうかな」
俺を試しているのか? そんなはずはない。この凡庸な男に俺を試せるなど……、そう思った瞬間ブルクハウゼン侯爵の姿が脳裏に浮かんだ。

「ありがたき仰せながら、臣にとっては伯爵位でさえ身に余る地位でございます。公爵など、いわば雲の上の身分、臣の手の届く所ではございません」

頭を下げながら答えると皇帝は何を思ったかクスクスと笑い声を立てた。そして上機嫌な皇帝の声がまた耳朶に響く。

「ヴァレンシュタインにの、貴族になる気はないかと訊いたことがある。正確にはある人間を通して男爵家を継ぐ気はないかと訊いたのだが」
「……」

ヴァレンシュタインを貴族に? 男爵家を継がせる? 妙な話だ、そんな話は聞いたことがない。宮中でも噂にならなかった話だ、本当なのか? だとするとかなり口の堅い男が動いた……。つまり本気だったという事か。

「あれがなんと答えたか、そちは分るか?」
「……臣には、なんとも」
思わず歯切れの悪い答えになったが、実際どう答えて良いか判らなかった。

ヴァレンシュタインには出世欲は感じられない。どう答えても的外れになりそうだ。
「よい、思うところを言ってみよ」

皇帝の声には俺を試すような毒は感じられなかった。何処までも楽しげに聞いてくる。

「判らぬか、ヴァレンシュタインはの、貴族になりたいとも、貴族になる事が名誉だとも考えた事がないそうじゃ」
そう言うと皇帝はおかしくて堪らぬと言わんばかりに笑い始めた。

「爵位にこだわる愚か者どもに聞かせたいの。この帝国の司令長官が貴族になる事を名誉とは考えておらぬと」
「……」

彼ならそう答えるかもしれない、俺はごく自然にそう思った。俺がローエングラム伯爵家を継いだ事さえ、彼にとっては笑止な事だったろう。俺はミューゼルの姓を名乗りたくなかっただけだが……。

「皆どう思うかの、驚くか、怒るか、気が狂ったと思うか……、そちは驚いてはおらぬようじゃの」
「……そのような事は……」

まるで悪戯が見つかった子供のように身を竦めた。皇帝は変わった、何が有ったのかは分からない。しかし間違いなく変わった。此処にいるのは俺の知っている凡庸なフリードリヒ四世ではない……。

「どうかな、予はこう思うのだ。いっそあれに皇帝位を譲ってみるかと」
「陛下……」
「名誉に思うかの」

皇帝の突拍子もない問いに俺はまじまじと皇帝を見た。皇帝位を譲る? 何の冗談だ? しかし皇帝は笑いを収め生真面目な表情で訊いてくる。
「……臣には分りませぬ」

「そうか、そちはどうじゃ。皇帝になりたいとは思わぬか」
「とんでも御座いませぬ。皇帝など、夢にも考えた事は有りませぬ」
そう答えると、皇帝は弾ける様に笑い出した。

「そうか、夢にも考えた事はないか」
「……」
気付かれているのか? 背中に冷たい汗が流れるのが分る。

「顔色が悪いの、ローエングラム伯。予が変わったのが不思議か?」
「いえ、そのような事は」
皇帝は何処までも楽しげだ。

「予の命はの、年内で尽きるそうじゃ」
「!」
思わず俺は皇帝を見た。だが皇帝は穏やかに笑っている。聞き間違いか?

「ヴァレンシュタインがそう言ったのじゃ」
「……」
聞き間違いではなかった。やはりヴァレンシュタインは皇帝の寿命は年内で尽きると考えている。

しかし、それを皇帝に言ったのか? 皇帝から咎めを受けなかったのか。皇帝とヴァレンシュタインの間には何が有る? ただの君臣では有り得ない事だ。

「残り半年で命が尽きる。ならば残り半年、好きなように生きる。そう思ったとき、予から全ての枷が外れたわ」
「……」

「楽しいの、生きるという事がこれほど楽しいとは思わなんだ。おまけに楽しませてくれる男が居るからの」
「……」

「出来る事ならいま少し生きたいの。そちやあの男の生き様をもう少し見たいものじゃ……、未練じゃの。いや、予は年を越しても生きているかもしれん。その時は、あれに罰を与えねばなるまい、予を騙したのだから」
そう言うと皇帝はまた笑った。皇帝は何処までも上機嫌だ。俺はただ上機嫌な皇帝を見続けた。

一頻り笑うと皇帝は表情を引き締め、重々しい声を発した。
「ローエングラム伯、行くが良い、武勲を期待しておるぞ」
「はっ。必ずや、陛下の御期待に沿いまする」
俺は頭を下げ、立ち上がると足早にバラ園を離れた。


帝国暦 487年8月 4日  オーディン 宇宙艦隊司令部 ラインハルト・フォン・ローエングラム


宇宙艦隊司令部に戻ると各艦隊司令官が既に出撃の命を待っていた。
「これより、反乱軍迎撃に向かう」
メルカッツ、ケスラー、メックリンガー、クレメンツ、アイゼナッハ、ルッツ、ワーレン、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラーがそれぞれの表情で頷く。

「反乱軍がこのオーディンに向かって進んでいる事は判っている。我々は、ヴァレンシュタイン司令長官の計画に従いシャンタウ星域で反乱軍を待ち受ける事になるだろう」

「既にヴァレンシュタイン司令長官はリヒテンラーデ経由でシャンタウ星域に向かっている。シャンタウ星域で帝国軍の総力をもって反乱軍を撃滅する。」
「はっ」

「待て、戦勝の前祝だ」
俺は、出撃しようとする彼らを呼び止め、女性下士官たちにワインを配らせた。

「勝利は既に確定している。この上はそれを完全なものにせねばならぬ。反乱軍を生かして還すな。その条件は充分に整っているのだ。卿らに大神オーディンの恩寵あらんことを。プロージット!」
「プロージット!」

ワインを飲み干すと慣習に従ってグラスを床に叩きつけた。グラスが粉々に砕け散る。反乱軍もこのグラスと同じように粉々になるだろう……。


 

 

第百七話 狂える獣

帝国暦 487年8月 4日  フェザーン ニコラス・ボルテック


「大変です、自治領主閣下。オーディンの弁務官事務所との連絡が途絶えました」
「!」

ルビンスキーは睨むような視線で俺を見た。そして眉を寄せ押し殺したような声で
「ボルテック、ブルクハウゼン侯と連絡は取ったか」
と問いかけてきた。

「残念ですが侯とは連絡が取れません。侯だけでは有りません、ジンデフィンゲン伯爵、クロッペンブルク子爵 ハーフェルベルク男爵もです」

「ローエングラム伯の出征前に手を打ったか……。どうやらこちらの動きを読んでいるようだな」
呟くような声だった。

「マクシミリアンとは連絡が取れました。帝国軍は相変わらず、カストロプを囲んでいると」
「嘘だな」
「!」

ルビンスキーは俺の言葉をさえぎるように声を発した。
「弁務官事務所もブルクハウゼン侯達も帝国の手で取り押さえられたのだ。情報源はマクシミリアンだろう。そうでもなければ、手際が良すぎる」

「マクシミリアンが降伏したということですか? アルテミスの首飾りが破壊されたと?」
俺の問いにルビンスキーは首を振りながら答えた。

「分らん。あるいは父親を殺したのがフェザーンだと知ったのかもしれん。それで帝国となんらかの取引をした可能性はある……」

確かにそうだ。鎮圧が難しいとなれば、帝国が懐柔に走る可能性は有る。
「マクシミリアンはいつから帝国に付いたのでしょう?」
俺の言葉にルビンスキーは忌々しそうな声で答えた。

「……もしかすると最初から反乱などなかったのかもしれん」
「どういうことです?」

「帝国とマクシミリアンがフェザーンをそして同盟軍を嵌めるために一芝居打ったと言う事だ」
ルビンスキーの忌々しそうな口調は続く。

「まさか……」
「父を殺したのがフェザーンだと知ればその可能性はある。しかし、今の問題はヴァレンシュタインが何処に居るかだ。カストロプには居るまい。同盟軍の迎撃に向かったとすれば……」

ルビンスキーは一点をじっと睨みすえた。彼の見据えているものは何なのか? ヴァレンシュタイン? この戦争の結末? それともフェザーンの行く末か?

「……」
「ボルテック、同盟に一報入れておけ。カストロプの反乱は鎮圧された模様。ヴァレンシュタインは同盟軍の迎撃に向かったと思われると」
「はい」



宇宙暦796年8月 6日  イゼルローン要塞 司令室 ドワイト・グリーンヒル


「総司令官閣下、ハイネセンより連絡が有りました」
「うむ」
「帝国内の反乱は鎮圧された模様。ヴァレンシュタインは同盟軍の迎撃に向かったと思われる。注意されたし、との事です」

一瞬にして司令室内に沈黙が落ちた。無理も無いだろう、帝国軍五個艦隊、六万隻を超える艦艇が行動の自由を得たのだ。それがローエングラム伯率いる迎撃軍に合流すれば二十万近い大軍になる。味方はその七割程度の戦力しかない。

「艦隊を後退させるべきではないでしょうか、このままでは優勢な敵とぶつかる事になります」
「……」

ドーソン総司令官は目を激しく瞬かせながら周囲を見渡した。自分では判断できないのだろう。どうしてこの男が総司令官に、宇宙艦隊司令長官になったのか……。

政治家達が彼を選んだのだが、これ程の不適格者はいないだろう。忌々しいことに軍の人事は政治家たちの勢力争いに利用されている。

軍が政治に関与するなというのなら、政治も軍を政争に巻き込むなと言いたい。一体どれほどの人間を馬鹿げた政争の犠牲者にすれば気が済むのだ。

「小官は反対です。むしろ前進すべきです」
「フォーク准将、貴官は何を言っている。味方が劣勢な状況に有るのだぞ、分っているのか」

「総参謀長、むしろ各個撃破の好機です。そのためにも急ぎ進撃し、敵の合流を阻むのです」
「戦いが長期化すれば、敵が合流する。危険すぎる、退くべきだ」

戦いが常に自分の思うように動くとは限らない。常に最悪の場合を想定して動くべきなのだ。最悪の場合、味方は二十万近い敵と戦う事になる。

まして味方は敵地に攻め込んでいるのだ。地の利を得ていないことも、補給線が常に分断の危機にあることも忘れるべきではない。敵地で孤立した軍隊が勝つことなどありえない。

そのことを私は周囲に説いた。だが説きつつも無力感を感じざるを得なかった。遠征軍総司令部の人間は私を信用していないのだ。フレデリカがヤン中将の副官を務めている事が影響している。

彼らにとって敵とは帝国軍のことではない。イゼルローン要塞攻略で宇宙艦隊司令部の顔を潰したヤン中将たちなのだ。そして私は憎むべき敵ヤン中将に愛娘を差し出した裏切り者にすぎない。馬鹿げている。敵と味方の区別も付かない愚か者たちが司令部を構成しているのだ。

「恐れる必要は有りません。ローエングラム伯は用兵家としては見るところは有りません。前回のイゼルローン攻略戦がそれを示しています。それに人望も無い。部下たちが彼の指揮に従うとも思えません」

「それに、ヴァレンシュタインも艦隊指揮の経験の無い素人です。おまけに病弱でまともに艦隊指揮など出来るわけがありません。各個撃破のチャンスです」

馬鹿な、何故そんな考えが出来るのだ。ヴァレンシュタインはミュッケンベルガーの腹心といわれた男だ。彼の恐ろしさは、第六次イゼルローン要塞攻防戦で嫌というほど思い知らされた。フォーク准将、貴官もその一人だろう……。

「うむ、フォーク准将、貴官の言うとおりだ。全軍を前進させるのだ」
「閣下、それは」
「総参謀長、貴官は帝国軍と戦うのが嫌なのかね?」

総司令官が顔面を歪めながら問いかけてきた。口調には一片の好意も無い。無力感が私の心を占領する。総司令官に信頼されない総参謀長など何の意味があるのだろう。

「そうでは有りません、ただ……」
「だったら黙っていたまえ、消極的な意見など私は聞きたくない」
「……」

ドーソン総司令官は不機嫌そうな声で私を拒絶すると顔を私から背けた。その様子をフォーク准将が嫌な笑いを浮かべて見ている。私は屈辱よりも娘を助けてやれないことへの罪悪感、死んだ妻に対するすまなさに苛まされていた。

フレデリカ、すまない、お前を助ける事が出来ない。フランシア、頼む、私達の娘を守ってくれ、必ず生きて私の元に戻してくれ。


帝国暦 487年8月 6日  オーディン ヘルマン・フォン・リューネブルク


「今の所は何も問題は無いな、リューネブルク中将」
「そうですな」
「何時までこの警備が続くのやら」

モルト中将はそう呟くと溜息をついた。ローエングラム伯が出兵し、宇宙艦隊の正規艦隊が全てオーディンを離れた。この間オーディンの治安は憲兵隊と装甲擲弾兵第二十一師団に委ねられた。

今、俺とモルト中将はTV電話でお互いの状況を報告している。全く問題は無い。近衛師団、装甲擲弾兵も早々にこちらに協力を申し出てきた。帝都オーディンはこれまでに無いほど完全に守られていると言って良い。

近衛兵総監ラムスドルフ上級大将、装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将もあの黒真珠の間に居た。皇帝と三人の重臣達の狂態を目の当たりにしたのだ。そのことが彼らを従順にさせている。

「モルト中将、遅くとも今月中には終わりますよ。まあ、司令長官が勝つのを待ちましょう」
「そうだな。待つしかないな」

今現在、憲兵隊を率いているのはモルト中将だ。クラーマー憲兵総監が更迭された後、憲兵総監はエーレンベルク元帥が兼任している。万一の場合にはヴァレンシュタイン司令長官が憲兵副総監を継ぐはずだった。

しかし司令長官が出兵した事で、モルト中将が代わりに憲兵隊を指揮している。切れるタイプではないが、誠実で信頼の置ける人物だ。この職には打って付けだろう。ただ、臨時の代理という事で本人はやりづらいのかもしれない。

「大丈夫ですよ、モルト中将。司令長官は必ず勝ちます。今の司令長官には大神オーディンも逃げますよ」
「大神オーディンも逃げるか……。本当にそうであって欲しいよ」

俺は嘘を言っているつもりは無い。俺が大神オーディンなら今の司令長官と戦おうとは思わない。俺は本気のヴァレンシュタインの恐ろしさを良く知っている。

ヴァンフリートの会戦で出会ってから二年になるが、ずっと見て来て分った事がある。ヴァレンシュタインは有能ではあるが、どちらかと言えば甘いところのある男と言って良い。その彼が、ある一点に関しては酷く警戒心が強くなる。

自分の命が危険に晒された時だ。普段甘いところのある彼が、生き延びると言う生物の本能を剥き出しにする。彼の中で普段は眠っている凶暴な獣が目覚めるのだ。その獣は異様なまでに嗅覚が鋭い。

ヴァンフリートで何故あれほどまでにミュッケンベルガーの意に背くような事をしたのか? 生き延びるためだ。俺はあのグリンメルスハウゼン艦隊にいたから分っている。

あの艦隊は酷かった。司令官は凡庸な老人、参謀、分艦隊司令官は役立たずな貴族で艦隊行動がやっとの有様だった。戦争などとても無理だ。だがその部隊を前線に出した。

そのことがヴァレンシュタインの警戒心を、彼の中の獣を呼び起こした。

ヴァンフリート会戦で勝っても喜ばなかったのは何故か? 生き延びる確証が得られなかったからだ。事実その後にヴァンフリート4=2の戦いが起きている。

勝利後の将官会議でミュッケンベルガーの不機嫌にも動じなかったのも 彼にとって大事なのは生き延びる事であって出世では無かったからだ。ミュッケンベルガーの不興など何ほどのことでもなかったろう。

彼がローエングラム伯を地上戦に投じたのもその所為だろう。生き延びる事に全能力を傾けている彼にしてみれば、個人的な武勲に一喜一憂しているローエングラム伯など憎悪の対象でしかなかったのではないだろうか。

生き延びると言う事の難しさを地上戦で学んで来い、そんな思いではなかったか……。


同盟は誤った。イゼルローン要塞の奪取はもっと後にすべきだったのだ。皇帝が死に、帝国が内乱状態を防ぎ安定した後だ。それまでは帝国軍など、おそらくはローエングラム伯の出征だろうが適当にあしらっておけばよかった。

ヴァレンシュタインの凶暴な獣は眠っていたのだ。地位が上がり、事実上宇宙艦隊を支配していた事が獣を安らかな眠りに誘っていた。そのまま眠らせておけば良かったのだ。

しかし、先日イゼルローン要塞を落としたことで獣は目を覚ました。皇帝が死に、内乱状態になった時点で同盟軍が攻め込んできたらどうなるか? フェザーンが同盟に与したらどうなるか?

鋭い嗅覚は危険を察知した。獣は恐怖したのだ、そして狂った。自分を殺そうとしているものが居ると。殺される前に殺せと。そして今、獣はフェザーンを追い詰め、同盟を鋭い牙で噛殺そうとしている。

同盟の損害が多ければ多いほど、流れる血が多ければ多いほど獣は喜ぶだろう。流れた血に身体を浸しながら、その血臭に歓喜の声を上げるに違いない。そして安らかに眠るのだ。

ヴァレンシュタインは苦しむだろう。獣が眠った後、その犠牲の多さに苦悩するに違いない。自分のしたことに苦しむに違いない。だが俺は助けようとは思わない。俺の助けなど何の役にもたたんだろう。

俺に出来る事はただ一つ。彼と共に流れた血に身体を浸しながら、その血臭に歓喜の声を上げるのだ。自分だけが特別なのではない、そう思うことが彼を苦しみからは救えなくとも孤独からは救うだろう……。


 

 

第百八話 両軍接触

宇宙暦796年8月 7日   第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


艦隊はアムリッツアを抜けボーデン星系に向かっている。先行するウランフ艦隊はボーデン星系に達した頃だろうか……。ヴァレンシュタイン司令長官が帝国内の反乱を鎮圧したと総司令部より連絡が有ったのは一時間前だった。

敵は新たに五個艦隊が動員可能になった。総司令部は撤退の指示を出すかと一瞬期待したが、総司令部の指示は更に前進し、敵を各個撃破せよとのものだった。困難な命令といって良い。それ以来艦橋の雰囲気は暗いものになっている。

最初にぶつかる敵でさえ味方と同数かそれ以上の兵力を持つ。それを撃破した上でヴァレンシュタイン司令長官率いる五個艦隊を撃破する……。どう見ても不可能としか思えない。

最初の戦いで勝てるという保証が何処に有るのか。長期戦になれば敵の兵力は増え味方が危険な状況になるとは考えないのか? いや、大体ヴァレンシュタイン司令長官が反乱鎮圧に梃子摺っていたのは本当なのか?

タイミングが良すぎる。各個撃破できると思わせるため鎮圧を遅らせたと考える事は出来ないだろうか。あるいはもっと早く鎮圧しておき、鎮圧の報告を遅らせたか……。

ヴァレンシュタイン司令長官が行動の自由を得たのはもっと前の可能性が有る。となると敵は最初から合流してくるか、あるいは彼が別働隊として同盟軍の側面、あるいは後背を衝くのではないだろうか。

「グリーンヒル中尉、帝国の星系図を出してくれないか」
「はい、閣下」
スクリーンに星系図が表れる。

オーディンからカストロプは往復で六日はかかる。五個艦隊を動かしたのだ、反乱の鎮定は短期間に終わったのではないだろうか。鎮圧に二日掛けたとすれば、先月の二十六日に反乱鎮圧に向かったヴァレンシュタイン司令長官は今月の二日、遅くとも三日にはオーディンに戻っている。

ローエングラム伯がオーディンを出たのは四日、合流するのは可能だ。
「ヤン提督、何をお考えです?」
訝しげな表情でムライ参謀長が問いかけてきた。気が付けば皆が私を見ている。

「いや、どうも腑に落ちなくてね」
「?」
私の答えに皆顔を見合わせてから、こちらを見る。

「ヴァレンシュタイン司令長官は反乱鎮圧に本当に今まで梃子摺ったのだろうか」
「……もっと早く鎮圧されたと提督はお考えですか?」
パトリチェフ大佐の問いに私は頷き、先程から考えていた事を話し始めた。

私が話しを進めるにつれ、皆の顔が青ざめてくる。合流すれば二十万近い敵と戦う事になるのだ、青ざめもするだろう。

「戦場はおそらくシャンタウ星域になるだろう。もし、帝国軍が合流してせめて来るなら二十万近い敵と戦う事になる」
「……敵が別働隊を用意する可能性はないでしょうか? リヒテンラーデ、トラーバッハ、そしてシャンタウ……」


「ラップ少佐の言う通りだ。敵が別働隊を用意する可能性もある。その場合、ざっと二十日はかかるだろうね」

「八月の二十四日から二十五日にはシャンタウ星域に着くというわけですね」
「そうなる」

私とラップの会話に皆の表情が更に青ざめた。同盟は二十万を超える敵を一戦で打ち破るか、各個撃破しなければならなくなった。
「総司令部は本当に各個撃破が可能だと考えているのでしょうか?」
「……」

ムライ参謀長の言葉に誰も答えない、私も答えられない。総司令部は勝てると判断しているのではあるまい。勝てると盲信しているだけだ。九個艦隊を動かした事が総司令部を退けなくしている。

あの馬鹿げた噂、ローエングラム伯は無能でヴァレンシュタイン司令長官は経験が無いという馬鹿げた噂に縋っているのだろう。

司令部に意見を具申しよう。このままでは敵の思う壺だ。ビュコック、ウランフ、ボロディン、そして私。四人の連名で総司令部に意見具申をする。出兵している司令官のほぼ半数が危険を訴えるのだ。

総司令部も少しは考えてくれるだろう。それにグリーンヒル総参謀長ならこの危険が判っているはずだ、きっとこちらの意見を支持してくれるに違いない。グリーンヒル中尉をみすみす死地に追いやるような事はしないだろう。

最悪の場合、撤退は無理でも進撃するのではなく、何処かの星系で待ち受ける形に出来ないだろうか。それだけでも敵の思惑を外せる。かなり違うはずだ。


帝国暦 487年8月14日  シャンタウ星系 帝国軍 ローエングラム艦隊旗艦ブリュンヒルト  ラインハルト・フォン・ローエングラム


そろそろ敵と出会う頃だろう、そう思うと心地よい緊張が全身を包む。イゼルローン要塞陥落後、正直に言えば二度と戦場に立つ事はないだろうと覚悟した。だがこうして大艦隊を率いて雪辱の機会を得ている。

無理をすることなく勝てるだろう。これから始まる戦いに俺は何の不安も持っていない。唯一不安が有るとすれば敵が逃げてしまうのではないかという事だ。

もっともヴァレンシュタインによれば敵は退きたくても退けない状況になっているそうだ。九個艦隊を動員したことが敵を退けなくしていると彼は見ている。

今回の戦いで俺のなすべき事は勝つ事。自分が決して飾り物の副司令長官ではないと皆に認めさせる事だ。

今の俺は、ヴァレンシュタインの副将でしかない。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥の態度を見れば分る。それだけではない、フェザーンも反乱軍も俺を認めてはいない。

少しずつ自分を周囲に認めさせなければならない。特にヴァレンシュタイン、彼に俺を認めさせる。彼は俺に十一個艦隊を率いさせてくれる、それなりに俺を信頼しているのだろう。だが万全の信頼とは言えない。

今回彼はケンプ、レンネンカンプ、ビッテンフェルト、ファーレンハイトを連れて行った。別働隊の司令官としてはおかしな人選ではない。いずれも攻勢に強い男たちだ。だがそれだけだろうか?

ケンプとレンネンカンプは剛直な男だしビッテンフェルト、ファーレンハイトは攻撃精神の旺盛な男だ。俺では指揮がしづらいだろうと思ったのではないだろうか。

考えすぎかもしれない。しかしそう思ってしまうと言う事は、まだまだ俺は力不足なのだ。俺が望むのは労わられる事ではなく彼に警戒される事だ。

俺に大軍を預けるのは危険だ、そう思われる程の男になりたい。今は無理だ。俺は彼に及ばない。今回の戦いで嫌と言うほど見せ付けられた。反乱軍、フェザーン、そのフェザーンに通じた貴族たち。ヴァレンシュタインは全てを操ってこの会戦を演出している。

戦場で勝つのではなく戦場の外で勝利を確定する。戦って勝つのではなく、勝ってから戦う。彼にとって戦場で戦うのは敵味方にその事実を認めさせることでしかない。

ヴァレンシュタイン自身は当初、戦場に出るつもりはなかった。俺に本隊を率いさせ、別働隊はメルカッツに任せるつもりだった。彼にとってはある一定の能力さえあれば誰が指揮官でも良かったのだ。

能力に自信のある人間ほど自分の力で勝ちを収めたがる。かつての俺がそうだった。イゼルローンでは其処を敵に突かれた。僅か一個艦隊で攻め入ろうとは何を考えていたのか。

今なら自分がどれ程危うい戦いをしていたのか判る。キルヒアイスとも何度も話した。二人で得た結論は自分の武勲に拘る余り戦闘に勝つ事と戦争に勝つ事を混同していたということだ。愚かな話だ。

指揮官の能力に頼るのではない、誰が指揮官でも勝てる戦争を作り出す。その上で有能な人間を指揮官に据える。それが将ではない、将の将たる者の務めだ。これから俺が目指すべき道でもある。

これからだ、これから少しずつ彼との差を縮める。そしていつか追い抜く。そのとき俺の前に道は開けるだろう。皇帝への道が。



宇宙暦796年8月16日  第五艦隊旗艦リオ・グランデ アレクサンドル・ビュコック


総司令部への申し入れは何の意味も無かった。こちらの危惧は極楽トンボとしか言いようのない小僧の楽観論、敵への過小評価の前に拒否された。総司令部に慎重論を唱える人物が居ない事がどうにも不思議じゃ。

ドーソン総司令官にいたってはイゼルローンでの様に独自行動では戦えても宇宙艦隊としては戦えないのかと嫌味を言う始末。とても正気とは思えん。何処か狂っておる。

総司令部はこの危険を認識しておらん。いや認めるのを拒否しておる。九個艦隊を動かした以上、何の戦果も無しに撤退は出来ん、イゼルローン攻略組みの意見など聞きたくない。彼奴等にあるのはそれだけだ。

唯一わしらの意見を真摯に受け止めてくれたのはグリーンヒル総参謀長だけじゃった。総参謀長はこちらの言い分を認め口添えしてくれたが、ドーソン総司令官は顔を歪めて口を出すなと叱責し、周囲の参謀たちは嫌な笑みを浮かべて見ているだけじゃ。

総参謀長は全く孤立しておった。総司令官に対する影響力は欠片もないの。ヤン提督の言う通り、せめて待ち受ける形に変えてくれれば少しは違うのじゃがそれも拒否された。命令は前進して帝国軍を各個撃破せよ、それだけじゃった。

それにしても総参謀長は辛かろう、娘がヤン提督の所に居るからの。何とかしてやりたいが、どうにもならん。全くやり切れんわ。

それにしても厄介な敵ではある。エーリッヒ・ヴァレンシュタインか……。恐ろしいほどに切れる男じゃ。ヴァンフリートではわしもボロディンもまんまとしてやられた。

まさか偽電を使うとは……。後で分ったときには唖然としたものじゃ。これからあの男と戦うのかと思うと気が重いことよ。生きて帰れるじゃろうか。

わしはもう年じゃから死は恐ろしくはない。兵卒上がりで大将にまで出世した、本来あり得ん事じゃ。もう十分じゃ……。待てよ、ここで戦死するとわしは元帥か、たまげたの、軍の階級を全て制覇した事になる。

これもあのイゼルローン要塞攻略のおかげじゃの。あれは楽しかった、全く楽しい戦いじゃった。わしの生涯でもあれほどの完勝はなかった。死んでもあの世で自慢できる。

ヤン・ウェンリーか……、なかなかの用兵家じゃの。シトレ元帥が高く評価するのも分る。あのヴァレンシュタインに対抗できるのは、彼しか居るまい。

出来ればもう一度共に戦いたいものじゃ。こんな馬鹿げた戦いではなく、あの男の描いた戦いで。

「閣下、先行する第十、第十三艦隊から連絡です」
取りとめもないことを考えていると、ファイフェル少佐が緊張した声で話しかけてきた。第十、第十三から連絡か……。どうやら敵が来たか。
「何といってきた」

「敵の偵察部隊と接触、直ちに後退し第十二艦隊と合流されたし、との事です」
「分った、第十二艦隊に連絡。第十、第十三艦隊が敵偵察部隊と接触。直ちに第十艦隊との合流を目指すとな」

どうやら、帝国軍がわしらをもてなそうと出張ってきたらしい。律儀な事じゃ、せいぜい期待に副える戦いをしたいものじゃが、はて、どうなるかの……。





 

 

第百九話 シャンタウ星域の会戦 (その1)

宇宙暦796年8月18日  18:00 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


眼前のスクリーンに巨大な敵軍が映っている。戦術コンピュータがモニターに擬似戦場モデルを映し出す。どちらも両軍が徐々に近づきつつあるのを示している。私はそれを指揮デスクの上に座りながら見ていた。

「敵との距離、百光秒」
オペレータの何処か上ずった声が艦内に流れる。おそらくそれを聞いた兵士たちは緊張の余り掌に汗をかいているだろう。掌を軍服に擦り付け汗をぬぐう者も居るはずだ。しかしもう直ぐ汗を気にする余裕もなくなる……。

彼方此方で兵士たちが顔を寄せ合って会話を交わしている。おそらく自分の緊張を少しでも緩めようというのだろう。戦い前の何時もの光景だ。視線を流して幕僚達を見た。

ムライ、パトリチェフ、ラップ、シェーンコップ、グリーンヒル。一瞬だけで直ぐに視線を戦術コンピュータのモニターに戻した。大丈夫だ、皆でハイネセンに戻る。きっと戻る。

第十艦隊が敵の偵察部隊と接触した後、間を置かず第十三艦隊も偵察部隊の接触を受けた。より正確に言えば第十三艦隊は偵察に出した部隊が敵の偵察部隊と接触したという事だが。

接触後第十、第十三艦隊は後続の艦隊、総司令部に連絡すると共に後退を実施、第五艦隊、第十二艦隊と合流し後続の艦隊を待った。全艦隊が集結するまでに約一日半かかっている。敵が攻めてこないのが不思議だった。艦隊が集結するまでにこちらからも偵察部隊を出し敵の索敵に努めた。

その結果分った事は敵は十一個艦隊、約十四万隻に近い大軍だという事だ。こちらは九個艦隊、約十三万隻。有利ではないが不利ではない、そう言えるだろう。索敵報告を聞いた総司令部の命令は敵との会戦を命じるものだった。

“別働隊が来る前に眼前の敵を撃破せよ”

おそらく我々の前に居る敵部隊にはヴァレンシュタイン司令長官は居ない。こちらを油断させるために別働隊になったはずだ。五個艦隊、六万隻以上の敵がこちらに向かっている。


「敵軍、イエロー・ゾーンにさしかかります」
幾分震えを帯びたオペレータの声が艦内に響く。ベレー帽をぬぎ髪をかき回す。ハイネセンに戻ったら床屋に行かなくてはと思いつつ、ベレー帽を被りなおす。自然と心が引き締まった。 


おそらく二十四日から二十五日には戦場に現れる。その前に前面の敵を破る。総司令部の言うように各個撃破することになるが、後一週間の間に敵を破り体勢を整えなければならない。

遠征軍の艦隊が集結した後、その事を話したが今一つ反応が鈍い。皆別働隊は反乱鎮圧の後始末、更に損害を受けた事での再編、補給等で八月末になるのではないかと言うのだ。まともに聞いてくれたのはビュコック、ボロディン、ウランフの三提督だけだった。何時もの事だ。

もっとも皆自分の陣を何処に置くかで頭が一杯だったのかもしれない。総司令部は遠方に有りながら遠征軍を指揮しようとしている。アムリッツア、ボーデン、ヴィーレンシュタインに通信を中継する艦を置き指揮するようだ。


「敵軍、イエロー・ゾーンを突破しつつあり……」
オペレータの囁くような声に軽く右手を上げる。もう少しだ……。


おかげで私達の傍には誰も寄り付きたがらない。総司令部が私達に無茶な命令を出すのは分かっている。巻き添えを食いたくない、そう言うことだ。自然、布陣は右翼から第十三、第十、第五、第十二、第四、第一、第七、第八、第二の布陣と成った。

ボロディン提督の左隣はモートン中将になる。士官学校卒業ではないため割を食ったらしい。後の世の歴史家たちがこの会戦をどう評価するのか、是非生き残って知りたいものだ。歴史上もっとも無責任に行なわれた遠征と評されるだろう。


「敵、完全に射程距離に入りました!」

悲鳴のようなオペレータの声に右手を振り下ろした。
「撃て!」

光の束が暗黒の宇宙を切り裂き、帝国軍へ襲い掛かる。帝国軍からも同じように光の束がこちらへ向かってくる。両軍で光球が炸裂し、眩しいほどの光がスクリーンを支配する。シャンタウ星域の会戦、そう呼ばれるであろう戦いが始まった。



帝国暦 487年8月18日  18:00 帝国軍 ローエングラム艦隊旗艦ブリュンヒルト  ラインハルト・フォン・ローエングラム


帝国軍、反乱軍、両軍合わせて二十万隻以上の艦船が勝利を得るために戦い始めた。帝国軍の基本方針は決まっている。敵を打ち破るのではなく受身で敵を引き付ける。

いずれヴァレンシュタイン司令長官率いる別働隊が来る。全面攻勢に出るのはそれからだ。それまでは敵をこの場に引き留めなければならない。敵の集結を許したのもその所為だ。一撃で敵を殲滅する。受身の戦いは得意ではないが、勝つためには我慢だ。

「敵ミサイル、接近!」
「囮ミサイル、射出せよ」
「主砲斉射!」

艦内を命令と報告が慌ただしく交錯する。スクリーンの入光量を調整していなければ光球の眩しさで目を開けていられないだろう。ここにいる二十万隻の艦全てで同じような状況が発生しているはずだ。

帝国軍は左からロイエンタール、ミッターマイヤー、メルカッツ、クレメンツ、ミュラー、俺、ワーレン、メックリンガー、アイゼナッハ、ケスラー、ルッツの順で陣を敷いている。

敵は第十三、第十、第五、第十二が右翼を占めている。反乱軍の精鋭部隊と言っていい。特に第十三艦隊はヴァレンシュタイン司令長官が最も危険視した男だ。ロイエンタール、ミッターマイヤーの二人掛りで対応させる。あの二人なら何とかするだろう。

シュタインメッツ、キルヒアイス、オーベルシュタインも黙って戦況を見ている。戦況は今の所こちらの思い通りだ。心配する事は何もない。あとは反乱軍を挟撃し、撃滅するだけだ。



宇宙暦796年8月18日  21:00 第五艦隊旗艦リオ・グランデ アレクサンドル・ビュコック


「閣下、総司令部から命令です」
「うむ」
ファイフェル少佐が緊張した様子で総司令部からの電文を持って来た。どうせ碌な物ではあるまい。

「前進して敵の左翼を攻撃せよ、か」
おそらく第五艦隊だけではあるまい。第十、第十二、第十三にも同様な命令が出ているじゃろう。

総司令部の意図はわしらが敵を崩す事で全面攻勢に出ると言うことか。おそらく左翼には無理はするなとでも命令が出とるじゃろう。わしらがここで戦力を枯渇しても構わん、別働隊は温存した左翼部隊で撃つ、そんなところじゃな。

随分と嫌われたものじゃ。しかし、総司令部の思うとおりに行くかどうか……。とは言っても命令は命令じゃ、動くとするか。
「全艦に命令。二時の方向に主砲斉射、艦隊を前進させよ」


帝国暦 487年8月18日  21:00 帝国軍 クレメンツ艦隊旗艦ビフレスト アルベルト・クレメンツ


敵の第五艦隊が攻勢に出てきた。いや、第五艦隊だけではない。敵右翼が攻勢を強めている。第五艦隊はこちらとメルカッツ提督の間を分断しようとしている。甘く見るなよ、ご老人。

「全艦に命令。敵の先頭部分に砲撃を集中しろ」
俺の命令に従い敵の先頭に攻撃が集中する。しかし敵は退かない! 損害を受けつつも前進してくる。戦意が高い! 流石というべきか。

感心してもいられない。敵がこちらを分断するというなら、メルカッツ提督と連携して、分断される前に第五艦隊を左右から叩くしかあるまい。メルカッツ提督に連絡を入れるか……。

突然敵の艦列が崩れた。メルカッツ提督の艦隊の一部が敵の第五艦隊に攻撃をかけている。決して大規模な攻撃ではない、しかし実に効果的だ。こちらが連絡する前に手を打たれたか、流石だ。

「今だ、全艦に命令、敵を押し返せ」
敵に対し、攻撃を集中する。だが敵は後退しつつも嫌らしいほど柔軟に陣形を変え反撃の機会を狙っている。帝国も反乱軍も老人はしぶとい。



帝国暦 487年8月19日  0:00 帝国軍 ローエングラム艦隊旗艦ブリュンヒルト  ラインハルト・フォン・ローエングラム


戦況は膠着状態になりつつある。先程まで敵右翼の攻勢が激しかった。敵の第五、第十、第十二、第十三が全面的に攻勢をかけてきた。しかも連携が良い、流石に敵の精鋭部隊と言って良いだろう。なんとも激しい攻撃だったが、なんとか凌ぎきった。

メルカッツ、クレメンツ、ミュラーの三人が実に良く連携し敵の攻勢を防ぎきった。三人とも良く周りを見ている。そして非常に柔軟だ。この男たちを打ち破るのは簡単なことではない。敵も理解しただろう。

敵の残存部隊が攻勢をかけてこないのが不思議だった。中央と左翼が攻勢をかけてくればもう少しこちらを押し込めただろう。その中で勝機も見えることが有ったかもしれない。

だが現実には攻勢をかけてこないだけでなく、どちらかと言えば戦意が無い様に見える。何を考えているのか? どうも敵の動きがちぐはぐな感じがする。

それにしても厄介なのは第十三艦隊、ヤン・ウェンリーか。ロイエンタール、ミッターマイヤーを相手にしながら一歩も退かずに戦っている。

さすがに二人を振り切る事は出来ずに居るが、こちらが勝とうとすれば何処かで裏をかかれそうな怖さがある。

日付が変わった。別働隊が戦場に到着するのも間も無くだろう。これからが勝負だ。



帝国暦 487年8月19日  0:00 帝国軍総旗艦ロキ レオポルド・シューマッハ


「閣下、戦場まであと二時間で着きます」
「そうですか」
ワルトハイム参謀長の声に司令長官は穏やかに答えた。

艦隊はカストロプ鎮圧に行くと見せかけてリヒテンラーデに赴き待機した。艦隊がリヒテンラーデを発ったのはローエングラム伯がオーディンを発った日、八月四日だ。

総旗艦ロキの艦橋内の人間たちは、これから赴く戦場の事を考え軽い興奮状態にある。帝国軍だけで二十万隻近い艦隊が集結するのだ。

反乱軍も入れれば三十万隻を越える。興奮するのも無理は無い。そんな中で司令長官だけが何時もと変わらぬ落ち着きを保っている。

総旗艦ロキの艦橋は他の戦艦とは少し違う。普通提督席の傍には会議用の机や椅子はない。参謀たちは提督の傍で立っている。

しかしこの艦は違う。提督席の傍に会議卓と椅子を置き、我々参謀たちが座っている。司令長官の言によれば、傍で立たれているのは落ち着かないらしい。

なかなか座ろうとしないフィッツシモンズ少佐には“足がむくむから座るように”と言い、きつい眼で睨まれていたが、平然としていた。

「閣下、戦場はどうなっているでしょう。味方は優勢に進めているでしょうか?」
「まあ不利ではないと思いますよ、参謀長。それに現時点で勝っている必要は有りませんから無理はしていないでしょう」

司令長官の言葉に皆が頷く。そう、現時点で帝国軍が勝っている必要は無い。大事なのは我々が戦場に着くまで敵を逃がさない事だ。もう直ぐダゴン星域の会戦を超える戦いが始まるだろう。

ダゴンでは帝国が敗れ、反乱軍は勢力を拡大した。今度勝つのは帝国だ。そして反乱軍の勢力は著しく弱まるに違いない。




 

 

第百十話 シャンタウ星域の会戦 (その2)

宇宙暦796年8月19日  0:00 イゼルローン要塞 アンドリュー・フォーク


会戦が始まって六時間が経った。戦線は膠着している。右翼部隊は一体何をやっているのだ! 右翼が敵を崩さなければ左翼が攻勢に出られないではないか! あの役立たずどもが! それとも宇宙艦隊司令部の命令では闘えないとでも言うのか、馬鹿どもが!

司令長官を見ると落ち着かない表情でスクリーンを見ている。役立たずが此処にもいる。自分では何も出来ない阿呆、なぜこの男が宇宙艦隊司令長官なのだ? まあ私の思うとおりに動いてくれるからその点では評価しているが。

それにしてもあの役立たずども、私の経歴に傷を付ける気か? あの程度の敵などさっさと片付けられないのか? 何がミラクルヤンだ、所詮非常勤参謀、ごく潰しのヤンでしかないか。

ローエングラム伯など所詮姉が皇帝の寵姫だから出世できたのだ。ヴァレンシュタインなど地方反乱の鎮圧もままならないほどの無能者ではないか。

グリーンヒル総参謀長も愚か者どもに唆されて、あんな無能者を高く評価するなど何を考えているのか。娘可愛さで見えるものも見えなくなっている。

私、アンドリュー・フォーク准将こそが帝国を倒す男なのだ、同盟は私を称えるべきなのだ。帝国を倒した名将! 史上最高の知将! その呼び名は私にこそ相応しい。ビュコック、ウランフ、ボロディンなど私の引き立て役でよいのだ。

この戦いが終わったら階級も少将を飛び越し中将になってもおかしくない。いや、中将になるべきなのだ。宇宙艦隊総参謀長になり、同盟軍を動かす。作戦参謀など私には役不足だ。そのためにも右翼の役立たずどもの尻を叩かなければ。

「総司令官閣下、右翼にもう一度攻撃を命じましょう。あの程度の敵を崩せないなど、やる気が無いとしか思えません。総司令官の命令を何だと思っているのか」

ドーソン総司令官が顔を歪めながら口を開いた。
「貴官の言うとおりだ。もう一度、敵左翼に対する攻撃を命じろ。私を愚弄するにも程がある。厳しく言うのだ!」

単純な男だ。ちょっとプライドをつついてやれば、簡単に踊ってくれる。プライドほどの能力も無いくせに。ゴミ箱でも覗いていればよいのだ、ジャガイモ士官が。




帝国暦 487年8月19日  2:00 帝国軍総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「前方に敵の大軍を確認。副司令長官率いる帝国軍と交戦の模様」
「残り二百光秒で射程距離に入ります」
震えを帯びたようなオペレータの声に艦内の興奮と緊張は最高潮に高まった。

原作だと四千万個? 五千万個だったかな、機雷群が同盟軍の後背を守っていたんだがここには無い。別働隊が来る事は無いと思ったか、かなり遅くなると判断したようだ。

あるいは同盟軍はフェザーンの情報を鵜呑みにしたのかもしれない。シュムーデ提督もマクシミリアンも良い仕事をしてくれた。それとも帝国軍などたいした事は無いと高を括ったか。

敵はまだこちらの動きに気付いていない。完全に無防備な背中を見せている。こちらの艦隊は横一列の横陣を組んでいる。左からビッテンフェルト、ファーレンハイト、俺、ケンプ、レンネンカンプ。

ビッテンフェルト、ファーレンハイト、攻撃力の強すぎる男達が左翼に揃っている。ルッツ、ケスラー達と敵を挟撃し、そのまま網を手繰り上げるように右翼へ包囲を伸ばす。それ程難しいことではない。楽に同盟軍を殲滅できるだろう。

「参謀長、全艦に命令を」
「は? しかし、それでは敵に気付かれてしまいますが?」
生真面目に心配するワルトハイム参謀長の顔が可笑しかった。思わず笑いが漏れる。

「大丈夫です。この時点で気付かれても敵には打つ手がありません。反って混乱するだけでしょう」
「はっ。では何と」

「最大戦速で突入し敵の左翼を攻撃せよと……それから……」
「? それから?」
「殲滅せよ、司令長官は卿らの武勲を望まず、ただ敵の殲滅を願う、と」

「!」
「どうしました?」
「はっ、直ちに命令します」

ワルトハイム参謀長は俺が過激な事を言うので驚いたようだ。一瞬絶句していた……。この一戦で全てを決める。いずれ来る内乱に手出しはさせない、帝国の手で宇宙を統一する。ここから全てが始まるのだ……。

「オペレータ、全艦に命令、最大戦速で突入し敵の左翼を攻撃せよ、殲滅せよ、司令長官は卿らの武勲を望まず、ただ敵の殲滅を願う」
「はっ」

こちらに気付いたのだろう。戦術コンピュータの擬似戦場モデルに映る同盟軍の動きに乱れが起きた。だがもう遅い、ここで殲滅する。



帝国暦 487年8月19日  2:00 帝国軍ビッテンフェルト旗艦ケーニヒスティーゲル フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト


「閣下、総旗艦ロキより入電」
「うむ」
「最大戦速で突入し敵の左翼を攻撃せよ、殲滅せよ、司令長官は卿らの武勲を望まず、ただ敵の殲滅を願う」

「!」
”司令長官は卿らの武勲を望まず、ただ敵の殲滅を願う”常に穏やかな表情を浮かべている司令長官には似つかわしくない言葉だ。それだけ本気だという事だろう。

グレーブナー、オイゲン、ディルクセンは顔を見合わせ、司令長官の電文の激しさに驚いている。俺はむしろ普段穏やかだからこそ、戦場では誰よりも厳しくなれるのではないかと思うのだが。

「全艦に命令、殲滅せよ! 一隻たりとも帝国から逃がすな!」



宇宙暦796年8月19日   2:00 第二艦隊旗艦パトロクロス
 パエッタ


「後背に敵の大軍!」
「馬鹿な、何の話だ!」
オペレータの絶叫が艦橋に響く。敵だと? 一体何を言っている。

「敵です! 五個艦隊! 総数、約六万を超えます!」
馬鹿な! そんな事はありえない。一体何処の敵だ、ヴァレンシュタインが来る事などありえない。

「どういうことだ、帝国軍は何を考えている?」
「敵は我が軍を挟撃しようとしています!」
「こんなことはありえぬ!」

そうだ、こんなことはありえない。敵はまだオーディンあたりに居るはずだ。何かの間違いだ。

「敵、攻撃してきます!」
スクリーンに火球が次々と誕生し、消え去っていく。味方が次々と爆発していく。

「司令官閣下、どうなさいます」
どうなさいますだと、どうすればいいのだ。
「……第三、第四分艦隊を後背の敵に向けよ!」
「閣下、それでは前方の敵が、第一反転攻撃は」

そんな事は分っている。しかし他に手が無いではないか!
「黙れ、第三、第四分艦隊を後背の敵に振り向けるのだ!」
何故だ、何故こんな事になった、各個撃破するはずではなかったのか……。



宇宙暦796年8月19日   2:00 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


「閣下、敵が」
ムライ参謀長が押し殺したような声で尋ねてきた。パトリチェフ、ラップ、グリーンヒル、皆信じられないような物を見たような顔をしている。

「やられたよ。ヴァレンシュタイン司令長官はカストロプには行っていない。そう見せかけてシャンタウに向かっていたんだ。フェザーンすら欺いてね。全く見事だ」

フェザーンを欺いた? いや或いはフェザーンも帝国に与したか? だとするとこれからの同盟は危険な状態になる。軍事力が低下し、フェザーンも敵に回る。最悪といって良いだろう。

「閣下、そんな事を言っている場合では有りません。どうします?」
ラップが何処か呆れたような口調で問いかけてきた。
「そうだね。まだ逃げるには早そうだ、幸いこちらは挟撃されていないからね」

無残な事になった。味方の左翼は全滅だな、こちらもどれだけ生き残れるか……。


帝国暦 487年8月19日   2:00 帝国軍 ローエングラム艦隊旗艦ブリュンヒルト  ラインハルト・フォン・ローエングラム


反乱軍の左翼は総崩れになった。前方と後方から帝国軍に挟撃され次々と艦列が崩れ爆発していく。スクリーンには圧倒的に敵を叩きのめす帝国軍の姿が映っている。

ブリュンヒルトの艦橋は勝利に沸騰するような喜びを爆発させている。前回、イゼルローン要塞で悔しい思いをした兵がそのまま乗り込んでいるのだ。喜びも一際大きいだろう。

「閣下、ヴァレンシュタイン司令長官より通信です」
オペレータの声と共にスクリーン上にヴァレンシュタイン司令長官の姿が映った。

「ローエングラム伯、待たせましたか?」
「いえ、問題は有りません、敵を挟撃できたのですから」

ヴァレンシュタイン司令長官は穏やかな表情で話しかけてきた。久しぶりに見るが穏やかな表情は少しも変わらない。この戦場にはなんとも似つかわしくない表情だ。

「挟撃している敵はもう終わりでしょう。この後は網を手繰り上げるように徐々に敵を包囲する形にしたいと思いますが」
網を手繰り上げるか、確かにそんな感じだな。

「分りました。小官にも異存は有りません」
「では、伯はこのままそちらの艦隊を指揮してください。私はこちらを指揮します」
俺にこのまま十一個艦隊を指揮させるのか?

「しかし、それは」
「目的が一致しているなら問題ないでしょう。その方が混乱が少なくてすみます。頼りにして良いですね、副司令長官」

「はっ」
妙な男だ、俺はいつか卿の上に行きたいと思っているのだぞ。その俺に十一個艦隊を預けるというのか。頼りにしていると? どうにも掴み切れない男だ。まだまだ及ばない、そういうことか……。

「副司令長官、敵を殲滅しますよ」
「! はっ」
穏やかな表情とは似つかわしくない言葉。確かに目の前に居るのはヴァレンシュタイン司令長官だ。

敬礼と共にスクリーンからヴァレンシュタイン司令長官の姿が消える。
「オペレータ、全艦に命令。敵を殲滅せよ!」






 

 

第百十一話 シャンタウ星域の会戦 (その3)

宇宙暦796年8月19日  2:00 イゼルローン要塞 ドワイト・グリーンヒル


スクリーンには後背から襲われ崩れ立つ左翼部隊と次々と爆発する同盟軍艦艇が映っている。早すぎる。帝国軍の別働隊が来るのはもっと後のはずだ。フェザーンに騙されたのか?

総司令部は凍りついたような沈黙に包まれている。誰も顔を合わせようとはしない。皆この現実を認めたくないのだろう。私が視線を向けると、皆顔を背けるようにして視線を外す。馬鹿どもが! これがお前たちのやったことの結末だ。どう後始末をつけるのだ。

「嘘だ……」
呟くように言葉を出したのはドーソン司令長官だった。椅子に座ったまま口をだらしなく開け呆然とスクリーンを見ている。どうしてこの男が総司令官なのだ? これならロボス大将の方がはるかにましだった。

「総司令官閣下、撤退命令を出してください」
「撤退……」

総司令官は呆けた様な口調で“撤退”と呟いた。その後ようやく正気づいたのか、誰かを探すように室内を見渡す。誰を探しているのかは想像がつく。自分で判断も出来ないのか、馬鹿が……。

「フォーク准将、准将は何処に行った?」
総司令官が探すフォーク准将は総司令官の前にいる。 背中を向けてスクリーンを見ているのがそうだ。それすらも分らなくなっている。

情けなさを押し殺して撤退の許可を願った。
「閣下、撤退命令を出してください。このままでは九個艦隊残らず全滅します。撤退させてください!」
出来るだけ落ち着いて話すつもりだったが最後は叱りつける様な口調になった。

「駄目だ、撤退など許さない。帝国軍を倒すのだ。右翼はどうした、なぜ右翼は敵を打ち破らない。左翼が攻撃に掛かれないではないか。何故右翼は敵を攻撃しないのだ!」

現実無視のあまりの発言に皆がその男を見た、フォーク准将……。私に答えたのは総司令官ではなく、フォーク准将だった。

「別働隊など居ない! ヴァレンシュタインがこんな所に居るわけは無いのだ! 右翼は何故敵を攻撃しないのだ! 私を馬鹿にしているのか!」

「フォーク准将、いい加減にしたまえ! 我が軍の左翼は既に壊滅状態だ。貴官の言う左翼部隊など何処にも無い!」
私が叱り付けると、フォーク准将は体を反転させて私を見た。両目が焦点を失い、顔面が蒼白に成っている。

「嘘だ、有り得ない、こんなの嘘だ、中将が、総参謀長が、あ、あ、ひぃー、ひぃー」
うわ言の様に言葉を呟くと突然顔を両手で覆って悲鳴を上げながら座り込んだ。

余りの異様さに皆怯えたように顔を見合わせた。静まり返った部屋の中にフォーク准将の悲鳴だけが流れる。しばらくの間、彼の悲鳴だけが聞こえた。

「総参謀長、部隊を撤退させてくれ」
消え入りそうな声でドーソン司令長官が撤退を許可した。椅子から立ち上がり、顔を背けるように歩き出す。

「閣下、どちらに行かれるのです?」
「わ、私は、部屋で休む、後は総参謀長に頼む」
こちらを見ることも無く背を丸めて逃げるような姿に思わず怒声が出た。

「それでも総司令官ですか! 総司令官なら最後まで兵に対する責任を果たしてください! 誰が彼らを死地に追い込んだのです!」
ドーソン総司令官は私の怒声から逃げるように部屋を出て行った。

部屋を見渡すと他にも逃げ出したそうな顔をしている人間がいる。いつからこの国は無責任な人間の集まる国になった?
「遠征軍に撤退命令をだせ!」
怒りの所為だろう。思わず声がきつくなった。私の命令とともに固まっていた参謀たちが動き出す。

しばらくして部屋に入ってきた人間がいた。後方主任参謀、アレックス・キャゼルヌ少将だ、部下を連れている。彼はシトレ元帥の副官だった事、ヤン中将と親しい事もあって総司令部の中でも冷遇されていた。

後方支援任務用に部屋を貰い仕事をしていたが、何のことは無い、総司令部へ出来るだけ居るなと言われたようなものだった。もっとも本人はまるで気にしていなかったが。

「総参謀長、遠征軍が酷い状況になっていると聞きましたが?」
「見ての通りだ」
「これは!」

キャゼルヌ少将はスクリーンを見て一瞬唖然としたが、気を取り直して問いかけてきた。
「総参謀長、撤退命令は?」
「先程出した」

「それは補給部隊にもですか?」
「いや、そちらには未だ出していない。ボーデンに居るのだったな」
「?」

キャゼルヌは訝しげな表情でこちらを見る。まさか……。
「違うのか、私はボーデンに居ると思ったのだが」
確かシャンタウ星域の安全を確保してから動くはずだ。

キャゼルヌの顔に憐憫とも言える表情が浮かんだ。どうやら私は総司令部の中で情報一つまともに与えられなかったようだ。

「四日前にボーデンを出ています。後二日もすれば補給部隊はヴィーレンシュタイン星域に到達します」
「馬鹿な」

シャンタウ星域からヴィーレンシュタインは五日もあれば着く。帝国軍が勢いに乗って攻めてくれば補給部隊はあっという間に拿捕されてしまう。何故そんな急ぐ必要があったのだ。

「護衛艦はつけて有るのか」
「三十隻ほどつけてあります」
「三十隻?」

「小官も足りないと言いました。しかし」
そう言うとキャゼルヌは蹲ったままのフォークを見下ろした。私も思わず彼と同じものを見る。

フォークはキャゼルヌが連れてきた壮年の男に診察を受けている。どうやらキャゼルヌの部下ではなく、軍医だったようだ。たまたま一緒になったのか……。

私達の視線を感じたのだろう軍医が立ち上がって名乗った。ヤマムラ軍医少佐、彼の言う所ではフォーク准将は転換性ヒステリーによる神経性盲目なのだという。

わがまま一杯に育って自我が異常拡大した幼児に見られる症状らしい。冗談だと思ったが、ヤマムラ軍医少佐は大真面目だった。同盟の作戦参謀が小児性ヒステリーとは……。

ヴァレンシュタインが知ったらどうするだろう。多分信じないだろう、私は目の前で見ても未だ信じられない。こんな馬鹿げた事が本当に有るのか?

もうたくさんだった。小児性ヒステリーの参謀と無責任な総司令官、それに支持率向上を狙う無責任な政治家、こいつらが三千万将兵を死地に追いやろうとしている。直ちに撤退させなければならない……。


宇宙暦796年8月19日   2:30 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


総司令部から撤退命令が届いたのは味方の左翼がいいかげん叩きのめされた後だった。撤退命令も“左翼に構わず撤退しろ”と言う物で左翼が全滅するのを前提とした命令だった。無残な事になった。左翼が全滅すればその後は我々の番になる。その前に撤退しなければならない。

退却するにしても第十三艦隊だけでは無理だ。どうしても第五、第十、第十二の力が要る。四個艦隊が一つになって撤退しなければならない。ばらばらに撤退すれば敵に追撃を受け悲惨な結果になるだろう。

「第二艦隊、旗艦パトロクロス、爆発しました」
オペレータの声が艦橋に流れる。パエッタ中将が戦死した。第二艦隊は統一した指揮はもう執れないだろう、後は敵の思うままだ……。

ビュコック提督との間に通信を開いた。スクリーンに映るビュコック提督の顔には疲労が強く出ている。
「ビュコック提督、撤退の指揮をお願いします」
「それは良いがどうやって撤退する? 容易に退かせてくれる相手ではないが」

「四個艦隊で敵を押し込みましょう」
「押し込む? 突破を目指すのか?」
「そうです。それが出来れば左翼部隊も救えます」


帝国暦 487年8月19日  3:00 帝国軍 クレメンツ艦隊旗艦ビフレスト アルベルト・クレメンツ


「敵、前進してきます!」
「なに!」
「正面だけではありません! 敵の右翼全面攻勢に出ました!」
「馬鹿な、この期に及んで何を考えている」

オペレータの悲鳴のような声と共に敵が攻勢をかけてきた。第五艦隊だけではない、敵の右翼全てが攻勢をかけてきた。すさまじい勢いだ。撤退前の牽制の攻撃ではない。

こちらを潰してから撤退しようとしている、いや、突破して味方の後背を衝こうとでも考えているのか。まだ勝つ気でいるのか。

ここはミュラー、メルカッツ提督と共に敵の攻勢を支える。此処を耐えれば味方の勝ちだ。もう直ぐ敵の後背にヴァレンシュタイン司令長官率いる別働隊が来るはずだ。そうなれば今攻勢をかけている敵も崩れざるを得ない。

一時間ほど敵の攻勢が続いた後、前面の第五艦隊の攻勢が僅かに衰えた。息切れか、或いはこれ以上此処にいることが不安になったか、どちらにしても反転攻勢をかける時だ。

「敵は攻勢の限界に達した。反撃に出る。全艦攻撃せよ!」
俺の号令に艦隊は整然と反撃を開始した。第五艦隊は僅かずつ後退する。それにつられるように味方は前進した。

何度か小競り合いのような一進一退があった後、崩れるかのように敵が後退を始めた。一瞬で敵との距離が開く。味方は引きずられるように前進し始めた。

「全艦に命令、前進を止めろ、両翼を見ろ、包囲されるぞ」
俺の命令に、オペレータ達が慌てて艦隊に命令を伝えている。それと共に艦隊の前進速度が落ちた。

敵の第五、第十艦隊は後退しているが、第十二、第十三艦隊は攻め込んだままの状態を維持している。敵は凹陣を形成している。今第五艦隊を追えば第五艦隊に頭を抑えられ、第十二艦隊に横腹を突かれるだろう。

メルカッツ提督の艦隊も動けずにいる。おそらくは撤退するための陣形に違いない。しかしこれだけの敵だ、うかつに入り込めば袋叩きにされるだろう。突破できればいいが、先ず無理な話だ。

敵は徐々に後退していく。ミュラー、ロイエンタール、ミッターマイヤーの艦隊が敵の両翼に攻撃をかけるが、敵は崩れることなく、整然と後退していく。このままか、このまま逃がしてしまうのか……。



宇宙暦796年8月19日   4:00 第五艦隊旗艦リオ・グランデ アレクサンドル・ビュコック


今のところ撤退行動は上手く行きつつある。敵の中央は追ってこられずにいるようじゃ。敵を全力で押し、こちらの力を見せつけた後で凹陣を敷いて撤退する。もちろん突破できればそれに越した事は無いが先ず無理じゃろう。

ある程度距離を稼いだら急速後退し、方向を変え別働隊の後ろを衝く。あるいはその動きを見せる。上手く行けば左翼部隊を少しじゃが助ける事が出来るはずじゃ。当然追撃は厳しいものになるじゃろうが、全滅するよりはましじゃ。

「閣下! 左方向に新たな敵です! 第十二艦隊に向かっています!」
「なんじゃと!」

オペレータの声に慌てて戦術コンピュータの擬似戦場モデル、そしてスクリーンを見た。そこには黒一色の艦隊が猛然と第十二艦隊目指して突き進んで来る姿がある。艦橋が凍りついた。

「ボロディン……」
思わず、呻く様な声が出た。それと時を同じくして敵が攻撃を仕掛けてくる。火球が第十二艦隊を襲い、艦列が崩れる。凹陣が崩れた、次に来るものは……。一瞬だけ眼をきつく閉じた。

「前面の敵、攻撃をかけてきます!」
オペレータが悲鳴のような声を上げる。やはり来たか……。第十二艦隊の乱れを見た前面の敵が攻勢をかけてくる。ようやく死線を脱したかと思ったが、まだ死神からは逃げられんようじゃ……。






 

 

第百十二話 シャンタウ星域の会戦 (その4)

帝国暦 487年8月19日  3:00 帝国軍総旗艦ロキ ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ 


目の前で同盟軍が次々と打ち砕かれていく。至る所で光球が生じ閃光が走る。同盟軍の左翼は断末魔に喘いでいる。既に最左翼の第二艦隊はパエッタ中将が戦死したことで組織的な抵抗が出来なくなってしまった。

同盟軍の第一、第四、第七、第八の四個艦隊は艦隊の一部を帝国軍別働隊に当て耐えている。しかし戦力差はどうしようもない。このまま行けば磨り潰されるのは時間の問題だ。

艦橋の雰囲気は明るい。幕僚達も味方が同盟軍を攻撃している様子を時に感嘆の声をあげ称賛している。今皆が称賛しているのはビッテンフェルト提督だ。

攻撃開始早々にルッツ、ケスラーの両提督と共にパエッタ提督を戦死させ第二艦隊を烏合の衆にしてしまった。見事と言わざるを得ない。しかし、幕僚の中で私だけがそれを素直に称賛できずにいる。

来るべきではなかったか……。いや、私は此処にいなければならない……。帝国に亡命したとはいえ、同盟を憎んでいるわけではない。今でも同盟で過ごした日々の記憶は美しい思い出になっている。

あそこで死んでいく人の中には、思い出を一緒に作った人もいるに違いない……。オーディンを出撃する前、ヴァレンシュタイン司令長官は私にオーディンに留まるように勧めた。この会戦が始まる前にも部屋で休むようにと言った。

でも私はそれを断った。私は司令長官についていくと決めたのだ。戦場についていけない副官など何の意味があるのだろう。今でも自分は正しい選択をしたと思っている。しかし、それがこんなにも辛いとは……。

時々ヴァレンシュタイン司令長官が私を気遣わしげに見る。心配しているのだろう、その心遣いを嬉しく思いつつも何処かで煩わしく思ってしまう自分が居る。そんな自分がたまらなく嫌だ、でも司令長官が私を気遣う余裕を持つ程、戦況は帝国軍に有利だ。

「敵右翼、攻勢を強めます!」
オペレータの緊張した声が艦橋に響く。同盟軍の右翼が帝国軍を攻撃している。凄まじい勢いだ。帝国軍の左翼を突破しようとしている。そのまま逃げるつもりだろうか?

幕僚達の間でも心配そうな声が出る。“大丈夫か?”、“敵は死に物狂いだ”等だ。言葉を発するたびに、皆司令長官に物問たげな視線を送っている。

「さすがにしぶといですね。先に右翼を潰すべきでしたか」
提督席で司令長官が苦笑交じりの声を出した。その声が、幕僚達の不安を鎮める。でも声の穏やかさとは裏腹にヴァレンシュタイン司令長官の手が強く握り締められているのが私には見えた。

怒っている、司令長官は間違いなく怒っている。敵に? それとも自分? 両方だろうか

司令長官はしばらくスクリーンと戦術コンピュータが表す擬似戦場モデルを見ていたが、一つ頷くと
「ローエングラム伯との間に通信を開いてください」
と言った。

スクリーンにローエングラム伯が現れると司令長官は立ち上がり穏やかに話し始めた。
「なかなかしぶといですね」
「確かに」

ローエングラム伯も苦笑交じりに答える。彼にとっても同盟軍の攻勢は予想外のものなのかもしれない。
「ビッテンフェルト提督を引き抜こうと思いますが」

「右翼に当てるのですね」
ヴァレンシュタイン司令長官の言葉にローエングラム伯が頷きつつ答えた。

「そうです」
「では、ルッツ提督にその穴を埋めさせましょう。彼を側面に回らせます」

「そうしてもらえますか。しかし、なかなか網を手繰り寄せると言うわけにはいかないですね」
「確かに。なかなかしぶとい」

二人は苦笑すると敬礼を交わして通信を切った。司令長官はローエングラム伯との通信が終わると、ビッテンフェルト、ファーレンハイト提督との間に通信を開くように命じた。

「ビッテンフェルト提督、直ちに艦隊を右翼へ回してください」
「右翼へですか」
ビッテンフェルト提督が訝しげに反問する。

「さすがに反乱軍でも精鋭部隊です。一筋縄ではいきませんが、この辺りで終わらせようと思います。それをビッテンフェルト提督にお願いしたい」
「はっ」

ヴァレンシュタイン司令長官の言葉にビッテンフェルト提督は力強く答えた。自分が同盟の反撃を打ち砕く、勝利を決定付ける、そう思ったのだろう。顔を紅潮させている。

「ビッテンフェルト提督が抜けた後はファーレンハイト提督とルッツ提督でお願いします。ルッツ提督は側面に回ることになっています。ファーレンハイト提督はルッツ提督と協力して敵を包囲してください」
「はっ。承知しました」

命令を出し終えると司令長官は提督席にゆったりと体を沈めた。一つ大きく息を吐くと小さな声で呟いた。
「ヤン・ウェンリー、アムリッツァのようにはさせない」

ヤン・ウェンリー? アムリッツア? 一体何のことだろう。不思議に思って司令長官を見たが、司令長官は何も言わない。あるいは自分が呟いたことさえ気付いていないのかもしれない。

帝国軍が動き始めた。ルッツ艦隊が少しずつ艦隊を側面に移動させ、それに呼応すかのごとくビッテンフェルト艦隊が少しずつ艦隊を後退させていく。そしてファーレンハイト艦隊がビッテンフェルト艦隊の穴を埋めるかのように艦隊を左に伸ばす。

同盟軍第二艦隊の残存部隊はこれまでの前後からの攻撃に加え側面からも攻撃を受ける事になった。壊滅するのも時間の問題だろう……。



帝国暦 487年8月19日  4:00 帝国軍 ミュラー艦隊旗艦 バイロイト ナイトハルト・ミュラー 


敵は少しずつ後退を始めている。敵ながら天晴れとしか言いようが無い。俺は敵の第十二艦隊に攻撃をかけるが相手はそれをあしらいながら後退していく。

拙いな。クレメンツ提督もメルカッツ提督も進む事が出来ない。このまま後退を許してしまえば、敵は別働隊の後ろに回る行動を取るだろう。挟撃体勢が崩れかねない。

思い切って攻撃を仕掛けるか……。駄目だ、敵を多少は足止めできるが損害も馬鹿にならない、どうしたものか。そんな俺の葛藤を吹き飛ばしたのはオペレータの歓喜に満ちた声だった。

「別働隊が来援に来ました! ビッテンフェルト艦隊です!」
ビッテンフェルト提督の攻撃とともに第十二艦隊は崩れ始めた。側面に火球が次々と浮き上がる。

「全艦に命令、前進し攻撃せよ。ビッテンフェルト提督に遅れるな!」
第十二艦隊を潰してしまえばクレメンツ提督も前進して攻撃できる! そのまま敵の右翼を順に潰していけば良い。

艦隊が前進し第十二艦隊に攻撃を開始する。敵が崩れる、勝った、そう思った瞬間だった。自分の艦隊が隊形を崩している、どういうことだ? 一体何が起きた?
「敵が攻撃してきます」

オペレータの声に愕然として問い返す。
「敵? どういうことだ?」
「敵の第四艦隊です、第十二艦隊の隣に居た……」
信じられないと言った口調でオペレータが答える。

スクリーンを見る。確かにこちらを攻撃している。しかも、前面の敵、後方の敵を投げ打ってこちらを攻撃している。

「馬鹿な……、全滅する気か?」
隣でドレウェンツ中尉が呻く様に言葉を出す。

同感だ、前方にローエングラム伯、後方にレンネンカンプ、その二人を相手にしているのにこちらに攻撃をかけてきた。第十二艦隊を逃がすためか、それが右翼の味方を逃がす事になるからか?

「艦列を整えろ、装甲の厚い戦艦を外側に、弱い砲艦、ミサイル艦を内側に、先ず右の敵を潰すぞ!」
三方から攻める! 急がなくては、前面の敵が態勢を立て直してしまう。こんなところで時間を取られるわけにはいかない。


宇宙暦796年8月19日   4:00 第五艦隊旗艦リオ・グランデ アレクサンドル・ビュコック


前方から攻め寄せる敵に対し迎撃命令を出しながら、崩れかける第一二艦隊の姿にわしは絶望感に囚われていた。ボロディンが崩れれば凹陣は成り立たん。前面の敵は怯む事無く攻撃をかけてくるじゃろう。

このままでは敵を振り切れない。一番嫌なタイミングで敵の増援が来た。これまでか、結局此処で死ぬ事になるのか……。

諦めかけていたわしの目の前で、正面から第十二艦隊に攻め寄せる敵に対しモートン提督の第四艦隊が猛烈な攻撃をかけ始めた。

前後から攻撃してくる敵を無視して右側面をすり抜けようとする敵艦隊を第四艦隊が攻撃する。馬鹿な、モートン提督、死ぬ気か?

「閣下、モートン提督から通信です」
オペレータの声とともにスクリーンにモートン提督が映る。敬礼を交わすとモートン提督が話しかけてきた。

「ビュコック提督、小官が敵を足止めします」
「モートン提督……」
穏やかで朗らかな声だった。戦況はとてもそんな声が出せる状況ではなかろう。それなのに……。

「このままでは、同盟軍は全滅しかねません。小官が敵を食い止めている間に何とかボロディン提督を助け撤退していただきたい」
「すまぬ、モートン提督」

「気にしないでください。まあ大将になるのは先を越されましたが、元帥は小官のほうが先ですな」
「……」

「後を頼みますぞ、ビュコック提督」
「……分った」
互いに敬礼し、通信を切った。彼の犠牲を無駄には出来ん。

「第四分艦隊に命令、第十二艦隊を攻撃している艦隊の側面を突け」
「はっ」
オペレータが命令を伝える。第四分艦隊が敵を牽制してくれれば後はボロディンの事じゃ、自分で何とかするじゃろう。

スクリーンを見ると第四艦隊が三方から猛攻を受けている。長くは持たん。彼が持ちこたえてくれている間にボロディンを助け撤退する。別働隊がこちらへ来た以上、もう左翼を助けている暇は無い。無情なようじゃが、今は逃げる事を、生き残ることを優先せざるをえん。

わしらは死ねん。絶対に生きてモートン提督の犠牲に応えなくてはならん。これからの撤退はおそらく地獄の苦しみじゃろう。戦死したほうが楽かもしれん。それでもわしらは死ぬことが出来ん。モートン提督に後を頼まれたのじゃから……。



 

 

第百十三話 シャンタウ星域の会戦 (その5)

宇宙暦796年8月19日   4:00 第五艦隊旗艦リオ・グランデ アレクサンドル・ビュコック


正面から敵が押し寄せてくる。ボロディンが混乱して横からの攻撃が出来ない。今の内に攻め寄せ、こちらの足を止めようというのじゃろう。アルベルト・クレメンツ提督と言ったな、若いがなかなかの用兵巧者じゃ、侮れんの。

並走してメルカッツ艦隊も押し寄せてくる。此処は踏ん張らねばなるまい。
「全艦に命令。右側の敵の先頭部分に主砲斉射三連、撃て!」
押し寄せるメルカッツ艦隊に第五艦隊、第十艦隊から放たれた光の束が吸い込まれていく。

吸い込まれるのと同時にメルカッツ艦隊のいたる所から爆発が起き艦列が崩れる。それを確認する暇も無く正面の敵に対し攻撃を命じた。
「全艦に命令。正面の敵の先頭部分に主砲斉射三連、撃て!」

わしの命令と時を同じくして第十艦隊もクレメンツ艦隊に対して攻撃をかけてきた。さすがにウランフじゃ。何も言わずとも息を合わせてくれる、頼りになるわい。

正面から押し寄せる敵が崩れるのを確認するとわしは全軍に撤退を命じた。ボロディンには多少の損害を無視してとにかく撤退しろと命じた。多少強引でも今は敵を振り切るのが先決じゃ。

残念じゃの、クレメンツ提督。まだまだわしは若い者には負けはせん。モートンの分まで生きなければならんからの。



宇宙暦796年8月23日   6:00  第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


「閣下、重巡洋艦アストリアを破棄しました。乗組員はそれぞれ巡航艦キャメロン、オーシャン、キャッスルに収容されました」
「わかった」

グリーンヒル中尉の報告に答えながら溜息が出た。グリーンヒル中尉が心配そうな顔で私を見ているのが分っていたがそれでも溜息が出てしまう。

これで廃棄するのは何隻目になることか。この数はこれからも増え続けるだろう……。シャンタウ星域からの撤退が始まってから今日で四日目になるが、自分の生涯でこの四日間程辛く苦しい四日間は無かった。

目の前で同盟軍左翼がなすすべも無く殲滅されていくのを見た。味方を見殺しにしての撤退、しかし彼らを可哀想だと思う気持ちも済まないとおもう気持ちも持つ事が出来ぬほどの厳しい撤退戦……。

ボロディン提督の率いる第十二艦隊が別働部隊に側面を突かれたときはもう駄目かと思ったが、モートン提督の第四艦隊が正面の艦隊を押さえてくれたことで何とか持ちこたえる事が出来た。

自己を犠牲にして我々を逃がしてくれたモートン提督のことを考えるとなんと言っていいか分らない。悔しかったろう、悲しかったろう、指揮官として部下を連れて帰ってやれない。無念だったに違いない……。

ビュコック提督の分艦隊の援護も忘れてはいけないだろう。苦しい中、よく艦隊を別けてくれたと思う。それでも第十二艦隊は手酷い損害を受けている。半数近くがあの撤退行動で失われたはずだ。

第十二艦隊だけではない、第五、第十、第十三もあの撤退行動でかなりの損害を被った。同盟軍の左翼が抵抗している間に撤退しなければならない。彼らが殲滅、あるいは降伏すれば帝国軍は余った兵力をこちらに振り向けてくるだろう。

上手く撤退するではなく、早く撤退するに徹した撤退行動。損害は増えたがそれでも何とか敵を振り切って撤退できた。

逃げる、ただひたすら逃げる。生き延びるために逃げる。この間、断続的に敵との接触を受けたが、勝つ事よりも逃げ延びる事を考えながらの戦闘になった。つい二時間前にも接触を受け厳しい追撃を受けたばかりだ。

積極的な反撃が許されない撤退、徒労感と疲労だけが蓄積していく。タンクベッド睡眠も取ったが少しも精神はリフレッシュされない。これほど報われない戦いがあるのだろうか。

第五、第十、第十二、第十三の四個艦隊、殿は第十三艦隊が務めたが殿など名前だけのものだ。敵との接触を受ければ、第十三艦隊が先ず敵と応戦し、残り三個艦隊が引き返して敵の側面にまわる動きをする。

四個艦隊全てで立ち向かう。そして追い払う。そのほうが早く戦闘を終わらせ撤退を再開できる。その繰り返しだ。

戦闘で損傷を受け推力が落ちた艦、エンジンの不調を訴えた艦は直ちに廃棄させ、乗組員は他の艦に移乗させた。第十三艦隊だけではない、他の艦隊でも同じ事をしているだろう。

一度の接触で数百隻程度の艦を失い、それと同数近くの艦を廃棄している。既に第十三艦隊は艦艇数一万隻を割っている。

艦を棄てるのは乗組員にとっては辛いだろう。特に艦長にとっては断腸の思いのはずだ。だが、生き残るためには艦隊の速度を落とす事は出来ない。取り残されれば死ぬか、捕虜になる運命が待っているのだ。

どれほど苦痛であろうとも生き延びなければならない。私達を逃がしてくれたモートン提督に応えるためにも。

もう直ぐヴィーレンシュタイン星域につく。イゼルローン要塞までにはあと二十日以上かかるだろう。どれだけの人間が生きて帰れるのか……。

「前方に艦影発見、補給部隊です」
オペレータの声が艦橋に響く。補給部隊? どういうことだ。何故こんなところに補給部隊が居るのだ?

「馬鹿な、何故こんなところに補給部隊が居る? 直ぐ傍まで敵が来ているのだぞ」
「総司令部は一体何を考えているのか」

ムライ参謀長とラップが信じられないといった口調で言葉を出す。確かに信じられない。だが先行した部隊はどうしたのだ? 補給部隊を置き去りにしたのか?

「閣下、補給部隊の護衛艦より通信が入っています」
「護衛艦から?」

不思議に思う間も無く、スクリーンに壮年の軍人が映る。こちらの姿を確認したのだろう。彼は私に向かって敬礼してきた。



帝国暦 487年8月23日  7:00 帝国軍 ミッターマイヤー艦隊旗艦ベイオウルフ  ウォルフガング・ミッターマイヤー


「前方に敵艦隊発見」
「追付いたか」
オペレータの敵艦隊発見の声に思わず声が出た。

しぶとい、この敵は本当にしぶとい。何度か接触し攻撃を加えた、遁走する敵に追撃も加えた。損害は与えている。しかし崩れない。しぶとく艦隊を維持したまま撤退している。

しかも速度の遅くなった艦を棄てている形跡がある。艦隊の速度を維持するためだろう。とにかく逃げる事に徹底している。しぶとい限りだ。

接触すると最後尾の艦隊が応戦し、先行する他の艦隊が引き返してこちらの側面に回ろうとする。いやでもこちらは退かざるを得ない。ずっとこの繰り返しだ。しかし味方が来るまではこの遅滞行動を繰り返さなければならない。

「敵は三万隻以上います!」
「!」
オペレータの声に艦橋がざわめく。

三万隻、敵は集結しているようだ。どういうことだ、何故逃げない? いや、それよりもどうする、此処で仕掛けるか? それとも味方の集結を待つか?

おそらくロイエンタール、メルカッツ、クレメンツ、ミュラー、ビッテンフェルトが近くまで来ているのは確かだ。ここで多少損害を受けても相手を足止めするか? しかし相手が相手だ、卒爾な仕掛けは出来ない。むしろ一旦退くべきか? それにしても何故此処に敵が集結している?

「敵、後退します」
「後退?」
どういうことだ? 今になって何故逃げる。こちらは一個艦隊だ、叩き潰すチャンスだろう。此処で戦っても意味は無いと判断したか? 逃げる事を優先したか?

「敵の一部が留まります!」
「?」
敵の一部が留まる? どうなっている?

「スクリーンに拡大投影しろ」
「はっ」

「これは、輸送艦か、補給部隊……」
大きさは十万トン級だろうか、ざっと約百隻ほどの輸送艦がスクリーンに映っている。補給部隊が此処まで来ていたのか、それを守ろうとしていた、しかし鈍足の輸送艦を伴っては逃げ切れないと見て輸送艦を棄てるのか……。

いきなり輸送艦が爆発した。撤退する反乱軍の最後尾の艦隊が攻撃したらしい。こちらの手に渡したくないと言う事だろう。
「輸送船を破壊させるな、敵を攻撃しろ」

俺の命令とともに艦隊が前進し敵に攻撃を加える。敵は戦闘を避け後退していく。あるいは俺たちに輸送艦を拿捕させるのが目的かもしれない。それによって少しでも追撃の速度を遅く出来れば、そんな事を考えているのか。

「閣下、輸送艦を拿捕しますか?」
ビューロー准将が問いかけてくる。乗組員は居ないだろう。反乱軍は破壊しようとしていたのだ、移乗させたに違いない。忌々しい事だがある程度の補給も済ませただろう。

敵は今一つに纏まっている。この状態で追撃するのは危険だろう。こちらは敵の三分の一しかない。味方の集結を待ってからにしよう、誰か一人来てくれれば追撃する。それほど時間はかからないはずだ。

「とりあえず、輸送艦を頂こうか。敵に対する攻撃は味方が追付いてからにしよう。直ぐ近くまで来ているはずだ」
「はっ」

敵が輸送艦から離れるのを見届けてから命令を受けた艦隊が輸送艦に近づく。十万トン級輸送艦。敵が破壊したとはいえ未だ五十隻以上残っている。決して小さな戦果では無い。

輸送艦を艦隊の先頭集団が取り囲んだ。戦艦が輸送艦に接舷し、拿捕するための人員を送ろうとしている。その瞬間だった。

輸送艦が次々に爆発し大きな火球を作り上げた。接舷していた戦艦、あるいはしようとしていた戦艦が爆発に巻き込まれ爆発する。近くにいた艦も爆風を受け艦列を乱している。してやられた! 罠か!

「全艦に命令、直ちに後退しつつ艦列を整えろ、敵が来るぞ!」
艦隊の動きが鈍い! 味方が敵を追撃しているという思いが、敵が反撃してくる現実に対応できなくなっている。混乱する先頭集団に敵のレーザーがミサイルが襲い掛かるのがスクリーンに映った。


帝国暦 487年8月23日  8:00 帝国軍 ロイエンタール艦隊旗艦トリスタン オスカー・フォン・ロイエンタール



「前方で戦闘が行なわれています!」
オペレータの声が艦橋に響く。ミッターマイヤー、相変わらず早いな。
「戦闘は徐々にこちらに向かっています!」
「!」

こちらに向かっている! つまり後退しているということか。ミッターマイヤーが押されている、何が有った?
「スクリーンに投影しろ」

スクリーンに戦闘が映った。やはりミッターマイヤーの艦隊が押されている。何とか後退し態勢を立て直そうとしているのだが、どうにも立て直せず、ずるずると後退している。

「敵の総数、約三万!」
三万隻、最後尾だけじゃない、反乱軍全軍での反撃か! おそらく撤退するための反撃だろうが、しぶとい!

「全艦に命令、ミッターマイヤー艦隊を援護する。前進だ」
艦隊を前進させ、ミッターマイヤー艦隊の横に出る。前進してくる敵に対し攻撃をかける。

「主砲斉射三連、撃て!」
こちらの攻撃を受け、敵が後退する。ミッターマイヤー艦隊も艦隊を立て直し始めた。

ミッターマイヤーから通信が入った、スクリーンにミッターマイヤーが映る。
「すまん、ロイエンタール、助かった」
「卿らしくないな、一体何が有った」
「小細工に引っかかった。してやられたよ、面目ない」

敵は後退していく。整然としたものだ。追うべきだろうか? ミッターマイヤーは追おうとは言わない。手強いと見ているのだろう。迂闊に追えば手痛い反撃を喰う。此処までか……。

「卿に苦渋を飲ませるとは反乱軍にも出来る奴がいるな」
「次はきっちりとお返しするさ」
敵の艦隊は少しずつ小さくなっていく。


メルカッツ、クレメンツ、ミュラー、ビッテンフェルト艦隊が追いついたのは敵が撤退してから更に一時間後だった。



 

 

第百十四話 明日への展望

帝国暦 487年8月23日  9:30 帝国軍 総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「司令長官の御判断を仰ぎたいのですが?」
「……」
俺はメルカッツの眠たそうに細められた目を見ながら彼の言った事について考えていた。

先行して追撃していたミッターマイヤー、ロイエンタールにメルカッツ、クレメンツ、ミュラー、ビッテンフェルトが追付いたのは三十分ほど前だった。そこで追撃を続行するか打ち切るかで提督たちの間で判断が分かれたようだ。

ミッターマイヤーが逆撃を喰らいかなり損害を受けたらしい。それもあって双璧は(まだこの世界では双璧とは呼ばれていないが)自分たちだけで追撃を行なうのは危険だと判断し、味方の集結を待った。

ただ彼らはこれ以上追撃をしても労に比して戦果はあまり上がらないと判断している。このあたりで追撃を打ち切るべきではないかという事らしい。

もっとも小部隊を先行させ敵との接触は続けさせている。追撃するのであれば相手に嫌がらせの攻撃を行い遅滞させる事は可能だとしている。

一方、追撃を主張したのは、ビッテンフェルト、クレメンツ、ミュラーだった。但し、彼らの追撃論は二つに分かれる。敵艦隊の殲滅論とイゼルローン要塞攻略論だ

敵艦隊の殲滅論を唱えたのはビッテンフェルトだ。とにかく追撃して少しでも敵を減らすべきだと言っている。彼の考えの根底にあるのは、いずれ帝国で起こるであろう内乱に同盟に介入されては堪らない。そのためにも敵戦力を少しでも減らそうと言う事らしい。

クレメンツ、ミュラーはイゼルローン要塞攻略論を唱えている。此処でイゼルローン要塞まで追撃を行なおうというのだ。今回のシャンタウ星域の会戦で予想以上に敵に損害を与えた。

このまま敵を追撃し、敵戦力を撃滅できればイゼルローン要塞を守る戦力は皆無に近い。イゼルローン要塞を落とせるのではないか? イゼルローン要塞を落とせば、内乱が起きてもそれほど同盟の介入を心配しなくても良い。

要するに彼らは作戦目的を変更すべきではないかと言っている。この会戦の目的は敵宇宙艦隊戦力の撃滅だったが、それはある程度実現した、これ以後はイゼルローン要塞攻略を視野に入れて追撃をすべきではないか……。

メルカッツが俺に連絡を入れてきたのも二人の意見が作戦目的の変更を求めるものだからだろう。彼の一存では決められない。ちなみに彼自身は双璧の意見に賛成のようだ。

追撃を続ければ当然イゼルローン要塞でもそれを把握するだろう。となればハイネセンに三個艦隊の増援を要請するはずだ、いや既に増援を要請した可能性も有る。

イゼルローン要塞とハイネセンの間は一ヶ月かからない。遠征軍の残存戦力に三個艦隊の増援が加われば防御側は五個艦隊近い戦力がイゼルローン要塞を守ることになる。

メルカッツ達の六個艦隊では落とせない可能性が高い。つまり増援が要るだろう。今、俺は別働隊の残存艦隊を率いてヴィーレンシュタイン星域に向かっている。

ラインハルトは残りの艦隊を取りまとめシャンタウ星域だ。イゼルローン要塞攻略なら全艦隊を動かす覚悟が要るだろう……。


「クレメンツ提督、ミュラー提督の意見も判りますが、イゼルローン要塞を攻略するとなれば全艦隊を動かす必要があるでしょう」
「小官もそう思います」

「となれば補給が問題になりますね……。補給が途切れれば今度はこちらが地獄を見ます。残念ですがそこまでの準備は出来ていません。今回はここまでにしましょう。メルカッツ提督、皆をまとめてシャンタウ星域に戻ってください。そちらで落ち合いましょう」
「はっ」

メルカッツとの通信が終わったあと、ラインハルトとの間に通信回線を開いた。追撃の打ち切りを伝え、シャンタウ星域での全軍集結を伝える。

俺がイゼルローン要塞攻略論を退けたのは補給だけがネックになったからではない。真の問題は皇帝フリードリヒ四世の寿命だ。

ヴィーレンシュタインからイゼルローン要塞まで約二十日はかかる。イゼルローン要塞からオーディンが四十日、戦闘を含めず往復だけで約二ヶ月はかかる計算だ。

今は八月の下旬だ。二ヵ月後といえば十月の下旬になる。原作ではフリードリヒ四世は十月に死んでいる。この世界でもフリードリヒ四世が十月に死ぬとは限らない。しかし無視は出来ない。

厄介なのはこの世界では、誰もが皇帝崩御は内戦の始まりだと見ている事だ。原作ではそのあたりは希薄だった。少なくとも皇帝崩御までそれを考えていた人間がどれだけいるか……。

そしてブラウンシュバイク公、俺はこの男が原作で語られるような愚物だとは思っていない。俺が見たブラウンシュバイク公は欠点はあるかもしれないが軽視して良い人物ではなかった。そうでなければアンスバッハがあそこまで付いていくはずが無い。

皇帝崩御、宇宙艦隊がオーディンに居ないとなればどう出るか。一応モルト、リューネブルクに押さえさせているが、先ず動く、動こうとすると見て間違いない。千載一遇の機会なのだ。

宇宙艦隊が遠くにいればいるほど彼らは動き易くなる。俺が敵をシャンタウ星域まで引き寄せたのも出来るだけオーディンの近くで戦いたかったからだ。その方がブラウンシュバイク公たちを抑えやすい。

更に言えばシャンタウ星域からリッテンハイム、ブラウンシュバイク星系は遠くない。いざとなればそちらを制圧、あるいは威圧し牽制するという手もある。

国内に不安を抱えていては全軍を挙げての大規模な外征は出来ない。やはり国内問題の解決を最優先で行う必要があるだろう。つまりこの世界でもリップシュタット戦役が必要だということだ

エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク、サビーネ・フォン・リッテンハイムを恐ろしいとは思わない。恐ろしいのは彼女たちの後ろに強大な外戚が居る事、彼らに与する貴族たちが居る事だ。

たとえエルウィン・ヨーゼフの即位を認めたとしても彼らは常に潜在的な敵としてあり続けるだろう。隙有らば権力奪取を図るに違いない。彼らの存在そのものが帝国の不安定要因になっているのだ。

彼らを排除する。だが皇帝は本当に十月に死ぬのだろうか? 死ぬのであれば、内乱に持っていく事はそれほど難しくない。

しかし、もし死なないのであればどうするか、長生きするようであれば何らかの方法で彼等を暴発させなければならない。そうでなければ同盟が戦力を回復し、内乱に介入しようとするだろう。どうすれば良いか……。



自由惑星同盟には今回大きな打撃を与えた。おそらく逃げ帰れたのは二個艦隊強、三個艦隊未満だろう。人材面でもモートン、パエッタが戦死、クブルスリー、ホーウッド、アップルトンが捕虜になった。

国内は激震するに違いない。同盟政府、軍首脳部がどう変わるか。統合作戦本部長、宇宙艦隊司令長官には誰がなるのか、ヤン・ウェンリーの処遇はどうなるのか? 

フェザーンも十分帝国の恐ろしさを知ったはずだ。そして今回の同盟の敗北、ルビンスキーは何を考えるか、どう動こうとするか。

同盟、フェザーンの動きを見極める必要がある。特にフェザーンだ、原作とはかなり乖離が出ている。注意が必要だ。幸い判断する材料が無いわけじゃない。先ずはそこからだろう。


帝国暦 487年8月23日 10:00 帝国軍 総旗艦ロキ ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ 


艦橋は明るい声に溢れている。帝国軍は大勝利を収めた。これほどの大勝利は過去に例が無いだろう。艦隊はシャンタウ星域で集合した後、オーディンに戻る事になった。

皆が喜んでいるなか、ヴァレンシュタイン司令長官と私だけがその中に入っていけずにいる。私は仕方ない、しかしヴァレンシュタイン司令長官は一人静かに考え事をしている。

何時も思うのだけど、司令長官ぐらい冷静沈着という言葉が似合う人は居ない。どんなときでも喜びを爆発させる、感情的になるという事が無い。今回の戦いでは僅かに苛立ちを見せたけどあんな事は本当に珍しいことだ。

司令長官は何を考えているのだろう? 次の戦いの事だろうか? 相手は同盟? それともフェザーン? そんなに根をつめて大丈夫なのだろうか? 私の視線に気付いたのだろう、司令長官が声をかけてきた。

「どうしました、少佐」
「いえ、何をお考えですか?」
「……他人に言えるようなことじゃありませんよ。勝つ事ばかり考えると人間は際限なく卑しくなるというのは本当ですね」

司令長官は照れたような表情をすると恥ずかしそうに笑った。柄にも無い事を言ったと思ったのだろうか。

「そんな悪いことを考えていらっしゃったのですか?」
「ひどいことを言いますね、少佐は。少しは慰めようとは考えないんですか」

「考えません。閣下の副官になってもう二年です。閣下がどういう方か良くわかっています」
「私も少佐がどういう性格か分っていますよ」

そう言うと司令長官は軽やかに笑い声を上げて、ココアを淹れて欲しいと頼んできた。全く可愛げが無い。もう少し可愛げが有れば本当に可愛いのに。


宇宙暦796年8月24日   6:00  第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー


どうやら帝国軍を振り切ったらしい。あの輸送艦を使った戦闘が最後の戦闘になった。それにしてもグリーンヒル総参謀長も面白い作戦を考えるものだ。どの道、輸送艦は救えない、それならいっそと言う事か。

おかげで何とか逃げ切る事が出来た。艦橋内にもようやく落ち着いた雰囲気が漂っている。皆生きて帰れるのが嬉しいのだろう。表情にも笑みが浮かんでいる乗組員が多い。

今回の戦いで、同盟軍は大きな損害を受けた。五個艦隊が全滅、残りの四個艦隊も三万隻がやっとだ。二個艦隊分でしかない。損傷率は七割を超えた。未帰還者は一千万に達するだろう。これが同盟にどんな影響を及ぼすのか、想像もつかない。

今回の戦いで撤退できたのはビュコック艦隊が約一万隻、ウランフ艦隊が約七千隻、ボロディン艦隊が約五千隻、私の艦隊が約八千隻だ。

これと、本国で待機していた三個艦隊で同盟を守る事になる。嫌でもイゼルローン要塞を中心とした防衛戦に徹さざるを得ないだろう。問題はフェザーンだ。

フェザーンが同盟よりの行動を取るか、帝国よりの行動を取るかで同盟の命運は決まるだろう。そのあたりの見極めが重要になる。次の本部長と司令長官には認識してもらいたいものだ。

今回の遠征で同盟が得るものがあったとしたら、ヴァレンシュタイン司令長官の恐ろしさを誰もが認識した事、宇宙艦隊司令部の無責任な連中と無責任な政治家が居なくなる事だろう。

情けない話だが、それくらいしか得るものが無い。いや、一番大事なものを同盟は得たのか。それが無かったからこんな馬鹿げた戦争が起きた。

ヴァレンシュタイン司令長官は何を望んでいるのだろう。今回の戦いで彼の影響力は今まで以上に強くなるはずだ。彼はまだ若い。その彼がこの先望むものは一体なんだろう。地位? 名誉? 権力? 一度しか会っていないがそんなものを望むようにも見えなかった。だとすると……理想?

 

 

第百十五話 苦悩

宇宙暦796年8月26日   11:00 ハイネセン ホテルシャングリラ ジョアン・レベロ


いつものように人目を避けるようにホテルに入り、階段であの男の待つ部屋に行く。今日は四百二十一号室か、部屋の前に立ち軽くドアをノックする。

「誰だ?」
「レベロ」
ドアが開き、私は部屋に急いで入った。

部屋に入り、手近な所に有った椅子に座った。トリューニヒトも近くの椅子に座る。
「急な呼び出しだな、何が有った、トリューニヒト」

「……」
「?」
トリューニヒトは一つ溜息を吐くとあらぬ方を見た。妙だ、この男が話すのをためらっている。何が有った? 遠征軍が負けたのか?

「どうしたんだ、トリューニヒト? 遠征軍が負けたのか?」
私の言葉にトリューニヒトの顔が歪んだ。やはり敗戦か……。

「……遠征軍がシャンタウ星域で大敗した」
「大敗?」
「ああ」

トリューニヒトは何処か投げやりな口調で答えた。この男がこんな口調で話すのは珍しい。大敗というが余程酷い敗戦なのか?
「酷いのか?」

トリューニヒトが眼で笑った。何だ、被害はそれ程でもないのか……。
「遠征軍九個艦隊の内、五個艦隊が全滅した」
「全滅? 馬鹿な、何かの間違いじゃないのか?」

思わず声が大きくなった。全滅だと、そんな馬鹿な。
「間違いじゃない」
「!」

忌々しげな口調でトリューニヒトが吐き出す。思わず彼の顔を見つめた。私の視線に気付いたのだろう。トリューニヒトは奇妙な笑顔を見せた。何処か壊れたような奇妙な笑顔……。

「レベロ、残りの四個艦隊も三万隻程度しかない」
「!」
三万隻! 馬鹿な、それでは実質二個艦隊ほどでしかない。七個艦隊を失ったのか? 戦死者も一千万を越えるかもしれない……。

「イゼルローン要塞の遠征軍総司令部から連絡が有った。遠征軍はシャンタウ星域で帝国軍と会戦、一方的に敗れたそうだ」
「馬鹿な……」
一方的、つまり敵の損害は軽微なのか。

「トリューニヒト、これからの同盟の防衛体制はどうなる」
「どうにもならんよ。イゼルローン要塞を中心に防衛戦をするだけだ」
「……」

「レベロ、もう分っていると思うが和平は当分無理になった」
「……そうだな」
「国内では市民の間に厭戦気分が広がるだろう。チャンスなのだが」

「帝国側が受け入れんだろう」
「ああ、帝国側も同程度の損害を受けていれば違ったのだが、思うようには行かんな」
「……」
思わず溜息が出た。確かに思うようには行かない。

「役に立たん奴らだ。同程度の損害を帝国に与えることも出来んとは」
「……」
トリューニヒトは嘲笑するかのように吐き棄てると表情を改めて私を見た。

「レベロ、政権を奪取するぞ、私達の手で同盟を再建するんだ」


帝国暦 487年8月30日  9:00 ミッターマイヤー旗艦ベイオウルフ フォルカー・アクセル・フォン・ビューロー


艦橋にミッターマイヤー提督が入ってきた。小柄な身体がきびきびと動く。表情も明るい。問題は無かったようだが、本当に大丈夫だったのだろうか。ミッターマイヤー提督が提督席に座るのを待って声をかけた。

「閣下、司令長官は如何でしたか?」
「大丈夫だ、ビューロー准将。卿が心配するような事は何も無かった」
「そうですか」

提督の言葉に緊張が緩んだ。あるいは厳しい叱責を受けるのではないかと心配したのだが杞憂だったようだ。

帝国軍は今シャンタウ星域に集結している。昨日遅くにミッターマイヤー艦隊はシャンタウ星域に戻ってきた。その時、今日の八時に各艦隊司令官は総旗艦ロキに集まれとの命令が出たのだが、気になる噂が入ってきた。

~司令長官は今回の戦果に満足していない。司令長官は敵の殲滅を望んでいた。追撃の打ち切りは不本意で、特に逆撃を受けたミッターマイヤー提督に強い不満を持っているのではないか。~

どうやら司令長官はこの会戦の勝利に喜んでいないらしい。敵に大打撃を与えたと思うのだが、司令長官はより完璧な勝利を望んでいたのではないか? そんな憶測が噂を生んだようだ。

「司令長官は我々に良くやったと言ってくれた。敵の八割近くを損失させた。十分な戦果だと。特に我々追撃部隊にはご苦労だったと労ってくれた」
「それは、何よりです」

嬉しそうに話す司令官の表情には一点の曇りも無い。どうやら本当に杞憂だったようだ。

「俺は敵の小細工にしてやられたからな、その点について司令長官に詫びたのだが、ミッターマイヤー提督のような用兵巧者でも失敗をすると分って安心した、と笑いながら言われた」
「……」

司令長官は戦果には満足しているらしい。だとすると何故喜ばなかったのだろう? 気になる。
「閣下、司令長官は何故今回の大勝利にも喜ばなかったのでしょう?」

俺の疑問にミッターマイヤー提督は表情を改めて答えてくれた。
「ミュラー提督が言っていたのだがな、司令長官にとっては未だ戦いは終わっていないのだろうと」

「終わっていない、ですか……」
「うむ。オーディンに戻って帝都が安定しているのを見て始めて終わるのではないかと」

「なるほど」
「追撃を打ち切ったのもそれが有るかもしれん。あまりオーディンを空き家にするのは問題だろう」
「確かにそうですな」

なるほどオーディンか。敵は反乱軍だけではない、国内にも居るという事だな。むしろこちらのほうが厄介か、表向きは味方だ。

とりあえず問題は無い。提督の傍を離れようとすると
「司令長官に卿とベルゲングリューン准将の事を訊かれたぞ」
とミッターマイヤー提督に言われた。思わず足が止まった……。

「し、司令長官にですか」
俺とベルゲングリューン! 落ち着けフォルカー。
「うむ。俺もロイエンタールも頼りになる幕僚を紹介してもらえて感謝していると答えた。言っておくが本心だぞ」
明るく答えるミッターマイヤー提督が恨めしい。

「恐れ入ります」
「卿とベルゲングリューン准将はアルレスハイム星域の会戦で司令長官と一緒だったな? 懐かしいのかな?」

「さあ、どうでしょうか」
穏やかに笑う提督に答えると急いで傍を離れ、自室に向かった。

懐かしい? そんなはずは無い! 俺もベルゲングリューンも司令長官とは碌に話さなかったのだからな。別に意地悪をしたわけではない。何を話して良いか判らなかっただけだ。だからつい司令長官を避けてしまった。

司令長官はミュッケンベルガー元帥、エーレンベルク元帥の秘蔵っ子だった。何と言っても士官学校卒業から二年で少佐になったエリートだ。変に話しかけて取り入ろうとしているんじゃないかと思われても詰まらんし、司令長官から元帥達に妙な士官が居ると言われるのも御免だ。

そういうわけで俺たちは司令長官とは話をしなかった。司令長官は俺たちと話しをしたかったのだろうが、俺たちが話したがらないのが判ったのだろう。最後は自分の席で静かに座っていた……。

司令長官はメルカッツ提督とクレメンツ提督には笑顔を見せたけど俺たちには必要最小限の会話だけで笑顔は無かったな。自業自得だが少し寂しかった。

今考えれば少しくらい話しても良かった……。相手はまだ十八の子供だったんだからな。俺たちも少し意識しすぎた。おかげで気まずい関係になってしまった。しかしあの当時はそんな余裕は無かった。上層部に特別扱いされる司令長官に対する反感が有ったと思う。

特別扱いだ。あの艦隊の司令官は老練なメルカッツ提督、参謀長と副参謀長は司令長官が士官候補生時代の教官。おまけに司令長官は幕僚勤務の経験なし、艦隊勤務の経験なしの素人。

どう見ても軍上層部が司令長官に幕僚勤務、艦隊勤務を教えようとしているとしか思えない。実際クレメンツ提督が熱心に教えていた。エリートって言うのは本当に別格扱いなんだとつくづく思った。ベルゲングリューンと二人でよく愚痴ったものだ。

アルレスハイム星域の会戦後も凄かった。巡航艦ツェルプスト艦長兼第1巡察部隊司令だ。軍務尚書の意向が有ったらしいが、司令長官に艦長の経験と艦隊指揮の経験をさせようという事だろう。おまけに副長がワーレン提督だ。

ヴァンフリートは言うまでも無い。大佐なのに一個艦隊の参謀長を務め、副参謀長にはミュラー提督だ。これもミュッケンベルガー元帥の意向が有ったらしいが全く別格の扱いだ。


司令長官が宇宙艦隊副司令長官になった時には、俺とベルゲングリューンはもう出世は無いなと二人で自棄酒を飲んだものだ。それなのに俺はミッターマイヤー艦隊、ベルゲングリューンはロイエンタール艦隊に配属されている。

司令長官の推薦らしいが、最初聞いたときは何かの間違いだと思ったものだ。普通なら有り得ない、司令長官は俺たちを嫌っているはずだ。それなのに推薦した……。

わざと推薦し、失敗したら思いっきり叱責して左遷かと思っていた。俺もベルゲングリューンも覚悟していたのだが今回の件からするとどうもそうではないらしい。

どうしたものか、ベルゲングリューンと話をするか、そして二人で司令長官に謝ってしまおうか。しかし、微笑みながら“何のことです? ビューロー准将”なんて言われたらどうする?

俺は自室にあるTV電話を見ながらどうすべきかを考え続けた……。



 

 

第百十六話 帰還

帝国暦 487年8月25日   オーディン 新無憂宮 クラウス・フォン・リヒテンラーデ


「国務尚書閣下、ヴァレンシュタイン司令長官率いる宇宙艦隊はシャンタウ星域で反乱軍を打ち破りました」
勝ったか……。まあ、勝ってくれなければ困るのだがの。

「宇宙艦隊は、大体九月の十日前後にはオーディンに戻ってくる予定です」
嬉しそうに話すエーレンベルク元帥の話を聞いても特に驚くことも喜ぶことも無い自分が居た。妙な気分じゃの。

「国務尚書はあまり喜んでいないようですが?」
不審そうにシュタインホフ元帥が問いかけてくる。その言葉が私を苦笑させた。確かに私は喜んではおらんようじゃ。

「そんな事は無い。じゃが、あの男ほど勝つために努力をする男を私は知らん。ま、勝つのが当たり前かの」
私の言葉に今度はエーレンベルク、シュタインホフ両元帥が苦笑した。

ひとしきり顔を見合わせ苦笑した。全く勝つのが当たり前とはとんでもない男じゃな。あれが味方で本当に良かった。敵であったらどうなっていた事やら。

「それで、軍務尚書、どの程度の損害を反乱軍に与えたのじゃ?」
笑いを収めた後、軍務尚書に確認した。勝つのは分っている、問題はどの程度の損害を与えたかじゃ。

「戦闘詳報が届いておりませぬゆえ正確な所は分かりませぬが、ざっと七割から八割の間かと」
「七割から八割か……」

「逃げ戻ったのは二個艦隊程度の戦力です」
「二個艦隊……」
シュタインホフ元帥がエーレンベルク元帥の言葉を補足した。

「こちらの損害は?」
「比較的軽微と連絡が有りました」
軽微か、シュタインホフ元帥の言葉に思わず吐息が漏れた。

敵に大損害を与えてもこちらも大きな被害を受けては何の意味も無い。どうやら本当に大勝利と言っていいようじゃ。

戻ってきたら元帥杖の授与式を行なわなければならん、早速準備をするか、忙しくなるの。平民出身の元帥か、家柄自慢の貴族どもは面白くはあるまい。しかし文句は言えんの、それだけの実績を上げたのじゃから。

「統帥本部では次のように考えています」
「……」
「反乱軍の総兵力は今回の遠征の残存兵力を含めて約五個艦隊にまで減少しました」

「……」
「イゼルローン要塞に一個艦隊を配備、本国の警備に一個艦隊を配備。反乱軍が自由に動かせるのは三個艦隊程度でしょう」

「……」
「反乱軍にとっては虎の子の三個艦隊です。負ける事、損害を被る事は避けたいはずです。反乱軍は当分攻勢を取ることは無い、いや出来ないと判断しています」

エーレンベルク、シュタインホフ両元帥がこちらを見る。強い視線ではない、何かを問いかけようとしている視線じゃ。彼らが何を問いたいのか、分らないではない。

反乱軍が攻勢を取れない、つまり帝国は主導権を握れるという事じゃろう。フェザーンを攻めるか、それとも国内の内乱の危機を片付けるか……。この場合は国内問題を片付けるのが先決じゃろう。しかし……。

「本来なら国内の問題を片付けるべきじゃろうの」
私の言葉にエーレンベルク、シュタインホフ両元帥が頷く。そしてエーレンベルク元帥が困ったような口調で言葉を繋いだ。

「問題はきっかけでしょう」
「きっかけか……」
「ヴァレンシュタインは年内と言っていましたが……」

沈黙が落ち私達はお互いに顔を見合わせた。エーレンベルク、シュタインホフ両元帥の顔にはこちらを探るような色がある。おそらく私も同様じゃろう。なんといっても陛下の御命に関わる事じゃ。むやみに触れる事ではない。

年内、ヴァレンシュタインは皇帝陛下の御命を年内一杯と予測した。しかし本当に陛下が亡くなられたとしてブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が内乱を起すじゃろうか?

ヴァレンシュタインは今回の反乱軍の討伐では随分と辣腕を振るいおった。多くの貴族たちが震え上がったはずじゃ。あるいは皇位など望まず大人しく引き下がるかもしれん。

第一、本当に陛下の御命は年内一杯なのじゃろうか? 最近の陛下は酒に溺れる事も無く以前からは想像もつかないほど健康じゃ。以前のような何処か荒んだような所はまるで無い。

長生きする可能性は高いのではないだろうか。いや、陛下には長生きして欲しいと私は思っておる。どうやら私は陛下が好きになり始めているらしい。困ったものじゃ。

もし長生きするとなれば、内乱が起きるのはかなり後になるが、その頃には反乱軍は今回の損害を回復している可能性もあるじゃろう。それもまた困ったものじゃ。

「年内というのは当たらぬかもしれんの」
私の言葉に両元帥が頷く。
「内乱が起きない可能性もあります」

エーレンベルク元帥の言葉からすると両元帥も私と同じことを考えているようじゃ。
「フェザーンを攻めるという手もありますが……」
「……」

シュタインホフ元帥が様子を伺うような口調でフェザーン攻略を提案してきた。エーレンベルク元帥は無言のままだ。どうやらフェザーン攻略には賛成ではないのだろう。

「フェザーン攻略か……。シュタインホフ元帥、フェザーン回廊を使った反乱軍勢力圏への侵攻作戦は出来上がったのかな?」
私の言葉にシュタインホフ元帥が力なく首を横に振る。

「残念ですが、航路情報も軍事上の観点から見た星域情報も不完全なままです。特に星域情報に関してはお粗末としか言いようがありません。この状態では侵攻作戦などとても無理です」

おそらくシュタインホフ元帥も内心では反対に違いない。ただ、何もしないよりは何とかこの好機を利用したい、そういう思いがフェザーン攻略になったのじゃろう。

「では、フェザーン侵攻と反乱軍勢力への侵攻は別々に行なう事になるか……」
私の言葉にエーレンベルク、シュタインホフ両元帥の顔が歪む。

時間が空けば反乱軍も防戦の準備を整えるだろう。余り面白い状況ではない。手の打ちようが無いというか八方塞というか……。やはりあの男が居らんと不便じゃ。戻ってくるまで後半月か、短いような長いような、困ったものじゃの……。


宇宙暦796年 9月 11日    イゼルローン要塞 ドワイト・グリーンヒル


イゼルローン要塞に遠征軍が戻ってきた。無残なものだ、出征時には九個艦隊、十三万隻の威容を誇った遠征軍が今は四個艦隊、それも僅かに三万隻程度しか残っていない。

修理の必要な艦、負傷者を纏めて乗せた艦から順に要塞へ入港する。そして各艦隊司令官も入港してきた。私は宇宙港で彼らを待つことにした。それがせめてもの礼儀だろう。

四人の提督たちが艦を降りてきた。ビュコック、ボロディン、ウランフ、ヤン、皆顔色が良くない、疲れきった表情をしている。当然だろう、これだけの大敗だ、しかも味方を見捨てての撤退。敗北感、罪悪感、疲労、心身ともに参っているに違いない。

しかし、味方を見捨てて撤退しろと命令を出したのは私だ。彼らが抱えている罪悪感は私が背負うべきものだ。彼らが気に病むことではない。彼らが私に気づいたようだ。私は敬礼をして彼らを出迎えた。

「これは総参謀長、御苦労様ですな」
「ビュコック提督、遠征、お疲れ様でした。皆さんも本当にお疲れ様でした」
私はそう言うと頭を下げた。この程度で彼らの苦労をねぎらえるとは思っていない。それでも私は頭を下げた。

「総参謀長、頭を上げてください。総参謀長が補給部隊を使った囮作戦を用意してくれたので大変助かりました。あれで敵を振り切ることが出来たのです。そうでなければ、損害はもっと酷くなっていたでしょう」

ヤン提督の言葉に三人の提督が頷く。しかし私にしてみれば恥ずかしい限りだ。どうみても補給部隊は救えなかった。どうせ救えないなら遠征軍を救うために犠牲にしてしまえと考えた破れかぶれの策だ。感謝されるほどの事ではない。

「ところで、総司令官閣下は司令部ですかな?」
ビュコック提督の疑問はもっともだ。たとえどのような結果であろうと総司令官が配下の諸将をねぎらわないという事は無い。

特に今回の戦いはあきらかに総司令部の判断ミスが遠征軍を敗北させた。本来なら私と共にこの場にドーソン総司令官の姿が有って良い。そして彼らに詫びるべきなのだ。それが軍人として、人間としての最低限の誠意だろう。

「総司令官閣下はあの敗戦以来、部屋に閉じこもったままです」
隠しても仕方が無い、いずれ分かることだ。あの敗戦以来ドーソン総司令官は部屋に閉じこもったままだ。

私が部屋から出て欲しいと言っても頑なに出るのを拒んでいる。私の出した指示を追認するだけの存在だ。ハイネセンに居るシトレ本部長にシャンタウ星域で敗れた事さえ私が報告せざるを得なかった。

四人の提督の顔に嫌悪と怒りの感情が浮かぶ。当然だろう、敗れたときにどう対処するかで軍人としての真価が問われる。それなのにこの無責任さはどういうことだろう。この程度の男が三千万の軍を率いていたなど余りにも酷すぎる。

「フォーク准将は何処です、総参謀長」
「フォーク准将は病気療養中です、ウランフ提督。既にハイネセンに送り返しました」
「病気? 療養中?」

訝しげに四人の提督が顔を見合わせる。おそらく四人とも今回の遠征を提案したフォーク准将を殴りたい気分なのだろう。フォーク准将が転換性ヒステリーによる神経性盲目を引き起こしたと知ったら彼らはどうするだろう? おそらく怒り狂うに違いない。

「その件も含めまして幾つかお話ししたい事が有ります。御疲れとは思いますが少しお時間を頂きたい」
そう、彼らには話さなければならない。二度とこんな馬鹿げた悲劇を繰り返さないために。



 

 

第百十七話 信頼

宇宙暦796年 9月 11日    イゼルローン要塞 ドワイト・グリーンヒル


宇宙港から場所を変え会議室で四人と向き合った。四人とも訝しげな顔をしている。ビュコック提督が話しかけてきた。
「総参謀長、お話とは何ですかな?」

「先ず、フォーク准将の病気の件ですが、准将は転換性ヒステリーによる神経性盲目を引き起こしました」
「転換性ヒステリー? 総参謀長、それは何ですか?」

ボロディン提督が困惑した表情で聞いてくる。他の三名も互いに顔を見合わせ聞きなれない言葉に困惑を隠そうともしない。真実を知ったらどう思うか、そう考えると思わず笑いが出そうになった。

「フォーク准将を診断したヤマムラ軍医少佐によると、わがまま一杯に育って自我が異常拡大した幼児に見られる症状のようです」

「……総参謀長、それは本当ですかな?」
一瞬の沈黙の後、ビュコック提督が呆れたような声で訊いてきた。何処までが本当なのか信じられないのかもしれない。

「全て、本当の事です」
部屋に沈黙が落ちた。ビュコック提督は溜息とともに目を閉じ、ボロディン提督は唇を曲げ顔をそむけた。ウランフ提督とヤン提督は顔を見合わせた後やりきれないかのように首を振る。

「呆れた話ですな、チョコレートを欲しがって泣き喚く幼児と同じメンタリティしか持たん男がこの遠征軍の作戦参謀だったとは」
憤懣混じりにウランフ提督が言葉を吐き出した。

「政権維持を目的とした政治屋と小児性ヒステリーの参謀が結託した結果がこの有様か、何のために皆死んだのか」
ビュコック提督が天を仰いで嘆く。

「皆さんの気持ちはよくわかります。軍は二度とこのような事態を引き起こしてはなりますまい。そして政治家の玩具になってもならない。そうでは有りませんか?」

四人の提督はそれぞれの表情で同意を示してきた。そしてヤン中将が困惑したような表情で話しかけてきた。
「総参謀長の仰る事は判りますが……」

「私は、軍はもっと政治に対して関心を持つべきだと思います」
ヤン中将の言葉を遮って発した私の言葉に不穏当な何かを感じたのかもしれない。ビュコック提督が警戒心も露に訪ねてきた。

「……それはどういう意味ですかな、総参謀長?」
「言った通りの意味です、ビュコック提督」
「……」

会議室の空気が少し重くなったように感じられた。四人も同様なのだろうか、互いに顔を見合わせ居心地の悪そうな表情をしている。

戸惑うような、困ったような声で
「総参謀長、軍人は政治には関わるべきではないでしょう」
とヤン中将が話しかけてきた。

「それではいかんのだ、ヤン中将。それは奇麗事でしかない」
「……」
「シトレ本部長は政治とは一線を引いていた。しかし其処を主戦派に突かれこのようなことになった」

「……」
「今回の大敗で主戦派は力を失うかもしれん。しかし、政治家が軍を権力維持のために利用しようとする限り似たような悲劇は起こるだろう」

フォーク准将が、いや宇宙艦隊司令部の主戦派どもがあの馬鹿げた作戦案をサンフォード議長に持ち出さなくても、政府は権力維持を目的とした出兵を命じたかもしれない。

そうなれば今回と同じような悲劇はやはり起きただろう。軍事を理解しない政治家が存在する限り、戦争を理解しない政治家が存在する限り、悲劇は続くに違いない……。

「軍人は政治には関わるべきではない、それは政治が軍を正しく使用するならばの話だと小官は思います。政治が軍を己の都合に合わせて利用しようとするならば軍はそれを防ぐために動かなければならないでしょう……」

「……」
「軍は両刃の剣なのです。扱い方を間違えれば今回のような事態を引き起こす事、場合によっては己自身の身に降りかかる事も有るということを政府に認識してもらわなければ……」

たかりかねたようにボロディン提督が私の言葉を遮った。
「総参謀長、まさか、貴方はクーデターを……」
「クーデターですか、それも一つの手段ではあります」

「総参謀長!」
「一つの手段と言ったまでです、ビュコック提督。唯一の手段と言ったわけではありません。小官は軍事力で政府を自由に動かす事は下策だと考えています」

「……別な手段があると言われるか?」
「そう私は考えています」

そう、別な手段は有る。そのためにも先ずこの四人の心を一つにしなくてはならない。軍を政治家たちの権力維持の玩具にしないために……。


宇宙暦796年 9月 12日    ハイネセン  自由惑星同盟統合作戦本部 本部長室 ジョアン・レベロ


私が本部長室に入るとシトレは本部長席で忙しそうに書類を見ながら決裁をしていた。
「忙しそうだな、シトレ」

「敗戦処理だ、誰もやりたがらん。しかし、私は本部長なのでな、逃げる事も出来ん」
シトレは顔を上げる事も無く本部長席に座ったまま私に答えた。

「シトレ、これからどうするつもりだ?」
「どうもせんよ、後始末をつけるだけだ」
シトレはチラと私を見たが、直ぐ書類に視線を戻し決裁を続ける。どうも私は歓迎されていないようだ。

「いや、私が聞きたいのは本部長を辞任したらと言うことだが」
「……故郷に戻って養蜂でも始めようと思っている。死んでいったものには済まないと思うが」

「シトレ、軍を辞めたら私を助けてくれないか?」
「……」
「最高評議会のメンバーは全員辞任した。トリューニヒトが暫定政権の首班として政権を担う事になった」

私の言葉にシトレは書類を見るのを止めこちらを見た。
「私は財政委員長として彼を助ける事になった。シトレ、私のブレーンになってくれないか、軍事面でのアドバイスをして欲しいんだ」

しばらくの間沈黙が落ちた。シトレは何か考え込んでいる。私の提案を検討しているのだろうか? やがて彼は両手を組み合わせてその上に顎を乗せるとおもむろに話を始めた。

「どういう風の吹き回しだ? 詰め腹を切らされる私に同情したのか?」
「シトレ、同情なんかじゃない。君を高く買っているから助けて欲しいといっている」

シトレは私の言葉に楽しそうに笑い出した。だが、その笑いにあるのは嘲り、怒りだろうか。どういうことだ?
「シトレ?」

「高く評価しているか、心にも無い事は言わんで欲しいな」
「本当だ。今回辞任するのも君のせいじゃない。運が悪かっただけだ」
「よしてくれ、レベロ」

シトレは不機嫌そうに吐き棄てた。そしてこちらを見ると不思議な笑みを浮かべた。嘲笑、それとも冷笑だろうか。

「私は君がトリューニヒトと敵対しているとばかり思っていた。だがそうじゃなかった。君はトリューニヒトと組んでいる、そうだな?」
「何を馬鹿な!」

気付かれた? 私は思わず大声で否定した。シトレはそんな私を冷たく見据えている。

「君はトリューニヒトと組んで私の宇宙艦隊司令長官就任を潰した。そして絶対やめろと言ったドーソンを推した。私が知らないとでも思ったのか?」
「……」

「ドーソンが私に自慢げに話してくれたよ。私が宇宙艦隊司令長官になれなかったのは政府から嫌われているからだと。そして今度はトリューニヒトを助けると言う」
「……」

「信頼していない人間をブレーンにしてどうする? 意味が無いな」
「……君は強すぎるんだ、シトレ。政府に不満を持つものが君を中心に集まるかもしれない。そんな君に実戦部隊を預ける事は出来なかった」

自分の声がどこか他人の声のように聞こえた。知られたくなかった。シトレのクーデターを恐れる、それは今の同盟の政治がクーデターを起されかねないほど酷いものだという事だ。その政治の一端を私は担っている……。

「だからドーソンを選んだか。彼ならコントロールできる、御しやすいと考えた……。その結果がこの大敗か、ドーソンが阿呆なら君らはなんと言うべきかな? レベロ、君はどう思う?」

シトレの皮肉を帯びた声が耳朶を打つ。シトレの言うとおりだ。ドーソンのコントロールに失敗した私達に彼の無能を責める権利は無い……。

「これだけの大敗を喫した統合作戦本部長なら誰も担ごうとはしないだろうな。おまけにもう直ぐクビになる。私は無害になったということか?」
「シトレ、そんな言い方はよせ……」

思わず私の口から出た言葉は弱々しいものだった。そして今の私は彼の顔を正面から見ることが出来ずにいる。彼は私の親友だった。誰よりも信頼できる男だった。何時から私は彼を疑うようになった?

彼が変わったのか? 違う、彼が変わったのではない。私が変わったのだ。何時からか他人を信じることよりも疑う事が身についてしまった。そして私と彼の信頼関係は崩れつつある……。

「レベロ、君にとって敵とは誰だ? 帝国か? それとも自由惑星同盟軍か? この国に敵と味方の区別のつかない人間がいるとは思わなかったよ。しかもそれが最高評議会のメンバーとは。呆れたよ、レベロ」

しばらくの間、互いに押し黙った。彼は心底呆れていたのだろう。そして私は、私も自分の愚かさに呆れていた……。
「君の言うとおりだ、シトレ。私達が間違わなければ、君を宇宙艦隊司令長官にしておけば今回の大敗は無かったろう……。その責任もとらず、私は財政委員長になる。君が呆れるのも無理は無い……」
「……」

「同盟は弱体化し帝国は強大なままだ。私達はもう間違う事は出来ない。同盟には間違いを許容できるような余力は無くなってしまった。だから、君の力を識見を私に貸して欲しいんだ」
「……」

「君の協力が得られないのなら私は財政委員長は辞退する。同盟は著しく弱体化した。今の同盟は財政再建と防衛体制の整備の二つを同時進行させなければならない。軍事に弱い私にはどうしても君の協力がいるんだ」
「……」

「虫の良い願いだという事は分っている。それでも私は君に頼むしかない、この通りだ、私を助けてくれ。私をもう一度だけ信じてくれ」
そう言うと私は彼に頭を下げた。

「……いいだろう、協力しよう」
「シトレ……」
「ただし、条件がある」

「条件……」
「そうだ。君が新政権の中でどの程度の力を持っているか確認したい」
「……」

「レベロ、これから私が言うことを君が新政権に受け入れさせることが出来たら、君のブレーンになっても良い」
「分った」
彼の条件は多分、いや間違いなく厳しいものだろう。それでも私はチャンスを貰ったのだ。この機会を必ず活かして見せよう。この国のために……。



 

 

第百十八話 内乱への道 (その1)

帝国暦 487年9月 12日   オーディン ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー


「お嬢様、旦那様にお客様がお見えです」
「お養父様に? どなたかしら?」
「ヴァレンシュタイン司令長官です」

執事のシュテファンが悪戯っぽく笑みを浮かべながら答えた。ヴァレンシュタイン司令長官がいらっしゃった。いつ戻られたのだろう? 昨日? それとも今日だろうか。

オーディンは今、司令長官がシャンタウ星域で反乱軍の大軍を打ち破った事の話で持ちきりだ。帝国始まって以来の大勝利、おそらく司令長官は昇進し帝国初の平民出身の元帥になるだろうと皆言っている。

私はそのことに喜びながらも同時に寂しさを感じていた。少しずつ司令長官が遠くに行ってしまうような寂しさを。

養父のいった言葉、“お前があの男の孤独を癒してやれるのなら良い。しかしその自信が無いのなら、あの男の事は諦めろ。それがお前のためだ、そしてあの男のためでもある” その言葉がずっと私に重くのしかかっていた。

でも、司令長官はまた此処に来てくれた……。
「今、司令長官はどちらに?」
「玄関です。旦那様の御都合を聞いて欲しいと仰られて……」

「そう……、シュテファン、お養父様に司令長官がいらっしゃった事をお伝えして。私は司令長官を応接室に御案内するわ」
「はい」

シュテファンと別れ玄関にヴァレンシュタイン司令長官を迎えに出る。司令長官は玄関で一人静かに待っていた。私の姿を見ると穏やかな微笑を浮かべた。

「久しぶりですね、フロイライン」
「司令長官……、いつお戻りになったのですか?」
「先程です」

先程! では真っ先に此処に来てくれた……、養父に会うためかもしれないけど、それでも嬉しさが胸にこみ上げてくる。

「シャンタウ星域での大勝利、おめでとうございます」
「有難うございます」
「?」

一瞬だけど彼の表情が消えたように見えた。見間違いだろうか? 良く見ればヴァレンシュタイン司令長官は少しやつれたようにも見える。疲れている?

両軍合わせて三十万隻以上の艦隊が動員された。これまでに無い大変な戦いだったのだ。御苦労されたのかもしれない……。ヴァレンシュタイン司令長官を応接室に案内すると養父は既にソファーに座っていた。

私は司令長官が席に座るのを見届けてから養父に声をかけた。
「お養父様、私、お茶の用意をしてきますわ」
「いや、それはシュテファンに頼んである。お前は此処にいなさい」

どういうことだろう、大事な話があるのではないだろうか?
「よろしいのですか、お養父様?」
「構わん」

養父は腕を組んで厳しい表情をしている。軍を退いてからはあまり見せなくなった表情だ。本当に私が同席して良いのだろうか? ヴァレンシュタイン司令長官に目を向けると少し困ったような表情をしている。

「ユスティーナ、早く座りなさい」
「はい」
養父に促され隣に座った。一体何を考えているのだろう。なんとも落ち着かない気分だ。黙って二人の話を聞いているしかない。

「陛下にはいつ拝謁するのだ、ヴァレンシュタイン?」
「明日です。今夜、リヒテンラーデ侯、軍務尚書、統帥本部総長と会うことになっています」

「それには私も呼ばれている」
「それは……、知りませんでした」
司令長官の驚いた様子に養父は軽く笑い声を立てた。

「此処に来たのは彼らに会うまでにオーディンの状況を知りたいということか?」
「はい、それと今後の事を閣下に御相談したいと」

シュテファンが飲み物と御菓子を持ってきた。養父と私にはコーヒー、司令長官にはココア。良かった、シュテファンが司令長官にもコーヒーを持ってきたらどうしようと心配だった。

ココアの甘い香りが鼻腔をくすぐる。ヴァレンシュタイン司令長官は美味しそうにココアを飲んでいる。しばらくの間、皆でお茶を飲みながら御菓子をつまんだ。



「おおよその事は軍務尚書より聞いている。大勝利だったそうだな」
「はい、反乱軍に与えた損害は七割を超え八割に近いと思います」
八割に近い……。大勝利だと聞いていたけどそれほどまで……。

「当分、反乱軍は攻勢に出られまい。となると帝国も国内の問題を片付ける時が来た、卿はそう見ているのだな」
国内の問題? 内乱の事だろうか?

「はい、今しかないと思います。時を置けば反乱軍は国力を回復するでしょう。それに、少々厄介な相手を逃がしました」
「?」

司令長官の言葉に養父は問いかけるような視線を向けた。
「ビュコック、ボロディン、ウランフ、そしてヤン・ウェンリー」
名前が呼ばれるにつれ養父の表情が厳しくなっていく。

「少々ではあるまい。ビュコック、ボロディン、ウランフ、私も何度となく煮え湯を飲まされた相手だ」
「……」

「ヴァレンシュタイン、ヤン・ウェンリーというのは例のイゼルローン要塞を落とした男だな?」
「そうです」

しばらくの間沈黙が落ちた。養父も司令長官も互いを推し量るように沈黙している。やがて養父が溜息を吐き、言葉を出した。

「確かに今片付けるしかあるまいな。だが難しいぞ」
「難しい、と言いますと?」

「ヴァレンシュタイン、卿はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に内乱を起させ、それを討伐する事でこの問題を解決するつもりだな」
「はい」

「私もこれまでは陛下の死が内乱のきっかけになるだろうと思っていた。しかし今では陛下が崩御されても内乱は起こらぬのではないかと考えている」
「やりすぎましたか?」

ヴァレンシュタイン司令長官の声が苦汁の色を帯びた。やりすぎた? 司令長官が仕掛けた謀略の事だろうか? 貴族たちは皆悪辣だと言って怖気をふるったというけれど……。

「うむ、それもあるが彼らは待つ事が出来る事に気付いたのだ。それが大きいと思う」
「待つ事、ですか……」

ヴァレンシュタイン司令長官が不思議そうな顔をした。いつも穏やかに微笑んでいる司令長官の不思議そうな顔。その表情が彼を年齢より幼く見せる。こんな時なのに思わず見とれてしまった。

「エルウィン・ヨーゼフ殿下は未だ五歳だ。たとえ即位されても殿下が御世継ぎを得るまで十年はかかるだろう。それに殿下が無事成人されるという保証は何処にも無い」
「……」

「分るな、ヴァレンシュタイン。彼らは気付いたのだ。陛下が崩御され殿下が即位されても焦る必要は無いと。十年間余裕は有る、その十年の間に殿下がなくなられた場合、皇位は自分たちの手に落ちるだろうと」

「……」
養父の言葉がつむぎだされるにつれ、ヴァレンシュタイン司令長官の表情は苦痛の色を濃くしてゆく。

「ヴァレンシュタイン、彼らが今何をしようとしているか分るか?」
「……いえ、分りません」
「ブラウンシュバイク公も、リッテンハイム侯も娘の伴侶を決めようとしている」

「……勢力固めですか」
「そうだ、有力者の子弟を必死に見極めようとしている。役に立つか、立たぬか」
勢力固め……。陛下が御存命なのに次の帝位を自家にもたらすべくブラウンシュバイク公も、リッテンハイム侯も動き始めている。

「当初エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクの婿候補に卿の名前も上がったらしい」
「!」

驚きの余り思わず養父の顔をまじまじと見てしまった。私の視線に気付いているはずなのに養父は私を見ようとしない。ヴァレンシュタイン司令長官は……、長官も初耳だったらしい。呆然としている。

「一番厄介な敵を取り込んでしまえ、そんなところだな。だが直ぐ外された。理由は……」
言いよどんだ養父の言葉を司令長官が引き取った。そして残酷なまでに冷酷に言葉をつむいだ。

「私が平民だからですね。私とエリザベートの間に子が生まれた場合、父親が平民という事で皇位継承に差しさわりがある。つまりエリザベートが女帝になるのは問題が有る。リッテンハイム侯はそう主張するでしょう」
「……」

沈黙が落ちた。息をする事さえためらわれるような沈黙だ。三人とも身じろぎもしない。私は視線を伏せたまま上げる事が出来ない。司令長官の口調に怒りは無かった、嘲りも無かった。落ち着いた平静な声だった。

何を考えているのだろう? 司令長官がエリザベート様の婿になりたがっているとは思えない。でも平民であるという事だけで忌諱されたことは司令長官にとって決して愉快なことではないはずだ。

今、帝国で司令長官ほどの実力者はいない。その実力者を平民であるというだけでブラウンシュバイク公も、リッテンハイム侯も忌諱している。彼らが司令長官を忌諱するのなら司令長官も彼らを否定するだろう。その事に彼らは気付かないのだろうか。

「彼らが待つ事を選んだのには他にも理由があるからだ」
重苦しい雰囲気を跳ね除けるように養父が口を開いた。私もようやく顔を上げて司令長官を見る事が出来た。穏やかな表情をしている……。

「今の卿は味方も多く磐石と言って良い。だが十年後の卿は分らぬ。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ、彼らが健在だという保証は何処にも無いのだ」

「……時間は彼らの味方だというのですね」
「そうだ。彼らにとって焦る必要は無いのだ。十年の間に隙を見つけ彼らは簒奪に動くだろう」

また沈黙が落ちた。司令長官は伏し目がちに何かを考えている。右手で軽く左腕を叩きながら何かを考えている。養父は何故私をこの場に居させたのだろう? 私に何をさせたいのだろう?

「やはり早急に片付ける必要がありますね。問題の先送りは帝国にとって何の利益も有りません。反乱軍が勢力を回復する前に国内の問題を片付けます」

「彼らを暴発させるのであれば、余程の策がいる。有るのか策が?」
「……有ります。彼らを必ず暴発させます」
「!」

静かな、決意に満ちた声だった。司令長官はまた戦おうとしている。反乱軍との戦いが終わったばかりだというのに新たな敵との戦いに身を投じようとしている。

「ヴァレンシュタイン司令長官……」
「フロイライン、私は大丈夫です」
「……」

私は何を言おうとしたのだろう。良くわからない。でも言葉にする前に封じられてしまった……。

「私はシャンタウ星域で一千万近い反乱軍の兵士を死に追いやりました。今度内乱が起きれば、また何百万という帝国の人間を殺す事になります」
静かに司令長官の声が流れる。聞きたくない、そんな言葉は聞きたくない。私は思わず顔を伏せた……。

「気が重いですね。でも退く事は出来ません。フェザーンと自由惑星同盟を征服し、宇宙から戦争をなくすためには先ず帝国から内乱の根を取り除く必要があるんです」

思わず司令長官を見た。私に微笑みかける彼がいる。彼は苦しみながらも必死に前へ進もうとしている。誰のためでもない、これ以上戦争で苦しむ人を出さないために戦おうとしている。

どうして軍人になどなったのだろう? 何故出世してしまったのだろう? 神様はどうしてこの人に穏やかな生き方を選ばせてあげなかったのだろう。

「一つだけ教えてください」
「ええ」
「もう一度、人生をやり直せるとしたら、同じ道を歩みますか?」

「……歩きたくはありません。でも、歩いてしまうのでしょうね、きっと」
どこか困ったような、諦めの混じった口調だった。その言葉を聞いたとき私の眼から涙が溢れてきた。私にこの人の孤独が苦痛が癒せるだろうか……。



 

 

第百十九話 内乱への道 (その2)

帝国暦 487年9月 12日   オーディン リヒテンラーデ侯邸 ラインハルト・フォン・ローエングラム


 リヒテンラーデ侯邸に人が集まったのは夜八時過ぎだった。軍からは俺のほかに軍務尚書エーレンベルク、統帥本部総長シュタインホフの両元帥、ミュッケンベルガー退役元帥、ヴァレンシュタイン宇宙艦隊司令長官が集まった。

政府からは国務尚書リヒテンラーデ侯、財務尚書ゲルラッハ子爵の二人だが両者とも苦虫を潰したような顔をしている。ゲルラッハ子爵はカストロプ公の後任だ。どうやらリヒテンラーデ侯の信頼が厚いらしい。

これから帝国の今後の行動方針を決める。本来なら宮中で話すべきなのだが内乱等微妙な問題が有るため、宮中では話し辛い。事前に此処で調整し、ある程度決まってから皇帝の前で話す予定だった。

だがその皇帝フリードリヒ四世がすでに此処にいる。どうやら無理を言って押しかけてきたらしい。リヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵の表情が渋いのはその所為のようだ。

応接室に通され思い思いに席に着く。と言っても上座にはフリードリヒ四世が座り俺とヴァレンシュタインは下座のほうに座ることになる。俺は司令長官の隣に座った。

「リヒテンラーデ侯、予に構わず話を進めよ」
「はっ」
皇帝がリヒテンラーデ侯に声をかけたのはシャンタウ星域の会戦の話がひとしきり済んだ後だった。

おかしなことに誰も余りうれしそうではなかった。どうやらリヒテンラーデ侯達にとっては勝って当たり前の事らしい。ヴァレンシュタイン司令長官もどこか冷めた表情をしている。素直に喜びを表したのは皇帝だけだった。

「どうも、やりづろうございますな」
「遠慮はいらぬ。好きにやるが良い」
皇帝とリヒテンラーデ侯の会話に誰かが苦笑したようだ。微かな笑い声が聞こえる。

「ヴァレンシュタイン、卿は今のオーディンの状況が分っておるかの?」
「此処に来る前にミュッケンベルガー元帥より大まかには伺いました」
「では、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が時を待とうとしていることも承知か?」
「はい」

リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタインの会話は俺には良く理解できない。時を待つ? どういうことなのだろう? そんな俺の疑問に答えてくれたのはミュッケンベルガー元帥だった。

エルウィン・ヨーゼフが後継者をもうけるまで最低十年は猶予がある。それまではエリザベートもサビーネも有力な皇位継承者として存在し続ける。そして十年後には帝国の上層部も様変わりしているだろう。今すぐ行動に出る必要は無い……。

確かにミュッケンベルガー元帥の言う通りだ、どうやら俺が考えている以上にブラウンシュバイク公達はしぶとい、そして圧倒的とも思えるヴァレンシュタインの優位も意外な弱点を抱えている。人の寿命ほど分らないものは無い。

「ヴァレンシュタイン司令長官は策を以って彼らを暴発させ、一気に国内問題を片付けるべきだと考えている」
ミュッケンベルガー元帥が説明を締めくくった。

応接室に沈黙が落ちた。皆一様にヴァレンシュタインを見た。彼らの視線に気付かないとは思えない。しかし、ヴァレンシュタインは伏し目がちに何かを考えている。

「ヴァレンシュタイン、策を聞く前に確認したい。卿は陛下の御命は年内一杯と予測したが、根拠は有るのか?」
エーレンベルク元帥が戸惑うような口調で問いかけてきた。

確かに俺もその点に関して疑問がある。目の前で見るフリードリヒ四世はすこぶる健康だ。年内一杯で死ぬなどとても考えられない。

「有りません。ただ、あの時点では恐れ多い事ですが何時万一の事態が起きても不思議ではありませんでした。それ故、年内一杯と考えて戦ったのです」
「あの時点か……」

あの時点というのはイゼルローン要塞陥落の直後だろうか? 確かにあの当時の皇帝は不摂生な生活によって奇妙に困憊した印象を与える老人だった。いつ死んでもおかしくはなかっただろう。

皆、俺と同じことを考えているのかもしれない。考え込む人間、頷く人間はいてもヴァレンシュタインを非難する人間はいない。フリードリヒ四世は微かに苦笑している。思い当たる節があるのだろう。エーレンベルク元帥が続けてヴァレンシュタインに問いかけた。

「ヴァレンシュタイン、今回の策は陛下が御存命である事を前提に立てるのだな?」
「はい」
「では、卿の策を聞かせてもらおうか」

「その前に一つ確認したい事があります」
「?」
「帝国は今、内乱の危険さえなければフェザーンを占領し、反乱軍を降し宇宙を統一する好機にある。小官の認識は誤っておりましょうか?」

ヴァレンシュタインの言葉に皆、顔を見合わせた。エーレンベルク、シュタインホフの両元帥、ミュッケンベルガー退役元帥等がリヒテンラーデ侯を見て頷く。

「それについては同意……」
「お待ちください、国務尚書閣下」
リヒテンラーデ侯を止めたのはゲルラッハ子爵だった。この男、軍事については素人だと思うのだが、何か有るのだろうか。

「司令長官、反乱軍を制圧するとしてどの程度の軍を率いるのかな?」
「まず最低でも今回と同程度の軍を率いる事になるでしょう」
「遠征の期間は?」
「約一年と考えています」

妥当な線だろう。反乱軍は現在五個艦隊ほどだ。イゼルローン、フェザーンの両面作戦を取るのだろうが往復も入れれば制圧に一年というのはおかしな数字ではない。エーレンベルク、シュタインホフの両元帥、ミュッケンベルガー退役元帥も頷いている。

「私は同意出来ません」
「!」
「財政が持ちません」

財政が持たない、ゲルラッハ子爵のその言葉にヴァレンシュタインを除く軍人たちが渋い顔をした。戦う事を本職をする軍人にとって財務官僚は天敵だ。何かにつけて金が無いと言い出す。

「今回のシャンタウ星域の戦いは短期間で、しかもオーディンの近くで行なわれました。それ故戦費も思いのほかに少なくて済んだ。しかし、今の司令長官の想定では戦費は膨大なものになる。現在の帝国の財政状況では到底許容できない」

「では、内乱の危険と財政の問題、その両者を解決できれば如何です、ゲルラッハ子爵」
「それなら問題は無い。しかし、そんな事が本当にできるのか?」

確かにゲルラッハ子爵の言うとおりだ。そんなことが出来るのだろうか。しかしヴァレンシュタインの表情は穏やかで困ったような様子は無い。

「出来ます。税制と政治の改革をすればいいでしょう」
「……」
皆、訝しげな顔をしている。税制と政治の改革……、一体どういうことだ?

「貴族に課税します。それと貴族の持つ既得特権の廃止ですね。具体的には農奴の廃止と平民の権利の拡大、それだけで彼らは暴発してくれるでしょう。後はそれを潰せば良い」
「馬鹿な、卿は何を言っている」

震えを帯びた声を出したのはゲルラッハ子爵だった。他の出席者も皆凍りついたように固まっている。少しも変わらないのはヴァレンシュタインと皇帝フリードリヒ四世だけだ。

皆が固まるのも無理は無い。爵位を持つ貴族への非課税、農奴の所持はルドルフ大帝以来の帝国の国是なのだ。それをフリードリヒ四世の前で否定する。一つ間違えばヴァレンシュタイン自身が逆賊として討たれかねない。それなのに平然と言ってのけた……。

「反乱を起したブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、それに与する貴族は財産を全て没収します。それ以外の貴族にも遺産相続税、固定資産税、累進所得税等を適用すれば十兆帝国マルクを超える金額が国庫に入りそうです。ゲルラッハ子爵、戦費の問題も解決します」
「……」

ヴァレンシュタインはゲルラッハ子爵に語りかけながらも視線はリヒテンラーデ侯に向けている。自然と皆の視線もリヒテンラーデ侯に向かった。そのリヒテンラーデ侯は厳しい眼をヴァレンシュタインに向けている……。

「そのような策を私が認めると思うのか、ヴァレンシュタイン」
低い声だった。何処か怒りを抑えた低い声……。リヒテンラーデ侯は怒っている。

「認めると思いますよ、リヒテンラーデ侯」
何時もと変わらない穏やかな声だった。しかしヴァレンシュタインの視線は微塵も揺るぎを見せずにリヒテンラーデ侯を見ている。

親密といっていいはずの二人が対立している。決裂するのだろうか。何処かでそれを望む自分がいる。この二人が堅密な関係を結んでいる限り手強い。しかし、二人がバラバラなら隙をつけるかもしれない。

「リヒテンラーデ侯、小官の質問に答えてもらえますか?」
「……」
リヒテンラーデ侯は黙ったままだ。しかしヴァレンシュタインは気にすることも無く言葉を続けた。

「今、帝国が反乱軍を制圧したとします。帝国は新たな領土を得たわけですが、ある貴族が新領土で所領が欲しいと言いました。彼に所領を与えた場合、何が起きると思います?」

「……」
リヒテンラーデ侯は答えない。しかし、侯の表情は先程までの厳しい表情から一変していた。困惑した表情になっている。そして徐々に苦痛に満ちた表情になった。その様子に皆が驚く。どういうことだ?

「ヴァレンシュタイン司令長官、一体何が起きるのだ?」
耐え切れなくなったのか、シュタインホフ元帥が問いかけてきた。ヴァレンシュタインはリヒテンラーデ侯から視線を外し、答えを口にした。

「反乱が起きるでしょう。しかもあっという間に新領土全体に広まると思います」
「!」
驚く皆に対して静かに確かめるような口調でヴァレンシュタインは話しを続けた。

「反乱軍の人間たちは帝国の平民などよりはるかに政治的な成熟度は高いのです。彼らは自分たちの権利を理解しているし統治者の義務についても熟知しています。そんなところに貴族以外は人間として認めていないような人物が支配者として行ったらどうなるか……。火を見るよりあきらかです」

「鎮圧すればいいだろう。何をためらう事がある」
断言するような口調で言ったのはゲルラッハ子爵だった。何処か反発するような口調だが、ヴァレンシュタインに含むところでもあるのだろうか? 先程の貴族にも課税すると言った言葉で反感を持ったのか?

「百三十億の人間が反乱を、暴動を起すのですよ、新領土全体に渡って。簡単に鎮圧などと言ってほしくありません」
「……」

「たとえ鎮圧したとしても、帝国の統治に不満を持った人間は地下に潜るでしょう。そしてゲリラ活動を始める事になります。新領土の治安を維持するためにどれだけの兵が、物が、金が必要になると思います? いずれ帝国はその負担に耐えられなくなるかもしれません。そうなったら……」

「そうなったら? どうなるのだ、ヴァレンシュタイン」
「そうなったら新領土を放棄するしかないでしょう、シュタインホフ元帥」
「!」

新領土を放棄する。その言葉に応接室の彼方此方から溜息が漏れた。有り得ない話ではない、帝国でも支配者の圧政に耐えかねて反乱が起きる事が有るのだ。新領土で反乱が起きないほうが不思議だろう。放棄というのは十分有り得る。

「それを防ぐためには新領土の統治は帝国とは別なものにしなければならないでしょう。その場合……」
「もうよい、止めよ、ヴァレンシュタイン」

ヴァレンシュタインを止めたのはリヒテンラーデ侯だった。何処か疲れたような表情をしている。侯はヴァレンシュタインに反対なのだろうか?

「それから先は私が話す。新領土の統治は帝国とは別物にする。その場合、新領土の統治は帝国より開明的なものになるじゃろう」
「……」
新領土の統治は帝国より開明的なものになる……。

「帝国の平民たちは不満を持つじゃろうな。何故占領地のほうが恵まれているのかと……」
「!」
確かにそうだ。誰でも不満を持つだろう、と言う事は……。

「無視すれば帝国本土において暴動が生じるじゃろう。つまり、新領土を得れば遅かれ早かれ政治の改革が必要になる」
「……」

「それならば今やったほうが良い。反乱軍を征服するために政治改革をすると唱えてブラウンシュバイク公達を挑発し反乱を起させる。彼等を潰してしまえば政治改革もし易い。それがヴァレンシュタイン、卿の意見だな」
「そうです」

溜息が出た。俺だけではない、彼方此方から溜息が出ている。反乱軍を打ち破り征服する。そのことが帝国内部の政治改革に繋がるとは思わなかった。

反乱軍を征服するためと唱えれば、貴族たちも正面から反対はし辛いだろう。反対すれば、反乱軍に味方するのかと責められることになる。そして改革が進めば、徐々に貴族たちは政治的特権を失うことになる。

貴族に課税し農奴を廃止する。そして平民の権利の拡大、即ち貴族の権利の縮小だ。どれも貴族にとって耐えられる事ではあるまい、必ず暴発するだろう……。




 

 

第百二十話 内乱への道 (その3)

帝国暦 487年9月 12日   オーディン リヒテンラーデ侯邸 ラインハルト・フォン・ローエングラム



「それならば今やったほうが良い。反乱軍を征服するために政治改革をすると唱えてブラウンシュバイク公達を挑発し反乱を起させる。彼等を潰してしまえば政治改革もし易い。それがヴァレンシュタイン、卿の意見だな」
「そうです」

溜息が出た。俺だけではない、彼方此方から溜息が出ている。反乱軍を打ち破り征服する。そのことが帝国内部の政治改革に繋がるとは思わなかった。

反乱軍を征服するためと唱えれば、貴族たちも正面から反対はし辛いだろう。反対すれば、反乱軍に味方するのかと責められることになる。そして改革が進めば、徐々に貴族たちは政治的特権を失うことになる。

貴族に課税し農奴を廃止する。そして平民の権利の拡大、即ち貴族の権利の縮小だ。どれも貴族にとって耐えられる事ではあるまい、必ず暴発するだろう……。

「反乱軍の征服を止める事は出来ませんか?」
恐る恐るといった表情で話し始めたのはゲルラッハ子爵だった。皆呆れたような表情で彼を見つめる。

「馬鹿な、何を言うのだ、ゲルラッハ子爵!」
エーレンベルク元帥がゲルラッハ子爵に噛み付いた。確かにそうだ、反乱軍を征服するなとは一体何を考えているのか。

だが、ゲルラッハ子爵は退かなかった。顔を真っ赤に染めてエーレンベルク元帥に抗弁する。
「しかし、政治改革を行なうと言えば、本来なら味方につく貴族もブラウンシュバイク公達に味方するでしょう」

「……」
「敵が強大になりすぎます。内乱は長期に亘るかもしれません。そうなれば反乱軍が介入する危険が生じるでしょう。場合によっては負ける可能性も出てくるのではありませんか」

なるほど、その可能性を考えたか……。貴族連合など恐れる事などないと思うが確かに彼等の戦力は強大だ。文官が不安に思うのも無理は無い。それに反乱が長期に亘れば貴族連合と反乱軍が協力する可能性も有るだろう。

「負ける事は無いと思うが、反乱が長期に亘る可能性はあるか……。その場合ブラウンシュバイク公と反乱軍が手を結ぶ可能性は有るかもしれん」
ミュッケンベルガー退役元帥が俺が感じた懸念を口にした。

「この問題は帝国内部の問題です。反乱軍の征服と連動させるべきでは有りません。政治改革など無謀すぎます。とても賛成できない」
ゲルラッハ子爵の悲鳴のような声が応接室に響いた。

皆、一様に渋い表情をしている。ここにいる人間はヴァレンシュタインを除けば皆貴族だ。心情的には平民より貴族に親近感を持っているだろう。

政治改革を行なえば昨日までの友人が敵に回る。特にリヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵、そして俺は爵位を持っている。改革の影響を直接受ける事になるだろう。俺はともかく、あとの二人は受け入れられるだろうか?

俺は隣に座っているヴァレンシュタインを見た。俺の視線に気付いたのだろう。こちらを見ると微かに笑いを見せた。彼は既にこの状況を想定している! 対策も考えている!

「ゲルラッハ子爵、反乱軍の征服を止める事はできません。なぜならこのまま反乱軍との戦争を続ければ帝国は崩壊してしまうからです」
「!」

ヴァレンシュタインの“崩壊”という言葉に皆驚いて彼を見つめた。
「毎年百万から三百万近い成人男性が戦死しているのです。それが何を意味するか分りますか?」
「……」

「帝国内では結婚できない女性が増え続けているんです。当然生まれてくる子供も減り続けている。父や夫、息子を失った女子供たちの中には生活する事が出来ずに農奴に身を落とす人間もいるんです」

確かにそうだ。俺も一つ間違えばそうなっていただろう。貴族とは名ばかりの爵位も持たない帝国騎士の家に生まれ、酒に溺れ子供を顧みない父を持った。

残された姉さんと俺、あのままだったらいずれ生活できなくなり俺も農奴になっていたかもしれない……。姉さんが抵抗もせず後宮へ行ったのもそれが分っていたからかもしれない……。俺は姉さんに救われた。だから今度は俺が姉さんを救う、そう誓った。

「銀河連邦時代の事ですが人類は三千億人いました。しかし今では帝国には十分の一にも満たない人間しかいません。戦争だけが人口減少の原因ではありませんが、このまま戦争を続ければ益々人口は減少し、帝国は国家としての機能を維持できなくなるでしょう。崩壊です」

「ならば、和平は」
喘ぐようにゲルラッハ子爵が言葉を出した。よほど政治改革をしたくないらしい。それほどまでに貴族の特権が大事か、愚かな……。

「和平を結ぶという事は、反乱軍を自由惑星同盟という対等の国家として認めるということです。ゲルラッハ子爵、出来ますか、それが?」
「!」

静かな声だった。しかしヴァレンシュタインの声に応接室は沈黙した。それほどまでに彼の言っている事は重い。帝国が対等の国家を認める、そんなことは有り得ない。それこそ貴族たちは反発するだろう。こちらを排斥する口実を与えるようなものだ。

「それに和平など何の意味もありません。かえって混乱するだけです」
「?」
ヴァレンシュタインの言葉に皆訝しげな表情をする。和平に意味が無い……。どういうことだ。

「和平を結べば、当然国境を開放する事になります。反乱軍の領内から多くの商人がイゼルローン回廊を使って帝国に来るでしょう。フェザーンを経由するより帝国と直接商売をしたいと思う商人が出るはずです」
「……」

「彼等が持ってくるのは商品だけではありません。彼等は民主共和制という思想も持って来るでしょう。辺境星域で平民たちが民主共和制に触れればどうなるか……」

リヒテンラーデ侯の顔が苦渋に歪んだ。俺には侯の気持ちが分る。ヴァレンシュタインが何を言おうとしているのか、此処までくれば嫌でも想像がつく。

「彼等は当然ですが自分たちの権利の拡大を求めるでしょう。場合によっては内乱を起し、反乱軍に援助を要請する、あるいは服属を申し込むかもしれません。そうなれば和平など吹っ飛んでしまいます。意味がありません」

呻き声が彼方此方から上がった。ヴァレンシュタインの言うとおりだ。和平など意味が無い。おまけにイゼルローン要塞は向こう側にある。反乱軍は好きなときに兵を出せるだろう。つまり主導権は向こうが握る事になる。

リヒテンラーデ侯は苦渋に顔を歪め、ゲルラッハ子爵は打ちのめされたように椅子にうずくまっている。エーレンベルク、シュタインホフの両元帥、ミュッケンベルガー退役元帥は疲れたような表情をしていた。そんな中、皇帝だけが興味深げな表情でこちらを見ている。

「帝国に残された道は一つしか有りません。国内を改革し、フェザーン、反乱軍を征服する。そして宇宙を統一する唯一の星間国家、新銀河帝国を作るしかないんです」
「!」

また呻き声が彼方此方から上がった。新銀河帝国、確かにそうだ。この帝国はルドルフの作った今の帝国ではない。ヴァレンシュタインの作った新しい帝国だ。

ルドルフに出来た事なら俺にも出来ると思っていた。皇帝になり宇宙を統一する事が夢だった。簡単だとは思わなかったが不可能だとも思わなかった。だが俺は帝国を、フェザーンを、反乱軍を、ヴァレンシュタインほど理解していただろうか?

大きい、今の俺には宇宙は大きすぎるように思える。こんなにも大きかったのだろうか? ヴァレンシュタインにとっての宇宙は俺などよりはるかに小さく見えるのではないだろうか?

まだだ、まだ勝負はついていない。新帝国が成立したわけじゃない。彼が何を考えているかは判ったのだ。これから俺はどうすべきかを考えればいい。オーベルシュタイン、キルヒアイス、俺には信頼できる味方がいる。

沈黙が落ちていた。今日何度目の沈黙だろう。皆ヴァレンシュタインの言った新銀河帝国について考えているに違いない。不可能ではないだろう、しかし老人たちにとって受け入れるのは難しいのだろうか……。

「ヴァレンシュタイン、卿は酷い男じゃの。七十年以上貴族として生きた私にそれを捨てろというのか」

リヒテンラーデ侯が疲れたような表情で問いかけてきた。ヴァレンシュタインは何と答えるのだろう。

「そうです。小官は侯と戦いたくは有りません。しかしこの件で譲るつもりは有りません」
「……」

「逃げないで頂きたい。帝国が此処まで衰退したのは一部の特権階級が帝国を私物化したからです。違いますか?」
「……確かにそうじゃの。ヴァレンシュタイン、陛下を此処へお呼びしたのは卿じゃな」

リヒテンラーデ侯の声が応接室に静かに流れた。周囲の驚いたような視線がヴァレンシュタインに集まる。

「そうです。改革を行なうと成れば、これは陛下の勅令が必要となります。ですから陛下には結論だけではなく討議の内容も御覧頂いたほうが良いだろうと判断しました」

なるほど、皇帝が此処にいるのは気まぐれではないという事か。皇帝はどう判断したのだろう。今度こそ、皇帝の器量を測るいい機会かもしれない。

「なかなか見ごたえがあったの。つまらぬ劇など見ているよりずっと面白い。酒が無いのが残念じゃ。国務尚書、そちはヴァレンシュタインの考えに反対か?」
皇帝は笑いを含んだ声でリヒテンラーデ侯に問いかけた。

「理解はしております、しかし……」
「納得は出来ぬか……、人とは難しいものだの」
「恐れいりまする」

「ヴァレンシュタイン」
「はっ」
「帝国は滅ぶか?」

皇帝の言葉は穏やかなものだったが、応接室には緊張が走った。
「このままなら、帝国は滅びます」
穏やかな声だった。皇帝とヴァレンシュタインの二人だけが穏やかな雰囲気を保っている。

「そうか、滅びるか、華麗に滅びるかの?」
「……残念ですが、無様に崩壊すると思います」
「そうか、残念じゃの。華麗に滅びるなら、それでも良かったのじゃがの」

皇帝の言葉に皆驚いたように皇帝を見た。皇帝は驚くようなことも無く皆の視線を受け止めている。

「陛下、滅多な事を申されてはなりません。ヴァレンシュタイン、少しは控えよ」
「良いのじゃ、国務尚書。一人くらい予に言葉を飾らぬ男が居ても良かろう」

国務尚書は困ったような表情で頭を下げた。言葉を飾らぬ、確かにヴァレンシュタインほど正直で嘘をつかない男は居ないだろう。謀略家としてのヴァレンシュタインと誠実なヴァレンシュタイン、どちらが本当の彼なのか……。

「ヴァレンシュタイン、そちは予の勅令がいるのじゃな?」
「はっ。改革を行なうとなれば、ルドルフ大帝以来の祖法を変えることになります。陛下の勅令が必要となります」

皇帝はヴァレンシュタインの言葉に頷きながら国務尚書に話しかけた。
「国務尚書、予の勅令が有れば、そちも迷わずにすむか?」
「陛下の御命令と有れば迷う事は有りませぬ」
「そうか、迷わぬか」

「しかし、その勅令を出せば、多くの不届き者たちが陛下の御命を狙いましょう。臣にはそれを御奨めすることは出来ませぬ」
リヒテンラーデ侯が渋っていたのは策の良し悪しよりも皇帝の身の安全を考えてのことだったのかもしれない。

「そうか、予の命を狙うか……、それも良かろう。予も六十年生きた、蔑まれ続けた六十年じゃ」
「陛下! 何を仰せられます!」

「良いのじゃ、国務尚書。皆予の前では頭を下げつつも心の中では嘲笑っておった。凡庸な男だとな。予を笑わなんだのは、その方らを含めほんの数えるほどじゃ。その蔑まれ続けた凡庸な皇帝が帝国の命運を変える勅令を出すか……。生きるとは面白いの」
「……」

皇帝は分っていた! 自分が凡庸だと多くの人間に蔑まれていると理解していた。どんな気持ちで自分を蔑んでいる人間たちを見ていたのだろう。むしろ嘲笑っていたのは皇帝のほうだったのではないだろうか。俺もその中の馬鹿な廷臣の一人だと判断していたのだろうか。

「憎まれるか、それも悪くない。どのようなものか味わってみようではないか。楽しくなりそうじゃの……」
「……」

「皆聞くが良い。予は勅令を出す。この国を変え、新しい帝国を作るのじゃ。それに反対するものは逆賊である。たとえ何者であろうと容赦する必要は無い。さよう心得よ!」

俺たちは皆、一斉に起立して頭を下げた。勅令を出す、フリードリヒ四世は決断した。帝国は変わるだろう、皇帝が変わった様に帝国も変わる。

フリードリヒ四世が後世どのように評価されるか分らない。しかし、新帝国を作ったのはヴァレンシュタインでも、それを命じたのはフリードリヒ四世だ。新帝国の初代皇帝として、ルドルフを否定した皇帝として記憶されるのかもしれない……。





 

 

第百二十一話 元帥杖授与

帝国暦 487年9月 14日   オーディン 宇宙艦隊司令部 オスカー・フォン・ロイエンタール


ミッターマイヤーとともに司令長官室に向かった。今回の戦いで思いのほかに損害を受けている、その補充の願いだ。司令長官室に入るとヴァレンシュタイン司令長官はある軍人と応接室に行こうとしている所だった。

急ぐ用ではない、どうやら貴族たちは時を待つつもりのようだ。今すぐ内乱が起きないのなら艦隊の再編には十分な時間が有る。出直しても良いだろう。

ミッターマイヤーと視線を合わせると彼は肩を竦めてきた。どうやら彼も同意見らしい。思わず苦笑いして踵を返した時、ヴァレンシュタイン司令長官の声が聞こえた。

「ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督、帰らなくても良いですよ、こちらへ」
その声に振り返ると司令長官が穏やかに微笑んでいるのが見えた。

「は、しかし」
「構いません、一緒に。アントン、いいだろう?」
「ああ、構わんよ」

応接室に入りソファーに座る。アントンという男だが何処かで見たことがあるようだ。何処でだったか……。
「紹介しましょう。彼はブラウンシュバイク公の所にいるアントン・フェルナー大佐です」

思い出した。軍刑務所でブラウンシュバイク公とともに居た男だ。思わずミッターマイヤーを見たが、彼も表情が厳しくなっている、思い出したのだろう。

一方のフェルナー大佐は俺たちの様子を気にするようなことも無く落着いて座っている。肝が太いというか小面憎いというか……。

「フェルナー大佐にはフェザーンに行ってもらっていたのです」
「フェザーンですか」
司令長官の言葉にミッターマイヤーが反応する。

「ええ、反乱軍の弁務官事務所に接触してもらっていました。彼らを帝国に攻め込ませるために」
「!」

驚いた。司令長官が反乱軍を誘引するために様々な手を打っているだろうとは思っていた。しかし、その一手をブラウンシュバイク公の部下が担っていたとは……。

「アントン、有難う。卿のおかげで上手く反乱軍を誘引できた。感謝しているよ」
「俺だけの功じゃないさ。情報部や卿も大分動いていた、そうだろう?」

「それでも、卿の働きは大きかったと私は思っている。卿の事は軍務尚書にも伝えてある。おめでとう、アントン。来週には閣下と呼ばれる事になるよ」

嘆声を上げてフェルナー大佐は喜びを露にした。その気持ちは俺にも判る。初めて閣下と呼ばれた時の誇らしさはなんとも言い難いものだ。俺もミッターマイヤーも口々に祝いの言葉をかけた。

それがきっかけとなって会話が弾んだ。悪い男ではなかった。フェザーンでの食事や風物など面白く話してくれる。気が付けば俺もミッターマイヤーも声を上げて笑っていた……。

その出来事は彼が帰るときに起きた。席を立ち応接室を出ようとするフェルナー大佐に司令長官が声をかけた。

「アントン、ギルベルト・ファルマー氏は元気そうだね」
「!」
「?」

フェルナー大佐の後姿が目で分るほどに緊張した。彼はゆっくりと振り向くと
「知っているのか?」
と司令長官に問いかけた。

「知っている。ルパート・ケッセルリンクと会っていたことも」
「……参ったな。弁務官事務所には注意していたんだが」
苦笑とともにフェルナー大佐が答える。どういうことだ、二人とも何を話している?

「弁務官事務所じゃない。情報部だ」
「情報部……」
情報部! フェザーンでの任務には何か秘密が有るのだろうか? ミッターマイヤーも緊張している。

「済まないね、アントン。念のため用心させてもらった」
「いや、当然の用心だと思う。やはり卿だな、ヴィオラ大佐では俺の相手は無理だ」

フェルナー大佐は不敵といって良い笑みを見せると敬礼してきた。ヴァレンシュタイン司令長官も答礼する。俺たちも慌てて答礼した。

フェルナー大佐が部屋を出て行くとヴァレンシュタイン司令長官が少し寂しげな表情で話し始めた。

「ギルベルト・ファルマーというのは、フレーゲル男爵のことです」
「……」
フレーゲル男爵か。フェルナー大佐が会っていたということはブラウンシュバイク公の命令で会っていたということか。しかし、ルパート・ケッセルリンクとは?

「まあ、それは良いのですが……。もう一人のルパート・ケッセルリンクは、アドリアン・ルビンスキーの部下なのです」
「では、ブラウンシュバイク公は」


「フェザーンとの関係を強めようとした、そういうことでしょうね」
「貴族たちは時間を待つのではないのですか?」
「いつでも動けるようにしておく、そういうことでしょう」

どうやら俺は考え違いをしていたようだ。のんびりしている時間は無い。貴族たちは十年待つつもりはない、十年の間に動くという事だ。早急に艦隊を再編する必要があるだろう……。


帝国暦 487年9月 21日   オーディン 新無憂宮 ライナー・フォン・ゲルラッハ


広大な黒真珠の間に大勢の人間が集まっている。皇帝の玉座に近い位置には帝国の実力者と言われる大貴族、高級文官、武官がたたずんでいる。彼らは幅六メートルの赤を基調とした絨緞をはさんで文官と武官に分かれて列を作って並んでいる。

一方の列には文官が並ぶ。国務尚書リヒテンラーデ侯、フレーゲル内務尚書、ルンプ司法尚書、ウィルへルミ科学尚書、ノイケルン宮内尚書、キールマンゼク内閣書記官長、そして私、ライナー・フォン・ゲルラッハ財務尚書。

反対側の列には武官が並ぶ。エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、クラーゼン元帥、オフレッサー上級大将、ラムスドルフ上級大将、ローエングラム伯。

ブラウンシュバイク公は名目だけとは言え元帥位を得ている事から武官の側に並んでいる。そして今日、新しい帝国元帥が誕生する。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、二十二歳の若者だ。

帝国元帥は上級大将より一階級高いというだけではない。年額二百五十万帝国マルクにのぼる終身年金、大逆罪以外の犯罪については刑法を以って処罰される事は無く元帥府を開設して自由に幕僚を任免する事が出来る特権を持つ。

二十二歳の元帥……。帝国史上最も若い元帥だ。しかも初めて平民から誕生した元帥……。本来なら平民の元帥などありえない。しかし、帝国では彼が元帥になる事に異議を唱える人間はいない。

彼が元帥になったのが早いのか遅いのか私には分らない。早い時期から軍では、いや宮中でもエーリッヒ・ヴァレンシュタインの名前は聞こえていた。いずれ帝国の実力者になると……。

古風なラッパの音が黒真珠の間に響く。その音とともに参列者は皆姿勢を正した。

「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護
者、神聖にして不可侵なる銀河帝国フリードリヒ四世陛下の御入来」
式部官の声と帝国国歌の荘重な音楽が耳朶を打つ。そして参列者は頭を深々と下げる。

ゆっくりと頭を上げると皇帝フリードリヒ四世が豪奢な椅子に座っていた。血色も良く生気に溢れている。半年前からは想像もつかないほど陛下は変わった。そして誰もが皆知っている。陛下を変えたのはヴァレンシュタインだと。

「宇宙艦隊司令長官、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン殿」
式部官の朗々たる声がヴァレンシュタインの名を呼んだ。その声とともに絨毯を踏んで一人の青年が陛下に近づいてくる。

黒の軍服に身を包み、元帥に昇進することから肩章、マント、サッシュを身に纏っている。マントの色は表も裏も黒だ。そして濃紺のサッシュと金の肩章。

まるで目立つ事を嫌うかのような装いだ。そして何よりも軍服がこれほど似合わない青年も居ないだろう。黒髪、黒目、優しげな表情。華奢で小柄な体を包む黒い軍服と黒いマント。

大勢の貴族が敵意の視線を向ける中、まるでマントで身を守るかのようにして歩いてくる。知らない人間が見れば笑い出すか、馬鹿にするだろう。帝国も落ちたものだと。だが、この場にはそのような愚か者は居ない。この若者の恐ろしさは外見では無く内面に有るのだ。

彼を軽んじた人間、敵対した人間がどうなったか、皆知っている。オッペンハイマー、フレーゲル、カストロプ、ブルクハウゼン……。彼の持つ果断さ、苛烈さの前に皆、死ぬか、没落した。

彼が黒を選ぶのも或いは死者を弔うための喪服なのかもしれない。そして内乱が起きれば彼が弔うべき死者は更に増えるだろう。この式典に参加している人間も大勢死ぬに違いない。

ヴァレンシュタインが玉座の前に立った。そして片膝をつく。
「ヴァレンシュタイン、このたびの武勲、まことに見事であった」
「恐れ入ります、臣一人の功ではありません。帝国の総力を挙げた結果にございます」

「そうじゃの、予もいささか手伝ったの」
「はっ」
陛下は上機嫌だ。陛下にとってヴァレンシュタインは戦友なのかもしれない。共に反乱軍を謀り、フェザーンに通じた裏切り者を倒した……。

「そちを貴族にしてはどうかと言うものが有る」
「……」
「これまで平民が帝国元帥になった前例は無い。貴族に列するべきだとな」

ヴァレンシュタインは顔を伏せたまま答えない。周囲がざわめく。陛下の問いに答えない、本来なら不敬といって良いだろう。答えないことで不快感を表しているのか……。陛下も怒ることなく話し続ける。

「どうじゃな、ヴァレンシュタイン」
「その儀は御無用に願います」
「ほう、いらぬか」

「臣は平民として最初の元帥かもしれません。しかし最後の元帥ではありません。御無用に願います」
周囲がまたざわめいた。最後の元帥ではない。その言葉の意味する所は貴族の否定……。

「良かろう、好きにするが良い」
陛下は上機嫌で笑うと、式部官から渡された辞令書を読み始めた。

「シャンタウ星域における反乱軍討伐の功績により、汝、エーリッヒ・ヴァレンシュタインを帝国元帥に任ず。帝国暦四百八十七年九月二十一日、銀河帝国皇帝フリードリヒ四世」

ヴァレンシュタインは立ち上がって階を上り、最敬礼とともに辞令書を受け取った。ついで元帥杖を受け取るとそのままの姿勢で、後ろ向きに階を降り陛下に最敬礼をする。

数歩後ずさるとヴァレンシュタインは華奢な体を翻した。身に纏うマントが微かにはためき、濃紺のサッシュが現れる。そのまま、ほんの数秒の間、ヴァレンシュタインは黒真珠の間を見渡した。

皇帝フリードリヒ四世を背後に黒真珠の間の廷臣を見渡す。音楽が流れ始めた。勲功ある武官を讃える歌、ワルキューレは汝の勇気を愛せり。その音楽とともにヴァレンシュタインは歩み始めた……。


 

 

第百二十二話 十年の歳月

帝国暦 487年9月 21日   オーディン 新無憂宮  ライナー・フォン・ゲルラッハ


「それで、どうであった?」
元帥杖授与式の後、新無憂宮の南苑の端にある一室でリヒテンラーデ侯が私に問いかけてきた。部屋の中は薄暗く、密談には相応しい雰囲気を出している。実際これから行なわれるのは密談に違いない。

あのリヒテンラーデ侯邸での会議の後、私は密かに侯より改革による増収金額の確認を命じられた。本当に十兆帝国マルクもの財源が有るのかと……。

調査そのものは難しくなかった。既に宇宙艦隊司令部には新領土占領統治研究室が置かれ、帝国の政治経済の改革案が密かに作成されつつあった。

今でも思い出す、それを知ったときの皆の驚きを。微笑みながら話すヴァレンシュタインと絶句する文武の重臣達。一瞬の後、悲鳴のような声を上げたリヒテンラーデ侯と蒼白な顔で呻いたローエングラム伯……。ヴァレンシュタインは既に三ヶ月近く前からこの事態を想定していた。

私は新領土占領統治研究室から資料を受け取り、毎日夜遅く一人で調べ続けた。人目を憚る作業のため思いのほか時間がかかってしまった。結果が分ったのは昨夜遅くのことだ。

「ヴァレンシュタイン司令長官の言う通りです。税制、政治の改革、そして、門閥貴族を暴発によって取り潰せば国庫に入る金額は十兆帝国マルクを軽く超えるでしょう」

「そうか……。やはりそうなるか……」
私の答えにリヒテンラーデ侯は呟くように言葉を出した。リヒテンラーデ侯は微塵も驚いては居ない。

そのことがある事実を私に教えてくれた。目の前の老人はヴァレンシュタインの言を疑っていたわけではないのだ、念のため確認させたに過ぎない。あるいは自分を納得させるためか……。

「実現すれば昨今の財政危機は完全に解消されます」
「……そうじゃの」
「……」

リヒテンラーデ侯は薄暗い部屋の中、遠くを見ている。一体何を考えているのか……。ヴァレンシュタイン、彼はいつから政治、税制改革を考えていたのだろう。

私も、リヒテンラーデ侯も考えなかった、いや考える事を拒否した改革案。禁断の果実だった。たとえようも無いほどの甘さと芳香に満ちているが、それを得るまでにどれ程の苦痛と苦汁を味わう事になるのか……。

新銀河帝国、宇宙で唯一の統一国家、内乱、粛清。

彼は貴族社会を潰そうとしている。私は貴族だ。確かに自分たちの権利のみを主張し、帝国の危機を省みない同胞たちには嫌悪、いや憎悪すら感じる。だが、私は貴族なのだ、彼らを滅ぼすことが出来るだろうか。

「どうしたのじゃ、何を考えておる?」
気がつけばリヒテンラーデ侯が不思議そうな顔で私を見ていた。いつの間にか、自分の思考の中に溺れていたらしい。思わず苦笑いが出た。

「ヴァレンシュタイン司令長官は何時から考えていたのでしょう、あの改革案を」
私の問いにリヒテンラーデ侯は視線を外すと少し考え込んだ。

「士官学校に入った時からかもしれんの」
「まさか……」
呟くように吐かれたリヒテンラーデ侯の言葉に、私は反論しようとしたが言葉が続かなかった。

「あれの両親が貴族に殺された事は卿も知っておろう」
「はい」
「もう十年になる……」

もう十年……。いや、それとも未だ十年だろうか……。
「では十年間、ヴァレンシュタイン司令長官は考え続けたと国務尚書はお考えですか? しかし、十年前といえば彼は未だ士官候補生でしょう」

私の反論にリヒテンラーデ侯は何の反応も示さなかった。
「……あれは士官学校在学中に帝文を取った。何のために帝文を取ったのかの……」

ヴァレンシュタインは士官学校在学中に帝文を取った。当時有名になった話だ。軍人でありながら、軍には関係のない資格を取得した。広範囲な行政官としての知識……。まさか、そうなのだろうか。

あの時は妙な士官候補生がいるものだと思った。だが、全てはこの日のためだったのだろうか。この十年間、彼は密かに貴族を滅ぼすために力をつけてきたのだろうか。

「一年半前、陛下が病に倒れられた。卿も覚えていよう」
「はい」
「あの時、ヴァレンシュタインにオーディンの治安を任せた……」

「……」
「断らなかったの。たかが一少将の身分でブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を敵に回すことに躊躇わなかった」

「……」
「あの時には、もう戦う準備が出来ていたのかもしれん……」
「まさか……」

声が震えを帯びた……。一少将が帝国の藩屏たるブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を、いや、貴族全体を敵に回してオーディンを内乱から守った。

あの時から貴族とヴァレンシュタイン司令長官は敵対関係になった。私は偶然だと思っていた。だが、あれは必然だったのか……。

呆然とする私に国務尚書は視線を向けると躊躇いながら言葉を出した。
「卿はあれの両親を殺した犯人を知っておるかの?」
「色々と聞いてはおりますが……」

聞いてはいる。しかし本当の所は判らない。貴族社会の噂などそんなものだ。当てにはならない。

「卿の前任者じゃ」
「! まさか」
「事実じゃ。色々とあっての」

そう言うとリヒテンラーデ侯はヴァレンシュタイン司令長官の両親、キュンメル男爵家、マリーンドルフ伯爵家、ヴェストパーレ男爵家、カストロプ公爵家の関わりを話してくれた。

「ルーゲ司法尚書がその一件でカストロプ公を断罪しようとしたのを止めたのは私だ。それが原因でルーゲ司法尚書は辞任した……」

苦痛に満ちた声だった。後悔しているのだろうか。だが何故そんなことを……。聞くべきだろうか? 今聞かなければ二度と聞く機会は無いだろう。
「御叱りを覚悟でお聞きしますが、何故そのような事を」

叱責が飛ぶかと思うと思わず小声になっていた。だがリヒテンラーデ侯は怒らなかった、不愉快そうな表情もそぶりも見せなかった。ただ、やるせなさそうな表情をすると苦いものを吐き出すように話し始めた。

「……カストロプ公爵家は贄だったのじゃ」
「贄? 生贄の事ですか?」
「うむ。平民達の帝国への不満が高まったとき、カストロプ公を処罰して不満を収める。そのために用意された贄だった……」

おぞましい話だった。カストロプ公爵家が反乱軍誘引のために利用された事は知っている。そして平民達の不満を解消されるために利用された事も。しかし、それが十年以上前に既に決められていた事だったとは……。

「ヴァレンシュタイン司令長官は、知っているのでしょうか?」
「両親を殺したのがカストロプ公である事は知っておったの。カストロプ公爵家が贄であることも気付いておった。聡い男じゃ」

「!」
聡いで済む問題ではあるまい、聡過ぎる。カストロプ公爵家が生贄である事をヴァレンシュタインは気付いていた。私は分らなかった。あの優しげな表情で、一体どれだけの闇を見てきたのか……。思わず寒気がした。

「ルーゲ司法尚書を止めたのが私であることは、さあどうかの、なんとも言えんの。ルーゲにもカストロプ公爵家が贄であることは話した。だからかの、私が止めた事をルーゲは他言しなかったようじゃ」
「……」

「あの時、カストロプ公を処断しなかったのは正しかったと思っている。それまでにも問題はあったがの、あれの増長が酷くなったのはあの件の後じゃ。贄としてよう育った」
「……」

暗い笑みを浮かべながらリヒテンラーデ侯が陰惨な事実を話す。薄暗い部屋で話される陰惨な事実。腐臭が臭ってきそうだった。

「しかし、あの時カストロプ公を断罪しておけばヴァレンシュタインは軍人にはならなかったかもしれん。となると改革の種は私が蒔いたようなものか……」

国務尚書の声に自嘲の響きがある。私が侯の立場だったら……、やはり自分を嘲笑うだろう。何をやっているのかと。

「私が種を蒔き、ヴァレンシュタインが育てた……。大きく育ったの、大きな実をつけた。自分の蒔いた種じゃ、刈り取らねばなるまい」
「……」

「年は取りたくないものじゃ、妙な所で、とんでもない種を蒔いてきた事に気付かされる。困ったものじゃの、ゲルラッハ子爵、卿も気をつけるが良い」
「……」

リヒテンラーデ侯の気持ちが私には良くわかる。侯は帝国を守るためカストロプ公を生贄に選んだ。その過程で一粒の種がこぼれ落ちた。種は大きく育ち、今度は帝国を守るために貴族そのものを生贄にしろと要求している。

“逃げないで頂きたい”
ヴァレンシュタインの言葉がよみがえる。あの言葉の意味は帝国の危機から逃げるなという意味だったはずだ。しかし、今は十年前の事件から逃げるな、そう言っているように聞こえる。

話を変えたほうがいいだろう。このままでは気が滅入る一方だ。
「ヴァレンシュタイン司令長官を貴族にと陛下が仰られていましたが、一体誰が陛下に薦めたのでしょう? ブラウンシュバイク公でしょうか?」

「ブラウンシュバイク公ではない。……分らぬかの?」
リヒテンラーデ侯が暗い笑みを見せた。どういうことだろう……、まさか……。

「分ったか、私じゃ」
「!」
薦めたのはリヒテンラーデ侯だった。侯は笑いながら私を見ている。しかし、何故? ……私の疑問を読んだのだろう、リヒテンラーデ侯は答えを教えてくれた。

「貴族を滅ぼそうとしておきながら、自らが貴族になる。そのような身勝手な男に帝国の命運は委ねられぬ! もし受けておったら、内乱終結後にあれを始末するつもりじゃった」
「!」

「見向きもせんかったの。それどころか元帥杖を受け取った後、黒真珠の間を睨みおった。あれは宣戦布告じゃ。貴族になどならぬ、貴族など認めぬ。敵に回るも良し、味方につくも良し、ただ覚悟だけは決めて来い、そう言っておる……」
「……」

侯はヴァレンシュタインを試し場合によっては殺すつもりだった。ヴァレンシュタインはそれに対して宣戦布告で対応した。誰も気づかない所で二人だけが戦っていた。いつかこの二人に追付けるのだろうか……。

しばらくの間、沈黙が私とリヒテンラーデ侯を包んだ。お互い口を開くことも出来ず、互いの顔を見ている。侯はあきらかに疲れた表情をしていた、私はどうだろう……。

「ゲルラッハ子爵、これ以上は躊躇うまい。これ以上躊躇えば我等が滅ぶ事になる。あれはの、外見とは違って中身はきつい男なのじゃ。甘く見てはならん。我等は陛下の御意志に従い新しい帝国を創らなければならんのじゃ」

リヒテンラーデ侯はそう言うと部屋を出て行った。侯の後姿はあきらかに疲れをあらわしている。しかし侯は戦う事を止めようとはしていない。そして明日からは新しい帝国を創るために戦うのだろう。

私は何時か、侯に追付けるのだろうか……。

 

 

第百二十三話 道を切り開く者

帝国暦 487年9月 21日   オーディン 宇宙艦隊司令部 オイゲン・リヒター


「ブラッケ、もう六時だ、今日ぐらいは早く帰ろうじゃないか」
「そうだな、ここ最近ずっと帰りが遅い。たまには早く帰るか」
「ああ、疲れが溜まっては良い仕事は出来んよ」

私達の会話を聞いていたのだろう、ブルックドルフ、シルヴァーベルヒの二人が同じように帰る相談をしている。それにつられてあちこちで同じような会話が出た。

今日はヴァレンシュタイン宇宙艦隊司令長官の元帥杖授与式があった。その所為だろう、宇宙艦隊司令部の職員たちも早めに切り上げ祝杯を上げに行っているようだ。我々だけが残って仕事をしていることも無いだろう。たまには息抜きが必要だ。

「みんな、今日はもう仕事を切り上げて少し飲まないか?」
声をかけてきたのはエルスハイマーだった。
「それは拙いだろう。酒場で改革案などぶち上げたら、とんでもない事になる」

私の言葉に何人かが頷く。新領土占領統治研究室に篭るようになってから、私達は外で飲むことは滅多に無くなった。飲んでもほんの少しだ。私達のやっていることは酔って話せるようなことではない。妙な事を言うと社会秩序維持局に捕まりかねない。

酒量が減った所為だろう。それともやりがいのある仕事をしている所為だろうか、最近はひどく体の調子が良く、健康的になってしまった。私だけではない、他の連中もそうだ。

「ここで飲めばいい。良い酒が有るんだ」
そう言うと、エルスハイマーは嬉しそうに右手を高々と差し上げた。手にはウイスキーのボトルが握られている。あちこちから歓声が上がる。

「どうしたのだ、エルスハイマー」
「実はな、先程司令長官から頂いたのだ、リヒター」
「司令長官が?」
「うむ、昇進祝いで貰ったらしい。しかし閣下は酒が飲めないからな、皆で飲んでくれと」

司令長官からの差し入れ、そのことが更に歓声を上げさせる。これでは呑まぬわけにもいくまい。
「そうか……、せっかくだ、頂くとするか」

早速準備が始まった。普段激論を交わし、なかなか意見が一致する事など無い我々だが、こういうときは息のあった仕事をする。

机の上を片付けブラッケと私はグラスを用意し、グルックは氷、オスマイヤーは水、ブルックドルフ、シルヴァーベルヒ、エルスハイマーは何処からかチーズとクラッカー、それにナッツを調達してきた。

乾杯の準備が出来ると、軽くグラスを掲げ、“プロージット”と唱和してグラスを口に運ぶ。何人かが“美味い”と声を発し、笑い声が起きた。しばらくの間、ウィスキーを飲みながら、つまみを食べる。和やかな空気が部屋に広がった。

「勅令が出るまで後一ヶ月か……。待ち遠しいな」
シルヴァーベルヒがチーズをつまみながら呟いた。その声に何人かが頷く。改革の開始を告げる勅令は十月十五日に発布される。

本来ならもっと早く勅令を出せた。改革案の骨子は既に出来ていたのだ。しかし軍の編制が終わっていなかった。シャンタウ星域の会戦は帝国の大勝利で終わったが、無傷で勝ったというわけではない。十月十五日の発布は止むを得なかった。

今回の勅令では先ず、帝国が一部の特権階級の権力の私物化により疲弊している事を訴えた後で、改革を行なう事でこの後千年の繁栄を帝国にもたらす事を宣言することから始まる。

具体的な改革の内容は、以下の六点からなる。
1.貴族に対する課税の実施
2.貴族を対象とした特殊な金融機関の廃止
3.農奴の解放
4.解放農奴を対象にした農民金庫の創設
5.間接税の引き下げ
6.刑法、民法の改正

このうち1~3は貴族の財力を奪うことが目的だ。財力が無くなれば彼らが持つ強大な軍事力は維持することが出来なくなる。彼らが持つ政治的な特権も力があればこそだ。力を失えば特権も失う。

解放された農奴はそのままでは難民になりかねない。それを救うために設置されるのが4の農民金庫だ。その財源は2の貴族を対象とした特殊な金融機関の廃止によって確保される。

2の金融機関だが、これははっきり言って酷い。帝国政府から運営資金が出ているのだが、無利子、無担保、無期限などというとんでもない融資をしている。民間ではありえない。

もちろん上限はある。また借りられるのも個人ではなく、家で借りる事と限定されている。貴族たちは金銭面で困った場合は先ずここを頼る。民間の金融機関はその後だ。この金融機関を無くす。当然融資した金は返してもらう事になるが大騒ぎになるのは間違いない。

5、6は平民対策だ。貴族から課税する事で税収は上がる。その分間接税を下げる事で物価を下げ、生活面での負担を下げる。貴族が課税に反対すれば当然間接税も下がらない。平民達の反感は爆発するだろう。

6はこれからは公平な裁判を実現する法改正を行なうという宣言だ。実際に法改正を行なうのは内乱の終了後になる。

これは改革の第一歩だ。これから新しい国造りが始まる。そう思うとなんとも言えない高揚感に体が包まれる。隣のブラッケがグラスのウィスキーを一気に飲み干した。

「おいおい、大丈夫かブラッケ、そんなに飲んで」
「大丈夫だ。今日は気分が良い。酒が美味いよ」
その声に周りが反応した。皆が不思議そうにブラッケを見る。

「珍しいなブラッケ、どういう風の吹き回しだ」
ブルックドルフがブラッケに笑いながら話しかけてきた。ブルックドルフの言うとおりだ。今日のブラッケは少しおかしい。

ここ最近のブラッケは不満そうだった。彼は貴族を内乱で潰してから国内改革をするべきだと考えていたのだ。少なくともこの改革案を貴族を暴発させるための手段として使うのには反対だった。

改革の精神が歪められてしまう、そう思うブラッケの気持ちはわかる。しかし、陛下は御健勝になられ、貴族たちは雌伏している。このままでは内乱は起きず、反乱軍は戦力を回復してしまうだろう。

止むを得なかった。理性では分っていても感情では納得できない。その思いがブラッケの不満になっていたのだが……。

「卿らが何を言いたいのか分る。不満を持っているんじゃないのか、そうだろう?」
「まあ、そうだな」
ブラッケの問いにエルスハイマーが答えた。

「今日の元帥杖授与式で何が有ったか、知っているだろう?」
「貴族になることを断った事か?」
「その通りだ、グルック」

ブラッケは大きく頷くと、両手でパチンと自分の顔を叩いた。いかん、こいつもう酔ったのか。

「私は心配していたんだ。司令長官にとって改革とは何なのかを。私達には新銀河帝国、宇宙を統一する星間国家という夢を見せてくれた。でも本当はどうなのだろうとな」
「……」

「もしかすると平民に対しての人気取りか、あるいは権力奪取のための数ある手段の内の一つで本心では改革などどうでも良い、そう思っているのではないかと心配していたんだ」
「……」

彼の心配を杞憂だとは言えまい。シャンタウ星域の会戦の大勝利でヴァレンシュタイン司令長官の声望、実力はかつて無いほどに高まった。彼が改革よりも、権力への道を選んだとしても少しも不思議ではない。

「だが、今日貴族になることを断ってくれた。ほっとしたよ、安心した。もし司令長官が貴族になることを受けていたら私は此処を去っていたかもしれない。能力が有るのは分るが信用できないからな」

部屋が静かになった。皆、それぞれの表情で考え込んでいる。司令長官が貴族になることを受けていたらどうすべきだったのか、考えているのかも知れない……。そんな時だった、朗らかな声が部屋に響いた。

「私は司令長官を信じているぞ、ブラッケ」
「……エルスハイマー」

「司令長官は約束どおりシャンタウ星域で反乱軍を撃破した。そして陛下を説得して改革の勅令を出す事まで決めてくれた。帝国は動き出したんだ。私達は確実に前へ進みつつある。これ以上何を望むんだ、ブラッケ?」

確かにエルスハイマーの言う通りかもしれない。これまで私達の唱える改革は一度も受け入れてもらえなかった。それが今叶いつつある。そのことが不安を呼び起こしているのかもしれない。

「私は心配しすぎなのかな、エルスハイマー」
「そうだ、心配しすぎだ」
あっさりとエルスハイマーに断定され、ブラッケは絶句した。そんなブラッケをおかしそうに見ながらエルスハイマーは皆に言葉をかけた。

「それより例の件、準備は出来ているのか?」
エルスハイマーの言葉に皆が、絶句していたブラッケも表情を改めた。

「準備は出来ている。しかしエルスハイマー、上手く行くと思うか?」
「ブラッケ、上手く行く必要は無いんだ。今回は行なう事に意味がある」

本当に心配しすぎなのだろうか。ブラッケの心配は杞憂なのだろうか。ヴァレンシュタイン司令長官は今は改革の推進者の顔をしている。しかし司令長官がその顔を捨てた時、私達は一体どうすべきだろう……。



帝国暦 487年9月 21日  オーディン ゼーアドラー(海鷲)   ウルリッヒ・ケスラー



「一年前はこんな日が来るとは思わなかったな」
グラスを口に運びながらワーレン提督が呟いた。その言葉に同意するかのようにミュラー、クレメンツ、ルッツ、ビッテンフェルト、アイゼナッハが頷く。

「一年前か、思い出すな、第五十七会議室を」
「クレメンツ提督、俺は今でも第五十七会議室に行く事がある。あそこから全てが始まったと思うと、どうもな」

クレメンツとビッテンフェルトが言葉を交わす。二人とも感慨深げな表情だ。いや、二人だけではないワーレン、ルッツ、アイゼナッハも同じ表情をしている。

第五十七会議室。一年前、ヴァレンシュタインは其処に九人の少将を集めた。ケンプ、ルッツ、ファーレンハイト、レンネンカンプ、クレメンツ、ワーレン、ビッテンフェルト、アイゼナッハ、メックリンガー。

その九人とヴァレンシュタインが第三次ティアマト会戦を勝利に導いた。そして今、帝国軍宇宙艦隊の中核を担っている。帝国軍人なら誰でも知っている話だ。

「すまんな、ケスラー提督、ミュラー提督。つい思い出してしまった」
「構わんよ、クレメンツ提督。第五十七会議室の事は軍人なら皆知っている」
私の言葉にミュラーが穏やかな表情で頷いた。

軍内部では第五十七会議室は有名になっている。それまで非主流派だった人間たちが、第五十七会議室に呼ばれることで運命を一変させた。今では日常会話の中でも第五十七会議室という言葉が使われる。運命の転機と言う意味で。

話題を変えるべきだと思ったのだろうか。ルッツがビッテンフェルトに問いかけた。
「司令長官にマントの色を黒にと勧めたのは卿だそうだな、ビッテンフェルト提督」
「まあ、そうなるのかな、あれは……」

妙な事にビッテンフェルトは口ごもった。常にはっきりしたもの言いを好む彼にしては珍しいことだ。自然と彼に視線が集中した。その視線を感じたのだろう。困ったように話し始めた。

「最初は白を勧めていたのだ、俺は」
「白?」
ミュラーが不思議そうな声を出す。皆も顔を見合わせている。確かに白と黒では全く違う。

「うむ。しかし司令長官が白は副司令長官に譲ると言われてな。ブリュンヒルトも白だからそのほうがいいだろうと……」
「……」

「それで、艦の色に合わせるのならマントの色は黒になりますと言ったら……」
「言ったら?」
「それで良いと言われたよ、ワーレン提督」

一瞬の沈黙の後、微かな苦笑が場に漂った。
「参ったな、黒は俺も使いたかったんだが……」
「?」

「いや、その時は俺が元帥になる可能性など無いと思っていたのだ。だから羨ましいとは思ったが、それ以上ではなかった……」
「無理もありませんよ、私も自分が元帥になるなど考えた事は有りませんでした」

皆ビッテンフェルトとミュラーの会話に頷いている。確かにそうだろう、ヴァレンシュタインは特別だ、誰もがそう考えていた。

彼だから僅か六年で宇宙艦隊司令長官になった。彼だから上級大将に元帥になることを許された。我々に許される事ではない……。それなのに、今日ヴァレンシュタインは自分は特別ではないと宣言した。

“臣は平民として最初の元帥かもしれません。しかし最後の元帥ではありません。”

黒真珠の間に流れたヴァレンシュタインの言葉、あの言葉を聞いたとき体に電流が走った。そんなことが許されるのか、何かの間違いではないのかと。

しかし皇帝フリードリヒ四世はそれを否定しなかった。あの瞬間、我々平民にも元帥になる可能性が、帝国軍三長官になる可能性が与えられた。


「司令長官が、元帥府を開くつもりは無い、元帥府に入りたければ自分で元帥府を開けと言われたが、まさか本気だったとは……」
苦笑交じりにルッツが呟いた。

「第五十七会議室だな。司令長官は道は切り開いた、後は自分で歩けと言っている」
「ケスラー提督の言う通りだ。大将に昇進したからといって、その地位に甘んじることは許されん。まだまだこれからだ」

クレメンツの言う通りまだまだこれからだ。これまでは平民であるがゆえに昇進は出来ないと思っていた。しかし、その壁は取り払われたのだ。これからは実力のあるものは昇進し、無いものは止まることになる。これからが本当の勝負だ……。









 

 

第百二十四話 アントン・フェルナー

帝国暦 487年9月 23日   オーディン ブラウンシュバイク公邸 アントン・フェルナー



「ブラウンシュバイク公、あのような無礼、許してよいのですか!」
「……」
「上座から我等貴族を見下すがごとき振る舞い、無礼にも程があります!」

応接室にキチガイ犬が一匹いる。先程から招かれざる客、ヒルデスハイム伯は主君ブラウンシュバイク公にキャンキャンと吠えまくっていた。こいつは多分カルシウムが足りないのだろう、骨付き肉でも与えるか。

公爵家の当主というのも楽ではない。ブラウンシュバイク公は内心ではうんざりしているだろうが、感情をいっさい出すことなく能面のように無表情に座っている。

俺とアンスバッハ准将は応接室でブラウンシュバイク公とヒルデスハイム伯が見える位置に立っている。公に呼ばれたとき直ぐ対応するため、万一の場合の護衛役、それが表向きの理由だ。裏の理由は……。

「大体、何故あの男が宇宙艦隊司令長官なのです。光輝ある宇宙艦隊司令長官職を平民が汚すなど、帝国の誇りは何処に行ったのです!」
「……他に適任者が居なかったのだろう」

「適任者が居ないですと! 帝国軍人も地に落ちたものですな。あの程度の汚らわしい小僧しか適任者が居ないとは」
ヒルデスハイム伯、卿が本当にそう思っているのなら、帝国貴族こそ地に落ちたものだ。

「何故あの男を元帥に任ずる必要が有るのか、私にはさっぱりわかりません。そんな必要は無いでは有りませんか」
「シャンタウ星域で大勝利を収めたのだ、不思議ではあるまい」

「私に言わせれば敵が無能すぎたとしか思えません」
思わず笑いが出そうになった。この男の軍事能力の無さはクロプシュトック侯事件で嫌というほど見せられた。その男に無能扱いされるとは……。

なるほど才能あるものは認められなくとも、無能は見極められるか。馬鹿は馬鹿を知るといったところだな。一つ賢くなったようだ。

「陛下も陛下です。何故あの男を甘やかすのか。陛下の御下問に答えぬなど、あの場で首をはねてもおかしくないものを」
「……」

「まさか、あの男、陛下の隠し子ではありますまいな?」
「何の話だ、ヒルデスハイム伯?」
俺も聞きたい、何の話だ、それは。

「おかしいではありませんか、士官学校を卒業して僅か六年で元帥など。しかも平民がですぞ」
「……」

冗談だと思ったがどうやら本気らしい。ヒルデスハイム伯は先程までの吠え立てるような口調を収め、ブラウンシュバイク公の顔色を見定めるような視線を向けている。

「バラ園にも何度か呼ばれています。ヒルデスハイム伯である私でさえ呼ばれたことが無いのにです。政府、軍部の重臣達もヴァレンシュタインを贔屓にしています……。公爵閣下は何かご存知では有りませんか?」

そんな事でエーリッヒが陛下の隠し子だと言っているのか、掛け値なしの阿呆だな。卿がバラ園に呼ばれないのは、卿と話しても詰まらないからだ。それ以外に理由は無い。

「知らぬな。そんな話は聞いたことが無い。大体陛下の御子なら宮中に迎え正式に皇子として遇すればよいのだ。隠す必要など何処にも無い。あの器量なら直ぐ立太子だな」
「しかし……」

そう言うとヒルデスハイム伯は試すような眼で公を見た。エリザベートの邪魔者は、貴方が消すのではありませんか、皇帝はそれを恐れて宮中に入れないのではありませんか、伯の目はそう言っている。

「もし元帥が本当に陛下の御血筋の方なら、これ以上帝国にとって喜ばしい事は無い。帝国は文武に優れた皇子によって一層の繁栄を得るだろうからな」

きっぱりと言い切ったブラウンシュバイク公に毒気を抜かれたのか、ヒルデスハイム伯はモゴモゴと口籠りながら帰っていった。




「お見事です。アントン・フェルナー、感服いたしました」
「フェルナー准将、わしを褒めているのか、馬鹿にしているのか?」
「もちろん、褒め称えているつもりですが」

「閣下、ご安心ください。フェルナー准将には後ほどきっちりと口の利き方を教えておきます。どうやらフェザーンに行って少したるんだようですな」

アンスバッハ准将が怖い事を言っている。もっとも言っているだけだ、目は笑っている。後でシュトライト准将も入れて三人でヒルデスハイム伯の愚劣さを、それに悩まされる公の姿を笑いながらコーヒーを飲むのだ。これが裏の理由だ。

公もそれは判っている。一つ鼻を鳴らすとこちらに話しかけてきた。
「お前達はわしの苦労を少しも判ろうとせん。これでもう昨日から十三人だぞ。毎回同じ話を聞かされるわしの苦労をいたわろうとは思わんのか」

「公爵閣下のご苦労は十分に判っております」
ブラウンシュバイク公はアンスバッハ准将の誠意溢れる答えにまた鼻を鳴らすとこちらに問いかけてきた。

「先程の隠し子云々だが、どう思う」
「あり得ません」

アンスバッハ准将が間髪入れずに答えた。
「ヴァレンシュタイン元帥がエリザベート様の配偶者候補に挙がった時、元帥について調べました。それは有り得ません」

十年間待つ。ブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家の基本方針だ。エルウィン・ヨーゼフ殿下は未だ五歳。たとえ即位されても殿下が御世継ぎを得るまで十年はかかるだろう。それに殿下が無事成人されるという保証は何処にも無い。それが根拠になっている。

その間に勢力固めをする。具体的にはエリザベートの婿選びだ。当初、エーリッヒとエリザベートを結婚させるという案がブラウンシュバイク公から出された。いい案だった。

だが子が生まれた場合、父親が平民という事で皇位継承に差しさわりがあるという意見が周囲の貴族から出たとき白紙撤回された。

愚かな話だ。生まれた子は宇宙艦隊司令長官、帝国元帥を父に持つのだ。エーリッヒの一声で十万隻以上の精鋭が動く。その実力の前につまらない血統など何の意味を持つというのか。

彼ら貴族の本心はわかっている。エリザベートを女帝にし、その夫君の座を狙う事だ。エーリッヒは競争相手として強すぎるのだ。それが気に入らないのだろう。

俺はその当時フェザーンに居たので関われなかった。もし、オーディンにいたら何が何でも実現に動いただろう。十年余裕だなど有り得ない。エーリッヒはそれほど甘い相手じゃない。

ブラウンシュバイク公もアンスバッハ、シュトライト准将もそれは理解していた。しかし、貴族達の反対に押し切られてしまった。おかげで今苦労している。

貴族を暴発させることがエーリッヒの狙いと見ていい。こちらはそれを防ぐために努力しつつ、万一のために準備を整えるのだが、至難の業といっていいだろう。日々、神経をすり減らしつつ生きている。

「ブラウンシュバイク公、もしエーリッヒが陛下の隠し子なら如何します?」
「そうだな、銃を突き付けてでも皇太子にする。そしてエリザベートと結婚させる」

「ならば、やりますか?」
「? 何のことだ、フェルナー」
「ですから、エーリッヒを本当に皇太子にするのです」

公とアンスバッハ准将が凄い眼でこちらを睨んできた。
「本気で言っているのか、フェルナー」
「本気です。女帝夫君になるか、皇帝になるか、さほど違いは有りますまい」

しばらく沈黙が落ちた。公もアンスバッハ准将も考え込んでいる。エーリッヒを皇太子に仕立て上げる。その上で、エリザベートを妃にする。エーリッヒが皇太子になれば皇位継承の争いなど吹っ飛んでしまう。

エーリッヒには貴族の後ろ盾は無い。しかし、軍が後ろ盾につく。宇宙艦隊十万隻が後ろ盾になるのだ。

「無理だ。ヴァレンシュタインの両親ははっきりしている。危険すぎるだろう」
ブラウンシュバイク公が首を振りつつ答えた。

「噂を流すだけでも意味があります」
「どういうことだ、フェルナー」
ブラウンシュバイク公が問いかけてきた。アンスバッハ准将は先程から何か考え込んでいる。どうした? 気になることでも有るのか?

「先程のヒルデスハイム伯のように、頭に血の上った方でも疑いだせば、少しは落ち着くでしょう」
「なるほど、周りを落ち着かせるか。確かに意味は有るな」

「ブラウンシュバイク公」
「なんだ、アンスバッハ」
「元帥の両親ははっきりしています。しかし、母方の祖父が特定できませんでした」

蒼白な顔でアンスバッハ准将が答えた。その答えが部屋を痛いほどの静寂で包む。
「本当か」
掠れたような声でブラウンシュバイク公が確認した。アンスバッハ准将が黙って頷く。

「相手が結婚前に死んだのか、それとも結婚出来ないわけがあったのか……」
「まさかとは思いますが……」
「陛下はお若い頃は遊興と放蕩にふけっておられましたな……」

陛下は今年六十三歳、エーリッヒは二十二歳、可能性が皆無とはいえないだろう。陛下のかなり若い頃の出来事だな。昔々、在る所にから始まる恋物語か……。しかし、真実なら嘘から出た真だな。

しばらくの間無言の時間が過ぎた。三人で顔を見合わせ、それぞれの顔を確認しあう。
「確かに陛下の御寵愛はいささか気になるところだが、まさかな、しかし……、アンスバッハ、もう一度彼の母方の祖父を確認してくれ。話はそれからだ」
「分りました」

「フェルナー、その後フェザーンはどうだ」
「駄目ですね。フェザーンは未だ積極的には動けません。反乱軍の動きが見えるまでは無理です」

反乱軍は今回大きな損害を被った。政府、軍に人事を含め大きな変動があるはずだ。しかし、それがはっきりするのは十月下旬から十一月上旬になるだろう。フェザーンはそちらの動きを確認しなければ大きな動きは取れない。

「役に立たんな。黒狐も」
ブラウンシュバイク公は不満そうだ。出来れば何らかの動きをしてエーリッヒ達の目をひきつけて欲しい、そう思っている。

「ニコラス・ボルテックという男がオーディンに来ます。今回の弁務官事務所の不始末の件で謝罪に来るそうですが、政府がどういう対応をするかでフェザーンの動きも変わると思います。注意が必要でしょう」

「アンスバッハ、フェルナー、こちらから何か仕掛けることは出来んか。このままでは相手が仕掛けてくるのを待つだけだ」
その言葉に俺とアンスバッハ准将は顔を見合わせた。先日から二人で考えている事がある。そろそろ公にも説明する時だろう。

「ローエングラム伯を利用しようと思いますが」
「利用? 何を考えている、フェルナー」
「……」

エーリッヒ、卿には弱点が有る。ローエングラム伯だ。気付いているかな? いや気付いているのだろうな。

彼を副司令長官にして反乱軍を誘引し撃滅する。見事だよ、反乱軍は完璧に卿の策に嵌った。彼らにとってローエングラム伯は無力な皇帝の寵姫の弟に過ぎなかった……。

卿も彼も若い。卿が居る限り、ローエングラム伯は頂点に立てない。そのことに彼が何時まで我慢できるか? 卿が力量を発揮すればするほど彼は追い詰められるだろう。卿は強すぎるのだ。そして行き着くところは……。

卿はローエングラム伯を排除したいだろうな。だがシャンタウ星域の会戦の大勝利と皇帝の寵姫の弟という立場がローエングラム伯の立場を強化し卿を縛っている。

卿の弱点はこちらの強みだ。利用させてもらうぞ。ローエングラム伯の暴発を防げるかな? それともそれを利用して粛清するか? あるいは暴発によって暗殺されるか? ようやく卿と戦える。楽しませてもらうぞ……。




 

 

第百二十五話 苦悶

帝国暦 487年9月 23日   オーディン ヴェストパーレ男爵夫人邸 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ 


ヴァレンシュタイン元帥と私はヴェストパーレ男爵夫人邸に向かっている。ローエングラム伯の姉君、グリューネワルト伯爵夫人が元帥に会いたいと皇帝に訴えたらしい。そして面会場所に選ばれたのがヴェストパーレ男爵夫人邸だった。

軍は今、シャンタウ星域の会戦で受けた損害の補充と再編を行なっている。元帥自身の艦隊も再編中だ。シュムーデ中将、ルックナー中将、リンテレン中将、ルーディッゲ中将が全員大将に昇進し、一個艦隊の司令官になった。

もっとも正規艦隊ではなく独立艦隊の司令官だ。艦隊の規模は約一万隻、正規艦隊の司令官達と殆ど遜色は無い。皆、うれしそうだった。

元帥の下には新しく四人の少将が配属されてきた。副司令官クルーゼンシュテルン少将、分艦隊司令官クナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将、トゥルナイゼン少将……。

彼らを選んできたのは少将に昇進したワルトハイム参謀長だがリストを見た元帥は少しの間参謀長を見詰めると、何も言わず了承した。艦隊は今、ワルトハイム参謀長の下、艦隊訓練に出ている。艦隊が戻ってくるのは十月になるだろう。


ヴェストパーレ男爵夫人邸は大きな屋敷だった。リヒテンラーデ侯邸ほどではないけど十分に大きい。それに屋敷の主人が女性だからだろうか。何処と無く優美な雰囲気を出している。

「ここから先は私とフィッツシモンズ中佐で行きます。申し訳ありませんがここで待ってもらえますか」
「判りました」

地上車から降りたヴァレンシュタイン元帥は護衛にそう告げると私を連れて屋敷の中に入っていった。

以前ベーネミュンデ侯爵夫人の一件で襲撃されて護衛を頼んだのだが、元帥本人が護衛を付けられる事が嫌だったのだろう。第三次ティアマト会戦が始まる前、軍が出征した頃だろうか、護衛を付けることを止めてしまった。

今回元帥就任とともに護衛が付けられることになった。本人は嫌そうだったけれど大人しく受け入れている。平民出身の元帥ということで貴族たちの風当たりはかつてないほどに強い。それに例の改革案が発表されれば貴族、その貴族から利益を受けている人間は元帥の暗殺を必ず企むだろう。

案内されたのは庭園の一角だった。瀟洒なテーブルと椅子が用意され女性が二人座っていた。一人は金髪の女性でローエングラム伯に何処と無く似ている。この人がグリューネワルト伯爵夫人だろう。となるともう一人の黒髪の女性がヴェストパーレ男爵夫人だ。

元帥の話では、私達の二時間程後にローエングラム伯が来るのだという。後片付けや準備を考えれば、私達がここでお茶を飲める時間は一時間程だろう。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタインです。本日はお招きいただき有難うございます。彼女は私の副官を務めるヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中佐です」

「ようこそ、ヴァレンシュタイン元帥、フィッツシモンズ中佐、マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ男爵夫人です。そして彼女がアンネローゼ・フォン・グリューネワルト伯爵夫人ですわ」

挨拶が終わって席に座り、お茶を飲み始めた。ヴァレンシュタイン元帥にはココアが出された。どうやら男爵夫人は元帥の嗜好を調査済みらしい。

「男爵夫人、私の両親が生前お世話になったそうですね」
「……いいえ、お世話になったのはこちらです。御両親の事は本当に残念でした」

一瞬だけど男爵夫人と伯爵夫人に緊張が走ったように見えた。元帥の御両親が貴族に殺された事は私も知っている。そのことが元帥の貴族嫌いに繋がっている事も。この二人も貴族だ、やはり思うところはあるのだろうか。元帥から聞いた話では元帥の父親が男爵家の顧問弁護士をしていたとの事だけれど……。

「今日は元帥にお会いして御礼が言いたかったのです」
「私にですか」
グリューネワルト伯爵夫人が元帥に話しかけた。

正面から伯爵夫人を見るとやはりローエングラム伯とは違うと思う。顔立ちは似ていても、雰囲気がちがうのだ。伯爵夫人にはローエングラム伯の持つ鋭さ、覇気は無い。

「ええ、陛下がとてもお元気になりました」
「……」
「今までは、どちらかと言えば生きるのが辛そうにしておいででしたが今は本当に生きる事を楽しんでおいでです」

伯爵夫人は陛下を愛している。十五歳で後宮に入れられた。決して望んだ事ではないだろう。それでも陛下を愛している、あるいは気遣っている。そうでなければわざわざ元帥に御礼など言わないだろう。

「……」
「元帥のおかげです。陛下は元帥のおかげで生きる事が楽しくなったと。有難うございました」

「伯爵夫人、私は礼を言われるようなことは何もしていません。お気遣いは御無用に願います」
「ですが」

「本当に何もしていないのです」
「そうですか……」
伯爵夫人も元帥も困ったような顔をしている。どうやら二人ともこういうのは苦手なようだ。気を取り直したように伯爵夫人が言葉を紡いだ。

「元帥にはもう一つ御礼を言わなければならないことが有ります」
「?」
「弟のことです」

「ローエングラム伯のことですか?」
「元帥の御口添えのおかげで、軍に留まる事が出来ました。遅くなりましたが、御礼を言わせてください、有難うございました」

「伯爵夫人、ローエングラム伯が軍に留まったのは伯自身の力によることです。反乱軍を打ち破るにはローエングラム伯の力が必要でした。こちらも礼を言われるような事ではありません」

元帥は穏やかだが、きっぱりとした口調で伯爵夫人に告げた。しばらくの間、伯爵夫人と元帥は見詰めあった。先に視線をそらしたのは伯爵夫人だった。

「そうですか……。ヴァレンシュタイン元帥、これからも弟の事を宜しくお願いします」
伯爵夫人はそう言うと頭を下げた。

もしかすると伯爵夫人は元帥とローエングラム伯の関係を心配しているのかもしれない。かつては伯は元帥の上官だった。それが今は逆転している。ローエングラム伯の心境はどうだろう、決して穏やかなものではないだろう。

実際、元帥と伯の間には微妙に緊張感がある。元帥は他の人には緊張感を表さない。最年長のメルカッツ提督に対しても敬意は表しても緊張感を表す事は無い。しかし、伯に対しては微かにそれが出る。

気になるのは伯とその周辺が周りに対して打ち解けない事だ。元帥に対してだけでなく、他の艦隊司令官とも微妙に壁があるように思える。

そのことが艦隊司令官達を余計に元帥に近づかせている。ローエングラム伯はその事に気付いているだろうか。伯は能力は高く評価されても、人としては信頼をかち得ていない……。

しばらくの間、元帥と男爵夫人の会話が続いた。元帥の両親の事だった。主として元帥が尋ね、男爵夫人が答える。そして私と伯爵夫人は黙って聞いている。静かな時間だった……。


帝国暦 487年9月 23日   オーディン ヴェストパーレ男爵夫人邸 マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ 


ヴァレンシュタイン元帥が帰り、ラインハルトとジークフリードがやってきた。本当は一緒にお茶をという話もあったのだが、アンネローゼが別々にと頼んだ。おそらくラインハルトが皇帝に反感を持っている事を考慮したのだろう。

「ラインハルト、ジーク、いらっしゃい、昇進おめでとう。ジーク、とうとう閣下と呼ばれるようになったのね」
「有難うございます。男爵夫人」

どういうことだろう、二人とも余り嬉しそうではない。それに何処と無く鬱屈しているように見えるのは気のせいだろうか。
「どうしたのかしら。余り嬉しそうではなさそうね」

「そんなことはありません」
「本当に?」
「本当です」

ラインハルトが答えるが、表情が硬い。ジークの表情も同じように硬くなっている。どう見ても嘘だ。何かを隠している。一体何が有ったのだろう。思わずアンネローゼと顔を見合わせた。彼女も困ったような表情をしている。

沈黙が落ちた。私もアンネローゼもどう話しかけて良いかわからず沈黙している。ラインハルトとジークも黙ったままコーヒーを飲んでいる。こんなことは初めてだ。

「私は、頂点に立ちたいんです」
「……」
ポツンとラインハルトが呟いた。思わず私はアンネローゼと顔を見合わせた。アンネローゼの顔には辛そうな色がある。

「でも、私の前にはいつもあの男が居る、あの男が……」
あの男……。聞くまでも無いだろう、ヴァレンシュタイン元帥のことだ。でも、一体何が有ったのだろう。シャンタウ星域の会戦ではラインハルトの功績は大きかったと聞いているけど……。

「追付きたい、追い越したい、いつか彼を越えてみせる。そう思い、そう誓う度に彼は私に見せ付けるんです。お前などまだまだだと、取るに足らない存在だと……」

搾り出すような声だった。ラインハルトは苦しんでいる。彼がこんな姿を見せることがあるとは想像もしなかった。野心的で覇気に溢れる蒼氷色の瞳、私が好きだった美しい瞳、その瞳に今は力が無い。

キルヒアイスも隣で黙って聞いている。目を伏せ、唇を噛み締め俯きながら聞いている。普通ならラインハルトを擁護する彼が沈黙している。

「シャンタウ星域の会戦では貴方の功績が大きかったと聞いているわ。本隊を率いて戦ったのは貴方でしょう。一体何が有ったの?」
答えてくれるだろうか……。

「あんな戦い……、あれは勝って当然の戦いだったんです。勝つ準備は全てヴァレンシュタインが整えていました。私が居なくても、あの戦いは勝ったでしょう」
「それが理由なの……」

「違います、いえ、それも有りますが……」
「?」
ラインハルトが少し口ごもった。ためらいがちにジークを見た後言葉を出した。

「彼は新しい帝国を創るつもりです。門閥貴族を滅ぼし、国内を改革し宇宙を統一する……」
「……」

「彼の創る帝国では私は有能な副司令長官でしかない。私は、頂点に立ちたいんです……」

私はヴァレンシュタイン元帥の事を考えた。十年前、彼の両親の葬儀で見たときは、まだ小さくてこれからどうするのかと思った。でもこの十年で帝国を動かす実力者に育っている。

彼を育てたのは貴族への憎悪だろう。穏やかにココアを飲んでいた青年。どちらかと言えば軍人というより文官、いや学生のような雰囲気を身につけていた。外見だけなら誰も彼を恐れはしない。

でも彼は平民から初めて宇宙艦隊司令長官になり、元帥になった。多くの貴族達にとって許せる存在ではないだろう。元帥杖授与式における貴族たちの表情は憎悪に満ちていたといって良い。

そんな中、貴族になることを拒否し、平民出身の軍人たちに自分に続けと黒真珠の間で宣言した。あれは貴族への宣戦布告だろう。彼の内面には何者にも負けないという強い決意があるはずだ。そしてラインハルトはそんなヴァレンシュタインに圧倒されている。

アンネローゼを見た。辛そうな表情でラインハルトを見ている。先程ヴァレンシュタイン元帥にラインハルトのことを頼んでいたのはこれを予想していたからだろうか。もしかすると皇帝から何か言われたのだろうか……。

ヴァレンシュタインはラインハルトだけの問題ではない。私も貴族だ、彼の憎む貴族……。彼の両親の死にはヴェストパーレ男爵家も関わっている。家を保つため、生き残るため、これからどうすればいいのかを考えなければならない。

門閥貴族につくのは論外だろう。やはり付くならラインハルトを通じてヴァレンシュタイン、リヒテンラーデ侯側になる。ただその後、いずれラインハルトに付くか、ヴァレンシュタインに付くかの選択を迫られるかもしれない……。


 

 

第百二十六話 凶刃

帝国暦 487年9月 28日   オーディン ゼーアドラー(海鷲)  アントン・フェルナー


「パウル・フォン・オーベルシュタイン准将ですね」
カウンターに座るオーベルシュタインに声をかけた。オーベルシュタインは義眼をこちらに向け無機質な声を出した。

「そうだが、貴官は」
「お初にお目にかかる、アントン・フェルナー准将です。隣をよろしいかな」
そう言うと、彼の答えを待たずに隣に座りウオッカ・ライムを頼んだ。

愛想の無い男だ。半白の頭髪、血の気の乏しい顔、陰気な事この上ない。最近ローエングラム伯の信頼が厚いと聞くが、周りにこんな陰気な男を置くとは……。いや、それだけ能力はあるということか。

「小官になにか用かな、フェルナー准将」
「いや、ローエングラム伯の信頼厚い参謀といわれる貴官に会ってみたいと思ったのです」
「……」

「今ほど宇宙艦隊が充実している時代はないでしょうな」
「……」
「ヴァレンシュタイン元帥とローエングラム伯、お二人とも当代の名将と言って良い」

オーベルシュタインは僅かにこちらを見たが直ぐ興味なさそうにグラスを口に運ぶ。ウオッカ・ライムが出て来た。ほんの少し口に含む。酸味とライム独特の苦味に似た風味が口に広がった……。

「しかし残念だ。ローエングラム伯が副司令長官とは。本来なら十分に司令長官が勤まる方だと思うが……」
「卿は何処の部隊に所属しておられるのかな?」

「部隊ではない。ブラウンシュバイク公に仕えている」
「……」
オーベルシュタインは黙ってグラスを口に運んでいる。

「ブラウンシュバイク公も惜しい事だと言っていますよ、オーベルシュタイン准将」
「……所用を思い出した。失礼させていただく」

「残念ですな。もう少し御一緒したかったが」
にこやかにオーベルシュタインに笑いかけ、グラスを掲げた。

オーベルシュタインは無表情にこちらを見ると席を立った。そして無言のまま離れていく……。オーベルシュタイン、一人で飲むのは止めるのだな。もう少し人付き合いを良くしたほうがいい。

ブラウンシュバイク公の部下とローエングラム伯の幕僚がカウンターで親しげに酒を飲みながら話をしていた。その光景を見たミッターマイヤーとロイエンタールはどう思うかな。

エーリッヒの母方の祖父については結局分らなかった。分ったのは当時四十代ぐらいの男性だという事だ。今生きていれば八十代だろう。つまり陛下ではありえない。

エーリッヒがフリードリヒ四世の血縁者ではない以上、残る手段は謀略で相手を弱め、仕留めるしかない。エーリッヒ相手では楽な仕事ではないが、先ずはここからだ……。

俺はミッターマイヤー、ロイエンタールの視線を背中に感じながら、ウオッカ・ライムを口に含んだ。ライムの苦味が口に広がる……。


帝国暦 487年9月 29日   オーディン 憲兵本部  ギュンター・キスリング


目の前のTV電話が鳴った。着信番号は宇宙艦隊司令部司令長官室の隣にある応接室を示している。受信するとエーリッヒが映った。敬礼すると
「五分後に連絡が欲しい」
と言って切れた。

TV電話をかけてきながら、五分後に連絡が欲しい。内密に話がしたい、邪魔が入らないところからかけて欲しいということだ。席を立ち、奥の小部屋に行く。憲兵隊にはこの手の部屋が幾つかある、機密保持のために……。

TV電話でエーリッヒを呼び出すと直ぐに出た。
「ああ、待っていたよ、ギュンター」
「エーリッヒ、何が有った?」

エーリッヒはちょっと顔を顰めると困ったような口調で話しかけてきた。
「アントンが動いた」
「……」

「昨日の夜、ゼーアドラー(海鷲)でアントンがオーベルシュタイン准将に接触した」
「オーベルシュタインか……、副司令長官の参謀だな」

エーリッヒは一つ頷くとマントを少しいじりながら話した。
「切れる男だ。ローエングラム伯の信頼も厚い」
「良く分かったな。誰か見ていたのか?」

「ロイエンタール、ミッターマイヤーの二人が見ていた。カウンターで飲む二人をね……。短い時間だったらしい。わざと見せた、そんなところだろうね」
そう言うとエーリッヒは苦笑した。

「なるほど」
こちらも苦笑した。アントンらしい、上手い所をついてきた。ゼーアドラー(海鷲)でカウンターか、オーベルシュタインの偶然隣に座った、言い訳はいくらでも出来るだろう。それにしても、オーベルシュタインか……。

「エーリッヒ、アントンの狙いは何だと思う?」
「そうだね、狙いは四つ有ると思う。一つはローエングラム伯がブラウンシュバイク公と通じていると疑わせる。それによって宇宙艦隊に疑心暗鬼の種を撒く、そんなところかな」

「……」
「次はローエングラム伯を自分たちに寝返らせる事だ。内乱になれば軍を指揮する人間が要る、彼を寝返らせれば、こちらの力を弱め、有能な指揮官を得られるだろう」

「三つ目は何かな」
「私を暗殺してその罪をローエングラム伯にかぶせる」

「では最後は」
「追い詰められたローエングラム伯が私を暗殺する。究極はこれだろうね、自分の手は汚さずに邪魔者を二人始末できる」

うんざりした口調でエーリッヒは四つ目を話した。彼の気持ちは分かる。今の宇宙艦隊は実力で見れば過去最高と言っていいだろう。だがその中で唯一の弱点がローエングラム伯だ。

元々伯は宇宙艦隊司令長官としてエーリッヒの上官だった。それが降格されて副司令長官になった。誰が見ても伯に不満が無いとは思えない。伯が弱点だと分かっているだけに、そこをアントンに突かれた事にうんざりするのだろう。

「エーリッヒ、ローエングラム伯はどうすると思う?」
「とりあえず安心して良いと思う。伯が軽挙妄動することは無いだろう」
「何故、そう思う?」

「それは、私が伯を疑う事は無いからさ」
「おやおや、随分と信頼しているんだな」
ちょっとおどけて言うと、エーリッヒは苦笑しながら答えた。

「信頼している。彼は暗殺といった卑怯な手段を嫌うし、それに愚かでも無い。ブラウンシュバイク公についても碌な事にならないのは分かっているだろう。私が彼を追い詰めない限り大丈夫だと思う」

「今の言葉をローエングラム伯に聞かせたいね。泣いて喜ぶだろう、あるいは屈辱に感じるかな」
「ギュンター、私はローエングラム伯は信じると言ったが彼の周囲も信じるとは言っていない」

俺の皮肉にエーリッヒは意味深長な答えを返してきた。
「オーベルシュタインだな」
「そう、パウル・フォン・オーベルシュタインとジークフリード・キルヒアイスだ」

「……」
「私は彼らを信じていない。オーベルシュタインは目的のためなら手段を選ばない所がある。ローエングラム伯が頂点に立ちたがっていると知れば伯に内緒で動く事は有りえる。それはキルヒアイスも同様だろう」

「ローエングラム伯を頂点に立たせるために動くか……、そのために危険を冒すと?」
俺もあの二人は危険を冒すと思う、しかし念のためエーリッヒの考えを聞いておこう。

「オーベルシュタインにとって私は邪魔なんだ。彼には才能がある、主に政略、謀略面でね。ローエングラム伯が頂点に立たない限り、彼も力を発揮する事が出来ない。あの二人はお互いを必要としているんだ」

そしてエーリッヒはオーベルシュタインを必要としない……。エーリッヒは宇宙艦隊副司令長官になって以来、多くの人間を艦隊の幕僚に引っ張ってきている。その人選は見事としか言いようが無い。

しかし、その中にオーベルシュタインは居なかった。能力を評価しているにもかかわらず、彼を呼ばなかった。エーリッヒから見て危険だと思わせる何かがあったのだろう。そして実際に危険な動きをしている……。

「卿はローエングラム伯が頂点に立ちたがっていると言ったが、それは軍の頂点に立つという事か?」
「いや、帝国の頂点に立つ、そういう事だよ、ギュンター」

帝国の頂点か、それは政、軍のトップという事か、それとも文字通り頂点という事か……。

「エーリッヒ、オーベルシュタインについて気になることがある」
「それは?」
「卿が出征している間だが、密かに社会秩序維持局に接触している」

しばらく沈黙が落ちた。エーリッヒの表情は厳しいものになっている。
「社会秩序維持局は、いや、内務省は例のサイオキシン麻薬の一件以来、卿と憲兵隊には良い感情を持っていない」

エーリッヒが頷く。
「憲兵隊と情報局に情報の確認をすれば、卿に知られることになる。彼は卿に知られること無く情報を得ようとしたんだ」

「何を知ろうとした?」
「……陛下の健康問題だ」
「……厭な奴だ」

吐き捨てるような口調だった。余程嫌いなのだろう。
「エーリッヒ、身辺の注意が必要だな」
俺の言葉にエーリッヒはほんの少し小首をかしげ考え込んだ。

「……オーベルシュタインが動くのは内乱が起きるのが確定してからだろう……起きる寸前かな。あるいは伯には別働隊を指揮してもらうから、本隊との合流寸前か合流してからか……」

「何故そう思う?」
「暗殺だけじゃ駄目なのさ。軍の実権も握らないとね。わかるだろう?」
「なるほど、内乱を目の前に犯人探しはやっていられないか」

俺の言葉にエーリッヒは頷いた。
「しかし、いずれ犯人は捜すことになる。どうするつもりだ?」
「別な犯人を用意するさ」
「?」

「リヒテンラーデ侯だ。彼を暗殺の真犯人にしたて、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥もそれに同調したとして処断する。それで帝国の実権を握る」

「馬鹿な! 卿をリヒテンラーデ侯が暗殺するなど有りえない。誰も信じないぞ、そんなことは」
「そうでもない。先日ももうちょっとで決裂する所だった。決裂すれば容赦なく私はリヒテンラーデ侯を始末したよ、躊躇わずにね」

「……」
「オーベルシュタインはローエングラム伯から聞いているはずだ。必ずそれを暗殺の理由にするだろう。そして帝国の実権をローエングラム伯に持たせる。賭けても良い、必ずそうするよ。それしか手が無いからね」

そう言うとエーリッヒは微かに微笑んだ。痛々しいような微笑だ。イゼルローン要塞陥落以降ずっと戦い続けている。そして勝ち続けている。にもかかわらず敵は減らない、かえって厄介さが増しつつある。

ローエングラム伯ラインハルト、美しい野心的な目をした男だ。覇気も能力も有るだろう。そしてエーリッヒは野心など欠片も持たない穏やかな男だ。平和な時ならば無名の一平民として一生を終えただろう、何の不満も待たずに……。

ローエングラム伯、貴方には分からないのだろうな。野心を持つ男を制御できるのは野心を持たない男だけだということに。

貴方が上に立っても組織は安定しないだろう。能力や覇気で上に立っても下のものの野心を制御することは出来ない。かえって野心を刺激し反発させるだけだ。

エーリッヒが野心家だったら必ず貴方を潰しただろう。今のエーリッヒだから貴方を使えるのだ。そして貴方にはエーリッヒは使えない、持て余すだけだ。使えるのであればあのような失敗はしていない。

どちらが不運だったのだろう。この時代に生まれたエーリッヒか、それともエーリッヒと出会ったローエングラム伯か……。多くの人間がローエングラム伯を不運だと言うだろう。

だが俺にはエーリッヒこそが不運だとしか思えない。彼の痛々しいような微笑を見る度に心で問いかける。どうしてこの時代に生まれてきた、どうして此処に居る、何故そんな辛そうに微笑むのだと……。



 

 

第百二十七話 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ

帝国暦 487年9月 30日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


目の前にそびえ立つ宇宙艦隊司令部を見上げながら、私、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは大きく深呼吸をした。これから行なわれる会談がマリーンドルフ伯爵家の命運を決める事になる。

失敗は許されない、失敗すればマリーンドルフ伯爵家は滅ぶ……。しかし、私は彼を説得できるだろうか? 嫌でも緊張に体が強張る。交渉相手はあのヴァレンシュタイン元帥なのだ。私は此処一年ほどの出来事を思い出していた。

これまで帝国は常に内乱の危機に揺れていた。病弱な皇帝、決まらない皇位継承者、帝位を窺う巨大な貴族。どれ一つとっても帝国に内乱を引き起こす危険すぎる要因だ。

それらを押さえ、曲りなりにも帝国を安定させているのが、ヴァレンシュタイン元帥だ。平民でありながらも政府、軍上層部の信頼を受け、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を押さえオーディンを守っている。

五ヶ月前、帝国はかつて無い存亡の危機に立たされた。イゼルローン要塞陥落、二個艦隊壊滅、大敗北だった。内乱の危機に揺れる国内、大勝利に意気揚がる反乱軍……。一つ間違えば帝国は滅びただろう。

この危機に帝国政府、軍上層部は全ての枷を、面子を捨て去った。滅びるよりはまし、その思いが、彼らに本来なら有り得ないカードを切らせた。帝国初の平民からの宇宙艦隊司令長官、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン上級大将。

その瞬間から、激しい戦いが始まった。帝国は、いやヴァレンシュタイン司令長官はフェザーンを翻弄し、国内の反対勢力を恫喝し、反乱軍を罠にかけた。

一月ほど前に行なわれたシャンタウ星域の会戦で帝国軍は反乱軍に対して決定的といって良い大勝利を収めた。十万隻を超えた反乱軍は三万隻にまで撃ち減らされて敗退した。帝国は四月末に喫した大敗北を倍、いや三倍にして返したのだ。

シャンタウ星域の大勝利は全てを変えた。貴族たちは蠢動をやめ、十年の雌伏を選択した、いや、選択せざるを得なかった。それほどまでに圧倒的な勝利だった。貴族たちは震え上がったのだ。

オーディンは今緊張をはらんだ静けさの中にある。ヴァレンシュタイン司令長官は上級大将から元帥へと階級を進めた。初めての平民からの元帥。

貴族たちの憎悪の視線の中で行なわれた元帥杖授与式。その中で元帥が口にした言葉は新たな戦いを宣言したものだった。
“臣は平民として最初の元帥かもしれません。しかし最後の元帥ではありません”。

彼は貴族との対決を決意している。その決意は彼だけのものではないだろう。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ、そして皇帝フリードリヒ四世の決意でもあるはずだ。

これまで、政府と軍部が協力することは稀だった。そして帝国軍三長官が協力することも稀だった。しかし、今現在の彼らは極めて堅密な協力体制を築いている。それがどれだけ有効かをシャンタウ星域の会戦で知ったのだ。

かれらは国内が不安定状態に有る事が如何に危険か今回の反乱軍侵攻で理解したはずだ。反乱軍がシャンタウ星域で大敗北した今が国内に内乱状態にしても貴族との対決を可能とする唯一の時なのだ。必ずブラウンシュバイク公を、リッテンハイム侯を挑発し、暴発させようとするだろう。

だから、先日ヴェストパーレ男爵夫人から連絡が有っても私は驚かなかった。夫人の話では帝国政府は貴族との全面対決を決意したという。おそらくローエングラム伯を経由しての情報だろう。具体的な内容は判らないが貴族には受け入れがたい政策を取るようだ。

その日は遠い事ではないだろう。そして、それはヴァレンシュタイン元帥主導で行なわれるはずだ……。

父は当初、中立を望んでいた。争いを好まない父らしい答えだった。そして父は元帥の両親が殺されたのは自分にも責任が有ると考えている。その事が父の行動を消極的なものにしていた。元帥はマリーンドルフ家を恨んでいるのではないかと……。

今度の内乱は中立など許されないだろう。そんな甘いことを元帥が許すはずが無い。むしろ、マリーンドルフ家は積極的に元帥に味方し家を保つべきだった。私は父を説得し、今宇宙艦隊司令部の前に居る。

宇宙艦隊司令部の前で何度目かの深呼吸をしていると、口髭を綺麗に整えた身だしなみの良い軍人に声をかけられた。
「フロイライン、どうかされましたか? なにやらお悩みのようだが」

年の頃は三十代前半だろうか、穏やかな口ぶりが誠実そうな人柄を表しているように思える。どうやら私は挙動不審と思われたらしい。司令部の前で若い娘がやたらと深呼吸していれば無理も無いかもしれない。

「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフといいます。マリーンドルフ伯爵家の者です。大切な用件が有り、元帥閣下とお会いしたいのです」

彼がこちらを警戒するように見ている。確かに貴族の娘がいきなりヴァレンシュタイン元帥に会いたいなどと言えば、警戒しないほうがおかしいだろう。

「フロイライン、面会のご予約はお有りですかな?」
「いえ、有りません。ですが大勢の人の生命と希望がかかっております、どうしても元帥閣下とお会いしなければならないのです」

私がそう言うと、彼は少し考えてから携帯用のTV電話を取り出し、連絡を取り始めた。驚いたことに彼はヴァレンシュタイン元帥本人と直接連絡を取っていた。

改めて彼の軍服を見ると襟蔓が1本 、肩線が3本入っている。帝国軍大将だ。元帥との会話の中で、メックリンガーと名乗っていた。エルネスト・メックリンガー提督、彼はヴァレンシュタイン元帥が抜擢した司令官の一人だった……。

「フロイライン、元帥閣下はお会いになるそうです。こちらへどうぞ」
「有難うございます。お手数をおかけします」

メックリンガー提督の案内で司令長官室に向かう。その途中、提督が話しかけてきた。
「司令長官室に入ると驚きますよ、フロイライン」
「それはどういうことでしょう」

「まあ、見れば分かります。司令長官室はもう直ぐです」
メックリンガー提督の声には微かな笑いの成分がある。私が緊張していると思ったのだろうか?

司令長官室は圧倒されそうな雰囲気を持って私を出迎えた。部屋がやたらと広く三十名程の女性下士官が机を並べて作業をしている。彼女たちは私達に軽く会釈をすると自分の作業に戻った。

それきり彼女達は私達に関心を示さない。そんな暇はないのだろう。彼方此方で鳴るTV電話音、受け答えする女性下士官、書類をめくる音とキーボードを叩く音。私はしばらくの間呆然と彼らを見ていた。

「メックリンガー提督、フロイライン・マリーンドルフ、元帥閣下は応接室でお待ちです」
「私も御一緒してよろしいのかな? 中佐」
「はい」

驚いている私の耳にメックリンガー提督と中佐と呼ばれる女性の声が入ってきた。中佐? 女性なのに? 長身の女性士官だった。彼女の軍服には襟蔓3本、胸蔓3本、肩線2本がしるされている。確かに軍服は彼女が中佐である事を示している。

応接室に入ると元帥が私達を出迎えてくれた。軍服だけでなくマントまで黒一色で装う元帥は穏やかに微笑みながら、私達にソファーに座るように勧めてくれた。

「もう直ぐフィッツシモンズ中佐が飲み物を運んできます。フロイラインのお話はそれから伺いましょう。お父上、マリーンドルフ伯はお元気ですか?」
フィッツシモンズ中佐……。先程の女性士官の事だろうか?

「はい、元帥に宜しく伝えて欲しいとの事でした。今日は陛下への謁見のため宮中に出向いております」
「宮中へ、ですか」

「はい、私を次のマリーンドルフ伯爵家の当主とするため、陛下の御内諾をと」
「……そうですか、フロイラインが次期当主に……、それは、おめでとうございます」
「有難うございます、元帥」

メックリンガー提督も御祝いを述べてくれる。そう、私は伯爵家の令嬢ではない。次期当主としてこの会見の場に居る。少しでも私の立場を強くするようにと父が考えた事だった。

先程の女性士官が飲み物を持ってきた。やはりこの人がフィッツシモンズ中佐だった。彼女は飲み物を並べるとソファーに座った。この四人で話すのだろうか……。

「フロイライン、私は女性と二人きりで話をするのは苦手なのです。メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐に同席してもらいますがよろしいですか?」
「はい。かまいません」

やはり、私と二人で話すことを警戒している。貴族嫌いの宇宙艦隊司令長官が伯爵家の娘と二人で密談した……。そんな噂が流れたらどうなるか、碌な事にはならない、そう考えているのだろう。

「それで、私に御用とは?」
「今度の内戦に際してマリーンドルフ家は司令長官に御味方させていただきます」
「内戦と言いますと?」
「いずれ起きる、ブラウンシュバイク公との内戦です」

メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐の表情が険しくなり視線が鋭くなった。司令長官は穏やかな表情で私の話を聞いている。
「フロイライン、内戦が起きるかどうかは未だ分かりません。それに私が勝つとも限りませんが?」

「いえ、閣下はお勝ちになります。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は一時的に手を結ぶ事は有っても最後まで協力することは出来るでしょうか? 二人はともかく周囲がそれを良しとはしないはずです」
「……」

「それに軍の指揮系統が一本化していません。全体の兵力で閣下に勝る事があっても烏合の衆です。閣下の軍隊の敵ではありません。また貴族の士官だけでは戦争は出来ません。実際に戦争するのは兵士たちです。平民や下級貴族の兵士たちはブラウンシュバイク公ではなく閣下をこそ支持するでしょう」

それにブラウンシュバイク公の兵力は強大でそこにマリーンドルフ家が参加しても軽く扱われるだけだろう。しかし、司令長官に付けば政治的効果は小さくない。必ずマリーンドルフ家は厚遇されるだろう。

メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐の表情は警戒から感嘆に変わっていた。少なくとも二人には私の力量を印象付ける事が出来た。しかし、司令長官の表情は変わらない。私の意見など彼にとっては取るに足らないものなのだろうか?

「見事な見識ですね、フロイライン。そういうことであれば、私も味方は欲しいと思います。マリーンドルフ伯爵家のご厚意に対して私が出来る事はありますか?」

ここからが本当の勝負だ。間違えてはいけない。
「マリーンドルフ家に対し、その忠誠に対する報酬として家門と領地を安堵する公文書を頂きたいと思います」

「帝国政府の公文書となるとリヒテンラーデ侯にお願いする必要がありますね。近日中にお渡ししましょう。それでいいですか」
警戒されるかと思ったが、あっさりと司令長官は請け負ってくれた。

どういうことだろう、信じていいのだろうか? 司令長官は貴族たちを一掃する気だろう。口約束では反故にされてしまう。公文書になっていれば、反故には出来ない、司令長官の名誉に傷が付くだけではなく、その権力体制にも人々は不信を抱くだろう。分かっているのだろうか?

「有難うございます。マリーンドルフ家は閣下に対して絶対の忠誠を誓い、何事につけ閣下のお役に立ちます。先ずは、知人縁者を閣下の御味方に参ずるよう説得いたしましょう」

「期待させていただきましょう。ところでフロイライン、貴女が説得してくださる友人たちにも公文書が必要ですか」

「自主的に求める者にはお出しください。それ以外のものには必要ないと考えます。それに、閣下のおやりになることにそうした物がたくさん有ってはお邪魔でしょう」

その瞬間、ヴァレンシュタイン元帥は微かに苦笑し口を開いた。
「フロイライン・マリーンドルフ、貴女は聡明な方だが二つ誤りを犯しました。今のままではマリーンドルフ家の安泰は難しいでしょうね……」

 

 

第百二十八話 才気ではなく……

帝国暦 487年9月 30日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


「期待させていただきましょう。ところでフロイライン、貴女が説得してくださる友人たちにも公文書が必要ですか」

「自主的に求める者にはお出しください。それ以外のものには必要ないと考えます。それに、閣下のおやりになることにそうした物がたくさん有ってはお邪魔でしょう」

その瞬間、ヴァレンシュタイン元帥は微かに苦笑し口を開いた。
「フロイライン・マリーンドルフ、貴女は聡明な方だが二つ誤りを犯しました。今のままではマリーンドルフ家の安泰は難しいでしょうね」


元帥の言葉にメックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐が驚いた表情をしている。
「……それは、どういう意味でしょう?」

「どういう意味もありません。その通りの意味です、フロイライン。マリーンドルフ家は危ういと言っています」
マリーンドルフ家は危うい、ヴァレンシュタイン元帥の苦笑は止まらない。

怒っているわけではない、恫喝しているわけでもない。元帥は本気でマリーンドルフ家を危ぶみ、私を哀れんでいる。私は何か失敗したのだろうか? 見落としたのだろうか?

「フロイライン、貴女は私が何をしようとしているか分かりますか?」
「……貴族という特権階級の一掃でしょうか?」
ヴァレンシュタイン元帥は無言で頷いた。

「私は貴族の持つ特権を廃止し、政治勢力としての貴族を無力化しようとしています。貴族たちが全ての特権を捨て、この帝国を飾る無力なアクセサリーになるというなら、その存続を認めてもいい」
「……」

「マリーンドルフ家に対しても家門と領地の安堵を認めてもいいと考えています。特権の廃止を受け入れ、政治勢力として無力な存在であるなら」
「……」

ヴァレンシュタイン元帥の言葉が応接室に静かに流れる。その言葉が表すのはいかなる意味でも特権は認めない、そういう事だった。

「貴女は知人縁者を説得してくると言った。私が内乱の勝利者になれば、彼らは貴女に感謝し、何かにつけ貴女を頼るようになるでしょう。マリーンドルフ家を中心とした新しい政治勢力の誕生ですね」

柔らかい微笑みを浮かべながらヴァレンシュタイン元帥は淡々と話す。メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐が厳しい表情でこちらを見た。先程までの驚きの表情は、もうどこにも無い。

「元帥閣下、私は閣下のお役に立ちたいと思っただけです。決して貴族間の横の連帯を図ったりは致しません。第一、公文書が無い以上、生殺与奪は自由ではありませんか?」

そう、公文書が無い貴族は生殺与奪は自由なのだ。元帥の非難はいささか考えすぎだ……。だが、元帥はまた苦笑すると首を横に振りながら言葉を発した。

「公文書が無いからといって直ぐ処断できるわけではありません。彼らが実際に失態を犯すまでは無理です。失態を待たずに処断すれば、政府は恣意的に処断を行なったと非難を受けるでしょう。新体制に対する不信を起させるだけです」
「……」

「私は貴女を高く評価しているんです。貴女の力量なら、彼らを制御して失態を起させないように、あるいは庇う事も可能でしょう。連帯を強化することも難しくない……」
「……」

思わず唇を噛んだ。そんな事をするつもりは無い、そう言いたかった。でも何の根拠も無い。私を信じてくれ、その言葉だけで納得するほど甘い相手ではない。何処で間違ったのだろう。

「リヒテンラーデ侯は貴女を許さないでしょう。侯は貴族階級を一掃することにかなり葛藤がありました。でも受け入れた。そんな侯にとって内乱を自家の勢力伸張に利用する貴女は敵です」
「!」

敵、その言葉に空気が一瞬で重くなった。メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐が同情と憐憫の視線を向けてくる。リヒテンラーデ侯が敵に回れば、元帥も同調するだろう。その状態で公文書が何処まで役に立つだろう。

「それが、誤りの一つでしょうか?」
声が掠れているのが分かった。そんな私に元帥は一つ頷くと言葉を続けた。

「そうです。貴女は説得する必要など無かった。ただ、私に自分の知人で頼りになる人物が居る、一度会って欲しい、そう言うだけで良かったんです」
「……」

「後はこちらで判断しました。頼りになる人物なら貴女の人物鑑定眼は評価され、良い人物を紹介してくれたと皆に感謝されたでしょう。マリーンドルフ家は勢力を伸ばすことは出来なくとも信頼を得ることは出来た」
確かにそうかもしれない。しかし私は……。

「焦りましたね、フロイライン。貴女にとって現状は満足いくものではなかった。貴女の能力に比べマリーンドルフ家は、その影響力が小さすぎる。自家の勢力を少しでも伸張させたい、その思いが貴女を誤らせた……」

寂しそうな、哀しそうな声だった。元帥は私を非難しているのではなかった。ただ哀れんでいる。

その通りだった。これほど面白い時代に生まれたのに、マリーンドルフ家は小さすぎる。誰も私達に注目などしない。私は父を愛している、温厚で誠実で誰からも好かれている父。

しかし父の性格ではこの乱世を乗り切るのは難しいだろう。だから私がマリーンドルフ家を守る、より大きく育てる、そう思った……。

もう一つの誤りを聞かなければならない。大体想像はつくが、聞かなければならない……。次の機会のために、もっともそんなものが有ればだが。
「閣下、私が犯したもう一つの誤りとは?」

ヴァレンシュタイン元帥はちょっと困ったような表情を見せたが、言葉を出した。
「もうお分かりでしょう。貴女が言った、公文書がたくさん有ってはお邪魔でしょう、その一言です」
「……やはりそうですか」

「あれは言うべきでは有りませんでした。貴女は自分が説得した知人縁者を私のために切り捨てると言ったんです。私に恩を着せるような言い方で、貴女は自分の才気を私に認めさせようとした、違いますか?」

確かにそうだった。目の前の青年に自分を認めさせたかった。目の前の元帥は私とそれほど年も変わらない。それでも、その力量を疑う人間はいない。そして私は何処にでも居る貴族の娘でしかない。

自分が他者に比べ劣るとは思わない。ただ、機会が無かった。自分の力量を示す場が無かった。帝国は女性の地位が低い、私が自分を認めさせるには今回の内乱が最大の機会だと思った……。

「……そうかもしれません」
「今の貴女は危険です。自分を認めさせようとするあまり、やたらと才気を振り回している。そして周りだけではなく自分まで傷付けている。一番拙いのはその事に気付いていない事です」

「……」
「今のままでは、皆貴女を忌諱するようになります。誰にも受け入れられなくなった貴女はますます暴走し破滅します」

「……」
「マリーンドルフ家は危険な位置に居るのです。伯爵領はオーディンから僅か六日の距離にあります。そんな近距離にある伯爵家が信用できないとなったらどうなります」

味方を裏切るようなことを言った私をヴァレンシュタイン元帥は責めている。一度裏切ったものが二度裏切らないという保証は無い、露骨に言わないのは他にメックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐がいるからだろう。

「……」
「軍は先ずマリーンドルフ家に向かい、制圧するでしょう。マリーンドルフ家は伸張どころか消滅しかねません」
「……」

ヴァレンシュタイン元帥は一つ溜息を吐いた。そして言葉を続けた。
「フロイライン、今貴女がすべき事は才気を示す事では有りません。覚悟を示す事です」
「覚悟、ですか」

「ええ、そうです。貴女は裏切らない、マリーンドルフ家は裏切らない、私達と一緒に最後まで戦ってくれる、その覚悟です」
「……」

覚悟、その言葉にメックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐が微かに頷く。感じるところがあるのだろう。それを見ながらヴァレンシュタイン元帥は静かな口調でを言葉を続けた。

「私はメックリンガー提督もフィッツシモンズ中佐も信じています。この二人に私は背中を預けられる。もし、それで死ぬ事があっても後悔することなく死んでいけるでしょう」
「……」

メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐がヴァレンシュタイン元帥を見ている。強い視線ではなかった、ただ思いの篭った切ないような視線だ。

「フィッツシモンズ中佐は元々は自由惑星同盟の兵士でした。色々と有って私の副官をしています。シャンタウ星域の会戦では一千万もの敵を殺しましたが当然その中には中佐の友人も居たでしょう。私は彼女に部屋で休むように、戦闘を見るなと言いました」
「……」

「しかし、中佐は見続けました。最後まで蒼白になりながら見続けた。帝国軍人だから、私の副官だから……。あの時私は……」
「……」
ヴァレンシュタイン元帥は言葉を詰まらせ、首を横に振った。フィッツシモンズ中佐は少し顔を伏せ気味にしながら聞いている。その肩が微かに震えていた。その中佐をメックリンガー提督が切なそうに見ている。

「そしてメックリンガー提督、第三次ティアマト会戦で六百万の兵士を救うため、彼には危険な道を歩ませてしまった。彼は少しも嫌がらずに私の策を実行してくれた。もし、あそこで六百万の兵士が死んでいたら私は自分を許せなかったでしょう。提督には感謝しています」

「それは違います。あの時、閣下は自分の身を犠牲にして私達を守ろうとしました。しかし私達は勝つ事に夢中で閣下の御気持ちに少しも気付かなかった。其処まで我々の身を案じてくれていたのかと思うと……」

メックリンガー提督はやるせなさそうに表情を歪ませ、そのまま視線を落とした。メックリンガー提督の手が強く握り締められている。
「色々、ありましたね……」

ヴァレンシュタイン元帥の呟くような言葉を最後に沈黙が落ちた。三人とも身じろぎもせず沈黙している。

羨ましかった。目の前の三人は強い絆で結ばれている。私には無い。私は貴族の間でも変わり者、可愛げが無いと言われ続けてきた。私と強く結ばれたものなど誰もいない……。

彼らの前で味方を裏切るような事を言った私はヴァレンシュタイン元帥にとってどのように見えただろう。自分の才気に酔った愚かな女、そのためになら味方も裏切る厭らしい女だろうか……。

「フロイライン、内乱が起きた場合私達とともに戦場に出られますか?」
「戦場に、ですか」
「そうです……」

「ですが、私は軍務の経験など……」
「それは心配しなくていいのです。軍を率いる事はありません。幕僚として参加してくれればいい。マリーンドルフ家の次期当主が戦場に立つ、その事に意味があるのです」

人質、だろうか。信用できない私を常に傍において監視する。そう考えているのだろうか。

「……」
「その上でマリーンドルフ伯にも協力をお願いしたい」
「協力と言いますと?」

「政府部内にもブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に味方する人が居るでしょう。当然人手が足りなくなる。マリーンドルフ伯が宮中に出仕しリヒテンラーデ侯を助けてくれれば侯もマリーンドルフ家を信頼するでしょう」

「……」
「マリーンドルフ家の親子が揃ってこちらの味方になった、積極的に参加している。その意味は決して小さくないと思います」

ヴァレンシュタイン元帥の目には嫌悪も哀れみも無かった。いたわる様な、いとおしむ様な柔らかい眼だ。ヴァレンシュタイン元帥は私を助けようとしている。どうしようもない愚かな失敗をした私を。

「分かりました。マリーンドルフ家は元帥閣下と共に戦わせていただきます。閣下のご厚意に感謝します」
「期待していますよ、フロイライン」

ヴァレンシュタイン元帥は柔らかく微笑んでいる。メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐は表情を見せない。この二人は、いや元帥も私を信用しているわけではない。信用はこれから築かなければならない。示すべきは才気ではなく覚悟……。

応接室のドアがノックされ、女性下士官が部屋に入って来た。
「御用談中申し訳ありません。元帥閣下、只今宮中より至急参内せよと連絡が有りました。陛下の御命令だそうです」

一瞬にして応接室の中が緊張に包まれた。皇帝が元帥に至急の参内を命じた。一体何が有ったのだろう。

「分かりました。フロイライン、私はこれから宮中に向かいます。いつか今日の日を笑って話せるようになるといいと思います、では」
そう言うと元帥はしなやかな動作で立ち上がった。

元帥はマントを少し気にしながらドアに向かう。マントを着けていても華奢な後姿が分かる。メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐が後に続いた。私は少し後から出たほうがいいだろう。部屋を出る間際、元帥は振り返り私を見た。

「フロイライン、貴女の過ちはもう一つ有りました。私に忠誠は無用です。私は皇帝陛下ではありません。貴族でもない、平民です。貴女の友人、上官にはなれても主君にはなれません。良い友人になれるといいですね」

悪戯っぽい表情で言うと、あっけに取られている私をそのままに体を反転させ部屋を出て行った。誰も居なくなった応接室で私は思わず苦笑した。敵わない、改めてそう思う。でも少しも残念ではなかった。


 

 

第百二十九話 毒

帝国暦 487年9月 30日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ウルリッヒ・ケスラー


ヴァレンシュタイン元帥が新無憂宮から戻ってきた。早急に会って話がしたいと申し込むと応接室で待っていると返事が返ってきた。余計な事を考えるな、あの件について話さなければならない。


「元帥閣下、お忙しい所申し訳ありません」
「いえ、構いませんよ、宮中の用事もたいした事は有りませんでしたから」
「そうですか」

応接室に通されるとヴァレンシュタイン元帥は私に自らの前に座るように勧めた。目の前の元帥は穏やかな表情で微笑んでいる。大したものだ、冷静というか、沈着というか、一度慌てふためく姿を見てみたいものだ。一生の語り草になるかもしれない。

「閣下、キスリング准将に聞きました。よろしいのですか?」
「ギュンターから聞いたのですか……。よろしい、と言うのはローエングラム伯ですか、それともオーベルシュタイン准将?」

「両方です」
私の言葉に元帥は少し困ったような表情を見せた。
「ケスラー提督はローエングラム伯を排除しろと言っているのですか?」

「排除しろとは言いませんが、実権の無い役職には就けられませんか?」
元帥は少し小首をかしげ考えるようなそぶりを見せた後、口を開いた。

「……難しいですね、伯には失態が無い。先日の戦いで上級大将に昇進したばかりです。この状況で伯に相応しい実権の無い役職、そんなものが有るとは思えません」

「……」
「無理に排除すれば、私と伯の関係が良くないと公表するようなものです」
確かにそうなのだ。周囲から見れば、今現在でも微妙な関係にあるように見えるだろう。

元帥がローエングラム伯に含むところ無く接するから亀裂が表面化せずにいる。しかし副司令長官から移せばそうは行かない。亀裂は表面化し、それに伴い、伯を利用しようとする人間が増えるだろう。

「しかし、今のままでは元帥閣下が危険です」
「危険なのはオーベルシュタイン准将でしょう」
「オーベルシュタインですか」

私の言葉に元帥は頷いた。
「確かに彼は危険な所がありますが……」
「彼を知っているのですか」

元帥の言葉に思わず苦笑が漏れた。元帥が知らないはずが無い。あれほどまでに完璧な人材登用をしたのだ。登用した人材の士官学校時代の同期生など最初に調べたろう。

「士官学校で同期でした」
「なるほど、どのような生徒でした」
「どのような、ですか……」

優秀な男だった、だが他者と打ち解ける事は無く、いつも一人で孤立していた。そして立てる策は有効だったが、何処か他者からは受け入れづらい暗さがあった、それが孤立の原因だったかもしれない。あれはどういう男だったのか……。

元帥にそのことを話すと身じろぎもせず黙って聞いていた。
「閣下、閣下は何故オーベルシュタインを宇宙艦隊に登用しなかったのです? 閣下なら彼を使いこなせたのではありませんか?」

あるいは無礼な質問なのかもしれない。今の問題を引き起こしたのは貴方なのではないかと問いかけているようなものだ。しかし、元帥は怒らなかった。自分の考えを確かめるような口調でゆっくりと話し始めた。

「彼は毒なのです」
「毒、ですか」
「ええ、長い間使っていると、いつか自分自身がその毒に侵されてしまう。そして、その毒で周りを傷付け殺してしまう、そんな怖さがある」

なるほど、毒か。確かにそんなところはある。しかし毒とは……。
「閣下、彼の持つ毒とは何でしょう」
元帥は視線を逸らせ少しの間沈黙した。

「……ケスラー提督、何故彼はローエングラム伯のところに行き、私のところに来なかったと思います?」
私の質問は質問で返された。そこに答えがあるということか……。

オーベルシュタインがローエングラム伯の配下になった当時、宇宙艦隊を実質的に支配していたのはヴァレンシュタイン元帥、当時は大将だった。オーベルシュタインにそのことが分からなかったとは思えない。それなのに何故、彼はローエングラム伯のところに行ったのか?

順当に考えれば、元帥が自分を登用しない事が判ったので諦めた、そんなところだろう。しかし、元帥の今の問いからすれば答えはそんな単純なものではないようだ。少なくとも元帥はそう考えている。

「閣下が自分を登用する意思が無い。そう判断したというわけではないと、閣下はお考えですか?」
ヴァレンシュタイン元帥は頷くと呟くような口調で話し始めた。

「私と彼では目的が違うのです」
「目的、ですか」
「ええ、私は帝国を変えたいと思った。しかし、彼は帝国を、ゴールデンバウム王朝を滅ぼしたいと思ったんです」

「!」
「だから、私のところには来なかった。彼にしてみれば、私はゴールデンバウム朝銀河帝国の存在を容認している、その一点で受け入れられなかった……」

思わず息を呑んだ。大胆な発言だった。ヴァレンシュタイン元帥の言う通りならオーベルシュタインは謀反を企てている、そういうことになる。

「私も彼も肉体的に欠陥があります。私は虚弱と言ってよく、彼は先天的に眼が見えず義眼を使用している」
「……」

「ルドルフ大帝の時代なら、私達は二人とも劣悪遺伝子排除法によって殺されていたでしょう」
「待ってください、オーベルシュタインはともかく閣下は……」

「殺されていましたよ。あの時代、弱いという事は罪だったんです」
「……」
ヴァレンシュタイン元帥はやるせなさそうに吐いた。確かに彼の言う通りかもしれない。

「晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下が劣悪遺伝子排除法を廃止こそ出来ませんでしたが有名無実化しました。だから私もオーベルシュタイン准将も生きている。しかし、彼と私では決定的に違う所があると思っています」

元帥と彼の違う所……。それは一体……。
「私は平民に生まれました。だから血統など何の意味も無かった。私が虚弱である事は私を否定する事にはならなかった。むしろ父も母も私を溺愛しました。私は十分すぎるほど幸せで、そのことを実感できたんです」

「……」
「しかし、オーベルシュタイン准将は違ったでしょう。彼は貴族に生まれた。周りには自分の血に誇りを持つ人間が多かったはずです。そんな中で彼のような人間はどのように扱われたか……。忌諱すべき存在として扱われたでしょうね」

ヴァレンシュタイン元帥は辛そうな表情で首を振った。元帥はオーベルシュタインに同情しているのだろうか、それとも彼を取り巻く環境の、貴族というものの愚かしさに嫌悪しているのだろうか……。

「彼は自分を認めさせようと努力したでしょう。彼は優秀な人です。周囲と比べて少しもひけを取らなかったでしょう。しかし、周囲は彼を評価しなかった、評価する前に忌諱した」
「……」

オーベルシュタインが他者との間に交流を必要としなくなったのはそれがあったせいか。周りが彼を拒んだ、だから彼も周りを拒んだ。そしていつしか他者を必要としない人間になった……。

「彼は考えたでしょうね。何故自分が認められないのか、受け入れられないのかと。そして気付いたはずです。劣悪遺伝子排除法、有名無実とは言え、あれはルドルフ大帝が定めた法です。貴族たちにとってあの法は精神的に絶対的な重みを持つ……」
「……」

「ゴールデンバウム王朝が続く限り、あの法は存続する。オーベルシュタイン准将はそう思ったでしょう。彼は劣悪遺伝子排除法を憎み、それを生み出したルドルフ大帝を呪い、大帝の創った銀河帝国とその子孫を滅ぼすと誓った……」

「……」
「そして、その帝国を生んだ民主共和制を侮蔑した。帝国の前身である銀河連邦も、帝国を滅ぼせずにいる自由惑星同盟も憎悪の対象でしかない。彼にとってこの宇宙の現状は赦せるものではないんです」

沈黙が落ちた。元帥は眼を伏せ気味に黙っている。私も口を開く事が出来ない。応接室には私と元帥の二人しか居ない。しかし、この空気の重さは一体なんだろう。帝国五百年の澱みだろうか。あるいはオーベルシュタインの呪いの重さだろうか……。

「彼は考えたでしょう。私では帝国は再生してしまうと、滅ぼすことは出来ないと。だからローエングラム伯を選んだ。伯なら彼の望みをかなえる事が出来ると判断した……。私が呼んでも彼は来なかったはずです」
「……」

つまり、ローエングラム伯もゴールデンバウム王朝の滅亡、いや彼の場合は簒奪を考えているという事か。ヴァレンシュタイン元帥も当初はそれで良いと考えていた。だからローエングラム伯を担ごうとし、そのために様々な準備をした。私もその一つだ。今の宇宙艦隊の人材は殆どそのために用意したのだろう。

しかし、ローエングラム伯との関係が上手く行かなかった。伯は元帥を使いこなせず、結局元帥は独自の道を歩き始めざるを得なかった。元帥が用意した人材はローエングラム伯のためではなく元帥自身のために用いられる事になった。

そして元帥にとっては帝国の政治を変えることが目的でゴールデンバウム王朝自体にはそれほど関心が無かった。その事が王朝の存続を認める方向で動いている、そういうことだ。ローエングラム伯とオーベルシュタインはそれを阻もうとしている。

つまり帝国軍には二つの流れが有るということになる。ゴールデンバウム王朝を許容する流れと否定する流れ。それがせめぎあおうとしている。

皮肉な事だ。元帥がゴールデンバウム王朝に対して関心が無い事が、王朝の存在を許容した。元帥が平民であるから王朝を許容できたという事だ。全く皮肉だ、ルドルフ大帝が知ったらどう思うだろう。

彼が侮蔑したであろう平民が彼の子孫を受け入れ、彼が帝国の藩屏として設立した貴族がそれを拒絶している。血統、遺伝子を盲信したルドルフ大帝にとって、これほどの復讐は無いだろう。

私の思考を遮るかのように声が響いた。
「先程の質問に答えましょう。オーベルシュタイン准将の持つ毒。それは呪いです。全てを否定し、全てを滅ぼそうとする呪い。彼は危険すぎるんです……」
ヴァレンシュタイン元帥はそう言うと何かに耐えるかのように静かに眼を閉じた……。




 

 

第百三十話 闇に蠢く者

帝国暦 487年9月 30日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ウルリッヒ・ケスラー


「先程の質問に答えましょう。オーベルシュタイン准将の持つ毒。それは呪いです。全てを否定し、全てを滅ぼそうとする呪い。彼は危険すぎるんです……」
ヴァレンシュタイン元帥はそう言うと何かに耐えるかのように眼を閉じた……。

元帥の睫毛が微かに震え、若々しい線の細い顔立ちに疲労の色があらわになった。元帥は疲れている、そして重圧に苦しんでいる。未だ二十二歳の若者なのだ。だが、彼が負う責任は彼が二十二歳に甘んじる事を許さない。

「元帥、オーベルシュタインが危険なことは分かりました。であれば、なおさらローエングラム伯をこのままにしておくことが得策とは思えません。何らかの手を打つべきではありませんか」

元帥は目を開いて私を見た、そして直ぐ眼を逸らした。私は酷い事を、惨い事を言っているのかもしれない。元帥の耳には私がローエングラム伯とオーベルシュタインを排除しろと言っているように聞こえるだろう。

「……」
「閣下はキスリング准将にローエングラム伯は心配無いと仰ったそうですが、本当にそうお考えですか?」

私の言葉に元帥が溜息をついた。私を一瞬見て視線を逸らす。そして困惑したような口調で話し始めた。

「正直に言うと、自信が有りません。ギュンターと話したときは大丈夫だと思っていました。ですが、愚かにも私はある事を見落としていたようです」
「!」

見落としていた……、この人が見落とす、そんな事が有るのだろうか、いや、一体何を見落としたというのだろう。

「ケスラー提督、オーベルシュタイン准将が私の出征中、密かに社会秩序維持局に接触したことを聞きましたか?」
「はい、陛下の健康問題を確認したと」

元帥は私の言葉に頷き、静かな口調で話し始めた。
「私は彼が陛下の健康問題を確認したのは陛下の死が間近いのであれば、それを利用してローエングラム伯の地位を高めようとしたのだと思いました」
「?」

どういうことだ? あの時点で陛下が亡くなれば国内は混乱しただろう。反乱軍が目の前に迫っているのだ。それがローエングラム伯の利益に繋がる?

「陛下が亡くなれば、その瞬間に謀反の罪をブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に着せ処断します」
「閣下、そんなことをすればオーディンは混乱します」

その瞬間、元帥は口元に薄っすらと笑いを浮かべた。
「ええ、それこそがオーベルシュタイン准将の狙いでしょう」
「?」

「オーディンが混乱すれば、ローエングラム伯は艦隊を動かす事が出来ません」
「……まさか、そういうことですか?」
思わず語尾が震えた。そんな私に元帥は笑いを浮かべながら頷いた。

「ええ、反乱軍がオーディンに近づいてくる以上、足止めが必要です。その役目は私が行なう事になったでしょう。五個艦隊で九個艦隊を相手にすることになります」
「……」

「私が率いる五個艦隊は戦力を磨り潰したでしょうね、その後にローエングラム伯の率いる本隊が敵を叩き潰す」
「……」
一瞬だが沈黙が落ちた。私と元帥は静かに視線を交わす。元帥が微かに頷いた。

「ローエングラム伯はオーディンの混乱を鎮め、反乱軍を打ち破った英雄としてその地位を確立する事が出来るでしょう。一方私は戦力を磨り潰し見る影も無い状態になっている。場合によっては戦死していたかもしれない」

淡々と元帥の声が流れる。なんというおぞましい話だろう。有り得ないとは言えない、オーベルシュタインにとって元帥は相容れない存在だ。あの男がそれを考えたとすれば、確かにオーベルシュタインは毒だ。敵だけではなく味方も傷つけ殺す陰惨な毒。

嫌悪を振り払うように頭を振った私に元帥の声が聞こえてきた。
「でも、本当はそうではなかったのかもしれません」
「それは、どういうことです?」

思わず私は元帥を見た。元帥は少し戸惑ったような表情で言葉を続けた。
「もしかするとオーベルシュタイン准将は、陛下が何時亡くなるかではなく、何時まで生きているかを確認したのかもしれない……」
「……」
何時まで生きているか、どういうことだろう。

「今日、宮中で陛下に拝謁したとき思いました。御元気になられた、陛下は私の予想よりずっと長生きをされるかもしれないと」
「それは、小官も同感ですが」

私の言葉に元帥は柔らかく微笑んだ。
「そうなると、グリューネワルト伯爵夫人はずっと後宮に居る事になりますね」
「!」

思わず私は元帥の顔を見た。元帥も私を見ている。元帥の顔からは微笑みは消えていた、視線も先程までの静かな視線ではない。強く厳しい視線だ。

「私は、どうすれば反乱軍を退け、国内問題を解決できるかを考えていました。オーベルシュタイン准将は、どうすればローエングラム伯を覇者に出来るか、それを考え続けていた」
「……」

「彼にとって大事なのは、どうやって自分の思うようにローエングラム伯を動かすか、です」
「その鍵が、グリューネワルト伯爵夫人ですか」

元帥は静かに首を縦に動かした。
「このままでは、ローエングラム伯は覇者になれない。そして、グリューネワルト伯爵夫人も宮中に居続けることになる。それを止めるためには……」

それを止めるためには……、簡単なことだ。元帥を殺す、それしかない。思わず溜息が出た。元帥も同じように溜息を吐く。

陛下が存命である限り、グリューネワルト伯爵夫人は後宮に居るだろう。元帥が生きている限りローエングラム伯は頂点に立てない。頂点に立てなければ陛下からグリューネワルト伯爵夫人を取り返せない。

「私はローエングラム伯は暗殺といった手段は取らないと思っていました。彼は私を超えたいと思ってはいても、殺したいとは思っていない、そう考えていたんです。だから心配は要らないと」
「……」

「しかし、グリューネワルト伯爵夫人が絡めば話は変わる。あの二人の伯爵夫人への執着は普通ではない、そうは思いませんか?」
「確かに」

確かに元帥の言う通りだ。ローエングラム伯、ジークフリード・キルヒアイス准将、あの二人のグリューネワルト伯爵夫人への執着は尋常ではない。結局、その執着が元帥とローエングラム伯の決裂を決定した。

ローエングラム伯もジークフリード・キルヒアイス准将も伯爵夫人に対して罪悪感を抱いているのだろう。伯爵夫人を犠牲にすることによって、自分達が栄達する事になったと。伯爵夫人の犠牲の上に自分たちの栄達があると。

弱いから姉を後宮に連れ去られた。弱いから伯爵夫人を解放できない。あの二人にとって伯爵夫人が後宮に居る事は自分たちの弱さの証明でしかない。あの二人が武勲に出世に拘ったのはそれが原因だろう。少しでも早く強くなり姉を解放する……。

オーベルシュタインがあの二人のそんな想いに気付かないとは思えない。彼があの二人の耳に何を吹き込むか……。

ヴァレンシュタイン元帥が居る限り伯爵夫人が解放される日は来ない……。この内乱を機に元帥を暗殺し、軍の実権を握る。そうすれば伯爵夫人を解放できる、ローエングラム伯の皇帝への道も開ける……。

耐えられるだろうか、その誘惑に。ローエングラム伯、キルヒアイス准将は耐えられるだろうか。日々健康になっていくように見える陛下と日々その地位を磐石な物にしていくヴァレンシュタイン元帥……。

「元帥閣下、やはりここは……」
「ケスラー提督、未だ時間は有ります。今ここで決めなくてもいいでしょう。私も多少、考えている事があります」

「元帥閣下、何故ローエングラム伯を庇うのです。前から不思議に思っていたのですが」
「庇ってなどいませんよ」

元帥は苦笑とともに言葉を出した。元帥は昔からローエングラム伯に好意的だった。周りから見てもおかしなくらい好意的だったと思う。あの事件で決裂しても、決定的に対立する事を避けてきたように見える。

元帥ならいつでもローエングラム伯を排斥できたはずだ。だが、私が知る限り元帥がローエングラム伯を排斥しようとしたのは一度だけだ。それも一瞬の事で、私のほかに知るものはロイエンタール提督だけだろう。

イゼルローン要塞失陥の責めを負わせて軍から追放することも出来ただろう。しかし現実には、元帥の口添えにより宇宙艦隊副司令長官に就任している。ローエングラム伯に遠慮しているとしか思えない。

私が納得していない事に気付いたのだろう。元帥は苦笑したまま言葉を続けた。
「まあ、ずっと見てきましたからね。それなりに想い入れは有ります」

「ずっとですか」
「ええ、ずっとです」
不思議な表情だった。遠くを見るような、何かを思い出すような、何処か切なく、哀しい表情。それなのに口元には微かに笑みがある。一体二人には何が有るのだろう。


どのくらい時間が経ったのだろう。元帥が私を見た。先ほどまでの不思議な表情は無い、何処か笑い出しそうな、おかしそうな表情をしている。
「ケスラー提督、私を騙しましたね。皇帝の闇の左手は解散していないでしょう」

そう言うと元帥は耐えられないように笑い出した。
「元帥閣下……」
「嘘は無しですよ、一度騙したんです、もう十分でしょう」

とうとうばれたか、思わず苦笑が出た。
「やはり宮中での御落胤騒動が原因ですか」

「軍務尚書も統帥本部総長も不思議そうな顔をしていました。憲兵隊も情報部もお二人の命令で動いていないということです。にも関わらず陛下はブラウンシュバイク公達の動きを知っていた。そしてケスラー提督が私のところに来た。逆効果ですね」

逆効果か、確かにそうだ。どうやら思いのほかに焦っていたらしい。陛下から事の顛末をTV電話で聞いたとき、こちらも笑わせて貰ったが、どう考えても元帥が疑いを持つだろうと思った。何とか元帥の疑惑を逸らそうとしたのだが、彼にとってはむしろ確証を得たようなものか……。

「解散を決定したのは事実です。その準備もしました。ですが事情が変わって存続する事になったのです」
「というと」

「元帥閣下が小官をローエングラム伯の参謀長に推薦した事が原因です」
「?」
元帥は訝しげな表情をした。

「実は小官がグリンメルスハウゼン子爵の後を継いで皇帝の闇の左手を率いる事になっていました」
「それで?」

「当初、グリンメルスハウゼン子爵の死後も小官はオーディンにいる予定でした。ところが、当時憲兵隊にいた小官を快く思わない有力者がいました。彼らの意向によって小官は辺境星域に行く事になったのです」

「……」
「もし小官が辺境星域に行っていたら、いえ行くはずだったのですが、そうなると統率者がオーディンに居ない事になります」

「なるほど、それは少々不便でしょうね……」
元帥は軽く頷きながら答えた。
「はい、しかし、だからといって無理に小官をオーディンに置こうとすると不自然な人事に誰かが気付くかもしれません」

「……」
「陛下も当時はあまり政治に関心をお持ちではありませんでした。それで面倒だと仰って解散することになったのです」

「ところが私がケスラー提督をローエングラム伯の参謀長に推薦した。つまり統率者がオーディンに居る事になった」
「そうです。それで解散は急遽取り止めになったのです」

元帥は苦笑している。あの時元帥は純粋に好意からローエングラム伯の参謀長に私を推薦した。まさかその事が闇の左手の存続に繋がるとは思わなかったのだろう。

「閣下に関する文書も一度廃棄されました。あの文書の内容を知っていたのはグリンメルスハウゼン子爵と陛下だけです。そして陛下から改めて調査の命が下りました」

「ブラウンシュバイク公が調べていたからですね。あの馬鹿げた噂を」
元帥は苦笑をさらに深め、私に問いかけた。

「そうです。ブラウンシュバイク公は元帥閣下と陛下の血縁関係を疑っていました。我々も調べましたが結局判りませんでした。あれは本当なのですか?」

「まさか、嘘ですよ、そんな事は。私はエーリッヒ・ヴァレンシュタインです。それ以外のものではありません」
元帥はとうとう笑い出した。どうやら本当に嘘のようだ。少なくとも元帥は嘘だと思っている。

「もう一つ、元帥閣下を欺いていた事があります」
「……ギュンターの事ですか」
「御分かりでしたか。閣下の仰るとおり、ギュンター・キスリングは闇の左手です」

「ギュンター・キスリングがアントンとオーベルシュタインの接触に気付かなかったのは、例の馬鹿げた噂の調査に気を取られたからでは有りませんか?」

私が頷くと元帥は笑いを収め真面目な顔になった。
「どうやら、私の周りには油断も隙も無い人たちが集まっているようですね。やれやれですよ、だんだん性格が悪くなっていくようです」

肩をすくめてそう言うと元帥はまた笑い出した。元帥の言葉に苦笑しながら、ふと思った。元帥は何処かで騙される事を望んでいたのではないか、楽しんでいるのではないかと。そう思うくらい元帥の笑い声は明るかった……。

 

 

第百三十一話 後継者

帝国暦 487年10月 2日   オーディン 新無憂宮  ライナー・フォン・ゲルラッハ


フェザーンからニコラス・ボルテックという男が来た。帝国のフェザーンに対する誤解を解くためだという。フェザーンではルビンスキーの補佐官を務めていた人物だ。それなりの人物を送って来たらしい。

現在オーディンに有るフェザーンの弁務官事務所は閉鎖されている。職員は皆軟禁状態にあり、フェザーンはオーディンにおいて活動の拠点を失っている。ボルテックは弁務官事務所の活動の再開、職員の解放を希望している。

ボルテックはフリードリヒ四世陛下への謁見を済ませた後、別室で帝国側の実務者たち、即ち私達と会う事になっている。帝国側はリヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタイン元帥、そして私だ。エーレンベルク、シュタインホフ両元帥はフェザーンの拝金主義者など見たくないと断ってきた。

リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥が会うのは先日の宮中での一件以来だが、二人ともその事には一言も触れなかった。それどころか表情一つ変えない。それぞれ椅子に座りボルテックを待つ。

「ニコラス・ボルテックじゃが、食えぬ男じゃの」
「そうですか……」
「先程、陛下との謁見ではのらりくらりとかわしおった。エーレンベルク、シュタインホフがおらぬのは幸いじゃ」

忌々しそうにリヒテンラーデ侯が口を開いた。先程の謁見には自分も同席したが全く同感だった。さすがにフェザーンで黒狐の補佐官をしていただけのことは有る。

エーレンベルク、シュタインホフ両元帥がいれば怒り心頭に達していただろう。ヴァレンシュタイン元帥が穏やかに微笑みながら言葉を返した。

「リヒテンラーデ侯らしくもありませんね。彼の好きにさせるなど」
「ふん、陛下の御前じゃからの、遠慮したまでよ」
「なるほど、これからが本番ですか。ではお手並み拝見ですね」

そう言うとヴァレンシュタイン元帥はおかしそうに笑った。
「何を言っておる。少しは年寄りを労わらんか。卿があの横着者の肝を冷やしてやるのじゃ」
リヒテンラーデ侯の言葉に元帥は今度は苦笑した。

「また面倒な事を。財務尚書、どう思います?」
「正直者の私の手には余ります。お二人の悪辣さに期待させていただきましょう」

私の言葉に元帥はさらに苦笑を強めリヒテンラーデ侯を見た。リヒテンラーデ侯は面白くもなさそうに鼻を鳴らした後、私と元帥を見て一言吐き出した。

「そろそろ来るぞ」
その言葉にヴァレンシュタイン元帥は溜息をついてから、少し困ったような表情で侯に答えた。
「何処まで御期待に沿えるか、分かりませんよ」

「ニコラス・ボルテックでございます。高名なヴァレンシュタイン元帥にお目にかかれたこと、光栄の極みでございます」
「ボルテック補佐官、お役目ご苦労様です」

挨拶が終わるとボルテック補佐官はフェザーンの立場を弁護し始めた。先程陛下の前で述べた事と同じだが、二回目の所為だろう、さっきよりも滑らかに話し始める。

アルテミスの首飾りがカストロプに配備されたのは商魂たくましい商人が売ったもので自治政府は関与していないこと、知っていれば必ず止めたであろう。

反乱を起したマクシミリアン・フォン・カストロプとフェザーンが連絡を取り合っていたとの非難があるがそれは誤解であり誹謗である。

マクシミリアンは反乱後、独立しカストロプ公国とフェザーンの間で国交を結びたいと言ってきたがフェザーンは本気にせず適当にあしらった事。それを以ってフェザーンに叛意ありとするのは酷としか言いようが無い。

ブルクハウゼン侯たちの背後にフェザーンがいたとの疑いは心外である。もしブルクハウゼン侯たちがその様な事を言っているとしたら、責任をフェザーンに押し付け少しでも罪を軽くしようとしての事である。

「フェザーンは決して帝国に敵対する事はありません。それをご理解ください。弁務官事務所の活動の再開、職員の解放をお願い致しまする」
ボルテックの言葉にヴァレンシュタイン元帥がチラッとリヒテンラーデ侯を見た後、答えた。

「なるほど、フェザーンに罪は無い、帝国の一方的な言いがかりだというわけですね?」
「そのような事は言っておりません。誤解が有ったと言っております」

「しかし、フェザーンには誤解を受けるような点があったのではありませんか?」
「弁務官事務所の活動の再開をお許しいただけるのであれば、今後は私が弁務官となって信頼いただけるように務めるつもりです」

ボルテックの言葉を聞くとヴァレンシュタイン元帥は少し目を細めた後、ボルテック補佐官に問いかけた。
「貴方が居なくなってはフェザーンのルビンスキー自治領主も色々とお困りでしょう。今はどなたが傍に居るのです?」

「ルパート・ケッセルリンクという者が新たに補佐官としてルビンスキー自治領主の傍におります」

「若いのですか?」
「まだ、二十代前半です」

ほんの少し、ボルテックの声に苦味が走ったように思えたのは気のせいだろうか。リヒテンラーデ侯を見ると侯は微かにこちらに視線を向けたが直ぐボルテックに戻した。ヴァレンシュタイン元帥はどう思っただろう。彼の穏やかな表情には何の変化も無い。

「リヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵、弁務官事務所の活動の再開を許しては如何でしょう。フェザーンもボルテック補佐官を新たに弁務官に任命するほどの配慮を示したのですし」

一見すると、心からフェザーンの配慮に感心したような態度だがそんなことは有り得ない、となればボルテックを取り込む気か、あるいは別に狙いが有るのか。リヒテンラーデ侯が皮肉そうな表情で元帥に問いかけた。

「良いのか、それで」
「構いません」
「ならば、私には異存が無い、ゲルラッハ子爵、どうじゃな?」
「問題ありません」

この二人が良いと言ったものを私が覆す事など出来るわけもない。リヒテンラーデ侯の“良いのか”、あれは、それで取り込めるのか、利用できるのか、そういうことだろう……。

「有難うございます。フェザーンは必ず、帝国にとって信頼できる存在になることをこのボルテックが約束いたします」
ほっとしたのだろう。ボルテックの表情に安堵が見える。

そんなボルテックを見ながらヴァレンシュタイン元帥が声をかけた、穏やかに微笑みながら。
「ボルテック弁務官、今貴方は帝国にとって信頼できる存在と言われましたが、その帝国とは誰の帝国です?」
「?」

「ルパート・ケッセルリンク補佐官は、アントン・フェルナー准将と接触していたそうですが」
「!」

ボルテックの表情が強張った。一方、元帥は相変わらず微笑を浮かべている。ルパート・ケッセルリンク、新任の補佐官だが元帥は知っているのか? 先程は知らなさそうであったが。それにアントン・フェルナー准将?

「ヴァレンシュタイン、アントン・フェルナー准将とは誰かな?」
「ブラウンシュバイク公の部下ですよ、リヒテンラーデ侯。私の依頼でフェザーンに行っていました」
「!」

部屋に緊張が走る。全員がヴァレンシュタイン元帥を見た。元帥は穏やかに微笑を浮かべたままだ。ルパート・ケッセルリンクがブラウンシュバイク公の部下と接触した。しかし、その部下は元帥の依頼で動いている、どういうことだ?

「フェザーンで同盟の弁務官事務所と接触をしていました。同盟軍を帝国に攻め込ませるためです。彼はとてもいい仕事をしてくれましたよ」
元帥はいかにもおかしそうに笑った。一方ボルテックの表情はますます強張る。

「……」
「彼とギュンター・キスリング、ナイトハルト・ミュラーは私の士官学校時代の同期生で親友です。ギュンターは先日、ブルクハウゼン侯達を捕らえ、フェザーンの弁務官事務所を制圧しました。ナイトハルトは私の元で一個艦隊を率いています。有能な艦隊司令官です」

つまり元帥はブラウンシュバイク公の元にも自分の味方を入れている。公の動きは元帥に筒抜けという事か。しかし、何故それを明かす? ボルテックは必ずブラウンシュバイク公に伝えるだろう。それではフェルナー准将が危うくなる。

「ボルテック弁務官」
「何でしょうか、ヴァレンシュタイン元帥」
「貴方は将来、フェザーンの自治領主になりたいと考えていますか?」

微妙な質問だった。この場でなりたいと言えばルビンスキーへの反逆の意思ありと取られかねない。いやそのように取ってルビンスキーとボルテックの間を裂きかねない。

「……なりたいとは考えています。しかしルビンスキー自治領主閣下を追い落としてまでなりたいとは考えていません。自分はフェザーンの混乱を望んではいません」

なりたいと言った。それなりに野心と自信の有る男なのだろう。
「なるほど、ボルテック弁務官は野心と節度という相反する二つをお持ちのようじゃ。なかなかの人物じゃな。そうは思わんか」

リヒテンラーデ侯がボルテックを評した。額面どおり取れば高評価といって良いだろう、しかし侯の口調には温かみなど欠片も無かった。だがボルテックは耐えている。顔は強張っているが、落ち着いているし目には強い光がある。胆力もあるようだ。

「そうですね、私もそう思います。元帥はいかがです」
「同感です。しかし、残念ですがボルテック弁務官が自治領主になることは有り得ないでしょうね」

穏やかな口調だ。しかし、その言葉は部屋に響き沈黙が落ちた。息苦しいほどの緊張が場を包む。ボルテックは覚悟を決めたのだろう。挑むような視線でヴァレンシュタイン元帥を見ると口を開いた。

「何故でしょう。それは私に能力が無い、そういうことでしょうか?」
「弁務官自身の問題では有りません。ですが二つの理由で貴方はフェザーンの自治領主にはなれないでしょう」

元帥の表情は変わらない。穏やかで微笑を浮かべたままだ。
「その二つの理由をお教え願いませんか」
ボルテックも口元に笑みを浮かべながら言葉を発した。だがヴァレンシュタイン元帥に向けられた視線は強いままだ。

「一つは私がフェザーンの自治を認めるつもりがないからです。私の願いはフェザーンを滅ぼし、自由惑星同盟をも滅ぼす、宇宙の統一です」
一瞬だが元帥とボルテックの視線が強く絡まった。

「……なるほど、もう一つは」
「ルビンスキー自治領主には意中の後継者がいます。それは残念ですが貴方ではない。それが理由です」
「!」

ボルテック弁務官の顔が歪んだ。もしかすると彼自身その思いがあったのかもしれない。彼は一瞬、眼を閉じた後元帥に問いかけた。
「その意中の後継者とは誰でしょうか」
「……ルパート・ケッセルリンクです」

その瞬間ボルテック弁務官は口を歪めて反論した。何処と無く嘲笑の気配もある。
「元帥閣下、ルパート・ケッセルリンクは未だ二十代前半です。自治領主閣下が彼を後継者になど有り得ません」

「彼がアドリアン・ルビンスキーの息子だといってもですか」
「!」
ボルテックの顔が今度は驚愕で歪んだ。ヴァレンシュタイン元帥は幾分せつなそうな表情で話を続ける。

「昔、ある若者が居ました。能力も、野心も有る男だった。貧しい家の娘と付き合っていましたが、ある時彼の前に大富豪の娘が現れた。彼は貧しい娘を捨て、大富豪の娘を選んだ……」

「……」
「それがきっかけとなり彼は頂点を目指し始めた。そして五年前から第五代自治領主としてフェザーンを支配している」
独り言のようなヴァレンシュタイン元帥の声だ。誰も口を挟もうとしない。

「……」
「彼は貧しい家の娘を自分の野心のために捨てましたが、忘れたわけではなかった。彼女が自分の息子を生んだことを知り、自分の傍に置いたんです。第六代自治領主にするために」

「……」
「ルパート・ケッセルリンクの母親は死んでいます。自治領主にしてみれば、彼女への贖罪の気持ちと父親としての愛情なのかもしれません」
「……」

沈黙が落ちた。本当の事なのだろうか。ボルテックの顔は青ざめている。思い当たる節があるのだろうか。元帥は一つ首を横に振るとボルテック弁務官に話しかけた。

「ボルテック弁務官、貴方はおそらく自治領主にオーディンの弁務官事務所を立て直せ、それが出来るのはお前しかいない、そんなことを言われたでしょう。私の暗殺も頼まれたかもしれない」
「……」

「でも、本当は貴方が邪魔だったんです。貴方がフェザーンにいる限り、ルパート・ケッセルリンクは貴方の影に隠れてしまう。だからオーディンに追い払った。これから時間をかけて後継者教育を始めるつもりでしょう。実績も経験も積ませるつもりに違いない」
「……」

「貴方が失敗すれば公然と切り捨てられる。成功したら、帝国を宥めるために貴方の独断だとして帝国に売り渡す、あるいは成功した瞬間に貴方を殺す……」
「……」

「信じる、信じないは貴方の自由です。多分、自分で事実を調べようとするでしょうが気をつけるのですね。ルビンスキーもケッセルリンクも貴方を邪魔だと思っている。周りが全て貴方の味方とは限りません……」

元帥の声だけが静かに流れた。その声は本当にボルテックを案じているように聞こえる。ボルテックの顔は青ざめ、彼の内心を表すかのように目が揺れ動いた。






 

 

第百三十二話 バラ園

帝国暦 487年10月 2日   オーディン 新無憂宮  ライナー・フォン・ゲルラッハ



「ボルテックは大分参っていたようじゃの」
「そうですね」
リヒテンラーデ侯の言葉に答えながらヴァレンシュタイン元帥を見る。元帥は少し放心したようにボルテックが出て行ったドアを見つめていた。

ボルテックは心が折れてもおかしくは無かった。それほど元帥の揺さぶりは巧妙で強力だった。しかし彼は持ちこたえた。動揺は見せたが醜態は見せなかった。フェザーンの弁務官として最後の一線で踏み止まったと言える。

「ヴァレンシュタイン元帥、先程のアレは本当の事なのですか?」
「アレと言われても困りますが、財務尚書の言われている事がルパート・ケッセルリンクの事でしたら事実です」

気を取り直して答える元帥の言葉に私とリヒテンラーデ侯は顔を見合わせた。リヒテンラーデ侯が不思議そうな口調で問いかける。
「卿は妙な事を知っておるの。何処で調べた、情報部か?」
「いいえ、そうではありません」

そのまま元帥は視線を逸らした。不自然な沈黙が落ちる。私とリヒテンラーデ侯の視線に気付かないはずは無い。それでも元帥は沈黙している。答えたくないということか……。私はリヒテンラーデ侯に視線を向けた。侯も訝しげな顔をしている。

「ヴァレンシュタイン、卿はボルテックをどう見た?」
「……ボルテックは私の予想とは少し違いました。私は才気、野心は有っても心の弱い人物だと思っていたのですが、そうではないようです」

ヴァレンシュタイン元帥はそう言うと、少し考え込みながら言葉を続けた。
「ルビンスキーは誤りました。彼はボルテックを傍から離すべきではなかった。傍に置いておけば彼を守る盾になったでしょう。むしろオーディンにこそルパート・ケッセルリンクを置くべきでした」

「……」
「ルパートが成功すれば、それを功として認められます。失敗しても若さの所為にして庇う事が出来る。ま、心配なのでしょうね、遠くに置くということが」

そう言うと元帥は口元にうっすらと笑みを浮かべた。一瞬ぞっとするような酷薄なものを感じたのは気のせいだろうか。黒のマントに包まれた元帥が禍々しく見える。リヒテンラーデ侯が少し考え込みながら元帥に話しかけた。

「ルパート・ケッセルリンクじゃが、フェザーンのレムシャイド伯に念のため調べさせるか」
「そうですね、そうしていただけますか。出生だけでなく現在の動きも含めて」

「そうじゃの、ところでアントン・フェルナー准将といったか、彼のことじゃが……」
「彼は敵です!」
リヒテンラーデ侯の言葉を元帥は遮った。その語気の鋭さに部屋が緊張する。元帥は能面のような無表情になっていた。

「彼は士官学校では同期生で親友でした。しかし今は敵です」
元帥の言葉に私とリヒテンラーデ侯は顔を見合わせた。
「……彼を味方に引き込むことは出来ませんか」
戸惑いながら問いかけた私の言葉に元帥は首を横に振った。

「彼は私と戦いたがっています。謀略家として私と戦い、その力を試したがっている……。私もいつかこんな日がくると思っていました。そして来た……」
「しかし、親友なのでしょう、このままでは……」

私の言葉に元帥は僅かに苦笑して言葉を続けた。
「アントンは私が死ねば悲しむでしょう。私のために泣いてくれると思います。ですが戦う事を止めようとはしない。負けを認めるまで戦い続けるでしょう」
「……」

「お二人ならお分かりでしょう。生きていく以上、お互い譲れないものが有ると。譲るのであれば、それなりの何かが要ると」
「……」

何も言えなくなった。私もリヒテンラーデ侯も貴族を切り捨てることに同意した。それは新銀河帝国、宇宙を統一する唯一の星間国家という夢と引換えだった。単なる権力争いで切り捨てたわけではない。

重苦しい雰囲気を打破ったのはリヒテンラーデ侯の声だった。
「ヴァレンシュタイン、陛下が卿に話したいことがあるそうじゃ。バラ園に行くが良い」

ヴァレンシュタイン元帥はリヒテンラーデ侯の言葉に頷くと席を立って歩き始めた。立つ時に濃紺のサッシュが目に付いた。彼の近くにいる人間だけがサッシュの色に気付くだろう。彼を忌み嫌い、遠ざかるものは気付かないに違いない。

「どうも、心配じゃの」
リヒテンラーデ侯の呟きに誰とは聞かなかった。聞くまでも無い。
「いささか、疲れているようですが」

リヒテンラーデ侯は溜息とともに言葉を出した。
「ローエングラム伯にも困ったものじゃ」
「?」

「小僧めが図に乗りおって。本来なら死罪になってもおかしくなかったのじゃ。陛下が甘やかすから付け上がりおって」
「……」


帝国暦 487年10月 2日  新無憂宮 バラ園  フリードリヒ四世


「陛下、リヒテンラーデ侯より御呼びと伺いましたが?」
「うむ、ご苦労じゃな、ヴァレンシュタイン」

声をかけ、目の前でひざまずく若者を見た。小柄で華奢な体を黒のマントが隠しておる。初対面でこの者が宇宙艦隊司令長官だと言っても誰も信じまいの。

「立つが良い。遠慮は要らぬ、そちもバラを見るが良い。もう直ぐ華も終わりじゃ。華が終われば剪定じゃの」
「はっ」

ヴァレンシュタインは立ち上がると予の後ろに立った。ヴァレンシュタイン、そちの良い所は遠慮の無い所じゃ。他のものでは妙に遠慮するでの、反って予が疲れるわい。

「ケスラーから聞いた。ローエングラム伯のことで苦労しておるようじゃの」
「はっ」
「どうかの。アンネローゼを後宮より下げるというのは」

アンネローゼを後宮より下げるのは惜しいが、そうすれば少しはローエングラム伯も落ち着くやもしれぬ。
「それは御無用に願います」

ほう、きっぱりと答えたの。
「いかぬか」
「はい。ローエングラム伯は返って侮辱と感じるかもしれません」

「そうか、そうかもしれんの。周りの貴族達も囃し立てるやもしれん」
アンネローゼが後宮より下がれば、寵を失ったと判断した貴族たちが囃し立てるか……。

ローエングラム伯はその侮辱に耐えられず、その侮辱を与えた予を許すまい……。返すも地獄、返さぬも地獄か。つまり、予が死んで自然とあれが後宮より下がる、それしかないということか。

「それに、陛下の元に新たに女性を献ずる貴族が押し寄せますが」
こやつめ、楽しんでおるな、なるほど確かにそうじゃの。この年で若い娘の相手はちとしんどい、そうじゃ、そちに手伝わせるという手もあるの。

「なるほど、確かにそうじゃの。そちにも一人遣わそうか。好みの娘を選んでよいぞ。ただし、そちの嫌いな貴族の娘じゃが」
背後からおかしそうな笑い声が聞こえて来た。

「陛下、それでは親が納得いたしますまい」
「そうでもあるまい。貴族の誇りとやらが邪魔しているが、内心ではそちと誼を結びたいと思っているものもおろう。予が遣わしたとなれば面目も立つ」

「愚かな話ですね」
「そうじゃの、全く愚かな話じゃ」
思わず笑い声が出た。ヴァレンシュタインも笑っているようだの。

バラの華を見ながら貴族たちの愚かさを笑うか。笑うのは皇帝と平民、なんとも皮肉なものよ。ルドルフ大帝はこのような日が来ると想像した事があったかの。

目の前には美しい華が咲き誇っておる。後ろにいるヴァレンシュタインは華を見ておるじゃろうか。バラの華が似合う若者じゃ、黒のマントも映えるであろう。しかしどう見てもバラの華を愛でる姿が思いつかぬ。困ったものじゃ……。

「あれは、簒奪を望んでいよう」
「ケスラー提督がそのような事を申し上げましたか?」
「いや、そのような事は言わなんだ。だがあれの目を見れば分かる……。そちはどう思うか、思うところを述べてみよ」

少しの間、沈黙があった。なるほど、簒奪の意思有りということか……。
「おそらくはそれを望んでいましょう」
「そうか」

正直な男よの。他のものなら有り得ぬと否定するか、有り得るとむきになって伯を誹謗するかじゃ。そちはそのいずれでもない。ただ思うところを述べる……、それだけじゃの。

「あれにとってはそちが邪魔なのであろう。そちがいる限り、権力は握れぬからの」
「……」

「逃げたいか? そちは権力など望んでおるまい。ここから逃げ出したいとは思わぬか?」
「……思います」

「では、何故逃げぬ?」
「自分を信頼してついてきてくれる人達がいます。その想いを裏切れません」
「……」

「それに……」
「それに? いかがした?」
「自分の所為で三百万人死にました。そして自分は帝国を守るため一千万人殺しました。もう逃げられません」

「逃げられぬか。辛いの……」
「はい……」

「帝国は滅びる。門閥貴族は肥大化し、互いに勢力を張り合い始めた。政治は私物化され、帝国は緩やかに腐り始めておる。いずれ帝国は分裂し内乱状態になり、存在しなくなると思うた」
「……」

「そちの言う通りよ、帝国は滅ぶ。であるのに皇帝からは逃げられぬ、地獄じゃ……」
「陛下……。陛下がローエングラム伯を引き立てたのは……」

「そうじゃ。ローエングラム伯ならば、予を地獄から救ってくれるだろうと思った。あれはゴールデンバウム王朝を滅ぼすであろう、しかし銀河帝国はあれの元で新しく生まれ変わるに違いない……」
「……」

「じゃがそちが現れた。そちが新しい道を示してくれた。嬉しかった。そちにとっては迷惑かもしれんがな」
「……」

「すまぬの。予があれの野心を煽ったようなものじゃ。それなのに止めることが出来ぬ。そちに苦労をかけてしまうようじゃ」
「陛下……」

声が湿っておるの。泣いておるのか、ヴァレンシュタイン。いや、泣いておるのは予も同じか……。先程からどうもバラの華が良く見えぬ……。

「予はそろそろ戻らねばならん。国務尚書が心配するからの。そちは、いま少しバラを見ていくが良い。たまには良かろう」

予はヴァレンシュタインを残し歩き始めた。バラ園の出口で振り返る。バラの華に囲まれたヴァレンシュタインの姿が見えた。遠目にもバラの華が良く似合う、黒のマントも良く映える。いかんの、また涙が溢れてきた、折角の風景が台無しになってしまうではないか……。


 

 

第百三十三話 華やかさの陰で……

帝国暦 487年10月 4日   オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 ナイトハルト・ミュラー


「やれやれですね」
「まったくだ」
俺は隣のいるメックリンガー提督に苦笑まじりに話しかけた。メックリンガー提督も同じように苦笑しながら答える。

今夜はブラウンシュバイク公爵邸に来ている。ブラウンシュバイク公より親睦パーティを開くという名目で、宇宙艦隊の司令長官、副司令長官、各艦隊司令官に招待状が来たのだ。

さすがに全員で行くのは拙いだろうということで宇宙艦隊からは八人が来ている。ヴァレンシュタイン司令長官、ローエングラム伯、メックリンガー提督、アイゼナッハ提督、ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督、ビッテンフェルト提督、そして俺、ナイトハルト・ミュラー。

俺とメックリンガー提督が苦笑しているのは、目の前の光景に理由がある。ローエングラム伯が少し離れた場所にいるのだが、その周囲を若い貴族の令嬢たちが囲んでいるのだ。

一方我々はと言えば、周囲には誰もいない。招待された貴族、その夫人、令嬢、そして貴族に親しい軍人達が皆遠巻きにこちらを見てヒソヒソと話しているだけだ。余り感じの良いものではない。

「妙だな、本来ならあの役はロイエンタール提督のはずなのだが」
「俺も不思議に思っている、どういうことかな」
ビッテンフェルト提督の言葉にロイエンタール提督が苦笑交じりで答えた事が周囲にも苦笑をもたらした。

「仕方が無いですね。先日私が貴族など嫌いだと放言したようなものですから」
エーリッヒが苦笑交じりに答えた。

「まあ、それは分かりますが、副司令長官は別なのでしょうか?」
「ローエングラム伯爵家の当主ですからね。ゴキブリとコオロギぐらいの違いは有ると思っているかもしれません」

ミッターマイヤー提督に答えたエーリッヒの言葉に皆失笑した。当のエーリッヒ自身が苦笑している。

何が起きているかは皆分かっている。ローエングラム伯と我々の間を裂こうというのだろう。先日、アントンがオーベルシュタイン准将に接触した事は宇宙艦隊の各艦隊司令官の間にあっという間に広まった。


その事と目の前の光景を見れば何が起きているかは明白だ。彼らはローエングラム伯を温かく迎える一方で我々を疎んじる姿勢を示している。ローエングラム伯にそして我々に、ローエングラム伯は自分たちの仲間なのだと言っているのだ。

「なんといっても、我々はしぶといですからね。向こうも手を焼いているでしょう」
「それは褒め言葉と受け取っていいのでしょうか、元帥閣下」
生真面目な口調でメックリンガー提督が尋ねる。

「もちろんですよ、メックリンガー提督。世の中、生き残ったほうが勝ちです」
その言葉にまた苦笑が沸く。しかし、生き残ったほうが勝ちというのは事実だ。軍人なら誰も否定しないだろう。

「如何でしょう、楽しんでいただけているでしょうか?」
声をかけてきたのは、アントン・フェルナーだった。その声に周囲が緊張する。

彼がローエングラム伯の幕僚、オーベルシュタイン准将に接触するだけではなく、フェザーンのルビンスキーの部下にも接触したのは皆が知っている。周囲のアントンに対する評価は人当たりは良いが油断できない男だ。

「楽しんでいるよ、アントン」
「随分と楽しそうに見えましたが、何のお話ですか」
「アントン、他人行儀な言い方は止めて欲しいな。私達は親友だろう?」

エーリッヒのその言葉にアントンは少し苦笑すると
「じゃあ、そうさせてもらおうか。ところで何の話だったんだ」
と問いかけた。

「ああ、コオロギとゴキブリの違いについて話していた」
エーリッヒの言葉にアントンがまた苦笑して問いかけた。

「コオロギとゴキブリ?」
「そう、コオロギは鳴き声で多少の可愛げを表すが、ゴキブリはしぶといだけで御婦人方の嫌われ者だとね」

おどけたようなエーリッヒの言葉に何を言っているのか分かったのだろう、アントンは失笑して “まあ、それは、なんと言うか” などと言っていたが、結局また失笑して話が続かなかった。

「何か私達に用かな、アントン」
「少し向こうで話したいんだが、どうかな」
アントンは少し離れた場所を指して、エーリッヒを誘った。

その言葉が周囲に緊張を引き起こす。だがエーリッヒはまるでその緊張に気付かないようにアントンに答えた。

「そうだね、私も卿と話したいと思っていたんだ。ただ、誰か一人同席してもらってもいいかな」
「もちろん構わない。こちらもアンスバッハ准将が同席する」

一瞬だが、エーリッヒとアントンが視線を交差させ、互いに苦笑した。
「窮屈なものだね、二人だけで話をすることも出来ないとは」
「同感だが、仕方ない」

「ロイエンタール提督、申し訳ないが同席してもらえますか」
「承知しました」
エーリッヒはロイエンタール提督を誘うとアントンの後ろを歩き始めた。



帝国暦 487年10月 4日   オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 オスカー・フォン・ロイエンタール


司令長官とともにフェルナー准将の後ろを歩く。少しはなれた場所に一人の軍人が待っていた。見覚えがある、軍刑務所でブラウンシュバイク公とともに居た男だ。あれがアンスバッハ准将だろう。

アンスバッハ准将は軽く目礼してきた。こちらもそれに答礼する。四人で向かい合うように並ぶとフェルナー准将が話し始めた。

「参ったよ、エーリッヒ。随分ときつい毒をボルテック弁務官に盛ってくれたな」
フェルナー准将の言葉に司令長官は笑顔を見せながら答えた。

「嘘は言っていないよ。卿が私の頼みでフェザーンに行った事も私達が親友であることも事実だからね」
その言葉にフェルナー准将、アンスバッハ准将が揃って苦笑した。

どうやら司令長官はフェザーンの新弁務官にフェルナー准将は自分の味方だと吹き込んだらしい。

「なかなか信じてもらえなくて困ったよ。卿は酷い事をするな」
「お互い様だろう、アントン。卿がオーベルシュタイン准将に接触した事を忘れてもらっては困るよ」

司令長官もフェルナー准将も笑顔で話している。遠めに見れば親しげに話しているようにしか見えないだろう。

不意にローエングラム伯の居るほうでざわめきが起きた。見るとブラウンシュバイク公が歳若い女性とともにローエングラム伯のところに近寄っていく。

「アントン、あれはブラウンシュバイク公爵家のフロイラインかな」
「ああ、そうだ」
「そうか……」


ブラウンシュバイク公がローエングラム伯に話しかけ始めた。ローエングラム伯は礼儀正しく答えている。ブラウンシュバイク公は娘の前だからだろうか、ひどく上機嫌だ。

そんなブラウンシュバイク公の様子につられたのか何人かの貴族がローエングラム伯のそばに寄ってきた。ブラウンシュバイク公はいっそう上機嫌に振舞っている。

「なかなかやるね、アントン」
「まだまだ、これからさ」
司令長官もフェルナー准将も笑みを絶やさない。しかし、まだまだ、これからと言っていたが一体何をするつもりだろう。

ブラウンシュバイク公が右手を上げると音楽が鳴り始めた。皇帝円舞曲、ウィンナーワルツだ。それとともにローエングラム伯とフロイライン・ブラウンシュバイクがフロアーの中央に歩み始めた。見た目にもローエングラム伯が困惑しているのが分かる。

「アントン、ローエングラム伯は踊れるのかな」
「多分、大丈夫だと思うが……」
「頼りないな。卿が何を考えているかは分かるが、失敗すると伯を侮辱する事になるよ」

心配そうな司令長官のその言葉にアンスバッハ准将が答えた。
「その時はフロイラインがローエングラム伯をお慰めします。心配は要りません」
「まさかそれが狙いではないでしょうな。だとすれば酷い話だが」

「分かりませんよ、ロイエンタール提督。この人達は酷い人達ですからね。必要とあればフロイラインに逆立ちだってさせますよ」
司令長官のその言葉に皆苦笑した。

「いくらなんでもそれは無いさ、エーリッヒ。そうでしょうアンスバッハ准将」
「さて、私はしないが卿は分からんな。元帥閣下の仰るとおり、卿は酷い男だ」

アンスバッハ准将のその言葉にまた皆が苦笑した。中央ではローエングラム伯とフロイライン・ブラウンシュバイクのダンスが始まった。二人とも危なげなく踊っている。二人のダンスを見ていた司令長官が呟くように問いかけた。

「アントン、フロイラインは何処まで知っているのかな?」
「……何もご存じない。本当は卿と踊りたがっていたのだが、公がそれを許さなかった。それで代わりにローエングラム伯と踊りたいと……」

その言葉に皆顔を見合わせそれぞれに溜め息を吐いた。
「……哀れだな。やはり卿は酷い男だ」
「……何とでも言え」

重苦しい沈黙が場を支配する。なんともやりきれない話だ。
「アントン、一つだけ忠告しておく。ローエングラム伯もオーベルシュタインもフロイラインを皇族としてしか見ないだろう。卿の狙いが成功しても辛い思いをすることになるぞ」

「……」
「それに彼らは覇権を分かち合うような人間じゃない。それだけは覚えておいてくれ」
司令長官は踊っている二人を見ながら呟く。そろそろ二人は踊り終わるだろう。フェルナー准将が顔を背けながら呟くように吐いた。

「分かっている。俺は本当は卿とフロイラインを結び付けたかった。卿ならフロイラインを大切に扱ってくれるだろうからな。世の中上手く行かんよ」

また沈黙が落ちた。フェルナー准将の言葉は嘘ではないだろう。フレーゲル男爵の事でもそれは分かる。司令長官は情の厚い人だ。ブラウンシュバイク公も同じことを思っているに違いない。それでも上機嫌でローエングラム伯と自分の娘が踊る姿を見ている。

やりきれないような沈黙を破ったのは司令長官の声だった。
「そうでもないよ、この場は卿の勝ちだ。明日にはブラウンシュバイク公がフロイラインの婚約者にローエングラム伯を選んだと噂が広まっているだろう」

「……」
「私もロイエンタール提督もこのあたりで失礼させていただくよ。ロイエンタール提督、付き合ってもらえますか?」
そう言うと司令長官は俺の手を取ってフロアーの中央に進み始めた。



帝国暦 487年10月 4日   オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 ナイトハルト・ミュラー


ローエングラム伯とフロイライン・ブラウンシュバイクが踊っている。その様をブラウンシュバイク公を中心に取り巻きの貴族や、若い貴族の令嬢が嘆声を上げながら見ている。

俺たちは皆、顔を見合わせながらも不機嫌そうに黙り込んでいる。そんな我々をチラチラと貴族たちが見ているがその表情には嘲笑が漂っている。踊り終えたローエングラム伯とフロイライン・ブラウンシュバイクをブラウンシュバイク公達が大袈裟に褒めそやしながら迎える。あまり面白い光景ではない。

そんな中、エーリッヒとロイエンタール提督がフロアーの中央に進んできた。ロイエンタール提督はエーリッヒの手を取っている。どういうつもりかと思っていると、二人は向かい合い、軽やかに踊り始めた。

「ほう、これは、なかなか」
「うむ、驚いたな」
最初はあっけにとられて見ていた皆が、口々に嘆声を上げる。

長身のロイエンタール提督が小柄で華奢なエーリッヒを軽やかにリードする。二人とも楽しそうに踊っている。何処からか笑い声が聞こえそうなダンスだ。エーリッヒのマントがダンスに合わせて軽やかにひるがえる。

ブラウンシュバイク公たちは苦い表情で見ている。しかし、令嬢たちは踊っている二人に目を奪われている。確かに眼を奪われるカップルだ。黒一色の軍服が華麗に舞う。


踊り終わった二人がこちらに戻ってくる。皆で拍手で迎えた。ロイエンタール提督は何処か苦笑気味に、エーリッヒは心底楽しそうな笑顔を見せている。先程までの嫌な雰囲気は何処にも無い。さすがだ、エーリッヒ。

「閣下、次は小官と一曲……」
「いや、先ずは小官と……」

口々にエーリッヒにダンスを申し込む僚友達を押しのけ、手を差し伸べたのはアイゼナッハ提督だった。唖然とする皆をよそにアイゼナッハ提督はじっとエーリッヒを見詰める。

一瞬、眼を見張ったエーリッヒはクスクスと笑い声を上げ始めた。そして
「喜んで」
と言うとアイゼナッハ提督の手に自分の手を重ねホールのほうに向かって歩き始めた。

「まさか、アイゼナッハ提督に先を越されるとは」
「口を出すより手を出せ、そういうことだな」
「なるほど、手を出せか。そう言えば、既婚者だったな、彼は」

そんな声が上がる中、エーリッヒとアイゼナッハ提督が踊り始める。黒の軍服が華麗に舞い始めた。

 

 

第百三十四話 哀しみは優しさを誘う……

帝国暦 487年10月 4日   オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 ラインハルト・フォン・ローエングラム


 眼の前でヴァレンシュタインとアイゼナッハが踊っている。ステップが非常に軽い。おそらくアイゼナッハはヴァレンシュタインの重みなど感じていないのではないだろうか。目の前で踊る二人に周囲の令嬢達から嘆声が上がる。

「黒って似合う方が纏うと本当に綺麗ですのね」
「ええ、元帥閣下は本当に黒がお似合いですわ」
「黒は元帥閣下の色ですものね」

確かにヴァレンシュタインは黒を好んでいる。黒髪と黒眼、マントも黒だ。本当は地味にくすんでもいいのだが彼の場合は黒が良く似合う。肌が白い所為だろう、顔立ちがくっきりと見えるのだ。寒色の黒を纏いながら柔らかく微笑む姿は確かに周囲の目を引くだろう。

ビッテンフェルト、ミュラー達も先程までの不愉快そうな雰囲気を捨て、十分に今を楽しんでいる。一方でブラウンシュバイク公達は何処か不機嫌そうな表情をしている。先程までヴァレンシュタインと話していた公の部下もこちらにやって来たが似たような表情だ。

分かっているのだ、俺がブラウンシュバイク公を中心とした貴族どもに嵌められかけた事は。だが、まさか十六歳の少女を、自分の娘を使ってくるとは思わなかった。

エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクはごく普通の少女だった。自分が道具として使われていることなど欠片も理解していないだろう。哀れな女だ。そんな女を邪険に扱う事はさすがに出来なかった。

あのままだったら、確実に艦隊司令官達と俺の間には気まずさが生まれたに違いない。もちろん俺が門閥貴族に味方するなど有り得ないし、彼らもそんなことを信じるとは思わない。しかし、それでも気まずさは生まれたと思う。

俺はまたヴァレンシュタインに助けられたようだ。まさかこの場で彼がロイエンタールと踊るとは思わなかった。俺にはあのような切り返しは出来ない。悔しさと安堵が胸に満ちる。

ヴァレンシュタインとアイゼナッハのダンスが終わった。二人は何を思ったか皆の所ではなく、俺達の居るほうに向かって歩いてくる。周囲からざわめきが上がった。

「ブラウンシュバイク公、今宵はお招きいただき有難うございます」
「おお、元帥も楽しんでいるようで何よりだ」
「はい、楽しませていただいております」

ヴァレンシュタインとブラウンシュバイク公がにこやかに会話をする。両者とも腹の内はともかく外見は親密そのものといって良いだろう。食えない男たちだ。

「ところで、皆さんダンスはなさらないのですか」
「……」
ヴァレンシュタインが貴族の令嬢達に微笑を浮かべながら声をかけると彼女たちは困ったように周囲の男たち、おそらくは父親を見た。

なるほどやはり父親に止められているのか。踊っていいのは俺だけなのだろう。
「士官学校でもダンスは軍人の嗜みの一つとして教えますよ。私達を見ればお分りでしょう。如何ですか、彼らと踊っては」

そう言うとヴァレンシュタインは艦隊司令官達のほうに顔を向けた。
「馬鹿な、平民風情と踊れるか、無礼にも程があるぞ」
「そうだ、図に乗るな」

貴族たちが口々に嘲笑と侮蔑を与える。一瞬にして雰囲気が険しくなった。令嬢たちも気まずそうに視線を逸らす。ヴァレンシュタインの後ろにいるアイゼナッハの視線が厳しくなったが、ヴァレンシュタインの表情は少しも変わらない。柔らかな微笑を浮かべたままだ。

「卿らは男同士で踊っていれば良いのだ」
「そうだ、良く似合うぞ、今度はマントではなくドレスでも着たらどうだ」
下卑た笑いが起きた。

貴族達がさらに侮蔑を加えた。異変を感じたのだろう。ミュラーを始めとした艦隊司令官達が不安げに見ている。ヴァレンシュタインは気にした様子も無くブラウンシュバイク公の部下に話しかけた。

「アントン、私達は公に招待された客だと思ったが違ったようだね。何処か手違いがあったらしい」
ヴァレンシュタインの言葉に貴族たちが嘲笑を浮かべながらアントンと呼ばれたブラウンシュバイク公の部下を見た。公の部下は一瞬だけ辛そうな表情をしたが直ぐ無表情に戻り、ヴァレンシュタインに答えた。

「……、いえ、そんな事はありません、宇宙艦隊の方々を招待したのはブラウンシュバイク公です」
部下の言葉をブラウンシュバイク公は苦い表情で聞いているが否定はしなかった。もしかすると苦い表情は貴族たちに対するものかもしれない。

「その言葉を聞いて安心した。ブラウンシュバイク公、もう少しで私達は招待されたのは間違いだと思ってこちらを失礼するところでした」
「止めはせんぞ。今からでも帰ったらどうだ」

馬鹿な貴族が嘲笑交じりに言葉を発した。その言葉にヴァレンシュタインは声を上げて笑った。
「ブラウンシュバイク公、この方たちは私を怒らせたいのか、それとも笑わせたいのか、どちらだと思います?」

そしてブラウンシュバイク公の答えを待たずに俺に笑いながら言葉をかけてきた。

「それにしても、この方達は随分と勇気があるとは思いませんか、ローエングラム伯。宇宙艦隊司令長官を侮辱する人間がいるとは思いませんでした」
「……」

「それともただ思慮が足らないだけなのかもしれませんね。カストロプ公、ブルクハウゼン侯爵、ジンデフィンゲン伯爵の事をお忘れのようです」
「……確かに司令長官閣下の仰る通りです」

楽しそうな口調のヴァレンシュタインの言葉だったが、何処か冷笑を感じたのは俺だけではあるまい。貴族達の顔は瞬時に凍りついた。今更ながら自分たちが侮辱している相手が何者なのか思い出したらしい。愚かな……。

「皆さん顔色が悪いですね。御気分が優れませんか? せっかくの親睦パーティなのです。もう少しお付き合いいただきたいですね」
周囲の青い顔を見ながらヴァレンシュタインがいかにも心配するような口調と表情で声をかけた。

父親たちの様子が変わった事に気付いたようだ。令嬢たちは不安そうに男たちの顔を見ている。そんな彼らを見ながら、ヴァレンシュタインはブラウンシュバイク公に笑顔で話しかけた。
「ブラウンシュバイク公、フロイラインとダンスをしたいのですが、お許しいただけますか?」
「!」

穏やかに発せられたヴァレンシュタインの言葉に周囲が緊張した。貴族達は顔面を強張らせてブラウンシュバイク公を見た。ブラウンシュバイク公も彼らの視線を感じているだろう。

しかし公は厳しい表情でヴァレンシュタインをじっと見ている。心配になったのだろう。ロイエンタール、ミッターマイヤー達が少しずつ、ゆっくりとだがこちらに近づいて来た。

「エリザベートと踊りたいというのか?」
「はい」

ヴァレンシュタインは穏やかな笑みを浮かべながらブラウンシュバイク公の視線を受け止めている。緊張など微塵も感じられない姿だ。それなのに空気が痛いほど緊迫している、耐え難いほどだ。

ヴァレンシュタインの背後に艦隊司令官達が集まった。皆厳しい表情をしている。貴族たちの表情は青褪める一方だ。ヴァレンシュタインはマントの襟元を直しながらブラウンシュバイク公に話しかけた。

「やはりお許しはいただけませんか」
「そうではない」

ブラウンシュバイク公は少し考えると部下と視線を合わせ微かに頷いた。部下たちも公に頷き返す。
「エリザベート、どうかな、元帥がお前にダンスを申し込んでいるが」

ブラウンシュバイク公の言葉にエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクは少し頬を染めて
「喜んで」
と答えると、ヴァレンシュタインに向かって歩を進めた。


帝国暦 487年10月 4日   オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク


ヴァレンシュタイン元帥とダンスを踊る。まさか本当に踊る事になると思わなかった。夢を見ているような気持ちだ。他の皆も艦隊司令官達と踊っている。私達が踊っているので、皆も許されたようだ。皆踊りたがっていたから喜んでいると思う。

親睦パーティが開かれる、ヴァレンシュタイン元帥がいらっしゃる、そう聞いたときは本当に嬉しかった。絶対に元帥と踊る、そう思ったのにお父様は駄目の一点張りで許してくれない。

代わりにローエングラム伯となら踊っても良いと言われたけど、正直余り嬉しくなかった。ローエングラム伯はとっても美男子で素敵だけれど、少し怖い感じがする。

女の子の中にはそんなところが素敵だって言う子もいるけど私はちょっと苦手。それに比べると元帥はいつも穏やかに微笑んでいて優しそう。全然軍人らしくない所がとっても素敵。

今日もまた素敵な所を発見。皆が元帥は怒ると怖いって言ってたけれど本当だった。さっき皆元帥の前で青くなっていたから。でもあれは皆が悪いと思う。元帥が怒るのは当たり前。シャンタウ星域の会戦の英雄をあんな風にひどく言うなんて信じられない。

「あの、先程は済みませんでした。せっかく来ていただいたのにあんな失礼な事を言うなんて……」
「全然気にしていませんよ、フロイライン」

元帥は柔らかい微笑を浮かべたまま答えてくれた。やっぱり素敵。
「フロイラインは私が怖くありませんか」
「いいえ、全然怖くありません。元帥はとても良い方だと思います」

私の言葉に元帥は軽く苦笑した。私はそんなに変なことを言ったのだろうか?
「私、元帥に御礼を言いたかったんです」
「御礼?」

元帥は不思議そうな表情で私を見た。やだ、かわいい。
「フレーゲル男爵のことです。元帥が助けてくださったと聞きました」
「……ご存知なのですか」

私は元帥の言葉に頷いた。
「本当に有難うございました。父はとても喜んでいました」
「……」
「父はフレーゲル男爵を息子のように思っていましたから」

元帥がターンに合わせて体を寄せてきた。
「そのことは余り言わないほうが良いでしょう。公に出来ることではありませんから」
囁くように言葉をかけてくる。思わず頬が熱くなった。元帥、お願いだから余り近づかないで。

「元帥、どうして私と踊りたいなどと言ったのですか? もしかして父を困らせようとなさったのですか?」
もしそうなら少し寂しい。父を困らせるためだなんて思いたくない。

元帥は微かに笑って私に答えてくれた。
「少しそれもありますね。でもアントンからフロイラインが私と踊りたがっていたと聞きました。それが大きいと思います」
「まあ」

「多分、これが最初で最後のダンスでしょうね。ブラウンシュバイク公も私達を呼ぶことは二度と無いでしょう」
「……」

「フロイラインと踊れてよかったと思います。貴女が私の想像よりずっと素敵な女性で良かった……」

元帥は少し寂しそうな表情で呟いた。元帥はずるい。私を困らせるような事ばかりする。もう直ぐダンスも終わりなのに、だんだん元帥が好きになる。どうしよう……。もう少し、もう少しだけ元帥と踊っていたい……。


 

 

第百三十五話 波紋

帝国暦 487年10月 5日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ヘルマン・フォン・リューネブルク


「昨夜は大変だったそうですな」
「……」
決裁待ちの文書を見ていたヴァレンシュタイン司令長官は俺の方を一瞬見ると苦笑してまた文書に向かった。ヴァレリーは何も言わず俺の方を軽く睨んでいる。

昨夜のブラウンシュバイク公邸での親睦パーティで起きた出来事は朝から司令部中で噂になっている。女性兵士だけではない、昨夜ブラウンシュバイク公邸に行かなかった高級士官たちの間でも噂になっている。

もっとも女性兵士と高級士官達の間では噂の主旨が違う。女性兵士達はヴァレンシュタインがロイエンタール、アイゼナッハと踊った事、そしてエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクにダンスを申し込んで踊った事が話題になっている。あくまで興味本位だ。

しかし、高級士官達の間ではブラウンシュバイク公がローエングラム伯に眼を付けた、宇宙艦隊を分裂させようと手を打ってきた、そう考えられている。深刻に取られているのだ。

「昨夜は上手くかわされたようですが、それでもローエングラム伯の去就に不安を持つ者もいます」
「……」

「ロイエンタール、ミッターマイヤー等元々ローエングラム伯の配下だった者は不安に思っているでしょう。何かにつけて疑われる立場になりかねない」
「……」

昨夜の一件は司令長官が上手くかわしたように見える。しかし、現実には司令部内にて不安が生じているのだ。俺から見ればブラウンシュバイク公は十分にポイントを稼いだように思える。

ヴァレンシュタインは見ていた文書を決裁すると、既決の文書箱に入れ、未決の文書を手に取った。そして文書を丁寧に読み始める。話しかけようとしたが女性下士官が文書を持って近づいてきたので思い止まった。ヴァレリーが苦笑している、ヴァレンシュタインもだ。

「宜しいのですかな。昨夜の一件は小手調べでしょう。これからも敵は手を打ってきますぞ」
文書を置いていった女性下士官の後姿を見ながら話しかけた。ヴァレンシュタインがまた文書を決裁すると既決の文書箱に入れる。

俺の言葉にヴァレンシュタインは殆ど何の反応もしなかった。もう少し反応してくれても良いものだが……。もっともこの男が俺の言った事に気付かないとも思えない。余計な事だったか……。

「ローエングラム伯はどうしています」
未決文書を手にしながら司令長官が問いかけてきた。
「特に変化は無いようですな。いい気なものです」

そう、まったくいい気なものだ。自分が何故狙われたか、何も考えてはいないのだろう。もう少し考えるべきなのだ。本来ならメルカッツ提督が狙われてもおかしくなかった。

彼は実績もあれば人望も有る。それなのに宇宙艦隊では一艦隊司令官でしかない。貴族たちがメルカッツ提督が不満を持っているだろうと思ってもおかしくない。それなのに彼は狙われなかった。

ヴァレンシュタインは彼を軍の宿将として遇し、メルカッツ提督もそれに応え、若い司令長官を献身的に補佐している。この二人の間に隙があるようには見えない。

一方ローエングラム伯は副司令長官だがその地位に満足しているようには見えない。司令長官に隙があれば取って代わろうとするだろう。周囲はそう見ている。

さらに周囲から見ればヴァレンシュタインにとってローエングラム伯は厄介者で扱いに困っているようにしか見えない。何処かで彼に遠慮している。彼が何時までその遠慮を続けるのか……。

そのことが貴族達に付け込む隙があると思わせた。ローエングラム伯は孤立しており、周囲からは浮いている。それがどれだけ危険か本人は分かっていない。

ミューゼルの姓を名乗っていた時から彼は孤立していただろう。しかし、軍での階級が低かった時はそれほど問題にはならなかったと思う。階級が上がってからはヴァレンシュタインが何かにつけてサポートしている。そのため孤立する事の危険性を十分に理解していない……。

「伯の周囲はどうです」
「?」

伯の周囲か……。考えていると司令長官が呟くように言葉を発した。
「ローエングラム伯が門閥貴族に与する事は余程に追い詰められない限り先ず無いでしょう。門閥貴族もそのあたりは理解しているはずです」

「……」
「おそらく疑心暗鬼を生じさせそれを利用しようというのが主目的でしょうが、利用するのは門閥貴族だけとは限らない」

司令長官は文書を手にとっていたが、見てはいなかった。少し眉を寄せ、何かを見据えるような表情で話し続けた。

門閥貴族だけとは限らない……。なるほど、伯の周囲にもその噂を利用する者がいるとヴァレンシュタインは考えている。彼が真実恐れているのはそちらか。いや、貴族達の中にもそれを期待する者がいるのかもしれない。

噂を利用するものか……。伯の周辺でこの噂を利用するもの。ジークフリード・キルヒアイス、カール・ロベルト・シュタインメッツ、パウル・フォン・オーベルシュタイン……。

パウル・フォン・オーベルシュタインだな、切れるとは聞くがあまり良い噂も聞かない男だ。フェルナー准将とも接触したと聞いている。どうやらもう少し注意する必要があるようだ……。



帝国暦 487年10月 6日   オーディン 宇宙艦隊司令部  アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト


第三十七会議室に宇宙艦隊司令長官、副司令長官、各艦隊司令官が集まった。いずれ門閥貴族達との決戦が起きるだろう。そのための作戦会議だ。それが行なわれるという事は門閥貴族の暴発は近いと司令長官は見ているのかもしれない。

基本方針は簡単に決まった。本隊と別働隊に別れ、本隊はブラウンシュバイク、リッテンハイムを倒す事に専念する。別働隊は門閥貴族のヒンターランドである辺境星域を制圧し彼らの後退、増援を絶つ。

「問題は反乱軍がどう動くかですが……」
ワーレン提督が小首をかしげながら問題を提起した。その言葉に彼方此方で同意の声が上がる。

「確かにそうだが、あれだけ痛めつけたのだ。そう簡単に出てくるとは思えんが」
「いや、だからこそ出てくるとも考えられる」
ビッテンフェルト提督の否定的な意見にクレメンツ提督が反対した。

「どういうことかな、クレメンツ」
「メックリンガー、彼らには防衛体制を整えるための時間が必要だ。時間稼ぎのために辺境星域に出兵し、内乱を長引かせる事を考えるかもしれん、そう思わないか」

周囲がざわめきクレメンツ提督の言葉に同意する言葉が上がった。
「勝つためではなく、時間稼ぎのためか。無いとは言えんな」
「確かに」
ロイエンタール、ミッターマイヤーが呟く。確かにその可能性はあるだろう。

「捕虜を使えばいいだろう」
「捕虜?」
周囲の視線を集めたのはローエングラム伯だった。

「閣下、捕虜を使うとは一体……」
「反乱軍との間で捕虜を交換する。その中にこちらの工作員を入れ、反乱軍の間で内乱を起させれば良い」

自信のある策なのだろう。ルッツ提督の問いに答えた副司令長官の顔は上気している。

「問題は時間がかかる事だ。今から取り掛かると、反乱軍との間に話を付け交換が終了するまで三ヶ月、いや四ヶ月はかかるだろう。それをどうするかだ」

周囲から驚きのざわめきが上がり、副司令長官は隣に座る司令長官を見た。自然と皆の視線が司令長官に向かう。

司令長官は少し小首をかしげながら右手で軽く左腕を叩いている。副司令長官の案に驚いているようには見えない。何かを考えている。一瞬だが副司令長官の表情に苛立ちが走ったように見えた。

司令長官が腕を叩くのを止めた。そして僅かに姿勢を正す。自然と我々も姿勢を正し、司令長官の言葉を待った。

「捕虜交換、悪くないと思います。ですが、伯の言う通り時間的に余裕がありませんね」
「では、いかがしますか?」
ケンプ提督が問いかけた。

「そうですね。捕虜の交換自体は内乱終了後でいいでしょう。現時点では捕虜交換の約束だけでいいと思います。それで反乱軍の動きを抑えられるでしょう」

「……」
「反乱軍はシャンタウ星域の敗戦で兵力を大きく減じました。彼らにとって捕虜を返してもらえるというのは大きい。主戦論者も兵力増強のためとなれば大人しくなるでしょう」

「しかし、彼らが信じるでしょうか」
「確かに随分と騙しましたからね、信じてもらえないかもしれません」
「いえ、そういう意味で言ったわけでは」
「冗談ですよ、ワーレン提督。本気にしないでください」

会議室に笑いが満ちた。ワーレン提督も頭をかいて笑っている。司令長官はちょっと困ったような表情で苦笑している。

「捕虜交換はフェザーンの弁務官同士で交渉を行ない帝国軍、反乱軍で共同声明を出すような形で進めるのがいいと思います。証人は両国の市民、そういうことになるでしょう。ローエングラム伯はどう思いますか」

問いかけた司令長官でも問われた副司令長官でもなく、周囲のほうが緊張したかもしれない。皆一昨日の一件を知っている。その事が微妙な影を落としている。

「小官には異存有りませんが、その際工作員を入れるのですか」
副司令長官は僅かに悔しそうな声を出したが、司令長官の意見に反対はしなかった。

「それは、今決めなくてもいいでしょう。その時点でもう一度検討しましょう。情勢がどう変わっているか分かりませんから」
どうやら、司令長官は工作員を使っての謀略にはあまり乗り気ではないようだ。

副司令長官は今ひとつ納得しかねる表情だったが司令長官は気にした様子も無い。たいしたものだ、ここまで感情を抑えられるとは……。俺では到底無理だろう。何処かで爆発しているに違いない。

「ただし、ワーレン提督が心配するように反乱軍が捕虜交換を信じない可能性もあります。念のため別働隊は兵力を多くしたほうがいいでしょうね。大体五個艦隊から六個艦隊程度、そのくらいは必要でしょう」

司令長官の言葉に会議室がざわめいた。
「元帥閣下、別働隊ですが指揮官はどなたになるのでしょうか?」
「ローエングラム伯にお願いする事になります。伯は前回の戦いでも十一個艦隊を率いていますから問題は無いでしょう」

ケスラー提督の質問に司令長官が答えた。問題は無い、確かに軍の指揮官としての能力、そういう意味では問題は無いだろう。問題は副司令長官の心だ、大丈夫だろうか。提督達は反対こそしないが顔を見合わせている。

「ローエングラム伯、艦隊司令官を五人選んでください。作戦は長期になりますから、やりやすい形で別働隊を編制してください。よろしいですね」
「はっ」

副司令長官自身の艦隊も入れれば六個艦隊が辺境星域へ派遣される事になる。全軍の三分の一の兵力だ。門閥貴族、反乱軍、その両者に備えるとなれば確かに兵力は必要だろう。

どうやら司令長官は副司令長官を切り捨てる考えは無いようだ。ミッターマイヤー、ロイエンタールも不安を持たずにすむだろう。もし、別働隊をメルカッツ提督に任せるようなら司令長官はローエングラム伯を何処かで切り捨てる覚悟を決めたという事のはずだ……。

昨日、ルッツ提督、ワーレン提督と飲んだ時に出た話だ。ルッツ提督と視線が合った。微かに頷いてくる彼に同じように頷き返す。ワーレン提督も同様だ。

おそらく彼らのどちらか、あるいは両名が選ばれる事になるだろう。俺もその中に入るかもしれない。選ばれた人間は苦労するだろう。肉体的にではなく精神的にだ。厄介な事になった。

「もう直ぐ反乱軍はハイネセンに戻りますね。彼らがどういう国防体制を取るのか、気になります。それによってはこれから先が難しいことになるかもしれない」

司令長官が呟くように言葉を出した。これから先か、困った人だ。司令長官は先が見えすぎる。その所為だろうか、今が見えていないのではないかと不安にさせられるのだ。それさえなければ本当にこの人は完璧なのだが……。









 

 

第百三十六話 五箇条の御誓文

帝国暦 487年10月 6日   オーディン 宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


一、 広く会議を開設し、何事も公の議論によって決めること

一、 上に立つ者も下に立つ者も心を一つに合わせて国のため、活動にはげむこと

一、 臣民はみな一つとなって、それぞれの志を遂げることができるようにしなければならない、帝国臣民が失望したりやる気を失うことがないようにしなければならない

一、 古くからのしきたりに囚われず、道理に基づいて行動すること

一、 知識を広く求めて、大いに帝国を発展させるよう努めよう

帝国は今、未曾有の改革を行なおうとし、予自ら臣民に率先し、大神オーディンに誓い大いに帝国の国是を定め帝国臣民の繁栄の道を求めんとする。 帝国臣民は予と共に心を一つにし帝国千年の繁栄のために努力すべし。




うん、こんな感じかな。もう少し、いや、かなり文章を校正する必要はあるが、主旨は大体良いだろう。後はフリードリヒ四世、リヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵に任せよう。適当に直してくれるだろう。

俺が夜一人でウンウン唸りながら考えているのは十五日に発布される勅令の前に、皇帝フリードリヒ四世が帝国全土に宣言する、新帝国が改革によって目指す国家像だ。

昼間こんなものを作っていたら大事になる。そんなわけで夜、誰にも知られないように作っているのだ。ヴァレリーにも内緒の作業だ。

参考にしたのは、明治政府による「五箇条の御誓文」だ。それまでの幕藩体制を捨て近代国家を目指そうとした明治新政府が、そのために日本国民皆で頑張ろうと宣言した文章……。

俺はあの御誓文が好きだ。上からの目線ではなく、手を取り合って一緒に国を発展させていこうと言っている姿は当時の明治新政府の気負い、不安、希望、そんなものが詰まっているような気がする。

今の帝国はこれまでの一部特権階級である貴族中心の政治から脱却しようとしている。まさに帝国の明治維新だ。これから先どんな困難がおきるか分からないがフリードリヒ四世による御誓文が皆を勇気付けてくれるだろう。

良いね、うん、実に良い。戦争だの謀略だのやっていると時々うんざりする。御誓文のように皆に希望を与え、国の進む方向を示す文章を作るほうがよっぽど楽しいし、世の中のためになる。

やっぱり政治っていうのは人を幸せにして何ぼのもんだ。人を殺す戦争だとか、人を騙す謀略なんて碌なもんじゃない。あんなのが得意でも何の自慢にもならん。

宇宙から戦争を無くす、その後は弁護士か官僚だな。やっぱり元が公務員の所為かな、そういう公共の仕事につきたいと思う。

帝国の明治維新か、俺は誰に相当するのかな? 坂本竜馬? 大久保利通? 西郷隆盛? 吉田松陰?高杉晋作? ……どれも最後は良くないのは何でだろう、改革者は終わりが良くないということか。落ち込むからあまり考えない事にするか……。

楽しい仕事が終わった所で、碌でもない現実を見るか。現実逃避の時間は終わりだ。ようこそ、陰謀と野心家達の世界へ。……リューネブルクの言うとおり、宇宙艦隊司令部の内部ではラインハルトの動向を危惧する動きがある。

助かるのはラインハルトがそれに気付いていない事だ。元々、周囲の空気を読むなんてことをするような性格じゃないからな。あっけらかんとしている。あの様子だとオーベルシュタインはラインハルトの耳にまだ毒を入れてはいないだろう。

オーベルシュタインもラインハルトが芝居の出来る人間だとは思っていないようだ。あるいはこちらを警戒しているのか。ラインハルトの耳に入れるとすれば、やはり俺を殺す直前、直後だろう。

つまりラインハルトは今の時点では何も知らないと見ていい。あるいはずっと知らないままかもしれない。原作でもそんな事は結構あったからな。気楽で良いよな、ラインハルト。お前さんがうらやましいよ。

それに比べてこっちはオーベルシュタインとフェルナー、それにボルテック、おまけに馬鹿で単純なアホ貴族の相手をしなければならん……。碌でもない面子だ、全部一つにまとめてブラックホールに投げ込んでやりたい。

それが出来たら随分と宇宙も平和になるだろう。いや、ブラックホールも飲み込む前に吐き出すかもしれん。

ラインハルトが別働隊の指揮官を指名してきた。ロイエンタール、ミッターマイヤー、ワーレン、ルッツ、ミュラー……。聞いた瞬間、予想通りなのでうんざりした。もちろん顔には出さなかったが。

ロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラーはこれまでもラインハルトの分艦隊司令官を務めている。ラインハルトから見れば気心が知れているのだろう。

ワーレン、ルッツは攻守にバランスが良く性格もどちらかと言えば温厚で歳若い上官からは性格面、能力面の双方で使いやすいタイプだ。原作でキルヒアイスの副将を命じられているのもそれが理由だ。

つまり、俺が本隊として率いるのはメルカッツ、ケスラー、メックリンガー、クレメンツ、アイゼナッハ、ケンプ、レンネンカンプ、ビッテンフェルト、ファーレンハイト……。

極端な顔ぶれになる……。知将タイプのケスラー、メックリンガー、クレメンツ、猛将タイプのケンプ、レンネンカンプ、ビッテンフェルト、ファーレンハイト。堅実なのはアイゼナッハだけか。

軍隊も野球と一緒で四番打者が揃っていれば良いというわけじゃない。その場その場で必要とされる能力が有る。別働隊に比べ本隊は運用が難しくなりそうだ。メルカッツ提督には負担をかける事になるな。後でまた相談しなければならんだろう。

それにしても、やはりラインハルトとケスラーは上手くいっていない。ケスラーはラインハルトの参謀長を一時務めたのだ。本来なら彼が別働隊に入ってもおかしくない。

それなのにケスラーは選ばれていない。シャンタウ星域の会戦でもケスラーの位置はラインハルトから離れた場所にあった。意識してやったわけではあるまい。だから却って始末が悪い。

本来ならケスラーは宇宙艦隊の総参謀長になってもおかしくなかった。だが第三次ティアマト会戦でラインハルトとの間に指揮権問題で隙が生じた。あれ以来二人の関係はおかしくなっている。

メックリンガーも同様だ。あの戦いでラインハルトとの間に距離感を生じている。本来ならメックリンガーもケスラー同様、宇宙艦隊の総参謀長が務まる男だ。

だがその二人を総参謀長に出来なかった事がラインハルトの今を作り出している。どちらかを総参謀長として傍においておけばイゼルローンの敗北は無かっただろう。今も宇宙艦隊司令長官だったはずだ。

おかげで俺も苦労している。俺があの二人のどちらかを総参謀長にすれば、政治面を重視するならケスラーを、軍事面重視ならメックリンガーを選べば副司令長官のラインハルトと何処かでぶつかるだろう。それを防ぐために俺が動くとなれば、それが原因で俺が疲れてしまう。総参謀長を置いても置かなくても負担は一緒という事になる。

その結果、俺は総参謀長無しでやっている。ワルトハイムはあくまで俺の艦隊の参謀長で宇宙艦隊の総参謀長ではない。

ラインハルトの欠点だ。自分に批判的な人間を傍においておく事が出来ない。ケスラーもメックリンガーも冷静な男だ。原作でもラインハルトに対して冷徹と言っていい観察をしている。

この世界ではそれがより強く出た。ラインハルトは二人が自分に対して批判的だと感じたのだろう。だから遠ざけた。常に傍に自分を肯定するキルヒアイスがいる事の弊害だ。

別働隊の連中には苦労をかける事になる。後でねぎらってやらんとな。特にミュラー、あいつは最年少だし、人が良いし苦労を自ら背負い込むような所がある。多分あいつらはゼーアドラー(海鷲)にいるだろう。後で行ってみるか……。

ラインハルトの欠点はもう一つある。実戦指揮官としての性格が強すぎるのだ。あるいは武勲を上げる事に固執しすぎるのかもしれない。つまり結果重視、勝てば良いという考えを露骨に出す。

今日もそれが出た。捕虜交換で内乱を起させようとか、得意そうに言いやがる。もう少しでお前何考えてるんだと怒鳴りつけそうだった。腕を叩いて落ち着かせたが。

転生する前は捕虜交換を利用した内部分裂工作にそれほど強い嫌悪感を抱いていたわけではない。いやむしろ嫌悪感など全く無かった。しかし、この世界に来てかなり考えが変わった。

捕虜交換だが、これは通常何かしらの政治的な理由や目的があって行なわれる場合が殆どだが、それでも人道的な側面も持つ事も確かだ。原作でもラインハルトは同盟が人道を持って捕虜交換に応じてくれたと感謝を言葉にしている。

言ってみれば、これは相手を信頼して行なう一種の紳士協定だと俺は考えている。互いに人道的に行動しましょう、反則はなしですよ、そういう事だ。それを内部分裂に使う……、人道って何だ、さっきの感謝は何なのだ、そう言いたくなるのは俺だけだろうか。

バグダッシュは内乱がラインハルトによって引き起こされたものだとヤン・ウェンリーに言われても信じなかった。俺はバグダッシュが甘いとは思わない。いや、甘いのかもしれないが人としては正しいし、誇りに思って良いと思う。

むしろこんな策を考えたラインハルトやオーベルシュタイン、策が実行される前に見抜いたヤン・ウェンリーの方が異常だ。ヤン・ウェンリーが軍人という職業を嫌ったのは自分が異常だと気付かされることがあったからだと思うのは考えすぎだろうか。

トリューニヒトの同盟政府がラインハルトを選ばなかったこと、亡命政権を交渉相手に選んだのも単純に判断ミスとは言えないのではないだろうか。

原作の同盟政府が、帝国内で行なわれている改革に気付かなかったとは思えない、いやそんな事はありえない。だとすれば改革者としてのラインハルトに対して好意を持ってもおかしくない。

しかし、彼らは亡命政府を交渉相手に選んだ。何故か? 理由は焦土作戦と捕虜交換だと思う。同盟政府の常識に照らしてみれば、焦土作戦や捕虜交換を利用した内部分裂などどちらも有り得ない事だった。

つまり、同盟政府はラインハルトを信じられなかったのだと思う。その事が彼らにラインハルトを拒否させた……。むしろヤン・ウェンリーがラインハルトを高く評価し続けたほうがおかしいとも思える。

焦土作戦を取ったラインハルトを何故ヤン・ウェンリーは高く評価するのか……。同じ資質を持っているからではないのか……。同盟政府がヤン・ウェンリーを査問にかけたのもこう考えると単なる嫌がらせとは思えなくなる。

同盟の軍事介入を防ぐだけなら、俺の言ったように一年後の交換で十分だ。もしそうしていれば、同盟政府は亡命者を受け入れなかったのではないだろうか。ラインハルトは同盟が自ら滅亡の道を選んだと考えていたが、選ばせたのはラインハルト自身だろう。

帝国にもラインハルトを危惧する人間はいただろう、カール・ブラッケだ。彼がラインハルトに対して批判的だったのもラインハルトの資質に信じられないものを感じたからだろう。

彼はラインハルトの改革も所詮は権力奪取の一環で権力基盤が安定すれば改革者の顔を捨てるのではないかと考えた。改革者が圧制者になる、つまりラインハルト・フォン・ローエングラムが第二のルドルフになる……。

ラインハルト晩年の戦争はどう見ても、感情によるもので理性によるものではなかった。ブラッケの不安は増大する一方だったろう。

ラインハルトの死は自然死ではない可能性が有ると俺は考えている。ラインハルトが皇帝病と言われる病気にかかったのは事実だろう。しかし、治療が適切に行なわれたとは限らない。

ラインハルトを危険だと考えた改革派の一部が医師に命じてラインハルトを病死させた。その可能性が無いだろうか。ラインハルトが死ねば戦争は終わる。そしてラインハルトが死ねばオーベルシュタインが失脚するのは眼に見えている。

あとはヒルダを中心に政治を行なえばいい。政治家としてはラインハルトよりもヒルダのほうが信じられる。そして戦争が終わる以上、軍人の時代が終わり文官達の時代が来る。そう考えた人間たちがいたとしてもおかしくないだろう……。




 

 

第百三十七話 敗戦の爪跡

宇宙暦796年10月 7日    ハイネセン ユリアン・ミンツ


遠征軍が十月四日にハイネセンに帰ってきた。シャンタウ星域で大敗北を喫した遠征軍の最終的な損害は信じられないほど酷いものだった。動員した艦隊九個艦隊のうち戻ってきたのは四個艦隊、しかもどの艦隊も定数を大きく割り込み残存兵力は三万隻に満たず未帰還兵は一千万人近い。

当然だけれど今回の遠征に対する同盟市民の非難はとても厳しい。帝国軍に誘い込まれて帝国領奥深くまで侵攻し、そのあげくに挟撃された。この失態は偶然ではなく、最初から帝国に踊らされた結果なのだと皆考えている。

さらに同盟市民を怒らせたのは、今回の遠征軍総司令部の無責任さだった。総司令官のドーソン大将は敗戦後の指揮を放棄しグリーンヒル中将に押し付けたし、作戦参謀のフォーク准将は無謀な進撃を進言したあげく敗戦時には小児性ヒステリーを起し、人事不省になっていた。

しかもこの無責任な二人が今回の無謀とも言える進撃を命じたとなれば皆が怒るのも無理は無いと思う。マスコミは皆チョコレートを欲しがって泣き喚く子供とその子供を叱れずに振り回された馬鹿な保護者が一千万人を見殺しにしたと言っている。

ヤン提督の第十三艦隊は戻って来た四個艦隊のうちの一つだ。最後まで最後尾を守り遠征軍の撤退を助けた。僕はヤン提督は最後まで出来る事をしたと思っている。

だがそんなヤン提督を責める人たちも居る。味方を見殺しにして自分たちだけ戻って来たと言うのだ。今回の遠征ではイゼルローン組と呼ばれる、ヤン・ウェンリー、ビュコック、ウランフ、ボロディンの四人の提督が総司令部から何かとひどい扱いを受けた。

ドーソン総司令官、フォーク作戦参謀の嫉妬心の所為なのだが、他の艦隊司令官も関わり合いになるのを避け、イゼルローン組は孤立しがちだった。戦闘でも無茶な命令を度々受けた。それが感情的なしこりとなって味方を見殺しにして逃げ帰ってきた、と言うのだ。

ヤン提督はそんな人じゃない、戦場で味方を見捨てて逃げる人なんかじゃない。グリーンヒル総参謀長は包囲されている味方に構わず撤退せよと命令を出したのは自分だと言ってヤン提督たちを庇ってくれた。

シトレ元帥もあのままでは九個艦隊全てが全滅しかねず撤退命令は正しかったと言ってくれている。ヤン提督たちを非難する人は九個艦隊が全て全滅したほうが良かったのだろうか? ヤン提督たちがどんな気持ちで逃げてきたか分かろうとしないのだろうか?

ヤン提督が戻って以来、シャンタウ星域の敗戦の事をインタビューしようと大勢のジャーナリストが押しかけて来る。味方を見殺しにして逃げてきた気分はどうか、それを聞きたいらしい。

提督を苛むのは人だけじゃない。文章伝送機は秒単位で文章を吐き出している。その中にもヤン提督を卑怯者と非難する文章もあった。全滅した艦隊の家族からのようだ。遠征から帰って以来ヤン提督は食事も碌にせず、お酒ばかり飲んでいる。

もう直ぐ、キャゼルヌ少将、ラップ少佐、アッテンボロー准将がやってくる。ヤン提督の事を話したら心配して来てくれるようだ。本当にありがたいと思う。

どうやら来たみたいだ。玄関が騒がしい。多分、ジャーナリストを押しのけているんだと思う。こっちもお茶の準備をしなくっちゃ。



宇宙暦796年10月 7日    ハイネセン アレックス・キャゼルヌ



「おい、ヤン。何時まで寝ているつもりだ、もう十一時だぞ」
「……ん、ん、あれ、キャゼルヌ先輩、どうして此処に?」
酷い顔だ。眼の下に隈が出来ているし、顔色も悪い。これは重症だな。

「お前さんが酒ばかり飲んでいるとユリアンが教えてくれてな、心配だから見に来たんだ。いい加減着替えて来い、ラップもアッテンボローも来ている。待っているからな、早くしろよ」
そう言い捨てて寝室から居間に戻った。

十分程たってからヤンが居間に現れた。こうしてみると良く分かる。顔色の悪さと隈だけじゃない。目も少し充血している。碌に眠っていないのだろう。困った奴だ。

ヤンは少し困ったような顔で頭をかいた。
「すみません、先輩、ラップ、アッテンボロー」
「俺たちよりユリアンに謝るのが先だろう」

「そうだね、ラップの言うとおりだ。ユリアン、心配かけてすまない」
「そんなことは……」
ユリアンはお茶の用意をすると奥に引っ込んだ。俺たちだけで話をさせようと言う事らしい。本当に良く出来た子だ。

ヤンは紅茶を、俺たちはコーヒーを飲みながら顔を見合わせる。
「ヤン、何を悩んでいるか想像はつく。あれはお前さんの所為じゃない。気にするのは止せ」
ラップの言葉に俺もアッテンボローも頷いた。

「そうですよ、先輩の所為じゃありません。大体先輩は出兵に反対していたんです。それを戦場に行かせたのは同盟政府とそれに賛成した同盟市民、それを煽ったジャーナリズムじゃないですか」
「……」

「今になって味方を見殺しにしただなんて、無責任な……。あのシャンタウ星域で一体何があったか、誰も知りはしないでしょう。見殺しにされたのはこっちです。味方からは使い捨てにされ、敵からも追われ続けた……。あの地獄を知らない人間に俺たちを非難する資格なんてありませんよ!」

吐き捨てるように言った言葉にアッテンボローの怒りが見えた。余程腹に据えかねているらしい。ジャーナリスト志望だっただけに無責任な報道に我慢できないのかもしれない。

ヤンは黙ったままだ。少し俯きながら紅茶を飲んでいる。皆顔を見合わせ黙り込んだ。あの撤退戦を思い出しているのだろうか。重苦しい沈黙が落ちる。

あそこで撤退命令を出したグリーンヒル総参謀長が誤っていたとは思えない。誤っていたのは無理な進撃をしたドーソン総司令官とフォーク作戦参謀だろう。そのつけを生き残ったヤンたちに背負わせるのは俺もおかしいと思う。

黙り込んでいるヤンを見ていると思わず溜息が出た。その溜息がきっかけになったのだろうか、ヤンが口を開いた。
「そうじゃないんだ。同盟が敗北したのは間違いなく私の所為なんだ」

苦しそうな搾り出すような口調だった。
「ヤン、自分を責めるのは止せ。お前の悪い癖だ。あれはどうしようもなかったんだ」
「そうですよ、ヤン先輩。ラップ先輩の言うとおりです」

ラップ、アッテンボローがどこか切なそうな表情でヤンに声をかける。
「違うんだ、ラップ、アッテンボロー。今回の敗戦はイゼルローンで勝ちきれなかった私の所為なんだ」
「?」

イゼルローンで勝ちきれなかった? どういうことだ? 思わずラップ、アッテンボローの顔を見たが、彼らも不思議そうな顔をしている。ローエングラム伯を生きたまま帰してしまったことか? しかし、それが何故今回の敗戦に繋がるのだ?

「どういうことだ、ヤン。イゼルローンが何故関係する? 大体あれは大勝利だろう、勝ちきれないとは何のことだ?」
俺の質問にヤンは少しずつ答え始めた。

「今回のシャンタウ星域の会戦もそうですが、帝国は過去二回、ヴァレンシュタイン元帥の力で救われています」
ヤンはイゼルローンの事ではなく別のことを話し始めた。過去二回か……。ヤン、一体何を言いたい。

「一度は、フリードリヒ四世が重態になったときです。あの時帝国は内乱に突入してもおかしくありませんでしたが、ヴァレンシュタイン元帥の力で内乱を回避しました」

憶えている。あの当時ヴァレンシュタイン元帥が戦場に居ない事に注目していたのは一部の人間だけだったろう。ミュッケンベルガー元帥が国内安定のために彼をあえてオーディンに置いた。今では誰もが知る事実だが当時はヤンを含め一部の人間だけがその事を重視していた。

「もう一度は第三次ティアマト会戦です。あの戦いでミュッケンベルガー元帥は戦闘指揮が執れない状態になりました。本当なら帝国軍は混乱し大敗北を喫してもおかしくなかった……」
「……」

「しかし、現実には帝国軍は混乱せず勝利を収めました。ヴァレンシュタイン元帥が集めた男たちがそれを防いだのです……。彼は常に帝国の危機を防いできました。まるでそのためだけに帝国に生まれてきたかのようにです」

帝国の危機を防いできた……。確かにシャンタウ星域の会戦を入れれば三度帝国を救った事になる。普通なら有り得ないだろう。帝国の危機を防ぐために生まれてきた、ヤンがそう言いたくなるのも理解できる。

長く喋ったので喉が渇いたのだろうか、ヤンはゆっくりと少しずつ紅茶を飲んでいる。

「イゼルローン要塞攻略戦は二つの狙いがありました。一つは要塞の奪取、もう一つはヴァレンシュタイン元帥の失脚です」
「!」

静かなヤンの声だったが俺達を驚かすには十分な内容だった。思わず、ラップ、アッテンボローと顔を見合わせる。彼らの顔にも疑問が浮かんでいる。ヴァレンシュタイン元帥の失脚? どういうことだろう。

「私は彼が居る限り同盟は帝国に勝てない、同盟は彼の前に滅びるだろうと思ったんです。同盟を、民主主義を守るために彼を倒さなければならないと思った……」

俺もラップもアッテンボローも声も無くヤンの独白を聞いている。ヤンは何か重大な事を話そうとしている。気になるのはヤンの表情に何処か自虐的に見える笑みがあることだ。

「前線に出てこないヴァレンシュタイン元帥を倒す事は私には不可能でした。だから帝国人の手で彼を倒そうと思った……」
「待ってくれヤン、その事とイゼルローン要塞攻略がどう繋がるんだ、ローエングラム伯の失脚を狙ったというなら分かるが」

ラップの言葉にヤンは何処か凄みのあるような、禍々しいような笑みを頬に浮かべた。顔色の悪さがその印象を余計に強めている。居間の空気が何処か張り詰めたように感じられた。

「ラップ、ローエングラム伯が死ねば彼の姉、グリューネワルト伯爵夫人はどう思うかな。自分が宇宙艦隊司令長官になるために、弟をわずか一個艦隊で同盟領に送り込んだ、そして弟を戦死させた……」
「!」

何処か笑っているようなヤンの言葉が張り詰めた空気をさらに重苦しいものにした。俺たちは皆声も無くヤンの言葉を聞いている。

「上手く行けば、彼を帝国人の手で排除できるでしょう。それが無理でも失脚させる事が出来るかもしれない。彼が失脚すれば帝国軍はその支柱を失います。そして内乱を防ぐ人材を失うことになる」

いつの間にかヤンは呟くような口調で彼が考えた謀略を話していた。有り得ない事ではない、やりようによっては不可能でもないだろう。帝国という国ならば、君主制国家に対してならば仕掛けることは可能だ。

「帝国との間に和平が結ばれるかどうか分らない。しかし結ばれなくても、帝国が混乱してくれれば同盟が回復する時間は十分に取れる、そう思ったんですが、失敗しました。ほんの僅かな差で私は失敗したんです」

俺の目の前で何処か自らを嘲笑うかのような口調で話しているのは戦略家ではなく謀略家としてのヤン・ウェンリーだった。この男にそんな顔が有ったのか……。

「その後は知っての通りです。ヴァレンシュタイン元帥は私が何を考えたか、あのイゼルローン要塞攻略戦が何を目的として行なわれたか、全てを察したのでしょう」

「そして、シャンタウ星域の会戦が行なわれました。同盟が二度と帝国に対しふざけたまねをしないようにとヴァレンシュタイン元帥が脚本を書き、その通りに全てが動いた。同盟は十万隻の艦艇と一千万の兵を失ったんです……」

搾り出すような声だった。ヤンは苦しんでいる。この男がこんな姿を見せることがあるとは想像もしなかった。いつも飄々として何処か頼りなげなこの男がまるで毒を飲まされたかのように苦しんでいる。

「もう、分かったでしょう。私はヴァレンシュタイン元帥に負けたんです。これ以上無いほど完璧に。この敗戦の責任は私にあるんです……」




 

 

第百三十八話 再起へ

宇宙暦796年10月 7日    ハイネセン アレックス・キャゼルヌ


「もう、分かったでしょう。私はヴァレンシュタイン元帥に負けたんです。これ以上無いほど完璧に。この敗戦の責任は私にあるんです……」

そう言うとヤンは顔を隠すかのように俯いて両手で頭を抱えた。俺もラップもアッテンボローも声が出ない。あのイゼルローン要塞攻略戦にヴァレンシュタイン元帥失脚などという隠れた狙いがあったなど知らなかった。

ヤンの言う事が本当なら、いや本当なのだろうが、ヴァレンシュタインとヤンはイゼルローン要塞攻略戦からシャンタウ星域の会戦まで我々の見えないところで戦ってきた事になる。

シャンタウ星域の会戦は、いやそこに行くまでの経緯はヤンにとって地獄だっただろう。ヤンにはヴァレンシュタインの狙いが分かっていた。しかし何も出来ずに敗戦を迎えざるをえなかった。イゼルローンの勝利が勝利ではないという事を嫌というほど思い知らされたのだ。

「ヤン、お前はどうしたいんだ?」
俺の問いにヤンは顔を上げると不思議そうにこちらを見た。
「どうしたい、ですか?」

「そうだ。軍を辞めたいのか?」
ヤンは少しの間、じっと俺を見た。そして首を振って答えた、呟くような声で。
「無理です。辞める事は出来ません。私はそんなに強くない……」

強くない……。
「私の所為で一千万人死んだんです。軍を辞めて、それを忘れて生きていけるほど私は強くありません……」

搾り出すような声だった。苦しんで苦しんで苦しんだ末に出た言葉だ。忘れて生きていけるほど強くない。だが、それを背負って生きていけるほど強くも無い。そのことがヤンを酒に逃避させている。

ラップもアッテンボローも痛ましいものを見るかのようにヤンを見ている。おそらく俺も同じような眼でヤンを見ているのだろう。やりきれない想いが胸に満ちてきた。何故こんなことになったのか……。

「ヤン、忘れる事が出来ないなら逃げる事は出来ないぞ。それを乗り越えて行くしかない。分かるな」
「キャゼルヌ先輩……」

俺は酷い事を言っているのだろう。ヤンは苦痛に顔を歪めている。ラップもアッテンボローも俺を非難するような眼で見ているだろう。しかし、これを言うのは俺の役目だ。全く、年長者というのは損な役ばかりだ。

「シトレ本部長がお前に会いたがっている。そろそろ後任の本部長が決まるからな。辞める前にお前に会いたいそうだ。明日十時に本部長室に来てくれと言っている」

「本部長が……ですか」
「そうだ。本部長がだ。ヤン、今日はユリアンの作った食事を食べてゆっくり眠るんだ。本部長にそんな情けない顔を見せるな。辞めていく人に辛い思いをさせるんじゃない、いいな」

俺はまだ此処に残りたそうなラップ、アッテンボローを促し、居間を出た。ユリアンが奥から出て来る。
「ユリアン、奴にちゃんと食事をさせてくれ。それと明日は十時に本部長室へ出頭だからな、遅刻させるなよ」
「はい」

嬉しそうに答えるユリアンをみながら玄関に向かった。まったく、世話の焼ける奴だ。俺はお前の保護者じゃないぞ。大体なんで少将の俺が中将のお前の心配をしなければならんのだ。まったく冗談じゃない……。



宇宙暦796年10月 8日    ハイネセン 統合作戦本部 ヤン・ウェンリー


キャゼルヌ先輩から本部長室へ来るように言われた。辞める前に会いたいということだったが、正直気が重い。出兵前の作戦会議の後に本部長と話した言葉を嫌でも思い出す。

~ヤン、必ず生きて帰ってきてくれ。ヴァレンシュタイン司令長官に対抗できるのは君しかいない。少なくとも私には君以外思いつかない~。

~君には軍の最高地位に就いて貰いたいと思っている。そうなれば彼に対抗するだけの権限をもつことが出来る。今のままでは駄目だ。権限が無い~。

~私は君が望まない事を言う。出世してくれ、そして軍の最高地位についてこの国を守ってくれ。帝国から、そして軍内部の馬鹿者達から~。

本部長の言ったとおり、何とか帰ってきた。一千万人以上を見殺しにして帰ってきた。だがそれだけだ。

味方を見殺しにした私が出世する事は無いだろうし、最高地位に就くことも無いだろう。ヴァレンシュタインに対抗するなど夢のまた夢だ。



本部長室に入ると驚いたことに其処にはビュコック、ボロディン、ウランフ提督が居た。三人ともソファーに座っている。
「ヤン中将、よく来てくれた」

シトレ本部長が執務机から太く響く声で話しかけてきた。本部長は思ったより元気そうだ。表情も暗くない、いや、明るいといって良いだろう、笑みすら浮かべている。

「どうやら揃ったようだ。これから有る人に会うことになっている。貴官達も付き合ってくれ」
本部長はそう言うと席を立ちドアに向かって歩き始めた。ソファーの三人が席を立ち本部長の後を追う。三人とも訝しげな表情をしている。誰と会うのかわからないようだ。私も彼らの後を追った。

本部長が向かったのは応接室だった。通常この部屋は滅多に使われることは無い。大抵の来客、この場合は政治家や企業の有力者だが、彼らは応接室よりも本部長室を始めとする各部長室に通される事を好むからだ。

応接室には誰も居なかった。結構広い部屋で十人分の椅子が用意されている。見るからに高級そうな椅子だ。壁には絵も飾ってあるし置いてある花瓶も高そうだ。父なら喜んで磨き始めるだろう。

本部長は人が居ない事を気にした様子も無く椅子に座った。私達もそれぞれ適当に椅子に座る。
「本部長閣下、一体どなたが此処に来るのです」

ウランフ提督の言葉にシトレ本部長は愉快そうな口調で答えた。
「まあ、待ちたまえ。もう直ぐ分かる。きっと貴官らは驚くだろう。それだけは保証するよ」

本部長の言葉に私はビュコック提督達と顔を見合わせた。奇妙な沈黙が落ちた。不愉快ではないのだが落ち着かない。本部長を除いて私達は時折顔を見合わせて誰が来るのかと不審を募らせた。

五分ほども待っただろうか、ドアをノックする音がしてドアが開いた。現れたのはグリーンヒル中将だった。どういうことだ? グリーンヒル中将なら驚くようなことではない。そう思ったとき、さらにその後ろからスーツ姿の男性が部屋から入ってきた。

「やあ、待たせたかな、シトレ」
「少し待ったよ。政治家というのは人を待たせるのが仕事らしいな、レベロ」
「レベロ委員長!」

レベロ財政委員長だった。シトレ本部長とは幼馴染のはずだ。会わせたいのはレベロ委員長の事かと思ったとき、その後ろからさらに一人の男が現れた。

「やあ、待たせたようだね、君たち」
「!」
にこやかに笑いながら入ってきたのはトリューニヒト暫定評議会議長だった。

グリーンヒル中将、レベロ委員長、トリューニヒト議長がそれぞれ椅子に座る。本部長が会わせたいといっていたのはこの二人の事か。

シャンタウ星域の敗戦後、サンフォード評議会議長を首班とする最高評議会は辞任した。現在ではヨブ・トリューニヒトが暫定評議会議長として政権を担い、ジョアン・レベロは彼の下で財政委員長を務めている。

自分の表情が強張るのが分かった。何故此処にトリューニヒトが? 彼は主戦派でドーソン宇宙艦隊司令長官達の後ろ盾だったはずだ。言ってみれば私達とはもっとも縁遠い所に居る人物だ。その彼がどちらかと言えば和平派ともいえるレベロ委員長と何故此処に?

「どうやら揃ったようだ。そろそろ始めようと思うが?」
「そうだな、そうしよう」
シトレ本部長の言葉にレベロ委員長が答えた。

「知っての通り、私は今回の敗戦の責任を取って辞表を出した。後任者が決まるまでの間、統合作戦本部長として敗戦の残務整理を行っているが、ようやく後任者が決まった」

次期統合作戦本部長が決まった、私達が此処に居て話を聞いているということはこの中から選ばれるという事だろうか?

「次期統合作戦本部長はボロディン提督にお願いする事になった。宇宙艦隊司令長官にはビュコック提督が選出され、ウランフ提督は副司令長官としてビュコック提督を補佐する」
「!」

「ヤン中将、貴官は帝国軍の追撃から味方を守った功により大将に昇進しイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官になる。グリーンヒル中将も同様だ、大将に昇進し宇宙艦隊総参謀長の任に就く」

「待ってください、本部長。我々が軍の要職に就くということですが、そんなことが許されるのですか? 味方を置き去りにして逃げ帰ってきたと言われているのです、ご存知でしょう?」

「だからこそ貴官たちは軍の要職に就かねばならんのだよ、ウランフ提督。貴官達の取った行動は正しかったのだ、それを眼に見える形で証明しなければならん……」
「……」

「貴官達への批判が何故起きているか、考えてみた事があるかね? あれは意図的に行なわれたものだ、軍の主戦派達の手によってな」
「軍の主戦派? どういうことですかな、本部長?」

ビュコック提督が訝しげな声を出した。私も同じ思いだ、軍の主戦派? あれだけの大敗を喫しながら未だ何かしようというのだろうか? 思わずトリューニヒトに視線が動く。この男がまた何か動いているのか……。

「主戦派と言っても色々と有るのです、ビュコック提督。今回の遠征を起したのは主として宇宙艦隊司令部を中心とした連中だった。だが軍には他にも主戦派と呼ばれる連中が居る」
「……」

「宇宙艦隊司令部を中心とした主戦派は今回の敗戦によって著しくその勢力を減じた。しかしそれ以外の連中達が軍の要職を貴官達が占めることを恐れ誹謗している」
「……」

おぞましい話だった。あれだけの敗戦をして、それでも足りずに戦争をしようというのだろうか。それともただ権力が欲しいというのだろうか。

「なるほど、本部長のお話は判りました。ですがそれならばなおさら我々が軍のトップに就く、そのような事が許されるのですか? 小官には今一つ信じられんのですが」

そう言うとビュコック提督はトリューニヒトの方へ顔を向けた。自然と皆の視線がトリューニヒトに集中するが、トリューニヒトはごく平然と座っている。小面憎いほどだ。

ビュコック提督の心配はもっともだ。主戦派が動いているというなら、その黒幕であるトリューニヒトが関与していないはずは無い。つまり彼はこの人事に賛成していないという事だ。評議会議長が賛成しない人事など有り得ない。

私達の視線が集中する中、トリューニヒトが微かに苦笑を浮かべながら口を開いた。

「君達が何を心配しているか、私には分かる。だがその心配は無用だ、私がこの人事に反対する事は無い。私達はこれから協力し合って同盟を守っていく事になるだろう」

何を言っているのだ、この男は。協力し合って同盟を守る? 私に新しい番犬にでもなれと言っているのか? 冗談じゃない、そんな事はまっぴらだ。私はヨブ・トリューニヒトが宇宙で一番嫌いなんだ。私は思わず目の前のトリューニヒトを睨んだ。本部長は何故こんな男をここへ呼んだのだ? 私にはさっぱり分からなかった……。


 

 

第百三十九話 挙国一致への道

宇宙暦796年10月 8日    ハイネセン 統合作戦本部 ヤン・ウェンリー



「君達が何を心配しているか、私には分かる。だがその心配は無用だ、私がこの人事に反対する事は無い。私達はこれから協力し合って同盟を守っていく事になるだろう」

何を言っているのだ、この男は。協力し合って同盟を守る? 私に新しい番犬にでもなれと言っているのか? 冗談じゃない、そんな事はまっぴらだ。私はヨブ・トリューニヒトが宇宙で一番嫌いなんだ。

私の、いや私達の視線は決して好意的なものではなかった。その様子を見たレベロ委員長がおかしそうに笑いながらトリューニヒトに声をかけた。

「やはりお前さんは信用が無いな」
「笑うことは無いだろう、レベロ。友達甲斐の無い男だな」
「友達じゃない、私達は仕事仲間だ」

そう言うと二人は顔を見合わせ苦笑した。おかしい、この二人はどちらかと言えば敵対しているはずだ。それなのに今、私の前で見せている姿はどう見ても親しいとしか思えない。どういうことだ?

私だけではない。ビュコック、ボロディン、ウランフ提督も訝しげな表情をしている。シトレ本部長とグリーンヒル中将はどこか呆れたような表情だ。レベロ委員長は苦笑を収めると生真面目な表情で私達に話しかけた。

「君達はどちらかと言えばシトレに近い人間だ。当然主戦派とは一線を画している。君達が軍の中枢を占めれば、当然軍は君達が動かす事になる。そこで訊きたいのだが、君達は同盟がこれ以上帝国と戦い続ける事が可能だと思うかね?」

「……少なくとも攻勢を執る事は不可能でしょう。可能であれば和平を結ぶべきだと思いますが」
ボロディン提督が答えた。ビュコック、ウランフ提督が同意するかのように頷く。

「そんな君達がトリューニヒトを信じられないのも無理は無い。なんと言っても彼は主戦派として戦争を煽ってきたのだからな。しかし、あれは彼の本当の姿ではない、擬態だ」

擬態? 本当の姿ではない? どういうことだ? レベロ委員長は何を言っている? 私の疑問を口に出したのはビュコック提督だった。

「レベロ委員長、擬態とはどういうことです?」
「彼の本心は、帝国との和平にある。私と彼はそのためにこれまで誰にも知られぬように密かに協力し合ってきた。それが真実だ」

トリューニヒトの本心が帝国との和平? 冗談ではない、あの男の煽動でどれだけの人間が戦場に送られたか、どれだけの人間が死んだか……。それなのにあれが擬態? 納得などできない、ふざけるな!

「より正確に私の望みを言えば、戦争の終結と民主共和制の維持だ。帝国との和平というのはその一手段であり、現状では唯一の手段だと思っている」

穏やかな口調で話すトリューニヒトが癇に障った。思わず口調が強くなった。
「納得がいきません。戦争を煽りながら和平など。信用しろというのは無理です」

私の言葉にビュコック提督、ウランフ提督が同調する。
「小官もヤン提督と同じ思いですな」
「同感です。ビュコック提督」

トリューニヒトとレベロ委員長は顔を見合わせ苦笑した。そのことが私をさらに苛立たせる。
「確かに私は戦争を煽った。そのことを否定はしない、そうする事で軍内部の主戦派を私の元に引き寄せコントロールしようとしたのだ」

トリューニヒトの言葉にレベロ委員長が頷いている。コントロール? 主戦派を引き寄せる事で彼らをコントロールしようとしたと言っているのか?

「残念な事だが長い戦争で国が荒んできている。徐々に軍部の力が強くなり、その分だけ政府の力は弱まってしまった。私は軍内部に影響力を強める事で主戦派をコントロールし、レベロは良識派といわれるシトレ本部長と接触して君達の動向を調べた。私たちは軍を暴発させないようにしてきたのだ」

「……」
自分たちが暴発するのではないかと疑われた事は心外だが、トリューニヒトの言っている事は理解できなくも無い。政治家にとって文民統制を覆す軍によるクーデターなど悪夢以外の何者でもないだろう。しかし……。

「ドーソン大将を宇宙艦隊司令長官にしたのもそのためですか? シトレ本部長を宇宙艦隊司令長官にしていれば今回の敗戦は避けられたかもしれない。違いますか?」

ボロディン提督の言葉に皆の視線がシトレ本部長に集中した。本部長は目を閉じている。表情を読まれたくない、そう思っているのだろうか。答えたのはトリューニヒトではなくレベロ委員長だった。

「君の言う通りだ、ボロディン提督。シトレを宇宙艦隊司令長官にしておけば今回の敗戦は無かったかもしれない」
「ならば何故……」
言い募るボロディン提督をレベロ委員長が遮った。

「彼が実戦部隊を握った場合、クーデターを起す可能性を考えざるを得なかった……」
馬鹿な、本部長がクーデターなど有り得ない。思わず言葉が出た。
「本部長に限ってそんな事は……」

「ヤン提督、百五十年続いた戦争は終わらず、財政は破綻、国民は負担に喘いでいる。政府は能力的にも道徳的にも劣化し国民は政治に不信を抱きつつある」
レベロ委員長は何処かやるせない様な口調で話し始めた。

「そんな時、実力と人望を兼ね備えたシトレが実戦部隊の頂点に立つ。これは民主共和政体にとって危険すぎる状態だ。政府に不満を持つものがシトレを中心に集まるだろう。彼らがシトレに何を期待すると思うかね?」
「……」

何を期待するか……。レベロ委員長の問いかけの答えが分からないではない。
「軍によるクーデター、独裁政権の樹立だ。非合法政権が成立されれば民主主義は弾圧され、軍は権力維持のために圧政を布くに違いない。宇宙は専制国家で有る帝国と独裁国家である同盟の間で覇権を争う事になるだろう」

「……」
「今同盟が帝国と戦うのは、民主主義が標榜する基本的人権、人間の自由、平等を守るためだ。それを大義として同盟市民は戦っている。だがその大義が失われれば、何のために戦うのだ?」

レベロ委員長が問いかけてきたが、誰も答えることが出来ない。私もだ。何のために戦うのか?同盟市民は深刻な問題に直面するだろう。市民の一人一人がそれを問い直す事になるに違いない……。ビュコック提督、ボロディン提督、ウランフ提督も沈痛な面持ちをしている。

「私達の心配は杞憂なのかもしれない。しかし、そのような事態を招いてはならん。だからあえてドーソンを選んだのだ。決して権力欲や自己の勢力拡大のためではない。そんなことが許されるほど同盟は余裕を持っていない!」

吐き捨てるようなレベロ委員長の口調だった。トリューニヒトがレベロ委員長の肩に手をかける。レベロ委員長は邪険に手を払うと決まり悪そうに顔を背けた。微かに苦笑してトリューニヒトが話し始める。

「あの時は帝国が攻勢を強めるとは思わなかった。それならドーソンの方が適任だろうと思ったのだ。前任者のロボス大将はどうにも戦争好きだった。シトレ本部長に対する競争意識もあったのだろう」

確かにそうだった。能力も自信もあったロボス大将は自分が軍人として最高の地位に上がれない事が我慢できなかった。統合作戦本部長、元帥……。それに宇宙艦隊司令部の主戦派が同調した。

「あれに比べれば戦争に自信の無いドーソンの方が兵を動かすのに慎重でコントロールもし易いと判断したのだよ」

「ですが結局はそれに失敗し、あの遠征が起きた。そうですね?」
「残念だがその通りだ、ヤン提督」
トリューニヒトが認めた……。

「それなのに責任も取らず議長に就任ですか?」
自分でも嫌な言い方をしていると思うが、どうにも止まらない。こんな男が議長など納得がいかない。一千万人死んでいる、その責任も取らずに議長就任など認められない。

「その通りだ、ヤン提督。どれほど非難されても構わない。議長を辞退するつもりは無い。今の同盟には私が必要だ」
「!」
トリューニヒトは開き直るかのように言うと、私を見て笑いかけた。

「ヤン中将、いや大将。君は私が嫌いなようだね、私が責任も取らずに議長につくのが納得行かないようだが、あの遠征が私の所為で起きたと考えているのかな?」

「責任が全くないとは言えないと思います」
「確かにそうかもしれない。だがそれは君も同じではないかね」
「……」

「トリューニヒト議長、ヤン提督がイゼルローン要塞を攻略したことを言っているのであればそれは酷では有りませんか? あれは帝国の侵攻を防ぐため止むを得ない事であったと小官は思います」

ウランフ提督が私を援護した。だがトリューニヒトは首を横に振って言葉を続けた。

「ウランフ提督、私が問題にしているのはヤン提督が全てを理解した上でイゼルローン要塞を落としたのかということだ」
「?」

全てを理解した上で? どういうことだ? 何を言っている。思わず周囲を見渡した。皆不思議そうな顔をしている。トリューニヒト、一体何が言いたい。

「ヤン提督、君はイゼルローン要塞を攻略した時点で帝国との間に和平が結べると考えたかね?」
「……考えました。和平が無理でも防御に徹すれば国力の回復は可能だと考えました」

トリューニヒトは私の言葉を聞き終わると苦笑しながら口を開いた。
「やはりそうか。君は分かっていない」
「?」

分かっていない? 一体何のことだ? 私の疑問に答えるようにトリューニヒトは話し始めた。

「君はイゼルローン要塞攻略時点で和平が可能だと考えた。だが私はあの時点では不可能だと思った。せめて味方が二個艦隊ほども損害を受けてくれれば話は別だが……」
「……損害が少なかったとお考えですか?」

「違う、損害などどうでも良い事だ。大事なのは君が同盟市民を分かっていない事なのだよ、ヤン提督」
「!」

同盟市民? 何を言っている? 馬鹿にしているのかと思ったがトリューニヒトの表情はいたって真面目だ。そして哀れむような口調で言葉を続けた。

「ヤン提督、同盟市民は銀河帝国を憎んでいるのだ。君はそれが分かっていない」
「!」

「いいかね、この国では毎年百万から二百万人が戦死している。どこの小学校、中学校でも戦争の度に家族を亡くした子供が生まれる。彼らはその悲しみに堪えながら生きる。そして周囲はそんな彼らを支えながら学生生活を送るのだ」
「……」

「分かるかね。この国の学生たちは帝国への憎悪を胸に生きるのだ。人生の一番多感な時期に帝国への憎悪を植えつけられる。和平論など簡単に出るものではないのだよ」
「!」

「君の事は調べさせてもらった。五歳から十六歳まで宇宙船で暮らしている。つまり君は学生生活を経験していない。だから帝国への憎悪がない。同盟市民が分からないとはそういう意味だ。それと他者とのコミュニケーションを積極的に取るのが下手だ、おそらくは宇宙船という閉じられた世界で過ごした所為だろう」
「……」

「軍事的に見ればあの遠征は馬鹿げていただろう。しかし、市民感情の面から見れば当然の行為だったのだ。だから同盟市民はあの遠征を支持した。君には理解できなかった事だろうが……」
「……」

「君はイゼルローン要塞攻略後、和平論をマスコミに話すべきだったのだ。エル・ファシル、ティアマト、イゼルローンの英雄が、誰よりも帝国と戦って勝利を収めた男が和平論を口にすれば同盟市民も少しは考えたはずだ」
「……」

言葉が出なかった。おそらく私の顔は青ざめているに違いない。トリューニヒトの言う事は悔しいが正しいのだろう。私は同盟市民を理解していなかった。

民主共和制を布いている以上、市民感情を無視は出来ない。それなのに私はそれを知らずにあの作戦を立て実行した。もし、同盟市民の帝国に対する憎悪の深さを知っていればあの作戦を実行しただろうか?

シトレ元帥も帝国の脅威を重視するあまり同盟の市民感情を軽視したという事だろうか。そこまで私達はヴァレンシュタインに追い詰められていたという事か。

そしてヴァレンシュタインはその市民感情を上手く利用して同盟軍を帝国領へ誘い込んだ。情けない話だ、私は自国民への理解さえあの男に劣るという事か……。一千万人を殺したのは誰でもない私の無知が原因か。私にトリューニヒトを責める資格など欠片もない……。

そしてこの男は私を冷静に観察し、その欠点を押さえている。嫌な男だ、トリューニヒトに対する不快感がこれまで以上に増した。

「私は君に対して責任云々を問うつもりはない。今の同盟には君の力が必要だ。私達は過去よりも未来に対して責任を負うべきだと思っている。そうではないかね」
この男に慰められるのか、いっそ罵倒されたほうがましだ。

トリューニヒトの後をレベロ委員長が続けた。
「私とホアン・ルイはトリューニヒトを助け政権を担ってゆくつもりだ。何故なら、それが同盟のために一番よいと思うからだ」

「……」
「今の最高評議会を見れば分かるだろう。サンフォードやウィンザーのような自己の権力維持のためなら兵を死地に追い込むことを躊躇わない政治家が大勢居るのだ。君達は彼らとトリューニヒトとどちらを選ぶつもりだ? これ以上無益な戦いを続けるつもりか?」

「……では、政府は和平に向けて動くと言うのですかな?」
ビュコック提督が問いかけトリューニヒトが答えた。

「私達の目的は帝国との和平の締結だ。しかし今すぐ帝国との間に和平を結ぶ事は不可能だろう……。今の同盟に出来る事は専守防衛に徹し、出来る限り国力の回復に努めることだ。そして和平の可能性を探る、それくらいしかない……」
「……なるほど」

「シャンタウ星域の敗戦は財政面、国防面で致命的とも言える打撃を同盟に与えた。政府と軍部はこの危機を協力し合って乗り越えていかなくてはならない。違うかね……」

ビュコック、ボロディン、ウランフ提督が顔をこちらに向けてきた。止むを得ない、私は頷いた。彼らも頷き返す。どうやら私は今日からトリューニヒトの協力者になったようだ。全く今日は人生最悪の日だ。



 

 

第百四十話 嵐の前

宇宙暦796年10月 8日    ハイネセン 統合作戦本部 ヤン・ウェンリー


「本部長は我々に彼らと協力しろと仰るのですね?」
「その通りだ、ボロディン提督」
ヨブ・トリューニヒト、ジョアン・レベロの二人は帰った後、私達は未だ応接室で話を続けている。

「貴官達がシャンタウ星域の敗戦でイゼルローン要塞へ戻るまでの間、私はグリーンヒル中将と何度も話した。何故こんなことになってしまったのか、二度とこのようなことを起さないためにはどうすれば良いか、をね」

本部長は椅子にゆったりと背を預けグリーンヒル中将に視線を向けながら答えた。グリーンヒル中将が微かに頷く。そんな二人を見ながらボロディン提督が尋ねた。

「グリーンヒル中将、貴官はイゼルローンで我々に言ったな、別な手段があると。それはこれの事なのか?」
イゼルローン要塞で交わされた言葉が頭の中でリフレインする。

~軍人は政治には関わるべきではない、それは政治が軍を正しく使用するならばの話だと小官は思います。政治が軍を己の都合に合わせて利用しようとするならば軍はそれを防ぐために動かなければならないでしょう~

~軍は両刃の剣なのです。扱い方を間違えれば今回のような事態を引き起こす事、場合によっては己自身の身に降りかかる事も有るということを政府に認識してもらわなければ~

~一つの手段と言ったまでです、ビュコック提督。唯一の手段と言ったわけではありません。小官は軍事力で政府を自由に動かす事は下策だと考えています~

「その通りです。先程の話で出たとおりクーデターは愚策でしょう。同盟市民の支持を一時的には得ることが出来るかもしれませんが長続きはしない。となれば残る手段は彼らが愚かな行動をしないように監視するしかありません」

「協力という名の監視か……。彼らに協力しろと言いますが、具体的には何を?」
ウランフ提督が周囲を見渡しながら尋ねる。

「彼らに正しい情報を伝えてくれ。そして彼らと密接に接してくれ」
シトレ本部長が答えた。納得がいかなかったのだろう。訝しげにウランフ提督が尋ねた。

「それだけですか?」
「そうだ。だがそれが大切なのだ。これから同盟は基本的にイゼルローン要塞を利用した防衛戦が主体となるだろう。積極的な軍事行動はできない」

皆、本部長の言葉に頷いた。確かに本部長の言うとおりだろう。今の同盟の戦力では帝国に攻め込むなど出来ない。但し戦場がイゼルローン方面に限定されるかは分からない……。

「分かるかね、軍人達が軍功を上げ昇進する機会は限りなく少なくなるということだ。つまり君達が軍の中枢部を占める時代が続く。そのことに不満を持つのが今再起を図っている主戦派だ」

本部長は苦い表情で言葉を続けた。
「彼らが貴官達を追い落とそうと考えれば何をするか? 今回の事を考えれば判るだろう。政治家たちと直接繋がろうとするに違いない。貴官達は彼らに隙を見せてはいかんのだ」

「……」
「私はその点で誤りを犯した。本当ならもっと政治家たちと接触するべきだったのかもしれん。それを怠ったがゆえに主戦派達にそこをつかれ、今回の愚行を許してしまった……」
「……」

応接室の中に沈黙が落ちた。確かに本部長は政治とは一線を画してきた。私はそれが正しい姿だと思っているが、現実と理想は違うということだろうか。

~軍人は政治には関わるべきではない、それは政治が軍を正しく使用するならばの話だと小官は思います~
グリーンヒル中将の言葉がまた頭をよぎる。サンフォード前議長は軍を正しく使用しなかった。私達は政治家を無条件に信用してしまった……。

「私はトリューニヒトを信じてはいない」
本部長の言葉に皆頷く。当然だろう、そう簡単に信じられるはずがない。私達が頷くのを見て本部長は言葉を続けた。

「おそらく貴官達も胡散臭いものを感じているだろう。だからこそ貴官達は彼に協力しながら監視しなければならんのだ。二度と間違いを起してはならんし、起させてもならん」
「……」

「私は軍を退役することになるが、その後はレベロのスタッフとして彼を支えていく事になるだろう」
「本当ですか、それは」

思わず声が出た。本部長を危険視したレベロ委員長に協力する?
「本当だよ、ヤン提督。確かにレベロに対しては腹立たしい思いもある。しかし、今回の人事は私のスタッフ入りへの条件だった。彼は約束を果たした、私も約束を果たすべきだろう」
「!」

今回の人事が本部長の協力への条件だった……。レベロ委員長はトリューニヒトに対して人事案を飲ませた。あの二人の信頼関係、協力体制は決して脆弱ではない。

「私達は立場は違うがこれからも共に戦う仲間だ。堅密に連絡を取り合い、協力していこう。よろしく頼むよ」



帝国暦 487年10月10日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ニコラス・ボルテック



宇宙艦隊司令部の応接室で俺はヴァレンシュタイン元帥と相対している。ヴァレンシュタイン元帥はにこやかに微笑んでいるがこの笑顔ほど危険なものはない。初対面の時から嫌と言うほど思い知らされている。

「ボルテック弁務官、アントンがぼやいていましたよ。弁務官がなかなか信じてくれないと」
元帥の言葉に思わず失笑した。俺にフェルナー准将を疑わせるように仕向けたのは他でもない、目の前の元帥本人だ。

「悪い人に騙されたのです。フェルナー准将には申し訳ないことをしました」
「もう疑いは晴れたのでしょう?」
「ええ、大丈夫です」
「それは良かった」

元帥はそう言うと嬉しそうに微笑んだ。知らない人間が見たら元帥は本当に俺とフェルナー准将の関係改善を喜んでいるように見えるに違いない。いや、もしかすると本当に喜んでいるのか?

「今日、弁務官に来てもらったのはお願いがあるからです」
「お願いですか……」

お願い、その言葉に思わず身構えてしまった。そんな俺にヴァレンシュタイン元帥はおかしそうに笑いながら話を続けた。
「心配しないでください。そちらにとっても悪い話ではありませんから」
「そうですか」

思わず苦笑が出た。どうも目の前の青年は苦手だ。初対面が酷かった所為かもしれないが交渉相手に苦手意識を持つとは困ったものだ。

「それで、お願いとは何でしょう?」
「門閥貴族たちに武器、弾薬を売って欲しいのです」
「!」

門閥貴族に武器、弾薬を売る。どういうことだ、何を考えている。目の前の元帥は穏やかな表情のままだ。何かの罠か? だとすれば狙いは誰だ? 第一に門閥貴族、その次は俺か、フェザーンか……。

「しかし、売れといわれましても相手が有ってのことです。彼らが買いましょうか?」
俺はあえて当たり前の疑問を提示してみた。

門閥貴族たちは時期を待つつもりだ。今の時点で武器弾薬など購入するだろうか? 一つ間違えば謀反の嫌疑をかけられかねない。その危険を冒してまで武器購入に動くとも思えない。

「その心配はありません。彼らはもう直ぐ武器弾薬を欲しがります、もう直ぐね。そのために今から彼らに売り込んでおいたほうがいいでしょう」
うっすらと微笑みながら元帥が答えた。

もう直ぐ武器弾薬を欲しがる? つまり暴発する、暴発させるという事か。元帥は何らかの行動を起そうとしているようだ……。微笑みながら話す元帥にうそ寒いものを感じながら問いかけた。
「しかし、よろしいのですか。手強くなりますぞ」

「構いません。暴発させるのが先です。彼らも武器弾薬の当てがあれば動き易いでしょう」
「……」

「ボルテック弁務官、この件をフェザーンのルビンスキー自治領主に伝えればそれだけでも弁務官の株が上がりますね」
「そう、なりますな」

確かに上がるだろう。内乱勃発と武器弾薬の売り上げによる利益、しかし見返りとして何を要求されるのか?

「ところで、ルパート・ケッセルリンク補佐官の事ですが、調べはつきましたか?」
「……いえ、つきません」
「そうですか」

俺の答えにヴァレンシュタイン元帥は微かに頷いた。ルパート・ケッセルリンクがルビンスキーの息子だという元帥の情報の確認は取れていない。調べたいのだが頼める人物が居ないのだ。頼んだ瞬間にルビンスキーの耳に入りかねない、そう思うと迂闊に動けない。

「弁務官、これを」
元帥が書類ケースから文書を取り出し俺に差し出した。受け取り、文書を読む。内容は言うまでもないだろう。

「元帥、これは」
「レムシャイド伯に頼んで調べてもらいました。もっとも信じる信じないはそちらの自由ですが」
「……」

文書にはルパート・ケッセルリンクがルビンスキーの息子である事が記されていた。後は元帥の言う通りこの文書を信じるか否かだ。

「元帥、随分と私を気にかけていただいているようですが、私はそれに対しどうすればよろしいのでしょう?」
フェザーンを裏切れと言うのだろう、笑止な事だ。

「私を助けて欲しいのです」
「?」
助ける? いずれ起きる内乱で味方しろということか? いや違うな、そんな単純なことではないだろう。

「以前にも言いましたが、私は宇宙を統一し戦争を無くすつもりです。宇宙から戦争を無くすのに後三年、本当の意味で宇宙を統一するのに三十年ほどかかるでしょう」
「……」

元帥は淡々と言葉を紡ぐ。彼が話すと既に決定しているかのように聞こえる。不思議な気分だ。

「弁務官には新帝国の閣僚として通商関係を取り扱って欲しいのですよ」
「!」
俺を新帝国の閣僚に? 通商関係を任せる? 本気で言っているのか? 俺は目の前で微笑むヴァレンシュタイン元帥の顔を呆然と見詰め続けた……。


 

 

第百四十一話 困惑

帝国暦 487年10月10日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ニコラス・ボルテック



「弁務官には新帝国の閣僚として通商関係を取り扱って欲しいのですよ」
「!」
私を新帝国の閣僚に? 通商関係を任せる? 本気で言っているのか? 私は目の前で微笑むヴァレンシュタイン元帥の顔を呆然と見詰め続けた……。

「私に新帝国の閣僚……、通商関係ですか……」
思わず言葉が出てしまった。ヴァレンシュタイン元帥は頷きながら言葉を続ける。
「ええ、ボルテック弁務官なら適任だと思うのです」

落ち着け! ニコラス・ボルテック。こんな甘い言葉に乗せられてどうする。この程度の甘言はこれまでに何度もあった。フェザーンの自治領主補佐官を篭絡しようと考えた者は帝国、同盟政府、民間人、数え切れぬほど居る。だが成功したものはいない、甘く見ないで貰おうか。

「フェザーンを裏切れと仰るのですか?」
出来るだけ冷たい口調で話した。何処か冷笑さえ含まれていたかもしれない。しかし元帥は気にした様子もなく話を続けた。

「そのような事は言っていませんし、そんな必要も無い事です。私は貴方を裏切り者にしようなどとは考えていません」
「? しかし……」
どういうことだ? 裏切りを勧めているのではないのか?

「弁務官、私は今助けてくれと言っているのではないのです。いずれ帝国がフェザーンを占領した後、その時は私を助けて欲しいと言っています」
「……」
フェザーン占領後……。内乱を前にフェザーン占領後の話をするのか。

「私はフェザーン占領後は帝国の首都をフェザーンに遷すべきだと考えています」
「フェザーンに、ですか……」

フェザーンに首都を遷す……。そんな事が可能な訳が……、いや可能か……。内乱に勝利し門閥貴族が滅びた後なら遷都は可能だ。むしろオーディンから離れる事で旧勢力との決別を宣言するという狙いも有ると見ていいだろう……。

「ええ、今のフェザーンは十分にその地政学的な利点を生かしていません。帝国と同盟の間で利と陰謀に走るだけです。だから影響力も限定されたものでしかない。宝の持ち腐れです」
「……」

ヴァレンシュタイン元帥の言葉が耳に流れる。確かに今のフェザーンは二つの大国で揺れ動く存在でしかない。交易国家として利を求め、その利を守るために謀を為す。やむをえないこととは言え、その事が両国の不信を招いている。

「いずれ同盟も新帝国の一部になります。そうなればフェザーンは政治、軍事、経済、文化、その全てにおいて帝国、同盟を有機的に結合できる宇宙の心臓になれるんです」

「……」
ヴァレンシュタイン元帥の頬が幾分上気している。興奮しているのだろうか? この男は人類の未来を作るという夢を語っている。野心ではないだろう、夢だ。私利も私欲も無いのだ、夢としか言いようが無い。あるいは志だろうか……。

「どうです、ボルテック弁務官。新帝国の閣僚として新しい世界を作ってみませんか。フェザーンの自治領主などよりずっとやりがいのある仕事だと思いますよ。そしてあなたなら出来る仕事です」
「……」

困った男だ、この男は危険過ぎる。人を酔わせる夢を持っている。その夢のために何人もの男が命を賭けるだろう。危険な美しく眩しい夢。

フェザーンの自治領主と新帝国の閣僚……。権限、影響力、そして仕事に対する満足感、おそらくどれをとっても新帝国の閣僚の地位のほうが上だろう……。フェザーンの自治領主など、所詮は帝国と同盟の間で動く陰謀家に過ぎない、両国からも決して尊敬される事は無い……。

「元帥閣下、内乱が始まっていないうちから、私のスカウトですか、いささか気が早すぎるような気もしますが?」

出来るだけ冗談めかして言ってみた。情けない話だがそれくらいしか対抗する手が思い浮かばなかった。真面目に答えれば何処かで心の乱れを知られてしまうだろう。

ヴァレンシュタイン元帥は俺の冷やかしのような発言にも不快感を示さなかった。むしろ可笑しそうに笑いながら話しかけてきた。
「そうですね。確かに気が早いかもしれませんね」

妙な事になった。二人で可笑しそうに笑っている。笑うべき所ではないはずなのだが……、いや笑うしかないということだろうか。全く困った男だ。ヴァレンシュタインは笑いを収めると真面目な表情で切り出した。

「ですが、私は貴方に真剣に考えてもらいたいと思っているのですよ。私がこの帝国をどのような方向に進めていこうとしているのか、内乱を通して見て欲しいのです」
「……」

「私は助ける価値が有る人間なのか、無い人間なのか、私の目指す未来が人類社会にとって何を意味するのか、貴方の目で判断して欲しいのです」
「……私に判断しろと仰るのですか? 私は元帥閣下を暗殺するかもしれませんが?」

「弁務官だけではありませんよ、私を殺したがっているのは。もし私が殺されるようであれば、それは私に力が無かった、夢物語に過ぎなかった、そういうことなのでしょう」

ヴァレンシュタイン元帥は苦笑しながら話し続けた。困った男だ、何度目だろう、そう思うのは……。俺はフェザーンのルビンスキーより、目の前のこの男を機会があれば暗殺しろと言われている。その事は当然ヴァレンシュタイン元帥も分かっているだろう。

フェザーンは今不安定な状況にある。イゼルローン要塞陥落後から始まった帝国による揺さぶりの所為でこれまで磐石と思われたルビンスキーの基盤に亀裂が入ったのだ。

五年前、前自治領主ワレンコフの事故死の後、大方の予想を裏切って後継者争いを制したルビンスキーが第五代目の自治領主になった。対抗者を始め、その与党はこの五年の間に民間の企業に追い払われている。

その彼らが此処に来て蠢き始めている。今のところレムシャイド伯との繋がりは見えない。しかしこれから先は分からない。そしてその後ろには当然、今俺の目の前で微笑んでいる男の影があるだろう……。

門閥貴族を煽り、不平軍人を焚き付け、ヴァレンシュタインの命を奪う。ルビンスキーがこの男の死を願うのは当然過ぎるほど当然なのだ。そんな命令を受けた俺にこの男は助けを求めている。全く困った、俺はどういう表情をすればいいのだろう。



帝国暦 487年10月10日   オーディン 宇宙艦隊司令部 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


私は二日前から宇宙艦隊司令部で軍務についている。内乱が起きたら元帥に味方する、約束ではそうだったが、どうせ味方するなら中途半端な事はしたくないと思ったのだ。

参加するだけではなく、一人の人間として評価してもらいたい、そう思い父を説得し元帥に頼んだ。元帥は軍務省に私のことを説明し、一応中佐待遇で軍務についている。

今の私はヴァレンシュタイン元帥の副官見習い、そんなところだ。フィッツシモンズ中佐に副官業務を教えられている。中佐は丁寧に教えてくれる。元は同盟の人だから貴族の私には思うところがあるとは思うがそういうそぶりは欠片も見せない。

応接室からヴァレンシュタイン元帥とボルテック弁務官が現れた。ボルテック弁務官が帰ろうとすると元帥が“先程の話を良く考えてください”と言った。弁務官は一瞬困ったような表情を見せたが直ぐにこやかな表情で帰っていった。

元帥は執務机に座ると直ぐ書類を手に取ったが、書類を読まずに何かを考えている。珍しい事だ。この二日間で分かったのだが元帥は書類を読むのが大好きだ。

フィッツシモンズ中佐によれば書類を愛しているとのことだが当たっていると思う。そのくらい楽しそうに書類の決裁をする。戦場の武人としてより後方の軍官僚のイメージが強い。私には元帥が総旗艦ロキで指揮をとる姿がどうも思いつかない。

「閣下?」
「ん、どうかしましたか、フィッツシモンズ中佐?」
「いえ、何をお考えなのかと思いまして」

躊躇いがちにフィッツシモンズ中佐が元帥に声をかけた。元帥は少し考えた後、話し始めた。
「同盟軍、いえ反乱軍の陣容が決まったようです」

反乱軍の陣容が決まった……。ボルテック弁務官からの情報だろう。弁務官が元帥に伝えたのは元帥への好意からだろうか? それだけではないだろう。帝国に実力者に貸しを作ろうとでもいうのだろうか。

「統合作戦本部長はボロディン、宇宙艦隊司令長官はビュコック、そして宇宙艦隊副司令長官にはウランフ提督が就くそうです」
「!」

「ヤン・ウェンリー提督は宇宙艦隊総参謀長でしょうか?」
フィッツシモンズ中佐が尋ねると元帥は首を横に振って答えた。
「総参謀長にはグリーンヒル中将、いえ大将が就くそうです。ヤン提督は大将に昇進しイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官になります」

ヤン・ウェンリー……。第三次ティアマト会戦、イゼルローン要塞攻略戦で英雄と呼ばれた人物だ。元帥にとっては手強い敵といえる。元帥が考え込んでいたのはその所為だろうか。

「甘く見る事は出来ないですね。どうやら反乱軍も必死のようです」
ヴァレンシュタイン元帥が落ち着いた口調で話した。口調からは感情は読み取れない。元帥はヤン提督の事をどう思っているのだろう。無性に知りたくなった。

「どうしました、フィッツシモンズ中佐?」
元帥がフィッツシモンズ中佐を気遣った。私は気付かなかったが中佐は何か考え込んでいたらしい。

「いえ、ヤン提督を総参謀長にという発想は無かったのでしょうか?」
なるほど、知勇兼備の名将を前線指揮官としてよりも総参謀長にして全軍を指揮させたほうが良いと中佐は考えたのか。それにしても良いタイミングで訊いてくれる。元帥がヤン提督をどう考えているか分かるかも知れない。

「有ったと思いますよ。本当はそれが一番良いですからね。私は考えた上でイゼルローンに送ったと思います」
「?」

どういうことだろう? 一番良い人事案を取らないとは。反乱軍はシャンタウ星域の敗戦で余裕があるとも思えない。それなのに……、思わず疑問が口に出てしまった。

「閣下、何故反乱軍は最善の手を取らないのでしょう?」
元帥は私とフィッツシモンズ中佐の顔を交互に見ながら答えた。

「ヤン提督は今年の初めに少将に昇進しました。今回大将に昇進したという事は年内に三回昇進することになります。それに未だ三十歳になっていません。ヤン提督に対する周囲の反発はかなり強いでしょうね」
「……」

なるほど、負け戦続きなのに昇進している。それに未だ三十歳になっていない。異例の昇進だ、風当たりは強いかもしれない。
「総参謀長にしても反発を受けるだけなら、むしろ前線に送って自由に才腕を振るわせたほうが良い、そう考えたのだと思いますよ。受け入れられない最善の策など意味がありません」

そう言うと元帥はまた何かを考え始めた。異例の昇進、風当たり、元帥も同じような思いをしてきたのかもしれない。だから分かるのだろう。考え込む元帥を見ながらそんなことを私は思った。



帝国暦 487年10月10日   オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


ヒルダがこっちを見ている。どうも観察の対象にされているようで余り気持ちのいいものではない。しかし、今の時点でこちらに味方するという彼女の想いは無視できない。信頼を得たいという思いもあるのだろうが、伯爵家の令嬢が副官任務を学んでいるのだ。多少の事は我慢するべきだろう。

同盟軍の人事が決まった。大体予想通りだが、予想から外れた部分もある。グリーンヒル総参謀長だ。彼が総参謀長になるという事は、彼が軍の不平派を押さえるという事になるのだろうか? それとも別の人物が不平派を率いるという事になるのだろうか?

ヤン・ウェンリーを目立つように大将に昇進させ、最前線に送った。その一方でグリーンヒルを総参謀長か。偶然だろうか? いや、それは無いな。大敗北をした遠征軍の総参謀長を宇宙艦隊の総参謀長になどありえない。

グリーンヒルを左遷すると不平派に担がれると考えた人間がいるのだろうか? だとすると何処まで読んでいるのだろう、不安が有る。誰がこの人事案を考えたのかは分からないが、手強い相手がいる。注意が必要だろう。


ボルテックはどう受け取ったかな。一時凌ぎの懐柔と取ったか本気と取ったか……。出来れば彼には味方になって欲しいものだ。帝国の改革派には平民達の生活の向上を考える人間は大勢いるが、交易、通商面からの帝国の整備を考える人間はいない。

帝国領内だけではない同盟も含めて宇宙全体を見る眼を持っている人間が必要だ。それにはやはりフェザーン人が良い。ボルテックを中心にフェザーン人を積極的に取り込んでいく必要があるだろう。

ボルテックは早期に内乱が起きるとは考えていなかった。つまり勅令の事は知らなかったということになる。貴族たちにも知られていないと見て良い。改革の勅令が発布されるまで後五日、なんとか凌げそうだ……。



 

 

第百四十二話 接触

帝国暦 487年10月11日   フェザーン 帝国高等弁務官事務所 ヨッフェン・フォン・レムシャイド



「如何されましたか、国務尚書、元帥」
「うむ、卿に話しておく事があっての」
目の前のスクリーンには二人の人物が映っている。

一人は目の鋭い老人、もう一人は若く穏やかな微笑を浮かべた青年。全く正反対の二人だ。国務尚書、リヒテンラーデ侯と宇宙艦隊司令長官、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥。

今現在、帝国の文武を代表する重臣といって良い。その二人が揃ってスクリーンに映っている。訝しく思いながらも私は問いかけた。
「私に話しておく事とは一体何でしょう?」

「その前に、防諜の方は大丈夫かの」
「この部屋には私だけです。私が呼ぶまでは誰も入ってきません」
「うむ、ならば安心か」

スクリーンの二人は顔を見合わせると微かに笑った。はて、ますます分からん。シャンタウ星域の会戦で大勝利を収めた後、帝国はきわめて安定していると聞いている。イゼルローン要塞は失ったが、反乱軍の戦力の大半を殲滅したのだ、その事実は大きい。

今この時、防諜を気にするほどの重大事があるのだろうか? 私に話すという事はフェザーンがらみだろうが、先日のルビンスキーの隠し子の一件だろうか? それとも反ルビンスキー派の事か? どうもその程度の話ではないようだが……。

ここ最近、帝国で起きた一大事件と言えばヴァレンシュタイン司令長官が平民にも関わらず元帥になったことぐらいのものだ。しかし、あれほどの大勝利を得たのだ、これも当然と言って良いだろう。大騒ぎするほどの事でもない。

その事で門閥貴族たちと元帥の間で多少の軋轢はあるようだが、わざわざオーディンからこの二人が話したい事があるなどと言ってくるほどの事でもない。一体何の用なのか?

「実はの、今月の十五日に勅令が発布される」
「!」
十五日に勅令が発布される。後四日しかない、なるほど確かに重大事だ。しかし一体何のための勅令なのか。不審に思っているとリヒテンラーデ侯が話を続けた。

「勅令の趣旨じゃが、税制改革、それと政治改革ということになる」
「税制と政治改革ですか……」
税制改革? 政治改革? ますます分からない、どういうことだ?

「具体的には、貴族への課税、それと既得特権の廃止じゃ。それに伴い農奴の廃止と平民の権利の拡大が布告される」
「馬鹿な!」

馬鹿な! 何を考えている! ルドルフ大帝以来の国法を変えるというのか!
「お待ちください。そのようなことをすれば、貴族達の反発は必至です。彼らは一致して反対するでしょう。場合によっては反乱を起し……」

スクリーンに映る二人は微塵も動揺していない。その事実が私の言葉を途切れさせた。まさか、そうなのか、それを狙っているのか……。

近年、帝国の内憂は皇帝陛下の健康と帝位継承者が未決定である事だった。その所為で帝国内の二大貴族、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が後継者争いをしている。一つ間違えば内乱になりかねない状態だった。

そして外患はもちろん反乱軍だ。だがその外患はシャンタウ星域の敗戦で大きく勢力を減じ当分の間考えなくてもいいだろう。だから今のうちに帝国内の内憂を片付けようということか。 

「卿の言う通りじゃ。貴族達は反乱を起すじゃろうの」
リヒテンラーデ侯の言葉は私の考えを肯定するものだった。侯はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を排除しようとしている。勅令は彼らを暴発させ反乱に追い込むための手段というわけか。

私はここ数年オーディンには戻っていない。だからオーディンの政治情勢に詳しいとは言えないがそれでも分かる。リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタイン元帥と協力体制を築いている。つまり新興勢力である平民と結んで帝国を動かそうとしている。

リヒテンラーデ侯は貴族である事を捨てるつもりなのか。貴族として生きてきたこれまでの人生を……。権力とはそれほどまでに人を執着させるものなのか……。

「レムシャイド伯、勘違いはするな。こう見えても己の権力欲のために勅令を、陛下を利用しようなどとは思わん。そこまで落ちぶれてはおらん」
「?」

リヒテンラーデ侯は厳しい表情をしている。私が何処かで侯を疎ましく思ったのが分かったのだろうか。
「このままでは帝国は滅ぶ。生き残るためには今のままではならぬのじゃ」
「!」

帝国が滅ぶ? 馬鹿な、侯は一体何を言っているのか。シャンタウ星域で勝利を収め帝国は国威が上昇していると言っていい。それが滅ぶなど有り得ない。

「リヒテンラーデ侯、そこからは私が話しましょう」
「いや、私が話す。これは私の役目だからの」
そう言うとリヒテンラーデ侯は何故政治改革が必要かを話し始めた……。








「新銀河帝国ですか……」
「うむ」

リヒテンラーデ侯の説明は三十分ほどかかった。フェザーン、同盟を占領し宇宙を統一する。そのことが帝国内部の政治改革を促す事になるとは……。そしてそれ以外に帝国が存続する道が無いとは。いや、なにより大きいのは陛下が改革を認めているということだろうか。

「どうかな、レムシャイド伯。我らに協力してもらえるかな」
「……閣下が権力欲から改革をと言うのであればお断りしました。しかし新銀河帝国ですか、まさかそんな事をお考えとは思いもしませんでした」

リヒテンラーデ侯は私の言葉に苦笑しながら言葉を出した。
「考えたのはヴァレンシュタインよ。私ではない」
そんな侯の言葉にヴァレンシュタイン元帥は穏やかに微笑んでいる。

「それで、私に何をさせようというのです。ただ説明のためだけにお二人が連絡をしてきたわけでは有りますまい」
元帥がリヒテンラーデ侯に顔を向けると、侯は一つ頷いた。

「レムシャイド伯、自由惑星同盟政府と連絡を取って欲しいのですが」
「反乱軍、いや自由惑星同盟政府とですか?」
「ええ」

「フェザーンには知られること無くでしょうか?」
「ええ、知られる事なくです」
「なるほど」

同盟政府と連絡を取る。フェザーンに知られること無く……。難問と言って良いだろう。
「元帥、通常であれば同盟側の弁務官を通して連絡を取る事が出来ます。しかし、まず間違いなくフェザーンに知られるでしょう」

私の言葉に元帥は頷きながら答えた。
「同盟の弁務官はフェザーンに飼われていますか?」
「そうです。ヘンスローといいますが、フェザーンから、金、女をあてがわれて飼いならされています」

私の言葉にリヒテンラーデ侯が鼻を鳴らして吐き捨てた。
「反乱軍も頼りにならぬ男を弁務官にしたものじゃ。役に立たぬの」
全く同感だ。こういう場合は全く役に立たない。元帥は少し困ったような口調で訪ねてきた。

「では、他に手立てはありませんか?」
「……無くも有りません。フェザーンには反ルビンスキー派と言われる人間がいます。その伝手で同盟政府に連絡を取れるかもしれません」

「なるほど、反ルビンスキー派ですか」
「そうです、いずれ接触する必要があると考えていました。いい機会です、この機に彼らと接触しましょう」

元帥はリヒテンラーデ侯と顔を見合わせ
「そうですね。ではレムシャイド伯、お願いいたします」
と言った。

「分かりました。ところでヴァレンシュタイン元帥、同盟政府には何を伝えるのです? 今回の勅令の件でよろしいのですかな?」



宇宙暦796年10月13日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



「どうした、トリューニヒト、急に来いなどと」
最高評議会議長の執務室を開け、トリューニヒトに声をかけると、そこにはホアン・ルイがいた。どういうことだ? 何が有った?

「遅いぞ、レベロ。とにかくまずは座ってくれ」
「ああ、ホアン、君も呼ばれたのか」
「うむ。急に来てくれと言われてな」

私と同じか……。妙だ、トリューニヒトが少し興奮しているように見える、何が有った?
「二人とも良く聞いてくれ。もう直ぐ通信が入る、相手はフェザーンにいる帝国の高等弁務官レムシャイド伯だ」
「!」

思わずホアンと顔を見合わせた。彼も驚いている。帝国の弁務官から連絡?
「トリューニヒト、ヘンスローが仲立ちしたのか?」
「いや、ヘンスローではない、フェザーンの有力者が間に立っている。その人物はルビンスキーとは敵対関係に有る」

ヘンスローは通さなかったか。どうやら帝国側からもヘンスローは当てにならないと見られているようだな。いずれ交代させる必要があるだろう。それにしてもルビンスキーとは敵対関係に有る人物が間にたったか。帝国とルビンスキーはかなり険悪な状態にあるということか。

TV電話が鳴った。トリューニヒトが受信し、映像をスクリーンに拡大投影する。スクリーンに初老の人物が表れた。白っぽい頭髪と透明な色素の薄い瞳をしている。
「お初にお目にかかる。帝国高等弁務官、ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵です」

「自由惑星同盟最高評議会議長、ヨブ・トリューニヒトです」
「財政委員長、ジョアン・レベロです」
「人的資源委員長、ホアン・ルイです」

トリューニヒトが自由惑星同盟と言ったとき僅かにレムシャイド伯の右眉が上がったように見えた。やはり抵抗があるようだ。いっそ反乱軍とでも名乗ってやればよかったか。

「レムシャイド伯、一体何用ですかな。亡命を希望されるのであれば喜んでお迎えしますが」
トリューニヒトの言葉にレムシャイド伯は面白くもなさそうに笑うと答えた。

「今のところはその必要はなさそうですな、トリューニヒト議長。用件に入ってもよろしいかな」
「これは失礼しました、どうぞ」
「十五日、明後日ですが帝国で勅令が発布されます」
「……」

「勅令の内容は税制と政治改革、具体的には、貴族への課税、それと既得特権の廃止となります。それに伴い農奴の廃止と平民の権利の拡大が布告されるでしょう」
「!」

レムシャイド伯の口調はさり気無いものだったが、私は思わずトリューニヒト、ホアンと顔を見合わせた。有り得ない事だ、一体帝国は何を考えている? ホアンとトリューニヒトも表情に驚きが出ている。

「何故、それを教えていただけるのですかな、いやその前に教えていただきたい。私達にそれを伝えるのは伯の個人的な御好意と受け取ってよろしいのですかな?」

ホアンの問いにレムシャイド伯は首を振って答えた。
「違いますな。この件につきましては国務尚書、リヒテンラーデ侯、宇宙艦隊司令長官、ヴァレンシュタイン元帥からの依頼でお伝えしております」
「!」

国務尚書、リヒテンラーデ侯! 宇宙艦隊司令長官、ヴァレンシュタイン元帥! 伯が嘘をついていなければ帝国の文武の重臣達が絡んでいることになる。本気で改革を行なうという事か?

「何故そちらに伝えるかという事ですが、おそらく勅令発布後、帝国内では内乱が起き国を二分する戦いが生じるでしょうな。お互い困ったことになるだろうとオーディンでは考えています」

内乱が起きる、重大事であるのにレムシャイド伯はあっさりと答えた。困っている様子など欠片も無い。むしろそれこそが狙いか、リヒテンラーデ、ヴァレンシュタイン連合が国内の門閥貴族との対決を決めたということか。だとすると国内の改革というのも何処まで本気か検討の必要が有るだろう。

「はて、そちらが困った事になるのは判りますが、同盟が困った事になるというのはどういうことですかな。よく分かりませんが」
トリューニヒトの言う通りだ。帝国が内乱になってくれれば、同盟はその間国内の建て直しに専念できる。困る事など無い。

「帝国が内乱になれば、また出兵論が出ませんかな? 出兵すればその分だけ国内の建て直しが遅れます。そちらとしては迷惑な話だと思うのですが、違いましたか?」

レムシャイド伯が微かに笑いを浮かべながら答えた。なるほど確かにその可能性は有るだろう。相手はこちらの状況をよく把握している、なかなか手強い。それになんと言っても帝国には余力がある。それがレムシャイド伯の態度に繋がっている。

「そこまで仰るのであれば、帝国には何か考えが御有りかな? 教えていただきたいものだが」
トリューニヒトの言葉にレムシャイド伯は頷いて答えた。

「捕虜を交換しては如何かな、それで出兵論は抑えられると思うのだが」
捕虜を交換? 一体何の話だ? このレムシャイド伯という男は奇襲攻撃が得意らしい。なんともやりづらい相手だ。私はトリューニヒト、ホアンと顔を見合わせた。彼らなら分かるだろうか……。



 

 

第百四十三話 英雄である事とは……

宇宙暦796年10月13日  ハイネセン 統合作戦本部 ヤン・ウェンリー



統合作戦本部にある応接室に政府、軍の幹部が集まっている。政府からはトリューニヒト議長、ジョアン・レベロ委員長、ホアン・ルイ委員長。軍からはボロディン作戦本部長、ビュコック司令長官、ウランフ副司令長官、そして私、ヤン・ウェンリー。

今日の午後、帝国の高等弁務官からトリューニヒト議長に連絡が有った。トリューニヒト議長はすぐさま軍にもその内容を通知した。私はイゼルローンに赴任するための準備をしている最中だったがその件で有無を言わさずに呼び出されている。

時刻は22:00を過ぎている。超過勤務は趣味ではないが、今回ばかりは仕方が無い。

「シトレ元帥はよろしいのですか、ネグロポンティ国防委員長もいませんが?」
ボロディン本部長の言葉にレベロ委員長が答えた。

「シトレには既に相談済みだ、彼の考えは分かっている。此処に来ないのは引退した身で統合作戦本部に頻繁に出入りするのは遠慮したいとのことだった。ネグロポンティは、いいのか、トリューニヒト?」

「構わない、彼には後ほど私から話す」
なるほど、ネグロポンティは議長の傀儡というわけか。トリューニヒト議長の言葉にそう思ったのは私だけではないだろう。ボロディン本部長、ビュコック司令長官、ウランフ副司令長官も顔を見合わせている。

「それで、軍はどう思うかね、帝国からの提案については?」
トリューニヒト議長の言葉にボロディン本部長、ウランフ副司令長官が答えた。

「軍としましては帝国の提案に異存は有りません。捕虜交換が実施されるのであれば軍の再編にも大きなプラスになる。内乱に乗じての出兵論が起きても押さえるのは容易いでしょう」

「本部長の仰るとおりです。問題が有るとすれば本当に捕虜交換が行なわれるかどうかです。空約束だった場合、その反動は大きい。出兵論が再燃しかねません。その点について政府はどうお考えですか」

ウランフ副司令長官の言葉にトリューニヒト議長たちが顔を見合わせ頷く。

帝国からの提案では内乱発生後、フェザーンに居る両国の高等弁務官の名で捕虜交換を発表する事になっている。この時点で両国が捕虜交換に同意したという事になる。

実際の交換の時期は内乱終結後、両軍の代表者が調印を行なった時点で正式に決定される事になる。つまり、調印を行なわないという形で帝国が約束を反故にする可能性は無いとは言えない。

「難しい所だ。この話を持ってきたのはヴァレンシュタイン元帥とリヒテンラーデ侯だが、二人は今現在協力体制に有ると見ていいだろう。問題はこの協力体制が何時まで続くかだ」

ホアン・ルイ委員長がトリューニヒト議長、ジョアン・レベロ委員長を見ながら答えた。その後をジョアン・レベロ委員長が続ける。

「リヒテンラーデ侯は貴族、ヴァレンシュタイン元帥は平民だ。この二人が協力体制にあるのは門閥貴族に対抗するためだろう。二人とも門閥貴族が実権を握れば粛清されると見ていい。その恐怖が二人を協力させていると思う」

「……」
「今回の勅令だが、ヴァレンシュタイン元帥が望んだものだろう。リヒテンラーデ侯は門閥貴族と対抗する以上平民の支持が必要だと判断し賛成した。決して心から改革を望んでいるわけではあるまい」

レベロ委員長の言葉にホアン・ルイ委員長、トリューニヒト議長が頷いている。私も、いや軍部もそれについては同意見だ。ビュコック司令長官がレベロ委員長に問いかけた。

「つまり内乱終結後、リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥の間で権力闘争が始まる、政府はそう考えているということですかな?」
「そうなるだろうと考えている」

レベロ委員長がトリューニヒト議長と顔を合わせた後答えた。釣られるように皆顔を見合わせた。帝国はこれからしばらくの間混乱状態になる可能性がある、そう考えているに違いない。しかし本当にそうなるのだろうか? ヴァレンシュタイン元帥がそれを許すのか?

「ヴァレンシュタイン元帥が実権を握れば、改革は実施されるに違いない。捕虜交換も実行されるだろう。問題はリヒテンラーデ侯が実権を握った場合だ。その場合どうなるか?」

トリューニヒト議長が周りに問いかけた。ボロディン本部長を始め軍幹部が私を見る、答えねばなるまい。

「改革は廃止されるか、形だけのものになるのではないでしょうか? ただ捕虜交換に関して言えば、リヒテンラーデ侯が実権を握っても実行されるのではないかと思います」

「何故そう思うのかね、ヤン提督」
トリューニヒト議長が問いかけてきた。何処か面白がるような表情が気に入らなかったが答えた。

「門閥貴族との内戦で軍は再編が必要となります。同盟と同様で捕虜が返還されれば再編もスムーズに行く。それにリヒテンラーデ侯が政権を握ればヴァレンシュタイン元帥は失脚する事になります。平民達の不満を宥めるためにも捕虜交換を行なうのではないでしょうか」

トリューニヒト議長は私の言葉を頷きながら聞いていた。そして私が話し終わるとゆっくりとした口調で話し始めた。

「ならば捕虜交換に関しては問題は無いと判断して良いだろう。ところで反乱軍が勝つという可能性は無いのだろうね?」
トリューニヒト議長の言葉に軍人たちの間から苦笑が沸いた。それを見たトリューニヒト議長は一つ頷くと話を続けた。

「では問題はヴァレンシュタイン元帥が政権を握った場合だ。帝国が改革を実行した場合、何が起きると思うかね?」

何が起きるか、トリューニヒト議長のその言葉に皆顔を見合わせた。
「ヴァレンシュタイン元帥は帝国を貴族達の国から平民達の国にしようとしている。違うだろうか?」

「……トリューニヒト」
レベロ委員長が話しかけたが、トリューニヒト議長はそれに構わず言葉を続けた。

「もしそうなら帝国は民主主義こそ実現されていないが、一部の特権階級が支配し搾取する国ではなくなる。何のために帝国と戦うのか、我々はもう一度考える必要があるのかもしれない」

自由惑星同盟の存在意義は二つある。一つは反ルドルフ、もう一つは民主主義の護持。帝国で改革が行なわれるのであれば、帝国がルドルフ的なものを捨て去るのであれば、同盟の存在意義は民主主義の護持だけになるだろう……。

ヴァレンシュタイン元帥は帝国をどのように変えるのだろう。今回の改革はあくまで門閥貴族対策なのだろうか? それとも別な意図が有るのか?それによってはトリューニヒト議長の言うように我々は何のために戦うのか、もう一度問い直す必要が有るだろう……。



帝国暦 487年10月14日   オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


執務机の引き出しの中から一枚の写真を取り出した。両親とともに写る俺の姿がある。いつ撮ったのだろう、三歳ぐらいだろうか、残念な事に俺には覚えが無い。

父に抱かれている俺は、母のほうに手を伸ばしている。母は笑いながら俺の手を握ろうとしている。父は俺を片手に抱きながらもう一方の手で母を抱き寄せている。父も母も未だ若い、幸せな家族の写真だ。

コンラート・ヴァレンシュタイン、ヘレーネ・ヴァレンシュタイン、俺にとっては二度目の両親だった。この世界で最初に俺を愛してくれた二人。この二人の子供に生まれた俺は幸運だった。もっとひどい両親の元に生まれる事も有り得たのだから。

この二人に感謝している。この二人の息子に生まれたことに感謝している。俺はこの二人が居てくれれば他には何もいらなかった。ただ傍に居てくれればよかった。それほど贅沢な望みだったとは思わない。だがそれすら叶えられなかった。

目の前にある写真を見ながら、俺はようやくここまで来たと思った。十年前、カストロプ公に両親を殺された。そしてあの日ラインハルトを助け門閥貴族達に復讐すると誓った。

ラインハルトを助けるつもりだった。それなのに気がつけば俺自身が頂点に立っている。妙な事になった、門閥貴族の討伐は俺が総司令官として行なう事になっている。どうしてこうなったのか……。

今思えばあの日、軍人を目指したときから歴史は変わったのかもしれない。もし歴史を変えることになると分かっていたら軍人になるのを止めただろうか? こんなにも苦しい思いをすると分かっていたらどうしただろう?

自分でも分かっている事がある。俺は英雄なんかじゃないって事だ。英雄なら一千万人殺してもなんとも思わないだろう。イゼルローン要塞で三百万人殺された、だからシャンタウ星域で一千万人殺した。

殺されたから殺した、自分がしたことだ、それなのにその血生臭さに心が凍りそうな気がする。それでも俺は前へ進まなければならない。流された血を無駄にしないためにも進まなければならない。分かってはいる、だが俺に出来るだろうか……。

明日、勅令が発布される。帝国は混乱するだろう、帝国だけではない、フェザーンも同盟も混乱するに違いない。そしてその混乱の中から新しい帝国が誕生する。だがその新しい帝国のために流れる血はさらに増え続けるだろう……。



帝国暦 487年10月14日   オーディン 宇宙艦隊司令部 ウルリッヒ・ケスラー



司令長官室は未だ灯りが点いていた。時刻はもう二十一時を過ぎている。部屋に入ると司令長官が一人で机に座っている。私が部屋に入ったのに気付いたのだろう、何かを机にしまうと視線をこちらに向けてきた。

「ケスラー提督、どうしました、こんな時間に?」
「いえ、灯りが見えたので気になったのです。少し御時間を頂いてもよろしいですか」
元帥は私の言葉に軽く頷いた。そしてソファーに座るように促す。

私が元帥の言葉に従いソファーに座ると元帥も席を立ってソファーに腰を降ろした。それを待って、元帥に話しかけた。
「元帥、いよいよ明日になりました」

私の言葉に元帥は驚くことなく頷き言葉を発した。
「陛下から聞いているのですね?」
「はい」

明日、勅令が発布される。帝国で改革が始まるのだ、いや革命といって良いかもしれない。皇帝と平民による革命、歴史上初のことに違いない。

「元帥、一つお聞きしたい事があるのですが」
「何でしょう」
「いつから改革を考えていたのです?」

元帥は私の質問に少し黙っていたが、呟くように小さな声で答えた。
「……両親を殺された時からです」

やはりそうなのか……。元帥の言葉にそう思った。元帥は当時十二歳だったはずだ、普通なら有り得ない、しかし元帥は改革を考えた。そして士官学校に入った、帝国を変えるために。

「ケスラー提督、勘違いしないでくださいよ。私は自分の手で改革をしようとは思っていなかったんです」
「?」

「多分、誰かが改革を行なう。だからその手伝いが出来れば良い、そう思ったんです。それがどういうわけか、私が改革の旗振りをしている」
元帥は困ったような表情で話した。

本当だろうか? 困惑したような元帥の表情から見ると真実のように見える。思わず可笑しくなった。笑いを堪えながら元帥に忠告する。

「閣下、余りその事は仰らないほうが宜しいでしょう」
「何故です?」
不思議そうな表情で元帥は問いかけてきた。この人は妙に鋭いかと思えば不思議なほど鈍い時がある。特に自分の評価に関してその傾向が強い。困った事だ。

「改革が発表されれば、皆閣下がこの改革のために軍に入り、帝文の資格を取ったと考えるでしょう。閣下がそのようなことを仰っては皆が戸惑うに違いありません。改革への熱意を疑う事になるでしょう」

私の言葉を聞くと元帥はうんざりしたような表情で口を開いた。
「やれやれです。地位が上がるにつれて自由が少なくなる。だんだん自分が自分ではなくなっていくようです。うんざりですね」

「お辛いとは思います。しかし、元帥には私達の支柱でいていただかなければなりません。どうかご理解ください」

そう言うと私は頭を下げた。私達はこの人を必要としている、いや帝国は元帥を必要としているのだ。希代の英雄としてのこの人を。心配なのは最近疲れているように見えることだ。その事が周りに不安を抱かせている。

これから先、帝国は改革という未知への航海に船出することになる。その時、船を導く案内人が疲れていれば乗組員はどう思うだろう、自分たちの進路に疑問を不安を持ちかねない。その事は改革を失敗に追いやりかねないのだ。元帥は疲れを見せてはならない。

「……支柱ですか」
元帥がぽつりと呟いた。私の言う意味が分かったのだろう。寂しそうな声だった。私は頭を上げる事が出来ずにいる。

自分がいかに惨い事を言っているか分かっている。人間である以上、疲れることも嫌気がさす事も有るだろう。それを許されないということがどれだけ辛い事なのか……。

しかし、私達にはこの人が必要なのだ。強く、迷いの無いこの人が。誰かが言わなければならない。私は元帥の顔を見ることが出来なかった。頭を下げたそのままの姿で元帥に答えた。

「そうです」
「私は疲れる事も戸惑う事も許されないのですね、ケスラー提督」
「……そうです」

沈黙が落ちた。元帥は何も言わず、私は頭を上げる事が出来ない……。どれほどの時間がたっただろう。目の前にある元帥の手に何かが落ちた。涙? 思わず顔を上げて元帥を見る。

涙が溢れていた。元帥の目から一筋、また一筋と涙が流れる。声も出さずに元帥は泣いていた。茫然と焦点の合っていない目で涙を流している。



気がつけば私は司令長官室を出て廊下を歩いていた。やらねばならない事だった。それでもあんな姿は見たくなかった。やりきれない思いに壁に腕を思い切り叩きつけた。どこからか呻き声が聞こえる。自分の口から出た呻き声だった。いつの間にか私も泣いていた……。



 

 

第百四十四話 十月十五日

帝国暦 487年10月15日   オーディン 新無憂宮 ライナー・フォン・ゲルラッハ



十月十五日、ついにこの日が来た。これからフリードリヒ四世陛下より改革の実施が宣言される。黒真珠の間は混乱と怒号で溢れかえるだろう。帝国開闢以来の椿事になるに違いない。今日、この日から貴族階級は帝国の支配者ではなくなる……。

黒真珠の間は大勢の人間で溢れている。彼らの殆どは今日何が行なわれるか知らない。ただ重大発表があるから集まれと言われて此処にいるだけだ。不安そうに顔を見合わせながら何が有るのかと小声で話し合っている。その所為で黒真珠の間は何時に無くざわついている。

宮中の警備は憲兵隊が中心となって行なっている。逆上した貴族達が此処で暴発した場合すぐさま取り押さえるためだ。

一体どれだけの貴族が改革に賛成するだろう。賛成した人間だけが次の世代に生き残り、反対すればヴァレンシュタイン元帥による討伐の対象となる。生き残るのはごく僅かだろう。

皇帝の玉座に近い位置には帝国の実力者と言われる大貴族、高級文官、武官がたたずんでいる。さすがにここではざわめきは無い。しかし皆不安そうな表情は隠せずにいる。

古風なラッパの音が黒真珠の間に響く。その音とともにざわめきは止まり参列者は皆姿勢を正した。

「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国フリードリヒ四世陛下の御入来」

式部官の声と帝国国歌の荘重な音楽が耳朶を打つ。そして参列者は頭を深々と下げた。ゆっくりと頭を上げると皇帝フリードリヒ四世が豪奢な椅子に座っていた。

陛下は黒真珠の間を見渡すと口を開いた。
「皆、ご苦労じゃな。今日集まってもらったのは他でもない。この帝国がこの後も栄えていくため、予はある決断をした。それを皆に伝えるためじゃ」

陛下の言葉にざわめきが起こる。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も顔を見合わせ不安そうな表情を隠そうとしない。そんな彼らを面白そうに眺めながら陛下は言葉を続けた。

「予は帝国の政を変える。税制と政治の改革を行なうと決めた」
陛下の言葉にざわめきは大きくなった。その有様にリヒテンラーデ侯が鋭く叱責を浴びせた。
「静まれ! 陛下の御前であるぞ!」

リヒテンラーデ侯の叱責に黒真珠の間のざわめきが収まった。リヒテンラーデ侯が陛下に向かって一礼し、陛下はそれに対し僅かに頷いた。静かになった広間に陛下の声が流れる。

「先ず税制の改革ではあるが、貴賤を問わず税を課す事とする。理由は……」
「お待ちください!」
「無礼であろう、ホージンガー男爵。陛下の御発言を遮るとは何事か!」
「うっ」

リヒテンラーデ侯が陛下の発言を遮ろうとしたホージンガー男爵を叱責した。ホージンガー男爵は悔しげな表情でリヒテンラーデ侯を睨んだが、それ以上の抗弁はしなかった。

「陛下、お続けください」
「うむ、理由は自由惑星同盟を名乗る反乱軍を制圧するためである」
反乱軍の制圧、その言葉にまた黒真珠の間がざわめく。

「恐れながら、発言をお許しいただけましょうか?」
「何かな、ブラウンシュバイク公」
「反乱軍を制圧するために課税するとは、戦費が足りぬという事でしょうか?」

ブラウンシュバイク公の言葉に陛下はヴァレンシュタイン元帥を見た。元帥は陛下に一礼しブラウンシュバイク公の質問に答える。

「先日のシャンタウ星域の会戦で反乱軍は大敗しました。軍ではこの機に大規模な軍事行動を起し反乱軍に城下の誓いをさせるべきだと考えています」

大規模、城下の誓い、刺激的な言葉にざわめきが広がる。
「大規模とはどの程度の兵力を動員するのだ、ヴァレンシュタイン元帥」
「実戦兵力だけで二十万隻を超える兵力になるでしょう」

二十万隻、彼方此方でその言葉が囁かれる。
「しかし、それでイゼルローン要塞を落とせるのか? 回廊内は狭く大軍を動かすのには向かぬと聞くが?」

ブラウンシュバイク公の言葉に何人かの貴族たちが頷く。ヴァレンシュタイン元帥は穏やかに微笑みながら公の質問に答えた。
「貴族の方にも軍事に詳しい方がいるのは嬉しい事です。確かにイゼルローン回廊は大軍を動かすのに向いてはいません」
「ならば、無謀な戦争などすべきではあるまい」

ブラウンシュバイク公の考えは分かる。無謀な戦争をすべきではない。戦争が無い以上戦費の心配は無い。つまり貴族に課税する必要は無い、そんなところだろう。理に適った意見だが今回は意味が無い。もう直ぐ皆驚くだろう。

「イゼルローン回廊にこだわる必要は無いでしょう」
ヴァレンシュタイン元帥の言葉に皆不思議そうな顔を見合わせる。
「何を言っているのだ卿は! イゼルローン回廊を使わずどうやって攻め込むというのだ、我等を馬鹿にしているのか?」

突っかかるような口調で元帥に問いかけたのはヒルデスハイム伯だった。そんな伯に対し、ヴァレンシュタイン元帥は微笑を浮かべながら答えた。
「馬鹿になどしておりません。フェザーン回廊経由で攻め込みます」

ヴァレンシュタイン元帥の言葉に一瞬、黒真珠の間が沈黙に包まれた。リヒテンラーデ侯、そしてエーレンベルク、シュタインホフ両元帥は微かに笑みを浮かべている。そして陛下は黒真珠の間を面白そうに見ていた。

「馬鹿な、フェザーン回廊を使うなど、卿は何を言っているのだ」
「フェザーンに攻め込むなど、中立を犯す気か、何を考えている」
「そうだ、その通りだ」

ヴァレンシュタイン元帥の言葉にヒルデスハイム伯、ホージンガー男爵が非難する。どちらかと言えば嘲笑に近いだろう。一方でブラウンシュバイク公は顔を強張らせていた。ヴァレンシュタイン元帥は穏やかに微笑みながら反論した。

「イゼルローン要塞が何故陥落したと思います? 三百万の兵が死んだのは何故だと? フェザーンが反乱軍の情報を故意に隠さなければ、あの悲劇は避けられたと小官は考えています」
「……」

「何より、フェザーンは先日の反乱軍の侵攻時にも帝国に対し敵対的な行動を取っています」
「敵対的とは一体……」
ホージンガー男爵の言葉にヴァレンシュタイン元帥は露骨に呆れたような表情を見せた。

「困りますね、男爵。もう忘れたのですか? カストロプ公の反乱、ブルクハウゼン侯爵達の行動の後ろにはフェザーンがいた事は明白です。フェザーンの中立などまやかしでしかありません」
「……」

「最近フェザーンのボルテック弁務官と親しくしている有力貴族がいると聞いていますが、フェザーンに取り込まれて帝国を裏切るような事が無い様にして貰いたいものです」

ヴァレンシュタイン元帥の言葉に黒真珠の間が沈黙した。軍人たちの多くは頷き、貴族達は決まり悪げに顔を見合わせている。ボルテックは最近貴族達の屋敷を積極的に訪問している。元帥の依頼によるものだが貴族達にはそんな事は分かるまい。相変わらず辛辣な事だ。

「話を戻しましょう。軍は実戦兵力だけで二十万隻を動員します。そして約一年間の作戦行動で反乱軍を制圧する予定です」
元帥の言葉に黒真珠の間の彼方此方で私語が発生する。どう判断して良いか分からないのだろう。

「一年間の作戦行動か、では我々に対する課税というのも一時的なものという事ですか、陛下?」

質問したのはリッテンハイム侯だった。一時的なものなら妥協する、そういう事だろうか、十年間の雌伏を選択した以上この程度は覚悟の上か? 陛下が私を見た。どうやら私の番らしい。

「いえ、一時的なものではありません。反乱軍を制圧すれば軍の作戦行動範囲はこれまでに無く広がります。今のままでは財政が持ちません、恒久的にということです」
私がリッテンハイム侯の質問に答えると黒真珠の間にざわめきが広まった。

「馬鹿な、何を考えている」
「我等を侮辱するつもりか、税を払えなど」
「我等の権利を踏みにじるつもりか、そのような事、許さん」
非難に満ちた視線が私に向けられる。怯む事は出来ない、平然と受け止めた。私を助けてくれたのはリヒテンラーデ侯だった。

「静まれ! 陛下の御前であるぞ!」
「しかし、リヒテンラーデ侯」
「黙れと言っているのが分からんのか! ヒルデスハイム伯」
「……」

ヒルデスハイム伯を黙らせたリヒテンラーデ侯が陛下に視線を向ける。陛下は軽く頷くと話を始めた。
「次に政治改革についてだが、農奴の廃止と平民の権利の拡大を行なう事とする」

「馬鹿な、そのような事許されませんぞ!」
「課税に農奴の廃止等、一体何をお考えなのか」
「ルドルフ大帝以来の国是を否定するつもりか」

「宇宙を統一するためです」
貴族達の反発する声を押さえたのはヴァレンシュタイン元帥だった。

「銀河帝国成立時、一部の反乱者が帝国を脱し自由惑星同盟を建国しました。理由は帝国が市民の権利を踏みにじったためです」
「無礼な、ルドルフ大帝への非難は許さんぞ」

ブラウンシュバイク公がヴァレンシュタイン元帥を咎めた。貴族達の間で頷く人間がいる。しかしヴァレンシュタイン元帥は気にとめることもせず話し続けた。

「その結果が百五十年に及ぶ戦争です。帝国は最盛時三千億人の人間がいました。しかし、今では十分の一にも満たぬ人間しかいません。戦争が人口減少の原因の全てではありませんが一因である事は事実です」
「……」

三千億の人間、それが十分の一にも満たない……。その事実に誰もが口を噤んだ。静まった黒真珠の間にヴァレンシュタイン元帥の言葉が流れる。

「帝国が変わらぬ限り、自由惑星同盟を制圧しても彼らは服従しないでしょう。そして今度こそ彼らは本当に反乱者になる。場合によっては第二の自由惑星同盟を建国するかもしれません。これ以上の戦争を防ぐために帝国は変わらなければならないのです」

「そのような事は認めん。反乱を起すなら鎮圧すれば良いのだ。平民などのために何故我等が犠牲にならなければならぬ。ふざけるな!」
噛み付くような勢いで反対したのはカルナップ男爵だった。目は血走り、全身が震えている。多くの貴族達がその意見に同意する言葉を上げる。

「何か誤解が有るようですね、カルナップ男爵」
「何が誤解だ! ヴァレンシュタイン」
敵意を剥き出しにするカルナップ男爵に対しヴァレンシュタイン元帥は冷笑、或いは嘲笑だろうか、笑みを浮かべながら答えた。

「陛下は改革の是非を相談しているわけではありません。改革を行なうと仰っています。これは決定事項なのです」
「!」
決定事項、その言葉が黒真珠の間に響く。

「カルナップ男爵、御不満ならば自領へ戻られては如何です」
「領地へ戻れだと?」
「そうです。兵を整え、反乱の準備でもすればよいでしょう。宇宙艦隊はいつでも出撃の準備は整っていますが、反乱を起す程度の時間は差し上げますよ」

ヴァレンシュタイン元帥は冷たいと言って良い視線でカルナップ男爵を見据えた。蒼白になり口籠もる男爵から視線を外すと黒真珠の間を見渡し言葉を発した。

「カルナップ男爵だけではありません。この黒真珠の間に列席の方々に申し上げる。陛下の御意志に従えぬというのであれば反逆者ということになります。領地に戻られ反乱の準備をされたほうが良いでしょう」

元帥の言葉に貴族達が互いに顔を見合わせる。不満は有っても反乱を起すほどの覚悟は無いということだろうか。そんな貴族達を見ながらヴァレンシュタイン元帥が嘲笑交じりに言い放った。

「正直に言えば、貴方方を説得することより叩き潰した方が後々楽なのですよ。遠慮せずに反逆してください。喜んで叩き潰して差し上げます」

挑発するかのような元帥の言葉に黒真珠の間が凍りついた。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯をはじめ多くの貴族達が怒りに震えながらも沈黙を保っている。

貴族達の多くはこの挑発に耐えられまい。必ず暴発する、いや、これで暴発しなければさらに元帥は貴族を挑発し暴発させるに違いない。今日、この日が多くの貴族達にとって終焉の始まりになるだろう。



銀河帝国皇帝フリードリヒ四世は新たなる決意を持って帝国臣民に告げる。

帝国は今、未曾有の改革を為さんとし、予自ら臣民に先んじ、大神オーディンに誓い大いに帝国の国是を定め帝国臣民の繁栄の道を求めんとす。帝国臣民は予と共に心を一つにし帝国千年の繁栄のために努力すべし。



一、 広く会議を興し、万機宜しく公議輿論に決すべし。
二、 上下心を一にして、さかんに国家の経綸を行うべし。
三、 庶民志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す。
四、 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
五、 智識を広く求め、大いに帝国を振起すべし。


予、フリードリヒ四世は此処に五つの誓文を掲げ帝国の新たな指標と為し臣民とともに歩まん、臣民とともに歩まん……。


 

 

第百四十五話 勅令の波紋

宇宙暦796年10月15日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ


銀河帝国皇帝フリードリヒ四世は新たなる決意を持って帝国臣民に告げる。

帝国は今、未曾有の改革を為さんとし、予自ら臣民に先んじ、大神オーディンに誓い大いに帝国の国是を定め帝国臣民の繁栄の道を求めんとす。帝国臣民は予と共に心を一つにし帝国千年の繁栄のために努力すべし。

一、 広く会議を興し、万機宜しく公議輿論に決すべし。
二、 上下心を一にして、さかんに国家の経綸を行うべし。
三、 庶民志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す。
四、 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
五、 智識を広く求め、大いに帝国を振起すべし。

予、フリードリヒ四世は此処に五つの誓文を掲げ帝国の新たな指標と為し臣民とともに歩まん、臣民とともに歩まん……。


最高評議会議長の執務室で私とホアン・ルイ、トリューニヒトの三人はスクリーンに映るフリードリヒ四世を見ていた。

「トリューニヒト、もう一度巻き戻してくれないか」
「ああ」
トリューニヒトに頼むと彼は一瞬こちらを見てリモコンを操作した。フリードリヒ四世がまた宣言を始める。

帝国の高等弁務官、レムシャイド伯の言葉は間違っていなかった。十月十五日、帝国では改革の実施が宣言された。今見ているフリードリヒ四世による改革の精神の布告の後、国務尚書リヒテンラーデ侯により改革案が発表された。

それによれば、帝国は貴族に課税をする一方で間接税の引き下げを実施する。また農奴を廃止し、刑法、民法を改正するようだ。ただし、改革の実施は四月以降になる。半年間の間に貴族達は改革に備えよ、そういうことだろう。

「随分熱心に見ているな、レベロ」
「うむ、ホアン、気になることが二つある」
「気になること?」

「フリードリヒ四世だが病気がちと聞いていたのだが、これを見る限りそんな感じはない、どういうことかな」
「なるほど、確かにそうだ。むしろ生気に溢れていると言って良いな」

私とホアンの会話を聞いていたトリューニヒトが呟くような口調で言葉を出した。
「影武者という事は考えられんか」

影武者、その言葉に私達三人は顔を見合わせる。
「つまり、本物は既に死んでいる、あるいは重病で人前に出られる状態ではない、そういうことか」
「だとすると、何故今影武者を使ってまで改革を行う必要があるのかな」

私とホアンの言葉にトリューニヒトは考え込みながら口を開いた。
「後継者争いという色を消したいのかもしれん。政治改革を前面に出す事で平民の支持を得ようとしている、そんなところかな」

トリューニヒトの言葉に私とホアンは顔を見合わせた。有り得ない話ではない。もしトリューニヒトの推測が当たっているとすれば、内乱終結後、フリードリヒ四世崩御の訃報が届くかもしれない。その後に続くのはエルウィン・ヨーゼフの即位とリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥の戦いだろう。

フリードリヒ四世の宣言が終わった。私はもう一度トリューニヒトにまき戻すように頼み、またフリードリヒ四世の宣言を見始める。
「随分熱心だな、レベロ、ところでもう一つとは?」

ホアンが冷やかしてきたが気にしている余裕は無かった。
「広く会議を興し、万機宜しく公議輿論に決すべしか……、これは議会政治を取り入れる、そういう事なのかな……」
少々心許ない口調になった。躊躇いがちにトリューニヒトとホアンを見ると二人とも私を見ていた。

「君もそう見たか」
「……」
トリューニヒトが答えホアンは難しい顔をして考え込んでいる。二人とも驚いた様子はない、同じことを考えていたのだろうか?

「当たり前の事だが、誰が帝国の実権を握るかを見極める必要があるだろうな。それによっては帝国との和平が実現するかもしれない」
トリューニヒトがフリードリヒ四世を見ながら呟くように言葉を出した。



帝国暦 487年10月15日   フェザーン  アドリアン・ルビンスキー



スクリーンにはフリードリヒ四世が映っている。五つの誓文か、帝国だけではない、同盟にも大きな波紋を及ぼしそうだ。同盟は気付くだろうか? フリードリヒ四世はルドルフ的な物を切り捨てようとしている。

その代表的なものが門閥貴族だ。この改革で帝国では内乱が生じるのは間違いないだろう。驕り高ぶった貴族達に耐えられるとは思えない。上手い所を突くものだ。

同盟はどう出るだろう? 大規模な出兵は無理だろう。しかし内乱を長引かせるために嫌がらせ程度の出兵は有り得るのではないだろうか。いや、むしろその方向で同盟に働きかけるべきだろう。帝国の混乱が長引くほど同盟にとっては利が有るのだ、説得は可能だ。

帝国はルドルフ的な物を切り捨てようとしている、そのことに同盟が気付けば帝国との共存が可能だと考えるかもしれない。同盟の戦力が枯渇している今、共存は望む所だろう。しかし、ボルテックの知らせによればヴァレンシュタインは同盟との共存は考えていない。そしてフェザーンの存続さえ認めていない。

新銀河帝国か……。百五十年続いた戦争を終わらせる、そのために帝国に改革を施す……。
「改革者、ヴァレンシュタインですか、彼は生きながらえ、改革を成し遂げる事が出来るでしょうか?」

ルパートの言葉は何処か冷笑するかのような色合いを持っていた。私の視線を感じたのだろう、ルパートは嘲笑の色を強めて言葉を吐く。
「美しい理想が一人の人間の死で潰える事は歴史上何度も有りました。今回はどうなるやら」

「補佐官は彼の改革が失敗すると思っているのかな?」
「そうでは有りません。ですが、彼が死ねば良いと思う人間は少なくないと思いますが」

ルパートは瞳に皮肉な色を湛えながら私の質問に答えた。言外に貴方もその一人でしょうと言っている。その通りだ、私はそれを望んでいる。しかし問題はそれで済むとは思えないことだ……。

「彼が死んでも、改革が潰えるとは限るまい。ヴァレンシュタイン元帥はこれまで誰も考えなかったことを考えた。彼に影響を受け同じ事を考え実行しようとする人間はこれからも出続けるだろう」
「……」

ルパートに分かるだろうか。帝国において貴族の特権は神聖視されていた。フェザーンの中立も同じように尊重されていた。しかしヴァレンシュタイン元帥はそのどちらも否定した。貴族の特権もフェザーンの中立もこれまでのように尊重される事は無い……。

「今回、彼の改革が実施されなくとも、ヴァレンシュタイン元帥が帝国という大地に改革の種を播いたのは事実だ。いずれ種は芽吹くだろう、そうなれば貴族たちの時代は終わりを告げる事になるだろうな」

「では自治領主閣下はヴァレンシュタイン元帥の暗殺は意味がないとお考えでしょうか?」
何処か挑むような眼差しでルパートはこちらを見る。

「そうではない、現時点で同盟が弱いままでの改革は望ましくない。改革が実現すれば否応無く宇宙は統一へという流れになるだろう。元帥が暗殺され帝国が混乱してくれれば同盟は戦力を回復する事が出来る。出来る事なら改革はその後であって欲しいものだ」

しかし、そう上手く行くだろうか? いや、上手くいったとしても一時的な事態の先延ばしでしかないだろう。そして暗殺が成功せず帝国が改革を実施するようなら、帝国による宇宙統一が実現性を帯びてくる……。

どうやら帝国による宇宙統一を前提とした戦略を考える必要が有るだろう、早急にだ。総大主教にもそのあたりを伝えておくか……。


帝国暦 487年10月15日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ギュンター・キスリング



「エーリッヒ、随分と強気な発言だったな。らしくないぞ」
「貴族達には分からないだろう、そんな事は」
「まあ、そうだな」

宇宙艦隊司令部の応接室でエーリッヒは穏やかに微笑んでいる。ようやくこの日を迎えて少し気が楽になったのだろうか、エーリッヒは落ち着いた雰囲気を漂わせている。黒真珠の間で見せた苛烈さ、酷烈さは欠片も無い。

「ギュンター、警護のほうを頼むよ。私はまだ死ねないんだ、宇宙から戦争を無くすまではね」
「分かっている。必ず守ってやるさ」

「私だけじゃない、陛下やリヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵、それにエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥もだ。多分一番狙われるのは私だろうが間違いの無いように頼む」

そう言ったエーリッヒの顔には心から彼らの安否を気遣う表情があった。だが本当に一番危ないのは自分で言ったようにエーリッヒ自身だろう。

「自分に狙いが集中するように、あえて憎まれ役を買って出たのか? 卿の悪い癖だ、何でも背負い込もうとする」
「そんなつもりは無かったんだけどね。気がついたらああなっていたよ」

困ったような表情で話すエーリッヒに思わず苦笑が出た。ケスラー提督が言っていたがエーリッヒは俺が皇帝の闇の左手だと知っても少しも変わる事なく接してくれる。彼にとって俺は士官学校時代からの友人なのだろう。得がたい友だ。

「ところで、惑星カストロプの方は大丈夫なのか?」
「準備は出来ている。オイゲン・リヒター、カール・ブラッケが上手くやるだろう」
「そうか……。貴族達も追い込まれるな」

惑星カストロプはマクシミリアン・フォン・カストロプの反乱後、帝国政府の直轄領になっている。オーディンに隣接するこのカストロプでは、本来なら来年四月から行なわれる改革を前倒しして行なわれることが決まっている。具体的には農奴解放と農民金庫の創設、間接税の引き下げだ。

オーディンの直ぐ傍で改革が先行して行なわれる。貴族達に与える衝撃は小さくないだろう。彼らは個人ではエーリッヒに対抗できない、そうなれば有力者に付く事で対抗勢力を作ろうとするはずだ。

対抗勢力が大きくなればなるほど強硬論が力を増すだろう。自重論などは唱えるだけで裏切り者扱いされるに違いない。

「追い込まれた彼らが何を考えるか、大体想像はつく。皇帝陛下は奸臣に騙されている。君側の奸を除き、ルドルフ大帝の定めた国是を守る。それこそが帝国の藩屏である自分たち貴族の崇高な義務である。そんなところかな、良くある話だね」

エーリッヒは可笑しそうに笑いながら話した。
「君側の奸か、煽る人間もいるだろうな」
俺の言葉にエーリッヒは “そうだね” と頷きながら答えた。

煽る人間か……。フェザーン、社会秩序維持局、オーベルシュタイン、そしてエーリッヒ自身も貴族達を暴発させるため煽るだろう。アントン、卿は彼らを抑えきれるかな? ブラウンシュバイク公を守れるか。

そして俺はエーリッヒを守りきれるだろうか……。貴族達とエーリッヒの戦いは先ずは俺とアントンの戦いになるだろう……。



帝国暦 487年7月26日
帝国軍宇宙艦隊司令長官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン上級大将、五個艦隊を率いマクシミリアン・フォン・カストロプの反乱鎮圧に向かう。

帝国暦487年 7月30日
自由惑星同盟軍、帝国内の混乱に付け込み九個艦隊をもって帝国領への侵攻を開始。

帝国暦 487年 8月 3日
反逆者マクシミリアン・フォン・カストロプ、降伏。帝国軍、惑星カストロプの反乱を鎮圧。

帝国暦 487年 8月 4日
帝国軍宇宙艦隊副司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵、十一個艦隊を率い反乱軍迎撃に向かう。

帝国暦 487年 8月16日
シャンタウ星域にて両軍接触す。

帝国暦 487年 8月18日
シャンタウ星域の会戦始まる。

帝国暦 487年 8月23日
帝国軍宇宙艦隊司令長官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、シャンタウ星域の会戦の終結を宣言。同盟軍艦隊戦力の約八割を撃滅す。

帝国暦 487年 9月21日
帝国軍宇宙艦隊司令長官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、シャンタウ星域の会戦に功あり。帝国軍元帥に任じられる。

帝国暦 487年10月15日
銀河帝国皇帝フリードリヒ四世による「帝国暦487年10月15日の勅令」が発布される。








 

 

第百四十六話 ギルベルト・ファルマー

帝国暦 487年10月17日   オーディン 宇宙艦隊司令部  マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ



「それで、今日は一体何を?」
「元帥にお願いがありますの」
「……」
「私も此処で元帥の御仕事をお手伝いしたいと思いまして」

私の言葉にヴァレンシュタイン元帥は驚いた様子を見せなかった。ヒルダが既に此処で働いているのだ、私が来る事も想定していたかもしれない。応接室には、私と元帥の他にリューネブルク中将、フィッツシモンズ中佐の二人が同席している。

フィッツシモンズ中佐は面識があるが、リューネブルク中将は初対面だ。同盟からの亡命者だと聞いているが、長身、青灰色の瞳が印象的な端正な容貌をしている。

「私は構いませんが、宜しいのですか? マリーンドルフ伯とともにリヒテンラーデ侯を助けるという選択肢もあると思いますが」
ヴァレンシュタイン元帥が微かに気遣うような口調で話しかけてくる。勅令の発布後、マリーンドルフ伯はリヒテンラーデ侯に協力を申し出、侯を助けている。親子で政府側に立つ事を表明したのだ。

元帥が何を心配しているか、私にも分からないではない。私はラインハルトと親しくしている。自分の元に来ればラインハルトとの関係が気まずくなるのではないか、それならリヒテンラーデ侯の下に行ったほうが良いのではないか、そう考えているのだろう。

私もその事は考えた。考えた上で此処に来た。今後内乱が終結すれば軍の地位、改革派の官僚達の地位はこれまでに無く上昇するに違いない。これまで勢威を振るった貴族達がいなくなるのだ、彼らが貴族達に替わってこれからの帝国を動かす力となる。

オイゲン・リヒター、カール・ブラッケ、二人ともフォンの称号を持つ貴族だったが、その称号を捨てて改革を目指している。改革派にとっては平民である元帥こそがリーダーなのだ。そして軍人たちにとっては言うまでも無い。

私は旧勢力の一員である貴族出身だ。ラインハルトもローエングラム伯爵家を継ぎ、旧勢力の一員となっている。本人はそのあたりの認識が薄いようだが、危険なのだ。私がラインハルトの下に行けば旧勢力が集まっている、そう取られかねない。

「ローエングラム伯には既に話してあります」
「それで伯はなんと」
「特にはなにも」
「……そうですか」

ヴァレンシュタイン元帥は少し小首をかしげ考えている。そんな元帥をリューネブルク中将が面白そうな表情で見つめ、フィッツシモンズ中佐は中将を感心しないといった眼で見ている。

ラインハルトはおそらく私の行動を好奇心からの行動だと思っただろう。そう思うように誘導したのは事実だ、ヒルダが元帥の下にいたのは幸いだった。彼女とともに仕事をしてみたいと言ったのだから……。

「御迷惑でしょうか」
「そんな事はありません。分かりました、心から歓迎します」
ヴァレンシュタイン元帥は穏やかに微笑むと右手を出してきた。私も右手を出し握手する。柔らかく、温かい右手だった。


帝国暦 487年10月17日   オーディン ブラウンシュバイク公邸 アントン・フェルナー



勅令による改革か、嫌な所を突いてくる。どうやら暴発を避ける事は出来ないかもしれない。だとすれば……。
「フェルナー閣下、FTL(超光速通信)が入っています」

いつの間にかブラウンシュバイク公爵家の使用人が傍にいた。近づくのも気付かないほど考え込んでいたらしい。俺は使用人の言葉に頷くと公爵家にある自室に戻りFTLを受信した。

「久しいな、フェルナー」
「フレーゲル男爵……」
「その名は止せ、今はフェザーン商人、ギルベルト・ファルマーだ」

ギルベルト・ファルマーは薄く笑いを浮かべながら私をたしなめた。かつてフレーゲル男爵と名乗った頃とはまるで印象が違う。髪形を七三で分けている事もあるが、以前有った表情の険しさが消え、落ち着いた雰囲気がスクリーンからでも感じられる。

「もっと早く連絡が有ると思っていましたよ、ヘル・ファルマー」
「色々と調べる事があってな、遅くなった。伯父上、いや、ブラウンシュバイク公は如何かな」
こちらの嫌味に動じる事も無く、ギルベルト・ファルマーは公爵の様子を尋ねた。

「お客様のお相手をしておいでです」
「まあ、そうだろうな、で、相手は?」
「ヒルデスハイム伯、ホージンガー男爵です。他にも入れ替わり立ち代り公爵閣下の元にお客様がお出でです」

「ヒルデスハイム伯、ホージンガー男爵か……ブラウンシュバイク公も大変だな、あしらうのが」
前半は何処か懐旧の色がある声だった。だがその後の声には苦い響きがある。こちらがどういう状態なのか、想像がついたのだろう。

「確かに梃子摺っておいでです。ところで今回の勅令、フェザーンではどのように取られていますか? それを調べていたのでしょう、ヘル・ファルマー」

ギルベルト・ファルマーは面白くもなさそうに鼻を鳴らすと話し始めた。
「大体において好意的に取られている。貴族というものは傲慢で鼻持ちならないと考えているからな。だがそれだけではなく、経済面でも改革に期待している人間が多いようだ」

「……期待というと」
「まず、間接税の引き下げだな。税が引き下げられれば当然だが購買意欲がわく、次に内乱によって貴族が滅びれば、帝国が一つの経済圏になる。経済効率も上がり、その波及効果はかなりのものだろうと皆考えている」
「なるほど……」

銀河帝国は君主制専制国家だが、その内部は貴族達による地方王国の連合体といった趣もある。大貴族ともなれば星系を有し、自治権を有している。関税までも自由に設定できるのだ。王国といって良いだろう。

当然だが商人たちにとっては不要な、あるいは不当な関税をかけられる地方王国の存在は有難くない。また気まぐれな貴族の影響がモロに出る地方王国と帝国の直轄領とどちらが商売をしやすいか、考えるまでも無いだろう。帝国が真に統一されれば確かに経済効果は大きいに違いない。

「改革に反対しているのはごく僅かだ。それも貴族との間に腐れ縁ともいうべき関係を結んでいる連中だな。貴族が滅びれば自分も滅びる……。貴族を心配してのことではない、自分が心配なだけだ」
何処か冷笑するかのような口調だった。

「フェザーンは当てには出来ない、そういうことですね」
「フェザーンの商人に関してはそうだ、だがルビンスキーがどう考えるかは分からんな」
「……」

俺の沈黙をフェザーンをどう利用しようか、それを考えていると受け取ったのだろう、ギルベルト・ファルマーは心配そうな声で話しかけてきた。

「フェルナー、フェザーンに関しては余り期待しないほうが良いだろう」
「ルビンスキーが信用できない事は分かっていますが」
「そうではない。ここ最近、反ルビンスキー派というべき存在が力をつけてきている」

「反ルビンスキー派? まさか!」
俺の言葉に頷くとギルベルト・ファルマーは答えた。
「一年前には考えられなかったことだがな。彼らの後ろに帝国がついている可能性が有る。レムシャイド伯が接触しているようだ」

「まさか、エーリッヒはフェザーンでクーデターを起そうとしていると?」
思わず、声に震えが走った。

貴族だけではない、エーリッヒはフェザーンも一緒に片付けようとしているのだろうか? 片付けられなくとも混乱させればルビンスキーは帝国に積極的な介入は出来なくなるだろう。狙いはそちらか……。

打つ手が早い、それに抜け目が無い。感歎とともに悔しさが心を占める。負けられない! 胸の中でふつふつと何かが湧き上がってきた。思わず拳を握り締める。

「分からんな。だがレムシャイド伯が単独で動いているとは思えん。それに帝国にとってルビンスキーの力が弱まるのは悪いことではない、そうではないかな?」

確かにそうだ。それにしても……。
「惜しいですな、今、貴方が公の傍にいれば、どれだけ公の力になることか……」

俺の言葉にギルベルト・ファルマーは首を振って軽く笑った。
「今の私ならな、以前の私なら伯父上の頭痛の種だろう。ヒルデスハイム伯のように」

確かにそうだ。思わずこちらも苦笑が漏れた。そんな俺を見ながら彼が言葉を紡ぐ。

「フレーゲル男爵は死んだ。あの時私は全てを失ったと思った。だがそうではなかったのかもしれない。あれはフレーゲル男爵という爵位に振り回された私だった……」

爵位か……。貴族としての誇り、名誉、特権、それらが貴族達を蝕んでいるのかもしれない。帝国初期には貴族にも人の上に立つに相応しい人物がいたのだろう。いやそういう人間だけが貴族に選ばれたのかもしれない。

だが五百年の間に能力有るものは減少し、貴族としての誇り、名誉、特権だけが残った。真に能力のあるものから見れば意味の無い傲慢さにしか見えないだろう。

もとフレーゲル男爵だった人物の言葉が続く。
「今の私はギルベルト・ファルマーとして自分の力で得たものだ。だが、それを得るには一度死なねばならなかった。その意味では私はヴァレンシュタインには感謝している」

「……」
「あのままでは私は愚かな門閥貴族として生き、死んだだろう。それこそが貴族としての一生だと思い、疑問を持つ事も無く生を終えたに違いない。特権というものは人を腐らせるものだな。つくづくそう思う」

特権というものは人を腐らせる……。その言葉を今一番重く感じているのはブラウンシュバイク公だろう。
「フェルナー、伯父上はブラウンシュバイク公としての誇りを捨てる事は出来んか」

スクリーンに映るギルベルト・ファルマーは何処か哀しそうな表情だった。
「難しいことであるのは分かっている。だがこのままでは伯父上には破滅が待っているぞ」

「仰る事は分かります。しかし、もしブラウンシュバイク公が政府に恭順すれば、貴族達は公を暗殺し、エリザベート様を旗頭として仰ぎ反乱を起すでしょう。公はそれを恐れています」

「エリザベートか」
「はい、エリザベート様です」
公がもっとも恐れているのがそれだ。エリザベートは皇帝の孫でもある。何処かの馬鹿者が新王朝成立などと考えかねない。

「厄介な事だな……。いっそエリザベートと伯母上を陛下にお返ししてはどうだ」
「? 返すとはどういうことでしょう?」

俺の腑に落ちない顔が可笑しかったのだろう。ギルベルト・ファルマーは笑いながら答えた。
「そのままの意味だ。陛下にお返ししてはどうかと言っている」

「……」
「まだ分からないか? 陛下の下にお返しすれば、伯父上を殺しても旗頭に担ぎ上げる人物がいないだろう。伯父上の身は安全だ。政府に恭順するかどうかはともかく時間は稼げる」

なるほど、確かにそうだ。これまでフロイラインをゴールデンバウム王朝の皇位継承者としてばかり見ていた。万一の場合の切り札だと。そのため返すなどという事には気付かなかった。どうやら俺も特権に毒されていたらしい。

「しかし、なんと言ってお返しします? それなりの理由が要りますが」
「そうだな、陛下を説得させるというのはどうだ、悪くないと思うが?」
俺は思わず笑い出してしまった。確かにそれなら誰も反対できない。

「惜しいですな、本当に惜しい。今の貴方なら……」
「止せ、フェルナー」
何処か怒ったような表情だった。

俺は笑うのを止めた、もしかすると彼自身、ブラウンシュバイク公の傍に自分がいたらと思っているのかもしれない。公の一番大変な時に傍にいられない、彼の心の内はいかばかりだろう。

「リッテンハイム侯にも相談しましょう。必ず同意するはずです」
「うむ。頼むぞ、フェルナー」
「はっ」

スクリーンからギルベルト・ファルマーの姿が消えた。さてと、忙しくなるな。ブラウンシュバイク公の説得はともかくとして、アマーリエ様とエリザベート様の説得が要る。それが出来ればリッテンハイム侯爵家のクリスティーヌ様、サビーネ様の説得も容易いはずだ。抱えている悩みはブラウンシュバイク公爵家もリッテンハイム侯爵家も同じだからな。

早速、公を説得するか、この案がフレーゲル男爵から出たと知ったら公はどんな顔をするか、まずはそれを見るのが楽しみだな……。




 

 

第百四十七話 絆

帝国暦 487年10月18日   オーディン リッテンハイム侯邸    アントン・フェルナー


翌日、ブラウンシュバイク公は俺とシュトライト准将を連れ朝早くリッテンハイム侯邸を尋ねた。リッテンハイム侯は驚いたのだろう、自らブラウンシュバイク公を迎えに出てきた。侯の後ろには何人かの貴族が従っている。いずれもリッテンハイム侯に親しい人物だ。

早朝からご苦労な事だ。さぞかしリッテンハイム侯はうるさく詰め寄られ、散々な一日の始まりにうんざりしていたに違いない。救いの神が現れたといったところだろう。リッテンハイム侯はブラウンシュバイク公の姿を見ると嬉しそうに顔を綻ばせた。

「これは珍しい事もあるものだ。卿がわが屋敷に来るなど、どういう風の吹き回しかな、ブラウンシュバイク公?」
軽く皮肉交じりにリッテンハイム侯が問いかけてきた。

「卿に相談したい事が有ってな、寄らせてもらった。先客がいるようだが、出直したほうがよいかな、リッテンハイム侯」
ブラウンシュバイク公の声に何処か面白がる響きがあったのは俺の気のせいではないだろう。

リッテンハイム侯は幾分慌てたような口調で話し始めた。
「いや、それには及ばんよ、ブラウンシュバイク公。……と言うわけで、皆今日のところは引き上げてくれんかな、私は公と大事な話がある」

おいおい、顔を合わせただけで大事な話は無いだろう。皆不満そうに顔を見合わせたが、帝国最大の貴族がもう一人の大貴族と大事な話があるというのだ、不承不承ながらも帰っていく。

それに引換えリッテンハイム侯の嬉しそうな顔、ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯の気持ちが分かるのだろう、何処か笑いを堪えるような顔をしている。

リッテンハイム侯邸を辞去する貴族達を見送った後、屋敷の中に入るとブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は顔を見合わせて笑い始めた。

「大事な話とは何のことかな、リッテンハイム侯? わしは未だ何も言っておらんが、」
「卿がわざわざ此処に来るのだ、どんな詰まらぬ話でも十分大事な話しになる、違うかな?」
「ふむ、まあそういう事にしておくか」

二人の大貴族は一瞬沈黙した後、また笑い始めた。そしてリッテンハイム侯はブラウンシュバイク公を応接室に案内していく。以前、エーリッヒがリッテンハイム侯達を脅し上げた場所だ。

ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が椅子に座る。俺とシュトライト准将はブラウンシュバイク公の後ろに、リッテンハイム侯の後ろにはリヒャルト・ブラウラー大佐、アドルフ・ガームリヒ中佐が背後を守るように立った。

リヒャルト・ブラウラー大佐は三十代半ば、中肉中背の何処といって特徴の無い人物だ。もう一人のアドルフ・ガームリヒ中佐は士官学校では俺の一期後輩に当たる。長身で穏やかな表情をした何処と無くナイトハルト・ミュラーと良く似た雰囲気を持つ男だ。この二人をリッテンハイム侯はかなり信頼していると聞いている。

ブラウラー大佐もガームリヒ中佐も例の襲撃事件のときはオッペンハイマー伯を屋敷に入れるのに反対したそうだ。侯の信頼が厚くなったのはそれかららしい。

「それで一体何の用かな、ブラウンシュバイク公?」
「お互い駆け引きをしている時間はなさそうだ。本音で話そうと思うがどうかな?」

ブラウンシュバイク公の答えにリッテンハイム侯の表情が僅かに険しくなった。一瞬の後溜息とともに言葉を吐き出す。
「確かに公の言うとおりだ。それで、話とは?」

ブラウンシュバイク公はゆっくりとした口調で話し始めた。
「今回の改革だが、リッテンハイム侯はどうされるつもりかな。従うか、それとも逆らうか」

「……逆らって、勝てるかな?」
本音で話そうと言いながらも、二人とも互いに相手を確かめるような口調で話し続けている。まあ、本音で話すのと相手を探るのは相反するわけではない。なんでもあけすけに話せば良いというわけでもないか。

「……我等が組めばどうかな?」
「……正直に言おう。気を悪くするかもしれんが、卿と私が組んでも勝てまい。違うかな」

二人は互いに目を逸らすことなく見詰め合った。五つ数えるほどの間の後、ブラウンシュバイク公は苦笑交じりの声で答えた。
「いや、違わんな。それで勝てるなら、とっくに卿と手を組んでいる」

ブラウンシュバイク公に釣られたかのようにリッテンハイム侯も苦笑した。視線を逸らしながら呟くように言葉を出す。心底困っているのだろう。
「厄介な事だ、どうしたものか……」

つまり暴発は出来ない、ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家の当主が同じ認識を共有したという事か。それだけでも此処に来た価値があるというものだ。

「リッテンハイム侯、改革が始まった場合だが、どれくらいの期間、今の戦力を維持できるかな?」

ブラウンシュバイク公の言葉にリッテンハイム侯は後ろに控えるリヒャルト・ブラウラー大佐を見た。大佐は微かに頷く、それを確認してからリッテンハイム侯は口を開いた。

「持って二年半、そんなところだろう。卿の所はどうだ、ブラウンシュバイク公?」
「変わらんな。こちらも二年半が限度と見ている」
直ぐに答えが出たという事は、リッテンハイム侯も何度かシミュレートしたという事だろう。

リッテンハイム侯爵家は約二万五千隻ほどの艦隊戦力を持つ。ブラウンシュバイク公爵家は約三万隻、両家を合わせれば六万隻近い兵力を二年半維持できる。

両家ともオーディンに近く領地は比較的繁栄し安定している。そのほかにも鉱山、企業への投資、債権、不動産からの収入は巨額といって良いだろう。

決して維持費は安くは無い、そして維持できる期間も短いとは言えない、しかし徐々に体力は弱っていくに違いない。

それに二年半という時間を政府が許すだろうか? 彼らがさらに改革を進めれば、当然だが時間は短くなるだろう。先行きは全くもって楽観できない。
いや、悲観的な未来なら容易に想像できる。

これまで払う必要の無かった税を払わなければならない。そして農奴を解放する以上、今後は荘園等で働かせる人間は金を払って雇う事になる。解放された農奴たちは少しでも条件の良い仕事を、待遇の良い仕事を選ぶだろう。

これまでのように力で従わせる事は出来ない。おそらく労働力は貴族間で奪い合いになるだろう。そうなれば貴族間での団結など欠片も無くなるだろう。そして新しい流れに適応できない貴族、財力の無い貴族から淘汰されていくに違いない。

「今のところ、我等は二年半持つ。しかし殆どのものはそこまで持たんと見て良い。連日突き上げにやってくるからな。彼らの危機感は相当なものだ。もっともこんな事は言わなくとも卿は解かっているだろうが」

ブラウンシュバイク公はリッテンハイム侯に苦笑交じりの声をかけた。余程嫌な思いをしたのだろう。侯は顔を歪めながらブラウンシュバイク公に問いかけた。
「私が今何を心配しているか、公はお分かりかな?」

「そうだな、暗殺かな」
「その通りだ、一つはヴァレンシュタインの暗殺。成功すれば良い、しかし
失敗すればそれを口実に攻めてこよう。我等が使嗾したといってな」
リッテンハイム侯の言葉に今度はブラウンシュバイク公が身じろぎした。表情は見えないがおそらく顔を歪めているだろう。

「もう一つは我らの暗殺だろう。我らを暗殺し、娘を担ぎ上げて反乱を起す、違うかなリッテンハイム侯?」
「その通りだ。先程の連中だが、私の命を狙う者がいると忠告してきたのだ」
「……」

「君側の奸であるリヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタインを討とうとしないウィルヘルム・フォン・リッテンハイムは貴族の誇りを忘れた卑怯者だ、これをまず血祭りに上げ、正義の戦いを行なうべし……そう騒いでいる連中が居るとな」
「卿も苦労するな……」

思わず、シュトライト准将と顔を見合わせた。リッテンハイム侯が貴族達から突き上げを食らっている事はわかっていた。しかし、そこまで状況が悪化しているとは……。しかし次のリッテンハイム侯の言葉は俺たちの予想をさらに超えるものだった。

「フッフッフッ。私に忠告した者たちが、その騒いでいる連中さ。これ以上躊躇するなら命を奪うと脅しに来たのだ。馬鹿どもが!」
「!」

リヒャルト・ブラウラー大佐、アドルフ・ガームリヒ中佐も驚いた顔を見せていない。つまりリッテンハイム侯の思い込みではない。このままでは間違いなくリッテンハイム侯は暗殺されるだろう。となれば次はブラウンシュバイク公だ。まさにぎりぎりのタイミングで俺たちは此処に来たらしい。

「リッテンハイム侯、どうやらわしは良いところへ来たようだ。この件では卿の力になれると思う」
「ほう、それは?」

「娘たちを守り、我らの命を守る。一石二鳥の策だ、とりあえず時間は稼げるだろう」
「……」

「問題はその後だ。これからどうするか、リッテンハイム侯、卿とじっくりと話したいのだがな……」
「じっくりとか……。いいだろう、卿が此処にいる間はあの馬鹿どもの話を聞かずに済む。願っても無いことだ、泊まっても良いぞ」

そう言うとリッテンハイム侯は可笑しくてたまらないといったように笑い出した。ブラウンシュバイク公も釣られたように笑い出す。少しでは有るが展望が見えてきた、そう思いたいものだ。



帝国暦 487年10月18日   オーディン リッテンハイム侯邸
ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム3世


「クリスティーネ、明日、サビーネを連れて陛下の元に行ってくれ」
「それは御機嫌伺いという事ですか?」
「いや、そうではない。この先、ずっと陛下の元に留まるのだ」
「どういうことです、何故私とサビーネが宮殿に戻らねばならないのです」

予想した事だがクリスティーネ・フォン・リッテンハイム、私の妻が柳眉を逆立てて抗議をしてきた。その隣でサビーネが不安そうな表情をしている。相変わらず勝気というか、気が強いというか、私が彼女に愛想を尽かしたとでも思ったのだろうか……。

「落ち着きなさい、クリスティーネ。お前達だけではない、ブラウンシュバイク公夫人とエリザベートも陛下の元に戻る事になった」

私の言葉にクリスティーネはサビーネと顔を見合わせ困惑した表情を見せた。
「お姉さまも? どういうことです、貴方。隠し事をせずに教えてください。先程までブラウンシュバイク公がいらっしゃいましたが、一体何をお話になったのです」

話しているうちに不安になったのだろう。急き込むような口調になった。普段勝気な姿を見せるクリスティーネだが、それは甘えの裏返しなのだ。親しいからこそ、相手を信じているからこそ甘えを出す。最初の頃は慣れなかったが、今ではそんな彼女を愛おしく思える自分が居る

姉のブラウンシュバイク公夫人に対する対抗意識も同じだ。もし私とブラウンシュバイク公が戦うことになれば、誰よりも胸を痛めるのはクリスティーネだろう。

「落ち着きなさい、今話す」
「……」
「先日、改革の勅令が出された。だがその事に反発するものたちが居る。何故か分かるか?」

私の問いにクリスティーネが答えた。サビーネはその隣で頷いている。
「ルドルフ大帝が定めた国是を否定しようとしていると皆言っていますが?」

「そうではない、あの改革の本当の狙いは貴族達の力を削ぐ事にある。改革が実施されれば、多くの貴族が何の力も無い無力な存在になるだろう。当家も例外ではない」

「お爺様、いえ陛下は何故そのような事を」
「宇宙を統一するためだ。これ以上の戦争を無くすためには我等貴族の特権を廃止せねばならない、そう陛下はお考えになっているのだ、サビーネ」

「……」
この娘には難しいかもしれない、まだ十四歳なのだ。しかし、話しておかなければならん。自分達の危うさを理解してもらわなければ……。

「ここ最近、多くの貴族達が此処にやってくるが、あれは暗に陛下への反逆をけしかけているのだ」
「!」

二人の目がこれ以上は無いほど大きく開かれる。良く似ている、こんな時だが二人が良く似ていることに改めて気付かされた。私が二人の肩を手で押さえると縋り付く様な視線を向けてきた。大丈夫だ、そんなに心配をするな。

「彼らは一応名目としては君側の奸、リヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタインを排除し、ルドルフ大帝の定めた国是を守る、そう言っている」
「貴方、私達を返すというのは、まさか……」
何処か震えを帯びた声でクリスティーネが訪ねてきた。

「違う、早とちりするな。私もブラウンシュバイク公も反乱を起すつもりは無い。今のままで戦えば負けるのは目に見えている。何とか戦わずに済む方法は無いか、戦うのであればどうすれば勝てるのか、今考えているところだ」

納得していないのだろう。二人とも不安そうな表情を隠そうとしない。いかんな、私はどうも信用が無いようだ。
「では、何故私達を?」

「危険だからだ。貴族達は押さえが利かなくなっている。私がこれ以上反逆を躊躇えば私を殺し、犯人はヴァレンシュタインだと騒ぎ立てるだろう。そしてお前達を担ぎ上げ反逆を起すに違いない。お前たちは陛下の御血筋でもある、担ぎ易いのだ」
「そんな!」

「それを防ぐにはお前達を陛下の元に返すしかないのだ」
「……」
二人とも眼に涙を浮かべている。胸が痛んだがそれを無視して話を続けた。

「お前達が居なければ、私を殺してもリッテンハイム侯爵家を反逆の盟主として利用する事は出来ん。分かるな、我等が生き延びるにはこうするしかないのだ」

「貴方……」
クリスティーネの縋りつくような口調が耳を打つ。こんな声は聴きたくない。何時ものような我侭な声のほうが何倍もましだ。

「お前達は、改革を止めさせるために陛下を説得に行くということになる。だが、何もしなくて良い。お前達はこの件に関しては一切関わってはならん、良いな」

出来るだけ、笑顔を浮かべて穏やかに話した。三人で話すのはこれが最後になるかもしれない……。

「私はお前たちにとって良い夫でも良い父親でもなかったかもしれん。だが私はお前達を、この家を守らなければならん。行ってくれるな、クリスティーネ、サビーネ」

「貴方……」
「お父様……」
二人が泣きながらすがり付いてきた。もしかすると二人も二度と会えないと考えているのだろうか。私はやはり父親失格、夫失格のようだ、不安ばかり与えている。

「大丈夫だ。また一緒に暮らせる日が必ず来る。さあ、準備をしなさい。明日は早い時間にこの家を出る事になる。忙しいぞ」
出来るだけ明るい声を出すと二人の背中を優しく撫でた。泣くな、ウィルヘルム、これ以上この二人を不安にさせるような事はしてはいかん。それが父親として、夫としての務めだ……。






 

 

第百四十八話 曙光

帝国暦 487年10月19日   オーディン 新無憂宮 ラインハルト・フォン・ローエングラム


早朝から新無憂宮に呼び出された。呼び出し人は国務尚書、リヒテンラーデ侯。ヴァレンシュタイン司令長官も呼び出された理由を知らないようだ。なにやら厄介な事件が起きたらしい。

宮内省の役人に案内されたのは南苑の端にある一室だった。部屋の前で警備兵が立っているが、はて、なにがある? 司令長官と顔を見合わせ、部屋に入る。
「遅くなりました。ヴァレンシュタインです」
「ローエングラム伯です」

部屋の中は薄暗く、陰気な雰囲気を醸し出している。密談には相応しい場所だろう。中央には大きな会議卓と椅子があり何人かが思い思いに座っている。

国務尚書リヒテンラーデ侯、財務尚書ゲルラッハ子爵、軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥が既に居た。見慣れぬ貴族がリヒテンラーデ侯の傍に寄り添っている。もしかするとマリーンドルフ伯だろうか? 娘がヴァレンシュタイン司令長官の下に居るが……。

他にも見慣れぬ軍人が二人居る。いや、一人はブラウンシュバイク公の屋敷で見たことがある。確かフェルナー准将のはずだ、となるともう一人もブラウンシュバイク公の部下だろうか?

俺とヴァレンシュタイン司令長官はシュタインホフ元帥の傍に座った。司令長官がシュタインホフ元帥に小声で何が有ったのかを尋ねたが、シュタインホフ元帥も知らないようだ、首を振っている。

「揃ったようですな、では始めるとしますか」
財務尚書がリヒテンラーデ侯に話しかけ侯は一つ頷くとブラウンシュバイク公の部下を見て話し始めた。

「まずは自己紹介から始めてはどうかな、それから説明をしてもらおうか。何故このようなことをしたのか」
リヒテンラーデ侯の言葉にフェルナー准将がもう一人の方を見て頷くと笑みを浮かべながら話し始めた。なんとも油断の出来ない笑顔だ。

「小官はブラウンシュバイク公に仕えるアントン・フェルナー准将といいます。そして彼はリヒャルト・ブラウラー大佐、リッテンハイム侯の部下です」

リッテンハイム侯の部下? ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が改革を前に手を結んだという事か? つまりかなり追い詰められている、そう見ていいだろう。

「今回、ブラウンシュバイク公夫人アマーリエ様、御令嬢エリザベート様、リッテンハイム侯夫人クリスティーネ様、御令嬢サビーネ様、陛下へのご機嫌窺いをなさりたいとのことでございます」

ご機嫌伺い? なるほど、陛下を説得して改革を廃止、あるいは骨抜きにしようということか。姑息な事を考えるものだ。

「建前はよい、本心を言ってはどうじゃな。それとも先程私に言った事は嘘なのか?」
リヒテンラーデ侯の言葉にフェルナー准将は苦笑しながら首を横に振った。

「恐れ入ります、では本心を……。これ以上、御婦人方をブラウンシュバイク公邸、リッテンハイム侯邸に留め置く事は危険だと思われます。皇帝陛下の御血筋の方の身を守るためにも、陛下の下にお返ししたいのです」

危険? 反逆するからその前に返しておく、そういうことだろうか?
「なるほど、このままではブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は暗殺される、そういうことかな?」
「はい、残念なことですが」

ゲルラッハ子爵とフェルナー准将の会話に部屋がざわめいた。暗殺? なるほど、旗頭として担ぎ上げるのは、皇族のほうが都合が良いだろう、彼女達と自分の身を守るためには返したほうが良いのは確かだ。

「どう思うかな、ヴァレンシュタイン元帥」
リヒテンラーデ侯が問いかけた。皆の視線が司令長官に集まる。おそらく司令長官は断りたいだろう。受け入れればそれだけ貴族達の暴発は遅くなるに違いない。それは望ましい事ではない。

「受け入れましょう。名目は陛下へのご機嫌伺いです、断る理由はありません。それに陛下も改革の実行を決めたとは言え、御婦人方の安否は心配なはずです」

司令長官の言葉に部屋の空気が緩んだ。ヴァレンシュタイン司令長官が反対すると考えたのは俺だけではないようだ。司令長官の言葉が続く。

「それにしても上手い手を考えましたね。彼女達はトランプのジョーカーのようなものです。あるゲームでは最強だが、別のゲームでは持っているだけで負けになる。今のゲームはババ抜きですか」

ヴァレンシュタイン司令長官の言葉に部屋に笑いが起きた。
「失礼だぞ、司令長官。ババ抜きなどと言っては気を悪くされる方がいよう」
「軍務尚書の言うとおりだ。女性というのは年寄り扱いされるのを嫌がるからな」

エーレンベルク、シュタインホフ両元帥の笑い混じりの窘めにまた笑いが起きた。両元帥は結構女性に詳しいようだ。

「それで良いのだな、ヴァレンシュタイン。彼らは時間稼ぎをするつもりじゃが」
リヒテンラーデ侯も苦笑交じりの声で司令長官に視線を当てながら尋ねた。

「構いません。貴族達の暴発はこんな事では止まりません。時間稼ぎには到底ならないはずです」
笑いが収まり、皆の視線がヴァレンシュタイン司令長官にまた集中する。

その視線を気にすることも無く司令長官は穏やかな表情のまま、フェルナー准将に話しかけた。
「アントン、ブラウンシュバイク公邸は来客が多いようだね。彼らが何を言っているかここで話してくれないか、遠慮はいらない」

フェルナー准将は困った顔を一瞬だけ見せたが、直ぐに笑みを浮かべ直して答えた。
「良いだろう。リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥は陛下を惑わし、帝国を私物化しようとしている。そのために先ず、帝国の藩屏たる我等貴族を無力化しようとし、ルドルフ大帝以来の国是をも否定しようとしている、そんなところかな」

「それだけかな、金融機関の事は言っていないか?」
「金融機関?」
「そう、貴族専用の特殊銀行、信用金庫の事だ」

ヴァレンシュタイン司令長官の言葉にフェルナー准将は不審そうな表情をしている。芝居ではないようだ、しかし、特殊銀行? 信用金庫? 一体どういうことだ?

疑問に思っているのは俺だけではないだろう。部屋に居る人間は皆不審そうな表情をしている。

「アントン、多くの貴族は貴族専用の金融機関から大金を借りている。無利子、無担保、無期限でね。この金融機関だが来年の三月末で廃止される」
「……まさか」

フェルナー准将の表情が歪んだ。そんな准将を見ながらヴァレンシュタイン司令長官が言葉を続ける。

「そう、借りたものは返さないとね。無期限というのは返さなくても良いということではない。もう直ぐ債務者たちに金融機関から通達が行くはずだ。三月末までに借金を返済せよ、返済は十一月から三月までの期間に五回に分割して支払う事、とね」

フェルナー准将もブラウラー大佐も顔面を強張らせている。ブラウラー大佐が問いかけてきた。
「司令長官閣下、貴族達はそのことを知っているのでしょうか?」

「ボルテック弁務官に金融機関の廃止とそれに伴い借金の返済を実施すると伝えました。おそらく弁務官からフェザーン商人へ、そして貴族達に伝わったはずです」

司令長官の言葉にブラウラー大佐の顔がさらに歪む。そんな大佐を見ながら司令長官が言葉を続ける。

「貴族達の殆どが大金を借りています。その金をフェザーンの投資機関に預けたり、場合によっては自分で金融機関を営む事に利用している。そしてそこから得た収入で彼らは私兵を養い、贅沢な暮らしをしているのです」

司令長官の口調は徐々に冷笑を帯びてきた。そしてフェルナー、ブラウラーの表情はさらに歪みを帯びた。

「……」
「彼らの多くは領地経営から上がる微々たる収入になど重きを置いていません。当然領地経営に関心など持っていない。どうすれば税収が上がるか、どうすれば効率的に領地経営が出来るかなど知らないでしょう」

「……貴族達の収入源を断ったわけか」
「その通りだ、アントン。返済が進むにつれて彼らの収入は減る事になる。二回も払えば今持っている兵力を減らさざるを得ない状況になるだろう。彼らにそれが受け入れられると思うかい?」

「……」
「到底無理だ、つまり年内に暴発する事になるだろう。彼らは遮二無二ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯を巻き込むに違いない」
ヴァレンシュタイン司令長官は首を振りながら自分で答えを出した。俺も同感だ、彼らに我慢など出来ないだろう。

「……」
「彼らが、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にその事を言ったかな? 言わないだろう、貴族としての誇りがあるからね。帝国の藩屏などと言っているが、本心は今の贅沢で自侭な生活がしたい、それだけだ」

ヴァレンシュタイン司令長官の言葉に部屋が沈黙した。この中にはリヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵など大貴族の一員が居る。しかし司令長官の言葉に反論しない、同感だと思っているのだろう。俺も同じ思いだ、彼らがこの帝国にいても何の価値も無い、百害有って一利も無い。滅びれば良いのだ。

「アントン、残念だがこの策は時間稼ぎにならない。おそらく卿は時間を稼ぎつつ、貴族達を宥め有利な条件を作ろうとしていたはずだ。私を暗殺する、あるいは私とローエングラム伯の間を裂く」
「……」

「だがその手が効力を発揮する前に貴族たちが暴発する。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もその暴発からは逃げられない……」
司令長官の言葉が沈黙した部屋の中に流れた。

確かに、司令長官を暗殺しても俺が代わりに貴族達を討伐するだけだ、余り意味は無い。仲違いには時間がかかるだろう。それに門閥貴族討伐に関して仲違いなど有り得るとは思えない。

「……俺の負けか?」
「元々条件が悪すぎるんだ。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を本気で助けようとする貴族がどこにいる? 皆利用しようとしているだけだ。これで勝てたら不思議だよ、卿の所為じゃない」

呟くように“負けか”と言うフェルナー准将に対してヴァレンシュタイン司令長官は何処か怒ったような口調で慰めた。先程までの冷笑など欠片も見えない。

士官学校時代からの親友だと聞いている、どんな思いで敵味方に分かれたのだろう。もし、俺がキルヒアイスと対立する事になったらどうするだろう……。

「フェルナー准将、ブラウラー大佐、主人の事を思うなら小手先の策ではなく、我等に恭順してはどうかの」
リヒテンラーデ侯の言葉にフェルナー准将、ブラウラー大佐が顔を見合わせた。

「恭順を表明した時点で逆上した貴族達に暗殺されかねません。それに……」
「?」
フェルナー准将は途中で口ごもった。その後を続けたのはブラウラー大佐だった。

「これまで門閥貴族の雄としてその勢威を振るったわれらの主を恭順したからといって受け入れてくれましょうか? 何かにつけて疑われ、仲間を見捨てたと蔑まれるのは必定、そのような思いはさせたくはありません」
だから、生きる道を、勝ち残る道を探し続けたという事か……。

部屋を沈黙が支配した。皆、難しい顔をして黙っている。恭順すれば暗殺されかねない。運良く逃れても裏切り者と蔑まれ疑われるだろう。誇りを持って生きれば待っているのは破滅……。誇りとともに滅ぶのか、蔑まれても生きるのか……。



「疑われず、蔑まれなければ恭順できる、そういうことか……」
沈黙を破ったのはリヒテンラーデ侯だった。
「何か良い手は無いものかの」

リヒテンラーデ侯が呟くように吐いた。誰かに問いかけたわけではない、しかし皆の視線がヴァレンシュタイン司令長官に集中した。その視線を受け司令長官は僅かに眉を寄せ溜息をついた。

「難しいことを仰いますね。万一、二人が反逆しなければ、地方での反乱が頻発しますよ。鎮圧するのにどれだけ時間がかかるか、分かっていらっしゃるんですか、リヒテンラーデ侯?」

「そう言うでない。あの二人が反逆すれば、エリザベート様、サビーネ様は反逆者の娘になる。皇族でありながら反逆者だ。後々生きていくのが難しいことになろう、陛下もお苦しみになるに違いない。何とかならんかの」

「……私個人の考えです。誰とも相談した事も有りませんし、受け入れてもらえるかどうかも分かりません。それでもよろしいですか」
「うむ、かまわん」

「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も現状の門閥貴族としての地位を保ちながら生き残ろうとしています。それでは無理ですね、いずれ暴発に巻き込まれ滅びます」
「……」

「門閥貴族として生き残ることを考えるのではなく、新帝国が成立する事を喜びそのために何が出来るかを考えるべきでしょう。そこから生き残る道も見えてきます。先ずは領地替えでしょうね」

「領地替え?」
何人かが、戸惑うかのような声を上げた。領地替え、現在の所領を代えるということだろうか?

「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も大貴族で皇位継承権を持つ娘を持ちオーディンの近くに所領がある、そのことが周りの貴族たちを引き付けています。ならばそれを無くしてしまえば良い」

意味は分かるが具体的には何処に移すのだろう、思わず問いかけていた。
「司令長官、具体的に何処に移すのです」
「辺境ですよ。出来るだけイゼルローン回廊近くに移します」

「回廊近くに移すというのか」
声を上げたのはエーレンベルク元帥だった。門閥貴族の雄を辺境に、それも回廊近くに移す。都落ち、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

「ええ、イゼルローン要塞が反乱軍に奪われて以来、帝国辺境は常に反乱軍侵攻の危機にさらされています。帝国の藩屏たる両家は帝国の安全を守るために辺境への領地替えを陛下に願い出る、そんなところですね」

防衛と言っても反乱軍は大打撃を被ったばかりだ。実際に防衛戦を行なう事など先ず無いだろう。そう思っていると司令長官も同じことを言い始めた。

「まあ、現状では防衛戦は無いでしょう。しかし、いずれ反乱軍へ大攻勢をかけるときが来ます。そのときにはイゼルローン方面から攻撃に参加し、イゼルローン方面進攻軍の先鋒を務めてもらう事になる。新帝国成立のために血を流すのです。そうなれば誰も両家を蔑むような事は無いでしょう」

「……」
「それに辺境の開発はかなり大変です。人口も少ないですし、十分な産業基盤も無い。両家とも税を払いながら開発を行ない、軍も維持もしなければなりません。容易ではないでしょうね」

「無理だ、税を払いながら開発を行い軍を維持するなど不可能に近い。それでは自滅しろと言っているようなものだ」
フェルナー准将が呻いた。ブラウラー大佐も同意見なのだろう、しきりに首を振っている。他にも同意するかのように頷く人間がいた。

「軍は削減すれば良い。両家とも一個艦隊程度にまで削減すればかなり違うはずだ。艦艇そのものは帝国軍が買い取る、兵も帝国軍に戻れば良いだろう」
「……」

「軍を維持するのは長い期間じゃない。自由惑星同盟に攻め込み、彼らの軍事力を殲滅するまでだ。長くても三年後には終わらせる。その後は軍を地方の哨戒艦隊程度にしてしまえば良い。そのほうが経費も削減出来、痛くも無い腹を探られなくて好都合だろう」

なるほど、その頃にはブラウンシュバイク公爵家もリッテンハイム侯爵家も課税、軍の維持、惑星の開発で体力を失っているだろう。政治勢力としての影響力も小さいものになっているに違いない。

「しかし、どうやって貴族達を振り切る。連日屋敷へやってくるんだ。辺境へ領地替えなどと言ったらどうなるか……」
フェルナー准将が困惑した表情で呟く。確かにどうやって周りを欺くか、それが問題だろう。

「何も言わずに領地に戻れば良い。そして辺境への引越しの準備だ、後は周りが勝手に反乱の準備だと勘違いしてくれるよ、アントン」
「卿は気楽だな、他人事だと思っているんだろう」

司令長官は声を出さずに笑った。フェルナー准将も笑う。ようやく部屋の空気が明るくなった。それを受けてリヒテンラーデ侯が周囲に話しかけた。

「現在の領地を返上し辺境の開発に力を注ぐとなれば政事を担う我等文官もその至誠は認めねばなるまいの。その上で新帝国成立のために遠征軍にも加わるか……、どうじゃな、皆ブラウンシュバイク公家、リッテンハイム侯家の恭順を認めるかの」

リヒテンラーデ侯の言葉に特に反対する声は無かった。フェルナー准将、ブラウラー大佐はヴァレンシュタイン司令長官の案を持ち帰り検討する事になった。

部屋から解放され、ヴァレンシュタイン司令長官とともに廊下を歩いた。隣を歩く司令長官の顔色はあまり良くない。具合が悪いと言うわけではない。何か気になることが有るようだ。

「どうかしましたか」
「いえ、先程の件ですが、ちょっと」
思い切って訊いてみると、やはり例の件だった。俺自身あの案には必ずしも納得していない。

「司令長官も気に入りませんか? 上手く行けばあの二人は救えるかもしれません。しかし反乱は地方に分散し、制圧には時間がかかるでしょう。そうでは有りませんか?」

何処か非難めいた口調になっただろうか? 敵は分散させて討つのが用兵の常道だが、この場合はむしろ集中させて叩いたほうが効率は良い。その思いは司令長官にも有るはずだ。

「そうですね。確かにそれはあるかもしれません。しかし私が考えていたのはそうではないんです。本当にあれが上手くいくかどうか、それを考えていたんです」
「……」
司令長官が考えていたのは例の案が上手く行くかどうかだった。

「十分に考えたわけではないですからね。何処かに穴があるような気がするんです。失敗すればアントンは悲しむでしょう。私は彼のそんな顔は見たくないんです」

そう言うと司令長官は立ち止まって溜息をついた。どうにも憂鬱そうな表情だった。


 

 

第百四十九話 マリーンドルフ伯の戦慄

帝国暦 487年10月22日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ジークフリード・キルヒアイス


宇宙艦隊副司令長官室は今、穏やかな静けさに包まれている。仕事が一段落した所為も有るが、元々ラインハルト様があまり騒がしい事が嫌いなため、事務、雑用を行なう下士官たちの作業場所を隣部屋に移している所為でも有る。

ラインハルト様は執務机を軽く指で叩きながら何かを考えている。私が視線を向けると気付いたのだろう、机を叩くのを止めた。
「いかがされましたか? 何か気になることでもお有りですか」

「いや、そうではない。何時までこの静けさが続くのかと思ったのだ」
そう言うとラインハルト様は微かに溜息をついた。ラインハルト様は一日でも早く戦場に出たいのだろう。

「よければ、コーヒーでも淹れましょう」
「そうしてくれるか」
部屋には私とラインハルト様のほか、シュタインメッツ少将、オーベルシュタイン准将が居る。四人分のコーヒーを用意した。

コーヒーを飲みながら四人で今後の貴族達の動きについて話し合う。と言っても何度も話し合ったことだ、確認程度のもので大声で話し合うほどのものでもない、副司令長官室はいたって静かだ。

司令長官室ではこうは行かない。あの部屋は常に喧騒に晒されている。書類をめくる音、電話の呼び出し音、話し声、靴音、騒がしい限りだ。このあたり、司令長官とラインハルト様は正反対だ。

司令長官は穏やかで物静かな人柄から騒がしい事が嫌いだろうと思うのだが、あまり気にしないようだ。逆にラインハルト様は激しい性格であるのに静かさを好んでいる。

改革の勅令が発布されて以来帝都オーディンは何処と無く緊張をはらんだ静けさを保っている。それでも時々水面下で動きが生じる。じりじりと爆発への臨界点に迫っている感じだ。それがラインハルト様にはもどかしく感じられるのだろう。

マリーンドルフ伯がリヒテンラーデ侯に協力を申し出た。侯は伯を自分の傍に置き仕事を手伝わせている。今のところ政府閣僚の中から造反者は出ていない。しかし、貴族達が暴発すればどうなるか分からない。閣僚から造反者が出た場合、マリーンドルフ伯はその穴を埋めることになるのだろう。そのために今、リヒテンラーデ侯は伯に色々と教えている。

内心で改革に反対な閣僚達にとっては忌々しい限りに違いない。自分達が止めてもそれに代わる人物が居る。簡単に暴発に乗ってしまってよいのか、今の地位を捨て去ってよいのか、大いに悩むところだ。

マリーンドルフ伯は娘もヴァレンシュタイン元帥の元に出している。改革に賛成する、門閥貴族とは決別するという明確な意思表示をしたと言っていい。マリーンドルフ伯爵家は自ら退路を断った、大胆な決断をしたというのがもっぱらの評判だ。

ヴェストパーレ男爵夫人も元帥の元で仕事をしている。仕事といってもフィッツシモンズ中佐の手伝いだ、大した事ではない。しかし改革に賛成しているというメッセージにはなる。それが狙いだろう。

一昨日、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が夫人と令嬢を皇帝の下に返してきた。巷では皇帝を説得させ改革を廃止に追い込む為だと言われている。おそらく両家が積極的に流した噂だろうが実際には違う。

両家とも政府に恭順を誓ってきた。ラインハルト様から聞いたのだが、両家はヴァレンシュタイン司令長官の案に従って辺境への領地替えを願い出る事になるだろう。

ラインハルト様は司令長官の案に不満そうだ。ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家が反乱を起さなければ、不平貴族たちを集める核が存在しなくなる。反乱は地方に分散し、討伐は時間がかかるというのだ。

自分もそう思う。司令長官は誤った。おそらくはリヒテンラーデ侯の言う、フロイライン達の今後、皇帝の気持ちを考えたうえでのことだと思うが、それでも誤ったと思う。

宇宙艦隊は既に出撃準備は整っている。後は何時貴族たちが暴発するかだが、司令長官は遅くとも年内には暴発すると見ている。その点に関してはラインハルト様も同意見だ。司令長官は貴族達を経済的に追い詰めて暴発させるようだ。

ヴァレンシュタイン司令長官が部屋にやって来たのは、コーヒーを飲み終わり、そろそろ片付けようかという時だった。休息中の会話には司令長官に対する批判めいた言葉もあった。いささかばつが悪い。

慌てて飲み物を用意しようとしたが司令長官から余りゆっくりもしていられないのだと断られた。司令長官は近くに有った椅子に腰掛けるとラインハルト様に話し始めた。

「実は今日はローエングラム伯にお願いが有ってきたのですよ」
「お願いですか」
「ええ」

司令長官は穏やかに微笑みながら私を見た。
「キルヒアイス准将をしばらく貸していただけないでしょうか?」
「キルヒアイスをですか」

私を借りたい? どういうことだろう? 思わずラインハルト様と司令長官を交互に見てしまう。ラインハルト様も困惑しながら私と司令長官を見ている。

「しばらくというのはどの程度でしょう?」
「そうですね。大体一年と見てもらえば良いと思います」
「一年! それは……」

一年と聞いて絶句するラインハルト様に司令長官が言葉を続けた。
「こう言っては何ですが、お二人は少し離れたほうが良いと思うのですよ。今のままでは何処まで行ってもキルヒアイス准将はローエングラム伯の幼馴染の副官でしかない。誰もキルヒアイス准将の力量を正しく評価しようとはしないでしょう」

「……」
「それにローエングラム伯も慣れているからでしょうね、どうしてもキルヒアイス准将に頼りがちになる。周囲の人間もそれを知っているから二人に遠慮しがちです。余り良い傾向だとは思えません」

「……それは」
ラインハルト様は何か言おうとしたが結局口ごもってしまった。確かに司令長官の言う事には一理有るかもしれない。私とラインハルト様はずっと一緒だった。本来なら有り得ない事だ、特例だという事はわかっている。

私の能力はともかく、周囲が私とラインハルト様に遠慮しがちなのも事実だ。もっとも私自身は今の境遇に不満を持っているわけではない。このまま副官でも構わない。私が恐れるのは、私がラインハルト様のお役に立てなくなることだ。

「ずっと離れ離れになるわけではありません。私のところで参謀任務や分艦隊司令官を務めたらそちらにお返しします。一年有れば十分でしょう」
「……」

「この場で回答を、とは言いません。ですがお二人にとって悪い話ではないと思いますよ。考えてみてください」

そう言うと司令長官は“邪魔をしました”といって席を立った。これから宮中に行くのだという。何でもブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人から呼び出しが有ったらしい。司令長官は文句の一つも言いたいのでしょう、と言って部屋を出て行った。

「どうしたものかな?」
ラインハルト様が戸惑うような口調で呟いた。何処と無く気弱な視線で私を見ている。ラインハルト様も司令長官の言葉に一理あるのを認めているのだろう。

一年か……。門閥貴族との対決が終了するまでという事だろうか。その期間離れ離れになる。これまでずっと一緒だった、耐えられるだろうか?


帝国暦 487年10月22日   オーディン 新無憂宮  フランツ・フォン・マリーンドルフ


「それで、私はどうすれば良いのです?」
「まあ、御婦人方の機嫌を取ってくれれば良いのだ」
「女性の相手は苦手ですよ、私は。特に高貴な女性の機嫌を取るなど真っ平です」
「そう言うな、私とて苦手だ」

互いにうんざりした口調で話し合っているのは、国務尚書と宇宙艦隊司令長官だ。司令長官は不機嫌そうな表情を隠そうともしない。国務尚書はそれ以上に苦りきった表情だ。

「最初に呼ばれたのはリヒテンラーデ侯なのでしょう? 侯が抑えてくれなければ」
「私の説明では納得せんのだ、軍事の専門家を呼べとのことだ」
何処か他人事のようにリヒテンラーデ侯が司令長官に答えた。

「エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥には頼まなかったのですか?」
「二人とも急用が出来たと言ってな、卿を推薦してきた」
司令長官が好意の一欠けらもない視線で国務尚書を見たが、国務尚書は気にする様子もない。

当初、リヒテンラーデ侯がブラウンシュバイク侯爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人に呼ばれ色々と質問されたらしい。侯がどういう答えをしたのかは知らないが両夫人は納得しなかったようだ。

その結果、軍事の専門家であるヴァレンシュタイン元帥が呼ばれている。本来なら私は関係無いと言って逃げる事も出来た。しかしリヒテンラーデ侯に “卿も同行せよ、何事も経験だ” と言われては断れない。おそらく私に侯と元帥の間を取り持たせたいのだろう。

「侯、元帥、そろそろ行きませんと皆様お待ちです」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が救われたように
「そうじゃな、そろそろ行くか」
と答え歩き始めた。

司令長官はしばらく動かなかったが、溜息を吐くと侯の後を歩き始めた。
「ババを引かされるのはいつも私だ」
呟くような司令長官の声だった。

御婦人方、ブラウンシュバイク公爵夫人とリッテンハイム侯爵夫人は南苑の一室で私達を待っていた。令嬢方は遠慮したらしい。臣籍に降嫁されたとはいえ陛下の御血筋の方だ。侯と元帥は片膝をついて礼を示した。私は二人の後ろで片膝をつく。

「忙しいところ、よく来てくれました。礼を言います」
落ち着いた声だ。どちらが言ったのだろう、ブラウンシュバイク公爵夫人か? リッテンハイム侯爵夫人だろうか?

「私達の夫が危険な状態にある事は聞いています。教えてください、私達は夫と再会することが出来ますか? 娘は父親に会うことができますか?」

微妙な沈黙が有った。上目遣いに見ると侯と元帥が微かに視線を交わしているように見える。ややあって司令長官が答えた。

「今のままでは難しいと思います。貴族達の暴発に巻き込まれ反逆者として生涯を終えることになるでしょう」
「!」
お二人が息を飲むのが分かった。司令長官の言葉が続く。

「私達が辺境への領地替えをブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に提示した事はご存知でしょうか?」
「知っています。夫達はそれを受け入れました」

「それが成功すれば両家は暴発に巻き込まれる可能性は減ります。但し、御婦人方、御令嬢方にはオーディンにしばらく御留まりになっていただくことになります」

「ヴァレンシュタイン元帥、それは人質と言う事ですか?」
「そう受け取っていただいて結構です」
「そんな! 私達は皇帝フリードリヒ四世の娘なのですよ。皇帝の娘を人質に取ると言うのですか!」
先程までの落ち着いた声とは別な声が怒りに満ちた口調で私達を詰った。

「クリスティーネ、落ち着きなさい」
「ですがあんまりではありませんか、お姉様」
怒りに満ちた声が頭上に響く、リッテンハイム侯爵夫人か。だとすると落ち着いた感じの声がブラウンシュバイク公爵夫人だろう。

そしてリッテンハイム侯爵夫人の怒りを押さえつけるかのようにリヒテンラーデ侯の低い声が流れた。

「恐れながら、ヴァレンシュタイン元帥の申す通りにございます。お二方は陛下の御息女ではありますが、同時にブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人なのです。両家が帝国に弓引かぬという証が必要なのです」

「……」
「それにはお二方、御令嬢方がこのオーディンに留まる事が必要です。どうか、御理解いただきたく存じます」
リヒテンラーデ侯の声は二人の女性を落ち着かせる力があったようだ。少しの間をおいてブラウンシュバイク公爵夫人が問いかけてきた。

「私達の夫はそれほどまでに帝国にとって危険だと言うのですね?」
「……」
リヒテンラーデ侯もヴァレンシュタイン元帥も答えない。だが答えないこと自体が答えを表しているだろう。

「答えられませんか。では夫たちがこの危機を乗り越えられる可能性はどれほどあるのでしょう?」
「……」

「お姉さまの質問に答えなさい、無礼でしょう」
リッテンハイム侯爵夫人の叱責が飛んだ。ややあって、ヴァレンシュタイン元帥が答えた。

「正直分かりません」
「!」
「ただ……」
「ただ?」
先を促すように言葉を発したのはどちらの夫人だろう。それに答えるかのように元帥の言葉が流れる。

「出来る限り早く辺境へ赴く準備を整え出立する事です。早ければ早いほど貴族達の暴発から逃れる事が出来ます。遅くとも十一月の下旬には準備を整えておく必要があるでしょう」
「……」

十一月の下旬……。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も領地へ戻るには十日から半月程度はかかるに違いない。今から戻れば十一月の初旬には領地につく。残り約二十日程度の日数で準備を整えなければならない。

なるほど、十二月になれば貴族達は銀行からの借金の返済が二回目になる。そうなれば貴族達は耐え切れなくなって暴発する、ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もそれに巻き込まれる、元帥はそう考えているのだろう。思った以上に厳しい状況のようだ。





ブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人から解放されたのはそれからさらに三十分ほど経ってからだった。リヒテンラーデ侯もヴァレンシュタイン元帥もどこか疲れた顔をしている。

少し休んでから戻ろうという事になって、部屋の片隅に置かれていた椅子に座った。ちょうど良い機会だ、気になっていたことを訊いてみよう。
「御婦人方の相手は疲れますな……。ところでヴァレンシュタイン元帥、一つ聞きたい事があるのですが」

「何でしょう?」
「領地替えですが、何故あの案を出したのです? あの二人を暴発させたほうが討伐はやりやすかったと思うのですが」

ヴァレンシュタイン司令長官は困ったような表情を見せたまま答えない、それとも答えられないのだろうか? あの時司令長官はリヒテンラーデ侯の問いに答える形で領地替えの案を出した。この二人の力関係はやはりリヒテンラーデ侯が主導権を握っているのだろうか?

「それにしても、あの場で即座に案が出るとはさすがですな。私などには到底無理です」
ヴァレンシュタイン司令長官は私の言葉に苦笑を漏らし、リヒテンラーデ侯に視線を向けた。司令長官に釣られてリヒテンラーデ侯を見ると侯も苦笑を漏らしている。

どういうことだ? 二人とも苦笑を漏らしている。まさか……。
「違うのでありますか」
恐る恐る問いかけたが二人とも答えない。かえって苦笑を深めただけだ。そして侯と司令長官は目で何かを語り合っている……。

戦慄が心を、身体を襲う。まさかとは思う。だがあの領地替えの案は事前にリヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタイン元帥の間で検討されていた事だったのか? いや、それだけだろうか? ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はどうだろう、四者間での話し合いが事前に有った?

だとすれば、あの会議は最初から筋書きが出来ていたのかもしれない。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は貴族達を切り捨て、新帝国成立に協力する。その証として妻と娘を人質として差し出す。目の前で静かに苦笑する二人を見ながら私は懸命に混乱する自分を立て直そうとしていた。一体真実は何処にあるのだろう……。





 

 

第百五十話 真意

帝国暦 487年10月22日   オーディン 新無憂宮  フランツ・フォン・マリーンドルフ


新無憂宮、南苑の一室、その片隅で三人の男が座っている。七十代の老人、四十代後半の壮年の男、そして二十代前半の青年。遠目には家族三世代の団欒の場に見えるかもしれない。しかし私は目の前で静かに苦笑する二人に恐ろしい疑念を抱いている。

「まさかとは思いますが、あの領地替えの案はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯との間で事前に打ち合わせがあったのでしょうか?」
私は恐る恐るリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥に問いかけた。

「そんなものは無い」
「有りませんか……」
私の気のせいなのだろうか? しかしリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥の苦笑は止まる事が無い。

「もっとも領地替えを考えたのもヴァレンシュタイン元帥では無いがの」
「!」
リヒテンラーデ侯の思いがけない言葉に私はヴァレンシュタイン元帥を見た。元帥はリヒテンラーデ侯に視線を向けたままだ。私の視線に気付いていないとは思えない、それでもこちらを見る事は無い。

「では、一体誰が考えたのです。侯が考えたのですか?」
「私ではない」
侯ではない、ヴァレンシュタイン元帥でもない。では一体誰が?

「あれを考えたのは、ギルベルト・ファルマーというフェザーン人じゃ」
「フェザーン人?」
「うむ。ついでに言えば、御婦人方を陛下の元に戻したのも彼の発案じゃ。ヴァレンシュタイン元帥の友人での、なかなかの人物よ」

そう皮肉っぽい口調で言うとリヒテンラーデ侯は笑い出した。元帥の友人? どういう人物なのか? 元帥に視線を向けると彼は迷惑そうな口調で
「悪い冗談ですね。私と彼は友人ではありません」
と答えた。

侯は笑い、元帥は渋面を作っている。どういうことだろう。
「そのギルベルト・ファルマーというのはどういう人物なのです」
「……元は帝国人での、卿も良く知っている人物だ」
「?」

私も良く知っている? 一体誰だ? リヒテンラーデ侯の皮肉そうな口調が続く。
「確かフレーゲル、そんな名前だったの」
「!」

フレーゲル……、フレーゲル男爵! ギルベルト・ファルマーとはフレーゲル男爵なのか! 男爵は確か急な病で死んだはずだ。あれはクロプシュトック侯の反乱を鎮圧した後の事だった。その男爵が名前を変えてフェザーンで生きている……。

「フレーゲル男爵は死んだはずではないのですか?」
「生きているようじゃの、詳しくは知らんが」
そう言うとリヒテンラーデ侯はヴァレンシュタイン元帥に視線を向けた。それ以上は元帥に聞けと言っている。

リヒテンラーデ侯と私の視線を受けてもヴァレンシュタイン元帥は口を開かなかった。話す積もりは無い、そういうことだろう。リヒテンラーデ侯もそれ以上問おうとはしない。どういうことだろう、元帥とフレーゲル男爵は激しく対立していたはずだ。それが今では、何らかの繋がりがあるようだ。

「それにしても驚いたの、いきなりスクリーンに彼の姿が映ったときには」
「それはこちらも同様です。何とか侯と相談したい、労をとってくれと言うのですからね」
「しかし、会うだけの価値は有った」

リヒテンラーデ侯の言葉にヴァレンシュタイン元帥は感慨深げに頷いた。
「フレーゲル男爵の提案と言う事は、ブラウンシュバイク公とは合意が出来ていた、そういうことではありませんか?」

私の質問をヴァレンシュタイン元帥は首を横に振って否定した。
「そうではないんです。ギルベルト・ファルマー氏は最初に私達に連絡を取り、御婦人方の返還と領地替えの案を出した。私達が同意したのを受けてフェルナー准将に御婦人方の返還を助言したんです。時間を稼げると言って」

「では領地替えは?」
「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯がそれを受け入れるかどうか、ファルマー氏には確信が持てなかった。それなら私達から最終提案の形で出したほうが効果的だと考え、私達から提示して欲しい、そう言ってきたんです」

「よく分かりませんが、領地替えというのはそれほど良い案なのでしょうか? 自分にはどうも良くわからないのですが……」

私の質問にリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥が顔を見合わせ苦笑した。
「貴族達を暴発させ、反乱を鎮圧する。その点に関して言えば下策ですね。誉められた策ではありません」

どういうことだろう。領地替えは下策である、そう元帥は言っている。にもかかわらず下策である領地替えを何故勧めるのか? 他に何かあるのだろうか?

「では、何故その案を受け入れるのです?」
リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥はまた顔を見合わせた。今度は侯は意味ありげに笑い、元帥は困った顔をしている。

「教えてはいただけませんか」
「領地替えを認めず、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を暴発させる。今は良いのじゃがの、問題は十年後、十五年後かの……」
「……」

十年後、十五年後か……。一体何が有るのだろう? 私はリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥を見つめた。話してくれるだろうか? 私がどれだけ信頼されているか、判断するいい機会かもしれない。

「……卿はエルウィン・ヨーゼフ殿下に拝謁した事が有るか?」
「一度有りますが、それが何か?」
「一度か、では分からなかったかもしれんの」

溜息交じりの侯の声だった。分からない? 分からないとは何のことだろう?
「殿下は天晴れ、暴君になる御器量をお持ちだ」
「!」

驚いてリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥を見る。リヒテンラーデ侯は表情を歪ませている。そして元帥は微かに笑みを浮かべている。そして柔らかい口調で話し始めた。

「困るのですよ、自由惑星同盟の人間が帝国の統治に不安を覚えるような皇帝は。暴君など宇宙の統一にとっては障害でしかない。そうは思いませんか?」
穏やかな笑み、穏やかな口調だ、しかし眼は笑っていない、冷たい色を湛えている。

「……」
「これまでは、皇族であれば、皇位継承権を持っていれば皇帝になれました。たとえ凡庸でもです。しかしこれからは皇帝としての資質の有無こそが皇帝即位への条件になるでしょう。それくらいこれからの帝国の統治にはデリケートさが必要になります」

十年後、十五年後と言えば、殿下はそろそろ帝国の統治に関わっても可笑しくは無い年齢になる。つまりエルウィン・ヨーゼフ殿下には帝国の統治は無理だと二人は考えている。

その二人にとってフレーゲル男爵からの提案は渡りに船だった。だからブラウンシュバイク、リッテンハイム両夫人、両令嬢を受け取り領地替えを提示した、そういうことだろうか?

「フレーゲル男爵はエルウィン・ヨーゼフ殿下を大分詳しく調べたようだの」
「調べた? 殿下をですか?」
つまり、フレーゲル男爵も殿下には皇帝としての資質が無いと判断したということか。

「当然でしょう、競争相手ですからね」
「競争相手、ですか?」
ヴァレンシュタイン元帥は軽く頷いて言葉を続けた。

「ええ、エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクが女帝になれば、フレーゲル男爵は新たなブラウンシュバイク公となりました。上手く行けば女帝夫君として帝国に君臨する事も出来たでしょう」
「……」

「サビーネ・フォン・リッテンハイムが女帝になってもそれは同じです。エリザベートと結婚するか、あるいはエリザベートにはリッテンハイム侯の近親者を配偶者に選び自分はサビーネの夫になる。それが可能だと考えたようですね。彼にとって邪魔なのはエルウィン・ヨーゼフ殿下だけだった……」

「フレーゲル男爵は殿下を調べ、皇帝になる器量は無い、そう考えた……」
「そうじゃろうの、だから舞い上がり、ヴァレンシュタイン元帥に押さえつけられた……。皮肉なものよ……」

リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタイン元帥に目をやりながら何処か感慨深げに呟いた。在りし日のフレーゲル男爵を思い出しているのかもしれない。

「しかし、よろしいのですか? 場合によってはまた外戚が力を振るうことになりかねませんが」

エリザベート、サビーネ、この二人が女帝として登極すればブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が外戚として力を振るうことになる。その事は考えないのだろうか?

「辺境に領地替えをすれば両家とも体力を失います、それに彼らを担ぐ貴族達はもう直ぐ滅びますからね。彼ら単独では力を振るう事など出来ません。それもわからずに外戚として力を振るおうとするならば……」

「するならば?」
「その時は彼らにも滅んでもらう事になるでしょう。両家が生き残ったのは新帝国の成立に協力したからです。外戚として受け入れられたわけではない」

穏やかな表情だ。目の前で元帥は穏やかに微笑んでいる。本当に今の言葉は元帥が言ったのだろうか? そんな疑問を抱かせる表情だ。

こちらがどう反応するか見ているのだろうか? 思わず、唾を飲み込む。その音が大きく響いた。その途端、リヒテンラーデ侯の笑い声が聞こえた。
「なかなか怖い男であろう? 気張るのじゃな、マリーンドルフ伯」

からかうようなリヒテンラーデ侯の言葉に答えることが出来ない。それでも何とか掠れる声で元帥に問いかけた。

「もし、両家が暴発に巻き込まれたらどうします。両家のフロイラインは反逆者の娘になります。女帝になるのは難しいのでは有りませんか?」

「ブラウンシュバイク、リッテンハイムの両家は公にはなっていませんが帝国への恭順を受け入れたのです。その証として彼女達を人質として差し出した。両家が暴発に巻き込まれた場合はその事を公にし、彼女たちには罪が無い事を表明します」
「……」

「その後の事ですが、父親が反逆した以上、家は取り潰されます。となれば母方の実家に戻ることになりますね」
「実家に戻る……」

「ええ、以後はゴールデンバウムの姓を名乗っていただく。つまり、お二人は皇族の籍に入られる」
「! 元帥、それは」

ヴァレンシュタイン元帥は穏やかな笑みを浮かべたままだ。リヒテンラーデ侯を見ると侯は面白そうに私を見ている。つまり二人にとっては辺境への領地替えが上手く行くかどうかは二の次と言う事か。大切なのは両家の夫人、令嬢を手に入れたこと……。

「この事を知る者は?」
思わず声が小さくなった。
「文官では、ゲルラッハ子爵と卿かの。軍では帝国軍三長官のみじゃ」
「……」

やはりそうか、私でも疑問を持つ領地替えにエーレンベルク、シュタインホフの両元帥が反対しなかったのは事前に打ち合わせが出来ていたからか。つまり、エルウィン・ヨーゼフ殿下が皇帝になる可能性は現時点では皆無と言う事だ。

「ローエングラム伯は?」
「伯は知らぬ」
「!」

「何故、ローエングラム伯に教えないのです?」
「そうじゃの、我等の見る十五年後とローエングラム伯の見る十五年後はどうやら違うようなのでな」
「……」

「私が領地替えの案を出した事に不満そうでしたね。まさか暴発しても構わないと考えているとは思ってもいないのでしょう。誤魔化すのが大変でした」

苦笑交じりの元帥の声だった。どうやら私は信用されているらしい、そしてローエングラム伯は信用されていない。“伯は知らぬ” そう言ったリヒテンラーデ侯の口調は冷ややかだった。それにしてもローエングラム伯の見る十五年後とは一体どんな未来なのか……。

「マリーンドルフ伯、そうほっとした表情をせぬ事だ。私も元帥も本当の事を全て言っているとは限らぬ。伝えたい真実のみを伝えているかもしれんからの」

「はっ、恐れ入ります」
どうやら、表情を読まれたようだ。それほど感情が顔に出るとは思わないが、この二人からみれば読み取るのは容易なのかもしれない。

汗を拭う私にヴァレンシュタイン元帥が話しかけてきた。
「マリーンドルフ伯」
「何でしょう、ヴァレンシュタイン元帥」

「フロイラインのことですが、そろそろ重要な仕事を任せたいと考えています」
ヒルダに重要な仕事?

「それは有難いお話ですが、娘に務まりましょうか?」
「ええ、フロイラインなら大丈夫だと思います」
「マリーンドルフ伯、ヴァレンシュタイン元帥は卿のフロイラインを高く評価しているようじゃ。羨ましい事じゃの」

「恐れ入ります。それで仕事とは?」
「ローエングラム伯の元で幕僚任務に就いてもらいます」
「! それは」

ローエングラム伯の元で幕僚任務! リヒテンラーデ侯は伯を信用していない。おそらく元帥も同様だろう。その伯の幕僚になる……。娘にローエングラム伯を見張れ、そういうことだろうか。

「内乱が起きればローエングラム伯は長期に亘って独立して軍事行動を起す事になります。伯にはフロイラインの持つ政治センスが必要なのですよ」
「……」

「今日のこと、フロイラインに話すのは止めてください。フロイラインには妙な先入観は持って欲しくないのです。その方が二人にとっても帝国にとっても良い結果を生むと思います。よろしいですね」
「……承知しました」

娘をローエングラム伯の元に送る。リヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタイン元帥が信用していない人物の元に送る。どうやら厄介な事になりそうだ。何処まで出来るか判らないがヒルダを守ってやらなければなるまい。

先ずは、ローエングラム伯の見る十五年後、これを知るべきだろう。リヒテンラーデ侯もヴァレンシュタイン元帥も伯とは目指す所が違う、そう考えている。そしてそれを受け入れられないと考えている。彼が一体何を目指しているのか? それを調べなければならない……。


 

 

第百五十一話 面従腹背

帝国暦 487年10月26日   オーディン 宇宙艦隊総旗艦 ロキ  ジークフリード・キルヒアイス



「ジークフリード・キルヒアイスです。宜しくお願いします」
「宜しくね、ジーク」
「……」

総旗艦ロキの艦橋にヴェストパーレ男爵夫人の場違いなまでに明るい声が響いた。その声に周囲から笑いが上がる。ヴァレンシュタイン司令長官も副官のフィッツシモンズ中佐も困ったような表情で笑っている。

艦橋には他に副司令官クルーゼンシュテルン少将、参謀長ワルトハイム少将、分艦隊司令官クナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将、トゥルナイゼン少将、副参謀長シューマッハ准将がいる。

彼らの表情は最初、決して好意的なものではなかった。艦橋の雰囲気も何処かぎこちなかった。それが今ではかなりほぐれている。男爵夫人には素直に感謝しよう。

「キルヒアイス准将には参謀として任務についてもらいます。ワルトハイム少将、シューマッハ准将、キルヒアイス准将はこれまで副官として軍歴を積んできました。参謀任務は多少勝手が違うと思います。フォローしてください」

「はっ」
ワルトハイム少将、シューマッハ准将がヴァレンシュタイン司令長官の言葉に答え私を見る。
「宜しくお願いします」
私はもう一度頭を下げた。


四日前の二十二日、ヴァレンシュタイン司令長官は私を幕僚にと望んだ。あの時ラインハルト様は即答できず、私もどうして良いか判らなかった。急いで回答する事は無い。少し考えてから返事をしよう、そんな気持ちだった。もっとも考えても答が出るかどうかは分からなかったが……。

だがその日の夜、私は司令長官の幕僚となる事をラインハルト様に告げた。ラインハルト様はとても驚かれた。自分を捨てるのか、いつも一緒ではないのか、そう言って私を責めた。

責められるのは分かっていた。しかし決心は変えなかった。今のままでは誰も自分を軍人として認めない。ただの幼馴染ではなく、真にラインハルト様の力になれる人間として戻ってくる。そう言ってラインハルト様を説得した、そう言ってラインハルト様を振り切った……。

後悔はしていない。今の私は司令長官の幕僚になる事がもっともラインハルト様の役に立つ事なのだと思っている。ラインハルト様も最後には分かってくれた。

パウル・フォン・オーベルシュタイン准将……。あの日、彼が私を呼び止めた。佐官から将官に昇進したことで勉強会に出席した私を同じく勉強会に出席していた彼が帰り間際に呼び止めたのだ……。





「キルヒアイス准将、少しよろしいかな」
「……」

正直遠慮したかった。統帥本部で開かれた勉強会はあまり楽しいものではなかった。誰もが私が准将であることに疑問を抱き、軽蔑しているのだ。昇進に値する武勲など挙げていない男、ラインハルト様との縁故だけで准将になった男、それが私に対する周囲の評価だった。

そう思われるのも仕方ないかもしれない。皆ラインハルト様の事を皇帝の寵姫の弟だから昇進が早いのだと見ている。私は周囲がそう見ているラインハルト様の副官しかしていないのだ。誰もが私を能力ではなく、ラインハルト様の縁故で昇進したと思っている。

勉強会の最中、何度もヴァレンシュタイン司令長官の提案を受けるべきか、そう考え、ラインハルト様の元を離れるのか、そう自問した。苛まされるような時間だった。一人でゆっくりしたい、そんな気持ちの時にオーベルシュタイン准将は話しかけてきたのだ。うんざりだった。

「余人を交えずに話したいことがある。ローエングラム伯の事だ」
抑揚の無い声だ。周囲を落ち着かせることも有れば、苛立たせる事もある。私は内心の苛立ちを抑えながら
「分かりました」
と彼に答えた。

オーベルシュタイン准将は私を統帥本部内にある比較的小さな会議室に案内した。どうやら事前に使用許可を取っていたらしい。部屋に入ると椅子に座るでもなく、また私に勧めるでもなく話しかけてきた。

「キルヒアイス准将、ヴァレンシュタイン司令長官の提案を受けてはどうかな?」
「……」
「卿にも分かっているはずだ。司令長官の言う通り、今のままでは誰も卿を正しく評価しようとはしない」

そんな事は言われなくても分かっている。だが、彼の抑揚の無い冷徹な口調で指摘されると思わず唇を噛み締めた。
「……お話とはその事でしょうか? 私はローエングラム伯の事だと思っていましたが?」

私の皮肉にも彼は全く動じることが無かった。
「私はその事を話しているつもりだが」
「?」
「卿は昨今のローエングラム伯の立場をどのように考えているかな? 教えて欲しいものだ」
「……」

ラインハルト様の立場? オーベルシュタイン准将、卿は何が言いたい、思わず心の中に不安と疑惑が湧き上がる。まさか、この男、ラインハルト様を……。

私の沈黙をどう取ったのか、オーベルシュタイン准将は薄く笑った。
「答えられぬか、用心しているのかな、それとも猜疑心が強いのか、だが私に警戒は無用だ」
「……」

「私の考えを言おう、ローエングラム伯の立場はきわめて微妙で脆弱だ、危ういと言って良いだろう」
「……。伯爵閣下は宇宙艦隊副司令長官の地位に有ります。卿が何を以ってそのような事を言われるのか、理解に苦しみますね」

オーベルシュタイン准将は冷たく私を見据えた。無機質な彼の義眼が圧倒的な圧力で私を捉える。
「気付いていないのか、それとも気付かぬ振りをしているのか……」
「……」

「伯を庇護する人間がこの帝国に居るかな?」
「!」
囁くような声だったが不思議と耳に届いた。どうして彼はこのような話し方が出来るのだろう? 思わずそんな疑問が浮かんだ。

ラインハルト様を庇護する者……。アンネローゼ様の名を出すべきだろうか? しかしそれでは皇帝に頼る事になる。第一、オーベルシュタイン准将の言う庇護者とは……。

「グリューネワルト伯爵夫人の事を考えているのかな? 残念だが私は伯爵夫人を庇護者とは認めない。夫人ではローエングラム伯は所詮、皇帝の寵姫の弟でしかない」
「……」

「私の言う庇護者とは伯より地位、影響力において上位に有り、伯の考えを理解し、その行動を後押しする人間だ。そのような人間が今の帝国に居るか? 残念だが居ない」
「……」

その通りだった。そんな人間は居ない、居るはずが無い。帝国を簒奪するなど公言できる事ではない。たった一人、ラインハルト様の考えを理解し供に歩くと言ってくれた人物が居た。

しかし彼はラインハルト様から離れ、自らの道を歩み始めている。帝国元帥、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン宇宙艦隊司令長官……。彼の目指す帝国とラインハルト様の目指す帝国は今では別のものだ。

オーベルシュタイン准将の言葉が続く。
「庇護者が居ない、にもかかわらずローエングラム伯とヴァレンシュタイン司令長官の関係はきわめて微妙だ」
「……」

「軍内部、いや帝国においてヴァレンシュタイン司令長官の実力は傑出している。そんな司令長官が唯一不自然といって良い遠慮をする人物が居る……」
何処と無く他人事のようなオーベルシュタイン准将の口調だった。しかし、司令長官が遠慮する人物?
「……まさかとは思いますが?」

オーベルシュタイン准将が軽く頷く。
「ローエングラム伯も卿もそれをごく当然の事と受け取っている」
「待ってください、そんな事はありません。第一遠慮など……」

司令長官は遠慮などしているとは思えない、そう言おうとした私を低い笑い声が遮った。
「なるほど、やはり気付いていなかったのか。だが知らないで済む事ではない。皆が知っている“事実”なのだからな」
「……」

オーベルシュタイン准将の抑揚の無い声が部屋に流れる。本当にそうなのだろうか? 司令長官はラインハルト様に遠慮しているのだろうか? 私は気付かなかった、ラインハルト様も気づいているとは思えない。しかし、皆が知っている事実?

確かに司令長官は元はラインハルト様の部下だった。その事が今は自分達の上官だという現実を認めたくないという気持ちにさせているのだろうか? 何処かで司令長官に反発を抱いたのだろうか?

副司令長官室での会話を思い出す、確かに気付かぬうちに司令長官を誹謗するような言葉が有った。司令長官を誹謗する副司令長官とその幕僚……。本来許されることではない。司令長官は気付いていないのだろうか、それとも気付いていて黙っているのだろうか。思わず戦慄が走った。

「ようやく分かったか、キルヒアイス准将。ローエングラム伯は危険な状況に有ると」
冷静な声だった。私の迂闊さを笑うことも自分の有能さを誇る色も無い。目の前のオーベルシュタイン准将は気負うことなく立っている。

「宇宙艦隊の昨今の関心事は司令長官が何時、ローエングラム伯への遠慮を止めるか、いやそれに我慢できなくなるかだ」
「……その場合、どうなります?」
「実権の無い閑職に回されるか、或いは粛清されるか」
「!」

「今のところは大丈夫だろう。門閥貴族との戦いを前にローエングラム伯を排除するとは思えない。しかし、その後は分からない。宇宙艦隊はローエングラム伯の代わりを務める人物に不自由していない」

「……メルカッツ上級大将ですか」
メルカッツ上級大将を宇宙艦隊に招いたのはヴァレンシュタイン司令長官だった。それも当初は副司令長官にと考えていた。

「メルカッツ提督だけではない。他にもケスラー、メックリンガー、クレメンツ等、能力だけではなく忠誠心でも信頼できる司令官が居るのだ。遠慮しなければならない副司令長官など無用だろう」

確かにそうだ。ラインハルト様が司令長官だった時、何かとヴァレンシュタイン司令長官に不満を感じた。もちろん能力面に関してではない。周囲がラインハルト様よりもヴァレンシュタイン副司令長官に心服していることが目障りだった。

ラインハルト様も同じ思いだった。ラインハルト様の威権が確立されればヴァレンシュタイン副司令長官は排除されたに違いない。ならば何時、ラインハルト様が排除されても可笑しくないといって良いだろう。

「キルヒアイス准将、卿はヴァレンシュタイン司令長官の好意を受けるべきだ」
「好意ですか……」

「そうだ、好意だ。卿に新しい経験をさせ、その力量を発揮させようとしているのだ。好意以外の何物でもない」
「……」

「断る事は許されない。断れば周りは皆、卿を司令長官の好意を無にする身の程知らず、ローエングラム伯の事を卿のわがままを許す愚か者と思うだろう。違うかな?」

「……ある意味人質ですね」
オーベルシュタイン准将が微かに頷き淡々と言葉を紡ぐ。
「そういう面も有るだろう。卿が司令長官の下に有れば、ローエングラム伯も司令長官に気を使わざるを得ない」
「……」

「だが常に司令長官の傍にいると言う事は、司令長官の考えを知ることが出来るという事でもある。今、ローエングラム伯にとって大事なのは司令長官が何を考えているかを的確に知ること、そうではないかな?」

私にスパイの真似事をしろというのか……。しかし、それがラインハルト様のためになるのであれば、躊躇う事は許されない。
「……分かりました。司令長官の好意を受けましょう」


ヴァレンシュタイン司令長官の下に行くことが、ラインハルト様と司令長官の間で正式に決定すると私の代わりになる人間がラインハルト様の下にやってきた。

副官としてテオドール・フォン・リュッケ中尉、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢、その他に作戦参謀としてホルスト・ジンツァー准将。

フロイライン・マリーンドルフは政治センスに優れた女性で必ずラインハルト様の力になるだろうと言うのが司令長官の推薦の言葉だった。少なくとも司令長官はラインハルト様の司令部を弱めようとしているわけではないようだ。

今日からは此処が私の職場、いや戦場だ。周りに気を抜くことなく、務めなければならない。ラインハルト様のために……。



 

 

第百五十二話 ヴェストパーレ男爵夫人

帝国暦 487年10月26日   オーディン 宇宙艦隊総旗艦 ロキ  マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ


ジークフリード・キルヒアイス准将がヴァレンシュタイン元帥の幕僚になった。司令部の人間達は皆緊張している。緊張から無縁なのは司令長官だけ。この事態を招いた張本人なのに……。

私は思わず、脳天気と言って良いほどの声を上げて艦橋の緊張をほぐした。ヴァレンシュタイン司令長官は私の真意が分かったのだろう。苦笑する前に一瞬だけ私に向けた視線は鋭かった。

宇宙艦隊司令部に来て分かったのは、予想以上にラインハルトの立場が不安定な事だった。司令官達の誰もラインハルトと積極的に話そうとはしない。何故こうなったのか? メックリンガーに訊いても眼を逸らすだけで教えてはくれなかった。

今、ラインハルトが副司令長官でいられるのはヴァレンシュタイン司令長官がそれを容認しているからのようだ。もし彼がラインハルトの排除に向かえば、ラインハルトはその地位を追われるだろう。

彼が何故アンネローゼに対して、あくまで儀礼的に対応したのか、今ならば分かるような気がする。いずれラインハルトとは決裂するかもしれない、その日のために不必要なしがらみは作りたくない、そう思ったのだろう。

ジークがこちらに来るのと同時にヒルダがラインハルトの下に行った。周囲からはどう見えただろう。腹心の副官を取り込み、代わりに貴族のお嬢様を押し付けた、そんなところだろうか。でも私は知っている、司令長官の真意が何処に有るのか……。

あの日、宮中から帰ってきた司令長官は私とヒルダを応接室に呼んだ。不審に思いながらも応接室に向かった私達を待っていたのは司令長官とワルトハイム参謀長、シューマッハ副参謀長だった。

司令長官の話は簡単だった。ヒルダをラインハルトの幕僚にするということ、それからジークフリード・キルヒアイスが司令長官の幕僚になるかもしれないという事だった。





応接室にはワルトハイム参謀長とシューマッハ准将、それと私とヒルダが座っている。参謀長と副参謀長、それにヒルダが此処に居る事は分かる。でも何故私が呼ばれたのだろう。今一つ良く分からない。

「交換、という事でしょうか?」
戸惑いながらも司令長官に問いかけたのはワルトハイム参謀長だった。
「いえ、キルヒアイス准将がこちらに来るかどうかは分かりません。それとは関係なく、フロイラインにはローエングラム伯の幕僚になってもらいます」

司令長官の言葉に皆顔を見合わせる。テーブルを挟んで視線が交差する。ヒルダは訝しげな表情だ。どういうことだろう。一つ間違えばラインハルトとマリーンドルフ伯を近づけることになりかねない。それでも良いのだろうか?

司令長官は私達の困惑を気にする事も無く襟元のマントを直している。
「私をローエングラム伯の幕僚にする、その目的は何処にあるのでしょう?」

ヒルダの気持ちはわかる。ラインハルトの立場は極めて微妙だ、司令長官がどんな考えで自分を幕僚として送り込むのか、それを知らずには受け入れることも拒否する事も出来ない。

「ローエングラム伯にはフロイラインの力が必要だからです」
「……」
司令長官の言葉はあっさりとしたものだった。ますます分からない。ヒルダが聡明なのは私にも分かる。だが司令長官の言はどう取ればいいのだろう。

ヒルダが周囲の認識以上に有能だと見ればよいのか、ラインハルトがヒルダの力を必要とするほど不安定だと見ればよいのか……。私とヒルダだけではない、前面の参謀長たちも困惑した表情を見せている。私の疑問をそのまま口にしたのはヒルダだった。

「閣下、閣下はローエングラム伯の力量に不安をお持ちなのでしょうか? 私は軍人としての教育は受けていません。伯の力になれるとは思いませんが?」

ヴァレンシュタイン司令長官は微かに苦笑した。
「私はローエングラム伯の力量に不安など持った事はありません。軍人としては私よりも余程優秀でしょうね」

「閣下!」
副参謀長のシューマッハ准将が司令長官を窘めた。司令長官が自分を卑下するような事を言ったのが気に入らないのだろう。しかし司令長官は気にする様子も無い。シューマッハ准将に“本当の事です”と言った。

「いずれ帝国を二分する内乱が発生するでしょう。内乱が発生すれば、ローエングラム伯は別働隊を率いて辺境星域の鎮定に向かうことになります」
「……」

宇宙艦隊内部では既に内乱勃発時の対応策が策定されている。それによればラインハルトは六個艦隊を率いて辺境星域の鎮定が命じられることになる。力量に不安の有る人物に任せられる任務ではない。

つまり司令長官はラインハルトを高く評価している。先程の発言からもそれは分かる。にもかかわらずヒルダを幕僚にする。その真意は?

「辺境星域の鎮定にはかなりの時間がかかると思います。当然ですがローエングラム伯には用兵についても占領地の行政についてもかなりの自由裁量権を与える事になるでしょう」
「……」

「困った事はローエングラム伯は戦術家として有能すぎる事です」
「?」
ヴァレンシュタイン司令長官の言葉にまた私達は視線を交わす。戦術家として有能すぎる……、司令長官の言葉は決して好意に満ち溢れたものではなかった。皆それを感じたのだろう、訝しげな表情をしている。

「戦略家としての力量も素晴らしい物を持っているのですけれどね、どうしても戦術的な勝利に拘ってしまう所がある。その結果として戦略的勝利、政略的勝利を疎かにしてしまいかねない」
「……」

「今度の内乱ですが、ただ鎮定すれば良い、そういうものではないのです。勅令の発布後、反乱軍もフェザーンも帝国の動向に非常に大きな関心を寄せています」
「……」

確かにそうだろうとは思う。本当に改革が行なわれるのか、それとも形だけのもので終わる、あるいは廃止されるような事になるのか、帝国の進む方向に誰もが関心を抱いている。

「私達は彼らに帝国が新しく生まれ変わった事、これからの帝国は平民の犠牲の上に成り立つ国ではない事を証明しなければならない。それこそが今回の内乱鎮定で求められるものなのです……」

「……」
「将来的に反乱軍、フェザーンの人間達が帝国の統治を受け入れることに不安を感じるような勝ち方は許されないのですよ」

司令長官の声が応接室に流れる。沈鬱な色合いを帯びた声だ。その声に引き込まれるように私は司令長官の顔を凝視した。いつも穏やかな表情の司令長官が何処か厳しい表情をしている。

「戦術的勝利に拘る余り、それを忘れてもらっては困ります。ただ勝てば良い、そんな勝ち方は宇宙艦隊副司令長官には許されない」
呟くような口調だった。その声に厳しさを聞いたのは私だけだろうか?

ワルトハイム参謀長、シューマッハ副参謀長も厳しい表情で司令長官の言葉を聞いている。二人には思い当たる節が有るのかもしれない。戦術的勝利に拘る、つまり自ら武勲を挙げる事に固執する、そう司令長官はラインハルトを評価している。

「つまり司令長官閣下が私に求めているのは、ローエングラム伯が戦術的な勝利に拘る余りそれを忘れるようであれば注意せよ、ということでしょうか?」
確かめるようにゆっくりとした口調でヒルダが司令長官に問いかけた。

「その通りです。貴女にはそれだけの力が有ると思っています。ローエングラム伯も相手が女性だからといって意見を拒絶するような狭量さは持っていません。協力し合えば良い結果を出せると思います」

司令長官は穏やかな表情に戻ってヒルダに答えた。だがヒルダの表情は硬いまま、顔色は蒼白になっている。思わず私は司令長官に問いかけていた。
「もしローエングラム伯が彼女の意見を受け入れず、戦術的な勝利に拘るような場合はどうなるのでしょう」

幾分掠れたような声だった。私は気付かないうちに緊張していたのかもしれない。
「……宇宙艦隊副司令長官に相応しからざる人間がその地位に就いている、そういうことになりますね」
「!」

応接室の緊張が痛い程に高まった。ヴァレンシュタイン司令長官、私、ヒルダの視線が交錯する。そして司令長官は視線を私に当ててきた。
「昔はともかく、今の帝国軍はそのような事を許す程甘い組織ではありません」

司令長官の視線に私は身動きも口を開く事も出来なかった。それほど厳しい、いや冷たい視線だった。

「フロイライン、決して楽な仕事ではないと思います。しかしローエングラム伯には貴女の力が必要です。力になってあげてください」
そう言うと司令長官はヒルダに対して頭を下げた。




ジークがワルトハイム参謀長と話をしている。トゥルナイゼン少将はジークとは幼年学校での同期生らしい、先程そんなことを話していた。これから彼はどうするのだろう。ラインハルトへの忠誠心を胸に秘めつつ司令長官の幕僚を務めるのだろうか。

結局私は応接室での出来事をラインハルトにもジークにも話さなかった。あの時の司令長官の冷たく厳しい視線、私は何故自分が応接室に呼ばれたのか、ようやく理解した。

司令長官はラインハルトを場合によっては切り捨てる覚悟を決めている。出来る限り支援はしよう、しかし失敗すれば切り捨てる。それが司令長官のラインハルトに対する姿勢だ。そのことを私に告げたのだ。

ジークフリード・キルヒアイスが此処に来ても必要以上に馴れ合うな、今後何が有っても口出しは無用だと言っている。

厳しい態度だ。しかし、ジークと親しくなれば万一ラインハルトが切り捨てられた場合、私も厄介な立場になるだろう。確かに必要以上に親しくは出来ない。

彼が私に微かに目礼してくる。先程の礼だろうか? そんな彼を見ながら私は微かに罪悪感に襲われた。

ジーク、私に出来る事はここまでよ、後は自分で何とかしなさい。此処に来た以上、そのくらいの覚悟はあるでしょう。私を頼るようなら、情け容赦なく突き放してあげる……。


帝国暦 487年10月27日   オーディン 宇宙艦隊司令部 テオドール・ルックナー


ヴァレンシュタイン司令長官より呼び出しがかかった。呼び出されたのは俺の他にシュムーデ大将、リンテレン大将、ルーディッゲ大将。かつて司令長官の下で副司令官と分艦隊司令官として仕事をした仲間だ。

シャンタウ星域の会戦後、俺達は大将に昇進しそれぞれ一万隻の艦隊を率いる司令官となった。宇宙艦隊の正規艦隊司令官になれなかったのは残念だが、正規艦隊の司令官枠は十八個しかない。

俺達が正規艦隊の司令官になれば誰かが溢れる事になる。それに俺達は司令長官配下の分艦隊司令官だった。俺達を正規艦隊司令官にすれば司令長官の人事を贔屓だと不満を持つ人間も出るだろう。今のままでも十分俺達は評価されている、不満はない。

いや、本当は不満は有る。いずれ起きる内乱において俺達の役割が決まっていないことだ。正規艦隊は役割が決まっているにもかかわらず俺達には何も指示が無い。予備として扱われるのか、或いは留守部隊として扱われるのか、どちらもごめんだ。不安だけが募る。

ここ最近、俺達は集まればその話で終始する毎日だった。だが、それもようやく終わる。司令長官からの呼び出しはきっと次の内乱での俺達の任務についてだろう。

司令長官室に行くと直ぐ応接室に通された。応接室では既に司令長官がソファーに座って待っている。司令長官は俺達を見ると微かに頷きソファーを指差し座るようにと身振りで示した。

「艦隊の状態はどうですか?」
「問題ありません。いつでも出撃できます」
シュムーデ提督の言葉に俺達は同意するかのように頷く。司令長官はそんな俺達を見ると微かに頷いた。傍らに書類袋がある。あの中に命令書があるのかもしれない。

「帝国は間も無く内乱状態になります。卿らにも当然戦いに参加してもらいます」
「望む所です。我々は一体何を?」

意気込むように答えたシュムーデ提督に司令長官は少し困ったような表情を見せた。
「そうですね。少々微妙な任務になりそうです。地味ですし、華々しい戦闘は先ず無いでしょう。ただ、これ無しでは勝利は難しい」

地味、華々しい戦闘は無い。つまり補給か、内心の落胆を押し殺した。補給を馬鹿にするつもりは無い。補給無しで戦えるなどありえないのだ。だが自分がその補給部隊の護衛となれば、重要性は理解していても落胆は禁じえない。

「補給線の防御でしょうか?」
「ええ、フェザーンとオーディンを結ぶラインの維持が任務となります」
フェザーンか……。確かにフェザーンの商人達が運ぶ物資が無ければ帝国は混乱するに違いない。

司令長官とリンテレン提督の会話を聞きながら航路図を頭に思い浮かべた。ブラウンシュバイク、リッテンハイムが敵の本拠地になる以上、フェザーンとの補給線の維持はカストロプ、マリーンドルフ、マールバッハ、アルテナ、ヨーツンハイムの線か。

「なるほど、ブラウンシュバイク、リッテンハイムが使えない以上補給線は特定されますな。それにいささか遠回りになる」
「うむ。卿の言う通りだが貴族達が補給線の切断などと地味な事をやるかな?」
「油断は出来まい。彼らも必死なのだ。切られてからでは遅い」

シュムーデ、リンテレン、ルーディッゲ提督がそれぞれに話す。
「敵は貴族だけではありません」
「?」
司令長官の声に俺達は思わず顔を見合わせた。皆訝しげな表情をしている。

「フェザーンです」
「フェザーン?」
「ええ、フェザーンが自ら交易船の出航を制限、或いは止めるかもしれません」
「!」

フェザーンが交易を止める?
「帝国とフェザーンの関係は冷え切っています。フェザーンにとっては帝国が混乱し弱体化することが望ましいはずです」

「しかし、出航を止める理由がありますか? こちらは航路を警備するのです。安全が確保されているとなれば……」
「シュムーデ提督、被害などいくらでもでっち上げられますよ」
「!」

被害などいくらでもでっち上げられる。そう言った司令長官の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。確かに帝国とフェザーンの関係は控えめに言っても良くない。となればフェザーンがでっち上げを行なってでも交易船の出航を止める事はありえるだろう。

応接室に沈黙が落ちた。皆顔を見合わせ、そして司令長官を見る。司令長官が傍らに置いていた書類袋を取り上げた。無言でシュムーデ提督に差し出す。

シュムーデ提督も微かに頭を下げ無言のまま受け取る。俺やリンテレン、ルーディッゲに視線を向けてから書類袋を開け、中から書類を取り出した。
「こ、これは、本気ですか!」

シュムーデ提督が驚愕の声を上げる。慌てて彼の手にある書類を見る。書類にはこう書いてあった。


『第一次フェザーン侵攻作戦』




 

 

第百五十三話 第一次フェザーン侵攻作戦

帝国暦 487年10月27日   オーディン 宇宙艦隊司令部 テオドール・ルックナー


「こ、これは、本気ですか!」
シュムーデ提督が驚愕の声を上げる。慌てて彼の手にある書類を見る。書類にはこう書いてあった。

『第一次フェザーン侵攻作戦』

「第一次フェザーン侵攻作戦……」
俺は思わず表題を読んでしまった。その声にリンテレン、ルーディッゲが驚いたような表情を見せ、次に困惑した表情を見せた。

無理も無いだろう、俺も同じ気持ちなのだ。帝国内で内乱が生じているのにフェザーンに侵攻する? どう見ても無謀すぎる。第一、補給線の維持はどうなるのか? 地味で、華々しい戦闘は先ず無いというさっきの言葉はなんだったのか? なんとも腑に落ちない。

俺達の四個艦隊、四万隻でフェザーンに侵攻したとして、占領維持が可能だろうか。第一次という事は、第二次、つまり増援が有るという事か? しかし内乱の最中なのだ。何処から増援を出すというのだろう。

いや、それ以上に反乱軍の動きが心配だ。シャンタウ星域の会戦で大敗北を喫したとはいえ、フェザーンを占領されて黙って見ているだろうか? 最悪の場合、帝国は内乱とフェザーン回廊での反乱軍との戦闘という二正面作戦を余儀なくされるだろう。

シュムーデ提督は困惑した表情のまま、書類を捲る事も無く司令長官に視線を向けている。自然と俺やリンテレン、ルーディッゲも司令長官に視線を向けることになった。

視線を向けられた司令長官は穏やかに微笑んでいる。だがその口から出た言葉は穏やかさとは全く無縁だった。
「その書類を見てもらえば分かりますが、第一次フェザーン侵攻作戦のためにフェザーン方面軍を編制します。シュムーデ提督を総司令官、ルックナー提督を副司令官として四個艦隊、4万隻が動員兵力となります」

フェザーン方面軍! 俺が副司令官。大役だ、大役では有るのだが素直に喜べない。思わず司令長官に問いかけた。
「お待ちください、司令長官閣下。本当にフェザーンに攻め込むのですか?」

失礼な質問だったかもしれない。宇宙艦隊司令長官に対して本気か? と聞いたのだから。罵声が飛んでも可笑しくなかった。ローエングラム伯が司令長官だったら間違いなく叱責されていただろう。メルカッツ提督でも同じだ、目で叱責しただろう、口を慎めと。

しかしヴァレンシュタイン司令長官は全く気にした様子も無く
「ええ、本気です」
と答えた。俺の非礼に気付いていないのか、気付いていても気付いていない振りをしているのか。

困った。いっそ叱責してくれたほうが反論し易いのだ。こうもあっさり肯定されてしまうと後が続けられない。どうしたものかと考えていると司令長官の言葉が聞こえてきた。

「フェザーンに侵攻してもらいますが、フェザーンを占領する事は先ずありません」
フェザーンを占領する事は先ず無い、その言葉に俺達は顔を見合わせた。改めて司令長官の言葉が思い出される。少々微妙な任務、司令長官はそう言ってはいなかったか……。

「つまり、この侵攻作戦はフェザーンに対する恫喝、そう見てよろしいのでしょうか?」
恐る恐ると言った感じの口調で訊ねるリンテレン提督に司令長官はあっさりと認めた。
「その通りです、リンテレン提督」

司令長官とリンテレン提督の遣り取りにシュムーデ提督が頷いている。どうやら司令長官はフェザーンが自ら交易を止める事を防ぐため、ルビンスキーを恫喝しようとしているようだ。それなら単純に占領しろと言われるよりは納得がいく。しかし、幾つか疑問は有る。

「閣下のお考えは分かりました。先程の非礼、お許しください。しかし、幾つか疑問が有ります。先ずフェザーン回廊に侵攻した場合、反乱軍はどう出るでしょう、黙って見ているとも思えません。相手が兵を出せば帝国と反乱軍の間で戦争が起きます」

「小官もルックナー提督と同じ疑問を持っています。反乱軍にその考えが無くてもルビンスキーが何らかの見返りを提示して出兵を要請する可能性は有るでしょう。その場合反乱軍は安全保障の面だけではなく短期的な利益の面からも出兵を実行するのではないでしょうか」

俺の意見にシュムーデ提督が同調する。恫喝といってもこの場合きわめて反乱軍との戦争になり易いのだ。危険すぎるとしか思えない。そのあたりを目の前の司令長官はどう考えているのか? リンテレン、ルーディッゲもそれぞれの表情で同意を示している。

「フェザーンが反乱軍に出兵を要請することは先ず無いでしょうね。それに要請しても反乱軍が出兵する事はありません」
穏やかな表情で司令長官が俺たちの疑問を一蹴した。

どういうことだろう、司令長官の言葉は謎めいている。フェザーンが反乱軍に出兵を要請しない、要請しても反乱軍は出兵しない……。フェザーンと反乱軍の間はそれほどに悪化しているという事だろうか。しかし、一つ間違えばフェザーン回廊が帝国の手に落ちるのだ、手をこまねいて見ているという事があるのだろうか?

「フェザーンは中立、不可侵を標榜しています。中立、不可侵と言うのは自らが実行し周囲がそれを認め尊重して初めて成立するものです」
「……」

「帝国軍を退けるために反乱軍を引き入れるという事は自ら中立、不可侵を否定することになるでしょう。一時的には成功しても将来的に見ればマイナスです。フェザーンが戦場になることをフェザーン自身が認めたのですから」

つまり、その前にフェザーンが譲歩すると司令長官は見ているのだろうか。しかし少々見通しが甘くは無いだろうか。フェザーンが腹を括った場合、どの道いずれは帝国軍が攻めてくると覚悟した場合、フェザーンは反乱軍に援軍を求めるのではないだろうか?

帝国が内乱で増援を送れない、そう見た場合、反乱軍を引き入れ帝国軍と戦う。勝てば軍事的な損失はもとより、交易の遮断を継続する事で帝国内部に混乱を長引かせる事が出来るだろう。フェザーンにとってはむしろ千載一遇の機会と言えるのではないだろうか。

ルビンスキーがそう考えても可笑しくないほど帝国とフェザーンの関係は悪化しているように俺には思える。そのあたりを司令長官はどう考えているだろう。

「閣下、それを覚悟の上でフェザーンが反乱軍と結ぶ事は無いでしょうか?」
俺は司令長官に問いかけ、先程からの疑問を提示した。シュムーデ、リンテレン、ルーディッゲも時に頷き、声を上げ同意を示す。

ヴァレンシュタイン司令長官は俺の疑問に不機嫌そうな表情は全く見せなかった。むしろ何処か楽しそうな表情で俺を見ている。

「ルックナー提督の懸念はもっともです。もしそうなれば帝国もかなり苦しい立場に追いやられます。しかし今回はその可能性は先ず無いといって良いでしょう」
「……」

「帝国、反乱軍、フェザーン……。三者の内二者が手を結ぶ場合、常にフェザーンが誰かの手を握っているとは限りません」
「!」

さり気無い言葉だった。しかし内容は重大だ。思わず、シュムーデ、リンテレン、ルーディッゲと顔を見合す。彼らの表情も驚きに満ちている。
「閣下、閣下は既に反乱軍との間に何らかの協力体制を築いているのでしょうか?」

シュムーデ提督の小声での問いかけに司令長官は軽く頷いた。その様子に俺は改めてシュムーデ、リンテレン、ルーディッゲと顔を見合わせる。彼らに先程までの驚きは無い。どこか心配げな表情をしている。

「大丈夫なのですか、周りに知られたら問題になります」
「大丈夫ですよ、ルーディッゲ提督。この件は私の独断ではありません。帝国軍三長官の合意事項ですし、反乱軍との折衝はリヒテンラーデ侯が主体となってやっていることです」

応接室にほっとした空気が流れた。その空気の流れに乗るかのように司令長官の声が流れる。
「反乱軍との間では内乱終結後に互いに抱える捕虜を交換することで合意が出来ています。シャンタウ星域の敗戦で兵力不足に悩む反乱軍にとって捕虜を返してもらえるというのは何よりも有難いはずです」

捕虜交換か……。確かにその話が宇宙艦隊司令部の作戦会議で出たとは聞いている。もう反乱軍との間で合意が出来ていたのか。

「つまり捕虜交換までは反乱軍との間に協力体制が取れると?」
司令長官はシュムーデ提督の問いに頷きながら話しを続けた。
「内乱が発生した時点で、捕虜交換を発表します。この時点でフェザーンが不利を悟って交易の遮断を放棄してくれれば良いのですが……」

「放棄しなかった場合は?」
「反乱軍に状況を説明し遠征軍を派遣する事を伝えます。帝国はフェザーンの自治、中立を尊重する。但しルビンスキーの反帝国活動は認められない、ルビンスキーが反帝国活動を止めるのであれば軍事行動を止める、そう伝える事になります」

なるほど、ルビンスキーが反乱軍に軍事行動を要請しても逆に反乱軍から反帝国活動を止めろと説得されるのがオチか。妙な話だが捕虜交換を実現するためには帝国の内乱終結が必要なのだ。

反乱軍としては内乱が余りに早く終わっても国力回復の面からは嬉しくないが何時までも続くようでも困る、そんなところだろう。兵を育てるのは時間がかかる。捕虜を少しでも早く返してもらい軍の体制を整えたいという思いが強いはずだ。

そういう意味で言えば、混乱を助長させるようなフェザーンの行動は迷惑なだけだろう。ましてフェザーンに出兵する事になれば、兵を損じ捕虜も帰ってこない事になる。何の利益も無い。

「もし反乱軍が出兵した場合は、当然ですが捕虜交換は白紙に戻されます。そして反乱軍の指導者はルビンスキーに買収されて捕虜を見殺しにした。そう非難します。彼らは大混乱になるでしょうね」

にこやかに話す司令長官をみていると思わず苦笑が出た。優しそうな顔をしてなんとも辛辣な事を考え付くものだ。

「しかし反乱軍がフェザーンに出兵する可能性は皆無というわけではないでしょう。助けを求められた面子もありますし、フェザーン回廊を押さえられるのではないかという不安感もあるはずです。その場合、我々は反乱軍と戦っても良いのでしょうか?」

リンテレン提督の言葉に司令長官は首を振って否定した。
「いえ、遠征軍は一旦フェザーン回廊の外まで引いてください」
「軍を引くのですか」
幾分眉を寄せながらリンテレン提督が答える。

「リンテレン提督、戦線を増やすのは得策ではありません。フェザーン戦線は出来る限り外交戦でいきます。遠征軍はその外交を成功させるための武器なのです。戦うために使うのは最後の最後です」

司令長官の言葉にリンテレンは戸惑っている。見かねたのだろう、ルーディッゲ提督が代わって質問した。もっとも彼の顔にも多少の戸惑いがある

「閣下、外交戦で行きたいという御考えは分かりますが具体的にはどうされるのでしょう。我々が引けば反乱軍がフェザーンを押さえ、交易も遮断したままですが」


「反乱軍に申し入れを行ないます。反乱軍の手でルビンスキーの反帝国活動を止めるのであれば帝国としては反乱軍のフェザーン進駐を認め、捕虜交換も行なう。反帝国活動を止めないのであれば、帝国は反乱軍がルビンスキーに与したものと判断し実力を以って反乱軍、ルビンスキーを排除する」

「!」
応接室の空気が一瞬で緊張した。実力を以って排除する。つまり反乱軍と戦いこれを破る、そしてルビンスキーを排除するという事か。最後通告だな。

「なるほど、面子を立てたい、こちらを信頼できないというなら、自分たちでルビンスキーの反帝国活動を止めて見せろ、そういうことですか」
「ええ」
司令長官とシュムーデ提督の会話にルーディッゲ提督が苦笑した。たちまち笑いが伝染する。応接室の中は笑いに満ちた。

「閣下も随分と辛辣ですな、しかし反乱軍のフェザーン進駐を認めてしまってよろしいのですか」

「構いませんよ、ルックナー提督。今の反乱軍は帝国軍を相手にフェザーン、イゼルローンの両回廊を維持するだけの兵力はありません。いずれ各個撃破されるだけです」
「!」

「出来れば反乱軍にはフェザーンを占領して欲しいものです。反乱軍は経済的な苦境から脱するためにフェザーンから様々な形で財産を毟り取る筈です。帝国がフェザーンに再侵攻するときには解放軍として歓迎してくれるでしょう。楽しみですね」

そう言うと司令長官は軽やかに笑い声を上げた。全く司令長官の辛辣さには恐れ入る。馬鹿を見るのはルビンスキーと反乱軍か。司令長官に釣られたかのように俺達も笑う。

一頻り笑った後、司令長官が表情を改めた。
「十一月十五日を作戦開始日とし、遠征軍は訓練と称して作戦行動に入ります。内乱発生後は速やかにフェザーンへ向かってください」
「……」

司令長官の言葉に俺達は無言で頷く。どうやら司令長官は内乱は早ければ十一月下旬には始まるとみているようだ。

「それまでの間、この作戦は一切口外を禁じます。たとえ相手が犬、猫、草木であろうと話す事は許されません。現時点において宇宙艦隊でこの作戦について知っているのは、此処に居る人間だけです」
「他に知っている方は」

俺の問いに司令長官はエーレンベルク軍務尚書、シュタインホフ統帥本部総長、リヒテンラーデ侯の名を上げた。いやでも緊張で身が引き締まる。犬、猫、草木であろうと話すなというのは冗談ではない。これはその性格から言っても極秘作戦なのだ。

「帝国軍は三方面で軍事活動を行なう事になります。本隊は貴族との決戦、別働隊は辺境星域の平定、フェザーン方面は外交戦による交易の保証、その後は通商路の護衛です」
「……」

「フェザーン方面軍は、ルビンスキー、高等弁務官のレムシャイド伯、オーディン、場合によっては反乱軍とも連絡を取りつつ作戦を進めることになります」

「閣下、オーディンではどなたに連絡を取ればよろしいのでしょうか?」
「基本的には私とリヒテンラーデ侯になります」
「閣下がですか、しかし本隊の指揮は……」
「フェザーン方面が落ち着くまではメルカッツ提督にお願いする事になるでしょう。私が本隊に合流するのはその後になります」

シュムーデ提督と司令長官の会話を聞きながら第一次フェザーン侵攻作戦のことを考えた。ひどく簡単になりそうにも思えるし厄介な事になりそうな気もする。今更ながら司令長官の言ったように少々微妙な任務になりそうだ。


 

 

第百五十四話 居場所

帝国暦 487年10月28日   オーディン 新無憂宮  ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー


私は最近ほぼ毎日、新無憂宮に来ている。理由はエリザベート・フォン・ブラウンシュバイク、サビーネ・フォン・リッテンハイム、お二方の無聊をお慰めするためだ。

お二方が新無憂宮に移られた直後、陛下より養父に依頼が有った。私としては養父の身体も心配なので断りたかったのだが、養父は最近は具合も良いから心配は要らないと言って私を新無憂宮に行かせることにした。

エリザベート様もサビーネ様も不安そうに毎日を過ごしている。此処に来てから外に出る事も出来ず殆ど軟禁に近い状況らしい。当然だが外の状況も良く分からないようだ。そのあたりを御教えするのも私の役目になっている。私は養父から何故お二人がここに居るのか、大体の事は聞いている。お二人が不安そうにするのも無理はないと思う。

「ユスティーナ、今日はヴァレンシュタイン元帥がこちらにいらっしゃるそうです」
「元帥がこちらに?」
「ええ、お母様がリヒテンラーデ侯に帝国軍三長官の誰かを呼ぶように命じ、それで司令長官が此処に来るそうです」

公爵夫人が帝国軍三長官を呼んだ?ヴァレンシュタイン元帥が此処に来る? 一体何の用だろう。エリザベート様の言葉に不安が湧き上がる。

元帥はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にとってもっとも脅威な存在のはず。公爵夫人も決して元帥に好意は持っていないだろう。厄介なことにならなければいいのだけれど。

元帥は大体週に一度は養父の元を訪ねてくる。陛下の御依頼も元帥が養父に持ってきたものだ。三人で一緒にお茶を飲み話をするけど、どうしても仕事の話が出る事が多い。養父もそれを止めようとはしない。

どうやら養父は元帥の仕事がどういうものか、私に教えようとしているようだ。今回の件もその一環なのだろう。養父は元帥を知った上で付いて行けるのかを私に判断させたいのだと思う。

出来れば二人だけで会いたいのだけれど今は無理だと思う。護衛も付いているし、何よりも忙しくて時間が取れない。

元帥がエリザベート様達のために用意された部屋にいらっしゃったのはそれから一時間ほど経ってからだった。公爵夫人とエリザベート様が元帥を迎える。

三人はテーブルを挟んで椅子に座り、私は少し離れた所で椅子に座った。最初は遠慮しようと思ったのだけれど、公爵夫人が同席するように命じてきたのだ。

私は元帥の左手のほうに座っている。私からは元帥は正面から見えるが元帥からは見えづらい位置に居る。元帥は私に気付いた様子も無く公爵夫人に向き合って座った。

「ヴァレンシュタイン元帥、夫達はどうなりましたか?」
「はっ。既に二十五日にオーディンを離れました。今はフレイア星系に向かっておりましょう。早ければ十一月の二日か三日にはブラウンシュバイク星系に着くものと思います」

「リッテンハイム侯はさらに四、五日かかりますね。それでも十日になる前には着きますか」
「……」
元帥が無言で頷いた。

「元帥、貴方は言いましたね。早ければ早いほど貴族達の暴発から逃れる事が出来ると、遅くとも十一月の下旬には準備を整えておく必要があると」
「はい」

「間に合うと思いますか?」
「……小官には、なんとも判断しかねます」

それからの一時間は元帥にとっては辛い時間だったと思う。公爵夫人は元帥にブラウンシュバイク公を助ける方法を問い続け、エリザベート様は泣きそうな表情で元帥を見詰めている。

元帥は公爵夫人に対してはっきりした事は言わなかった。助ける方法が無いからなのか、それとも助けるつもりが無いからなのか、私には分からない。しかし帰るときの元帥は全くの無表情で、私を見ることも無く部屋を出て行った。気付かなかったのだろうか?

元帥が出て行った後、公爵夫人は一つ大きく溜息をついた。そして私に視線を向けた。
「ユスティーナ、貴女は元帥とは恋仲と聞きましたが?」

思いがけない公爵夫人の問いに思わず頬が熱くなった。どう答えれば良いだろう、わからないまま、ただ顔を見られたくないと思って頭を下げた。

「そのような事は……」
「無い、と言いますか?」
「いえ、良く分かりません」

そう、良く分からない。
「元帥は貴女を見ましたか?」
「……見ませんでした」

「見ませんでしたか……。辛かったのでしょうね」
「?」
「好きな女性の前で情の無い姿を見せるのです。貴女の気持ちを思うとやりきれなかったのでしょう」
「……」

「若いのに手強いですね、元帥は。貴女の前なら多少は情を見せるかと思ったのですが、そんなところは微塵も無い。リヒテンラーデ侯が彼をここへ寄越すのが良く分かります」
「……」

「エーレンベルクやシュタインホフでは私達に同情してしまう、怯んでしまうと思ったのでしょう」
「もしやと思いますが、私に同席を御命じになったのは」
「ええ、少しでも有利になればと思ったのですが無駄でした」

そう言うと公爵夫人は微かに苦笑した。そして天を仰いで呟いた。
「あまり状況は良くないようですね、エリザベート。もしかするとお父様とはもう会えないかもしれません」

「お母様」
エリザベート様が泣きながら公爵夫人に抱きつく。公爵夫人はそんなエリザベート様を優しく抱き寄せた……。


帝国暦 487年10月31日   オーディン 装甲擲弾兵総監部 ヘルマン・フォン・リューネブルク


妙な事になった。オフレッサー上級大将から俺に十一時に装甲擲弾兵総監部へ出頭しろと連絡が入った。オフレッサーは装甲擲弾兵総監でもあるから命令自体は可笑しな物ではない。

しかし向こうは俺を嫌っているはずだ。俺が宇宙艦隊に居るのも良い厄介払いが出来たぐらいにしか思っていないだろう。俺の顔など見たくないだろうにわざわざ呼びつけるとはどういうことか?

まさかとは思うがヴァレンシュタイン司令長官との間を取り持てというのだろうか。どうにもよく分からん。

「ヘルマン・フォン・リューネブルク中将です」
総監室に入ると執務机からオフレッサーがこちらに眼を向けた。相変わらず人相が悪い。せめて左頬の傷を完治させれば少しは印象が変わるのだが、わざと完治させないのだからな。

オフレッサーは席を立つと俺の方に歩いてきた。
「リューネブルク中将か、よく来た。少し付き合え」
そう唸るような声で言い捨てると俺の返事を聞くことも無く総監室を出て行った。俺はこの男の声も好きになれない。

オフレッサーは部屋だけではなく装甲擲弾兵総監部からも出るとこちらを気にする事もなく歩き始めた。やむなく俺も後を追う。
「三十分ほど歩く。いい腹ごなしになるだろう」

三十分? 腹ごなし? 昼飯を一緒に取ろうというのか? そう思ったが
「はっ」
と俺は答えていた。

三十分ほどオフレッサーに付いて歩くと小さな街並みが見えてきた。その中にある一軒のレストラン、いや定食屋といって良い店にオフレッサーは入った。どう見ても帝国軍上級大将が入る店ではない。しかし止むを得ず俺も中に入った。

店に入るとオフレッサーと差し向かいで席に座ることになった。
「俺が注文する。親父、何時ものヤツを二つ頼む」
おいおい、一体何処まで勝手な奴なんだ。それにしても何時ものヤツ? この男、此処にはよく来るのか?

「どうした、驚いたか。どうみても帝国軍上級大将の来る店ではないからな……」
「まあ、多少は驚いております」
「フン、遠慮のないやつだ」

妙な感じだ。オフレッサーは俺の答えにも余り気分を害した風でもない。一体何を考えているのだろう? ただ飯を一緒に取ろうというのだろうか? 有り得ない話ではないが、相手がオフレッサーだ、只の馬鹿とは思わないが、聡明とも思えない。何を考えている?

無愛想な六十年配の親父が出してきた料理はアイスバインを使ったシュラハトプラットだった。塩漬けした骨付きの豚スネ肉を柔らかくなるまで煮込んだアイスバイン、それをザワークラウトの上に載せ蒸し焼きにした料理だ。それに白ワインが一本付いている。一口食べて唸り声が出た。これは美味い、これほど美味いシュラハトプラットを俺は食べた事がない。

アイスバインの煮込み具合によって美味しさに雲泥の差が出る料理だがこの店のアイスバイン、これは間違いなく絶品といって良いだろう。それにザワークラウトもいける。

思わず嘆声を上げた俺にオフレッサーが笑いを含んだ声で話しかけてきた。
「どうだ、美味かろう。この店のシュラハトプラットは間違いなく帝国一だ。皇帝陛下といえどもこれ程の味は知るまい」

「確かに……」
美味い料理というのは有り難い物だ。それだけで会話を生んでくれる。
「俺はな、貴族とは名ばかりの貧しい家に生まれた。食うために軍人になったといって良い。幸いこの身体が有ったのでな、装甲擲弾兵になった」
「……」

思わず手が止まった。まじまじとオフレッサーを見る。オフレッサーは気にした様子もなくシュラハトプラットを食べている。装甲擲弾兵はオフレッサーにとって天職だった。二メートルに達する身長とその身体を覆う筋肉。他者の倍ほどの大きさを持つトマホークを軽々と操り、敵対するものを屠ってきた。同盟に居る頃はこの男とだけは戦いたくないと思ったものだ。

その流した血の量だけで装甲擲弾兵総監になったと言っていい。同盟軍からは「ミンチメーカー」と恐れられ忌み嫌われた。当時同盟の装甲擲弾兵が嫌ったのは味方で有るはずのローゼンリッターとヴィクトール・フォン・オフレッサーだ。

「この店のシュラハトプラットを食ったとき、世の中にはこれほどまでに美味い料理があるのかと驚いた。それ以来、出征前と出征後は必ずこの店によることにしている」
「宜しかったのですか、小官に教えて」

多少の皮肉を込めて言ったのだがオフレッサーは俺の問いに答えなかった。
「このシュラハトプラットを食べて戦場に出る、このシュラハトプラットを食べるために戦場から戻る、その繰り返しだ。人間など大したものではないな、いや、それとも大したことがないのは俺か……」
「……」

「もう直ぐ帝国を二分する内乱が起きる。卿は当然だがヴァレンシュタインに付く、そうだな」
「はい」

質問というよりは確認のような口調だった。緊張したのは俺だけのようだ。オフレッサーは俺に眼を向けることもなくシュラハトプラットを食べている。少し腹が立った、思い切って訊いてみた。
「閣下は如何なされますか?」

「俺はな、帝国が好きだ。俺を装甲擲弾兵総監、オフレッサー上級大将にしてくれた今の帝国がな。卿の主人が作ろうとしている帝国は俺の好きな帝国ではない」
「……」

「分かっているのだ。俺も下級貴族に生まれた。門閥貴族どもの鼻持ちならなさにはうんざりしている。このままでは帝国が立ち行かぬというのも分かる」
「……」

「それでも俺の居場所は此処しかない。新しい帝国では装甲擲弾兵総監、オフレッサー上級大将の居場所はあるまい。そこで必要とされるのは卿のような男だ」
「……」

オフレッサーはワインを一息に飲んだ。俺も釣られるようにグラスを空ける。酸味の強い白ワインだ。オフレッサーと俺のグラスにそれを注ぐ。

「俺は卿が嫌いだ」
「……」
一瞬だがボトルと俺のグラスが音を立てた。何事もないように注ぎ終えボトルをテーブルに置く。ボトルには未だ三分の一程度残っていた。

“俺は卿が嫌いだ” 気負いのない声だった。嫌悪も憎悪も感じられなかった。目の前のオフレッサーを見ても特に敵意は感じられない。無心にシュラハトプラットを食べているように見える。本当に嫌いだといったのだろうか?

「卿は俺に無い物を持っている。俺はトマホークを持って戦うことしか出来ん、人殺ししか能のない男だ。だが卿は違う、卿は自ら戦う事も兵を指揮する事も出来る男だ。会った時から嫌いになった、憎かった」
「……」

「第六次イゼルローン要塞攻防戦で益々卿が嫌いになった。卿が能力だけではなく、主人にも恵まれていると分かったからだ。あの男、俺やミュッケンベルガー元帥を前にしても少しも怯まなかった、小童が」
「……」

あの時の事は今でも憶えている。いや、一生忘れる事はないだろう。もう少しで切り捨てられる所だった。同盟でも帝国でも居場所が無い事を思い知らされた瞬間。それをヴァレンシュタインが救ってくれた……。

「リューネブルク中将、ヴァレンシュタイン元帥は良い主人か?」
「はい」
「卿の命を懸けられるか?」
オフレッサーがこちらを見てくる。見据えるというような強い視線だ。

「懸けられます」
「そうか……。俺には命を懸けられる相手が居なかった。やはり俺は卿が嫌いだ」
そう言うとオフレッサーは苦笑して、ワインを一口飲んだ。

「卿は装甲擲弾兵総監になりたいか?」
また唐突な問いだ。どう答えるかと考えたが正直に答えることにした。
「……なりたいと思います」
「正直だな」

「閣下の前で嘘を吐こうとは思いません」
俺の言葉に微かにオフレッサーが笑った。厭な笑いではなかった。
「装甲擲弾兵には臆病者はおらん、勇者だけだ。総監ともなれば勇者の中の勇者だが卿になら務まるだろう……」
「……」

「新しい帝国が出来れば卿が、今の帝国が続くのであれば俺が装甲擲弾兵総監として勇者を率いるというわけだ。楽しみだな」
「そうですな」
どちらからともなくグラスを掲げた。一息でワインを飲み干す。

内乱が起きればオフレッサーは貴族連合に与する。この男が敵に回れば手強い。白兵戦、一対一ではこの男に勝てないのは分かっている。何らかの策を巡らす必要があるだろう。俺は目の前の筋肉に包まれた男を見ながらどう戦うかを考えていた……。





 

 

第百五十五話 ヴァレンシュタイン艦隊の憂鬱

帝国暦 487年11月 1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 ジークフリード・キルヒアイス



「昨日は、予定通り副司令長官と戦術シミュレーションを行ないました」
「そうですか」
ワルトハイム少将が朝のミーティングで司令長官に報告を行なった。何処となく司令長官の顔色を窺うような態度だ。

もっともそれは彼だけではない。会議卓の椅子に座った他のメンバー達、副司令官クルーゼンシュテルン少将、分艦隊司令官クナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将、トゥルナイゼン少将、副参謀長シューマッハ准将も同様だ。その所為だろう、部屋の空気は必ずしも明るくは無い。

宇宙艦隊の正規艦隊には宇宙艦隊司令部に専用の部屋が用意されている。常日頃、各艦隊の司令部要員は其処で事務処理、打ち合わせ等を行なっている。司令長官の艦隊も例外ではない。

司令長官室の直ぐ傍に部屋が用意され参謀長を始めとして艦隊司令部を構成する幹部達が常駐している。つまり、今私達がいる部屋だ。

ヴァレンシュタイン司令長官は司令長官室で仕事をしているか、新無憂宮に呼ばれている事が多いのでこちらで仕事をする事は殆ど無い。艦隊の運営維持に関してはワルトハイム参謀長に一任している。

司令長官がこの部屋に来るのは基本的に朝のミーティングの時だけだ。前日の報告、当日、今後の予定を確認する。またそれ以外にも問題点等の有無の確認を行なっているそうだが私が来てからは殆どそんな物が上がった事はない。ワルトハイム参謀長は艦隊の運営維持に関しては極めて有能な人物だ。

今、ワルトハイム参謀長が言っている戦術シミュレーションだが、これは幼年学校や士官学校で行なっている物とは少し違う。お互いに用いる戦力は自分の艦隊を想定して行なわれているのものだ。

例えば司令長官の艦隊の場合は、本人が率いる本隊、副司令官クルーゼンシュテルン少将の部隊、分艦隊司令官クナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将、トゥルナイゼン少将が率いる部隊から成り立っている。

つまり五つの部隊に対して命令を出しながら相手と戦うわけだ。自分の艦隊をどう使って相手に勝つか、それを目的としている。より実戦を想定した演習といっていいだろう。

シミュレーションでコンピューターに指示を入れるのは指揮官だが、司令部の人間達はその周りでアドバイスをする事でシミュレーションに参加する。そういう意味でも実戦に即した形をとっていると言える。

この戦術シミュレーションは宇宙艦隊の中では恒常的に行なわれている。もっとも司令長官はこの戦術シミュレーションに参加した事は無い。全てワルトハイム参謀長を中心とした司令部幕僚が行なっている。指揮官もワルトハイム参謀長が務めている。

「残念では有りますが、我々は敗れました。申し訳有りません」
「副司令長官が相手なのです。負けても恥ではありませんよ」
穏やかな表情だ。本気でそう思っているのだろうか? だとすると知らないのだろう、昨日のシミュレーションは酷かった。全く良い所が無く負けたのだ。

「ですが、シミュレーションの勝率は……」
ワルトハイム参謀長が語尾を濁した。戦術シミュレーションでの勝率も決して良くない、三十パーセント程度だ。他の艦隊が五十パーセント前後、ラインハルト様にいたっては未だ負けがない。

その事を考えればヴァレンシュタイン艦隊の勝率は極端に低いといって良い。司令部の人間達が何処かおどおどしているのもそれを気にしての事だ。

「どの程度でしたか?」
「……三十パーセントです」
ワルトハイム参謀長が顔を伏せ気味にして答えた。周りも似たような態度だ。叱責が飛ぶのを覚悟しているのだろう。

「三十パーセントですか。悪い数字ではないと思いますが」
「……」
司令長官の言葉は思いがけないものだった。予想外の展開に皆顔を見合わせ、何処となく困惑した表情を見せている。

「宇宙艦隊の各司令官は帝国でも一線級の指揮官達です。彼らを相手に勝率三十パーセントは決して低い数字ではありません。卑下する必要はないでしょう」
「はあ」

司令長官の言葉にワルトハイム参謀長は困ったような声を出した。どう答えていいか分からないのかもしれない。確かに数字そのものは低いが今の宇宙艦隊の司令官達を相手に勝率三十パーセントというのは悪い数字だとは言えないかもしれない。司令長官の言葉には一理有る。

「シミュレーションなのです。勝敗に拘る必要は有りません。それよりも部隊の展開、連携等を各自良く確認してください。シミュレーションで想定し、訓練で習得する。そして実戦で戸惑うことなく実行できるように。いいですね」
「はっ」

全員が頷く。何処となく部屋の空気が明るくなったようだ。皆叱られずに済んだのでほっとしたのだろう。以前から思っていたのだが司令長官は本人が戦略家、政略家であるだけに余り戦術には重きを置かないようだ。

「今日はミュラー提督が相手でしたね」
「はい」
「頑張ってください。相手はしぶといですよ、根負けしないように」

司令長官の言葉にようやく笑いが起きた。そんなときだった、トゥルナイゼン少将が司令長官に話しかけた。
「閣下、如何でしょう、今日のシミュレーションは閣下が指揮を取られては」

面白いと思った。司令長官が戦術家として無能だとは思わない。しかしミュラー提督も極めて有能な戦術家だ。司令長官の力量の一端を知ることが出来るかもしれない。そう思ったが司令長官はあっさりと断った。戦術シミュレーションは余り好きではない、そう言って。


帝国暦 487年11月 1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


十一月になった。原作ではフリードリヒ四世は十月に死んでいた。こちらでは死んでいない。世の中の流れだけではなく人の人生も変わっているようだ。

明日か明後日にはブラウンシュバイク公が領地に着くだろう。リッテンハイム侯も後十日と経たずに領地に着くはずだ。二人がオーディンから去った事で多くの貴族がそれに続いた。領地に戻り兵を挙げる準備をするのだろう。

オーディンに残っている連中も自分で行なわないだけで兵を挙げる準備は着々としているようだ。シュタインホフが言っていたから間違いない。

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が暴発から逃げられるかどうかはこの十一月で決まる。貴族達が反乱の準備を終える前に、彼らがブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の動きに不審を抱く前に領地替えの準備が出来るか否かだ

なかなか厳しい状況だろう。貴族達にとって借金の返済がじりじりと迫っている。彼らはかなり焦っているはずだ、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の準備が遅れるようだと兵を率いて押しかけてくるだろう。そうなってからでは遅い。そうなる前に逃げられるかどうか……。

二人が暴発に巻き込まれた場合は、反乱軍が集結した段階でエリザベート、サビーネの皇族への復帰を宣言する。そうすれば貴族達はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を疑うだろう。何処かでこちらと通じているのではないかと。負けが込めばあっという間に崩れるはずだ。嫌な手だが有効だ、躊躇わずにやるしかない。そのほうが内乱は早く終決する。

負けるとは思わない、問題は勝ち方だろう。今回の内戦は原作のような権力闘争じゃない、帝国の行く末を決める階級闘争だ。間違っても平民達の信頼を失うような事を、ヴェスターラントの虐殺のような事件を起してはいけない。

問題はラインハルトとオーベルシュタインだ。長期に亘って独立行動を取る事になるが、ヒルダが良い意味での安全弁になってくれるのを期待するしかない。

上手く行ってくれればいいのだが、ヒルダがラインハルトに対してどれだけ影響力を持つことが出来るかが鍵に成るだろう。ラインハルトがヒルダの事を俺が差し向けたスパイだなどと勘繰るとどうにもならなくなる。

フェザーン方面は俺とリヒテンラーデ侯、レムシャイド伯で対応する。大切なのは帝国とフェザーンの交易を維持すること、ルビンスキーを孤立させる事だ。それが出来るなら同盟のフェザーン進駐も認めても良い。

上手く行けばルビンスキーを失脚させることが出来るだろう。それも同盟の手で失脚させる事が出来る。その場合地球教がどう出るかだな。フェザーン、ルビンスキーを切り捨てる事が出来るか、それとも固執するか。報復するなら何処に、誰に対して報復するか。

地球教が動けば、その時点でこちらも地球教を危険だと周囲に説得できる。ようやく奴らに対しても手が打てるだろう。今のままでは何の動きも無い地球教を危険視するのは余りにも不自然すぎる。

フェザーン方面が落ち着くまでには最低でも二ヶ月か三ヶ月はかかるだろう。その間は本隊の指揮はメルカッツ提督にお願いすることになる。十個艦隊近い兵力を運用する事になるか……。

階級で上位にある事だけでは不足だな。役職でもメルカッツ提督を皆の上位に置く事が必要だ。宇宙艦隊副司令長官か……。メルカッツ提督を副司令長官にするのは問題ないが、どのタイミングでそれを発表するかだな。

ぎりぎりまで待ったほうがいいだろう。副司令長官にするとなれば理由を話さなければならないがフェザーンの件は出来るだけ伏せておきたい。今の段階でフェザーンに知られてはやり辛くなる。


それに周囲が変な誤解をしかねない。俺がラインハルトを切り捨てる覚悟を決めたと勘違いする人間も出るだろう。辺境星域鎮定で失敗すれば切り捨てるが、何が何でも切り捨てると決めたわけではない。ラインハルトも不安に思うだろうし、不安を煽る人間も出るはずだ。

厄介な話だ、敵とどう戦うかよりも味方をどう扱うかの方が神経を使う。まったくうんざりする。ミュッケンベルガー元帥も同じような思いをしてきたんだろうか、一度訊いてみるか……。

会いに行けばユスティーナにも会うことになるな。どんな顔で会えば良いだろう。彼女は先日の俺をどう思ったか……。情のない男、冷血漢とでも思ったかもしれないな。

彼女が俺に好意を持ってくれているのはなんとなく分かる。しかし俺はどうすればいいのか良く分からない。俺としては彼女は嫌いなタイプじゃない、むしろ好みのタイプだ。ヒルダやヴェストパーレ男爵夫人のような才気に溢れた女性よりユスティーナの方がずっと良い。

だが彼女は貴族で俺は平民だ。彼女は、ミュッケンベルガー元帥はそれをどう考えているのだろう。これからは平民の時代が来る、そうは思っても俺を受け入れられるのだろうか? 実力を認めるのと受け入れるのは別だろう。

俺の祖父と祖母を見れば分かる。祖父は祖母との結婚を望んだが、祖母はそれを拒んだ。貴族が平民を蔑む以上に平民が貴族を忌諱することもある。それほどこの世界では貴族と平民の壁は大きい。

祖父と祖母の話に限らない。ケスラーも同じような想いをしている。彼の幼馴染のフィーアは貴族だろう。それも爵位を持たない帝国騎士だと思う。幼馴染として育って互いに好意を抱いていた。結婚できるとも考えていたかもしれない。

しかしケスラーはそれが不可能だと気付いた。多分、士官学校に行くようになって貴族と平民の身分の壁に気付いただろう、あるいは気付かされたのか。だから、少尉任官後フィーアの前から去った。そしてフィーアはクラインゲルト子爵家に嫁いだ。

キルヒアイスも同様だろう。アンネローゼの事を想ってもその想いが適う事は無い。だからこそあそこまで純粋に一途になれるのかもしれない。切ない話だ、哀れですらある。ラインハルトがキルヒアイスとアンネローゼの事に気付かなかったのも未熟というよりは無意識に身分に囚われたからだろう。

アンネローゼが自分のことを罪深い女だと言っているが、もしかすると彼女自身キルヒアイスの気持ちを重荷に感じていたのかもしれない。少なくとも自分がキルヒアイスの人生を変えてしまったことには責任を感じていた。

貴族と平民か、これから先どうなるのか……。内乱が起きれば門閥貴族は壊滅し平民や下級貴族が力を振るう時代が来る。帝国の統治下においては貴族、平民の権利に差はなくなる方向で動いていく。法の下での平等が実現されるのだ。しかし、人の意識に壁が無くなるのは何時になるのだろう。


帝国暦 487年11月 1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ


私の目の前で司令長官は決裁文書を見ている。より正確に言えば見ている振りをしている。もう三十分以上同じ文書を見続けているのだ。見ている振りをして他の事を考えているのに違いない。

大体表情が少し憂鬱そうに見える。書類を読んでいるのならもっと楽しそうにしているし、ぼんやりしているのなら気の抜けた表情をしている。今は内乱のことか、あるいは人事の事でも考えているのかもしれない。

考え事が終わったのは、それからさらに二十分程たってからだった。大きく溜息をつくと書類にサインをし既決の文書箱に入れる。それを待って話しかけた。

「閣下、少しよろしいですか」
司令長官は私を見ると軽く頷いた。先程までの憂鬱そうな表情は無い。穏やかで柔らかい表情を見せている。

「戦術シミュレーションの事ですが、このままでよろしいのですか?」
「……何か、有りますか?」
やはり気付いてはいないか。

「皆自信を無くしています。自分達の艦隊が宇宙艦隊で一番弱い艦隊だと」
「……」

「それに閣下は一度も戦術シミュレーションに参加しません。宇宙艦隊の中では司令長官は自信が無いから戦術シミュレーションをしないのだという風評が立っています。その事が余計に司令部の人間を落ち込ませています」
「……」

司令長官はうんざりしたような表情をしている。
「閣下の仰りたい事は分かっています。シミュレーションなのだから勝敗に拘る必要は無い、それよりも部隊の展開、連携等を確認しろ、そういう事でしょう。正しいと思います、皆も分かっているのです。それでも負けるという事が彼らを落ち込ませています」

司令長官はうんざりしたような表情を変えようとはしない。心底うんざりしているのだろう。しかし私に言わせれば、シミュレーションの結果に拘らない司令長官の方が不思議なのだ。

「中佐は私にシミュレーションに参加しろと言っているのですね」
「はい」
「私が出ても勝てるという保証はありませんよ」

司令長官が不機嫌そうに言ったが私は気にならない。司令長官の戦術家としての実力は良く分かっている。ヴァンフリートでは敵として戦い捕虜になった。イゼルローンでは同盟軍があっという間に壊滅するのを目の前で見たのだ。

司令長官がシミュレーションの結果に拘らないのは、自分の実力に自信が有るからかもしれない、あるいは兵站科を専攻した事が原因だろうか。

司令長官はしばらく私の顔を見ていたが、“後で検討会に参加します。それでいいですね”と言うと未決の文書を手に取り読み始めた。



帝国暦 487年11月 1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 クラウス・ワルトハイム


ミュラー提督との戦術シミュレーションは完敗に終わった。昨日といい今日といい、全くいいところ無しだ。司令長官には勝敗に拘るなと言われた。それが正しい事も分かっている。しかしそれでも落ち込んでしまう自分が居る。

宇宙艦隊で最も弱い部隊。それが我々に付けられた渾名だ。皆半分以上冗談で言っているという事はわかっている。なんと言っても司令長官がシミュレーションに参加した事は無いのだ。

艦隊のメンバーは皆落ち込んだ表情をしている。唯一表情を変えていないのはキルヒアイス准将だけだ。所詮、ここではお客様のつもりなのだろう。本当の居場所は副司令長官のところというわけだ。

昨日の副司令長官とのシミュレーションでは、必死に表情を押さえようとしていた。負けた悔しさよりも副司令長官が勝った事への喜びを隠すためだろう。腹立たしいにも程がある。副司令長官も時折キルヒアイス准将に視線を送っていた。勝った、とでもいいたいのだろうか。いい加減にして欲しいものだ。

今日の戦術シミュレーションはクレメンツ提督が統裁官を務めた。見学者はワーレン提督とルッツ提督だ。二人は内乱が起きれば副司令長官の指揮の下、ミュラー提督と共に辺境へ赴く。ミュラー提督の戦術家の力量を確認しておこうというのだろう。

本隊からは誰も見学に来ない。つまり我々の戦術家の力量には関心が無い、そういうことだろう。情けない話だ。これから行なわれる検討会がなんとも気が重い。

検討会の行なわれる会議室に行くと中央にクレメンツ提督が座っていた。ミュラー艦隊の人間がクレメンツ提督の右手側に座り、我々が左手側に座る。ワーレン提督とルッツ提督は見学者用の席、ミュラー提督の後ろに用意された椅子に座っている。

全員が揃ったが、クレメンツ提督は検討会を始めようとしない。皆が訝しげな表情をクレメンツ提督に向けると、クレメンツ提督は軽く微笑んだ。

「もう少し待ってくれないか、検討会に参加したいという方がいるのでね」
参加したい方? 一体誰だ? クレメンツ提督の言葉に疑問を抱いた時、会議室に入ってきた人物が居た。

「申し訳有りません、少し遅れましたか」
「!」
俺達は皆席を立って敬礼をした。入ってきたのはヴァレンシュタイン司令長官だった。


 

 

第百五十六話 シミュレーションと実戦

帝国暦 487年11月 1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 クラウス・ワルトハイム


「申し訳ない、少し遅れましたか」
「!」
俺達は皆席を立って敬礼をした。入ってきたのはヴァレンシュタイン司令長官だった。

司令長官は答礼すると皆に座るように手振りで示した。そしてこちらに向かって歩いてくる。俺はヴァレンシュタイン艦隊のメンバーに一つ席をずらして座るように頼んだ。
「閣下、こちらへ」

司令長官は俺の言葉に頷き、それまで俺が座っていた席に座った。クレメンツ提督に一番近い席、シミュレーションで指揮官を務めた人間が座る席だ。

皆驚いた顔をしている。司令長官が検討会に参加するとは思っていなかったのだろう。ワーレン提督、ルッツ提督も小声で話し合っている。少し興奮しているようだ。

「珍しいですね、閣下が戦術シミュレーションに参加するとは」
「フィッツシモンズ中佐にたまには参加しろと叱られました」
司令長官とクレメンツ提督の話しからするとフィッツシモンズ中佐が司令長官をここへ寄越したようだ。中佐は俺達が落ち込んでいるのに気付いたのかもしれない。

「それはご愁傷様です……、しかし、これで楽しくなりそうですな。そうじゃないかな、ミュラー提督」
「そうですね。士官学校時代を思い出しますね」

「士官学校時代ですか、戦術シミュレーションには良い思い出が無いですね。シュターデン教官にいつも嫌味を言われました。あれでシミュレーションが嫌いになりましたよ」

司令長官が少し眉を寄せている。司令長官とシュターデン大将の不仲は有名だが士官学校時代からなのか。

「閣下がシュターデン教官を怒らせたからですよ」
「怒らせた? そんな事が有ったかな? 記憶に無いけど……」
何処か呆れたようなミュラー提督の言葉だが、司令長官は心当たりが無いようだ、困惑を隠そうとしない。とぼけているような感じでもない。

「兵站科を専攻した閣下が戦略科を専攻した学生たちをシミュレーションでコテンパンに叩きのめしていましたからね。面白くなかったのでしょう」
「……」

クレメンツ提督が笑いながら理由を教えてくれた。やはり司令長官は強いのだ。宇宙艦隊司令部内で流れている戦術シミュレーションに自信が無いなどという噂は噂でしかないのだ、真実ではない。

「おまけに口を開けば戦争の基本は兵站と戦略だ、ですからね。戦術はまるで無視。シュターデン教官はそれも怒っていましたよ。戦術は大事だと言って」

クレメンツ提督の言葉を補足するかのようにミュラー提督が続けて喋った。そしてクレメンツ提督と顔を見合わせ苦笑する。逆に司令長官は不機嫌そうだ。何時もの穏やかな表情ではなく、生真面目な表情だ。

「戦術を軽視するつもりは無い。だが戦術シミュレーションで勝敗ばかり重視すると戦闘と戦争の区別もつかない戦術馬鹿を生み出すことになる。それがどれだけ危険なことか、分かるだろう、ナイトハルト」

「もちろん分かっています。それに戦闘と戦争の区別のつく宇宙艦隊司令長官を上官に持つことが出来て幸運だという事も分かっていますよ」
「卿は口が上手くなった。昔はもっと素直だったのに、悪い大人には成りたくないな」

何処と無く拗ねた様な口調だった。司令長官とミュラー提督の親密さが分かるような会話だ。会議室の中に笑いが溢れ、それを機に検討会が始まった。中央のスクリーンに先程行なわれた戦術シミュレーションが再現される。

味方の部隊は本隊が八千隻、中央に布陣している。クルーゼンシュテルン少将の部隊は四千隻で右翼に配置されている。残りの三千隻、クナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将、トゥルナイゼン少将は左翼だ。

ミュラー艦隊が全面的に攻勢に出てくる。こちらは少しずつ艦隊を後退させつつV字陣形を作ろうとした。しかしV字陣形が思うように作れない。右翼が押されているため、中央と右翼が後退し左翼が敵の側面を突くような形になっていく。

V字陣形は作れない。止むを得ないと判断して左翼の部隊を敵の後背に回そうとする。上手くいけば敵を前後から攻撃できる。たとえ上手くいかなくても敵は多少慌てるはずだ、敵の攻勢を一時的には抑えることが出来るだろう。そう思った。

左翼の部隊が前進する。しかし直ぐに前進が止まる。敵の右翼がこちらの前進する左翼の先頭部分を押さえている。一方で敵の本隊と左翼が攻勢を強めてくる。味方の左翼は前進しようとし、本隊と右翼は後退する。

艦隊が分断されそうになる。慌てて左翼を後退させ連携を保とうとする。しかし後退した事で今度は敵の右翼が全面的に反攻を開始する。左翼が崩れかかる。味方の本隊は前面の敵の攻撃が厳しく援護できない。勝敗はついた……。

酷い結果だ。何の良い所も無く負けた。会議室の中は沈黙している。皆どう批評していいのか分からないのだろう。それに司令長官の反応を気にしているのかもしれない。司令長官もここまで酷いとは思っていなかったに違いない。怒るだろう、余りにも不甲斐無い結果だ。俺は叱責されるのを覚悟した。

「基本的な考え方は間違っていないでしょう」
思いがけない司令長官の言葉だった。思わず隣に座った司令長官の顔をまじまじと見てしまう。怒っている様子は無い。本気でそう思っているのだろうか。隣に座っているクルーゼンシュテルン少将の顔を見た。彼も眼を白黒させている。


「あの時点では左翼を敵の後背に回そうとするのは妥当な判断だと思います。ただミュラー提督のほうが一枚上手だというだけです。それほど悲観する事ではないでしょう」

どう考えれば良いのだろう。クレメンツ提督、ミュラー提督の顔を見たが平静を保っている。ワーレン、ルッツ提督も同じだ、と言うことはシミュレーションはそれほど悪くなかったのだろうか。

「閣下、小官はどうすれば良かったのでしょうか?」
「どうすればと言われても……」
「どうでしょう。実際に司令長官がシミュレーションで試してみては」
ミュラー提督が司令長官に提案した。会議室の中でざわめきが起こる。司令長官は少し考えていたが、溜息を吐くと頷いた。

司令長官は俺の問いに実際にシミュレーションで答えてくれる。司令長官とミュラー提督の戦術シミュレーション、それを見られるだけでも今日のシミュレーションはやった甲斐があるというものだ。

会議室に設置されてあるシミュレーションルームに司令長官とミュラー提督が向かった。シミュレーションは途中から再現される。V字陣形が取れず、やむを得ず敵の後背に左翼を回そうとした時点からだ。皆食い入るようにスクリーンを見ている。自分も同様だ。

シミュレーションが始まった。陣形はV字陣形が取れず、左翼が敵の側面を本隊と右翼は後退している。どうするのだろうと見ていると司令長官も自分と同様に左翼を敵の後背に回そうとしている。

ミュラー提督がこちらの左翼の先頭を止めた。これも同じだ、いや、同じじゃない! これまで後退を続けていた本隊と右翼が攻勢をかけている。俺は敵の後背に左翼を回すには、敵の本隊と左翼は引きずり込んだほうが良いと判断し後退したが、司令長官は反撃している。

牽制? それとも陽動だろうか。あるいは味方の左翼と連携が途切れるのを嫌ったのか。どちらにしろ主攻は左翼だ、本隊と右翼は助攻に過ぎない。司令長官は左翼をどう動かすのか。俺の視線は左翼に集中した。

左翼に動きは無い。先頭を抑えられ後背に回り込めずにいる。そして本隊と右翼の攻撃が激しく、いやむしろ手荒くなった。勢いに乗って攻めてくるミュラー艦隊を止めるのではない。叩きのめして中央を突破しようとするかのように激しく攻撃する。

損害もかなり出ている。だがその損害を無視して司令長官は本隊と右翼に攻撃を続けさせる。ビッテンフェルト提督も鼻白むほどの猛攻だ。会議室がざわめき緊張が走る。

「左翼は陽動だな。司令長官の狙いは正面だろう」
「うむ。ミュラー提督の裏をかこうとしているようだ」
「いや、これは陽動ではないのか」
彼方此方でそんな声が聞こえる。

なるほど。左翼は全く動いていない。俺のシミュレーションと同じだ。こちらに注意を引き寄せておいて本隊と右翼で勝負をかけるか。道理で損害を無視して攻撃をかけるはずだ。

だが何処までその攻撃が持つだろう。損害は決して小さくは無い。ミュラー提督もそれは分かっているはずだ。攻撃が限界に達すれば当然反撃がくる。

ミュラー艦隊の本隊と左翼が前進を止めた。戦いながら艦列を整えようとしている。司令長官の猛烈な攻撃がついにミュラー艦隊の前進を止めた。おそらくミュラー提督は守勢を取って司令長官の攻撃を凌ごうというのだろう。

司令長官はさらに本隊と左翼に攻撃をかけさせる。遮二無二中央を突破しようというのだろう。司令長官が攻め、ミュラー提督が防ぐ。激しい戦いが続く。だがいつまで続くだろう、こちらの損害もかなりのものだ。攻撃が続かなくなれば反撃が来る。そう思ったとき戦局が動いた。左翼が動いたのだ。

「おい、あれは!」
「誰の艦隊だ?」
「トゥルナイゼン少将だ。いつの間に」
会議室が騒然となった。誰もが声をあげ、身を乗り出してスクリーンを見ている。

トゥルナイゼン少将の艦隊がクナップシュタイン、グリルパルツァー少将の艦隊のさらに外側から敵の後背に回ろうとしている。ありえない! 彼の艦隊は本隊と左翼のつなぎ目にあったはずだ。

そこが無くなれば敵がそこを突いてくる。味方は分断され……、分断されない……。いつの間にか本隊とのつなぎ目はグリルパルツァー少将の艦隊が行なっている。

いや、それだけじゃない。クナップシュタイン、グリルパルツァー少将の艦隊が攻撃を変えた。これまでの後背への迂回行動から敵の側面の突破へ変更している。

ミュラー艦隊は混乱している。右翼部隊はクナップシュタイン、グリルパルツァー少将の艦隊の動きに対応するのが精一杯でトゥルナイゼン少将の艦隊の動きを防げずにいる。

本隊と左翼は正面からの司令長官の攻撃を防ぐので精一杯だ。艦隊を再編しながら正面の攻撃を防ごうとした事が裏目に出た。

ようやく分かった。最初からこれが狙いだったのだ。本隊と右翼に苛烈な攻撃をさせる。いやでもミュラー提督は左翼は陽動だと思っただろう。注意は本隊と右翼に集中したはずだ。自分もいつの間にか左翼から目を離していた。司令長官はその間に左翼を再編したのだ。

そしてミュラー提督がこちらの攻撃に耐え切れず艦隊を再編して守勢を取ろうとする時、その時を待った。トゥルナイゼン少将が動きクナップシュタイン、グリルパルツァー少将が攻撃を変えたとき、ミュラー艦隊の右翼は対応し切れなかった。

対応するには本隊からの増援が必要だった。しかし本隊は前面の敵からの攻撃、さらに艦列の再編中だったため適切に動けなかった。もう誰もトゥルナイゼン少将を止める事は出来ない。

トゥルナイゼン少将が敵の後背に出た。それと同時にクナップシュタイン、グリルパルツァー少将が敵を突破する。ミュラー艦隊の右翼は崩れ、勝敗は決した。クレメンツ提督がシミュレーションの終了を宣言した。



「やれやれ、最悪でも引き分けには持ち込めると思っていたんだが、また負けたか」
「悪いね、ナイトハルト。でも相変わらずしぶといね。途中でくじけそうになったよ」

司令長官とミュラー提督が話しながらシミュレーションルームから出てきた。二人とも笑顔がある。もっともミュラー提督の顔にあるのは苦笑だろうか。

二人が席に着き、改めて検討会が始まった。今度は活発に意見が出る。
「それにしても、あの本隊と右翼の攻撃が陽動だとは思いませんでした」
「うむ、ミュラー提督の裏をかいて正面を突破するのかと思いましたが」
「しかし、いつの間に艦隊を再編したのか、気付きませんでした」

それらの意見を司令長官を穏やかな表情で聞いていたが、ぽつりと呟いた。
「ま、所詮はシミュレーションですからね」
所詮はシミュレーション……。どういう意味だろう?

俺の疑問を口にしたのはキルヒアイス准将だった。
「閣下、それはどういう意味でしょう?」
「実戦でも同じことが出来るかどうかはわからない、そういうことです」

「?」
皆訝しげな表情をしている。それを見た司令長官は苦笑を浮かべながら説明した。

「本隊と右翼にかなり無理をさせましたからね。損傷率は二割を超えるでしょう。実戦でそこまで無理をさせられるか、難しいですね。むしろ損害を少なくして撤退するという選択肢を選ぶかもしれません」

「撤退するのですか?」
思わず俺も隣にいる司令長官に問いかけていた。少し声が大きくなっていたかもしれない。あれだけ鮮やかに勝ったのに何故撤退するのか?

「ええ、戦略的に重要ではない戦いなら、無理をして大きな損害を出してまで勝つ必要は無いでしょう」
「……」

「検討会が始まる前に戦術シミュレーションで勝敗ばかり重視すると戦闘と戦争の区別もつかない戦術馬鹿を生み出すことになると言ったのはこのことです」
「……」

「無理をして勝つ必要が無い戦闘で大きな損害を出して勝ってしまう。そして肝心の戦いで戦力不足から敗れてしまう。戦闘に勝って戦争に負ける、本末転倒です」
「……」

「ワルトハイム少将、シミュレーションで勝てないと判断したら、どれだけ損害を少なくして撤退できるか、上手に負けられるかを確認してください。必ず実戦で役に立ちます。そのためのシミュレーションです」
「はっ」

そういうと司令長官は所用が有ると言って席を立った。全員が起立して敬礼で司令長官を見送る。司令長官は答礼すると部屋を出て行った。
「やれやれ、司令長官は昔と少しも変わらんな。そうは思わんか、ミュラー提督」

「そうですね。戦術家としてあれだけの力量を持っていながら、それを重視しない。シュターデン教官が怒るわけですよ」
クレメンツ提督とミュラー提督が顔を見合わせて苦笑している。クレメンツ提督が私を見た。

「ワルトハイム少将、軍人である以上、勝つ事もあれば負ける事もある。指揮官が注意しなくてはならない事は勝敗に関わり無く部下を無駄死にさせないことだ」
「はっ」

「卿は運が良い。司令長官ほど部下を大事にする指揮官を私は知らない。傍にいてよく学ぶ事だ。そうすれば少なくとも戦争と戦闘の区別のつかない戦術馬鹿にはなるまい」
「はっ。肝に銘じます」

そう、肝に銘じよう。今だから分かる。司令長官は俺たちのためにあのシミュレーションをしてくれたのだ。そして勝ったにもかかわらず、実戦では使用しないと教えてくれた。俺達がいつの間にか勝敗に拘る戦術馬鹿になってしまうことを心配してくれたのだろう。




 

 

第百五十七話 呪縛

宇宙暦796年11月 2日   第十三艦隊旗艦  ヒューベリオン ジャン・ロベール・ラップ



第十三艦隊はイゼルローン要塞へ向かっている。首都ハイネセンを出て約十日、後二週間もすればイゼルローンに着くだろう。本当はもっと早くイゼルローンに着くはずだった。だが、あの勅令が我々をハイネセンに足止めした。

勅令発布後、しばらくの間ヤンはハイネセンにおいて軍上層部と今後の同盟軍の基本方針を確認するために留め置かれた。止むを得ない事ではある。最前線を預かる軍人と中央の間に意見の齟齬が有ってはならない。

何が話し合われたのかは分からない。ヤンも話そうとはしない。しかし、同盟は兵力を大幅に減じ、帝国も未曾有の改革に乗り出そうとしているのだ。これまでにない事態を両国とも迎えている。それだけに軍上層部には危機感が強いと見ていいだろう。

これから旗艦ヒューベリオンで会議が行なわれる。おそらく今後の同盟軍の方針が伝えられるのだろうが大体想像はつく。艦隊はイゼルローン要塞に急ごうとはしていない。その事を考えるとヤンも軍上層部も帝国との間で直ぐにも戦いが始まる事は無い、そう考えているのだろう。

そのことをヤンに確認したいと思っている人間も多いだろう。しかしヤンはハイネセン出立後、その殆どの時間を自室に籠もり他者との接触を拒んでいる。おそらく何かを考えていたのだろうが、一体何を考えていたのか……。

会議室には十人の人間が集まった。第十三艦隊、そしてイゼルローン要塞防衛に責任を持つ人間達だ。この十人が帝国との最前線を守る責務を負う人間たちの中心になる。

イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官:ヤン・ウェンリー大将
副司令官:フィッシャー少将
参謀長:ムライ少将
副参謀長:パトリチェフ准将
副官:フレデリカ・グリーンヒル大尉
要塞防御指揮官:ワルター・フォン・シェーンコップ准将
分艦隊司令官:グエン・バン・ヒュー少将
       ダスティ・アッテンボロー少将
要塞事務官:アレックス・キャゼルヌ少将
そして作戦参謀として俺も会議室にいる。


ヤンが会議室に集まったメンバーに向かって話し始めた。
「皆も分かっているかと思うがおそらく帝国では内乱が発生する。それも帝国を二分する大きな内戦になるだろう」

「同盟が前回の戦いで大ボケをかましましたからな。今なら国内を内乱状態にしても問題ない、そう考えたのでしょう」
シェーンコップ准将の何処か不遜にも聞こえる言葉に皆が渋い表情をする。誰もが皆あの惨めな撤退戦を思い出したのだろう。

ムライ少将がシェーンコップ准将を横目で睨みながら発言した。
「まあ、この状況で再度帝国への大規模侵攻作戦を取るのは不可能でしょう。しかし、嫌がらせを主目的とした出兵はあるのではないですか?」

彼方此方で相槌が打たれた。少将が言った事はハイネセンでも話題になっている事だ。十月十五日の勅令発布後、帝国で内乱が起きるのは必至となった。同盟としては本来であればそれに乗じて帝国の壊滅を目論むのが最善の策だ。

しかし残念だが今の同盟にはそれだけの戦力が無い。いや、それだけの戦力が無いからこそ帝国は国内問題の解決を決意したといえる。シャンタウ星域の敗戦は同盟軍から帝国への侵攻能力を奪い去ってしまった。

同盟軍は時間を必要としている。軍を再建し、精強ならしめるだけの時間を必要としている。そのために内乱を長引かせるために出兵するという案が勅令発布以降、ハイネセンで軍だけではなく市民の間でも熱心に話されているのだ。

それ自体はきわめて妥当な発想でもある。そして同盟軍が出兵するとすればその役は我々第十三艦隊に与えられるだろう。だが、ヤンは艦隊をイゼルローン要塞に急がせてはいない。そしてその事は艦隊主要メンバーも分かっている。皆不審に思っているのだ……。

「貴官らも有る程度気付いているとは思うが、今回帝国で起きる内乱において同盟が軍事介入する事は無い」
「……」

微かに頷く姿、訝しげに眉を寄せる姿が見える。状況は把握していても納得はしていない、そんなところだろうか。俺自身納得しているとは言い難い。

「同盟と帝国は内乱終結後、両国が抱える捕虜を交換することで合意が出来ている」
ヤンの言葉に会議室がざわめいた。彼方此方で“捕虜交換”という言葉が囁かれる。

「なるほど、兵力不足に悩む軍としては捕虜交換は望む所だろう。レベロ財政委員長も何の役にも立たない扶養家族が減ってくれれば財政再建の面から見ても有難いとは思うのは間違いない。しかし、信じられるのか?」

キャゼルヌ先輩の言葉に皆が頷く。それを見てヤンが口を開いた。
「信じていいでしょう。これは秘密裏に行なうわけではありません。内乱発生後、両国が捕虜交換について共同声明を発表する事になっています。帝国が声明を反故にすれば自ら自分達が信用できないと表明するようなものです」
「……」

「それに帝国側にも捕虜を交換するメリットがある。内乱終了後、軍の再編が必要になるのは帝国も同様です。新兵を使うよりは多少なりとも軍務の経験のある捕虜を補充したほうが兵の練成は早く済む」
「なるほど」

パトリチェフ准将が太い声で相槌を打つ。その声につられるかのように何人かが頷いた。その姿を見てヤンがさらに言葉を続けた。

「この話を持ってきたのは国務尚書リヒテンラーデ侯、宇宙艦隊司令長官ヴァレンシュタイン元帥だ」
ヴァレンシュタイン元帥、その言葉に会議室のメンバーがそれぞれの表情で顔を見合わせる。そしてそれに気付いてはいないかのようにヤンの落ち着いた声がゆっくりと会議室に流れた。

「リヒテンラーデ侯については知らないが、ヴァレンシュタイン元帥は強かではあっても愚かではない。自らの信用を落とすような事はしないだろう」

シェーンコップが皮肉そうな口調でヤンを揶揄した。
「閣下はヴァレンシュタイン元帥を随分と信用しているのですな」
「信用しているよ、シェーンコップ准将。彼が信用できる人間だという事は貴官も分かっているはずだ」
「……。まあ、そうですな」

「それより心配なのはフェザーンだ」
「フェザーン?」
思いがけないヤンの言葉にムライ少将が鸚鵡返しに言葉を返した。

「そう、フェザーンと帝国の関係は思いの他に悪化している。帝国が内乱状態になれば、フェザーンが何をするか、注意する必要が有るだろう。特に同盟がそれに巻き込まれる事はきわめて危険だ」

ヤンのその言葉に会議室のメンバーはそれぞれの表情で顔を見合わせた。そしてヤンに視線を向ける。ヤンはその視線に気付かないかのように一人考え込んでいた。


帝国暦 487年 11月 5日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ギュンター・キスリング


司令長官室に入るとエーリッヒがこちらを見た。微かに微笑むと黙って席を立った。応接室に向かうのだろう。俺は急いでその後を追った。応接室で向かい合って座る。しばらく無言の時間が過ぎた。先に口を開いたのはエーリッヒだった。

「それで、どうかな状況は」
「門閥貴族達は順調に反乱の準備を進めている、そんなところかな」
俺の言葉が可笑しかったのだろう。エーリッヒはクスクス笑いながら“順調にね”と呟いた。

「社会秩序維持局は残念だが良く分からない。表立っては動いていないようだが」
「……オーベルシュタイン准将は?」

「オーベルシュタイン准将にも今のところ目立った動きは見えない」
「……」
「エーリッヒ、オーベルシュタイン准将は本当に動くのか?」

俺が疑問に思うほどオーベルシュタイン准将に動きは無い。彼がシャンタウ星域の会戦前に妙な動きをしたのは事実だ。ローエングラム伯を担いで帝国を動かしたいと思っているのも事実だろう。

しかし今のところ動きは全く無い。本当に動くのだろうか。エーリッヒはオーベルシュタインが動くのは内乱が起きるのが確定してからか、起きる寸前、あるいは別働隊を指揮するローエングラム伯が本隊と合流する直前か合流してからだろうと言っていた。だがそれにしても動きが無さ過ぎるのだ。それとも俺の眼に見えていないだけなのか。

困惑している俺にエーリッヒは微かに笑いかけた。
「ギュンター、彼は間違いなく動くよ。今も密かに動いている」
「……今も動いている? どういうことだ、エーリッヒ」
思わず問い詰めるような口調になった。

「私のところにジークフリード・キルヒアイス准将が来た」
「聞いている。卿がそれを望んだと聞いたが」
「誘ったのは事実だが強制じゃない。彼が自らの意志で来たのなら、積極的に経験を積もうとするはずだ。だが彼はそんな行動は取らない。一生懸命聞き耳を立てているよ」

「スパイか?」
「いじらしいよ。ジークフリード・キルヒアイス准将は帝国軍人じゃない、ローエングラム伯の臣下だ。あれを見ているとよく分かる。グリューネワルト伯爵夫人も罪な方だ」
そう言うとエーリッヒは目を伏せた。
「それにオーベルシュタインが絡んでいると?」

「キルヒアイス准将はスパイ活動などには向かない。自分でもそんな事は分かっているだろう。ローエングラム伯もそれは分かっている。第一伯がキルヒアイス准将にそんなことをさせるわけが無い。誰がそう仕向けたか、そういうことを考えそうなのは誰か……」
エーリッヒが“分かるだろう” という様にこちらを見てきた。俺も頷く事で答える。

「……いいのか、そのままにしておいて」
「……出来る事ならこちらで経験を積んで欲しかったと思う。そうなれば視野も広がり彼も周囲から認められたはずだ。少しは考えが変わったかもしれない」

「……」
「だが、少なくともローエングラム伯とキルヒアイス准将を離れさせる事が出来た。今あの二人が一緒に居る事は危険だ。悪い方向に進みかねない。この先ローエングラム伯が何か行動を起そうとしてもキルヒアイス准将の存在が自重させるだろう」

「人質か」
俺の言葉にエーリッヒは小さく頷いた。
「そういう形で利用するしかないね。それにキルヒアイス准将がいない分だけフロイライン・マリーンドルフの存在がローエングラム伯の中で大きくなるはずだ。その分だけオーベルシュタインは動きにくくなる。元は取れると私は思う」
「なるほど。しかし気をつけてくれよ、窮鼠猫を噛むの譬えも有るからな」

キルヒアイス准将が暴発すれば一番最初に疑われるのはローエングラム伯だ。そう思えばキルヒアイス准将は何も出来ないはずだが、追い詰められればどうなるかわからない。そして追い詰めるのはエーリッヒとは限らない……。

「分かっているよ、ギュンター。十分に気をつける。……もっともこうも敵が多いと気を付けるのも容易じゃないね」
そう言うとエーリッヒは肩をすくめておどけて見せた。

「冗談じゃないんだぞ」
「もちろんだ。それよりここ最近、宇宙艦隊司令部で妙な噂が流れた事は知っているかな」

「?」
噂? 一体何の噂だ? エーリッヒは俺を可笑しそうに見ている。
「宇宙艦隊司令長官は戦術シミュレーションに自信が無い。戦術家としては大した事が無い。そんな噂だ」
「……」

なんだ、それは? エーリッヒが戦術家としては大した事が無い? 何処の馬鹿がそんな噂を流した? 宇宙艦隊司令部の人間が司令長官の能力を云々するなど気でも狂ったか?

軍において上官の能力を云々するなど許されることではない。人の生死に関わることなのだ。部下が上官の能力を誹謗すればどうなるか? それが広まればどうなるか?

上官の威権が損なわれ命令に従わない部下が出てくるだろう。つまり軍としての機能が発揮できないことになる。それを宇宙艦隊司令長官に対して行なった? 銃殺刑にでもなりたいのか?

「噂の出処はローエングラム伯の分艦隊司令官達だ」
「分艦隊司令官?」
思わず鸚鵡返しに言葉が出た。ローエングラム伯の分艦隊司令官達、その言葉に嫌な予感がした。だがエーリッヒは俺のそんな思いに気付かぬかのように平静な声で話し続ける。

「そう、ブラウヒッチ、アルトリンゲン、カルナップ、グリューネマン、ザウケン、グローテヴォール、彼らがゼーアドラー(海鷲)で酒を飲みながら話した」

「オーベルシュタイン准将の意を受けてか?」
俺の問いにエーリッヒは僅かに小首をかしげた。
「どうかな? 気付かないうちに指嗾されたのだと思う。だがあっという間に広がったよ。あるいは別に広めた人間が居るのかもしれない」
そう言うとエーリッヒは薄く笑った。

「なんのためにそんなことをする。何の意味がある? シャンタウ星域の会戦は卿の力で勝った。誰もが認める事実だ。戦術家云々に何の意味があるというんだ」

思わず強い口調になった。しかしエーリッヒは笑みを浮かべたまま全く動じる様子を見せなかった。
「意味は有る。ローエングラム伯はシミュレーションで無敗だ。実戦指揮官としては私よりも彼のほうが上だと言いたいのさ」
「……」

「戦場では誰もが強い指揮官、勝てる指揮官を求める。私に万一の事が有った場合、スムーズに彼が実権を握れるようにということだろう。今は皆ローエングラム伯に対し何処か不安を持っているからね」
「……」

「それともう一つは、私を宇宙艦隊司令長官から追い出したいんだ」
「追い出したい?」
「分艦隊司令官達の間で出たそうだよ、私には統帥本部総長のほうが合っているんじゃないかとね」

「どういうことだ」
「私を殺す事に失敗した場合、内乱終結後は統帥本部総長に昇進させようというのさ。司令長官には当然ローエングラム伯がなる。軍の実戦兵力を掌握しようという事だろう」

軍の実戦兵力を掌握する。それが狙いか、いやそこから全てが始まる、そう考えているということか。

エーリッヒを統帥本部総長にというのはおかしな話ではない。帝国軍三長官の中で統帥本部総長は軍令の最高責任者だ。エーリッヒなら十分にこなせるだろう。いや、むしろ適任といっていい。

「しかし、宇宙艦隊司令長官になったからといって、艦隊司令官達がローエングラム伯の言う事をきくとはかぎらないだろう」
「言う事をきく人間と入れ替えればいいさ。使いやすい部下を選ぶ、おかしなことじゃない」
「!」

「ローエングラム伯が実権を握ろうとすればクーデターという形になるだろう。それには何よりも自分の自由に使える軍事力が必要だ。躊躇するとは思えないね」

溜息が出た。今の宇宙艦隊の陣営は帝国史上でも屈指のものだろう。最高と言ってもいいかもしれない。それを入れ替えるというのか、新しく入ってくるのはブラウヒッチ、アルトリンゲン、カルナップ、グリューネマン、ザウケン、グローテヴォール……。

今ローエングラム伯の分艦隊司令官を務める男達が中心となるだろう。伯自身が引き上げた人間だ。能力はともかく忠誠心は信じられるということか。

「エーリッヒ、ローエングラム伯の分艦隊司令官達の話は本当なのか? 俺にはどうも信じられん。いくら酒の席でも有ってはならんことだ。まして今のローエングラム伯の立場を分からんはずはないだろう」

「間違いない、シューマッハ准将が調べた。上官の危機だからね、真剣さ」
「確かに卿の危機ではあるが」
「違うよ、私じゃない。エーレンベルク元帥だ」

「エーレンベルク元帥? どう言う事だ?」
「シューマッハ准将はエーレンベルク元帥が私に付けたお目付け役さ」
困惑する俺にエーリッヒは笑いながら答えた。


 

 

第百五十八話 包囲

帝国暦 487年 11月 5日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ギュンター・キスリング


シューマッハ准将はエーレンベルク元帥が私に付けたお目付け役、エーリッヒは今そう言った。どういうことだ? エーレンベルク元帥とエーリッヒはずっと協力関係に有る。それが何故……。

困惑する俺にエーリッヒは少し前のことになるが、と前置きして話を始めた。
「元々はミュッケンベルガー元帥が退役したことが発端だった。後任の宇宙艦隊司令長官を誰にするかという問題が発生したが、ミュッケンベルガー元帥の考えでは候補者は二人いた」

候補者は二人か、大体想像はつく。
「一人はローエングラム伯、もう一人は私だった。ただ私は平民で階級も低かった。自然、ミュッケンベルガー元帥の考えでは後継者はローエングラム伯になった」

その他にも理由はある。エーリッヒは皇帝崩御の際に国内の治安を維持するという役目があった。当然だが外征に出る事は難しい、ミュッケンベルガー元帥はそれも考慮したはずだ。

「ミュッケンベルガー元帥はローエングラム伯を後任者にしたいとエーレンベルク元帥に話した。しかしエーレンベルク元帥はそれに対し無条件に同意はしなかった」
エーリッヒは淡々と話す。だがそれだけに容易ならない理由があるように感じられた。

「何故だ? 他に候補者が居たとでも、メルカッツ提督とか」
俺の言葉にエーリッヒは首を振って否定した。
「違う、理由は二人の目線が違った事にある」
「目線が違う?」

エーリッヒは頷きながら話を続ける。
「ミュッケンベルガー元帥は戦場で勝てる指揮官を選んだ。その意味ではローエングラム伯を選んだ事は間違ってはいない」

「エーレンベルク元帥の目線とは?」
「国内最大の武力集団を率いるに相応しいかどうかだ」
「……どういう意味だ」

エーリッヒは一瞬躊躇うようなそぶりを見せたが、溜息とともに答えた。
「宇宙艦隊司令長官は危険なんだ。強大な武力と強烈な野心、それが融合したとき、どんな化学変化が起きるか」
「……クーデターか」
「違う、簒奪さ」
「!」

一気に応接室の空気が重くなった。しばらくの間エーリッヒと見詰め合う。そうなのか、そういうことなのか、エーレンベルク元帥はあの時点でローエングラム伯の野心に気付いていたのか……。俺の心を読んだのか、エーリッヒは微かに頷くと話始めた。

「エーレンベルク元帥にその危険性を指摘したのは他でもないリヒテンラーデ侯だ」
「リヒテンラーデ侯……」

今度は俺が溜息を吐いた。体中に疲労感が拡散するような気がする。そんな俺を労わるようにエーリッヒが見ている。思わず頭を振って気を取り直したが微かにエーリッヒが苦笑するのが分かった。

「彼らは条件付でローエングラム伯の宇宙艦隊司令長官就任を認めた」
「卿を副司令長官にすることだな」
「表向きはローエングラム伯を補佐し、国内の内乱に備えるという事だった。だが実際には伯へのお目付け役さ」

どこか自嘲するかのようなエーリッヒの口調だった。
「彼らにそう頼まれたのか?」
「いや、自然とそうなるだろうと考えたのさ」
「……」

「元々私はローエングラム伯に色々な形で協力をしていた。しかし第三次ティアマト会戦で私はローエングラム伯に指揮権を渡さなかった。そのことで彼らは私が無条件に伯を支持しているわけではないと考えた」
「……」

「それと自分では気付かなかったが私とローエングラム伯には明確な違いが有ったようだ。その事にも彼らは気付いた」
「違いとは?」

「ローエングラム伯は陛下に対して明確な敵意が有った。しかし私にはそれが無かった、むしろ好意に近いものが有った。つまりその一点で、伯が簒奪に動いたときは私が抑えに回ると彼らは読んだんだ」
「……」

もう一度頭を振った。納得出来なかったのではない、身体に纏わり付く重苦しいものを払うためだ。エーレンベルク元帥、リヒテンラーデ侯、あの二人の凄味を今更ながらひしひしと感じる。

あの老人達の予測どおり、エーリッヒはローエングラム伯との間に距離を置き始めた。そしてその分だけ陛下に近づいている。伯が簒奪を目論む以上そうなる、敵の敵は味方ということだ。

「シューマッハ准将は表向きは皇帝陛下に万一の事が有った場合、私とエーレンベルク元帥の間を円滑に保ち、オーディンの治安を守るためにつけられた人間だった。だが……」

「実際には卿がローエングラム伯への抑えとして機能しているかどうかを確認するために送られたお目付け役、そういうことか……」
「そういうことだ。もっとも気付いたのは先日の帝国軍三長官会議でだが」

俺の言葉にエーリッヒは頷いた。応接室の中には重苦しい空気が流れている。話題を変えるべきだろうか、しかし未だ聞いていないことがある。有耶無耶には出来ない……。

「エーリッヒ、シューマッハ准将の事は分かった。だがエーレンベルク元帥の危機とはどういうことだ?」
エーリッヒは俺の問いに微かに笑みを浮かべた。

「ローエングラム伯が宇宙艦隊司令長官になり、私が統帥本部総長になる。その場合シュタインホフ元帥はどうなる?」
「なるほど、軍務尚書か……」
「そうだ、エーレンベルク元帥は勇退という形で軍を退役することになるだろう」

誰も失態を犯してはいない。である以上皆が一つポストを上げることになる。エーレンベルク元帥は最年長でもある、後進に道を譲るという形で軍から去ることになるか……。

「エーレンベルク元帥は怒っただろうな」
「先日の帝国軍三長官会議である人事が決定された……。内乱が起き次第メルカッツ提督は宇宙艦隊副司令長官に親補される。そして私に万一の事があった場合は彼が宇宙艦隊司令長官になる事が合意された」

「! 先任はローエングラム伯だろう」
思わず声が掠れた。
「ローエングラム伯は私の暗殺に関与したとして排除される」
「!」
エーリッヒの顔には先程まで有った笑みは無い。冷たく乾いた表情をしている。唾を飲み込む音が大きく響いた。

「その会議にはリヒテンラーデ侯も居た。分かるだろう? 老人達はローエングラム伯が簒奪に動き始めたと明確に認識したんだ」
「シュタインホフ元帥も?」

「シュタインホフ元帥もだ。ローエングラム伯の危険性を一番強く認識していたのは彼だ。それが有ったから私を受け入れた」
「受け入れた? どういうことだ」

「元々シュタインホフ元帥は私の事を快くは思っていなかった」
「イゼルローンだな」
俺の言葉にエーリッヒが苦笑とともに頷く。あのイゼルローンで起きた味方殺し、あれ以来シュタインホフ元帥は確かにエーリッヒを忌諱していた。

「私は基本的に兵站統括、宇宙艦隊司令部で軍務を務めた。主として接触が有ったのはエーレンベルク元帥、ミュッケンベルガー元帥だ。シュタインホフ元帥とは一度も接触が無い」
「随分と嫌われたものだ」

冗談めかして言ったのだが、エーリッヒは全くの無表情だった。
「彼が私を嫌ったのはイゼルローンだけが原因じゃない。私とローエングラム伯が親しかった事が大きいんだ。シュタインホフ元帥から見れば私はいずれローエングラム伯とともに反逆すると思った」
「……」

「否定は出来ない。私はこの国の政治を変えたいと思った。そのためにはローエングラム伯に協力するべきだと思った。彼に簒奪の意志があると知りながらね。それでも良いと思ったんだ」
「そんな事を俺に言って良いのか。俺は皇帝の闇の左手なんだぞ」

出来るだけ表情を厳しくして言ったがエーリッヒは少しも動じなかった。
「困ったものだ、卿が相手だとどうも口が軽くなる。どういう訳かな?」
「何を言っている、この確信犯め。相変わらずの性悪男だな、卿が女だったら一体何人の男を破滅させる事やら」

俺の言葉にエーリッヒは笑い出した。
「ギュンター・キスリング、アントン・フェルナー、ナイトハルト・ミュラー、破滅させ甲斐がありそうだ。楽しくなりそうだね」
「その辺にしておけ、それで?」

エーリッヒは肩をすくめると話し始めた。
「ローエングラム伯が宇宙艦隊司令長官に、私が副司令長官になることをシュタインホフ元帥は反対しなかった。何故だと思う?」
「さて……」

確かにシュタインホフ元帥が反対しなかったのはおかしい。反逆するだろうと思っている二人を実戦部隊の頂点に据える? 有り得ない事だ。だが現実には反対していない、だとすると……。

「知っていたのさ」
「やはりそうか……。ベーネミュンデ侯爵夫人の一件、そしてローエングラム伯を切り捨てようと今の艦隊司令官達を集めた事だな。ケスラー提督から聞いている」

俺の言葉にエーリッヒは“そうか、知っていたか”と呟いた。
「私とローエングラム伯は協力関係に有るように見えながら、あの時には
お互いの不信感は酷い事に成っていた。シュタインホフ元帥は情報部を使ってその辺りを把握していたんだ。いずれは主導権をどちらが取るかで争う事になる、そして勝つのは私だろうと判断した」
「……」

「その後はシュタインホフ元帥の予想したとおりになった。宇宙艦隊の中で私の影響力が強まり、焦ったローエングラム伯はイゼルローンで敗北した」
「そして卿が宇宙艦隊司令長官になった」
俺の言葉にエーリッヒは頷いた。

「皮肉な話だ。ローエングラム伯がいなければ私が宇宙艦隊副司令長官になる事は無かった。そして司令長官になることも無かった」
「どういう意味だ」

「懲りたのさ。野心家の実力のある貴族を宇宙艦隊司令長官に据えれば常に簒奪の危機に怯えなければならないと。むしろ平民のほうが御し易いとね」

「因果な話だな……」
「全くだ」
溜息が出た。俺は話が余りに生臭い事にうんざりしていた。おそらく表情にも出ていたのだろう。エーリッヒは苦笑しながら“うんざりするだろう”と言って話を続けた

「別に銀河帝国に限った話じゃない、過去の歴史が証明しているよ。実力のある高級軍人が強大な武力を握ったとき、何を考えるか? 統治者達の永遠の悪夢だ。イゼルローン要塞の艦隊司令官職と要塞司令官職が統一されなかったのも根本にはそれがある」

「司令官職が減るからじゃないのか」
「表向きはね。まさか反乱を警戒していますとは言えないだろう」
「それはそうだが」
思わず失笑した。確かに反乱を警戒していますとは言えない。

「あの要塞に立て篭もって反乱を起されたらとんでもない事になる。それを恐れたのさ」
「疲れる話だな。エーリッヒ、卿は疲れないのか?」

「この程度で疲れていては、宇宙艦隊司令長官は務まらんよ」
そう言うとエーリッヒは笑い出した。
「では俺には一生無理だな。頼まれてもごめんだ」
冗談ではなくそう思う。こんな話を毎日聞いていたら人間不信の塊になるだろう。

「成りたがる人間にはそれが分からない」
「困ったもんだな」
「話を戻していいか、ギュンター」
「ああ、頼む」

「イゼルローン要塞陥落で三百万人が死んだ。エーレンベルク元帥もシュタインホフ元帥もあの敗戦でローエングラム伯の野望は断たれたと見た。二人とも伯の処分では意見が分かれたが、軍から追放しろとは言わなかった」
「……」

「彼らにとって予想外だったのは、私がローエングラム伯を副司令長官に推したことだろう。反乱軍を誘引するためだが、そのことが伯の野心を生き返らせてしまった。今思うと間の抜けた話だが、私は心の何処かで伯を信じたかったのだと思う。野心を捨てたのではないかと……」
「……」

「シュタインホフ元帥が私を受け入れるようになったのはそれからだ。反乱軍を撃滅するためとはいえローエングラム伯を副司令長官に置く以上、いずれ伯が動き出すと元帥は見た。伯を押さえるには私に協力し、私の地位を磐石にすべきだと考えたのさ」

「……オーベルシュタインは誤ったな、彼らを軽視した。卿を排除する事に気を取られすぎたか」
俺の言葉をエーリッヒは首を振って否定した。

「そうじゃないと思う。オーベルシュタイン准将は彼らを直接には知らない。どうしても判断材料はローエングラム伯に頼らざるを得ない。伯から見ればエーレンベルク元帥もシュタインホフ元帥も凡庸に見えただろう」
「……なるほど」

「あの老人達を軽視するべきではなかった。軍人として、宮廷人として帝国の頂点にいるんだ。凌いだ修羅場の数はどれだけ有るのか……。才気ではローエングラム伯に劣るかもしれないが、経験と強かさでは遥かに上だ。彼らに比べれば私などまだまだ小僧さ」

「卿が小僧なら俺などは赤子のようなものだな。何時になったら大人になれるのやら自信が無くなってきたよ」
「同感だね」

力の無い笑い声が応接室に響いた。全く、この帝国には化け物のような老人が多すぎる。ローエングラム伯は、オーベルシュタインは気付いているだろうか、自分達が老人達に包囲されつつある事に。エーリッヒという餌に飛びついた瞬間に彼らは動き始めるだろう。ローエングラム伯を包囲殲滅するために……。

 

 

第百五十九話 帝国内務省

帝国暦 487年 11月10日   オーディン ウルリッヒ・ケスラー


「遅くなりました、閣下」
「気にするな、キスリング准将。憲兵隊は忙しそうだな」
「まあ、貧乏暇無しです。ケスラー閣下は如何です?」
「後は事が起きるのを待つだけ、そんなところだな」
「なるほど」

部屋に入ってきたキスリング准将は、コートを脱ぐと四人がけのテーブルの私の正面に座り、コートを横にある椅子においた。顔色があまり良くない、目の下に隈のようなものが出来ている。

「コーヒー、要るか?」
「ええ、お願いします」
紙コップを取り出し、テーブルの上にあったポットからコーヒーを注ぐ。キスリングが紙コップを受け取り一口飲んだ。

此処は皇帝の闇の左手が持つ施設の一つだ。一階はプールバー、二階はシングルスバー、そして地下一階が物置、その下が此処だ。一階のプールバー、二階のシングルスバー、ともに会員制で身元の怪しい人間が此処に入ってくる事は無い。

「疲れているようだな、准将」
「疲れもしますよ、あんな話を聞いては。こっちはオーベルシュタインの動きも社会秩序維持局の動きも全然分かりませんでした。それなのに上のほうでは着々と手を打っている。自分の無力さが、いや無能さですね、嫌になる」

「……」
「閣下はご存知だったのですか?」
「妙な噂が流れたとは思った。しかし、司令長官が自ら打ち消したからな」
「どういうことです?」

キスリングが訝しげな表情で訊いて来る。どうやらあの件は知らないらしい。
「司令長官がミュラー提督とシミュレーションを行い、不利な状況から逆転勝ちした」
「あの野郎、一言もそんな事は言わなかった」
そう言ってキスリングは右手の拳を左手に打ちつけた。

「おいおい、司令長官に対してあの野郎は無いだろう」
「もちろん、ミュラー提督に対してですよ」
「本当か? 怪しいものだな」
「信じて欲しいですね」

キスリングがおどけたように肩をすくめる。仕様の無いやつだ。まあ、私にも伝えなかったという非はあるか……。
「ミュラー提督に聞いたのだが、あらかじめ打ち合わせが出来ていたようだ」
「負けるという?」
キスリングはちょっと腑に落ちないといった表情をした。

「ああ、しかし手加減する暇も無く敗れたと言っていたな。何処まで本当かは分からんが」
「どうしてこう、俺の周りには嘘吐きが多いんだろう」
「その嘘吐きには私も入っているのかな」

私の言葉にキスリングは手を振って否定した。
「とんでもない、閣下を信じられなくなったら世の中終わりですよ」
「どうしてこう、私の周りには嘘吐きが多いのかな、准将」
「小官は嘘を吐いていません」

胸を張って言うな、苛めるのはこの辺にしておくか……。
「ところで社会秩序維持局はどうだ、何か動きはあるか」
「駄目ですね。司令長官と会ってからもう一度彼らの動きを追ってみました。しかし……」
「収穫は無しか」

キスリングが力なく頷く。そして戸惑いがちに訪ねてきた。
「閣下、社会秩序維持局は本当に動いているのでしょうか?」
「情報部と憲兵隊は司令長官の側に立っている。ローエングラム伯、いやオーベルシュタインが情報収集、破壊工作を仕掛けるなら軍の外に協力者を作るしかない。内務省だ」

「それは小官も分かります。しかし、今閣下が仰られた事はオーベルシュタイン准将から見た場合でしょう。社会秩序維持局がローエングラム伯に勝ち目が無いと見て、手を引いたという可能性は有りませんか」

何処と無く自信のなさそうな表情だ。キスリングは疑心暗鬼になっている。余りに動きがないことで自分が無駄な事をしているのではないかと思っているのだ。そのことが彼を不必要なまでに疲れさせている……。

「一理有るがその可能性は小さいな。キスリング准将、社会秩序維持局に拘るな。相手を内務省として見たほうが良い」
「どういう意味です」

キスリングは困惑した表情をしている。いかんな、少しオーベルシュタインに囚われすぎているのかもしれない。本来はもっと鋭い男なのだ、それとも老人達の毒気に当てられたか……。
「内務省は今強い危機感を持っているはずだ」
「……」

「昨年、陛下がお倒れになった時の事を覚えているか」
「ええ、司令長官が帝都防衛司令官代理になったときのことですね。もちろん憶えています。当事者だったのですから」

「おかしいとは思わなかったか、内務省が全く絡んでいない事に」
「それは……」
キスリングが言葉を続けようとして口を閉じた。眉を寄せ考え込んでいる。

「内務省は警察を握っている。オーディンの警備なら当然警察を使用しても良かった。しかし司令長官はあの時全く警察を使わなかった。使ったのは憲兵隊、そして装甲擲弾兵第二十一師団だ。何故だと思う?」

「……閣下は過去の因縁が原因ではないというのですね」
「真の原因は司令長官が内務省に持っていた不信感だ。司令長官は内務省が貴族よりの組織で当てにならないと思った。自分の両親が殺された事件で犯人が見つからなかった、その事で嫌というほど認識したのだ」
「なるほど」

「卿が気付かないのも無理は無い。私も最初は疑問に思わなかった。司令長官はオーディンを完全に制圧していたからな。そのことが不思議に思わせなかったのだろう。だが内務省は自分達が信用されていない事を思い知ったはずだ」
「……」

「キスリング准将、ルドルフ大帝が銀河帝国を創設した当時、帝国内部に存在する共和主義者を中心とした反帝国勢力を弾圧したのは軍ではない、内務省配下の警察、社会秩序維持局だ」

「……」
「当時の帝国臣民は皆、銀河連邦という共和主義国家で育った。警察そして社会秩序維持局にしてみれば何時反帝国勢力となってもおかしくないと思えただろう。彼らにとって平民は保護すべき存在じゃない、監視し弾圧すべき存在だった。彼らが守るのは帝政であり、貴族制度だったんだ。内務省にはそういう風土がある」

「なるほど、彼らにとって平民は反乱予備軍ですか。そう考えているのなら貴族に対して弱い、いや甘いのも分かります。……なるほど、そうか、そういう事か!」

「ようやく、分かったか」
「ええ、エーリッヒは門閥貴族を潰し平民の権利を拡大しようとしている。つまり内務省にとってはこれまでやってきたことの否定でしかない」

「そうだ、改革が進むにつれ平民の発言力が強まれば内務省に対する批判の声は大きくなるだろう。そして存在意義さえもが問われる事になる。彼らは危機感を抱いているのだ」

「だとすれば彼らは必ず動きますね。エーリッヒ、いや司令長官の元では先が見えない。ならばローエングラム伯に味方し、恩を売る事でこれから先を生き延びようとする……。私は未だ甘い、肝心な事を見落としていました」

どうやら元気を取り戻したようだ。これで自信をもって捜査に取り組めるだろう、世話の焼けるやつだ。
「キスリング准将、相手を甘く見るな。憲兵隊は軍内部の組織だが、彼らは帝国全土に組織を持つ、裾野の広い組織なのだ。意外な所に協力者がいるだろう。気をつけるんだ」



帝国暦 487年 11月13日   オーディン 新無憂宮 シュタインホフ元帥


「遅くなったか」
「いえ、我等も今揃ったところです」
「そうか、では始めるとするか」

遅れてきたリヒテンラーデ侯がエーレンベルク元帥と話している。これから行なわれるのは帝国軍三長官会議なのだが、何時の頃からか会議の後リヒテンラーデ侯に報告するようになった。

その後、どうせならと会議にも参加するようになり、それに伴い会議の場所も軍務省から新無憂宮に変わっている。此処は新無憂宮の南苑の端にある一室、リヒテンラーデ侯が何度か密談に使っている部屋だ。お気に入りの部屋らしい。

「昨日、フェルナー准将、ガームリヒ中佐から連絡が有りました。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の領地替えの準備は順調に進んでいるそうです」

フェルナー准将、ガームリヒ中佐はオーディンに残って我々、そしてそれぞれの夫人、令嬢達との連絡役になっている。表向きは我々と対立しているように見せ裏で通じる。周囲の貴族達の目を欺くのは容易な事ではないだろう。

「順調か……。司令長官、準備が終わるのは何時頃になると言っているのかな?」
「今月末には発表できるだろうとの事です」

あと二週間は有る。ヴァレンシュタインと国務尚書の会話を聞きながらそう思った。国務尚書もエーレンベルク元帥もそれぞれの表情で考え込んでいる。あと二週間、長いのか、短いのか、微妙な所だ。

「間に合うかな、ヴァレンシュタイン」
今度はエーレンベルク元帥が問いかけた。
「分かりません。例の金融機関の第一回目の返済は今月末です。貴族達の我慢が何処まで続くか」

「これ以上、早くはならんか」
「それは無理だ、軍務尚書。彼らは今でも最低限の物資の準備しかしておらん。とりあえず、出立する。本格的な領地替えの準備はその後。そこまで割り切ってようやく今月末まで時間を縮めたのだ」

エーレンベルク元帥はこちらを見たが反論はしなかった。妙なものだ、帝国軍三長官会議と言えば昔は皮肉や嫌味の応酬が少なくなかった。だが今では意見の対立はあっても感情の対立は無い。

この場にいる最年少の元帥を見た。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、この男が三長官の一角を占めるようになってから変わった。目障りな若造だった、危険だと思ったこともある。排除すべきかとも思った。

だがこの男には野心が無かった。その所為で排除できなかった、いや排除して良いのかどうかが判断できなかった。そして今ではそのことに感謝している。妙なものだ、もう一度そう思った。

「恐れていた事が起きました」
ヴァレンシュタインの言葉に皆が視線を彼に向けた。沈鬱そうな表情をしている。
「貴族達の中に領地替えに気付いた人間がいます。半信半疑なのでしょう、しきりに探りを入れているようです、フェルナー准将が誤魔化すのが大変だと言っていました」

その言葉に皆が顔を見合わせた。国務尚書、エーレンベルク元帥、ヴァレンシュタイン、皆渋い表情をしている。
「やはり情報が漏れたようじゃの」
「ローエングラム伯、ですな……」

国務尚書とエーレンベルク元帥が話している。確かに、漏らすとすればあの男とその周辺しか居ない。あの男は宇宙艦隊司令長官になりたいのだ。そして力を背景にこの帝国の覇権を握ろうとしている。

ヴァレンシュタインを謀殺し、その混乱の中で軍の実権を握るか、あるいは昇進という形で宇宙艦隊司令長官になるか。そのどちらにしろ大規模な騒乱が必要だ。領地替え等は最も望まない事だろう。

ラインハルト・フォン・ローエングラム、野心と覇気に溢れた男だ。そしてそれを隠そうともしない。隠すことなど考えたことも無いのだろう、それに相応しい能力と容姿も持っている。

眩しい輝きを持つ男だ。だがその事が彼の周囲から人を遠ざけるのかもしれない、皆遠くから見ているだけだ。孤独だろう、彼にとって友人といえる人間があの赤毛の若者以外にいるだろうか? いや大体あれは友人と言えるのか……。

「残り二週間か、難しいかもしれんの」
ぽつんと吐いたリヒテンラーデ侯の言葉が部屋に響いた。

「何とか出来ないものでしょうか」
「それは駄目だ、ヴァレンシュタイン」
「シュタインホフ元帥……」
ヴァレンシュタインの表情が曇った。

ブラウンシュバイク、リッテンハイムが他の貴族達を振り切って逃げ切れるかどうか、それに対しては一切手出しはしない。自らの力で切り抜けられないようでは受け入れることなど出来ない。それが彼らに対しての決定事項だ。

「彼らに対して情が移ったか、ヴァレンシュタイン」
「そういうわけでは有りません。ただ……」
「ただ?」

ヴァレンシュタインは国務尚書の問いに一瞬口籠もったが
「御婦人方のことを思うと……」
と呟くように吐いた。

部屋に沈黙が落ちた。ブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人、そしてその令嬢達は度々ヴァレンシュタインを呼び出している。そして夫達を助けるようにと言い続けている。この男は冷徹ではあっても冷酷ではない、辛いのだろう。


やがてヴァレンシュタインは頭を一つ振ると、私に問いかけてきた。
「シュタインホフ元帥、お願いしていました反乱軍への侵攻作戦ですが如何でしょう?」
「ふむ、思わしくは無いな」

皆の視線が私に集まる。思わず眉を顰めた。
「星域情報、航路情報は集まりつつある。しかし問題は今回の内乱でフェザーンそのものが反乱軍の占領下になるかもしれん事だ」
「なるほど、その場合はフェザーン回廊を使おうとすれば回廊の入り口を反乱軍が先に押さえるか……」

「その通りだ、軍務尚書。兵力ではこちらが圧倒的に優位のはずだ。突破できぬとは言わぬが損害は無視できぬものとなろう。まして我等はフェザーン回廊を使ったことが無い、思わしくは無いと言うのは控えめな表現だな」

私と軍務尚書の遣り取りを聞いていたリヒテンラーデ侯が眉を顰めた。
「面白くないの」
「フェザーンはなんとか中立のままにしておく事は出来ませんか?」
私の問いに答えたのはエーレンベルク元帥だった。

「難しいな、ルビンスキーを放置する事は出来ん。となればどう見ても軍をフェザーンに送らなければなるまい。それを反乱軍が黙って見ているとも思えん。フェザーン方面軍が動き出すのは十五日だったな、ヴァレンシュタイン」
「はい、訓練と称して作戦行動に入ります」

「止める事は出来ぬか、ヴァレンシュタイン」
私の問いにヴァレンシュタインはゆっくりとした口調で答えた。
「私はむしろ積極的にフェザーンへ反乱軍を引きずり込むべきだと思っています」
「?」

思いがけない言葉に皆の視線がヴァレンシュタインに集る。
「反乱軍の戦力は現状では約五個艦隊、内乱が終了し捕虜交換を行なっても六個艦隊が精一杯でしょう」
「……」

「反乱軍が帝国軍の侵攻からフェザーンを守ろうとすれば最低でも四個艦隊はフェザーン方面に送る必要があります。その分だけイゼルローン方面は手薄になる」
微かにヴァレンシュタインが笑うのが見えた。

「フェザーンを陽動にすると言うのか? だがイゼルローン要塞が落とせるのか? あれを落とすのは容易ではないぞ。最悪の場合、帝国軍は両回廊で大きな損害を受ける事になる」

私の問いにヴァレンシュタインは笑みを浮かべながら答えた。先程までの沈鬱な表情は無い。
「イゼルローン要塞を落とすのは可能です」
その言葉に皆の視線がヴァレンシュタインに集中した。

「どうやって落とす」
「ガイエスブルク要塞を使います」
「?」

皆が訝しげな表情をした。ガイエスブルク要塞? あれを使うというのはイゼルローン回廊にもって行き攻撃拠点として使うということか、しかしだからと言って落とせるわけではない。

「あれをイゼルローンに持っていって、要塞にぶつけます」
「! ぶつけるだと、要塞に要塞をぶつけるのか?」
リヒテンラーデ侯が驚いたような声を上げた。思わず、エーレンベルク元帥と顔を見合わせる。驚いたような表情をしている、私も同様だろう。

「ええ、物理的にイゼルローン要塞を壊すのです。要塞内の艦隊も一緒に壊滅させる事が出来ます。まあ実際にぶつけなくても、そう言って反乱軍を脅せば条件次第では開城させる事も出来るでしょう」

「なるほど、イゼルローン要塞が落ちれば反乱軍はフェザーンから撤退せざるを得ん。そこを追撃すれば大きな打撃を与える事が出来るだろう」
「うむ、帝国はイゼルローン、フェザーン両回廊から反乱軍の首都ハイネセンを攻撃する事が出来る」
「帝国軍の勝利は間違いないの」

国務尚書、エーレンベルク元帥と話しながら、黙って微笑むヴァレンシュタインを見た。相変わらずとんでもない事を考える男だ。だがこれでフェザーン方面からの攻撃作戦を悩まずに済む。後はどれだけ早く内乱を終結させる事が出来るかだろう。早ければ再来年には反乱軍を降伏させることが出来るに違いない……。


 

 

第百六十話 謀議

帝国暦 487年 11月13日   オーディン 某所


薄暗い部屋に十人程の男達が集まっている。会議卓を囲んだ彼らの雰囲気は部屋同様、決して明るいとは言えない。刺々しさと苛立ちに満ちていた。

「それで、あの話は本当なのか?」
押さえた口調ではあるが余裕があるとはいえない、とはいえそれをからかう人間はいなかった。

「分からない、フェルナー准将もガームリヒ中佐もそんな事はありえない、ヴァレンシュタインの謀略だろうと言っている」
何処からか溜息が聞こえた。

「有り得る話だな。相手が相手だ、その可能性はある……。しかし、もしそうなら我等にブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯から決起に関し何らかの話があっていいはずだ、そうではないか?」

問いかける言葉に部屋に居る男たちから同意の声が上がる。
「だが、未だに何も無い、となると……」
「やはり本当なのかもしれん」

沈黙が落ちた。皆顔を見合わせ相手を窺うようにしている。まとわりつく重苦しさを打ち払うように一人の男が口を開いた。
「アマーリエ様、クリスティーネ様は陛下を説得しているという事だがどうなのだ?」

「ヴァレンシュタインを宮中に頻繁に呼んでいるのは事実だ。だがそれ以上はわからん」
「また分からんか、何も分からんではないか」

吐き捨てるようなその言葉に怒りの声が上がった。
「なんだと、もう一遍言ってみろ!」
「役に立たんと言ったのだ、文句が有るか」
「止めぬか、卿ら。争っている場合ではあるまい」

十分に抑制の利いた声だった。思わず立ち上がりかけた二人の男が渋々椅子に腰を降ろす。止めた男が部屋に漂う気まずさを払拭するかのように口を開いた。
「説得が上手く行っていないのか、それとも説得自体していないのか、どちらでもいいことだ」

「しかし……」
「説得は上手く行っていないと割り切るのだ、上手く行っていれば改革の取り止めが発表されているはずだ、そうではないか?」
「……」

「領地替えか……」
“領地替え” その言葉に部屋にいる人間の顔が歪んだ。

「しかし、そんな事が本当に有るのだろうか? ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も豊かな領地を持っている。それを捨てて辺境に行くなどとても信じられん……」
何処か信じかねるといった口調だった。

「時期を待つのだろう」
「例の十年待つというやつか」
「そうだ、リヒテンラーデ侯もエーレンベルク元帥も高齢だ。十年後も生きているという保証は無い。そうなればヴァレンシュタインの力もかなり弱まるはずだ、それにエルウィン・ヨーゼフ殿下が無事に成人されると決まったわけでもない」

“無事に成人されると決まったわけでもない” ぞっとするようなものを感じさせる口調だった。口元に冷たい笑みがある。だがそのことに嫌悪の表情を表す人間はいなかった。

「しかし、辺境へ行けば財力も武力も全てを失いかねん」
「娘達が皇位につけば直ぐに元を取り戻せる、そうではないか? 今我等に付き合って危ない橋を渡る必要は無い、そう考えたとしても可笑しくは無い」

「やはり、我等を切り捨てるということか?」
「馬鹿な、そんな事が許されるのか? これまで我等を散々利用しながらこの期に及んで自分達だけ助かろうなどと、そんな事が許されるのか、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯とも有ろう人物がそんな卑しい事を考えるのか!」

憤懣に満ちた声が上がる、それに同意する声も。卑しいと非難する声の裏側には恐怖がある。自分達だけでは勝てない、勝つためにはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の力が要る。自分達を見捨てないで欲しいという恐怖感が彼らを激高させている。

「だがおかしいではないか。二人とも陛下を説得するためといって夫人と令嬢を陛下の下に預けている。あれでは人質だ、いざという時には、彼女達こそが我等の旗印になるのだぞ! その切り札をみすみす相手に渡してどうする!」

「やはり我等を裏切るのか……」
「……」
「……」
重苦しい沈黙が落ちた。

「そのような事、許されるわけがありません。我等貴族こそが、帝国を守るという神聖な義務を持つのです。それを忘れ自家の繁栄だけを求めるなどあってはならないことです」

「……」
沈黙を破ったのは若い声だった。どこか自分の言葉に酔うような色合いがある。

「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯には我等の盟主として行動してもらいましょう。我等貴族こそがゴールデンバウム王朝を守護すべき存在なのです。卑しい平民や、それに与する裏切り者どもに帝国は任せられません。お二方にもその神聖な義務を果たしてもらいましょう……」
「言うは容易いが、何か手が有るのか」

「有ります。これならブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も必ず我等とともに立ち上がってくれるでしょう、必ずです」
「……」


帝国暦 487年 11月14日   オーディン 宇宙艦隊司令部  エグモント・シュムーデ


「フイッツシモンズ中佐、我々は明日から訓練に入る。その前に司令長官に挨拶がしたいのだが」
「少々お待ちください。……三十分ほど後なら時間が取れますが、いかがしますか?」

三十分後? ルックナー、リンテレン、ルーディッゲに視線を向けると皆問題ないというように頷いた。
「分かった、では三十分後に伺う事にする」

三十分後、我々は司令長官と応接室にいた。
「明日から訓練に入ります。しばらく会えなくなりますが、閣下も御自愛ください」
「有難う。フェザーンは色々と大変かとは思いますが、宜しくお願いします」
司令長官は丁寧に挨拶を返してくれた。

「その後、貴族達の動きは如何でしょう?」
「余り目立った動きは無いようですね。ですが早ければ今月中、遅くとも来月半ばまでには何らかの動きがあると思いますよ、ルックナー提督」

「それに伴って、フェザーンが動く……」
「ええ」
なるほど、特に我々の認識と違っている所は無い。やはり後一ヶ月がヤマ場だろう。

「我々に対して、何かご命令は有りますか?」
私の問いに司令長官は軽く頷いた。
「内乱が鎮圧された後、貴族達がフェザーンへの亡命を図ると思います」
「なるほど、それを捕らえろと」

司令長官は軽く笑いながら首を振った。
「いえ、そうではありません」
「?」
「彼らを適当にフェザーンに逃がしてください」
逃がす? 思いがけない言葉だ、私達は思わず顔を見合わせた。

「適当に? よろしいのですか、逃がしてしまっても?」
「構いません、リンテレン提督。彼らはいずれフェザーンで反帝国活動を始めます。それがフェザーン侵攻への大義名分になるでしょう」
「なるほど、分かりました。適当に逃がすとしましょう」

リンテレン提督の生真面目な口調に周囲から笑いが起こった。なるほど、次の戦いへの布石というわけか。確かに亡命した貴族達が何もせずにいるわけが無い。フェザーンに攻め込む大義名分になるだろう。

「それと、私に万一の事があった場合ですが……」
「閣下、縁起でもない事を仰らないでください」
大声で司令長官を遮ったのはルーディッゲ提督だった。目が吊り上っている。しかし司令長官は止めなかった。

「大事な事なのです、ルーディッゲ提督。良く聞いてください、私に万一の事が会った場合はメルカッツ提督が宇宙艦隊司令長官に親補されます。メルカッツ提督の指示に従ってください」

「!」
メルカッツ提督が宇宙艦隊司令長官になる。それでは……。
「ローエングラム伯はどうなりますか?」
「……私の死後の事ですから……、生き残っている人達が決めることになるでしょう……」

司令長官は私の問いにはっきりとは答えなかった。答えられなかったのではあるまい、答えたくなかったのだろう。司令長官に万一の事が有った場合、ローエングラム伯はそれを機に排除される、そういうことだろう。

帝国の上層部はローエングラム伯を帝国にとって不安定要因だと判断した。実際それに近いところは有る。今は司令長官がいるから良いが、司令長官の死後、宇宙艦隊司令長官になった伯をコントロールできる人間がいるだろうか?

おそらくいないだろう、帝国は新たな混乱に直面するに違いない。宇宙艦隊司令長官は言い方は悪いが帝国を守る番犬だ。番犬は強く、しかも御し易くなければならない。上層部はそう思っているだろう、その点でローエングラム伯は危険だとみなされたというわけか。

「万一の場合です。あまり考えないでください。それよりもフェザーン方面は頭脳戦、心理戦になるでしょう。そちらに集中してください」
「はっ」



帝国暦 487年 11月14日   オーディン 宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


シュムーデ達は驚いていたな。やはり事前に言っておいて良かったか。まあ万一の場合だ、必ず俺が死ぬと決まったわけじゃない。後はメルカッツ提督に何時話すかだが、そろそろ話すべきだろう。これから会って話すとするか。

応接室から戻った俺は、早速メルカッツ提督に連絡を取ったが外出中だった。陛下の謁見に立ち会っているらしい。書類の決裁を行なうかと思ったが、何となくその気にならなかったので以前から気になっていたことを調べることにした。

「フィッツシモンズ中佐、少し調べ物がありますので資料室へ行ってきます」
「では私達も同行します」
「?」

私達? 見るとヴァレリーの他に男爵夫人も同行しようとしている。必要ない、と言おうとすると
「シューマッハ准将、キスリング准将から閣下を一人にするなと言われています」
と言われた。

宇宙艦隊司令部の中でそんな危険なんてあるわけ無いだろう、そう思ったが、俺を心配しての事だとは分かっている。文句を言わず有難く同行してもらうことにした。

シューマッハ、キスリングは慎重な男達だが、大袈裟に騒ぐ男じゃない。俺の認識が甘いのかもしれん。まさか俺が迷子になると思っているわけでは有るまい。

資料室に着くとヴァレリーと男爵夫人が資料探しを手伝うと言って来たが断った。全くわかってないな、資料は読むだけじゃない、探す事から楽しむんだ。

二人には適当に気に入った資料を見ていてくれと言って俺は目指す資料を探し始めた。目当ての資料は百年以上前の資料だ、航路探査船の調査記録……。

資料を見つけたのは三十分ほど経ってからだった。第三十八~第五十九航路探査船調査記録。俺が捜し求めていた資料だ。

銀河連邦が成立してしばらくの間、人類は生存圏を広げ続けた。探査船が活躍したのもこの時代だ。だが銀河連邦も成立後二百年を過ぎると中世的停滞が訪れる事になる。惑星探査は打ち切られ、辺境星域の開発も中止された……。

この停滞した時代を一新したのがルドルフだ。ルドルフは確かに訳の分からん劣悪遺伝子排除法なんてものを作り出し、銀河帝国の暗部を作り出してしまったが、彼は辺境星域を開発し、惑星探査を再開している。それにより帝国の版図は連邦時代よりも大きくなった。

彼が銀河帝国を創設し、初代皇帝になれたのも辺境星域の開発による経済効果、生存圏の拡大が大きいと俺は見ている。誰だって国が大きく、豊かになれば嬉しいものだ。

だが帝国も連邦同様、辺境星域の開発に関心を失い惑星探査に見向きもしなくなる。その後帝国が一時期では有るが探査船を頻繁に出す時期が来る。帝国暦332年~373年までの期間だ。

帝国暦332年~373年、別に当時の皇帝が惑星開発に目覚めたわけではない。帝国が同盟と接触してからフェザーンが成立するまでの期間なのだ。この期間、帝国はイゼルローン回廊以外に同盟に攻め込むルートが無いかを必死で探したのだ。

だがルートは見つからなかった。レオポルド・ラープがフェザーン回廊を見つけたにもかかわらず、当時の帝国軍、そしておそらく同じ事をしたであろう同盟軍も発見できなかった。何故なのか、その理由がこの資料から分かるかもしれない。そこからフェザーンと地球の繋がりを示すものが見えれば、キスリング達の目を地球教に向けることが出来るかもしれない……。

 

 

第百六十一話 開幕ベルは鳴った

帝国暦 487年 11月20日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ナイトハルト・ミュラー



司令長官室に決裁を貰いに行くとエーリッヒは席にいなかった。はて、何処へ行ったのか……。
「フィッツシモンズ中佐、司令長官はどちらへ」
「屋上へ行かれました。気分転換をしたいと仰って」

気分転換?
「お一人で、かな?」
「いえ、リューネブルク中将が一緒です」

さて、どうしたものか……。ここで待つか、出直すか、それとも俺も屋上に行ってみるか……。
「司令長官は先程屋上に行かれたばかりです。お戻りになるのはもう少し後になるでしょう」

「有難う中佐。私も屋上に行って見よう、気分転換だ」
フィッツシモンズ中佐はクスクス笑いながら
「お気をつけて」
と言ってくれた。

司令長官室を出て廊下を歩いていると向こうからメックリンガー提督が歩いてきた。手には書類を持っている。どうやら俺と一緒か。
「メックリンガー提督、司令長官に御用ですか?」
「そうだが?」

「司令長官は居られません。屋上に気分転換に行ったそうです」
「なるほど、で卿は屋上に行くのかな、ミュラー提督?」
「ええ、私も気分転換に」
「フム、では私も同行しよう。たまには気分転換も良いものだ」

メックリンガー提督は穏やかな雰囲気を醸し出している。第三次ティアマト会戦ではメックリンガー提督が全軍の指揮を執ったのだがそんな事はまるで感じさせない人だ。共に歩いているだけだが心地よかった。

「ミュラー提督、もう直ぐ十一月も終わるな」
「そうですね、あの勅令からもう一月が経ちました。早いものです」
屋上に行くまでの間、メックリンガー提督との間に有った会話はそれだけだった。

エーリッヒは屋上にある長椅子に腰掛けていた。夕暮れ時の空を見ている。少し離れた所にリューネブルク中将がいた。俺達を見ると軽く笑みを浮かべて目礼を送って来た。こちらもそれに答え目礼を送る。

エーリッヒは俺達の来た事に気付かずに長椅子に腰掛けている。どうするか? 声をかけるか、それとも待つか……。メックリンガー提督を見ると微かに笑って首を振った。待とうということらしい、なんとなく嬉しくなった。腹の底から温かいものが溢れてくる感じだ。

昔からエーリッヒは考え事をしている事が多かった。士官学校時代も図書室で本を読むような振りをしながら考え事をしていた事が結構有った。それともただボーっとしていただけだったのだろうか、今となっては懐かしい思い出だ。

五分は待たなかっただろう、エーリッヒは俺達に気付くと立ち上がり困ったような表情をして近づいてきた。
「声をかけてくれれば良かったんです」

「いや、私達も気分転換に来たのです。たまたま司令長官と一緒になったというだけで」
メックリンガー提督の言葉にエーリッヒはクスクスと笑い声を上げた。俺もメックリンガー提督も決裁文書を持っている。気分転換といっても説得力は皆無だろう。

「何を御覧になっていたのです?」
「小官もそれを聞きたいですな、ただ夕焼けを見ていたという訳ではなさそうですが」
メックリンガー提督の言葉にいつの間にか近づいてきたリューネブルク中将が和した。

エーリッヒは少し困ったように視線をそらしたが、もう一度夕焼けの空を見て呟いた。
「三十年後の世界です」

三十年後の世界? 思わずエーリッヒの顔に視線が釘付けになった。穏やかな表情をしている。冗談を言っているわけではないようだ。
「三十年後ですか、閣下の目にはどのような世界が見えるのか教えていただけますか?」

エーリッヒはこちらを見ると柔らかい笑みを浮かべた。
「宇宙は一つになって戦争は無くなっていました。皆明るい顔をしていましたよ、メックリンガー提督」
「では、我々は失業ですかな」
「いいえ、戦う軍人ではなく平和を守る軍人になっていました」

平和を守る軍人、その言葉にリューネブルク中将が笑い出した。
「なるほど、それも悪くありませんな。人を殺さなくとも給料がもらえる」
リューネブルク中将につられるように思わず笑いが起きた。なんというかリューネブルク中将らしい人を喰った言い方だった。

「死ねませんね、未だ死にたくない」
「!」
ポツンとした言い方だった。気負いも哀しみも無い、ありのままの気持ち……。

「当然です。閣下には三十年後の平和な世界を作ってもらわなければ成らないのです。死んでもらっては困ります」
「ナイトハルト、私が死んでも三十年後には平和が来る。宇宙は一つになっているよ」
「!」

エーリッヒは微笑んでいる。
「私は自分が死んだからといって潰える様な夢は持っていない。そんな夢は持っちゃいけないんだ」
「……」

「私はただ、三十年後の世界を見たい……」
「……」
そう言うとエーリッヒはまた夕焼けを見た。

「フェザーンを征服し、反乱軍を降伏させる。その後は彼らを帝国の保護国として存続させる」
「保護国、ですか? 占領するのではなく?」
メックリンガー提督の問いかけにエーリッヒは頷きつつ答えた。

「そう、保護国として三十年存続させる。その間にこの帝国の政治改革の基礎を固める。独立色の強かった貴族領を帝国の直轄領にすることで一つの経済圏として再編制し活性化させる」
「……」

「平民をこの国の担い手にするべく権利とそれを行使できるだけの教育を与える。辺境星域を開発し帝国から貧富の差を無くす」
「……」

「そして反乱軍の人間が帝国に併合されても心配は要らない、そう思わせるだけの経済的繁栄と政治的安定を帝国において生み出す」
「……」

「三十年、三十年あればできるはずだ。三十年後には保護国とした反乱軍を併合する。あと三十年で宇宙を統一し、戦争を無くせる……。」
「……」

皆声を失っていた、相槌も打てずにいる。どんな顔で聞いていいのかも分からなかった。夢ではない、空想でもない、エーリッヒには真実三十年で宇宙を統一し平和な世界を作るだけの確信があるのだろう。ただそれを阻もうとする人間たちがいる。

「見られますよ、三十年後の世界」
「リューネブルク中将……」
「我々が閣下を守ります。閣下に死なれてはこれから先がつまらなくなりますからな。大丈夫、必ず見られます」

冗談めかした言葉だったが口調は真面目なものだった。あるいは冗談で紛らわせようとして出来なかったのかもしれない。エーリッヒもそう思ったのだろう。冗談めかしてリューネブルク中将に答えた。

「私は中将を楽しませるために生きているわけではありませんよ」
「分かっています。小官が勝手に楽しんでいるだけです。それに未だ借りを返していません。死なれては困ります」

“借り? また古い話を”、“古くはありません、高々二年です” エーリッヒとリューネブルク中将が話している。エーリッヒは何処か困ったように、リューネブルク中将は真剣に。

「リューネブルク中将の言うとおりです。まだ死なれては困ります。そうではありませんか、メックリンガー提督」
「そのとおりです、一緒に三十年後の世界を見ましょう。必ず見られます」

俺とメックリンガー提督が口々に励ますのが嬉しかったのだろう。エーリッヒは笑顔を浮かべた。
「そうですね、一緒に見ましょう。でもそのためには先ず決裁をしないといけませんね」



帝国暦 487年 11月22日   オーディン 宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


殺風景な部屋だな、ベッドに横になりながら俺はそう思った。十月十五日に勅令が発布されて以後、俺は宇宙艦隊司令部に仮の住居を用意し寝起きをしている。官舎では十分な安全を確保できないとキスリングに言われたのだ。まあ確かに宇宙艦隊司令部への行き帰り、それに官舎への攻撃等を考えるとキスリングの言う通りだ。

仮の住居だが、これは宇宙艦隊司令部の地下に有る。理由は簡単、外部から攻撃を受けないためだ。そのため俺は日によっては一度も宇宙艦隊司令部を出る事の無い日もあるし、お天道様を見ない日もある。まるでモグラにでもなった気分だ。安全は安全だがストレスは溜まる。

特に寝るときが苦痛だ。窓の無い部屋、太陽の光の入らない部屋、おまけに天井が低く、圧迫感を感じさせる。目覚めても時計を見なければ朝なのか夜なのか分からない、全くもってうんざりする。

ヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞に着任した。情報部からの通達によると十八日に着いたらしい。まあ当分は引継ぎやら訓練やらでドタバタするだろう。

イゼルローン方面はとりあえず放置だ、問題はフェザーン方面だな。帝国軍がフェザーンに軍を進めたとき、同盟はそれを座視できるか? 難しいだろう、イゼルローン要塞が有る、帝国軍が攻め込むのは不可能、そう思えばこそ同盟市民は帝国の脅威を感じずにすんでいる。しかし帝国軍がフェザーン回廊を制圧するとなれば……。

パニックになるだろう。フェザーン回廊を帝国に渡すなとヒステリックに叫ぶに違いない。同盟がフェザーンを征服してくれたほうがこちらとしては有り難い。フェザーンが同盟の搾取を受ければ、帝国は後々解放者としてフェザーンに侵攻できる。

拙いのは同盟が侵攻せず帝国軍が侵攻する形になることだ。一つ間違えるとフェザーンで独立運動が起きる事になる。鎮圧しフェザーンを安定させるのにかなりの時間が必要になるだろう。同盟領侵攻はその分遅くなる。

同盟の政治家達がその辺をどう読むかだな。レムシャイド伯が同盟に連絡を取った時、応対したのはヨブ・トリューニヒト、ジョアン・レベロ、ホアン・ルイの三人だった。つまりこの三人がトリューニヒト政権でインナーキャビネットを構成しているということだろう。

ヨブ・トリューニヒトか……。あれはなんだったのだろう、原作では政治信条などまるで無かった男だ。ただ権力を、支配する事を、支持されることを望んだようにしか見えない。この世界でも同じなのか?

そうでは有るまい、この世界は原作とはかなり違いが有る。ヨブ・トリューニヒトにジョアン・レベロ、ホアン・ルイが明確な形で協力している。ただの権力亡者にあの二人が付くとは思えない。この世界のトリューニヒトはそれなりの人間だと考えたほうが良いだろう、あるいはただの飾りか。

そしてジョアン・レベロにはシドニー・シトレが付いている。レベロ、シトレ、ヤン、このラインが機能するようだとトリューニヒト政権はかなり戦略的な思考をする政権になるだろう。市民のパニックを抑えこちらの狙いをかわそうとするかもしれない。しかし、抑えきれるだろうか、難しい所だ。

それとホアン・ルイ……、注意が必要だな。俺はこのホアン・ルイという男をかなりの曲者だと思っている。原作ではレベロと親しいように見える。しかし彼はヤンの査問会議にも参加している。という事はトリューニヒトとの間に有る程度の協力関係が存在したという事だろう。だがトリューニヒトに対してもレベロに対しても閣内に入って支える事まではしていない。

あの帝国領侵攻による敗北で同盟はガタガタになった。おそらくホアン・ルイは敗戦後の同盟をまとめるにはトリューニヒトのカリスマが必要だと考えたのだと思うが、信用はしなかったのだろう。いずれ失敗すると見た。それが積極的な支援に繋がらなかったのではないだろうか。

だとするとヤンの査問会議も別な視点が考えられる。ヤンが独裁者足りうるかどうかを確認したのではないだろうか。ホアン・ルイは自由惑星同盟が国家として金属疲労を起こしていると考えた。民主主義を護るには強力な指導者が必要だと思った。シェーンコップではないが、形式ではなく民主主義の実践面を守るには強い指導者が必要だと考えたとしたら……。

トリューニヒトはいずれ失敗する。その後をヤン・ウェンリーは継げるか? 強力な指導者として民主主義を守れるか? それこそがあの査問会に出た理由だとしたら……。

結果はNOだった。ヤン・ウェンリーはルドルフのような暴君にはならない、その意味では安心しただろう。しかし、民主主義を護る独裁者にもなれないと思ったに違いない。その後はホアン・ルイにとっては失意の日々だったろう。彼は徐々に政治的活動が減っていく。

だがこの世界ではトリューニヒトに積極的に協力している。真実協力しているのか、それとも次を見据えての協力か。場合によってはヤン、あるいはビュコックによる軍人政権が出現する可能性もある……。そうなれば脅威だな。だがその時にはレベロがどう動くか、レベロには耐えられないはずだ。同盟内部で熾烈な権力闘争が始まるかもしれない。

いかんな、こんなことばかり考えているとまた寝そびれてしまう。明日も早い、ゆっくりと休んで明日に備えるべきだろう。

そう思って眠った俺だったが、ゆっくりと休む事は出来なかった。TV電話が呼び出し音を立てている。時刻は三時半を回ったところだった。

「始まったか……」
思わず言葉が出た。何が起きたかは分からない、しかし始まったのは間違いない。夜中の三時半につまらない用件で宇宙艦隊司令長官を起こす馬鹿はいない、何かが起こった。

眠気は飛んでいた。俺はベッドを離れ俺を呼んでいるTV電話に向かった。十年前の誓いがこれから果たされようとしている。



 

 

第百六十二話 誘拐

帝国暦 487年 11月23日   オーディン 新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


連絡は新無憂宮からだった。近衛兵からだったのだが、要領を得ない事おびただしい。分かったのは賊が入ったという事だけだ。直ぐに向かうと返事をしてTV電話を切った。

TV電話を切るとリューネブルク、モルト中将に連絡を取った。二人とも十月十五日以降は俺同様この宇宙艦隊司令部で寝起きをしている。呼び出しに直ぐ応じてくれた。二人とも寝起きは良いようだ。

「すぐさま動かせるのは装甲擲弾兵が一個大隊です。小官が護衛につきましょう」
「残りの部隊は小官が集めます、閣下はリューネブルク中将とともに新無憂宮へお急ぎください」

予め二人の間ではいざと言う時の打ち合わせは出来ていたのだろう。緊張はしていたが慌てることなく役割を分担した。余計な事を言わずに話を進めてくれるのも有り難い、頼りになる。

新無憂宮に向かう途中、僅かな時間だが何が起きたかを考えた。賊が侵入した。狙いは皇帝暗殺、或いはエルウィン・ヨーゼフの暗殺か……、両方というのも有り得るだろう。或いは誘拐か……。

フリードリヒ四世、エルウィン・ヨーゼフの二人を殺せば次の皇帝に就くのはエリザベートかサビーネに成る。一挙に逆転か……。まあ無理だろうな、捕まるのが落ちだ。しかし暗殺にせよ、誘拐にせよ成功しなくても良い、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を反乱に踏み切らせれば良いのだ。

実行犯は黒幕はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の二人だなどと平然と罪を擦り付けるだろう。その場合、こちらとしてはあの二人をオーディンに召還する事になるが、果たして二人が素直に来るか? 周りがそれを許すか? それによって明暗が分かれる事になる。

新無憂宮に着いたのはエーレンベルク、シュタインホフ両元帥とほぼ同じタイミングだった。シュインホフ元帥が早速話しかけてきた。
「ヴァレンシュタイン、早かったな」
「お二方こそ早いですね」

何か話そうとしたシュタインホフ元帥が口を噤んで俺の背後を見た。分かっている、リューネブルクが俺の後ろに立ったのだ。俺を護るつもりなのだろう。そして完全武装の装甲擲弾兵一個大隊がその後ろで警戒態勢を取っているはずだ。

「随分物々しいの、装甲擲弾兵が一個大隊といったところか」
「念のためです、エーレンベルク元帥」
「どうやら事が起きたようだが何が起きたと思う?」

エーレンベルク、シュタインホフ両元帥に何と答えようかと考えていると咎めるような声が聞こえた。
「卿ら何をやっておる。早くこちらに来ぬか」

リヒテンラーデ侯が新無憂宮から苦虫を潰したような表情でこちらを見ている。機嫌が良くないらしい、どうやら事態は深刻なようだ。エーレンベルク、シュタインホフの両元帥も表情が厳しくなっている。同じ事を考えたのだろう。

「何が起きたのです、国務尚書?」
傍により声をかけるとリヒテンラーデ侯は忌々しそうな顔でこちらを見た。つくづく思うのだが、悪人面だ。気の弱い人間なら逃げ出してしまうだろう。

「エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク、サビーネ・フォン・リッテンハイム、この二人が誘拐された」
「馬鹿な、そんな事はありえぬ」

リヒテンラーデ侯の言葉にシュタインホフ元帥が反駁した。俺も同感だ、原作でランズベルク伯アルフレットが誘拐に成功したのはラインハルトが西苑、北苑の全てを閉じ東苑、南苑の半分を閉じた事で警備を減らした所為だ。それ無しでは近衛兵の巡回に引っかかったのは間違いない。

それが成功した。そこから考えられる事は……。
「近衛に協力者が居た、という事ですか」
答えを出したのはリューネブルクだった。エーレンベルク、シュタインホフ元帥が厳しい眼で彼と俺を睨む。

リヒテンラーデ侯の顔がさらに渋くなる。どうやら侯は気付いていたようだ、顔が渋くなるのも無理は無い。
「軽々しく口にするな、ラムスドルフの立場も考えよ」

どこか押し殺したような声でエーレンベルク元帥がリューネブルクを咎めた。リューネブルクが示した謝罪らしいものは軽く一礼して終わりだった。相変わらずふてぶてしい男だ、そんなリューネブルクにリヒテンラーデ侯がフンと鼻を鳴らす。この爺様も妙な男だ、今の態度からするとリューネブルクが嫌いじゃないらしい。

それにしても道理で連絡してきた近衛兵が要領を得ないはずだ。自分達の中に裏切り者がいたのだ。どう話して良いか判らなかったのだろう、それでしどろもどろになった。

ラムスドルフを信用しすぎたか……。近衛兵総監ラムスドルフ上級大将はこちらに協力を誓っている。小細工をするような人物ではない、誘拐劇には無関係だろう。だが部下の中に誘拐犯達の協力者が居た。金で転んだか脅迫されたか、或いは元々彼らの仲間だったか……。

厄介な事になった。出来る事なら二人の少女には関係なく暴発というのが良かった。あるいはエルウィン・ヨーゼフを攫うとかでも良い。最もそれではブラウンシュバイク、リッテンハイムの両者を反乱に巻き込む事は出来ないか……。上手くいかんものだ。

「陛下はご無事なのですか、リヒテンラーデ侯?」
俺は気まずくなりかけた雰囲気を変えようと話題を変えた。
「ご無事だ、陛下は今クリスティーネ様、アマーリエ様と御一緒だ」

クリスティーネ様、アマーリエ様、その名前に皆が顔を顰めた。雰囲気は前より悪くなった。先ず間違いなくこの件で責められるだろう。どんな無理難題を言われるか、頭の痛いことだ。

「もう直ぐラムスドルフが来る」
もう直ぐ? リヒテンラーデ侯の言葉に皆が訝しげな表情をした。
「ラムスドルフは自ら誘拐犯を追っていたのだが、捜査は部下に任せて一度報告に戻るように命じた」

「よろしいのですか、ラムスドルフ近衛兵総監が捜査から外れれば、捜査はおざなりになりかねませんが」
「……」

エーレンベルク元帥が眉を寄せながらリヒテンラーデ侯に問いかけたが侯は答えなかった。見つけるのは無理だと思っているのかもしれない。エーレンベルク元帥もそれ以上は何も言わなかった。沈黙のまま時間が過ぎる。ラムスドルフ近衛兵総監が現れたのは十分ほど後のことだった。

憔悴したラムスドルフ近衛兵総監が口を開こうとするとリヒテンラーデ侯がそれを止めた。
「これより陛下の元へいく。捜査の状況はそこで聞こう、それとも今此処で話さなければならぬことが有るか?」
「……いえ、ございませぬ」

「リヒテンラーデ侯、装甲擲弾兵を護衛に付けましょう」
歩き出そうとしたリヒテンラーデ侯は俺の言葉に顔を顰めた。近衛は当てにならない、この場で俺達を暗殺しようと思えばそれほど難しくは無い、危険だ。エーレンベルク、シュタインホフ元帥が厳しい視線を向けてくるのが分かったが気にしては居られなかった。

「閣下、ヴァレンシュタイン元帥の言うとおりです。装甲擲弾兵を護衛に付けてください」
俺の意見を支持したのはラムスドルフ近衛兵総監だった。彼の声には苦い響きが有る、認めたくないことを認める苦さが滲み出ていた。

リヒテンラーデ侯はラムスドルフ近衛兵総監を見、俺を見ると僅かに頷き歩き出した。俺はリューネブルクを見た。リューネブルクは装甲擲弾兵を三十人ほど俺達の護衛に付けると自ら指揮を執った。

新無憂宮を完全武装の装甲擲弾兵に護られた俺達が歩く。時折宮中に勤める女官や廷臣達が怯えるかのようにこちらを見るのが分かった。宮中を装甲擲弾兵が闊歩するなど有り得ないことだ。恐ろしいのだろう。

フリードリヒ四世の元に赴くと、皇帝はクリスティーネ、アマーリエの二人に娘を助けてくれとせがまれている所だった。かなり往生していたのだろう、俺達を見るとほっとしたように声をかけてきた。

「おお、皆来たか。それで、どうなった?」
皆片膝をついて控えた。ラムスドルフ上級大将が顔を歪めながら答える。
「残念では有りますが賊を取り逃がしました、申し訳ございませぬ」

「なんと、そなたは宮中警備の責任者であろう。賊を取り逃がしたなど、それでもそなた、近衛兵総監か! この役立たずが!」
罵声を浴びせたのはリッテンハイム侯爵夫人クリスティーネだった。その声にラムスドルフの顔がさらに歪む。

「もとより責めを逃れるつもりはありませぬ。覚悟は致しております」
覚悟か、原作のモルトと同じように死ぬつもりか……。全くなんだってそう死にたがるのか。

「総監、憲兵隊に連絡は取りましたか?」
「既に連絡はとっております、ヴァレンシュタイン元帥。誘拐犯達は南苑にあるジギスムント一世陛下の銅像の下から地下道を使って宮中へ出入りしたようです」

「ジギスムント一世陛下の銅像の下だと?」
驚いたように声を出したのはシュタインホフ元帥だった。エーレンベルク元帥、リヒテンラーデ侯の顔も驚きに満ちている。

「新無憂宮の地下は巨大な迷路になっています。おそらく見つけるのは不可能に近い、そう思い憲兵隊に出動を要請いたしました。憲兵隊には宇宙港の封鎖、市内の幹線道路の検問を依頼しております」

「待てラムスドルフ、合点がゆかぬ。南苑から此処まではかなりの距離がある。賊達は近衛の警備には引っ掛からなかったのか?」
「……」
ラムスドルフは答えない、いや答えられない。重苦しい沈黙が部屋に満ちた。

「ラムスドルフ、何故陛下の問いに答えぬのです!」
「止めよ、クリスティーネ」
「ですが」
「止めるのじゃ!」

フリードリヒ四世の一喝に侯爵夫人が押し黙った。皇帝は全てを悟ったのだろう、哀れむような眼でラムスドルフを見ている。
「ラムスドルフ、死ぬ事は許さぬぞ。そちは近衛兵総監として近衛の軍紀を引き締めよ」

驚いたように顔を上げたラムスドルフに皇帝が押しかぶせるように言葉を続けた。
「これはそちの役目ぞ、そちこそが近衛兵総監なのじゃ。忘れるでない」
「……」

「行け、行ってそちの為すべき事を為せ」
「はっ」
ラムスドルフ近衛兵総監は深く一礼すると立ち上がり踵を返して出て行った。

やるせないような沈黙が満ちた。皇帝がラムスドルフを救ったという事は分かる。良い事だとも思う。だがラムスドルフにとってはこれからの人生は辛いものになるだろう。皇孫、皇位継承権所持者、内乱の引き金になりかねない少女を誘拐されたのだ。

犯人はおそらくランズベルク伯アルフレットとそれに同調する仲間だ。原作ではフェザーンが黒幕だったが今回はどうか。可能性としては社会秩序維持局と見て良い。

ラインハルト、オーベルシュタイン経由で得た情報を貴族達に流した。彼らの不安を煽っておいてから協力を申し込んだのだろう。近衛に協力者を作ったのは貴族か、それとも社会秩序維持局か、こいつは半々だな。だがこれからの逃亡については社会秩序維持局、いや内務省が積極的に関わっているだろう。見つけるのは容易ではあるまい。

ランズベルク伯アルフレットか、全く碌でもないことをする、どうしようもないクズだな。自分がどれだけ馬鹿なことをしているかなど気づかないのだろう、自己陶酔型のナルシスト、うんざりする。

十六歳と十四歳の少女の誘拐か。おそらく着替えも出来ず、寝着のまま連れ去られただろう。どれほど恥ずかしかった事か……。今回の一件がトラウマにならなければいいのだが。

原作でもエルウィン・ヨーゼフを攫い最後は行方不明だ。奴が攫わなければ、あんな惨めな逃亡者としての一生を送らずに住んだはずだ。ラインハルトに帝位は奪われたかもしれないが、それなりの暮らしは出来たろう。

もっともアルフレットはそんな事は露ほども思わなかったに違いない。簒奪者ラインハルトを誹謗し、そのラインハルトを支持する帝国人を呪い、自分だけがエルウィン・ヨーゼフの忠臣だと酔ったに違いない。奴自身は自分が不幸だとは少しも思わなかっただろう。阿呆な話だ。

「娘達はどうなりますか?」
問いかけてきたのはブラウンシュバイク公爵夫人アマーリエだった。静かな声だった。だが痛いほどに耳に響く。リヒテンラーデ侯が躊躇いがちに答えた。

「殺される事は無いと思われます。殺すのであればわざわざ攫いはしません」
「……」
その通りだ、殺される事は先ず無い。だが残酷なようだがいっそ殺してくれたほうがブラウンシュバイク、リッテンハイム両家のためだろう。

「ただ……」
口籠もったリヒテンラーデ侯に代わってブラウンシュバイク公爵夫人が後を続けた。
「夫達の脅迫の道具に使われるということですね」
「……」

「御父様、娘を、私達の娘を助けてください。約束したのです、あの人と。必ずサビーネを護ると。御姉様も同じはずです。お願いです、御父様」
リッテンハイム侯爵夫人が崩れ落ち泣きながら皇帝に訴え始めた……。

俺達が皇帝の元から退出したのはそれから間も無くの事だった。皇帝、そして二人の夫人から何としても犯人を捕まえエリザベート、サビーネを取り戻せと命令された。

「厄介じゃの」
リヒテンラーデ侯の言葉に皆が頷いた。
「取り戻すためにはオーディンから出してはなるまい」
「軍務尚書の言う通りだが、なかなか難しかろう」
シュタインホフ元帥が腕を組みながら答える。

いつもの南苑の一室だ。部屋の外ではリューネブルクが護衛を務めている。新無憂宮で今一番安心できる部屋だろう。老人たちは椅子に座り俺は立っている。

「万一、オーディンから抜け出すような事になればブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は起たざるを得まい」
「内乱の勃発ですか」
軍務尚書と俺の言葉に皆が頷いた。

誘拐犯達が二人の娘を殺すという事は余程の事がない限り有り得ない。だが二人を旗頭に反乱を起すと言われたらどうなるか? 無視しても両家の娘が反乱を起したという事になる。両家が無傷ですむはずが無い。何より娘二人を見殺しには出来ない、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は起たざるを得ないだろう。

「あのお二方をオーディンから出しては成らん。ブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯等どうなろうと構わんがあのお二方を巻き添えにしては後々帝国にとって大事になる」

「リヒテンラーデ侯、仰る事は分かりますが万一の場合にも備えなければなりますまい」
「……」
「誘拐犯達はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯と合流するはずです。そこでお二人は確保できる」

「しかしヴァレンシュタイン、そのときにはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は反乱を起しているのではないか?」
「その通りです、シュタインホフ元帥。ですから彼らにお二方を決して乱に巻き込むな、最悪の場合はこちらに落とせ、そう伝えましょう」

「……」
「フェルナー准将、ガームリヒ中佐とこれから誘拐事件について話さなければなりません。その際、万一の場合とことわって話しておきましょう」
「……止むをえんの」
溜息混じりにリヒテンラーデ侯が言葉を出した。

「捜査が進まないようであれば、警備を緩める事も考えなければならないでしょう」
「警備を緩める? 卿、何を言っている。それでは賊が逃げてしまうではないか、お二方も取り戻せんぞ」
俺の言葉にシュタインホフ元帥が訝しげに問いかけてきたが、此処は譲れない。

「余り追い詰めると犯人がお二人を殺してしまうかもしれません」
「!」
「……厄介じゃの」
リヒテンラーデ侯が呟き、皆が頷いた。

「ところで陛下の警護だがどうする。近衛は信用できんが」
「憲兵隊から人を出すほかあるまい」
シュタインホフ元帥の問いに顔を顰めたエーレンベルク元帥が答えた。無理も無い、近衛が信用できない、俺も顔を顰めたい気分だ。

「陛下だけでは有りません。宮中では必ず護衛を付けてください。それと武器の携帯もです」
リヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、皆顔を見合わせ頷いた。最も安全であるべきはずの宮中が危険に溢れている、馬鹿げた話だがそれを機に打ち合わせは終息に向かった。


アントン・フェルナー、アドルフ・ガームリヒに連絡を取ると二人は直ぐにTV電話に出た。既に起きていたようだ。

「アントン、ガームリヒ中佐、事件の事は聞いているか?」
「ああ、アマーリエ様から聞いている。とんでもない事になった」
「済まない、こちらの不手際でお二方を攫われてしまった」

二人とも俺を責めなかった。その事が余計に辛く感じる。
「近衛に内通者が居たと聞いたが?」
「ああ、上手くしてやられたよ」

「エーリッヒ、これからのことも有る。会って話したいのだが」
「宇宙艦隊司令部に来てくれないか。私もこれから戻るつもりだ」
「分かった。では宇宙艦隊司令部で話そう」

TV電話を終えるとリューネブルク中将を呼んだ。
「中将、これから宇宙艦隊司令部に戻ります」
「フェルナー准将とお話をしていたようですが?」
「ええ、これから宇宙艦隊司令部で彼らと話をしなければなりません」

「成る程、閣下、少し小官も閣下にお話があるのですが……」
「?」
リューネブルクは奇妙な表情を浮かべていた。はて、一体何の話だ……。




 

 

第百六十三話 交錯する想い

帝国暦 487年 11月23日   オーディン   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


俺の前には宇宙艦隊司令部へと向かう地上車が有った。時刻は五時をまわったばかり、まだ外はかなり暗い。
「リューネブルク中将、もう直ぐ宇宙艦隊司令部へ着きますね」
「……」

俺は横に座っているリューネブルクに視線を向けた。リューネブルクも俺を見る。さてどうしたものか。男二人見詰め合っていても仕方ない。
「リューネブルク中将、どうやら卿の……」

“取り越し苦労だ” そう言葉を続けようとした瞬間、閃光とともに激しい爆発音がした。目の前の地上車が文字通り吹き飛ぶ。そしてさらに爆発音が続く。おそらく後続の地上車も撃破されただろう。

「やはり、来ましたな」
「……」
「どうなさいます」
リューネブルクがこちらを見ているのが分かる。指示を出さなければなるまい。思わず溜息が出た。

「モルト中将に連絡してください。襲撃者を捕縛せよと」
「捕縛ですか?」
「私が生きている事を相手に伝えてください、それと話がしたいと言っていると、抵抗はしないはずです……」
「……承知しました」

リューネブルクが席を立つ。
「中将」
「?」
「有難う」

リューネブルクは微かに頭を下げるとモルト中将に連絡を取るべく部屋を出て行った。俺は地上車の残骸を映し出すスクリーンをじっと見詰めた。何故だ、何故こんなことになる。また溜息が出た……。

襲撃者が捕縛されたと聞いたのはそれからさらに三十分後だった。モルト中将からの報告ではお互いに死傷者は出なかったらしい。俺は新無憂宮から装甲輸送車で宇宙艦隊司令部に向かった。もちろん護衛の指揮はリューネブルクが執った。


宇宙艦隊司令部には無事に着いた。もっとも新無憂宮から宇宙艦隊司令部まで回り道をして帰ったからその所為も有るだろう。司令部に着いたのは六時半に近かった。当直士官と警備兵以外は誰もいない宇宙艦隊司令部を俺はリューネブルク率いる装甲擲弾兵による護衛とともに第二十五会議室に向かった。

第二十五会議はこじんまりとした部屋だった。そこにはアントン・フェルナー、アドルフ・ガームリヒ、モルト中将、そして何人かの装甲擲弾兵がいた。俺はモルト中将と敬礼を交わしつつ労をねぎらった。

「ご苦労様でした、モルト中将。死傷者が無かった事は幸いでした」
「閣下が無事だという事を伝えた所、あっさりと降伏してくれました。そのおかげです」

モルト中将はそう言うとフェルナーとガームリヒ中佐へ視線を向けた。二人とも手錠をかけられ、椅子に座っていた。憔悴した表情で眼を閉じている。この二人が俺を襲撃するとは……。

「アントン、ガームリヒ中佐、残念だったね。私はこの通り生きている」
「ああ、残念だよ、エーリッヒ。ほっともしているが……」
嘘ではないだろう、何処と無くアントンの声には明るさがあった。

「モルト中将、二人の手錠をはずしてください」
「しかし」
「良いんです。はずしてください」
一瞬モルト中将は躊躇ったが諦めたかのように二人の手錠をはずした。それと同時に装甲擲弾兵の右手がブラスターにかけられた。

「教えてくれ、随分と手際が良かったが前々から準備していたのか、この日のために」
「……そうだ」
思わず俺の口から溜息が出た。一体俺は何を見ていたのか……。

「理由を教えてくれ、何故だ」
声が掠れないようにするのが精一杯だった。
「……」
フェルナーもガームリヒも答えない。二人とも申し合わせたかのように眼を閉じたままだ。

「貴族達に領地替えの情報を漏らしたのも卿か? 彼らを暴発させ、あの二人を誘拐させ私をおびき出して殺す。それを狙ったのか、アントン!」
そしてその罪をローエングラム伯に擦り付け軍を混乱させる。可能だろう、今の軍なら可能だ。その思いが俺の口調を激しくさせる。押さえきれない激情が俺を捕らえた。

「違う、そうじゃない」
落ち着いた声だ。クソッタレめが、だから俺はお前が嫌いなんだ。
「どう違う、答えろ!」

フェルナーが眼を開け、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「貴族達に領地替えの情報が漏れた。俺もガームリヒ中佐も必死で否定したが彼らは信じなかった。例の借金の返済が迫った事で疑心暗鬼になっていたんだ」
「……」

「領地替え?」
モルト中将が困惑するかのように呟くのが聞こえた。リューネブルクがモルト中将に向かって首を振るのが見えた。それ以上は問うな、そういう意味だろう。すまんな、リューネブルク、卿も知りたいだろう。いや卿の事だ、大体の想像はつくか……。

「彼らは何としてもブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯を反乱に踏み切らせようとした。決して自分達を切り捨てるような事は許さない、そう言ってな」
「……」

何処か疲れたようなフェルナーの声だった。俺の暗殺に失敗した事が原因か、それとも貴族達の執念に対して疲れているのか。隣にいるガームリヒ中佐はまだ目を閉じたままだ。微動だにしない。一体何を考えているのか……。

「逃げ切れるかどうか不安だった。それでガームリヒ中佐と相談し万一の場合に備えた。事が起きるとすれば、宮中か卿の暗殺だ」
「……それで、私の暗殺ならどうする」

「卿の暗殺なら成功不成功に関わらず動かない。貴族達を説得しローエングラム伯に罪を擦り付け軍を混乱させる。実行犯達を潰し政府に恭順するか、政府と戦うかは軍の混乱がどの程度になるかで決めるつもりだった」

皆考える事は同じだ。何処かでラインハルトを利用しようとしている。ラインハルトが野心を捨ててくれればどうだったろう。フェルナーは俺の暗殺など考えなかったに違いない。そう考えるだけでラインハルトに、そして彼を処断できずにいる自分に腹が立った。馬鹿たれが!

「宮中でことが起きた場合は?」
内心の怒りを押し殺して問いかけた。答えは分かっていても問わざるを得ない。何処か自虐的になっている自分がいた。

「もう分かっているだろう、卿を暗殺する。宮中で事が起きる、つまり陛下の暗殺か、エルウィン・ヨーゼフ殿下の暗殺になる。ローエングラム伯に嫌疑を掛ける事は出来ない。伯が今陛下を暗殺しても何の利益も無い」

「そうでもない。内乱を起すために陛下を暗殺するという事はありえるだろう」
「危険が大きすぎるさ、誰も信じない。どう見ても嫌疑はブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯にかかる」

その通りだ。今朝方考えたことをフェルナーも考えたに違いない。フリードリヒ四世、エルウィン・ヨーゼフの二人を殺せば次の皇帝に就くのはエリザベートかサビーネ。一挙に逆転だ……。成功はしないだろう、だがそれでも嫌疑はかけられる。

「……」
「お二人がオーディンに行く事は無い。行けば反対する貴族達に殺されるだろう。その瞬間からブラウンシュバイク、リッテンハイムの両星系は暴発した貴族達に蹂躙される。内乱の始まりだ」

「……」
「そして行かなければ、犯人である事を認めたことになる。やはり内乱が始まることになる……」

「だから私を暗殺するのか」
「そうだ。まさか彼らがエリザベート様、サビーネ様を誘拐するとは思わなかったがね。陛下の暗殺より始末が悪い、最悪だ」
そう言うとフェルナーは“参ったよ”と呟いた。

「まだ、取り戻せないと決まったわけじゃないだろう……」
俺の言葉にフェルナーは軽く笑い声を上げた。
「甘いよ、エーリッヒ。直ぐに取り戻せるような相手にあの新無憂宮からエリザベート様、サビーネ様を誘拐できると思うかい?」
「……」

一頻り笑った後、フェルナーは生真面目な表情になった。
「誘拐首謀者のランズベルク伯から連絡があった」
「!」
「君側の奸を討つべく兵を挙げろと」
部屋の空気が一瞬で固まるのが判った。多分俺の顔は歪んでいるだろう。

「それで、なんと答えた」
「未だ準備が出来ていない、そう言ったら“これ以上は待てない。二十四時間以内に兵を挙げなければ、エリザベート様、サビーネ様を旗頭として自分達で兵を挙げる”と」

「馬鹿な、どうやって兵を挙げる。二十四時間でこのオーディンから抜け出し兵を起せるとでも思うのか? 宇宙港は既にこちらで押さえた」
嘲笑混じりにフェルナーに反論したのはリューネブルクだった。

「オーディンを抜け出す必要はありません。このオーディンで兵を挙げます」
「!」
ガームリヒ中佐……。彼は目を開けていた。澄んだ色を湛えた眼だった。

「直ぐに鎮圧されるでしょう。だがその時にはエリザベート様、サビーネ様は反乱の元凶となっています。最後はランズベルク伯達に無理矢理自害させられる、反逆の首魁として最後を迎えるでしょう」

「ブラウンシュバイク、リッテンハイムの両家は反逆者になる。そういうことか……」
リューネブルクの言葉にガームリヒ中佐が無言で頷いた。誰かが溜息をついた。モルト中将だろうか?

ランズベルク伯アルフレットか。あのロクデナシのクズ。帝国貴族五百年の精華があのクズだというなら貴族など全て地獄に落ちればいい、クズが!

「アントン、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は卿らの行動を知っているのか?」
「知っている。止むを得ないという事だった」
リューネブルクとモルト中将が顔を見合わせるのが分かった。内乱の始まり、それを実感したのだろう。

「……失敗した事は伝えたのか」
「いいや、その時間は無かった。だが連絡が無いのだ、失敗したと判断しただろう」

二人とも内乱を決意した。いや、既に内乱は始まっていた、そういうことか……。やるせない思いが胸に湧き上がった。俺は領地替えの成功を望んでいたのだろうか? それとも内乱を望んでいたのか、分からなくなった、ただこんな形でフェルナーと会いたくは無かった。

「アントン、何故もっと前に私に相談してくれなかった。そうすれば……」
「無駄だ、エーリッヒ」
「……」
何かを断ち切るかのような口調だった。

「卿らの考えは分かっている。積極的には手助けはしない。生き残りたいなら自分の力で何とかしろ、俺達を当てにするな、そうだろう?」
「……ああ、そうだ」

「責めているんじゃない、当然の事だと思う。これまで門閥貴族の雄として勢威を振るった両家が一転して政府の庇護を受けるなど改革に対する平民達の信頼を失うだろう」

「……それでもだ、それでも相談して欲しかった。私は卿と戦いたくなかった」
「俺もだ、俺も卿とは戦いたくなかった。だがそれ以上に俺は卿と戦いたかった!」
「アントン……」

「卿の頼みでフェザーンに行って以来、ずっと思っていた。俺が全てをかけて戦えるのは卿だけだと。卿と戦えば苦しむのは分かっていた。それでも卿と戦っているときだけが熱くなれたんだ。苦しくて熱くて、まるで恋でもしているかのようだった。分かってくれるか、エーリッヒ」

「……ああ」
まるで告白でもされているかのようだった。フェルナーの苦しみが、喜びが聞こえてくる。本当なら俺は“ふざけるな”と怒鳴りつけるべきなのだろう。

それなのにどういうわけか、声が湿ってくる。何故だろう……。分かっている。俺はフェルナーと戦いたく無かった。フェルナーは俺と戦いたがっていた。その気持ちを知っていたからあの領地替えの案に飛びついた。もう戦わずに済む、そう思った。俺はフェルナーの思いに応えなかったのだ……。

「上手くいったと思ったのだがな。所詮俺は卿に及ばぬようだ」
「そんな事は無い。私は何の警戒もしていなかった。リューネブルク中将がいなかったら私は卿の手で殺されていただろう」

「そうか、運が無かったな」
フェルナーは微かに苦笑した。穏やかな表情だ、死を覚悟したのかもしれない。
「……」

「エーリッヒ、卿の悪い癖だ。誰よりも冷徹なくせに自分の事になると妙に鈍くなる」
フェルナー、そんな穏やかな顔をするな。俺に士官学校時代を思い出させるな。

「そうじゃない。あの領地替えを話した日、卿は“負けた”と言ってくれた。あの時私は卿ともう戦わずに済む、そう思った。だから……」
「俺が戦いを諦めていないなどと考えるのを放棄したか」
「ああ、多分そうだと思う」

俺の言葉にフェルナーは視線を落とした。
「負けたと言いながら最後まで戦う事を考えた俺を卑怯だと思うか?」
「いや、そうは思わない。私が甘いだけだ」
フェルナーが顔を上げ笑顔を見せた。

「そうか、礼を言うぞ、エーリッヒ。卿には卑怯者とは思われたくない」
「らしくないぞ、アントン。謀略に卑怯などという言葉は無い。謀られるほうが間抜けなだけだ」
「そうだな。卿のような甘チャンがいうと実感が出るな」

フェルナーが声をあげて笑った。甘チャン、そう言われても少しも怒りが湧かなかった。確かに俺は甘チャンだ。リューネブルクがいなかったら俺は死んでいただろう。甘チャンなのは間違いない。帝国暦 487年 11月23日、時刻は七時半になっていた……。

 

 

第百六十四話 激震する帝国

帝国暦 487年 11月23日   オーディン 宇宙艦隊司令部   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「エーリッヒ、俺達の処刑には不服は無い。だが部下達は助けて欲しい。虫のいい願いだとは分かっている。だが……」
「甘いよ」
フェルナーの願いを俺は一言で断った。甘いぞ、フェルナー。

「エーリッヒ……」
「ひと思いに楽に死ねると思ったのかい。甘いよ、アントン。卿らには生きて私の役に立ってもらう」

失敗したら死んで終わりか? ふざけるな! 自分だけ楽になろうなんて許されると思ったか? 俺が許すと思ったのか? 甘いよ、フェルナー。俺が甘チャンならおまえも甘チャンだ。俺を殺そうとした責めは負ってもらう、生きて償ってもらうぞ、こき使ってやる。

可笑しくて思わず笑いが出た。そんな俺をフェルナーは何処か不安そうな眼で見ている。フェルナーだけじゃない、部屋にいる人間全てが俺を見ていた。

「俺にブラウンシュバイク公を裏切れというのか? 無駄だ、諦めろ」
「私もリッテンハイム侯を裏切るつもりは無い。処断を願う」
アントン・フェルナー、アドルフ・ガームリヒが口々に主君を裏切るつもりは無いと言い切った。可笑しくてまた笑った。

「裏切る? そんなことをする必要は無いさ。卿らは必ず私に協力する、いや、協力させる」
「エーリッヒ、何を考えている?」
「脱出用の宇宙船は用意してあるだろう?」
「……」

「今すぐ此処から逃げるんだ」
「何を言っている」
「そして、私を暗殺したとブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に告げてもらう」

「馬鹿な、そんな嘘をついてどうなる」
フェルナーは呆れたような声を出した。尤も呆れているのはガームリヒ中佐も同じようだ。

「意味はある。このままでは内乱はランズベルク伯達が主導するものとなるだろう。だが私を暗殺したとなれば話は違う」
「……」
そう、俺を暗殺すれば話は別だ。

「大声で叫べばいい。君側の奸、エーリッヒ・ヴァレンシュタインを暗殺した。今こそ心ある貴族はルドルフ大帝以来の国是を護るべく立ち上がれと。多くの貴族達が集まるだろう。日和見していた連中も含めてね」

リューネブルクが笑い出した。そんな彼を睨みながら少し眉をひそめ気味にしてフェルナーが声を出した。
「貴族達を騙すのか?」

「騙す? 遅かれ早かれ反乱を起す連中だよ、ちょっと背中を押してやるだけだ。それとも罪悪感でも感じると言うのかい、自分達を嵌めた連中の一味に。御人好しにも程があるぞ、アントン」
またリューネブルクが笑った。

「……」
「幸い私は卿らが襲撃した地上車には乗っていなかった。だがそれが彼らにわかるのは自分達が反乱に参加したことを表明した後になるだろうね」

「反乱の規模を大きくして一気にかたをつけようというのですな」
リューネブルクが面白そうに言った。
「まあ、それもありますが狙いは別にあります」
「別?」
フェルナーは不思議そうにしている。いい加減に気付け、らしくないぞ。

「貴族達はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯達を中心に集まるだろう。主導権を握るのはランズベルク伯達じゃない」
「!」

「そして政府はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯がフロイライン達の誘拐を陽動として私を暗殺する事を計画したと判断する事になる。反乱の首謀者はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯だ」

「主導権を握る、お二人を反乱の首謀者にする……。なるほどそういうことか!」
フェルナーの声に力が漲った。声だけじゃない、表情も厳しくなっている。ようやく何時ものフェルナーになったようだ。

「ようやく分かったか、アントン」
「ああ、分かったよ。さすがだな、エーリッヒ」
「大した事じゃないさ、このくらいはね。どの道ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は反逆者になる、喜んで協力してくれるだろう」
「酷い男だな、卿は」

フェルナーが非難するような声を上げた。我慢しようと思ったが無理だった。俺は笑い声を上げていた。周囲が呆れたように俺を見ているのが分かったが止まらなかった。

「フェルナー准将、一体どういう事です?」
「ガームリヒ中佐、反乱は避けられない。だがお二人が主導権を握れば、フロイライン達をランズベルク伯達から取り戻す事も可能だろう、そうは思わないか」
「!」

「なるほど、しかし私達は一度はフロイライン達を人質として政府に差し出したのです、それをどう説明します? 貴族達も簡単には信用しますまい」
ガームリヒ中佐は半信半疑なのだろう。

「人質? 卿らが差し出したのは皇帝陛下の御息女と孫だ。たとえブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が反逆を起したからといって処断できると思うかい? 大体、宇宙艦隊司令長官を呼びつけて夫を助けろと命じる人質がいるものか、処断できない人質は人質とは言えない、お客人だ」

「……」
「彼らを差し出すことによって政府の油断を待っていた。そんなところにランズベルク伯達が誘拐事件を起した。それに付け込んで私を暗殺した、そう言えば何の問題も無い」
「なるほど、辻褄は合いますな」
リューネブルクが頷いた。

「それでどうする? 主導権を握るのは良い、フロイライン達を取り戻すのも良い、だが卿の狙いは何だ? それだけじゃないだろう」
フェルナーが眼を細めて俺を見た。

「フロイライン達を護るんだ。卿らが勝っているなら問題ない。だが負けるようなら、何とか二人をこちらに落としてくれ。間違っても貴族達に渡してはいけない。一つ間違うと自由惑星同盟に亡命政権を作りかねない」

「……なるほど、卿はそこまで考えているのか」
呻くようなフェルナーの声だった。俺自身心配しすぎかという気がしないでもない。しかしエルウィン・ヨーゼフが当てにならない以上、あの二人は確実にこちらの手に確保しなければならない。

「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はもう救う事は出来ないだろう。だがフロイライン達は未だ助ける事が出来る。卿らはそのために生きるべきだ」

フェルナーとガームリヒ中佐が顔を合わせ、互いに頷いた。
「卿の言う通りにしよう。感謝するぞ、エーリッヒ。俺に生きる希望をくれたことを」
馬鹿やろう、暗殺に成功しても失敗しても死ぬ気だったか、世話の焼けるヤツだ。

「時間が無い、もう直ぐ登庁してくる人間が現れるだろう。もしかするともういるかもしれない。モルト中将、彼らと部下を装甲擲弾兵の中に隠して逃がしてください」
「はっ」

モルト中将と装甲擲弾兵に囲まれフェルナーとガームリヒ中佐が部屋を出ようとする。
「アントン、ガームリヒ中佐」

俺の呼びかけに二人が振り返った。
「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に伝えてくれ……。残念だと……。この上は門閥貴族としての生き様を貫いて欲しいとね」
「……分かった」

部屋を出て行く彼らを見ながら思った。急いでくれと、ランズベルク伯達が暴発する前に私を暗殺したと大声で叫ぶ。それだけがあの二人を救う事になる……。

「上手い理由を見つけましたな」
「……」
リューネブルクはニヤニヤしながら俺を見た。失礼なヤツだ。
「これから如何なさいます?」

「そうですね、軍務尚書、統帥本部総長、国務尚書に今のことを話します。ギュンターにも警備を緩めるように頼まなければ成りません。アントンやランズベルク伯がオーディンから上手く逃げ出せるようにね。急がなくては」

「そうですな、急ぐ必要がありますな。その後は?」
「その後ですか……、部屋に戻って休みます。私が死んだというデマが流れるまでね。今日は少し疲れました」

「では、先ず部屋に戻りましょう。偉い方々への連絡は部屋からのほうがよろしいでしょう」
「確かに人目につかないほうがいい。では戻りましょうか」


帝国暦 487年 11月23日   オーディン 宇宙艦隊司令部   ウォルフガング・ミッターマイヤー


もう昼になる、だが今日は朝から宇宙艦隊司令部が、いやオーディン全体がざわめいている。今朝方、新無憂宮に賊が入ったらしい。フロイライン・ブラウンシュバイク、フロイライン・リッテンハイムの二人が誘拐されたという噂が立っているがはっきりとしたことは分からない。

俺は自分達の司令部に与えられた部屋で苛立っていた。憲兵隊、近衛兵の知り合いに連絡を取ろうとしても取れない。混乱しているのか、それとも外部との接触を禁じられたか。だがそれ以上に気になるのは司令長官のことだ。

司令長官は今日は具合が悪いと言って部屋で休んでいる。そのこと自体は決しておかしなことではない。司令長官は元来余り丈夫な方ではない。そのため月に一度は体調不良で休んでいる。だが……。

「ビューロー少将、俺は少し席を外す。後を頼む」
「はっ」
後を頼むと言っても特に何が有るわけでもない。心配は要らないだろう、ビューローなら大抵の事はそつなくこなしてくれる。

部屋を出るとロイエンタールの所へ向かおうとしたが、彼も部屋を出て俺のところへと向かってくる所だった。彼が苦笑しながら声をかけてきた。

「どうした、ミッターマイヤー。卿も落ち着かないのか?」
「ああ、どうもな。嫌な感じがする」
「……クレメンツ提督の所へ行ってみないか?」

アルベルト・クレメンツ提督。俺達が士官候補生のとき戦略、戦術を担当する教官だった。授業も面白かったし、性格も明るく、こんな軍人になりたいと思わせてくれた人だ。今では共に敵と戦う信頼できる同僚だ。

「そうだな。クレメンツ提督なら何か知っているかもしれない」
多分知っている可能性は低いだろう。しかしクレメンツ提督の顔を見れば少しは落ち着くかもしれない。そう考えて思わず苦笑した、まるで子供だ。

クレメンツ提督の司令部に行くと奥の司令官用の部屋に通された。
「そうやって二人揃っていると昔を思い出すな」
「昔ですか?」

クレメンツ提督の言葉に答えながら俺は隣にいるロイエンタールを見た。ロイエンタールも訝しげな顔をしている。クレメンツ提督は俺達にソファーに座るように促すと言葉を続けた。

「二人とも優秀な生徒だった。参謀よりも指揮官に向いている、いずれは艦隊を率いる立場になるだろうと思ったが、その通りになった」
「恐縮です。自分が四年の時でした。提督が教官として士官学校に赴任されたのは」

ロイエンタールの言葉にクレメンツ提督は穏やかに微笑んだ。おそらく俺達が此処へ来た理由など百も承知だろう。おそらくクレメンツ提督自身不安に思っているはずだ。それにもかかわらず常に変わらぬ様を示すクレメンツ提督に正直敵わないと思った。

「早いものだ、あの時の士官候補生が今では艦隊司令官なのだからな。私も年を取るはずだ」
「我々よりも出世している方がいます。司令長官はクレメンツ提督から見てどのような生徒だったのでしょう」

クレメンツ提督は穏やかな笑みを絶やさずに答えてくれた。
「優秀な生徒だったよ、ミッターマイヤー提督。非常に意志の強い、なにか心に期する物があると感じさせる生徒だった。だが私にはヴァレンシュタイン候補生がどのような軍人になるかはちょっと想像がつかなかったな」

想像がつかなかった? 思わずロイエンタールと顔を見合わせた。彼もちょっと不可思議な表情をしている。そんな俺達を可笑しそうに見ながらクレメンツ提督が話しを続けた。

「いつも図書室で本を読んでいた。軍とはまるで関係の無い本をね。“帝国経済におけるフェザーンの影響力の拡大とその限界”」
「何です、それは」

「閣下が一年の時に読んでいた本だよ、ロイエンタール提督。帝国経済におけるフェザーンの影響力を様々な数字を使って証明していた。投資額、市場における占有率、フェザーン資本で買収された企業の数などでね」
「……」

「主旨はフェザーンの影響力はあまり心配をする事は無い、そういうものだった。もっとも閣下はこう言っていたな。“数字は所詮数字でしかない、それをどう利用するかは人の力だ”と」
「……」

「正直、閣下が少尉任官した時は不思議に思ったくらいだ。もしかすると官僚になるかもしれないと思ったからね。まさか宇宙艦隊司令長官になるとは想像もしなかったよ」

そう言うとクレメンツ提督は声をあげて笑った。そして笑い終わると真面目な表情に戻った。
「もう直ぐ、メックリンガーとケスラー提督が此処に来る。あの二人が来れば少しは何か分かるだろう。何が起きているか、それが知りたいのだろう?」

「はい、噂も気になりますが、あの地上車の残骸も気になります。まさかとは思いますが……」
「落ち着くんだ、ミッターマイヤー。上に立つものが不安そうなそぶりを見せればそれだけで下は浮き足立つ。耐える事も指揮官の務めだ」
「はい」

メックリンガー、ケスラー両提督が現れたのはそれから五分ほども経ってからだった。

「なんだ、ミッターマイヤー提督、ロイエンタール提督二人も此処にいたのか」
「つい先程此処へ来たのですよ、ケスラー提督」
「士官学校教官はさすがにもてるな」
「からかうな、メックリンガー。それで何か分かったか?」

「近衛の友人にやっと連絡が取れた」
その言葉に俺、ロイエンタール、クレメンツ提督は顔を見合わせた。
「近衛に連絡が取れたのですか、外部との接触を絶っているのかと思いましたが」

「絶っているよ、ミッターマイヤー提督。幸い私は以前宮中警備の任に着いたことがある。その縁で近衛に親しくしている人間がいてね、彼と連絡が取れた」

「それで、一体何が起きた」
「フロイライン・ブラウンシュバイク、フロイライン・リッテンハイムが誘拐された」
クレメンツ提督の問いにメックリンガー提督が答えた。その答えに部屋が緊張に包まれる。

「近衛の中に誘拐犯達に協力した人間がいるようだ」
「!」
「近衛は司令長官に大きな借りが有るからな、まさか裏切る人間が出るとは思わなかったよ。彼も驚いていた」
メックリンガー提督が溜息混じりに言葉を出した。

「借り、と言うと?」
「クロプシュトック侯事件だ。あの事件、もう少しで陛下のお命が失われる所だった。もしそうなっていたら、近衛にも責任を問う声が上がっていたはずだ。分かるだろう、クレメンツ」

「……」
「フロイライン達が誘拐された後、新無憂宮に帝国軍三長官と国務尚書が集まった。彼が知っている事はそこまでだ。後、護衛には装甲擲弾兵がついていたそうだ」

装甲擲弾兵か、リューネブルク中将だな。先ず、間違いは無いと思うが……。
「憲兵隊も大分混乱している」
「ケスラー提督……」
「憲兵隊には宇宙港の封鎖、市内の幹線道路の検問が要請されたらしい。それと要人の警護もだ」

「あの地上車の残骸は?」
「ミッターマイヤー提督、それについては憲兵隊は何も知らなかった。ただリューネブルク中将に司令長官の事を尋ねたが、心配は無いと言っていた」

溜息が漏れた。俺だけではない、他にも誰かが溜息を吐いたようだ。
「とりあえず、今は信じるしかあるまい」
「うむ、そうだな。しかしとうとう始まったな」
メックリンガー提督とクレメンツ提督が話している。その言葉に皆が顔を見合わせ頷いている、とうとう内乱が始まった……。

突然ブザーが鳴ってTV電話に通信士官の姿が映った。
「大変です、今驚くべき情報が……」
「何が起きた」

部屋の空気が一瞬で緊迫した。何が起きた?
「ブ、ブラウンシュバイク公が、今映像を切り替えます」
スクリーンではブラウンシュバイク公が獅子吼していた。

「繰り返し此処に宣言する。私、オットー・フォン・ブラウンシュバイク公爵とウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵は帝国暦四百八十七年十一月二十三日、君側の奸、エーリッヒ・ヴァレンシュタインを誅殺した」

誅殺! その言葉に皆顔を見合わせる。誰もが引き攣った顔をしていた。本当なのか、本当に司令長官は死んだのか、あの残骸が眼に浮かぶ。

「卑しい平民は正当なる罰を受けたのである。今こそ心ある貴族はルドルフ大帝以来の国是を護るため立ち上がれ! ゴールデンバウム王朝を守護する神聖な使命は“選ばれた者”である我等貴族にのみに与えられたものである」

「平民に媚を売るリヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ等は“選ばれた者”の矜持を失った裏切り者に他ならない。今こそ彼らを廃し、我等の手で帝国を正しい姿に戻すのだ! 大神オーディンは我等をこそ守護するであろう。正義の勝利はまさに疑いなし、ジーク・ライヒ! 立ち上がれ、貴族達よ!」

 

 

第百六十五話 伯父・甥

帝国暦 487年 11月23日   ギルベルト・ファルマー



「平民に媚を売るリヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ等は“選ばれた者”の矜持を失った裏切り者に他ならない。今こそ彼らを廃し、我等の手で帝国を正しい姿に戻すのだ! 大神オーディンは我等をこそ守護するであろう。正義の勝利はまさに疑いなし、ジーク・ライヒ! 立ち上がれ、貴族達よ!」

「伯父上……」
スクリーンに獅子吼する伯父上がいる。威厳と力強さに溢れた姿だ。ブラウンシュバイク公爵家の当主に相応しい姿だろう。貴族なら、いや貴族ならずともその姿に憧れるに違いない。しかし、私の心は暗澹たるものだった。どうしてこうなったのか……。

思わず溜息が出た。伯父上が反乱を起した。そしてヴァレンシュタインが死んだ。一体どういうことなのか、領地替えの案はどうなったのか……。

考えられる事は、伯父上はあの領地替えの案をヴァレンシュタインを油断させる罠として利用したということだろう。結果的に私はあの男を殺す手伝いをしたという訳か……。或いは他に何か理由があるのか……。

いや、もう理由を考えても仕方が無い。問題は伯父上に勝算が有るのかということだ。軍はローエングラム伯、或いはメルカッツ提督を中心に行動するだろう。貴族連合では正規軍には勝てない、勝てるとすれば軍を分裂させる事だが……。

どうするか、このままフェザーンにいて良いのか、伯父上の元に行くか? しかし、公式には死んだ自分が行く事は反って伯父上の迷惑にならないだろうか……。ともすれば思考の迷路に入り込みそうな自分を救ったのはTV電話の受信音だった。



「ヴァレンシュタイン、卿、生きていたのか」
「ええ、生きています」
スクリーンに映ったのは暗殺されたはずのヴァレンシュタインだった。伯父上は失敗した、軍の分裂は余り期待できない、苦い思いが胸に満ちた。

「一体何が有ったのだ? 領地替えはどうなった?」
私の問いにヴァレンシュタインは苦渋に満ちた声を出した。
「……申し訳ありません、フロイライン達をランズベルク伯達に奪われました」
「!」

奪われた? フロイライン達? つまりエリザベートだけではなくサビーネも奪われたということか……。
「伯母上たちはどうなのだ、伯母上達も攫われたのか?」

「いえ、御二方はご無事です」
伯母上達は無事、最初からエリザベートとサビーネを狙ったか。伯父上とリッテンハイム侯の弱みを握るのが目的か……。

「警備はどうなっていたのだ、新無憂宮に忍び込んでの誘拐など簡単に出来る事ではないぞ」
「近衛に協力者がいたようです。してやられました」
ヴァレンシュタインは表情を曇らせている。

「では伯父上は脅されたのだな」
「ええ、起たなければフロイラインを盟主として反逆を起すと」
伯父上の一番弱い所を突いてきたか、ランズベルク伯アルフレット、詰まらない詩を作っているだけの男だと思っていたが……。

エリザベート、サビーネを攫ったか、それでは伯父上もリッテンハイム侯も望まずとも起たざるを得なかっただろう、哀れな……。伯父上の心境を思うとやるせなさが募った。

「それにしても卿の暗殺に失敗するとは、伯父上も運が無い」
「そうでもありません。もう少しで、アントンに殺される所でした」
「そうか、もう少しか、やはり伯父上は運が無いな」
私の言葉にヴァレンシュタインは微かに笑いを見せた。苦笑したのだろうか。

「アントン達は、公の元に逃がしました」
「どういうことだ?」
暗殺者を逃がした? 何を考えている、ヴァレンシュタイン。

「詳しくは話せませんが、フロイライン達をランズベルク伯から取り戻すように頼んでいます」
「……」

「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は救えませんが、フロイライン達は何とか救いたい」
「あの伯父上の檄は卿が仕組んだものか?」
「……」
ヴァレンシュタインは無言で頷いた。

「そうか、エルウィン・ヨーゼフ殿下は当てにならんか」
「フロイライン達を救うというのは私だけの考えでは有りません。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥との合意事項です」
ヴァレンシュタインは生真面目な表情で答えた。

信じてもいいだろう。彼らにとってもエリザベート、サビーネは必要だ。見捨てる事は出来ない。彼女ら二人を救えるとなれば伯父上にとってもリッテンハイム侯にとってもせめてもの救いだろう。

「卿らも苦労するな」
皮肉を言ったつもりは無かった。しかしヴァレンシュタインは苦笑している。皮肉に聞こえたのかもしれない。

エルウィン・ヨーゼフが当てにならないなら最初からエリザベートを次期皇帝としておけば良かった。だがそれでは貴族達の時代は終わらない、ヴァレンシュタイン達が目指す新しい帝国を作る事は出来ない。国家とはなんと厄介で面倒なものか……。

「ヘル・ファルマー、これからどうなさるつもりです」
「……」
「もしブラウンシュバイク公の元に行こうとしているのなら止めてください」

「……」
「行けば今度こそ貴方は死ぬ事になる。反逆者として、そして死んだと帝国を欺いていたとしてです」

確かにそうだろう。死んだはずの人間が生きていて、しかも反乱に加わったとなれば許される事は有るまい。
「ヴァレンシュタイン、私は……」

私は最後まで喋る事が出来なかった。ヴァレンシュタインは私の言葉を遮り話し始めた。
「ヘル・ファルマー、ブラウンシュバイク公をこれ以上苦しめないで頂きたい」

「……苦しめる?」
思いがけない言葉だった。伯父上を苦しめる、私が伯父上の元に行くのは伯父上を苦しめる事になるとスクリーンに映る男は言っている。

「私は、フレーゲル男爵を処断すると決めた時のブラウンシュバイク公を見ました。あの時の公の顔を忘れる事は出来ません。公は苦しんでいたんです。今、貴方がブラウンシュバイク公の元に行けば、貴方を巻き込んでしまうと苦しむでしょう」
「……」

「貴方がフレーゲル男爵であろうとすれば死ななければならない、しかしギルベルト・ファルマーであれば死なずにすむ。お願いです、自重してください」
ヴァレンシュタインが懇願している。この男は本気で私を気遣っている。

「……何故だ、何故そこまで私と伯父上の事を気遣う。エリザベートを攫われた事の償いか? ヴァレンシュタイン」
「それも有るかもしれません。ですが私はブラウンシュバイク公が嫌いになれないんです」

嫌いになれない、そう言うとヴァレンシュタインは困ったように笑いを浮かべた。常に穏やかな表情を崩さないこの男が何処か泣き出しそうな表情で笑っている。

「私は公が傲慢で我儘で強欲な人間だと最初は思っていました。だから憎んでいました。ですが、あの日私の前で公が見せた顔は息子の不祥事を嘆き、息子を失うことを悲しむ父親の顔でしかなかった。あんな顔は見たくなかった……」
「……」

「貴方がブラウンシュバイク公の元に行けば、公はまたあの時の顔をするでしょう。御願いです、フェザーンに留まってください」
「……ヴァレンシュタイン、卿は酷い男だな」
「……そうかもしれません」

「私は幼い時に両親を失った。それ以来あの人を父親だと思って育ったのだ。あの人が好きだった、いつかあの人の役に立ちたいと思った……。だがフレーゲル男爵は死に、ギルベルト・ファルマーはフェザーンから動けない。私は一体何のために生まれてきたのか……」

スクリーンに映るヴァレンシュタインは項垂れている。この男が何故私に連絡をしてきたのかが分かった。この男は私を止めるために連絡をしてきたのだ。それがどれほど残酷な事かを知りながら、それでも私を止めるために連絡をしてきた……。

この男を責める事はできない。私自身の愚かさがこの事態を生み出したのだ。責められるべきは私自身だ。この男には何の責任も無い。

「ヴァレンシュタイン、卿の忠告に従おう。私はフェザーンを動かぬ」
「有難うございます。御胸中、御察しします」
「うむ、卿も忙しいだろう、自分の仕事に戻ってくれ」
「分かりました、では失礼します」


何も映さなくなったスクリーンを見ながら伯父上に連絡を取るべきかどうか迷った。会う事は出来ない、だが話はしておきたい。内乱が本格的になれば伯父上と話す暇はなくなるだろう。話すなら今しかない。



スクリーンに伯父上が映った。私だとは思わなかったのだろう。驚いた表情をしている。何を言うべきか、そう考えていると伯父上の方から話しかけてきた。

「ヘル・ファルマーか、フェルナーより卿の事は聞いている。わしがオットー・フォン・ブラウンシュバイクだ」
低く、太く響く声だった。懐かしい声……。

伯父上……。
「ギルベルト・ファルマーです」
何も言えなくなった。

「……」
「……」
私は伯父上を伯父上は私を見ている。しばらくの間沈黙があった。

「卿とは一度話をしたいと思っていたのだが、ちょうど良い時に話すことが出来た。これから先は忙しくなりそうなのだ」
「……」

「もう知っていると思うが、わしは今度反乱を起す事にした。つまらぬ反乱だがこれでも門閥貴族としての意地があるのでな。我ながら酔狂な事だ」
幾分自嘲するかのような口調だった。無理も無い、伯父上自身、不本意な反乱なのだろう。

「私にお手伝いできる事が有りましょうか?」
思わず声が掠れた。
「……いや、無い。これは貴族だけの宴なのだ、残念だが卿の協力は受けられん。気持ちだけは有難く受け取っておく」
「……」

伯父上が戸惑いがちに口を開いた。
「ヘル・ファルマー、わしには甥がいた。馬鹿な甥であったがかわいい甥でもあった。病気で死んでしまったが、あれが死んだときは随分と悲しんだものだ」
「……」

「だが、今では死んでくれて良かったと思っている。こんな馬鹿げた反乱に巻き込む事は出来んからな」
「……」

「生きていれば卿と同じくらいか、何処となく卿に似ているようだ。まあ器量は卿には及ばぬが」
そう言うと伯父上は苦笑した。おそらく昔の私を思い出しているのだろう。その通りだ、昔の私は特権意識に凝り固まった愚か者だった。

「ヘル・ファルマー、もっと早く卿に会いたかったものだ」
「私ももっと早く公にお会いしたかったと思います」
「上手く行かぬものだな」

上手く行かぬ……。傍にいるときはどうにもならぬ愚か者で迷惑ばかりかけていた。少しましになった時には傍に居る事を許されぬ立場になっている。一体自分は何をしているのか……。愚かさは変わらぬということか……。

「……」
言葉が途切れた。心なしか伯父上の眼が潤んでいるように見える。それとも潤んでいるのは私の眼のほうだろうか。

「わしは皆の所に戻らねばならん。卿と話せて心残りも消えた、思う存分戦えそうだ。ヘル・ファルマー、達者で暮らせ。わしに武運あらば、また会うことも出来よう、さらばだ」
「公爵閣下も御自愛ください」

伯父上がゆっくりと頷いた。そしてスクリーンが真っ暗になる。もう、会う事は出来ないだろう。話したい事は他にもあったはずだ。だが何も話せなかった。なんと自分は愚かなのか……。

「伯父上……、お許しください、伯父上……」
真っ暗なスクリーンに向かい私はただ詫び、ただ泣いていた。愚かな私にはそれしか出来ることがなかった……。





 

 

第百六十六話 焦燥

帝国暦 487年 11月23日   シュムーデ艦隊旗艦 アングルボザ  エグモント・シュムーデ


艦隊は十一月十五日にオーディンを出立後、カストロプ星系を過ぎマリーンドルフ星系に向かっている。順調に進んでいると言って良いだろう。

旗艦アングルボザ、大将に昇進後新たに私に与えられた艦隊旗艦用の戦艦だ。ロキ級の三番艦になる。ちなみに二番艦はシギュン、クレメンツ提督の旗艦になっている。

当初ロキ級は余り人気が無かった。ロキという命名が良くなかったのだろう。なんといっても大神オーディン達と戦い、神々を滅ぼす悪魔神なのだ。皆が敬遠するのも無理は無い。

しかし、シャンタウ星域の会戦後は変わった。宇宙艦隊の総旗艦としてシャンタウ星域の会戦を大勝利に導いた艦なのだ。多くの提督がロキ級を使うようになった。ルックナー、リンテレン、ルーディッゲもそうだ。

ブリュンヒルトの設計思想を元に作られているというが、実際に使ってみると機動性に優れた非常に良い艦だ。私はこのアングルボザがすっかり気に入っている。アングルボザ、神話に登場する女巨人、ロキの妻にしてヘル、ヨルムンガンド、フェンリルの母。

「閣下、オーディンの宇宙艦隊司令部より連絡が入っています」
「分かった、アーリング少佐。スクリーンに映してくれ」
スクリーンに顔色の悪い若白髪の多い士官が現れた。彼の敬礼に応えつつ記憶を探る。確かこの男は……。

「ローエングラム伯の下で司令部幕僚を務めます。パウル・フォン・オーベルシュタイン准将です」
「エグモント・シュムーデ大将だ。何か用かな、オーベルシュタイン准将」

「ブラウンシュバイク公の反乱決起宣言はご存知かと思いますが」
抑揚の無い、平坦な声だ。
「聞いている」
「宇宙艦隊は現在混乱状態にあります」
「……」

淡々とした口調を聞いていると内心でイラっとしたものを感じた。何処となく反発を感じさせる男だ。
「ブラウンシュバイク公が反乱を起した以上、混乱は早急に収束させなければなりません」

「……」
「宇宙艦隊は副司令長官ローエングラム伯と力を合わせ、反乱に対処すべきかと思います。閣下のお考えは如何でしょう?」

ヴァレンシュタイン司令長官暗殺、それを受けて動き出したのだろう。随分と苦しい言い分だ。ローエングラム伯の下に結集し、ではなくローエングラム伯と力を合わせか……。一つ間違うと司令長官の指揮権を侵害することになる事を恐れているのだろう。

だから微妙な言い回しをせざるを得ない、つまりローエングラム伯はそれだけ不安定な立場に居る。そのあたりをこの男は理解しているようだ。そしてもう一つ、この男は司令長官の生死に関して確証を得ていない……。

さて、どう答えるか、向こうが知恵を絞って誘いをかけているのだ。こちらもそれなりの対応をしてやらねば礼を失するというものだろう。
「反乱に対処すべきという卿の意見には同意する。しかし我等はローエングラム伯に協力する事は出来ぬ」

「それは閣下お一人のお考えでしょうか? 我等と今聞きましたが」
「私、ルックナー、リンテレン、ルーディッゲ提督だ」
「……」
「……」

しばらく沈黙があった。オーベルシュタイン准将はゆっくりとした口調で問いかけてきた。
「何故御協力いただけぬのでしょう。御教示頂きたい」

「我等は既に宇宙艦隊司令長官から命を受けた身でな。司令長官から別命有るまでは今現在受けている命を優先せざるを得ぬ。分かるかな、准将。我等に命を出せるのは宇宙艦隊司令長官だけなのだ。それが理由だ」
「……」
「……」

スクリーンを通して互いを見つめる。
「その命とは……」
「控えろ、准将。我等に与えられたのは極秘任務だ、卿が関知する必要は無い」
「……分かりました。そういうことであれば仕方ないと思います。失礼します」
「うむ、ご苦労だった」

分をわきまえるんだな、オーベルシュタイン。我々フェザーン方面軍は司令長官の命により動いている。ローエングラム伯が我々を自由にしようなど越権行為以外の何者でもないのだ。どうしても我らに命を下したければ伯自身が宇宙艦隊司令長官になる事だ。

「アーリング少佐、ルックナー、リンテレン、ルーディッゲ提督との間に回線を開いてくれ」
「はっ」


「総司令官閣下、何か有りましたか?」
何処か悪戯っぽい口調でルックナー提督が訪ねてきた。“総司令官閣下”、その言葉がどうにもこそばゆい、ルックナー提督はそれを知っていてあえて使ってくる。

「オーベルシュタイン准将から通信が有った」
「オーベルシュタイン? 副司令長官の幕僚だな」
「そうだ」

私とルックナー提督の会話にリンテレン、ルーディッゲ提督の表情が幾分厳しくなった。
「それで彼はなんと?」
「宇宙艦隊は混乱している、ローエングラム伯に協力して欲しいと。指示に従えではなく協力という所が泣かせるだろう」

私の言葉に皆がそれぞれの表情で同意した。リンテレン提督が“小細工ですな”と呟いた。
「それで、総司令官閣下は何と答えたのですかな」
「我等は司令長官の命で作戦行動中だ、我等に命を出せるのは司令長官だけだと答えたよ、ルックナー提督」

「なるほど、それで引き下がりましたか?」
「ああ、あの様子では彼らは司令長官の生死について確証を得てはいないな」
私とリンテレン提督の会話にルックナー、ルーディッゲ提督が頷く。

「総司令官、いっそ教えてやっては如何です」
「今からか?」
「ええ、司令長官は生きていると、万一の場合はメルカッツ提督が宇宙艦隊司令長官になる。無用な心配は止せと」

ルーディッゲ提督の言葉に皆が笑い出した。
「卿は辛辣だな」
「このようなときに権力掌握に血眼になるなど不愉快なだけだ。そうではないか、リンテレン提督」

「まあ、ルーディッゲ提督の気持ちは分かるし同感だが……、オーディンでは何が起きたと思いますか?」
「それだがなルックナー提督、おそらく暗殺事件があったのは事実だろう」
「……」

「だが、その暗殺事件は成功してはいまい。成功したならメルカッツ提督が宇宙艦隊司令長官になっている。それが無いという事は負傷したが生きている、或いは……」
「或いは?」

「死んだ振りをしている、そんなところだろうな、ルックナー提督」
「なるほど、有りそうですな、司令長官なら」
「まあ、なるようにしかならん。我等フェザーン方面軍は当初の予定通り行動する」
「はっ」

ルックナー、リンテレン、ルーディッゲ提督が私に敬礼する。生きていて欲しい、切実にそう思った。内乱がついに始まった、海千山千のフェザーン、反乱軍を相手にするには我々だけでは心許ない。どうしても司令長官の力が必要だ。


帝国暦 487年 11月23日   宇宙艦隊司令部 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


「ですから、早急に体勢を整える必要があるのです。このままでは宇宙艦隊は混乱したままです。反乱の鎮圧が出来ません」
「……」

「閣下!」
「ローエングラム伯、私には卿が何を焦っているのか、さっぱり分からんな。卿は一体何をしたいのだ?」
「!」

私の目の前でローエングラム伯と軍務尚書エーレンベルク元帥がTV電話で話し合っている。危機感を露わに訴えるローエングラム伯に対しエーレンベルク元帥は何の感銘も危機感も抱いた様子はない。いたって平然としたものだ。

今日、ブラウンシュバイク公が反乱を起した。帝国全土に流れた公の檄はオーディンに宇宙艦隊司令部に混乱をもたらしている。ヴァレンシュタイン元帥暗殺! その言葉は帝国を宇宙艦隊を震撼させた。

司令長官の生死は分からない。連絡を取ろうと思ってTV電話で呼び出しても出ない。政府はブラウンシュバイク公の檄に対し何の反応も示さなかった。肯定も否定もしていない。その事がさらに混乱を助長している。

ローエングラム伯、いやオーベルシュタイン准将の元にキルヒアイス准将から何度か連絡が有ったらしい。それによればヴァレンシュタイン司令長官の幕僚達も何も知らないらしい。もう夕方になるが何の情報も得られず酷く不安がっているようだ。

ローエングラム伯、そしてオーベルシュタイン准将は司令長官は死んだか重傷を負って軍務には就けない状態にあるのではないかと考えている。今朝、宇宙艦隊司令部の近くに撃破された地上車があった。おそらく司令長官はそれに乗っていた……。

帝国の上層部はヴァレンシュタイン司令長官の死、或いは重傷を公表できずにいる。その影響を計りかね、どう取り繕うかで悩んでいる。当然だが後任人事についても積極的に動けずにいる……。二人はそう考えているのだ。

ローエングラム伯はこのままではブラウンシュバイク公に先手を取られる一方で効果的な反撃が出来ないと危惧している。場合によっては反乱軍もこの混乱に乗じかねない、反乱を鎮圧し帝国を護るためには自分が宇宙艦隊司令長官になり全権を握る必要があると考えているのだが……。現状では上手くいっていない。

それにしても、キルヒアイス准将がスパイまがいの行動をしているとは……。穏やかで感じの良い青年だと思っていたけど司令長官の下に行ったのは司令長官を探るためだったらしい。

私に関して言えば、そのような事の要請は一切ない。司令長官は私をローエングラム伯の下に送り出した後は、廊下で会えば挨拶をするくらいだ。穏やかな表情で仕事に慣れたかと聞いてくる。

有り難い話だ、スパイのような真似をしろといわれたら仕事が陰惨なものになってしまうだろう。おかげで私は何の後ろめたさも感じることなく此処にいる事が出来る。

「反乱の鎮圧計画は司令長官が本隊を率い、小官が別働隊を率いる事になっています。閣下、こう言ってはなんですが司令長官の安否が不明な今、早急に体制を整え、鎮圧計画を修正する必要があるのです」

「私もその鎮圧計画については知っている。修正する必要は無かろう」
「!」
「別働隊は卿が指揮する。本隊はヴァレンシュタイン司令長官が指揮、もし司令長官が指揮を取れない場合はメルカッツ提督に指揮を執らせれば良い」

「馬鹿な、それでは」
「待て、馬鹿と言ったか、ローエングラム伯」
「申し訳ありません、軍務尚書。失言でした」

エーレンベルク元帥は不機嫌そうにフンと鼻を鳴らした。
「上位者である卿が別働隊というのが不満のようだが、シャンタウ星域の会戦ではヴァレンシュタイン司令長官は別働隊の指揮を執り卿が本隊を率いた。馬鹿な話ではあるまい」
「……」

「この期に及んで作戦計画を変更すれば反って宇宙艦隊に混乱をもたらすであろう。卿が何を心配しているのか私には分からんな」
エーレンベルク元帥は不機嫌そうな表情を隠そうともしない。

「元帥閣下、ヴァレンシュタイン司令長官は一体どうなっているのです」
「私のところには体調不良で休むと連絡が有った。卿のところには無かったのか?」

「いえ、小官のところにもそれは有りましたが……」
「ならばそうなのであろうよ、心配する事は無い」
エーレンベルク元帥には全く不安を感じさせるようなそぶりはなかった。司令長官は生きている……、この様子ではそうとしか思えない。

「しかしブラウンシュバイク公が……」
言い募ろうとするローエングラム伯をエーレンベルク元帥が遮った。何処か付き合い切れぬと言った口調だった。

「ローエングラム伯、卿は反逆者を信じるのか? それとも信じたいのか? あれが味方を募るための謀略だとは何故思わぬ」
「!」
「私は忙しいのだ、これで失礼するぞ」

何も映さなくなったスクリーンを見ながらローエングラム伯は溜息をついた。おそらくエーレンベルク元帥はローエングラム伯がヴァレンシュタイン元帥の安否の確認よりも宇宙艦隊司令長官になりたがった事を不快に思ったのかもしれない。

ローエングラム伯は焦ったのだ。昔の自分がそうだった、焦りから才気を振り回した。それがどれだけ危険かも分からずに自分の才気に溺れた。示すべきは才気ではなく覚悟。その言葉の重みを今ほど感じた事は無い……。

「閣下、シュムーデ提督ですが協力は出来ないと言ってきました」
オーベルシュタイン准将……。何処か暗い雰囲気を持った人物だ。切れる人物ではあるが余り親しくなりたい人物ではない。

「そうか……」
「既に司令長官の命が彼らに下っているようです」
「訓練ではないのか」

ローエングラム伯が訝しげな声を出した。自分の知らないところで作戦が動いている。それが不満なのかもしれない。
「極秘任務だといっていました。それ以上はなんとも……」
「……」

おそらく政治謀略を含めた作戦なのだろう。ローエングラム伯の下に来て分かった事はヴァレンシュタイン司令長官が情報を取捨選択してローエングラム伯に流していると言う事実だった。

純軍事的な作戦に関しては殆ど隠す事はない。しかし政治謀略に関して言えば殆どと言って良いほど隠している。父は余り話してくれないが、父の話と付き合わせるとそうとしか思えない。



「副司令長官閣下、ヴァレンシュタイン司令長官より会議開催の通知が届きました」
「!」
「各艦隊司令官以上の者は十七時に第五十七会議室に集まれとの事です」
リュッケ中尉の言葉に司令部の人間たちが一斉に中尉を凝視した、そして時計を。時刻は十六時三十分、会議開催まで残り三十分だった……。


 

 

第百六十七話 微笑、覚悟、野心……

帝国暦 487年 11月23日   宇宙艦隊司令部   カール・グスタフ・ケンプ


第五十七会議室は痛いほどの沈黙に包まれている。ヴァレンシュタイン司令長官から十七時に第五十七会議室に集まれと召集通知があった。時刻は十六時五十五分、既に艦隊司令官達は全員集まっている。早い者は二十分近く前から来ていたらしい。

第五十七会議室、懐かしい部屋だ。この部屋から全てが始まった。普通なら思い出話の一つも出て良いだろう。しかし今は左右対称に向き合うように並んだ席に座りながら皆視線を交わすだけで口を開こうとはしない。十分前までは途切れがちだが会話があった。だが、十七時近くになるにつれて皆口を閉ざすようになった。重苦しい空気がさらに沈黙を強いる。

この時間に召集通知が有るという事は、暗殺事件で負傷し病院で治療を受けていたのかもしれない。だとすると反乱鎮圧の陣頭指揮は執れるのか、皆がその点を心配している。

場合によっては作戦計画の変更が入るかもしれない。その場合、本隊を率いるのはローエングラム伯という事もありえるだろう。色々と噂が流れている。不安が無いとは言えない。

今回も司令長官が暗殺されたとのブラウンシュバイク公の檄に妙な動きをしていたようだ。皆、その事で眉をひそめている。もっとも俺のところには何も無かった。どうも扱い辛いと思っているのかもしれない。

チラとローエングラム伯を見た、俺達以上に緊張しているようだ。もし、司令長官が健在ならローエングラム伯は別働隊の指揮官をはずされるかもしれない。代わりにメルカッツ提督が別働隊を指揮するということも有るだろう。伯が緊張しているのもそれが原因かもしれない。

ドアが開いて司令長官が入ってきた。十七時ちょうどだ。皆一斉に起立し敬礼で司令長官を迎える。良かった、怪我はしていないように見える。司令長官は答礼すると席に座った。穏やかな笑みを浮かべている、何時もと変わらない司令長官だ。俺達も椅子に座ったが、皆表情が明るくなっている。ローエングラム伯はさらに緊張を強めたように見えた。

「心配をかけたようですね、済みませんでした」
柔らかく温かみの有る声だ。この声をどれだけ聞きたいと思ったことか……。
「いえ、お怪我はされていないようですが大丈夫なのですか?」
「ええ、幸いリューネブルク中将の機転で怪我一つせずに済みました」
司令長官とメルカッツ提督の会話に周囲から安堵の声が漏れる。先程までの緊張感は嘘のように無くなっていた。

「私が死んだ事にしたほうが貴族達も反乱に参加しやすいでしょうから姿を隠したのです。多分彼らは私が本当に死んだのか、オーディンに確認をとろうとしたでしょう」

「……」
「私の死亡説が流れた事、宇宙艦隊が混乱している事で貴族達も安心して反乱に参加するとブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に答えたでしょう。敵を欺くには味方からと言います。心配をかけた事、悪く思わないでください」

彼方此方で頷く姿が見える。確かにそうだろう、司令長官が死んだとなれば貴族達も我先に反乱に与するに違いない。一度の内乱で全てを終わらせようということか。

「閣下、あまり心配はさせないでください。小官はもう年なのです。老人の心臓は労わっていただかないと」
周囲から笑いが起こった。珍しい事だ、メルカッツ提督が冗談を言うとは。司令長官が無事だったのでつい軽口が出たのかもしれない。

「メルカッツ提督、未だ老人と呼ぶのは早いでしょう」
「そうです、まだまだお若い」
「いやいや、クレメンツ提督。若い若いと思って油断していると意外な所で身体が弱っている事が分かる。卿も気をつけるが良い、それほど先のことではないぞ」

生真面目な口調だった。冗談ではなかったのかもしれないが、その言葉にまた笑いが起きた。司令長官も穏やかに笑っている。
「ところで、皆さんは今日何が起きたか分かっていますか?」
「……色々と噂が流れてはいますが……」

ロイエンタール提督の言う通りだ、色々と噂が流れている。メックリンガー、ケスラーが調べてきたようだが本当に分かっているのはブラウンシュバイク公が反逆を起した事、司令長官の暗殺事件が起きた事だけだ。

「先ず夜明け前のことですが、フロイライン・ブラウンシュバイク、フロイライン・リッテンハイムが何者かによって攫われました」
「……」
皆の視線が交わる、頷くものも居た。近衛に内通者がいた、その事を考えているのかもしれない。

「お二人を誘拐したのはランズベルク伯アルフレットとその同調者と思われます」
ランズベルク伯? その名前に皆が不審そうな表情をした。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯と親しいという訳では無かったはずだ。その男が誘拐の首謀者?

「閣下、それはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の命令によるものでしょうか?」
ロイエンタール提督の質問に司令長官は微かに首を傾げた。

「いえ、それについては何とも言えません。有りうる事だとは思いますが、確証は取れていないようです。ただ、何らかの形で繋がりはあると思います」
「……」

「後は私の暗殺未遂事件とブラウンシュバイク公の決起宣言です。これで帝国は内戦状態に入った事が確定しました。間も無く帝国政府より帝国が内乱状態に入った事の宣言と我々に対し討伐命令が出されるはずです」
「……」

「出撃は十二月一日とします。既に準備は出来ているとは思いますが再度出撃に備え、準備の確認を御願いします」
「はっ」

皆力強く答えた。一週間後か、待ち遠しい、今から腕が鳴る。司令長官の言葉に会議室の中はまた緊張感に満ち溢れた。最もさっきの様な嫌な感じではない、身の引き締まるような緊張感だ。

「今回の内乱は単純な権力闘争ではありません。これからの帝国の進路を決める戦いです。我々が勝てば帝国はルドルフ大帝の作った帝国からフリードリヒ四世陛下の作る帝国に変わります。十月十五日に発布された勅令に従い五箇条の御誓文が帝国の国是となるでしょう」
司令長官の言葉に第五十七会議室が静まりかえった。

「……」
「一部の特権階級が全てを支配し弱者を踏みにじる国家ではなく、誰もが安心して暮らせる国家、我々はそれを作るための剣に成らなければならない。新しい時代を我等の手で切り開くのです」

誰もが安心して暮らせる国家、新しい時代を我等の手で切り開く、その言葉が俺を高揚させた。その先には宇宙の統一が待っている。そうだ、俺達は新しい時代を切り開く剣になるのだ。あの時と、初めてこの部屋に来た時と同じだ。此処から全てが始まる……。自分の顔が紅潮するのが分かった。

「当初の作戦計画通り、別働隊はローエングラム伯が率いてください」
「はっ」
皆が視線を交わす。ローエングラム伯はほっとしたようだ。初めて緊張から解放されているように見えた。

「本隊はしばらくの間、メルカッツ提督に率いてもらいます」
司令長官の言葉に部屋がざわめいた。メルカッツ提督も驚いている。そしてローエングラム伯が愕然とするのが見えた。

「閣下、それは一体」
「メルカッツ提督、私は先ず自由惑星同盟とフェザーンを相手にしなければなりません。彼らを大人しくさせておかないと厄介な事になりますからね」

自由惑星同盟、フェザーン、その言葉に部屋が沈黙した。
「フェザーン方面は既にシュムーデ提督を総司令官として四個艦隊を向かわせました」

四個艦隊、司令長官の言葉にまた部屋がざわめく。
「閣下、彼らの任務は一体……」
「……主としてフェザーン方面の補給線の確保になります、まあ他にも多少有りますが……」
ローエングラム伯の質問に司令長官は少し考えてから答えた。

「メルカッツ提督」
「はっ」
「メルカッツ提督には宇宙艦隊副司令長官に就任していただくことになりました」

宇宙艦隊副司令長官! その言葉に部屋がまたざわめく。これで何度目だろう。だが直ぐに沈黙が落ちた。皆司令長官、ローエングラム伯、メルカッツ提督を交互に見ている。司令長官は穏やかに、ローエングラム伯は蒼白に、メルカッツ提督は困惑している。

沈黙の中で司令長官の声だけが流れた。
「明日には辞令が発令されるでしょう。メルカッツ提督、心臓には悪いかもしれませんが、私を助けてください」
「……」

「メルカッツ提督、私には提督の助けが必要なんです」
何処か哀しさを感じさせる口調だった。覚悟を決めたのだろう、力強くメルカッツ提督が答えた。
「はっ、精一杯努めさせていただきます」

「……おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます! メルカッツ提督」

一瞬の沈黙の後、ビッテンフェルト提督が大声で祝福した。俺もそれに続く、そして皆が続いた。帝国の宿将がそれに相応しい地位に就いた。帝国にとって祝福すべきことであるのは間違いない。司令長官が嬉しそうに頷くのが見えた。

会議が終了したのは十八時に近かった。司令長官が会議室で言っていた内乱の宣言が政府から出されたのはさらに三十分後の事だった。

宣言はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が皇帝の女婿で有るにも関わらず反乱を起した事を厳しく非難し、十月十五日の勅令を否定するかのような行動はいかなる意味でも許されることではないと断言した。そして帝国が内乱状態に入った事を宣言し、軍に対し内乱鎮圧が命じられた。


帝国暦 487年 11月23日   宇宙艦隊司令部   ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ


第五十七会議室での会議が終わると私とケスラー提督は司令長官に応接室にと誘われた。好都合だった、私も尋ねなければならないことがある。誘われなければ、こちらから伺うところだった。

「それにしても驚きました。小官が宇宙艦隊副司令長官などとは」
「私は最初からメルカッツ提督には副司令長官をと思っていたのですが」
「念願がかなったということですな」
「そうですね、ケスラー提督の言うとおりです」

応接室に司令長官とケスラー提督の笑いが満ちたが、自分は素直には喜べなかった。目の前の司令長官が自分を高く評価し、敬意を払ってくれている事は分かっていた。副司令長官にと考えているのも分かっていた。しかし本当にその日が来るとは……。

「司令長官、小官は何時まで本隊の指揮を執るのでしょうか?」
「そうですね、……大体二ヶ月程度と考えてもらえば良いかと思います」
「二ヶ月ですか」
私の言葉に司令長官は頷いた。

「シュムーデ提督達は今、カストロプを過ぎマリーンドルフに向かう所でしょう。彼らにはフェザーンまで行って貰う事になります。フェザーンまで大体一ヶ月程度、作戦の開始から終了、そして私が本隊に合流するまでさらに一ヶ月、そんなところでしょう」

はて、彼らの任務は補給線の確保だけではないのか? 思わずケスラー提督と顔を見合わせた。ケスラー提督が私の疑問を口にした。
「閣下、彼らの任務とは一体……」

司令長官は横に置いてあった書類袋から書類を取り出した。そしてこちらに向けて差し出す。『第一次フェザーン侵攻作戦』……。ケスラー提督ともう一度顔を見合わせた。

「彼らはそれに従って行動しています」
司令長官の声にもう一度計画書を見る。『第一次フェザーン侵攻作戦』……。フェザーンに攻め込むというのか……。

「その作戦計画書は持っていてください。お二人にはそれを理解して貰わなければなりません」
「それは、どういうことですか?」

ケスラー提督の訝しげな声に司令長官は微かに微笑んだ。
「私に万一の事が有った場合……」
「閣下!」
「大事な事なのです、メルカッツ提督」

司令長官は諌めようとした私を押し留めた。
「私に万一の事が有った場合、その時はメルカッツ提督が宇宙艦隊司令長官に親補されます」
「!」

宇宙艦隊司令長官! 私が?
「閣下、冗談はお止めください。ローエングラム伯が先任です。私は……」
「メルカッツ提督、これは帝国軍三長官、国務尚書の間で決まった決定事項なのです。逃げる事は出来ません」

宇宙艦隊司令長官、 私が……。隣にいるケスラー提督を見た。驚いたような表情はしていない。
「ケスラー提督、卿は知っていたのか?」

少し迷った後、司令長官に視線を向けてからケスラー提督は答えた。
「……はい」

「しかし、私にはそんな力はありません。誰よりも自分が分かっています。十万隻の艦隊、一千万の人間を死地に立たせるような器量は私には無い、短期間の代理ならともかく、司令長官など無理です」

そう、私にはそんな能力は無い、だからミュッケンベルガー元帥は私を戦場から遠ざけた。戦功を挙げさせないため、これ以上昇進させないためだ。だから此処で一個艦隊の司令官として扱われても不満には思わなかった。

一個艦隊の指揮ならミュッケンベルガー元帥にも目の前に居る司令長官にも劣るとは思わない。三個艦隊ならば何とか互角に渡り合えるだろう。だがそれ以上になれば自分が勝てるとは思えない……。

司令長官はローエングラム伯であるべきだ。確かに功に逸る所はある、不安定な所もあるだろう。今回もいささか眼に余る行動をしたのは確かだ。だがあれは少しでも混乱を収めたいという気持ちが空回りしただけだろう。能力は間違いなく有る。彼の足りない部分、未熟な部分を我々が補えば良い。

「閣下、宇宙艦隊司令長官はローエングラム伯であるべきです。彼なら……」
「ローエングラム伯は私が暗殺された場合、その首謀者として処断されます」
「まさか……」

司令長官は何時もの温顔を捨て冷たい表情をしている。ケスラー提督も驚いたような表情をしていない。この場で知らないのは私だけか、空調の利いている応接室の温度が一気に冷え込んだような感じがした。

「伯自身は私の暗殺など考えてはいないでしょう。しかし伯の周りにはそれを考える人間がいるのですよ」
「……」

「そして伯が宇宙艦隊司令長官になれば、その実戦力を背景に一気に簒奪に走るでしょう。彼は皇帝になりたがっている」
「そんな……」
「これは私だけの考えでは有りません。エーレンベルク、シュタインホフの両元帥、リヒテンラーデ侯も同意見です。そして陛下も……」
「!」

簒奪、ローエングラム伯が簒奪。覇気の有る青年だとは思っていた。野心家だとも思っていた。しかし若いのだ、野心も覇気も有るだろう。それが簒奪……。陛下もご存知……。

「司令長官への就任を断らないでください。断れば新たな内乱が生じかねない。それは帝国にとって不幸以外の何物でもない……」
「……分かりました。どれだけお役に立てるかは分かりませんが、精一杯努めさせていただきます」

私の言葉に司令長官は“御苦労をおかけします”と言うと頭を下げた。
「閣下、御願いですから身の回りの警備を厳重にしてください。万一の場合などが起きないように」
「もちろんです。私も未だ死にたくはありません」

司令長官が普段の温顔に戻った。
「メルカッツ提督が宇宙艦隊司令長官になった時は、ケスラー提督に総参謀長をお願いすると良いでしょう。ケスラー提督なら軍事、政治の両面でメルカッツ提督を支えてくれるはずです」

司令長官の言葉にケスラー提督を見た。彼は驚いたようだったが、私と眼を合わせると“必ず御期待に応えます”と言った。

「大丈夫です。宇宙艦隊には人材が揃っています。メルカッツ提督の足手纏いになる人間や足を引っ張るような人間はいません。それに自由惑星同盟は戦力が枯渇しています。正攻法で難しい戦いをすることなく勝てるはずです。心配する事は無いでしょう」
そう言うと司令長官は微笑を浮かべた、何時ものように……。




 

 

第百六十八話 陰謀家達

帝国暦 487年 11月24日  オーディン 新無憂宮 



新無憂宮には数多くの小部屋が有る。多くの貴族、廷臣等が必要に応じて使用している。部屋の中で話されるのは仕事、遊び、縁談、そして陰謀……。今もある小部屋で二人の男が話し合っていた。

「死んでくれれば良かったのだがな」
「そう簡単にはいかんさ」
「だが上手く行けばお互い手を汚さずに邪魔者を排除できた、そうではないか」
「……」
問いかけられた男が沈黙したまま僅かに眉を上げた。

「これからどうなされる」
「どうもせぬ、オーディンに留まるだけだ。卿は?」
「私も同じだ、此処が私の生きる場所だ」
二人はお互いに頷いた。立場は違えど、宮廷人としてその地位を利用して生きる事は同じだった。

「ランズベルク伯達はもうオーディンを脱出したのか?」
「昨夜遅くに脱出した」
「ほう、憲兵隊の包囲をすり抜けたか?」
感嘆するような声だった。

「憲兵隊など我らから見れば素人のようなものだ、恐れる何物も無い」
得意げな口調と表情だったが、返ってきたのは嘲笑だった。
「その割りに随分と煮え湯を飲まされているようだが」
「……」
表情が苦渋に歪む。

「ブラウンシュバイク公達に味方はせぬのかな?」
「遠慮しておこう。私はブラウンシュバイク公とは折り合いが悪いのでな」

その言葉にまた嘲笑交じりの答えが返された。
「薄情な男は嫌われるか……」
「……余計なお世話だ。情に脆くて滅びる愚か者よりは良かろう」
男は嘲笑されることに慣れていなかった、不機嫌そうな声で答えた。

「ところであの男は役に立つのか?」
「さあて、悪戦苦闘しているようだな」
「頼りにならぬな、あの小僧も」
「まだまだ、これからだ、面白くなるのはな」

「ほう、これからか、ではお手並み拝見だな」
「それはこちらも同じ事だ、そちらが何をするのか拝見させていただく」
二人の男は見詰め合うと低く笑い出した……。


帝国暦 487年 11月24日  オーディン 宇宙艦隊司令部   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


忙しかった十一月二十三日が終わると待っていたのは不機嫌な十一月二十三日だった。そして今日、十一月二十四日も不機嫌は続いている。

不機嫌なのは俺ではない、我が副官ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中佐殿だ。昨日、メルカッツ提督達との打ち合わせが終わると俺の眼の前には怒り心頭のヴァレリーがいた。

連絡しなかったのは悪かった、敵を欺くには味方からなのだと言ったがまるで聞く耳を持たなかった。リューネブルクと相談して決めたのだと言っても、“閣下がフィッツシモンズ中佐は演技が出来ないから知らせるのは止めようと言った、と聞きました”と薄く笑いながら詰め寄る。

おのれリューネブルク、汚いぞ、少しくらいは庇ってくれてもいいだろう。確かにお前の言ったとおりだ。だがお前もその後、“それが良いでしょう。彼女に演技は出来ません”そう言ったじゃないか。

全くリューネブルクといい、シェーンコップといい地上戦をやる奴は碌でもない連中ばかりだ。強かで狡猾で逃げ足が速い、おかげで要領の悪い俺が犠牲者になる。

リューネブルク、俺はお前が彼女を“演技が出来ない”と評した事は黙っていたぞ。命を救われた借りがあるからな。お前も少しは俺を見習え、この律儀さと人としての可愛げを。

俺に与えられた罰は書類だった。昨日一日、宇宙艦隊司令部はまるで仕事にならなかったそうだ。おかげで事務作業が停滞、決裁書類が山のように溜まっている。

皆は今日の分の書類を、俺は昨日の分と今日の分の書類を片付ける。まあそれは良い、俺は書類仕事は嫌いじゃない。だからヴァレリー、俺を睨むように見るのは止めてくれないか、今ひとつ仕事に集中できないだろう。それは副官の仕事じゃないぞ。

俺を困らせた問題は他にもあった。ユスティーナがワンワン泣きながらTV電話をかけてきたのだ。どうも俺が姿を現すまで何度か司令部に電話したのだが、そのたびに素っ気無くあしらわれたらしい。

あしらったほうも何も知らなかったのだから仕方ないと言えば言える。おかげで俺はヴァレリーに怒られながらユスティーナを宥めるという前門の虎に後門の狼といった状況になった。どいつもこいつも俺を困らせる事しかしない。フェルナー、お前の所為だ。いつか、たっぷりと仕返ししてやる。

そんな事を考えていると俺の前に無言で立った男が居た、アイゼナッハだ。黙って決裁書類を俺に差し出してくる。出撃前に補給を完全にしておきたいという事らしい。俺は無言でサインして決裁書類をアイゼナッハに返した。

アイゼナッハは今度は俺の席にあるメモ用紙に何かを書くと俺に差し出した。“補給は至急、最優先で”。俺はメモ用紙に“補給終了後はこのメモ用紙は必ず焼却する事”と書いてからサインしてアイゼナッハに返した。彼は嬉しそうに頷くと敬礼して帰って行った。

アイゼナッハは喋らない。その所為で補給等どうしても後回しにされ易い所がある。まあ昔も今も声の大きい奴のほうが注目されるし、怒らせたら拙いとか思われる。その分の皺寄せがアイゼナッハに行くのだ。

それであのメモ用紙が生きてくる。決裁文書にあれを添付して兵站統括部に回すのだ。これでアイゼナッハに皺寄せが行く事が無くなった。でもなあ、たまには喋れよ、俺は未だあの男が喋ったところを見たことも声を聞いたことも無いんだが……。

書類の決裁を続けているとキスリングが来た。早速応接室で話をするべく移動した。ヴァレリーに睨まれながら仕事をするのは御免だ。椅子に腰掛けながら話を始める。

「随分雰囲気が重かったな」
「そうなんだ、昨日雲隠れしたからね。フィッツシモンズ中佐はご機嫌斜めだ、卿が来てくれて助かった」
俺の言葉にキスリングは笑い出した。

「俺は救いの神か」
「まあ、そんなところだね。出来れば女神の方が良かったけど」
「珍しいな、卿がそんなことを言うとは」
「たまには良いだろう?」
またキスリングが笑った。

「今回は随分と憲兵隊に迷惑をかけた。大変だったろう」
「ああ、宇宙港の封鎖、幹線道路の検問、配備が終わったと思ったら緩めろとの命令だ。混乱したよ」
キスリングが肩をすくめた。気持ちはわかる、配備が終わりこれからと言う時に正反対の命令が出たのだから。

「済まない、逃がしたほうが安全にフロイライン達を確保できると思ったのでね」
「分かっている、卿の考えが正しいだろう。しかし良いのか、主だったものは皆オーディンから逃げ出したぞ」

ブラウンシュバイク公の檄の後、オーディンに残っていた貴族達は殆どが反乱に加わるべく脱出した。軍人も多くが脱出した。シュターデン、オフレッサー……。

憲兵隊は俺が暗殺された事で適宜な行動が取れなかった、言い訳はそんなところだな。ランズベルク伯達が昨夜遅く逃げ出した事は報告を受けている。

「構わない、それで、捜査の状況は?」
「良くないな、近衛の協力者についてはラムスドルフ近衛兵総監も自ら取り調べているが始まったばかりだ、何も出てこない」
「時間がかかりそうだ」

俺の言葉にキスリングは頷いた。
「近衛を調べるのが近衛だからな、難しいだろう」
「近衛を調べるのが近衛……、庇いあいが出るね」
「ああ、多分」

思わず溜息が出た。身内に甘いのは何処の組織も同じか。
「面倒だな、憲兵隊が取り調べるようにしようか?」
「エーリッヒ、それをやればラムスドルフ近衛兵総監は自殺するよ、自分で取り調べるから何とか持っているんだ。それでもやるかい?」
自殺か、原作でもモルトが自殺していた。ありえない話じゃない……。

「いや、止めておこう。それで他には」
俺には出来ない、やるべきなんだろうが出来ない。そして後で後悔するのだろう。全く度し難い甘ちゃんだ。

「ランズベルク伯だが、随分と手際が良いな、良すぎると言って良い」
「……」
「ランズベルク伯とともに姿を消した貴族を確認した。ラートブルフ男爵、ヘルダー子爵、ホージンガー男爵だ」

いずれも貴族のボンボンだ。間違っても軍事教育など受けた事は無い。妙だな、近衛とは何処で接触を持った?
「非合法活動になれた協力者が居るか」
「ああ、彼らだけで出来る仕事じゃない」

社会秩序維持局か、繋がりが見えてくる。ラインハルト、オーベルシュタイン、ラング、ランズベルク伯アルフレット、そして近衛の協力者……。お互いに信じあっているわけではあるまい。そして動機も別々だろう。だが内乱を引き起こすために協力した……。

「エーリッヒ」
考え込んでいる俺をキスリングが呼んだ。生真面目な表情をしている。
「協力者は他にも居る」
「……」

「宮中内に協力者が居るとしか思えない」
「……」
「ランズベルク伯達が誘拐をする間、誰も彼らを見ていない」
「馬鹿な……」

俺の言葉にキスリングは首を振った。
「嘘じゃない、誰も彼らがフロイライン達を攫うのを見ていないんだ」
「……有り得ない」

有り得ない事だ。宮中内が完全に寝静まるなど有り得ない。各階には必ず誰かが宿直、そして巡回等をしている人間がいるのだ。それを全てやり過ごした。偶然ではない、必然と見るべきだろう。或いは見ても見ぬ振りをしたか……。

「分かっているのは厨房でボヤが有ったということだ。その所為で皆そちらに気を取られたらしい。そしてちょうどその時間帯に誘拐が起きた……」

「ボヤの原因は」
「今調べているが、未だなんとも」
「ボヤを口実に警備を外れたということもあるか……」
キスリングが黙ったまま頷く。

宮中内部の責任は宮内省にある。そこに今回の事件の協力者が居る? だとすると、いやそうとしか思えないが厄介だな。

「犯人が分かるまでは宮中は危険だ、護衛は外さないでくれ」
「私よりもリヒテンラーデ侯だ、宮中に居る事が多いからね」
「ああ、それにしても内務省だけでなく宮内省も信用できないとは……」
「……」

全くだ、内務省だけでなく宮内省も信用できないとは……、内務省だけでなく宮内省……、内務省と宮内省……、まさか……。

「ギュンター、卿が闇の左手になったのは何時だ?」
「? 何の話だ?」
困惑しているキスリングがもどかしかった。

「良いから答えてくれ」
「確か四百八十五年の春だ。もう二年半になる」
あの事件は四百八十四年の春に起きた。

「ギュンター、宮内省の協力者についてケスラー提督に話したか?」
「ああ、もちろんだ」
「何か言っていたか」
「いや、何も言っていなかった」

何も言っていなかった……。気付いていないのか? それとも俺の考えすぎか……。席を立った、キスリングが唖然としているのが分かったが気にしては居られなかった。

応接室のドアを開け、
「フィッツシモンズ中佐、直ぐにケスラー提督を呼んでください。私とキスリング准将が話したいことが有ると」
と言い捨ててドアを閉めた。彼女が唖然としているのが分かったが、だからどうした、知ったことか!

「エーリッヒ、一体」
「待ってくれ、少し時間をくれ」
社会秩序維持局に目を取られすぎたか、いやオーベルシュタインに気を取られすぎたか。もし俺の考えがあっているとすれば、俺はとんでもないミスをしている事になる。敵の見積もりを誤った。

ドアを開けケスラーが入ってきた。椅子に座るように勧めたが、我慢できずに座る前に問いかけていた。

「ケスラー提督、四百八十四年の春に起きたトラウンシュタイン産のバッファローの毛皮の一件、あれについて教えてください。あの一件、噂では闇の左手が動いたと有りましたが、事実闇の左手は動いたのですか?」

ケスラーは訝しげな表情をした。いきなり呼ばれて三年前の事件を訊かれるのだ、無理も無い。腰を降ろしながら答えた。

「いえ、我々は動いていません。物が物だけに裏で我々が動くよりも憲兵隊が表で動いたほうがいいだろうと、グリンメルスハウゼン閣下が判断されたのです」

闇の左手は動いていない。だがビーレフェルト伯爵は自殺、宮内省の三人の職員は行方不明……。謀殺された、同盟に亡命したという噂も流れた。
「ビーレフェルト伯爵は本当に自殺だったのでしょうか」

ケスラーがキスリングを見た。俺の質問が腑に落ちないのだろう。キスリングも訳が分からないといった表情をしている。
「自殺とも他殺ともとれる状況だったそうです」

他殺だ、間違いない。証拠など無いだろうが他殺に間違いない。奴らが動いた。
「他殺だとすると犯人は?」
「分かりません。おそらくはビーレフェルト伯爵が毛皮を贈ろうとした人間、あるいは交渉した人間でしょう」

「宮内省の協力者は見つかりましたか?」
「いえ、ビーレフェルト伯爵が死んだことで結局分からずじまいでした。あの件については申し訳なく思っています。閣下からお預かりしたのに不本意な結果になってしまいました」

ケスラーが申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、それはいいんです。ケスラー提督、ビーレフェルト伯爵を殺したのはフェザーンとは考えられませんか、宮内省の協力者が本当に組んでいたのはビーレフェルト伯爵ではなくフェザーンだった。フェザーンは宮内省の協力者を守る為にビーレフェルト伯爵を殺した」
「!」

ケスラーが唖然としている。キスリングはまだ事態が飲み込めないようだ。
「今回の誘拐事件、宮内省に協力者が居たそうです。それを動かしたのは……」
「フェザーンですか!」
ケスラーとキスリングが顔を見合わせている。

「近衛に協力者を作ったのも宮内省の協力者でしょう。軍に縁の無いランズベルク伯に近衛を動かす事が出来るとは思えない。宮内省の人間なら何かにつけて近衛とは接触があってもおかしくは無い」

おそらく、領地替えの情報はラインハルトからオーベルシュタインに伝わった。その後は社会秩序維持局、いや内務省からランズベルク伯達だ。だがこの情報はフェザーンにも流れたのだ。

どの段階で流れたかは分からない、オーベルシュタインか、内務省か……。そしてフェザーンは宮内省の協力者に協力を命じた。即ち近衛の取り込みと宮中内の警備の無力化だ。

つまり、オーベルシュタイン、内務省、フェザーンの協力体制が出来上がっているという事だ。軍事力はともかく、謀略では一筋縄ではいかない連中だ。俺はケスラーとキスリングの唖然とした表情を見ながら、いつの間にか自分が包囲されている事に気付いた……。


 

 

第百六十九話 ウルリッヒ・ケスラーの肖像

帝国暦 487年 11月24日  オーディン 宇宙艦隊司令部   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


おそらく、領地替えの情報はラインハルトからオーベルシュタインに伝わった。その後は社会秩序維持局、いや内務省からランズベルク伯達だ。だがこの情報はフェザーンにも流れたのだ。

どの段階で流れたかは分からない、オーベルシュタインか、内務省か……。そしてフェザーンは宮内省の協力者に協力を命じた。即ち近衛の取り込みと宮中警備の無力化だ。

つまり、オーベルシュタイン、内務省、フェザーンの協力体制が出来上がっているという事か。軍事力はともかく、謀略では一筋縄ではいかない連中だ。俺はケスラーとキスリングの唖然とした表情を見ながら、いつの間にか自分が包囲されている事に気付いた……。

「待ってくれ、エーリッヒ、卿の言いたい事は分かる。だがそれは有り得ない」
我に返ったキスリングが身を乗り出して俺に話しかけてきた。まるで宥めるかのようだ。

「どうしてそう言い切れる」
「カストロプの反乱が起きた時、卿の策に従ってフェザーンに与する貴族達を捕らえた。ブルクハウゼン侯爵、ジンデフィンゲン伯爵、クロッペンブルク子爵 ハーフェルベルク男爵……。だが彼らを取り調べても宮内省に仲間が居るなどとは誰も言わなかった、誰もだ」

「……」
「卿の考えが正しければ協力者は三年前からいる事になる。彼らが知らなかったとは思えない。皆自分が助かりたくて我先に自白したんだ。宮内省にフェザーンの協力者が居るなら必ず言ったはずだ」

自分で取り調べたからな、自信が有るんだろう、だがそうじゃないんだ、ギュンター。俺はむきになって否定するキスリングを見ながら心に思った。

「知らなかったのさ」
「……馬鹿な」
キスリングが唖然とした表情をしている。その横でケスラーは難しい顔で考え込んでいた。その対比が可笑しくてつい笑いが出てしまった。二人ともギョッとした様な表情で俺を見た。それが可笑しくてさらに笑いが出た。

「馬鹿じゃない。宮内省の協力者はかなりの高官のはずだ、陛下の傍に居る、つまり帝国の中枢部に居ると言って良い。ブルクハウゼン侯など所詮リヒテンラーデ侯への敵対心だけでフェザーンに付いたような男だ。いくらでも代わりは居る。宝石と消耗品を一緒に扱うと思うか?」

「……じゃあ、あの時宮内省の協力者は何をしていたんだ? おかしな動きが有れば必ず判ったはずだ。今回は内務省の動きに気を取られて見逃したが、フェザーンからの指示は何も無かったと言うのか? その方が有り得ないだろう」
キスリングが幾分首を捻りながら答える。納得できないらしい。

「自分もそう思います。フェザーンにとってもあれは正念場だったはずです。フェザーンから何の指示も無かったとは思えません」
ケスラーがキスリングの考えを支持した。二対一、どうやら形勢は俺の不利のようだ。

「フェザーンの指示は任務を真面目に行なえ、だったとしたら?」
「本気で言っているのか、エーリッヒ」
キスリングもケスラーも呆れたような顔をしている。俺が冗談でも言っていると思ったらしい、生憎だが俺は本気だ。

「あの時、敵をおびき寄せるために陛下には病気になってもらった。忘れたのか、ギュンター」
「……」

「フェザーンからの指示は唯一つ、陛下の生死を確認せよ、陛下が崩御された場合には、その死をブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にすぐさま知らせよ、そんなところだろう」
「!」

ケスラーとキスリングが驚いている。もっともそれは俺も同じだ。自分で言っていても信じられないところが有る。だが、考えれば考えるほど宮内省の顔の分からない男はフェザーンと組んでいるとしか思えない。

「フェザーンの狙いは帝国を混乱、分裂させ同盟との決戦に敗北させる事だったんです。カストロプの反乱もブルクハウゼン侯もそのために利用された。宮内省の協力者は陛下の健康状態を監視していた。それこそが帝国を混乱に陥れる最大の要因だから……」
「……」

そうか、陛下の健康問題か……。宮内省の顔の分からない男と内務省の協力関係はその時には出来ていたわけだ。だとすると両者の繋がりはもっと前だ……やはり三年前か……。あれは偶然ではなかったという事か。だとするとビーレフェルト伯爵を殺したのは……。

「私は間違っていたかもしれない」
思わず、呟くような声になった。
「間違っていた?」
「ええ。ケスラー提督、ビーレフェルト伯爵を殺したのはフェザーンじゃない、社会秩序維持局、いや内務省でしょう」

「どういうことです。三年前のあの事件には内務省は関わっていない筈です」
ケスラーは混乱している。

「関わっていますよ、“警察は大した事が無かった”、覚えていませんか」
「!」
ケスラーが目を大きく見開く。その目には驚愕が有った。

「まさか」
「そのまさかです、ケスラー提督」
気が付けば低い声で笑っている自分がいた。今日は笑いが多く出る。多分自分自身を笑っているのだろう。自分の間抜けさ加減を。

「どういうことです、ケスラー提督」
「警察もあの船を臨検していたが、船長に脅され碌に調査もせずに引き下がったそうだ。“警察は大した事が無かった”それは取調べで逮捕された船長が言った言葉だ」

キスリングの問いにケスラーが苦い表情で答えた。ケスラーはどうやら俺の考えを理解したらしい。
「警察は大した事が無かったんじゃない、最初から調べるつもりがなかった……。そういうことですね、司令長官」

俺はケスラーの言葉に頷いた。その通りだ、警察は最初から調べるつもりは無かった。そして警察は内務省の管轄下にある……。

「三年前の事件は宮内省の顔の分からない男、内務省、フェザーン、ビーレフェルト伯爵の四者が起した事件だったのでしょう。おそらくビーレフェルト伯爵は船長に警察が臨検することなど無い、そう言ったはずです。実際警察はそうだった」
「……」

「問題なく終わるはずでした。ところが私が介入した、それで全てが狂った。事件が公になれば宮内省、内務省、フェザーンを巻き込む一大事件になります。特に内務省と宮内省の顔の分からない男にとっては致命傷でしょう。関与が発覚すれば間違いなく極刑です。彼らはビーレフェルト伯爵の口を塞ぐ事で身を護った」
「……」

「闇の左手が動いたと噂を流したのも内務省でしょう。その噂を流す事で捜査がおざなりになることを狙ったんです」
「……信じられない」

頭を振りながら呟くようにキスリングが吐いた。あの事件は皇帝の財産が絡んだにもかかわらず、尻すぼみに終わった。その事件の裏に宮内省、内務省、フェザーンの繋がりがあったと言っても信じられないかもしれない。まして皇帝の闇の左手の名が利用されたなど……。

「思い出すんだ、ギュンター、オーベルシュタインが陛下の健康問題を社会秩序維持局に確認した事を」
「……」

「社会秩序維持局はどうやって陛下の健康状態を確認したと思う?」
「……そうか、接触を受けた社会秩序維持局はそれを宮内省の協力者に問い合わせた、そういうことか……」
呻くようなキスリングの声だった。ケスラーは疲れたような表情をしている。

「宮内省の人間が陛下の健康状態を昨日今日知り合った人間に教えるはずが無い。そんなことが露見すれば機密漏洩で罷免されかねない。彼らは共犯者という強い絆で結ばれていたのさ」

お互いに急所を握り合っているようなものだ。目障りでもあろうが、一方の破滅はもう一方の破滅に繋がる。一蓮托生の運命だ、繋がりは強いだろう。

しばらくの間、誰も喋らなかった。考えているのか、疲れているのか……。ようやく話しかけてきたのはケスラーだった。
「司令長官、早急に宮内省の顔の見えない男を特定する必要があります」
「ええ、それが急務でしょうね」

「こうなったらラムスドルフ近衛兵総監に打ち明けて取り調べてもらったほうが良いのではありませんか、ケスラー提督」
「それは駄目だ、キスリング。簡単に分かるとは思えないし、相手を警戒させかねない」

その通りだ、最悪の場合宮中で暴発という事もありえるだろう。クロプシュトック侯事件の再現なんて事になりかねない。彼らは今ラムスドルフの取調べに気を取られているはずだ。むしろ別な点から切り込んだほうが良い。

「やはり三年前の事件をもう一度洗い直すしかないでしょう」
「からめ手から攻めるのですね」
「そうです、ケスラー提督。しかし時間がかかりますね」

「いや、そうでもないでしょう。陛下のお傍近くにいて近衛とも接触のある人物、そして惑星トラウンシュタインの密猟を揉み消せる人物ともなれば、宮内尚書、次官、局長クラスです。一人ずつ潰していけば良い」

「……」
「キスリング准将、最優先だ、宮内省の顔の見えない男を特定してくれ」
「はっ」



ケスラーとキスリングが帰った後、俺は応接室で一人残っていた。正直なところ書類整理をする気にはなれなかった。全く今日は碌でもない一日だ。ひとつ狂うと全てが狂うか……。同感だよ、ヤン・ウェンリー。おそらく俺の方がその想いは強いだろうけどね。

ルビンスキー、オーベルシュタイン、ラング、そして宮内省の顔の見えない男……。宮内省の男は分からないが、どいつもこいつも他人を陥れる事だけに生きる喜びを感じているような連中だ。まるで魑魅魍魎、百鬼夜行とでもいうべき連中で間違ってもお友達にはなりたいと思う人間じゃない。

俺も謀略は使う。しかし謀略に淫してはいない。謀略そのものが生きがいなどという事は無い。これから先、魑魅魍魎、百鬼夜行な奴らを相手に生き死にを賭けて陰謀ごっこをするのかと思うと気が滅入ってくる。俺の生き残る可能性は低いんじゃないだろうか。

まあ、それでもこっちにはケスラーが居る、それがせめてもの救いだな。ケスラーまで敵に回っていた日には俺はあっという間に首と胴が永遠の別れ、なんて事になりかねない。もっとも一瞬の別れでも終わりだが。

ウルリッヒ・ケスラー、俺が思うに原作では最強の謀将と言って良いだろう。ルビンスキー、オーベルシュタイン、ラング、トリューニヒト、全てが斃れる中で最後まで生き残った。

ケスラーが謀略家として動き始めるのはエルウィン・ヨーゼフの誘拐後だ。あの時、ケスラーの部下だったモルトはラインハルトとオーベルシュタインに殺されたと言って良い。ケスラーももう少しで切り捨てられる所だった。ケスラー自身その事には気付いていただろう。

普通ならケスラーはラインハルトにもオーベルシュタインにも反感を反発を示してもおかしくはなかった。だがケスラーはそれを内に隠して一切表に出さなかった。もし反感を表していたらあっという間に更迭されていただろう。

そして有能な憲兵総監、帝都防衛司令官として存在し続けた。おそらくオーベルシュタインにも仕事上での協力は惜しまなかったはずだ。そうやってオーベルシュタインの猜疑心を自分から他者に向けさせた。

そしてロイエンタールの反逆事件が起きる。あの事件で最大の利益を得たのはオーベルシュタインではない、ケスラーだ。一見すると、危険視していたロイエンタールを葬ったオーベルシュタインが勝利者のように見える。

だが良く考えてみれば、あの件でオーベルシュタインはラングを失っている。つまり内務省から情報を得ることが出来なくなったのだ。謀略家にとって一番大切なのは正確な情報だ。オーベルシュタインはその情報源を失った。俺から見ればオーベルシュタインはとても勝利者とは言えない……。

ラングの失脚はケスラーがルッツからの依頼により調査した結果によるものとなっているが、そうなるとラインハルトが行幸に行く前には疑わしい部分がでず、ロイエンタールが反逆を起してからラングの陰謀が判明したことになる。この間一ヶ月ぐらいの時間しかない。タイミングが良すぎると思うのは俺だけだろうか。

ケスラーの上手い所は直接報告せず、ヒルダを通して報告した事だ。おまけにルッツからの依頼により調査したと言うことでルッツに対する罪悪感からかラインハルトはあっさりと丸め込められてしまう。

俺ならケスラーを呼びつけて行幸前に何故分からなかったととっちめている所だ。ルッツからの調査依頼というのも本当かどうか怪しいだろう。調査はそれ以前から行われていたはずだ。実際に調査依頼が有って利用したか、或いは死人に口無し、ラインハルトを丸め込むためにでっち上げて使ったという可能性もある。判断の難しい所だ。

ラインハルトはケスラーに見切られたのだ。ラインハルトは謀略には向かない。何故なら謀略とはプライドの高い男に出来る遊びではないからだ。謀略というのは自分が無力で弱くて惨めな存在だと思える人間だけが使える陰惨で不幸な遊戯なのだ。だから疲れる、だから嫌になる。そんな不幸な遊戯に淫するようになれば行き着く先は魑魅魍魎、百鬼夜行だ。人ではなくなる……。

ラングの失脚後、オーベルシュタインはケスラーを頼らざるを得なくなる。本当はケスラーを切り自分の意のままになる人物を憲兵総監にしたかっただろう。しかしケスラーの手元にはラングの供述書があった。オーベルシュタインこそが陰謀の主犯であるという供述書が。

あれがある限りオーベルシュタインはケスラーを切れない。ケスラーも供述書を表に出さない事でオーベルシュタインを守る姿勢を見せた。オーベルシュタインとしてもケスラーの配慮に黙らざるを得なかっただろう。そして地球教徒の最後のテロが起きた。

地球教徒はラインハルトとオーベルシュタインを間違えて襲撃した。間抜けと言って良いが、本当に間抜けだったのか。誰かに誘導されたという事は無いのか。ラインハルトが死ぬ以上、ラインハルトの負の部分を担った人間も死ぬべきだと誰かが思ったのではないのか……。

数多の謀略家たちの中でケスラーだけが生き残った。俺はケスラーを卑怯だとは思わない。謀略に卑怯などという言葉は無い。謀られるほうが間抜けなのであり、生き残った人間こそが勝利者なのだ。

ロイエンタール反逆から地球教徒の最後の襲撃まで、その筋書きを書いたのは間違いなくケスラーだ。オーベルシュタインが書いたシナリオのさらに上を行った。

そうでありながら彼は僚友たちの誰からも信頼され頼られた。謀略家としての裏の顔を誰にも悟られなかったのだろう。まさにケスラーこそ偉大な勝利者であり最高の謀略家だったと思う。


そろそろ執務に戻るか……。いつまでも現実逃避をしていても仕方が無い。俺は応接室を出ると司令長官室に向かった。沢山の書類が俺を待っている。どうせ現実逃避をするのなら書類整理に時間を潰すほうがましだろう……。


 

 

第百七十話 共同宣言

帝国暦 487年 11月26日  フェザーン 帝国高等弁務官事務所 ヨッフェン・フォン・レムシャイド


「よろしいかな、ヘンスロー弁務官。自分のなすべきことを覚えられたか?」
「ああ、大丈夫だ」

私はヘンスロー弁務官の答えを聞きながら内心で溜息をつく思いだった。先程から何度も汗をぬぐい、目はキョロキョロと周囲を泳ぐ。何でこんな男が反乱軍を代表する弁務官になどなったのか……。

これから帝国と反乱軍、いや自由惑星同盟軍(今からこの呼称に慣れておかぬと大変なことになる)の間で捕虜交換の共同声明が行なわれる。当初、ホテルを借りて行なうかと考えたが、ルビンスキーに詮索されるのは面白くない、そう考え、同盟か帝国の高等弁務官事務所で共同声明の発表、記者会見を行うことになった。

同盟の弁務官事務所は論外だった。ヘンスローはルビンスキーに飼いならされている。会場の準備などすればあっという間に情報はルビンスキーに伝わるだろう。というわけで同盟の高等弁務官事務所には一切何も知らせず帝国側だけで準備を進めてきた。

私は一度同盟政府に直接連絡を取り弁務官を代えてくれ、ヘンスローを更迭してくれと頼んだのだが、同盟政府はむしろヘンスローをそのままにしてルビンスキーの目をくらまそうと提案してきた。更迭は共同声明の発表後にしようと……。

同盟側の提案は一理あった。今ルビンスキーの注意を喚起する事はいかなる意味でも避けるべきだった。というわけでヘンスローは更迭されず、本国政府の命令で帝国高等弁務官事務所に来るまで何も知らされていなかった。どうやら拉致同然に此処へつれてこられたらしい。

ヘンスローは此処に来てから全てを知らされた。そして共同発表の手順、記者の質問、回答の想定等を叩き込まれた。はっきり言って物覚えの悪い犬にお手とお座りを教えるような感じがしたものだ。こんな馬鹿な犬は見たことが無い。

「ヘンスロー弁務官、ルビンスキーに知らせたいとお考えかな」
「いや、別にそういうわけでは……」
汗を拭くのは大概にしてくれぬか。いい加減鬱陶しい。

「ヘンスロー弁務官、卿はフェザーンの弁務官ではない、自由惑星同盟の弁務官であろう。ルビンスキーが卿を大事にするのは卿が同盟の弁務官だからだ。卿が弁務官を首になればルビンスキーは卿を役に立たぬガラクタのように捨てるであろうな」

「そ、そんな事は分かっている」
「そうか、分かっているか。それならばよい、では少しは同盟のために役に立つのだな。そろそろ共同会見に行くとしようではないか」
分かってはいない。この男がそれを分かるのは首になってからだろう。


会場は記者、カメラマン等、報道機関の人間で溢れていた。予想外の盛況だった。帝国政府から重大発表が有ると彼らに通知したのは一時間ほど前の事だ。帝国が内乱状態に有る事が彼らの好奇心を刺激したのだろう。

私とヘンスローが会場に入ると一斉にどよめきが起こった。“おい、あれは”、“ヘンスロー弁務官だ、何故此処に”そんな声が聞こえる。会場に用意された会見用のテーブルに向かう。ヘンスローと二人並んで椅子に座った。カメラのフラッシュが私とヘンスローを襲う。

「本日はお忙しい中、お集まり頂いた事に感謝します。自由惑星同盟、ヘンスロー高等弁務官です。今日此処に皆さんにお集まり頂いたのは、銀河帝国政府、自由惑星同盟政府、両政府より重大な発表があるからです」

言葉だけなら格好が良いが、汗を拭きながらの発言では格好がつかないことこの上ない。今更ながらヘンスローにうんざりした。
「発表の内容については銀河帝国高等弁務官、レムシャイド伯爵に御願いしましょう」

御苦労だったなヘンスロー、此処から先は私の仕事だ。
「銀河帝国高等弁務官、レムシャイド伯爵です。この度、自由惑星同盟政府と銀河帝国政府は両国が抱える捕虜を交換することで合意しました」

またカメラのフラッシュとどよめきが私を襲う。こればかりは慣れそうに無い。どよめきが静まるのを待ってから言葉を続けた。
「ただ残念な事に現在帝国内では大規模な内乱が発生しております。従いまして捕虜交換につきましては帝国内の混乱が終結してからとなります」

「内乱終結後、両国の軍によって捕虜交換の手続きを調整、調印式を行った後、捕虜を交換するということで両国政府は合意しました」

こちらの発言が終わったと判断したのだろう、記者の一人が早速質問をぶつけてきた。
「この捕虜交換ですが、帝国が内乱の間自由惑星同盟の攻勢を防ぐための謀略では有りませんか、内乱が終結すれば反古になるのでは?」

想定された質問だ。この質問の受け持ちはヘンスロー、卿だぞ。
「そ、そうならないように、こうして共同会見をひ、開いています。皆さんがこの声明の保証人になるわけです。そ、それに帝国にも同盟にも捕虜の返還を待ちわびる人達が大勢居ます。その思いを踏みにじるような事は出来ません」

汗をぬぐい、原稿を棒読みするような調子でヘンスローが答えた。もっと堂々と言ってくれ、それでは少しも感銘が与えられん。
「レムシャイド伯爵はどうお考えですか、帝国のヴァレンシュタイン司令長官は謀略家だと言われていますが、これがその謀略の一つと言う事は有りませんか」

「先程ヘンスロー弁務官が申し上げたとおり、帝国にも捕虜の返還を待ちわびる人達が大勢居るのです。謀略などでは有りません。前回、イゼルローン要塞の失陥で多くの人間が同盟に囚われているのです。彼らを一日でも早く帝国へ帰還させることが急務であろうと政府は考えています」

「では、今回の捕虜交換、これは両国が共存の道を選び始めた、そういうことではありませんか、十月十五日の勅令以来同盟の中でも帝国との共存を考え始める人達が居ると聞きますが」

「どういう形であれ、宇宙が平和になる事は良い事だと考えています」
私がそう答えるとまたフラッシュが激しくなった。おそらく帝国と自由惑星同盟が外交関係を改善しようとしている、そう考えたのだろう。

そう考えてもおかしくない。帝国政府が自由惑星同盟政府を対等の交渉相手として扱っているのだ。これまでなら有り得ない事だった。捕虜交換、そして宇宙が平和になる事は良い事、その言葉を聞けば帝国と同盟が和平への道を模索しているように見えるだろう。しかし、宇宙が平和になるのは和平だけがその手段ではない、統一でも宇宙は平和になる。


その後は適当に質問を切り上げ、会場を後にした。ヘンスローとともに弁務官室に戻る。これからこの物覚えの悪い犬に引導を渡さなければならん。

「ヘンスロー弁務官、御苦労だったな」
「ああ、私はこれで戻らせて頂く」
「そうだな、ハイネセンへ戻られると良いだろう」
「つまらない冗談は止めてくれ、不愉快だ」

ムッとした様に不機嫌そうなヘンスローを見ていると哀れみより、馬鹿馬鹿しさが胸に溢れた。ヘンスローはおそらくフェザーンの用意した女、酒でも楽しもうと言うのだろう。何も分かっていない、お前抜きで此処まで事を運んだという事がどういう事か……。

「冗談ではない、卿には本国への帰還命令が出ている」
「……」
「トリューニヒト議長は卿から直接今回の交渉の紆余曲折を聞きたいそうだ」

「ば、馬鹿な。私は交渉など何もしていない」
「未だ分からんか、そういう口実で帰国しろと言っているのだ。既に船も同盟政府が用意している。宇宙港へ行くのだな」
「ちょっと待て、私は」

見苦しく慌てふためくヘンスローを見ていると溜息が出た。お前は同盟政府からも帝国からもまるで信用されていないのだ。そして今ではフェザーンからも相手にされないに違いない。

「トリューニヒト議長に感謝するのだな。ルビンスキーの期待を裏切った卿がフェザーンに居る事がどれだけ危険か。卿も分からぬではあるまい。命の有るうちにハイネセンに戻ることだ」

「そ、そんな、わ、私は」
「連れて行け」
私の言葉に職員が見苦しく騒ぐヘンスローを連れて行った。さて、嫌な仕事が終わった。気分を入れ替えてもう一仕事しなければならん。


帝国暦 487年11月26日   フェザーン  アドリアン・ルビンスキー


捕虜交換か……、やってくれるではないか。これで同盟が帝国に侵攻する可能性は全くなくなった。同盟の力を利用して反乱を長引かせるという目論みは潰えた。記者会見をするヘンスローとレムシャイド伯爵を見ながら俺は思った。

「ヘンスロー弁務官は全く役に立ちませんでした。あれだけ優遇したというのに……」
「……」
ルパートが何処か嘲笑するかのような口調でヘンスローを評価した。それとも俺を間抜けだと評価したのだろうか? だから嘲笑を感じたのか……。

「補佐官、ヘンスローに代わって帝国と交渉をした人間が居るはずだ。誰だと思う?」
「……分かりません。早急に調べましょう」
「うむ」

ルパート、俺を笑う前にそのくらいは調べて欲しいものだな。帝国と同盟にコケにされたのはお前も同じなのだ。

同盟と帝国が手を結ぶ可能性か、帝国は、いやヴァレンシュタインは同盟との共存を考えていない。しかし同盟は今回の一件で帝国との共存を当然考えるだろう。今の同盟は帝国との戦争に自信を持っていない。当然帝国寄りの姿勢を示す。つまり、帝国と関係が悪化しているフェザーンは孤立する事になる。そこまで考えての捕虜交換か……。

帝国と同盟の関係を悪化させる必要があるな。それとやはりあの男を早急に片付ける必要がある。とりあえず内乱は起させた。後は混乱を起しその中であの男を暗殺する……。これからだ、これからが本当の勝負だ……。



宇宙暦 796年 11月27日  ハイネセン ある少年の日記


十一月二十三日

今日、驚くべき事が起きた。帝国で反乱が発生したのだ。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が反乱を起した。いや驚くべき事じゃないかもしれない、前から帝国では内乱が起きるだろうと言われていたのだから。

むしろ驚いた事は帝国軍の宇宙艦隊司令長官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥が暗殺された事だった。当然だけど犯人は、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯だ。

ヴァレンシュタイン元帥はシャンタウ星域の会戦で同盟軍を壊滅させた張本人だ。死んだと聞いたときはザマアミロと思ったけど、出来れば同盟軍の手で殺して欲しかった。

ハイネセンではこれを機に大規模な出兵で帝国領に攻め込むという意見が出ている。元々は内乱を長引かせる嫌がらせ程度の攻撃を、という話だったけれど、ヴァレンシュタイン司令長官が死んだことで今なら帝国を混乱させられるからということらしい。

大規模な出兵といっても三個艦隊を出すのが精一杯だそうだ。少しでも帝国を混乱させ、同盟が国力を回復する時間を稼ごうという事らしい。今、同盟軍が健在なら帝国を一撃で倒せただろう。本当に残念だ。あのシャンタウ星域の会戦さえなければ、帝国を倒す事が出来たのに……。

遅い時間になってから、帝国は内乱状態に入った事を宣言し、軍に鎮圧を命じたようだ。でも簡単に鎮圧できるのだろうか? 周囲の人は反乱は長引くだろうと予想している。司令長官が暗殺されたから体勢を整えるのに時間が掛かるだろうということらしい。出来ればその方が同盟にとってもいい、内乱は長引いて欲しいと僕も思う。


十一月二十四日

暗殺されたと思っていたヴァレンシュタイン司令長官が生きている事が分かった。残念だと思ったけど、むしろこれでいいのだと思った。シャンタウ星域の会戦の仇を討つ。ヴァレンシュタイン司令長官を殺すのは同盟軍だ。

ヴァレンシュタイン司令長官が生きていた以上帝国軍はあまり混乱せずに内乱を鎮圧するに違いない、皆がそう言っている。その所為で出兵論は急速に力を失っているらしい。政府も軍も出兵には消極的のようだ。

「主戦論を唱える事と戦争に勝つ事は別だ。勝つためにはそれなりの準備が必要だ」
トリューニヒト議長の言葉だ。議長によれば今は国力回復の時期、準備の時期で出兵などすべきではない、そういうことらしい。

宇宙艦隊司令長官のビュコック提督も“今は無理の出来る状況ではない。体力の回復に力を注ぐという政府の判断は正しいと思う”と言っている。僕は少しでも帝国に思い知らせてやりたいと思うけど、今は国力回復が必要という事は分かっている、我慢するしかない。でも国力が回復したら必ず帝国に思い知らせてやる。


十一月二十六日

今日、また驚くべき事が起きた。最近驚いてばかりだけど本当に驚いた。同盟と帝国が捕虜を交換することを発表したのだ。政府が出兵論に消極的なのもこの所為だったみたいだ。

フェザーンで行なわれた共同会見を僕も見たけれど、はっきり言ってヘンスロー弁務官がかっこ悪いので見ていて面白くなかった。帝国のレムシャイド伯爵の方が堂々として落ち着いていた。あの二人が逆だったら良かったのに。

ハイネセンでは捕虜交換が謀略なのかどうかで皆が話している。あれだけ大々的に会見を行なったのだから本当だろうという人もいれば帝国など信用できない、謀略に違いない、そういう人もいる。僕にはちょっと判断できないけど本当だといいなと思う。

大体において皆捕虜が返還される事は良い事だと思っている。レベロ財政委員長は“扶養家族が減って稼ぎ手が戻ってくるのだ。財政委員長としてはこれ以上の慶事は無い”と言っていた。余りにも露骨過ぎて皆呆れていたけど。

今日のハイネセンは和平論で大騒ぎだった。帝国は改革を行い変化しようとしている。今回の捕虜交換を機に帝国との和平を積極的に考えるべきだと言うのだ。はっきり言って納得できなかった。暴虐なる銀河帝国を倒し宇宙に民主共和制を広める、それこそが自由惑星同盟の使命の筈なのに……。

トリューニヒト議長が記者会見を開いていたけど、議長の考えは“時期尚早”だった。“帝国がどのような方向に進むかを見極めてからでも和平は遅くない。今はただ国力を充実させるのみ”そう言い切った時の議長は格好良かった。

それにしても昨日までの同盟は出兵論、今日は和平論、明日はどうなるのだろう。誰かが“明日は降伏論でも出るんじゃないか”と言って笑っていたけど、皆“なんだかよく分からないね”と言っている。僕も全く同感だ。本当になんだかよく分からない。

でも降伏論だけは無い。同盟が帝国に降伏するなんて事は無い。今は劣勢だけど必ず盛り返していつか帝国を破り、皇帝を跪かせるんだ。暴虐なる帝国を打倒する、それこそが僕たちの使命なのだから。


帝国暦 487年10月15日
銀河帝国皇帝フリードリヒ四世による「帝国暦487年10月15日の勅令」が発布される。

帝国暦 487年11月23日
エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク、サビーネ・フォン・リッテンハイム、誘拐される。

オットー・フォン・ブラウンシュバイク公爵、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵、反逆を宣言する。

帝国政府、帝国が内乱状態に入った事を宣言、軍に対し内乱鎮圧を命ずる。

帝国暦 487年11月24日
ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将、帝国軍宇宙艦隊副司令長官に任じられる。

帝国暦 487年11月26日
銀河帝国、自由惑星同盟、内乱終結後の捕虜交換の実施を共同声明にて宣言。

 

 

第百七十一話 内戦の始まり

宇宙暦 796年 11月29日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ


最高評議会議長の執務室に六人の男が集まっている。トリューニヒト最高評議会議長、ネグロポンティ国防委員長、ホアン・ルイ人的資源委員長、ボロディン統合作戦本部長、グリーンヒル宇宙艦隊総参謀長、そして私、財政委員長ジョアン・レベロ。

表向きは捕虜交換についての打ち合わせという事になっているが実際には違う問題を話し合うことになっている。先日フェザーンで行なわれた共同宣言の後、帝国のレムシャイド伯から同盟側に微妙な問題の通知があった。

~帝国政府は現在フェザーン、オーディン間の通商路を四個艦隊、四万隻を用いて守るであろう。もしルビンスキーが帝国に不利益をもたらす行動をする場合はその四個艦隊を持ってルビンスキーに反帝国活動を止めさせるつもりである~

~その場合ルビンスキーは当然ではあるが同盟政府からの支援を要請するであろうが、ルビンスキーよりの行動をする事は止めていただきたい。それは同盟と帝国を争わせようとするルビンスキーの謀略である~

~帝国はルビンスキーの反帝国活動を許すつもりは無い。だがフェザーンの中立を犯すつもりも無い。帝国の行動に懸念は無用である~

当然では有るが、その場での回答は出来なかった。経緯を軍にも説明し今日これからどうすべきかを決めることになる。共同宣言から日が開いたのは各人が検討時間を必要とした事と捕虜交換に対してのマスコミの取材対応、議会内の混乱を収めるためだ。

馬鹿どもが聞いていない、相談が無かったと騒ぐのを収めるのは時間が掛かった。騒ぐ事しか能の無い奴ほど大声で騒ぐ。無視することも出来るが今後本当に和平問題が持ち上がったとき、意地で反対されては困る。説得に手を抜く事は出来ない。

「でははじめるとするか」
トリューニヒトの言葉に皆が頷いた。
「先ず最初に帝国側の意図をどう読むかだな」

トリューニヒトが私を見た。続きを話せ、そういうことだろう。
「帝国とフェザーンの関係が悪化している事は事実だろう。レムシャイド伯が我々に直接接触している事からもそれは明らかだ。当然だがこの内乱に乗じてフェザーンが帝国の弱体化を図るのも有り得る事だと思う。帝国側の懸念は根拠が無いものだとは言えない」

執務室に居る男達が皆頷いた。軍部もこの点については同意見のようだ。
「レムシャイド伯の言葉によれば、今回の内乱にもフェザーンの関与が疑われているそうだ。日頃の行いが悪いと何かにつけて疑われるらしい。トリューニヒト議長、思い当たる節があるのではないかな」
執務室に笑いが起きた。トリューニヒトも苦笑している。

私の発言の後をホアンが引き継いだ。
「冗談はさておき、どの道反乱は起きただろうが、フェザーンが後押ししたという事は十分ありえるだろう。帝国が神経質になるのも無理は無い」

「問題は帝国が何処まで踏み込むかでしょう。フェザーンの中立を尊重するとは言っていますが、四個艦隊、四万隻ともなればフェザーンを制圧するのには十分すぎる兵力です」
ネグロポンティの言葉に執務室の空気が重くなった。先程まで有った笑いは既に無い。

「帝国軍の指揮官はどういう人物なのかな、暴発し易い人間なのか……、軍のほうでは調べたかね」
トリューニヒトの言葉にグリーンヒル総参謀長とボロディン本部長が顔を見合わせた。グリーンヒル総参謀長が微かに頷くと話し始めた。

「帝国軍の指揮官はシュムーデ提督、ルックナー提督、リンテレン提督、ルーディッゲ提督の四人です。いずれも十八個有る宇宙艦隊の正規艦隊司令官では有りません」

「つまり、能力的には劣るという事かな、総参謀長」
「そうとも言えません、議長。彼らはヴァレンシュタイン司令長官の下で副司令官、分艦隊司令官を務めた人間達です。無能では務まりませんし、むしろ人的な繋がりは正規艦隊司令官達よりも強いかもしれません」

「やれやれ、簡単に暴発するような人間ではなさそうだが、甘く見る事も出来そうに無いと言うことだな」
ホアンが溜息混じりに呟いた。

「先程ネグロポンティ国防委員長が言ったとおり、帝国側にその意思が無くてもルビンスキーが意地を張れば帝国軍は勢いで突っ走るという事は有り得るだろう」
トリューニヒトの言葉に何人かが同意する言葉を出した。

「それが帝国の狙いだということも有り得るんじゃないか」
「ホアン、その可能性はあまり考えなくても良いだろう。戦線を増やす事は帝国にとってもリスクが大きい」

そう、シトレと話した時、私もホアンと同じ疑問を持った。だがフェザーンの占拠と補給線の確保を四個艦隊で行なうのはどう見ても難しいだろうというのがシトレの意見だった。

万一の場合は同盟との一戦も覚悟しなくてはならない。それを考えると補給線の確保一本に絞ったほうが効果的だ。フェザーンは外交で解決する、そのために同盟に接触してきたのではないか……。シトレの意見は十分に根拠があるだろう、彼をスタッフに招聘したのは間違いではなかった……。

シトレの意見を話すと皆が頷いている。ボロディン、グリーンヒルも頷いている。おそらくシトレは彼らと意見を調整済みなのだろう。だがそれでも良い。自分が納得して受け入れられる物を出してくれるのであれば問題は無い。

「なるほど、だとすると同盟の取るべき道も見えてくる。先ず最優先で考える事はフェザーンを帝国に占拠させない事だろう」
「トリューニヒト議長の仰るとおりですが、具体的には如何しますか」

トリューニヒトはネグロポンティの言葉に軽く頷いた。
「先ず、ルビンスキーから援助を求められてもそれには応じない。そして艦隊をフェザーン方面に出す。規模は三個艦隊だな」
「!」

ホアン、ネグロポンティは驚いている。今このときに艦隊を出す、それも三個艦隊。本国は殆ど空になりかねない。残りは編制途上の一個艦隊が有るだけだ。

「私も議長の意見に賛成だ。同盟が後ろにいるとなればルビンスキーは強気になるだろう。それでは帝国軍がフェザーンを占拠する可能性が出てくる。先ずルビンスキーを孤立させる」
「……」

「艦隊を派遣するのは帝国のフェザーン占拠を許さないためだ。フェザーン回廊の中立を維持するためにも艦隊の派遣は止むを得ないと思う」
「……」

「レベロの言う通りだ。万一帝国にフェザーン占拠を許してしまうと大変な問題になる。安全保障の問題も有るが、捕虜を取り返すためにフェザーンを見殺しにした等と言われかねない。それは政権の致命傷になる」

その通りだ。私は、トリューニヒトの言葉に頷いた。ネグロポンティ、ホアンも深刻な表情で頷いている。一方軍人たちは頷いてはいるがそれほど深刻な表情はしていない。協力はするが必ずしもトリューニヒト政権に対して好意を抱いていると言うわけではないか……。

「議長、一つだけ確認させてください」
「何かねボロディン本部長」
「三個艦隊はあくまで外交交渉の道具として使うのですね、戦うためではなく」

「もちろんだ。帝国と戦争などすれば捕虜交換も吹き飛んでしまう。そんな事は論外だ」
「それを聞いて安心しました。万一帝国との戦闘になって大敗でもすれば同盟は二進も三進も行かなくなります。それだけは忘れないでください」

ボロディン本部長の言葉にトリューニヒトは黙って頷いた。
「そちらも艦隊司令官達に良く注意してくれ。戦争ではなく交渉でフェザーン回廊は守るのだとね」


帝国暦 487年 11月30日  オーディン 宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「すまないな、エーリッヒ」
「気にしなくて良い。とりあえず六人の中にいるんだ、いざとなれば全員捕らえてもいいさ」
「無茶苦茶だな、また何か分かったら連絡する」
「ああ、待っているよ」

暗くなったTV電話のスクリーンを見ながらキスリングの事を考えた。此処最近、頻繁にキスリングが連絡をしてくる。例の三年前の事件から宮内省の顔の見えない男を洗い出そうとしているのだが、なかなか調査は進まない。

三年前の事件を調べなおしているのだ。おまけに肝心のビーレフェルト伯爵は死んでいる。そう簡単に顔の見えない男が分かるとも思えない。気にするなと言うのだが、あまり効果は無いようだ。

宮内省の局長以上の人間、尚書、次官、そして八名の局長、計十人の中に顔の無い男はいる。今のところ除外できるのは四名、二人は去年局長に就任した人間だ。

残り二人はビーレフェルト伯とは何の接点も無かった。内務省とも接点が無く、財産も特に見るべきものが無い。トラウンシュタイン産のバッファローの毛皮の一件とは無関係だろう……。

いよいよ明日、内乱鎮圧のため軍が出撃する。司令部の中では出陣式のようなものを行なおうと言う意見が出た。言い出したのはビッテンフェルトとファーレンハイトの二人だが、あっという間に司令部全体の意見になった。

別に止める理由も無い、良いんじゃないかと答えたら、俺に挨拶をしろとか言い出した。面倒ではあるが此処まで来たら行うしかないだろう。明日が憂鬱だ。

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の反乱勢力は妙な言い方だが順調に参加者を増やしている。相手は予想通りというか原作どおりガイエスブルク要塞に立てこもっているようだ。

メルカッツがいないから軍の指揮官はどうなるのか、シュターデンに任せるのかと思ってみていたが、妙な連中が集まっている。オフレッサーはともかく、元イゼルローン要塞司令官クライスト大将、駐留艦隊司令官ヴァルテンベルク大将だ。それにクラーマー大将にグライフス大将、ラーゲル大将、ノルデン少将、プフェンダー少将……。

皆俺に恨みがあるらしい。クライストとヴァルテンベルクは第五次イゼルローン要塞攻防戦で味方殺しをやった連中だが、俺の戦闘詳報が原因で罷免されたと思ったようだ。

まあ、あんな馬鹿やれば、俺の戦闘詳報が無くても罷免されたと思うのだが、原作だとその辺が曖昧ではっきり分からない。案外栄転でもしたのかも知れない、なんと言っても敵の大軍を追っ払ったのだから。

どうせ貴族連合に入っても顔を合わせれば喧嘩の毎日でろくな戦力にはなるまいと思っていたらそうでもないらしい。オーディンで飼い殺しにされている間、俺の悪口を言う事で意気投合していたのだという。今では大の仲良しとの事だ。

何でイゼルローンで仲良しになっておかないのか、馬鹿じゃないかとぼやいたら、二人もその事を大変悔やんでいると教えてくれたのはシューマッハ准将だった。馬鹿につける薬は無いよな。

クラーマーとラーゲルは例のフリードリヒ四世が重態になったとき俺に良い様にやられて面子を潰されたと思っている。クラーマーは俺が首を切ったし、ラーゲルは帝都防衛司令官だったが病気療養、事実上の罷免だった。確かに恨まれる覚えがある。でもこいつら基本的に地上戦が担当だろう、宇宙で艦隊戦なんて出来るのか? 非常に疑問だ。

よく分からないのがグライフス、ノルデン、プフェンダーだった。グライフスはヴァンフリートの時の総参謀長だったが俺には何かトラブルが有ったという記憶が無い。ノルデンとプフェンダーには会った事も無い。

原作だとノルデンは第三次ティアマト会戦でのラインハルトの参謀長だった。プフェンダーはグリンメルスハウゼンの参謀長だったはずだ。この世界では、ノルデンの代わりにケスラーが参謀長だったし、プフェンダーは男爵家をついで戦争には出なかった。代わりに俺が参謀長になった。

俺には全く恨まれる覚えが無く、???の状態だったのだがそんな俺を教え諭してくれたのはこれまたシューマッハ准将だった。

グライフスが俺を恨むのはヴァンフリートで武勲を俺に独り占めにされたかららしい。あの戦いでミュッケンベルガー率いる宇宙艦隊は良い所が無かった。結局それはミュッケンベルガーを補佐したグライフスの責任だと周囲から言われたようだ。

もちろんミュッケンベルガーはそんな事は言わなかっただろうし思いもしなかっただろう。だがミュッケンベルガーは俺を宇宙艦隊の作戦参謀に任じた。傍において監視するつもりだったのだろうが、グライフスはそうは取らなかった。

自分を否定されたように感じて総参謀長を辞任したらしい。道理で俺が作戦参謀になったとき妙に居心地が悪かったわけだ。ヴァレリーが亡命者ということだけではなかったのだ。

ノルデンとプフェンダーはもっと酷かった。ノルデンは第六次イゼルローン要塞攻防戦の前後に誰かの参謀長をと人事に希望を出していたらしい。だがその希望は通らなかった。俺がケスラーをラインハルトに推薦したからだ。

そしてケスラーは出世し始める。当然だがノルデンは面白くなかった。その後、俺が宇宙艦隊副司令長官になったとき、各艦隊に幕僚を推薦したが当然ノルデンはその中に選ばれなかった。という事でノルデンは俺に恨み骨髄らしい。自分のような優秀な参謀を選ばないのは無能だからだという事のようだ。

プフェンダーは兄がサイオキシン麻薬で逮捕されそのためプフェンダー男爵家の建て直すべく軍を離れざるを得なかった。そして代わりに俺がグリンメルスハウゼン艦隊の参謀長になり武勲を挙げた。

面白くなかっただろう、おまけにサイオキシン麻薬摘発のきっかけも俺だった。という事でノルデンに続きプフェンダーも俺に恨み骨髄との事だ。

シューマッハが話してくれた後、俺はあまりの馬鹿馬鹿しさに呆れ果てていた。そんな俺にリューネブルクが“恨まれてますな、まあ、いい男が恨まれるのは世の常です“と嬉しそうに言いやがる。余計なお世話だ、この野郎。

まあ問題は誰が指揮を取るかだな。階級から言うとシュターデン、クライスト、ヴァルテンベルク、グライフスの四人から選ばれることになるかな。クラーマーとラーゲルは地上戦だ、選ばれる事は無いだろう。

場合によっては指揮権を巡って仲間割れも有り得るか。このあたりは良く見極める必要があるだろう。指揮権が分割され作戦が滅茶苦茶になるという可能性もあるだろう。そうなると相手の動きは読み辛くなる、要注意だな……。


帝国暦 487年 12月 1日  オーディン 宇宙艦隊司令部  ナイトハルト・ミュラー


広間に各艦隊司令官が集まっている。これから出陣式が行なわれる。出陣式といってもエーリッヒの檄とワインによる戦勝の前祝だ。エーリッヒは嫌がっているだろう。そういうのは嫌いだから。俺たちの後ろには女性下士官たちが控えている、ワインとグラスを持って。

時間通りエーリッヒが現れ俺達の正面に立った。俺達の敬礼に答礼する、微かにマントが揺らめいた。
「皇帝陛下の命により、これより反乱を鎮圧します」
「……」

「敵は大軍ですが烏合の衆です。落ち着いて戦えば必ず勝てるでしょう。かねての計画に従い、総力を持って反乱を鎮圧します。新しい時代を作るために」
新しい時代、その言葉が俺を熱くさせる。俺だけではないだろう、皆同じ気持ちのはずだ。

そしてエーリッヒが後方に控える女性下士官たちに頷く。それを見た女性下士官たちがワインを配り始めた。エーリッヒは全員にワインが配られたのを確認すると微かに頷いた。エーリッヒ自身のグラスにはほんの少ししかワインは注がれていない。

「私は卿らの働きに期待します。しかし、それ以上に卿らが誰一人欠けることなく此処に戻ってくることを望みます。卿らの上に大神オーディンの恩寵あらんことを。プロージット!」

「プロージット!」
ワインを飲み干すと慣習に従ってグラスを床に叩きつけた。エーリッヒが少し渋い顔をしてワインを飲み干すのが見えた……。



 

 

第百七十二話 嵐の前、静けさの後

帝国暦 487年 12月 2日  ガイエスブルク要塞   オットー・フォン・ブラウンシュバイク


「御苦労だったな、フェルナー、ガームリヒ中佐」
目の前で頭を下げるフェルナー、ガームリヒ中佐に声をかけた。
「申し訳ありませんでした、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯」
フェルナーは寄り一層頭を下げ謝罪した。ガームリヒも同じだ。

アントン・フェルナー、アドルフ・ガームリヒ、二人はガイエスブルク要塞に着くと直ぐにわしの部屋に来た。わしがリッテンハイム侯と総司令官を誰にするかで打ち合わせをしている所へ……。

「卿らに責任は無い、誘拐の件も、暗殺の失敗もな」
「公の言う通りだ。相手がより狡猾だったという事だ。まさか近衛に内通者を作るとは……」

わしとリッテンハイム侯の言葉にも二人が頭を上げる事は無い。困った奴らだ。
「二人とも顔を上げよ、それでは話が出来ぬ」
「はっ」
躊躇いがちにフェルナーが顔を上げ、それに続く形でガームリヒが顔を上げた。二人とも憔悴しきった顔をしている。

「卿らからヴァレンシュタインを暗殺したと発表しろと言われた時は驚いたが、思いの外の反響であったな。上手い手を考え付くものだ」
「……」

今、ガイエスブルクには大勢の貴族と軍人がやってきている。あの小僧どもの力によってではない、わしとリッテンハイム侯の力によってだ。参加した貴族は約三千八百名、兵力は二千五百万を超える。艦艇にいたっては二十万隻に近いだろう。

「あの人攫いどもに戦の主導権を執られてはたまらぬ。この戦争は私とブラウンシュバイク公の戦争だ。あいつ等はせいぜい扱き使ってやろう。愚かな事をした報いにな」

そう言うとリッテンハイム侯が笑い出した。その通りだ、この戦いは我等の戦いだ。あの小僧どもに好きにはさせん。

「フェルナー、ガームリヒ中佐、今は未だ誰も卿らの失敗を咎めるものはおらん。我等が起った事で満足している。だが負けが続けば卿らを責める者達が増えよう。心無い悪罵をぶつけるに違いない、それだけは覚悟しておけ」
「はっ」

「どれ程苦しかろうと命を粗末にしてはならんぞ、卿らの命は卿らの物ではない。ヴァレンシュタインがエリザベートとサビーネを守るために預けた命なのだ。その事を忘れるな」
「……はっ」

リッテンハイム侯がくすっと笑った。
「まあ、我等が勝てば良いのだ、勝てば何の問題も無い。公が言っておられるのも万一の場合の事、あまり深刻に考えぬ事だな。公も余り若い者を苛めぬ事だ」

そう言うとリッテンハイム侯は笑い始めた。思わずつられてわしまで笑ってしまったではないか、困った男だ。勝てるなど欠片も思っておらぬくせに……。

「そうだな、確かにリッテンハイム侯の言う通りだ。年の所為かな、どうも気が弱くなったようだ。気をつけるとしよう」
「そうだな、気をつけたほうが良いな」
そう言うとまたリッテンハイム侯は笑った。

我等の遣り取りをどう聞いたのか、蚊の泣くような小さな声でガームリヒ中佐が訪ねてきた。
「……エリザベート様、サビーネ様は」

「明日には此方に着くそうだ。ランズベルク伯から連絡が有った」
「では、その時点で直ぐに此方にお引取りしましょう」
「そうだな、二人に任せてもよいかな」
「はっ」

二人の事を考えると胸が痛んだ。どれだけ心細かったか、怖かったか。だが今度は戦場の真っ只中にあの二人を置くことになる。ランズベルクの小僧にどうにもならぬほどの怒りが湧いた。

「お二方にヴァレンシュタイン司令長官からの伝言を預かっております」
「……」
ヴァレンシュタインの伝言……。フェルナーの言葉に思わずリッテンハイム侯と顔を見合わせた。我等が何も言わぬ事にフェルナーは一瞬戸惑ったようだったが、低い声で続けた。

「残念だと……。この上は門閥貴族としての生き様を貫いて欲しいと」
「……」
残念……。門閥貴族としての生き様を貫く……。

門閥貴族として滅べ、これ以上は生にしがみつくなという事か……。小僧め、わしを誰だと思っておる。その程度の覚悟も無しにオットー・フォン・ブラウンシュバイクが反乱を起すと思うのか。

隣にいるリッテンハイム侯が苦笑するのが分かった。同じ思いなのだろう。
「確かに受け取った。御苦労だったなフェルナー、ガームリヒ中佐。下がってよいぞ」

フェルナーとガームリヒ中佐が居なくなるとリッテンハイム侯と二人きりになった。

「門閥貴族としての生き様か、なかなか洒落た事を言うではないか」
「そうだな。しかし我等が死ねば、門閥貴族としての生き様など見せられるものはおるまい」
リッテンハイム侯が深く頷くのが見えた。そして悪戯っぽい笑みを浮かべ問いかけてきた。

「……公に訊きたいのだが門閥貴族としての生き様とは何かな?」
「……卿とて分かっておろう。門閥貴族として死ぬ事よ、意味の無い誇りを抱いて死ぬ、それ以外の何物でもあるまい」

「……愚かな事では有るが、覚悟だけは必要なようだ」
「うむ」
「有り難い事だ、狡賢く生きろ等と言われるよりは遥かにましであろう、違うかな?」

リッテンハイム侯が笑い出した。最近この男は妙に良く笑う、それも朗らかに。困った男だ、わしまで釣られてしまうではないか。一頻り笑った後、侯が問いかけてきた。

「それで、話が途中になっていたが総司令官の人選だがどうするかな? 階級ではオフレッサーだが、あの男は地上戦が専門だ。艦隊戦など出来ぬだろうし、やりたがらぬであろう」

「確かにな、シュターデンがやりたがっているが、大将達の間ではあの男は一番年が若い、皆納得すまい」
「ふむ、かといって味方殺しどもに総司令官などやらせては、皆前の敵より後ろの味方を気にするであろうな」
「……」

顔を顰めながら話すリッテンハイム侯の言葉に全く同感だった。クライストとヴァルテンベルクが此処に仲良く来たのを見たときは何かの冗談かと思ったものだ。あやつらに来られても軍の士気など欠片も上がらぬ。

あのまま軍に居ても活躍の場は与えられぬ。我等に味方すると言うより、ヴァレンシュタイン憎し、の思いなのであろうが、迷惑な事だ。
「ではグライフスか。宇宙艦隊総参謀長まで務めたのだ、誰も文句は言うまい」

「そうなるな、後でわしから伝えておこう」
「総司令官の発表は今日のうちが良かろう、あの小僧どもが来る前に終わらせておく事だ、自分が総司令官に就く等と言いかねんからな」

「人攫いと軍の指揮は違うであろう」
「それが分かるなら良いがな、分かると思うか?」
「……」
「そういうことだ、ではまた後で」
そう言うとリッテンハイム侯は自分の部屋に戻っていった。

やれやれだ。あの小僧どもには本当に面倒をかけさせられる。グライフスに総司令官就任を依頼せねばならんが、その前にあの男と話しておかねばならん。

その男、オフレッサー上級大将がわしの部屋に来たのは彼を呼んでからきっかり五分後だった。目の前に二メートルの巨体が立つと圧倒されるような思いがする。この男がトマホークを振り上げて迫ってくる姿はまさに恐怖以外の何物でもあるまい。

「お呼びですかな、ブラウンシュバイク公」
「うむ、卿に訊きたい事があってな」
「……」

「何故此処に来た? わしと卿は特別親しかったわけではない。むしろ卿は我等を嫌っておろう」
「……」

オフレッサーは何の感情も面に出さなかった。だが分かっている、我等がこの男の持つ血生臭さを何処かで嫌ったようにこの男も我等を嫌っていた。この男にとっては戦場に出ぬ我等など唾棄すべき存在だったろう。

「卿ならヴァレンシュタインの元で十分にやっていける。確かに彼の下にはリューネブルクが居るが卿の居場所が無いとも思えぬ。何故かな?」
「……はて、御迷惑でしたかな?」
微かに笑みを浮かべてオフレッサーが問いかけてきた。

「そうではない、ただ腑に落ちぬ、それだけだ。此処は将来に展望の持てぬ者だけが来る場所なのでな。卿には似合わぬと思っただけよ」
わしの言葉にオフレッサーは苦笑を浮かべた。

「将来に展望の持てぬ者ですか……。そうですな、小官は帝国が好きなのです。小官を装甲擲弾兵総監にまでしてくれた帝国が……。それではいけませぬかな」
「……」

「それにシャンタウ星域の会戦で反乱軍は壊滅しましたからな。骨のある相手がいなくなりました。小官もお払い箱かと思っておりましたが、リューネブルクが居ましたな。感謝しますぞ、あの男と戦う場を与えてくださった事を」
「……酔狂な事だな、好きにするが良かろう」

オフレッサーは敬礼すると部屋を出て行った。オフレッサーの出て行ったドアを見ながら思った。酔狂な男、馬鹿な男、だがわしやリッテンハイム侯と一体何処が違うのだろう。滅びの道を歩み滅びの宴を楽しむ者、同じではないか……。

帝国が好きか、古い帝国が……。不器用な男だ。死に場所を求めてきたか、オフレッサー。ならばわしに出来る事は卿に散り場所を与える事だけか。厄介なことだ。自分の事だけで手一杯だというのに、あの男に美しく華々しい死に場所を与えねばならんとは……。



帝国暦 487年 12月 3日  オーディン  新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「宮中でもブラスターを所持せねばならんとは、物騒な事じゃの」
「仕方がありません。何時、誰が、何処から命を狙ってくるかもしれませんから」

フンと不機嫌そうに鼻を鳴らすとリヒテンラーデ侯は俺の前を歩き出した。これからバラ園に向かう、皇帝フリードリヒ四世と非公式の謁見だ。護衛は俺と侯から少しはなれた位置から囲んでいるだけだ。俺達の話し声が聞こえる事は無い。

「暗赤色の六年間のようじゃの」
「そうですね、近衛兵が当てにならない事も似ています」
近衛兵が当てにならない、おそらくリヒテンラーデ侯は顔を顰めているだろう。

似ている事は他にもある、皇帝の名前がフリードリヒだ。だがそれは言わなかった、言えば老人は怒り出すだろう。

暗赤色の六年間、第二十代皇帝フリードリヒ三世の治世の晩年の事だ。帝国暦三百三十一年から三百三十七年の六年間を指す。この時代、陰謀、暗殺、テロが横行した。

近衛兵が反乱を起す事を恐れて「北苑竜騎兵旅団」、「西苑歩兵師団」が設置されるという信じられない時代だった。

この状態が長く続けば帝国は中枢部の混乱から崩壊していたかもしれない。だが晴眼帝と呼ばれたマクシミリアン・ヨーゼフ二世の登場で帝国は混乱と崩壊を回避し立て直された。マクシミリアン・ヨーゼフ二世が中興の祖と言われる由縁だ。

もっとも帝国が立て直された理由には自由惑星同盟の存在も大きかったと俺は思っている。ダゴン星域の敗戦で帝国は強大な敵を持つ事になった。内輪もめをしている状態ではない。そう考えた人間が多かったはずだ。

彼らはマクシミリアン・ヨーゼフ二世に協力を惜しまなかっただろう。マクシミリアン・ヨーゼフ二世の臣下と言えば司法尚書ミュンツァーが有名だが、ミュンツァーだけの協力で国政の建て直しが出来たわけでは有るまい。

「例の三年前の事件じゃが、犯人は未だ判らんのか?」
「残念ですが」
リヒテンラーデ侯が溜息を吐くのが聞こえた。侯にはあの一件を全て話してある。もちろんケスラーやキスリングの闇の左手の事は伏せてだが……。

「宮内省と内務省か……。ノイケルン宮内尚書もフレーゲル内務尚書も喰えぬ男だからの、油断は出来ぬ」
「……」

ノイケルンはともかくフレーゲルが絡んでいるのは事実だろう。ラング一人で警察まで動かすなどできる事ではない。だが証拠が無い、それに存在が分かっているなら注意は必要だが恐れる事は無い。

問題は宮内省の顔の見えない男だ、この男の特定が最優先だろう。容疑者はギュンターが六人まで絞ったがノイケルンはその中の一人だ。ノイケルンなのか?

それ以上の話は出来なかった。バラ園の入り口が見えてきた。此処からは護衛は付いてこない。彼らは入り口で待機することになる。皇帝の元に行くとフリードリヒ四世はバラを見ていた。侯と二人、皇帝の前で片膝をついて礼を示した。

「御苦労じゃな、二人とも」
「はっ、陛下におかれましては……」
「やめよ、リヒテンラーデ侯。此処はバラ園、虚飾は無用じゃ」
「はっ」

「ラムスドルフが辞めたいと言って来た。自分には近衛兵の取調べは出来ぬと。部下を疑うのは許して欲しいとな。あれは部下思いゆえ辛いらしい。部下が自分を裏切ったとは思いたくないようじゃ」
「……」

「予はあれを死なせたくない、その一心であれに取調べを命じたが酷だったかの?」
「……」
酷では有ったろう、だが助けるにはそれしかなかったはずだ。

「陛下」
「何かな、ヴァレンシュタイン」
「臣が思いますに……」

そこから先は続けられなかった。突然背中に焼ける様な痛みが走った。体が弓なりに反り返り、そして横に倒れこむ。痛みで声も出せない。皇帝と侯の悲鳴が微かに聞こえる。そして今度は脇腹に同じ痛みが走った。今度は呻き声が出た。そして何かが俺に覆いかぶさってきた……。




 

 

第百七十三話 誰がための忠誠

帝国暦 487年 12月 3日  オーディン  新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「陛下」
「何かな、ヴァレンシュタイン」
「臣が思いますに……」

そこから先は続けられなかった。突然背中に焼ける様な痛みが走った。体が弓なりに反り返り、そして横に倒れこんだ。皇帝と侯の悲鳴が聞こえる。そして今度は脇腹に同じ痛みが走った。耐え切れずに悲鳴が口から上がった。そして何かが俺に覆いかぶさってきた……。

「動くでない! ングッ」
「陛下! おのれ、この痴れ者が!」
皇帝とリヒテンラーデ侯が口々に悲鳴のような声を上げるのが聞こえた。背中と脇腹の痛みが止まらない。頬に着いた土の感触がひんやりとして気持良かった。

「陛下ご無事ですか」
「予は大丈夫だ。それより早く医師を呼べ、ヴァレンシュタイン、大丈夫か」
「い、生きております」

ようやく上半身を起す事が出来た。どうやらリヒテンラーデ侯に後ろから抱えられているらしい。撃たれた左脇腹を右手で押さえる。結構出血しているようだ。傷口から血が溢れる、手が血まみれになるのが分かった。

俺に覆いかぶさっていたのは皇帝フリードリヒ四世だった。目の前で心配そうに俺を見ている。どうやらこの男の傷は大した事は無いようだ。

俺は撃たれ、倒れた。そして皇帝が倒れている俺を庇った。何を考えていやがる、この馬鹿やろう! 俺が死んでも帝国は大丈夫なんだ、そういうふうにしたんだ。お前が死んだら滅茶苦茶だろうが! このボンクラが!

エリザベートもサビーネも攫われた今、お前に死なれたら後を継ぐのはエルウィン・ヨーゼフになる。それがどういうことか分かっているのか? あの馬鹿担いで新帝国なんてできるとおもってんのか? 少し考えろ、この間抜け!

リヒテンラーデ侯が俺の耳元で大声で人を呼んでいる。
「誰かある、曲者じゃ、陛下と司令長官が負傷した。医師を呼べ」
「遅い! 今まで何をしていた! 何を警備していた!」
頼む、少し静かにしてくれ。傷よりも耳が痛い。

少し離れている所に男が倒れていた。軍人じゃない、宮中に務める職員だろう。十人ほどの憲兵が周囲を警備する傍ら倒れている男を調べている。まだ生きているようだ。
「閣下、医師を連れてきました」

憲兵に付き添われて医師が近づいてきた。この男、こいつもか……。
「御怪我を拝見します」
「そ、その必要は有りません」

「ヴァレンシュタイン、何を言っている」
フリードリヒ四世が俺を咎めた。だが俺はまだ死にたくない、ブラスターを抜いて構えた。

「な、何を」
「随分早いですね、それに嬉しそうだ。念には念を、ですか」
俺の言葉に医師が顔色を変えた。

「この男はどこにいた?」
「バ、バラ園の近くに」
「この男を捕らえよ!」

リヒテンラーデ侯の命令で逃げようとした男を憲兵が捕らえた。全く誰が仕組んだか知らないが、余程俺を殺したいらしい。もう少し後なら俺を殺せただろう、意識が朦朧として判断できなかったはずだ。

「へ、陛下、何故臣を庇ったのです? 何故逃げぬのです?」
口から血が出た、肺でもやられたか? それとも気管支か……。
「喋るでない、ヴァレンシュタイン」
「喋ってはならん」
フリードリヒ四世が、リヒテンラーデ侯が俺を止めようとする。でもな、痛くって喋ってないと悲鳴が出そうなんだ。

「陛下、お教えください」
「……予は皇帝じゃ、そちを見殺しにして逃げるべきだったやもしれぬ。それこそが皇帝として正しい姿であったろう」
「……」
呟くような口調だった。

「じゃが、予は凡庸な皇帝なのでな、皇帝としての正しい道など歩めぬ。ならばせめて人としては正しい道を歩んで見ようと思ったのじゃ」
「……」
俺もリヒテンラーデ侯も黙って聞いている。背中の痛みが酷くなってきた。

「イゼルローン失陥以来、予とそちは共に戦ってきた。戦友なのじゃ、ならば助け合うのは当然の事であろう」
この馬鹿、何を言っている。自分の言っている事が分かっているのか?

「良いものぞ、友を助けるとは。いつも助けられるばかりで助けた事など無かったが、これほどまでに心地良いものとは思わなんだ」
クソッタレが、これで死ねなくなったじゃないか。分かってんのか、ジジイ。俺が死んだら、その気持が無駄になってしまう……。畜生、痛くて涙が出てきた……。

「陛下は凡君などではありませぬ」
むせった。口から血が出るのが分かる。
「喋るでない!」

駄目だ、これだけは言わなければならない、畜生、目の前が霞む。俺は、俺が死んでもこの男の支えになる言葉を言わなければならない。世話の焼けるジジイだ。俺は何を言えばいい……。

「き、君が臣を護るから、し、臣は君を護るのです。へ、陛下こそ真の主君、臣は良き主君に巡り合えました。陛下に仕えし事、こ、後悔はしませぬ……」
「そうか、予は凡君ではないか。そうか……」

フリードリヒ四世が笑うのが聞こえた。泣き出しそうな声で笑っていた。顔は見えなかった……。



帝国暦 487年 12月 3日  ガイエスブルク要塞   オットー・フォン・ブラウンシュバイク


「それで、何の用だ」
「何の用とは、我等はお二方の御令嬢を取り返してきたのです。一言有ってもおかしくは有りますまい」

わしとリッテンハイム侯の目の前にランズベルク伯爵、ラートブルフ男爵、ヘルダー子爵、ホージンガー男爵がいる。この男達が我等の娘達を誘拐した。何を勘違いしたか、自分達は人質を取り返した英雄、反乱に参加する人間が増えているのも自分達が二人を取り返してきたからだと思っているらしい。

娘達はもうフェルナーが取り返した。こいつらに気を使う必要は何処にも無い。思いっきり吐き捨てた。
「一言か、ならば言ってやる、余計な事をしてくれたな」
「な、なんと」
馬鹿どもの唖然とした表情がいっそ心地よかった。

「卿らが娘達を攫ったせいでフェルナー達は、止むを得ず行動に出ざるを得なかった。おかげでヴァレンシュタインの暗殺は失敗した。本来ならもっと確実な方法であの男を殺せたのにな」
「……」

「おかげで我等は諸侯を騙す事になってしまった。全く余計な事をしてくれたものだ」
わしに続けてリッテンハイム侯が不機嫌な表情で吐き捨てた。小僧どもの表情が蒼白になっている。自分達の所為で暗殺が失敗したと言われたのが応えたらしい。笑止な事だ。

「で、ですが御息女が人質では……」
「愚かな、娘は陛下の孫なのだぞ。我等が反逆を起したからといって簡単に殺せるとでも言うのか、浅慮にも程があるな。第一我等の妻が処刑されたか?」

「……」
「他に欲しい言葉があるか。無ければこれから軍議なのだ、出て行ってくれ」

連中が出て行くとリッテンハイム侯が呆れたような声を出した。
「娘を誘拐し、我等を脅し、その上で褒めて欲しいとは、よくもまあ己に都合よく考えられたものだ」

「全くだな、卿の言う通り昨日のうちに総司令官をグライフスに決めておいて正解だな」
「うむ」

溜息が出た。気がつけば男二人、ともに溜息をついている。
「そろそろ軍議に行くとするか」
「うむ、そうするか」



軍議と言っても大した物ではない。大勢の貴族の前でグライフスが軍の基本方針を述べるだけだ。元々政府軍の動きは大体分かっている。本隊と別働隊に分かれて反乱を鎮圧すると言うものだ。

当然グライフスもそれを前提に作戦を立てている。事前に作戦案を聞いているが大体のところは問題無いだろう。後はシュターデンあたりが何か言ってくるかもしれんが、どうするかはそのとき次第だ。

大広間には大勢の貴族、軍人達が集まっていた。此処は声が良く通るが、一番後ろには声が届くまい。もっとも前方を占めている主だった者が納得すれば他のものは追随するだけだ。グライフスは緊張しているのだろう。少し顔を紅潮させている。

「先ず、敵の現状だが敵は三手に分かれている。一隊はシュムーデ提督率いる四個艦隊。現在アルテナ星系を過ぎヨーツンハイムへ向かっている。おそらくはフェザーン、オーディン間の航路の確保が目的だと思われる」
「……」
少し声が上ずっている。大丈夫だろうか?

「次の一隊はローエングラム伯率いる六個艦隊、カストロプ方面に向かっている事から、おそらくはマールバッハ、アルテナ、ヨーツンハイムを通って辺境方面を攻略する部隊と思われる」
「……」

「最後の一隊はメルカッツ上級大将が率いる本隊。フレイア、リヒテンラーデ方面よりシャンタウ星域を通ってこちらに向かってくるものと思われる。なお、ヴァレンシュタイン元帥はオーディンに留まっている」

「……」
「此処までで、何か質問は?」
最初は緊張していたグライフスも大分落ち着いたようだ。声も結構後ろまで届いている。

「ローエングラム伯がマールバッハ、アルテナからガイエスブルクを狙う可能性は?」
「クライスト大将、その可能性は有るが六個艦隊ではいささか少なすぎる。但し、シュムーデ提督たちと合流すれば話は別だ。そこは注意しなければなるまい」
「なるほど」

「他に質問は」
「……」
「無ければ、これより我が軍の基本方針を申し上げる」
グライフスが声を一団と張り上げた。

「敵を引き寄せて撃滅する事を基本方針とする。実戦機能はガイエスブルクに集中させ、要塞と連携を取りつつ敵を撃破するのだ。それがどれ程有効かはイゼルローン要塞を思えば明らかである」

グライフスの言葉に彼方此方で賛同の声が上がった。何処かで馬鹿が“ランズベルク伯アルフレッド 、感嘆の極み”などと言っている。

「いや、さらに有効な戦法がありますぞ」
声を上げたのはシュターデンだった。この男、グライフスとは上手く行っていないようだ。グライフスはシュターデンを理屈倒れと評し、シュターデンはグライフスを無能と軽蔑している。

「申されよ、シュターデン大将」
グライフスが憮然とした表情で発言を認めた。
「グライフス総司令のお考えに一部修正を加えたものです」

シュターデンが得意げに話し出した。チラッと横目でグライフスを見ている。
「つまり大規模な別働隊を組織し、敵の本隊をガイエスブルクに引きつけておく一方で逆進して手薄なオーディンを攻略するのです」

オーディンを攻略する。その言葉に大広間がどよめいた。シュターデンが一層得意げな表情をしたが、グライフスがあっさりと却下した。

「その案は採用できぬ」
「何故です。総司令官、我等は一挙に帝都を攻略し、皇帝陛下を擁し奉れるのです」
シュターデンが納得いかぬように食い下がった。貴族達も不審げな表情をしている。

「不可能だからだ。敵がこちらへ押し寄せて来る以上、大規模な別働隊など何処かで察知される。となれば別働隊の規模は小さくせざるを得ぬ。だがオーディンにはヴァレンシュタインが居る事を忘れるな」

「……」
「手間取れば敵の増援が現れ前後から挟み撃ちにされる。別働隊など兵力の分散に他ならぬ。用兵の常道にあらず、却下する」
不機嫌そうな表情と共にグライフスはシュターデンの意見を却下した。

「グライフス総司令官の策に従うべきであろう。ガイエスブルクで敵を待ち受けることとしよう」
わしが声を上げると、リッテンハイム侯が真っ先に賛意を表した。後は簡単だった、皆我先にと賛成した……。


帝国暦 487年 12月 3日  ローエングラム艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


先程ジークフリード・キルヒアイス准将からブリュンヒルトに極秘の通信が入ってきた。それによればヴァレンシュタイン司令長官が新無憂宮のバラ園で刺客に襲われたのだという。

重傷、生死定かならず、その報告にブリュンヒルトは緊張に包まれた。皆重苦しい沈黙を保っている。そんな中オーベルシュタイン准将だけが意見を述べ始めた。

「閣下、艦隊は進軍を止め一旦様子を見るべきです」
「オーベルシュタイン……」
「ヴァレンシュタイン司令長官は生死不明の重態です。場合によってはオーディンで混乱が生じるかもしれません。様子が分かるまで出来るだけオーディンの近くに居るべきだと思います」

ローエングラム伯は迷っている。微かに俯き考え込んでいる。おそらく先日の暗殺騒ぎの事が頭にあるに違いない。あの時の自分の行動が軍上層部に否定的に見られた事がローエングラム伯を躊躇させている。

迷う事は無いのだ。軍務尚書エーレンベルク元帥に連絡を取りヴァレンシュタイン元帥の安否の確認、作戦の続行、変更の有無の確認、今後の宇宙艦隊の統括を誰がするのかを確認すれば良い。

もしかすると宇宙艦隊の統括をメルカッツ副司令長官に取られるとでも思っているのかもしれない。だったら統括そのものはエーレンベルク元帥に預けてもいいのだ。むしろその方が変な誤解を受けずに済む。

それにしてもオーベルシュタイン准将、彼は明らかにおかしい。一見筋道を立てているように見えながら、どう見てもローエングラム伯を危険な方向に押しやろうとしているように見える。今此処で立ち止まるなど敵味方双方から不審を買うだろう。

「閣下、オーディンで混乱が生じれば場合によってはグリューネワルト伯爵夫人にも危害が及びかねません。それでよろしいのですか?」
「姉上か、そうだな、やはり此処で立ち止まるべきか……」

唖然とする思いだった。信じられない! 一体何を考えているのか。伯爵夫人が心配だから様子を見るなど誰が信じるだろう。自分の立場がまるで分かっていない。先日の失態をどう思っているのか……。皆がローエングラム伯は混乱に乗じて兵権を握ろうとしたと考えているのに……。

溜息が出る思いだった。これでは誰も付いてこない。余りにも不安定すぎる、誰も自分の未来を預けられないだろう。提督達がヴァレンシュタイン司令長官を頼り、メルカッツ副司令長官を信頼するのは当たり前だ。

「閣下、それはお止めください。余りにも危険すぎます」
我慢できずに声を出していた。ローエングラム伯が失脚するのは構わない。しかし巻き込まれるのは御免だ。それにヴァレンシュタイン司令長官に何の役にも立たなかった等とは思われたくない。

オーベルシュタイン准将が私を冷たい視線で見据える中、ローエングラム伯を説得するべく私は彼に向かって一歩踏み出した……。

 

 

第百七十四話 未発

帝国暦 487年 12月 6日  オーディン  軍務省 尚書室  エーレンベルク元帥


「国務尚書閣下にわざわざお運びいただくとは、恐縮ですな」
「何の、宮中よりも此処のほうが安全じゃ」
苦い表情で出された国務尚書リヒテンラーデ侯の言葉には実感があった。三日前の出来事を思えば当然だろう。シュタインホフ元帥の表情も厳しい。

十二月三日、新無憂宮のバラ園でヴァレンシュタイン宇宙艦隊司令長官を暗殺しようとする者が有った。陛下が身を以ってヴァレンシュタインを庇い、リヒテンラーデ侯が暗殺者を撃つことで何とか命は取り留めたが事はそれだけでは終わらなかった。

近衛兵の一部が暴動を起し、宮中の警備に加わっていた憲兵と衝突、新無憂宮での銃撃戦になったのだ。暴動を起した近衛兵達が目指したのは東苑とバラ園、偶発事故ではない、明らかに意図的なものだった。

「それで暴動の首謀者が自供したと聞いたが?」
「暴動を起したのは三人の中隊長でしたが、やはりノイケルン宮内尚書が裏に居ました。金で動いたようです」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が顔を顰めた。

「近衛が金で動くか、ヴァレンシュタインとも話したがまさに暗赤色の六年間じゃの」
リヒテンラーデ侯が吐き捨てた。うんざりしているらしい。

「暗赤色の六年間の後は晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下の御世です。これから良い時代が来る、そう思うことにしましょう」
「そうだといいの」
シュタインホフ元帥の言葉にリヒテンラーデ侯は自分を納得させるような表情で頷いた。

「三人は例の誘拐事件にも関わっています。彼らはラムスドルフが罷免されると思っていたようです。そして憲兵隊が取り調べをするだろうと。それなら仲間が庇ってくれると考えた。しかし……」
私の後をシュタインホフ元帥が続けた。

「ラムスドルフは職に留まり、捜査は近衛兵の手で行われる事になった。最初のうちは何とか誤魔化していたが、徐々に誤魔化しきれなくなってきた……」

「ラムスドルフが近衛兵の取調べを辞めたいと言ってきたのもそれが原因か……。自分が嘘を吐かれている、そう思うのが辛かったのじゃな……」
国務尚書がやるせないといった表情をした。あの日のラムスドルフを思い出しているのかもしれない。

暴動を起した近衛兵を抑えたのはラムスドルフ近衛兵総監だった。ラムスドルフは彼らの前に単身立ちふさがり、涙を流しながら説得した。

“光輝ある帝国近衛兵がその規律を忘れ、街の暴徒となんら変わらぬ行動をしている。卿らは陛下に御仕えするという名誉を何処へ置き忘れたか、その誇りを何処へ捨てたのか、この上さらに見苦しい行動をしようとするのであれば、先ずこの私を殺してから行なうが良い”

暴動を鎮圧した事でラムスドルフは陛下よりお褒めの言葉を賜った。だがラムスドルフが望んだのは近衛兵総監の辞任だった。陛下もそれ以上は職に留める事は出来ぬと考えたのだろう。

“よくやってくれた、御苦労であった”

それが陛下が最後にラムスドルフにかけた言葉であった。翌々日早朝、ラムスドルフの家族から彼が病で死んだと報告があった。陛下はその日一日南苑から出てくる事は無かった……。

分かっている。誰もが分かっている。ラムスドルフは死ぬしかなかった。エリザベート、サビーネ、両令嬢の誘拐、ヴァレンシュタインの暗殺未遂、陛下の負傷、そして近衛兵の暴動……。

近衛兵総監たるラムスドルフの責任は重い。誰が何を言っても彼の死を止める事は出来なかっただろう。陛下もわかっていたはずだ。“よくやってくれた、御苦労であった”その言葉にどれほどの想いが込められたのか……。そしてラムスドルフはその想いをどう受取ったのか……。

暴動鎮圧後、憲兵隊は宮内省高官の身柄を拘束するべく動いた。だが肝心の宮内尚書ノイケルンは既に死体になっていた。服毒死、但し自殺か他殺かは分からないままだ。

「例のヴァレンシュタインを撃った男ですが、ようやく取り調べが一段落しました」
「……」

暗殺者は宮内省の職員だった。リヒテンラーデ侯に撃たれ丸一日病院で治療を受けた後、憲兵隊の取調べを受けた。陛下を負傷させた事で怯えていたが、ノイケルンが死んだ事を知ると積極的に自白をした。最も自白の内容は自分は脅されて犯行を行なった犠牲者で悪いのはノイケルンということになる。

「やはりノイケルン宮内尚書に頼まれたそうです。標的はヴァレンシュタインとリヒテンラーデ侯……」
「……」
私の言葉にリヒテンラーデ侯は微かに頷いた。

「ヴァレンシュタインに止めを刺すため三射目を撃とうしたのですが、陛下が庇って負傷した。その事でどうして良いか分からなくなってしまい、迷う内に侯に撃たれたそうです。そうでなければ侯も撃ち殺していただろうと……」

「私もヴァレンシュタインも陛下に助けられたというわけか」
「そういうことになりますな」
リヒテンラーデ侯の溜息混じりの言葉にシュタインホフ元帥が相槌を打った。

「ノイケルン尚書はこう言っていたそうです。ヴァレンシュタイン元帥、リヒテンラーデ侯が死ねばそれを機に宮中の実権を掌握する。だから心配は要らない、捕まっても直ぐ逃がしてやると……」

私の言葉にリヒテンラーデ侯は苦笑を漏らした。
「それは嘘じゃな。その男は殺されておったろう」
「と言うと?」

「あの医師よ、あの男の役目は負傷したであろう我等を確実に殺す事、そして同じように負傷して取り押さえられたであろう暗殺者を治療すると見せかけて殺す事であろうな」

「なるほど、そういうことですか……」
納得したようにシュタインホフ元帥が頷いた。
「あの医師の素性は」
「一ヶ月ほど前、ノイケルン宮内尚書の推薦で宮内省の職員として雇われました」

私の言葉にリヒテンラーデ侯もシュタインホフ元帥も訝しげな表情をした。
「医師ではないのか?」
「リヒテンラーデ侯、宮廷医として雇われたわけでは有りません。但し医師の資格は持っています」

「なるほどの、医師として雇えば身元調査も厳しいからの。肝心なのはあそこに医師としている事か……。医師として雇われる必要は無いということじゃな」

何処か感心したように頷いているリヒテンラーデ侯にシュタインホフ元帥が顔を顰めた。
「閣下、感心している場合ではありませんぞ。お分かりでしょう、彼らが何をしようとしたか」

「分かっておる。クーデターじゃな」
クーデター、その言葉が尚書室に響いた。

「私とヴァレンシュタインを殺し実権を握るつもりだったのじゃろう」
何処と無く他人事のような侯の口調だった。
「しかし、近衛兵の一部だけでそんな事が可能だと考えるとは……」
「そうでもない、内務省が協力すればの。戦争をするのではない、卿らの拘束、オーディンの掌握だけなら可能じゃ」

思わずシュタインホフ元帥と顔を見合わせた。
「では、内務省もこの一件にかんでいたと?」
「多分の、近衛の暴動がラムスドルフによって鎮圧された事で成功する目が無くなったと考えたのじゃろうな。だから動かなかった」

「となるとノイケルン宮内尚書の死は……」
「口封じ、と言う事かの」
「……」

尚書室に沈黙が落ちた。やはりそうか、疑ってはいたがリヒテンラーデ侯とシュタインホフ元帥の言葉に溜息が出る思いだ。

「しかし、警察の力だけで権力の維持が可能だと思ったわけでもありますまい」
「当然じゃの」
リヒテンラーデ侯とシュタインホフ元帥が私を見た。彼らが何を言いたいのかは分かる。

「軍の力が必要ですな。接触したのはローエングラム伯でしょう」
「それ以外はあるまいな」
「それで、どうであった。卿に接触してきたと聞いたが」

厳しい目だ。リヒテンラーデ侯もシュタインホフ元帥もこちらを厳しい目で見ている。
「おかしな点は有りませんでしたな」
「……」

「ヴァレンシュタインの安否の確認、作戦の続行、変更の有無を確認してきました」
「……それで」
探るような表情でシュタインホフ元帥が訪ねてきた。

「それから宇宙艦隊全軍の指揮統括を小官に御願いしたいと」
「……」
「ただ、気になったのはこちらに接触してきたのがかなり早かったと思います」

リヒテンラーデ侯は天井をシュタインホフ元帥は床を見ている。
「誰かが積極的に情報を流しましたな」
暫くしてからシュタインホフ元帥が呟いた。

「エーレンベルク元帥、ローエングラム伯におかしな様子は」
「いえ、特にはありませんでした。前回の暗殺騒ぎに比べれば至って落ち着いていました」

私の言葉に国務尚書は何度か頷いた。
「無関係かの……」
「或いは……」
「しかし、ノイケルン宮内尚書が軍の支援無しに動くとも思えませんが?」

シュタインホフ元帥の質問にリヒテンラーデ侯が答えた。
「周りかもしれんの」
「確かに、良くない人物が居ると聞きます」
「なるほど……。オーベルシュタインですか……」

自然と皆顔を見合わせた。
「それにしてもオーベルシュタインはノイケルンと組んで権力を維持できると考えたのでしょうか、確かに内務省が味方につけば心強いでしょうが宇宙艦隊はそっぽを向きかねませんぞ」

「小官もシュタインホフ元帥と同じ思いです。ノイケルンが権力を得るために侯とヴァレンシュタインを暗殺したのは誰でも想像が付きます。となれば反ってローエングラム伯は孤立するでしょう。その辺をどう考えたのか……」

「甘いの、卿ら。ノイケルンは捨て駒よ」
「? 捨て駒ですか」
私の言葉にリヒテンラーデ侯は頷いた。そして凄みのある笑顔を見せた。

「ノイケルンはローエングラム伯にオーディンに戻るように連絡をする。連絡を受けたローエングラム伯はオーディンに戻り、宮中でクーデターを起し、私とヴァレンシュタインを暗殺したノイケルンを捕らえクーデターを鎮圧する」

「!」
「どうじゃ、これならローエングラム伯は救国の英雄になるじゃろう。次の宇宙艦隊司令長官はローエングラム伯、オーベルシュタインがそう考えたとしてもおかしくはあるまい」
「……なるほど、彼は次の司令長官がメルカッツに決まっているとは知りませぬからな」

シュタインホフ元帥がリヒテンラーデ侯の言葉に頷いた。確かに次期司令長官が決まっていなければローエングラム伯が司令長官に就任しただろう。オーベルシュタイン准将、そこまで考えたか……。切れるとは聞いていたが、恐ろしいほどの切れ味だ。思わず背筋に寒気が走った。

「脚本は書いた。しかしローエングラム伯は踊らなかった。まあ、ノイケルンがあっという間に殺されてしまったからの、踊る暇が無かったのかもしれん」

国務尚書の言葉に頷きながらシュタインホフ元帥が問いかけてきた。
「ではローエングラム伯の処分は」
「今回は難しいだろう、証拠もないし不自然な動きも無い。多少早く連絡が有ったがそれだけでは処断は出来ん」

私の言葉にリヒテンラーデ侯が頷いた。
「まあ、軍務尚書の言う通りじゃの。今回は見送るしか有るまい」
「……」

シュタインホフ元帥がこちらを見てくる。“良いのか”、そんな感じの目だ。“仕方が無い”、そんな意味を込めて頷いた。向こうも頷き返してくる。

「それにしてもヴァレンシュタインは何時になったら目覚めるのかの」
「昨日遅く、一度目覚めたと聞きましたが……」
私の答えにリヒテンラーデ侯は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「全く年寄りばかり働かせよって、さっさと起きんか、怠け者めが。少しは年寄りを労わらんか!」
悪態をつくリヒテンラーデ侯に一瞬目を奪われたが、次の瞬間どうしようもなくおかしくなって笑い声を上げた。シュタインホフ元帥も笑っている。

私達が笑っているのが面白くないのだろう。リヒテンラーデ侯が不機嫌そうに叫んだ。
「何がおかしい!」

やれやれだな、ヴァレンシュタイン。卿はおちおち眠る事も許されぬようだ。せめて今だけは良い夢でも見るのだな。目覚めればリヒテンラーデ侯が怖い顔で待っているからの。私はもう一度笑い声を上げた……。



 

 

第百七十五話 暗い悦び

帝国暦 487年 12月 6日  オーディン  帝国軍病院 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


目が覚めると真っ白い天井が見えた。綺麗だ、おまけに天井が高い。なんともいえない開放感がある。此処は宇宙艦隊司令部ではない。だが何処かで見た事がある、ここは……。

「閣下、目が覚めたのですか」
弾むような女性の声だ。近寄ってきたのはヴァレリーだった。心無し目が赤い。

「!」
身体を起そうとして引き攣るような痛みが脇腹に走った。
「まだ、無理は駄目です。大人しくしてください」

痛みが全てを思い出させた。撃たれた感触、悲鳴、覆いかぶさってきた皇帝、医師……。
「陛下、陛下は……」
続けることが出来なかった。今度は胸に痛みが走る。思わず胸を押さえた。

ヴァレリーが俺の背中をさする。俺は背を丸めて苦しがっていた。
「安心してください、陛下はご無事です、リヒテンラーデ侯も。それより無理は駄目です。大人しく横になっていてください」

無事だったか、フリードリヒ四世もリヒテンラーデ侯も無事だった……。
「み、水を」
「はい」

ヴァレリーが水差しを差し出してきた。口に含む、美味い、水がこんなにも美味いとは思わなかった。生き返るような思いだ。

水を飲んで一息ついた時だった。部屋に入ってきた人間が居た。目を向けると白衣を着ているのが見える。女性、医者のようだ。やはり此処は病院か、道理で見た事がある訳だ。幼い頃は時々入院していた……。

「目が覚めたのですね、喋らなくて結構です。ご気分は如何ですか? 問題なければ頷いてください」
俺は黙って頷いた。俺が頷くと相手は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

年の頃は三十代半ばだろうか、余り背は高くない。美人というよりは可愛らしい感じの女性だ。髪は茶色、目は優しそうな明るい青だった。母さんに青い目が良く似ている、病人からは人気のある先生だろう。

先生は、俺のヴァイタルを確認している。俺の身体にはところどころ妙な吸盤のようなものが付いていてそれと医療機器が線で結ばれている。俺の状況はかなり危険だったのかもしれない。

「元帥閣下は背中と脇腹をブラスターで撃たれました」
先生が上から俺の顔を見下ろす。俺はまた黙って頷いた。
「背中の傷は肺の一部に届いていました。暫くの間、動いたり大声を出すと背中や胸に痛みが走るはずです。注意してください」

出来れば十分前に言って欲しかった。そうすればあんな苦しい思いをせずに済んだのに。
「脇腹の傷ですが、幸い臓器に損傷はありませんでした。ただ傷口が広かったため、出血が多かったようです」
「……」

「閣下はあまり身体が丈夫ではないようですね。それにこれまで随分と無理をなされていたようです。かなり体力が落ちていたのでしょう、閣下は一時かなり危険な状態になったのです」

ヴァレリーが真顔で頷いている。やはり俺はかなり危ない状態だったらしい。やばいな、後でヴァレリーがまた怒るだろう。どうやって逃げるか……。
「折角ですからゆっくりと休まれるとよろしいでしょう。傷だけではなく体力も回復される事です。周りに心配をかけるのは良くありませんよ」

先生の青い目がこっちを心配そうな目で見ている。俺は黙って頷いた。母さんも良くそんな目をした。決まって俺が体調を崩したときだった……。あの目を見るのは辛かった事を覚えている。この内乱の時期に大人しく休めるかどうかは分からない。だからと言って”そんなの出来ません“などと言って先生を悲しませる事は無いだろう、ヴァレリーを怒らせる事も無い。俺は素直で良い子なのだ。

「何か質問は有りますか?」
「……ここは?」
声を出すとやはり胸が痛む。自然と囁くような声になった。

「ここは帝国軍中央病院です」
「退院は何時?」
「二週間は安静にしてください」

二週間か、自宅療養も入れれば三週間といった所か、先ず無理だな、内心で溜息が出た。先生には悪いが三週間も遊んでいる暇は無いだろう。

女医さんが帰った後、俺はヴァレリーにリヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥に俺が目覚めた事を知らせるようにと言うと、昨日目覚めたときに知らせたという事だった。

昨日? 俺自身には記憶がない。いや、大体何日意識が無かったのだろう。ヴァレリーに聞いてみると丸三日意識が無かったようだ。確かに俺は危険な状態に有ったらしい、今更ながらその事に実感が湧いた。

俺はヴァレリーにヴァレンシュタインは意識もしっかりしていると伝えてくれと再度頼んだ、それからキスリングを呼んでくれと。ヴァレリーは余り納得した表情ではなかった。ちょっと不満そうだったが、それでも言う通りにしてくれた。

キスリングが来たのは三十分後だった。頼むからもう少し早く来い。この三十分、俺がどれ程辛かったか分かるか? ヴァレリーに嫌というほど説教をされた。“夜は早く寝なさい”、“食事はちゃんと取りなさい”、俺はヴァレリーの子供か? いつか“ママァー”と呼んで絶句させてやる。俺は正直で良い子なのだ。

キスリングはかなり憔悴していた。俺の顔を痛ましそうな表情で見る。しょうがない奴だ、自分の所為だと思っているのだろう。
「エーリッヒ、済まん、油断した」

案の定だ。俺は手を伸ばした、キスリングは俺の手を見ていたが躊躇いがちに俺の手を握った。軽く手に力を入れる。俺達にはそれだけで十分だ。ヴァレリーに席をはずしてくれるように頼んだ。
「何が起きた?」

「クーデターだ」
やはりそうか、俺はキスリングに頷いた。それを合図にキスリングが苦い表情であの日何が起きたかを話し始めた。

近衛兵の暴動、ラムスドルフの働き、宮内尚書ノイケルンの死……。そしてラインハルトからの早すぎる連絡。
「宮内尚書を殺したのは内務省の手の者だろう。卿とリヒテンラーデ侯の暗殺に失敗した事、近衛兵の暴動が鎮圧された事で切り捨てられた」

「……」
「ここから先はエーレンベルク元帥から聞いた話だ。クーデターが成功していれば、ノイケルン宮内尚書はローエングラム伯をオーディンに呼んだはずだ。手を握り新体制を作るために」

俺は首を振った。それは無い、それではあっという間に失敗する。キスリングは俺の否定に頷いた。
「その通りだ、おそらくはノイケルン宮内尚書はローエングラム伯に反逆者として処断されただろうというのがエーレンベルク元帥の考えだ」

「……」
「ローエングラム伯はクーデターを鎮圧し救国の英雄として帝国に君臨する。宇宙艦隊司令長官の座は彼のものだ。オーベルシュタインが書いた脚本はそんなところだろうと」

「……」
「卿とリヒテンラーデ侯の暗殺に失敗した、近衛兵が早々と鎮圧された。その事がオーベルシュタインの動きを止めた。さもなければ今頃はオーディンはローエングラム伯の制する所になっていただろう」

俺はキスリングを見て頷いた。全く同感だ、今回は完全にしてやられた。しかし、未だ俺は生きている。生きている限り俺のほうがラインハルトよりも有利だ、そしてオーベルシュタインもその事は分かっている。つまり、オーベルシュタインとの攻防は未だ続くと言う事だ。

「それにしても流石だな、あの医師を暗殺者だと見抜くとは」
「……」
「あの男は一ヶ月ほど前、ノイケルンの推薦で宮内省の職員として雇われたそうだ」

職員? 俺の疑問を感じ取ったのだろう、俺を見ながら説明するような口調でキスリングは話す。
「医師の資格は持っている。しかし一般職員の方が宮廷医よりも審査がゆるいからな。なかなかしぶとい男でな。未だ何も喋らない」

なるほど、そういうことか。しかし一ヶ月前か、十一月の頭だな、十月十五日の勅令が出た後早急に選んだ、そんなところか。違うな、選びはじめたのはもっと前だ。いくらなんでも二週間ちょっとで人殺しのできる口の堅い医者を見つけるのは難しいだろう。まして暗殺対象がリヒテンラーデ侯と俺だ。宮内省の職員にするのもそれなりに時間はかかった筈だ。

……となるとラインハルトだな。リヒテンラーデ侯邸でシャンタウ星域の会戦後に行なわれたあの会議だ。あの会議の内容がどの時点かは分からないがオーベルシュタイン経由で内務省、フェザーンに伝わった。それも勅令発布の前だ。馬鹿が、あの話は機密扱いだった。知っているのは会議の参加者と改革案を作成したブラッケ達だけのはずだ。それをオーベルシュタインに漏らした、結局あの男にとっては俺達は味方ではない、だから機密も守る必要は無い、そういうことだろう。領地替えも同じだ。

ルビンスキーは当然危険を感じただろう。そして内務省も平民の権利拡大など冗談ではないと考えたに違いない。つまり連中はかなり早い段階で俺とリヒテンラーデ侯を殺す事を考えていたということになる。

俺達は勅令発布前から暗殺リストの上位に名前を並べていたわけだ。敵を特定できなかった事が、俺達を危険極まりない状態にした。間抜けな話だ。ここまで来ると自分が嫌になってくる。

だが、彼らにはなかなか俺達を暗殺する機会が無かった……。いや違うな、エリザベートとサビーネの誘拐、あれは俺、リヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥を宮中に引き寄せるのが目的だ!

早朝、混乱の中で俺達を殺す、犯人は門閥貴族という設定だ。万一息が有っても医師に化けた男が殺す。

ようやく見えてきた。あの事件は幾つもの思惑が絡んだ事件だったのだ。ランズベルク伯達はエリザベート、サビーネを誘拐しブラウンシュバイク公達に反乱を起させる事を考えた。

ノイケルンは宮中でクーデターを起しリヒテンラーデ侯に取って代わる事を考えた。もちろんラインハルトと組む事が前提だろう。俺とリヒテンラーデ侯、それに代わってノイケルンとラインハルトだ。

だがオーベルシュタインはノイケルンと組むつもりは無かった。ノイケルンを倒して救国の英雄ローエングラム伯ラインハルトを作る予定だった……。

そしてすぐさま反乱鎮圧の軍を起す。その中で軍を掌握するつもりだったのだろう。内務省は表に立つことなく裏でラインハルトに協力する。軍に必ずしも強い基盤を持たないラインハルトには内務省の協力が必要だったはずだ。つまりオーベルシュタインにとっても内務省にとってもノイケルンは使い捨ての駒だった。

彼らは目的は違ったが、宮中で混乱を起し内乱を起す事で実権を握る、その一点で協力した。しかし俺が装甲擲弾兵を連れてきた。宮中でも彼らを護衛に付けた。そのためクーデターは不発に終わった……。

ラインハルトは俺が雲隠れしていた間随分と焦っていたようだ。となるとやはり企てには絡んでいないだろう。絡んでいればむしろおとなしくしていたはずだ。クーデターの失敗を知りながらオーベルシュタインがラインハルトを止めなかったのはそれが理由かもしれない、敢えて未熟さを晒す事でクーデターを隠す……。

バラ園での暗殺事件は必然だった。あそこは警備も外れる。彼らはあそこでなら暗殺は可能と踏んだのだ。しかもおあつらえ向きに軍は内乱の鎮圧のためオーディンを離れた。千載一遇のチャンスに見えただろう。

我ながら間の抜けた話だ。俺は細い糸の上をその危うさも気付かずに歩いていた。一つ間違えば糸から転げ落ちていただろう。助かったのは偶然に過ぎない。ここで入院できた事は幸運だと思うべきなのだろう……。



「エーリッヒ、どうした」
キスリングが心配そうに聞いてきた。俺が沈黙しているのが気になったらしい。

「なんでもない」
そう答えた。後でだ、後で話す。どちらにしろ内務省とオーベルシュタインが組んでいる事は分かっているのだ。今無理に話す必要は無いだろう。

キスリングはその後、三十分ほどクーデターの顛末を話してから帰っていった。“これ以上居ると疲れさせてしまうからな” それが帰り際の言葉だった。

キスリングが帰った後、俺は一人天井を見ながら考えた。ラインハルト、オーベルシュタイン、キルヒアイス、この三人はいずれ処断する。たとえこの後、大人しくしていたとしてもだ。大体部下がクーデターを策しているのに何も気付かない上官など目障りだ。ラインハルトに対して強烈なまでの敵意が湧いてきた。

だが、今は処断できない。内乱勃発早々、別働隊の指揮官を罷免などしたら軍の士気が下がりかねない。処断は内乱終結後だ。多少強引な手を使っても始末する。

オーベルシュタインもそのあたりは理解しているだろう。つまり、奴も限られた時間の中で、俺を殺そうとするに違いない。

厄介な事だ。どうでも受け太刀で戦わなくてはならない。もどかしい日々を過ごす事になるだろう。苛立ちも募るに違いない。

だから良いのだ。処断するときには何の迷いも無く冷酷に対応できるに違いない。怒りが、もどかしさが、苛立ちが募れば募るほど、そのときの喜びは深いものになるだろう。

俺は一人静かに笑った、大声で笑うと胸が痛むから。ヴァレリーが俺の笑い声を聞いて嬉しそうな表情をするのが見えた。嬉しいかヴァレリー、俺も嬉しい。俺は今、ラインハルト、オーベルシュタイン、キルヒアイス、この三人をどうやって地獄に落とすかを考えているのだ。これからの入院生活は退屈せずに済みそうだ……。



 

 

第百七十六話 感傷との決別

帝国暦 487年 12月 7日  オーディン  帝国軍病院 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


目が覚めて二日目、俺の体調は順調に回復しているとは言い難かった。理由は簡単、十分に休めなかった所為だ。エーレンベルク元帥がラインハルト、メルカッツ、そして各艦隊司令官に対して俺が目覚めた事を知らせた。その事が俺から休息を奪った。

エーレンベルク元帥の気持は分かる。宇宙艦隊司令長官が昏睡から覚めた、真に以って目出度い。各艦隊司令官達を安心させてやろう、反逆者達も大いに悔しがれば良い、そんなところだろう。

各艦隊司令官達の気持ちもわかる。自分達の上官が生きていたのだ、それは嬉しいだろうし、安心したに違いない。俺だって少なくとも“あ、生きてたの?”なんて思われるよりは遥かに良い。

でも頼むから皆で俺の所に連絡をしてくるのは止めてくれ。特に表向きは俺の体調を心配して連絡を自粛、それなのに裏でこっそり連絡してお話ししようとか、お前ら何考えている?

おかげで俺は、彼らから連絡が来る度に痛みを堪えて上半身を起し、必死に笑みを浮かべながら応対する事になった。嬉しそうにする奴、心配そうに俺を見る奴、暗殺者たちに対して怒る奴、色々だったが一番困ったのがアイゼナッハだった。

じーっと俺を心配そうに見ている。“大丈夫だ”と小声で言ったがアイゼナッハは納得出来ないらしい。心配そうに俺を見るのを止めない。全く困った奴だ、“心配ない”と言っても半信半疑の表情で俺を見ている。

仕方が無い、話題を変えようと思って“元気でやっているか”と問いかけるとようやく頷いた。“無茶はするな、頑張れ”と言うと今度は嬉しそうに頷く。そこまでやってようやく俺が大丈夫だと思ったのだろう。敬礼すると通信を切った。

まるで都会に出た無口な息子とそんな息子を心配する田舎の年老いた父親の会話だった。妙な感じだ、アイゼナッハは原作ではあまり他人に心を開く感じじゃ無いんだが……。

どうも俺には例えは悪いがゴールデン・レトリバーみたいに思える。大型で大人しく賢さと忠誠心とを兼ね備えたゴールデン・レトリバーだ。俺は猫より犬のほうが好きだが、だからといって本人には言えんな。

彼らと話して分かった事がある。クーデター発生後、メルカッツ率いる本隊は俺の意識が戻らない間、進軍を中止していたらしい。一方でラインハルトは辺境星域への進攻を命じられている。帝国首脳部はラインハルトの動向にかなり神経質になっている。まあ無理もないことでは有るが。

彼らの他にもワルトハイム少将を始めとして艦隊の幕僚達とリューネブルク中将が、そしてリヒター、ブラッケを始めとする改革派の文官達が病室に押しかけてきた。皆が良かった、良かったと喜ぶ中でジークフリード・キルヒアイスの目だけが笑っていなかった。

芝居が出来ないなら来なければ良いのだが、俺の状態を自分の目で確かめたかったのだろう。気持は分かるが面白くは無かった。いっそ死にそうなんです、とか言って喘いで見せれば良かったかもしれない。大喜びで帰っただろう。

その後にミュッケンベルガー元帥とユスティーナがやってきた。ユスティーナは来た早々に泣き出し、元帥は苦虫を潰したような表情をしている。俺としては慰めたくても小さな声しか出ないし、動くのは辛い。父親の前で娘を泣かす悪い奴にでもなった気分だ。言っておくが俺は加害者じゃない、被害者だぞ。痛い思いをしたのは俺なんだ。

疲れが出たのだろう、俺は今朝から少し熱がある。おかげでヴァレリーは心配そうな顔で俺を見ているし、女医さん(クラーラ・レーナルトと言うらしい、なんと独身だった)は怖い目で俺を睨む。俺の所為じゃない、俺は可哀想な被害者だと弁解したのだが全く無視された。

まあ、そんなこんなで今日の俺は絶対安静、面会謝絶という一種の隔離状態にある。例外的に部屋に居るのはヴァレリーだけだ。今日は一日ゆっくり出来るだろう、そんな事を考えてウツラウツラしていると悪い老人に起された。

「思いの外に元気そうじゃの」
「……」
リヒテンラーデ侯だった。俺の枕元に座り、嬉しそうに俺を見て笑っているが、どう見ても単純に俺の無事を喜ぶ風情ではない。悪事の相談相手が生きてて良かった、そんな感じだ。

上半身を起そうとすると侯に押さえつけられた。そのままでという事らしい。俺としても寝ているほうが楽なので甘えさせてもらう事にした。ヴァレリーはいつの間にか居なくなっている。目の前の老人が外させたのだろう。

「面会謝絶のはずですが」
「つれないの、私と卿の仲ではないか」
「……」

どんな仲だ? ニタニタ笑いながらリヒテンラーデ侯に言われると今更ながら俺は悪人の仲間なのだとげんなりした。それでも目の前の老人は困った事に命の恩人だ。七十を過ぎて暗殺者をブラスターで撃退する、どういう爺だ?

「陛下と侯のおかげで助かったようですね」
「私はともかく、陛下の御働きによるものである事は間違いないの。卿は運が良い」

リヒテンラーデ侯が神妙な表情になった。この老人にも可愛いところがある。陛下が絡むと顔から悪相が消え、普通の老人になるのだ。それが無ければクラウス・フォン・リヒテンラーデはただの陰謀爺だろう。

「何かおかしいか?」
「いえ、何も……」
俺はいつの間にか笑っていたらしい。リヒテンラーデ侯も俺が何故笑ったか気付いたのだろう。不機嫌そうに一つ鼻を鳴らすと悪人面に戻った。宮廷政治家、国務尚書リヒテンラーデ侯の顔だ。

「何が起きたかは知っておるな?」
「ええ、クーデターですね」
「うむ」

少しの間沈黙があった。リヒテンラーデ侯は腕を組みこちらを見ている。
「……宮内省、内務省、フェザーンそしてローエングラム伯が絡んだクーデターだ。まあローエングラム伯は伯自身よりもその周囲が動いたのじゃろうがの」
「……」

おそらくそうだろう。オーベルシュタイン、ジークフリード・キルヒアイス、この二人が動いたと見て良い。ラインハルト自身はクーデターは認めても俺の暗殺など認めまい。それでは俺に勝った事にならない。あの男は覇者なのだ。覇者には覇者の誇りがある。

「残念だが内務省とフェザーン、ローエングラム伯の関与は証明できぬ。証明できぬ以上、彼らを罪に問う事は出来ぬ。つまりクーデターの芽は残ったままと言う事になるの」
「……ローエングラム伯は排除します」

リヒテンラーデ侯が俺を見ている。何処か値踏みするような目だ。
「何時じゃ」
「今は無理です。内乱勃発早々、別働隊の指揮官を罷免は出来ません」
「卿はローエングラム伯には甘いの」
「……」

リヒテンラーデ侯が顔を耳元に寄せてきた。そして囁くように言葉を出す。
「内乱鎮圧後ともなれば伯は武勲を挙げて戻ってくる。反って排除は難しくなろう。やるなら今じゃ」
「……」

思わず侯を見た。顔を上げた侯が厳しい視線を向けてくる。
「ローエングラム伯を排除し内務省を制圧する。早いほうが良いのは卿とて分かっていよう」
「……」

内務省の制圧か……。確かにこのままでは内乱の芽を残す事になる、優先するべきだろう。しかし……。
「あの男を殺したくないか……。卿は妙な男じゃの、あの男の危険性を十分に承知しながらあの男を庇う。何故じゃ?」

「……」
答えられなかった。別に庇っているつもりは無い。あの男を排除すると決めたのだ。そう思ったが、答えられなかった。

「分かっておるのか、伯を、伯の周囲を反逆にまで追い込んだのは卿じゃぞ」
「!」
俺がラインハルトを追い込んだ? 何を言っている。冗談かと思ったがリヒテンラーデ侯は厳しい表情をしている。冗談を言っているのではないらしい。

「卿はいつでもローエングラム伯を排除できた。押さえつけ、それに反発するようなら首にすれば良かったのじゃ。だがそうはしなかった。適当に優遇し、適当に押さえた。伯とその周囲にしてみれば卿に弄られているようなものじゃろう」
「馬鹿な……」

リヒテンラーデ侯は俺の言葉を全く気にもせず話し続けた。
「猫が鼠を弄ぶような物よ。ローエングラム伯が活路を求めても常に卿がそれを塞いでしまう。そのくせそれ以上は何もせぬ。今回のクーデターは卿自身が招いた事じゃ、まさに窮鼠、猫を噛むじゃの……。卿は伯が自ら頭を下げる事を期待していたのか?」
「……」

リヒテンラーデ侯が俺を哀れむような顔で見ている。馬鹿馬鹿しい、ラインハルトが自ら頭を下げる? 有り得ない事だ。そんな事を期待した事など俺は無い……。俺は首を横に振って答えた。

「そうか、ならば決着をつけるべきじゃな。これ以上伯を弄るのは止める事じゃ、何よりも伯自身が決着を付ける事を望んでいよう。どんな結末であろうともな」
「……でっち上げますか、証拠を」

俺の言葉にリヒテンラーデ侯は首を横に振って否定した。
「卿のところには伯の忠臣が居たの」
「……ジークフリード・キルヒアイス准将ですね」

「それを追い込んで暴発させる。餌は卿じゃの、ここまで事を引き伸ばしたつけじゃ。卿自身が払うと良かろう」
なるほど、今のキルヒアイスはラインハルトから離れ孤立している。暴発に追い込むのは難しくはないだろう。それにしても……。

「餌は私ですか、相変わらず酷い事だ」
「自業自得じゃ、皆を危険に晒したのじゃぞ」
「……」

確かにそうだ。俺がラインハルトをもっと早く押さえつけるか排除していれば、今回のクーデターは無かったかもしれない。俺が皆を危険に晒した……。

「卿は退院したら直ぐに出撃する事じゃの」
「フェザーンはどうします?」
「止むを得まい、こちらで対応する」
「……」

「卿は伯の忠臣と共に出撃せい。策はこちらで考える。卿は自分の身の安全だけを考えるのじゃな」
「……」

ラインハルトを排除すると言ったのだが、俺に任せると甘さが出るとでも思ったか、やれやれだな。退院は二週間後、そして出撃。レーナルト先生とヴァレリーは目を剥いて怒るだろう、厄介な事になった、どうやって説得するか……。


リヒテンラーデ侯が帰るとヴァレリーとレーナルト先生がやってきた。二人とも“絶対安静なのに”、“面会謝絶は守ってもらわないと”などとぼやいている。俺にも何か言っていたようだが、考え事をしていた俺は上の空で余り気にならなかった。

俺がラインハルトを追い詰めた、窮鼠にした。弄ったつもりは無い、しかしラインハルト達は弄られたと思った……。リヒテンラーデ侯の考えを俺は否定できるだろうか?

“卿はローエングラム伯には甘いの”
“あの男を殺したくないか”
“卿は妙な男じゃの、あの男の危険性を十分に承知しながらあの男を庇う。何故じゃ?”

リヒテンラーデ侯の言葉が蘇る。否定できなかった、何故甘いのだろう、何故殺したくないのだろう、何故庇うのだろう……。

分かっている。俺はあの男を殺したくない、いや殺してはいけないと思っていたのだ。だからあの男を排除しようと思っても理由をつけては先延ばしにした。

この世界は銀河英雄伝説の世界だ。いや、今となっては俺が変えてしまったから銀河英雄伝説の世界だったというべきかも知れない……。しかし元々はラインハルトとヤン・ウェンリーの世界なのだ。

二人の英雄が、その周囲に居る人間達が、人類の未来を宇宙の覇権を争う物語の世界だった。俺自身何度も彼らに感情移入しては喜び、哀しみ、楽しんで読んでいた世界だった。

小説の中のラインハルトは嫌いじゃなかった、未熟だなとは思ったが格好良さに憧れ、不器用な優しさに好感を持った……。キルヒアイス死後の彼の孤独には同情した、戦争好きなのには困ったものだと思ったが……。

異分子は俺のほうなのだ。最初はラインハルトに協力しようと思った。しかし出来なくなった、そして対立した。だからと言って排除できるだろうか? 出来はしない、出来るわけが無い。

それでは俺の知っている銀河英雄伝説の世界ではなくなってしまう。俺の知っている銀河英雄伝説の世界が消えてしまう、多分俺はそう思ったのだろう。だからラインハルトを排除できなかった……。

そろそろ現実を再認識すべきときだろう。この世界は俺の知っている銀河英雄伝説の世界とは別なのだと。そうでなければこの先へ進むのが危険になる。

俺はもう佐伯 隆二という一読者じゃない。帝国元帥、宇宙艦隊司令長官、エーリッヒ・ヴァレンシュタインなのだ。多くの人間に対して責任を持つ立場なのだ。前世の感傷などという愚かしいものに捕らわれるべきではない。

部屋を見渡すとレーナルト先生は居なかった。ヴァレリーだけが俺を気遣わしげに見ている。
「フィッツシモンズ中佐」
「何でしょう、元帥」
「少し一人にしてもらえませんか、考えたい事があるんです」

ヴァレリーはちょっと心配そうな顔をしたが何も言わずに部屋を出て行ってくれた。すまないな、ヴァレリー。本当は考えたい事なんて無い、ただ昔みたいにラインハルトになった想像をしてみたいんだ。そのくらいは今の俺にも許されて良いだろう……。





 

 

第百七十七話 新たな火種

帝国暦 487年 12月 7日  ガイエスブルク要塞   オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「どうかな、グライフス総司令官。上手く行くだろうか?」
「上手く行かせるには幾つかのポイントがあります」
「ポイント?」

リッテンハイム侯の言葉にグライフス総司令官は思慮深げな表情で頷いた。
「一つはオーディンまで敵に見つからずに侵攻できるか、もう一つはヴァレンシュタイン元帥の負傷がどの程度のものなのか、それと……」
「それと?」

思わず先を促したわしに対してグライフス総司令官は躊躇いがちに答えた。
「シュターデン大将は参謀の経験はありますが、指揮官の経験はありません。その辺りがどう出るか……」
「シュターデンでは難しかったか」
「……いっそ指揮官はヴァルテンベルク大将の方が良かったかもしれません」

味方殺しの方が良かった? 思いがけない言葉だった。思わずリッテンハイム侯と顔を見合わせた。侯も難しい表情をしている。司令室にあるスクリーンに目をやった。スクリーンにはガイエスブルク要塞を離れる艦隊の姿がある。総勢三万隻、シュターデン大将を総司令官とするオーディン侵攻軍だ。

本来オーディンへの別働隊は送らないはずだった。しかしオーディンで暴動が起き、ヴァレンシュタイン元帥が意識不明の重態という報告が入った事がそれを変えた。十二月四日のことだった。

その日の内にシュターデンが中心となって若い貴族達がオーディンへの進撃を唱えた。作戦は既に決定済みである、頭ごなしに叱責しようかと思った時、グライフスがそれを止めた。

“ヴァレンシュタイン元帥が意識不明の重態と言うのならオーディンの防衛体制には穴がある可能性がある。前提条件が変わった以上検討してみる価値は有るだろう”

シュターデンの意見を無条件に受け入れるのでは無く、否定するのでもない。グライフスは再度“ヴァレンシュタイン元帥、意識不明の重態” の情報の精度の確認を行なった。

“こちらを誘い出す罠と言う事も有り得る、確認が必要だ” 早急な侵攻を希望するシュターデンに対してグライフスは退かなかった。そして分かった事は、敵の本隊が行軍を中止している事だった。敵は混乱している、重態説は誤りではない……。

別働隊を派遣すべきだ、グライフスがそう結論付けたのは翌五日、一昨日の事だ。そこから侵攻軍の準備が始まった。昨日ヴァレンシュタインの意識が回復したとのエーレンベルク元帥の声明が有った。しかし直ぐに軍務につけるわけでは有るまい、グライフスはオーディンへの侵攻軍派遣の決定を変える事はなかった。

オーディン侵攻軍、総勢三万隻。総司令官にはシュターデン大将、そして彼の配下にはラートブルフ男爵、シェッツラー子爵が入る。シュターデン達がオーディンの攻略に成功すれば、当然だがヴァレンシュタインを始め、エーレンベルク、シュタインホフ、リヒテンラーデ侯は死ぬ事になるだろう……。

「後はシュターデン大将の運と力量次第か」
「そういうことになります」
「しかし総司令官が別働隊派遣を受け入れるとは思わなかったな。作戦方針を決めた直後だ、受け入れるのは難しいはずだが」

グライフスはわしの言葉に軽く苦笑した。
「戦争では状況は常に変わるのです。方針は決めてもそれに固執するのは危険です。状況の変化を読み適切に対処しなければなりません」

「なるほど、臨機応変と言う事か」
「そうです。その点でもシュターデン大将には多少の不安が有ります。不測の事態が起きた時、迅速に対処できるか……」
グライフスの語尾は呟くような口調になった。視線はスクリーンに向けられたままだ。

「総司令官のようにかな?」
リッテンハイム侯の問いかけにグライフスは首を振って否定した。
「小官は軍務の殆どを参謀として過ごしました。参謀と言うのは考えるのが仕事です。もしかすると戦場の指揮官としては少し決断に時間がかかるかもしれません。今回の侵攻軍の派遣ももっと早く決断すべきだったのかも……」

妙な男だ、地位が上がれば上がるほど自分の欠点は隠したくなるものだ。それなのにグライフスは平然と自分の欠点を話した。無防備なのか、それともこちらを信頼していると言う意思の表明なのか……。だが嫌な気分では無かった。なんとなくだがグライフスに対して好感が湧いてきた。

「ではグライフス総司令官から見て臨機応変の才を持つ人物とは誰かな?」
わしの問いかけは幾分笑いの成分が入っていたかも知れぬ。本心から訊ねたかったのではない、ただグライフスともう少し話をしたかった。

わしの気持が分かったのかもしれない、グライフスは笑みを浮かべた。
「これは、公のお言葉とも思えません。既にお分かりでは有りませんか?」
「すまぬ、試すつもりでは無かったのだ。ただ卿と少し話したくてな……、卿もそう思うか」
グライフスは頷くと話を続けた。

「……もう三年近く前になります。ヴァンフリート星域の会戦で小官は敵に、いえ戦場に振り回されました。敵も味方も混乱していたと思います。そんな中で戦場を制御していたのがヴァレンシュタイン元帥でした。あの時、自分の限界を思い知らされたような気がしました……」
「……」

「あれから三年です……、大佐だった彼は元帥になり当代の名将として全ての人に知られるようになりました。おかしな話です、あの当時は己の未熟さを思い知るだけでした。しかし今は彼と無性に戦いたいと思います。あれから三年、小官は何を得たのか、何が足りなかったのか……。戦う事でそれが分かるかもしれません……」

何を言って良いのか、わしには分からなかった。グライフスはスクリーンを見ている。次第にガイエスブルク要塞を離れていく艦隊が。いや本当に見ているのだろうか、或いは別な何かを見ているのではないだろうか。そんな事を考えさせるような眼だった。

リッテンハイム侯もわしもただ黙ってスクリーンを見ているしかなかった。他の誰かが我等を見れば出撃する味方を見送っている、そんな風に思っただろう……。



司令室を離れて自室に戻るとそこには既に人が居た。
「伯父上、見送りですか」
「まあ、そんなところだ」

部屋に居たのは甥のシャイド男爵だった。皮肉そうな口調で話しかけてくる。
「よろしいのですかな、伯父上。シュターデン達がオーディンを攻略すれば、皇帝を擁し勅命を利用して好き勝手をしだしますぞ」

「或いは我等を裏切り自分達だけで栄達をと考えるかも知れぬ、卿はそう思っているようだな。卿もシュターデンもそう思っているなら愚かな事だな」
「?」

シャイドが訝しげな顔をした。
「分からぬか? 今回の内戦はこれまでの権力争いとは違うのだ。全てを持つ我等貴族対持たざる者達の戦いだ。たとえ勅命だろうと彼らが退く事は無い。退けば我等に叩き潰されるからな」
「……」

「シュターデン達がオーディンを占拠しても短期間で終わるだろう。メルカッツ率いる帝国軍本隊の手でシュターデン達は征伐されるに違いない。夢に酔うのもほんの僅かな時間だな」

「では、何故別働隊の出撃を許したのです? 悪戯に兵を失うだけでは有りませんか?」
幾分怒りを感じさせる口調だった。シャイドは少なくとも兵の大切さを知ってはいるようだ。

「ヴァレンシュタインが死ねばメルカッツとローエングラム伯の間で後継者争いが発生するだろうな」
「……」

「おそらくはメルカッツが勝つ、だが軍は、いや政府は混乱するはずだ。エーレンベルク、シュタインホフ、ヴァレンシュタイン、そしてリヒテンラーデ侯が死ぬのだからな。そうなれば或いは我等にも勝機が見えてくるかもしれぬ」
「……」

「別働隊がオーディンを攻略する可能性は決して高くは無い。いや、むしろ低いだろう。しかし僅かなりとも勝機を見出すための犠牲だと思えば決して無駄とは言えぬ。成功すれば十分に採算は取れる……」

たとえ失敗しても、何かにつけてグライフスに対抗意識を出すシュターデンなら軍の統率上はむしろプラスに働くだろう。シュターデンは失っても惜しくない駒なのだ。

「……伯父上、勝機と言われましたがこの戦い、それほどまでに危ういのですか?」
シャイドの表情は青褪めている。これだけの大軍だ、楽に勝てるとでも思ったのかもしれない。

「逃げ出すなら今のうちだぞ、シャイド。いずれ軍がこの要塞を取り囲むだろう。そうなっては逃げる事は出来ぬ」
「……」

ローエングラム伯は誤ったな、沈黙したシャイド男爵を見ながら思った。本来のミューゼルのままで居るべきだったのだ。門閥貴族の一員であるローエングラム伯爵家など継ぐべきではなかった。

そうであれば彼の立場も今よりはるかに安定したものになっていたかもしれない。ローエングラム伯爵家を継いだ事があの男を、門閥貴族からも平民からも距離を取らせることになった。

その点ではヴァレンシュタインは見事なものだった。元帥杖授与式で貴族になる事を拒否した。あれはどんな言葉よりも彼の立場を強化しただろう。平民達の希望として……。だからこそ彼を殺さなければならない、我等が生き残る可能性を僅かでも見出すために……。


宇宙暦 796年 12月 8日  ハイネセン  宇宙艦隊司令部
ドワイト・グリーンヒル


「帝国の状況も今ひとつはっきりせんな」
「そうですな」
面白くなさそうに話すビュコック司令長官に私は相槌を打った。確かにはっきりしない。

「大丈夫かな、彼らは」
「まあ、あれだけ言ったのです。大丈夫だと思うのですが……」
「だと良いがな……」

何処か不安そうなビュコック提督を見ながら彼らのことを考えた。彼ら、第三艦隊司令官ルフェーブル中将、第九艦隊司令官アル・サレム中将、第十一艦隊司令官ルグランジュ中将。今回のフェザーン方面派遣軍の司令官達だ。

当初、フェザーン方面派遣軍の目的はフェザーン回廊の中立を守るためだと言った時、彼らはそれに特別不服を唱えなかった。しかしフェザーンへ向かう途上、帝国からヴァレンシュタイン元帥重傷の報告が入ると彼らの態度が変わった。

場合によっては実力をもってしてもフェザーン回廊を守るべし。それが彼らの主張だった。一体何を考えているのか、捕虜交換を帝国との間に約束している今、いかなる意味でも帝国との間に戦闘行為は慎むべきなのに。

「やはり不満があるのでしょうか? 我々はシャンタウ星域で敗戦したにも関わらず昇進し軍中央にいます。しかし彼らは艦隊司令官のままです、面白くないのかもしれません」

「それも有るだろうが、やはりヴァレンシュタイン元帥重傷の知らせが大きいじゃろうな。彼らは帝国が混乱すると見たのだろう。帝国軍の侵攻部隊もどうなるか分からんと見た……」

「有り得ることでは有りますが、ヴァレンシュタイン元帥は意識を取り戻しました。それは彼らも分かっているはずです」
私の言葉にビュコック司令長官は頷きつつ答えた。

「何処かでヴァレンシュタイン元帥の鼻を明かしたい、そんな気持ちがあるのだろう。それと我等を見返したいという思いも有ると見た……」
「……なるほど、厄介ですな」

「フェザーン回廊を制圧すれば、同盟はイゼルローン、フェザーンの両回廊を押さえる事になる。同盟の安全を確保するためには両回廊を押さえるべきだと言う彼らの言葉には一理有るのは確かじゃが……」

ビュコック提督が語尾を濁した。右手で額を押さえている。確かに頭の痛い問題だ。せめてあと三個艦隊有れば可能だ、だが今の同盟にはそれが無い。

「今の同盟には両回廊を維持できるだけの兵力がありません。フェザーンは中立国家として存在してもらわなくては……」
「そうじゃの。フェザーンには色々と思うところもあるが、とりあえずは緩衝地帯として存在してもらわなければならん」

そのためにも政府には外交交渉を頑張ってもらわなければならない。しかし……。
「総参謀長、貴官は例の新任の高等弁務官だが、あの男を如何思うかね?」

ビュコック司令長官が顔を顰めて問いかけてきた。
「オリベイラ弁務官の事ですか、まあ前任者のヘンスロー弁務官よりはましかもしれませんが……」

例の共同会見以来、ヘンスロー前弁務官の評判は下降する一方と言って良い。帝国の弁務官が堂々としていたのに対しヘンスロー前弁務官の態度は醜態といってよかった。フェザーンに買収されていたと言う噂もある。

「あの男が煽ったと言う事は考えられんかな、総参謀長」
「まさか……」
今回のフェザーン方面派遣軍にはオリベイラ新弁務官が同乗している。

ビュコック司令長官の言葉に私は出発前に挨拶に来たオリベイラ弁務官を思い出した。以前は国立中央自治大学学長という地位に在ったが、学者と言うよりは自信と優越感に溢れた官僚のような雰囲気を持った男だった。

「いや、わしの気のせいかもしれん。年を取ると疑い深くなっての、困った事だ」
「……」

ビュコック司令長官が疑い深いなどと言う事は無い。人を見る眼は確かだ。確かにオリベイラ弁務官には私自身危うさを感じなかったわけではない。だとすると同盟はフェザーンに新たな火種を抱え込んだのかもしれない……。

これからはイゼルローンよりもフェザーンの方が危険かもしれない。フェザーンにもより注意深く目を向けなければならないだろう。先ずは駐在武官か……。


 

 

第百七十八話 改革者達の戦い

帝国暦 487年 12月 9日  帝国軍病院 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



俺の枕元にオイゲン・リヒター、カール・ブラッケが座っている。彼らの表情は決して明るくは無い。病人にとっては有り難くない事だが彼らを拒絶するわけにも行かない。

何といっても彼らをスカウトしたのは俺なのだ。雇い主としては聞きたくない報告でも聞くだけの覚悟はいる、そうでなければ人を雇う資格など無いだろう。

「やはり改革を考えるのと実施するのは別問題ですな、今更ながらですが思い知らされました。私達は改革を甘く見ていたと思います。五百年続いた政治体制を変えるということを」
「……」

「カストロプだけでもこの有様です。帝国全土で行なえばどれほどの混乱が生じたのか……、考えてみれば今回の内乱は改革が原因でした。戦争が起きるほどの政治改革なのです……」
溜息交じりのリヒターの言葉だった。ブラッケが隣で頷いている。

「改革を止めたいとでも?」
「とんでもない。そんなつもりで言ったのでは有りません」
俺の目の前でブラッケが顔を真っ赤にして反論した。その隣には何度も頷いているリヒターが居る。まだまだ白旗を揚げるつもりは無いか、まあそうでなくては困る。

俺が意識を回復して以来、改革派の文官達が足繁く病室を訪れる。負傷する前は軍務と宮中に行く事が多く、彼らの話を聞くことがなかなか出来なかった。

しかし怪我をしてからは仕事に追われる事は無い。それに軍人達は出征している。というわけで暇を持て余しているであろう俺の無聊を慰めるという崇高な目的を持って彼らはやってきてくれる。有り難い事に!!

おかげで俺はレーナルト先生に毎日怒られている。レーナルト先生にとって俺は返事は良いが言う事を守らない悪い子なのだそうだ。この件についてはヴァレリーは全く俺の役に立たない。女同士で協同して俺を苛めることに専念している。

具体的には夜は九時に消灯、二時間の昼寝、俺の嫌いなピーマンとレバーを必ず食事に入れることだ。おかげで俺は半泣きになりながらピーマンとレバーを食べるという日々を送っている。リヒテンラーデ侯に言われなくても直ぐにでも退院したい気分だ。

「一番思い知らされたのは役人たちが思ったように動いてくれない事でした。彼らはこれまでの平民達を押さえつける統治法に慣れています。そのため我々の目指す改革が何を目的としているか分からず、どのように進めて良いか分からない。悪気があるのではなく結果として停滞してしまった……」
「……」

オイゲン・リヒターが首を振りながら話している。彼らは今、惑星カストロプで改革を他に先行して行なっている。しかしその成果は必ずしも思わしいものではない。皆無ではないのだが思ったより成果が低いのだ。

「随分と悩みました。何故思うように行かないのか? ブラッケとも何度も話し合い、時には感情的になって喧嘩になる事もありました。役人達とも住民とも話し合い、それでようやく分かりました」

「……」
リヒターはブラッケと顔を見合わせ“苦労したな”とでも言うように微かに笑みを浮かべて頷きあった。それなりに得るものはあったようだ。

「十月十五日の勅令で改革の実施が宣言されました。その事で私もブラッケも全ての人間が改革を受け入れたのだと思ってしまった。でもそうではなかった」
「……」

「多くの人間がそれを良いことだと思っていましたが、同時にどう受け止めて良いのか判断しかねている、そういう状態だったんです」

「……今回の内乱と絡ませた事が改革の意味を薄めてしまいましたか。そういう意味ではヘル・ブラッケ、卿の言う通り内乱を終えてからのほうが良かったのかもしれませんね……。しかしあれ以外に短期に内乱を起させる手が有ったのか……」

俺の言葉にリヒターが少し慌てたように口を出してきた。
「司令長官閣下、そういう意味で言ったのではありません。ブラッケも今ではあれが最善の手だと思っています」

「そうです。問題だったのは私達が現状をきちんと把握しないまま改革を進めてしまった事です。先程も言いましたが勅令が発布された事で改革が全ての人間に受け入れられたと思い込んでしまった。足が地に着いていなかったのです」

オイゲン・リヒターが、カール・ブラッケが口々に俺に非は無いと言った。
二人とも優しいな、病人を労わってくれる。健康体だったらブラッケにブウブウ文句を言われただろう。原作ではラインハルトを随分と批判していたからな。そう思うと入院生活も悪くない。ピーマンとレバーさえなければだが……。

「これからはどうすれば良いのかは分かっています。先ずやる事は改革の主旨を理解させる事です。改革とは何なのか、何故改革を行なうのか、それを帝国全土に徹底させます。そうでなければ皆の協力は得られません。私達が空回りするだけです」

「そうです、ブラッケの言う通りです。個々の改革案の実施はその後でいい。カストロプでの改革はそれが分かっただけでも無駄ではありませんでした」

オイゲン・リヒター、カール・ブラッケの言葉には力が有った。負け惜しみではないのだろう。理想を持つ事、現実を把握する事、そしてその間を埋めていく事、それが出来るようになれば内乱終結後の改革には期待しても良さそうだ。もっともそうでなければ困るのだが……。

「なるほど、軍隊では上意下達、場合によっては殴りつけてでも従わせますが、政治経済ではそうは行かないということですね。人を動かすと言う事程難しいものは無い……」

俺の言葉に二人は深く頷いた。随分と苦労したのだろう、表情に疲れがある。軍人だけが戦っているわけではない。彼らも戦っているのだ、まだ始まったばかりだが帝国二百四十億の人間を相手に戦っている。いずれは全人類四百億を相手に戦うことになるだろう。

「今思えばカストロプでの改革を行なう前に“上手く行く必要は無い。今回は行なう事に意味がある”とエルスハイマーに言われましたが、実際にその通りだったと思います。閣下の仰るとおり、人を動かす事の難しさを思い知らされました」

「……」
カール・ブラッケの言葉には重みが有った。その重みを、余韻を確認するかのように沈黙が部屋を支配した。



帝国暦 487年 12月 9日  帝国軍病院 オイゲン・リヒター


病室は沈黙している。ブラッケの言葉の後誰も話そうとはしない。何処と無く話すのが躊躇われるような雰囲気があった。

ヴァレンシュタイン司令長官が襲撃された、意識不明の重態、そう聞いた私とブラッケは後をエルスハイマー、オスマイヤーに託し、急ぎカストロプを離れオーディンに向かった。

閣下の容態が心配な事もあったが、万一の事が有った場合、改革がどうなるのか見極めなければならなかった。リヒテンラーデ侯は、ゲルラッハ子爵は改革を継続する意思は有るのか?

幸い閣下は意識を回復されたが、カストロプからオーディンに着くまでの間の焦燥、不安をどう表現すれば良いのだろう。リヒテンラーデ侯もゲルラッハ子爵も貴族なのだ。何処まで改革に好意を持っているか分からない。その不安が常に我々を支配した。

必要性は理解しても好意は持っていないとなれば、改革そのものが何処まで行なわれるか……、不安定なものになりかねない。今更ながら我々改革派の後ろ盾になっているのは司令長官なのだということを思い知らされた。

「閣下、心配な事が一つあります」
照れたような表情でブラッケが沈黙を破った。自分の言葉が沈黙をもたらした事を恥ずかしがっているらしい。ブラッケにはそんな照れ屋なところがある。

「?」
ヴァレンシュタイン司令長官はベッドで横になったまま目で問いかけてきた。顔色は余り良くない、かなり出血して危なかったと聞いている、その所為だろう。

「改革を進めるには人が足りないと思います。帝国には改革を考えた官僚は殆ど居ません。今は未だ我々だけで足りるかもしれません。しかし改革が進み、多岐に広がれば改革を推し進める人材が足りなくなるのは目に見えています」
「……」

ブラッケの言う通りだ。困った事に帝国では社会改革は政府上層部から忌諱される存在だった。当然だが官僚たちもそれに追随している。つまり社会改革を行なう人間、そして我々の後を継いで改革を進めていく人間が決定的に不足しているのだ。

「教育し、それなりの人材を作るのには時間がかかります。もちろん怠るわけにはいきませんが急場には間に合いません」
「三年、いや二年半我慢できますか?」

二年半? 司令長官の言葉に思わずブラッケと顔を見合わせた。ブラッケが頷く、我慢は可能だろう、しかし二年半で人材を確保すると言うのだろうか。それとも他に何か思うところが有るのか。

「それは可能だと思いますが、二年半後には人材を確保する手段が有るという事でしょうか、ブラッケの希望する人材のレベルは低くはありませんが?」
「ええ、多分それなりの人材を用意できると思います」

それなりの人材、司令長官には当てが有るようだが、一体何処に……。
「閣下、それは?」
「自由惑星同盟にいますよ、ヘル・リヒター」
「!」

自由惑星同盟! 司令長官は悪戯っぽい表情でこちらを見ている。
「内乱終結後、一年は内政に専念しなければならないでしょう。しかし、その後は宇宙統一のために軍事行動を起します。フェザーンを占領し、同盟を保護国化する……」

「……」
保護国化した後は三十年かけて帝国の改革を推し進め、自由惑星同盟が帝国との併合に不安を抱かないレベルにまで国内を整える、司令長官の持論だ。

「その後で同盟から人を呼べば良いでしょう。同盟のほうが帝国より社会政策は進んでいます。無理することなく見つけることが出来ると思いますよ」

「しかし反乱軍、いや同盟が協力するでしょうか?」
「和平条約の条件に入れれば良いでしょう、ヘル・リヒター。帝国と同盟は人材の交流を図ると」
「……」

「同盟から人を受け入れるだけでなく、帝国からも人を派遣する。同盟の社会政策を自らの目で確認できるのです。得るものは大きいはずですよ。その外に帝国への移住者を募れば良い。既に帝国で仕事をしている人間がいるとなれば、移住に積極的になってくれる人物もいるでしょう」

なるほど、先駆者がいるとなれば後に続くのは難しくは無い。それに同盟にも帝国という国家を作ってみたいという人間がいるかもしれない。国家を作るなどというのは先ず有り得ない事だ。それが目の前で起きた、自らの手で国家創造を行なう、その魅力に逆らえる人間がいるだろうか……。

それにいずれは同盟の社会政策を見た人間も帝国に戻ってくる。彼らも戦力として当てに出来るだろう。そして彼らを使っている間に帝国内でも教育を受けた人間達が育ってくる……。上手く行くかもしれない。

隣に座っているブラッケも唸りながら頷いている。彼も上手く行くと思っているのだろう。
「彼らを受け入れて改革を行なうのは絶対に必要です」
「絶対に必要? それは、どういうわけです?」

私の問いに司令長官は少しの間黙って天井を見ていた。
「帝国が同盟を併合する場合、同盟の人間にとって一番不安に思うのは帝国の政治が国民の権利を何処まで保障するのかという点でしょう。だから同盟出身の人間が改革に参加する必要があるのです」

「つまり同じ同盟の出身者が帝国の改革に参加していれば同盟の人間が安心するという事ですか?」
ブラッケの問いに司令長官は頷いた。

「ええ、これからの帝国の政策は同盟の人間の不安をどれだけ取り除けるか、それが重要になります。三十年かけて不安を取り除く、その事が同盟の併合を、宇宙の統一を可能にするでしょう。無理な併合は混乱しかもたらしません」

ブラッケと目が合った。彼が頷いてくる、私も頷いた。それにしても同盟から人を受け入れるか、そんな発想は私にもブラッケにも無かった。私達にとっては改革が全てだった。だからそこで止まってしまった……。

だが司令長官にとって改革は宇宙統一という目的のための手段だ。そこから同盟から人を受け入れるという発想が出た。我々もそこを良く理解しないと司令長官の考えに追付いていけない事になる。気をつけないといけない。

「これからの三十年、忙しくなりますよ」
「……」
「改革だけではなく統一を常に考えて動かなくてはなりません」
「……」
「いずれは帝国に憲法も作らなければならないでしょう」
「!」

憲法! ブラッケを見た、彼も驚いている。帝国に憲法を作る、皇帝の権力に制限をかけるというのだろうか、神聖不可侵の銀河帝国皇帝に。本気だろうか、息が止まるような思いで司令長官を見た。司令長官は穏やかな表情で天井を見ていた、静かな目だった……。





 

 

第百七十九話 雷鳴

帝国暦 487年 12月 9日  ロイエンタール艦隊旗艦 トリスタン オスカー・フォン・ロイエンタール

「どうやら司令長官は日に日に良くなっているらしいな」
「ああ、ありがたいことだ」
俺の言葉にミッターマイヤーは頷きつつ答えた。

「それにしても不便な事だな。こうして隠れて連絡を取らなければならんとは」
「そう言うな、ミッターマイヤー。表ではいくらなんでも話せん」

今、俺とミッターマイヤーは自室でTV電話を使って会話をしている。艦橋の提督席で連絡を取れば周囲の人間にも話の内容を聞かれる。それは余り好ましい事ではない。

艦隊はマールバッハ星系を過ぎアルテナ星系に向かっている。一週間程前オーディンで暴動が起きた。ヴァレンシュタイン司令長官が襲撃され意識不明の重態となった。

別働隊は軍務尚書エーレンベルク元帥の命により特に不自然な行動も無く辺境星域への進軍を継続した。正直ほっとした、以前あった暗殺騒ぎのときはローエングラム伯が宇宙艦隊を自ら統率しようとしたため、混乱したからだ。

ヴァレンシュタイン元帥暗殺の背後にローエングラム伯がいるのではないか、そんな疑いさえ艦隊司令官達は思っただろう。それに比べれば今回は遥かに落ち着いた行動だった。結局前回の騒ぎは、伯の未熟さと焦りが無用な疑いを引き起こしただけだった、そう思えた。

だが、そうではなかった。もう少しでローエングラム伯はヴァレンシュタイン元帥重態の報を受けオーディン周辺に留まり様子を見ることを選択しようとしたのだという。場合によってはオーディンへ戻ることも有り得ただろう。

艦隊をオーディン周辺に留めるべしと主張したのはオーベルシュタインだ。それに対し軽挙妄動すべきではないとローエングラム伯を説得したのがフロイライン・マリーンドルフだった。

両者の間でかなりの激論が交わされたらしい。しかし最終的にローエングラム伯はフロイライン・マリーンドルフの意見を受け入れた。

「で、ミッターマイヤー、卿は如何思う、今回の事件の事だが?」
「怪しむべきだろうな。ローエングラム伯はともかくオーベルシュタインとキルヒアイスは何らかの形で絡んでいるのではないかな」

ローエングラム伯には権力への野心、いや簒奪への野心がある。その事はあの夜、ミッターマイヤーを助けるために司令長官を、ローエングラム伯を訪ねた時に分かった。そして司令長官はかなり以前からそれに気付いている。

「俺も同感だ。あれはクーデターだろう、クーデターには武力が必要だ。近衛だけでどうこう出来るとは思えん。ノイケルン宮内尚書はローエングラム伯を当てにしたのだと思う」

「だがクーデターは失敗した。オーベルシュタインが自分の意見に固執しなかったのはそれが分かったからだ」
「ジークフリード・キルヒアイスだな」

俺の言葉にミッターマイヤーが頷いた。クーデター発生後、キルヒアイス准将から別働隊総旗艦ブリュンヒルトには二度連絡が入っている。一度目はヴァレンシュタイン元帥生死不明の重態、二度目の連絡は騒乱は小規模なものに止まる模様……。

ホルスト・ジンツァー准将の言葉によればキルヒアイスからの二度目の連絡が有った後、フロイライン・マリーンドルフとの口論をオーベルシュタインは一方的に打ち切り口を閉じた。

ジンツァーがローエングラム伯の幕僚になっていたのは俺達にとって幸運だった。ジンツァーはフロイライン・マリーンドルフを信頼できると判断したらしい、口論の後、密かに彼女に相談し事の経緯を各艦隊司令官に話すべきではないかと提案した。

おそらくジンツァーはオーベルシュタイン、キルヒアイスの言動にかなり危険なものを感じたのだろう。場合によっては俺達の手でローエングラム伯を止めることになるかもしれないと考えたのかもしれない。

一方フロイライン・マリーンドルフにとってもジンツァーの提案は渡りに船だった。彼女自身、最悪の場合は俺達にローエングラム伯を止めてもらう必要があると考えていた。

しかし彼女は俺達艦隊司令官とは余り接点が無い。信頼の無い自分が話して何処まで信じてもらえるか不安が有った。最悪の場合、ローエングラム伯を誹謗したとしてオーベルシュタインに排除されかねない。

幸いジンツァーはベルゲングリューン、ビューローと親しかった。そしてベルゲングリューン、ビューローは俺とミッターマイヤーを信頼している。後は俺達からワーレン、ルッツ、ミュラーに話してもらえばいい、そう二人が結論付けるまでそれほど時間はかからなかった。

フロイライン・マリーンドルフの聡明な所は、直ぐに行動に移そうとしたジンツァーを止めた事だろう。彼女は騒乱が小規模であること、艦隊がとりあえずは辺境に向かっている事で、司令長官の容態がはっきりするまでは俺達に伝える事を抑えた。俺達が事の経緯を聞いたのは昨日の事だ。

騒乱直後の時点で聞いていれば、不安と焦燥から何が起きたかは分からない。特にミュラーは、司令長官重態の報に恐ろしいほどに動揺していた。フロイライン・マリーンドルフの配慮は正しいだろう。司令長官の推薦でローエングラム伯の幕僚になったと聞いていたが、確かにただのお飾りではない、信頼して良い人物のようだ。

話を聞いた後の皆の表情は疑心と不安に満ちていたと言って良い。誰も積極的には話さなかった、話せることではなかった。皆の間で一致した事はジンツァーに対してフロイライン・マリーンドルフとの連携を強める事、その一方でそれをオーベルシュタインに絶対に知られないようにする事だった。そして俺たちとの連絡をこれまで以上に密にする事……。

「司令長官は如何思ったかな、気付いただろうか?」
「気付かぬはずは有るまい、そうだろう、ミッターマイヤー」
スクリーンに映るミッターマイヤーが顔を顰めた。そう、気づかぬ筈は無い、あの時既に司令長官は伯の野心に気付いていた。

ミッターマイヤーの気持が分かる。正直、俺とミッターマイヤーの立場は微妙だ。元々ローエングラム伯の指揮下に有ったという事で周囲からは伯に近いのではないかと思われる事がある。厄介なのは伯自身が俺達を頼りにしているのではないかと思えることだ。

伯に対して特別な思い入れは無いと言えば嘘になるだろう。ミッターマイヤーの危機に対して動いてくれたのは司令長官と伯だった。その恩は忘れた事は無い。

しかし、付いていけないと感じたのも事実だ。伯の指揮下に入ってから気づいた事はその危うさだった。到底自分達の未来を預けられるとは思えなかった。司令長官が何故伯から離れて行ったか、俺たちと同じように伯に付いていく事に危険を感じたからだ。

そして俺個人に限って言えば、ベーネミュンデ侯爵夫人の一件で司令長官に顔向けできない事をしてしまった。本来ならどれ程罵倒され、蔑まれても仕方の無い事だった。

しかし、司令長官は俺を責めなかった。それどころか苦しんでいる俺を気遣ってくれた。あの時の言葉が今でも耳に蘇る。

“ロイエンタール少将、あの件を気に病むのは止めて下さい”
“卿は軍人としての本分を尽くせば良いんです”
“勝つことと部下を一人でも多く連れ帰ることです”

その通りだ、勝つことと部下を一人でも多く連れ帰ること、それこそが軍人の本分だろう。あの言葉があったから戦いに専念できた、あの言葉があったから迷わなかった。この先、あの言葉を忘れることなど無いだろう。どれ程感謝しても感謝しきれない、俺はあの言葉に救われた……。

「厄介なことになるな」
「……」
ミッターマイヤーの言葉に俺は無言で頷いた。

厄介な事になる。意識を取り戻した司令長官がローエングラム伯をこのまま放置するとも思えない。それは俺達だけではなく、皆が昨日思ったことだ。必ず何らかの動きがあるはずだ。それがなんなのか……。辺境星域の攻略にどんな影響を与えるのか……。

“ロイエンタール少将、あの件を気に病むのは止めて下さい”
“卿は軍人としての本分を尽くせば良いんです”
“勝つことと部下を一人でも多く連れ帰ることです”

また、あの声が聞こえた。悩むまい、俺は軍人としての本分を尽くせば良い。勝つことと部下を一人でも多く連れ帰ること。それこそが指揮官のなすべき事だ……。



帝国暦 487年 12月13日    クレメンツ艦隊旗艦 シギュン  アルベルト・クレメンツ


帝国軍本隊は二手に分かれて進撃している。オーディンよりフレイア星系を目指す部隊と、リヒテンラーデからシャンタウ星域を目指す部隊だ。

フレイア星系方面はメルカッツ副司令長官、ケスラー、ケンプ、アイゼナッハ、そして私の五個艦隊。リヒテンラーデ方面にはメックリンガー、ビッテンフェルト、ファーレンハイト、レンネンカンプの四個艦隊。指揮はメックリンガーが取っている。

「副司令長官、やはり今のところフレイア星系には敵は居ないようです」
「どうやら、貴族連合は戦力をガイエスブルクに集中したか。厄介だな」
「確かに、しかし先ずはレンテンベルク要塞です」
「うむ」

スクリーンから見るメルカッツ副司令長官の表情は落ち着いていた。あの日、ヴァレンシュタイン司令長官、意識不明の重態との報が届いた時、副司令長官の顔色は蒼白になった。

直ぐに艦隊の行動を止めオーディン周辺で警戒態勢に入ったが、司令長官の意識が戻るまでの間、メルカッツ副司令長官の表情から緊張の色が消える事は無かった。万一の場合はローエングラム伯との間で次の司令長官の座を巡って争いが起きると考えたのかもしれない。

先任はローエングラム伯だが、人望はメルカッツ副司令長官の方が厚い。それは軍上層部の評価でもあるのだろう。そうでなければ内乱が始まると共にメルカッツ提督が副司令長官になるなどありえないことだ。あれは万一の場合メルカッツ副司令長官を司令長官にするための布石だろう。


レンテンベルク要塞はフレイア星系に有る小惑星を利用して作られた要塞だ。イゼルローン要塞ほどではないが、百万単位の将兵と一万隻以上の艦隊を収容する能力がある。決して無視は出来ない

無視できない理由は他にもある。戦闘、通信、補給、整備、医療等の機能のほか、多数の偵察衛星や浮遊レーダー類の管制センター、超光速通信センター、通信妨害システム、艦艇整備施設も有り、放置して前進すれば後方でうるさく蠢動されかねないのだ。

レンテンベルク要塞を攻略し、こちらの後方支援基地とする。それがフレイア星系より侵攻する我々の最初の任務だが、要塞攻略中に貴族連合に背後を衝かれては堪らない。というわけでフレイア星系に隠れている敵は居ないか、先ずはそこから確認を取った。

アイゼナッハ艦隊を要塞正面に置き、メルカッツ副司令長官、ケスラー、ケンプ、そして私の艦隊でフレイア星系を捜索したが、敵は居なかった。つまりレンテンベルク要塞は安心して攻略できるということだ。

もっとも敵は戦力をガイエスブルクに集中しているのだろうからガイエスブルクを落とすのは容易ではないということになる。副司令長官の言う通り、厄介な事だ。

「艦隊を集結させるとしよう。アイゼナッハ提督もいささか暇を持て余しているだろうからな」
「そうですね、暇を持て余しているでしょう」

メルカッツ副司令長官の言う通り、アイゼナッハは暇を持て余しているだろう。しかしあの無口な男が暇を持て余すと一体どうなるのか……、艦橋をうろうろと歩き回るのか、意外におしゃべりでも始めるのだろうか?

「クレメンツ提督」
「はっ」
想像に耽っていた俺を呼び戻したのはメルカッツ副司令長官の緊張した声だった。

「大変な事になった」
「?」
メルカッツ副司令長官の表情が険しい、何が有った?

「オーディンに向けて敵が進撃している!」
「!」
「司令長官が危ない!」


帝国暦 487年 12月13日  帝国軍病院  ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー


最近私は一日おきに病院に来ている。元帥は少しずつだけど体調が良くなっているようだ。入院当初はベッドに横たわっている事が多かったけど今日は私と養父が来ると上半身を起して迎えてくれた。

「フロイライン、今日の外の天気は如何です。晴れていますか?」
「ええ、とても良い天気ですわ」
「そうですか、外に出られないのが残念ですね」

私が来る度に同じ会話が起きる。この部屋には窓が無い。帝国軍中央病院の特別室は地下五階にある。帝国の重要人物だけが収容される事から、暗殺等の危険を避けるために地下に用意された。真白な壁に明るい光、それだけなら地下に居るとは誰も思わない。

元帥はもう一週間以上も外に出ていない。外に出たいと思っているのだろう。宇宙艦隊のことも気になっているのかもしれない。本当なら宇宙艦隊を指揮して貴族連合軍と戦っているはずなのにこうして入院している。

貴族連合軍、ガイエスブルク要塞に篭る反乱者達に付けられた名前。でも正式名称じゃない、正式名称は反乱軍。それでは自由惑星同盟軍と区別が付かないから通称として貴族連合軍という名前が付けられた。

「そっけない名前ですね」
貴族連合軍の名前を聞いた時の元帥の苦笑交じりの感想だった。私もそう思う、そっけない名前だ。

先日養父は士官学校で講演をした。以前元帥から頼まれ士官学校で講演を行なったけれど随分と評判が良かったらしい。あれから時折、幼年学校、士官学校で講演を行なっている。

養父はそのことを元帥に話している。二人とも楽しそうだ。かつての司令長官と今の司令長官。現在の状況は決して楽観出来るようなものではない、そう思っているはずなのに何事も無いように話している。

さぞかし元帥はもどかしい思いをしているのだろう。それでも元帥は穏やかな表情をしている。いらだった表情を他者に見せる事は無い。私はこのままこんな穏やかな日が何時までも続けば良いと思いながら談笑する養父と元帥を見ていた。

「お話中申し訳ありません」
談笑を止める声が聞こえた。フィッツシモンズ中佐だった。中佐は緊張している。

「閣下、宇宙艦隊司令部より緊急連絡が入ってきました」


 

 

第百八十話 分進合撃

帝国暦 487年 12月13日  帝国軍病院  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「閣下、宇宙艦隊司令部より緊急連絡が入ってきました」
緊張したヴァレリーの声が耳に入った。

「ユスティーナ、私達は席をはずそう」
「済みません、元帥、フロイライン」

ミュッケンベルガー元帥が軽く頷くとユスティーナの肩に手を置き椅子から立ち上がった。ユスティーナは不安そうな表情だったが、元帥に続いて席を立つ。

二人が部屋から出たのを確認してから携帯用のTV電話を正面に置き受信ボタンを押す。スクリーンに現れたのはワルトハイム参謀長だった。顔面蒼白で引き攣っている。拙いな、この男が青褪めるなんてそうそうあることじゃない。

「閣下、敵がオーディンに向かって来ております」
「……何処からです」
距離的に近いのはフレイア方面だ、しかしそっちは今メルカッツ達が居るはずだ。となるとアルテナ方面から来たか?

「フレイア方面からです」
フレイア? 妙な話だな、メルカッツ達が突破された? 敗れた? 有り得んな。となると、すり抜けられた、そんなところか……。

「メルカッツ副司令長官達がフレイア星系の制圧に意識を取られている間にフレイア星系外縁をかすめる形ですり抜けたようです」
「……」

本隊を引き付けその間に別働隊か、大体読めてきた、シュターデンだろう。しかし、フレイア星系をすり抜けてきたとは予想外にやるな、なかなかもって馬鹿にはできん。

「味方の巡察部隊が偶然発見しました。敵兵力は約三万、こちらの倍です。メルカッツ提督達が追っておりますが、敵は後四日もすればオーディンにたどり着きます。おそらくは間に合いますまい。我等はこれより迎撃に向かいます」

おいおい、俺には寝てろとでも言いたいのか? 真っ青な顔をして。それにしても巡察部隊とは、懐かしい名前を聞くものだ。
「分かりました、これよりそちらに向かいます。指揮は私が執りますので、その準備を」

「閣下、お待ちください」
「ワルトハイム参謀長、止めても無駄ですよ。せっかくのお客様なんです、せいぜい御持て成ししてあげないと」

「……」
気持は有り難いんだがな、俺もいい加減寝ているのには飽きた、ピーマンとレバーなんぞこれ以上食べたくないし、見たくも無い。

「不安ですか? ワルトハイム参謀長」
「……いえ、司令部でお待ちしております」
ワルトハイムは敬礼してきた。俺も礼を返す。

通信を切った後、ヴァレリーを見た。手に俺の軍服を持っている。流石は俺の副官、ワルトハイムよりよっぽど腹が据わっている。ただ表情が少し硬いな、惜しい事だ。

「中佐、着替えを手伝ってもらえますか」
「はい」
レーナルト先生がやってきたのは、ようやく上着を着終わりマントを付けようとしているときだった。

「一体何をやっているんです!」
「見ての通りです。敵が来たのでこれから迎撃に向かいます」
「何を馬鹿な事を言っているんです! 寝ていなくては駄目です」

レーナルト先生は俺を止めようというのだろう、ベッドに座って居る俺に向かってつかつかと近づいてきた。だが俺の前に立つ前にヴァレリーが立ち塞がった。

「中佐、そこをどきなさい!」
怒声が飛んだ、ヴァレリーに裏切られたとでも思ったのかもしれない。目がつりあがり、普段の優しい先生は居ない。
「それは出来ません。閣下は宇宙艦隊司令長官なのです。敵がこのオーディンを目指している以上、迎撃に向かうのは当然の事です」

落ち着いた声だった。そのことが反ってレーナルト先生を檄昂させたようだ。
「分かっているんですか中佐! 元帥はまだ動ける状態じゃないんです。命に関わりますよ!」

「このまま此処に居たら、私は確実に敵に殺されますよ」
「!」
「私はまだ死にたくありません。だから生きるために戦いに行きます。それに此処は食事が美味しくありません、いい加減ピーマンとレバーは食べ飽きましたよ」

レーナルト先生が絶句しヴァレリーが苦笑するのが分かった。彼女は俺にマントを付けさせると小声で
「立てますか」
と聞いてきた。

自力ではちょっと厳しい。ヴァレリーの肩に手をかけ立ち上がった。前に進もうとすると脇腹に引き攣るような痛みが起きた。入院中に着ていた服に比べると軍服は動きづらいし、重いのが良く分かる。歩くのも容易ではないようだ。

ヴァレリーに支えられながらゆっくりと歩く。車椅子を使うかと思ったが病人扱いされるのは昔から好きじゃない。大丈夫だ、一人では無理でも二人でなら何とかなる。俺はヴァレリーに支えられながら病室を出た。


帝国暦 487年 12月13日  帝国軍病院  ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー


病室を出た後、不安に耐え切れずに養父に問いかけた。
「お養父様、一体何が起きたのでしょう?」
養父は直ぐには答えなかった。少しの間私を見ると、病室の前に居た警備兵に視線を向けた。

「向こうへ行こうか」
と言うと、養父は警備兵から離れるように歩き始めた。二十メートル程も離れただろうか、養父は立ち止まると私を見た。

「恐らくは敵がこのオーディンへ攻め寄せてきたか、或いは味方が大敗北を喫したかであろうな。それ以外に宇宙艦隊司令部から入院中の司令長官に緊急連絡など考えられん……」

敵が攻め寄せてきた? 大敗北? 自分の顔から血が引くのが分かった。多分顔色は青褪めているだろう。
「お養父様、敵が攻め寄せてきたと仰いますけど、攻めているのはこちらではないのですか?」

「ユスティーナ、戦争なのだ、どんなことが起こっても不思議ではない」
「では、元帥は」
「出陣するだろうな」

「そ、そんな、無理です。元帥を止めて下さい」
「……」
気が付けば私は養父に取りすがっていた。しかし養父は口を強く結んだまま答えようとしない。

「お養父様が止めてくださらないのでしたら私が止めます」
「無駄だ!」
「お養父様……」
養父は厳しい目で私を見ている。

「敵が攻めてきたか、或いは味方が大敗北を喫したか、どちらにしてもオーディンは混乱するだろう。それを押さえるにはあの男の力が必要なのだ」
「……」
「その事をあの男は良く分かっている。だから止めても無駄だ」
「お養父様……」

「ユスティーナ、良く聞きなさい。あの男を止める事はもちろん、あの男の前で泣く事も許さん」
「……」
「戦場に出ようとする男を苦しめるな。それが出来ないなら軍人など好きにならぬ事だ」

「で、でも元帥は怪我を」
「あの男が一兵士なら代わりが有る、戦場に出ろとは誰も言わぬ。だがあの男は宇宙艦隊司令長官なのだ、お前だけのものではない」

「……」
「この先、あの男と共にあろうとすれば同じような事は何度も起きるだろう。耐えられるか? 耐えられぬのであればあの男の事は諦めよ。好きになる事は私が許さん」

ドアが開く音がした。振り返ると元帥がフィッツシモンズ中佐と共に部屋を出てくるところだった。元帥は中佐に支えられながら歩いてくる。時折顔を顰めるような表情をする。傷が痛むのだろう。

「閣下、敵がオーディンに向けて攻めてきました。三万隻の大軍だそうです。これから迎撃に向かいます」
「そうか、御苦労だな。武運を祈る」

養父と元帥が言葉を交わしている。私は涙を堪えるのが精一杯だ。とても言葉など出せそうに無い。
「ユスティーナ、元帥は出撃するそうだ」
「……御無事でお帰りを」
「有難う、行ってきます」

元帥が私達から離れていく、少しずつ離れていく。早く見えないところに行ってほしいと思うのにもどかしいほどに歩みが遅い。本当に元帥の怪我が憎かった。

元帥が見えなくなったら私は養父にすがり付いて思いっきり泣こう。声を殺して思いっきり泣こう。それなら養父も許してくれるだろう。もう少し、もう少しで元帥の姿が見えなくなる……。



帝国暦 487年 12月13日  宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


司令長官室の隣に有る会議室に既に艦隊の主要メンバーは集まっていた。副司令官クルーゼンシュテルン少将、参謀長ワルトハイム少将、分艦隊司令官クナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将、トゥルナイゼン少将、副参謀長シューマッハ准将、キルヒアイス准将、副官フィッツシモンズ中佐、ヴェストパーレ男爵夫人。皆あまり顔色は良くない。もっとも一番顔色が悪いのは俺だろう。

「それでは敵の動きを詳しく教えてください」
俺の言葉にワルトハイム参謀長が答えた。
「敵の総兵力は三個艦隊、三万隻です。先程お話したように味方の部隊がフレイア星系の制圧に気を取られている間にフレイア星系の外縁をかすめる形で突破、オーディンに向かっています」

俺が頷くとワルトハイムが言葉を続けた。
「このままで行くと敵がオーディンに着くのは四日後というところです。現在メルカッツ副司令長官、クレメンツ提督が後方より敵を追っていますが、両者の間には約二日の距離があります」

「つまり、味方が敵に追付くより敵がオーディンに来るほうが早いと言う事ですか」
「はい、我々は味方の援軍が来るまでの間、二倍の敵を相手にしなければなりません」

なるほど、皆の顔色が悪いはずだ。オーディンを守らねばならない以上、後退戦は難しい、にもかかわらず二倍の敵を相手にしなければならない。相手がシュターデンだとしても力押しで来られたら少々厄介だ。

「参謀長、敵の指揮官は誰です」
「シュターデン大将、そしてラートブルフ男爵、シェッツラー子爵が指揮を取っています。恐らく総指揮はシュターデン大将が取っているのでしょう」

やはりシュターデンか、そしてラートブルフ男爵……、誘拐犯の一味だな。
「閣下、敵は現在艦隊を三方向に分散しオーディンに向けて進撃しています。恐らく迎撃に向かうであろう我等を包囲殲滅するつもりでしょう」

ワルトハイムの言葉に思わず笑い声が出たが痛みで咳き込んでしまった。ヴァレリーが慌てて俺の背中をさする。ようやく呼吸を整え皆の顔を見ると皆ぎょっとしたような表情で俺を見ている。

「直ちに出撃します。準備に取り掛かってください」
「閣下、敵は二倍の戦力です。作戦の一端なりとお教えいただけませんか?」
ワルトハイムが心配そうな表情で問いかけてきた。

「作戦の一端ですか……。敵は二倍じゃありません、せいぜい七割程度の戦力です。それだけですね」
「七割? 閣下、敵は三万の兵力を動かしているのですぞ」

「集まればですね。今はまだ分散しています。各個に撃破すれば良いでしょう」
「……」
「この作戦は時間との勝負になる。急いでください」
「はっ」

席を立ち、幕僚達が準備に取り掛かる。彼らが居なくなるのを待ってからヴァレリーに頼んでリヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥との間に通信を開いてもらった。

「これから出撃します」
「うむ、勝てるかの」
「まあ、何とかなるでしょう」
俺の言葉にリヒテンラーデ侯は顔を顰めた。頼りない言葉だと思ったのかもしれない。

「リヒテンラーデ侯、まあ此処は司令長官を信じましょう」
「軍務尚書の言うとおりです」
「まあ、信じておるが、卿、もう少し他人を安心させる言葉は出せんか」
溜息交じりのリヒテンラーデ侯の言葉だった。相変わらず無茶を言う爺様だ。

「これでも努力しているつもりですが」
「……仕方ないの。フェザーンは任せるがよい、例の件もこちらで進めておく。卿は注意を怠るな」
「承知しました」

通信が切れて真っ暗になったスクリーンを見ながら余りの皮肉さに失笑した。まさかここでアスターテ会戦を俺がやる事になるとは思わなかった。しかも相手がシュターデンとは……、誤ったな、シュターデン。艦隊を分散する必要なんて無かった、力押しで良かったものを……。何を考えたか想像がつくが、そちらのミスは最大限に利用させてもらおう……。








 

 

第百八十一話 ファーストストライク

帝国暦 487年 12月15日  帝国軍総旗艦ロキ   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



軍人も楽じゃない。いや元から楽だとは思っていないが負傷しても休めないと言うのは辛い。負傷して病休ですといっても敵はやってくる。少しは遠慮と言うものが無いのだろうか、身体が治った頃を見計らって挨拶に来ますとか。まあ有る訳無いか。

ヴァレンシュタイン艦隊一万五千隻はシュターデン達の迎撃に向かっている。敵は中央を進むのがシュターデン率いる一万一千隻、シュターデンの右から一万隻をラートブルフ男爵が、左からシェッツラー子爵が九千隻を率いて進軍してくる。

全くもってアスターテ会戦の再現なのだが(この世界ではアスターテ会戦は無かったから再現と言うのはおかしいのかもしれない)、勝利条件は少し違ってくる。ラインハルトの場合は敵の撃破だけで良かった。しかし俺の場合は、オーディンの防衛という付加条件がある。

敵の艦隊がオーディンに着くまで後二日といったところだ。つまり二日以内に三個艦隊を撃破しなければならない。奇襲をかければ大体四、五時間程度で敵を撃破出来るだろう。

後は移動時間だがこいつも大体五時間前後はかかると見ていい。つまり一個艦隊を片付け、移動するのに十時間ほどかかると言う訳だ。三個艦隊片付けるのに二十四時間はかかる事になる。

約二十四時間の予備時間が有るが、戦場では何が有るか分からない。それに一旦振り切られたら追付く事は難しい。手間取る事は出来ない。条件はアスターテより厳しいと言って良いだろう。

シュターデンの分進合撃は俺を撃破すると言う点に関しては余り良い手ではない。むしろ一つにまとまって力押しにした方が勝率は高いはずだ。しかしオーディン攻略という点では分進合撃は必ずしも悪い手ではない。巡察部隊の発見がもう少し遅ければ、こちらとしても手の打ちようが無かっただろう。

もっとも俺にはシュターデンが分進合撃を採ったのはそこまで考えてのことだとは思えない。おそらく彼は俺がオーディン近郊で防衛戦を行なうと予測したはずだ。自分達の背後から来るメルカッツ達と力を合わせて挟撃しようとしている、そう考えただろう。

本当なら正面から突破してオーディンに進行したかったはずだ。俺を打ち破り、オーディンを攻略する。その武勲は他者の追随をゆるさないだろう。二倍の兵力なのだ、小細工をする必要は無い。

だが何かにつけて我儘を言うラートブルフ男爵、シェッツラー子爵を抑えきれなくなった。だから敢えて分進し、目標を与える事で面倒を避けることを考えたのだ。ダゴン星域の殲滅戦の再現だと考えて自分を納得させたに違いない。

「閣下、間も無く敵と接触します」
ワルトハイムが緊張した面持ちで話しかけてきた。シューマッハ、キルヒアイス、男爵夫人、ヴァレリー、そしてリューネブルクが会議卓に座っている。

眼前のスクリーンにはまだ敵軍は映っていない。しかし戦術コンピュータがモニターに映し出す擬似戦場モデルには敵軍の姿が映っている。シェッツラー子爵率いる九千隻の艦隊だ。このまま行けば敵の斜め前方から攻撃する事になる。

皆緊張している中でリューネブルクだけが戦況よりもキルヒアイスに注意している。ロキに乗艦する前にリューネブルクには例の件を話してある。この戦いの後でシューマッハにも話しておく必要があるだろう。

「参謀長、妨害電波は出ていますか?」
「はっ、特に問題はありません」
「では、そろそろ始めましょうか」

俺の言葉に皆が頷いた。先ずはファーストストライクを取る。俺は胸の痛みを堪え右手を上げ振り下ろす。
「攻撃開始! 急速接近し敵を撃破せよ!」



帝国暦 487年 12月15日  シェッツラー艦隊旗艦メレンバッハ  シェッツラー子爵


「敵艦隊急速接近、規模、約一万五千!」
「何の話だ! 敵とはどういうことだ!」

オペレータが敵が近づいていると言っている。馬鹿な、見間違いだろう、敵がこんなところに居るわけが無い。シュターデンは敵はオーディン近郊でこちらを待ち受けていると言ったではないか。三方から包囲して殲滅すると。

スクリーンに映る光点が少しずつ大きくなってくる。あれは、あれは敵なのか……。
「閣下、どうなさいますか?」
部下が問いかけてきたが、どうすればよいのだ? こんな話は聞いていない。シュターデンに騙された、そうだ、シュターデンだ!

「シュターデン大将に連絡だ、応援を要請しろ」
「駄目です、繋がりません」
役立たずのオペレータめ、何故繋がらないのだ!

「どういうことだ、何故繋がらない!」
「敵の妨害電波が酷く通信は不可能です」
「ええい、役立たずめ! 私はどうすれば良いのだ」

何故誰も私を助けようとしない、何故だ! シュターデンに騙された。あの男は私を囮にして自分がオーディンを攻略しようとしているのだ。きっとそうに違いない。自分だけで功を独占しようとしているのだ。

突然スクリーンが真っ白く光った。
「何だ、何が起きた!」
「閣下、敵が攻撃をしてきました、反撃なさいますか、それとも撤退ですか、御命令をください」

「こ、攻撃だ、攻撃せよ、敵を蹴散らすのだ」
「攻撃せよ、全艦、総力戦用意!」
総力戦? 勝てるのか、私は。負けたらどうなるのだ……。

し、死にたくない、まだ死にたくない。降伏すれば助けてもらえるのだろうか……。私はシュターデンに騙されたのだ。そう言えば助けてもらえるのだろうか……。


帝国暦 487年 12月15日  帝国軍総旗艦ロキ   マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ


戦闘開始から二時間が過ぎた。素人の私から見ても味方が一方的に攻撃している事が判る。ワルトハイム参謀長、シューマッハ副参謀長、ジークフリード・キルヒアイスが戦況を見ながら指示を出している。

今手持ち無沙汰にしているのは私とリューネブルク中将だけだ。中将はつい先程まで司令長官と会話をしていたが、今は指示を出している参謀長達を見ている。合格点を付けられるか見ているのかもしれない。

提督席に座っている司令長官を見た。司令長官は黙って戦況を見ている。彼は戦闘開始から一時間が過ぎた時点で指揮をワルトハイム参謀長達に任せた。経験を積ませようというのか、それとも指揮を執るのが辛いのか……。

ワルトハイム参謀長達が優位に進む戦況に興奮気味なのに比べ司令長官は冷静そのものだ。時折顔を顰めるときが有る、傷が痛むのかもしれない。提督席にゆったりと座り、毛布をかけている姿はとても軍人には見えない。

「何か男爵夫人の目を楽しませるものが有りましたか?」
「いえ、済みません。閣下が余りに落ち着いていらっしゃるのでつい見てしまいました」

司令長官の言葉に思わず声が上ずった。彼の視線はいつの間にかスクリーンから私に移っている。私が司令長官を見ているのに気づいていたらしい。思わず頬が熱くなった。司令長官は微かに笑みを浮かべている。

「何か私に聞きたいことが有りますか?」
「よろしいのですか?」
私の問いに司令長官は頷いた。視線はまたスクリーンに向けられている。
「予想より早く戦闘は終わりそうですが、それでも後一時間ほどかかるでしょう。その間はやることがありません」

「男爵夫人、余り長時間は困ります。司令長官を疲れさせないでください、本当ならまだ入院していなければならないんです」
「ピーマンとレバーさえなければもっと入院していても良かったんですけどね」

フィッツシモンズ中佐の心配そうな声に司令長官がからかう様な表情で答えた。ピーマンとレバー? 嫌いなのだろうか。まるで子供みたいだ。思わず笑いが出そうになった。

「閣下、シュターデン大将はこの後どうするでしょう?」
「そうですね、こちらの動きを知ってラートブルフ男爵と合流する事を優先するか、或いは気付かずにこのまま進撃するか……」

「どちらだとお考えです?」
「おそらくはこのまま進撃するでしょうね。そして各個撃破される」
「……」

そうだろうか、いくらなんでもこのまま進撃と言うのはありえないような気がする。私の沈黙をどう受取ったのか、司令長官はスクリーンを見たまま話し始めた。

「シュターデン大将は実戦経験はありますが、実戦指揮の経験はありません。殆どが参謀、幕僚任務のみです。こういう経歴を積み重ねた人には多かれ少なかれある種の癖があるのです」
「癖、ですか」

「ええ、作戦は念入りに立てることを好みます。そして作戦通りに動くときには非常に強いのです。しかし、一度意表を突かれると動転し迷い効果的な対応が出来なくなる。シュターデン大将にはその癖が多分にあります」
「……臨機応変に動けないと?」

「ええ。戦場で大切なのは主導権を握る事なのです。迷ってしまっては主導権は取れません。相手の動きを読もうとして反って相手の動きに合わせてしまう事が有る。主導権を取るどころか、相手の主導権を認めてしまうことになるのです」

「……」
司令長官が私を見た。穏やかな表情だ、戦場の指揮官だとはとても思えない。

「当たり前のことですが参謀と指揮官は違うのですよ。参謀の仕事は作戦を立て指揮官を補佐する事ですが、指揮官の仕事は決断することなのです。簡単なように思えますが、主導権を握るには決断しなくてはなりません。その決断で敵味方が何十万、何百万と死ぬ事になります」
「……」

司令長官の言葉は淡々としていたがずっしりとした重みが有った。これまでに何百万、いや一千万以上の敵味方を死なせた人間の言葉だ。今更ながら思った、百万人の敵を殺すという決断の重さとはどのような物なのだろうと。

これまで軍人達と付き合いが無かったわけではない。ラインハルトもキルヒアイスも武勲を挙げた喜び、昇進した喜びは教えてくれた。しかしその喜びの裏にある決断の重さを教えてはくれなかった。それとも感じなかったのか……。

「閣下、もしシュターデン大将がラートブルフ男爵と合流した場合はどうなさいますか?」
私の言葉に司令長官は微かに笑みを浮かべた。

「その場合は艦隊をオーディンとシュターデン大将の間に置き防御戦を展開します。敵は約二万隻、こちらは一万五千、メルカッツ提督が来るまでなら十分対処可能でしょう。後は挟撃するだけです」
「……」

司令長官はもう勝利を確信している。ヒルダの言葉を思い出した、書類を決裁している司令長官は戦場の武人には見えない、どちらかと言えば軍官僚に見える……。今私の目に映る司令長官は……、やはり戦場の武人には見えない、しかしヒルダの言うような軍官僚にも見えない。一体この人は何なのだろう……。

「どうしました。もう指揮を執るのには飽きましたか?」
「申し訳ありません、閣下と男爵夫人のお話に興味がありましたのでつい気をとられました」

いつの間にかワルトハイム参謀長達が私達の会話を聞いていたらしい。司令長官の問いかけに、いやもしかすると叱責なのだろうか、参謀長達は口々に謝罪している。司令長官は一瞬だけ苦笑するとまたスクリーンに視線を向けた。

「もう直ぐ敵の組織的な抵抗は終わるでしょう。掃討戦の必要は有りません、直ぐにシュターデン大将の艦隊を攻撃するべく動いてください」
「はっ」

「キルヒアイス准将」
「はっ」
「如何ですか、作戦参謀として戦闘に参加するのは。副官とは大分違うと思いますが」

司令長官の言葉にジークは微かに緊張を浮かべた。
「大変勉強になります。閣下の御配慮に心から感謝します」
「そうですか、期待していますよ、これからも」

司令長官は微かに笑みを浮かべると毛布を少し掛け直そうとしたが、傷が痛むのだろう、顔を顰めて手を止めた。フィッツシモンズ中佐が傍により毛布を掛け直す。司令長官は安心した表情で中佐にされるままになっていた。まるで母親と子供のようだ。

私が毛布を掛け直そうとしたら司令長官はどうしただろう? 恥ずかしさから嫌がっただろうか?


帝国暦 487年 12月15日  帝国軍総旗艦ロキ   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


そろそろ戦闘は終わるだろう。思ったより早く片付いた。指揮官がシェッツラー子爵ということで効果的な反撃が出来なかった事もあるが、兵の錬度もあまり高くないようだ。

ワルトハイムを始めとして参謀達が指示を出している。特に問題は無い、十分に彼らは有能だ。だが男爵夫人に言ったシュターデンの欠点はワルトハイムにも当てはまる事だ。シュターデン程では無いにしろワルトハイムにも考えすぎてしまうところが有る。

今回の戦いも彼が最初から指揮を取っていたらどうなったか、オーディンの防衛を考えすぎる余りシュターデンの作戦に嵌ってしまい、包囲殲滅という事になっていたかもしれない。今回の戦いでその辺りが修正されれば良いのだが……。

キルヒアイスが分艦隊司令官達に指示を出している。良くやっているようだ、確かに能力は有る。本人も楽しそうに仕事をしている……。残念だよ、キルヒアイス、お前に残された時間はそれほど多くない。

悔いの無い様に生きるのだな。そのためのチャンスは何度か作ってやる。お前がラインハルトの腰巾着ではなかった事を周囲に証明するといい。そして死んでいけ、反逆者として……。俺がお前にしてやれる事はそれだけだ。

敵が降伏した。シェッツラー子爵は捕虜になった。とりあえずファーストストライクは取ったわけだ。セカンドストライクはシュターデンだ。士官学校以来の因縁だな、そろそろ決着を付けようか、シュターデン教官……。





 

 

第百八十二話 戦う毎に必らず殆うし

帝国暦 487年 12月15日  シュターデン艦隊旗艦アウグスブルク   シュターデン大将


「どうだ、連絡はついたか?」
「いえ、駄目です。応答は有りません」
「一体何をやっているのだ、連絡一つまともに送れんのか!」

私の罵声にオペレータが居心地悪そうに身じろぎした。自分が叱責されたと思ったのだろうか。私が罵倒したのはあの口先だけのシェッツラー子爵とその幕僚達だ。

我々の左を進撃しているシェッツラー子爵の艦隊と連絡が取れない。定時連絡が来る時間であるのにシェッツラー子爵から連絡が無い。こちらから連絡を取ろうとしても繋がらない。どういうことだ?

最初は忘れているのか、或いは面倒になって無視しているのかとも思ったが、いくらシェッツラー子爵が軍事に素人でも幕僚達までそうであるはずが無い。何か問題でも発生したのだろうか……。

艦隊を分進したのは失敗だったか、やはり一つにまとめて運用するべきだったか。しかし、シェッツラー子爵とラートブルフ男爵をあのまま一緒にしておくのは危険だった。

ラートブルフ男爵はブラウンシュバイク公派、シェッツラー子爵はリッテンハイム侯派、二人の仲は決して良くない。この二人がオーディン攻略軍に入ったのはあくまでバランスをとるためだった。私としては出来れば軍人だけで作戦を実施したかったが貴族達が承知しなかった。

二人とも功を焦るばかりで軍の統制など何も考えていない。ましてラートブルフ男爵は誘拐事件を起し、その事でヴァレンシュタイン暗殺を失敗したとブラウンシュバイク公達に叱責されている。挽回するために必死だ。今回の遠征に参加したのもヴァレンシュタインを殺してブラウンシュバイク公の不興を拭い去ろうとしての事だ。

いずれ決裂して単独行動に走るか、或いは協同して独自の行動を起すか、どちらにしても軍は分裂しただろう。私としては軍を分け、ヴァレンシュタインの首という餌を与えるしかなかった。

軍を分ける事は悪い事ばかりではないはずだ。三方向から包囲すればヴァレンシュタインの首は確実に取れるだろう。あの不名誉なダゴンの殲滅戦をオーディン近郊で再現する。そうすればオーディンのリヒテンラーデ侯達は震え上がって降伏するに違いない。

あの小生意気な若造、戦術の重要性を理解せず、戦術シミュレーションを馬鹿にする小僧に思い知らせてやる。あの小僧だけではない、ミッターマイヤー、ロイエンタール、ビッテンフェルト、ワーレン、ミュラー、そしてクレメンツとメックリンガー、貴様達にも必ず思い知らせてやる!

特にクレメンツとメックリンガー、貴様等は絶対に許さん! 士官学校教官にも関わらず学生の人気取りにばかり熱心な男など言語道断、ましてその生徒に引き立てられる等、貴様には誇りは無いのか、クレメンツ。

そしてメックリンガー、よくもあの小僧と組んで私をコケにしてくれたな。第三次ティアマト会戦は私の指揮で行われるはずだったのだ。そうなればあのような中途半端な勝利ではなく完全な勝利を収めることも出来たのだ。お前達が帝国の完勝を阻んだ、お前達こそ獅子身中の虫だ、絶対に許さん!

「閣下、後方の駆逐艦ヴェルスより連絡です。七時半の方角に艦影が見えるとのことです。識別、不明」
オペレータの緊張した声が聞こえた。

七時半? 識別不明? シェッツラー子爵か? 心配させおって一体何をしているのだ。大体こんなに近づいては分進合撃の意味が無いではないか、これだから貴族の馬鹿息子は始末に終えんのだ。

「オペレータ、通信を送れ。所定の位置に戻れと」
オペレータが訝しげな表情をした。馬鹿が、この位置に敵が居るわけが無かろう。ヴァレンシュタインは前方に、メルカッツ提督は二日は後の距離に居るはずだ。となればシェッツラー子爵以外に誰が居ると言うのだ、使えん奴め……。睨みつけると顔を強張らせて下を向いた。

「はっ、通信を送ります」
「閣下、敵という可能性は無いでしょうか」
副官のディートル大尉が問いかけてきた。此処にも馬鹿がいるのかと思うとうんざりした。

「一体何処から湧いて出たと言うのだ。敵は前方とはるか後方だ、あれが敵など有り得ん」
「……」

ディートル大尉は不服そうな表情をしている。使えん奴だ、おまけに反抗的なところが有る。私の副官としては不適格だな、いずれ更迭して新しい副官を配属してもらおう。

「閣下、通信が妨害されています!」
「!」
緊張したオペレータの声が聞こえた。妨害? どういうことだ、何故妨害などする。

「左後背より敵襲!」
悲鳴のようなオペレータの警告が艦橋に響いた。その声と同時に艦に衝撃が走る。直撃ではない、至近弾か。

「うろたえるな! 全艦、迎撃せよ」
どういうことだ、何故敵がそこに居る。いや本当に敵なのか、シェッツラー子爵が誤ってこちらを攻撃しているのではないのか、だとしたら……。

「敵を特定しろ、シェッツラー子爵が誤ってこちらを攻撃している可能性がある。通信兵、あの艦隊に連絡をし続けるのだ!」
「はっ」

「馬鹿が、敵と味方の区別もつかんのか、シェッツラー子爵」
いずれこの責任は取ってもらうぞ。味方殺しなど、クライストとヴァルテンベルクだけで十分だ!

「閣下、あれは敵ではないでしょうか?」
ディートル大尉が表情を強張らせている。
「同じことを何度も言わせるな、大尉。あれが敵など有り得ん、第一あれが敵ならシェッツラー子爵の艦隊はどうしたのだ、あれは左後方から来たのだぞ、シェッツラー子爵に気付かれずに来たとでも言うのか」

「シェッツラー子爵の艦隊は既に敗退したのではありませんか」
「……」
こんな馬鹿と話しても無駄だ。今は先ずシェッツラー子爵と連絡を取り、同士討ちを止めさせなければ……。

「閣下! 帝国軍総旗艦ロキを確認! 後方の艦隊はヴァレンシュタイン司令長官の直率艦隊です。規模、約一万五千!」
「馬鹿な、貴様ふざけているのか!」

私の怒声にオペレータは生意気にも反論してきた。
「ふざけてなどいません! スクリーンに投影します」
「!」

スクリーンに漆黒の戦艦が映った。艦橋にどよめきが起きる。間違いない、あれは戦艦ロキ……。どういうことだ、何故そこに居る。シェッツラー子爵はどうした、……まさか、敗れたのか……。

「閣下、やはりあれは敵です」
「そんな事を言っている場合か!」
お前は副官失格だ。何の役にも立っておらん! 私を不愉快にさせているだけだ!

「馬鹿な、どうしてそこにいる……。有り得ない、貴様はオーディンに居るはずだ、魔法でも使ったと言うのか」
自分の声が震えを帯びているのが分かった。

「閣下、敵が接近してきます。このままでは敵が侵入してきます」
分かりきった事を言うな、ディートル大尉。後方からの奇襲、しかも敵のほうが戦力は多い、となれば味方は到底耐えられまい。このままでは艦隊は全滅しかねない。

「……全艦隊、反転せよ!」
「閣下! 反転させても混乱が生じるだけです。時計とは逆方向に……」
「黙れ大尉! 卿の意見など私は必要としておらん、反転攻撃だ!」

味方の方が少ないのだ、敵の後背に着く前に大半は撃破されてしまうだろう、ならばこの場で反転攻撃をかけるべきだ。早いほうがいい、その方が少しでも多くの艦で反撃できる。


帝国暦 487年 12月15日  帝国軍総旗艦ロキ   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「敵、反転しています」
「馬鹿な、気でも狂ったか」
「好機だ、ワルキューレを出そう。今なら一方的に敵を攻撃できる」

ワルトハイム達が興奮気味に話しているのを聞きながら、俺は堪えきれずに思いっきり失笑していた。やるんじゃないかと思っていたら本当にやった。期待を裏切らない男だな、シュターデン。

何処かでラインハルトの声が聞こえる“俺に低能になれと言うのか、敵の第四艦隊司令官以上の?”。シュターデンに聞かせてやりたいものだ。おそらく顔を真っ赤にして怒るだろう。戦術理論を駆使して反論するかもしれない。

シュターデン、頼むから俺を笑わせないでくれ。胸が、脇腹が痛む、笑い死にしそうだ。それともこれがお前の新しい戦術か? ならば大したものだ、特許でも取るのだな。

「閣下、大丈夫ですか」
「ええ、大丈夫です。あまりに予想通りなので可笑しくて……」
その先は続けられなかった。笑いが止まらず、咳き込んでしまう。ヴァレリーが背中をさすってくれる。

戦況は更にこちらが優位になっていた。スクリーンには一方的に撃ち沈めれていく敵が映っている。戦術コンピュータがモニターに映し出す擬似戦場モデルでも敵の戦力は確実に減りつつある。此処からの挽回などヤン・ウェンリーでも不可能だろう。

戦いながら反転など簡単に出来るものではない。反転のタイミングは各艦によって違うからまばらになる。要するに反転できても周囲との連携を取りつつ前進などと言う事は直ぐにはできない。

つまり艦隊としての行動は取れないのだ。だから前進して相手の後方に喰らい着くと言うラインハルトの選択のほうが正しいのだ。犠牲は有っても混乱は少ないし艦隊としての秩序も維持できる。

哀れなものだ、敵の艦隊はこちらの攻撃よりもシュターデンの命令のせいで被害が大きくなるだろう。ここまで来ると悲劇と言うよりは喜劇だな。さっきから余りの馬鹿馬鹿しさに笑う事しか出来ない。

「ワルトハイム参謀長、シュターデン大将に降伏を勧告してください」
「降伏勧告ですか、しかし受け入れるでしょうか」
ワルトハイムの顔には疑問がある。まあ無理も無い、俺とシュターデンは犬猿の仲だからな。簡単には受け入れないだろう。

「指揮官ならば、これ以上部下を無駄死にさせるなと伝えてください。死ぬのであれば自分一人で死ね、周囲を巻き込むなと」
「はっ」


帝国暦 487年 12月15日  帝国軍総旗艦ロキ   ジークフリード・キルヒアイス


“自分一人で死ね、周囲を巻き込むな” 司令長官の言葉に艦橋は静まり返った。何処か怒りを押し殺したような口調だった。皆、司令長官の怒りを知ったのだろう、先程までの勝利の興奮は何処にも無い。互いに顔を見合わせている。

司令長官は戦況を見て笑っていた。だがあれは喜んでいたのではなかった。シュターデン大将の余りの拙さに呆れ、怒っていたのだ。そして悲しんでいた。

「閣下、シュターデン大将は降伏勧告を受け入れるそうです」
ワルトハイム参謀長の言葉に艦橋に歓声が沸き上がった。しかし参謀長は戸惑っている。躊躇いがちに司令長官に話しかけた。

「シュターデン大将が、司令長官と話をしたいと言っておりますが、如何なさいますか」
「……スクリーンに繋いでください」

スクリーンにシュターデン大将が映った。敗北のせいだろう、目が血走り顔面が蒼白になっている。

「小官の負けだ、それは認める。しかし卿のあの用兵は何だ。二倍の兵力を前にオーディンを守らず、出撃してくるとは。気でも狂ったか、卿は用兵の常道を知らぬ」
「……」

シュターデン大将の言葉に司令長官は何も言わなかった。ただ苦笑している。
「何とか言わぬか、ヴァレンシュタイン」
「無礼だろう、敗者の分際で。司令長官への礼儀をわきまえろ!」

シューマッハ准将がシュターデン大将を叱責したがシュターデン大将は平然としている。更に言い募ろうとしたシューマッハ准将を司令長官が押し留めた。

「私は卿と戦術論を話すつもりは有りません。忙しいのです」
「自信が無いのか、臆病者が!」
司令長官の苦笑が大きくなった、そして咳き込む。フィッツシモンズ中佐が慌てて背中をさすった。

「情けない姿だな、帝国軍人にあるまじき軟弱さだ。それで宇宙艦隊司令長官が務まるのか!」
「貴様! 司令長官の寛容に付け込むか、理屈倒れが」

ワルトハイム参謀長が激高するが、司令長官が左手を上げて制した。そして哀れむような口調で話し始めた。

「彼を知りて己を知れば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必らず殆うし」
「……」

「シュターデン大将、卿は自分の艦隊がどのようなものか知らなかった。だから統率に失敗した。私がどういう人間か知らなかった。だから出撃すると思わなかった。“戦う毎に必らず殆うし” 卿は戦術論以前に軍を指揮する資格が無かったということです」
「……」

「敗軍の将は兵を語らず、これ以上見苦しい真似をしないでください。卿の指揮で死んでいった者達が哀れです」
「……」



五時間後、ヴァレンシュタイン艦隊は残る一つの艦隊、ラートブルフ男爵率いる一万隻の艦隊を急襲した。不意を衝かれたラートブルフ男爵は開戦後二時間で降伏した。あっけない勝利だった。

今回の司令長官の負傷はラインハルト様にとってチャンスだった。負傷して動けない司令長官に対して辺境で武勲を挙げたラインハルト様。周囲のラインハルト様に対する認識も変わったはずだ。

だが司令長官は二倍の敵をあっという間に葬り去った。細かな戦術ではない、ただ艦隊を高速で移動させるだけで司令長官は敵を破った。もう誰も司令長官の戦術能力に疑問を持つ人間は居ないだろう。司令長官に対する諸提督の信頼は以前にも増して厚くなるに違いない。

やはり危険だ、司令長官はラインハルト様にとって危険すぎる。司令長官が居る限りラインハルト様は前に進めないだろう。そして司令長官はいつかラインハルト様に対する遠慮を捨てるようになる。その前に何とかしなくてはいけない……。



 

 

第百八十三話 休息の陰で

帝国暦 487年 12月15日  帝国軍総旗艦ロキ   イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン



「トゥルナイゼン少将」
名を呼ばれて振り返るとそこにはグリルパルツァー、クナップシュタイン少将がいた。急ぎ足でこちらに近づいてくる。

「そちらも今到着か」
「ああ、卿の背中が見えたのでな、声をかけたのだ。一緒に行こう」
クナップシュタインはそう言うと俺の肩を軽く叩いた。生真面目な彼には珍しい事だ、勝ち戦に少し高揚しているのかもしれない。

グリルパルツァーを見ると笑みを浮かべて肩を竦めるしぐさを見せた。どうやら俺と同じことを考えているようだ。いかんな、クナップシュタイン、そう簡単に相手に読まれてしまっては良い用兵家にはなれんぞ。

三人で艦橋へ向かいながら、話は自然と今回の戦いの事になった。
「それにしても圧勝だったな、それとも鎧袖一触と言うべきかな」
「終わってみればだ、グリルパルツァー少将。始まる前は正直勝つ見込みは少ないと思っていた……」

グリルパルツァーとクナップシュタインが話している。俺も同感だ、オーディンで二倍の敵が攻めてくると聞いたときには正直勝てると言う確信は無かった。メルカッツ提督が来るまで何とか防ぐ、それが精一杯だろう。メルカッツ提督が来たときには俺達の艦隊はボロボロに違いない、そう思っていた。

「まあ、これで宇宙艦隊で一番弱い艦隊とは言われずに済むだろう」
「そうだと良いがな、トゥルナイゼン少将」
「?」
「宇宙艦隊で一番弱い艦隊でもこれくらいの実力はある、司令長官ならそう言われるかもしれんぞ」

笑いながら言うグリルパルツァーに対しクナップシュタインが“それは酷い”とぼやいている。俺も酷いと思うがぼやいているクナップシュタインの表情は明るい。やれやれだ。

他愛ない話をしているといつの間にか艦橋に着いた。司令長官の所に向かうと副司令官クルーゼンシュテルン少将、参謀長ワルトハイム少将、副参謀長シューマッハ准将、キルヒアイス准将の姿があった。どうやら副司令官は俺達よりも先に来ていたらしい。

しかし提督席には司令長官の姿が無い。フィッツシモンズ中佐、ヴェストパーレ男爵夫人の姿もだ。

「やあ、ようやく来たか、待っていたぞ三人とも」
「参謀長、司令長官は?」
俺の問いにワルトハイム参謀長は微かに顔を曇らせた。

「閣下は少し疲れたと仰られてな、自室で休まれている。まあ本来ならまだ入院している所だからな」
「大丈夫なのですか」

「大丈夫だよ、クナップシュタイン少将」
「しかし……」
「そんな顔をするな、司令長官は卿らの働きを褒めていたぞ。戦闘が思いのほか短く済んだのは卿らの奮戦のおかげだと喜んでいた。早く休めると言ってな」

その言葉に笑いが起きた。クナップシュタインも笑っている、ようやく安心したらしい。

「司令長官より今後のことについて指示を受けている。卿らにも説明するが、先ずは座ってくれ、今男爵夫人がコーヒーを淹れている」
「男爵夫人がですか?」

俺の問いに参謀長は重々しく頷いた。
「勝ち戦のご褒美だそうだぞ、トゥルナイゼン少将。次に味わえる日が何時来るのか分からん、心して味わうのだな。但し、味の保証は私はしない。フィッツシモンズ中佐が手伝っているから、そう酷い事にはならんだろうが……」

「参謀長、まさかとは思うが司令長官はそれが原因で逃げたのではないだろうな。大体中佐はコーヒーが淹れられるのか? ココアを淹れているのは見たことがあるが」

「副司令官閣下、小官はそのどちらの質問に関しても答える権限を持っておりません。ノーコメントです。但し一言御忠告いたしますと、いかなる意味でも御婦人方の名誉を傷つけるような行為は慎むべきかと愚考いたします」

クルーゼンシュテルン少将とワルトハイム少将が互いに生真面目な表情で話している。一瞬妙な間が有った後、誰かが笑うとつられた様に皆で笑っていた。

「どうやら、出来たようだな」
グリルパルツァーが艦橋の出入り口の方を見ながら呟く。確かに出来たようだ。男爵夫人とフィッツシモンズ中佐がコーヒーを持ってくるのが見えた。

コーヒーが配られる、香りは悪くない。一口含んでみた、味も悪くは無い、なかなかいける。周囲を見渡すと、皆互いに視線を交わしている。予想以上に美味しいので驚いているようだ。

「さて、司令長官より今後の行動方針を皆に説明するようにと言われている。良く聞いて欲しい」
ワルトハイム少将の言葉に皆自然とコーヒーカップをテーブルに置いた。

「我々は此処に止まり、メルカッツ副司令長官と合流する。合流後はレンテンベルク要塞を攻略する事になる」
予想外の言葉だ、皆顔を見合わせた。

「参謀長、オーディンに戻るのではないのですか、司令長官の御身体を考えればその方が良いと思うのですが」
クナップシュタインの言葉に皆が頷いた。

「私もその事は言ったのだが司令長官は休息はレンテンベルク要塞で取るの一点張りでな、説得できなかった」
「……」

「レンテンベルク要塞を攻略後は、そこをオーディンと討伐軍との間の補給、通信の中継拠点、後方支援拠点として司令長官が使用するつもりのようだ。前線は殆どメルカッツ副司令長官に任せるのだろう」
「……」

「トゥルナイゼン少将」
「はっ」
「卿は捕獲した艦、捕虜、それに重傷者、損傷の酷い艦を率いてオーディンに戻ってくれ」

オーディンに戻る? それではレンテンベルク要塞の攻略戦は……。
「安心しろ、レンテンベルク要塞攻略に向かうのは卿が合流してからだ。此処からなら三日程で戻ってこられるだろう」

なるほど、メルカッツ副司令長官が此処に来るのは大体二日後だ。強行軍で疲れているだろう副司令長官に一日休息を与えると言う事か。
「承知しました」

「グリルパルツァー少将、クナップシュタイン少将」
「はっ」
「卿らには今回の戦いで使用した妨害電波発生装置の回収を頼む。オーディン近郊でそんなものを放置するわけにはいかんからな」
「確かにそうですな、承知しました」
グリルパルツァーの答えにクナップシュタインが頷く。

「クルーゼンシュテルン副司令官はこの場にて本隊の直衛を御願いします。キルヒアイス准将は戦闘詳報の作成を。男爵夫人、キルヒアイス准将のサポートを御願いします」

ワルトハイム参謀長の指示に特に異論も無く皆頷いた。指示が出し終わりまた皆でコーヒーを飲む。今度は当然だが今回の戦いの事が話題になった。話が盛り上がっていく中、参謀長が突然話を聞いて欲しいと言い出した。

「シュターデン大将の事だが私は最初、あの醜態を軽蔑した。なんと情けない姿だと。司令長官の仰るとおり、あれでは死んでいった者たちが浮かばれぬと」
ワルトハイム参謀長が首を横に振りながら話し始めた。

「だが、今ではシュターデン大将の気持が少し分かるような気がする」
「それはどういうことです」
俺の問いかけに参謀長は少しの間沈黙した。

「分進合撃に対して各個撃破など私は考えることが出来なかった。司令長官が居られたから勝つ事が出来たが、そうでなければオーディン近郊で防衛戦をしていただろう。となればシュターデン大将に包囲殲滅されていたかもしれない」
「……」

確かにそうかもしれない。参謀長だけではない、俺も各個撃破など考え付かなかった。参謀長の話が続く。
「そう考えるとだな、シュターデン大将の気持が少し分かるような気がするのだ。同情するわけではないが今回の戦いはほんの少し、いや、かなり運が悪かったのではないかとな。まあ運も実力の内ではあるが……」

「……勝者と敗者は紙一重、そんな感じですな」
「だがその紙一重が重いのだろう」
グリルパルツァー、クナップシュタインが言葉を続けた。全く同感だ、その紙一重が重いのだ、詰め切れない。皆も同じ思いなのだろう、それぞれの表情で頷いていた。


コーヒーを飲み終わり自分の艦に戻ろうとしたときだった。ワルトハイム参謀長に呼び止められ、参謀長室に誘われた。

「トゥルナイゼン少将、卿は幼年学校でローエングラム伯、キルヒアイス准将とは同期だったそうだな」
「はい」

「親しかったのかな」
妙な感じだ。参謀長室に呼んでローエングラム伯、キルヒアイス准将と親しかったかを訊くとは。変な誤解は受けたくない。はっきりと答えたほうが良いだろう。

「いえ、そうではありません。元々あの二人は周りとは打ち解けませんでした」
「そうか……」
参謀長は何度か頷いている。ますます妙な感じだ。

俺は嘘を言ってはいない。あの二人はいつも一緒だった。そして誰とも打ち解けようとはしなかった。能力が有るのは皆が認めたが、誰も近づかなかった。近づけなかった。妙な二人だった。

「トゥルナイゼン少将、捕虜の護送には十分に注意してくれ」
「と言いますと、何か気になる点でも」
俺の質問に参謀長は頷いた。表情が厳しい、かなり重大なことのようだが、それがローエングラム伯と関係が有るのか?

「ラートブルフ男爵だが、彼は例の誘拐事件の犯人の一味らしい」
「まさか……」
「司令長官の言葉だ。先ず間違いはないだろう」
「……」

あの誘拐事件にラートブルフ男爵が絡んでいる。だとすると……。
「あの事件には謎がある。近衛の中に誘拐犯に協力する人間がいたこともあるが、その近衛が司令長官を暗殺しようとしクーデター紛いの事をしている。ラートブルフ男爵はその辺りの事を何か知っているかもしれん」

「だとすると、暗殺の危険がありますか?」
俺の言葉に参謀長は大きく頷いた。
「あの事件の謎は未だ解明されていない。解明される事を望まない人間が男爵を如何思うか……。司令長官もそれを心配していた」

「参謀長は宇宙艦隊の中にそのクーデターの協力者が居るとお考えですか……」
「分からん、それ以上は言うな、トゥルナイゼン少将。確証はないのだ、それに……」
参謀長の表情が歪んだ。

誘拐事件の時、一時司令長官の安否が不明になった。あの時のローエングラム伯の行動は決して快いものではなかった。たとえそれが混乱を早期に収束させようとしたものでもだ。それ以来、ローエングラム伯とクーデターの関係を危惧するものは少なくない。

ジークフリード・キルヒアイス……、ローエングラム伯に疑いがある以上、その腹心である彼が絡んでいない筈が無い。先程のキルヒアイスを思い出す。口数が少なかった、元々控えめな男だ、その所為かと気にもしなかったが、まさかラートブルフ男爵の事で気もそぞろだったか……。

「とにかく、注意してくれ。オーディンではキスリング准将にラートブルフ男爵を引き渡してくれ。准将とは既に話はついている」
「承知しました」



帝国暦 487年 12月16日  オーディン 新無憂宮 クラウス・フォン・リヒテンラーデ



「国務尚書閣下、ヴァレンシュタイン司令長官がオーディンへ押し寄せた敵、三万隻を撃破しました」
「……」

目の前でエーレンベルク元帥が声を弾ませている。ま、気持は分からなくも無い。後ほど陛下にもお伝えせねばならん。さぞかしお慶びになるじゃろう。大分心配しておられたからの。

「敵の指揮官、シュターデン大将、そしてラートブルフ男爵、シェッツラー子爵はいずれも捕虜となっています。彼らは明日にはオーディンへ護送されてくるでしょう」

「三万の敵はヴァレンシュタイン司令長官の前にあっけなく溶けましたな」

「……」
エーレンベルク元帥だけではない、シュタインホフ元帥までもが声を弾ませている。

「閣下、如何されました。余り嬉しそうではありませんが」
私が沈黙している事に不審を抱いたのだろう。エーレンベルク元帥がシュタインホフ元帥と顔を見合わせながら聞いてきた。

「そんな事は無い、だがの、あれはもう少し何とかならんか」
「?」
「こうまで圧勝するなら今少し自信のある言葉を言っても良かろう。“まあ、何とかなるでしょう”などと言わんでも……」

エーレンベルク、シュタインホフ両元帥が顔を見合わせ苦笑した。
「笑い事ではないわ。もし敵が攻め寄せたら陛下の御身をどうやってお守りするか、必死で考えておったのじゃぞ。それなのに終わってみれば完勝ではないか、あの苦労はなんじゃったのか……」

「お気持は分かりますが、まあ大言壮語した上で敗れるよりはましでしょう」
「軍務尚書の言う通りです。元々ヴァレンシュタイン元帥は大言壮語は吐きませんからな。あれでも努力したほうです」

軍務尚書と統帥本部総長の二人が口々にヴァレンシュタインを弁護する。
「分っておる、本心で言っておるわけではない、ただの愚痴じゃ。それでヴァレンシュタインはこの後どうすると言っておる」

「レンテンベルク要塞を落とすそうです。落とした後は其処を討伐軍の拠点として利用する事になります。ヴァレンシュタインは其処で療養しながら討伐軍全体の動きを見ることになるでしょう」

「軍務尚書の御意見に付け加えさせていただきますとレンテンベルク要塞はオーディンからも遠く有りません。あそこにヴァレンシュタイン司令長官が居るとなれば、貴族連合軍も滅多な事でオーディンには近づけないはずです」

なるほど、ヴァレンシュタインがレンテンベルクに居ればオーディンの反逆者どもも滅多な事では動けんか。ラートブルフ男爵が捕虜になったと言うし、好都合じゃの。

そろそろ例の件も取り掛かるとするか。良い土産を寄越すではないか、ヴァレンシュタイン。気が利くの。ローエングラム伯も間も無く辺境星域に着く筈じゃ。武勲を余り挙げられては面白くない、潮時じゃ……。

「例の件じゃが、そろそろ取り掛かるつもりじゃ」
私の言葉にエーレンベルク、シュタインホフが顔を見合わせた。
「不満かの」

「いえ、よろしいかと思います。幸いラートブルフ男爵が捕虜になりました。少なくともこれで内務省は押さえられるでしょう。問題は有りません」
「同感ですな」
エーレンベルク、シュタインホフが頷いた。

「ローエングラム伯の弱点は伯爵夫人じゃ。其処から突いて見ようと思うておる。内務省については憲兵隊、情報部の力を借りる事になるが頼むぞ」
「憲兵隊はいつでも動けます」
「情報部もです」

「レンテンベルクを落とすのにどの程度かかるかの?」
「レンテンベルク要塞までざっと六日はかかります。それから攻略戦になりますから……」

妙じゃの、エーレンベルクにしては歯切れが悪い。大体要塞などそれほど落とすのに時間がかかるものとも思えん。イゼルローン要塞のように艦隊が駐留しているとか、トール・ハンマーがあるわけでもあるまい……。

「なんぞ、気になる事でも有るか?」
「はっ、レンテンベルクにはオフレッサーが居ると聞いています」
シュタインホフの返事に沈黙が落ちた。どうやらレンテンベルク要塞は簡単には落とせぬようじゃ、苦労するのヴァレンシュタイン……。







 

 

第百八十四話 副司令長官

帝国暦 487年 12月17日  オーディン   イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン



オーディンに着いたのは十七日の早朝だった。シュターデン大将、そしてラートブルフ男爵、シェッツラー子爵以外の捕虜は宇宙港に来ていた憲兵隊に引き渡した。捕虜は百万人を超えるだろう。一旦は矯正施設に送るそうだが内乱終結と同時に軍への復帰を勧めるそうだ。

問題は残りの三名だ。キスリング准将に引き渡すはずなのだが准将が見えない。俺は捕虜及び護衛兵五十名と共に准将を待つ。五十名の護衛は少し多いかとも思ったが、出発前にしたワルトハイム参謀長との会話を考えるとこのくらいは必要だろうと考えたのだ。

ギュンター・キスリング准将、司令長官の友人で信頼の厚い人物だ。よく宇宙艦隊司令部にも出入りしている。国内の治安維持では司令長官がもっとも頼りにする人物と言ってよいだろう。

十人ほどの憲兵がこちらに近づいてくるのが見えた。
「トゥルナイゼン少将ですね」
「そうだが、卿は?」

「憲兵隊のボイムラー大佐です。シュターデン大将、ラートブルフ男爵、シェッツラー子爵を受け取りに来ました」
ボイムラー大佐は長身の鋭い目をした三十代後半の士官だった。

「捕虜はキスリング准将に直接引き渡す事になっているはずだが?」
「キスリング准将は急用が出来ました。小官に代わりに捕虜を受取るようにと命じたのです」

妙な話だ。この捕虜を受取るのは何にもまして重要なはずだ。それが急用? この件以上に重要、緊急な要件などあるのだろうか? ボイムラー大佐をもう一度見た、かなり鍛え上げている。一緒に居る兵士も同様だ。

「大佐、准将の急用とは何だろう?」
「さあ、小官には分かりかねます。ただ軍務省に行かねばならないと言っていましたが……」
軍務省か、准将が軍務省に呼び出される、今この時なら有り得ない話ではない……。

「卿を疑うわけではないが、念のため憲兵隊に連絡を取らせてもらいたい」
「その方がよろしいでしょう、どうぞ」
やはり気のせいか……。

憲兵隊本部に連絡を取った。携帯用TV電話に女性下士官の姿が映る。
「ボイムラー大佐をお願いする。私はトゥルナイゼン少将だ」
「トゥルナイゼン少将、ボイムラー大佐は捕虜受け取りのため宇宙港に行っていますが」
「そうか、有難う」

少し神経質になっていたようだ。どうやらキスリング准将は精鋭を送ってくれたらしい。
「大佐、不愉快な思いをさせたようだ、申し訳ない。捕虜を……」
引き渡そうという言葉は出せなかった。

「トゥルナイゼン少将」
声のほうを見るとキスリング准将だ。慌てて目の前のボイムラー大佐を見た、苦虫を潰したような表情をしている。

「卿は……」
ボイムラー大佐は何も言わずに立ち去った。一瞬追わせるべきかとも思ったが、止める事にした。連中は一筋縄ではいかなさそうだ、下手をすると死傷者が増えるだけだろう。

「トゥルナイゼン少将、さっきの男は誰だ? 憲兵隊のようだが……」
「キスリング准将が急用が出来たので代わりに捕虜を受取りにきたと言っていました」

案の定だ、キスリング准将の表情が厳しくなった。黄玉色の瞳がボイムラー大佐が去っていく方向を見る。
「俺はそんな事は誰にも頼んでいない」

「憲兵隊のボイムラー大佐だと。憲兵隊本部にも確認しましたがボイムラー大佐は宇宙港に捕虜を受け取りに行ったと言われましたよ」
「ボイムラー大佐なら知っている。此処に来ているよ、卿が言った様に捕虜を受けとりにな。だが、あの男じゃない」
キスリング准将が吐き捨てるような口調で言葉を出した。

「なるほど、良い所に准将が来てくれました。もう少しであの男に捕虜を渡すところでしたよ。あの男、一体何者です?」
「……」
准将は厳しい表情をして口を噤んでいる。

「教えてはいただけませんか」
「……おそらく内務省の人間だろう」
「……」

内務省? 意外な言葉に面食らっている俺に准将は薄い笑みを見せた。
「驚いているようだな、少将。十月十五日の勅令で追い詰められたのは貴族だけじゃないって事だ。皆生き残りをかけて戦っている、これまで得たものを失わないために、或いは新しく何かを得るために」
「……」

「此処へ来る途中、地上車が故障した。どうやら最初から仕組んだようだな、と言う事は……」
「と言う事は?」

「ラートブルフ男爵の持つ情報はそれなりのものだと言う事だろう。これから忙しくなるだろうな」
「……」
キスリング准将の黄玉色の瞳が酷薄な色を見せて光っている。准将は獲物を見つけたようだ、それも飛び切り最上の獲物を……。




帝国暦 487年 12月17日  ローエングラム艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


旗艦ブリュンヒルトの艦橋は重苦しい沈黙に包まれている。原因はただ一つ、司令官ローエングラム伯の不機嫌にある。提督席に座っている伯は明らかに不機嫌な感情を周囲に発している。整った顔立ちだけに不機嫌さを表に出されると皆敬遠してしまうのだ。

事の起こりは四日前の事だった。シュターデン大将率いる三万隻の貴族連合軍がフレイア星系を制圧中のメルカッツ副司令長官率いる本隊をすり抜けオーディンに侵攻中との連絡がエーレンベルク軍務尚書から入った。

そしてメルカッツ提督は現在シュターデン提督を追撃中、ヴァレンシュタイン司令長官が迎撃に向かうからローエングラム伯率いる別働隊はこのまま辺境星域に向かうようにと。

そのときのローエングラム伯の反応は余り思い出したくない。軍務尚書に対してこれからオーディンに戻ると言い出したのだ。正気ではなかった、素人の私から見てもローエングラム伯がオーディンに戻るよりもメルカッツ提督達がオーディンに戻るほうが早い。

一時的に貴族連合軍がオーディンを制圧するかもしれない。しかし一時的にだ。直ぐにメルカッツ提督達に一掃されオーディンは取り戻されるに違いない。それなのに軍事の専門家であるはずの伯は自分がオーディンに戻る事に固執した。

結局はエーレンベルク軍務尚書に私が考えたことと同じ事を言われて何も言い返せずに終わった。そしてエーレンベルク軍務尚書との通信が終了すると重傷者の司令長官に迎撃戦が出来るのかと言い募り、メルカッツ副司令長官を役に立たぬと罵った。

そして自分ならシュターデン大将を軽く一蹴しグリューネワルト伯爵夫人を守ることが出来るのだと何度も繰り返した。別働隊の総指揮官が戦争全体の事よりも自分の感情に振り回されている。しかもそれを隠そうとしない。溜息が出る思いだった、何度目だろう、伯に対してそう思うのは……。

昨日、艦隊を三つに分けたシュターデン大将がヴァレンシュタイン司令長官によって各個撃破され貴族連合軍が壊滅した事が分かった。オーディンは守られ危機は去った。グリューネワルト伯爵夫人の安全も確保された、喜んで良いはずだった。

だがローエングラム伯はそれ以来、口を噤んだまま一言も喋らない。いや、一言だけ喋った。軍を三分割したシュターデン大将を無能と罵ったこと、それだけだった。そしてブリュンヒルトの艦橋は重苦しい沈黙に包まれている。

少しずつ伯の事が分かってきたような気がする。この人は自分が頂点に、中心に居なければ気がすまない人なのだ。それだけの才能と自負を持ち自分に自信を持っている。

ヴァレンシュタイン司令長官がシュターデン大将を打ち破った事を素直に喜べない事がそうだ。本当なら軍全体の事、グリューネワルト伯爵夫人の安全が確保された事を素直に喜んでいい。それなのにそれが出来ない。

彼にとっては功績を立てるのは自分であり、自分の率いる軍であるべきなのだろう。だが現実は功績を立てているのはヴァレンシュタイン司令長官であり彼の率いる軍だ。

ヴァレンシュタイン司令長官が敵ならローエングラム伯も楽だったに違いない。“見事だ、でも次は叩き潰してやる”そう言って司令長官を賞賛する事も出来ただろう。しかし、味方である事がローエングラム伯の感情を複雑にしている。

認めたくないが認めざるを得ない。認める事は出来ても素直に感謝は出来ない。そしてそんな自分自身に対して不満を持っている、何と自分は狭量なのだろうと。今ローエングラム伯が不機嫌なのは自分が不遇である事への不満であり、自分自身の感情に対しての不満だろう。

不幸だと思う。感情を制御出来ない副司令長官と冷静で有りすぎる司令長官。歳が離れているならまだしも二人は殆ど年齢は変わらない。これでは周囲の人間から見てローエングラム伯の未熟さだけが目立ってしまう。皆が司令長官に近づくのも無理は無い。人を統率するのは才能だけの問題ではないのだ。

配下の艦隊司令官達は皆ヴァレンシュタイン司令長官が挙げた武勲に賞賛を送っている。そしてそれが出来ないローエングラム伯に不満を持っている。他者の功績を認めることが出来ない人物に上に立つことが出来るのだろうかと……。



帝国暦 487年 12月17日  帝国軍総旗艦ロキ   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「司令長官閣下、申し訳有りませんでした」

総旗艦ロキの艦橋に四人の提督が集まっている。メルカッツ、ケスラー、クレメンツ、ケンプ、フレイア星系を制圧していた指揮官たちだ。アイゼナッハはレンテンベルク要塞の監視をしているらしい。皆面目無さげな表情をしている。

確かに彼らはミスを犯した。フレイア星系の制圧に気を取られシュターデンの艦隊がフレイア星系の外縁をすり抜けるのに気付かなかった。メルカッツは副司令長官なのだ。戦局全体を見なければならないのにそれを怠ったのは重大な失態だ。

それが致命的なミスにならなかったのは貴族連合軍が適切な軍を編制しなかったからに他ならない。言わば俺たちは敵のミスに助けられたのだ。自慢になる事ではない。

戦争である以上、人間のやることである以上ミスは起きる。どちらが勝利者になるかは、ミスの度合いが小さいほうはどちらか? 相手のミスをより効果的に利用したのは誰か、で決まるのだが……、それよりちょっと鬱陶しいな、こいつら!

俺が提督席で毛布かぶって座っているのを見下ろすんじゃない。俺は見下ろされるのが好きじゃないんだ。おまけにこんな体調の悪い所を見られるのは誰にとっても面白くないだろう、少しは察してくれ。

「座りませんか」
俺は席を勧めたが、誰も座ろうとしない。
「これでは落ち着いて話も出来ないでしょう、座ってください」

出来るだけ穏やかに、にこやかに席を勧めた。メルカッツ達は顔を見合わせてから躊躇いがちに席に座った。世話の焼ける奴らだ。
「気にしないでください、メルカッツ提督。全てが思い通りにいく戦争なんて有りません」

「ですが」
「今回はシュターデン大将がなかなか上手くやりました。まあ最後で艦隊を分ける等と失敗しましたが」
「……」

いかんな、メルカッツは責任を感じているようだ。気分をほぐそうと軽口を叩いたのだが誰も笑わない。俺はこの手の場の雰囲気をほぐす冗談が下手らしい、困ったものだ。

俺は彼らを叱責しても良い。叱るべき時に叱る、それは当たり前の事なのだが今が叱るべき時なのかと言われるとちょっと疑問符が付くのだな、これが。

メルカッツは新任の副司令長官だ、その最初の任務で失敗して司令長官に叱責されたなどとなったら本人は、周囲は如何思うだろう?

メルカッツは元々自分の能力に自信を持っていないようなところが有る。俺のような年下の上司に叱責されたらそれが更に酷くなってしまうだろう。周囲もメルカッツの力量に疑問符を抱き彼を軽視しかねない。

この先、メルカッツには大きく働いてもらわなければならないのだ。それに俺に万一の事が有った場合には彼に宇宙艦隊司令長官になってもらわなければならない。彼のプライドを傷つけるようなことや、立場を揺るがすような事は決してしてはならないだろう。

幸いメルカッツは慎重で堅実な性格だ。今回のような失敗を二度も犯す事は無いだろう。本人も十分に反省しているのは彼の様子を見れば分かる。敢えて叱る必要は無い。

安心したのはケスラー、クレメンツ、ケンプ達が今回の失敗を他人事のように思ってはいない事だ。皆神妙な表情をしているから少なくとも今回の失敗をメルカッツ一人の責任だとは考えていない。

大丈夫だ、メルカッツは副司令長官として十分に人の上に立つ資格がある。後は経験が彼に自信を付けさせてくれるだろう。俺が今成すべき事は俺がメルカッツを信頼していると言う事を彼と周囲にどうやって認識させるかだ。

上に立つのも結構大変なのだ。それなりに周囲に配慮がいる。俺は結構苦労していると思うのだが、誰もそれを労わってくれない。楽に司令長官をこなしていると見られているようだ。

さて、これから今後の事を話さなければならない。レンテンベルク要塞を落とす。そして俺はレンテンベルク要塞に入りオーディンと討伐軍の通信、補給の維持と戦争全体のコントロールをしなければならんだろう。フェザーン方面もリヒテンラーデ侯に任せきりとは行かない。前線指揮はやはりメルカッツに頼むしかない。

俺がレンテンベルク要塞にいるとなれば、内務省の連中も簡単にはクーデターは起こせないはずだ。万一の場合は俺の艦隊がオーディンを制圧する事になる。三個艦隊を撃破した後だ、威圧には十分だろう。向こうに先手を取られたが、ようやく反撃のときが来たようだ……。



 

 

第百八十五話 レンテンベルク要塞

帝国暦 487年 12月20日  ガイエスブルク要塞   アントン・フェルナー


「どうかな、フェルナー」
「ようやく皆落ち着いたようです」
「そうか、世話の焼けることだ」
ブラウンシュバイク公は自室で椅子に座り溜息を吐いた。テーブルの上にはワインボトルとグラスが置いてある。

この一週間は嫌と言うほど事が多かった。十二月十三日、シュターデン大将率いる三万の艦隊はフレイア星系を突破した。二日後の十二月十五日、オーディン近郊においてエーリッヒ率いる一万五千の艦隊の前に各個撃破され、シュターデン、シェッツラー子爵、ラートブルフ男爵は皆捕虜となった。

そして十二月十九日、昨日の事だがエーリッヒは自らメルカッツ、クレメンツ、ケスラー、ケンプを率いてレンテンベルク要塞攻略に向かった。

この間の貴族達の動揺は酷いものだった。十三日には歓喜の声を上げ、十五日には蒼白になり、十九日には不安に駆られ怯える始末だった。戦争で仲間が敗れると言う事が信じられなかったのだろう。特に二倍の兵力を持ちながらエーリッヒに一蹴されたということが彼らを不安にさせている。

「グライフス総司令官が公に感謝しておりました。貴族達の出撃要請を良く抑えてくれたと」
俺の言葉にブラウンシュバイク公は詰まらない事を言うなというように軽く苦笑した。そしてワインを少し飲むと話しはじめた。

「当然の事をしたまでだ。グライフスの敵を待ちうけて戦うというのが間違っているとは思わん。貴族連合軍は烏合の衆だ、出て行けば負けるのはシュターデンが証明している、となれば待ち受けて一戦で勝敗を決めるしかあるまい」

「……」
「それにグライフスが言っていたが、彼らが出撃したいと言うのは恐怖の裏返しに過ぎん。強大な敵を迎え撃つと言うのは酷く辛いものだ、それよりは早く出撃して楽になりたい、そう思っているだけだろう。勝敗など関係ないのだ」

そういう味方をまとめて戦わなければならない。公の苦衷どれほどのものか、騒いでいるだけの貴族達には分かるまい。

貴族連合軍は烏合の衆、その通りだ。シュターデン大将が一時的にメルカッツ提督達を出し抜いたのは、シェッツラー子爵、ラートブルフ男爵が強大な敵艦隊を前に怯えたからに他ならない。恐怖が軍事の専門家であるシュターデン大将に頼らせた。

しかし、フレイア星系を突破した時点でその恐怖が消えた。オーディンとの間に立ち塞がるのは自軍の半数しかないエーリッヒの艦隊だと知ったとき彼らは欲に駆られ驕慢さと自儘さを露わにした。

統制しきれなくなったシュターデン大将は軍を三分割し、そして各個撃破された。軍を一つにしておけば、勝敗の行方はまだ分からなかっただろう。一時的にはオーディンを占拠する事も出来たかもしれない。彼らの驕慢さがその可能性を消してしまった。

待ち受けて一戦で勝敗を決める、強大な敵が、魔神ロキがガイエスブルク要塞にやってきたとき、貴族連合は恐怖から団結するだろう。そして初めて生き残るために戦うに違いない。

「レンテンベルク要塞にはオフレッサーが居るな」
「はい」
「あの男に死に場所をと思ってレンテンベルクに行かせたが、それが良かったのかどうか……」

ブラウンシュバイク公は苦悶に満ちた声を出した。
「味方の援護も無しに戦わせる事になる。ガイエスブルクで共に戦うべきだったかもしれん、そう思うとな……」

「閣下……、レンテンベルク要塞に行く事はオフレッサー上級大将御自身が望んだ事と聞いています。公が御悩みになる事ではございますまい」

俺の言葉にブラウンシュバイク公は頷かなかった。ただ表情を曇らせたまま静かに考えこんでいた……。


帝国暦 487年 12月20日  オーディン 新無憂宮  クラウス・フォン・リヒテンラーデ


「捕虜のほうは何か分かったか?」
「シュターデン大将が自殺しました」
「自殺?」

私の問いにシュタインホフ元帥が苦い表情で頷いた。エーレンベルクも苦い表情をしている。三名の捕虜の内、シェッツラー子爵、ラートブルフ男爵は憲兵隊が預かり例の誘拐事件との繋がりを調べ、シュターデン大将は情報部が預かり貴族連合軍の内実を調べる事になっている。

「シュターデン大将から貴族連合軍の内情を探ろうとしたのですが……」
「?」
「彼は戦術論を話すだけだったそうです。自分は間違っていない、ヴァレンシュタインの用兵こそ邪道であると」

負けた人間が何を言っておる。自己弁護で自分が無能ではないとでも言いたいのか、たわけが!

「翌日、改めて取り調べようとした所……」
「死んでおったか」
「……首を吊っていたそうです」
重苦しい空気が国務尚書専用の休憩室に漂った。

「他殺と言う事はあるまいの」
念のため問いただしてみたがシュタインホフは首を振って否定した。

「首を吊るくらいなら、降伏などせずに自決すればよかろう、どうも中途半端じゃの」
シュターデンの顔を思い出した。何処か不機嫌で神経質そうな表情をした男だった。あれでは余り他者から好かれるという事は無かっただろう。

「指揮官ですからな、敗戦の責めは自分が取るべきだと思ったのかもしれません。その場で自決しては結局は部下に責任が行きます」
エーレンベルクの言葉にシュタインホフも頷いている。

そういうものかと思った。長年生きて軍人というものを見てきたが未だに良く分からんところがある、ヴァレンシュタインもシュターデンと同じだろうか、というよりあれが負けることがあるのだろうか、どうも想像がつかんの……。

「まあ、それも好意的に考えればです。ただ自分の考えを述べたかっただけなのかもしれません。シュターデン大将が死んだ今となっては謎ですな」

なるほど、死んだ人間には皆優しいの。シュタインホフの言葉に今度はエーレンベルクが頷いている。二人とも何処か死者を悼むような表情だ。感傷じゃの。

「それで、そちらはどうなのじゃ」
私の言葉にエーレンベルクはそれまでの感傷に満ちた表情を捨て厳しい男の表情をした。

「ラートブルフ男爵は誘拐犯の一人である事は認めました。しかし計画の立案は殆どランズベルク伯が行なったそうで何も知らぬと……」
「協力者については如何じゃ」
「その点についても何も知りませんでした。彼らはランズベルク伯が連れて来たそうです。皆覆面をして顔を隠していたと言っています」

エーレンベルクの答えに思わず舌打ちが出た。
「ランズベルク伯に誘拐計画など立てられる訳があるまい。あの下手な詩を創るしか能の無い男に……。誰かが絵図を描いた筈じゃ」

「ラートブルフ男爵の供述で誘拐直後に使用した隠れ家が分かりました」
「それで」
「持ち主はアドルフ・エッカート大尉、戦争で行方不明になっています。しかも家族が居ません。であるのに購入されたのは十一月の初旬のことです。偽装購入されたものでしょう」

「……」
何も分からぬということか、ラートブルフ男爵も役に立たぬ。そう思っているとエーレンベルクが言葉を続けた。

「宇宙港で憲兵に成りすまし、捕虜を受け取ろうとした男がいます。宇宙港の監視カメラに映っていました。念のため隠れ家を扱っていた不動産屋に写真を見せた所、購入したのはその男だと証言しました。名前はアドルフ・エッカート……」

思わずエーレンベルク、シュタインホフの顔を見た。二人とも難しい表情をしている
「何者かの、その男」
「おそらく内務省に関わりのある男でしょうが正規の職員ではないと思います。今、憲兵隊、情報部が全力で追っています」

エーレンベルクの後をシュタインホフが繋いだ。
「過去に軍に所属した事があるかもしれません。そうであれば割り出しは難しくないでしょう。もう暫くお待ちください」



休憩室を出てから南苑に立ち寄りグリューネワルト伯爵夫人に面会を申し込んだ。伯爵夫人は少し困惑したような表情をしている。

「リヒテンラーデ侯、何か私に御用でしょうか」
「いやいや、久々に伯爵夫人の御顔を拝見したくなったまでです。いけませぬかな」
「……」

「ローエングラム伯が戦場にある今、何かとお寂しいでしょう、連絡は取っておいでですか?」
「いえ、そのような事は……」

「はて、いけませぬな。たった二人の御姉弟なのです、連絡を取られては如何です。最近オーディンも何かと物騒ですからな、伯も安心するでしょう。伯には辺境星域の平定という大仕事があります、万全な状態で戦いに赴いてもらわないと」
「……」

「大丈夫、陛下は御優しい方です。伯爵夫人がローエングラム伯と連絡を取ったからと言ってお怒りにはなりますまい」
「御心遣い、有難うございます」

「エーレンベルク元帥が伯を褒めておりましたぞ。才能と覇気に溢れた人物だと。少々覇気が有り過ぎるのが困ったものだとも言っておりましたが、まあ将来が楽しみですな。いや、お邪魔しました。ではこれにて失礼をします」
「……」



伯爵夫人の元を辞去し、執務室に戻ろうとするとマリーンドルフ伯が近づいてきた。少し緊張しているようじゃ。
「閣下、妙な噂が流れておりますが?」
「妙な噂?」

伯は何処か人気の無い所で話したがったが、私は時間が無いから歩きながら話そうと伯にいった。マリーンドルフ伯も止むを得ず僅かに斜め後ろに付いて話し始める。おそらく聞き耳を立てているものが居るじゃろう。

「先日のヴァレンシュタイン元帥狙撃事件ですが、軍の一部に加担するものが居るのではないかと……」
「……」

「侯はご存知では有りませんか?」
「初めて聞くが、それは証拠が有っての事かの?」
「いえ、それはあくまで噂ですので……」

噂か、その噂の続きはヴァレンシュタイン元帥が暗殺されかかった事から犯人はヴァレンシュタインの存在を邪魔に思うものではないのか……、そんな内容のはずだ。マリーンドルフ伯が緊張しているのも娘がローエングラム伯のところに居るからだろう。

「証拠も無しに疑うのはどうかの、貴族連合軍の謀略と言う事もあるじゃろう。乗せられてはいかぬ」
「なるほど……」

なるほど、と相槌を打ったがマリーンドルフ伯は納得してはいないようだ。まあ無理も無い事では有る。

「まあ何か有るなら憲兵隊が調べるであろう、我等は己の仕事をしようではないか、マリーンドルフ伯」
「はっ」

これで明日には一層宮中で噂になるはずじゃ、貴族連合軍の謀略か、それとも真実か。私が軍の関与を否定した事で、向きになって軍の関与を声高に言うものも現れるだろう。

伯爵夫人は大分こちらを警戒していたの。伯爵夫人の耳にも噂は入っているようじゃ。まあそう仕向けたのは私じゃが。

どう動くかの……。伯爵夫人自身多少の不安は有るのじゃろう。しかし直接ローエングラム伯に確認を取るか? まず取るまいの。この状態で直接連絡を取るのは危険なことぐらい彼女も理解していよう。その程度も分からずに宮中で生き残る事など出来ぬ。

となると連絡を取るのは……。さて石を池に投じてみたが、何処まで波紋が広がるかじゃの、第二、第三の石が必要になるかもしれん。石の名前はアドルフ・エッカートと言う事になりそうじゃ……。



帝国暦 487年 12月24日  帝国軍総旗艦ロキ   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



目の前のスクリーンにはレンテンベルク要塞が映っている。これからあれを攻略するのだが余り気が進まない。なんといってもあれを守るのがオフレッサーなのだ。まあ原作でも奴が守っていたから原作どおりと言える、律儀な奴だ。

それに比べて要塞駐留艦隊はガイエスブルクに後退したらしい。こいつは原作どおりじゃない。つまりオフレッサーは孤立無援ということになる。どう見ても奴に勝ち目は無いのだが降伏勧告を送っても拒否してきた。オフレッサーは死ぬ気だということだろう。

レンテンベルク要塞を攻略する方法はたった一つ、第六通路を確保する事だ。レンテンベルク要塞の中心部には核融合炉がある。こいつが要塞全域に対してエネルギーを供給しているのだが、外壁から最短距離で核融合炉に至るルートが第六通路なのだ。此処を制し核融合炉を制すれば要塞を制することになる。

しかし問題は火器の集中使用が出来ない事だ。誤って核融合炉を直撃すれば誘爆してしまうだろう。つまり白兵戦で確保しなければならない。オフレッサーも当然それは分かっている。原作ではゼッフル粒子を充満させ軽火器さえ使えなくして第六通路を守った。

八時間、オフレッサーは八時間通路を守っている。攻撃の回数で言えば九回だ。落とし穴に落ちなければ更に時間と回数は更新されただろう。

俺としては九回も十回もそんな阿呆な事には付き合いきれん、さっさと穴掘って終わらせようと思ったのだが、リューネブルクがオフレッサーとは自分が戦うとぬかしやがった。

俺は何度も止めたし、穴を掘って落とせと言ったのだが野郎、拒否しやがる。何考えてんだかさっぱりわからん。とにかく“自分はオフレッサー閣下と戦わなければなりません、そういう運命です”の一言だ。

何が運命だ、それなら俺はどうなる。転生者が宇宙艦隊司令長官でラインハルトの代わりに内政改革をしようとしている。これが運命か? この世界に生まれたときから決まっていたとでも言うのかね、馬鹿馬鹿しい。

“勝てるのか?”
“勝算は有ります”

本当にそう思っているのかどうかは分からんが、リューネブルクは自信に溢れた口調で答えた。こうなったら任せるほか無いだろう。リューネブルクを信じるしかない。頼むから死なんでくれよ。三十年後の未来を見る、俺達はそう約束したはずだ。

周囲を見た。リューネブルクの姿が見えないことが不安だった。信じるんだ、奴は既に強襲揚陸艦に乗り込んでいるはずだ。
「全力をあげてレンテンベルク要塞を落とします。攻撃、開始」
レンテンベルク要塞攻防戦が始まった……。



 

 

第百八十六話 勇者の中の勇者

帝国暦 487年 12月24日  レンテンベルク要塞 ヘルマン・フォン・リューネブルク



強襲揚陸艦がレンテンベルク要塞に取り付くのは問題なかった。敵は艦隊戦力を持っていない。艦隊からの砲撃で要塞を牽制しその間に強襲揚陸艦でレンテンベルク要塞に接舷した。

此処までは難しくない、問題はこの先だ。案の定だがオフレッサーは第六通路にゼッフル粒子を蔓延させている。火器は一切使えない。此処から先は白兵戦だ。オフレッサーを相手にするとなれば凄惨な戦いになりかねない、そうせずに勝つ事が出来るか……。

接舷した強襲揚陸艦の一隻に臨時の指揮所を設けると同時に、監視カメラを要塞内に設置し戦況を観察できるようにする。

「リューネブルク中将、攻撃準備出来ました」
「うむ。ベックマン大佐、クラナッハ大佐、そろそろ始めてくれ。但し無理はするなよ」
「はっ」

白兵戦に使われるトマホークは炭素クリスタルで作られている。標準サイズは全長八十五センチ、重量六キロ。それを片手で振り回すが、オフレッサーは全長百五十センチ、重量九.五キロのトマホークを両手で使う。

装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将、二メートルを越える身長と骨太な骨格をたくましく力強い筋肉に包ませている。この巨体が全長百五十センチ、重量九.五キロのトマホークを使うときその破壊力は想像を絶する。

まともには闘えない。ならばまともに闘わなければいい。装甲服は完全な断熱構造になっており人間が耐えられる限度は二時間だ。オフレッサーを二時間振り回す。彼が装甲服を脱いでからが勝負だ。

ベックマンもクラナッハも派手な所は無いが堅実で慎重な男だ。戦果に逸ることなく冷静に闘う事が出来るし、どちらかと言えば個人戦より集団戦を得意としている。

オフレッサーを相手に押せば退く、退けば押すといった時間稼ぎの作戦を行なうには適任だろう。



「閣下、上手く行きませんな」
「そうだな、やはり駄目か」
「はい」

……四時間経った。四時間経ってもオフレッサーは装甲服を着用したまま闘い続けている。この間こちらはベックマンとクラナッハが交代で闘ったのだが……。

スクリーンにはベックマン大佐の疲れたような表情がある。ベックマンもクラナッハも良くやったと言える。こちらの損害を出来るだけ抑え、オフレッサーに四時間を費えさせたのだ。負け戦ではあるが十分に時間は稼いだ。しかし、オフレッサーは装甲服を着用したままだ。俺の目論みは外れたようだ。

「どうやら薬物を使用しているようだな」
「おそらくそうでしょう」
オフレッサーは薬物を使用している。興奮剤か、覚醒剤か、どちらにしろ時間稼ぎの意味は無くなった。

「次は俺が出る」
「閣下!」
ベックマンは不安そうな顔をしている。まあオフレッサー相手では仕方ないか、とは思ったがあまり面白くは無かった。思わず苦笑が出た。

「そんな顔をするな、これでも一応オフレッサー対策は練ってきたのだ。最初から俺が出るべきだったかもしれん」
「……」
「これからそっちにいく、待っていてくれ」

スクリーンを切ると装甲服を着た。そしてトマホークと戦闘用ナイフを用意する。トマホークはこの日のために用意した特注品だ。全長七十五センチ、重量四.五キロ。標準サイズより十センチ短く、一.五キロ軽い。戦闘用ナイフは二本、左右の腰に装備した。そしてもう一つ、変形のナイフを正面からは見えないように背後から腰に挿す。

司令長官の言う通り、落とし穴でも仕掛けたほうが良かったか? 否、これは俺とオフレッサーとの間で付けなければならない誓約なのだ。あの日、シュラハトプラットを食べた時から、装甲擲弾兵総監になりたいと答えたときから決まっていた事だ。避ける事は出来ない。

今になってみればベックマンとクラナッハを最初に出したのは間違いだった。最初から俺が出るべきだった。それが出来なかったのはやはり心のどこかでオフレッサーが怖かったのだろう。情けない話だ。

俺が装甲服を着て出て行くとオフレッサーの部下たちの間から興奮のような囁きが漏れた。一応俺もそれなりに評価されているらしい。
「オフレッサー閣下、ヘルマン・フォン・リューネブルク、推参。一騎打ちを所望!」

闘いを前にした昂揚した気分と馬鹿なことをしているという醒めた気分が心の中で入り混じっている。ヴァレンシュタイン司令長官は今頃目を剥いて怒っているだろう。だがこれで退けなくなった。

「遅いではないか、リューネブルク。臆病風に吹かれて出て来ないのかと思ったぞ」
オフレッサーが前に出てきた。俺との距離は五メートル、そんなところか。

それでも目の前のオフレッサーには圧倒されるような威圧感がある。でかいヒグマでも前に居るような圧迫感だ。思わず腹に力を入れた。呑まれるな。

「お待たせしたようですな」
「ふん、死ぬ覚悟は出来ているか、リューネブルク」
「そのようなもの、小官には必要有りません」

そうだ、死ぬわけにはいかない。あの男と約束したのだ、三十年後の世界を見ると。俺は必ず生きてあの男の元に帰る……。
「ほう、言うではないか、小細工をしたようだが俺には効かぬ。皆、手出し無用だ、リューネブルク、一騎打ち、受けてやるぞ!」

床を蹴るのと同時にオフレッサーはトマホークを一閃させて来た。後ろに飛び下がるのと同時に目の前を右から左にトマホークが走る。疾い! 一瞬で二メートル近く間合いを詰めてきた!

オフレッサーの体が流れ肩甲骨が見えた。そう思ったときには走り去ったはずのトマホークが逆方向からより一層スピードを乗せて俺を襲ってきた! 化け物め、もう一度俺は後ろに、やや左後方に飛ぶ、少しは時間が稼げるだろう。

この男を相手に防御は有り得ない。下手に防ぐと打撃だけで吹き飛ばされるか、衝撃でトマホークを落としてしまうだろう。反って危険だ、防ぐのではなく避けるしかない。俺が標準よりも軽く短いトマホークを選んだのもそれが理由だ。少しでも身軽なほうがいい。

オフレッサーが今度は一歩踏み込んで一撃を送ってくる。狙いは俺の腹だ、飛び下がると同時に右側にサイドステップする。真後ろに下がるな! 相手を勢いづかせかねない。

オフレッサーが頭を狙ってきた。オフレッサーの身長では俺の腹を狙うより頭を狙うほうが遠くまでトマホークを伸ばせるのだ。耐えろ、此処をぎりぎりでかわせ! 目の前をトマホークが走り去る、空気が焦げる匂いがした。

この時を待っていた! 返しのトマホークが来るまでが勝負だ! トマホークをオフレッサー目掛けて投げつける。そしてオフレッサーの足元に飛び込む! 後ろから例の変形ナイフを抜きオフレッサーの足に叩きつける、獣の咆哮のような声が上がった。それを聞きながら前へ転がるように逃げた。

頭上で金属音が、続けて体の傍で金属音がする。更に前に逃げてオフレッサーを見た。オフレッサーは立っている。足元には叩き落された俺のトマホークがある。音を立てたのはこいつだろう。

オフレッサーの足の甲には俺が突き刺した変形ナイフが刺さっていた。この日のために用意した武器だ。握り手はあるがそこから先はアーチェリーのアローと同じだ。先端の矢尻の部分はくの字型になっていて抜けにくくなっている。無理に引き抜けば傷口が弾け痛みが増すだろう。


オフレッサーを一見したとき、まず目に付くのは体の大きさ、上半身の雄偉さだ。そしてトマホークの大きさを見ればその筋肉の凄まじさに、破壊力を想像し溜息を吐かざるを得ない。

しかしオフレッサーの本当の強さの源は上半身ではない、それを支える下半身にある。上半身だけの男なら、あのトマホークの返しは出来ない。トマホークの重みに引きずられバランスを崩す、一撃だけの男だろう。

強靭な下半身、特に親指の踏ん張る力、それに上半身のパワーが組み合わされた時ミンチメーカー、オフレッサーは誕生する。ならばそれを奪えばオフレッサーの恐ろしさは半減するだろう、それが俺の考えだ。


「やるではないか、リューネブルク」
「……」
俺は立ち上がり戦闘用ナイフを左腰から引き抜いた。此処からはこれが武器になる。問題はオフレッサーがどの程度動けるかだ。

ゆっくりと少しずつオフレッサーとの間合いを詰める。顎の下に汗が流れ落ちるのが分かった。僅かな時間しか闘っていないのに汗をかいている。いや、汗を感じる事が出来ただけでも少しは落ち着いてきたのか。

もう一歩、もう一歩詰めればオフレッサーのトマホークの間合いに入る。詰めるべきか、それともオフレッサーが動くのを待つか……。一瞬の躊躇い、その瞬間にオフレッサーが動いた! 慌てて後ろへ飛び下がる、間に合うか!

吼える様な声とともにトマホークが目の前を通り過ぎる。やはり踏み込みが甘い、その分だけトマホークに疾さと伸びが無かった。そうでなければ俺の首は胴体と離れていただろう。

間合いを詰めた。オフレッサーの身体が流れ、返しのトマホークは来ない。がら空きになった脇に戦闘用ナイフを突き立てる。更に押し込もうとしたその瞬間に吼え声と共に凄まじい力で跳ね飛ばされた。

激しい衝撃に耐え慌てて立ち上がった。オフレッサーは座り込んでいる。その脇腹、おそらくは肋骨の間に戦闘用ナイフが突き刺さっているのが見えた、おそらくナイフは肺に届いたはずだ。これ以後は足だけではなく呼吸の辛さもオフレッサーを苛むだろう。俺の勝ちだ。

もう一本の戦闘用ナイフを抜き、ゆっくりと近づく。オフレッサーがヘルメットを外し投げ捨てた。口から血が出ている。俺を見てにやりと笑った。

「見事だ、リューネブルク……。どうやら俺の負けのようだな」
「……」
「足を狙うか、考えたものだ。一騎打ちでしか使えぬ手だな」
オフレッサーが咳き込んだ。口から血が溢れる……。

「……降伏していただきたい」
「馬鹿を言え、卿が俺の立場なら降伏するか? 敗者を侮辱するな、勇者として扱え」
「……」
断るのは分かっていた……、それでも言わざるを得なかった……。

「卿とは闘えぬのかと思った。だが大神オーディンは俺を哀れんでくれた。卿が来てくれた時、一騎打ちを望んだ時、俺は嬉しかった。感謝するぞ、リューネブルク。良く此処へ来てくれた」
「……」

「装甲擲弾兵の事、頼むぞ。卿こそ、勇者のなかの勇者だ」
「……承知」
オフレッサーが突き刺さっている戦闘用ナイフを呻き声と共に引き抜いた。装甲服の中は血塗れだろう。

「我等の前に勇者無く、我等の後に勇者無し。さらばだ、リューネブルク」
「……」
オフレッサーがナイフで頚動脈を切った。血が噴き上がる、そしてゆっくりとオフレッサーの体が倒れた。

「オフレッサー上級大将は戦死した。これ以上の戦いは無用、降伏しろ!」

オフレッサーの部下達はその場で降伏した。
“俺に付き合うのは俺が生きている間だけだ、俺が死んだら降伏しろ。無駄死にするな”

オフレッサーの生前の言葉だったそうだ。オフレッサーは死に場所を求めていた。俺はその望みを叶えてやれたのだろうか。“敗者を侮辱するな、勇者として扱え” オフレッサーの声が聞こえる。

叶えたのだと信じよう。俺もいつか死に場所を求めるのだろうか? そうかもしれない、しかし少なくともそれは三十年は先の事になりそうだ。

装甲擲弾兵第二十一師団はレンテンベルク要塞第六通路を確保した。



帝国暦 487年 12月24日  帝国軍総旗艦ロキ    エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



レンテンベルク要塞の攻略に成功した。リューネブルクが第六通路を確保し、核融合炉を押さえた事で敵はこれ以上の抵抗は無駄だと思ったようだ。あっさりと降伏してくれた。後詰が無いのだ、最初から戦意は低かったのかもしれない。

リューネブルクは英雄だ。皆がオフレッサーを倒した彼を褒め称えている。もっとも本人は必ずしも嬉しそうではない、何処か困ったような表情をしている。

オフレッサーとの間に何が有ったのか、他者には分からない何かが有ったのかもしれない。だとすれば辛いだろう、オフレッサーが死んだ今、これからはリューネブルク一人で背負う事になる。

リューネブルクが俺に“御心配をおかけしました”と謝って来た。俺は黙ってただ頷くことに留めた。口を開けば何を言い出すか分からなかったからだ。

そんな俺を見てリューネブルクが苦笑する。なんとなく見透かされているようで面白くなかった。気がつけばリューネブルクを睨んでいた。

そんな俺達をどう思ったか、男爵夫人がリューネブルクに話しかけた。一騎打ちの最中、俺がリューネブルクのことを心配して大変だっただの、怒って手が付けられなかっただの、詰まらない事を言うな。

男爵夫人の話にリューネブルクは困惑し、俺は必死で口を閉じた。周囲は皆笑いを噛み殺している。全く碌でも無い連中だ。俺は疲れたといって自室で休む事にした。俺が艦橋を出ると皆の笑い声がする。全く碌でも無い連中だ。


 

 

第百八十七話 悪縁

帝国暦 487年 12月25日  オーディン 軍務省 軍務尚書室  エーレンベルク元帥



「例のアドルフ・エッカート、そしてボイムラー大佐と名乗った男ですが、その正体が分かりました」
「……何者かな、ラフト中佐」
二人の士官が神妙な表情で目の前に立っている。一人は憲兵隊のラフト中佐、もう一人は情報部のシュミードリン中佐。そして話を聞くのは私とシュタインホフ。

「彼の名前はカール・フォン・フロトー大佐です、軍務尚書閣下」
「……」
カール・フォン・フロトー大佐、スクリーンに彼の顔が表示された。鋭い目をした三十代後半の男。シュタインホフは厳しい目でスクリーンを見ている。

ヴァレンシュタインがレンテンベルク要塞を落とした。オフレッサーは戦死、討伐軍は順調に軍を進めている。こちらも上手く進めたいところではあるが、焦りは禁物だ……。

「それで?」
問いかけると今度はシュミードリン中佐が答えた。
「フロトー大佐は今年の七月から行方不明になっています。……それまではある貴族に仕えていました」

「ある貴族とは、もしやランズベルク伯か?」
「いえ、そうではありません。フロトー大佐が仕えていたのはカストロプ公です」
「カストロプ? オイゲン・フォン・カストロプ公爵か! あの男に仕えていたというのか?」

思わずシュタインホフの顔を見た。シュタインホフは苦い表情をしている。七月から行方不明? 七月と言えば……、シュミードリン中佐を見ると中佐は微かに頷いた。

「フロトー大佐が行方不明になったのは、カストロプ公が事故死してからです。マクシミリアンの反乱時には既にカストロプには居ませんでした」
「……」

フロトーはカストロプ公が事故死すると同時に行方をくらました……。
「その男、カストロプ公に仕えたのは長いのか?」
「士官学校を卒業して直ぐですから、十八年前になります」
「……」

今度はラフト中佐が話し始めた。
「カストロプ公は数々の疑獄事件に関与しました。司法省の捜査を免れるため非合法な手段で証拠を揉み消した事もしばしばあります。それ専用のチームを用意していたのです。フロトー大佐の役割はカストロプ公の命を受け、そのチームを率いて揉み消しを行う事でした。彼らは皆軍人だったようです」

「馬鹿な、カストロプ公は軍人を犯罪の後始末に使ったというのか!」
「落ち着かれよ、軍務尚書」
「しかし……」
「先ずは話を聞くのが先だ。ラフト中佐、続けてくれ」

ラフト中佐が私達を見ながら言い辛そうに話し始める。
「フロトー大佐は周囲にカストロプ公がヴァレンシュタイン司令長官に殺されたと言っていたそうです」

思わずシュタインホフの顔を見た。シュタインホフは首を振って溜息を吐きながら呟く。
「……愚かな」

「分かっております。あれはフェザーンの仕業ですがフロトー大佐はそうは思わなかった。そして何人かの軍人と共にカストロプを去りました。おそらく揉み消しチームのメンバーでしょう」

ラフト中佐は一瞬シュミードリン中佐と顔を合わせ、話し始めた。
「フロトー大佐と共にカストロプを去った人間の一人を発見しました。その男は大佐と共に偽の憲兵に扮していたことが監視カメラの映像から分かっています。彼らは今でもチームで行動しているようです」
「……内務省との繋がりは見えたか?」

「その男が内務省に出入りしている所を確認しています。彼らが内務省と繋がりがあるのは間違いありません。もう直ぐフロトー大佐にたどり着けます。たどり着け次第、彼らを一斉に捕縛するつもりです」




憲兵隊のラフト中佐、情報部のシュミードリン中佐が帰った。どうも腑に落ちない。
「シュタインホフ元帥、いささか疑問がある」
「何かな、エーレンベルク元帥」

「フロトー大佐達は何故軍に戻らなかったのだろう? 確かに彼らは犯罪の揉み消しに協力した。しかし反乱鎮圧に協力すれば許される可能性はあっただろう。カストロプ公に強要されたと言っても良い。何故それを選ばなかったのか?」

シュタインホフが苦い表情を浮かべた。
「彼らにはそれが出来なかったのだよ、エーレンベルク元帥」
「どういうことだ……、卿何を知っている?」

シュタインホフの表情はさらに苦みをましている。そしてフロトー大佐が映っているスクリーンを見た。
「反乱鎮圧後、情報部はアルテミスの首飾りについて調べるため調査員をカストロプに派遣した……」
「……」

「残念だが、首飾りについては殆ど得る所は無かった。衛星そのものは粉々であったしな。残骸から得るものもそれほど多くは無かった。正直な所、無駄骨だったと言って良いだろう……。本当ならそれで終わりだった。だが……」
「……」

シュタインホフの頬に暗い笑みが浮かんでいる、そして私を見た。
「彼らはある物を見つけてしまったのだよ、軍務尚書」
「ある物?」

「彼らは偶然だがオイゲン・フォン・カストロプ公の遺品の中にキュンメル男爵家に関する文書が有るのを発見したのだ」
キュンメル男爵? 確かカストロプ公とは血縁関係が有ったはずだが……。

「その中にはヴァレンシュタイン弁護士夫妻の名とフロトーの名が記されていた。そしてリメス男爵家の事も……」
「どういう意味だ、それは……」
嫌な予感がする、まさか……。シュタインホフの笑みが大きくなった。

「十年前、リメス男爵家の相続問題に絡めて、ヴァレンシュタイン弁護士殺害事件を指示したのはカストロプ公、実行者はフロトー大佐ということだ」
「……馬鹿な、あれはリメス男爵家の親族が行なったのではないのか?」

私の言葉にシュタインホフは違うというように首を振った。
「カストロプ公爵家とキュンメル男爵家は血縁関係が有った。キュンメル男爵家の当主は病弱で、それに付け込んでカストロプ公はキュンメル男爵家の横領を図ったのだ。ヴァレンシュタイン弁護士はキュンメル男爵家の顧問弁護士だった」

「……横領するにはヴァレンシュタイン弁護士が邪魔だったということか」
「そういうことになる。フロトー大佐達がカストロプ公がヴァレンシュタインに殺されたと思ったのは復讐だと思ったからだ。彼らがカストロプを去ったのは身の危険を感じた所為だろう」

「つまり、彼らは軍に戻りたくとも戻る事ができず闇の世界に入ったと……」
自分の声が掠れているのが分かった。まさかあの事件が今回の一件に絡んでいるとは思わなかった。十年前からの因縁、悪縁と言って良いだろう、こんな事が有るのか……。

「ヴァレンシュタインが生きている限り軍には戻れず、ヴァレンシュタインを深く恨んでいる男、内務省にとってフロトーは使いやすい道具であろうな……」

シュタインホフの声が部屋に重く響いた。それきり沈黙が落ちる。おそらく私もシュタインホフも同じ事を考えているだろう。まさかとは思う、しかし……。
「シュタインホフ元帥、ヴァレンシュタインは知っていたのだろうか?」

「……分からん。両親の死に関してヴァレンシュタインは殆ど喋っていない。軍の実力者になってからもそれを調べた形跡が無いのだ。それをどう取るべきか……」
「……」

ヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家、あの事件はその三家のどれかが起したと言われていた。ヴァレンシュタインは敢えて調べる必要が無いと思ったのか、それとも既に真犯人を知っていたのか。だとすれば何処からその秘密を知ったのか……。

「エーレンベルク元帥、ヴァレンシュタインには皇帝の闇の左手だと言う噂があったと思うが……」
「!」
シュタインホフが私を探るような視線で見ていた。私は何も言う事が出来ず、ただシュタインホフの顔を見ていた……。



帝国暦 487年 12月25日  シュムーデ艦隊旗艦 アングルボザ  エグモント・シュムーデ


艦隊はアイゼンヘルツで補給をしている。フェザーンまでは後十日ほどで着くだろう。
「先ずは順調だな、シュムーデ提督」
「そうですな」

スクリーンにフェザーン駐在高等弁務官レムシャイド伯爵が映っている。白っぽい頭髪と透明な瞳を持つ人物だ。先日は捕虜交換の共同宣言で帝国全土にその顔が流れた。帝国でもっとも有名な人物の一人だろう。

順調、順調というのは何の事だろう。此処までの進軍のことならまさに順調と言って良いだろう。それとも内乱の討伐に関してだろうか? 確かにこちらも順調だ、但し冷や冷やしながらだが。

討伐軍が出撃するや否や司令長官が襲撃され、命を取り留めたと思ったら貴族連合軍がオーディンに押し寄せる。司令長官自ら敵を各個撃破、その後はレンテンベルク要塞を攻略、オフレッサー上級大将は戦死……。

無茶苦茶だ、事が起きるたびに一喜一憂させられた。司令長官が無茶をする人だと言うのは分かっている。熱でフラフラになりながら反乱軍と交渉したり、オーディンを事実上の戒厳令下においたり……。でも今は司令長官なのだ、もう少し落ち着いてくれ。

私だけじゃない、フェザーン方面軍の司令官達は皆そう思っている。正規艦隊の連中も同様に違いない。

「ところで反乱軍、いや同盟軍だな、彼らに動きがあった」
「……」
「自由惑星同盟軍三個艦隊がフェザーンに向かって進んでいる。彼らはランテマリオ星系にまで来ているようだ。フェザーンまでは後二十日といった所だろう」

三個艦隊か、戦力はおそらくこちらと同等だろう。しかし今の反乱軍にとってはなけなしの戦力だ、それを出してきた。どう取るべきか? 何としてでもフェザーン回廊を守るという意志か、そのためには戦争も辞さない?

「同盟政府からは何か言ってきましたか」
「いや、未だだ。この情報は懇意にしているフェザーン人から教わったもので二、三日後にはフェザーンでも結構な話題になるだろう」

「……」
「ま、その時点で同盟に対して抗議するつもりだ。このままでは戦争になる、それで良いのかとな」

レムシャイド伯は穏やかに微笑んでいる。どうやらこの御仁もかなり喰えない男らしい。もっともそれだけに反乱軍との交渉では頼りにはなるだろう。

「こちらの事は如何です。やはり噂になっておりますか?」
「もうとっくに噂になっている。通商路の護衛のために艦隊を動かしていると周囲には説明している」

「信じますかな?」
「今は信じているだろうな。しかし、同盟軍がフェザーンに向かってくれば状況は変わるだろう」

確かにそうだ、帝国、同盟の両国が軍をフェザーンに向けているとなればどんな馬鹿でも狙いはフェザーンだと思うだろう。その瞬間からフェザーンは大混乱になるだろう。

「同盟軍がフェザーンに着くまで後二十日ですか、こちらは余裕を持って先にフェザーンに着けますが」
私の言葉にレムシャイド伯は軽く首を振った。
「焦る事は無い、シュムーデ提督。フェザーンを取られて困るのは我らではない、むしろ同盟のほうが持て余すだろう」

「では?」
「あえて、同盟軍をフェザーンに攻め込ませようと言うのがリヒテンラーデ侯の御考えだ。卿も意味は分かるであろう?」

分からないではない、司令長官とも話したことだ。今の同盟にフェザーン、イゼルローン両回廊を維持できるだけの戦力は無い。いずれ同盟に攻め込むときには帝国は両回廊を使うだろう。その時、同盟はフェザーンを占拠した事を後悔するに違いない。

「となると我等はここで一息入れたほうが良いようですな」
「そうなるかな」
「まあ、五日も此処で潰しましょう。如何ですか?」

「良かろう、追付けそうで追付けぬ。これほど人を焦らせるものは無い。同盟軍はさぞかし勢い込んでフェザーンに向かって来るであろう」
「……」

「そして追付いたとなれば、今度はその努力を無駄にはしたくないと思うもの。あやつらを蟻地獄に引きずり込んでくれよう」
そういうとレムシャイド伯は低い声で笑い始めた……。



 

 

第百八十八話 武器無き戦い

帝国暦 487年 12月28日  オーディン ギュンター・キスリング


時刻は午前一時を過ぎ、静寂が夜の街を支配している。地上車の中からは分からないが外はかなり寒いに違いない。その街の中を一人の男がゆっくりと歩いていく。長身、コート姿が良く似合う男だ。

「准将、ターゲットを確認しました。間違いありません、フロトー大佐です」
スピーカーから声が聞こえた。マイクを口元に寄せ、小さく囁く。地上車にいるのは信頼できる味方だけだが自然と声が小さくなった。
「了解、手はずどおり確保しろ。油断するな」

部下達が自分を見ている。軽く頷き声をかけた。
「車を出してくれ、ゆっくりとな」
「はっ」

地上車がゆっくりと動き出した。前方を歩くフロトー大佐の姿が見える。
そのフロトー大佐が立ち止まった。前から二人、後ろから二人、フロトー
大佐を囲むように人が現れる。

「スピードを出せ、もう遠慮はいらん」
地上車が急速にフロトー大佐に近づく。これで奴は慌てるだろう。多少無理をしてでも逃げようとするはずだ。

案の定だ、フロトー大佐が一瞬後ろを振り返り、前を強引に突破しようとした。しかし阻まれ逆に右腕を捻られ体勢を崩す。あっという間に取り押さえられた。残念だったなフロトー大佐、その四人は憲兵隊でも選りすぐりの格闘術の達人達だ。卿の敵う相手ではない。

フロトー大佐が取り押さえられている場所に近づいた。地上車を降りフロトー大佐に近づく。大佐がこちらを睨むのが見えた

「御苦労だった、怪我は無いか?」
「有りません、案外なほどに……」
「容易かったか」
「はい」

微かに苦笑を浮かべながらフロトー大佐を取り押さえている男が答えた。その途端にフロトー大佐が身を捩って暴れたが、反って腕を極められ呻き声を上げる。

「フロトー大佐、私は憲兵隊のキスリング准将だ」
「……」
「卿を逮捕する。卿の友人達も間も無く捕まるだろう。全て喋ってもらうぞ、内務省との繋がり、誘拐事件についてな」
「……」
フロトー大佐の目に絶望の色が浮かんだ。

「宇宙港では俺達に成りすますなど随分とふざけた真似をしてくれたようだが、憲兵隊を舐めるなよ、きっちりとけじめは付けさせて貰う」
「……」

「卿に名前を騙られたボイムラー大佐も憲兵隊本部で待っている。覚悟するのだな」
「……」



宇宙暦 796年 12月28日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ


「どういうつもりですかな?」
「どういう、と言うと?」
「とぼけないで頂きたい。フェザーン回廊方面に向けて同盟政府が艦隊を派遣している事は分かっているのだ。どういうつもりかと訊いている」

トリューニヒトの答えにスクリーン映るレムシャイド伯は厳しい表情で迫った。透明な瞳が今は冷たさを浮かべている。大分怒っているようだ。

「帝国は事前に同盟政府に対してフェザーンに軍を派遣することをお伝えした、そうですな?」
「……」

「その際、帝国がフェザーンの中立を犯すつもりも無い事もお伝えしたはずです。それなのに同盟政府は帝国に何の断わりも無くフェザーンに軍を派遣している。背信、いや敵対行為と言って良い」

レムシャイド伯の口調が厳しさを増した。こちらに裏切られたと言う気持ちが有るのかもしれない。トリューニヒトが私を見るが、私にもどうにもフォローのしようがない。この件に関してはレムシャイド伯の言葉に理があるし、その事はトリューニヒトも分かっている。

大体交渉相手を口先で丸め込むのは私よりトリューニヒトのほうがはるかに上手い、私の手助けなど必要ないだろう。どうやってレムシャイド伯を丸め込むやら、お手並み拝見と言ったところだ。

「レムシャイド伯爵、確かに軍の派遣についてそちらに知らせなかった事についてはこちらの落ち度としか言いようが無い。それについては心から謝罪する。しかし、軍の派遣についてはこちらにも事情が有っての事、そちらに対する敵対行為ではないことを御理解いただきたい」

トリューニヒトは誠実そうな表情でレムシャイド伯爵に話しかけた。
「敵対行為では無いと言われるか」
「その通りです。帝国がフェザーンのルビンスキーに対して不信感を持つ気持は分かります。同盟政府も彼には随分と煮え湯を飲まされている」

「……」
「レムシャイド伯、帝国はルビンスキーに反帝国活動を止めさせると言っていますが現実にはルビンスキーの排除という事になると思いますが、違いますかな」
「……だとしたらどうだと言うのです、反対だとでも?」
レムシャイド伯の目が一層厳しさを増した。

「とんでもありません。ルビンスキーを排除するだけというなら、それに対して同盟が反対する事は有りません」
「……」
トリューニヒトが穏やかに話しかけたがレムシャイド伯の表情は厳しいままだ。

「但し、帝国がフェザーンを占拠すると言うのは困ります。我々は同盟市民に捕虜を取り返すためにフェザーンを見殺しにした等と言われかねない」
今度はトリューニヒトの表情が厳しくなった。

「……それで」
「そうなれば同盟市民は捕虜交換よりもフェザーン回廊の確保、あるいは中立化を優先するべきだと言い出すでしょう。先日の共同宣言などあっという間に反古になりかねないのです。お互いにとってそれは不幸な事でしょう」

「関係有りませんな」
「関係無いと?」
「左様、帝国には関係有りません。いまトリューニヒト議長が仰られた事は同盟内部の問題でしょう。同盟政府が自らの力で解決する事であり帝国には関わり無い事です。違いますかな?」

スクリーンを通してトリューニヒトとレムシャイド伯はにらみ合っている。確かに同盟内部の問題だ、レムシャイド伯は同盟内部の問題を帝国に持ち込むなと言っている。

しかし内政問題は常に外政に密接に関係してくる。伯がそれを知らないとも思えない、つまりは建前論を出す事でフェザーンに手を出すなといっているだけだ。

「……」
「それに誤解があるようですが、フェザーンは帝国の一自治領です、独立国ではない。その成り立ちの特異性から帝国はフェザーンの中立を認めてはいるが独立は認めていません」

「……」
「これはあくまで帝国内部の問題です。同盟政府が関知するところではない。これ以上軍を進めるのであれば、帝国領への侵犯であり敵対行為であると判断せざるを得ません。直ちに兵を退いて頂きたい」

上手いものだ。内政問題は自分の力で片付けるべきであり他者の力を借りるべきではないか……。首尾一貫している。これではヘンスローなどまるで相手にならなかっただろう。

「……」
「これ以上同盟が軍を進めれば喜ぶのはルビンスキーだけです。結果として同盟はルビンスキーに与していると言う事になる」

「……」
「ここ近年のルビンスキーの反帝国活動も実際には同盟政府の唆走によるものでは有りませんかな。我々がルビンスキーを捕らえればそれが知られてしまう、だから軍を派遣して我々を牽制している……」

「馬鹿な、そのような事などありえません」
「ならば、それを証明していただきたい。口ではなく行動でです。期待しておりますぞ、トリューニヒト評議会議長」



「手強いな」
「ああまったくだ、さすが帝国の白狐というべきかな」
「褒めるのは良いがね、これからどうするつもりだ、トリューニヒト」

議長室にコーヒーの香りが漂う。不毛といってよい会話に疲れきった神経が少しずつ癒されていく。出来れば強い酒が欲しいものだ。

レムシャイド伯との会話は全く実りの無いものだった。伯は兵を退けと言い、トリューニヒトは退かぬと言う。何時決裂してもおかしくは無かった、決裂せずに済んだ事が不思議なくらいだ。

「収穫は有った。戦争は防げるだろう」
「本当か?」
我ながら疑い深そうな声が出た。トリューニヒトが苦笑して私を見ている。そしてコーヒーを口に運びながら自分に確かめるような口調で話し始めた。

「同盟は戦争を望んでいない、そして帝国も戦争は望んでいない。あれだけ衝突しても決裂しなかったことがそれを証明している。互いに戦争を望んでいない人間が交渉しているのだ、落としどころは有ると思う」

「それで、どう決着を付ける」
「……フェザーンの共同占領、そんなところだな」
「共同占領? そんな事を帝国が認めると思うのか?」

共同占領、建前からすればフェザーンは帝国の自治領だ。自国の領土を何故同盟と共同占領しなければならないのか、当然反発するだろう。だがトリューニヒトは可能だと考えている……。

「帝国の望みはルビンスキーの排除だ、フェザーンの占領じゃない。フェザーンの占領等すれば同盟が反発するのは帝国だって理解している。戦線をこれ以上広げたくない帝国にとってはフェザーンの占領は良い手とは言えない」

「……」
「しかし、占領しなければルビンスキーを排除するのは難しいだろう。となれば同盟との関係を維持しつつルビンスキーを排除するにはフェザーンの共同占領と言う答えが出てくる、そう思わないか」

「いささか自分に都合の良いように解釈しているように思えるがな」
私の答えにトリューニヒトは微かに苦笑した。そして“まあ聞いてくれ”と言葉を続けた。

「もちろん共同占領と言っても形だけだ。占領後のフェザーンについては帝国が主導権を握る。同盟政府は同盟の安全保障が脅かされない限りそれに反対する事は無い」

「……つまり同盟は名を取り、帝国は実を取る。そういうことか」
「そういうことだ」
「しかしそれで納得するか、帝国も同盟も」

口に含んだコーヒーが苦く感じるのは、トリューニヒトの考えに納得していないからだろうか。帝国、同盟よりも自分が一番納得していないのかもしれない。

「我々にとって何よりも避けなければならない事はフェザーンを帝国単独で占領される事だ。そしてフェザーンを見殺しにしたと非難される事、違うか、レベロ」

「……」
確かにトリューニヒトの言う通りだ。何よりも避けるべき事はそれだろう。

「フェザーンの独立を守るなど今の同盟には無理だ。正義の味方になるのが無理なら、悪党になってでも同盟の利益を確保すべきだろう」
トリューニヒトが自嘲気味に話した。そしてコーヒーを口に運ぶ。どんな味がするのか……。

「確かにそうだが、フェザーンでは帝国が主導権を握るのだろう。それを同盟市民はどう思うかな……」
「正直に言うしかないだろうな、今の同盟には帝国の単独占領を防ぐのが精一杯だと。だからこそ捕虜交換で兵力を補充する必要があるとね」

「つまり帝国との協力関係は崩せない、そういうことか」
「そういうことだ」
議長室に沈黙が落ちた。帝国との協力関係、その先にあるのは和平だろうが可能だろうか? 問題は帝国だ、帝国が今回の内乱でどのように変化するのか……。

「その帝国だが共同占領を受け入れると思うか?」
「帝国は専制君主国家だ。市民の支持など必要ない、そして帝国の指導者達は馬鹿じゃない、受け入れるのは難しくないだろう。私はそう考えている」

「君の悪い所は楽観的なところだな。トリューニヒト、何故レムシャイド伯に共同占領を持ちかけなかった?」
「今はまだ駄目だ。もう少し互いの軍が近づいてからのほうが帝国にとっても受け入れ易いだろう」

なるほど、切羽詰ってからのほうが受け入れ易いには違いない。しかし綱渡りではある。果たして上手くいくのか……。シトレに相談してみるべきだろう。帝国では軍人の力が同盟よりも強い、そのあたりをシトレはどう見るか……。

「ところで例の件どうするつもりだ、トリューニヒト」
「ルビンスキーからの救援要請か」
「ああ」

昨日、ルビンスキーが助けてくれと言ってきた。フェザーンの独立を侵そうとしている帝国軍を追い払ってくれと。見返りは当然だが経済協力と資金援助だった。何でも金で片付けようとするフェザーン人らしい見返りだ。もっとも彼らが提示できるのはそれ以外に無いのも事実だが。

「残念だが、フェザーンの独立などのために同盟を危機にさらす事は出来んな」
「同感だ」

多くの同盟市民がそう思うだろう。同盟と帝国が血を流して戦っているときにその血を啜って太ってきたのがフェザーンなのだ。賢い生き方なのかもしれないが尊敬される生き方ではない。皆何処かでフェザーンの在り方を疎んじている。

「フェザーンの独立などこの国では政治的大義になりえない。せいぜいこれまで楽しんできた付けを払う準備をするべきだろう。取立ては大分厳しいものになりそうだがね」
そういうとトリューニヒトは笑い出した……。



 

 

第百八十九話 信頼と忠誠

帝国暦 487年 12月29日  フェザーン アドリアン・ルビンスキー



「同盟からの返事は芳しからぬ物のようですが?」
ルパートが何処か面白がるような口調で問いかけてきた。困った奴だ、もう少し内心を抑えることが出来れば楽しめるのに。それではあからさま過ぎていささか興醒めだ。

「そうだな、同盟が艦隊を派遣したのはあくまで同盟の安全保障のためだそうだ。今現在同盟には帝国と事を構えるだけの余裕は無いと……。私にも反帝国活動を止めてはどうかと言ってきた」

自分で言っていて思わず苦笑が出た。トリューニヒトはいかにも誠実そうな表情で俺を心配するような声を出した。そして反帝国活動を止めろと。流石に同盟でトップに立つだけの事はある。少なくともルパートよりは楽しませてくれる。

「なるほど、同盟は帝国との間に和平の道を探ると言う事ですか。笑止な事ですな、いっそ連中に教えては如何です。ヴァレンシュタインは同盟との共存など考えていないと」
ルパートがトリューニヒトを嘲笑った。

「無駄だろう。確たる証拠が無い以上、私が同盟と帝国を噛合わせようとしているとしか思うまい」
「ではどうなさいます?」
「さて、どうしたものかな?」

執務室に沈黙が落ちた……。ルパートが耐え切れなくなったように口を開く。
「身を隠しますか」
「……」
まだ若いな……。

ルパートを黙って見据えた。俺に見詰められルパートは居心地が悪そうにしている。ルパート、お前には三つの物が足りない。一つは耐えると言う事だ。そして耐える事を憶えるには時間と経験が要る。

お前にはその三つが足りない。お前が俺を超えるには少なくともあと十五年はかかるだろう。それが分かれば長生きできるだろうが、お前には分かるまい。残念な事だな、お前にとっても、俺にとっても。

さて、どうしたものか……。同盟は必死で帝国との関係改善を考えているようだ。しかし、帝国にフェザーン回廊を自由に使われる事は不安だろう。その思いが三個艦隊の派遣に繋がっている。

となれば、今ここで逃げ出すのは下策だな。出来るだけ引き伸ばして帝国軍をフェザーンへ侵攻させるべきだ。その方が帝国と同盟の関係を緊張させる事が出来るだろう。賭け金は俺の首、なかなか楽しませてもらえそうだ。ルパート、お前もこのゲームに参加するといい。

問題はその後だ。逃げ出した後、何処に自分の基盤を置くか……。地球教か? しかしフェザーンを失った地球教は自らが動かざるを得ないだろう。となればいずれはその正体が表に出る。

地球教の強味はその存在が知られていない事が大きい。その正体が知られれば強みは消える。適当な所で縁を切るべきだろう。そして利用させてもらう。とりあえずはそこまでだな。その先は不確定要素が多すぎる。ゆっくりと考えるべきだろう。

陰謀、謀略も洗練されれば芸術足りうる。どうやら帝国には俺を超える男が居るようだ。しかも銀河を統一し宇宙を平和にしようなどと考えている。冗談ではない、混乱してこそ謀略も陰謀も輝くのだ。俺の存在を無にするような平和など俺には必要ない。徹底的に抗ってやる。



帝国暦 487年 12月30日  オーディン 軍務省 軍務尚書室  クラウス・フォン・リヒテンラーデ


「もう直ぐ今年も終わるの」
「そうですな、早いものです」
「随分と事の多い一年だったような気がしますな」

エーレンベルク、シュタインホフが感慨深げに一年を振り返った。確かに事が多かったの、その割りに一年が早く過ぎた。エーレンベルク、シュタインホフの言う通りじゃ。

「昨年の今頃ですな、第三次ティアマト会戦から遠征軍が戻ってきたのは」
「そうか、あれは去年の事だったか、もっと前に起きた事のような気がしたが……」

「卿らがそう思うのも無理は無い。春には第七次イゼルローン要塞攻防戦で大敗を喫した。そして夏にはシャンタウ星域の会戦で大勝利を、秋には勅令が発布され冬には帝国を二分する内乱が起きたのじゃ。なんとも忙しい事よ……」

「来年はどうなりますかな」
「忙しくなるのではないかな、軍務尚書。三年でフェザーン経由で反乱軍に攻め込むと言ったのだからな」

「シュタインホフ元帥の言う通りよ、人使いの荒い小僧じゃからの、楽が出来るとは思わぬ事じゃ」
皆、顔を見合わせ苦笑した。忙しくはあるがやりがいがあるのも事実じゃ、辛いと思う事は無い。

「それで、例のフロトーと言う男、何か吐いたか。噂では何も喋らず耐えていると言う話じゃが」
「フロトー大佐は全て吐きました」

全て吐いた? となると噂は憲兵隊が故意に流したか……。
「それで、どうなのじゃ軍務尚書」

「フロトー達はカストロプを離れた後、直ぐに内務省の社会秩序維持局と接触したそうです」
「……」

カストロプ? まさかとは思うが十年前の一件、その者達の仕業と言う事は有るまいの。

「フロトー達はカストロプ公の命令で疑獄事件の揉み消し工作、あるいは犯罪行為を行なっていました。内務省にはその犯罪の記録が有った。警察組織を握っているのです、当然と言えます。社会秩序維持局は自分達に従わなければ記録を公表すると言って脅したそうです」
「……」

「それ以後彼らは内務省の裏の仕事を行なうようになりました」
「待て、社会秩序維持局では無いのか?」
「仕事は必ずしも社会秩序維持局の物ではなかったそうです。フロトー達は社会秩序維持局ではなく内務省の財産になったのでしょう」

エーレンベルクが嫌悪も露わに話す。軍人でありながら犯罪に身を染めたばかりに身動きが取れず、奈落に堕ち内務省の意のままに汚れ仕事を行なう、エーレンベルクにとっては腹立たしい思いがあるのじゃろう……。

「誘拐事件はラング社会秩序維持局局長の命で行なわれました。フロトーの話では予め宮内省、近衛兵との間で誘拐事件への協力体制が出来ていたそうです。フロトー達は何の心配も無く誘拐を実行した……」

「……」
「明日早朝、内務省の局長以上の職に有る者を一斉に逮捕します、内務尚書もです」
エーレンベルクがシュタインホフが目で答えを促してきた。

「良かろう。手抜かりの無いようにの」
「はっ」
どうやら一年の最後の日まで忙しくなるか、これでは新年も忙しくなるのは確実じゃの。

「ところで、フロトー大佐は内務省とローエングラム伯の繋がりについて何か知っておったか?」
「いえ、それについては何も」
「……」
所詮はただの道具か、役に立たぬの。

「ところで、リヒテンラーデ侯はカストロプ公が十年前、ヴァレンシュタインの両親を殺した事をご存知でしたか?」
エーレンベルクがこちらを窺うように訊いて来た。やはり犯人はフロトーだったか、因縁じゃの……。

「……知っておる」
「では、ヴァレンシュタインは」
「あれも知っておるよ、エーレンベルク元帥」

部屋に沈黙が落ちた。
「侯がお教えになったのですかな?」
「いや、既に知っておった。ある人物から真相を聞かされたと言っておったがの。誰に聞いたかは想像が付く」

「ヴァレンシュタインが皇帝の闇の左手と言う事は有りませんか?」
シュタインホフが恐る恐ると言った口調で問いかけてきた。なるほど、これが訊きたかったのか。エーレンベルクもシュタインホフも半信半疑と言った所じゃの……。

「私も一時は疑った事もある。だが違うの、皇帝の闇の左手は陰で動くものたちじゃ、目立つ事は好まぬ。おそらくはあれに教えた者が闇の左手だったのではないかと思っておる」

「それは一体……」
「卿らは知らずとも良い。私も確証があるわけではないからの」
「……」

おそらくはあの老人じゃろうが、当人が死んだ今となっては全てが闇の中じゃ。無理に掘り返す事もあるまい。そのような事をしても何の役にも立たぬ……。



帝国暦 487年 12月31日  レンテンベルク要塞 ジークフリード・キルヒアイス


『ジーク、御免なさいね、貴方も忙しいでしょうに』
「いえ、そんな事はありません。それより何か有ったのですか」
スクリーンに映るアンネローゼ様の表情は思い悩むかのように曇っている。少しやつれている様にも見える。一体何が有ったのか。

仕事を終えレンテンベルク要塞にある自室に戻るとアンネローゼ様からメッセージが届いていた、連絡が欲しいと。アンネローゼ様から連絡を望むなどこれまで無かった事だ、一体何が有ったのか。

『今日、内務省に憲兵隊の一斉捜査が入ったわ』
「!」
『先日あったエリザベート様、サビーネ様の誘拐に内務省が関係していたらしいの』

憲兵隊が内務省を一斉捜査……。誘拐事件の捜査、それだけだろうか。いや、それよりも何故アンネローゼ様は私にそれを伝えようとするのか……。

「そうですか、帝都も物騒ですね。アンネローゼ様も気をつけてください」
『有難うジーク、私は大丈夫よ。それよりラインハルトの事だけれど……』
「ラインハルト様が何か」

アンネローゼ様が視線を伏せた。どういうことだろう、ラインハルト様に何か有ったのだろうか?
『二週間ほど前からオーディンである噂が流れているの』
二週間前、私達がオーディンを発った後か……。

「噂、ですか」
アンネローゼ様は頷くと話を続けた。
『先日起きたヴァレンシュタイン元帥襲撃事件だけれど、軍の一部に加担するものが居る、そんな噂よ』
「!」

『皆が言っているわ、ヴァレンシュタイン元帥を邪魔に思っているのはラインハルトだと、ラインハルトがヴァレンシュタイン元帥を暗殺しようとしたのではないかと……』

「……」
『今回の憲兵隊の狙いも本当はラインハルトではないのかしら、弟は誘拐事件にも関与しているとしたら……』

アンネローゼ様の顔面は蒼白だ。この噂で酷く怯えている。
「そんな事は有りません、ラインハルト様がそんなことをするなどありえないことです」

『でも』
「?」
『リヒテンラーデ侯がラインハルトを疑っているみたいなの』
「!」

リヒテンラーデ侯……、と言う事は噂は故意に流れた? いやそれよりもこの件はヴァレンシュタイン元帥も知っているのだろうか? それともリヒテンラーデ侯の独断? 狙いはラインハルト様の排除……。

『ジーク、本当にラインハルトは大丈夫かしら。私、心配で……』
「大丈夫です。ラインハルト様がそんな事をするはずがありません。信じてください。それよりこの事をラインハルト様に話しましたか?」

『いいえ、話していないわ』
「そうですか、ラインハルト様は辺境星域の平定でお忙しいはずです。このような噂でお心を騒がせる事は有りません。アンネローゼ様も余り気にしないでください」

アンネローゼ様が私を見ている。縋るような視線だ、胸が痛む。
『信じていいのかしら』
「もちろんです」
そう、ラインハルト様があの事件に関与している事は有り得ない。アンネローゼ様の顔にようやく安心したような表情が浮かんだ。

『ジーク、弟の事を御願いね。あの子が道を踏み外す事が無いように見守ってやって欲しいの。もしそんな兆しが見えたら叱ってやって。ラインハルトは貴方の忠告なら受け入れるはずだわ』

「私に出来る事なら何でもいたします、アンネローゼ様。ラインハルト様に対する私の忠誠心を信じてください」
『有難うジーク。ごめんなさいね、無理な御願いばかり。でも貴方以外に頼れる人は私にも弟にもいないの。許してくださいね……』

「……」
そんな事は有りません。私はお二人に頼って欲しいのです。思わずそう言いそうになった。だが言えばアンネローゼ様はきっとお辛そうな表情をされるだろう。それは私の望む事ではない……。

噂が流れた時期、リヒテンラーデ侯の動き、そして憲兵隊が内務省を一斉捜査……、それぞれは独立した動きではない、連動して動いている。確実に相手はこちらに迫っている。

多分ヴァレンシュタイン元帥はあの事件の真相に気付いた。そしてラインハルト様への遠慮を捨てたという事だろうか? それともリヒテンラーデ侯が独自に動いている? どちらにしろこのままではラインハルト様が危ない。

ラインハルト様は事件とは何の関係も無い。いやあの事件には私達の誰も関与していない。全ては未発のままで終わった。証拠は何も無いはずだ。内務省の人間が私やオーベルシュタイン准将の関与を証言するかも知れないが、現実に何の動きも無かった。言いがかりだと撥ね退ければいい。

多少の疑いがラインハルト様にかかるかもしれないがラインハルト様は無関係なのだ。私のところで食い止める事は可能だ。いや食い止めるのだ。そのためにはやはりヴァレンシュタイン元帥が邪魔だ。

元帥がいれば、軍の指揮官は元帥とメルカッツ提督で十分だと皆が考えるだろう。しかし元帥がいなければ後任はメルカッツ提督かラインハルト様のどちらかから選ばれる。メルカッツ提督は先日のフレイア星系の制圧でもシュターデン大将の艦隊を見逃す等、失態を犯したばかりだ。

今の時点でメルカッツ提督とラインハルト様のどちらが司令長官に相応しいか。皆悩むだろう。たとえメルカッツ提督が司令長官になってもラインハルト様を排除できるだろうか。

躊躇するだろう。万一のために温存するのではないだろうか? いざという時はアンネローゼ様にもお力を借りる事になるかもしれない。しかしラインハルト様が罪を免れる可能性はかなり高いはずだ。

ヴァレンシュタイン元帥さえいなければラインハルト様がこの帝国に恐れる相手はいない。一時的に不利な状況になっても十分に挽回は可能だ。躊躇わずにやるべきだろう。ラインハルト様を守るために……。



 

 

第百九十話 仮面の微笑

帝国暦 488年  1月 1日  レンテンベルク要塞 ジークフリード・キルヒアイス



ヴァレンシュタイン司令長官はレンテンベルク要塞内に自分専用の私室を持たない。もちろん司令長官専用の執務室は有るが、夜休むときは必ず総旗艦ロキに戻って休む。環境が変わると良く眠れないらしい。意外に神経質な所がある。

その所為で司令部の人間は総旗艦ロキとレンテンベルク要塞にそれぞれ別れて休むことになった。毎夜半数がレンテンベルクに、残りは総旗艦ロキで休む事になっている。

今夜は私とワルトハイム参謀長がロキにリューネブルク中将とシューマッハ准将が要塞で休む事になっている。その他にも各分艦隊司令官達が要塞で休んでいる。

フィッツシモンズ中佐とヴェストパーレ男爵夫人は副官という立場から常に司令長官と行動を共にするためレンテンベルク要塞で休む事はない。まあ総旗艦にいるほうが女性には安全かもしれない。

司令長官室の前に来た。夜二十三時、司令長官はもう寝ているかもしれない。今なら引き返せるだろう、どうする、引き返すか……。ブラスターを抜く、そして司令長官室のドアの暗証番号を入力した。


ヴァレンシュタイン司令長官はまだ起きていた。上着を脱いでワイシャツだけのラフな姿になって執務机でコンソールを見ている。何か調べ物をしていたらしい。私を一瞬見たが直ぐに視線をコンソールに移した。ブラスターに気付かなかったのか……。

ゆっくりと司令長官に近づく。司令長官室は執務机とソファー、クローゼットの他には何も無かった。おそらく奥の部屋にはベッドが有るのだろう。隣には浴室とトイレ、洗面所だろう。司令長官まであと三メートルほどの距離で足を止めた。

「何の用です、キルヒアイス准将……。もう夜も遅い、出来れば明日にしてもらいたいのですが」
「申し訳ありませんが閣下に明日はもうありません」

私の言葉に司令長官は訝しげな表情をした。
「随分と物騒な科白ですね。それにブラスターを抜いているようですが、どういうつもりです」
「言ったとおりです。閣下には此処で死んでもらいます」

司令長官は私をまじまじと見た。
「ようやく傷が治ったのですけれどね……。キルヒアイス准将、私は無手ですが撃てますか?」
「……撃てます」

私の言葉に司令長官はおかしそうに笑い出した。
「なるほど、撃てますか。違うということですね」
「笑うのは止めてください、何がおかしいのです」

正直面白くなかった。恐怖も見せずただ笑っている司令長官が憎かった。そうだ、憎かったのだ。この人は常に私とラインハルト様の前に居た。私達が苦しんでいる時、常に涼しい顔をして前を歩いていた。私達を嘲笑うかのように……。

「そうですね、笑う所ではありませんね。しかしブラスターで射殺は賢いやり方ではありません。疑われますよ、准将」
その通りだ、射殺は拙い。それではラインハルト様にも疑いがかかる。

「射殺はしません。閣下にはこの薬を飲んでもらいます」
ポケットからカプセルを取り出した。司令長官は黙って見ている。目には興味深そうな色がある。

「この薬は心臓発作に良く似た症状を引き起こします。それにこの薬は一旦体内に取り込まれると検出するのは非常に困難です。他殺を疑われる事は先ずありません」

「私がその薬を飲むと?」
司令長官は口元に苦笑を浮かべている。嘲笑でも冷笑でもなく何処か楽しんでいるように見えた。どういうつもりだ。

「飲んでいただきます。拒否された場合は全身を麻痺させてから口に含ませます」
「なるほど、ブラスターを捕獲用にしましたか」
「……そうです」
司令長官は何度か頷いた。

「いつからその薬を用意していました?」
「閣下の幕僚になったときからです。出来ればこの薬は使いたくありませんでしたが……」

「残念でしたね、バラ園での襲撃は上手くいかなかった」
「……」
「否定しないのですね、准将。やはり関係していましたか」

その通りだ、あの事件さえ上手く行っていれば今頃はラインハルト様が宇宙艦隊を指揮しているはずだった。
「何故私を殺すのです、キルヒアイス准将」

「時間稼ぎですか」
「いいえ、ただ疑問に思ったのです。何故私を殺すのだろうと」
「邪魔だからです」

「邪魔とは?」
「ラインハルト様が帝国を手に入れ、宇宙を征服するには閣下は邪魔なのです。閣下さえ居なければラインハルト様は……」

「ローエングラム伯が帝国を簒奪するためには私は邪魔ですか」
司令長官はそう言うと苦笑を浮かべた。もう終わりにしよう、この人と一緒に居るのは不愉快だ。殺すのも不愉快だが一緒に居るほうがもっと不愉快だ。

「最後に何か言い残す事は有りますか」
「そうですね、是非も無し、それとも夢のまた夢かな……、どちらも陳腐ですね」

そう言うと司令長官はまた苦笑した。陳腐だろうか、どちらも印象に残る言葉だ。少なくとも私は忘れる事は無いだろう。
「御自身で飲まれますか、それとも……」
「自分で飲めますよ、こちらに薬をください」

執務机にカプセルを投げた。カプセルが執務机の上を転がる。司令長官がカプセルを手に取った。そしてこちらを見て笑った、先程までの面白がるような笑いではない、冷たくそして蔑むような笑い。

「これで自殺は出来なくなりましたね、准将」
「?」
「茶番は終わらせましょうか」

「そうですな」
背後のクローゼットから人の声がした! 人が居る! 馬鹿な! 振り返りざまブラスターを向けようとした瞬間に手首に何かがぶつかった。衝撃でブラスターが手を離れる。

一瞬視線がブラスターに向いた。そして足を払われバランスを崩して床に手を着いた瞬間、再度身体に強い衝撃を受け弾き飛ばされる。立ち上がろうとした瞬間に頭に冷たい何かを押し付けられた……。


帝国暦 488年  1月 1日  レンテンベルク要塞 ヘルマン・フォン・リューネブルク


「動くな、キルヒアイス准将」
「御苦労さん、シューマッハ准将」
「リューネブルク中将こそ」

シューマッハ准将はブラスターをキルヒアイス准将に押し付けながら答えた。甘かったな、キルヒアイス。背中を向けるなら念のためクローゼットの中を確認しておくべきだった。司令長官を殺す事に気を取られすぎだ。

キルヒアイスを床に押し付け、両腕を後ろにまわし手錠をかけた。更に両足にも手錠をかける。その上で体を引きずり上げ椅子に座らせた。俺とシューマッハ准将でキルヒアイスの後ろに立つ。司令長官がゆっくりとキルヒアイスに近づいてきた。

「ご苦労様ですね、二人とも。キルヒアイス准将、准将が来ると思ったのでクローゼットにはリューネブルク中将、浴室にはシューマッハ准将に待機してもらったのですよ。無駄にならなくて良かった……」
「……」

「全て喋ってもらいますよ」
「喋る事など無い!」
司令長官はキルヒアイスの拒絶の言葉に柔らかく微笑んだ。拒絶された事がむしろ嬉しいかのように。

司令長官の中で獣が歓びの声を上げているのが分かった。キルヒアイス、これからは貴様にとって間違いなく地獄だ、俺が保証してやる。お前達は司令長官を本気にさせた。その恐ろしさを十分に味わうと良い……。

「昨日、グリューネワルト伯爵夫人から連絡が有りましたね」
「……」
「隠しても無駄ですよ。准将の部屋には監視カメラと盗聴器が仕掛けて有るんです」

「……馬鹿な、何時の間に」
「何の為に要塞とロキで交代に休ませたと思っているんです」
「!」

「環境が変わると良く眠れないというのは嘘です。軍人なのですよ、何処でも眠れます」
そういうと司令長官はクスクスと笑い声を上げた。キルヒアイスの驚いた表情がおかしいのか、それとも他愛なく引っかかったことがおかしいのか……。

「監視カメラと盗聴器はこの部屋にも仕掛けて有るんです。分かりますか、その意味が?」
司令長官のその言葉にキルヒアイスが困惑した表情を見せた。

「困りましたね、私達がここで何を話したか、覚えていないのですか?」
「……」
「バラ園での襲撃事件、それと私を殺す理由、確かローエングラム伯が帝国を簒奪するためでしたね」

司令長官の楽しそうな言葉にキルヒアイスの表情が青褪め、体が小刻みに震え始めた。
「昨日伯爵夫人から連絡が有り、今日准将が私を殺そうとした。これはどういう意味なのか、どう思いますリューネブルク中将」

「伯爵夫人が准将を唆走した、そう思うでしょうな。今回の一連の陰謀の裏には伯爵夫人がいる……」
「アンネローゼ様は関係ない! あの方を巻き込むな!」

キルヒアイスが身を乗り出し、椅子から転げ落ちそうになる。襟首をつかんで椅子に引き戻したが、キルヒアイスは身を捩って暴れ続けた。そんな様子を司令長官は笑みを浮かべながら見ている。

「伯爵夫人が関係無い事、そんな事は分かっています。ですが、それを決めるのは卿ではない。分かりますか、その意味が?」
「卑怯な……。卑怯でしょう! 司令長官!」

卑怯、その言葉に司令長官が微かに苦笑した。気持ちはわかる、暗殺をしようとしていながら卑怯などと何を考えているのか。同じ思いだったのだろう、シューマッハ准将が冷たく言い捨てた。

「卑怯? 自分がしようとしたことを考えるのだな。卿にその言葉を使う資格があると思うのか?」
「……しかし」

「キルヒアイス准将、謀略に卑怯などという言葉は有りません。謀られるほうが間抜けなだけです。卑怯と罵られるのは最高の褒め言葉ですよ。それだけ相手を悔しがらせたという事ですからね」
「……」
キルヒアイスは唇を噛み締めたまま、じっと司令長官を睨んでいる。

「伯爵夫人を助けたければ正直に全てを話すことです」
「……そうすれば、助けられると」
「あの方が陰謀に関わっていない事は事実でしょう。それを証明できるのは准将しかいません。だから正直に話せと言っています」
「……」

「内務省の人間達は少しでも自分の罪を軽くしようと必死のはずです。当然誰かに自分の罪を擦り付けようとする。伯爵夫人は良い標的でしょう」
「……」

「准将が全てを正直に話せば、伯爵夫人に対する援護になるでしょう。しかし、一つでも嘘を吐けば伯爵夫人に対する証言も信憑性は低下する。分かりますか、私の言っている事が」

「……ラインハルト様は、ローエングラム伯はどうなります。ローエングラム伯も今回の一件には関与していません」
キルヒアイスが縋るような視線を司令長官に向けた。愚かな、伯爵夫人と伯では立場が違う。その程度の事も分からないのか、いや分かっていても縋らざるを得ないのか、哀れな……。

「ローエングラム伯には死んでもらう事になります」
「ですが、ラインハルト様は……」
「誰のために、何のために私を殺そうとしたのです、キルヒアイス准将」
「……」

「これは戦争だったんです。私と卿、そしてオーベルシュタイン准将の。卿らはローエングラム伯を中心とした帝国を作ろうとした。私は卿らとは違う帝国を目指した。帝国は一つ、敗れたものは消えるしかない……」

何処か自分に言い聞かせるような口調だった。司令長官は何処かでローエングラム伯を殺したくない、そう思っているのだろう。
「そんな、御願いです、ラインハルト様……」

「だったら何故こんな事をしたのです! 伯が私を殺せとでも言ったのですか! 自分達で勝手に始めておきながらこの期に及んで……。ふざけるな!」
「!」

司令長官の生な感情がキルヒアイスに叩きつけられた。荒い息を吐き、胸を喘がせ司令長官はキルヒアイスを睨み据えている。司令長官は怒っている。そしてローエングラム伯を殺さざるを得ない事を悲しんでいる。遣る瀬無さそうな司令長官の表情が見えた。シューマッハ准将も俺も何も言えず立ち尽くすしかない。

司令長官が手をキルヒアイスの目の前に差し出した。手のひらには例のカプセルが有った。
「選びなさい、この場で自殺するか、それとも全てを話すか」

冷たい声だ。先程までの激情は欠片も見えない。だが司令長官の心はまだ荒れ狂っている。先程までの感情が炎なら今は氷だ。優しさなど何処にも無い、視線までもが凍て付くように冷たい。その冷たい視線でキルヒアイスを見据えている。

「自殺すれば伯爵夫人の命も保証は出来ません。三人でヴァルハラに行く、それも良いでしょう。どうします」
キルヒアイスの体が小刻みに震えている。首筋から汗が流れ、何度か唾を飲み込む音が聞こえた。

「……全て話します」
「良いでしょう。自分で選んだのです、その事は忘れないで下さいよ、キルヒアイス准将」

司令長官が柔らかい声を出した。表情にも笑みがある。それだけなら何時もの司令長官だった。だが目は笑っていない、仮面の微笑だった。心を隠す仮面の微笑……。

 

 

第百九十一話 ワイングラス

帝国暦 488年  1月 2日  帝国軍総旗艦ロキ マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ



帝国暦四百八十八年の二日目が始まって未だ一時間も経たない時、ヴァレンシュタイン艦隊の司令部要員に緊急の集合命令が下った。“至急、総旗艦ロキに集合せよ”。悪態を吐きながら慌てて着替え、気休め程度のメイクで艦橋に向かう。

部屋を出ると隣の部屋から同じようにフィッツシモンズ中佐が出てくるところだった。丁度いい、これで一人遅れて行かずに済む、急いで傍により中佐に話しかけた。
「中佐、一体何が……」
「急ぎましょう、男爵夫人」

中佐は私の言葉を遮ると急ぎ足で歩き始めた。
「走らないの」
「夜中に司令部要員が走れば周囲に不安を与えます」

落ち着いた口調だった。なるほど、確かにそうだろう。中佐はもう何度もこんな経験をしているのかもしれない。急ぎ足で歩く中佐の後を遅れないように追った。もどかしい思いを抑えて艦橋へ向かう。

艦橋に向かうと司令長官を中心に既に全員が席についている。私達が傍にいくと皆が鋭い視線を向けてきたが、中佐は悪びれることなく落ち着いた声を出した。
「遅くなりました」

司令長官は無表情に頷く。重苦しい雰囲気が漂っている。司令長官の前にはグラスが置いてあった。美しいワイングラスだ。中身は透明だから多分水だろう。司令長官が無表情に水を飲んでいる……。周囲の重苦しい雰囲気といい、余りいい状況ではないのは確かだ。何が有ったのだろう。

「全員集まったようですね」
「まだキルヒアイス准将が来ていませんが」
司令長官の言葉にクルーゼンシュテルン副司令官が注意を促すように声を出した。緊張して気付かなかったけれど確かにジークが居ない、どうしたのだろう、時間にルーズな子ではないはずだけれど……。

「キルヒアイス准将は来ません」
司令長官が抑揚の無い声で告げた。皆が訝しげに視線を交わす中、リューネブルク中将とシューマッハ准将だけが誰とも視線を合わせようとしない事に気付いた。

何が有ったのかは分からない、でも彼らは知っている。此処に私達が集められたのもそれが関係しているのかもしれない。一体何が有ったのだろう、ジークはどうしたのだろう。

「キルヒアイス准将は独房にいます」
「!」
「彼は私を殺そうとしたのです。先日のバラ園での襲撃事件に関与していることも分かっています」

皆凍りついた。身じろぎも出来ない中、司令長官はまるで他人事のように淡々と話し続けた。本当に殺されかかったのだろうか……。
「私を殺そうとした理由はローエングラム伯が帝国を簒奪し、宇宙を征服するためには私が邪魔だから、そういうことでした」

ジーク、何故そんな事を……。胸が潰れるような思いがした。司令長官は何処と無く憂鬱そうな表情をしている。司令長官がワイングラスの水を飲んだ。まさか、ジークは嵌められた? 暗殺はでっち上げ?

「ローエングラム伯に対する処分はどのようなものに」
重苦しい雰囲気の中、ワルトハイム参謀長が困惑するような口調で司令長官に問いかけた。

「伯が何処まで事件に絡んでいるかは分かりません。とりあえず一切の権限を剥奪しオーディンへ送ります。後は憲兵隊の仕事になるでしょう」
「……」
「各艦隊司令官への連絡を準備してください、私が直接話します。最初に別働隊を、但しブリュンヒルトは除いてください。……質問は」

質問は無かった。皆、それぞれ準備のために席を離れる。残ったのは司令長官、リューネブルク中将、フィッツシモンズ中佐、私……。人数が減っても重苦しい雰囲気が消える事は無かった。

「閣下」
少し声がかすれた。司令長官が私を見る、そして直ぐ視線をワイングラスに向けた。一瞬だったけれど何の感情も見えない視線だった、声をかけたことを後悔したが、それでも聞きたい事がある。

「ジークを、キルヒアイス准将を罠に嵌めたのですか?」
「男爵夫人!」
リューネブルク中将が低い声で私を叱責した。しかし司令長官は右手を上げて中将を抑えた。

「ええ、他愛ないものでしたよ。彼は謀略に向かない」
「お分かりなら何故そんな事を」
私の非難に司令長官は何の反応も表さなかった。ただワイングラスを指で撫でている。視線もワイングラスに向けたままだ、もう水は入っていない。

「勘違いしないでください。彼が私を殺そうとしたのは事実ですし彼らが簒奪を考えていたのも事実です。男爵夫人も薄々は気付いていたでしょう。非難されるのは心外ですね」
「!」

リューネブルク中将とフィッツシモンズ中佐が息を呑むのが分かった。気付いていたでしょう、その言葉が耳に響く。確かにそうだ、一度でもその事を思わなかったと言えば嘘になる。ラインハルトの行動が皆から不審を持たれている事も知っていた。でも暗殺などするような卑劣さとは無縁だと思っていた。まさかジークが……。

「キルヒアイス准将のように卑怯などと詰まらない事を言わないでくださいよ。これは戦いなんです、一つ間違えば私が死ぬこともありえた。いや、実際一度死にかけたんです。しかし私は死ななかった、そして勝った……、ただそれだけです」

司令長官が微かに笑みを浮かべて私を見ている。何処か禍々しい、怖いと思わせる笑みだが目は笑っていない、こちらを見定めるように冷たく光っている。お前は彼らの野心を知りながら知らぬ振りをした、お前も彼らの一味だ、そう言われているような気がした。

「……ローエングラム伯が閣下を暗殺しろと命じたのでしょうか?」
「いいえ、それはないでしょうね。彼はそんな卑小さとは無縁です」
「だったら何故、伯を拘束など……。それほどまでに彼が邪魔なのですか」
「男爵夫人」
今度はフィッツシモンズ中佐が私を咎めた。でも退けなかった。

ラインハルトを庇うのが危険だとはわかっている。それでも私は心の何処かでこの人ならラインハルトを使いこなせるのではないかと思っていた。難しい事だと思う、ラインハルトは他者に屈するような人間ではない、それでもこの人なら……。

「邪魔?」
司令長官は何を言われたか分からないかのように私を見た。そしてクスクスと最後には声を上げて笑い出した。そして笑いを止めると詰まらなさそうに言葉を出した。

「男爵夫人、ローエングラム伯は覇者なのです。覇者は何者にも膝を屈したりしない。私が彼を邪魔だと思ったんじゃない、彼が私を邪魔だと思ったんです。キルヒアイス准将はその思いを汲み取ったに過ぎない、忠実にね」
「……」

ローエングラム伯は覇者、司令長官の言葉が耳に残った。
『私は、頂点に立ちたいんです』
『でも、私の前にはいつもあの男が居る、あの男が……』

ラインハルトの声が聞こえる。あれは何時の事だっただろう。確かシャンタウ星域会戦の後だった。私の想いなど所詮叶うはずの無い馬鹿げた願いだったのだろうか……。

いつの間にか追憶に耽っていた私を司令長官の声が呼び戻した。
「男爵夫人、この件に関して不満を持つなとは言いません、しかし不満を表に出すのは止めてください。これは帝国の総意なのです、貴女のためにならない」
「総意?」

司令長官が私を気遣ってくれているのは分かる。しかし、総意? 総意とは何の事だろう。司令長官は視線を私に向けた、何処か哀れむような視線だ。

「リヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、そして……私。私達の間でローエングラム伯は帝国の不安定要因でした。今回の内乱でも多くの人間が彼を利用しようとしている」
「……」

「帝国はこれからフェザーン、自由惑星同盟を下し銀河を統一します。そのためには帝国内の不安定要因をそのままにする事は出来ません」
「……」

「門閥貴族もローエングラム伯も帝国の不安定要因である以上排除する、そのために罠を仕掛けました」
「ではジークを罠にかけたのはやはり……」

私の言葉に司令長官は頷いた。
「ええ、真の狙いはローエングラム伯の排除です。キルヒアイス准将だけを排除しても何の意味もありませんからね。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥もこの件に関与しています」
「!」

溜息が出る思いだった。隣に居るフィッツシモンズ中佐が息を呑むのが分かった。ラインハルトが宇宙艦隊内部で微妙な立場にある事は知っていた。しかし宇宙艦隊内部だけの問題ではなかったという事か……。

私が美しいと思った野心的で覇気に溢れる蒼氷色の瞳、その瞳は周囲から危険視されるだけだった。そして今排除されようとしている。司令長官は私に彼らに関わるなと言っている。

分かっている。司令長官は以前から私に彼らに関わるなと警告を出していた。それでも聞かなければならない事がある。

「アンネローゼ、グリューネワルト伯爵夫人はどうなりますか?」
「もう止められよ男爵夫人」
リューネブルク中将が私を止めに入ったが無視して司令長官に迫った。

「どうなりますか?」
「……」
司令長官はまたワイングラスを見ている。
「教えてください、閣下!」

私の問いかけに司令長官は溜息を吐いて話し始めた。
「……、不幸な方です。伯爵夫人さえ居なければローエングラム伯の急激な台頭は無かった。キルヒアイス准将も穏やかな一生を送れたでしょう……」

視線を逸らし他人事のように話す司令長官に思わずカッとなった。
「閣下! はぐらかさないでください。彼女はどうなるのです?」
「もう止めてください!」
フィッツシモンズ中佐が声を上げた。強い目で私を睨んでいる。でも退けない、アンネローゼは私の友人なのだ。

「……死罪という事も有り得ると思います」
静かな声が流れた。
「そんな……」
抗議する私を司令長官は手を上げて宥めた。

「伯爵夫人が私の暗殺に加担しているという事は無いでしょう。ですがローエングラム伯が簒奪を望んでいたとなれば当然伯爵夫人もただではすまない。彼女の処遇については最終的には陛下がご判断を下す事になりますが、リヒテンラーデ侯の意見が大きく影響するでしょうね」
「……」

リヒテンラーデ侯……。険しい眼光を持つ老人、侯はアンネローゼをどうするだろう。ベーネミュンデ侯爵夫人の事が頭をよぎった。司令長官なら侯にアンネローゼの助命を……。
「無駄ですよ」

驚いて司令長官を見た。司令長官はまたワイングラスに視線を向けている。
「リヒテンラーデ侯に私の口添えを期待しているなら無駄です。侯は私がローエングラム伯に甘いと言って怒っていました。私が口添え等したら反って逆効果です。その甘さを叩き直してやると言ってね」

「甘いのですか?」
「ええ、お前の甘さのせいで皆を危険に晒したと怒られました。実際その通りです。自分の甘さが嫌になりますよ」
司令長官が微かに笑みを浮かべた。暗く何処か自らを嘲笑うかのような笑いだ、思わず胸を衝かれる思いがした。この人が甘い? 一体リヒテンラーデ侯はどれ程厳しいのだろう……。

「……ならば陛下に直接お願いすれば」
「例え寵姫であろうと弟が大逆罪に絡んだとなれば許される事は有りません。何らかの処罰は下ります。それにキルヒアイス准将、オーベルシュタイン准将が関与したのはそれだけではないんです」

「どういうことです」
私の問いかけに司令長官は無表情になった。そして私と目を合わせることなく話し始めた。

「彼らは宮中で起きた誘拐事件、クーデター事件に関与しています。あの事件には内務、宮内、そして近衛が関与しました。何人もの人間が死んでいるんです」
「……」

「近衛兵総監ラムスドルフ上級大将が自殺、ノイケルン宮内尚書も自ら死を選びました。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も御息女を奪われて心ならずも反乱に踏み切った。誘拐された二人は陛下の御血筋の方です」
「心ならずも?」

私の問いかけが思いがけないものだったのだろう。司令長官は一瞬驚いたような表情で私を見た。そして思い出したように一つ頷いた。

「ああ、男爵夫人は知らないのですね。彼らは本当は反乱など起したくなかったんです、勝ち目がありませんから。ですが例の誘拐事件で反乱を起さざるを得なかった」
「……」

「その全てにあの二人は関わっている、内務省、宮内省と組んで混乱を大きくし、それに乗じて帝国の権力を握ろうとした。その全てがローエングラム伯のためです」

「……」
「ローエングラム伯の望みは第二のルドルフ大帝になる事、そしてグリューネワルト伯爵夫人を取り戻す事……。そのために彼らは今回の陰謀に加担した。そういう意味では伯爵夫人は無関係ではない。むしろ彼女から全てが始まったとも言える……」
最後は極めて事務的な口調になった。冷たく何の感情も感じ取れない……。

司令長官がワイングラスを指で撫でている、そして指で強く押した。ワイングラスが倒れその衝撃で乾いた音をたてて転がった。

「美しく、硬く、そして脆い。柔軟さなど何処にも無い。扱いには注意しないとあっという間に砕けてしまう……。不便ですね、面倒でもある。私はもっと丈夫で壊れにくいマグカップのほうが好きです」

司令長官はじっと転がっているワイングラスを見ている。いや見据えている。そして席を立って歩き始めた。
「もうこの辺で良いでしょう、私は一度自室に戻ります、準備が出来たら呼んで下さい」

決して強い口調ではなかった。しかしこれ以上の質問を許さない声、人の上に立つことの出来る人間だけが出せる声だった。

リューネブルク中将が後を追おうと席を立つ。そして同じように席を立とうとしたフィッツシモンズ中佐を首を振って止めた。一瞬二人は見詰め合ったが、中佐は肩を落とし大人しく席に座りリューネブルク中将が司令長官の後を追った。

フィッツシモンズ中佐が立ち去る司令長官を見ている。そして一瞬強い視線で私を睨んだ後、溜息をついてワイングラスを見た。中佐には悪い事をしたと思う、それでも止められなかった……。

美しいグラスだと思う、普段ならその美しさに心が和むはずだ。でも今は無性に遣る瀬無い想いだけが募った。こんなグラス無ければいいのに……。



 

 

第百九十二話 罪の深い女

帝国暦 488年 1月 2日  帝国軍総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


リューネブルクは部屋まで付いて来た。俺が執務席に座ると、部屋の片隅に有った椅子に腰をかける。彼が俺の方を時々気遣わしげに見るのが分かったが、何となく億劫で悪いとは思ったが気付かぬ振りをした。

もっとも向こうもそんな事は百も承知だろう。普通の奴なら気まずさに部屋を出て行くところだろうが、そんな可愛げは欠片も無い奴だ。出てけと言っても一人は危険ですとか言って居座るのは目に見えてる。彼とは長い付き合いだ、無下にも出来ん……。

男爵夫人は大分ショックを受けていたな。まあ親しかった人間達が目の前で死罪に落とされることが決定したのだ、平静ではいられなかっただろう。男爵夫人はヒルダとは違う、ヒルダは政治センスに恵まれた聡明な女性だが、男爵夫人は好奇心は強いがごく普通の女性だ。傑出した政治センスなど何処にもない。

原作の男爵夫人はラインハルトが権力を握るまでは時々関わってくるが、権力を握った後は姿を現さない。リップシュタット戦役以後、アンネローゼがラインハルトの傍を離れた事が理由としてあるのかもしれない。

しかし、俺が思うにおそらくはキルヒアイスを失った後のラインハルトの変貌についていけないと感じたのではないだろうか。十歳以上の男子は死刑、そんな事を平然と命じる人間に彼女がついていけるとは思えない。

おそらく今回の一件で彼女は俺の傍を離れて行くだろう。普通の人間なら怖くなって離れるのが当たり前だ。俺の傍を離れたからといって、その事を根に持ったりはしない。俺は自分がどんな世界に生きているのか分かっている、ラインハルトと大して違いが有るわけではない……。

彼女は俺から離れるべきなのだ、人間、向き不向きはある。無理をする事はない。彼女はおそらく芸術の世界に行くのだろう。パトロンとして多くの芸術家達を育てる。

貴族らしい趣味かもしれない。だがそれが悪いとは思わない。彼女が政治の世界で貴族としての特権を振るおうとするなら許さないが、政治に関わらないのなら問題は無い……。


ジークフリード・キルヒアイスが俺を殺しに来た。来るだろうとは思っていた。しかし、丸腰の俺を撃てると言われた時は参った。それにあの目は俺を殺したがっていた。

あんな事をする奴じゃないと期待していたが、そうじゃなかった。結局人間など追い詰められればどんな事でもするということかもしれない。油断するなと言う事だ。確かにリヒテンラーデ侯の言う通り、俺は甘いのだろう……。

目の前にカプセルが有る。キルヒアイスが俺に飲ませようとしたカプセルだ。心臓発作に良く似た症状を起させると言っていたな……。心臓発作か……、心臓発作……、心臓発作? 馬鹿だな、何を考えている、そんな事が有るはずが無い、有ってはいけない事だ……。

「……閣下、閣下!」
「……なんです、リューネブルク中将」
「通信が入っています」

通信が入っている? 確かにそうだ、呼び出し音が鳴っている。気付かなかったのか……。そんな目で見るな、リューネブルク。俺は大丈夫だ……。

「ヴァレンシュタインです」
「ワルトハイムです。艦隊司令官達に連絡が取れました。艦橋へ御出でください」

“人間など追い詰められればどんな事でもするということかもしれない”
“俺は甘いのだろう”
……考えすぎだ、そんな事はありえない。神経質になっているだけだ。

「ワルトハイム参謀長」
「はっ」
「……リヒテンラーデ侯に連絡を取ってください」
スクリーンに映っているワルトハイムの顔が驚愕に満ちている。俺も同感だ、多分何処か頭がおかしくなっているのだろう。

「閣下、この時間に国務尚書を」
時間? それがどうした、たかだか夜中の二時半じゃないか。寝てるだろうが死んではいない、叩き起こせ、話は出来る。

「構いません、叩き起こして下さい。ヴァレンシュタインが緊急の要件で話したがっていると……」
「はっ」

もう後へは退けんな。全くなんでこんな馬鹿な事ばかり考え付くのか……、多分馬鹿だからだろう。度し難い馬鹿だ。
「リューネブルク中将、行きますよ」
「はっ」

リューネブルクが嬉しそうに答えた。こいつ、なんだってそんな嬉しそうな顔をしてるんだ? 俺が厄介ごとに巻き込まれる度にいつも嬉しそうな顔をする。全くろくでもない奴だ、何で俺はこいつを傍においておくんだろう、さっぱり分からん……。



帝国暦 488年  1月 2日  帝国軍総旗艦ロキ マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ


艦橋は混乱している。艦隊司令官達との連絡がついたと思ったら今度は国務尚書リヒテンラーデ侯を呼べと言われたのだ、当然だろう。ワルトハイム参謀長が国務尚書の執事と話しをしているがなかなか埒が明かない。

「何度も同じことを言わせないで頂きたい。ヴァレンシュタイン司令長官が至急侯に連絡を取りたいと言っておられるのだ」
『そうは言われても、元帥閣下の御姿も見えない状況では』

さっきからずっとこの調子だ。ワルトハイム参謀長は苛立ち、国務尚書の執事は何処か勝ち誇った表情をしている。国務尚書の勢威をこちらに思い知らせたいと思っているのかもしれない。この夜中に主人を起せなど何を考えているのか、そんなところだろう。

艦橋に司令長官が入ってきた。厳しい表情だ、足早に歩いてくる。そして司令長官の後ろには周囲に鋭い視線を送りながらリューネブルク中将がついている。

それだけで何かが起こったことが分かった。艦橋の空気が混乱から緊張に切り替わる。二人は此処を出て行く時とは全く違う、まるで狩をする猛獣のように荒々しい雰囲気を周囲に撒き散らしている。

「リヒテンラーデ侯はどうしました?」
「それが」
指揮官席に座る司令長官に問いかけられ、ワルトハイム参謀長が面目無さげにスクリーンを見た。司令長官もスクリーンを見る、厳しい表情だ。戦いの最中でもこんな顔は見た事が無い。戦う男の顔だ。

「ヴァレンシュタインです。重大な要件でリヒテンラーデ侯に相談が有ります。侯を呼んでください」
『しかし、もうこの時間……』
「叩き起こしてください」

司令長官の声に皆が驚いた。執事、艦橋の皆、スクリーンに映る司令官達……。
「この件で不祥事が発生した場合は侯と卿に責めを負ってもらいます、死にたくなかったら侯を叩き起こしなさい」

司令長官の厳しい表情と言葉に執事は真っ青になった。
『……』
「早く決めなさい、侯を呼ぶのか、それとも死ぬのか」
『す、すこしお待ちください。今主人を呼びます』
「馬鹿が……」

執事が慌てて消えるのと司令長官が吐き捨てるのが一緒だった。司令長官はかなり苛立っている。余程の大事が起きたのだろう。皆顔を見合わせた。

「申し訳ありません、侯に緊急で相談しなければならない事が出来ました。そのまま待っていただけますか」
『それは構いませんが、よろしいのですか? 我々が聞いても』
「構いません。むしろその方が良いでしょう」

司令長官はロイエンタール提督と話し終えると右手で左腕を軽く叩きながら俯き加減に視線を伏せた。そのまま左腕を叩き続ける。艦橋は痛いほどに緊張している。皆司令長官を窺うように見るが司令長官の様子は変わらない。左腕を叩き続けるだけだ。そして一つ大きく息を吐いた。

『何のようじゃ、ヴァレンシュタイン』
リヒテンラーデ侯がガウン姿でスクリーンに現れたのは執事が消えてから五分ほど立ってからだった。司令長官が腕を叩くのを止めた。

「先程キルヒアイス准将を捕らえました」
『その事は昨夜聞いた』
リヒテンラーデ侯が皮肉そうな口調で笑った。寝ている所を起されて機嫌が良くない様だが司令長官は気にした様子も無く話を続けた。

「キルヒアイス准将は私に薬を飲ませようとしました、これです」
司令長官の手には小さなカプセルが有る。皆の視線がその薬に集中した。
『それで』

「この薬は心臓発作に良く似た症状を引き起こすそうです。それに一旦体内に取り込まれると検出するのは非常に困難だとか。他殺を疑われる事は先ずない……」
『何が言いたい』

「グリューネワルト伯爵夫人の元にもこれが有る可能性が有ります」
「そ、そんな、痛!」
抗議しようとした私の肩を強い力がつかんだ。まるで肩を万力で握り潰すかのようだ。

リューネブルク中将だった。中将が強い視線で私を見ている。そして顔を寄せると小さな声で“騒ぐな、次は首を絞める”と囁いた。私は痛みを堪えながら首を縦に振った。中将は軽く頷くともう一度強く肩をつかんでから放した。

『卿、本気か?』
「本気ですし、正気です。キルヒアイス准将は十月の末にこの薬を手に入れています。同じ時期に伯爵夫人も手に入れたでしょう」
『うーむ』
リヒテンラーデ侯が厳しい眼で薬を睨んでいる。

そんな薬がアンネローゼのところに有るはずが無い。彼女は陛下を愛しているのだから。リヒテンラーデ侯も半信半疑な表情をしている。司令長官の邪推だ。

「バラ園の事を思い出してください。あの時の標的は私と侯だった。ノイケルン宮内尚書が宮中の実権を握り、ローエングラム伯を呼び戻して協力して帝国を牛耳ろうとした」

『オーディンに戻ったローエングラム伯は、宮中でクーデターを起し、私と卿を暗殺したノイケルンを捕らえクーデターを鎮圧する事で実権を握ろうとした』

まさか、そんな事が、慌てて周囲を見た。誰も驚いたような表情をしていない。何人かは頷いている。誘拐事件のときラインハルトが疑われたのは知っている。この事件でも周囲は関与していると考えていた?

誰も私にそんな事は言わなかった。周囲が私に隠したとは思えない、私が甘かったのか? 何処かでラインハルト達を信じる心が有った? その事が事実から眼を逸らさせた?

人間は見たいと思う真実だけを見る、見たくない真実からは眼をそむけてしまう……。私は何処かで真実から眼を背けていたのか……。だから私だけがキルヒアイスの捕縛に納得できず、司令長官に食い下がった……。

「此処でおかしな事があります。ローエングラム伯が軍の実権を握るためには宇宙艦隊司令長官の職を必要とするはずです」
『うむ』

「陛下がローエングラム伯にそれを許すでしょうか?」
『いや、それは無い。次の司令長官はメルカッツに決まっておった。なるほど確かに妙じゃの』
リヒテンラーデ侯が司令長官の言葉に相槌を打った。司令長官は一つ頷くと口を開いた。

「オーベルシュタインはその事を知らなかったはずですが、陛下が簡単に伯を宇宙艦隊司令長官にすると考えたとも思えません。いやそれ以上に、お前達が私や侯を殺したと陛下に非難された場合、伯はどうすると思いますか? 伯が陰謀の件を知らなかったとしたら?」

『なるほど、オーベルシュタインにとって陛下は邪魔か。そう言いたいのじゃな』
「ええ、罪はノイケルンに被せます。ノイケルン宮内尚書は我々を暗殺し実権を握ろうとしたが、陛下の信頼を得る事が出来ず、逆上して陛下を弑逆……」

『後を継ぐのはエルウィン・ヨーゼフ殿下か。なるほど操るのは難しくないの』
「ローエングラム伯は反乱を鎮圧し、大逆人を誅した英雄です。これなら誰も逆らえません」

リヒテンラーデ侯は考え込んでいる。司令長官も何も言わない。二人の沈黙に艦橋は痛いほどに緊張している。息をするのさえはばかられるようだ。

『卿の言い分は分かる。しかしグリューネワルト伯爵夫人がそのようなことをするかの。これまで何の動きも見せなかったのじゃぞ』
「だからこそ好都合でしょう、誰も伯爵夫人を疑わない。陛下とローエングラム伯、どちらを選ぶと言われたら伯爵夫人はどうすると思います?」

『……自信が有るのじゃな』
「そうでもありません。半々だと思います」
司令長官の言葉にリヒテンラーデ侯は大きく溜息を吐いた。
『半々か……、陛下の御命には代えられぬ。伯爵夫人を調べさせよう』

アンネローゼが調べられる。何故そんな事に……、そう思う私の気持ちを他所に手筈が着々と決められていく。憲兵隊が宮中に踏み込むのは一時間半後、それに合わせて別働隊もラインハルトの拘束に動く。

別々に行動した場合、お互いに連絡を取り合う可能性がある。最悪の場合伯爵夫人が自殺、或いは陛下を弑逆しかねない、そういうことだった。

本当にアンネローゼが薬を持っているのだろうか。いや、それよりも司令長官とリヒテンラーデ侯の会話。ほんの僅かな手がかりからあそこまで思いつくものなのか……。

政治の世界の厳しさ、そこに生きる男達の苛烈さ、獰猛さ、酷烈さ。ほんの僅かな過ちが命取りになる世界……。その中で生き残ると言う事がどれ程至難な事か。司令長官が何度も私に発した警告、その意味がようやく分かった。

あれはこれ以上立ち入るなと言う警告だった、私は愚かにもそれを軽視した。一つ間違えば私はオーベルシュタインに利用されるか、或いは司令長官に利用されて滅茶苦茶にされていただろう。今此処にいるのは僥倖に過ぎない。

打ち合わせはいつの間にか終わっていた。司令長官は指揮官席で穏やかな表情を浮かべている。周囲にはフィッツシモンズ中佐がいるだけだ。
「閣下」

私の躊躇いがちな呼びかけに司令長官は訝しげな表情をした。フィッツシモンズ中佐が油断無く身構えている。
「申し訳ありませんでした。何も知らずに、私が愚かでした」
司令長官は私の言葉に微かに苦笑すると頷いた。



帝国暦 488年 1月 2日  帝国軍総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


銀河英雄伝説の原作を読むとラインハルト・フォン・ローエングラムはつくづく強運だと思う。こう言うと多くの人間がバーミリオン会戦を頭に浮かべるだろう。だが、俺はアムリッツア会戦後に皇帝フリードリヒ四世が死んだ事こそ強運以外の何物でも無いと思う。

フリードリヒ四世の死についてラインハルトは後五年、いや二年生きていれば犯した罪悪に相応しい死に様をさせてやったと心の中で呟いている。キルヒアイスも同様だ。

だが俺に言わせれば、フリードリヒ四世に後一年寿命があれば、死んでいたのはラインハルトとキルヒアイスのほうだったと思う。何故なら帝国の上層部はラインハルトを危険視する人間で溢れていたからだ。

イゼルローン要塞失陥後の事だが、帝国軍三長官とリヒテンラーデ侯が話をするシーンがある。それを見ると彼らはラインハルトの地位が上がる事を酷く警戒している。

そしてバラ園での皇帝とリヒテンラーデ侯の会話、さらに同盟軍侵攻が分かったときのリヒテンラーデ侯とゲルラッハ子爵の遣り取り……。

リヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵、そして帝国軍三長官、彼らの間ではラインハルトは消耗品だった。同盟が健在なうちは利用するがその後は排除……。アムリッツア会戦での大勝利は十分に排除のきっかけになっただろう。

ラインハルトを排除する口実はあったのだ。他でもない、焦土作戦だ。あの作戦で辺境星域二億人は飢餓地獄に陥った。それがどれ程酷かったかはリップシュタット戦役時に辺境星域で僅か三ヶ月未満の間に六十回以上の会戦が起きた事でも分かる。

当然だが辺境星域の貴族達の怒りも激しかったはずだ。ラインハルトを処断すれば、辺境星域の住民、貴族達、その両方の歓心を得ることが出来る。政府に対して不信感を持っただろう辺境星域に対してラインハルトを処断することでその罪をラインハルト個人の物に摩り替える……。

カストロプ公を切り捨てることで国内の不満を和らげた帝国ならラインハルトを切り捨てる事も容易かっただろう。

勝利の凱旋から気がつけば処刑場ということだ。
“ただ勝てば良いという勝ち方は宇宙艦隊を率いるものに相応しからず”
その一言でラインハルトから宇宙艦隊を剥奪できただろう。その後は言うまでも無い。

滑稽なのはラインハルトがそのあたりをまるで理解していない事だ。あげくの果てに後二年などと言っている。当時の自分を取り巻く政治状況が全く見えていなかったとしか思えない。だから多くの人間がこの強運に気付かない。

皇帝フリードリヒ四世が死んだ事で全てが変わった。帝国はいつ内乱が起きてもおかしくない状況になった。リヒテンラーデ侯はラインハルトの排除を一旦中止し、手を組む事でブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯と戦う事を選択した。つまりラインハルトの皇帝への道が開けたのだ。

俺はこれまで皇帝フリードリヒ四世の死は自然死だと思っていた。ラインハルトは何と強運なのだろうと。だが今回のキルヒアイスが使おうとした薬で考えを変えた。あれは自然死じゃない。

オーベルシュタインはラインハルト達が危ういという事に気付いていたのだ。だから手を打った。先ず、同盟に対して大勝しラインハルトの軍事能力を見せ付ける。

第二にフリードリヒ四世を暗殺し帝国に後継者争いを生じさせる。第三にリヒテンラーデ侯にエルウィン・ヨーゼフを担がせる。この内第一と第三はそれほど難しくない。問題は第二のフリードリヒ四世の暗殺だ。

オーベルシュタインは何らかの手段でアンネローゼと接触した。そしてラインハルトの危機を訴えフリードリヒ四世の暗殺を頼んだのだ。そしてアンネローゼは実行した。そうとでも思わなければ余りにも強運過ぎる。

もしかすると二人の接触には男爵夫人が関与したのかもしれない。だとすると彼女は皇帝暗殺に気付いた可能性も有るだろう。彼女がラインハルトに近づかなくなったのはそれが原因かもしれない。

アムリッツア会戦後、オーベルシュタインはキルヒアイスを警戒し始める。ナンバー・ツー不要論だが、本当はキルヒアイスとアンネローゼの接近を警戒したのではないだろうか。

アンネローゼが皇帝暗殺をキルヒアイスに話したらどうなるか? おそらくとんでもなく深刻な事態になるだろう。キルヒアイスはオーベルシュタインを許さないだろうし、ラインハルトも二人の不和の原因が何かに関心を持つに違いない。まさに破滅的な事態の発生だ。

キルヒアイスの死後、オーベルシュタインはアンネローゼと話をしている。何を話し何を話さなかったのかは分からない。しかし会談の後、アンネローゼは理解したはずだ。オーベルシュタインは自分が他者に近づくのを望んでいないと。彼女が、フロイデンの山荘に移ったのもそれが原因だろう。

『私は罪の深い女です』
この言葉の意味はなんだろう。キルヒアイスへの贖罪だけだろうか? 俺にはそうは思えない。フリードリヒ四世を暗殺したのが彼女なら、それに対する償いの気持も入っているはずだ。

フリードリヒ四世が死んだ事で、ゴールデンバウム王朝は消滅しようとしているのだ。彼女は自分がゴールデンバウム王朝を滅ぼすきっかけを作ったことを理解したはずだ。

彼女が曲りなりにも安全で裕福な生活を維持でき、ラインハルトも身を立てることが出来たのはフリードリヒ四世のおかげだった。だが彼女はそれを裏切ったのだ。それに対する贖罪の気持が入っているのではないだろうか……。



 

 

第百九十三話 権謀の人

帝国暦 488年 1月 2日  ローエングラム艦隊旗艦 ブリュンヒルト  アウグスト・ザムエル・ワーレン



厄介な事になった。ブリュンヒルトの艦橋に向かいながら緊張で体が強張るのを俺は抑え切れずに居た。おそらく隣を歩くミュラーも同様だろう。普段の穏やかな表情が今は強張っている。その俺達の後ろには念のために連れてきた兵、三十人が続く。

『帝都オーディンでグリューネワルト伯爵夫人に対して捜査が入ると同時にそちらでもローエングラム伯、オーベルシュタイン准将を逮捕、拘束しオーディンへ護送してください』

『ワーレン提督、ミュラー提督がブリュンヒルトに赴きローエングラム伯達を拘束すること。その間ルッツ提督達は万一に備え警戒態勢を取ってください。彼らに対する嫌疑、指揮権の剥奪、拘束は自分が命じます。またその場にてローエングラム艦隊の処遇、別働隊の今後の指揮体系も発表します』

そう命じる司令長官の表情は全くの無表情で一切の感情を見せなかった。帝都オーディンでのグリューネワルト伯爵夫人に対する調査、そして別働隊に置ける逮捕、拘束……。

国務尚書リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン司令長官の間で決定された事だ。俺達別働隊の指揮官達は偶然、おそらく偶然だろうがその決定までの経緯を知った。

それによれば、レンテンベルク要塞でジークフリード・キルヒアイス准将が司令長官を暗殺しようとしたという事だった。しかも彼は先日起きたバラ園の襲撃事件にも関与している。つまり今帝都で起きている内務省の一斉捜査とも連動しているという事だろう。

暗殺の理由はローエングラム伯が帝国を簒奪するには司令長官が邪魔だというものだった。陰謀に加担したのはパウル・フォン・オーベルシュタイン准将、ローエングラム伯が関与しているかどうかは不明……。そして伯爵夫人への嫌疑……。

事実なら大逆罪だ、単なる権力争いではすまない。陰謀への関与が不明なローエングラム伯もただではすまないだろう。ジークフリード・キルヒアイス、パウル・フォン・オーベルシュタインはローエングラム伯に簒奪をさせるために司令長官を暗殺しようとしたのだ。

俺達は司令長官と国務尚書の会話をただ驚きと共に聞いている事しか出来なかった。もっとも全く予想しなかったわけではない。あのバラ園の襲撃事件にジークフリード・キルヒアイス、パウル・フォン・オーベルシュタインがからんでいるのではないかと疑っていた。

もしそうなら司令長官がこのままで済ませるわけが無いとも思っていた。そして思った通りになった。司令長官は敵に対しては容赦の無い人だ。キルヒアイスが司令長官を暗殺しようとしたのは事実だろう。

だがそう仕向けたのは司令長官のはずだ。そうでなければ司令長官が生きているはずが無い。一対一では司令長官はキルヒアイスの敵ではない、おそらくリューネブルク中将あたりがキルヒアイスを取り押さえたのだろう……。

彼らは司令長官の恐ろしさを悪辣さを知らない。普段の穏やかさに騙されがちだが、その気になればどんな悪党でも裸足で逃げ出すほどの悪辣さを鼻歌交じりで発揮する人だ。

俺はあの第一巡察部隊で嫌と言うほど味わった。味方の俺が震え上がったのだ。キルヒアイスを嵌めて陥れることなど赤子の手を捻るより容易かっただろう。

ラインハルト・フォン・ローエングラム、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン。佐官時代の両者に仕えたのは宇宙艦隊の司令官達の中では俺だけだ。全く違う二人だった。

天性の軍人、軍人以外の何物でもないローエングラム伯に対し、何かの間違いで軍人になったのではないか、そう思わせるほど軍人らしくない司令長官。似ているところが有るとすれば事に及んでの果断さと敵に対する容赦の無さか……。

権謀の人……。今回のリヒテンラーデ侯と司令長官の会話から思ったのはそのことだった。臨機応変に謀をめぐらし敵を打ち倒す人。リヒテンラーデ侯と共にオーベルシュタイン達の策謀を読み解き、対処策を考えていく姿はまさに権謀の人だった。

艦橋に着くとそこには既にシュタインメッツ参謀長、ジンツァー准将、フロイライン・マリーンドルフ、リュッケ中尉がいた。敬礼してくる彼らに答礼を返す。皆緊張した顔をしている。無理も無い、彼らもこれから何が起きるのかを知っている。

「準備は?」
「既に分艦隊司令官達はブリュンヒルトに向かっております。後五分もすれば艦橋に着くでしょう。ローエングラム伯、オーベルシュタイン准将にはこれから連絡を入れます」
俺の問いにシュタインメッツ参謀長が答えた。

「では五分後には皆此処に揃うわけか」
「はい、それからレンテンベルク要塞との間には回線が繋いであります。司令長官はいつでも出られるそうです」
「分かった」
連れてきた三十名を艦橋の入り口に配備する。いざと言うときには彼らの力が頼りだが、出来れば混乱させずに抑えたいものだ。

司令長官からローエングラム伯達の拘束を命じられた後、最初にやった事は、ジンツァー准将に連絡を取る事だった。ジンツァー准将からフロイライン・マリーンドルフ、シュタインメッツ、リュッケに連絡を取り一人ずつ事情を話した。

反対されればその場でジンツァー准将が拘束するはずだった。だが全員賛成してくれた。フロイライン・マリーンドルフはともかく、シュタインメッツ、リュッケが賛成してくれたのは助かった。

どうやら二人ともローエングラム伯の行動に、そしてオーベルシュタインの動きに不安を感じていたらしい。気がつけば自分が反乱に加担している事になるのではないか? とんでもない事になるのではないか? そう思っていたようだ。そしていつかこんな事になるのではないかと思っていた……。

リュッケ中尉がローエングラム伯に連絡を入れている。“レンテンベルク要塞より緊急の連絡が入りました。司令長官の容態がよくないようです。至急艦橋に来てください”。

その隣でシュタインメッツ少将が同じ内容をオーベルシュタインに伝えている。午前四時、この時間帯に呼び起こすのだ、それなりの理由が要る。考え付くのは司令長官の健康問題ぐらいしかなかった。

ローエングラム伯達が来るまでの間、ミュラー提督と話をした。ミュラーは辛いだろう。彼は司令長官の親友だが、同時にローエングラム伯の事を信じてもいた。疑いつつも何処かで信じようとしていた……。

「こんな日が来るとは……」
「ミュラー提督、卿はローエングラム伯とは付き合いが長かったな」
「准将に昇進した時、分艦隊司令官として二百隻ほどの艦隊を率いましたが上官だったのがローエングラム伯、当時のミューゼル中将でした」

「あの時の誇らしさは忘れる事は無いでしょう。それなのに……」
溜息を吐くミュラーの気持は良く分かる。俺も准将になり艦隊を率いたときは嬉しかった。当然率いた艦隊に、所属した艦隊に思い入れは有る。

ナイトハルト・ミュラー、良い男だ、誠実で有能で信頼できる。司令長官の親友だがその事を周囲に自慢する事も無ければ、司令長官に対して甘える事も無い。あくまで誠実に一艦隊司令官として任務に励んでいる。

ローエングラム伯配下の分艦隊司令官達がやってきた。ブラウヒッチ、アルトリンゲン、カルナップ、グリューネマン、ザウケン、グローテヴォール、いずれも有能な男達だ。俺とミュラーを見て訝しげな表情をしている。

敢えて答えることをせず無視した。そしてローエングラム伯、オーベルシュタイン准将が艦橋に現れた。対照的な二人だ、華麗で鋭利なローエングラム伯と陰鬱さを漂わせたオーベルシュタイン。思わず身体が緊張した。

「ワーレン、ミュラーもいるのか」
「はっ、我々も此処へとの指示を受けましたので」
ローエングラム伯が訝しげな声をかけてきたが当たり障りの無い返答を返した。必ずしも納得したようではなかったがシュタインメッツ少将の声にそれ以上は問いかけて来なかった。

「閣下、レンテンベルク要塞から通信です」
スクリーンにヴァレンシュタイン司令長官が映った。艦橋にざわめきが起きる。具合がよくないと言われていた司令長官が出たのだ、驚いたのだろう。続けてルッツ、ロイエンタール、ミッターマイヤーの顔も映った。

「司令長官? 御身体がよろしくないと聞きましたが……」
ローエングラム伯が訝しげな声を出した。司令長官だけでなく、ルッツ提督達の顔が映った所為もあるだろう。

『ええ、余りよくありませんね。つい五時間程前に殺されかかりましたから』
司令長官の声に艦橋が更にざわめく。

スクリーンに映る司令長官は穏やかに言葉を続けた。
『ジークフリード・キルヒアイス准将が私を殺そうとしたのですよ』
「馬鹿な、キルヒアイスがそんな事をするわけが無い」

愕然としてローエングラム伯が呟いた。
『私が生きていると都合が悪いのだそうです。ローエングラム伯が帝国を簒奪するには邪魔だと言っていました』
「……」

スクリーンが切り替わった。キルヒアイスが司令長官にブラスターを突きつけている。視界の片隅でシュタインメッツ、ジンツァー、リュッケの三人がローエングラム伯の傍にさり気無く近づくのが見えた。
『残念でしたね、バラ園での襲撃は上手くいかなかった』
『……』
『否定しないのですね、准将。やはり関係していましたか』

その言葉に艦橋がざわめく。ローエングラム伯は蒼白だ。
『何故私を殺すのです、キルヒアイス准将』
『時間稼ぎですか』

『いいえ、ただ疑問に思ったのです。何故私を殺すのだろうと』
『邪魔だからです』
『邪魔とは?』

『ラインハルト様が帝国を手に入れ、宇宙を征服するには閣下は邪魔なのです。閣下さえ居なければラインハルト様は……』
『ローエングラム伯が帝国を簒奪するためには私は邪魔ですか』

先程までのざわめきは無い。皆蒼白な顔で沈黙している。互いに顔を合わせる事さえしない。どういう顔をしていいのか皆分からないのだろう。俺自身此処まで決定的な証拠があるとは思わなかった。スクリーンが切り替わり司令長官が映った。

「嘘だ、こんな事はありえない、キルヒアイスがこんな事をするわけが無い……」
ローエングラム伯が蒼白な表情で呟いている。

『見ての通りです。キルヒアイス准将は先日のバラ園での暗殺事件に関わっています。内務省、宮内省と組んで混乱を大きくし、それに乗じて帝国の権力を握ろうとした。その全てがローエングラム伯、卿のためです』

「何故そんな事を……。俺がそんな事をしてくれと何時頼んだ。何故だ……」
『その答えは、オーベルシュタイン准将に聞いたほうが良いでしょう。今回の陰謀のシナリオを書いたのは彼ですから』

周囲の視線がオーベルシュタインに集中したが彼はたじろぐ様子も見せず平然としている。視線などまるで感じていないようだ。
「オーベルシュタイン、そうなのか? 卿がキルヒアイスに暗殺などさせたのか? 何故だ」

「昨日の司令長官の暗殺事件はキルヒアイス准将の独断です。小官は関係有りません。ですがそれ以外は小官が考えました」
『薬を用意したのは卿ですね』
「そうです」

「薬?」
『キルヒアイス准将は心臓発作に似た症状を起す薬で私を薬殺しようとしたのですよ。自然死に見せるためにね』
「!」

「何故だ、何故こんな事をした、俺が何時そんな事を頼んだ、答えろ! オーベルシュタイン!」
「閣下にこの帝国を治めてもらうには他に手段がありませんでした」

「俺があの男に、ヴァレンシュタインに勝てないと言うのか!」
「……」
「答えろ! オーベルシュタイン! ……貴様」
ローエングラム伯が激昂する。オーベルシュタインは無表情なままだ。伯が苛立ち言い募ろうとした時、司令長官の声が流れた。

『オーベルシュタイン准将、この薬ですがグリューネワルト伯爵夫人にも渡しましたか』
「……渡しました」
「貴様、姉上を巻き込んだのか!」

激昂し飛び掛ろうとしたローエングラム伯をシュタインメッツとジンツァーが押さえた。身を捩って暴れるローエングラム伯を必死に取り押さえている。

グリューネワルト伯爵夫人に薬を渡した。やはり陛下を暗殺するつもりだったか……。
「全て閣下のためです。閣下に残された時間は短い。急ぐ必要がありました」
「短い?」

「有能で従順な司令長官がいるのです。自由惑星同盟が弱体化した今、帝国に叛意を持つ副司令長官など不要、帝国の上層部はそう考えるでしょう、そうでは有りませんか、司令長官」
『……、そうですね。いずれは排除されたでしょう』
「!」

「閣下はお分かりではないようですが、極めて危険な立場に有ったのです。閣下が生き残るには、今回の内乱を利用して覇権を握る、それ以外にはありませんでした。そのためなら小官はどのような事でもします」
「……」

「オーベルシュタイン准将、卿は何故そこまでローエングラム伯に賭けるのだ?」
不思議だった。何故ローエングラム伯のためにそこまでする。分の悪い賭けだ。失敗する確率が高い事が分からなかったとは思えない。

オーベルシュタインが手を右目にやった。そして手を前に突き出す。手のひらの上には小さな丸い球体があった。そして右目には奇妙な空洞が生じている……。

「この通り小官の両眼は義眼です。ルドルフ大帝の時代であれば劣悪遺伝子排除法によって赤ん坊の頃に抹殺されていました。小官は憎んでいるのです。ルドルフ大帝と彼の子孫と彼の生み出した全てのものを……ゴールデンバウム朝銀河帝国そのものを」
「……」
大胆な発言に皆息を呑んだ。これだけでもオーベルシュタインの死罪は間違いない。

「ゴールデンバウム王朝は滅びるべきです。可能であれば小官自身が滅ぼしてやりたい。ですが小官にはその力が有りません。だからローエングラム伯に協力しました。ゴールデンバウム王朝を滅ぼしたいと考えているローエングラム伯に」
「……」

話し終えるとオーベルシュタインは右目を元に戻した。奇妙な空洞が消える。興奮も激昂も無かった、淡々と話すオーベルシュタインの姿に奇妙なまでの圧迫感を感じたのは俺だけだろうか?

『ローエングラム伯、卿の別働隊指揮官としての権限を剥奪します。ワーレン提督、その身を拘束しオーディンへ送ってください。オーベルシュタイン准将も同じです』
「はっ」

「ローエングラム伯とオーベルシュタイン准将をとりあえず独房に運べ」
「はっ」
「待て、姉上はどうなる、姉上は」

グリューネワルト伯爵夫人がどうなるか? 言うまでも無い事だ。大逆罪に絡んだとなれば、死罪は免れない……。
「姉上は関係ない、姉上を巻き込むのは止めろ! 姉上は関係ない」
ローエングラム伯が身を捩って訴えている。

『ローエングラム伯、野心を持つなとは言いませんし、叛意を持つなとも私は言いません。しかし、事破れたときの覚悟も持って欲しいですね。そうでなければ見苦しいだけです。……子供の遊びじゃない!』
「……」
司令長官が眉を寄せ、不愉快そうに言い捨てた。

ローエングラム伯とオーベルシュタインが兵達に引き立てられていく。ローエングラム伯が何度もグリューネワルト伯爵夫人の無実を訴えている。なんとも後味が悪い事だ。

『シュタインメッツ少将』
「はっ」
『これ以後は司令官代理として艦隊を率いてください。卿の力量なら難しくは無いでしょう、期待しています。各分艦隊司令官もシュタインメッツ司令官代理を助け、任務を果たしてください』
「はっ、必ずご期待に添います」

『それと別働隊の総指揮はルッツ提督に御願いします。いきなりの事で大変かもしれませんが宜しく御願いします』
『はっ』

ルッツ提督の顔が緊張に強張った。大軍を率いるのは武人の本懐だがルッツ提督にとっては決して喜べる状況ではないだろう。俺がその立場なら頭を抱える所だ。だが先任であるし能力も有る。逃げる事は許されない。

『フロイライン・マリーンドルフ、貴女はルッツ提督の所に行ってください。辺境星域平定のため、貴女の見識を役立ててください。よろしいですね』
「承知しました」

『今回の事はあくまでローエングラム伯、オーベルシュタイン准将が行った事です。別働隊には関係有りません。動揺することなく辺境星域の平定に邁進して下さい』
「はっ」

『では、後は頼みます』
司令長官が敬礼をした、俺達も慌てて敬礼を返す。司令長官は微かに頷くと礼を解いた。

俺達が礼を解くと同時にスクリーンから司令長官の姿が消える。レンテンベルク要塞との通信が切れたのだろう。周囲を見ると皆疲れたような表情をしていた。隣にいるミュラーが大きな溜息を吐く。俺も溜息を吐きたい気分だよ、ミュラー……。


 

 

第百九十四話 囚われ人

帝国暦 488年 1月 2日  帝国軍総旗艦ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


『卿の言う通りだった。伯爵夫人は薬を持っておった。あの夫人が陛下の暗殺を考えるとは……、信じられぬ事よの……、女とは分からぬものじゃ』
「……」

伯爵夫人はあの薬を持っていた。その場で逮捕され宮中に置いておくのは危険だと言う事で憲兵隊に連行された。オーベルシュタインの言った通りだったが、まさか本当に持っていたとは……。推測が当たっても少しも喜べない。

スクリーンにはしきりに首を振るリヒテンラーデ侯が映っている。大分ショックを受けているようだ。気持は分かる、分かるが女性問題で俺に愚痴をこぼさないでくれ。

俺にも女心などさっぱり分からんし、行動様式はさらに分からん。慰めようが無い、いや大体目の前の爺様が俺の慰めを必要としているとも思えん……、話を変えたほうが良いか……。

「御同衾だったのですか」
『いや』
別々か、リヒテンラーデ侯も捜査に向かった憲兵隊もほっとしただろう。

若い寵姫と同衾中の皇帝に向かって“その女は毒薬を持っている可能性が有ります、直ぐ離れてください”等とは言い辛いだろうし、言われた皇帝もバツが悪いに違いない。とんでも無い愁嘆場になりかねなかった。

「陛下は何と?」
『そうか、と一言仰られた。それだけじゃ』
「……」

リヒテンラーデ侯が落ち込んでいるのは伯爵夫人の事よりもフリードリヒ四世の事を思ってか……。この爺様らしいことだ。皇帝の事を考えれば痛ましい限りだが、この老人の事を思うと微笑ましくなる。この陰謀ジジイが他人のことで落ち込むとは……。一度俺の事で落ち込ませて見たいものだ。

『陛下も女人に関しては恵まれぬ方じゃ、ベーネミュンデ侯爵夫人、グリューネワルト伯爵夫人……』
「どちらも私達が……」
『そうじゃの、やらねばならん事では有ったが、あまり気持の良いものではないの……』

リヒテンラーデ侯が思いついたような口調で話しかけてきた。
『ヴァレンシュタイン、結局ベーネミュンデ侯爵夫人は正しかったのかの?』
「……」

『夫人はグリューネワルト伯爵夫人を排除しようと必死じゃったが……』
「分かりませんね、あれが嫉妬だったのか、それとも伯爵夫人に何かを感じたのか……」

『あるいは両方か……、女とは面倒じゃの。卿も気をつけるが良い、女運は悪そうじゃからの』
「……」

余計なお世話だとは思わなかった、全く同感だ。面倒な女など真っ平だ。問題は面倒な女かどうかの判断がつかないことだ。そもそも面倒じゃない女など世の中にいるのだろうか? 前の世界でも随分と苦労した、いるとしたら多分絶滅危惧種だろう。博物館に展示されてるかもしれん。

「お疲れでは有りませんか?」
『そうじゃの、卿に起されたおかげで碌に寝ておらん、少し、いや大分疲れたわ。じゃが休むわけにもいかん、皆に話さねばならんからの』
「……あまり無理はしないでくださいよ、侯に倒れられては困ります」

俺の言葉にリヒテンラーデ侯は軽く苦笑を浮かべた。
『夜中に叩き起こしておきながら、何を言うやら』
「申し訳ありません」

『責めておるのではない、私がその立場でも同じ事をした。良く気付いてくれた、礼を言う』
老人が頭を下げた。珍しいこともあるものだ。

「……いえ、もっと早く気付くべきでした。反省しております」
『随分と殊勝じゃの』
「そちらこそ」

お互いに苦笑していた。分かっている、こうして苦笑できるのも皇帝フリードリヒ四世が生きていればだ。万一の事があれば大混乱だったろう。あの我儘小僧が皇帝になるのかと思うと寒気がする。

リヒテンラーデ侯との通信が終った後は、ギュンター・キスリングが連絡を入れてきた。ヴァレリーが怖い眼で俺を睨んでいる。寝不足は俺も同じなのだ、心配なのだろう。

もう少し待ってくれ、これが終れば俺も少し休む。ちなみに俺は今自室に居る。本当なら自室に女性士官が居る事は困るのだが、相手がヴァレリーだ、まるで気にしない。以前、“自分も男だから少しは遠慮してくれ”と言ったら鼻で笑いやがった。とんでもない女だ。

ギュンター・キスリングがスクリーンに現れた。大分疲れているようだ、げっそりとした表情をしている。
「大変だったみたいだね、ギュンター」

『簡単に言わんでくれ、とんでもない騒ぎだった』
「……」
はて、別に皇帝が同衾していたわけでもないし愁嘆場があったわけでもないはずだが……。

『伯爵夫人の部屋を調べるんだ、女性兵士を緊急招集したが、みんなブウブウ文句を言ったよ。無理も無い、夜中の三時だ、恋人と一緒のところを呼び出された奴もいる。薬が見つかったから良かったが無かったら暴動が起きていたよ』
キスリングが肩を竦める。やれやれだ、此処でも俺は愚痴を聞く係りか。

「そうか、随分と迷惑をかけてしまったが、ローエングラム伯の逮捕と合わせる必要があったからね、止むを得なかったんだ」
『分かっているさ。皆文句は言っても納得はしている』

「伯爵夫人は抵抗したのかい?」
『いや、それは無かった。うすうす覚悟はしていたようだ』
「……」
キスリングが神妙な表情で答えた。覚悟をしていたか……。

『逮捕された時、ローエングラム伯とキルヒアイス准将の事を尋ねてきたよ。逮捕されたことを伝えたが……』
「伝えたが?」
『キルヒアイス准将が卿をあの薬で暗殺しようとした事を知って驚いていた。哀れな話だ』

キスリングが遣る瀬無さそうにしている。俺も同感だ、全く遣り切れない、なんとも後味の悪い事件だ。

キルヒアイスはアンネローゼが薬を持っているとは思っていなかった。多分オーベルシュタインはあの二人に個別に接触したのだろう。アンネローゼもキルヒアイスも相手が陰謀に関与しているとは思わなかったに違いない。お互いに自分とオーベルシュタインのみが知る事だと思っていた……。

アンネローゼはキルヒアイスではなくラインハルトが陰謀に関与していると思ったのだろう。彼女がキルヒアイスに連絡したのはそれが理由だ。キルヒアイスならラインハルトを止められると思った。しかし現実にはキルヒアイスの背中を押すことになった……。アンネローゼもキルヒアイスもつくづく謀略には向かない。

『それにしても伯爵夫人が陛下の暗殺を承知するとは……、夫人は陛下を恨んでいたのかな』
「……」
キスリングが首を振って問いかけてきた。答えは……必要ないだろう。思うところはあるが、正しいかどうか……。

男爵夫人邸で会った時、夫人には陛下を恨んでいる様子は見えなかった。しかし愛してはいなかったのかもしれない。十五歳で後宮に入れられ四十近い歳の差がある男の愛妾になったのだ。愛情を持てと言う方が難しいだろう。

暮らしに困らなくて済む、弟の将来を頼める……。飲んだくれの父親を持った彼らの将来は決して明るくは無かったはずだ。その事は誰よりもアンネローゼが分かっていたに違いない。愛情は無かったかもしれないが、感謝はあったのかもしれない。ただ、それも自分の身を犠牲にしたうえでの感謝だ。有るとしても屈折したものだったのではないだろうか。

自分の人生は十五歳で終わった。そう思ったからこそ彼女はラインハルトとキルヒアイスが自由に生きる事を望んだ。彼女にとってラインハルトとキルヒアイスは生きる希望だった……。

十年前からラインハルトとキルヒアイスの時間は止まった。ただアンネローゼを救うために生き始めた。だがそれはアンネローゼも同様だったのではないだろうか。彼女は十年前から二人の成長を見守るだけの女になった……。

ところが俺が現れた事で変化が生じた。ラインハルトの立場が徐々に悪くなり最終的に排除されそうになった。アンネローゼは話が違うと思っただろう。十年前に自分の未来を奪い、今自分の希望を奪おうとしている。許せないと思ったのかもしれない。そんな時にオーベルシュタインが接触してきた……。

ベーネミュンデ侯爵夫人か……。侯爵夫人がアンネローゼを憎んだのはアンネローゼが皇帝を愛していない事に気付いた所為かもしれない。彼女から見たアンネローゼは自分の心を隠した不気味な女に見えたのではないだろうか。

そしてアンネローゼの心が皇帝ではなくラインハルトに向かっている事にも気付いたろう。だから彼女はアンネローゼをラインハルトを排除しようとしたのかもしれない……。心を隠して皇帝の傍にいる女、野心も露わに出世する弟。危険だと判断するには十分だったのだろう。単純に嫉妬と考えた俺やリヒテンラーデ侯が馬鹿だったのか……。

“女とは分からぬものじゃ”
リヒテンラーデ侯の言葉だ。全く同感だ、女とは分からない事が多すぎる。

『エーリッヒ、オーベルシュタインはこれで終わりかな?』
何処と無く不安げな表情でキスリングが尋ねてきた。気持は分かる、俺も不安だ。痛い目にあっているからな。

「どうかな、そうだと良いんだが……」
『……』
「私は失敗したのかもしれない」
『失敗? 何を』
キスリングが不思議そうな顔をしている。違うんだ、キスリング、今回の逮捕劇の事じゃない。

「劣悪遺伝子排除法さ、あれを早い時期に廃法にすべきだった」
『しかし、あれは』
「分かっている。ルドルフ大帝の作った法だ、それに有名無実化している。あえて廃法にする必要は無い、そう言いたいんだろう、ギュンター」
『ああ』

「でもね、ギュンター、あの法を廃法にしておけばオーベルシュタインは反逆者にならずに済んだかもしれない」
『……』
キスリングが驚いた顔をしている。

「ブリュンヒルトで彼が言っていたよ、ルドルフ大帝の時代であれば劣悪遺伝子排除法によって赤ん坊の頃に抹殺されていた。ルドルフ大帝と彼の子孫と彼の生み出した全てのものを……ゴールデンバウム朝銀河帝国そのものを憎んでいると」
『……』

「彼は馬鹿じゃない。帝国がルドルフ大帝の帝国から新しい帝国へ変わろうとしている事は十分に分かっていただろう。それなのに反逆者への道を選んだ、何故だと思う?」
『……』

「クーデターの成功の可能性は決して高くは無かった。それも彼は分かっていたはずだ」
『……劣悪遺伝子排除法か』

「そうだ。彼にはあの法が放置されたままだったのが許せなかったんじゃないかな。あの法こそがルドルフ大帝の統治の基盤だった。遺伝子こそが全て、血統こそが全て、馬鹿げた話だ」
『おいおい、不敬罪だぞ』

キスリングがおどけたような口調で俺を窘めた。分かっている、外ではあまり大きな声では言えない事だ。しかし間違っているとは思えない。あの劣悪遺伝子排除法によって共和主義者たちは反逆者とされた。

彼らは帝国を脱し自由惑星同盟を創り、百五十年に亘って帝国との戦争を続けている。史上最大の悪法だろう。俺はルドルフに対して敬意など欠片も抱く事が出来ない。

「彼がどれ程優秀さを発揮しても彼の周囲はそれを認めなかった。彼を認める前に忌諱した。“赤ん坊の頃に抹殺されていた”、実際にそう言われた事があるのかもしれない。卿ならどう思う」
『それは……、憎むだろうな、全てを』

「お前はいらない子だ、生まれてはいけない子だと言われているようなものだ。帝国が自分を否定する以上、自分も帝国を否定する、当然の感情だろう。そしてそれを決定したのが劣悪遺伝子排除法だ」
『……』

ルドルフの行った事が全て間違いだとは思わないが、劣悪遺伝子排除法と己の遺伝子への盲信、その二つで十分ルドルフは暴君と言って良い。帝国は今ルドルフの呪縛から抜け出そうとしている……。

そしてそれはオーベルシュタインも一緒だったのかもしれない。オーベルシュタインにとってはあの法を廃法にすることこそが呪縛からの脱出だった……。

「どれほど帝国が変わろうとあの法が有る以上自分を見る周囲の目は変わらない。自分の居場所は何処にも無い、そう思ったのかもしれない。そして直ぐ傍に帝国を滅ぼしたいと思って居るローエングラム伯が居た」
『……』

「劣悪遺伝子排除法を廃法にしておけば、オーベルシュタインはローエングラム伯を上手くコントロールして改革に協力させたかもしれない……」
『エーリッヒ、それは』

「分かっている。私の勝手な思い込みだ。劣悪遺伝子排除法を廃法にしても結果は変わらなかったかもしれない……。いや、変わらなかっただろう。それでもやっておくべきだったと思うんだ、悔いが残るよ」
『……』

劣悪遺伝子排除法が無ければ、ルドルフが遺伝子を盲信しなければ、オーベルシュタインは障害はあるが優秀な人物として周囲から認められただろう。性格もあのように他者を拒むようなものにはならなかったかもしれない。

冷静沈着ではあっても冷酷ではないオーベルシュタインか……。周囲からも信頼されたかもしれない。同盟に生まれても同じだったはずだ。それなのに彼は今の帝国に生まれた。残酷な話だ。

もし、オーベルシュタインに生まれる世界を選ばせたなら彼はどんな世界を選んだだろう。劣悪遺伝子排除法の無い帝国か、或いは同盟か……。それとも今の帝国を選んで、自らの手で滅ぼす事を望んだだろうか……。



 

 

第百九十五話 共同占領

帝国暦 488年 1月 5日  メルカッツ艦隊旗艦  ネルトリンゲン  エルネスト・メックリンガー


リヒテンラーデ、トラーバッハ方面を攻略していた私達とフレイア方面を攻略していたメルカッツ副司令長官の艦隊はシャンタウ星域で合流した。私にとってはティアマトに次いで思い出の深い場所だ。シャンタウ星域の会戦で反乱軍を打ち破ったのは昨年の八月、あれから未だ半年と経っていない。

リヒテンラーデは当然だがトラーバッハでも戦闘は無かった。貴族連合軍はガイエスブルク要塞に戦力を集中している。戦闘はガイエスブルク要塞付近に近づくまでは無いだろう。もっとも戦闘は無くともやる事は有る。トラーバッハには貴族連合軍に参加している貴族の領地があったからだ。

有人惑星が三つ、無人惑星だが鉱物資源を産出する惑星が二つ、同じく鉱物資源を産出する衛星が三つ、そして小惑星帯が存在した。

そこには我々に抵抗する兵力、艦隊戦力は無かった。僅かに領地を警備し領民を抑えるための兵力が置いてあるだけだ。しかし、放置すれば貴族連合軍に資金面での援助をし続けるに違いない。トラーバッハはオーディンから遠くない。十分に開発され、豊かな星系なのだ。

貴族達が残した統治者、兵を降伏させ、住民達に帝国政府の直轄地になった事を伝えるとレンテンベルク要塞のヴァレンシュタイン司令長官に連絡した。後は司令長官とオーディンにいる政治家達の仕事だ。財務省の役人達は随分と忙しい思いをするだろう。


メルカッツ艦隊旗艦ネルトリンゲンにある会議室に各艦隊司令官が集まった。メルカッツ副司令長官、ケンプ、ケスラー、クレメンツ、アイゼナッハ、ビッテンフェルト、ファーレンハイト、レンネンカンプ、そして私。

「これよりシャンタウ星域の制圧に入る。シャンタウ星域の制圧はそれほど難しいとは考えていない。手間はかかるかもしれないが困難は無いはずだ」
メルカッツ副司令長官が皆を見渡しながら話を始めた。何人かが頷く。

「問題はその後だ、我々はリッテンハイムからブラウンシュバイクを経てガイエスブルク要塞に向かう事になる」

「敵はガイエスブルク要塞に戦力を集結していますが、リッテンハイム侯、ブラウンシュバイク公が黙ってそれを許すとも思えません。我々がリッテンハイム、ブラウンシュバイクに侵攻すれば迎え撃ってくるのではないでしょうか」

メルカッツ副司令長官とクレメンツの言葉に皆の表情が引き締まった。戦闘が近づきつつある。
「クレメンツ提督の言う通り、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の本拠地を攻めるのだ、敵が出てくる可能性は小さくない。皆十分に気をつけて欲しい」

「敵が出て来なかった場合は?」
「……敵は余程の覚悟を決めて我々を待っていると言う事だろう、メックリンガー提督。油断は出来ん」

二十万隻近い大軍がガイエスブルク要塞で我々を待っている。我々よりも戦力は大きい。その事が会議室の空気を更に緊張させた……。


打ち合わせが終わり、メルカッツ提督が会議室を出た後、残ったメンバーで少し話をした。話題になったのは、シュターデン大将のヴァルハラ星域への侵攻作戦の事だった。三方からの分進合撃と各個撃破、シュターデン大将に勝てる可能性は無かったのか? 何処で彼は間違えたのか? その間違いを的確に突いた司令長官の用兵の妙、一時だが楽しい時間だった。

ローエングラム伯の事は話に出なかった。我々にとって、いや少なくとも私にとっては来るべきものが来ただけで驚くような事ではなかった。最終的には他者に膝を屈する事が出来ない男、であればあれは当然の結果だっただろう。

敢えて話をする事でもない。おそらく皆そう思っていたのではないだろうか。故意にその話を避けるような不自然な空気は無かった。あくまで一時の楽しい時間だった。



帝国暦 488年 1月12日  ルッツ艦隊旗艦  スキールニル ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


「フロイライン・マリーンドルフ、ようやく一息つけるようだ。貴女も少し休んでくれ」
コルネリアス・ルッツ提督が私を気遣って声をかけてきた。もっともルッツ提督自身、かなり疲れた表情をしている。

「有難うございます。提督も少しお休みください」
「有難う」

コルネリアス・ルッツ大将。今年三十二歳になると聞いた。白い金髪と青い瞳をしている。興奮すると瞳が藤色に彩られると言うけど私は未だ見た事が無い。

才気煥発というタイプではないが、堅実で安定した力量を感じさせる人物だ。性格も穏やかだけれど軟弱、優柔不断ではない。安心して傍にいる事が出来る。私に対しても偏見から壁を作るという事も無い。人の上に立つ人物とはこの人のような人物を言うのかもしれない。

ローエングラム伯が指揮官の地位を剥奪されてから十日。忙しい十日間だった。皆が故意にローエングラム伯の事を忘れるために忙しく働いたと言う事も有るかもしれない。

ワルテンベルグ星系の制圧戦が終わり、艦隊はこれからキフォイザー星系へと向かう事になる。確かに休めるのは今のうちだろう。キフォイザー星系に行けばまた忙しくなるに違いない。

戦闘らしい戦闘は無かった。こちらが進撃しただけで貴族連合軍の領地は放棄された。本来領地を守るべき人間達はガイエスブルク要塞に退去したようだ。

意気地が無いとは言えないだろう。戦力がまるで違うのだ。無駄死にする必要は何処にも無い。ルッツ提督も弱いもの虐めのような戦闘はしたくないと言っている。

占領した惑星は住民達の自治に委ねた。こちらは内政には関わらず、惑星間の治安維持に意を注ぐ事に専念。略奪を厳禁したことも住民達からの支持を受ける事になった。

辺境に来て分かったのは、貴族による惑星統治の酷さだった。彼らにとって住民は自分達の許可無しには生きる事さえ許されない存在だった。略奪の厳禁、ごく当たり前の事を行う事で支持を得る事が出来る……。特権は人を腐敗させる、確かにその通りだ。

私はこれまでマリーンドルフ伯爵家を存続させるために司令長官に味方していた。正直貴族に対して課税する、その権力を抑制しようとする政策に共鳴したわけではなかった。

しかし辺境に来て司令長官の進めようとしている改革が帝国には必要だというのが良く分かった。確かに帝国はこのままでは危ない、貴族という一部の特権階級によって食い潰されてしまうだろう。

変わらなければならない、今回の内乱は単なる権力争いではない。帝国の未来を決める戦いなのだ。マリーンドルフ伯爵家が、私自身が新しい帝国の成立にどのように協力していけるのか、そのために何が出来るか。その事をもう一度考えなければいけないだろう。



宇宙暦 797年 1月12日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



最高評議会議長の執務室は緊張に包まれていた。スクリーンには帝国の高等弁務官レムシャイド伯が映っている。執務室にいるのはトリューニヒト、ホアン・ルイ、ボロディン統合作戦本部長、そして私。

ここ半月ほどの間、レムシャイド伯と私達は二、三日おきに連絡を取り合っている。もっとも会話の内容はまるで変わる事は無い。“兵を退け、これは帝国の内政問題だ”というレムシャイド伯に対して“兵は退けぬ、退けば帝国と同盟の関係はより悪化する”と答えるトリューニヒト。

帝国軍は三日前からフェザーンまで二日の距離で止まっている。同盟軍がフェザーンを目指している事でフェザーン占拠をすれば戦争になりかねないと見ているのだろう。

今のところ、艦隊を派遣した事はそれなりの効果を上げている。帝国が単独でフェザーンを占領する事を防いでいるのは確かだ。しかし、問題はこれからだ、帝国の我慢もそろそろ限界だろう。

ここからは間違いは許されない。トリューニヒトの言うように共同占領が実現するのか、帝国が受け入れない場合はフェザーンからの全面撤退も有るだろう……。当然我々も厳しい立場に置かれる事になる。

『トリューニヒト議長、同盟は帝国との戦争を望んでいるのかな?』
「とんでもない、そのような事はありません」
トリューニヒトの返事に対してレムシャイド伯の表情が厳しくなった。

『ならば兵を退かれよ。このままでは帝国軍と卿らの艦隊の間で戦闘が起きる事になる』

「戦闘は望む所ではありません。しかし、こちらの事情も御理解いただきたいのです。フェザーンの占領など認めれば、我々の政権は崩壊せざるを得ない。そうなれば次に登場するのは帝国に強い敵意を持つ政権になるでしょう」

『私には卿らも十分に帝国に敵意を持っているように見えるが?』
レムシャイド伯が皮肉に満ちた口調でこちらを揶揄したがトリューニヒトは気にする様子も無く言葉を続けた。
「そうなれば先日の捕虜交換の合意などあっという間に吹き飛んでしまいますぞ」

『……捕虜交換の合意が吹き飛んで困るのは、帝国よりも卿らであろう、違うかな?』
レムシャイド伯が僅かな沈黙の後、低い声で脅すかのように凄んできた。

「確かに。しかし帝国も戦線を増やすのは望む所では有りますまい」
トリューニヒトとレムシャイド伯が視線を逸らすことなく睨みあう。

『……随分と汚いやり方ですな、トリューニヒト議長。卿らは帝国の苦境に付け込もうとしている様だが、後々つけを払うのはそちらですぞ』
「付け込もうとしているわけではありません。このままではお互いに困った事になると言っているのです」

『……』
「如何でしょう、我々はいがみ合うよりも協力し合うべきだと思いますが」

トリューニヒトが声を潜めて囁くようにレムシャイド伯に話しかけた。レムシャイド伯もトリューニヒトに合わせるように声を潜める。
『……と言うと』
「……フェザーンの共同占領」

トリューニヒトの言葉にレムシャイド伯が眉を寄せた。そして表情に苦味を滲ませ吐き捨てるように言葉を出す。
『馬鹿な、そのような事が可能だと思っているのか』

「我々はフェザーンの内政に関与するつもりは有りません。フェザーンはあくまで帝国内の一自治領です。我々が欲しいのは帝国と共にフェザーンを占領したという事実です」
『……卿らが欲しいのはあくまで共同占領という名だと言うのか?』
呟くような口調でレムシャイド伯が問いかけてきた。

「その通りです。実はそちらで取っていただいて結構。我々もルビンスキーには何度も煮え湯を飲まされている。フェザーンが本当の意味で中立を守るように帝国と同盟で共同出兵したと言うのはおかしな話ではありますまい」

『……』
「共同占領にはそれなりのメリットもある。帝国に同盟が協力しているとなればフェザーンの住民達も無用な抵抗はしないでしょう」

スクリーンに映るレムシャイド伯が微かに冷笑を浮かべた。
『いささかそちらに都合の良すぎる理由のようだが?』
「そうかもしれませんな、しかしいがみ合うよりは良い、そうではありませんか?」

『……まあ、確かにそれは有るか……』
「如何です? 共同占領、受け入れて貰えますかな?」
レムシャイド伯は少しの間、視線を伏せて考えこんだ。執務室の緊張が更に高まる。

『……私の権限では答えられぬ、本国に話してみよう。但し、そちらの艦隊が現在の位置に止まる事が前提だ。この提案を時間稼ぎに使う事は許さぬ』
「もちろんです」



スクリーンからレムシャイド伯が消えると、執務室の緊張も緩んだ。コーヒーを淹れようやく皆一息ついた。

「上手くいったのかな、トリューニヒト」
「少なくともレムシャイド伯は共同占領案に悪い感情は持っていないようだ、説得できたと思う」

私の問いにトリューニヒトが交渉を思い出すような目をしながら答えた。そしてホアンが言葉を続ける。
「後は彼がどの程度の影響力を本国に発揮できるかだが……」

「事が事だからな、楽観は出来ん。レムシャイド伯の影響力よりも本国の実力者達がどの程度理性的かだろう。面子で考えられたら受け入れられまい」

トリューニヒトの言葉にボロディン統合作戦本部長が厳しい声を出した。
「トリューニヒト議長、共同占領案が帝国に受け入れられなかった場合、艦隊は後退させますが宜しいですね」

「ああ、構わない。戦争はしない、これは君達との約束だからね。それと艦隊は直ぐ侵攻を止めてくれ。帝国の不信を買いたくない」
「承知しました」

ボロディン統合作戦本部長はコーヒーを飲み干すと執務室を出て行った。その姿にホアンが軽く苦笑する。
「トリューニヒト、君は軍に信用されていないな」

「これまでの事があるからな、仕方ないだろう。だが彼らは頼りにはなる。単純な主戦派や出世することしか頭に無い連中よりは、はるかにましだよ」

「信頼はこれから積み上げていけば良い。先ずは今回のフェザーンの件がどうなるかだ」
「そうだな、レベロ。君の言う通りだ。上手く行けば良いんだが……」




帝国から回答が来たのは翌日の十三日の事だった。執務室には前日と同じメンバーが集まっている。スクリーンに映るレムシャイド伯は沈痛な表情をしていた。余りよくない傾向だ。

「レムシャイド伯、帝国本国からの回答をお聞きしたい」
『その前にトリューニヒト議長、卿に確認したい事がある』
「なんですかな」
執務室の緊張が高まった。

『同盟は、いかなる意味でもフェザーンに対して領土的な野心を持たない、そう考えても宜しいかな?』
「もちろんです。我々はフェザーンに対して領土的な野心を持ちません。フェザーンが帝国内の一自治領だと言う事は分かっていますし、それを尊重します」

トリューニヒトが丁寧な口調で答えた。この答えが帝国本国からの回答に密接に関わっている事は間違いない。いかなる意味でも誤解が生じるような回答はすべきではない、そう考えたのだろう。レムシャイド伯がゆっくりと頷くのが見えた。

『宜しいでしょう。では帝国本国からの回答をお伝えする』
「……」
『トリューニヒト議長、帝国は同盟より提案のあったフェザーン共同占領案を正式に拒絶する。受け入れる事は出来ないと判断した』
トリューニヒトの表情が歪む。執務室に眼に見えない衝撃が走った……。


 

 

第百九十六話 白狐

宇宙暦 797年 1月13日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



『トリューニヒト議長、帝国は同盟より提案のあったフェザーン共同占領案を正式に拒絶する。受け入れる事は出来ないと判断した』
トリューニヒトの表情が歪む。執務室に眼に見えない衝撃が走った……。こちらの提案を拒否する、つまり話し合う余地は無いということか……。

「……では帝国は単独でフェザーンに侵攻すると?」
やや間を置いて放たれたトリューニヒトの声は低く底力に満ちたものだった。レムシャイド伯を厳しい視線で見ている。しかしレムシャイド伯はトリューニヒトの質問に答えることなく、話し始めた。

『帝国政府は次のように考えている。同盟政府はフェザーン回廊の確保にのみ囚われ、現状を正しく認識していないと』
「……」
厳しい言葉だ。ある意味、共に語るに足らず、そう言われたに等しい。ホアンが眉を顰めるのが見えた。

『帝国と同盟は百五十年に亘って戦争をしてきた。同盟はその現実を無視、或いは軽視しようとしている。両国が共同でフェザーンを占領するなど新たに紛争を抱えるようなものでしかない』

「同盟政府はフェザーンでの実を求めていませんぞ、その点を本国に対しお話し頂けたのですかな?」
トリューニヒトの言葉にレムシャイド伯が沈痛な表情で頷いた。

『当然話しましたぞ。これはその上での回答なのです』
「……」

『宜しいか、共同占領を受け入れれば、フェザーンに両国の軍隊が進駐することになる。武力を持ち相手に対して強い敵意を持つ二つの軍隊が一つの惑星に駐留する事になるのです。それは非常に危険な事だと本国は考えている』
「……」

『それとも同盟軍はフェザーンでは丸腰になれますかな、そうであれば話は別だが……』
「馬鹿な! そんな事が出来るわけがない」
吐き捨てるようなボロディンの口調だった。

「落ち着きたまえ、ボロディン本部長!」
「冗談ではありませんぞ、レベロ委員長。そんな事をすれば軍に暴動が起きかねない。反って危険です」
『でしょうな、帝国軍も同様です。つまり共同占領は危険であり、不可能なのです』

「兵を削減すれば良いでしょう」
『?』
ボロディン本部長の言葉にレムシャイド伯が訝しげな表情をした。我々も同様だ。兵を削減?

「フェザーンに大軍をおく必要は無い。占領後は両軍が二千隻程度の軍をフェザーンに置くだけにすれば、問題は無いはずです」
『……そう言い切れますかな? 蟻の穴より堤が崩れるという言葉もある、油断は出来ますまい』

沈黙が執務室を支配した。レムシャイド伯は沈痛な表情のままだ。或いはレムシャイド伯は共同占領案に賛成だったのかもしれない。それが潰えたのは彼にとっても不本意なのか……。レムシャイド伯が首を一つ振ってから話しかけてきた。

『トリューニヒト議長、同盟政府はフェザーンを帝国の一自治領として認める、領土的な野心を持たない、そうでしたな?』
「……その通りです」

『フェザーンの中立を望んでおり、ここ最近のルビンスキーの行動は中立を逸脱した行為だと考えている……』
「その通り……」

レムシャイド伯は一つ一つ確かめるような口調で問いかけてきた。おかしな感じだ。皆視線を交わしている。トリューニヒトだけがスクリーンから視線を外さない。

『同盟政府は帝国に対して共同占領という提案を出してきた』
「……」
『帝国はそれを受け入れるべきではないと判断して拒否したが、拒否する以上それに対する代案を出すべきだろうと考えている』
「……」

代案を出す、つまり話し合いの余地は有るということか。しかし、この時点で一体何を話し合うと言うのか? 残るのは帝国によるフェザーン占領、それだけだろう。トリューニヒトが一瞬こちらに視線を向けてきた。困惑するような色が目に有る、同じ思いなのだろう。

『帝国政府から同盟に対し改めて提案があります』
「……」
『帝国は自由惑星同盟軍のフェザーン自治領への進駐を認める』
「!」

皆、一瞬固まった。帝国が同盟軍のフェザーンへの進駐を認める? どういうことだ? 何かの聞き間違いか? トリューニヒトもホアンもボロディンも皆唖然としている。

我々が唖然とする中、レムシャイド伯の声だけが淡々と流れた。
『本来フェザーン自治領の中立性は帝国が保証するものである。しかし、今現在帝国は内乱状態にありフェザーン自治領への過度の介入は避けたい』
「……」

『また自由惑星同盟政府がフェザーン回廊の中立性に関して抱く不安も理解できる。よって帝国政府はフェザーン自治領の中立性の回復を自由惑星同盟政府に依頼したいと考えている』

「本気ですかな、それは」
『もちろん、これは正式な依頼です』
「……条件は」
『それについては、先ず第一に……』



執務室の中は戸惑うような、そして重苦しいような雰囲気で溢れていた。既にレムシャイド伯との会談は終わってから三十分以上立つがその雰囲気が消える事も無い。

フェザーンへの単独進駐を認める、どういうことなのか? 帝国内の内乱が予想以上に大規模なのか、そのために兵力をフェザーンに取られたくないという事なのか……。それとも他に何か理由が有るのか、皆無言で考え続けている。いや、心の何処かで話す事を躊躇っている。

一つにはメンバーが揃っていない事もあるだろう。レムシャイド伯との会談の後、同盟内部の意見をまとめるためネグロポンティと宇宙艦隊に対して人を出す事を命じた。

ネグロポンティは直ぐ来たが宇宙艦隊は状況を確認するため三十分待ってくれと言いだした。問答無用で呼び出す事も考えたが、それでは会議を持つ意味が無い。我慢せざるを得なかった。

「遅くなりました」
執務室のドアを開け、グリーンヒル総参謀長が入ってきた。急いできたのだろう、この時期に額に汗をかいている。
「座ってくれ、先ずは軍の考えを聞きたい」

トリューニヒトの問いに対してグリーンヒル総参謀長が椅子に座りながら答えた。
「その前に、帝国が提示した条件について再度確認させてください」
「いいだろう」

トリューニヒトがレムシャイド伯が示した条件を説明し始めた。レムシャイド伯が示した条件はそれほど理解するのが難解な代物ではない、但し実行できるかどうかは別としてだが……。

条件は八項目から成り立っている。
1、同盟軍のフェザーン駐留は帝国政府からの依頼によることを宣言する事。

2、同盟軍のフェザーンでの任務は帝国軍に代わってフェザーンの中立性を回復する事であることを宣言する事。

3、同盟軍のフェザーン撤退についてはフェザーンの中立性が確認された後の事とし、帝国、同盟両国の合意をもって行う事、合意無しでは撤退は行わない事。また兵力の増援についても両国の合意を必要とすること。

4、アドリアン・ルビンスキーの捕縛、或いは捕殺とその身柄の帝国への引渡し。

5、フェザーン自治領主を決める際には必ず事前に帝国の承認を得る事。

6、フェザーンにおける帝国高等弁務官の権利、安全、そして行動の自由を保障する事。

7、フェザーンに駐留する軍隊はフェザーンより帝国方面での軍事行動を行なわないこと。

8、自由惑星同盟はいかなる意味でも帝国に対し反帝国的な活動を行なわないこと。もし反帝国的な活動が有ったと帝国が認めた場合、自由惑星同盟はフェザーンに進駐する正当な理由、権利の全てを失う事。

グリーンヒル総参謀長はトリューニヒトが説明する間、一言も口を挟まず黙って聞いていた。時折メモに何かを書き込む。トリューニヒトの説明が終わると大きく息を吐いた。

「どう思うかね、総参謀長」
「正直に言いますと、フェザーンへの我が軍だけでの進駐は危険です」
トリューニヒトの質問にグリーンヒル総参謀長が答えた。

「危険とは?」
「帝国の提案では我々が帝国の代わりにフェザーンの内政に関与する事になります。つまりフェザーンの恨みを買うのは我々であって帝国ではない。そうでは有りませんか、議長」
グリーンヒル総参謀長の返事にトリューニヒトの表情が歪んだ。

「帝国の代わりに我々が汚れ仕事を行うというわけだな……」
「その通りです、ネグロポンティ委員長」
「面白くないな」
全く面白くない事態だった。しかしどうする?

「共同占領ならそのあたりのデメリットは防げました。いえ、それだけでは有りません」
「?」
グリーンヒル総参謀長の言葉にボロディン本部長を除く皆が訝しげな表情をした。私も同じだ、何が有る?

「共同占領を行なった後、両軍は引き上げる事になります。その後、帝国がフェザーン方面から同盟領への侵攻を図る場合には、フェザーン市民に反帝国活動を行なわせるつもりでした」
「反帝国活動?」

「そうです。フェザーン人による組織的なサボタージュ、ゼネラル・ストライキによる社会、経済の運用システムの無力化です。それによってフェザーンを補給基地、中継基地とする帝国の意図を挫く」

ホアンが唸り声を上げた。トリューニヒトが頷きながら口を開いた。
「なるほど、帝国が汚れ仕事をするのであればフェザーン人達に恨まれるのは帝国だ。十分に可能性は有るだろう」

「共同占領中は我々はフェザーンに対して同情的なポーズを取るだけで良いのです。そして彼らとの間に有る程度の親密ささえ確立できれば後は時間をかけてそれを深化させる。そう考えていました」

「フェザーン人によるゲリラ活動か……、君達はそんな事を考えていたのか?」
ホアンが呆れたように声を出した。グリーンヒル総参謀長が、ボロディン本部長が顔を見合わせ苦笑する。そしてボロディン本部長が口を開いた。

「正確にはイゼルローンのヤン提督が考えたのです。同盟軍には戦力が無い、である以上同盟軍は弱者の戦略を採らざるを得ない。味方を多くし、正面から闘わずに敵を撤退させる。我々もそれがベストだと考えています」

「一つ訊いていいかね、ボロディン本部長」
トリューニヒトが沈痛な表情でボロディンに問いかけた。

「何でしょう、議長」
「共同占領した場合、帝国が懸念していた現地での軍事衝突だが、君達は本当に兵力を削減する事で防ぐ事が可能だと考えていたのかね?」
トリューニヒトの質問にボロディン本部長とグリーンヒル総参謀長が顔を見合わせた。

「正直なところ、そこが不安でした。兵力を削減するぐらいしか手が有りません。レムシャイド伯の言う通りなのです」
ボロディン本部長が答えると続けてグリーンヒル総参謀長が口を開いた。

「不可能で有ったとは思いません。私はむしろ帝国がその可能性を故意に無視したのではないかと考えています」
「待ってくれ、総参謀長。故意に無視したと言うのはどういうことかね?」

「つまり、帝国も我々と同じ事を考えているのではないかと言う事です、レベロ委員長。我々を悪者にしてフェザーンを味方につけようとしている。強大な帝国が弱者の戦略を採ろうとしている……」
「!」

執務室に沈黙が落ちた。グリーンヒル総参謀長の言う通りなら同盟は容易ならざる敵を相手にしている。トリューニヒトが誤ったとは思えない。艦隊を派遣したのは間違いではなかった。

あそこで派遣しなければ我々は“フェザーンを見殺しにした”、“フェザーン回廊を捕虜と引換えに帝国に売り渡した”と非難されただろう。

共同占領案も間違ってはいない。軍の考えを見ればベストの選択だろう。ボロディンが共同占領案を受け入れられなければ兵を退けと言った理由も今なら良く分かる。帝国に単独で占領させたほうがフェザーン方面は有利になると考えたからだ。しかしその時には我々は下野する事になったはずだ。

我々が下野する事は構わない、問題はその後だ。後継政権は嫌でも帝国に対し強硬にならざるを得ない。力の無いものが根拠も無しに強硬策を採る。帝国への出兵など自殺行為だろう、八方塞だ。いや、軍は兵力が無いと政府を説得するつもりだったのだろうか、ボロディン達は我々を切り捨てるつもりだったのかもしれない。

沈黙を破ったのはグリーンヒル総参謀長の憂鬱そうな声だった。
「他にも問題があります」
「分かっている、最後の“反帝国的な活動を行なわないこと”だろう。いくらでも言い掛かりをつける事は可能だからな」
ホアンが渋い表情で吐き捨てた。

「いえ、そうではないのです」
「?」
グリーンヒル総参謀長の答えに皆の視線が彼に集中した。どういうことだ、他に問題が有るというのか……。

「フェザーンからの撤退は帝国、同盟、両者の合意が必要となっています」
「……」
「一見するとこれは同盟にとって有利な条件に見えますが、そうとも言い切れません」

「どういうことかね」
ネグロポンティが不思議そうな声を出した。同感だ、何処が問題なのか。
「……帝国が同意しない限り、同盟はフェザーンから兵を撤退させる事が出来ないのです」
「……」

グリーンヒル総参謀長の言葉が執務室に響いた。“帝国が同意しない限り、同盟はフェザーンから兵を撤退させる事が出来ないのです”。

「つまり、イゼルローン方面で軍事的な威圧をかけられても兵の移動は出来ない、そういうことかね?」
「その通りです、トリューニヒト議長。帝国が本当に戦争を仕掛けてくるまでフェザーンからは兵力を移動できない事になります」

呻き声が聞こえた。ホアンとネグロポンティだろう、トリューニヒトは拒むかのように口を引き結んでいる。そして暫くしてから口を開いた。

「ならば最初から兵力を少なくしておけば、いや、駄目だな。それではフェザーンに威圧をかけるか、増援も両国の合意が必要だ」
「その通りです」

執務室に沈黙が落ちた。今日何度目だろう。そして皆が疲れた表情をしている。弱いと言う事がこれほどまでに辛い事だとは思わなかった。そして帝国は内乱状態にありながら、いやそれを利用して同盟を圧倒してくる。

レムシャイド伯、あの男は何処まで知っていたのだろう? 白っぽい頭髪と透明に近い瞳、沈鬱な表情、あれは全て芝居だったのだろうか? 白狐、その異名が思い出された……。



 

 

第百九十七話 謀略の渦

宇宙暦 797年 1月13日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



「軍の懸念は分かった。どうやら我々はとんでもない窮地に有るようだ。それで我々はどうすべきか、君達の意見を聞きたい」
「……」

トリューニヒトの言葉にボロディン本部長もグリーンヒル総参謀長も沈黙したまま答えない。
「遠慮は要らない。どうやら君達は私達を切り捨てる事も検討していた、違うかね?」

「トリューニヒト議長!」
ネグロポンティがトリューニヒトを窘めるとボロディン本部長とグリーンヒル総参謀長を睨みつけた。
「君達は……」

「良いじゃないか、ネグロポンティ君。私はそれが悪いとは言わない。むしろ必要な冷徹さだ、味方として頼もしい限りだよ」
「……」

トリューニヒトは笑みすら浮かべてネグロポンティを止めた。
「で我々はどうすべきかな?」
ボロディン本部長とグリーンヒル総参謀長が顔を見合わせる。ややあってボロディン本部長が口を開いた。

「帝国軍が自らフェザーンの進駐を望むのであれば問題は簡単です。兵力の差が有る以上、我々は引下がらざるを得ない。その場合政府は主戦派から責任を問われるかもしれませんが、やり方次第では国を一つにまとめる事も可能だと考えていました」

「臥薪嘗胆かね」
「そうです。万一失敗してそれによって政権の交代が生じても止むを得ないと割り切るつもりでした」

「……君達は責任を問われないのかな?」
「戦ってもいないのにですか?」
「なるほど、確かにそうだ」
ボロディンの皮肉交じりの口調にトリューニヒトが苦笑した。

「戦略的に見ればフェザーンを味方に出来る可能性が高くなります。次の政権に対しては正直に全てを話し、自重すべきだと説得するつもりでした」

「政府が、軍の主戦派がそれを受け入れると思うのかね?」
「現実問題として同盟には帝国に攻め入るだけの戦力はありません」
「なるほど、受け入れざるを得ないと言う事か……」
話しているのはトリューニヒトとボロディン本部長だけだ。誰も会話に加わろうとはしない。黙って二人の会話を聞いている。

「ですが、帝国からフェザーンへ進駐の依頼が有ったとなれば話は別です。どれ程それが同盟にとって不利益を生じると言っても周囲を納得させるのは困難でしょう」
ボロディン本部長が苦い表情で言葉を紡ぐ。皆が頷いた。

「なんと言ってもイゼルローン、フェザーン両回廊を押さえる事が出来るからな。同盟の安全保障の面から見れば平和裏にフェザーンに進駐できるこの機を逃すなど……」

ホアンが嘆息交じりに言葉を出した。その通りだ、だが問題は安全保障の面だけにとどまらない事だ。忌々しいが言わねばなるまい。

「それだけじゃない、経済面からも進駐を進める声が上がるだろう。フェザーン資本の利用を求めてね……、現在フェザーンが所有している償還期限を越えた国債がどれだけあるか知っているかな? トリューニヒト議長」

私の質問にトリューニヒトがいささか決まり悪げに答えた。
「多額だとは知っているが、はっきりとは……」
「五千億ディナールだ」

五千億ディナール、その言葉に彼方此方で溜息が出た。
「今の同盟の財政能力では一時に支払う事は到底出来ない。増税か、或いは財源無しに紙幣の増刷をするかだ……。国債の増発などしてもだれも買わんだろうからな。だがフェザーンが手に入れば……、分かるだろう、皆が何を考えるか?」

僅かな沈黙の後、ホアンが口を開いた。
「最初はフェザーン資本の利用でもいつかは接収に向かう、そういうことだな、レベロ?」

「その通りだ。そして一度行なえば際限なくフェザーン資本を毟り取ろうとするだろう、麻薬のようなものだ、いけないと思っていても続けてしまう……」

誰もがフェザーンに対しては良い感情を持っていない。我々に戦争させておいて、その血を啜って肥え太っている。流した血の分だけ返してもらう。いくらでも自分を納得させる言い訳はたつ。

「そして気がつけばフェザーンは帝国に助けを求めるか……」
「……」
トリューニヒトが呟くように声を出した。その通りだ、それこそが帝国の狙いだろう。ボロディン本部長、そしてグリーンヒル総参謀長の話を聞いた今なら分かる。

「他に手は無いのかね」
ネグロポンティが苛ただしげな口調で問いかけた。咎めるような視線は軍人たちに向かっている。

「彼らを責めてどうするのだね」
「そういうわけでは……」
ホアンの言葉にネグロポンティが決まり悪げに口を濁した。

彼の気持は分かる、八方塞だ、誰かに当たりたくもなるだろう。帝国は二十四時間以内の回答期限を付けてきた。もう一時間近く消費しているが、何の進展も無いのだ。だがホアンの言うとおり、彼らを責めるべきではない。我々には彼らの協力が必要だ。

グリーンヒル総参謀長とボロディン本部長が顔を見合わせている。微かにボロディン本部長が頷くのが見えた。なにやら二人の間で言葉を交わさずに意思の遣り取りが有ったらしい。

「手と言えるかどうかは分かりませんが……」
「何か有るのかね?」
トリューニヒトの言葉に皆が視線をグリーンヒル総参謀長に向ける。

「フェザーンの中立性を帝国、同盟の手によって確立するのでは無く、フェザーンが自らその中立性を確立する、それが有ると思います」
「?」
フェザーンが自ら中立性を確立する? 一体どういうことだ? 皆が訝しげに顔を見合わせる中、グリーンヒル総参謀長の声が流れた。

「具体的にはフェザーン人の手でルビンスキーを追放させます」
「!」
「そんな事が可能なのかね?」
皆が驚きの表情を浮かべる中、ネグロポンティが半信半疑の表情でグリーンヒル総参謀長に問いかけた。

「国防委員長はフェザーンの長老会議をご存知かと思いますが?」
「自治領主を決める委員会だろう、それが?」
ネグロポンティの言葉にグリーンヒル総参謀長が頷きながら言葉を続けた。

「長老会議は確かに自治領主を決める機関ですが、同時に自治領主を解任できる機関でもあるのです」
「……」

「長老会議の有権者の二割が会議の要求をすれば会議が開かれます。そして三分の二以上の多数が賛同すればルビンスキーを罷免できる……」
「!」

グリーンヒル総参謀長の言葉が部屋に響いた。皆が顔を見合わせる中、ボロディン本部長が言葉を続けた。
「帝国側の要求は、ルビンスキーに反帝国活動を止めさせる事です。ルビンスキーを罷免する事が出来れば攻め入ることなくそれを満たす事が出来ます」

「なるほど、全てが振り出しに戻ると言う事か……」
「その通りです、レベロ委員長」
「……」

暫くの間、沈黙があった。トリューニヒトは眼を閉じ、ホアンとネグロポンティは天を仰いでいる、皆それぞれの表情で考え込んでいた。
「どうかな、トリューニヒト議長、軍部の提案は今の同盟の苦境を救うものだと思うが」

私の言葉にトリューニヒト議長が眼を開け微かに頷いた。
「確かにレベロ委員長の言うとおりだ、フェザーンに進駐する事が出来ない以上他にこの苦境を脱する手は無いだろうな……」

「ではこの先だが、どう進めれば良い?」
私の問いかけにグリーンヒル総参謀長が答えた。

「先ずフェザーンの有力者に接触し、このままルビンスキーが自治領主である事はフェザーンの自治にとって危険だと言う事を伝える必要があります。長老会議を開いてルビンスキーを罷免するべきだと」

トリューニヒト、ホアン、ネグロポンティが頷いている。それを見ながらグリーンヒル総参謀長が言葉を続けた。
「次に帝国への回答ですが、これは回答期限ぎりぎりに受諾すると回答することにします」
「……」

「その上で艦隊をゆっくりと進め、フェザーンでルビンスキーが罷免されるのを待つ……」
「艦隊の規模はどうする? 三個艦隊全て進めるのか? 減らしたほうが良くは無いかね?」

ネグロポンティがグリーンヒル総参謀長に問いただした。万一実際に進駐する事になった場合を考えているのだろう。
「いえ、三個艦隊全て進軍させます。兵力を減らしてはフェザーンでルビンスキーを罷免させようとする動きが鈍りかねません。兵力は必要です」

「なるほど、圧力をかける事でフェザーンのルビンスキーを罷免する。罷免後は帝国に対してフェザーンの中立性は回復したとして兵を引く、そういうことだね」
トリューニヒトが頷きながら問いかけた。

「その通りです、議長」
「ネグロポンティ君の心配は分かるが、優先すべきは長老会議を開催させることだな……。いいだろう、その方向で進めよう」
トリューニヒトがグリーンヒル総参謀長の言葉に同意した。ホアンもネグロポンティも頷いている。

「余り時間が無い、急がなければならんだろう」
「そうだなレベロ。君の言う通りだ、急がなければならん。ところで軍に聞きたい事が有るのだがね」

トリューニヒトの言葉にボロディン本部長、グリーンヒル総参謀長が微かに緊張するのが見えた。急ぐ必要がある、そう言ったにも関わらず何を聞こうというのか?

「何故、最初からこの案を出さなかったのかね。最初からこの案が提案されていれば、もっと余裕を持って対応できたはずだが……」
ボロディン本部長、グリーンヒル総参謀長の表情が曇るのが見えた。どういうことだろう、彼らはこの案を必ずしも望んでいない? それとも気付いたのは後になってからなのか?

「正直に申し上げますと帝国の真の狙いが見えなかったためです」
「?」
帝国の真の狙いが見えない? グリーンヒル総参謀長は何が言いたいのだ?

「帝国がルビンスキーの排除のみを考えているのであれば、フェザーン人の手でルビンスキーを罷免させると言うのはベストの選択でしょう。しかし、そうでなかった場合は問題が有ります」
「……」

「そうでなかった場合、つまり帝国の狙いがフェザーン回廊を利用しての同盟領への侵攻の場合ですが、その場合のベストの選択は帝国にフェザーンを占領させ、反帝国運動を起す事で帝国の侵略を防ぐ事です」
「……」

「今回、帝国からフェザーン侵攻の連絡が有った時、我々は帝国の狙いを特定できませんでした。ですから最悪の事態に備え帝国をフェザーンに侵攻させるべきだと考えたのです。議長閣下の共同占領案はその意味では最善のものだったと考えています」

「……なるほど、どうやら私は認めてもらえたわけだ」
トリューニヒトが多少、皮肉を込めて感謝したが、グリーンヒル総参謀長は表情を全く変えなかった。むしろボロディン本部長の方が僅かに不機嫌そうな表情を見せた。

「問題はこれからです。帝国からの提案を見ると、帝国の狙いはフェザーン回廊を利用しての同盟領への侵攻の可能性が高いと言わざるを得ません。それなのに我々が取れる手段は最善のものとは言い難い」

「今回の案では事態の先送りにしかならない、そういう事だね?」
「その通りです、議長。しかも先送りすれば内乱を終結させた帝国はより強大な国家となって我々に襲いかかるでしょう。厳しい未来が待っています」

グリーンヒル総参謀長の沈鬱な口調が部屋に響いた。確かに彼の言う通りだ、今回の策は一時凌ぎでしかない。皆同じ思いなのだろう、憂鬱そうな表情をしている。

「……なるほど、良く分かった。ところで今回の長老会議を使うというのもヤン提督の考えかね」
「その通りです。ヤン提督はフェザーンと帝国の関係が悪化している事を重視していました。色々と対策を考え我々と連絡を取り合っていたのです」

「ほう、驚いたな。帝国のヴァレンシュタイン元帥が策士だとは聞いていたが、ヤン提督もなかなか……、ひけをとる者ではないな」
ホアンが嘆声を発した。それにつられる様に部屋に笑いが起きた。トリューニヒトも笑いを浮かべている。

「……ボロディン本部長、グリーンヒル総参謀長。君達が有能なのは良く分かった。だがもう少し我々に打ち解けてもらいたいものだ。劣勢にある以上協力は必要不可欠だろう。頼むよ」
「……」

トリューニヒトの笑いを含んだ言葉に、ボロディン本部長、グリーンヒル総参謀長が無言で頭を下げた。笑いを含んではいるがトリューニヒトは内心では苛立っている。これまでの事が有るとはいえ、軍の積極的な協力が欲しいに違いない。

ヤン・ウェンリーか、どうやら彼が軍部でのキーマンのようだな。有能ではあるが我々に対する警戒心がかなり強い。シトレ経由で彼の考えを積極的に聞き出すべきかもしれない。直ぐ実行するべきだろう……。

 

 

第百九十八話 負の遺産

帝国暦 488年  1月14日  オーディン 新無憂宮  アマーリエ・フォン・ブラウンシュバイク


クリスティーネと共にバラ園に向かった。父、フリードリヒ四世は最近バラ園に行く事が多い。グリューネワルト伯爵夫人が憲兵隊に捕らえられてからは特にだ。今日もバラ園でバラの手入れをしている。

愛妾に裏切られたのだ、お辛いのかもしれない。そして父が引き立てていたローエングラム伯も簒奪の意思有りとして捕らえられている。父にとっては二重のショックだったろう。

「お父様、アマーリエです。クリスティーネも一緒ですわ」
「うむ」
バラの花を見ていた父は私達をチラと見ると視線をバラに戻した。私達からは父の横顔しか見えない。

「御気分は如何ですか」
「そうだな、悪くは無い……。お前達が此処へ来るなど珍しい事だが、どうかしたかな?」
「……」

父の言葉にクリスティーネと顔を見合わせた。妹は困ったように微かに苦笑している。父の言うとおり、私達がこのバラ園に来る事は余り無い。結婚してからだけでなく、結婚する前から余り此処へは来なかった。

理由は私にもクリスティーネにも父がバラの世話をするのを心から楽しんでいるように見えなかったから……。何処かで心此処に在らず、そんな感じがして余り一緒にバラ園に居たいとは思えなかった……。

「予の事を案じておるのか、アンネローゼの事で気落ちしているのではないかと」
「そういうわけでは……。いえ、そうです。お父様が心配で」
「私もですわ」

私とクリスティーネが答えると父は私達を見て微かに笑った。
「心配は要らぬ、いずれはこうなると思っていたからな」
「お父様……」

「来るべき時が来た、それだけだ」
「……」
父はバラに視線を戻している。薄いピンク色の花だ、ローゼンドルフ? 秋に咲くバラだけれどまだ咲いていたのか……。

「アンネローゼの弟が、ローエングラム伯が簒奪を考えていた。それも分かっていた事だ、いずれは予の首を取りに来ると」
「……」

宮中では密かに囁かれていた。ローエングラム伯は危険だ、いつか簒奪の意思を明らかにするのではないかと。彼が宇宙艦隊司令長官になった時、その噂が現実味を帯びた。もっとも直ぐ彼は降格し、ヴァレンシュタイン元帥が司令長官になった。貴族に対して敵対してはいたが、父に対しては従順だった元帥が司令長官になった事で私も妹もほっとした。あの時は今日のような事態になるとは少しも思わなかった。

「弟が弑逆者になる、そして予が惨めに殺されるなどアンネローゼには耐えられまい。そうなる前に予を自らの手で殺す、そう思っておった……。哀れな女よ……」
「お分かりなら、何故あの者達をお傍に置いたのです?」

妹の問いに父は答えることなくバラを見ていた。何処と無く寂しげな、哀しげな表情だ。私達が嫌いな父の表情……。バラを育てる事など本当は楽しんでいない。

「お父様、クリスティーネの問いにお答えください。……もしやお父様は伯爵夫人に殺される事をお望みだったのですか?」
躊躇いがちに発せられた妹の問いに父は微かに笑みを浮かべた。

「昔はの、それでも良いと思っておった」
父の言葉に私は妹と顔を見合わせた。何処と無く投げやりな、虚無的な響き……。それも私達が嫌うものだった。

「今は違うのですか?」
「今は違う、希望があるからの」
父が横顔に微かに笑みを浮かべた。希望? 希望とは……。

「帝国は滅ぶ」
「!」
「銀河帝国、ゴールデンバウム王朝は滅ぶのじゃ」

私は思わず父の顔を見た。隣でクリスティーネが息を呑む気配がしたが妹を見る余裕は無かった。父は笑みを浮かべたままバラを見ている。本当に帝国は滅ぶと言ったのだろうか?

「父、オトフリート五世陛下の治世の下、帝国はすでに崩壊への道を歩み始めておった。貴族達が強大化し、政治は私物化された。帝国は緩やかに腐り始めておったのじゃ」
「……」

「予にはそれが判った。いずれ帝国は分裂し内乱状態になり、銀河帝国は存在しなくなると」
「……」

父は穏やかな表情で話している。帝国は今改革を進めようとしている。改革が進めば帝国は再生するに違いない。そのために今、内乱が起きているはずだ。それなのに滅ぶ?

思わずクリスティーネを見た。彼女も困惑したような顔で私を見ている。本当に帝国が滅ぶと思っているのだろうか? それともこれは過去の想いなのだろうか……。

「残念だが予にはそれを止めるだけの力は無かった……。出来るのは滅びを遅らせる事だけじゃ」
「……遅らせる事、ですか?」
「うむ」

「そのためには何でもした。その方らをブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にも嫁がせた。いずれルードヴィヒの両翼になってくれればと思っての……。だがそれも潰えた……」

「ルードヴィヒが死んだからですね?」
ルードヴィヒ、私達の弟。あれが生きていれば帝国の混乱はもっと小さかったはずだ。だが父の答えは違っていた。

「そうではない、アマーリエ。その方らも知っておろう、あれがシュザンナの子を殺したからじゃ」
「……」
シュザンナ、ベーネミュンデ侯爵夫人、幻の皇后……。

「愚かな話よ、アスカン子爵家が政治的に力を振るうなど有り得ぬ事……。だが疑心暗鬼になったルードヴィヒは自分がいずれ廃されると思いシュザンナの産んだ子を殺したのじゃ……。生きておれば、あれの力になったやもしれぬのに……」
「……」

「おまけにその罪をその方らの夫に被せようとした。あれではもう誰もルードヴィヒに協力しようなどと思うものは在るまい。あれが皇帝になっても誰も従わぬ。自ら傀儡皇帝になると宣言したようなものじゃ……」
「……」
父は首を振っていた、声には徒労感がある。

「挙げ句の果てに後ろ盾の無い息子を産んで死ぬとは……。帝国の崩壊を決定したようなものじゃ。済まぬの、そちたちを嫁がせた事が反って仇となってしまった、あのたわけが……」
「……」

「予とて、兄と弟が死んだから皇帝になった。殺さなければ殺される、ルードヴィヒはそう思ったのかの……」
「そうかもしれませぬ」

問いかけるような口調で父が私を見た。何処と無く遣る瀬無さそうな表情だ。父は帝国の滅びを少しでも先へ伸ばすために手を打った。しかしルードヴィヒは父のその想いを理解できなかった。ただひたすら皇位を望んだ、或いは生き延びることを望んだ。

帝国が滅ぶなど考えなかったのかもしれない。愚かだとは言えないだろう、私だって帝国が滅ぶなど考えなかったのだ。むしろ帝国が滅亡すると思った父のほうが異常だ。父は凡庸ではなかったのか、私達に見えない何かを父は見ていたのだろうか?

「帝国は滅ぶ、貴族達はブラウンシュバイク、リッテンハイムを中心に徒党を組み始めた。おそらくは内乱が起き、政府の統制力は衰え分裂し崩壊する。もう止める術は無かった」

「そんな時、あの者に会った。ラインハルト・フォン・ミューゼル。誰もが予に媚び、少しでも私腹を肥やそうとする中、あれはまっすぐに予に、そして貴族達に憎悪を向けてきた、心地よかったぞ。あの憎悪と覇気、才能。あれならばこの帝国を再生、いや新たに創生させるかも知れぬ、そう思ったのだ」

父は嬉しそうな表情をしている。私は思わず父に問い掛けていた。
「お父様はそのためにローエングラム伯を引き上げてきたのですか?」
「そうだ」
「ゴールデンバウム王朝が滅んでも良いと?」

思わず父を責めるような口調になった。ゴールデンバウム王朝が滅ぶ、それは私達も滅ぶと言う事、父はそれを望んだのか。私の言葉に父は哀れむような表情を浮かべた。

「違う、そうではない」
「?」
「ゴールデンバウム王朝など滅びるべきなのだ!」
「!」

強い口調で発せられた父の言葉に思わず身体が凍りついた。父は、皇帝フリードリヒ四世は帝国を憎んでいたのか……。重苦しい空気が私達を包み込んだ。

「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝……、笑止よの」
そう言うと父は顔を歪めて笑った。禍々しい、自分の言葉を侮蔑するかのような笑い……。

「人類の歴史の中でゴールデンバウム王朝ほど忌わしい王朝は有るまい。ルドルフ大帝が創ったこの帝国は人類を二つに切り裂いた……、帝国と自由惑星同盟にな。二つの国は百五十年に亘って戦い続け、憎悪を募らせている。全人類の支配者にして全宇宙の統治者? 恥ずかしくも無くようも名乗れるものよ」

父が私達を見ながら大きな笑い声を上げた。嘲笑、侮蔑、憎悪、それら全てが入った笑い。私も妹も何も言えず、黙って父を見ている。
「……」

笑うことを止めた父が今度は陰鬱な表情をした。
「そして皇帝は自らの力で立つ事が出来ぬほどに弱体化した。何のための帝国、何のための皇帝なのか……。我等は滅びるべき一族なのだ、それほどまでに我等の犯した罪は重い……」

父の言葉にバラ園に沈黙が落ちた。私も妹も父に圧倒され言葉も出ない。そして父は詰まらなさそうにバラを見ている。隣で大きく唾を飲み込む音がした。クリスティーネが恐る恐ると言った口調で父に言葉をかけた。

「ですがお父様、今の帝国は……」
「再生に向かっておると申すか?」
「はい。ローエングラム伯は捕らえられ、帝国はヴァレンシュタイン元帥の下、改革を進めようとしています。元帥はお父様の信頼厚い忠臣ではありませんか」

「確かに、予はヴァレンシュタインを信じておる。しかし、ゴールデンバウム王朝が滅びつつあるのも事実……。分からぬか? 帝国は今生まれ変わろうとしているのじゃ。ルドルフ大帝の創った帝国ではなく、ヴァレンシュタインの創った帝国にの」

どういう意味だろう。私にはヴァレンシュタイン元帥は野心家には見えなかった。それとも父は何かを知っているのだろうか?
「……元帥は簒奪を考えているとお考えなのですか?」

半信半疑の思いで問い掛けたが父は首を横に振って否定した。
「あれは皇帝になろうとはするまい、ローエングラム伯とは違う、野心は無いからの。ただ銀河帝国五百年の負の遺産を消し去ろうとしているだけだ。門閥貴族、自由惑星同盟、フェザーン。それら全てを滅ぼし、新たに宇宙を統一する。新銀河帝国の成立よ」
「……」

「ヴァレンシュタインが創る新たな銀河帝国はルドルフ大帝の創った帝国とは全く別のものであろう。例え皇帝が予、フリードリヒ四世であろうともな。外見はゴールデンバウム王朝かもしれんが中身はヴァレンシュタイン王朝じゃ」
「……」

「アンネローゼもラインハルトもそち達の夫も皆、銀河帝国五百年の負の遺産として滅ぼされようとしている」
「……」

「ヴァレンシュタインを恨むな。恨まれるべきは予であり、此処まで帝国を治めてきた代々の皇帝じゃ。あれはその後始末をしているに過ぎん……」
父の声は詫びているようでもあり、何処か悲しんでいるようでもあった。

誰に詫びているのだろう。私達? それとも滅ぼされようとしている夫達? 或いは後始末をしているヴァレンシュタイン元帥に対してだろうか? 悲しんでいるのは……御自身の無力さに対してか。

「シャンタウ星域の会戦の後、言っておった。帝国を守るため一千万人殺した、もう逃げられぬと」
「……」

「これから先、あれが歩む道はさらに血が流れよう。権力など望んでおらぬのに権力者の道を歩まねばならん。哀れなものよ」
「……」

父はヴァレンシュタイン元帥を気遣っている、哀れんでいる。ふとある噂を思い出した。
「お父様、ヴァレンシュタイン元帥はお父様の血を引いていると聞いた事が有りますが……」

私の問いに父は直ぐには答えなかった。黙ってバラを見ていたがやがて呟くように言葉を出した。
「予の血など引いてはおらぬ。あれは我等のような罪深い人間ではない。新たな帝国を創る輝かしい人間なのだ……」




 

 

第百九十九話 フェザーン進駐

帝国暦 488年  1月14日  フェザーン アドリアン・ルビンスキー


この部屋には窓が無い。私邸の奥まった一室なのだが分厚い鉛の壁に密閉され部屋そのものが極めて閉塞的に感じられる。自分の私邸の部屋だが決して好ましい部屋ではない。

この部屋はその存在そのものが通信装置になっている。言葉に出すことなく思考波を超光速通信の特殊な波長に変化させ、ある場所に送り出すようになっているのだ。ある場所……、地球へと。

これから先は余計な事を考える必要は無い。自分はフェザーン自治領主、アドリアン・ルビンスキー。フェザーンの秘密の支配者である地球の忠実な下僕だ。それ以外の何物でもない。

余計な事を考えればどうなるか、俺の前任者ワレンコフが良い例だ。地球からコントロールされる事を嫌い自主的な行動に出ようとした、そして急死した、当然自然死ではないがその事が問題になった事も無い。それだけで自治領主などというものがフェザーンの支配者ではない事が分かる……。

コンソールのピンクのスイッチを入れると通信装置が作動した。
「私です、お答えください」
明確に心の中で言語の形で思考すると返答が帰ってきた。

『私とはどの私だ』
「フェザーンの自治領主、ルビンスキーです。総大主教猊下には御機嫌麗しくあられましょうか」

『機嫌の良い理由などあるまい。ルビンスキー、フェザーンはいささか面倒な事になっているようだな』
「はっ、お心を煩わし申し訳ありません」

『どうするつもりだ。自由惑星同盟からは長老会議を開いて汝を罷免しろと言ってきておるようじゃが……』
「……」

『我が周囲に居る者達もそれに賛同するものが多い。此処まで事態が悪化したのは汝の責任、汝を罷免してフェザーンの自主を守るべきだと申す……、汝を罷免する事は簡単だがその前に汝の考えを聞くべきであろう』

「恐れながら長老会議を開くのは御無用に願います」
『何故じゃ』
「意味がありませぬ」
『……』

「既にお伝えした通り帝国はフェザーンを滅ぼし自由惑星同盟を滅ぼす事を国家の基本方針としております。私を他の誰かに変えても一時凌ぎにしかなりませぬ。必ず帝国はフェザーンに押し寄せます」
『……それで』

「昨年のシャンタウ星域の会戦により帝国と同盟の軍事力にははっきりと差が出ました。さらに帝国は国内の改革を進めようとしています。これに成功すれば帝国は軍事力だけでなくそれを支える経済力でも同盟を圧倒するでしょう」

『……帝国、同盟を共倒れさせる、それに乗じて我等が全宇宙を支配する……。もはやこれは成り立たぬと言うか』
「ご明察にござります。もはや成り立ちませぬ」
『ではどうする』

「帝国に宇宙を統一させ、しかる後それを乗っ取る」
『……』
「権力にしろ機能にしろ、集中すればするほど小さな部分を制することで全体を支配できます。かつてキリスト教は最高権力者を宗教的に帰依させることで古代ローマ帝国を支配する事に成功しました」

『もう一度それを実現させると言うのか』
「或いは統一後、帝国の中枢部を暗殺し統治力を低下させる事で全宇宙に混乱を起します。その上で国家ではなく宗教に人々の心を向けさせる……」

『なるほど、それもあるか……』
「……」
『同盟が攻め込んだ後、汝はどうする』
「地下にもぐり、猊下の御指示をお待ちいたします」

『……帝国、同盟の両国に我等の手のものを潜ませておるな? その組織化と資金調達は汝らフェザーンの者に任せておったはずだが……』
「手抜かりはありませぬ」
『……良かろう、汝の考えを採ろう』
「はっ」

『ルビンスキー』
「は……?」
『裏切るなよ』
「!」


通信を終え部屋を出るとそのままテラスに行き星空を見上げた。地球への通信を終えた後はいつも此処に来る。星空を見ることであの部屋で感じた閉塞感を払い落とす。

自分を偽るのは楽な事ではない。そして心まで偽り続けるのはさらに容易なことではない。あの部屋では自分の心を殺し、奴隷にならなければならない。何と不便な事か……。

切り抜けた……。あそこで長老会議を開く事が決まれば、罷免される事が決まれば、俺に待っているのは死以外あるまい。帝国は俺の身柄を要求している。あの老人達にしてみれば俺が帝国に寝返るのではないかと不安だろう。万一地球教の秘密が漏れれば……、その不安が俺が生きている事を許すまい。

残念だったな、トリューニヒト。お前達の手は悪くなかった。だがお前達は肝心な事が分かっていなかった。フェザーンは自由かつ不羈のフェザーン人達のものではないのだ。長老会議など人々の目を欺くための茶番でしかない。

尊大にして傲慢、陰気にして偏執を感じさせるあの老人……地球教の総大主教。あの老人こそがこのフェザーンの真の支配者だ。俺はその下僕でしかない。

「地球か……」
思わず言葉が出た。人類発祥の地、にもかかわらずその尊大さによってシリウス戦役で完膚なきまでに叩き潰され見捨てられた惑星。僅かな遺跡と汚染され永遠に肥沃さを失った大地がすべての惑星だ。かつての豊かさは何処にも無く荒廃、貧困しかない……。それは精神面でも同様だ、地球教という宗教に支配される祭政一致の惑星。自由、闊達さなど何処にも無い……。

銀河連邦もそして銀河帝国を創立したルドルフも地球を無視した。無力で何の価値も無かった所為も有るだろう、だが地球が己の覇権のために他者を踏みにじった姿に嫌悪したと言うことも有るだろう。自業自得、そんな想いではなかったか……。

八百年の長い期間、地球は無視されてきた。その間に溜まった怨念はフェザーンを産み、その経済力によって世俗面を、地球教という信仰によって精神面を支配しようとしている。そして最終的には地球が祭政一致の神権政治によって全てを支配する……。あの見捨てられた、衰微した惑星が人類支配の中心になる? おぞましい限りだ。


自由惑星同盟にフェザーンを占領させる。その後フェザーンから帝国に対して助けを求めさせる。それによって帝国はフェザーン解放、同盟領侵攻への名目を得る事が出来るだろう。その際フェザーンは帝国に対し後方支援を約束する。

フェザーンが得るものは帝国による宇宙統一後の経済的支配権だ。政治、軍事の支配権は皇帝が独占する。フェザーンもそれに従う、これまでよりも従順に。だが経済的支配権はフェザーンが持つ。長い時間ではあるまい、せいぜい許されるのは十年だ。帝国が安定すればいつかは剥奪される。しかしとりあえず十年有れば良い。

ある時点で帝国との間に繋がりをつける必要があるだろう。出来ればヴァレンシュタインとだな。彼にこちらのシナリオを示し協力体制を取る。経済的支配権については他にも手土産が要るな、地球教の存在とそれに対する協力者の名前、そして捜査に対する協力、そんなところか……。

「とりあえず、経済的支配権だ。後はそれからだ……」
宇宙が落ち着くまでにはまだまだ時間がかかるだろう。落ち着いたとき宇宙を支配しているのは誰か? 楽しみな事だ……。



宇宙暦 797年  1月17日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ


最高評議会議長の執務室は緊張と苛立ちに包まれている。思うようにフェザーンへの工作が進んでいないのだ。執務室にいるのはトリューニヒト、ホアン・ルイ、ネグロポンティ、ボロディン統合作戦本部長、ビュコック司令長官、グリーンヒル総参謀長そして私。

ネグロポンティが苛立たしげに問いただした。
「ボロディン本部長、艦隊は今何処まで進んでいる?」
「フェザーンまで後二十時間といった所です」
「フェザーンは一体何をやっているのだ。何故長老会議を開かない!」

ネグロポンティの言葉が執務室に響いたが誰も反応しない。皆押し黙っている。トリューニヒトは腕を組んで眼を閉じている。ホアンも同様だ。軍人達は三人とも厳しい表情で沈黙している。

先日の会議の後我々はそれぞれの伝手を利用してフェザーンの有力者に長老会議を開いてルビンスキーを罷免する様に伝えた。それが無ければ自由惑星同盟にフェザーンは占領される。フェザーンの自由が奪われると。

にも関わらずフェザーンの動きは遅い、いや動きが無い。このままでは同盟によってフェザーンは占領されることになるだろう。一体フェザーンは何を考えているのか……。

「ボロディン本部長、イゼルローンのヤン提督と話したいのだが」
トリューニヒトの言葉に皆が視線をボロディン本部長に向けた。
「ヤン提督とですか」
「そうだ」
「……分かりました。少しお待ちください」

暫くしてスクリーンにヤン提督が映った。黒髪、黒目、ごく平凡な若者と言って良い。特別なところなど何処にも無い若者だ。何処と無く表情が暗いのはフェザーン方面の状況を理解しているからだろう。

「ヤン提督、フェザーンの状況は理解しているかね?」
『はい、長老会議は未だ開かれていないと聞いています』
「うむ。提督はこれをどう思うかね?」

『申し訳ありません、どうやら私の考えた案は失敗だったようです』
ヤン提督が軽く頭を下げ謝罪した。
「失敗では済まんのだよ、ヤン提督」
吐き捨てるように言ってヤン提督を睨むネグロポンティをトリューニヒトが遮った。

「止めたまえ、ネグロポンティ君」
「しかし、議長」
「止めるんだ。たとえ誰の提案であれ最終的に受け入れたのは私だ。それにヤン提督と連絡を取ったのは話をするためだ。彼を責めるためじゃない」

ボロディン本部長、ビュコック司令長官、グリーンヒル総参謀長がそれぞれの表情で顔を見合わせるのが見えた。驚き、感心はあっても不快感は無い。ヤン提督の顔にも意外に思う表情がある。

「ヤン提督、フェザーンは何故長老会議を開かないのだろう、提督の考えを聞きたい」
ヤン提督は少し間をおいてから話し始めた。

『フェザーンは今、自由、独立を失いかねない危険な状態に有ります』
「うむ」
『にも関わらず、長老会議を開こうとしない』
「そうだ」

『可能性は二つです。長老会議は危機を認識していないか、危機を認識した上で放置しているか……。フェザーンの有力者には何人ぐらい知らせたのです』
ヤン提督の問いにトリューニヒトが私を見た。

「大体三十人ぐらいだろう。長老会議のメンバーも十人程度は居たはずだ」
『彼らの感触は如何です、レベロ委員長』
「かなり慌てていた。ルビンスキーの罷免に賛成したし、他の有力者にも相談すると言っていた。あれなら直ぐ長老会議が開かれると思ったのだが……」

『だとすると長老会議は危機を認識した上で放置している、そういうことになります』
「つまり、彼らにとってはフェザーンの独立、自由は必要不可欠なものでは無い、そういうことか……」

トリューニヒトの言葉に皆の視線が彼に集中した。トリューニヒトはそれに気づく事も無くさらに言葉を続ける。
「ありえん事だ。これまでフェザーンは独立を守るために躍起になっていた。この時点でそれを捨てるなど、どういう事だ……」

『何か別な力が動いたと言う事でしょう。長老会議を抑えるだけの力を持った何かがです』
執務室の皆が互いに顔を見合わせた。顔には皆不安感がある。自分も得体の知れないものを踏みつけたような嫌な物を感じている。

「それは何だと思うかね、ヤン提督」
『……』
「ルビンスキーか、いや違うだろうな、となると帝国? それも腑に落ちん……」
ホアンが呟くように自問自答した。同感だ、だとすると一体何が……。得体の知れないものを踏みつけたような感じはますます強くなった。

『それが何かは分かりませんが、長老会議を抑えルビンスキーを助けたのは事実です。もしかするとそれこそがフェザーンの真の支配者なのかもしれません』
「真の支配者? 馬鹿な、そんな事が」
ネグロポンティが喘ぐように否定したが誰も同意しない。皆難しい表情で考え込んでいる。

「ヤン提督、帝国はその存在を知っていると思うかね?」
トリューニヒトの問いにヤン提督は首を振った。
『何ともいえませんね。ただフェザーンと帝国が露骨に敵対するようになったのはそれが原因の可能性が有ります。帝国が何か不審を感じたとしてもおかしくはありません』

「有り得ない、と言いたいところだが、難しいな……。ヤン提督の考えがあっているとすれば長老会議が開かれる事は無いだろう。となるとどうするか……」
トリューニヒトが周囲を見渡して意見を求めた。

艦隊を進めるのは危険だろう、しかし帝国との約定を反故にし艦隊を退く事は出来ないのも事実だ。それをやれば帝国が全てを公表したとき収集がつかなくなる。

「このまま、艦隊を進めるしかないでしょう。ただ艦隊は一個艦隊に減らしたいと思います。フェザーンに艦隊を縛られるのは危険です」
「ボロディン本部長の言うとおりです。宇宙艦隊もそれを望みます」
ボロディン本部長、ビュコック司令長官が艦隊を減らす事を提案してきた。トリューニヒトは周囲を見て異議が無いのを確認してから同意した。

「フェザーンの真の支配者、それも突き止める必要があるな。場合によっては帝国との取引に使えるかもしれん。それとフェザーンの占領方針を早急に決めなければならん、今夜は徹夜だな、付き合ってもらうぞ……」
トリューニヒトの言葉に皆が渋い表情をしたが不平は鳴らさなかった。艦隊がフェザーン到着まで残り二十時間弱、時間が無いのだ……。


宇宙暦797年1月18日
自由惑星同盟軍第三艦隊 帝国の依頼によりフェザーンへ進駐。
フェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキー失踪。


 

 

第二百話 辺境星域回復

帝国暦 488年  1月20日 ガイエスブルク要塞   オットー・フォン・ブラウンシュバイク


「皆が騒いでいます、辺境星域を回復するべきだと」
「……」
グライフスの言葉にリッテンハイム侯が溜息を吐くのが聞こえた。溜息を吐きたいのはこちらも同じだ。

「何度同じ事を言わせれば理解するのか……」
「それについては全く同感だな、公」
今度はこちらが溜息を吐いた。リッテンハイム侯が、グライフスが苦りきった表情をしている。おそらく自分も同様だろう。

先日、ローエングラム伯が失脚した。罪状は彼の部下が帝都オーディンで起きた騒乱に関わっていた事、その目的がローエングラム政権の樹立にあった事が原因だった。彼らに加担した内務省、宮内省にも捜査の手が入っている。

そしてローエングラム伯の姉グリューネワルト伯爵夫人も陛下を毒殺しようとした疑いで逮捕されている。噂では伯の部下はローエングラム伯による簒奪を考えていたらしい。有り得ないことではないだろう。このガイエスブルク要塞でも伯を身の程知らずと罵る声はあっても冤罪だという人間は居ない。

いつかはこうなる事だった。むしろ今まで無事だった事のほうが不思議だった。ヴァレンシュタインが何故伯を粛清しないのか、或いは閑職にまわして彼を無力な存在にしてしまわないのか……。伯が暴発するのを待っていたと言う声もあるが、そうとは思えない、ヴァレンシュタインは命を落としかけているのだ。

ローエングラム伯の失脚は我々にも波紋を巻き起こしている。討伐軍の別働隊は辺境星域を平定しつつあるが、これを打ち破り辺境星域を回復すべきだと言う声が出てきた。主に辺境星域に領地を持つ貴族が中心となっているのだがその数は決して小さくは無い。貴族連合軍二十万隻の内四分の一は占めるだろう。

彼らが辺境星域回復を叫ぶのには理由がある。領地の回復はもちろんだが、ローエングラム伯が失脚した今、討伐軍の別働隊は指揮系統が混乱しているに違いないと言うのだ。兵力も本隊ほど多くは無い、打ち破るのは難しくないだろうと。

それにこのままでは辺境星域を平定した別働隊と本隊が合流してガイエスブルクにやってくる。各個撃破は用兵の基本、本隊との合流前に打ち破るべし……。

一理有るのは事実だ。だが本音は違うだろう、怖いのだ、彼らに囲まれるのが怖いのだ。だから辺境星域への逃げ道を作りたい、そんなところだろう。そして領地を取り戻したい……。恐怖と欲が絡んでの辺境星域回復だ。

「彼らの声は日増しに強くなりつつあります。辺境星域が平定されつつあり、敵の本隊が近づいている……、このままでは暴発しかねません」
「……」

「一旦暴発が起きれば、後はなし崩しに統制は崩れるでしょう。個々に出撃し、各個に撃破される……。ガイエスブルクでの決戦は不可能となります」
グライフスの表情は暗い、彼は暴発は必至だと見ている。

アンスバッハからも厳しい状況だと言う報告は受けている。寄せ集めの軍の脆さが此処に来て出た。これまでは押さえてきたが、もう押さえきれなくなっている。

沈黙が我々を包んだ。元々勝ち目は多くは無い、それがますます小さく、いや皆無になろうとしている。どうすればこの状態を打開できるのか……。

「ブラウンシュバイク公、私が行こう」
「何を言っているのだ? リッテンハイム侯」
「だから、私が彼らを率いて辺境に行くと言っている」

馬鹿な、何を言っているのだ、この男は……、彼らの我儘を認めると言うのか? これまでの努力はどうなる、全てを無に帰すと言うのか。唖然としているとリッテンハイム侯が微かに笑みを浮かべた。

「まあ聞いてくれ。このままでは彼らは無秩序に出撃するだろう。そうなれば各個に撃破される」
「……だからと言って」

「私が率いても勝てるとは限らない、そうだろう?」
「……言葉は悪いが、そうだ」
「だが味方を逃がす事は出来る」
「……」

味方を逃がす? 何を言っているのだ? 思わず目の前のリッテンハイム侯の顔をまじまじと見た。相変わらず笑みを浮かべたままだ。グライフスは顔を強張らせている。どういうことだ?

「今、一番拙いのは彼らを無秩序に出撃させる事だ。私が指揮官として彼らを率いて辺境星域に向かう」
「……」
「当然敵との会戦になるだろう。おそらくは負ける……、問題は負けた後だ」

リッテンハイム侯はもう笑みを浮かべてはいない、真剣な表情だ。
「秩序を持って後退できるか、潰走するかで損害は全然違う。私が指揮官として皆をガイエスブルクに撤退させる」
「リッテンハイム侯、まさか卿は……」
死ぬ気か、思わず声が掠れた。

「いえ、その役は小官がやりましょう。彼らを抑えられないとなればリッテンハイム侯の言うとおり、いかに上手く負けるかが問題になります。難しい任務です、此処は軍事の専門家である小官に任せて下さい」

グライフスが自分が行くと言い出した。おそらくリッテンハイム侯では戦死しかねない、そう思ったのだろう。同感だ、あのまとまりの無い連中を率いて撤退戦? 無理だ、到底生きては帰れない、グライフスだとて生還は難しいだろう。それも認められない。

「馬鹿な、卿らは死ぬ気か? どちらが死んでも我々の士気はガタ落ちだ。何を考えている」
「大丈夫だ、そうはならない」
リッテンハイム侯が自信ありげに答えた。

「今、リッテンハイム星系に敵の本隊が押し寄せている。この状態で私が自分の領地の防衛よりも辺境星域の奪回を目指せば、当然彼らは私を信頼するだろう。そして負けたとき彼らを逃がすために私が戦えば、今度こそ彼らは心を一つにしてガイエスブルクで敵を待つに違いない、そうは思わないか」
「……」
リッテンハイム侯が語りかけてくる。確かにそうかもしれない、しかし……。

「グライフス総司令官が行っても無駄だ、それでは彼らは一つにはまとまらない。一つにまとめるには犠牲が必要だ。私が行くべきなのだ、それだけの価値は有る」
「……駄目だ、そんな事は認められん」
犠牲……、卿を犠牲にするなど出来るはずが無い。此処まで一緒にやって来たのだ、わしを一人にするな……。

「ブラウンシュバイク公、公も分かっているはずだ。このままでは負ける、それも無様にだ。それで良いと言うのか?」
「……」

「それに、私が負けると決まったわけではない、上手く行けば辺境星域を取り戻せるし、負けても死ぬとは限らない、そうだろう」
「……」

グライフスを見た。彼は黙って首を横に振った。認めるなと言う事だろうか、それとも仕方が無いと言う意味か……。表情が切なげに歪んでいる、仕方が無いと言う事か……。

「私に万一の事が有った場合はサビーネを頼む」
「……分かった。だが必ず戻って来い、いいな」
「もちろんだ、死に急ぎはせんよ」
リッテンハイム侯が笑いながらおどけた……。



帝国暦 488年  1月20日 ガイエスブルク要塞   ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世


「私は明日、辺境星域へ出撃する」
「……」
私の言葉にリヒャルト・ブラウラー大佐、アドルフ・ガームリヒ中佐が黙って頷いた。

ガイエスブルク要塞内に有る私専用の個室。その部屋は今重苦しい雰囲気に包まれている。ブラウラー大佐、ガームリヒ中佐、二人とも表情が険しい。自分達が何故呼ばれたのか分かっているのだろう。

「私は出撃するがお前達は此処に残る、意味は分かるな?」
私の問いにブラウラー大佐が答えた。
「……サビーネ様の事ですね」
「そうだ」

「おそらく私は戻っては来れまい。サビーネの事はブラウンシュバイク公にも頼んだが、公とて明日はどうなるかは分からぬ。万一の場合はサビーネを連れ、逃げるのだ」
「……」

「ヴァレンシュタインとの約束を憶えているな、ガームリヒ中佐」
「はっ。貴族達に渡すなと」
「そうだ、必ずサビーネをヴァレンシュタインに渡せ、そして陛下の下に連れてゆけ」
「必ず、そのように」

低い声でガームリヒ中佐が答えた。何処と無く思いつめたような表情だ。貴族達を欺き通せず、サビーネを攫われた事に責任を感じているのかもしれない。

「ブラウンシュバイク公もおそらくは同じ事をフェルナー達に言うに違いない。今の内から意識を合わせておけ」
「はっ」

「その後は降伏せよ」
「閣下!」
「私達は……」
「無駄死には許さん!」
口々に言い募ろうとする二人を一喝した。

「私はお前達を十分に使いこなせなかった情け無い主だ。私に対する義理立てはこれ以上は無用だ……。お前達の能力はこれからの帝国に役立てよ、新しい帝国を見届けるのだ。そしてそれがどのようなものか、私に教えてくれ、ヴァルハラでな」
「……」
「サビーネをそれとなく見守ってくれ、頼む」
「……承知しました」
ガームリヒが言葉に出して、そしてブラウラーが無言で頷いた。

「話は以上だ、これまで御苦労だった、下がってくれ」
「はっ」
「それと、サビーネを呼んでくれるか、あれとも話さなければならん」
「はっ」


十分程してサビーネが部屋に入ってきた。何処と無く怯えた表情をしている。無理もないだろう。周囲は殆ど男達ばかり、しかも戦場の雰囲気が満ち溢れている。母親とも離れ心細い事だろう、慣れる筈も無い。

「サビーネ、もう聞いているかもしれんが明日私は辺境星域に向けて出撃する」
「……」
サビーネは何も言わず、ただ黙っている。どう話をすれば良いだろう、呼んでから考えるとは相変わらず、駄目な父親だ。

「多分一ヶ月もすれば戻ってこられるはずだ」
「はい」
「……だが、もしかすると戻っては来れぬかも知れぬ。意味は分かるな?」
「……はい」
蒼白になって頷く娘が不憫になった。

「例えそうなっても、お前の事はブラウンシュバイク公、ブラウラー大佐、ガームリヒ中佐に頼んである、心配は要らない」
「……」
頼むから涙ぐまないでくれ。娘とは厄介なものだ、息子なら“泣くな”と一喝できるが娘ではそうはいかん。困惑するばかりだ。

「クリスティーネに会ったら伝えてくれ。また一緒に暮らせると言ったのに約束を守れず済まぬとな、さぞかし怒るだろうな、あれは……。だがお前とは一緒に暮らす事が出来た、その事には感謝している」

「お父様……」
「この手紙をクリスティーネに渡してくれ、良いね」
「嫌です、お父様が自分で渡してください……」
「サビーネ……」

サビーネがとうとう泣き出した。自分には抱き寄せて頭を撫でてやる事しか出来ない、何と無力な父親なことか……。サラサラと手触りの良い髪を持つ娘が愛おしくてならなかった。ブラウンシュバイク公ならどうしたか、一度公と娘のあしらい方について話してみれば良かった……。

「私が男だったら、こんな事にはならなかった?」
「!」
驚いて娘の顔を見た。サビーネは泣きながら辛そうな表情で私を見ている。

「馬鹿なことを」
「でも皆が言っています。私かエリザベート姉様が男だったらこんな事にはならなかったって……。お父様も私が男だったら良かったのでしょう?」

細く小さな声だ。怯えている、サビーネは自分が望まれた子ではないのだと怯えている。もしかするとずっとこれまで怯えてきたのかもしれない。

私自身サビーネが男だったらと思わないでもなかった。この娘はそれを感じとり、ずっと一人で怯えてきたのか……。私は一体何をしてきたのか、それもこの期に及んで娘に気付かされるとは、それでもお前は父親か、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世よ!

少し腰をかがめ、娘と同じ眼線になった。サビーネは怯えたように私を見ている。
「良く聞きなさい、サビーネ」
「……」

「お前が男だったらと思った事が一度も無いとは言わない。だがお前が娘だからと言って私は疎んじた事は無い、クリスティーネもお前を疎んじた事などないはずだ。それともお前は私達に愛されなかったと思っているのかな?」
「そんな事は……」
首を振ってサビーネが否定した。

「そうか……、安心したよ……。サビーネ、胸を張りなさい。お前は私の大切な娘だ、お前を愛している。その事を良く憶えておきなさい、いいね」
「はい」

「今回の内乱は皇位継承とは全く関係が無いのだ。これは帝国の未来をどうするかが原因で起きた内乱だ……。ああ、お前には少し難しいかな。だがお前が男でもこの内乱は起きただろう。だからお前が娘として生まれて来たこととは全く関係が無いのだ」
「……」

「幸せになりなさい。私はお前が幸せになる事だけを願っている」
「お父様……」
「いい子だ、私の自慢の娘だ。さあ手紙を」

手紙を受け取るとサビーネが泣きながら抱きついてきた。サビーネ、お前が幸せになる事だけを願っている、嘘ではない。だが出来る事なら私の手で幸せにしてやりたかった。残念だが私にはその時間はなさそうだ、それだけが心残りだ……。



 

 

第二百一話 ある仮説

帝国暦 488年  1月24日 レンテンベルク要塞   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「ルッツ提督」
『はっ』
「そちらでも既に知っているかもしれませんが、一月二十一日、ガイエスブルク要塞から大規模な艦隊が辺境星域に向かっています」

スクリーンに映るルッツの顔が緊張に強張った。
「指揮官はウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵、兵数は約八万隻程になるでしょう」
『八万隻……』

呟くような声だ。ルッツが緊張するのも無理はない。内乱が始まってから最大の兵力が動いている。原作では貴族連合軍は各個に出撃し撃破されていた。その所為で八万隻もの大規模な艦隊が動いたのはガイエスブルク周辺に移ってからの筈だ。キフォイザー会戦でさえ貴族連合軍は五万隻だったのだ。副盟主、リッテンハイム侯が率いたにも関わらずだ。

「目的は辺境星域の奪回でしょう。ルッツ提督は別働隊の総力を以ってこれを撃破してください」
『はっ』

返事はしたがルッツは何処となく不安そうな表情をしている。気持は分かる、辺境星域の支配をかけた戦いなのだ、プレッシャーを感じてもおかしくはない。それに他にも理由はあるだろう。

「不安ですか、ルッツ提督」
『正直に申し上げれば不安が有ります。自分に六個艦隊もの兵力を率いて戦う事が出来るのかと……』

良い男だ。不安を不安だと認める事が出来る、等身大の自分を認識できる、簡単なようだが簡単に出来る事じゃない。馬鹿な男なら強がって自滅するだろう。

「各艦隊司令官は皆信頼できる人物です。大丈夫、ルッツ提督は一人ではありません、もっと気持を楽にしてください」
『……』

「シュタインメッツ少将が不安ですか?」
『シュタインメッツ少将に不安は有りません。ですが……』
「ですが?」
『分艦隊司令官達が功を焦らないかと……、それが心配です』

ルッツが俯いて溜息を吐いた。やはりそれか、連中はラインハルトに抜擢された経緯がある。ラインハルトに義理立てして反抗するとは思えないが、自分達の立場を強化しようとして焦る事は有るだろう、ルッツの言う事は杞憂だとは言えない。

「心配ならいっそ彼らを予備として扱ってはどうです?」
『予備ですか』
「ええ、最終局面で勝利を決定する時に使う。彼らの役割を固定するのです」
『なるほど』

ルッツが二度、三度と頷いている。原作ではビッテンフェルトが主として担った役割だ。役割が固定していれば、彼らも焦る事はないだろう。

『問題は戦闘開始直後ですね。敵の方が正面戦力は多くなります』
「耐えるしかないでしょう。幸い別働隊には守勢に強い指揮官が揃っています。ミッターマイヤー提督も速攻を得意としていますが防御が下手ではありません。というより彼に出来ない事が有るとも思えませんが」

俺の言葉に微かに笑みを浮かべてルッツが頷いた。
『確かにその通りです。時々自分より彼やロイエンタール提督の方が別働隊の指揮官には相応しかったのではないかと思います』

「私が選んだのはルッツ提督です。先任だから選んだのでは有りませんよ、それだけの力が有ると思ったから選んだのです。そうでなければ先任でも選びません。もっと自分に自信を持ってください」
『閣下……』

「辺境星域の支配権はこの一戦で決まるでしょう。不安は有るでしょうが私はルッツ提督を信じています。自分の思う様に戦ってください」
『……はっ。必ず敵を撃破します』

敬礼してくるルッツに答礼し通信を終了した。何も映さなくなったスクリーンを見ていると自然と溜息が出た。
「不安ですかな」

リューネブルクだった。茶化すような口調ではない、何処となく心配そうな口調だ。ルッツとは歳もそれほど離れていないし親しかったのか? 傍にはヴァレリーと男爵夫人が居る。良くないな、きちんと言っておこう、変な噂は御免だ。それにしても溜息一つ自由にならない、偉くなるのも考え物だ。

「そうじゃ有りません。私はルッツ提督に不安など感じていません」
「では」
「彼の気持が分かるんです。出来る部下を持つのも大変なのですよ」

リューネブルクがヴァレリーと男爵夫人が物問いたげな表情をしている。
「自分は彼の上司に相応しいのか、彼の方が自分の上司になるべきではないのか、そういう気持にさせられるんです。上に立つのも楽じゃない」

おそらく皆ラインハルトのことを考えているだろう。だがラインハルトだけじゃない、メルカッツ、ロイエンタール、ミッターマイヤー……。彼らの上に立つのは決して楽な事じゃない。

「閣下でもですか?」
「私をなんだと思ってるんです。宇宙艦隊では一番若輩で実戦経験も一番少ないんです。不安が無いとでも?」

不安を感じない人間も居る。自分が常に頂点に居るべきだと信じられる人間だ。ラインハルトもそうだがルドルフ大帝もそうだろう。能力は別としてある種の英雄的な気質を持った人間、支配者には向いているのだろう。後はそれに相応しい能力が有るか、或いはそれを持った部下を持っているかどうかだ……。

「どうやってその不安を抑えているのでしょう、教えていただけますか?」
男爵夫人が興味深げに問いかけてきた。相変わらず好奇心が旺盛な事だ。

「張り合わない事、でしょうね。私の仕事は彼らに武勲を立てさせる事で、彼らと武勲を競い合う事ではない。彼らに私の下でなら安心して働ける、武勲を立てられる、生きて帰る事が出来る、そう思わせる事が私の仕事です」
「なるほど」

そうは言っても簡単じゃない、頷いているリューネブルク達を見ながら思った。競争心の無い人間などそうそう居るわけじゃない。原作を読んでみれば分かる。ロイエンタールはシャンタウ星域の戦いでメルカッツを相手に後退した。そしてラインハルトに後の処理を押し付けた……。

つまりラインハルトがどうやってその敗北を回復するのかをロイエンタールが試す形になった。ラインハルトも当然それを感じとった。ロイエンタールの事を純粋な部下ではなく競争者になりうる男だとラインハルトは思ったのだ。

ラインハルトのあの挑発紛いの言葉、“私を倒すだけの自信と覚悟があるなら、いつでも挑んできて構わない”、あれはロイエンタールが相手だから発せられたのではないだろうか。だとすればロイエンタールの反逆はシャンタウ星域の戦いで後退したときから決まっていたのかもしれない。そう思うのは考えすぎだろうか……。

もし俺がラインハルトの立場だったらどうしただろう。ラインハルトと同じ方法を取っただろうか、メルカッツを相手にするのではなくブラウンシュバイク公達を挑発し彼らを撃破する……。そうする事で戦局を決定しただろうか……。

ラインハルトと同じ方法を取る、あれによって貴族連合はかなりの大打撃を被った。だが同時に将来的にはロイエンタールの反逆を招いた……。だとすれば、ロイエンタールに十分な兵力を与える事でシャンタウ星域の征服を命じたとしたらロイエンタールはどう思っただろう。競争相手にはならない、そう思っただろうか、であれば反乱は防げただろうか……。分からないことばかりだ……。

考え込んでいるとシューマッハが近づいてきた。
「司令長官」
「?」
「オーディンより通信が入っております。国務尚書、リヒテンラーデ侯です」
「こちらに映してください」

リューネブルク達が俺から離れた。そしてスクリーンにリヒテンラーデ侯が映った。老人は気難しい表情をしている。何か問題が有ったようだ。どうして事が多いのか、内心で溜息を吐く想いだ。

「如何されました、思わしくない御様子ですが?」
『反乱軍がフェザーンに進駐した』
「……」

それは分かっている。一週間ほど前に同盟はフェザーンに進駐した。こちらの思い通りだ、問題は無い筈だ。
『そこまでは良い。だがレムシャイド伯が妙な話を持ってきた』
「……」

なるほど、老人二人が判断に困って俺に話を持ってきたか。物が何かは分からないが厄介な事に違いない。
『卿、長老会議を知っておるな』
「ええ、知っていますが」

俺の答えに目の前の老人は困惑したような表情を見せた。妙だな、この表情だと厄介ごとじゃない、腑に落ちない事が起きたか。
『反乱軍が長老会議のメンバーに接触しているらしい』
「……と、言いますと」

『何故長老会議を開いてルビンスキーを追放しなかったのかと』
「!」
思わず自分の表情が厳しくなるのが分かった。

『追放すれば、帝国はフェザーンへ侵攻する理由を失う。反乱軍は密かにフェザーンの長老会議にルビンスキーを追放しろと働きかけたようじゃの、上手い手よ』

確かに上手い手だ。同盟はフェザーン侵攻が同盟のためにならないと思った。しかしみすみす帝国のフェザーン進駐を認めるわけにはいかない。そこで侵攻の理由そのものを消してしまおうと考えた……、そういうことか。

「しかしルビンスキーは追放されませんでした……」
『うむ、長老会議は何故ルビンスキーを追放しなかったのか、何を考えたのか、反乱軍の新高等弁務官はそのあたりを調べているらしい、確かに妙な話じゃ』

「それで、何か分かりましたか」
『いや、レムシャイド伯の調べでは反乱軍は何も分からぬようじゃの。じゃが……』
「?」
リヒテンラーデ侯が口篭もった。躊躇っている?

『連中はどうもフェザーンには裏の顔、真の実力者が居るのではないかと考えているようじゃ』
「……」
地球教と特定は出来ないがフェザーンには何かがあるとは気付いたか。手強いな、誰が気付いた? ヤンか? だとすると同盟の政府、軍部の連携はかなり良い、原作とは違う……。

『卿は驚いておらんの。馬鹿げているとも考えておらんようじゃが……』
「リヒテンラーデ侯はどう思われるのです?」
『分からん、半信半疑、そんなところかの。しかし気になるのも事実じゃ……』

「小官も同様です。注意が必要でしょう」
地球教を出すのはまだ早いだろう。なんといっても証拠が無い。反って不審がられるだけだ。注意を促がすだけでいい、話を変えるか。

「リッテンハイム侯が辺境星域に出撃しました。兵力は約八万隻……」
『!』
リヒテンラーデ侯が緊張するのがスクリーンからでも分かった。

「別働隊に撃破せよと命じました。大きな戦いになると思います。辺境星域の支配権をかけた戦いになるでしょう」
『負けられん一戦じゃの、大丈夫か? 別働隊は』
心配か、御老人。

「大丈夫です。私は彼らの能力に不安を持った事は有りません」
『ほう、頼もしいの。卿の自慢の部下達か』
リヒテンラーデ侯が笑い声を上げた。

その通りだ、俺の自慢の部下達だ。曹操もアレクサンダーもナポレオンも彼らを知れば俺を羨むだろう。そう考えた事が幾分照れくさかった。俺も侯に合わせて笑い声を上げた。もう一度思う、俺の自慢の部下達だ。


リヒテンラーデ侯との通信を終えた後、俺は一人スクリーンを見ながら地球教の事を考えていた。地球教、あの連中を放置は出来ない、始末するのであれば帝国、同盟の両方で一気に行なう必要がある。時期的には内乱終結後、捕虜交換の調印式で依頼する、そんなところか。

地球教の正体を知れば驚くだろうな、同盟政府は。そして百年以上前に同盟と地球教が協力してフェザーンを成立させたと知れば尚更だろう。

自由惑星同盟がフェザーンの成立に関わっている、有り得ない事だと皆思うだろう。だが俺は有り得たと思っているし、それ以外ではフェザーンの成立は無かったと思っている。

帝国暦三百三十一年、ダゴン星域の会戦が起きた。同盟が大勝利を得たが、帝国はこれに対して直ぐには反撃が出来なかった。何故なら当時帝国は非常に混乱していたからだ。暗褐色の六年間だ。陰謀、暗殺、疑獄事件が多発し帝国は内部分裂しかねない状態になった。

帝国暦三百三十七年に即位したマクシミリアン・ヨーゼフ帝が同盟と戦わなかったのは、帝国の再建が最優先事項だったからだ、外征をしているような余裕など何処にも無かった。

しかし、全く何もしなかったかと言えばそうではない。当時の帝国はイゼルローン回廊以外に同盟領に攻め込むルートが無いかを調査したのだ。調査記録、第三十八~第五十九航路探査船調査記録によれば、帝国は当初イゼルローン回廊の近くに使える通路の有無を調査している。

ただマクシミリアン・ヨーゼフ帝が内政を重視した所為かそれほど頻繁には出していない。積極的になるのは次のコルネリアス帝になってからだ。そして調査は徐々にフェザーン方面にと移ることになる。

一方地球だが、彼らは同盟を利用して地球の復権を考えただろう。そして同盟と秘密裏に接触する事を考えた……。当然だが軍と同じところで航路探査などするわけが無い。おそらく彼らは最初からフェザーン方面で調査を始めたはずだ。それが彼らに幸いした。

彼らが何時フェザーン回廊を、フェザーン星系を発見したのか……。おそらくは帝国暦三百五十年代後半になってからだと思う。地球がフェザーンという交易国家を創り、帝国と同盟を共倒れさせようと考えたのはこの時期のはずだ。

帝国暦三百五十九年、コルネリアス一世の大親征が起きる。この戦いで同盟軍は二度に亘って大敗北を喫した。オーディンで宮中クーデターが発生しなければ宇宙はコルネリアス一世によって統一されていただろう。

大敗北を喫した同盟は恐慌に駆られただろう。軍の再建に必死になったはずだ。そんな時に地球はレオポルド・ラープを使って同盟政府に秘密裏に接触したのだと思う。イゼルローン回廊以外にも使える回廊が有ると言って……。

悪夢だ、当時の同盟政府にとっては悪夢以外の何物でもなかったはずだ。もし帝国が両回廊から攻め寄せてきたらどうなるか? ただでさえ敗北によって少なくなっている兵力をさらに分割しなければならない。当然勝ち目は低くなる。

フェザーンに基地を造る? それも無理だ、守るだけの戦力が無い。或いは同盟領の奥深くにまで誘い込む? だとしても何処で敵を迎撃するか……。

頭を抱える同盟の為政者に対してラープは中立国家フェザーンを創る事を提案しただろう。同盟の為政者はそれに乗った。戦力が少ない以上集中して使わなければならない。ならば中立国家フェザーンを創り帝国の侵攻路をイゼルローン一本に絞るべし……。

同盟の具体的な協力としては、おそらく資金援助だろう。地球から資金が出ていたとはいえ、その資金は決して潤沢ではなかったはずだ。地球はシリウス戦役で完膚なきまでに叩き潰されていた。

人口も少なく、資源も無く、汚染された大地しか無い。フェザーンを創る財力、それを帝国に認めさせるだけの賄賂、それを地球に出す事が出来たか……。地球だけでは難しいだろう、協力者が必要なはずだ。

レオポルド・ラープの資金は同盟で調達されたはずだ。ラープは同盟政府の非公式な援助の下、資金を調達した。交易、相場、政府の援助があれば大金を儲けるのは難しくなかっただろう。

もちろん同盟の通貨は帝国では使えない。しかし貴金属、宝石類は使える。ラープは同盟で得た資金を貴金属、宝石類に代えて帝国に持ち帰った。そして帝国マルクに変え、フェザーン設立のために使用した……。

帝国暦三百七十三年、フェザーン自治領が成立する。同盟政府がフェザーン成立に関わった事は一切が伏せられた。当然だろう、もし事実が帝国に知られればフェザーンはあっという間に帝国によって滅ぼされるのだ。

フェザーンは成立以後、弱体な同盟に対し協力をし続けただろう。当時の同盟政府の為政者にとってはそれで十分だった。そしてフェザーン、地球にとっても帝国、同盟の両者を共倒れさせるためにはそれが必要だった……。

全て俺の想像だ、仮説でしかない。もしかすると真実は違うのかもしれない。しかし、地球から全ての資金が出ていたとは思えない。だとすれば……。



 

 

第二百二話 別働隊指揮官 コルネリアス・ルッツ

帝国暦 488年  1月26日  レンテンベルク要塞   イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン


貴族連合軍が辺境星域の回復に乗り出した。それ以来レンテンベルク要塞は目に見えない緊張感に、興奮に囚われている。早ければ今月中にも辺境星域で大規模な会戦が発生するだろう。

敵の総指揮官はリッテンハイム侯だ。それなりの覚悟で出てくるのだろうから油断は出来ない。おそらくは辺境星域がどちらのものになるか、その帰趨を決する戦いになるはずだ。

両軍合わせて十五万隻に及ぶ艦隊が戦うことになる。シャンタウ星域の会戦には及ばないが大会戦である事は間違いない。こちらはルッツ提督が指揮を執るがルッツ提督は今どんな気持なのか……。

ヴァレンシュタイン司令長官はルッツ提督に対して“信頼している”、“思うように戦ってください”と言ったそうだ。羨ましい事だ、それほどの信頼を司令長官から預けられるとは。

自分がその立場ならどうだろう。不安も有るだろうが昂ぶりも有るに違いない。軍人になった以上、歴史に残る大会戦に参加する、ましてやその総指揮を採るなどこれ以上は考えられない栄誉と言って良い。

此処二日ほど司令長官は考え込んでいる事が多い。最初はルッツ提督のことで不安を抱えているのかと思った。しかし不安そうな様子ではない、ただ何かを考えている。そして時々溜息を吐く。

辺境星域で起きるであろう戦いの事ではないのかもしれない、確証はないが何となくそう思えるのだ。知りたいとは思うがどう問いかければよいのか……。

司令長官は今日も要塞の司令室で椅子に座って何かを考えている。フィッツシモンズ中佐が渡す書類に決裁をしながら時折手を止め考え込んでいるのだ。そして俺を始めクルーゼンシュテルン副司令官、ワルトハイム参謀長、グリルパルツァー、クナップシュタイン少将はそんな司令長官を黙ってみている。皆司令長官の様子を気にかけている。

「何を考えていらっしゃるのです」
リューネブルク中将が躊躇いがちに司令長官に声をかけた。中将は司令長官との付き合いが長い。俺などは黙って見ているしかないが中将はそうではない。羨ましい事だ。

「……ローエングラム伯の事を考えていました」
「……」
「伯なら今頃は会戦を前に昂揚していただろうと」
「……」

瞬時にして司令室に緊張が走った。問いかけたリューネブルク中将だけではない、副官のフィッツシモンズ中佐も絶句している。皆声を出せなかった。司令長官はローエングラム伯の事を考えていた。司令長官にとってローエングラム伯とは何なのだろう。

彼の所為で命を落としかけた、にもかかわらず司令長官からは伯に対する嫌悪や侮蔑の言葉は聞こえてこない。やはり何処かで伯を処断したくないと考えているのだろうか。

「……閣下、その事は」
司令長官を諌めようとしたリューネブルク中将に司令長官は首を振って言葉を遮った。

「そうじゃないんです、リューネブルク中将。私は彼の事を惜しんでいるわけではない。いや、やはり惜しんでいるのかな」
戸惑いがちにそう言うと司令長官は俺の方を見た。

「トゥルナイゼン少将、少将は英雄になりたいですか?」
突然の質問だった。司令長官は穏やかに笑みを浮かべている。からかっている訳ではないようだ。皆の視線に困惑したし気恥ずかしさも感じたが正直に答えるべきだろう。

「なりたいと思ったことは有ります」
俺の答えに司令長官は頷いた。
「ローエングラム伯は英雄でした。彼は皇帝になろうとした。夢を見る事は出来てもそのために努力し続ける事は難しい。だが彼はそれを行う事が出来た……。軍の頂点に立ち、皇帝になる……。もう少しで玉座に手が届くところにまで行きました」

「しかし、閣下がいました」
リューネブルク中将が言葉を挟んだ。
「そうですね。私が彼の夢を阻んだ、何故そうなったのか……」


「十年前、私はこの国を変えたいと思った。同じ頃、ローエングラム伯は皇帝になろうと思った」
「……」
十年前……。司令長官は両親を殺され、ローエングラム伯は姉を後宮に連れ去られた。彼の性格では名誉に思うなどと言う事は無かっただろう。

「私はこの国を変える事が出来るのであれば彼に協力しても良いと思っていました」
「閣下! 滅多な事を言われますな! 御自身のお立場をお考えください」

周囲が唖然とする中、ワルトハイム参謀長が声を大にして司令長官を窘めた。同感だ、一つ間違えば司令長官とて反逆罪に問われかねない。だが司令長官は気にする様子もなく言葉を続けた。

「何故私達は協力する事が出来なかったのか……」
「両雄並び立たず、と言います。ローエングラム伯が英雄なら閣下も英雄です。こうならざるを得なかったのでしょう」
リューネブルク中将の言葉に俺も同感だ。帝国は二人の英雄を共存させるほど広くは無かったと言うことだ。

「英雄? 私は英雄なんかじゃありませんよ」
司令長官は心外だと言うようにリューネブルク中将に言い返した。
「軍を退役して弁護士か官僚になる事を夢見ている人間が英雄なんかの筈が無い。私はただの凡人です」

生真面目な口調だった。司令長官は本気で自分が凡人だと思っているようだ。妙な気分だった、司令長官が英雄で無いのなら俺達はなんなのだろう。思わずグリルパルツァー、クナップシュタイン少将を見た。彼らも何処と無く困惑している。

「閣下が凡人なら小官などは大凡人ですな」
ふざけたような言葉を出したのはリューネブルク中将だった。重くなりがちな空気を変えようとしたのかもしれない。もっとも笑う人間は誰も居なかった。司令長官も気にした様子もなく言葉を続けた。

「私は国を変えたいと思った。誰もが安全に暮らせる世界を作りたかった。そう、英雄など必要のない世界を作りたかったのだと思います」
「……」

司令長官がまた俺を見た。柔らかい微笑を浮かべている。
「トゥルナイゼン少将、英雄など必要ないほうが良いんです」
「……」

「英雄が必要とされる時代、そんな時代は決して良い時代じゃない。世の中に不満が有るから、矛盾が有るから、それを解決するために英雄が必要とされる。不幸な時代なんです」
「……」

「もしローエングラム伯が帝国の実権を握ったら全てを打壊し新王朝を興して宇宙を統一したでしょう。そうする事で不満や矛盾を解消したはずです。まるで叙事詩のような時代ですよ、華麗で壮麗で眩いほど輝かしい時代……。炎と流血で彩られた激しい時代です」

司令室に司令長官の声が流れた。皆黙って司令長官の言葉を聞いている。リューネブルク中将も口を挟もうとしない。
「私には受け入れられなかったでしょうね。何処かでローエングラム伯に付いて行けず反発したと思います」
「……」

「私とローエングラム伯は並び立つ事が出来なかった。でもそれは私が英雄だからじゃない。私が凡人で英雄を受け入れられなかったから、英雄など必要ない時代を作ろうとしたからです」
「……」

「凡人の、凡人による、凡人のための改革……。後世の歴史家はそう言うかもしれませんね。この改革には英雄的な要素は何処にも無かったと……」
司令長官は苦笑を漏らした。もしかすると自嘲しているのかもしれない。

「閣下の御気持は分かりました。しかし御自身を凡人だと仰るのはお止めください。我々は閣下こそが英雄だと信じているのですから」
リューネブルク中将の言葉に皆が頷いた。同感だ、司令長官が自身をどう評価しようと帝国は司令長官を中心に動いている。これこそが英雄の証ではないか。

「……そうですね、気をつけましょう。ケスラー提督にも以前同じような事を言われていますから」
「ケスラー提督にですか?」

司令長官はフィッツシモンズ中佐の問いに頷いた。そしてクスクスと笑った。
「英雄では有りませんが、その真似事ぐらいはしないと怒られますからね」
「真似事ですか、なかなか上手くやっておられると思いますが」
「リューネブルク中将、いくら中将でも失礼ですぞ」

リューネブルク中将の言葉にワルトハイム参謀長が厳しい表情で注意した。フィッツシモンズ中佐も中将を睨んでいる。リューネブルク中将が彼らを見て微かに肩を竦める仕草をした。周囲から笑いが起き、ようやく雰囲気が和んだ。もしかすると中将はこれを狙っていたのかもしれない。

俺も皆と一緒に笑いながら考えていた、英雄とはなんなのだろうと。自ら英雄たらんとする者、英雄に憧れる者、そして英雄でありながらそれを否定する者……。ローエングラム伯を、司令長官を想うとどう捉えて良いのか……。

無理に分かろうとしないほうがいいのかもしれない。俺は英雄じゃない、それだけを覚えておけば良い。大事なのはその事を残念だとは思わない事だ。司令長官が作ろうとしているのは英雄など必要としない時代なのだから。



帝国暦 488年  1月28日 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  コルネリアス・ルッツ


旗艦スキールニルの会議室には各艦隊から将官以上の士官が集まっていた。これからこの会議室で作戦会議が開かれる事になる。会議室に集まった士官はある者は興奮を、そして別な者は緊張を身に纏っている。なんとも形容しがたいざわめきにならないざわめきが会議室を支配していた。

ヴァレンシュタイン司令長官から連絡が有ってから四日、キフォイザー星系を制圧中だった別働隊は一旦作戦行動を中止。敵に出来るだけ気付かれないように情報収集を行なってきた。その結果、貴族連合軍の詳細な状況がほぼ分かった。

「定刻になった。会議を始めよう」
俺が会議の開始を告げると会議室を支配していたざわめきが消えた。皆が緊張に満ちた視線でこちらを見てくる。気圧されそうだ、腹に力を入れた。

「知っての通り、貴族連合軍が辺境星域の回復のために軍事行動を起した。兵力は約八万隻、指揮官はリッテンハイム侯爵。彼らは此処、キフォイザー星系の外縁部にまで接近している」

“リッテンハイム侯”、“八万隻”、彼方此方で囁くような声が聞こえる。既に分かっていた事のはずだが、それでもリッテンハイム侯の存在、八万隻の艦隊は重圧を感じさせるのだろう。

「敵の狙いは辺境星域の回復だが、具体的にはキフォイザー星系にあるガルミッシュ要塞を基点として辺境星域の回復を行なうだろう。当然だが我々の撃破も視野に入れているに違いない。我々はどう動くべきか、卿らの意見を聞きたい」

自分の考えは決まっている。しかし先ずは皆の意見を訊くべきだろう。十分に意見を言わせる、それによって気付いていなかった何かが見えてくるということもある。

「彼らをガルミッシュ要塞に合流させるのは面白くないな」
ワーレンの言葉に皆が頷く。そして幾分沈鬱な表情でミュラーが続いた。
「本隊同様、ガルミッシュ要塞に立て篭もられては厄介です。辺境星域の鎮定にも影響が出かねない」

ミュラーの言葉に皆が渋い表情をした。例え彼らが積極的な行動をせずともガルミッシュ要塞に八万隻もの艦隊がいてはこれまで制圧した星系も動揺しかねない。さらに彼らの撃破に時間がかかれば、それだけ辺境星域の平定が遅れる事になる。

「やはり彼らがガルミッシュ要塞に合流する前に戦いを挑むしかありますまい」
「奇襲は出来ん。となると正面からの艦隊決戦になるな」
ロイエンタール、ミッターマイヤーが口々に意見を述べた。正面からの艦隊決戦、その言葉に会議室の緊張感が高まった。

ガルミッシュ要塞はレンテンベルク要塞同様多数の偵察衛星や浮遊レーダー類の管制センター、超光速通信センター、通信妨害システムが充実している。こちらがリッテンハイム侯達に近付けば当然だがガルミッシュ要塞にも近づく事になる。

要塞に艦隊戦力は無いから挟撃される心配は無い。しかし我々の情報をリッテンハイム侯に送るだろう。つまり敵は十分な備えをして我々を待つ事になる。楽な戦いにはならないだろう。

「他に意見は無いか? これは軍議だ、遠慮はいらん。どんな些細な事でも構わない、言ってくれ」
「……」

誰も何も言わない。つまり皆決戦こそが取るべき手段と思っていると言う事か。俺と同意見だ、早期に敵を撃破し辺境星域を平定する。そのためには多少不利でも、敵が要塞に合流する前に戦うしかない。

内心ほっとした、そして同時に恥ずかしくなった。此処に居るのは帝国でも能力を認められて宇宙艦隊に配属された男達なのだ。馬鹿げた作戦案など出す訳が無い、一体何を心配しているのか……。

「敵が要塞に合流する前に撃破する。私も同意見だ。この一戦に辺境星域の支配権を賭けよう」
俺の言葉に皆が頷いた。第一関門を突破だ、これからもう一つの関門をクリアしなければならない。

「この場で布陣も決めておこう。中央に私が、左翼はロイエンタール、ミッターマイヤー提督、右翼はワーレン、ミュラー提督に御願いする。シュタインメッツ少将は予備として後方にいて欲しい」

会議室にざわめきが起きた。
「閣下、我々を予備にとはどういう意味でしょう」
問いかけてきたのはカルナップ少将だった。不満なのだろう、立ち上がっている。

「不満か、カルナップ少将」
「今回の戦い、早期撃破を目指すのであれば予備などおかず、全力で敵に向かうべきでは有りませんか」

「それは違う、予備は必要だ。予備無しでは戦局が急変したとき迅速で効果的な対応が取れなくなる」
「……」

ワーレンの言葉にカルナップが口惜しげに顔を歪めた。反論しないのはワーレンの意見が正しいと分かっているからだ。ただ感情面で納得がいかないのだろう、何故自分達が予備なのか、信頼されていないのか、もしかすると自分達は使われずに会戦は終わるのではないか……。他の分艦隊司令官達も必ずしも納得した表情ではない。

「カルナップ少将」
「はっ」
「私は卿らの能力に対して不安など感じてはいない。ローエングラム伯は何よりも無能を嫌った。その伯に抜擢されたのだ、問題は無いだろう」
「……」

「私が卿らに不安を感じるとすれば、それは卿らが功を焦らないかということだ」
「……」
「ローエングラム伯がああなった以上、焦る気持は理解できる。しかし戦場ではその焦りは味方を敗北に落としかねない」
「……」

「だから卿らの役割を予め決めておく。この戦いは何時、どのタイミングで予備を使うかで勝敗が決まるだろう。卿らの勇戦に期待している」
「閣下……、小官が浅慮でありました。お許しください」

カルナップは素直に謝罪すると腰を降ろした。ブラウヒッチ、アルトリンゲン、グリューネマン、ザウケン、グローテヴォール、いずれも表情から険しさが取れている。ようやくこれで戦えるだろう。シュタインメッツ少将が微かに目礼を送ってきた。



会議が終った後、ロイエンタール、ワーレン、ミッターマイヤー、ミュラーが俺の所に来た。

「上手く彼らをまとめる事が出来ました。お見事です」
「からかわんでくれ、ワーレン提督。柄にもないことをしたと思っているのだ」
「いや、本心から賞賛しております」
ワーレンの言葉に皆が笑った。

「まあ、彼らの気持は分かるからな。俺にもああいう時が有った、認められたいと思う時が……」
あの時、第五十七会議室に呼ばれなければ俺は未だに辺境にいるか、或いは何処かの艦隊の分艦隊司令官でもやっていただろう。

間違っても宇宙艦隊の正規艦隊司令官にはなっていなかったはずだ。認められたいと思っても誰も認めてくれなかったあの時、司令長官が俺達を認め機会をくれた。あの時の俺達と今の彼らと何処が違うのか? 何処も違いはしない……。

「彼らを予備に回す以上、正面戦力は敵より劣勢になる可能性がある。卿らには苦労をかける事になるが、宜しく頼む」
俺の言葉に僚友達はそれぞれの言葉で任せてくれと言ってきた。頼りになる男達だ、司令長官の言葉が思い出された。

“各艦隊司令官は皆信頼できる人物です。大丈夫、ルッツ提督は一人ではありません、もっと気持を楽にしてください”
その通りだ、俺は一人ではない。勝てるだろう、根拠は無いが何となくそう思えた……。

 

 

第二百三話 キフォイザー星域の会戦(その1)

帝国暦 488年  1月30日  10:00 リッテンハイム艦隊旗艦オストマルク  ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世


艦隊はキフォイザー星系に到達した。それとほぼ時を同じくしてガルミッシュ要塞から連絡が入ってきた。宇宙艦隊別働隊が接近中、敵の兵力は六個艦隊、約七万~八万隻。こちらとほぼ同数と言って良い。問題は兵の錬度だろう。

疲れた……、先程までこのオストマルクで各艦隊の司令官を呼んで会議を行なっていたが実りのないことおびただしかった。議題は当然だがどう敵と戦うかだった。まとまりが無かったのではない、皆の意見はまとまっていた。一戦して勝つ、あの根拠の無い自信は何処から来るのか……。敵は総司令官を解任されて動揺していると言っていたが本気だろうか……。

敵別働隊の新しい総司令官はコルネリアス・ルッツ大将。ヴァレンシュタインによって抜擢された男だ、シャンタウ星域の会戦にも参加している。目立った功績は無い、だが無能では無いだろう、むしろ手堅いと見るべきだ。

こちらの艦隊は一応六個艦隊から成り立っている。もっとも殆どが寄せ集めだ。それぞれ数千隻単位を率いる貴族達を大きく五つにまとめただけだ。それと私が率いる艦隊、合わせて六個艦隊……。

六個艦隊の指揮官はヒルデスハイム伯、ヘルダー子爵、ホージンガー男爵、クライスト大将、ヴァルテンベルク大将。そして私のところにはラーゲル大将、ノルデン少将がいる。

ガルミッシュ要塞に到着した後は、クライスト大将がガルミッシュ要塞司令官兼駐留艦隊司令官として要塞を維持する。そして残り五個艦隊で辺境を解放することになっている。ラーゲルがいるのは辺境星域の解放で地上戦が想定されるためだ。

もっともそこに行き着けるかどうか……。どうやら敵はこちらがガルミッシュ要塞にたどり着く前に決戦を挑んでくるらしい。積極果敢と言って良いだろう、戦意は高いに違いない。総司令官を解任された動揺など微塵も感じられない。

「腕が鳴りますな、これほどの規模の会戦に参加するのは初めてです。ようやく連中に我等の実力を見せる事が出来ます」
意気込んでいるのはノルデン少将だ。顔を紅潮させ明らかに興奮している事が分かる。溜息が出そうになった。

「ノルデン少将、哨戒部隊から何か報告はあったか」
「いえ、今のところは特にありません」
「そうか、敵はこちらに接近しつつある。先鋒のクライスト大将には十分注意するように伝えてくれ」
「はっ」

私が慎重なのが気に入らないのだろう、幾分不満げに頷き指示を出すためにオペレータの方に向かって歩き出した。彼はこの戦いが終わったら、父親から家督を受け継ぎ子爵家の当主になるのだと言う。父親は内務省の次官まで務めた男だ、私も知っているがなかなかの人物だったと記憶している。

狡猾で強かで抜け目無い男だった。地位を利用してかなり私腹も肥やしただろう。貶しているのではない、褒めている。そのくらいの悪党でもなければ内務省という巨大官庁で次官など務まる筈が無い。

そんな父親から見てノルデン少将は不出来な息子らしい。三十代半ばで少将ならまずまずだとは言える。しかし彼は宇宙艦隊の正規艦隊に所属していない。その事が父親にとっては不満のようだ。

宇宙艦隊はミュッケンベルガー元帥が退役後、大幅な人の入れ替えがあった。主としてそれはヴァレンシュタインによって行なわれたものだが、新たに宇宙艦隊に配属された人間達は身分や縁故ではなく実力で選ばれた。そしてノルデン少将はその人選から漏れた……。ノルデン少将も彼の父親もその事に大いに不満を持っている。

ノルデン少将がこの内乱に参加したのはヴァレンシュタインに対する反発もあるが、この内乱で武勲を挙げ周囲に自分の実力を認めさせてから家督を継ぐ、そういう思いもあるようだ。父親を見返したいのかもしれない。

もっともこちらにとってはヴァレンシュタインが登用しなかったという一点で何処まで信頼して良いのかという不安を持たざるを得ない。もちろん登用されなかった人間にもグライフスのような頼りになる人間も居る。先入観は持つべきではないのだろう。しかし、ノルデンに対する不安は日ごとに募りつつある。今更だがブラウラー、ガームリヒに傍に居てくれればと思った。

「閣下」
私に声をかけてきたのはクラウス・フォン・ザッカートだった。古くからリッテンハイム侯爵家に仕える男で歳はもう七十に近い。にもかかわらず髪は黒々としている。不思議な男だ。

「何だ、ザッカート」
「あまり、考え込まぬ事です」
「表情が暗いか」

ザッカートは黙って頷いた。リッテンハイム侯爵家の軍はこの男が押さえている。軍では三十歳前後で少将まで進んだが、その後退役しリッテンハイム侯爵家の艦隊を預かってきた。この男が居る限り艦隊に不安は無い。軍を退役した理由は分からない。一度尋ねたが沈黙したままだった。何となく気圧される思いで、そのままにしている。

敵と接触したと哨戒部隊から報告があったのは五時間ほど経ってからだった。
「敵との交戦まで後どのくらいの時間がある?」
「両軍がこのまま進めば三時間後でしょうか」
「そうか……、一旦全軍を止めよう」

私の言葉にノルデンはちょっと驚いたような表情を見せた。
「厳しい戦いになるからな、二時間ほど休息を取らせよう。食事も許可する、但し飲酒は不可だ。戦場で酔われては戦えんからな」
「承知しました」

ノルデンが命令を下すためにオペレータのところへ行くのと入れ替わるようにラーゲル大将がやってきた。
「敵と接触したそうですが?」

黙って頷くと“そうですか、いよいよ決戦ですな”と言って体をブルッと震わせた。武者震いと言うのはこれか、そんな事を考えていると戻ってきたノルデン少将と二人で興奮気味に話し始めた。根拠の無い勝利の確信、聞いているのが辛い。

「すまんが私も少し休ませて貰う。卿らも適当に休んでくれ」
「はっ」
「ザッカート、後で部屋にきてくれ、三十分ほど後でいい」
「はっ」

私室に戻り、ソファーに座って敵とどう戦うか考えた。味方は寄せ集めだ、おまけに指揮能力は必ずしも高くない、いや低いだろう。クライスト、ヴァルテンベルク大将は軍人とはいえ指揮下の分艦隊は貴族が率いているのだ。指示通りに動けるかどうか……。

ガイエスブルク要塞に篭ったのもそれが有るからだ。敵が押し寄せてくる間に艦隊行動を習熟させるつもりだった。連日のように訓練させたが何処まで使える様になったか、正直なところ不安がある。

ザッカートが来た。無愛想な男だ、“何か用ですか”とも言わない。だが今はそれが心地よかった。無言で正面のソファーを示すとザッカートも無言で座った。

「戦闘の中で細かい艦隊運動は出来まい。一つ間違うと混乱して敵に付けこまれかねん」
「そうですな」
「となると、正面からの力押しの一手になる」
ザッカートが無言で頷いた。

「……中央に我等をその両側をクライスト、ヴァルテンベルクを持ってくる。ヘルダー子爵、ホージンガー男爵はその外側において、ヒルデスハイム伯を予備にしようと思う」
ザッカートは今度は眉を上げただけだった。

「私とクライスト、ヴァルテンベルクの中央が敵を突破すれば我等の勝ち、突破する前に両翼を崩されればこちらの負けだ。その場合は、最後尾で味方の撤退を援護する事になる」
多分そうなるだろう、ザッカートも同じ思いなのかも知れない。大きく頷いた。

「クライストとヴァルテンベルクがどれだけ頼りになるかは分からん。なんと言っても味方殺しだからな。しかし、仮にもイゼルローン要塞で最前線を任されたのだ、ヘルダー子爵やホージンガー男爵、ヒルデスハイム伯よりはましだろう」

私の言葉にザッカートは頷いていたが、ふと笑顔を見せた。
「そうですな、それに予備などにしては後ろから撃たれかねませんからな」
思わずその言葉に笑いが起きた。笑い事ではないのだが笑うしかない、

「酷い事を言う奴だな、他に何か注意すべき点は有るか?」
「いえ、私からは何も有りません」
「そうか……」
「ご安心ください、閣下を失望させるような戦いはしません。御約束します」
「うむ。頼むぞ」

ザッカートは、ソファーから立ち上がると一礼して部屋を出て行った。彼には全てを話してある。最後尾で味方を逃がすためにはこの男の指揮が必要だ。“すまぬが、私と共に死んでくれ”その言葉にザッカートは何も言わずに笑顔を見せた。いぶかしむ私に“なかなか華々しい最後になりそうですな”と嬉しそうに言ってくれた。その笑顔に何も言えなかった。ただ“すまぬ”と言って頭を下げる事しか出来なかった……。

門閥貴族としての生き様を貫いて欲しいか……。ヴァレンシュタイン、どうやら卿の願い通りの死に方が出来そうだ。覚悟は出来ている、この私の死で味方が一つに纏まってくれるのならこれ以上の死に様、いや生き様は有るまい……。



帝国暦 488年  1月30日  20:00 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  コルネリアス・ルッツ


指揮官席に座りながら眼前のスクリーンを見ていた。そこには敵の大艦隊が映っている。正面戦力は五個艦隊、後方に予備が一個艦隊だ。陣形そのものはこちらと大差ないものになった。だが予想外の事が有る。敵の中央の艦隊は一際規模が大きい、二万隻以上有るだろう。おそらくはリッテンハイム侯が率いる艦隊だ。

どうやら俺があの艦隊の攻撃を受け止める事になりそうだ。厳しい戦いになるだろう。だが残りの艦隊はそれぞれこちらの方が兵力は大きいようだ。つまり中央を突破されるか、防ぎきって敵を両翼から崩す事が出来るかの勝負になると見ていい。

かなり押し込まれるだろう、危険な状態になるかもしれない。両隣に居るワーレン、ロイエンタールと連携をとって艦隊陣形をV字型にする。いや自然とそうなるだろう。そこで耐える。俺に出来る事は耐える事だけだ。

後はミッターマイヤーとミュラーが敵の両翼をどれだけ叩けるかだ、そしてシュタインメッツの投入時期。敵も予備を用意している、投入時期が勝負を分けるかもしれない。

「敵との距離、百光秒」
オペレータの声は緊張を帯びていた。艦橋の空気がその声に応えるかのように重苦しいものになる。俺の傍にはフロイライン・マリーンドルフが居る。表情が青褪め強張っていた、そしてスクリーンを睨むように見ている。初陣でこれだけの大艦隊が辺境星域の支配権を賭けて雌雄を決するのだ、緊張も恐怖も有るだろう。

この戦いが始まる前、彼女には艦から降りるように勧めた。彼女は軍人ではない、艦から降りる事は決して不名誉にはならない。だが彼女は俺に感謝を述べつつも退艦する事を拒んだ。“自分は自分の意志で此処に残る事を選びます。味方を見捨てて逃げる事は出来ません”。

伯爵家の次期当主に万一の事が有ってはマリーンドルフ伯に申し訳のしようが無い、そう言って退艦を進めたが“別働隊に同行している以上、父も覚悟はしています”そう言って彼女は笑みを浮かべるだけだった。

負けられない、傍にいるフロイライン・マリーンドルフを見て思った。もし負けたらどうなる? 彼女は最後をも共にしようとするだろう……。また一つ背負う物が増えた。

地位が上がり、権限が大きくなるに伴い、背負う物も重くなる一方だ。此処には両軍合わせて十五万隻、千五百万を超える兵力が集まっている。そして俺の命令一下、生死を賭けて闘うことになるのだ。

士官学校時代が懐かしい……。あの頃は無邪気にシミュレーションで優劣を競うだけで良かった。自分の指揮で兵が死ぬという事を悩まずにすんだ。そして戦場に出てからは無茶な命令を出す上級司令部を罵るだけでよかった。だが今は自分がその上級司令部なのだ、誰を罵る事も出来ない。

ヴァレンシュタイン司令長官もメルカッツ提督も、そしてローエングラム伯もこの重さに耐えてきたのだろうか、耐えられ続けるものなのだろうか? そして俺は……。ミュッケンベルガー元帥の事を思い出した。元帥の威厳溢れる姿と心臓を患ったこと……。

「敵軍、イエローゾーンを突破しつつあります」
微かに震えを帯びたオペレータの声が戦闘が間近である事を告げた。艦橋の空気はさらに緊迫する。余計な事は考えるな! 今は勝つ事だけを考えるのだ!

「敵、完全に射程距離に入りました!」
「撃て!」
俺の命令とともに数十万というエネルギー波が敵に向かって突進していった。そして同じように敵からもエネルギー波がこちらに向かってくる。辺境星域の支配権を賭けた戦いが始まった……。



 

 

第二百四話 キフォイザー星域の会戦(その2)

帝国暦 488年  1月30日  22:00 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ



開戦から二時間が経ったが戦況は良くない。戦術コンピュータに映る彼我の陣形はV字型になっている。味方は一方的に押されているのだ。その所為だろう、艦橋の雰囲気も険しいように感じられる。ヴェーラー参謀長、副官のグーテンゾーン大尉の表情も決して明るいとは言えない。

なんと言っても正面の敵が強力すぎるのだ。兵力はこちらの倍近く有る、それにどうやら錬度も高いらしい。開戦直後、ルッツ提督が“手強いな、意外に整然と攻撃してくる、もう少しムラが有るかと思ったのだが”と呟いていた。

私には敵の数が多い事は分かるが兵の錬度は分からない。それでも敵に勢いが有る事は分かるしスクリーンに映る敵に圧倒されそうな思いも感じている。ルッツ提督も同じような思いを抱いているのかもしれない。

先程までルッツ提督の瞳は藤色の彩りを帯びていた。興奮するとそれが出るとは聞いていたが私は初めて見た。しかし今ではいつもの青い瞳に戻っている。戦局は決して有利ではないが、ルッツ提督は落ち着いている。まだまだこれからが勝負と言う事だろう。

「フロイライン、心配かな」
「少し不安です。申し訳有りません、閣下の指揮を疑うわけではないのですが……」
「構わんよ、初陣でこれでは不安になるのが当たり前だ。これで不安が無いと言われたら逆にこっちが不安になる。この人は大丈夫だろうか、とね」

そう言うとルッツ提督は朗らかに笑い声を上げた。思わずこちらも笑ってしまう。釣られた様にヴェーラー参謀長、グーテンゾーン大尉も笑い声を上げた。

周囲が私達を見ているのが分かった。呆れたような表情をしているような人間も居れば、安心したような表情の者も居る。だが艦橋の雰囲気は明らかに険しさが消えた。

「指揮官と言うのは楽ではないな。味方を落ち着かせるために劣勢でも余裕の有る振りをしなければならん」
ルッツ提督が小声で話しかけてきた。どうやら先程の笑い声は演技だったらしい。それでも演技が出来るだけましだろう。

「敵は意外に連携が良い、誤算だった。引きずり込んで両翼を叩けば勝てると思ったのだが……」
「上手く行かないのですか?」

私の問いにルッツ提督は頷いた。だがそれ以上は話そうとしない。代わりにヴェーラー参謀長が戦術コンピュータのモニターを指差しながら現状を説明してくれた。

「敵の正面はリッテンハイム侯です、その両脇を敵から見て右隣にクライスト、左隣にヴァルテンベルクの両大将が固めています。さらにその外側に居るのがヘルダー子爵、ホージンガー男爵、予備にヒルデスハイム伯です」
ヘルダー子爵はクライスト大将の右、ホージンガー男爵はヴァルテンベルク大将の左隣になる。

「リッテンハイム侯の兵力が多いため、我々はどうしても両隣にいるロイエンタール提督、ワーレン提督の支援を必要としています。その所為で両提督は正面のクライスト、ヴァルテンベルク大将を抑えきれない。その分だけ余力を持った彼らはヘルダー子爵、ホージンガー男爵を上手くフォローしているのです」

なるほど、そういうことか……。だからミッターマイヤー提督もミュラー提督も敵を崩せずにいる。ルッツ提督が“敵は意外に連携が良い”と言う訳だ。しかしこれから先、どう現状を打開するのか……。

「味方殺しと侮ったつもりは無かったが、何処かで過小評価していたのかもしれん。考えてみれば帝国の最前線を任された軍人なのだ。無能であるはずが無いな」
ルッツ提督が戦術コンピュータのモニターを見ながら話した。何処と無く忌々しげな口調だ。自分に対して怒っているのかもしれない。

「やはりもっと引き摺り込むしかないな。リッテンハイム侯、クライスト、ヴァルテンベルクを更にこちらに引き寄せる。そうなればヘルダー子爵、ホージンガー男爵を支援する事も出来なくなるだろう」

「しかし閣下、より引き摺り込むとなれば彼らを勢いづかせかねません。今でさえ我々は敵の圧力に苦しんでいるのです。彼らが勢いに乗って攻め寄せてくれば危険です」
「参謀長の仰るとおりです。むしろ予備を使うべきではありませんか」
ヴェーラー参謀長、グーテンゾーン大尉が口々に反対する。

「今の時点で予備を使えばこちらが苦しいと敵に教えるようなものだ。余り良い手とは言えない」
「……」
「クライスト、ヴァルテンベルクがこちらに押し寄せる。望むところだろう、参謀長。そのときこそヘルダー子爵、ホージンガー男爵を撃破するチャンスだ。ミッターマイヤーもミュラーもそれを逃すような凡庸な指揮官ではない。それに合わせて予備を動かそう」

ルッツ提督が落ち着いた口調でヴェーラー参謀長を説得した。
「……分かりました。小官は閣下の御判断に従います。ただし事前に各艦隊司令官に説明をしたいと思います。よろしいでしょうか?」

「いや、駄目だ。敵に傍受される危険がある。参謀長、彼らを信じるんだ!」
力強い、自らに言い聞かせるような口調だった。ルッツ提督は賭けに出ようとしている。ヴェーラー参謀長も覚悟を決めたのかもしれない。大きく頷いた。
「分かりました。艦隊を後退させましょう」



帝国暦 488年  1月30日  23:00 リッテンハイム艦隊旗艦オストマルク  クラウス・フォン・ザッカート



「敵、後退します」
ノルデン少将が弾んだ声を出した。ラーゲル大将が嬉しそうに頷いている。
「リッテンハイム侯、今こそ予備を使うときです。敵の側面を突く、或いは後方にまわらせれば勝敗は決しますぞ」

「ノルデン少将、敵にも予備が有ることを忘れるな」
「敵は戦意が有りません。見ての通り後退し続けています。敵の予備など恐れるに足りません」
「予備を使うのは後だ、今は敵を押し込め」

リッテンハイム侯はノルデン少将の意見を却下した。ノルデンは不満そうにしている。ラーゲル大将は沈黙したままだ、艦隊戦は素人だ、口を出すべきではないと考えているのだろう。

リッテンハイム侯が俺を見ている、微かに俺が頷くと侯が頷き返してきた。もしかすると侯にも迷いが有るのかもしれない。侯の判断は間違ってはいない、まだ敵には余力がある。今予備を動かせば、当然敵も予備を動かすだろう。敵の予備は約一万五千隻、こちらは約一万隻、兵力と言い錬度と言い圧倒的な差がある。

予備同士がぶつかればあっという間に撃破されるだろう。ノルデンは味方が優勢に戦闘を進めているため、その辺りが見えなくなっている。分かっていた事だがノルデンの戦術能力はかなり低い、頼りにならん小僧だ。

「リッテンハイム侯」
「何だ、ザッカート」
「敵の狙いはヘルダー子爵、ホージンガー男爵の艦隊でしょう。我々とクライスト、ヴァルテンベルク大将の三個艦隊を引き寄せ、ヘルダー子爵、ホージンガー男爵を孤立させた上で撃破しようとしている」

「うむ、私もそう思う」
「クライスト、ヴァルテンベルク大将の艦隊に彼らを支援させ、正面の敵は我々だけで押し込むべきかと思いますが」
俺の言葉にノルデン少将が反対した。

「馬鹿な、それでは我々は敵中深くに孤立するではないか。リッテンハイム侯、今こそ予備を使うべきです」
馬鹿が! 黙っていろ小僧! 今説明してやる。

「我々が敵の本隊を押せば、敵は耐え切れずに両隣の艦隊に支援を求めるでしょう。そうなれば敵の両端は孤立します。予備を使うのはその時です」

元々は中央の三個艦隊で敵を押し込むつもりだった。だがクライスト、ヴァルテンベルク大将が意外に良くやる。ヘルダー子爵、ホージンガー男爵の艦隊を援護しつつ正面の敵を押しているのだ。そのため味方の両端の艦隊は戦線を維持し続けている。

このままの流れを維持すべきだ。敵の中央はルッツ提督だろうが、彼だけでは我々を抑えきれない。当然両脇の艦隊の支援を必要とするはずだ。敵の中央の三個艦隊は連携を強めようとすればその分だけ敵の両端の部隊は孤立する。

クライスト、ヴァルテンベルクがヘルダー子爵、ホージンガー男爵を支援して彼らを押さえ込む。機を見て予備を動かし右翼か左翼のどちらかを包囲して殲滅する。敵も予備を動かすだろうが、そこは時間との勝負だ。遣り様は有る。

両軍はV字型になりつつある。お互いに予備は本隊の後ろに置いているが、本隊が押し込まれている分だけ敵の予備は両翼からは遠くにある。更に強く押し込めば良い。

包囲される分だけこちらも損害は出る。だがそこは耐えなければならない。V字型の陣が縦長になるほど、こちらの予備のほうが先に敵を攻撃できる位置に着く。予想外の事だが勝機は十分にあるようだ。ただ向こうもそれなりの対応策を取ってくるだろう、油断は出来ない。

面倒では有るが噛んで含めるようにして説明した。ノルデンは“危険だ”、“予備を使うべきだ”とぶつぶつ言っているが、以前より語調は弱い。どうやらこの男は臆病なようだ。耐える事が出来ない、だから勝負を早く付けたがるのだろう。敗戦となれば誰よりも先に逃げ出すに違いない。所詮は貴族のボンボンだ。

「ザッカートの言う通りだ。敵の中央は我等で押し込もう」
リッテンハイム侯がそう言った時だった。オペレータが驚いたような声を上げた。

「ヒルデスハイム伯の艦隊が動きます!」
「馬鹿な、何を考えている……」
呆然とするリッテンハイム侯の声が艦橋に流れる中、喜色に溢れたノルデン少将の顔が見えた。


帝国暦 488年  1月31日  0:00 ヒルデスハイム艦隊旗艦アイヒシュテート  ロタール・フォン・ヒルデスハイム


「閣下、リッテンハイム侯より通信です。スクリーンに投影します」
オペレータの声とともにスクリーンにリッテンハイム侯の姿が映った。
『ヒルデスハイム伯! 何を考えている、元の位置に戻るのだ!』

「戻れません。今こそ私の手で勝利を確定するのです!」
『馬鹿な、もう少しで勝てるのだ、もう少し待て!』
「もう少しで勝てる? 今勝っているでは有りませんか、何を待つのです。通信を切れ」

通信が切れると同時にオペレータが心配そうに問いかけてきた。
「閣下、よろしいのでしょうか」
「構わん、これ以上黙って見ている事などできん。私の手で勝利を確定するのだ! そうなればリッテンハイム侯も文句は言わん」

そう、私の手で勝利を確定するのだ。大体何故私が予備なのだ。予備ならヘルダー子爵、ホージンガー男爵のどちらかで十分だ。私こそ最前線で戦い、勝利をもたらす人間だ。それなのに予備? おまけにもう少し待て? 待っていたら戦闘は終わっているだろう。私に武勲を立てさせないつもりなのだ、連中は。そんな事は断じて許さん。私こそがこの戦いで英雄になるべきなのだ。


帝国暦 488年  1月31日  0:00 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  コルネリアス・ルッツ


「敵、予備部隊を動かします」
「何!」
オペレータの声に戦術コンピュータのモニターを見ると確かに敵は予備部隊を動かしている。我が軍の右翼を攻撃しようとしているようだ、どういうことだ? 勝機だと思ったのか?

「閣下、こちらも予備を動かしましょう」
「そうだな、参謀長、シュタインメッツ少将に連絡してくれ。敵の予備部隊を攻撃し、撃破せよ。その後は敵の後背を突けと」
「はっ」

「どういうことだ、何故予備を動かす」
思わず言葉が出た。どうにも納得がいかない。此処までの敵の動きは忌々しいが見事としか言いようが無い。なかなか反撃のタイミングが掴めなかったのだ。それなのに何故、今予備を動かす……。俺の疑問に答えをくれたのはフロイライン・マリーンドルフだった。

「おそらくヒルデスハイム伯の独断でしょう」
「独断?」
訝しむ俺にフロイラインは落ち着いた口調で言葉を続けた。

「彼は我儘で自制心が無く虚栄心の塊のような人物です。自分の手でこの戦いの勝利を確定しようとしているのだと思います。寄せ集めの軍の弱点が出ました」

「貴族連合の弱点が出たか、リッテンハイム侯も不運だな」
「私もそう思います」
俺の言葉にフロイラインが頷いた。勝利が見えてきた、本来なら喜ぶべきなのだろう。しかしリッテンハイム侯にとっては命運を賭けた一戦の筈だ。素直には喜べなかった。彼女も同様なのだろう、何処と無く表情が沈んでいる。

彼女も貴族の一員なのだ、自分と同じ立場の人間が実力以外の部分で敗北を喫しようとしている。複雑な気持なのだろう。だがそんな彼女に好感が持てた。もし彼女が喜びを露わにしていたら、俺は彼女の才は認めても人格には不快感を感じたかもしれない。

当初予想した展開とは違うがどうやら勝機が見えてきたようだ。しかも敵が勝機をくれた……。妙な話だ、これほどの大会戦でこんな事が有るのか。釈然としないものを感じながら、後はシュタインメッツ少将の手腕が全てを決めるだろうと思った……。


 

 

第二百五話 キフォイザー星域の会戦(その3)

帝国暦 488年  1月31日  1:30 リッテンハイム艦隊旗艦オストマルク  クラウス・フォン・ザッカート


目の前のスクリーンにヒルデスハイム伯の艦隊が敵の予備部隊に崩されていく様子が映っている。艦隊はまだ陣形を留めているがそれも時間の問題だろう。

ヒルデスハイム伯は敵との接触後、三十分ともたず戦死した。元々兵力も錬度も違うのだ、当然の結果と言えるだろう。だからもう少し待てと言ったのだ、愚か者が!

艦橋は凍りつきそうな空気に包まれている。皆負けた事が、負けつつある事が分かっている、先程までの優勢があっという間に崩れようとしている。ノルデンもラーゲルも蒼白になって沈黙している。

「ザッカート」
「はっ」
リッテンハイム侯が俺に話しかけてきた。侯の表情には微かに笑みがある。

「これまでだな、或いは勝てるか、とも思ったが所詮は夢であった……」
「……」
「だが、夢を見る事が出来ただけでも良しとすべきか……」
「侯……」

「ノルデン少将、各艦隊司令官と通信を繋げ」
ノルデンが各艦隊と連絡を取り始めた。そしてスクリーンに緊張した表情のクライスト、ヴァルテンベルク、そして蒼白になったヘルダー子爵、ホージンガー男爵が映った。

「これまでだ、間も無くヒルデスハイム伯の艦隊は壊滅するだろう。そうなれば敵の予備部隊が後ろに回り込むのは間違いない。そうなる前に撤退する」
『撤退ですか、しかし簡単には行きますまい』
クライスト大将が困惑した声を出す。ヴァルテンベルクが厳しい表情で頷いた。ヘルダー子爵、ホージンガー男爵は無言のままだ。

「私が最後尾を務める。クライスト、ヴァルテンベルク、卿らはヘルダー子爵、ホージンガー男爵を助けてガイエスブルク要塞に撤退せよ」
『お待ちください、それは小官が務めます。侯はガイエスブルク要塞にお退きください』

「駄目だ、ヴァルテンベルク大将。それではホージンガー男爵が孤立する、敵の追撃を防ぎきれん。卿はホージンガー男爵を助けて撤退せよ」
『しかし、それでは侯が』

言いかけるヴァルテンベルク大将を侯が一喝した。
「聞け! 私の艦隊が一番兵力が多い、それに敵中奥深くにある。私が最後尾を務めるのが妥当だ。それに総司令官たるもの、攻める時は先頭に、退く時には最後尾を務めるべきであろう」

『閣下……』
ヴァルテンベルク大将が絶句した。クライスト、ヘルダー子爵、ホージンガー男爵は何かに撃たれたかのように硬直している。

「この戦いは本当なら勝てる戦いだった。ヒルデスハイム伯の身勝手な愚行さえ無ければ勝てたのだ。卿らはガイエスブルク要塞に戻り、もう一度力を合わせて戦うのだ。そして勝て!」

『……ヴァルテンベルク大将、侯の指示に従おう』
『クライスト……。分かりました、サビーネ様にお伝えする事は有りませんか』
「無用だ、ヴァルテンベルク大将。あれとは既に別れを済ませてある」
『!』

「全軍、撤退せよ!」
『はっ」
スクリーンに映る男達が全員侯に対して敬礼した。これから撤退戦が始まる。これからが本当の戦だ。


帝国暦 488年  1月31日  2:00 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  コルネリアス・ルッツ


勝った。こちらの予備が敵の予備を粉砕しつつある。シュタインメッツ少将の采配は見事だ。このまま行けば敵の後背に出るのも間近だろう。艦橋の空気は先程までとは一変している。表情も皆明るい、フロイライン・マリーンドルフの顔にも笑みがある。

「閣下、敵は撤退し始めました」
「うむ。参謀長、全軍に命令。反撃せよ」
「はっ。全軍に命令、反撃せよ」
ヴェーラー参謀長の言葉にオペレータ達が攻撃命令を出し始めた。

敵の両翼が少しずつ後退を始める。それと同時にミッターマイヤー、ミュラー艦隊が前進を始めた。だがこちらは動けない……。戦術コンピュータのモニターは貴族連合軍の両翼が後退をし始め、中央の艦隊が敵中に踏みとどまる、いや更に前進しようとしている状況を示している。

「閣下、これは」
困惑した表情でヴェーラー参謀長が問いかけて来た。何が起きているかは分かっている、ヴェーラー参謀長も判っているはずだ。だが自分の目で見ても信じられない。

「リッテンハイム侯自ら殿を務めるらしい。どうやら死ぬ気の様だな」
「死ぬ気? リッテンハイム侯がですか」
フロイライン・マリーンドルフが愕然とした表情でモニターを見ている。

「そうだ。敵の両翼は後退しつつあるが、リッテンハイム侯の本隊はむしろ前進しようとしている。こちらとしてはリッテンハイム侯に対応するためにはワーレン、ロイエンタールの支援が必要だ。つまり撤退する敵の両翼、四個艦隊を追うのはミッターマイヤー、ミュラーの二個艦隊になる」

フロイライン・マリーンドルフが戦術コンピュータのモニターを見ながら頷いている。
「つまり、効果的な追撃は出来ないと?」
「その通りだ」
「ですが、予備がミュラー提督に合流すれば」

「彼らが合流する頃には敵も合流するだろう。ミッターマイヤー提督が合流して兵力はようやく互角だ」
「ならば……」
彼女の言いたい事は分かる。互角ならば追撃するべきだと言うのだろう。だが今回はそれが出来ない。

「リッテンハイム侯は死ぬ気だ。艦隊の一部を分けてミュラー達の後ろを突かせるという事もありえる。そうなれば彼らは前後から攻撃を受けて大損害を受けるだろう。最悪の場合、勝利をひっくり返されかねない」
「!」

フロイライン・マリーンドルフが驚愕の表情で俺を見た。考えすぎかもしれない。しかしリッテンハイム侯は死ぬ気だ。今の侯ならどんな非常識な事でもやってのけるだろう。油断は出来ない。

「分かるかな、フロイライン。効果的な追撃は出来ない、してはならないのだ。ならば最初からリッテンハイム侯の包囲殲滅を狙うべきだろう。そしてそれこそがリッテンハイム侯の目論見だ。自らが犠牲となり四個艦隊を逃がそうとしている」

フロイライン・マリーンドルフが頷いた。戦闘には勝ちつつある、だが最後までリッテンハイム侯にしてやられたようだ。苦い勝利だ、こんな苦い勝利を味わうことも有るのか……。



帝国暦 488年  1月31日  3:00 リッテンハイム艦隊旗艦オストマルク  クラウス・フォン・ザッカート



「敵予備部隊、我が軍の後背を塞ぎます」
「そうか、ザッカート、一部隊を後方の防御にまわせ」
「はっ」

オペレータの緊迫した声が艦橋に響いた。これで我が軍は前後左右を全て敵に塞がれた事になった。状況は良くない、味方は既に二万隻を割り一万五千隻ほどになっている。だが指揮官席に座るリッテンハイム侯は動じる事も無く戦況を見、艦隊に指示を出している。

敵の総司令官、コルネリアス・ルッツは撤退する味方を追わず、こちらに戦力を集中してきた。もし味方を追撃するようなら乾坤一擲、こちらの一隊をもって敵の後ろを突き崩してやったのだが。そうなれば勝利の女神はどちらの腕を取るか未だ分からなかったはずだ。

派手さは無いが堅実で隙の無い用兵をする男だ。出来る事と出来ない事を見極めて出来る事を確実に行う、こういう男は手強い。総司令官に任命されたのもその堅実さを買われたのだろう。

「ザッカート、ノルデンとラーゲルは無事逃げたかな」
包囲される直前の事だが、リッテンハイム侯はノルデン少将、ラーゲル大将を艦から退去させた。顔面蒼白になって震えている二人にうんざりしたらしい。侯の二人に対する言葉は“興醒めだから出て行け”というものだった。

「さて、運が良ければ逃げたでしょうが」
「運が良ければか? この戦に加わったのだ、余り運は良さそうには見えぬな」
そう言うとリッテンハイム侯は笑い出した。全く同感だ、戦死したか、捕虜になったかだろう。

「ところでザッカート、味方はもう十分に逃げたか?」
「後三十分と言いたい所ですが、欲を言えばさらに一時間は欲しい所です」
俺の答えにリッテンハイム侯はまた笑い出した。

「一時間か? そいつは有り難いな。負け戦の楽しさがようやく分かってきたところだ。後二時間でも構わんぞ」

見事だ! 思わず笑い声が出た。八万隻、四倍以上の大軍に囲まれているのだ。後一時間持たせる事が至難の事だとは侯自身も分かっているだろう。その上でその言葉を言うか!

「惜しいですな、侯」
「ん、何がだ?」
「侯が軍人としての道を歩んでおられれば、天晴れ名将となられたでしょうに」

俺の言葉にリッテンハイム侯は少し驚いたような表情を見せたが直ぐ破顔した。
「卿に褒められるのは初めてだな。ますます負け戦が楽しくなってきたわ」

嬉しそうなリッテンハイム侯を見ながら思った。この内乱が始まるまでは正直主君としては物足りなかった。だが今なら迷う事無く忠誠を誓える。共に生きるのには不満な主君だったが、共に死ぬには不足の無い主君か、大神オーディンも味な事をするではないか!

リッテンハイム侯が楽しそうに指揮を執っている。俺が口を出すまでも無い、的確な指示だ。

五十年前、妻と出会った。爵位もない貧乏貴族、食うために軍人になった俺と男爵家の末娘、つりあう筈の無い男女だった。だが愛し合い、離れられぬと思ったとき、選ぶ道は死しかなかった。あの時、先代のリッテンハイム侯に偶然出会わなければ、俺達は心中していただろう。

先代リッテンハイム侯のとりなしにより俺達は一緒になる事が出来た。それからはがむしゃらに仕事をした。妻に相応しい男になるために、先代リッテンハイム侯の好意にこたえるために。そして二十八歳で将官になり、三十歳になる前に少将になった。ようやく妻にも楽をさせてやれる。人前に出ても恥ずかしい思いをさせずにすむ……。

そんな時に妻が病気になった。不治の病だった。俺は軍を退役し、彼女に残された時間を共に過ごした。それしか俺に出来る事は無かった。彼女の最後の言葉は“ごめんなさい”、“有難う”だった。

何故謝る? 謝るのは俺の方だ、お前に不自由な思いをさせ続けた。何故礼を言う? 礼を言うのも俺の方だ、お前が居たから俺はここまで這い上がる事が出来た。お前が居たから今の俺がある。

妻が死んだ後はリッテンハイム侯爵家に仕えた。妻を失った俺に残っているのはリッテンハイム侯爵家への恩返しだけだった。それだけが俺が生き続ける理由だった。それが無ければ俺は妻の後を追っていただろう。先代リッテンハイム侯は何も言わず俺を受け入れた……。

突然オストマルクに衝撃が走った。激しい震動に足をとられ横転する。強かに腰を打った。年寄りには結構きつい。
「左舷被弾」
オペレータが叫ぶように報告する姿が見えた。

「ザッカート! 大事無いか」
「何のこれしき、戦はこれからですぞ。寝てなどおれませんわ」
立ち上がりながら返した俺の答にリッテンハイム侯は大きな笑い声を上げた。

「その通りだ、ザッカート。これからが本当の勝負よ、奴らが根負けするまで戦ってやるわ」
意気軒昂に話す侯に俺は頷いた。その通りだ、その覚悟無くして負け戦は出来ん。

「被害状況を報告しろ、どうなっている」
「左舷に被弾しましたが、エンジン出力、航行、戦闘、いずれも支障ありません。それと各艦より司令部の安否を問う通信が入っております」
俺の問いにオペレータが答えた。大丈夫だ、まだ戦える。

オペレータの答えを聞いたリッテンハイム侯が指揮官席から立ち上がった。
「全艦に命令! ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世は健在なり、怯むな、反撃せよ! 撤退する味方を援護するのだ!」



帝国暦 488年  1月31日  4:00 ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  コルネリアス・ルッツ



リッテンハイム侯は頑強に抵抗している。既に侯の艦隊は一万隻を割っているが戦意は全く衰えていない。見事としか言いようが無い。味方を逃がすためとは言え此処まで戦う事は簡単なことではない。俺がその立場なら何処まで戦えたか……。

「参謀長、リッテンハイム侯との間に通信を開いてくれ」
「降伏を勧告されますか」
俺が頷くとヴェーラー参謀長はオペレータに敵との間に回線を繋ぐように命じた。

正面のスクリーンにリッテンハイム侯が映った。負傷しているらしい、頭部に包帯を巻いている。だが表情には笑みが、そして目には強い光が有る。簡単に降伏する男の表情ではない。気が重くなった。

「別働隊総司令官、コルネリアス・ルッツ大将です」
『うむ、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵だ』
「降伏していただきたい。そちらの味方は十分に距離を稼いだ。我等がこれから追撃しても追いつく事は出来ません。これ以上の戦は無用でしょう」
俺の言葉に侯はさして感銘を受けた様子は無かった。やはり簡単に降伏はしないようだ。

『卿の言う通りではあるが降伏は出来ぬな』
「何故です」
『一旦反逆した以上、頂点に立つか然らずんば死かだ。その覚悟は出来ている。降伏して生き延びるなど、卿は私を侮辱しているのか?』
「……」

そんなつもりは無い、しかしこれ以上の戦闘は無益なのだ。付き合わされるこちらの身にもなってもらいたい。殲滅戦など何処かで降伏してもらわなければ気が重いだけだ。スキールニルの艦橋の雰囲気は重苦しいものになっている。まるでこちらが負けているかのようだ。

『それに私は戦争を楽しんでいるのだ、降伏は出来ぬ。ルッツ提督、もう少し付き合ってもらおうか』
「しかし、それでは無駄に将兵が死ぬ事になりますぞ。将兵を救うのも指揮官の務めでは有りませんか」

俺の言葉にリッテンハイム侯は笑みを見せた。何処か困ったような、そして誇らしげな笑顔。
『部下達にはこれ以上私の道楽に付き合う必要は無い、降伏しろと言ったのだがな。皆最後まで付き合うと言い張る、困った事だ』
「馬鹿な……」

俺の言葉を聞いたリッテンハイム侯が悪戯を思いついたような表情を見せた。
『戦を止める方法が有るぞ、ルッツ提督』
「それは……」
『卿が降伏するのだ。そうなれば戦は終わる、考えてみるのだな』
リッテンハイム侯は笑い声を上げた。侯だけではない、敵の艦橋では皆が笑っている。

通信が切れた。スクリーンは何も映さなくなっている。やりきれない思いが胸に溢れる。何故こんな苦い勝利が有るのか。俺は本当に勝ったのか、もしかすると本当は負けているのではないのか。

「閣下」
フロイライン・マリーンドルフが気遣わしげな視線を俺に向けている。だがその視線でさえ煩わしかった。どうして放って置いてくれないのか。あえてその視線にも問いにも答えず何も映さないスクリーンだけを見ていた……。


戦闘は更に二時間続いた。リッテンハイム侯は戦死、降伏した艦は無かった。文字通り、リッテンハイム侯の艦隊は全滅した。キフォイザー星域の会戦は我が軍の勝利で終わった。


 

 

第二百六話 キフォイザー星域の会戦(その4)

帝国暦 488年  2月 1日  ガイエスブルク要塞   オットー・フォン・ブラウンシュバイク



辺境星域回復の試みは潰えた。一昨日から昨日にかけて行なわれたキフォイザー星域の会戦で貴族連合軍は敗退した。クライスト、ヴァルテンベルク大将からの報告によれば、もう少しで勝てるところだったのだと言う。ヒルデスハイム伯、あの小僧が焦らなければ勝てたと……。

「やはり貴族連合軍の脆さが出ましたな」
グライフス総司令官の言葉が耳を打った。
「烏合の衆、という事か」
グライフスは頷くと話し始めた。

「戦が始まるまでは一つにまとまりますが、始まった後はバラバラになる。自分の事しか考えません」
「酷い言い様だな」
思わず口調が苦くなった。だが否定は出来ない、全くの事実だ。

シュターデンは一時的にメルカッツ達を出し抜き、オーディンに迫った。だがその後はシェッツラー子爵、ラートブルフ男爵の我儘に振り回され敗北した。今回も同様だ、今一歩で勝てるという時に功名に逸る。そして敵は常にそのミスを的確に突いてくる。

「覚悟はしていた事だがリッテンハイム侯を喪ったのは痛いな」
「確かに。……ですが収穫が無かったわけでも有りません」
収穫? リッテンハイム侯を喪ったのだ、一体どんな収穫が有ったと言うのだ。

「クライスト、ヴァルテンベルク大将は信頼できます」
「……」
「そしてヘルダー子爵、ホージンガー男爵も。彼らは協力することをこの戦いで学びました」

冷静なグライフスの口調が癇に障った。
「だから何だと言うのだ! 採算は取れるとでも言うのか! リッテンハイム侯は死んだのだぞ!」

わしの怒声にグライフスは一瞬だけ目を閉じた。
「そう思っていただかなくてはなりません」
「グライフス!」

「公は盟主なのです! リッテンハイム侯の死は無駄ではありません、彼らが信頼できる事は確認できました。決戦では役に立ってくれるでしょう」
「……すまぬ、つい感情的になった。卿の言う通りだ、侯の死は無駄ではない」

グライフスがこちらを見ている。冷静な目だ、だが冷酷な目ではない。意志の力で感情を抑えているのかも知れない。上に立つとはそういう能力が必要とされるという事か……。

「グライフス、上に立つのも容易ではないな。常に冷静さを要求される。卿が居なかったら、わしは感情に任せて馬鹿げたことをしていたかもしれん……」

グライフスは何かを言いかけ、口を閉じた。そして躊躇いがちに話し始めた。
「軍では常にそれを要求されます。そしてそれを実行できる人間だけが、生き残り、出世して行きます」
「出来ぬ人間は戦場で淘汰されるか」

グライフスが頷いた。彼の本当に言いたい事が何なのかが分かる。何故彼が一度口を開き閉じたのか。討伐軍が強いのはそれを理解している人間達が指揮をしているからだ。だが貴族連合軍は違う。理解していない、理解する機会を得ぬままに生きてきた貴族達が指揮を執っている。それこそがヴァルハラで、キフォイザーで敗れた真の原因だ、そう言いたいのだろう。

「ブラウンシュバイク公、後ほど皆に会戦の結果を周知すべきかと思います」
クライスト、ヴァルテンベルク大将からの報告は私室で受け取った。皆は戦が起きた事は知っているだろうが敗戦の事実はまだ知るまい。隠すべきではないし、いい加減な噂が流れるのも拙い。正直に伝えるべきだろう。

「広間に皆を集めるか」
「はい、その際、今我等が話した事を皆に伝えるのです。協力すれば勝てるのだという事、身勝手な行動をとれば自分だけではなく味方まで敗北する事になると」

なるほど。この男はその事を考えていたのか。今回の敗北を最大限利用しようとしている。この男にしてみれば感情的になったわしなど頼りない限りだっただろう。情けない事だ。

「いい考えだ、やるべきだろうな。だがリッテンハイム侯派の人間達が素直に受け取ってくれるかどうか……」
「確かにそれは有ります。しかし一旦反逆を起した以上、降伏しても許される事は有りません。もう後には退けない、それを肝に銘じさせることです」

グライフスの言う通りだ。反乱を起したのだ、覚悟を決めさせるべきだろう。生き残るために戦えと……。
「身辺に御注意ください」
「?」

囁くような声だった。妙な事を言う、そう思いながらグライフスの顔を見た。グライフスは厳しい表情で一歩わしに近付いた。
「愚か者が公の首を手土産に降伏しようとするかもしれません。これはリッテンハイム侯派の人間だけではありません。全ての貴族に言える事です」

グライフスの言葉を否定できなかった。黙ったままのわしを見ながらグライフスは頷くとさらに言葉を続けた。囁くような声は変わらない。
「公だけでは有りませんぞ。エリザベート様、サビーネ様の身辺にも信頼できる人間をつけてください。殺すと言う事は有りますまいが何らかの形で利用しようとは考えるかもしれません」

「分かった、そうしよう。わしも寝首をかかれるなどという無様な最後は願い下げだ」
思わず声が掠れた。口の中が粘つくような不快感がある。恐怖によるものではない、身勝手な貴族に対する不快感だろう。

「グライフス、広間に皆を集めてくれるか、一時間後で良い」
「一時間後ですか?」
「ああ、皆に話す前にサビーネに伝えねばなるまい。わしの役目だろう」
グライフスは頷くと“分かりました”と言って、部屋を出て行った。


グライフスとの話が終わった後、サビーネの部屋に向かった。予期したことでは有ったが部屋にはサビーネだけではなくエリザベートも居た。二人とも不安そうな表情でわしを見ている。

二人もキフォイザー星域で戦が起きた事は知っている。サビーネが不安に思ってエリザベートを呼んだのか、或いはエリザベートが心配して傍に居るのか、困惑したが今更出直すわけにもいかん。二人を傍に呼んだ、おずおずと近付いてくる。

「サビーネ、キフォイザー星域で戦が起きた事は知っているな」
「はい」
細い声だ、今更ながらこの娘に真実を告げなければならない残酷さに心が怯んだ。だがやらねばならん。サビーネにとってもっとも近しい親族はわしだ。逃げ出したくなる心を叱咤した。

「残念だが、味方は敗北した」
「!」
サビーネ、そんな縋るような目でわしを見るな。

「リッテンハイム侯は味方を逃がすため、最後まで戦場に残ったそうだ」
「では、お父様は」
「……残念だが、戦死した。見事な最期だったと聞いている」

たちまちサビーネの目に涙が溢れ出した。エリザベートも涙ぐんでいる。
「サビーネ、良く聞きなさい」
「伯父上」

サビーネが泣きながら縋りつくような視線を向けてきた。リッテンハイム侯の事を思った。どんな気持でこの娘を置いていった? さぞ辛かっただろう、それなのに最後まで戦場に残ったか……。

「リッテンハイム侯は、お前の父は反逆者として死んだ」
「お父様!」
サビーネが俯くとエリザベートがわしを非難するかのように声を上げた。エリザベート、良く聞くのだ、これから話す事はサビーネだけではない、お前にも関わる事だ。

「その事でサビーネ、お前は辛い思いをするかもしれない。だが決して下を向いてはならん」
「伯父上……」
サビーネが顔を上げ驚いたようにわしを見ている。

「サビーネ、お前の父は誰よりも立派に戦ったのだ。味方を逃がすため最後まで戦場に留まり続けた、そして死んだ……」
「……」

「分かるな? お前の父は反逆者ではあっても恥ずべき男ではないのだ。胸を張りなさい、お前は決してリッテンハイム侯の事を恥じてはならん、侯を恥じる事はわしが許さん、良いな」

サビーネが頷いた。涙は止まっている。
「私は、お父様の事を恥じません。お父様は私の事を誰よりも愛してくれました。だから恥じません、私はウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世の娘です」

「良く言った、サビーネ。お前はリッテンハイム侯の娘だ。今の言葉を侯が聞けばお前を誇りに思うだろう。その誇りを忘れるな」
「はい」

サビーネの目からまた涙が溢れ出した。抱き寄せて髪を撫でてやると声を上げて泣き始めた。つられたかのようにエリザベートも泣き出した。わしは娘二人を抱き寄せながら二人が泣き止むまで黙って立っていた。

リッテンハイム侯、わしは侯が嫌いだ。目障りだと思ったときは生きていて傍に居て欲しいと思ったときには死んでしまう。勝手すぎるではないか。それによくもあんな華々しい戦が出来たな、わしはどうすれば良いのだ。おまけにサビーネをわしが慰めねばならんとは……。侯は昔から身勝手で目立ちたがり屋で無責任だ。だからわしは侯が嫌いなのだ……。



帝国暦 488年  2月 1日 レンテンベルク要塞   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


『ではリッテンハイム侯は戦死したのか』
軍務尚書エーレンベルク元帥が問いかけてきた。スクリーンにはエーレンベルク元帥の他にシュタインホフ元帥が映っている。二人とも表情は微妙だ。

勝利は嬉しいのだが、リッテンハイム侯の戦死には素直に喜べないのだろう。二人ともそれなりに付き合いは有っただろうし、なんといってもオーディンには侯爵夫人が居る。

「先程別働隊総司令官ルッツ提督より連絡が有りました。最後まで降伏せず戦ったそうです」
『そうか、最後まで戦ったか……』
今度はシュタインホフ元帥が感慨深げに呟いた。

報告してきたルッツは不本意そうだった。勝利は得たが、思い描くような戦は出来なかったということらしい。だが全て思い通りに戦って勝つなどそうそう有る事じゃない。敵の兵力の三割を殲滅し、リッテンハイム侯も戦死しているのだ。十分な戦果だと俺は言ったのだが納得したようではなかった。

リッテンハイム侯の死が鮮烈過ぎたということもあるのだろう。一度ゆっくりと話をしてみたほうが良いのかもしれない、メルカッツ提督にも同席してもらったほうが良いだろう。

少しの間沈黙が有った。両元帥とも顔を見合わせるでもなく、ただ黙っている。俺もあえて話すような事はしなかった。何を思っているにしろ二人の心にいるのはリッテンハイム侯だろう。邪魔をするべきじゃない。そう思ったからだ。

沈黙を破ったのはエーレンベルク元帥だった。
『それでこれからの事だが、どうなると見ている?』
「貴族連合による辺境星域の回復は阻止されました。それだけでは有りません、リッテンハイム侯が戦死したのです。彼らにとっては大打撃でしょう」

『うむ』
「辺境星域にある貴族連合の支配地は味方の援軍は当てに出来ないと理解したはずです。こちらの軍が向かえば降伏するか、或いは逃げ出すか……。これから先は辺境星域では大規模な戦は無いでしょう。掃討戦になると思います」

俺の言葉にスクリーンに映る老人達は頷いている。
『ガイエスブルク要塞に篭る敵の攻略は何時頃になるかな』
今度はシュタインホフ元帥が訊いてきた。老人達の視線は厳しい、どうやら内乱の終結時期が気になるらしい。

「本隊は遅くとも今月末にはガイエスブルク要塞に迫れるはずです。ですが要塞攻略は別働隊の合流を待ってからになります。となれば辺境星域の平定にはあと二月ほどはかかるでしょうから移動も含めれば三月は先になります」
『やはり三月はかかるか、随分と先だな』

嘆息するようなシュタインホフの口ぶりだった。止むを得ない事だ。原作とは違う、敵はガイエスブルク要塞に現状で十五万隻近い大軍を擁しているのだ。メルカッツ達だけでは兵力の面で劣勢になる。わざわざ不利な戦をする必要は無いのだが、それにしても妙だ、彼らにこの程度の事が分からないはずが無い。どういうことだ?

『辺境星域の平定は後回しにしてガイエスブルク要塞を先に攻略は出来ぬか』
エーレンベルク元帥が妙な事を言い出した。何を考えている?

「それは出来ない事は有りません。しかし要塞の敵を討ち漏らした場合、その連中が辺境に戻りやすくなります。得策とは思えませんが」
老人二人の表情が渋くなった。どういうことだ? エーレンベルクの考えは思い付きじゃない、シュタインホフも合意の上で話している。

「どういうことです? 何か有ったのですか?」
俺の問いに顔を見合わせた老人達が渋々といった感じで話し始めた。彼らの話によるとどうやら同盟が妙なことになっているらしい。

自由惑星同盟で辺境出兵論、例の帝国の内乱を長引かせ時間稼ぎをするべきだという意見が力を持ち始めているのだと言う。フェザーンに進駐したことでイゼルローン、フェザーン両回廊を得た。後は時間稼ぎをして国力を回復させようと言う事だ。

この意見、どうやら政治家、軍人の主戦派が唱えているらしいのだが、出兵する以上当然捕虜交換は無い。主戦派にとって兵士が帰ってこないのは痛いはずだがそれ以上に彼らは帝国と同盟の協調路線が気に入らないようだ。

さらに経済界が彼らを支持し始めた。理由は簡単、フェザーンだ。フェザーンを積極的に同盟に組み込み、利用すべきだと考えている。そのためには帝国と決裂したほうが良い。今の帝国の支配権を認めたうえでの進駐など論外なのだ。

帝国と決裂し、帝国が混乱してくれたほうがフェザーンを支配し易い、そう考えている。同盟政府は彼らの攻勢に押され始めている……。

同盟政府は困った。彼らはフェザーンが毒饅頭だと気付いている。食べる前に帝国に返すべきだとも考えている。それが崩れかねない。困った彼らはレムシャイド伯を通して帝国政府に早く内乱を鎮圧しろと言ってきた。帝国にとっても辺境星域に出兵などされては困るだろう、そういうことだ。

『同盟によるフェザーン支配は一向に構わぬが、辺境星域への出兵と言うのは余り面白くない。特に貴族連合軍が十五万隻もの大軍を持っているとなれば、彼らが連合すればとんでもない事になる』

確かにその通りだ。エーレンベルク元帥の言葉を聞きながら思った。同盟で起きている出兵論もそれが有るのかもしれない。ヤンが出てくれば最悪と言って良いだろう。

思い描くような戦は出来ない。どうやら今度は俺が思う番のようだ。ガイエスブルク要塞に全軍を集結させなければならん、しかも戦闘は短期間に終わらせる必要がある。どうやらレンテンベルク要塞での休息は終わりの時が来たようだ。


 

 

第二百七話 幕間狂言

宇宙暦 797年  2月 4日  ハイネセン ある少年の日記

十二月 五日

今日、帝国の宇宙艦隊司令長官、ヴァレンシュタイン元帥が襲撃されたという情報が帝国から流れてきた。でも皆半信半疑だ。元帥は油断できない謀略家だから簡単に信用は出来ない。

電子新聞も同じ事を書いている。以前も同じような噂が流れたけど元帥は無事だった、今回も何か考えがあって、噂が流れたんじゃないかと書いている。謀略ばっかり使って本当に嫌な奴だ。

多分陰険で根暗で信用できない人間なのだろう、最低の奴だ。僕の近くには居て欲しくないタイプの人間だ。あんなのが同盟の人間だったらみんなに嫌われて絶対出世しない。帝国だから出世したんだ、多分皇帝をうまく騙したんだろう。だから帝国は駄目なんだ、いつかは必ず倒さなくちゃいけない。

十二月 十日

ヴァレンシュタイン元帥が負傷したのは本当みたいだ。それもかなり重傷らしい、良い気味だ。ヴァレンシュタイン元帥は必ず同盟軍が殺す。シャンタウ星域の会戦の復讐だ。だからこの内戦で死んでしまうのは困るけど元帥が痛めつけられるのは全然問題ない、もっと苦しめばいいんだ。学校でも皆良い気味だ、ザマーミロと言っている。

大人達の反応は色々だ。僕達と同じようにザマーミロと言っている人も居るけど、これを機会に帝国領に出兵するべきだと言う人達も居る。でも捕虜交換があるからそれまでは我慢すべきだと言う意見が強いみたいだ。それと意外なのは元帥が死んだら困ると考えている人たちも居る。

その人達の意見では今帝国が行なおうとしている改革はヴァレンシュタイン元帥が強く進めているから行なわれているらしい。元帥は平民出身で平民が安心して暮らせるように、貴族が平民を苛める事が無いようにしようとしている。

だから元帥が死んでしまえば帝国の改革は止まってしまい、帝国は以前と何も変わらなくなる、そう心配しているようだ。そう考えている人達は和平派、反戦派と呼ばれている。帝国との間に和平を結び戦争を終わらせようと考えている人達だ。

帝国と和平? 冗談じゃない。そんな事は有り得ない。食事のとき母さんと話したけど母さんも同意見だった。でも母さんは僕が戦争に行くのは反対している。矛盾しているよ、と言ったら母さんは困ったような顔をしていた。

母さんが僕を心配してくれるのは分かるけど僕は軍人になる。そして帝国と戦うんだ。中学を卒業したら士官学校に入学だ。卒業する頃には宇宙艦隊も元に戻っている。そうしたら反撃だ。そしてシャンタウ星域の会戦の復讐をするんだ。でもヴァレンシュタイン元帥ってただの謀略家じゃないのかな。

十二月二十七日

新しい情報が帝国から入ってきた。ヴァレンシュタイン元帥が反乱軍、僕達じゃない、貴族達のことだけど、彼らの艦隊を撃破したらしい。そしてレンテンベルク要塞? を攻略したそうだ。

重傷だって聞いてたけどやっぱり嘘だったんだ。お得意の謀略で敵を油断させ、おびき寄せて破った。僕の周りも皆そう言っている。本当に油断できない奴だ。

ヴァレンシュタイン元帥が健在だと分かったので出兵論はもう誰も支持しないだろうと学校で先生が言っていた。元々捕虜交換をするまでは戦争するべきじゃないと言う意見が強いらしい。

先生によると世論調査では七割の人がそう考えているそうだ。元帥が健在だと分かったのでもう少しその比率が高くなるんじゃないかと言っていた。僕も同感だ、クラスの皆も同じように考えている。

クラスの中にも家族が捕虜になっている子が居る。早く捕虜が帰ってくると良いと思うけど、それには内乱が早く終わる事が必要になる。出来れば帝国の混乱は長引いて欲しいからちょっと複雑だ。

その所為だろう、家族が捕虜になっている子達は余りこの事を話そうとしない。ちょっと可哀想だ、家族が戻ってくる事を話せないなんて。できれば内乱が始まる前に捕虜を帰して欲しかった。そうすればこんな事にならなかった。その代わりに帝国の内乱には付けこまないとか約束出来なかったのかな。

一月 五日

年が明けていきなり大ニュースが帝国から飛び込んできた。帝国の宇宙艦隊副司令長官、ローエングラム伯が反逆を起したのだ。いや、正確には反逆を起したという罪で捕らえられたようだ。何でも皇帝になろうとしたらしい。

ローエングラム伯といえばヴァレンシュタイン元帥の前に宇宙艦隊司令長官だった人だ。第七次イゼルローン要塞攻略戦で大敗北して副司令長官に降格された。その事に不満でもあったのかな。

ローエングラム伯は辺境星域の平定に向かっていたらしい。その人が逮捕されたとなると辺境星域の平定はどうなるのだろう。内乱は長引くんじゃないかと皆が言っている。家族が捕虜になっている子達は皆悲しそうだ。

母さんも困った事だと言っていた。こんな反逆は帝国だから起きる事で同盟では起きない。だから帝国は良くないんだ、と言っていた。全く同感、ヴァレンシュタイン元帥も皇帝になりたいのかな。その事を母さんに聞いたら、元帥は平民だから無理ねと笑っていた。

一月十九日

またまた大ニュースだ。夜遅く、寝る間際になってTVに流れた。本当にびっくりした。同盟軍がフェザーンに進駐した! なんでもフェザーンのルビンスキー自治領主が帝国に敵対行為を取ったと言う事で帝国が怒ったらしい。

帝国は四個艦隊をフェザーンに送ったんだけど、それを知った同盟も密かに三個艦隊を送って帝国を牽制したらしい。そのままだったら帝国と同盟でフェザーンをどちらが取るかで戦争になるところだった。だけど帝国は内乱が起きているからフェザーンで戦争はしたくなかった。

だから同盟との間で協定を結んでフェザーンの進駐を認めたようだ。大勝利だ! 戦争せずにフェザーンを手に入れた。これで同盟はイゼルローンとフェザーンの両回廊を手に入れた! 母さんも喜んでいる。でも騒いでいたら早く寝なさいと母さんに怒られた。

一月二十日

一夜明けてフェザーンの詳しい様子が分かってきた。フェザーンには第三艦隊がいるようだ。他の艦隊はハイネセンに戻ってくるらしいけど大丈夫かな。帝国軍に奪回されちゃうんじゃないかとちょっと心配だ。

ルビンスキー自治領主は逃亡したようだ。でもきっと直ぐ捕まるだろう。黒狐なんて呼ばれていい気になっていたみたいだけどザマーミロだ、戦争で儲けるフェザーンの拝金主義者め。

これを機会にフェザーンからはお金を返してもらおうという意見もある。良い事だと思う。いざとなったらフェザーンなんて占領しちゃえばいいんだ。帝国に返す事なんて無い。

電子新聞はどれもトリューニヒト議長を物凄く褒めている。帝国の内乱を上手く利用してフェザーンを手に入れた、歴代議長の中でも最高の議長だ、そんな調子だ。僕もそう思う、最高の議長だ。

一月二十一日

トリューニヒト議長が記者会見でフェザーンはいずれ帝国に返す、同盟も帝国もフェザーンの中立を尊重する事は変わらない。今回の進駐はルビンスキー自治領主が中立を破った事が原因だと言っていた。

議長はフェザーンを同盟領にする気は無いようだ。帝国との間で結んだ協定は遵守すると言っていたし不満を言った記者に対して国家には信義が必要でその信義を失うとフェザーンのようになると言っていた。

僕は占領しちゃえば良いと思っていたけど、議長の会見を見て偉くなる人はやっぱり何処か違うんだなと思った。凄くかっこよかった、TVで何度もそのシーンが流れたけど何度見てもかっこよかった。

トリューニヒト議長によると内乱終結後、捕虜を交換しフェザーンを帝国に返還することになるだろうと言っていた。フェザーンは名目上帝国の自治領なので帝国に返す事になる。

ボロディン統合作戦本部長もフェザーンを返す事に賛成らしい。今の同盟には両回廊を守る戦力はないと厳しい表情で言っていた。フェザーンは中立であったほうが同盟のためには良いそうだ。残念だ、皆そう言っている。

一月二十八日

最近また出兵論が出ている。イゼルローン、フェザーン両回廊を得たから帝国の混乱を長引かせたほうが同盟のためになるという意見だ。そしてフェザーンを占領して同盟の経済を再建する。僕はあまりこの意見には賛成できない。この意見だと捕虜交換が無いからだ。クラスの皆も捕虜交換をするべきだと言っている。

こんな意見が出るのも反乱を起した貴族達が大きな兵力を持っているかららしい。ガイエスブルク要塞には十万隻以上の艦隊が集まっているそうだ。彼らと協力すれば帝国の混乱を長引かせる事が出来る。

それともう一つ、ヴァレンシュタイン元帥の具合が良くないらしいと言う噂がある。その事が出兵論を勢いづけている。元帥はレンテンベルク要塞を攻略してからずっと要塞に留まっている。もしかすると本当に具合が悪いのかもしれない。

いろんな噂が流れている。元帥は無理をしてレンテンベルク要塞を落としたので今では動けないほどに身体が弱っている、ローエングラム伯の失脚はヴァレンシュタイン元帥の陰謀で、その事で元帥は後悔して苦しんでいる。他にもシャンタウ星域の会戦で大勢の人間を殺したのでその亡霊に悩まされているとか……。

何処まで本当かは分からない。出兵論を言う人達が噂を作っているんじゃないかと言う人もいる。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。トリューニヒト議長は出兵論は不可だと言っていた。議長には頑張って欲しいな、捕虜交換を待っている人達が居るんだから。あのかっこいい姿をもう一度見せて欲しいと思う。


宇宙暦 797年  2月 5日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ


最高評議会議長の執務室、その執務室のスクリーンには帝国の星系図が表示されている。一際大きく赤で記されているのがガイエスブルク要塞の所在地、そして青で記されているのがオーディン。

その他に帝国軍の艦隊が黄色の三角で記されている。もっとも艦隊の所在地は結構曖昧らしい。フェザーン経由で情報を得ているためタイムラグがある。

「帝国は辺境星域の平定を後回しにして貴族連合との決戦を優先するようだ。レムシャイド伯から先程連絡が有ったよ」

トリューニヒトの言葉に私とホアンは顔を見合わせた。
「ネグロポンティは呼ばなくていいのか」
私の言葉にトリューニヒトは微かに笑みを浮かべた、何処と無く人の悪い笑顔だ。

「彼は既に知っている。私とレムシャイド伯の会見に同席したからね。たまにはそうやって御機嫌を取らないと彼も不満に思うからな。君達ばかり重用していると」
トリューニヒトが肩を竦めた。

「トリューニヒト最高評議会議長も色々と気を使うわけだ。ご苦労様ですな」
「勘違いしないでくれ、ホアン。私は彼を信頼しているんだ。君達ほどではないけどね」
そう言うとトリューニヒトはウィンクをしてきた。執務室に笑い声が起きた。

笑い声が収まるとトリューニヒトは話を続けた。
「ヴァレンシュタイン元帥も辺境星域の別働隊もガイエスブルク要塞に向かうらしい。帝国も貴族連合軍と我々が連合する事は避けたいらしいね」

「大丈夫かね、ヴァレンシュタイン元帥はえーと、何処だったかな、確か……」
「レンテンベルク要塞だ、ホアン」
私が助け舟を出すとホアンは右手を上げて謝意を示した。

「そうだった、レンテンベルク要塞だ。ヴァレンシュタイン元帥はそのレンテンベルク要塞で療養しているのだろう? 出撃などできるのか?」
「大丈夫だろう、レンテンベルク要塞を落としたのは去年の事だ。いくらなんでも治っているさ」
「しかしね、例の噂があるからな」

例の噂か、ホアンとトリューニヒトの会話を聞きながらその事を思った。昨年十二月の初旬、ヴァレンシュタイン元帥はオーディンで襲撃され負傷した。かなりの重傷だったらしい。だがその月の内にオーディンに侵攻してきた敵艦隊を撃破、更にレンテンベルク要塞を奪取し健在を示した。

当初同盟ではヴァレンシュタイン元帥が負傷したと聞いたとき、信じる者は少なかった。以前にも彼を暗殺したとの誤報が流れた事がある。それに類するものだろうと思ったのだ。

だが負傷が事実だと分かった時、かなりの重傷だと噂が流れた時、同盟では帝国領辺境領域への出兵論が出た。もちろん強いものではない、帝国との間では捕虜交換の協定を結んでいるのだ。だがそれでも出兵論が出る、同盟内の反帝国感情の根強さには溜息が出る思いだ。

幸いにも直ぐにヴァレンシュタイン元帥が敵艦隊を撃破、レンテンベルク要塞を奪取した。その事で出兵論は自然消滅した。危ないところだっただろう。当時同盟はフェザーンに極秘に艦隊を派遣していた。あの時出兵論が大勢を占めれば艦隊は何故フェザーンに向かっているのかで大騒ぎになったに違いない。

ヴァレンシュタイン元帥はレンテンベルク要塞を奪取した後、要塞に留まったまま動こうとしない。帝都オーディンを守り、帝国軍全軍を後方から支援統率するためだろう。

だがその事がまた同盟内で疑惑を呼び起こした。ヴァレンシュタイン元帥重態説だ。襲撃されたときかなりの深手を負ったと聞いた。レンテンベルク要塞は落としたが、無理をしたため容態は反って悪化したのではないか……。それが原因で動けないのではないか……。

そしてローエングラム伯の失脚が起きた。元帥と伯は微妙な関係にあると同盟内では見られている。両者とも若い、そして一度は上下関係は逆だった。重病に喘ぐヴァレンシュタイン元帥がローエングラム伯を蹴落としたのではないか?

ヴァレンシュタイン元帥重病説が強まるにつれ、帝国領辺境領域への出兵論が蘇った。そしてフェザーンを占領した今、その出兵論はますます強まりつつある。ガイエスブルク要塞に貴族連合軍の主力が健在な事もその一因だ。

「ヴァレンシュタイン元帥も御苦労な事だな。病身を押して反乱の鎮圧とは」
「何を他人事のように言っている。主戦派を煽ったのは君だろう、トリューニヒト」
私の言葉にトリューニヒトは気の無い様子で“まあ、そうだがね”と答えた。

「だが、フェザーン進駐を長引かせるわけにはいかん。長引かせれば必ず占領しろとの声が大勢を占めるようになる。内乱も同様だ、長引けばそれに付け込めという意見が大きくなる。そうだろうレベロ、ホアン」

トリューニヒトの言葉に渋々ながら頷いた。ホアンも頷いている。
「帝国には内乱を早期に終結してもらう。それによって出兵論、フェザーン占領論を押さえつけるしかない」
「……」

「そして捕虜交換を実施する。帝国との友好を強調しつつフェザーンを早期に返還する手段を考えるんだ」
その通りだ。だからこそ敢えて帝国領出兵というカードを帝国に対して見せた。

切ったのではない、見せたのだ。切られたくなければ早期に内乱を終結しろ、と言う事だ。そのために敢えて同盟内で出兵論を皆に分からぬように煽る事もした。妙な噂が流れている事も幸いした。

軍も内乱の早期終結に関しては同意している。彼らにとってイゼルローン、フェザーン両回廊からの攻勢は悪夢でしかない。
「元帥が本当に重態だったらどうする。内乱の早期解決は難しいかもしれんぞ」

「その時は本当に出兵と言うのも有るだろうな」
「馬鹿な、冗談ではないぞ、トリューニヒト!」
私が大声を上げるとトリューニヒトは肩を竦めた。

「可能性の問題だよ、レベロ。捕虜交換が望ましいのが事実だが、帝国が混乱してくれるのが望ましいのも事実だ。内乱が長期化すれば、それをきっかけに帝国がこちらとの和平を考えると言う可能性もある。いかにして同盟を再建するか、帝国を無害化するか、それが問題だと私は思っている」
「……まあ、分からないでもないが」

執務室に沈黙が落ちた。トリューニヒトの考えは分からんでもない。だが帝国領出兵はかなり危険な選択肢だろう。出来る事なら避けたい選択肢だ。それに軍がどう思うか、かなり強い反対をするのではないだろうか。軍上層部は戦力回復を優先するべきだと考えている。すり減らすような出兵には強く反対するはずだ。

同じ事を考えていたのだろう。今度はホアンがトリューニヒトに問い始めた。
「出兵の事は軍には話したのか?」
「グリーンヒル総参謀長には話した。いや向こうから訊いてきた。出兵論がこれ以上強くなったらどうするかと」

「それで」
「正直に話して軍でも検討してみてくれと言ったよ。彼は難しい顔をしていたが承諾してくれた。検討の余地は有るということだろう」
「そうか……」
ホアンが私を見たが頷く事も首を振る事も出来なかった。ただ溜息が出た。

「フェザーンの一件では帝国にしてやられた。しかし今度はこちらが仕掛ける番だ。帝国にも少しは冷や汗をかいて貰おう」
軍がどう思うかだな、トリューニヒトの声を聞きながら思った。特にイゼルローンのヤン提督がどう思うか、無性に彼と話がしたくなった。



 

 

第二百八話 傀儡

帝国暦 488年  2月 10日  オーディン  新無憂宮 クラウス・フォン・リヒテンラーデ


「それで、ヴァレンシュタインはレンテンベルク要塞を何時発つ?」
『明日には』
「ふむ」
スクリーンに映るシュタインホフ元帥が私の問いに答えた。彼の隣にはエーレンベルク元帥が映っている。

「何か言っておったか?」
『おそらくは脅しだろうと言っておりましたが、内乱の鎮圧に手間取れば本当に出兵と言う事も有り得ぬ話ではない、辺境星域の平定よりもガイエスブルク要塞の攻略を優先せざるを得ないだろうと言っておりましたな』
「そうじゃろうな」

全く碌でもない連中だ、シュタインホフ元帥の返事を聞きながら思った。反乱軍の連中はフェザーンを早く帝国に返したいと思っている。そのためには帝国の内乱が早く片付いて欲しいのじゃろう。内乱が長引けばフェザーンを占領しろとの意見が出かねない、いや今でも出ているだろうがそれが大勢を占めかねない……。

出兵論が出ているとの事じゃが自作自演の可能性もある。その上でこちらに何食わぬ顔で早く内乱を収めてくれと殊勝な顔で縋ってきおった。喰えぬ奴らよ。

「他には?」
『攻略には少々手間取るかもしれぬと言っておりましたな。自信無さげでしたが……』
「いつもの事じゃ、あれが自信有りげに言う事のほうが珍しいわ」

スクリーンの中で二人が笑っているのが見えた。
「……何か可笑しい事でも有るのか」
『いえ、何も可笑しい事は有りません』
二人が表情を改めた。碌でもない連中は反乱軍だけではないようじゃ。帝国にも居ったか。

「ヴァレンシュタインもそろそろ働いて良い時じゃ。いい加減休息も飽きたじゃろう」
はて、どういう事かの。エーレンベルクもシュタインホフも妙な表情をしておる。

「何か有るのか?」
スクリーンに映る二人が顔を見合わせた。そして渋々といった調子でエーレンベルクが話し出した。
『実は軍中央病院よりある懸念が伝えられました』
「……」
軍中央病院? 懸念? エーレンベルク、妙な事を言うの。ヴァレンシュタインの事か。

『ヴァレンシュタイン元帥の健康管理は万全かと』
「……どういうことじゃ、軍務尚書」
思わず小声になった。スクリーンに映る二人の表情は渋い。

『先日の負傷ですが、健康状態が良好ならあそこまで危険な状態にはならなかったそうです』
「……」

『ヴァレンシュタインは元々身体が丈夫とはいえませんし、宇宙艦隊司令長官は激務ですからな。かなり無理をさせたようで……』
確かに無理はさせたかもしれん。イゼルローン要塞が陥落してから働きづめじゃ。

「今あれに倒れられては困る、宇宙艦隊司令長官を辞めさせもう少し楽な立場においたほうが良いかの?」
とは言っても何処に置く? いっそ内務尚書にでもするか、あれは軍人よりも政治家の方が向いておろう。

『それも一案では有りますが、後任が……』
「悩む事はあるまい、シュタインホフ元帥。メルカッツがおろう、あれに任せてはどうじゃ」
私の言葉にシュタインホフは困惑したような表情を見せた。エーレンベルクも同じような表情をしている。

「メルカッツではいかぬかの」
『メルカッツ上級大将が無能とは言いません。ヴァレンシュタインの後は彼しかいないのも事実ではありますが……』

シュタインホフの口調は歯切れが悪い。奥歯に物が挟まったような口調だ。
「妙な言い様じゃの。何か不満があるか」

私の言葉に今度はエーレンベルクが話を続けた。
『宇宙艦隊司令長官という役職は少々特殊なのです。兵を鼓舞し、喜んで死地に赴かせる何か、威というか華というか、能力以外の何かが要ります。メルカッツには能力は有りますが、その何かが不足していると思えるのです』
「……」

『メルカッツを責める事は出来ません。宇宙艦隊司令長官とはそれほど難しい職なのです。能力だけで務める事は出来ない』
「卿らでも難しいか」

『私もシュタインホフ元帥も艦隊を率い戦場に出て武勲を挙げました。決して無能ではなかったと思います。しかし宇宙艦隊司令長官にはならなかった、いやなれなかった。メルカッツ同様、いや彼以上に能力以外の何かが私達には無かったと当時の軍上層部は判断したのでしょう』
「なるほど、ミュッケンベルガーにはそれが有ったか……」

私の言葉にスクリーンの二人が頷いた。
『ミュッケンベルガー元帥は若い頃から独特の雰囲気を持っていました。誰もが彼の前では身を正したくなるような威厳。そしてそれは年を経るに従って強くなりました。そういう何かが宇宙艦隊司令長官には必要なのです』

“威”、“華”、エーレンベルクの言う事は分からぬでもない。ミュッケンベルガーもあの小僧、ローエングラム伯もどこにいても周囲の目を集めた。ミュッケンベルガーには“威”が、あの小僧には“華”が……。

エーレンベルクがローエングラム伯の名を出さずとも分かる。じゃがヴァレンシュタインにもそれが有るのか? その辺りがどうもよく分からぬ……。あれは目立つ事を好まぬし、“威”や“華”などあるようには見えぬが。

「ヴァレンシュタインにもそれが有るか」
私の問いにエーレンベルクはまた困惑したような表情を見せた。
『彼は少し違うような気がします』
「……と言うと?」

『私は彼が未だ尉官の頃から知っています。彼が有能な軍官僚、参謀には成るかとは思いましたが宇宙艦隊司令長官になるとは思いませんでした』
「ふむ」
私が頷くとシュタインホフも同意するかのように頷いた。

『ですが例の事件、陛下が御倒れに成ったときですが、あれで化けましたな』
「あれか」

スクリーンの中でエーレンベルクが頷くのが見えた。あの一件は私とエーレンベルクでヴァレンシュタインにオーディンの治安を任せた。ヴァレンシュタインは見事に内乱を防いだが化けたとはどういうことか?

「化けたとは?」
『オーディンが、帝国が内乱に突入しなかったのはヴァレンシュタインの力量によるものでした。誰もが彼を事に及んでは断固たる決断が出来る人物だと認識した、大きな決断が下せる人間だと認識したのです。そして大きな決断を下せる人間こそが大軍を指揮統率できる……』

エーレンベルクが口を噤むと今度はシュタインホフが代わって話し始めた。
『そして第三次ティアマト会戦、あの戦いでヴァレンシュタインは全軍の危機を防ぎました。にもかかわらず本人は軍規違反の責任を取って軍を辞めようとした。将兵にとって彼以上に信頼できる人物はいなくなったのです』

「なるほどの」
ヴァレンシュタインの持つ何かとは、“威”でもなく“華”でもなく“信頼”か。
『不思議ではありますが、将兵は艦隊司令官の経験の無い彼を誰よりも信頼しました。そしてシャンタウ星域の会戦での大勝利、将兵にとってヴァレンシュタイン以上に宇宙艦隊司令長官に相応しい人物は居ません』

「では今しばらくはヴァレンシュタインに宇宙艦隊司令長官を委ねるしかないの」
『少なくともあと三年はヴァレンシュタインが司令長官の職に有るべきだと私もシュタインホフ元帥も考えています』

あと三年、つまり自由惑星同盟を征服するまでか。その後なら、平時ならメルカッツでも問題ないということか。苦労をかけるの、ヴァレンシュタイン。なんとかその苦労を軽くしてやりたいとは思うが、はてどうしたものか……。


帝国暦 488年  2月 15日  フェザーン 自治領主府 ヨッフェン・フォン・レムシャイド  


「これはレムシャイド伯、お忙しい中御足労をおかけします」
「いやいや、気になされますな。して何か有りましたかな、オリベイラ弁務官。わざわざ自治領主府に呼ばれるとは」

部屋に入ると執務机に座っていたオリベイラ弁務官は席を立ち私の方に歩いて来た。顔には満面の笑みがある、但し目は笑っていない、油断できない男だ。

意識して笑みを浮かべながら目の前の新任のオリベイラ高等弁務官を見た。元は学者だということだが、どうみてもそうは見えない。自信と優越感に溢れた官僚に見える。まあフェザーンを占領したのだ、自信に満ち溢れているのも無理は無い。

その証拠がこの部屋だろう。自治領主の執務室、フェザーン占領以来ルビンスキーの捜索を口実に此処で執務を取っている。フェザーンの統治者は自分だと周囲に示したいらしい。笑止な事だ。

「もしかするとルビンスキーの居所が知れましたか、或いは既に身柄を確保しましたかな?」
「いえ、残念ですがまだ彼の行方は分かりません」
オリベイラ弁務官の表情が歪んだ。

ルビンスキーの捕縛は帝国が同盟にフェザーン進駐を認めた条件の一つだ。オリベイラは着任早々ルビンスキーに失踪されることで失点を付けた。
「なるほど、困った事ですな」

「実はルビンスキーが失踪してから今日までフェザーンの自治領主は不在です。何時までも空席にしておくわけにもいかないと思うのですが、伯は如何お考えですかな」

やはり、それか……。先日から目の前の男が同盟に好意的な人物で自治領主になってもおかしくない人物を探していると部下から報告があったがどうやら相応しい人物が見つかったようだ。

ルビンスキー失踪でおそらくは同盟本国からも叱責でもされたのだろう。自治領主に同盟の言う事を聞く人間を付けて失点の挽回と言う事か。では話を合わせてやるか。

「確かにそうですな。しかしどなたか良い人物がおりますかな?」
「ええ、幸いにも。その事で伯の、帝国の了承を得たいと思いましてな」
そう言うとオリベイラ弁務官は出口に向かいドアを開けると“入ってくれ”と声を出した。

部屋に入ってきたのは五十代後半の男だった。
「マルティン・ペイワード氏です。先代の自治領主、ワレンコフ氏の下で補佐官を務めていました。ルビンスキーが自治領主になった時に彼に合わないものを感じ補佐官を辞めました」

オリベイラ弁務官の紹介が終わるとペイワードは緊張した面持ちで名乗った。
「マルティン・ペイワードです」
「如何でしょうかな、レムシャイド伯。御了承願えましょうか」
幾分緊張気味にオリベイラ弁務官が問いかけてきた。ペイワードも同様だ。傀儡でも自治領主になりたいか、愚かな。

「ふむ。ペイワード氏が帝国に対して不利益を働く事が無ければ帝国としては反対する理由は有りませぬな」
「もちろんです。私はルビンスキー前自治領主とは違います。信じていただきたい」

「ならば帝国としては異存有りません。しかし長老会議がペイワード氏を自治領主として認めますかな?」
「問題ありますまい。帝国と同盟が支持しているのです」

オリベイラ弁務官が事も無げに言ってのけた。勝者の余裕、いや傲慢か。喜びを露わにしているペイワードと満足そうなオリベイラ弁務官を見ながら思った。傲慢は時として馬鹿と同義語になる、分かっているのかこの男……。

「ところで帝国駐在のボルテック高等弁務官ですが留任と言う事でよろしいですかな」
「……」
私の言葉にオリベイラ弁務官とペイワードが顔を見合わせた。二人とも表情が厳しい、やはりボルテックの事を気にしていたようだ。

「彼はオーディンに居る方がそちらにとっても好都合かと思われるが如何かな。下手にこちらに戻すと愚か者どもが彼を自治領主にと騒ぎかねぬ」

「なるほど、確かにそうですな。いや、伯の御好意には感謝いたします」
オリベイラ弁務官が笑みを浮かべた。ペイワードも安心したような表情をしている。競争相手が減ったとでも思ったか……。

「そのボルテック弁務官ですが一人補佐官をフェザーンより送って欲しいと言っております。確かケッセルリンクと言いましたかな、若い補佐官です。仕事が忙しいので助けて欲しいと」
「……そうですか」

「私からこのような事を聞くなど不愉快でしょうがルビンスキーが失踪して以来、誰に相談してよいか分からなかったようです。如何でしょうな」
私の問いかけにペイワードはオリベイラ弁務官を見た。その視線を受けてオリベイラ弁務官が微かに頷く。

「分かりました。彼をボルテック弁務官の下に送りましょう」
ペイワードの答えにオリベイラ弁務官が満足そうな表情を見せた。自分の思い通りに動かす事が出来る事が嬉しいらしい。

オリベイラは自分の意のままに動く傀儡を自治領主にしたつもりだろう。そしてフェザーンを同盟のために利用しようと考えているのだろうが、ペイワードにも感情がある。度が過ぎればいずれはペイワード自身がオリベイラを疎んじるようになる。ペイワードが何時我慢できなくなるか、半年、或いは一年か……。まあそれまではせいぜいフェザーンの支配者を楽しむ事だ、オリベイラ弁務官殿……。


帝国高等弁務官府に戻ると一時間も経たないうちに面会を求めてきたものが居た。ルパート・ケッセルリンク、端正な顔立ちの青年だが表情が少々暗い。

「ルパート・ケッセルリンクです。この度、オーディンの高等弁務官事務所に赴任する事になりました。ボルテック弁務官からの要請と聞きましたが、私に何をさせたいのでしょう? ご存知でしたらお教えください。こちらにも準備が有ります」

「ペイワードにこちらを探って来いとでも言われたか、御苦労だな」
「……そのような事は」
「ボルテック弁務官は関係ない。卿を必要としているのは帝国だ」

私の答えにケッセルリンクは表情を強張らせた。
「……それは、どういう意味でしょう」
「答える必要があるかな」

「……」
「……」
「……いえ、有りません」
「結構」
表情は青褪めているがそれなりに肝は有るか。

「父親からの連絡は有るか? それとも居所を知っているかな?」
ケッセルリンクは黙ったまま首を横に振った。
「信用されてはおらぬか」
「……」
私の言葉にケッセルリンクの表情が歪む。

「卿はオーディンに着いたらボルテックの元に行け。そして帝国が卿を送ったと言うのだ」
「ボルテック弁務官は私の事を……」
「知っている」
また表情が歪んだ。

「私の役目は?」
「とりあえずはボルテック弁務官の補佐だ。その他はオーディンについてからだな」
「……」

「逃げても良いぞ。だがその場合は同盟に卿の素性を教える事になる。帝国でも同盟でも一生追われ続けることになるな。このフェザーンでもだ」
「……」
「帝国を見くびるな。分かったか」
声に威圧を込めて話すと青褪めた表情でルパート・ケッセルリンクが頷くのが見えた。




 

 

第二百九話 ガイエスブルク要塞へ

帝国暦 488年  2月 20日  帝国軍総旗艦 ロキ エルネスト・メックリンガー


今月の五日、フェザーン方面に侵攻したシュムーデ提督率いる四個艦隊を除く帝国軍全艦隊は、敵本隊の撃滅のためブラウンシュバイク星系への集結をヴァレンシュタイン司令長官より命じられた。

三日前、ルッツ提督率いる別働隊が集結、そして今日ヴァレンシュタイン司令長官が到着し全ての艦隊が揃った。ヴァレンシュタイン司令長官は到着すると直ぐに各艦隊司令官に総旗艦ロキへの集合を命じた。

昨年の十二月一日に反乱討伐のためにオーディンを発って以来全員が集まるのは二ヶ月半ぶりだ。司令長官が来るまでの間、総旗艦ロキの会議室には談笑の声が和やかに上がった。

「羨ましい事だ、ルッツ提督。あれほどの大会戦を指揮するとは、武人の誉れだろう」
幾分笑いを含んだ口調でファーレンハイト提督がルッツ提督に問いかけた。二人は士官学校で同期生だったと聞いている。気安いのだろう。

「そうでもないぞ、ファーレンハイト提督。勝つには勝ったが、思ったような勝利ではなかった。自慢など到底出来ぬよ」
ルッツ提督は幾分苦笑気味に答えた。謙遜かとも思ったがロイエンタール、ワーレン等の別働隊の指揮官達は皆頷いている。どうやら謙遜ではないらしい。キフォイザー星域の会戦はかなり苦しい戦だったようだ。

「それにしても辺境星域の平定を中断してガイエスブルク要塞の攻略とは、一体どういうことかな」
ビッテンフェルト提督の言葉に皆が頷いた。

「確かに妙です。司令長官はどちらかと言えば慎重な性格です。辺境星域を放置して本隊の討伐を優先するとはちょっと信じられません」
「ミュラー提督の言う通りだと俺も思う。何かがあったのだろうが、一体何かな」

ケンプ提督が周りを見渡しながら問いかけたが、皆答えられない。先程までの和やかな雰囲気は無い。皆何処と無く不安そうだ。
「分からぬな。だがもう直ぐ司令長官がいらっしゃる。その答えは司令長官が教えてくれるだろう」

メルカッツ副司令長官の言葉に皆が頷いた。五分も経たぬうちにその司令長官が会議室に来た。全員が起立して敬礼で司令長官を迎える。司令長官は答礼すると皆に席に座るように言って自らも着席した。

「メルカッツ提督、ルッツ提督、皆もご苦労様でした。おかげでようやく此処まで貴族連合を追い詰める事が出来ました」
各司令官達が司令長官の労いに軽く礼をした。だが一番苦労をしたのは司令長官だろう。もう少しで殺されそうになったのだ。

「急な集結命令に驚いたと思います。特に辺境星域の平定を一旦凍結し敵本隊の平定を優先した事は不審に思った事でしょう」
何人かが司令長官の言葉に頷いた。

「自由惑星同盟から帝国政府に対して連絡が有りました」
同盟政府? 皆が顔を見合わせた。訝しげな表情をしている。おそらく自分もそうだろう、何故此処で反乱軍が関係してくるのか……。

「同盟領内で主戦論者による帝国への出兵論が力を付けつつあるようです」
「しかし出兵すれば捕虜交換は白紙になります。戦力の回復を願う反乱軍にとって出兵は何の利益も無いと思いますが?」
会議室がざわめく中、クレメンツが疑問を提起した。私も同感だ、同盟は何を考えている? 皆の困惑が更に深まった。

「同盟はフェザーンへ進駐しました。事実上フェザーンは同盟の占領下にあります。つまり同盟はイゼルローン、フェザーンの両回廊を得た。こちらとしては減少した同盟の戦力をイゼルローン、フェザーンの双方にさらに分割する事が出来た、より有利になったと考えていたのですが、同盟では違う事を考えた人間がいたようです」

まだ良く分からない。思わず司令長官に問いかけていた。
「違う事と言いますと?」
「このまま帝国の内乱が長引けば捕虜交換に頼る事無く両回廊を保持したまま戦力の回復が図れる、そう考える人間が同盟に居るということです」

司令長官の言葉に会議室がざわめく。なるほどようやく話が見えてきた。
「それで出兵論ですか、帝国の混乱を助長しようと」
私の言葉に司令長官は頷くと話を続けた。

「拙い事に貴族連合は未だ十五万隻もの大軍を保持しています。彼らと連合すれば内乱を長期化する事が出来る。そしてフェザーンを利用して経済を再建する。そうすれば帝国との協調など必要ない。同盟は両回廊を制圧し、以前よりも強大な戦力を保持できる……。同盟内部の主戦論者、そしてフェザーンの経済力に目を付けた財界人が出兵論を展開し始めたのです」

「同盟政府はどう考えているのでしょう。こちらに知らせてきたと言う事は信用して良いのでしょうか?」
ロイエンタール提督の問いかけに司令長官は僅かに首を傾げた。どうやら司令長官は同意見ではないらしい。

「難しいところですね。彼らはフェザーンから手を引きたがっている。戦力が二分されるのは危険だと考えているのです。こちらに知らせてきたのは敢えて誇大に言う事で我々に貴族連合の戦力を早期に撃滅させ、国内の主戦論者、財界人を抑えるつもりではないかと考えています」

彼方此方で呻き声が上がった。
「その方が同盟にとって利益になる、そう考えているのでしょう。当然ですが出兵したほうが利益になると考えれば躊躇う事無く出兵してくると思います」

「なるほど、辺境星域の平定を一時中断して貴族連合の本隊の撃滅を図るのはそれが理由ですか。そうなると余り時間をかける事は好ましくありませんな、反乱軍にこちらが内乱の鎮圧に梃子摺っている、そう思われかねません」

「その通りです、レンネンカンプ提督。我々はこれからガイエスブルク要塞に向かいます。そして貴族連合と一戦し撃破する。辺境星域の平定も含めて三月末までにはこの内乱を終わらせたいと考えています」

三月末、その言葉にまた会議室にざわめきが起きた。ガイエスブルク要塞に篭る敵本隊だけでなく辺境星域も含めてとなればかなり忙しい。司令長官は自由惑星同盟政府を信用していない。ロイエンタールに言ったようにこちらが不利となればかなりの確率で出兵すると見ている。

「質問はありますか? ……無ければこれより二時間後、ガイエスブルク要塞に向かいます。各司令官は直ちに艦隊に戻り準備を整えてください」
そう言うと司令長官は立ち上がった。我々も一斉に起立し敬礼をする。司令長官は答礼すると我々一人一人確認するかのように会議室を見渡した。



宇宙暦 797年  2月 25日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



「いいのか、レベロ。此処は評議会議員以外の立ち入りは禁止だろう」
部屋に有るソファーに腰掛けながらシトレが話しかけてきた。
「君は私のブレーンだろう」
「なるほど、そうだったな」

最高評議会ビルは原則として評議会議員、及びそのスタッフの立ち入りのみが許されている。それ以外には事前に申請が必要で許可を得た者のみが立ち入る事が出来る。シトレは私のブレーンだ、フリーパスの状態で此処まで来たのだがその事がどうも納得がいかないらしい。

「大体此処は財政委員長に与えられた部屋だ。此処まで来て言う言葉でもなかろう」
「まあ、そうだが」

シトレが微かに身じろぎした。元々軍人だからこのビルに来る事を出来るだけ避けてきたと言う事も有る。居心地が悪いのかもしれない、落ち着かないのだろう。

「それでどうかな、シトレ。帝国への出兵は」
「軍は出兵は不可との結論を出した。やるなら二ヶ月前、いや内乱勃発と同時に行なうべきだった。ヴァレンシュタイン司令長官が負傷した時にだ。今からでは遅い、何の意味も無いだろう」

「内乱勃発か、しかしそれは」
「捕虜交換を否定する事になるしフェザーン方面での軍事行動も不可能となる。つまりどの道出兵論など不可能と言う事だ。トリューニヒト議長にも国防委員長経由で報告が行く筈だ」

「行く筈?」
「ボロディン大将がネグロポンティ国防委員長に今報告している。議長に報告が届くのは早くともあと一時間はかかるだろう。議長よりも先に結果を知る気分はどうだ?」
シトレはそう言うと悪戯っぽく笑った。

「悪くは無いな。それに軍が反対してくれたと聞いて安心したよ。出兵論など馬鹿げている」
「ま、同感だな。帝国軍宇宙艦隊はヴァレンシュタイン司令長官の命令に従いガイエスブルク要塞に向かっているらしい。ヴァレンシュタイン司令長官自身もだ。重態説は何の根拠も無いということだろう」

「根拠は無いか、これで出兵論も下火になるだろう、一安心だ。それにしても報告が遅いような気がするな。トリューニヒトから軍に出兵論の検討依頼が有ったのは三週間前だろう」
「……」
先程まで笑っていたシトレが無表情に沈黙している。どういうことだ? 何か有るのか……。

「シトレ、君は何か知っているのか?」
「……軍は故意に国防委員長への報告を遅らせたんだ。彼らが結論を出したのは二週間前だ」

「どういうことだ、何故二週間も報告を遅らせる? 何の意味があるんだ、シトレ」
思わず彼を責めるような口調になっていた。だがシトレは無表情なままだ。

「当初、軍は二つの可能性について報告しようとしていた。一つはヴァレンシュタイン司令長官が自ら指揮を取った場合だ。この場合は元帥の重態説が誤りだったと言う事になる。おそらくは内乱は早期に鎮圧されるだろうから当然出兵論は不可だ」

「となると、もう一つは元帥が指揮を取らなかった場合……、つまり元帥の重態説が事実だった場合だな」
私の問いかけにシトレは頷いた。

「君の言う通りだ。その場合は密かにイゼルローン方面に艦隊を動かし様子を見るべきだと考えていた。勘違いしないでくれよ、レベロ。彼らは無条件に出兵論に賛成しているわけじゃない。出兵は危険で出来る限り避けるべきだと考えている。だから帝国が内乱鎮圧にかなり梃子摺る、そう判断できた場合にのみ帝国領再侵攻の可能性があると考えたんだ」

「捕虜交換はどうなる。軍はそれを望んでいたはずだろう?」
「内乱鎮圧が遅くなる、つまり捕虜交換は先延ばしになると言う事だ。それまで主戦論を抑えきれると思うか? トリューニヒトが出兵論の検討をしろと言ったのはそういうことだろう」

思わず溜息が出た。この国の主戦論の根強さとは一体何なのだろう。シャンタウ星域の会戦であれだけの大敗を喫しても未だ戦いたいと言う人間が居る。そしてその声は決して小さくない。

「分かった。だが君はまだ私の問いに答えてはいない。何故報告が遅くなった?」
「恐れたのさ」
「恐れた? 妙な事を言う。何を恐れたと言うのだ?」

私の問いにシトレは微かに笑みを浮かべた。何処かで見た事がある笑みだ。そう、あれは彼を私のブレーンにと誘ったときだった。あの時と同じような笑みを浮かべている。暗い笑みだ。

「軍が出兵に賛成していると言う意見が一人歩きするのを、利用されるのを恐れたんだ」
「……」

「彼らは出兵には反対だ。だが可能性が有るのは認めた、それだけだ。出兵に賛成などしてはいない。だがそう受け取られる可能性が有ると恐れた」
「……」

「どの道、軍を動かすのであればフェザーンから第九、第十一艦隊が戻ってからに成る。であれば彼らが戻ってくるぎりぎりまで帝国の状況を見るべきだと考えたのだ。報告を急ぐ必要は無いと」
「第九、第十一の二個艦隊はあと一週間もすれば帰ってくるんだったな」

「そうだ、そして待った甲斐は有った。ヴァレンシュタイン元帥重態説には根拠が無いと分かったからな。であれば出兵の可能性があるなどと報告する必要は無い、違うかな」
「そうだな……、君の言う通りだ」

トリューニヒト政権に対する同盟市民の支持率は非常に高い。前政権が三十パーセントほどの支持率しか得なかったのに対しフェザーンを得た直後と言う事もあり七十パーセントを超える支持率を得ている。

これだけの支持率があるから出兵論を抑える事が出来る。だが時間が経てば当然支持率は下がるだろうし、出兵論は勢いを増すだろう。そんな時に軍が出兵に賛成していると言う意見が出たらどうなるか……。シトレの、軍の恐れを意味のない事と笑う事は出来ない。

「レベロ、君は怒っているか、何故二週間前に報告をしなかったと。自分を信じないのかと」
シトレが私に問いかけてきた。静かな穏やかな目をしている。

「……いや、そうは思わない。知っていれば何処かで私はそれを言っていただろう、出兵論など可能性が有るだけだと。主戦論者にとってはその可能性だけで十分なのにな」

「そう思ってくれるか……、有難う。あの時の君の気持が分かったような気がする」
あの時? あの時か……。君が統合作戦本部長をやめた時、私が君をブレーンにと望んだ時、そして君が私を非難したとき……。

「君が私を信じていないわけではなかったのだろうと今回の事で理解できた。可能性がある以上リスクは回避しなくてはならない。そのためにああしたのだろうと」

「だが私は失敗した。シャンタウ星域の会戦が起きたのは誤った人物を宇宙艦隊司令長官にしたからだ。その責任は私にもある」
リスクを回避したつもりだった。だが結果はより酷いものになった。私はリスクを回避するつもりでより大きなリスクを抱え込んだ事に気付かなかった。

「そうだな、確かに判断は誤ったかもしれない。だが私はあの時君が私を信頼していないと非難した、それは間違いだったよ。許してくれ、私は君に酷いことを言ってしまった……」
シトレが首を横に振っている。あの時の自分を責めているのかもしれない。

そうじゃないシトレ。君はあの敗戦で全てを失った。軍人としての名誉、名声、地位、権力、その全てを。私を非難するのは当然だ。私がその立場でも非難するだろう。君は当然の権利を行使したに過ぎない。だがそれでも君は私を助けてくれる。君こそ信頼に値する人物だ。

「シトレ、私は良いブレーンに、友人に恵まれたと思う。これからも私を助けてくれるだろう?」
「ああ、もちろんだ」

手を差し出すとシトレは私の手を握ってきた。大きな手だ、力強い手でもある。信頼できる男の手だと思った。






 

 

第二百十話 挑発

帝国暦 488年  2月 25日  帝国軍総旗艦 ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ガイエスブルク要塞の間近まで来た。もっとも要塞そのものは未だ見えない位置にいる。敵もこちらは見えていないだろうが、要塞近くに来ている事は承知だろう。此処へ来るまでの間に敵の哨戒部隊と何度か接触している。

問題はこれからどうするかだ。近付くか、引き摺り出すかだが、何と言っても要塞付近での戦闘は余り面白くない。何時要塞主砲、ガイエスハーケンを撃たれるかと心配しながら戦うのは余り上手な戦い方とは言えないだろう。

となると敵を引き摺り出すしかないが、あれをやらなきゃならんのか……。原作のラインハルトの挑発行為、あんまりやりたくないんだよな、あれ。なんていうかあざと過ぎるんだ、俺の感覚からすると。

ラインハルトはああいう性格だから他人を貶しても余り気にしないだろうけど、俺は駄目なんだな、何と言うかしっくり来ない。大体あんな風に上手く出来るかどうか不安がある。失敗したら無様だし出来ればやりたくない……。

でもなあ、原作では効果が有ったしやってみる価値はあるんだよな……。他の奴にやらせるか、俺がやらなきゃならんわけでも有るまい。リューネブルクとか上手そうだよな、ロイエンタールも。ビッテンフェルトも有るな。意外にメックリンガーとかも良いかもしれない。上品で辛辣に髭を捻りながらやったら痺れそうだ。

現実逃避していても仕方ないな、とりあえずはやってみるか。さて、どういう風に挑発するかだが……。



帝国暦 488年  2月 25日  ガイエスブルク要塞 オットー・フォン・ブラウンシュバイク


討伐軍が近くまで来ているようだ。辺境星域を平定するはずだった別働隊も集まっているらしい。どうやら先にこちらを平らげようとしているようだ。リッテンハイム侯を戦死させた事で敵は勢いに乗っているのだろう、その勢いをそのままこちらにぶつけようとしている。

「公爵閣下、敵軍より通信が入っています」
オペレータが緊張に満ちた声を出した。
「スクリーンに投影しろ」

大広間のスクリーンにヴァレンシュタインが映った。穏やかな笑みを浮かべている。その笑みを妙に懐かしく思ったのは何故だろう。そう言えばこの男の顔はもう何ヶ月も見ていない。いつも有るものが無いと落ち着かないとはこの事か。思わず自分の顔に苦笑が浮かぶのが分かった。

『ガイエスブルク要塞に引き篭もる臆病で小心な貴族達に告げます。卿らに僅かなりとも勇気があるのなら要塞を出て堂々と決戦をしなさい。と言ってもか弱い女子供を攫う事ぐらいしか出来ない卿らに戦争など無理ですね』

そう言うとヴァレンシュタインは肩を竦めた。わしの背後で貴族達の怒りに満ちた声が聞こえる。
「おのれ、小僧、よくも言いたい事を」
「静まれ!」

ヴァレンシュタイン、卿の言う通りだ。この程度の挑発で激するような者どもばかりなのだ、戦など到底無理だ。人目が無ければ大声で卿に同意しただろう。もっともそんな馬鹿どもを率いて戦わねばならんとはどういう運命の悪戯だろう。

『ヒルデスハイム伯やラートブルフ男爵、シェッツラー子爵を見れば良く分かります。なんと無様で無能な事か! 戦史に残る愚劣さですよ、呆れ果てました。今からでも遅くはありません、大人しく降伏したほうが良いでしょう。降伏すれば殺しはしませんし生きて行くのに困らないだけの財産も与えます』

「馬鹿な、我等に物を恵むというのか、増長にも程がある!」
「騒ぐなと言うておろう!」

『仕事も与えましょう、そうですね、陛下のバラ園の世話係とかはどうでしょう。陛下のお傍にお仕え出来るのです。貴方達にとっては名誉以外の何物でも無いでしょう。でもバラを枯らしてしまうと死罪ですから注意力散漫な貴方達には無理かもしれませんね』
そう言うとヴァレンシュタインはクスクスと笑い出した。背後で呻き声が聞こえる。

『まあ他にも仕事はありますから悲観する事は有りません。命は一つしか有りませんから良く考えて行動してください。無意味に強がる事はありませんよ、子供じゃないんですから』
スクリーンからヴァレンシュタインの姿が消えた。最後までクスクスと笑っていた。

「ブラウンシュバイク公、あのような事、言わせておいて良いのですか!」
「その通りです。出撃し我等の力を見せ付けてやりましょう!」
「出撃しましょう!」
若い貴族達が血相を変えて詰め寄ってきた。

「騒ぐな! この程度の挑発に乗ってどうする」
「しかし」
「分からぬのか! ヴァレンシュタインは我等を此処から引き釣り出したいのだ」

わしの言葉に若い貴族達は黙り込んだ。だが表情には未だ不満がある。
「児戯にも等しい挑発よ、ヴァレンシュタインは知恵者と思っていたがこの程度とは……、大した事は無いな、ハッハッハッ」

わしが笑うとようやく貴族達も興奮を抑え、笑い始めた。厄介な話よ、味方を宥めるために笑いたくなくとも笑わねばならんとは……。視界の端にグライフスが微かに頷く姿が見えた。



帝国暦 488年  2月 25日  帝国軍総旗艦 ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


通信を終えてほっとしているとパチパチと手を叩く音が聞こえた。音のする方向を見るとリューネブルクがニヤニヤしながら手を叩いている。この野郎、何が面白いんだ? 冷やかしか?

「いや、なかなか面白い見物でしたな」
「どうせ私には似合いませんよ。リューネブルク中将にやってもらえば良かった……」
俺がそう言うとリューネブルクが笑い出した。

「いやいや、小官などがやるよりずっと効果的です。閣下が喧嘩を買うのが上手い事は知っていましたが、喧嘩を売るのはもっと上手い。驚きました」
「……」

本気か? 周囲を見るとワルトハイムもシューマッハも頷いている。心外だな、俺はそんな嫌な奴じゃないぞ。ヴァレリーなら分かってくれる、そう思って彼女を探すと懸命に笑いを噛み殺している彼女が居た。その隣に同じように笑いを噛み殺している男爵夫人がいる。俺は周囲から理解されていない、寂しい限りだ。

いかんな、落ち込んでる場合じゃない。気を取り直して命令を出した。
「ミッターマイヤー提督に連絡、貴族連合軍を挑発せよ、敵が攻撃してきた場合は出来るだけ見苦しく逃げてくるようにと」
「はっ」

ミッターマイヤーなら上手くやってくれるだろう。何と言っても原作でも貴族連合を挑発しまくってくれたからな。先ず三日から四日か、その程度は餌を撒き続ける必要がある。今月末から来月初旬が山だ。





「申し訳ありません。敵は一向に動こうとはしませんでした」
スクリーンには面目なさそうに報告するミッターマイヤーが映っている。彼が挑発行動を始めて今日で四日が過ぎたが貴族連合はピクリとも動かない。予想外だ。

「ご苦労様でした、ミッターマイヤー提督。敵も必死なのです、そう簡単には行かないでしょう」
溜息が出そうになったが、慌てて堪えた。面目なさそうなミッターマイヤーの前でやることじゃない。敵が喰い付いて来ないのは彼の責任ではないんだ。落ち込ませるような事はすべきではない。いつもと同じように笑みを浮かべるんだ。

「明日は如何しましょう、続けますか?」
ミッターマイヤーは何処と無く自信なさげな表情だ。どうやら余り効果がないと考えているらしい。さて、どうしたものか……。

「……明日は少し趣向を変えましょう」
「趣向を変えると言いますと?」
「まあ、それは明日の楽しみという事にしておきましょう」
そう言うともう一度ミッターマイヤーを労ってから通信を切った。やれやれだ。

ミッターマイヤーとの通信が終わると待ちかねたと言わんばかりのタイミングでリューネブルクが話しかけてきた。
「予想外、ですかな。あれだけの熱弁が無駄になるとは」

嬉しそうに言うな、この野郎。
「ミッターマイヤー提督の所為では有りませんよ。私の想定が甘かっただけです。或いは私の喧嘩の売り方が下手だったのか、多分両方でしょうね」
俺がそう言うとリューネブルクは苦笑を浮かべた。

ミッターマイヤーを庇っているつもりは無い。原作では彼はこの時期、「疾風ウォルフ」と呼ばれて勇将としての名を確立しているが、この世界では未だそこまでの名声は無い。敵に対するインパクトは弱かったのかもしれない。

それでもコルプト大尉の一件がある。ブラウンシュバイク公は無理でも若い貴族なら彼の挑発に乗ってもおかしくないのだが、どうやら見込み違いだったらしい。俺の悪い癖だ、どうしても原作知識に引きずられる事が多い。この世界は原作とは違うという事を肝に銘じなければならん。そうでないといずれ大怪我をする。

敵が出てこない、となればこちらから押しかける他無いだろう。だがそれだけでは敵の思う壺だな、向こうは自らを追い詰める事で乾坤一擲の決戦をしようというのだろうが、それにみすみす乗る事になる。

負けるとは思わんがかなりの激戦になるだろう、厳しい戦いになる。工夫が要るな、確実に勝つためには工夫がいる。どうすれば確実に勝てるか、考えなければならん。そのためにも明日は……。



帝国暦 488年  3月 1日  ガイエスブルク要塞 オットー・フォン・ブラウンシュバイク


「公爵閣下、敵艦隊が来ました」
「芸の無い事だ、今日で五日連続ですぞ、ブラウンシュバイク公」
「全く、ヴァレンシュタインも何を考えているやら」
「……」

オペレータの報告に若い貴族達が嘲笑を放つ。今だから嘲笑を上げているが、最初の日に敵が来たときには出撃すると息巻いて宥めるのが容易ではなかった。

敵の艦隊司令官、ミッターマイヤー大将はコルプト大尉の件も有る。クロプシュトック侯の反乱鎮圧に参加した連中の激昂は凄まじかった。彼らがミッターマイヤーを嘲笑うようになったのは一昨日辺りからだ。

「敵兵力、約三万隻。二個艦隊です」
昨日までの倍か、単純に兵力を増やしただけか、それとも何か有るのか。いきなりその兵力で攻めてくる事は有るまいが、ヴァレンシュタイン、何を考えている?

「二個艦隊なら我等が挑発に乗るとでも思ったか」
「所詮は愚昧な平民なのだ。仕方あるまい」
オペレータの声に周囲の貴族達が嘲笑を放つ。

「敵の指揮官は分かるか」
「グライフス総司令官、気にする事は有るまい、所詮は二個艦隊なのだ」
グライフスは貴族達の嘲笑を気にする事もなくスクリーンを見ている。彼も何かを感じているのだろう。それとも当然の用心か。

「戦艦ベイオウルフ、確認しました。一個艦隊はミッターマイヤー提督です」
「残りは」
「もう暫くお待ちください」

オペレータの答えにグライフスがもどかしそうな顔をした。周囲の貴族達は何を慌てているのかといった侮蔑を含んだ表情でグライフスを見ている。

「こ、これは」
「落ち着け! どうした!」
オペレータの慌てたような口調にグライフスが反応した。

「総旗艦ロキを確認しました! 残りの一個艦隊はヴァレンシュタイン元帥の直率艦隊です!」
「間違いないか!」
「間違いありません! スクリーンに拡大します」

周囲がざわめく中、スクリーンに漆黒の戦艦が映った。間違いない、総旗艦ロキだ。細長い艦首と滑らかな艦体、これまでの帝国軍の標準戦艦とは明らかに艦型が違う。

大広間に沈黙が落ちた。皆不安そうに顔を見合わせている。この不安こそが貴族達の本心だ。これまでの嘲笑や出撃を求める声など強がりに過ぎない。それを証明するかのように若い貴族の声が上がった。

「出撃だ、今こそヴァレンシュタインに我等の実力を見せるときだ」
「そうだ、出撃だ」
「落ち着け、今出撃しても敵は逃げるだけだ、何の意味も無い」

「しかしブラウンシュバイク公」
「落ち着け! グライフス、卿の意見を聞きたい。ヴァレンシュタインが自ら最前線に出てきた理由は何だと思う?」

周囲の視線を浴びつつグライフスは自らの答えを確かめるかのようにゆっくりと話し始めた。

「一つは挑発かと思います。自らが餌になることでこちらを激発させようとしているのでしょう」
グライフスの言葉に出撃を叫んだ若い貴族が唇を噛んだ。

「であろうな、他には」
「おそらくはこちらが挑発に乗らぬと見て自らの目で我等を確かめに来たのでしょう」

「確かめに来たか……、では」
「近日中に大軍をもって攻め寄せてくる心積もりかと思います」

グライフスの言葉に大広間の空気が緊迫した。皆緊張した表情をしている。誰もが決戦の時が来たと分かったのだ。自然と皆がスクリーンに映るロキを見詰めた、漆黒の戦艦を……。






 

 

第二百十一話 決戦、ガイエスブルク(その1)

帝国暦 488年  3月 2日  帝国軍総旗艦 ロキ コルネリアス・ルッツ


ヴァレンシュタイン司令長官から各艦隊司令官に総旗艦ロキへの集合が命じられた。前回総旗艦ロキの会議室に集合してから十日程しか経っていない。今回も同じ会議室に同じような並び順で皆が座った。

「思ったより貴族達は慎重だな。もっと簡単に暴発するかと思ったのだが……」
メックリンガー提督の言葉に彼方此方から同意する声が上がった。

「司令長官の挑発は結構辛辣なものだと思ったのだがな」
「結構辛辣? 冗談は止せ、クレメンツ。バラ園の世話係のくだりに私は飲んでいたコーヒーを吹き出したぞ」

メックリンガー提督の言葉に会議室に笑い声が湧いた。皆顔を見合わせ笑っている。メルカッツ副司令長官も常の謹厳さを何処かに置き忘れたかのように顔を綻ばせていた。

「しかし司令長官は余り出来は良くないと不満だったようですよ」
「本当か? ルッツ提督。信じられんな」
ビッテンフェルト提督が疑わしげな表情で問いかけてきた。何人か頷いている姿がある。まあ気持は分からんでもない。俺も最初聞いたときは信じられなかった。

「本当だ、ビッテンフェルト提督。リューネブルク中将から聞いたから間違いないだろう。通信を終えた後はかなり憮然としてリューネブルク中将にやってもらえば良かったと言っていたそうだ」

俺の言葉に皆が顔を見合わせ、また笑い出した。あれだけ辛辣な通信をした後で納得できずに憮然としているヴァレンシュタイン司令長官を思い浮かべたのだろう。

「やれやれだな。門閥貴族達はあの通信を聞いてどんな顔をしたのやら」
「さぞかし怒り狂っただろうさ。だがそれを抑えたのだ、連中、油断は出来ん」

ロイエンタール提督の問いにミッターマイヤー提督が答えた。彼の口調には苦味がある。挑発行為が上手くいかなかった事で忸怩たるものがあるのだ。皆もそれを感じ取ったのだろう、笑いを収めた。

「引き摺りだす事が出来んという事は力攻めという事か」
「そうなるな、貴族連合と乾坤一擲の戦を行う事になる」
「面白くないな、敵の狙いどおりという事だろう」
ケンプ提督とレンネンカンプ提督が表情を曇らせている。全く同感だ、事態は面白くない方向に進んでいる。

昨日、挑発行為が思うように効果を上げていないと思った司令長官はミッターマイヤー提督と共に自ら出撃した。俺達は皆危険だと止めたのだが、司令長官は“一人ではない、ミッターマイヤー提督も一緒だから大丈夫だ”と笑って取り合わなかった。

おそらく司令長官は挑発行為が上手く行かず面目を失ったと感じているミッターマイヤー提督を気遣ったのだろう。あれはミッターマイヤー提督の責任ではない。その事は皆が分かっている。俺がやっても同じ結果だったはずだ。

だがそれでも責任を感じてしまうのが人間というものだ。司令長官はミッターマイヤー提督と共に出撃する事で彼に対する信頼を表したのだろう。信頼できない相手と共に出撃する事がどれ程危険かはヒルデスハイム伯を思えば分かる。

司令長官の挑発行為はかなり大胆なものだった。敵の前で行進をするかと思えば長時間にわたって同じ場所に留まり続けた。さらには陣形を変え、艦隊訓練の真似事まで行なった。敵にしてみれば腹立たしい事だっただろうが、挑発に乗るような事は無かった。

もっとも腹立たしい思いをしたのは司令長官も同様だろう。司令長官が当初考えたであろう敵を挑発し要塞より引き摺りだして戦うという方針は失敗したようだ。三月末までに辺境星域の平定も含めた内乱の鎮圧は厳しい状況になりつつある。

今日此処に集合を命じたと言う事は新たな方針が示されると言う事だろう。ケンプ提督、レンネンカンプ提督の言う通りおそらくは力攻めになる。司令長官にとっては気の重い命令になるだろう。

司令長官が会議室に来た。全員が起立して敬礼で迎えようとすると司令長官は手でそれを抑えた。
「無用です、席についてください」

司令長官の言葉に困惑を感じながらも席につく。皆も同じなのだろう。問いかけるような視線が会議室に満ちた。司令長官は苛立っているのだろうか? しかし表情に苛立っている感じは無い。

「既に分かっているかと思いますが、私は要塞近くでの戦いは不利だと思い敵を引き摺り出して戦おうと考えていました。しかし敵を挑発し引き摺り出して戦う事はどうやら不可能なようです」
司令長官の言葉に皆が頷いた。

「敵の狙いは明らかです。こちらを要塞付近に引き寄せ、背水の陣を布く事で自らを窮鼠と成そうとしている。それによって乾坤一擲の戦を挑もうとしているのでしょう」
また皆が頷いた。背水の陣、窮鼠、乾坤一擲、その言葉が会議室に重く響く。

「思えば詰まらない小細工をしたものです。あの通信など敵にしてみれば児戯にも等しいものだったでしょう。ミッターマイヤー提督にも無意味な事をさせてしまいました」
自嘲するかのよう口調だった。司令長官の表情には笑みがあるが苦笑に近い。

「そのような事は有りません。あの場合、敵を引き摺りだすために挑発行為をするのは当然の事です。司令長官の策が無意味だと言うのは結果論でしょう。御自身を責めるのはお止めください」
司令長官を宥めたのはケスラー提督だった。その通りだ、あの時点では挑発が失敗に終わるなど誰も予想しなかっただろう。司令長官の責任ではない。

「それにしても貴族連合は意外に手強いですし慎重です。クロプシュトック侯の反乱鎮圧時に比べるとかなり違いますがどういうことでしょう?」
ロイエンタール提督が訝しげな表情で問いかけた。彼の気持は分かる、キフォイザー星域の会戦は楽な戦ではなかった。苦戦の連続だったと言って良い。予想していた貴族達の戦いぶりとは明らかに違う。ヒルデスハイム伯の暴走が無ければ勝利はどちらに転がったか……。

「必死だと言う事だろう。我等が勝てば貴族そのものが力を失う。権力を欲してではない、生き残るのに必死なのだ」
ロイエンタール提督に答えたのはメルカッツ副司令長官だった。その言葉に皆が頷いた。必死、これ以上に厄介なものは無い。

ヴァレンシュタイン司令長官が後を継いだ。
「その必死さも分からず小手先の挑発で勝とうとしました。どうやら勝ち慣れて敵を甘く見てしまったようです」
司令長官の声には苦い響きがあった。余程今回の失敗を気にしているらしい。

「全軍を以って敵との戦いに臨みます。早期に内乱を鎮圧する必要がある以上、こちらから押し寄せなければなりますまい」
「しかし、攻めかかるのは敵の手に乗るようなもの、得策とは思えませんが?」
司令長官は焦っている、そう思ったのだろう、メックリンガー提督が諌めた。

「そうですね、その通りです」
「では」
「メックリンガー提督」
司令長官は笑みを浮かべながら言い募ろうとするメックリンガー提督を止めた。

「敵は自らを窮鼠にしようとしています。死に物狂いの力を出すためでしょう。窮鼠だから強い、しかし勝てると思った時から窮鼠ではなくなる。そこまでやらなければこの敵を崩すのは難しいと思います」

「相手に勝てると錯覚させると言うことですか。しかしそれは危険では有りませんか。そこまで追い詰められるということでしょう」
「敵は存亡を賭け乾坤一擲の戦を挑んできている、それほどの敵なのです。こちらもそれなりの覚悟をすべきでしょう。楽に勝てる戦など有りません」

司令長官が俺を見た、いや見たように思えた。司令長官の言う通りだ、キフォイザー星域の会戦におけるヒルデスハイム伯を見れば分かる。勝てると思ったから自滅した。ガイエスブルク要塞に篭る敵も同様だと言う事だろう。

そして楽に勝てる戦など無い。どれ程圧勝に見えても勝敗は紙一重のところで決まる。それが分かるのは実際にその戦闘を戦ったものだけだ。

「メックリンガー、此処は司令長官の御考えに従おう。楽に勝てる戦など無い、それは卿も第三次ティアマト会戦で分かっているだろう」
「それはそうだが」
クレメンツ提督がメックリンガー提督を説得した。メックリンガー提督も納得したようだ。その様子を見て司令長官が言葉を続けた。

「これから作戦と布陣を説明します。短時間で考えたものですから穴があるでしょう。それをこの場で皆で修正していきたいと思います。これは軍議です、遠慮は要りません。思ったことを述べてください」
前置きと共に司令長官が作戦を話し始めた。その内容が分かるにつれ困惑と驚きが会議室に広がり始めた。



帝国暦 488年  3月 3日   ガイエスブルク要塞   アントン・フェルナー



「哨戒部隊より報告です! 敵、大兵力にて要塞に向け移動中!」
オペレータの報告に大広間が緊張した。先日、エーリッヒが自ら偵察に来て以来、攻撃は間近と見てグライフス総司令官は哨戒部隊を出していたが、どうやら今日が決戦の日らしい。

「グライフス総司令官、敵が来たようだな」
「はい、どうやら今日が決戦の日のようです。全軍に迎撃命令を出します」
「うむ」
総司令官とブラウンシュバイク公の会話に大広間の緊張はより高まった。

「全軍、敵を迎撃せよ」
グライフス総司令官の命令と共に各艦隊の司令官が出撃準備に入った。出撃準備といっても大した物ではない。艦隊は既に要塞の外で待機中だ。連絡艇で己の旗艦に向かうだけだ。

「フェルナー、後を頼むぞ」
「はっ」
ブラウンシュバイク公が強い視線を向けてくる。敬礼をすると公は力強く頷いた。

後を頼む、ブラウンシュバイク公の言葉には二つの意味がある。一つはタイミングを掴んでガイエスハーケンで敵に一撃を加える事。もう一つは最悪の場合はエリザベート様を守る事。公が大広間から出るのを見届けてから司令室に移動した。

要塞司令室には既にリヒャルト・ブラウラー大佐、アドルフ・ガームリヒ中佐が居た。そして女性が二人、エリザベート様とサビーネ様……。

「後どのくらいで敵は来る?」
「大体二時間程でしょう」
ガームリヒ中佐が答えた。二時間、それだけあれば十分に準備を整えられるだろう。

予定では艦隊はガイエスハーケンの射程外で陣を布く事になっている。そして敵と戦うが敵のほうが兵力が多いからおそらく戦局はこちらが押される形で推移するはずだ。当然味方はガイエスハーケンの射程内に後退する。そして時期を見計らって艦隊は天底方面、天頂方面に急速移動し敵をガイエスハーケンで攻撃する。

タイミングの難しい作戦だ。しかし勝つ方法が有るとすればこれしかないだろう。注意すべき点は混戦にならない事だ。混戦になっては艦隊を移動させる事が難しい。もう一つは敵に側面を突かれて混乱しない事。貴族連合軍の錬度は決して高くない、正面はともかく側面からの攻撃には要注意だ。

徐々に艦隊が要塞を離れていく。無用な混乱を防ぐため既に艦隊の布陣は決まっており、その布陣どおりに移動していく。

艦隊は左翼からクライスト大将、ハイルマン子爵、ヘルダー子爵、カルナップ男爵、ブラウンシュバイク公、グライフス総司令官、コルヴィッツ子爵、ホージンガー男爵、ランズベルク伯爵、ヴァルテンベルク大将だ。グライフス総司令官はブラウンシュバイク公の艦隊三万隻の半分を率いる。そして他にフォルゲン伯爵とヴァルデック男爵が予備として後方に待機する。

ハイルマン子爵、コルヴィッツ子爵、ヴァルデック男爵はリメス男爵家の財産相続でエーリッヒの両親を殺したと言われている人物だ。本人達は否定しているが本当かどうかは分からない。

ただ彼らにしてみれば帝国屈指の実力者に恨まれているというのは恐怖なのだろう、酷く怯えている。他の人間はエーリッヒに対する反発からこの内乱に参加しているが、彼らは恐怖から参加している。生き残るためにはエーリッヒを殺さなければならないと思い定めている雰囲気がある。

そしてフォルゲン伯爵、この人物もエーリッヒとは無関係ではない。この人物の弟はサイオキシン麻薬の密売人だった。そして彼は当時の内務省警察総局次長ハルテンベルク伯爵の妹の婚約者でも有った。

弟が、妹の婚約者がサイオキシン麻薬の密売人であることを知ったフォルゲン伯爵、ハルテンベルク伯爵は密かに彼を前線に送り戦死させた。本来ならそれで終わりだったがエーリッヒがサイオキシン麻薬の摘発を行った事がきっかけで全てが表沙汰になった。

ハルテンベルク伯爵はサイオキシン麻薬の密売組織の存在を知りながら放置した事が明らかになり自殺。フォルゲン伯爵も弟がサイオキシン麻薬の密売に関わっていた事で叱責を受けた。

だが叱責だけですんだのは伯爵自身はサイオキシン麻薬に何の関係も無かった事、また弟を戦場に送り戦死させたのも伯爵家を守るためだと同情されたからだった。貴族にとっては家の名誉を守る事は何よりも重大事であり、伯爵の行為は止むを得ないものとされたからだった。

伯爵が貴族連合に参加したのはその件でエーリッヒを恨んでいるからだろう。また伯爵はハルテンベルク伯爵の自殺で内務省に大きな借りを作った。それも一因かもしれない。



「敵が現れました! スクリーンに映します!」
オペレータが報告をしたのは二時間を少し過ぎた頃だった。司令室の空気が緊迫する。そしてスクリーンに敵が映った。圧倒されるような大艦隊だ! 視界の端に怯えたようにスクリーンを見る二人の少女が見えた。

戦術コンピュータのモニターに敵味方の勢力が映し出された。
「敵の部隊の指揮官を特定してくれ」
「少し時間がかかりますが」
オペレータが少し困ったように答えた。

「構わない」
これだけの大艦隊、しかも距離は未だかなりあるのだ、特定は簡単ではないだろう。だが両軍が戦火を交えるには未だ時間が有る。指揮官の特定はそれまでに間に合えばいい。

少しずつ両軍が近付いていく。
「エリザベート様、サビーネ様。そのように不安な御顔をなさいますな。まだ戦は始まっておりませぬ。大丈夫です、御味方は勝ちます」
二人が強張った顔に僅かに笑みを浮かべた。二人を落ち着かせるため少し話をした。ブラウラー大佐、ガームリヒ中佐も加わり和やかな時間が過ぎた。十分、いや十五分も話した頃だろうか、オペレータが遠慮がちに声をかけてきた。

「フェルナー准将」
「分かったか?」
「はい、敵の艦隊司令官の特定が出来ました。敵は右翼からファーレンハイト、ミュラー、ビッテンフェルト、ヴァレンシュタイン、ケンプ、アイゼナッハ、ケスラー、クレメンツ、メルカッツ、シュタインメッツ、レンネンカンプ、メックリンガー提督です。なお予備として右翼側艦隊の後ろから順にワーレン、ルッツ、ミッターマイヤー、ロイエンタール提督が配置されています」

戦術コンピュータのモニターに映る敵情とオペレータの報告を付き合わせていく。妙だ、腑に落ちない。ブラウラー大佐、ガームリヒ中佐も訝しげな表情をしている。

「妙ですな、ヴァレンシュタイン司令長官が中央に居ない」
ブラウラー大佐がモニターを睨んだ。同感だ、普通総司令官は中央に陣を布く。だがこれではどう見てもエーリッヒの位置は右翼寄りだ、どういうことだ?

「メルカッツ副司令長官は左翼に寄っています。右翼と左翼で指揮を分けているという事でしょうか」
ガームリヒ中佐が自信なさげに言う。有り得ない話だ、エーリッヒは無力な司令長官ではない。指揮権を分割する必要は何処にも無い。だが陣の有り様を見れば確かにそのように見えなくも無い。それに他にも妙な事がある。

「敵の予備だが妙とは思わないか?」
「……なるほど、確かに」
「……いささか妙ですな」
俺の言葉にブラウラー大佐とガームリヒ中佐が少し考えてから同意した。

敵の予備はワーレン、ルッツ、ミッターマイヤー、ロイエンタールが配備されている。普通予備は攻勢に強い指揮官を選ぶ。ミッターマイヤー、ロイエンタールは分からないでもない、だがワーレン、ルッツはどういうことだろう。彼ら二人はどちらかと言えば守勢に強い指揮官だ。

その一方で本来予備にすべきビッテンフェルト、ファーレンハイトは前線に出されている。布陣と言い、指揮官の配置と言い腑に落ちないことばかりだ。俺なら予備にはビッテンフェルト、ファーレンハイトの他にケンプ、レンネンカンプを選ぶ。エーリッヒ、卿、何を考えている?

「混戦を狙っているのではありますまいか」
ガームリヒ中佐の言葉に俺とブラウラー大佐は顔を見合わせた。
「混戦か……、ガイエスハーケンを撃たせないためだな」
「ええ」

なるほど、多少強引でも突破力のある混戦に強い指揮官を選んだと言う事か。しかも配置からして敵は右翼が攻撃力が強い。エーリッヒは自らの手で勝利をつかもうとしている。右翼を混戦に持ち込み撃滅する。指揮を分けたのはその所為か……。

「ブラウンシュバイク公に知らせよう。もしかするとグライフス総司令官が気付いているかも知れない。しかし気付いていなければ危険な事になる」
俺の言葉にブラウラー大佐とガームリヒ中佐が頷いた。モニターに映る両軍が次第に近付いていく……。


 

 

第二百十二話 決戦、ガイエスブルク(その2)

帝国暦 488年  3月 3日  15:00  ブラウンシュバイク艦隊旗艦 ベルリン   アルツール・フォン・シュトライト



「敵との距離、百光秒」
「敵、イエローゾーンに突入します」
オペレータの震えを帯びた声に艦橋の緊張感が高まった。

実戦は久しぶりだ、緊張が身を包む。自分の心臓が脈打っているのがはっきりと分かるような気がする。それほど自分は緊張している、そして艦橋は静まり返っている。

クロプシュトック侯の反乱を鎮圧した事もあるが、あれは戦とは言えない。隣に居るアンスバッハ准将も多少緊張気味のようだ。彼もこれほどの会戦は初めての筈だ、緊張は無理も無い。

指揮官席に座るブラウンシュバイク公は先程からじっとスクリーンを見詰めている。そして時折戦術コンピュータのモニターを見る。
「ブラウンシュバイク公、フェルナー准将の言って来た事が気になりますか?」

私の問いかけに公は黙って頷いた。
「気になる。ヴァレンシュタインは一体何を考えているのか……。フェルナーの言った通りかもしれんが、グライフスの言うように別に狙いが有るのか……、どうも不安だ」

出撃直後、フェルナーが敵の布陣について知らせてきた。そして彼の考えも。彼の言う通り敵の陣容は不自然だ、訝しむのも無理は無い。そして彼の考えに一理あるのも皆が認めた。しかし、それが全てかといえばフェルナー自身でさえ断言できなかった。グライフス総司令官の言うように別に狙いが有るのかもしれない。

「御気持は分かりますが敵の狙いはフェルナー達に読ませましょう。彼らの方が後方から大局的に見る事が出来るはずです。容易ならぬ敵です、戦闘が始まりましたら指揮に集中してください。しばらくは防ぐので精一杯となるでしょう」

「カルナップ男爵、ヘルダー子爵、ハイルマン子爵……、大丈夫だと思うか」
公が重い口調で尋ねてきた。私を見る公の表情には不安が有る。彼らの前面に位置するのはケンプ、ヴァレンシュタイン、ビッテンフェルト。抑え切れるのか、誰でもそう思うだろう。

「ヘルダー子爵は既に実戦を経験しております。キフォイザー星域の会戦では十分な働きをしたそうです。戦場で何が必要かは理解しているでしょう。問題は……」

「カルナップ男爵、ハイルマン子爵だな」
「はい。彼らは実戦の厳しさを知りません。公とヘルダー子爵、それにクライスト大将で支援するしかありません」

アンスバッハ准将の答えに公は渋い表情で頷いた。もっともこんな事は言わなくとも分かっているだろう。それを承知の上でこの布陣を敷いたのだ。問題は支援と言ってもこちらも前面に敵を持っている事だ。その状態でケンプ、ヴァレンシュタイン、ビッテンフェルトを抑え切れるのか? 混戦は避けなければならない、厳しい状況に追い込まれるだろう。

敵が徐々に近付いてくる。それに伴って艦橋の緊張感が高まる。戦が始まれば多くの兵士たちが死ぬ事になる。だがこの緊張感に耐え続けるのと戦に没頭するのと兵士達にとってはどちらが楽なのだろう。

「敵軍、イエロー・ゾーンを突破しつつあります……」
オペレータの囁くような声にブラウンシュバイク公がゆっくりと右手を上げた。もう直ぐ始まる、おそらく砲手の指は既に発射ボタンの上に置かれ彼らは息をする事すら忘れてその時を待っているだろう。

「敵、射程距離に入りました!」
「撃て!」
悲鳴のようなオペレータの声に公の太く低い声が応えた。そして勢い良く右手が振り下ろされる!

光の束が数百万本、貴族連合軍から敵に向かって放たれた。同時に敵からも同じような光の束が貴族連合軍に襲い掛かる。決戦が始まった。



帝国暦 488年  3月 3日   17:00 ガイエスブルク要塞   アントン・フェルナー



「敵はやはり右翼と左翼で指揮権を分けているのでは有りませんか?」
「かもしれん、だが断定するのはまだ早い」
「しかし、右翼と左翼で余りにも勢いが違いすぎます。それに予備が動きました……」

戦術コンピュータのモニターを見ながらブラウラー大佐とガームリヒ中佐が話している。戦闘が始まってから一時間半が経過した。やはり敵は右翼の攻撃の勢いが強い。

そして予備が動いた。当初中央に居た四個艦隊が二個艦隊ずつそれぞれエーリッヒ、メルカッツ副司令長官の後方に移動している。指揮権をメルカッツ副司令長官と分けていると見るべきなのだろうが、余りにもあからさまな動きだ。罠ではないかという疑いを捨てきれない……。

戦況は良くない。ケンプ、ビッテンフェルト、ファーレンハイト、攻勢に定評の有る男達がその評価に恥じない攻撃をかけて来ている。味方は防戦一方で自陣はあっという間に押されて後退させられた。

敵の右翼が押す、それによって味方の左翼は否応無く後退。そして味方の右翼は敵の右翼、または予備に側面を突かれるのを恐れて左翼が後退するのに合わせて後退、そして敵の左翼が前進する。

戦闘が始まってからの彼我の戦闘状況だ。混戦状態になっていない事、潰走していない事が救いだが他に明るい材料は無い。おかげで司令室の空気は嫌になるほど重苦しい。

二人の少女も肩を寄せ合い怯え切った表情でスクリーンを見詰めている。泣き出さないのが救いだ。この上泣かれたら士気はガタ落ちだろう。何処かに移って貰うかとも考えたが、それも危険で出来ない。何処かの馬鹿が二人を攫って利用しようとするかもしれないのだ。目の届くところにいて貰う必要がある。

「フェルナー准将」
ブラウラー大佐の声に視線を向けると戸惑いがちに問いかけてきた。
「ヴァレンシュタイン司令長官が激しい勢いで攻めてきますが、そういう方ですか? どうも腑に落ちないのですが」

スクリーンには激しい勢いで攻めかかるエーリッヒの艦隊が映っている。その勢いはケンプ、ビッテンフェルト、ファーレンハイトと比べても見劣りしない。そしてその勢いにつられるかのようにミュラー、アイゼナッハも猛然と攻め寄せてくる。

「外見どおりの性格じゃない、むしろかなり烈しい所の有る男ですよ。普段は慎重ですがいざとなれば大博打を打って来る。いや本人は博打とは思っていないのかも知れない、十分に勝算が有って打って来るのでしょうが敵に回せば嫌な相手です」

「なるほど……、となると混戦を狙っているのでしょうか? 或いは左翼の撃滅?」
「……分かりません。多分左翼の攻略を主目的にしていると思うのですが囮の可能性も捨て切れません。本当の狙いは右翼かも知れない……」
「……右翼ですか、考えられる事ですな。確かに敵に回せば嫌な相手です」
ブラウラー大佐が顔を顰めた。

自分で言っていて気付いた。派手に眼を引く敵の右翼の動きは囮かもしれない。真の狙いは左翼を使っての攻撃だ。指揮権を分けたとすればそれが理由だろう。こちらがエーリッヒの動きに振り回された隙を見せた瞬間にメルカッツが一気に攻め寄せる……。ありえない話じゃない、注意を怠るな!

戦術コンピュータのモニターでまた味方の左翼が押されるのが見えた。それを見たガームリヒ中佐が戸惑いがちに
「予備を出すべきでは有りませんか」
と提案してきた。

予備か、味方の予備はフォルゲン伯爵の一個艦隊一万三千隻、ヴァルデック男爵の半個艦隊七千隻、合わせて二万隻が有るだけだ。敵に比べれば圧倒的に少ない。それを今使う?

「今予備を使えば敵が予備を使ってきた時対応できなくなる」
「しかしブラウラー大佐、このままでは味方は後退する一方です」
「後退は当初から予定されていたことだ。敵を引き摺り込んで機を見てガイエスハーケンで一撃を加える。そうだろう?」
言い募るガームリヒ中佐をブラウラー大佐が宥めた。

「それは分かりますが、敵は勢いに乗って攻めてきます。このまま混戦、或いは突破されてはガイエスハーケンを使えません。最悪の場合、味方もろとも敵を撃つ事になりかねません。そんな事になったら……」
「……」

ガームリヒ中佐の言葉にブラウラー大佐が口をつぐんだ。確かに状況は良くない。味方は押され続けている。押されるのは仕方が無いだろう、有る程度は想定の内だ。

問題はガイエスハーケンの射程内に入った時、敵を振り切って逃げる事が出来るかどうかだ。予備を使って多少の余裕を持ちたい、そう思う中佐の気持は分からないでもない。

もし敵味方一緒に撃つ事になった場合、その時から貴族連合は烏合の衆になるのは間違いない。皆生き延びるために戦っているのだ、死ぬためではない。敵を引きつける為の消耗品扱いなど認める事は出来ないだろう。エーリッヒはそこまで考えて攻撃をかけてきているはずだ。

「卿の言いたい事は分かる。だが予備の投入を判断するのはグライフス総司令官の権限だ。我等がとやかく言うことではない。それにまだ突破されたわけでも混戦になったわけでもない」
ブラウラー大佐がガームリヒ中佐を宥めたがガームリヒ中佐は諦めなかった。

「総司令官に意見を具申してはどうでしょう」
「それは止めた方が良い。前線で戦っている総司令官に圧力をかける事になりかねない」
ブラウラー大佐が首を横に振って反対した。同感だ、後方に居る我々が総司令官に圧力をかけるような事をすべきではない。

「ブラウラー大佐の言う通りだ、中佐。グライフス総司令官を信じよう。我等が総司令官を軽んじるような行動を取れば、前線の指揮官達にも同じような行動を取るものが出かねない」

「小官は総司令官を軽んじているわけでは……」
「分かっている。だがそう取りかねない人間も居るのだ。我々は総司令官の立場を弱めるような事をするべきではない」
ガームリヒ中佐は渋々だが俺の言葉に頷いた。

「大佐の言う通りまだ突破されたわけでも混戦になったわけでもない。少し落ち着こう。中佐、敵の右翼に振り回されるな、左翼が本命と言う可能性も有るのだ」

味方の左翼は少しずつ後退している。少しずつガイエスハーケンの射程内に近付きつつある。予定通りだ、振り回されるな、落ち着くんだ。


帝国暦 488年  3月 3日   18:00   帝国軍総旗艦 ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「なかなかしぶといですな」
感嘆するかのようなリューネブルクの言葉に俺は黙って頷いた。まったくだ、敵の左翼はしぶとい。リューネブルクの発言に応えるかのようにワルトハイムやシューマッハもしきりに敵のしぶとさに感嘆(?) 或いは呆れたような声を出している。

自分が戦っているのでなければ素直に感嘆できるのだが、戦っている本人としては黙ってココアを飲みながら頷くのが精一杯だ。口を開けば何を言い出すことか……。

グライフスの指揮も良いのだろうがキフォイザー星域会戦で戦ったヘルダー、クライストが良く戦っている。予想できた事では有るが余り嬉しい事ではない。貴族連合軍は戦うごとにしぶとくなっていく。まるでこちらが連中を鍛えているかのようだ。どういうことだ?

敵がしぶといのは後が無いという恐怖感も有るだろうが勝てるという希望もあるからだろう。絶望だけでは此処まで整然とは戦えない、何処かで自暴自棄になる。

ガイエスブルク要塞の主砲を利用してこちらを撃破しようというのだろう、主砲の射程内に入るまでは突破はさせない、混戦に持ち込ませない、敵の狙いはそんなところだ。分かってはいたがやはり厄介だ。

スクリーンでは味方が敵を押しているのがはっきりと分かる。俺の艦隊もかなりの勢いで敵を攻めている。元々分艦隊司令官にはトゥルナイゼンやクナップシュタイン、グリルパルツァー等有能な指揮官が揃っている。このくらいはやるだろう。

彼らは原作では評価されながらも精彩を欠く存在だ。だが元々実力は有る、若手のホープなのだ。今はそれに相応しい働きをしている。これからも変に野心を持たずに武勲を重ねてくれれば次代を背負う人間になるだろう。

トゥルナイゼン、クナップシュタイン、グリルパルツァー、分かっているか? キフォイザー星域の会戦前に俺が言った事を。英雄になどなろうとするな、なろうとしたときから自分が自分ではなくなる、自分を見失うのだ。

自分を見失った奴に周りが見えるはずが無い。つまり自分も周囲も見えない奴になる。そんな奴に待っているのは破滅だけだ。お前達は原作では破滅した。この世界では破滅するなよ……。



帝国暦 488年  3月 3日   19:00   帝国軍総旗艦 ロキ クラウス・ワルトハイム


戦況は必ずしも良くない。味方は敵を押しているのだがそれ以上ではない。突破したわけではないし、混戦状態に持ち込んでガイエスハーケンを封じたわけでもない。敵は徐々に後退しこちらをガイエスハーケンの射程内に誘い込もうとしている。

しぶとい、実にしぶとい。俺達は四時間近く戦っている。敵は後退はしているが混乱はしていない。貴族連合軍が此処まで整然と戦うとは思っていなかった。

周囲から敵の奮戦に感嘆の声が上がる中、ヴァレンシュタイン司令長官は沈黙を保ったまま戦況を見ている。時折ココアを飲むが表情は変わらない、一体何を考えているのか、知りたいものだ。

「参謀長、あとどれくらいでガイエスハーケンの射程内に入ります?」
司令長官が視線を戦術コンピュータのモニターに向けたまま問いかけてきた。

「このままでいけば、敵が射程内に入るのが約一時間後、味方が入るのはさらに一時間ほど後の事と思います」
俺の言葉にシューマッハ准将が頷いた。大丈夫だ、間違ってはいない。
「あと二時間ですか、これからが本当の戦ですね」

俺の返答に司令長官は微かに頷いて笑みを見せた。“本当の戦”、司令長官のその言葉に艦橋の空気が緊張した。皆が緊張する中、司令長官だけが穏やかな表情でスクリーンを見ていた。

 

 

第二百十三話 決戦、ガイエスブルク(その3)

帝国暦 488年  3月 3日  19:30  グライフス艦隊旗艦   ヴィスバーデン    セバスチャン・フォン・グライフス



「今のところ順調に進んでいる、そう見ていいのかな」
「そう思います。クラーマー大将」
私の後ろでクラーマー大将とプフェンダー少将が話をしている。確かに順調に敵をガイエスブルク要塞に引き付けつつある。

但し、内心では冷や冷やしながらだ。そのあたりをプフェンダーは分かっているのだろうか……。クラーマー大将は憲兵出身だから理解できなくともある意味仕方無いが、プフェンダーが分かっていないようだと参謀としては信用できない。不安な事だ。

「それにしても敵は芸が無いな。このままではみすみすガイエスハーケンの餌食になるだけだろう」
「ここまで戦場が限定されると敵にも打つ手が無いのでしょう」

駄目だな、何も分かっていない。相手を甘く見すぎている。戦場が限定されると敵にも打つ手が無い? 冗談だろう、敵は何かを狙っているはずだ。そしてこちらは未だそれを察知できていない。

「出来ればガイエスハーケンを私の手で撃ちたかったのだがな。あれを受けて四散する敵を見たかった」
「小官も同感です。しかしこちらで連中を追い回すのも悪くは有りませんぞ」

ラーゲル大将、ノルデン少将がキフォイザー星域の会戦で捕虜になった。それ以後、この二人は自分こそが陸戦の専門家、参謀のトップだと自負し始めている。

愚かな話だ、この二人が今要塞ではなく此処にいるのは、要塞に置くのは危険だからだと判断されたからに他ならない。場合によってはエリザベート様、サビーネ様を利用しかねない、そう思われている事に気付いていない。

「敵の右翼、さらに前進してきます」
オペレータが押し殺したような声で報告してきた。
「左翼部隊の後退を命じる。ガイエスハーケンの射程範囲ぎりぎりのラインで留まるようにと伝えろ。それと敵の突破を許すなと」
「はっ」

左翼の後は右翼の後退だ。そしてその後は左翼だけを後退させ敵をガイエスハーケンの射程内に誘い込む。幸い敵の右翼にはヴァレンシュタインも居る、一撃を与えられれば敵は混乱するだろう。その時点で総反撃をかける。問題はそれまで敵の攻撃を防ぎきれるかどうかだ。

敵は必ずこちらの左翼の突破、或いは混戦を狙ってくる。此処からが本当の勝負だ。
「ガイエスブルク要塞、それからブラウンシュバイク公との間に通信を開け」



帝国暦 488年  3月 3日   19:30 ガイエスブルク要塞   アントン・フェルナー



『フェルナー准将、手順を確認しておこう。もう直ぐ味方の左翼が後退を始める。ガイエスハーケンの射程範囲ぎりぎりのラインで留まる。その後右翼が後退する』
「はっ」

スクリーンにはブラウンシュバイク公、グライフス総司令官の姿があった。二人とも表情には疲労の色が有った。だが総司令官の口調はしっかりとしているし、視線にも揺るぎは無い。大丈夫だ、総司令官は落ち着いている。

『その後また左翼を後退させ、敵をガイエスハーケンの射程内に誘い込む。そして機を見て左翼を天頂、天底方向に退避させる』
「右翼は後退させないのですか?」

俺の問いにグライフス総司令官は頷いた。
『ガイエスハーケンで狙うのは敵の右翼だ。幸い右翼にはヴァレンシュタイン司令長官も居る。一撃を与えれば敵は混乱する、それに乗じて総反撃だ』
「分かりました」

「敵は上手く引っかかるでしょうか? こちらが退避すればそれに合わせて退避するかもしれませんが?」
『構わない。最初から敵がそれに引っかかるとは思っていない』

総司令官の言葉に思わず俺はブラウラー大佐、ガームリヒ中佐と顔を見合わせた。二人も訝しげな表情をしている。スクリーンに映る公も同じだ。
「どういうことでしょう? それでは敵に効果的な打撃を与えられませんが」

『ガイエスハーケンは囮だ。極端な事を言えば敵を一隻も撃沈できなくても構わない。敵が退避した後、ガイエスハーケンが放たれた後に予備を敵の左翼の側面に送る。狙いはケスラー、クレメンツ艦隊の撃滅だ。こちらの正面からの攻撃と連動すれば敵の左翼を壊滅状態に追い込む事が出来るだろう』
「!」

『なるほど、壊滅状態は無理でもケスラー、クレメンツ艦隊を撃破できれば敵の中央を突破できる! そういうことか』
ブラウンシュバイク公の興奮気味の言葉にグライフス総司令官は微かに笑みを見せた。

『敵の左翼は混乱するはずだ。当然だがガイエスハーケンを回避した右翼も慌てるだろう。味方の左翼はそこを叩く。全軍で総反撃、これからが本当の勝負だ』
「はっ」

ガイエスハーケンは囮か、どうやらグライフス総司令官は第六次イゼルローン要塞攻防戦のエーリッヒに倣おうという事らしい。総司令官は艦隊決戦で勝利を掴もうとしている。エーリッヒ達がガイエスハーケンを回避すれば当然だがメルカッツ副司令長官は独力でこちらの攻撃を防がなければならない。

問題は敵の予備だろう、ロイエンタール、ミッターマイヤー。だがこちらの予備のほうが距離から見てケスラー、クレメンツ艦隊に先に喰らいつく。ケスラー、クレメンツが崩れればメルカッツ副司令長官も堪えきれないはずだ。十分過ぎるほど勝算は有る。先程まで不安そうだったガームリヒ中佐も今は顔を紅潮させている。グライフス総司令官の言う通りだ、エーリッヒ、これからが本当の勝負だ。



帝国暦 488年  3月 3日  20:00  帝国軍総旗艦 ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「閣下、敵右翼、ガイエスハーケンの射程内に入りました」
ワルトハイムが俺に注意を促がした。敵は左翼に続いて右翼までガイエスハーケンの射程内に入った。ようやく此処まで来た、来てしまったと言うべきかな。もう引き返せん、連中も指示を待っている……。

「全艦隊に命令、ワルキューレは汝の勇気を愛せり」
「はっ」
ワルトハイムは返事をするとオペレータに指示を出した。オペレータが復唱して命令を確認している。この命令が届くのと同時に戦局は動き始めるだろう。”ワルキューレは汝の勇気を愛せり”か……。確かにこれからは勇気と忍耐が試される事になる。

それにしても敵は予想外にしぶとい。既に戦闘が始まって五時間が経っている。俺としてはもっと早く敵をガイエスハーケンの射程内に押し込めると思っていた。長くうんざりするような時間だったが、これからは忙しくなるはずだ。ココアを飲んでいるような余裕はなくなるだろう。

こちらの右翼は未だ実力の全てを出してはいない。ビッテンフェルトとケンプはせいぜい七割から八割程度の力で攻撃している。そうでもなければとっくに敵を圧倒していたはずだ。

彼らの正面にいるのはカルナップ男爵、ハイルマン子爵だ。実戦経験など無い彼らにとっては手加減した攻撃でも防ぐのが精一杯だっただろう。そんな彼らに本気になった二人の攻撃を耐えられるはずが無い。

面倒な事だ、手加減しながら敵を攻めるなど……。しかし最初から全力で攻めれば敵はこちらの勢いに怯えて要塞付近に撤退し出てこなくなる恐れがある。それでは内乱の早期鎮圧は望めない。何とか耐えられる、ガイエスハーケンの射程内に引きずり込める、そう思わせる必要があった。

まあそれでも左翼部隊よりはましだろう。こちらが全力で攻めていると思わせるために左翼には手を抜いて攻めろといったのだ。そのため指揮権も分けた。右翼は俺が、左翼はメルカッツが。俺が全力で攻め、メルカッツは慎重に攻めている。敵がそう誤解してくれれば良い。

厄介なのはクライストとヴァルテンベルクだ。こいつらは実戦経験が豊富だから中途半端な攻撃では見破られる恐れがある。だからクライストにはファーレンハイトとミュラー、ヴァルテンベルクにはメックリンガーとレンネンカンプをぶつけた。二個艦隊を相手にしているのだ、手一杯で不審に思う暇もなかっただろう。

グライフスはこっちをもっと要塞に引き寄せたいと考えているだろう。今はまだ可能だと考えているはずだ。だがもう直ぐそれは不可能だと理解する。そのときグライフスはどうするか……。

耐えようとすれば粉砕される、逃げれば自陣が崩れ敗戦が決まる、となればグライフスはガイエスハーケンを使って形勢を挽回せざるを得ない。予定よりも早く要塞主砲を撃つ事になる。当然こちらも射程外に逃げ易くなる……。



帝国暦 488年  3月 3日   20:30 ガイエスブルク要塞   アントン・フェルナー


「准将、敵の攻撃が」
「分かっている。主砲の発射準備は」
「いつでも」
ガームリヒ中佐が表情を強張らせている。ブラウラー大佐の表情も硬い、俺もおそらく似たようなものだろう。

味方がガイエスハーケンの射程内に入った頃から敵右翼の攻撃が一段と激しさを増した。おそらく混戦に持ち込みこちらにガイエスハーケンを撃たせないようにしようとしているのだろう。状況は良くない、このままでは突破されかねない。

「准将、予定よりも早く主砲を撃つ事になるかもしれません」
「そうですね、大佐。しかしこちらの狙いは予備を使って敵の左翼を攻撃する事です。問題はないでしょう」

俺の言葉にブラウラー大佐とガームリヒ中佐は頷いた。そう、問題はないのだ。少しぐらい敵の攻撃が強まったからと言って焦る必要は無い。

「ブラウンシュバイク公、グライフス総司令官より通信です。スクリーンに映します」
オペレータの声にスクリーンを見た。スクリーンには緊張した面持ちの公とグライフス総司令官の顔があった。

『敵の攻撃が激しくなった。強引に混戦に持ち込もうとしている』
「……」
『フェルナー准将、敵はもう直ぐガイエスハーケンの射程内に入ってくる。その時点でガイエスハーケンで敵を攻撃してくれ』
グライフス総司令官の表情は苦い。予想以上の敵の攻撃に苦しんでいる。

「もう少し引き寄せる事は出来ませんか。その方が敵を混乱させ易い、逆襲し易いと思うのですが」
俺の意見を却下したのはグライフス総司令官ではなくブラウンシュバイク公だった。

『残念だが無理だ。カルナップ男爵もハイルマン子爵も耐えかねている。先程から予備を出せと悲鳴のような救援要請が届いているのだ』
公も総司令官も表情は苦しい。追い詰められているのだ。予備を出せば敵の左翼を攻撃できない。出さなければ自陣が崩壊する、秩序だった行動などできなくなるだろう。

「分かりました。敵がガイエスハーケンの射程内に入った時点で攻撃します」
俺の言葉に公とグライフス総司令官が頷いた。
『うむ、頼むぞフェルナー。それから間違っても味方を撃たないでくれ』
「はっ」



帝国暦 488年  3月 3日  21:00  グライフス艦隊旗艦   ヴィスバーデン    セバスチャン・フォン・グライフス


「間も無く敵右翼、ガイエスハーケンの射程内に入ります」
「ガイエスブルク要塞より入電です。十分前」
オペレータの言葉に艦橋の空気は一気に緊張を高めた。ただしその緊張感には不安のほかに希望も有るだろう。皆の表情には期待するような色が有る。

「残り五分で左翼に退避命令を出せ。間違えるなよ、五分前だ」
「はっ」
私がオペレータに指示を出すとプフェンダー少将が問いかけてきた。

「グライフス総司令官、よろしいのでしょうか。いささか時間が少なすぎると思いますが」
「五分で十分だ」

思わず厳しい口調になった。ガイエスハーケンは囮なのだ。一隻も撃沈できなくても構わない、そうフェルナー准将に言ったのをこの男は聞いていなかった。公も味方に犠牲者を出すなと言っていたではないか、役にたたん。手強い敵よりも無能な味方のほうが苛立つ……。

私が不機嫌だと理解したのだろう。プフェンダー少将は何も言わず引下がった。クラーマー大将も無言で控えている。気まずい空気が漂ったが仕方が無い。後は時間が経つのを待つだけだ。

「残り五分です! 左翼に退避命令を出します!」
「急げ!」
オペレータが残り五分と告げた時、私はいい加減待ち草臥れていた。もう少しで“未だ五分経たないのか”とオペレータを怒鳴りつけるところだった。

「味方左翼、退避行動始めました」
「敵右翼も退避行動を始めています」
あれほど激しく攻めていても敵は冷静だ。こちらの動きを見てガイエスハーケンが来ると判断した。これではガイエスハーケンをもって敵に致命的な損害を与える事は難しい。

やはりガイエスハーケンは決戦兵器足りえない。それは此処最近のイゼルローン要塞攻略戦を見れば分かる。反乱軍はトール・ハンマーを酷く警戒している。滅多な事では射程内に入ってくる事はない。そのあたりはこちらも同様か……。

味方を犠牲にする覚悟がなければ敵を誘引出来ないのだ。そういう意味ではクライストもヴァルテンベルクも正しかったのかもしれない。“味方殺し”の汚名を受けなければ敵に致命傷を与える事は出来なかった。

スクリーンには退避行動に映る敵味方とガイエスブルク要塞が映っている。要塞の一点が急速に白く輝きだした。それと同時に敵味方の退避行動に拍車がかかった。

ガイエスハーケンの発射を待っていた私の耳にオペレータの声が入った。
「敵左翼、後退します!」
「!」

馬鹿な、どういうことだ、何故今後退する! フェルナー准将が私達を犠牲にしても一撃を敵に与えるとメルカッツ提督は判断したのか? それとも念のため危険を避けるため後退したのか? だがこのまま見過ごしては敵を逃がしてしまう!

「敵左翼の予備はどうしている?」
「後退しています!」
後退している……。こちらの動きを読んだわけではないという事か。ならば取る手は一つだ! 迷うな、セバスチャン・フォン・グライフス!

「全軍に命令、反撃せよ!」
「はっ」
「フォルゲン伯爵、ヴァルデック男爵に伝えよ、ガイエスハーケン発射後、敵左翼部隊の側面を攻撃、粉砕せよ!」
「はっ」

私が命令を出すのと同時に白く輝く巨大なエネルギー波が宇宙を切り裂いていった。反撃の開始だ!





 

 

第二百十四話 決戦、ガイエスブルク(その4)

帝国暦 488年  3月 3日  21:00  帝国軍総旗艦 ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「間も無くガイエスハーケンの射程内に入ります」
ヴァレリーが緊張した表情で俺に注意を促がした。
「オペレータにガイエスブルク要塞、それから敵艦隊の動きに注意するように伝えてください。どんな些細な事でも報告するようにと」
「はい」

ヴァレリーがオペレータ達に指示を出すのを聞きながら戦術コンピュータのモニターを見た。モニターには味方が敵を押している状況が表示されている。ビッテンフェルト、ケンプの突進は流石だと言って良い。

グライフスが状況を認識しているとすれば、カルナップ男爵、ハイルマン子爵はこれ以上は持ちこたえる事が出来ないと見ているだろう。となればガイエスハーケンを撃つか、或いは予備を出してこちらの攻勢を止めようとするはずだ。

しかし現状では敵の予備に動きはない。両軍とも予備を使っていないしグライフスの使える予備の兵力はこちらに比べて小さい。それを思えば予備は使いづらいのだろう。それに此処で予備を使っても劣勢を少し持ち直すだけだ。大勢は変わらない。

グライフスは虎の子の予備を使うなら戦局を変える決定的な場面で使いたいと思っているはずだ。やはり此処はガイエスハーケンを利用してくるだろう。大丈夫だ、此処までは多少の齟齬は有ったが俺の、いや作戦会議の想定どおりだ。そしてグライフスにとっても想定どおりだろう。

問題はこれからだ、この後の展開をグライフスはどう読んでいるか、そして俺達はグライフスの考えを何処まで読めたか。そこが勝敗を分けるはずだ。

「敵艦隊、回避行動を取り始めました!」
「全艦隊、急速退避! 正面の敵と同方向へ全速で退避せよ! 敵はガイエスハーケンを使用します!」

オペレータの声と俺の命令に瞬時に艦橋の空気が緊迫した! オペレータ達が緊張した面持ちで退避命令を出し始める! この艦橋で戦争でも起きているかのような騒ぎだ。正面のヘルダー子爵は天頂方向に退避している。俺の艦隊も同方向に退避し始めた。

スクリーンに映る映像は右翼部隊が回避行動を取り始めた姿を表している。モニターの表示はまだそこまで映していない、モニターに反映するのはもう少し時間がかかるだろう。

「ガイエスブルク要塞の主砲が発射されようとしています!」
「急げ! 時間がない、早く回避するんだ」
オペレータの声にワルトハイム参謀長が叱咤するかのように指示を出している。

何時になく慌てたようなワルトハイムの表情が可笑しかった。俺の知っている限り総旗艦ロキがこれほどの緊迫と喧騒に包まれた事はない。思わず顔が綻んだがヴァレリーが厳しい表情で男爵夫人が呆れたような表情で俺を見ている。慌てて表情を引き締めた。

実際笑っているような状況ではない。スクリーンに映るガイエスブルク要塞は或る一箇所が急激に白く輝きだしている。もう直ぐガイエスハーケンが発射されるだろう。腋の下にじっとりと嫌な汗をかいているのが分かった。

全ての艦が射程外に出るのは難しいだろう。ただ退避行動は敵と同方向にしろと命じた。問題は敵が味方を殺してまでこちらに致命傷を与えようとするかだ。作戦会議でもそこが問題になった。

敵にはクライスト、ヴァルテンベルクが居る、あの二人は味方殺しで閑職に追われた。多分味方殺しは無いはずだ、しかしやるならヘルダー子爵と俺を狙うだろう。俺ならやるだろうか、よく分からない。問題はグライフスにそこまで出来るかだ。そこが先ずは最初の勝負の分かれ目になる。

「ガイエスハーケン、来ます!」
オペレータが悲鳴を上げた。それと同時にスクリーンに巨大な白い光が炸裂する。光の束が宇宙を貫いて行った。スクリーンの入光量が調整されているから見る事が出来るがそうでなければ閃光で失明していたかもしれない。

とんでもないエネルギー量だ。確かにトール・ハンマーに匹敵する。直撃されれば一瞬で蒸発していただろう。しかし俺は生きている。最初の勝負に勝ったということだ。

「参謀長、被害状況を確認してください。それと右翼部隊全艦に後退命令を」
「はっ」
ワルトハイムが指示を出そうとする前にオペレータが声を上げた。

「前方の敵、攻撃をかけてきます!」
ワルトハイムが俺を見た。その視線を受けてからスクリーンを、戦術コンピュータのモニターを見た。確かにスクリーンにはヘルダー子爵が攻撃をかけてきている様子が映っている。そしてモニターは敵が総反撃を開始している様子を映している。

「閣下……」
「参謀長、先程の命令を実行してください。それと後退は出来るだけ無様に行なうようにと」
「はっ」

ワルトハイムがオペレータに指示を出すのを聞きながら俺はスクリーンをもう一度見た。敵の予備が動き出している。狙いはどちらだ? 俺か、それともメルカッツか……。 俺の方向にこられると厄介だが、さてどちらだ?

敵の予備がケスラーの方向に向かった。どうやら敵はこちらの左翼を叩こうとしている。後方に出ようとしているのか、或いはケスラー、クレメンツを叩きに来ているということか。まあそちらはメルカッツの責任範囲だ。俺はバラバラになった右翼を取りまとめなければ……。

グライフス、分かっているか。お互いに艦隊の半分はバラバラになった。お前は残る半分で勝負をかけようとしている。だがバラバラになったお前の左翼は誰が取りまとめる? 前面の艦隊を攻撃しつつ左翼を取りまとめる。やるとすればブラウンシュバイク公だが、彼にそこまで出来ると思うか? 俺だって二の足を踏むだろう。

俺にはメルカッツが居る、そして俺の部隊は訓練された正規軍だ。だから俺は右翼の再編と再反撃に専念できる。だがお前には左翼の再編と攻撃を委任できる人物が居ない。そしてお前の率いる軍は統率の取れない貴族連合軍なのだ。



帝国暦 488年  3月 3日   21:10 メルカッツ艦隊旗艦 ネルトリンゲン ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ


ガイエスハーケンが宇宙を切り裂いた。凄まじいエネルギー波だがどうやら味方の被害は少ないようだ。艦橋の人間も皆スクリーンに目を奪われている。

「シュナイダー少佐、ヴァレンシュタイン司令長官の安否を確認してくれ」
「はっ」
私の言葉に我に返ったシュナイダー少佐がオペレータに指示を出し始めた。

大丈夫だ、司令長官は無事だ、信じるのだ。その思いに答えるかのようにオペレータから返答があった。
「総旗艦ロキを確認しました。総旗艦より右翼部隊に対して後退命令が出ています」
「うむ」

予定通りだ。ほっとする一方で緊張が私の心を縛った。此処からの味方左翼は私の管轄下に置かれる。八個艦隊、約十万隻が私の指揮で動くのだ。否応なく緊張感が身を包んだ。

「閣下、敵が攻撃をかけてきます」
シュナイダー少佐が緊張した面持ちでスクリーンを見ている。前面の敵が攻撃をかけて来た。どうやらグライフス大将は全面反攻に転じたようだ。

味方に後退命令を改めて出す。その命令を出し終わる前にオペレータが緊張した声を上げた。
「敵、予備部隊を投入しました!」

戦術コンピュータのモニターには敵の予備部隊、二個艦隊がこちらに向かっているのが見えた。狙いはケスラー提督の側面、或いは後背か、厄介な事になった。オペレータにケスラー提督との間に通信を開くように命じた。

「ケスラー提督、どうやら予備がそちらに向かったようだ」
『そのようです。少々厄介な事になりました』
スクリーンに映ったケスラー提督は苦笑しつつ答えた。

「予備をそちらに向かわせようと思うが」
向こうから予備を出してくれとは言い辛いだろう、こちらから言うべきだ。そう思ったのだがケスラー提督は少し考えて断わってきた。

『……いえ、予備の投入はお止めください』
「しかし……」
『大丈夫です。こちらに考えがあります』

にこやかにケスラー提督は答えると彼の考えを話し始めた。敵が後背を突く可能性は低い、おそらくは側面からの包囲を選択するだろうと。何度も彼の意見に頷きながら改めてヴァレンシュタイン司令長官の信頼が厚い理由を理解した。



帝国暦 488年  3月 3日   22:00 ガイエスブルク要塞   アントン・フェルナー


ガイエスハーケンが敵に与えた被害は殆ど皆無だった。敵はこちらの艦隊に合わせて回避行動を取ったようだ。味方殺しを避けた所為で損害は殆ど無い。しかしガイエスハーケンを使った事により味方の左翼は壊滅の危機から解放された。

今味方の左翼は後退しつつある敵を追って攻撃をかけている。敵は突破、混戦に持ち込めなかったことで一旦艦隊を後退させ仕切り直しをするようだ。しかしバラバラになった艦隊は連携が取れずこちらの攻撃に苦戦しながら後退している。

いっそエーリッヒをヘルダー子爵もろとも消滅させれば良かったか……。そうすれば敵の混乱は今の比ではなかったはずだ。

問題は右翼だ。メルカッツ副司令長官はガイエスハーケンが発射される前に後退を始めた。エーリッヒが回避行動を取った事で攻勢を取るのは無理だと判断したようだ。こちらは全軍で反撃を開始し、予備を使ってケスラー艦隊の側面を突こうとしているがまだ決定的な損害を与える事が出来ずにいる。

ケスラー艦隊は後退しながらクレメンツ艦隊と協力しグライフス総司令官、フォルゲン伯爵、ヴァルデック男爵を捌いている。やはり敵の撤退が早かった。その分だけ敵は余力を持って後退している。

「どうも上手く行きませんな、敵の側面を崩しきれない」
ブラウラー大佐が戦術コンピュータのモニターを見ながら話しかけてきた。大佐の表情は苦しげだ。
「……」
「側面ではなく後背に回らせた方が良かったかもしれません」

グライフス総司令官が何故側面を突かせたか、おそらくは側面を崩し半包囲を行う事で勝利を確定したかったのだろう。その方が敵に大きな損害を与える事が出来ると考えたのだ。そして予備を後方に送ればその時点で敵が後退する、戦果が不十分になる可能性があると考えた……。

貴族連合は寄せ集めだ、この一戦で勝敗を決める。その想いが総司令官の選択肢を縛ったのかもしれない。

「多少は時間がかかるかもしれません。しかしいずれは包囲できるはずです。それに味方は優勢に攻撃を仕掛けている」
沈黙した俺達を励ますかのようにガームリヒ中佐が声を出したがブラウラー大佐は頷かなかった。

「どうかな、メルカッツ副司令長官は少しずつだが戦列を右に移動しているようだ」
「右に?」

ブラウラー大佐の言葉に俺とガームリヒ中佐は戦術コンピュータのモニターを見た。モニターには彼我の状況が映っている。確かにメルカッツ副司令長官は艦隊を右翼へ移動させ、ケスラー艦隊は後退しながらフォルゲン伯爵、ヴァルデック男爵と正対しようとしている。これでは包囲どころか後方にも回れない。

上手く行かない、攻めきれない。今は有利だが何時までもその有利を維持できるはずもない。何処かで決定的な戦果を上げなければならないがその契機が見えない。俺もガームリヒ中佐も思わず溜息が出た。

「予備を後背に回しても上手く行かなかったかもしれない。勝機はむしろ左翼にあるかもしれませんな」
「左翼?」
鸚鵡返しに問い返した俺にブラウラー大佐が頷いた。

「見ての通り、敵はガイエスハーケンを避けるために退避行動を取りました。そのため敵は戦線を組めずにいます。そして敵は攻撃を得意とする指揮官を揃えましたが彼らはいずれも防御は不得手のようです」
「なるほど」

確かにスクリーンに映る敵は苦労しながら逃げている。おまけに戦線が組めないため援護し合う事も出来ずに居る。少しずつ集結しようとはしているが攻勢をかけていた時の勢いは何処にもない。

「予備は左翼に出したほうが良かったかもしれませんな。予想外の大物がかかったかもしれません」
「……予想外の大物?」
「ヴァレンシュタイン司令長官です。味方の撤退を援護するためでしょう。最後尾を務めようとしているようです」

慌ててスクリーンを見直した。そこには味方の撤退を援護し敵の追撃を鈍らせようとしている艦隊があった……。



帝国暦 488年  3月 3日  23:00  帝国軍総旗艦 ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「正面の敵、攻撃をかけてきます!」
オペレータの報告に思わず溜息が出た。正面の敵、ヘルダー子爵か……。しつこい奴だ、お前は俺のストーカーか! いや、しつこく追ってくるように仕向けているのはこっちなのだ。文句を言える義理ではないのだがそれでもうんざりする。

「右方向よりハイルマン子爵の艦隊も攻撃をかけてきます!」
ハイルマン子爵、こいつもさっきからしつこい。よっぽど俺を殺したいようだ。リメス男爵家の件が有るからな。あの件はカストロプ公の仕業だが連中はその事を知らない。俺も特に誤解を解くような事もしなかった。おかげで連中、酷く怯えているようだ。遮二無二攻撃を仕掛けてくる。

「ビッテンフェルト提督より入電! 命令を!」
どいつもこいつもうるさい事だ、また溜息が出た。“命令を”か、こちらの撤退行動を援護したいようだが却下だ。お前が無様に逃げて、俺が後衛を務める、そうじゃないと敵が追ってこない。まあ気持は分からないでもない、司令長官に後衛を務めさせて逃げるのは気が引けるのだろう。

「ビッテンフェルト提督に返信、こちらに構わず撤退せよ」
「はっ」
「全艦に命令、正面の艦隊の中央に主砲斉射三連、撃て!」

俺の命令とともに艦隊から主砲が三度、ヘルダー子爵の艦隊に撃たれた。たちまち敵は混乱する。思いっきり突き崩してやりたいという気持を抑えてハイルマン子爵への攻撃を命じた。

「続けて右方向の艦隊の中央に主砲斉射三連、撃て!」
主砲が発射され敵が混乱するのが見えた。これで時間が稼げるだろう。連中、俺の首を求めて夢中だ。協力しあう事も忘れている。これなら凌ぐ事は不可能じゃない。

メルカッツは左翼を上手くまとめているようだ。敵の予備はケスラー艦隊の側面に取り付く事は出来なかった。そしてメルカッツは未だ予備を投入していない。グライフスにはもう打つ手が無いはずだ。左翼は貰った、後は右翼だ。

味方の右翼部隊は少しずつ集結している。ケンプ艦隊はアイゼナッハ艦隊と行動を共にしつつ後退している。ファーレンハイトはミュラーと一緒だ。敵を引き寄せつつ少しずつ後退している。後一時間程度で集結できるだろう……。

 

 

第二百十五話 決戦、ガイエスブルク(その5)

帝国暦 488年  3月 3日  23:30  グライフス艦隊旗艦   ヴィスバーデン    セバスチャン・フォン・グライフス


「もう少しだ、もう少しでヴァレンシュタインの首を取れる!」
「ヘルダー子爵、ハイルマン子爵、追え! 追うのだ!」
私の背後でクラーマー大将とプフェンダー少将が興奮した口調で話をしている。“パチン”という音が聞こえた。どちらかが手を叩いたのだろう。かなり興奮しているようだ。

もっとも興奮しているのは彼らだけではない、艦橋に居る人間全てがスクリーンの映像に興奮を隠せずに居る。スクリーンにはヴァレンシュタイン司令長官を追うヘルダー子爵、ハイルマン子爵の艦隊の姿が映っている。戦術コンピュータのモニターも逃げる敵と追う味方を表示している。

戦況は有利に見える、しかし味方の左翼は統制が取れていない……。そして残りの右翼は敵の左翼を捕らえきれずにいる……。
「全軍に後退命令を出す。その前にブラウンシュバイク公、フェルナー准将との間に回線を繋げ」

私の言葉に艦橋が静まり返った。皆が信じられないといった表情で私を見ている。
「聞こえなかったか、早く回線を繋げ!」
「何故、何故です! 味方はあの通り勝っています。何故後退するのです!」

プフェンダー少将がスクリーンを指差した。眼には憤怒の色がある。
「……」
「もう少しで、もう少しでヴァレンシュタインの首を取れる! 何故今後退命令を出すのです!」

この男は何も分かっていない、その事がプフェンダー少将に対する怒りよりも疲れを感じさせた。
「プフェンダー少将、敵の右翼の予備は何処にいる?」
「予備?」

私の言葉にプフェンダー少将は訝しげに問い返してきた。愚かな……、参謀たらんとするならば戦況に一喜一憂して何とする。何故戦局全体を見ようとはしない。いや、それは私も同じか、こうなるまで気付かなかった。やはりあの男には及ばないのか……、未だだ、未だ諦めるな、勝負はついていない。

「敵の予備は徐々に陣を移しつつある。もう直ぐクライスト大将の側面に喰らいつくだろう。そうなればあっという間に左翼は崩れる。そうなる前に後退するのだ」
私の言葉に瞬時にして艦橋の興奮が消えた。皆不安そうにスクリーンを見ている。

「く、苦し紛れです、騙されてはいけません。例えあれがクライスト大将の側面を突こうとも先にヴァレンシュタインを倒せば此方の勝ちです」
「……」
「閣下!」

プフェンダー少将は血走った眼をしていた、現実と願望の区別もつかなくなっているのか……。
「未だ分からんか! 敵の右翼は徐々に陣形を整えつつある。これは罠なのだ、我々を引き摺りだそうとするな。そして我が軍の左翼はその罠に嵌りつつある。 今なら未だ間に合う、急げ!」



帝国暦 488年  3月 4日  00:00  ブラウンシュバイク艦隊旗艦 ベルリン   アルツール・フォン・シュトライト


「閣下、グライフス総司令官から通信が」
「グライフスが?」
私の言葉にブラウンシュバイク公が訝しげな声を出した。

スクリーンにグライフス総司令官が映った。そして少し遅れてフェルナー准将の顔も映る。二人とも表情は優れない。
『閣下、これより後退命令を出します。直ちに指示に従ってください』
「撤退命令?」

公の表情には不審の色が有る。優位に攻めているのに何故後退するのか、そんな思いなのだろう。

「後退するのか、グライフス総司令官」
『はっ、ガイエスハーケンを利用して敵を罠にかけたつもりでしたが罠にかけられたのは此方のようです。敵は此方の左翼を徐々に包囲する態勢を整えつつあります。早急に後退してください』

グライフス総司令官の言葉に改めて戦術コンピュータのモニターを見た。確かに敵は徐々に陣形を整えつつある。此方は目の前のスクリーンに映る敵の逃げる姿に気を取られていた。我々の優位は徐々に無くなりつつある。

ブラウンシュバイク公が私を見た。おそらく総司令官の意見を確認したいのだろう。私が頷くと公も大きく頷いた。
「分かった、直ぐ後退しよう。しかし敵の追撃を振り切れるか?」

公の言葉に沈黙が落ちた。確かに公の心配はもっともだ、そして不安は他にもある。
『難しい事では有ります。しかしやらなければなりません。このままでは全滅です』
「そうだな、全滅するよりはましか……」

『とにかく、ガイエスハーケンの射程内に退避してください。そこまでは敵も追っては来ないはずです』
確かにそうだろう、しかし敵がそれを許すだろうか? 私の疑問を口に出したのはアンスバッハ准将だった。

「しかし敵もそれは想定済みでしょう、混戦状態に持ち込み並行追撃作戦を狙うに違い有りません。その場合ガイエスハーケンは撃てません。なし崩しに敵が攻め寄せてきます」

『その場合は味方もろとも敵を吹き飛ばす』
「!」
「グライフス、本気か? 味方殺しをするというのか?」

『本気です、味方もろとも敵を吹き飛ばす事で敵の追い足を止めます。それしか手はありません』
『小官も総司令官の御考えに賛成します』

唖然とするブラウンシュバイク公に対してグライフス総司令官、フェルナー准将が味方殺しを勧めた。二人とも思い詰めた苦渋に満ちた表情をしている。確かにそれしか方法はないかもしれない。公も同じ思いだったのだろう、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。直ちに撤退に取り掛かろう」

通信が切れた後、ブラウンシュバイク公が厳しい表情のままスクリーンを睨んでいた。アンスバッハ准将が公に問いかけた。
「公、如何されました?」
「アンスバッハ、シュトライト、皆が素直に退くと思うか?」
公の問いかけに私もアンスバッハ准将も答える事が出来なかった。公の言う通りだ、一番の問題はそこだろう……。



帝国暦 488年  3月 4日  00:30  帝国軍総旗艦 ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「閣下、メルカッツ提督から通信です。敵が後退を始めたと」
オペレータが声を上げて報告をしてきた。スクリーンには後退を始める敵艦隊の姿がある。どうやらグライフスも気付いたか……。

「閣下、正面の敵が攻撃してきます!」
ワルトハイムが驚愕した声を上げた。全軍が後退を始める中でヘルダー子爵、ハイルマン子爵だけが攻撃をかけてくる。功を焦ったか、予想した事ではあるが愚かな……。

「全軍に命令、反撃せよ!」
「はっ」
俺の命令にオペレータが反応した。もっともメルカッツは既に反撃に転じているだろう。当然左翼はメルカッツの指示で動いているはずだ。後は俺の担当する右翼だ。

「ワーレン、ルッツ提督に命令! 直ちにクライスト艦隊の側面を突き撃破せよ! ビッテンフェルト提督にはハイルマン子爵の艦隊を攻撃せよと伝えてください」
「はっ」
「参謀長、全艦に命令。ヘルダー子爵の艦隊を攻撃せよ!」

クライストは正面からミュラー、ファーレンハイト、側面からワーレン、ルッツの攻撃を受ける事になる。しかもハイルマン子爵は撤退行動に入っていない、つまり彼からの支援は無い。クライストは予想外に手強い相手だが四倍の敵を相手にしてはひとたまりもあるまい。

その後は彼らをハイルマン子爵、ヘルダー子爵の後方に回らせる。これで敵の左翼は貰った。後はアイゼナッハとケンプがブラウンシュバイク公、カルナップ男爵を何処まで叩けるかだ。二人が彼らの後退を引き止めてくれれば、そっちの後ろにも艦隊を回せるだろう。残念だったなグライフス、勝敗を決めるのはそっちの右翼じゃない、こっちの右翼だ。お前が指揮を半ば放棄した左翼がお前に敗北をもたらすだろう……。



帝国暦 488年  3月 4日  1:00  ブラウンシュバイク艦隊旗艦 ベルリン   オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「閣下! ヘルダー子爵、ハイルマン子爵の艦隊が後退しません。ヴァレンシュタイン司令長官の艦隊に攻撃を続けています!」
オペレータの声に溜息が出た。こうなるのではないかと恐れていた、そして現実にこうなった。だが何の手の打ちようも無い。有るのは絶望感だけだ。

アンスバッハもシュトライトも無言でスクリーンを見ている。おそらくわしと同じ気持なのだろう。当たって欲しい予想は常にはずれ、当たって欲しくない予想だけは現実になる。大神オーディンは底意地の悪い神らしい、人間に希望よりも絶望を与えたがるようだ。

艦橋はざわめいている、無駄だろうとは思った、既にグライフスが説得をしているだろうとも思った。だがオペレータに命じて彼らとの間に通信を繋がせた。わしは盟主なのだ。最後までその責任を投げ出すべきではないだろう。

スクリーンにヘルダー子爵、ハイルマン子爵が映った。二人とも興奮しているのが分かる、目が異様なほどにぎらついている。ヴァレンシュタインの首に興奮しているのだろう。

「ヘルダー子爵、ハイルマン子爵、兵を退け。後退命令が出たはずだ」
『何故退くのです! 後少しであの小僧の首を取れるのです、退く事等出来ません』
『ハイルマン子爵の言うとおりです。公も総司令官も敵を恐れすぎです。それでは勝てる戦も勝てませんぞ!』

ハイルマン子爵は分からないでもない、これが初陣だ。だが既にキフォイザーで実戦を経験したヘルダー子爵まで目の前の獲物に目が眩むとは……。
「卿らはヒルデスハイム伯と同じ過ちをする気か、兵を退くのだ!」

『出来ません! 私はあの男の両親を殺していない、それなのにずっと疑われてきた。これまでずっとあの男に怯えてきたのです。あの男を殺す事がようやく出来る! 退く事など出来ません!』

『その通りです! あの男は我等を滅ぼそうとしている。今此処で奴を殺さなければ我等はお終いです。公が兵を退くなら我等だけでもあの男を追います』
そう言うと二人は通信を切った。

恐怖か、あの二人を動かしたのは欲ではなく恐怖……。
「アンスバッハ、シュトライト、わしは間違っていたのかな」
「……」
わしの問いかけに二人とも答えなかった。分からなかったのか、それともわしと同じ気持だったのか。

「わしは彼らが己の地位、特権を守ることしか考えていないと思っていた。だが本当はわし同様、滅びる事を怯えていただけなのかもしれん」
「……」

「わしは滅びる事を覚悟している。此処まで来た以上やむを得ぬ事だと思い切った。だが彼らはその覚悟が持てなかった、持たぬまま此処まで来た。その差が勝敗を分けたと言う事か……」

「ブラウンシュバイク公……」
シュトライトが何かを言おうとした。だがその言葉をオペレータの声が遮った。
「閣下、カルナップ男爵から通信です!」
「やれやれ、忙しい事だな。物を想う事も出来ぬか……。繋いでくれ」

『ブラウンシュバイク公、ヘルダー子爵、ハイルマン子爵が撤退しません。どうされます?』
カルナップ男爵はこれまで両脇から援護を受けて戦っていた。少なくともガイエスハーケンが放たれるまではそうだった。それがこの後退においてヘルダー子爵の援護が受けられない。不安なのだろう、表情が強張り目が泳いでいる。

「止むを得ぬ、彼らの事は放置しろ。グライフス総司令官の命令どおり後退するのだ」
『それではヘルダー子爵とハイルマン子爵は……』
「カルナップ男爵、我等はグライフス総司令官と連携し後退する。いいな」
『しかしそれではクライスト提督が孤立してしまいますぞ』

カルナップ男爵が悲鳴のような声を出した。その通りだ、クライストは孤立する。そして戦術コンピュータのモニターには敵に包囲されつつあるクライストの艦隊が映っている。

「カルナップ男爵、我等はグライフス総司令官と連携し後退する。遅れればクライストのように包囲される、生き残ることを優先しろ!」
『公……』

呆然とするカルナップ男爵を残し通信を切らせた。生き残る、だが何のために生き残る? 三個艦隊を失った。損害はさらに増えるだろう。おそらく再戦は無理だ、何のために生き残る?



帝国暦 488年  3月 4日  3:00  グライフス艦隊旗艦   ヴィスバーデン    セバスチャン・フォン・グライフス


ようやく、ようやく艦隊はガイエスハーケンの射程内に退避した。敵はもう追ってこない、ガイエスハーケンを恐れたのだろう。或いは追う必要も無い、そういうことかもしれない。

反撃に出たメルカッツ提督率いる敵の左翼に味方は叩きのめされた。高速移動を行なってヴァルテンベルクの側面から後背に出た敵の予備によってヴァルテンベルク、ランズベルク伯の艦隊は壊滅した。

残った艦隊はホージンガー男爵、コルビッツ子爵、私、ブラウンシュバイク公、そしてカルナップ男爵の五個艦隊。兵力は五万隻に満たない。統率の取れない味方を率いての撤退戦、疲労感だけが残った。

打ち沈んだ艦橋にオペレータの声が流れた。
「閣下、ブラウンシュバイク公から通信です」
「分かった」

スクリーンにブラウンシュバイク公の姿が映った。
『グライフス……』
「ブラウンシュバイク公……」
お互いに名を呼んだまま少しの間見詰めあった。公は憔悴している、しかし穏やかな表情だ。そこには怒りは見えなかった、公は敗北を受け入れようとしている。その事実が私を打ちのめした。

「申し訳ありません、力及びませんでした、敗北は私の責任です。総司令官に任命していただいた公の御信頼を裏切りました」
『そうではない、グライフス。卿がいたから此処まで戦えた。そうでなければもっと無様に敗北していただろう。卿には感謝している、よくやってくれた』

公の言葉が胸に刺さる。顔を上げられなかった。再戦の事を公は口にしなかった。もうこれ以上は戦えない、戦っても自暴自棄になるか、或いは裏切り者が出るだけだ。この上は公と共に死を迎える事が総司令官である私の役目だろう。

『グライフス、頼みがある』
「私に出来る事であれば」
『では、逃げてくれ』
「!」

逃げてくれ? 私に逃げよと……。
『もはやこれ以上は戦えまい。ガイエスブルク要塞に篭っても無駄死にするだけだ。末路は悲惨だろう……。総司令官である卿が逃げてくれれば他の者も逃げ易い。要塞に戻るのはわしだけで良い。あそこには娘が待っているからな……。グライフス、頼む』

「……分かりました。これより戦場を離脱します」
『すまぬな、グライフス。卿には辛い仕事をさせる』
「何を言われます、最後に大役を頂けた事を感謝します」
公が柔らかく微笑んでいる。思わず涙がこぼれた……。



公から全軍に対して戦場を離脱せよと通知があった。私の艦隊が戦場を離脱する。ややあって皆がわたしの艦隊の後に続いた。ガイエスブルク要塞には公の艦隊だけが戻っていく。

おそらく皆が総司令官でありながら逃げた私を誹謗するだろう。だがこれでエリザベート様を、サビーネ様を守る事が出来る。“あそこには娘が待っているからな……。グライフス、頼む” 公のその言葉を思い出す。公、私は誇りを持って最後の仕事を行います。自然と公の艦隊に対して敬礼をしていた……。



 

 

第二百十六話 内乱の終焉

帝国暦 488年  3月 4日  3:00  帝国軍総旗艦 ロキ ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ


敵艦隊は既にガイエスハーケンの射程内に入った。味方は司令長官の命令で射程外で待機している。各艦隊の中には並行追撃による混戦をと意見を具申してきた艦隊もあったが司令長官は許さなかった。余り追い詰めると敵は味方殺しも辞さないと言って……。

「閣下、敵艦隊の大部分が要塞から離れていきます」
ワルトハイム参謀長が驚いたように大きな声を出した。スクリーンにはガイエスブルク要塞に向かう艦隊とガイエスブルク要塞から遠ざかる艦隊が映っている。艦隊の規模は要塞から遠ざかるほうが圧倒的に多い。

指揮官席に座っていたヴァレンシュタイン司令長官はじっとスクリーンを見ていたが、一つ頷くと指示を出し始めた。
「参謀長。ルッツ、ワーレン、ロイエンタール、ミッタマイヤー提督に命令を、戦場を離脱する艦隊を追撃、彼らがオーディンを目指すようであれば撃滅せよと」
「はっ」

「彼らがイゼルローン、フェザーンを目指すのであれば、それが確認できた時点で追撃は中止すること。なお追撃部隊の総司令官はコルネリアス・ルッツ提督に命じます」
「はっ」

ワルトハイム参謀長は一瞬訝しげな表情をしたがオペレータに指示を出し始めた。それに合わせてオペレータがルッツ、ワーレン、ロイエンタール、ミッタマイヤー提督に命令を送り始める。不思議な命令だ、イゼルローン、フェザーンを目指すのであれば見逃すといっているように聞こえる。

「閣下、宜しいのですか、彼らを逃がしてしまって」
「構いませんよ、男爵夫人。オーディンにさえ行かなければ問題ありません」
「ですが反乱軍に合流すれば厄介な事になりませんか」

心配そうな顔で男爵夫人が問いかけた。私も同感だ、良いのだろうか?
「反乱軍に合流すれば二度と帝国に戻れなくなる。多くの兵はそうなる事よりも降伏を選ぶでしょう。反乱は起しても帝国を捨てる事は出来ないはずです。イゼルローン要塞に行くのはほんの一部の艦隊でしょう。問題は有りません」

男爵夫人が私を見ているのが分かった。国を捨てる、それがどういうことなのかを知っているのはこの艦橋では私とリューネブルク中将だけだ。人目が無ければ問いかけてきたかもしれない。

私が国を捨てたのは唯一つ、司令長官を放っておけなかったからだ。今でもその気持に揺らぎは無いが他人に話すことでもない、チラチラと時折私を見る男爵夫人の視線が煩わしかった。司令長官がスクリーンを見ている。私も男爵夫人の視線に気付かない振りをしてスクリーンを見続けた。

十分ほどすると追撃部隊が動き始めるのがスクリーンで分かった。
「閣下、追撃部隊が動き始めました。その他の艦隊はどうなさいますか」
ワルトハイム参謀長が司令長官に問いかけた。

参謀長は要塞を攻めたいのかもしれない、周囲も皆司令長官に視線を集中している。戦勝の興奮がまだ艦橋には漂っているのだ、皆好戦的になっていてもおかしくは無い。しかし司令長官はスクリーンから視線を外さなかった。

「各艦隊は現状のまま待機。敵は降伏する可能性があります。短兵急に攻めると反って敵を自暴自棄に追い詰めかねません。必要以上に危険を冒す事は無いでしょう」
「しかし、敵が降伏しなかった場合は如何なさいますか?」

ヴァレンシュタイン司令長官がワルトハイム参謀長を見た。穏やかで落ち着いた目だ、司令長官にとって戦闘はもう終わったのかもしれない。
「そのときはまた考えましょう」
「はあ」

司令長官の答えにワルトハイム参謀長は毒気を抜かれたような声を出した。それが可笑しかったのかもしれない、司令長官はクスッと笑うと席から立ち上がった。

「参謀長、私は疲れましたのでタンクベッド睡眠を一時間程取らせてもらいます。後は御願いします」
そういうとヴァレンシュタイン司令長官は艦橋から出て行った。その後をリューネブルク中将が追う。相変わらず過保護なんだから。



帝国暦 488年  3月 4日  4:00  ガイエスブルク要塞 オットー・フォン・ブラウンシュバイク


旗艦ベルリンを降り疲れた身体に鞭打って要塞司令室に行く。後からシュトライト、アンスバッハが続いた。司令室に入るとフェルナー達が敬礼をして迎えてくれた。何処と無く照れくさかったが答礼した。

「ブラウンシュバイク公、御疲れ様でした」
「フェルナー、やはりわしは及ばなかったようだ」
それきり沈黙が落ちた。誰もこれからどうするかとは言わない、言うまでも無い事だ。後は自分の身の始末をつける、それだけだ。

「お父様」
「伯父上」
エリザベートとサビーネがおずおずと近付いて来た。二人とも蒼白な顔をしている。やれやれ娘達の前で敗残の姿を見せるか、情けない事だ。

「エリザベート、サビーネ……。すまぬな、負けてしまった」
「いいえ、いいえ、そんな事は良いのです。それより皆酷い、お父様を見捨てて逃げてしまうなんて……」

エリザベートが身を震わせて逃げて行った者達を非難した。
「そうではない、エリザベート。少なくともグライフスは違う」
わしの言葉にエリザベート、サビーネだけでなくフェルナー達も不審そうな表情をした。

「わしがグライフスに逃げるように頼んだのだ。これ以上はたとえ要塞に篭ろうと敗北する事は決まっている。だが人には見栄というものがあってな、分かっていても逃げる事が出来ぬ。このまま要塞に篭れば最後は悲惨なものになるだろう。お前達も巻き込んでしまう。だからグライフスに逃げてくれと頼んだのだ。総司令官が逃げれば皆逃げ易かろう」

わしの言葉に皆が頷いた。
「グライフスにはすまぬことをした。あの男は皆から非難されるだろう。だが敢えてその汚名を負ってくれた。決して忘れるでないぞ、今我等がこうしていられるのもあの男のおかげだ」

フェルナーが沈んだ声で尋ねてきた。
「グライフス総司令官はどうするのでしょう」
「汚名をかぶって逃げたのだ、降伏はするまい。おそらくは亡命だろう」

皆グライフスの事を想ったのだろう、しばらくの間沈黙が落ちた。
「ブラウラー、ガームリヒ、卿らはリッテンハイム侯よりサビーネを守れと命を受けているな?」

わしの問いに二人は顔を見合わせた。そしてブラウラー大佐が答えた。
「はい」
「他には?」
「……降伏しろと言われました」

サビーネを守るためか……。親と言うものは考える事は皆同じか。
「シュトライト、アンスバッハ、フェルナー」
「はっ」
「わしは卿らにも同じ事を命じる、良いな」
「はっ」

「お父様、お父様はどうされるのです」
そんな顔をするな、エリザベート。
「……わしはこの反乱の首謀者なのでな、けじめは付けなければなるまい」
「けじめ……」

不安そうな娘の表情に敢えて気付かぬ振りをした。
「シュトライト、一時間後に降伏をしてくれ」
「はっ」
「後を頼むぞ」

わしが自室に戻ろうと歩き始めると小走りに追いかけてくる足音がした。エリザベートだろう。
「お父様!」
「来てはならん!」

足音が止まった。わしも足を止めた、だが振り向かなかった。娘の泣き顔など見たくない。
「以前言った事を覚えているな、たとえ反逆者の娘になろうとも俯く事は許さん。胸を張って顔を上げて生きるのだ」
「……はい」
「エリザベート、幸せになれ。父はそれだけを祈っている」

歩き始めたが今度は追ってくる足音は聞こえなかった。代わりにすすり泣く声だけが聞こえた。聞きたくない、その音から逃げるかのように足を速めた。



部屋に戻り椅子に腰掛けた。
「終わったな、ようやく終わった。後は己の始末だけか」
思わず呟きが漏れた。しばらくぼーっとしているとアンスバッハが部屋に入ってきた。

「失礼します、何かお手伝いできる事は有りませんか」
「そうだな、酒の用意をしてくれるか」
「はっ」
「グラスは二つ用意してくれ、わしとリッテンハイム侯の分だ」
「リッテンハイム侯の……、分かりました」

アンスバッハがグラスと酒を用意し始めた。テーブルの上にグラスが二つ、そしてグラスにワインが注がれる。色は赤、美しい色だ、ワインとはこんなにも美しい色をしていたのか……。

「他に何か御用は?」
「いや、無い。御苦労だった、アンスバッハ」
「はっ」

アンスバッハが一礼すると部屋を出て行った。それを見届けてから胸元のポケットからカプセルを取り出した。遅効性の毒、苦しまずにゆっくりと死ねる薬だ。この反乱を起したとき用意した。やはりこの薬を使う事になったか。

カプセルを口に入れ、ワインで飲みこむ。後は死が来るのを待つだけだ。
「リッテンハイム侯、やはり我等は勝てなかったな。それでも門閥貴族らしい最後は迎えられそうだ。その事だけは自慢できる」

もう一口ワインを飲んだ。人生最後のワインだ、楽しませてもらおう。
「グライフスには済まぬ事をした。いずれヴァルハラで会った時謝ろうと思っている」

「多くの者が死んだ。門閥貴族の誇りなどと言う馬鹿げたもののためにな。愚かな事だと思う。唯一の救いは娘達を巻き込まずに済むということだけだ。大勢を死なせてそれだけが残った。罪深い事だ、やはり我等は死ぬべきなのだろう」

少し眠くなってきたか……。
「我等は何処で間違ったのかな、あの男をエリザベートの婿にと考えた事も有った。そうすればこのような事にならなかったかもしれん……。いまさら悔やんでも仕方ないな」

眼を開けているのが辛くなった。どうやら迎えが来たようだ。
「侯、少し眠くなってきた。悪いが休ませて貰うぞ、ヴァルハラで会おう」
眼を閉じた。

……声が聞こえる、エリザベートの楽しそうな笑い声だ。声だけではない顔も見えた。アマーリエもクリスティーネもリッテンハイム侯もサビーネも居る。フレーゲル、卿も居るのか。オーディンの屋敷か? そこに皆集まっている。

ヴァレンシュタイン、卿もいるのか。相変わらず酒は飲めんのか、困った奴だ。酒が飲めずに困惑しているヴァレンシュタインを皆が笑ってみている。ようやくヴァレンシュタインが酒を飲んだがむせ返った。エリザベートが慌てて背中をさすった。その姿を皆がやさしく見ている。夢だな、美しい夢だ……。



帝国暦 488年  3月 4日  6:00  ガイエスブルク要塞 エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク


討伐軍がガイエスブルク要塞に進駐してきた。ヴァレンシュタイン司令長官は大広間にいるらしい。私とサビーネはシュトライト准将、フェルナー准将、ブラウラー大佐、ガームリヒ中佐に付き添われて大広間に向かった。アンスバッハ准将は父の部屋にいる。

大広間の正面には司令長官が立っていた。そして大勢の将官達が左右に分かれて並んでいる。司令長官の元に行くには彼らの前を通らなければならない。彼らがこちらを見ているのが分かった。見世物にされているようで嫌だったがそれ以上に恐怖感が身を包む。サビーネも同じ気持なのだろう。私の手を握ってきた。

前に進もうと思ったときだった。司令長官がこちらへ歩いて来た。黒一色の司令長官がゆっくりと近付いてくる。恐怖から思わず後ずさりしそうだった。懸命に堪えると数メートル先まで迫った司令長官が跪いた。そして左右の軍人達が皆一斉に跪く。

「エリザベート様、サビーネ様、ご無事で何よりでした。これよりオーディンへ御連れいたします。御母上方、そして陛下がお二人をお待ちです」
「元帥……」

「それから御父上方の事、御悔み申し上げます。やむを得ぬ事とはいえ、残念な事でございました」
「……」

ヴァレンシュタイン司令長官が立ち上がった。それに合わせる様に左右の軍人達が立ち上がった。
「メックリンガー提督、お二人をオーディンへ御連れしてください」
「はっ」
「アントン、公の下に私を案内してくれ」
「はっ」

父の下? 私は思わず司令長官とフェルナー准将を見た。私の様子に気付いたのかもしれない。
「御安心ください。公の御遺体もメックリンガー提督にお願いする事になります。決して辱めるような事はしません。では失礼します」

司令長官は私を安心させるように言うとフェルナー准将と共に大広間を出て行った。軍人達が皆私達を置いて司令長官に続く中、身だしなみの良い軍人が私達に近付いた。

「エルネスト・メックリンガーです。御二人をオーディンまで御連れします。小官の艦に乗艦していただきます。どうぞこちらへ」
メックリンガー提督が歩き始める。私とサビーネは顔を見合わせその後に続いた。



帝国暦 488年  3月 4日  6:00  ガイエスブルク要塞 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


ブラウンシュバイク公の自室の前に来るとそこにはアンスバッハ准将が居た。一瞬だが原作の事を思い出して不安になった。大丈夫だ、こちらはエリザベートを押さえている。俺を殺せばあの二人の立場が悪くなる。アンスバッハはそんな事はしないだろう。そして公もそんな事を命じるとは思えない。

アンスバッハが敬礼してしてきた。答礼を返すと
「ブラウンシュバイク公はこちらです」
と彼が答え、部屋のドアを開けた。

俺が入る前にリューネブルクが先に入って中を確認した。問題ないのが分かったのだろう。頷いて部屋に入る事を促がす。部屋に入るとブラウンシュバイク公が項垂れて椅子に腰掛けているのが見えた。テーブルにはワインボトルにグラスが二つ置いてある。おそらく服毒自殺だろう。

公は安らかに死んだのか、それとも苦しんだのか、公の顔を上げて確かめるべきかとも思ったが止めた。安らかにしろ、苦しんだにしろ無念の死であった事は間違いない。家族を残して死ぬ事がどういうことか、俺の両親の死顔を見れば分かる。確かめるまでも無い。

「アンスバッハ准将、エリザベート様、サビーネ様はメックリンガー提督がオーディンに御連れします。公の御遺体も一緒に運びますので準備を御願いします。准将もオーディンに同行してください。アントン、卿もだ」
「はっ」

フェルナーはかしこまって答えた。以前のようにフランクには答えない。何処と無く寂しさを感じた。今だけだ、いつか元に戻る。
「ブラウンシュバイク公は皇帝陛下の女婿です。それに相応しい待遇をしてください」
「はっ、有難うございます」

ようやく此処まで来た。後は辺境星域を平定して反乱は終了だ。此処からは全軍で平定に当たれる。予定通り今月末までには内乱の終結を宣言できるだろう……。



 

 

第二百十七話 内乱終結後(その1)

宇宙暦 797年  4月 10日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ


「ようやく内乱が終結したな、トリューニヒト」
「そうだな」
「次は捕虜交換か」
「そしてフェザーンだ。何とかしてあれを帝国に返さないと」

最高評議会議長の執務室。今此処には私とトリューニヒトだけがいる。こうして二人だけで会う事は久しぶりだ。トリューニヒトがどうしてもと言って時間を作った。今後の事について話をしたいと……。

二人ともソファーに座りコーヒーを飲んでいる。今、トリューニヒトほど市民の支持を得ている政治家はいないだろう。しかしトリューニヒトの表情は決して明るくない。コーヒーを飲む表情は苦味を帯びている。実際難問は山積みだ、息を抜ける状況ではない。

昨日帝国は内乱の終結を宣言した。それによって昨年の十一月末に起きてから四ヶ月半に及んだ内乱が終結した事になる。もっとも内乱は事実上一ヶ月前、ガイエスブルク要塞でブラウンシュバイク公が死んだ事で終わっていると言って良い。

実際同盟内部でもブラウンシュバイク公の死とガイエスブルク要塞の陥落後は内乱は終結したという認識が大勢を占めた。それと同時に出兵論も聞こえなくなった。一つ問題が消えたと言って良いだろう。但し、数多ある問題の一つだ

「容易なことではないぞ、向こうは受けとらんだろう。それに返すとなればこちらにも反対者が出る」
「分かっている、レベロ」

私の言葉にトリューニヒトは渋い顔をした。いつも人当たりの良い表情をしているこの男が渋い顔をしている。フェザーン進駐はトリューニヒト政権の支持率を上げた。それだけに返すのは難しい。返還を匂わせただけで支持率が下がるのは眼に見えている。理性では理解しても感情では納得しない、そして支持率はその感情に左右されがちだ。

「やるのなら捕虜交換の直後だな、一気呵成に行なうべきだろう」
私の言葉にトリューニヒトは頷いた。
「ああ、その通りだ。フェザーンのレムシャイド伯と連絡を取ろう。先ずは捕虜交換だ」
レムシャイドか、喰えぬ男だ。思わずこちらも顔を顰めた。

「フェザーン返還にはルビンスキーの身柄がいる。彼の行方はまだ分からんのか?」
私の言葉にトリューニヒトはまた渋い表情をした。いかんな、男二人さっきから顔を顰めてばかりだ。

「その事だがな、もしかすると帝国は既に彼の身柄を押さえているのかもしれない」
「どういうことだ、それは」

「帝国はルパート・ケッセルリンクという若い補佐官をオーディンに送った。その男だが……」
ルパート・ケッセルリンク? トリューニヒトは忌々しそうな顔をしている。
「その男がどうかしたのか?」

「ルビンスキーの息子らしい」
「なんだと! 本当か!」
トリューニヒトが顔を顰めた。私の大声の所為か、それともルパート・ケッセルリンクがルビンスキーの息子だという事実にだろうか。

ルパート・ケッセルリンク、その男はルビンスキーが若い頃にある女性に産ませた息子なのだという。もちろん認知もしていない。フェザーンの自治領主府でも親子らしいそぶりは無かったという。そのため彼らが親子だと言う事は誰も知らなかったらしい。

「レムシャイド伯がその男をオーディンの弁務官事務所に欲しいと名指ししたそうだ。オーディン駐在のボルテック弁務官の願いだと言ってな」
「オリベイラは何の疑問も持たなかったのか?」

「その時はな。レムシャイド伯は新任の自治領主マルティン・ペイワードの地位を安定させるためにボルテックをオーディンから動かさないと言ったそうだ。それで自分達に協力的だと安心した」
「白狐の得意な手だ! 味方面していつの間にかポイントを稼いでいる」
吐き捨てるよう口調になった。だが感情的になっているとは思わない、トリューニヒトも頷いている。

「オリベイラ弁務官が後日気になって念のため調べたそうだ。それで分かった」
「話にならんな、後で分かってなんになる。君が帝国は既にルビンスキーの身柄を押さえていると言うのはそれが理由か」
「或いは何処に潜んでいるか見当をつけているか……」

トリューニヒトは忌々しそうな表情のままだ。ルパート・ケッセルリンクを手掛かりにルビンスキーの行方が掴めたかも知れない、その思いがあるのだろう。そして既に帝国はルビンスキーの身柄を押さえているのではないかという不安も。

「ルビンスキー無しでもフェザーンを返還する。それを考えるべきだろうな」
私の言葉にトリューニヒトが頷いた。もっとも言うは容易く実行は難しい。フェザーン返還はやはり難問だ。話を変えるべきだろう、この話はそう簡単に解決できるものではない。

「それより亡命者が大量に同盟に押し寄せてきたそうだが」
「ああ、戦艦二十隻。軍人、貴族、それに従う者、合わせて約二千人といったところだ。今ハイネセンに向かっている」

「では受け入れるのだな」
私の問いかけにトリューニヒトは頷いた。同盟内部には今回の亡命者を受け入れるべきではないという意見がある。今後の帝国との関係改善のためだ。そして同じように彼らを受け入れるべきだという意見もある。これまで亡命者を受け入れて来た、今回の亡命者を受け入れぬとは理が通らない……。

「亡命は認める、但し同盟政府の許可なしに反帝国活動はさせない」
「安住の地は与えるが勝手な真似はするな、そういうことか」
「彼らから帝国の内情がかなり分かるだろう、正確な情報が無くては強大な帝国とは渡りあえん。リスクはあるが受け入れようと思う」

「トリューニヒト、軍は何と言っている?」
「軍も受け入れには賛成だ。彼らも帝国軍の情報を知りたがっている」
私が黙っているとトリューニヒトがさらに言葉を続けた。

「レベロ、亡命者が重大な事を言っている。イゼルローンから知らせがあった」
「?」
「国務尚書、リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥の間に対立は無い。彼らが権力を巡って争う事は無いそうだ」
「!」

信じられない言葉だった。リヒテンラーデ侯はあの改革を支持しているということか。門閥貴族を倒すための方便ではなく、真実帝国は変わるべきだと考えた……。何故だ、何故貴族であるはずの彼がそれを受け入れた? 判断する情報が欲しい、切実に思った。

「私はこれからヴァレンシュタイン元帥とリヒテンラーデ侯の間で権力争いが発生するだろうと思っていた。帝国の混乱は予想以上に早く収束しそうだ。我々の未来は決して明るくない、覚悟が必要だろうな」
そう言うとトリューニヒトは苦い表情でコーヒーを一口飲んだ。私もコーヒーを飲んだ、確かに苦い。


帝国暦 488年  5月 30日  オーディン  新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「御苦労じゃったな、ヴァレンシュタイン」
「有難うございます、侯」
「随分久しぶりじゃ、懐かしいの。体はもう大丈夫か?」
おいおい、半年会わなかったからといって随分優しいじゃないか。らしくない侯に思わず苦笑が漏れた。

「負傷したのは半年も前の事です。もう問題ありません」
「そうか……、まあそうじゃろうの」
「はい」

宇宙艦隊は三月初旬にガイエスブルク要塞を落とすと中断していた辺境星域の平定を再開した。イゼルローン方面に逃亡した反乱軍はその殆どが降伏した。やはり帝国を捨てる事は出来なかったようだ。イゼルローン要塞に向かった者達はそれほど多くない。それら全ての後始末をつけ、辺境星域の平定が完了したのが四月上旬、そして宇宙艦隊がオーディンへ帰還したのが今日だ。

俺は反乱鎮圧の報告をエーレンベルク、シュタインホフの両元帥にした後、リヒテンラーデ侯に会っている。この後は陛下にそしてミュッケンベルガー元帥に報告しなければなるまい。二人にはラインハルトの事も話さなければならんだろう、少々気が重い……。

「宮中も寂しくなったの、大勢の人間がいなくなった」
心底寂しそうに呟くリヒテンラーデ侯に俺は頷いた。侯の気持は分かる、門閥貴族の殆どが死んだか亡命した。あの改革に賛成した貴族などほんの少ししかいない。いつもなら敵意も露わに俺を見ていた人間が殆どいなくなったのだ。確かに寂しい。

大体俺は今、リヒテンラーデ侯と侯の執務室で話しをしている。以前なら俺と侯が執務室で話すことなど出来なかった。門閥貴族の回し者が鵜の目、鷹の目で様子を探ろうとしただろう。今ではそんな心配をする事も無い。

主だった者でも貴族ではブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、フォルゲン伯爵、ヘルダー子爵、ハイルマン子爵、ヴァルデック男爵が死んだ。軍人ではオフレッサー、ヴァルテンベルク、クライスト、シュターデンが死んでいる。そしてラムスドルフ、彼を忘れてはいけない。今回の内乱の犠牲者だ。

コルヴィッツ子爵、ホージンガー男爵、カルナップ男爵は同盟に亡命した。そしてグライフス、彼があえて汚名を被った事はフェルナー達から聞いた。出来れば降伏して欲しかった。彼なら良い相談相手になってくれただろう。彼の事を考えると胸が痛む。

フェザーンに亡命した人間もいる。ランズベルク伯、シャイド男爵だ。ランズベルク伯は戦線崩壊した直後、戦場を脱出した。シャイド男爵はガイエスブルクの決戦の前に密かに要塞を脱出しフェザーンに亡命したそうだ。レムシャイド伯から彼らがフェザーンにいると連絡が有った。

俺が居なくなった人間達の事を考えているとリヒテンラーデ侯が話しかけてきた。
「ヴァレンシュタイン、同盟が捕虜交換を進めたいと言ってきた」
「その事は先程エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥より聞いています。問題は無いと思いますが?」
「うむ、では話を進めるとするかの。レムシャイド伯に伝えよう」
捕虜交換か、実務は軍が主導になる。調印式はイゼルローンだな、ヤンと会えるだろう、楽しみだ。

「ところでの、同盟から苦情が有った」
「苦情、と言いますと?」
リヒテンラーデ侯が微かに苦笑した。あまり深刻な問題ではないらしい。

「ルパート・ケッセルリンクの身柄を同盟に渡して欲しいと」
「……ばれましたか」
「うむ」
今度はお互い顔を見合わせて苦笑した。どうやら悪戯がばれたらしい。

「身柄を渡せぬなら、アドリアン・ルビンスキーの捕縛、或いは捕殺とその身柄の帝国への引渡しは難しいと」
「なるほど」

ルビンスキーがルパート・ケッセルリンクを助けるために動く事は無い。だが同盟はその可能性が有ると考えたか……。或いはそういう事にしてルビンスキーの引渡しを撤退の条件から外そうということか。

「帝国は既にルビンスキーの身柄を押さえているのではないかとも言っていたな。捕らえていてその事実を隠しているのではないかと。どうする、向こうに渡すか?」
からかう様な表情だ。爺さん、相変わらず人が悪いな。

「渡してもルビンスキーを捕らえられるとは思いませんが」
「ふむ、意味が無いか」
「ルビンスキーの捕縛に関してはそうです」
「しかし捕らえられぬとなれば連中をフェザーンに引き止める事は出来るの」
「はい」

お互い相手の顔を見た。リヒテンラーデ侯の顔に先程までのからかう様な表情はもう無い。どうやらあまり深刻な問題ではないという最初の予想は外れたようだ。しばらくそのまま見詰め合った。
「渡すか?」
「さて……」

渡してもルビンスキーを捕らえられなければ、同盟はルビンスキーは既に帝国が捕らえたと言うだろう。その上でフェザーン返還を引き伸ばしていると。となるとルパートを同盟に渡す事は余り意味が無い。そして同盟がルビンスキーを捕らえる可能性はかなり低いだろう……。

「意味は無いか……」
「多分……」
侯も俺と同じ事を考えたようだ。ルビンスキーの捕縛は帝国と同盟の間で水掛け論になる可能性がある。場合によっては同盟は帝国への不信を理由に兵を退くだろう。それは余り面白くない。

「渡したほうが得策か……、いやフェザーンは反って混乱するかもしれんの」
「そうですね、ルビンスキーが掻き回しに来るでしょう。出来れば後一年は帝国においておくべきだと思います。」
俺の言葉にリヒテンラーデ侯が忌々しそうに頷いた。

簡単には兵は退けないだろう。喧嘩別れでは帝国がフェザーンへ進駐する口実を与えかねない。フェザーンの中立を確立した上での撤兵、それが同盟の願いのはずだ。

元々帝国がルパートの身柄を押さえたのはフェザーンに彼を置いておけばルビンスキーがルパートを利用してフェザーンを混乱させるのではないかと思ったからだ。帝国は内乱の最中だ、不必要な混乱は避けたい。

そして内乱終結後もその状況は変わらない。ある程度国内が安定するまで外征は出来ないのだ。つまりフェザーン、イゼルローンどちらも静寂である事が望ましい。ルパートを押さえたのはルビンスキー捕縛のためではない、フェザーン安定のためだ。オーディンならルパートは自由に動けない、フェザーンのルビンスキーもだ。危険性は低い。

「ルビンスキーの捕縛よりもフェザーンを安定させろと言うかの? 先ずはそちらを優先させろと」
「いささか苦しいですね、亡命者が小粒です」
「ランズベルク伯とシャイド男爵か、ランズベルク伯は誘拐事件の主犯、シャイド男爵はブラウンシュバイク公の甥、十分大物じゃ、危険人物じゃろう」

ランズベルク伯が危険人物? 失笑仕掛かったが、途中で顔が強張った。操り方次第では十分に危険人物だ。それは原作でもこの世界でも証明されている。しかし二人ではいささか駒不足ではある。

「捕虜をフェザーンに追放しますか」
「捕虜か?」
「はい」

リヒテンラーデ侯は少し考える表情をした。
「フェザーンで反帝国活動を起させるということじゃの」
「はい、集まればたちまち不平不満を言い始めるでしょう」

捕虜の主だったもの、ラーゲル大将、ノルデン少将、ラートブルフ男爵、シェッツラー子爵、これらをフェザーンに追放する。連中、あっという間に不平不満を言い始めるだろう。となるとルビンスキーが動く可能性も有るか、ただの謀議ではすまなくなるな。

ルビンスキーがフェザーンに居るという証明にはなるかもしれないが本末転倒だ、混乱は避けたいのに奴がフェザーンに居る事を証明するために混乱を誘発させるとは……。どうにも馬鹿げた話だ。

「小火のつもりが大火事になるかもしれんの」
リヒテンラーデ侯が顔を顰めた。全く同感だ、大火事は困る。
「……同盟に伝えましょう。捕虜をフェザーンに追放する、ルビンスキーが接触する可能性がある、そこを捕らえよと」

「なるほど、同盟に協力していると思わせるのじゃな」
「はい」
「ならば彼らの中に協力者を作るのじゃな。一人ではいかんぞ、少なくとも二人、なんなら全員でも構わぬ」

そう言うとリヒテンラーデ侯は悪人面で笑いを浮かべた。やれやれだ、この爺様を相手にする同盟の連中が可哀想に思えてきたよ。ようやくオーディンに帰ってきた実感が湧いてきた。


 

 

第二百十八話 内乱終結後(その2)

帝国暦 488年  5月 30日  オーディン  新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


リヒテンラーデ侯と別れた後はバラ園に向かった。侯の言う事ではフリードリヒ四世はそこで待っているらしい。俺がフリードリヒ四世と最後に会ったのもバラ園だった。危うく死に掛けたがあれから半年か、早いものだ。

フリードリヒ四世はバラ園でバラの手入れをしていた。黄色い花が咲いている、思わずミッターマイヤーのプロポーズを思い出した。これと同じバラかな、まあ此処に在るのは皇帝陛下の育てるバラだ。その辺のバラとは違うかもしれん、いや花などどれも同じか……よく分からん。

近付いて跪いた。
「陛下、ヴァレンシュタインです」
「ヴァレンシュタインか、内乱鎮圧、御苦労であったの」
「はっ」

「随分と会わなんだ……」
「最後に謁を賜ってから半年が経ちました」
「そうか、あれから半年か……」

あの襲撃事件から半年だ。フリードリヒ四世の声には懐かしむような色がある。確かにあの当時は生き残るのに必死だったが今となっては夢のようだ。懐かしさを感じても可笑しくない。
「臣が今こうして生きているのは陛下の御蔭です。心より御礼申し上げます」
「気にするでない、そちが無事で良かった」

穏やかな優しい声だった。残念だが俺が顔を伏せているため表情は見えない。フリードリヒ四世は俺に立つようにと言った。非公式の場なのだ、遠慮は無用だろう。躊躇無く立ち上がった。皇帝は俺に横顔を見せている。そして正面に咲いている黄色いバラを見ていた。

「ヴァレンシュタイン、宮中は寂しくなったであろう」
「はっ。リヒテンラーデ侯もそのように言っておられました」
「賑やかなのはバラ園だけよの、このアルキミストが咲きだすとバラ園が急に賑やかになる」

フリードリヒ四世は微かに苦笑している。アルキミスト? バラの名前だろうか?
「昔はこの花が嫌いじゃったが、今ばかりは有り難いの」
「……陛下、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の事、残念でございました」
俺の言葉に皇帝は首を横に振った

「そちの所為ではない、勅命を出したのは予じゃ。こうなると分かっていて出した……」
「ローエングラム伯、グリューネワルト伯爵夫人の事もございます。何と言って良いか、陛下に近しい方を臣が皆排除する事になりました」

門閥貴族の生き残りどもは、俺の名前は悪人列伝、佞臣列伝に載るべきだと騒ぐだろう。流血帝アウグスト二世におけるシャンバークか、或いはオトフリート一世におけるエックハルトか。どちらにしても碌なもんじゃない。

「それもそちの所為ではない。あれの野心を知りながら引き立てたのは予じゃ。引き立てながらあれを捨てそちを選んだ。あの時からラインハルトが、アンネローゼが滅びるのは分かっておった。予があれらを破滅させたのじゃ」

フリードリヒ四世は寂しそうにバラを見ている。
「救う事など出来なかった。そんな事をすれば反ってあれを辱める事になるであろう。そうは思わぬか?」
俺は黙って頷いた。覇者ラインハルトにとっては死を賜るよりも皇帝の命によって死から救われる事のほうが屈辱だろう。彼らは今取調べを受けている、裁判は何時頃になるのか……。

「そちは振り返るな、振り返ってはならぬ」
「陛下……」
フリードリヒ四世が俺を見た。寂しそうな表情、そして優しそうな瞳。切なくなるような気持になった。皇帝は悲しんでいる、それでも俺を励まし背を押してくれる。思わず視線を伏せた。

「面を上げよ、ヴァレンシュタイン。そちが切り捨てたものは本来なら予が切り捨てるべきものだったのじゃ。そちは予に代わってそれを切り捨てたまでのこと。そちが気にする事ではない。そちはただ前を歩け」
「しかし、それでは」

「良いのじゃ。新しい帝国を創る、そちはその事だけを考えよ。それこそが我が望み……、忘れるな」
「……はっ」
しばらくの間お互い喋らなかった。ただ黙ってバラを見ていた。美しく華やかに咲く黄色いバラを……。


フリードリヒ四世が口を開いたのは十分程経ってからだった。
「そち、結婚せぬか」
「はあ?」
いきなり何を言い出すんだ、この老人……。フリードリヒ四世の顔には先程までの寂しそうな表情は無い、何処か面白がっているような色がある。

「軍中央病院がそちの事を心配しておるそうじゃ」
「心配ですか?」
俺の言葉にフリードリヒ四世は嬉しそうに頷いた。よく分からんな、結婚と病院? どう繋がるんだ?

「そちの健康管理は万全かとな」
「……健康管理」
「そちは無理をするからの、傍でそちを見張る人間が必要という事じゃ」
頼む、そう嬉しそうな顔をするな、何処かの爺様と同じ表情をしているぞ。

「しかし、だからと言って結婚ですか」
「そうじゃ、どの道結婚は避けられぬからの」
「?」

俺は不審そうな顔をしたのだろう。皇帝フリードリヒ四世は俺を見て笑い出した。
「そちは自分の事になると鈍いの。今のそちは帝国きっての実力者なのじゃぞ。生き残った貴族達が自分の家を守るために何を考えるか……、分かるじゃろう?」

なるほど、俺に娘を押し付けて生き残りを図るか、クズみたいな連中だな。俺は顔を顰めていたのだろう、フリードリヒ四世は俺を見てもう一度笑った。
「貴族が生き残りをかけるなら臣ではなく陛下の下に薦めてくるのではありませんか?」

俺の言葉にフリードリヒ四世は重々しく頷いた。
「その通りよ、いささか面倒での。そちに一人遣わそうと思うのじゃ」
「臣は平民です、貴族である事を鼻にかけるような女性は御免です」
フリードリヒ四世がまた笑った。頼むから俺に女を押し付けるな、自分で何とかしてくれ。それにしても貴族ってのは何考えてるんだか……。

「好きな娘でも居るかの?」
「……特にそういうわけでは……」
「ならば予が選んでも問題は有るまい。貴族である事を鼻にかけぬ娘なら良いのじゃな」

いや、その、俺にだって恋愛する権利はあるだろう。好きとは言えなくても気になる女性が居ないわけじゃない。いくらなんでも“この娘と結婚しろ”はちょっと……。大体そんなのは貴族の世界だろう、俺は平民だ。

「不満そうじゃの、恋愛結婚でも望んでおるのか? そちは平民かもしれんが宇宙艦隊司令長官、元帥なのじゃ。そのような事、できると思うか?」
「……」

「これから先はそちに皆が娘を薦めて来るであろう、誰を選ぼうと厄介な事になる。じゃが予が娘を薦めれば皆諦めよう。そちのためでもあるぞ」
「……それは、そうですが」

この爺、結構交渉上手じゃないか。何で皇族なんかに生まれた? フェザーンに生まれていれば財団の一つぐらい作っただろう。フリードリヒ四世がフェザーンの自治領主だったら手強かっただろう。

「ミュッケンベルガーの娘はどうじゃ? そちは親しいそうじゃの」
「……それは」
「予も知っておるが良い娘じゃ、悪くは無いと思うが」

老人、ニヤニヤするのは止めてくれ。どうして年寄りっていうのは若い連中をからかって楽しむのかね。確かに悪くは無いよ、ユスティーナは。しかしね、養父は怖いしそれに向こうは軍の名門だ、ちょっと気が引ける……。ミュッケンベルガーが俺に好意を持っているのは分かっている。だがそれは軍の後継者としてだろう。娘婿としてかどうかは正直疑問だ。大体押し付けられるのは苦手なんだ。

「しかし相手はどう思うか……」
「ミュッケンベルガーも娘も喜んでおったぞ。特に娘がの」
「……はあ」
汚いぞ、老人。外堀は全て埋めた後かよ。俺に拒否できないように持って来る。

「ヴァレンシュタイン、この結婚を拒否する事は許さぬ」
「……」
突然だがフリードリヒ四世は厳しい表情をした、先程までの何処かふざけたような表情は無い。

「貴族が平民であるそちとの結婚を望む、その意味はそちにも分かろう」
「それは……」
貴族とは何よりも遺伝子を、血統を重んじたルドルフによって作られた制度だ。彼らが平民との血の混合を望むなど本来ありえない。

その彼らが平民との結婚を望む、つまり遺伝子、血統の否定だ。脱ルドルフという事に他ならない。
「真の意味で貴族と平民の壁を無くすつもりであれば、血の交流は避けられぬ。避ければ新たな壁が、差別が生ずる。新たな帝国にはそのような壁は不要じゃ。そうであろう」
「それは、……そうです」

ミュッケンベルガー家は伯爵家の分家だ。そして代々軍の名門として存在してきた家でもある。そのミュッケンベルガー家が平民を娘婿に選ぶ……。俺の結婚は当然同盟でも話題になるだろうな、そのあたりも考慮しての事か……。まさに政略結婚だな。ユスティーナはそのあたりを理解しているのか……。

「予はこれを機に劣悪遺伝子排除法を廃法にするつもりじゃ」
「!」
俺が驚いてフリードリヒ四世を見ると可笑しそうな顔で笑った。

「遺伝子や血に拘らぬのであれば必要ないからの、帝国が変わったという何よりの証拠になろう。そのためにもそちはミュッケンベルガーの娘と結婚せねばならん。良いな」
「はっ」

これからミュッケンベルガーに会うんだが、どんな顔をすればいいんだ。その時のことを考えると思わず溜息が出た。そんな俺を見てフリードリヒ四世がまた笑い声を上げた。オーディンは魔界だ。食えない爺ばかりいる。



帝国暦 488年  5月 31日  オーディン  ゼーアドラー(海鷲)   アルベルト・クレメンツ


「こうして二人で酒を飲むのは久しぶりだな、クレメンツ」
「ああ、前に飲んだのは内乱が起きる前だからな。半年前か」
「うむ」

あの時は内乱を前に皆が何処かピリピリしていた。酒を飲んでいても寛ぐという事は無く、何処かで何かが起きるのを待っている、そんな感じだった。今はそれは無い。ゼーアドラー(海鷲)にいる人間は皆、落ち着いた表情で酒を飲んでいる。

ゼーアドラー(海鷲)にいる人間も変わった。内乱前は門閥貴族出身の貴族と下級貴族、平民は席を一緒に座る事は無かった。そこには厳然とした差別があった。だが今はない。

「何時出撃する?」
「一週間後だ、卿は」
「こちらも一週間後だ」

一週間後に出撃。内乱終結にも関わらず間をおかず出撃するのは国内の治安維持のためだ。門閥貴族が滅んだ事で新たな混乱が生じている。その混乱を解消しなければならない。

彼ら門閥貴族は領地を持っていた、つまりその地方の安全保障を受け持っていたのだがその貴族が滅んだ事で安全保障を受け持っていた存在が居なくなった。そしてもう一つ、彼らはその地方の物流、通商の主要な担い手だった。それが居なくなった。各星系内、星系間の経済活動が極端に低下しはじめている。

ここから何が生まれるか? 簡単だ、極端な物不足、物価の高騰、密輸、非合法活動(海賊行為)だ。これを放置すれば政府に対して不満が高まり、門閥貴族達への支持になりかねない。改革は挫折する。

軍は既に兵站統括部に命じて各星系に輸送船を派遣している。しばらくの間は軍が帝国内の物流を支えなくてはならないだろう。そして我々の役目はその護衛、海賊行為の取り締まりだ。

海賊達の中には今回の内乱に参加した者達も居る。降伏もせず、亡命もせず賊になった。かなりの装備を持っており油断は出来ない。正規艦隊を動かすのもその所為だ。作戦期間は三ヶ月、またしばらくはメックリンガーとも会えなくなるだろう。

「メックリンガー、司令長官がフロイライン・ミュッケンベルガーと婚約したが結婚は何時になるのかな」
「捕虜交換が終わってからだと聞いたが」
「ふむ、となると半年は先か」
「そうなるな」

ヴァレンシュタイン司令長官がミュッケンベルガー元帥の娘と婚約した。陛下の口添え、まあ命令が有ったそうだが。
「元帥閣下もこれで少しは無理をしなくなるかな」
「そうであって欲しいよ、閣下は余り身体が丈夫ではない」

メックリンガーの言葉に俺は頷いた。ヴァレンシュタイン司令長官は宇宙艦隊の総司令官として我々を指揮統率している。その事に俺は十分に満足している。メックリンガーもそれは同じ思いだろう。だが完璧な人間など居ない……。

司令長官の欠点は二つ有ると俺は思っている。一つは健康面で不安が有る事だ、そしてもう一つは自分が帝国屈指の重要人物だという意識が希薄な事。内乱鎮圧においても自分を囮にするなど無茶な行為が多かった。無謀なのではない、何と言うか自分の命に関して執着が薄いように思えるのだ。

「貴族と平民の結婚か、これから増えるのかな」
俺の問いにメックリンガーは頷いた。
「増えるだろう、門閥貴族の多くが居なくなったのだ。結婚相手を選ぶ余裕は無くなったはずだ」
「なるほど」

「フロイライン・マリーンドルフがルッツ提督と親しくしているらしい」
メックリンガーの言葉に思わず口笛を吹いた。周囲から視線が集まるのが分かった。メックリンガーを見て片眼をつぶる。彼が俺を見て静かに笑った。

「聞いているか、クレメンツ? 劣悪遺伝子排除法が廃法になるそうだ」
「なるほど、世の中は変わるか」
「変わる、良い方向にな」

“誰もが安心して暮らせる国家”、“新しい時代を我等の手で切り開く”、第五十七会議室で司令長官が言った言葉だ。その言葉が実感できた時、無性に乾杯したくなった。出撃は一週間後だ、出撃すればまた当分は会えなくなる。

「メックリンガー、乾杯しよう」
「構わんが何に対して乾杯する?」
「そうだな、新しい帝国に、と言うのはどうだ」
俺の言葉にメックリンガーが嬉しそうな表情をした。

メックリンガーがグラスを掲げた。俺もグラスを掲げる。
「新しい帝国に!」
俺の言葉にメックリンガーが続いた。
「新しい帝国に!」
一瞬顔を見合わせるとグラスのワインを一息に飲み干した。



 

 

第二百十九話 内乱終結後(その3)

帝国暦 488年  6月 3日  オーディン  憲兵本部 ギュンター・キスリング


取調室にいる目の前の男は明らかに虚勢を張っている。胸を張り、顔を上げ傲然としているが時折眼が落ち着き無く動く。そして机の上に置かれた手もだ。
「取調べは始めないのか?」
「……」

敢えて無言のままで居ると明らかに相手は不安そうな表情を見せた。やれやれだな、もう少し歯ごたえのある相手が欲しかったんだが……。まあ五分以上こうして無言のまま机を挟んで座っているのだ、不安に思うのも無理は無い。

ドアが開いて小柄な男性が入ってきた。
「久しぶりですね、ラートブルフ男爵」
「ヴァ、ヴァレンシュタイン……」
ラートブルフ男爵が驚いたような声を出した。

「遅いぞ、エーリッヒ。ラートブルフ男爵が卿をお待ちかねだ」
「すまないね、ギュンター」
エーリッヒは驚愕するラートブルフ男爵に穏やかに微笑んだ。そして俺の横に座る。ラートブルフ男爵は驚愕から不安そうな表情に変わっている。

「何の用だ、ヴァレンシュタイン」
「捕虜をどうするかが決まりました。その事をお知らせしようと」
ラートブルフ男爵の顔が強張った。死を予感したのかもしれない。

内乱により多くの人間が捕虜になった。反逆罪なのだ、本当なら死罪、或いは死罪を免れても農奴に落とされるはずだ。だが今回は内乱の規模が大きい、通常の処置は取れない。

捕虜に関しての処分は一部を除いて決まっていた。下士官を含む兵に対しては罪を問わない事。軍に復帰するかどうかは本人の意思に任せる。士官に対しては本人に意思確認を行う。軍に復帰するか、それとも貴族への忠誠を貫くか。軍に復帰すると答えた士官は処分無し、貴族への忠誠を貫くと答えた士官についてはフェザーンに追放の処分となる。最終的にはフェザーンに留まるか同盟に亡命するかを選ぶ事になるだろう。

問題は貴族、そして軍の中でも内乱の主要メンバーだ。ラートブルフ男爵、シェッツラー子爵、ラーゲル大将、ノルデン少将……。彼らの処分をどうするか、それがようやく決まった。

「死罪か、このラートブルフ、死は恐れぬぞ」
嘘だな、声が少し掠れている。必死で恐怖を押し殺しているのだろう。おかしな事ではない、誰でも死は怖いものだ。

「選択肢は二つです」
「二つ?」
「一つは平民として生きる事です。爵位、領地、財産を全て没収します。その後で有る程度の金銭を受け取り、帝国臣民として生きる事になる。そこから先は男爵の才覚次第です。財産を作るか、それとも没落するか」

「もう一つは、もう一つは死か?」
「いいえ、そうではありません。平民として生きる事を拒否した場合はフェザーンへ追放となります。もちろん有る程度の金銭は与えますよ。その場合追放先でどのような名を名乗ろうとそれは自由です。爵位が命より大事だと仰るならその道をお勧めします」

エーリッヒがにこやかに話す。皮肉を言っているのだろうがとてもそうは思えない。考え込んでいるラートブルフ男爵には気付く余裕は無かっただろう。
「忠告しておきますが、帝国は宇宙を統一します。亡命は賢明な選択とは言えませんね。惨めな死を迎えかねない」

「私に平民として生きろと言うのか」
「それが一番安全な道だと思います」
ラートブルフ男爵が顔を歪めた。屈辱なのだろう、両手を握り締め俯いて唇を噛み締めている。

「私に平民として生きろと、そんな事が出来ると思うのか、ヴァレンシュタイン? 」
搾り出すような男爵の声だった。

「誇りの問題ではない、現実に生きていく事が出来ると?」
「……難しいでしょうね。あっという間に没落するかもしれない。しかし上手く生きていけるかもしれない……。私には分からないことです」
「何故殺さない、辱めるのが目的か、傲慢にも程が有るぞ! ヴァレンシュタイン!」

部屋に沈黙が落ちた。男爵は俯いて唇を噛み締めている。エーリッヒは俺を見ると首を横に振った。男爵を哀れだと思ったのか……。
「貴族としてでなければ生きていけませんか」
「そうだ、私を軽蔑するか、ヴァレンシュタイン。しかし私は他の生き方を知らん、ラートブルフ男爵としてしか生きられんのだ」

また部屋に沈黙が落ちた。ラートブルフ男爵は俯いている。これまで門閥貴族に哀れさなど感じた事は無かった。しかし今は彼らを哀れだと思う。そして自業自得だとも。

「殺せ、ラートブルフ男爵として私を殺してくれ」
「……残念ですが、それは出来ません」
「私を殺してくれ、ヴァレンシュタイン!」
振り絞るような男爵の声だった。

「帝国に協力するならば貴族としての地位を保証しましょう。どうです」
「協力だと、私に何をしろと言うのだ」
これからエーリッヒが何を提案するかは分かっている。正直気が進まなかった。出来れば止めたい、おそらくエーリッヒも同感なのだろう、無表情にラートブルフ男爵を見ている。

「男爵をフェザーンに追放します。他の捕虜の中にもフェザーンに向かう人間が居るでしょう。向こうにはランズベルク伯、シャイド男爵もいます。その動きを探って欲しいのです」
「……」
ラートブルフ男爵は無言でエーリッヒを見ている。

「やってくれるのであれば爵位の保持を保証します、領地もです。但し領地はこれまでとは別の領地になりますし当然ですが税は払って貰います。政府の方針にも従ってもらう。これまでのような自由はない……」

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が滅んだ事で貴族達の力は失われた。ラートブルフ男爵がこれまでのように力を振るおうとしても一人では無理だ。そして税を払うとなればさらに力は失われる。

「私にスパイになれと言うのか」
「そうです」
「これまでの仲間を裏切れと」
ラートブルフ男爵が苦痛に満ちた声を上げる。そんな男爵を見てエーリッヒが溜息を吐いた。

「男爵、正直に言いましょう。私はフェザーンに集まる人間達を恐ろしいとは思いません」
「ならば何故」
男爵の問いかけにエーリッヒは一瞬だけ目を逸らした。

「私が恐れるのは彼らを利用しようとする人間達です。帝国に敵意を持つ人間にとって帝国を混乱させる事の出来る人間、その可能性の有る人間は利用価値があります。必ず接触し、支援し、利用しようとする……」
「……反乱軍か」

「アドリアン・ルビンスキーも居ますね。他にも接触してくる人間は居るでしょう。それを男爵に探って欲しいのです」
「……」
ラートブルフ男爵は迷っている。爵位と裏切り、その狭間で迷っている。

「彼らを救う事も出来ますよ。フェザーンで不平を述べているだけなら問題ない。しかし唆されて反帝国活動を行なえばそれなりの対応をとらざるを得ない。そうではありませんか」
「……」

「ですが男爵が事前に教えてくれれば、こちらでも手の打ちようがある。彼らをただの不平家の集まりにしておく事も可能です」
「……」



ラートブルフ男爵はエーリッヒの提案を承諾した。迷っていたが最後には頷いた。他にエーリッヒの提案をシェッツラー子爵、ノルデン少将が受け入れた。ノルデン少将は中将の地位が条件だった。ラーゲル大将には接触しなかった。彼を利用すれば上級大将という地位を用意しなければならない、いくら何でも本人が信じるとは思えない。

四人中三人をこちらの内通者にした。大成功と言って良いがエーリッヒの表情には喜びはない。機密保持のために用意された小部屋、今この部屋には俺たち二人しかいない。誰に見られるわけでもない、それなのにエーリッヒは憮然としたままだ。いや、それだからなのか。

「エーリッヒ、何故此処に来た?」
「……」
「俺の方でやっておいたのに……。俺では心配か?」

エーリッヒは俺を見詰めた。
「そうじゃない、この策は私が考えた。だからだ」
「馬鹿な、何でも自分でやるつもりか? 幾つ身体があっても足りないぞ」

「……ギュンター、場合によっては私は彼らを切り捨てる事になるかもしれない。いや多分切り捨てる事になるだろう。彼らは私を恨むだろうね。だから自分達を地獄に突き落とす人間の顔を良く見せておこうと思ったんだ」
そう言うとエーリッヒは視線を逸らした。

「エーリッヒ、彼らだって薄々は気付いている、その覚悟は有るだろう。その上で選択したんだ、卿が罪悪感を感じる必要は無い」
「しかし、受けるように誘導はした……」

エーリッヒは視線を逸らしたままだ。分かっている、誰だってこんな仕事はしたくない。エーリッヒは俺に嫌な思いをさせまいと自分からこの仕事を買って出たのだろう。仕様のない奴だ。

「……これからは俺が彼らをコントロールする。卿は直接接触するな」
「……」
「それが俺の仕事だ、卿が気にする事じゃない」
俺の言葉にエーリッヒは溜息をついた。

「分かった……。ギュンター、済まない」
「変な遠慮はするなよ。それから何でも自分で背負い込もうとするのは止せ。もっと俺を信用しろ」
「信用しているよ、卿が信用できる人間だというのは分かっている」
エーリッヒが苦笑した。

「そうじゃない、俺は卿のためなら汚れ仕事などなんとも思わんと言ってるんだ!」
エーリッヒは一瞬俺を見て、俯いた。そして小声で呟いた。
「有難う、ギュンター」

全く仕様のない奴だ。辛辣な策を考え付くのに冷酷になりきれない。肝心な所で甘さが出る。だから敵から見れば隙があるように見え、付け込む事が出来るように思えるのだ。それがどれほど危険な事か……。人が要るな、エーリッヒを守る人が要る。俯いたままのエーリッヒを見て思った。



帝国暦 488年  6月 3日  オーディン  憲兵本部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


困った奴だよな、俺を困らせるような事ばかり言う……。まともな人間なら人を陥れるような事には気が引ける。キスリングだって同様だろう、こいつはまともすぎるほどまともな奴だ。それなのに……。

「ギュンター、捜査のほうはどうなっている?」
「ローエングラム伯は……」
「いや、伯の事はいいんだ、宮内省と内務省の件を聞きたい。宮内省の顔の分からない男は誰だった? 分かったんだろう?」
俺の言葉にキスリングは黙って頷いた。

宮内省の顔の分からない男、内務省とフェザーン、そしてオーベルシュタインと組んでいた男だ。ノイケルン宮内尚書を操り、不要になると始末した男。その男を特定できなかった事があのバラ園の事件を引き起こした……。

「宮内省侍従次長カルテナー子爵だ」
宮内省侍従次長か……。皇帝の傍近くにいる男だ、フェザーンが大事にするはずだな。情報源としては最高だろう。
「……となると例の薬は」
「ああ、カルテナー子爵から伯爵夫人に渡ったそうだ」

カルテナーから伯爵夫人か、その元はオーベルシュタインと内務省。彼らの処分は決まっている。ローエングラム伯の簒奪に加担した。単なる反乱ではなく簒奪に加担したとして死罪になるはずだ。問題はルビンスキーだな、奴が何処までこの件に絡んでいたか。

「ギュンター、カルテナー子爵はフェザーンとの繋がりを吐いたのかい?」
「ああ、ルビンスキーと直接繋がっていたらしい。連絡は常にルビンスキーとのみ行なっていた。おそらくはボルテックも知らないだろうな」
「そうか」

「彼の屋敷からはトラウンシュタイン産のバッファローの毛皮が何枚か出てきた。記録を調べたが彼に下賜された事実はない。彼はどうして所持しているのか答えられなかったよ」
そう言うとキスリングは可笑しそうに笑った。

「フレーゲル内務尚書はフェザーンとは繋がっていなかったのかな」
「直接は繋がっていなかったようだ。いずれカルテナー子爵が邪魔になった時はその件で彼を葬るつもりだったと言っていた」
やれやれだな、お互いに利用するだけで欠片も信頼はない。思わず溜息が出た。

「そう溜息を吐くな、エーリッヒ。卿を殺そうとした医師の事だがな、あの男はルビンスキーが用意したそうだ。カルテナー子爵がそう言っている」
「……」
なるほど、念には念をか。あの男らしいやり方だ。俺が助かったのは僥倖と言って良い。

「但し、あの男は帝国人だ、フェザーンとは何の関係もない。今此処にルビンスキーがいて彼を問い詰めても……、白を切るだろうな」
「……簡単に尻尾は掴ませないか、黒狐はしぶといな」

キスリングは俺の言葉に頷いていたが、ふと思い出したような表情をした。
「妙な男なんだ。地球こそ人類の母星、地球に対する恩義と負債を人類は忘れてはいけないとか言っている。地球教の信者らしい」
「……地球教か……」

なるほどな、フェザーンから人を出せば当然疑われる。ルビンスキーは地球教から人を出させたか。無関係な人間、そう思わせたかったのだろう。だがこれで地球教を調べられるしリヒテンラーデ侯にも連中がフェザーンの裏の顔だと説明できる。

「エーリッヒ、地球教だが監視するか?」
「……いや、それはしないでくれ」
俺の言葉にキスリングは不審そうな表情をした。鋭いな、キスリング。だが憲兵隊は駄目だ。憲兵が動けば連中は用心して動きを止めるか地下に潜りかねない。地球教は他の連中に調べさせよう。適任者が居る、そろそろ奴にも働いてもらおうか。

 

 

第二百二十話 内乱終結後(その4)

帝国暦 488年  6月 5日  オーディン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


ドアを開け部屋に入った。中にいる十人程の人間が俺を見る。驚く人間もいれば笑顔で俺を見ている人間もいる。驚いている人間は俺の事を知っているのだろう、見覚えがある。笑顔を見せている人間は俺を単純に新しい客だと思ったに違いない。此処一、二年で雇ったのだろう。今日の俺は私服姿だ、軍の高官には見えない。

「エーリッヒ、エーリッヒじゃないか」
「久しぶりだね、小父さん」
嬉しそうにハインツ・ゲラーが近寄ってきた。両手を広げ、俺を抱き寄せる。俺は黙って彼に抱き寄せられるままになった。

誰かが知らせたのだろう、エリザベートが奥から出てきた。嬉しそうな表情をしている。
「エーリッヒ!」
俺の名を呼ぶとハインツと同じように両手を広げ俺を抱き寄せた。俺をこうして抱き寄せてくれる人間はもう何人も居ない。

「どうしたんだ、今日は休みなのか? 忙しいんだろう?」
「今日は休みなんだ」
「そうか……。だが良いのか、こんなところに一人で」
「一人じゃない、外には護衛が付いてる。一人で歩く自由なんて無いよ」
「そうか……」
ハインツとエリザベートが微かに表情を曇らせた。偉くなるのも考え物だ。

ゲラー夫妻が俺を応接室へ誘った。事務所の女性職員がお茶を持ってきた。俺にはココアだ、エリザベートが頼んだのかもしれない。
「随分と久しぶりだな、エーリッヒ」
「本当よ、寂しかったわ」
「御免、迷惑をかけたくなかったんだ」
「分かっているよ、エーリッヒ」

俺の言葉にハインツは頷いた。俺は士官学校を卒業して以来、時折此処に来ていた。しかし或る時を境に此処に来る事を避けた。帝国暦486年4月、皇帝不予。あの件で俺は帝都オーディンを制圧した。あれ以来俺と貴族達の間では反目が生じた。あれから二年間、俺はこの法律事務所を訪ねていないしゲラー夫妻と連絡も取っていない。

「大丈夫だった? 貴族達から嫌がらせとか受けなかった?」
「大丈夫だ、全く無かったわけじゃないが大した事は無かったよ。腕の良い弁護士を敵に回すのは得策じゃないからな。それに一年前にはお前が宇宙艦隊副司令長官になった」
微かに微笑みながらハインツが言う。エリザベートも微笑んでいる。どうやら本当に大した事は無かったらしい。一安心だ。

「仕事は大丈夫なの、貴族達が没落したけど」
「大丈夫だよ、エーリッヒ。私達は元々平民を相手にしてきたんだ。門閥貴族でも相手にするのは開明的な人々だけだった。今回の内乱でも殆ど影響は受けていない」

そうでもないだろう。貴族は今後税を払う事になるのだ。これまでのように気前良く金を払ってはくれない。
「心配は要らないわ、エーリッヒ。これからは平民達の権利が大きくなるんでしょう」
「ああ、そうだね」
「これからのほうが私達は忙しくなると思っているの」

エリザベートは穏やかな表情をしている。嘘ではないようだ。安心していいのだろう。ハインツが俺に話しかけてきた。
「エーリッヒ、内務省は縮小されるそうだね」
「それだけじゃないよ。色々と新しい省が創られる事になる」

内務省は縮小される。元々あんな馬鹿でかい権限を持った省が有る事がおかしかった。内務省が持っていた権限は財務、司法、軍事を除いた行政全てと言って良い。他には科学、学芸、宮内、典礼等が有るだけだ。いかに内務省が巨大であったかが分かる。おそらくルドルフは権限を集中する事で効率化を図ったのだろうが、今では弊害の方が多い。

内務省の権限は縮小される。そして新しく保安、自治、運輸、工部、民生の五つの省が生まれる。警察行政は保安省に管轄させる。但し社会秩序維持局は廃止だ、そして帝国広域捜査局を新しく作る。帝国版FBIだ。恒星間にまたがった犯罪を担当し、テロ・スパイなど帝国の安全保障に係る公安事件を担当する。所属は司法省だ。

地方行財政、災害対策は自治省。恒星間の輸送、通信、民間用宇宙船の生産、輸送基地の建設は運輸省だ。そして都市・鉱工業プラントの建設、惑星開発、資源開発、開発基地の建設は工部省になる。民生省は社会福祉、社会保障、労働問題を管轄する。

原作では運輸、自治省の管轄領域は工部省に含まれていた。効率化を図ったのだろう。いずれは縮小するとラインハルトは考えていたが、官僚は自分の縄張りを簡単に手放したりはしない。ラインハルト死後の原作では大騒ぎになっただろう。

まして運輸、自治の管轄領域は利権を生みそうだ。今からバラバラにしておいたほうが良い。そうじゃないと内務省が工部省に変わっただけなんて事になりかねない。それでは意味がない。それに運輸、自治は宇宙統一後の事も考えてもらう必要も有る。

内務省に残るのは各行政機関の機構・定員・運営や各行政機関に対する監察、恩給、国勢調査だけだ。普段なら大騒動になるところだが、今回はラインハルトの簒奪に加担したというペナルティがある。文句は言わせない。そして多くの貴族がいなくなった今典礼省も不要だ。その権限は宮内省に統合された。

「お前はずっとこれを考えていたのかい。あの時からずっと」
ハインツが俺に問いかけてきた。表情には辛そうな色が有る。多分俺の両親の事を考えているのだろう。エリザベートも同じような表情をしている。

どう答えればいいのだろう。確かにあの時ラインハルトに協力して門閥貴族を倒す事を考えた。だが自分が主導して門閥貴族達を倒す事を考えたわけではなかった……。
「そうなれば良いと思った。でも自分で出来る事だとは思っていなかった。誰かが先頭に立ってやってくれるだろう、それを手伝おう、そう思っていたんだ。こんな事は予定外だったよ」
「そうか……」

しばらくの間沈黙が続いた。お互い視線を合わせず俺はココアをゲラー夫妻は黙ってコーヒーを飲んでいる。

「ミュッケンベルガー元帥のお嬢さんと婚約したそうだな」
「うん、結婚はまだ先だけどね」
「そうか、軍を辞めて弁護士に戻るのは無理だな」
「何時かは弁護士に成りたいと思っているよ」

俺の言葉にハインツは力なく微笑んだ。その表情に胸が痛んだ。よく見れば髪に白いものがかなり混じっている。確か五十歳を超えていた筈だ。俺は嘘を言ったつもりは無い、弁護士に成るのは俺の夢だ。実現できるかどうかは分からない、しかし夢を捨てるつもりはない。

「これから父さんと母さんの墓に行こうと思うんだ」
俺がそう言うと、ゲラー夫妻は顔を見合わせた。
「そうか、じゃあ一緒に行こう」
「父さんも母さんも喜んでくれると思うよ」
俺がそう言うと二人は嬉しそうに笑った。


帝国暦 488年  6月 14日  オーディン  カール・グスタフ・ケンプ


「すまんな、またしばらく留守にする。息子達を頼む」
「はい」
俺の言葉に妻は短く答えた。さぞかし不満だろう、内乱が起きてから約半年の間家を留守にした。オーディンに戻って二週間、明日から国内の治安維持のため三ヶ月は家を留守にする事になる。

それでも俺はましなほうだ。作戦行動に入るまでに二週間の猶予をもらえた。同僚の中には一週間で作戦行動に入っている人間もいる。俺には不満は無い。今回の内乱鎮圧の功で上級大将に昇進した。息子達は俺の新しい軍服に夢中だ、格好良いと言って俺の軍服姿に喜んでいる。

当初政府内部では今回の武勲は内乱である事、そして反逆者が陛下の女婿である事から勲章のみで済ませようという意見があった。だが皇帝フリードリヒ四世陛下が“予に遠慮は要らぬ、信賞必罰は軍の拠って立つところ、昇進させよ”と仰られた事で俺は上級大将になる事が出来た。俺は運が良い。信頼できる上官と主君に出会う事が出来た。

「父さんはな、これから遠くの宇宙まで悪い奴を退治しに行く。二人とも男の子だ、母さんを守って良い子でいるんだぞ」
「父さん、僕も軍人になって悪い奴を退治する」
「僕も」

息子達が口々に軍人になると言い出した。
「残念だがお前達が大きくなる頃には悪い奴はいなくなっているかもしれん。父さんがやっつけてしまうからな」

俺の言葉に息子達は不満そうに声を上げた。
「これから良い時代になる、焦る必要は無い。自分が何になりたいかゆっくり考えればいいさ」
「ほら、父さんに行ってらっしゃいを言わないの?」

妻に促がされて長男のグスタフ・イザークと次男のカール・フランツが口々に言葉を出した。
「父さん、行ってらっしゃい、早く帰ってきてね」
「父さん、行ってらっしゃい、お土産買ってきてね」
「馬鹿だな、父さんはお仕事に行くんだぞ、お土産買う暇なんて無いんだぞ」

お土産か、思わず笑いが出た。宇宙でお土産、何を買ってくればいいのだろう。兄に叱られ泣き出しそうにしている次男の頭を撫でた。
「お土産はまた今度だ。しかし、そうだな、帰ってきたら久しぶりにお祖母さんの家に行くか」

喜ぶ息子達を見ながら妻が心配そうに問いかけてきた。
「貴方、宜しいんですの、そんな約束をなさって。破ったりしたら責められますよ」
「大丈夫だ、作戦を終了させたら休暇ぐらいはもらえるだろう、昇進は無理だがな」
「そんな事より、どうかご無事で帰っていらしてください。私はそれだけが願いなんですから」

俺は妻に接吻し二人の息子を両腕に抱き上げた。
「安心しろ、今回は戦争じゃない、治安維持が主目的だ。俺が戦死する事などありえんよ。第一、俺が今まで戦場に出て帰ってこなかった事が有るか?」


帝国暦 488年  6月 15日  オーディン  宇宙艦隊司令部 アントン・フェルナー


宇宙艦隊司令部に呼ばれた。呼ばれたのは俺とアンスバッハ准将。呼んだのは当然だがエーリッヒだ。司令部に行くと直ぐ司令長官室に案内され応接室に通された。アンスバッハ准将は司令長官室に入るのは初めてだ。司令長官室の広さと喧騒にびっくりしている。相変わらず美人ぞろいの部屋だ。

応接室に入るとエーリッヒが中で待っていた。エーリッヒは我々を見ると
「こちらへ、適当に座ってください」
と言ってソファーを指差した。

エーリッヒはどういうわけか沈黙している。いささか居心地が悪かった。
「エーリッヒ、いや司令長官と呼ぶべきだな」
「いやエーリッヒで良いよ。これから話す事は非公式の話だからね」

非公式の話? その言葉に俺とアンスバッハ准将は顔を見合わせた。彼の表情には不審、不安が浮かんでいる。意を決したようにアンスバッハ准将がエーリッヒに問いかけた。
「非公式の話とはどういうことです、司令長官?」
「言った通りです。これからある提案をしますが、これは非公式の話です。納得がいかないなら断わっていただいて結構です」

「その事で我々が不利益を被る事は?」
「ありませんよ、アンスバッハ准将。今の時点で席を立っていただいても問題はありません。どうします?」

エーリッヒの問いかけにまた顔を見合わせた。エーリッヒは不服なら席を立てと言っている。しかし俺達は席を立たなかった。エーリッヒはこちらを見ると一つ頷いて話し始めた。

「お二人には軍を離れてもらいます」
軍を離れる?
「知っているかと思いますが、今度新しく帝国広域捜査局が出来ました。所管は司法省、そちらに移って貰います」
「……」

司法省に新しく帝国広域捜査局が出来たのは知っている。何故保安省の管轄ではないのかと不思議に思ったが……。それにしてもエーリッヒは俺と准将に警察官になれと言っているのか?

「帝国広域捜査局は恒星間にまたがる犯罪を担当する組織です。しかし捜査局にはもう一つの顔がある」
「もう一つの顔?」

俺の言葉にエーリッヒは頷いた。
「そう、テロ・スパイなど帝国の安全保障に係る公安事件を担当する組織という顔です」
「……つまり俺と准将にそれをやれと」
「その通りだよ、アントン」

俺はアンスバッハ准将を見た。准将はまだ訝しげな表情を顔に残している。
「元帥、帝国広域捜査局は司法省の管轄です。何故元帥が捜査局の人事に絡んでいるのです?」
確かにその通りだ。どうにも妙な話だ、腑に落ちない。

「確かに帝国広域捜査局は司法省の管轄にあります。しかしテロ・スパイなど帝国の安全保障に係る公安事件に関しては軍の管轄になります。責任者は私です」
「!」

思わずエーリッヒの顔を見た。どういうことだ? 一体。
「閣下、それは司法尚書も了承済みのことなのでしょうか」
「ええ、今回新しく司法尚書になったルーゲ伯爵はこちらの要望を受け入れてくれました。但し期限があります、五年間です」
「五年間ですか、つまり何らかの捜査対象があるのですな」

アンスバッハ准将の問いかけにエーリッヒは頷いた。
「しかしエーリッヒ、良く司法尚書が受け入れたな。そんな事を」
「まあ、あの人は私の父の知人でね。その縁で頼んだら承諾してくれた」

嘘だ、誰だって自分の縄張りに余所者が踏み込んでくる事は歓迎しない。司法省と軍の間の取引じゃない。おそらくは政府での合意事項、少なくとも政府首班であるリヒテンラーデ侯の了承が有った筈だ。

「どうします、受けますかこの話?」
エーリッヒの問いにアンスバッハ准将が反問した。
「一つ教えてください。閣下は憲兵隊を信じてはいないのですか? 彼らは良くやっていると小官は思うのですが」

「ええ良くやっています。その事は疑問の余地は有りません。しかしその事が今問題になっています」
「……問題とは」

「有名になりすぎたことです。彼らの動きには皆が注目している。彼らが動けば相手が警戒して動きを止めてしまう」
「……」

「今回捜査対象となるのは非常に危険で厄介な組織です。私としては相手を出来るだけ油断させたい。だから憲兵隊は使いたくないんです」
「閣下、その組織とは?」

「私が答える前にそちらの回答を教えてください。私の話を受けますか?」
俺はアンスバッハ准将と顔を見合わせた。准将が頷く、俺も頷いた。
「受けます、司法省に行きましょう」

アンスバッハ准将の答えにエーリッヒは頷いた。そして俺達を見ながら捜査対象となる組織の名を口に出した。
「調べて欲しいのは、地球教です」
「地球教?」

思わず問い返した俺にエーリッヒは薄っすらと笑みを浮かべた。
「彼らはただの教団じゃない。私の考えが正しければ、彼らはこの宇宙最大の危険分子だ」
冗談だと思った。何かの間違いだと。しかしエーリッヒの目は少しも笑っていなかった。地球教? 一体どういうことだ? 連中に何の秘密が有る?


 

 

第二百二十一話 紛争

帝国暦 488年  8月 15日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


ようやく帝国の経済が動き始めた。兵站統括部から輸送船を出した事と正規艦隊を治安維持に出した事が効果を出してきたようだ。人間が生きていくには衣食住を確保するのが先決だ。星系間でも民間の輸送船が動き始めつつある。フェザーンからの商船も動き始めた。

これから良い方向に動き始めるはずだ。軍の作戦期間はあと一ヶ月、十分だろう。後は輸送船、交易船を商人や各星系に与えなければならない。こいつは今回の内乱で拿捕した戦闘艦の武装を取り外して払い下げを行なっている。

まあ性能はバラバラだがとりあえず今は数を揃える方が先だ。いずれ交易船はともかく輸送船は規格を統一する。運輸省では既に取り掛かっているようだ。

帝国政府も動き始めている。新しい省の創立で多少の混乱はあったがそれももう問題ない。大丈夫だ。多くの閣僚が内乱に加担したことで居なくなった。そして新しく改革派の人間が閣僚に登用されている。

国務尚書 リヒテンラーデ侯爵
軍務尚書 エーレンベルク元帥
財務尚書 ゲルラッハ子爵
内務尚書 マリーンドルフ伯爵
司法尚書 ルーゲ伯爵
保安尚書 ブルックドルフ
運輸尚書 グルック
自治尚書 リヒター
工部尚書 シルヴァーベルヒ
民生尚書 ブラッケ
科学尚書 ウィルへルミ
学芸尚書 ゼーフェルト
宮内尚書 ベルンハイム男爵
内閣書記官長 マインホフ

これまで平民が閣僚になることなど無かった。だが内乱以後は平民出身の閣僚も生まれている。政府、軍部共に平民の影響力が強まった。多くの平民達に希望を与えるだろう。いくら権利を与えてもそれを行使できる場が無ければ意味が無い。

今、帝国軍は軍務省が主体となって捕虜交換の準備を始めている。まあ始めていると言っても捕虜の確認を始めたといったところだ。捕虜の中には死んだ人間も居るし、帰国を望まない人間も居る。例えばエル・ファシルのリンチ少将だ。そういう人間をはっきりさせて同盟側に伝える必要がある。こいつが結構時間がかかりそうだ。もっとも同盟側もたいして状況は変わらないだろう。

宇宙艦隊司令部は暇だ。各艦隊から海賊討伐の報告が届いているが特に問題は無い、順調に進んでいる。俺は毎日、報告書を読んで決裁をして一日を終える。なんとも充実した日々だ。

男爵夫人とヒルダは司令部から居なくなった。男爵夫人はまたパトロンを始め、ヒルダはマリーンドルフ伯の仕事を手伝っているらしい。伯は今回内務尚書になった、内務省は権限縮小で大変のはずだ。彼女の政治センスが役に立つだろう。

俺が今気になっているのはフェザーンと地球教だ。フェザーンの方は予想通り不平家どもが集まり気勢を上げているらしい。但し気勢を上げているだけだ、まだ彼らを利用しようとする人間は現れない。用心しているのか、それともどう扱うか考えているのか……。地球教は広域捜査局の担当だが、こちらはようやく活動を始めたところだ。情報が上がってくるのはこれからだ。じっくり待つしかない。

そんな事を考えていると目の前のTV電話が鳴った。誰かと思って出て見るとビッテンフェルトだった。妙だな、この男が緊張している。何が起きた?



帝国暦 488年  8月 15日  ハルバーシュタット分艦隊  ハルバーシュタット大将


ビッテンフェルト艦隊は今、アイゼンヘルツ、エックハルト、フェザーンの航路を警備している。アイゼンヘルツ、フェザーン間の航路はフェザーンとの通商路としてもっとも大事な航路だ。おろそかには出来ない。

今俺の率いる分艦隊はフェザーン回廊の中を作戦行動中だ。そして本隊は回廊の入り口付近を哨戒している。貴族連合の逃亡兵は殆どがイゼルローン要塞に向かった。おそらくフェザーン方面は問題が無いはずだが念には念を入れる必要が有る。此処で海賊行為などされては帝国経済がとんでもない事になりかねない。

「閣下、前方、レーダーに反応があります」
まだ若いオペレータが声を上げた。レーダーに反応有りか……。フェザーン回廊は戦闘に使われた事は無い。そのためレーダー波を遮る物は無い、索敵は比較的容易だ。有り難い事だ。

だがその感謝の気持は次のオペレータの声に吹き飛んだ。
「約二千隻程の艦隊です」
「!」
二千隻? どういうことだ、商船? 有り得ない。では輸送船? それも有り得ないだろう。となると……。

「閣下、これは反乱軍ではないでしょうか?」
今回新しく参謀長になったアーベントロート少将が問いかけて来た。冷静、沈着な男だ。実戦指揮よりも参謀としての力量に恵まれている。元々は統帥本部に居たのだが、今回現場に出たいと志願したそうだ。

一説にはローエングラム伯と色々あったと言われている。その所為でこれまで宇宙艦隊への転属を希望しなかったのだと。今回の内乱でローエングラム伯が失脚したことで転属を希望してきたらしい……。

反乱軍か、確かに反乱軍だろう、問題は……。
「どちらの反乱軍だと思う」
「それは……」
俺とアーベントロート少将は顔を見合わせた。そのまま沈黙が落ちる。

アーベントロート少将が何を考えているのか、俺にはわかる。こちらは約三千隻、もし相手が貴族連合軍の逃亡兵なら問題は無い、叩き潰せば良いことだ。しかしフェザーン方面に二千隻もの貴族連合軍が逃げたと言う報告は聞いていない。そんな事が有ったのならフェザーンからオーディンへ、オーディンから我々に知らせがあるはずだ。少なくともビッテンフェルト提督がそのような重要な情報を部下に知らせない事など無い。

貴族連合軍の逃亡兵以外に可能性が有るとすれば自由惑星同盟軍しかない。しかし、今帝国と同盟はフェザーン方面では協定を結んでいる。フェザーンに同盟軍はいるが、帝国方面には艦隊を移動させる事は出来ない。捕虜交換を行なうべく準備を進めている今、同盟軍が協定を破るとは思えない。だがもし連中が同盟軍なら厄介な事になるだろう……。

沈黙を破って少将が口を開いた。
「おそらく同盟ではないでしょうか」
「卿もそう思うか」
「はい」
思わず溜息が漏れた。

「オペレータ、スクリーンに映せるか」
「まだ少し遠すぎます」
レーダーの反応が良すぎる、おかげで相手の確認が出来ないとは皮肉なことだ。俺がアーベントロート少将を見ると少将は何も感じていないかのように平然としている。なるほど、実戦経験が少ないから分からないか……。

「閣下、敵艦隊、速度を上げこちらに近付いてきます!」
勝手に敵と決め付けるな! オペレータの報告に内心で毒づいた。しかし速力を上げて近付いてくる。敵と判断しても可笑しくない。

「閣下、ワルキューレを偵察に出しては如何でしょう」
「相手を確認するためにか?」
「はい」
アーベントロート少将が偵察を提案してきた。敵を確認する、その一点では正しい、しかし……。

「いや、駄目だ。もし連中がそれを挑発行為、戦闘行為と判断して攻撃してくれば、それがきっかけで戦争が始まりかねん。その所為で捕虜交換が吹っ飛んだら、卿も俺も捕虜の家族に殺されるぞ」
俺の言葉に少将は顔を強張らせた。

「向こうから戦闘を仕掛けてくるでしょうか?」
「向こうは領域侵犯をしている、何が有っても不思議ではない」
「なるほど……、では如何します?」
どうするか、あまり有効な手段は無い。

「オペレータ、本隊に連絡しろ。正体不明の艦隊、二千隻を発見。おそらくは自由惑星同盟軍と思われる。時間、座標も忘れるな」
「はっ」

「全艦に命令、第一級臨戦態勢を取れ!」
「はっ」
俺の命令にアーベントロート少将が不安そうな表情を見せた。
「念のためだ、少将。備えだけはしておこう」
少将は頷くと躊躇いがちに口を開いた。

「閣下、艦隊を後退させては如何でしょう」
「後退か……、そうだな、それがいいだろう」
戦闘回避を第一に考えるか、悪くない。逃げるなど普通は提案し辛いものだがこの場合は正しいだろう。

俺は艦隊に後退命令を出した。艦隊が少しずつ後退する。但し全速ではないから敵との距離は少しずつ縮まっていく。相手が同盟軍だと判明したなら敵との距離を保ちながら警告をする事になるだろう。戦闘が許されないという事がこんなにも厄介なことだとは思わなかった。

「閣下、本隊より連絡です。相手の正体を突きとめよとのことです」
オペレータの声に思わず顔を顰めた。アーベントロート少将も似たような表情をしている。

「オペレータ、鋭意努力すると伝えろ。……簡単に言ってくれるものだな、少将」
「そうですね」
思わず二人で顔を見合わせ苦笑した。なるほど上司の悪口は蜜の味か、何処でも同じだな。

じりじりするような時間が三十分程続いた後、オペレータが叫んだ。
「閣下! スクリーンに敵艦隊を映します!」
頼むから敵と決め付けるな! 正体不明だ。そう思ったが沈黙を守った。スクリーンに映っているのは間違いなく同盟軍だ。予想していた事だったが厄介な状況になった。

「オペレータ、本隊に連絡、正体不明の艦隊は自由惑星同盟軍を名乗る反乱軍と判明。これより反乱軍に対して警告を出すと」
問題は連中がこちらの警告に素直に従うかだ。これまでの行動を見れば先ず無理だろう。これからどうなるのか……。


帝国暦 488年  8月 15日  ビッテンフェルト艦隊旗艦 ケーニヒス・ティーゲル  フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト


艦橋は緊張している。ハルバーシュタットから連絡があってからだ。正体不明とは言っているがおそらくは同盟軍だろう。連中、どういうつもりなのか? 今の時点でこちらとの戦闘を望むとは思えんのだが、敵対行動としか思えない行動を取っている。

艦橋が緊張しているのは他にも理由がある。本隊は今、ハルバーシュタットの救援のためにフェザーンに向かっているのだ。戦闘が起きるのではないか、拡大するのではないかとの恐怖が皆に有るのだ。

一つ間違えると捕虜交換がぶっ飛ぶだろう。そしてフェザーン自体もどうなるのか分からない……。その事が艦橋に緊張をもたらしている。グレーブナー参謀長は最初に報告を受けた時、その場で戦闘は駄目だと断言した。

捕虜交換が吹き飛んだら宇宙に居場所は無くなると……。ディルクセンもオイゲンも顔面を強張らせてグレーブナーに同意した。そして俺に絶対戦闘は駄目ですと詰め寄った。俺だってそのくらい分かっている。

捕虜交換はヴァレンシュタイン司令長官も乗り気だ。そして捕虜交換は艦隊の再編に必要なことだ。俺は元帥に叱られたくないし、同僚達からも軽蔑などされたくは無い。しかしそれ以上に俺は部下を見捨てた卑怯者などとは言われたくない……。なんともやりづらいことだ。

「閣下、ハルバーシュタット提督から連絡です! 正体不明の艦隊は同盟軍とのことです!」
オペレータの声に艦橋の空気がさらに緊迫した。グレーブナー、ディルクセン、オイゲンが俺に視線を向けてくる。

「ハルバーシュタットに連絡。戦闘は許さず、後退せよ」
「はっ」
「艦隊の速度を上げろ、急ぐぞ」

俺の言葉にグレーブナーが心配そうな声を出した。
「閣下、何度も言いますが戦闘は避けなければなりません」
答えようとしたとき、オペレータの声が上がった。
「閣下、ハルバーシュタット提督から連絡です! 反乱軍はこちらの警告を無視、さらに接近中!」

緊張がさらに高まった。皆が俺を見ている。
「敵が強気なのは後ろに本隊がいるからかもしれん。となればハルバーシュタットが危険だ。急ぐぞ」

俺の言葉にグレーブナー、ディルクセン、オイゲンは不安そうな表情を見せたが反対はしなかった。ハルバーシュタットを見殺しには出来ない、それは皆も分かっている。俺は続けてオーディンにいる司令長官へ連絡を取った。スクリーンに司令長官が映る。

『どうしました、ビッテンフェルト提督』
「閣下、フェザーン回廊内で我が艦隊のハルバーシュタット副司令官が同盟軍と接触しました」
俺の言葉に司令長官は僅かに眉を寄せた。

『接触ですか? ビッテンフェルト提督』
「はい、接触です。まだ戦闘にはなっていません」
『位置は?』
「帝国側です、協定では同盟軍の立ち入りは許されていない宙域になります」
俺の言葉に司令長官は頷いた。

「ハルバーシュタット副司令官は同盟軍に対し退去を勧告しましたが同盟軍はそれを無視、接近を続けております。ハルバーシュタットは戦闘を避けるため後退中、小官は艦隊を救援すべく、急行しております」
俺の言葉に司令長官は一瞬視線を伏せたが直ぐ俺に視線を当てた。

『ビッテンフェルト提督、同盟軍が帝国との協定を破った、それは間違いないのですね』
「間違いありません」
俺の言葉に司令長官は頷くと薄っすらと笑みを浮かべた。

『もう一度同盟軍に対して退去を勧告してください。その上で敵が勧告に従わない場合は攻撃を許可します』
「宜しいのでしょうか、捕虜交換が……」
『構いません。後はこちらで始末をつけます。但し、戦闘はむやみに拡大しないこと、宜しいですね』
「はっ」

お互いに敬礼を交わした後、スクリーンからヴァレンシュタイン司令長官の姿が消えた。俺の周りにはあっけに取られたようなグレーブナー、ディルクセン、オイゲンの顔がある。そして先程までの緊張感、緊迫感も綺麗に消えている。

先程までの緊張が何となく気恥ずかしかった。
「まあ、その、余り心配するなという事だな」
「そのようですな」
俺の言葉にグレーブナーが頷く。

「オペレータ、ハルバーシュタットに連絡だ。もう一度退去を勧告し、従わない場合は遠慮なくやってしまえと」
俺の言葉にオイゲンが泣きそうな顔をした。

「閣下、遠慮なくは余計です。司令長官もむやみに戦闘を拡大するなと仰られたでは有りませんか」
「そうか、では適当に切り上げろと伝えろ。それで良いだろう」
俺の言葉に艦橋の彼方此方で笑いが起きた。良いものだ、やはり艦橋の雰囲気はこうでなくてはな。さて、ハルバーシュタットを迎えにいくか。俺が行く頃には戦闘は終わっているだろう。それだけが残念だ。


 

 

第二百二十二話 蠢動

宇宙暦 797年  8月 15日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ


「何か分かったのかね、ネグロポンティ君」
「いえ、それは、ボロディン本部長が今状況を確認しています」
「君のほうでは分からんのか」
「申し訳ありません」

最高評議会議長の執務室に入ると不機嫌そうなトリューニヒトと落ち着き無く汗を拭くネグロポンティ国防委員長が居た。トリューニヒトは執務机に、ネグロポンティはその前で立っている。まるで教師に怒られる小学生のようだ。近付いてネグロポンティの横に立った。これで私も小学生だ。

「トリューニヒト、何か有ったのか?」
「……フェザーンで戦闘が起きた」
「馬鹿な、どういうことだ! それは!」

思わず声が大きくなった。フェザーンで戦闘? 何故そんな事が起きる、今戦闘が起きたら捕虜交換はどうなるのだ、いやフェザーン返還は……。目の前が真っ暗になるような思いに耐えているとトリューニヒトが苦い口調で話し始めた。

「フェザーンのレムシャイド伯から連絡が有った」
またあの男か……。フェザーンの白狐!
「フェザーン回廊を哨戒中の帝国軍艦隊に対してフェザーンに駐留している同盟軍が敵対行動を取った」
「馬鹿な……、何を考えている」
ネグロポンティを見ると私に叱責されたと思ったのか決まり悪げに俯いた。

トリューニヒトは私を見るとやりきれないといったように首を横に振った。
「場所はフェザーン回廊の帝国側だ。協定によれば同盟軍は立ち入る事は許されない。そして同盟軍は帝国方面に移動していた、それを哨戒中の帝国軍が発見した」
「……それで」

「当初帝国軍は戦闘を避けるため後退したそうだ。そして何度か退去勧告を行なった。だが……」
「同盟軍は退去しなかった、のだな」
「それどころか速度を上げて帝国軍に近付いたそうだ」
「……」
馬鹿な、何を考えている。どう見ても戦闘を仕掛けようとしているとしか思えない。気でも狂ったのか。

「同盟軍は約二千隻、帝国軍は三千隻、兵力から見ればこちらが不利だ。にもかかわらず警告を無視して接近した……。帝国軍は敵対行動とみなして攻撃を開始したそうだ」

「偶発事故ではないのだな」
「レムシャイド伯の言う事が事実ならその可能性はゼロだな」
私の問いかけにトリューニヒトは重苦しい口調で答えた。

「でっち上げの可能性は無いのか? オリベイラ弁務官は、駐留艦隊の司令官はどう言っている?」
「オリベイラ弁務官は駄目だ。レムシャイド伯は最初彼に話しを持っていったらしい、だがまるで埒があかない、それでこちらに連絡してきた。軍の方はボロディン本部長がもう直ぐ報告に来るはずだ」

フェザーンがやはりネックだ。あそこは火薬庫のような物なのに管理人達が弱すぎる。オリベイラも軍の司令官、たしかルフェーブル中将か、彼も部下の掌握が出来ていないとしか思えない……。そんな事を考えているとボロディン本部長がドアを開けて部屋の中に入ってきた。

「遅くなりました」
「本部長、どうなっているのかね!」
ボロディンを叱責したのはネグロポンティだった。これまで居たたまれない思いでいた反動だろうが大人気ない。トリューニヒトも渋い表情をしている。私はボロディン本部長を呼び寄せ、問いかけた。

「ボロディン本部長、何か分かったかね?」
「第三艦隊司令官ルフェーブル中将から状況を聞きだしました。おおよそのところは分かったと思います」

「ではフェザーンの状況を説明してくれ」
「フェザーン方面で帝国軍に戦闘行為に及んだのはおそらくサンドル・アラルコン少将率いる二千隻と思われます」

サンドル・アラルコン少将? ボロディン本部長の言葉にトリューニヒト、ネグロポンティが驚愕している。
「トリューニヒト、知っているのか?」
私の問いかけにトリューニヒトが渋々頷いた。

「ああ、知っている。病的と言って良い軍隊至上主義者だ。彼には何度か捕虜や民間人の殺害、暴行容疑がかけられている」
「それで」
「私が国防委員長だった時、幾度か簡易軍法会議が開かれたのだがいずれも証拠不十分、あるいはその事実無しという事で無罪になった。それで覚えている」

「君が手を回したのではないだろうな?」
私の問いかけにトリューニヒトは手を振って否定した。
「冗談は止めてくれ、軍隊至上主義者など戦争賛美者だろう、おぞましい限りだよ。おそらくは仲間同士の庇いあいだろうと私は見ている」
まあ嘘ではないだろう。

我々の会話が一段落したと思ったのだろう。ボロディン本部長が話し始めた。
「アラルコン少将は三日前から艦隊の訓練に入っていました。しかし訓練予定宙域はフェザーン回廊の同盟側の宙域です。紛争が起きている場所ではありません」
ボロディン本部長の言葉にトリューニヒトの顔を見た。トリューニヒトは厳しい表情で何かを考えている。

「ボロディン本部長、訓練の場所というのはそんな簡単に変えられるのかね?」
「議長、それは有りません。フェザーン回廊は民間船も多く通航します。訓練の場所は予め周知し、民間船が紛れ込まないようにする必要がありますから、簡単には変更できないのです」

「つまりアラルコン少将が独断で訓練の場所を変更したと言うのかね?」
「おそらくはそうでしょう。ルフェーブル中将も驚いていました」
独断か……。少なくとも何らかの陰謀ではない、そう考えて良いという事か。

「それでボロディン本部長、他には?」
「レベロ委員長、ルフェーブル中将によればアラルコン少将はこちらの撤退命令に対して戦闘中で撤退できる状態ではないと答えているそうです。現在ルフェーブル中将がアラルコン少将を連れ戻すべく、自ら艦隊を動かしました」
「!」

「馬鹿な、何を考えている! この状況で艦隊を動かすなど却って挑発行為と受け取られるぞ!」
ネグロポンティがボロディン本部長に怒声を浴びせた。同感だ、一体軍は何を考えている。

「紛争を早期に収束させるためです」
「収束だと」
「そうです、国防委員長。アラルコン少将は嘘を吐いているのかもしれません。しかし少将の艦隊は二千隻、帝国軍は三千隻。この状況ではアラルコン少将の言う通り撤退できる状況には無い可能性もあります。この際本隊にアラルコン少将を救援させる事で帝国軍から撤収させるように持って行くべきでしょう」

「しかし……」
「このまま放置すれば紛争は長引きかねません。その方が危険ですし犠牲者が増えます。帝国には紛争を早期解決するために艦隊を動かしたと伝えればいいでしょう」

トリューニヒトを見ると何度か頷いている。どうやら答えは決まったようだ。
「良いだろう。レムシャイド伯にはそう伝えよう。ネグロポンティ君、アラルコン少将の処分は厳しく頼むよ、分かったね」

ネグロポンティとボロディンは帰ったが私は残るようにトリューニヒトに言われた。レムシャイド伯との会談に付き合えという事だったが、レムシャイド伯との会談は特に問題なく終了した。帝国側も今は国内問題を優先したいようだ。紛争は望んでいないのだろう。その際、トリューニヒトは改めて捕虜交換の早期実施の要求をレムシャイド伯に伝えた。

「レベロ、今回の紛争だがアラルコン少将の独断だと思うか?」
「どういうことだ、トリューニヒト」
「彼の後ろに誰か居るんじゃないかということさ」

トリューニヒトは深刻な表情をしている。冗談ではないようだ。
「後ろか……。例えばルビンスキーか」
「それもあるが、主戦派という事は無いか。アラルコン少将は軍至上主義者、コチコチの主戦派だ」

「現状の帝国との協調路線に不満を持ってということか」
「そうだ、だとすると他にも協力者が居るのかもしれない」
「軍内部に陰謀が生まれている……。君はそれを心配しているんだな」
「心配じゃない、恐れている。同盟は帝国とは違う、内乱の余裕など無い」

確かにトリューニヒトの言う通りだ。同盟の現状に主戦派が大人しくしているはずが無い。これまでにも何度も帝国領への侵攻を主張してきた。だとすれば既成事実を作ろうとした、その尖兵がアラルコン少将……。

「彼を、その背後を調べる必要があるな」
私の言葉にトリューニヒトが頷いた。
「何故、ボロディンやネグロポンティの居る場で言わなかった」
「ボロディンはともかくネグロポンティは駄目だ」

「駄目? 彼は君の部下だろう」
「彼を信じていないのではない。国防委員長というポストがまずいんだ。私は委員長を務めた経験が有るから分かっている。国防委員会は主戦派に近い人間が揃っているんだ。彼に話せば主戦派に筒抜けになる可能性がある」

なるほど、それでか……。トリューニヒトはネグロポンティを我々とは余り一緒に呼ばない。別に呼んで話す事が多いがそういう理由か……。苦労するな、トリューニヒト。


帝国暦 488年  8月 16日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



『そうか、では終わったのじゃな』
「はい」
俺の前にあるスクリーンには頷いているリヒテンラーデ侯の顔が映っている。ほっとしても居るようだ。まあ、現状で同盟との戦争は上手くない、その気持は十分に分かる。

フェザーン方面の紛争は終結した。ビッテンフェルトからの報告によればハルバーシュタットはかなり同盟軍を叩きのめしたらしい。まあこっちは黒色槍騎兵だし兵力の多寡から言っても当然の結果だろう。同盟軍の本隊が来る前に戦闘は終わらせたそうだ。圧勝だな。

『レムシャイド伯からじゃが同盟政府は捕虜交換を急ぎたいようじゃ』
「まあ、そうでしょうね」
『相変わらず主戦派がうるさそうじゃの、向こうは』
「煽った人間も居るかもしれません」
『そうじゃの』
リヒテンラーデ侯は何処と無く嬉しそうだ。相手の政権の脆弱さが分かった所為だろう。困ったもんだ。

『フェザーンでもう一度共同宣言を出してはどうかの。今は戦争は拙かろう?』
「そうですね、悪くないと思います」
『ではそれで同盟と調整してみるか』
そう言うとリヒテンラーデ侯は通信を切った。

暗くなったスクリーンを見ながら思った。同盟軍は予想以上に内部亀裂が酷いのかもしれない。紛争がイゼルローン方面で起きるのなら分かる。あちらは協定は無い、紛争が起きても不思議ではない。血の気の多い馬鹿が事を起しても不思議じゃない。

しかし現実にはフェザーン回廊で紛争が起きた。起きてはいけない宙域でだ。しかも明らかに同盟軍はこちらと戦闘するつもりだったとしか思えない。血の気の多い馬鹿が馬鹿をやったですむ事ではない。

ビッテンフェルトは戦闘によって捕虜交換が中止になる事を恐れた。ハルバーシュタットもそうだ。同盟軍の指揮官はそれを恐れなかった。何故か……。

可能性は二つだ、俺は同盟政府の上層部がこの紛争で帝国との戦争を決意するとは思わなかった。だからこちらに非が無ければ多少の無茶は問題ないと判断した。同盟軍の指揮官も同じことを考えた。多少無茶をしても戦争にはならない、戦争を避けたいのは帝国も同じだと……。

もう一つの可能性は、無茶をして戦争を引き起こす事を考えたということだろう。捕虜交換よりも戦争を望んだ。今なら帝国を弱体化出来る、そう考えた人間が、或いはそう考えて操った人間が居る。

帝国は今国内問題で手一杯だ。輸送船は帝国中で物資を大車輪で輸送している。正規艦隊は警備で手一杯だ。しばらくは戦争は出来ない。そして今フェザーン方面で戦争が起きれば、フェザーンからの交易船が帝国に来なくなる。たちまち物資不足が起きるだろう。確かに弱体化とまではいかなくても苦しい状況にはなる。

ただの戦争馬鹿に考え付く事じゃない。帝国に居るなら分かるだろうがそうでなければ簡単には分からない。少なくともフェザーン商人から帝国の状況を聞かなければ無理だ。しかし戦争馬鹿にそんな事ができるだろうか?

原作でも救国軍事会議はフェザーン人を拝金主義者と見下している。まして今の同盟はフェザーンを占領している。ますます傲慢になっているだろう、素直に耳を貸すとは思えない。

となると操ったのはルビンスキーか地球教か……。連中の前に亡命貴族を放り出したが食いつかなかったと言う事だな。連中は亡命貴族ではなく同盟軍に手を伸ばした。いやらしいところを突いて来る連中だ。うんざりする。


帝国暦 488年  8月 16日  オーディン  宇宙艦隊司令部 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ


リヒテンラーデ侯との通信を終えた後、ヴァレンシュタイン司令長官は一人静かに考え込んでいた。表情はあまり明るくない。どうやら心配事があるようだ。

今回の紛争では皆が司令長官の事を心配した。一つ間違えば捕虜交換が無くなる、司令長官の進退問題にもなりかねない。それなのに司令長官は平然とビッテンフェルト提督に敵との交戦を許可したのだから。

司令長官は大した事にはならないと判断していたらしい。結果として司令長官の判断は正しかったわけだけれど、どうにも心臓に悪い一日だった。そんな事を考えていると司令長官のTV電話が受信音を鳴らした。

司令長官が考え事を止めてTV電話に出る。スクリーンに現れたのはヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢だった。表情が青褪めている。司令長官の表情も厳しいものになった。良くない兆候だ、何があったのだろう……。



 

 

第二百二十三話 キュンメル事件(その1)

帝国暦 488年  8月 16日  オーディン  キュンメル男爵邸 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ



「では、ヴァレンシュタイン司令長官はピーマンとレバーが嫌いなのですか?」
「そのようですわ、男爵。入院中は良くぼやいていらっしゃいました」
「まあ、本当ですの、ユスティーナ様?」
「ええ、本当ですわ、ヒルダ様。そうでしょう、お養父様?」
「ピーマンとレバーは健康には良いのだがな」

苦笑混じりのミュッケンベルガー元帥の言葉だった。ヴァレンシュタイン司令長官はピーマンとレバーが嫌い、まるで小さい子供のような好き嫌いに皆の笑いが起きた。

「それでは結婚されたら食事には苦労しそうですね?」
「それも有りますけど元帥は無理をされるのでそちらの方が……」
「まるで本当に小さな子供のようですわね、ユスティーナ様」

私の問いかけにヴァレンシュタイン元帥の婚約者、ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガーは少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。彼女は婚約者の事を言われると気恥ずかしいようだ。そんな彼女をハインリッヒは羨ましそうに見ている。

ハインリッヒ・フォン・キュンメル男爵、私の三歳年下の従弟。先天性代謝異常で生まれたときから半ば寝たきりの青年……。銀色の髪、血色の悪い顔、そして肉付きの薄い華奢な身体……。今日は具合が良いらしくベッドでは無く電動式の車椅子に腰掛、居間で話をしている。しかし彼の命はもう長くはないだろう……。

その所為だろうか、レオナルド・ダ・ビンチ、曹操、ラザール・カルノー、トゥグリル・ベグ……、ハインリッヒには強い英雄崇拝の傾向がある。特に多方面で業績を上げた人物に憧れを持つ。

内乱終結直後、メックリンガー提督に頼んでハインリッヒと会って貰った。軍人であり、同時に芸術家であるメックリンガー提督はハインリッヒにとって理想の人物だ。そしてハインリッヒが会いたがっている人物がもう一人いる。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥……。軍人であり、政治改革者、当代の英雄。ハインリッヒが憧れるのも無理は無いと思う。

でも元帥とハインリッヒを会わせる事は出来ない。元帥の両親がカストロプ公に殺されたのはキュンメル男爵家が原因だった。より正確に言えば、ハインリッヒが病弱な事が……。

ハインリッヒはその事を知らない。だからヴァレンシュタイン元帥に会いたがる、しかし元帥はどうだろう……。多分全てを知っているのではないかと思う。カストロプ公爵家が反逆に及んだのは元帥がそう持っていったからかもしれない、両親の復讐をするために……。

ハインリッヒには、元帥は内乱終結後の混乱収拾のため多忙であり此処に来る事は出来ないと言ってある。だから代わりに元帥の事を良く知るミュッケンベルガー元帥父娘に来てもらった。彼らはヴァレンシュタイン元帥の事を良く知っている。そしてミュッケンベルガー元帥も当代の英雄……。二人からヴァレンシュタイン元帥の事を聞き、ミュッケンベルガー元帥と話せればハインリッヒも満足するだろう……。

「フロイライン・マリーンドルフ、キュンメル男爵はお疲れのようだ。我等はそろそろ失礼させていただこうと思うが」
ミュッケンベルガー元帥が辞去をほのめかしたのは歓談が一時間ほど経過した頃だった。確かにこれ以上はハインリッヒにとって負担になりかねない。

「そうですね。ハインリッヒ、今日はこのくらいにしましょう」
私の言葉にハインリッヒはクスクスと笑い始めた。突然の事にミュッケンベルガー元帥父娘も訝しげな表情をしている。

「どうしたの、ハインリッヒ」
「残念だけど、皆は此処から帰れない」
「どういうことだ、キュンメル男爵」

ミュッケンベルガー元帥の厳しい問い詰めにハインリッヒは唇を歪めた。
「この屋敷の地下室にはゼッフル粒子が充満しているんです。これを押すと爆発して此処は吹き飛ぶでしょう」
そう言うとハインリッヒはポケットから起爆装置を取り出した。

「ハインリッヒ、あなたは……」
「御免、ヒルダ姉さん。でも、こうでもしないとヴァレンシュタイン元帥とは会えない……。姉さん、僕は彼と会いたいんです。ヴァレンシュタイン元帥と連絡を取ってください」

「その必要は無い。あれには知らせるな、フロイライン・マリーンドルフ」
「そうです、知らせてはいけません」
元帥とユスティーナが口々に止めた。

「ハインリッヒ、馬鹿な真似は止めて。ヴァレンシュタイン元帥とは後で会えるわ、だから……」
止めようとした私をハインリッヒが遮った。

「嘘だ!ずっと彼と会いたいと姉さんに頼んでいたのに、姉さんは取り合ってくれなかった。彼と会いたいんです……、僕には時間が無いんだ! 分かってるでしょう、ヒルダ姉さん」
「……」
私は間違っていたの? もっと早く元帥に御願いすればこんな事にはならなかった?

「姉さん、ヴァレンシュタイン元帥は婚約者と未来の義父を失いたくは無いと思いますよ。連絡してください」
「……ハインリッヒ」

「姉さんが連絡しないのなら僕がします。但し警察にです。もっと大事になります、それでも良いですか」
「……」



帝国暦 488年  8月 16日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


TV電話には蒼白になったヒルダの顔が映っている。嫌な感じだ、何が有った?
『元帥、今キュンメル男爵邸にいます』
「……」
何となく想像がついたが、考えたくない……。

『私のほかに、ミュッケンベルガー元帥とユスティーナ様も一緒です』
「それで」
『キュンメル男爵邸の地下にはゼッフル粒子が充満しているそうです。起爆装置はキュンメル男爵が持っています』

やっぱりそうか……。傍にいるヴァレリーが息を呑むのが分かった。
「それで、キュンメル男爵は何を望んでいるのです」
『元帥閣下に会いたい、此処に来ていただきたいと……』

ヒルダの背後から“来てはいかん”、“来ないでください”と叫ぶミュッケンベルガー元帥とユスティーナの声が聞こえる。やれやれだ、あの二人を見殺しにはできない。内乱を生き延びたと思ったが、今日が命日になるかな。

「分かりました、これからそちらに向かいます。男爵にそう伝えてください」
『閣下……』
「フロイラインが気にすることではありません。ココアを用意してください、直ぐ行きます」

通信を切るとヴァレリーが血相を変えて詰め寄ってきた。
「行ってはいけません、相手は元帥を殺すつもりです」
「だからと言ってミュッケンベルガー元帥とユスティーナを見殺しにする事は出来ませんよ、大佐」
私の言葉にヴァレリーは唇を噛んだ。

「ですが……、危険です」
「そうですね、でも考えを変えるつもりは有りません」
そんな唇を噛み締めてこっちを睨むなよ、ヴァレリー。美人が台無しだ、男が近付かなくなるぞ。

「分かりました。私もご一緒します」
「大佐」
「この件については私も考えを改めるつもりは有りません」
「……」

「キスリング少将に知らせますか?」
俺が頷くとヴァレリーは自分の机で憲兵隊本部に連絡を取り始めた。それを見ながら俺もアンスバッハに連絡を入れた。地球教が絡んでいるのは間違いない、こいつは帝国広域捜査局の出番だ。

『元帥閣下、どうされました』
「厄介な事が起きました」
『と言いますと』

「ミュッケンベルガー元帥とユスティーナがキュンメル男爵邸で人質になりました」
『人質?』
アンスバッハは訝しそうな表情をしている。キュンメル男爵邸で人質と言う事がピンと来なかったのだろう。

「犯人はキュンメル男爵です。彼の屋敷の地下はゼッフル粒子で充満しているそうです」
『!』
たちまちアンスバッハの顔が緊張に包まれた。

『閣下、キュンメル男爵の要求は?』
「私に来て欲しいと言っています」
『閣下! 行ってはなりません。今閣下を失えば帝国は……』
「そうは言っても、あの二人を見殺しには出来ません」
『閣下!』
そう騒ぐな、アンスバッハ。冷静沈着なお前らしくない。

「そんな事より、大事な事が有ります。知っているかと思いますが、キュンメル男爵は病弱で動く事さえ儘なら無い。つまり彼一人で出来ることではありません。協力者が居るはずです」
俺の言葉にアンスバッハはゆっくりと頷いた。

『なるほど、閣下は例の連中が協力者かも知れないと考えているのですね。分かりました、フェルナーをそちらに向かわせましょう』
「よろしく御願いします。現地には憲兵隊も行く事になっています。アントンに伝えてください」

『分かりました。閣下、無茶はしないでくださいよ。閣下一人の命ではないんですから』
やれやれ、保護者がまた増えたか……。俺ってそんなに頼りないかね。


帝国暦 488年  8月 16日  オーディン  キュンメル男爵邸 アントン・フェルナー



キュンメル男爵邸に行くと既に憲兵隊が屋敷を包囲していた。約二千名ほどは居るだろう。レーザーライフルを持って待機している。こっちは五十名程、全員特殊警棒のみだ。それとは別にゼッフル粒子の探知機を用意している。

「遅いぞ、アントン」
「さすが、憲兵隊だな、ギュンター」
俺の言葉にギュンターは軽く笑った。

「甘く見てもらっては困るな、全員此処まで靴下はだしで走ってきた。音を立てないようにな」
「驚いたね、俺達は近くまで地上車で来たよ、エーリッヒは?」
「もう直ぐ来る、こっちの準備が出来るまで待ってくれと頼んだんだ」

俺達が話していると五台の地上車が近付いて来て止まった。前方二台の車、後方二台のから装甲擲弾兵が、中央の車からエーリッヒがフィッツシモンズ大佐、そして装甲擲弾兵総監リューネブルク大将と共に降りてきた。

「皆、揃っているようだ」
エーリッヒの言葉に皆が頷いた。
「エーリッヒ、屋敷の中に入るのか」
「招待されてるからね」
エーリッヒは俺の言葉に仕方ないといったように肩を竦めた。

皆が顔を見合わせる。全員が不承知といった表情だ。
「最初に言っておくが止めても無駄だよ」
「……」
「ギュンターは周囲を固めてくれ、逃げ出すものは逮捕するんだ、決して殺してはいけない。アントンは中に入って使用人を調べてくれ、キュンメル男爵の協力者を探すんだ」

「協力者?」
エーリッヒの言葉にギュンターが訝しげな声を出した。エーリッヒがキュンメル男爵が病弱で動けないことを告げ、内部に協力者がいるはずだと話した。

「まだ、居ると思うか?」
俺の質問にエーリッヒは一瞬小首を傾げた。このあたりは士官学校時代と変わらんのだな。そう思うと修羅場にもかかわらず一瞬だが微笑ましくなった。

「分からない。しかしここ数日で居なくなった人間がいたら、その人物が協力者の可能性は高い。突きとめて必ず捕まえるんだ」
「分かった」

「それじゃ、私は行くよ」
エーリッヒはそう言うと屋敷の中に入っていった。その後を、フイッツシモンズ大佐とリューネブルク大将がそして装甲擲弾兵が数名続いていく。俺も捜査局の人間を連れて中に入った。

ギュンターが心配そうな顔をしていたが、あえて知らぬ振りをした。ゼッフル粒子が爆発したときは俺とエーリッヒはおそらく死ぬ事になるだろう。生き残るのはギュンター達憲兵隊だけだ。辛いだろうな、ギュンター。こんな時は一緒に吹っ飛ぶ方が楽だ。でも出来る事なら吹っ飛びたくは無い。上手くやってくれよ、エーリッヒ。


帝国暦 488年  8月 16日  オーディン  キュンメル男爵邸 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ


キュンメル男爵邸の居間には四人の男女がいた。ミュッケンベルガー元帥父娘、フロイライン・マリーンドルフ、キュンメル男爵。司令長官が居間に入っていくと一斉に視線が向けられた。

「馬鹿な、何故来た」
「そうです、私達のことなど……」
「そうもいきませんよ、陛下が選んでくれた婚約者なんです。大事にしないと」
「しようの無い奴だ」
司令長官がおどけたような口調で、ミュッケンベルガー元帥が苦い口調で話す。

「司令長官、申し訳有りません。こんな事に巻き込んでしまって」
フロイライン・マリーンドルフの言葉に司令長官は気にするなと言うように手を振りながら椅子に腰をかけた。私とリューネブルク大将達装甲擲弾兵は司令長官の後ろに立った。

「フロイライン、先ずはココアを頂きましょうか」
フロイライン・マリーンドルフが司令長官にココアを用意した。司令長官が一口ココアを口に含む。それを見てからキュンメル男爵が話しかけてきた。

「ヴァレンシュタイン元帥、御来訪いただき有難うございます」
「男爵、私以外の人間は退席させても構いませんか?」
「私は動かんぞ」
「私もです」
「……困ったものです。誰も私の言う事など聞こうとしない」
溜息交じりに吐かれた司令長官の言葉にキュンメル男爵は面白くもなさそうに笑った。時折咳き込みながら。




 

 

第二百二十四話 キュンメル事件(その2)

帝国暦 488年  8月 16日  オーディン  キュンメル男爵邸 ヘルマン・フォン・リューネブルク



「元帥閣下、ご感想は如何です」
「余り面白くはありませんね。で、これからどうします?」
「さあ、どうしましょうか」
キュンメル男爵は楽しんでいる。時々苦しそうな咳をするが起爆スイッチを握りながら楽しんでいる。

司令長官の背後に居る俺とフイッツシモンズ大佐はキュンメル男爵が咳をするたびにその隙に乗じようとするが、男爵は起爆装置を放そうとはしない。しっかりと握り締めている。それさえなければ、男爵など片手で捻り潰せる。何ともどかしい事か。

本当に大丈夫なのだろうか? 此処に来る間、危険だから行ってはいけないと言う俺達に司令長官は心配は要らない、無事に戻ってくる成算は有ると言っていた。司令長官は落ち着いているし、虚勢を張っているようなそぶりも無い。信じたいとは思うのだが、この状態をどうやって切り抜けるのか……。

「此処でこのスイッチを押したら宇宙はどうなると思います」
「何も変わりませんね」
司令長官の言葉にキュンメル男爵は幾分不満そうな表情を見せた。言葉の内容にか、それとも司令長官の落ち着いた様子にだろうか。

「そんな事は無いでしょう。貴方が居なくなればこの宇宙は大きく変わるはずだ」
「変わりませんよ、宇宙は帝国によって統一され戦争の時代から平和な時代へとなる。その流れは変わりません。私を殺せば宇宙が変わる、歴史が変わると思いましたか? 無駄ですよ、もう宇宙は動き出したんですから……。この流れは誰にも止められない」

淡々としたものだった。以前自分が死んでも三十年後には平和が来る、宇宙は一つになっていると言っていた。司令長官はその事を確信している。彼にとっては事実であって夢ではないのだ。夢は唯一つ、その世界を見たいという事……。

「ハインリッヒ、もう良いでしょう。御願い、スイッチを私に渡して。今ならまだ……」
「ヒルダ姉さん、貴女でも困る事は有るんですね。少し失望したな、貴女はいつも颯爽として眩しいぐらい輝いていたのに……」
嘲笑と言って良い笑いを男爵が頬に浮かべた。この男はフロイライン・マリーンドルフを憎んでいる。憧れと同じくらい、いやそれ以上に憎んでいる。

自分がベッドに横たわる事しか出来ないのに比べ、従姉は常に輝いている。内乱では討伐軍に属し、内乱終結後はマリーンドルフ伯を助け新しい国造りに励んでいる。傍にフロイラインがいる事が、彼を苦しめ続けてきたのかもしれない。フロイラインがただの美しいだけの女性ならここまで彼女を憎む事は無かっただろう。

「不愉快ですね、司令長官は怖がっていないようだ。僕がスイッチを押さないと思っているんですか? 僕は本気ですよ、司令長官」
「私を殺したがっている人間は腐るほど居ますよ。一々怯えてどうします?」
キュンメル男爵の目に憎悪が浮かんだ。そういうことか、この男は司令長官を殺したいのではない、いや殺したいのかもしれないが、司令長官を怯えさせ自分が優越感を味わってから殺したいのだ。

「司令長官、最後に望みは有りませんか?」
“最後に”、その言葉に部屋が凍りついた。だが俺から見れば予想通りだ、男爵は司令長官に懇願させたい、命乞いさせたいに違いない。

「有りませんね、有っても男爵には叶えられない」
「僕には叶えられない? それは何です?」

幾分むっとしたような表情を男爵はした。望みは無い、有ってもお前には叶えられない、そう言われた事が面白くないのだろう。
「私の望みは三十年後の世界を見ること、それだけです。まさかこのまま三十年を過ごすことなど出来ないでしょうし、三十年後の世界を此処に持ってくる事も出来ない。男爵には叶えられない、違いますか?」

そう言うと司令長官はココアを一口飲んだ。嘲りではなかった、男爵の事などまるで関心が無い、そんな口調だった。
「……頼んでみてはどうです。まだ死にたくないと」
強者の余裕だろうか、笑みを浮かべ唆すような男爵の口調だった。

「元帥」
ヴァレリーが司令長官に声をかけた。命乞いをしろというのだろう。
「出来ませんね、そんな事は。キュンメル男爵家の人間に頭を下げて命乞いなど出来ません。そうでしょう、フロイライン・マリーンドルフ」

司令長官の言葉にフロイライン・マリーンドルフの顔が強張った。そしてキュンメル男爵は、いやキュンメル男爵だけではない、皆が、ミュッケンベルガー元帥父娘も訝しげな表情をフロイラインに向けた。
「ヒルダ姉さん、司令長官は一体何を言っているのです?」

「ハインリッヒ……。御願い、御願いだから止めて」
フロイラインが懇願している。両手を前にあわせ、泣きそうになりながら懇願している。

「姉さん、教えてください。司令長官は一体何を言っているのです?」
「ハインリッヒ、御願いだから……」
「教えてください! 一体司令長官は何を言っているのです!」

興奮したのだろう、男爵が咳き込み背を丸める。チャンスだ、動こうとしたとき、司令長官が手で止めた。何故止める? そう思って司令長官を見た。司令長官は冷たい笑みを浮かべている。戦慄が走った、もしかすると今を楽しんでいるのか……。

「教えてあげますよ、男爵。キュンメル男爵家とヴァレンシュタイン家の因縁をね」
「……」
「司令長官、御願いです、止めてください」
「フロイライン・マリーンドルフ、男爵には知る権利が、いや義務がある。そうでしょう?」
「……どういうことです、司令長官」

男爵は訝しげな表情を浮かべている。先程までの余裕はもう無い。そしてフロイライン・マリーンドルフは絶望を、司令長官は先程から冷たい笑みを浮かべたままだ。一体どんな因縁が両者の間に有るのだ。

「私の両親を殺したのはキュンメル男爵、卿なのですよ」
司令長官の言葉に驚いてヴァレリーと顔を見合わせた。彼女も驚愕している。ミュッケンベルガー元帥父娘も驚愕を顔に浮かべている。フロイライン・マリーンドルフを見た、彼女は顔に諦観を浮かべ、眼を閉じている。本当なのか?

「馬鹿な、何を言っているのです。あれはヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家の仕業でしょう。大体この私にできるわけが無い、そうでしょう、ヒルダ姉さん?」
「……」

「姉さん?」
キュンメル男爵は呆れたような声を出したがフロイライン・マリーンドルフの様子に改めて不安そうな声で問いかけた。

「キュンメル男爵、卿は何も知らない。私の父はキュンメル男爵家を守るために男爵家の顧問弁護士をしていたのですよ」
「……」

「病弱で幼少の当主を持つキュンメル家など、財産を横領しようと思えば簡単なことだった」
「馬鹿な、伯父上はそのような方ではない」
キュンメル男爵の吐き出すように出された言葉に司令長官は薄く笑った。

「マリーンドルフ伯のことじゃ有りません、カストロプ公の事です」
「カストロプ公!」
何人かの口から同じ言葉が出た。カストロプ公、貪欲で狡猾、不正に身を染め最後は事故死、謀殺されたといわれている。そして息子は反乱を起した……。

「キュンメル男爵家の財産横領を狙ったカストロプ公にとって私の父は邪魔だった。だからリメス男爵家の相続争いに見せかけて殺したんです。そうでしょう、フロイライン」

司令長官の言葉に皆がフロイライン・マリーンドルフを見た。彼女は蒼白になっている。そして虚ろな表情で呟いた。
「御願い、ハインリッヒ、もう止めて。貴方はこんな事をしてはいけないの」

司令長官の問いかけには答えていない。しかし彼女の言葉は司令長官の言葉が真実である事を表していた。キュンメル男爵にもそれは分かったのだろう。額から汗が流れ元々血色の悪い顔がさらに青褪めている。

「そのスイッチを押しなさい、男爵」
「!」
司令長官だった。優しく微笑みながら男爵にスイッチを押す事を薦めている。

「ヴァルハラに行って大声で自慢すれば良い、ヴァレンシュタインを殺したと。内乱で死んだ貴族達が褒めてくれますよ。良くやった、男爵こそ門閥貴族の誇りだとね……。そして先代のキュンメル男爵に報告しなさい」
「報告……」

震える声で呟く男爵に司令長官が頷いた。
「父上、私は役立たずじゃ有りません。ヴァレンシュタイン家の人間は皆、私が殺しました。この通り皆が褒めてくれます。私は門閥貴族の誇りなのですと。良くやったと喜んでくれるでしょう」

「違う、そうじゃない……」
「男爵こそ門閥貴族の誇りですよ、私もそう思います。卑怯な手段で相手を抵抗できなくさせる。そして抵抗できない相手を弄って喜ぶ」
司令長官の言葉には辛辣な皮肉が有った。しかしキュンメル男爵は何も言えずにただ震えている。

「どうしました? 口が利けなくなりましたか、男爵」
「違う、私はそんなつもりじゃなかった。ただ……」
「ただ、何です?」

「ほんの少しだけ宇宙をこの手に握りたかった。僕の命はもう長くない、何かをして死にたかった。どんな悪い事でも馬鹿な事でもいい、何かして死にたかった……」
「ハインリッヒ……。もう十分でしょう、スイッチを渡して」

フロイライン・マリーンドルフの言葉にキュンメル男爵は頷いた。部屋を支配していた緊張感が消える。しかし男爵は直ぐにはスイッチを渡さなかった。
「キュンメル男爵家は僕の代で終わる。僕の病身からではなく僕の愚かさによってだ。僕の病気は直ぐに忘れられても愚かさは何人かが覚えていてくれるだろう。それで十分だ」

スイッチがフロイライン・マリーンドルフに預けられた。男爵を拘束するべきか否か、司令長官を見るとその必要は無いと言うように首を振った。
「キュンメル男爵、フロイライン・マリーンドルフ。私はこれで失礼させていただく。さあ、戻りましょうか」
「そうだな、ユスティーナ、失礼しよう」
「はい」


帝国暦 488年  8月 19日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


あれから三日がたった。しかし最初の二日間ははっきり言って説教の嵐だった。先ずミュッケンベルガー元帥に三時間近く説教された。お前は国家の重臣としての自覚が足りない、自分の死がどれだけ帝国にダメージを与えるのか少しは考えろ、そんなところだ。

俺が死んでも帝国には問題ない、歴史は変わらないと言ったら、馬鹿者と怒鳴られまた説教が最初から始まった。頼むからあんまり興奮しないでくれ、心臓が悪いんだから。

ようやく解放されたと思ったらその次はリヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフの三人の説教だ。流石に今度は俺が死んでもは言わなかった。ただただ黙って大人しく聞いていた。おかげで説教は二時間で済んだ。解放されたときにはフラフラだった。キュンメル男爵じゃないが虚弱体質なんだ、少しは労わってくれ。

ヴァレリーとリューネブルクは俺が疲れていると見たのだろう、何も言わずに俺を休ませてくれた。もっともそれはその日のことだけだった。翌日にはしっかりと説教が入った。説教をするのはヴァレリーで傍で見ているのがリューネブルクだ。いつもはニヤニヤして聞いているリューネブルクが今回は厳しい表情で俺を睨んでいる。勘弁してくれ、危険は有ったが成算は有ったんだ。

マリーンドルフ伯からは謝罪があった。自分がハインリッヒにきちんと話しておけばこんな事にはならなかったと悔やんでいた。仕方が無い事だ、俺がその立場でも男爵には何も言わないだろう。伯には気にするなと言ったが、彼にとっては今回の事件は俺の父の死の一件と共に苦い思い出になるだろう。

そんな事を考えているとフェルナーがやってきた。フェルナーは軍服を着ていない。どうも妙な感じだ、あまり似合っていない。フェルナーとアンスバッハは捜査局に居るのだが身分は軍からの出向という事になっている。

フェルナーの話ではキュンメル男爵は素直に聴取に応じているようだ。もっとも疲れないように一日二回、午前と午後に一時間ずつの取調べだ。フェルナーはもどかしい思いをしている。

応接室に通すと早速フェルナーが話しかけてきた。
「参ったよ、地下室にはゼッフル粒子が充満していた。もし爆発したら天井まで吹き飛んでいただろう」
「今は、大丈夫なのかい?」
「ああ、一昨日の昼までかかって地下室の空気を入れ替えた。作業員達はヘトヘトさ」

「それで、何が分かった?」
「屋敷から消えた人間が居る。半年ほど前に雇われたらしい。彼の部屋を調べたが特に気になるものは出なかった。ただ、屋敷の人間に聞いたが彼は例の宗教を信じていたらしい」

やはりな、例の連中か。
「エーリッヒ、連中はバラ園の襲撃事件にも絡んでいるのだろう。この際徹底的に捜索するべきじゃないのか? そして連中を弾圧すべきだ」

「そうもいかないよ、アントン。同盟との捕虜交換が迫っているからね」
「どういうことだ」
「自由惑星同盟は信教の自由を認めている。今此処で地球教を弾圧すれば、それをきっかけに反帝国感情が高まるだろう。今回の事件、あくまで主犯はキュンメル男爵だ、地球教徒が唆したと言っても誰も信じない」

俺の言葉にフェルナーは顔を顰めた。
「先日フェザーン方面で帝国と同盟の間で小競り合いがあっただろう、今回の件はあれと連動している」
「まさか……」

絵図を描いたのは誰か? 間違いなく地球教だ、ルビンスキーが絡んでいるかどうかは分からない。彼なら帝国に宇宙を統一させてその中枢を支配する事で実権を握る事を考えそうだがなんとも言えない。奴と帝国との関係は最悪だ。同盟と帝国の共倒れを狙ってもおかしくは無い。

連中の考えは大体想像はつく。今の帝国の国内情勢は戦争が出来る状態ではない。戦争には経済力の裏付けが必要だが、その経済力が門閥貴族が滅んだ事で弱っている。軍の力で何とか凌いでいるが、回復するにはもう少し時間がかかる。

だから連中はフェザーン方面で紛争を起した。同盟の指揮官を唆したか、或いはサイオキシン麻薬でも使って操ったか……。そして同時に俺の暗殺を考えた。俺が死ねば同盟の主戦派が力を増す、戦争に持って行きやすい。

そして地球教の弾圧も考慮に入れただろう。地球教は同盟にも根を張っている。弾圧すれば大勢の信徒が同盟に行くだろう。そして帝国が地球教を弾圧している、信教の自由など認めていないと声高に騒ぐに違いない。

そこから見えてくるのは、地球教への同情だ。そして地球教のスローガンが同盟領内で唱えられるだろう。“地球は我が故郷、地球を我が手に”。反帝国感情は燃え上がり、主戦派が力を増す。行き着くところは戦争だ。

俺の想像を聞いたフェルナーは厳しい表情をした。地球教が厄介な敵だと言う事が改めて理解できたのだろう。そろそろ同盟にも地球教の事を話すべきだろう、今回のフェザーンでの紛争は向こうにとっても肝が冷えたはずだ。疑問には思っても荒唐無稽と否定はしないはずだ。爺様連中に許可を取る必要があるな……。

「アントン、イゼルローン要塞に行ってくれないか。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ元帥には許可を取る」
「地球教の事を同盟に知らせるという事か」
「同盟と言うより、ヤン・ウェンリー提督に地球教の事を話して欲しい」

フェルナーが面白そうな顔をした。ヤンに会えるのが嬉しいのかもしれない。何と言ってもイゼルローン要塞を落とした男だからな。
「話すだけで良いのか?」

「軍上層部、政府にも伝えて欲しいと言ってくれ。地球教にどう対処するか、その答えは捕虜交換式で聞くと。調印式には私が行くつもりだ」
どんな答えが返ってくるか、それによってヤンがどの程度政府、軍上層部に影響力を持っているかが分かるだろう……。

 

 

第二百二十五話 余波

帝国暦 488年  8月 26日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「じゃあ、キュンメル男爵は協力者については何も知らないのか?」
「ああ、共犯者については何も知らないと言って良い。彼が地球教徒で有る事も知らなかったよ」
応接室で話すフェルナーの口調にはどこか呆れたような響きがあった。

フェルナーの気持は分かる。彼を愚かだと思っているのだろう、ものの見事に地球教に利用されたと。しかし俺はフェルナーに同調できない。俺だって自分の体がもっと丈夫だったらと思うことはある。

この世界に来る前、佐伯隆二の体はごく普通に健康だった。だがエーリッヒ・ヴァレンシュタインの体はキュンメル男爵程ではないが丈夫とは言えない。もどかしさを感じる事も有るし丈夫な連中を見ると羨ましくなることもしばしばだ。

誰だって心に闇を持っている。キュンメル男爵はその闇を突かれた。俺が生き残れたのは彼の良心、そして羞恥心を呼び起こしたからだ。元々愚劣な人間ではない、闇から解放されれば俺を殺そうとは思わない……。酷いことを言ったがあれは止むを得なかった……。

「ゼッフル粒子発生装置の入手経路は?」
「ゼッフル粒子発生装置の購入者リストを洗ったがヴァルター・ローリンゲンの名前は無かった。本当の名前で買ったとは思えないから教団が用意した可能性もある。どちらにしろ直接業者からは購入していないと思うし、間に何人かを経由しているだろう、追うのは無理だ」

キュンメル事件の協力者、いやむしろ主犯と言って良い男は現在行方不明になっている。ヴァルター・ローリンゲン、それが彼の名前だったが偽名だった。写真も無くキュンメル家の人間の記憶を基に作成された似顔絵が有るだけだ。

「生きているかな?」
「分からない、そのうち死体で見つかるかも知れない」
「顔を潰されていたら迷宮入りだな……」
フェルナーが面白くもなさそうに頷いた。そんな顔をするな、面白くないのはこっちも同じだ。

「アントン、明日の準備は?」
「出来ている、問題は無い」
「そうか、気をつけて行ってくれ」
俺の言葉にフェルナーは頷いた。フェルナーは明日、イゼルローン要塞に向かって出立する。戻ってくるのは約三ヶ月後になるだろう。

「最新鋭艦を用意してくれたそうだな」
「最新鋭と言っても巡航艦だよ」
「しかし、向こうに見られるぞ、良いのか?」
フェルナーが心配そうな顔をした。まあそうだな、最新鋭艦を使えば当然向こうは注目するし性能を調べようとするだろう。本来は良くないのだが今回は別だ、最新鋭艦を使う必要がある。

「卿の任務はそれだけ重要なんだ、老朽艦で送り迎えをしては話そのものが信用されないかもしれないからね。護衛を三百隻付けるのもそれが理由だ」
「なるほど、信用付けのためか」
フェルナーが納得したように頷いた。使者を出す、出す以上は出来る限りの支援をすべきだろう。まして話が話だ、一つ間違えば気が狂ったと思われかねない。

「ところでエーリッヒ、何時引っ越すんだ」
「……三日後だ」
「そんな嫌そうな顔をするな。フロイライン、いやフラウに失礼だぞ」
「冷やかさないでくれ」
誠実さが欠片も無い、ニヤニヤしながら言うな、フェルナー。

自分でも分かる、俺の顔はしかめっ面になっているだろう。あの事件の後、爺様連中がいきなりユスティーナと結婚しろと言って来た。結婚は捕虜交換の後のはずだ、そう抗議したがまるで聞いてもらえなかった。

お前のような思慮分別の無い小僧には重石が要る、さっさとユスティーナと結婚しろ。それがリヒテンラーデ侯の言葉だった。そうは言っても住居は決まっていないし、結婚式の準備など何も出来ていない。大体艦隊司令官達は作戦行動中なのだ、彼らの居ない間に式など挙げたらブウブウ言い出すだろう。

俺の反論はものの見事に粉砕された。エーレンベルクが式は後でいいから先にユスティーナを入籍させろと言って来た。手際のいい事に婚姻届まで用意している。おまけに住居も用意されていた。ミュッケンベルガー家だ、元帥父娘と同居しろとのことだった。当然だがミュッケンベルガー元帥の了承は事前に得ている。

半ば強制的に婚姻届を書かせられるとシュタインホフが止めを刺してきた。“これで卿が死んだら、ユスティーナは未亡人になる。少しは自分の命を大事にするのだな、無茶はいかんぞ”。全く碌でもない爺どもだ。

「式を挙げるのは俺が帰ってからにしてくれよ」
「式は捕虜交換の後だ、心配しないで良いよ」
「そうか……。あれで終わりとは思えない、気をつけろよ、エーリッヒ。連中は危険だ、これからも卿を狙ってくるぞ」
「ああ、分かっている」

フェルナーが帰った後、俺は一人応接室に残った。皆少し心配しすぎだ、俺の死が帝国の崩壊に繋がるかのように心配している。しかしそれは無い、俺は皇帝ではないのだ。俺は帝国軍三長官の一人、しかも第三位の宇宙艦隊司令長官でしかない。痛手ではあるだろうが致命傷ではない。

そして俺が望む宇宙の統一、国政の改革は皆が理解し進めようとしている事だ。たとえ俺が死んでも帝国の進路は揺るがない。多少の混乱は有っても最終的にはより堅固になるだろう。帝国は動き出したのだ、もう後戻りはできない。俺が死んでも流れが変わることはない。

原作のキュンメル事件でラインハルトが暗殺されたのなら帝国が崩壊した可能性は有るだろう。彼は後継者が居ない皇帝だったし親類縁者にも有力者は居なかった。アンネローゼが居たが彼女に帝国を統治し部下を統括するだけの力量が有ったとは思えない。

ラインハルトの死によって誕生まもない帝国は間違いなく混乱しただろうし、場合によってはアレクサンダー大王死後のマケドニアのように部下達によって分割された可能性もある。アレクサンダーには子供がいたが全て殺された。彼の血統は断絶している。

アンネローゼは一度も帝国の統治に関わった事は無いのだ。血の繋がり、それだけで周囲が彼女を女帝として認める事が出来たかどうか……。それが出来ると思ったのならオーベルシュタインはあそこまで同僚達の力を抑えようとはしなかったはずだ。

ローエングラム朝銀河帝国は脆弱だった、だからオーベルシュタインの存在する余地があった。今の帝国にはオーベルシュタインは必要ない。そんな脆弱さとは無縁なのだ……。


宇宙暦 797年  8月 26日  ハイネセン  ある少年の日記

八月十五日

大変なことが起こった。お昼のニュースでとんでもないことを言っていた。フェザーン回廊で同盟軍と帝国軍の間で戦闘が起きたらしい。戦闘が起きたのはフェザーン回廊の帝国よりの宙域で本当なら同盟軍は行ってはいけない処なのだそうだ。

学校でも午後からはそのニュースで持ち切りだった。捕虜交換にも影響が出るかもしれない、帝国は内乱が終わったから今回の件をきっかけに戦争を仕掛けてくるかもしれないと皆が言っている。

でも皆が不思議がっている。同盟軍はなんでわざわざ行ってはいけない処に行ったのだろうって。そんな事をしたら大変なことになるって分かるはずだ。僕だって分かるのに何でだろう? 本当に帝国よりの場所で戦闘が始まったのだろうか? もしかすると帝国に上手くやられたんじゃないだろうか? ヴァレンシュタイン元帥が何か仕掛けたんじゃないだろうか?

夜になって詳しいことが分かった。戦闘が起きた場所は間違いなくフェザーン回廊の帝国よりの宙域らしい。それも帝国軍は三千隻、同盟軍は二千隻、同盟軍が不利なのにこちらから挑発行為をしたらしい。

帝国軍が何度も警告し退去を命じたのに無視して帝国軍に近づいたそうだ。話を聞いていると同盟軍に非が有るように見える。ヴァレンシュタイン元帥は関係ないみたいだ。でも味方が不利なのに近づくってどういうことだろう? なんだかさっぱり分からない。

八月十六日

今日の朝のニュースでも一番最初に報道されたのはフェザーン回廊での戦闘のことだった。同盟軍はかなり劣勢で危険な状態らしい。同盟軍の指揮官はサンドル・アラルコン少将という人だ。なんでも主戦派の一人らしいんだけど今回の戦闘もここ最近の帝国との協調路線に反発してのことじゃないかとアナウンサーが言っていた。第三艦隊司令官のルフェーブル中将はアラルコン少将を救うために艦隊を出動させたそうだ。

いいのかな? 戦闘が激しくなっちゃうんじゃないの? そう思ったけど軍の発表では味方を救うためなんだそうだ。アラルコン少将は自力では撤退できないくらい劣勢らしい。自分で喧嘩を売っていてやられてるなんて、情けない奴、主戦派だって言ってたけど本当なのかな?

政府は帝国側にはあくまで味方を収容するのが目的だと伝えたらしい。帝国側は最初は納得しなかったらしいけど、最後は認めたらしい。もっともルフェーブル中将がアラルコン少将を収容する前に彼の艦隊は壊滅しちゃうんじゃないか、って皆が言っている。

帝国軍の指揮官の名前もわかった。ハルバーシュタット大将、黒色槍騎兵という艦隊の副司令官らしい。司令官はビッテンフェルト上級大将、シャンタウ星域の会戦でも活躍した提督でパエッタ元帥の艦隊はあっという間に粉砕された。

今回戦ったのは部下のハルバーシュタット大将だけどそれでも帝国屈指の精鋭部隊だ。アラルコン少将は何を考えていたのだろう? 負けても戦争がしたかったのだろうか? 本当はただのバカなんじゃないの、アラルコン少将って。

皆怒っている、これが原因で戦争になったら捕虜交換が取りやめになってしまう。彼らが帰ってくるのを待っている人が居るのにそれを無視するなんて、アラルコン少将なんて思いっきりやられてしまえばいいんだと言ってる人もいる。

政府も軍の上層部も今回の件ではアラルコン少将を厳しく非難している。もしこれが原因で捕虜交換が無くなったら、捕虜の家族に八つ裂きにされるだろう。戦死したほうが彼のためだってアナウンサーが言っていた。ちょっと酷い言い方だけど八つ裂きって言うのは大袈裟じゃない、僕の周りでも同じようなことを言ってる人が居る。

夜遅くなって戦闘が終結したことが分かった。帝国軍はルフェーブル中将が戦場に着くまでに撤退したそうだ。ただしアラルコン少将の艦隊はかなりの損害を受けたらしい。ニュースではアラルコン少将は帝国軍からキツイお仕置きを受けた、と言っていた。情けない奴だ。どうやら今回の件はヴァレンシュタイン元帥は関係ないみたいだ、多分アラルコン少将が馬鹿なだけなんだろう、本当に情けない奴だ。

八月十八日

今日、フェザーンで帝国、同盟両国の高等弁務官による共同会見が有った。内容は先日の軍事衝突が同盟と帝国の関係を悪化させるものではないと言うことだった。あれはアラルコン少将個人の愚かな行為で同盟政府の悪意ある挑発では無いとなったようだ。

捕虜交換が行われることが改めて発表された。今回の戦闘は馬鹿げたことだけれど捕虜交換の実施が改めて確認されたことは良いことだと皆が言っている。僕もそう思う、今回の戦闘の唯一の収穫だ。

会見はちょっと面白くなかった。オリベイラ弁務官はちょっと気まり悪げだった。気持は分かる、僕だってオリベイラ弁務官の立場だったら決まりが悪いよ。それに比べてレムシャイド伯は余裕だった。内乱前に有った共同会見でもレムシャイド伯は堂々としていた。恰好良いとは思うけど面白くない、一度面目なさげな伯爵を見てみたいと思う。

会見終了間際、レムシャイド伯は席を立ちながらさらっとトンデモナイことを言った。“帝国は劣悪遺伝子排除法を廃法にする”。会見を取材していた記者たちも一瞬何を言われたのか分からなかったみたいだ。分かった時にはレムシャイド伯は会見場には居なかった。皆大騒ぎだった。多分伯爵は何処かでそれを見て楽しんでいたんだろう、嫌な奴だ。

劣悪遺伝子排除法って、簒奪者ルドルフが作った法律で人民を弾圧し迫害することになった法律だ。自由惑星同盟が誕生したのもこの法律の所為だと言う人もいる。今ではほとんど意味を持たない法律らしいけどルドルフが作った法律だから廃法には出来なかったようだ。

それが今回廃止される……。今日のニュースは捕虜交換よりも劣悪遺伝子排除法が廃止されることばかりを取り上げていた。帝国は変わったと言っていたけどどういうことなんだろう、ちょっと良く分からない。帝国との講和とか言ってる人もいたけど意味のない法律を廃止するだけで和平を結ぶの? 馬鹿馬鹿しい、帝国相手に和平なんてありえない、何考えてるんだろう……。


宇宙暦 797年  8月 20日  ハイネセン  最高評議会ビル  ジョアン・レベロ


「とりあえず終わったな、トリューニヒト」
「ああ、終わった」
私の目の前でトリューニヒトは疲れたような声を出した。実際に疲れているのだろう。今回の一件では随分と忙しい思いをした。

同盟の政官財界には色々な考えを持つ人間が居る……。捕虜交換の実現を心配する者、戦争を望む主戦派、帝国との和平を望む者、そしてフェザーンを支配するべきだと考えている者……。

それらがマスコミに自分の意見を伝え、マスコミはそれを報道する。市民がどの程度自分の考えを支持するか確認しようというのだろう。そしてその度にマスコミは政府の考えを、トリューニヒトがどう考えているかを聞きに来る。トリューニヒトにしてみれば連中の考えが分かるだけにうんざりするのだろう。

「アラルコン少将の取り調べはどうなっているんだ?」
「始まったばかりだ、ボロディンからはまだ報告はない」
アラルコン少将に協力者がいるのか、居るとすれば誰なのか、どこまで広がっているのか……。主戦派だけの企みなのか、それとも他に別な思惑を持った人間が居るのか……。終わったのは帝国との紛争の後始末だけだ。同盟ではこれからが本当の後始末が始まる。

「レベロ、例の報告書だが君は見たか?」
「ああ、見たよ。なかなかショッキングなことが書いてあったな」
「ああ」

例の報告書、軍の情報部が亡命者達から得た帝国の情報をまとめたものだ。多くの貴族、軍人達から聞き出した情報は千金の価値が有るだろう。表紙には“極秘”とスタンプが押されていた。普段なら馬鹿な官僚が訳も分からずに押したのだろうと毒づくところだが今回はそれを押すだけの価値はある。

「以前君は言ったな、リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥の協力体制は盤石だと……」
「ああ、言ったな」
「その理由が同盟を征服する、正確には宇宙を統一するためとはね。驚いたよ」

報告書によれば両者は内乱を乗り切るために一時的に手を結んだというわけではない。国政改革も貴族達を暴発させるためだけに行うのではなく、同盟の征服を考慮しての事だと書かれていた。いや、それ以上に門閥貴族の存在そのものが宇宙の統一には邪魔になると両者は判断したのだろう。

リヒテンラーデ侯が何故改革を認めたのか、ようやく分かった。シャンタウ星域の会戦で同盟軍は著しく弱体化した。宇宙の統一が可能になった。だから同盟が帝国の支配を受け入れやすいように邪魔なものを切り捨て、必要なものを取り入れ始めた、そういうことだろう。

劣悪遺伝子排除法が廃法になったのもその所為だ。意味の無い、名前だけの法律……。ルドルフが作成したから名前だけ残っていた法律だが、その名前さえ存続を許されなくなった。帝国は本気だ、情報の確度はかなり高い。

「レベロ、帝国との和平は難しいかな、どう思う?」
「……難しいかもしれん。しかし諦めるべきじゃない」
「……そうだな、戦備を整えつつ和平の機会を窺うか……。難しい舵取りになるな」

トリューニヒトが憂鬱そうに呟く。トリューニヒトが疲れたように見えるのは報告書の件もあるのかもしれない。帝国は国家目標がはっきりしている、そして着実に国の体制を整えている。それに比べて同盟は……、憂鬱にもなるだろう。

「トリューニヒト、先ずは捕虜交換を片付けよう、そうすれば軍の戦力は上がる」
私の言葉にトリューニヒトが頷いた。彼が議長に就任してまだ一年に満たない、しかしトリューニヒトの髪には白いものが混じり始めている。戦争だけが戦いじゃない、政治だって戦いなのだ。負けるわけにはいかない……。



 

 

第二百二十六話 安らぎ

帝国暦 488年  9月 15日  オーディン  ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



この家で夫と一緒に暮らし始めて半月が過ぎようとしている。結婚式も挙げていないけど傍に居られるだけで私は十分に幸せだ。でも彼はどうなのだろう、もしかしてこの結婚を不満に思っているのではないだろうか? 時々そう考えて不安に思うときがある。

皇帝陛下からの頼みだった。何かにつけて無理をしがちな彼を少しでも抑えて欲しい、傍で見守って欲しいと。宇宙艦隊司令長官、国政改革の推進者。どちらか一つでも激職だと思う。その両方をこなすなど無謀と言っても良い。頑健な養父でさえ心臓に病を持ったのだ。

最初は断わった。私は自分がごく平凡な女だと分かっている。彼の傍には私などより相応しい女性が居るだろう、彼を助け共に歩ける女性が。私は彼を見ているだけで良い、時々話をするだけで良い、あの人の傍に立とうとは思わない……。

“お前があの男の孤独を癒してやれるのなら良い。しかしその自信が無いのなら、あの男の事は諦めろ。それがお前のためだ、そしてあの男のためでもある”
養父の言葉を思い出す。私にはあの人の傍に居る資格は無い、だから陛下にもそう答えた。“自分はごく平凡な女です。あの方の傍に居る資格は有りません”と。

でも陛下のお考えは養父とは違った。
“平凡で良い、あれは非凡だが平凡でありたいと願っている。傍に居る妻が非凡では心が休まるまい。せめて家の中だけでもあれの望むものを与えてやろう……”

私でもあの人の役に立てるのだろうか? あの人の傍にいる事が許されるのだろうか? 縋るような思いで陛下を見た。陛下は優しく微笑んでいた。何処かあの人の笑顔に似ていると思った。

“ヴァレンシュタインを頼む”
“はい”
気がつけば私は夫との結婚を承諾していた。

キュンメル男爵邸での事件は本当に怖かった。私と養父があの人を誘き寄せる人質として利用された。自分がそんな事に利用されるなど考えた事も無かった。でもそれ以上に怖かったのはあの人が来た事だった。

何故来たのか……、帝国のためを思えば私達など見殺しにして良かったのだ。あの人の姿を見たとき私の心を支配したのは、帝国はあの人を失ってしまうという恐れとあの人が来てくれたという喜びだった。何と言う愚かさだろう……。

事件の後、養父が夫を叱っていた。国家の重臣としての自覚が無いと……。それに対し夫は自分が死んでも帝国には問題ない、歴史は変わらないと答えた。強がりではなかった、本心からそう思っているのが分った。悲しかった……。夫は何処かで自分の命を捨てている、見限っている、そうとしか思えなかった。

多分夫は帝国の進むべき道を示した事、そして帝国がその道を進む事を確信しているのだろう。だから国家の重臣としては何の不安も不満も無い。でも、分かっているのだろうか? 皆は夫と共に未来を作りたいと思っているのだ。道を示した人と共に進み、その喜びを分かち合いたいと思っている。

この屋敷に住むようになってから夫は帰宅するのが早くなったそうだ。そうフィッツシモンズ大佐が言っていた。これまで一人夜遅くまで仕事をしていたのが無くなったと喜んでいた。少しは結婚が夫の生活を良い方向に変えたのだろうか? そうであれば嬉しい。

この屋敷も雰囲気が明るくなった。養父は軍を退役して以来少し寂しそうだった。尋ねてくる人が有ってもその人が帰ってしまうと何処となく寂しそうだった。でも最近では養父と夫は良く二人で話をしている。二人とも楽しそうだ。私と夫の結婚を一番喜んでいるのは養父かもしれない。何時までもこんな穏やかな日々が続けば良いと思う。

二人の間では暗黙の決め事があるらしい。書斎で話すときは仕事の話、それ以外の話は書斎では話さない。二人が書斎に行くときは私は飲み物を二人に出して話が終わるのを待っている。

先日、養父と夫は書斎で話をしていた。飲み物を出そうとした時、たまたま二人の声が聞こえた。“イゼルローン”、そう聞こえた。紛争が起きたのはフェザーンだった。それなのにイゼルローン……。戦争になるのだろうか、今此処にある穏やかな日々が無くなってしまうのだろうか……。何時かはそんな時が来るとは思っていたけどこんなにも早く来てしまうのだろうか……。

その日の夜、思い切って夫に尋ねた。“戦争が起きるのですか”と。夫は驚いたように私を見た。訊いてはいけない事だったのか、私は慌てて書斎での会話を聞いてしまった事を話した。

怒られるかと思ったけれど夫は笑っていた。そして“当分戦争は無い、心配する事は無い”、そう言ってくれた。優しい笑顔と声だった。思わず見とれてしまった。何時までもその笑顔を見せて欲しい。私だけにとは言わないから何時までもその笑顔と声を忘れないでいて欲しい……。



帝国暦 488年  9月 25日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


一昨日、ラインハルトが死んだ。ラインハルトだけじゃない、アンネローゼ、キルヒアイス、オーベルシュタイン、内乱に乗じ簒奪を企んだとして皆死を賜った。ラインハルトとアンネローゼは自裁を許され毒酒を呷った。だがキルヒアイスとオーベルシュタインは銃殺だった。

刑が執行される前日、オーベルシュタインと会った。彼に劣悪遺伝子排除法が廃法になる事を伝えた。多分既に知っていただろう、だがどうしても皇帝がそう決めたのだと俺の口から伝えたかった。

オーベルシュタインはそれを聞いても何の反応も示さなかった。無愛想な奴だと思ったが不満には思わなかった。元々返事など期待してはいない、ただ伝えたかっただけだ。面会は五分と経たずに終わった。

ラインハルトには会わなかった。会っても話す事が無いのだ、会う必要は無いと思った。だが彼が死んでから会うべきだったと思うようになった。俺には話す事は無くても向こうには有ったかもしれない。

怒声かもしれない、恨み言かもしれない、それでも俺はラインハルトに会って話を聞くべきだったのだろう。それが出来なかったのは多分会うのが怖かったからだ、だから無意識に避けた……。情けない話だ、一生後悔するに違いない。

義父には俺からラインハルトの死を伝えた。義父はしばらく無言だったが“あまり気にかけるな、やむを得ぬ事だ”と言った。どうやら俺の事を気遣ってくれたらしい、有り難い事だ。義父が居なければ、俺は落ち込む一方だっただろう。そんな暇は無いというのに……。

そろそろ艦隊司令官達も帰って来る。フェルナーも後十日もすればイゼルローン要塞に着くだろう。忙しくなるだろうな、帝国も同盟も忙しくなる。同盟がどう反応するか。特にトリューニヒト、あの男がどう考えるか……。

捕虜交換も具体的に詰めなければならない。此処まではフェザーン経由でやっていたが、ここからは軍が行なうべきだろう。エーレンベルク元帥に頼むべきだな。軍務省でタスクチームを作ってもらい、場合によってはイゼルローンに行って向こうと調整してもらうことになるだろう。


宇宙暦 797年 10月 5日    イゼルローン回廊  戦艦ユリシーズ  ニルソン中佐


此処最近イゼルローン回廊は平穏だ。一時期、帝国の内乱が終結した直後は亡命者というお客さんがぞろぞろやってきたが今はそういうことも無い。今帝国と同盟のホットスポットはフェザーンだ。イゼルローン回廊は以前ほど宇宙の注目を集めてはいない。

注目を集めてはいないが油断していいということではない。戦艦ユリシーズは現在イゼルローン回廊を単艦で哨戒中だ。上からは“敵を発見してもみだりに戦端を開くな。後退してそのむねを要塞に報告しろ”と命令されているが、一隻では先ず戦闘は出来ないだろう。嫌でも命令に従う事になる。

捕虜交換を前に紛争は起せない、上層部はそう考えているようだ。これは軍というより政府の方針なのだろう。今のままでは同盟の戦力は著しく見劣りがする、捕虜交換を行い軍を再編し持久体制を整える。今は体力を回復する時期というわけだ。こちらから帝国に攻め込めない以上正しい選択だろう。

先日起きたフェザーンでの紛争はイゼルローンでも大騒ぎになった。明らかに同盟に非があり、帝国はそれを理由に攻めてくるのではないかとイゼルローン要塞では緊張が走った。当然だが捕虜交換など吹き飛ぶだろうと……。

最終的に戦争は回避され、捕虜交換が行われる事が確認された。どうやら捕虜交換を優先させたいのは同盟だけではないらしい、帝国も同じ思いのようだ。内乱での戦力消耗が意外に大きかったのかもしれない。その所為かもしれないが此処最近の哨戒活動は至って平穏だ。

カタッと音がした。音がしたほうに眼をやると先程まで寛いでコーヒーを飲んでいたオペレータが真剣な表情で計器を見ている。音はコーヒーカップを操作卓に置く音か……。どうやら何かが起きたようだ。

「艦長、前方に未確認艦船を発見! 規模、約三百隻です!」
未確認艦船か……、おそらくは敵だろうが三百? 哨戒部隊か?
「現在この宙域に味方の艦船はいるか?」
「いえ、一隻もいません」

オペレータが俺の問いに答えた。その答えに艦内が緊張する。
「では敵だな、単純な引き算だ。全員、第一級臨戦態勢をとれ!」
「戦うのですか?」
「それは無い、本艦は後退する、急げ!」
フェザーンの件がある、オペレータは心配しているのだろうが臨戦態勢は念のためだ。

「艦長、敵艦から通信です」
「通信?」
通信士官が小首をかしげながらプレートを俺に渡した。
“吾に交戦の意志なし。願わくば話し合いに応ぜられん事を”

話し合いか……。亡命者か? しかし三百隻だ、亡命にしては多すぎる。
「妙ですな、亡命者にしては多すぎるような気がしますが」
俺と同じ疑問をエダ副長は感じたらしい。腕を組んで考え込んでいる。

「まあ、詮索は後だ。臨戦態勢は解くな、あちらさんに機関を停止し、通信スクリーンを開くように伝えろ」
向こうのほうが戦力は大きい、本当に話し合いを望むのなら機関停止に応じるだろう、そうでなければさっさと逃げるだけだ。



宇宙暦 797年 10月 5日    イゼルローン要塞  ジャン・ロベール・ラップ


会議室には幹部たちが集合している。帝国軍がこの要塞を保持していたときは要塞司令部と艦隊司令部がいつも角突き合わせて喧嘩別れに終わったという会議室だ。ムライ参謀長はヤンがこの会議室を使うのは皆に協力させる事の重要さを認識させるためだろうと言っているが俺はそうは思わない。ただ面倒なだけだろう。

「もう知っているだろうと思うが、哨戒活動中の戦艦ユリシーズが帝国軍の艦隊と接触した。向こうのフェルナー准将という人物が私との会談を求めている」
ヤンの言葉に皆が顔を見合わせた。

「提督との会談ですか、一体何の話か、ニルソン中佐は訊いていないのですか」
「確認したが、フェルナー准将は極秘だと言って答えなかったそうだ」
ムライ参謀長とヤンが話している。参謀長は不満そうな表情だ。当然だろう、用件も分らずに会わせる事は危険だ。

「そのフェルナー准将という人物は何者です?」
「詳しい事は分からない、しかし彼を此処へ寄越したのはヴァレンシュタイン司令長官らしい」
ヴァレンシュタイン……。その名前に皆が不安そうな表情を見せた。厄介な相手だ、同盟軍にとって最大の脅威と言われる相手がヤンに話を持ってきた。

「危険では有りませんか? そのフェルナー准将という人物が暗殺者だという事もありえる。第一、同盟がイゼルローン要塞を攻略したのは敵の司令官を捕虜にし司令部を抑えた事が原因です。今度はあちらさんが同じことを考えても可笑しくは無い」

アッテンボローの言葉にシェーンコップ准将がニヤリと笑った。それをムライ参謀長が不機嫌そうな表情で睨む。また始まった、いつもの事だ。
「まあ大丈夫だろう。今の帝国は国内の体制を整える事を優先させているようだ。少なくとも捕虜交換を実施するまでは攻勢をかけてくる事は無いと私は考えている」

ヤンの言葉に皆が頷いた。ムライ参謀長も反論はしない。ヤンの判断が下されるまでは色々と意見を言うが下された後は従う。これもいつもの事だ。

「アッテンボロー少将、彼らを迎えにいってくれ。三百隻ものお客さんだ、ユリシーズ一隻ではニルソン中佐も不安だろう」
「はっ」




五時間後、イゼルローン要塞の外には帝国軍の三百隻、それを監視するアッテンボロー率いる二千二百隻がいた。司令室のスクリーンには帝国軍三百隻の中から一隻の連絡艇がイゼルローン要塞に向かって進むのが見える。もし帝国軍がこちらを騙したときはあの三百隻は一隻残らずアッテンボローに殲滅されるだろう。

「帝国軍の艦艇は全て新造艦です」
オペレータが驚いたような声を出した。確かに妙だ、わざわざ新造艦をこちらに見せるのは何故だ。思わずヤンを見た。俺だけじゃない、皆がヤンを見ている。
「よっぽど大事な使者らしいね」
なるほど、そういうことか。


連絡艇が入港し、一人の帝国軍人が司令室に現れた。どうやらこの男がフェルナー准将らしい。シャープな印象を与えるが何処となく油断できない不敵さが漂う。どこかシェーンコップ准将に似ているだろう。

「アントン・フェルナー准将です」
「ヤン・ウェンリーです。私に話があるとのことだが」
「ヴァレンシュタイン司令長官から直接ヤン提督に話すようにと言われています。これは提督への親書です」
そう言うとフェルナー准将は懐から封筒を出した。グリーンヒル大尉が受け取りヤンに渡す。ヤンが読み始めるのを見ながらキャゼルヌ先輩が口を開いた。

「話は此処ですれば良いだろう、我々も聞かせてもらう」
「残念ですがそれは出来ません。ヴァレンシュタイン司令長官からはヤン提督だけに話すようにといわれている」

「しかし」
「キャゼルヌ少将、フェルナー准将の話は私だけが聞く。准将、付いて来てくれ、私の部屋で話そう」
そう言うとヤンは司令室を出た。表情が厳しい、どうやら親書には重要な事が書かれていたようだ。ヤンの後をフェルナー准将がシェーンコップ准将が追う。シェーンコップ准将は護衛のつもりだろう。

二時間後、フェルナー准将はイゼルローン要塞を去った。何事も無く終わった事にほっとしたが、准将を見送るヤンの表情は厳しかった。シェーンコップ准将に尋ねたが、彼も会談には参加できなかったらしい。司令官室の外で控えていたそうだ。一体帝国からの話とは何だったのか? 皆がヤンに物問いたげな視線を向けたがヤンは答えなかった。



宇宙暦 797年 10月 6日    ハイネセン 統合作戦本部 ジョアン・レベロ


統合作戦本部の応接室に呼ばれた。しかも夜の十時に極秘に集まれとのことだった。トリューニヒトからの要請だったがそれ以外は何も分からない。応接室には既にトリューニヒト、ホアン、ネグロポンティ、ボロディン、ビュコック、グリーンヒルの六名が、私を入れて七名が集まっている。

「ボロディン本部長、そろそろ始めよう。私達をこの時間に呼び出したのは何故かね」
トリューニヒトがボロディンに話しかけた。どうやら今回の集合は軍の要請だったらしい。

「以前、フェザーンには裏の支配者がいるのではないかと話した事が有ります」
「うむ、分ったのかね。それが」
「分ったというか、何というか……」

ボロディン本部長の歯切れは悪い。かなり困惑している。会議を招集したのは彼のはずだ、それなのにこれはどういうことだ。彼だけではない、ビュコックもグリーンヒルも困惑したような表情をしている。どういうことだ? トリューニヒトも不審そうに彼らを見ている。

「我々がフェザーンに不審を持ったように帝国でもフェザーンに不審を持った人物がいます」
「……」
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥。彼は密かに使者をイゼルローンに派遣しました。そしてフェザーンの裏の支配者についての自分の推論をヤン提督に知らせたのです」

「では今回の会議の招集は君ではなくヤン提督の依頼かね」
「正確にはヴァレンシュタイン元帥の依頼です、議長。彼はヤン提督に政府、軍上層部に知らせて欲しいと頼んだそうです」

妙な話だ、帝国が同盟にフェザーンの裏の支配者について知らせてきた。普通に考えれば謀略だろう、そうでないならかなりフェザーンの裏の支配者について危機感を持っているということか……。

「それで、ヴァレンシュタイン元帥はなんと言っているのだね」
「それが……」
ボロディンが一瞬言葉に詰まったが、意を決したように口を開いた。
「フェザーンの裏の支配者は地球だと言っています」

トリューニヒト、ホアン、ネグロポンティ、皆がポカンとした表情をしている。おそらく私もそうだろう。地球? それがフェザーンの裏の支配者? 一体何の冗談だ?

 

 

第二百二十七話 亡霊

宇宙暦 797年 10月 6日    ハイネセン 統合作戦本部 ジョアン・レベロ


「ボロディン君、君は今地球と言ったのかね」
「そうです、議長」
トリューニヒトが困惑した表情で私を見た。気持は分かる、私も困惑を禁じえない。地球が人類発祥の星だとは知っている。しかし現在では衰退著しい過去の星のはずだ。それがフェザーンの裏の支配者? 冗談にしか思えない。

しかし話を持ってきたのがヴァレンシュタイン元帥だ、そしてヤン提督はその話に一理有ると考えたから軍の上層部に話を繋いだのだろう。確かにフェザーンを創設したレオポルド・ラープは地球出身だった、それが根拠なのか?

ボロディン、ビュコック、グリーンヒル、いずれも凡庸ではない。彼らが我々政治家に話すと言う事はそれなりに信憑性が有るということだろう、ラープが地球出身者だという事だけではない、我々の知らない何かが地球に有るということになる……。

「ボロディン本部長、君は地球がフェザーンの裏の支配者だという考えをどう思うのかね、君自身は信じているのかな?」
ホアンの問いかけにボロディンは一瞬躊躇いを見せた。

「正直に言いますと半信半疑なところは有ります。しかし現時点では一番可能性が高いと考えています」
ボロディンの言葉にビュコックとグリーンヒルが頷くのが見えた。それなりに根拠が有るということだろう。

「本部長、帝国の謀略と言う事は無いかね」
「謀略といっても何を狙っての謀略です?」
「それは分らんが、ヴァレンシュタイン元帥は帝国きっての謀略家だ。何か狙いが有るのかもしれん」
ネグロポンティが謀略ではないかと心配している。確かにその可能性は否定できないが先ずは話を聞くべきだろう。

「謀略かどうかは話を聞いてから判断しても遅くは無いだろう。そうじゃないかな、トリューニヒト」
「レベロの言う通りだな。ボロディン君、ヴァレンシュタイン元帥の推論を私達に教えてくれないか」
「私よりもグリーンヒル総参謀長の方が適任です。総参謀長、頼む」

グリーンヒル総参謀長はボロディンの言葉に軽く頷くと話し始めた。
「ヴァレンシュタイン元帥は地球は以前より復権を望んでいたのではないかと考えています。しかし銀河連邦、銀河帝国ともに地球に対して関心は持たなかった。地球は忘れられた星でしかなかったのです。当然ですが彼らはその事を恨んだでしょう」

恨みか……。分らないでもないが、それとフェザーンがどう絡む。
「そんな地球にとって一つの転機が訪れます。宇宙暦六百四十年に起きたダゴン星域の会戦です。それまで人類社会は帝国の下に一つだと思われていました。しかし自由惑星同盟が存在する事が分かり、人類社会は二つに分かれている事が分かったのです。地球は同盟を利用して地球の復権を図ろうとした」
有り得ない話ではない、それは分かるが……。

「ダゴン星域の会戦後、同盟は国力の上昇に努めました。一方帝国は深刻な混乱期を迎えます」
「混乱期と言うのは暗赤色の六年間だね」
暗赤色の六年間、陰謀、暗殺、疑獄事件、帝国は崩壊しかかっていたと言われている。あの時帝国が崩壊していれば宇宙は同盟によって再統一されたかもしれない。

「その通りです、議長。その後マクシミリアン・ヨーゼフ帝によって帝国は立て直されますが、彼は外征を行ないませんでした。帝国が外征を行なうのは次のコルネリアス一世になってからです。おそらく地球はこの時期に同盟と独自に接触しようと航路を探索したと言うのがヴァレンシュタイン元帥の考えです」

「航路を探索した、そしてフェザーン回廊を見つけた、そういうことか」
私の問いかけにグリーンヒル総参謀長は頷いた。
「そうです。そして彼らは考えた。フェザーンに中立の通商国家を造り富を集める。その一方で同盟と帝国を相争わせ共倒れさせる。その後はフェザーンの富を利用して地球の復権を遂げると」

話としては面白い、筋も悪くは無いだろう。だが現実にそんな事が有り得るのか? トリューニヒトの顔を見たが彼も今ひとつ要領を得ない表情をしている。

「どうもピンと来ないな。フェザーンは拝金主義者の集まりだろう、裏の顔が有るにしても地球の復権を企む者たちの手で造られたなど到底信じられん。君達はそれを信じるのかね」
ネグロポンティが首を振って疑問を口にした。

「フェザーンは通商国家としてはいささか不自然なところがあります」
グリーンヒル総参謀長の言葉に皆が視線を彼に向けた。
「それもヴァレンシュタイン元帥の考えかね?」
「そうです」
ネグロポンティの言葉は皮肉だろうか? しかしグリーンヒル総参謀長は表面上は気にした様子を見せなかった。

「フェザーンは何故同盟と帝国の関係を改善しようとしないのでしょう?」
「?」
「通商国家にとっては戦争より平和のほうが経済活動に適しているはずです。それなのにフェザーンは同盟と帝国の間を裂くようなことばかりしてきた」
確かにそうだ、不思議と言えば不思議だ。しかし……。

「帝国は同盟を認めていない。この状況では関係の改善など無理だ、そう考えたのではないか?」
「そうは思いません。帝国が同盟を認めないからこそ、その中間で介在する国家は必要とされます」
グリーンヒル総参謀長が私の答えに反論した。

「例えば今回の捕虜交換です。本当ならあれはフェザーンが行なうべきものでした。捕虜交換に限らずフェザーンが帝国と同盟の間で両国の為に働けばフェザーンは同盟、帝国の両国から必要とされる、そうでは有りませんか?」
「……」

「両国から必要とされるという事はそれだけ発言力が増すと言う事です。フェザーンが望めば和平を作り出すことも出来たかもしれません。恒久的なものにはならなかったでしょうが五年や十年の平和は作り出せた可能性はある。そうなれば拝金主義者と蔑まれる事も無かったでしょう。フェザーンの地位も今より遥かに安定したはずです」
「……」

皆言葉が無い。確かにその通りだ、和平は可能だったかもしれない。平和と戦争が交互に続く世界か……。そうなれば今のように反帝国感情も強いものではなかったかもしれない。そしてフェザーンは中立国として確固たる地位を築いただろう。

「それに戦争が続けば経済活動は低下します。何より戦争によって人が死ねばそれだけ市場が小さくなる。かつて銀河には三千億の人間がいましたが今では四百億しかいません。戦争が続けば続くほどフェザーンにとっては厳しい未来が待っています。フェザーンは何故それを放置するのか?」

確かにそうだ、何故フェザーンはそれを放置する? 財政委員長だから分かっている。人が減れば税収が減る、税が取れる人間が減るのだ。それはフェザーンも同じだろう。人が減れば市場が小さくなる、何故放置する?

「……なるほど、確かにグリーンヒル総参謀長の言う通りだ。フェザーンは通商国家としては不自然なところがある……。その原因が地球と言う事か……。話を戻そう、ヴァレンシュタイン元帥はフェザーンと地球の関係をどう見ているのかね」

トリューニヒトの言葉にグリーンヒル総参謀長は頷いた。
「マクシミリアン・ヨーゼフ帝の後、コルネリアス一世が帝位に就きます。そして大親征が起きますが、この戦いで同盟軍は二度に亘って大敗北を喫しました。オーディンで宮中クーデターが発生しなければ宇宙はコルネリアス一世によって統一されていたでしょう」

「まさか、その宮中クーデターも地球の仕業だと言うのではないだろうね?」
「分かりません。ヴァレンシュタイン元帥は其処までは言ってなかったようです。しかし可能性としては有ると思います。余りにも同盟に都合の良すぎるクーデターです。偶然とは思えません」

トリューニヒトの質問は冗談だったのかもしれない。しかしグリーンヒル総参謀長は生真面目に答えた。そしてその話を笑って聞くことの出来ない私達がいる。話が進むにつれて自分の顔が強張っていくのが分かる。

「大敗北を喫した同盟は恐慌に駆られました。あの当時の事は良くTVで放送されますが、軍の再建が思うように進まず苦労した事がわかっています。そんな時に地球はレオポルド・ラープを使って同盟政府と秘密裏に接触したのだとヴァレンシュタイン元帥は考えています。イゼルローン回廊以外にも使える回廊が有ると言って……」
「……」

「もし帝国が両回廊から攻め寄せてきたらどうなるか? 当時の同盟政府にとっては悪夢だったはずです。頭を抱える同盟の為政者に対してラープは中立国家フェザーンを創る事を提案したのでしょう。当時の同盟の為政者はそれに乗りました。中立国家フェザーンを創ることで帝国の侵攻路をイゼルローン一本に絞る……」
「馬鹿な、そんな話は聞いた事が無い。有り得ない話だ」

ホアンが吐き捨てるような口調で否定した。同感だ、私もそんな話は聞いた事が無い。しかしグリーンヒル総参謀長は躊躇う事無く話し続けた。
「同盟はラープに協力しました。地球は人口も少なく、資源も無く、汚染された大地しかありません。フェザーンを創る財力、それを帝国に認めさせるだけの賄賂、それらは同盟で用意されたのでしょう」

「どうやって用意したのだね」
問いかけた私の声は掠れていた。聞きたくないと思う気持と聞きたいという気持が自分の心の中で鬩ぎあっている。聞けば後悔するだろう、しかし聞かなければもっと後悔するかもしれない。

「ラープは同盟政府の非公式な援助の下、資金を調達したのだと思います。交易、相場、政府の援助があれば大金を儲けるのは難しくありません。ラープは同盟で得た資金を貴金属、宝石類に代えて帝国に持ち帰りました。そして帝国マルクに変え、フェザーン設立のために使用した……」
「……馬鹿なそんな話は聞いた事が無い、もう一度言うがそんな事は有り得ない」

「ホアン委員長、同盟政府がフェザーン成立に関わった事は一切が伏せられたのです。もしこの事実が帝国に知られればフェザーンはあっという間に帝国によって滅ぼされました。そしてフェザーン回廊から帝国軍が押し寄せてきたはずです」
「……」

「フェザーンは成立以後、弱体な同盟に対し協力をし続けました。当時の同盟政府の為政者にとってはそれで十分だった。そしてフェザーン、地球にとっても帝国、同盟の両者を共倒れさせるためにはそれが必要だった……。ヴァレンシュタイン元帥はそう考えています」

グリーンヒル総参謀長の話が終わってもしばらくは誰も口を開かなかった。ややあってトリューニヒトが話し始めた。
「ヴァレンシュタイン元帥の推論か……。論理としては成り立つのかもしれんが証拠は何処にも無いのだろう」
ホアン、ネグロポンティが頷く、私も同感だ。証拠は何処にも無い。

「内乱の最中にヴァレンシュタイン元帥の暗殺未遂事件がありましたが、その実行犯の一人に地球教徒がいたそうです」
「!」
グリーンヒル総参謀長の言葉に応接室の空気が緊張した。

「しかし一人だろう。偶然と言う事も考えられる」
私はトリューニヒト達の顔を見ながら話した。彼らも私に同調するかのように頷いている。多分、フェザーンの成立に同盟が関与したなど認めたくないのだろう。だがグリーンヒル総参謀長の言葉が私達の思いを粉砕した。

「内乱終結後に起きた暗殺未遂事件でも地球教徒が関与していたそうです。偶然で片付ける事は出来ないでしょう」
「!」

また沈黙が落ちた。地球教=地球と考えれば地球はヴァレンシュタイン元帥を邪魔だと思っている事になる。何故邪魔だと思っているのか? 帝国を混乱させたいと思ったからだろう。つまり帝国の力を弱め帝国と同盟の共倒れを狙っている……。ヴァレンシュタイン元帥の推論は正しいと言う事になる。

「帝国では地球、地球教を弾圧しているのかな、帝国の重臣を暗殺しようとしたのだ、何らかの動きがあっても可笑しくは無いが?」
「有りません。帝国は弾圧を下策だと考えています」

下策? どういうことだ? 帝国なら地球教の弾圧など訳も無いことだろう。
「自由惑星同盟は信教の自由を認めています。帝国が地球教を弾圧すれば、それをきっかけに反帝国感情が高まるだろうとヴァレンシュタイン元帥は見ているのです」

「……信教の自由か」
呟くようなホアンの声だった。思いがけない視点だったのだろう。確かにそれが原因で反帝国感情が高まれば捕虜交換も危うくなる。しかも帝国側に非が有るという事になるだろう。

「亡命者からの情報で帝国は同盟との共存を考えていない事が判明しています。同盟が帝国を受け入れ易いように国内を改革している。信教の自由がきっかけで反帝国感情が高まるのは避けたいのでしょう」
「……」
こちらの事を良く知っている。手強い相手だ、思わず溜息が出た。

「帝国は同盟が地球教に対してどう対処するかを知りたがっています。捕虜交換の調印式にはヴァレンシュタイン元帥が自ら臨むそうです。その時に答えを聞かせて欲しいと」

ボロディン本部長の言葉に応接室で視線が飛び交った。
「つまりそれは同盟と帝国が協力して地球教に対処したい、そういうことかな?」
「そういうことだと思います、議長」

その言葉にまた応接室で視線が飛び交った。
「厄介な事だな、帝国は地球教の弾圧を同盟と一緒にやりたいと言うことなのだろうが……」
「信教の自由か……」

トリューニヒトとホアンが歯切れ悪く顔を見合わせている。二人が何を心配しているか分かる。一つ間違うとトリューニヒト政権は帝国と組んで地球教を弾圧していると非難を受けるだろう。非難だけならともかく主戦派を勢いづかせかねない。

「とりあえずは地球教のことを調べる必要があるな。何処までヴァレンシュタイン元帥の推論が正しいのか」
「そちらは軍のほうで行ないましょう」
トリューニヒトの要求にボロディンが答えた。

「それと同盟政府がかつてフェザーンの成立に関与したのかどうか、こいつはレベロ、君が調べてくれ」
「分かった。しかし古い話だからな、何処まで分かるか……。あまり期待はしないでくれよ」
私の言葉にトリューニヒトは頷いた。

「ヴァレンシュタイン元帥の推論が誤っているのなら断われば良い。問題は正しかった場合だな、その場合どうするか……。帝国に協力するか、断わるか……。そのあたりも考える必要が有るだろう。一週間後、もう一度集まろう、それまでに各自考えをまとめておいてくれ」
皆が頷き、会議は終了となった。

帰ろうとすると、トリューニヒトが私を呼び止めた。
「レベロ、少し話したい事がある、残ってくれ」
「ああ」

誰も居なくなった応接室でトリューニヒトが渋い表情をしている。
「レベロ、君は憂国騎士団を知っているな」
「知っている」

憂国騎士団、過激な国家主義者の集団だ。主戦派の塊と言って良い。当然だが主戦論を吐いていたトリューニヒトとは親しい関係に有った。
「連中とは未だ付き合いが有るのか?」
「いや、今は無い。彼らにとって私は腰抜けで裏切り者さ」
トリューニヒトが自嘲交じりに言葉を出した。

「それで連中がどうかしたか?」
「連中の中に地球教徒がいた」
「!」
「一人や二人じゃない。かなりの数だ」

「どういうことだ、それは。地球教徒が主戦論を煽っているということか」
思わず小声になった。
「地球は我が故郷、地球を我が手に、それが連中のスローガンだった。分かるだろう? 地球は帝国内に有る。主戦論者とは話が合うのさ」
地球は同盟と帝国の共倒れを狙っている。ヴァレンシュタイン元帥の推論が耳に蘇った。

「……トリューニヒト、連中とは今は付き合いはないんだな」
「無い。信じてくれ」
「分かった、信じる。連中とは二度と会うな、危険だ」
私の言葉にトリューニヒトは頷いた。

「危ないところだった。もう少し政権を取るのが遅かったら連中に取り込まれていたかもしれん……」
トリューニヒトが呟く。声には怯えのような響きがあった。取り込まれる、ありえない話ではないだろう。トリューニヒトがいずれは政権を取ると見た人間は多かったはずだ。地球から見て主戦論を唱えるトリューニヒトは操り易い存在に思えただろう。

どうやら地球教を単なる宗教と見るのは誤りのようだ。例の推論はかなり確度が高いと見て良い。トリューニヒトの話を聞くまでは何処かで胡散臭く感じていたが、認識を改めるべきだろう……。


 

 

第二百二十八話 光明

帝国暦 488年 10月 10日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「最近の景気はどうです? ボルテック弁務官」
「まあ以前に比べればかなり良くなりましたな。これからが楽しみです」
「それは良かった、弁務官には感謝していますよ。内乱終結後、フェザーン商人が積極的に帝国内で活動してくれました。弁務官のおかげです」

俺の言葉にボルテックは照れ臭そうに笑みを浮かべた。嘘を言っているわけではないし、煽てているわけでもない。俺の言った事は全て事実だ。ボルテックは内乱終結後、積極的に帝国の経済立て直しに協力してくれた。帝国の経済が徐々に上向きつつあるのも彼がフェザーン商人に声をかけ、帝国内での活動を行なうように説得してくれたおかげだ。

「感謝するのはこちらのほうです。私が帝国で高等弁務官としていられるのも帝国のおかげです」
「なるほど、ではお互い様ですね」
「そうなりますな」

応接室に俺とボルテックの笑い声が響いた。此処最近ボルテックと俺の関係は友好的と言って良い。内乱終結後の協力もそうだがキュンメル事件、婚約、結婚と色々とあったがその度に心配したり祝ってくれたりした。

今、フェザーンではマルティン・ペイワードが自治領主となっている。フェザーン人にとってはペイワードなどよりボルテックの方が遥かに知名度が高いし、信頼度も高いだろう。ペイワードにとってボルテックは脅威でしかない。チャンスがあればボルテックを排除したいのだろうが、ボルテックの後ろには帝国が居る。妙な真似は出来ない。

ボルテックもそのあたりは分かっている。彼が内乱終結後の帝国に協力的なのはその所為だ。少しでも帝国との距離を近づけたいと考えているのだろう。それともう一つ、彼自身フェザーンの独立を維持するのは難しいと考えているのではないかと俺は思っている。

現状を見ればフェザーンは同盟の占領下にある。この後は帝国がフェザーンに攻め込むのではないかというのは誰でも考えることだ。フェザーンの中立などというのは消滅した。ボルテックがこれから先は帝国と共に未来を歩もうと考えたとしても可笑しくない。

悪い兆候じゃない、彼には新帝国で活躍して欲しいと考えている。この関係を大事にしていくべきだろう。
「ところで司令長官、先日の紛争ですが妙な事が分かりました」
「妙な事?」

ボルテックが頷いた。声には笑いの成分が混じっている。妙な事? 一体なんだ?
「アラルコン少将が帝国よりの宙域で訓練をしていた事ですが、彼の独断ではないそうです」
「……」

独断ではない? だとすると第三艦隊に協力者が居たと言う事か? 黙って彼を見詰めるとボルテックは頷いた。表情は生真面目なものになっている。

「訓練予定地は同盟軍が選び、希望地として自治領主府に伝えます。自治領主府はそれを検討し認めるか、或いは代替地を用意するのです。そして同盟軍に伝える。同時にフェザーン商人にそれを伝え、その宙域に近付かないように警告します」

民間船の通航を優先するのだろう。おかしな話じゃない。フェザーン回廊は民間船の通航が多いし、フェザーンは交易で成り立っているのだ。軍の訓練など邪魔なだけだろう。
「それで?」

「今回同盟が希望した訓練予定地はフェザーン回廊の同盟側でした」
フェザーン回廊の同盟側……、しかし訓練は帝国側で行なわれた。
「フェザーンが帝国側で行なうように仕向けた、そういうことですか……」
だとするとフェザーンと同盟の関係は悪化しているという事か……。

「それが違うのですよ」
「違う?」
俺は間の抜けた声を出したのだろう、ボルテックは可笑しそうな顔をしている。

「妙なことなのですが同盟からフェザーンに提示された訓練地は帝国よりの宙域だったそうです」
「……」
どういうことだ? フェザーンじゃない? 同盟軍の中ですり替えが起きた? 俺が混乱していると思ったのだろう。ボルテックの表情は可笑しそうなままだ。

「帝国よりの宙域で訓練が行われる事にフェザーンはおかしいとは思わなかったのでしょうか?」
「それは思ったでしょう。しかしフェザーンは訓練地の検討を行ないますが形だけのものです。訓練地に変更が入る事などありません。そんな事をすれば軍はオリベイラ弁務官を通して同盟の力で領主になれたのを忘れたのかとペイワードに言うでしょうな」

フェザーンが訓練地を変更する事は無い、それを利用した人間が居る、そういう事か……。
「それで、誰が訓練地をすり替えたのです?」
「それが分からないそうです。同盟はフェザーンがすり替えたと言い、フェザーンは同盟軍の内部ですり替えが起きたと言っています」

分からない? それも妙な話だ、単純に責任を擦り付け合っているなら良い。だがそうじゃないとすると少々厄介な事になる。ボルテックももう笑っていない。彼も不可思議な話だと思っているのだろう。

「すり替えは本当に同盟軍の内部で行なわれたのでしょうか?」
「……私に伝えた人間はそう言っていました。しかし本当のところはどうなのか、疑問はあります」

ボルテックも疑問を持っている。巧妙だな、フェザーンと同盟の間で不信感を煽るか……。フェザーンを信用できないとなれば直接支配という考えが出てくるだろうな。特に帝国との関係が悪化すればするほどその考えは勢いを持つ。

フェザーンの直接支配という観点から見れば同盟軍主戦派の犯行という可能性が高そうだが、帝国と同盟を争わせると言う観点から見れば他にもやりそうな連中は居る。分かっているのはアラルコン少将が嵌められたという事だけだ。本人は何も知らずに利用された……。単純なのは必ずしも悪い事じゃないがフェザーンのような場所では悪でしかない……。

「同盟の第三艦隊もフェザーンも、その件は同盟本国には伝えていないようです」
「伝えていない?」
「真相が明らかになるまでは調査中、そういう事のようですね。このままで行くとアラルコン少将一人が責任をとる事になりそうです」

ボルテックが苦笑交じりに事件の行く末を占った。さて、どうなるかだな……。同盟本国の眼を欺き続ける事ができるのか否か。欺かれるようだと同盟は危ういだろう。昭和の日本軍と政府のようになりかねない。帝国にとっては望むところだが……。

まあ、それはさておき一つ気をつけなければならない事がある。ボルテックにはフェザーンに情報源が有るということだ。それも自治領主府内部に情報源はある。ペイワードに不満を持つ人間が接触を図っているのだろう。こちらに情報を渡すだけなら良いが、彼自身がフェザーンの混乱を利用しようとするなら危険だ。キスリングに、レムシャイド伯にも伝える必要が有るだろう。

「ケッセルリンク補佐官はどうしています?」
「真面目に仕事をしております」
“真面目に”と言う言葉がおかしかったのだろう、ボルテックが軽く笑った。俺も笑った。

「妙な動きは有りませんか?」
「有りませんな。用心しているのかもしれませんが、このオーディンでは彼は孤立しています。動かないのではなく動けないのかもしれません」
多分そうだろう、そうであれば問題は無い。彼を利用しようとする人間も少なくなるし、危険性も減る。

そろそろボルテック、ケッセルリンクにも協力してもらうべきだろう。ボルテックには同盟領遠征後には同盟との間で通商を取り扱って欲しいと頼んだ。今の様子なら断わらないだろう。他の省とのかかわりもある、話し合ってもらう時期が来ている。それとフェザーン占領後、帝都遷都までの統治についても彼らの協力が要る。リヒテンラーデ侯には一度話して了承を得ているがあれは内乱前だ。もう一度話しておくべきだろう。

ボルテックが捕虜交換について訊いてきたのは弁務官府に戻ると言って席を立った直後だった。
「捕虜交換は何時頃行なわれますか?」
「年明け早々には行なわれるでしょう」
俺が答えるとボルテックは嬉しそうに笑った。

「捕虜が交換されれば、人々の心も明るくなります。消費も増えるでしょうし経済効果も期待できるでしょう。来年は良い年になりそうです」
「そうですね。今の帝国にとっては追い風になるでしょう」
俺とボルテックは笑いながら別れの挨拶を交わした。

先月の下旬、軍務省では捕虜交換についてタスクチームが作られた。彼らが今捕虜交換をどのように進めるかを検討している。今月中にはまとまるだろう。後は同盟側と詰めるだけだ。

おそらくイゼルローン要塞で調整する事になるだろう。今その件でレムシャイド伯が同盟側に問い合わせをしている。感触は悪くないらしい、となれば来月早々にもイゼルローン要塞に彼らを送る必要がある。

送っていく以上警護が必要だが、これが問題になっている。俺は当初五百隻程の小規模の艦隊でいいと思っていた。ところが宇宙艦隊の司令官達から異論が出ている。警護は宇宙艦隊の正規艦隊が行うべきだと言うのだ。

理由としては俺が行くまでのイゼルローン方面での警護、そして帰り道の警護をすると言うのだ。俺も自分の艦隊を率いて行く、警護など大袈裟にする必要は無い、そう言ったのだが皆承知しない。

軍務省では艦隊司令官達の意見を歓迎している。彼らの考えでは向こうとの交渉が行き詰ったとき、難しい判断が必要とされるときは艦隊司令官に判断を頼むというのだ。何の事は無い、責任の押し付けだ。捕虜交換は失敗できない、後々文句を言われたくない、そういうことだろう。

俺はそのあたりをそれとなく艦隊司令官達に伝えた。貧乏くじを引く事になると言ったのだがそれでも皆行くという。どうやら警護は建前で本音はヤン・ウェンリーに会いたいらしい。ヤンにはティアマト、イゼルローン、シャンタウでしてやられている。どんな人物か興味があるのだろう。

気持は分からないでもない、俺自身ヤンに会うのが楽しみなのだ。しかし連中は国内警備の任務から帰って来たばかりだ。少しは休めよ、部下だって家族団欒が恋しいだろうとは思わないのかね。

誰に頼むかだな……。穏やかで人あたりが良く調整能力のある人間が良い。となるとメックリンガー、クレメンツ、ケスラー、ルッツ、ワーレン、ミュラー……、そんなところか……。年長で落ち着いた人間が良いな、となるとメックリンガー、クレメンツ、ケスラーだ。

メックリンガーにするか……。当然だが同盟ではメックリンガーの事は調べるだろう。メックリンガーが芸術家と分かれば、同盟軍は好感を持ってくれるかもしれない。それにメックリンガーはティアマトでは総司令官代理として直接ヤンと戦っている。ヤンの性格からして悪い感情は持たないだろう。後で皆を呼んでメックリンガーに決めたと伝えるか……。


宇宙暦 797年 10月 25日    ハイネセン 最高評議会ビル   ジョアン・レベロ


通信スクリーンにトリューニヒトの顔が映っている。表情は明るいとはいえない。無理も無い、地球教の事はまだ調査が始まったばかりで何も分からない。である以上地球教にどう対処するかも決められないのだ。どの程度連中は危険なのか……。信教の自由を同盟が保障している以上、簡単には決められない……。

おまけにもう一つとんでもない事が分かった。例の紛争事件だが訓練地を帝国側の宙域に選んだのが第三艦隊だという疑いが出た。アラルコン少将個人の独断ではないと言う事だ。第三艦隊ではフェザーンが摩り替えたと言っているがフェザーンは否定している。

ボロディン本部長はこの一件に激怒している。真相が不明な事もあるが、第三艦隊が報告を遅らせた事を重視したのだ。揉み消そうとしたのではないか、そう疑っている。ボロディン本部長はオリベイラ弁務官にも不満を持っているようだ。知っているのに何故政府に報告しなかったのか、第三艦隊と協力して真相を揉み消そうとしたのではないか……。

第三艦隊はハイネセンに戻す事になった。代わりにフェザーンに駐留するのはアル・サレム中将率いる第九艦隊だ。ボロディン本部長は捕虜交換が終了した後は、ルフェーブル中将を更迭するつもりのようだ。

ボロディン本部長は後任には戻ってきたクブルスリー中将、ホーウッド中将、アップルトン中将の誰かを当てようと考えている。本部長はクブルスリー中将を買っているようだ。本来なら自分に代わって統合作戦本部長になるべき人材だと言っていた。いずれ人事案が統合作戦本部から国防委員会に提出されるだろう。国防委員会も拒否は出来ない、トリューニヒトもボロディンを支持しているのだ。


『レベロ、何か分かったか』
「財政委員会にはそれらしい資料は無かった。まあもう少し探してみるが、なんと言っても百年以上も前の事だ。おまけにヴァレンシュタイン元帥の推論が正しければ全てが闇に葬られている。難しいだろうな」

私の言葉にトリューニヒトが顔を顰めた。
『有るとすれば財政委員会だと思ったのだがな、やはり無いか』
そうがっかりするな、トリューニヒト。

「文書の類は無いかもしれん。むしろ人で追うべきではないかな」
『人?』
訝しげに問いかけるトリューニヒトに私は頷いた。

「トリューニヒト、レオポルド・ラープ達はどうやって同盟で資金を得たのかな? 彼らは同盟人ではない、大きな取引をするとなれば当然だが相手は身元を確認するだろう。となればラープ達には大きな取引は難しかったはずだ」
『……取引は同盟人が行ったと言う事か……』
トリューニヒトが確かめるように私の顔を見た。

「おそらく。身元証明をする個人IDを偽造するという手もある。まあ政府が行なうとすれば偽造とはいえないが架空の人物を創る事になるだろう。しかし大きな取引を行なえば当然注目を集める、ラープ達はそれを望まなかったはずだ」
『なるほど、道理だ。それで人で追うというのは?』
少しは元気が出たか……。

「当時の政府は取引する人間も紹介したはずだ。その取引をした人間を特定する。そしてその人物を調べる。そこから何か見えてくるかもしれん」
『……特定か、できるかな』

「分からない、しかし他には思いつかないんだ。取引をしたのは一人ではないだろう。大きな取引が出来、政府要人とも親しかった人間……。おそらくは財界の実力者、或いは実力者になろうとしていた人間だ。当時の著名な財界人をピックアップしてそこから調べるしかない」

私の言葉にトリューニヒトは難しい顔をして考え込んでいる。気に入らないのか? しかし他に手が無いんだが……。
『レベロ、その人間だが地球との関係は切れたのかな』
「?」
『本人が生きている間は続いただろう。問題は死んだ後だ。彼の子孫が地球との繋がりを維持していると言う可能性は無いか?』
「!」

なるほど、そういう見方が有ったか……。子供たちが関係を切りたがっても地球が、いやこの場合はフェザーンか、フェザーンが関係の継続を求めた可能性はある。子供が財界人ならフェザーンとの関係継続はむしろ望むところだっただろう。

「有り得るだろうな。トリューニヒト、その場合繋がっているのは取引をした人間だけかな、政治家も有り得るとは思わないか?」
『それも有り得る話だとおもう』

トリューニヒトの顔がますます渋いものになった。厄介な話だ、ヴァレンシュタイン元帥の推論が正しいのなら同盟にはフェザーンに繋がる人間が財界、政界にいるという事になる。当然だが彼らが気付かないうちに地球に利用される可能性も有るだろう。

「トリューニヒト、当時の政治家たちの子孫を調べたほうがいいな、そちらの方が早そうだ」
『そっちは私がやろう。君は財界のほうを調べてくれ、誰がラープのために動いたか、特定するんだ』
「分かった、そうしよう」

調べる方向性は見えてきた。協力者を特定できればそこから当時の真実が見えてくるかもしれない。ヴァレンシュタイン元帥の推論が正しいか、誤りかも見えてくるだろう。暗闇に一筋の光がさして来る様な気がした。




 

 

第二百二十九話 末裔

帝国暦 488年 10月 31日  オーディン  ゼーアドラー(海鷲)   ウルリッヒ・ケスラー


「いよいよ明日か、メックリンガー提督」
「うむ、待ち遠しいことだ」
私の言葉にメックリンガーは笑みを浮かべながら答えた。上機嫌だ、グラスを口に運んで一口飲む。笑みが消える事は無い。

「羨ましい事だ、俺も行きたかったのだがな」
「戦争では無いのだぞ、交渉の取りまとめもする事になるがそれでも卿は行きたいかな?」
「いや、それはちょっと」
ビッテンフェルトとメックリンガーの会話に皆が笑い声を上げた。ビッテンフェルトの隣に座っていたアイゼナッハがビッテンフェルトの肩を叩いた。その姿にまた笑い声が上がる。

捕虜交換の調印式は当初年明け早々の予定だったが、同盟からの依頼で年内に行われる事になった。今年最後の政府からのプレゼントにしたいらしい。まあそれは帝国も同じだ。両国の思惑が一致した事で調印式が年内に繰り上がった。

司令長官は十一月の中旬にはオーディンを発つ。メックリンガーは司令長官がイゼルローン要塞に着くまでの二週間程度の間に同盟と捕虜交換について調整しなければならない。責任は重大だが、本人はあまり気にしてはいない。司令長官からは捕虜交換を優先させる事、帝国の面子は二の次にするようにと言われたそうだ。

今夜はメックリンガーの出発を前に私、メックリンガー、クレメンツ、アイゼナッハ、ルッツ、ファーレンハイト、ワーレン、ビッテンフェルト、ミュラーの面子で飲んでいる。司令長官も後から来る。司令長官がゼーアドラー(海鷲)に来るのは久しぶりだ。新婚生活の様子も聞かなくてはなるまい、楽しくなりそうだ。

こうして大勢で飲むのも久しぶりだ。内乱から国内警備と作戦が続いて飲む暇が無かった。それでも内乱のときは緊張して不満は無かった。だが国内警備は退屈だった。海賊や貴族連合の残党を討伐したが、正規艦隊にとっては小競り合いにもならない。気を引き締め、任務に集中するのはなかなか至難の事だった。

警備任務で緊張したのはビッテンフェルトだけだろう。フェザーンでの紛争を聞いたときには驚いたが、司令長官が戦闘を許可した事にも驚いた。ビッテンフェルトはあの時ばかりは戦闘が怖かったと言っているがその気持は分かる。

ハルバーシュタットは戦闘の許可がでたときには聞き間違ったのだと思いオペレータに問い返したそうだ。自分が聞き間違っていないと分かっても信じられずもう一度ビッテンフェルトに“本当に戦って良いのですか、冗談ではないのですね”と問い返したと聞いている。

「ヤン・ウェンリーとはどういう人物かな? 写真を見る限りではとても軍人には見えんが」
「見かけで判断しないほうがいいぞ、ファーレンハイト。我等が元帥閣下も軍人には見えん」
ルッツの言葉にファーレンハイトは苦笑して頭を掻き皆は笑い声を上げた。

皆がヤン・ウェンリーと会いたがっている。第三次ティアマト会戦、第七次イゼルローン要塞攻防戦、シャンタウ星域の会戦、そのいずれの戦いでも抜群の働きを見せた。特に第三次ティアマト会戦、第七次イゼルローン要塞攻防戦では英雄と呼ばれている。

第七次イゼルローン要塞攻防戦後にヴァレンシュタイン司令長官は決して五分の兵力では戦うな、最低でも三倍の兵力はいる、と我々に注意した。司令長官が其処まで危険視するヤン・ウェンリーとはどのような人物か、皆興味津々なのだ。

「暇なときにシミュレーションを申し込んではどうだ? メックリンガー」
「まあ受けてはくれんだろう」
けしかけるようなクレメンツにメックリンガーが冷静に答えた。二人の会話に皆が頷いている。メックリンガーの言うとおり、難しいだろう。どちらが勝っても変なしこりが残りそうだ。本人達ではなく周囲が騒ぐだろう。

「まあ、シミュレーションは止めておくのだな。今回は捕虜交換に集中したほうが良い」
「ケスラー提督の言うとおりです。司令長官はシミュレーションが嫌いですからね。イゼルローンでヤン提督とシミュレーションをしていたなどと聞いたら気を悪くしますよ」

ミュラーの言葉に何人かが肩を竦めた。司令長官のシミュレーション嫌いは皆が知っている。“戦争の基本は戦略と補給”、それが司令長官の口癖だ。実際その通りなのだが司令長官くらい徹底している軍人はいない。だからこそ司令長官が務まるのだろう……。

「今度オーディンに戻ってくるのは三ヵ月後か……。帝国はまた変わっているだろうな、楽しみだ」
「卿、それが楽しみでイゼルローンに行くのではないだろうな?」

クレメンツの言葉に皆が笑い声を上げた。メックリンガーも笑っている。国内警備の任を終えオーディンに戻って一番最初に思った事がそれだ。帝国は変わった。これからも変わる、良い方向にだ。

誰よりも一般兵士達がそれを理解している。そしてそのために自分達は戦っているのだという気概を持っている。今回司令長官は自分たちが警護に就く事に当初良い顔をしなかった。兵士達を休ませてやりたいと思ったのだろう。だが警護に就きたがったのは兵士達の方なのだ。捕虜交換に役に立ちたい、司令長官と共に帝国を良い方向に変えたい、そう思っている。

そんな兵士達や我々にとってキュンメル男爵邸で起きた事件は恐怖以外の何物でもなかった。いくら婚約者を人質に取られたからといって、助かる成算が有ったからと言ってゼッフル粒子の充満した屋敷に出向くなど司令長官は一体何を考えているのか! おまけに自分が死んでも帝国には何の変化も無いなど、余りにも無自覚すぎる。

内乱の時もそうだった。自らを囮にする作戦を実行するなど無茶が多すぎる。反対したが他に手が無いと押し切られた。一体なんであんなに無自覚なのか、上に立つものとして無責任に過ぎよう。皆がその事では憤慨している。

リヒテンラーデ侯達も頭に来たのだろう、司令長官をフロイライン・ミュッケンベルガーと即結婚させた。これで少しは司令長官も自重と言う言葉を覚えるだろう。出来れば早く子供も生まれて欲しいものだ。人の親になれば少しは自分の命について責任を持ってくれるに違いない。

ゼーアドラー(海鷲)の入り口のほうでざわめきが起きた。どうやら司令長官が来たらしい。視線を向けると司令長官とリューネブルク大将の姿が見えた。司令長官がこちらを見ると笑みを浮かべて軽く右手を上げた。その姿に皆が笑みを浮かべ視線を交わした。今夜は楽しくなりそうだ……。



宇宙暦 797年 11月 6日    ハイネセン 統合作戦本部 ジョアン・レベロ


「それで、軍は何か分かったかね?」
「地球教ですが信徒が憂国騎士団にかなり浸透しているようです」
トリューニヒトの問いかけにボロディン本部長が言い辛そうに答えた。そんなボロディンの姿にトリューニヒトが苦笑を漏らす。

「私に対する遠慮は無用だ、彼らとは今では何の関係も無い。それで他には?」
「彼らは憂国騎士団の中でももっとも過激な主戦論を展開しています」
「煽っているということか……」
「そういうようにも見えます」

応接室の中で視線が交錯した。トリューニヒト、ホアン、ネグロポンティ、ボロディン、ビュコック、グリーンヒル、私、そして応接室のスクリーンにはヤン・ウェンリーが映っている。重苦しい沈黙が落ちた……。主戦論を煽っているだけ……。普段なら”馬鹿どもが”と眉を顰めて終わりだろう。しかし例の推論が正しければ同盟と帝国の共倒れを狙っての事という事になる、眉を顰めて済む問題ではない。

「他には何か分かったかね」
「今のところはまだ……」
ボロディン本部長の答えに彼方此方で溜息が漏れた。反国家活動をしているならともかく、主戦論を煽っただけでは取り締まりは出来ない、そう思ったのだろう。

「レベロ委員長、そちらは何か分かりましたか?」
「残念だが文書の類は残っていなかった」
ビュコック司令長官の問いに私が答えるとまた溜息が漏れた。

「そうがっかりするな、文書は残っていなかったが人は残っていた」
「?」
私の言葉に皆が、トリューニヒトを除いた皆が訝しげな顔をした。
『人は残っていたとはどういうことでしょう? 当時の関係者は生きていないはずですが……』
ヤン・ウェンリーが問いかけて来た。何人かが同意するかのように頷く。

納得のいかない表情をしている彼らにトリューニヒトが説明を始めた。取引は同盟人が行ったであろうこと、その人物、おそらくは財界人と思われるが彼らをラープ達に紹介したのは同盟の政治家であろうこと、そして彼らとフェザーンの関係は彼らの末裔に継がれている可能性が高いこと、財界人の末裔は私が、政治家の末裔はトリューニヒトが調べたこと……。

「なるほど、トリューニヒト議長の仰る通りです。それで見つかったのでしょうか?」
「ああ、見つかったよ。グリーンヒル総参謀長」
皆の視線がトリューニヒトに集中する。その視線を浴びながら不機嫌そうにトリューニヒトは言葉を続けた。

「彼は自分の先祖がレオポルド・ラープに協力してフェザーンの成立に関与したことを認めた」
彼方此方で溜息が漏れた。
『では、地球が関与していることも認めたのですか?』

「いや、それは知らなかった。彼が認識していたのは地球出身の商人、レオポルド・ラープと自分の先祖が協力してフェザーンを創ったということだけだ」
つまり、ヴァレンシュタイン元帥の推論のうち半分は正しいと証明された。だが肝心の地球との関与ははっきりとしない。フェザーンの背後に地球がいるのか、地球は同盟と帝国の共倒れを狙っているのかは分からない……。

「彼は自慢していたよ……、自分の先祖が同盟の危機を救ったとね。先祖はそうかもしれんが本人はフェザーンの操り人形だ。愚かな……」
トリューニヒトが嫌悪も露わに言い捨てた。その口調に皆不審そうな表情を浮かべた。

「トリューニヒト、それは誰だ?」
ホアンが問いかけて来た。トリューニヒトは答えない、顔を顰め沈黙している。
「トリューニヒト? レベロ、君は知っているのか?」
「知っている」
「誰だ?」

私はトリューニヒトを見た。トリューニヒトが仕方が無いといった表情をした。
「ロイヤル・サンフォード前評議会議長だ」
「!」

トリューニヒトの言葉に声にならない声が応接室に溢れた。視線が彼方此方に飛ぶ。
「本当なのですか?」
「本当だ、ビュコック提督」

信じ難いといった口調のビュコック提督に対しトリューニヒトの言葉はそっけないほどに事務的な口調だ。彼の言葉は嘘ではない、私と共に確認したのだ。もっとも今では彼と会ったのはまるで毒を飲まされたようなものだと思っている。トリューニヒトも同じ思いなのだろう。

サンフォード家は代々政治家を輩出してきた家だ。そして前議長は凡庸と言われながらもどういうわけか議長にまでなった。おそらくはフェザーンの協力があったからだろう。だがトリューニヒトがサンフォードを疑ったわけは他にもある。

「イゼルローン要塞攻略直後のことだが、贈収賄事件が発覚した。当時の情報交通委員長が関与した事件で彼は辞任、後任にはコーネリア・ウィンザーが就任した」
コーネリア・ウィンザー……。その名前を私が口にすると皆が顔を顰めた。皆彼女が政権保持のために帝国領出兵に賛成した事を知っている。

「賄賂を贈った企業はフェザーン資本の企業だった。そして政府内部にはある噂が流れた。その企業は他の人間にも賄賂を贈っていると……。ホアン、君も知っているだろう?」
私の言葉にホアンが顔を顰めた。
「……知っている。サンフォードだ、彼に金が流れたと……、しかしよく認めたな」

「シャンタウ星域の会戦以来、フェザーンはサンフォードを切り捨てた。あれだけの敗戦だ、サンフォード家はもう役に立たない、そう思ったのだろうな。それにフェザーンも今では同盟の占領下にある。サンフォードもフェザーンを見切ったと言う事さ」
トリューニヒトが冷笑を浮かべている。いつもの愛想の良い笑顔ではない。

「当時私とトリューニヒトの間で和平を結ぶのならサンフォード議長では無理だと言う話が出た。百五十年続いた戦争を終わらせる、国民だって簡単には納得しない、余程の覚悟が要るだろう。トップがふらついては無理だとね」
「……」

「示し合わせたわけではないが、私とトリューニヒトは密かにサンフォード議長の引き降ろしを別個に図った。材料は例の贈収賄事件だ。だが帝国領出兵が決まり引き降ろしは出来ずに終わった……」
「……」

「その帝国領侵攻作戦だが、あれにはフェザーンが絡んでいるようだ」
私の言葉に皆の視線が集まる。
『どういうことです、レベロ委員長。あれはヴァレンシュタイン元帥の謀略にしてやられたのではないと?』
スクリーンに映るヤン提督が訝しげな表情を見せた。

「いや、それも有るだろう。だがフェザーンが関与したのも事実だ。サンフォードが認めた」
「……」

「当時帝国とフェザーンの関係は決定的に悪化していた。理由はフェザーンが同盟のイゼルローン要塞攻略作戦を事前に帝国に通報しなかったからだ。故意か過失なのかは分からない。だが帝国はこの時からフェザーンを明確に敵として認識するようになった」

『つまり、帝国の眼をフェザーンから逸らすために同盟を利用する必要があった?』
「そうだ、フェザーンから帝国の目を逸らしてくれと依頼を受けたサンフォードは軍部から提出された出兵案を受け取った。本来なら統合作戦本部を通せというべきものだ。一つ間違えばそれを理由に我々に責められる事になる。にも関わらず受け取ったのは彼にとっては私とトリューニヒトの退き下ろしよりもフェザーンからの依頼のほうがウェイトは重かったからだ」

思わず自嘲が漏れた。あの男は私とトリューニヒトの追及を逃れる自信が有ったのだ。だが私達はそうは思わなかった。私達の動きに恐怖したのだと思った。自分達を過大に評価したのだ。そうでなければあの時にフェザーンの関与を知る事が出来たかもしれない。そうであればあの出兵を止められたのかもしれない……。

いや無理か……。帝国とフェザーン、そして同盟でも多くの市民があの出兵に賛成したのだ。いってみれば、この宇宙の殆どがあの出兵を支持し、後押ししたという事になる。止める事など出来なかったに違いない……。何と無力な事か……。

しばらくの間沈黙が応接室を支配した。皆身動ぎもせず黙っている。何を考えているのか……。あの戦争の事か、それとも和平の難しさについて? あるいはフェザーン、いや地球の事か。

「あと一ヶ月もすればヴァレンシュタイン元帥がイゼルローン要塞に来る。こちらも対応を決めねばならんだろう」
トリューニヒトの言葉に皆が頷いた。

「正直に言うしかないだろうな。フェザーンの成立に同盟が絡んだ事は認める。しかし、地球とフェザーンの関係は分からなかった。また地球教に関しても主戦論を唱えている事は認めるが反国家的な行動はしていないと」

「つまり地球教を禁止、弾圧する事は出来ない……。レベロ、君はそう言うんだな」
「その通りだ、今の時点では無理だ」
「それで納得するかな、向こうは」

ホアンが首を捻っている。
「ホアン、レベロは今の時点ではと言っているんだ。この後何らかの証拠が同盟で発見されるか、あるいは帝国から提供されれば話は別だ。国家にとって危険だと判断できれば当然処断する」
「なるほど……」

トリューニヒトの言葉にホアンが頷いた。それを見てトリューニヒトがヤン提督に問いかけた。
「ヤン提督、君はどう思うかね」

『そうですね、私も今の時点では動きようが無いと思います。議長の仰るとおり何らかの新しい情報が手に入らないと……。地球は帝国領内に有ります、帝国は彼らを調査しているはずです。その結果を待ちたいと答えてはどうでしょう?』

「そうだな、地球に関しては我々よりも帝国のほうが情報を得やすいはずだ。その結果を待つとするか。ヤン提督、その方向で対応してくれ給え」
トリューニヒトの言葉にヤン提督が頷いた。良い感じだ、少なくとも最初の頃のように不信感を露わにするような事は無くなった。少しずつだがトリューニヒトは信頼されるように成ってきたようだ……。



 

 

第二百三十話 捕虜交換(その1)

宇宙暦 797年 12月 8日    イゼルローン要塞 ユリアン・ミンツ



イゼルローン要塞は最近ざわついている。もう直ぐ帝国から捕虜交換のための実務担当者が来るからだ。エルネスト・メックリンガー提督、帝国軍宇宙艦隊の正規艦隊司令官の一人だ。

メックリンガー提督は軍人だけど同時に芸術家でもあるそうだ。水彩画、ピアノ演奏、散文詩等、幅広い分野で活躍している。イゼルローン要塞でもメックリンガー提督の到来を心待ちにしている人が居る。カスパー・リンツ中佐だ。中佐は画家になる事が夢で何時かは個展を開きたいと思っている。そんな中佐にとってはメックリンガー提督は憧れの存在なのだろう。

僕がヤン提督にそれを伝えると提督は溜息混じりに呟いた。
“芸術の道に進んでくれれば良かったんだけどね、どうしてそうしてくれなかったのか……”
“提督は歴史学者になりたかったんですよね、でも軍人になっています。同じですよ”
僕がそう言うとヤン提督はもう一度溜息をついた。
”世の中、上手く行かないことばかりだ”

ヤン提督によればメックリンガー提督は非常に手強い相手らしい。第三次ティアマト会戦でミュッケンベルガー元帥が倒れた後、全軍の指揮をメックリンガー提督が執ったそうだ。
“一個艦隊の指揮だけじゃない、大軍を指揮できる用兵家だ。もう少しで同盟軍は殲滅されるところだった”

あの戦いでヤン提督は同盟の危機を救い英雄とまで言われたけど、提督によれば軍を退く事が出来たのは僥倖に近かったのだそうだ。敵が追撃してこなかったから逃げられた。多分ミュッケンベルガー元帥の健康状態が不安で戦闘を打ち切ったのだろうと。

“あの第三次ティアマト会戦に参加した指揮官達が、今の帝国軍の宇宙艦隊の司令官になっている。彼らは皆ヴァレンシュタイン元帥が抜擢したんだ。手強い連中だよ、シャンタウ星域の会戦では散々な目にあった”

最近ヤン提督は憂鬱そうな表情をする事が多い。帝国からヴァレンシュタイン元帥の使者がやって来てからだ。帝国軍の使者はフェルナー准将という人物だったけどヤン提督と二人だけで長時間話したらしい。話が終った後、ヤン提督は厳しい表情をしていたそうだ。

何の話だったのかはヤン提督が沈黙しているから分からない。キャゼルヌ少将やアッテンボロー少将が問いかけたのだけれどヤン提督は“悪いけど答えられない”と言って沈黙を守っている。よっぽど重要な事だったのだろうと皆は話している。

皆知りたがっているけどヤン提督に問いかけるのは控えている。何となく問いかけられるのを拒否するような雰囲気があるらしい。この間夜遅くにトイレに起きたら、書斎で一人考え込んでいるヤン提督の姿があった。じっと考え込んでいるヤン提督の表情はいつもと違って凄く厳しかった。一体何があったのか、僕も凄く知りたいと思う。


帝国暦 488年 12月 20日  イゼルローン要塞  エルネスト・メックリンガー


「メックリンガー提督、お疲れ様でした。さぞ大変だったでしょう?」
「いえ、そんな事は有りません。同盟も帝国も今回の捕虜交換を成功させたいと思う気持は同じです」
私の言葉にヤン提督は“それは良かった”と笑みを浮かべた。柔らかい笑みだ、ヴァレンシュタイン司令長官に何処か似ている。

私がイゼルローン要塞に着いたのは今月の十日だった。それ以後帝国の軍務省から派遣された軍人達とハイネセンから派遣された同盟の軍人達の間で捕虜交換について実務レベルでの調整が続いた。そして昨日、調整が終了した。

ヤン提督には“そんな事は有りません”と答えたが実際には簡単なことではなかった。両国の担当者が捕虜交換を成功させたいと思っていたのは確かだが、両者とも国の面子を背負っている。帝国は同盟を反乱軍と呼び国家としては認めていない、そして同盟はその事を必要以上に重視している。

式の手順は当然だが捕虜のリスト―――帰還する捕虜、帰還を拒否した捕虜、抑留中に死去した捕虜の三種類のリスト―――の確認。さらには捕虜交換の証明書に帝国と同盟、どちらの国名を先に記すか、調印者の名前はどちらが上に来るかなど、どうにも下らない事で揉め続けた。そして彼らの間に入って調整をまとめたのが私だ。形式と言うものの馬鹿馬鹿しさを嫌というほど味わった。

私も含めて両国の担当者が紆余曲折は有っても調整を終える事が出来たのは、捕虜交換を成功させなければならない、失敗すれば国には帰れないという恐怖心と一日毎にイゼルローン要塞に到着が近付くヴァレンシュタイン元帥の事が頭に有ったからだろう。

閣下が到着した時点で調整が終わっていないとなったらどうなったか……。考えたくも無い事態だ。おそらく何も言わずに自ら調整を始めるに違いない。多分閣下の事だ、同盟側の意見を丸呑みする形でまとめただろう。

今夜は慰労を兼ねて親睦パーティが開かれている。パーティはこれで二回目だ。到着したその日にも歓迎パーティが開かれた。もっともその時は初対面ではあるし調整作業が残っている事も有ってかなりぎこちないものだった。それに要塞の外には私の艦隊が警戒態勢をとっている。同盟側も落ち着かなかったに違いない。

それに比べれば今夜のパーティは皆明るい顔をしている。皆調整が終わったという事を知っているのだろう。昨日まで顔をあわせればいがみ合っていた帝国と同盟の担当者達の顔にも笑みがある。彼方此方で談笑が弾んでいる。

「メックリンガー提督、形式というのは必要かもしれませんが時には馬鹿馬鹿しいものでもありますね」
「同感です、ヤン提督」
どうやらこちらの苦労はお見通しか……。形式的なことが嫌いなようだがその辺りも誰かに似ている。

ヤン提督の傍には金褐色の髪とヘイゼルの瞳をした美しい女性士官が居る。グリーンヒル大尉、ヤン提督の副官だが彼女は宇宙艦隊総参謀長グリーンヒル大将の娘でもある。ヤン提督はこの若さで最前線を任されるのだ、中央から信頼されているのだろうが軍の中央に強い絆も持っているようだ。

他にもヤン提督を守るかのようにローゼンリッターの連隊長シェーンコップ准将が傍にいる。ヤン提督を守るつもりか……、安心して良い、私はヤン提督に危害を加えるつもりは無い。この辺りも元帥閣下に似ている。元帥閣下にもリューネブルク大将がいる。

少し離れたところにこちらを熱心に見ている少年がいた。整った顔立ちをしている。年の頃は十五、六だろうか……。眼でヤン提督に問いかけた。ヤン提督は困ったように笑みを浮かべると少年を呼び寄せた。

「私の養子です、ユリアン、メックリンガー提督にご挨拶しなさい」
「ユリアン・ミンツです。お目にかかれて光栄です」
養子? 思わず二人を見比べた。ヤン提督は結婚してないはずだ、まだ若いのに養子?


宇宙暦 797年 12月 22日    イゼルローン要塞 フョードル・パトリチェフ


今日はメックリンガー提督と共に植物園の散歩をした。捕虜交換の調整も終わり向こうも暇だったのだろう。要塞の中の植物園を見たいと言ってきたのだ。自由に歩き回らせるわけにはいかない、そこで案内役という名目で俺がメックリンガー提督に同行する事になった。

案内役という監視である事はメックリンガー提督も分かっていただろう。だが向こうは少しも嫌な顔をしなかった。穏やかに笑みを浮かべながら植物園の中を歩く。幸い彼はこちらの言葉が話せる。変な緊張をせずに歩く事が出来た。いい散歩だった、久しぶりのことだ。

ユリアンに会ったのは植物園のベンチの傍でだった。最近ヤン提督が植物園のベンチで一人考え込んでいる姿が目撃されている。それでちょっと興味が湧いたので見に来たという事だった。

メックリンガー提督がそれを聞いて面白そうな顔でベンチを見た。そしてベンチに座ると“こんな感じかな”と言ってロダンの考える人のポーズを取った。意外にユーモアが有る。ユリアンと二人で笑ってしまった。

俺が植物園の中を案内をしているというとユリアンは妙な顔をした。多分監視だと分かったのだろう。なかなか聡い少年だ、ヤン提督が可愛がるのも分かる。そこからは三人で植物園を散歩した。

ユリアンはヴァレンシュタイン元帥に関心が有るらしい。いや、彼に関心の無い人間などいないか……。一緒に歩き出してから直ぐにメックリンガー提督に話しかけた。

「もう直ぐヴァレンシュタイン元帥が此処にいらっしゃるんですね」
「そうだね、あと三日もすれば閣下は到着されるだろう」
ユリアンの質問にメックリンガー提督が笑顔で答えてくれた。本当に嬉しそうな笑顔だった。

「メックリンガー提督、ヴァレンシュタイン元帥はどんな方なのでしょう?」
「どんな方か……。君は、いや同盟の人は元帥をどう見ているのかな?」
ちょっと悪戯っぽい笑顔を浮かべながら逆に問いかけた。

ユリアンはちょっと困ったようだった。まあ気持は分かる、同盟ではヴァレンシュタイン元帥の評判は悪い。油断できない冷酷な謀略家、シャンタウ星域の虐殺者、皇帝に取り入る奸臣等だ。ユリアンはすこし躊躇った。

「御気を悪くしないで欲しいのですが、元帥の評判は同盟では良くありません。ユリアン君が戸惑っているのもその所為でしょう」
「分かっていますよ、准将。遠慮は要らないよ、ユリアン君。我々は暴虐なる銀河帝国の軍人なのだからね」
そう言うとメックリンガー提督はクスクスと笑い声を上げた。

「確かに元帥の事を悪く言う人もいます。でもヤン提督は元帥のことを恐ろしい相手だと言っていました。多分、褒め言葉なんだと思います」
妙な表現だが褒めていると思ったのだろう。メックリンガー提督は気を悪くした様子も無く頷いた。

「恐ろしい相手か……。ヴァレンシュタイン元帥もヤン提督の事を恐れているよ。私達に互角の兵力で戦うな、ヤン提督と戦うには三倍の兵力が要ると言っている……」
三倍の兵力? そんな事を……、俺とユリアンは思わず顔を見合わせた。

そんな俺達の様子が可笑しかったのかもしれない。メックリンガー提督は笑いながら話し続けた。
「此処には皆が来たがった。ヤン提督はどんな人物なのかとね。皆提督に会って提督を知りたがったんだ。私が選ばれたときには皆から羨ましがられたよ」
「……」

俺達が黙っていると、メックリンガー提督はもう一度笑い声を上げた。
「私自身ヤン提督の恐ろしさは分かっている。第三次ティアマト会戦ではもう少しで完勝できるところだったのに上手くしてやられた。あの時は悔しさよりも恐ろしさを感じた……」

何となく話題を変えたほうが良いような気がした。
「ヴァレンシュタイン元帥の人となりは如何です」
「誠実な方です、信頼できる方ですよ、元帥は」
即答だった。謀略家の元帥が誠実? 俺は訝しげな表情をしたのだろう。メックリンガー提督はこちらを見てまた笑い声を上げた。

「同盟では元帥は謀略家と言われているようですがそれは勝つためです。時々心配になりますよ、無理をしているのではないかと」
少し遠くを見るような眼で答える。その姿から彼がヴァレンシュタイン元帥のことを本当に心配しているのが分かった。

「……想っておられるのですな」
「想っている? 」
意表を突かれたのだろうか?
「想っている……、そうですね、想っていますよ我々は……。皆元帥閣下のことを想っている」
そう言うとメックリンガー提督はクスクスと、そして最後は大きな笑い声をあげた。


宇宙暦 797年 12月25日    イゼルローン要塞 ユリアン・ミンツ


ヴァレンシュタイン元帥の艦隊がイゼルローン要塞にやってきた。要塞の外にはヴァレンシュタイン元帥の艦隊、メックリンガー提督の艦隊、合わせて三万隻に近い艦隊が展開している。僕は捕虜交換の調印式が行なわれる大広間にいるけど、大広間のスクリーンには大艦隊が映っている。

イゼルローン要塞の中は緊張に包まれている。大艦隊に包囲されている事も有るけど、これからヴァレンシュタイン元帥がこの要塞の中に来る所為もあるだろう。大広間の正面には調印式のためのテーブルが用意されている。マスコミも大勢来ている。皆ヴァレンシュタイン元帥を間近に見る事が出来る事に緊張し興奮している。

艦隊の中から一隻の艦がイゼルローン要塞に近付いて来た。スクリーンがその艦を映す。漆黒の戦艦、細長い艦首と滑らかな艦体、総旗艦ロキだ。その姿に大広間がどよめいた。

魔神ロキ、帝国軍宇宙艦隊司令長官の地位に有るのに悪魔神の名を持つ艦を旗艦にする。それだけでもヴァレンシュタイン元帥は一筋縄では行かない人物だと思う。メックリンガー提督は誠実で信頼できると言っていたけど、それだけじゃないはずだ。

ヤン提督が大広間に現れた、メックリンガー提督も一緒だ。二人とも正面に用意されたテーブルに座るとスクリーンに目を向けた。先日メックリンガー提督が言っていた三倍の兵力を以って戦え、という事をヤン提督に伝えるとヤン提督は押し黙ってしまった。“高く評価されてるんですね”と言っても変わらなかった。黙って紅茶にブランディーを入れて飲むだけだった。

「やれやれだな。こっちの気も知らないで暢気に……」
スクリーンを見ていたポプラン少佐が呟いた。どういうことだろう? 僕の疑問に答えてくれたのはコーネフ少佐だった。
「今頃はローゼンリッターが砲手を監視しているだろうね。間違っても総旗艦ロキを砲撃しないように」

「そんな事、有るんですか?」
「冷酷な謀略家、ヴァレンシュタインだからな。恨み骨髄さ、有り得ない話じゃない」
「大丈夫だよ、そんな事するのは此処にいるお調子者か、考え無しの阿呆だけだ。調印式に来た相手を吹っ飛ばすなんて事したら捕虜交換がぶっ飛ぶだけじゃすまない。帝国軍はイゼルローン、フェザーン両回廊から攻め込んでくるからね」

コーネフ少佐がそう言うとポプラン少佐は“念のためだ、間違いの無いようにな”と言った。スクリーンには要塞に近付く総旗艦ロキが映っている。要塞のメイン・ポートのゲートが開いた。そしてロキが港内にゆっくりと入っていく。いよいよヴァレンシュタイン元帥を見る事が出来る、楽しみだ。

ヴァレンシュタイン元帥が大広間に現れたのは十五分ほど経ってからだった。元帥が現れると周囲からざわめきが起こった。特に女性士官から“可愛いわね”、“優しそう”という声が聞こえる。ポプラン少佐が“やれやれだね、シャンタウ星域ではもう少しで殺されかかったのに”とぼやきコーネフ少佐が肩を竦めた。視界の隅ではヤン提督とメックリンガー提督が立ち上がっている。

元帥の背後を何人かの帝国軍人が歩いてくる。周囲を警戒しているから護衛だろう。ヴァレンシュタイン元帥は思ったより小柄で華奢な感じの人だった。帝国元帥の証であるマントとサッシュをしている。マントは黒、サッシュはマントよりは少し明るいけど黒っぽい色だ。黒髪、黒目、軍服も黒、黒一色の中で金色の肩章がよく映えている。手には書類を持っていた。マスコミが写真を取っている。フラッシュが元帥を包むのが見えた。

調印式用のテーブルに近付くとメックリンガー提督が敬礼をしつつ少し後ろに下がった。ヴァレンシュタイン元帥がメックリンガー提督に答礼しつつヤン提督に近付く。そしてヤン提督と敬礼を交わした。ヤン提督は少し緊張気味に見えるけど、ヴァレンシュタイン司令長官は穏やかな笑みを浮かべている。周囲を同盟の軍人に取り囲まれているのに怖くないのだろうか……。

ヴァレンシュタイン元帥とヤン提督は互いに席に着くと書類を交換した。そして捕虜交換の証明書にサインをした。サインが終了すると互いに使ったペンを交換して握手をしている。二人とも表情に笑みを浮かべている。その瞬間に無数のフラッシュとシャッター音が大広間に溢れた。多分新聞の第一面はこの写真だろう……。


 

 

第二百三十一話 捕虜交換(その2)

宇宙暦 797年 12月25日    イゼルローン要塞 ヤン・ウェンリー


調印式が終了した後、ヴァレンシュタイン元帥を応接室に誘った。応接室ではキャゼルヌ先輩とグリーンヒル大尉がお茶の準備をして待っているだろう。私には紅茶、ヴァレンシュタイン元帥にはココア、メックリンガー提督とキャゼルヌ先輩にはコーヒー。

応接室では地球の件を話さなければならない。ヴァレンシュタイン元帥はメックリンガー提督と共に後を着いてくる。その後ろには帝国の護衛兵とローゼンリッターが付いてきた。帝国の護衛兵とローゼンリッターはお互いに見向きもしない。やれやれだ。

ヴァレンシュタイン元帥と会うのは第六次イゼルローン要塞攻防戦以来だ。あれからもう三年が経っている。あの時は酷く具合が悪そうだったが今日は穏やかな表情をしている。

思わず何かを話しかけそうになって慌てて口をつぐんだ。騙されるな、この男の恐ろしさを忘れてはいけない。“互角の兵力で戦うな、ヤン提督と戦うには三倍の兵力が要る”……。

今の帝国軍の指揮官を相手に三分の一の兵力で勝てるだろうか? 否、互角の兵力でも勝つのは容易ではないだろう……。それなのに三倍の兵力を用意しろと言っている。優しげな外見からは想像もつかないが、勝つためには手を抜かない、冷徹で隙を見せない男……、それがエーリッヒ・ヴァレンシュタインだ、油断は出来ない。

応接室に入ると其処にはキャゼルヌ先輩だけではなくシェーンコップ准将も居る。こちらを見るとニヤリと不敵な笑みを浮かべた。キャゼルヌ先輩がしょうがないと言ったような表情をしている。溜息が出そうになった。シェーンコップ、頼むから中で騒ぎは起さないでくれよ。外にいる護衛達もだ。今頃はドアの外で睨み合っているだろう。

キャゼルヌ先輩とシェーンコップがヴァレンシュタイン元帥に挨拶をすると適当にソファーに座りお茶を飲み始めた。ヴァレンシュタイン元帥はキャゼルヌ先輩に興味を持ったらしい。キャゼルヌ先輩に“自分も後方支援を専攻したのだ”と言っている。キャゼルヌ先輩と元帥の会話が和やかに進んだ。補給こそが戦争の要だと二人が話している。メックリンガー提督が“閣下の持論ですな”と言って会話に加わった。

「ヤン提督、捕虜交換が無事に済んで一安心ですね」
「ええ、そうですね」
ヴァレンシュタイン元帥が私に話しかけてきたのはキャゼルヌ先輩との会話が終わった後だった。

「ところで、例の件、同盟政府にはお伝えいただけたのでしょうか?」
「確かに伝えました」
「それで?」
私と元帥の会話に皆が不審そうな顔をしている。

「元帥閣下の推論通り、同盟政府がフェザーンの成立に関与した事は間違いが無いようです」
「!」
皆の不審そうな表情が驚きに変わった。無理も無い、フェザーンの成立に同盟が関わっているなどこれまで誰も唱えた事が無い説だ。落ち着いているのは私と元帥だけだ。

ヴァレンシュタイン元帥は念を押すかのように問いかけて来た。
「それは同盟政府が認めたと言う事ですか?」
「その通りです」
キャゼルヌ先輩とシェーンコップが物問いたげな表情をしている。メックリンガー提督も同様だ。

「なるほど、それで地球についてはどうでしょう」
「それについては確証が取れませんでした」
「取れませんでしたか……」
ヴァレンシュタイン元帥が呟いた。少し表情が曇っている。どうやらこちらの調査にかなり期待を抱いていたようだ。

「お話中のところ申し訳ありませんが、我々にも」
キャゼルヌ先輩が話しかけるとヴァレンシュタイン元帥が右手を上げて遮った。
「キャゼルヌ少将、シェーンコップ准将、話せば長くなります。詳細は後ほどヤン提督から聞いていただけますか。メックリンガー提督には私が話します」

三人は顔を見合わせ頷いた。それを見てヴァレンシュタイン元帥が“申し訳ありません”と言って頭を下げると三人が恐縮したように頭を下げた。

「地球の関与は確認できませんでしたか……。となると同盟政府の協力は難しい、そういうことでしょうか?」
「現時点ではそうです。地球教は主戦論を煽っていますがそれだけでは犯罪とは言えません」
私の答えにヴァレンシュタイン元帥は無言で頷いた。

「トリューニヒト議長は主戦派と親しいと聞いていますが?」
「以前はそうですが現在は違います。この件で議長が地球教を庇うような事はありません。閣下の推論が正しいのであれば、今回の件は非常に危険だと議長は考えています」

ヴァレンシュタイン元帥がこちらの言葉に考え込む様子を見せた。自分がトリューニヒトの弁護をするなど以前は考えられなかった事だがサンフォード前議長のようなフェザーンの傀儡に比べれば千倍もましだと言える。少なくとも今のトリューニヒトには協力するのにやぶさかではない。

「新たな証拠が出ればこちらも動く事が出来ます。地球は帝国領にある、そちらで地球を調査はしていないのですか?」
「現時点ではしていません……」
「調査をするべきだと思いますが?」
「そうですね、同盟政府の協力が期待できるのです、地球を調べてみましょう。結果はそちらにもお伝えします」

ヴァレンシュタイン元帥は溜息をついて答えた。地球の調査に余り気乗りがしないらしい。この問題に関してはこれで良いだろう、とりあえずボールは帝国に投げた。後はどんなボールが帰ってくるかだ。

話が終わったと思ったのだろう、キャゼルヌ先輩が口を開いた。
「帝国では改革が進んでいると聞きますが?」
「まだ始まったばかりですが、同盟の方にも受け入れられるように頑張っています」

元帥の口調は穏やかなものだった。“同盟の方にも受け入れられる”、口調と言い表現と言い、取りようによっては和平を望んでいるようにも聞こえる。亡命者からの情報によれば帝国は同盟を征服するために改革を行なっているという事になる。果たして本当か、亡命者が反帝国感情を煽っていると言う事も有るだろう。確認しなければならない。

「同盟と帝国の間で和平は可能だとお考えですか、ヴァレンシュタイン元帥?」
どう答える……。可能だと答えるか、それともはぐらかすか……。皆がヴァレンシュタイン元帥に視線を集めた。

「私がどう考えているかはご存知なのでは有りませんか、ヤン提督」
「……」
やはりはぐらかすのか……。
「私は宇宙は帝国の手で統一されるべきだと考えています」
「!」

彼は同盟の存続を認めていない、亡命者からの情報は真実だった。応接室の空気が瞬時に重くなった。キャゼルヌ先輩もシェーンコップも強い視線でヴァレンシュタイン元帥を見ている。そしてメックリンガー提督はそんな二人を注意深く見ている、警戒しているのだろう。

「ヤン提督、私はこの宇宙から戦争を無くしたいんです」
澄んだ瞳だった。気負いも野心も無い。本当に心からそう思っているのだろう。もし元帥が野心から統一を望むのなら反発を持っただろう。だが今の自分はそれを持てずにいる。

「和平でもそれは可能ではありませんか」
ヴァレンシュタイン元帥が苦笑を浮かべた。
「可能だとは思いませんね、同盟市民のほとんどが反帝国感情を持っている。彼等が和平を受け入れると思いますか?」

受け入れるだろうか、難しいかもしれない。しかし不可能ではない、帝国が変わったことを市民が認めれば和平は可能のはずだ。目の前の男がそれを認めれば同盟は存続できる。無駄な血を流さずにだ。

「……難しいかもしれません。しかし時間が経てば、帝国が変わったと同盟市民が理解できれば不可能とは思いません」
ヴァレンシュタイン元帥がまた苦笑を浮かべた。

「時間が経てば同盟は国力を回復します。そのとき叫ばれるのは“シャンタウ星域の仇を討て”、そうではありませんか? また戦争が起きますよ、ヤン提督。国力が落ちれば和平を、充実すれば戦争を、返って戦争が長引くだけです」
「……人間が其処まで愚かだと私は思いませんが……」

「百五十年も戦争をしていてですか?」
「……」
何も言えなかった。確かに百五十年も戦争をしているのだ、同盟と帝国の間にある憎悪は私が考えているより大きいのかもしれない。いや、大きいのだろう。同盟市民を分かっていない、トリューニヒトにそう言われたことを思い出した。

「ヤン提督、私はシャンタウ星域の会戦で一千万人を殺しました。辛かったですよ、自分のした事が恐ろしかった。だからその犠牲を無駄にしたくないと思った……」
呟くような口調だった。気持は分かる、自分も何度も同じような思いをした。

「宇宙を統一する、宇宙から戦争を無くす。そのために邪魔な門閥貴族を潰しました。ローエングラム伯も切り捨てた……。多くの血が流れました、もう後戻りは出来ないんです」
「……」

答える事が出来なかった。宇宙を統一するために、宇宙から戦争を無くすためにヴァレンシュタイン元帥は血を流してきた。私はどうだろう、何処かで逃げていなかっただろうか……。イゼルローン要塞を攻略した後、退役しようとした。あの時本当は和平のために何かするべきではなかったか。政治家の仕事だと何処かで逃げなかったか?

「メックリンガー提督、そろそろ失礼しましょうか。あまり遅くなると皆が心配します」
「それが宜しいかと小官も思います」
ヴァレンシュタイン元帥はメックリンガー提督の言葉に頷くと“ご馳走様でした”と言って席を立った。メックリンガー提督が後に続く。キャゼルヌ先輩もシェーンコップも引きとめようとはしない。席を立つこともしなかった。

応接室を出る直前、ヴァレンシュタイン元帥はこちらを振り返った。
「ヤン提督、自由惑星同盟を、民主主義を守りたいのなら私を倒す事です。但し、私を倒した後貴方が何を得るのか……。多分同盟を守った英雄の名と戦争の激化する宇宙でしょう。楽しみですね……」

そう言うとヴァレンシュタイン元帥は応接室を出て行った。送るべきなのだろう、だが私は彼の後を追えなかった。彼の言った言葉の重さに動く事が出来なかった。同盟を、民主主義を守りたいと思う……。だがその代価が戦争だとしたら私はどうすべきなのだろう。平和を求めるのか、同盟を民主主義を守るのか……。



帝国暦 488年 12月 25日  帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


イゼルローン要塞が少しずつ遠ざかっていく。要塞に居たのは僅かに二時間程度のものだろう。サインを一つしただけだがこれで二百万の捕虜が帝国に戻ってくる。後は軍務省に任せておけば捕虜が帰って来るだろう。

ヤンと交換したペンを手にとって見た。良い物なのかな? どうもよく分からん。
「閣下、そのペンがどうかしましたか?」
ヴァレリーが問いかけて来た。彼女は今回総旗艦ロキの中で留守番だった。流石に同盟軍の前で連れて歩くのは拙いからな。リューネブルクはオーディンで留守番だ。装甲擲弾兵総監が戦争でもないのに三ヶ月も仕事を放り出して散歩など許される事じゃない。

ヴァレリーにペンを差し出して今回の捕虜交換の調印式でヤンと交換したのだと言った。彼女はペンを受け取るとじっと見ている。そして俺にペンを返すと“安物ですね”と言った。まあヤンの事だからな、そんなところだろう。俺が渡したペンだってそんな良い品じゃない。お互い様か……。

同盟は意外に政府と軍部の連携が良いようだ。前からそうじゃないかと思える節があったが今回の件でそれがはっきりした。おまけにヤンがトリューニヒトを庇った。最初は何の冗談かと思ったがヤンの言う事が正しければトリューニヒトは主戦派から離れている。つまりトリューニヒトには主戦派以外に頼りになる味方が居ると言う事だ。ヤンを始めとする現在の軍上層部がそれだろう。厄介な話だ。

フェザーン成立にはやはり同盟が関与していたか……。しかも同盟側にその証拠があった……。残念なのは地球の関与が確認できなかった事だ。まあそう簡単に分かる事ではない。とりあえず同盟がこちらの話に乗ってきたことだけで良しとすべきだろう。地球の関与の証拠が見つかれば同盟の協力は難しくない。

地球に人を派遣するようにアンスバッハに頼むか……。あまりやりたくないんだよな。洗脳とかサイオキシン麻薬とか訳のわからんことをやってるし……。下手するとミイラ取りがミイラになりかねない。少し考える必要があるだろう。

地球教徒にサイオキシン麻薬の常習者が居ないだろうか、そこから教団内部への強制捜査に持っていく。表向きはあくまでテロ容疑ではなく薬物への捜査だ。サイオキシン麻薬の根絶は以前にも帝国は厳しくやっている。地球教に疑いが有るとなれば強制捜査はおかしな話じゃない。アンスバッハとフェルナーに相談してみよう。

ヤンはどう考えたかな、俺の言った事を。民主主義を第一に考えるか、それとも平和を第一に考えるか……。俺にしてみれば民主主義にあれだけ拘るヤンがどうにも理解できないがヤンにとっては難しい問題かもしれない。主義主張なんて生きるための方便、そう割り切れればヤンも生きるのが楽なんだろが……。

会ってみて良かった。思った通りの人物だった。軍人には見えないし、穏やかで聡明で好感が持てる人物だ。苛めるつもりは無かったんだが、向こうはそうは取らなかったかもしれない。彼とは戦いたくないな、強敵だからとかじゃなく戦争はしたくない。なんかそう思わせる相手だ。

これから辺境星域の視察に向かわねばならん、特に貴族の私有地がどうなっているかを確認しなければ……。面倒ではあるがリヒターやブラッケに頼まれているし、リヒテンラーデ侯も辺境星域には関心を持っている。オーディンに着くのは二月の中旬から下旬になるだろう。ユスティーナは寂しい思いをしているだろうが、戻れば結婚式だ。爺様連中がまた張り切るだろうし艦隊司令官達も張り切るだろう、やれやれだ。

さてと、メックリンガーに例の件を話さなければならん。驚くだろうな、容易には信じないだろうがオーディンまでは一月以上ある。考える時間は十分に有るだろう。口止めも要るな、まあ口止めしてもクレメンツとケスラーには伝わるだろう、こいつら妙に連帯が強いからな。困ったもんだ……。




 

 

第二百三十二話 捕虜交換(その3)

宇宙暦 797年 12月 31日    イゼルローン要塞 ヤン・ウェンリー


『レベロから聞いたよ、亡命者達が言っていた事は事実だったようだな、ヤン』
「はい、厄介な事です」
『うむ』

スクリーンにはシトレ元帥が映っている。両手を組み頑丈そうな顎を乗せて話す姿は統合作戦本部長の頃と全く変わらない。変わったのは軍服がスーツ姿に変わったことくらいだ。

『どんな人物だったのかね』
「そうですね……。覇気や才気、自負を表に出してくる人間ではないようです。堅実で思慮深い、天才というより努力の人のように見えました」

私の言葉にシトレ元帥が苦笑を漏らした。
『彼は帝国きっての名将であり実力者だ。皆彼を恐れているがその彼を、君は天才ではなく努力の人というのかね』

シトレ元帥の言う事は分かる、私の言葉はヴァレンシュタイン元帥を凡人だといっているように聞こえたのだろう、だが自分には元帥のように笑う事は出来ない。私は彼を甘く見ているつもりは無い。

しかし彼に対する認識を変えるつもりも無い。天才が全てを変える事は有るだろう。しかし天賦の才を努力が何処かで超えることもある……。ヴァレンシュタイン元帥の場合はそれではないのだろうか。

「それだけに手強いと思います。天才なら何処かで自分の才に溺れる事も有る。しかし彼にはそれが無いでしょう。考えて考えて考え抜いてその上で手を打ってくる。隙がありません」
『……なるほど』

シトレ元帥が苦笑を収め考え込んだ。元帥に分かるだろうか? あの男に“互角の兵力で戦うな、ヤン提督と戦うには三倍の兵力が要る”と言われたと知った時の恐怖が。自分に自信の有る男なら自分に任せろと言うだろう。だが彼は三倍の兵力で戦えと言った……。

「彼が宇宙を統一しようとしているのは戦争を無くすためです。彼個人の野心や欲のためではありません」
シトレ元帥は頷くと問いかけて来た。相変わらず顎は両手の上だ。
『戦争を無くすためか……。それは戦争が嫌いだと言う事かな、それともこれ以上の戦争は危険だと思っているのか……。君はどちらだと思うかね』

「戦争が嫌いなのは間違いないようです」
『君とは気が合いそうだな』
シトレ元帥はかすかに笑みを浮かべている。もしかすると冷やかしか? 確かに気が合うだろう。彼が同盟に居たら良い友人になれたかもしれない。

「同時にこれ以上の戦争は危険だと思っているのだと思います。だから彼は単純に同盟を占領するのではなく、帝国を改革し同盟市民に帝国を受け入れ易くしているのでしょう」

『しかし彼は民主主義を拒否しているのだろう。同盟市民にとっては受け入れがたいはずだ、そのあたりをどう考えていると君は思うかね』
そう、彼は民主主義を否定している。同盟市民に帝国を受け入れさせるのなら何処かで帝国の統治に民主主義を取り入れても良いはずだ、それをしないのは何故か……。

「彼は民主主義に関してかなりの見識を持っています。民主主義の欠点も良く知っている。先年の帝国領侵攻では彼に上手くしてやられました。おそらく彼は民主主義に否定的な考えを持っているのでしょう」
そして帝国内でも民主主義を受け入れる勢力は少ないのではないだろうか。たとえ彼自身が受け入れたいと思ってもそれが出来ない可能性もある。

『改革により門閥貴族を潰し、平民の地位と権利を向上させながらかね……、どうも中途半端な感じがするな。どうせなら一気に立憲君主制というのを考えても良さそうだがな。もっともそれは民主主義に馴染んだ我々の考えかもしれんが……』
シトレ元帥が首を傾げ訝しげな表情をした。

そう、彼は同盟市民ではない、帝国臣民だ。平民の地位と権利を向上させる事と民主主義への否定的な考えは矛盾しない。
「おそらく彼が考えているのは国民主権による民主主義ではなく皇帝主権による民主主義なのではないかと私は考えています」

私の言葉にシトレ元帥は困惑を見せた。
『皇帝主権による民主主義?』
「ええ、そうです」

民主主義国家では国家の主権は国民にある。国民の意思を以って物事を決めるのだが、当然同盟では国民全員で討議などは出来ない。そこで間接民主主義の形態である選挙による議会制民主主義が採用されている。国民に主権を与える事で国民の人権を保障し国民の意思を政治に反映させようとしている。

ではヴァレンシュタイン元帥の考えている政治体制とは何か? 妙な表現だが皇帝主権による民主主義としか言いようが無い。主権は皇帝に、但し主権者である皇帝がなすべき事は一部特権階級の利福では無く帝国臣民の人権を保障し、その意思を政治に反映させる事にある。

「要するに主権が皇帝にあるか国民にあるかの違いだけです。目指すところは代わりません」
『うーむ』
私の言葉にシトレ元帥は唸り声を上げた。

「これまでにも無かったわけではありません。名君と呼ばれたマクシミリアン・ヨーゼフ帝などが行なった政治はそれに近かったでしょう。ただヴァレンシュタイン元帥は門閥貴族を政治勢力としては潰しました。より徹底していると言えるでしょう」

『君はそれを受け入れられるかね?皇帝主権による民主主義を?』
スクリーンに映るシトレ元帥が厳しい視線を向けてくる。
「私は……分かりません……」
『?』

訝しげな表情だ、答えなければならないだろう。
「門閥貴族が勢力を失った以上、皇帝主権による民主主義は上手く行くかもしれません。しかし上手く行けば行くほど市民は政治から関心を無くすでしょう。それは危険な事ではないかと考えています」
『……』

「悪政が起きたとき、市民が責めるのは皇帝だけです。民主制なら市民は政治家を選んだ自分達を責め反省する事が出来る。政治的に成長できるんです。それが人類の成長に繋がると私は考えています。しかしヴァレンシュタイン元帥の考える皇帝主権による民主主義ではそれは期待できません」
『……』

「そして政治的無関心は第二のルドルフ誕生の土壌となりかねません。民主主義が消え唯の皇帝主権になりかねない危険性があります」
『……第二のルドルフか、有り得ない話ではないな』

シトレ元帥の表情が沈痛なものになっている。帝国に征服された後にルドルフが登場する。悪夢だろう。
「多分ヴァレンシュタイン元帥は気付いているでしょうね。おそらくそれに対する手段も考えている」
私の言葉にシトレ元帥が眉を上げた。

『手段とは』
「憲法の制定です」
おそらくヴァレンシュタイン元帥は憲法を制定する。その中で皇帝主権と帝国臣民の人権の保障、その意思を政治に反映させると明記するはずだ。同時にそれを守れない皇帝は廃位するとも記載するだろう。

帝国内部の民主主義への不信感はかなり強いはずだ。選挙のたびに、不祥事が起きるたびに同盟は出兵をしてきたのだ、同盟の政治家よりも帝国の政治家のほうが民主政による衆愚政治に対する危機感、嫌悪感は強いだろう。

帝国の政治家達は改革の実施を受け入れた。しかし民主主義を帝国の統治に受け入れる事はないだろう。だが同時に暴君による悪政を避けなければならないということも理解しているはずだ。その妥協点が憲法制定だろう。おそらくヴァレンシュタイン元帥はその方向で動くはずだ。

それによって帝国の統治体制を安定させると共に同盟市民に対して安心感を与えるに違いない。帝国に併合されても自分たちの生活が脅かされる事は無い。同盟市民が失うのは選挙権だけだ……。

シトレ元帥は私の言葉を黙って聞いていた。そして話し終わるのを待って問いかけて来た。
『失うのは選挙権だけか……。しかしそれは政治への参加が出来なくなると言うことではないか、同盟市民が納得するか……』

「今でも選挙の投票率は五十パーセントに満たない事が殆どです。権利はあっても行使していません」
『……行使はしていなくとも奪われれば怒るだろう』
「……そうですね、それはあるかもしれません。ヴァレンシュタイン元帥はそのあたりをどう考えているのか……」

彼がどう考えているか正直分からないことだ。シトレ元帥も難しい顔をして考え込んでいる。もしかすると余り重視していないのかもしれない。投票率五十パーセント、その中で過半数をとった政党が政治権力を握る。極端な事を言えば同盟市民の二十五パーセントの支持を得れば政権を担当する事になるのだ。これが国民の意思を反映していると言えるのか、政治への参加と言えるのか……。

『厄介な相手だな、軍事面だけではなく政治面においても我々を追い詰めてくる。彼が単なる軍人なら此処まで苦労はしないのだろうが……』

溜息交じりの元帥の言葉だ。全く同感だった、ヴァレンシュタイン元帥は軍人というよりも政治家としての資質に恵まれているように見える。それも国家というものが分かる政治家だ。そういう相手を敵に回すとは……。

『君との会話だがレベロに話したいと思うが構わないかね?』
「それは構いません。但しあれは私が感じた事です。証拠は何処にもありません」
『ヤン提督の推論か、構わんよ、レベロは君を高く評価している。それに彼と直接会って会話をしたのは君だ。それなりに根拠は有るだろう』

レベロ委員長に伝わればそれはトリューニヒト議長にも伝わる。元帥が私に確認をとったのはその所為だろう。トリューニヒトならどう考えるだろう、レベロ委員長なら……。政治家がどう考えるか急に知りたくなった。

「シトレ元帥、後ほどレベロ委員長やトリューニヒト議長が私の推論をどう考えたか、教えていただけませんか」
『ほう、君が彼らの意見を求めるとは……。良いだろう、後ほど連絡しよう』

そう言うとシトレ元帥は“それでは、また。良い年を迎えてくれ、ハイネセンで会えるのを楽しみにしている”と言って通信を終わらせた。スクリーンは暗くなり何も映していない。良い年か、今年は小競り合いは有ったが戦争は無かった。そういう意味では良い年だったのだろう。

しかし相手の恐ろしさを嫌というほど認識した一年だった。少しも気の休まるときなどなかった……。これから今日は新年を迎えるパーティがある。そろそろ準備をしなければならないだろう。

年が明ければ忙しくなるだろう。両国の捕虜がこのイゼルローン回廊を通航する。おそらく大変な騒ぎになるはずだ。捕虜が戻ってくれば軍の再編も少しは進むだろう。それにクブルスリー提督達も戻ってくる。兵だけではなく将の面でも補充が進むだろう。

ウランフ提督も喜ぶだろう。新兵を熟練兵にするために自ら指揮を執って鍛えているが訓練用の艦艇も教官も不足していて遅々として進んでいないと聞いている。おそらく今一番ストレスが溜まっているのは彼のはずだ。捕虜を再訓練すれば新兵と合わせて一個艦隊は楽に編制できるはずだ。同盟の軍事力はこれで六個艦隊になる。

パーティが終わったら帰還兵歓迎式典に出席するためにハイネセンに行かなければならない。おそらくハイネセンでは今日の話が出るだろう。対策も含めて話すことになるはずだ。だが対策が出るのか……、正直ハイネセンに行くのは気が重い。

ヴァレンシュタイン元帥……、私は彼の考えを受け入れる事ができるだろうか? 平和と民主主義のどちらを選ぶかと言われたが、選ぶ事ができるだろうか? 自分が帝国に生まれていれば簡単だった。彼の下に行き、彼と共に歩む事が出来ただろう。だが私は同盟に生まれた……。

ユリアンが軍人になりたがっている。彼が戦場に出るところなど私は見たくない。だが民主主義が消滅するところも見たくは無い。統一ではなく和平による共存、それは不可能なのだろうか?

ヴァレンシュタイン元帥は一時的な和平ではなく恒久的な平和を考えている。そして共存は不可能だと答えを出したのだろう。彼の考えは分かるし理解も出来る。だが……、もう考えるのは止めよう。そろそろパーティの準備をしなければ、パーティが始まれば少しは楽しめるだろうか?



宇宙暦 797年 12月 31日    ハイネセン ある少年の日記

十二月十日

今日、イゼルローン要塞に帝国から捕虜交換の調整担当官が着いたそうだ。帝国軍のトップはエルネスト・メックリンガー上級大将。正規艦隊の司令官だけど鼻髭を生やしたオジサンだ。なんでも芸術家だとTVでいっていた。絵を描いたりピアノを演奏したり詩を作ったりするらしい。

それって貴族趣味なのかと一瞬思ったけどメックリンガー提督は平民だし変なの。旗艦の中でも絵を描いたり詩を創ったりしているのかな? 部下の人はそういう時はどうしているんだろう?


十二月二十一日

イゼルローン要塞で行なわれていた捕虜交換の調整が昨日終わったそうだ。今日の朝のニュースで流れていた。やったね、これで捕虜交換は問題なしだ! これまでニュースでは調整は必ず上手く行くといっていたけど年内に終わるかどうかはちょっと疑問だと言う人もいた。

お互い面子が有るから困窮? 紛糾? どっちだか分からないけどそうなって大変のはずだと。でもイゼルローンに居る担当者によると帝国側がかなり譲歩してくれたらしい。メックリンガー提督のお蔭だといっていた。メックリンガー提督、鼻髭のオジサンだなんて御免なさい。

今日は学校でもこのニュースで大騒ぎだった。クラスの中にも家族や親戚の中に戻ってくる人がいる子も居る。彼らは皆とても嬉しそうだ。戦争が有ると戦死者や捕虜が出てそのたびにクラスの中が暗くなった。どうしてもっと早く捕虜交換をしてくれなかったんだろう。


十二月二十六日

昨日、捕虜交換の調印式が行なわれた。帝国からはヴァレンシュタイン元帥がやってきた。僕はこれまで元帥を見た事が無い。元帥の写真は有るけど、ずっと昔の写真で元帥の具合が悪いときの写真らしい。おかげで写真に写る元帥は真っ青で苦しそうな疲れきったような表情をしている。これじゃ憎い相手でも少し同情してしまう。余り良い写真じゃないよ。

本物のヴァレンシュタイン元帥は小柄な人だった。まだ大人じゃないというか子供でもない、学生みたいな感じの人だった。顔も優しそうな笑顔を浮かべていてなんていうかお姉さんみたいだ。TVでも“女性というより女の子みたい”ってイゼルローン要塞の女性兵士が言ってた。

男性というより女性は有るかもしれないけど女の子? それで良いの? 相手は敵なんだけど。イゼルローン要塞は最前線なのにそんな人がいて大丈夫かな。凄く不安だ。

学校に行ってもクラスの女子たちが皆ヴァレンシュタイン元帥に夢中だった。“カワイイ”、“優しそう”……。相手はシャンタウ星域で同盟軍を壊滅させた敵なんだぞ! その事を言ったけど女の子たちは全然無視だ、最低! 彼女達は皆元帥の顔写真を大事そうに持っている。中には男子の中にも元帥の写真を持ってる奴がいる。何考えてるんだろう? 頭が痛くなってきた……。

やっぱり元帥は危険だ、同盟の女性を全部味方につけてる。僕のお母さんも“カワイイ”なんていってる始末だ。何時か必ずやっつけてやる。そうすれば皆目が覚めるはずだ。

調印式の映像を見たけどあっさりしたものだった。元帥とヤン提督が敬礼をしてサインをして握手して終わり。なんかこんなもんで良いの、そう聞きたい調印式だった。でも後で聞いたんだけどこれは仕方ないそうだ。

帝国は公式には同盟を認めていない。だから式典のようなものは大袈裟には出来ない。今回の捕虜交換も調印式はあくまで軍が行なうもので政府は直接にはタッチしない事になっているらしい。

だから同盟政府も今回の調印式については声明を発表しただけだった。その代わり帰還兵歓迎式典は盛大にやるそうだ。変なの、同盟はちゃんとあるのに認めないなんて、絶対馬鹿げてるし同盟を馬鹿にしているとしか思えない。

全く元帥の事と言い、女の子の事と言い、帝国が同盟を認めない事と言い、調印式は面白くないことばかりだ。年が明ければ帰還兵歓迎式典がある。そっちのほうは盛大にやるそうだから楽しみにしている。僕の大好きなトリューニヒト議長も一杯TVに出るだろう。


 

 

第二百三十三話 捕虜交換後(その1)

帝国暦 489年 1月 1日  帝国軍総旗艦 ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


『閣下、メックリンガー提督が面会を求めております』
新年のパーティもようやく終わり周囲には少し疲れたと言って私室で休んでいた俺に、ヴァレリーがメックリンガーの来艦要望を伝えてきた。艦隊はイゼルローン回廊を抜けこれからアムリッツア星域に向かおうとしている。

例の件だよな、まあ後で説明すると言ったのは俺だ。今まで向こうが待ったのは通信で話せることじゃない、回廊を抜けるまでは艦隊から離れる事は出来ないと思ったからだろう。律儀だよな、ヤンが攻めてくる事など無いんだが……。

「私室でお待ちしている、メックリンガー提督にはそう伝えてください」
『はい……、閣下、ご気分が優れないのではありませんか? なんでしたらメックリンガー提督には出直していただいたほうが』
ヴァレリーが気遣わしげに尋ねてきた。やれやれだ、この分だと密談するたびに病気だと言われるな。いやその方が良いか……。

「大した事はありません。メックリンガー提督をこちらへ御願いします」
『はい……』
そんな顔をするな、俺は大丈夫なんだから。そう思ったがちょっと後ろめたかった、ほんのちょっとだ……、ごめんヴァレリー。

メックリンガーが来たのはそれから三十分ほどしてからだった。まあお互いに艦隊は移動中だ。そのくらいは仕方ないだろう。メックリンガーは部屋に入ってくるなり申し訳なさそうな声を出した。

「閣下、お加減が優れないとフィッツシモンズ大佐から聞きましたが」
「そんな事は有りません。此処で内密の話をしていると思われたくなかっただけです。具合が良くないと言えば此処へ呼んでもおかしくはありませんからね、さあこちらへ」

ソファーに座る事を勧めたのだが、少しの間メックリンガーは俺の顔をじっと見た。本当かどうか彼なりに確認したらしい。俺が嘘を付いていないと判断したのだろう、ほっと息を吐くと“失礼します”と言ってソファーに座った。俺が大丈夫だと言っても誰も信用しない、何でだ?

「例の件ですね、メックリンガー提督」
ソファーに座って俺が問いかけるとメックリンガーは神妙な表情で頷いた。
「はい、フェザーンの成立に同盟が関わっている。さらに地球が絡んでいるとは事実なのでしょうか?」

まあ気持は分かる。フェルナーもアンスバッハも最初は信じなかった。俺だって原作を読んでなければ一笑に付しただろう。
「少なくとも、同盟がフェザーン成立に関与したのは事実です。地球に関しては推測ですね」

俺はメックリンガーにフェザーン成立の仮説を話した。地球が自らの復権を望み帝国と同盟の共倒れを狙った事。そのために中立国家フェザーンを創ろうとした事。そして当時苦境にあった同盟に接触したであろう事……。話が進むに連れてメックリンガーの顔が強張ってゆく。これも同じだ、フェルナー達も徐々に顔が強張った。

「地球ですか……。疑うわけではありませんが何か証拠があるのでしょうか。同盟は確証が無いと言っていましたが……」
「先日のキュンメル男爵邸での事件ですが、あれには地球が絡んでいます」
俺の言葉にメックリンガーが驚愕の表情を見せた。

「キュンメル男爵は病弱で自分ではゼッフル粒子を用意することなど出来ません。あれを用意したのは地球教徒です。内乱時に私を暗殺しようとした人間にも地球教徒がいました」
メックリンガーの顔が驚愕から徐々に青褪め始めた。

「……危険ではありませんか、直ぐに弾圧しなければ。憲兵隊は何をやっているのです!」
「憲兵隊は動かしません。この問題に関しては帝国広域捜査局が担当します」
「しかし、ルーゲ司法尚書はこの問題の重要さを理解していないのではありませんか!」

落ち着け、メックリンガー。らしくないぞ。
「そんな事は有りません、ルーゲ司法尚書は十分に理解していますよ。テロ・スパイなど帝国の安全保障に係る公安事件に関しては公にはされていませんが軍の管轄になります。責任者は私です」
俺の言葉にメックリンガーは唖然として俺を見詰めた。

「……閣下が、ですか、ならば何故地球教を取り締まらないのです?」
「地球教については同盟と協力して当たる事が最善の策だと考えています。帝国だけで取り締まっても彼らは同盟に本拠を移すだけでしょう」
「……」

「敵は分断して叩く。先ずは地球教を同盟と協力して叩きます。幸い同盟政府も地球教に関しては危機感を持ち始めました。上手く行けば協力して叩けるでしょう。同盟を叩くのはその次です」
メックリンガーは眉を寄せて考え込んでいる。

「厄介なのですよ、宗教というのは。国を持たず、人の心を操る。地球教の力を弱めるには彼らの正体を暴き、彼らの信徒の眼を覚まさせなければ……」
「なるほど、地球教、いや地球を潰すのはその後ですか」
「そうなりますね」

メックリンガーが頷いている。少しは落ち着いたか、地球教について手をこまねいているわけじゃないんだ。

「しかし、連中は閣下の御命を狙っております。気をつけなければなりません」
「そうですね、気をつけましょう」
「閣下、冗談ではないのですぞ。今閣下に万一の事が有っては帝国は……」
思わず苦笑が出た。メックリンガー、少し大袈裟だ。

「閣下! どうも閣下はお分かりで無い。帝国は閣下を必要としているのです!」
「……」
いかん、笑ったのは失敗だった。メックリンガーが怒っている、此処は少し神妙な顔をしないと……。

「よくお考えください。これまで帝国軍三長官が堅密に協力する事などありませんでした。そして政府と軍部が協力する事もまれだったのです。帝国が一つにまとまり堅密に協力するようになったのは閣下が司令長官になられてからです」
メックリンガーが身を乗り出してくる。茶化して終わらせる事は出来んな。

「それは……、イゼルローン要塞が落ちたからです。あの時帝国は危険な状態にあった。危機が皆を一つにまとめたのですよ」
俺の言葉にメックリンガーは首を振った。

「そうではありません。いえそれも有るのでしょうがそれだけではないと私は考えています」
おいおい、頼むから溜息混じりに話すのは止めてくれ。なんか俺が悪いみたいじゃないか。

「閣下、帝国はシャンタウ星域の会戦後も内乱の終結後も一つにまとまっています。まして政府内部はリヒテンラーデ侯達貴族と改革派が協力しているのです。何故です? 」
「……」

何故と言われてもな、新しい帝国を創るにはそれが必要だからだろう。
「帝国のために必要だから、閣下はそう御考えではありませんか?」
「ええ、そうです」
おいおい、また溜息か、何でそこで溜息が出る?

「たとえ必要だと分かっていてもいがみ合うのが人間です。今帝国が一つにまとまっているのは閣下が軍内部を、政府と軍を、そして政府内部をまとめているからです」

おかしいな、何でそういう風に考える?
「……少し大袈裟ではありませんか?」
「大袈裟ではありません。私だけではない、皆がそう思っています。そして敵もそう思っているのです」
「……」

敵もそう思っている……。地球教は俺が死ねば帝国政府上層部は混乱ではなく、分裂に向かうと考えているという事か。だとすると……。

メックリンガーが手を伸ばしてきた。そして俺の手を握る、そして強く揺すぶった。
「閣下、どうか御自愛ください。私達は皆、閣下を失う事は出来ないのです」
「……メックリンガー提督」

「ケスラー提督も閣下に言ったはずです。閣下は我々の、いや帝国の支柱なのです。その事を認識してください、どうか、御願いです」
メックリンガーが縋るような眼で俺を見ている。どう答えればいいのだろう。

「皆が心配してくれている事は分かりました。私は少し自分の命に無頓着だったのかもしれません。気をつける事にしましょう、それで良いですか?」
メックリンガーは俺の言葉に多少不満だったようだが、それでも俺の手を離してくれた。

「小官は閣下と三十年後の世界を見るのが夢なのです。どうかその夢を実現させてください」
「そうですね、実現しましょう」



帝国暦 489年 1月 1日  帝国軍総旗艦 ロキ エルネスト・メックリンガー


司令長官の私室を出て艦橋に向かう。私が艦橋に入ると副官のザイフェルト中尉がほっとしたような表情をして急ぎ足で近付いて来た。同時に司令部の要員がこちらに視線を向けてくる。

ある者は物問いたげな、別な者は微かに咎めるような視線だ。前者は司令長官の容態を心配し、後者は具合の悪い司令長官の元に押しかけた私を非難しているのだろう。ザイフェルトがほっとしたような表情を見せるのも分かる。居心地が悪かったのだろう。そして彼の後から長身の女性士官が近付いて来た。

「閣下、司令長官の御具合は如何だったのでしょうか?」
「大した事は無いようだったよ、フィッツシモンズ大佐。時折笑い声を上げられたくらいだからね。具合が悪いというよりは少し疲れたのではないかな。捕虜交換では大分心配されたようだからね」

私の言葉にフィッツシモンズ大佐が安心したように頷いた。ワルトハイム中将、シューマッハ少将も顔を見合わせて頷いている。
「それでは私は自分の艦に戻らせてもらうよ」
私がそう言うと彼らが敬礼をしてきた、答礼を返し艦橋を出る。

艦橋を出て通路を歩き出すと直ぐにザイフェルト中尉が問いかけて来た。
「閣下、司令長官は本当に大丈夫なのでしょうか?」
「心配かな?」
「はい、余り御身体が丈夫ではないと聞いておりますので……」

「心配か……」
私の言葉にザイフェルトは少し俯いていたがゆっくりとした口調で話し始めた。
「……今閣下に何かあれば帝国はどうなるのか……。小官は平民です、ようやく貴族達からも不当な扱いを受ける事の無い世の中が来る、安心して暮らせる時代が来る、そう思えたのです。ですが、ヴァレンシュタイン司令長官に万一の事があれば……」
「……」

元帥閣下、お分かりですか? 直属の部下ではないザイフェルトまでが閣下の事を心配しているのです。閣下が居なくなった場合の事を考え、その未来に怯えたような眼を私に向けてくる。私が閣下に言ったことは大袈裟でもなんでもない、事実なのです。どうか、それを御理解してください……。

閣下の御命を狙っているものがいる。酷く厄介な連中のようだ、オーディンに着いたら直ぐにクレメンツとケスラー提督に相談する必要が有るだろう。それとフィッツシモンズ大佐とリューネブルク大将にもだ。

メルカッツ提督にも話さなければならんだろう。問題は閣下に万一の事が有った場合だ。考えたくない事だが想定だけはしておかなくては……。メルカッツ提督が司令長官になるが軍事面での影響は考慮しなくてもいいだろう。問題は政治面だ、補佐が要るな、ケスラー提督の補佐が要る。

だがそれでも弱い、三長官をまとめ、リヒテンラーデ侯と連携し改革派を一つにする……。難しいな、ケスラー提督でも難しいだろう。だが帝国が混乱する事だけは避けなければならない。どうしたものか……。

とにかく、オーディンに着いたらクレメンツとケスラー提督に相談しなければなるまい。閣下を狙っている敵が居る、今度は以前のようにバラ園で襲撃されるなどという事があってはならん……。


帝国暦 489年 1月 1日  帝国軍総旗艦 ロキ エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


メックリンガーが帰った。彼は照れ臭そうな顔をしていた。俺も多少照れ臭かったが、今は考えなければならない事がある。メックリンガーの言う通りなら俺は考え違いをしていたかもしれない……。

フェザーンは既に独立を失っている。地球がフェザーンの独立を守るのならルビンスキーを同盟、帝国に差し出しただろう、物言わぬ死体でだ。フェザーンの独立を守り、地球の秘密を守るにはそれしかない。それが無かったという事は地球はフェザーンの独立に拘らなかった事になる。

おそらくルビンスキーは帝国に宇宙を統一させ、その後に帝国を乗っ取るべきだと地球の総大主教を説得したのだろう。そして総大主教もそれを受け入れた。だからフェザーン進駐まではラインハルトの絡みで色々とあったが進駐以後は俺を狙ったテロは無かった。

帝国が宇宙を統一するまではテロは無いと俺は考えていた。そんな時にキュンメル事件が起きた。あれは地球の一部、帝国と同盟を共倒れさせるべきだという考えを持つ人間が総大主教の意思に反して行った事だと思っていたがそうではなかったのかもしれない。

地球は内戦後、俺とリヒテンラーデ侯の間で権力闘争が起き勝った方が独裁者になると思っただろう。そうであればルビンスキーの言うとおり、帝国を乗っ取るのは難しくないと考えたかもしれない。

しかしその予想は狂った。俺は自分が死んでも帝国の進路が揺るがないようにと考えた。だから権力を俺に集中させる事はしなかったし、帝国の進路も皆に説明した。内乱終結後の帝国は地球から見て乗っ取りづらいと見えたかもしれない。

だとすれば地球が考えを変えた事は有り得るだろう。乗っ取り辛いが混乱はさせ易い……。俺を暗殺して帝国を混乱させる。メックリンガーの心配するとおり、帝国が分裂するかどうかは分からないが時間を稼ぎ同盟の戦力を回復させる事ができると考えたかもしれない。当初の予定通り帝国と同盟を共倒れさせる事ができると。有り得ない事ではない。

地球はこれから帝国の力を弱めようとするだろう。キスリング、アンスバッハ、フェルナーに警告を出さないといけないな。テロは連中の得意技だ、VIPへの身辺警護を徹底させなければならん。後でオーディンに連絡を入れるとするか。警護の強化か……、うんざりだな。

問題は同盟か、地球が同盟にどんな手を打ってくるか……。現時点では地球は同盟政府に対して強い影響力を持っていないようだ。ヤンはトリューニヒトは地球とは無関係だと言った。原作ではトリューニヒトが地球に取り込まれるのは救国軍事会議が起こった後だ。この世界ではクーデターは起きていない、である以上ヤンの言う事はおかしな話ではない。

気になるのはこの先同盟でクーデターが起きるかどうかだ。原作だとクーデターはラインハルトが起したものだと考えがちだが、元々同盟軍の内部にはクーデターを計画していたグループが存在したのだと俺は考えている。

おそらくその首謀者はエベンス達佐官クラスの士官だろう。軍国主義者と言って良い。彼らは自分達だけでは周囲がクーデターを認めないと見た。だから軍内部でも良識派として知られていたグリーンヒルを担ぎ上げたのではないだろうか。

彼らのクーデター計画案はラインハルトの計画案ほど成功率が高いものではなかった。そのためグリーンヒルはクーデターの実施に躊躇った、或いはグリーンヒルが彼らを抑えた。ラインハルトの計画案は躊躇していたであろうグリーンヒルの背を押したのだ、そう考えないとクーデターが余りにもスムーズに起き過ぎている事に納得がいかない。

捕虜交換が帝国暦四百八十八年、宇宙暦七百九十七年の二月中旬に行なわれている。クーデターの第一撃が起きたのは四月初旬。リンチ少将が何時戻ったかだが、彼は前年の十一月にラインハルトに呼び出されている。

オーディンからハイネセンまでは二月半はかかるだろう。となればリンチがハイネセンに戻ったのは一月の中旬から下旬、或いは二月になっていたかもしれない。四月初旬にクーデターの第一撃が起きたのだから、準備期間は最大で見積もっても二月半だ。

もし、クーデター計画がこの時点で既に存在しなかったとしたら、この二月半の間にリンチはグリーンヒルを説得し、グリーンヒルは人を集めクーデターの準備を行った事になる。事が事だ、安易に話せることではないし、頻繁に集まって相談できる事でもない。計画そのものは既にあり、人員も揃っていたと見るべきだ。

この世界ではどうなるか? 同盟軍の内部は帝国ほど一つにはまとまっていない。この点については原作もこの世界も変わらない。となれば軍国主義者達がクーデターを起す可能性は有るだろう。正直に言えばクーデターは起きてもらったほうが有難い。同盟にクーデターを仕掛けようとは思わないが彼らが勝手に内部分裂で潰しあってくれるのは万々歳だ。

だがグリーンヒルは総参謀長の地位に在る。そして同盟軍の政府、軍部の関係は決して悪くない。となればグリーンヒルがクーデターを起すとは思えない、またエベンス達、いやエベンス達とは限らないが軍国主義者達がグリーンヒルを担ごうとするとも思えない。

となると誰がクーデターを起すか、そして地球がそこにどう絡んでくるかだ……。去年は帝国が混乱したが今年は同盟が混乱する可能性が大だ。そして帝国の混乱は再生への混乱だったが同盟の混乱はおそらくは終幕への序曲となる……。同盟政府、軍上層部がクーデターをどう防ぐか、地球の件に気を取られているとそれを見逃すことも有るだろう。先ずはお手並み拝見だな……。



 

 

第二百三十四話 捕虜交換後(その2)

宇宙暦 798年 1月 3日    イゼルローン要塞 ヤン・ウェンリー



『やあ、ヤン提督、明けましておめでとう』
「おめでとうございます、トリューニヒト議長」
スクリーンにはトリューニヒト議長が人好きのする笑顔で映っている。昔はこの笑顔が嫌いだった、今でも多少胡散臭く思っている。

『昨年は色々と有ったが、それでも大規模な戦争は無かった。そういう意味では良い年だったのかもしれん。今年はどうなるのか……』
「……」

トリューニヒト議長が溜息をついた。その思いは私にもある。帝国は今はまだ国内を固める事を優先するだろうが、それが終われば確実にこちらに牙を向けるだろう。それがいつ来るか……、今年か、それとも来年か……。

『帝国は地球への対応を優先するだろうが、それが終われば次のターゲットは同盟になる。しかし、だからと言って地球と組む事は出来ん。それをやれば帝国にこちらに攻め込む名目を与えるようなものだ、そうではないかね?』

「そうですね、その選択は最悪と言って良いでしょう。同盟内部でも地球について真実を知れば、いやもちろんヴァレンシュタイン元帥の推論が正しければですが、そうであれば大部分が地球を拒否するはずです」

少しの間沈黙が落ちた。トリューニヒト議長は俯き加減に視線を逸らしている。表情は決して明るくは無い。議長にしては珍しい事だろう、人前では決して見せない姿だ。私を信頼しているという事だろうか、或いはそうやって私の心を取ろうというのだろうか?

自分は皮肉な目で彼を見ていただろう、それに気付いたかどうか……。トリューニヒト議長は首を一つ振るとこちらを向いた。顔には人好きのする笑顔がある。
『レベロから君の話を聞いた。皇帝主権による民主主義か……面白い考えだ。門閥貴族を潰し特権階級を無くしながら立憲君主制ではなく皇帝主権による民主主義とは……』

「すべてわたしの推論です。根拠はありません」
『ヤン提督の推論か……。私は君の推論を支持するよ』
「……」
『君の考えを聞いた時私が何を思ったか、君に分かるかね?』
何処と無く悪戯っぽい表情だ。

「いえ、分かりません」
『君は歴史に詳しいそうだから知っているかもしれないな、人類がまだ宇宙に出る前、地球を唯一の棲家としていた頃の話だ。ある王国で王位継承争いが発生した。その争いが終結した後、彼らは自分達はいかなる統治体制で国を治めるべきかという問題で議論をしたと言われている。知っているかね、この話を?』

「ええ知っています。アケメネス朝ペルシアの事でしょう。ダレイオス王が即位するときの話ですね」
わたしの言葉にトリューニヒト議長は嬉しそうに頷いた。

本当かどうかは分からない。だがペルシア人たちは自分達の統治体制をどうするかを熱心に話し合った。話し合われた統治体制は三つ……、一つは万民に主権を与える民主制、もう一つは貴族による寡頭制、残る一つは君主による独裁制。

それぞれの利点と欠点を挙げたらしい。ある人物は独裁制を否定し民主制を讃えた。独裁制に関しては“何の責任も負う事なく思いのままに行なう事のできる独裁制は秩序ある国制とは言えない、独裁者ほど言行が常ならぬものはなく、父祖伝来の風習を破壊し、女を犯し、裁きを経ずして人命を奪う”と言っている。

そして民主制ならばそんな事は無い、万民が平等であるならば独裁者の行なうような事は起きない。あらゆる国策は公論によって決せられる、と言った。独裁制の危険と民主制の理想を述べたといえるだろう。

当然だが民主制に反対する人間がいた。“何の用にも立たぬ大衆ほど愚劣でしかも横着なものはない。独裁者の暴政を免れんとして、狂暴な民衆の暴政の手に陥るというがごときは、断じて忍び得ることではない”。

“もともと何が正当であるかを教えられもせず、自ら悟る能力もない者が、さながら奔流のように思慮もなく、ただがむしゃらに国事を押し進めてゆくばかりだ”

そして民主制に反対した人間は寡頭制を支持した。“最も優れた人材の一群を選抜し、これに主権を与えよう。最も優れた政策が最も優れた人間によって行なわれることは当然の理である”。

政治的な成熟度の低い国民に主権を与える事の危険性を述べた上で、一部のエリートによる統治を提唱した。彼の生まれた時代であれば独裁制に危惧すれば寡頭制を支持するのは当然かもしれない。しかし、現代に当てはまるかどうか……。

そして最後に後にペルシア王になるダレイオスが独裁制を支持した。“最も優れた唯一人の人物ならば、その卓抜な識見を発揮して民衆を見事に治める。しかし寡頭制では公益のために功績を挙げんと努める人間達の間に、激しい敵対関係が生じ易い”。

“各人は自分が第一人者となり自分の意見を通そうとする結果、互いに激しくいがみ合うこととなり、そこから内紛が生じる。内紛は流血を呼び、やがて独裁制に決着する“。

“民主制の場合には悪のはびこることが避け難い。公共のことに悪がはびこる際に悪人達の間に生ずるのは敵対関係ではなく、むしろ強固な友愛感である。なぜなら国家に悪事を働く者たちは結託してこれを行なうからだ”。

“このような事態が起り、結局は何者かが国民の先頭に立って悪人どもの死命を制することになる。その結果はこの男が国民の讃美の的となり、讃美された挙句は独裁者と仰がれることになる”。

結果としてペルシア人達は独裁制を選択した。寡頭制は国を分裂させる危険を、民主制は大衆の人気に乗じた僭主の台頭を招きかねない。そして進むところは独裁制だ。何故ならば独裁制こそが最高の統治体制だから。であるならばしかるべき手順で選ばれた君主による独裁制のほうが弊害が少ない……。

ダレイオスの言葉を、当時のペルシア人達の選択を否定する事は難しい。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの簒奪はまさに当時の政治家達の腐敗が一因であった。当時の連邦市民は間違いなくルドルフを支持し彼が皇帝になることを望んだのだ。

『ヤン提督、私はこう考えている。それぞれの統治体制には確かに欠点が有る。だが問題は統治体制ではなく、それを運用する人間に欠点が有る事ではないか、それこそが真の問題なのではないかと……。だからこそ人類は時においてそれぞれの統治体制を選び、否定した。人類の歴史はその繰り返しではないだろうか……』

「……」
民主制国家から独裁制国家が生まれ、独裁制国家から寡頭制国家、民主制国家が生まれた。国家が疲弊したからではない、国家を統治する人間が疲弊したからだということか。国家を正常な状態に戻すには統治体制を変え疲弊した統治者を一掃するしかなかった、そういうことだろうか……。だとすれば独裁制国家が生まれるのも寡頭制国家が生まれるのも必然という事だろうか……。

スクリーンに映るトリューニヒト議長の顔には先程までの笑みは無い。いや私を見てもいないだろう。少し俯き、憂鬱そうな表情をしている。
「議長、議長は民主制に対して疑問を持ってはいませんか?」

私の言葉にトリューニヒト議長は軽く苦笑した。
『正直疑問は持っている。あの馬鹿げた侵攻作戦で一千万の犠牲を出しても帝国に対して主戦論を唱える人間がこの国では多数を占めるのだ。軍に対する非難など一時的なものでしかなかった。あの犠牲はなんだったのか……、君はそうは思わないかね?』

「……」
『だが、それでも民主制は守らなければならないと思う。国民の意思を国政に反映させる、その一点で民主制を超える統治体制は無い。政治を一部の人間だけが扱う特別なものにしてはならないのだ。それを許せば統治者は傲慢になり、政治は市民に対して必要以上に犠牲を強いるようになるだろう』

一つ一つ確かめるように出された言葉だった。正直、目の前の男がそんな言葉を発する事に違和感があった。私の様子に気付いたのかもしれない。トリューニヒト議長は微かに苦笑すると“らしくないと思っているかね”と問いかけて来た。

「いえ、そんな事は……」
芸の無い答えだ。議長もそう思ったのだろう、苦笑の色が強くなった。それを見て私も苦笑を漏らした。少しの間沈黙が落ちた。

『ヤン提督、ヴァレンシュタイン元帥は今帝国に民主主義を布いても上手く機能しないと考えたのではないかな。同盟市民に比べれば帝国に住む人間は政治的な成熟度は遥かに低い。同盟でさえ上手く機能しているとは言い難い統治体制を帝国に受け入れるのは無理だと』

「それも有りますが、帝国内部では民主制に対する嫌悪感はかなり強いのではないかと思います。無理に導入して帝国を分裂させる危険は冒せなかったのではないでしょうか」
私の言葉にトリューニヒト議長は頷き、後を続けた。

『とすれば、このままゴールデンバウム王朝による独裁制を維持し、皇帝主権による民主主義を目指すべきだと彼は考えたのだろう。そのほうが混乱も弊害も少ない……。そうではないかな?』

「なるほど、まるでペルシア人のようですね」
『私が何故ペルシア人の故事を思い出したか、分かったかね』
「ええ」
トリューニヒト議長は笑みを浮かべていた、しかしその笑みを収めると溜息を吐いた。

『手強い相手だな。厄介な相手でもある。しかし民主主義は何としても守らなければ……』
民主主義か……、スクリーンに映るトリューニヒト議長は同盟を守るとは言わなかった。偶然か、それとも……。

「トリューニヒト議長、議長は同盟を守る事と民主主義を守る事を分けて考えてはいませんか?」
『……』
トリューニヒト議長は沈黙している。その顔を見ながら言葉を続けた。

「同盟が滅んでも民主主義を守れれば……」
『そこまでにしたまえ、ヤン提督!』
「しかし……」

『私も君も国家の重職にあるのだ。そんな私達が国家の滅亡を前提に話すなど、外に漏れればとんでもない事になる』
「……」
『いずれはそれを話すときが来るかもしれない。しかし、それは今ではないだろう。自重したまえ、ヤン提督……』

今は話すときではないか……。やはり議長はそれを考えている。帝国の脅威にならない形で民主主義を残す、それならヴァレンシュタイン元帥を説得できるかもしれない……。いずれは話すときが来るのかもしれない、そしてその時は遠い事ではないだろう。それが分かっただけでも良しとすべきだ。

重苦しい空気を振り払うかのようにトリューニヒト議長が話題を変えてきた。
『レベロがルドルフについて面白い事を言っていた』
「面白い事、ですか」

私の問いかけにトリューニヒト議長は笑みを浮かべて頷いた。
『ルドルフは最初から神聖不可侵の皇帝になろうとしたのではないだろうと、多少独善的では有っても改革の意思に溢れた人間だったのではないかとね』
「はあ」

何と言って良いのだろう、確かに有り得る話ではある。先程までの話に関連が有るのだろうか? 私の困惑に気付いたのだろう、心配するなと言わんばかりにトリューニヒト議長が笑い声を上げた。

『私は別な事を思った。ルドルフは本当は皇帝になど成りたくなかったのではないかとね』
「成りたくなかった? 皇帝にですか?」

私は余程間抜けな声を出したのかもしれない。トリューニヒト議長はまた笑い声を上げた。
『彼は自分が危険な方向に進んでいると思ったのではないかな。このままで行けば独裁者になると。だから何処かで自分を止めて欲しいと思った。首相と国家元首を兼ねたのも、終身執政官になったのも、皇帝になったのも、何処かで銀河連邦市民が自分を止めてくれる事を期待したからではなかったか、ところが連邦市民はそれを許してしまった……』
またトリューニヒト議長が笑った。

『呆れただろうね、連邦市民を軽蔑しただろう。彼は自分が神聖不可侵だと思ったのではない、連邦市民を馬鹿だと軽蔑しただけだ』
どう考えれば良いのだろう、トリューニヒト議長は市民とは無責任で愚かだと言っているのだろうか、それとも単純に自分の思ったことを言っているだけなのか……。

「劣悪遺伝子排除法もそれが原因だとお考えですか?」
『そうだ、権力者というのは自己を神聖視していれば自分を讃えるだけだ。相手を軽蔑しているからあんな悪法を発布する。軽蔑していなければあんな悪法は生まれてこない……』
「……」

『それに、あの法はどちらかと言えば政治的な意味があって発布されたと私は考えている』
「というと」

『帝政に反対する人間をあぶり出し、抹殺するためだ。社会秩序維持局が設立され政治犯に対して猛威を発揮するのはあの法が発布された後だ。ルドルフは連邦市民を軽蔑した。彼らに民主主義など相応しくないと考えた。だから民主共和制を信奉する人間達を弾圧した……』
「……」

自己を神聖視するからではなく、市民を蔑視するから、民主制を運用できないと考えたから劣悪遺伝子排除法が生まれた……。そんな事が有るのだろうか?
『ルドルフ自身、あの法が馬鹿げたものだとは分かっていただろう。彼の息子は先天的な白痴だったそうだからね』

「しかしルドルフはあの法を廃法にしていません。馬鹿げたものだと思っていたのなら何故廃法にしなかったのです。議長の仰る事は辻褄が合いませんが」
私の反問にトリューニヒト議長は一つ頷いた。

『後継者のためさ。先代の非を改める事ほど後継者への信望を集める手段は無い。帝政を磐石ならしめるためルドルフは敢えて厳しい顔を見せた。温容は後継者が見せれば良い、違うかな?』
「……」

『残念な事にルドルフの死後、帝国では反乱が起きた。その所為で帝国の後継者は温容を見せる事が出来なくなった。劣悪遺伝子排除法も社会秩序維持局も存続し続けた……。もし、あの反乱が無ければ帝国はもっと違った歴史を歩んだかもしれない。自由惑星同盟も無かったかもしれない……』

トリューニヒト議長は沈鬱な表情をしている。本当にそう思っているのだろうか? 一理有る事は認めざるを得ないがルドルフを認める? 納得がいかなかった。大体ルドルフは間違いなく自己を神聖視していた。

「しかし、彼が自分を神聖視していたのは間違いないでしょう。例の度量衡のことも有りますし……」
『クレーフェ財務尚書の事かね』
「ええ」

ルドルフは度量衡の改定を行なおうとしている。自分自身の体重を一カイゼル・セントナー、身長を一カイゼル・ファーデンとして全ての単位の基準にしようとした。しかしその試みは阻止された。当時の財務尚書クレーフェが度量衡の改定に伴う費用を試算し、その巨額さにルドルフが断念したからだった。今でもルドルフの自己神聖化の具体例として挙げられ嘲笑されている話だ。

『ルドルフは試したのだよ、クレーフェをね』
「試した?」
試した? 予想外の言葉だ、思わず鸚鵡返しに反問するとトリューニヒト議長が可笑しそうに笑い声を上げた。

『クレーフェの試算は明らかに過大なものだった。ルドルフがそれに気付かなかったと思うかね?』
「……それは、気付かなかった可能性は有るでしょう。彼は元々軍人です。経済にそれほど詳しかったとも思えません」

正直こじつけに近いだろう。長期間に亘って国家を統治してきたのだ。全く分からなかったとも思えない。だがトリューニヒト議長は不愉快そうな表情は見せなかった。むしろ楽しげに話しかけてくる。

『なるほど、では彼の周囲はどうだろう、誰もそれに気付かなかったと君は思うかね』
「……」

『そんな事は有り得ない、誰かが気付いたはずだ。そしてルドルフにクレーフェが嘘を吐いていると言っただろう。もしルドルフが自己を神聖視していたのならクレーフェを許さなかったはずだ。彼は殺されていただろう』

「ではルドルフが試したというのは……」
『クレーフェが信用できる人物か、それともただの追従者か、それを確認したのだと私は思っている』

呆然とする私を見てトリューニヒトが楽しそうに笑い声を上げた。
『ヤン提督、私の推論は楽しめてもらえたかな?』
「あ、いえ、余りにも大胆な推論で」

『付いて行けないか。まあ無理も無い、政治とは結果でしかないからね。どのような意図の下に行なわれたかを省みるのは歴史家達だけだ。それも必ずしも好意的に見てもらえるとは限らない。厳しい事だ』
「……」

『これから同盟は厳しい状態に追い込まれる。当然我々に対する評価も厳しいものになるだろう。努力しても評価されない、不当に評価される、そんな事になるかもしれない……。逃げたいかね?』

「そういう気持はあります。しかし逃げられません」
『何故かな?』
「ヴァレンシュタイン元帥が言っていました。もう後戻りは出来ないと……。私も同じです、多くの人間を死なせました。逃げる事は出来ないんです」

私の言葉をトリューニヒトは黙って聞いていた。そして呟くように言葉を出した。
『私もだよ、ヤン提督。これまで主戦論を煽って大勢の人間を死地に追いやった。いまさら逃げる事は出来ない。流した血の量を無駄には出来ない……』

人を動かすのは熱意でも義務でもないのかもしれない。血の量とそれに対する贖罪の気持ちなのかもしれない。もしそうなら、犠牲無しには前に進めない人間とはなんと愚かな生き物なのだろう……。





 

 

第二百三十五話 辺境星域視察

帝国暦 489年 1月 5日  クラインゲルト子爵領 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


俺は今クラインゲルト子爵領に辺境視察のために来ている。このクラインゲルト子爵領はアムリッツア星系に有る。道理で原作では最初に同盟軍が攻め込んで来たわけだ。

メックリンガーは艦隊でお留守番だ。俺と一緒に地上に降りると言っていたが、俺がいない間の艦隊全体の責任者になって欲しいと言うと不承不承だが頷いてくれた。本当は先にオーディンに戻れと言いたかったのだが、言っても聴かないだろう。辺境とは言っても帝国領なのだから安全なんだが、それを言えばまた怒るだろう……。

「こんな事を言ってはなんですが余り豊かとは言えないところですね」
ヴァレリーが小声で俺に話しかけてきた。俺も小声で返事をする。
「辺境ですからね、仕方がありません」

思わず舌を噛みそうになった。軍の装甲地上車に乗っているがはっきり言って乗り心地は悪い、非常に悪い。士官学校でも乗ったはずだがこんなだったかな? 整備不良じゃないのかと言いたくなる酷さだ。いや、あの時は装甲服を着ていた、サイズが合わなくてブカブカだったが……。あまり乗り心地に不満を感じなかったのもその所為かもしれない。

クラインゲルト子爵領は決して豊かとは言えない。しかしこちらを見る領民の表情は決して暗くは無い、穏やかで安らかだ。クラインゲルト子爵の統治そのものは決して悪いものではないのだろう。

護衛も含めて六台の装甲地上車で行くのだが土埃が濛々あがる。頼むから舗装くらいしてくれ。段々気が滅入ってきた。フィーアに会えると楽しみにしてきたんだが今では後悔のほうが強くなってきている。俺は肉体的な耐久力は低いんだ、勘弁してくれ。子爵のところについたら気分転換に風呂、なんて事は無理だよな……。

リヒター、ブラッケ、お前ら俺に面倒事を押し付けたな。おそらくリヒテンラーデ侯もグルだろう。やたらと俺に辺境を見てきて欲しいなんて言っていたが、自分達で行きたくなかっただけに違いない。今頃俺の事を大声で笑っているだろう。爺様連中の性格の悪い事は分かっていたがお前達もか、全く碌でもない連中ばかり俺の周りに集まってくる、どういうわけだろう?

そんな事を思っているとようやくクラインゲルト子爵邸に着いた。いい加減疲れたがこれからが仕事だ。ヴァレリーと装甲地上車を降りると俺の傍に他の装甲地上車から降りた文官が三人近寄ってきた。

こいつらは自治、民生、財務から今回の視察のために付けられた官僚たちだ。ヴァレリーはお目付け役じゃないかと疑っているが、まあ当たらずとも遠からずだろう。官僚が軍人のやる事なんて信じるわけがない。俺だってお前らのやる事なんて信じない。国民の事より省の利益を優先するのが官僚だ。

子爵邸には老人が二人いた。そのうちの一人が近付いて来る。身なりは悪くない、おそらくクラインゲルト子爵だろう。となると残りは執事か。名前はなんだったかな、モンタード? 違うな、モンタルド?

「ようこそヴァレンシュタイン元帥。私がクラインゲルト子爵です。こんなところまで来ていただけるとは……」
「当然の事です、クラインゲルト子爵。辺境星域については皆が心配しています」
「そうですか、気にかけていただけるとは有難いことです」
いかんな、口調は感謝しているが眼は笑っていない。信用してないな。

「今回もリヒテンラーデ侯、リヒター自治尚書、ブラッケ民生尚書が来たがっていました。しかしオーディンのほうも手を抜く事は出来ません。そんな訳で私が代わりに来たのです」

少しは眼が和んだようだ。それにしても結構政府に対して不信感が強いな。こいつを何とかしないと辺境星域の経営は上手くいかんだろう。やれやれだ。
「こんなところで立ち話もなんですな、どうぞこちらへ。モンターク、先に行ってくれ」

なるほど、執事の名前はモンタークだったか、先を進む執事の後姿を見ながら思った。それにしてもフィーアは出てこなかったな、出来れば会いたかったんだが……。息子のカールは今年で六歳、いや七歳か、だとするとフィーアは三十歳前後だろう……。綺麗で優しそうなお母さんだったな。

浮気じゃないぞ、ケスラーのことをちょっと話したいだけだ。何気なくケスラーの事を話せば向こうから幼馴染だと言ってくるだろう。クラインゲルト子爵家にしてみれば中央との伝手は喉から手が出るほど欲しいに違いない、必ず食いついてくる。

あとでケスラーを冷やかしてやる。ケスラー上級大将の若き日の切なくて甘酸っぱい初恋物語だ。しばらくはゼーアドラー(海鷲)はその話で持ちきりだろう。俺とユスティーナの事を酒の肴にした罰だ。

屋敷に入ると応接室に通された。中には既に先客が居る。老人が一人、そして中年男性が二人だ。老人はクラインゲルト子爵と同年輩だろう、中年男性は二人とも長身だが一人は黒髪、もう一人は金髪だ。

どうやらこの地域の貴族らしい。はてね、どういうことだ、此処ではクラインゲルト子爵からこの地域の話を聞いて終わりだったはずだが……。

「元帥閣下、紹介しましょう。こちらはゲオルグ・フォン・バルトバッフェル男爵、アロイス・フォン・ミュンツァー男爵、アウグスト・フォン・リューデリッツ伯爵です」

子爵の言葉に三人の男が微かに目礼を送ってくる。どうやら老人がバルトバッフェル男爵、黒髪がミュンツァー男爵、金髪がリューデリッツ伯爵か。
「……宇宙艦隊司令長官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥です」

あのロクデナシども、知っていたな。それで俺に辺境視察を押し付けたか……。亡命者のヴァレリーは気付かんだろうが目の前にいる三人はそれぞれ銀河帝国では有名な人物の末裔だ。一緒に付いてきた三人の官僚は顔が強張っている。

「彼女は私の副官を務めるフィッツシモンズ大佐です」
俺の言葉にヴァレリーが敬礼をしようとしたが、それを遮って彼らを紹介した。

「大佐、バルトバッフェル男爵は帝国と同盟が最初に接触した時、戦争に反対したバルトバッフェル侯爵を御先祖に持たれる方です。バルトバッフェル侯は当時の皇帝、フリードリヒ三世陛下の異母弟でイゼルローン要塞の建設を最初に唱えた方ですよ」

ヴァレリーが驚いたような視線を男爵に向けた。男爵は何処と無くくすぐったそうな表情をしている。
「昔の事だ、しかもそれが原因で侯爵から男爵に爵位を下げられ領地も削られた。今のバルトバッフェル男爵家は辺境の一男爵に過ぎん」

「そして、そのイゼルローン要塞を実際に作ったのがリューデリッツ伯爵の御先祖です。あの要塞が帝国にもたらした利益は大きい。防衛の拠点、そして中継基地として大きな役割を果たしました」

「その割には我が家は報われなかった、残念な事ではあるがね。元帥、あの要塞を帝国に取り戻す事は可能かな」
「国内が安定すれば可能です」

我が家は報われなかった、その言葉を出した時の伯爵はほんの少し悲しげだった。無理も無い、当時のリューデリッツ伯爵はイゼルローン要塞建設費超過の責任を問われて自殺した。

ドケチ皇帝、オトフリート五世は建設費が嵩むのが我慢できなかったらしい。馬鹿な話だ、俺ならイゼルローン要塞を作って防衛戦を展開し安全となった辺境星域を開発しただろう。長期的に見れば十分元が取れたはずだ。オトフリート五世は金を貯めるだけで使い方を知らなかった。ドケチと言われても仕方が無いだろう。それとも上品に守銭奴とでも言われたかったか……。

その後ミュンツァー男爵を紹介した。ミュンツァーの名前はヴァレリーも知っていた。まあ当然だろうな、名君マクシミリアン・ヨーゼフ二世の下で国内の改革を指導したミュンツァー司法尚書の名前は有名だ。

ミュンツァーがその気になればオーディンの近くで領地を貰う事も出来ただろう。だがミュンツァーは国内改革を行った所為で周囲から恨まれている事を理解していたようだ。

妬みを必要以上に買うことを恐れたミュンツァーは辺境に領地を貰った。ミュンツァーが司法尚書を辞任し引退した後ミュンツァー男爵家が中央で活躍する事は無かった。多分、警戒されたのだろう。

挨拶が終わりソファーに座って話し始めた。クラインゲルト子爵邸に何故バルトバッフェル男爵達がいるのかはすぐ分かった。彼らは一種の共同体を形成しているようだ。辺境の貧しい領地を領有している彼らは単独で領地を経営するより協力して経営するほうが効率が良いと判断したらしい。

具体的には輸送船、警戒部隊の共有、そして輸出商品の共同開発、さらには領内の統治についても税率、福祉、教育等で協力し合っている。当然といえば当然だろう、領内統治に格差があれば領民達の間で不満が出るのは見えている。

クラインゲルト子爵領は決して豊かとはいえない、しかし領内が安定しているのは統治そのものは領民から見ても妥当だと思われているということだ。という事は他の三人の領地も同じだと見ていい。

「我々は改革には反対していません。むしろ賛成しています」
「今のままでは自分達の力でこれ以上領地を発展させる事は難しいと思っているのです」

ミュンツァー男爵、リューデリッツ伯爵が口々に改革に賛成すると言ってきた。彼らは中央にいた門閥貴族のように領地を搾取の対象とは見ていない。在地領主であり領民との関わりが深い。領地に対して強い愛着を持っているし領地を発展させる事が自分達のためだと理解している。

今でも領内の発展のためにかなりの資金を使っている。領民から信頼を得ている彼らを敵に回すのは得策ではない、むしろ味方に引き入れたほうが辺境星域の統治はスムーズに行くだろう。問題は彼らが何を要求してくるかだろう。

「税を払うのには反対しません、しかし我々の領地の発展にも力を貸して欲しいのです。税を払うだけというのは困ります。それでは我々は貧しくなる一方です」

つまり国の力で領地を発展させてもらったほうが得だと考えているわけか。多くの貴族がそう考えてくれれば今回の内乱は起きなかっただろうな……。
「バルトバッフェル男爵、具体的に政府に何を望んでいるのです?」

俺の言葉に四人は顔を見合わせ、クラインゲルト子爵が話し始めた。
「先ず、医療の充実です。病院、医師、薬局……。辺境に来たがる医師はいません。当然ですが医師がいなければ病院も造りようが無い。辺境星域の住民の平均寿命はオーディンに比べれば遥かに低いのです」

「教育も同様です。どうしてもオーディンに比べれば辺境の教育レベルは落ちる。そのことも辺境星域の発展を妨げています」
「同時に領内の開発もです。特にインフラ関係を御願いしたい。水道、電気、通信……。我々の力ではどうしても限界がある」

ミュンツァー、リューデリッツが口々に要求を出す。一緒についてきた官僚たちの顔が青褪めてきた。金かかるよな、おまけに此処だけじゃないし……。こいつらの顔色が悪くなるのも分かるよ。

「元帥閣下、如何でしょうか?」
クラインゲルト子爵が問いかけて来た。笑みを浮かべてはいるが眼は笑っていない。この爺さん、俺を試すつもりらしい。

「そちらの要求は分かりました。辺境星域の開発と発展は今回の改革でも重要視されている事です。最大限の協力をする様に政府に伝えましょう」
「閣下!」
そう青い顔をするなよ、官僚君。その様子をクラインゲルト子爵が胡散臭そうに見ている。

「この場しのぎではないでしょうな」
「そんな事はしませんよ、クラインゲルト子爵。ただ一度に全てを実行するのは無理です。政府は帝国全土に対して改革を行わなければならない。辺境星域だけを特別視する事は出来ません」

「……ではどうされるのかな」
「こちらへの要望に対して優先順位をつけるか、あるいは複数を同時に進めるのであれば作業の工程を決めてください。その上でどの程度の費用がかかるのかを調べて政府に提出して欲しいのです」

「……なるほど」
クラインゲルト子爵が他の三人の顔を見た。お互いに視線を交わしていたがどうやら納得したようだ、皆が頷いている。

「分かりました、そうしましょう」
「御願いします」
その瞬間、官僚達がほっと安心するのが見えた。そしてクラインゲルト子爵の顔が皮肉な笑みを浮かべる。

「閣下、我等の要望書ですが閣下に提出しますが宜しいでしょうな」
「……結構です、問題はありません」

何で俺? そう思ったがこの時点で断われば彼らの信用を失うだけだろう。つまりこの地域の担当は俺ということか。いや、この地域だけじゃないな、これから他の地域を周るから結局は辺境星域は俺の担当ってことか……、どうやらオーディンの連中の狙いはこれか、俺はまんまと嵌められたらしい……。

官僚達の顔が強張るのが見えた。そしてクラインゲルト子爵がますます皮肉な笑みを大きくする。全くこいつら何考えてやがる、お前らがそんなだから俺に仕事が来るんだ、この馬鹿が! 後できっちり説教してやる!



帝国暦 489年 1月 10日  オーディン 帝国広域捜査局 アンスバッハ


「アンスバッハ課長、キスリング少将がお見えです」
「今何処に?」
「応接室です」
「有難う」

にこやかに話す女性職員に礼を言って、私は応接室に向かった。帝国広域捜査局第六課課長、それが今の私の肩書きだ。フェルナーは第六課の課長補佐、本来は管理職のはずなのだがどうにも身体を動かしたがり現場に行きたがる。今日も外に出かけている。或いはキスリング少将と顔を合わせるのを避けたのかもしれん。私の前で彼と親しくするのは良くないとでも考えたか……。

応接室に入るとソファーに座っていたキスリング少将が立ち上がり敬礼をしてきた。いかん、此処にいると敬礼をするのを忘れる、慌てて敬礼した。
「お呼びたてして申し訳ない」
「いや、構いませんよ、アンスバッハ准将。それで今日は一体何を」

「実はヴァレンシュタイン司令長官からある指示がありました。その件で少将の御協力を得たいのです」
「指示ですか……」
キスリング少将は訝しげな表情をした。理由は分かっている。

「アンスバッハ准将、広域捜査局は司法省の管轄下のはずです。司令長官からの指示とはどういうことです? 責めているのではありません、後々拙い事になりはしないかと心配しているのです」

やはり此処から入らなければならないか、まあ変則的だから仕方が無いんだが……。
「広域捜査局は星系間にまたがる犯罪を扱います。此処には六つの課が有り当然ですがそれぞれに役割がある。第一課は強行犯、第二課は知能犯、第三課は盗犯、第四課は鑑識、第五課は科学捜査、そして我々第六課……」

「……第六課の役割は何です?」
「テロ・スパイなど帝国の安全保障に係る公安事件です」
「……公安事件」
キスリング少将は呟くように言葉を出すと考え込んだ。第六課の正体が何なのか、大体は想像がついたのだろう。

「第一課から第五課まではルーゲ司法尚書が最終的な命令権を持ちます。しかし第六課に対してはヴァレンシュタイン司令長官が命令権を持つ……」
「しかし、それは」
キスリング少将が驚いたような声を出すがそれを遮った。

「期間は五年間です。司令長官は今後二年の間にフェザーン、同盟を降すつもりです。つまり五年間というのは宇宙が帝国の覇権の下に安定するまでの期間だろうと自分は考えています」
私の言葉にキスリング少将は何度か頷いた。

「……なるほど、一時的なものと言うことですか、了解しました。それで司令長官の指示とは?」
「オーディンの地球教が宗教活動の中で薬物を使用している可能性は無いか確認して欲しいと」

私の言葉にキスリング少将が黙り込んだ。
「……サイオキシン麻薬ですね。地球教が布教の中でそれを使っているのではないかという事ですか……」
「ええ、これから地球教を調べるのですが、その前に四百八十三年の摘発時にそのような事が有ったのかどうかを確認したいと思ったのです」

キスリング少将は考えている。彼の黄玉色の瞳が細められた。過去を追いかけているのだろう。
「いや、そのような事は無かったと覚えています。あの時憲兵隊は徹底的にサイオキシン麻薬を摘発しました。地球教が使っていてそれに気付かなかったとは思えません。また疑いがあってそれを放置したとも思えない」

「となるとここ数年で使い出した?」
「……いや、それも難しいでしょう。サイオキシン麻薬は常習性が強い、安定した供給先が無ければ薬の切れた中毒患者が暴れだします。そうなれば当然事件になる。サイオキシン麻薬を布教に使っている事が外部に漏れたら大変な事になります。そんな危険を犯すとは思えない」

キスリング少将の言う事はもっともだ。自分もそう思う。あの事件以来サイオキシン麻薬に対する世間の目は厳しい。敢えて地球教がそれを使うだろうか?
「となると司令長官の考えすぎと言うことですか……」
「ウーム、或いは供給ルートが別だったのか……」
「供給ルート?」

私の疑問にキスリング少将は考えながら答えてくれた。あの事件は最初に辺境基地に在ったサイオキシン麻薬の製造基地を叩いた。そして販売ルートをたどりサイオキシン麻薬の売人を押さえ購入者を捕らえることで製造者、販売者、利用者の全てを撲滅した。

「最初に軍のルートを叩きました。その後に売人、常用者から他のルートでサイオキシン麻薬を手に入れていないかを聞き出し、あればそのルートを叩いた。その繰り返しです」
……なるほど。徹底的に叩いた、というのはそういう事か。しかしそうであれば供給先が別ルートでも摘発を逃れたとは思えない。

「有り得るとすれば、供給先が別で売人も購入者も自分達で用意した場合でしょう。一切他の売人、利用者と接触させなかった。会員制のクラブのようなものです……。しかしそのような事が有り得たのか……。安全かもしれませんが、利益はあまり出ない、採算が取れるとも思えない……」
「会員制のクラブ……、つまり閉鎖的ということですか?」

私の問いかけにキスリング少将が頷いた。閉鎖的か……、となれば……。
「キスリング少将、少将は我々第六課の前身が何か、お気付きでしょう?」
キスリング少将は一瞬躊躇った後答えた。
「……社会秩序維持局、ですね」
「そうです」

社会秩序維持局、帝国内でこれほど評判の悪い組織は無いだろう。帝国臣民を弾圧し監視し続けた。前年の内乱ではクーデターを起そうとし、憲兵隊に潰されている。内乱終結後に組織は取り潰された。多くの人間が喝采を挙げたはずだ。

しかし国家が有る以上、国家を危うくする存在を監視する組織は必要とされる。社会秩序維持局は潰されたが消滅したわけではなかった。名前を変え、権限は遥かに縮小されたが帝国広域捜査局第六課として存在している。

「社会秩序維持局は一度地球教について調査をしています」
「それで」
「大した事は分かりませんでした。調査と言っても形式的でおざなりなものだったようです。ただ、その中で気になる事が書かれていました」

「気になる事ですか……」
「ええ、地球教は極めて閉鎖的な宗教であると。宗教なら採算は度外視するかもしれません。そうは思いませんか?」
「……」

 

 

第二百三十六話  不安

帝国暦 489年 1月 10日  オーディン 帝国広域捜査局 アンスバッハ


キスリング少将は顔を俯けて考え込んでいる、その表情は厳しい。おそらく地球教がサイオキシン麻薬を扱っている可能性を考えているのだろうが、昔から宗教と麻薬は強い関係があったと言われているのだ、地球教もその一つの例だとしてもおかしくは無い。

「アンスバッハ准将の言われる事は分かります。まさかとは思いますが……」
「地球教そのものがサイオキシン麻薬の製造者であり、売人である。そして購入者は信徒のみ……」
「だとすればあの時の捜査に引っかからなかった可能性はある、しかし……」

お互いに言葉が重い。頭のどこかにそんな事が可能なのかという思いが歯切れを悪くしている。もし地球教とサイオキシン麻薬が関係しているとしても、地球教が全ての信徒に対してサイオキシン麻薬を投与しているわけではあるまい。おそらくその一部に投与しているのだろう、そしてサイオキシン麻薬と洗脳により狂信者を生み出している……。

「キスリング少将は、……地球巡礼をご存知か?」
「地球に人間を運んでいるのでしょう。地球教の信者もいますが、観光目的の人間もいると聞いています、……まさかとは思いますが……」

キスリング少将はこちらを見ている。問いかけるような表情だ。私と同じことを考えたのだろうか?
「サイオキシン麻薬は地球で作っている。信者を常習者にするのは地球で行なっている、アンスバッハ准将はそうお考えですか?」

「地球とサイオキシン麻薬が関係しているとすればそう思わざるを得ません。地球巡礼はフェザーンが中継点となって行っていますが巡礼者の中には同盟の人間も居るようです」
「まさか……、フェザーンの入国管理はどうなっている……」

キスリング少将が呆然として呟いた。有ってはならないことだ、同盟の人間がフェザーンを経由して帝国に入ってくる。だが地球がフェザーンの裏の顔なら有り得ない話ではない。そして同盟にもサイオキシン麻薬と洗脳を受けた信者が送り込まれる……。

「我々は今フェザーンに人を派遣しています。その人間から警告が有りました。フェザーンを中継点として地球教の信徒が増えつつあると」
キスリング少将が信じられないというように首を振っている。自分も信じられない思いが有る。しかし、地球とサイオキシン麻薬が繋がっている可能性は確かに有る。

「アンスバッハ准将、地球とは、地球教とは何なのです? キュンメル事件だけではない、内乱にも連中は関与していた。いずれもエーリッヒ、いやヴァレンシュタイン司令長官の命を狙っている。准将は一体何を知っているのです?」

地球とは、地球教とは何なのか、キスリング少将が顔を強張らせて問いかけて来た。やはりそこに行きつくか。
「地球とは、フェザーンの裏の顔です。彼らは帝国と同盟を共倒れさせ、地球による銀河支配を望んでいる。フェザーンも地球教もそのために用意された……」
私の言葉を聞くキスリング少将の眼が驚愕に見開かれた。



帝国暦 489年 1月31日  帝国軍総旗艦 ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


『いや、御苦労だったの。よくやってくれた』
スクリーンには御機嫌な笑みを浮かべるリヒテンラーデ侯が居た。辺境星域の視察が終わった事を報告してからはずっと笑顔のままだ。

「よくありませんよ。私は宇宙艦隊司令長官なのですよ、軍人なんです。それなのに辺境星域の要望書は全て私のところに来る事になりました。辺境星域の開発の責任者は私になってしまったんです」

『まあ、良いではないか、彼らがそうしたいというのだからの』
何を言ってやがる、このクソ爺。さっきから顔が笑みで崩れっぱなしじゃないか。最初からこれが狙いだろうが!

クラインゲルト子爵領で思った俺の悪い予感は見事に的中した。何処に行っても辺境の貴族達の政府への不信感は酷かった。要望書は全て俺に渡すと言う、リヒテンラーデ侯でもゲルラッハ子爵でも改革派の政治家でも、誰でもいいから文官に送れと言ったが納得しない。“閣下の力で実現してください”その一点張りだ。

「正直な話、あれは一体どういうことなのです? 政府に対してかなり強い不信感を持っていますが?」
俺の言葉にリヒテンラーデ侯はちょっと困ったような表情をした。爺、カワイコぶっても無駄だ。正直に吐け、俺は怒っているんだ。

『まあ、無理も無い話しなのじゃが……、辺境星域の開発については彼らから何度も要望が出ておるのじゃ。卿は知るまいが十年ほど前までは毎年のように何処かの貴族が要望書を出しておった』
「それで」
『全て却下された……』

リヒテンラーデ侯は決まり悪げな表情をしている。
「却下の理由は何でしょう」
『決まっておる、金が無いからじゃ』
胸を張るな、爺様。金が無いのは自慢にならん。金を作ってから胸を張れ。

『彼らの要望を受容れ何処か一箇所の開発をすれば、必ず他もと言って来るのは眼に見えておる。辺境星域全土を開発するとなれば膨大な資金が必要じゃ。戦費を調達するだけで手一杯での、そんな余裕は無かった』

「貴族専用の金融機関は使わなかったのですか?」
今はもう無くなってしまったが、と言うより俺が潰してしまったが貴族には無利子、無期限、無担保で金を貸す金融機関があった。あれを使えば開発資金を用意するのは難しくは無かったはずだ。

俺の問いにリヒテンラーデ侯は手を振って否定した。
『あれは駄目じゃの、門閥貴族には貸していたが辺境の貧乏貴族になど金は貸さぬ』
遊興費は出してもまともな開発資金は出さないか……。潰して正解だな、潰すのが遅かったくらいだ。

ルドルフは信頼できる部下に領地を与えその開発を委任した。元々あの金融機関はそんな貴族達が開発資金に困らないようにという理由で作られたものだ。あいつらがちゃんと仕事をしていれば貴族も遊び癖が付かなかっただろうし、辺境星域ももっと開発されていただろう。

『一度内務省と財務省で限られた予算で彼らの要望を実現するとなればどの程度の年月が必要か試算した事がある』
「それで」
『報告書にはざっと百年はかかると書いてあったの。しかも一旦手をつければ辺境星域からの要望はさらに増えるだろうとも書いてあった。報告書の結論は開発は控えるべしじゃ』

思わず溜息が出た。リヒテンラーデ侯は困ったような表情をしている。まあ気持は分からないでもない、戦争中に膨大な予算と時間を喰う辺境開発など、誰が見ても尻込みするだろう。しかもこの戦争には終わりが見えなかった……。

『悪い事にはの、その報告書が彼ら辺境星域の貴族の間に流れた。内務省か財務省かは分からぬが、官僚の中に辺境星域から毎年のように要望書が出てくる事にうんざりしていた人間がいたらしい……』
「それで彼らは政府には辺境星域を開発する意志なし、そう判断したという事ですか」

『まあそういうことじゃの』
「それが十年前……」
『そうじゃ、それ以後は要望書が政府に送られる事は無くなった」

また溜息が出た。爺さん、首を振ってる場合じゃないだろう。言ってみれば帝国は辺境を見捨てたと言って良い。そしてそのことを辺境も理解した。良くまあ、辺境星域で反乱が起きなかったもんだ。起すだけの金が無かったか……。

原作で同盟軍が攻めてきた時に辺境星域が歓迎したのも良く分かる。家族を戦争で同盟に殺された人間もいただろう、あそこまで同盟軍を歓迎するのは何でだろうと思っていたがそういう事か。辺境星域にしてみれば同盟よりも帝国政府のほうが憎かったという事か。

クラインゲルト子爵が残ったのも領民がどうこうよりも政府なんか信じていなかったからだろう。今更政府なんか頼れるかと思ったに違いない。その上焦土作戦だ、リップシュタット戦役で辺境星域が荒れるはずだよ。まったく辺境星域は踏んだり蹴ったりだ。

まあ辺境星域が政府に対して不信感を持つのは分かった。しかし何で俺に来る?
「辺境星域が政府に対して不信感を持つのは理解しました。ですがリヒターやブラッケは改革派として知られています。辺境星域は何故彼らまで拒否するのでしょう。私に要望書を出すより彼らに出したほうが良いでしょうに」

『まあそういうな、改革を言い出したのは卿じゃ。連中にしてみれば他の誰よりも卿の方が信じられるという事じゃろう』
褒め言葉になっていない。逆に言えば、今度は彼らの期待を裏切れないという事じゃないか。全く碌でもない。

「協力はしてくれるのでしょうね。今度は失敗は出来ませんよ」
『もちろんじゃ、ブラッケやリヒター達も皆協力は惜しまん。安心するが良い……』
嬉しそうに言うな、厄介な問題は直ぐに俺に押し付ける事ばかり考える。まったく碌でもない爺さんだ。

『何時頃オーディンに戻る?』
「そうですね、後二週間ほどかかると思います」
艦隊は今ヴィーレンシュタイン星系を抜けシャンタウ星系に向かっている。そこからフレイアに出てヴァルハラ星系だ。そのくらいはかかるだろう。

『戻ったら結婚式か。準備は順調かの』
「準備なんて何もしていませんよ。毎日問い合わせがうんざりするほど来るんです。宇宙艦隊はメルカッツ提督が有る程度抑えてくれていますが、ブラッケ、リヒター、ブルックドルフ、グルック……。それに憲兵隊に帝国広域捜査局……。オーディンに戻ったら彼らに捕まって身動きが出来なくなるのは眼に見えています、そんな暇は有りません」

リヒテンラーデ侯が笑いだした。
『大変じゃの、憲兵隊と帝国広域捜査局は仕方あるまいがブラッケ達は突き放してはどうじゃ』
「そうも行きません。辺境から要望書が届きますからね、彼らの機嫌を取っておかないと」

リヒテンラーデ侯の笑い声がさらに大きくなった。
「笑い事じゃありません。誰のせいだと思っているんです。みんなこれまでの政府のつけを払っているんですよ。捕虜も戻ってきますから艦隊の再編もしなければなりません。この上結婚式の準備なんて出来るわけが無い」

このまま式は無し、そういう具合には行かないだろうか。難しいよな、ユスティーナも式は挙げたいだろうし、ミュッケンベルガーもそれは同じ思いだろう。
『なるほどの、では少し手伝うとするか』

スクリーンに映るリヒテンラーデ侯が嬉しそうな顔をした。いかん、この爺様に任せたら何を始めるか分からん。
「それには及びません。自分でやります」

『派手にやるなというのじゃろう。案ずるな、ミュッケンベルガーと相談して決めるからの、それなら良かろう』
式は無しというのは出来ない、となれば誰かに任せれば楽なのは事実だ。しかしこの爺様とミュッケンベルガー?

まともな結婚式の準備なんて出来るのだろうか? 大体この二人が結婚式を挙げたのなんて半世紀近く前の事だ。参考にはならんだろう、しかし……。

「……出席者は身近な人だけにしてください。それと最終的な決定権はユスティーナが持つという事なら」
『もちろんじゃ。こういうのは新婦の意見を優先するものじゃからの』

ちょっと心配だが、ユスティーナは控えめな性格だし、彼女の言う事ならミュッケンベルガーも無視は出来ないだろう。それに俺はこういうのは苦手だ。結局はユスティーナに任せる事になる、それならこれでも同じだ。

「……では御願いします」
『おお、そうか。では早速取り掛かるとするかの、ミュッケンベルガーに相談するか』
一瞬だがこの爺様に頼んだ事を後悔した。……大丈夫だ、ユスティーナが抑えてくれる。多分、大丈夫のはずだ……。



帝国暦 489年 1月31日  オーディン 新無憂宮 クラウス・フォン・リヒテンラーデ



結婚式は盛大にやらねばの、陛下のご希望でもある。ユスティーナに最終決定権を持たせるなど、考えたつもりかもしれんが小娘一人言いくるめんで国務尚書が務まると思ったか……。

ミュッケンベルガーとて娘の晴れ姿を豪勢にしてやりたいと思うのは親の情というものじゃろう。ましてあれは養女じゃからの、親は余計に豪勢にしてやりたいと思うじゃろうし、娘は父親の言う事には逆らえまい。

フフフ、甘いのヴァレンシュタイン。卿は肝心なところで甘いのじゃ。これを機にその甘さを叩きなおしてやる。一生に一度の晴れ舞台でそのことをしっかりと学ぶと良い。

先ずは会場じゃの、これはもう決まっておる。黒真珠の間じゃ。地球教などという善からぬ輩がおるからの、民間のホテルなどでは危ない。そう言えばヴァレンシュタインも文句は言えまい。

出席者は軍は大将以上は必須じゃな、政府関係者は各省の長、次官と言ったところか。後はヴァレンシュタインとの親密さで判断するかの。ああ、それと皇族の方々にも出席してもらわなければならんし、辺境星域の貴族達も呼ばねばの。帝国は内乱があったが今は一つに団結しているという事を内外に示さねばならん。

辺境星域の貴族達も呼ばれれば喜ぶであろうし、ヴァレンシュタインが如何に陛下の信任を得ているかという証拠を自らの目で確かめる事になる。改革がおざなりになる事は無いと安心するじゃろう。これはただの結婚式ではない、国家の一大プロジェクトなのじゃ。ヴァレンシュタインには納得してもらわねばの。

式の様子は放送させるとしよう。それも帝国内だけではなくフェザーン、同盟にもじゃ。当然だが放映料は頂く。せいぜい吹っ掛けてやる。なんと言っても主賓は陛下じゃからの。陛下が結婚式で祝辞を述べるなど帝国始まって以来の事じゃ。ヴァレンシュタインは嫌がるじゃろうが、放映料は辺境星域開発の資金に充てると言えば文句は言えまい。そのために参列者を多くしたといえばそれにも文句は言えぬはずじゃ。

楽しいの、どんどん良い案が出てくる。後は衣装と料理、それに式次第じゃが、これは宮内省にやらせよう。連中はこの間の内乱では大失態をしておるからの。此処で挽回せいと言えば必死になるじゃろう。典礼省のように潰されたくはあるまい。

さてと、とりあえずは一度陛下にご報告に行くか。あ奴に仕事を押し付けててんてこ舞いにし、式の準備はこちらで行なうと持ちかける……。真にお見事な策よ、陛下の御深謀の前にはヴァレンシュタインも赤子のようなものじゃの……。



 

 

第二百三十七話 重臣として

帝国暦 489年 2月 4日  オーディン 新無憂宮 オイゲン・リヒター



「宜しいのですか、司令長官に辺境星域の開発を押し付けてしまって」
「仕方あるまい、彼らが望むのだからの」
他人事のようだ、本当にそう思っているのか? 私は発言者を見たが相手はしらっとした表情をしている。

「そうは言っても……」
「仕事を取られた事が不満か?」
「……」
堪らず言葉を続けた私にリヒテンラーデ侯は皮肉な笑みを浮かべて反問した。嫌な事を言うご老人だ、まるで私が司令長官に不満が有るかのような言い方をする。

「はぐらかさないでください、リヒターはそういう意味で言っているのでは有りません。当初の話では司令長官を多少忙しくさせろ、そういうことでした。こちらとしても辺境星域の視察を頼める人は他にいませんでしたから話に乗りましたが、こういう事になるとは思ってもいなかったのです。なし崩しに辺境星域の貴族達の要望を受け入れることになりましたがそれで良いのかと我らは尋ねています」

ブラッケが生真面目な口調でリヒテンラーデ侯に答えた。侯は私達を見ながら面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
「まったく、面白みの無い男達じゃの。少しはヴァレンシュタインを見習え、あれはからかいがいが有るぞ。そうであろう、ゲルラッハ子爵?」

侯の問いかけにゲルラッハ子爵は困ったような表情で私達を見た。そして溜息を吐いてリヒテンラーデ侯に答える。
「その様な事を仰られるのは侯だけです。私にはとても……」
リヒテンラーデ侯がまた鼻を鳴らした。
「どうも卿らは、困ったものじゃの……」

新無憂宮の南苑の一室、薄暗い部屋に私達―――国務尚書リヒテンラーデ侯、財務尚書ゲルラッハ子爵、民生尚書ブラッケ、自治尚書である私―――がいる。リヒテンラーデ侯に辺境星域の件で話が有ると訴えると此処に連れてこられた。適当に椅子を持ち寄って座っているが何とも陰気な部屋だ。

「軍から、主として艦隊司令官達からですが苦情が来ております、司令長官の負担を増やすような事は止めてくれと。司法省、保安省、憲兵隊からもです、司令長官に権限を与えればそれだけテロの危険性が高まると……」

私の言葉にリヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵が渋い表情をした。キュンメル男爵が司令長官を殺そうとした事を思い出したのだろう。それに続く者がいないとは誰も言い切れないのだ。

「そうは言っても今辺境を開発できるのは彼以外にはいないのも事実だ。辺境星域の貴族達は政府の人間など誰も信じてはいない」
ゲルラッハ子爵が憮然とした表情で呟く。その言葉に今度は私とブラッケの表情が渋くなった。気まずい空気が部屋を支配する。

「厄介なことよの」
リヒテンラーデ侯の言葉に全員が頷いた。まったく厄介な事だ。辺境星域の開発、それを行う上で最初に手をつけたのは実態調査だった。正しい情報無しには何も出来ない。この事は十月十五日の勅令が発布された後、直ちに実行されたのだが、はかばかしい結果が上がらなかった。

門閥貴族達が協力しないことは分かる。しかしそれ以外の貴族達、辺境に居着いている在地領主達もこちらには非協力的だった。当初我々はその事をこちらに協力することで門閥貴族達に睨まれる事を恐れてのことだと思っていた。

しかし内乱終結後も状況は余り変わらない。こちらの要求にも何処か懐疑的で協力要請には消極的な態度が目立つ。そして何より気になるのは各省庁の官僚達の間にも辺境星域の開発に消極的な態度が見えることだった。

何が起きていたのかが判明したのは最近になってからの事だ。リヒテンラーデ侯を問い詰めようやく分かった。これまで政府が辺境星域を無視してきたことが大きく響いている。我々は今そのツケを払わされようとしているのだ。

貴族達が非協力的、官僚達も消極的、本当なら自分の目で辺境を視察し、現地の貴族達と話したいところだが、やらなければならないことは他にも有る。オーディンを離れることは出来ない。そんな状況だったから司令長官に辺境の視察をお願いしたのだが、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった……。

「止むを得ないことでは有る。辺境の貴族達は我ら旧来からの政治家など信じてはおらぬ。卿らのこともだ、改革派、開明派として知られていても本当に官僚達を動かす事が出来るか、彼らは疑っているのだ」

思わず顔を顰めた、私だけではない、ブラッケもゲルラッハ子爵も発言者のリヒテンラーデ侯も顔を顰めている。確かに侯の言う通りなのだ。辺境に関しての官僚達の反応は嫌になるほど鈍い。彼らを使って辺境星域を開発するのは容易なことではないだろう。

「しかし、それは司令長官も同じでしょう。内政家としての実績などありませんし、各省庁に対する影響力だとて我々以上に有るとは思えません。貴族達は一体何を考えているのか……」

ブラッケが小首を傾げながら呟くように吐いた。そんなブラッケをリヒテンラーデ侯が哀れむような視線で見て首を振った。
「分かっておらぬの、確かにヴァレンシュタインには内政家としての実績は無い。しかし、あの男はやると言った事は必ずやるからの」
「……」

「十月十五日の勅令発布の折、改革に反対するものは叩き潰すと言った。その通り門閥貴族は潰された。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も陛下の女婿であるにもかかわらず潰されたのじゃ。辺境星域の貴族達にとっては信じられぬことであろう」
リヒテンラーデ侯が何処か感慨深げに話すとゲルラッハ子爵が神妙な表情で頷いた。

「貴族達はの、ヴァレンシュタインの内政家としての実績を信じたのではない、あの男そのものを信じたのじゃ。あの男なら言った事は必ずやるだろうと……、それに卿らを抜擢し改革を唱えたのもあの男だと皆分かっている……」
「こうなるのは必然ですか?」

私の問いかけにリヒテンラーデ侯が頷いた。
「あの男がバラ園で撃たれたとき、卿らはカストロプより戻ってきたの、あの時何を考えた?」

ブラッケが私を見た。そして多少口篭もりながら答えた。
「……それは、司令長官に万一のことが有れば改革はどうなるのかと思いました」
その通りだ、あのときの不安は忘れようが無い。司令長官に万一の事が有った場合、改革がどうなるのか、リヒテンラーデ侯には、ゲルラッハ子爵には改革を継続する意思はあるのか? その不安だけが私達の心を支配した。

「そうであろう、あの男こそが改革の推進者だと卿らは思っていた。その思いは卿らだけのものではない。辺境の貴族達も同じ思いなのだ……。このままヴァレンシュタインに辺境星域を任せる。卿らはあの男の指示に従え。帝国政府が本気で辺境星域を開発しようとしていると皆が理解するはずじゃ」

「官僚達もですか?」
「官僚達もだ」
何処か皮肉を帯びたブラッケの問いにリヒテンラーデ侯は重々しく頷いた。そしてブラッケに冷笑を浴びせた。

「どうやらあの男の事を一番分かっておらぬのは卿らのようじゃの」
「そんな事は」
抗議するブラッケを無視して侯は言葉を続けた。

「内務省は分割されかつての力は失われた。宮内省は典礼省を取り込んだとは言っているが内実は宮内省の人間と典礼省の人間でポストの奪い合いよ。役に立たぬと判断された人間は左遷されつつある。あの男を怒らせるとどうなるか? 官僚達が一番身に染みて分かっているはずじゃ」
「……」

リヒテンラーデ侯の言葉に何も言えずにいると侯は微かに笑って言葉を続けた。
「まあ良い機会じゃ、いずれヴァレンシュタインにはこちら側に来てもらうからの。ここで実績を付けて貰うとするか」
「こちら側?」
こちら側とは政治家にということだろうか? 問いかけた私にリヒテンラーデ侯が頷いた。

「今のままでは拙いのじゃ。今のまま進めば帝国の政治は歪みかねん」
歪む? どういうことなのか? 思わずブラッケを見た、しかし彼も訝しげな表情でこちらを見返してくる。そしてリヒテンラーデ侯とゲルラッハ子爵は沈鬱と言って良い表情だ。

「リヒテンラーデ侯、それは改革が帝国の政治を歪めるという事でしょうか?」
ブラッケが何処か憤然とした表情で問いかけたが侯は首を振って否定した。
「そうではない、改革とは無関係なところで問題は起きている……。いや、関係が無いとは言えぬか……。問題はの、軍と政府の力関係が逆転することじゃ」

軍と政府の力関係が逆転する……、軍の力が政府の力を凌駕するという事だろうか、だからヴァレンシュタイン司令長官を政治家にする……。つまり司令長官の力で軍を抑えようとしている? 或いはヴァレンシュタイン司令長官の力が大きすぎると二人は見ているのだろうか。軍から引き離して司令長官の力を抑えようとしている? 権力争いとも思えるが、そうなのか? どうも腑に落ちない……。

「卿らも知っておろうが、ヴァレンシュタインは数年後にはフェザーンを降し反乱軍を降伏させるつもりじゃ。そうなった時、何が帝国に起きるか……、卿らは考えた事があるか?」
「……」

どういう意味だろう? 侯は必ずしも肯定的には見ていない。改革が進み宇宙が平和になるが、その一方で問題が有る、生じると見ている。しかし一体何が有るというのか……。ブラッケを見たが彼も困惑している。

私達が沈黙しているとゲルラッハ子爵が後を継いだ。
「門閥貴族、フェザーンは滅び、同盟は保護国と化す。軍の、いやヴァレンシュタイン司令長官の勢威はかつて無いほど大きいものになる。官僚達もその威に服しているのだ、対抗勢力は無いと言って良いだろう」
「……」

話の内容よりもその口調と表情が私には驚きだった。ノロノロと何処かぼやくと言うよりは呻くような口調だった。そして表情には精気が感じられない、絶望しているのではないかと思えるほどだ。

「我々が何らかの政治的決断をしようとした時、常にヴァレンシュタイン司令長官の意向を推し量るようになる。そして軍の中にもそれを利用しようとする人間が現れるかもしれない。そうなれば帝国の政治は軍が動かす事になるだろう。侯が心配しておられるのはそういうことだ」

「しかし司令長官は軍の力を利用して権力を私物化するような方とも思えませんし、司令長官の勢威を利用しようとする者を許すとも思えませんが?」
杞憂だ、この二人が考えているのは杞憂としか思えない。そう思って私が反論するとリヒテンラーデ侯がこちらをジロリと見た。

「そんな事は分かっておる。問題は軍が政治を動かす事が常態化すると言うことじゃ。あれが生きている間は良いかもしれん。しかしその後はどうなる? 何かにつけて帝国の政治は武断的な色合いを帯びよう。そうならぬように今から手を打たねばならぬのじゃ」
「……」

「今はまだ私が生きているから良い。しかし……、ゲルラッハ子爵、私の死後卿が国務尚書になったとしてあの男から圧迫感を感じずに政(まつりごと)を執れるかの?」
リヒテンラーデ侯の問いかけにゲルラッハ子爵は溜息を吐いて答えた。
「とても無理です。何かにつけて司令長官の事を慮るでしょう」

「そうじゃろうの」
リヒテンラーデ侯は私とブラッケを見ながら答えた。分かったか、と言いたいのかもしれない。私は司令長官から圧迫感など感じなかった。それは最初からヴァレンシュタイン司令長官を改革の後ろ盾と考えていたからだろう。

改革ではなく帝国の政治全体を考えた場合はどうだろう、やはり圧迫感を感じるだろうか? いや圧迫感ではなく、むしろ彼に縋ったかもしれない。……なるほど、軍が政治を動かす事が常態化するか……、有り得ない話ではない。

私は、おそらくブラッケもだろうが、改革を行いこの国の不条理を正す事に主眼を置いていた。しかし目の前の二人は帝国という国の在り様を考えていた、そこが彼らと私達との違いなのだろう……。

「ヴァレンシュタインは帝国軍三長官の一人とはいえ、序列で言えば軍では第三位の地位にある。本来なら尚書である卿らのほうが地位は上、帝国の重臣なのじゃが、その卿らが軍の一高官に遠慮をする。正しい姿とは言えぬ……」
リヒテンラーデ侯が首を振りながら呟く。

「司令長官にどのような地位を用意するのです?」
ブラッケの質問にリヒテンラーデ侯が薄く笑いを浮かべた。
「帝国宰相、と言ったところかの」
「!」

リヒテンラーデ侯の言葉に驚愕が走った。ブラッケがこちらを見ながらリヒテンラーデ侯に途惑いがちに問いかけた。
「しかし、宜しいのですか?」
「別に私は構わん。あれが後を引き受けてくれれば楽ができるからの」

そういうことではない、帝国宰相! この一世紀、帝国宰相が置かれた事は無い。皇帝オトフリート三世が皇太子時代に帝国宰相を務めたのが最後だ。それ以後は臣下が皇帝の先例に倣うことを避け国務尚書が帝国宰相代理として政府を率いている。その慣例を破る事になる。

驚いている私達をリヒテンラーデ侯は笑みを浮かべながら見ていたが、その笑みを収めると低く凄みのある声を出した。
「国務尚書ではいかぬのじゃ。国務尚書はあくまで帝国宰相の代理でしかない。基本的には無任所の尚書、言わば軍務尚書と同格よ。あの男には帝国宰相としてこの国の文武の頂点に立って貰わねばならん」

「あの男の望むところではないかもしれん、しかしもう引き返せぬのじゃ……。卿らも心するがよい、国家の重臣となった以上、改革を行なう事だけがその任ではないぞ。国家の行く末を考えてこそ政治家じゃ。それこそが政(まつりごと)を執るという事でもある。それが出来ねば官僚となんら変わるところは無い、その事を忘れるな……」
「……」

「ヴァレンシュタインにはそれができる。だから皆があの男を頼るのじゃ。あの男の本質は軍人ではない、政治家じゃ。にもかかわらず、今現在は軍の一高官に過ぎぬ……。力量ある人物が地位を得ぬ事の恐ろしさが分かったか?」
「……」

リヒテンラーデ侯の言葉に私もブラッケも頷く事しか出来ない。今更ながら目の前の老人が国務尚書として帝国の舵を取ってきたのだと思い知らされた。圧倒的なまでの威圧感だ。

「本人に野心が有れば謀反を考えるじゃろう、野心が無ければ不必要に周囲に影響を与えかねぬ。こうも力を持ってしまえば、それは国家の不安定要因でしかないのじゃ。困った事にあれはその辺りが良く分かっておらぬ」
「……」
嘆くような口調だ。侯は司令長官の行く末を危ぶんでいる。そしてその事を悲しんでいる……。この人は司令長官が好きなのだろう。

「あれを国家に役立てるためには帝国宰相にするしかない。そのためにも辺境星域の開発に失敗は許されぬ。良いな、必ず成功させるのじゃ。さすれば誰もがあの男こそ帝国宰相に相応しいと納得するであろう。それこそが帝国の繁栄と安定を守る事になる、頼んだぞ」
「はっ」

自然と頭が下がった。国家とは、政治とは何なのか、国家の重臣としての見識とは何なのかを目の前で教えられた。私もブラッケも侯から見ればまだまだひよこに過ぎないのだ。この老人から何時か認められる時が来るのだろうか?



 

 

第二百三十八話 式典の陰で

宇宙暦 798年 2月 15日  ハイネセン 統合作戦本部 ヤン・ウェンリー


「いやはや、パーティというものは疲れるな」
「それでも歓迎式典に比べればましでしょう」
「確かにそうだ」
私とウランフ提督の言葉に皆--ボロディン本部長、ビュコック司令長官、グリーンヒル総参謀長--がそれぞれの表情で頷いた。

「歓迎式典では国防委員長は大分気合が入っていましたな」
「今も馬鹿共を相手に気勢を上げているだろう、一体何を考えているのか……、あの男の頭の中を覗いてみたいものだ」
“あの男”、ボロディン本部長の言葉は国防委員長に対して敬意の欠片も無かったが、誰もその事を咎めようとはしなかった。

「例の件、お話しになるのですか?」
私が問いかけるとボロディン本部長は頷いた。
「話す、事は緊急を要するからな。貴官からの要望も今此処で話すつもりだ」
「有難うございます」

今日、二月十五日は帰還兵歓迎式典と祝賀パーティが行なわれた。歓迎式典は最初から最後まで空疎な美辞麗句とヒステリックな軍国主義的熱狂で終わった。あの二時間で一生分の忍耐心を使い果たした気分だ。大声を出せば勝てるとでも思っているのだろうか、馬鹿馬鹿しい。

我々は祝賀パーティを抜け出し統合作戦本部の応接室に居る。もう直ぐトリューニヒト議長を始め、政治家達が来るだろう。今日はこれから政府、軍部の人間達が非公式に集まって意見を交換する事になっている。同盟市民が捕虜交換で大騒ぎをしている時に我々はこっそり集まって会議とは……。偉くなるのも考え物だ。

議長達が来たのは三十分程経ってからだった。トリューニヒト議長の他、レベロ財政委員長、ホアン人的資源委員長が一緒だ。ネグロポンティ国防委員長は祝賀パーティに残った。議長が退席した以上、国防委員長は残ったほうが良いと進言したのはボロディン本部長だ。トリューニヒト議長はその提案を受け入れた……。

「さて、先ず君達に話す事が有る」
トリューニヒト議長が切り出した。珍しいこともあるものだ、普通は他愛ない話をして場の空気をほぐそうとする。それが無いとはかなり重要な事を話そうとしているようだ。こちらの用件も重要だが此処は向こうの話を聞くべきだろうか? 制服組は皆視線を交わしている、私と同じことを考えているのだろう。

「フェザーンのオリベイラ弁務官が面白い事を言ってきた。フェザーンの自治領主、マルティン・ペイワードが帝国と同盟を共存させるべくフェザーンに和平交渉をさせてもらいたいと提案してきたそうだ」

“ほう”というボロディン本部長の声が上がった。そして言葉を続ける。
「それでオリベイラ弁務官はどうしたのです」
「一顧だにしなかったようだ。傀儡の分際で何を、とでも考えたのだろう。まあ、それでも私に報告は上げてきたがね」

幾分苦笑を含んだ口調でトリューニヒト議長は我々に説明した。
「オリベイラ弁務官がペイワードの提案に否定的なのは、ペイワードが帝国に擦り寄ろうとしているのでないかと疑いを持ったからだ。ペイワードは帝国に居るボルテック弁務官を通して帝国に接触をと考えている、その事が気に入らなかったようだ」

なるほど、和平交渉を口実にボルテックとの関係を修復し帝国に通じる。現状の帝国と同盟の戦力差を考えれば当然出てくる発想だろう。だが本当にそれだけだろうか? 或いは和平そのものを喜ばなかったとしたら……。

「なかなか上手く行かぬものですな」
ビュコック司令長官が首を振りつつ言う、ボロディン本部長、グリーンヒル総参謀長が頷くのが見えた。帝国は同盟を滅ぼそうとしている、和平の意思は無い。そう思っても出来る事なら和平をと言う思いがあるのだろう。

「諦めるのが早いですな、ビュコック司令長官。トリューニヒト議長はペイワードと直接話し、彼に帝国との和平交渉を進めて欲しいと依頼しました」
何処か揶揄を含んだような口調でビュコック司令長官を窘めたのはホアン委員長だった。

「宜しいのですかな、議長。彼が裏切るかもしれませんが?」
揶揄された事が面白くなかったのかもしれない、一瞬だがビュコック司令長官はホアン委員長を見、そしてトリューニヒト議長に視線を向けた。

「ペイワードが同盟を裏切る気になれば、勝手に帝国と交渉を始めるだろう。ならば止める意味が無い。それに和平は無理でも帝国の内情を知る事ができるかもしれない。情報源は少しでも多いほうが良いだろう」

「ボルテック弁務官は帝国寄りと聞いていますが?」
「構わんよ、グリーンヒル総参謀長。和平となれば帝国に強いパイプを持つ人物が必要だ。現実問題としてボルテック弁務官以外に人はいないだろう」
何人かが同意するかのように頷いている。その通りには違いない。

「なるほど……、交渉を進めるのはペイワード、ボルテックラインで良いと思いますがそれを最終的に監督するのは誰です? オリベイラ弁務官ですか?」
不安そうな表情でウランフ副司令長官が問いかけた。おそらくオリベイラ弁務官が交渉を妨害するのではと考えたのだろう。トリューニヒト議長が首を横に振って否定した。

「いや、私だ。ペイワードの報告は私とオリベイラ弁務官に対して行なわれ、私の指示の元、和平交渉は行なわれる。オリベイラ弁務官はアドバイザーとして私へ助言するという立場になる」

トリューニヒト議長も、和平交渉を一顧だにしなかったオリベイラ弁務官を監督者にしては何かにつけて交渉を阻害しかねない、ペイワードもやり辛いと見たか。だが無視するのも拙い、そこでアドバイザーか……。上手く行くだろうか……、私は考えすぎなのだろうか。

「ペイワードと話して分かった事が有る。帝国と同盟の和平というのは彼の考えではない」
「?」
妙な事を議長が言い出した。ペイワードの考えではない? では和平交渉を言い出したのは誰だ? まさかとは思うがボルテック? 皆も訝しげな表情をしている。

「ルビンスキーの前の自治領主、ワレンコフの考えだそうだ。ペイワードはワレンコフの側近で信頼されていたらしい」
「待ってください、確かワレンコフは事故で急死しましたが、あれは……」

思わず口走った私にトリューニヒト議長が頷いた。
「地球教の話が本当なら暗殺の可能性が有るだろう。ペイワードは地球教の事を知らないようだ。ワレンコフもそこは話さなかったのだろう。だからペイワードはワレンコフはルビンスキーに暗殺されたと考えている。ルビンスキーが自治領主になった時、ペイワードが補佐官を辞めたのはその所為だ」

意外な事実だ、皆唖然としている。しかし、ワレンコフが同盟と帝国に和平を斡旋しようとしたのであれば暗殺は十分にありえる。ペイワードがルビンスキーを疑ったのは不自然ではない。

「地球は同盟と帝国を戦争で疲弊させ共倒れさせようと考えた。当然だがワレンコフはその事を知っていただろう。しかしペイワードの話によるとワレンコフはこのまま戦争が続けば共倒れよりも先に帝国の統治力が弱体化し、有力貴族たちが独立、地方政権を作るのではないかと考えたようだ」

トリューニヒト議長が周囲を見回しながら話を続ける。
「独立した貴族達は自分の手で帝国の再統一を目指すだろう。その時必要になるのが金だ。彼らが簡単に金を手に入れようとすれば当然だがその眼はフェザーンに行く。彼らは先を争ってフェザーンを自分のものにしようとする事になる」

当然と言って良い、軍備は金がかかるし戦争はさらに金がかかる。経済力の裏付け無しに戦争など出来ない。

「そうなれば同盟も黙ってはいない。フェザーンを他者の手に委ねる事は出来ないと出兵する事は間違いない。フェザーンは独立を奪われ、富を奪われ一気に没落する。ワレンコフはそう考えた……」
部屋の中にトリューニヒト議長の声だけが流れる。

「おそらくワレンコフは地球の望む共倒れが起きる可能性は極めて低いと考えたのだと思う。であれば地球の復権などに協力すべきではない、フェザーンの繁栄を守るべきだと判断した。フェザーンの繁栄を守るにはフェザーンの中立が必要だ、そして中立を保証する帝国、同盟の両者が必要だと考えた……」

「つまりそれが帝国、同盟に和平を斡旋しようとした、という事ですか」
「そういうことだ、ヤン提督。そしてそれが地球の知るところとなり逆鱗に触れた……」

ワレンコフの考えは正しいのかもしれない。しかし地球にとっては許せる事ではなかっただろう。自分達は疲弊と貧困に喘いでいるのに、その自分達を、創生者である自分達を見捨ててフェザーンだけが繁栄しようとするワレンコフの考えは受け容れる事の出来ないものだったのではないだろうか。

恐怖もあったかもしれない。おそらくワレンコフにとって地球は邪魔以外の何物でもなかったはずだ。和平斡旋後、或いは斡旋中かもしれないが何処かで地球の陰謀を帝国に伝え、その陰謀を粉砕したに違いない。地球もそれは分かっていただろう。

「ペイワードがこの時期に自治領主になったのも単に己個人の野心からではないようだ。彼はワレンコフの遺志を継いで同盟と帝国の和平を成し遂げたい、それがフェザーンの中立維持と繁栄に繋がると考えている」

「なるほど、議長がペイワードに和平交渉を委ねたのはそれが有ったからですか」
ボロディン本部長の言葉にトリューニヒト議長が頷いた。皆、何処と無く感慨深げな表情をしている。ワレンコフを、そしてその遺志を継ごうとしているペイワードの事を考えているのかもしれない。人は死ぬ事は有っても人の遺志は受け継がれるという事か……。

「状況証拠では有りますが地球教の陰謀が存在する可能性は高まりましたな」
「しかし物的な証拠は未だ何も無い」
「ヤン提督が帝国にそれを依頼しましたが、こちらでもフェザーンの長老会議を調べては如何です? このままでは埒が明かない」

ウランフ提督とボロディン本部長の会話に皆が視線を交わした。ウランフ提督が苛立つのも分かる。例のフェザーン成立に協力した人間だがサンフォード前議長以外の協力者も判明した。しかし地球との繋がりは見えなかった。地球は巧妙に姿を隠している。決め手が見えないのだ。

ややあってレベロ委員長が口を開いた。
「それは止めたほうが良いだろう。彼らを調べればこちらが地球の存在に気付いたと向こうに教える事になる。我々は地球について殆ど知らない。その我々が唯一持っているアドバンテージがこちらが地球の存在に気付いた事を向こうは知らないという事だ。その優位を捨てる事は無い」

唯一のアドバンテージ、その言葉にウランフ提督が顔を顰めた。頼りないアドバンテージだと思ったのだろう。しかしそれでもアドバンテージである事には違いない。レベロ委員長を応援しようというのだろう、その後をトリューニヒト議長が繋いだ。

「レベロの言う通りだ。現時点で長老会議を調べれば地球がどう反応するか分からない。……場合によってはフェザーンで暴動を起すかもしれん。そうなればフェザーン占領を唱える人間がまた力をつけるだろう。今は控えるべきだ」

「では、何時彼らを調べるのです。このままずっと放置しておくのですか?」
何処か納得がいかないといった口調のウランフ提督に対し、トリューニヒト議長がゆっくりとした口調で話した。
「帝国から証拠が提示された時、それを同盟市民に提示した時だ。その時こそ地球教を一気に取り締まる事になるだろう……」

しばらくの間、沈黙があった。その沈黙を打ち破るようにボロディン本部長が咳払いをした。
「トリューニヒト議長、軍からもご報告する事が有ります」
「地球についてかね?」
「いえ、主戦派についてです」

政治家三人が顔を見合わせた。そしてレベロ委員長が探るような視線で向けてきた。
「何が有ったのかね?」
「いささか厄介な事になりつつあります。此処から先はグリーンヒル総参謀長から説明させます。総参謀長、頼む」

政治家達の視線がグリーンヒル総参謀長に集まる。厳しい視線だが総参謀長はたじろぐ事無く静かに話し始めた。
「この国でクーデターが起きる可能性があります」
「!」

政治家達がまた顔を見合わせた。彼らの顔は驚愕に満ちている。トリューニヒト議長が押し殺した低い声で問いかけて来た。
「どういうことだね、それは」

「これまで我々は情報部に主戦派の動向を調べさせていました。情報部のブロンズ中将からの報告は、主戦論を煽ってはいる、動向は注視すべきだが必要以上に警戒すべき点は現時点ではない、そういうものでした」
グリーンヒル総参謀長の言葉が静かに部屋に流れる。そしてトリューニヒト議長を始め政治家達は黙って聞いている。先程までの驚愕はもう無い。

「昨日の事です、情報部のバグダッシュ中佐と偶然会う事が有りました。中佐は私に何時彼らを拘束し取り調べるのかと尋ねてきたのです。私は意味が分からず、どういう事かと彼に問い返しました。それで分かったのですが、ブロンズ中将は意図的に主戦派の動きを隠蔽し虚偽の報告を行っております」
「……」

トリューニヒト議長の顔が苦痛に耐えるかのように歪んだ。議長だけではない、他の二人も同じように表情をゆがめている。レベロ委員長が強い口調で吐き捨てた。
「馬鹿共が!」

その激しい口調にグリーンヒル総参謀長は僅かに視線をレベロ委員長に向けたが、何事も無かったかのように話し続けた。
「バグダッシュ中佐によればフェザーンで例の紛争が有った頃から主戦派の士官達の間で会合が度々開かれたようです。そしてそれは今現在も続いている。我々は地球の事、そして捕虜交換の事に気を取られ、ブロンズ中将の報告を鵜呑みにしていました……」

「つまりブロンズ中将は主戦派の一員で、彼が虚偽の報告をしたのは我々を油断させるためだという事か……。その狙いはクーデターだと君達は見ている……」
ホアン委員長が呻くように呟いた。

「間違いないのだね、唯の不平家達の集まりではない、そう見て良いのだね?」
トリューニヒト議長の言葉は柔らかかった、だが視線は厳しい。間違いは許さない、そういうことだろう。

「会合に参加しているのは第十一艦隊司令官ルグランジュ中将、第三艦隊司令官ルフェーブル中将、エベンス大佐、クリスチアン大佐、ベイ大佐、マーロン大佐、ハーベイ大佐……、そして元宇宙艦隊司令長官ロボス退役大将、フォーク予備役准将……。艦隊司令官が二人もいます。唯の不平家達の集まりとは言えません、たとえそうであっても危険すぎます……」

グリーンヒル総参謀長の言葉が部屋に流れた。それきり沈黙が落ちる。皆、総参謀長の言葉の重みを噛締めているのだろう。議長は腕を組んで目を閉じている。レベロ委員長は首を振り、ホアン委員長は視線を床に落としたままだ。

「ルフェーブル中将は焦っているのではないかね。先日の失態で更迭されると……」
レベロ委員長が問いかけて来た。クーデターなど信じたくないのだろうが認識が甘いだろう。此処は疑ってかかるべきところだ。

「そうかもしれません。しかし私は別な可能性を考えています」
「別な可能性?」
「あのフェザーンの紛争は同盟内部に緊迫感と帝国への敵意を強めるために行なったのではないかと」
「……」

「実際あの事件が起きたきっかけ、訓練予定地を誰が摩り替えたかは未だに判明していません。ルフェーブル中将の命令で第三艦隊司令部全員が関わった、そして隠蔽している、そう考えれば何故事実関係がはっきりしないのかも説明がつきます」
総参謀長の言葉の後に小さく罵る声が聞こえた。ホアン委員長がしきりに首を振っている。

「陰謀に参加しているのは軍人だけではありません」
「どういうことだね」
トリューニヒト議長が訝しげに問いかけた。総参謀長は一瞬躊躇いを見せたが議長を見詰め静かに言葉を続けた。

「国防委員長が彼らの会合に参加している事が判明しています」
「!」
全員の視線がトリューニヒト議長に向かった。議長の顔面は蒼白だ。“馬鹿な”と呟くのが聞こえた。

「トリューニヒト議長、その件についてネグロポンティ国防委員長より何か聞いていますか?」
「いや、聞いていない」
掠れる様な声だった。議長の身体が小刻みに震えている。議長の身体を動かしているのは怒り、恐怖、それとも屈辱だろうか……。

「クーデターはかなり以前から計画されていたのかもしれません。今まで彼らがクーデターを起さなかったのは捕虜交換前に実行すれば、それを理由として帝国が捕虜交換を拒否する可能性を考慮したのではないかと思います。捕虜交換が済んだ今、彼らの足枷は無くなりました。政権を奪取し軍の再編を行いフェザーンを占領する。おそらくはそれが狙いでしょう」

オリベイラ弁務官がクーデターに参加している可能性が有るだろう。ペイワードの和平交渉を一蹴したのもその所為かもしれない。グリーンヒル総参謀長の話ではビュコック司令長官はオリベイラ弁務官に対しかなり強い不安を抱いていたようだ。どうやら司令長官の懸念が当たったのかもしれない……。


 

 

第二百三十九話 揺れる同盟

宇宙暦 798年 2月 15日  ハイネセン 統合作戦本部 ヤン・ウェンリー


「ネグロポンティが……」
「……トリューニヒト、大丈夫か?」
「……大丈夫だ、レベロ」
心此処に在らずといった様子のトリューニヒト議長をレベロ委員長が気遣った。大丈夫だと答えてはいるが顔面は蒼白だ。

「グリーンヒル総参謀長、クーデターが起きる日時は迫っているのかね?」
ホアン委員長が横目でトリューニヒト議長を見ながら問いかけて来た。
「分かりません、しかしそう考えるのが妥当でしょう。早急に彼らを拘束する必要があります」

“早急に彼らを拘束する”、その言葉が部屋に響いた。
「準備は出来ているのかね?」
「明後日には……」
「拘束は可能か……」
トリューニヒト議長の呟きにグリーンヒル総参謀長が頷いた。

「出来る限り被害は最小限なものにしなければならんでしょう。これ以上兵力が減少するような事態は避けなければ……」
ビュコック司令長官の発言に皆が頷いた。ようやく捕虜交換が実現し兵力の増強が図れたのだ、間違っても同士討ちでそれを無にするようなことをしてはならない。

「それに、内乱が起きるような事になれば帝国がどう動くか……」
「帝国は軍事行動を起すと思うかね、ウランフ副司令長官?」
ウランフ副司令長官の言葉にトリューニヒト議長が問いかけた。ようやく落ち着いたようだ。

「総力を挙げてのものとはならないとは思います。しかし、たとえ三個艦隊でも帝国が動かせば同盟にとっては十分に脅威です。そして帝国にはそうするだけの余力がある……」

皆の表情が歪んだ。内乱が起きた場合、帝国が三個艦隊をイゼルローン方面に動かせば第十三艦隊は身動きが取れなくなる。内乱の制圧は司令長官直卒の第五艦隊のみで行う事になるだろう。ビュコック司令長官だけでルフェーブル、ルグランジュの両名を相手にする事になる。極めて不利な状況だろう。

「しかしそれも彼らの拘束に成功すれば問題はありません、私は問題はハイネセンよりもフェザーンにあると考えています」
「フェザーン? それはどういう意味だね、フェザーンのアル・サレム中将がクーデターに関与しているというのかね、総参謀長?」
グリーンヒル総参謀長の言葉にレベロ委員長が尖った声を出したが、総参謀長は落ち着いた声で答えた。

「アル・サレム中将だけではありません、オリベイラ弁務官も関与している可能性があります。彼はフェザーンの返還に消極的のようですが、それはペイワードを信じていないからではなく、帝国との和平に反対だからではないでしょうか?」
「……」

トリューニヒト議長、レベロ、ホアン委員長の表情が強張る。どうやらグリーンヒル総参謀長もその可能性に気付いたか……。問題はフェザーンだ、こちらをどう押さえるか……。

「同盟が当初フェザーン方面に三個艦隊を動員したとき、彼らはいずれもフェザーンへの侵攻を主張しました。あの時、派遣軍にはオリベイラ弁務官も同乗していました。あの時からフェザーンを占領すべきだと彼らが考えていたとしても不思議ではないでしょう」
「……」

グリーンヒル参謀長の話が終わっても誰も後を続けようとはしなかった。皆黙って考え込んでいる。ややあってボロディン本部長が躊躇いがちに話を始めた。
「アル・サレム、ルフェーブル、ルグランジュ、彼らは帝国領侵攻作戦に加わっていません。本来なら敗北した我々は閑職に追われ、彼らが軍の中枢に座ってもおかしくは無かった」
「……」

「しかし現実には我々が軍の中枢に居ます。そして帝国との間で和平をと考えている。彼らにとって我々は敗北者であり裏切り者なのかもしれません。だとすれば許せる存在ではないでしょう」

本部長が力なく首を振った。ビュコック司令長官は目を閉じ、ウランフ副司令長官は沈痛な表情をしている。自分達が軍の中枢に居る事が間違っているとは思わない、主戦派などが中枢に居るよりよっぽどましだ。しかし周囲から受け入れられない存在だと思われている事を認識させられるのは決して楽しい事ではない。

「それは私も同じだ。主戦論を煽っておきながら今になって帝国との和平、協調路線を歩んでいる。彼らにとっては受け入れられる存在ではない……。クーデターか、確かに有り得ない話ではないな……」
ボロディン本部長の言葉にトリューニヒト議長が自嘲を含んだ声で答えた。

「ハイネセンは手当てが出来ている、問題はフェザーンか……。どうすれば彼らを、オリベイラやアル・サレムを抑える事が出来るかね?」
ホアン委員長の問いかけに沈黙が落ちた。皆が視線を交わす。ややあってグリーンヒル総参謀長がホアン委員長に答えた。

「……一番良いのは第九艦隊の人間に抑えさせる事ですが、果たして誰が味方か分かりません。第九艦隊の人間を使うのは危険でしょう……」
「手が無いと言う事か……」
ホアン委員長が暗い表情で呟くように吐いた。

「ペイワードを使う事は出来ませんか?」
私が提案すると皆が私に視線を向けた。
「彼は帝国と同盟の和平、そしてフェザーンの独立を望んでいます。彼にとってクーデターの成功は悪夢以外の何物でもないはずです。必ず協力してくると思うのですが……」

「確かに協力はしてくれるかもしれん、しかしそれではペイワードに借りを作る事になるな。その分だけ彼の政治的な地位も上がる……」
レベロ委員長が顔を顰めた。確かにそれは有るだろうが他に手は無い、割り切るべきだ。そう言おうとしたときだった、トリューニヒト議長が口を開いた。

「構わんさ、レベロ。ペイワードの政治的な地位が上がればボルテックも和平交渉に前向きになるかもしれん。悪い話じゃない。どの道フェザーンは返還するのだ、こちらのコントロール下におく必要は無い、協力者で十分だ」
「それもそうか……」

トリューニヒト議長は頷くレベロ委員長から我々に視線を向けてきた。
「ペイワードには私から話そう。彼のほうで準備にどの程度時間がかかるか、それに合わせてこちらもクーデターを起そうとしている連中を拘束する」

ボロディン本部長がグリーンヒル総参謀長に視線を向けた。総参謀長が頷くと本部長も頷き返してから議長に答えた。
「あまり長くは待てません。それだけは忘れないでください」
「分かっている。君達を失望させるような事はしない」

「ヤン提督はイゼルローン要塞に戻します。クーデターが起きれば帝国の動向が心配です。彼にはイゼルローンに居てもらわなければなりません。そしてビュコック司令長官、ウランフ副司令長官にも艦隊に戻ってもらいます」
ボロディン本部長の言葉に皆が頷いた。そして本部長が一瞬私に視線を向けてから言葉を続けた。

「それと万一に備えてトリューニヒト議長の命令書を頂きたいと思います。クーデターを鎮圧し、国内の秩序を回復せよと」
「それは君宛かね、それともビュコック司令長官かな?」

「私宛に御願いします。それを元にビュコック司令長官、ウランフ副司令長官、ヤン提督に私が命令を下します」
「分かった、明日朝一番で君に届けよう」

何とか対応策はまとまった。問題は時間だろう……。おそらくはここ数日が勝負になる。どちらが機先を制するか、それ次第だ。



帝国暦 489年 2月 15日  オーディン 宇宙艦隊司令部 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



昨日、私達はオーディンに戻ってきた。それ以来ヴァレンシュタイン司令長官の機嫌は控えめに言っても良くない。はっきり言えば最悪だ。普段は穏やかな笑みを浮かべて仕事をしている司令長官が今は苦虫を潰したような表情で書類を見ている。おまけに飲んでいるのは水なのだ。

リッチェル中将、グスマン少将も司令長官とは視線を合わせようとはしない、触らぬ神に祟りなしといった風情で仕事をしている、女性職員も同様だ。そのため司令長官室は常日頃の活気ある職場ではなくピリピリしたような緊張感のある職場になっている。ゼッフル粒子でも充満してるんじゃないかと思えるほどだ。

ヴァレンシュタイン司令長官が不機嫌なのは自身の結婚式が理由だ。司令長官はリヒテンラーデ侯に騙されたと思っている。本人は地味に行いたかったようだが、リヒテンラーデ侯の手配で式は新無憂宮の黒真珠の間で行われる事になった。民間のホテルや教会ではテロの危険が有るということでそれなりに筋は通っている。

しかし黒真珠の間で行なわれる以上、陛下の御臨席は避けられない。いわば国家的な行事になってしまったのだ。参列者も当然豪華絢爛と言って良い顔ぶれになった。軍、政府の高官、皇族、貴族……。貴族達の中には辺境星域の貴族も含まれている。

“帝国は内乱があったが今は一つに団結しているという事を内外に示さねばならん。辺境星域の貴族達も呼ばれれば喜ぶであろうし、卿が如何に陛下の信任を得ているかという証拠を自らの目で確かめる事になる。改革がおざなりになる事は無いと安心するじゃろう”

リヒテンラーデ侯の言葉に司令長官は反論できなかった。唯一反論らしい反論といえば経費の事だったけれどそれも無慈悲に粉砕された。“経費は一帝国マルクもかからん、フェザーンの放送会社から放映料を取る事で解決した、余った金は辺境星域の開発資金に回す。問題はあるまい”

結婚式は三月十五日に行なわれる。あと一月も先の事だがこの不機嫌がずっと続くような事が無い事を願うのみだ。オーディン到着後、リューネブルク大将が司令長官を冷やかしたが司令長官はジロリと視線を向けただけで黙殺した。

流石に拙いと思ったのだろう、大将は早々に退散し、それ以後司令長官を冷やかすような愚か者は居ない。艦隊司令官達も神妙な表情で決裁文書を持ってくる。もっとも陰では皆笑っている。結婚式を楽しみにしているのだ。そして司令長官も皆が笑っているのを知っているから余計に不機嫌になる。でもそろそろ……。

「閣下、そろそろ機嫌を直されては如何ですか。そのように不機嫌にされては周りに与える影響も良く有りません」
「……」
駄目だわ……、ジロリと睨んできたし口元はへの字になっている。

「自宅でもそのように不機嫌な顔をされているのですか?」
「……そんな事が出来ると思いますか?」
「いえ……」

あちゃー、怒らしちゃったか。まあ家じゃ出来ないとは私も思う、奥さんとミュッケンベルガー元帥の前でこんな仏頂面なんてできるわけ無い。拙い、何とかしようと思って話しかけたのだけど地雷原の周りで飛び跳ねているような感じがする。誰か助けてくれないかと思うのだけどリッチェル中将、グスマン少将も知らぬ振りだ。

「大佐に分かりますか? 全宇宙に私の結婚式が放送されるのですよ、いい晒し者です。何でこうなったのか……」
溜息混じりの司令長官に対して“それは閣下がリヒテンラーデ侯に式の段取りを任せたからです”、とはとても言えない。そんな事言ったら司令長官の目からトール・ハンマーが飛び出すに違いない。

「お目出度い事なのです、盛大に皆で喜びを分かち合おうと言うのはおかしなことでは有りません。捕虜交換で帰ってきた兵士も司令長官が捕虜交換に尽力したことを知っています。式に列席は出来なくても式を見て祝福したいとは思っているでしょう。平民達もです」

少しは機嫌を直してくれるかと思ったけど無駄だった。司令長官は不機嫌そうに私を見ると空になったグラスを突き出した。
「お水をください」
「はい……」

何時になったらココアを淹れてくれと言ってくれるのだろう……。何処かで戦争でも起きないだろうか、そうなれば司令長官も何時までも不機嫌ではいられないのに。

私達を助けてくれたのは帝国広域捜査局のアンスバッハ准将とフェルナー准将だった。司令長官は二人の姿が見えると直ぐに立ち上がった。そして二人を応接室に誘う。司令長官の姿が応接室に消えると司令長官室に安堵の雰囲気が広がった。

「リッチェル中将、グスマン少将、少しは助けてください」
私が問いかけるとリッチェル中将が首を横に振って返事をした。
「無理だね、フィッツシモンズ大佐。貴官が宥められないものを我々にできるはずが無いだろう」
隣でグスマン少将が頷いている。思わず溜息が出た。私は司令長官の子守?



帝国暦 489年 2月 15日  オーディン 宇宙艦隊司令部 アントン・フェルナー


司令長官室はピリピリしていた。多分エーリッヒの結婚式が原因だろう。エーリッヒは派手な事が嫌いだからな。全宇宙に放送なんて、エーリッヒにしてみれば嫌がらせ、いや虐め以外の何物でもないだろう、不機嫌になったに違いない。

俺としても地雷を踏むつもりは無い。此処はアンスバッハ准将に任せて俺はできるだけ沈黙を守る事にしよう。
「司令長官閣下、御指示の有りました地球教とサイオキシン麻薬の件ですが」
「何か分かりましたか? アンスバッハ准将」

「オーディンには地球教の支部が三箇所有ります。その内の一つの支部で信徒の中に何人かにサイオキシン麻薬を使用しているのではないかとの疑いがあります」
エーリッヒは黙って聞いている。

「但し、地球教が組織としてサイオキシン麻薬を信徒に与えているという証拠は今のところありません。現状ではたまたま信徒にサイオキシン麻薬の使用者が居たというだけでしょう」

エーリッヒが不満そうに鼻を鳴らした。珍しい事だ、こいつは滅多に他人の前で不機嫌な表情、しぐさを見せない。それが鼻を鳴らしている。よっぽど結婚式が面白くないらしい。

「今、我々が取りうる手段は二つ有ると思います」
「……二つ」
「はい、一つは疑いのある支部に対する強制捜査、もう一つは地球への潜入捜査です」
エーリッヒはアンスバッハ准将の言葉に考え込んでいる。

「閣下、我々としては地球に人を派遣したいと思うのですが」
「……」
「周辺を探るより心臓部を探ったほうが証拠を得やすいと思うのです」

アンスバッハ准将が地球への直接捜査を提案している。これまでエーリッヒは地球への直接捜査は認めてこなかった。相手を刺激する事無く油断させておきたい、その考えがあったのだろう。だが現実にそのやり方では行き詰まりつつある。この辺で打開したいと俺もアンスバッハ准将も考えているのだ。

「潜入捜査ですか……」
「はい」
「危険ですよ、ミイラ取りがミイラになる可能性がある。余り勧める事は出来ません」
エーリッヒが首を振っている。なるほどエーリッヒが恐れているのはそっちか。

「確かに危険は有ります。しかし地球教の放置はもっと危険でしょう。躊躇うべきではないと思います」
アンスバッハ准将の言葉にエーリッヒは眉を顰めて考えている。やがて溜息をついた。

「分かりました。くれぐれも慎重に御願いします」
「はっ」
アンスバッハ准将が俺を見て頷いた。俺も准将に頷き返す。これでようやく地球教の実態を掴む事ができるだろう。これからが地球教との本当の戦だ……。



 

 

第二百四十話 謀反に非ず その生き様を見よ

宇宙暦 798年 2月 19日  ハイネセン 最高評議会ビル   ジョアン・レベロ


最高評議会ビルの議長室に四人の男が集まった。この部屋の主である最高評議会議長ヨブ・トリューニヒト、ボロディン統合作戦本部長、ホアン・ルイ人的資源委員長、そして私、財政委員長ジョアン・レベロ。

皆一様に表情は硬い。特にトリューニヒトの表情が険しい。この男がこれ程までに険しい表情をするのは珍しいことだ。国防委員長、ネグロポンティがクーデターに加わっている事がショックなのだろう。

「それで手筈は大丈夫なのかね?」
「問題は有りません。既に憲兵隊は手配を整えています。後はフェザーンとネグロポンティ国防委員長だけです」
私の言葉にボロディン本部長が答えた。その答えに皆がトリューニヒトに視線を向けた。

クーデターが起きる可能性が有ると分かってから四日が経った。この四日間、トリューニヒトは極秘でペイワードを相手にフェザーンにおけるクーデター勢力の鎮圧方法について調整していた。ようやくまとまったから集まってくれと言われたのが昨日だ。

「フェザーンは問題ない。ペイワードは協力を約束してくれた。彼にとってフェザーンの独立を維持するためにはクーデターなど許せるものではないからな、大丈夫だ」
自らに言い聞かせるような口調だった。

「彼に地球教の事を話したのか?」
「いや、そこまでは話していない。いずれ話すことになるとは思うけどね。ただ、身辺に注意するようにとは忠告しておいた」
ホアンとトリューニヒトが話している。

「彼はレムシャイド伯爵への連絡も自分がしても良いと言ってくれたが、それは断った。そこまでペイワードに頼んでは帝国にこちらの足元を見られるだろうからな」
トリューニヒトの言葉に皆が頷いた。

「そうなると残りはネグロポンティ国防委員長ですが……」
「彼はもうすぐここに来る」
「……」

「大丈夫だよ、ボロディン君。彼と話をするだけだ、その後は彼の身柄は君に預けることになる。他の連中の逮捕もすぐに行ってくれ」
ボロディン本部長が無言で頷いた。

ネグロポンティ国防委員長が議長室に来たのは三十分程経ってからだった。その三十分の長さは何とも言えない。一分一秒がその十倍の長さを持つかのように思えたし時間が経つにつれて議長室の空気は重くなる一方だった。彼が来たときには思わず安堵の溜息が出たほどだ。問題はこれからだというのに……。

「議長、お呼びと聞きましたが?」
「ああ、君に話しが有ってね」
ネグロポンティは何ら屈託の無い表情をしている。そして我々が部屋にいることに訝しげな表情をした。しかしそこには不安そうな様子は無い。一瞬だが本当にこの男がクーデターに関与しているのかと思った。

「君は私に不満が有るのかな、クーデターに関与しているそうだが?」
トリューニヒトの言葉に議長室の空気が重くなった。ボロディン本部長が静かに右手をブラスターにかけるのが見えた。恐らくは認めないだろう、あるいは抵抗するかもしれない。

「ようやく気付かれましたか……。心配していました、このまま気付かなければどうしようかと」
ネグロポンティは抵抗するでもなく否定するでもなくただ苦笑していた。

どういうことだ、ネグロポンティはクーデターに関与していることを肯定している。しかしそこには微塵も後ろめたさはない。それに心配していました? 思わずホアン、ボロディンを見た。彼らも困惑した表情をしている。

「どういうことだね、ネグロポンティ君。君は本当はクーデターには関与などしていないのではないかね。本当のことを話してくれ、君と私の仲じゃないか」
何処か縋る様なトリューニヒトの口調だった。しかしネグロポンティが首を横に振った。

「いいえ、私は主戦派とともにクーデターを計画しました。その事は事実です」
トリューニヒトの顔が苦痛に歪んだ。
「何故だ? 何故なんだ? ネグロポンティ」

「貴方のためです、トリューニヒト議長」
「私のため? どういうことだね、それは」
「この国にしぶとく蔓延る主戦派を一掃するためです」
「!」

思わずネグロポンティの顔を見た。穏やかな表情だ、何処にも気負いも野心も見えない。その表情のままネグロポンティが言葉を続けた。

「貴方にもそれはお分かりでしょう。それなしではフェザーンの返還、帝国との和平など不可能だという事が」
「……ネグロポンティ」

「以前から考えていました。同盟が帝国との協調路線を歩めるかどうか……。もちろん帝国がそれを受け入れるかどうかという問題が有りますが、それ以前に国内が纏まらなければ帝国に対し提案そのものが出来ません」

「そしてそのために常に障害となるのが主戦派です。その事は貴方が議長になってからの苦労を見ればわかる。常に主戦派に配慮して行動せざるを得なかった。そのために必要以上に国内調整に時間がかかっている」

ホアンが頷くのが見えた。その通りだ、同盟政府は常に主戦派に対して配慮して行動せざるを得ない。その分だけ行動が制約されるし時間がかかるのだ、つまり帝国が自在に手を打ってくるのに対しどうしても後手になりがちだ。その事に誰よりも苛立っているのはトリューニヒトだろう。

「つまり君はクーデター計画を探るために主戦派に近づいたというわけかね?」
トリューニヒトの言葉にネグロポンティは苦笑を漏らした。

「そうでは有りません。クーデターを計画したのは私なのです」
「ネグロポンティ君……」
「そう、私がクーデター計画の主犯です」

そう言うと今度は可笑しそうにネグロポンティが笑った。さっきから笑っているのはこの男だけだ……。

「何故だ? 何故そこまでする? 探るだけで十分だろう……」
問いかけたホアンにネグロポンティが答えた。

「私が主戦派に接触したのは例のフェザーン回廊での同盟軍と帝国軍の遭遇戦の直後です。最初は私もそう思っていました、主戦派を探るだけだと……。しかし、地球教の事を知って考えを変えたのです」

地球教、その言葉に皆が視線を交わした。
「同盟市民として反帝国感情、主戦論が有るのは仕方ない。しかし何らかの目的を持つ勢力に利用されるような存在は許すべきではないと……」

「だからクーデターを計画したというのか」
呻くようなトリューニヒトの口調だった。そしてネグロポンティの声はどこまでも穏やかで冷静だ。

「そうです、議長。不平分子、不満分子では排除はできません。また排除しても彼らに同情が集まるようでは逆効果です。だから彼らを反逆者にする必要が有ったのです。それなら問題なく排除できます」

「……」
「私を反乱の首謀者として逮捕してください。私は愚かにも貴方に不満を持ち自らがこの国の支配者になることを望んだ。しかし貴方にクーデター計画を見破られ、説得され全てを自白した……。それによってクーデターの参加者を逮捕したと」

「そうすることで私の立場を守れと言うのだね」
「そうです。貴方は傷付いてはいけない。最高評議会議長は誰からも尊敬され仰ぎ見られる強い存在でなければいけないのです……」
諭すようなネグロポンティの口調だった。

「何故だ、何故そこまでする。私が君にそんな事をしてくれと何時言った。何故だ?」
苦悩という言葉を人が表すなら今のトリューニヒトがそれだろう。声が表情がその全てが苦しみを表している。

少しの間沈黙が有った。ネグロポンティは苦しんでいるトリューニヒトを見ている。そしてゆっくりとした口調で話し始めた。

「ずっと考えていました。貴方にとって自分は何なのだろうと……」
「……」
「私は盟友ではなかった。貴方にとっての盟友はレベロ委員長でありホアン委員長だった。私は数多くいる取り巻きの一人でしかなかった……」
「ネグロポンティ君……。君は……」

「勘違いしないでください、議長。私はその事を残念には思いましたが不満に思ったわけではないんです。私の器量は貴方の盟友になるには何かが足りなかったのでしょう」
「……」

「だから私に何が出来るかを考えました。数多くいる取り巻きの一人だから、取り換えのきく存在だから、何が出来るかを考えました。そしてクーデターを考えたんです。私にできる、いえ私だからできるクーデターを」
「ネグロポンティ君……」

何かを堪えるようにトリューニヒトが呟いた。そんなトリューニヒトをネグロポンティは辛そうに見ていたが笑顔を浮かべると場違いなほどに明るい声で話し始めた。

「楽しかったですよ、議長。ほんの少し貴方の悪口を言い、ほんの少し主戦論を言うだけで良かった。それだけで主戦派は私を仲間だと思い近づいてきたんです。もう少しで本当にクーデターを起こしてしまうところでしたよ」

おどけたようにネグロポンティが話す。彼のトリューニヒトを思う気持ちが伝わってきた。遣る瀬無い思いに囚われているとトリューニヒトが呻くような口調で答えた。

「起こせば良かったんだ、そうすれば君を憎み蔑むことが出来た。起こせば良かったんだ……」
「議長……」
トリューニヒトは俯きネグロポンティも俯いている。

「私の後任はアイランズをお願いします」
「アイランズ……。彼は知っているのか?」
二人とも小さな声だった。俯きながら小さな声で話している。相手の顔を見ることを、大きな声で話すことを恐れているかのようだ。

「全て知っています。彼はこの計画に反対でした。ですが最後は理解してくれました。彼ならこのクーデター計画で得た成果を十分に利用してくれると思います」
「分かった、そうしよう」

ネグロポンティが私とホアンを見た。
「議長の事を宜しくお願いします」
何も言えずただ頷いた。ホアンも一緒だ。

「ボロディン本部長、これまで色々と迷惑をかけた。アイランズと上手くやってくれ、議長を頼む。議長には君達の協力が必要だ」
「承知しました」
「それと憲兵隊を呼んでくれ、私の逮捕だ」
「既に手配は済んでいます」

ボロディン本部長の言葉に嘘はなかった。三分と待たずに憲兵隊が議長室にやってきた。ボロディン本部長と憲兵隊がネグロポンティの身柄を拘束し連れ去ろうとする。その後ろ姿にトリューニヒトが声をかけた。

「ネグロポンティ君、忘れないで欲しいことが有る」
「……」
「私が居たから君が居たんじゃない、君が居たから私が居たんだ。君は私が誰よりも信頼する友人だった。忘れないでくれよ、その事を」

ネグロポンティは何も言わなかった。だが小刻みにその肩が揺れているのが見えた。そして議長室を出て行った。

「レベロ、私は何をやっているのかな」
「……」
「主戦論を煽った、そしてそれに振り回されている。その挙句にネグロポンティに後始末をさせた。しかも彼を犠牲にしてだ……」

泣いているのか、トリューニヒト……。シャンタウ星域で一千万人死んでもお前は動揺を見せなかった。それなのに今のお前はネグロポンティを失う事にこんなにも動揺している。

「しっかりしろ、トリューニヒト。そんなことでネグロポンティが喜ぶと思っているのか? お前は最高評議会議長なんだ、その事を忘れるな」
「私は友人のために泣くことも許されないのか」

泣き笑いの声だった。いつも陽気で冷酷で楽観的なこの男がこんなにも自虐的な笑みを浮かべている。ネグロポンティの馬鹿野郎、お前は正しいのかもしれない。だがどうしようもない馬鹿野郎だ。

「今日だけは許してやる。だが明日は許さん、分かったな」
「今日だけは許してやるか……。君は優しいな、レベロ」
「やかましい! さっさと涙を拭け、お前の涙など見たくもない、今日は厄日だ!」

トリューニヒトの笑い声が聞こえた。泣きながら笑っている。全くどうしようもない奴だ、こっちまで涙が出てきた。ホアンも鼻をすすっている。ネグロポンティの馬鹿野郎、お前の所為だ、今日は最悪の一日だ。


 

 

第二百四十一話 一波纔に動いて

帝国暦 489年 2月 20日  オーディン ミュッケンベルガー邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



枕元のTV電話が受信音を鳴らしている。スクリーンの一角には番号が表示され点滅している。リヒテンラーデ侯の番号だ、起きねばなるまい。保留ボタンを押しそっとベッドから抜け出した。ユスティーナを起こしたくは無い。

冷えるな、ガウンを羽織り部屋を出ようとした時だった。
「貴方……」
起こしてしまったか……。ユスティーナが半身を起して俺を見ている。不安そうな表情だ。無理もない、夜中に夫を呼び出されれば誰だって不安になるだろう。そうでなければこっちが不安になる。

「緊急の連絡が入ったようだ。長くなるとは思わない、気にせずに休みなさい」
「はい……」
敢えて大したことではないように言った。もっともユスティーナにとっては気休めにもならないだろうという事は分かっている。

寝室を出て通信室に向かう。二メートル四方の小さな部屋だ。防音完備、TV電話、FAX等の通信装置だけが有る。ミュッケンベルガーは軍の重鎮だった。当然機密に接する事は多かった。家族を信頼しないわけではなかっただろうが周囲に余計な気を使わせたくなかったのだろう。屋敷にかかってくる連絡は此処で受けていたようだ。今は俺が使っている。TV電話の受信ボタンを押した、老人、俺を待っているだろう。

「申し訳ありません、お待たせしました」
『いや、こちらこそ夜遅く済まぬの、休んでおったか』
スクリーンには済まなさそうにしているリヒテンラーデ侯の顔が有った。時刻は二時を過ぎている。オーディンの冬は寒い、夜遅くて辛いのは俺よりもリヒテンラーデ侯の方だろう。それに以前は俺が夜中に侯を叩き起こした、文句は言えん。詰まらない事で起こす様な御仁ではない事も分かっている。

「お気になさいますな、何か起きましたか」
俺の問いかけにリヒテンラーデ侯が頷いた。爺さん、大丈夫か、寒そうだぞ。
『フェザーンで妙な事が起きた』
「妙な事と言いますと」

スクリーンに映るリヒテンラーデ侯は困惑したような表情をしている。珍しい事だ、フェザーンか、だとすると地球教か、いや、妙な事と言っていたな。
『レムシャイド伯から連絡が有ったのだが、反乱軍のオリベイラ弁務官が拘束されたそうだ』
「……」

『それだけではない、駐留している艦隊の司令官を始め主だったものも拘束されているらしい』
「……誰にです?」
『それが、レムシャイド伯の話ではペイワードだというのじゃ』
「……」

なるほど、確かに妙だ、寒さもぶっ飛ぶしリヒテンラーデ侯が困惑するのも分かる。傀儡であるペイワードが操り人であるオリベイラを拘束するなど本来有り得ない。同盟から独立でもするつもりか。帝国に鞍替えした、有り得ない話じゃない、国力はこちらの方が上だ。

「ペイワードからは事前にレムシャイド伯に連絡が有ったのでしょうか」
『いや、何もなかったそうだ。妙であろう』
「確かに」
リヒテンラーデ侯も同じ事を考えたか……。

事前にレムシャイド伯に対して根回しが無かった、これをどう考えるかだな。突発的に起こしたか、或いはそこまで頭が回らない愚か者か……。いやその前に確認する事が有ったな。

「自由惑星同盟はレムシャイド伯に何か言ってきましたか」
『それよ、レムシャイド伯はそのような事を一言も言ってはおらなんだ。ますます妙であろう』
同盟政府は何も言っていない……。リヒテンラーデ侯もそこに気付いたか……。

「知らないと思いますか?」
リヒテンラーデ侯が首を横に振った。
『それはなかろう』
同感だ、先ずそんなことは無い。となるとハイネセンの了解のもと動いているという事になる……。

『独立ではないかもしれんの』
「操り人が代わりましたか……。新しい操り人はハイネセンですね」
『そうじゃろうの』
オリベイラはクビか。問題は何が理由でクビになったかだ。

「ハイネセンで何が起きたと思います?」
『さて……、オリベイラだけではない、艦隊司令官まで拘束されたとなると……』
リヒテンラーデ侯が俺を見た。その先は俺が言えという事か。

「単なる罷免では有りませんね、クーデターか、或いはそれに類するものか。オリベイラと艦隊司令官の拘束はそれに関係していると思います」
『そんなところかの』
クーデター、おそらくは主戦派によるものだろう。リヒテンラーデ侯が顎を撫でている。顎が細いんだからあんまり似合わないって。

可能性は二つだな、ハイネセンでクーデター計画が発覚した。オリベイラと艦隊司令官はそれに関与していた、よって拘束された……。もう一つはハイネセンでクーデターが起きた。クーデター勢力はフェザーンを直接コントロールしようとしてオリベイラと艦隊司令官を拘束した。そんなところだろう。

クーデターか、どうも腑に落ちないな。フェザーンに駐留しているのは第九艦隊、アル・サレム中将だが政治的な動きをする男なのか? ルグランジュならわかるがアル・サレム……。今一つピンと来ない。となるとフェザーンはクーデターには無関係、ハイネセンでクーデターを起こした連中がフェザーンを直接コントロールしようとした……。

「問題はハイネセンでしょう。今ハイネセンを支配しているのが誰なのか」
リヒテンラーデ侯が“ウム”と言って頷いた。
『……場合によっては内乱になるかの』
「可能性は有りますね」

可能性はある、原作でも内乱が起きたんだ。この世界で起きても不思議じゃない。誰が起こした? グリーンヒルか? だが政府と軍の関係は悪くないように見える。どうも分からん、判断材料が少なすぎる……。

「情報が欲しいですね、判断材料が少なすぎます」
『同感じゃの、レムシャイド伯からの続報を待つしかあるまい。明日、いや今日じゃな、朝八時に新無憂宮に来てくれ』
八時か、年寄りは朝が早いな、もう三時だぞ。

「エーレンベルク、シュタインホフ元帥は如何します」
『私の方から連絡を入れておく』
「承知しました」

通信が切れた後、部屋を見渡した。絵画一つない殺風景な部屋だ、冬のオーディンにはお似合いの部屋だろう。どうする、もう三時だ、寝ているかもしれん……、連絡を入れるか……。連絡を入れると直ぐに相手が出た。

『エーリッヒか』
「良かった、起きていたのか、ギュンター」
『卿に連絡を入れるかどうするかで迷っていた』
キスリングが苦笑していた。

「遠慮しなくていい、用が有るときは連絡をくれ」
『ああ、そうするよ』
「フェザーンの件だな」
俺の問いかけにキスリングは頷いた。

『知っているのか』
「オリベイラと第九艦隊司令部がペイワードに拘束された事はリヒテンラーデ侯から聞いた。元はレムシャイド伯だ」
俺はリヒテンラーデ侯との会話の内容をキスリングに伝えた。キスリングは所々で頷いている。

『俺の所にはラートブルフ男爵、シェッツラー子爵、ノルデン少将から連絡が有った』
「役に立っているようだね」
『とてもね。反乱軍や地球教からの接触は無いがフェザーンの状況は分かる。役に立っている、そう思っていたんだがな』

妙な言い方をするな、それにキスリングの口調には自嘲が有る。
「何か有るのかい」
『ラートブルフ男爵が妙な事を言ってきた』
「……」

『オリベイラが拘束された直後、ランズベルク伯と連絡を取ったらしい。その時、伯はこう言ったそうだ。“これでまた帝国への帰還が遅くなる”』
自分の表情が厳しくなるのが分かった。なるほど、そういう事か。

「伯はオリベイラ達と通じていたという事か、男爵はそれを知らなかった……」
『そういう事だな。……ラートブルフ男爵は謝っていたよ、ランズベルク伯を甘く見たと。自分達に相談する事無くそんな事が出来る男だとは思わなかったと』
キスリングが苦い表情をしている。ラートブルフ男爵以上にキスリングの方がショックを受けているようだ。

「成長したのかな?」
キスリングが笑い出した、俺も笑う。
『馬鹿、冗談言っている場合か』
「冗談じゃないさ、成長したのでなければ知恵を付けた人間が居る。捕虜になった連中には気を許すなとね。問題はそいつが誰かだな、オリベイラ達なら良い、そうじゃないなら問題だ」

『ルビンスキーか、地球教か』
「……さて、何者かな。まあ碌でもない奴である事は確かだろうね」
またキスリングが笑った。
『向こうもこっちの事をそう言っているさ』
違いない、他人を操って自分の思い通りにする人間など碌な奴じゃない。

「しかしこれで分かった。ハイネセンでは主戦派がクーデターを起こそうとしたが失敗したという事だろう。オリベイラ達は主戦派に与していた、或いはその疑いが有ったため拘束された」
『ペイワードはハイネセンの指示で動いた、そういう事だな』
「そういう事だろうね」

主戦派が潰されたか……、出来れば内戦で国力を消耗してくれれば有難かったんだが上手く切り抜けたようだ。手強いな、トリューニヒトは思ったよりも手強い。油断は出来ない。

主戦派の後ろには地球教が居るかもしれない。おそらく向こうも分かっているだろうがハイネセンには調査を依頼すべきだな。アンスバッハとフェルナーにも伝えておく必要があるだろう。

「ギュンター、ラートブルフ男爵に伝えてくれないか。私が感謝していると」
『分かった』
「それと無理はするなと伝えて貰いたい。もしかすると疑われている可能性が有る。無理は禁物だ」

キスリングが俺をじっと見ている。もしかすると、いや多分確実にランズベルク伯に知恵を付けた奴を探らせるべきだと思っているのだろう。そのためには多少の無理も止むを得ないと……。

「頼むよ、ギュンター」
釘をさしておこう、ラートブルフ男爵はこちらに協力的なようだ。使い捨てにすることは無い。

『分かった、伝えておこう』
キスリングが苦笑している。多分、俺の事を甘いと思っているんだろう。だがラートブルフ男爵がこちらの協力者だとばれればシェッツラー子爵、ノルデン少将の身も危うくなる。無理をする必要は無い……。

その後アンスバッハ、フェルナーへの連絡をキスリングが行う事を確認して通信を切った。いかんな、もう四時近い。それでもあと二時間程は眠れるか……。いや、考える事が有る、多分眠れないだろう。ユスティーナ、心配しているかもしれん。俺が通信音で起きた時、彼女も眼を覚ましていた。眠っていてくれれば良いんだが……。



帝国暦 489年 2月 20日  オーディン  ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



夫が戻ってこない。夜中に通信が入って部屋を出て行ったきり戻ってこない。十分、三十分、一時間、そして二時間が過ぎようとしている。何か厄介な問題でも起きたのだろうか……。いや、夜中に夫を呼び出すのだ、重大な問題が起きたのは間違いない。

夫はガウンを着て行ったようだけど寒く無いのだろうか、何か着る物を持って夫のところに行こうかと思ったけど、大事な話の邪魔はしたくない。その程度の気遣いも出来ない女だとも思われたくない……、なんてもどかしいのだろう。

気にせずに休めと言われたけど、到底休むことなど出来そうにない。夫が国家の重臣で有る以上、こういう事が起きるのは仕方ないと理解はしている。でも、他の人達はどうなのだろう。私と同じように夫を待って眠れない夜を過ごしているのだろうか。

ドアが静かに開いた、夫が足音を殺して部屋に入ってくる。多分私を起こさないように気遣っているのだろう。眼を閉じて寝たふりをする、夫に無用な心配をさせたくない……。

衣擦れの音がする、ガウンを脱ぎ終わった夫がベッドにそっと入ってきた。眠らなくてはいけない、そう思った時だった、夫が小さく溜息を吐くのが聞こえた。眠れなくなった、夫が苦しんでいると思うと身体が不自然に強張る様な気がするし、呼吸も苦しい。

そのまま時間が過ぎた、五分? 十分? 突然夫がクスクスと笑うのが聞こえた。
「寝たふりは下手だね、ユスティーナ」
「……気が付いていらっしゃったの」
どっと身体から力が抜ける感じがした。

夫に視線を向けると夫は身体を私の方に向けていた。顔には穏やかな笑みが有る。私の好きな穏やかな、優しい笑み。私も夫の方に身体を向ける。
「心配しなくて良い。厄介な事ではあるが今すぐどうこうというわけではないから」
「でもさっき溜息を吐いて……」
「ああ、思うようには行かないと思ってね。なかなか手強い」

夫がまた溜息を吐いた。
「貴方でも思うようには行きませんの?」
「?」
「皆、貴方には出来ないことは無いと言っていますけど」

私の言葉に夫は笑い出した。
「思うようにいかない事ばかりだ。私の周りには喰えない人間ばかりいる」
「まあ、そんな人が居ますの」

夫が私を面白そうに見ている。
「ああ、寝たふりをして私を騙そうとする君とかね」
「まあ」
「こっちにおいで」
夫が笑いながら私を抱き寄せた。狡いと思う。本当に喰えないのはこの人、いつもこうやって私を思い通りに操るのだから……。





 

 

第二百四十二話 器と才

帝国暦 489年 2月 20日  オーディン  新無憂宮  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



朝、いつも通り八時半にミュッケンベルガー邸を訪ね、ヴァレンシュタイン元帥を迎えに行くと元帥はリヒテンラーデ侯に呼び出され既に新無憂宮に出かけたと元帥夫人が済まなさそうに教えてくれた。どうやら昨晩、いや多分深夜だろうが呼び出しが有ったに違いない。早い時間に呼び出しが決まったのなら私にも連絡が有る。

ミュッケンベルガー邸を辞去し門を出ようとすると元帥の護衛官達がやってきたところだった。事情を話し一緒に新無憂宮へと急ぐ。ヴァレンシュタイン元帥からは宇宙艦隊司令部で待っているようにと伝言が有ったがそうはいかない。護衛も無しでうろうろしているのだ、冗談ではない。

新無憂宮に着くと護衛官達は控室で待機に入った。私は元帥を探す、職員に尋ねると国務尚書の執務室とのことだった。急いで執務室に行き部屋の前で待つ。五分としないうちに二人の軍人が現れた。軍務尚書と統帥本部総長の副官だ。

執務室の中には国務尚書、ヴァレンシュタイン元帥の他に軍務尚書と統帥本部総長が居るらしい。となると話の内容はかなり軍事色の強いものだろう。国務尚書とヴァレンシュタイン元帥だけならどちらかと言えば政治色が強くなる。

不思議な人だ。帝国軍三長官の一人、宇宙艦隊司令長官として実戦部隊のトップであるのに政治面では国務尚書の相談相手になっている。そして辺境星域の開発の責任者でもある。本人は“何で私が”なんて言っているけど内心ではまんざらでもないのは分かっている。辺境星域の開発案を楽しそうに見ているのだから。一体元帥の本当の仕事は何なのやら……。

ドアが開いて三人の元帥が出てきた。順にエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、ヴァレンシュタイン元帥。三人とも表情は決して晴れやかではない。特にエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥は苦虫を潰したような顔をしている。

三人の元帥が顔を見合わせた。微かに頷いてエーレンベルク元帥が最初に離れた。副官が後を追う。そのまま五分ほどたってからシュタインホフ元帥が離れ、その後を副官が追った。その間誰も一言も喋らない、重苦しいほどの沈黙だった。

さらに五分ほどたってからヴァレンシュタイン元帥が歩き始めた。三元帥が一度に動かないのはテロを恐れての事だ。昨年起きた内乱で何度かヴァレンシュタイン元帥を暗殺しようとする動きが有った。それ以後、帝国軍三長官が一緒に移動する事は無くなっている……。

廊下を行きかう職員、廷臣がヴァレンシュタイン元帥に挨拶をする。それに応えながら出口に向かうと控室から護衛官達が現れ元帥の前後に立った。鋭い目で周囲を見ながら元帥を護衛する。新無憂宮を出て地上車に乗り込むと宇宙艦隊司令部を目指した。

何が有ったのか……。隣に座る元帥の表情からは何も読み取れない。知りたいとは思ったが問いかけるのは控えた。知って良い事なら元帥が話してくれる……。
「自由惑星同盟でクーデターが有りました」
「!」
「いや、正確にはクーデターは未遂で終わったというべきでしょうね」
元帥は正面を見ている。どうやら元帥にとっては期待外れだったようだ。

「主戦派によるものでしょうか」
私が問いかけると元帥は無言で頷いた。そして微かに笑みを浮かべた、自嘲?
「出来れば潰し合ってくれれば良かったのですけどね、いささか虫が良すぎましたか……」
やはり自嘲だ。拗ねた感じがちょっとカワイイ。

「主戦派は壊滅した、同盟軍は一枚岩になった、そういう事でしょうか」
「さあ、主戦派というのは根が深いですからね。これで終わりかどうか……。ただ現在の軍首脳部の力が強まったのは事実でしょう、手強い相手がより手強くなりそうです」

元帥は一点を見ている。何を見ているのか、いずれ起きる戦いか、或いは元帥が最も警戒している敵、ヤン・ウェンリーか……。
「フェザーンのオリベイラ弁務官、そして第九艦隊司令部の面々は自治領主、ペイワード氏が拘束したそうです。思ったよりもフェザーンと同盟の関係が良い、面白くない状況ですね」

なるほど、元帥が考えていたのはそちらか。フェザーンが同盟に協力的だとするとフェザーン方面からの侵攻作戦は結構苦労するかもしれない……。面白くないと元帥がぼやくのも分かるような気がする。

「この後の予定はどうなっています?」
「十時からシュトックハウゼン上級大将と会う事になっています。午後からは辺境星域開発の件で打ち合わせが……」

私の答えに元帥は一つ頷いた。
「シュトックハウゼン上級大将と会う前にメルカッツ副司令長官に会いたいですね。副司令長官の予定を確認してください。私の方から副司令長官室に行きます。それと十一時から各艦隊司令官を会議室に集めてください」
「分かりました」

おそらくこの件をメルカッツ提督に伝え、その後で皆に伝えるのだろう。携帯用PCを立ち上げメルカッツ提督の予定を確認する。幸いメルカッツ提督は午前中は予定が無かった、こちらは問題ない。早速連絡を入れ時間を抑える。後は会議室を抑えて艦隊司令官達に会議招集のメールを送った。

“終わりました”と言うと司令長官が頷いた。ちょうど宇宙艦隊司令部が見えてきた。時間は九時二十分、シュトックハウゼン上級大将が十時には来るから九時五十分にはメルカッツ副司令長官との会談を終わらせなければならない。



帝国暦 489年 2月 20日  オーディン  宇宙艦隊司令部  トーマ・フォン・シュトックハウゼン



宇宙艦隊司令部、此処に来るのは本当に久しぶりだ。帝国歴四百八十三年にイゼルローン要塞司令官を命じられたのだから六年ほどはオーディンを離れていた事になる。当たり前の事だが此処に来るのも六年ぶりか、相変わらずそっけない廊下だ。帝国が日々変わりつつあるのにそれをもたらした宇宙艦隊司令部の廊下はなんの変わりもない……。

捕虜交換が行われてから約二ヵ月が過ぎた。私がオーディンに戻ったのが二月の五日、帰還直後に軍務尚書より自宅療養を命じられ二月二十日に宇宙艦隊司令部への出頭を命じられた。

あの時の事は今でも覚えている。上級大将に昇進すると言われ、とても受ける事は出来ないと固辞した。しかし“捕虜帰還者は全員一階級昇進する事になっている。卿がそれを辞退すれば他の者も受け辛かろう”と言われ固辞しきれなかった。

約二年に及ぶ捕虜生活は確かに私の心身を蝕んでいたのだろう。日々イゼルローン要塞を守り切れなかった事を自責し、その事で周囲の目を、非難を怖れた。自分が要塞を守りきればゼークトは死なずに済んだ、三百万の帝国兵が死なずに済んだ。眠れない日々が続き何度も自殺を考えた……。

妻からは痩せたと言われ、娘からは白髪が増えたと言われた。どちらも分かっている。つらい二年間だった。そして捕虜生活から解放された今、私の心はひたすらに休息を求めている。上級大将に昇進した事も重荷だった。出来ることなら今からでも固辞したい……。

イゼルローン要塞を守れなかった、その所為で大勢の人間が死んだ、ゼークト……。おそらく軍への復帰は無理だろう。或いは閑職に回されるのかもしれないが、むしろ退役を望んでいる自分が居る……。

約束の時間の十分前、少し早いかと思ったが来訪を告げると司令長官室への入室を許された。ドアを開けると騒々しいと言って良いほどの物音が私を驚かせる。引切り無しにかかってくるTV電話音と受け答えする女性下士官の声、書類をめくる音と忙しそうに歩く女性下士官の足音。なるほど、噂には聞いていたがなんとも形容しがたい雰囲気だ。戦闘中でも此処まで騒がしくは無いだろう。

気圧される様な気持で部屋を見ていると背の高い女性士官が近づいてきた。
「シュトックハウゼン閣下、小官は司令長官閣下の副官を務めるフィッツシモンズ大佐です。司令長官閣下はもうすぐ戻られますのでこちらでお待ち下さい」

彼女が指し示したのは執務机の傍に有る応接セットだった。礼を言ってソファーに座ると直ぐに女性下士官が笑顔でコーヒーを出してきた。ハテ、蔑みの目で見られるかと思ったのだが……

コーヒーを一口、二口飲んでいると司令長官室のドアが開いてヴァレンシュタイン司令長官が急ぎ足でこちらに近づいてきた。慌てて起立して敬礼をする、司令長官の答礼を待ってから礼を解いた。

「遅くなって申し訳ありません、待たせてしまったようですね」
「いえ、そのような事は有りません。約束の時間には未だ五分あります」
ソファーに座りながら眼の前の青年を見た。

目の前の元帥は穏やかに微笑んでいる。はて、司令長官はこちらに悪い感情を持っているわけではない様だ。ちょっと不思議な感じがした……。私と元帥は殆ど接点が無い。唯一ともに戦ったのは第六次イゼルローン要塞攻防戦だけだ。押し寄せる反乱軍を彼が瞬時に撃退したことは今でも鮮明に覚えている。その後の彼は国内の内乱に備えるため外征に出ることは無かった。

私が捕虜になる前に宇宙艦隊副司令長官になった。平民でありながら二十歳そこそこで宇宙艦隊副司令長官に就任、貴族に生まれていれば帝国軍三長官に間違いなくなれただろう。だが平民ではこれが限界だ、惜しい事だと思ったことを覚えている。

その後イゼルローン要塞陥落後、宇宙艦隊司令長官に就任。反乱軍を打ち破り、門閥貴族を斃し、国内の改革を推し進めている。今では帝国きっての実力者でありその一挙手一投足に宇宙が反応する。

あの敗戦で全てが代わった。宇宙艦隊司令長官だったローエングラム伯は副司令長官に降格、その後非業の死を迎えた。二年前には想像も出来なかった事だがブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を頂点とする門閥貴族も滅んだ。この二年間で帝国は全く別の国かと思うほどに変わってしまった、その中心にはヴァレンシュタイン司令長官が居る……。

「十分に休養は取れましたか、体調は如何です?」
「お陰様で体調は問題ありません」
「それは良かった」
そう言うと司令長官は笑顔を見せた。軍人らしくない穏やかな笑顔だ。どうも違和感を感じる。

「もう少し早く捕虜交換が出来れば良かったのですが、思ったよりも時間がかかってしまいました。さぞかし御苦労なされたでしょう、お詫びします」
司令長官が頭を下げた。周囲の女性下士官達がこちらを見ている!

「か、閣下、そのような事はお止め下さい。閣下が最善を尽くしてくれたことはよく分かっています。小官は無事帰って来れたのです。感謝しております」
嘘ではない。あのまま捕虜生活を続けていれば何処かで耐えられなくなって自殺していただろう。帰還できたことには本当に感謝している。

「そう言っていただけるのは有りがたいですが、捕虜の中には帰還を目前にして亡くなった方も居るようです。それを思うと……」
司令長官が視線を伏せ首を横に振っている。確かに捕虜返還前に死んだ人間も居る、しかしその全ての責を司令長官が負う事は無いだろう……。

「そのように御自身を責めるのはお止め下さい、多くの者が帰ってきた事も事実なのです」
「……そうですね、そう思うべきなのでしょうね……」
少しの間お互い無言だった。司令長官は沈んだ表情をしていたが大きく息を吐くと笑顔で話しかけてきた。

「これからですが、上級大将には艦隊を率いて貰います。宇宙艦隊の正規艦隊ではありませんが、それに準ずる艦隊として私の指揮下に入ってもらいます」
「しかし、小官には……」
それを率いる資格は無い、そう言おうと思ったが司令長官に遮られた。

「いずれ私はイゼルローン要塞奪回作戦を起こします。それほど先の事ではありません、先ず二年以内……」
「……」
「その作戦には上級大将にも参加してもらいたいのです」

「しかし、小官にはその資格が有りません。小官の失態の所為で三百万の兵が死にました。ゼークト、エルラッハ、フォーゲル、皆死んだのです」
私の言葉に司令長官は無言で頷いた。表情には先程まであった笑顔は無い、私を労わるような色が有る。

「そうですね、大勢の人間が死にました。皆、無念だったと思います」
「……」
無念、無念だっただろう。生きている自分でさえ悔しかった、恥ずかしかった。死んでいった彼らはどれほど悔しかったか……。だが、ゼークト達はその悔しさを表に出すことなく、帝国軍人として死んでいった。

「ゼークト、エルラッハ、フォーゲル……。本来ならローエングラム伯が彼らの無念を晴らすはずでした。しかし、伯はもう居ません」
「……」
司令長官が沈痛な表情をしている。司令長官はローエングラム伯の死を悼んでいるのだろうか。

「今、彼らの無念さを一番分かっているのは上級大将、貴方でしょう。彼らの無念を晴らせるのは貴方だけだと思います」
「……」
無念を晴らせるのは私だけ……。

「私とともにイゼルローン要塞を取り返しませんか。彼らも貴方にイゼルローン要塞を奪回して欲しいと思っているはずです」
「……分かりました、宜しくお願いします」
生き恥を晒してでも生きよう。そして何時か、イゼルローン要塞を奪回する。

「十一時から艦隊司令官を集めて会議を開きます。シュトックハウゼン提督にも参加してもらいますよ」
「小官も、ですか」
「当然でしょう、提督はもう私の指揮下に有るのです。私の指示に従ってもらいますよ」
目の前に穏やかに笑みを浮かべる司令長官がいた。


司令長官室を出てメルカッツ副司令長官の部屋に向かった。十一時までまだ二十分程ある。副司令長官とは知らぬ仲ではない、会議前に一言挨拶をしておいた方が良いだろう。メルカッツ副司令長官は快く私を迎えてくれた。肩を抱くように部屋の中に入れ、ソファーに座ることを勧める。

「その顔だと艦隊司令官になることを承諾したようだな、歓迎する」
「有難うございます」
「艦隊司令官は皆、若いのでな。卿が来てくれたのは有りがたい事だ、良い話相手が出来た」

思わず笑ってしまった。メルカッツ副司令長官は艦隊司令官としては決して老人と言う訳ではない。その副司令長官が話し相手が出来たと喜んでいる。今の宇宙艦隊は本当に若い指揮官が揃っているのだと実感した。

「それは、お役にたてそうですな」
今度はメルカッツ副司令長官が笑い声を上げた。
「不安かな」
「多少の不安は有ります」

私の答えに副司令長官が頷いた。
「まあ、以前に比べれば軍は大分風通しが良くなった。御蔭で私のような武骨者でも副司令長官職が務まる。卿も余計な事を考えずに己の職務に励めば良い」
「そう努めます」

私の答えに副司令長官は何度か頷いていた。
「何か聞きたい事が有るかな?」
「では一つ、司令長官の為人を」
「ふむ、司令長官の為人か……」

穏やかそうな人物に見えた。才能が有るのも分かっている。司令長官室での話は私の心を揺す振った。だがどうなのだろう、信頼できるのだろうか? ローエングラム伯の死にも司令長官が関わっていたという噂があるのだ。謀略家としての一面を持つ司令長官に一抹の不安が無いと言えば嘘になる。安心してついていけるのか、用心が必要なのではないかと……。

「能力は言うまでもない事だが、特筆すべきは辛抱強いことだろうな」
「辛抱強い、ですか」
私の問いにメルカッツ副司令長官が頷いた。

「自分より年上の部下に囲まれているのだ、かなり気を遣っているようだ。思ったことの半分も言っているかどうか……。だが不満を表に出したことは無いし、それを周囲に気付かせることもない」
「……」

「先の内乱で私も取り返しのつかない失態を犯した。オーディンに迫るシュターデン大将の艦隊を見過ごしたのだ。副司令長官としては有るまじきことで叱責されても仕方が無かったが、注意を受けただけでそれ以上の叱責は無かった。当時私は副司令長官に就任したばかりだったからな、私の立場を慮ったのだろう」
「……」

その件については私も知っている。オーディンに近づくシュターデン大将を司令長官自らが重傷の身を押して出撃、兵力において二倍の敵を撃破した。人々は司令長官の武勲に感嘆しメルカッツ副司令長官の失敗には気付かない、或いは重視しない……。

「ローエングラム伯とはその辺りが違うな」
ローエングラム伯か……。
「伯は大逆罪に関与していたとされていますが、本当なのでしょうか」
私の問いに副司令長官は首を横に振った。

「ローエングラム伯個人は陰謀に加担してはいなかったようだ。しかし伯の周囲が加担していた、グリューネワルト伯爵夫人もだ。伯を軍の頂点に据え、いずれは帝位を簒奪させる……。伯が居なければ、いや、伯の不満が無ければ起きなかった事件だと思う、無関係とは言えん」
「……」

「ローエングラム伯は不満を隠さなかった。あの大逆事件は、伯の不満が生み出したと私は思っている」
何処か嘆息するような口調だった。メルカッツ提督自身、あの事件には思うところが有るのだろう。

「能力が有ってもそれを制御するのはその人の心だ。人としての器と才、その釣合がとれていれば良いが、そうでなければ危険だ……。ローエングラム伯を危険視する人間は多かったが司令長官を危険視する人間は居ない。安心してついていける方だと思っている」
メルカッツ副司令長官が私を見ている。穏やかな表情だ。信じて良いのだろう。

「そろそろ会議の時間だ、会議室へ行こうか」
「そうですね、初日から遅刻するわけにはいきません」
メルカッツ副司令長官が部屋を出る、その後に続いて部屋を出た。これからは此処が私の職場になる。ゼークト、もう一度私はイゼルローン要塞に戻るだろう、卿の無念を晴らすために……。


 

 

第二百四十三話 今日は……

帝国暦 489年 2月 27日  オーディン    宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「どうですか、シュトックハウゼン提督。新しい旗艦の乗り心地は」
「はっ、何とも言えません」
シュトックハウゼンの顔は綻んでいる。喜んでいるのは間違いない。

シュトックハウゼンはラインハルトの艦隊を指揮する事になった。これまであの艦隊はシュタインメッツが司令官代理として率いていたのだがさすがにもう限界だ。シュタインメッツからも何とかしてくれと言われていた。ようやく司令官が決まったから彼もほっとしているだろう。

彼の旗艦はスレイプニール、スレイプニール級のネームシップだ。こいつはロキ級をベースに造られた旗艦用の高速戦艦で改ロキ級とも呼ばれている。俺のロキ級が造られたのが帝国歴四百八十七年の初頭だからちょうど二年だ、もう改造艦が出た、早いものだ。

ロキ級を旗艦として使っている指揮官は少なくない。俺の他にもクレメンツ、シュムーデ、ルックナー、リンテレン、ルーディッゲが使っていて使いやすい艦だという点では皆意見が一致している。そのせいだろう、ロキ級を使いたがっている指揮官は多い。これからはスレイプニール級を旗艦として使う事になるだろう。シュトックハウゼンはその最初の指揮官と言う訳だ。

名前も良い、ロキ級は魔神ロキから名前を取っているがスレイプニール級は神獣スレイプニール、大神オーディンが騎乗する八本足の軍馬から取っている。“馬の中で最高のもの”だからな。旗艦用の高速戦艦には相応しい名前だろう。

ブリュンヒルトは実験艦として利用される事が決まった。シュトックハウゼンがそのまま旗艦として使うかと思ったが、やはり避けたようだ。まあラインハルトがあんな事になった以上、避けられるのは仕方が無いんだろう。

元々いろんな機能を詰め込んだ実験艦的な要素の強かった艦だ、本来の役割に戻ったという事かな。だが一度は宇宙艦隊の総旗艦になった事を思うと不運な艦だと思う。原作での活躍を思えばラインハルトと運命を共にする事になったという事か……。だがそれもブリュンヒルトらしいというべきか……。

そんな事を考えているとシュトックハウゼンの隣にいたレンネンカンプが生真面目な声を出した。
「では司令長官閣下、我々はこれから訓練に赴きます」
髭が立派なんだよな。もう少し男前なら見栄えが良いんだけど今のままだとちょっと髭と容貌が不似合だ。だからと言って髭を剃れとは言えんな。

「分かりました。十分な成果が上がる事を期待しています。シュトックハウゼン提督、レンネンカンプ提督」
「はっ」
二人が敬礼する、俺が答礼して互いに礼が終わると二人は司令長官室から出て行った。

席について書類の決裁を始める。眼の前の未決の箱から書類を取った。有給休暇の取得願か……、ケンプだな。多分家族サービスかなんかだろう、結構子煩悩だからな。まあ今の時期なら問題ない。皆ずっと働き詰めだったんだ、リフレッシュは必要だ。サインをして既決の箱に入れる。

これからシュトックハウゼンは艦隊訓練に出かける。元々シュトックハウゼンの艦隊はラインハルトが鍛え上げた艦隊だ、練度は問題ない。あとはシュトックハウゼンが艦隊に慣れるだけだ。そこでレンネンカンプがそれに同行し、訓練に協力することになっている。

妙なんだよな、レンネンカンプが妙に良い奴なんだ。今回のシュトックハウゼンの訓練にも自分から手を挙げて協力を言い出したし他の艦隊司令官達とも仲良くやっている。原作だと妙に堅苦しくて、ギスギスした感じの中年男なんだが、とてもそんな風には見えない。

シャンタウ星域の会戦では俺の指揮下に居たんだが武勲を挙げる事に拘る事もなかったし周囲と張り合うようなこともなかった。ケンプとは特に仲が良いみたいだ、二人とも年長者だし実戦派だからな、気が合うのだろう。この世界のレンネンカンプは実直で頼りになる指揮官だ。

未決の箱からまた書類を取った。今度は何だ、ロイエンタールから出ているな、来年度の研修か。ベルゲングリューンに艦隊司令官研修を受けさせたいか……。良いんじゃないかな、今奴は中将か、問題無い、サインしてこいつも既決箱行きだ。

艦隊司令官研修って必須だよな、分艦隊司令官はともかく艦隊司令官は必ず受ける必要が有るはずだ。俺、ずっと兵站統括部にいたから受けてないな。こういう場合、どうするんだろう。今から受けるのか? 何かそれも変だな。

……待てよ、ビューローはどうした? あいつら殆どキャリアは一緒だよな。片方が研修を受けてもう片方は無しか? それは不味いだろう、ミッターマイヤー。念のため未決箱を漁ったがミッターマイヤーから申請書は出ていない。いかんな、TV電話でミッターマイヤーを呼び出した。

「ミッターマイヤー提督、ビューロー中将に艦隊司令官研修を受けさせる予定を入れていますか」
俺の問いかけにミッターマイヤーは目をパチクリさせた。こいつ考えてないな。
『いえ、入れておりませんが』

「ロイエンタール提督より来年度、ベルゲングリューン中将に艦隊司令官研修を受けさせたいと申請書が出ています。どうしますか」
『ロイエンタールからですか……。分かりました、こちらも至急申請書を出します。御配慮、有難うございます』

通信を切った、こういうのは上位者から切るのが礼儀だからな。俺が切らないとミッターマイヤーは何時までもTV電話の前に居なければならん。さてと、ミッターマイヤーだけの問題じゃないな。

「フィッツシモンズ大佐」
「はい」
「各艦隊司令官に来年度の研修の受講申請を早急に出すように伝えてください」
「承知しました」

「それとわたしの艦隊はワルトハイム参謀長にお願いします。参謀長自身の研修の申請もするようにと」
「はい」

「レンネンカンプ提督とシュトックハウゼン提督にはオーディンに戻ってからでよいと伝えてください」
「はい」

とりあえずこれで良い。また書類が増えるな、何時になったら書類が無くなる日が来るのか……。眼の前の未決箱には書類が十センチ以上積み上げられている……。今頃ミッターマイヤーがロイエンタールに文句を言っているだろうな、酷いじゃないかと。

司令長官室の女性下士官達もレンネンカンプの事を親しみを込めて“髭のおじさん”と呼んでいる。注意すべきかとも思ったが悪意を込めて呼んでいるのではないからな、それに度が過ぎればヴァレリーが注意するだろう。という事で俺は放置している。

原作のレンネンカンプは不運な男としか言いようがない。レンネンカンプがラインハルトと出会ったのは比較的早い。ラインハルトが少佐でレンネンカンプが大佐の時だ。レンネンカンプがラインハルトを不当に扱ったことは無い。しかしラインハルトが元帥府を開いた時、その傘下にレンネンカンプが呼ばれることは無かった……。

屈辱だっただろう、レンネンカンプが自分に自信が無かったとは思えない。何故、自分が選ばれないのか、そう思ったはずだ。リップシュタット戦役後、レンネンカンプはラインハルトに服属するが、その心境は単純なものではなかっただろうと俺は思っている。

次の書類は何だ? 前回の内乱で鹵獲した艦の売却金の報告書か。軍艦としても使えないし輸送艦としても使えない奴だな。多分解体屋がバラして部品単位で売るか、再利用するんだろう。……大丈夫かな、不正とか無いだろうな。

以前は貴族達がこの手の不正に絡んでいた。つまり平民は関与出来なかったんだが、貴族が没落したからな。今は平民がこの仕事に絡んでいるはずだ。危ないな、一度キスリングに調査を頼むか……。とりあえず、この書類はサインしておこう。既決だ。

レンネンカンプはラインハルトの配下になってからは不本意な日々が続いたと思う。周囲の同僚に比べて明らかに武勲が足りない。生真面目な彼にとっては気が引けただろうし苦痛だっただろう、レンネンカンプが戦術的な勝利に拘る様になったのもそれが有るのかもしれない。

そして戦場に出てからも不運は続いた。ヤンを相手にしたため敗戦続きなのだ。相手が悪かったとしか言いようがない。せめて本隊に配属されていればランテマリオ星域の会戦で武勲を挙げられたはずだ。そうであれば多少は精神的にも楽になっただろう。

そして最後は高等弁務官だ。自分がその職に向いていないという事はレンネンカンプも分かっていただろう。ラインハルトがどういう考えで自分を選んだか、疑問に思ったはずだ。まさかいざとなれば切り捨てるつもりだったとは彼の性格では思えなかったに違いない。悩みはしただろうが精一杯努めようと思っただろう……。

今度は何の書類だ。女性下士官の産休届けと交代要員の報告か。何でこんな書類が俺のところに来るんだ。俺じゃないだろう、大体何処の女性下士官だ……、此処か、宇宙艦隊司令部の司令長官室か。そういえば、お腹の大きな女性がいたな、彼女か……。

責任者は俺だな……、御丁寧に機密保持誓約書まで付けられてる。後任者は誰だ、コルネリア・ブリューマー曹長? 聞いた事が無いけど大丈夫か、元の所属は兵站統括部第三局第一課……、職員名簿を調べてみるか。

なるほど、コルネリア・アダー伍長、いや曹長か。結婚して姓が変わったんだな。OK、問題ない。サインして既決箱……、ちょっと待て、彼女結婚してるんだよな。妊娠したらまた交代要員か……、独身者の方が安全かな。考えすぎか、結婚していなくても子供は出来る、サインして既決箱だ。

不運だったな、レンネンカンプ。最後まで不運だった。ラインハルトと出あう事で多くの人間の運命が変わった。良い方向に変わった人間も居れば、悪い方向に変わった人間も居る。

レンネンカンプは後者だ。せめてこの世界では満足のいく一生を送って欲しいものだ。今のままなら難しくは無い、道を誤るなよ、レンネンカンプ。今のまま、誠実で信頼できる生真面目な軍人で良いんだ……。

ケンプもルッツもファーレンハイトもシュタインメッツも皆死んでほしくない。俺に出来るのは皆が安心して戦える環境を整える事、一人でも多く帰って来られるように努力する事だけだ。簡単だな、口にするのは……。

次は何だ、俺に士官学校で話をしろって書いてある。却下だな、大体こういう話ってのは若い奴より年寄りの方が上手いんだ。人生の重みが有るから若い奴も喜んで聞く。俺じゃなくメルカッツに頼もう。備考欄に講話者はメルカッツ副司令長官を推薦と書いて既決箱だ。

同盟でクーデター未遂事件が起きた。トリューニヒトからフェザーンのレムシャイド伯に対して通知が有った。“一部の不心得者がクーデターを起こそうとしたが未然に防いだ、オリベイラ弁務官、アル・サレム中将はクーデターに関与した疑いが有るため拘束した……”。

レムシャイド伯からの連絡ではクーデターはかなり規模が大きい。ブロンズ中将、ルグランジュ中将、エベンス大佐、クリスチアン大佐、ベイ大佐、マーロン大佐、ハーベイ大佐、フォーク予備役准将……、この辺りは原作通りだ。そしてグリーンヒルが参加せず元宇宙艦隊司令長官ロボス退役大将が入っている。

実戦部隊はもっと凄い。ルグランジュだけじゃない、アル・サレム、ルフェーブルも関与している。三個艦隊と言えば現状の同盟では約半数がクーデターに関与したという事になる。そしてネグロポンティとオリベイラ……。

ネグロポンティがトリューニヒトを裏切ったというのが良く分からん。主戦派と共にクーデターを起こそうとした以上ネグロポンティはこちこちの主戦派、反帝国感情の持ち主と言う事か。

それが原因でトリューニヒトを裏切ったとすれば今のトリューニヒトはやはり和平推進派と言う事になる。ヤンがトリューニヒトに協力的な事を考えてもそういう結論が出るが、どうも信じられんな。狐に化かされた様な気分だ。

クーデター派の狙いはネグロポンティを首班とした軍事政権の樹立と言う事だろうな。オリベイラ、ルフェーブル、アル・サレムが関与していた事を考えると狙いはフェザーンの永久占領か。イゼルローンとフェザーンを押さえる、フェザーンの経済力を利用して経済の再建、軍の再建を図る、そんなところだろう。

おそらく経済界も関与しているだろうな。むしろ焚きつけたのは経済界と言う可能性もある。未発には終わったがクーデターの規模としては原作よりもこっちの方が大きい。同盟政府も後始末が大変だろう。

気になるのは地球教だな、連中が無関係とは思えない。レムシャイド伯を通して同盟には地球教の関与を調べてくれと頼んだがどんな結果が出てくるか……。

俺はトリューニヒトの警護室長を勤めたベイは地球教の手先だろうと考えている。最初から地球教の手先であり軍内部では主戦派として活動した。そしてグリーンヒルがクーデターを考えたときにはそのメンバーになっていた。

地球教はクーデター計画を知ったとき、どう利用するか考えた。そしてトリューニヒトを助け地球教の駒とすることを考えた。クーデターが起きた後、トリューニヒトを匿った地球教徒は日々トリューニヒトにベイが信用できる人物だと吹き込んだだろう。そうでもなければ裏切り者を警護室長などにするわけが無い。一度裏切ったものが二度裏切らないという保証は無いのだ。

ベイを調べてみろと言ってみようか……。駄目だな、根拠が無い。不審がられるだけだろう……。それにしても上手くいかないな。クーデターが成功してくれた方が良かった。そうなればいずれはフェザーンからの救援要請を受けて出兵する、そういう形が取れたんだ。それにフェザーンのゲリラ活動も期待できた。ついでに同盟軍同士で潰しあってくれれば言う事は無かった。全く上手くいかない。

落ち込むだけだな、別な事を考えよう。クーデターと言えば今回のクーデターにリンチ少将は参加していない、と言うより参加できない。彼は同盟に戻らず帝国に残る事を選択した。戻りづらいんだろう、ヤンが軍の幹部になっているからな、戻れば何かと比較されるに違いない。原作同様、酷いアルコール依存症になっていたようだ。

今は亡命者扱いで軍の病院で入院治療を受けている。治ったらこれからどうするのか、決めなければならないんだが……、俺が直接会って決めるべきだろうな。妙な奴にやらせるとリンチはまたアルコール依存症に戻りかねん。扱いには注意しないと……。

「司令長官閣下」
声がしたので顔を上げると目の前にビューローがしゃちほこばって立っていた。手には書類を持っている。その書類を俺の方に差し出した。何か動きがぎこちないんだよな。

「この書類をお願いします、ミッターマイヤー閣下より司令長官閣下にお渡しするようにと言われました」
書類を受け取る。他でもない、ビューローの研修の申請書だ。問題ない、サインして既決箱に入れた。

「閣下、お気に留めて頂いて有難うございます」
四十五度で礼をしやがった。何か言って雰囲気を変えないといかんな。先ずは天気の話で行くか。

「気にしないで下さい、今日は……」
「はっ、今日は?」
「……何でもありません」
今日は雨だった、次の書類を見よう。俺が書類を手に取るとビューローは敬礼して部屋を出て行った。どうも上手くいかない……。



帝国暦 489年 2月 27日  オーディン    宇宙艦隊司令部  フォルカー・アクセル・フォン・ビューロー



司令長官室を出るとどっと疲れた。思わず壁に寄りかかって深呼吸したほどだ。そんな俺を何人かの女性下士官が不思議そうな顔をして見ている。分からないだろうな、この気持ちは。帝国最大の実力者に疎まれているかもしれないなんて……。

ウチの司令官は気楽でいいよな、俺の研修なんて全く考えてないんだから。ロイエンタール提督はちゃんとベルゲングリューンの事を考えてくれてるのに……。お前が羨ましいよ、ベルゲングリューン。

おまけにそれを司令長官に指摘されるなんて……。ミッターマイヤー提督は“やっぱり司令長官は卿の事を気にしているのだな、羨ましい事だ”なんて笑顔で言っているが全然羨ましくない。お前は司令官にも忘れられている哀れな奴だ、と司令長官に笑われている気分だ。

おまけに司令長官は難しい顔で書類を見ているし最悪だ。最後に何を言おうとしたのだろう。“今日は……”、今日は何だったのだろう? 気分が良くない? 笑わせてもらった? 不機嫌そうな顔だったからな、まさか俺の顔を見て今日は厄日だと思ったんじゃ……。溜息が出た、厄日だ、本当に今日は厄日だ……。



 

 

第二百四十四話 死者の代償

帝国暦 489年 3月 13日  オーディン   フェザーン高等弁務官府  ニコラス・ボルテック



「なるほど、では彼らはフェザーンを同盟領に併合しようと考えていたと」
俺の言葉にペイワードが顔を顰めた。
『言葉を飾らずに言えばそうなる。まあ彼らとて帝国を露骨に刺激はしたくあるまい。占領と言う形を取りつつ支配力を強化する、そんなところだろう。属国、いや植民地扱いだな』

植民地扱いか……、まあそれは今も変わるまい。フェザーンは占領下に有るのだ、本当の意味での独立など無い。いや、フェザーンが独立国であった事など一度もない。名目上は自治領であったのだ。であれば名と実が一致したという事か……。似たような事を考えたのかもしれない、隣に立っているルパートが唇を歪めた。はて、スクリーンごしではペイワードに分かったかどうか……。

まあ例え分かったとしてもペイワードは表面上は何も言わないだろう。ペイワードはルパートがルビンスキーの息子だと知っている。騙し討ち同然に帝国に連れてきたがそれに対してペイワードは何も言わない。ルパートに対しても俺に対してもだ。いずれ何かの取引材料に使うのだろう、そのあたりは評価できる。

自由惑星同盟でクーデター未遂事件が起きた。未発に終わったとはいえ規模は大きい。現職の国防委員長、艦隊司令官三人を含む高級軍人、さらに経済界からも著名な財界人の逮捕者が数名出た。

その狙いはフェザーンを同盟領に併合し軍事的にはイゼルローン回廊、フェザーン回廊を同盟の勢力下に置く事で帝国を防ぐ。そしてフェザーンの経済力を利用して国力を回復する、そんなところだろう。戦争好きの主戦派と慾の皮の突っ張った財界人が手を組んだわけだ。

フェザーンにおけるクーデター勢力を捕縛したのはペイワードだった。ペイワードはこの件でフェザーンの立場がかなり改善されると期待しているらしい。
まあ誰が次の高等弁務官になるのかは知らないが、前任者を捕縛した人間を軽くは扱えないだろう。ペイワードの期待は的外れと言う訳ではない。

フェザーンで事件が起きたのは二月の二十日、だがペイワードが俺に知らせてきたのは三日後だった。その頃にはこちらもおおよその事を知っていた。フェザーンには俺に好意を持っている人間もいるのだ。もっともその程度のことはペイワードも承知だろう。

連絡が遅くなった理由は後始末が忙しかったせいだと言っていたが言い訳にしか過ぎない。トリューニヒト議長からはあらかじめ事前に連絡が有っただろう。知らせる気が有ればその時点で知らせてきたはずだ。

つまりペイワードはこちらを信用はしていない。しかし、三日後であろうと知らせてきたという事はこちらには利用価値が有ると見ている。三日後というのはその辺の微妙さを表している日数だ。そしてオリベイラ捕縛後は時折連絡をしてくる。こちらとの距離を縮めようというのだろう。或いはこれまではオリベイラに俺との接触を禁止されていたということもあり得る。

「それで同盟の新しい弁務官は決まりましたか?」
『まだ決まっていない。難航しているようだ、これで三人目だからな。トリューニヒト議長も慎重にならざるをえんのだろう』

ペイワードの顔が曇った。今回のクーデター未遂事件で協力した事といい、どうやら同盟に、いやトリューニヒトに思い入れが有るらしい。あまり良い事ではないのだがな。

同盟の弱点は軍事力の低下だけではない、人材の少なさもその一つだ。フェザーン駐在の高等弁務官を見ても分かる。帝国はレムシャイド伯がずっとその任に有るが同盟はヘンスロー、オリベイラ、どちらもその任を全うできずにいる。

政治家達を見ても分かる。帝国は改革派と呼ばれる若い政治家達が頭角を現してきた。彼らはリヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵達と共に帝国を変えようとしている。古い勢力と新しい勢力の融合。極めて良い方向に進んでいる事が分かる。

『それに比べると軍の方が行動は早いようだ。第九艦隊の司令官がクブルスリー提督に決まった』
「クブルスリー提督ですか、なるほど」
元第一艦隊司令官、いずれは統合作戦本部長と目されていた人物だ。悪い人事では無いだろう。

『そちらの状況はどうかな、ボルテック弁務官』
「明後日にはヴァレンシュタイン元帥の結婚式が有ります。その準備で大わらわですよ。国を挙げてのビッグイベントですから」
俺の言葉にペイワードが笑い出した。

『個人の結婚を国家的行事にするか……、専制国家ならではだな。間違っても民主共和制国家では無理だ。しかし悪くは無い』
「そうですね、悪くは有りません。皇帝、軍、官僚、貴族、そして平民……、皆がこの結婚式を喜んでいます。喜んでいないのは一人だけです」
ペイワードが面白そうな表情をしている。

『その一人はヴァレンシュタイン元帥だろう』
「分かりますか」
『分かるとも。結婚式と言うのは新婦と周りが盛り上がるものだ。盛り上がれば上がるほど新郎は興醒めになる、そうじゃないかね』
心当たりが有る、思わず苦笑した。ペイワードも笑っている。

『ケッセルリンク補佐官にはまだ難しいかな』
「いえ、大変参考になります」
『いずれ君も身をもって知る事になる。覚悟しておくのだな』
「はあ」

ルパートの頬が強張っている。彼はからかわれるのには慣れていない。何処か余裕が無い、遊びが無いのだ。才能はともかく父親にはその辺りが及ばないだろう。

『まあ楽しい話はこの辺にしておこう』
ペイワードが笑みを消した。はてさて、何やら話が有るらしい。ペイワードがチラとルパートに視線を送った。

「私は席を外した方が宜しいでしょうか」
『……いや、いずれは分かる事だ。外す必要はないだろう』
ルパートの気遣いに対して少々間が有った。多少の迷いは有ったという事か……。ルパートが私を見る、良いのかと確認のつもりだろう。頷く事で答えた。向こうが良いと言っているのだ。遠慮する事は無い。

『同盟と帝国の間で和平を実現したい』
「和平、ですか……」
スクリーンでペイワードが頷いている。和平か……。ルパートも微妙な表情をしている。

「それは同盟政府からの依頼、そういうことでしょうか。それとも自治領主閣下のお考えということでしょうか」
『その両方だ。私が同盟政府に提案しトリューニヒト議長が賛成した。言ってみれば私は同盟政府の代理人、そんなところだな』

ペイワードが笑いを滲ませながら俺の問いかけに答えた。だが直ぐに表情を改めた。厳しい表情をしている。
『フェザーンの自主、独立を回復したいと思っている。そのためには帝国と同盟の和平が必要だ。両国の関係を改善しフェザーンの中立を改めて保証させる』
「……」

迂闊な事は言えない、帝国は和平など求めていないのだ。ペイワードに言質を取られる様な事は言うべきではない……。こちらの沈黙をどう取ってのか、ペイワードは同意を求めることなく話し続けた。
『フェザーンの繁栄のためにも両国の和平は必要だと思う』
「……」

『これまでのフェザーンの政策は帝国と同盟を噛み合わせ漁夫の利を得るというものだった。確かにそれは上手くいった、フェザーンだけが利益を得た。だがその事によってフェザーンは帝国と同盟、両国から不信を買った』
「……」

ペイワードが首を横に振っている。嘆いているのだろうがそれがフェザーンの国家方針だった。それ以外に両国の目をフェザーンから逸らし中立を維持する方法は無いと歴代の自治領主は考えたのだろう。

『フェザーンは交易国家だ、絶対的に他者を必要とする』
絶対的に他者を必要とするか……、おかしな表現ではあるが言いたい事は分かる。交易国家は単独では存在できない、常に他者を必要とする。

『その絶対的に他者を必要とするフェザーンが他者である同盟、帝国から不信を買った。その事がフェザーンの今に繋がっている』
「……」

その通りだ、フェザーン成立から百年が過ぎた。今現在、帝国にはフェザーンの現状に同情を寄せる人間は居ない。この百年、帝国がどのような目でフェザーンを見てきたのか、その一事で分かる。ザマーミロ、そんなところだ。

『これからのフェザーンは自主、独立だけでは駄目だ。共存という意識が要る。それが無ければ独りよがりな繁栄を貪るだけだろう。今同様疎まれるだけだ』
「……だから和平ですか」
俺の言葉にペイワードが頷いた。

『現実にこれ以上戦争が続けば帝国も同盟も社会基盤が崩壊しかねない。そうなれば国家を維持する事さえ難しくなるだろう。つまりフェザーンの中立を保障する国家が無くなるのだ、その事がどれだけ危険か、ボルテック弁務官にも分かるはずだ』
「……」

ペイワードがこちらを覗きこむように見ている。分からないではない、フェザーンにとって帝国、同盟の崩壊は悪夢だ。国家が崩壊すれば幾つかの地方政権に分裂するだろう。彼らがフェザーンの中立を保障するとは思えない……。

むしろ軍事力の無いフェザーンは搾取の対象になるだけだ。それでも独立を維持できれば良い、最悪の場合は占領されるに違いない。特に同盟にその危険性が有るだろう。帝国は改革を行っている事により今すぐ崩壊と言う事は無い、余程の失敗をしない限りはだ……。

『帝国は劣悪遺伝子排除法を廃法にした、そして国内の政治体制をドラスティックに変えつつある。帝国はルドルフ・フォン・ゴールデンバウム的なものを排除しつつあるのだ。同盟から見て帝国を敵視する理由は消えつつある。今なら和平を結べると思う』
確かめる、いや噛み締めると言う様なペイワードの口調だ。俺だけではなく自分をも納得させようとしている……。

「しかし現状では和平は難しいと思います。帝国は同盟の存続を認めてはいません。フェザーンの存続もです」
『分かっている。こちらにも帝国からの亡命者はいるからな。彼らから聞いて帝国が何を考えているかは理解しているつもりだ』

『戦争になれば帝国は二つの回廊から一斉に攻め込もうとするだろう。当然だが同盟はそれを防ごうとするはずだ。同盟の戦力は六個艦隊、イゼルローンに二個艦隊を置きフェザーンに四個艦隊、そんなものだろう』
「確かにそうでしょう」

『帝国が優位ではある、しかしイゼルローン要塞が簡単に落ちる事は無いしフェザーン回廊も出入り口で戦うなら兵力の劣勢はカバー出来る。帝国にとっても楽な戦いではない筈だ。国内の改革を進める今、これ以上犠牲を出す事は下策だと思う、損害が大きなものになれば国民が不満を抱くだろう……』
「だから和平を……、ですか」
ペイワードが頷く姿が見えた……。



「宜しいのですか?」
ペイワードの消えたスクリーンを見ているとルパートが話しかけてきた。声は殊勝だがその眼には何処か面白がっている色が有る。

「話すだけだ、和平を請け負ったわけではない。それに試してみても悪くはあるまい、違うかな?」
「なるほど……、しかしヴァレンシュタイン司令長官はどう思われるか……」
言外にヴァレンシュタインが不愉快になるのではないか、彼を怒らせて良いのかと訊いている。こちらを心配しての事ではあるまい、面白がっているのだ。

「鼻で笑うだろうな」
「それは」
「私も鼻で笑う」
ルパートが唖然とし、そして苦笑した。“それはいささか……”などと言っている。俺も笑った、声を上げて。

あの男が和平など受け入れるはずが無い。宇宙を統一しフェザーンに遷都する、新銀河帝国の創立。その夢のために門閥貴族達を潰した、ローエングラム伯も切り捨てた……。その事実の重みを同盟は、ペイワードは理解していない。それとも理解しているのか、理解した上で足掻いているのか……。

「五年遅かった、和平を結ばせるなら最低でも五年前に行うべきだったのだ」
俺の言葉にルパートが黙り込んだ。父親の事を考えたのかもしれない。ルビンスキーが自治領主になったのが帝国歴四百八十二年、五年前ならルビンスキーが自治領主だった。責められているとでも思ったか……。

五年前ならヴァレンシュタインは未だ軍内部で大きな影響力を持っていなかった。そこで和平を結んでおけば彼はごく普通の有能な士官で終わっていただろう。
「五年前なら和平を結ぶ事は出来たでしょうか」
「難しいだろうな」

俺の答えにルパートが小首を傾げ少し考え込むような仕草をしてから問いかけてきた。眼にはこちらを試す様な光が有る。
「不可能ではなく?」

「対等の立場での和平というのは不可能だろう、帝国が認めるとは思えない。可能性が有るとすれば服従という形での和平だ」
「服従ですか……」
ルパートの声には訝しげな響きが有った、納得はしていない。

「帝国を認め、帝国の宗主権を認める形での和平だな。戦争を止めるのではなく反乱を止める、それなら可能性は有っただろう」
帝国は宗主権を認めさせる代わりに同盟に対しては自治を与える。フェザーンと同じだ、形は自治領でも中身は独立国と言って良い。

「同盟を屈服させる見込みは無かった。そして長い戦争で帝国は疲弊していた。軍の力が増し、貴族達の力が強くなっていた……。相対的に政府の統治力が弱まった事にリヒテンラーデ侯は懸念を持っていたはずだ」

そんな時、同盟が服従を申し出てきたら……。形だけとはいえ、帝国は銀河を統一した事になる。リヒテンラーデ侯が帝国を立て直すために和平を受け入れた可能性は僅かかもしれないが有っただろう。

「しかし、同盟がそれを受け入れられるでしょうか。私にはとても受け入れられるとは思えませが」
「補佐官の言うとおり、まず無理だろうな。最高評議会議長が三人ぐらい殺される覚悟はいる。それでも結べるかどうか……」
「三人ですか……」
「五人かな?」

唖然とするルパートの顔が面白かった。なるほどルビンスキーが俺を相手に話をしたはずだ。あれで随分と鍛えられた。今俺がルパートを鍛えているのは或る意味恩返しなのかもしれない。そう思うと思わず笑い声が出た。

「本気で和平を結ぶなら百年は遅かっただろう」
「百年、ですか……」
「そうだ、百年前なら和平を結ぶのはもっと簡単だったはずだ」
「……」

百年前なら同盟の力は帝国よりはるかに弱小だった。そして……。
「死者が増えれば増えるほど、和平は難しくなる。死者の代償が大きくなるのだ。平和の到来だけでは代償が不足だと考える。百年前なら代償はそれほど大きくは無かった……」

「百年前の政治家達が判断を誤ったという事ですか」
ルパートの頬が歪んだ、冷笑だろう。露骨に感情が面に出る、悪いところだ。父親にはない欠点だな。ヴァレンシュタインに会うと更にそう思う。ルパートと同年代だがあの男が他者に対する感情を見せる事は無い……。

「誰もこんなにも長く戦争が続くとは考えなかったのだろう。考えていればもっと違ったはずだ」
「そしてフェザーンは戦争が長引くようにと動いた」
その通りだ、フェザーンにとっては両国が敵対関係に有る事が望ましかった。

「ヴァレンシュタイン司令長官は宇宙を統一する。新銀河帝国の成立だが、新帝国の帝都はフェザーンになるだろう」
「……遷都ですか」
ルパートが意表を突かれたといった表情をしている。無理もない、俺も彼から聞いた時は驚いたのだ。

新帝国はフェザーンに腰を下ろし片足で帝国を、もう片方の足で同盟を踏み締める。フェザーンが人類社会の中心になるのだ。そこまでのビジョンを持っている人間に和平など……。
「和平など笑止な事だな……」
ルパートが頷く姿が見えた……。

 

 

第二百四十五話 華燭の宴 

帝国暦 489年 3月 15日  オーディン   ミュッケンベルガー邸    エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



はあ、疲れた……。ベッドに入り時刻を見ると三月十五日も終わろうとしている。今日はとんでもない一日だった。思わず溜息を吐いていると隣で横たわっていたユスティーナが話しかけてきた。

「大丈夫ですか、お疲れになったのでしょう」
いかんな、ベッドに入って溜息を吐くなど彼女に失礼だろう。嬉々としてとはいかなくてもごく普通にベッドに入らなければ。俺は笑みを浮かべながらユスティーナに答えた。

「大丈夫だよ、君こそ疲れただろう」
「私は大丈夫ですわ、でも貴方はここ最近ずっと遅くまで仕事をしていらっしゃいましたもの、疲れが溜まっているのではないかと思って……」
ユスティーナが俺を見ている。心配そうな顔だ、胸が痛む……。ここは嘘でもにっこりだ。

「大丈夫、心配はいらないよ」
「本当に明日は大丈夫ですの? お忙しいのでしたら取り止めても……」
「それには及ばない、明日は予定通りフロイデンの山荘に行こう。向こうは寒いからそれだけは注意しないと……」

ユスティーナはちょっとの間俺の顔を見ていたが納得したのだろう、“はい”と答えた。彼女だって新婚旅行には行きたいはずだ。まあ、遠くへはいけないからな、フロイデンの山荘で我慢してもらうしかない。

フロイデンの山岳地帯はオーディンの中心市街から見ると西方にある。地上車で約六時間の距離にあるのだが、この辺りに有る山荘の殆どが貴族の所有物だった。だったと過去形で言うのは昨年の内乱で貴族の大半が滅んだため所有者が居なくなったのだ。原作でアンネローゼがリップシュタット戦役後に住んでいたのがこのフロイデンに有る山荘だった。

今現在、この持ち主が居なくなった山荘は政府が管理しているのだが、これがまた問題になっている。管理費が馬鹿にならないのだ。放置すると言う手もあるがそれだと訳の分からん連中が悪用しかねない。オーディンの中心市街から六時間など地球教にとっては喉から手が出るほど欲しい物件だろう。

ということで政府は信頼できる人間に山荘を買わせようと躍起になっている。多少相場より安く売っても元々タダだし管理費が無くなる事を考えれば大儲けなのだ。一生懸命売り込みをかけている。担当しているのは財務省だが俺の所にもゲルラッハ子爵が直接売り込みに来た。買わないわけにはいかないよな。今回ユスティーナと新婚旅行に使うのがそれだ。

一週間フロイデンでユスティーナと過ごす。フロイデンはオーディンより二ヶ月は春が遅い。この時期は一月中旬の気候だから寒いだろう。殆どを山荘の中で過ごすことになるだろうが、まあゆっくりできると考えれば良い。天気の良い日は外に出てみようか、ユスティーナも喜ぶだろう。

この半月は本当に忙しかった。新婚旅行で明日から一週間居ないからな、やたらと決裁文書がこっちに回ってきた。俺が居ない間はメルカッツ副司令長官がいるんだから問題ないはずなんだが、どうもメルカッツ自身が俺が居るうちに決裁を取れと周囲に言ったらしい。デスクワークが嫌いな人って困るよ……。

だが本当に忙しかった理由は辺境星域の開発計画の作成だ。辺境から上がってきた要望書をもとに何から手を付けるかを決めたのだが、まあこいつが酷かった。決まるまでに半端じゃない時間がかかった。出来上がったのは三日前だ。

おかげで結婚式の事は全部ユスティーナに丸投げになった。つまりはジジイどもに任せたわけだ、多少不安も有ったがもうどうにでもなれ、そんな気持ちだった。

辺境星域の開発計画の策定、開発実施の管理は新領土占領統治研究室が行う事になっている。エルスハイマーとオスマイヤーが中心となり工部、財務、運輸、民生、自治から官僚が来て手伝うはずなのだが、官僚どもはどいつもこいつも金のかかる計画を嫌がるんだ。

政府は全面的に協力すると言う話は何だったのかと言いたくなる。リヒテンラーデ侯も当てにならん。エルスハイマーとオスマイヤーはリヒター達に抗議しましょうと言っていたが止めさせた。リヒター達も自分の仕事で手一杯で、こっちの事など頭にないんだろう。人を出したから終わり、後はそっちで上手くやってくれ、そんなところだ。

俺は宇宙港の拡張と発電所の建設を最優先でと言った。今辺境にある宇宙港はどれも皆規模が小さい。これから先開発が進めば物資の輸送、交易船の往来でパンクする。その前に拡張する、拡張すれば皆が政府は本気で辺境を開発しようとしていると認識するだろう。フェザーンの商人達の往来も増えるし、資本投下も増える。

発電所も同様だ、ライフラインを充実しておかないと開発なんて出来ない。逆に言えば、発電所を建設する、そう言っただけでその惑星に関心を持つ企業は現れるだろう。ついでに言えば宇宙港の拡張と発電所の建設、この二つでかなりの労働力を必要とするはずだ。

辺境に行けば仕事が有る、となれば当然人が集まる。人が集まればその人達が必要とする物資も集まる、そして金も動く。つまり経済が活性化するのだ、当然税収も増える。そう言って説得したのだが連中真っ青になって反対した。金がかかって仕方がないと言うんだな。貴族達が居なくなったんだからその分税収は増えているんだ。財政赤字も問題ないと財務省は言っている。それなのに……、官僚達は相変わらず辺境に対して偏見が有るらしい。

しかしだ、現実問題として辺境を開発しないとどうにもならない。フェザーンを占領し、同盟を保護国化する。最初はぐずつくかもしれんが十年も経てば安定するだろう。そうなったらいつまでも金食い虫の軍を肥大化させておくわけにはいかん。軍を縮小し国家を正常な形に戻さなければならない。つまり兵を除隊させ民間に戻すわけだが、当然彼らの受け皿が要る。それが辺境なんだ。

辺境を開発し経済を活性化させる。それによって仕事を作り出す。除隊した兵士から希望者を募って辺境への入植を勧めるのも一つの手だろう。彼らが安心して暮らせるだけの社会環境、経済環境を作らなければならないんだがその辺りが官僚達は理解できていない。戦争が終わるという事が理解できないのかもしれない。百五十年も戦争をしているのだ、止むを得ない部分は有るだろう……。

結婚式前に開発計画書の策定だけでも片付けたいのに全然進まない、そのうち辺境からはどうなっていますかと問い合わせが来る。クラインゲルト子爵は結婚式では良いお話が聞けますかとか露骨に圧力をかけてくる始末だ。うんざりだった。

結局やる気のない奴をあてにしても無駄だと思ったから官僚どもは皆帰した。宇宙港の拡張も発電所の建設も兵站統括部にやらせれば良い。大事なのは先ずはそれを実施する事だ。帝国が本気で辺境を開発しようとしていると皆が認識するだろう。

後はフェザーンを利用する事を考えよう、連中の資本を帝国に引き摺り込む形で開発を進めるんだ。ペイワードが同盟寄りの姿勢を示してもフェザーンの財界が帝国との対決を嫌がればそれだけでペイワードと同盟を困惑させることが出来るだろう。そこまで行けば官僚どもも協力するはずだ……。

そう思ったんだがな、事態は俺の知らないところで動き出した。俺はエーレンベルクに政府は当てにならんから兵站統括部を使うと報告した。あそこは軍務省の管轄だから一応断りを入れたわけだ。爺さんは眉を動かしたが何も言わなかった。問題なし、そう思っていたんだがそうじゃなかった。

三十分もしないうちにリヒター、ブラッケ、シルヴァーベルヒ、グルックが宇宙艦隊司令部の司令長官室に飛び込んできた。全員額に汗をかいている。いきなり“申し訳ありませんでした”とリヒターが言うと皆が頭を下げた。俺もびっくりしたが周囲もびっくりした。ヴァレリーはブラスターを抜いて身構えていたくらいだ。

連中、頭を上げるともう一度“申し訳ありませんでした”と謝った。そして俺に改めて協力させて欲しいと言ってきた。宇宙港の拡張は運輸省に、発電所の建設は工部省にやらせて欲しいとグルックとシルヴァーベルヒが泣きそうな顔で懇願するんだ。

話しを聞くとどうやらエーレンベルクがリヒテンラーデ侯に話しが違うと文句を言ったらしい。驚いたリヒテンラーデ侯はリヒター達を呼び出して叱りつけた。叱られたリヒター達は馬鹿な部下達を全員首にして俺の所に駆け付けたと言う訳だ。どうやらあの部下達はリヒター達にはちゃんと協力していますと報告していたらしい。舐められたもんだよな、俺もリヒター達も。

まあ協力してくれると言うのは有りがたい。しかし全部任せるとまた大きな顔をしかねないからな。半分を連中に任せあとの半分は兵站統括部に頼むことにした。リヒター達は不満そうだったが、俺が官僚達は信用できない、仕事振りに不備が有れば容赦なく仕事を取り上げると言うとシュンとなっていた。

まあそんなこんなで開発計画書の策定、と言っても取りあえずの物が出来た。先ずは向こう十年間で宇宙港の拡張と発電所の建設を行う。そして技術者も育成する。今のままでは絶対に技術者が足りないのは分かっているんだ。

宇宙港は管制官、整備士、レスキュー、発電所は電力生産要員、保安要員などだが、それらを育成しなければならない。そして配置だ、配置はベテランも含めた帝国全体の再編成になる。辺境に行きたがらない人間もいるだろうから待遇面で何らかの優遇をすることも考えなければ……。

惑星内の開発も同時進行させなければならない。インフラ整備、教育、医療、順次進めていく。こっちも人の育成が必要になる。医者、教育者、インフラの保守メンテナンス要員……。通常の道路、上下水道の整備……、やれやれだ。

五年たったら一度計画の見直しを行う。おそらくその時点で新たな宇宙港の必要性とか発電所の増設が必要とか要望が出てくるだろう。官僚達の言うとおり、開発を一度進めれば際限なく金が出ていくことになる。しかし、それでもやらなくてはならない。帝国内に見捨てられた土地なんて存在する事は許されないんだ。

戦争が無くなれば人口も増える、その増えた人間が安心して暮らせるようにする。少なくともその点でオーディンと辺境に格差が有るのはおかしい。税を取る以上、最低限の保証は政府が行うべきだろう。税を取る事だけに熱心になってどうする、政治不信が高まるだけだ。

辺境開発の計画が出来上がったからだろう。結婚式に出席したクラインゲルト子爵バルトバッフェル男爵、ミュンツァー男爵、リューデリッツ伯爵もニコニコだった。計画が出来上がっていなかったらと思うと寒気がする。あの結婚式で仏頂面したオッサンどもの顔なんぞ見たくもない。

酷い結婚式だった。皆喜んでいたが俺は少しも喜べない。二度とあんな思いをするのは御免だ。絶対にユスティーナとは別れないし、別れても再婚はしない。絶対にだ。ユスティーナは大事にしないと。

最初の出だしから納得がいかなかった。式自体は九時から、披露宴は十時半からという事だったが俺とユスティーナは準備が有るから七時には新無憂宮に来いと言われていた。

七時に新無憂宮に行くとさっそく控室に通されたのだが、そこで待っていたのはリヒテンラーデ侯だった。意地の悪そうな顔をして着替えをしろと言い出す。俺は軍服で式を挙げるから着替えは必要ないと言ったんだが爺様はニヤニヤ笑い出した。あの時はぞっとしたよ、今日は結婚式じゃなく俺の葬式かと思ったほどだ。

“軍服で構わんがの、マントとサッシュはこれにせよ”
そう言うと取り出したのはコバルトブルーのマントと白のサッシュだった。俺がそんなのは嫌だと言うと、さも嫌そうに俺のマントを人差し指で突いた。
“結婚式じゃ、黒のマントなぞ論外、そのくすんだサッシュもな。全宇宙に放送するのじゃから少しは見栄えを考えんと”

くすんだは無いだろう、くすんだは。渋いと言ってくれ。まあ確かに地味かもしれないが、これは俺のお気に入りなんだ。それを白のサッシュ? おまけに赤で縁取りしてある……。ラインハルトだってこんなの身に着けていなかった。溜息が出た。

俺が納得したと見たのだろう、爺様は今度は靴を差し出した。靴は問題ない、今履いている靴はちゃんと磨いてある。だが爺様の出した靴はただの靴じゃなかった。シークレットシューズだ、一見普通のシューズに見えるがヒールが五センチ近くある。俺が唖然としているとジジイは益々ニヤニヤ笑いを大きくした。お前、本当に貴族か? どう見ても時代劇に出てくる性悪ジジイ、代官とか廻船問屋の越前屋にしか見えん。

“新婦はハイヒールを履いてティアラを付ける。そうなると卿よりも背が高く見えてしまうでの、それでは少々バツが悪かろう。そこでの、これじゃ、のう、なかなかのものじゃろう”

そういうと爺さんは“ホレ”と言って靴を俺に押し付けた。……悪かったな、どうせ俺は背が低いよ。ユスティーナはハイヒールを歩き辛いと言って好んでいない。多分彼女は式でハイヒールを履くのを嫌がったはずだ。それを無理やり履かせたんだろう、俺にシークレットシューズを履かせて笑うためにだ。この糞爺、お前みたいなのが居るから世の中から争いが無くならないんだ。地獄に堕ちろ、サタンの弟子めが。

式が始まってからも酷かった。ユスティーナはヒールの所為で転びかけるし俺は彼女を支えようとしてもうちょっとでぎっくり腰になるところだった。付添いの女官が“優しい旦那様で良かったですね”なんて言っていたが、当たり前だろう。俺が支えたから、何ともなかったから美談で済むがあのままこけたり、ぎっくり腰になったりしていたら銀河の笑いものになるところだった。危ないところだったよ。

ミュッケンベルガーは花嫁の父を演じていたが、ガチガチになっていた。いつもの威厳のあるミュッケンベルガーなんてのは欠片もなかったな。養女でも娘は可愛いらしい。もしかするとガチガチになっていたのは神父が皇帝だったからか? まあ分からないでもないが頼むから俺を睨むのは止めてくれ。俺はユスティーナを誑かした覚えは無い。

それにしてもフリードリヒ四世にも困ったもんだ。よりによって神父なんだから。最初は分からなかったが、妙に神父が上機嫌だと思って良く見たら皇帝だった。何考えてんだか……、頭痛いよ。ジジイども、政務そっちのけで悪巧みに熱中したに違いない。少しは仕事をしろ! 俺を見習え!

まあそれはともかくフリードリヒ四世の神父はなかなかのものだった。“その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?”なんておごそかに訊いて来る。

こういうのはやはり皇帝としての経験なんだろうな。俺なら恥ずかしくてとても言えないよ。指輪を嵌めてキスをするとフリードリヒ四世は満足そうに頷いて“ここに二人は目出度く夫婦となった。予、銀河帝国皇帝フリードリヒ四世はそれを認め、それを祝福するものである”と宣言した。

宣言が終わるとどういう訳かシュプレヒコールが起こった。
“ジーク・ライヒ!”
“ジーク・カイザー・フリードリヒ!”
……何でだ? 何でそうなる、俺の結婚式だろう……。頭が痛いよ……。皇帝は満足そうだし一番前で泣きながら声を出しているのはミュッケンベルガーだった。訳わからん……。

その後で賛美歌三百十二番を歌ったのだがこれがまた凄い。伴奏はメックリンガー、聖歌隊にはどういう訳かビッテンフェルトが居る。あの肺活量で朗々と賛美歌三百十二番を歌うんだ。奴は職業を間違ったな、オペラ歌手にでもなれば帝国一の歌い手になれただろう。しかし、メックリンガーの伴奏でビッテンフェルトが歌う? 原作じゃ有りえん話しだ。

式が終わった後は披露宴だったがこいつもまたとんでもない披露宴だった。主賓はなんとハインツ・ゲラーだ。平民であるゲラー夫妻が皇帝フリードリヒ四世、国務尚書リヒテンラーデ侯と同じテーブルに着いている……。

わざとだな、平民と皇帝が同じテーブルで歓談する。それを全銀河に流すことで帝国は変わったという事、フリードリヒ四世の気さくさをアピールするのだろう。なかなか上手い手だ。でもな、おかげでゲラー夫妻は緊張しまくりだった。可哀想に……。

司会は宮内尚書ベルンハイム男爵、乾杯の音頭はフリードリヒ四世だった。ベルンハイム男爵は緊張して何度もつっかえるし、リヒテンラーデ侯はその度に冷やかして皇帝は笑い出す始末だった。この有様を見たらどう見てもその辺のサラリーマンの集まりにしか見えないだろう。わざわざ放送する必要が有るのか何度も疑問に思ったよ。

余興も凄かった。艦隊司令官全員で歌を歌うとか最初は冗談だと思った。しかし冗談じゃなかった。またまたメックリンガーの伴奏で皆が歌を歌った、メルカッツ提督もだ。アイゼナッハもいたけど多分あれは口パクだろう。後で念のため本当に口パクだったかどうか隣にいたロイエンタールに聞かなければ……。

しかしね、歌がフェザーンのアイドルグループの歌ってなんだよ。しかも女子のアイドルグループ、ヘソ出して腰振って踊っている連中の歌だ。そんなのメルカッツやシュトックハウゼンに歌わせるなよ、爺さんども生真面目な顔をしていたが内心では頭を抱えていただろう……。黒真珠の間は爆笑だった……。

俺とユスティーナはずっと雛壇だったが、これがまた苦痛だった。ひっきりなしに祝いの言葉を言いに来る奴が居るんだ。彼らのおかげで碌に食事が摂れなかった。彼らは写真を撮って酒を注ごうとする。俺は酒が飲めないから全部ジンジャーエールで応対した。

ユスティーナは二口三口くらいはシャンパンを飲んだだろうがその後は彼女もジンジャーエールだった。というか俺が飲むなと言った。空きっ腹にシャンパンなんて碌なもんじゃない。酔っぱらった花嫁なんて洒落にならんからな。それで失敗したカップルは幾らでもいる。

披露宴が終わったのが二時、さあ帰ろうかと思っていたらリヒテンラーデ侯がまだ帰るなと言う。三時から観劇だと言うんだ。はあ? と思ったよ、何で披露宴の後に観劇するのって。でも爺さんは頑なだった。何でもこの観劇も結婚式の一部として放送されるらしい。辺境開発の費用捻出のために我慢しろとか言い出す。汚いよな、年寄りは。殺し文句を心得ているんだから。

題名は「シャンタウ」、聞いたことが無いし妙な名前だと思ったら新作だと言う。内容はイゼルローン要塞陥落後からシャンタウ星域の会戦までを壮大に演じた(俺の言葉じゃない、爺さんの言葉だ)劇らしい。帝国歌劇団がシャンタウ星域の会戦後から構想を練り一年かけて台本を作った。それをこの結婚式で初公演するのだと言う。

良いのかよ、それ。そう思ったね。あの戦いはフェザーンと同盟をコケにしまくった戦いだ。それを劇にして全宇宙に流す? 同盟とフェザーンで暴動が起きかねない、冗談で済む話じゃないんだが爺さんは平気だった。暴動が起きた方が劇の評価が上がるだろう、なんて言っている。

正気か? と思ったがどうやら皇帝が見たがっているらしい。結局休憩一時間、夕食の時間だがそれを入れて六時間を観劇で過ごした。終わったのは九時を過ぎていたな。ようやく帰れると思ったらインタビューとか言われてさらに一時間拘束された。終わった時はへとへとだった。

劇の内容については……、思い出したくない。


……あの六時間だけ死んでれば良かった……。


 

 

第二百四十六話 キレるほどに恋してる

宇宙暦 798年 3月 15日    ハイネセン ある少年の日記



ここ最近、同盟では暗いニュースが多い。先月に起きたクーデターの所為だ。最初は軍人と政治家達だけのクーデターだと思われていたけど財界や官僚まで関与したことが分かってきた。連日取り調べを受ける人が増えているし、自殺した人も出た。段々規模が大きくなってる。

最初にクーデターで驚いたのはネグロポンティ国防委員長が参加していたことだった。委員長はトリューニヒト議長の最も信頼する部下だったのにそれが議長を裏切るなんて……。最終的には議長の説得で委員長が全てを自供したことがクーデターを未然に防ぐことになったけど今でも信じられない。

もっと信じられないのが多くの軍人が参加していたことだった。現役の軍人だけじゃない、退役した人や予備役の人まで参加している。でもロボス退役大将とかフォーク予備役准将とか、そんな人仲間にしてどうするんだろ。敵をやっつける事より味方を犠牲にする事の方が得意な人達なんだけど……。自滅する気だったのかな?

母さんもクーデター騒動が起きた時は不安がっていたけど今日はニコニコしている。今日は楽しみにしていたヴァレンシュタイン元帥の結婚式の日なんだ。ハイネセンの、いや同盟のTV局は皆元帥の結婚式を放送する事になっている。フェザーンのTV局の中継をそのままLIVEで放映するんだ。母さんだけじゃない、皆結婚式の放送を楽しみにしている。もちろん僕もだ。どんな結婚式になるのか……。

ハイネセンの女性週刊誌は皆結婚式の事でもちきりだ、色んなことが書かれてる。それによると元帥の結婚は皇帝の命令なんだそうだ。いわゆる政略結婚っていう奴らしいけど相手の女性、ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガーとは元々恋人同士だったらしい。

ミュッケンベルガーの姓で分かるけど相手はミュッケンベルガー元帥の御嬢さんだ、正確には養女らしい。元帥とは親戚関係にある家の女性らしいけど家が戦争の所為で没落して養女になったとか。貴族だからって楽に生きているわけじゃないんだ、大変なんだと思った。

ミュッケンベルガー家というのは軍の名門で本家は伯爵位を持っているらしい。ヴァレンシュタイン元帥は平民だから本当なら二人は結婚できなかったそうだ。でも皇帝がそれを知って可哀想だからと言って二人を結婚させるようにと命令したんだそうだ。

ミュッケンベルガー元帥も不満には思っていないらしい。ヴァレンシュタイン元帥は皇帝のお気に入りだし、いずれは統帥本部総長、軍務尚書になるだろうと言われている。皇帝の命令なら箔が付くから、むしろ喜んでいるって母さんが買った週刊誌に書いてあった。

皇帝が二人の結婚を認めたのには他にも理由が有るからだと週刊誌は書いてる。先年の内乱で多くの貴族が死んだから貴族同士で結婚をするのが難しいらしい。だから二人の結婚を認める事で他の貴族にも平民との結婚をしやすくしたんだとか。そして軍の艦隊司令官達には若くて独身の男性が多いから人気急上昇なんだそうだ。何処かの伯爵令嬢も艦隊司令官と仲が良いらしい。

昨日のTVで今日の結婚式の意義ってテーマで討論会をしていた。その中で言っていたけど帝国は確実に変わっているそうだ。平民の権利が拡大されていて今回の結婚はそれを全宇宙に知らせるために行われるのだとか。そのために結婚式も宮中で行われるんだと言っていた。

僕には難しい事はよく分からない。でも宮中で、黒真珠の間で結婚式が行われるのは凄いと思う。今まで新無憂宮の中が映された事なんて一度もない。それが今回全宇宙に放送されるんだ、それも黒真珠の間……。

黒真珠の間はヴァレンシュタイン元帥が元帥杖を授与された場所だし、宇宙暦七百九十六年十月十五日に発布された勅令が宣言された場所でもある。帝国の公式行事がいくつも行われた歴史的な場所なんだ。その場所で結婚式、元帥の結婚式はどんな結婚式になるのか、心臓がドキドキしてる。

母さんが僕を呼ぶ声が聞こえる、どうやら放送が始まるらしい。さあ行かなくちゃ。



宇宙暦 798年 3月 22日    ハイネセン ある少年の日記



ここ一週間、僕のクラスは結婚式の話で盛り上がっている。学校の先生だって結婚式翌日の最初の言葉は“昨日の結婚式は凄かったなあ”だった。クラスの皆も“凄かった!”と口々に言った。僕も同感だ、あの結婚式は本当に凄かった。

黒真珠の間は大きな部屋で正面に神父さんが居て宣誓用の台が有った。そして台から入口まで赤い絨毯が敷いてある。解説者(この人、フェザーン人だった)が言っていたけど、その絨毯は二百名の職人が二十五年かけて織り込んだものらしい。僕ならとてもその絨毯を踏むことなんて出来ない。母さんも踏んだらばちが当たりそうだって笑ってた。

絨毯の両脇には式の参列者が居た。軍人は大将以上の階級を持つもの、文官は各省の尚書、次官、それに爵位を持つ貴族……。それ以外は新郎新婦のごく親しい人物が呼ばれたらしいけど参列者の殆どが帝国の重要人物だった。

解説者は帝国貴族が平民である元帥の結婚式に参列している、内乱後の帝国には対立が無くなったと言っていた。フン、同盟だってクーデターを未然に防いだんだ、こっちだって対立は無くなったさ。

解説者の説明が三十分ぐらいたってからかな、新婦が父親であるミュッケンベルガー元帥と黒真珠の間に入ってきた。二人は腕を組んでゆっくりと入ってくる。ミュッケンベルガー元帥は軍服じゃなかった、黒のフォーマルを身に着けていたけどもの凄く威厳に満ち溢れていた。

初めて見たけど恰好良かった、軍服を着てないのに歴戦の名将、そんな雰囲気が漂っている。同盟軍にはあんな人は居ない、良い意味で帝国貴族らしい感じがした。皆も元帥が恰好良いって言ってた。特に女の子は“お爺ちゃん恰好良い、私も手を繋いで歩きたい”って騒いでた。ミーハーめ、恰好良ければなんだっていいんだ、女って最低!

花嫁は文句なく綺麗だった。白のドレスが良く似合ってる。頭に王冠みたいなティアラっていう飾りを着けていたけど、ゴールデンバウム王朝に代々伝わるティアラで前にこれを使ったのは旧リッテンハイム侯爵夫人、今はクリスティーネ皇女殿下だと解説者が言っていた。今回は特別に使用が許されたそうだ。

ウェディングドレスもトレーン? あのズルズル引き摺るやつだけどこれが七.六メートル。これも「ロイヤル」って呼ばれる長さで帝国では皇族以外は使用禁止だって言ってたけど特別に使用が許されたようだ。理由は全宇宙に放送するから、みっともない結婚式では帝国の威信に傷が付く、そんな事は許されないって事らしい。だから特別に皇帝から許可が下りたとか……。

解説者が新婦の衣装は貴族でも本来許されるものではなく、特例で皇族並みの待遇だって言っていた。その事で妙な事を言いだした。実はヴァレンシュタイン元帥は皇帝フリードリヒ四世の孫だって噂が有るらしい。こうも特別扱いされると本当かもしれないって……。

もっとも妙な噂は他にもあるそうだ。何でも元帥はリヒテンラーデ侯の孫だとか……。どうやら元帥が平民なのに慣例を破って宇宙艦隊司令長官になった事や元帥になった事で本当は権力者の落胤じゃないかと噂が立ったという事らしいけど、本当にそれだけかな?

花嫁のユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガーは優しそうな人で大きな緑色の目がとっても綺麗な人だった。解説者も花嫁は優しい女性で、元帥が負傷したときは一日おきに見舞っていたとか言ってた。

貴族の娘って高慢で我儘なお姫様ばかりかと思ってたけどそうじゃないんだ。可哀想だな、元帥みたいなロクデナシと結婚するなんて……。恋人だったらしいけどユスティーナは騙されてるんだ。元帥は嘘吐きでロクデナシだからね、多分すぐ離婚したくなるに違いない。

クラスの女の子は“大したことない、ブス、タレ目”とか言ってたけど、お前らなんかよりずっと綺麗で素敵だ。不細工な女に限って美人を貶す、うちのクラスは学年一のブス揃いだ。他のクラスからは地雷教室と言われている、足を踏み入れたくないそうだ。僕なんか毎日足を踏み入れてるのに。

二人が神父の前に着くと今度はヴァレンシュタイン元帥が黒真珠の間に入ってきた。捕虜交換式の時とは違ってコバルトブルーのマントと白のサッシュだ。サッシュには赤の縁取りがしてある、意外に元帥はオシャレだ。でも母さんは“元帥は黒の方が似合うのに……、まあ結婚式じゃ黒は無理よね、でも残念”と言って笑ってた。

母さんは元帥に甘い、母さんだけじゃない、クラスの女の子達も似た様な事を言ってた。言っておくけど元帥は敵なんだ。シャンタウ星域で大勢の同盟軍人を殺した敵なんだ、気を許しちゃいけない。でもそれを言うと“あんただってユスティーナには甘いじゃない”って言い返してくる。全く分かってない、彼女は帝国人だけど軍人じゃない、ごく普通の女の人じゃないか。

新郎新婦が神父の前に行くと神父が誓いの言葉を言い始めた。でもなんか変なんだよな、この神父、どっかで見たことが有る……。そう思った時だった、解説者が自信なさそうな声で神父が陛下に似ていると言いだしたんだ。

そうなんだよ、凄く似てるんだ。母さんも似てると言いだした。例の勅令の時に見たけど、あの時の皇帝は威厳が有って格好良かった。神父はニコニコしてるからちょっと気付かなかった。あの時と感じが違うけど凄く似ている。

式が進む中、母さんと僕の間で言い合いになった。僕は皇帝だと言ったんだけど、母さんは皇帝じゃないって言うんだ。解説者はどっちつかずだった、優柔不断な奴。でもやっぱり皇帝だった。神父は誓いの言葉の後こう言ったんだ。

“ここに二人は目出度く夫婦となった。予、銀河帝国皇帝フリードリヒ四世はそれを認め、それを祝福するものである”。それを聞いた時は僕も母さんも呆然として顔を見合わせた。僕だって本当に皇帝だとは思わなかったんだ。多分そっくりさんが演じているのかと思ってた。でもそうじゃなかった。

“ジーク・ライヒ!”
“ジーク・カイザー・フリードリヒ!”
唖然としていると参列者がいきなりシュプレヒコールを始めた。恰好良い! 僕は同盟の人間だけどこういう時は帝国って恰好良いなと思う。同盟ってこういう掛け声みたいなのって無いんだよね、盛り上がりに欠けるよ。何か良いのないのかな?

シュプレヒコールを聞きながら母さんが“これで元帥は離婚できなくなっちゃったわね”と言った。僕も同感、皇帝の前で誓ったんだから離婚は出来ない。花嫁さん、可哀想。あんな最低な男のお嫁さんになって、おまけに離婚も出来ないなんて。多分これもヴァレンシュタイン元帥の策謀に違いない、皇帝の前で誓う事でユスティーナが離婚できないようにしたんだ。最低の奴だ、ユスティーナ可哀想。

母さんは“私もこんな結婚式をしてみたかった”なんて言ってるけど同盟に生まれたんだからそんなの無理だよ。でも同盟でやるとしたらトリューニヒト議長が神父になるのかな? うーん、恰好良いけど皇帝には負けるよ、残念!

シュプレヒコールが終わると賛美歌を歌いだした。パイプオルガンの音色が凄い厳かで何ていうか、神聖な感じがした。結婚式はやっぱりこうじゃなきゃ……。最近の式場では電子オルガンを使うところが多いらしいけど雰囲気が出ないよ。

演奏しているのは髭のメックリンガー提督だった。捕虜交換式で見たから覚えている。芸術家提督が気持ち良さそうに演奏していた。演奏も上手だった、趣味が多才って良いよな。僕も何か始めようかと思ったけどお金がかかるから止めた。うちは父さんが居ないからね、母さんに迷惑はかけられない。

聖歌隊が賛美歌を歌っていたけど、その中に凄く歌の上手い人が居た。背の高い逞しい男の人で髪の毛がオレンジ色だった。もの凄く大きな声で朗々と賛美歌を歌う。感心していると解説者がビッテンフェルト提督だって教えてくれた。

ビッテンフェルト提督って黒色槍騎兵を率いる帝国の名将だ。シャンタウ星域で大活躍したしアラルコン提督をフェザーン回廊でボコボコにしちゃったのも黒色槍騎兵だ。その司令官が賛美歌を歌っている。凄い、帝国軍人って多才なんだ。でも皇帝が神父をするくらいだから皆色んなことが出来るのかもしれない。

賛美歌を歌い終わると新郎新婦が退出したけどユスティーナがもうちょっとで転ぶところだった。どうやらドレスの裾を踏んづけたらしい。ヴァレンシュタイン元帥が両手で抱き寄せるようにして支えていたけど、ちょっと危なっかしかった。男なら片手で支えるくらいの逞しさは欲しいよ。今から体を鍛えなきゃ……。

結婚式が終わると披露宴だった。主賓は元帥のお父さんの親友でゲラーって言う人だった。平民で弁護士らしいけど、その人が主賓? みんな驚いていた。でも一番驚いたのはゲラーさんだろう。だって皇帝と国務尚書とテーブルが一緒なんだから。僕ならお金をもらっても嫌だし、お金を払っても断るよ。

結婚式は厳かな感じだったけど披露宴はどんちゃん騒ぎみたいな感じだった。国務尚書は野次を飛ばすし皇帝はそれを聞いて笑い出す。皆好き放題で披露宴って帝国も同盟もあまり変わらないんだと思った。母さんもあんまり違和感ないわねって言ってた。

披露宴で一番印象に残ったのは余興だった。艦隊司令官全員、メックリンガー提督は此処でも伴奏だったから、彼を除いて二十人近い人数で歌を歌ったけど、これがびっくりだった。歌は“キレるほどに恋してる”、今フェザーンで人気急上昇の女性グループ、ヴァーチャル・ガールの最新曲だ。

凄い綺麗な御姉さん達十人がちょっとエッチな格好で激しく踊りながら歌う。“キレる、キレる、ブチキレる、わたしキレる程貴方に恋してる”って歌う。同盟でももの凄い人気の有るグループで“キレるほどに恋してる”は十週連続で売り上げナンバーワン、リクエスト曲ナンバーワンだ。それを銀河帝国の提督達が歌った!

クラスの女の子達が時々真似をして踊っているけど豚がタップダンス踊っているみたいだからクラスの男子はそれが始まると皆見ないようにしている。見苦しいからじゃなくて吹き出しそうになるから。笑うとあいつらキレるんだ、おかげでうちのクラスは男女の仲が凄く悪い。先生も頭を痛めてる。でも男子の所為じゃない、あいつらのダンスが下手な所為だ。それとキレなくていい、キレても全然可愛くないから。

歌はとっても上手だった。ビッテンフェルト提督が上手いのは分かっていたけど他の皆も上手なんだ。特にロイエンタール提督、左右の目の色が違うハンサムな提督は美声だった。母さんなんて“顔も良いけど声も素敵ね”ってうっとりしていた。頼むから息子の前でそんな顔しないでくれる、母さん。

提督達は歌を歌ったけどダンスはしなかった。直立不動で歌を歌ったんだけど周りは“踊れ”、“ダンスはどうした”って囃し立てた。皇帝も同じ事を言っていたからヴァーチャル・ガールの事を知っていたみたいだ。僕もTVの前で同じ事を言った。“踊れ”、“ダンスはどうした”って。

このまま踊らないで終わりだろうなって思った。でも艦隊司令官がヴァーチャル・ガールを歌うだけでも凄い事だ。しかも全銀河にLIVEで流れるなんて……。でも僕は甘かった、提督達は皆名将なんだ。勝つためには敵の意表を突かなくてはならない……。

一番が終わって二番が始まるまでの間奏に入った時だった。提督達がいきなり踊りだしたんだ、ヴァーチャル・ガールみたいに激しく踊りだした。一番年長のメルカッツ副司令長官は今年六十になるらしいけど、彼も一緒に踊りだした。提督達は皆髪を振り乱して踊りだしたんだ。

一瞬唖然としたけど次の瞬間には皆が笑い出した。僕も母さんも解説者も披露宴の出席者も皆笑い出した、大爆笑だった。間奏が終わり二番が始まると提督達も踊るのを止め髪型を整えて歌いだした。そこでまた大笑いだった。

二番が終わった時には皆が期待した、また踊りだすだろうって。そして提督達はまた踊りだした。またまた大爆笑だ、そして最後のポーズも完璧だった。右手を突き出して銃を撃つようなポーズを取ったんだ。右手の先にはヴァレンシュタイン元帥が居た、元帥は胸を抑えるしぐさでそれに応えた。そこでまた大歓声だった。

他にも余興は有ったけどこれが一番だった。解説者も何度も“さっきのヴァーチャル・ガールは凄かったですねぇ”って言ってた。披露宴が終わった後は観劇だったけど、あれは論評に値しない。帝国側ばかり格好良く書かれていて詰まらない。確かにドーソンとかフォークとかどうしようもない連中だけど、同盟にだってヤン提督、ビュコック提督、ウランフ提督、ボロディン提督みたいに名将は居るんだ、……帝国に比べて少ないけど……。

結婚式が終わってからヴァーチャル・ガールは以前より人気が出た。そして“キレるほどに恋してる”も売上が伸びてる。でもそれ以上に銀河帝国の提督達の人気が凄い。あの結婚式の余興だけどあれがもの凄い人気で毎日何処かで流れてる。

提督達のプロマイド写真も売れてる。一番人気はビッテンフェルト提督で、その次がロイエンタール提督だ。意外に人気が有るのがメルカッツ副司令長官かな。そしてそれ以上に売れているのが、新郎新婦の写真と退役したミュッケンベルガー元帥の写真だ。どういう事だろう?

プロマイドはフェザーンの企業が版権を持っていて利益はその企業に行くんだけど、そこから一部が帝国に行くらしい。何でもそのお金は帝国の改革のために使われるんだとか。マスコミの一部は買うのは止めようと呼びかけているけど皆無視してる。

そんな事言うんなら結婚式の放送そのものを止めるべきだったって皆言うんだ、今になってそんな事言うなんておかしいって。僕も同感だ、今更おかしいよ。僕も母さんには内緒でユスティーナのプロマイドを持ってる。ウェディングドレスで幸せそうに笑っているユスティーナだ。

フェザーンでは提督達が歌った映像シーンを売り出そうという話が出ているらしい。当然だろうな、だってサラリーマン達が酔って踊っているって聞いているし、僕のクラスでも男子が踊っている。実は僕もその一人だ、毎日髪を振り乱して踊ってる。

母さんがもう寝なさいって言っている。もう十時だ、明日の準備をしてベッドに入ろう。でもその前にユスティーナにお休みを言わなくちゃ。お休み、ユスティーナ……。早く元帥の本性に気づいて別れるんだよ、そのほうが幸せになれるから……。



 

 

第二百四十七話 和平か、講和か

宇宙暦 798年 3月 28日    ハイネセン  最高評議会ビル    ウォルター・アイランズ



「いい気なものだな、まあそれだけ余裕が有るのだろうが」
TV映像を見ながら渋い表情でトリューニヒト議長が吐き捨てた。執務机を右手で軽く叩いている。珍しい事だ、此処まで感情を露わにするとは。

「確かにそうでしょう。しかしどちらかと言えば政治的なショーの意味合いが強いと思いますが」
トリューニヒト議長がソファーに座る私を見た。
「確かにそうだな、……開かれた帝国か……。軍事だけでなく政治でもこちらを押してくる。厄介な相手だ」

今度は溜息交じりの言葉だ、トリューニヒト議長は大分参っている……。議長の視線がまたTVに向けられた。TVにはヴァレンシュタイン元帥の結婚式の映像が映っている。例の『キレるほどに恋してる』の映像だ。

開かれた帝国……、ここ最近マスコミで使われ始めた言葉だ。皇帝主催の結婚式、皇帝自ら神父を務め披露宴では平民とも親しく話をしている姿が全銀河に流れた。また披露宴自体、同盟市民から見ても親近感が持てる物だったと言える。

同盟市民からは帝国は変わりつつある、開かれつつあるという声が出始めている。『開かれた帝国』はそんな市民の声をマスコミが表した言葉だ。極めて帝国に好意的な表現と言える。この結婚式を企画したのが誰かは知らないがこの言葉を聞けば大喜びするに違いない。

「まあ、それでも今回はこちらも救われました。その点については礼を言わねばなりませんな」
私の言葉にトリューニヒト議長が渋々と言った表情で頷いた。いかんな、気分転換になればと思って言ったのだが……。

「クーデターの一件で皆が暗くなっていたからな、それを吹き飛ばしてくれた事には感謝しているよ」
面白くも無さそうな声と表情だ。表情と言葉がこれほどまでに違う事も珍しいだろう。やれやれ……。

「ところで、宜しいのですか? お忙しいのでは」
呼び出されて議長室に来てみれば、もう十五分近くTV映像を見ている。議長は多忙のはずだ、話が有るのなら早く済ませた方が良いだろう。このまま居るとどうもこちらまで気が滅入りそうだ。

「いや、三時間程は緊急な要件でない限り誰もここには来ない事になっている。仕事に追われるだけではいかん、時には考える事もしないと……。とはいえ、いつまでもTVを見ていても仕方ないな」
そう言うと議長は視線をこちらに向けた。やはり疲れているようだ。まあ無理もない事ではある、例のクーデター計画だがその規模は予想より大きかった。

「捜査の方は如何ですか」
「まだまだ、これからだろう」
ネグロポンティは参加者を募る事を優先していた。政、軍、官、財……、様々な分野においてクーデターに関与した人間がいる。その全容を掴むのは容易ではない……。

「……例の連中は?」
私の言葉にトリューニヒト議長が顔を顰めた。席を立ち私の方に近づいて来る。そして私の正面に座った。
「直接は絡んでいない様だ、だが連中と親しくしている軍人、財界人がクーデターに関与している事が分かっている」

財界人? フェザーン占領を望む財界人がクーデターに参加したことは分かっている。しかし地球教と親しくしている財界人?
「軍人は分かります、連中は主戦派とは近しい関係に有る。しかし、財界人とは……」
私の問いかけにトリューニヒト議長も困惑した表情を見せた。

「私も不審に思っている」
「……」
「……君は知っているかな、レオポルド・ラープがこの国でフェザーン成立のために資金を調達したという話を」
躊躇いがちに議長が問いかけてきた。声も小さい、こちらの声も自然と小さくなった。

「ネグロポンティから聞いております。ヴァレンシュタイン元帥が知らせてきたという話でしょう」
議長は頷くと言葉を続けた。
「もしかするとその時協力した者達の末裔なのかもしれん……」
「まさか……」

トリューニヒト議長の顔をまじまじと見た。議長もこちらを見ている。困惑した様な表情だ。
「まさか……」
もう一度同じ言葉が出た。

「分からん……、分からんよ、真実は。これまで地球教はフェザーンを隠れ蓑にして行動してきたからな。直接地球教が動くとは思えん、もしかするとだ……」
「……」
考え込んでいると議長の小さい声が耳に入ってきた。

「帝国からも地球教とクーデターの関わりについては念入りに調べてくれと要請が来ている。……要請が来たのは二月の二十日だった」
「!」
思わず議長の顔を見た。トリューニヒト議長は嘘ではないと言うように頷く。

二月の二十日……。ネグロポンティを始めとしてクーデター関与者が逮捕されたのが十九日だった……。
「帝国には事前に知らせたのですか?」
トリューニヒト議長が首を横に振った。

事前には知らせてはいない……。にもかかわらず翌日にはクーデターと判断し地球教の関与の調査を要請してきた……。背中に嫌な汗が流れるのが分かった、未だ三月だというのに……。
「油断出来ませんな、恐ろしいほどに鼻が利く」
「手強い相手だ、君もこれからは連中の恐ろしさを十二分に知る事になる」

お互い顔を見合わせて黙り込んだ。議長室には結婚式の映像が流れている。リヒテンラーデ侯が何か野次を飛ばし皇帝が笑い出した。話題を変えた方が良いだろう。

「和平交渉は上手く行きそうですか」
私の言葉にトリューニヒト議長が首を振って苦笑を漏らした。
「上手くいかんな。まあそう簡単に上手くいくとは思っていない、現時点では和平の可能性は低いだろう……。しかし、だからと言って諦めることは出来ん。今のところは様子見だ」
「……」
「ペイワードもその辺りは分かっている。お互い長期戦は覚悟しているよ」

和平か……、難しい事ではある……。議長は現時点ではと言ったが将来的にも可能性は低いだろう。しかし和平を結べればそれにこしたことは無い。幸い帝国は改革を進めつつある、政治的、イデオロギー的な対立点は徐々に少なくなっているのだ。

「今日君に来てもらったのは君の考えを訊きたいと思ったからだ」
「私の考えですか」
トリューニヒト議長が鋭い視線を向けてきている。普段の人好きのする笑顔は無い。

「君を国防委員長に任命したのはネグロポンティ君の推薦があったからだ。私は彼を信じた、おそらく君達の間ではクーデター発覚後の展望について何度も話し合いが有ったはずだ。だから私は何も訊かずに君を国防委員長に任命した。またそんな悠長な事をしている様な状況でもなかった。彼方此方で逮捕者が出ていたからね」

その通りだ、悠長な事をしている状況ではなかった。何より逮捕者を最も出したのは軍と国防委員会なのだ、蜂の巣を突いた様な騒ぎだった。逮捕者の穴は早急に埋めなければならない。クーデター発覚後もっとも忙しい思いをしたのは国防委員会と軍だろう。

第三艦隊にアップルトン中将、第九艦隊にクブルスリー中将、第十一艦隊にホーウッド中将を配した。各艦隊の司令部要員、分艦隊司令官も逮捕者の穴埋めをしている。三個艦隊が精鋭と呼ばれるまでになるには時間がかかるはずだ……。

「だがもうそろそろ良いだろう。君も一カ月近く国防委員長を務めそれなりに思うところは有ったはずだ。国防委員長として、自由惑星同盟はどのような国防方針を持つべきか、君の意見を私に聞かせてほしい」
「……」

TVでは結婚式の様子が流れている。今度は女性達が歌を歌っている。宇宙艦隊司令部に詰める女性兵らしい。美しい女性達の歌声でさらに歓声が沸き上がっているところをトリューニヒト議長がTVのリモコンを押し映像が消えた。部屋に静寂と緊張が生じる。その圧迫感に負けないようにゆっくりと話し始めた。

「私は帝国との間に和平を結ぶのは難しいと考えています」
「……」
「帝国がそれを望まないという事も有りますが、大多数の同盟市民もそれを望んではいません。主戦派に対して嫌悪感を抱いても、同盟が不利な状況に有ると分かっていても和平は望んでいない……。市民はこのまま国力の回復を待ち、帝国に反撃する事を望んでいるのです。和平を望んでいるのはごく少数の市民だけです。この状況では和平を結ぶのは難しいでしょう……」

トリューニヒト議長は何も言わない、ただ黙って私を見ている。ますます圧迫感が強まった。
「このままいけば同盟と帝国の戦いは避けられません……」
「……それで」
「戦いは避けられない、それを前提とした和平を考えるべきではないかと私は考えています」

トリューニヒト議長は黙って私を見ている。そしてしばらくしてから“戦いを前提とした和平か”と呟いた。
「それは講和という事かね、アイランズ君」
「そうです」

きりきりと痛いような圧迫感が身を包む。何か話すことで忘れようとした時だった、議長が大きく息を吐く、部屋から圧迫感が消えた……。
「戦争が起きれば同盟は六から七個艦隊の動員が精一杯です。帝国は控えめに見ても二十個艦隊は動員するでしょう。三倍の兵力です、勝つのは難しい。そうなれば同盟市民も和平を、講和という和平を考えるはずです」

同盟市民は帝国に勝てると思っているだろうか? 答えは否だ。しかし皆現実を見ないようにしている。そして自分に都合の良い部分だけを見ているのだ。都合の良い部分とはイゼルローン、フェザーンの両回廊を押さえている事。帝国が当面は内政に専念するであろうことだ。だから同盟は安全なのだと思っている。帝国が攻め寄せるまでに体制を立て直せると信じている……。

見たくない現実から目を背け、見たいと思う願望を現実として今日を生きている。それが今の同盟市民だ。我々が彼らの目を現実に向けさせるのは至難と言って良いだろう。帝国が大軍をもって攻め寄せてきた時、その時になって同盟市民は自分達が現実を拒否し願望を現実として認識していたと理解するに違いない、現実が見えれば同盟市民は戦争よりも和平を選択するだろう。

クーデターを考えた連中はそれよりは少しましだった。連中は帝国の攻勢が必至だと見ていたのだ、早期に帝国軍が押し寄せてくると。しかしましなのはそこまでだ。そこから考えたのはフェザーンを占領して富を毟り取るというまるで山賊の様な発想だった。

「講和か……。戦争が始まる前に和平を結ぶのは無理か……」
議長の眉間に皺が寄っている。
「無理、とは言いませんが難しいと思います。より現実的なのは戦った後の講和でしょう。我々は和平と講和、両方を考えるべきです」
トリューニヒト議長が唸り声を上げた。

「しかし、戦いが始まればこちらが圧倒的に不利だ。講和と言っても降伏に等しい様な物になるのではないかね」
「……確かに、その危険性は有ります。同盟軍はイゼルローン、フェザーンの両方面で帝国軍と最悪でも膠着状態に持ちこまなければならない……。そうでなければ城下の盟をさせられてしまう……」

私の言葉にトリューニヒト議長が溜息を洩らした。同盟軍にとって余りにも厳しい条件だ、二つの回廊を最大でも七個艦隊で守らなければならないのだ。どちらか一方が突破されれば、ハイネセンまで帝国軍を妨げるものは無い。溜息を吐くのも仕方がないと言える。

議長が和平にこだわるのもそれが有るからだろう。戦争は始めるよりも終わらせる方が難しい。まして同盟は劣勢な立場にあるのだ。講和条件は当然同盟にとって厳しいものになるだろう……。拒絶すればどうなるか? 戦局を好転させられれば条件は緩和するかもしれない。しかしその可能性は小さい、絶対的に兵力が少ないのだ。おそらく戦局は悪化し講和の条件はより厳しいものになる、いや講和そのものが必要とされなくなるかもしれない……。

「アルテミスの首飾りが役に立たないと同盟市民に伝えるべきではありませんか?」
私の言葉にトリューニヒト議長が“うーむ”と唸り声を上げた。判断がつかない、そんなところだろうか。

アルテミスの首飾りが役に立たない……、亡命者から得た情報だ。帝国内で発生したカストロプの反乱において首謀者マクシミリアンは、アルテミスの首飾りを使って惑星カストロプを防衛しようとした。

しかし反乱鎮圧に向かったヴァレンシュタイン元帥の前にあっけなく破壊されたのだという。ただ、どのようにして破壊されたのかは分からずにいる……。政府がこの事実を知ったのは帝国の内乱が終結し、捕虜交換を控えた時期だった。そしてこの事実は同盟市民には公表されずにいる……。

捕虜交換前に公表すればどのような騒ぎが起こるか分からない、捕虜交換をスムーズに終わらせるためには事実を伏せざるを得なかった……。
「捕虜交換は無事に終了しました。今なら公表しても問題ないでしょう。むしろ和平交渉を進めるには公表した方が良いと思います」

アルテミスの首飾りが無力と分かれば、何かと煩い議員達もハイネセンの同盟市民も多少は考えるだろう。連中の強気も自分達が安全だと思えばこそだ、自分達が安全ではないと分かれば少しは大人しくなる。

「そうだな、次の最高評議会で話してみよう。反対する者もいるだろうが、いつまでも隠し続けるのは危険だ」
自分を納得させるような口調だった。
「他には、何かあるかね」
「フェザーンとの連携を強めるべきだと思います」

トリューニヒト議長が無言でこちらを見ている。私がフェザーンの占領をより強力な物にするべきだと進言していると思ったか……。
「フェザーンを自由惑星同盟に組み込めと言っているのではありません。フェザーンの中立を尊重し対等の立場で堅密な関係を結べと言っているのです」
「対等の立場か……」

議長が眉を寄せて呟く。なかなか難しい事だと思う、しかしこれは必ずやらねばならない。これなしでは対帝国戦において更に不利な状況で戦わざるを得ないのだ。

「同盟政府はフェザーンの中立を尊重し、その関係を堅密なものにする。帝国が攻めてきたときには、帝国はフェザーンの中立を侵そうとしていると非難することでフェザーンを味方につけるのです」
「……」

「そして我々の後方支援をして貰うか、或いは帝国に占領された後はサポタージュ等で攪乱して貰います」
「……ヤン提督の弱者の戦略か……」
議長が私を見ながら呟く。その通りだ、弱い以上少しでも味方を作り帝国を孤立させなければならない。

「今回のクーデター騒動は好機です」
「好機?」
「そうです、改めてフェザーンの中立を尊重する、同盟政府はその中立を侵す事は無いと宣言するのです。クーデターの首謀者達が考えたフェザーンの併合などと言う事は絶対にない、いずれは帝国と協議の上撤兵すると……」

「それによってフェザーンの好意を勝ち取るか……」
「そうです」
俺が頷くとトリューニヒト議長は大きく息を吐いた。そして眼を伏せ気味にして考え込んだ。

和平交渉はこれからも続けてもらう。その事が議長とペイワードの心を近づけるだろう。二人の結びつきが同盟とフェザーンの結びつきになるように持って行く。そして和平交渉……、いずれ行われる講和交渉の瀬踏みになるだろう……。後はどうやって帝国を講和の席に着かせるかだ。最悪でも両回廊で膠着状態を作り出さなければならない……。



 

 

第二百四十八話 打診


帝国暦 489年 3月 28日  オーディン   フェザーン高等弁務官府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「如何ですか、少しは落ち着かれましたか」
「ええ、ようやく溜まっていた書類を片付けました。どうしてこう書類というのは溜まるのか……、不思議なものです」
俺の言葉にボルテックが軽く笑い声を上げた。

「まあ仕方ありません、書類というのはどういう訳か溜まるのですよ。皆、書類を決裁する事を嫌がるのですな。決裁すれば証拠が残りますから……」
「なるほど」
なるほど、確かにそうかもしれない。俺は宇宙艦隊司令長官だから決裁文書からは逃げられないがメルカッツは副司令長官だ、出来れば俺に任せて避けたいと考えたのだろう。

ココアを一口飲んだ。うむ、なかなかいける。微かにオレンジの香りがするからオレンジの皮でもすりおろしたか……、これが結構ココアに合う、実に美味い。

昨日ボルテックから会いたいと連絡が有った。彼は宇宙艦隊司令部に出向くと言ったのだが気分転換を兼ねて俺が高等弁務官府に向かう事にした。正解だったな、ボルテックはなかなかのホスト役だ。

オーディンに有るフェザーン高等弁務官府、その応接室で俺はボルテックと会っている。俺とボルテックはソファーで向き合う形で座っているがヴァレリーとルパートは少し離れた場所で並んで座って待機している。若い男を隣に侍らせてヴァレリーも御機嫌だろう。

応接室の壁には大きな絵がかけられている。若い女性の絵だ、衣装からして帝国の女性、おそらくは貴族だと思うが、上品な笑みを浮かべてこちらを見ている。まず間違いなくこの絵は帝国で求めたもののはずだ、名のある画家の作品なのかな。メックリンガーなら誰が作者か分かったかもしれない……。

美人を見ながら飲むココアは格別だが、この女性今も生きているのだろうか? 生きているとすれば家は昨年の内乱で無事だったのか……。もしかすると今は苦労しているのかもしれないな……。貴族を潰したのは俺だがあまり考えたくはない事だ、気が滅入る。

「昨日、フェザーンから連絡が有りました」
「……ペイワード自治領主ですか」
俺の問いかけにボルテックが頷いた。なるほど、報告か……、ペイワードと組んで勝手な事はしないという事だな。これに関するボルテックのスタンスは一貫している。

「自由惑星同盟の新しい高等弁務官が決まったそうです」
俺とボルテックの間では反乱軍と言う言葉は使わない。ごく自然に自由惑星同盟という名称を使っている。最初からそうだったかは覚えていないが、まあ銀河の半分を占める星間国家を反乱軍っていうのもおかしな話では有る。

「名前はピエール・シャノン、代議員ですな」
「……」
ピエール・シャノン? レベロ政権下で国防委員長を務めたシャノンの事かな。レベロが推薦したと考えれば有り得る事だが……。

「閣下はシャノンを御存じなのですか?」
いかんな、ボルテックが俺を不思議そうな眼で見ている。妙な表情をしてしまったか。
「いえ、知りません。どのような人物です」

「私も詳しくは知らないのですが国防問題を専門としているようです。もっとも今回のクーデター騒動と無関係だったようですから主戦派と言うわけではないようです」
「なるほど」

国防問題を専門か……、やはりあのシャノンなのだろう。レベロの下で国防委員長を務めたという事はトリューニヒトとは距離が有ったと見ていい。軍事に詳しくても狂信者では無かった、現実を重視するタイプ、そういう事だな。まあレベロ政権下での国防委員長など主戦派には無理だろうが……。

「手強い相手のようですね」
「そう思われますか」
「少なくともヘンスローやオリベイラよりは手強いでしょう」

俺の言葉にボルテックが苦笑を洩らした、俺も笑い声を上げる。オリベイラはともかくヘンスローと比べるのは酷かったか……。なんせあれはフェザーンの飼い犬だった。餌付けしたのはルビンスキーと目の前で苦笑しているボルテックだろう。

もう一口ココアを飲んだ。ボルテックもコーヒーを飲んでいる。なんとなくまったりとした気分になった。どうも俺はボルテックが好きらしい、困ったものだが今のところ支障は無い、かまわんだろう。

気が付けばボルテックが困惑したように俺を見ていた。いかんな、俺はぼんやりとボルテックを見つめていたようだ。軽く笑いかけると向こうも口元に笑みを浮かべた。
「少しお疲れなのではありませんか」
「いえ、大丈夫です。ココアが美味しいのでつい寛いでしまったようです」

「それなら宜しいのですが……。ところで、同盟との和平についてですがお聞きになっておられますか」
「ええ、リヒテンラーデ侯から聞きました」
「リヒテンラーデ侯は司令長官閣下に相談するようにと仰られたのですが、閣下の御考えは」
「さて……」

さて、どうしたものか……。俺がこの話を聞いたのはフロイデンの山荘に居る時、つまり新婚旅行中の事だ。リヒテンラーデ侯曰く、“ボルテックから反乱軍との和平について打診があった。卿に任せるから適当に処理しろ”。一方的に喋って一方的に切った、それだけだった。何も映さなくなったTV電話の前で暫く呆然と座っていたよ。さっぱり分からなかった。全くあの爺、面倒な事は全部俺に投げやがる、少しは自分で片付けて欲しいもんだ。

まあ和平などあり得ないからな、俺に投げて十分と思ったのかもしれない。或いは和平の話題そのものが不愉快だったか……。門閥貴族を潰すために内乱まで起こした。全ては新銀河帝国を造るためだ。そう思えばリヒテンラーデ侯にとっては和平など聞くのも論外な話だろう。

「和平と言っていますが、ペイワード自治領主個人のお考えですか」
俺の言葉にボルテックは軽く首を横に振った。
「いえ、トリューニヒト議長の依頼によるものだそうです。もっともペイワード自身、和平を強く望んでいる事も事実です」
「なるほど……」

自由惑星同盟が和平に本腰を入れてきたという事か……。クーデター騒動で主戦派を潰した今こそが好機と思ったのだろう。そしてペイワードは帝国と同盟の間で和平が結ばれない限りフェザーンの独立は難しい事を理解している。両者の考えが一致した……。

ボルテックはどう考えているのかな。彼は俺がフェザーンを、同盟を占領し宇宙を統一するという考えを持っている事を知っているはずだ。ここで和平を提案してくると言うのは本気か? それともポーズか……。

「和平と言っても恒久的なものにはならない、一時的なものでしょう。自由惑星同盟が国力を回復するまでの一時しのぎ、せいぜい十年の和平でしょうね……。まあ一時的にしろ銀河に平和がもたらされるのは評価しますが同盟の国力が回復すればまた戦争になる。帝国にとっては何のメリットも無いと思いますが……」

ボルテックは俺の言葉を黙って聞いていたが、俺が話し終わるとコーヒーを一口飲んでから話し始めた。
「ペイワードはこう考えているようです。帝国は改革を進めている、劣悪遺伝子排除法も廃法になり同盟と帝国が対立する政治的要因は小さくなりつつあると。いまなら両国の間で和平を結ぶ事は可能ではないかと」

「なるほど……、ボルテック弁務官はどう思いますか? 和平は可能だと思いますか?」
俺の問いかけにボルテックは少し目を伏せ気味にして沈黙している。なるほど、さっきの発言もペイワードの考えとして話した、自分の考えでは無い、察してくれという事か。どうやらポーズのようだな……。

「……確かに政治的な対立点は減ったかもしれません。問題は感情でしょう、同盟市民、帝国臣民、これまでの多くの犠牲者を出してきました。その痛みを乗り越えて和平を受け入れられるかどうか……、難しいのではないかと私は考えています」

その通りだ、ペイワードは百五十年も戦争をしてきたという事実の重みを理解していない。所詮フェザーンで両国の戦いを傍観していただけの事だ、戦争の痛みを理解していない。

彼にとっては戦死者の数はただの数字でしかないのだろう。その数字の陰に家族を失った遺族が居るという事を理解していない。大体フェザーンには戦争孤児や戦争未亡人などいないからな、分からんのだろう。ボルテックはその辺りを理解しているようだ。多分帝国に居る事が大きいのだろう、身近に戦争で家族を失った人間を見ている。戦死者の数をただの数字とは受け入れられないに違いない。

イゼルローン要塞陥落後、同盟は帝国領へ大規模出兵を行った。常識的に考えれば馬鹿げた話だ、同盟にはそんな事をする余裕は無かった。本来なら要塞を中心に防御戦を展開するのがベストの選択だった。では何故あの馬鹿げた出兵が起きたか……。

軍内部での主導権争い、俺やフェザーンが扇動した所為でも有るが根本的には同盟市民の間に帝国領に攻め込んで一撃を与えたいという願望が有ったからだ。同盟市民の心には長い間攻め込まれ続けた事に対する鬱憤、いや怨念が有ったと思う、いつか必ず仕返ししてやると……。

たかだか十年の和平でその怨念が消えるだろうか? とてもそうは思えない、そしてシャンタウ星域の会戦では一千万近い同盟軍兵士が死んでいるのだ。その恨みが十年で消えるだろうか? 十歳で父親を失った子供は二十歳になった時その恨みを忘れる事が出来るのだろうか……。

「ペイワードも和平が簡単な事ではないと理解はしています。特に現時点では帝国が圧倒的に有利な立場にある。和平を受け入れるなど論外だと帝国の重臣方はお考えでしょう。しかしペイワードは和平は帝国にとってもメリットが有ると考えているようです」
「メリットですか……」
俺の言葉にボルテックが頷いた。

「帝国が同盟に攻め込むとなればイゼルローン、フェザーンの二正面作戦を実施する事になるでしょう。しかしイゼルローン要塞は難攻不落、フェザーン回廊も場所によっては大軍が役に立たない狭隘な場所も有る。場合によっては戦争が膠着化する恐れも有る……」
ボルテックが俺を見ている、なるほど俺が本当に宇宙を統一できるか確認しようとしている、そんなところか……。

「確かにイゼルローン要塞は難攻不落ですし、守将であるヤン提督は同盟軍一の名将です。その可能性が有ると考えるのは当然でしょうね」
同盟側は戦争の膠着化が可能だと考えているのだろう。主戦派がクーデターを考えたのは膠着化によって両回廊を守りきれると見たからだ。トリューニヒト達はそこまで楽観はしていない、いずれ押し切られると見た。だから和平をと考えている……。

「戦争が膠着化すれば今帝国内で行われている改革にも支障が出かねません。そうなれば帝国内には戦争に対して不満を持つものも出るのではないかとペイワードは心配しているのです」
「戦争の長期化ですか……。確かに望ましい事ではありません」

さて、どうする。同盟がイゼルローン方面に展開できる兵力は多くても二個艦隊だ。こっちが攻め寄せればヤンは要塞周辺で防御戦を展開せざるを得ない。ヤン・ウェンリーは厄介だがイゼルローン要塞は怖れる必要は無い。いざとなればガイエスブルク要塞をぶつければ良い。

ヤンがそれを防ごうとすれば艦隊を外に出して要塞のエンジンを攻撃するしかないが、その時にはこっちの艦隊でヤンを打ちのめすだけだ。エンジンを破壊する前にヤンの艦隊は火達磨になるだろう。あれは制宙権の確保が有って初めて可能な作戦なのだ。

怖れる必要は無い……、しかし敢えて手の内をさらす必要もないだろう。むしろペイワードを、同盟を油断させた方が良い、いや油断させるべきだ。
「なるほど、ペイワード自治領主の懸念は良く分かりました。交渉はともかく、和平についてこちらも考えてみましょう」

ボルテックがこちらを見ている。見定める様な視線だ。俺が本心から言っているのか見定めようというのだろう。ココアを一口飲む、いかんな冷めてしまった、香りも消えている……。せっかくの美味しいココアが台無しだ。残りを一息に飲み干した……。



帝国暦 489年 3月 28日  オーディン   フェザーン高等弁務官府  ニコラス・ボルテック



「いかが思われますか?」
「さて……、ケッセルリンク補佐官はどう思ったかな」
「あまり感銘を受けたようには見受けられませんでしたが……」
「まあ、そうだな」

感銘か、もう少し言いようは無いのだろうか……。この男の悪いところだ、どうしても物言いが少し皮肉じみた言い方になる。ルビンスキーにもそういうところが有ったが息子の方がより強く出るようだ。不愉快に感じたが苦笑する事で誤魔化した。

既にヴァレンシュタイン元帥は副官と共に宇宙艦隊司令部に戻った。今はルパートが俺の前に座ってコーヒーを飲んでいる。
「考えてみると言っていましたが……」
「言質は取らせなかった」
「はい」

ヴァレンシュタイン司令長官は考えてみると言った、それだけだ。交渉については何の約束もしていない。いや、それを言うなら帝国そのものが和平交渉については何の意思表示もしていない。国務尚書リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタイン司令長官と話せと言っただけだった。

「自治領主閣下には何とお伝えしますか」
「ケッセルリンク補佐官、そのこちらを試す様な物言いは止めたまえ。あまり気持ちの良いものではない」
「申し訳ありません」
ルパートが殊勝な言葉を出して謝罪した。もっとも視線にはそんなものは感じられない。何処か不敵な色が有る。なるほど目は口ほどに物を言うか……。

「相手に不必要に警戒心を抱かせることになる、交渉者としては二流だ。ヴァレンシュタイン元帥を見習う事だ、彼には警戒していてもそれを緩ませるようなところが有る」
「……」
今度は無言で頭を下げた。やれやれだ、果たしてどこまで分かったか……。

宇宙艦隊司令長官は実戦部隊の責任者でしかない、本来和平交渉を云々する立場にはないのだ。現実はともかく建前ではそうなる。リヒテンラーデ侯はそこに話しを振った。そして司令長官も言質を与えない、その事をどう受けとめるべきか……。

つまり和平など論外という事だろう。適当にあやしておけと言う訳だ。あの二人の間ではそういう話が有ったに違いない。帝国による宇宙統一はヴァレンシュタイン元帥だけの考えなのではない。リヒテンラーデ侯、いや帝国自体の意思とみるべきなのだ。

戦線の膠着化についてもあまり深刻には受け取っていなかった。大したことは無いと思っているのか、それとも既に何らかの手を打っているのか……。どちらかは分からない。だが戦線の膠着化では帝国を交渉に引き摺り出すことは出来ないという事は分かった。残念だったな、ペイワード。

「鼻で笑われなかっただけましだな」
「それは……」
ルパートが苦笑を漏らした。
「さて、どうしたものかな……」
「……」

ルパートがこちらを見ている。相変わらずこちらを試すような目だ。ならば……。
「ケッセルリンク補佐官、ペイワード自治領主閣下への報告は君からしてくれ」
「私からですか、しかし、何と」
「任せるよ、君に。それほど難しい事ではないだろう。見たままの事を話せばよい」
「……」
それを機に席を立った。

さて、ルパートはペイワードにどう伝えるかな? ありのままに伝えるか、それとも脚色するか……。脚色するとすれば誰のために脚色するのか? 俺か、ペイワードか、それとも……。


 

 

第二百四十九話 権利と義務



帝国暦 489年 3月 28日  オーディン   宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「今日は小官とクレメンツ提督が謁見に立ち会います。おそらくこちらに戻るのは夕刻になるでしょう」
メルカッツが細い眼を和ませている。がっしりした体をグレーのマントが覆っている。ミュッケンベルガーもグレーのマントだったが、やっぱり渋い親父はグレーが良く似合う。

「御苦労様です、メルカッツ副司令長官。クレメンツ提督にも雑作をかけますね」
謁見の立会いなどメルカッツやクレメンツにとっては必ずしも有難いことではあるまい。それでもビッテンフェルトやアイゼナッハが立ち会うよりはましだ。あの二人が謁見に立ち会うときには俺もハラハラする。せめてもの救いはフリードリヒ四世が連中を面白がっている事だ。意外にゲテモノ好きだ。

「いやいや、以前に比べれば謁見もかなり楽になりました」
「確かに、そうですね」
穏やかに答えるメルカッツに俺は頷いた。内戦により多くの貴族が滅んだ。それによって詰まらない、わけの分からない謁見を望む貴族も減った。謁見は以前よりは各段に楽になりつつある。メルカッツの言葉は嘘ではない。

もっとも問題が無いわけじゃない。以前は謁見に立ち会うのは宇宙艦隊からは俺とラインハルト、メルカッツだけだったのだが内乱終結後は各艦隊司令官も務める資格を得た。そしてラムスドルフとオフレッサーが死んだ。つまり謁見に立ち会う武官が宇宙艦隊の司令官ばかりになってしまった。

軍の中でも宇宙艦隊の影響力が強くなりすぎるのではないかと心配しているのは俺だけではあるまい。エーレンベルクもシュタインホフも頭を痛めているはずだ。また、艦隊司令官の中には立会いを望まない者もいる。このあたりをどうするか……。

何となく原作に近い感じだな、軍部の、しかも宇宙艦隊の影響力が大きすぎる。行き着くところは武断主義か……、しかもその頂点が俺とはうんざりだな。このあたりは十分に注意しないといかん。武力を使って事を解決するのは本来下策なのだ。

「司令長官の今日の御予定は?」
「今日は一日宇宙艦隊司令部にいる予定です。この後、ブラッケ民生尚書、リヒター自治尚書が来ることになっています」
メルカッツが細い目をさらに細めた。

「ほう、察するところ辺境星域の開発についてですかな。閣下こそご苦労様です。あまり無理はなさらぬように願いますぞ」
「……気をつけますよ、副司令長官」
メルカッツが心配そうな顔をしている。

あー、いかんな。宇宙艦隊の中には俺が辺境星域の開発に関与、いや責任者になる事に顔を顰めている人間が多い。体力的な問題もあるがテロの標的になりやすいと言うのだ。特にケスラー、クレメンツ、メックリンガーが強く心配している。あの三人は地球教のことを知っているからな。何度か俺にも忠告に来た。

ただ、今日の話は辺境星域の開発についてではないだろう。もっと別な事だと俺は睨んでいる。リヒテンラーデ侯から先日、話が有った。あの爺がきちんと二人に説明すれば良いものを……。まあ気持ちは分からないでもない。リヒテンラーデ侯が何を言っても連中は素直には取れないだろう。それに爺様なりに考える所は有るようだ……。

でもな、俺は軍のナンバー・スリーなんだ。民生省と自治省のトップが雁首揃えて会いに来るって拙いだろう……。一度あの爺さんにきちんと言わなければならんな。このままだと軍の、いや宇宙艦隊の影響力が強くなりすぎるってな。全く、なんで俺がこんな心配しなくちゃならんのか……。



帝国暦 489年 3月 28日  オーディン   宇宙艦隊司令部  オイゲン・リヒター



目の前のヴァレンシュタイン司令長官がA4サイズの資料を読んでいる。それほど分厚いものではない、二十枚程度の資料だ。読みながら時折小首を傾げるようなしぐさをする。小首を傾げている時は何かを考えているのだろう、そのページを読み終えるのが多少遅い。

司令長官が資料を読み終え会議卓の上に資料を置いた。そして小首を傾げ右手の中指で軽く会議卓を叩きだした。
「閣下は如何思われますか」
「さて……」

目の前の青年は穏やかな表情で小首を傾げている。反応は良くもないが悪くもない、そんなところか……。そしてそんな彼を私とブラッケが見ている。新領土占領統治研究室の中に有る小さな会議室は静けさに満ちていた。司令長官の指が立てるトントンという軽い音だけが小さな会議室に響く。

会議卓の上には資料が置かれている。表紙には何も書かれていない、というより何も書けない。資料の中身は今後の帝国の政治体制について記述されているのだ。現在の皇帝による君主制専制政治、これでは皇帝の資質によって帝国の政治は左右されかねない。それをいかにして防ぎ国家を安定させるかがこの資料の眼目だ。

「議会政治の導入ですか……」
「そうです、帝国臣民の意見を取り入れ同時に皇帝の暴政を防ぐ……。そのためには議会政治を導入するしかありません。それによって帝国臣民に暴君と戦うだけの制度と見識と力を与えなければ……」

司令長官の呟きにブラッケが熱い口調で話しかけている。何としても議会政治を導入しなければと思っているのだろう、私も同じ想いだ。今は良い、皇帝は明らかに開明的な政策をとり国政を変えようとしている。そしてヴァレンシュタイン司令長官もそれを望んでいる。

だがこの二人が居なくなったら……、例えば百年後はどうか? 今のままでは暴君による暴政を止めるだけの人材がいるかどうか、そして暴政を食い止める制度もない……。このままでは帝国は皇帝の暴政に翻弄されることになるだろう。場合によっては帝国の存続そのものにまで影響が出かねない。

この二人が居る間に帝国の政治体制を揺るぎないものにしなければならない。皇帝の悪政などで帝国が揺らぐような事が有ってはならないのだ。それに対抗できるだけの人材と制度を作らなければ……。

議会政治の導入には抵抗が強いだろう。何と言っても帝国の政治制度には無かった制度なのだ。そして反乱軍である自由惑星同盟が用いている制度でもある。今帝国は同盟を圧倒し征服しようとしている。何故敗者の政治制度を採り入れなければならないのか、当然反発が出るに違いない。

その想いは分からないでもない、大体同盟が今劣勢にあるのも民主共和政が原因でもあるのだ。しかし今後の事を考えれば、何らかの形で帝国臣民を政治に関与させる必要が有る。今までのように統治され搾取されるだけの存在ではならない。

政治に関与させることで帝国臣民の政治的識見を高め、皇帝の暴政を食い止めるだけの力を与える……。幸い司令長官は平民の権利の拡大には積極的だ。帝国に憲法を作ることも考えている。議会政治の重要性、必要性も理解してくれるだろう……。

もっとも我々は議員内閣制を導入しようとは考えていない。議員内閣制では行政府が立法府の影響を受けやすく、不安定な状況になる事が多々ある。同盟を見ればその事がどれだけ危険か分かる。行政府が立法府から過度に干渉を受けるのは避けなければならない。

であるから行政府と立法府を完全に分離させるべきだと考えている。議会には立法権及び皇帝立法案に対する拒否権、弾劾裁判権、皇帝指名人事の承認権、予算案に対する発議権、承認権を与える。

弾劾裁判権は議会の三分の二以上の賛成が有れば皇帝を廃立できる権利だ。皇帝指名人事の承認権も皇帝が明らかに不適当と思われた人事を行う事が無いように議会がチェックする権利だ。これらによって帝国が暴君の暴政にさらされることが無いようにする。

行政府のトップは皇帝とし、皇帝は帝国宰相または国務尚書の輔弼により帝国の行政を行う。皇帝は立法権、行政権、軍指揮権、そして議員立法案に対する拒否権を権利として持つ……。

司令長官がまた資料を手に取ってパラパラとページをめくる。手を停めて或るページに視線を当てた。
「二十年後には議会を開く、当初は男子に対してのみ参政権を与える。三十年後には女子にも与える、ですか……」

「地方自治体ではもっと早く、十年を目処に議会を開こうと考えています。男女区別なく与え、此処で女子には政治に参加することを学んでもらうのです」
ブラッケの言葉に司令長官が微かに頷いている。

司令長官がブラッケに視線を向けた。
「リヒテンラーデ侯にはお見せしましたか?」
「はい」
「それで、侯は何と?」

司令長官の問いかけにブラッケの表情が渋いものになった。おそらく私も同様だろう。
「ならぬと……」
「ならぬ、ですか……。他には」
「いえ、何も」
司令長官が苦笑を漏らした。そして視線を資料に向ける。

司令長官が資料を手にしながら呟くように“ならぬ、か……。もう少し言いようが有るだろうに”と口に出した。そしてまた苦笑を浮かべる。ブラッケは面白くなさそうだ、此処は私が話した方が良いだろう。

「ヴァレンシュタイン司令長官、リヒテンラーデ侯は貴族です。こう言ってはなんですが旧勢力の方だと言って良いでしょう。内政の改革の必要性は認めても国体の改革には必ずしも積極的ではないように思えます」
「……」
司令長官は苦笑を浮かべたままだ。

「閣下は如何思われますか」
「さて……」
「……先程も同じお答えでした。そろそろ本心をお聞かせ願いたいのですが」
ますます司令長官の苦笑が大きくなった。

「そうですね……。リヒテンラーデ侯がどのような考えで否定したのかは分かりません。ただ、単純な感情論で反対したわけではないと思いますよ。それほど狭量な人ではない」
「そうでしょうか」
ブラッケが思いっきり疑い深そうな声を出した。司令長官がまた苦笑を洩らす。

「二人とも侯に対して不満を持っているようですが私もこの案には賛成できませんね。少々、いやかなり無理があると思います」
「……」

ブラッケに視線を向けると彼は渋い表情をしている。私も自分が渋い表情をしているのが分かる。ヴァレンシュタイン司令長官は議会導入には無理があると考えている。思いもかけなかった反応だ。司令長官は平民達の権利の拡大の必要性を認めていたはずだ。それなのに議会政治の導入には反対している……。

司令長官が手元の資料に目を落とした。彼の顔にもう苦笑は無い。
「狙いはよく分かります。しかし……、足が地についていないというか……、少し焦っているように見えますね」

焦っている? ブラッケと顔を見合わせた。彼も訝しげな表情をしている。ブラッケが口を開いた。
「焦っている、ですか……」
「ええ、リヒテンラーデ侯も私と同じ事を考えたのかもしれない。だとすれば反対せざるを得ないでしょうね。あの人は帝国の危機を見過ごす様な人ではありませんから……」

帝国の危機を見過ごすような人ではない……、その言葉に大袈裟なと反発したかったが言葉にする事は出来なかった。リヒテンラーデ侯が帝国の危機を見過ごす様な人でないなら司令長官もそれは同様だ。私達の思い描く政治体制には致命的ともいえる欠陥が存在することになる。

「権利というのは与えるのは容易ですが剥奪するのは難しい、それだけに権利を与えるのには慎重にならなければならない。その事は分かりますね」
「それは分かります。しかしこの場合は……」
言い募るブラッケの肘を突いて口を封じると司令長官がクスリと笑った。

「三十年後には帝国臣民全てに参政権が与えられる。となると当然ですが統一後の同盟市民にも参政権は与えられる、そうですね」
司令長官が確認するかのように問いかけてきた。ブラッケが一瞬私に視線を向けてから答えた。

「そうです、三十年後には宇宙は統一されます。その時には彼らにも参政権を与えます。彼らは同盟で議会政治による統治を実施してきました。その彼らに参政権を与えなければ帝国に対して不満を持つでしょう。百億を超える人間に不満を持たせるのは危険です、新帝国の統治は安定しません。ですから……」

「三十年後には帝国臣民全てに参政権を与える、そういうことですね」
「そうです」
話しを遮られたせいだろう、少し不満げにブラッケが答えた。司令長官がそんなブラッケを可笑しそうに見ている。わざとだな、意外と性格が悪い。

「権利には義務が伴います。参政権を与える事によって国政への参加を権利として与えた……。ではこの場合の義務とは何でしょう」
司令長官がブラッケと私を交互に見た。義務か……、納税? 或いは兵役だろうか? しかし話の流れから言えば……。
「……暴政の阻止でしょうか」

私の言葉に司令長官が微かに笑みを浮かべた。苦笑か?
「まあ、それも有るでしょう。……私が考える義務とは帝国臣民として帝国の安定と繁栄に尽力する事、そんなところですね」
なるほど、一般的な概念としての義務か……。先程の笑みは苦笑だな……、思わずこちらも苦笑が漏れた。ブラッケも苦笑している。

「極めて当たり前のことではありますが、帝国が与えた権利を行使し義務を果たすには帝国人としての自覚とそれに対する誇りが必要です。新領土となった旧同盟領の人間達にそれがあると思いますか? 併合後直ぐに同盟市民から帝国臣民に意識が変わると……」

「……三十年の間、帝国を見ているのです。帝国が変化した事は理解できると思いますが……」
ブラッケが渋い表情で歯切れ悪く答えたが司令長官がそれを否定した。
「帝国を理解するのと帝国人になるのは別問題ですよ、ブラッケ民生尚書」

司令長官は顔を顰めている。ブラッケの言葉が気に入らなかったらしい、おそらく甘いと見ているのだろう。確かに私もブラッケも司令長官が指摘した点については考えていなかった。甘いと見られても仕方ない、リヒテンラーデ侯も同じ事を考えたのだろうか。

「帝国臣民としての義務を果たす意思のない人間が選挙に立候補する。そして同じように帝国臣民としての義務を果たす意思のない人間が代表者を選ぶ……。碌でもない結果になりますよ。政府を、陛下を常に敵視した行動、極論すれば反帝国活動をする人間が議員として帝国の統治に関わる事になる。人口比率から考えるなら議員全体の三分の一がそういう人間で占められるんです。帝国の危機、過言ではないでしょう」

厳しい言葉だ、言葉だけではない口調も視線も厳しいものになっている。私もブラッケも反論する事が出来ない。
「自分達の選んだ代表が反帝国活動をしているとなれば旧同盟市民は何時までたっても旧同盟市民のままです、決して帝国臣民にはならない。帝国は同盟を滅ぼし銀河を統一する事は出来ても統治には失敗したことになる。それでは何の意味もない」

司令長官が溜息を吐いた。焦っていたのだろうか……。改革を進めるにつれ帝国臣民は改革を支持し協力してくれるようになっている。だから参政権を与えれば同盟市民も協力をしてくれると甘く見てしまったのだろうか……。

足が地についていない……、司令長官の言葉を思い出した。私もブラッケも改革を急ぐあまり同盟を占領するという事を、同盟市民の感情を軽視した。司令長官やリヒテンラーデ侯から見れば私達は改革を行なう事のみに囚われ国家の危機を見過ごした愚か者に過ぎないだろう。

「では、我々はどうすればよろしいのでしょう。帝国臣民の声を政治に反映させる、皇帝による暴政を阻止する、そのためには議会政治を取り入れる事が必要だと思ったのですが……」
我ながら声が暗い、ノロノロとした口調になった。隣にいるブラッケも肩を落としている。先程までの意気込みは何処にもない。

「議会政治そのものを否定する必要は無いでしょう。問題は人ですね、議員を誰がどのようにして選ぶか……。帝国臣民としての義務を果たす人間を選ばなくてはならない、そこをどうするかでしょう」
「なるほど」

諦めるのは早い、司令長官は議会政治の導入を否定してはいない。問題は人か……。選挙では駄目だという事だな、それにかわる選出方法を考えなくてはならない……。



帝国暦 489年 3月 28日  オーディン   宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



意気込んで来たかと思えば落ち込んだか……、まあ気持ちは分かるがな。皇帝の権力乱用を抑えるために議会制民主主義を取り入れる。悪い発想じゃない、二人が考えたのはアメリカの大統領制に近いだろう。皇帝は終身の大統領で血統によって選出されると考えれば極めて似ている。

しかし併合直後の旧同盟市民に選挙で議員を選ばせるなど無謀にも程が有るだろう。外国人に参政権を与えるようなものだ。しかもこの場合、ちょっと前まで戦争していた国の人間に参政権を与える事になる。足が地についていないよ。理念が先走ってる。

この二人は帝国に生まれた、だから帝国の歴史には詳しい。皇帝の暴政がどれだけの悲劇を生み出すか良く知っているし、それが起きる事を恐れている。問題はこの二人が議会制民主主義について良く知らない事だ。そして良く知らないくせに過度に期待している。

制度については知っているだろう、だがその制度の運用の難しさを、欠点を知っているとは言えない。議会制民主主義の欠点と言えば衆愚政治に陥り易い、大衆に迎合し易い等を皆が挙げるだろう。だが俺は問題の本質はそこではないと考えている。

俺の考える議会制民主主義の欠点、それは主権者である国民が聡明で常に理性的な判断を下さないと議会制民主主義は機能しないという事だと思っている。そして責任の所在が極めて曖昧なのだ。

支持率を気にし、選挙で落ちる事を恐れる政治家にとっては主権者がどう考えるかは最重要関心事だ。主権者である国民が愚かで感情的な判断をすれば政治家もそれに引きずられる事になる。そして人間というのは個人では理性的に振舞えても大衆になれば無責任に行動しがちだ。つまり国民主権による議会制民主主義というのは極めて脆弱なシステムだと言える。あるいは人類はそれを運用できるほど成熟していないと言うべきか。

帝国は皇帝主権による専制政治によって国が統治されている。つまり皇帝が悪政を布けば皇帝を殺害する事で帝国は悪政を食い止めた。流血帝アウグスト二世がその例だ。彼は自分の命で悪政の責任を取った、いや取らされたと言える。責任の所在が明確なのだ。主権者である皇帝が暴君でなければ、名君でなくともごく平凡な人間であれば帝国はそれなりに機能した。良くも悪くも責任は皇帝に有る。では同盟はどうなのだろう……。

イゼルローン要塞攻略後、帝国領侵攻により大敗を喫した。サンフォード政権は総辞職する事で責任を取った。あの時、主権者である同盟市民は出兵を否定しなかった。むしろそれを望み後押しした。あの時点で帝国領へ大規模出兵など無謀以外の何物でも無かったはずだ。主権者である同盟市民はそれに対する責任を取っただろうか?

戦争により家族を失ったと言うかもしれない。しかし出兵を支持したことは間違いだったと言っただろうか? 政府、軍を責めて終わりではなかったか。戦争をした事が悪かったのではない、戦争の仕方が悪かったのだと……。自分達が戦争を支持した事についての反省など欠片もしなかっただろう。責任の所在が極めて曖昧だと言うのは此処なのだ。

君主制専制政治も議会制民主政治も主権者が馬鹿では機能しない事では同じだ。違いは主権者が一人か多数かの違いでしかない。であれば主権者に責任を取らせやすい君主制専制政治と責任を取らせ辛い議会制民主政治、どちらが政治体制として優れているのだろう。

いずれこの二人には俺の懸念を伝えねばならないだろう。その上で帝国の統治体制をどうするか考えてもらう。まあ今日は此処までだな。本当は俺が細かく指示を出した方が早いのだろうがそれでは駄目だ。俺が目立つのは拙いしこの二人には色々と考える事で成長してもらわないと……。リヒテンラーデ侯が“ならぬ”としか言わないのもそれが理由だろう。改革者で終わって欲しくないと思っているのだろうが前途多難だな……。



 

 

第二百五十話 邂逅

帝国暦 489年 4月 10日  フェザーン   ギルベルト・ファルマー



商談が終わった。自由惑星同盟-最近はこの呼び方にも慣れたが最初のころは反乱軍と言いそうになって何度も言葉につかえた-出身の商人との取引は何のトラブルもなく終了した。

帝国と同盟の間では現在戦闘は行われていない、そして両国とも国内は平穏な状態に有る。同盟では主戦派によるクーデタが未遂で終わり現政権の基盤は強まった。そして帝国は国内の社会改革により経済は活性化しつつある。特に辺境星域への開発は商人にとって旨味の多い事業だ。多くの商人が期待を寄せている。フェザーンは同盟の占領下に有るとはいえ経済環境は決して悪くない。

フェザーン・インターナショナル・ホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら
先日、フェザーンで行われた世論調査について考えた。無差別に二万人をネットで選んでの調査だ。一つはこのまま帝国が同盟によるフェザーン占領を認めるかについてだが回答者の九十三パーセントがそれは有りえないと答えた。ま、当然と言えるだろう。

二つ目はフェザーンの返還が平和裏に行われるか、それとも戦争になるかについての調査だったが四十八パーセントが戦争にならない、三十七パーセントが戦争になると答えた。残りの十五パーセントは分からないだった。

最後の質問はフェザーンの返還の時期についてだったが五年以内に行われると回答した人間が十七パーセント、五年から十年以内と答えたのが三十四パーセント、十年以上と回答したのが四十九パーセントになった。

面白いアンケートだ。フェザーン人は帝国は内政を重視し戦争は避けたいのだろうと見ているようだ。実際に過去の帝国でもそういう時代が無かったわけではない。名君マクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下の時代は内政を重視し外征は行わなかった。改革を優先するのであれば戦争を誘発しかねないフェザーン返還は直ぐには取り掛からないだろうと見ている。何と言っても戦争は金がかかる、そして改革も金がかかる。

もっともフェザーンがこのまま同盟領になるとも考えていない。まあこの辺りは当然と言って良いだろう。だが戦争になるかどうかは別れた。戦争にならないが四十八パーセント、戦争になるが三十七パーセント。一見するとフェザーン人は戦争にならないと判断しているように見える。

確かにここ最近の帝国と同盟は多少の軋轢が有っても協調体制を取っている。戦争にならないと答えた人間が半数近いのはその所為だろう。しかし分からないと答えた十五パーセントをどうカウントするか……。

判断できない、戦争にならないとは言えない、そう捉えるなら戦争の可能性を否定していない事になる。その場合戦争になると考える人間は五十パーセントを超える事になる。それに戦争にならないと判断した四十八パーセントには希望も有るのではないだろうか。フェザーンを戦場にしたくないと言う希望が……。

戦争になるとすれば同盟ではなく帝国から仕掛ける形で始まるだろう。現在の帝国と同盟の軍事力を比較すれば同盟から仕掛けることは先ず無い。となれば帝国軍が難攻不落と言われるイゼルローン要塞を攻略するよりフェザーン攻略に向かうのは当然だ、フェザーン奪回の名分からもそうなる。フェザーン人にとってはフェザーンが戦場になるのは考えたくない事だろう。自らは血を流さず、痛みも感じずただ血を吸い上げる……。

「それがフェザーンだからな」
思わず口に出た。苦笑を浮かべコーヒーを一口飲む。うーむ、今一つだな……。このホテルはフェザーンでも最も格式の高いホテルのはずだがこのコーヒーは今一つだ。名門の名に奢ったか……。そう思う自分にまた苦笑した。自分はかなりフェザーン人らしくなってきたようだ。名より実を重んじる。

フェザーンの返還が五年以内に行われると回答した人間が十七パーセント、五年から十年以内と答えたのが三十四パーセント、十年以上と回答したのが四十九パーセントか……。

これはまた面白い数字だ。先の戦争の可能性についての回答と合わせて考えるとフェザーン人が何を考えているのかが分かる。十年以上と回答した人間が四十九パーセント、戦争は回避できると答えた人間が四十八パーセント、ほぼ同じ数字だ。そして五年から十年以内に返還と答えた人間が三十四パーセント、戦争は回避できないと答えた人間が三十七パーセント、最後に五年以内に返還と考えた人間が十七パーセント、分からないと答えた人間が十五パーセント……。微妙に数字が似通っている。もし、この回答者が重なっているとしたらどうだろう。

フェザーン返還に十年以上かかるという事は帝国の国内改革は一段落するまで十年以上かかると判断しているのだろう。十年以上の時間が有れば自由惑星同盟の軍事力は再建されているはずだ。つまり十年後にはフェザーンを無理に保持しなくても同盟は帝国との対峙が可能だと見ているようだ。

さらに帝国の改革が進んでいるならば帝国と同盟の共存は可能だと見ているのだろう。フェザーンを無理に保持する事で帝国との緊張を招く必要は無い、同盟は帝国にフェザーンを返還し協調関係を維持する。帝国も交渉でフェザーンを取り戻せるなら無理に戦争に持ちこむ事は無いだろう。そしてフェザーンは中立を取り戻し繁栄し続けるというわけだ。薔薇色の未来だな、思わず笑いが漏れた。

極めて楽観的な未来ではある。フェザーン人の約半数がそう考えているのだとすればフェザーン人というのは楽観的と見るべきなのか、それとも半数しかそう考えていないとすれば悲観的と見るべきなのか……。なかなか悩ましい数字ではある。

誰かに見られている? 首筋の辺りにチリチリと嫌な感じがした。コーヒーを飲むふりをしてさりげなく周囲を窺う。ラウンジに人は多いがおかしな人間は視界には確認できなかった。気のせいか?

コーヒーカップをテーブルに置き、ポケットから手鏡を取り出す。フェザーンに来てからは必需品だ。髪を整えるような仕草をしつつ背後を窺う、……やはりおかしな人間はいない。
「気のせいか……」

フェザーン返還が五年から十年以内に行われると答えた人間が三十四パーセント、そして戦争は回避できないと答えた人間が三十七パーセント……。五年から十年なら同盟軍の再建は途中だろう。その状態でフェザーンを返還できるだろうか?

難しいだろう、返還すれば帝国軍がフェザーン回廊から大挙来襲しかねない。再建途中の軍では厳しい戦いになる。同盟としてはフェザーンを保持しなんとか均衡を保ちたいと考えるに違いない。つまりフェザーンの返還は難しいと言う事になる。

一方の帝国だが五年から十年で改革が一段落しているとすればかなり余裕が有るはずだ。弱小の同盟を叩く良い機会だろう。ヴァレンシュタインがそれを見逃すとは思えない。フェザーン人が考えたのはその辺りだろう。

確かに私もそう思う。しかし可能性はもう一つあるようだ。改革が一段落していない場合だ。それにもかかわらず帝国がフェザーンの返還を望んだとすれば帝国は国内に深刻なトラブルを抱えている可能性が有る。国内の不満を逸らすために外に対して強く出る、良くある事だ。この場合中途半端に引く事は出来ない、行き着くところは戦争だろう……。

最後にフェザーンの返還の時期が五年以内と回答した人間が十七パーセント、戦争が起きるか分からないと答えた人間が十五パーセント。五年以内なら改革は始まったばかりだろう。回答者は帝国は改革の実を上げる事よりもフェザーン奪回を優先すると見ている。つまりかなり早い時点で帝国はフェザーン奪回にかかると見ているのだ。

戦争になるか分からないと回答したのはそれが原因だろう。同盟軍は殆ど再建出来ていない状況だ、その状況で帝国と戦争が出来るだろうか? 到底できない、となれば返還するしかない、しかしフェザーンを返還すれば帝国軍が同盟領に攻め込んでくる可能性が有る……。

帝国がフェザーンの返還だけで満足するか、同盟領への侵攻を意図するか、また同盟はそれをどのように読み取るか……。それによって戦争か交渉かが決まる。それが分からないという回答ではないのか……。

「さて、どうなるかな……」
帝国は今社会改革を行っている。そして帝国、同盟間は平穏な状態に有り帝国は戦争よりも交渉を優先しているように見える。実際先日放送された結婚式を見ても帝国は平和攻勢を同盟に対してかけているようだ。

それを思えば帝国がフェザーン返還に動くのは十年後ではないかと考えたくなるのは確かだ。しかしあの男がそれを許すかな。同盟が戦力を整えるのを黙って待つか……。ちょっと考えられんな。あの男はそれを許すほど甘くは無い。そして帝国の内部では権力争いなどによる足の引っ張り合いは無い……、となるとフェザーン返還は早い時点で起きるだろうな。

コーヒーも飲み終わった、そろそろ帰るか……。席を立ち料金を払おうとカウンターに向かう。
「話せるか」
聞き覚えのある声が背後から聞こえた。大きな声ではない、何処か周囲を憚る声だが雷鳴のように響いた。振り返りそうになるのを必死に押し留める。
「十五分後、五百七号室」

背後から一人の男が私を追い抜いて行く。見覚えのある後ろ姿だ、やはりあの男か……。となると先程の視線は彼か……。壁にかかっている時計を見た、午後三時二十三分。予定変更だ、あと五分で五百七号室へ行かなくては……。

支払いを済ませエレベータに向かう。落ち着け、時間は有る、ゆっくりとさりげなく歩くんだ。周囲の不審を買うような行動はとるんじゃない。彼が一人とは限らない、気を付けるんだ、そして何故接触してきたのか……。仲間になれという事か、それとも裏切り者として糾弾に来たか、細心の注意が必要だ……。

部屋に着いたのは三時二十七分だった。部屋の中を確認する、特におかしなところは無い、商談に使った時のままだ。接触してきたのは偶然か……、あらかじめこちらをマークしていたわけではないらしい、いや油断するな、未だ分からない……。

ホルスターからブラスターを取り出しエネルギーパックを確認する。問題ない、射撃モードを捕獲用に切り替えてブラスターをホルスターに戻した。三時三十二分、残り六分、椅子を移動させる。終わった時、残り時間は三分になっていた。深呼吸をすると今動かした椅子に座り来訪者を待った。

トントンという音が聞こえたのは三時三十七分だった。ブラスターを右手に構え足音を殺してドアに近づく。ドアスコープからは男が一人だけ見えた。俯いていて顔は良く見えない、罠か? ロックを静かに解除すると急いでドアから離れ部屋に戻った。来訪者から死角になる場所に身を置き息を潜めて待ち受ける。

ドアの開く音が聞こえた。ゆっくりと歩いて来る気配がする。どうやら向こうも警戒しているらしい。相手が見えた、やはりこいつか……。彼が私を見た。困惑が顔に浮かんでいる。
「生きていたのだな、フレーゲル男爵……」
「……久しぶりだな、ラートブルフ男爵」

ラートブルフ男爵が私のブラスターを見た、そして私を見る。
「念のためだ、悪く思うな」
「……誤解しないでくれ、ただ懐かしく思っただけだ」
「それでもだ、そっちの椅子に座ってくれ」

ラートブルフ男爵が渋々といった表情で椅子に座る、ドアに近い方の椅子だ、彼からは背後になるからドアは見えない。そして私は彼の正面に座った、ここなら常にドアを視認出来るし万一の場合はラートブルフ男爵を人質にも取れる。もっとも人質として役に立つかどうかは疑問だ。

「……死んだと思っていた」
「……死んださ、フレーゲル男爵は死んだ。ここにいるのはフェザーン商人、ギルベルト・ファルマーだ」
そのままお互い黙り込んだ。

「……妙な名前だ、何が有った?」
「……伯父に殺されるところをヴァレンシュタインに助けられた」
「助けられた?」
「ああ、助けられたのだ。もう三年になるか……」

納得のいかない表情をしているラートブルフ男爵に三年前の事を話した。ミッターマイヤー少将を殺そうとしたこと、ミューゼル、いやローエングラム伯が邪魔した事。対立している時に伯父がヴァレンシュタインとともに現れた事、そして伯父が私を殺そうとした事……。

「その後私は密かにフェザーンに落とされた。伯父上が懇意にしていた商人に預けられ商人として育てられたのだ。そして今が有る」
「……そうか、そんな事が……」
ラートブルフ男爵が首を振っている。想像もつかなかった、そんなところだろう。

「何故私に気付いた?」
髪型を変えた、表情も以前に比べれば別人のように柔らかくなった。近づけば分かるかもしれない、しかし遠目では分からないはずだ。そしてラートブルフ男爵は昔と変わっていない。彼が私に近づいたのなら分かったはずだ。

ラートブルフ男爵が笑みを浮かべた。
「声だ。卿の声を聞いたように思った。それで周りを探した。随分変わってしまったので分からなかった」
「……」
声か……、確かに声は変えられない。

「ようやく卿を見つけたが確証が持てなかった。でも卿がコーヒーを飲む振りをして周りを確認した事、手鏡で後ろを確認したことで卿だと思った。周囲に隠し事が有る、その事で怯えている、そうだろう」
そう言うとラートブルフ男爵はゆっくりと胸ポケットに手を入れた。ブラスターを持つ手に力が入る。彼が取り出したのは手鏡だった。思わず苦笑が漏れた、ラートブルフ男爵も笑っている。皆考える事は同じか……。

「卿に謝らなければならないと思っている」
笑いを収めたラートブルフ男爵が生真面目な表情で話し始めた。
「謝るとは?」
「……前の内戦でフロイライン達を誘拐したグループの一人が私だ」
「……」

「あの時はあれが正しいと思った。だが結局はブラウンシュバイク公を、リッテンハイム侯を死に追いやる事になってしまった。戦いを避けようとした公達の方が正しかった……」
「……済んだ事だ」

俯いているラートブルフ男爵を見て思った。今になって考えてみれば領地替えが上手くいかなかったのは必然だったのかもしれないと……。あの策は内乱を防ぐことよりブラウンシュバイク、リッテンハイムの両家を救う事に主眼が有った。

他の貴族達にしてみれば今まで協力してきた自分達を切り捨てるのかと憤懣を持っただろう。彼らが伯父上達を内乱に引き摺り込んだのもその憤懣が理由だったはずだ。……せめて貴族の半分でも救う策を考えていれば結果は違ったかもしれない……。

「卿は何故内乱に参加しなかった、いや、責めているのではない、ただ疑問に思ったのだ」
「参加しようと思った、だがヴァレンシュタインに止められたのだ」
「ヴァレンシュタインに……」
驚いたのだろう、まじまじと私を見ている。

「内乱に加われば今度こそ死ぬことになる。伯父上を苦しめるなと……」
「そうか」
「TV電話で伯父上と話をした」
「……それで」
「伯父上は私をヘル・ファルマーと呼んだよ」
「そうか……、ヘル・ファルマーと呼んだか……」

湿っぽい空気が漂った。ラートブルフ男爵は俯いている。もしかすると罪悪感に身をつまされているのかもしれない。話題を変えた方が良いだろう。
「卿は今何をしている。帝国への帰還を考えているのか」

私の問いかけにラートブルフ男爵が表情を消した。
「いや、ヴァレンシュタインのために働いている。不満分子の動向を探る役だ」
「……」
私の沈黙を非難と受け取ったのか、彼が自嘲を浮かべた。
「報酬は貴族としての帰還だ、領地も貰える。そのために以前の仲間を探っているのだ……、笑ってくれて良いぞ」
今度は声を出して笑った。低く厭な笑い声だ。

「……笑わんよ、生きるというのは容易な事じゃない」
「貴族として殺してくれと頼んだ、だが受け入れられなかった」
「……」
呟く様な声だ、掛ける言葉が無い。

「仲間を探る事で仲間の暴発を防げるかもしれないとヴァレンシュタインに言われた。私をスパイにするための言葉だとは分かっている。それでもその言葉に縋らざるを得なかった。貴族として生きるために……」
「そうか……」

貴族として生きるか……、昔はそれが誇りだった。貴族こそ帝国の選良であると疑いもなく思っていた。だが今なら分かる、貴族とはなんと不自由な事か……。貴族としての誇り、誇りではなく呪縛だろう。私は運よくその呪縛から逃れる事が出来た、ラートブルフ男爵は逃れられずにもがいている。

「そんな顔をするな、フレーゲル男爵」
「……」
「ヴァレンシュタインは悪い上司じゃない」
「そうか」

ラートブルフ男爵が笑みを浮かべている。何処か痛々しいような笑みだ。見ているのは辛かったが視線を逸らせば彼はさらに苦しむだろう。こちらも笑みを浮かべて彼を見た。

「先日、このフェザーンで反乱軍の高等弁務官、艦隊司令官が拘束される事件が有っただろう」
「本国のクーデターに関与していたという奴だな」
ラートブルフ男爵が頷いた。

「そのクーデターにランズベルク伯が絡んでいたようだ」
「まさか……」
私の言葉にラートブルフ男爵が笑みを浮かべた。何処か禍々しい笑みだ、昔はこんな笑顔をする男ではなかった……。そう思うと胸が痛んだ。

「それだけじゃない、他の人間には知らせることなく動いていた。どうやら周りを疑っているらしい。かなり用心深くなっている」
「……馬鹿な」
「本当だ」

どういう事だ。下手な詩を作っているだけの男だったはずだ。他人を疑う? 育ちの良いボンボンだったはずだ。それが謀略家としての顔を見せている……。ラートブル男爵がこちらを見ている。深刻な表情だ、彼もおかしいと思っているようだ。

「誰か裏にいるという事か」
「多分、そうだと思う。誘拐事件も彼が仕切った。誰かが彼の背後にいる……」
誰だ? フェザーン? いやルビンスキーか? 或いは同盟か……。
「それで、今はそれを探っているのか?」

「いや、それは止められている」
その言葉にホッとした。近づくには危険すぎる、死を覚悟する必要が有るだろう。ラートブルフ男爵が笑い声を上げた。私がホッとした表情を見せたことが可笑しかったらしい。

「正直彼の背後を探れと言われると思ったよ、所詮は消耗品だ。だがそうじゃなかった。キスリング少将、彼は私の上司なのだが、彼がその必要は無いと……。ヴァレンシュタインが止めたそうだ」
「ヴァレンシュタインが……」

「ああ、無茶をさせるなと釘をさされたらしい」
「そうか」
相変わらず甘い男だ、だが悪くない。それが有るから私もこうして生きている。そう思うと自然と笑い声が出た。ラートブル男爵も笑っている。

「そろそろ失礼させてもらうよ、ヘル・ファルマー。会えて良かった」
「私もだ、ラートブルフ男爵」
「いつか、帝国に戻れたら、卿と酒を飲みたいな」
「ああ、その時は訪ねていく」
席を立ち、彼がドアに向かって歩きだした……。

ランズベルク伯アルフレッドか……。一体背後に誰が付いているのか……、調べる必要が無いという事は見当は付いているという事か……。嫌な予感がする、ラートブルフ男爵はもしかするとスパイだとばれているのかもしれない。だとするとかなり危険だ。一度ヴァレンシュタインと話してみるか……。



 

 

第二百五十一話 二重スパイ



帝国暦 489年 5月 10日  オーディン   宇宙艦隊司令部  アントン・フェルナー



時刻は十四時五十五分、約束の時間の五分前だが宇宙艦隊司令部の司令長官室にはエーリッヒの姿は無かった。フィッツシモンズ大佐によると前の打ち合わせが少し延びているのだと言う。俺はエーリッヒの執務机の傍に有るソファーで待機する事にした。

女性下士官が用意してくれたコーヒーを楽しみながら十分程待つと応接室のドアが開いてエーリッヒと士官が四人出てきた。四人がエーリッヒに挨拶をしている。二人には見覚えが無い、だが後の二人はブラウラー大佐とガームリヒ中佐だった。

はて、ブラウラー大佐は統帥本部に居るはずだ。確かフェザーン方面の侵攻計画を策定していると聞いていた。そしてガームリヒ中佐は情報部にいる……。その二人が何故ここに……。どちらか一人と言うなら分かるが一緒と言うのが腑に落ちない。二人はエーリッヒに挨拶を終えると微かに俺に目礼して去って行った。

エーリッヒが俺に笑みを見せた。
「済まない、待たせたようだね。前の打ち合わせが意外にかかった」
「いや、大したことは無い」
エーリッヒがフィッツシモンズ大佐に飲み物の用意を頼むと俺を応接室に誘った。

エーリッヒに続いて応接室に入るとそこにはギュンター・キスリングが居た。エーリッヒはギュンターの隣に座る。妙な感じだ、先程までの名残なのだろうがエーリッヒとギュンターが並んで座っている。このままだと俺が二人の正面に座る事になる。やれやれ面接のようだな。

ギュンターが微かに笑みを浮かべて頷いた。こっちに来い、正面に座れという事だろう。やれやれ、付き合いが長いと話さなくても分かるようになる。二人の正面に座った。

ソファーに座ると応接室のドアが開いて改めて女性下士官が飲み物を出してくれた。エーリッヒにはココア、俺とギュンターにはコーヒー。ココアの香りがとコーヒーの香りが混ざり何とも言えない匂いが応接室に広がった。

「先程ブラウラー大佐とガームリヒ中佐を見た。大佐は統帥本部に、中佐は情報部に居ると思ったが……」
俺が問いかけるとエーリッヒが頷いた。
「その通りだよ、アントン」

俺が疑問を持っていると思ったのだろう。エーリッヒがギュンターに視線を向ける。一瞬だが二人が目で会話した、相変わらず仲が良いようだ。エーリッヒがこちらを向いて話し始めた。

「今統帥本部ではフェザーン方面への侵攻作戦を立案しているんだが不確定要素が幾つか有るんだ……」
「不確定要素……」
俺の問いかけにエーリッヒが渋い表情で頷く。一口ココアを飲んでから言葉を続けた。

「今日打ち合わせをしていたのは帝国がフェザーンに侵攻した時、フェザーンがどういう反応を示すかを確認していた」
「それはフェザーンが帝国に協力的か、それとも非協力的な対応を取るか、そういう事か」
「そういう事だ」

なるほど、フェザーン侵攻は反乱軍制圧作戦の一環として行われる作戦だ。反乱軍の勢力圏へ攻め込むとなればフェザーンはその後方になる。補給物資の調達、その輸送、通信の中継地、そして通路としてどの程度使えるかはフェザーンがどの程度協力的かによる。無視できない問題だ。コーヒーを口に運ぶ、うむ、良い香りだ。

「その度合いによって作戦にも変化が生じる。それで統帥本部の参謀と情報部、そして憲兵隊がここに集まって確認、検討したんだ」
「それで状況は」
俺が問いかけるとギュンターが答えた。

「良くない……。情報部も憲兵隊も独自にフェザーンに人を入れている。お互いの情報を突き合わせてみたが思ったほどフェザーンでは反同盟感情が強くないという結論が出た。見込み違いだった」
ギュンターの発言にエーリッヒが顔を顰めた。珍しい事だ、どうやら見込み違いの度合いはかなり大きいらしい。

「同盟がフェザーンを占領すれば状況からしてフェザーンを搾取すると思ったんだがそれが無い。どうやら彼らはダイエット中らしいよ、甘いものを必死に耐えている」
エーリッヒの言葉に皆が笑った。もっとも笑いを作った当の本人は顔を顰めたままだ。ココアを飲んでも顔が直らない、それは本当にココアか?

「フェザーン解放は侵攻時の大義名分だが、フェザーン人の心に訴える物ではないようだ。他の何かが必要だね、フェザーン人の心に訴える何かが……。これからそれを見つけなければ……」
最後は溜息交じりだ。どうやら笑いごとではないらしい、エーリッヒは相当に参っている、そして疲れてる。

「いっそクーデターが成功していれば良かったんだが……」
「あの主戦派の起こしたやつか」
「うむ」
俺とギュンターの会話にエーリッヒも頷いている。

「主戦派ならフェザーンを搾取してくれた。我々もそれを理由にフェザーンに攻め込めた。フェザーンも我々を歓迎してくれただろう、……上手く行かない……。おまけに同盟とフェザーンは政治的連携を強めようとしている。思ったより厄介な相手だ、ここまで手強いとは思わなかった……」

嘆くエーリッヒを横目にギュンターを見た、彼も憂欝そうな表情をしている。政治的連携か……、両者が帝国を敵として協力体制を結ぶという事だろうが確かに厄介ではあるな……。コーヒーを一口飲んだ、話題の所為かな、少し苦い様な気がする。

僅かな沈黙の後、大きく息を吐くとエーリッヒが首を横に振った。
「嘆いていても仕方がないな、そちらの話を聞こう。卿の要望通り、ギュンター・キスリングもいる」

エーリッヒの言葉にギュンターがニヤリと笑った。悪徳コンビだな、この二人には随分と痛い目にあった。最初は士官学校、最後は内乱か……。これからコーヒーがますます苦くなるな……。
「地球に送っていた諜報員が戻ってくる」
「何時かな」
「あと二週間もすればオーディンに着くだろう」
エーリッヒとギュンターがチラっと視線を交わした。

「地球に送り込んだ諜報員は三人。今回戻って来るのは一人だけだ。彼らには、地球教徒がキュンメル事件に関与した事を教えてある。たまたま関与した人物が地球教徒だったのか、それとも地球教が教団として関与しているのか、それを確認するようにと命じてある」
「……」
エーリッヒもギュンターも無言だ。ただ表情は厳しい。こちらをじっと見ている。

「彼からの連絡では詳細はオーディンに戻ってから報告するが特に地球教に不審な点は無かったと言っている。そして他の二人はまだ残って調査を続けていると……」
エーリッヒがまたギュンターと視線を交わした。

「問題は無いと?」
「そうだ」
「後の二人はまだ残って調査している?」
「そうだ」

エーリッヒが眉を寄せて考え込んでいる。
「……どう思う、ギュンター。取り込まれたかな」
「おそらく……、後の二人は情報源としてこちらの情報を搾り取られている、そんなところだろうな。得るべき情報が無くなればこっちへ帰すだろう、二重スパイとしてな……」
「こちらもその可能性が高い、そう見ている」
エーリッヒが大きく息を吐いた。

「申し訳ない、卿の心配が現実になってしまったようだ」
「いや、止めなかったのは私だ。私はその危険性が高いと知っていてそれの実行を許した。責任は私に有る」
俺の言葉にエーリッヒが首を横に振った。いかんな、またこいつに荷を背負わせてしまう。

「地球に送った三人だが広域捜査局第六課の最高責任者が私だと知っているかな」
「正直、分からない。知っていた可能性は否定できない」
俺の言葉にエーリッヒが頷いた。

「知らない可能性も有る、そういう事かな、アントン」
「そう思うがこの場合知っていたと考えた方が良い、卿の身が危険だ」
エーリッヒが溜息を吐いた。いかんな、ますますこいつに負担をかけてしまう……。身が縮む思いだ。

「私じゃない、ルーゲ司法尚書の身辺警護が要る、早急にだ」
なるほど、そっちが有ったか。広域捜査局は司法尚書の管轄下だった。
「卿の言うとおりだ、早急に警備を付けよう。卿にも……」
「私の方は大丈夫だ。すでに憲兵隊が付いている」
「そうか」
ギュンターが任せろと言うように頷いた。

「それで、他には」
「俺とアンスバッハ准将はこの際彼を利用してみようかと考えている」
「……」
「今現在、広域捜査局第六課はオーディンの地球教の支部を監視している。彼からは地球教に不審な点は無かったと報告が有った。だから支部の監視を解こうかと思っているんだ……」

エーリッヒが何度か頷いている。
「なるほど、地球教は自分達が監視されている事を知っている。その監視を解く、その後を憲兵隊に密かに監視させるという事か、ギュンターを呼んでほしいと言ったのはそれが理由だな」
「そのとおりだ。こちらの監視が解かれたとなれば彼は地球教と接触する筈だ。そこから地球教を探れるだろうと思うんだ」

地球教がこちらの諜報員を二重スパイとして利用しようとしている。ならばこちらも同じ事をするだけだ。彼を信じている振りをして相手を罠にかける。どちらがより相手を騙したかを競う事になるだろう。

エーリッヒがギュンターに視線を向けた。
「ギュンター、私は良いと思うが卿の意見は」
「地球教を押さえるのは急務だ。喜んでやらせてもらう。だが一つだけ問題が有る」

問題? エーリッヒを見たがどうやら心当たりが無いらしい。
「命令系統をはっきりしておきたい。憲兵隊と広域捜査局第六課、どちらが上に立つかだ。面子とかの問題じゃないぞ、そっちとの共同作業になるからな、はっきりしておかないと後々厄介な問題が起きかねない」

「確かにそうだな」
俺の言葉にエーリッヒも頷く。
「アントン、広域捜査局第六課が指揮を執ってくれ」
「良いのか、それで」

ギュンターを選ぶだろうと思った。第六課の前身は社会秩序維持局だ。エーリッヒにとっては憲兵隊の方が信用できるはずだ。
「地球教の問題は広域捜査局第六課が受け持つ、そう決めたはずだ。それにギュンターも憲兵隊も暇じゃない、これ以上は過重労働だ。」

ギュンターに視線を向けると苦笑を浮かべている。
「良いのか?」
「エーリッヒの言うとおりだ。そちらに任せるよ」
「分かった」

「ギュンター、支部の監視だが卿は直接関わらないでくれ。信頼できる人間を選んでアントンに報せて欲しい」
「分かった」
「頼むよ、卿は仕事の抱え過ぎだ」
「分かったよ、卿に言われるとはな」

ギュンターが苦笑している。打ち合わせが終わると雑談になった。今度久しぶりにナイトハルトも入れて四人で飲もうという話になったが、皆忙しい。何時そんな事が出来るか……。

司令長官室を出るとギュンターに少し話をしようと宇宙艦隊司令部のサロンに誘った。席に座りコーヒーを頼む、正直あまり飲みたいとは思わなかったが何もなければ手持無沙汰だ。

「忙しいのか?」
「まあ色々と有る。フェザーンにも人を入れているが国内もな、ちょっと面倒な事が起きている」
「国内?」
俺の問いかけにギュンターが頷いた。

「汚職の摘発だ」
「汚職?」
「ああ、サイオキシン麻薬事件並みの体制で取り掛かっているよ」
唖然とした。あの事件は憲兵隊の総力を挙げた事件だったはずだ。それと同じ? そんな汚職事件が有るのか?

「冗談だろう」
「冗談じゃない、とんでもない状況になっている」
ギュンターが溜息を吐いた。憂欝そうな表情だ、嘘ではない。しかし、汚職?

「内乱前は汚職の大部分は貴族がらみだった。ところがその貴族が没落した。これまで指を咥えて見ていた連中が今度は自分達が美味い汁を吸う番だと張り切りだしたのさ」
「しかし、それだけで憲兵隊の総力を挙げるほどの状態になるのか?」
ギュンターが今度は肩を竦めた。

「元々この件について最初に気付いたのはエーリッヒなんだ」
「そうなのか」
「内乱で鹵獲した艦の売却について不正が無いか調べてくれと言われてな、それで調べたら……」
ギュンターが肩を竦めた。

「芋蔓式に不正が見つかったよ。同じ人間がいくつもの不正に関わっていたからな。賄賂を渡して不当に安く買った艦を解体して部品を軍や運輸省、工部省に新品として売りつけた。もちろん買う方も分かって買っている。皆ぐるになって不正をしていた」
「……貴族の後釜か……」
呆れた、犯罪も悪人も身分は関係ないか……、思わず溜息を吐いた。

「まあそんなところだ。それがきっかけで軍、政府で汚職の捜査が始まったんだ。とんでもない騒ぎだよ、改革派の尚書達は激怒している。連中に不正をさせるために改革をしてるんじゃないってね……」
「……」

「悪い事に辺境星域の開発も始まった。開発が始まれば利権も生まれる、甘い汁が吸えると手ぐすね引いて待っている連中が多いのさ」
「それで卿らが?」
ギュンターが頷く。コーヒーを一口飲んで妙な顔をした。俺も飲んだ、なるほど、司令長官室のものに比べればかなり落ちる。

「不味いな、ギュンター」
「うむ、不味い。というよりエーリッヒの所が美味すぎるんだろう、贅沢しすぎじゃないのか」
「そのようだな。あいつはコーヒーを飲まんから分からんのさ」
「なるほど、一度捜査するか。不正があるかもしれない」
顔を見合わせて苦笑した。もう一口飲む、やはり不味い。

「辺境星域の貴族達もこの件を知ってかなり心配している。自分達が食い物にされるんじゃないかとね」
「なるほど……」

なるほど、状況は分かった。それにしてもエーリッヒの奴、良く見つけたものだ。サイオキシン麻薬、今回の汚職、あいつ一体幾つ目が有るんだ? それとも鼻か? 軍人なんかより警察の方が向いてたんじゃないか。

しかし妙だな、広域捜査局ではそんな汚職の話は聞いた事がない。事実なら第二課辺りが動いても良さそうなものだ。それに保安省も動いていない。軍はともかく省庁に対しては動けるはずだが……。



 

 

第二百五十二話 暴君が生まれる時



帝国暦 489年 5月 10日  オーディン   宇宙艦隊司令部  アントン・フェルナー



「無駄だぞ」
「ん?」
「保安省も広域捜査局もこの件については関与出来ない」
「……そうなのか」
ギュンターがニヤニヤ笑っている。いかんな、読まれたか……。最近妙に鋭くなった。

「理由は二つある。一つは汚職に関わっている省庁が問題だ。主として運輸、工部、自治……、分かるだろう?」
「旧内務省か……」
俺の答えにギュンターが頷いた。もう笑ってはいない。

「保安省も広域捜査局も旧内務省だ。馴れ合いになると心配している人間達が居る」
「大体想像はつくな、辺境星域だろう」
「それもある。彼らは旧内務省に良い感情を持っていない。それでエーリッヒに保安省も広域捜査局も使わないでくれと要請した」

内務省は他を圧する巨大省庁だった。それだけに有力貴族は内務省との友好関係を何よりも重視した。そして内務省も有力貴族との友好関係を重視した。お互いに協力する事で力を高めたのだ。その分しわ寄せを受けたのが平民、下級貴族、そして辺境の貴族達だった。エーリッヒの両親が殺された事件で警察は碌な調査をしなかった事は良い例だ。

「エーリッヒは辺境星域開発の責任者だからな、彼らの意見を無下には出来ない、そういう事か」
ギュンターが違うと言うように首を横に振った。
「それだけじゃない、事態はもっと深刻だ。確かに辺境星域開発の件もあるが本来なら抗議するはずのルーゲ司法尚書、ブルックドルフ保安尚書も同意している。この捜査には保安省も広域捜査局も関わらない、いやそれどころじゃない状況になっている……」
ギュンターが首を横に振った。司法省、保安省に何かが起きている……。

「どういう事だ」
「今二人は過去、内務省管轄下の警察組織で起きた冤罪事件、不正事件等を極秘に調べさせている。改革が進むにつれ平民達からそういう要求が上がっているんだ。疑わしい事件の再調査を行い名誉回復、補償を行う、それに合わせて不正にかかわった職員も処罰しようとしているんだがはっきり言って酷いらしい。汚職捜査など任せられないと言っているようだ」

唖然とした。どう考えてもまともな話には思えない。
「冗談、だよな」
恐る恐る、半信半疑で尋ねるとギュンターが首を横に振った。それでも信じられずにいるとギュンターが無表情に言葉を続けた。

「保安省内部の監察と司法省から人を出して再調査と不正の摘発を行う事になっている。何処まで出来るかは分からないが、少なくとも今後の汚職を防ぐ事には効果が有るだろう……。冗談なら良かったんだがな、アントン……」

同感だ、冗談なら良かった。それにしても内務省管轄下の警察組織? いずれはウチにも来ると言う事か……。俺やアンスバッハ准将は直接は関係ないが、周りは……、やれやれだな。

「内務省は財務、法務、軍務を除く殆どの行政を一手に握っていた。警察も握っていたからその気になれば何でも出来た、不正をする事も握りつぶす事も……。これで不正が起きないと言ったら信じるか? 不正を起こす奴と不正を握りつぶす奴、現場はともかく上層部は繋がっていた。皆一緒になって甘い汁を吸っていたんだ。それが内務省だ」
ギュンターが冷笑を浮かべている。

「内乱時、内務省がエーリッヒに敵対したのもそれが一因としてある。平民の権利なんて拡大して見ろ、不正がしにくくなる、甘い汁が吸えなくなる、そう思ったのさ」
「……酷い話だな」
「酷い話だ」

ギュンターが頷く。コーヒーを一口飲み顔を顰めた。釣られたわけではないが俺も一口飲んだ、やはり不味い。話題が酷いんだ、せめてコーヒーだけは美味いのが欲しかった。

「ギュンター、不味いな」
「ああ、不味い」
「もう一杯いこう、……今からでも遅くない、司令長官室から貰ってくるか……」
「悪くないな、それ」
顔を見合わせて笑う。ウェイトレスを呼んでコーヒーを追加注文した。

「内乱が終結し内務省は解体され幾つかの省庁に分かれた。しかし人間が入れ替わったわけじゃない。繋がりは維持された。しかし改革が進むにつれ平民の意識も変わった。これまでのように不正に泣き寝入りはしなくなった。時代が変わり社会も変わり人の意識も変わった。それに対応できる奴は良いんだが……」
「対応できない奴が居るというわけか」
「ああ、不正をする事に慣れてしまった奴がね」

ギュンターが俺に視線を向けた。
「分かっただろう、広域捜査局も保安省も使えないという理由が。昔の繋がりで不正を揉み消しかねない」
「……保安省は分かる。しかし社会秩序維持局は広域捜査局に移行する時にかなり人間を選別したと聞いている。酷い奴は排除したはずだが……」

社会秩序維持局は内乱においてもっともエーリッヒに敵対した組織だ。当然だが内乱後の処罰は厳しかった。本来社会秩序維持局は内務省内部でも最も力の有るポストだ。初代局長を内務尚書エルンスト・フォン・ファルストロング伯爵が兼任した事でも分かる。

社会秩序維持局の局長を経て内務次官というのは内務省内での出世コースの一つだ。本来なら保安省内部に残るべき組織だったが名前まで広域捜査局に変えられて司法省に移管された。しかもその時当然のように人員も削減されている。広域捜査局は司法省では外様なのだ。常に冷たい目にさらされている。

「周囲はそう見ていない、昔の印象が強すぎるからな。アントン、社会秩序維持局が平民達を弾圧するためにルドルフ大帝が作った組織だという事を忘れてもらっては困るな」
「なるほど」

一度貼られたレッテルを外すのは容易じゃないってことだな。とんでもない所に異動したな、或いはだからこそエーリッヒは外部から俺とアンスバッハ准将を入れたのか……。溜息が出そうだ。ウェイトレスが新しいコーヒーを持ってきた。一口飲む、やはり不味い。ギュンターを見た、彼が俺を見て笑っている。思わずこっちも苦笑が漏れた。暫く二人で笑った後、ギュンターが話し始めた。

「理由の第二は汚職に軍が関わっている事だ」
「まあそうだろうな、軍を警察が調べるなんて無理だ、戦争になりかねない。だからと言って軍と省庁を別々の組織に調べさせる事は非効率だからな」
ギュンターが俺の言葉に頷きながらコーヒーを飲んだ。不味そうな表情をしている。

「汚職の主力は兵站統括部だ」
「本当か?」
「ああ」
「しかし、昔と違って今は優秀な奴が結構配属されているんじゃないのか? 汚職も随分と減ったと聞いたぞ」

昔は落ちこぼれが配属されていた。しかしエーリッヒが頭角を現すにつれそれも変わったはずだ。徐々に徐々にだが士官候補生の意識も変わり進んで兵站統括部を配属先に希望する優秀な生徒も出てきたと聞いている。

ギュンターが苦い表情で俺に視線を向けた。何を言っている、そんな顔だな。
「あそこに出来る奴が配属されるようになったのはここ三、四年の事だ。人数も少なく階級も低い。兵站統括部全体でみればとんでもない奴の方が遥かに偉くて多いんだ」
「なるほど、それもそうか……」

「辺境星域の開発には兵站統括部を活用するとエーリッヒは決めている。その兵站統括部で汚職が蔓延している」
「頭の痛い事だな」
ギュンターが溜息を吐いた。呆れた様な表情で俺を見ている。

「頭が痛い? とんでもない、激怒しているよ」
「……」
「エーリッヒが兵站統括部に居る時は彼を怖れて目立った汚職は無かったんだ。皆無とは言わないが少なくとも騒ぎになる様な汚職は無かった。だからエーリッヒは兵站統括部を辺境開発に使う事に不安は感じていなかった……」
ギュンターが首を横に振っている。

「ところが彼が兵站統括部を去ってから汚職が増えだした。最初は恐る恐るだろうが反乱軍との戦い、そして内乱と長期にわたってエーリッヒがオーディンを留守にした……」
「チャンスと見たんだな」
ギュンターが頷く。

「その通りだ。怖い猫が居なくなって薄汚い鼠が増えたのさ。兵站統括部出身者としては昔の仲間に赤っ恥かかされたようなものだし、辺境星域の開発責任者としては裏切られた様な気持だろう」
「元々その手の不正が嫌いだしな」

「ああ、この腐敗を一掃しない限り辺境開発なんてやっても意味がない、官僚達のサイドビジネスを助長するだけだと言い切っている。国家の最優先課題だってな。ルーゲ司法尚書、ブルックドルフ保安尚書が捜査は自分達がやると言ったって納得しなかっただろう」

溜息が出た。こっちが地球教であたふたしてる間にオーディンはとんでもない事になっている。それにしても……。
「怒っているか……、少し疲れているように見えたがな」
「疲れてもいるさ」
ボソッとした口調だった。

「ずっと戦ってきた、新しい帝国を造るためにな。軍人も、改革派の政治家達も皆奴が引っ張ってきた。誰かに弱みを見せる事など出来ない、ただ先頭に立って引っ張ってきたんだ。そして今ようやく新しい国造りが始まろうとしている、ようやくだ。それなのに周囲にはあいつの足を引っ張る連中ばかりいる……。これで平静でいられるか?」
「……いや、難しいだろうな」

ボソボソとした口調だが声には怒りが有った。ギュンターはずっとエーリッヒの傍にいた。俺やナイトハルトよりも身近なところからエーリッヒを見てきている。だから思い入れが有るのだろう。

「あいつが言っていたよ。国家としての制度、体制が疲弊している、歪んでいるんだと思っていた。だからそれを是正すれば良いと思っていた。でももしかすると人間そのものが疲弊しているのかもしれないってな……」
「それは……」

良くないな、エーリッヒが人間に対して絶望しているのだとすれば良くない、いや危険だ。
「ギュンター、あいつ、絶望しているのか?」
「……」
「危険だぞ、分かっているのか? エーリッヒは国家の指導者なんだ。その指導者が絶望すれば統治にも影響が出る。絶望の怒りは国民に向けられるだろう。エーリッヒを暴君にするつもりか!」
気が付けば身を乗り出し押し殺した声で囁いていた。

「安心していい、そうはならない」
「しかし」
「あいつに聞いたんだ。絶望しているのかってな」
「……」
ギュンターの顔が歪んでいる。哀しいのか、それとも苦しいのか……。

「そんな事は許されない、そう言っていたよ」
「……」
「自分はこれまで二千万人近い人間を殺した。これからもその数字は増えるだろう。後戻りも逃げ出すことも投げ出すことも出来ない。前へ進み銀河を統一して戦争の無い世界を作るしかないんだ、とね……」
「……」

「そしてこうも言っていた。自分が殺した人間達は絶望を抱いて死んでいった。自分は生きている、生きている以上、絶望を抱くことなど許されないと……」
「ギュンター……」
哀しいんじゃない、苦しいのでもない。ただ切ないのだ。帝国最大の実力者がもがき、苦しみ、それでも懸命に絶望から目を逸らし希望を見ようとしている……。

「エーリッヒを見ていてルドルフ大帝の事を考えたよ。大帝の忠臣、エルンスト・フォン・ファルストロング伯爵の事もね」
「どういう事だ」
俺の問いかけにギュンターは少し口籠った。視線を逸らし考える風情をしている。

「似ていると思った。麻薬、犯罪、汚職、大帝が向き合った問題もエーリッヒが向き合った問題も同じだ」
「なるほど、となると卿は忠臣エルンスト・フォン・ファルストロング伯爵か」
俺の声には皮肉が混じっていただろう。だがギュンターは何の反応も示さない。俺の方を見る事もしない。

「大帝は強権をもって犯罪を撲滅した。その大帝を助けたのが内務尚書ファルストロング伯爵だ。彼は劣悪遺伝子排除法が制定されてからは社会秩序維持局の局長を兼務して四十億もの人間を弾圧した」
「……それで? 何が言いたい」
ギュンターが俺を見た。

「何故そんな事が出来たと思う? 出世欲だと思うか? 或いは異常者だった?」
「……」
「卿はさっきエーリッヒは絶望しているのかと聞いたな」
「ああ」
「エーリッヒは絶望していない。しかしルドルフ大帝は人類の愚かさに絶望していたのだと俺は思う」
「……」

「ファルストロング伯爵は内務尚書だった。当時の人類社会の問題である麻薬、犯罪、汚職の撲滅を任されたんだ、不正の許せない生真面目で職務熱心な男だったんだと思う。大帝の右腕となってそれを撲滅していくなかで人類の愚かさを、それに絶望する大帝の姿を一番身近で見ていたのは彼だったはずだ」
「……」
そして今エーリッヒの一番傍で人類の愚かさを見ているのはギュンター・キスリング……。

「銀河帝国の皇帝が帝国臣民の愚かさに絶望している。ファルストロング伯爵は大帝に共感したんじゃないかな。大帝以上に人類の愚かさに絶望し、その愚かさを憎悪した。……彼は出世したかったのでもなければ異常者でもなかった、ただ大帝と同じ絶望を知ってしまった……」

「ファルストロング伯爵がテロで死んだ時、大帝は二万人以上の人間を容疑者として処刑した。酷い話だ、しかし大帝にとってファルストロング伯爵は臣下じゃなかったんだと思う。自分の絶望を知っている理解者だった、大帝にとっては同じ絶望を知った仲間だったんだ。その仲間が愚か者どもに殺された……」

「卿の言う通りだ。もしエーリッヒがルドルフ大帝になっていたら、俺はエルンスト・フォン・ファルストロング伯爵になっていただろう、何の後悔もせずにね。そして何億という人間を殺したに違いない」
「ギュンター……」
俺の呟きにギュンターが笑みを見せた。

「だがエーリッヒはルドルフ大帝にはならない、だから俺もギュンター・キスリングのままでいられる……」
「……」
「アントン、俺はその事に感謝しているよ」
綺麗な笑顔だった、誇りと歓びに満ちた笑顔だった……。














 

 

第二百五十三話 気晴らし



帝国暦 489年 5月 25日  フェザーン   ギルベルト・ファルマー



三回、四回と呼び出し音が鳴る。五回、六回、七回目のコール音で相手が受信した。スクリーンに相手が映る、軍服では無い、私服姿だ、自宅で寛いでいたようだな。笑みを浮かべているが少し疲れているように見える。ヴァレンシュタイン、卿は相変わらず忙しいらしいな……。

「久しいな、ヴァレンシュタイン」
『ええ、本当に久しぶりです。ヘル・ファルマー』
「元気そうで何よりだ」
ヴァレンシュタインは私の言葉に苦笑を漏らした。

『そう見えますか?』
「いや、社交辞令だ。忙しいようだな、少し疲れているように見えるが大丈夫か?」
益々苦笑が大きくなった。

『疲れもしますよ、毎日のように汚職の話を聞かされるんです』
「汚職?」
『ええ、馬鹿共が寄って集って甘い汁を吸おうとしているんです、うんざりですよ』
今度は顔を顰めている。かなり参っているらしい。しかし、汚職?

「……悪さをしそうな貴族は居なくなったはずだが」
『その分だけ自分達の取り分が増えた。そう考えている平民出身の悪党が居るという事です』
「……なるほど」

なるほど、そういう事か……。貴族達が没落した。その事は政治、経済、軍事だけでなく犯罪の世界にも影響が出ているらしい……。主役交代、そういうわけだな。これまでの伸し上がる事が出来なかった小悪党が大悪党になるチャンス到来という事だ……。道理でヴァレンシュタインがうんざりした様な声を出しているはずだ。

『今、帝国で最も必要とされている職業が何か分かりますか?』
皮肉に溢れた声だ。声だけでは無い、スクリーンに映るヴァレンシュタインは皮肉な笑みを浮かべていた。もしかすると冷笑も入っているかもしれない。一体何を笑っているのやら……。

「いや、分からんな」
『弁護士です、それも金次第でどうにでもなる悪徳弁護士……。一人で三つも四つも裁判を掛け持ちしている奴が居ますよ。依頼人は皆汚職の容疑で捕まっているクズです。全く碌でもない状況ですよ』
最初は冷笑だったが最後は吐き捨てるような口調だった。憮然としているヴァレンシュタインを見ていると思わず失笑が漏れた。

「なかなか、上手く行かんな」
『ええ、上手く行きません。制度が歪んでいるのだと思っていました。しかし歪んでいるのは制度だけではなく人間も同様だったようです』
今度は溜息を吐いた。かなり重傷だな、少し勇気づけてやるか。しかし私がこの男を勇気づけるのか、世の中は刺激と皮肉に満ちているな。

「そう悲観することもないだろう。フェザーンでは皆が帝国の改革を高く評価している、景気も良くなってきている。おかげで我々も大いに儲けさせてもらっているよ、感謝している」
私の言葉にヴァレンシュタインが苦笑を浮かべた。慰められたと気付いたか……。

『高く評価されているからと言って安心する事はできません。犯罪の無い世界等有り得ないでしょうが犯罪を見過ごす世界を作る事も許されないんです。そうでなければ皆が犯罪に走りますよ、その方が楽なんですから』
「確かに、そうだな」
怒ったような口調だ。やはり気付いたか。

『但し、そうなった時は酷い人間不信が社会に蔓延します。人を見たら泥棒と思え、ですね。誰も信じられないし誰も幸せになれない。今より酷い状況になる、不幸の極みですよ。何のために内乱を起こしてまで国政を変えようとしたのか……』
「……」
『愚痴ばかりですね、……ところで今日は?』

「先日ラートブルフ男爵と会った」
『……』
「偶然だった。向こうが気付いてな、少しの間話をした」
『……そうですか」
困惑しているな、どう話をしてよいか判断出来ないらしい。珍しい事も有るものだ。

「卿の下で働いていると言っていたな」
『……そうですか』
「二度目だぞ、その言葉は。他に無いのか」
ヴァレンシュタインが苦笑を浮かべた。

『そうですね。……迷惑をかけたのではありませんか』
「いや、そんなことは無い。色々と話せて楽しかった。卿の事を良い上司だと言っていたな」
『……そんな事は有りません。私はラートブルフ男爵を利用しているだけです、酷い上司ですよ』

ヴァレンシュタインは視線を逸らしている。謙遜ではない、本心から言っているようだ。非情になりきれないのだな、この男の立場としては余り良い事では無い……。もっとも私が今生きているのもこの男の甘さのお蔭だ。となれば必ずしも悪くないのかもしれない、少なくとも私にとっては悪くは無かったと素直に思える。

「ランズベルク伯の事だが、ラートブルフ男爵から聞いた。どうにもおかしな話だな」
『ええ』
「上手くもない詩を作っているだけの男だと思っていたが……」
『操りやすいのでしょう。裏に誰かが居るようです……』
面白くなさそうな口調だ。ランズベルク伯には煮え湯を飲まされているからな、無理もないか……。

「気になって調べてみた」
『……』
「そんな顔をするな。心配はいらない、大した事はしていないからな。ほんのちょっと調べただけだ、向こうに気付かれることは無い」

いかんな、ヴァレンシュタインの表情が硬い。私を巻き込みたくない、そう思っているのだろう。
「金銭面で困っている様子は無い」
『宇宙船を売ったようです。当分はお金に困らないでしょう』

「違うな、周囲にはそう言っているらしいが奴はまだ宇宙船を保持している。誰かが援助しているようだ」
『なんですって……』
「誰かが資金援助している、そう言っている」
ヴァレンシュタインの表情が険しくなった。やはり知らなかったか……。

内乱の後、多くの貴族達が戦場から離脱しフェザーンに亡命した。亡命した貴族達の財産は帝国政府が接収した。反乱を起こしたのだ、当然ではある。そして貴族達がフェザーンの金融機関、投資機関に預けた資金も接収の対象となった。

フェザーンとしては撥ね退けることも出来たが帝国政府との関係悪化を避けるためそれを受け入れている。いや、正確に言えば関係悪化を怖れる同盟政府の意向を受け入れざるを得なかった……。フェザーン政府から各金融機関、投資機関に対し帝国へ資金の返還が命じられ実行された。つまり、亡命した貴族達は殆どが無一文になったのだ。彼らに出来る事は自らの宇宙船を売り払って金銭を得る事しかなかった。

幸い当時の帝国では貴族が没落したため交易に従事する人間が減っていた。交易船の需要は多かったから宇宙船が買い叩かれるようなことは無かった。そこそこの値段で売れただろう。今、亡命貴族達が生活に困らずにいるのもそれが理由だ。

ランズベルク伯アルフレッドは宇宙船を売っていない。生活費だけではない、宇宙船の維持費も発生している。決して小さな金額ではない筈だ。にもかかわらず彼は金銭に困っている様子を見せない……。

何処かから援助を受けているとしか思えない、だがランズベルク伯は周囲には宇宙船を売ったと言って後援者が居る事を隠している。
「後援者がいるとなれば大声で吹聴したいものだ。周囲を勇気づける事にもなる。しかしそれをしていない……」

『後援者は奥床しい方のようです。周囲に知られるのが恥ずかしいのでしょう。伯に口止めしたのでしょうね』
冗談を言っている場合か、ヴァレンシュタイン。

「反乱軍の主戦派がクーデターに失敗して捕まった。伯の資金源がそれなら伯にも捜査の手が及ぶ……。しかし伯にそれを怖れている様子は無いし金銭面で困っている様子も見せない。裏に居るのは別口だろう」
ヴァレンシュタインがクスクスと笑い出した。

『反乱軍ですか、それはちょっと拙いのではありませんか、ヘル・ファルマー。素性を疑われますよ』
「確かにそうだな、普段はそんな事は無いのだが……。どうやら卿と話していて帝国人に戻ってしまったようだ」
やれやれだ、思わず苦笑した。暫くの間二人で笑っていた。妙な事だ、この男とこんな風に笑う日が来るとは……。その事が更に可笑しくて笑った。

「自由惑星同盟ではないとすると……」
『それ以上は……』
「拙いか」
『ええ』
生真面目な表情だ。有る程度の目安はついているという事か……、そして危険な相手でもあるようだ。ここまでだな……。

「……何時か会えるかな」
『会えると思いますよ、それほど遠い事ではないでしょう』
ヴァレンシュタインが笑みを浮かべた。柔らかい、暖かな笑みだ。

「そうか、遠い事ではないか、楽しみだな」
『そうですね、私も楽しみにしています』
それを機に通信を切った。それほど遠い事ではないか……。どうやら帝国軍のフェザーン侵攻はここ一、二年の内には実行されるらしい……。会える日が楽しみだな……、そう思う自分が可笑しかった。



帝国暦 489年 5月 25日  オーディン  ミュッケンベルガー邸     エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



職場に連絡すると直ぐに繋がった。夜の八時を過ぎたのだがまだ仕事をしていたようだ。
「やあ、ギュンター。まだ仕事かい」
『いや、帰ろうとしていた所だった。何か用かな』
「少し話したい事が有る、こっちに来ないか」
俺の言葉にキスリングはちょっと戸惑う様な表情を見せた。

『それは構わんが、良いのかな、新婚家庭にお邪魔して』
生真面目な表情だ、冗談を言っているのかと思ったがそうでもないようだ。
「構わんよ、食事は?」
『いや、まだだ』

「分かった、用意しておこう」
『良いのか?』
「遠慮しなくて良いよ、待っている」
時間が無いな、有り合わせで良いだろう。どれ、久しぶりに料理でもするか……。

キッチンに行って冷蔵庫を覘いているとユスティーナとシュテファン夫人が心配そうな顔で近づいてきた。キスリングが来る事を伝え食事を用意するのだと言うと自分達が作ると言い出したが気晴らしに俺が作ると言って諦めさせた。もっとも心配そうに俺を見ている。

ホウレン草、もやし、ジャガイモ、タマネギを取り出す。それとキノコだ、シュタインピルツとフィファリンゲが有るな、良いだろう、十分だ。他にはソーセージが有る、これを使うか。あいつは野菜をあまり摂っていないだろう、今日はたっぷりと食べさせてやる。それと卵を二個と固形コンソメを取り出す、こいつを忘れてはいかん。

その他にレトルトのチキンドリアを取り出す。この家でレトルト食品? と思うだろうが俺もミュッケンベルガーも軍人だ。休日でも急な呼び出しをかけられる時もままある。腹を減らせてはいけない、レトルトなら着替えて準備をしている間に用意できる。時には地上車の中で食べる時も有るのだ。レトルト食品は必要不可欠と言って良い。

ホウレン草は五株、もやしは適当に二掴み、ジャガイモ一個、タマネギは半分、キノコは多めに用意する。野菜を良く洗い、ホウレン草、ジャガイモ、タマネギ、キノコを適当に切った。そしてフライパンを取り出し、アルミホイルを敷く。

フライパンに水を約二百五十CC入れ調味料を適当に入れる。そして固形コンソメを半分だ。その上にホウレン草、ジャガイモ、タマネギ、キノコを適当に載せる。ソーセージに包丁で切れ目を入れてから野菜の上に載せる。塩コショウを振ってアルミホイルで覆いその上にフライパンの蓋をする。後は強火で煮立てるだけだ。

五分ほど経ったら蓋を開け様子を見る。中が煮立って野菜が煮えているのを確認したら卵を二つ落とす。卵に塩コショウを振ってもう一度蓋をする。火は中火だ。一、二分ほどで出来上がりだからこの間にレトルトのチキンドリアを温める。キスリングが来たのは全てが出来上がり、応接室に料理を運んだ直後だった。

「ほう、ホイル焼きか、卿が作ったのか、久しぶりだな」
フライパンを見て直ぐに分かったらしい、嬉しそうな声を上げた。こいつとミュラーとフェルナーには良く作ってやったな。レシピを渡してやったが果たして自分で作る事が有ったのかどうか……。

「話は後だ、まずは食べてくれ。冷めると不味いからな」
ホイル焼きをフライパンのまま持ってきたのもそれが理由だ。冷めると不味い。
「分かった」
そう言うとキスリングは早速フライパンの蓋とアルミホイルを取った。良い匂いが応接室に漂う、野菜とキノコの匂いだ。早速キスリングが食べ始めた。

「美味いな、このスープ。キノコの出汁が何とも言えない。それにソーセージの肉汁が堪らん。……畜生! このもやし、味が染み込んでる! ……でもなんでユリ根が無いんだ。……俺はあれが好きなんだが」
料理評論家、ギュンター・キスリングの誕生だな。

「私も好きだけどね。うちの冷蔵庫にはユリ根が入ってなかったんだ」
「いかんな、それは。……卿らしくない失態だぞ、……あれは健康にも良いんだろう?」
上目づかいで俺を見るな。うちの冷蔵庫は俺の冷蔵庫じゃないんだ。仕方ないだろう。

「それよりドリアも食べろよ」
「ドリアなんか何時でも食える。でもこれは此処じゃないと食べられないからな、……畜生、このジャガイモがユリ根だったら完璧なのに!」
ジャガイモとユリ根を比較する奴が有るか、このタコ助!

「ジャガイモは必須だ! 玉ねぎがユリ根なら完璧だよ」
「……とにかくユリ根が無いのは許しがたい失態だ」
「分かった、分かった。これ以後はユリ根を冷蔵庫に入れておくよ」
ようやく納得したのか、キスリングはドリアを食べ始めた。話をするのはドリアを食べて一息入れてからだから大体二十分後か。後でシュテファン夫人にユリ根を常備しておくように言わないといけないな……。



 

 

第二百五十四話 赦しを請う者



帝国暦 489年 5月 31日  オーディン  新無憂宮   アントン・フェルナー



新無憂宮の南苑にある一室。薄暗い陰気な部屋だがそこにテーブルを挟んで三人の男が集まっている。俺が一人、俺の正面に二人……。流石にちょっと遣り辛い。
「それで、どうなのかな、フェルナー課長補佐」

その課長補佐って言うのは止めて欲しい。出来れば准将って呼んで欲しいが無理だろうな……。相手は軍人じゃない、司法尚書ルーゲ伯爵、俺の上司だ。眼鏡をかけた初老の男、俺は未だこの老伯爵が声を上げて笑ったところを見たことが無い。灰色の実務家、そんな感じだ。

「アルフレート・ヴェンデル、彼が地球から戻って既に一週間が経ちます。しかし地球教との接触はまだ確認できません」
老伯爵が無言で隣を見た。遣り辛いよな、フンとかチェッとか或いは眼に何らかの反応を表してくれればいいんだがそういうのが全然無い。無表情に隣にいるエーリッヒを見ている。誰かに似ているな、誰だっただろう。

おいおい、なんか言えよ、エーリッヒ。お前まで黙るな、俺が遣り辛いだろう。大体お前ら二人を相手にするのはすごく遣り辛いんだ。ルーゲ伯爵は形式上、俺の上司。エーリッヒは事実上、俺の上司。アンスバッハ准将が俺にこの仕事を譲るはずだよ。

「フェルナー准将、彼の行動で不審な点は」
そうだよ、課長補佐よりずっと良い。やっぱり卿は友人だな。
「二つ有ります。一つは彼がサイオキシン麻薬を使用しているのが分かりました」

二人の視線が俺に集中する。似ているな、この二人の視線。事実だけを知ろうとする眼、怜悧な光を湛えている。二人とも弁護士資格を持っている、法に携わる人間ってのはこんな目をするのかもしれん。
「彼の毛髪を採取しました。サイオキシン麻薬常習者特有の成分が検出されました」
二人が頷いた。証拠を示せか。

「もう一つは何かね、課長補佐」
「彼は広域捜査局が所有する個人情報ファイルにアクセスしようとしました。対象者はエーリッヒ・ヴァレンシュタイン宇宙艦隊司令長官です。ファイルには最高機密に指定されている部分が有ります。当然ですが彼の持つアクセス許可レベルでは閲覧は不可能なのですが非合法な手段でアクセスを試みたようです」
二人が顔を見合わせた。

「それは私が対地球教の最終責任者と知っての事かな」
「いえ、それについては分かりません。彼がその事を知っていると言う確証は今の所ありません」
エーリッヒが無言で頷く。伯は黙って見ている。

広域捜査局の前身、社会秩序維持局が集めたエーリッヒに関する資料は膨大な量だった。そして最高機密に指定されている個所もかなりある。俺もファイルの全てを見る事が出来たわけではないが更新履歴だけは確認できた。社会秩序維持局は帝国暦四百八十三年の九月頃からエーリッヒについて調べ出している。サイオキシン麻薬事件が発覚した直後だ。そしてその当時から最高機密扱いの情報が有る。

それ以後エーリッヒのデータは毎年更新されている。他にここまで執拗に調べられた人間はラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵だけだった。伯のファイルもかなりの部分が最高機密に指定されている。閲覧可能者は司法省でも尚書、次官、他数名の局長にすぎない。

「他に私のファイルにアクセスしようとした人間は」
「いません。ファイルにアクセスすれば閲覧は出来なくてもアクセス履歴が残ります。任務以外でアクセスすれば周囲の不審を買うのです。情報関係の人間なら誰もが知っている事です」
俺の答えにエーリッヒが頷いた。

「ルーゲ伯のファイルは如何です」
「今のところは不審なアクセス履歴は有りません」
「狙いは私か……」
呟く様な口調だが不快感や嫌悪感は感じられない。普通は調べられていると分かれば嫌な顔をしそうなもんだが……。

「そのようだな。卿がこの件の責任者と知っているかどうかは分からんが明らかに狙いは卿だ」
二人が頷きあっている。興奮も無ければ感情の揺らぎもない。淡々と事実だけを積み重ねている。遣り辛いな。

「憲兵隊からは何か言ってきたかな」
「憲兵隊のボイムラー准将からは何も。特に異常はないそうです」
「……地球教に監視を気付かれた形跡は」

「今のところはそれらしい形跡は有りません。……用心しているのだと思いますが……」
ボイムラー准将は広域捜査局の依頼を受けてオーディンの地球教の支部を監視している。もう一週間以上になるが常に報告は異常無しだ。

少しの間沈黙が有った。エーリッヒが視線を伏せ意味に考えている……。視線を上げた。
「……試してみよう。今日にでもアルフレート・ヴェンデルに伝えて欲しい。私が地球の件で話を聞きたがっている。今、忙しいので六月十日に宇宙艦隊司令部で卿と共に会うことになったと」

焦れてきたな、自分を囮にするのはエーリッヒの癖だ。但しそれが良いのか悪いのかは分からない。
「その際、閣下が本件の最終責任者である事も伝えてしまって宜しいでしょうか」
俺の言葉にルーゲ伯が片眉を僅かに上げた。ようやく人間らしい反応をしたよ。

「構わない、その方がはっきりして良い。地球教に圧力をかける事にもなる」
確かにその通りだ。責任者がルーゲ伯というのとエーリッヒというのでは相手に与えるインパクトは全然違う。受ける圧力も当然違う。

「動きが出ると思うのかね」
「ええ、何らかの動きが出ると思います」
「まさかとは思うが、彼が暴発して卿を襲うのを待つと」
ルーゲ伯が僅かに眉を顰めた。この爺さんの感情は眉に出るらしい、大発見だな。

「そんな事はしません。彼らが接触した時点で有罪です。前日の六月九日に彼を逮捕し教団を強制捜査します」
「随分と過激だな」
皮肉なのかと思ったが至極真面目な表情だ。そうか、オーベルシュタインだ。彼に何処か似ている……。

「いい加減待つのは飽きました。少し乱暴に動いてみようと思います。連中が嫌でも動かざるを得ないように……」
「なるほど、それも良いか」
ルーゲ伯が頷く、そして俺に視線を向けた。

「どうかな、フェルナー課長補佐。問題が有るかな」
「いえ、賛成です。連中は極めて慎重ですからね。乱暴な方が意表を突けるかもしれません」
俺もいい加減動きたくなってきた。待つのは性に合わん。

「オーディンが動けばフェザーンにも動きが出るでしょう、そしてハイネセンにも動きが出るはずです。それぞれが動く事で新しい事態が発生する、澱んだ水を掻き回してみようと思います」
「分かった」

「リヒテンラーデ侯には私から話します」
「うむ、頼もうか」
「ボイムラー准将にはフェルナー准将、卿から話してくれ」
「分かりました」

「では私はこれで」
指示を出し終わるとエーリッヒが席を立った。ルーゲ伯と共にエーリッヒが立去るのを見送る。彼の姿が見えなくなった直後だった、ルーゲ伯が話しかけてきた。

「フェルナー課長補佐、いやフェルナー准将と呼んだ方が良いかな」
「……あ、いえ」
「課長補佐と呼ぶと僅かだが不本意そうな表情が目に出る、まだまだだな」
「……」
嫌味な爺様だ、一体何の用だ。

「彼を守りたまえ、死なせてはいけない」
「……」
「頼んだよ、フェルナー准将。……ああいう想いは二度としたくないからな」
「……閣下」
「では私も失礼する」
ああいう想い? 呆然として立去るルーゲ伯を見送った。



帝国暦 489年 5月 31日  オーディン  宇宙艦隊司令部   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



新無憂宮から宇宙艦隊司令部に戻ると時間は既に午後三時を五分過ぎていた。遅刻だ、拙いな、相手が悪く取らなければ良いんだが……。
「来ていますか?」
ヴァレリーに問いかけると“応接室に御通ししました”と答えた。視線にこちらを咎めるような色が僅かだが有る。故意に遅れたんじゃないぞ。

応接室に入るとソファーに座っていた人物が立ち上がって敬礼をしてきた。こちらも答礼を返す。ソファーに座るように勧め俺も席に座った。
「申し訳ありません、前の打ち合わせが思ったより伸びてしまいました。悪く取らないで下さい」
「いえ、そのような事は有りません」

目の前に初老の男が居る。六十にはまだ間が有るはずだが六十歳と言われても違和感は無いだろう。人生に疲れた様な表情をしているし身体からもそんな雰囲気が出ている。新品のスーツを着ているはずなんだが今一つ決まっていない。常に資金繰りに困っている零細企業の社長、そう紹介されたら納得してしまいそうだ。

「御身体はもう宜しいのですか」
「御蔭様でもう何とも有りません。手厚い看護を手配して頂きました事、心から感謝します」
声に濁りは感じられない。何ともないというのは本当だろう。病院からもそういう報告は出ている。もっともアルコールを口にしたら全てが終わりだが。

アーサー・リンチ少将、エル・ファシルで民間人を見捨てて逃げた同盟の指揮官。ヤン・ウェンリーの上官でもあった。将来を期待されていた士官でもあったがエル・ファシルで全てを失った。原作ではラインハルトの謀略の実行者としてハイネセンに赴き内乱を発生させた。最後は自らの正体を晒しグリーンヒル大将を殺しクーデターを起こした連中に殺された。だが、この世界では生きている……。

「同盟には帰りたくないという事でしたので捕虜交換後、帝国に亡命を希望した、そういう形で対応させていただきます。階級は帝国軍少将となります、如何ですか」
「有難うございます、私のようなものには過分な御配慮です。感謝します」
「では同盟政府にもそのように伝えさせて頂きます」
リンチ少将が黙って頭を下げた。

「今後の事ですが御希望が有りますか。少将は前線だけでなくデスクワークでも有能で有ったと聞いています。遠慮せずに仰ってください」
いかんな、リンチが顔を歪めている。俺は嫌味を言ったんじゃないんだが、そうは受け取らなかったか……。

「軍人としてはもう受け入れられる事は有りますまい。小官は民間人を見捨てて逃げた卑怯者なのですから……」
絞り出す様な声だ。辛かったのだろうな……。
「そう卑下なさる事は無いと思いますが……」
「……」
やはり難しいか……、仕方ないな。

「では私の仕事を手伝って頂けませんか」
「閣下のお仕事ですか」
「私は今辺境星域開発の責任者になっています。その仕事を手伝って貰いたいのです」
「……」
気乗りはしないか。

「何処かでひっそりと過ごしたい、そうお考えですか」
ヒクっとリンチの肩が動いた、図星か。
「ですがそれではまたアルコールに逃げる事になりませんか」

リンチが項垂れている。身体が小刻みに震えていた。自分でも分かっているのだろう、それでも何処かに逃げたい、そう思っている自分がいる……。地獄だな、リンチにとって生きる事は地獄なのかもしれない。

“その時は死ね、今のお前に生きる価値があると思っているのか?”
“ばかどもが…俺はグリーンヒルの名誉を救ってやったのだぞ。そう思わんか……生きて裁判にかけられるより、奴は死んだ方がましだったろう……ふふん、名誉か、くだらん”

くだらないと言いつつ誰よりも名誉に拘ったとしか思えない。誰かを自分と同じ境遇に堕としたいと思った、一人では辛かったから。そして救ってやりたいと思った、辛すぎるから……。能力も有り出世もしていた男だ、矜持が無かったとは思えない。ラインハルトの手先として活動すれば行き着く先は破滅だと分かっていたはずだ。原作のリンチは何処かで死を、救いを求めていた。今もそうなのかもしれない……。

リンチはそんなにも自らを責めなければならないのだろうか。エル・ファシルのリンチは不運だと俺は思う。もし同じ立場になったとしたら殆どの人間がリンチと同じ行動をとるんじゃないだろうか。民間人を連れて逃げる事が不可能な以上、次善の策は救援を呼んで民間人を奪回する事だ。封鎖を突破して味方を連れて戻ってくる。おかしな発想じゃない。

もしヤンが居なかったらどうだっただろう。リンチは突破に失敗し民間人も全て捕虜になった。同盟軍は正直に話すことが出来たはずだ。“リンチ少将は味方を救うため危険を冒して封鎖を突破しようとした。しかし武運拙く捕虜となった……” 民間人を見殺しにしたと非難できるだろうか、他に手が有るかと言われれば沈黙するしかないだろう。

ヤンが奇跡を起こしたばかりにリンチは手酷く非難された。ヤンを責めるつもりは無い、あの状況で民間人を救えたのは確かに奇跡としか言いようが無い。ただ英雄とか天才なんてものは必ずしも良い事ばかりをもたらすとは限らない、そう思うのだ。どう関わるかによってそれは変わる。眼の前で苦しんでいるリンチを見るとそう思わざるを得ない。ヤンもラインハルトも一体何人の人間の人生を変えたのか……、そして俺は如何なのか……。

「帝国の辺境星域には苦しんでいる人、困っている人が大勢いるのです。その人達を助けて頂けませんか。同盟市民と帝国臣民の違いは有るかもしれませんが人を救う事が出来れば自分の生に生きる価値を見いだせるのではありませんか」

リンチがノロノロと顔を上げた。
「赦されると思いますか、私が」
「……分かりません。しかし受け入れられるのではないでしょうか」
「受け入れられる……」
「ええ、貴方が居たから今の自分達が有るのだと。それは生きて行くための糧になりませんか」

「受け入れられる……」
縋る様な目だった。目の前の初老の男は赦される事を望んでいる。しかし俺が赦すと言う事にどれほどの意味が有るだろう。リンチは誰よりも自分が赦せないのだ。自分自身が赦せない人間を他人が赦すことなど出来るわけがない。俺に出来るのはリンチに別な救いを示す事だ。

「私と一緒に辺境星域の人達を助けませんか。彼らに希望を与え、生きていて良かった、そう思えるようにしませんか」
「私にそれが出来ると……」
「ええ、出来ます」
「受け入れられる……」
老人の眼から涙が零れた。震えるような声で“有難うございます”とリンチが呟いた……。



 

 

第二百五十五話 人を突き動かすもの



帝国暦 489年 5月 31日  オーディン  広域捜査局第六課   アントン・フェルナー



「アルフレート・ヴェンデル、ちょっと話したい事がある。会議室に行ってくれないか。俺も直ぐに行く」
俺の呼びかけに“はい”と答えてヴェンデルが立ち上がる。チラッとこちらを見たがヴェンデルはそのまま会議室に向かった。

彼が会議室に入ったのを見て俺も席を立つ。アンスバッハ准将の視線を感じた、視線を向けると微かに頷いた。こちらも周囲には分からないようにそっと頷く。アルフレート・ヴェンデル……。地球教に取り込まれたであろう男、広域捜査局第六課に送りこまれたダブルスパイ……。

敢えて笑みを浮かべながら会議室に赴く。周囲には俺が上機嫌だと見えるだろう。会議室に入ると奥の端の方にヴェンデルが座っているのが見えた。そこからなら会議室全体が見渡せるだろう。偶然選んだのか、それとも理由が有って選んだのか。傍により手頃な椅子に座る。ヴェンデルはこちらを窺う様な表情をしていた。

「済まんな、呼び出して」
「いえ、それで私に何か」
上機嫌、上機嫌、自分に言い聞かせた。声を潜めてヴェンデルに囁く。
「驚くなよ、宇宙艦隊司令長官ヴァレンシュタイン元帥が卿に会いたいと言っているんだ」
「司令長官が?」

ヴェンデルが驚いて俺を見ている。声には疑念の色が有った。もっともいきなりエーリッヒが会いたいと言っていると伝えれば誰もが“何故”とは思うだろう。
「ああ、例の地球の件でな、卿に訊きたい事が有るらしい」
「あの、それは、どういう事でしょうか。何故ヴァレンシュタイン司令長官が……」

ほう、訝しげな表情だな。どうやらエーリッヒが広域捜査局第六課の本当の最終責任者だとは知らなかったという事か。にもかかわらずエーリッヒのファイルを調べた……。やはり地球教の標的はエーリッヒ・ヴァレンシュタイン、そう見るべきだろうな……。

「そうか、卿は知らなかったか、広域捜査局第六課の本当の最終責任者が司令長官だという事を」
「いえ、知りません。それはどういう事なのでしょう」
驚いているな。うむ、良い感じだ。

「安全保障に係る公安事件に関しては我々広域捜査局第六課が受け持っている。だが帝国の安全保障に関しては責任者を一本化した方が良いという事でな、ヴァレンシュタイン司令長官が最終的な責任者になっているんだ」
「ルーゲ司法尚書閣下もそれを認めていらっしゃる?」

「もちろんだ、一応報告は司法尚書閣下にも入れているがな、責任者はヴァレンシュタイン司令長官だ」
「……」
新事実発覚、そんなところだな。ヴェンデルの目が泳いでいる。好奇の目じゃない、困惑の目だ。

「そうそう、この事は極秘だ。ウチの課にも薄々気づいている人間は居るだろうが外部に知られると拙い。司令長官に権力が集中していると思われるのはよくないからな。卿も口外するなよ」
「はい」
ヴェンデルが頷くと俺もウンウンというように頷いた。

「それで、司令長官は私の報告に疑わしい所が有る、そう御考えなのでしょうか」
不安そうな声だな、俺を窺う様な目で見ている。ここは敢えて能天気な声を出した方が良いだろう。

「おいおい、勘違いするな、そうじゃないさ。卿からの報告は既にヴァレンシュタイン司令長官に報告済みだ。地球に関しては問題無しという事で閣下も納得している」
「では一体……」

「さっき別件で司令長官に会ったのだがな、その時地球というのはどういうところなのかと司令長官が言いだしたんだ。それでな、卿の事を話したところ会って話を聞きたいということでな」
「……」
悩んでいるな、本当かどうか判断しかねている、そんなところだな。よしよし、ここはちょっと情に訴えてみるか。

「公私のけじめはきっちり付ける人だから普通はそんな事は言わないんだがな……。まあ司令長官は俺と士官学校で同期生だからだろう。そんな事を言いだしたようだ……」
「……そうですか」
まだ納得はしていないな、もう一押し。今度はちょっと沈痛な表情をした方が良いな。

「それに、少し疲れているようだ」
「疲れている?」
「ああ、軍の他に辺境の開発、それに汚職の摘発と休む間もなく働いている。疲れもするさ」
「そうですね」
多少は信じたか……。

「まあ気晴らしになれば、そう思ってな。卿にとっては不本意かもしれんが司令長官と知り合いになっておくのは悪い事じゃない。どうかな、無理強いはしないが」
「……分かりました、お会いします」
「そうか、じゃあ六月十日だ。俺と一緒に宇宙艦隊司令部に行こう、空けておいてくれ」

「十日ですか、随分と先ですが……」
「中々纏まった時間が取れんのさ。時間は朝十時、午前中一杯だ。場合によっては昼食も一緒に取るかもしれん、楽しみだな」
「はい……」

ヴェンデルを置いて先に会議室を出た。ヴェンデルが会議室を出てきたのは俺が出た一分半後だった。表情には困惑が有る。普通なら帝国最大の実力者と会える、出世の切っ掛けになるかもと興奮、或いは不安を表すはずだが……。さて、ヴェンデル、どう動く……。



帝国暦 489年 5月 31日  オーディン ミュッケンベルガー邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「この間、メルカッツが士官学校で講話をしたそうだな」
「ええ、元々は私に来たものですが、そういうのは年長者の方が経験も豊富で上手だと思いましたのでメルカッツ提督を推薦しました。確か三月の半ばに行ったはずですが……」
「なるほど」

義父が二度、三度と頷いている。食事が終わり居間で義父とユスティーナはコーヒーを、俺はココアを飲んでいる。はて何かあったか? 機嫌は悪くなさそうだが……。
「何か有りましたか?」
「いや、昨日士官学校で妙な事を訊かれたのでな」
「昨日、ですか」

昨日は義父が士官学校で講話をしたはずだ。妙な事を訊かれたと言うのは学生に質問されたという事か。しかし妙な事? 宇宙艦隊司令長官まで務めた男に妙な事か……。一体何を訊いたのか……。義父は苦笑を浮かべている、必ずしも不快に思っているわけではない。ユスティーナに視線を向けたが思い当たるフシは無いようだ。

「妙な事とは一体どんなことを訊かれたのです?」
「それが若い頃と年を取ってからとでは戦争というものに対する思い、感じ方、やり方は違うのかと訊かれてな」
「なるほど……」

「本当ならお前に戦争とはどういうものなのかと訊きたかったのだろうな。だが講話に来るのは私やメルカッツなど年寄りばかりだ、それでそのような事を訊いたらしい」
「申し訳ありません、どうも御迷惑をかけたようです」
俺が謝ると義父が手を振って
「いや、迷惑では無い、気にするな」
と言った。

「しかし、私もそれは気になります。義父上は如何答えられたのです」
「知りたいかな」
「御話頂けるのであれば」
義父がコーヒーカップを見詰めている。そして“そうだな、話してみるか”と呟いた。

「若い頃は戦争に対して慎重で有ったな、年を取ってからの方が大胆になった、そう学生には答えた。不思議そうな顔をしていたな、それ以上は訊いてこなかったが……」
「分かるような気がします、逆ではないのですか、若い頃の方が大胆なのかと思いましたが」
俺の傍でユスティーナも頷いている。だが義父は首を横に振った。

「そうではない、若い頃は自分の立てた作戦、自分の指揮でどれだけの犠牲者が出るかと悩むものだ。もっと良い方法が有ったのではないか、犠牲を少なく出来たのではないかとな」
「……」
「年を取るとその悩みが無くなる、いや無くなるのではないな、悩みが小さくなる……」

「慣れてくる、そういう事でしょうか」
「そういう事だろうな」
「……」
義父がコーヒーを飲もうとして手を止めた。何かを考えている。

「……犠牲を払う事に慣れてくる。いや、そうではないな、鈍くなったという事だろう、犠牲を払う痛みを感じなくなる。しかし用兵家としては成熟したと言えるのだろうな。それだけ戦闘に集中できるし落ち着いて指揮を執れるのだから……」
「なるほど、怖い事ですね……、あ、失礼しました」
いかんな、つい口に出た。慌てて謝ったが義父は怒らなかった。

「いや、お前の言う通りだ、怖い事だな。損害が二千隻増えれば十万から二十万の犠牲者が出た事になる。しかし慣れてくれば“ああ二千隻か”と思うだけで済む。人としては何処かおかしいのだろうな……」
「……」

確かに義父の言う事は理解できる。十万隻以上の軍が戦う中で二千隻の損失と言われてもそれほど痛みは感じないだろう。損失率は全体の二パーセントにすぎない。だが現実には十万人以上が死んでいる事になる。人としては何処かおかしいと言わざるを得ない……。

「軍人と言うのは人を殺す、人を殺させる。以前は気付かなかったが何処か普通では無いのだろう、軍を辞めてそう思うようになった。振り返って見ると随分と人を殺したし死なせてしまった、そう思わざるを得ん。……罪深い事だ……」
「義父上……」
「お養父様……」
義父が俺を見た、苦笑を浮かべている。

「現役の司令長官であるお前の前で言う事では無かったかな」
「いえ、望んだのは私です」
「……まあ、お前なら無駄な犠牲者を出す事はあるまい」
「十分に気を付けようと思います。貴重な御話し、有難うございます」
「うむ」

少しの間沈黙が有った。気まずいな、そう思った時、TV電話の受信音が鳴る。救われるような思いで席を立ち番号を確認するとフェルナーからだった。例の件だろう、良い所で連絡をくれるじゃないか。流石、我が友だな。保留状態にしてから義父に断り通信室へ向かった。

部屋に入りTV電話の受信ボタンを押下するとフェルナーの姿が映った。
「待たせたかな」
『いや、そうでもない。話せるのか』
「丁度良い所だったよ、助かった」
俺の言葉にフェルナーが興味津津と言った表情をした。

『喧嘩でもしたのか』
「そうじゃない、そうじゃないけど気まずい時は有る」
『ほう、意味深だな、それは』
「それより話を聞こうか、どうだった」
フェルナーがちょっと残念そうな表情をした。多分俺とユスティーナが喧嘩でもしたと思っているんだろう。

『ボイムラー准将から連絡が有った。例の諜報員だが先程、地球教徒と接触したそうだ』
「間違いないのかな」
『間違いない、教団支部ではなく映画館で接触したそうだ。なかなか古典的だろう』
フェルナーが皮肉に溢れた笑みを見せている。

「仕方ないね。連中は古いものに愛着を持っている、昔ながらのやり方が好みなんだ」
フェルナーが声を上げて笑い出した。俺の事を酷い奴だ等と言っている。笑っているお前も同罪だろう。

「それで、他には」
『接触した地球教徒は大急ぎで教団支部に戻ったようだ。大分慌てていた様だな』
「……」
『その後、教団支部長のゴドウィン大主教も戻ってきた。一体何を話したのか、気になるところだ』

「つまり有罪、そういう事か……」
『そういう事だ』
フェルナーが頷いた。
「ボイムラー准将と六月九日の準備を進めて欲しい。気付かれるなよ、アントン」
『ああ、十分に注意する。待ち遠しいよ、その日が』
同感だ、これでフェザーン、地球、ハイネセン、全てが動くはずだ。地球教の尻尾を掴んで陽の当たるところに引き摺り出せるだろう。



帝国暦 489年 5月 31日  オーディン ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



「ほっとしたような表情をしていたな。どうも居辛かったらしい」
「お養父様」
養父は苦笑している。私には軍の事は分からない、戦場も戦争も……。けれど勝利を得るためには非常に辛い決断や苦しみが有るのだろうという事は分かる。養父が話した事は重苦しい内容だった。夫にとっても同じように感じられたに違いない。

「心配はいらん。昔からあれを見ているが兵に不必要な犠牲を強いる男ではないからな。出世欲や野心とは無縁の男だ。心配はいらん」
“心配はいらん”、養父は二度同じ言葉を使った。気休めではなく本心からだろう。

「お養父様は御辛いのですか」
「うん?」
「先程の御話しを聞いてお養父様は御辛いのかなと思ったものですから……」
私の言葉に養父は少し考える様子を見せた。

「辛いのではないな、重いのだ」
「重い?」
「自分が死なせた人間達、殺した人間達に、その死が無駄ではなかったと証を立てねばならん。それが重いのだ」
養父が私を見ている。そして言葉を続けた。

「その重さを誰よりも感じているのがお前の夫だろう。だから今、身を粉にして働いている。どれほど辛かろうと投げ出すことなく歩んでいる。皆があれを称賛してもあれにとっては何の意味もあるまい。あれにとっては義務であり贖罪であり誓約なのだ……」

「義務であり贖罪であり誓約……。お養父様、あの人は何時それから解放されるのでしょう」
「……それを決めることが出来るのは、あの男だけだ」
「……」

養父は視線を逸らしている。そして私もそれ以上は訊かなかった。怖かったからではなく訊く必要が無かったから。多分夫は一生それを背負って生きて行くのだろう、そして私はずっとその姿を見て生きて行くに違いない、それがどれほど辛かろうとも……。




 

 

第二百五十六話 寝返り



帝国暦 489年 6月 6日  オーディン ミュッケンベルガー邸 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



誰かが俺の身体を揺すっている。止せよ、俺は疲れている、眠いんだ。
「貴方、起きてください、電話が」
電話? ああ、確かに受信音が聞こえるな、ほっとけ。いや、待て、俺を揺すっているのはユスティーナか。
「ああ、そうか、……有難う、ユスティーナ」

やっとの思いで上半身を起こすと俺の謝意にユスティーナが困ったような表情をしていた。やれやれ、妻に起こされるまで電話に気付かない夫か……。そりゃ困るよな、自分が起きる前に起きてくれ、そう言いたい気分だろう。少し疲れているな、良い状況じゃない。

枕元のTV電話が受信音を鳴らしている。スクリーンの一角には本来表示されるべき相手の番号が表示されていない、非通知か、不審者からの連絡と言うわけだ……。時刻は午前二時、どうする、切るか? 無視して寝るという選択肢も……、論外だな。分からない以上出て確かめる他はないだろう。誰からか、何の話か……。この時間にかけてくるのだ、碌な話ではないだろう。つまり、聞くべき価値が有るという事だ。

起きねばなるまい、保留ボタンを押しベッドから抜け出した。
「貴方、大丈夫ですの」
「大丈夫だよ、ユスティーナ。心配はいらない」
心配そうな表情だ、胸が痛んだ。身体が弱いってのは嫌になるな。母さんも良くそんな顔をした。

「風邪気味で休んでいる、私がそう言いましょうか」
「……」
その手も有るか……、いや駄目だな。相手が誰か分からない以上、不安要素は見せられない。それでなくとも俺の健康状態は皆の注視するところだ、ここは俺が出ないと……。

「貴方……」
「いや大丈夫だ、心配はいらない。気にせずに休みなさい」
「はい……」
気にしないはずが無いよな。現にユスティーナは心配そうな表情をしたままだ。それでも気にするなと言わざるを得ない、自分で言っていて嫌になった。彼女の表情に気付かない振りをして部屋を出た。

寝室を出て足取りも重く通信室に向かう。まったくこの時間に電話だなんて何処の馬鹿だ。腹が立ったがそれ以上にやる気が出ない。詰らない話だったり間違い電話では無い事を祈るだけだ。溜息を吐きながらTV電話の前に座り受信ボタンを押した。さて、だれが出てくるか……。

『夜分、恐れ入ります。司令長官閣下』
「いえ、遅くなって申し訳ありません」
『いえいえ、こちらこそ申し訳ありません』
低く渋い声だ。目の前に居るのは殊勝な言葉とは裏腹につるつる頭のふてぶてしい笑みを浮かべた親父だった、アドリアン・ルビンスキー、黒狐が巣穴から出てきたというわけか……。起きるだけの価値は有ったようだ。

「元気そうですね」
『御蔭様で元気にやっております』
和むなあ。こいつを自治領主の座から蹴り落としたのは俺なんだがそんな事は欠片も感じさせない。お互い仲良さそうに話している。どっちの性格がより悪いのか、お互い相手を指さすのに何の躊躇いも感じないだろう。第三者に確認すれば首を傾げるだろうな……。

「良くここの番号が分かりましたね」
『まあ、帝国の重要人物の連絡先は一通り押さえて有ります』
「なるほど、流石、いや当たり前の事なのでしょうね、貴方にとっては」
『ハハハ』
ルビンスキーが朗らかに笑った。俺も声を合わせる。

「同盟の重要人物も、ですか」
『まあ、そうですな』
ルビンスキーがさりげなく自慢をした。阿呆、こっちは世辞を言ったんだよ、あまり好い気になるな。

『そうそう、結婚されたと聞きました、おめでとうございます』
「有難うございます」
『お美しい奥様だそうですな、ただミュッケンベルガー元帥と同居と言うのは大変ではありませんかな』
声に僅かに揶揄するような響きが有る。しぶといな、何時になったら本題に入るんだ。

「そんな事は有りません。私も義父も良く理解しあっています」
『それは素晴らしい』
嘘じゃないぞ、俺とミュッケンベルガーの関係は良好だ。最近孫の顔を見たがるのは困ったもんだが。もっとも俺に直接言ってきた事は無い、ユスティーナに言っているようだ。

ルビンスキーが俺をじっと見ている、俺も相手を見た。ルビンスキーがフッと笑みを浮かべる。ようやく話す気になったか……。
『そろそろ本題に入った方が良さそうですな』
「そうですね、挨拶はこの辺にしましょう」
『……』

また俺をじっと見ている。焦らすよな、それとも俺を観察しているのか……。
『六月十日、広域捜査局のアルフレート・ヴェンデル捜査官と会われるそうですな』
「……アルフレート・ヴェンデル、……ああ、地球に行った捜査官ですね。ええ、会って地球の話を聞くことになっています。それが何か?」
ルビンスキーと地球教は切れてはいない、まだ繋がっているらしい。だがここで切ろうとしている……。そういう事かな。

『お止めになった方がよろしいでしょう。閣下の御命が危うい』
「……」
『信じられませんかな』
「いえ信じますよ、やはり彼は地球教に取り込まれましたか。内乱以降、地球教徒は何度か私を殺そうとしている……」
ルビンスキーが大きく頷いた。地球教だけじゃないよな、お前だって俺を殺そうとしたはずだ。

『ご存知でしたか、となると今回アルフレート・ヴェンデルと会われるのも……』
「まあそうです、確証が有りませんでしたのでね、試してみようと思ったのです」
『危うい事をなされる』
少し違うが、まあ誤解させておこう。

「貴方がここに連絡してきたという事はフェザーンと地球教は裏で繋がっている、そういう事ですね」
ルビンスキーが頷いた。
『そうです、フェザーンは地球教の或る意志の元、作られました。初代自治領主、レオポルド・ラープは地球教の命令で動いたのです』
「……」

ようやく俺の仮説は仮説でなくなるわけか……、結構長かったな。これで同盟にも説明できる、いや駄目だな、情報源がルビンスキーでは同盟が俺とルビンスキーが繋がっていたと疑うだろう、それは面白くない。だからと言って情報源を秘匿しては信憑性に乏しい。

『帝国と同盟を相争わせ共倒れさせる。その後、混乱した宇宙を地球教という宗教とフェザーンの財力で支配する……』
「……」
『閣下は驚かれてはおりませんな』

そうか、驚いているという事にしなければならんのだな。
「いや、驚いていますよ。想像はしていましたが本当か、と言う思いが有ります。……証拠は有りますか」
俺の問いかけにルビンスキーが残念そうに首を横に振った。

『いや、私はもっていませんな。オーディンの地球教支部、地球になら有ると思いますが……』
「なるほど、やはりそうなりますか」
地球教の厄介な所だな。計画に変更無し、このまま続行だ。いや、予定を早めよう、この男の裏切りが地球教に知られれば厄介な事になる。出来れば今日、遅くとも明日には実行だ。それによって地球教の陰謀を白日の下に暴き出す。問題は俺の目の前にいるこの男だな。如何するべきか……。

「ルビンスキー前自治領主、貴方の御好意に感謝しますよ」
『喜んでいただけたようで幸いです』
「私は貴方の親切にどう応えれば良いですか、出来れば貴方の希望を叶えたいと思いますが……」
何を望むかな、まあ想像は付くが……。

ルビンスキーが嬉しそうな表情を見せた。
『来たるべき新帝国で閣下の御役に立ちたいと思います。お許しいただけますかな』
「……」
ここまでは予想通りだな。さてどうする、ルビンスキーがようやく地中から首を出した。ここで断ればルビンスキーはまた地下に潜るだろう。手繰り寄せるか……、しかし相手は中々強かだ、危険ではある。

『やはり難しいですか?』
「……そうですね、貴方が帝国に敵対していた事は皆が知っている。今のままでは貴方を受け入れる事に反対する人が多いでしょう」
俺の答えにルビンスキーが頷いた。あまりがっかりした表情は見せていない、想定内だな。

『働きが足りない、そう言う事ですな。今回の一件だけでは不足だと、受け入れる事は出来ないと……』
「そういう事になります、帝国のために何かをしていただく必要が有るでしょう。反対する人達が納得するだけの何かを」
ルビンスキーが二度三度と頷いてから俺に視線を向けた。

『例えば?』
「例えば……、フェザーンで帝国が同盟に戦争を仕掛けるだけの大義を用意するとか」
ルビンスキーがじっと俺を見た。そしてフッと笑みを浮かべた。

『なるほど、何時までにですかな。商品には賞味期限が有りますが』
「まず半年、遅くとも一年。如何です?」
『分かりました。吉報をお待ちください』
自信が有るようだ、どうやらこれも想定内か。こっちが切っ掛けが得られず困っている、付け込む隙が有る、そう踏んだか、可愛げのない奴。だからお前は嫌われるんだ、少しは慌てて見せれば良いのに……。

「ところで新帝国では貴方はどんな仕事を望みます? あいにく通商を扱う仕事はボルテック弁務官に任せようと考えています」
『なるほど』
「出来れば貴方の望みをかなえたいと思いますが」

俺の問いかけにルビンスキーは少し考え込む姿を見せた。まあポーズだろう、俺とボルテックが親しい事をルビンスキーは分かっているはずだ。俺がボルテックに何を望んでいるか、全く気付いていないとも思えない。本来ならルビンスキーが最も欲しがる仕事のはずなのだ。となると代わりに何を望む。

『閣下の補佐官と言うのは如何ですかな』
思い付いたという顔だな。しかし補佐官?
「……」
『閣下は軍人ですが内政、改革にも関与されています。そちらの方で使って頂ければと思うのですが……』
「なるほど」

なるほど、補佐官か……。変に役割を決められるより補佐官の方が守備範囲が広い。それに曖昧なだけに個人の力量次第で影響力が増減する、ルビンスキーなら増大させることは容易いだろう……。フェザーン人ならではの発想だな、自治領主の下には補佐官が何人か居る。

『如何ですかな、閣下』
ルビンスキーが覗き込む様な視線で俺を見ている。
「良いでしょう、期待していますよ、ルビンスキー補佐官」
ルビンスキーが今度はふてぶてしい笑みを浮かべた。だからお前は悪人顔だっていうんだ。

『私の連絡先ですが……』
「それは聞かない方が良いでしょう」
『……よろしいのですかな』
少し驚いたような顔をしているな、今度は想定外か?

「構いません、万一の事が有って貴方に疑われるのは避けたい。貴方は同盟から追われる身ですからね」
『……閣下は慎重ですな』
ルビンスキーが俺をじっと見ながら頷いている。

俺なら敢えて番号を相手に伝える。弱い立場の人間が強い立場の人間に誠意を見せるには正直である事と隠し事をしない事を相手に理解させるしかない。人としての可愛げを出す、その上で役に立つことを相手に理解させる。ルビンスキー、お前ならどうする?

『分かりました、ではまた連絡させていただきます』
「楽しみにしていますよ」
通信が切れスクリーンには何も映らなくなった。残念だよ、ルビンスキー……。お前は俺の期待には応えられなかった。応えていれば少しは俺も考えたのだがな……。

ルビンスキーは俺を救ったと思っているのかもしれない、点数を稼いだと。だが現時点でルビンスキーが寝返った事に余り価値が有るとは思えない。九分九厘、帝国による宇宙統一が見えているのだ、帝国にとってルビンスキーの存在は或る意味お荷物だろう、敵でいてくれた方が身軽で良いくらいだ。もっともルビンスキーとしては自分に価値が有ると思いたいのだろうが……。

どうせ裏切るのであれば内乱の時に裏切るべきだった。そうすれば皇女誘拐も無ければバラ園での襲撃事件も無かった。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は辺境で生きていただろうし内乱はかなり小さな規模のものになったかもしれない。生き残った貴族達に対しては軍の力を示すだけで既得権益を縮小させる事が出来ただろう。

ラインハルトも死なずに済んだかもしれないな。オーベルシュタインとキルヒアイスを処断しラインハルトは爵位を剥奪の上、軍から追放。アンネローゼも同様に爵位を剥奪の上、後宮から追放する。いやオーベルシュタインとキルヒアイスは無期懲役でも良いな。生きているという希望を持たせた方がラインハルトを自暴自棄にさせずに済むだろう、大人しくなったはずだ。

フェザーン方面でも帝国と組んで同盟を劣勢に立たせる事が出来たはずだし地球教対策でも大きな役割を担っただろう。そうであれば誰もがルビンスキーの功績を認めたはずだ。必要以上に血を流さずに済んだ、混乱せずに済んだと。油断ならない男だが敵に回すよりは味方につけて利用した方が良いだろうと……。

地球教に引き摺られたな。原作でもそうだがルビンスキーは地球教に引き摺られて自分の考えで動けなかった。彼が地球教と縁を切ると決めたのもフェザーンに帝国軍が侵攻してからだった。こっちの世界と同じだ、フェザーンの自治領主という強い立場を失ってからだ。遅いんだ、地球教に引き摺られている。

地球教の野望とフェザーンの繁栄は最終的には共存できない。その事はルビンスキーも早い時点で分かっていただろう。もっと積極的に動いて主導権を握るべきだった……。少なくともシャンタウ星域の会戦以前、原作ならアムリッツア会戦以前に地球教から独立していれば随分と違ったはずだ……。

ルビンスキーの本質は乱世には向いていなかったのかもしれない。本人は自分を乱世向きだと思っていたかもしれないが本当は平時向きだったんじゃないかと俺は思う。気質と才能が一致していなかった、ロイエンタールと同じだ。ロイエンタールは反逆者として、ルビンスキーは人騒がせな陰謀家で終わってしまった……。

いかんな、詰まらんことばかり頭に浮かぶ。とりあえずルビンスキーにはフェザーンで騒ぎを起こさせる。その騒ぎに乗じて奴を始末するのがベストだな。まあ向こうもその辺りは用心しているだろうから結構厳しくなりそうだ……。
ルビンスキーの手駒は何かな、ランズベルク伯アルフレッドか……。だとすればラートブルフ男爵達から報せがあるはずだ。その線からルビンスキーに辿り着きルビンスキーを排除する、場合によってはラートブルフ男爵にも死んでもらうことになるかもしれないな……。

キスリング、アンスバッハ、フェルナー達の仕事だな。最悪の場合、奴を受け入れる事も考えるべきだろう。補佐官を一人に限定する事は無い、もう一人入れよう。ルパート・ケッセルリンク、親子で仲良く仕事をしてくれるだろう。足を引っ張り合ってドジを踏んだら両方処分する、それで終わりだ。

リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフにも話しておく必要が有るだろう、騒動が起きれば直ぐに軍をフェザーン、イゼルローンに送る必要が生じるかもしれない。この世界でのラグナロックの発動か、もうすぐ宇宙から戦争を無くせる時が来るようだ……。



 

 

第二百五十七話 強制捜査



帝国暦 489年 6月 6日  オーディン   新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



新無憂宮の南苑にある一室に五人の男が集まった。帝国軍三長官と国務尚書リヒテンラーデ侯、司法尚書ルーゲ伯爵だ。テーブルを挟んで軍人と文官に分かれてそれぞれ椅子に座っている。表情は皆一様に厳しい。早朝から爺様連中が厳めしい顔をしていると気が滅入るな。

「ルビンスキーが卿に接触してきたか」
「はい、小官の独断でルビンスキーを受け入れました。事後承諾になりますがお許しください」
「いや、それはやむを得ぬことだ。気にしてはおらぬ」
リヒテンラーデ侯の言葉に他の三人が頷いた。

「しかし補佐官とは……、喰えぬ」
「まことに」
「ルビンスキーは適当な所で始末する事だ、まあ向こうも用心しているとは思うが……」
「はい、そのように努めます」

怖い爺様達だよな。始末を命じるリヒテンラーデ侯もだがそれを当然と受け止めている三人。まあ俺もそれを受け入れているのだから彼らを非難は出来ない。余り嬉しい事じゃないな。段々自分が普通じゃなくなってくるような感じがする。

軍務尚書が俺に視線を向けてきた。
「ようやく地球教とフェザーンの関係が立証されたわけだな、ヴァレンシュタイン」
「はい、但し物証は有りません」
「うむ」
軍務尚書が渋い表情で頷いた。他の三人も顔を顰めている。地球教の厄介な所だ、なかなか尻尾を出さない。

「九日の予定だった強制捜査ですが前倒ししようと考えています。午前中に準備を整え午後から行う……」
「……」
皆が俺を見た。
「ルビンスキーがこちらに付いた以上急ぐべきかと思います。地球教が彼の裏切りに気付くかもしれません」

「司令長官の言う通りでしょう。地球教がルビンスキーを何処まで信用しているか疑問です。或いは疑われているという思いが有ってこちらに寝返ったのかもしれません」
ルーゲ伯が俺の危惧を代弁してくれた。

「それとルビンスキーはこちらがアルフレート・ヴェンデルを、地球教を疑っている事を感づいていました」
「では地球教も感づいているかな?」
シュタインホフが首を傾げた。

「可能性はゼロとは言えません。こちらが訝しんでいるとは思っているでしょうが……、正体を掴んでいるとは思っていない、確証を得られない、そんなところかもしれません」
俺の言葉に皆が頷いた。

「しかし可能なのか、時間が無いが」
今度はエーレンベルクが問い掛けてきた。
「九日の強制捜査を前倒しするだけです。既に小官とルーゲ伯が憲兵隊、広域捜査局には可能か否かを打診しました」

ルーゲ伯、フェルナー、アンスバッハ、夜中の二時半に起こされて吃驚していたな。もっとも話の内容にはもっと吃驚だった。フェルナーとアンスバッハの二人が憲兵隊のボイムラーに確認をとり可能だと回答が有ったのは三時半だ。可哀想にユスティーナは俺が寝室に戻るまで寝ずに待っていた。爺様連中には朝の六時に連絡を入れてこの会議の招集を行ったが年寄りは朝が早い、皆起きていたな。

「可能なのだな」
俺とルーゲ伯がリヒテンラーデ侯の問いに頷くと侯がエーレンベルク、シュタインホフに視線を向ける、二人が頷いた。それを見て侯が“良いだろう”と許可を出した。

「暫くの間、不自由かもしれませんが身辺の警備を厳重にしてください」
「分かっている、だがそれは誰よりも卿に言える事であろう。地球教は卿を標的にしているとルーゲ伯からも聞いている」
「十分に注意します、シュタインホフ元帥。しかし向こうも追い詰められれば手当たり次第という事も有り得ます、注意が必要かと」
「うむ」
爺様連中が顔を見合わせてウンザリした様な表情を見せた。相手はキチガイだからな、いざとなれば手当たり次第だろう。厄介な連中だ。

「それと遠征の準備を始めたいと思います。早ければ半年後にはフェザーンで騒乱が発生します。機を逃さずに一気にフェザーン、イゼルローンに攻め込むべきでしょう」
リヒテンラーデ侯が皆の顔を見た。それに応えて皆が頷く、決まりだな。
「良いだろう、それで他には何か有るか」
リヒテンラーデ侯の言葉に答える人間は居なかった……。

会議終了後ルーゲ伯と話し憲兵隊と広域捜査局にはルーゲ伯から連絡をする事になった。命令系統は一本化した方が良いし俺が広域捜査局に連絡するとヴェンデルが気付くかもしれん。用心するに越したことは無い。ルーゲ伯も俺の考えに同意してくれた。結構頼りになる爺さんだ。俺の親父とは親しかったようだがどんな関係だったのだか……、気になるところだな。

宇宙艦隊司令部に戻るとキスリングから連絡が欲しいとメッセージが有った。多分フェザーンの件だろう。丁度良い、こちらも連絡しようと思っていたところだ。だがその前にあの男をここに呼ぶ必要が有る。ヴァレリーに頼んでから会議室に行きキスリングを呼び出した。

『エーリッヒ、待っていたぞ』
「そうか、ギュンター、ボイムラー准将から話は聞いたか?」
『ああ、聞いた。ルビンスキーが寝返ったか、予想外だな』
「狂信者揃いの地球教とルビンスキーでは合わないさ、決裂は当然だろう。まあこっちに寝返るのはちょっと想像はしていなかったが」

付け入る隙が有ると見たのかな、だとすると随分と甘く見られたものだが……。始末するのは難しいかもしれん。取り敢えず受け入れて監視下に置くか……。その上で病死させる。悪性の脳腫瘍だったな、手術ミスは良くあることだ、珍しくも無い。医療ミスを訴える人間は居ないだろう。

『それで、フェザーンだがどうする』
「その件で私も卿と話さなければならないと思っていた。先ずルビンスキーだが彼は味方だ、行方を詮索するのは止めよう」
『良いのか、それで』
訝しそうな表情だ。キスリングはルビンスキーを危険だと判断している。何処かで始末したい、そう思っているのだろう。可哀想な奴だな、ルビンスキー。皆がお前を殺したがっている。俺もだ。

「フェザーンで騒動を起こさせるのが先だ。ここで詮索するとこちらを警戒して動きが遅くなる恐れがある。詮索するのは騒動が起こってからでいい」
『なるほど、先ずは騒動か、……油断させる事にもなるな』
「そうだ、彼を排除するのはその後だ」
キスリングが頷いている。そして表情を改めた。

『こっちも報告する事が有る。ランズベルク伯の事だ』
「何か分かったか」
『後援者が分かった。アルバート・ベネディクト、フェザーンの商人だが極めて評判の悪い男だ』
アルバート・ベネディクト? 原作には出てこないな、何者だ? こいつがルビンスキーと絡んでいるのかな?

『ラートブルフ男爵に聞いたのだが内乱が起きる前は貴族と組んでかなりあくどく稼いでいたらしい。貴族の没落は結構痛手だっただろうな』
「その男はランズベルク伯と組んでいたのか?」
悪徳商人とへぼ詩人? どうもイメージが湧かない、それともランズベルク伯は上手く操られていたのか……。

『いや、二人が出会ったのは内乱後だ、内乱前に繋がりはない。この件についてはランズベルク伯の旧家臣に確認したから間違いはないだろう』
「……」
『アルバート・ベネディクトについて調べたんだが前フェザーン自治領主、アドリアン・ルビンスキーと密接に繋がっていたという噂が有った。念のためボルテック弁務官に確認したよ』
「……それで」
スクリーンに映るキスリングが笑みを浮かべた、冷笑の類だ。

『アルバート・ベネディクトは確かにルビンスキーと繋がっていた。正確に言えばフェザーン自治領主府とだ。彼はフェザーンの裏の仕事を手伝っていたらしい』
「裏の仕事?」
キスリングが頷いた。

『破壊工作とか暗殺、或いは表に出せない交渉だ。彼はフェザーンの非合法な活動の部分を請け負っていたんだ。時には貴族と組んで非合法な事もしていたようだな。それ自体、貴族の弱みを握る事になる』
「……ボルテック弁務官がそう答えたのか?」
『渋々ね、あまり表には出せない事だからな』
「なるほど」

なるほどな、フェザーンの闇の部分を請け負う男か、そういう男が居てもおかしくはないだろうな。原作だとルビンスキーの傍で協力しているのはドミニクぐらいしか出てこない。しかも信頼関係が有るとはお世辞にも言えない状態だ。妙だとは思っていたが……。

フェザーンからの仕事を通じて貴族達の弱みを握りあくどく儲けてきたか、海千山千の喰えない男だろうな。ランズベルク伯が用心深くなるわけだ。当然だが俺の事は面白くは思っていない筈だ。金蔓の貴族を潰されたんだ、帝国に対しても良い感情は持っていないに違いない。

『ベネディクトは現自治領主マルティン・ペイワードとは繋がっている形跡は見えない』
「……」
『偶然かな』
「……」
『こっちがベネディクトの事を調べるのと同時にルビンスキーが卿に連絡してきた』
「偶然とは思えないな」

多分今も二人は繋がっているのだろう。地球教が疑われている形跡が有る、そしてベネディクトの存在を察知されそこから自分の関与が明るみになるとルビンスキーは思ったのだろう。そして俺が地球教に疑いを持っている事も察知した。次第に自分が包囲されていくと思ったわけだ。だから身動きが出来なくなる前に寝返りを決断した……。俺がその事を言うとキスリングは“そんなところかもしれないな”と頷いた。

「アルバート・ベネディクトを見張ってくれ」
『分かった』
或いはルビンスキーはベネディクトとランズベルク伯の二人を騒乱を利用して始末するつもりなのかもしれない。その時は状況次第ではこちらで押さえる事だ。ルビンスキーに引導を渡す道具になるだろう。

キスリングとの電話を終わらせて会議室を出るとヴァレリーに応接室に行ってくれと言われた。どうやら俺がキスリングと話している間にあの男が来たらしい。大分慌てて来たようだな、もしかすると俺に対して苦手意識が有るのかもしれない。

応接室ではシャフト技術大将が俺を待っていた。
「待たせてしまったようですね、シャフト大将」
「いえ、そんな事は有りません。小官も今来たばかりです」
口調が硬いな、昔脅しすぎたかな。

「来てもらったのは大将にお願いが有っての事です」
「と言いますと」
そんなに警戒しなくていい。ルビンスキーが失踪して以来、シャフトに対してフェザーンからの接触は無いとキスリングから報告を受けているんだ。今回だって悪い話じゃない。

「ガイエスブルク要塞にワープと通常航行用のエンジンを取り付けて欲しいのです」
「ガイエスブルク要塞に、……あれを実行するのですか? ……ではイゼルローン回廊に?」
「ええ、そう考えています」
シャフトが唸り声をあげた。イゼルローン要塞攻略、その意味するところが何か、当然だが想像は付く。興奮しているのだろう。

「分かりました、直ちに作業にかかりましょう。それで何時までに終わらせれば宜しいでしょうか」
「そうですね、十月の上旬までには仕上げて欲しいと思います」
シャフトがまた唸った。

「十月ですか、では取り付け作業には四カ月頂けるという事ですな」
「その後運用試験に一ヶ月、最終調整期間として一ヶ月」
「なるほど」
全部で半年だ。ルビンスキーのフェザーン騒乱が何時始まるか分からないが十分に間に合うだろう。

「運用試験はシュトックハウゼン提督が行うことになると思います。その時の運用結果を元に最終調整を行う。宜しいですね?」
「承知しました」
「何か質問は有りますか?」
「いえ、特には」
「では、お願いします」

シャフトは飛び跳ねるようにして部屋を出て行った。興奮しているんだろうな、今度こそ昇進、そんな思いが有るのかもしれない。まあ同盟軍の帝国領侵攻の時はフェザーンの目を晦ますために昇進はさせられなかったからな。今度はその分も評価してやらないと。二階級昇進は無理だが勲章ぐらいは出してやるべきだろう。技術将校で勲章なら喜んでくれるはずだ。



その日の午後、広域捜査局、憲兵隊は協力してオーディンの地球教団支部に強制捜査を行った。地球教団は激しく抵抗、銃火器で広域捜査局、憲兵隊を攻撃した。広域捜査局、憲兵隊が射殺した信者は百名を超えた。負傷した後死亡した信徒、自殺した信徒を入れれば死者は百五十名を超える。逮捕された信者は六十名を超えた。

教団支部長のゴドウィン大主教は捕縛される前に服毒自殺をした。彼から情報を得る事は出来なかったが押収した書類の中から地球教徒がバラ園で、キュンメル男爵邸で俺を暗殺しようとしたことが判明した。強制捜査に先立ち広域捜査局第六課ではアルフレート・ヴェンデルを逮捕しようとしたがヴェンデルは激しく抵抗、最後はヴェンデルも服毒自殺した。ヴェンデルが使用した毒はゴドウィン大主教が自殺に使った毒と同一のものだった。

銀河帝国はその日の内に地球教とその信徒を帝国の公敵と宣言、地球討伐の決定が下された。地球討伐指揮官はアウグスト・ザムエル・ワーレン上級大将が任命された……。



 

 

第二百五十八話 これは戦争だ


帝国暦 489年 6月 7日  オーディン   宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「地球教団支部からはサイオキシン麻薬が発見されました。それと捕縛された者達からもサイオキシン麻薬が検出されています。どうやら信徒達があそこまで頑強に抵抗したのは洗脳されていたからのようです」
「そうですか」

俺が答えるとアンスバッハが頷いた。今日の彼は地球教の捜査状況について報告に来ているのだが表情が暗い。この応接室は何時も暗い話ばかりだな。客をもてなすというより人をウンザリさせるような話ばかりしている。たまには明るい話で笑ってみたいものだ。

「捕えた信徒達ですが社会復帰には時間がかかるでしょう。薬物依存からの更生は簡単ではありません。特にサイオキシン麻薬は常習性が強い、長期に亘り更生施設に入れる必要が有ると思います」
「そうですね」

更生できれば良い、だが出来ない人間も居るはずだ。いや出来ない人間の方が多いだろう。更生の難しさは第三五九遊撃部隊、通称カイザーリング艦隊に居た時に知った。サイオキシン麻薬を手に入れるのは難しいだろうが他の薬物に依存する可能性も有る。気の重い話だ、アンスバッハも遣り切れない様な表情をしている……。

「アルフレート・ヴェンデルの住まいを捜索しました」
「それで、何か出ましたか」
アンスバッハが首を横に振った。案の定だ、所詮は使い捨ての駒の一つだったという事だな……。
「何も出ませんでした。彼には母親が居たのですが最近人が変わったようだと心配していたそうです」
「……」

これも遣り切れない話だ。人が変わっただけじゃない、息子が薬物中毒で帝国の敵と認定された組織の一員だと知った母親はどう思ったか……。事態が動いたのは事実だが潜入捜査は認めるべきじゃなかった。アンスバッハとフェルナーの前では言えないが潜入捜査を認めたのは俺の過ちだろう。そうなる危険性が有ると認識していたのだから……。

「潜入捜査員はあと二人いますね」
「はっ」
「おそらくは彼らもサイオキシン麻薬を投与されているでしょう。上手く保護出来れば良いのですが……」
せめて彼らだけは何とか助けたいが……、難しいだろうな、アンスバッハも苦しそうな表情をしている。

「申し訳ありません。閣下の危惧が現実となりました。小官とフェルナー准将の認識が甘かったと思います」
「いや、決断したのは私です。そしてそれによって事態が動いたのも事実、犠牲に見合うだけの戦果は得た、そう思いましょう。必要な犠牲だったのです」
「……」
嫌な言い方だ。だがそれ以外には言い様が無い。苦しんでいるのは俺だけじゃない、アンスバッハもそして此処にはいないフェルナーも苦しんでいるはずだ。そう思って前に進むしかない。

「サイオキシン麻薬ですが入手先は地球だと判明しました。地球が購入している形跡は有りません。おそらくは地球そのものがサイオキシン麻薬の製造を行っているものと思います」
「……」
今の地球は何の産業も無い星だ。あそこに行くのは巡礼者と物好きな観光客くらいのものだろう。サイオキシン麻薬の製造など容易い事だったに違いない。

「残念ですが押収した資料の中に地球とフェザーンの関係を示すものは有りませんでした」
「……」
「やはりゴドウィン大主教が自殺したのが痛かったと思います。彼が生きていれば情報が得られたはずですが」

「他の人間からは情報は得られなかったのですか」
「残念ですが……」
アンスバッハの表情が苦みを帯びている。最も肝心な部分が聞き出せなかった、そう思っているのだろう。実際、原作でも情報はゴドウィンからの自白だった。

「仕方ないですね、それについては地球で入手出来る事を期待しましょう。ワーレン提督は明日地球に向けて出発しますがそちらの用意は出来ていますか」
アンスバッハが頷いた。
「地球への同行者は既に選出済みです。地球に於いて情報収集を行う者二十名、それと艦隊司令部の護衛に十名、計三十名が同行します」
「……」

大丈夫かな、まあ大丈夫だろう。
「反乱軍、いや自由惑星同盟ですがそちらに送る資料についてはフェルナー准将が今纏めています。明日には閣下にお渡し出来るでしょう」
「分かりました」
同盟がどう動くか……。あちらは帝国よりも信教の自由について煩いからな。或いは混乱するかもしれん。あとはワーレン達が何を見つけてくるかだな……。

「閣下、憲兵隊、広域捜査局は協力して国家の要人の警護を行っていますがこれには本人の自覚が何よりも必要です。充分に注意してください」
「……分かりました、注意します」
アンスバッハは俺をじっと見てから頷いた。心外だな、俺は余程に思慮分別の無い若造だと思われているらしい。一応女房持ちなんだ、自覚という言葉の意味ぐらいは分かるぞ。

何か分かったらまた報告に来ると言ってアンスバッハが帰ると入れ替わりにワーレンがやってきた。明日は出撃だからな、挨拶にでも来たのだろう。
「閣下、明日出撃しますので御挨拶に伺いました」
「御苦労ですね、急な事で大変かと思いますが宜しくお願いします」
「はっ」

予想通りなのは良いんだがそんな硬くならないでくれ。俺達は巡察部隊以来の仲じゃないか、そう言いたいんだけどな。ワーレンはあの当時の話しをあまり周囲にはしていないらしい。まあ艦の操作なんてまるで分からなかったからワーレンにおんぶに抱っこだった。俺の名誉にはならないと控えているのかもしれん。或いはあの事件の所為かな、宮中が絡んでいるから口を噤んでいるのか。もう気にしなくて良いんだけど、律儀だからな……。

「地球では地球教団の壊滅は当然のことですが情報の収集も重要な任務となります。広域捜査局と協力して任務を遂行してください」
「はっ」
「それと地球教は軍事力が有りません。それだけにテロなどでこちらを混乱させようとします。司令部には一応広域捜査局の護衛を付けますが十分な注意が必要です、気を付けてください」
うん、これで良いかな。後は本人の運次第だろう。

「御配慮、有難うございます。司令長官閣下も身辺には十分にご注意ください」
「そうですね、気を付けましょう」
変だな、ワーレンも俺をじっと見ている。俺ってそんなに注意力散漫に見えるのかな。



帝国暦 489年 6月 7日  オーディン   宇宙艦隊司令部  トーマ・フォン・シュトックハウゼン



「妙なものが出てきましたな、副司令長官」
「全くだ、地球とは一体どうなっているのか……。卿は地球についてどの程度の事を知っているかね?」
困惑したような表情でメルカッツ副司令長官が問い掛けてきた。

「人類発祥の地、そんなところですな。最近妙な宗教が流行っているとは思っていましたが……」
「私も似たようなものだな」
私も首を傾げているがメルカッツ副司令長官も首を傾げている。副司令長官室で老人二人が首を傾げているのだ。全くもって妙なものが飛び出してきた。

「この騒ぎ、何時頃まで続くと思われますか?」
「さて、二ヶ月か三ヶ月、そんなところでは無いかな。地球討伐もワーレン提督で決まっている、それほど長引くとは思わんが……。何か有るのかな、シュトックハウゼン提督」

「実はガイエスブルク要塞ですが……」
「?」
「あれにワープと通常航行用のエンジンを取り付けるというのです。シャフト技術大将が行うとの事ですが小官がその運用責任者を命じられました。イゼルローン要塞攻略に使用するとの事ですが……」
私の言葉に副司令長官が何度か頷いた。心当たりが有るようだ。

「なるほど、あれか」
「ご存知ですか?」
メルカッツ副司令長官が頷いた。
「以前からその話は有った。ガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊に持って行く、或いはフェザーン回廊に持って行くという話だ。だがそれは軍事作戦ではなく反乱軍、フェザーンに対する謀略の一環としてだった。だから我々も詳しくは知らない。話だけかと思っていたが実際に行うとは……」
なるほど、謀略の一環か……。

「司令長官から聞いた時には混乱しましたがイゼルローン回廊内に根拠地を作ろうという事でしょうかな?」
「かもしれん、長期戦が可能となれば反乱軍に対する圧力は決して小さくは無い」
「なるほど」
要塞に有る損傷艦の修理機能、負傷者の収容能力、補給、通信能力か……。確かに過小評価は出来ない。頷いているとメルカッツ副司令長官が微かに笑みを浮かべた。

「或いは要塞主砲を利用しようというのかもしれんな」
「イゼルローン要塞を攻撃するという事ですか」
「うむ、要塞主砲で損害を与えたうえで艦隊による力攻めを行う、攻略の可能性は通常の力攻めよりも遥かに高いだろう。反乱軍の艦隊も出撃は難しくなるはずだ、安易に出撃すれば要塞主砲の標的になるからな」
「そうですな」

それかもしれない、根拠地として使用するよりも要塞攻略兵器として要塞を使う。要塞には要塞を以って戦うという事だ。副司令長官の言う通り艦隊を以って戦うよりは遥かに攻略の可能性は高いだろう。私もイゼルローン要塞司令官を務めた時、要塞主砲の威力の強大さには感嘆よりも溜息を吐いたことが有る。

「取り付けは何時頃終わるのかな?」
「作業には四ヶ月ほどかかるそうです。その後小官の運用試験と微調整で約二ヶ月を想定しています」
「半年か……、半年後には遠征が可能になるという事か」
「そうなりますな」
メルカッツ副司令長官が顎に手をやって考え込んでいる。

「なるほど、時間に余裕が無いな」
「ええ、半年後に遠征なら地球教への対応は遅延を許されません」
遠征の準備にはどう見ても二ヶ月から三ヶ月は必要だ。地球教への対応に手間取れば遠征の準備にも影響が出る可能性が有る。それとも要塞は準備だけなのか? 遠征そのものは未だ決まっていないのだろうか?

「遠征はもっと先だと思われますか?」
「……この時期に地球教を叩くのは遠征前に不安要因を取り除いておこうというのではないかな。だとすれば遠征の時期は年内とは行かぬかもしれんが年明け早々に行う可能性は有るだろう」
「なるほど」

遠征に出れば長期に亘って軍は国内を留守にする。つまり国内の軍事力、警察力は低下するのだ。遠征の前に不安要因を取り除いておくという副司令長官の考えには十分に根拠が有るだろう……。



宇宙暦 798年 6月 10日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



「厄介な事になった」
トリューニヒトが手に持っていた書類を机に放り投げた。渋い表情をしている。
「どうした、何か気になる事でもあるのか」
「オーディンの地球教徒はサイオキシン麻薬を使用していたそうだ」
「サイオキシン麻薬?」

私とホアンの声が重なり思わず彼と顔を見合わせた。ホアンは信じられないといった表情をしている、おそらく私も同様だろう。
「何かの間違いじゃないのか、あれは危険だと口に出すのも愚かなくらい危険だろう」
「信徒達はそれを使って洗脳されていたらしいな。帝国は地球教は同盟でも同じ事をしている可能性が有ると警告している」

評議会議長の執務室に沈黙が落ちた。トリューニヒト、ホアン、そして私……、皆押し黙ったまま顔を見合わせている。
「一体何が有ったんだ、それに何が書いてある?」
トリューニヒトが放り投げた書類をホアンが顎で指し示した。帝国のレムシャイド伯から送られてきたメールに添付されていた文書を印刷したものだ。

「オーディンの地球教団支部を帝国が強制捜査したらしい」
「強制捜査? ではあの報道は真実なのか?」
「部分的には真実だろう」
トリューニヒトがホアンの問いかけに顔を顰めて頷いた。昨日、マスコミの一部が帝国が地球教団を弾圧していると報道した。大勢の信徒が理由も無く殺されたと報じていたが……。

「地球教徒がヴァレンシュタイン元帥暗殺を謀った疑いが有ったようだ。強制捜査を行ったが地球教はかなり激しく抵抗したようだな。教団側の死者は百五十名を超えたと書いてある」
「百五十? それが捜査なのか? 戦争の間違いだろう」
ホアンの驚いたような声にトリューニヒトが頷いた。
「地球教徒は銃火器で抵抗したそうだ、市街戦に近かったのかもしれん。ちなみに捕虜は六十名を超えている」

ホアンが溜息を吐いた。
「銃火器で抵抗? まるで軍隊だな。捕虜より死者の方が多いとは……」
「帝国側も三十名程が死んでいる。容易ならぬ事態だ」
容易ならぬ事態、その通りだ。地球教徒が市街戦を行う? 死者は百五十名? 馬鹿げている、到底信じられない。

「教団支部を制圧後、押収した資料の中に地球教団がヴァレンシュタイン元帥の暗殺未遂事件に関与した証拠が有ったそうだ」
何のためにヴァレンシュタイン元帥を暗殺しようとしたかは問うまでも無いだろう、帝国を混乱させるためだ。

「フェザーンとの関係は? 帝国と同盟を共倒れさせようとしている証拠は見つかったのか?」
私の質問にトリューニヒトは首を横に振った。
「残念だがそれは無かったそうだ」
「そうか……」

ホアンに視線を向けたが彼も首を横に振っている。事態は進んでいるのだろうが必ずしも良い方向に進んでいるとはいえない。肝心なところが分からない。
「帝国は地球教団を帝国の公敵と認定した。地球討伐のため艦隊が派遣される事になった」
「帝国は本気で地球教を潰すという事か」
「その通りだよ、ホアン」

少しの間、執務室には沈黙が有った。
「トリューニヒト、昨日からマスコミの一部は帝国が地球教団を弾圧していると報道している。同盟政府の見解を聞きたいという質問も出ている。今のところは調査中で答えられないと回答しているが……、どうする?」

トリューニヒトが考え込む姿を見せた。人差指でコンコンと机を叩いている。信教の自由が絡むだけに厄介な問題だ。十回ほど叩いてから口を開いた。
「こちらも捜査に踏み切ろう」
“いいのか”と問い掛けるとトリューニヒトは無言で頷いた。トリューニヒトも本気になったという事か……。

「その方が良いだろう。ヴァレンシュタイン元帥暗殺だけなら帝国と地球教の問題だ。だがサイオキシン麻薬を使用しているとなれば話が違う。見過ごしには出来ない」
ホアンの発言にトリューニヒトが憂欝そうに首を横に振った。

「それも有るがこのままでは帝国を追われた地球教徒が大挙して同盟に押し寄せるだろう。連中はもう後が無い、この国で一体何をしでかすか……。強制捜査で地球教を叩く、連中に同盟に行くのは危険だと思わせなければ……」
苦い口調だ。なるほど、そちらの方が危険か。放置すればテロリストを抱え込む様なものだ。

「捜査には憲兵隊を使う。警察では対応できない危険性が有るからな」
「まるで戦争だな、トリューニヒト」
僅かだが揶揄が入っていたかもしれない。だがトリューニヒトは怒らなかった。珍しいほどに生真面目な表情で答えた。
「その通りだよ、レベロ。これは戦争だ、地球教を甘く見る事は出来ない……」
トリューニヒトの言う通りだ、厄介な事になった……。









 

 

第二百五十九話 末路


宇宙暦 798年 6月 11日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



TV電話のスクリーンには最高評議会ビルのプレスルームが映っている。大勢の記者、TV局が集まりスクリーン越しでもざわめきと熱気がこのトリューニヒトの執務室に伝わってくるようだ。
「そろそろかな、レベロ」
「そろそろだな、ホアン。夕方のニュースには間に合うだろう」

我々の会話が終わると同時にトリューニヒトとアイランズ国防委員長がプレスルームに現れた。それと同時にフラッシュがパチパチと焚かれた。二人が眩しそうなそぶりも見せずに壇上に上がる。フラッシュが止まった。それを確認してからトリューニヒトが話し始めた。何時もの愛想の良い表情ではない、表情に沈痛さを浮かべている。この役者め。

『本日、同盟政府は地球教団ハイネセン支部に対して強制捜査に踏み切りました』
その瞬間、またフラッシュが焚かれた。眩しい光にスクリーンが包まれる。トリューニヒトが手を上げるとフラッシュがやんだ。
『地球教団が暴力主義的破壊活動を行ったのではないかと思われる疑いが有ったからです』
ざわめきが起きた。暴力主義的破壊活動、多くの記者が国内保安法を考えたに違いない。

『地球教団は捜査に対し銃火器を以て抵抗しました。教団、そして捜査に当たった憲兵隊の両者に大きな犠牲が出ています。詳細についてはアイランズ国防委員長から説明します』
トリューニヒトが視線をアイランズに向けるとアイランズが頷いた。

『地球教団は憲兵隊による捜査を拒み教団内部への立ち入りを妨害しました。憲兵隊は妨害を排除して中に入ろうとしましたが地球教団が銃火器を以て抵抗したため憲兵隊もこれに応戦、制圧しました。憲兵隊が射殺した信者は八十名を超えています。負傷した後死亡した信徒、自殺した信徒を入れれば死者は百二十名を超え、今なお増え続けています。逮捕された信者は五十名を超えました。なお、無傷で逮捕された信者は居ません。そして憲兵隊の被害ですが約四十名が死亡、負傷者は六十名を超えます』
プレスルームがシンと静まり返った。多くの人間が顔を見合わせている。地球教徒、憲兵隊、両者合わせて三百名近い人間が死傷している。皆何を言って良いのか分からないのだろう。質問が出たのはしばらくしてからだった。

『トリューニヒト議長、帝国で地球教が弾圧され同盟でも地球教が弾圧と言って良い捜査を受けました。これは関連が有るのでしょうか?』
眼鏡をかけた神経質そうな感じの若い男が質問してきた。口調も幾分詰問調だ。政府のやる事は非難するのが当然と考えているのだろう。帝国の尻馬に乗って、とでも思ったか。マスコミに良くいるタイプの男だ。

『我々が強制捜査に踏み切ったのは帝国より或る資料が送られてきたからです』
プレスルームがざわめいた。
『その資料には帝国が地球教団を帝国の公敵として認定した事とその理由、更に捜査の状況が記されていました。帝国は地球教団が帝国だけではなく同盟にとっても危険である、そう考えて資料を送って来たのではないかと私は判断しています』
ざわめきが更に大きくなった。

「随分と騒いでいるな」
「当然だろう、ホアン。帝国も同盟も地球教を認めないと言ったも同然だからな」
「まあそうだな」

『それは一体どういう内容の資料なのでしょうか』
今度は別な男だ。興奮して喰い付きそうな表情をしている。
『帝国政府が地球教団に対して強制捜査に踏み切ったのは地球教団が帝国軍宇宙艦隊司令長官、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥の暗殺を計画しているのではないかという疑いを持ったためです』
どよめきが起こった。地球教団が帝国屈指の実力者を暗殺しようとした、大ニュースだろう。

『強制捜査の結果、帝国でも地球教団は銃火器を用いて抵抗し教団関係者約百五十人が死亡、政府側でも三十人程が死亡したようです』
彼方此方から溜息のような音が聞こえる。同盟でも帝国でも異様としか言いようの無い事件が起きた。どう判断して良いのか戸惑っているのかもしれない。

『制圧後押収した資料から帝国は地球教団がヴァレンシュタイン元帥の暗殺を計画していた事、更に過去二回有った暗殺未遂事件、一度は内乱勃発時、もう一度は内乱終結後に起きたものですがその二つの事件にも地球教団が密接に関与していた証拠を得たようです』
プレスルームがざわめいた。同盟でもあの内乱勃発時の暗殺未遂事件は大きく報道された。出兵騒ぎの原因でもある。

『ヴァレンシュタイン元帥は軍の重鎮というだけでなく現在帝国で行われている改革の推進者でもあります。帝国では地球教団は帝国を混乱させるために元帥を暗殺しようとしたのではないか、そう分析しています。私もその分析は正しいと思っている』

『何のために混乱させるのです、その目的は?』
姿は見えないが、若い女性記者の声だ。
『それについては現在調査中のようです。何か分かればこちらに連絡が有るでしょう』
地球討伐でフェザーンとの関係が見えてくれば……、だがその時には天地がひっくり返るほどの騒ぎになるだろう。今日の会見など子供騙しにもならない。

静まり返る中、最初に質問した眼鏡がまたトリューニヒトに問い掛けてきた。
『先程トリューニヒト議長は地球教団が暴力主義的破壊活動を行った疑いが有ると言われましたがそれはヴァレンシュタイン元帥の暗殺の事でしょうか?』
意気込んでいるな、帝国元帥の生死など同盟にとっては暴力主義的破壊活動とは関係無いとでも言いたいのだろう。だがトリューニヒトはそうではないと言うように首を横に振った。

『帝国が送ってきた資料には他にも看過出来ない事が書かれていました』
トリューニヒトの言葉にプレスルームがざわめいた。相変わらず演出が上手いな、観客を惹き付ける術を良く知っている。ホアンに視線を向けると彼も肩を竦めて苦笑を浮かべた。

『地球教団支部からサイオキシン麻薬が発見され信徒達からもサイオキシン麻薬の摂取が確認された。信徒達が狂信的ともいえる抵抗を示したのはサイオキシン麻薬の投与による洗脳が原因であると』
プレスルームに大きなどよめきが起こった。記者達が興奮して口々に何かを喋っている。“馬鹿な”、“有り得ない”だろうか。

トリューニヒトがまた手を上げて騒ぎを止めた。そしてプレスルームをゆっくりと見回す。
『同盟政府は同盟市民の生命の安全とその基本的人権の尊重を守らねばなりません。サイオキシン麻薬の危険性は言うまでも有りません。地球教団がそれを信徒に与える、それを利用して同盟市民を洗脳している等という事は断じて見過ごすことは出来ない、許すことは出来ない。強制捜査は同盟市民を守るために必要な処置であったと確信しています』
プレスルームがシンと静まった。

『それで、サイオキシン麻薬は……』
メガネが食い下がる。トリューニヒトに変わってアイランズが答えた。
『教団支部からはサイオキシン麻薬は発見されませんでした。しかし信徒達からはサイオキシン麻薬の摂取が確認されました。地球教団がサイオキシン麻薬を投与する事で信徒達を洗脳しているのは間違いない事だと思われます』

プレスルームの記者達が彼方此方で頷いている姿が見える。どうやら連中にも地球教団が危険であることが分かっただろう。
『ここに同盟政府は次の事を宣言します。地球教団は宗教団体に非ず、同盟市民の安全と基本的人権の尊重を踏み躙る暴力主義的破壊活動を行っている反社会的な武装集団であると。よって同盟政府は地球教団に対し国内保安法を適用し教団の活動の停止、即時解散を命じます』
トリューニヒトの発言の終了と共にフラッシュが焚かれスクリーンが眩しい程の光で包まれた。


トリューニヒトが戻ってきたのは会見が終了してから十五分ほど経ってからだった。
「遅かったじゃないか、引きとめられたのか?」
私が問い掛けるとトリューニヒトが苦笑を浮かべた。
「しつこいのが居てね、参ったよ」
眼鏡かなと思ったが口にはしなかった。

「なかなか良い会見だった。市民を守る議長の苦渋の決断が良く表れていたよ。同盟市民も感動しただろう」
「同感だな、これでまた支持率がアップだ」
「有難う」
ホアンと私が冷やかすと益々トリューニヒトの苦笑が大きくなった。まあ支持率が上がれば政局の運営はし易くなるのは確かだ。悪い話じゃない。

「記者達も大分ショックを受けていたようだな」
「ああ、私は彼らの前に居たからね、反応が良く見えた。彼らの顔には地球教に対する恐怖心が有ったよ。これまでは妙な教団だとは思っていただろうが恐ろしさは感じていなかった筈だ。騙されたという怒りも有るだろう」

「私自身、連中には怒りと恐怖を感じている。あのまま憂国騎士団との関係を維持していればどうなっていたか……。寒気がするよ」
トリューニヒトの顔にはまぎれも無く嫌悪と憎悪の色が有った。ホアンに視線を向けると彼は何とも言えない様な表情をしている。執務室に重苦しい空気が落ちた。ちょっとの間をおいてホアンが咳払いをして話しかけた。

「……アイランズは如何したのかな? 随分と遅いが」
「いや、彼は国防委員会に戻ったよ、屋上からヘリでね」
「……」
「どうも気になる事が有るらしい。教団からの押収物に不審なものがあったようだな、確認したのだがもう少し待ってくれと言われた……」
もう少し待ってくれと言われた? 妙な話だ、一体何を見つけたのか……。トリューニヒトが困惑した様な表情を浮かべていた。



帝国暦 489年 6月 13日  オーディン   広域捜査局第六課   アントン・フェルナー



「反乱軍でも地球教に対して捜査が始まったか」
『そうだね、向こうでも大分激しく抵抗したらしい。百人以上の信徒が死んだようだ。とんでもない連中だよ』
とんでもない連中だ、広域捜査局、憲兵隊も約三十人が犠牲になった。負傷者はその倍以上だ。強制捜査とは言っているが実態は市街戦以外の何物でも無かった。

『だがこれで同盟も同盟市民も地球教が危険だと認識した。同盟政府は地球教に対して活動の停止と教団の解散を命じたよ』
「これで地球教は帝国でも同盟でも非合法の組織となったわけだ」
スクリーンに映るエーリッヒが頷いた。そして微かに微笑む。

『どうやらルビンスキーに上手くしてやられたようだね』
「ルビンスキー? どういうことだ?」
今度は声を上げてエーリッヒが笑った。
『帝国、同盟の両国で地球教団は弾圧された。そして本拠地の地球も攻撃を受けようとしている。彼らは今後どうするかな?』

「大人しく解散すると言うことは無いな。地下に潜り反撃の機会を窺うだろう」
エーリッヒが頷いた。
『そうだろうね。先ずは地球に代わる新しい根拠地を必要とするはずだ。帝国も同盟も地球教団を敵と認識した。根拠地を構えるには不適当だろう、となれば……』
「フェザーンか……」
エーリッヒがまた頷いた。

「なるほど、フェザーンで騒乱を起こそうとしているルビンスキーにとっては格好の道具だな」
エーリッヒが微かに笑みを漏らした。何処か怖いと思わせるような笑みだ。何時の間にか権力者の笑みが似合うようになったな……。

『ルビンスキーは帝国が地球教を疑っていると察知した。フェザーンの背後に地球教が有るのではないかと疑っていると察したんだ。我々がその件で同盟と協力している事も想定していたかもしれない。そして同盟では主戦派のクーデターが失敗していた』
「……同盟を地球教団がコントロールすることなど不可能だと判断しただろうな」
俺の言葉にエーリッヒが頷いた。

『いずれ地球教団は弾圧される、弾圧された地球教団がフェザーンへ逃げて来るだろうと判断するのは難しくない。そうなればフェザーンは不穏分子の巣窟になるだろう。帝国も同盟もそれを許すほど甘くはない、ルビンスキーはそう考えたはずだ。自分の身が危険だと考えた、場合によっては地球教団が自分を生贄にして生き残りを図るかもしれないと考えたかもしれない』

「なるほど、ルビンスキーにとって地球教団がフェザーンに来ることは百害有って一利無しか……」
『その通り、自分一人なら逃げられるだろうが地球教が来ては共倒れになりかねない、そう考えたんだ。だから寝返った』

「……ルビンスキーにとって地球教団は邪魔以外の何物でも無かった……」
『地球教団は自分達こそがルビンスキーの主だと思っていただろうけどね』
エーリッヒの声には皮肉が満ちていた。傲慢は馬鹿と同義語か、かつての門閥貴族がそうだった。傲慢故に現実が見えなくなっていた。

『ルビンスキーは帝国がフェザーンに攻め込みたがっている事、その名分を欲しがっている事を見抜いていたと思う。寝返ればそれが条件として求められるとね』
「地球教団がフェザーンに根拠地を置こうとするのは止められない。ならばそれを利用しようと考えた……」

『その通りだ。地球教団は後が無い、ちょっと追い詰めれば、いや追い詰められたと思わせれば簡単に暴発するだろう。その後は帝国軍が彼らを始末する。ルビンスキーは自らの手を汚すことなく邪魔者を始末できるんだ。しかもフェザーン侵攻の名分を帝国に献上してね。教団は滅びルビンスキーは生き残る……』

会話が途絶えた。エーリッヒは穏やかに笑みを浮かべている。一体何を考えているのか……。
「エーリッヒ、ルビンスキーの始末だが……」
『焦ることは無いさ、今回は上手くしてやられたがこちらも不利益を被ったわけじゃない。地球教団は叩けたしフェザーン侵攻の名分ももう直ぐ手に入る』

「ではその後か……」
エーリッヒがゆっくりと首を横に振った。
『用心しているよ、ルビンスキーは。騒乱の最中、その後は一番危ういところだからね。彼を始末するのはその後の方が良いだろう。帝国軍がハイネセンに攻め込んだあたりかな』

「皆の視線はハイネセンに向いているだろうな」
『地球教団の残党か、或いは彼の裏切りを許せなく思うフェザーン人か、彼を恨んでいる人間を探すのは難しい事じゃない』
確かに難しい事じゃない。問題はルビンスキーの始末だな、一度ギュンターと話す必要が有るだろう……。





 

 

第二百六十話  名簿



宇宙暦 798年 6月 15日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



「それで、何の用だ?」
「少し待ってくれ、レベロ。もう直ぐアイランズが来る、彼が君達を呼んでくれと言っているんだ」
トリューニヒトの言葉にホアンと顔を見合わせた。アイランズの用件か、となると地球教かな。そう言えば何かを見つけたと言っていたが何らかの進展が有ったという事か……。

「長くなりそうかな?」
「かもしれない、ソファーに座って待とう」
「だそうだ、ホアン」
「なるほど、待たせてもらおうか」
三人でソファーに座りアイランズ国防委員長を待つ。急いでいるはずだ、それほど待つ必要は無いだろう、とりとめのない話で時間を潰した。最近話題になっている映画の話だ。

アイランズがトリューニヒトの執務室に入って来たのは十分程経ってからだった。どうやら走ってきたらしい、少し息が切れている。
「遅くなりました、申し訳ありません」
「構わない、座ってくれ、何が有った」
トリューニヒトの言葉に
「いささか厄介な事が判明したかもしれません」
と答えながらアイランズが座った。厄介な事? トリューニヒト、ホアンと顔を見合わせた。二人も厳しい表情をしている。

「地球教団の押収物から名簿と思われるものを発見しました」
「名簿? 地球教の信徒を記したものか? それなら大手柄だが」
地球教団がどれほどの信徒を抱えていたのか、はっきりした事が分からずにいる。それが分かったのかと思ったがアイランズが首を横に振った。

「そう思ったのですがどうも違うようです、レベロ委員長」
違う? 信徒の名簿ではないのか? では何の名簿だ? トリューニヒトもホアンも訝しげな表情をしている。気が抜けたのかもしれない、二人の表情に先程までの厳しさはない。

「確かに捕殺した信徒の名前も有りました。その所為で最初は信徒の一覧だと思ったのですが地球教とは全く関係の無い人間、それと行方不明の人間の名前も有ったのです。いやどちらかといえば教団とは関係ない人間の名前の方が多かったのですよ……」
「間違いないのかね、それは」
トリューニヒトが問い掛けるとアイランズが頷いた。

「間違いありません、議長。憲兵隊が何度も確認したのです。地球教との関係も無ければサイオキシン麻薬の反応も有りませんでした。どう見ても地球教とは無関係としか判断できない」
「分からんな、何の名簿だ、それは。たまたまそこに有っただけ、意味の無い名簿なのか?」
ホアンの発言にアイランズが首を横に振った。

「違うと思います」
「と言うと?」
「調べて行くうちにその名簿には共通点が有る事が分かったのです」
共通点か、アイランズはその共通点を問題視している……。

「共通点と言うと?」
「その全員がある企業グループに所属していた、或いは所属していた過去が有ったのですよ、ホアン委員長」
トリューニヒト、ホアンと顔を見合わせた。二人ともまた厳しい表情をしている。今度はトリューニヒトがホアンに代わってアイランズに問いかけた。

「ある企業グループと言ったな? 一体何処かね?」
「それが、フレアスターグループなのです」
フレアスターグループ? 同盟でもかなり大きな企業グループだ。兵器、家電、金融、化学、物流、様々な分野に進出している。トリューニヒトが私を見ている、気持ちは分かる、例の件が見えてきたのかもしれない。

「偶然だと思うかね」
トリューニヒトの問い掛けにアイランズは首を横に振った。
「その名簿に名前の載っている人間ですが殆どが独居者、或いはここ数年の間に結婚しています」
「……」

少しの間、沈黙が落ちた。アイランズが我々に順に見回した。
「私はその名簿は信者の名簿では無く信者の候補者の一覧だった可能性が有ると思っているのです」
「……」
誰かが唾を飲む音が聞こえた。ホアンか、トリューニヒトか……。

「サイオキシン麻薬を投与すれば当然ですがその人格、行動に変化が生じます。それを知られぬためには……」
「家族との接点の無い人間を選ぶのがベストか……」
「はい」
トリューニヒトが私とホアンを見た。

「どう思う? アイランズ委員長の考えは?」
「有り得るだろうな」
私が答えるとホアンが頷いた。それを見てトリューニヒトも頷く。独居者を中心に信徒を増やしたか、事実なら上手い手を考えたものだ。

「真実が知りたいな、真実が……。もしそれが本当に候補者のリストなら誰がそれを用意したのかという疑問が出る。一企業ならともかくグループとなると……」
「グループ内でもそれなりの影響力を有している人物という事になるな。個人情報を調べたうえで選別したのだ」
トリューニヒトと私の遣り取りに残りの二人も頷いた。

「例の協力者の末裔かな? レベロ、君はどう思う?」
「可能性は有るだろう。フェザーンを作った人間の末裔が地球教に協力していても不思議ではない」
トリューニヒトが頷きながらアイランズに視線を向けた。厳しい表情をしている。

「名簿の作成者を追ってくれ、必ず見つけ出すんだ」
「分かりました。念のため捕殺した教団信徒に他の企業グループとの繋がりが無いか、憲兵隊が今確認しております」
「そうだな、一つだけとは限らんか」
なるほど、可能性は有るだろう。候補者の名簿は一つだけだったとは限らない、他の名簿は破棄された可能性も有る。

「それと行方不明の人間ですが或いは既に信徒になっており地下に潜っているとも考えられます。放置すればテロ活動を行う危険性も有るでしょう。憲兵隊に行方を追わせています」
「うむ」
こちらも可能性は有る。本拠地は叩いたがまだまだ安心は出来ない、しかしほんの僅かだが地球とフェザーンの繋がりが見えてきたようだ……。



帝国暦 489年 6月 16日  オーディン ウルリッヒ・ケスラー



ドアを開けて店の中に入るともわっとした煙草の匂いが鼻を突いた。店の中は光の乏しさと煙で決して視界が良好とは言えない。ビリヤードをしている客は決して多くは無い、テーブルも幾つかは空いている。だが店の中の煙草の煙は決して弱くはない、軍服に付くだろう。ここに来た翌日は必ず軍服を替える事になる。

マスターに視線を向けると向こうもさりげなくこちらに視線を向けてきた。微かに目礼して頷く、どうやら相手は先に来ているようだ。そのままゆっくりと奥へと向かう。突き当りのドアを開ければ緩やかな曲線を描く螺旋階段が有る。一階はプールバーだが二階はシングルスバーだ。そして地下一階が物置でその下は何もない事になっている。

ドアを開けて螺旋階段に出た。おそらくプールバーの人間は私が二階のシングルスバーに向かったと思っているだろう。だが私は階段を上らずに下に降りた。地下一階の物置部屋、ドアには電子キーが付いている。この電子キーの暗証番号を知っているのは一部の人間だけだ。或る組織に所属する者、皇帝の闇の左手と言われる人間達……。

電子キーの暗証番号は月に一度、陛下の指示を受け私が変更する。変更の手続きを行うのはプールバーのマスター、当然だが彼も我々の組織の一人……。いや、二階のシングルスバーの責任者も組織の一員だ。そしてこの建物自体、皇帝の闇の左手が持つ施設の一つだ。

暗証番号を押しキーを解除してから中に入る。そして真っ直ぐに歩き突き当りのドアを開けるとまた階段だ。但し今度は螺旋階段ではない、下に降りるだけの一方通行の階段だ。その階段をゆっくりと降りる。この建物には無い筈の地下二階が顔を表す。

地下二階、行き止まりだ、その下は何も無い。鉄製の重厚なドアが有るが鍵は何一つ付いていない。万一、部外者がここまで来てもその不用心さに使用していない部屋だと思うだろう。だが部屋の中では外に人が居るのを知っているはずだ。あの地下一階の電子キーを解除した時点で地下二階にも通知がいく事になっている。いやその前にプールバーのマスターは私が下に向かった事を知らせているはずだ。

重く頑丈なドアを開け中に入る。部屋の中では四人掛けのテーブルにキスリングが腰かけて私を待っていた。
「待たせたかな?」
「いいえ、私も五分ほど前に来たところです。コーヒーが出来るまでもう少しかかるでしょう。冬なら堪えがたいところです」
「そうだな」

テーブルの上のコーヒーメーカーから微かにコーヒーの香りが漂う。帝国製のものではない、フェザーン製のものだ。民生品では帝国はフェザーン、自由惑星同盟に及ばない。情けない話だ。

キスリングの正面に腰を下ろした。それを待ちかねたようにキスリングが口を開いた。
「厄介な連中です」
「……」
「ワーレン提督が旗艦サラマンドルで襲われました。幸い同乗していた広域捜査局の人間が取り押えましたが……」

「その話は聞いている。確かに厄介な連中だな、何時の間に艦隊に乗り込んだのか……」
まして乗り込んだのが旗艦サラマンドルだ。艦隊司令官達は皆が地球教に対して言い様の無い薄気味悪さを感じている。

「取り押さえる際、広域捜査局の人間が一名死亡しました」
「死亡?」
驚いて私が問い返すとキスリングは頷いた。
「ナイフで足を切られたようです。毒が塗ってあったのですな。気付いた時には手遅れだったとか。フェルナー准将から聞きました」

「その話は聞いてないな、宇宙艦隊では一言もそんな話は出ていないが……」
キスリングが首を横に振った。
「広域捜査局がその件を伏せて報告しました」
「伏せた?」
今度は頷いた。フェルナーが伏せたのではない、広域捜査局が伏せた。どういうことだ?

「ワーレン提督の暗殺は未然に阻止出来た以上、地球討伐に関しては問題無し、敢えて報告には及ばない、そういう事です」
「馬鹿な、何を考えている。広域捜査局はヴァレンシュタイン司令長官に隠し事をする気か!」
キスリングが無表情に私を見ている。卿はそれを見過ごすというのか、何を考えている、キスリング。

「地球教の件では既に広域捜査局、憲兵隊からかなりの死傷者が出ています。これ以上は司令長官に負担をかけたくないと……」
溜息が出た。
「隠し通せると思っているのか、卿らは。確かにこの問題の責任者は司令長官だ。予想外に死傷者が出ているのも事実、だからと言って……」
最後まで話せなかった。

「地球への潜入捜査は反対するヴァレンシュタイン司令長官をアンスバッハ、フェルナー両准将が強引に説得する形で行われました。結果は司令長官の危惧が当たりました。捜査員は地球教の手先となって帰ってきた。事態が動いたとはいえその事でヴァレンシュタイン司令長官が苦しんでいるのは事実です」
「……」

「その事で広域捜査局が司令長官から責められた事は有りません。そしてワーレン提督の護衛は司令長官からの依頼でした。この件で死者が出たとなれば如何思われるか……、どれほど苦しまれるか……」
「……已むを得まい、頂点に立つ苦しみとはそういう事だ」
泣く事は許されない、その苦しみを他者と分かち合うことも出来ない。頂点に立つ者の苦しみとはそういうものだ。だからこそ頂点に立つ者は周囲から尊崇される。

「彼らもそれは分かっております」
「……」
「だから、せめて何らかの成果が出るまで待って欲しいと言っているのです。失態を隠す為ではありません、司令長官の負担を少しでも軽くしたい、それだけなのです」
だから卿は見過ごすというのか……。

「報告はするのだな」
「はい」
「成果が出なくても?」
「必ず」
「……分かった、私も待とう」
キスリングが頭を下げた。困った奴らだ。

「キスリング少将、私も卿に伝える事が有る」
「はっ」
「先日、陛下より御言葉が有った。今回の地球教の一件、陛下は酷く御心を痛めておいでだ」
「……」

「陛下からの御指図を伝える、謹め」
「はっ、謹んで承ります」
キスリングが姿勢を正した。
「地球教、フェザーン、いずれもゴールデンバウム王朝が生み出した汚点である。ヴァレンシュタイン司令長官に協力しこれを必ず抹殺せよ、決してその存続を許してはならぬとの仰せだ」
「はっ」

「そして今一つの御指図を伝える。ヴァレンシュタイン司令長官を護れとの仰せであった。良いな」
「はっ、必ずや御意に従いまする」
「うむ、広域捜査局とも連携し必ずその任を果たせ」
「はっ」

結局コーヒーを飲むことなく話は終わった……。





 

 

第二百六十一話  地球制圧




帝国暦 489年 6月 24日  オーディン 宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



目の前のスクリーンにはがっしりとした男の顔が有った。相変わらず渋いな、ワーレン。バツイチで子持ちだけれどモテるだろう。
「状況を教えてください」
『はっ、現在陸戦部隊を上陸させ地球教本部の偵察と進路設定を命令しております。後四、五日で終了するものと思われます』

なるほど、原作ではコンラート・リンザーがやった仕事だ。リンザーにはユリアン、ポプラン達の協力が有ったが今回はそれが無い、偵察隊は多少苦労しているかもしれない。
「その後の予定は?」
『一箇所を除く各所出入り口をミサイル攻撃で塞ぎ、装甲擲弾兵を送り込む事を考えています』

これも原作と同じだ。地下要塞だからな、攻略案はどうしても同じになる。
「これまでに要塞内の人間が逃げた可能性は有りますか?」
ワーレンが初めて困惑を見せた。
『我々が来てからは無いと思います。少なくとも封鎖を突破して逃亡した宇宙船は有りませんしそれを試みた宇宙船も有りません』

地球教を討伐すると決めたのが九日だ。それから二週間以上有った。逃げるには十分な時間が有る。まあ総大主教は残ったかもしれない。ド・ヴィリエは如何かな? 逃げたとすれば逃亡先はフェザーンの筈だ。ルビンスキーが手ぐすね引いて待っているに違いない。どちらが勝つか……、負けるなよルビンスキー。

「ワーレン提督、装甲擲弾兵の装備は何を考えていますか?」
『銃火器、トマホーク、クロスボウ、ナイフです』
まあ標準的な装備だ。
「催涙弾と閃光弾、それと長距離音響装置を用意して頂けませんか」
『それは、可能ですが』
ちょっと意表を突かれたか、ワーレンは戸惑っている。

「地球教は信者にサイオキシン麻薬を与えて洗脳しています。そのため信者は死を怖がりません。命を投げ出して抵抗してくる筈です。装甲擲弾兵も彼らを制圧するのは容易ではないでしょう」
『そうかもしれません』
ワーレンが表情を曇らせた。犠牲が多い事を喜ぶ指揮官はいない。

「ですから催涙弾と閃光弾、長距離音響装置で相手の抵抗力を削ぎ落とせないかと考えたのです。そうなれば制圧もし易いと思うのですよ」
『なるほど』
「ああ、それと防毒マスクも用意した方が良いでしょう。地球教側も似たような手段を講じてくる可能性が有ります」

うん、良い感じだ、ワーレンはウンウンと頷いている。催涙弾は涙、鼻水、くしゃみ。閃光弾は光と音で視覚と聴覚を奪う。長距離音響装置は内耳を攻撃して平衡感覚を奪う。いずれも直接の殺傷能力は無いが戦闘力は確実に削げる。相手の戦闘力を奪ってから制圧すれば装甲擲弾兵にかかる負担も重くはならない筈だ。キチガイの相手は肉体面よりも精神面でスタミナを削られるからな。原作ではかなり酷い状況になっている。

『御教示、有難うございます。早速に準備させましょう、閣下が気遣って下さると分かれば兵達も喜ぶと思います』
「ちょっと思い付いただけです。余り大袈裟にはしないで下さい」
いや本当、あんまり大袈裟にして欲しくない。上手く行くかどうかも分からないんだから。そう思ったがワーレンは首を横に振った。

『閣下が常に我々の事を考えて下さる事は小官が良く分かっています。小官も閣下の御配慮の御蔭で命を失わずに済みました。もし地球教徒に殺されていればこの艦隊はとんでもない混乱に見舞われていたでしょう。犠牲になってしまった護衛の事を思うと胸が痛みますが閣下の御配慮により我々は任務を遂行出来そうです』
「……」

犠牲? どういう事だ? そんな話は聞いていないぞ。いや、まず落ち着け、ワーレンは任務遂行中だ。不安を与えるんじゃない、訊くべき人間は他にもいる。
「ワーレン提督」
『はい』
「地球教は帝国の敵では有りますが同時に人類の敵でもあると私は考えています。必ずその根拠地を叩き潰してください」
『はっ、必ずや御期待に添います』
互いに敬礼をして通信を切った。

ヴァレリーにフェルナーとキスリングを呼ぶようにと頼むと溜まっている決裁の処理、報告書の確認に取り掛かった。最初に読んだのは憲兵隊と兵站統括部監察局からの合同報告書だった。憲兵隊と監察局は汚職に関わった軍人を取り調べているがどうやら殆どが常習犯らしい。貴族達が居なくなる前から罪を犯している。金額が小さかったので目立たなかったのだろう。過去に遡って調べているため取り調べには時間がかかりそうだ。

頭が痛いよ、補給や兵器製造部門は汚職が起き易い。本当なら監察がもっと厳しく取り締まらなければならないんだがどうにも力が弱い。元々嫌われる部署だからな、戦争とは直接関係が無い所為で引け目を感じているのかもしれない。強化した方が良いな、捜査能力が有り金の動きの分かる奴を監察に配備する。監察を強化していると分かるだけで抑止力になると思うんだが……。エーレンベルク、シュタインホフに相談だな。

次に読んだのは辺境開発の報告書だった。金がかかる、計画の見直しが必要だと書いてあった。早い話が開発を止めたい、それが無理ならペースを落とせ、辺境の貴族に任せろって事だな。金がかかる事は分かってるんだよ、馬鹿野郎。だからって止めてどうする、何も変らないじゃないか。

辺境を変えるためには投資しなくちゃならないんだ。北海道を見ろ、明治からずっと投資して開発したからあれだけ発展した。目先の事じゃなく百年先を考えろ! ……意識改革が必要だな、官僚達は辺境をお荷物と思いがちだ。あそこはこれから発展する宝の土地なんだ。そう思わせないと。

リューネブルクからも書類が来ている。装甲敵弾兵による模擬戦闘? 見に来いって? 目的は新たに開発した新型装甲服の機能性の確認? ようするに新旧の装甲服を着させての模擬戦か。俺に効果を確認させて新型装甲服を早期導入させようって事だな。予算獲得が狙いか。新装甲敵弾兵総監としては腕の見せ所というわけだ。本人は地球教討伐に行きたがっていたが部下に任せろと言って却下したからな。総監らしい仕事をし始めたじゃないか、リューネブルク。良いだろう、見に行こうか。出兵も間近に迫っている。新装備の御披露目が次の遠征になるかもしれないな。

三十分程書類を見ているとフェルナーとキスリングが現れた。一緒に待ち合わせて来たらしい。二人を応接室に誘った。飲み物は二人にはコーヒー、俺は冷たい水だ。二人が美味そうにコーヒーを飲んだ。そういえばここのコーヒーはかなりの上物だと言っていたな。

「アントン、地球教についてだが新たに分かった事は?」
俺が問うとフェルナーは軽く息を吐いた。
「残念だが余り良い報せは無い。先ず捕虜にした地球教の信徒達だが社会復帰は無理だ。この先は薬物依存症の治療という名目で檻の中に入れるしかない。檻から出る事は無いだろう、というより外に出すのは危険だ。犯罪を犯しかねない」

今度はキスリングが息を吐いた。やはりそうなるか、昔サイオキシン麻薬の摘発に関わった。その時患者の治療状況も確認した。サイオキシン麻薬治療センター、病院のような名称だが実際には監獄だった。サイオキシン麻薬への依存の酷い患者の殆どは拘束状態にあった。そして地球教の信者は洗脳されるほどに依存は酷い……。

「治療費も馬鹿にならないだろうな」
「ギュンター、俺達はその事で困っているよ」
何だ? 妙な事を言うな、フェルナー。
「治療費を払う人間が居ないんだ。一人暮らしや身寄りの無い人間ばかりを選んでサイオキシン麻薬を投与したからな。治療費は政府持ちという事にならざるを得ない」

溜息が出た。地球教の奴ら本当に碌な事をしない。好き勝手やって尻拭いは帝国にさせるか、あのクズ共。信徒を放り出せば犯罪を犯す、それを防ぐためには監禁するしかない。ルドルフなら全員殺しただろうな、麻薬に溺れる劣悪遺伝子を持っているとか言って。一番シンプルで安上がりで後腐れの無い解決策だ。

だが俺には出来ない、いや今の帝国はそれをすべきではない。劣悪遺伝子排除法とは決別したのだから。治療にかかった費用はいずれ地球教に請求する。連中の活動資金をそのまま治療費にしてやる。ワーレンには金目の物を探させよう。嫌がるかな。

「一般の、サイオキシン麻薬を投与されなかった信徒達だがいずれも地球教の真実を知って離れているよ」
「……地球教関連で初めて聞いた明るい報せだな」
フェルナーが肩を竦めた。いかんな、幾分皮肉が入った。そんなつもりじゃなかったんだが……。
「但し、念のため監視は付けて有る。つまり広域捜査局にとっての負担は減らない」
気が滅入るわ。ウンザリだ。

「地下に潜った信徒は居るのか?」
俺が尋ねるとフェルナーの顔が歪んだ。
「分からない、分からない以上居ると考えて捜索している。広域捜査局が一番心配しているのはその連中がサイオキシン麻薬の禁断症状から暴発するんじゃないかという事だ」
また溜息が出た。そうなれば一般市民に犠牲が出る事になる。

「広域捜査局から地球に潜入した捜査員が二人いたな、どうなった?」
「連絡は無い。それどころじゃない、そんなところだろうな」
フェルナーが面白くなさそうな表情で答えた。つまりその二人は地球教の操り人形になった事が確定したという事だ。地球教を弾圧し始めたが惨憺たる有様だな。到底勝ち戦とは言えない。もっと早く叩き潰すべきだった、地球教の恐ろしさを誰よりも知っていたのに……。連中を一番軽視したのは他でもない、俺か。落ち込むわ……。

「その二人の件、ワーレン提督に報せてくれ。地球教が二人を使って帝国軍を混乱させる可能性が有る」
「分かった、直ぐ報せる」
「他には?」
「今の所、他には無い」
この野郎、未だ隠すか。

「アントン、ワーレン提督が地球教徒に襲われた時に犠牲者が出たと聞いた。本当か?」
顔色が変わったな、フェルナー。キスリングも変わっている。こいつも知っていて隠したか。
「事実なら何故私に報告が無いんだ? アントン、ギュンター」
「……」

二人とも答えない。分かっている、こいつらは俺を気遣ったのだ。報せれば俺が苦しむと思った。そして今黙っているのは俺が気遣われるのを嫌がると分かっているからだ。分かっているならやるなよ。
「二度とするな。私に気遣いは無用だ。良いな」
二人が頷いた。

「済まない、隠すつもりは無かった。ワーレン提督から何らかの成果が上がったのを確認してからと思ったんだ」
フェルナーがしょんぼりしている。こいつには似合わない表情だ、演技だと思おう。そうじゃないとこいつらのやった事を認めてしまいそうだ。

「馬鹿な事を言うな。犠牲に見合う成果が有れば私が納得すると思ったか? 犠牲が出た事実は変わらないんだぞ。アンスバッハ准将にも気遣いは無用だと言ってくれ。今回は不問にするが次にやれば処分をする。早急にあの一件の報告書を出せ」
二人が頷いた。

「ギュンター、フェザーンで動きは?」
「今の所は無い」
「フェザーンから目を離さないでくれ。帝国だけじゃない、同盟でも地球教は排斥されている。彼らが逃げ込む先はフェザーンしかない。フェザーンにはルビンスキーも居るからな」
キスリングが頷いた。ルビンスキーは必ず地球教を使って騒乱を起こす。

連中がフェザーンに集結するまでに後一月から一月半はかかる筈だ。騒乱が起きるまでにさらに一月から一月半か。騒乱が起きるのが大体九月から十月にかけてだな。ガイエスブルク要塞が移動要塞になるのが十月の上旬。出兵の準備と移動要塞の運用試験と最終調整で二カ月。出兵は十二月か年を越してからになるな、スケジュールは問題無い。煮詰まって来たな、そろそろ統帥本部とも調整に入るか……。



帝国暦 489年 7月 1日  オーディン 新無憂宮  バラ園  フリードリヒ四世



薔薇を見ていると“陛下”と背後から声がした。振り返ると国務尚書が片膝を着いている。はて、何時の間に来ていたのか……。立つように言うと国務尚書は一礼してから立ち上がった。
「如何した?」
「軍からの報告がございましたので陛下にお伝えいたしたく……」
「参ったと申すか」
「御意」
国務尚書が頭を下げた。

「地球教の事か?」
「軍が地球を制圧したそうにございます」
「そうか、……信徒共は手強く抵抗したのであろうの」
「詳しくは聞いておりませぬ」
国務尚書は視線を伏せている。言えぬか……、オーディンでも酷い損害が出た。根拠地の地球ならなおさらであろう。

「地球教はもう終わりか? 反乱軍の領内でも弾圧されていると聞くが」
「おそらくはフェザーンに逃げ込むのではないかと」
「そうか、あそこは今反乱軍の支配下にあったの。面倒な事にならねば良いが……」
「それが狙いにございまする」
国務尚書が薄らと笑った。狙いか、つまりフェザーンが混乱する事を望んでいるという事か。

「出兵が有るか?」
「御意。おそらくは今年の暮れ、遅くとも来年早々には大規模な出兵が有るかと」
「ふむ、ヴァレンシュタインがそう申しておるか」
「軍務尚書、統帥本部総長も言を同じくしております」
軍の総意か。宇宙統一、とうとうその日が来るのか……。

「ではこの薔薇を見られるのも残り僅かじゃな」
「……」
「帝都をフェザーンに移すのであろう?」
「恐れ多い事ながらそうなるかと思いまする」
国務尚書がまた頭を下げた。

「良き思案じゃ。予に不満は無い、思うようにするが良い」
「恐れ入りまする。それにしてもこの薔薇園は勿体のうございますな」
国務尚書が薔薇園を見回した。
「気に致すな。薔薇などどこででも育てられる」
元々好きで始めた薔薇の世話では無かった。他にする事が無かっただけの事、未練など無い。目の前で咲き誇る薔薇を見ながら思った、未練など無い……。






 

 

第二百六十二話  呪縛からの解放

帝国暦 489年 7月 5日  オーディン 新無憂宮  アントン・フェルナー



「かなり手古摺ったと聞いておりますが」
ルーゲ伯爵の言葉にエーリッヒが頷いた。
「地球は本拠地ですから。……オーディンでの地球教団支部を強制捜査した時もかなり抵抗が有りましたが今回はそれ以上だったようです」
重苦しい空気が部屋に満ちた。

新無憂宮の南苑にある一室。前回使った時も薄暗い陰気な部屋だと思ったが今日はより陰鬱さが増している。政府のお偉方が使う部屋のようだが瘴気が漂っているようだ。その部屋にテーブルを挟んで四人の男が集まった。俺とアンスバッハ准将、俺の正面に司法尚書ルーゲ伯爵と宇宙艦隊司令長官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥……。

「相変わらず自殺行為のような気違いじみた抵抗をしたと聞いています」
「サイオキシン麻薬を使った洗脳ですか、厄介ですな」
ルーゲ伯爵の嘆息にエーリッヒが“ええ”と頷いた。
「当初装甲擲弾兵は接近戦を行ったのですが直ぐに距離を取っての戦いに切り替えました。催涙弾、閃光弾、長距離音響装置……。教団側にも防毒マスク、遮光マスクをしている信徒が居ましたので催涙弾、閃光弾の効果は限定的でしたが長距離音響装置はかなり有効だったようです」
ルーゲ伯爵が“ほう”と声を出した。

「ただあれはかなり電力を消費します。そのため長時間の使用が出来ません。何度もバッテリーを交換して充電しながら使用したとか。その辺りは改良しなければならないでしょう……。それに機材が大きく持ち運びが容易ではないという欠点も有ります」
エーリッヒがちょっと顔を顰めた。

「なるほど、効果は有るが運用には難点がある、そういう事ですな」
ルーゲ伯爵が頷いている。
「はい、改良の余地は有るでしょう。ワーレン提督がその点を戦闘詳報に記載しましたので改良する事になると思います」
軍務省経由で兵器開発部門、民間業者に対して改良しろと命令が出るのだろう。地球教対策だけじゃない、暴徒対策にも有効だ。

それにしてもこの二人、淡々としているよな。ちょっと見には冷淡というか無関心というか、仲が悪いんじゃないかと勘違いする奴も出かねないような雰囲気を醸し出している。
「地球教の総大主教ですが最後は自ら爆死したそうです」
「……これで終わりだと思いますかな? ヴァレンシュタイン元帥」
エーリッヒが首を横に振った。

「なかなか、……千年近い怨念です。そう簡単には終わらないでしょう」
「なるほど、となると問題は後継者ですな。一体誰が後を継ぐのか……」
「さて、誰が継ぐのかは分かりませんが何処に行くかは想像出来ます」
「フェザーン、ですな」
エーリッヒが頷いた。

「自由惑星同盟でも地球教は弾圧されています。逃げる場所はフェザーンしか有りません。それにフェザーンは元々地球が創りました。それなりに繋がりは有る筈です。なにかと便宜を図ってくれる人は居るでしょう」
「憲兵隊がフェザーンを担当しているそうですな。我々がお手伝い出来る事は有りませんかな」

「討伐軍が地球から様々な物を持ち帰ります。それを分析して頂きたいと思います」
「様々な物、と言うと?」
「書類、コンピューター機器、武器、捕虜等です。彼らが自爆したので破損したり地中に埋まった物も有ります」
「それはいささか厳しいですな」
表情は変わっていない。本当に厳しいと思っているのかな。俺は結構厳しいと思うんだが。

「確かに厳しいです。ですが考えてみれば我々は彼らの事を殆ど知りません。彼らの組織が何処まで広がっているか、それを支える財政基盤は何か……。何処まで出来るかは分かりませんが調べて欲しいのです」
「なるほど、本拠地を叩いた以上次はそちらというわけですな」
ルーゲ伯爵が頷いている。

「地球は資源が枯渇した星です。彼らが地球からの収益、殆どが観光、巡礼による収益でしょうがそれだけに頼っていたとは思えません。後は信者からの献金でしょうがそれももう見込めない。となると彼らは一体何処に活動資金を求めるのか……」
ルーゲ伯爵とエーリッヒが見詰め合った。

「興味が湧きますな」
ルーゲ伯爵の言葉にエーリッヒが苦笑を浮かべた。
「そうですね、興味が湧きます。一体何処に繋がっているのか……」
「とんでもないところに行きつきそうですな」
「ええ」
おいおい、二人とも笑い事じゃないだろう。

「分かりました、こちらで調べましょう」
ルーゲ伯爵が俺とアンスバッハ准将を見た。もちろん否やは無い。エーリッヒが“よろしくお願いします”と言った。
「他に何か有りますかな」
「いえ、こちらからは何も。そちらからは有りますか?」
「特には有りません」

二人が顔を見合わせた、そして頷く。“ではこれで”と言うとエーリッヒが席を立った。立って敬礼しようと思ったがエーリッヒが必要無いというように手で制止した。そしてそのまま部屋を出て行った。それを見届けてからルーゲ伯爵が口を開いた。相変わらず感情の読めない目をしている。

「聞いての通りだ。受け入れの準備をしてくれたまえ」
「はっ」
「それとフェザーンに人を入れたい」
「フェザーンに人を? 宜しいのですか?」
アンスバッハ准将が言外に反対を匂わせたがルーゲ伯爵は意に介さなかった。

「念のためだ。憲兵隊が人手不足になるという事も有るだろう」
「分かりました、どの程度送れば宜しいでしょう?」
俺が問い掛けるとルーゲ伯爵は“そうだな”と言って少し考える姿を見せた。
「五人単位で十組、送ってもらおうか」
五十人か、多いとは言えないが少ないとも言えない。
「それと女性だけの組を二つ用意する事。横の連絡を取らせない事に留意して貰いたい」

妙な事を言う。アンスバッハ准将を見たが准将も訝しげな表情をしている
「それは互いの存在を知らせるな、単独で行動していると思わせろという事でしょうか」
ルーゲ伯爵が微かに笑みを浮かべた。珍しい事だ。
「その通りだ、フェルナー課長補佐。フェザーンは敵地だからな、万一の場合の損害は出来るだけ小さくしたい」
アンスバッハ准将が“直ぐ用意します”と答えると伯爵は満足そうに頷いた。



帝国暦 489年 7月 5日  オーディン 新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ルーゲ伯爵達と別れた後、国務尚書の執務室を訪ねた。幸いな事にリヒテンラーデ侯の他に人は居なかった。というより一息入れるために人払いをしていたらしい。悪い事をしたかと思ったが遠慮するなと言って歓迎してくれた。なんだか機嫌が良さそうだ。紅茶を用意してくれた。二人でソファーに座ってティータイムだ。

「何かあったかな」
「はい、お伺いしたい事が有りまして」
「ふむ、どうせまた厄介事じゃろう」
「まあ多少は」
口が悪いな、もっともリヒテンラーデ侯の表情は明るい。憎まれ口、そんなところかな。

「地球ですが如何なりましたか?」
「……如何とは?」
「あ、失礼しました。地球という惑星を如何するのかという意味です」
「なるほど、そちらか……」
リヒテンラーデ侯がウンウンというように頷いた。

「地球教団が壊滅した事で統治者が居なくなったわけですが」
「考えてなかったわ。そうじゃの……、放置は拙かろうな」
リヒテンラーデ侯が俺の顔を覗き込んだ。
「拙いでしょう、それをやって一度失敗しています。第二の地球教団が生まれかねませんし地球そのものを利用しようとする人間が出るかもしれません。何と言っても人類発祥の地です、毛並みは良い」
リヒテンラーデ侯が苦笑を浮かべている。

「となると帝国の直轄領というところか」
「そうなりますね」
リヒテンラーデ侯が顎に手を伸ばした。考えているポーズだな。
「どのくらい住んでいるのかの」
「一千万人程です」
「一千万! そんなにいるのか」
「はい」

老人が驚くのも無理は無い。ヴェスターラントだって二百万人だった。一千万は決して少ない数字じゃない。帝国の辺境惑星としては多い方だ。
「あそこはもう資源も枯渇して産業も存在しないと聞いているが……」
「九百年前の無差別攻撃で壊滅的打撃を被りました。それ以来大地が汚染されている状態が続いています。そのためだと思いますが住民達の平均寿命も短いようです」
「それでも一千万人が住んでいるか……、自業自得とはいえ酷いものじゃの」
リヒテンラーデ侯が溜息を吐いた。

自業自得か、……確かにそうだ。地球はそう言われても仕方のない事をした。
「その一千万人だが皆地球教徒かな」
「多分そうでしょう、地球に住んでいたのですから。もっとも地球教団の支配者のように狂信者かと言われれば疑問が有ります。まあ選民思想は有るでしょう」
「なるほど」
紅茶を一口飲んだ。うん、悪くない。老人も紅茶を顎の下に持っていった。飲むのかと思ったら香りを楽しんでいる。意外に粋だな。

「地球から引き離すか。そして地球は無人惑星にする。資源も産業も無いのじゃ、そんな惑星に一千万も人が住んでいるのが異常よ。廃棄はおかしな考えでは有るまい」
「……」
「人が住まねば問題も生じぬ。住民にとっても他の星へ移住の方が将来性は明るい。どうじゃな?」
まあね、確かにそうなんだ、廃棄はおかしな考えじゃない。そして地球から人を居なくすれば良い。俺も同じ事を一度は考えた。

「無人惑星に移住なら宜しいですが有人惑星となると間違いなく先住民が嫌がりますね、反対が酷いでしょう。彼らからみれば地球教徒なんてサイオキシン麻薬を使う狂信者、犯罪者です。間違いなく排斥運動が起きます、一つ間違うと殺し合いに発展するでしょう」

リヒテンラーデ侯が顔を顰めた。つまりこの老人もその可能性を認めたというわけだ。もっとも致命的な欠点というわけでもない、開発を放棄した無人惑星などいくらでも有る。そこに移住させれば良いだけだ。ただ一から始めるから金はかかるだろう。問題は他に有る。

「それに地球に住んでいる人間は移住そのものを嫌がるかもしれません」
「何故かな」
「先程も言いましたが狂信者ではなくても選民意識は有ると思います。地球から離れればそれを失う事になるのです。素直に受け入れる事が出来るかどうか……。特に年寄りはそれが強いと思います、それを支えに生きてきたのでしょうからね。こちらも暴動が起きかねません」
「厄介じゃな」

リヒテンラーデ侯が溜息を吐いた。気持ちは分かる、俺も溜息を吐きたい気分だ。地球に住む人間は皆がその境遇に不満を持っている。一旦暴動が起きれば一気に爆発するだろう、一千万人が暴動を起こす事になりかねない。それを鎮圧するのにどれだけの犠牲が生じるか、……悪夢だな。

「卿、何ぞ考えは無いか。何の考えも無しにここに来るとも思えんが」
狡い爺さんだな、そんな期待に満ちた目をするなんて。でもなあ、俺にもあんまり良い手は無いんだ。
「強制ではなく移住を希望する者を募っては如何でしょう。もちろん前提として地球教の棄教が有りますが」
「ふむ、強制ではなく希望者か……」
リヒテンラーデ侯が考え込みながら紅茶を飲んだ。

「移住する者は何らかの形で優遇しましょう、移住し易くするのです。例えばですが移住後或る一定期間における直接税の免除、それと移住にかかる費用の支弁、そんなところです。そうすれば年寄りはともかく若い人間の中には移住を望む者が出るかもしれません。先は長い、誰だとて未来に希望は持ちたいと思うものです」
リヒテンラーデ侯がジロリと俺を見た。
「なるほど、卿、怖い事を考えるの。一気に安楽死させるのではなく徐々に地球を老衰死させるか」
「……」

「数十年後には地球は年寄りだけの星になるやもしれぬ。まるで地球そのものじゃな」
老人が薄らと笑みを浮かべた。冷笑、蔑笑だろうか。
「死ぬとは限りますまい、生き延びる可能性も有ります。どちらを選ぶか、地球に住む人間に決めさせては如何かと提案しております」

詭弁だな、多分地球は衰弱死する事になる。何故ならリヒテンラーデ侯は地球を廃棄したいと考えているからだ。優遇策は思いきったものになるだろう。俺も地球の廃棄は正しいと思う。現状において地球という星は人類にとって御荷物でしかない。人類発祥の地、地球。それ自体が人類にとって負の遺産になっている。そして負の遺産がプラスに代わる可能性は無い。リヒテンラーデ侯も詭弁だと思ったのだろう、“ま、そういう事にしておくか”と言った。

話は終わった。移住する無人惑星はここで決める必要は無い。工部尚書シルヴァーベルヒに任せておけばいい事だ。彼が適当に選んでくれるだろう。俺はリヒテンラーデ侯とお茶を飲む。他愛ない話をしながら地球の事を考えた。何故地球は人類から見捨てられたのか……。

九百年前、地球は人類社会の盟主だった。だが良い盟主だったとは言えない。傲慢で他を搾取しそれを地球の当然の権利と主張するとんでもない盟主だった。権利の根拠は地球が人類発祥の星だったから、それだけだった。地球にはリーダーシップも崇高な理念も無かった。有ったのは意味の無い選民思想と傲慢と貪欲だけだ。

結局はそれが原因で没落した。それも完膚なきまでに叩き潰された。当時の人類、地球に住む人類を除いた大多数がそれを望んだのだ、それほどまでに嫌われた。リヒテンラーデ侯が自業自得と言った言葉がそれを表している。叩き潰した後も人類の地球への憎悪は消えなかった。地球没落後の人類が目指したものは脱地球的な宇宙秩序による銀河連邦の成立だ。徹底的な地球否定と言って良い。

そう考えれば銀河連邦が地球を無視したのも理解出来る。連邦にとって地球救済など最初から有り得ない選択肢だった。当然だが無視された地球は連邦を恨んだだろう、憎んだに違いない。何故そこまで地球を否定するのか、地球こそが人類発祥の地ではないかと。

無視される事ほど傷付く事は無い。自分の存在意義さえも見失いかねないのだ。地球以外の星ならそうなっていただろう。おそらくは無人惑星になっていたはずだ。だが地球には地球こそが人類発祥の地という精神的な支柱が有った。いや支柱ではないな、呪縛だ。地球に住む人間はそれにしがみついた。それが地球教団の成立に繋がった。一千万の人間が資源も産業も枯渇した地球に残ったのはその呪縛が有ったからだと思う。

だが銀河連邦政府にとって地球教団の成立は如何見えたか。地球は過去の栄光に縋りつこうとしている、何も反省していない、そう見えたのではないだろうか? 地球を見詰める連邦の目はより冷たさを増したに違いない。そして視線が冷たくなればなるほど地球は過去の栄光にしがみつき連邦を恨んだ……。悪循環だ。

悪循環は銀河連邦から銀河帝国に代わっても続いた。九百年に亘って続いたのだ。今更地球に温情など示しても何の意味も無い。汚染を除去して経済援助などしても無駄だ。地球の人類に対する敵意はそんな事で消えはしない。九百年に亘って続いた呪縛の恨みはそれほど軽くは無い。

マキャベリの政略論には次の二つの事を軽視してはならないと書いてある。一つ目は忍耐と寛容では人間の敵意は溶解するものではないという事。二つ目は報酬や援助を与えても、敵対関係を好転する事までは出来ないという事……。元の世界の事を考えてみればその通りだと納得出来る。日本がアメリカに完膚なきまでに敗れながら友好を結べたのはアメリカにソビエトというカードが有ったからだ。日本から見ればアメリカよりもソビエトに対して不信感、恐怖感が強かった。アメリカはそれを利用して日本と同盟を結んだ。そうでなければ日米の関係はもっと冷えた関係になったはずだ。

リヒテンラーデ侯が地球に対して温情では無く廃棄を考えたのは正しいと思う。残念だが帝国には地球に対して使えるカードは無い。そして地球教団が考えた事は地球の呪縛そのものだった。人類はもう地球の呪縛から解放されるべきだと俺は思う。人類を宇宙へ送り出すという役割を終えたのだから……。



 

 

第二百六十三話  風雲




宇宙暦 798年 7月 7日  フェザーン  高等弁務官府 ピエール・シャノン



ドアを開ける前にネクタイを直しスーツの襟元を正した。ノブを回しドアを開ける。
「お待たせしましたかな」
「いえ、お気になさらずに。押し掛けたのはこちらですからな」
応接室のソファーには初老の帝国人が座っていた。ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵、帝国の高等弁務官。流暢な同盟語を話す。私達の会話は何時も同盟語で行われる。

ゆっくりと近づいてソファーに座ると老人が組んでいた足を戻した。白っぽい頭髪と透明に近い瞳が印象的だ、その容貌からレムシャイド伯は帝国の白狐と呼ばれている。白狐は穏やかな笑みを浮かべていた。
「お忙しいようですな、シャノン弁務官」
「ペイワード自治領主閣下に呼ばれていたのです」
「なるほど、自治領主閣下ですか……、それはそれは……」
レムシャイド伯が意味有り気に語尾を濁した。もっとも表情は変わらない。

こちらがペイワードとの親密さを見せても目立った反応は見せない。レムシャイド伯にとってペイワードは同盟の傀儡にしか過ぎないのだろう。ペイワードもレムシャイド伯とのパイプを太くしようとは考えていない。彼が帝国との和平を働きかけているのはオーディンのボルテック弁務官を経由しての帝国政府高官だ。リヒテンラーデ侯、ヴァレンシュタイン元帥。今の所和平工作が上手く行く様子は無い。

「それで、御用の趣は?」
レムシャイド伯の顔から笑みが消えた。
「本国政府から連絡が有りましたので同盟政府に伝えて頂きたいと思いましてな、寄らせていただきました」
「……それは帝国政府からの正式な通知、そういう事でしょうか?」
「そういう事です」
レムシャイド伯が重々しく頷いた。

帝国からの正式な通知か、おそらくは地球教に関する何かだろう。気を付けろ、油断は出来ない。白狐はこちらに好意を見せながらもしっかりと帝国の実利は確保する男だ。しかもこちらに気付かれないように行う。同盟が何度この男に苦汁を嘗めさせられた事か……。

「伺いましょう、御国は何と仰っているのです?」
「帝国は軍を地球に派遣し地球教団の本拠地を攻略しました」
「……」
「潰滅と言って良いようですな。地球教の総大主教を始めとする幹部の大部分は本拠を爆破して自裁したとか。残念な事に彼らの捕縛は叶わなかったようです」
ついに本拠地を叩いたか……。

「では地球教団は頭を潰された、後は烏合の衆だと?」
問い掛けるとレムシャイド伯は“さて、如何ですかな”と答えた。
「軍を派遣してから地球攻略まで時間が有ります。逃げ出した者が居ないとは言えますまい。政府も本拠地が潰滅したとは言っておりますが教団が壊滅したとは言っておりません。今しばらく、注意は必要でしょう」
「なるほど」
帝国は地球教団の潰滅には自信を持っていない。不確定要素が有るようだ。

「それで、地球教団とフェザーンの関係を表す物は有りましたか」
問い掛けると首を横に振った。
「現状ではまだ何も。教団の本拠は爆破されたためコンピューターは土砂に埋まったり破損したりしているそうです。オーディンに持ち帰り修復するそうですが……」
「微妙という事ですか」
私が後を続けるとレムシャイド伯が頷いた。少しの間、沈黙が落ちた。

「実際問題、フェザーンと地球が繋がっているというのは確かな事なのでしょうか? 可能性としては有ると思いますが……」
「……信じられませんかな」
「ペイワード自治領主閣下はフェザーンと地球教との繋がりを否定しています」

可能性は有る。しかし証拠は無いのだ。フェザーンと地球の繋がりが無い可能性も有るだろう。大体このフェザーンには地球教団の支部が無い。功利的で現実主義者のフェザーン人は宗教にそれほど関心を持たなかった。フェザーンは信徒獲得には不向きな所なのだ。

フェザーンにおける地球教の活動は極めて低調だ、フェザーン人の多くは地球教に脅威を感じていない。大方のフェザーン人は地球教が同盟、帝国で引き起こした騒乱を他人事のように思っている。では何故帝国がフェザーンと地球教の繋がりを主張するのか?

帝国はフェザーンを地球教の仲間とする事でフェザーン討伐を考えているのではないのか。帝国は同盟との戦いを欲している、きっかけが欲しいのだ。その導火線がフェザーンだろう。火をつけるのが地球教……。私にはこちらの方が可能性が高いように思える。

「元々自治領主閣下はワレンコフ元自治領主の下で補佐官を務めたにすぎませんでした。自治領主になる事を予定された方ではなかった。フェザーンにとっても地球にとってもこの一件は秘中の秘です。閣下が何も知らなかったとしてもおかしくは無い、違いますかな?」
「……」

真実を知っているだろうと思われる人物が一人いる。前自治領主アドリアン・ルビンスキーだ。だが現在ではルビンスキーの所在は不明だ。そして帝国はルビンスキーの居場所を知っている可能性が有る。彼の息子、ルパート・ケッセルリンクはオーディンに居るのだ。ルパートをオーディンに連れ去ったのは目の前にいる白狐だった。

「両者に繋がりが有るかどうかは確定していませんが地球教が逃げ込む先は現状ではフェザーンしかないのも事実です。帝国政府は地球教の残党がフェザーンに集結するのではないか、そして何らかの行動を起こすのではないか、それによってフェザーンが混乱しその中立性が損なわれるのではないか、そう考えています」
「……」
ぐいっとレムシャイド伯が身を乗り出してきた。

「同盟政府におかれては地球教の動きに十分に注意していただきたい。フェザーンの中立性の回復と維持、それは同盟政府の責任において行われる。フェザーン進駐の条件だったはずです」
やはりそこを突いて来たか。騒乱が起きれば同盟は約定を破った、同盟にフェザーンを任せておくことは出来ない、そう主張して攻め込むつもりだろう。白狐が私を見ている、返事を待っているのだろう。言質を取る、そういう事だ。だが拒否は出来ない。

「……本国政府には必ず伝えます」
白狐が満足そうに頷いた。そして乗り出した身体を元に戻す。
「本国より何か報せが入りましたらまたお伝えします。今日はこれで……」
「有難うございました。今後の調査に期待しております」
「同感です、良い結果が出れば宜しいですが……」
レムシャイド伯を送り出した後、ハイネセンに連絡を取った。スクリーンにトリューニヒト議長の顔が映った。

『シャノン弁務官、どうかしたかな?』
「レムシャイド伯が訪ねてきました」
トリューニヒト議長の表情が微かに厳しくなった。
『それで?』
「帝国軍が地球に赴き地球教団を制圧したそうです。地球教の総大主教を始めとする幹部の殆どが自裁したそうです」
“なるほど”と議長が頷いた。

「もっとも地球教団を完全に無力化出来たかについては自信が無いようです。逃げ出した者もいるのではないかと帝国は考えています」
『つまり地球教の脅威は減少はしたがゼロになったわけではない、そういう事だね?』
「はい」
トリューニヒト議長の意見を肯定すると議長は大きく息を吐いた。

『地球とフェザーンの関係だが何か分かったかね?』
「これから調べるようです。ただ教団の本拠は爆破されたためコンピューターは土砂に埋まったり破損したりしているそうです。データーの復旧には時間がかかる、レムシャイド伯はそのように言っています」
『簡単には尻尾は掴めないか……』
「はい」
尻尾は掴めない、いや本当に尻尾が有るのか……。或いは帝国は尻尾を掴んでいるのかもしれない、敢えてそれを隠しているという可能性も有る。

『しかし本拠地は潰した。これで地球教団はハイネセン、オーディン、地球と三つの拠点を失ったことになる』
「……」
『彼らが教団として活動するなら根拠地が必要なはずだ』
「……フェザーンですか」
議長が頷いた。

『同盟と帝国の地球教徒が集結するには地理的に見てフェザーンがベストだ。そして政治的にも同盟、帝国は地球教を敵と認識しているがフェザーンはそうではない。フェザーンと地球が繋がっていなくても連中はフェザーンに行くだろう』
「レムシャイド伯もそう言っていました。そしてフェザーンの中立性の回復と維持は同盟軍のフェザーン進駐における条件だと」
トリューニヒト議長が顔を顰めた。

「それが帝国の狙いという事は有りませんか? 帝国はフェザーンに不満分子を集め混乱を生じさせようとしている。それをきっかけに戦争を起こそうとしている。実際にはフェザーンと地球の間に繋がり等は無い……」
『……』
議長は沈黙している。もう一押し。

「ペイワード自治領主もフェザーンと地球の繋がりについて首を傾げています」
『しかしフェザーンには通商国家として不自然な部分が有ったのも事実だ。地球教を当て嵌めれば不自然さは消える』
「……」
今度は私が口を噤んだ。

確かにその不自然さは有る。フェザーンは余りにも同盟と帝国の間で戦争を煽り過ぎた。通商国家なら和平と戦争を適度に繰り返した筈だ。活かさず殺さず、両国から利益を搾り取る。ペイワードによればワレンコフは和平を考えたのだという。ワレンコフは両国に適度に休息を与え搾り取る事を考えたのだろう。しかし実現することなく事故死した。ペイワードはルビンスキーによる謀殺ではないかと考えていたが……、正しいのかもしれない、その場合裏に居るのは地球教だろう。

『今気を付けなければならないのは地球教団の残党がフェザーンに集結する事、そして騒乱を起こす事だ。帝国にフェザーン侵攻の口実を与えかねない』
「はい」
『ペイワードとも協力して混乱を防いでくれ』
「分かりました」
“では”と言うと通信が切れた。何も映さなくなったスクリーンを見ていると溜息が出た。フェザーンは通商国家だ、船の出入りは嫌になるほど有る。集結する事に気を付けろと言われても……。また溜息が出た。



宇宙暦 798年 7月 7日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



トリューニヒトに呼ばれて議長の執務室に行くとそこには既にホアンとアイランズが居た。私を見てトリューニヒトが軽く頷く。
「揃ったようだな。フェザーンのシャノン弁務官から連絡が有った。帝国は地球を制圧したらしい。地球教団の本拠地を壊滅状態にしたようだ」
皆が顔を見合わせた。驚きは無い、来るべきものが来た、そういう事だ。

「白狐からかな」
「ああ、我々に報せてくれとの事だそうだ」
「では地球教はこれで終わりか?」
私が訊ねるとトリューニヒトが首を横に振った。
「いや、そこまでの確信は帝国にも無いらしい。大きなダメージを与えた、そんなところだろう」
ホアンが不満そうに鼻を鳴らした。

「それで?」
「レベロ、現状では地球とフェザーンを結びつける物は無い」
皆が顔を見合わせた。皆が渋い表情をしている。
「爆発の影響でコンピューター等が地面に埋まったり破損したりしているそうだ。復旧には時間がかかるようだ。復旧出来ればだが……」
面白く無い、私だけではないだろう。皆がそう思っているに違いない。

「こうなるとフェザーンが地球教団の根拠地になる可能性が大です。既にハイネセンから脱出した地球教徒がいる事も分かっています。彼らは間違いなくフェザーンに向かったでしょう」
「危険だな、今までもフェザーンは同盟と帝国の間で問題になる場所だった。帝国は内乱を収めて国内を固めつつある。騒乱が起きればどうなるか……」
アイランズ、ホアンの声が沈んでいる。状況は良くない。

「その事はシャノン弁務官にも注意した。彼もフェザーンで騒乱が起きれば帝国が侵攻するのではないか、それが帝国の狙いではないかと考えている。実際にレムシャイド伯がフェザーンの中立性の回復と維持は同盟の責任だと言ったらしい」
トリューニヒトの言葉に皆が顔を顰めた。誰だとて責任問題を問われるのは面白い事ではない。

「地球教を叩きつつフェザーン侵攻を目論むか。問題はその侵攻が限定的なものになるか、総力戦になるかだな」
私が言うとホアンが“宇宙統一か”と呟いた。帝国は宇宙統一を望んでいる。二年前の帝国領侵攻、あの敗北から同盟はまだ回復してはいない。帝国がフェザーンでの騒乱をきっかけに戦争に持ち込みたい、そう考えてもおかしくは無い。しかし国内がどの程度固まっているのか。遠征を望んでも国内情勢がそれを許さないという事は十分に有り得る事だ。

「国防委員長、軍に状況を説明して警告を発してくれ。今すぐ戦争という事は無いだろうが準備だけは怠らないで欲しい。早急に訓練を行い鍛えてくれ」
「分かりました」
「それと戦力の補充を急いでくれ」
トリューニヒトの言葉にアイランズが首を横に振った。

「厳しいですな」
「……」
「現在新たに二個艦隊を編成し正規艦隊は七個艦隊まで回復しました。但し新たに編成した二個艦隊は戦力としてカウントするには訓練不足です。後一年あれば訓練も積めますしもう一個艦隊の編成が可能ですが……」
「……」

「現状ではこれが精一杯です。艦も有りませんし乗せる兵士も居ない。あの敗戦で失われた将兵の補充は簡単には行きません。時間がかかります」
アイランズが厳しい表情で戦力が不十分で有る事を告げた。ホアンが“時間か”と呟いた。皆が遣る瀬無いような表情を浮かべている。トリューニヒトが重苦しい空気を打ち払うかのように頭を振った。

「分かった、最善を尽くしてくれ。それと例の名簿の件、何か分かったかね?」
皆の視線がアイランズに向かった。地球教団支部に有った名簿、地球教徒にする候補者の名簿ではないのか、だとすれば誰が用意したのか……。

「名簿を調べて分かった事が有ります。記載されていた名前はフレアスターグループのあらゆる企業から選ばれていました。偏りが無いのです」
「……」
偏りが無い? 広範囲に地球教の手が伸びていた、そういう事か? しかしそんな事が可能だろうか。

「おそらく地球教は各企業から情報を得たのではありますまい。フレアスターグループは人事、経理、財務業務をグループ内のある企業に一括して委任しております。そこから情報を得たのでしょう」
「なるほど、道理だな」
思わず声が出た。人事を押さえれば簡単な事だ。給与計算を行うには配偶者の有無、扶養家族の有無が関わってくる。

「今その企業を密かに調べさせています。もうしばらく時間を下さい」
「分かった。君には苦労をかけるが宜しく頼むよ」
トリューニヒトがアイランズを労った。実際同盟で一番忙しい政治家と言っても間違いではない。そして忙しさはこれからさらに増すだろう。


 

 

第二百六十四話  憂鬱




宇宙暦 798年 7月 15日  イゼルローン要塞  ヤン・ウェンリー



「では地球教とフェザーンの繋がりは未だ分からないと?」
『レムシャイド伯はそう言ったようだ』
「……」
『帝国からは地球教の残党がフェザーンを目指すのではないかと懸念が出た。同盟には注意して貰いたいと』
スクリーンにはグリーンヒル総参謀長が映っている。表情は何処か鬱屈しているように見えた。まあ確かに面白くない報せだ、相変わらず地球教とフェザーンの繋がりが見えない。

『フェザーンのクブルスリー提督にも話したが彼も困惑していた。軍人というより警察の仕事だからね』
難しい仕事だ、地球教徒と一般市民の見極めが難しい。一つ間違うと同盟はフェザーンで市民を抑圧している等と非難が出かねない。

『政府からは帝国がフェザーンでの混乱、騒乱を望んでいるのではないかと疑念が出ている。それを利用して戦争に持ち込もうとしているのではないかと……、貴官は如何思うかね』
「有り得るでしょうね」
『我々も同感だ』
グリーンヒル総参謀長が頷いた。我々という事はボロディン本部長、ビュコック司令長官、ウランフ副司令長官も同意見という事か。

『狙ったと思うかね?』
「……」
『政府、軍の中には帝国が故意にフェザーンを火薬庫にしようとしているのではないか、そんな声が有る』
総参謀長がじっと私を見た、暗い目をしている。疑心暗鬼、そう思った。

「可能性は有ると思います。最初からそれを考えてフェザーンをこちらに委ねたわけではないでしょう。しかしどの時点からかは分かりませんが帝国は地球教を利用してフェザーンを混乱させる事を考えたのだと思います。地球教の本拠地を討伐したのは帝国が外征する準備が出来た、そういう事でしょう」
『つまり、全面攻勢を考えている、そう言いたいのだね』
「はい」

グリーンヒル総参謀長が頷いた。帝国は同盟とは違う、信教の自由などどうでもいい事の筈だ。何時でも地球を討伐出来ただろう。なかなかそれを行わなかったのは時機を見計らっていた、そうとしか思えない。内乱終結からもうすぐ一年半になる。国内は長期遠征に耐えられるだけの体力を持ち安定しているということだろう。

私がその事を伝えると総参謀長がまた頷いた。
『現状では七個艦隊を以って帝国軍の迎撃に当たる事になる。もう一年、時間が欲しかった。そうすればもう一個艦隊の編成が可能だったんだが……。編成を急がせるが間に合うかどうか……、間に合ったとしても練度は低いだろう』
「……」

『それに比べて帝国軍は二十個艦隊は動員するはずだ。その大兵力がフェザーン、そしてイゼルローン回廊の二方向から押し寄せてくる事になる』
膨大な兵力だ、思わず溜息が出た。
『主力はフェザーンだろうと思うが貴官の考えは?』
「私もそう思います」
総参謀長が苦しげな表情をしている。二正面作戦を強要される、そう考えているのかもしれない。政府の方針を私も聞いていないわけではない。

「アルテミスの首飾りの件、市民に公表すべきではないでしょうか」
私が提案すると総参謀長が微かに頷いた。アルテミスの首飾りは役に立たない、帝国内ではヴァレンシュタイン元帥により何の効果も無く破壊されている。一度最高評議会内部で討議されたが防衛体制が整わない今、公表すれば市民はパニックを引き起こしかねないと却下されたらしい。

『アイランズ国防委員長に相談してみよう。委員長は戦争が始まればイゼルローン、フェザーン両回廊で膠着状態に持ち込む事で和平をと考えている。帝国がもたついている時こそ和平のチャンスだがそれを理解しようとしない人間も出るだろう、特に議会とかね。自分は安全な場所にいると思って無責任な事を言い出しかねない。アルテミスの首飾りが役に立たないと分かればそういう人間も少しは考えるだろう』
総参謀長の口元が僅かに歪んだ。

『これから防衛計画を策定しなければならない。貴官にも参加してもらう、宜しく頼むよ』
「承知しました」
何も映さなくなったスクリーンを見て思った。二正面作戦、少ない兵力をさらに分割する事になる。膠着状態を狙うと言うが危険ではないのか。失敗したら各個撃破されることになる……。兵力を有効に使うのなら帝国軍を同盟領奥深くへ誘い込み全兵力を以って決戦という考え方も有るだろう。

問題はイゼルローン要塞、フェザーンを放棄するという事が如何いう影響をもたらすかだな。それを同盟市民が受け入れられるか、政府が混乱を抑えられるか……。しかし膠着状態にして和平を結んでも状況からしてイゼルローン要塞、フェザーンの帝国への返還は免れない、となれば放棄しても問題は無いとも言えるが……。



帝国暦 489年 8月 5日  オーディン ミュッケンベルガー邸  ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



リビングでお茶の用意をしていると夫が不思議そうな表情をした。カップが二つしか出ていない事に気付いたのだろう。
「ユスティーナ、義父上は書斎かな」
「いいえ、先程在郷軍人会へお出かけになりましたわ。何か御用ですの」
「いや、そうじゃない。カップが二つしか出ていないから如何したのかと思ってね」

「たまの休みだから二人でゆっくり過ごしなさいと仰られて……。気を使って下されたのです」
夫がちょっと困ったような表情を見せた。だから反対したのに……。
「そんな事はしなくて良いのに……。ユスティーナ、義父上に遠慮は止めて欲しいと伝えてくれないかな」

「私も言ったのですけれど……」
「駄目だったか」
「はい、貴方から仰って頂けませんか」
「一度言ったのだけどね。義父上は頑固だから……」
夫が軽く息を吐いた。養父は夫と私を出来るだけ二人だけにさせようとしている。夫が多忙で休みが取れない事を大分気にしているようだ。

夫にはココアとクッキーを私には紅茶とクッキーを用意した。ココアの甘い香りが部屋に漂う。久しぶりの休日、夫がこうして家で寛ぐのは本当に珍しい事だ。いつもは休日とは言っても人と会ったり自室で仕事をしている事の方が多い。あまり無理はして欲しくないのだけれど……。

「貴方は養父と一緒にいるのは苦になりませんの」
「……何故そんな事を?」
「養父の前では誰もが緊張していますから。貴方は如何なのかと思ったのですけど」
夫はココアを一口飲んでから“余り苦にならないな”と答えた。

嘘ではないだろう、夫はごく普通に、私よりも自然体で養父に接している。本当に血の繋がった親子のようだ。
「義父上は如何なのかな。私と一緒に暮らすというのは苦にならないのかな」
「そんな事は無いと思います。喜んでいらっしゃいますよ。……何故そんな事を?」
私が問い掛けると夫が曖昧な笑みを浮かべた。

「義父上にとって私は使い辛い部下だったのではないかと思ってね」
「まあ」
「考えてみればかなりの問題児だったと思う。良く我慢して使ってくれたものだ。義父上と同じ立場になって分かったよ。人を使うのは難しい、つくづくそう思う」
しみじみとした口調だった。

苦労しているのかもしれない。夫は未だ二十台半ば、世間一般では青二才と言われてもおかしくない年齢なのだ。それなのに夫は帝国でも屈指の実力者になっている。周りにいる部下は皆夫よりも年上だろう。気の休まる時は無いのかもしれない。沈んだ表情でココアを飲んでいる夫を見ると胸が痛んだ。

「御無理はなさらないでくださいね」
「ああ、大丈夫、無理はしないよ」
夫が柔らかい笑みを浮かべた。嘘だと分かっている。夫の立場では無理せざるを得ない事の方が多い。軍だけではなく内政にまで関わっているのだから。私は無理をしないで欲しいと出来ない事を願い夫は出来ないと分かっていても無理はしないと答える……。

意味の無い会話なのかもしれない。それでも私に出来るのは心配している人間が身近にいるのだから無理をしないでくれと訴える事でしかない。なんて無力なのか……。夫が困ったような笑みを浮かべているのも私に対する罪悪感からだろう。周囲から冷徹と言われても心の冷たい人ではない。無理をしないで欲しいと思うのは健康面だけの事ではない……。

「済まないな、ユスティーナ。君には心配ばかりかけてしまう」
私が抗弁しようとすると夫が首を横に振った。
「身体が弱いのに忙しくて碌に休みが取れない。おかげで夫婦らしい事は何一つしてやれない。本当なら今日も一緒に出かけたり買い物にでも付き合うんだが……」
夫が溜息を吐いた。

そんな事は出来る筈がない。夫の命を奪おうとしている人間は多いのだ。今も屋敷の周囲には警護の兵士が大勢居る。私だって外出は出来るだけ控えている。キュンメル事件を忘れる事は出来ない。もう少しで夫は殺される所だったのだから。
「これでは何のために結婚したのか……、義父上が出かける筈だ、情けない夫だよ、私は」
俯いて首を振っている夫が愛おしかった。外では弱い姿を見せられない人が私の前では見せている。それだけで愛おしかった。

「私は後悔していません」
「ユスティーナ」
「幸せですよ、私は。貴方とこうして一緒にいられるんですから」
言ってから恥ずかしさで顔が熱くなった。夫が困ったような表情をするのが分かってさらに熱くなった。でも本心だった。夫と結婚した事を後悔はしていない。

「もうすぐ宇宙は平和になるだろう。そうなれば少しは時間が取れるようになると思う。もう少し我慢して欲しい」
「はい」
戦争が近付いている、そう思った。夫がそれを口に出した事は無い。でもなんとなく分かる。最近自室でじっと考えている事が多くなった。その時の表情はとても厳しい。戦争の事を考えているのだと思う。宇宙を平和にするための戦争。本当に平和になって欲しい、そう思った……。



帝国暦 489年 8月 5日  オーディン ミュッケンベルガー邸  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



お茶の時間が終るとリビングには俺だけが残った。ユスティーナは片付けとは言っているが本当は俺を一人でゆっくりさせたいのだろう。彼女には寂しい思いばかりさせている。済まないな、ユスティーナ。何時か必ず埋め合わせはしよう。

義父殿は在郷軍人会か……。参るね、あそこは年寄りが多いからな。親近感が有るのかもしれないが話題になるのは孫がどうしただの曾孫が生まれただのって話が多いんだよ。そうなるとミュッケンベルガーも孫が欲しいってなるんだろう。俺には言わないがユスティーナには時々訊いて来る時が有るそうだ。まあ時々だし軽くではあるそうだが。

子供か、今は拙いよな。ユスティーナが妊娠したと知ったらアホ共が何を考えるか……。俺にダメージを与える事が出来るなんて考えてユスティーナの命を狙いかねない。避妊すべきかな? でもなあ、ユスティーナが悲しむだろうし……、それを考えると避妊も出来ない。

今から妊娠したとすると出産は来年だよな。今年の年末は出兵準備で忙しい筈だ。そして年が明ければ同盟領に向けて出兵となる。軍事行動期間は大体半年から一年。出産、子育て、一番大変な時期に傍に居てやれない。おまけに帰ってくれば直ぐにフェザーン遷都だ。やっぱり子作りはフェザーンに行ってからかな?

避妊、ユスティーナに相談してみようか。多分彼女は嫌とは言わないだろう。でも悲しそうな顔をするだろうな。見たくないんだよ、ユスティーナのそんな顔は。今だって心配かけまくりなんだから。……頭が痛くなってきた、ミュッケンベルガーに相談してみようか。

地球を制圧してから一カ月か。そろそろ地球教の残党もフェザーンに集結したころだろう。帝国の出兵を可能にするには同盟がフェザーンの中立性の維持に失敗した、或いは反帝国的な活動を行ったとするのが妥当だ。地球教がどう動くか、ルビンスキーがそれをどう利用するか……。

地球教は現状のフェザーンには満足出来ない筈だ。フェザーンを思うように動かせない。何と言っても自治領主であるペイワードは思い通りにならないし自由惑星同盟軍が駐留している。言ってみれば占領統治下にある様なものだ。自治領主を傀儡に任せ同盟軍を撤退させる事を望む筈だ。

フェザーンの自治を回復する。帝国の自治領に復帰するか、或いは現状を利用して同盟の自治領を目指すか。そしてフェザーンを根拠地として再度地球による宇宙支配を考える。帝国と同盟の国力を考えれば帝国に戻るだろう。だが地球教にとって同盟の方が与し易い、そう思う可能性が有る。或いはルビンスキーがそう誘導するかもしれない。その方向で混乱が起きれば十分に出兵は可能だ。同盟はフェザーンの中立性を維持せず自国の利を図った、そう非難出来る。

同盟を頼るのは無理が有るかな。ペイワードの力が強くなりかねない。地球教の望むところではないだろう。となると帝国の自治領を目指す可能性が高いか……。しかし何をやるにしても邪魔になるのがペイワードだろう。地球教は必ずペイワードを排除するか取り込もうとするはずだ。

取り込むのは難しいだろう。ペイワードは自分の後ろ盾が同盟だと分かっている。その同盟が地球教を否定している以上ペイワードが地球教を受け入れる事は無い、となると排除だな。どうやって排除する? 謀殺か? 上手い手ではないな、同盟は地球教が動いたと認識するはずだ。地球教に対する追及は厳しいものになるだろう。帝国としても地球教の追及なら文句は言えない。

いや、可能性は有るか。ペイワードを謀殺して次の自治領主を長老委員会で選ぶ。当然だが地球教の操り人形だ。長老委員会がまだ地球教の影響下にあるなら可能性は有る。同盟は認めないだろう、となると混乱が生じる、中立性の維持に失敗したと非難が出来れば帝国に出兵のチャンスが生じる。ルビンスキーが誘導する。

待てよ、殺すまでも無いか。同盟から押付けられた自治領主と非難してリコールすればいいわけだ。先ずフェザーン人の間でペイワードへの不満、同盟への不満を煽る。その上でペイワードのリコールだ。同盟もペイワードも受け入れるのは難しいだろう。こっちが本筋かな。まあ中立性の維持を争点にするならそんなところか。

レムシャイド伯はオーディンに戻した方が良いな。フェザーンはこれから混乱する、同盟側に沈静化の協力など求められても詰まらん。それに場合によってはレムシャイド伯の命が危ういという事も有るだろう。高等弁務官の暗殺なんて反帝国活動の最たるものだ。リヒテンラーデ侯に相談してみよう。


 

 

第二百六十五話  戦争への道 




帝国暦 489年 9月 15日  オーディン 新無憂宮  ヨッフェン・フォン・レムシャイド



オーディンに着くと自邸に戻る事なく直ぐに新無憂宮に向かった。地上車から見える風景は以前私が知っていた風景とは違った。街を歩く平民達の表情は明るい、以前有った何かに怯えるような暗さは何処にも無かった。街にも活気が溢れている。内乱、改革、帝国は変わったとは聞いていたが予想以上だ。

新無憂宮に着いてからもその思いは変わらなかった。新無憂宮の通路にはかつてなら噂話に興じていた貴族達が居ない。すれ違うのは速足で歩く廷臣と官史、女官だけだ。無駄に煩く無駄に人が多かった新無憂宮が閑散としている。その閑散とした新無憂宮を国務尚書の執務室に向かって歩いた。昔なら暇を持て余した貴族が何処へ行くのかと窺うところだ。

フェザーンで思った事だが貴族が力を失う時代、平民が力を振るう時代がやってきたのだと改めて思った。血統ではなく実力が尊ばれる時代が来た。将に、我々はその生まれに関係なく自らの足で立たなければならないのだ。しかしそれこそが本来ルドルフ大帝が望んだ事でもあった筈だ。帝国は正しい形になったのかもしれない。

国務尚書の執務室にはリヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥が居た。どうやら私が来るのを待っていたようだ。
「戻ったか、レムシャイド伯」
急いで部屋の中に入った。
「はっ、今フェザーンから戻りました。この度はお気遣い頂き、真に恐れ入ります」
リヒテンラーデ侯が楽しそうに笑い出した。

「礼なら私ではなくこの男に言うのじゃな。卿の命が危ない、オーディンに戻した方が良いと言ったのはヴァレンシュタイン元帥だ」
「そうでしたか。ヴァレンシュタイン元帥、こうして御会い出来た事を嬉しく思います。御好意、感謝します」

丁重に挨拶するとヴァレンシュタイン元帥は困ったような表情をして“当然の事をしたまでです、お気になさらないでください”と言った。物馴れていない少年めいたところが有る。冷徹非情な策謀家、無双の名将という評判の軍人には見えなかった。

「この男、悪知恵は働くのだが根は善良での。卿の死を利用して開戦のきっかけにしようとは考えぬようだ。私なら、さて、どうしたかの」
国務尚書が人の悪そうな笑みを浮かべた。元帥に視線を向けると元帥は苦笑していた。
「小官がレムシャイド伯の身が危ういと言うと何故もっと早く気付かぬと叱責されたのは国務尚書閣下です」
国務尚書に視線を向けたが惚けた様な顔をしている。

「そうだったかの、良く覚えておらぬが」
「そうだったのです、小官は良く覚えております」
国務尚書は惚けた様な顔、元帥は澄ました表情をしている。耐え切れなくなって吹き出してしまった。帝国屈指の実力者二人が子供のような言い合いをしている。リヒテンラーデ侯も笑い出し元帥も笑った。

国務尚書がソファーに座る事を勧めてくれた。リヒテンラーデ侯と元帥が並んで座り私がその対座に座った。用意してくれたのは紅茶だった。
「何はともあれ無事で良かった。フェザーンの状況は知っておるかの」
「私がフェザーンを発ってから動きが有った事は知っています。ペイワードに対するフェザーン人達の反発が大きくなっているとか」
リヒテンラーデ侯が頷いた。

「どうやら地球教が動き出したようだ。フェザーンを自由に動かすには自分達の意のままになる傀儡を自治領主にしたいのだろう。ペイワードは邪魔だという事だな」
「世論を動かして辞任させるか、或いは罷免するかを考えているという事でしょう。出来れば帝国も反乱軍もあまり刺激したくない、そんなところだと思います」
私の考えにリヒテンラーデ侯が頷いた。元帥は無言で紅茶を飲んでいる。

私がフェザーンを発った後、フェザーンではペイワードの手腕、自治領主就任の不透明さを誹謗する記事が幾つかの電子新聞に掲載されている。そして論調は徐々にだが厳しくなった。今では当初批判していた新聞以外にもペイワードを批判している新聞が有る。それに伴ってフェザーン人の間でもペイワードへの批判が高まっているようだが……。

「しかしペイワードを擁護する新聞も有るようです」
「うむ、反ペイワードの勢いは強くはなっているがどちらかと言えば支持する人間の方が多かろう。もっともフェザーン人の大部分は様子見、或いは無関心のようだが……」
「はい、フェザーン人は政治にはあまり関心を持ちません。連中が興味を持つのはまず第一に金儲けです」
私の言葉にリヒテンラーデ侯と元帥が苦笑を浮かべた。

「卿の帰国も利用されているようだ。反乱軍を重視し帝国を軽視したために卿は不満に思っている。今回の帰国はその不満の表れだと」
「身の危険を感じて逃げたとは思いますまい」
「まあ、そうだの」

一時帰国の挨拶をペイワードとシャノンにしたが二人ともこちらの意図には気付いていなかった。今は如何思っているか……、案外ペイワードを攻撃しているのは私だと思っているかもしれない。その事を二人に言うと二人とも苦笑を顔に浮かべた。有り得ると思ったようだ。

「まあ本命は地球教と思っているだろうが結構卿も連中を痛めつけたからの、その可能性を無視は出来まい」
「私は国務尚書閣下と元帥の指示に従っただけですが」
「遠慮はしなくても良いのだぞ、レムシャイド伯。結構楽しかったであろう?」
国務尚書が人の悪い笑顔でニヤニヤと笑っている。はて、こんな人だったか? もっと謹厳というか厳めしい人だと思ったが……。

「閣下、ペイワードを貶めるのが地球教、擁護するのが反乱軍でしょうがルビンスキーはどう動くと思われますか」
気を取り直して問い掛けると国務尚書はニヤニヤ笑いを納めヴァレンシュタイン元帥に視線を向けた。元帥が一つ頷く。

「両方を煽っているのではないかと思いますよ。彼が必要としているのは混乱と騒動です。出来るだけ対立を深め引っ掻き回したい、地球教、反乱軍が制御出来ない程の混乱を作り出す。そして帝国が出兵出来るだけの理由を作る、そう考えているのだと思います。現時点では取り敢えず対立を深める、それを目的にしているでしょう」
「なるほど」
私が頷くとヴァレンシュタイン元帥が笑みを漏らした。

「レムシャイド伯の暗殺を考えるとすればルビンスキーでしょうね。地球教、反乱軍を精神的に追い詰めるには最高のカードです。帝国も出兵するだけの名分を持つ事が出来ます。お分かりでしょう? レムシャイド伯自らが反乱軍と交渉したのですから」
その通りだ、分かっている。

帝国は反乱軍のフェザーン進駐を認めるに当たり八項目の条件を呑ませた。その中の第六条で反乱軍はフェザーンにおける帝国高等弁務官の権利、安全、そして行動の自由を保障する事を約束している。また第八条では帝国に対し反帝国的な活動を行なわない事。もし反帝国的な活動が有ったと帝国が認めた場合、反乱軍はフェザーンに進駐する正当な理由、権利の全てを失う事も認めさせている。

「ルビンスキーめ、当てが外れたかの」
含み笑いを漏らしながら国務尚書が元帥に視線を向けた。
「そうそう彼の思い通りにはさせません。多少は苦労をして貰います。彼は敵が多いですからね、生き残れるかどうか……。その力量がどの程度の物か、見せて貰いましょう」
声も冷たければ言葉も冷たい。ヴァレンシュタイン元帥が冷笑を浮かべると国務尚書が私を見て笑い声を上げた。

「怖い男であろう、レムシャイド伯。他人事のように言っておるがルビンスキーを邪魔だと思っているのは司令長官も同じよ」
「……」
言葉が出ない、先程までの元帥とはまるで違う。何時の間にか春の陽だまりから厳冬の寒風に変わっていた。そんな私を見て国務尚書がまた笑った。
「早ければ年内、遅くとも来年早々には出兵になる筈だ。軍はイゼルローン、フェザーンの二正面作戦を展開する。卿はフェザーン方面軍に同行する。良いな?」
「はっ」
私が答えると国務尚書が満足げに頷いた。

「フェザーン占領後は卿がフェザーンの占領行政の責任者となる。軍とは十分に意識を合わせておくことじゃ」
「承知しました」
「それと政府閣僚ともだ、頼むぞ」
「はっ」
責任重大だな。ヴァレンシュタイン元帥に視線を向けた。元帥は先程とは違う穏やかな笑みを浮かべていた。春の陽だまりだ。



帝国暦 489年 9月 30日  オーディン マリーンドルフ伯爵邸  コルネリアス・ルッツ



伯爵邸の応接室は落ち着いた感じのする部屋だった。むやみに高価な家具や調度、芸術品は無い。平民の俺が居ても疲れない部屋だ。内乱終結後、時折此処に来るようになった。マリーンドルフ伯も歓迎してくれる。今日も三人でコーヒーを飲んでいる。

伯が俺を歓迎してくれるのは俺をヒルダの親しい友人、いや恋人と認めてくれているのも有るが政治的な意味合いも有るようだ。例のキュンメル男爵のヴァレンシュタイン元帥暗殺未遂事件でマリーンドルフ伯爵家は極めて拙い立場になった。もう少しで帝国は国家の中心人物を失うところだったのだ。伯爵家に対する非難は大きかったと言って良い。

そんな伯爵家にとって俺とヒルダの関係は極めて都合の良い物だった。内乱で別働隊を率いた俺はヴァレンシュタイン元帥の信頼厚い部下と周囲から評価されている。そんな俺が頻繁に伯爵家を訪ねる、そして司令長官はその事に関して何も言わないし閣下から俺が避けられる事も無い。

司令長官はマリーンドルフ伯爵家に対して何ら含む所は無い、俺とヒルダの事も認め祝福している、周囲はそう認識している。つまりマリーンドルフ伯爵家は許されているという事だ。そうでなければ伯に対して内務尚書を辞任しろという圧力が周囲からかかっただろう。政府閣僚には司令長官に近い改革派が少なからずいるのだ。

「相変わらずお忙しいのですか」
「そうだね、内乱が終わって一年と半に満たない。今は新たな国家建設の時だ、とても暇とは言えないな」
内務尚書、マリーンドルフ伯が穏やかに笑い声を上げた。多くの貴族が持っていた傲慢さをまるで感じさせない笑い声だ。実際伯ほどの人格者はなかなか居ないだろう。その事も伯が内務尚書を辞任せずに済んだ理由の筈だ。

「それでも以前に比べればかなり楽な筈ですわ。そうでしょう、お父様」
「まあ、それはそうだが」
ヒルダの言葉に伯がちょっと照れたような表情をした。聡明な娘に痛いところを突かれた父親、そんなところだ。もしかすると伯はそんな父親役を楽しんでいるのかもしれない、コーヒーを飲んでいる伯を見てそう思った。

「やはり省を解体した事が大きいのでしょうか」
問い掛けると伯が笑みを浮かべながら頷いた。
「そうだね。以前に比べれば何分の一、そんなところだろう。もし元のままだったらこの時期に私一人で切り回すのはなかなか難しいと思う」
「内務省は省庁の中の省ですものね」
ヒルダの言葉に伯も俺も頷いた。

かつて内務省は省庁の中の省と呼ばれた。内務省が持っていた権限は財務、司法、軍事を除いた行政全てといって良かった。帝国内で内務尚書ほど大きな権限を持っていた人物は居ないだろう。だが内乱後は新たに保安、自治、運輸、工部、民生の五つの省が誕生し内務省が持っていた権限を委譲された。

内乱時に政府に敵対しローエングラム伯の反逆に与する動きを見せた事に対する罰だと言われているが元々内務省が持つ大きすぎる権限に反発する声、弊害を指摘する声は有ったのだ。俺には政府が報復というよりもそれらの声に配慮したのではないかと思える。今内務省に残るのは各行政機関の機構・定員・運営や各行政機関に対する監察、恩給、国勢調査だけだ。内乱により内務省はその権力を失った。

「今忙しいと仰られるのは?」
「国勢調査だよ」
「国勢調査? そういえば私の所にも国勢調査の資料が来ていました。……妙だな、あれは十年毎、下一桁が五の年に行われると思っていましたが……」
俺が疑問を口にすると伯が“その通り”と言って頷いた。

「内乱で随分と人が死んだからね。貴族に与していて没落した人間もいる。今までの国勢資料は当てにならないだろうと政府は考えている」
「なるほど」
国内は劇的に変わった。確かに過去の資料は当てにならない。

「それにもう一つ問題が有った」
「もう一つ?」
問い返すと伯が頷いた。
「没落した貴族達だがまともな国勢資料を作っていなかったようだ。連中から政府に提出された資料は全く役に立たない」
「それは……」
やれやれだ、呆れもしたが貴族達が遣りそうな事だとも思った。俺が苦笑するとマリーンドルフ伯は声を上げて笑った。ヒルダが“お父様”と伯をまた窘めた。

「失礼、そんなわけでね、二重の意味で過去の資料は役に立たないという事だ。それで急遽国勢調査をという事になった」
「なんと言うか、まあ言葉が見つかりません」
伯がまた笑った。今度はヒルダも咎めなかった。彼女も苦笑している。

「今回の国勢調査で内乱終結後の帝国の人口、世帯の実状がはっきりする。次は五年後に行うが改革によって帝国がどう変わったか、はっきり見えてくるはずだ」
「五年後? 十年後ではないのですか?」
俺が問い掛けると伯が頷いた。
「今後は五年毎に国勢調査を行う。改革には常に正しい情報が必要だからね。十年毎ではいささか間が開き過ぎる、不備が有っても気付くのが遅くては損失が大きくなりかねない」
「……」

なるほど、確かに十年毎ではいささか間が開き過ぎるな。改革によって帝国は急激に変化している、五年毎の国勢調査は妥当だろう。そして政府はこれからも本気で改革を進めようとしている証拠でもある。喜ばしい事だ、俺だけじゃない、多くの平民達が喜ぶだろう。

「ところで軍の方はどうなのかな。最近フェザーンが騒がしいが」
「密かにですが戦争の準備は始まっています」
俺が答えると伯はウンウンと頷いた。
「おそらくフェザーン、イゼルローン両回廊へ帝国軍全軍を挙げての大規模出兵になる筈です」
伯が大きく頷いた。

「最後の戦いか。いよいよだな、政府でも戦争が間近だろうと話が出るよ」
「……」
「帝国軍が圧倒的に有利だと皆が言っている。あっという間に戦争は終わってしまうのではないかと。いささか物足りないのではないかね?」
伯が覗き込むように俺を見てきた。思わず苦笑が漏れた。

「戦力的に有利であっても楽に勝てる戦いなどは有りません。特に反乱軍は負ければ国が亡びかねません。おそらく、死にもの狂いで向かってくるでしょう。そういう敵がどれ程恐ろしいかは昨年の内乱で嫌というほど思い知りました。油断は出来ません」

伯は興味深げに聞いていたがヒルダは表情を消して頷いていた。彼女は分かっている、キフォイザー星域の会戦で勝てたのはヒルデスハイム伯が勝利に逸った所為だった。あれが無ければ勝てたかどうか……。敗ければ辺境星域は貴族連合の手に落ちていただろう。

そしてリッテンハイム侯の抵抗、今でもうなされる程の悪夢を見る勝利、あれを勝利というのなら勝利とは苦痛以外の何物でも無い。それ以上の苦痛が有るのだろうか? 有るとすればそれは敗北する事だろう。楽に勝てる戦争などというものは無いのだ。その事はヴァレンシュタイン司令長官も理解している。ガイエスブルクの決戦では自らを囮にするほどの危険を冒さなければ勝利を得られなかったのだから。

寄せ集めと言われ圧勝するだろうと思った貴族連合軍でさえそれほどの苦戦を強いられた。そして反乱軍は貴族連合軍とは違う、彼らは軍人、プロの戦闘集団なのだ。ビュコック、ウランフ、ヤン・ウェンリーなど一筋縄ではいかない男達が揃っている。油断など出来る事ではない。



 

 

第二百六十六話 戦争計画  



宇宙暦 798年 9月 30日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



「レベロ、少し話せるか?」
「構わんが何か有ったか?」
「ああ、少し相談が有る」
シトレが憂鬱そうな表情をしている。フム、人払いをした方が良さそうだ。二人で応接室に入った。

応接室と言っても財政委員長の執務室の中の応接室だ、大したものではない。四人も入れば部屋は窮屈に感じるような小部屋だが話し声が外に漏れないように防音にはなっている。内緒話には都合が良い部屋だ。向き合って座るとシトレが直ぐに話し出した。最近は軍服よりもスーツが似合うようになってきた。少しも不自然な感じがしない。

「戦争が近付いている」
「そうだな」
「軍は防衛計画を策定しているが上手く行かん。混乱している」
「混乱? どういう事だ」
「……」
驚いて問い質したがシトレは答えなかった。

「シトレ?」
問い掛けるとシトレが大きく息を吐いた。良くないな、シトレがここまで深刻になっているという事は軍の混乱は大きいという事だ。
「……二正面作戦は避けるべきではないかという意見が出ている」
「二正面作戦を避ける……」
どういう事だ?二正面作戦を避ける?

「イゼルローン、フェザーン回廊を放棄し同盟領内の奥深くに誘い込んでの一戦、それに賭けるべきではないか、そういう事だ」
「……馬鹿な、イゼルローン要塞を、フェザーンを捨てろと言うのか」
声が掠れた。とても正気とは思えない。しかしシトレは話した事で覚悟が出来たのだろう、怯む事無く私を見ている。

「レベロ、同盟軍の兵力はイゼルローン要塞駐留艦隊、フェザーン駐留艦隊を入れても七個艦隊だ。そしてそのうち二個艦隊は練度の低い新編成の艦隊だ。その七個艦隊を如何使うか、それで勝敗が決まる。今の同盟にイゼルローンとフェザーン、二正面に分けて戦う余裕が有ると思うか? 帝国の兵力は分かっているだけでも二十個艦隊有るのだ」
「……」
圧倒的な兵力差だ。息苦しい程の重苦しさを感じた。

「当初軍はイゼルローン方面に二個艦隊、フェザーン方面に五個艦隊を配備する事で帝国軍を防ごうとした。しかし防ぎ切れるか確信が持てないと言ってるんだ。少ない兵力をさらに分割するなど危険過ぎると言っている」
「……」
「フェザーン方面に帝国が半分の十個艦隊を送ったとしても同盟軍の倍の兵力だ。しかも練度はこちらよりも上だろう。回廊の出入り口で地の利を活かして戦うと言っても限界がある。最終的には防ぎきれないのではないかと軍首脳は危惧している。イゼルローン方面も同様だ」
溜息が出た。兵力が足りない。せめてあと三個艦隊有れば、そう思った。

「アイランズ国防委員長は何と言っているんだ」
「国防委員長は二正面作戦で帝国軍を食い止めたいと考えているよ。それを以って帝国と講和交渉を行いたいと。同盟領内に入れたのでは交渉の内容が厳しくなる、いや交渉そのものが出来ない可能性が有る、そう考えているようだ」
なるほど、軍と国防委員会で方針が一致しないということか。

「アイランズ国防委員長を説得してくれというのか?」
シトレが頷いた。
「彼だけじゃない、トリューニヒト議長もだ。議長の支持が有るからアイランズは意見を譲らない。軍はアイランズを飛び越えて直接トリューニヒト議長に話す事を躊躇っている。それで私に相談してきたんだ」
つまりシトレから聞いたが軍が困っている様だが大丈夫かと二人に注意喚起しろという事か……。あまり楽しい仕事ではないな、私が答えずにいるとシトレが言葉を続けた。

「レベロ、食い止めに失敗すれば同盟が滅びかねない、二つの回廊、どちらも失敗は出来ないという事だ。極めて条件は厳しい。だが引き摺り込んで戦うなら場所はこちらで選べる、それだけでも有利だ、違うか? 」
身を乗り出してシトレが強い視線を送ってきた。受け止められない、目を伏せた。

「君の、いや軍の言う事は分かる。しかしイゼルローン、フェザーンを放棄すれば如何なる? 同盟領内でとんでもない混乱が生じかねん。シトレ、政府がそれに耐えられると思うか? 政府が瓦解すればそれこそ自滅行為だ。星系自治体の中には帝国に勝手に降伏する自治体も出てくるだろう、そうなれば政府だけじゃない、同盟そのものの瓦解だよ、秩序だった防衛など出来なくなる。トリューニヒトもアイランズもその辺りを考えているのだと思う。そうではないか?」
今度はシトレが目を伏せた。シトレにも自信は無いのだ。

「その可能性は確かにある。ヤン提督もそれを懸念していた。しかしトリューニヒト政権の支持率は高い。政府主導で同盟領内で決戦すると市民に説明すれば……」
「……帝国軍が星系自治体を攻略したらどうなる。パニックになるぞ。或いは人質に取られて正面決戦を強いられたら? 見殺しには出来ない、こちらの都合で決戦などという思惑は吹っ飛んでしまうだろう」

「無防備都市宣言を出させれば帝国も無茶はしない」
「……自分に言い聞かせている様な口調だな、絶対の保障は無い」
「……」
「シトレ、軍は勝つ事を優先し過ぎていないか? 市民の安全を軽視しているように見える。無茶をすれば戦う前に同盟が崩壊しかねない」
シトレが顔を歪めた。

「アルテミスの首飾りの問題も有るぞ」
「……」
「あれが役に立たない事を公表しろと軍は言っているがそれだって市民感情を配慮して公表出来ずにいる。君らの言うように公表して要塞とフェザーンを放棄すればどうなるか? 容易に想像は付くだろう」
同盟市民、特にハイネセンの市民は発狂したようになるだろうな。

「帝国軍は大軍だ。その分だけ補給の維持も大変だろう。引き摺りこんで補給を絶つ、絶てなくても不安を持たせればそれだけでこちらが優位になる。レベロ、我々が勝てる可能性は高まるんだ。その辺りは市民に丁寧に説明するんだ」
「勝てるといっても同盟が崩壊しなければだ」
崩壊すれば戦わずして敗ける。それにシトレ達は勝った後の事を考えていない。

「君こそ分かっているのか? フェザーンを放棄するという事はペイワードを見捨てるという事だ」
「已むを得んだろう。フェザーンより同盟が生き残るのを優先せざるを得ない」
「たとえ同盟が生き残ってもフェザーンはもう我々に協力しない。その意味まで考えて言っているのか?」
「……」
「どうやってこの国を建て直すつもりだ。フェザーンの協力が無ければ破産するぞ。それこそ帝国に占領された方が良かった、そんな事になりかねない」
何時の間にか二人とも顔を寄せ声を潜めていた。

「交渉で和平を結んだとしてもフェザーンは帝国の物になるだろう、イゼルローン要塞もだ。違うか?」
「……」
「同盟の再建はどんなに苦しくてもフェザーン抜きでやらなければならないんじゃないか?」
「……」
シトレがじっと私を見ている。

「だとすれば敢えてフェザーンを守る事に拘る必要は無い筈だ」
確かにそうかもしれない。余程の大勝利を得なければフェザーンとイゼルローン要塞の保持は難しい。シトレの言う事が正しいのだろうか? しかしフェザーン放棄、イゼルローン要塞放棄に同盟市民は耐えられるだろうか? 同盟は耐えられるだろうか? どうにも判断がつかない。

「……それに信じられるのか、フェザーンを」
「どういう意味だ」
「戦闘中にフェザーンが帝国に寝返ったらどうなる。軍は後方を遮断される事になるぞ」
「……」
「軍はそれも恐れているんだ」
虚を突かれた。そんな事を考えているとは……。

「君はペイワードが裏切ると思っているのか?」
シトレが首を横に振った。
「そうは言っていない。だが戦っている最中にクーデターが起きる可能性は有る」
「……」
「最近のフェザーンが不安定な事は君も分かっているだろう。あれは間違いなく帝国の手が伸びている。今フェザーンで戦うのは危険だ」
確かに危険かもしれない。溜息が出た。

「分かった。トリューニヒト、アイランズと話してみよう」
「ああ、頼むよ」
「勘違いするなよ、説得すると言っているんじゃない。君らの懸念を伝える、そういう事だ。出来れば軍と政府の意見調整の場を設けるようにも言ってみよう」
シトレが安心したように頷くのが見えた。それにしても厳しい状況だ。勝つ事も厳しければ同盟を再建するのも厳しい。気が付けば掌にびっしょりと汗をかいていた。



帝国暦 489年 10月 30日  オーディン 新無憂宮  アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト



会議室に陛下が入って来た。全員が立ち上がり頭を下げる。暫くして
「一同大儀である。座るが良い」
との陛下の御言葉が有った。陛下は既に席についている、我々も席に座った。皆が緊張していた。これから陛下御臨席による作戦会議が始まる。前回陛下御臨席の作戦会議が行われたのはコルネリアス帝の御親征の時だそうだ。百三十年ぶりに陛下御臨席の作戦会議が開かれた事になる。

会議室には陛下の前に文武の重臣が並んでいる。陛下から見て右側には文官が席を占めた。国務尚書、財務尚書、内務尚書、司法尚書、保安尚書、運輸尚書、自治尚書、工部尚書、民生尚書、科学尚書、学芸尚書、宮内尚書、内閣書記官長、それと他に何人かの貴族、官僚。

左側の席は武官だ。軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官、副司令長官、遠征に参加を想定されている艦隊司令官、その他軍務省、統帥本部、宇宙艦隊司令部、科学技術総監部、兵站統括部、憲兵隊から代表者が出ている。右側よりも左側の方が出席者が多い。

陛下が国務尚書に向かって軽く頷いた。
「これより作戦会議を始めるが皆に言っておく。この百五十年間、帝国は反乱軍と戦ってきたが残念な事にこれを降す事が出来なかった。今回の遠征をもって反乱軍を降伏させ帝国による宇宙の再統一を実現する。この会議はそのために行うものである。陛下の御前ではあるが皆臆する事無く忌憚ない意見を述べるように」
国務尚書の言葉に皆が頭を下げた。

軍務尚書と統帥本部総長が顔を見合わせた。統帥本部総長が微かに頷くと周囲を見渡した。
「先ず遠征軍の規模であるが兵力は二十個艦隊。将兵は戦闘要員だけで三千万人、後方支援要員に一千五百万人を動員する。これをもってイゼルローン、フェザーン両回廊を制圧し反乱軍の勢力圏に侵攻する」
シュタインホフ統帥本部総長の声が会議室に流れると彼方此方から嘆息が漏れた。二十個艦隊による大遠征軍、合計四千五百万人の動員、帝国始まって以来の事だ、無理もない。

「イゼルローン方面はヴァレンシュタイン元帥が指揮を、フェザーン方面はメルカッツ元帥が指揮を執る。なお遠征軍全体の指揮はヴァレンシュタイン元帥が統括するものとする」
皆の視線がヴァレンシュタイン元帥とメルカッツ元帥に向かった。

「次に編成であるがイゼルローン方面は七個艦隊、フェザーン方面は十三個艦隊とする。なおそれぞれの遠征軍を便宜上イゼルローン方面攻略軍、フェザーン方面攻略軍と称する」
主として文官達の席からざわめきが起きた。出席している武官の殆どは既に軍内部で行われた作戦会議で聞いている。しかし文官達は初めて聞くのだ、無理もない。

難攻不落と言われるイゼルローン要塞、それを七個艦隊で攻める。大軍ではあるがフェザーン方面の約半数だ。訝しく思っているのだろう。そしてその規模の小さい艦隊をヴァレンシュタイン司令長官が率いるというのも驚きなのかもしれない。逆ではないか、そんな思いが有る筈だ。

「今回、フェザーン方面攻略軍は十三個艦隊という膨大な兵力を運用するため幾つかの艦隊を纏めて一個軍として運用する。フェザーン方面攻略軍第一軍は四個艦隊をもって編成する。シュムーデ、リンテレン、ルックナー、ルーディッゲ提督、第一軍総司令官はシュムーデ提督が務める」
第一軍は昨年の内乱ではフェザーン方面で活動した。回廊についても詳しく知っている筈だ、その辺りを買われての任用だ。

「第二軍は五個艦隊、メルカッツ、ケスラー、メックリンガー、ロイエンタール、ミッターマイヤー提督。第二軍総司令官はフェザーン方面軍総司令官、メルカッツ元帥が兼任する。第三軍は四個艦隊、クレメンツ、ルッツ、ファーレンハイト、ワーレン提督。第三軍総司令官はクレメンツ提督とする」
膨大な兵力だ、分かっていた事だが溜息が出そうになった。

「イゼルローン方面軍はヴァレンシュタイン、シュトックハウゼン、レンネンカンプ、ケンプ、アイゼナッハ、ビッテンフェルト、ミュラー提督」
七個艦隊、この兵力で難攻不落を誇るイゼルローン要塞を攻める。イゼルローン要塞にはヤン・ウェンリーが居る。一体どんな戦いになるのか。

「ここまでで質問は?」
シュタインホフ元帥の言葉に会議室にざわめきが起きた。彼方此方で顔を寄せ合って話している。主として文官達の席からのざわめきが多い。手が上がった。ブラッケ民生尚書だった。

「反乱軍の兵力はどの程度になると見ているのです?」
「大凡では有るが七個艦隊から八個艦隊と思われる」
二倍以上の兵力差、三倍に近い。圧倒的だ。
「宜しいですかな?」
ブルックドルフ保安尚書が声を発した。シュタインホフ元帥が頷くと保安尚書が言葉を続けた。

「遠征はどの程度の期間になると軍は考えているのです?」
「約一年を想定している」
「一年ですか、その間帝国領内は軍事的に空白の状態になると思いますが問題は有りませんか? 国内治安において警察だけで対応出来ない状況が発生した場合の対処を如何するのか、お答えいただきたい」

警察だけでは対応出来ない状況か、……反乱、または暴動、破壊工作などだろうな。地球教の脅威もゼロになったわけではない。治安を担当するブルックドルフ保安尚書としては気になるところだ。
「フェザーン方面攻略軍はフェザーン回廊を制圧し反乱軍の勢力圏内に侵攻した時点で第一軍の任務をフェザーン及びフェザーン回廊の警備、補給路の警備、帝国内の治安維持に切り替える。国内治安に関して軍は特に問題は生じないと見ている」
シュタインホフ統帥本部総長が答えると保安尚書が二度、三度と頷いた。

「イゼルローン要塞を七個艦隊で攻めると御考えのようですが少なくは有りませんか? フェザーン方面に偏重しているように見えますが」
今度はグルック運輸尚書だ。自信無さげなのは軍事に疎いせいかもしれない。シュタインホフ統帥本部総長がヴァレンシュタイン元帥に視線を向けるとヴァレンシュタイン元帥が頷いた。

「問題は無いと考えています。詳しくは軍事機密に属するためお話し出来ませんがイゼルローン要塞攻略は現状の兵力で十分可能です。御安心下さい」
司令長官の言葉にグルック運輸尚書が困ったような表情をしている。他にも何人か似た様な表情をしている人間が居る。司令長官を信じて良いのか迷っているのだろう。それほどまでにイゼルローン要塞は堅固だと思われている。

「イゼルローン方面よりもフェザーン方面の兵力が多いのは反乱軍にフェザーン方面が主攻でイゼルローン方面が助攻だと思わせるためです。おそらく反乱軍は兵力の大部分をフェザーン方面に集中させるでしょう。しかし実際にはイゼルローン方面が先に回廊を突破する筈です。そうなればフェザーン方面の反乱軍も退かざるを得ない」
「信じて宜しいのですね」
「もちろんです」
司令長官が断言するとグルック運輸尚書が頷いた。

「反乱軍がイゼルローン要塞、フェザーンを放棄して領内奥深くに帝国軍を引き摺り込もうとする。その可能性は有りませんか?」
シルヴァーベルヒ工部尚書の問い掛けに彼方此方でざわめきが起きた。イゼルローン要塞を放棄する、フェザーンを放棄するという事が驚きなのだろう。

「可能性は有りますが反乱軍がイゼルローン要塞、フェザーンを放棄するのは難しいと思います。反乱軍は市民の権利が強い、彼らが放棄に納得出来るかどうか。反乱軍の首脳部は市民感情を慮って決断出来ないのではないか、そう考えています」
尚書達が頷く姿が見えた。

「もし彼らが両回廊を放棄しても問題は有りません。我々は遠征の期間は一年間を想定しています。反乱軍の勢力内で根拠地を作りじっくりと攻めるつもりです。既に根拠地となる惑星も情報部の調査により想定済みです」
司令長官の言葉に彼方此方から満足そうな声が上がった。大丈夫だ、準備万端、問題は無い。

「他に質問は有りますかな」
「……」
質問が出ない。軍務尚書が満足そうに頷いた。
「無ければ次に補給計画について兵站統括部より説明します」
軍務尚書の言葉に兵站統括部の士官が“それでは補給計画について説明致します”と声を発した。

補給計画の説明が終ればフェザーンの占領計画、そして同盟との講和条件、保護領化と三十年後の併合について説明がある。そしてフェザーン遷都……、新たな銀河帝国の成立だ。宇宙は統一されるのだという事を誰もが納得するだろう……。


 

 

第二百六十七話 傀儡師



帝国暦 489年 11月 30日  オーディン 宇宙艦隊司令部  トーマ・フォン・シュトックハウゼン



「通常航行試験、ワープ試験共に成功しました。ガイエスブルク要塞の運用試験は無事終了しました」
私が報告すると司令長官が軽く頷いた。
「御苦労でした、シュトックハウゼン提督、シャフト科学技術総監」
「はっ」
「はっ」

隣に立っているシャフト技術大将が安堵の色を見せるのが分かった。遅いと叱責されるのではないかとかなり心配していたからな。まあ私も多少はそういう心配が有ったが杞憂だったようだ。
「フェザーンの事は知っていますね?」
私が“はい”と答えるとシャフト技術大将が“混乱していると聞いています”と続けた。司令長官がまた頷く。

フェザーンは混乱している、そして混乱は少しずつ酷くなっている。当初はペイワード自治領主の能力、自治領主就任の経緯についての批判が主だったが今では反乱軍がフェザーンに駐留する事にも批判が広がっている。反乱軍の所為でフェザーンが攻略対象になる、戦争に巻き込まれるとフェザーン市民は恐れているのだ。

「反乱軍の撤兵を求めて大規模なデモが起こっているようです。しかし反乱軍は帝国との取り決めが有るために勝手に退く事は出来ない、そしてペイワードも懸命に反乱軍に退くなと説得しています。ここで退かれてはあっという間に自治領主の座を失ってしまう、いや命すら奪われかねませんからね」

司令長官が穏やかな表情で物騒な事を言う。デモが起きている? 驚いた、そこまで酷くなっているのか。シャフト技術大将の顔を見たが技術大将も驚いていた。
「出兵は何時頃になりましょうか?」
「もう十一月も終わりですからね、出兵は年明けになると思いますよ、シュトックハウゼン提督。お二人には出兵に向けて準備をお願いします」

出兵は年明けか、家族揃って新年を迎えられるのは有難い。
「シャフト技術大将」
「はっ」
「遠征には大将にも同行してもらいます」
「小官も、ですか?」
シャフト技術大将が問い返すと司令長官が頷いた。笑みを浮かべている。

「トラブルが有った時、迅速に対応出来るようにしておきたいのです。シャフト技術大将には対応チームを率いて貰います」
「承知しました」
「それに技術将校はどうしてもその功績を軽視されがちですからね。同行してもらった方が周囲に大将の功績をはっきりと示す事が出来るでしょう」
シャフト技術大将の頬が紅潮した。昇進の事を思ったのだろう。シャフト技術上級大将か、技術将校で元帥まで昇進した人物はいなかった筈だ、もう一歩だな。

「大将にはこれまでにも色々と協力してもらっています。この辺りできちんと酬いておきたいと思っているのです」
「有難うございます、閣下の御配慮に感謝いたします」
ほう、閣下とシャフト技術大将は存外に親しいらしい。

司令長官室を退出すると気になった事を問い掛けてみた。
「シャフト技術大将、卿は司令長官と随分と昵懇なのだな。少しも気付かなかった」
「いや、昵懇だなどと、そのような事は有りません」
慌てているな。目の前で頻りに手を振っている。

「しかし大分卿の事を気遣っている様だが」
「……」
シャフト技術大将が困った様な表情をした。余り楽しい話題ではないらしい、変えた方が良いか。
「念のため、もう少し通常航行試験とワープ試験を行いたいと思うが如何かな?」
「そうですな、その方が良いでしょう」
ほっとしたような表情だ。どうやら単純な関係ではないらしい、やれやれだ。



帝国暦 489年 12月 10日  オーディン 宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



司令長官室で書類の決裁をしているとTV電話が受信音を鳴らした。番号はキスリングが相手で有る事を示している。受信ボタンを押すとキスリングの顔が映った。緊張している、何か大事が起きたな、少なくとも汚職関係じゃない事は確かだ。
「やあギュンター、何が起きた?」
『フェザーンで暴動が起きた』

ヴァレリーが息を呑んだ。彼女だけじゃない、司令長官室にいる職員皆が息を呑んでこちらを見ていた。
『反乱軍の撤退を求めるデモ隊と警察、反乱軍が三つ巴で衝突した。デモ隊、警察、反乱軍全てに死者が出ている』
「随分激しいな」
『そりゃそうだ、デモ隊には例の連中が参加していたからな』
「やれやれだな」

地球教か、連中はペイワードでは無く彼を支える同盟軍に狙いを付けた。今此処で長老委員会を使ってペイワードを自治領主の座から追うのは背後に地球教有りと同盟に判断されると考えたのだろう、それは危険だと。そうなればフェザーンでも地球教の弾圧が始まりかねない。

だからペイワードでは無く同盟軍に眼を付けた。狙いは悪くない、元々フェザーン人は独立不羈、束縛を嫌う。同盟軍への反感をフェザーン市民に植え付けるのはそれほど難しくない筈だ。そして同盟軍が居なくなればペイワードの始末は容易だ。

ペイワードもそれは理解している、だから同盟軍の撤退を認めるわけがない。しかしそれ自体が地球教の狙いだろう。そうなればペイワードはフェザーン市民の声を無視しているとして非難出来るのだ。長老委員会が動くのはそれからだろうな。

しかしフェザーンで騒乱が起きればその事自体が帝国が介入する口実になるとは考えが及ばなかったようだ。或いは地球教もフェザーンを掌握する事に焦っているのかもしれない。その辺りをルビンスキーが上手く突いて地球教団を動かしたのだろう。良い仕事をするな、ルビンスキー。なかなか派手な花火を打ち上げてくれた。殺すのは惜しいかな?

「他には?」
『現状ではそれだけだ』
「そうか、何か分かったら逐次教えてくれ。私はこれから新無憂宮に行く」
『分かった』
通信を切った。ヴァレリーにエーレンベルク、シュタインホフ、リヒテンラーデ侯に連絡を取る様に頼む。さて、忙しくなるな。



「フェザーンで暴動か。出兵の名目としては十分じゃな」
「そうですな」
「真に」
リヒテンラーデ侯の執務室で三人の老人が満足そうに話している。国家の重臣というより犯罪組織の幹部の方が似合いそうな表情だ。俺はこいつらとは違うぞ、気真面目な小市民なんだ。

「ルビンスキーが上手くやったようだの」
リヒテンラーデ侯が俺を見てニヤッと笑った。笑顔が怖いのは間違いなく悪党の証拠だ。
「こちらに寝返って丁度半年です。約束通りですね。流石にフェザーン人です、こちらの期待を裏切りません」
リヒテンラーデ侯が声を上げて笑った。

「感心するのは良いが片付けるのを忘れるでないぞ」
声を上げて笑っているが目は笑っていない。エーレンベルク、シュタインホフも俺を試すかの様に見ている。寒いわ、今年の冬は本当に冷える。
「分かっております」
俺が答えると老人達が満足そうに頷いた。

「声明を出す。同盟は帝国との約定を破りフェザーンの中立性を回復せずに混乱させている、帝国はこれに対し実力をもって対応すると」
皆が頷いた。既定方針通りだ、問題は無い。
「出兵は年が明けてから、それで良いかな」

リヒテンラーデ侯の問いにエーレンベルク、シュタインホフが俺を見た。実戦部隊を率いるのは俺だ、答えろという事か
「それで宜しいかと思います」
「うむ、では準備にかかってくれ。私は陛下にお伝えしてくる」
執務室を出ながら思った、戦争だ、艦隊司令官達を会議室に集めなければならん……。

司令長官室に戻るとキスリングが俺の帰りを待っていた。どうやらTV電話では話し辛い事が有るらしい。ヴァレリーに一時間後に司令官達を会議室に召集するように頼んだ。キスリングは無言だ、一時間で十分らしい。
「応接室に行こうか」
「ああ、そうして貰えると助かる」
二人で応接室に入りソファーに座るとキスリングは直ぐに話しかけてきた。

「かなり酷いな」
「と言うと?」
「銃火器が使われている」
「反乱軍がか?」
俺の問いにキスリングが“そうじゃない”と首を横に振った。

「先に発砲したのはデモ隊の方だ」
「まさか……」
「事実だ。ラートブルフ男爵、シェッツラー子爵、ノルデン少将が現場に居た」
「デモに参加していたのか?」
またキスリングが首を横に振った。

「いや、少し離れたところで見ていただけだ。反乱軍の高等弁務官府を囲む形でデモが起きたらしい。警察がそれを阻む様な態勢で弁務官府を警備した。発砲が起き警備していた警察が崩れデモ隊が弁務官府に雪崩れ込もうとした。弁務官府を警備していた反乱軍がデモ隊の突入を防ぐために已むを得ず発砲した。その後はデモ隊、警察、反乱軍が三つ巴になっての戦闘になった」
「……」

「三つ巴の戦闘になって周囲にも攻撃が及んだ。シェッツラー子爵が巻き込まれて負傷したが軽傷だ、命に別状はない」
「……」
「発砲は唐突だったそうだ。三人の話によればデモ隊と警察の間でちょっと小競り合いが起きた、そう思った次の瞬間にデモ隊が発砲し恐慌状態になったらしい」
花火どころの騒ぎじゃないな、まるで戦争だ。

「デモ隊が銃火器か。……地球教かな?」
キスリングが頷いた。
「デモ隊に武器が流れていたと見るべきだろう。発砲したのもデモ隊が先だ。多分流したのも発砲したのも地球教徒だろう。シェッツラー子爵は軽傷だったが他にも捲き込まれた民間人が大勢居る。死者も居る様だ」
「……騒ぎを大きくするために故意に無関係の民間人を捲き込んだ可能性も有るな」
「ああ、俺もそう思う」

帝国が出兵するにはそれなりの理由がいる。それは分かっている。しかしそれにしても……。良い仕事をする? 殺すのは惜しい? 何を考えているのだ、この阿呆! あの瞬間だけ死んでれば良かった。阿呆な事を考えずに済んだだろう。
「ルビンスキーの振付だろうな。効果的である事は認めるが吐き気がする。仕事抜きにして奴を殺したくなったよ」
吐き捨てるようなキスリングの口調だった。目の前にルビンスキーが居たら即座に撃ち殺しているに違いない。

「落ち着けよ、ギュンター。失敗は許されないんだ。確実に殺せる、その時を待て」
「ああ、分かっている」
そう、落ち着くんだ。奴を殺したいと思っているのはお前だけじゃない、俺もなんだからな。



帝国暦 489年 12月 10日  オーディン ミュッケンベルガー邸  ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



「義父上、お話したい事が有ります。ユスティーナも聞いて欲しい」
夫がそう言ったのは夕食が済みリビングで寛いでいる時だった。私と養父はコーヒー、夫はココアを飲んでいた。何時もと変わらない光景、そして何時もと変わらない穏やかな夫の口調だったけど嫌な予感がした。

「フェザーンで混乱が起きています」
「そのようだな」
養父がコーヒーを一口飲んだ。嫌な予感はますます膨らんだ。フェザーンが混乱している事は皆が知っている。

「近日中に反乱軍を非難する政府発表が有るでしょう。それに応じて軍を起こす事になります。年が明けたら出兵です」
「そうか、御苦労だな」
二人とも淡々としている。どうしてそんな風に話せるのだろう。私は胸が潰れそうだ。夫が私を見た、少し話し辛そうな顔をしている。

「出兵は長ければ一年に及ぶと思います」
「一年」
思わず声が出た。夫が“済まない”と謝ったので慌てて“いえ、私こそ済みません”と謝った。夫は宇宙艦隊司令長官なのだから出兵が有るのは当たり前の事だ、それが長期になる事も……。今更何を驚いているのか。夫の足手纏いになってはいけない、それにしても一年……。溜息が出そうになって慌てて堪えた。

「決戦だな」
「はい、今回の遠征で反乱軍と決着を付けようと思います」
夫の言葉に養父が頷いた。
「軍務尚書、統帥本部総長から話は聞いている。ユスティーナの事は心配はいらん、私が居るからな、存分に働くと良い」
「有難うございます、義父上」
夫が頭を下げた。

決戦、反乱軍との決戦。大丈夫なのだろうか? 反乱軍にはイゼルローン要塞が有る。あの要塞を簡単に攻略出来るのだろうか? 要塞には反乱軍の名将、ヤン・ウェンリー提督が居る。損害が大きければ遠征は失敗に終わるのでは……。夫も養父もその事には何も言わない。私だけが不安に思っている様だ。そんな疑問に夫が答えてくれたのは夜、床に就いてからだった。

「心配は要らない。帝国軍と反乱軍の戦力比は圧倒的に帝国が優位だ。勝てるだけの準備もしている。百の内九十九まで勝てる、心配はいらない」
「……」
百の内九十九? 残りの一は? 私は不安そうな顔をしていたのかもしれない。夫は軽く微笑むと私を軽く抱き寄せた。

「大丈夫だよ、ユスティーナ。私は反乱軍を過小評価しているつもりは無い。連中は有能で危険だ。だがそれでも私は勝てるだろう」
「……信じても宜しいの?」
「ああ、もちろんだ」
信じて良いのだろう。養父は夫の事を出世欲や野心とは無縁の男だと言っていた。夫の手が私の背中を優しく撫でている。心配する事は無いのだと言っている様だ。温かい手、この手を失いたくない……。

「この戦いが終れば宇宙から戦争が無くなる、平和が来る。そうなったらもっと君と一緒に居る時間が取れると思う」
「そうなれば嬉しいですけど無理はしないでくださいね」
「分かっている。私は無理は嫌いだからね、心配しないで良い」

夫が優しい笑みを浮かべながら頷いた。本当にそうなら良いのだけれど……。出世のためには無茶はしないかもしれない、でも戦争を無くすために無茶はするかもしれない。戦争を無くすための戦争、何て皮肉なのか……。心配している顔を見せたくないと思った。甘える振りをして夫の胸に顔を埋めると夫が優しく抱きしめてきた……。




 

 

第二百六十八話 宣戦布告



宇宙暦 798年 12月 13日  イゼルローン要塞  ヤン・ウェンリー



『……自由惑星同盟は不実にも帝国との約定を破った。同盟はその罪を償わなければならない。ここに帝国は宣言する、同盟に罪を償わせるため帝国は大規模な軍事行動を展開する。全てが終わった時、宇宙には平和と新たな秩序がもたらされるだろう』

TV電話のスクリーンでは帝国の国務尚書、リヒテンラーデ侯が厳かと言って良い口調で宣戦の布告を行う姿が映っていた。二日前に放送されたものだ、もう何度この映像を見ただろう、見る度に溜息が出る。平和と新たな秩序か……、宇宙統一の宣言だな。年が明ければ帝国軍が大挙このイゼルローン要塞に押し寄せるだろう、フェザーンにも……。

「また見ているんですか?」
「……ユリアン」
キッチンで夕食の支度をしていたと思ったのだが……。
「見る度に溜息を吐いています、良くありませんよ、提督」
ユリアンが心配そうに私を見ていた。保護者失格だな、私は。ユリアンに心配ばかりかけている。

「分かってはいるのだけどね」
「また溜息を吐いている」
苦笑が漏れた。やれやれだ、どうにも重症だ。苦い想いを噛み締めているとTV電話の受信音が鳴った。番号は要塞司令部を表している、多分グリーンヒル大尉だろう。有休をとっているところに連絡を入れてきた、嫌な予感がしたが出ざるを得ない。スクリーンが切り替わってグリーンヒル大尉が映った。済まなさそうな表情をしている。ユリアンが気を利かせて席を外した。キッチンに戻ったのだろう。

『お休みの所を申し訳ありません』
「いや、気にしなくていい。何が有ったのかな」
『ハイネセンから通信が入っています』
「分かった、こちらに回してくれ」
『はい』
画面がまた変わった。今度はグリーンヒル総参謀長が映った。

『やあ、ヤン提督。休暇中に済まない』
「いえ、お気になさらないでください」
『そう言って貰えると助かるよ』
済まなさそうな顔をされると胸が痛む。やる気が出なくて休んでいたとは思っていないだろう。

『帝国が宣戦を布告してきた』
「はい」
私が頷くとグリーンヒル総参謀長も頷いた。
『我々はイゼルローン、フェザーン両回廊で帝国軍を迎え撃つ。戦線を膠着させ和平に持ち込む』
「はい」
私が頷くとグリーンヒル総参謀長が困ったような表情をした。

『そんな顔をしないでくれ』
「あ、いえ……」
『不本意では有る、軍事的には帝国軍を同盟領奥深くに引き摺り込んだ方が勝算が高いのだからな』
「ええ」
そう、勝算は高い。だが受け入れられなかった。
『しかしね、議長の言う事も一理、いや一理ではないな、十分に理がある。我々は軍人だ、その思考はどうしても軍事に偏り過ぎるのかもしれない』
「……そうですね」

政府、軍上層部の間で防衛方針を巡っての話し合いが十月に二回行われた。政府側はトリューニヒト議長、アイランズ国防委員長、レベロ財政委員長、ホアン人的資源委員長。軍側はボロディン統合作戦本部長、ビュコック司令長官、ウランフ副司令長官、グリーンヒル総参謀長、そして私。軍は帝国軍を同盟領内に引き摺り込んでの決戦を主張し政府側はイゼルローン、フェザーン両回廊での防衛戦を主張した。時に感情的に、時に理性的にそれぞれの防衛案の是非を話し合った。

そこで分かった事は民主共和政国家の政治家達が支持率の低下をいかに畏れるかという事、そして同盟市民への不信感だった。同盟市民に選ばれた政治家達がその選んだ同盟市民に不信感を持つ、その判断力に疑問を持つ、不可思議な事では有る。だがトリューニヒト議長だけではない、アイランズ、レベロ、ホアンの各委員長も同様だった。それを考えれば政治家が市民に対して不信感を持つのは当然の事なのかもしれない……。

“支持率等というものはどれほど高くとも安心出来ない、市民の支持等という物は極めて移り気で不安定な物だ。事が起きればあっという間に下がる。だから政治家達は支持率の低下には極めて敏感だ。一番拙い事は支持率が下がり続ける事だ。そうなれば政府はレームダック状態になる、何も出来ないし決められない。両回廊を放棄すればそうなる可能性は非常に高い。その状態で帝国軍を同盟領内に引き摺り込んでの迎撃など到底無理だ。あっという間に地方星系は同盟から脱退して帝国と和平を結ぶだろう。そうなれば同盟は戦わずして瓦解しかねない”

トリューニヒト議長の言葉だ、沈痛な表情だった。そして言葉を続けた。
“君達は優秀な軍人だ。だから帝国軍の事は分かるだろう、それは彼らが敵だからだ。しかし同盟市民の事は分からない、何故なら君達が彼らと戦う事は無いからだ。だが我々政治家は違う、我々は常に同盟市民に気を許さずにいる。彼らは我々にとって潜在的に敵なのだよ”

政治は軍事に優先する。そしてその政治面での制約が軍事的な手段を制限してしまうとは……。敵よりも味方が足を引っ張るのか……。
『イゼルローン要塞にはカールセン中将の第十五艦隊を送る』
「分かりました」
『残りの艦隊はフェザーン回廊に展開する。つまり、貴官への増援は第十五艦隊だけだ。それ以上は無い……』
「已むを得ません。帝国軍の主力はフェザーンでしょう」
グリーンヒル総参謀長が頷いた。フェザーンには要塞は無い、帝国にとって攻略しやすいのはフェザーンだ。

『カールセン中将には貴官の指示に従うようにと言ってある。彼も貴官の実力は十分に理解している。問題は無いだろう。厳しい戦いになると思うが宜しく頼む』
「分かりました」
カールセン中将は叩き上げの実戦指揮官だ。総参謀長は私の様な若造の指示で動くのは不愉快かと心配したようだ。何かと気を遣ってくれる。

グリーンヒル総参謀長が頷くと“では”と言って通信が切れた。二個艦隊で帝国軍の大軍を防ぐ、第十五艦隊はオスマン中将の第十四艦隊と共に新編成の艦隊だ。練度は必ずしも高くない、そういう意味では要塞防御戦のほうが安心して使えるところはある。しかし果たして防ぎきれるのか……。溜息が出そうだ。民間人の脱出計画が有った筈だ。念のためキャゼルヌ先輩に頼んで何時でも実行出来るようにしておいた方が良いかもしれない。溜息が出た……。



帝国暦 489年 12月 31日   オーディン 新無憂宮 黒真珠の間  グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー



黒真珠の間には大勢の人が集まっていた。政治家、軍人、高級官僚、貴族、そして貴婦人。宮中主催の新年のパーティがこれから行われる。以前、この種のパーティは門閥貴族とその取り巻きが勢威を振るっていたが今はもう無い。目立つのは政治家、軍人、高級官僚の姿だ。いずれも実力で今の地位を得た男達だ、門閥貴族達が纏っていた軽佻浮薄さでは無く落ち着いた力感の有る雰囲気を醸し出している。

パーティは華やかさだけでは無く昂揚感にも包まれていた。先日、帝国政府は反乱軍に宣戦を布告している。軍人だけではなく政治家、高級官僚にまで昂揚感が有るのはその所為だろう。今回の遠征が決戦だと皆が理解している。そして誰も遠征が失敗するとは考えていない、必ず成功する、反乱軍を下すと思っている。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、元帥、宇宙艦隊司令長官、そして私にとっては娘婿でもある。皆が遠征軍の勝利を信じるのは彼の存在が大きい。常勝、不敗を謳われ、大軍の指揮運用において周囲から絶大な信頼を得ている。もちろん、私も彼を信頼している。勝てる男だ。そして何と言っても運が良い、私には無かった運の良さを持っている。

当然だが彼もこのパーティに参加している。ユスティーナと和やかに会話をしている姿からは昂ぶりは見えない。彼を知らなければ遠征軍の総司令官と言われても到底信じられないだろう。軍の重鎮でありながら軍人らしさなど微塵も無い男だ。

「久しいな、ミュッケンベルガー元帥」
名を呼ばれて振り返るとエーレンベルク元帥とシュタインホフ元帥が立っていた。二人とも手にグラスを持っている。
「行かなくて良いのか、あちらに」
シュタインホフ元帥がニヤニヤ笑いながら顎でヴァレンシュタインとユスティーナを指し示した。

「保護者が必要な年でもあるまい、たまには年寄りの相手から解放してやらねば」
「なるほど。しかし保護者が必要なのは卿ではないのかな?」
「そうそう」
今度はエーレンベルク元帥もニヤニヤ笑っている。相変らず口が悪い。この中で一番若いのは私なのだが……。

「年が明けて十五日に兵を発すると聞いた。一年か……」
「心配かな?」
「まさか、私は心配などしておらぬよ、シュタインホフ元帥。あれは勝つための準備を怠らぬ男だ。必ず勝つ」
私が断言するとシュタインホフ元帥が首を横に振った。

「いや、ヴァレンシュタインの事ではない、ユスティーナの事だ。一年も放って置かれるのだ、何かと心配であろう」
「それは、まあ……。しかしこればかりは耐えて貰わなければ……。ユスティーナの夫は宇宙艦隊司令長官なのだ」
私の言葉にエーレンベルク、シュタインホフ両元帥が頷いた。

「考えてみれば我らも随分と家族には寂しい想いをさせたな」
エーレンベルク元帥がしみじみとした口調で呟いた。我ら三人、何度も前線に出た。無事に帰って来たものの今思えば出征の度に残された家族は不安と焦燥に責められたであろう。十分にその不安を思い遣れていたかどうか……。

「だがそれも今回の出征で終わる。そうであろう? エーレンベルク元帥、ミュッケンベルガー元帥」
「そうだな」
「ああ」
ヴァレンシュタインを見た。私だけではない、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥も見ている。

「妙な男だ。まさかあの男が反乱軍を下す事になるとは……」
「六年前には想像もしなかったな」
全くだ、六年前には想像もしなかった。第五次イゼルローン要塞攻防戦、あの時は面倒を引き起こす邪魔な小僧でしかなかった。だが今は私が果たせなかった夢をあの男が果たそうとしている。

「確かに妙な男だ」
私の言葉にエーレンベルク、シュタインホフ両元帥が頷いた。
「だが私の後継者であり娘婿でもある。不思議な事だ、どうしてこうなったのかな?」
二人が笑い出した。笑いごとではないのだが私も笑ってしまった。世の中には不思議な事が満ち溢れている。大神オーディンは悪戯好きの様だ。



帝国暦 490年 1月 14日   オーディン 帝都中央墓地  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



出立を明日に控え忙しい中、司令長官が突然外出すると言いだした。慌てて警護を整え同行したが司令長官が地上車を走らせたのは帝都中央墓地だった。墓地の傍に有った花屋で白い水仙の花束を二つ買い墓地の中に入る。事前に花屋に連絡してあったらしい、どうやら思い付きでここに来たわけでは無いようだ。もしかすると御両親の墓に行くのだろうか。

警護の兵士は司令長官と私の周囲を固めるように歩いている。皆厳しい表情をしている、出征前に何か有っては大変だと緊張しているのだろう。石畳の園路を司令長官と共に歩く。何度か園路を曲がり司令長官が足を止めたのは十分程歩いた頃だった。

「閣下、これは……」
驚いた、私だけじゃない、警護の兵士も驚いている。そして司令長官は少し寂しそうに笑みを浮かべた。
「ローエングラム伯とグリューネワルト伯爵夫人の墓です」
ヴァレンシュタイン司令長官は今でもローエングラム伯の事を想っている。ここに来たのも初めてではない筈だ、私は知らないから休日にでも来ているのかもしれない。ローエングラム伯を殺してしまった事を後悔しているのだろうか……。

「墓が有ったのですか?」
幾分声が掠れた。反逆者なのだ、反逆者は墓を持つ事など許されない、遺体を家族に渡す事さえ希だと聞いた。普通は遺棄されるらしい。だがこの墓には二人の名前が書いてあった。
「ええ、陛下にお願いして帝都中央墓地に埋葬する事を許していただきました。この二人は家族が居ませんから……」
家族が居ない?

「では……」
「キルヒアイス准将は両親が健在でしたのでそちらに渡しました。オーベルシュタイン准将は執事が遺体を受け取りました。彼は良い主人だったようです、執事のラーナベルトは遺体を庭に埋めたと聞いています」
ヴァレンシュタイン司令長官が水仙の花束をそれぞれ墓石の上に置いた。

「あの、遺族は罪に問われなかったのですか? 縁座により処罰を受けると聞いていますが……」
不審に思ったのは私だけではないだろう。護衛の兵士達も不思議そうにしている。ちょっとあんた達、警護に身を入れなさい! 身近にいる兵士を睨むと慌てて周囲を警戒し始めた、他の兵士達も。

「そうですね、本来なら遺族も縁座により処罰を受け財産を没収されるのですが伯爵夫人は陛下の寵姫でしたから格別の御温情を以って本人以外には罪を及ばさなかったのです。ですからキルヒアイス准将もオーベルシュタイン准将も本人以外は罪に問われませんでした」
「……」

陛下の格別の御温情、それだけではない筈だ。多分司令長官が陛下にお願いしたに違いない。もしかするとヴェストパーレ男爵夫人、シャフハウゼン子爵夫人も口添えしたのかもしれない。もう一度墓を見た。白い墓石には名前と生年月日、死亡年月日が書いてあるだけだ。伯爵夫人と伯爵の墓にしてはそっけない程に簡素だが墓が有るだけましなのだろう。

「ローエングラム伯の夢は銀河帝国の皇帝になる事、そして宇宙を統一する事でした。だが私が彼の夢を奪ってしまった、だから彼は死んだ……」
司令長官がローエングラム伯の墓を見ている。一体何を思っているのか、何を話しかけているのか……。“奪ってしまった”と言った。“だから死んだ”と言った。ここへ来たのはローエングラム伯への贖罪なのだろうか。司令長官が軽く息を吐いた。

「行きましょうか」
「宜しいのですか?」
「ええ、ローエングラム伯はもう死んだのです、墓に話しかけても返事は無い。その事にようやく気付くとは……。ここに来たのは所詮は自己満足にしか過ぎない」
幾分自嘲が混じった口調だった。胸が締め付けられるような気がした。

「宇宙統一は私の夢、いや義務だ。シャンタウ星域で一千万人を殺した、あの時から私の義務になった。ローエングラム伯とは関係ない。統一しこの宇宙から戦争を無くす。誰もが安全に、穏やかに暮らせる世界を創る。彼の望んだ宇宙と私が望む宇宙は似てはいるが同じではない、同じであってはならない……」
墓を一瞥するとヴァレンシュタイン司令長官が歩き始めた。

自分に言い聞かせるような口調だった。司令長官の斜め後ろを歩きながら横顔を見た。感情が見えない、人形のように無表情だ。ヴァレンシュタイン司令長官がローエングラム伯を忘れる事は無いのだろう。伯を殺してしまった事への罪悪感、喪失感が司令長官の心から消える事は無いに違いない。司令長官はこれからもそれを心に抱えて生きていく……。

視線に気付いたのかもしれない、司令長官が私を見た。
「心配は要りません、大丈夫です」
「……」
「出征を明日に控えて少し心に不安が生じたのでしょう。急にローエングラム伯が生きていれば、伯に会いたいと思いました」
私が納得していないと思ったのだろう、司令長官が苦笑を浮かべた。ようやく人間の表情に戻った。

ローエングラム伯の死は必然だった。余りにも野心を表に出し過ぎた。司令長官が居なくても何時かは死ぬ事になっただろう。だが司令長官の存在がローエングラム伯を死に追いやった事も事実だ。私がそれを否定してもどうにもならない。そして司令長官もそれを否定して欲しいなどとは思っていない。私に出来る事は共に歩む事、司令長官の重荷を共に背負い少しでも軽減する事だ。何処まで出来るかは分からないが……。

「小官は閣下と共に歩む事を不安に思った事など有りません。どれほどの苦難であろうと共に歩む覚悟は出来ています」
「……大佐」
司令長官が足を止めた、皆も足を止めた。司令長官は私をじっと見ている。嘘では無い。第六次イゼルローン要塞攻防戦、あの時から私の心は決まっている。

「でもお願いですから御一人で抱え込むのはお止め下さい。小官はそれだけが心配です。話せない事も有るとは思いますが少しでも御心の内を漏らして戴ければと思います」
「……有難う」
照れくさそうな、何処か幼ささえ感じさせる小さい声だった。そしてまた歩き始めた。

 

 

第二百六十九話 襲来




帝国暦 490年 1月 15日   オーディン 新無憂宮 バラ園  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「征くか」
「はっ」
俺が答えるとフリードリヒ四世が満足そうに頷いた。
「不思議なものじゃ。三十四年前、予が即位した時は誰も予に期待などしなかった筈だが……。その予の治世において宇宙を統一する事になるとは……、歴史家どもは予を何と評価するかの?」
悪戯小僧の様な笑みを浮かべている。困った爺様だ。年を取ってから童帰りしている。

「臣下達は人を見る目が無かった、そう本に書くのではないでしょうか。門閥貴族達が滅びたのもむべなるかなと」
フリードリヒ四世が笑い出した。
「そちは酷い事を言う。予なら何かの間違いと書くところだ」
間違いの方が酷いだろう。征服されるフェザーンや同盟の立場を考えてくれ。統一は何かの間違いですなんて本に書いたら焼き捨てられるぞ。それとも笑い出すかな?

フリードリヒ四世が薔薇を弄り出した。周囲には淡いピンクの華が溢れんばかりに咲き誇っている。少し離れた所には白い薔薇も咲いているがこちらのピンクの薔薇の方が華やかで綺麗だ。薔薇園は楽で良い、ここでは煩わしい礼儀は無用という事でフリードリヒ四世と並んで薔薇を見ている。

「フェザーンは酷いようだの」
「はっ、煽る人間もおりますれば……」
「それを望む人間も居る、混乱は已むを得ぬか」
フリードリヒ四世がまた声を上げて笑った。参ったね、それを望む人間ってのは俺の事かな、それとも自分の事か。

フェザーンではあの後も暴動が続いた。まあ火種も有れば煽る人間も居るんだから当然ではある。同盟もペイワードも已むを得ずだろうが夜間外出の禁止、デモ、集会の禁止を行う事で暴動の沈静化を図っている。効果は有って暴動は収まったが時折小競り合いの様な衝突はまだ続いている。そしてペイワードに対する反感は日々強まっている様だ。

反ペイワードの動きが強まっているという報告もキスリングから上がっている。いずれリコールかな。その後で新たな傀儡を自治領主に選出し自由惑星同盟と絶縁する、戦闘中に後方が混乱すれば同盟には大打撃だろう。帝国の勝利に大きく貢献、そして帝国に服従。地球教はそんな形で幕引きを狙っているのではないかと思っている。おそらくルビンスキーは帝国に統一させて内から乗っ取るべきだとでも連中に言っているのだろう。

「何時までも引き留めておくわけにもいかんの。ヴァレンシュタイン、そちが凱旋する日を待っているぞ」
「はっ、必ずや御期待に添いまする」
「うむ」
フリードリヒ四世に一礼すると三歩後退してからもう一度礼をして身体を翻した。

薔薇園から建物内に戻るとヴァレリーが小走りに駆け寄って来た。
「お話は御済になったのですか?」
「ええ」
「では?」
「宇宙港に行きます」
出口に向かうと控室から護衛官達が現れ俺の周囲を囲んだ。長身、引き締まった身体、鋭い眼光、羨ましいよ。俺に半分でいいからくれないかな。新無憂宮を出て地上車に乗り込むと宇宙港を目指した。

宇宙港では大勢の軍人が列を作って待っていた。宇宙艦隊を指揮する男達だ。先頭はメルカッツ、そしてケスラー、クレメンツ……。ここに居ないのはシュトックハウゼンだけだ。彼はフレイア星域でガイエスブルク要塞と共に待っている。皆が俺の姿を認めると一斉に敬礼してきた。答礼して前を通り過ぎるとメルカッツ、ケスラー、クレメンツと順に後に付いて来た。艦隊は既にオーディンの大気圏外で待っている、宇宙港に居るのは各艦隊の旗艦だけだ。各自、自分の旗艦に向かう。

総旗艦ロキの艦橋ではワルトハイム、シューマッハ、リューネブルクの見慣れた顔が待っていた。他にも今回の遠征のために新たに配属された参謀達がいる。皆頬が上気していた、俺の姿を認めて敬礼をしてくる。それに応えてから指揮官席に座るとワルトハイムが傍に寄って来た。

「司令長官閣下、発進の準備は出来ております」
ワルトハイムの言葉に周囲が期待する様な視線を向けてくる。重いな、いや百五十年続いた戦争を終わらせるのだ、重いのは当たり前か。だがそれで終わりではない。これは新たな人類の歴史の始まりになる筈だ……。

「これより大気圏外で待つ艦隊と合流します」
「はっ」
「全艦発進せよ!」
命令を受けワルトハイム、シューマッハがオペレータ達に指示を出す。やがてロキがふわりと浮き上がるのが分かった。ロキだけじゃない、スクリーンにはネルトリンゲン、フォルセティ、シギュン、スキールニル等が次々と上昇する姿が映った。



帝国暦 490年 2月 10日   フレイア星域 帝国軍総旗艦ロキ  ナイトハルト・ミュラー



フレイア星域でシュトックハウゼン提督と合流するとエーリッヒは各艦隊司令官を総旗艦ロキに招集した。会議室で艦隊司令官と総司令部要員、シャフト技術大将がコーヒーを、エーリッヒはココアを飲みながら懇談だ。ガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊に運ぶというのは聞いているが動かすのを見るのは初めてだ。事前に意識合わせをという事らしい。

「では要塞が先頭に立つと?」
「なんといっても重量が有りますからね。後ろに置いて暴走して艦隊に突っ込まれでもしたら大変な事になります。それにワープの時はかなりの時空震が発生しますから艦隊はある程度の距離を置いて後ろにいた方が良いでしょう」
「では要塞がワープを行い問題が無いと分かってから艦隊が続けてワープ、そういう事ですか」
「ええ」
ケンプ提督とエーリッヒの会話に皆が頷いた。

「しかしそのワープですが問題は無いのでしょうか?」
レンネンカンプ提督が問い掛けると皆が頷いた。まあ無理もないだろう、あの巨大なガイエスブルク要塞がワープ? 到底信じられない。
「大丈夫だ、既に三十回以上テストしているが一度も問題は生じていない」
シュトックハウゼン提督が答えると彼方此方で嘆息が漏れた。それを見てシャフト技術総監が満足そうに頷いた。

「安全のため航行は急ぎません。イゼルローン要塞へは時間をかけてゆっくりと進みます」
「では戦闘状態に入るのはフェザーン方面の方が先になりますな」
ビッテンフェルト提督が幾分不満そうに言うとエーリッヒが“そうですね”と言ってクスクスと笑った。

「作戦会議でも説明しましたがフェザーン方面とイゼルローン方面を比較すれば要塞が有る分イゼルローン方面の攻略は難しいと同盟軍は考えるでしょう。フェザーン方面で戦闘状態に突入させておいてイゼルローン要塞を攻略すれば……」
エーリッヒが意味有り気に言葉を止めた。
「フェザーン方面の反乱軍は簡単に退けない。無理な撤退をすれば甚大な被害を受ける」
俺の言葉にエーリッヒが頷いた。ニコニコしているが相変わらず辛辣だ。

「それにしても楽しみですな。イゼルローン要塞対ガイエスブルク要塞か」
「トール・ハンマー対ガイエスハーケン、確かに見応えが有る」
レンネンカンプ提督とビッテンフェルト提督の言葉にざわめきが起きた。派手な要塞主砲の撃ち合いを想像したのだろう。

「要塞主砲の撃ち合いは発生しないと思いますよ」
エーリッヒの発言に皆が訝しげな表情をした。
「ガイエスブルク要塞はイゼルローン要塞にぶつけます」
“ぶつける!”、彼方此方で驚愕の声が上がった。
「イゼルローン要塞を攻略する必要は無いのです、破壊すれば良い」
「……」

皆、顔を見合わせている。何処かで“破壊”と呟く声が聞こえた。普段感情を表に出さないアイゼナッハ提督も信じられないといったように頻りに首を振っている。それを見てエーリッヒが軽く笑い声を上げた。全く途方もない事を考える男だ。溜息が出た。
「イゼルローン要塞には民間人も居ます。物理的に破壊すれば彼らも死ぬ事になる。そう脅せばヤン・ウェンリー提督も降伏するでしょう」
「……」
皆、声が出ない。ただエーリッヒを見ている。エーリッヒがカップをソーサーに置くと静まり返った部屋にカチャリと音が響いた。

「その後は一気にイゼルローン回廊を駆け抜けハイネセンを目指します」
「……」
「イゼルローン要塞陥落によって混乱した反乱軍に防衛体制を再構築させる猶予は与えません。迅速さで彼らを圧倒します。それによって抗戦の意志を根こそぎ奪う、百五十年続いた戦争を終結させるのです」
エーリッヒが分かったかとでも言うように俺達を見渡す。彼方此方でカップをソーサーに置く音が起き皆が姿勢を正していた。



宇宙暦 799年 3月 12日  イゼルローン要塞  アレックス・キャゼルヌ



『では未だ帝国軍は現れないのかね』
「はい」
ヤンが答えるとスクリーンに映ったボロディン統合作戦本部長が顔を顰めた。
『帝国軍は一体何をやっているのか……。本当なら二月の末には現れてもおかしくないのだが……。二週間は遅れている』
本部長の言葉に司令室の彼方此方で頷く姿が有った。

「フェザーン方面の状況は如何なのでしょう?」
『今のところは問題無い。味方は帝国軍を押し返しているよ。もっとも帝国軍も本気で攻撃を仕掛けているわけでは無いようだ。ビュコック司令長官からは帝国軍の動きは鈍いと聞いている。……少し気になるところだ』
「そうですね……」
ヤンは憂鬱そうにしている。隣りに居るカールセン中将も同様だ。

フェザーン回廊では既に戦闘が始まって二週間が経つ。味方はフェザーン回廊の狭隘部、比較的帝国側に近い場所で防衛戦を行っている。帝国軍は強攻すれば損害が馬鹿にならないと見ているのだろう。だが二週間だ、いくらなんでも二週間も無為に過ごすとは……。有り得ない事だ、にもかかわらず帝国軍は本気で攻撃を仕掛けてこない。どういう事なのか……。

『問題はフェザーンそのものだ。反ペイワード運動が酷い』
「……」
『ペイワードをリコールしようという動きが出ている』
「長老会議でしょうか」
本部長が頷いた。
『市民からも出ている。今のところは同盟軍の陸戦隊が居るから本格化していないが防衛線を突破されればあっという間にリコールされるだろうな』
ボロディン本部長の口調は苦い。

『おそらくは地球教、ルビンスキーが動いている。ペイワードからは反ペイワード派を拘束してくれと何度か要請が出ている』
「要請を受けるのですか?」
ヤンの口調は不同意という響きが有った。ボロディン本部長が首を横に振った。
『市民の支持は必ずしもペイワードには無い。今でさえ市民をかなり抑圧している。これ以上は危険だろう、拘束は逆効果になりかねない』
本部長の口調は更に苦いものになった。

『ペイワードは今リヒテンラーデ侯と接触している。帝国と同盟の和平交渉をと向こうに訴えている』
「状況は如何なのでしょう?」
『思わしくは無い。もっとも接触は維持出来ている。戦局が膠着するかこちらに有利になれば和平交渉は本格化するかもしれない』

彼方此方から溜息が聞こえた。頼りない話だと思ったのだろう。だが可能性が有る以上同盟はペイワードを切り捨てられない。ペイワードもその事は分かっているだろう。同盟に対し強気に出るのもそれが有るからだ。その後、ハイネセンの状況を話して通信は終わった。ハイネセンは比較的落ち着いているらしい。フェザーン方面で戦局が膠着している事で市民は安心している様だ。

「妙ですな。イゼルローンと違ってフェザーンには要塞が無い。攻撃を躊躇う理由は無い筈だがフェザーン方面は本気で攻めない、こちらには敵は未だ来ない、帝国軍は何をやっているのか」
「ええ、腑に落ちない事ばかりです」
カールセン提督がヤンに話しかけている。猛将と評価の高いカールセン提督にとっては現在のただ敵が来るのを待つという状況はなんとももどかしい事なのだろう。

「ヤン提督、帝国軍はヴァレンシュタイン元帥がイゼルローン要塞に到着するのを待っているという事は有りませんか」
「ヴァレンシュタイン元帥が此処に来てから本気で攻撃を始めるという事ですか」
「何故ヴァレンシュタイン元帥が遅れているのかは分かりませんが彼が来るのを待っている。彼がこの遠征の総司令官ですからな」

なるほど、帝国最大の実力者に敬意を払っているというわけか。彼方此方で顔を見合わせている姿が見えたがヤンは少し眉を顰めている。不同意のようだ。ヤンの様子を見てカールセン提督が“フム”と声を出した。余り拘泥しないところを見ると思い付きのような考えなのかもしれない。

「急な体調不良で遠征軍が進撃を停止しているという事は無いでしょうか? ヴァレンシュタイン元帥は余り身体が丈夫ではないと聞いた事が有ります」
ムライ参謀長の言葉にパトリチェフ副参謀長が“なるほど”と頷いた。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥、帝国軍の名将であり同盟にとっては最大の敵。彼によって同盟は恐ろしい程の損害を受けている。その彼の唯一の弱点が健康に難ありという事は同盟の人間なら誰もが知っている事だ。

「フェザーン方面の帝国軍の動きが鈍いのもそれが理由では?」
ムライ参謀長が言葉を続けた。確かに有り得ない話ではない。指令室の彼方此方で頷く姿が見えた。
「もしそれが事実なら元帥の体調が戻れば帝国軍は押し寄せて来ますな。さて、何時になるのやら」
カールセン艦隊のビューフォート参謀長が溜息混じりに発言すると他からも溜息を吐く音が聞こえた。皆、待つ事に疲れ始めている。

「ヤン提督!」
オペレーターが緊張した声を上げると司令室の空気が一気に引締まった。敵か?
「哨戒部隊から緊急連絡です! 帝国軍と接触!」
敵だ! ようやく帝国軍が来た! 司令室が興奮している。心拍数が跳ね上がったような気がした。
「形状は球体またはそれに類する物、材質は合金とセラミック、質量は……」
声が途切れる、オペレーターは蒼白になっていた。ムライ参謀長が“質量は如何した?”と苛立たしげに声をかけた。

「質量は、質量は概算四十兆トン以上です」
声が震えている。“四十兆トン?”、“馬鹿な、何だそれは?“、と声が上がった。
「質量と形状から判断して直径四十キロから四十五キロの人工天体と思われます」
「……」
「映像、映します!」
司令室のスクリーンに巨大な軍事要塞が映る、彼方此方で呻き声が起きた……。



 

 

第二百七十話 急転

宇宙暦 799年 3月 12日  イゼルローン要塞  フレデリカ・グリーンヒル



彼方此方で呻き声が聞こえた。皆がスクリーンを見ながら呻いている。スクリーンにはここに居る人間を圧倒するかのように巨大な要塞が映っていた。
「……まさか、あれはガイエスブルク要塞……、あれを持ってきたのか……」
呟く様な声の主はヤン提督だった、スクリーンを厳しい眼で睨んでいる。皆の視線がヤン提督に集中している事にも気付いていない。

「ヤン提督、あの要塞を御存じなのですな」
カールセン提督の問い掛けにヤン提督がようやく視線をスクリーンから離した。
「多分、ガイエスブルク要塞だと思います」
「多分、と言いますと?」
「三年前イゼルローン要塞を失った後の事ですが帝国はガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊に運び同盟軍の帝国領侵攻を封じるという情報がフェザーン経由で同盟にもたらされました。要塞のスペック、移動要塞にするための設計図も送られてきた」

ヤン提督の口調は苦みを帯びている。帝国領侵攻作戦の事を思い出しているのかもしれない。
「結局その情報は早期に同盟軍を帝国領に引き摺り込んで殲滅しようと考えたヴァレンシュタイン元帥の謀略だったのですが……、まさか本当に要塞を運んでくるとは……」
ヤン提督が息を吐いた。

「あの要塞はどの程度のスペックを持っているのです?」
「イゼルローン要塞に比べれば幾分小さいですが艦隊の収容能力、要塞主砲の威力、どちらも殆ど遜色有りません。帝国で内乱が起きた時は貴族連合軍の本拠地になりました」
ヤン提督の答えに司令室の空気が固まった。イゼルローン要塞に匹敵する要塞を相手にする、その意味を考えているのだろう。

「要塞主砲と要塞主砲の撃ち合いか」
「さぞ盛大な花火でしょうな」
キャゼルヌ少将とシェーンコップ准将の会話が聞こえた。想像したのだろう、誰かが音を立てて唾を飲み込んだ。音が異様に大きく響いた。

「哨戒部隊が要塞に接触した場所は?」
「イゼルローン回廊の出口付近です」
オペレーターの答えにヤン提督が頷いた。もっとも既に答えは知っていた筈だ。少しでも帝国軍の襲来を早く知るために哨戒部隊は回廊の出口付近に展開していたのだから。ヤン提督がカールセン提督に身体を向けた。

「カールセン提督」
「何でしょう」
カールセン提督が姿勢を正した。大事な事が告げられると思ったようだ。
「イゼルローン要塞を放棄しようと思います」
静かな口調だった。カールセン提督が眉を上げ、そして司令室の彼方此方から“放棄!”という声が聞こえた。悲鳴、非難、だろうか。だがヤン提督は微動だにしなかった。

「帝国軍がイゼルローン要塞の占拠を目的とするならば厳しいですが戦い様は有りました。しかし彼らはガイエスブルク要塞を持ってきた。帝国の目的はイゼルローン要塞の占拠では無く破壊かもしれません。そうなれば軍人だけでなく民間人にも多大な犠牲が出ます」
「破壊、……つまり要塞主砲の撃ち合いですか?」
カールセン提督が問うとヤン提督が首を横に振った。

「それもありますが……、ガイエスブルク要塞をイゼルローン要塞にぶつけるつもりかもしれません」
「ぶつける?」
カールセン提督が大きな声を出した。彼方此方で“馬鹿な”、“そんな事は”という声が聞こえるとヤン提督が大きく息を吐いた。

「ガイエスブルク要塞を此処に持って来た以上、他の要塞を持って来る事も可能です。イゼルローン要塞の占拠に拘る必要は無い」
「しかし、そんな事は……」
「ヴァレンシュタイン元帥を甘く見るな!」
抗議しようとした士官をヤン提督が激しく叱責した。提督が大声を出すなど珍しい事だ、皆驚いている。

「シャンタウ星域では同盟軍は一千万の将兵を失った。あれほど強勢を誇った門閥貴族も一年持たずに滅んだ。どちらもヴァレンシュタイン元帥が指揮を執った。彼の狙いは同盟、フェザーンを降して宇宙を統一する事だ。そのために着々と準備してきた。何故彼の恐ろしさを理解しようとしない?」
「……」
「彼を甘く見るな!」
言い終えてヤン提督が大きく息を吐いた。

「イゼルローン方面に帝国軍が来なかったのもこれが理由だ。フェザーン方面の同盟軍を戦闘で退けなくする。機を見てイゼルローン要塞を破壊して一気に同盟領に侵攻する。フェザーン方面の同盟軍が慌てて艦隊を撤退させハイネセンを守ろうとすれば追撃を受けて大損害を被るだろう。少ない兵力が更に少なくなる」
口調は落ち着いたものになったが内容は深刻なものだった。彼方此方で呻き声が聞こえた。

「例えぶつけなくてもイゼルローン要塞の優位は失われた。突破は時間の問題だろう。ここで戦えば徒に犠牲が増えるだけだ」
ヤン提督が司令室を見回した。誰も反論しようとしない。カールセン提督が“分かりました、要塞を放棄しましょう”とヤン提督に従うとヤン提督が“有難うございます”と礼を言った。

「キャゼルヌ少将、直ちに脱出作戦を実行に移して欲しい」
「ハイネセンに確認はとらなくて宜しいのですか?」
キャゼルヌ少将が問うとヤン提督は首を横に振った。
「時間が無い、先に準備をしてくれ。もし要塞の放棄が認められなくても民間人は退去させる。ここは危険だ」
「承知しました」
キャゼルヌ少将が足早に司令室から出て行く。

「時間が有りませんな」
カールセン提督がキャゼルヌ少将が出て行ったドアを見ながら言った。
「敵が此処に来るまで十二時間といったところでしょう」
「間に合いますか?」
カールセン提督が問い掛けるとヤン提督が大きく息を吐いた。
「……多分。……脱出計画は用意してあります」
今度はカールセン提督が息を吐いた。

嘘では無い、脱出計画は有る。そして多分間に合うだろう。間に合うように作ったのだから。だがそれだけに計画は非人間的なものになった。計画が発動された時点でイゼルローン要塞のエリア単位に輸送船に乗り込む。今の時間なら子供達は学校に行っている。彼らは家に戻る事は無い、学校から直接輸送船に乗り込む事になる。

子供だけではない、親も職場から、或いは家から直接輸送船に乗り込む。彼らが合流するのは安全な場所に辿り着き輸送船を降りた時だ。人を人として扱わず物として扱う、そうでなければ短時間で軍民五百万人を脱出させる計画など作成不可能だった。

「問題はこの後ですな。フェザーン方面軍は無事に撤退出来るのか、次の防衛線を何処に布くか……。いや、次が有るのか……」
「……」
ヤン提督が私を見た。
「グリーンヒル大尉、ハイネセンとの間に通信回線を開いてくれ。こちらの状況を説明する」
「はい」
多分ハイネセンもフェザーンも大変な騒ぎになるだろう。一体同盟はどうなるのか、このまま滅んでしまうのだろうか、嫌な予感が胸に満ちた。



宇宙暦 799年 3月 12日  フェザーン回廊 同盟軍総旗艦  リオ・グランデ  ドワイト・グリーンヒル



「イゼルローン要塞を放棄する?」
ビュコック司令長官の声が幾分高くなった。スクリーンにはボロディン本部長の渋面が映っていた。
『帝国軍はイゼルローン回廊に移動式の要塞を持ち込んだようです。ガイエスブルク要塞、性能はイゼルローン要塞に匹敵します』
要塞を運んで来た? あれはブラフでは無かったのか……。リオ・グランデの艦橋の彼方此方でざわめきが起きた。

「イゼルローン要塞の持つ優位は失われた。要塞に拘れば損害が増えるだけだというのですな」
私が問うとボロディン本部長が頷いた。
『それも有る。だがヤン提督が懸念していたのは帝国がイゼルローン要塞の占拠では無く破壊を目的としているのではないかという事だった』
破壊? ビュコック提督も訝しげにしている。

『具体的に言えばガイエスブルク要塞をイゼルローン要塞にぶつけるのではないかと……』
「馬鹿な、そんな事になれば……」
気が付けば声が震えていた。
『大惨事だ。衝突時の衝撃、崩壊によって軍民問わず大勢の人間が死ぬだろう。核融合炉も無事では済まない、放射性廃棄物の拡散による深刻な放射能汚染が発生する恐れもある。そうなれば生き残った人間にも深刻な影響が出るだろう』
「……」

『意表を突かれたよ。まさか帝国が移動要塞を造るとは思わなかった。正気かと思ったがヤン提督の話を聞いて納得した。兵力において帝国は同盟を圧倒する。である以上帝国にとってイゼルローン要塞は必ずしも必要不可欠というわけでは無い。占拠が難しいなら破壊して回廊突破を図るという事は十分に有り得る事だ。それに占拠よりも破壊の方が攻撃の選択肢は多い』
艦橋がシンとした。皆声が出せずにいた。

「本部長、放棄は決定ですか?」
私が問うと本部長が頷いた。
『トリューニヒト議長に先程状況を説明した。已むを得ないという事で要塞放棄を納得してもらった』
彼方此方で溜息が聞こえた。難攻不落のイゼルローン要塞を放棄、誰もが予想しなかった結末だ。

『ビュコック司令長官』
「何ですかな」
『両回廊で帝国軍を防ぎ膠着状態を作り出すという当初の防衛計画は破綻した。宇宙艦隊は至急フェザーン回廊から撤退して欲しい。これより同盟は防衛計画を帝国軍を同盟領奥深くに引き摺り込んでの決戦に切り替える』
「……」
皆の表情が苦渋に満ちた。この状況で撤退? 簡単に出来る事ではない。必ず帝国軍は追撃してくるだろう。

『難しい事は分かっている。フェザーン方面、イゼルローン方面、どちらも帝国軍の追撃を受けるだろう。或いは態勢を整えている間に帝国軍が防衛線を突破しハイネセンに殺到するという事も有り得る』
「……」
彼方此方で頷く姿が有った。本部長が“だが”と声を張り上げた。皆が顔を上げスクリーンに視線を向けた。

『我々は軍人として最後まで祖国を守る努力を放棄するべきではない。そこに一パーセントの可能性が有るなら尽力するべきだ』
厳しい言葉だ、そして力強い言葉でもある。本部長は我々を奮い立たせ鼓舞しようとしている。ビュコック司令長官が大きく頷いた。

「分かりました、ただちに撤退しましょう。ところでフェザーンのペイワード自治領主は如何しますか?」
『彼には既に同盟に退去するようにとトリューニヒト議長が話をした』
「……」
『だが彼はそれを断った。和平交渉を続けるにはフェザーンに居る必要が有ると言って』
彼方此方でざわめきが起きた。

『残るのは危険だと議長が言ったのだが彼は頑として聞き入れなかった。フェザーン人は常に金儲けの事だけを考えているわけでは無い、己の信念に命を懸ける事も有ると……』
「……」
『自分はルビンスキーとは違う、最後まで自治領主として職責を全うするとも言っていた』
「……」

シンとした空気が流れた。ペイワードは死ぬ気だ。彼は帝国と同盟の和平を成し遂げフェザーンを中立国家として再生させようとしていた。その夢が潰える、その夢に殉じようというのか……。本部長が何かを振り払おうとするかのように首を横に振った。
『ビュコック司令長官、直ちに撤退行動に移って欲しい』
「はっ」



帝国暦 490年 3月 13日  イゼルローン回廊  帝国軍総旗艦ロキ  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



「閣下、先行するガイエスブルク要塞から通信が入りました。反乱軍は要塞を放棄、撤退しているとの事です」
私が報告すると艦橋の彼方此方から歓声が上がった。だが司令長官は喜ばない、面白くなさそうな表情をしている。はて、イゼルローン要塞を無血で奪回したわけだけど……。

「閣下?」
声をかけると司令長官がジロリと私を見た。そして視線を逸らせた。
「ヤン・ウェンリーは逃げた。つまりこちらの作戦を見抜いたという事です。相変らず可愛げが無い」
なるほど、司令長官の不機嫌の理由はヤン提督か。逃げられれば厄介な事になると思っているらしい。周囲も歓声を上げるのを止めた。

「追撃を命じますか?」
ワルトハイム参謀長が問うと司令長官は首を横に振った。
「必要有りません。先ずはイゼルローン要塞の占拠を優先します。シュトックハウゼン提督を呼び出してください」
直ぐに通信が繋がりスクリーンにシュトックハウゼン提督の姿が現れた。

「ヤン・ウェンリーは要塞を放棄したようです。提督は直ちに要塞を接収してください」
『はっ』
シュトックハウゼン提督の顔面が朱に染まった。提督が要塞司令官の時に同盟軍に奪われた。その要塞を取り返す、想う事が有るのだろう。

「反乱軍は要塞内に爆発物を仕掛けた可能性が有ります。進駐してきた我々を一気に殺戮する……。念のため爆発物の専門家を送って安全を確認してください」
『はっ、直ちに』
提督の顔から朱が消えた。緊張している。

通信が終った後、ワルトハイム参謀長が司令長官に問い掛けてきた。
「爆発物は本当に有るのでしょうか?」
司令長官が視線を参謀長に向けた。
「いえ、疑うわけでは有りませんがイゼルローン要塞を爆破するなど考えるものなのかと思いまして……」
今度は苦笑を浮かべた。

「ヤン・ウェンリーは逃げた。彼は私が要塞の占拠では無く破壊を考えていると察知したのでしょう。彼が私と同じように要塞の破壊を考えたとしてもおかしくは有りません。それに成功すれば帝国軍に損害を与えられますし時間も稼げる。今の反乱軍にとってはどちらも貴重なものです」

司令長官の言葉に彼方此方で頷く姿が有った。それにしても何で爆破なんて事にまで気が付くのか、溜息が出そう。参謀長も溜息を吐きたそうな顔をしている。司令長官の部下って色々と勉強になるんだけど如何いうわけか自分が馬鹿になったような気がするわ。

二時間後、シュトックハウゼン提督からイゼルローン要塞に仕掛けられた爆発物を全て撤去したと報告が入った。ヴァレンシュタイン司令長官は帝都オーディンにイゼルローン要塞の奪還を報告、そしてシュトックハウゼン提督に二つの要塞の保持と回廊の確保を命じると残余の艦隊に進撃を命じた。
「これより同盟領へ進撃する。最終目標はバーラト星域、首都星ハイネセン。全艦発進せよ!」


 

 

第二百七十一話 奔流




帝国暦 490年 3月 13日  オーディン 新無憂宮  エーレンベルク元帥



「イゼルローン要塞を奪回したか、先ずは重畳」
リヒテンラーデ侯は上機嫌だ。
「ヴァレンシュタインは不機嫌でしたな」
私が言うとリヒテンラーデ侯が不思議そうな表情をした。

「軍はイゼルローン要塞の反乱軍を降伏させるつもりでした。しかし要塞はその前に反乱軍によって放棄されていました」
「なんと、では逃げられたか……」
そう言うとリヒテンラーデ侯は笑い出した。笑い事ではないのだがな。シュタインホフ元帥も渋面を作っている。

「いや、許せ。あの男でも思うように行かぬ事が有るとは……、反乱軍もなかなかやるではないか」
侯の笑い声は益々大きくなった。
「笑い事では有りませんぞ、国務尚書閣下。反乱軍の指揮官はヤン・ウェンリー、かつてローエングラム伯を大敗させイゼルローン要塞を奪取した男です。ここで捕殺する予定だったのですが……、厄介な男が逃げました」
シュタインホフ元帥の言葉にようやくリヒテンラーデ侯が笑うのを止めた。

「なるほど、あの男か」
侯は二度三度と頷くと“確かに厄介な男が逃げたようだ”と言った。
「油断は出来ません。フェザーン方面にも影響が出ております」
「本来ならフェザーン方面の反乱軍はイゼルローン要塞陥落に慌てふためく筈でした。しかしヤン・ウェンリーが撤退した事でフェザーン方面も撤退に入っております」

予定では混乱する反乱軍にかなりの打撃を与える事が出来た筈だった。戦線は崩壊しただろう。だが現実には反乱軍は損害を出してはいるが秩序を保って後退している……。私とシュタインホフ元帥の言葉にリヒテンラーデ侯も顔を顰めた。

「それで、ヴァレンシュタインは今どうしているのだ?」
リヒテンラーデ侯が私とシュタインホフ元帥を交互に見た。
「要塞をシュトックハウゼンに任せ残りの艦隊を率いて反乱軍の領内に向かっております」
シュトックハウゼンに要塞を任せるとはヴァレンシュタインめ、なかなか粋な事をする。

「イゼルローン要塞の反乱軍は民間人を引き連れております、そのままでは戦闘は出来ません。彼らを何処か安全な場所に連れて行き分離する筈です。その隙にヴァレンシュタインはハイネセンを目指します」
私とシュタインホフ元帥の答えにリヒテンラーデ侯が頷いた。

「フェザーン方面の事をもう少し詳しく話してくれぬか」
「既にフェザーン方面第一軍はフェザーン回廊の出口を確保し第二軍、第三軍は撤退する反乱軍を追っております。第一軍はこれからフェザーン制圧、そして回廊、補給路の警備、帝国領内の治安維持に任務を切り替えます」
“そうか”とリヒテンラーデ侯が言った。

「フェザーンから私の所に通信が入った」
フェザーンから? シュタインホフ元帥を見たが彼も心当たりは無さそうだ。
「長老委員会がペイワードをリコールしたそうだ。新たな自治領主は、はて何と言ったか……。テレマン、ロバート・テレマンと言っていたな」
「……」
「その男が連絡してきた。反乱軍が駐留していたため已むを得ず反乱軍に従っていたが自分達の本心は帝国に有る。前任者は反乱軍に与していたため自治領主の座から追った。以前のように帝国の自治領として認めて欲しいと言っていた。帝国のために何でもするそうだ。言外にだが私への賄賂も匂わせていたな」
リヒテンラーデ侯が冷笑を浮かべている。

「地球教が動いた、そういう事ですな。それでなんと返答されたのです」
私の言葉にリヒテンラーデ侯が“ふむ”と鼻を鳴らした。
「精々励め、そう言っておいた」
噴き出してしまった。私だけじゃない、シュタインホフ元帥も噴き出している。そんな私達を見てリヒテンラーデ侯が声を上げて笑った。

この後、フェザーン方面第一軍がフェザーンを制圧する。フェザーンの自治権は廃止され新自治領主、長老委員会は地球教の協力者、帝国への敵対者として身柄を拘束される。そしてフェザーンに逃げ込んだ地球教団の残党も狩り立てられるだろう。

「多少の齟齬は有るが全体としては予定通り、そう見て良いのかな?」
笑いを収めたリヒテンラーデ侯が問い掛けてきた。シュタインホフ元帥に視線を向けると彼が頷いた。
「現状ではその通りです。但し、油断は出来ません」
「分かった、陛下にはそのように御伝えする」



宇宙暦 799年 3月 13日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



最高評議会議長の執務室に入るとトリューニヒト、ホアン、アイランズ、ボロディン統合作戦本部長の四人が私を見た。四人とも険しい表情をしている。
「状況は?」
問い掛けるとトリューニヒトが“良くない”と言って首を横に振った。かなり疲れているようだ。目が充血している。多分昨日は碌に寝ていないのだろう。

「各星系からは如何すれば良いのかと悲鳴、いや怒号かな、問い合わせが来ている。無防備都市宣言を行って帝国軍をやり過ごせと言っているが如何なる事か」
「……」
「帝国軍が近付けば同盟から離脱して帝国に従属しかねない」
ボロディンもアイランズも、そしてホアンも無言だ。離脱、従属など認め難い事だろうが現実問題として同盟政府には彼らを守るだけの軍事力が無いのも事実だ。口を噤まざるを得ないのだろう。

「軍は如何なのだ?」
私が問うとボロディンがアイランズと顔を見合わせてから口を開いた。
「ヤン提督はイゼルローン要塞を放棄後民間人を安全な場所に移送するべく動いています。第十五艦隊のカールセン提督はヤン提督と別れハイネセン方面に撤退中です」
「……」
私が納得していないと思ったのかもしれない。アイランズが最悪の場合はカールセン提督がハイネセン近郊で帝国軍を足止めしその背後をヤン提督が衝く事になると説明した。そう上手く行くのだろうか……。

「フェザーン方面はビュコック司令長官の指揮の下損害を出してはいますが秩序を保って後退しております」
「それで、この状況から逆転は可能かね」
私が問うとボロディンの表情が歪んだ。
「ビュコック司令長官が何処かで帝国軍を振り切ってハイネセン方面に戻りイゼルローン回廊から押し寄せる帝国軍をカールセン提督、ヤン提督と協力して撃破、その後フェザーン方面から押し寄せる帝国軍を撃破出来れば……」

「各個撃破か、……そのような事が可能かな?」
「……」
返答が無い。ボロディンだけじゃない、トリューニヒト、アイランズ、ホアンも無言だ。殆ど不可能に近い作戦なのだろう。だがそれでも縋らざるを得ない、そんなところか……。

「レベロ、そっちは如何だ?」
「こっちも負けず劣らずの状況だよ、トリューニヒト。フェザーンが占領され帝国軍が同盟領内に侵攻した事で経済は滅茶苦茶だ。為替相場ではディナールは下がり続けている、フェザーン・マルクもディナール程ではないが同様だ」
同盟と帝国では直接の交易は無い、フェザーンが仲介している。つまりフェザーン・マルクは両国が認める共通の通貨なのだがそのフェザーン・マルクが帝国マルクに対して下落している。

おそらくフェザーン人の多くがフェザーン・マルク、ディナールを売り帝国マルクを買っているのだろう。そして同盟市民の多くがディナールを売りフェザーン・マルクを買っているに違いない。つまりフェザーン人も同盟市民も同盟は終わりだと見ているのだ。それは国債の価格が下落している事からも分かる。だがそれでも買い手がつかない……。

「市民はパニック状態だろうな」
ホアンの口調はポツンとした、溜息混じりのものだった。
「酷いものだ。皆が食料品、生活用品の買い出しに走っている。多分帝国軍が近付くにつれてより酷くなるだろう」
ハイネセンは人口が多く自給自足が出来ない。同盟市民が買い出しに走るという事は同盟政府が事態の制御が出来ない、物流の制御が出来ないと市民は見ているのだ。ガバナビリティは失われつつある。

「記者会見をする」
「トリューニヒト……」
「市民が混乱するのは仕方が無い。だが混乱はコントロール出来るレベルまでに抑える必要が有る」
「出来るのか? そんな事が」
我ながら不信感一色の声だった。トリューニヒトが苦笑した。

「何とかするさ。材料が無いわけじゃない。防衛線は破られたが兵力は未だ十分に有る。ハイネセン近郊での決戦になるだろうがやり方次第では帝国軍を追い返す事も可能だ。それにアルテミスの首飾りも有る」
「あれは役に立たんだろう」
私だけじゃない、ホアン、アイランズ、ボロディンの三人も訝しげな表情をしている。トリューニヒトが笑い声を上げた。

「有難い事に市民はそれを知らない、帝国軍には使えなくても同盟市民には使えるよ、鎮静剤としてね」
「酷い話だ、市民をペテンにかけるのか」
「政略と言って欲しいね、ホアン」
皆が呆れた様な表情をしている。

「鎮静剤は無理でも気休め程度にはなるかもしれんな」
私の言葉にトリューニヒトが肩を竦めた。市民は何処かで救いを求めている、希望を持ちたがっている。もしかすると上手く行くかもしれない。
「トリューニヒト、目薬をさして行け、眼が充血している」
「ああ、そうしよう」



宇宙暦 799年 3月 17日 アルレスハイム星域 第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー



「では」
『では』
敬礼をするとスクリーンに映るキャゼルヌ先輩も敬礼してきた。敬礼が終ると通信が切れた。民間人輸送部隊の指揮をキャゼルヌ先輩に任せて自分は戦場に向かう。思わず溜息が出た。大丈夫だ、帝国軍はティアマト方面に居る。先輩の部隊が帝国軍に捕捉される可能性は皆無に近い。

「グリーンヒル大尉」
「はい」
「艦隊の速度を上げてくれ。それから進路をパランティアへ」
「はい」
グリーンヒル大尉が指示を出しオペレーター達が艦隊に指示を伝えている。もう直ぐ艦隊の速度が上がり民間人輸送部隊との距離が徐々に開くだろう。

同盟の防衛計画は破綻した。ガイエスブルク要塞か……、まさかあれを持って来るとは……。これなら最初から帝国軍を同盟領内に引き摺り込む作戦を執った方が良かった。その方が混乱は少なかった筈だ。どうして妥協してしまったのか。溜息しか出ない……。

悔やんでいる場合じゃないな。少なくとも撤退は問題無く成功したのだ。最悪の状況は回避出来た。後はフェザーン方面軍がどの程度の兵力を保持出来るか、そして追ってくる帝国軍を振り切れるかだ。それが同盟の命運を決める。厳しい状況だがビュコック司令長官なら何とかしてくれる筈だ。可能性は有る、グリーンヒル大尉にスクリーンに星系図を映すように頼んだ。



帝国暦 490年 3月 17日   帝国軍総旗艦ロキ  クラウス・ワルトハイム



イゼルローン方面軍は回廊を抜け高速でティアマト星域に向かっている。方面軍の士気は高い。イゼルローン要塞を損害無しで奪回し反乱軍の勢力範囲に侵攻しているのだ。そしてフェザーン方面の帝国軍も回廊を突破して反乱軍を追っている。本格的な戦闘こそ無いが侵攻作戦は順調に進んでいる。これで士気が高く無ければ嘘だろう。

総旗艦ロキの艦橋が昂揚感に包まれる中ヴァレンシュタイン司令長官だけがそれとは無縁でいる。不機嫌なのではない、要塞奪取直後に有った不機嫌さは消えている。今の司令長官はただ静かだ、正面の大スクリーンに映った大まかな星系図を見ながら何かを考えている。

「先行するケンプ艦隊より報告! 反乱軍の哨戒部隊と接触!」
オペレーターが声を張り上げた。回廊を抜け出てからこれで四度目だ、艦橋の空気が緊張する事は無い。司令長官も微かに眉を顰めただけだ。
「随分とこちらを気にしていますな」
「民間人を警護している艦隊、そしてフェザーン方面の反乱軍に我々の位置を教えているのでしょう」
「反撃のタイミングを計っている?」
「ええ」
リューネブルク大将と司令長官が話している。

シュトックハウゼン提督からの報告ではイゼルローン要塞に居た艦隊は二個艦隊だった。ヤン・ウェンリーの第十三艦隊と増援部隊だろう。司令長官はその内の一個艦隊がハイネセン方面に撤退し残りの艦隊が民間人を安全な所に運ぶため別行動をとっていると考えている。我々参謀達も同意見だ。

「どのあたりで反撃が有ると想定していらっしゃるのです、ずっと考えていたようですが。教えて頂きたいものです」
リューネブルク大将が興味津々の表情で言うと司令長官が微かに苦笑を浮かべた。
「民間人を警護している艦隊が何処に向かったか、何処で分離したかで違ってきます。多分アルレスハイム方面に向かったと思うのですが……」
「こちらがティアマトに向かっていると知れば……」
「ええ、アルレスハイムで分離してパランティア、アスターテに出るでしょう。となれば早ければダゴン、エルゴン辺りで反撃が有る。前後から挟撃を狙うと思います」
リューネブルク大将がスクリーンの星系図を見ながら二度、三度と頷いた。

「しかし二個艦隊です。相手を侮るわけでは有りませんが油断しなければ問題は無いのではありませんか?」
思い切って訊いてみた。味方は六個艦隊、三倍の兵力だ。敗けるとは思えない。参謀達の中にも頷いている人間がいる。司令長官がふっと息を吐くのが見えた。不安要素が有るのだろうか。

「決戦を挑んでくれれば良いのですけどね。時間稼ぎをされると危ない。フェザーン方面の反乱軍が来るかもしれません」
艦橋にざわめきが起こった。そんな事が? 可能だろうか……。フェザーンからダゴン、エルゴンはかなり遠い。徐々に兵力を擂り潰してしまうだろう。とても時間稼ぎが有効とは思えない。

「その場合ヤン・ウェンリーは戦場を少しずつシヴァ、ジャムシード方面に誘導すると思います。そしてフェザーン方面から駆け付けた反乱軍と協力して我々を撃破する」
思わず唸り声が出た。可能かもしれない。我々を撃破した後で追ってきたメルカッツ副司令長官率いるフェザーン方面軍と戦う。時間的な余裕は無い、疲労も蓄積している筈だ。だが勝てる可能性は有る。

「如何なさいます?」
リューネブルク大将がヴァレンシュタイン司令長官に問い掛けた。司令長官を試すかのように笑みを浮かべている。それが分かったのだろう、フイッツシモンズ大佐が呆れた様な表情を、司令長官は苦笑を浮かべた。

「さあ如何したものか。未だ事態は流動的ですからね」
「そうですな……」
「楽しみでしょう、リューネブルク大将」
「まあ」
二人が声を上げて笑った。どうやら司令長官には考えが有るらしい。一体どうするのか? もう一度スクリーンの星系図を見た。メルカッツ副司令長官の動きが鍵になりそうだと思った。




 

 

第二百七十二話 混迷




帝国暦 490年 3月 18日  オーディン 憲兵隊本部  ギュンター・キスリング



「フェザーン市民の様子は如何でしょう?」
『今の所問題は発生していない、市民は落ち着いている』
「占領統治は順調なのですね」
『まあそう言って良かろうな』
レムシャイド伯爵の口調に暗さは無い。その言葉に偽りは無いようだ。もっとも占領初日から躓くようでは先が思いやられる。

『ロバート・テレマンは拘束した。ペイワードの身柄も押さえている』
「長老委員会の扱いは?」
『委員会のメンバーも拘束した。連中にフェザーンの自治権は剥奪したと言うと約束が違うと憤慨していたな。リヒテンラーデ侯は自治を認めたと頻りに言っていた』
そう言うとスクリーンに映るレムシャイド伯は声を上げて笑った。本当に信じるとは余程に上手く騙したのだろう、悪い爺様だ。

「地球教は如何なりましたか?」
『ド・ヴィリエという大主教とその取り巻きを捕えた。自治を認められると思って油断したのかな、呆気ないものだ。総大主教は地球制圧の時に死んだらしい。現在最上位に居るのはド・ヴィリエのようだ』
「ではこれで地球教は壊滅ですか?」
『そう思いたいところではある……』
歯切れが悪い。確証は無いか。後でボイムラー准将に確認する必要が有るな。いや待て……。

「レムシャイド伯、国債と株はどうなりましたか?」
『ああ、それがあったな』
レムシャイド伯が救われたかのように明るい声を出した。
『無事接収した、それについては問題は無い。だが自治領主府の地下から妙な物を見つけた。金等の貴金属、絵画の類だ、時価総額で一兆帝国マルクは下らないだろう』
「一兆帝国マルク……」
呆然としているとレムシャイド伯が笑い声を上げた。

『私も最初に聞いた時は卿と同じような反応をしたよ。途方もない代物だ』
「……」
伯爵が笑うのを止めた。表情が厳しい。
『その一部が地球教に流れたらしい。ド・ヴィリエの活動資金になったようだ。他に流れていなければ良いのだが……』
「まさか」
『確証は無い、ボイムラー准将が調査している。詳しい事は准将に聞いてくれ』
やれやれだな。治安面でレムシャイド伯の補佐役にとボイムラー准将を送ったが准将は今頃俺を呪っているかもしれん。

ド・ヴィリエがフェザーンに行ったのは昨年の夏、半年以上前の筈だ。ペイワードが彼らに援助したとは思えない。となると自治領主府内部に地球教の協力者が居た事になる。思っていた以上に地球教はフェザーン内部に浸透している。国債と株が地球教に流れなかったのは僥倖に近いな。

フェザーン侵攻においてエーリッヒが特に重視していたのはフェザーンが所持している帝国、同盟が発行した国債と両国企業の株だった。帝国、同盟の両国で地球教は叩かれ地球そのものも叩き潰された。彼らは組織再生のため必ず資金を必要とする筈だ、国債と株はその資金源になる可能性が有った。

ペイワードが自治領主である間はそれらが地球教に流れる事は無いだろう、流れるとすれば侵攻によってフェザーンが混乱した時だとエーリッヒは考えていたが……。一兆帝国マルク相当の貴金属か。国債や株の所有者を変えるよりも貴金属を密かに持ち出す方がペイワードに気付かれる危険性は低いと見たという事か。

ルビンスキーが動いたかな。地球教は当然だが国債と株を欲しがった筈だ。だがペイワードに気付かれると警告して貴金属を小出しに渡した。もどかしさに不満が募っただろう。暴発させやすくなったわけだ。それが真の狙いだったかもしれない。

いや、それともペイワード自身が保険を掛けた可能性は無いか? ペイワードは地球教に殺されずに帝国に保護されている。表では敵対しても裏では繋がっていた? 可能性は低いと思うが……。だが貴金属は流さなくても他の面で協力した可能性は有るかもしれない。ボイムラー准将がその辺りを考えていれば良いが……。

「ルビンスキーは?」
俺の問いにレムシャイド伯が首を横に振った。
『未だ姿を現さない。用心しているのかもしれん』
「或いは勝敗が決まるのを見守っているのか」
『有り得るな。フェザーン市民が大人しいのもそれかもしれない。縁起でもない事だが帝国が敗れる、或いはそれに近い状態になれば牙を剥くかもしれん』

レムシャイド伯は渋い表情をしている。手放しで喜べるような状況ではないという事だな。早々に通信を切り上げボイムラー准将に連絡を取った。直ぐに准将がスクリーンに映った。こちらも表情は厳しい。予期していた事では有るが面白くは無かった。

「ボイムラー准将、忙しい所を済まんな」
『いえ、御気になさらずに。こちらから連絡を入れようと思っていたところです』
「そうか、大凡のところはレムシャイド伯から聞いている。詳細は卿から聞いてくれとの事だった。話してくれるか」
ボイムラー准将が苦笑を浮かべた。面倒事を押し付けられたとでも思ったかもしれない。

『フェザーンの状況ですが現状では反帝国の暴動や騒乱が起こる可能性は小さいと思います。帝国はイゼルローン、フェザーン両回廊を制圧し優勢に戦いを進めている。フェザーン市民はそれを十分に理解しています。このまま勝ちきれば問題は無いでしょう』
「うむ」
レムシャイド伯と同じ事を言っている。つまり油断は出来ないという事だ。

『国債と株の事はお聞きになりましたか?』
「聞いた。一兆帝国マルクの貴金属の事もな。どの程度地球教に流れたのだ」
『ド・ヴィリエを尋問していますが未だ……。小官の予想では百億から百五十億帝国マルクの間ではないかと考えています。主に金を売ったようです』
百億から百五十億……、溜息が出た。

『この半年間にフェザーンで取引された金を調べました。丁度帝国と反乱軍の関係が怪しくなってきた時です。多くの人間が金を購入しています。かなりの高値で取引されている。金以外にもプラチナ、銀を売った痕跡が有ります』
「なるほど、自治領主府内の協力者は誰だ?」
ボイムラー准将が首を横に振った。
『未だ分かりません。捜査中です』
「ルビンスキーは当然だがペイワードが協力者の可能性は?」
『……』
驚いた様な表情は無い。ボイムラー准将も俺と同じ事を考えている。ならば捜査に抜けは無いか。

「ルビンスキーは未だ姿を現さない様だが」
『探しますか?』
「いや、その必要は無い。いずれは現れるのだ、それを待とう」
『小官もそれが宜しいかと思います』
下手に探せば用心させるだけだ。むしろ探さない方がルビンスキーにとっては屈辱だろう。自分から接触して来る筈だ。

「地球教だがド・ヴィリエを拘束した事で脅威はかなり減ったと思うが?」
『はい、核になる人物を失った以上脅威はかなり減ったと思います。そしてこの戦争で勝てば帝国の覇権が確立します。そうなれば自然消滅という事も有り得るでしょう。しかしそれには時間がかかると思います』
「そうだな」

つまり小規模なテロ活動が続く可能性が有るという事だ。フェザーン遷都を考えれば決して喜べることではない。
「ボイムラー准将、地球教の残党を優先して追ってくれ」
『小官もそのつもりでいました。進展が有りましたら御報告します』
「頼む」

やれやれだな、通信が終り何も映さなくなったスクリーンを見ながら思った。戦況は優勢だが未だ決定的とは言えない。フェザーンの状況も同様だ。何処か中途半端で混沌としている。消化不良にでもなりそうな気分だ……。



宇宙暦 799年 3月 22日  ダゴン星域  第十五艦隊旗艦デュオメデス ラルフ・カールセン



「索敵部隊から連絡です。帝国軍はダゴン星域に近付きつつあるとの事です。我々とは約一日の距離に有ります」
オペレーターの声が艦橋に響いた。艦橋に敵発見による興奮は無い。イゼルローン要塞を撤退後は四六時中帝国軍を監視しているのだ、無理もない。
「兵力は確認出来るか?」
ビューフォート参謀長の問い掛けにオペレーターが首を横に振ると参謀長が不満そうに唸り声を上げた。

「まあ難しいだろう」
「閣下」
「先頭の艦隊に接触するだけで精一杯だろうな。無理をすれば帝国軍の攻撃を受ける。そんな危険を冒す必要は無い、敵が近付いているという情報だけで十分だ」
「はあ」
ビューフォート参謀長が不得要領に頷く。

「思ったより帝国軍の動きが早い。イゼルローン要塞で多少の休息を入れるかと思ったが……」
「補給等は如何したのでしょう?」
「ガイエスブルク要塞で行って来たのだろう。となれば敢えてイゼルローン要塞で行う必要は無い」
「なるほど、あれが有りましたな」

厄介な相手だ。謀略を得手とするから多少は実戦に疎いかと思ったがこちらが嫌がる事ばかりする。機を見るに敏だな、それだけ手強い。
「参謀長、ヤン提督は今どの辺りかな?」
「パランティアには着いているでしょう」
参謀長がスクリーンに映る星系図を見ながら答えた。

「ビュコック司令長官は?」
「……ポレヴィト星域を抜けランテマリオ星域に向かっているかと思いますが……」
ランテマリオからジャムシードは民間船も使用する航路だ。安定しているし航行は容易だから時間も計算出来る。後二週間もすればジャムシード星域に到着するだろう。但し、敵に引き留められていなければという条件が付く……。

「エルゴン星域でヤン提督が追い付くのは無理だな」
「はい」
「やはりシヴァ、ジャムシードで合流か」
「そうなると思います」
如何する? ヤン・ウェンリーはパランティアから航路通りにアスターテ、エルゴン、シヴァを目指すか? それとも航路を外れて直接エルゴン、又はシヴァを目指すか……。

航路を外れた方が時間は短縮出来る。だが航路を外れれば宇宙嵐、磁気嵐等が頻繁に起きやすいという危険も有る、だから航路として使われないのだ。通信は途絶えがちだし場合によっては足止めを食いかねない、或いは艦に損傷を受ける恐れもある。だが帝国軍の進撃は速い、航路通りの航行では追い付かない可能性が出て来ている。場合によってはこちらが各個撃破の対象になってしまう……。溜息が出た……。



帝国暦 490年 3月 23日  オーディン 統帥本部  シュタインホフ



会議室に入ると中に居た男達が一斉に起立して敬礼をしてきた。それに応え席に座ると男達も席に座った。コの字型に並べられた会議卓を十人程の男、軍人達が囲んでいる。一人が立ち上がり近付いて来た、手には書類を持っている。ツィンマーマン大佐、所属は作戦部だった筈だ。

「これを御覧ください」
大佐が書類を私の前に置いた。そして席に戻る。使えん奴だ。手に取ってパラパラと見てみた。作戦計画書のようだな。
「誰か説明しろ」
「……」
皆、顔を見合わせている。率先して立ち上がる者は居ないらしい。

「ラインベルガー!」
「はっ!」
統帥本部作戦部長、ラインベルガー大将が慌てて立ち上がった。内乱の後大将に昇進、作戦部長に就任した男だがどうにも胆力の無い男だ。イライラする。出来の良い奴は皆ヴァレンシュタインに取られてしまった。統帥本部はアホばかりだ。

「説明しろ」
「はっ!」
書類には重要な部分とそうではない部分が有る。重要な部分は口頭でも報告するのが常識だろう! 汗をかいてもいないのにハンカチで顔を拭くな! 鬱陶しい!

「現在反乱軍領内に侵攻している帝国軍は優位に戦闘を進めています」
「うむ」
「しかし問題が無いわけでも有りません。当初の予定ではイゼルローン方面、フェザーン方面において反乱軍に対して大きな損害を与える予定でしたが失敗しました。反乱軍は多少の損害を出しつつも後退して戦線を立て直そうとしています」
「うむ、面白く無い事態だ。反乱軍が逃げるのが早すぎたな」

会議室に笑い声が上がった。阿呆、連中はこちらの狙いを読み取ったのだぞ、喜べる状況ではあるまい。
「この状況は面白くは有りません。我々は何処かで反乱軍に一撃を与える必要が有ります。このままではハイネセン攻略にも支障が出るでしょう」
「それでこの作戦計画書を作ったか」
ラインベルガーがバツの悪そうな表情をした。

「いえ、この作戦計画書はヴァレンシュタイン司令長官より送られてきました。反乱軍はバーラト星域を目指すイゼルローン方面軍を何とか食い止めようとする筈、それを上手く利用したいと。この作戦の実施が可能か、それと実施するのであれば作戦全体の制御を統帥本部に委任する事が可能かを検討して貰いたいとの事です」
「なるほど」

要するにヴァレンシュタインも最初の作戦案はもう成り立たないと見たわけか。それで新たな作戦案を提案してきた。本来ならこちらがやる仕事だな。いや、やろうとしたらヴァレンシュタインが先に送って来た、そんなところかもしれん。
「スクリーンに星系図を出せ」
「はっ」
ツィンマーマン大佐がスクリーンに星系図を表示させる。星系図には帝国軍と反乱軍の大凡の位置が分かる様になっていた。ラインベルガーは何時の間にか席に座っている。作戦の内容は説明せんのか、腹立たしい奴だ……。

ヴァレンシュタインの送ってきた作戦計画書はそれほど厚みの有るものでは無かった。幾つかの星系名が記されている。スクリーンと照らし合わせてみた。なるほど、作戦も難しいものではないな。説明を受けるまでも無いか……。問題はタイミングだな、それで制御をこちらにと言ってきたか。あとは行方のはっきりしない一個艦隊……。

「それで、如何なのだ?」
私が問い掛けると皆が顔を見合わせた。押し付け合いか? 怒鳴り付けようかと思った時、一人の男が立ちあがった。ブラウラー大佐、元はリッテンハイム侯の所に居た男だな。

「現状では極めて合理的な作戦だと思います。反乱軍がこちらの陽動に引っかかる可能性は高いでしょう。その分だけハイネセンの攻略は容易になります」
「行方の分からん艦隊が有るが大丈夫か? 指揮官はヤン・ウェンリーだぞ」
「その艦隊も引き摺り出せます。引き摺り出してしまえば恐ろしくは有りません。多少手強くても一個艦隊です」

「ヴァレンシュタインに危険が及ぶ可能性が有るがその辺りは如何考える?」
「決戦を挑めば危険ですが決戦を避ければ問題は有りません。司令長官閣下もその事はお分かりの筈、むやみに決戦を挑む事はしないでしょう」
「ふむ、卿はこの作戦を実施すべきだと言うのだな」
「修正を加えたうえで実施すべきだと思います」
周囲を見れば皆が頷いている。

「修正とは何だ、大佐?」
「惑星ウルヴァシーの占拠、補給基地化です。この作戦案ではそれが消えていますが当初の予定通り、実施すべきです。万一長期戦になった場合にはウルヴァシーが必要となります」
作戦計画書をもう一度見た。確かにウルヴァシーの占拠が消えている。焦っているのか? それとも長期戦の可能性は無いと見た? いや焦りが有ると見るべきだな。

「良かろう、この作戦を実行する、修正をしてな。私は軍務尚書、国務尚書閣下に報告してくる。卿らは準備にかかれ」
「はっ」
全員が起立して敬礼した。私も立ち上がり答礼すると会議室を後にした。先ずは軍務省、そして新無憂宮に行かなくてはならん。




 

 

第二百七十三話 収斂



帝国暦 490年 3月 25日   帝国軍総旗艦ロキ  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



「ようやくダゴン星域を抜けましたな」
シューマッハ副参謀長の声には何処となく安堵の響きが有った。副参謀長だけじゃない、艦橋に居る多くの士官、下士官がホッとした様な表情をして頷いている。ここ最近総旗艦ロキの艦橋は異様な空気と緊張に包まれていたけどようやくそれが消えた。

理由は簡単、ダゴン星域。この星域で百六十年前、正確には百五十九年前にダゴンの殲滅戦が起きたから。そしてそれを助長しているのがダゴン星域の宙域特性だ。迷宮も同然の小惑星帯に太陽嵐が吹き荒れる難所で決して航行は楽では無い。百五十九年前の帝国軍は索敵どころか自軍の位置測定さえ困難な状況になった程だった。

この時の経験は帝国軍にとって二度と思い出したくない悪夢、トラウマになった。この後帝国軍がダゴン星域を通過したのはコルネリアス一世の大親征だけ。その大親征も帝都オーディンで宮廷クーデターが起きたため失敗に終わっている。ダゴン星域は帝国軍にとって極めて縁起の悪い星域になってしまった。

イゼルローン方面軍は現在六個艦隊が航行中だ。先頭からケンプ、レンネンカンプ、アイゼナッハ、ヴァレンシュタイン司令長官、ビッテンフェルト、ミュラー艦隊の順で並んでいる。その内司令長官の直率艦隊までがダゴン星域を何の妨害も受ける事無く通過した。艦橋の空気が明るくなるのも無理は無いと思う。もっともそんな皆の想いとは無関係な人も居る。我らが司令長官閣下だ。ダゴン星域の航行中、周囲の不安には全く無関心。指揮官席に座って星系図を見ながら作戦計画書を作成していた。

一度気にならないのかと訊ねたら指揮官が動揺したら部下の動揺はさらに酷くなる、指揮官は感情を表に出してはいけないと答えてくれたけど本当は何も感じていないのだと思う。でも私やリューネブルク大将には司令長官の平然とした態度は結構有難い。私もリューネブルク大将もダゴン星域と聞いても縁起が悪いなどとは思えないから変に周囲に気を遣わずに済む。

「ケンプ提督から通信が入っています」
オペレーターが声を上げるとワルトハイム参謀長が司令長官に視線を向けた。それを受けて司令長官が頷く。参謀長がオペレーターにスクリーンに映すように命じるとスクリーンに壮年の大柄な男性が現れた。カール・グスタフ・ケンプ提督、元々は撃墜王として活躍したパイロットだった。既婚で二人の男の子が居る。宇宙艦隊司令部の女性下士官達から理想の夫として評価が高い。

「ケンプ提督、何か有りましたか?」
『反乱軍の偵察部隊がまた接触してきました』
司令長官が頷いた。
『無理に追い払う必要は無いとの御指示ですが宜しいのでしょうか?』
追い払いたい、そういう事かな。ケンプ提督の艦隊は軍の先頭だから敵の索敵部隊を鬱陶しいっていう思いも有るのかもしれない。元々攻勢に強い指揮官だから無為に過ごすのが苦手というのも十分あるだろう。

「偵察部隊はどの方向から来たのです」
司令長官は反乱軍との接触が有れば必ず報告するようにと命じてはいるけど同時に無理に追い払う必要は無いとも命じている。そして報告の時は必ず偵察部隊がどの方向から来たかを確認している。

『前方からです、これまでと変わりは有りません』
「なるほど」
『閣下?』
司令長官が視線を伏せ気味にして何かを考えている。ケンプ提督にとっては気になるところだろう。もしかすると余計な提言をしたかと思っているのかも。幾分不安そうに司令長官を見ている。

「ダゴン星域を抜けたからそろそろかな……」
『閣下?』
ケンプ提督の声が幾分弾んでいる、何かを期待するかのような表情だ。
「ケンプ提督、反乱軍の偵察部隊を追い払って下さい。但し目的は逃げる偵察部隊を追って敵艦隊の位置を確認する事です」
『はっ』
大きく頷くとケンプ提督が敬礼をする。司令長官がそれに答礼をして通信は終わった。

「ワルトハイム参謀長」
「はっ」
「民間人を警護した艦隊、おそらくはヤン提督の艦隊でしょうがそろそろ民間人を分離してこちらに向かって来る筈です。不意打ちは受けたくありません。イゼルローン方面軍全軍に哨戒を密に行うようにと指示を出してください。少し艦隊を引き締めましょう」
「はっ!」
参謀長が緊張した声を出した。強敵が迫っている、緩んでいた艦橋の空気がまた緊張を帯びた。



宇宙暦 799年 3月 25日  エルゴン星域  第十五艦隊旗艦デュオメデス ラルフ・カールセン



タンクベッド睡眠を取って艦橋に戻ると皆が厳しい表情で俺を迎えた。空気も硬い、良くない兆候だ。何が有った?
「帝国軍の様子は?」
問い掛けるとビューフォート参謀長が憂鬱そうな表情で首を横に振った。
「残念ですがはっきりとした事は分かりません。閣下が休息を取られてから様子が変わりました。こちらの索敵部隊は敵艦隊に接触する前に追い払われてしまいます。帝国軍はかなり濃密な哨戒線を布いているようです」
「そうか」

帝国軍の動きに変化が生じた。これまではこちらの存在を重視していなかったが今は明らかに敵と認識して動いている。艦橋の空気が変わったのはそれが原因か。
「それとこちらに対しても執拗に索敵行動を仕掛けてきます」
「知られたか?」
ビューフォート参謀長が頷いた。

「……残念ながら。それ以降帝国軍は進攻速度を上げつつあります」
「そうか……」
帝国軍が執拗に索敵行動を仕掛けてくる。難所であるダゴン星域を抜けて余裕が出たという事だな。索敵部隊を出す事に不安を感じなくなったのだろう。艦隊の速度を上げている、こちらを捕捉しようとしている……。

「距離は?」
「未だ詰められたとは思えません。こちらも速度を上げています」
「ハイネセンには伝えたか?」
「はい」
「指示は?」
「特にありません」
指示は無い、つまり作戦は順調と判断して良いのだろうか。ヤン・ウェンリー、ビュコック司令長官はこちらを目指して動いている?

分からんな。ヤン提督が近付いているなら、帝国軍と接触したのなら帝国軍は速度を緩める筈だ。それが無いという事はヤン提督は近付いてはいるのだろうが未だ帝国軍に接触はしていないという事だろう。分かっていた事だがやはりエルゴン星域での合流は無理だったか。

帝国軍が進攻速度を上げている。良くない兆候だ。何処かで帝国軍を足止めする必要が有るな。このまま後退し続けてはビュコック司令長官との挟撃が不可能になりかねない。帝国軍を足止めするためにはヤン提督の艦隊が必要なのだが今どのあたりの居るのか……。

どうにも不安だ、だが不安そうな表情は出来ない。艦橋はビューフォート参謀長を始め多くの人間が不安そうな表情をしているのだ。俺まで不安を表に出せば将兵の不安は際限なく広まり深化するだろう。皆の視線を感じた。俺が不安を押さえなくては……。
「では予定通り我々はシヴァ星域方面に撤退をする」
ビューフォート参謀長を始め皆が頷いた。そうだ、予定通りなのだ、慌てることは無い。溜息が出そうになって慌てて堪えた。



帝国暦 490年 3月 30日  エルゴン星域 帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



帝国軍イゼルローン方面軍は順調にハイネセンを目指している。前方に同盟軍の一個艦隊が居るが彼らにとっては六個艦隊が押し寄せてくるのだ、相当なプレッシャーだろう。神経性の胃炎で胃薬を必要としている人間も多い筈だ。医務室は大繁盛に違いない。

指揮官は誰かな? カールセン? オスマンかな? それともホーウッド? アップルトン? 或いはウランフ? まあ誰であろうと御気の毒な事だ。カールセンは猛将だがオスマンは如何かな? 宇宙艦隊総参謀長を務めたのだから参謀タイプ、知将タイプだと思うんだが実戦経験は如何だろう。少なければ苦労しているかもしれない。疲労が重なればミスを犯す可能性が高くなる。絶えず圧力をかける事だ。

俺が作った作戦計画書は統帥本部の参謀達に修正された。惑星ウルヴァシーを占領して補給基地化するらしい。まあ当初の予定に入っていたから捨てるのは惜しいって事なんだろう。俺としては同盟軍に決定的な打撃を与える事が出来なかったから兵力を分散させる事なく集中して使った方が戦争を早期に終わらせる事が出来ると思ったんだが統帥本部は長期戦のリスクを重視したようだ。

統帥本部が慎重になるのも無理は無い。優位ではあるが勝ったとは言えない状況だ。イゼルローン要塞は攻略したが考えてみれば取り戻したに過ぎない。今のところ目立った戦果はフェザーンを攻略した事ぐらいだ。同盟軍の主力部隊は殆ど無傷で撤退している事を考えれば統帥本部の判断を臆病と笑う事は出来ない。

何より不安なのはヤンの居場所が分からない事だ。一個艦隊だがヤンが率いているとなれば油断は出来ない。思いがけない所から一撃を加えてくる可能性はある。そろそろ現れると思うんだが……、まさかフェザーン方面軍に向かった? 有り得んな、それでは俺がハイネセンを攻略してしまう。必ずこちらを足止めにかかるはずだ。

イゼルローン方面軍には警戒態勢を取らせているがどうにも不安だ。周りには気付かれないようにしているがその分だけストレスが溜まる。敵に回すと本当に厄介な相手だよ。ヤンをイゼルローン要塞で捕殺出来なかった事は痛い、あれで全ての予定が狂った。苦労させられるわ。ん、ワルトハイムが足早に近づいてきたな。

「閣下」
「何です、参謀長」
ワルトハイムの表情が硬い。来たのかな?
「ミュラー提督より通信が入っています。哨戒部隊が反乱軍と接触したそうです」
「スクリーンに映してください」
「はっ」
やはり来たか……。ヤンは艦隊の後ろにいる。挟撃を狙う事でこちらを足止めしようというのだろう、フェザーンからの同盟軍を待っているわけだ。故意に発見させたかもしれないな。予想が当たった事にホッとした。

スクリーンにミュラーが映った。何時見ても思うんだが誠実そうな好青年だ。なんで彼女がいないんだろう、女の方が男より多いんだが……。
『閣下、既に御聞きかと思いますが哨戒部隊が反乱軍と接触しました』
えらいぞ、ミュラー。友人なのに馴れたところを見せない。馬鹿な奴なら馴れたところを周囲に見せる事で優越感に浸るだろう。俺も一応言葉遣いに気を付けないと。

『反乱軍は我々の後方にいるようです。ヤン・ウェンリーでしょうか?』
「おそらく。民間人と別れて大急ぎでこちらを追ってきたのでしょう」
『……反乱軍は少数ではありますが我々は前後から挟まれた形になります』
「ヤン・ウェンリーが相手となれば少数でも油断は出来ません。全軍をこの場に集結させます。ミュラー提督も急いで下さい、但し焦らずに」
『はっ』

通信が終ると艦隊の進撃を止め、全軍に集結するようにと命じた。辛いところだな、原作ならラインハルト一人を殺せば良かった。だがこの世界は違う、俺を殺しても帝国軍が退く事は無い。だから帝国軍に決戦を挑み勝たなければならない。同盟軍はフェザーン方面軍の来援を待って決戦を挑んで来るはずだ。乾坤一擲、決死の戦い……。誘いに乗ってやろうか。



宇宙暦 799年 3月 30日  シヴァ星域  第十五艦隊旗艦デュオメデス ラルフ・カールセン



「閣下、如何なさいますか?」
ビューフォート参謀長が幾分不安げに訊ねて来た。
「さて、如何したものかな?」
「ヤン提督が単独で帝国軍と戦闘に入ったという事は無いでしょうか?」
なるほど、それを心配したか。

「可能性は有るが低いだろうな。後退する帝国軍に慌てた様子は無い。ヤン提督が後方に居る事が分かって態勢を整えようとしている、そんなところだろう」
帝国軍が後退している。おそらくはヤン提督の艦隊が帝国軍の哨戒部隊に接触したのだろう。帝国軍は前後からの挟撃を恐れている。艦隊の列が前後に長くなっている事にも不安を感じた様だ。艦隊を集結させている。

用心深いな。こちらは合流しても二個艦隊、帝国軍は六個艦隊。戦力差は圧倒的だが帝国軍は驚くほど慎重だ。俺が帝国軍の指揮官ヴァレンシュタインなら後方の二個艦隊にヤン提督を警戒させ前方の四個艦隊で俺の艦隊を叩く。当然だが俺の艦隊は劣勢になる筈だ。そしてヤン提督は俺を救援しようとするだろう。そのヤン提督の艦隊を後方の二個艦隊で叩く。二個艦隊を各個撃破出来る筈だ。

ヤン提督を警戒しているのか、或いは二正面作戦を嫌ったか。だが悪くない、好都合だ。こちらとしてはフェザーンからビュコック司令長官が戻るまで多少の時間稼ぎが必要だからな。ヴァレンシュタインはこちらの狙いに気付いていないのかな? そうは思えん、となるとフェザーン方面のメルカッツを信頼しているという事か……。

「艦隊を前進させますか?」
「そうだな、前進させよう。但し、ゆっくりとだ」
「はっ」
ビューフォート参謀長が嬉しそうに応えオペレーター達に指示を出す。艦橋に活気が戻った。やはり攻勢を採らねば士気は上がらんな。

問題はこの後だ。戦場は出来ればジャムシード星域がベストだ。上手く行けば前後から俺とヤン提督、側面からビュコック司令長官、三方向から帝国軍を囲める。そうなれば撃破にも時間はかからんだろう。そして態勢を整えフェザーン方面から来る帝国軍の別動隊に対処する。条件は厳しいが不可能ではない。問題はどうやってジャムシードに誘導するかだな。

或いはヤン提督との合流を優先し帝国軍を少しづつジャムシード星域へ誘導するか。こちらの方が現実的では有る。但し、合流すれば帝国軍はこちらに攻撃をかけて来る筈だ。それを凌ぎながらジャムシード星域へ誘導する事になる。果たして自軍の三倍の兵力を有する帝国軍を相手に何処まで耐えられるか……。一つ間違うとこちらが撃破された後ビュコック司令長官が撃破されるという状況になりかねない。

ビュコック司令長官は何処まで戻ったかな。ランテマリオ星域にまで戻っただろうか? そこまで戻れば後はジャムシードまで一直線だ。急げば十日程でジャムシードに到着する。そしてシヴァとジャムシードの間は短い、移動には三日も有れば十分だろう。となるとヤン提督の合流はもう少し後の方が良い。決戦は四月の上旬か……。




 

 

第二百七十四話  走為上




帝国暦 490年 4月 1日   帝国軍総旗艦ロキ  ナイトハルト・ミュラー



「いよいよ決戦か」
「うむ、待ち遠しいな」
「反乱軍は二個艦隊、フェザーンから本隊が戻ってくる前に叩かなくては」
「難しくはあるまい、こちらは三倍の兵力を持っているのだ。ヤン・ウェンリーがどれほど用兵巧者であろうと兵力差は如何ともし難い筈だ」
レンネンカンプ提督、ケンプ提督、ビッテンフェルト提督の会話にアイゼナッハ提督が頷いた。総旗艦ロキの会議室には微かに覇気と興奮が漂っている。

艦隊が集結すると各艦隊司令官は総旗艦ロキに集まるようにと命令が来た。決戦前に作戦会議を開くのだろう、後はエーリッヒを待つだけだ。
「ヤン・ウェンリーを叩き、フェザーン方面から駆けつけてくる反乱軍の主力を叩く。各個撃破か、腕が鳴るな」
ビッテンフェルト提督が言い終えて身震いすると会議室に笑い声が上がった。ここまで戦いらしい戦いが無い。ようやく戦える、そんな気持ちが有るのだろう。

「フェザーン方面の反乱軍ですが戻ってこられるのでしょうか? メルカッツ閣下に捕捉され身動きが出来ない可能性もあると思いますが」
「ミュラー提督、それでは詰まらぬ。何とか振り切って此処まで来て欲しいものだ」
俺とレンネンカンプ提督の会話にまた笑い声が上がった。誰も負けるとは思っていない。過信は禁物と言いたいが確かに負ける要素は少ない。

会議室のドアが開いてエーリッヒがワルトハイム参謀長、シューマッハ副参謀長、副官のフィッツシモンズ大佐を従えて入って来た。皆起立して迎える、先程までの浮き立つような空気は綺麗に消えていた。エーリッヒは相手を侮る様な言葉を酷く嫌う。その事は皆が知っている。

敬礼を交わし席に着くとオペレーター達が飲み物を持ってきた。皆の席にコーヒーが置かれる。コーヒーの香りに混じって微かに甘い匂いがするからエーリッヒにはココアだろう。オペレーター達が会議室から去るとエーリッヒがココアを一口飲んだ。それを見て皆がそれぞれコーヒーを口に運んだ。司令長官より先に飲み物を口にするのは流石に気が引ける。エーリッヒもその辺りは分かっている、ココアを一口飲んだのは皆に自由に飲めという事だ。

「飲みながら聞いてください。既に知っていると思いますが反乱軍は我々を目指して集結しつつあるようです。なんと言ってもハイネセンに一番近いのは我々ですからね。我々のハイネセン攻略を防ごうというのでしょう」
エーリッヒの言葉に皆が頷いた。反乱軍が集結すればその戦力は我々と同等以上になる、不可能ではない。

「彼らの集結を待つ事は無いでしょう。各個撃破は用兵の常道、行うのは難しくありません」
「レンネンカンプ提督の言う通りです。先に二個艦隊を叩き、その後にフェザーンから戻って来る本隊を叩く。メルカッツ副司令長官も後を追っている筈、挟撃も可能です。負ける要素は有りません」
レンネンカンプ提督、ケンプ提督が発言すると同意する声が会議室に満ちた。皆がエーリッヒに視線を向けた。エーリッヒは微かに笑みを浮かべている。

「私はむしろ彼らの集結を待ってみようかと思っています」
「……」
会議室で無数の視線が交錯した。エーリッヒの言葉の意味を皆が確認している。武勲は望んでいるが危うい戦いを望んでいるわけではない。反乱軍は後がないのだ、卒爾な戦いは危険だ。

「そうなればハイネセンはがら空きですからね。メルカッツ副司令長官は楽に攻略できる」
「それは……」
ケンプ提督が何かを言いかけて口を閉じた。なるほど、こちらは陽動か。しかし反乱軍を引き付けるという事は……。
「……閣下はここで決戦をとお考えですか?」
思い切って訊いてみた。何人かが頷いた。やはり同じ疑問を持っている。エーリッヒらしくない、無意味な危険を冒すような男ではないはずだが……。

「決戦? まさか、そんな事は考えていません」
会議室の空気が緩んだ。
「では?」
「反乱軍が戦いを挑んできても逃げますよ、ミュラー提督」
「それは……」
今度はビッテンフェルト提督が何かを言いかけて口を閉じた。困った様な笑みを浮かべている。

「おそらく反乱軍は我々をジャムシードまで誘導する筈です。そこまでは付き合いましょう。しかしその後は徐々にハイネセンから遠ざかります。今後の事を考えれば必要以上に同盟市民の恨みを買う事は避けたいですからね」
なるほど、戦後の事を考えての事か。宇宙の統一を考えればただ勝てば良いという戦いは出来ないという事だな。

「気付くでしょうな、反乱軍は」
「気付いても如何にもならん」
レンネンカンプ提督とケンプ提督の言葉に皆が頷いた。その通りだ、どうにもならない。我々に背を向ければ後ろから撃たれる。艦隊を分ければ各個撃破が待っている。何より時間的にハイネセン救援は間に合わない筈だ。つまり戦いらしい戦いは起きない……。

「しかしそうなると我々は武勲の挙げ場が有りませんな。ハイネセンには観光に来たようなものか」
ビッテンフェルト提督の何処か気の抜けたような言葉に彼方此方から笑い声が上がった。アイゼナッハ提督も声を出さずに笑っている。

「そんな事は有りません。イゼルローン要塞を攻略し反乱軍の防衛態勢を崩壊させた。そして反乱軍を引き付け別働隊によるハイネセン攻略を援護した。十分過ぎる程の武勲ですよ。我々は二つに分かれていますが別々な軍ではないのですから」
「……」
「ま、それも全てが終わってから言える事ですけどね。未だ戦いは終わっていない以上何が起こるかわからない。気を引き締めて行きましょう」
エーリッヒが穏やかに窘めると皆が頷いた。



帝国暦 490年 4月 1日   帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



レンネンカンプ、ケンプ、アイゼナッハ、ビッテンフェルト、ミュラーが気の抜けた様な顔をしている。軍人にとって戦わないというのはやっぱり不本意なのかな。まあこれが最後の戦いだろうからな、心に期待する物が有るのかもしれない。分からないでもない。

でもね、俺はヤンと戦いたくないんだ。戦後の事を考えてとは言ってるけど本音はヤンが怖いんだよ。本当はイゼルローンで降伏させる予定だったんだがな、上手く逃げられた。こっちの考えを見抜かれたらしい。やっぱりヤンはミラクルヤンだ。何を仕出かすか分からない怖さが有る。例え一個艦隊の指揮官に過ぎなくても油断するべきじゃないと思う。

三十六計逃げるに如かずという言葉も有るが危険だと思うなら無理せずに戦いを避けるべきだ。勝てないなら戦わないように工夫するべきだ。戦わなければ負ける事は無い。その上で戦わずして勝つ方法を考える。今回は同盟軍の防衛作戦は破綻しているし兵力も劣っている。一生懸命態勢を立て直そうとしているが無理が有る。直接戦わなくても勝てる条件は揃っているんだ。危険を冒す必要は無い。

言い訳するつもりは無いが指揮官は臆病なくらいで丁度いいんだ。但し、周囲には臆病では無く慎重だと思わせる事が必要だ。そうでなければ侮りを受ける事になる。上に立つのも容易じゃないよ、本心なんて滅多に出せない、常に理想の上官を演じているんだからな。役者にでもなった気分だ。

ラインハルトはそういうのは出来なかったな。戦いを避ける事も出来なかったし戦後の事を考える事も無かったと思う。演じるなんて事も無かっただろう。天才とか英雄っていうのはそういうものなんだろうと思う。演じてなくても英雄を演じ周囲を魅了する、だから誰も真似出来ない。俺みたいな臆病な小市民には到底無理だ、真似する気もないけどな。



宇宙暦 799年 4月 2日  同盟軍総旗艦リオ・グランデ  ドワイト・グリーンヒル



総旗艦リオ・グランデの艦橋は張り詰めた緊張感と奇妙な明るさが混在していた。緊張感はイゼルローン方面の帝国軍がハイネセンに迫っている事がもたらし明るさはフェザーン方面の帝国軍の追撃を何とか振り切れそうだという希望がもたらしている。状況は厳しいが一筋の光明を見ているのだろう。

その一筋の光明にすがりたい気持ちは理解できる。しかし状況は良くない。帝国軍の大軍に同盟領奥深くまで踏み込まれてしまった。そしてこちらの防衛態勢はボロボロと言って良い。何とか作り上げた迎撃案も綱渡りのようなものだ。果たして上手くいくのか……。

「ハイネセンより通信です」
オペレーターの声が上がる。ビュコック司令長官がスクリーンに映すようにと命じると直ぐにボロディン本部長の姿が映った。互いに礼を交わすと本部長が口を開いた。

『イゼルローン方面から来襲した帝国軍の進撃が止まりました』
艦橋がざわめく。ビュコック司令長官が“静かに”と窘めた。
「ではヤン提督が?」
『ええ、帝国軍に接触したようです。帝国軍は前後から挟撃されるのを恐れシヴァ星域において集結しています』
進撃が止まった、悪くない。ヤン提督が追い付いてきた、これも悪くない。少し運が上向いて来たか。

『そちらの状況は如何ですか? 今何処に?』
「ランテマリオを抜けジャムシードに向かっているところです。後一週間ほどでジャムシードに到達するでしょう」
『後一週間……』
ビュコック司令長官の言葉にボロディン本部長が頷いた。

『帝国軍は?』
「追って来てはいますが戦闘にはなっていません」
『振り切ったと?』
司令長官が首を横に振った。
「そこまでは。何とか捉まらずにいる、そんなところですな」
『そうですか』
本部長が頷きながら大きく息を吐く。思うようにいかない、そんな感じだ。

『出来れば帝国軍をジャムシード星域にまで誘引したいと思いますが同盟軍は二個艦隊、帝国軍の半分にも及びません。場合によってはシヴァ星域にまで行って貰う事になりそうです』
「已むを得んでしょう。無理をすれば各個撃破される危険が有ります」
帝国軍はその各個撃破を狙って来る筈だ。無理は出来ない。だがそれは……。

「本部長閣下」
『何かな、総参謀長』
「シヴァ星域方面、ジャムシード星域方面にそれぞれ補給部隊の手配をお願いします」
『……』
ビュコック司令長官が頷くのが見えた。フェザーン方面軍に元々配備された補給部隊は速度が遅いために已むを得ずとはいえ置き去りにせざるを得なかった。帝国軍に追い付かれたら無理をせずに降伏しろと命じたが……。

「小官からもお願いします。このままではイゼルローン方面の帝国軍とは戦えても後を追ってくるフェザーン方面の帝国軍とは武器弾薬の不足から戦えない可能性が有ります。決戦場が確定しない以上両方に必要です」
『分かりました、手配しましょう。ヤン提督、カールセン提督も補給を必要とする筈です。彼らの分も用意しましょう』

その後はハイネセンの様子について本部長から説明が有って通信は終わった。ハイネセンはパニックとまでは行かないがやはり混乱が生じているらしい。もっとも宇宙艦隊がほぼ無傷でハイネセン防衛のために戻ろうとしている事も分かっている。ハイネセンの市民は我々が帝国軍を撃破する事に一縷の望みを抱いている様だ。その他の自治星系は殆どの有人惑星が無防備宣言を出している。そして帝国軍がハイネセンを目指している事、自分達を攻撃しようとしない事を理解して落ち着いているらしい。酷い混乱は無いようだ。

「閣下」
「何かな、総参謀長」
「問題は我々の後を追ってくる帝国軍です。このまま後を追ってきてくれれば良いのですが……」
ビュコック司令長官が顔を顰めた。

「そうだな、連中がハイネセンを目指すようだと……、残念だが我らには手の打ちようがない」
「出来るだけ早く帝国軍を撃破してハイネセンに戻り、ハイネセン攻略を防ぐ。……やはり決戦場はジャムシードがベストです。シヴァではハイネセンから遠くケリムでは後ろの帝国軍が我々を追って来た場合イゼルローン方面の敵との合流を許してしまいかねない」
「そうだな、ヤン提督もその辺りは理解しているとは思うが……」

お互い口調が重い。改めて状況は厳しいと思わざるを得ない。ボロディン本部長が気付いていないとは思えない。だが何も言わなかった。徒に不安材料を並べても仕方ないと思ったか。或いは先ずは目の前の帝国軍を撃破する事に集中すべきだと思ったか……。四月は残酷な月か、確かにそうだな、この四月に同盟の運命が決まるだろう。



宇宙暦 799年 3月 13日    ハイネセン ある少年の日記



信じられない事が起きてしまった。イゼルローン要塞が、あのイゼルローン要塞が帝国軍に取られてしまったんだ。帝国軍が攻めて来たって大したこと無いと思っていた。イゼルローン要塞に二個艦隊、フェザーンに五個艦隊、十分帝国軍に対抗出来る筈だった。実際昨日までは何の問題も無かったのに……。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、悪魔のような奴だ。まさか要塞をイゼルローン回廊まで持って来るなんて……。あっという間に防衛線は突破され帝国軍の大軍が同盟領に侵攻している。地方の有人惑星は大混乱だ。無防備都市宣言を出すって言ってるけど大丈夫かな。帝国軍が見逃してくれるんだろうか?

不安な事ばかりだ、母さんも酷く怖がっている。学校でも皆不安がっている。校長先生が校内放送で落ち着いて勉強するようにと言ってたけど無理だよ。同盟が滅ぶかもしれないんだ。そうなったら僕達はどうなるんだろう? 奴隷扱いされるのかな?

唯一の希望は宇宙艦隊がそれほど損害を受けていない事だ。イゼルローン方面の艦隊、フェザーンで戦っていた艦隊は今ハイネセンを守るために大急ぎで戻ろうとしている。何とか無事に戻って僕達を守って欲しいよ。アルテミスの首飾りが有るから大丈夫だと思うけど相手はあのヴァレンシュタインなんだ。何を仕出かすか分からない。イゼルローン要塞だってあいつの前では無力だったんだから……。



宇宙暦 799年 4月 2日    ハイネセン ある少年の日記



やったよ、帝国軍の進撃が止まった。ヤン提督が帝国軍を後ろから牽制したらしい。シヴァ星域まで来ていた帝国軍は進撃を止めて様子を見ている。前後から挟み撃ちされるのを怖がっているんだ。後はビュコック司令長官が来てくれればヴァレンシュタインをやっつけられる! やっぱりヤン提督は凄い!

久々に良いニュースだよ。皆喜んでいる。これまでは帝国軍が近付いているというニュースしかなかった。皆不安で自棄になって暴れる人もいた。暴動や殺人事件、強盗事件も起きている。ハイネセンは酷く物騒になってしまった。僕達も登下校には気を付けるようにと先生から注意されているくらいだ。

でも今日からは大丈夫だ。帝国軍をもう少しで挟み撃ちに出来る。フェザーンから来る帝国軍がハイネセンに攻め寄せて来るって言う人もいるけどアルテミスの首飾りが有る。イゼルローン要塞の件もあるから絶対に難攻不落とは言えないけど簡単には攻略出来ない筈だ。帝国軍が手古摺っている間にヴァレンシュタインをやっつけてハイネセンに戻ってくれば帝国軍を撃退する事も難しくない。必ず勝てる、大逆転だ。



 

 

第二百七十五話  ジャムシード



宇宙暦 799年 4月 6日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



「レベロ、第十三艦隊と第十五艦隊が合流したそうだな」
「ああ、そうらしい」
シトレが私の執務机にマグカップを置いた。コーヒーが香った。シトレも身近に有った椅子に腰を掛けた。彼も手にマグカップを持っている。一息入れようという事らしい。

「取り敢えず一安心だ。ヤン・ウェンリーなら多少の時間稼ぎは出来る。ビュコック提督が戻って来るまで帝国軍を押し留めてくれるだろう」
シトレが気遣う様に声をかけてくれた。だが今の私にはその事が心苦しい。
「結局君達の言う事が正しかったな。最初から帝国軍を同盟領内に引き摺り込んで戦うべきだった。そうすれば混乱せずに済んだ」
シトレがマグカップを口に運んだ。考える時間を稼いでいるのかもしれない。

「……君が決めた事じゃない。皆で十分に話し合って決めた事だ。軍人達も納得したから従った」
「だが君達の言う通りにしていればもっと余裕を持って戦えた」
「……結果論だ。帝国軍があんな手段を執るとは誰も思わなかった。予想外の事態が起きた事が混乱の原因だ。必要以上に自分を責める事は無い」
シトレが“フッ”と笑った。
「君の悪い癖だな、自分を責め過ぎる」
そうだろうか? 自分は他人に厳しいと良く言われるのだが……。

「シトレ、民主共和政というのは戦争を遂行するには向かない政治制度なのかな?」
「どういう事だ、レベロ」
シトレが厳しい表情をしている。私が何を言おうとしているのか、勘付いているのかもしれない。

「我々は選挙によって市民に選ばれる。そのためにどうしても市民の反応を考えざるを得ない。つまりその分だけ軍事面での選択肢が制限されるわけだ。それは民主共和政の欠点とは言えないだろうか?」
今回の防衛体制の崩壊は我々政治家が市民の反応を過度に懸念し過ぎたからだ。我々は戦う相手より市民感情を優先してしまった……。シトレが頷くのが見えた。

「なるほど、帝国なら市民感情など気にせずに防衛体制を整えただろうという事か」
「実際三年前に同盟軍が攻め込んだ時には帝国軍はこちらを帝国領奥深くまで攻め込ませている。君達が採りたかった作戦だ。帝国はそれが出来たが同盟はそれが出来なかった」
「……兵力差の問題も有る。あの時帝国は兵力に於いて同盟に劣ってはいなかった。簡単に比較は出来んよ」
シトレがマグカップを口に運んだ。表情を隠す為かと思ってしまう自分が居た。

「そうかもしれない。だがあの馬鹿げた侵攻作戦は如何だった? 選挙対策も有ったが政府は市民感情に迎合して出兵してしまった。あの時市民感情を無視して出兵を押し留めていれば……」
口の中が苦かった。私の政治家としてのキャリアの中でもっとも悔いの残る出来事だ。一生忘れる事は無いだろう、例え忘れようとしても。

「君の言う事は分かる。だが私はそれに同意しない。同盟は過ちを冒したがそれを民主共和政という政治制度に押し付けるべきではない。何故なら君主独裁政が必ずしも戦争遂行に向いているとは私は思わないからだ。周囲が反対しても君主の一存で戦争を始める、或いは継続する事が有る、それが君主独裁政だ」
「……」
強い口調だ。怒っているのかもしれない。

「問題は政治制度に有るのではない、主権者が戦争に対して真摯に向き合うか否かだ」
「……」
「戦争に対して真摯に向き合えば、それほど酷い事にはならないと私は思っている」
真摯に向き合うか……。

「帝国では皇帝と一握りの臣下で済む。だが同盟は百億以上の市民が対象になる。彼らの過半数以上が真摯に向き合えると思うか? シトレ」

「向き合うのだ、レベロ」
「……」
「そうでなければ民主共和政は機能しない。これは戦争だけの話じゃない、政治も同じだ。何一つとして上手く行かないだろう、違うか?」
「……」
確かにシトレの言う通りかもしれない。シトレが笑い出した。

「悲観的になるな。君の欠点だぞ。問題が起きると自分の所為だと思い込み自分を責める。挙句の果てに落ち込んで悲観的になる。昔から変わらない」
「私は悲観的になっているか」
「ああ、なっている」
気付かなかった。自分にはそんな欠点が有ったのか……。シトレが笑うのを止めた。

「状況は厳しい。だが敗北が決まったわけじゃない。弱気になるな、レベロ」
「ああ、そうだな。落ち込むのは敗けてからにしよう」
「戦争で敗けても外交が有る。講和交渉で挽回だって出来るだろう」
「講和交渉か……」
そうだな、それが有った。戦争は軍人に任せるしかない。政治家は講和交渉について準備をしなければならん。トリューニヒトに相談しなければ……。



帝国暦 490年 4月 7日   シヴァ星域 帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「ではウルヴァシーは占領したのですね」
『うむ、既にフェザーンからウルヴァシーに向けて補給物資が送られている』
「護衛は?」
『リンテレン提督率いる一個艦隊だ。十分であろう』
スクリーンに映るシュタインホフは事も無げな感じだった。そうだな、原作とは違う。同盟軍はこっちを食い止めようと必死で戻っている。補給を叩くような余裕はない。十分だろう。

『現時点において作戦に重大な支障は発生していない。統帥本部はそう考えている。ヴァレンシュタイン司令長官にはこのまま作戦の実行にあたっていただきたい』
「承知しました。メルカッツ副司令長官も予定通りですか」
『予定通りだ、問題は無い』
シュタインホフが重々しく頷いた。
「ではこの後はニヴルヘイムですね」
『そうなるな』

ニヴルヘイムは北欧神話の九つの世界のうち下層に存在するとされる氷の国の事だ。そしてこの侵攻作戦ではシリーユナガルの暗号名でもある。メルカッツはシリーユナガルに向かっている。アルテミスの首飾りを破壊する氷を得るために……。

「メルカッツ副司令長官に油断しないように伝えてください。反乱軍はこちらに来ると思いますが万一の事も有ります」
『分かった、そう伝えよう』
「宜しくお願いします」

俺が頼むとシュタインホフ元帥が“うむ”と頷いた。
『では十分に気を付けてな』
「はっ、有難うございます」
通信が切れた。気を付けてか、らしくないぞ、シュタインホフ。不安になるじゃないか。

同盟軍はとうとうヤン艦隊が合流した。目の前には二個艦隊が揃っている。傍受した通信からするともう一個艦隊を率いるのはカールセンらしい。知将ヤン・ウェンリーと猛将ラルフ・カールセンか。余り楽しい組み合わせじゃないな。これにフェザーンから艦隊が戻ってくればビュコック、ウランフが揃う。シュタインホフが心配するのも無理は無いか。

まあこちらとしても不満は無い。前後に分かれて動かれるよりも一つに纏めた方が対処はし易いのだ。問題はこれからどうするかだな。こっちとしてはビュコックにハイネセンに戻られるのは面白く無い。戻られてはメルカッツのハイネセン攻略が難しくなる。

こっちにビュコックを引き付けて帝国軍の各個撃破を狙わせハイネセンをがら空き状態にするにはやはりジャムシードまで押し出す必要があるだろう。そこまで押し出せばビュコックもこっちを止めるのを優先する筈だ。実際こちらに向かっているとは思う。ヤンがカールセンと合流したのはこちらに進撃し易くさせるためだ。明らかにハイネセン近郊での各個撃破を狙っている。ジャムシードに誘引していると俺は見る。タヌキとキツネの化かし合いだな。

どうやってヤンとカールセンをジャムシードに押し込むか。全軍で一気に押し出す? 止めた方が良いな。ヤンが危険を感じて本気になりかねん、とんでもない損害を受けそうだ。ゆっくり進撃すれば勝手に下がってくれるか? 可能性は有るが戦闘が生じないと決めつけるのは危険だろう。

戦闘が生じるのを前提として行進するべきだ。或る程度余裕を持たせた方が良いだろう。疲労が溜まらない様にする必要が有る。……あれが良いかな、あれで行こう、楽が出来る。上手くいけばだが……。



宇宙暦 799年 4月 7日    第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー



「やれやれだな、付け込む隙がない」
私が溜息を吐くとムライ参謀長が咳ばらいをした。
「閣下、嘆いていても始まりません。如何しますか?」
「さあ、如何したものか……」
今度は溜息を吐いた。溜息を吐きたいのは私なんだが……。ああ、さっき吐いたか。さすがに拙いな。

第十三艦隊と第十五艦隊が合流後、帝国軍は進撃を再開した。こちらとしても敵をジャムシードまでおびき寄せる必要があるから基本的には問題は無い。問題は眼前の光景だ。スクリーンには二倍の兵力で攻撃を仕掛けてくる帝国軍の姿が映っていた。

六個艦隊の内四個艦隊を攻撃にあて二個艦隊を後方で休息させている。そして三時間ごとに時計回りにスライドして二個艦隊ずつ交代している。つまり帝国軍は六時間戦えば三時間の休息を得られるわけだ。タンクベッド睡眠や食事を摂るには十分な時間だろう。だが同盟軍には休息は無い。既に戦闘状態に入って十八時間が過ぎている……。二倍の兵力を相手に戦うのだ、肉体的疲労だけでは無く精神的な疲労も蓄積されて行くだろう。

兵力差を活かした戦闘を仕掛けてくる。ヴァレンシュタイン元帥は小技を仕掛けるより正攻法で攻める事を好むようだ。ジャムシード方面に後退はしているがこのままでは将兵の疲労は蓄積する一方だ。疲労が蓄積し続ければ決戦時にとんでもないミスを犯しかねない。

失敗だった。露骨に下がっては帝国軍も警戒するだろうと思って多少の戦闘行為は仕方がないかと思ったが……。これなら真っ直ぐ下がった方がましだった。カールセン提督も慣れない撤退戦で苦労しているだろう。ムライ参謀長も不安に思っている。

已むを得ない、撤退に専念しよう。これ以上ズルズルと遅延戦闘を行うのは危険だ。損害だけが増え帝国軍の思う壺だろう。この現状から撤退するのは難しいかもしれない、帝国軍に付け込まれるかもしれない。しかしこのまま出血死するよりは良い。
「撤退する。ムライ参謀長、カールセン提督との間に回線を繋いでくれ」
「はっ」



帝国暦 490年 4月 7日   帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「同盟軍が撤退します」
ヴァレリーが“反乱軍”と言わずに“同盟軍”と言った。もっとも誰もそれを咎めない。第一俺が咎めないし時々俺も同盟軍と呼ぶことが有るからな、皆も咎め辛いのだろう。ヴァレリーは大丈夫かな。同盟軍と戦う事になる、負担にならなければ良いんだが……。平静を装っているがあまり負担に思うなよ、出来るだけ戦わないようにするから。

「追撃しますか?」
「その必要はありません。ゆっくりと彼らの後を追います」
ワルトハイムはちょっと不満そうだ。戦果を拡大したい、そう思っているのが分かった。
「そろそろフェザーン方面から反乱軍の主力艦隊が戻ってくるはずです。目の前の艦隊との戦闘中に現れると厄介です。身軽にしておきましょう」
ワルトハイムも納得したのだろう、頷いてオペレーター達に指示を出し始めた。

ヤンとカールセンが遅滞戦闘ではなく撤退を始めた。損害が馬鹿にならないと見たようだ。決戦前に必要以上に損害を受ける事は出来ないというわけだ。そうだろうな、俺を倒した後にメルカッツとも戦うんだ、出来るだけ損害は少なくしたいと考えている筈だ。だがジャムシードに近付けば話は違ってくる。

今度は向こうから戦闘を仕掛けてくるだろう。ビュコックが来る前に逃げられては困るからだ。そして俺は連中をハイネセンから引き離すべく後退運動をすることになる。これってライヘンバッハプランだな。違う点があるとすれば本家はフランス軍の撃破が狙いだがこっちは避戦が狙いって事だろう。楽をして勝つ、これが一番だ。

敵の主戦力を撃破しなくても敵の本拠地を攻略すれば戦争は終わる。原作でラインハルトがヤンにしてやられたのはそのあたりを割り切れなかったからだ。完璧に勝つ事に拘り過ぎた。ヤンよりも自分が上だと証明したい気持ちもあっただろう。だが俺はもともとヤンよりも自分が上だなんて考えてないから決戦には興味がないのだ。弱い、劣るというのも悪くない、張り合わずに済む。なんか自己弁護みたいで嫌になるな。



宇宙暦 799年 4月 7日    第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー



「帝国軍は追撃してこないようです」
ムライ参謀長の声には安堵の色が有った。皆もホッとした様な表情をしている。失敗だったか。これではジャムシードで戦闘に持ち込めるか確証が無い。もうちょっと喰い付いて来ると思ったんだが。損害を覚悟の上で遅滞行動をしながら帝国軍をジャムシードへ引き摺り込むべきだったか……。

誰も自分の不安を分かってくれない、そう思った。最善なのはジャムシード星域で帝国軍との戦闘中にビュコック司令長官率いる同盟軍が戦場に到着。後背、或いは側面から帝国軍を攻撃することだ。帝国軍に大きな損害を与える事が出来るだろう。短時間で壊滅に近い状況にまで追い込めるはずだ。

その後、態勢を整えてフェザーン方面からくる帝国軍を待つ。或いはハイネセンに急行し帝国軍と一戦する。ヴァレンシュタイン元帥が敗退したと知れば帝国軍には動揺が生じるだろう。兵力面では多少劣勢だが撃退するのは不可能ではない。

だがジャムシード星域で戦闘状態に入っていなければヴァレンシュタイン元帥は後退するかもしれない、いや間違いなく後退するだろう。つまり戦線は睨みあいのまま膠着状態になるという事だ。これでは各個撃破は出来ない。最悪の場合ハイネセンは帝国軍の別働隊の手で攻略される。我々は無意味にジャムシード星域で漂っていた事になる。

ジャムシードでの決戦は無理かもしれない。如何する? いっそバーラト星域まで退くか? 帝国軍は必ずバーラト星域に来るのだ。ビュコック司令長官と合流して帝国軍を待ち受ける。それなら帝国軍の確実な補足と戦力の集中が図れる。……駄目だな、その時には帝国軍も合流している筈だ。こちらの倍以上の兵力を持つ帝国軍を相手にすることになる。

烏合の衆ならともかく今の帝国軍は精鋭だ。むしろ練度で比較すれば同盟軍の方が劣る。数で劣り練度で劣っては到底勝ち目は無い。やはり各個撃破を目指すべきだ。ジャムシードまで下がり、戦闘に持ち込む。難しいがやらねばならない……。




 

 

第二百七十六話  深謀遠慮




帝国暦 490年 4月 9日   オーディン  ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



「反乱軍は後退しているようだ」
「そうですか」
養父の言葉にホッとする自分がいた。
「もっとも反乱軍にとって後退は予定の行動だろう。二個艦隊では三倍の兵力を持つアレには勝てん」
養父はソファーに坐りながらゆっくりとコーヒーを楽しんでいる。不安など微塵もないようだ。夫の軍人としての能力を心から信頼している。上司と部下として有った時に培われたものなのだろう。

羨ましいと思う。私にはそんな余裕は持てない。夫の能力を信じていないのではない。実績だって十二分にあるのは私も分かっている。でも無理をしてはいないか、危険な事をしていないかと心配してしまう。反乱軍と戦闘になったと聞けばどれほど戦力に差が有ろうとも大丈夫だろうかと思ってしまう。夫が戦場に居るという事がこれほど不安だとは……。

「反乱軍の別働隊が迫っている」
「大丈夫なのでしょうか?」
「問題は無い。こちらも別働隊が迫っている事は理解しているからな。反乱軍が合流しても戦力はエーリッヒとほぼ互角だ。遅れを取ることは無かろう、心配はいらん」
「はい」
養父がにこやかに話しかけてきたが私には“はい”と答えるのが精一杯だった。互角という言葉がどうしても引っかかってしまう。

「早ければ今月中に反乱軍は降伏するだろうな」
「今月中……」
「イゼルローン要塞が攻略されたのが大きかった。あれで反乱軍の防衛態勢が滅茶苦茶になった。反乱軍は足掻いているようだが如何にもならん。勝負有った」
養父がゆっくりとコーヒーを口に運ぶ。

夫がガイエスブルク要塞を運んでイゼルローン要塞を攻略した事はオーディンでは有名な話になっている。反乱軍が敵わないと思ってイゼルローン要塞を放棄した事も。誰もが夫が反乱軍を下すと信じて疑っていない。皆にとって夫は無敗、無敵の存在になっている。でもその事が私には辛い……。

「早ければ秋には帰ってくるかもしれん。まあ遅くとも年内には戻ってくるだろう」
「はい」
「新年は皆で祝えそうだ」
「そうですね」
早く帰ってきて欲しい、と思うより年を越しても構わないから無事に帰ってきて欲しいと思った。私だけじゃない、出征している将兵の家族は皆同じ想いだろう。私には祈る事しかできない。大神オーディンの御加護があの人の上に有りますように……。



帝国暦 490年 4月 12日   ジャムシード星域  帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



帝国軍イゼルローン方面軍六個艦隊はジャムシード星域に到達した。急げば十日頃には着いたんだが慌てることは無い、ゆっくり移動したから今日になった。時間を稼いだおかげで約三十時間の距離に自由惑星同盟軍七個艦隊が勢揃いしている。明日には肉眼で見る事が出来るだろう。まあ願ったり叶ったりだな。俺が恐れたのはヤン、カールセンとの戦闘中にビュコックが登場する事だった。それを避けられたんだから予定通りだ。油断はしていない。同盟軍に対しては常時偵察隊が接触を保っている。今の所同盟軍におかしな動きは無い。向こうもこちらに向かって来ている。

艦橋は緊張している。ワルトハイム、シューマッハ、抑えようとしているが興奮を抑えられずにいる。俺は戦うつもりは無いと言ったんだがな、目の前に敵を見るとそうもいかない様だ。特に今回は目の前にいるのが敵の主力だ、そして決死の覚悟で挑んでくるだろうという事も分かっている。興奮するなと言うのが無理なんだろう。落ち着いているのはヴァレリーとリューネブルクぐらいのものだ。

俺の艦隊でさえこうなんだ、ビッテンフェルト、レンネンカンプ、ケンプ、彼らの艦隊ではもっと興奮しているだろう。もしかするとミュラーの艦隊も興奮しているかもしれない。スクリーンに映った敵艦隊を見て涎でも垂らしているかもしれん。もう一度全艦隊に注意をしておいた方が良いかもしれんな。

「ワルトハイム参謀長」
「はっ」
「全艦隊に通信を。無暗に戦端を開くな、総司令部の指示に従うようにと」
「はっ」
ワルトハイムがバツの悪そうな表情をした。やっぱりな、ワルトハイムは戦いたいと思ったんだろう。残念だがそれは許さん、戦わなくても勝てる状況に有るんだ。無駄な損害を出す事は無い。それに俺はあの連中と戦いたくない。能力面で危険な男達だし感情的には結構好きな連中だ。

ワルトハイムがオペレータに指示を出すとオペレータが不思議そうな表情をしたが直ぐにちょっと気の抜けたような表情に変わった。戦わずに済むかもと思ったようだ。
「平文で打ってください」
俺が言うとワルトハイムが“宜しいのですか?”と問い掛けてきたが頷く事で答えた。

不思議か? 敵は当然こちらの通信を傍受する筈だ。戦意が乏しい、まともに戦うか怪しいと判断するだろう。さて、同盟軍は如何するかな? 遮二無二戦闘を仕掛けて来るか、それとも俺達を放置してメルカッツの艦隊を迎え撃つためにハイネセン方面に向かうか……。敵を迷わせるだけでもこちらが優位だ。ビュコックは如何するだろう? 俺ならハイネセンに戻るが……。リューネブルクがニヤッと笑うのが視界に入った。性格悪いぞ、お前。上司の心を読まないのも困るが読み過ぎるのも問題だ。



宇宙暦 799年 4月 12日  同盟軍総旗艦リオ・グランデ  ドワイト・グリーンヒル



「総参謀長、帝国軍は時間稼ぎをするつもりの様だ」
「はい」
オペレータが帝国軍の通信を傍受した。内容を聞いたビュコック司令長官の表情は渋い。予測された事だが帝国軍はやはり時間稼ぎをしようとしている。おそらくは別働隊によるハイネセン攻略を容易にするためだろう。

「通信は平文で打たれていたそうです。わざとでしょう、こちらに知らせる為だと思います」
「焦らせるためかね?」
「はい」
「厭らしい事をする、それだけ手強いのだろうが……。友人には持ちたくないタイプだな、総参謀長」
こんな時では有るが吹き出してしまった。司令長官も笑っている。良い司令長官だ。同盟軍の不幸はもっと早い時期にこの老人を司令長官に持てなかった事だろう。

本当は帝国軍がヤン提督、カールセン提督と戦っているところに参戦したかった。だが帝国軍もその辺りは理解している。かなり厳しい攻撃を二人に対して行ったようだ。ヤン提督は已むを得ず戦闘を打ち切って後退せざるを得なかった。そんな同盟軍を帝国軍は急追しなかった。おそらくはこちらを合流させるためだ。

各個撃破は用兵の常道だ。ヴァレンシュタイン元帥がそれを知らない筈は無い。それなのに敢えてそれをしないのは何故か? 戦うつもりが無いからだろう。今の通信もそれを裏付けている。帝国軍は明らかに時間稼ぎをしようとしている。別働隊のハイネセン攻略を待っているのだ。

「如何なさいますか? 閣下」
「帝国軍を無理矢理戦いに引き摺り込む。そのためにここに来たのだ。それに現状でハイネセンに戻ろうとすれば帝国軍に後ろから攻撃されるだろう、ヴァレンシュタイン元帥の思う壺だ。ここで迷っては意味が無い。」
きっぱりとした口調だった。言葉通りビュコック司令長官に迷いはない。

「では急がなければなりませんな」
「そうだ、前進して帝国軍と交戦する。兵力はこちらの方が多い、恐れる事無く戦えと命じてくれ」
「はっ」
オペレータに指示を出すと艦橋の空気が震えるほどに緊張が走った。一戦して帝国軍を、ヴァレンシュタイン元帥を撃破する、そしてハイネセンに戻り帝国軍の別動隊を叩く。そこに同盟の命運を賭けるのだ。



帝国暦 490年 4月 13日   ジャムシード星域  帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



うんざりだな。物事は大体において望む方には進まない。同盟軍が進撃を速めてこっちに向かってきている。なんでこっちに来るかな、普通は首都を守るだろう。俺はラインハルトじゃないんだ。そして皇帝フリードリヒ四世は傀儡じゃない。俺を斃しても帝国軍の敗北には繋がらないし帝国軍は引き揚げない。そんな事は帝国人なら皆知ってるぞ。

既に第一級臨戦態勢は発動した。おかげで総旗艦ロキの艦橋は嫌になるほど興奮している。興奮するな、少し落ち着いてくれ。
「反乱軍との距離、百光秒」
オペレータが押し殺した声で同盟軍が近付いた事を報告した。あー、テンション上がらん。

「全艦隊に命令、現状の距離を維持、後退せよ」
「はっ。全艦隊に命令、現状の距離を維持、後退せよ」
俺の命令をヴァレリーが復唱した。それを受けてオペレータが各艦隊に命令を出す。ややあって艦隊が後退を始めた。

「反乱軍、速度を上げました! 接近してきます!」
オペレータの報告が艦橋に響く。艦橋の空気がザワッとした。戦いたがっている……。ヴァレリーが俺を見た、俺が頷くとヴァレリーも頷いた。
「現状の距離を維持、後退速度を上げよ」
良いぞ、ヴァレリーは落ち着いている。いや、やはり同盟軍とは戦いたくないのかな。しかし妙な話だ、司令長官と副官が敵と戦いたがっていない。こんな事は帝国の歴史の中でも初めてだろう。

「相手は必死ですな」
「そうですね、でもこっちも必死ですよ」
俺が答えるとリューネブルクが笑い出した。“それは良いですな”なんて言っている。冗談だと思っているのかな、俺は本気だぞ。宇宙の統一がかかった一戦なんだ。本気で逃げるし逃げる事を恥とも思わん。正々堂々なんてのはスポーツだけで沢山だ! これは戦争だ、勝つ事が重要なのであって戦う事が重要なのではないのだから。



帝国暦 490年 4月 13日   バーミリオン星域  メルカッツ艦隊旗艦ネルトリンゲン ベルンハルト・フォン・シュナイダー



「閣下、バーミリオン星域です」
メルカッツ閣下がスクリーンに映るバーミリオン星域を見詰めながら“うむ”と頷いた。
「帝国軍がこの辺りまで進出するのは初めての事だ。……バーラト星域まではあとどのくらいかな?」
「五日程と想定しています」
「そうか、五日か」
閣下は人生の大半を反乱軍との戦争に費やしてきた。その反乱軍の最後の日が近付いている、感慨深いものが有るのだろう。

フェザーン方面軍は当初十三個艦隊で編成されていた。だがフェザーン攻略後は第一軍、シュムーデ、リンテレン、ルックナー、ルーディッゲの四個艦隊が分離した。そしてガンダルヴァ星域の惑星ウルヴァシーを補給基地とするためにルッツ、ワーレン艦隊がウルヴァシーに留まっている。現在、フェザーン方面軍は七個艦隊でハイネセン攻略に向かっている。

「シリーユナガルに寄ってからハイネセン……。一週間といったところかな、中佐」
「はい」
シリーユナガルはバーラト星系第六惑星だ。そこで我々はハイネセンを守るアルテミスの首飾りを攻略する材料を調達する。アルテミスの首飾りは瞬時に砕け散る筈だ。

「問題は反乱軍の邪魔が入らないかですが……」
メルカッツ閣下が軽く笑みを浮かべた。
「シュタインホフ統帥本部総長によれば反乱軍はジャムシード星域で司令長官と対峙しているそうだ。こちらに来るような余裕は有るまい」
「はい」
反乱軍の動向を閣下は全く心配していない。閣下のヴァレンシュタイン司令長官への信頼は大きい。そして司令長官もメルカッツ閣下を信頼している。そうでなければ十三個艦隊も預ける事は無い筈だ。

「心配かな、シュナイダー中佐」
「心配はしておりません。ただ順調過ぎて……、戦いらしい戦いもしておりませんし……」
何て言って良いのだろう? 困惑して口籠るとメルカッツ閣下が珍しく笑い声を上げた。

「現実味が無いかな」
「そうです、なんと言うか現実味が有りません。碌に戦っていないのに反乱軍は敗北目前です。百五十年続いた戦争がこんな形で終わるなんて……、不思議な気分です」
閣下がウンウンと頷いている。
「まあ気持ちは分かる。私も似た様な事を感じているからな」
そう言うと閣下がまた笑い声を上げた。

「やはりシャンタウ星域の会戦が大きかったのでしょうか?」
閣下が私に視線を向けた。
「確かにあれは大きかった。だがそれ以上にフェザーンを反乱軍に委ねた事が大きかったと私は思っている」
「フェザーン、ですか……」
メルカッツ閣下が私を見ながら頷いた。

「得たものは守らなければならん。フェザーンを得た所為で反乱軍は少ない兵力を更に二分せざるを得なかった」
「……」
「本来少ない兵力は集中して使わなければならんがそれが出来なかったのだ。だから効果的な防衛戦も出来なかった。我々は碌に戦っていないのではない、正確には反乱軍が戦う事が出来なかったのだと見るべきだ」
「なるほど」

フェザーンが中立であれば反乱軍は戦力をイゼルローン方面に集中できた。要塞は失ってもイゼルローン回廊の出口付近での迎撃は可能だっただろう。或いは反乱軍領域奥深くに誘い込んでの決戦も可能だった筈だ。その全てがフェザーンを得た事で崩れた。

「あの当時は反乱軍にフェザーンを渡す事に随分と驚いたが今考えてみれば恐るべき深謀遠慮だったな」
メルカッツ閣下が嘆息を漏らした。閣下が私を見た。厳しい眼だった。
「シュナイダー中佐、もう少しだ、もう少しで宇宙から戦争が無くなる。だから最後まで気を抜かずに戦う事だ」
「はっ」
私が答えると閣下が軽く頷いた。眼は厳しいままだった。油断するなと眼が言っていた。



 

 

第二百七十七話  反撃

帝国暦 490年 4月 14日   ジャムシード星域  帝国軍総旗艦ロキ  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



「反乱軍、我々を追うのを止めました」
ワルトハイム参謀長の声にヴァレンシュタイン司令長官が全艦隊に停止命令を出した。戦術コンピュータのモニターには確かに後退する同盟軍が示されている。そして同盟軍の後退を認めると司令長官は全艦隊に同盟軍を追う様に指示を出した。

付かず離れず、もう八時間程帝国軍と同盟軍は追い駆けっこの様な戦闘を行っている。但し両軍が実際に砲火を交えた事は一度も無い、砲火を交えるにはあと三時間程互いに近付く必要が有るだろう。距離が離れているために単座式戦闘艇による攻撃も不可能だ。攻撃隊を発進しても相手に辿り着く前にその殆どが相手の単座式戦闘艇に捕捉されてしまうのは見えている。

本当は同盟軍は何処までも帝国軍を追いたい筈、でもそれが出来ない。同盟軍が追えば帝国軍はジャムシードからシヴァ星域の方向に後退する。だが同盟軍はメルカッツ副司令長官率いる別働隊に備えるため出来るだけバーラト星域の近くで戦いたい。だから途中で追うのを止め後退する。そして帝国軍はそんな同盟軍を追う。こちらはメルカッツ副司令長官の所に行かせないためだ。そして同盟軍は後退しながら帝国軍が深追いして来るのを待っている。一瞬の隙を突いて交戦し帝国軍を撃破する機会を狙っているのだ。

これまでの所その狙いは空振りに終わっている。だがこの後どうなるかは分からない。同盟軍がこのまま敗北を待つとも思えない。司令長官に視線を向けた。閣下は戦闘食を食べながら戦術コンピュータのモニターとスクリーンを見ている。時折顔を顰めるが原因は戦況では無く戦闘食の不味さにだと思う。その姿に不安を感じさせる兆候は無い。

「閣下、このままの状態が続くとは思えませんがこの後の展開は如何なるのでしょう?」
司令長官閣下が私をチラッと見た。余り機嫌は良くない、閣下が戦闘食に不平を漏らした事は私の知る限り一度も無い。しかし味には結構煩いのは分かっている。帝国の戦闘食は同盟の物よりも味は確実に落ちる。その事は私だけじゃない、リューネブルク大将も同意見だ。大将も司令長官の傍で仏頂面をしながら戦闘食を食べている。

「ハイネセン方面が危険だと判断して全軍でハイネセンに戻る事が考えられます。但しこの場合は我々に追撃されますからかなりの損害が出る事を覚悟する必要があるでしょう。それに一つ間違うと後退では無く潰走になりかねない危険が有ります」
司令長官が戦闘食を一口食べ、顔を顰めた。ピーマン、レバー、戦闘食、どれが一番苦手なのだろう。一度三択で選ばせてみたい。

「それを避けるために数個艦隊を残して我々を足止めさせる事も有り得ます。まあ本隊は一時的に逃げられるでしょうが意味は有りませんね。本隊もそれほど時間は稼げないでしょう」
つまりその場合は足止め部隊を徹底的に叩くという事か。短時間で潰し逃げた本隊を追撃する。

「メルカッツ提督と挟撃するという手も有りますな」
「勿論です」
「戦いは避けるのだと思いましたが?」
リューネブルク大将が問い掛けると司令長官が頷いた。
「無意味な戦闘はしない、そういう意味です。同盟軍に行動の自由を許す事はしません。あくまでこちらの制御下に置く。その中で戦闘を避けるのです。制御から外れようとするならそれを阻止します」
クールだわ。ビュコック司令長官やグリーンヒル総参謀長、ヤン提督がこの人を見たらどう思うだろう? 溜息を吐くんじゃないだろうか。

「同盟軍は最初からハイネセンでこちらを待ち受けるべきでした。勝つ事は出来なかったでしょうが戦う事は出来た」
「同盟軍が勝つ可能性は有ったのでしょうか?」
私が問うと司令長官が私をじっと見てから首を横に振った。

「有りません。私は勝てるだけの準備をした。政略面、戦略面で圧倒的な優位を築き同盟軍の二倍以上の戦力を用意しました。そしてそれを支えるだけの補給体制と経済力を整えた。そのために門閥貴族を斃しローエングラム伯を排除したのです。同盟軍に勝つ可能性は無い」
「……」
これだけの代償を払ったのだ、勝つのは当たり前だと司令長官は言っている。

「戦って勝つのではなく勝ってから戦う。勝敗を競うのではなく勝敗を認めさせるために戦う。今回の戦いはそういう戦いです。同盟軍も自分達が敗けた事は分かっているでしょう。ただその事に納得出来ずにいるのだと思います。ですが徐々に自分達が敗けた事を認めざるを得なくなる筈です」
戦闘中の軍人というよりも実験結果を見守る科学者の様な口調だった。



宇宙暦 799年 4月 14日    第十三艦隊旗艦ヒューベリオン ヤン・ウェンリー



「駄目ですな、帝国軍は我々との戦闘を避けています」
ムライ参謀長が溜息交じりに状況を評した。口調には憤懣と遣る瀬無さが滲み出ている。司令部の皆が同じ想いだろう。顔色が良く無ければ雰囲気も良く無い。心の中は現状に対する不満、憤り、遣る瀬無さ、無力感で一杯に違いない。

帝国軍は同盟軍と戦おうとしない、何とか少しずつ詰めてはいるがそれでも未だかなり距離が有る。我々を牽制し動けなくしている間に別働隊をもってハイネセンを攻略させるのだろう。そして我々はそれを理解していながら為す術も無く帝国軍の術中に嵌っている。……敗けた、と思った。おそらく皆がそう感じているだろう。口に出さないだけだ。

「閣下、何か良い方法は有りませんか? このままではハイネセンが……」
グリーンヒル大尉が問い掛けてきたが“さあ”と曖昧に答えた。二個艦隊程残して帝国軍を食い止めハイネセンに向かうという方法も有る。しかし各個撃破されるだけで終わるだろう。ならば今のままの方が無益な死傷者が出ないだけましだ。

敗けたな、また思った。今回だけじゃない、シャンタウ星域、いやイゼルローン要塞攻略、あれが失敗だった。あそこでローエングラム伯を斃しヴァレンシュタイン司令長官を失脚させる、そう思った。イゼルローン要塞がこちらに有れば防御に徹して一息吐けるとも思った。だがそうはならなかった……。

ヴァレンシュタイン司令長官の策略に乗せられたとはいえ同盟市民は帝国領侵攻を選択し遠征軍はシャンタウ星域の会戦で大敗した。あれで同盟の命運は決まってしまった。歴史上勝ってはいけない時に勝ったが故に国家が滅ぶ事が有る。何のことは無い、私がやった事がそれだった。同盟を滅ぼしたのは帝国ではない、私だ。

もし、イゼルローン要塞を攻略しなければあの馬鹿げた帝国領侵攻は無かった。であれば同盟軍は大きな損害を受けずに済んだだろう。同盟軍が健在であれば帝国の内乱も無かった筈だ。門閥貴族も健在だった。つまり帝国はこれ程の規模の軍事作戦を起こせるような余裕は持てなかった。

「閣下、総司令部から通信が」
グリーンヒル大尉の表情が明るい。戦局の打開に期待しているのだろう。
「分かった。スクリーンに映してくれ」
スクリーンにビュコック司令長官とグリーンヒル総参謀長の姿が映った。二人とも表情が厳しい、グリーンヒル大尉、期待は出来ない様だ。

互いに礼を交わすとビュコック司令長官が話し始めた。
『統合作戦本部から命令が出た。至急ハイネセンに戻れとの事だ』
艦橋がざわめく、静かにするようにと注意した。静まるのを待ってグリーンヒル総参謀長が後を続けた。
『帝国軍の別動隊がハイネセンに近付いている。商船がバーミリオン星域の近くで帝国軍の別動隊に遭遇した』
また艦橋がざわめいた。来るべきものが来た、分かっていた事だがそれでも衝撃が有った。

『ハイネセンでは混乱が起きている。大規模なデモも起きている様だ。ハイネセンを守るために軍を呼び戻せと市民達は政府に要求している』
総参謀長の言葉に彼方此方から溜息が聞こえた。憤懣の色が有る。勝手な事を言う、そう思ったのだろう。ここから撤退など簡単に出来る事ではない。また許す相手でもない。

「政府の対応は?」
問いかけるとビュコック司令長官が力無く首を横に振った。
『どうにもならんらしい。それに、我々は帝国軍と戦う事も出来ずにいる。市民達が呼び戻せというのはそれも有るようだ』
「……」
また溜息が聞こえた。今度の溜息には力が無かった。

『ハイネセンに撤退する。そこで最後の一戦を挑む事になるだろう』
「……」
『ヤン提督にはウランフ提督と共に最後尾を頼む』
「……分かりました」
厳しい任務だ。上手く行く可能性は低い。帝国軍の別働隊と本隊に挟撃される可能性も有る。だが避ける事は出来ない。この事態を引き起こしたのは私なのだから。



帝国暦 490年 4月 14日   オーディン 統帥本部  シュタインホフ



「では反乱軍はハイネセンに向けて後退しているのだな?」
『はい』
「罠という事は無いか? 卿の艦隊を引き寄せようとしている可能性もあるだろう」
私が問い掛けるとヴァレンシュタインは首を横に振った。

『同盟軍は全力で後退しています。その可能性は低いと思います』
「なるほど」
フム、スクリーンに映るヴァレンシュタインに昂りは無い。信じても良かろう。いつも思うのだが可愛げがないな。少しは功に焦ったり稚気を見せても良いと思うのだが……。

「反乱軍はメルカッツ率いる別働隊がハイネセンに近付いたので慌てて戻った、そういう事か」
『おそらくは』
「どうする? メルカッツにはそのままハイネセンを攻略させるか? それとも反乱軍の艦隊を挟撃するか?」
『どちらも可能ですね』
私に選ばせるつもりの様だ。それとも試しているのか?

「安全策を取るのであれば艦隊の無力化であろう」
『小官もそれに同意します。部下達も喜ぶでしょう、ようやく戦う事が出来ると』
微かに笑みが有った、苦笑か? どうやら部下達を抑えるのに大分苦労したようだ。多少は人間味が出たな。

「なるほど、確かに碌に戦っておらぬな」
『はい』
「良かろう、先ずは反乱軍の艦隊戦力を無力化する。メルカッツには私から伝える。卿は反乱軍に食らい付いて逃がすな」
『はっ』

互いに礼を交わし通信が終了した。本隊六個艦隊と別働隊七個艦隊による挟撃か。反乱軍の命運を決める戦いだ、それに相応しい大きな戦いになるだろう。



帝国暦 490年 4月 14日    帝国軍総旗艦ロキ  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



シュタインホフ統帥本部総長との通信が終ると艦橋の空気は一気に熱を帯びた。ようやく同盟軍を攻撃出来る、挟撃出来る、そう思ったのだろう。戦術コンピュータに映る同盟軍は後退している。それを追うべくヴァレンシュタイン司令長官は艦隊の速度を上げるようにと命じた。

「追撃しながら艦隊の配置を再編します。前に三個艦隊、後ろに三個艦隊。前方の三個艦隊は中央に本艦隊、左翼にレンネンカンプ、右翼にアイゼナッハ艦隊。後方の三個艦隊は中央にミュラー、右翼にビッテンフェルト、左翼にケンプ艦隊。急げ!」
命令が続く。

「御自身で先頭に立つと言われますか?」
ワルトハイム参謀長が驚きの声を出したが司令長官は意に介さなかった。
「指示は如何しました?」
「はっ」
参謀長が慌ててオペレータに指示を出す。リューネブルク大将がにやりと笑うのが見えた。

同盟軍との間には未だかなり距離が有る。艦隊の配置を再編しながら追撃しても問題は無い。同盟軍に逆撃を受ける事は無いだろう。でも先頭に立つ? もしかすると逸っている? 司令長官の表情からは興奮は感じられない。訝しんでいると司令長官が私を見た。そして苦笑を浮かべた。どうやら私の疑問が分かったらしい。

「追撃戦というのは無秩序なものになり易いんです。そして無秩序になれば逆撃を受け易い。特に今回は十分に戦っていませんから皆に不満が溜まっています。その分だけ危険です」
「だから先頭に立つと?」
「そうです。ここまで来て詰めを誤る事は出来ません。我々は秩序を持って追撃します。目的は同盟軍の追尾と捕捉、敵戦力の削減は副産物ですね」
はあ、溜息が出そう。リューネブルク大将は笑い出しそうな顔をしている。司令長官閣下が私と大将を見てちょっと不満そうな表情を見せた。



宇宙暦 799年 4月 16日  同盟軍総旗艦リオ・グランデ  ドワイト・グリーンヒル



総旗艦リオ・グランデの艦橋は重苦しい空気に包まれていた。皆の表情は厳しい、ビュコック司令長官も沈黙を保ったままだ。何かを考えているようだが……。撤退を決断してから既に二日が経とうとしている。同盟軍は撤退し帝国軍がそれを追いかける、その展開が四十時間近く続いている。両軍の距離は少しずつではあるが縮まっている。

最後尾を務める第十艦隊のウランフ提督と第十三艦隊のヤン提督が三度帝国軍を足止めしようとした。だが帝国軍は両艦隊を撃破しようとはしなかった。彼らは正面において同盟軍を牽制しつつ一部隊を迂回させ後方を遮断しようとした。第十艦隊、第十三艦隊は挟撃される事を恐れ帝国軍の足止めを諦めざるを得なかった。今は後退に専念している。

第十艦隊、第十三艦隊に大きな損害は無い。両艦隊とも千隻に満たない損害を受けただけだ。帝国軍は同盟軍を撃破する事よりも捕捉し追尾する事を優先している。何も知らない人間が見れば敵味方十三個艦隊が整然と移動しているようにしか見えないだろう……。帝国軍の狙いは分かっている。別働隊との挟撃だ。だから二個艦隊の撃破よりも同盟軍全体の追尾と捕捉を優先している。おそらく帝国軍の別動隊はこちらに向かっているに違いない。

ビュコック司令長官と何度か話し合った。このままでは挟撃される可能性が高い、反転して帝国軍に向かうべきではないかと。別働隊もこちらに向かっているのだ、上手く行けば各個撃破が可能だ。だが追撃してくる帝国軍は慎重だ。不意を突いて反転しても捕捉出来るかどうか……。如何考えても難しかった。結局の所別働隊の進路を予測しそれを避ける航路を進もうとなったが……。

「そろそろ良いか」
ビュコック司令長官が呟くと私を見た。表情には笑みが有った。
「総参謀長、帝国軍に反転攻撃をかけよう」
「反転攻撃ですか? しかし……」
上手く行くとは思えない、口籠るとビュコック司令長官が分かっていると言う様に頷いた。

「ヤン提督とウランフ提督に足止めをさせる」
「……」
「帝国軍は一隊を迂回させて後方を突こうとするだろう。そうする事であの二人を撤退させた。今回はそれを狙う」
「……帝国軍の一部隊を取り込み否応なく戦闘に引き摺り込もうという訳ですな」
私が確認するとビュコック司令長官が満足そうに頷いた。狙いは分かった。だが上手く行くだろうか? 帝国軍もそれは警戒している筈だ。それに政府からの命令に背く事になる。その事を問うと司令長官が“分かっている”と言った。

「既に四十時間近く逃げている。帝国軍が我々は逃げるのに徹していると考えてくれれば……」
「なるほど、付け込む隙が生じるかもしれませんな」
司令長官の狙いが分かった。帝国軍の油断に付け込もうというのか。今なら上手く行くかもしれない。その可能性は決して小さくないだろう。

「それにこのままでは帝国軍に挟撃されるのを待つだけだ。ハイネセンに戻る事は出来ん。政府の命令に応える事は出来ん」
「確かにそうですな。……上手く行けば帝国軍を各個撃破出来るでしょう。それが無理でもここで帝国軍に一撃を与えておけば挟撃は避けられます」
「うむ。ハイネセンに戻って最後の一戦を挑む事も可能だ」
「はい」

「なによりこのままやられっぱなしでは兵の士気も上がらん。それにわしにも意地が有るのでな、給料泥棒だの役立たずの宇宙艦隊司令長官だのと言われるのは御免だ」
司令長官が顔を顰め、そして笑った。
「小官も同感です、この辺りで給料分の仕事をしますか」
「うむ」
チャンスは一度だけだ、二度も同じ手が通じる相手ではない。作戦を敵に傍受されてはならないから連絡艇で指示を出す事になるだろう。








 

 

第二百七十八話 可愛げの無い敵


帝国暦 490年 4月 16日    帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「反乱軍最後尾の二個艦隊がこちらを待ち受ける姿勢を示しています」
オペレータが声を上げた。ヤンとウランフか、足止めだな。味方を逃がそうと必死だ。余り意味は無いんだが……。
「ビッテンフェルト提督に後方を脅かす様に伝えますが」
ワルトハイムが俺に確認を取りに来たから頷く事で答えた。

ビッテンフェルトも御苦労だな。ずっと後ろを脅かす役をやっている。脅かすだけで戦えないから詰まらないだろう。次はケンプに頼もうか。十五分程するとビッテンフェルト艦隊が隊列から逸れ始めたのが戦術コンピュータのモニターに映った。帝国軍本隊とヤン、ウランフ艦隊が接触するまであと一時間といったところか。ビッテンフェルト艦隊はあと三十分程の間に敵の後背に出る動きを見せなければならない。迂回しながらだから結構忙しいな。

ビッテンフェルト艦隊が迂回を始めた。徐々に徐々にヤン、ウランフの後方を目指す。ヤン、ウランフ艦隊が後退を始めた。やはり後ろを突かれるのは皆嫌がるな。だが両艦隊とも帝国軍に正対しているし後退速度は決して速くない、じりじりと距離は縮まっていく。撤退せずにあくまでこっちの足止めを狙っているらしい。余程時間を稼ぎたいようだ。もしかするとメルカッツが近くまで来ているのかな。向こうの哨戒部隊にでも接触したか。少し早い様な気もするが……。ビッテンフェルトが更に後方を目指した。

艦橋は落ち着いている。ヴァレリーも戦闘にならないのでリラックスしている様だ。ヴァレリーには出来れば自室に戻って欲しい。はっきり言ってきついんだ。傍でガチガチに張り詰めた表情をされるとこっちが辛くなる。でもなあ、そんなこと言えない。彼女の覚悟が分かるからな。俺に出来る事は気付かない振りをする事ぐらいだ。

降伏勧告でもしてみようか、メルカッツが来ているなら同盟軍が降伏する可能性はあるな。例え降伏しなくても迷わせる事は出来る、相手の士気を挫く事も出来るかもしれない。それとも傲慢だと感じてむきになって戦いを挑んでくるかな? だとすれば逆効果だが……。

戦場って一種独特の心理状態になるからな。必ずしも合理的な判断をするとは限らない。いや、むしろ出来ない事が多い。後で考えればどうしてあんな事をと思うような行動をする。だが本人達はその時はそれが唯一の正解だと信じて戦う。その所為で犠牲はとんでもない事になる。

「敵艦隊、急速接近!」
え? 何だ? ヤンとウランフが接近している。馬鹿な、ビッテンフェルトに後背を……。
「ビッテンフェルト艦隊に反乱軍二個艦隊が近付きます!」
何だ? 如何なっている? ビッテンフェルト艦隊にも側面から敵艦隊二個艦隊が接近している! 何処から現れた? これでは後背は突けない! 何時の間に? 如何いう事だ? 艦橋が五月蠅い! 少し静かにしろ、考えがまとまらん。如何する? 退くか? 駄目だ、俺が引けばビッテンフェルトは敵中に孤立する。最悪の場合ヤン、或いはウランフに側背を突かれ潰滅するだろう。

「閣下!」
顔が強張っているぞ、ワルトハイム。想定外の事態など幾らでも有るだろう。落ち着け! ヴァレリーもだ、そんな顔を引き攣らせるな!
「レンネンカンプ、アイゼナッハ艦隊に連絡! 接近する敵艦隊を叩きます。速力上げ!」
「はっ」

俺の命令をワルトハイムがオペレータに伝える、艦橋からさっきまでの騒音が消えた。代わりに各艦隊に命令を伝える声と状況を報告する声が響いた。同盟軍は全軍がこちらに向かって来ているとオペレータが報告してきた。ここで決戦するつもりか! 切り替えろ、ここで決戦だ! 戸惑えば敵の勢いに飲み込まれる。ここで戦うんだ。これは俺の意志だ!

「反乱軍、速力を上げています! ビッテンフェルト艦隊が指示を求めています!」
如何する? ビッテンフェルトを下げて隊列を整えるか? ……駄目だ、下げれば同盟軍を勢いに乗らせてしまう。敵はこちらが後退すると見ている筈だ。ならば、踏み込んで戦うべきだ! 敵の意表を突け!
「現状にて敵艦隊を阻止せよ。ミュラー艦隊を支援に向ける、協力して敵艦隊を撃破せよ!」
「はっ」
舐めるなよ、こっちのビッテンフェルトは原作とは違う。逆撃に弱いヘタレじゃないんだ。黒色槍騎兵は帝国軍屈指の精鋭部隊という評価は伊達じゃない。

「ミュラー艦隊に命令! 迂回しつつ前方に出、ビッテンフェルト艦隊を外側より援護せよ。ケンプ艦隊はレンネンカンプ艦隊の左へ移動せよ、急げ!」
「はっ」
「統帥本部に連絡! 我、反乱軍と交戦中。この場にてメルカッツ副司令長官を待つ」
「はっ」
良し、艦橋が熱を持ってきた。ようやく落ち着いたな、戦う心構えが出来た。

「反乱軍、ビッテンフェルト艦隊に近付きます! 接触まで約二十分」
二十分、大丈夫だ。ビッテンフェルトなら対処出来る。ミュラーが援護出来るまでさらに約四十分はかかるだろう。問題無い、ビッテンフェルトとミュラー、攻勢と守勢、それぞれ帝国屈指の実力を持つ男達だ。彼らを信じるんだ。

「正面の反乱軍、イエローゾーンにさしかかります!」
オペレータの声が上擦っていた。ヤンもウランフも速い! もう迫ってきた! ビッテンフェルトよりもこっちの方が先に火蓋を切ることになりそうだ。余程に俺の首が欲しいらしい。背中にチリチリとした嫌なものが走った。上等だ、捻じ伏せろ! この首、簡単に獲れると思うな、これまで何度も狙われた首だが狙った奴は全員叩き潰してきた。お前達も返り討ちにしてやる。

「全艦隊に命令! 砲撃戦用意! 主砲斉射準備!」
「全艦隊に命令! 砲撃戦用意! 主砲斉射準備!」
ヴァレリーが俺の命令を復唱した。艦橋の空気が一気に引締まった。戦術コンピュータのモニターには俺に近付くヤン、ウランフ艦隊、それに五月雨式に追いつこうとする同盟軍三個艦隊が、そしてビッテンフェルトに近付く二個艦隊が見えている。そしてこっちはミュラー、ケンプ艦隊が動き出した。まるで獲物に集まる肉食獣の様だ。

「してやられましたな」
リューネブルクが声に笑みを含ませながら話しかけてきた。周囲が眼を剥いた。不届き者、そんな感じだ。
「ええ、してやられました」
ああ、してやられたよ。同盟軍が何をやったのか、ようやく俺にも分かった。可愛げなんて欠片も無い連中だ。

ビッテンフェルトを攻撃しようとしている二個艦隊は撤退する同盟軍の先頭にいた二個艦隊だろう。途中で時計回りに移動したのだ。遠回りしてビッテンフェルト艦隊に近付いたので至近に迫るまで分からなかった。三番手から五番手が今ヤン、ウランフに追い付こうとしている艦隊だろう。まったく、やってくれるわ。ヤンが考えたのだろう、この戦争大好きの偽善者め、小説の中では大好きだが敵になると鬱陶しいだけだ。

「リューネブルク大将。私は反乱軍に降伏勧告を出そうかと思っていたのです。笑えるでしょう?」
リューネブルクが、皆が目を瞠った。
「本当ですか、それは」
「ええ、本当です。何を考えていたのか……」
リューネブルクが“それは”と絶句して笑い出した。こいつ、腹を抱えて笑っている。それを見てヴァレリーが軽く睨んだ。

俺も笑った。皆が呆れていたが笑うしかない。俺は何時の間にか脳味噌に御花畑を作っていた。おまけに綺麗な花が沢山咲いている。門閥貴族を笑えんな。戦争なんだ、殺すか、殺されるかの世界で戦いたくないとか何を考えていたんだか。まして現状では兵力はほぼ互角、相手がそう簡単にあきらめる筈がない。結婚して少し呆けたな。戦場では異常な心理になるという事が良く分かった。自分自身の体験でな。一生忘れないだろう。

「勝てますかな? 反乱軍の方が兵力は多いですが」
訊くな、リューネブルク。俺も自信が無いんだ。
「まあ無理せずに戦いますよ」
リューネブルクがニヤッと笑った。俺の気持ちなんか御見通し、そんな感じだな。だからお前は周囲から白い眼で見られるんだ。俺だけだぞ、お前を面白がって、いや腐れ縁で仕方なく傍に置いているのは。

「反乱軍、イエローゾーンを突破しつつあります」
オペレータの声が上がった。少し掠れている。今頃唾を飲み込んでいるだろう。最初の三十分が勝負だ。こっちは俺、レンネンカンプ、アイゼナッハの三個艦隊、向こうはヤンとウランフの二個艦隊だ。叩きのめして混乱させる。そして混乱したところにケンプが攻撃に参加する。混乱は大きくなるだろう。

後から三個艦隊が来るが五月雨式だ。各個に叩いて膠着状態に持ち込めば後はメルカッツが来るのを待つだけだ。勝算は有る、と思おう。チラッとユスティーナの事を想った、優しそうなエメラルド色の目……。慌てて頭から追い払った。戦場で女子供の事を考えてどうする。考えるのは勝つ手段だろう、この間抜け! 先ずはウランフだ、こいつを叩く!



宇宙暦 799年 4月 16日    第十三艦隊旗艦ヒューベリオン フレデリカ・グリーンヒル



徐々に徐々に帝国軍が射程距離内に近づいて来る。指揮卓の上に座っていたヤン提督が右手をそろそろと上げた。決戦の時が近付きつつある。帝国軍が前進してきた事にヤン提督は驚いていた。提督は帝国軍が後退するかもしれないと思っていたのだ。その場合は後方を遮断しようとした敵艦隊を挟撃する筈だった。そして救出に動く帝国軍の本隊を誘引するつもりだった。

でも帝国軍は前進してきた。味方を見殺しにはしないという事だろうけど瞬時に方針を決戦に切り替えたのは元々ヴァレンシュタイン元帥にも決戦を望む気持ちが有ったからかもしれないとヤン提督は言っていた。こちらは上手くその心理を利用出来たのかもしれないと……。

「完全に射程距離に入りました!」
「撃て!」
命令と共にヤン提督の右手が振り下ろされた。ヤン艦隊から何十万もの光線が発射される、ウランフ艦隊からも同じ様に発射された。そして帝国軍からも光の束が同盟軍に襲い掛かった……。

彼方此方から悲鳴が上がった。ヤン提督も“これは”と言ったまま唖然としている。左に位置していたウランフ提督の第十艦隊が酷い損害を受け混乱している、一体何が? 攻撃を第十艦隊に集中しているのは分かるがそれにしては混乱が酷過ぎる。
「ウランフ提督に後退するように伝えてくれ。こちらもタイミングを合わせて後退する」

「宜しいのですか? こちらが退けば帝国軍も退く可能性が有ります。それでは逃げられてしまいますが」
ムライ参謀長が問い掛けたがヤン提督は首を横に振った。
「いやそれは無い。帝国軍はこちらの後背を狙った艦隊、黒色槍騎兵を置き去りにはしない。それくらいなら最初から逃げている。それよりこれ以上損害を受ければ帝国軍が急進して第十艦隊を撃破しようとするだろう。その方が危険だ。後退して第三、第九、第十一艦隊との合流を優先する。総司令部にも伝えてくれ」

オペレータが第十艦隊、総司令部に連絡を取る間にも帝国軍の攻撃を受け第十艦隊の混乱はさらに酷くなった。
「帝国軍、後方の一個艦隊が前面に出ます!」
オペレータが声を張り上げた。提督が顔を顰めた。これで帝国軍の正面戦力は四個艦隊、こちらの二倍になった、もう直ぐアップルトン、ホーウッド、クブルスリー提督が応援に来るがそれでようやく互角だろう。

第十艦隊が後退を始めた。それに合わせて第十三艦隊も後退する。だが帝国軍が猛然と距離を詰め攻撃をしてきた。
「第十四、第十五艦隊、帝国軍と戦闘状態に入りました!」
オペレータが報告してきたが誰もそちらを確認する余裕が無い。それ程に正面の帝国軍の圧力が強い。第十艦隊は被害を出し続けている。そして第十三艦隊は第十艦隊との連携が取れず効果的な反撃が出来ずにいる。

「全く、可愛げが無いな」
驚いてヤン提督を見ると提督が私に気付いて小さく笑った。そして第十艦隊の混乱について教えてくれた。開戦時、帝国軍は三個艦隊、同盟軍は二個艦隊だった。そして帝国軍三個艦隊の最初の一撃は第十艦隊に集中したらしい。第十艦隊は三倍の兵力の敵を相手にしたのだ。

「第二撃からは二個艦隊が第十艦隊を攻撃し一個艦隊が我々を攻撃した。混乱した第十艦隊なら二個艦隊で十分と見たのだろう。そして我々を押さえるために一個艦隊に攻撃をさせた。野放しには出来ないからね」
「三個艦隊が……、ですが混乱が酷い様な気がしますが」
「そう、混乱が酷いのは帝国軍が狙点を統一しているからだ」
「狙点を統一?」
「帝国軍のレーザーは一点に集中した。その分だけ第十艦隊の損害は大きくなった」

慌ててスクリーンを見た。確かに第十艦隊への攻撃は一点に集中している。そこだけが爆発の光が激しい。溜息が出そうになった。ヤン提督も同じ攻撃法を使うけど数個艦隊で実践するとは……。ヤン提督が可愛げが無いというのも分かる。何とも手強い。
「全体の戦力は同盟軍の方が多い。だがここでは帝国軍の方が兵力が多かった。ヴァレンシュタイン元帥はそれを最大限に利用したよ。敵よりも多くの兵力を用い集中して使う。攻撃レベルでも実践するとは。まったく……」

同盟軍は決戦に持ち込んで喜んでいるけど決戦を一番喜んでいるのはヴァレンシュタイン元帥なのかもしれない。獰猛な獣が歓びに震えながら牙を剥いている、そう思った。



宇宙暦 799年 4月 16日  同盟軍総旗艦リオ・グランデ  ドワイト・グリーンヒル



「第十艦隊は随分と叩かれているな」
スクリーンを見るビュコック司令長官の声には溜息が混じっていた。司令長官を窘める事は出来ない、私も溜息を吐きたい気分だ。
「閣下、ウランフ提督の左に第三艦隊を置きたいと思いますが」
「そうだな、帝国軍の攻撃を少しは逸らせるだろう」
「残り二個艦隊はヤン提督の右に」
「うむ」

そうなれば前線の兵力は同盟軍が五個艦隊、帝国軍が四個艦隊、多少こちらが有利になる。
「いや、総参謀長、それは駄目だな」
「は?」
ビュコック司令長官が顔を顰めている。何か拙い事が有ったか?

「向こうが危ない」
司令長官がスクリーンの一角を顎で指した。そこには第十四艦隊と第十五艦隊が映っている。なるほど、敵の一個艦隊に押されている。状況は良くない。
「第十四、第十五は急造の艦隊だ。どうやら黒色槍騎兵の相手は荷が重いらしい」
司令長官が息を吐いた。せっかく決戦に持ち込んだのに状況は良くない、遣り切れない思いなのだろう。

「已むを得ませんな。外側から敵の一個艦隊が近付くのも見えます。第十一艦隊のアップルトン提督に第十四、第十五艦隊に協力するように伝えます」
「うむ、そうしてくれ」
これで正面は四個艦隊になった。帝国軍と同数だ。若干有利かと思ったが全くの互角、いや第十艦隊が酷く叩かれている事を思うとやや不利と言ったところか。帝国軍の別動隊が来るまでに勝負を付けなければならない、厳しい状況になった……。

「本当は一旦全軍で退いて陣を再編したいところだが……」
「それをやれば帝国軍はまた逃げるでしょう。それにもう時間が有りません」
司令長官が大きく息を吐いた。
「已むを得んな。……それにしても可愛げが無い、少しは不意を突かれて慌てるかと思ったのだが。……そうなればもう少し有利に戦えた……」
ビュコック司令長官がスクリーンを睨んだ。スクリーンには後退する同盟軍と猛然と追撃する帝国軍が映っていた。

 

 

第二百七十九話 終結


帝国暦 490年 4月 16日    帝国軍ビッテンフェルト艦隊旗艦ケーニヒスティーゲル  フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト



「手を緩めるな、このまま押し切るぞ!」
「はっ」
檄を飛ばすとオペレータ達がそれに応えた。悪くないな、将兵の士気は高い。不意を突かれ思いがけない形で戦闘に入ったが皆が慌てる事無く対処している。日頃の訓練の成果が出たようだ。後でワーレンに礼を言わなければならんな。酒の一杯も奢るか。

ミュラー艦隊の来援を待つまでもない。このまま押し切って反乱軍本隊の後方に出れば奴らはたちまち混乱する筈だ。それに乗じて司令長官率いる帝国軍本隊が前進すれば反乱軍は総崩れになるだろう。そうなればこの戦い最大の功労者は俺、俺が率いる黒色槍騎兵という事になる。おそらくはこれが反乱軍との最後の戦い、俺にとっても艦隊にとってもこれ以上の名誉は無い……。

「閣下、反乱軍本隊から増援が来るようです」
オイゲンが心配そうな口調で反乱軍の増援を指摘した。やれやれ、上手くいかんか。思わず舌打ちが出た。反乱軍も必死だな。
「……こうなってはミュラー艦隊の来援を待たざるを得んな」
俺が答えるとオイゲンがほっとしたような表情を見せた。

……如何いう事だ? 反乱軍の増援より俺の反応の方が心配だったのか? 俺は攻撃は好きだが無謀ではないぞ、オイゲン。いくらなんでも一個艦隊で三個艦隊を撃破出来るなどとは思わん。まして分散しているなら各個撃破も可能だが反乱軍は集まっているのだ。ここはミュラー提督と協力して反乱軍を撃破する、それが用兵の常道だろう。

「しかしここで戦闘になるとは、司令長官も不本意でしょうな」
「反乱軍も必死なのだ。このままでは本隊と副司令長官率いる別働隊で挟撃されるのは目に見えているからな。ここで我々を撃破して別働隊を待ち受ける、そう考えているのだろう」
ディルクセン、グレーブナーの会話にオイゲンが頷いた。

まあそんなところだろうな。しかし何とか戦闘にはもち込んだが反乱軍にとって状況が明るくなったとは言えない。戦況はどちらかと言えば帝国軍の方が優勢だろう。黒色槍騎兵が相手にしている二個艦隊は明らかに動きが悪い。おそらくは新編成の艦隊で練度が低いのだ。本隊も優勢に戦闘を進めている。今頃反乱軍の司令長官は頭を抱えているに違いない。

そして帝国軍は反乱軍領域内奥深くまで侵攻したが余力が十分にある。なんと言ってもここまで戦闘らしい戦闘をしていないのだ。イゼルローン要塞を無血で攻略した事で損害が無い。ヤン・ウェンリーを捕殺出来なかった事は残念だがそれを失策と言うのは贅沢だ。

ここで戦闘になった事を司令長官閣下は不本意に思われているかもしれんがイゼルローン要塞を無血で攻略した事だけで十分だと思う。俺はここで戦えた事に満足だ。おそらく他の艦隊司令官も同じ思いだろう。損害を少なくしたいという気持ちは分かる、将兵達のためだという事もだ。俺も無理をしたいとは思わない、だが無理をせずとも勝てるのだ。

「反乱軍、増援部隊が合流します」
オペレータの声が艦橋に響いた。これで正面は三個艦隊になった。だが心配はいらない、もうすぐこちらもミュラー艦隊が合流するのだ。動いたのはミュラー艦隊の方が早かったのだが迂回した分だけ遅くなった。今頃ミュラー提督はやきもきしているだろう。

「もうすぐミュラー提督が来る、慌てることなく対応しろ」
「はっ」
俺が声をかけるとオペレータ達が笑みを浮かべて頷いた。頼もしい奴らだ、こいつらならミュラー艦隊が来るまで問題なく耐えられる。その後は攻勢に転じて反乱軍を粉砕してやろう。メルカッツ副司令長官の別働隊を待つまでもない、一気に決着を着けるのだ。



帝国暦 490年 4月 17日    帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「反乱軍、後退します」
ワルトハイム参謀長の声は比較的落ち着いていた。まあ普通は後退とかいうと誘引の危険が有るんだが現状では問題無いだろう。理由は簡単、ビッテンフェルトとミュラーを抑えている部隊の旗色が悪いのだ。三個艦隊を回しているが戦線を維持出来ずに少しずつ後退している。同盟軍は本隊も後退し戦線を一つに纏めようと考えているらしい。

本当は全軍で一気に退いて態勢を立て直したいのだろうがそれをやれば帝国軍に逃げられかねない。その事が同盟軍の動きに制約を付けている。まあ悪い考えじゃない。しかし分かっているかな、戦線を後退させているわけだがその分だけメルカッツに近付く事になるという事を。そして距離と時間をロスしている事を。分かってはいるが已むを得ない、そんなところかもしれない。

逃げるという手も有るな。同盟軍が一番嫌がる手だ。後退している同盟軍はこちらに付け込まれないようにと、そして逃げられないようにと必死だろう。不意を突いての急速後退は難しくはないだろう。そして睨みあい、駆け引き。不可能じゃない、しかし現実的でもない。戦況は優勢だしこのまま戦闘を継続してメルカッツを待った方が良さそうだ。多少犠牲は出るが已むを得ん。下手に逃がすとまた何かしでかしそうで怖い、被害も多くなるような気がする。

戦況が優勢という事も有るのだろうが皆、活き活きしている。不本意に思っているのは俺とヴァレリーだけのようだ。そんなに戦いたいかなあ。勝つのは分かっているんだ、たとえ戦闘が無くても昇進はさせるんだが……。戦い過ぎるのも問題だが戦わなさ過ぎるのも問題か。俺とラインハルトを足して二で割ると丁度良いのかな、軍人なんてそんなもんかもしれん。

同盟軍の後退は続く。こっちはそれを追いながら攻撃をする。俺の右にはアイゼナッハ、左にはレンネンカンプ、その左にケンプ。なかなか豪勢な顔ぶれだ。多少用兵に柔軟性が足りない部分が有るかもしれないが攻撃力は問題無い。俺の正面にウランフ、レンネンカンプの前にヤンだ。そこは注意しないといかん。

「全軍に伝えてください。無理な攻撃はするなと。このまま戦線を維持しメルカッツ副司令長官の来援を待ちます」
「はっ」
“敵は訓練不足だ、一気に押せ”、そう言った方が士気は上がるんだろうな。皆もそれを望みもどかしい思いをしているのかもしれん。

もどかしい思いをしているのはヤンも同じだろう、周囲に足を引っ張られすぎだ。そうか、ヤンと戦う時は集団戦の方が良いのかもしれない。一対一だとヤンは自由に動くが多対多なら何処かでヤンの足を引っ張る奴が居る、或いは周りの事を考えて自由に動けない。その分だけヤンの怖さは減少する。

ヤン・ウェンリーが集団戦で力を十二分に発揮するにはヤンと同等の能力を持つ奴が必要だろう。例えばラインハルト、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ビュコック、メルカッツ……。そこにヤンが加わる。うん、ドリームチームだな。それともプロ野球のオールスター戦か。どんな戦いをするのか見てみたいものだ。

「閣下?」
ヴァレリーが不思議そうな顔をしている。
「何です、フィッツシモンズ大佐」
「いえ、なにやら楽しそうでしたので」
周囲を見るとリューネブルク、ワルトハイム、シューマッハ達も訝しそうにしている。

「そうですか。……戦況は悪くないですからね、その所為でしょう」
俺が答えるとヴァレリーは曖昧な表情で頷いた。いかんな、気を引き締めよう。まだ戦いは終わっていないんだ。集中、集中。……リューネブルク、何が可笑しい。ニヤニヤするんじゃない。俺達は戦争をしているんだからな。もっとまじめにやれ。



宇宙暦 799年 4月 18日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



自由惑星同盟最高評議会は沈痛な空気に包まれていた。参加者は皆押し黙り積極的に口を開こうとしない。そしてビルの外では大勢の同盟市民が自分達の未来を案じてデモを繰り広げている。こちらはそれぞれが大声で自分達の要求を叫んでいるだろう。自分達を守れと。

「それで戦況は如何なのかな、アイランズ国防委員長」
ホアンが問い掛けるとアイランズが辛そうな表情をした。
「良くありません。軍は帝国軍の本隊をなんとか捕まえ戦闘に入りましたが劣勢です。新編成の艦隊が練度不足でどうしても動きが鈍い。帝国軍にそこを突かれているようです」
彼方此方から溜息が漏れた。

「もう直ぐフェザーン方面から帝国軍の別動隊が来るでしょう。そうなれば同盟軍は挟撃されます。勝ち目は有りません。ボロディン本部長からも形勢を逆転するのは難しいと報告が有りました」
また溜息が聞こえた。誰も視線を合わせようとしない、俯いているだけだ。

大きく息を吐く音が聞こえた。トリューニヒトだった。ここ数日ろくに寝ていないのだろう、眼が充血している。
「已むを得ないな。宇宙艦隊には降伏するように伝えてくれ」
皆がトリューニヒトを見た。彼方此方から“しかし”、“それでは”という声が聞こえた。だがトリューニヒトが首を横に振ると皆が口を閉じた。

「これ以上戦っても犠牲が増えるだけだ。勝算が無い以上、無意味な戦いは止めるべきだろう。国防委員長、降伏するように伝えてくれ」
「……分かりました。ボロディン本部長に伝えます」
不思議なほど衝撃は無かった。来るべきものが来た、そんな感じがした。私は何処かでこうなる事を覚悟していたのだろう。いや私だけではない、皆もそうかもしれない、ホッとした様な顔をしている。

「それで我々は、政府は如何するのかね。降伏するのかな?」
私が問うとトリューニヒトが顔を顰めた。
「いや、アルテミスの首飾りが有るから無理だろう。今の時点で降伏すれば同盟市民が暴動を起こしかねない」
「では?」
「帝国軍が首飾りを壊してから降伏する。その方が無理が無いと思う」

確かにそうだな。同盟市民も諦めるだろう。
「帝国が同盟をどのように扱うかは分からない。劣悪遺伝子排除法を廃法にした事、改革を進めている事を考慮すれば酷い扱いにはならないだろうとは思うが確証は無い。我々は同盟市民の生命、財産を守らなければならない。そして民主共和政……。各委員長も同盟市民を守るためには何が必要なのか、纏めてくれ。自由惑星同盟は滅ぶかもしれんが講和条約でそれらを守るために私は粘り強く交渉するつもりだ」
力強い声だった。自らに言い聞かせるような響きが有った。



帝国暦 490年 4月 18日    帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



総旗艦ロキの艦橋は爆発した様な騒ぎだった。彼方此方で肩を叩き合ったり握手をしている人間がいる。おそらく帝国軍艦艇の彼方此方で同じ様な光景が起きているだろう。まあ気持ちは分かる。同盟軍が降伏した、そして同盟にはもう宇宙戦力は無い、これで同盟の命運は尽きたに等しい。皆が喜ぶのは分かるんだが……。

「閣下、おめでとうございます」
ワルトハイムが祝福してくれると皆が口々に“おめでとうございます”と言ってくれた。ヴァレリーも祝ってくれた。ホッとした様な顔をしている。両軍ともそれほど損害は多くない。一安心だろう。

「有難う」
何とか笑みを浮かべることが出来た。どうせならもっと早く降伏してくれれば良かったんだけどな。そうすれば犠牲はもっと少なくて済んだ。それに同盟政府はまだ降伏していない。なんか中途半端だ、戦闘も降伏も。溜息が出そうになって慌てて堪えた。

愚痴っていても仕方が無いな。
「フィッツシモンズ大佐、オーディンに連絡を。反乱軍の宇宙艦隊は降伏、メルカッツ副司令長官と合流後ハイネセン攻略に向かうと」
「はっ」
「参謀長、反乱軍のビュコック司令長官と会談をします。二十四時間後、総旗艦ロキへの訪艦を希望すると伝えてください。なお、所定の手続きに従って武装を解除して頂きたいと」
「はっ」

ヴァレリーとワルトハイムがオペレータにそれぞれ指示を出し始めた。二十四時間有ればミサイルの廃棄とレーザー発射口の閉塞が終了するだろう。一応念のため油断するなと全軍に通達した方が良いな。少し疲れたな、時間は有る、一眠りしようか……。



帝国暦 490年 4月 19日    帝国軍総旗艦ロキ  ドワイト・グリーンヒル



帝国軍総旗艦ロキの艦内は柔らかな明るい光に溢れていた。漆黒の外見からは想像も出来ない光景だ。艦内の彼方此方から私とビュコック司令長官に好奇の視線が向けられているのが分かった。囁き声も聞こえる。彼らの気持ちは分かるが見世物になった様な感じがして気分が悪かった。

降伏後、二十四時間が経った。この宙域には帝国軍の別働隊も集結し同盟軍は十五万隻を超える帝国軍に包囲されている。政府からの降伏命令には已むを得ないと思いつつも多少のわだかまりが有った。しかし今十五万隻を超える帝国軍に包囲されている事を考えれば政府の判断は正しかったのだと理解出来る。トリューニヒト議長の判断だと聞いたが見事な決断をしたものだ。

一人の士官が近付いて来た。まだ若い、年齢は二十代の半ばから後半だろう。軍服の模様から判断すると中将だ。中肉中背、聡明そうな表情をしている。一メートル程の距離で立ち止まり挙手の礼をほどこした。
「小官はクラウス・ワルトハイムと申します。同盟軍の宿将たるビュコック司令長官とグリーンヒル総参謀長にお会い出来て光栄です」

嫌味には聞こえなかった。性格は素直なのかもしれない。ビュコック司令長官と共に挙手の礼を返した。
「敗軍の将には些か過分な言葉ですな、恥じ入るばかりです」
ビュコック司令長官が答えるとワルトハイム中将が少し困った様な表情をした。侮辱してしまったとでも思ったのだろうか。

「ヴァレンシュタイン元帥の元へ御案内します、こちらへ」
「御手数をおかけする」
ワルトハイム中将の案内で艦内を歩く。暫くして一人の士官が待つ扉の前に着いた。見覚えが有る、ローゼンリッター、リューネブルク……。無言のまま敬礼を交わす。ワルトハイム中将がドアを開け“どうぞ”と言った。部屋の中に入った。

黒髪の若い士官が奥で待っていた。小柄で華奢な身体を黒いマントが覆っている。帝国軍宇宙艦隊司令長官ヴァレンシュタイン元帥。こちらに近づいてくると挙手の礼をして“エーリッヒ・ヴァレンシュタインです”と名乗った。こちらも名乗り礼を返すとソファーへと案内された。席に座ると直ぐに女性士官が紅茶を持ってきた。この士官も見覚えが有る。名は忘れたがあの時、リューネブルクと一緒にいた女性士官だ。彼女は紅茶を配ると一礼して部屋から出て行った。

「敗残の身を閣下にお預けします。我々は如何様なる処分をされようと構いません。ただ部下の将兵には御配慮を賜りたい」
ビュコック司令長官の言葉にヴァレンシュタイン元帥が軽く笑みを浮かべた。苦笑だろうか。
「御安心を。我々は勇敢に戦った敵を賞賛はしますが侮辱するような事はしません。それは貴方方も含めてです。それにこれ以上意味の無い血が流れるのは避けるべきだと考えています」

大丈夫だろうと思ってはいたがきちんと言質を取ったことでホッとした。口調も誠実さを感じた、信じて良さそうだ。紅茶を一口飲んだ、美味い、かなり良いものを使っている。
「降伏してくれたことには感謝しています。皮肉では有りませんよ、本心です。これ以上敵も味方も犠牲は出したくありませんでした。何度か降伏勧告をしようかと考えたのですが侮辱と取られては却って犠牲が増えると思い止めました」
傲慢さは感じなかった。微かにだが口調には安堵の響きが有った。

「降伏は政府からの命令でした」
私が言うとヴァレンシュタイン元帥は“政府の”と声を出した。声にも表情にも驚きが有った。
「アイランズ国防委員長の命令ですか?」
「いえ、トリューニヒト議長の命令です。これ以上無益な戦いは避けるべきだとの事でした」
「……しかし自由惑星同盟政府は降伏しませんが?」
ヴァレンシュタイン元帥は不思議そうな表情で私を見ていた。如何いうわけか幼さを感じた。その事がおかしかった、相手はこの宇宙で最も危険な相手なのに。ビュコック司令長官も同じ事を感じたのかもしれない、幾分苦笑を浮かべながら口を開いた。

「アルテミスの首飾りが有ります。あれが役に立たない事を我々は知っていますが市民は知りません。現時点での降伏は同盟市民の間に混乱を生じるだけでしょう、場合によってはそれによって政府自体が瓦解しかねません。そうなれば無秩序な抵抗が起き犠牲が増えるだけです」
「なるほど」
ヴァレンシュタイン元帥が二度、三度と頷いた。

「トリューニヒト議長ですか、以前から思っていたのですがやはり単なる扇動政治家ではないという事ですね」
「……」
「お会いするのが楽しみです」
そう言うとヴァレンシュタイン元帥は紅茶を一口飲んだ。口元に微かに笑みが有った。



 

 

第二百八十話 ハイネセン占領




帝国暦 490年 4月 19日    帝国軍総旗艦ロキ  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



『ではハイネセン攻略は我々の艦隊で行うのですな』
「ええ。惑星シリーユナガルで準備をした後ハイネセンへ向かってもらいます。こちらは捕虜を引き連れ後から、そうですね、七十二時間後にハイネセンに向かいます。彼らにはハイネセン攻略の場を見せたくありません」
必要以上に敗者に屈辱を与える事は無い。スクリーンに映っているメルカッツが“そうですな”と頷いた。

「アルテミスの首飾りを破壊した後は同盟政府に対して降伏を勧告してください」
『承知しました。……向こうが自分達の生命の安全、財産の保障を求めてくるかもしれませんがその場合は如何しますか?』
「敗戦の罪によって誰かを処罰するような事はしないと伝えて構いません、身分、地位に拘わらずです。彼らも安心するでしょう」
『場合によってはハイネセンに降下する事にもなりますが……』
ちょっと気遣わしげな表情だ。一番最初にハイネセンに乗り込むのは俺じゃなきゃ拙いとでも思っているのかな。俺はそんな事は気にしないんだが……。

「問題ありません。必要に応じて処理してください。大事なのはハイネセンを混乱させない事です」
『はっ』
「当然ですが同盟市民への乱暴、狼藉、略奪は許しません。犯した者は軍規に則って厳正に処罰します。その事は全員に周知徹底させてください」
『承知しました』
メルカッツが大きく頷いた。生粋の武人だからな。略奪、狼藉等は大嫌いだろう。いかん、忘れていた。

「それと占領すればハイネセンは経済的にも混乱する筈です。売り惜しみや価格の高騰には気を付けてください。市民の日常生活を脅かす様な事は許さないように。日常生活が保障されれば市民は落ち着く筈です」
「分かりました」

「私からは以上です、副司令長官から何か有りますか?」
『いえ、特にありません』
「では、お願いします」
『はっ』
互いに礼を交わして通信を終了した。

ハイネセンを攻略すればメルカッツの軍人としての評価もワンランクアップは間違いない。イゼルローン要塞攻略、同盟軍の降伏は俺とイゼルローン方面軍の功績だ。これは大きい。対してメルカッツとフェザーン方面軍の功績はフェザーン攻略だけだ。このままだとメルカッツは俺の引き立て役になってしまう。それは良くない。アルテミスの首飾りの攻略、自由惑星同盟の降伏、メルカッツとフェザーン方面軍にとっては十分な功績になるだろう。

同盟政府は降伏を前提に動いている。如何に犠牲を少なくして戦争を終結させるかを考えている様だ。有難い話だ、民主共和政を守るために市民を犠牲にする事も厭わないなんて事をされるよりはずっと良い。メルカッツも大きなトラブルも無くハイネセンを攻略出来る筈だ。

トリューニヒトが決断したらしいが原作とはかなり人物が違うらしいな。まあレベロとホアンが協力している。それに帝国との交渉においてもかなり強かさを発揮していた。ただの扇動政治家ではないと思っていたが降伏を決断したとなると儀礼ではなくじっくりと話をしてみたい相手だ。

ハイネセン攻略の後は講和交渉だ。ようやく戦争が終わる、戦争が無くなる。いや、三十年後、自由惑星同盟を併合時にもう一度遠征が必要になるかもしれない。しかし国政改革をしっかりと行っておけば併合を不満には思っても不安を感じる事は少ない筈だ。そうなれば抵抗は軽微なものになるし遠征も大規模なものにはならないだろう。



帝国暦 490年 4月 26日   オーディン  新無憂宮  クラウス・フォン・リヒテンラーデ



「国債か、かなりのものだ」
「はい」
「私が財務尚書を務めた頃も多少は気になっていたが……、十二兆帝国マルクか……。随分と増えたものだ」
「統計を見ると恐ろしい勢いで増えていました。止まったのは最近の事です」
よくもここまで借金をしたものだ。財務尚書ゲルラッハ子爵は神妙な表情をしているが内心では呆れているだろう。国政責任者である私の前でなければ皮肉の一つ、罵声の一つも出ているに違いない。

「反乱軍のものも有ると聞いたが?」
「はい、こちらも十五兆ディナールほど有ります」
溜息が出た。帝国も同盟も借金をしながら見境なく戦争をしていたか……。
「このまま戦争を続けていれば借金で国が破産し人口減少で崩壊したであろうな、帝国も反乱軍も……。危ういところであった」
ゲルラッハ子爵も頷いている。今更ながらだがヴァレンシュタインが正しかったことが分かる。門閥貴族を排除し宇宙を統一する、それしか帝国が生き残る道は無かった。ただ誰もがその道を正面から見据えなかった、目を逸らした……。

「閣下、株の問題も有ります」
「株か、それも有ったな」
帝国、フェザーン、反乱軍、かなりの企業の株をフェザーン自治領主府は保持していた。しかもダミー会社を使用して隠密に取得していた。何のためかは言うまでもないだろう、あのおぞましい遺物共が!

「如何しますか?」
「……」
ゲルラッハ子爵が此方を窺う様に見ている。はて……。
「現状では帝国政府が株を所持しています。つまり国営企業という事になりますが……」
「問題が有るのか?」
私が問うとゲルラッハ子爵が頷いた。

「多少経営が傾いても政府が何とかしてくれると思いかねません。それは企業の健全性を失うでしょう。この件で帝国は苦い経験をしております」
「経験?」
「門閥貴族です」
「なるほど」

そういう事か、ゲルラッハ子爵が何を危惧しているのか、ようやく分かった。
「つまり、このままでは新たな御荷物になりかねぬという事か」
「はい、その可能性は無視出来ません。株を所有した企業はいずれも帝国、反乱軍、フェザーンで経済、社会、軍事面において大きな影響力を持つ存在です。そういう意味でも門閥貴族に似ているでしょう。ブラッケ、リヒターも危惧しております。官僚達の天下り先になりかねないと」

思わず息を吐いた。官僚達の天下り先か、そうなれば益々厄介な事になるだろう。ブラッケ、リヒターが危惧しているという事はもう既に官僚達の間でそういう話が出ているのかもしれない。あの連中、利権には鼻が利く。涎を垂らしているかもしれん。一難去ってまた一難か、厄介事は無くならんな。
「帝国のものは放出した方が良かろう。しかしフェザーン、反乱軍のものは如何かな?」
ゲルラッハ子爵が“自分もそれを考えています”と頷いた。

帝国はフェザーンに遷都する。遷都による混乱を出来るだけ少なくするにはフェザーンで強い影響力を持つ企業を帝国の支配下に置いていた方が都合は良い。そして反乱軍、こちらも妙な動きをさせぬためには企業を支配下に置いた方が良いだろう。だが両者とも反発するのは間違いない、そして御荷物か……。将来的に統一する事を考えると……。

「ふむ、ヴァレンシュタインに訊いてみるか?」
私が確認するとゲルラッハ子爵が“はい”と頷いた。やはり最後はそこに落ち着くか。
「不便な事だ。そろそろあれをこちらに引き入れねばなるまい。何時までも軍人のままでは困る」
ゲルラッハ子爵が“そうですな”と言って笑みを浮かべた。この男は財務尚書止まりだな。宰相、国務尚書にはなれん。これからの宰相、国務尚書は宇宙全体を見渡しながら帝国の舵取りをしなければならん。この男にとっては重荷であろう、幸いなのは本人もそれを理解している事だ。

「もう直ぐそれも叶いましょう。反乱軍の宇宙艦隊は降伏しました。今頃はメルカッツ副司令長官がハイネセンを攻略している筈です」
「うむ」
年内には戻ってくるだろう。直ぐにとはいかんであろうがフェザーン遷都が一つの区切りにはなる。もっとも引き抜きには軍が反対するであろうな……。頭の痛い事だ。

執務室のドアを控えめに叩く音がした。ドアが開きワイツ補佐官が顔を出した。表情に多少興奮の色が有る。
「如何した?」
「エーレンベルク軍務尚書、シュタインホフ統帥本部長、両閣下がお見えです。至急閣下にお会いしたいと」
あの二人が直接来たという事は私に報告しそのまま陛下への奏上という事か。陛下もお喜びになるであろうな。ゲルラッハ子爵の笑みが大きくなっている。考える事は皆同じようだ。



帝国暦 490年 4月 28日   ハイネセン     エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「ジーク・ライヒ!」
「ジーク・カイザー・フリードリヒ!」
「ジーク・マイン・オーバーベフェールスハーバー!」
足が止まった。総旗艦ロキをハイネセンの宇宙港に降下させタラップで地上に降りようとすると嵐のような歓声が俺を包み込んだ。宇宙港は俺の警備のためだろうが大勢の帝国軍人が周囲を固めている。そして出迎えに来た軍人達、それらが一緒になって叫んでいた。

そんなに厳重にしなくても良いんだけど。俺はラインハルトじゃない。俺を殺しても同盟には何の益ももたらさない。逆に報復が酷くなるだけだ。同盟人だって馬鹿じゃない、少し考えれば分かる筈だ。
「閣下、手を振って頂けますか?」
「手?」
リューネブルクが笑みを浮かべている。
「はい、皆喜ぶと思います」

リューネブルクの言う通りに右手を挙げて応えると歓声はさらに大きくなった、地鳴りのようだ。……気持ちは分かる、嬉しいんだろうな。何と言っても敵の本拠地を占領した、大勝利だ。一生自慢出来るだろうし人生最高の思い出だろう。でもね、俺はあんまり嬉しくない。ちょっと恥ずかしいんだ、頬が熱い。やっぱり俺って小市民なんだな、さっさと降りよう。

フリードリヒ四世が皇帝で本当に良かった。他の奴、特に猜疑心の強い奴が皇帝だったら、そしてこの現場を見たらと思うとぞっとする。簒奪の意思あり、なんて罪状をでっち上げられてあっという間に反逆罪で死刑だろうな。その点あの爺さんなら笑い出して皇帝位を譲るとか言い出しかねん所が有る。臣下の身としては有難い事だ。

タラップを降りるとロイエンタールとミッターマイヤーが近付いて来た。この二人が出迎えだ。互いに礼を交わすと二人が自由惑星同盟の降伏を祝ってくれた。嬉しいよな、こういうの。でもこの二人に祝って貰うのは原作を知ってる俺としてはちょっとこそばゆいな。照れるよ。
「有難う、ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督」
「メルカッツ副司令長官の元へ御連れ致します」
「お願いします」

地上車に乗り込む。同乗者はヴァレリーとリューネブルクだ。如何見ても緊張しているから護衛のつもりなのだろう。ロイエンタール、ミッターマイヤーの先導で宇宙港を出てハイネセン市内に向かった。行先はホテル・カプリコーン、メルカッツはそこを帝国軍の拠点にしている様だ。

宇宙港からは三十分程でホテルに着いた。結構早く着いた。襲撃を避けるためだと思うがかなり飛ばした所為だろう。途中、地上車から見える市内には混乱は無かった。取り敢えず落ち着いていると見て良さそうだ。ホテルに着くとロビーでメルカッツを始めとして宇宙艦隊の艦隊司令官達が姿勢を正して待っていた。ロビーに入ると一斉に敬礼してきたので礼を返す。その後一人ずつ労いの言葉をかけながらメルカッツの所まで進んだ。

「メルカッツ副司令長官、自由惑星同盟を降伏させた事、良くやってくれました。陛下も御喜びでしょう」
「恐れ入ります。アルテミスの首飾りの攻略法は分かっておりましたので楽に終わりました」
僅かにメルカッツが身を屈める様なそぶりを見せた。年長者にそういう風にされるのはちょっと気拙い。

「ハイネセンも落ち着いているようです。有難うございます」
「小官一人の働きでは有りません。皆が良くやってくれました」
ケスラー、クレメンツ達が嬉しそうにしている。メルカッツが褒められるという事は間接的に自分達が褒められる事だ。そしてメルカッツは自分達の働きを十分に評価している。満足だろう。

「勝手ですが閣下の執務室、居住室をこのホテルに用意させていただきました」
「有難うございます、御手数をおかけしました」
「それほどでもありません。では執務室に御案内致します。そちらでハイネセンの状況を説明したいと思いますが」
「分かりました」
状況を確認してからトリューニヒトと会談だ。それから講和交渉。さっさと終わらせて帰国しよう。将兵達もそれを望んでいる。



宇宙暦 799年 4月 26日    ハイネセン ある少年の日記



敗けちゃった。こんなにあっさり敗けちゃうなんて信じられない。一週間前に宇宙艦隊が降伏した。同盟軍七個艦隊が降伏した事でハイネセンを守るのはアルテミスの首飾りだけになってしまった。自由惑星同盟が勝つ事は無い、でも首飾りで相手に損害を与えて講和交渉を有利に進めるって政府は言っていたのに……。

同盟政府は首飾りが破壊されると降伏した。政府からは出来るだけ外に出るなと言われている。特に夜間は絶対出るなって通達が有った。帝国軍の兵士とトラブルにならないようにという事らしい。だから僕も学校には行っていない。でも本当は同盟市民が集まって騒ぐのを防ぐためだとTVのアナウンサーが言っていた。そうなのかもしれない。

首飾りなんて何の役にも立たなかったな。一瞬で壊されちゃったよ。しかも壊したのはヴァレンシュタイン元帥じゃないんだ、副司令長官のメルカッツ元帥。ヴァレンシュタイン元帥にしてみれば自分が出るまでも無いって事なんだろうな。首飾りに頼っていた僕達を馬鹿な奴って嘲笑っていたかもしれない。溜息しか出ない。

これから講和交渉が行われるけどそれはヴァレンシュタイン元帥が来てかららしい。同盟はどうなるんだろう? やっぱり帝国の領土になっちゃうのかな。そうなったら僕達、奴隷になっちゃうのかな? 母さんも酷く不安がっている。帝国では改革をして平民の地位が向上しているから酷い事にはならないんじゃないかって言われているけど……。



宇宙暦 799年 4月 29日    ハイネセン ある少年の日記



今日、ヴァレンシュタイン元帥がハイネセンに到着した。漆黒の総旗艦ロキが空から降下してハイネセンの宇宙港に着陸した。そうしたら帝国軍の兵士達が突然叫び始めた。“帝国万歳”、“皇帝フリードリヒ万歳”、“司令長官万歳”。凄かったよ。

マスコミは遠くからの撮影しか許されなかったから良く分からなかったけどヴァレンシュタイン元帥がロキから降りようとして皆に手を振ったらさらに歓声大きくなった。TVで見ていても圧倒された。元帥は帝国軍の兵士達から凄く信頼されているんだと思った。まあ同盟を降伏させたんだから当然かな。悔しいけど恰好良かった。

帝国軍に占領されて三日が経ったけど彼らは規律が厳しいみたいだ、今の所帝国軍の兵士が街に出て同盟市民に乱暴するとか略奪するとかそういう騒ぎは起きていない。帝国の領土になっても酷い事にはならないんじゃないかって意見が大きくなっている。それにメルカッツ副司令長官は同盟政府に降伏を勧告する時に敗戦の罪を問うような事はしないって言ったらしい。その事も皆を安心させている。

諦めも有ると思う。帝国軍は強いしとても敵わない。イゼルローン要塞もアルテミスの首飾りも全然役に立たなかった。宇宙艦隊も良いところ無く負けた。主戦派って言われた人達も気落ちしている。僕もがっかりだ、こんなにも同盟軍と帝国軍に差が有ったなんて……。まるで大人と子供が喧嘩したみたいだ。

今日、トリューニヒト議長がヴァレンシュタイン元帥と会談した。会談はヴァレンシュタイン元帥が望んだようだ。講和交渉の前に相手を良く知っておこうって事らしい。会談後トリューニヒト議長はマスコミに“同盟市民の生命の安全と財産の保全のために全力を尽くす”って言っていたけどどうなるのかな? 講和交渉は明日から始まるらしいけど頑張って欲しいよ。


 

 

第二百八十一話 講和交渉




帝国暦 490年 4月 29日    ハイネセン  ホテル・カプリコーン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



目の前に男が一人立っている。この男がヨブ・トリューニヒトか。これまで何度かホログラフィで見た事は有る。愛想の良い笑顔をした男だったが今目の前にいるトリューニヒトも笑顔こそ無いが愛想の良さそうな表情、雰囲気を出している。それにスーツ姿にも一分の隙も無い。降伏した国家の元首には見えなかった。手強いな、一筋縄ではいかないようだ。

「トリューニヒト議長、こちらへ」
ソファーへと案内するとトリューニヒトは軽く一礼してソファーに坐った。鬢のあたりに僅かに白髪が有る。結構苦労したんだろう。二人で向き合う形で坐ると直ぐにヴァレリーが飲み物を持ってやってきた。紅茶だ、ココアは甘い匂いが強すぎるからな。お客様をもてなす時は避けているようだ。

ヴァレリーが去りトリューニヒトが紅茶を一口飲んだ。
「メルカッツ元帥より同盟市民に対しては生命の安全、財産の保全を保障すると御約束を頂きました。間違いは無いのでしょうか?」
「勿論です。政府関係者、軍関係者に対しても罪を問う事は有りません。議長閣下も含めてです」
「有難うございます」
トリューニヒトが軽く頭を下げた。ほっとしたような表情をしている。安全が保障されて嬉しいようだ。もしかするとメルカッツが降伏させるために嘘を吐いたとでも思ったかな?

「感謝していますよ、トリューニヒト議長」
「?」
不思議そうな表情をしている。
「議長が軍に降伏を命じてくれた事です。そのおかげで無意味な死傷者を出さずに済みました」
トリューニヒトが微かに笑みを浮かべた。ようやく笑ったな。
「初めてですな、あの判断を褒めてもらったのは」
声が明るい、自嘲ではなかった。うん、御調子者のトリューニヒトが顕現したか。もう少し煽ててやろうかな。

「議長閣下の決断で帝国、同盟合わせて何十万、いや百万以上の将兵が死なずに済みました。今は理解されなくてもいずれはその決断が正しかったのだと理解される日が来ると思います。何よりも彼らの家族が理解し感謝するでしょう」
「有難うございます」
嬉しそうではなかった。複雑そうな表情をしている。味方では無く敵に評価される、素直に喜べないのかな。煽てるのは止めだ、感謝している、それだけで良い。実務に入ろう。

「講和交渉は明日から行いたいと思いますが?」
「こちらは異存有りません」
「最初に言っておきますが現時点で自由惑星同盟という国家を消滅させる気は有りません」
トリューニヒトがじっとこちらを見た。俺の言った言葉を咀嚼している様だ。

「現時点では、ですか」
「そうです」
「……将来的にはどうなるのでしょう」
「三十年後に帝国に併合する事を考えています」
またトリューニヒトが俺をじっと見た。刺す様な視線じゃない、計る様な視線だ。俺を値踏みしている。

「帝国人も同盟人も互いを、互いの国家を良く知りません。現時点で併合しても混乱が生じるだけでしょう。それに帝国は国内において改革の最中です。出来ればしばらくは国内改革に専念したいと思います」
「そのために三十年ですか」
「ええ、三十年かけて統一の準備をする。そう考えて頂きたいと思います」

三十年、やる事は幾らでもある。先ずフェザーンへの遷都、そして通貨の統一、暦の統一。憲法を制定し公法、私法の改訂が必要だ。法を整備し同盟市民から見ても納得出来るものにする必要が有る。それにこれからは直接帝国と同盟が交易を行う。共通の標準を持ち共通の規制、規格を持つ必要が有る。工業製品、技術、食品安全、農業、医療……。国内の整備はまだまだこれからなのだ。

喋る言葉が違っても構わない。政治信条が違っても良い。だが宇宙は一つで統一されているんだという認識は持たせる必要が有る。そしてそれこそが人類の繁栄と安定を支える基盤なのだと実感させられれば不満は有っても受け入れる事は出来るだろう。

「民主共和政は如何なりますか? 同盟市民にとっては最も大きく大切な権利です。地方自治レベルで保障していただければ併合もスムーズにいくと思いますが?」
トリューニヒトは併合に対して反対していない。形だけでもするかと思ったがしないという事は反対する事に意味が無い、無駄だと考えているのだろう。俺に不快感を持たれると思ったのかもしれない。現状把握能力は高いな、それとも迎合能力が高いのか……。

それに結構強かだ。旧同盟領で民主共和政を認めれば帝国領内でも認める事になるだろう。いずれは中央政府でもという声が上がる。狙いは立憲君主制かな、君臨すれども統治せず。議会制民主主義による統治への移行か……。地方自治レベルでは認めても良い、もっとも歯止めは必要だが。しかし中央政府では無理だな。

「大国の統治に民主政体は適さない、そう思いませんか?」
「それは……」
トリューニヒトが絶句した。どうやら知っているらしいな。古代ギリシア、アテネ生まれの歴史家の評価だ。その歴史家の名前は忘れた。だが怖い言葉ではある、忘れる事は出来ない。民主主義発生の地であるアテネをアテネ生まれの歴史家が評したのだ。衆愚政治に余程懲りたのだろう。

「しかし市民の声を統治に反映させる事は必要な筈です。それにこう言ってはなんですが暴政、悪政を起こさせないためにも抑止機能を持つ機関が必要ではありませんか?」
「そのためにも議会制民主主義を取り入れるべきだと?」
「そうです」
思わず笑ってしまった。専制君主政だけが悪政を引き起こすというのか? 議会制民主主義国家だって悪政、暴政は起きている。問題は制度ではない、主権者に有るのだ。何故そこを見ないのか。

「民主共和政では主権者の質よりも量に重きを置きがちです。その事をまだ理解出来ませんか? ゼロは幾ら足してもゼロですよ」
「……」
「残念ですが人類は民主共和政を運用出来るほど政治的に成熟しているとは思えません。成熟しているなら私と議長がこうして話す事も無かった。そうでしょう?」
トリューニヒトが視線を落とした。

主権者の数が多くなればなるほど、主権者は自分の持つ主権の重さを感じなくなる。百人の中の一票と百億人の中の一票、同じ重さだと言えるだろうか? 自分の持つ一票の重みなど大した事は無い、そう思ってしまうだろう。そうなれば主権の行使が程度の差はあれ恣意的になってくる。つまり政治への無関心という恐るべき事態が生じるのだ。そして統治者達は主権者の歓心を得るために主権者に迎合するようになるだろう。そこには統治において最も大切な冷徹さは無い。そう、人類は民主共和政を運用出来るほどには政治的に成熟していないのだ。

「市民の声を統治に反映させる必要性は認めます。しかしその事と民主政体を採る事は別問題でしょう。民主政体を採らずとも市民の声を統治に反映させる事は出来る筈です」
「……」
極端な話を言えば世論調査をするだけでも良いのだ、そのうえで統治に何処まで世論を反映させるか検討する。ゼロの場合も有れば百の場合もあるだろう。そしてその事を判断理由と共に国民に伝えれば良い。国民は自分達の意見を政府が検討している、統治に取り入れていると理解する筈だ。トリューニヒトは視線を下に落としたままだった。



宇宙暦 799年 4月 29日    ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



最高評議会ビルの議長の執務室に三人の男が集まった。トリューニヒト、ホアン、そして私。トリューニヒトは何時もと様子が違う、沈痛な表情を浮かべて椅子に座っている。ヴァレンシュタイン元帥との会談でかなり疲れた様だ。
「如何だった、ヴァレンシュタイン元帥との会談は」
私が問うとトリューニヒトが“うむ”と言った。

「容易ならん相手だ。まだ若いのだな、かなり先を見据えている」
妙な表現だ。“容易ならん相手”というのは分かる。これまで嫌というほど痛い目に有って来た。しかし“まだ若い”、相手を揶揄しているようにも聞こえるが“先を見据えている”、となれば揶揄ではない。ホアンも眉を寄せている、不審に思ったのだろう。

「ヴァレンシュタイン元帥は直ぐには同盟を併合しないと言っていた」
「どういう事かな、トリューニヒト」
「彼は三十年後に同盟を併合すると言ったんだ、ホアン」
「三十年後?」
思わず声が出た。ホアンの顔を見た、彼も訝しんでいる。

「どういう事だ?」
私が問い掛けるとトリューニヒトが大きく息を吐いた。
「今すぐ同盟領を併合しても混乱するだけだと彼は考えている」
「だから三十年の間を置くと?」
「そうだ、その間に帝国は一層の内政改革を行う。そして同盟と帝国の間で交易を始めとして様々な交流を図ろうと考えている」
唸り声が聞こえた。ホアンが唸っている。

「つまりその三十年で同盟市民の帝国への反発を軽減しようというのか」
「そういう事だ。三十年後には帝国の統治を受け入れても問題は無い、そう思わせようとしている」
容易ならん話だ。溜息が出た。
「トリューニヒト、その三十年間、同盟の政治的地位は?」
「保護国」
ホアンが質しトリューニヒトが簡潔に答えた。重苦しい空気が執務室に漂った。

保護国か、つまり自主独立の国ではないという事か。それにしても併合まで三十年をかけるとは……。自分なら待てない、年齢的にも成果を求めてしまうだろう。だがヴァレンシュタイン元帥は待つ。そして帝国の指導者達はそれを受け入れている。余程に信頼されているのだろう。そして帝国は本気だ。ただ征服する事で満足するのではなく本気で宇宙統一を考えている。

「民主共和政はどうなるのかな?」
「三十年は保証される」
「その後は?」
ホアンが問うとトリューニヒトは“分からない”と首を横に振った。
「彼は国民の声を何らかの形で統治に取り入れる事は必要だと考えている。だが民主共和政に対して必ずしも良い感情を持ってはいない」
トリューニヒトの声は沈痛と言って良かった。

「彼はこう言ったよ。大国の統治に民主政体は適さないと」
「それは……」
「そしてこうも言った。人類は民主共和政体を運用出来るほど成熟していないと」
「……」
ホアンと顔を見合わせた。単純に民主共和政が嫌いだというわけでは無い。むしろ熟知しているが故に否定していると思った。それにしても醒めている。

「明日の講和交渉だが君達は遠慮してくれ。私と官僚達だけで行う」
「如何いう事だ? 私達三人で行う筈だぞ」
「レベロの言う通りだ。納得が行かんな」
私とホアンが抗議するとトリューニヒトが笑い出した。こんな時に笑うとは何を考えている!

「礼を言うよ、君達は私にとって真の盟友だ」
「おい、ふざけているのか?」
「ふざけてはいないよ、レベロ。もう一度言う、明日の講和交渉、君達には遠慮してもらいたい」
強い声だった。ホアンと顔を見合わせた。トリューニヒト、何を考えている?

「今回の講和交渉で私の政治生命は終わりだろう。君達をそれに巻き込みたくないんだ」
「……」
「三十年、保護国となった同盟がどう過ごすかで帝国の民主共和政に対する評価が決まるのではないかと私は考えている。安定した繁栄を三十年続ければ帝国も民主共和政を或る程度認める可能性は出て来ると思うんだ。交渉の余地も出て来るだろう。しかし、混乱すればそれは無い」

「よく分からんな、それと明日の交渉に私達が出ない事がどう関係する?」
私が問うとトリューニヒトが“関係は有る”と言った。
「君達に三十年を託したい。特に最初の十年だな、この十年を上手くやり過ごせば同盟市民も落ち着くだろう。その舵取りを頼みたいんだ。私と一緒に失脚して貰っては困る」
「……」
「難しい仕事だが、君達以外に託せる人間が居ない。頼む」
そういうとトリューニヒトは立ち上がって頭を下げた。



宇宙暦 799年 5月 2日    ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



「疲れたかね?」
「ああ、少しね」
ホアンの問いにトリューニヒトが答えた。少しではあるまい、目の下に隈が出来ているのを見ればトリューニヒトがかなり消耗しているのが分かる。三日に及んだ講和交渉はかなり厳しかったのだろう。

「良くやったな、トリューニヒト」
「そう思うか、レベロ」
「ああ、そう思う。この状況下で出来る事は十二分にやったよ。胸を張れ」
トリューニヒトが力の無い笑みを浮かべた。一方的な敗戦、交渉のカードなど何も無い状態での交渉だ。帝国側の提示する条件を受け入れるのが精一杯だったろう。だがその中でトリューニヒトは出来る限りの事をしたと言って良い。

「取り敢えず交渉が妥結した事を喜ぼうじゃないか。決裂するよりはずっと良い」
「そうそう、決裂するよりはずっと良い」
私とホアンが言うとトリューニヒトが“君達は酷い事を言うな”と笑った。ようやく声を上げて笑ったな、トリューニヒト。その方がお前らしくて良い。そして決裂よりもずっとましなのも事実だ。決裂すれば状況は更に悪くなる事は有っても良くなる事は無い。

「明日講和条約の内容を発表する」
「後は同盟評議会での批准だな」
「ああ、なんとか三週間の猶予を貰ったよ」
討議期間は三週間か。トリューニヒトとホアンの会話を聞きながら思った。当初は一週間と帝国側は提示してきた。だが批准には十分な時間が必要だとトリューニヒトが抗議した。帝国側も後々討議の時間も与えなかったと非難されるのは不本意だろうと。ヴァレンシュタインは渋々だが同意したらしい。

「議会は受け入れるかな、トリューニヒト?」
「文句は言うだろうが受け入れるさ。受け入れなければ同盟は即消滅する。受け入れれば三十年は生き延びる事が出来るんだ」
「私も心配はいらないと思う。同盟が無くなれば議員達は失業者だ。給料を貰えなくなる。耳元でその事を囁いてやれば最終的には受け入れるさ」
トリューニヒトが私を見て肩を竦めた。ホアン、相変わらず酷い事を言うな、笑う事も出来ない……。




 

 

第二百八十二話 批准




宇宙暦 799年 5月 3日    ハイネセン  ユリアン・ミンツ



ようやくハイネセンに帰ってきた。僕は昨日の夜、ヤン提督は三日前に。宇宙艦隊が降伏してヤン提督達が捕虜になった事は輸送船の中で知った。とても心配だった。だからハイネセンに戻ってヤン提督に会えた時は本当に安心した。帝国軍は同盟が降伏した時点で捕虜を解放したようだ。同盟政府は降伏してこれからどうなるか分からない。それでもヤン提督と離れた時程には不安を感じていない。

『おはようございます、ユリア・クラウンです。昨夜遅く帝国との間で講和条約が締結されました。その内容を政府が発表しましたのでお伝えします』
朝食の用意をしているとTV電話に映るアナウンサーが幾分興奮した面持ちで講和条約の内容を話し出した。興奮しているのはアナウンサーだけじゃない。一緒に映っているキャスター、コメンテイターも興奮している。そしてヤン提督は静かにスクリーンを見ていた。

・銀河帝国は自由惑星同盟を正式に国家として認める。
・自由惑星同盟は銀河帝国を正式に国家として認める。
・銀河帝国と自由惑星同盟は戦争状態を終結する。
・銀河帝国、及び自由惑星同盟は人類が二分されている状態を非正常なものと認め三十年後に統一国家を創成する。
・自由惑星同盟は人類統一のためにあらゆる面において協力する。

「三十年後に統一ですか?」
「うん、そのようだね」
そう言うとヤン提督が小さく息を吐いた。アナウンサーの言葉はまだ続いている。テーブルに朝食を運ぶ間にも人的交流、経済的交流の促進、領土の割譲、軍の縮小、そして安全保障費を帝国に支払うなどの条件が読み上げられた。

「何故直ぐに統一しないのでしょう?」
「そうだね。……ユリアンは三十年後の自分を想像出来るかな?」
「三十年後ですか? ……今のヤン提督よりも十五歳程年上になるんですよね、立派なオジサンだな。……ちょっと考えられないですよ」
僕が笑いながら答えるとヤン提督が“それだよ”と言った。

「今直ぐ同盟が無くなるとなれば同盟市民は強く反発し抗議するだろう、同盟は混乱するに違いない。しかし三十年後ともなれば余り現実感が無い。特に高齢者にとっては自由惑星同盟が無くなる前に自分の寿命が尽きる可能性も有る。そういう状況で抗議するかな?」

うーん、如何だろう? ちょっと難しい様な気がする。その事を言うとヤン提督が“そうだね”と言って頷いた。
「それに帝国は同盟を国家として認めると言っている。自由惑星同盟はもう反乱軍じゃない。そういう部分でも酷い事にはならないんじゃないかと思わせている」
「なるほど、確かにそうですね」

「相変わらず強かだ。帝国が恐れている事は同盟市民が一つに纏まって反帝国運動を起こす事の筈だ、それを防いでいる。同盟市民を混乱させ分断し各個に撃破する……」
「戦争みたいですね」
ヤン提督が大きく頷いた。
「その通り、外交は形を変えた戦争だよ、ユリアン」
なるほど、未だ戦争は続いているんだ。では先ずは補給を摂らないと……。
「食事にしましょう、提督」



帝国暦 490年 5月 7日    ハイネセン  ホテル・カプリコーン ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



惑星ハイネセンでは連日反帝国、講和条約批准反対デモが起こっている。最高評議会ビルの前、ホテル・カプリコーンの前、ハイネセン記念スタジアム等だ。しかしいずれも参加人数はそれほど多くないし気勢も上がらない。やはり三十年後に統一するという事、つまり帝国は同盟市民の不安を解消してから統一しようとしている、同盟市民に配慮しながら統一を進めようとしているという事で困惑が有るようだ。

マスコミもそのあたりの事を指摘している。もし批准を拒否すればどうなるのか? 帝国は今すぐに同盟を滅ぼして統一するのではないだろうか? そうなれば状況は今以上に悪くなるだろう、デモ参加者はそれを分かっているのかと……。そのためデモ参加者からは直ぐに同盟を滅ぼすと言ってくれれば良いのにと泣き言まで出ているらしい。相変わらずウチの元帥閣下は性格が黒いわ、なんでこんなにドス黒いんだろう。でもそのくらいじゃないと宇宙を統一なんて出来ないのかもしれない。

その元帥閣下は自室でパジャマの上にガウンを羽織り、紅茶を飲みながら詰まらなさそうにTVを見ている。昨日熱を出して寝込んだ。今日は平熱に戻ったけれど仕事は禁止、静養する事になっているせいだと思う。私とリューネブルク大将が説得した。当然だけど元帥が発熱でダウンした事は緘口令が布かれ公にはなっていない。艦隊司令官達でさえ知らない。こんな事が外に漏れたらどんな騒ぎが起こる事か……、想像したくない。

ドアをトントンとノックする音が聞こえると“リューネブルクです”という声と共に大将が部屋の中に入って来た。
「如何ですか、御具合は」
「見ての通り、悪くありません。暇です」
詰まらなさそうな声と表情にリューネブルク大将が苦笑を漏らしながら近付いて来た。挑発しないで下さいよ、大将。補給士官が誤ってココアの在庫を少なく積んだせいで飲み切ってしまったんです。

「外の様子は如何ですか?」
「まあデモ隊は大した事は有りませんな。今のところ警備に不安は感じません。もっとも油断は禁物ですが」
リューネブルク大将の答えにヴァレンシュタイン元帥が“そうですか”と言って頷いた。

「問題はこれからでしょう。期限は三週間、少しずつ期限が迫ります。それが同盟市民にどういう影響を及ぼすか……」
「……」
諦めるか、それとも反発するか、同盟市民が三十年という期間をどう受け取るかで分かれるだろう。今はまだ判断出来ずにいる。

「それに三十年後の統一、現状では実感が分かんでしょう。真綿で徐々に首を絞めるようなものですな。時が経つにつれて少しずつ息苦しくなっていく。……相変わらず意地が悪い」
リューネブルク大将が含み笑いを漏らすとヴァレンシュタイン元帥が不愉快そうに顔を顰めた。それを見て大将が声を上げて笑った。

「意地悪をしているわけではありません。三十年かけて併合の準備をする。そこには同盟市民、フェザーン市民にも参加して貰います。形としては併合による統一ですがこれは新たな帝国、いえ国家の創生なのです。その事はトリューニヒト議長にも言いましたよ」
ちょっとムキになっている。少しだけど可愛い。本心なんだろうけど同盟市民が理解するのは難しいかな。

「まあ我々は閣下の御考えを理解していますから良いですが同盟市民にとってはなかなか理解し難いところでしょう。あっさり敗けたという事実が有りますからな。講和条件は厳しくて当たり前、同盟が消滅しても仕方が無い、そう思った筈です。ところがこれでは……」
またリューネブルク大将が笑い声を上げた。……その辺にしてくれませんか、大将閣下。元帥閣下が顔を顰めています。後で苦労するのは私なんですから……。



宇宙暦 799年 5月 8日    ハイネセン ある少年の日記



今日はホテル・カプリコーンに行ってみた。凄く警備が厳重で中に入る事は出来なかった。まあ入れるとも思ってなかったけど。ホテルの周囲にも大勢の帝国軍の兵士が居て厳しい表情で警戒していた。当然だよね、ヴァレンシュタイン元帥が泊まっているんだから。

警備兵の前でデモ隊が騒いでいたけどあんまり迫力は無かったな。あれならやらない方が良い様な気がする。ホテル・カプリコーンに泊まっているのはヴァレンシュタイン元帥の他には警備兵と元帥の幕僚、数名の艦隊司令官とその幕僚だけらしい。他の司令官達は皆宇宙にいるって聞いた。

その所為かな、ハイネセンでは余り帝国軍の兵士の姿を見る事は無い。僕らの生活も占領前と余り変わらないから時々占領されているって事を忘れそうになるくらいだ。TVで講和条約の内容討議を放送しているけどどうもしっくりしない。本当にハイネセンは占領されているのって聞きたくなる。友達も皆僕と同じ事を言っている。

TVで言っていたけどそれも帝国の深謀遠慮なんだそうだ。要するに講和条約を力で押付けたというイメージを避けるために兵士を少なくしているんだとか。有り得ると思う。何と言っても相手は宇宙で一番狡賢いヴァレンシュタイン元帥なんだから。

どうなるのかな、僕達。講和条約を批准するのかな? 三十年後の併合って本当なんだろうか? 二十三日が討議の最終日だけど議会は講和条約を承認するのかな、それとも拒否するのかな。拒否したらどうなるんだろう?



宇宙暦 799年 5月 12日    ハイネセン ある少年の日記



吃驚したよ。ヴァレンシュタイン元帥の周囲には同盟からの亡命者が居るらしい。ホテル・カプリコーンを護っているのは帝国の装甲擲弾兵だけどその指揮官リューネブルク大将は同盟からの亡命者なんだそうだ。帝国風の名前だから気付かなかったよ。正確には幼少時に帝国から同盟に亡命して大人になってから帝国に逆亡命したらしい。同盟ではローゼンリッターの第十一代連隊長だった。

今では装甲擲弾兵総監の地位にあって帝国の陸戦部隊のトップなんだとか。信じられないな、そんな人に自分の護衛を任せるなんて。同盟じゃ亡命者は決して歓迎されない、出世だって余りしない。でもリューネブルク大将はヴァレンシュタイン元帥の信頼が非常に厚いそうだ。その証拠に帝国で大将にまで出世している。

副官のフィッツシモンズ大佐も同盟からの亡命者だ。副官なんて側近中の側近、腹心だ。宇宙艦隊司令長官の副官なんて言ったら帝国軍の機密に一番近い所に居るようなものだ。その副官が亡命者だったなんて……。信じられないよ、裏切られたらとか思わないんだろうか? 同盟人に対して偏見とか無いのかな? 陰謀好きの狡賢い奴、そう思ってたけどそれだけじゃないのかな。



宇宙暦 799年 5月 20日    ハイネセン ある少年の日記



今日、母さんと夕食を食べていたらTVでとんでもない事を言っていた。ヴァレンシュタイン元帥が街に出て買い物をしたらしい。書店で本を九冊。買い物は今日だけじゃない、以前にもスーパーでココアを大量に買ったらしい。元帥はココアが好きらしいけどどうやら在庫が無くなってしまったようだ。わざわざ自分で買わなくてもと思ったけどTVでは元帥は街に出る事で同盟市民の様子を自分の目で確認したんじゃないかって言っている。そうかもしれない、母さんも頷いていた。

ちなみに元帥が買った本は『自由惑星同盟建国史』、『銀河連邦史、その始まりから終焉まで』、『政治思想の変遷。銀河連邦の終焉から銀河帝国の創成まで』、『消された声、和平論について考える』、『ダゴン星域会戦記』、『オルトリッチ提督回顧録』、『バーラト星域の開発について』、『星系別経済格差と人口問題』、『軍事費の増大と財政破綻』。

軍事関係の本だけかなと思ったけど歴史、政治、経済の本も買っている。それに『ダゴン星域会戦記』って帝国が敗けた戦いの戦記だし『自由惑星同盟建国史』は……、良いのかな? 元帥の立場で。いや講和条約が批准されれば同盟は反乱軍じゃなくなるから問題無いのかな。

議会では相変わらず延々と討議している。政府は承認を求め議員達は拒否を求めている。毎日大騒ぎだけど僕の周りの大人達は諦めモードだ。議員達は拒否って言ってるけど拒否なんて出来るのかって。僕もそう思う、軍は降伏しちゃったしアルテミスの首飾りもない、拒否なんて出来るの? いや拒否したらどうなるんだろう? そっちの方が心配だ。一緒に新しい国を作ろうと言ったのに拒否するなら奴隷にする、そう言われたら如何するんだろう?

地方の自治体からは戦争が無くなるんだから良いんじゃないかって声も有るらしい。これまでは戦場になる事も有って怖い思いをしたけどそれが無くなる。それに戦争が無くなれば開発が進んで暮らしが良くなるって。僕はハイネセンに居たから良く分からなかったけど地方では開発が進んでなくてかなり不便な暮らしをしている人達もいるようだ。そういう人達は良い暮らしをさせてくれるなら帝国でも構わないって考えているみたいだ。

裏切り者って言いたいけど母さんも同じ様な事を考えている。僕が戦争に行かずに済むならそれが一番だって。どうせもう帝国には敵わないんだから素直に講和条約を承認して統一に向けて準備した方が良いって。民主共和政が無くなっても良いのって訊いたけど母さんは“負けちゃったんだもの、仕方ないわ”って言ってた。確かに負けちゃったんだけどね、仕方ないのかな……。



帝国暦 490年 5月 24日    ハイネセン  ホテル・カプリコーン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



トリューニヒト議長が批准書を持ってきた。昨夜二十三時五十分に同盟評議会は強行採決で講和条約を承認した。賛成が僅かに反対を上回るという際どい評決だった。もっともやらせらしい。議員達は最初から否決するつもりは無かったようだ。

だが市民には不甲斐ない姿は見せられない。そういう事で揉めてる姿を見せたのだとか。なんでも裏では誰が反対し誰が賛成するかの振り分けで最後まで揉めた様だ。政治を劇にするなよな。批准書は二部。これを俺が持ち帰りフリードリヒ四世が署名して一部を同盟に返還する。それで講和条約が効力を発揮するというわけだ。

「ヴァレンシュタイン元帥」
「何でしょう」
「私は最高評議会議長を辞職しようと考えています。同盟ではもう政治家としては生きていけません」
「……なるほど、残念な事です」
トリューニヒトは傷付いた様な表情をしている。一応ここは悼んでおこう。

「そこで、閣下の御手伝いをさせて頂きたいのですが……」
「私の?」
「ええ、そうです。三十年、同盟と帝国の統一のために御手伝いを」
トリューニヒトは生真面目な表情を見せている。なるほど、帝国の中に食い込もうというわけか。狙いは権力? 政治家としての仕事? 或いは民主共和政か?

「分かりました、協力して頂きましょう」
「有難うございます」
トリューニヒトが嬉しそうな表情をした。まあいい、同盟についての貴重な情報源だと思おう。使い道は有る筈だ。それに身の安全を保障するという意味も有る。トリューニヒトが殺される様な事になれば帝国に協力するのは危険だと思われかねない。今後の仕事にも影響が出る。それにしてもトリューニヒトね、何だか碌でもない連中ばかり俺の所に集まるな。まあ慕われるのは良い事だと思おう。




 

 

第二百八十三話 会見



宇宙暦 799年 5月 25日    ハイネセン  ユリアン・ミンツ



予想外の来訪者が有った。帝国軍宇宙艦隊司令長官ヴァレンシュタイン元帥。なんか騒がしいなと思って外を見たら高級そうな地上車と装甲車が官舎の前にたくさん並んでいたからびっくりした。そして今、元帥と副官のフィッツシモンズ大佐、ヤン提督、僕の四人で紅茶を飲んでいる。本当は僕なんて遠慮しなくちゃいけないんだろうけどヴァレンシュタイン元帥が一緒にって誘ってくれた。凄く嬉しい、元帥に感謝だ。

四人で紅茶を飲んでいるけどとっても静かだ。ちょっと緊張する。カップをソーサーに置こうとしたらカチャッと音がした。拙いな、凄く響く。三人を見たら元帥がニコニコしていた。恥かしかったけどホッとした。
「ヤン提督、提督は三十年後の統一を如何思いますか? 忌憚ない意見を聞きたいのですが?」
穏やかな口調だけど心臓がキュっとなる様な感じがした。

「混乱を防ぐという意味では賢明だと思います。そして強かで狡猾だとも思います」
え、そんな事言っても良いの? そう思ったけどヤン提督は穏やかに紅茶を飲んでいる。わざと怒らせようとしているのかな。でもヴァレンシュタイン元帥とフィッツシモンズ大佐は顔を見合わせて苦笑しただけだった。

「確かに強か、狡猾と取られても仕方がないかもしれません。しかし私の本意は混乱を防ぎたい、です。帝国も同盟も相手に対してあまりにも無知で有りすぎると思います。三十年かけて無知からくる敵意や反感、蔑視を取り除きたいのです」
「……」

「家族を戦争で失ったのは同盟市民だけでは有りません。帝国にも戦争で家族を失った人がいます。その怒りや悲しみが無くなるとは思っていません。しかし三十年平和が続けば相手を理解し認める事は出来るのではないか。そうなれば人類社会を統一し一つの共同体を作る事が出来るのではないかと考えています」
静かな口調だったけど凄く熱いものを感じた。

「帝国による統一ですか?」
提督が問い掛けた。ちょっと皮肉っぽく聞こえたけど提督は嗤っていなかった。そして元帥も気にしてはいなかった。
「ええ、そうです。帝国による統一です。しかし帝国人だけが創る帝国では有りません。この後、帝国はフェザーンへ遷都します」
「遷都……」

ヤン提督が呟いた。フェザーンへ遷都、凄い話を聞いちゃったけど良いのかな、ヤン提督はともかく僕にまで話しちゃって。でもフィッツシモンズ大佐は驚いていない。もう知っているんだ。この人、同盟からの亡命者だって聞いたけど凄く信頼されているみたいだ。

「フェザーンに腰を据え帝国と同盟を統治する。政治的な立地は申し分ありません。経済的にも重要ですし軍事的にはフェザーン回廊を直接押さえる事になる。これ以上新帝国の首都として相応しい場所は無いと思います」
「なるほど、そうですね」
ヤン提督が素直に頷いた。

「新しい都で新たな帝国を創る。帝国人だけじゃありません、フェザーン人、同盟人にも参加して貰います」
凄い、呆然としていると元帥が僕に視線を向けた。悪戯っぽい光が有った。
「……トリューニヒト前議長も参加しますよ」
ヤン提督と同じ黒い瞳、そして輝いている。自分のやっている事に誇りを持っているのだろう。羨ましいと思った。

「如何かな、ミンツ君。君もフェザーンに来ないか? 新しい国創りに参加したいとは思わないかな?」
「え、でも僕はまだ子供で……」
どぎまぎしながら答えるとヴァレンシュタイン元帥が朗らかに笑った。

「帝国は三十年かけて国創りを行う。いや実際にはもっとかかるだろう。統一が出来るまで三十年だ。君はずっと子供なのかな?」
「そんな事は有りません」
ちょっと声が大きくなった。元帥がまた朗らかに笑った。なんか上手く操られている様な気がする。頬が熱くなった。

「フェザーンで勉強しながら世の中の動きを見る。そして君の力を試してみないか?」
行ってみたいという気持ちは有るけどヤン提督と離れるのは……。
「ヤン提督と離れるのは不安かな?」
「ええ、そうです」
どうして分かるんだろう。僕ってそんなに表情に出るのかな? ちょっと悔しい。

ヴァレンシュタイン元帥がヤン提督に視線を向けた。
「如何です、ヤン提督。貴方もフェザーンにいらしては、……歓迎しますよ」
「……」
「同盟を離れるのは気が引けますか?」
「多少はそういう気持ちは有ります」
幾分戸惑いながら提督が答えると元帥がウンウンという様に頷いた。

「帝国と同盟は人的交流を積極的に図ります。その中には官僚達も含まれる。同盟の官僚達には帝国での国造りに参加してもらいますし同盟に行った帝国の官僚達には同盟の社会制度を十分に学んでもらいます。そうする事で見識を高め新しい国造りに役立ててもらう。それを知れば同盟市民も新たな帝国に不安を感じずに済むと思うのです」

声が明るい。ヴァレンシュタイン元帥は謀略家のイメージが強いけど目の前にいる元帥からは誠実さが強く感じられた。それに偏見とか傲慢さがまるで感じられない。なんか不思議な感じだ、こんな人が帝国に居るなんてちょっと信じられない。

ヤン提督は如何するんだろう? こんなに一生懸命誘って貰ってるけど……。ヤン提督を見た、提督は表情が無い。多分心を押し殺している、何を考えているんだろう。ヴァレンシュタイン元帥が僕をフェザーンに誘ったのもヤン提督を勧誘する為の筈だ。ちょっと悔しいな、僕もこんな風に誘われてみたい。

「ヤン提督、外に居るだけでは何も変わりませんよ。内に入ってこそ変えられるのです。評論家で満足出来るなら外でも良いでしょう。しかしそれで満足出来なければ貴方は不平家になる。将来の有る若者を育てるには相応しいとは言えない、そうでは有りませんか?」
ヤン提督が口元に力を入れるのが分かった。怒っている?

ヴァレンシュタイン元帥とフィッツシモンズ大佐が帰った。ヤン提督は結局元帥に返事をせず元帥も無理に答えを求めなかった。ヤン提督はずっと考え込んだままだった。僕も答えを訊けなかった。どうなるんだろう……。



帝国暦 490年 5月 25日    ハイネセン  ホテル・カプリコーン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ヤンのところからホテルに帰るとグライフスが来ていた。軍服ではなかった、同盟市民が着る様なスーツを着ている。穏やかな表情の参謀タイプの男だ、不自然には見えなかった。挨拶をして呼び出しに応じてくれた事を感謝するとグライフスが戦勝を祝ってくれた。阿る感じは無かった。その事が心地良かった。

「同盟軍には加わらなかったのですね?」
俺が問うとグライフスが淡い笑みを浮かべた。
「誘われましたが断りました。情報提供については已むを得ず応じましたが……」
「仕方がないでしょう。ここに住む以上家賃代ぐらいは払わないと」
「家賃代ですか。まあ、そうですな」
今度は苦笑を浮かべた。困ったな、余り面白くなかったか。

「グライフス大将が亡くなられたブラウンシュバイク公の依頼で貴族連合軍から離脱した事を知っています。さぞ御辛い事でしたでしょう。御心中、お察しします」
「有難うございます」
俺が頭を下げるとグライフスも頭を下げた。なかなか出来る事じゃない、自分の名誉を捨ててブラウンシュバイク公の依頼に応えたんだ。俺なら出来たかどうか……。余程に信頼関係が有ったのだろうな。グライフスにそこまでさせた事、それだけでブラウンシュバイク公が愚物で無かった事が分かる。

「おかげでエリザベート様、サビーネ様を無事に保護する事が出来ました。陛下も、そしてアマーリエ様、クリスティーネ様もその事を大変喜んでいますし大将に感謝しています。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯もヴァルハラで感謝しておいででしょう」
俺が言うとグライフスが眼を閉じて何かに耐えるような表情を見せた。
「……最後の最後で逃げる事で御役に立つとは……、情けない事です」
振り絞るような声だ。泣くのではないかと思ったが閉じた目から涙が零れることは無かった。慰めはしない、それが出来る男はヴァルハラに行ってしまった。

「この後批准書を交換すれば講和が、そして帝国による統一が約束されます。帝国はそれを祝し大赦を行う予定です。グライフス大将が帝国に戻っても何の問題も有りません」
「……」
「皆様方、大将が戻るのを待っていますよ」
フリードリヒ四世、御婦人方、御息女方が待っている事を告げるとグライフスが眼を瞬かせた。
「……有難うございます。……ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の墓前で御報告もしなければなりません。戻らせていただきます」

グライフスは誠実で思慮深い男だ。帝国に戻ったら侍従武官にでも推薦しよう。そして宮中でブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の遺族の傍に居て貰う。きっと良い侍従武官になる筈だ。彼女達を誠心誠意守ってくれるだろう。フリードリヒ四世も安心するに違いない。

大赦が行われれば他の亡命者も戻ってくるだろう。生まれ故郷に戻れば大人しくなる筈だ。変に居場所を無くすと暴れ出す可能性が有る、それよりはましだ。だがランズベルク伯アルフレッド、奴は別だ。必ず捕え全てを喋って貰う。その後どうするかは被害者達に任せよう。娘を誘拐された母親、夫を、父親を失う事になった女達に……。



宇宙暦 799年 6月 15日    ハイネセン  最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



ホアンと伴に最高評議会議長室に行くとトリューニヒトが笑顔で迎えてくれた。
「おめでとう、レベロ。何時かは君が最高評議会議長になるとは思ったが私と君との間で引き継ぎ作業を行う事になるとは思わなかったよ」
「この時期に最高評議会議長になる事が目出度いとは思えんな」
「そう言うな。君達のどちらかがなるしかないんだ」
まあそれもそうだな。ホアンの顔を見ると肩を竦めるような仕草をした。私が議長として帝国との折衝を、ホアンが議会対策を、正しかったのかな、この選択は……。

講和条約の批准後、トリューニヒトが議長辞任を表明した。議員達の間で議長を巡って争いが生じるかと思ったが殆どそんな動きは無かった。あっさりと私が議長になる事で纏まった。三十年自由惑星同盟は存続する、とはいえ帝国の保護国としての三十年だ。帝国の出方が不透明な今、議長になるのは危険だと思ったようだ。今後、帝国の出方が穏やかだと判断出来れば議長職は魅力のあるポストになるが厳しければ魅力のないポストになる。候補者を探すのも容易ではない事態になるかもしれない。

引き継ぎはそれほど煩雑ではなかった。これまで一緒にやってきたのだ、二言三言とは言わないが短時間で終わった。
「では我らが新しい主の所に行くかね? 御挨拶をしなければならん。うん、大変だな。我々は同盟市民の他に帝国という主を持つわけだ。これは二股というのかな?」
ホアンがウンウンと頷いている。

「ホアン、楽しそうに言わんでくれ」
「いかんかね、私は楽しみなんだが。君だって会ってみたいと言っていたじゃないか」
「それはそうだがもう少し分の良い立場で会いたいよ」
私がぼやくとトリューニヒトが笑い出した。
「贅沢だぞ、レベロ。私に比べればずっとましだろう」
トリューニヒトの言葉にホアンも笑い出した。そんなに笑う事は無いだろう、二人とも。でもトリューニヒトの立場よりはましに違いない。

三人でホテル・カプリコーンに行くと直ぐにヴァレンシュタイン元帥の執務室に通された。ちょっと安心した、待たされずに済む、向こうはこちらに敬意を払っている様だ。部屋に入るとヴァレンシュタイン元帥が笑みを浮かべながら出迎えてくれた。黒いマントと軍服、しかし穏やかな表情からは軍の実力者には見えない。

「ようこそ、トリューニヒト議長。そちらのお二人を紹介していただけますか?」
「もう前議長ですよ、元帥。私の後任となるジョアン・レベロと彼を補佐するホアン・ルイです。私の政権では財政委員長と人的資源委員長を務めていました」

ヴァレンシュタイン元帥が私とホアンを見ている。不思議な表情だ。確かめるように私達を見ている。ソファーに座り紅茶を飲みながら歓談した。紅茶を出してくれた副官は部屋から出て行った。部屋には我々四人しかいない。三対一、信用されているという事だろうか。

「帝国としては同盟を追い詰めるつもりは有りません。無理なく統一に持って行きたいと考えています」
「無理なくと仰いますが統一そのものが同盟を追い詰めるとは思われませんか?」
ホアンが問うとヴァレンシュタイン元帥は頷いた。

「否定はしません。しかしそれは同盟政府に乗り越えて貰わなければ……。私が言っているのは故意に同盟を追い詰める事はしないという事です」
「……」
故意か、故意に追い詰められればどうなるのだろう? 市民は暴発し混乱する、或いは強制的に統一が早まる可能性も有るだろう。対立が、怨恨が残ったままの統一か。確かに望ましい事ではない。ヴァレンシュタイン元帥が“御不満ですか?”と訊ねて来た。不満か、こちらに配慮しているのは理解出来る。しかし納得出来るかと言われれば答えはノーだ。私だけじゃない、皆がそう答えるだろう。

「自由惑星同盟はルドルフ大帝に対するアンチテーゼとして存在しました。今の帝国はルドルフ大帝の負の遺産を清算しつつあります。門閥貴族は力を失い劣悪遺伝子排除法は廃法になった。同盟政府の言う暴虐なる銀河帝国は存在しなくなったのです。アンチテーゼである自由惑星同盟もその存在意義を失った。そうは考えられませんか?」

「存在意義ですか、仰る意味は理解出来ますが……」
「感情では納得出来ない」
「そうです」
「だから三十年かけようと言っています。今直ぐ納得してもらう事を望んではいません」
手強いと思った。トリューニヒトの抵抗をまるでものともしない。

同じ想いなのだろう、ホアンも溜息を吐いている。
「国体はどうなりますか? 主権は……」
「勿論、皇帝主権ですよ、レベロ議長。だからと言って皇帝は全てが許されるという形にはしたくありません。私としては憲法を創る事で帝国と皇帝、政府、臣民の関係を規定し勅令で臣民の権利を保証する、そうしたいと思っています。そのためにも市民の権利を重視する同盟人の見識が必要だと考えているのです」

なるほどと思った。目の前の若者は帝国を専制君主制から立憲君主制へ移行しようとしているのか。
「議会を創る考えは有りませんか? 皇帝権力のチェック機関として」
ホアンが提案すると元帥が口元に笑みを浮かべた。
「議会制民主主義を、特に選挙による議会制民主主義を考えているなら無駄です。導入するつもりは有りません」
元帥の眼が冷たく私達を見据えていた。先程まで有った友好的な雰囲気は無い。冷徹な目、雰囲気だ。これがこの男の本質だろう。そしてこの男は立憲君主制は目指しても議会制民主主義には否定的だ。

「三十年後、統一国家新帝国において反帝国感情に溢れた旧同盟市民と反同盟感情に溢れた旧帝国臣民が口から泡を飛ばして言い争う姿など見たくありません。私は人類が抱えている政治制度による対立を解消したいと考えているんです。そのために三十年かけて統一しようとしている。そこを理解してください」
「……」

「政治制度に拘るのは止めて貰います。人類は百五十年もの間それが原因で戦い続け大勢の戦死者を出してきた。馬鹿げていると思いませんか?」
「……」
「私はシャンタウ星域では一千万人以上の同盟市民を殺しました。今回の遠征では出来るだけ戦死者を出さないようにした。少しでも流血を少なくし敵意や憎悪を募らせないためです。貴方方にはそういう気持ちは分かりませんか?」
「……」

私達は答えられなかった。自由惑星同盟は後三十年の命だ。それは仕方が無い事なのだろう、同盟は国家としての命運を使い果たしたのだと思う。だが政治制度、思想は残したい、そう思ったのだが……。エゴなのだろうか? 人の権利を守る思想が人の対立を生む。そして殺し合いになるのだとしたら……。我々人類は今まで何をしてきたのだろう?









 

 

第二百八十四話 再来




帝国暦 490年 6月 15日    ハイネセン  ホテル・カプリコーン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「閣下、ココアを淹れましょうか?」
「そうして貰えますか」
トリューニヒト達が帰るとヴァレリーがココアを淹れてくれた。甘い香りが執務室に広がった。一口飲む、素直に美味しいと思えた。同盟産のココアも悪くない。フェザーンに遷都すればこのココアを飲む機会も増えるだろう。

レベロの政権が発足したら帝国へ戻れるな。同盟に居るのもあと僅かだ。
「フイッツシモンズ大佐」
「はい」
「新しい政権が発足するのを確認したら帰国します。そろそろ帰国の準備にかかってください」
「各艦隊に通知を出します」

ヴァレリーがホッとした様な表情をしている。何と言っても宇宙艦隊司令長官の副官だからな。議員、軍人、官僚、一般市民が情報を、便宜を得ようとして接触して来るらしい。リューネブルクにはそういう事は無いようだ。やはり女だからと甘く見ているのかな? それともリューネブルクの人徳、いや不人徳か……。

帰りはフェザーン経由で戻ろう。講和条約でガンダルヴァ星域は帝国領になった。惑星ウルヴァシーの様子も見なければならん。これからの帝国の最前線はあそこになるからな。フェザーンに着けばルビンスキーが接触しようとして来るはずだ。精々歓迎してやるさ、あと僅かな命なのだから。感動の親子の再会も用意してやる。ルパートが喜ぶだろう。自分の手でルビンスキーを殺す機会が掴めるって。頑張れよ、ルパート。相手は人気者だ、競争率は高いぞ。

……納得していなかったな。反論はしなかったがトリューニヒト達は納得はしていなかった。議会制民主主義を取り入れる事で皇帝権力をチェックさせる。理想はそうだろう。帝国でもリヒター、ブラッケが同じ事を考えている。しかしね、どんな政治制度でも運用するのは人間なんだ。それが分かっていない。現状で議会制民主主義なんて取り入れたら混乱するだけだろう。認められるのは地方自治までだ。惑星単位でなら認めても良い。但し歯止めはかけるがな。

ラインハルトは統治には公平な税制度と公平な裁判が有れば良いと言った。その通りだ、ついでに十分な食料とインフラが整備されていれば完璧だろう。国民の意思を政治に取り込む必要は認めるが議会制民主主義に拘る必要は無い。人類は民主政体を運用出来るほど政治的に成熟していない。判断力の無い子供に大量破壊兵器のスイッチを預けるような事はするべきじゃない。

大事なのは主権者である皇帝の権力に制限をかける事だ。こいつは憲法制定で行えば良い。そして統治階級を固定しない事。固定すれば内向きになり特権階級になり腐敗し易い。その事は門閥貴族が示している。常に新しい血を入れる事で統治階級に柔軟性と革新性を持たせる。現状ではブラッケやリヒター達が平民階級を代表する形で政権に参加している。問題は無い。問題が有るとすれば今後だな。如何いう制度で柔軟性と革新性を維持運営するか。

議会というのは政府閣僚候補者のプールでもあるわけだがそれを作らないとなれば代わりの機関が要る。俺が今考えているのは枢密院だ。皇帝の顧問官で組織される諮問機関、枢密院を設置する。そこには官僚、軍人、財界人、そして地方自治で成果を上げた政治家を皇帝顧問官として入れる。それによって人材をプールする……。世襲じゃないから特権階級にもなり辛い筈だ。

リヒテンラーデ侯に話してみるか、爺さんも議会制民主主義には反対だった。或る程度俺とは考えが似ている筈だ。憲法制定も含め相談してみよう。何と言ってもこの手の問題は理想主義者には任せられない。爺さんの様な喰えない古狸の考えが一番参考になる。暫らく会っていないから妙に会いたくなった。多分気のせいだろうけど……。



宇宙暦 799年 6月 25日    ハイネセン  最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



「行ったのかね、ホアン」
「ああ、行った。君に宜しくと言っていた」
「……そうか、……最後にもう一度会いたかったが……」
「仕事優先だ。その事はトリューニヒトも理解している」
ヴァレンシュタイン元帥が帝国への帰還の途についた。トリューニヒトもそれに同行している。ハイネセンではトリューニヒトを裏切者と罵る声も多い。今も最高評議会のビルの前でデモが行われている。そしてその有様をビルから二人で並んで見ている。遣る瀬無い気持ちになっているのは私だけではないだろう。

「ホアン、トリューニヒトは上手くやれるかな?」
「さあ、如何かな。相手はかなり、いや相当手強い」
あの会談で分かった事、それはヴァレンシュタイン元帥が軍人というだけでなくかなりの政治的識見が有るという事だった。そして明確な国家ビジョンを持っている。リヒテンラーデ侯の信頼が篤いというのも軍人としての能力だけでなく政治家としての能力も認めての事だろう。おそらく、これからの帝国は彼が率いて行く事になる……。

「先日の会談だがね、私は敢えて議会の設置を提議してみた。彼を怒らせてみたかったんだ。怒れば本当の彼の姿を見られるんじゃないかと思ってね」
「それで、如何見たんだ?」
隣りに居るホアンが“ふむ”と鼻を鳴らした。
「かなり人間を否定的に見ている。猜疑心が強いのかと思ったが亡命者を重用しているところを見ればそうとも思えない。個人は信用しても集団、いや群衆としての人間は信用していないのだと思う。国民主権、民主共和政など論外だな」
なるほど、群衆か。集団になると人間は付和雷同し易い特性が有る。理解は出来るな。

「彼はルドルフの再来だと思う。ルドルフも大衆は信じなかった。一部のエリートが国を統治すべきだと思った。ルドルフとの違いが有るとすれば自己を頼む気持ちの強弱、冷徹さだろう」
「……ルドルフ程自己を頼む気持ちが強ければ?」
ホアンが首を横に振った。
「簒奪を図るはずだ。そして冷徹さを失えばルドルフそのものになるだろう」
「……では今のままなら?」
今度は苦笑を浮かべた。
「専制君主制国家の有能な執政者になるだろう。どちらにしても我々には危険な相手だ」
溜息が出た。ホアンが笑い声を上げた。如何して笑えるんだ?

「トリューニヒトも苦労するな」
「覚悟の上だろう、もっとも新たな国創りだ、それなりに楽しみは有るんじゃないか。願いは叶わずとも」
「……そうだな、あれは根っからの楽天家、いや享楽主義者だからな」
「酷い事を」
ホアンが苦笑している。そして生真面目な表情になると“むしろ大変なのは我々だろう”と気遣わしげに言った。それに関しては全くの同感だが私を気遣っているのか?

「ホアン、やらねばならん事は?」
「先ず大使館の設置。そして帝国へ送る大使、そのスタッフの人選だな。それに領土が縮小される、移住希望者は同盟領内に引き取らねばならん。その準備だな」
思わず溜息が出た。有難うホアン、面倒な案件だけでなく比較的簡単な案件も入れてくれて、……感謝するよ。

帝国との講和条約でイゼルローン方面、フェザーン方面の領土をかなり帝国に割譲する事になった。もっとも辺境星域と言われる地域だ。発展はしていないし人口も少ない。同盟経済への影響が小さい事は試算済みだ。むしろ現状では御荷物が無くなって身軽になったと言える。地方譲与税も少なくなるだろう。だがその事も弱者切り捨てだと評判が悪い。

「それに軍備の縮小と人員の削減。失業者が溢れるな」
「公共事業を大規模に行う。……軍人の天下から土建屋の天下か」
禄でもない話だ、利権争いが勃発するだろう。だが戦死者が出ないだけましか。その事を言うとホアンが肩を竦めた。

「失業者は軍人だけじゃない、軍関係の企業も同様だ。軍需から民需への切り替えが上手くいかないと経営が傾くだろう」
溜息が出た。
「ホアン、明るい材料は無いのかな?」
「さっき君が言ったよ。これ以上戦死者は出ないってね」
「有難う、教えてくれて。忘れていたよ、酷い材料が多すぎて」
前途多難だ、また溜息が出た。



帝国暦 490年 7月 1日    オーディン  新無憂宮  クラウス・フォン・リヒテンラーデ



陛下より薔薇園に来るようにと御召しが有った。急いで薔薇園に行くと陛下はアマーリエ様、クリスティーネ様と御一緒だった。
「陛下、お呼びと伺いましたが」
膝を着き頭を下げると楽にするようにとの言葉が有って立つ事を許された。

「如何なされました?」
「うむ、ちと相談が有っての。ヴァレンシュタインが戻って来るようだの」
「はい、フェザーン回廊経由で戻って来ます。遅くとも十月になる前に戻って来ましょう」
私が答えると陛下が頷かれた。はて、アマーリエ様、クリスティーネ様がいらっしゃるという事は公ではないな、私の事か。

「その後は遷都か、来年かの」
「はい、フェザーンの状況にもよりますが問題が無ければ」
「新しい都で新しい国造りか」
「はい、そういう事になります」
陛下が満足そうに頷いた。

「皇帝も新しくするというのは如何か?」
「は?」
皇帝も新しくする? 聞き間違いか? アマーリエ様、クリスティーネ様も訝しげな表情をしている。はて……。

「退位しようと考えているのだが」
「陛下!」
「お父様!」
私と皇女方の声が被さった。陛下が声を上げて笑われた。退位など一体何をお考えなのか!

「御戯れは成りませんぞ、陛下」
「戯れではない。予は本気でアマーリエに皇帝位を譲ろうと思っている」
アマーリエ様が“お父様!”と声を上げたが陛下は面白そうにしていた。
「帝国が変わるという事を如実に示すには代替わりこそ至当であろう。それに死ぬまで皇帝を務めるというのも難儀なものよ。もう三十年以上皇帝を務めたのじゃ、十分であろう」

三十年以上……。在位年数は歴代皇帝の中でも上位に入るのは間違いない。御疲れなのだろうか……。しかし退位、これまで退位された方などいないが……。
「ですがお父様、私はオットー・フォン・ブラウンシュバイクの妻でした。心ならずもでは有りますが夫は反逆者になった。その係累である私に皇帝になる資格が有るとは思えません」
陛下が首を横に振った。

「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も已むを得ず反逆者になった。その事はお前達にはなんの瑕瑾にもならん。だが確かにその事をとやかく言う者もおろう。だから予が健在の内に皇位を譲る。新たな帝国の皇帝に相応しい器量を持つ者としてじゃ」
なるほど、陛下もエルウィン・ヨーゼフ殿下の事を危惧しておいでか……。となるとただ反対という訳にはいかんの。

「畏れながら陛下、陛下の御考えは分かりました。しかしいかにも急であります。臣としましても如何判断すれば良いか判断がつきかねます。おそらくはアマーリエ様、クリスティーネ様も御同様でありましょう」
お二人に視線を向けるとお二人とも頷いた。

「退位はフェザーンに遷都してからじゃ。時間は十分に有る。ゆっくり考えるが良かろう。ヴァレンシュタインにも相談してみよ」
「はっ、必ずや。それ故お願いがございます」
「うむ、何かな」
「暫くは御内密に。外に漏れては皆が混乱致しまする」
陛下が“分かった”と頷かれた。それを機に御前を下がる事の許しを得た。

さて如何したものか。感情に溺れてはならん、冷静にならねば。……確かに一つの区切りでは有る。併合まで三十年かけるとはいえ帝国はフェザーン、自由惑星同盟を下し事実上宇宙を統一した。遷都により過去の帝国と決別し新銀河帝国の成立を宣言する。誰もが新しい時代が来たと理解する筈じゃ。それを実績として退位、まさに陛下こそ銀河帝国中興、いや新帝国創成の名君と言えよう。

しかしこれから新たな国造りを行うとなれば色々と問題も出よう。アマーリエ様よりも陛下が皇帝の方が良くは有るまいか。皇帝としての重みはアマーリエ様では陛下には及ばぬ。特にフェザーン人、同盟人が如何思うか……。いささか不安じゃの。

皇位継承に混乱を及ばさぬようにするというなら陛下が皇帝に留まりアマーリエ様を皇太女とする手も有ろう。実務を皇太女アマーリエ様が行い陛下が後見する。皆も安心する筈じゃ。……ヴァレンシュタインは如何思うかの。退位に賛成するか、時期尚早として反対するか。

あ奴の文官への転身も考えねばならん。軍の混乱は避けねばならんし文官達の混乱も避けねばならん。となると退位問題と連動する様な事態は拙い、混乱が酷くなりかねん。やはりアマーリエ様を皇太女としヴァレンシュタインを国務尚書に持って来るか。そして時期を見てアマーリエ様の皇帝即位とヴァレンシュタインの宰相就任、そんなところか……。



帝国暦 490年 8月 5日    フェザーン  帝国軍総旗艦ロキ   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



フェザーンに着くとキスリングがボイムラーを伴って訪ねてきた。どうやらこちらに来ていたらしい。遷都前に大掃除をしておこうとでもいうのだろう。艦橋ではなく自室で話す事にした。参加者は俺、キスリング、ボイムラー、ヴァレリー、それにトリューニヒト。なかなか豪華な顔ぶれだ。トリューニヒト君、君に帝国の裏の世界を見せてあげよう。だから皆、そんな胡散臭そうな顔でトリューニヒト君を見るんじゃない。彼は俺の大事な友人なんだ。そして君達の大事な友人にもなる。

幸いトリューニヒトは座談の名手だった。緊張がほぐれるまで時間はかからない。俺とキスリングがフランクに話すのにトリューニヒトは驚いたようだ。記憶のメモにキスリングを重要人物と記しただろう。
「エーリッヒ、ルビンスキーが死んだのは知っているな」
「ああ、彼が殺されたのは知っているよ」

一週間ほど前にアドリアン・ルビンスキーがフェザーンの隠れ家で殺されているのが発見された。例の政府所有の秘密地下シェルターのさらに下に有る隠れ家でだ。犯人は分かっていない。ルビンスキーの護衛も一緒に殺されているところから犯人は単独犯ではないらしい。残念だったな、ルパート。父親との再会は出来なかった、復讐も。

「御見事、ギュンター」
俺が冷やかすとキスリングが首を横に振った。
「残念だがこの件に憲兵隊は絡んでいない」
思わずキスリングとボイムラーの顔を見た。二人とも苦い表情をしている。どうやら嘘じゃないらしい。如何いう事だ? 疑問に思ったがトリューニヒトが驚いた表情をしているのが面白かった。トリューニヒト君、ヴァレリーを見習え。彼女は顔色一つ変えずにコーヒーを飲んでいるぞ。

「憲兵隊じゃない、では地球教かな、或いはフェザーン人? 裏切られた事への怒りでルビンスキーを殺したか」
「犯人はルビンスキーをかなり執拗に痛めつけてから殺しています。現場は酷いものでした、惨状と言って良いでしょう」
ボイムラーが俺の推理を認めた。顔を顰めている、かなり酷かったのだろう。吐いたのかもしれない。

それにしても隠れているルビンスキーを探し出して殺したか。あの隠れ家を探し出す事が素人の集団に可能かな? まず無理だろう、となると地球教か。恨み骨髄、必死に探したんだろう。そしてルビンスキーを殺す時は嬉しさの余りつい遣り過ぎてしまったというわけだ。……予想外の結末だが悪くない。帝国が手を汚さずに済んだ事を考えれば万々歳だ。俺は生まれて初めて地球教に感謝した。世の中は面白いね、不思議で満ち溢れている。








 

 

第二百八十五話 広域捜査局第六課




帝国暦 490年 8月 5日    フェザーン  帝国軍総旗艦ロキ   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



それにしても残念だったな、ルビンスキー。俺の補佐官になって帝国で権力を握る夢は潰えた。最後の最後で何を思ったか……。
「ただ地球教、或いはフェザーン人が犯人だとするには疑問が有ります」
「……」
疑問? キスリングとボイムラーは苦い表情のままだ。
「犯行が奇麗過ぎるんだ」
「……ギュンター、現場は酷い惨状だったと聞いたが?」
俺が矛盾を指摘すると二人が益々表情を顰めた。

「確かに酷い惨状だった。だが犯人に繋がる物証、目撃証言は無い。現場に残っていた凶器、これはナイフだが大量に製造されたものだ。犯人の特定には繋がらない」
なるほど、荒っぽい割に粗雑さは無いという事か。それにしても切り刻んだのかよ、現場はスプラッタ映画並みの惨状だろうな。

「……つまり感情に任せた犯行じゃない。惨状は偽装だというわけだな?」
「その可能性がある、少なくとも俺とボイムラー准将はそう考えている。犯人は素人じゃないな、プロだ」
復讐では無く冷徹に計算された殺しか。トリューニヒトの顔が強張っている。うん、手荒い歓迎だな。一生記憶に残るだろう。

「不思議なのはルビンスキーの護衛がブラスターを使った形跡が無い事だ。不意を突いたにしても有り得ない事だ。おそらくはゼッフル粒子を撒いて火器を使えなくしたのではないかと考えている。……残されていた遺体の殆どに防御創が有った、手や指の無い人間も居た。一方的に斬られたのだろう」
「……」
「それに死体を発見出来たのは通報が有ったからだった、匿名のな。それ無しでは遺体の発見は不可能だった」
キスリングの表情は渋い。面白く無い感情が胸に渦巻いているようだ。まあ当然では有るな。獲物を横から掻っ攫われた、そう思っているのだろう。

犯行を隠すなら、ただ殺すのが目的なら通報の必要は無い。通報したのはルビンスキーの死体を発見させるため、そしてルビンスキーの死を公のものにする必要が有ったからだ。行方不明で死んだと思われるでは困るという事か。ルビンスキーの死で利益を得る者、一体誰だ? 沈黙が続く。嫌な沈黙だ、疑心暗鬼が部屋の中を飛び回っているような感じがした。

「もう一つ不思議な事が有ります。死体は死後約一カ月を経過していました」
「一カ月?」
「はい」
ボイムラーが口を閉じると部屋の中にまた沈黙が落ちた。如何いう事だ? 殺人者と通報者は別、無関係なのか? となると死体の発見は偶然? ……何かがおかしい、不自然だ。

「捜査の状況は?」
気が付けば声が低くなっていた。
「フェザーンの警察に任せて我々は手を引いた」
如何いう事だ? プロの殺し屋を放置するのか? 自分でも表情が厳しくなるのが分かった。
「心当たりが有るんだな?」
二人が頷いた。この二人が放置するのは危険が無いと判断したからだ。つまり味方だ。しかし一体誰だ? ヴァレリーも考えている。トリューニヒトだけが付いて行けずに困惑している。

「広域捜査局第六課が動いた、……と思っている」
「……」
「一年前の事だが密かに五十人ほどフェザーンに送り込んだらしい」
五十人? 第六課の責任者は俺だがそんな話は知らんぞ。

「アントンか?」
キスリングが首を振った。
「アンスバッハ准将?」
「違う、司法尚書ルーゲ伯だ」
思わず息を呑んだ。あの謹厳実直な爺様が殺人を命じた?

清廉潔白、謹厳実直で名高いルーゲ伯が暗殺指示を出した? 信じられん。ヴァレリーも目が点だ。トリューニヒトも驚いている。そりゃ驚くだろう、政府閣僚が暗殺に絡んだのだから。
「ルビンスキーの死体が発見された後、アントンとアンスバッハ准将から良くやったと冷やかされたんだ。憲兵隊は無関係だと言ったら……」
「五十人の事を教えてくれたか」
「ああ、二人とも顔を強張らせていたよ」
「……信じられないな」
俺の言葉にキスリングが“俺も信じられん”と頷いた。

「しかしな、そう考えると辻褄が合う。ルビンスキーが殺されたのはハイネセンで批准が終了した後だ。もしそれ以前に暗殺を実行した場合、ルビンスキーの殺害が発覚すると批准に悪影響を及ぼす可能性が有った。そして通報が有ったのが一週間前、卿の到着を前に不安を取り除いたわけだ」
「……言っている事は分かるが……」
もし批准前にルビンスキーが殺されたとなれば大騒ぎになった事は間違いない。ハイネセンのマスコミは帝国への不信感を煽っただろう。

「その五十人だが当初はあくまで念のため、憲兵隊へのバックアップのためとしてフェザーンに送られたらしい」
「……」
「だが現実にはアンスバッハ准将もアントンもその行動を把握していない。ルーゲ伯が直接命令を出していたそうだ。一年前からね」
つまり去年の夏からルビンスキーの捜索を行っていたという事か。広域捜査局は憲兵隊に比べれば軽視されがちだ、ルビンスキーも油断したのかもしれん。フェルナーもアンスバッハも驚いただろう。広域捜査局第六課がルビンスキー暗殺の実行犯だと思い至った時は。

あの爺さん、俺の両親の惨殺事件の所為で妙に俺に負い目を持っているらしい。今回の一件はそれが引き金だな。俺にこれ以上負担をかけまいとした。困ったものだ。爺さんに似合う仕事じゃないぞ。鮮やかに決めたのには驚いたがな。オーディンで会った時は何て言おうか? お手数をおかけしました? 有難うございました? どうもしっくりこないな。

「まあ良い。大事なのはルビンスキーが死んだ事であって誰が殺したかじゃない。公式発表では犯人の特定は出来ずという事で未解決事件だな。最有力容疑者は地球教という事になるだろうが異論も出るだろう。後世の歴史家、推理作家に娯楽を与えたと思えば良いさ。精々楽しんでくれるよ」
キスリングが“俺も疑われるんだろうな”とぼやいた。気にするな、最大の黒幕は俺かリヒテンラーデ侯になる筈だ。その事を言うとキスリングが辛そうな顔をした。気にするなよ、キスリング。悪いのは恨みを買い過ぎたルビンスキーだ。

「ルビンスキーは野心が強過ぎるし小細工もし過ぎる、扱いが難しい。それにフェザーン人の恨みを買い過ぎている。フェザーン遷都を考えれば彼を受け入れるのはメリットよりもデメリットの方が多い」
キスリング、ボイムラー、ヴァレリーが頷いた。トリューニヒトは困惑の表情だ。まさか帝国に身を投じたのを後悔してるんじゃないだろうな、がっかりさせるなよ。

「元帥閣下?」
「何です、ヘル・トリューニヒト」
「閣下の御仕事は一体……、如何いう御仕事をなさっているのです?」
なるほど、疑問に思ったか。そうだよな、自分でも奇妙な存在だと思うよ。同盟じゃ俺みたいな人間はいないだろう。

「色々ですよ。帝国軍宇宙艦隊司令長官、辺境星域開発の責任者、帝国領内の治安維持、国政改革にも絡んでいます。要するに何でも屋ですね、年が若いから使い易いらしい」
「はあ」
「どの分野で協力が出来るのか、よく考えておいてください。どの分野で協力していただいても結構ですよ」
トリューニヒトが“分かりました”と頷いた。顔色が良くないな、少し疲れたのかな。

「ところで来年には遷都を行うつもりなんだがフェザーンの治安は維持されていると見て良いのかな?」
俺が問い掛けるとキスリングとボイムラーが顔を見合わせて頷いた。
「問題は有りません。拘束した長老委員会のメンバーから地球教の残党の情報を得ました。かなり潰したと思います。もはや大規模なテロは不可能でしょう。フェザーン人達からも連中の所為でフェザーンは滅んだと嫌われています」
つまり民間の協力者は得難くなっているという事か。

「俺とボイムラー准将はこのままフェザーンで地球教対策に従事する。心配はいらない。それに広域捜査局の五十人もいる」
キスリングが皮肉な笑みを浮かべた。
「未だフェザーンに居るのか?」
「そうらしいな、アントンからはそう聞いている」
憲兵隊が動く、その陰で広域捜査局第六課が地球教に忍び寄る……。怖い話だ。

現状では治安に問題は無いようだ。遷都への第一関門は突破したと判断して良いだろう。ではレムシャイド伯に会いに行くか。行政面で問題が無ければオーディンに戻って遷都だな。



帝国暦 490年 8月 10日    フェザーン 銀河帝国高等弁務官府   ギルベルト・ファルマー



「意外に気付かぬものだな」
「何がです?」
「いや、ここまで来るのに誰も私に気付かなかった」
私の言葉にヴァレンシュタインがおかしそうにクスクス笑い出した。釣られて私も笑ってしまった。妙なものだ、銀河帝国高等弁務官府の応接室で私達が向かい合って笑い合うとは……。

「全然違いますよ。髪型もですが人相が違います。昔は眉間に皺が有っていつも不愉快そうにしていました。今の穏やかな表情からは考えられませんね」
「失礼な。……威厳を保とうと必死だったのだ。今考えればかなり無理をしていたのだろうな」
「肩が凝ったのではありませんか?」
「言われてみればそんな記憶が有るようだ」
ヴァレンシュタインがまた笑い出した。今度は声を上げて。本当に失礼な男だ。

「しかし本当に統一したとは……、フェザーンに遷都すると聞いたが」
「御存じでしたか」
「フェザーン人の間では結構話題になっている」
私が答えるとヴァレンシュタインが目を瞠ってそして笑い出した。フェザーン人の耳の速さに感心したらしい。

「来年にはその予定です。フェザーン人達はこの事を如何思っているのでしょう?」
「そうだな。……絶対反対だと言っている人間は少ないな。どちらかと言えば歓迎している人間が多いと思う。帝国が宇宙を統一した、フェザーンがその首都になれば今以上に繁栄すると思っている」
ヴァレンシュタインが納得しかねるといった表情をしている。国が滅ぶのだから反発は大きいと思っているのだろう。

「分からないかな、フェザーン人の気持ちが。……フェザーン人の少なからぬ人間が地球教の事を無かった事にしたいと思っている。皆この国がおぞましい陰謀によって創られたとは思いたくないのだ。自分達が知らぬ間にそれに協力させられていたとはな」
「なるほど、そういう事ですか」
ヴァレンシュタインが頷いた。納得したようだ。

多くのフェザーン人にとって地球教の陰謀は悪夢でしかなかった。その悪夢を振り払うために新たな帝国の首都になる事を受け入れようとしている。帝国が輝けば輝くほど帝都フェザーンも輝く。過去の汚点等誰も思い出さなくなるだろう。フェザーン人はそうなる事を願っている。地球教の悪夢を新帝国の栄光で打ち消したいのだ。

ルビンスキーの死でさえ誰も触れたがらない。ルビンスキーが地球教に繋がっていた事、そして裏切って帝国に付いた事は分かっている。殺したのはおそらくは帝国である事にも気付いている。しかし大声で騒ぐ事で醜い真実が露わになる事を懼れているのだ。誰もルビンスキーの死体が腐臭を撒き散らす事を望んでいない。むしろルビンスキーが永遠に消えた事を心の何処かで歓迎している。

「だとするとフェザーン人は新帝国の建設に協力してくれそうですね」
「そうだな」
「貴方も如何です?」
「私? それは無理だろう。私の正体に気付く人間も出る筈だ、大騒ぎになる。というわけで私はフェザーン商人らしく精々稼がせてもらうつもりだ」
私が笑うとヴァレンシュタインも笑った。

「陛下に謁見されては如何です、ギルベルト・ファルマーとして」
「陛下に?」
「ええ、陛下が貴方をギルベルト・ファルマーと認めれば誰も何も言えません」
「なるほど」
「アマーリエ様、エリザベート様も貴方の事を心配されていると思います」
「……そうだな」
伯母上とエリザベートか、陛下の下で保護されていると聞いているが……。会ってみるか。



帝国暦 490年 8月 25日      帝国軍総旗艦ロキ   ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



フェザーンを出てもう十日が過ぎた。後一カ月ほどでヴァルハラ星域に到達する。航行は順調過ぎるほど順調で問題は何も生じていない。でも艦橋の雰囲気は必ずしも良くない。理由はヴァレンシュタイン元帥が体調不良で寝込んだから。その事で将兵達は不安を感じている。もっとも一カ月に一度はこれが有るから驚く事ではない。余り嬉しい事では無いけれど……。

ヨブ・トリューニヒト前議長も椅子に座って暇を持て余し気味だ。ヴァレンシュタイン元帥が居れば何かと話し相手になってくれるのだけれど……。もっとも将兵達から彼が嫌われているという事は無い。一部からは一国を代表する政治家としてはちょっと重みが足りないという声も上がっているけど愛想の良い好感の持てる男、それが前議長に対する皆の評価だ。無益な戦いを止め将兵の命を守ったという部分でも評価されている。ただ何を話して良いのか分からない、そんな戸惑いは有ると思う。

視線が合った。前議長が笑みを浮かべると“少し良いかな”と声をかけてきた。
「フイッツシモンズ大佐、君がヴァレンシュタイン元帥の副官になるというのは珍しいのではないかな。帝国では女性兵は前線に出ない、いや出さないと聞いているが」
「そうですね、本来女性兵は前線に出ません。そういう意味では小官はイレギュラーな存在です」
“ふむ”と前議長が頷いた。視線がその先を知りたがっている。無視して変に詮索されるのも面白く無い。差し障りの無い範囲で答えておこう。

「小官が亡命者である事は御存じだと思いますが」
「ああ、そう聞いている。フイッツシモンズという性からもそれは分かる」
「同盟で士官教育を受けていたため能力的には何処に配属されても問題は有りませんでした。ですが亡命者というのは喜んで受け入れられる存在ではありません」
「そうだね、同盟にもローゼンリッターが有るからその事は分かる」
ワルターは如何しているだろう。同盟が保護国となった今、亡命者は苦労しているかもしれない。

「私が亡命した艦隊の参謀長がヴァレンシュタイン元帥閣下でした。今から五年前、当時閣下は未だ大佐で戦功により准将に昇進するだろうと思われていました」
「五年前か」
前議長が感慨深そうに言葉を出した。帝国軍の実力者、宇宙統一の立役者が五年前には大佐だった。確かに不思議な感じがする。五年前、出会った時にはこんな日が来るとは想像も出来なかった。

「将官になれば副官を置く事が認められます。ですが閣下には副官を置く事が出来るかどうか、難しい状況でした」
「それは何故かな?」
「階級は准将、出自は平民、年齢は二十歳。副官として仕え辛いとは思いませんか?」
前議長が“なるほど”と頷いた。

今なら出自による差別は無い。だがあの当時は貴族達の全盛時だった。目端の利く人間なら貴族出身の将官の副官になる事を望んだだろう。それに比べれば平民出身の将官の副官は一段落ちると見られた。まして自分より若い上官など誰も望まない。

「つまり元帥閣下は副官のなり手が無く大佐は受け入れ先が無かった……」
「そういう事になります。それで小官が副官になりました」
「なるほど」
前議長が頻りに頷いている。予想外の答えだったのだろう。私だって不思議に思っているのだから無理も無い。

「大佐にとって元帥閣下は如何いう方なのかな?」
さり気ない口調の質問だった。不満の有無の調査? 私を取り込もうとでも考えている? 元同盟人だから同盟の現状を憂いているとでも? 甘く見ないで欲しいな。元帥閣下の副官になって五年、ほんの些細なミスが命取りになる事をこれまで嫌というほど私は見てきた。銀河帝国で生き延びるという事は決して容易ではないのよ、前議長。特に権力者の傍にいる人間は。ついでに言えばこの五年、民主共和政が懐かしいなんて思った事など一度も無い。そんな事を考えるほど暇じゃなかった。

「出来の良い弟みたいなものです」
「ほう、弟……」
「ええ、能力に優れ周囲からも信頼されている。自慢の弟ですね。私に出来る事など大した事ではありませんがそれでも何か御役に立ちたい、何かしてあげたいと考えています」
前議長が感心したように頷いている。

これは警告よ、トリューニヒト。私を利用しようなんて考えない事ね。それとあんたも少しでも元帥閣下の御役に立ちたい、そう考えなさい。……そうなれば分かるわ、本当は時々、いや頻繁に無茶をするから心配で目が離せないって事が……。








 

 

第二百八十六話 遠征軍帰還




帝国暦 490年 9月 25日      オーディン    エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



オーディンに帰還するとエーレンベルク、シュタインホフ両元帥が空港で待っていた。二人とも顔が崩れそうなくらいニコニコしている。大丈夫か? まさかとは思うが同盟が降伏して張り合いが無くなりボケ老人になったか? そんな心配をさせるくらいの上機嫌だ。おまけに足取りが軽い、弾むような足取りで俺とメルカッツに近付いて来た。

「とうとう反乱軍を下したな、ヴァレンシュタイン。見事なものだ」
「御苦労だったな、メルカッツ。良くやってくれた」
口々に俺とメルカッツを労ってくれた。嬉しいんだろうな。ずっと戦争をしてきた。これまで何度も勝利を得てきただろうが戦争の終結には結びつかず戦闘の勝利で終わっていた。だが今度は戦争の勝利なのだ。胸を張って勝ったと言える。

「有難うございます。思った以上に苦戦しました。シュタインホフ元帥、作戦の総指揮を執って頂けた事、感謝しております」
俺が頭を下げるとメルカッツも“有難うございます”と言って頭を下げた。
「いやいや、大した事はしておらん。それに二十万隻の艦隊を動かすなど初めての事、戦場には出なかったが軍人冥利に尽きるの一言だ。一生の思い出であろうな。感謝するのはこちらの方よ」
シュタインホフが楽しそうに言うとエーレンベルクが“羨ましいぞ”と言って笑った。シュタインホフも笑う。

リヒテンラーデ侯、フリードリヒ四世が待っているという事で新無憂宮に向かう事になった。地上車は四台、それぞれ別に、そして時間をおいて護衛付きで空港から出た。テロ対策とはいえ面倒な事だ。俺は三番目だ、四人の序列でそうなる。軍は階級社会だからこういうのは厳しい。ヴァレリーと一緒に新無憂宮に向かった。

新無憂宮にあるリヒテンラーデ侯の執務室でもニコニコ顔の爺さんが迎えてくれた。大丈夫か? 少し心配になるな。
「ご苦労であったな、二人とも。真に良くやってくれた、陛下も大変に御喜びじゃ」
俺とメルカッツが頭を下げるとリヒテンラーデが上機嫌な笑い声をあげた。益々心配になった。

「これからまだまだやらねばならん事は多い。しかし今日は陛下への御報告を済ませたらゆっくりと休むが良い。明日は祝勝会じゃ、難しい話は明後日からで良かろう」
ちょっと安心した。ボケたわけじゃなかったようだ。勝利を喜んでくれている、そういう事だな。

同盟領で混乱が生じている。帝国軍が帰還したせいかもしれんが反帝国運動、反政府運動が発生しているらしい。しかも大きくなりつつあるようだ。同盟政府のガバナビリティにどれだけ期待出来るのか……。明後日とリヒテンラーデ侯は言ったがこの話は早い方が良いだろう。ルビンスキーの件も有る。謁見後、ちょっと話してみるか。……知ってるよな? この話。……どうにも不安になって来た。戦争は終わったんだけど……。



帝国暦 490年 9月 25日      オーディン   新無憂宮 クラウス・フォン・リヒテンラーデ



陛下への御報告は和やかな談笑の時間で終わった。イゼルローン要塞陥落、フェザーン攻略、ハイネセン攻略の様子や戦いの駆け引きをヴァレンシュタイン、メルカッツから楽しそうに御聞きになられた。そしてヴァレンシュタインがココアが無くなってしまった事、ハイネセンでココアを自ら買った事を話すと声を上げてお笑いになられた。同盟産のココアがなかなか美味しかったとヴァレンシュタインが言うと陛下はフェザーンに遷都すれば予も味わえるかと仰られた。遷都の楽しみが一つ出来たようだ。

報告が終わり退出するとヴァレンシュタインが相談したい事が有ると言って執務室にやって来た。真面目な男だ、今日ぐらいはゆっくりすれば良いものを。もっともこちらも相談したい事が有るのは事実、願ったり叶ったりではある。しかしミュッケンベルガー父娘もこの男を待っていよう、早めに帰さなければ……。ソファーで紅茶を飲みながら話す事にした。

「それで、話とは?」
「同盟領の事です。暴動とまでは言いませんが反帝国運動、反政府運動が発生しているようです」
「やはりそれか。その事は私も聞いている」
面白くない話だ、思わず口元に力が入った。ヴァレンシュタインも渋い表情をしている。

「反帝国運動、反政府運動が皆無である事を望んではいません。そんな事は無理だと分かっています。しかし頻発するのも面白くありません。今後三十年かけて併合する、その障害になります」
「それについては私も同意する。或る程度の安定は必要だ。諦めが悪いとは思うが国に対する想いを無視は出来ん。厄介な事よ」
ヴァレンシュタインが頷いた。

「まさかとは思うが例の連中が動いているのではあるまいの?」
「……閣下は地球教を疑っておいでですか?」
私が頷くとヴァレンシュタインが軽く息を吐いた。
「無いとは思いますが断言は出来ません。同盟政府に注意を促しましょう」
「厄介じゃの」
紅茶を楽しんで飲むという日が来るのは未だ先の様だ。

「それでもルビンスキーが居らぬだけましか。上手くやったの。軍務尚書、統帥本部総長も褒めておった」
冷やかすとヴァレンシュタインが困った様な表情をした。若いのを冷やかすのはなかなか楽しい。
「あれは私では有りません」
妙な事を言う。

「別に犯人が居ると言うか。しかし誰が……」
ヴァレンシュタインが首を横に振った。
「或いはと思う事は有りますが確証は有りません。いずれ確認が取れ次第、御報告します」
「分かった」
妙な話よ。一体誰が……。確証は無いと言ったが……。

「それより同盟の事ですが危険なのは政府の動きです。焦って強硬策を採らなければ良いのですが……」
「馬鹿な、そんな事をすれば却って民衆は反発するであろう。彼方此方で暴動が起きかねぬ。一つ間違えば同盟は分裂するぞ。その程度の判断も出来ぬほどハイネセンの連中は愚物なのか?」
ヴァレンシュタインが首を横に振った。

「いえ、そんな事は有りません。しかし背に腹は代えられぬと考える可能性は有ります」
背に腹は代えられぬ? 如何いう事だ、ヴァレンシュタインがじっとこちらを見ていた。気圧されるような感じがした。嫌な予感がする、この男がこんな目をする時には決まって碌な事が無い。何を考えた?

「混乱が酷くなれば帝国政府は同盟政府に統治能力無しと判断して併合を前倒しにするのではないか……」
「うむ」
思わず仰け反ってしまった。なるほど、それが有ったか……。予感が当たったわ、碌でもない。
「有り得るの。……となると或いはそれが帝国の狙いかと邪推するかもしれんの」
ヴァレンシュタインが“それも有りそうな事です”と言って紅茶を一口飲んだ。私もカップを口元に運んだ。香りが薄い、気分が落ち着くかと思ったが……。次はもう少し香りの強い物にしよう。一口紅茶を飲んだ。

百五十年互いに相手を罵りながら戦争を続けてきた。今後三十年かけて統一するという言葉が信じられないのも無理はないが……。
「妙なものじゃ。我らが反乱軍、いや同盟政府の心配をするとは……。こんな日が来るとは思わなんだわ」
思わず苦笑が漏れた。ヴァレンシュタインも笑う。
「新銀河帝国を創るためです」
「……そうじゃの」
苦笑は止まった。

新銀河帝国。人類を統治する唯一の星間国家。帝国人には新しい国家を創るという意思が個人差は有れど皆が持っているであろう。故に三十年かけて新国家を創るという事を皆が無理なく受け入れられるのだと思う。……私はあと三十年を生きる事は叶わぬだろう。新銀河帝国の誕生を見る事は出来まい。だが帝国の進む方向を見る事は出来る。政治家として果実を味わう事は出来ずとも国の歩む道を示す事は出来たのだ。十分だ、満足して死ねるだろう。だが同盟は如何であろう?

「同盟人には新たな国を創るという思いは無いかもしれん。有るのは征服されたという屈辱だけか……」
「そうですね、自分達の将来への不安も有ると思います」
「そうじゃの。さて、如何する? ……不安を取り除くとなれば保証をせねばならん。……憲法を創るか? 考えているのであろう?」
ヴァレンシュタインの眼を覗き込むと微かに眼が笑った。

「宜しいのですか?」
「何を白々しい事を。ブラッケやリヒター達にも憲法が必要だと言ったのであろう? 気付かぬと思ったのか?」
「そうは思いません」
強かな男よ。あの二人を通してこちらに自分の考えを流した。しかし憲法、何処まで考えている? 確かめねばならん。今度はこちらがヴァレンシュタインをじっと見た。ヴァレンシュタインも見返してくる。

「憲法により国の形を示せば同盟人も納得するか」
「憲法を制定すると帝国政府が言うだけでも効果が有ると思います。もっとも期待と不安、その両方でしょう。しかし絶望は無くなると思います」
「そうだの。……主権は如何する?」
「皇帝主権を考えています」
「ほう、国民主権にはせぬのか?」
ヴァレンシュタインが苦笑を浮かべた。

「それをやれば同盟人達が議会制民主主義をと言い出しますよ」
「ふむ、反対か」
「現実的とは思えません」
今度はヴァレンシュタインがこちらに視線を向けた。強い眼で私を見返してくる。

「残念ですが民主共和政は運用が難し過ぎます。人類向きの政治体制では無いと思います」
「ほう、面白い事を言うの。では誰に向いていると?」
「さあ、神様とかそんなものでしょう。もっともそんな者が存在するのであればですが」
思わず吹き出してしまった。相変らず口の悪い男だ。それでは使えぬというのと同じではないか。だがヴァレンシュタインは私が笑った事が不満らしい。“笑い事では有りません”と強い口調で咎めてきた。

「新帝国が安定すれば人口も増えます。最盛期には六千億、いえ一兆を超えるかもしれません。主権者が増えるという事は責任が分散されるという事です。一兆人に責任を分かち合えと言ってどれだけの人間がそれを真摯に受け止めると思いますか? 主権者が増えれば増えるほど、つまり繁栄すればするほど責任の所在は曖昧になる。人類は衆愚政治の危機に晒される事になります」

「なるほど、確かにそうじゃの。となると銀河連邦が繁栄の後に衆愚政治に陥ったのも当然か」
私の言葉にヴァレンシュタインが頷いた。
「民主共和政を支持する人間は認めたがらないでしょうがそういう事なのだと思います。だから銀河帝国が、ルドルフ大帝が生まれたのでしょう。連邦市民は責任の所在が何処に有るかを明確にしたがったのですよ。そして自らの責任を放棄した。誰だって責められるのは嫌ですからね、気楽に文句を言える立場の方が良い」
「身も蓋もない言い方をするの」
人間は責任を負いたがらぬか、溜息が出た。ヴァレンシュタインもウンザリした様な表情をしている。

「こう言ってはなんですがルドルフ大帝が劣悪遺伝子排除法を創らなければ、臣民の基本的人権の尊重を宣言すれば民主共和政は過去の遺物になっていたかもしれません」
「……残念だがそうはならなかった」
そうなっていれば自由惑星同盟は生まれなかった可能性は有る。確かにヴァレンシュタインの言う通りよ。民主共和政は忘れ去られていただろう。

「皇帝の権力には制限が有りません。皇帝が主権の重さを理解出来ない、或いはその重さに潰されると権力が暴走します。民主共和政はその弊害を防ぐために主権の分散を考えたのでしょうが……」
ヴァレンシュタインが唇を噛み締めている。主権と主権者の関係か。集中させるか分散させるか、結局は主権者の質によって是非が問われる、正解など無いに等しい。何とも不安定な事ではある。

ヴァレンシュタインは現状では臣民は主権に伴う義務を果たせぬと見ている。それ故に待遇は改善すれども主権は与えぬという事なのであろう。憲法の柱は皇帝主権と基本的人権の尊重か。厳しいの、平民達はこの男を支持しておろうが或る面においてこの男は門閥貴族などよりもずっと厳しい評価を平民に下している。門閥貴族達は無知ゆえに平民達には主権など不要と考えた。だがこの男は良く知るが故に主権など不要と判断している。使いこなせぬというわけだ。

「卿、頼めるか?」
「憲法制定ですか?」
「うむ、先ずは草案の作成だの」
「時間がかかりますが?」
「已むを得まい。近々に憲法制定を閣議に諮る。その後陛下の御裁可を得て公表する」
「承知しました」

ヴァレンシュタインが軽く一礼した。本人も自分が創るしかないと考えていたのだろう、躊躇いは無かった。この男なら問題無かろう。改革を唱えたから民主共和政に好意的なのかと思ったがそうではないようだ。そして専制君主政を無条件に信奉しているわけでもない。ブラッケやリヒターにこの男の半分も冷徹さが有れば……。あの二人は改革にばかり目が行き地に足が着いていない、現実を見据えていない……。

「話しは変わる。畏れ多い事ではあるが陛下が退位を考えておられる」
「退位?」
少しは驚かぬか、だから可愛げが無いと言われるのだ。
「新帝国の門出には新しい皇帝が相応しかろうと仰られてな。フェザーン遷都後に位を退きたいと」
「アマーリエ様ですか?」
「うむ。卿は如何思うかな?」
ヴァレンシュタインが小首を傾げている。どうやらこの問題は想定外だったようだ。内心では驚いているのかもしれぬ。少しは表に出せば良いものを……。

「それだけですか?」
「……」
「区切りを付けたい、それだけだと?」
「いや、後継をはっきりさせたいというお気持ちも有るようだ」
「なるほど。……御気持ちは分かりますが……」
「時期尚早と思うか」
ヴァレンシュタインが“はい”と頷いた。

「十月十五日の勅令は陛下の御名の元に発令されました。新帝国の枠組み作りは陛下の治世においてなされるべきだと思います」
「なるほど、五箇条の御誓文が有ったの」
改革による新たな国創りを宣言されたのは陛下、新帝国創成はその集大成か。枠組み作りを陛下の治世においてというのはもっともな事ではある。影響力以前に筋の問題が有るという事だな。ここで退位は無責任と言われかねんか。

「ヴァレンシュタイン、その枠組みというのは何処までを考えているのだ?」
「そうですね、やはり憲法制定、発布が一つの区切りと思います。フェザーン遷都では……」
ヴァレンシュタインが首を横に振った。
「そうよな、そう考えるのが妥当であるな」
陛下には今しばらく待っていただくとするか……。いかんな、この男を早く帰さなければ。話したい事の半分も済んでおらん、事が多すぎる! 已むを得んな、明日も出て貰うか。




 

 

第二百八十七話 飴と鞭




帝国暦 490年 9月 25日      オーディン   ミュッケンベルガー邸  ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



夫が帰ってきた。玄関で優しく微笑んでいる。懐かしさに胸が熱くなった。
「ただいま」
「お帰りなさい。お疲れでしょう、さあ中へ」
なんてもどかしいのだろう、ありふれた事しか言えない。それでも夫が嬉しそうにしてくれている。涙が出そうになった。

「義父上、今帰りました」
何時の間にか養父が後ろに立っていた。
「御苦労だったな。その姿では落ち着くまい。早く着替えた方が良かろう」
「そうします」
「ユスティーナ、着替えを手伝ってあげなさい。居間でお茶でも飲もう」
「はい」

着替え部屋に行き夫の着替えを手伝う。マントを外し軍服を脱がせた。
「ワイシャツも脱ぎますか?」
「いや、このままで良いよ。ズボンを取ってくれないかな、それと薄地のカーディガンを」
「これで良ければ」
明るいグレーのズボンと淡いグリーンのカーディガンを渡すと夫が“有難う”と言ってくれた。それだけでも嬉しい。

服を片付け居間に行くと既にお茶の用意がされていた。養父がシュテファン夫人に用意させたようだ。私と夫が養父に向き合う形でソファーに坐った。
「御苦労だったな。それにしてもとうとう反乱軍を下したか……。不思議な気分だ、お前には悪いがどうも実感が湧かぬ」
養父が困った様に言うと夫が軽く笑みを浮かべた。
「そう思っているのは義父上だけでは無いと思いますよ。帝国と同盟は百五十年も戦争をしてきたんです。実感が湧くのはこれからでしょう」

「それにしても遅かったのではないか? 陛下への御報告が長引いたのかな」
「いえ、報告の後リヒテンラーデ侯と話をしていました。ちょっと困った事が起きましたので」
沈黙が落ちた。夫は伏し目がちにココアを飲んでいる。多分政治の事で話し合う事が有ったのだと思う。また忙しくなるのだろうか?

「少しはゆっくり出来るのですか?」
「……いや、難しいと思う。明日もリヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵と話をする事になったから」
「明日? でも明日は」
「祝賀会は夕方からだからその前にここに戻るよ。祝賀会は皆で一緒に行こう」
夫が柔らかく微笑んでいる。そして“済まない、ユスティーナ”と言った。

「いえ、私は良いんです。貴方が御疲れじゃないかと、それが心配で……」
「大丈夫だよ、私は。宇宙に居る間は何もする事は無かった。暇過ぎて時間をどうやって潰すか困ったくらいだ」
夫が声を上げて笑ったけど養父は無言のままだ。それを見て夫が“本当に大丈夫だから”と小さい声で言った。本当にそうなら良いのだけれど……。



帝国暦 490年 9月 26日      オーディン  新無憂宮  ライナー・フォン・ゲルラッハ



「株、ですか」
「それと国債じゃ。そうだの、ゲルラッハ子爵」
「はい」
私が肯定するとヴァレンシュタイン元帥がフーッと息を吐いた。帰還早々また厄介な問題が持ち込まれた、そう思っているのかもしれない。

「先ずは株なのだが帝国の株については放出する。同盟、フェザーンのものについては当分は所持した方が良いと我らは考えているのだが卿は如何思うか?」
元帥が小首を傾げた。
「……当分所持した方が良いと仰られるのは同盟、フェザーンの混乱を抑える為ですか? 経済面で両者の首に紐を付けたいと」
“ま、そんなところだ”とリヒテンラーデ侯が答えた。どうも元帥の反応は良くない。

「ヴァレンシュタイン元帥は反対でしょうか?」
「そうですね。フェザーンはともかく同盟の株は帝国が所持するのは問題が多いと思います。いずれ厄介な事になるでしょう」
リヒテンラーデ侯が“フム”と鼻を鳴らしたが元帥は全く気にする事無く紅茶を一口飲んだ。落ち着いたものだ。

「戦争が終結しました。その所為で同盟だけでは無く帝国も経済面で大きな変動が発生します」
ヴァレンシュタイン元帥がリヒテンラーデ侯と私に視線を向けた。何処まで理解しているかを確認している。
「……なるほど、戦争が終結したか。兵器が売れなくなるの」
元帥が頷いた。確かに兵器は売れなくなるだろう。つまり今後軍事費は或る程度削減出来るという事だ。

「そうです、これまでは戦争を前提にした生産活動をしていましたが今後はそうは行きません。兵器以外の物を売らなければならない。軍を相手にした商売は難しくなる。上手く切り替えが出来れば良いですがそうでなければ……」
元帥が言葉を途切らせた。表情は厳しい。軍から民への切り替えか。確かに厳しいかもしれない。

「経営が傾く、そうですな?」
「そうです。特に同盟は軍を縮小しますから帝国より厳しい状況に陥ると思います。軍需産業に限りません。どんな企業もその影響を受けます、場合によっては倒産という事も有るでしょう。そうなった時、帝国が株を持っていると色々と問題が発生しそうです」
「なるほど、帝国が故意に潰したと言い出すか」
「それは……」
私が侯に抗議しようとすると元帥が首を横に振った。

「有りそうな事だと思いますよ、ゲルラッハ子爵。同盟政府はともかく同盟市民にとっては真実よりも帝国の責任に出来る事を望むでしょう」
「……」
「帝国にとっては只で手に入れた株券が紙屑になるだけです。実質的な損失は無いに等しい。痛みを負うのは従業員とその家族。そしてその企業と取引をしていた企業です。連鎖倒産という事も有るでしょう。経済危機という事にもなりかねません。経営の悪化を株主でありながら故意に見過ごした。同盟の力を弱め併合し易くしていると受け取る可能性は十分に有ります」
「帝国の援助を求める声も出るかもしれん。混乱させて併合を前倒しにしようとしている、そう取るかもしれんの」
思わず溜息が出た。リヒテンラーデ侯もげんなりしている。

「売るか?」
リヒテンラーデ侯が私と元帥を交互に見た。
「膨大な量です。売ると言っても買い手が有るかどうか……。むしろ混乱が生じかねません。それこそ非難を受けるでしょう」
「財務尚書の意見に同意します。混乱が生じるだけでしょう。むしろ同盟政府に譲渡した方が良いと思います」
「譲渡!」
私とリヒテンラーデ侯の声が重なった。だが元帥は“ええ、譲渡です”と平然としていた。

「持つ事が出来ない、売る事が出来ないとなれば譲るしかありません。譲ってしまえば妙な言いがかりは付けられずに済みますし同盟政府、市民も帝国は同盟を苦しめようとしているとは非難出来ません。むしろ政府は政治的な立場を強化出来るでしょう。良い事尽くめですよ、感謝して貰えますね」
笑いを含んだ声だ。リヒテンラーデ侯が呆れた様な表情をした。

「酷い男だの。同盟政府のためとは言っているが内実は爆弾を押付けるような物であろう。いずれ気付くぞ、してやられたと」
非難されて元帥が肩を竦めた。
「非難は心外ですね。同盟市民の生命の安全と財産の保全は同盟政府の仕事です。帝国政府の仕事では有りません。後三十年は責任を持って仕事をしてもらいます」

溜息が出た。元帥は何事も無い様に紅茶の香りを楽しんでいる。リヒテンラーデ侯が困った奴だと言わんばかりの表情で私に視線を向けてきたが私には答えようがない。確かに酷い様にも思えるが実際言われてみればその通りで譲渡が最善の対応策だろう。利益も無いが損失も無い。ただ勿体無いという感情が有るだけだ。それだって面倒事を避けるためと思えば我慢出来る。それに同盟政府の仕事であるのも事実だ。

「分かった、そうしよう。この件はゲルラッハ子爵の方で同盟政府と話を付けてくれ」
「承知しました。……もう一つの国債の件ですがこちらも?」
「そうよの」
リヒテンラーデ侯と私が元帥に視線を向けると無言で一口紅茶を飲んだ。気が付けば喉が渇いていた、私も一口紅茶を飲んだ。リヒテンラーデ侯も同じだ。

少しの間が有った。元帥は眉を寄せている。
「国債ですが、……帝国政府が所持していた方が良いと思います」
良いのだろうか? 同盟との関係を良好に保つ為に還すと言うかと思ったが。リヒテンラーデ侯を見たが侯も意外そうな表情をしている。
「宜しいのですか? 国債を帝国に握られていては如何にもならない。同盟では反発が起きそうですが」
「……」
反応が無い、未だ考えている?

「国債を持っているのは我々だけでは有りません。同盟市民、フェザーン市民も所持している筈です」
「……」
「帝国が償還を要求するのは無理でしょう。金額が大き過ぎます。帝国が償還を要求すれば皆が同盟に国債の償還を求める筈です。それに応える力は今の同盟には無い、あっという間に国家破産です。市民が国債を売ろうとしても買い手が付かない。暴落ですね。酷い混乱が発生するでしょう」
「……」

「帝国側に同盟を潰す覚悟が無ければ国債は交渉のカードにはなりません。何の価値も無いシロモノです」
「その通りです。だから返還という選択肢が出ると思いますが」
私が答えると元帥が笑みを浮かべた。
「価値が無ければ付ければ良いでは有りませんか」
リヒテンラーデ侯が笑い出した。如何して笑えるのだろう、私は寒気がする。

「またあくどい事を考えておるのだろう」
侯が揶揄したが元帥は笑みを浮かべたままだ。そして紅茶を一口飲む。飲み終わった時には笑みが消えていた。
「今の同盟には致命的な弱点が有ります。国家の寿命が三十年しかない。国家としての継続性、持続性、成長性が無いのです。つまり国家としての信用が有りません」
「……」

「この状況下において同盟は経済面で混乱します。それに対処するためにもっとも必要になるのが何か、分かりますか?」
「必要になるものか……。財務尚書、卿は分かるか?」
リヒテンラーデ侯が問い掛けてきたが……、困った……。
「金、でしょうか」
ありふれた答えだ。はっきり言って失望される事を覚悟したが元帥は“そうですね”と頷いた。……正解か。ホッとした、一口紅茶を飲んだ。

「同盟政府は混乱を回避しようとして手を打つ筈です。しかし何を行うにしても必要なのは金、つまり財源でしょう。その財源が足りない筈です。企業の経営状況が厳しくなればなるほどその傾向は強まります」
「軍事費は削減出来ると思いますが?」
問い掛けると元帥が首を横に振った。
「安全保障費を払いますから殆ど意味が有りません。それに軍人の多くが失業者になります。税収は間違いなく減少しますね」
なるほど、それが有ったか。国務尚書も頷いている。

「財源が無いとなれば国債を発行して財源を補うという手段が有ります。しかし残り三十年の寿命しかない同盟の国債を買う企業、人間が居ると思いますか? しかも現時点で相当な量の国債を発行し償還されていない。この状況でです」
「難しかろうな」
「長期はおろか短期でさえ買い手は付かないと思います」
今更だが同盟のおかれている状況の厳しさが分かった。これでは混乱するなというのが無理だろう。リヒテンラーデ侯も厳しい表情をしている。三十年後の統一がスムーズに行くのだろうか……。思わず溜息が出た。元帥がクスッと笑った。如何して笑えるのだ?

「同盟政府も頭を痛めているでしょう。国家の信用をどうやって保証するかと。……という事で帝国がその信用を付与します」
「付与と言うが如何する?」
「帝国政府が同盟政府の保証人になるのです」
「保証人?」
私とリヒテンラーデ侯の声が重なった。思わず二人で顔を見合わせたが……、保証人? ヴァレンシュタイン元帥は悪戯を思い付いた子供の様な笑みを浮かべている。

「同盟政府が発行する国債は三十年以内は同盟政府が、それ以降は帝国政府が責任を持って償還する。同盟政府の信用に不信を抱く人間は居なくなる筈です」
「……」
「現状帝国政府が所持する国債は同盟に返還しません。万一返還しそれを売りに出されては帝国の負担が増加しますから」
「しかし、無制限に国債を発行されては……」
私が抗議すると元帥がニッコリと笑みを浮かべた。

「ええ、大変な事になります。だから同盟の予算案は帝国の承認を得る事を義務付けるのです。国債をどれだけ償還しどれだけ発行するのか、三十年後、帝国が受け持つ分はどれだけになるのか、予算案から確認させて貰います。不備が有れば当然突き返す」
「それは……」
思わず絶句するとリヒテンラーデ侯が元帥に問い掛けた。

「同盟政府が断れば如何なる?」
「帝国政府は保証人になる事を拒否します。そして密かに同盟政府に対して帝国政府が所持する国債の償還に応じるように交渉します」
「……密かにか」
侯が問うと元帥が笑みを浮かべた。
「ええ密かにです。でもこういう交渉は自然と漏れるものです。あっという間に混乱が生じるでしょう」
リヒテンラーデ侯が元帥を一瞬睨んでから声を上げて笑った。

「酷い男だの。財政面から同盟を支配するか。民主共和政等と言っても帝国の言うがままじゃ、逆らえまい。理念など金の前には吹き飛ぶの。怖いものよ」
「そうですね」
「フェザーン人も顔負けの悪辣さじゃの。同盟政府など卿にかかっては赤子の手を捻る様なものか」
リヒテンラーデ侯が更に笑う。元帥は笑みを浮かべていたが侯が笑い終ると笑みを消した。

「国債だけでは有りません。年金も帝国が引き継ぎます。同盟政府が同盟市民に保証していた金銭面での権利を帝国が全て継承する。それによって同盟市民を安心させるのです。帝国は軍事面で同盟を圧倒しました。政治面、経済面で彼らの権利を保証すれば反帝国運動は小さくなる筈です」
リヒテンラーデ侯が大きく頷いた。

「つまりそれが憲法制定と国債、年金か……」
「そうなります」
「憲法、ですか?」
私が問うとリヒテンラーデ侯が“うむ”と頷いた。
「驚かせたか。新帝国を創るためには国の形を定めねばならん。近々に閣議を開き憲法の制定を諮るつもりじゃ。閣議の決定をもって陛下の御許しを得る。憲法制定のため、先ずは草案作りだがそれはヴァレンシュタイン元帥にやってもらう」
元帥に視線を向けたが驚く様子は無い。既に二人の間では決定事項か。一体どんな憲法を創るのか……。

「安心してください、ゲルラッハ子爵。皇帝主権は変わりません」
「……そ、そうですか」
ギョッとした。心の中を読まれたのだろうか。元帥がじっとこちらを見ていた。冷たい視線ではないが気圧されるような気がした。喉が干上がる、唾を飲み込む音が大きく響いた。元帥の口元が微かに緩んだ。

「民主共和政も取り入れません」
「は、はい」
リヒテンラーデ侯が笑い出した。如何して笑えるのか? 恨めしかった。政治面で待遇を保証しつつ経済面で抑え付けて従わせるか。飴と鞭そのものだな。今後の同盟対策は硬軟両用という事になるのだろう……。リヒテンラーデ侯とヴァレンシュタイン元帥を見た。この二人の飴と鞭か、同盟も大変だと思った。




 

 

第二百八十八話  三年の月日




宇宙暦 799年 10月 7日    ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



「少しは落ち着いたかな、ホアン?」
「そうだな。多少は落ち着いたような感じはする。こうして執務室で君とコーヒーを飲む時間も有るからな」
こうしてソファーに坐ってコーヒーを楽しむなど久し振りな気がする。帝国政府が憲法制定を公表してから既に一週間が過ぎた。同盟領の彼方此方で起きていた反政府運動、反帝国運動は多少なりとも沈静化しつつある。

「油断は出来んよ。今の同盟市民は何時活性化して爆発するか分からない危険極まりない活火山の様なものだ。取り敢えずは地鳴り程度で済んでいるが……」
「羨ましいよ、無責任に爆発出来るのだからな。ほんの少しでも国の行く末を考えたらそんな事は出来ないのに……」

思わず愚痴、いや怨嗟が出た。ホアンが私を切なそうに見ている。いかんな、トップは簡単に弱音を吐くもんじゃない。トリューニヒトはいつも楽天的に振舞っていた。腹が立つ事も有ったが救われた気分になった事も事実だ。楽な事よりも辛い事の方が多かった筈だ。あれは演技だったのだろうか? 少しは見習わないと……。

「地球教の件、如何なっているんだ、レベロ?」
「軍の方で調べ始めている。しかしボロディン本部長は半信半疑だったな。殆どがフェザーンに逃げた筈、同盟での影響力は考えられない、有っても微々たるものだろうと言っている」
「今の混乱に関係は見られないか。……同盟よりも帝国の方が地球教に対する危機感は強いな。ヴァレンシュタイン元帥を何度か暗殺しようとしたからだろうが……」
「そうだな」

軍は今回の敗戦で責任を問われなかった。軍が帝国軍を引きずり込んでの一戦を考えたのに対し政府が水際での防衛を命じた事、宇宙艦隊の降伏は政府の命令であった事が同盟市民の軍への同情に繋がっている。同盟市民は軍が十分に戦えなかったと見ているのだ。軍上層部であった大きな人事異動はビュコック老人が退役しウランフ副司令長官が司令長官に就任した事ぐらいだ。そして国防委員長がアイランズからシャノンに代わった。

「それより例の件、如何する? 帝国からの提案だが……」
ホアンが身を乗り出してきた。
「株と国債か、頭が痛いよ」
私がぼやくとホアンが溜息を吐いた。深いな、ホアンもかなり参っている。まさかあれ程膨大な株と国債がフェザーンに、そして帝国に流れているとは思わなかった。経済が問題になるだろうと考えたから議長と財政委員長を兼任したが良かったのかどうか……。現状では極秘とされているが公表されればとんでもない騒ぎになるだろう。それこそ火山の大噴火だ、政府はそれに耐えられない。頭の痛い事だ……。

「財政委員会に検討させたのかね?」
「密かに検討させたけどね。予想通り、いや予想以上に碌でもない回答が返ってきたよ。聞きたいかね?」
「聞かせてもらえるならね」
物好きだな、ホアン。後悔しても知らんぞ。一口コーヒーを飲んだ。口中が苦い、さっきまでは感じなかったが……。

「株を得た場合、これを売却出来るかどうかが問題になる。売却出来ればかなりの利益が同盟政府の懐に入るだろう。政府は財源を確保出来るわけだ」
「良い話だ。それで、売却出来るのかね?」
「それを聞くな、ホアン」
ホアンが表情を顰めた。溜息が出そうになったが何とか堪えた。

「難しいだろうと財政委員会は考えている。財源が確保されているならともかく売却益を財源にするから株を買ってくれと言われて同盟市民が素直に株を買うか判断がつかないようだ。企業を取り巻く環境が不安定で先行きが余りにも不透明過ぎる。その所為だと思うが市民の間では株を買うどころか手持ちの資産を現金化しようとする動きが出ているらしい。銀行からも預金が減少しつつあるという兆候も出ている」

「本当か、それは」
ホアンの声が尖った。かなり驚いている。
「事実だ。まだ目立ったものではないがそういう傾向が生まれつつある。そして少しずつだが金の価格が上昇している。意味は分かるな?」
問い掛けるとホアンが頷いた。

「ああ、同盟市民の一部は経済的な混乱が発生すると見ている、そして貨幣価値が暴落すると見ている。そういう事だな」
「そういう事だ。つまり財政委員会は遠回しにだが無理だと言っているよ。私も同感だな、売却は無理だろう」
「その場合、如何なる?」
溜息が出た。医者が病人に余命宣告をするような気分だ。或いは家族への説明か。

「企業の業績が好調なら株の所持は問題は無い。しかし先ず有り得んな。おそらくは業績悪化、経営不振で政府に支援を要請する事になるだろう。筆頭株主でもある以上嫌だとは言えん。財源不足の所に支援要請、悪夢だよ」
「……」
ホアン、そんな顔をするな。未だ話す事が有る、これは入り口だ。

「言い忘れたが政府が株を売るのはそういう事態を恐れ責任を逃れるためではないかと取られる可能性もある。その場合酷い混乱が生じかねないと財政委員会は警告している」
ホアンが呻き声を上げた。
「しかし断ればどうなる?」
「企業倒産と失業者の増加だろう。そのうち革命が起きるな。帝国に併合される前に同盟が消滅するかもしれん」
ホアンが溜息を吐いた。背もたれに体を預けじっと天井を見つめた。

「……もし、株が売れたら?」
「万に一つも有り得ん事だが財源が出来る。但し、何のための財源になるかが問題になる。争奪戦になるだろう」
「景気高揚か国債の償還か、そういう事だな?」
「そうだ」
「夢も希望も無いな」

先行きが見えない今、同盟市民の多くが資産を現金化、或いは貴金属化しようとしている。財源は景気高揚よりも国債の償還に充てろという声は必ず上がるだろう。その場合失業者と国債の保有者の間で財源の奪い合いが起きるに違いない。つまり持てる者と持たざる者の争いだ。深刻な対立が生じる事になる。

「我々が株の受け取りを拒否した場合は?」
「最悪だな、同盟は自壊しかねん。先ず同盟政府が企業を見捨てたと言われかねない。深刻な政治不信が発生するだろうな。反政府運動が頻発するのも間違いない。そして業績の悪化した企業は否応なく帝国に支援を求める事になる筈だ。帝国がそれを断れば企業は倒産する。経済恐慌の発生だ」

「帝国が受諾した場合は?」
「その場合は企業だけじゃなく同盟市民も同盟政府よりも帝国政府を信頼するだろう。併合は早まるかもしれん。帝国政府の判断ではなく同盟市民の懇願によってだ」
沈黙が落ちた。ややあってホアンが首を激しく振った。纏わり付く重い空気を振り払おうとしているかのようだ。

「国債は如何なんだ?」
「国債か、……帝国政府の指摘通りだ。新規に発行しようとしても不可能だろうと財政委員会も見ている。つまり株が売れようが売れまいが関係ないのだ。景気高揚策など取れないし借金返済のために緊縮財政にならざるを得ない」
ホアンがまた首を横に振った。
「……とんでもない大型不況の発生になるな」
その通りだ。しかもこの不況、出口が見えない。同盟の力では脱出は不可能だ。

「結局のところ同盟政府には信用が無いという事が問題の根本に有る。これは政治、経済、財政の全てに於いてだがその事が状況を悪化させている」
「三十年後には国が消えるんだ。信用なんて有る筈が無い」
「その通りだ。……帝国の提案はその信用を帝国が同盟に付与しようというものだ。受け入れれば資産の現金化にも歯止めがかかるだろう。間違いなく経済面での効果は有る。直ぐには無理でも株の売却も可能になるだろうな。有り難い話だよ」
最後は吐き捨てるような口調になった。帝国はこちらの弱みに付け込んでくる、不愉快だった。

「提案を断るかね?」
ホアンが窺うように私を見ている。
「断っても誰も幸せにはならんよ」
「では受け入れるのだな」
念押しするような口調だった。私が断るとでも思ったのだろうか? それとも覚悟を確認した? 安心しろ、ホアン。不愉快だが統治を投げ出すような事はしない。

「受け入れれば少なくとも財政面では安定する。その影響は大きい」
「だが帝国への従属度は強まる。政治面での混乱が生じるだろう。そうは思わないか、ホアン」
「それが帝国の狙いなのだろう。経済面での安定と政治面での独立性、そのどちらを選ぶのか……。その選択を突き付けているのだと思う」
なるほど、人はパンのみで生きるものではないがパン無しで生きられるものでもないか。文句を言う前に腹を満たす事を考えろ、現実を思い知れ。そんなところだな……。

TV電話の受信音が鳴った。出たくなかったが無視するわけにも行かない。受信ボタンを押すと見慣れた顔がスクリーンに映った。
『やあ、元気かね、二人とも』
能天気な声に溜息が出た……。これは演技か? それとも……。八つ当たりだとは分かっているが殴ってやりたい……。



帝国暦 490年 10月 10日      オーディン   旧フェザーン高等弁務官府  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「如何ですかな、少しは落ち着かれましたか?」
「なかなか、そうはいきません」
俺とボルテックは顔を見合わせて笑った。意味なんて殆ど無い。社交辞令の様な挨拶だがほのぼのする。相手はフェザーン人なんだけどな、妙な感じだ。多分ボルテックの出してくれるココアの所為だろう。オレンジが僅かに香るココアだ。これが美味しんだよ、凄く癒される。

帝国に戻って結構経つがなかなか落ち着かない。ようやく今回の遠征の戦闘詳報が纏まり論功行賞が行われる。まあこれは基本的に全員昇進だから問題は無い。問題は軍の編成と配置だ。同盟から領地が割譲されたからそれを含めて防衛態勢をどうするかを決めなくてはならない。それと人事異動、これも面倒な話だ。イゼルローン要塞司令官の人事を決めなければならないしガイエスブルク要塞を如何するかも決めなくてはならない。フェザーン回廊の出入り口に置くか、或いは同盟側の宙域に置くかだな。同盟側に置くとすればフェザーン回廊とイゼルローン回廊の中間あたりかな。要検討だ。

「同盟政府は帝国からの提案を受け入れるそうですな」
「ええ、レベロ議長が決断してくれました」
ウンウンという風にボルテックが頷いた。
「正しい決断をしたと思います。政治的には受け入れ難いでしょうが市民の生活を考えれば間違ってはいない。経済的には安定するでしょう。……それにしても上手いものですな、感服しました。株と国債を使って同盟を支配下に置くとは」
ボルテックが朗らかに笑った。

「支配下に置いた等と、人聞きの悪い。予算編成に関して拒否権を持っただけですよ」
ボルテックがまた笑った。
「私はフェザーン人です。金を押さえるという事が何を意味するのか、良く分かっています」
参ったね、俺も笑うしかない。確かにちょっとえげつなかったかな。リヒテンラーデ侯、ゲルラッハ子爵も呆れていた。レベロも憤慨しただろう。

「トリューニヒト前議長がレベロ議長と連絡を取ったのですが彼が説得する前にこちらの提案の受け入れを決めていたようです」
「ほう、トリューニヒト前議長がですか。……傍に置いていると聞きましたがそういう事ですか。憲法制定、辺境開発のブレーンだけが元議長の仕事では無いのですな」
興味津々、そんな感じだ。

「まあそうです。こちらとしては出来るだけ混乱を少なくして併合を進めたいと思います。そのためには最低限の信頼関係を同盟政府との間に作っておきたい。同盟政府に暴走されては困るのですよ。同盟だけの問題では済みません、帝国も甚大な不利益を被ります」
「なるほど、そうですな」

「お互い大使を交換しますし人的交流も図ります。しかし何と言っても両国の最高レベルでの繋がりが有れば一番良い。例え帝国政府を信頼出来なくてもその周囲には信頼出来る人間が居る。そこから帝国の真意を知る事が出来る。或いは交渉が出来るとなればかなり違うでしょう」
「……閣下は慎重ですな」

揶揄しているようには聞こえなかった。いや例え揶揄だとしても俺は気にしない。原作を読めばバーラトの和約以降の同盟の暴走、混乱は悲惨としか言いようがない。ラインハルトにとっても想定外の事だっただろう。勿論そこには色々な要因が有る。レベロの判断ミス、オーベルシュタインの暗躍、レンネンカンプの個人的な怨恨、ヤン・ウェンリーの反撃……。

権力者は孤独だ。レベロだけじゃない、ラインハルトも孤独だと思う。オーベルシュタインやレンネンカンプの動きを知れば間違いなくラインハルトは余計な事をするなと二人を怒鳴り付けただろう。だがそうはならなかった。可能性は有ったのだ、ホアンが指摘したのだから。にも拘わらずレベロはラインハルトに接触しなかった……。結局の所レベロとラインハルトの間に信頼関係が無かった事が原因だったと思う。そしてレベロには良い意味での図太さ、図々しさが無かった、生真面目に過ぎるのだ。その事が彼を追い詰めた。

同じミスを犯してはならない。ミスを犯せば何十万、何百万という死傷者が出かねないのだ。その分だけ同盟市民と帝国臣民の間に憎悪が募るだろう。併合が早まってもそれでは意味が無い。それを防ぐためならどんな事でもする。ヨブ・トリューニヒトは今では俺の信頼厚いブレーンの一人だ。憲法の草案作りにも関わって貰うし辺境星域の開発にも関わって貰う。

トリューニヒトも俺の考えを理解して協力してくれている。民主共和政に関しては思う事も有るだろう、これからも俺を説得しようと考えるかもしれない。そういう意味では厄介だ。しかし同盟の暴発が百害あって一利も無いと思う事では俺と同意見だ。帝国と同盟の間に入って十分に潤滑剤の役割を果たしてくれるだろう。帝国に来てくれた事に感謝だ。

同盟市民、いや帝国臣民もトリューニヒトを裏切り者と見るかもしれない。しかしな、ルビンスキーとは違うぞ。私利私欲で帝国に来たんじゃない、自分の信念で帝国に来たんだ。どれほど非難を受けようと自分は未だ同盟のために役に立てると信じて帝国に来た。だから俺が使ってやる。同盟のためでも帝国のためでもない。人類の平和と繁栄のためにな。そして何時か心から俺の協力者にしてやる。

「来年、フェザーンに遷都を行います」
「……そうですか。フェザーンは落ち着いたのですな」
「ええ、問題は無いようです」
「夢が叶うのですな」
「はい」
ボルテックがゆっくりと頷いた。そして柔らかい笑みを浮かべた。

「不思議ですな。遷都のお話を初めて聞いたのは三年前の今日でした」
「そうでしたか」
「ええ、その五日後に十月十五日の勅令が有った……。良く覚えています」
「なるほど、そうでした。もう随分と前の様な気がします。……あれから三年ですか……」
不思議な話だ。俺は三年経ってあの日の答を聞きに来たというわけか。

「あの時の返事をしなければなりませんな。新帝国の閣僚として通商関係を取り扱う」
「協力していただけますか?」
「喜んで」
「有難うございます」
少しの間無言だった。感動は無かった、喜びも無い。ただようやくここまで来た、そんな達成感が有った。

いかんな、未だ終わっていないのに。フェザーンへの遷都と同時に通商省を立ち上げボルテックに通商尚書に就任してもらう。ボルテックには今から準備をしてもらわなければ……。フェザーンという中継国家が無くなった事で帝国と同盟は直接交易を行う事になった。今は未だ旧来のままだが遷都後には直接帝国政府が管理する事になる。商業ルール、商慣習の違いから混乱する様な事態を無くさなくてはならない。そして通貨の統一、これもボルテックに頼む事になるだろう。まだまだ始まったばかりだ。


 

 

第二百八十九話  併合への歩み



帝国暦 490年 10月 15日      オーディン ゼーアドラー(海鷲)  エルネスト・メックリンガー



「随分賑やかだな、クレメンツ」
「ああ、確かに」
店内に入ると明るい雰囲気が私とクレメンツを包み込んだ。彼方此方で談笑する軍人の姿が有る。皆の顔が明るい。昇進を祝っているのだろうがもう戦わずに済む、死の恐怖と向き合わずに済むという気持ちも有るのだろう。私にもそういう気持ちは少なからずある。ようやく戦争が終結した。

ウェイターの案内で席に着く。白ワインとチーズの盛り合わせ、それとサラダとポテトフライを頼んだ。他愛ない会話をしていると直ぐにワインとチーズの盛り合わせが出てきた。ウェイターが最初の一杯をグラスに注ぐ。透明な液体がグラスを満たした。

二人でグラスを掲げた。
「元帥昇進、おめでとう」
「有難う、メックリンガー。卿もおめでとう」
お互いの昇進を祝しワインを一口飲む。美味い、芳醇な香りと微かな酸味が心地良かった。

「さて、次は色の選定だな」
クレメンツが茶目っ気たっぷりにウインクした。思わず笑ってしまう。
「厄介な問題だ。それにしても士官学校に入った時は将来色で悩む事になるとは思わなかったな」
「同感だ」
クレメンツも声を上げて笑った。チーズを一切れ食べた。ブルーチーズ、白ワインに良く合う。

不思議な事だ。自分もクレメンツも平民階級に生まれた。士官候補生当時、将来帝国元帥になる、マントの色を如何しようなどと言えばキチガイ扱いされただろう。
「それで、何色にするのだ?」
「青か緑の系統にしようと思っている。メックリンガー、卿は?」
「ふむ、紫を考えている。濃くするか淡くするか、迷うところだ」
「なるほど、色の濃淡か。それによって大分感じが変わるな。……色は淡くしようかな」
クレメンツが頷きながらチーズを口に運んだ。淡い色か、若葉の色か空の色を考えているのだろう。

ヴァレンシュタイン司令長官を思った。トレードマークになった黒のマントと濃紺のサッシュ。軍服も含めてごく自然に黒を着こなしている。今ではそれ以外の色は思い浮かばないが元帥に昇進した当時、淡い色を選ぶという事は考えなかったのだろうか……。

「昇進は決まったが役職はどうなるのかな? 何か聞いているか?」
クレメンツが小首を傾げながら問い掛けてきた。
「私も詳しくは知らない。だがフェザーン遷都が来年に有る。遷都後に発表するようだな。それまでは最小限の異動で済ませるらしい」
「なるほど、帝国だけではなく同盟領の事も考えなければならんか」
クレメンツが二度三度と頷いた。

「それも有るが……」
「何だ?」
ウエィターがサラダとポテトフライを持ってきた。テーブルに料理を並べると彼が一礼して離れた。周囲を見回した。幸いこちらに注意を払っている人間は居ない。小声で“耳を貸せ”と言うとクレメンツが訝しげな表情をしたが顔を寄せてきた。

「驚くなよ、司令長官を政府閣僚にという話が有るらしい」
囁くとクレメンツが目を瞠った。目を左右に動かして周囲を見ている。安心しろ、誰も気付いていない。
「本当か?」
「先日、ケスラー提督から聞いた。あくまでらしいという話の様だがな」
クレメンツが唸り声を挙げた。

「出所はリヒテンラーデ侯の様だな。侯も御高齢、今の内にしっかりとした後継者を、そういう事らしい」
「なるほど。これから三十年かけて新帝国を創る、そのためか……。しかし今でも変わるまい、わざわざ軍人から政治家への転身というのが分からんな」
クレメンツが首を傾げた。
「自由惑星同盟では軍人が政治に携わるという事は無い。その辺りも関係が有るのではないかな」
クレメンツがまた“なるほど”と言って頷いた。

「おそらく軍部、政府の上層部で揉めているのではないかと思っている。だから新しい体制が決まらない」
「それは分かるが簡単に決まる問題でもあるまい。長引くのは良くないぞ。現状ではガンダルヴァにルッツとワーレンが居るがあの二人に同盟領の全てを任せたままというわけにはいかんだろう。負担が大きすぎる」
クレメンツの言う通りだ。現状はあくまで一時的なもの。常態化は拙い。

「ガイエスブルクの件もある、あれを如何するのか」
「フェザーンに持って行くという話が有るようだが……」
「俺もその話は聞いた。もう一つ要塞を造るという話もな」
もう一つ? 如何いう事だ? 疑問に思っているとクレメンツが“どうやら知らないらしいな”と言って話し出した。

「フェザーン回廊の帝国側、同盟側の出口にそれぞれ要塞を置こうという事だ。だがそこまでやる必要が有るのかという意見も出ているらしい」
「なるほど。一つはガイエスブルク、もう一つを新しく造るという事か。新たな帝都の安全保障を考えるならおかしな話ではないな」
「それに戦争が無くなったからな。軍事費は当然削減されるだろう。軍需産業が困らん様にという事も有るらしい」

クレメンツが小声で教えてくれた。なるほど、軍需産業救済か。平和による不景気、妙な話だ。先の遠征ではかなり儲けた筈だがそれだけにいきなりの不景気には耐えられんか。待て、フェザーン遷都が有るのだ。今後はフェザーンの企業がかなり食い込んでくるな。それも考えての事か。

「勝ったとはいえ問題山積みだな」
私が言うとクレメンツが肩を竦めた。
「どんな時でも問題は無くならんよ。それに負けるよりはましだろう」
「まあそうだな」
確かに負けるよりはましだ。私もクレメンツも悩みながらも美味い酒が飲めるのだから。



宇宙暦 799年 10月 1日    ハイネセン ある少年の日記



ようやく静かになってきたよ。ついこの前まで同盟領の彼方此方で反政府運動、反帝国運動が行われていた。運動は結構激しかった。毎日毎日何処かで騒ぎが起きてそのニュースばかり、うんざりだよ。このハイネセンでもデモ隊と警察が何度も衝突している。怪我人が何人も出たし逮捕者も出た。死んだ人が出なかったのは幸いだってニュースで言ってたくらいだ。

一昨日、帝国政府が憲法を制定する事を発表した。それで騒いでいた人達も大人しくなった。未だ内容が分からないから安心は出来ないけど市民の権利が守られるんじゃないかって皆が言っている。デモを起こしていた人達は自分達の勝利だ、帝国から譲歩を勝ち取ったって喜んでいる。でも母さんが買ってきた週刊誌に書いてあったんだけど帝国は以前から憲法を制定するつもりだったみたいだ。それに憲法制定の責任者はヴァレンシュタイン元帥、これって意味深だよね。元帥が帝国に戻った途端に憲法制定を発表したんだから。これでも勝ったって言えるのかな?

それに如何なんだろう? 帝国軍が居る時は黙っていて帝国軍が還ったら騒ぎ出す。卑怯だって帝国は思わないかな。ガンダルヴァには二個艦隊が居るらしいけど今回は何もしなかった。でも次は如何なんだろう? 凄い不安だ。ニュースでも余りやりすぎると帝国から報復を受けるだろうって言っている。でも騒ぎを起こした人達は意気軒昂だ。帝国なんて大したことない、もっと声を大きくして自分達の主張をすべきだって言っている。政府は弱腰だって。そうなのかな?



宇宙暦 799年 10月 9日    ハイネセン ある少年の日記



やられたよ、やっぱり帝国は凄く怒っている。昨日、政府から重大発表が有った。同盟政府が発行した国債、それに年金に対して同盟政府が無くなった後は帝国が責任を持って支払う事で合意したって。僕の父さんも戦争で死んだから遺族年金を貰っている。だから年金については大体分かる。でも国債っていうのは良く分からなかった。母さんに聞いたら国債って国が作った借金らしい。これが物凄くあるみたいだ。

そのかなりの部分を帝国が所持している。何でも十兆ディナールを超えるらしい。とんでもない金額で僕にはとても想像出来ない。元々はフェザーンが持っていたものだったんだけど帝国がフェザーンを征服したから帝国の物になったって言っていた。他にも帝国は同盟の企業の株を大量に持っている。これもフェザーンが持っていたものだ。まったく、フェザーンの奴、碌な事をしない。

もしこれを全部買い取れと帝国に言われたら同盟は破産しちゃうそうだ。お金の価値が無くなってとんでもない事になる、その日から何も買えなくなって生活出来なくなるってニュースで言っていた。そうなったら一日も早く帝国に併合して貰って帝国領になるしかないって。

でも帝国はそんな事はしなかった。株はただで返してくれたし借金も三十年後は帝国が責任を持つって言ってくれた。年金も払ってくれる。同盟市民の生活を保障してくれたって事だ。でもその代り政府の予算案、何に幾ら使うかって事だけどそれは帝国の承認無しでは作れない事になった。要するに帝国の言う通りに御金を使いなさいって事だ。

ニュースでもアナウンサーや評論家が凄く複雑そうな表情で話していた。経済は安定するけど政治的には同盟は死んだも同然だって。もう完全に帝国の傀儡国家だって言っていた。傀儡国家って意味が分からない。母さんに聞いたら誰かの言う通りに動く国家だって教えてくれた。悔しいな。でも母さんは仕方無いって言っている。ちゃんと生活させてくれるんだから言う事は聞かないといけないって。

先日まで騒いでいた人達は帝国は卑怯だって非難している。でも帝国の提案を受け入れずにやっていけるのかって反論されると皆黙ってしまう。結局母さんの言う通りなんだ。皆貧乏にはなりたくないし良い暮らしをしたい。同盟政府にはそれが出来なくて帝国政府にはそれが出来る。それが全てなんだ。悔しいよ。



宇宙暦 799年 10月 13日    ハイネセン ある少年の日記



また帝国にやられたよ。今日発売された週刊紙に凄い記事が書かれていた。帝国は暦の統一を考えているらしい。そして同盟政府に打診しているとか。打診と言っても多分命令なんだろうな。今日のハイネセンはその話でもちきりだ。同盟評議会では議員達がレベロ議長に喧嘩腰で記事の内容が本当なのかを確認していた。あれ、確認なのかな? どっちかって言うと要求、命令みたいな感じだったけど……。

議員達は暦を統一するなら宇宙歴にすべきだってレベロ議長に言っていた。帝国にもそう言うべきだって。宇宙歴の方が先に有ったんだからおかしな考えじゃないと思う。それに帝国歴なんて同盟市民なら誰も使いたくないと思う。議員達の要求は実現は難しいかもしれないけど気持ちは凄く良く分かる。でもレベロ議長が質問に答えた内容を聞くとちょっと違うみたいだ。

帝国の考えている暦の統一は宇宙歴でも帝国歴でもなく新しい暦を作って一緒に使おうって事らしい。帝国でも宇宙歴、帝国歴のどちらかに統一しようというのは難しいと考えているみたいだ。まあ当然だよね。それに帝国では大併合(最近ニュースでは三十年後の併合の事を大併合って言っている)を単なる統一ではなく新しい国造りだと考えているらしい。だから暦も新しくするんだとか。

なるほどって思った。新しい国造りなら新しい暦もおかしくない。母さんもそれなら仕方ないんじゃないって言っている。議員達もちょっと予想外だったみたいで全然勢いが無くなっちゃった。帝国はやり方が上手いよ。同盟が反対し辛い様に、出来ない様に持って行く。

その所為で最近同盟には親帝国派って呼ばれる人が増えてきた。帝国に協力して新しい国造りを一緒に行おうっていう人達だ。母さんなんて帝国が年金と国債の保証をしてくれてからは半分以上親帝国派だ。反帝国派はゆゆしき問題だって騒いでいるけどゆゆしきって如何いう意味なんだろう?

その他にも凄い発表がレベロ議長から有った。帝国は遷都を考えているらしい。今の首都、オーディンは帝国の奥深くに有って新しい帝国の首都には相応しくないって帝国の政治家達は考えているみたいだ。だから首都を移す。その新しい首都がフェザーン……。

吃驚したよ、新しい首都がフェザーンだなんて。皆吃驚している。評論家達も凄く興奮している。フェザーンならフェザーン回廊を直接押さえられるし同盟領にも出兵し易い。経済面でも凄く有利だって言っていた。そして帝国は本気で新帝国を造ろうとしているって言っている。

なんかもう帝国はガンガン新しい国造りを進めている感じだ。こっちは全然かなわない、帝国の言う通りにするだけだ。傀儡国家って意味がようやく分かったよ。僕は親帝国派じゃないけど、仕方ないんだろうけど凄く惨めだ。これから同盟はどうなるんだろう……。



帝国暦 490年 10月 20日      オーディン   ミュッケンベルガー邸  ユスティーナ・ヴァレンシュタイン



夫の胸に顔を乗せ深々と息を吸った。微かにソープの香りがした。
「如何したの?」
「いいえ、何も」
私が答えると夫は背中に手を回し私の身体を優しく抱き寄せてくれた。もう一度息を吸った。夢じゃない、夫はここに居て私を抱きしめてくれている。

戦争が無くなっても夫の忙しさは変わらない。朝早く出勤し帰りは決して早くない、食事も外で済ませてくる事も有る。仕方がない事だとは理解していている。でも寂しいという感情までは抑えられない。そんな私にとって寝室でのこの一時だけは夫を独り占め出来る時間だ。私にとっては何物にも代えられない至福の時間。

夫の胸から鼓動がトクトクと聞こえた。間違いなく夫は此処にいる。そう確信出来る事が本当に嬉しい。
「如何したの? 何か話したい事でも有るの?」
「いいえ、何も」
「本当に?」
気遣ってくれる事が嬉しかった。でもこうして心臓の音を聞いているだけで十分幸せ。そして夫の手が背中を撫でてくれるのがとても嬉しい。

「遠慮はいらないよ、夫婦なんだから」
「でもお疲れでしょう?」
「大丈夫、それほどでもない」
顔を上げて夫を見ると優しい目で私を見ていた。恥ずかしくて直ぐ顔を伏せてしまう。夫は困っているかもしれないと思った。もう何日も同じ様な会話をしている。でも私も困っている。このままで十分幸せ、これ以上望む事など無いのだから。

「……今度帝国と同盟で暦を統一する。聞いているかな」
「ええ、聞いています」
「……如何思う?」
如何しよう、夫は何を話して良いか困っているのかもしれない。だから暦の話を持ち出した。何か話さないと……。
「あの、お休みは如何なりますの?」
「お休み? ……ああ、祝日の事か」
夫がウンウンと頷くのが分かった。ホッとした。

「帝国と同盟の祝日をそれぞれ適当に入れるよ。似た様なのは削ってね」
「同盟のも入れますの?」
「ああ、自由惑星同盟建国記念日とか銀河連邦建国記念日とか」
「大丈夫ですの。そんな事をして」
驚いて夫の顔を見た。夫は楽しそうな笑みを浮かべている。

「大丈夫だよ。自由惑星同盟はもう反乱軍じゃない、帝国が認めた国家なんだ。そして三十年後には併合する国家でもある。同盟の祝日を入れる事に問題は無い」
「でも……」
「そのかわり帝国側の祝日も入れる。銀河帝国建国記念日、ルドルフ大帝生誕記念日、皇帝誕生日とかね」
「まあ。……同盟の人達、怒りますわ。それに帝国の人達だって……」
夫が声を上げて笑った。

「不満に思う? 祝日が増えて怒る人は居ないと思うよ」
「でも」
「その他にも憲法を制定すれば憲法記念日、フェザーンに遷都すれば新帝国成立記念日を制定する。同盟を併合後は統一記念日が出来るだろう。同盟市民にも嫌とは言わせない」
夫は悪戯をしているかのように楽しそうだ。

「呆れた。本当に人が悪いんですから」
「そんなことは無い。祝日は少ないより多い方が嬉しいからね。皆喜んで一緒に祝ってくれるよ」
夫がまた声を上げて笑った。本当にそんな日が来るのだろうか? でもそうなれば夫と一緒に居る時間も増えるかもしれない。そうなれば良いのだけれど……。



 

 

第二百九十話  憲法制定に向けて




帝国暦 490年 10月 25日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



銀河帝国宇宙艦隊司令部には奇妙な部屋が有る。新領土占領統治研究室、別名社会経済再建研究室と呼ばれている部屋だ。部屋はかなり広い。百名以上が使える机と椅子が用意されているし書類整理のためのキャビネットも沢山有る。複合機能印刷機にシュレッダー、パーソナルコンピュータ。給湯器に冷蔵庫、食器棚、大型のスクリーンを持つTV電話も有る。

あまり軍人の匂いがしない部屋だ。軍に、しかも実戦部隊の統括組織である宇宙艦隊司令部には場違いな部屋だと言える。そしてこの部屋の利用者も不思議な面々だ。ブルックドルフ保安尚書、グルック運輸尚書、リヒター自治尚書、シルヴァーベルヒ工部尚書、ブラッケ民生尚書、そして将来の通商尚書である事に内定したニコラス・ボルテック……。

政府閣僚がずらりと並ぶ。他にも改革派、開明派と帝国で呼ばれている人間達が大勢この部屋を利用している。書類を纏めたり議論をしたり。時に大声で怒鳴りあうような討論をする事も有ればヒソヒソと他聞を憚る様な打ち合わせをする事もある。軍からも私の他に、リューネブルク上級大将が時折参加する。私とリューネブルク上級大将の役割はオブザーバーの様なものだ。

今日はこの部屋に八人が集まっている。男七人、女一人。リヒター自治尚書、ブラッケ民生尚書、マリーンドルフ内務尚書、ルーゲ司法尚書、ヨブ・トリューニヒト審議官(帝国政府から新たに任命された)、アーサー・リンチ審議官、ヴァレンシュタイン司令長官。そして私、ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ准将。ヴァレンシュタイン司令長官が私達七人を呼び寄せた。

八人が揃う間、トリューニヒト審議官が時折リンチ審議官に訝しげな視線を投げた。見覚えが有る、そう思っているのだろう。だがリンチ審議官は軍服を着ていない、帝国風の平服だ。そして外見は六十近い風貌と疲れた表情をした伏し目がちな老人。思い出す事は難しいだろう。

ブラッケ民生尚書が最後に現れ八人が揃うと司令長官が話し始めた。
「今度、憲法を創る事になりました」
皆が頷く。先日政府から発表が有った。
「責任者は私です。草案を作成しリヒテンラーデ侯に提出する。侯が閣議にかけ承認されれば陛下の御許しを得て発布となります」
また皆が頷いた。

「草案の作成をこの八人で行います」
「この八人、ですか?」
マリーンドルフ内務尚書が訊ねると司令長官が頷いた。
「取り敢えずはこの八人です。民生尚書と自治尚書は以前から新帝国の政治体制について検討していた筈です。それを叩き台にして作成しましょう。一から作るのは大変ですから」

トリューニヒト審議官とリンチ審議官が民生尚書と自治尚書に視線を向けた。驚いているようだ。それにしてもこの八人、亡命者は私も入れれば三人、軍人は二人、貴族が二人、改革派が二人。バランスを取っている。
「幾つか押さえておいて欲しい点が有ります。先ず主権ですがこれは皇帝主権とします。そして帝国臣民の基本的人権の尊重。これは例え皇帝といえども冒す事は許されない」

「主権在民ではないのですな」
ルーゲ司法尚書が質問では無く確認をした。念を押したのだろう。司令長官が頷く。
「主権の拡散は好ましくありません。主権者は少ない方が政治責任の所在がはっきりします。権力の行使についても自覚を持たせる事が容易でしょう」
トリューニヒト審議官が頷いた。但し表情は明るくない。主権在民でないことが不満なのか、それとも同盟での混乱を思ったのか……。

「なるほど、主権は与えないが人権は尊重する。それによって平民達を守ろうという事ですか」
「その通りですよ、民生尚書。リヒテンラーデ侯との合意事項です」
「なるほど」
ブラッケ民生尚書がリヒター自治尚書と顔を見合わせ頷いた。リヒテンラーデ侯との合意事項という事は決定事項という事だ。その事を改めて理解したのだろう。

帝国人が主権について質問するのに対してリンチ審議官もトリューニヒト審議官も主権については何も言わない。ヴァレンシュタイン司令長官は主権について、民主共和政についてかなり厳しい見方をしている。無知によるものではない、むしろ驚くほど良く知っている。その上での否定だ。二人ともその事を理解している。何より銀河連邦は自壊し自由惑星同盟は敗れたのだ、民主共和制は専制君主制に二度敗れた、その事実は重い。

同盟領で反帝国運動による混乱が生じると同盟市民はその事を理解しているのかと疑問に思う事が有る。同盟内に居ては主権在民は当たり前の事にしか思えないのだろう。だが帝国に居れば主権在民は当たり前の事ではない。そしてその事に帝国臣民は特別不都合を感じていない。主権が何処に有るかと政治の善し悪しは別問題なのだ。民意が反映されなくても善政が行われる事は有る。

「それと行政、司法、立法、いわば統治に関わる部分において皇帝が保有する権利、これを明文化し混乱が生じないように、暴走する事が無いようにする必要も有ります」
「なるほど。……議会は如何しますか? いや勿論閣下が選挙による議員の選出に否定的な事は分かっています。私も現状では難しいと思いますが……」
ブラッケ民生尚書が司令長官を窺う。議会制民主主義に否定的な司令長官を慮っている。

「しかし何らかの形で議会は必要ではないでしょうか。三権を分立させそれぞれにおいて皇帝の権力が暴走するのを防ぐ。私は立法府は必要だと思います」
リヒター自治尚書が発言すると司令長官が頷いた。
「議会が必要だという事に反対はしません。それが帝国の統治に役に立つなら問題は無いと思います。幸いここには同盟出身で議会というものを熟知している人が居る。如何すれば混乱せずに済むか、そこを検討していきましょう」
司令長官の言葉に皆が頷いた。

帝国臣民は政治的成熟度が低いと言われる事が有るが本当にそうなのだろうか? 彼らは誰が政治を行うかについてそれほど関心を示さない。彼らにとって大事なのはどのような政治が行われるかだ。皇帝だろうと寵姫だろうと廷臣だろうと善政が布かれるならば帝国臣民は喜んで受け入れるだろう。過程に囚われず結果を重視する。或る意味において能力の有る者が政治を行う事を認めていると言えよう。それを政治的に未熟だと言い切れるのだろうか?

そういう目でヴァレンシュタイン司令長官を見ているといかにも帝国風のエリートなのだと思う。冷徹で権力の行使に躊躇いが無い。そして軍の実戦部隊の指揮官で有りながら極めて広範囲に及ぶ権力を保持している。民主共和政国家では有り得ない事だ。しかしその事で司令長官が帝国臣民から非難を受けた事は無い。彼らは司令長官がもたらした結果に満足している。

司令長官が帝国創成期に生まれていれば間違いなくルドルフ大帝の信頼を得て大貴族になっていただろう。もっとも爵位など要らないと返上したかもしれない。娘婿に選ばれた可能性もあると思う。でも皇女の嫁ぎ先が平民って有り得ないわね。大帝は爵位を要らないという司令長官と相手が平民では降嫁出来ないと言う皇女、皇后の間で頭を抱えたかも。

案外皇女が司令長官に好意を持って駆け落ち同然に押しかけ女房になったかもしれない。帝国創成期最大のスキャンダルかな。そうなれば帝国の歴史も変わった可能性はあると思う。平民達の待遇が改善され貴族達があれほど野放図に特権意識を持つ事も無かったかもしれない……。

「准将」
「はい」
「何か楽しい事でも有りましたか?」
司令長官が、皆が訝しげな顔をしている。もしかして私にやけてた?
「いえ、やりがいのある仕事を与えられたので嬉しくなったのです」
いけない、仕事優先。楽しい妄想は後にしよう。



宇宙暦 799年 10月 27日    ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



財政委員会から上がってきた報告書には金の価格が落ち着きつつある。株価も落ち着き経済の状況を表す指標は安定方向に向かいつつあると書いてあった。後は景気高揚対策を行い雇用の確保を図る事で軍縮小に伴う失業者の増加に対応するべきだとも。……結構な事だ。この報告書には自由惑星同盟は経済面において幾つか問題は有るが解決は可能で未来は極めて明るいと書いてある。気休めにもならん、報告書を放り捨てた。

次の報告書、法秩序委員会からの報告には各地で頻発していた反政府運動は下火になりつつあると報告が来た。そして今後の帝国との協力関係には十分に注意が必要で帝国、同盟、そのいずれかが軽率な行動をとると反政府運動が激しくなり同盟政府は不安定になると警告している。但し、帝国政府の最近の動向を考えると十分に同盟政府の立場を理解しているようだとも報告書には書かれていた。……これまた結構な事だ。同盟政府は安定しつつある。そして同盟政府は信頼出来る政治的パートナーを得たという事だろう。帝国政府はフェザーンとは違うという事だ。腹立たしい! シュレッダーで細断したい気分だな。

TV電話の受信音が鳴った。有り難い事だ、この忌々しい報告書から逃れる事が出来るとは。受信ボタンを押すと愛想の良い見慣れた顔が有った。見たい顔かどうかは……。溜息が出そうだ。
『やあレベロ、元気か?』
「あまり元気ではないな。この椅子は座り心地が極めて良くない」
最高評議会議長の執務室に有る椅子の肘掛を叩くとトリューニヒトが困った様な笑みを浮かべて頷いた。きっと演技だろうと思う自分が居た、最近性格が悪くなった様な気がする。気の所為ではないだろう。

『済まないな、レベロ。君とホアンには面倒を押し付けてしまった』
「気にするな、トリューニヒト。この椅子に座るにはそれなりの覚悟が要る。無責任な奴には任せられん。お前さんの言う通りだ」
『……』
「十年が勝負だと言っていたな、トリューニヒト。それは外れたぞ、多分五年が勝負だ」
トリューニヒトが渋い表情で頷いた。帝国の動きは非常に速い……。同盟は翻弄される一方だ。トリューニヒトも驚いているのかもしれない。

『レベロ、今度帝国は憲法を制定する。その草案作りのメンバーに私が選ばれたよ』
「本当か、それは」
『ああ。私の他に七人で草案を作成する』
「全員で八人か」
良い事なのだろう。八人の中の一人、その発言力は決して小さくない筈だ。そしてトリューニヒトはそれなりにヴァレンシュタイン元帥に信頼されているらしい。

『皇帝主権、基本的人権の尊重、この二つが憲法の背骨になる』
「やはりそうなるか」
『ああ、そうなるな』
主権在民ではない憲法。それが発布された時、同盟市民はどんな反応を起こすか……。暴動が起きるかもしれない。溜息が出そうだ。

『ただ議会の設置は認められそうだ』
「ほう」
思わず声が出た。ヴァレンシュタイン元帥は議会制民主主義には否定的だった。しかし議会の設置そのものは認めるのか……。だとするとどうやって民意を議会に反映させるかだな。

『それと憲法制定メンバーには改革派の政治家達も居る。彼らと少し話したんだが議会制民主主義に好意的なので驚いたよ』
「本当か?」
思わず笑ってしまった。トリューニヒトも笑いながら“本当だ”と言った。
『どちらかと言うと賛美に近かったな。民主共和政国家の元首長としてはいささか面映ゆかったね』
更に笑った。久し振りだ、こんな風に笑ったのは。

『門閥貴族全盛時の政治は酷かったようだ。専制君主制国家の悪い面だけが出たのだろうな。だから民主共和政が美しく見えたのだと思う』
「なるほど」
『今では彼らも議会制民主主義の導入は危険だと考えている。三十年後、同盟市民が自分は帝国臣民で帝国の繁栄のために義務を果たさなければならないと考えるだろうかと言われたよ。彼らの危惧を否定は出来ない』
笑いは収まりトリューニヒトは生真面目な表情をしていた。

「難しいだろうな」
『ああ、私も難しいと思う。残念な事だが議会制民主主義の導入は危険だとヴァレンシュタイン元帥が考えるのは無理もないと思う。同盟と帝国は百五十年に亘って戦ってきた。その事実を軽視すべきじゃない。軽視すれば人類は混乱するだろう』
残念だがその通りだ。政治制度に囚われるべきではないと言ったヴァレンシュタイン元帥の言は正しいのだろう。

「……民主共和政の終焉か」
『とも言えんよ』
スクリーンのトリューニヒトは笑みを浮かべていた。
「どういう事だ?」
『惑星レベルでの地方自治では民主共和政を認めても良いのではないかと改革派は考えている』
思わず唸り声が出た。そうか、地方自治が有ったか。

「中央で議会制民主主義を導入すれば感情的な意見の対立しか生まない恐れが有る。しかし地方自治ならその弊害は有っても少ないか」
『そういう事だ。帝国中央においては皇帝主権だが地方自治においてはその主権の一部を臣民に委譲する形で民主共和政を認める。その方が政治に関心を持たせる事が出来るのではないか。結果的に政治の健全性を保てるのではないかと彼らは考えている』
中央は皇帝主権による君主制専制政治、地方は国民主権による民主共和制政治か……。二重統治体制による帝国の運営……。

「諦めるのはまだ早いな、トリューニヒト」
『ああ、まだ早い』
「主権が拡散すればするほど政治責任の所在が曖昧になる。そういう意味では確かに大国の統治に民主政体は不適格だ。ヴァレンシュタイン元帥の言う通りだと思う。だが地方自治になら……」
『主権の拡散は限定的だ。それならば民主政体は不適格とは言えない』
限定的な主権の委譲……。皮肉な事にヴァレンシュタイン元帥の言った言葉自体が地方自治での民主政体の実施の裏付けになっている。あの若者、何処まで考えていた?

「これからだな、トリューニヒト」
『ああ、これからだ。そのためにも自由惑星同盟は安定した統治を行う必要が有る。信頼を得るためにね』
その通りだ。ここで混乱すれば地方政治への導入さえ否定されかねない。そうなれば民主共和政は完全に否定されてしまう。

「良いのか、そんな内情を漏らして。お前さんは帝国を叩き出されたら行き場が無いぞ」
私が気遣うとトリューニヒトが笑い声を上げた。
『問題は無い。元帥からは君と連絡を密に取るようにと言われている。彼は同盟政府が疑心暗鬼になって暴走する事を酷く恐れているよ』
「ほう」
暴走か、我々が一番恐れている事だ。

『妙な話だが同盟の安定を一番願っているのはヴァレンシュタイン元帥だろう。彼は併合までの道のりをソフトランディングで持って行きたいと考えている。信じても良いと思うね』
「なるほど」
確かに妙な話だ。同盟では一番信用出来ないと言われている人物が一番我々の事を案じ信用出来るとは……。世の中は不思議で満ちているな。

『ところで、妙な男に会ったぞ?』
「妙な?」
『アーサー・リンチ。覚えているか?』
「アーサー・リンチ?」
聞き覚えが有るような気がするな。誰だ? トリューニヒトは妙に楽しそうな表情をしているが……。

『分からんか。エル・ファシルで民間人を置いて逃げた……』
「あのリンチ少将か!」
思わず声が大きくなった。会った? ではリンチ少将は帝国に居るのか?
『彼は今帝国でヴァレンシュタイン元帥の仕事を手伝っている』
「……まさかとは思うが」
トリューニヒトが頷いた。

『そのまさかだ。彼は憲法草案作成のメンバーの一人だよ』
「……信じられんな」
溜息が出た。スクリーンからはトリューニヒトの笑い声が聞こえる。まさに、世の中は不思議で満ちているな。というより帝国はどうなっているんだ? さっぱり分からん。







 

 

第二百九十一話  産みの苦しみ



帝国暦 490年 10月 31日   オーディン 宇宙艦隊司令部  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「大使の仕事は大変だと思いますが健康に気を付けて頑張ってください」
「有難うございます、閣下。身に余る大任、心して努めます」
新任の大使、ユリウス・エルスハイマーが穏やかな表情で軽く頭を下げた。いや、そんなに感謝されても困るんだ。新婚の奥さん連れてハイネセンなんて俺なら絶対に嫌だな。もしかすると奥さんが乗り気なのかな。民生品は同盟の方が品質は良い。ファッションも帝国よりも多様性に富むだろう。

「大使の役割は非常に重要です。これから三十年、同盟政府を帝国に協力させつつ併合へと持って行かなければならない」
「はい、混乱させずにですね」
「そう、そして強制では無く納得させながらです」
エルスハイマーが表情を厳しくして頷いた。難しい役だ、だが誰かがやらなくてはならない。エルスハイマーは理性的で同時に胆力も有る。適任だろう。

「大使に軍人では無く文官である卿を選んだのもそれが理由です。軍人という人種はどうしても武断的になりがちですからね」
「そうかもしれません」
エルスハイマーが苦笑を浮かべた。
「でもそれでは拙いのです。大使館が相手にするのは政府だけでは有りません、百三十億の同盟市民もその対象です。彼らは必ずしも理性的ではない。何気ない発言の一つが彼らを憤激させ暴発させる事も有る。十分に注意して下さい」
「はい」

エルスハイマーが緊張している。脅かしのつもりじゃない、俺は本気で言っている。ラインハルトの行った人事でレンネンカンプを高等弁務官にした事は失敗だった、適任者では無かったと言うのがその評価だ。だが俺に言わせれば軍人を選んだ、その時点で失敗だったと思う。軍は上意下達だ。そして判断は武断的になり易い。理由は簡単、軍は軍隊という力を使うからだ。そして人間は使い慣れた方法を好む。文官が弁務官ならあんな混乱は無かっただろう。

ついでに言えばロイエンタールを新領土総督に任命したのも拙かった。結果的にじゃない、最初から間違っていたと思う。理由はレンネンカンプの場合と同じだ。多分軍人をトップにした方が万一同盟内で大規模な反帝国運動が起きても対処し易いと思ったのだろうが新領土総督には文官を任命しその下に治安維持軍として二個艦隊も配備した方が良かった。あんな帝国軍同士で相撃つような反乱騒ぎはならなかった筈だ。

「大使館には護衛は有りますが軍事力は有りません。ウルヴァシーの帝国軍に出動の要請は出来ますが命令は出来ない。ハイネセンに赴く前にウルヴァシーでルッツ提督、ワーレン提督と十分に話し合って下さい」
「分かりました」
「幸運を祈ります」
「有難うございます、閣下」

エルスハイマーが一礼して司令長官室を出て行った。安心しろ、エルスハイマー。お前の安全は誰よりも同盟政府が確保するために努力するだろう。帝国は同盟との和合を望んではいるが殴られて黙っているような事はしない。お前に万一の事が有った場合、そのペナルティは同盟政府の背骨を圧し折る程の物にしてやる。その事は既に同盟政府には通達済みだ。

この時期に出立となるとハイネセンに着くのは年が明けてからになるな。向こうに着いたら確認してもらう事は沢山ある。軍の縮小に伴う艦船の廃棄、それに来年度の予算編成方針、税収の見込み等だ。特に税収の見込みは国債の発行にも関係する。エルスハイマーは忙しい日々を送る事になるだろう。

エルスハイマーには十分なスタッフを付けたが大丈夫かな。参事官、駐在武官、書記官、理事官、外務書記、翻訳官、警備対策官、調査員。いろんな名目で人を出した。軍は当然だが財務、民生、内務からも人を出している。上手くやってくれれば良いが……。二月くらいに一度確認だな。

「閣下、そろそろお時間です」
ヴァレリーが俺を見ている。時間? 何の時間だった?
「軍務省で尚書閣下、統帥本部長閣下と御約束です」
「分かりました」
そうだった、軍務省で帝国軍三長官会議だ。イゼルローン要塞とガイエスブルク要塞の事を決めないと。それにイゼルローン回廊の清掃の件も有る。……ヴァレリー、そんな咎めるような目で俺を見るな。予定を忘れる事だってあるさ。そのために君が居るんだろう。準備をするか。資料は……。アレ、何処に行った?

フェザーン遷都が正式に発表された。特に混乱は無かった。まあ発表以前に同盟には伝えていたしフェザーンでもある程度噂にはなっていたから驚きは無かったようだ。公然の秘密が秘密ではなくなった、そんなところだ。フェザーンには六月中に移動し七月一日に新帝国成立宣言を行う。

新しい暦もその時から使いたいんだが未だ同盟側と調整中だ。新暦の使用は再来年からだな。但し新暦の元年は来年という事にしよう。ちょっと変則だが仕方がない。……同盟は相変わらず立場が分かっていない。皇帝誕生日が嫌だとかルドルフ大帝生誕記念日が嫌だとか馬鹿な事ばかり言っている。自由惑星同盟の建国記念日を祝日として入れるんだ、そのあたりを考えて欲しいよ。新帝国は同盟を否定しないという事を意味していると何故理解しない。……資料は机には無いな。何処にしまった? 落ち着け、ヴァレリーが妙な眼で俺を見ている。

これからも同盟の歴史、政治史、社会史、経済の変遷を学問として研究しても全然構わないと言っているんだ。民主共和政も研究してもらって結構だ。その上で何故帝国が民主共和政を否定したか、主権在民を否定したかも研究して貰えば更に結構だ。ルドルフの研究をしても全然構わない。公式の場では敬意を払ってもらう。間違ってもルドルフの糞野郎とは言わせない。しかし学問の対象としては批判しても構わない。ルドルフは賢くなかったと言って貰って構わないんだ。

フリードリヒ四世は劣悪遺伝子排除法を廃法にした。治安維持局は廃止されかつて不当に逮捕され罪人にされた人達の名誉回復も行われている。つまりルドルフは間違っていたと帝国は認めたんだ。帝国は古い殻を脱ぎ捨て新しい国家に生まれ変わろうとしている。新しい皮に古い酒を入れるんじゃない、新しい酒を入れようというんだ。そこには自由惑星同盟という酒精分も入れると言っているんだが……。何で見つからない? 溜息が出そうだ。

やっぱり原作と違って王朝交代が無いから新帝国という概念が浸透しないのかな。ゴールデンバウム王朝の始祖はルドルフだ。ゴールデンバウム王朝が続く限りどうしても神聖視せざるを得ない部分は有る。しかし旧帝国と新帝国は別物と考えるべきだ。王朝交代なき国家の交代。ルドルフは旧帝国の始祖であり新帝国の始祖ではない。新帝国の始祖はフリードリヒ四世だ。そこを理解させる必要が有る。……有った、有った。資料はカバンの中だった。入れたのを忘れていた。

「さて、行きましょうか?」
「はい」
俺が席を立つとヴァレリーが後に続いた。廊下を歩いているとヴァレリーが“閣下”と話しかけてきた。何だ? さっきの件か?
「帝国では将官になると研修が有るのですか?」
「ああ、それですか。そう言えば有りましたね」
ヴァレリーが妙な表情をした。

「閣下がそのような研修を受けられたような記憶は無いのですが……」
そうか、ヴァレリーが副官になったのは俺が准将になった時だったな。そのヴァレリーが今は准将か。月日が流れるのは速いな。
「私は免除されました。当時宇宙艦隊司令部の作戦参謀でしたからね。出兵も迫っていた。任務優先で許されたのですよ」
「なるほど」
ウンウンと頷いている。

「研修、頑張ってください」
「はい、有難うございます」
安心しろ。宇宙艦隊司令長官の副官を落とす様な阿呆は居ないよ。ごく普通の成績を取れば問題は無い、合格する。それにしても俺って将官の研修は受けてないし艦隊司令官の研修も受けていない。特例中の特例だな。あんまり嬉しくない。気分を切り替えよう。

やはり新帝国設立宣言だな。その中で新帝国は旧帝国とは別物で始祖はフリードリヒ四世であると強調する必要が有る。或いはルドルフの愚行を否定し謝罪するという手も有るな。難しいかな? ゴールデンバウム王朝の始祖の否定、一つ間違えると王朝そのものの否定になりかねん。そこまで同盟に配慮する必要が有るのかという批判が出るのは間違いない……。

ルドルフに代わる権威を作り出すのが先か。フリードリヒ四世を新たに始祖とする新ゴールデンバウム王朝の成立を宣言する。これまでの王朝を旧ゴールデンバウム王朝と名付け決別を宣言するわけだ。そしてフリードリヒ四世を新たな王朝の始祖とし大帝と呼んで尊崇する。いわば新王朝成立、或いは王朝交代宣言だな。

となると来年、新年の祝賀に会わせて新王朝成立を宣言するのがベストか。暦を来年から新しくする事の根拠にもなる。その半年後にフェザーン遷都で新帝国成立宣言を行う。始祖であるフリードリヒ四世の引退は当分無理だな。リヒテンラーデ侯に相談してみるか。フリードリヒ四世、皇女方にも話す必要が有る。如何なるかな、頭が痛いわ……。



帝国暦 490年 10月 31日      オーディン  新無憂宮  エリザベート・フォン・ゴールデンバウム



「心配していました。何時かは会える日が来るとは思っていましたが」
「御心配をおかけしました事、御詫び申し上げます。そして何の御役に立てずにブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を皆様から奪う事なってしまいました。申し訳ありません」
グライフス大将が頭を下げるとお母様、叔母様も首を横に振った。

「そんな事は有りません。大将には感謝しています。貴方が逃げてくれたから娘もエリザベートも無事でした。ブラウンシュバイク公からの依頼とはいえ苦しかったでしょう」
「妹の言う通りです。夫は貴方に詫びておいて欲しいと皆に頼んだそうです。本当に感謝しています」
お母様達、そして私とサビーネがグライフス大将に謝意を述べると今度は大将が首を横に振った。

「とんでもありません。小官は貴族連合軍の総司令官にしていただきながら勝つ事が出来ませんでした。御信頼に応えられなかった私に唯一出来る事を命じて頂いた事、公には感謝しております」
あの内乱の事は今でも夢に見る事が有る。叔父上が戦死した時の混乱、お父様の“来てはならん”の言葉、そして去ってゆく後ろ姿……。二度とお父様を見る事は無かった。あれが最後の姿……。

「そして今こうして皆様にお会いしてあの時の公の御命令が正しかったのだと改めて確信しました。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の墓前で良い報告が出来ます」
グライフス大将の口調はしみじみとしたものだった。私達を優しそうな目で見ている。胸が暖かくなった。お母様も叔母様もそしてサビーネも眼が潤んでいる。

「この後は如何なさるのです。決まっているのですか?」
叔母様が問い掛けるとグライフス大将がちょっと困った様な表情をした。
「侍従武官は如何かとヴァレンシュタイン元帥から打診を受けています。ただ私の様な反乱に加わった者が宮中奥深くに居ても良いものか……。正直迷っております」
お母様と叔母様が顔を見合わせ頷いた。

「受けて頂けませんか?」
「アマーリエ様……」
「実は陛下が退位を考えていらっしゃいます」
「なんと……」
「そして後を私にと」
「それは……」

グライフス大将が驚いている。お母様は元はブラウンシュバイク公爵夫人、反逆者の配偶者だった。本来なら皇位等という話は有り得ない。私も未だに信じられずにいる。
「本当なのですな?」
「ええ、本当です」
大将が深々と息を吐いた。

「来年、フェザーンに遷都しますがその後、退位されお姉様に皇位をというのが陛下のお考えでした。聞いたのは私達姉妹とリヒテンラーデ侯です。その場では結論は出ませんでした。陛下はヴァレンシュタイン元帥にも相談するようにと……」
皇位継承問題に元帥を加える。御爺様のヴァレンシュタイン元帥に対する信頼は非常に厚い。

「それで、元帥は?」
「時期尚早……。最低でも憲法発布までは退位は為されるべきではないと。リヒテンラーデ侯も同意見でした」
叔母様の答にグライフス大将が頷いた。
「そうですね、これからしばらくは同盟領内で混乱が生じるでしょう。帝国にも影響が出る筈です。時期尚早というのは間違っていないと小官も思います。御不満ですか?」

「いいえ、そんな事は有りません」
お母様が首を横に振って否定すると大将が安心したように小さく息を吐いた。もしかするとお母様が皇位を望んでいる、現状を不満に思っていると危惧したのかもしれない。でもそれは無い、お母様も叔母様も権力の恐ろしさをあの内乱で嫌という程理解した。それは私とサビーネも同じ。

「ですが立太子は避けられません。帝国の政治に関わらざるを得ないと考えています」
「なるほど。……小官に侍従武官を勧めるのはアマーリエ様を助けよと?」
「そうです。迷惑かもしれませんが受けて欲しいのです」
「信じられませんか? 今の政治家達が?」
大将の問い掛けにお母様と叔母様が顔を見合わせた。

「そうでは有りません。ただ……」
「……ただ?」
お母様が溜息を吐いた。
「私達は一度反逆者になりました。その事は忘れる事は出来ません。そうでしょう、クリスティーネ」
「ええ、私達は二度と間違う事は出来ない。信頼出来る人物に傍にいて欲しいと思います」
お母様と叔母様の表情は暗い。私達は父と叔父の事を恥じてはいない。それでも父と叔父が反逆者、私達はその家族という過去は重く圧し掛かっている。

「他に信頼出来る方は居ないのですか? アンスバッハ、シュトライト、フェルナーは如何しました? ブラウラー、ガームリヒは?」
「皆、それぞれ場所を得て仕事をしています。何かと私達を気遣ってくれますが……、常に傍にいるという訳では有りません」
グライフス大将が“なるほど”と頷いた。

「元帥が小官に侍従武官をと言ったのは皆様方の事を考えての事かもしれませんね。……私の役割は皆様方の相談役になる事。そして政府の方々と皆様方の潤滑油になる事。それで宜しいでしょうか?」
「勿論です。そうでしょう、お姉様」
「ええ。有難うございます、大将」
お母様と叔母様が喜ぶとグライフス大将がちょっと困った様な表情をした。
「どれほどお役にたてるか。ですが誠心誠意、務めさせていただきます」
お母様、叔母様が顔を見合わせて嬉しそうに頷いた。良かった。本当に良かった。



 

 

第二百九十二話  悪名



帝国暦 490年 11月 3日     オーディン  リヒテンラーデ侯爵邸  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「珍しいの、卿が自ら訪ねて来るとは」
「いささか、表では話せぬ事を相談したいと思いまして」
「そんな事だと思ったわ」
爺さんが笑い出した。まあそうだな、俺も爺さんも仕事抜きで会った事など一度も無いだろう。極めて無味乾燥な関係だが俺は嫌いじゃない。爺さんも同じだと思う。そのうち趣味の話でもしてみるか。でもこの爺さん、何の趣味が有るのか。まさかとは思うが悪巧み?

応接室に通され紅茶を出された。一口、二口飲む。十一月の夜ともなれば流石に冷える。温かい紅茶が身に沁みた。
「奥方が待っていよう」
「少し遅くなると言ってあります」
「そうか」
もう一口、紅茶を飲んでカップをソーサーに置いた。

「いささか困惑しております」
「反乱軍の事か」
「リヒテンラーデ侯、その言葉は……」
「なるほど、拙かったの」
リヒテンラーデ侯が苦笑した。人生の大半を反乱軍と呼んで過ごしたんだ、そう簡単には直らない。問題はそこだ。

「侯の目から御覧になって今の帝国と十年前の帝国、同じ王朝の帝国と見えましょうか?」
「いや、見えんの。よくまあここまで変わったものよ」
侯が詠嘆した。本心だろう、俺だって良く変わったと思うくらいだ。
「そうですね、帝国人なら皆がそう思います。しかし同盟人はそう思いません」
侯がフムと鼻を鳴らした。鼻を鳴らすと国家の重鎮というより人相の悪い爺さんになるな。

「ゴールデンバウムの悪名がいささか強過ぎるようです」
リヒテンラーデ侯が目を剥いた。
「卿、とんでもない事を言うの。五年前なら不敬罪で治安維持局が卿を逮捕するところじゃ」
「そう、それなのですよ。同盟人が持っている帝国の印象は」
「なるほど」
侯が大きく頷いた。

「我々がどれほど帝国が変わったと認識しても同盟人はそう思わない。劣悪遺伝子排除法が廃止され治安維持局が無くなったにも拘らず同盟人が持つ帝国の印象はその古い帝国の姿なのです」
「なかなか人の心は変わらんか」
「変わらないのか、変わるのを拒んでいるのか……」
「百五十年、暴虐なる銀河帝国と非難してきたからの。簡単には行くまい」
リヒテンラーデ侯が大きく息を吐いた。

「少々不愉快な仮定かもしれませんがお聞きください。仮にローエングラム伯が帝国を簒奪したとします。そして劣悪遺伝子排除法を廃し同盟を下し三十年後に統一すると宣言した場合、果たして同盟人が帝国に対して持つ印象はどのようなものか? 今と同じなのか?」
侯がまたフムと鼻を鳴らした。

「ローエングラム伯を例えに使うとは随分と酷い例えよな。だが卿の言いたい事は分かる。当然だが違うであろうの。ローエングラムには卿の言う悪名は無い」
リヒテンラーデ侯が一口紅茶を飲んだ。それにしても、ラインハルトの名を口にしたら露骨に不愉快そうな顔をした。余程に嫌いなのだろうな。

「陛下が為された事はゴールデンバウム王朝、いえルドルフ大帝からの決別と言って良いと思います。帝国の政治、社会体制は根本から変わった。もう同じ王朝とは言えません。しかし王朝の名義はゴールデンバウムです。家の中身は変わっても外見は変わらない。そして同盟人はその外見しか見ていない」
「なるほど、悪名高きゴールデンバウムか。卿の言う通りよな」
「……」
「考えてみると簒奪というのも悪くないのかもしれん。過去の悪事とは決別出来るからの」

おいおい、そんな事言って良いのか。そう思っていたらリヒテンラーデ侯がニヤリと笑った。この爺さん、楽しんでるな。まあ俺くらいしかこんな物騒な話はしないか。他の連中は何処かでゴールデンバウムの名に遠慮が有る。それにしても食えない爺さんだ。

「残念ですが帝国は簒奪ではなく改革を選びました。まあ改革というより革命に近いものですが王朝の交代は有りません。王朝の始祖はルドルフ大帝です。つまり我々は過去の悪名を引き摺らざるを得ない」
「面倒な事よの。……で、如何する? 何の考えも無しにここへ来たわけでもあるまい」

「新王朝成立を宣言してはどうかと」
「あと僅かで新年か、やるとすればその時だな。しかし何処まで意味が有るか……」
「それと歴史学者、政治学者を使って現在の帝国がかつての帝国とは違う事を発表させるのです。ゴールデンバウム王朝は改革により全く別の帝国を創り上げた。新たな帝国を創り上げた王朝もかつての王朝とは違う、新たな王朝であると」
リヒテンラーデ侯が笑い出した。

「卿、面白い事を考えるの。新王朝成立の理論付けか」
「そうです。学者達にはルドルフ大帝の批判をさせても良い。その事自体、新王朝成立と見做す根拠になる。そして講演会、討論会を帝国、フェザーン、同盟の彼方此方で大体的に行わせるのです。当然ですが帝国政府主催です」
「同盟もか」
「そうです。エルスハイマーの最初の仕事になるでしょう」
「まるで洗脳だの、反発するぞ」
また笑った。俺も笑った、確かに洗脳に近い。

「構いません。そのくらいやらなければ同盟人の意識は変わらないと思うのです。例え受け入れられなくても帝国は自分達の王朝が過去のゴールデンバウム王朝とは違うと言っているとは理解するでしょう」
「分かった。ゼーフェルト学芸尚書に話しておこう。適当に学者を選んでくれよう」 
「宜しくお願いします」

新王朝論。少なくとも同盟内部で帝国に協力しようという人間には受け入れ易い理論だ。そして自らの立場の正当性を主張し易い理論でもある。長期に、広範囲に広めていく。それによって徐々に受け入れさせよう。



宇宙暦 799年 11月 5日    ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



「帝国の大使が到着するのは一月だったな、ホアン」
「ああ、オーディンとハイネセンは遠い。そのくらいにはなるだろう。如何した?」
「彼が来なければ国債の発行が儘ならん」
「ああ、そうだな」
ホアンが顔を顰めた。

「軍人を民間へ戻す。そのためには経済状況の安定が必要だ。景気高揚対策を執らねばならんがそのためには財源が必要だ。それ無しでは失業者を増やすだけだろう。現状では先延ばしせざるを得ない」
「やれやれだな。失業者を恐れて税で養うか。已むを得ぬとはいえ財政赤字が増えるだけだな」

その通りだ、財政赤字が増えるだろう。だが已むを得ぬ。失業者の増加は単なる経済問題には留まらない。失業者の存在は大きな社会不安を引き起こす。現状、政権基盤の弱い政府にとって社会不安は危険すぎる。反帝国運動、反政府運動に簡単に結び付くだろう。受け皿無しでの軍からの放出は混乱を引き起こすだけだ。

TV電話の受信音が鳴った。受信ボタンを押すとトリューニヒトの顔が有った。多少は気分転換になるだろう。少々表情が厳しいな、何かあったか?
「如何したトリューニヒト」
『如何したじゃない。君達は何時になったら新暦に同意するんだ。帝国では同盟が何時までも同意しない事に批判が出ているぞ』
ホアンの顔を見た。顔を顰めている、多分私も同様だろう。

「いや、新たな暦が必要なのは理解出来るんだ。その事に反対はしない。だが祝日がね、ルドルフ大帝生誕記念日、議会の反発が酷いんだよ。君だって分かるだろう」
トリューニヒトが顔を顰めた。
『馬鹿な事を。君達こそ分かっているのか? 祝日には自由惑星同盟建国記念日、銀河連邦建国記念日が有るんだぞ』
「……いや、それは分かっているがね」
ホアンが言うとトリューニヒトが大きく息を吐いた。

『本当にその意味が分かっているのか? 帝国は自由惑星同盟を国家として認めると和平条約で約束した。そして暦にもその名前を使った祝日を入れようとしている。これから先も銀河連邦、自由惑星同盟という国家が有ったと伝えていくと言っているんだ。この宇宙に民主共和政国家が存在した事を否定しないと言っているんだぞ』
「……」
なるほど、そういう意味が有るか。ホアンが二度、三度と頷くのが見えた。

『レベロ、ホアン。帝国では地方自治には民主共和政を導入しようという意見が有るんだ。その声は決して小さくない。君達はもっとその事を重視すべきだよ。極端な事を言えば目的は民主共和政の存続で自由惑星同盟はそのための手段として利用する、そのくらいの覚悟を持つべきだ』

「随分な言葉だな」
『私は本気で言っているよ、レベロ。君達はごねて帝国の譲歩を勝ち取ろうとしているのかもしれんが……』
「そんなつもりは無い。いくらなんでもルドルフの誕生日が祝日にならないとは思っていない。だが議会が五月蠅いんだ。もう少し時間が欲しい」
私が答えるとトリューニヒトが“何も分かっていない”と首を横に振った。

『帝国は来年から新しい暦を使いたいと考えていた。フェザーンに遷都し新帝国成立を宣言する。分かるだろう、新しい国家に新しい帝都、新しい暦。全宇宙に新たな時代が来たと宣言するつもりだったんだ。それを君達がぶち壊した。帝国は新暦は再来年からの使用になると諦めている』
「……」

『気付かなかった等と言うなよ。帝国はスケジュールを公表していたんだからな。君達は当然気付くべきだったんだ。もし気付かなかったのだとすれば君達は自分達の立場を、自由惑星同盟が帝国の保護国なのだという事を理解していない。余りにも無神経過ぎるぞ』
「……」

『以前話した事が有るな。同盟政府には二人の主人が居ると。一人は同盟市民、そしてもう一人は帝国だ。その事を君達は忘れていないか?』
「そういうつもりは無いが……、同盟の内情を優先しすぎた、帝国との関係を疎かにしたという部分は有るかもしれない」
内心忸怩たるものが有った。ヴァレンシュタイン元帥が帝国に去った事で多少帝国を軽視したかもしれない。トリューニヒトがまた大きく息を吐いた。

『この件を進めているのはヴァレンシュタイン元帥だ。君達は見事に彼の顔を潰した』
「そんなつもりは本当になかったんだ、トリューニヒト。そうだろう、ホアン」
「ああ」
『だったらきちんと認識すべきだ。君達は彼の顔を潰したとね』
怒っている。或いはトリューニヒトはヴァレンシュタイン元帥から叱責されたのかもしれない。

『君達がどれ程嫌おうと彼は帝国最大の実力者なんだ。おそらくここ数年のうちに政治家に転身しリヒテンラーデ侯の後任者になるだろうと言われている。そうなれば名実共に帝国の第一人者だ』
「……」
『そして彼ほど同盟を、民主共和政を理解している人間は帝国に居ない。彼は君達の最大の理解者であり庇護者なんだ。その彼の顔を潰して如何する? 改めて市民に主権など不要だと確信させただけだ』
「……」

言葉が出なかった。ヴァレンシュタイン元帥は最大の理解者であり庇護者。トリューニヒトの言う通りだ。だが何処かで彼を敵視していたかもしれない。彼を無視しようとしたかもしれない。彼を困らせる事を望んでいたのかもしれない。だから交渉を引き延ばした……。有り得ないとは断言出来なかった。

『帝国の改革派の殆どが彼のシンパだ。彼らは民主共和政に好意を持っているが君達がヴァレンシュタイン元帥の顔を潰し続けるならば間違いなく民主共和政から顔を背けるだろう。帝国最大の実力者の顔を潰し続ける、そんな馬鹿げた政治制度を地方自治に取り入れる事が出来ると思うか?』
「いや、難しいだろうな」

『その通りだ。そんな事をすれば帝国は中央と地方の間でとんでもない混乱が生じかねないと判断する筈だ。分かるか? 君達の行為は民主共和政の存続を危うくしているんだ』
なるほど、自由惑星同盟の内情に拘るのは危険か。優先すべきは民主共和政の存続……。

「分かった、直ぐに議会を説得して新しい暦を受け入れる」
『それだけじゃ駄目だ。同盟政府から決定の遅延を謝罪し来年からの施行を希望するんだ』
「そこまで……」
『やるんだ、ホアン』
抗議しようとしたホアンをトリューニヒトが抑えた。

『一度はっきりと同盟市民にも理解させた方が良い。帝国からの要求は基本的に受け入れるべき物なんだ。詰まらない感情論で反対出来るものではないとね』
「……」
『帝国は三十年後の統一を目指して着々と進んでいる。同盟もその動きに合わせるべきだ。そうでなければ同盟を見る帝国の視線は徐々に厳しくなっていくぞ』
そして民主共和政を見る目も徐々に厳しくなっていく……。

「分かった、トリューニヒト。君の言う通りにする。ヴァレンシュタイン元帥に伝えてくれ、ジョアン・レベロがこれまでの非礼を詫びていたとね。そして改めて同盟政府から新暦の受け入れと来年からの施行を正式にお願いするだろうと」
私の言葉にトリューニヒトが“分かった”と頷いた。

トリューニヒトからの通信が切れると執務室には重苦しい空気が漂った。
「ホアン、自由惑星同盟は帝国の保護国か……。厳しい現実だな」
「ここに居ると忘れがちだがトリューニヒトは帝国に居る。嫌でもその事を認識せざるを得ないのだろう」
「そうだな、辛いのは奴も一緒、いや辛さは我々以上か」
そんな中でトリューニヒトは民主共和政存続のために戦っている。彼にとって我々の行動は歯痒く見えるのだろう。思わず溜息が出た。気が付けばホアンも溜息を吐いていた。




 

 

第二百九十三話  新王朝




宇宙暦 799年 11月 6日    ハイネセン ある少年の日記



昨日、レベロ議長が帝国が提案している新暦の受け入れと来年からの施行を帝国に要請すると議会で発表した。議会は大騒ぎになった。議員達は
『納得出来ない』
『ルドルフ大帝生誕記念日なんて受け入れられない』
って議長に詰め寄ったけど議長は全然無視。前日までは議長も
『受け入れは慎重に』
なんて言っていたのに……。

でもね、議員達もレベロ議長が
『自由惑星同盟は帝国の同意無しには国債一つ満足に発行出来ない保護国なのだという事実を忘れるな。市民の生活を犠牲にする覚悟が諸君らにはあるのか? 帝国からの要請は基本的に受け入れる方向で検討するべきものだという事を忘れてはならない』
と言われると反対出来ない。

それでも議長に辞任しろと言う議員もいたけど議長は全く動じなかった。
『君達が代わってくれると言うなら喜んで辞めてやるぞ。だが自由惑星同盟評議会議長の椅子は決して座り心地が良くない事を理解しているか。それを理解した上で君達に座る覚悟が有るのか? 同盟では最高の地位かもしれないが帝国から見れば下僕の一人にしか過ぎない。不要だと思えばいつでも首に出来る下僕だが』
誰も何も言わなかった。俯いて終り、情けない。

でもレベロ議長が言った事は事実だ。帝国がその気になれば議長の首を切るのなんて簡単だろう。何と言っても同盟政府は帝国の同意無しでは予算を作る事が出来なくなったんだから。そしてガンダルヴァには帝国軍二個艦隊が駐留している。今の同盟には帝国軍に対抗出来る戦力は何処にも無い。

夜のニュースは新暦の件とレベロ議長の豹変の件で大騒ぎだった。でも新暦の受け入れって仕方が無いって意見が多いんだ。だって自由惑星同盟建国記念日とか銀河連邦建国記念日が有るんだからルドルフ大帝生誕記念日が有っても仕方が無いって。そうなんだけどさ、ルドルフ大帝生誕記念日に御祝いなんてしたくないよ。学校が休めるのは嬉しいけれど。

むしろニュースのアナウンサー達が驚いていたのはレベロ議長の豹変ぶりだった。僕も驚いた。レベロ議長が急に帝国の代理人みたいな感じになっているんだから。そりゃ帝国の言う事を聞かないとどうしようもない事は分かるけど……、なんか納得いかない。アナウンサー達はレベロ議長はわざとやったんじゃないかって言っている。

帝国軍は帰還した。同盟市民は同盟が帝国に負けたのだと言う事実を忘れたがっている。だから何かにつけて帝国からの要請に反対する。多分議長は帝国から厳しく叱られたんだろう。だから慌てて新暦の受け入れを発表した。二度と帝国に叱られないように同盟市民に現実を理解させる必要が有る。だから敢えて同盟市民に、議会に厳しく出た……。アナウンサーが言っていたけど議長にとっては帝国よりも同盟市民の方が厄介な存在らしい。変なの。



宇宙暦 799年 12月 12日    ハイネセン ある少年の日記



昨日、TVで変な番組が有った。フェザーンで行われた討論会を放送した番組だった。討論会なんて詰まらないからチャンネルを変えようとしたら母さんから“変えちゃ駄目”って怒られた。なんでも凄く大事な番組らしい。大人達の間では大変な話題でこれを見ないと周りの話に付いていけないって鼻息を荒くしていた。

仕方なくて一緒に見たんだけど出ていたのは銀河帝国、フェザーンの政治学者、歴史学者だった。フェザーンにも政治学者とか歴史学者なんて居るんだ、ちょっと不思議な気分だったけど討論の内容は少し分かり辛かった。母さんが説明してくれたけど簡単に言うと今の銀河帝国はルドルフの創った銀河帝国とは全く別の物でゴールデンバウム王朝の名で呼ぶのは正しいと言えないのではないか、別な王朝、新王朝として扱うべきではないか、いやゴールデンバウム家が皇帝を輩出しているのだからゴールデンバウム王朝ではないか、そんな討論だった。

僕もゴールデンバウム王朝じゃないかって思ったけど新王朝として扱うべきだと言う人の主張って結構理屈が通っていて面白かった。元々ルドルフが創った王朝っていうのは長い年月の間に不都合な所が出て来てどうにもならなくなった。本当なら崩壊とか分裂してもおかしくなかった。それぐらい政治的には腐敗、混乱していた。本当に分裂していれば良かったのに。そうなれば同盟が帝国を支配して宇宙を統一出来た筈だ。

フリードリヒ四世は信頼出来る臣下達と共に帝国の再構築を行った。でもその時フリードリヒ四世が帝国再構築の理念としたのはルドルフが掲げた理念とは別の物でそれが三年前の五箇条の御誓文だった。理念が違う以上同じ銀河帝国とは言えない。

革命が無く同じ一族が皇帝として君臨するとはいえ同じ王朝とは言えないのではないか、新王朝として扱うべきだと。反対する人はゴールデンバウム王朝はゴールデンバウム王朝で新王朝論など所詮は過去の悪行から逃れようとする姑息な手段だって批判していた。

母さんは新王朝論に頻りに“そうねえ”って頷いていた。新王朝論に賛成なのって聞いたら“実際に酷い扱いを受けていないでしょ”って言われた。ルドルフの帝国だったら僕達は皆反逆者の末裔で酷い目に遭っていたって。三十年かけての併合だって同盟市民の事を考えていてくれるからだって。母さんは親帝国派だからな。

今日、学校に行ったら討論会を見ている人が多いのに驚いた。僕と同じで家族が見ているから仕方なしに見たらしい。でも見て良かったって人が多かった。新王朝論って結構皆に受け入れられているみたいだ。誰かが言っていたけど新王朝論を唱えた帝国の学者は帝国政府のために働いている学者らしい。だからあれは学者の意見じゃ無くて帝国の意見と見るべきだって。

帝国は同盟に反ゴールデンバウム感情が強いのでそれを打ち消すのに苦労している。今回の新王朝論もそのためだって言っていた。なるほどなあって思った。僕が帝国もルドルフを持て余しているんだねって言ったら皆笑っていた。子孫からも持て余されるってちょっと可哀想な気もするけど酷い事をしたから自業自得かな。

友達が来年の夏頃に『ローエングラム伯』っていう映画が上映されるって言っていた。御父さんが映画会社の人だから間違いないと思う。でもローエングラム伯? 帝国で反逆者として処刑された人だけどそんなの作って如何するんだろう。誰が見るのかな?



宇宙統一暦 元年 1月 1日    ハイネセン ある少年の日記



今日から新しい暦だ。ちょっと複雑な気分だったけどそんな気分はあっという間に吹き飛んでしまった。多分、同盟市民は皆僕と同じ気分だと思う。今日、帝国が新王朝成立を宣言した。銀河帝国皇帝フリードリヒ四世が過去のゴールデンバウム王朝銀河帝国と決別し新たなる王朝、新銀河帝国の成立を宣言するって言ったんだ。吃驚したよ、普通に新年の挨拶かなと思っていたから。去年から出ていた新王朝論はこの日のためだったんだ。そしてフェザーンに遷都してそこから宇宙を統治するって言った。

もう知っていたけど皇帝が宣言したから本当にフェザーンに遷都するんだって思った。遷都か、ちょっと想像出来ない。オーディンでは暴動とか起きないのかな? ハイネセンからフェザーンに遷都なんて言ったらハイネセンでは反対する人が大勢でそうだけど。

同盟では新王朝論についての討論会とか講演会が最近増えている。特集とか組んでいる新聞も多い。少しずつ新王朝論に賛成する人が増えているけど今回の宣言で一層増えそうな気がする。議会で議員がレベロ議長に新王朝論に賛成かって質問してたけどレベロ議長は“勿論”って答えた。帝国は憲法を作り市民の権利を守ろうとしている。如何見ても別な王朝だろうって。それで終わりだった。

新王朝論って帝国のためだけじゃないんだ。同盟のためでもあるんだ。帝国に協力したいって考えている同盟人にとってルドルフの創った帝国を認めるのかって責められるのは辛い。だけどフリードリヒ四世の創った親帝国、新王朝ならそれを感じずに済む。そういう事なんだ。

狡いよ、やり方が。多分ヴァレンシュタイン元帥だ。宇宙で一番狡猾な謀略家。卑怯で目的のためなら手段を選ばない陰謀家。少しずつ少しずつ同盟人を蜘蛛の糸で絡め取る様に自分の味方にしていく。まったく卑怯で陰険な奴だ。皆騙されても僕は騙されないからな。



宇宙統一暦 元年 1月 10日    ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



目の前に穏やかな表情をした帝国人が居た。
「ユリウス・エルスハイマーです。この度、自由惑星同盟駐在大使を命じられました。こちらが帝国政府の信任状です」
信任状を受け取ると中を確認した。確かにユリウス・エルスハイマーを銀河帝国大使として自由惑星同盟に派遣すると記してあった。宛名には自由惑星同盟最高評議会議長ジョアン・レベロ殿と記されてあった。そして署名は銀河帝国皇帝フリードリヒ四世。国務尚書、リヒテンラーデ侯の名も記されている。

「確かに確認しました。ようこそ、エルスハイマー大使。自由惑星同盟最高評議会議長、ジョアン・レベロです」
握手をすると激しい程のフラッシュが執務室で焚かれた。マスコミにとっても世紀の一瞬だ。明日の一面はこの写真だろう。宇宙統一歴元年を代表する写真になるかもしれない。

銀河帝国の皇帝が自由惑星同盟の最高評議会議長に信任状を書く。改めて互いに国家として認めあったのだと認識した。そして後三十年でそれが終るのだと寂しく思った。もっと早い時点で帝国との間に和平を結ぶ事が出来ていたら……。どの時点なら両国は手を結ぶ事が出来たのだろう。

マスコミを外に出しソファーに座って改めて向き合った。若い、と思った。トリューニヒトの話では開明派の一人でヴァレンシュタイン元帥の信頼が厚いらしい。そしてガンダルヴァ星域に居る帝国軍の指揮官、コルネリアス・ルッツ元帥の義弟でもある。大使への抜擢はその辺りの事も考慮しての事だろう。

「大使館を用意して頂いた事、有難うございます」
「いえ、大したことではありません。気に入って頂ければよいのですが」
同盟政府が用意した大使館だ。先ずは盗聴器の捜索が大使館員の最初の仕事の筈だ。もっともそんなものは仕掛けていないが。

「同盟政府からの帝国への大使派遣は何時頃になるのでしょう?」
「当初はオーディンにと思ったのですが帝国がフェザーンに遷都するという事で直接フェザーンに送る事になった事は御存じですな?」
「はい、そのように聞いております」
正確にはこちらから要請した。なかなか大使が決まらない。頭の痛い事だ。

「七月には遷都が完了すると聞いております。準備なども含めますとその一月前にはフェザーンへ着く必要が有るでしょう。遅くとも四月の終わりにはハイネセンを出発する事になりますな」
「なるほど」
エルスハイマーがウンウンと頷いた。

「私の方から何かお手伝い出来る事は?」
「いえ、今のところは有りません。というより帝国への大使の人選もこれから決めるような有様で……」
「なかなか難しいのでしょうか?」
表情が曇っている。心配してくれている様だ。

「決して楽な仕事では有りませんからな。同盟と帝国の間で板挟みになるのではないかと不安視するようです」
またエルスハイマーが頷いた。帝国と同盟では立場が違う。帝国は勝者、同盟は敗者。帝国で同盟の大使がどれ程尊重されるか、疑問に思うのは当然の事だ。

「余り心配は要らないと思いますが?」
「……」
「ヴァレンシュタイン元帥は同盟との協力を重視しております。不当な扱いを受ける事は無いと思います」
「残念ですが同盟人の多くはその事を知りません。困った事ですな」
「確かに」
悪い男ではないな、そう思えた。帝国はそれなりの人材を送って来たようだ。

「同盟政府としては早急に軍人を民間に戻したいと考えています」
「そのためには景気高揚政策を採る必要が有ると思いますが」
「その通りです。街に失業者が溢れる様な事態は避けたい。そのためには帝国政府の協力が必要です」
エルスハイマーが頷いた。

「国債の発行ですな」
「その通りです。御協力頂けようか」
「もちろんです。自由惑星同盟軍の縮小は帝国政府も懸念しております。早急に同盟政府の景気高揚政策を伺いたいと思います」
「では近日中に検討会を」
「承知しました」
先ずは馬を水飲み場まで連れて来ることが出来た。後は馬がこちらの出す水を飲んでくれるかだな……。



 

 

第二百九十四話  財務官僚の悩み



宇宙統一暦 元年 2月 3日    オーディン  新無憂宮  ライナー・フォン・ゲルラッハ



「これが同盟政府から提示された国債の使用内訳か」
「はい」
「総額で二千五百億ディナール、……少し多いのではないか?」
リヒテンラーデ侯が疑念を表明するとヴァレンシュタイン元帥が苦笑を浮かべた。確かに少し多い、財務省でもその点の指摘が出た。しかし少しだ、不適当に多いというわけではない。

「財務省は如何思うのだ?」
「少し多めに計上している可能性は有ります。だとすれば予め削られる事を想定しての事でしょう」
私が答えると侯が“フム”と面白くなさそうに鼻を鳴らした。そして元帥に視線を向ける。また元帥が苦笑を浮かべた。

「仕方ありません。何処の国でも財務官僚の仕事は税を搾り取る事と他人が作った予算案を貶す事です。おまけに金を出し渋る」
今度はリヒテンラーデ侯が苦笑いを浮かべた。
「卿は酷い事を言うの」
「間違っておりましょうか?」
「いや私も財務尚書を務めたからその辺りは理解している。否定はせぬ、予算折衝は粗探しの様なものよ、うんざりしたわ」
思い出したのだろう、侯が顔を顰めた。その通りだ。予算折衝の時期は胃が痛くなる。

「それで如何する? 認めるのか?」
侯が私と元帥の顔を見た。
「財務省では認めても良いのではないかという意見が大多数を占めております。私も同意見です」
「ほう、珍しいの」
リヒテンラーデ侯が面白そうに笑い声を上げた。そのように皮肉を言わなくても……。

「この予算案に対してハイネセンのエルスハイマー大使からディナールの通貨価値が下降傾向にある事、このままでは軍の縮小が進まない事に留意して欲しいと連絡が有りました」
「なるほど」
「それに景気高揚策は中途半端に行っては効果が出ません」
「どうせやるなら思い切ってか」
「はい」

同盟領ならこれまでもこれからも一ディナールは一ディナールだが対フェザーン・マルク、対帝国マルクに対してはそうはいかない。景気高揚策と言えば公共事業だろうが辺境開発にはフェザーンの協力が要る。通貨価値が下がればそれだけ費用は大きくなるだろう。

それに同盟の景気が好転しない限り同盟軍の縮小は進まない。そして同盟軍の縮小は帝国軍の再編に密接に関係する。同盟軍の解体が進まない限り帝国軍の再編は進まないのだ。つまり財務省は軍事費の削減に踏み込めない。既に帝国領内の辺境星域では開発が進み労働力の受け入れが可能な状態にまで来ている、いや必要な状況になっている。

軍から民間に人を戻し同時に軍事費を削って辺境の開発に回す。それによってさらに開発を進め辺境を発展させる。帝国の財政状態を健全に保ち辺境を発展させるためには早急に実施しなければならん。同盟の景気高揚策は帝国の安全保障、財政問題、経済問題そのものなのだ。財務官僚が同盟からの提案に多少眉を顰めても声を上げて反対しないのはそのためだ。

「卿は如何思うのだ、司令長官」
「受け入れるべきだと思います」
「……」
「ディナールの通貨価値が安定しなければ通貨の統一は出来ません。この点についてボルテック氏から懸念が出ています。そして通貨の統一は国家の統合に必要不可欠です。早急に同盟の経済を、ディナールを安定させなければなりません。そのためには大規模な景気高揚策が必要です」
なるほど、それが有ったか。リヒテンラーデ侯が大きく頷いた。

「分かった。同盟からの要請を受けよう」
元帥が頭を下げたので慌てて私も頭を下げた。
「それにしても統一とは面倒な物よ、向こうの事まで考えねばならんとは。……負担が倍になるの」
全くの同感だ。軍事費の増大、遺族年金の増加、税収の減少からようやく解放されたと思ったのに……。



宇宙統一暦 元年 2月 17日    ハイネセン  ヤン・ウェンリー



「軍を辞めたそうだね。退職願が受理されたとキャゼルヌに聞いたよ」
「今の同盟軍は私を必要とはしていません。今必要とされているのはキャゼルヌ先輩の様な人でしょう」
私が答えるとシトレ前本部長が微かに頷いた。どうやら心配して訪ねて来てくれたらしい。或いはキャゼルヌ先輩に頼まれたのか。

「これからどうするのかね?」
「三月までにこの官舎から出て行くようにと言われています」
「その後は?」
「未だはっきりと決めたわけではありませんがフェザーンにでも行ってみようかと……」
「フェザーンか」
「はい」
シトレ前本部長がまた頷いた。

口には出さないがユリアンはフェザーンに行きたがっている。ユリアンが如何いう人間になるのかは分からない。平凡な人間で終わるのか、或いは国家に大きな影響を与える人間になるのか。だが可能性を持たせるにはハイネセンに居るよりもフェザーンに行った方が良いだろう。これからの宇宙は間違いなくフェザーンを中心に動く。その中でユリアンが何を見、何を考えるのか……。

「奇遇だな。実は私もフェザーンに行く事になった」
「……と言いますと」
「同盟の大使としてフェザーンに赴任する」
「それは……」
「つい先日までは誰も大使に成りたがらなかったのだがね」
シトレ前本部長が笑いながら話し始めた。

「最近レベロ議長の元に自らを大使にと売り込みに来る人間が多くなった。帝国が同盟の提示した国債の額を削る事無く承認した。その事で帝国を与し易しとでも思ったらしい。当然だが帝国には帝国の考えが有る。国債の額を承認したのもその考えによるものだ。帝国は決して甘い相手ではない。ヤン、君なら分かるな?」
「はい」
分かっている。好意や善意だけで帝国が動く事は無い。彼らは極めて冷徹だ。同盟の要求を認めたのはそこに帝国にとっても利が有るからだ。

「その辺りを理解している人間は大使になろうとはしない。厳しい任務になるからな。だが大使に必要とされている人間はそれを理解している人間だ」
「それで閣下が?」
「ああ、レベロに頼まれてね、引き受ける事にした」
閣下が笑みを浮かべた。

「ヤン、如何かね、君も一緒に行かないか。私を助けて欲しいんだが」
「助ける……」
「私のスタッフとしてフェザーンに一緒に行って欲しいんだ」
「……」
「先程君は同盟軍は自分を必要としていないと言ったね。そうかもしれない、だがフェザーンでは君が必要だ。少なくとも私は君を必要としている」
私を必要としている?

「閣下が今日此処にいらしたのは」
シトレ前本部長が笑い声を上げた。
「そうだ、君を誘いに来た」
「……」
「ヤン、帝国では中央は専制君主制だが地方自治には民主共和制を導入しても良いのではないかという意見が有るらしい」
「地方自治で民主共和制を……」
シトレ前本部長が頷いた。なるほど、地方自治なら政治思想による対立は小さい。そして影響も限定される。

「その声は決して小さくない。トリューニヒト前議長からレベロ議長に報せがあった」
トリューニヒト前議長から……。
「民主共和制を途絶えさせてはならない。例え地方自治でも市民の声を政治に反映させる、その思想を残すべきだ。違うかね?」
「……」

「そのためには我々は帝国の信頼を勝ち取らなければならない。地方自治に民主共和制を導入しても問題無いと思わせなければならないんだ。手伝ってくれないか、皆が君を待っている」
「皆? それは如何いう意味です?」
問い掛けると前本部長が頷いた。

「帝国ではトリューニヒト前議長が民主共和制を残すために戦っている。同盟ではレベロ、ホアンだ。我々は国家を存続させるための戦いには負けたかもしれない。だが民主共和制を残すための戦いはまだ終わっていない」
シトレ前本部長が私を見ている。強い視線だ、前本部長にとって戦いはまだ終わっていないのだ。いや、前本部長だけではない、トリューニヒト、レベロ、ホアン、彼らは未だ諦めていない。民主共和政国家では無く民主共和制を残すための戦い……。

「分かりました、何処まで御役に立てるか分かりませんが微力を尽くします」
「有難う、宜しく頼むよ」
「フェザーンへは何時までに?」
「六月には向こうに居る必要が有る。ハイネセンは遅くとも四月の終わりには出るつもりだ」
となると二カ月は何処かで過ごす必要が有る……。

「住居の事かね?」
「ええ」
「このまま四月まで此処に居れば良い」
「しかし」
前本部長が声を上げて笑った。

「君は今この時から政府職員だ。官舎に居ても何の不都合も無い。レベロには話してある、アイランズ国防委員長にもね」
「なるほど」
どうやら私がフェザーンに行く事は既定事実だったようだ。上手く操られたような気がしたが怒りは感じなかった。



宇宙統一暦 元年 3月 15日    ハイネセン  最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



『如何かね、そちらの状況は』
「悪くない。こちらが提出した国債の要請を帝国が無条件で受け入れてくれたからね、少しずつだが経済状況は上向きになりつつある」
『未だ実際には何もしていないだろう?』
「アナウンス効果という奴だな。帝国は同盟を締め付けようとはしていない、同盟市民は安心したというわけだ。御蔭で親帝国派と呼ばれる人間が増えている」
スクリーンに映るトリューニヒトが笑い声を上げた。

帝国がこちらの提案を無条件で受け入れた事には正直驚いた。エルスハイマーの口添えも有ったが帝国政府にも同盟を必要以上に抑え付けようという意思は無いのだろう。勿論そこには同盟が三十年後の統一に向けて協力するという前提が有るが……。

『では少しは君も遣り易くなったか?』
「そうでもない、同盟市民の私に対する評価は帝国の顔色を窺う裏切り者さ」
『倒閣運動でも起きているのか?』
トリューニヒトが心配そうな表情を見せた。
「残念だがそんなものが起きるほど最高評議会議長の椅子は魅力が有るわけでは無い。経済恐慌でも起こらない限り私の地位は当分安泰だな」
『そうか』
少し寂しそうな表情をトリューニヒトが見せた。そんな顔をするな、トリューニヒト。政権が安泰なのは良い事なのだ。

「そちらは如何なんだ、トリューニヒト」
トリューニヒトが笑みを見せた。
『忙しいよ、こちらは。憲法制定、それに遷都の準備も有るからね』
「そうか」
『遷都で一番忙しい思いをしているのは宮内省だな。皇帝の住居を如何するのかで大騒ぎだ。それに今の新無憂宮を如何するのかという問題も有る』
「なるほど」
個人の引っ越しでも大変なのに遷都ともなれば……。ちょっと想像がつかんな。

「それで、新無憂宮は如何するのかね?」
『当初は離宮として維持するというのが宮内省の考えだったんだがね、維持費が馬鹿にならないんだ。フェザーンに遷都すればオーディンの離宮など五十年に一度使えば良い方だろう。膨大な費用を費やしてまで維持する必要が有るのか疑問だ。だが売りに出す事も難しい。宮内省は頭を抱えているよ、相談を受けた財務省は逃げた』

「その判断は正しいだろう。私が財務尚書ならやはり逃げる」
トリューニヒトが笑い出した。
『私も同感だ。宮内省内部には一部を離宮として残し他は解体するという案も出ている。しかしその解体する費用も馬鹿にならないし新無憂宮は歴史的な価値も有るからな、解体には反対する声が強い』
なるほど、帝国は五百年続いた。新無憂宮は五百年の間帝国の中心に有った訳だ。解体に反対する声が強いのは当然だろうな。

「それで、如何するんだ?」
『そのまま博物館として一般市民に公開してはどうかという意見が出ている。映画会社にロケ地として利用させるとかね。その収益で現状のまま維持管理させる』
「なるほど、面白い考えだな。映画の撮影に使いたがる人間は多いだろう。黒真珠の間とかな」
トリューニヒトが“そうだろう、そうだろう”と上機嫌に頷いている。

『発案者は私だ。政府が遷都すればオーディンは活気を失う。しかし此処には新無憂宮だけじゃなく政府関係の建物が色々と有る。観光都市として再生出来るんじゃないか、そう思うんだ。宮内省は渋っているが財務省は諸手を上げて賛成している』
「なんだ、自慢話か」
『まあそうだ』
二人で声を上げて笑った。暫らく笑っていなかったような気がする。気持ちが良かった。

『少しずつにせよ周囲の信頼を得て行きたいと思っている。そうなる事で色々と情報も入って来るからね』
「苦労をかけるな、トリューニヒト」
トリューニヒトが肩を竦める仕草を見せた。
『心配無い。私はこの状況を楽しんでいるよ。それにもう直ぐシトレ元帥、ヤン提督にも会える』
「そうだな」

『君こそ無理はするなよ、少しは息を抜け』
「頑張れとは言わないのか?」
『言わなくても頑張るだろう?』
思わず苦笑してしまった。
「そういう性分なんだ」
『気を付けろよ、ヴァレンシュタイン元帥も君の事を心配している。真面目なのは良いが自分を追い込み過ぎるのではないかとね』
「そうか」
ヴァレンシュタインが……。

『冷徹では有るが意外に面倒見が良いところが有る』
「意外? そんな事を言って良いのか?」
『訂正、非常にだ』
また二人で笑った。
『今は私がパイプ役になっているがその内直接話すのも良いだろう。敵なら手強いが味方なら頼もしい相手だ』
「味方か……」
トリューニヒトが頷いた。もう笑ってはいない。

『味方にするんだ、レベロ。敵対では無く協力しながら民主共和制の存続を目指す』
「そうだな」
トリューニヒトは帝国で信頼を得ようと戦っている。彼一人に押し付けるわけにはいかないな。帝国と協力体制を強化する。その事で帝国の信頼を得る。例え同盟市民から裏切り者と蔑まれようとも……。